カテゴリー「シュナイト」の記事

2016年12月29日 (木)

バッハ クリスマス・オラトリオ シュナイト指揮

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冬のクリスマスのツリーの定番は、恵比寿のガーデンプレイス。

基本のカラーだけ、そして、装飾も基本のカラーに徹したシンプルな美しさ。

華やかだけど、華美じゃない。

毎年、手を加えてはいるでしょうけれど、毎年、ここが、わたくしのナンバーワンイルミ。

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ドイツのクリスマスマーケットでは、考えてもみたくもなかったテロ行為が起こり、キリストの生誕を祝う和やかなキリスト教者最大のイヴェントが、それすらを許さないごく一部の狂信者たちの行為により、ずたずたになった。

映像などでみた、踏み散らされ、破損したクリスマス・グッズを見ると、ほんとうにやるせない思いになった、そんな今年のクリスマスであります・・・・・

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  バッハ  クリスマス・オラトリオ

   Bs:フーベルタス・バウマン、フランク・ザーベッシュ=プア

   Cont:ミヒャエル・ホフマン

   T :ハイナー・ホップナー

   Bs:ニコラウス・ヒレブラント

 ハンス・マルティン・シュナイト 指揮 コレギウム聖エメラム

                        レーゲンスブルク大聖堂聖歌隊

               (1977年6,7 @レーゲンスブルク 聖エメラム教会)


バッハの大作、でも実際は6つのカンタータの集積であり、クリスマスに全部一気に聴く必然性もいわけで、以下のような、降誕節にはじまる1月の祝日までを念頭においたもの。

   ①降誕節第1祝日 24日

   ②降誕節第2祝日 25日


   ③降誕節第3祝日 26日

   ④新年          1日

   ⑤新年最初の祝日 (2日) 

   ⑥主顕節        6日
      

>以下、一部以前の自己記事を引用<

主顕節というのは、イエスが初めて公に姿を現わされた日のことで、東方からの3博士が星に導かれて生後12日目のイエスを訪ねた日をいう。

1734年、バッハ壮年期に完成し、その年のクリスマスに暦どおりに1曲ずつ演奏し、翌新年にもまたがって演奏されている。

バッハの常として、この作品はそれまでの自作のカンタータなどからの転用で出来上がっているが、旋律は同じでも、当然に歌詞が違うから、その雰囲気に合わせて歌手や楽器の取り合わせなども全く変えていて、それらがまた元の作品と全然違う雰囲気に仕上がっているものだから、バッハの感性の豊かさに驚いてしまう。
バッハのカンタータは総じて、パロディとよく云われるが、それは自作のいい意味での使い回し、兼、最良のあるべき姿を求めての作曲家自身の信仰と音楽の融合の証し。

なんといってもこの「オラトリオ」の第1曲を飾る爆発的ともいえる歓喜の合唱。
これすらも、カンタータ214番からの引用だが、調性が違っているし、当然のことながら歌詞もまったく違う。
こんな風に分析するとするならば、この6つのカンタータの集積だけでも、カンタータの全貌を理解しつつ聴かねばならいからたいへんなこと。

 このクリスマス・カンタータにおいても、超有名な、マタイのコラール(それすらも古くからのドイツ古謡の引用であるが)が出てきたりする。

クリスマス音楽のお決まりとしての「田園曲」=「パストラーレ」は、第2夜のカンタータの冒頭におかれたシンフォニアである。
この曲だけでも単独で聴かれる、まさにパストラルな心優しい癒しの音楽である。
単独の演奏では、あまりにも意外な演奏だけれども、フィードラーとボストン・ポップスが好きだったりするくらいで、独立性のある名品であります。

それと、この曲集で印象的な場面は、ソロと合唱、ないしはエコーとしての合唱のやりとりの面白さと遠近感の巧みさ。
その場面においては、私のこの曲のすりこみ演奏であるリヒター盤の、ヤノヴィッツの歌が完璧に耳にあって、他のソプラノではどうしようもなくなっている。

リヒターの刷り込み演奏は、ひとえに第1曲が収められた、アルヒーフのリヒター・サンプラーというレコードゆえでして、そこには、マタイや独語メサイア、ハイドン、トッカータとフーガ、イタリア協奏曲など、マルチ演奏家としてのリヒターが浮き彫りにされた1枚であった。
当然に、布張りのカートンに収められた、「リヒターのクリスマス・オラトリオ」のレコードは、実家のレコード棚に鎮座する一品であります。

加えて、思い出深いのは、東独時代の古色あふれ、雰囲気豊かなフレーミヒとドレスデンフィルの演奏。
70年代の名歌手たちの歌唱にも感銘をうけます。

そして、数年前に入手したのが、ハンス・マルティン・シュナイト盤。
レコード時代に気にはなっていたものの、極めて地味な存在だった。
アルヒーフに、ヨハネやモテト、モンテヴェルディなどをそこそこに録音していたシュナイトだけど、あまりクローズアップされなかったし、わたくしもあまり気にとめてなかった。
そして、急逝したカール・リヒターの後任として、ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団の指揮者になったけれど、残念ながら正規録音がなされなかったことも極めて残念なこと。

当時の雑誌を読んだりすると、マタイを振ってるし、なんと、オペラ指揮者としての経歴も豊富なため、リングも指揮してるし、ベルリン国立歌劇場と来演して魔笛も上演してることがわかったりしたことも、シュナイト師に親しく接するようになってから・・・・。

そう、東京フィル主体のシュナイト・バッハの活動のあと、神奈川フィルの指揮者となって、その多くのコンサートに接するようになった。
ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、シュトラウス等々、ドイツ本流、そして南ドイツ風の柔らかさもあわせもった本格的な名演を数々聴きました。
神奈川フィル以外でも、ヨハネとロ短調の圧倒的な演奏にも立ち会うことができました。

 そんなシュナイト師と中世ドイツの風合い色濃く残る街、レーゲンスブルクの高名な聖歌隊とのこちらの音盤。
南ドイツの古雅な雰囲気をたたえた、味わい深い演奏です。

70年代半ばの当時の古楽器も一部使い、オーケストラの響きは丸く優しい。
そして聖歌隊の無垢の合唱と、聖歌隊メンバーのボーイソプラノとコントラルトのソロは、現代の耳からすると、ちょっと厳しい点はあるかもしれないが、清らかで美しい。
 随所にあるコラールにおける、祈りの想いを強く感じさせるシュナイトならではの真摯な歌。実は、それらが一番素晴らしいかも。

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レーゲンスブルクのエメラム教会での録音も、こんな画像をながめながら聴くと、とても心あたたまり、清らかな気持ちになります。
ロマネスク様式に、途中バロックの華美さも加わった、ちょっと華やかな教会。
行ってみたいものです。

ことしもあと少し。

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2015年4月 5日 (日)

バッハ ヨハネ受難曲 シュナイト指揮

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イースター週間。

今年の聖金曜日は、4月3日。

復活祭は、5日です。

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六本木の霊南坂教会。

満開の桜の見ごろに。

そして、イースターの時期には、欧州、ことにドイツでは、バッハのふたつの受難曲と「パルシファル」が演奏されます。

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      バッハ   ヨハネ受難曲 BWV245

  福音史家:畑 儀文       イエス:戸山 俊樹
  ソプラノ :平松 英子       メゾ・ソプラノ:寺谷 千枝子
  バリトン、ピラト:福島 明也

   ハンス=マルティン・シュナイト指揮

       シュナイト・バッハ管弦楽団/合唱団

                     (2005.11.26 @オペラ・シティ)


バッハの偉大なふたつの受難曲。

現存するのは、そのふたつですが、生涯に5つの受難曲を手掛けたともされてます。
(ヨハネ、マタイ、ルカ、マルコ、ヴァイマール)

マルティン・ルターの宗教改革から端を発したプロテスタント教派。
その音楽においても、ローマ・カトリックは、降誕と復活に重きをおいたものが多いのに比し、プロテスタントでは、降誕と受難が重んじられてます。

 ですから、バッハの受難曲も、その名の通り、ゲッセマネにおけるイエスの捕縛と、ピラトによる尋問、裁判、磔刑、十字架上の死までを描いていて、その後の復活については、触れられておりません。

「マタイ」と「ヨハネ」、そして「ロ短調ミサ」、いずれも、バッハの最高傑作、いや、人類がもちえた最上の音楽のひとつだということに、みなさま、ご異存はありませんね。

1724年(39歳)の作が「ヨハネ」。
1727年(42歳)に、「マタイ」。
ともに、ライプチヒ時代の作品。

「ヨハネ」は、イエスを追い詰めてゆく群衆がとても劇的に描かれていて、合唱やコラールの比率が高い。
おのずと、全体は動的なイメージ。
それは、すなわち、バッハの意欲的な若さにもつながります。
 一方の「マタイ」は、ソロのアリアが多く散りばめられ、それぞれの心情吐露は、深いものがあります。
「ヨハネの動」に対して、「マタイの静」です。
ライプチヒのトーマス・カントル就任の初期の「ヨハネ」に比べ、3年後の「マタイ」では、教会歴に即した数々の活動や、おそらく信仰上の想いの深化なども加わり、内面的掘り下げも深くなったに違いありません。

 合唱は、3種類の役割を担います。
受難の出来事に対し、イエスに寄り添うような思いを吐露するコラール。
合唱曲として。
そして、群衆として。
 アリアは、登場人物たちの想いや、しいてはバッハ自身の心情を歌う。
そして、レシタティーボは、福音の語り。
 こうした色分けは、「ヨハネ」の方が明確に思います。

そして、もうひとつ、イエスの死に向かって、淡々と進む「マタイ」では、最後が大きな合唱で、それは、悲しみに覆われ、涙にぬれていて、聴き手をもその悲しみと同情へと巻き込んでしまうものです。
 一方の「ヨハネ」は、一気にイエスの磔刑とその死まで駆け抜け、最後は、イエスよ安らかなれと慰めの合唱があり、そして、コラールで終る。
そのコラールは、イエスをほめたたえ、自身の死のあとの蘇りも願うもの。
イエスそのものではありませんが、死後の蘇りに言及したコラールが、受難曲の最後にあることによって、悲しみのうちに終わるのでなく、救いの光を感じさせながら、力強く終るのです。
日本を愛したシュナイトさんが、このCDの解説でも、そうしたことに触れてますし、この音盤でも、実際にその演奏に接したときにも、こうした「ヨハネ」の性格を、浮き彫りにして、大いに、感銘を受けました。

 「ペテロの否認」は、マタイの中で最大の聴きどころですが、こちらヨハネでも、その場面は描かれてます。
本来のヨハネ福音書には、このシーンはないのですが、バッハは、ほかの福音書から引用してまで、ここに描きたかった名場面。
人間の弱さと悲しさ、バッハは受難の物語に絶対に欲しかったテーマだと確信していたのでしょう。
福音史家の語りも、その後のアリアもふくめ、マタイほどの、深淵さはありませんが、それでもなかなかに劇的です。アリアはテノールにあたられてます。

 さらに、ヨハネ福音書にない場面があって、それは、イエスが息を引き取ったあとの、天変地異。
ここは、マタイやルカから採用されてまして、イエスの神性の表出と神からのメッセージをあらわすこの事象は、人間ドラマとも呼べる受難曲のなかにあって、大きなアクセントとなってます。

アリアにも、至玉の名品がぎっしり。
イエスに従う思いを、フルートを伴いながら、軽やかに歌うソプラノのアリア。
十字架上で、イエスが、「こと足れり」と言い、息を引き取る場面での、痛切なる悲しみのアルトのアリア。これは泣ける。そして、その後の消え入るような福音史家のレシタティーフ。
このあたりが好きです。

 シュナイトさん、3度目の録音で聴きました。
70年代にレーゲンスブルクでアルヒーフレーベルに、あと2回は、日本でのシュナイト・バッハとのライブ。
ライプチヒのトーマス教会で歌うことからスタートしたシュナイトさん。
その体に沁みついたバッハの魂、ドイツ音楽の神髄を日本で披歴してくれたことを、まことに感謝しなくてはなりません。
 宗教音楽ばかりでなく、ドイツ各地でオペラの指揮をしていて、ワーグナーのリングまでその記録にはあります。
その広範なレパートリーを、もっと日本で聴きたかったところですが、体調不良でいまは、ドイツで静かに暮らしております。
 コンサートでは、わたくしたち聴き手には、いつも好々爺然とした方でしたが、練習では、ほんとうに厳しくて、驚きの逸話もたくさんあります。

それもこれも、音楽に対する愛と奉仕。
そして、日本の演奏家と聴き手に、いかに自分の持っているものを体感させたいとの想い。

そんなことを、このヨハネを聴いても感じます。
言葉に乗せた思いを音楽で表現すること。
ドイツ語のディクションも含め、そうとうな練習の末に、成し遂げられたこの演奏の素晴らしさ。
シュナイト・ファミリーともいえる、ソロのみなさんや、各楽器奏者の精度もとても高いです。

最後のコラール。
2009年に聴いたライブと同じく、じわじわとカーブを描くように盛り上がっていき、祈りの気持ちがまるで高まっていくかのように、輝かしさも感じさせつつ感動的に終結します。

このように、エンディングに、いつも、おおいなる感動が隠されている、シュナイトさんの演奏。神奈川フィルのコンサートで、何度も同じように体験しました。
本当に、忘れ得ぬことばかりです。

今年、85歳になるシュナイトさん。
いつまでもお元気でいて欲しいです。

ところで、シュナイトさんの生地は、ドイツのキッシンゲン・アム・マインとされてますが、ご本人が、インタビューに応えて語るものでは、同じバイエルンのリンダウとしていますが、どっちなんでしょうね。かなり離れてますよ。
リンダウは、スイス・オーストリア国境に近く、ボーデン湖に接する美しい街です。
いつか行ってみたいものです。

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2013年12月 5日 (木)

モーツァルト レクイエム シュナイト指揮

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東麻布にある、聖アンデレ教会。

レクイエムやミサ曲は、カトリックの典礼音楽ですが、こちらの教会は、カトリックでも、プロテスタントでもなく、英国国教会という、その間に位置する教義を持つものです。

近くに、お客さんもいるし、いまあるところから、お散歩にちょうどいい場所ですし、なんといっても東京タワーが間近なので、よく行く場所です。
神谷町、六本木もすぐ近く。

華美でない、精緻な美しさに、心落ち着きます。

今日、12月5日は、モーツァルトの命日。

1791年、今からちょうど222年前に、35歳でこの世を去りました。

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 モーツァルト  レクイエム ニ短調 K626

        S:平松 英子     Ms:寺谷 千枝子
      T:畑 儀文      Br:福島 明也

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
                         
            

             (2004.6.5@オペラシティ・コンサートホール)


モーツァルトの命日にあたって、世界中、きっと多くの方が、このレクイエムを聴いていることでしょう。
しかも、222年前という、ツーの語呂のよさ。

没後200年の1991年のことはよく覚えてます。
音楽業界は、モーツァルト一色になり、ザルツブルク・モーツァルト音楽祭が、サントリーホール中心に催されて、プレヴィンの至芸品モーツァルトが演奏されました。

わたくしは、プレヴィンのピアノと、キュッヘル率いる四重奏団での室内楽コンサートを堪能しました。

もう22年があれから経ってしまった。

あの年のモーツァルトの命日には、ウィーンのシュテファン教会で、ショルティの指揮するレクイエムが、典礼ミサ付きで演奏され、NHKBSで生放送されました。
テレビの前で、全部観て聴きました。

そして、今日は、神奈川フィルに入り込むきっかけを作ってくれた、シュナイトさんの指揮でレクイエムを。

1930年生まれのシュナイト師は、ドイツの典型的なカペルマイスターであり、根っこの部分から教会と音楽とオルガンが、その体にしみついておられる大指揮者です。

ブロムシュテット86歳、ハイティンク84歳、マゼール83歳、アバド81歳、こんな大巨匠と並ぶ83歳のシュナイトさん。
いまは活動を抑えて、ドイツ暮らしなのですが、こんなに元気な同輩の指揮者を思うと、シュナイト爺さんの老けこみ具合が残念。
爺は、厳しい半面、明るく開放的なものですから、オフで羽目を外しすぎるんですよ(笑)。

でもとにかく、いつまでも元気でいて欲しいシュナ爺です。

神奈川フィルとともに、マエストロの名を冠したこのオーケストラや、コロ・ヌオーヴォ、ジャパン・アカデミーフィルなどと、多くの実りある業績を残しました。
日本と、日本の食と、われわれ聴衆と、そして日本女性も大好きだったシュナイト爺は、憎めない愛らしい指揮者です。
でも、その音楽には、ドイツの伝統を担い、それを異国の日本にしっかり伝えたいという厳しさがあふれてまして、練習での容赦ない発言や行動は、いまや語り草になってます。
そこから生まれる、シュナイト節は、柔らかくふくよかで、かつ峻厳さに満ちた本物の響きなのでした。

今でも、脳裏にその姿と音が、神奈川フィルの音色とともに刻まれております。
シュナイト・バッハやコーロ・ヌーヴォ、仙台フィル、札響との共演も追いかけました。

2004年のモツレクの演奏は、残念ながらCDで聴くのみですが、全編ゆったりと、心を込めて慈しむように指揮しているのが、痛いほどよくわかります。
ゆったりめの運びは、シュナイトさんならでは。
ラクリモーサ以降の、ジェスマイアーの手になる部分との落差・格差をまったく感じさせない立派さ。

厳しさと、優しさが同居するモーツァルト。
響きは総じて、南ドイツ風な柔らかさを持ちつつも、その表情は厳しく、モーツァルトの叫びすらも耳に届いてきます。
ベームの厳しさよりは、ワルターのモーツァルトのような微笑みを感じます。

冒頭のオーケストラによる悲しみを引きずるような出だしは、合唱の開始とともに、思いのほかインテンポで、淡々として始まります。
平松さんの清らかなソプラノから、オーケストラはシュナイト爺の唸り声とともに、息が吹きこまれたように生彩に富みだし、合唱とともに、優しいけれど痛切なレクイエムを造り上げていきます。

レコルダーレの心洗われる4人のソロの饗宴と、豊かな低域をなみなみと響かせ下支えするオーケストラには感動しました。

そして、本来、ピークともいえるラクリモーサ。
一語一語、語るように、区切るようにして歌う合唱。
切実さが、それによっていやでも増す。
ここでの思いのほかの淡泊さ。
モツレクの中間点としての認識で、ラクリモーサは位置づけられてます。

その後の補筆補完部分が、こんなに立派なのには驚きなのです。
繰り返しの多い、演奏によっては単調に陥ってしまう部分も、しっかりと、たっぷりとした感情を伴って演奏されてます。
この音楽する心の豊かさ。
それが、聴き手に、ストレートに伝わってくるのです。
そして、最終章コムニオでは、シュナイト節の最たる、祈りの音楽の至上の姿がここにあらわれるのです。
ゆったりと、なみなみと、感情の度合いは高く、最後の盛りあげはどこまでも強く長く、最終和音で、両手を伸ばしきったシュナイト師の姿が思い浮かぶようです。
感銘の、そして祈りに満ちた最終和音です。

日本人のソロ、合唱、オーケストラ、ドイツ人の指揮者。
ここから導きだされた、繊細でありながら、味わいに富んだドイツ音楽の本流。
神奈川フィルのときもそう。
世界にもまれな、日独コラボレーションは、天然記念物級だと思ってます。

このレクイエムの前後には、「フリーメイソンの葬送の音楽」と「アヴェベルム・コルプス」が演奏されてます。
そのどちらもが泣けるほどの名品・名演にございます。

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2013年10月26日 (土)

ブルックナー 交響曲第7番 シュナイト指揮

Takane

昨年の今頃、法要があって群馬方面に走ったおり、榛名山に行きました。

その途中の展望スペースにて。

木の様子が、ヨーロッパっぽい。

この先を行くと、真っすぐの一本道。

ついついスピードが出てしまうところ、最近はやりの、音楽が鳴る道路になってるんです。

「静かな湖畔の森の宿から・・・・」ってね。

ナイスです。

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  ブルックナー  交響曲第7番

    ハンス・マルティン・シュナイト指揮 

  ジャパン・アカデミー・フィルハーモニック

              (2008.10.28 @杉並公会堂ライブ)

台風去って、冷気を呼んだ今宵は、澄んだ夜の空気のなかで、秋のブルックナーを。

しかも、シュナイト翁の日本での忘れ形見的な1枚で。

上記の日付のライブ録音。

この日、わたくしは、この会場におりましたし、ご一緒した方々もよく覚えてます。

その日の演奏会の感想はこちら→シュナイトのブル7

シュナイト師のもとに生まれたユースオケですが、この演奏を境に、シュナイトさんは退任し、同時にわたくしの愛する神奈川フィルや、バッハオーケストラからも身を引いて、南ドイツに帰られました。

この若いオケは、その後、ゲルハルト・ボッセを指導者にむかえましたが、そのボッセさんも、いまや亡く、巨匠のもとでの若いオケから、徐々にプロ化を目指す動きもあるといいます。

当日は、演奏の細かな精度など気にならないほどに、音楽全体をつらぬく、一本の緊張と暖かみを伴ったエモーションが強くて、それに飲みこまれるようにして、長い演奏時間の73分をいとおしむようにして味わったものです。

CDになったこの音源をあらためて聴いてみると、アンサンブルや個々のセクションに物足りない場面はあります。
しかし、演奏会での印象と同じく、指揮者の強い意志とそこに、全面的に従う奏者の意思とを、ともに感じることができます。
 当日、シュナイトさんが自らマイクをとり、聴衆に語ったのは、ブルックナーがワーグナーの死に際し捧げた2楽章のこと。
そして、ブルックナーのカトリック信仰とアルプスへの自然信仰のこと。

これらの言葉をCDでは、かみしめるようにして、聴くことができるのが喜びです。

ことに25分をかけた第2楽章は、一音一音、大事に慈しむようにして演奏されていて、多少の傷はまったく気にならなくなってしまうほどに、真摯で熱っぽい、そして暖かさにあふれた素晴らしい表現です。
遅いテンポにだれることなく、フレーズが次々に繋がる、シュナイトさんならではの、緩やかな表現。
まるで、オペラの一場面のような、心に刻まれる名場面とも呼ぶべき楽章です。

もちろん、全曲のどっしりした構成のなかに、しっかりこの楽章はおさまっているのでありまして、伸びやかな歌が、深呼吸したくなるほどに気持ち良い1楽章。
若々しいリズムの刻みと、中間部ののどかな田園情緒がさすがに素敵な3楽章。

そして、当日も驚きだった、終楽章の堂々たる佇まい。
あせらず、あわてず、ゆるやかに、でもどこまでも歌い、音楽を忘れぬ献身ぶり。
本当に素晴らしいエンディングです。
曲が終って、しばしの沈黙ののちに発せられるブラボは、シュナイトさんのものでしょうか。

神奈川フィルや、シュナイトバッハの演奏を通じて、いつも聴いてきたもの。
それは、南ドイツてきな大らかさと、音色の暖かさ、そして祈り。
ここでも、それはおなじ。
ヴァントのような厳しいブルックナーでなく、南ドイツのアルプスの麓にある、ゆるやかなブルックナーで、その山の麓には村の人びとが集う教会があって、親密なオルガンの音色がいつも響いてる。
それは決してうまくはないけど、人の心を引きつけてやまない優しさがあるのです。

昔のレコ芸を見ていたら、ドイツのレポートのなかに、シュナイトさんと、ミュンヘンバッハとの出会いの記事がありました。

1984年、カール・リヒター亡きあと、シュナイトさんを後継者に据えることを決定ずけるマタイ受難曲の演奏です。

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ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場では、さまざまなオペラを指揮することになりますし、前職のヴッパタールでは、ワーグナーのニーベルングの指環を指揮してるんですよ。
びっくりです。

オケには厳しかったシュナイトさん、でもその音楽は優しかった。
いつまでも元気でおられますこと、お祈りしてます。

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2012年7月 7日 (土)

モーツァルト アリア集  佐藤しのぶ&シュナイト

Rebasashi

今は亡き、レバ刺し。

数年前、まだまだご健在のおりにいただいたレバ刺しさまにございます。

そんなに好きではなかったけれど、いまこうして、死滅してしまうと蘇る、あのプリッとした感触に、ゴマ油と生姜との絶妙のコラボレーション。

とろけますね。

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   佐藤しのぶ モーツァルト アリア集

 「フィガロの結婚」  

    1.序曲

    2.伯爵夫人のアリア「愛の神よ」

    3.ケルビーノ「恋とはどんなものかしら」

    4.伯爵夫人「楽しい思い出はどこへ」

 「ドン・ジョヴァンニ」

    1.ドンナ・エルヴィーラ「あの恩知らずは」

    2.ドンナ・アンナ「私はあなたのもの」

 モテット「踊れ、喜べ、なんじ幸いなる魂よ」

   ハンス=マルティン・シュナイト指揮 ベルリン放送交響楽団

                 (1990.1 @ベルリン イエス・キリスト教会)


佐藤しのぶさまは、わたしと同い年、そしてご主人、現田茂夫さんも同い年。
現田さんは、いうまでもなく、神奈川フィルの名誉指揮者で、わたしたち神奈川フィルを愛するリスナーからすると、年一回の定期公演は、垂涎のコンサートとなっておりまして、先般のワーグナーでは、涙ちょちょぎれる名演を聴かせてくれたばかりなのであります。

ですから、このふたりに愛着があったりするんです。

さきのワーグナーの定期公演でも、奥さま佐藤しのぶさまを、まじかに拝見しました。

でも、正直、奥さまのお歌は、いまやちょっと派手ハデしく、ヴィブラートもきつめ。
ゴージャスな歌声は、シンプルでピュアなケルビーノの役柄あたりでは、少し興ざめです。
喜悦と悲しみを歌い込むフィガロの諸役よりは、怒りと情熱のドン・ジョヴァンニのものの方がいい感じに聴けます。
というか、怒りと愛情がないまぜになった、ドンナ・エルヴィーラは、なかなか素晴らしいです。
貫禄たっぷりで、歌のスケールも大きい。
同様に、ドンナ・アンナの大人としての愛を恋人に諭すアリアも、豊かな感情をたたえていてなかなかのものでして、声の揺れもあんまり気になりません。

一方のモテットでは、もっと繊細な軽やかさが欲しいところでしょうか。
しのぶさん、この曲では、そのお声がきらびやかに過ぎますし、立派すぎます。
でも、日本人歌手でこんな貫禄と上から下までの幅広い音域をムラなく聴かせる声をお持ちの方は、この当時他には見当たらなかったのも事実で、しのぶさんは、やはりすごい歌手なのですね。
そして、多彩な声の使い分けも特出です。
しのぶさんの「ルル」を聴いてみたかったな。

ところが、このCDの魅力は別にもありまして、これもまた神奈川フィルつながりで、前音楽監督のシュナイトが、指揮をつとめております。
神奈フィルで、シュナイト師の指揮は途中からでしたが、かなり聴かせていただき、ドイツ音楽のなんたるやをとことん味わうことができました。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ブルックナーの名演の数々は、いまも私の脳裏に染みついております。
 そのシュナイトが、ドイツ的でない、現田さんが磨きあげたキレイな神奈川フィルを振るとき、その美音はそのままに、そこに祈りを感じさせる深い歌いまわしと、低・中・高域とまんべんなく鳴り響く豊かなサウンドにホール中が満ちあふれたものです。

その感じは、ベルリン放送響(いまのベルリンドイツ響)を振ったこの1枚にも聴きとることができますが、しかし、このCDに聴くカッチリした音色より、神奈川フィルで聴いたシュナイト節の方が、数等、上なことも確認できるんです。
だいぶ以前の録音だし、この頃のバッハ演奏も、のちの日本における演奏の方が素晴らしいゆえに、シュナイト翁のピークは、神奈フィル時代といっても支障がないでしょう。
なによりも、日本の風物と、酒と食を好んだ愛すべき翁なのです。

シュナイトは、ドイツ時代はオペラハウスでの活躍も多く、ベルリン国立歌劇場の来日では「魔笛」も振ってますし、ミュンヘンではワーグナーも上演しているんです。
 そんな過去の音源が出てきたら夢のようです。

本日、神奈川フィルは、音楽堂で、モーツァルトのコンサートを行ってます。
仕事があって馳せ参じることができませんでしたが、プログラムは、13管楽器のセレナードにプラハ交響曲という魅力的なものでした。
聴きたかったなぁ~

いつも神奈川フィルのことを書いてますが、首都圏以外の方に、神奈川フィルの現状と、ちょっとだけ演奏風景を見ていただきたいと思います。

カナフルTVという番組です。是非是非、ご覧ください。
残念ながら、わたくしは映っておりませんが。

http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f6546/p18520.html

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2010年8月 7日 (土)

ヴェルディ レクイエム シュナイト指揮

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先週末の、西宮「キャンディード」観劇前に訪問した「アンネのバラの教会」。
アンネの日記につづられた平和と愛への思いを受け継ぐべく設立された教会。
庭には、アンネの立像が立ち、そのまわりには、「アンネのバラ」と呼ばれる黄金に近い色のバラがたくさん植えられている。
もうシーズンは終わってしまって残念。
こちらで見てみてください。

Anne_5
西宮の山の手に建つちょっと可愛い教会。
かなりの坂道を登り、もう汗だく。
でも、ここは高台、さわやかな風が吹き抜けていました。

Verdi_requiem_schneidt
 毎年、夏のこの時期に聴きたくなる曲。
ヴェルディレクイエム
何度も書くことで恐縮ですが、中学の時に、テレビでバーンスタインの指揮する演奏をテレビで観たのが8月で、これがきっかけ。
飛んだり跳ねたり忙しいバーンスタインだったけど、祈るような指揮姿にこそ、レクイエムの本質を見た思いだった。

いくつも音源を揃えたけれど、やはりアバドとスカラ座のものが一番であることは自分のなかで変わりがない。

今回は、見つけたとき、こんなのあったのかと驚いた、ハンス・マルティン・シュナイト指揮のCD。
シュナイト師のイメージは、どうしてもバッハを中心とするドイツの宗教音楽のスペシャリストということになってしまうが、教会の少年合唱団からスタートし、オルガンも修めたことから宗教と教会音楽が身にしみついている事実からである。
そして、急逝したリヒターのあとを継いで、ミュンヘンバッハの指揮者になったことも、そのイメージを強める事実であろう。

でも、シュナイト師は、オペラ指揮者としても活躍したし、コンサート指揮者としてもいろんな録音を残しているはずだ。
そして、我々がよく知っているシュナイト師の顔は、日本を愛した滋味あふれる姿である。
時に厳しすぎて、演奏者を震え上がらせたらしいけれど、出てくる音楽はいつも優しい歌に満ちあふれ、聴く者を大きく包みこんでしまうような大人であった。

    S:シャロン・スゥイート    Ms:ヤルド・ファン・ネス
    T:フランシスコ・アライサ  Bs:サイモン・エステス

  ハンス・マルティン・シュナイト指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
                       ミュンヘン・バッハ合唱団
                       フランクフルト・ジングト・アカデミー
                         (1988.10.30@ミュンヘン)

この演奏は正直素晴らしい。
イタリア人が一人も見当たらない演奏であるが、ここにあるのはまぎれまない歌心と真摯なる祈りの音楽であり、たまたまそれはヴェルディの音楽であることにすぎない。

だからもっともヴェルディ的な、インジェミスコではテノールのアライサは押さえに抑えられていて、清潔な歌に徹しているのが面白い。
華やかなサンクトゥスも、流線的な流れるような解釈で、少しも浮つかない。
よって、多くの聴き手が期待する、怒りの日の爆発力とドラムの迫力は、ここではおとなしめで、足音はドタドタするけれど、少しも威圧的じゃない。
次ぐトゥーバ・ミルムでは、ラッパの付点が感じられるような特徴的な吹かし方で、まさにくしきラッパを思わせる克明なもの。迫りくる地獄の裁きをいやでも感じさせる迫力も次いで現出する。

ゆったりとしたラクリモーサは、重い足取りで涙にくれているようだが、音色は不思議と明るい。そしてアーメンをもう止まるくらいにじっくり歌う。
哀れなる我、レコルダーレ、ルクス・エテルナ・・・、これら、ヴェルレクの中でも美しい場面は、それこそ歌と温もりに満ちていてずっと浸っていたい耽美すれすれの演奏。

劇的な解釈や抒情的な場面は、聖句の意味するところに重きを置いて施しているようで、こうすることによって、ヴェルディの歌心が不思議とシュナイト節と渾然となってしまい、ユニークなレクイエムが出来あがっているのだ。

女声ふたりは素晴らしいし、バランスもいいが、アライサは苦しそうだし、エステスはちょっと異質で時おりオランダ人が顔を出すのがおもしろい。
合唱の精度はもう完璧です。さすがにミュンヘンバッハ

壮絶でやや重いリヒターの演奏と比べ、少し歌に傾きすぎるくらいに祈りをそこに乗せてしまいヒューマンな演奏としたシュナイト。
ヴェルレクは、どんな演奏でも素晴らしい。

Anne_4_2 

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2010年5月12日 (水)

ブラームス ドイツ・レクイエム シュナイト指揮

Megumi
澄み切った青い空に十字架。
平安を心に呼ぶ容としての十字架は、均整のとれた人間の容ともとれるから安心感も生まれる。
仰ぎ見るとき、宗教観は関係なく落ち着きある存在として感じるのは私だけではないかもしれない。
 この教会は、私が通った海のそばの幼稚園併設のもの。
耳を澄ますと、潮騒の音、風に揺れる松の樹の音が聞こえたものだ。
1960年代、高度成長期の可能性にあふれた時代。
テレビはまだ白黒が主体の頃でありました。
帰りたいな、あの頃に。
日本も青年期を迎える前だったな・・・・。

Brams_ein_deutsches_requiem
プロテスタントのレクイエムといえば、ブラームス
典礼としての死者のためのミサ曲=レクイエムのラテン語の世界から、聴衆に身近なドイツ語によるコンサート作品としてのレクイエムを書いた。
篤信家であると同時に、音楽への忠実な僕であったブラームスらしい真面目な「ドイツ・レクイエム」。
敬愛するシューマンの死をきっかけとして、また完成を後押ししたのが、愛する母の死。
でもそうした要因がなくても、ブラームスはこの曲を書いたであろうと思われるし、それほどに、ドイツ人としての音楽家魂の発露にあふれている。

 イエスの名前や復活という言葉を歌わないレクイエムは、聴く機会に特別な状況を選ぶことがない。
どんな時も、安らぎと平安をもとめて聴くことができる。
 そんな通常のレクイエムから離れたメッセージ力をもっている特別なレクイエムを書いたのは、シューマン、ディーリアス、ブリテンなどでしょうか。

この渋くも、味わい深い「ドイツ・レクイエム」が、ブラームス24~35歳で書かれたのは驚きで、例によって時間をかけて悩みながらの作曲ぶり。
ブラームス自身がルター訳の聖書から選んだその歌詞を、この曲を聴きつつ読み進めるとやたらと感動し、涙さえ出てくる。
それは、宗教を超えた、人間存在としての普遍の言葉であり、心にどんどん染み込んでくるんだ。

Ⅰ「悲しんでいる人たちはさいわいである。彼らは慰められるであろう」
Ⅱ「人はみな華のごとく その栄華はみな草の花ににている
  草は枯れ 花は散る」
Ⅲ「主よ、わが終わりと わが日の数のどれほどであるかをわたしに知らせ
     わが命のいかにはかないかを知らせてください」
Ⅳ「あなたの家に住み 常にほめたたえる人はさいわいである」
Ⅴ「このように、あなたがたにも今は不安がある
     しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう」
Ⅵ「この地上に永遠の都はない 来たらんとする都こそ
     わたしたちの求めているものである」
Ⅶ「彼らはその労苦を解かれて休み そのわざは彼についていく」


どの楽章も、素晴らしい旋律と歌にあふれていて好きであります。

のオーケストラの静かで大らかな開始のあとに、歌いだす「悲しんでいる人は・・・」の合唱。それがだんだんと盛り上がりを見せて、やがて明るく安らかな雰囲気を醸し出してゆく。全曲のエッセンスのような楽章。オーボエが美しい。
の十字架を背負うかのような重い足取りの音楽もよいが、において登場するバリトンの神妙で切実な歌が好きで、ここは歌い過ぎると軽々しいアリアのようになってしまうところが難しいところ。後半の壮麗なフーガとの対比も見事な音楽。
の抒情的で優しい合唱に心なごまぬ方はいますまい。
、天国的ともいうべき無垢のソプラノ独唱。
は、他曲の怒りの日と比べると壮絶さはないが、それでも全曲の中で一番ドラマテックな場面が展開し、バリトンも劇的なものだ。ここでも終結部のフーガがやたらと感動的。
Ⅶ、この独特のレクイエムを完結するに相応しい平安に満ち足りてくる安堵の世界。

今日は、シュナイト師と師のもとに集まったシュナイト・バッハ合唱団・管弦楽団の2008年4月のライブ録音で。
この演奏会場に、私もいました
その時の感動は、聴き終わって一献傾けて、家に帰っても、そしてその翌日もずっとしばらく、さらに次の日もずっと、じんわりと継続するたぐいのスルメ系のほのぼの演奏であった。
この時は、コンマス石田様をはじめ、神奈川フィルのメンバーが主力のオーケストラで、長年シュナイトさんを奉じて歌ってきた合唱団とともに、親密で信頼感に満ちた演奏が繰り広げられたものだ。
 その時の雰囲気をそのままに、CDだけにその精度はさらに高まっていて何度聴いても完璧な仕上がり感を強く持つことができて、この名曲名演を手元に置くことができる喜びはまったくもって尽くしがたいものがある。
シュナイト師ならではの、明るい基調と歌心、そして言葉の意味に深く根ざした祈りの音楽。
ライブの感銘がなかなかCDには収まりにくいシュナイト師の音楽だけど、この1枚はホールの響きもうまく取り入れ、指揮者の唸り声までもまともに捉えた雰囲気豊かなものに仕上がっている。

   ブラームス    ドイツ・レクイエム

          S:平松英子    Br:トーマス・バウアー

    ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                          コンサートマスター:石田泰尚
                                                                      シュナイト・バッハ合唱団
                           (2008.4.5 @オペラシティ)

過去記事

「シュナイト&シュナイトバッハ」
「シュナイト&神奈川フィルハーモニー」

「尾高忠明&札幌交響楽団」

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2009年12月25日 (金)

ヘンデル 「メサイア」 シュナイト指揮

Azabu3 都心のカトリック麻布教会。

六本木と西麻布の中間。
こんな静謐な教会がひっそりとあります。

平日に伺ったが、この日も、集会が開かれておりました。

場所柄、結婚式などにも利用されているけれど、平常の宗教心が根付く教会は清々しいものだ。
ヘンデルは、英国国教会。
シュナイトさんは、プロテスタント。
同じキリスト教でも、三様となってしまった本日であります。

Messiah_schneidt ヘンデル「メサイア」は、邦名は「救世主」。
最近は、こんな風に決して呼ばれない。

私が、初めてこの曲を聴いた頃は、「救世主」だった。
そして、サブタイトルとして「メサイア」になってた。

またまた昔ばなしだけど、この作品のレコードは、ほんと限られていて、70年代前半では、クレンペラー、リヒター(独語版)、ビーチャム、サージェント、デイヴィス、シェルヘン、バーンスタイン、オーマンディ、ゲール、リヒター(英語版)などなど。
ほんと、限られていた。
ところが今や、古楽器によるもの、ピリオド奏法によるもの、コンサートスタイルによるもの、宗教感あふれるもの、などなど、百花繚乱。
数にして、100以上の録音があふれるようになった。

演奏の多様化がもたらしたという意味では、バッハも同じ。
でも、英語という万人的なテキストに加え、ハレルヤ・コーラスを代表とする合唱音楽として、アマチュアをはじめとする我々への歌える素材としての存在も極めて大きい。

ヘンデルは、合奏協奏曲とかオルガン協奏曲がよく聴かれていたけれど、最近は、オラトリオやオペラの興隆が著しい。
ことにオペラは、斬新な演出が施されて、世界中で上演されるようになった。
ヘンデルは、オペラとオラトリオの人なのであります。

1742年にダブリンで初演されて以来、メサイアは英国で爆発的な人気を呼び、すぐにヨーロッパ諸国へ広まっていった。
 歴史劇を扱うオラトリオであれば、主人公や登場人物たちがしっかり登場するのであるが、「メサイア」は登場人物のいないオラトリオであり、イエスは3人称で語られる。
詩篇や福音書、手紙などからテキストを得て、3つの部分はそれぞれ、「預言と降誕」「受難と復活」「栄光・救いの完成」となっている。
内容は、かなり宗教的なのである。
 そして、クリスマスシーズンに相応しいのは第1部だけとなるが、無宗教のなんでもありの国民が、キリストのことを音楽を通してだけでも考えてみるのに、最良の音楽であろう。

こんな超名作に、愛するハンス・マルティン・シュナイトの日本での演奏の音源が残されていることが、極めてうれしい。
今年は、シュナイト師が日本において、その指揮棒を置いて引退した年である。
手兵神奈川フィルとの渋いが、充実を極めたブラームスとブルックナー。
そして、エヴァンゲリストに自らなってしまったかのようなヨハネ。
横浜で不調を押して指揮した壮絶なシューマン。
オペラシティで、元気に登場して神がかり的なロ短調ミサを聴かせてくれた9月。

音楽を愛する者として、生涯忘れえぬ体験をさせていただいたことに、感謝の想いしかない。

そのシュナイト師が日本でずっと合唱音楽を指揮し続けるようになったのが、師の名前を冠したシュナイト・バッハ管弦楽団と合唱団の結成だ。
1998年に、東京フィルハーモニーを母体に、コンサートマスターの荒井氏が中心となって結成され、東フィルから神奈川フィルを交えて、シュナイト師の意思を貫いた有機的なオケと合唱団として活動した。
それが今年のシュナイト指揮による「ロ短調ミサ」によって活動の幕を下ろしたのである。

       S:田島 茂代    Ms:寺谷 千枝子
       T:辻 裕久      Br:河野 克典

     ハンス=マルティン・シュナイト指揮 
                シュナイト・バッハ管弦楽団/合唱団
                          (2000.12.4@みなとみらい)

シュナイト・ファミリーともいえる歌手の皆さん。
素晴らしいの一言。
リリカルで清純なソプラノの田島さん、輝くばかりに深みがあって、ビロードのようなメゾの寺谷さん、英国音楽の徒・辻さんの日本人離れした透明感ある声、日本のFD=河野さんの瑞々しいバリトン。

合唱も薫陶よろしく、よく歌いこんでいて見事であります。

そしてシュナイトさんの、音楽の呼吸のよさはどうだろう。
演奏者にも聴き手にも、理想的なテンポ設定で、どこをとっても心地よい。
この時分では、まだあの極端なまでにゆったりとしたテンポはとられておらず、ジャケット写真を見ると、立ったままの指揮ぶりで、ときおりドタドタと足を踏みならす音が盛大に収録されているのもご愛敬。
シュナイトさん、元気すぎ。
 メサイアは合唱曲も素晴らしい曲が散りばめられていて、その言葉ひとつひとつ、音符のひとつひとつに心が込められていて、そのこだわり具合にこそ、シュナイトさんの本領が聴いてとれる。1部の明るさ、2部の痛切感と深淵さ、3部の荘厳。

2部から3部が、シュナイト・メサイアの真骨頂であろうか。
音楽の緩急が激しくなり、かなり熱を帯びてきて、ハレルヤコーラスとアーメンコーラスでそれぞれ爆発する。
 ライブでそこに居合せれば、手に汗握って興奮してしまったことであろう。
シュナイトさんの音楽は、やはりライブが一番。
CDには収まりにくい音楽なのであろう。
それでも、このメサイアの完成度の高さは、ソリストの素晴らしさも相まって、相当なもの。
大切なCDが、またこうしてひとつ生まれた。

Azabu1

カトリック麻布教会のステンドグラス。

Azabu_church4 

昼間の様子。
まぶし~い。

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2009年9月 5日 (土)

バッハ ロ短調ミサ曲 シュナイト・バッハ合唱団/管弦楽団演奏会

Opera_city オペラシティ・コンサートホールにて。

シュナイト・バッハ合唱団の最終コンサート。
指揮はもちろん、ハンス・マルティン・シュナイト師。
曲は、バッハの「ロ短調ミサ曲」。

そして、シュナイトさんのこれが引退コンサートとなる。
チケットは完全ソールドアウト。

Schuneidt_bach 今年、5月の予定が延期され、今日を迎えた演奏会。
その5月といえば、シュナイトさんを2度聴くことができた。
1回目は、コーロヌーヴォへの客演で、「ヨハネ受難曲」。この時はとても元気で、シュナイトさんらしい、心に染み入るバッハを聴くことができた。
そして2回目は、退任した神奈川フィルとの最後の共演、シューマンだった。
体の不調が伝えられるなか、人生でめったに出会うことのできない壮絶なものだった。
そのとき、もしかしたらもうシュナイトさんには、もう日本で会えないかもしれないと感じた。

でも、そんな心配をよそに、現れたシュナイトさんは、とても元気そうで、バッハの大曲の長丁場、終始力のこもった指揮ぶりであった。

長いけれど、引用します。プログラムによると、「音楽活動から引退する時は、バッハに心からの感謝を捧げて、ロ短調ミサ曲を演奏したいと思っている。その時がいつになるかわからない。もし自分の名前を冠した世界で唯一つのシュナイトバッハ合唱団で演奏することが出来たら、それは神が私の心を知って準備して下さったことと思いたい。」と、シュナイト師はいつの日か伸べられたという。
 私が日本でのシュナイトさんを聴きはじめて、まだ日は浅いのだけれど、そんな師の述べられた最後の演奏活動のその日に立ち会うことが出来たということは、私にとっても、それこそ感謝すべきことに思われ、ミサ曲の間中祈るようにして聴き入ったのです。

プロテスタントのバッハが残したミサ曲の最大傑作、「ロ短調ミサ」は、多くの方がそうであるように、私も、カール・リヒターの録音を通じて親しんできた。
それは、かの「リヒターのマタイ」と同じくして、峻厳で妥協を許さない孤独の中に神と真剣に向き合ったかのような演奏で、この曲のイメージをそんな風にしっかりと植えつけてしまうものだった。
あと気にいった演奏は、ヘリヴェッヘの爽快で優しい視線をもった古楽演奏。
そして今や、速いテンポを貫き軽快に演奏するスタイルが主流となった。
それらはそれで、清新だし垢をすっかりそぎ落としてピュアな音色でとてもよい。
でも、そぎ落とされてしまったものの中には、われわれが何十年もずっと親しんできた大事ななにか、そう、「歌」心があるはずなのだ。
 その「歌」を思い起こさせてくれたのは、アバドがベルリンフィル時代に演奏したロ短調で、古楽の奏法を取り入れながらも、美しい歌うバッハだった。(FM放送)

前置きばかりになったけど、シュナイト師のバッハには、師の演奏のたびごとに書いていることだが、祈りと歌がある。
遅いテンポを取りながらも、そこにある歌心がその遅さを極端なものと感じさせず、抑えに抑えたピアニシモでも優しい歌があふれている。
この日のバッハでも、そうした「シュナイト節」が随所に聴かれた。
 そして、歌にある言葉への思い。
ミサ曲だからラテン語の典礼文であるが、その一語一語を自ら歌いつつ、噛みしめるように指揮をしている。
そして、お顔の表情もいつに増してとても豊かだった。
厳しいばかりでなく、にこやかに微笑みながら指揮をされている。
そんな場面では、合唱の方々も同じようににこやかに歓喜の表情で歌っている。
演奏者が指揮者のもとに、完全に一体になってるのが痛いほどによくわかったし、結果として全員でバッハの音楽に奉仕している。
われわれ、聴衆も頭を垂れるようにして、この素晴らしい音楽に聴き入るのみ。

      
      S:平松 英子   Ms:寺谷 千枝子
      T:畑 儀文    Br:戸山 俊樹

   ハンス=マルティン・シュナイト シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団

                           (9.4 @オペラ・シティ)

オーケストラの傷はいくつもあったが、そんなことはもうどうでもよくなった。
極めて贅沢な欲を言わせていただければ、これが神奈川フィルであったなら、と。

印象に残った素晴らしい場面。

 1.ともかくこれまで聴いたことがない、超遅のキリエ・エレイソン。

 2.グロリアの中の素晴らしい独唱曲
   ①ソプラノとメゾの素敵な賛美、平松さんと寺谷さんのシュナイト秘蔵っ子の、
     素晴らしいコンビ。溶け合う声が見事に決まる。
   ②フルートを伴ったソプラノとテノールの二重唱(フルート難しすぎ)
   ③オーボエダモーレのオブリガートソロ付きの伸びやかなメゾの歌
   ④ホルン・ダカッチャ付きのバスの技巧的な歌。戸山さんの美しいバリトン。
    (ホルンがこれまた難しい)

 3.ニケア信経の中の合唱の気分の移り変わり
   ①イエスがマリアから生まれる~神秘的な合唱でオケが同じフレーズを繰り返す
                       背景のオケの美しさといったらなかった。
   ②イエスの架刑~淡々としたオーケストラ、悼むような合唱が静かに終わる。
   ③復活、昇天~前曲とうってかわって、爆発的な喜びに満たされる。
             みんな笑顔。
   ④洗礼への信仰告白~フーガのように合唱がオルガンを中心とした通奏低音の
                  上で歌う。ここでも最後は、極めてボリュームを落とし、
                  密やかな胸の内を歌うかのようなアカペラ風になり、
   ⑤来るべく世を待ち望む~次いでまた、歓喜大爆発となる。
                    喜ばしい金管にティンパニ!

 4.その喜びの感情のまま、聖なる方を称えるサンクトゥス。
   合唱の連続で、このあたりになると疲労も出ようが、シュナイト・バッハ合唱団の
   素晴らしい歌声は輝きを増してきた。

 
 5.サンクトゥス、ホザンナ、ベネディクトゥス、アニュス・デイ
   ①いと高きところにホザンナ!~2回繰り返される明るい合唱
                       オケと合唱のバランスを見ながらの指揮
                       指揮棒2本?
                     一本は、繰り返しのホザンナ用に譜面にはさんで。
   ②ベメディクトゥス~バッハ特有の神への思いが、甘味なまでに感じられる名品。
               フルートと通奏低音、テノールソロの素晴らしい世界。

               畑さんのソロは素晴らしすぎて言葉もない!
   ③アニュス・デイ~このミサ曲のなかで、もっとも美しい曲に思う。
              メゾソプラノの痛切の極みといってもいい歌は、聴いていて涙が
              滲んでしょうがなかった。シュナイト師の秘蔵っ子のひとり、寺谷
              さんの深くも、けど情に流されない名唱が胸に沁みる・・・。
   ④ドナ・ノーヴィス・パーチェム~「私たちに平和を与えてください」
               シュナイト師のエンディング・マジックがここで大展開。
               遅い、そしてどこまでもクリアな響き。
              指揮棒を置き、祈るような仕草でバッハの音楽を慈しむように指
               揮するその後ろ姿を、私はしっかりと脳裏に焼き付けようと、そ
               れこそ両手を組み祈るような思いで聴いた。

   
   曲を閉じて、全員ともに、微動だにしない。
   シュナイト師は祈りの姿勢のまま。
   ずっと静寂のまま。
   こんな瞬間を、これまで何度経験できただろう。

   この緊張感にあふれた「間」を、もうシュナイト師でもう味わうことができないのかと
   思ったら、急に切なくなってきた。
       

こうして、15分の休憩をはさんで、演奏時間は2時間30分。
時計はもう、10時!
手持ちのリヒター盤は、2時間1分。
少しも弛緩を感じさせない、充実の極みの150分間。
シュナイト師は楽員たちを大いにねぎらい、合唱団の中に入っていって握手をくみかわしている。
最後だからって、おセンチになったりしない。
明るいお別れは、とても気持ちのよいもので、南ドイツ人らしいシュナイト師ならではでなかろうか。

聴衆の熱い拍手を制し、一言。
おなじみの通訳、大矢さんが舞台袖から慌てて走り出してくる。
「この曲の最後にあるパーチェム、平和、という言葉が一番重要。世界は争いが絶えないけど、日本人の仏教の心が平和を一番実現するのではないか・・・・」というようなことをお話された。篤信家らしいシュナイトさんでした。

シュナイトさんのこれまでの日本での活躍に感謝するとともに、ドイツでいつまでも元気にお過ごしくださるように切に祈ります。
1930年生まれだから、まだまだ若い!

それと切に希望したいこと。
氏の音源の復活。
古い音楽雑誌を見ていたら、監督を務めていたヴッパータール歌劇場で、「ニーベルングの指環」を指揮してるじゃないの。1984年のこと。
そんなシュナイトさんの埋もれた音源も発掘して欲しいものであります。

さて、長大なコンサートのあとは、神奈川フィルでいつもお世話になっているメンバー数人と、居酒屋へGO。
入店の注文が即ラストオーダーという厳しい状況にありながら、しっかり飲みました。
素晴らしい演奏のあとは、ビールも体に沁みます。
お疲れさまでした。

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2009年5月17日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 シュナイト音楽堂シリーズ

Schneidt_schumann20095 これまで、何度も感動の涙を流してきたシュナイト&神奈川フィルの演奏会。
でも今回は、これまでの涙と違う。

17回目を数えるシュナイト音楽堂シリーズのシューマンチクルス最終回の公演を聴く。
ハンス=マルティン・シュナイト師が神奈川フィルを指揮をする最期の演奏会に、万感の思いをいだきつつ紅葉坂を上って県立音楽堂へ。

ホールに着き次第、いつもお世話になってますyurikamomeさんから、一昨日、シュナイトさんが倒れ救急車が呼ばれたそうです、というショッキングな出来事をお聞きした。
一週間前のヨハネでは、あんなに元気そうにイキイキと指揮していたのに・・・・。

   シューマン 「マンフレッド」序曲

           ピアノ協奏曲
            Pf:ダニエル・シュナイト

           交響曲第4番
 
        (5.16@神奈川県立音楽堂) 
 


今度は不安を抱えつつ席に着き、神奈川フィルの出を待つ。なかなか出てこない。遅れること10分、メンバーが登場し、前回より始まった全員揃って挨拶が行われ、やがてシュナイト師登場。
一週間前と違う。
歩みが遅い。
そして、不安の中始まった「マンフレッド」序曲は、やはり極端に遅いテンポ。ただでさえ掴みどころのないシューマンなのに、もやもやとして音の焦点が定まらず決まらない。
バイロンの書いた主人公マンフレッドの苦渋は晴れることはないが、その音楽がやや明るい兆しを見せるあたりから、もやもや感が取れてきて、音楽がしっかり歩みだし、シューマン独特の幻想の世界にこちらも浸ることが出来てきた。
それにしても遅い。
でも、しっかり歌があって、ホールの温もり感も手伝って、ふくよかな響きであるところが、このコンビの素晴らしいところ。
憂愁の雰囲気のまま、曲が静かに閉じ、時計を見るとほぼ18分!
指揮台を降りるときに、足元がおぼつかず一瞬危なかった。

さて、次はシュナイト・ジュニア、ダニエル君との親子共演によるピアノ協奏曲
私の席の斜め前には、その母上、すなわちシュナイト師の奥様がいらっしゃって、それこそ膝の上で手を合わせたりしながら、もう心配そうに、でもうれしそうに聴いてらっしゃる。
冒頭から当然ながら親父ペースで、そこに必死に着いて、いや先走らないようにしている、息子。どうもしっくりかみ合わない。
でもオーケストラは、鈴木さんの素晴らしいオーボエをはじめ、煌めくようなヴァイオリンの音色、そうすっかり耳に馴染んだ神奈川フィルが、幸せな時期のロマンあふれるシューマンを奏でてゆく。
オーケストラもソロと同等に雄弁に書かれているから、このまま最後まで楽しめるな、と思った3楽章。ダニエル君は止まってしまった・・・。
もうこうなると、聴く私たちも、「頑張れ」と念じる一方で、冷静さを失ってしまう。
まして、前にいらっしゃる母上のお気持ちたるや。親父も、どうしたのだ?と振り返る。
それを救ったのが、コンマス石田氏。区切りよい「出」をさっと引き出しオケとソロをリードして再開。曲をなんとか終了させた。
まだ22歳の紅顔の青年ダニエル君。この競演を、楽しみにしていた親父も残念であったろうが、まだまだこれから。父の愛した日本でも、頑張って活躍して欲しいもの。
 でも、ここでの心ないブーイングは状況からしていかがなものかと・・・・。

シューマンのこの曲は、「同じようなフレーズが何度も繰り返しされるものだから、不明になってしまう」。休憩時間に、schweizer Music先生にお聞きした。
なるほど、以前も若いピアニストが3楽章で事故を起こしたのを聴いたことがある。
難しい曲だし、シューマンは手ごわい。

楽しみにしていたのが第4交響曲
じっくりとした巨人のような歩みによるこんな演奏をかつて聴いたことがない。
そして、指揮者の意志に奉仕するオーケストラの強い思いの結実を目の当たりにすることができた。
いつも以上に棒の動きが見にくい。後ろで見ていてどこで出るんだろうと心配になるようなものだが、オケはしっかりついてくる。
2楽章ロマンツェの、オーボエ、チェロの素晴らしいソロに、繊細なヴァイオリンソロが加わり、演奏はここで一気に締まった感があった。
でも続く3楽章のトリオでは、いまにも止まりそうな様相を呈するが、石田氏が体を目一杯使ってリードしてゆく。
シュナイト師の背中がこのあたりから、斜めに見えてきた・・・。
終楽章、あぁ、思いだすに痛々しい後ろ姿。そして、必至に全霊を込めつつ演奏をするメンバーひとりひとり。その胸中はきっと心配でならなかったであろう。
私は、皆さんの姿を心に刻みつけようと瞬きもせずに見入り、聴き入った。
でも、正直気が気でなく、コーダの熱狂に突入しても耳も心も上の空的な状態。
最後の音が鳴り終わり、一瞬の静寂後、指揮者に駆け寄る前列の奏者たち。
袖から舞台スタッフも足早に登場して、抱きかかえられるようにシュナイト師は舞台を下がった。前列の奥様も、すぐに客席をあとに。
 何が起こったか、切れぎれの光景しか覚えていない・・・。
私は気がついたら涙を流していた。
オーケストラは立ち上がり大拍手に一礼して、舞台を去った。
私たちは全員スタンディングで、人のいないステージに拍手を送った。
車椅子を嫌ったのであろうか、シュナイト師は椅子に腰かけて舞台袖に姿を現わし、私たちの感謝の声援に手を振って応えてくれた。
あまりにも悲しい充実した名コンビとの別れ、でも素晴らしい名演の数々を残してくれたことに、心の底からの感謝の念が湧きあがってきて、涙が溢れた・・・・。
同じ気持ちに包まれていた会場。素晴らしい音楽を同じ空気で共有することの喜び、ここに満たされリ。

シュナイトさん、ありがとう。
これからも、どちらへ舵をきろうと、神奈川フィルを応援して行きますよ!

Noge_chinise アフターは、野毛の味のある中華料理店で、神奈川フィルを愛するメンバーの方たちと、楽しいひとときを持てました。
この集いはまさに「シュナイト卒業式」でございました。
そして、おいしい中華料理も終わってしまった、の図。

途中、シュナイトさんの容態はさほど悪くなく元気、との報も入りひと安心。
今回も皆様、お世話になりました。

Momijizaka 県立音楽堂近くの、「紅葉坂教会」。

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