プロコフィエフ 「束の間の幻影」 アンナ・ゴウラリ
何年か前の京都の圓徳院のお庭。
京都好きの娘の念願は、京都でお式を挙げること。
流行り病で、異国の方はまったくおらず、静かな京の街なのでした。
プロコフィエフ 「束の間の幻影」op.22
ピアノ:アンナ・ゴウラリ
(2013.10 @ノイマルクト)
プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。
略年代作品記(再褐)
①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など
②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍
しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた
③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」
④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
バレエ数作
⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど
年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。
ピアノの名手でもあったプロコフィエフがピアニストにならず、作曲家としての道を歩んだことは幸いなことでした。
5歳のときに書いたピアノ作品が作曲家としての処女作という。
1909年、18歳のときに作品1となるピアノ・ソナタ1番、最後のソナタ9番は、ずっとあと1947年56歳のとき。
ほかの諸作でもそうですが、プロコフィエフは年代とそのときの居場所や政治背景などで、その作風が目まぐるしく変わったが、その根底にはいつもクールなリリシズムがあったと思います。
いくつもの顔を持つプロコフィエフの作風において、気まぐれ的な即興性という側面があり、自身は「スケルツォ的」とも呼んだらしい。
そんな様相は、交響曲やオペラにも見出せます。
そして、案外とその代表格のような作品が「束の間の幻影」という小品集。
1915年24歳の頃に作曲され、1917年に出版されたので作品番号は22がついてます。
ソナタの3番や「古典交響曲」などと同じころ、さらには「賭博者」も控えていた時分。
20曲の小品を集めたもので、それぞれが独立しているとも言えるし、またまとめて聴くことで、聴き手は次々に変わるプロコフィエフの即興性を、まるで万華鏡でも見るがごとく味わうことになる。
「束の間の幻影」という、極めて印象的なタイトルは、ロシアの詩人コンスタンティン・バリモントの詩からとられたもので、この日本語訳も実によくできたものだと思います。
いかにもタイトル通りの、まるで感覚的であり、気まぐれ的でもあり、姿を捉えようもない不可思議さも感じたり、印象派風でもあり、神秘主義的でもあり・・・なんでもありの感じの小品が数分単位で連続している。
「あらゆる刹那の瞬間に私は世界を見る、変わりゆく虹の色の戯れにくまなく映えた世界を」バリモント
ここ数日、静まった夜間に、この曲を何度も流したりして過ごしました。
なにも考えることなく、ぼんやりと聴いて、そして寝てしまうのです。
これもまたプロコフィエフの音楽の世界なんだな。
ロシアのタタールスタン出身で、現在はドイツで活躍中のアンナ・ゴウラリの硬質でありながら、煌めくような美感も感じるピアノが素敵でありました。
カップリングのショパンの3番のソナタが辛口の演奏で、これがまた実に素晴らしい。
彼女のほかのショパン、スクリャービンなども聴いてみたいものです。
ゴウラリさんのバッハです。
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