カテゴリー「バッハ」の記事

2019年9月28日 (土)

バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ アーヨ

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変わりやすい秋の空。

ちぎれたウロコ雲も秋っぽい。

これから深まる秋に、バッハの無伴奏。

Bach-ayo

 バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ

     Vn:フェリックス・アーヨ

       (1974.12.29~1975.01.02 @ローマ)

バッハの無伴奏といえば、ヴァイオリンかチェロ。
ヴァイオリンが、ソナタとパルティータで、チェロは組曲。
その楽器の特性を見事に読み込んで、これらの形式を選択して作曲したバッハ、今さらながらその慧眼に驚きと感謝を禁じえません。
あ、あとフルートにも孤高の無伴奏ソナタがありますね。
いっとき、フルートを嗜んだものですから、そのソナタ、最初のほうだけ結構吹きましたものです。

わたくしの無伴奏の初レコードは、フェリックス・アーヨのものです。
初出のときは、高くて手がでなかったし、なによりも、今では2CDで易々と手に入るシェリングやミルシュテインのレコードは3枚組で、6000円以上もしたし。
そして、バッハのシリーズとして2枚組、2,900円で出たアーヨ盤に飛びついたのは、もう40年くらい前。

たくさんの音源を集めましたが、このアーヨ盤が今でも好き。
ソナタのほうは、入手困難で、悶々としておりますが、よりアーヨ向きのパルティータがCD化されて、ほんとにうれしかった。

イ・ムジチのアーヨ、イ・ムジチの「四季」、アーヨの「四季」という塩梅に、アーヨといえば、イ・ムジチと四季から切り離せないイメージがついてまわりますが、そのアーヨも、イ・ムジチを出てから、クァルテットを結成したり、ソロ活動をしたりと活躍の幅を広げたものの、それらの記録があまり残されていないのが残念です。

そんななかで、貴重なものが、このバッハ。
初めて、レコード針を落とした時に、スピーカーから流れだすヴァイオリンの明るく、艶やかな音色に即時、心惹かれ、魅了されてしまいました。
いま、CDでこうして聴いても、その想いに変わりはありません。
CDだと、ノイズも気にしなくてよいし、より情報量が増した感じで、ダイナミックレンジも広く、高域から低域まで、ここまでまんべんなく朗々とヴァイオリンを鳴らすことのできるアーヨに感嘆してます。

それには、フィリップス録音の優秀さも、一役買っているようにも思います。
ローマでの録音とありますが、こちらは教会を会場としてのものなのです。
豊かな響きは、教会の高い天井にこだまするようにして、教会そのものが、ヴァイオリンと一体化して楽器の一部のようにして感じられるのです。
響きばかりで、ふにゃふにゃしては決しておりませんで、アーヨの芯のある力のこもったヴァイオリンの音色もしっかりと捉えているんです。
 某評論家がかつて言ってましたが、よき演奏は、録音もジャケットもよろしい、と。
ジャケットは再発時のものですが、まさに、その三拍子が整った音盤かと!

もっと、情的なものを抜いて、構成感を高め、緊迫した演奏も、この無伴奏には多くありますが、アーヨの艶っぽい、歌心のあるバッハも、日ごろの緊張や疲れを、優しく包み込んでくれるような感じがして、わたくしには大切なバッハの姿の一面を聴かせてくれるものと思います。
長大な「シャコンヌ」では、いかつめらしさは一切なく、滔々とあふれ出る音楽を素直に受け止めることができる。
 そして、明るく軽快さも感じる3番が一番アーヨらしい演奏かも。
言葉はなんですが、普段聴きできる、アーヨの無伴奏なのでありました。

Shiba-3

高い空にバッハ。

Vivaldi-ayo

ついでに、懐かしの「アーヨ、イ・ムジチの四季」も聴いてみました。
(画像はネットからからのお借りもの)

なんというレトロ感、いやしかし、いまや、これは新鮮だ!
ムーディに流れるようでいて、各章に、心が込められていて、明るい歌のイタリア感も満載。
1959年の録音ということも、いまさらながらに驚き。
世界のベストセラーは、いま聴いても健在。
なにかとポンコツ気味の自分も頑張らなくちゃ。

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2019年4月20日 (土)

バッハ ヨハネ受難曲 ヨッフム指揮

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増上寺の鐘撞堂と桜。

2週前の桜ですが、今年は、長く楽しめました。

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   バッハ  ヨハネ受難曲 BWV245

福音史家:エルンスト・ヘフリガー イエス:ヴァルター・ベリー
ソプラノ:アグネス・ギーベル   アルト:マルガ・ヘフゲン
テノール:アレグサンダー・ヤング ペテロ、ピラト:フランツ・クラス

 オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
             オランダ放送合唱団

           (1967.6 @コンセルトヘボウ)

今年の受難節はちょっと遅めで、聖金曜日が4月19日、復活祭が4月21日。

信者ではありませんが、キリスト教は、身近な宗教で、幼稚園の頃からプロテスタント系の教会の着いた園に学び、大学もミッション系だったので、キリスト教系の学問も必須授業だったりした。
そして、それ以上に、クラシック音楽を親しむうえで、音楽と宗教の関係は密接であり、教会を訪問したり、宗教美術をながめたりするときには、必ず、頭の中に音楽が流れる。

そして、ショックだったのは、大切なイースターを迎える矢先に、パリのノートルダム大聖堂が火災にみまわれてしまったこと。
パリの人、いやフランス人の心の支柱でもあった聖堂が炎につつまれるのを、祈りながら、涙とともにみつめる市民の姿を見て、こちらも泣きそうになった。

同じように、日本人からしたら、法隆寺や薬師寺、東大寺、京の神社仏閣など、いや、それどころか身近にある神社のお社がそんな被害にあぅたらどうだろうか。
あらゆる神に祈りを捧げてきた日本人。
わたくしも、そのなかのひとりで、神さまにも、仏さまにも、イエスや神さまにも、同じように祈る、神さまに対して見境のない典型的な日本人であります。

それぞれの宗教の真の信者の方には申し訳ありませんが、日本人にとっての神さまとは、相対的に「心のよりどころ」であり、古来より自然の中にあるすべてのものに、その恵みの感謝の念を抱いて生きてきたがゆえの存在ではないかと思います。
そして、何千年と続く皇統の御代がずっとお側にあることも、日本人の心には常に安寧をもたらすご存在として大きいのだと思う。

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さて、ヨハネ受難曲ですが、福音史家と各ソロが主体の「マタイ」に比して、「ヨハネ」は合唱の比重が高く、その意味では劇的な要素が高く感じます。
それゆえに、聖書のイエスの捕縛から磔刑の一番劇的な福音劇を、叙事的に緊張感を持って鋭く描いたのは「静」のマタイであり、それをダイナミックに劇的に描いたのが「動」のヨハネであると思います。

個々には触れませんが、イエスの「こと果たされし」と最後の言葉を受けて歌うアルトのアリアには泣かされます。
ヴィオラ・ダ・ガンバのソロを伴った切々たるその歌、その哀しみは時空が止まってしまったかのような深みを感じます。

古楽器を伴った奏法に耳が慣れてしまった昨今、かつての従来奏法による、しかも大編成による演奏に接すると、実家に帰ってきたような安心感と、慣れしたんだおふくろの味、みたいな思いにつつまれます。
コンセルトヘボウの暖かな音色とホールトーン、懐かしい歌手たちの正統的な歌唱も、そんな思いに拍車をかけます。
ヨッフムの温和で、全体を包み込むような優しいタッチの音楽づくりは、健全きわまりないバッハ演奏にふさわしく、ドイツ・ヨーロッパのどこにでもある教会できっと演奏されたらかくも、と思わせます。

マタイと並んで、こんなヨッフムのバッハも、やはり自分には大切だし、日常使いとして、これからも聴いていきたい演奏のひとつだと思いました。

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春は、一挙にやってきて、花々を開かせます。

過去記事

「ヘレヴェッヘ盤」

「シュナイト指揮 コーロ・ヌーヴォ演奏会」

「リヒター盤」

「シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団」

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2019年4月 6日 (土)

バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番 アバド指揮

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満開の桜、あとは散るだけとなりましたこの週末。

桜の名所には驚くほどの外国の方が。

日本人のわれわれと同じように、桜を愛で、写真を撮り、その下で楽しんでいる。

桜の咲く日本が誇らしい。

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そして、今週は、5月1日からの新年号「令和」の発表に日本中が沸いた。

清々しく、涼やかでもあり、また美しい語感も伴った年号だと思います。

なによりも、万葉集を由来とする点も、とても麗しい。

富める者も、そうでないものも、聖も貧も等しく万人の歌を集めた1300年以上前の歌集。

来たる新年号を思いつつ、そして30年の平成の時代、今上天皇の残りのご在位のことなどを考えつつ、爽やかな晴天のもと、桜と東京タワーを愛でつつ逍遥いたしました。

そんな気分に、バッハのブランデンブルク協奏曲、それも第5番が晴れやかでぴったり。
しかも、ちょっとギャランとな雰囲気だし。

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  バッハ  ブランデンブルク協奏曲第5番 

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

          (1975.5 1976.11 @ミラノ)

   Vl:ジュリアーノ・カルミニョーラ

   Fl:ジャック・ズーン

   Cemb:オッタヴィオ・タシトーン

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

         (2007.4.21 レッジオ・エミーリア)

スカラ座の音楽監督だったころに、なぜか録音されたアバドのブランデンブルク協奏曲の全曲。
親しい仲間のようだった、スカラ座の面々との、和気あいあいとも感じ取れる親密なアンサンブル。
この頃、「マクベス」や「シモン」といった深刻なドラマを伴うオペラを日々上演していたコンビの、このバッハの演奏は一種の解放感のような「歌」あふれた雅さを感じ取ることができる。

スカラ座フィルハーモニーを創設し、定期演奏会も充実させたアバド。
スカラ座フィルとも、マーラーを録音して欲しかった。
2012年に奇跡のカンバックを遂げたときの「6番」の録音など、残ってないものかな・・・

Abbado-bach  

スカラ座との録音の32年後、孤高の境地の境地に到達したアバドが、自ら創設したオーケストラ・モーツァルトとブランデンブルク協奏曲をライブにて再録音した。
ソロやメンバーに、ルツェルンの仲間たちを交え、若い奏者とベテランが等しく、アバドのもとに集った、こちらは凝縮された緊密なアンサンブル。
古楽奏法で、奏者も刈り込んで、透明感と弾むようなリズム感あふれる若々しい演奏。
スカラ座とのコンサートスタイルの、いわゆる当時の演奏は、あれがオーソドックなものだった。
試みに、愛聴するシューリヒトや、リヒターの演奏を聴いても、タイムの上でも、だいたい同じスタイル。
押しも押されぬ大家となっても、積極的に演奏の在り方を追い求めたアバド。
ベルリンで取り上げた、マタイやロ短調も、その晩年に指揮をしたかったかもしれません。

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門の向こうに見事な桜🌸

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増上寺の桜🌸

ココログが全面リニューアルして、使い勝手がいまだにわかりにくく、いまいちな週末。

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2018年4月19日 (木)

バッハ ゴールドベルク変奏曲 フレデリック・ハース

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ひとひらの桜の花びら🌸

咲いた桜も美しいが、散る桜も儚くも美しい。

急襲した暖かさは、例年になく早く桜や、春の花々を開花させ、あっという間に散らしてしまった。

四季のメリハリがますます遠のく日本に、どこか不安を覚える。

3~4月は、公私ともに忙しくて、まともに音楽を聴けず、季節の移ろいの速さもそれに加えて、焦燥感を抱いている。
いまもそれは継続中だが、早くに目が覚め、夜寝れない方への音楽を、早朝の目覚めに聴いてみた。

そして、やたらと清新な気分になった。

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    バッハ  ゴールドベルク変奏曲 BWV988

             チェンバロ:フレデリック・ハース

                 (2010.10 @アセス、ベルギー)


ハースは、1968年生まれのベルギーのハープシコード奏者。
12歳のときからハープシコードを弾き始め、名教授につき、その奏法や楽器の研究に携わり、現在はブリュッセルの王立音楽院の教授も務めているイケメンさん。
ヘレヴェッヘとも関係が深いとのことで、その録音の通奏低音などで参加しているかもしれない。

繰り返しを忠実に行い、全曲は77分。
しかし、この長さ、まったく長いと感じさせない。
学究肌の経歴ながら、そんなことを微塵も感じさせない瑞々しさにあふれたバッハ。
そして、それぞれの変奏にあふれる豊かなニュアンス。
安心して、ずーーっと聴いていられる。
過度に表現しすぎない、でも、しっかりとバッハの音楽の精髄を聴かせてくれるハースのゴールドベルクでした。

25番目の変奏曲がとりわけ深く、瞑想的に聴くことができました。

この演奏のあと、手持ちの音源をつまみ聴きしてみましたが、自由すぎるグールドをはじめ、ハープシコード版、ピアノ版、いずれもみんな全然違って聴こえるところが面白かった。
ハープシコードは、楽器による音色の違いもあるからなおさらに。
かようにして、バッハの音楽には、ともかくいろんな可能性と閃きがあふれているのだと、いまさらながに痛感した次第。

このハースさんの録音で使用されたチェンバロは、1751年のアンリ・エムシュ作のもの。
で、まさにこの古楽器を奏して録音した場所が、ベルギーのアセスにある城。

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こんな画像を見ながら聴いたハースさんのゴールドベルク。

眠れぬ朝の夢想なり。

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2017年4月14日 (金)

バッハ マタイ受難曲 ヘレヴェッヘ指揮

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桜の季節は、同時に、イースター。

今年の歴では、この終末が復活節となりまして、本日が聖金曜日。
日曜日が、イースターとなります。

しかし、寒くて、暖かい、そして曇りや雨ばかりの4月の早々。
北海道では、雪も積もったりで、ままならない天候。

そして、世界情勢に目を転じれば、シリアの内紛に化学兵器使用の疑いあり、アメリカが中国国家主席の訪米中、しかも、大統領との食事のデザート中に空爆。
朝鮮半島も、北の挑発が止むことなく、緊迫の度合いを深める。

そんななか、安住に慣れ切った、わが日本は、警告を発する一部の方々をのぞいて、のんきに構える日々。

あとで大騒ぎになる、いつもの国民性と、悶着を恐れるマスコミ。

このブログでは、そんな情勢を云々する場ではなく、音楽ブログなのだけれど、さすがに、ここ数ヶ月の、国会における野党と、マスコミの狂ったような姿勢には、フラストレーションがたまる一方だった。
国会運営に一日数億円かかるなか、それは税金で賄われるわけで、あんなくだらない陳腐なショーを見せられて、ほんとに腹がたった。
もっともっと、大切なこと、喫緊の課題がたくさんあるだろうに!
 それも、しかし、ようやく静かになった。
日本の正面から触れてはいけないタブーや、追求者へのブーメランに、ようやく気がついた、ばかな野党とマスコミ・・・・・

あぁ、もうやめておこう。

今日は、聖金曜日。
イエスが十字架に架かった日。
清く、ただしく、マタイを聴くのだ。

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     バッハ  マタイ受難曲 BWV244

  福音史家:イアン・ポストリッジ 
  イエス:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ
  アルト:アンドレアス・ショル    ソプラノ:シビッラ・ルーベンス
  テノール:ヴェルナー・ギューラ  バス:ディートリヒ・ヘンシェル
  
    フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ

                       (1998)
数ある、マタイ受難曲の演奏のなかで、わたくしの4指にはいるヘレヴェッヘ盤。
その4つは、昨年の同時期の記事にあります。

ダントツで、揺るぎのない絶対的な存在のリヒターに、暖かなヨッフム、そして、峻厳でありつつピュアなレオンハルト、それと、日常のなかにふつうに古楽演奏を根付かせてしまったヘレヴェッヘ。

今日は、朝から、仕事中も、この音盤を何度も流しております。

リヒターだと、そんなお気楽に聴くことができず、つねに襟を正して、正座をして聴かなくてはならないような緊張感を強いられる。
ヨッフムは、その対極にあって、ドイツやヨーロッパの日常のなかのマタイ。
レオンハルトは、リヒターに近くもあり、もっと切り詰めた厳しさももしかしたらありつつ、それが、古楽のありかたなところが新鮮。
そのレオンハルトの、これまた対極にあるのが、同じ古楽奏法のヘレヴェッヘ。

4つを、異論は多々ございましょうが、自分では、そんな分類とともに、仕切っている。

 坦々と、静かな音楽運びのヘレヴェッヘの指揮。
劇的な合唱や、心情を吐露するソロたちの場面においても、ことさらに構えることなく、バッハの楽譜を、そのままに純粋に再現している。
 胸かきむしられる、一番の感動どころ、ペテロの否認の場面でも、その音楽運びは、さりげなくも、また第三者的でありながら、磨かれた音色の美しさでもって光っている。
そう、なにもしてないようでいて、出てくる音、ひとつひとつは、深く考察され、ラテン的ともいえる輝きにあふれているように思えるのだ。

ヘレヴェッヘのバッハは、ほとんど聴いたが、この2度目のマタイをピークに、ともかく美しく、磨きつくされている。

そんな指揮者のもと、歌手たちと、手兵の合唱の雄弁さに陥らない、透明感に満ち溢れた率直な歌唱も、指揮者の考えのもとにあるものと聴いた。
ナイーブ極まりないポストリッジのエヴァンゲリストが素晴らしく、ブリテンでの彼の神経質なまでの歌唱にも通じる見事さがある。
禁欲的なヘフリガーと、明晰なプレガルディエンと相立つ名福音詩家だと思う。
シュライヤーは、いろんな顔がありすぎて、自分的にはよくわからない。。。

ショルのアルト歌唱と、ゼーリヒのイエス、バスのヘンシェンも素晴らしいです。
ともかく、このヘレヴェッヘ盤は、歌手が豪華で実力派揃いなところがいいんだ!

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人類にとっての至芸品ともいえる、バッハのマタイ受難曲。

キリスト者からみた、人類の救い主たるイエスの受難の物語。

教徒ではなくとも、新約聖書の、ほんのごく一部から抜きだされたイエスの呪縛と、磔刑にいたる緊迫の物語にからむ、人間ドラマに、大いに共感し、そして自身を鏡で映しだされるかのような、内面と存在の弱さへの共感に、人間としての普遍的な価値を見出すのではないでしょうか。

中学生のときに聴いたリヒターの、最後の合唱「Wir setzen uns mit Tranen nieder」。
そこから始まった、わたくしの、マタイ歴。
そのあとは、聖書を物語的に読むにつれ深まる疑問と、感銘。
来日したH・リリングのマタイが、テレビやFMで何度も放送され、この作品が、完全に好きになった。

これからも、ずっと、大切に聴いていきたい。

そして、新しいマタイとも出会ってみたい。

 過去記事

「スワロフスキー&ウィーン国立歌劇場」

「レオンハルト&ラ・プティットバンド」

「ベーム&ウィーン響」

「4つのマタイ」

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2017年1月 6日 (金)

バッハ トッカータとフーガ ニ短調 リヒター

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2017年1月2日の朝焼け。

実家のあるいつもの山の上。

吾妻山です。

朝5時に起きてしまい、思いきって登りました。

日の出は、6時51分。

日の出前は、周辺がこのように朝焼けに染まります。

真鶴に遠くに伊豆半島。

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濃いオレンジの夕焼けとはまた違った、濃ピンク系? 朝焼け。

そして、もう少し東に目を向けると、相模湾から太陽が昇る様子が本来なら見えるのでした・・・・

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神奈川から見ると、遠く房総半島方面。

こりゃまるで、UFOのように見える日の出。

年末年始、晴天に恵まれたなか、この日の朝だけ、狙ったように雲に覆われました・・・。

ちーーん。

Richter

    バッハ  トッカータとフーガ ニ短調 BWV565

                     カール・リヒター

            (1964.1 @コペンハーゲン イエスボー教会)


ともかく有名な、こちらの名曲。

冒頭だけで、クラシックをふだん聴かない方にもピピッとくるものを持ってる曲。

トリルから始まる最初の2小節。
これが、衝撃的な場面のバックグランドを飾る音楽、いや、それこそ効果音として、数々の映像などに使われた。

でも、ほとんど多くの方々は、その2小節より先の即興的ともいえるフーガ展開部分を聴くことなく、やりすごしているだろう。

子供時代のわたくしも、そんなひとり。

 でも、そんな認識に、ファンタジー的とも呼べる喝を入れてくれたのは、NHKの「朗読の時間」というFMラジオ番組だった。
中学生だった、夏休みの間だったろうか。
朝の10時台くらいに、和洋の文学作品を、NHKアナウンサーが朗読する20分の番組で、1冊の本を、数日かけて取り上げていた。
そして、朗読に織り交ぜて、クラシック音楽を中心に流していたわけ。

そのときの音楽場面が、トッカータとフーガ。

そして、文学小説は、「不思議の国のアリス」。

不可思議な妄想のわく物語に、冒頭場面を外したフーガ場面が巧みにマッチングして、岩波文庫も購入し、耳と文字とで、ルイス・キャロルのアメイジングな文学がリアルに迫ってきて聴こえたものです。

あれから数十年も経ていますが、この作品のイメージから、アリスの世界をぬぐい去ることはできません。

 リヒターの旧盤は、かつて記事にしましたが、放送で使用されていたのは、おそらく、リヒターの2度目のアルヒーフ盤。

虚飾を廃し、音を切り詰めた、緊張感すら感じさせる演奏に思います。

近時、バッハの作品ではないのでは説もありますが、そんなことは関係なく、妄想引き起こす、幻想的な8分間に、いまもって魅せられます。。。。

2017、よき年になりますよう!

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2016年12月29日 (木)

バッハ クリスマス・オラトリオ シュナイト指揮

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冬のクリスマスのツリーの定番は、恵比寿のガーデンプレイス。

基本のカラーだけ、そして、装飾も基本のカラーに徹したシンプルな美しさ。

華やかだけど、華美じゃない。

毎年、手を加えてはいるでしょうけれど、毎年、ここが、わたくしのナンバーワンイルミ。

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ドイツのクリスマスマーケットでは、考えてもみたくもなかったテロ行為が起こり、キリストの生誕を祝う和やかなキリスト教者最大のイヴェントが、それすらを許さないごく一部の狂信者たちの行為により、ずたずたになった。

映像などでみた、踏み散らされ、破損したクリスマス・グッズを見ると、ほんとうにやるせない思いになった、そんな今年のクリスマスであります・・・・・

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  バッハ  クリスマス・オラトリオ

   Bs:フーベルタス・バウマン、フランク・ザーベッシュ=プア

   Cont:ミヒャエル・ホフマン

   T :ハイナー・ホップナー

   Bs:ニコラウス・ヒレブラント

 ハンス・マルティン・シュナイト 指揮 コレギウム聖エメラム

                        レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊

               (1977年6,7 @レーゲンスブルク 聖エメラム教会)


バッハの大作、でも実際は6つのカンタータの集積であり、クリスマスに全部一気に聴く必然性もいわけで、以下のような、降誕節にはじまる1月の祝日までを念頭においたもの。

   ①降誕節第1祝日 24日

   ②降誕節第2祝日 25日


   ③降誕節第3祝日 26日

   ④新年          1日

   ⑤新年最初の祝日 (2日) 

   ⑥主顕節        6日
      

>以下、一部以前の自己記事を引用<

主顕節というのは、イエスが初めて公に姿を現わされた日のことで、東方からの3博士が星に導かれて生後12日目のイエスを訪ねた日をいう。

1734年、バッハ壮年期に完成し、その年のクリスマスに暦どおりに1曲ずつ演奏し、翌新年にもまたがって演奏されている。

バッハの常として、この作品はそれまでの自作のカンタータなどからの転用で出来上がっているが、旋律は同じでも、当然に歌詞が違うから、その雰囲気に合わせて歌手や楽器の取り合わせなども全く変えていて、それらがまた元の作品と全然違う雰囲気に仕上がっているものだから、バッハの感性の豊かさに驚いてしまう。
バッハのカンタータは総じて、パロディとよく云われるが、それは自作のいい意味での使い回し、兼、最良のあるべき姿を求めての作曲家自身の信仰と音楽の融合の証し。

なんといってもこの「オラトリオ」の第1曲を飾る爆発的ともいえる歓喜の合唱。
これすらも、カンタータ214番からの引用だが、調性が違っているし、当然のことながら歌詞もまったく違う。
こんな風に分析するとするならば、この6つのカンタータの集積だけでも、カンタータの全貌を理解しつつ聴かねばならいからたいへんなこと。

 このクリスマス・カンタータにおいても、超有名な、マタイのコラール(それすらも古くからのドイツ古謡の引用であるが)が出てきたりする。

クリスマス音楽のお決まりとしての「田園曲」=「パストラーレ」は、第2夜のカンタータの冒頭におかれたシンフォニアである。
この曲だけでも単独で聴かれる、まさにパストラルな心優しい癒しの音楽である。
単独の演奏では、あまりにも意外な演奏だけれども、フィードラーとボストン・ポップスが好きだったりするくらいで、独立性のある名品であります。

それと、この曲集で印象的な場面は、ソロと合唱、ないしはエコーとしての合唱のやりとりの面白さと遠近感の巧みさ。
その場面においては、私のこの曲のすりこみ演奏であるリヒター盤の、ヤノヴィッツの歌が完璧に耳にあって、他のソプラノではどうしようもなくなっている。

リヒターの刷り込み演奏は、ひとえに第1曲が収められた、アルヒーフのリヒター・サンプラーというレコードゆえでして、そこには、マタイや独語メサイア、ハイドン、トッカータとフーガ、イタリア協奏曲など、マルチ演奏家としてのリヒターが浮き彫りにされた1枚であった。
当然に、布張りのカートンに収められた、「リヒターのクリスマス・オラトリオ」のレコードは、実家のレコード棚に鎮座する一品であります。

加えて、思い出深いのは、東独時代の古色あふれ、雰囲気豊かなフレーミヒとドレスデンフィルの演奏。
70年代の名歌手たちの歌唱にも感銘をうけます。

そして、数年前に入手したのが、ハンス・マルティン・シュナイト盤。
レコード時代に気にはなっていたものの、極めて地味な存在だった。
アルヒーフに、ヨハネやモテト、モンテヴェルディなどをそこそこに録音していたシュナイトだけど、あまりクローズアップされなかったし、わたくしもあまり気にとめてなかった。
そして、急逝したカール・リヒターの後任として、ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団の指揮者になったけれど、残念ながら正規録音がなされなかったことも極めて残念なこと。

当時の雑誌を読んだりすると、マタイを振ってるし、なんと、オペラ指揮者としての経歴も豊富なため、リングも指揮してるし、ベルリン国立歌劇場と来演して魔笛も上演してることがわかったりしたことも、シュナイト師に親しく接するようになってから・・・・。

そう、東京フィル主体のシュナイト・バッハの活動のあと、神奈川フィルの指揮者となって、その多くのコンサートに接するようになった。
ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、シュトラウス等々、ドイツ本流、そして南ドイツ風の柔らかさもあわせもった本格的な名演を数々聴きました。
神奈川フィル以外でも、ヨハネとロ短調の圧倒的な演奏にも立ち会うことができました。

 そんなシュナイト師と中世ドイツの風合い色濃く残る街、レーゲンスブルクの高名な聖歌隊とのこちらの音盤。
南ドイツの古雅な雰囲気をたたえた、味わい深い演奏です。

70年代半ばの当時の古楽器も一部使い、オーケストラの響きは丸く優しい。
そして聖歌隊の無垢の合唱と、聖歌隊メンバーのボーイソプラノとコントラルトのソロは、現代の耳からすると、ちょっと厳しい点はあるかもしれないが、清らかで美しい。
 随所にあるコラールにおける、祈りの想いを強く感じさせるシュナイトならではの真摯な歌。実は、それらが一番素晴らしいかも。

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レーゲンスブルクのエメラム教会での録音も、こんな画像をながめながら聴くと、とても心あたたまり、清らかな気持ちになります。
ロマネスク様式に、途中バロックの華美さも加わった、ちょっと華やかな教会。
行ってみたいものです。

ことしもあと少し。

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2016年3月27日 (日)

バッハ マタイ受難曲

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桜の季節は、イースター週間と重なりました。

キリスト教徒国にとっては、クリスマスと並ぶ一大祭で、長いお休みがある。

この時期、欧米系の外国人の方々の観光客も多くみかけるのも、そのため。

日本では、クリスマスはあんなに大騒ぎするのに、復活祭はまったく話題になりません。

大好きな音楽、そして、もっとも大切な音楽のひとつ。

偉大な、バッハのマタイ受難曲。

Bach_matthaus

  J・S・バッハ  「マタイ受難曲」 BWV244

人類に残された音楽の至芸品。

それが、バッハのマタイ。

わたくしもご多分にもれず、最大級に愛する音楽として、ワーグナーやディーリアスの音楽とともに双璧の存在です。

イエス・キリストの受難劇。

すなわち、イエスの捕縛から、十字架上の死、そして、埋葬後の復活までを淡々と音楽で描く作品であるが、それがキリスト者のための音楽だけにとどまらず、人類普遍の、そして人間の存在の核心をついたという意味で、まさに人類のために存在する音楽作品なのだ。

 テキストは新約聖書のマタイ伝。

劇的でありつつ、ほかの伝記に比べて一番内省的かもしれない。

そんな聖書にバッハは、途方もなく感動的な音楽をつけた。

イエスの受難の物語を語る福音史家は淡々と、でも、ときに聖句に劇的な歌い口を示します。
その客観的な存在が、イエスへの同情、人間への問題提起を求めるさまが、ほんとうに鋭く、魂が揺さぶられる。

むごい感情をむき出しにする群衆と、聖なる清らかな合唱の二律背反が生むドラマティックな落差。

ソロ歌手たちの切実なアリアたちが、受難劇の進行のなかで、われわれ聴き手・人間たちの心に寄り添いつつも、その悲しみへの共感をよりそそる。

 マタイ受難曲、最大の聴きどころは、ペテロの否認の場面。
イエスを知らないと、イエスの予言通りに3度言ってしまうペテロ。
そのあと、にわとりが鳴き、イエスの預言が成就することで、激しく泣くペトロ。
「憐れみたまえ、わが神よ」
アルト独唱の名アリアは、それを聴くわれわれも、だれしもが思う自戒の念にとらわれ、心揺さぶられる。
わたくしは、必ず、泣いてしまう。

Richter

マタイといえば、リヒター
リヒターといえば、マタイ。

そんな図式が、6~70年代には行きわたっていて、わたくしも、同じく、そんな洗脳に近い想いに凝り固まっていた人間のひとりです。

人を寄せ付けないまでの峻厳、厳格なバッハ。
イエスをめぐる人間ドラマも容赦なく、切れ込みは鋭く、その一方で、その視線は鋭く、そして優しい。
重い足取りで始まる大ドラマも、最後は悲劇にあふれながらも、聴く人を包み込み、次へと羽ばたけそうな、大きな翼を与えてくれるような、後押しの巨大な力にあふれている。
そんな「ドラマ」に満ち溢れている、「リヒターのマタイ」なのであります。

これまた絶対的なエヴァンゲリストとしての存在であった、ヘフリガーの禁欲と情感、ともに満ち溢れる福音史家が完璧すぎる。
テッパーのアルトを始め、歌手たちも、ともかく素晴らしいリヒター旧盤。

つぎに、若き日に、マタイにより親しんだのが、リリングとシュトットガルトとの来日公演の放送。
明るい歌にあふれたリリングの指揮は、クラウスの福音史家とともに、何度もテレビ放送されたなか、マタイが完全に血肉化されるのを感じました。
聖書も全体を読み、ますます、マタイ受難曲への理解が進んだ大学生の時代です。

そのあとのマタイ遍歴は数々あれど、いつも戻るのはリヒター。

でも、柔らかで、ドイツの教会のひとコマを思い起こさせてくれるヨッフム盤。
ここでは、ヘフリガーが相変わらず素晴らしいのと、コンセルトヘボウの伝統あふれる木質の響きがなんとも美しいのです。

CD時代に購入した、リヒターと違う意味での峻厳なレオンハルト盤。
そこでは音楽が息づき、バッハの楽譜優先のピュアな再現がかえって、音楽に力を与えているようだった、

あと、明るく伸びやかなヘルヴェッヘ盤。
新鮮な響きのなかに、市井の人々の緩やかな毎日までも感じさせてくれる。

 
旅行鞄に、余裕があれば、この4つを持って行きたいマタイ。

でも、ひとつと言われたら、そう、あれしかないですね。

 あと、アバドのマタイを是非聴きたいものだが、ベルリンでの音源、なんとかならないものか・・・・・

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2015年4月 5日 (日)

バッハ ヨハネ受難曲 シュナイト指揮

Reinanzaka_3

イースター週間。

今年の聖金曜日は、4月3日。

復活祭は、5日です。

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六本木の霊南坂教会。

満開の桜の見ごろに。

そして、イースターの時期には、欧州、ことにドイツでは、バッハのふたつの受難曲と「パルシファル」が演奏されます。

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      バッハ   ヨハネ受難曲 BWV245

  福音史家:畑 儀文       イエス:戸山 俊樹
  ソプラノ :平松 英子       メゾ・ソプラノ:寺谷 千枝子
  バリトン、ピラト:福島 明也

   ハンス=マルティン・シュナイト指揮

       シュナイト・バッハ管弦楽団/合唱団

                     (2005.11.26 @オペラ・シティ)


バッハの偉大なふたつの受難曲。

現存するのは、そのふたつですが、生涯に5つの受難曲を手掛けたともされてます。
(ヨハネ、マタイ、ルカ、マルコ、ヴァイマール)

マルティン・ルターの宗教改革から端を発したプロテスタント教派。
その音楽においても、ローマ・カトリックは、降誕と復活に重きをおいたものが多いのに比し、プロテスタントでは、降誕と受難が重んじられてます。

 ですから、バッハの受難曲も、その名の通り、ゲッセマネにおけるイエスの捕縛と、ピラトによる尋問、裁判、磔刑、十字架上の死までを描いていて、その後の復活については、触れられておりません。

「マタイ」と「ヨハネ」、そして「ロ短調ミサ」、いずれも、バッハの最高傑作、いや、人類がもちえた最上の音楽のひとつだということに、みなさま、ご異存はありませんね。

1724年(39歳)の作が「ヨハネ」。
1727年(42歳)に、「マタイ」。
ともに、ライプチヒ時代の作品。

「ヨハネ」は、イエスを追い詰めてゆく群衆がとても劇的に描かれていて、合唱やコラールの比率が高い。
おのずと、全体は動的なイメージ。
それは、すなわち、バッハの意欲的な若さにもつながります。
 一方の「マタイ」は、ソロのアリアが多く散りばめられ、それぞれの心情吐露は、深いものがあります。
「ヨハネの動」に対して、「マタイの静」です。
ライプチヒのトーマス・カントル就任の初期の「ヨハネ」に比べ、3年後の「マタイ」では、教会歴に即した数々の活動や、おそらく信仰上の想いの深化なども加わり、内面的掘り下げも深くなったに違いありません。

 合唱は、3種類の役割を担います。
受難の出来事に対し、イエスに寄り添うような思いを吐露するコラール。
合唱曲として。
そして、群衆として。
 アリアは、登場人物たちの想いや、しいてはバッハ自身の心情を歌う。
そして、レシタティーボは、福音の語り。
 こうした色分けは、「ヨハネ」の方が明確に思います。

そして、もうひとつ、イエスの死に向かって、淡々と進む「マタイ」では、最後が大きな合唱で、それは、悲しみに覆われ、涙にぬれていて、聴き手をもその悲しみと同情へと巻き込んでしまうものです。
 一方の「ヨハネ」は、一気にイエスの磔刑とその死まで駆け抜け、最後は、イエスよ安らかなれと慰めの合唱があり、そして、コラールで終る。
そのコラールは、イエスをほめたたえ、自身の死のあとの蘇りも願うもの。
イエスそのものではありませんが、死後の蘇りに言及したコラールが、受難曲の最後にあることによって、悲しみのうちに終わるのでなく、救いの光を感じさせながら、力強く終るのです。
日本を愛したシュナイトさんが、このCDの解説でも、そうしたことに触れてますし、この音盤でも、実際にその演奏に接したときにも、こうした「ヨハネ」の性格を、浮き彫りにして、大いに、感銘を受けました。

 「ペテロの否認」は、マタイの中で最大の聴きどころですが、こちらヨハネでも、その場面は描かれてます。
本来のヨハネ福音書には、このシーンはないのですが、バッハは、ほかの福音書から引用してまで、ここに描きたかった名場面。
人間の弱さと悲しさ、バッハは受難の物語に絶対に欲しかったテーマだと確信していたのでしょう。
福音史家の語りも、その後のアリアもふくめ、マタイほどの、深淵さはありませんが、それでもなかなかに劇的です。アリアはテノールにあたられてます。

 さらに、ヨハネ福音書にない場面があって、それは、イエスが息を引き取ったあとの、天変地異。
ここは、マタイやルカから採用されてまして、イエスの神性の表出と神からのメッセージをあらわすこの事象は、人間ドラマとも呼べる受難曲のなかにあって、大きなアクセントとなってます。

アリアにも、至玉の名品がぎっしり。
イエスに従う思いを、フルートを伴いながら、軽やかに歌うソプラノのアリア。
十字架上で、イエスが、「こと足れり」と言い、息を引き取る場面での、痛切なる悲しみのアルトのアリア。これは泣ける。そして、その後の消え入るような福音史家のレシタティーフ。
このあたりが好きです。

 シュナイトさん、3度目の録音で聴きました。
70年代にレーゲンスブルクでアルヒーフレーベルに、あと2回は、日本でのシュナイト・バッハとのライブ。
ライプチヒのトーマス教会で歌うことからスタートしたシュナイトさん。
その体に沁みついたバッハの魂、ドイツ音楽の神髄を日本で披歴してくれたことを、まことに感謝しなくてはなりません。
 宗教音楽ばかりでなく、ドイツ各地でオペラの指揮をしていて、ワーグナーのリングまでその記録にはあります。
その広範なレパートリーを、もっと日本で聴きたかったところですが、体調不良でいまは、ドイツで静かに暮らしております。
 コンサートでは、わたくしたち聴き手には、いつも好々爺然とした方でしたが、練習では、ほんとうに厳しくて、驚きの逸話もたくさんあります。

それもこれも、音楽に対する愛と奉仕。
そして、日本の演奏家と聴き手に、いかに自分の持っているものを体感させたいとの想い。

そんなことを、このヨハネを聴いても感じます。
言葉に乗せた思いを音楽で表現すること。
ドイツ語のディクションも含め、そうとうな練習の末に、成し遂げられたこの演奏の素晴らしさ。
シュナイト・ファミリーともいえる、ソロのみなさんや、各楽器奏者の精度もとても高いです。

最後のコラール。
2009年に聴いたライブと同じく、じわじわとカーブを描くように盛り上がっていき、祈りの気持ちがまるで高まっていくかのように、輝かしさも感じさせつつ感動的に終結します。

このように、エンディングに、いつも、おおいなる感動が隠されている、シュナイトさんの演奏。神奈川フィルのコンサートで、何度も同じように体験しました。
本当に、忘れ得ぬことばかりです。

今年、85歳になるシュナイトさん。
いつまでもお元気でいて欲しいです。

ところで、シュナイトさんの生地は、ドイツのキッシンゲン・アム・マインとされてますが、ご本人が、インタビューに応えて語るものでは、同じバイエルンのリンダウとしていますが、どっちなんでしょうね。かなり離れてますよ。
リンダウは、スイス・オーストリア国境に近く、ボーデン湖に接する美しい街です。
いつか行ってみたいものです。

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2014年11月30日 (日)

バッハ ゴールドベルク変奏曲 シュタットフェルト

 Gaien_a

神宮外苑のいちょう並木。

連日晴れていたのに、土曜の午前は、よりによって厚い雲に覆われる曇天でした。

それでも、地面に降り積もった黄色い葉と、曇り空でも、上からは黄色い光が舞い降りてきて、目にも優しく、歩道の散策も楽しいものでしたね。

Bach_goldberg_stadferd

  バッハ   ゴールドベルク変奏曲

     Pf:マルティン・シュタットフェルト

             (2003.10 @カイザースラウテルン)


最近、よく眠れない。

夢ばかり見て、寝た気がしないうえ、朝、やたらと早く起きてしまう。

酒を飲んだ晩も、飲まない晩も、みんなおんなじ。

だから、電車に乗って座ったら即寝。
昼食べたら、パソコンのまえで、うつらうつら。
いかん悪循環。

そんないまの自分に、ぴったしの音楽が、なんといっても「ゴールドベルク」。

ただ、ワタクシは、この曲の作曲を依頼したカイザーリンク伯爵のように不眠ではありませんよ。
ちゃんと寝てるけど、目ざめが早すぎなだけ。

この曲、もう何度か取り上げてるし、いつもその内容は、同じようなことを書いてます。

あらためて、バッハのこの作品の緻密さと、全体が網の目のように、互いに結びつけあっているという完璧な統一感、それらを実によく解らせてくれる演奏で。

10年前の録音ですし、もう、多くの方がお聴きかもしれません。
わたくしは、ビジュアル的にも、売り出し方が気にいらず、どこぞの若造・・・・的な、偏向反応で、遠ざけておりましたが、彼のCDをいくつか入手したのは今年に入ってのことでした。

その彼の名は、マルティン・シュタットフェルト。

1980年、ドイツ、ゴブレンツの生まれ。
録音時23歳、現在は34歳の若手。

97年、ルービンシュタイン・ピアノコンクール優勝
01年、ブゾーニ国際ピアノコンクール入賞
02年、バッハ・コンクール優勝
そして、03年の、この録音。

若さに似合わぬほどの巧みな語り口と、全体を見通した考え抜かれた表現力。
でも、一方で感じさせる、奔放なまでの若さの爆発という眩さ。
才気走ったところを感じさせずに、強い説得力を鮮やかな手口でもって披歴。

テンポや、表情は、ときに動きますが、それが、グールドのような感性的、突発的なものでなく、知的に考え抜かれたものと感じます。

最初と最後におかれたアリアが、それぞれに、異なる味付けでもって、嫌味なく滔々と奏されます。
楚々と展開するカノンのあと、変奏の中央に位置する16番目の序曲をきっぱりと弾いたあとの後半。
この前半と、後半の鮮やかな対比は、バッハの意図を見事に表出しているかと思います。

わたくしには、ひとつひとつの変奏を個々に楽しめる個性的な演奏だし、全体を見渡して作品の緻密さに感じ入ることもできる、いわばマルチな演奏でもありました。

今のところ、ドイツ系の音楽ばかりのシュタットフェルト氏ですが、ショパンやフランスものなんかどうでしょう。

これからも注目の若手ですね。

 過去記事

「マレイ・ペライア盤」

「ピーター・ゼルキン盤」

「レオンハルト盤」

「リヒター盤」

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