カテゴリー「シューマン」の記事

2022年3月 1日 (火)

シューマン ピアノ協奏曲 ブレンデル&アバド

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寒かった2月もおしまい。

季節はちゃんとめぐり、梅の芳香が街にただようになりました。

しかしながら、世界は自然の移ろいを愛でる余地や心地を与えてくれません。

日本だけが崇高なる9条をかかげ、たてまつるなか、そんな夢想ともいえる理想郷を吹き飛ばしてしまった独裁者。

そんなヤツが実際にいて、死んだような眼で、侵攻を正当化し、核で脅す行為を行った現状を世界に見せつけた。

悲しいのは、そんな暴君を支持せざるをえなかった音楽家たちも断罪されつつあること。

いや、その度合いにもよるが、指揮者Gは支持者でもあり友人でもあったが、ロシアの一般の人々が、自分はそうじゃありませんという声明をせざるをえないのが悲しすぎる。
その国の国民であることで謝罪をしなくてはならないっておかしくないか。
日本人も、戦後にそうした教育をほどこされ、自虐史観の固まりとなり、やがて国力さえ弱めるような事態にいまなっている。

Hirayama-ume-9

ウクライナの無辜の民、それから命令で赴き、命を散らしてしまったロシアの兵士たち、それぞれの命の重みは同じ。

西側の脅威があったとはいえ、これをしかけた指導者P大統領、そして危機が迫るのを知りつつ安穏としていたウクライナ政府、それぞれに問題ありだと思う。

他山の石は、日本に即ふりかかる。

めずらしく音楽以外のことを・・・黙ってらんない

危機のときに、やってきてくれるウルトラセブンは、もういないと思っていい。

Brendel-abbado

  シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 op.54

        アルフレート・ブレンデル

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1979.6 @ウォルサムストウ、ロンドン)

初めて買ったシューマンのピアノ協奏曲がこのブレンデル&アバド盤。
DG専属だったアバドのフィリップスレーベルへの登場もあり、ともかくすぐに飛びつきました。

デジタル移行まえ、アナログの最終期の録音で、当時、フィリップスの録音の良さは定評があり、このレコードを代表に、最新フィリップスサウンドを聴くというレーベル主催の催し物に抽選で当たり、聴きに行きました。
大学生だった自分、会場はちょうど通学路にあった塩野義ビルのホールで、スピーカーはイギリスのKEFだったかと思う。
名前は忘れてしまったがMCは著名なオーディオ評論家氏で、このシューマンや小沢のハルサイとか、ネグリのヴィヴァルディとかが紹介され、ともかく自宅では味わえない高音質サウンドに魅了されたものです。

いま聴いても、芯のある録音の素晴らしさは極めて音楽的で、ピアノの暖かな響きと、オーケストラのウォーム・トーンがしっかりと溶け合って美しい。
ブレンデルのピアノが、折り目正しい弾きぶりのなかに、シューマンのロマンティシズムの抽出が見事で、柔和ななかに輝く詩的な演奏。
アバドとロンドン響も、ともかくロマン派の音楽然としていて、溢れいづる音楽の泉にとともに、早春賦のような若々しい表情もある。
春や秋に聴く音楽であり、演奏でもあると思う。
久々に聴いて、学生時代を思い出したし、若かった自分、いまとまったく違った若者の街、渋谷を懐かしくも思い出した。

Seven-1

遡ること小学生の自分。
ウルトラQ→ウルトラマンと続いて名作「ウルトラセブン」に夢中だった。
同時期にサンダーバード。
プラモデルで、ウルトラホーク号や、サンダーバード1~5号、ピンクのペネロープ号など、みんな揃えましたね。

そして衝撃的だったウルトラセブンの最終回。
戦い疲れ、もうあと1回変身したらあとがないと知ったセブン=モロボシ・ダンは、アンヌ隊員に「アンヌ、僕はねM78星雲からきたウルトラセブンなんだ!」と告白します。
ここで衝撃を受けるアンヌ、画面は彼女のシルエットとなり、流れる音楽はシューマンのピアノ協奏曲の冒頭。

アンヌは「人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンで変わりないじゃないの、たとえウルトラセブンでも」
いまなら涙なしには見れない感動の坩堝となるシーン。
最後の戦いの間、シューマンの音楽は流れます。

このときの演奏は、リパッティとカラヤンのもので、刹那的なロマンを感じる演奏ですね。

昔のレコ芸で、ウルトラマンやウルトラセブンを数本監督した実相寺昭雄氏とウルトラセブン以降、ウルトラシリーズの音楽をすべて担当・作曲した冬木徹氏の対談を読んだことがあります。
あの感動のシーンの音楽は悩んだ末の窮余の一策で、チャイコフスキーのコンチェルトでとか言われたけれど、なんか違うなということになり、家から持ってきたレコードだったと冬木氏は語ってます。
円谷プロの円谷一氏は、早逝してしまったが、ヴァイオリンも習っていたしクラシック好きだったと。
だから冬木氏の作り上げたウルトラセブンに流れる音楽も、シンフォニックで格調高い。
円谷氏は、テレビで流される音楽を聴いてたら日本中の子供たちは耳が悪くなっちゃう、そうじゃない、子供たちの耳が音楽的な耳に育つようなものを作ってよ、と冬木氏に語ったそうな。

ほぼほぼ、セブンの時代は、ワタクシがクラシックに目覚めたころ。
あれがシューマンの曲だと知ったのはずっとあとのことだったけれども、ウルトラセブンのあのシーンは、きってもきれないことになった。
子供時代、青春時代がないまぜになって、どこか切なく甘い思い出です。

ウルトラセブンに出演していたウルトラ警備隊のメンバーも物故したりしてますが、ヒーローのモロボシ・ダン役の森次晃嗣さんは、藤沢の鵠沼でジョリー・シャポーというレストランを経営していて、お店によくいらっしゃるとのこと。
一度行ってみたい。
ヒロインのアンヌ隊員役の、ひし美ゆり子さんは、多くのお孫さんに恵まれ、孫の預かりを日々楽しみにしていらっしゃるご様子。
SNSでよく拝見してます。

そして、私もそっくり歳を重ねて孫も生まれたし、今月、東京を去ろうと決意し準備中で超忙しい。

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2021年6月20日 (日)

シューマン リーダークライスop.39 FD&コノリー

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京都の雨。

新緑の紅葉、雨の雫、ほんとうに美しかった。

秋もいいけど、この時期の日本の古都は静寂もあってすばらしいです。

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真言宗智山派、総本山の智積院。

おりからこの時期、誰もいない。

長谷川等伯一門による国宝の障壁画も、ゆっくりと鑑賞することができました。

梅雨の昼下がり、雨音のなか、シューマンの歌曲を。

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 シューマン リーダークライス op.39

    Br:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ

    Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

       (1976.4 @ベルリン)

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    Ms:サラ・コノリー

    Pf:ユージン・アスティ

       (2007.12 @ダンウィッチ、サフォーク州)

シューマンの歌曲集という名の「リーダークライス」。

ハイネの詩による作品24、アイヒェンドルフの詩による作品39のふたつの連作歌曲集があります。

ともに、1840年、「歌の年」に作曲された。

この驚くべき年に、シューマンは歌曲集をふたつのリーダークライス以外に、「ミルテの花」「詩人の恋」「女の愛と生涯」の5つを作曲。
他にも大半の歌曲を残したから、その集中力たるや!

よく言われるように、歌曲集は2つしか残さなかったシューベルトは、水車小屋や冬の旅のように、ドラマ性のあるわかりやすさで、歌手にも聴き手にも大いなる人気がある。
しかし5つも歌曲集を残しながら、シューマンの方は「詩人の恋」を除いて、物語性が薄く、個々の歌曲が独立して存在してする感。
それぞれも複雑な心理を宿していて、そこに分け入って聴きこむのは、なかなかに難しいものと感じます。
かくいうワタクシも、「詩人の恋」は数多く聴いてるし、コンサートも体験し、脳内で歌えちゃったりもします。

今回、作品39のリーダークライスを聴きこんで思ったのは、この歌曲集には「筋」がしっかり一本あり、さまよう自我とでもいえる孤独な深層が描かれているということ。
そもそもアイヒェンドルフの詩がそうだし、そこにつけたシューマンの音楽が哀しくも明るく、慎ましくも大胆であるという、複雑な様相を呈している。

F=ディースカウ、コノリー、あとオアフ・ベア、などの手持ち音源を何度も繰り返し数日聴いた。
わかったつもりでも、いや、やはり解明できないシューマンの音楽とその心情。

 1.「異国で」  2.「間奏曲」      3.「森の語らい」  4.「しずけさ」

 5.「月夜」   6.「美しい異国」    7.「古城から」   8.「異国で」

 9.「悲しみ」  10.「たそがれどき」11.「森のなかで」12.「春の夜」

いきなり、異国の地に紛れ込んでしまう第1曲。
ここからすでに、孤独と向き合わなければならないことに気づかされる。
この冒頭の歌曲は、当初「楽しい旅人」という別の歌曲がここにあったが、のちに今の「異国で」に変えられたという。
さあ、旅が始まりますよー、ではなく、いきなり異国に自分を置くことで、よりシリアスな内容になっていて、聴き手もただならない雰囲気に、即入り込むこととなります。
この1曲目の雰囲気が、もうこの歌曲集の全体を物語っているかのよう。

父も母も世を去って久しく、故郷では自分を知らない人が多い。
その先、僕という自分は、ずっと異郷にあってさまように、ときに恋人を思い、ときにローレライと語り、静けさのなかに海のかなたに思いをはせ、月夜には翼を広げて故郷に帰るという思いを綴る。
 そう、ともかくこの異郷から抜け出そうともがく自分なのである。
シューマンの散文的かつ、どこか後ろ髪ひかれる、ため息まじりの音楽は、その歌もピアノも各曲短いながらも極めてロマンティックである。
そしてガラス細工のように、細心の注意でもって扱わないと壊れてしまいそうで、デリケートな音楽。

古城にたたずみ、老騎士と眼下をゆく婚礼の舟を眺める。
詩の内容が映像となって脳裏に浮かんでくるような、そんなF=ディースカウの巧みな歌も手伝って、シューマンの紡いだ詩のなかの自分は異国であてどなくもがいている。
ナイチンゲールの歌声、深い森、小川のせせらぎなど、自分をとりまく自然の描写も美しい。
夜の闇も友のように感じる暗い歌、だがしかし、ことは急展開に起こる。

最後の12曲目、わずか1分あまりの歌のなかで、春は訪れ、月も星も森も、そしてナイチンゲールも祝福してくれる。
あのひとは、あなたのもの、と。
鮮やかなる異郷からの帰還に、シューマンの歌のマジックを体験した思い。
だがしかし、どこか心残りな気分もある。
これがシューマンの世界なのだ。

微に入り細にいり、言葉に乗せるF=ディースカウの絶妙な歌唱は、シューマンの音楽にぴたりと来る。
シューベルトを歌うとき、巧すぎて疲れてしまうことがあるが、シューマンのときには言外の思いまでも語るようなサービス精神が、リアル感を伴って切実な音楽となってしまう。
そんな歌に、完璧に同化してるし、さらに雄弁でかつ繊細なのがエッシェンバッハのピアノ。
歌の前奏と後奏が、こんなに聴かせるピアノってない。

サラ・コノリーの歌に切り替えると、耳が驚く。
一体、おんなじ曲集なのだろうか?
F=ディースカウの場合、自分は「私」や「俺」なんだけど、サラ・コノリーの場合はは、自分は「僕」なのだ。
フレッシュであり、中性的、しかもニュートラルな謡い口は、過度の感情注入は少なめで、さらりと聴きやすい。
コノリーさんは、昨年のオペラストリーミング大会で、ヘンデルのオペラでとても感心し、気にいったイギリスのメゾ。
そのあと聴いた、マーラーの「大地の歌」もとてもよかった。
男前なタカラジェンヌみたいなイメージのコノリーさんだけど、その声はとても優しく、スッキリ深いです。
ディースカウのあと聞いちゃうと、ドイツ語がやはり英語圏の人らしく軽く感じ、ピアノのコクもエッシェンバッハの比ではありません。
でも、コノリーさんのシューマン好きです。
併録の「女の愛と生涯」も素敵なものでした。

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しっとりと雨に濡れた苔むした庭園。

時間が止まったような空間でした。

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2021年2月18日 (木)

シューマン 交響曲全曲 70年代

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梅の花咲く季節、その香りは春を予感させます。

去年の今頃は、まだ正体が完全にわからなかった疫病に恐怖の募る日々だった。

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ちゃんと季節はめぐり、今年も梅の花、あと1か月もすると桜の花が咲き誇ることとなります。

さぁ、シューマンの交響曲を聴こう。

なんか春にふさわしいシューマンの交響曲。
そんなに長くないので、全部、それも懐かしの70年代の演奏で聴くの巻。

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  シューマン 交響曲第1番 変ロ長調 op.38 「春」

 ジェイムズ・レヴァイン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

       (1978.12.30 スコテッシュ聖教会 フィラデルフィア)

RCAとEMIから録音が始まり、若きMETの指揮者としてブレイクした70年代のレヴァイン。
マーラー・シリーズと並行して、シューマンとブラームスの交響曲全集を録音しましたが、当時の音楽誌では、けちょんけちょんにされちまいました。
CD時代になってから聴きましたレヴァインのシューマン、ベルリンフィルとの再録は聴いたことがありません。
1番「春」にふさわしい、明るく、ともかく明るい、屈託ない音楽にあふれてます。
しかしながら、シューマンのぎくしゃくしたオーケストレーションが、こんなに鮮やかに、かつ自然な感じで聴けるのも、根っからのオペラ指揮者レヴァインらしくて、内声部がフィラデルフィアの優秀な奏者たちでもって、実に豊かに聴こえます。
新鮮で楽しいシューマン、あとは3番がよかった。
 いまは、いろいろアレなレヴァイン、思えばこの時期のレヴァインが一番よかった。と思う。


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  シューマン 交響曲第2番 ハ長調 op.61

 ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団

      (1972.9 ルカ教会 ドレスデン)

音楽愛好家なら一家にワンセット、もしかしたら必ずあるのがサヴァリッシュ&ドレスデンのシューマン。
EMIさん、よくぞこの録音を残して下すった。
絵にかいたように素晴らしいシューマン。
スタイリッシュなサヴァリッシュの指揮は、同時にシューマンの音楽に堅牢なたたずまいと、襟を正したくなる高貴さをもたらしている。
ドレスデンの古風さを保った音色は、今では聴けない独逸の響きも聴かせつつ、でも鮮明で曇りひとつない。
ティンパニのスコーン、という連打も実に心地よく、シューマンの2番の魅力を、録音も含めて、これほど豊かに味わえる演奏はないのではと思います。
 4つのシューマンの交響曲のなかで、最初は一番とっつきにくかった2番が、いまでは一番好きです。
シノーポリとメータのウィーンフィル、最近のアバドの演奏と並んで、好きな演奏がサヴァリッシュ盤。
あと思い出深いのがNHKで見た、バーンスタインとPMFオケとのもので、これは巨大な歩みを感じさせる恐ろしい演奏でした。

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  シューマン 交響曲第3番 変ホ長調 op.97「ライン」

 ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1977.2 シンフォニーホール シカゴ)

バレンボイム30代なかばでのシューマンは、DG専属になって、シカゴ響とブルックナーの録音やオーケストラ名曲などを続々と録音した70年代半ば。
レヴァインがマーラーを取り上げた一方、バレンボイムがブルックナーというところが、まさにこの二人の指揮者の持ち味の違いで、シューマンの演奏も、そうしたスタンスが反映された感じです。
重心はやや下の方にあって、ピラミッド型の音響構造ながら、自在なところも多々あり、かなり感興に富んだ指揮ぶりに感じ、恐ろしき30代という思いを抱く。
老成した感じを受けないのは、フレッシュで技量満点のシカゴ響のバリっとした音色と響きがあるからかもしれない。
しかし、バレンボイムとシカゴのシューマン、4曲ともに面白く、ある意味とらえどころもないところが、結果的にシューマンしてる感じなのだ。
レヴァインと同じく、バレンボイムはのちに、ベルリンの手兵と再録があるが、そちらは聴いたことがありません。

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  シューマン 交響曲第4番 ニ短調 op.102

 ズビン・メータ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

    (1976.6 ソフィエンザール ウィーン)

作曲順では違うけれど、最後の4番は、ウィーンフィル。
デッカで聴く、ソフィエンザールのウィーンフィルの音色、その期待されたイメージ通りの録音に演奏。
もう40年以上前の録音だけど、分離もいいし、音が実にいい。
加えて、柔らかなウィーンフィルの管と艶やかな弦、マイルドな金管に、鮮やかなティンパニ。
ウィーンフィルの魅力がまじまじと味わえるシューマン。
この時期のこのオーケストラの良さを、素直に引き出すことができたのがズビン・メータの指揮だったと思う。
恰幅のよさと、切れ味のよさもさることながら、そうしたメータの個性とともに、オーケストラから先にあげたウィーンの特質をさりげなく引き出してしまう自然体ぶりがよい。
ともかく、気持ちのいいシューマンです。
4番らしい晦渋さは抑え目で、優しく微笑む4番って感じで、同時に疾走感もよろしいのです。

70年代男は、その時期のシューマン演奏がお好き。
80年代は、ハイティンクとバーンスタイン、エッシェンバッハです。

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梅と神社。

いつもお詣りするときは、疫病退散、日本安泰、家族健康を祈念します。

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2015年6月 8日 (月)

シューマン ヴァイオリンソナタ第2番 クレーメル

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わたくしの住む関東地方も、本日、6月8日に、梅雨入りしました。

昨年より、3日遅いそうですが、それでも、ちゃんとやって来た梅雨。

どたぴしゃ降らないで、日本らしく、しっとり、しとしとした梅雨になって欲しいものです。

そして、今日、6月8日は、205年前、ドイツ・ザクセンのツヴィッカウにR・シューマンの生まれた日です。

Schumann

  シューマン ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 op121

          Vn:ギドン・クレーメル

          Pf:マルタ・アルゲリッチ

                  (1985.11 @スイス、ラ・ショー・ド・フォン)


シューマン(1820~1856)には、番号付きのヴァイオリン・ソナタが3つありまして、そのいずれもが、40代になってからの作曲。

1番と2番は、期を接していて、1851年。
残りの3番は、ちょっとその生い立ちが変わっていて、ディートリヒという作曲家と、ブラームスとの3人で、ヨアヒムのデッセルドルフ訪問を歓迎する意図で共作した作品から、自作部分に、プラスして書き足して、全作をシューマン・オリジナルとしたもの。
 そして、3人の共同作品は、ヨアヒムのモットーにちなんで、F・A・Eソナタと呼ばれてます。

ブラームスも3つのソナタがあり、F・A・Eもありで、やはり師への思いは、なにかと格別だったのですね。

実は、わたくし、シューマンのソナタは、3番の音源を持ってませんで、このクレーメル盤にある、2曲しか聴いたことないのですよ。

作品番号は離れているけれど(1番:op105)、このふたつは、姉妹作で、先にあげた年、1851年の秋の作です。
3楽章形式で、情熱的な1番の出来栄えに、ちょっと不満を抱いたシューマンは、すぐさま、2番に取り掛かり、より規模と構成の大きい、4楽章形式のソナタを、ほぼ1週間で書き上げました。

この頃のシューマンは、デュセルドルフで、指揮者としても活動しており、これまでライプチヒや、ほかの都市では、その楽壇との折り合いもよろしくなく、さらに、精神疾患も患うなか、ライン沿いの明るい陽光にあふれた新しい街で、充実の活動を始めておりました。
 それでも、シューマンの内面には、さまざまな形での疾患の予兆が出始めていた。

そんな、明るさと、内面の複雑さとが、織り交ぜになった二つのヴァイオリンソナタですが、ちょっと、取っつきが悪く、晦渋な顔付きですが、よく聴けば、いいえ、どう聴いても、そこはシューマンらしさが一杯であります。

静かに、という表示が付いた3楽章の歌心にあふれた旋律には、とても癒されますし、それがまた変奏形式でもって、表情を変えつつ繰り返されるのには、堪らない魅力を感じます。
この旋律は、コラール「深き苦しみの淵より、われ汝を呼ぶ」です。

長い充実の第1楽章は、ドラマティックで、序奏のあとの主部は、ときおり、シューマネスクな世界を垣間見せるピアノが素敵であります。
スケルツォ風の第2楽章、そして、先にあげた3楽章。
終楽章は、音符の動きの忙しい展開と、ちょっと落ち着いた楽想の第2楽章とが交差する、ちょっと不安も感じさせる、これもまた、この時期のシューマンの心情を反映させる内容に思います。

全曲で30分あまり。
聴いて、終わって、感動や充実感とは違う、シューマンの世界を垣間見たという感想を抱きます。
そんなところが、またシューマンなところなのでしょうか。
 シューマンのヴァイオリン・ソナタは、まだ初心者ですので、これらの曲の魅力を、お聞かせいただければ幸いです。

クレーメルとアルゲリッチのいくつかあるソナタ録音の中でも、このシューマンは、お互い、異なる個性が、微妙にマッチングして、明快でありつつも、シューマンのほの暗さや、歌を巧みに聴かせてくれているように思いました。

3番も、いつか聴かなくちゃ。

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2015年4月12日 (日)

神奈川フィルハーモニー音楽堂シリーズ第4回定期演奏会 川瀬賢太郎指揮

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ところにより、雪まで降らせた先週、寒の戻りにもほどがある。

週末の横浜も、こんな空のもと、寒かったです。

うららかな陽気と春の空のもとで、楽しみたかった音楽会ですが、ご覧のとおり、頑張ってる桜を愛でてから、音楽堂へ向かいましたよ。

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  モーツァルト   ホルン協奏曲第3番 変ホ長調

  ピアソラ(大橋晃一編)  アヴェ・マリア~アンコール

         ホルン:豊田 実加

  ハイドン      交響曲第45番 嬰へ短調 「告別」

  シューマン     交響曲第3番 変ホ長調 「ライン」

     川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                  (2015.4.11 @神奈川県立音楽堂)


神奈川フィルの新シーズンの始まりは、まずは、音楽堂シリーズから。

春は、出会いと別れ、そんな初々しさと、ウィットに富んださみしさ、そして気分爽快さ。
そんな感じのプログラムでした。
 そして、プログラムを読んで、気付かせていただいたこと、3つの作品に共通する、「3」。
その調性に、フラットないしは、シャープが3つ。
また、それぞれの曲の意味する「3」を巧みに解説されてました。
なるほどでしたね。

それはそれ、わたくしは、神奈川フィルがおりなす、いつもの柔らかく親密なサウンドに、心地よく浸ることができました。

まずは、実加ちゃんと、楽員さん、われわれ聴き手からも、親しまれるようになった神奈フィルの若い顔、豊田実加さんのソロでモーツァルト。
いつもホルンセクションの中にいるときは、小柄な彼女ですから、譜面の上から、ちょこんと頭だけが見えていただけですが、本日は、ソリストとして、臙脂に近い赤いステキなドレスで颯爽と登場。

わたくしを含む、多くの方が抱く、父親目線(笑)。
頑張るんだよ、と念じつつ、最初はちょっと緊張ぎみだったけど、暖かな川瀬さん率いる神奈フィルのバックに支えられつつ、いつもの彼女らしい柔らかで、素直な音色が、聴こえてまいりました。
音量でいうと、厳しいものがあるかもしれませんが、それを補う安定感(ときに、冷やっとさせてくれちゃうのも、いつもご愛嬌)と、艶のある音を引き出す彼女。
 1楽章のカデンツァは聴きものだったし、たおやかな2楽章では、緩やかな春風のようなサウンドを聴かせてましたね。
そして、快活な3楽章は、キビキビしたオーケストラにのって、とても楽しそうに演奏してらっしゃる。
こうしたオケ仲間同士の、家族的なムードも、聴いて、拝見していて、われわれ聴き手は、ほのぼのとしてしまうのでした。

大きな拍手に迎えられて、アンコールは大橋さんの手によるピアソラの作品。
ロマンティックで、まるでノクターンのような感じのこの曲をホルンで聴くのも、とても心地よく、そしてとてもステキな演奏にございましたね~

素晴らしいホルンでした。いつかは、R・シュトラウスを朗々と吹いていただく日がくるかも!

終演後、「We Love 神奈川フィル」有志で、実加ちゃんにブーケ贈呈しました。
ご了解もいただきましたので、こちら。

Mikachan

 次いで、曲調はうってかわって、短調に。

舞台袖には、「めくり」が置かれました、ん?、またなんかやるぞ。

疾風怒濤期の感情の嵐のようなこの「告別」交響曲。
緩急をものすごくつけて、鮮やかさ際立つ第1楽章で、モーツァルトの春の世界から、いきなり、春の嵐へ引き込んでくれた川瀬さん。
3拍子のキレもよく、思いきりのよさが、前にも増して出てきたと思います。
オーケストラも、その指揮にピタリとついていきます。
 次ぐ2楽章の静かな穏やかさでは、前の楽章との対比が聴きものでした。
弦の音の動きを聴いていて、モーツァルトの40番を思い起こしてしまいました。
 そして、可愛いメヌエット楽章は、チャーミングなフレージングが新鮮。
すっと消えてしまった3楽章のあと、仕掛け満載の、これはある意味ハイドンらしい終楽章は、元気一杯、これまたキッレキレで開始。
疾走感がまたある意味快感で、ハイドンの良さをストレートに伝えてくれる演奏。
音が弱まり、アダージョとなって、第1ヴァイオリンの下手から始まり、各奏者さんたちが、そろりそろりと、ときには、仲間を誘いつつ、指揮者の顔色をうかがいながら、ステージを去っていきます。
 観客を振り返って、あれ?どーなってんの?的な困惑顔を見せる川瀬さん(笑)
かなり少なくなって、まさかの石田コンマス立ちあがり。
これがまたフェイントで、トップの崎谷さんと入れ替わり。
そして、その崎谷さんも、上司の顔色を伺いつつ、こっそり退却。
最後に残ったのは、石田さんと、小宮さん。
ついには、指揮者の川瀬さんまで、こそこそと静かに逃げ出し、照明も落ちて、ふたりのソロで静かにエンディング。
握手を交わすお二人、拍手を受けながら舞台を去りつつ、石田さん、あの「めくり」をそれこそ、ひとめくり。
そこには、「休憩」と記されてまして、われわれ聴き手は、ひと笑い!

ナイスでした

 後半のシューマン。
編成を増やすかと思ったら、コントラバスが増えただけで、前半と同じプルト数(8・8・6・5・3)。
それでも、なみなみと鳴るオーケストラ。

神奈川フィルのシューマンで忘れ得ないのは、シュナイトさんとのもの。
同じ音楽堂で聴きましたが、そのときのプログラムは、ブラームスのハイドン変奏曲と、シューマンのチェロ協奏曲(山本さん)と「ライン」というものでした。
そのときの感動は、まだ覚えてますよ。
ヨーロッパの景色が思い浮かぶ、そして聖堂の大伽藍さえも、思い起こすことのできる充実極まりない演奏でした。

そして、その7年後の、若いシェフによるシューマン。
感じたままを、音にぶつける若い感性が、活きてましたね。
個々を捉えると、まだ消化しきれていない部分もありますが、それでも、その感性が最初から最後まで、一本貫かれていて、それが実に頼もしくも、眩しいのでした。

たっぷりと響いた1楽章。
弾けるティンパニ、ホルンの咆哮、突き抜ける弦。。。。とても爽快。
響かないシューマンのスコアを、ことさらに細工することなく、ストレートに鳴らすことの、ある意味快感を味わいましたね。これは、全曲にわたっていえたことです。
 ときには、たっぷり弾いて、たっぷり鳴らすことの大切さを感じましたね。
音楽に生気が宿って、生き生きとしてくるんだ。

有名な大らかな旋律の第2楽章では、スケルツォ部分と中間のトリオ、とてもメリハリをつけて、フレーズを大きく強調する場面も新鮮。
 神奈川フィルらしさ、優しい木管としなやかな弦の交差するさまが美しかった第3楽章。
どこをとってもシューマンらしい愛らしさが。

次ぐ4楽章と終楽章の対比も、この曲を聴くうえでの楽しさ。
あまり荘重すぎず、淡々と、描いた緩除楽章は、トロンボーンも加わり音楽堂の木質の響きが心地よく、次いで休みなくアタッカで始まった終楽章では、早めのテンポによる疾走感がとてもよい。
シューマンのぎくしゃくしたオーケストレーションをそのままに、流れを大切に、ここでも気持ちいい演奏に変わりはなし。
 エンディング・コーダでのアクセルの踏み具合もとてもよろしくって、感興あふれる興奮のもとに、ばりっと曲を閉じました。

大きなブラボーが飛び交ったのは、いうまでもありません。

 奏者も指揮者も、神奈川フィルの若い顔が、その個性にどんどん磨きをかけ、ベテランの皆さんたちと、いろんな融合や反応を起こしていくこと、それを見守ること、われわれファンの大きな楽しみとなりました!

あとひとつ、退団の方もいらっしゃり寂しい一方、ヴィオラ首席に大島亮さんが決まり、この日も、内声部がいっそう引き締まり、克明になったような気がしますこと、ここに記しておきます。

体調不良で、お休みしましたが、いつもの応援メンバーは、こんな美味しそうなものを食べながら、楽しかった演奏会の余韻に浸りまくったみたいですよ。
みなさまも是非、ご参加くだされ

Kamon

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2015年3月15日 (日)

シューマン 「女の愛と生涯」 エデット・マティス

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ハートの花キャベツであります。

世では、ホワイトデーとかいう日があったようです。

 そして、哀愁とロマン、ほんわかとした愛情を感じるシューマンの女声用の歌曲を。

Schumann


  シューマン 歌曲集「女の愛と生涯」

     ソプラノ:エデット・マティス

     ピアノ :クリストフ・エッシェンバッハ

                                    (1982)


シューマン(1810~1856)が、歌曲の年1840年に作曲した、女声のための歌曲集「女の愛と生涯」。

その年、訴訟をしてまで、クララとの愛を成就させ、結婚することのできたシューマンは、愛する妻への想いも込めてこの歌曲集を書いた・・・・、のだろうか。

いや、きっとそうだろう。

時代の流れで、その価値観、というか考え方も変わるもの。

夢見るような少女が、男の人に憧れ、恋をして、妹たちに祝福されて、結婚し、そして、可愛い赤子を産み、しかし、夫の死を見送る・・・・。

そんな女性の生きざまは、多様化した生き方のなかで、ほんの一例ですが、原詩も、作曲も、男性の手によるところが、実はとても興味深いところです。
 わたしも、そこそこの年代の人間ですから、自分の母が、そのような生き方をしていたと感じていたし、父は、早くに世を去ってしまったから余計です。
男性からみた視点には限界があります。

もっと後年、女性を多面的に描くことでは、天才的だったR・シュトラウスは、ホフマンスタールというパートナーも得て、格別な存在であったと思います。

 フランス系ドイツ人の作家シャミッソーの同名の詩集を選んだシューマン。
原作は、それこそ、女性の生涯を描いていて、夫亡きあと、孫の婚礼までを詩にしているものの、シューマンの歌曲では、夫との別れで終了。
 筋立ては、もしかしたら、一方的ですが、シューマンの素晴らしすぎる音楽は、そんなことをちっとも感じさせません。

 1.あの人に会ってから

 2.彼は誰よりも素敵なひと

 3.わからない、しんじられない

 4.わたしの指の指環

 5.手伝って、妹たち

 6.やさしい人、あなたは見つめる

 7.わたしの胸に、わたしの心に

 8.今、あなたは、初めて、わたしを悲しませる


以上の8曲で、さほど長くはないので、いつでも、軽い感じで聴けるのは、その内容が、7曲目までは、幸せに満ちていて、明るい色調だからです。

それでも、同じ、幸せな思いも、それぞれのシテュエーションによって、それぞれに異なる喜びが歌い込められてますね。

出会ったときのときめきを、じわじわと歌う第1曲。
ピアノの伴奏が、全編にわたって、いかにもシューマンらしいロマンティシズムに満ちているのも素敵です。
 毅然として、彼への愛を歌う第2曲に、揺れ動く女心も感じさせる3曲目。
自分の指にはまった指環を見ながら、しみじみとする第4曲。
婚礼のわくわく感を、妹たちへの想いに込めただい5曲目。
 そして、愛する人とふたりきり。愛するがゆえの不安の涙も。
でも、やがて生まれ来る天使への予感も静かに歌いこんでる6曲目は、いかにも、シューマネスクな世界です。
 そして、我が子を、その胸にした喜びの表現は短いけれど、幸せに溢れている第7曲。

でも、一転、曲調は短調に転じ、夫の死へと直面する第8曲。
止まりそうなくらいの独白に胸が詰まる。
 でも、「あなたがわたしの世界だった・・・・」と歌い、そのあとは、長い長い、ピアノの後奏が、しみじみと続いて、静かに曲を閉じますが、この部分は冒頭と同じ旋律。
ここで、聴き手に与えられる、安らぎと、安堵感は、ほんとうに感動的です。

さらに、物語を発展させて欲しいという思いも、このシューマンの美しい音の世界の中に、見ごとに完結される思いです。

すばらしき、シューマンの歌曲とピアノの世界の融合。

 清潔・清廉な、エデット・マティスの歌声で聴く「女の愛と生涯」。
それは、麗しく、正直で、疑いもない、美しい愛の結露と聴こえます。
加えて、ドイツ語のディクションの正しさも、耳にさわやかです。

 そんな歌に、エッシェンバッハの雄弁なピアノは、不釣り合いと思われるでしょうが、それが、それぞれに、美しい均衡を保っているところが、またシューマンの歌曲のゆえでしょうか。
聴き惚れるほどに巧みな、ナイーブなピアノに、まっすぐなソプラノ。

この曲の、名演のひとつですね。
                 

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2014年10月27日 (月)

シューマン 幻想曲 ポリーニ

Zoujyouji

ある日の夕焼け。

都内増上寺の境内にて。

夕焼け大好き、ロマンティックおじさん。

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  シューマン 幻想曲 ハ長調

      ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ

        (1973.4 @ミュンヘン ヘラクレス・ザール)


今夜は、思い入れのある1曲、そして1枚。

レコードでさんざん聴いていたけれど、CD時代になって、CD再購入をしていなかった。

レコード・CD、両時代を知るものにとって、こんな風に、妙に宙に浮いてしまった1枚ってあるんじゃないでしょうか。
レコードプレーヤーを再稼働させることもないと、こうなります。

先日、思いついたように、中古屋さんで、入手しました。

そして、CDプレーヤーに乗せるや否や、あの頃の、ポリーニの硬質で、かつ、ブルー系のピアノの音色が、一挙に、わたくしを、若き日々へと誘ってくれました。

あぁ、なんて、素晴らしい音楽に、演奏なんでしょう。

外は、冷たい風が吹き始めました。

でも、このシューマンの音楽は、暖かく、ロマンティックで、人肌を感じさせます。

 幻想曲という名は、自由な構成感から来ているもので、本来、シューマンは、ベートーヴェンの没後10年という意味合いを込めて、気合を入れて作曲に没頭した。
しかし、なかなか、そのアニヴァーサリーには完成できず、1年後の1838年に仕上がった。

3つの楽章からなりますが、この曲の白眉は、きっと緩徐楽章である、終楽章でありましょうか。
初めて聴いていらい、つねに、その楽章に焦点を絞って聴いてきました。

ショパンでも、リストでもない、シューマンにしか書けなかった、本物のロマンティシズム。
「星の冠」と、当初は名が与えられたのも、さもありなん的な、美しくも、陰影も感じさせるシャイな音楽だと思います。
 この楽章は、キリリとした、白ワインがぴたりときます。

ポリーニの、硬質ななかに、明るい透明感あふれる演奏が、この楽章を、神々しいまでの純粋な音楽に昇華しております。

 もちろん、ほかのふたつの楽章も、好きですし、ポリーニの演奏も明晰極まりないのですが、わたくしの耳は、かつての昔より、この3楽章に首ったけなのでした・・・・。

はぁ・・・・、もう40年近くの年月が経つんだ。。。。

遠い目線に、遠い思い出。

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2014年8月 1日 (金)

シューマン 交響曲第3番「ライン」 ジュリーニ指揮

Sakikata

どこぞの滝か忘れてしまいましたが、過去画像から。

秋田県のどこかです・・・。

夏に滝は、実によいですね。

マイナスイオン出まくり。

滝音も近ければ轟音でですが、そこそこから聴けば涼しげな音に聴こえます。

あぁ、暑くてせわしいところを脱して、リゾートりたい。

Schumann_sym3_giulini

  シューマン  交響曲第3番 変ホ長調 「ライン」

   カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロザンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団

              (1980.12.1@シュライン・オーディトリアム、LA)


久しぶりにシューマンの3番を聴く。

演奏会での記事は書いてますが、もしかして、音源記事は、これが初かも。

そんな3番です。

4つのシューマンの交響曲のなかでは、1番を「春」という題名からしてすぐに聴くようになり、次いで同じく標題付きの3番を聴いて馴染んだ。
そのあと来たのは4番で、テレビでバーンスタインとウィーンフィルの演奏を見てから。
 熱狂の渦を造り出すバーンスタインの指揮もさることながら、ぎくしゃくとしたリズムや、いびつなまでの、のめり込みの情熱にほだされたものです。
 最後にやってきたのは、2番。
メータとウィーンフィルのFM放送を録音し、何度も何度も聴くけれど、地味感しか印象として残らない・・・
そして、ここでも、バーンスタインでして、札幌でPMFの若いオーケストラに必要なまでに、シューマンの極意を伝授しようとしていた姿が忘れられない。
そこから、2番が自分の中では、イチバンと思うようになり、最近では、アバドの録音も登場して、ますます、2番好きが高まってます。

実演では、なんといっても、シュナイト&神奈川フィルの黄金コンビで、4番を除く3曲が聴けたことが大きいです。
南ドイツの大らかさと、構成力のしっかりした佇まいでもって、ドイツの作曲家シューマンを実感させてくれました。

 前置き長いですが、3番「ライン」の、わが愛聴盤は、サヴァリッシュ、ハイティンク、ジュリーニであります。
ありきたりの、お馴染みのメンバーですが、そろそろ、新しい可能性にあふれたシューマンの指揮が登場してもいいだろうと思ってます。
そんなこと言いつつ、最近のシューマン演奏を、ひとつも聴いてない自分が言うセリフではありませんがね・・・・。
でも、ほかの作曲家たちの交響曲が、清新な息吹きを吹きこまれるような演奏が続出しているのに、シューマンとメンデルスゾーンは、ちょっと、その立ち位置が微妙に思えたりするもんですから。

 旧フィルハーモニア盤は、聴いたことがなのですが、ジュリーニ&ロスフィル盤は、ほんとにいい演奏だと思います。
ハイティンク&コンセルトヘボウには、コクの味わいがあり、サヴァリッシュ&ドレスデンには、オケの古雅なまでの味わいがあり、こちらのジュリーニは、古式あふれる中世武士の心意気のような味わいがあります。

全体を覆う、レガート感。
弦楽を中心に、音をたっぷりと弾いて、豊かな響きも醸し出してます。
それが実に雰囲気よろしく、シューマンのラインに相応しいのです。
テンポも、当然に、ゆったりめに聴こえます。
ドイツの音楽であるとか、イタリア人指揮者であると、オケがアメリカ・ウェストコーストのものであるとかの、そんな字面の印象はまったく感じることがなく、ここにあるのは、まさにシューマンの想い描いたサウンドではないかと思います。

明るさも充分、壮麗さも充分、深刻さもしかり、おおらかさもあって、最後には、見事なアッチェランドで、息を飲むほどの勢いと感銘を与えてくれます。

ジュリーニとロスフィルのコンビは、シカゴのそれと並んで、わたくしは、一番素晴らしい果実を残してくれたと思っております、はい。

そして、同じく果実といえば、シュナイト&神奈川フィルの名演の数々を、わたくしは、ありがたくも、美味として数々頂戴しました。

 シューマン3番のライブ記事

死ぬまでに、一度行ってみたいな、ライン地方。

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2014年6月 4日 (水)

シューマン 「森の情景」 ピリス

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緑がまぶしい。

そんな感覚の、新緑の季節は、5月の思いのほか強い日差しにあって映えるもの。

6月は、こんどは、そんな緑が、しっとりと落ち着いた雰囲気にそまる。

季節おりおり、自然もいろんな色合いを見せてくれますな。

今日は、緑の季節に合わせて、そんな選曲と思いましたが。

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   シューマン 「森の情景」

     ピアノ:マリア・ジョアオ・ピリス
  
                (1994.1 @ミュンヘン)


われわれが思う、「森」は、日本の緑豊かな森であったり、鎮守の森であったりと、ときに怖い一面は別途あるかもしれないけれど、そうした生活に密着もした、親しい場所、みたいな感覚を持ってます。

シューマンのピアノ作品、「森の情景」の「森」は、「ドイツの森」です。
ですから、ちょっと怖くて不気味なところと、妖精さんが出てきそうなところとが、混在したような、ファンタジーの世界なんです。

1849年頃までに書きあげられた、シューマンとしては晩年として、あと生涯を7年間残すのみの時期の作品です。
ピアノ作品としては、もっとも後半生のもののひとつでもあります。

9曲の小品の連なりですが、ラウベやアイヘンドルフらの詩に啓発されたものとされ、それぞれに詩的な標題がつけられ、自身も短い詩をつけたともされてましたが、のちに、それらは、ヘッベルによる詩が第4曲に残されたのみで、すべて省かれてしまいました。

ゆえに、われわれ聴き手は、9つの詩的なタイトルから、短い2~3分の各曲を聴きつつ、ドイツの緑の森を思い描きながら聴くという、ある意味、自由なファンタジーの世界に遊ぶという所作が許されるのです。

こんな夢想的な音楽の聴き方ができるのもまた、シューマンならではですし、この時期、ちょっと、軋みの入り始めた彼の心のことも思いつつ、揺れ動く音楽と大胆な表現に身を任せてみるのも、またシューマンの聴き方でしょう。

   1.「森の入り口」
   2.「待ち伏せる狩人」
   3.「もの悲しい花たち」
   4.「呪われた場所」
   5.「親しい風景」
   6.「宿屋」
   7.「予言の鳥」
   8.「狩りの歌」
   9.「別れ」


森に分け入る楽しさと、ちょっとの不安を抱いたかのような「森の入り口」、シューベルトの死の世界観を感じさせもする不安に満ちた「呪われた場所」。
半音階の世界に足を踏み込んだような斬新で、ちょっととりとめない「予言の鳥」。
曲の終わりらしくない、どこか腑に落ちない、そんな終わりかたが、どこか言い足りなさそうで、後ろ髪ひかれる「別れ」。

優しさと鋭い感受性で持って深みのある演奏を繰り広げていたDG時代のピリス。
もう20年前となりますが、いまだに鮮度の高いピアノに思います。

なんか、このところ、シューマンとバッハ、コルンゴルトと英国音楽ばかり聴いてます。

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2014年6月 1日 (日)

「森園ゆり グリーン・ウェーブ・コンサート」

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今年もまたやってまいりました、グリーンウェーブコンサートの日が。

神奈川フィルハーモニーの第1ヴァイオリン奏者の、森園ゆりさんと、ピアノの佐藤裕子さんによるリサイタルコンサートです。

保土ヶ谷区仏向町にある、ハンズゴルフクラブにある、吹き抜けのレストランを会場に行われる、ヴァイオリンとピアノによるお洒落なコンサートなんです。

その収益金は、「かながわトラストみどり財団」に、ゴルフ場からの同額も添えて寄付され、神奈川の緑の保全と育成の資金として役立てられております。
震災後は、被災地支援にも充当されました。

音楽を聴くという、聴き手にとっての喜びの享受という行為が、このようにして社会貢献へと循環するということは、まことに喜ばしく、こうした試みを毎年、果敢に行っていただける「ハンズゴルフクラブ」さんに、あらためまして御礼申し上げます。

いつもお馴染みの、森園さんのヴァイオリンを聴けて、おいしい軽食やスイーツもふんだんにいただき、緑もたっぷり浴びることができるなんて、そんな喜びはありませんからね!

Grennwave2014

    フォーレ           「ドリー」組曲~子守歌

    ヘンデル          ヴァイオリンソナタ第1番 イ長調

    モーツァルト         ロンド ハ長調  K373

    サラサーテ        「序奏とタランテラ」

    シューマン         「アラベスク」

    パガニーニ        「カンタービレ」 

    クライスラー        「踊る人形」

    シンディング     組曲より「プレリュード」

    エルガー        「夜の歌」、「朝の歌」

    ヴィニャフスキ    「ファウスト幻想曲」

    森園 康香       「緑のうた」

          ヴァイオリン:森園 ゆり

          ピアノ:    佐藤 裕子

               (2014.5.31 @ハンズゴルフクラブ


例年どおり、森園さんご自身の選曲と、曲目解説のプログラムには、作曲家の年譜つきで、時代の相関関係がよくわかる仕組みとなってます。

そして、毎回、掲げられるテーマは、今年は、「春の輝き」。

MCの方が、今年は妙に間が折り合わず(笑)、少し浮足立ったスタートのフォーレ。
ピアノ連弾が原曲の素敵な曲だけど、ヴァイオリンで聴くのもまたいいものでした。
 たおやかな様相を折り目正しく伝えてくれたヘンデルに、やっぱりモーツァルトって、いいわ、可愛いわ、と思わせるロンド。
このあたりで、会場は、いつものような、ほんわかした、いいムードに。

外は、真夏のような暑さだったけれど、会場内は、ほんの少し季節が戻って、うららかな春となりました。

サラサーテは、初聴きの曲だけれど、昔、AMラジオから流れていたような懐かしいメロディの序奏が素敵。
森園さん、情感たっぷりに弾いてらっしゃいましたよ。
そして、一転、超絶技巧のタランテラへの転身がすごい。
毎回、書いてるかもしれませんが、オーケストラの一員として拝見してる森園さんが、バリバリ系の違うお顔を見せる、そんな瞬間なのですが、この日の森園さんは、技巧は確かですが、ちょっとそんなお姿は抑え気味に見受けられました。
鮮やかに曲が終わると、会場内からは、ほぉ~ともとれるため息が。

思わず、緑の映える外を、仰ぎ見てしまいたくなったシューマンのアラベスクは、佐藤さんのピアノソロで。
いい曲、気持ちのいい呼吸豊かな演奏。
前夜の平井さんのヴァイオリンによるシューマンもよかった。
シューマンのピアノ曲、室内作品、歌曲、いま始終聴いてます。
昨今の不安のやどる自分自身の日々に、英国音楽やコルンゴルトとともに、ぴったりのシューマンなのです。

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はじける技巧曲でなく、情感豊かなゆったり系のパガニーニが選択されました。
その名も「カンタービレ」、これ、いい曲ですね。
FM番組のテーマ曲にもなってました。
こんな曲を、感情こめて演奏するお二人、いいですね。しみじみ。

誰もが知るボルディーニの有名な原曲を編曲したクライスラー作品。
伴奏とのリズムの取り方が難しそうな、そしてピチカートの合いの手も妙に難しそうな、意外と難曲に感じましたが、面白い作品でしたね。

森園さんのお話のなかで、思えば毎年聴いてると知ったシンディングの組曲からのプレリュード。
プレストで一気に演奏される勢いと情熱の曲でありますが、サブリミナル効果なのでしょうか、完全に知った曲と、頭の中でしっかり認識されております(笑)。
シンディングは、北欧歌曲のCDなどに必ず入ってる名前ですが、この3曲からなる組曲も、ヴァイオリンがよく鳴り響く、素晴らしい音楽だと思います。

そして、わたくし的にお得意の曲たち、エルガーの「夜の歌」「朝の歌」。
紅茶でもいかがですか?と勧められてるような、エレガントで柔和な音楽に演奏にございました。

以前にも演奏されました、リストのコンソレーションのミルシュテイン編によるヴァイオリン版。
この日の、しっとり情感系の森園さんの演奏の流れの中では、まさにぴったりの曲目。
こんな風に、いろんな時代を横断しながら、多様な作曲家の作品を賞味してくると、それぞれの時代と作曲家の顔の違いに、あらためて新鮮な思いを抱くことになります。
こんな風な音楽の聴き方や、コンサートのあり方って、とてもいいことだと思います。

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最後のトリは、大曲、15分かかりますよ、と覚悟を促す森園さんのお話を受けて、MC嬢も、みなさん、頑張ってと激励(笑)
ヴィニャフスキのファウストラプソディは、グノーの同名のオペラの旋律・アリアをベースにした、初聴きの曲です。
ピアノの部分を、それでも少し割愛しましたとの、お話でしたが、なかなかの充実の大作。
ヴァランティンとマルガレーテのアリア、メフィストフェレスの「金の子牛」、そして華やかなワルツなど、オペラ原曲から素敵な旋律が次々と登場しつつ、そこに華麗な技巧とアリアさながらの歌が満載に散りばめられた音楽でした。
 もう一度、じっくりと聴いてみたい作品です。
この日、森園さん、一番の挑戦曲ではなかったでしょうか。
佐藤さんと、おふたりの熱演に、大きな拍手と掛け声が飛び交いましたよ。

アンコールは、このところのお約束。
ドイツ在の娘さん、森園康香さんの新作の世界初演(!)です。
さきの、康香さんのリサイタルでも、母が初演しますと語っておられました。
「緑のうた」、いかにも爽やかで、優しい音楽。
この日のテーマに相応しく、こぼれる緑と優しく揺れるその影を感じさせましたね。

暖かな気持ちで、We love神奈川フィルメンバーは、緑の会場をあとにして、保土ヶ谷のナイスな居酒屋さんで、喉を潤おして、気持ちよく帰りの途につきました。

 こんなことおこがましいですが、以前の演奏を存じあげませんで恐縮ですが、ちょっと新たな方向へと向かいだした想いを抱いた森園さんのヴァイオリン。
さらに楽しみです。

いつもながら、いいコンサートです。

来年もまた、という前向きな気持ちにもなりました。

Grennwave2014_2 Grennwave2014_4

こんな美味しいもの、木漏れ日のなかで、いただいちゃいました。

音楽も、お食事も、どちらも、ごちそうさまでした


これまで聴いたグリーンウェーブコンサート。

 「2011年 第13回」

 「2012年 第14回

 「2013年 第15回」
  

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