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2024年11月

2024年11月28日 (木)

ヴァイル 交響曲と7つの大罪 マルヴィッツ指揮

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横浜のランドマークタワーのツリー。

今年の横浜は、ベイスターズ日本シリーズ優勝もあり、ブルー系のカラーで包まれてます。

半世紀あまりにおよぶ横浜大洋DeNAホエールズベイスターズのファンであるワタクシ。
前回のリーグ優勝は甲子園で立ち会えたし、そのときの日本シリーズも球場には入れなかったものの、近くで応援。
もう若くもないので、今回は冷静にテレビ観戦で、じんわりくる喜びをかみしめました。

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横浜はあかぬけた都会だけれども、東京とはまったく違う、ちょっとローカル感もある都会。

あか抜けた都会に憧れ田舎から出てきた娘の物語・・・クルト・ヴァイルの「7つの大罪」を真ん中に据えた見事なアルバムを聴きました。

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 クルト・ヴァイル (1900~1950)

  交響曲第1番「ベルリン交響曲」(1921)

  バレエ「7つの大罪」(1933)

  交響曲第2番 「交響的幻想曲」(1933)

  ヨアナ・マルヴィッツ指揮
         ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団 


   アナ1とアナ2:カタリーネ・メールリンク
   家族:マイケル・ポーター、ジーモン・ボーデ
      ミヒャエル・ナグル、オリフェール・ツヴァルク

            (2024.1.3~5、2.5~7 @コンツェルトハウス、ベルリン)

ヨアナ・マルヴィッツのDGへの本格録音の第1弾。
マルヴィッツは、私が以前より注目していた指揮者でして、幣ブログでも2度ほど記事を起こしてます。
ヴァイオリンとピアノを学び、ピアニストとしてスタートしたあとは、オペラハウスで指揮者として各地の劇場で活躍。
ニュルンベルク州立劇場の音楽総監督を2018年から6年間つとめ、そこでオペラ・コンサートのレパートリーを拡充し、オーケストラも躍進した。
そしてエッシェンバッハのあとを受けて、ベルリン・コンツェルトハウス管の芸術監督に2023年に就任してDGとも契約。
バイロイトへの登場も必ずあるし、欧米各地のオーケストラに客演中のなか、手兵と日本にも1~2年内にはやってくると思います。
その際には、お願いだから名曲路線や人気日本人ソロとの共演でなく、本格的なプログラムでやってきて欲しい!
これ、ほんと切実に思う、昨今の外来オケの演目は悲しすぎるから・・・・

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ご多分に漏れず、ユダヤ系であった戦中を生きたドイツ人作曲家、クルト・ヴァイルは多難な50年の短い生涯だった。
ブレヒトとの「三文オペラ」(過去記事あり)ばかりが有名なヴァイルだけれど、それ以外の本格作品はあまり聴いたことがなかった。
印象として、晦渋な雰囲気を常に持っていて、プフィッツナー、ブゾーニ、ヒンデミット、アイスラーなどとともに、どうも苦手意識を持ってました。
そんな思いを一掃、というわけにはいかないけれど、交響曲とアイロニーに満ちた声楽付きバレエを聴いて、ヴァイルという作曲家の時代ごとの変遷や、オーケストラ作品としての面白さなども実感できました。

20歳の交響曲第1番、ブゾーニの弟子であった頃で、同じころには弦楽四重奏やピアノ作品なども書いている時期。
マーラーやシュトラウス、無調の影響、さらにはシェーンベルクやシュレーカーなどを思わせる雰囲気があり、現代人の耳みは案外と聴きやすいし、あとベルクの退廃と甘味の響きも感じた。
単一楽章ではあるが、このCDでは4つのトラックに分割されていて、交響曲の体を立派になしていることもわかる。
不協和音も心地よく感じられ、とっつきの悪さよりは、辛辣さが交響曲の形式をまとった結果がそうなったのだと思われた。
マルヴィッツによると、この楽譜はイタリアの修道院に保管され、道女たちがそれを隠し、ユダヤ人の手によるものとわからないように最初のページは切り取られていたそうだ。
生前は演奏されず、初演は1957年に、N響でお馴染みのシュヒターの指揮だった。
表現主義詩人のロベルト・ベッヒャーの劇と関連付けられているとされるが、ヴァイルはそのことに関してスコアや文章になにも残していないとされる。
私は2番よりも1番の方に魅力を感じ、曲の最後に平和なムードが一瞬でも訪れる場面が気にいった。
ヴァイルは、本格作品を書くかたわら、困窮から作曲や音楽学を教え、その門下には、クラウディオ・アラウやアブラヴァネルがいることも、歴史のひとコマとして興味深いです。

やがてヴァイルは1幕もののオペラなど、劇作品も書くようになり、ロッテ・レーニャにも出会う。
ブレヒトと共同で、乞食オペラの改作「三文オペラ」を書いたのが1928年。
人気のあがったヴァイルは、ナチスに目を付けられ、ドイツでの活動に不自由さを感じパリへ向かった。
パリで合流したブレヒトと、裕福な英国人から委嘱を受け、歌うバレエ「7つの大罪」を作り上げたのが1933年で、同年にシャンゼリゼ劇場で初演。そのときの指揮者がモーリス・アブラヴァネルで、ソプラノも妻となったロッテ・レーニャ。

7つの都市を1年間づつ滞在し、遍歴する女性の物語で、アナというこの女性は分身のようなふたつの性格を持ち、「『罪人』に内在する相反する感情を伝えるために、ブレヒトはアンナの性格を、実用感覚と良心を持つ冷笑的な興行主のアンナ1世と、感情的で衝動的で芸術的な美しさを持ち、非常に人間的な心を持つ売れっ子のアンナ2世に分割した」。
姉妹は、ミシシッピ州のルイジアナから出て、幸運を求めて大都会を遍歴、メンフィス、ロス、フィラデルフィア、ボストン、テネシー、ボルティモア、サンフランシスコと続き、それぞれが「怠惰、高慢、激怒、飽食、姦淫、貪欲、嫉妬 」という人間の持つ闇ということで象徴。
男声はそれを見守り、揶揄する家族の役柄となっている。
最後はミシシッピ川の流れるルイジアナに帰る姉妹は、7年の月日を回顧して、小さな家に帰ってきたと神妙に曲を閉じる。

32分ほどのリズム感あふれる曲だが、とても聴きやすく、三文オペラを聴いた耳にはまったく問題なく楽しめる。
本格シンフォニーである①とはまったくの別世界で、軽妙さとジャズのイディオム、さらにはメロディアスなドイツの声楽作品なの延長的な存在が極めて皮相なこの題材を多彩に描いている。
結構楽しめましたね。
バレエ最新の上演映像のトレーラーをネットで観たりもしましたが、内容が内容だけに、けっこう🔞的に描かれてましたよ。

ベルリンを去る直前に書き始めた交響曲第2番は、パリの社交界の著名人から依頼を受けたもので、1934年にパリで完成。
ヴァイルの最後の純粋クラシカル作品で、こちらはうって変わって3楽章形式の新古典主義的な明快な音楽。
初演はコンセルトヘボウでワルターの指揮で、ワルターはこの作品がいたく気にいり、ニューヨークやウィーンでも指揮した。
ワルターは、この交響曲に名前をつけるように提言、フランスでは「幻想」とも呼ばれたらしい。
コンサートでの演奏機会も多く、音源も2番は多くあり、事実ワタシのヤンソンスのものを持っていた(でもすっかり忘却してる)
シンプルな2管編成で、リズミカルでかつメロディも明確、無窮動的な終楽章も面白く盛り上がるし、全体に1番よりもずっと聴きやすい。
金管や管楽器のソロもみんな楽しいし、オーケストラとしては演奏しがいがある作品なんだろう。
CDを持っていたことを忘れてしまう、演奏会で聴いても、もしかしたら忘れてしまう、そんな印象がヴァイルの2番なのかもしれない。
第1交響曲が、当時のドイツの伝統の流れを汲むものだったのに対し、ドイツを出て遍歴の経験を経たあとの第2交響曲は、これで本格クラシカル作品が終わってしまったけれど、世界を観たヴァイルの心情の吐露なのかもしれない。

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マルヴィッツのヴァイルに対する思いと熱意を感じる1枚。
CDリブレットでも、彼女はその思いを語ってます。
ニュルンベルク劇場時代、ピアノを弾きながら、曲目解説をよくやっていて、いくつか見たことがありますが、彼女は学究肌でもあり、その探求心と分析力な並外れた才能だと思います。
劇場で培った全体を見通し、構成を大切に、オケや舞台を統率してゆく指揮者としての能力の並外れている。
ベルリン・コンツェルトハウスの高性能ぶりも、優秀録音でよくわかりました。

次のDGへの録音が待ち遠しいです。

ちなみに、ここ数年で各放送局から録音したマルヴィッツの指揮した音源を列挙しておきます。
モーツァルト「リンツ」、ヴァイオリン協奏曲、「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トウッテ」
ベートーヴェン 7番、シューベルト 9番 、マーラー 1番
ワーグナー 「ローエングリン」
コダーイ ハーリ・ヤーノシュ、ガランタ舞曲
チャイコフスキー ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、ロココ
ラフマニノフ ピアノ協奏曲3番
シュトラウス ティル、「影のない女」
プロコフィエフ 古典交響曲
ベルク ルル交響曲
ブリテン 戦争レクイエム
あと夏の野外コンサートでは、ガーシュイン、バーンスタイン、新世界など
逃した録音としては、プロコフィエフ「戦争と平和」もあります。
どうでしょう、多彩でしょう。

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もう女性指揮者とか、「女性」をつける必要性のない、あたりまえの時代になりました。
マルヴィッツさん、次のバイエルン国立歌劇場の指揮者になると予感します。
来年はベルリン・フィルにもデビューです。

 ヨアナ・マルヴィッツ 過去記事

「ローエングリン」 2019.5.25

「戦争レクイエム」 2021.8.14

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2024年11月23日 (土)

ヴェルディ レクイエム 神奈川フィル400回定期 沼尻竜典 指揮

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色づく秋のみなとみらい。

神奈川フィルハーモニーの記念すべき第400回定期公演に行ってまいりました。

久々の土曜の横浜は、かつて始終通っていた頃と、その人の多さと整然と開発が進む都市計画の進行とに驚きました。

ともかく忙しく、せっかく感銘を受けたコンサートですが、blog起こしがなかなかできず、1週間が経過してしまった。

Verdi

  神奈川フィルハーモニー 第400回記念公演  

       ヴェルディ レクイエム

      S:田崎 尚美   Ms:中島 郁子
        T:宮里 直樹   Bs:平野 和

  沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
         神奈川ハーモニック・クワイア
         クワイアマスター:岸本 大
    ゲスト・コンサートマスター:東 亮汰

       (2024.11.16 @みなとみらいホール)

300回記念公演は、2014年に川瀬健太郎の指揮でマーラー「復活」で、わたくしも聴きました。
さかのぼること、200回は現田茂の指揮で「蝶々夫人」(2003)、100回は佐藤功太郎の指揮で「田園」ほか(1992)、さらに1回目は大木孝雄の指揮で、ペルゴレージのスターバト・マーテル(1970)、このような歴史があります。

合唱を伴う大きな作品が、こうした記念公演にはプログラムに載ることは、世界のオーケストラのならいとなってますが、昨今はマーラーが選ばれることが多いのがトレンドかと思います。
そこでヴェルディのレクイエムを取り上げたことの慧眼。
世界に蔓延する不穏な出来事、日本は一見平和でも、海外では不条理な死が横行しているし、いま我々は常に不安に囲まれ囚われて生きています。
ヴェルディの書いたレクイエムの持つ癒しと優しさの側面、オペラの世界も垣間見せる、そんな誠実な演奏が繰り広げられ、満席の聴衆のひとりひとりに大きな感銘を与えることになったのでした。

プレトークでの沼尻さんのお話しで、このレクイエムのなかに、ヴェルディのオペラの姿を見出すことも楽しみのひとつと言われて、バスの歌にリゴレットのスパラフチレを思い起こすこともできますね・・、とのことで、私もそんな耳でもこの日は聴いてみようと思った次第でもあります。

そんな聴き方のヒントを得て、聴いたヴェルディのレクイエム。
ヴェルディの中期後半から後期のスタイルの時期の作品という位置づけでいくと、レクイエム(1873年)の前が「アイーダ」(1871)で、アイーダは劇場のこけら落としなどの晴れやかな節目に上演されるように、輝かしさとダイナミズムにあふれたオペラだが、それは一面で、登場人物たちの葛藤に切り込んだドラマがメイン、最後は死の場面で静かに終わる。
少し前の「ドン・カルロ」(1867)も原作が優れていることもあるが、グランドオペラの体裁を取りつつも、ここでも登場人物たちの内面に切り込んだヴェルディの円熟の筆致がすばらしく、ソプラノ、メゾ、テノール、バリトン、バスに素晴らしい歌がちりばめられていて、これらの歌手は、そっくりそのまま「レクイエム」のソロを務めることができる。
そして、レクイエムを聴きながら、自分では一番思い起こした作品は、「シモン・ボッカネグラ」で1857年の作品を、1881年に大幅改訂している。
レクイエムのあと「オテロ」(1887年)まで、オペラを書かなかったが、そのかわり「シモン」の改訂を行った。
主人公の死で終わるシモン・ボッカネグラ、そのラストはまるでレクイエムそのもの。
わたしはそんな風に、この日のレクイエムを聴いた。

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素晴らしかった4人のソロのみなさん。
このメンバーであれば、もっと自由に好き放題に歌わせて、オペラティックなレクイエムを描くことも可能だったでしょう。
しかし、沼尻さんの作りだすヴェルディのレクイエムは、ソロもオーケストラも、合唱も、すべて抑制の効いた真摯なる演奏だったので、4人のソロが突出することなく、淡々としたなかに集中力の高い歌唱に徹してました。

なかでも一番良かったと思ったのがメゾの中島さん。
繊細精緻な歌唱で、一音一語が明瞭、耳にも心にもよく届くそのお声は素晴らしい。
この演奏の1週前には、ノット&東響でデュリュフレのレクイエムを歌っていて、行けなかったけれどニコ響で視聴ができました。
 あとバスの平野さんも、驚きの深いお声で、ビジュアル的にもギャウロウを思い起こしてしまった。
田崎さんのソプラノも素敵でしたが、この曲のソロには強すぎるお声に思えて、もう少しリリックな方でもよかったかな、と。
でも、リベラメの熱唱は実に素晴らしく感動的でした。
テノールの宮里さん、ずばり美声でした。やや硬質な声はプッチーニもいいかも。
インジェミスコは聴き惚れました。

「怒りの日」で3度、「リベラメ」で1度、あのの強烈なディエスイレが登場するが、いずれも激しさや絶叫感は少なめで、4回ともに均一に轟くさまが、壮麗さすら感じるものでした。
カラヤンなどは、最後のディエスイレにピークを持っていったりして、聴き手を飽きさせない演出をするが、こたびの演奏では、そんな細工は一切なく、ひたすらヴェルディのスコアに誠実に向き合う着実な演奏で、抒情的な場面をあますことさなく引き出した桂演だったのでした。

ベルカントオペラのようなソプラノとメゾの二重唱「レコルダーレ」は美しい限り、圧巻だったのは4重唱と合唱の「ラクリモーサ」における悲しみも切実さというよりは、慰めを感じ、思わず涙ぐんでしまうほどだった。
若い頃、この作品のFM放送をエアチェックするとき、90分テープを用意すると、ちょうどA面の45分で、このラクリモーサが終わりました。
ほとんどが、すぐさまカセットを入れ替えることで完璧に録音できましたが、そうはならなかった演奏がベルティーニとN響のものでしたね・・・

光彩陸離たる「サンクトゥス」はみなとみらいホールが今回一番輝かしく響いた瞬間だった。
木管と弦のたゆたうようなトレモロに乗った、美しい「ルクス・エテルナ」では、素晴らしい音楽と演奏とに身を委ね、ホールの天井を見上げて音がまるで降ってくるのを感じていた次第。
そして、最後のソプラノを伴った劇的な「リベラ・メ」でした。
音が止んだあとの、ホールの静寂。
この素晴らしいヴェルディのレクイエムの演奏の終わりをかみしめる感動的な瞬間でした。

大規模な合唱団とせず、プロフェッショナルな精鋭で構成された神奈川フィルハーモニック・クワイアの精度の高さも大絶賛しておきたい。
あと、もちろん神奈川フィルは、これまで聴いてきた神奈川フィルの音でした。
そして、その音も若々しくもなった感あり、自分にはまた懐かしいあの頃の美音満載の神奈川フィルでありました。

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急に深まった秋は冬にまっしぐらで、みなといらい地区も秋から冬の装いに。

イルミネーションもいくつか撮りましたが、アドヴェントは死者のためのミサ曲にはそぐいませんので、ここでは貼りませんでした。

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次の神奈川フィル、さらには来シーズンは何を聴こうかと思案中。

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2024年11月12日 (火)

プロコフィエフ 「束の間の幻影」 アンナ・ゴウラリ

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何年か前の京都の圓徳院のお庭。

京都好きの娘の念願は、京都でお式を挙げること。

流行り病で、異国の方はまったくおらず、静かな京の街なのでした。

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 プロコフィエフ 「束の間の幻影」op.22

          ピアノ:アンナ・ゴウラリ

              (2013.10 @ノイマルクト)

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

ピアノの名手でもあったプロコフィエフがピアニストにならず、作曲家としての道を歩んだことは幸いなことでした。
5歳のときに書いたピアノ作品が作曲家としての処女作という。
1909年、18歳のときに作品1となるピアノ・ソナタ1番、最後のソナタ9番は、ずっとあと1947年56歳のとき。

ほかの諸作でもそうですが、プロコフィエフは年代とそのときの居場所や政治背景などで、その作風が目まぐるしく変わったが、その根底にはいつもクールなリリシズムがあったと思います。
いくつもの顔を持つプロコフィエフの作風において、気まぐれ的な即興性という側面があり、自身は「スケルツォ的」とも呼んだらしい。
そんな様相は、交響曲やオペラにも見出せます。
そして、案外とその代表格のような作品が「束の間の幻影」という小品集。

1915年24歳の頃に作曲され、1917年に出版されたので作品番号は22がついてます。
ソナタの3番や「古典交響曲」などと同じころ、さらには「賭博者」も控えていた時分。

20曲の小品を集めたもので、それぞれが独立しているとも言えるし、またまとめて聴くことで、聴き手は次々に変わるプロコフィエフの即興性を、まるで万華鏡でも見るがごとく味わうことになる。
「束の間の幻影」という、極めて印象的なタイトルは、ロシアの詩人コンスタンティン・バリモントの詩からとられたもので、この日本語訳も実によくできたものだと思います。
いかにもタイトル通りの、まるで感覚的であり、気まぐれ的でもあり、姿を捉えようもない不可思議さも感じたり、印象派風でもあり、神秘主義的でもあり・・・なんでもありの感じの小品が数分単位で連続している。

あらゆる刹那の瞬間に私は世界を見る、変わりゆく虹の色の戯れにくまなく映えた世界を」バリモント

ここ数日、静まった夜間に、この曲を何度も流したりして過ごしました。

なにも考えることなく、ぼんやりと聴いて、そして寝てしまうのです。
これもまたプロコフィエフの音楽の世界なんだな。

ロシアのタタールスタン出身で、現在はドイツで活躍中のアンナ・ゴウラリの硬質でありながら、煌めくような美感も感じるピアノが素敵でありました。
カップリングのショパンの3番のソナタが辛口の演奏で、これがまた実に素晴らしい。
彼女のほかのショパン、スクリャービンなども聴いてみたいものです。

ゴウラリさんのバッハです。



深まる秋

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2024年11月 6日 (水)

R・シュトラウス 「インテルメッツォ」交響的間奏曲

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文化の日は、ニッポンの「菊」がお似合い。

亡父が菊や盆栽に、かなり凝っていくつもの鉢植えを作成せいていたけれど、無精なワタクシは、それをまとも受けつぐことができず、ことごとく枯らしてしまいました・・・・

いまとなっては虚しい数十年であります。

R・シュトラウスの数回目のオペラ全曲聴き、ブログ化としては2度目のものが進行中ですが、次は「ばらの騎士」で止まってます。
年末のノット&東響をひとつのピークに致したく、そのときにまとめ上げたいと考えてます。

「インテルメッツォ」を取り上げるのはまだ先のことになりますが、夫婦や家庭のことを描いたシュトラスお得意のモティーフとなるこのオペラ。
先日に観劇した「影のない女」(1917)の次のオペラ作品にあたりますが、「インテルメッツォ」は、1923年で、少し間があきます。
このふたつのオペラには、夫婦愛にまつわる内容で、さらにインテルメッツォではすでに成した子供が可愛い役回りを演じてます。

いまだにモヤモヤ感を引きずる「コンヴィチュニーとバルツの影のない女」。
その気分を明るくするためにも、「インテルメッツォ」の素敵な間奏曲を集めた幻想曲を秋晴れのもと聴きます。

Strauss-keilberth

 R・シュトラウス 「インテルメッツォ」交響的間奏曲

   ヨーゼフ・カイルベルト指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団

            (1961 @ミュンヘン)

全2幕のオペラに散りばめられた前奏曲と間奏曲。
これらを抜き出し、4つの交響的な作品に仕立てたもの。
オペラの副題には、「交響的間奏曲付きの2幕の市民喜劇」と書かれていて、オペラ全体そのものがシンフォニックな作りとも目されます。

シュトラウス自身の家庭をありのままに描いたようなオペラで、家庭交響曲と同じくするものです。
主人公が楽長さんで、作曲者そのもの。
嫉妬深いその妻は、シュトラウスの妻パウリーネ。
パパの擁護者、可愛い息子は、そのままシュトラウスの愛息フランツ。


口うるさく、姐御肌だった妻パウリーネ。
よく悪妻ともいわれるが、ただでさえ、勤勉で日々同じペースの生活をし、かつ天才肌だったシュトラウスの尻をたたいたので、こんなにシュトラウスは多作だったとも冗談のように言われたりもしますね。

しかしシュトラウスは、その反動で、妻や家庭も音楽として風刺して描くことができた、そんなしたたかさもあり、なんでも音楽にできちゃうというシュトラウスならではなのです。
妻にない多彩な女性の姿を台本作者と手を携えて描きつくすというシュトラウスのオペラの素材選びと音楽造り。
いろんな女性を描きたかったシュトラウスにとって妻のパウリーネの存在は思いのほか大きかったと思います。


この「インテルメッツォ」は、主人公が楽長で、作曲者そのもの。嫉妬深い妻は、パウリーネ。パパの擁護者、可愛い息子は、そのままシュトラウスの愛息フランツ。

全曲盤の細かく刻まれたトラックを見てみると、めまぐるしく変わる場のつなぎに、9つのオーケストラ間奏があります。
その間奏を見事につなぎ合わせて4つの部分に作り上げています。

 ①出発前の騒動とワルツの情景

 ②暖炉の前の夢

 ③カードゲームのテーブルで

 ④更に元気な決断


かまびすしい前奏曲、瀟洒なワルツや、静かで感動的な平和な家庭の雰囲気、明るく楽しく快活な大団円。
シュトラウス好きを決して裏切らない素敵な作品です。

今日は往年のカイルベルト盤を聴きましたが、61年録音とは思えない録音のよさ、暖かな音色のオーケストラで木質を感じさせる抜群のシュトラウスサウンドです。
この2年後にカイルベルトは「影のない女」と「マイスタージンガー」でシュターツオーパーの再開上演を指揮しました。
さらに同年63年に、ウィーンで「インテルメッツォ」を指揮していて、そのときのライブも聴くことができます。
次のオペラでのインテルメッツォ記事は、サヴァリッシュ盤をすでに取り上げたので、このカイルベルト盤にしようかと思います。

こちらの交響的間奏曲の音源はたくさん持ってます。
メータ、テイト、プレヴィン、ヤンソンス、ウェルザー・メスト、A・デイヴィスなどなど。

ともかく、聴いて幸せな気分になれる晴朗なシュトラウスの音楽はステキなのであります。

やっぱり、「コンヴィチュニー&バルツの影のない女」はいかんな!

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