カテゴリー「歌入り交響曲」の記事

2008年11月29日 (土)

ベートーヴェン 交響曲第9番 マリナー指揮

2 年々大仕掛けになる、クリスマス・イルミネーション。
どこへいっても、カメラを手放せない状態だ。
設営費用も、電気代もきっと大変だろう。
でも、夜好き、イルミネーション好きのワタクシは、この時期が一番ワクワクする。

暗い世相と、閉塞感に満ちた毎日を、少しでもキラキラさせて欲しいもの。
そんな気分で、今晩もカメラ片手にさまよう筆者でございます。
夜も忙しいです。
こちらは、名古屋駅のJRタワー。

Beetihoven_sym9_marriner 歌入り交響曲シリーズ、いよいよ最終回。
これを取り上げずしてなんとする。
ベートーヴェン第9から始まった、歌入り交響曲のジャンル。
もう何をか言わんかである。

死を3年後に控えた1824年、54歳で作り上げた人類史上もっとも偉大な音楽作品のひとつ。
 ゲーテやシラーを敬愛したベートーヴェンは、シラーの「歓喜に寄す」に曲を付けた表題的な「ドイツ交響曲」の作曲を練っていたが、ロンドンのフィルハーモニック協会から8番に次ぐ新作の交響曲の依頼があったことで、9番目の交響曲に「ドイツ交響曲」のプランを導入して、これまでにない大交響曲に仕立てようと決心した。
こうした経緯や、初演の感動的なエピソードは、いまさら皆様ご存じのことばかり。
「第9」といえば、日本人だれでも知っている。ただそれも、終楽章の旋律だけで、「第9」に魅かれて演奏会に行くと、3楽章までは完全に休眠状態。
かくいう私の父も、息子にせがまれて、カラヤンの第9の映画を引率する立場と相成り、爆睡親父と相成った。バリトンの一声で、ビックリ起きるパターンであった・・・。
 ついでに言うと、その映画はクルーゾー監督のモノクロ第5と、ルートヴィヒやトーマスが歌った古い方の第9で、厚生年金会館での上映。目をつぶって指揮するカラヤンに憧れてしまい、家でも目を閉じて、小枝箸を振り回す小学生であった・・・・・。

モーツァルトが、もう少し生きていたら、歌入りの交響曲を書いたであろうか?
ベートーヴェンとの違いは、職業作曲家としての職歴だけかもしれない。
作曲家の職業が市民社会に、しっかり認知されるまで、モーツァルトが生きていれば、さらにすごい交響曲や、オペラが生まれていたことあろう。
そんな風に考えることも、音楽史はとても楽しい。

私が子供のころは、第9は年末しか演奏されず、冒しがたい神聖なものでもあった。
年末には、岩城&N響、小沢&日フィル、若杉&読響の第9競演が華々しかったが、小学生の私は、紅白の裏番組の教育テレビの第9放送のチャンネル権を奪取するのが大変だった記憶がある。
 いまや、第9は、参加し歌う時代にもなった。
歌入り交響曲の金字塔は、やはり第9であろうか!

シリーズ最後を飾る演奏は、サー・ネヴィル・マリナーの指揮である。
こんな肩すかし、お怒りにならないで欲しい。
マリナーの第9など、誰が好んで聴いているだろうか。
この演奏、マリナーと聴いてイメージするとおりのものである。
ロンドンのウォルサムストウの響きの良さはあるものの、オーケストラは人数を刈り込まれた室内バージョンのアカデミーである。
初演時の編成を重視したとある。
合唱も小回りの利くサイズで、オケ、合唱とともに透明感とすっきり感が際立って聞こえる。
当然に、苦渋の漂う1楽章のイメージはなく、楽譜そのものを音にしてみました的な雰囲気で、間のとりかたもアッサリ君そのものである。そこが、ワタクシには新鮮である。
 第2楽章は、隅々までがしっかり聴こえる見通しの良さが引き立っている。まさにスケルツォ的な、大交響曲を感じさせないところがワタクシには好ましい。
 第3楽章は、この演奏の白眉であろうか。ここでもサラサラ感は止まらない。ロマン派に完全に足を踏み入れたベートーヴェンの音楽だけれども、そんなことは別次元といわんばかりに、音符だけをそのまま音に乗せてしまったマリナー。すっきりと気持ちの良い演奏は良質な最上級のミネラル・ウォーターを飲むかのよう。私のドロドロ血液も、これで耳から効果で、サラサラに。
 威圧感や切迫感のまったくない終楽章の出だし。歓喜の歌の創出までクリアで明確な運び。低弦で現れるその歓喜の主題も、全然普通に奏され、変にppにしたり演出ぶることもなく、各楽器に受け継がれて盛り上がる様もごく自然で、むしろ何のこのはない。
だから、バスのサミュエル・ラミーのあまりに立派すぎる歌声に戸惑ってしまう。
独唱陣の豪華さは、並みいる第9の中でも随一であろう。
オペラ歌手ばかりを取りそろえたその意図は、マリナーの音楽にはたして合っていただろうか。唯一、淡泊で蒸留水的なオッターのメゾだけがマッチングしているやに思う。
そんな訳で、歌が入ってきて、このアッアリ第9は、ちょっと様子が変わってしまうが、オケと合唱の紡ぎだす明晰かつ思い入れの少ない響きは終始魅力的で、終結部もあわてず騒がず、興奮もそれなりにきれいに終わる。歌なしのカラオケ終楽章でも面白かったのに。

     S:カリタ・マッティラ     Ms:アンネ・ゾフィー・オッター
     T:フランシスコ・アライサ  Bs:サミュエル・ラミー

             サー・ネヴィル・マリナー指揮
    アカデミー・アンド・コーラス・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
                           (89.4録音)

最後をあっさり飾った「マリナー卿の第9」、私は大満足である。
マリナーのベートーヴェン全集は、今やすべて廃盤。
カラヤンもいいけれど、同じくらい録音をしているマリナー卿に、今一度スポットライトを当てていただきたい。

これにて、歌入り交響曲シリーズはオシマイ。
近世作品にまだ取りこぼしはあるが、自分でも本当に楽しみながら聴いてきた。
人間の声とオーケストラってのは、協奏曲と違ってドラマ性とメッセージ性に満ちていて、とても強い音楽のジャンルに感じた。
さて次のシリーズは・・・・。

3

こちらも名古屋のイルミネーションです。
ビルの壁面の巨大なネオンのスクリーン。

名古屋が凹むと、日本が大変だ。
がんばろう名古屋!

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2008年11月28日 (金)

ベルリオーズ 劇的交響曲「ロメオとジュリエット」 ミュンシュ指揮

Yurakutyo2 色々なことに悲しんでいてばかりもいられない。
そろそろ通常に戻って、シリーズの完結に急ごう。
あともいろいろ企画があることだし。
それにしても色んなことが日々起きて、私を惑わせる。
昨日は、会議があって、あまり面白くない結末に。
当然にその後、むちゃくちゃ酒を飲んだ訳である。
浜松町で焼酎を一本空けて、有楽町で日本酒を数杯。
電車の時間があることで、自己抑止力が効いて電車でウトウトしながら帰宅。
帰宅後、恐るべし、ブリテンのオペラを聴き、かつ記事をしたためながら、焼酎を飲むワタクシ。いったい私の体はどーなってんだ。
もう若くないんだから、自制しないと。

Berioz_romeo歌入り交響曲シリーズ」、取りこぼしの作品を遡って聴いている。
今回は、爆才ベルリオーズ(1803~1869)の劇的交響曲「ロメオとジュリエット」。
ベルリオーズは交響曲と名の付く作品を4つ書いている。
いずれも番号付きの純交響曲でないところが、ベルリオーズらしい。
作曲順に「幻想交響曲」「イタリアのハロルド」「ロメオとジュリエット」「勝利と葬送の大交響曲」の4つ。
そのうち、「ロメオ」と「大交響曲」が歌入りで、ロメオなどは、シェイクスピアの作品をそのまま取り上げた、かなりドラマに付随した音楽となっていて、どこが交響曲?というイメージもある。
独唱3人に、合唱を伴う大規模なもの。合唱は二手に分かれ、モンタギュー家とキャピュレット家を歌い、独唱のうちバスは、ローレンス神父役、あとのメゾとテノールの二人は、進行役的な存在。だから決して、オペラ的でもないし、オラトリオとも違う。
おまけに、オーケストラだけの写実的な場面が、そうとうに雄弁で、それらをつなぎ合わせると立派な交響曲のようになったりもする。

いずれにしても、1824年ベートーヴェンの第9が作曲されてから、15年、1839年にこのロメオは作られているから、それを考えるとベルリオーズの天才性と独創性に驚かざるをえない。ちなみにメンデルゾーンの「讃歌」が1940年だったりする。

ベルオーズはシェイクスピアに相当入れ込んでいたらしく、幻想交響曲の仮想恋人ハリエット・スミッソンはまさに、ジュリエット役で活躍した女優だった。
その最愛の作品をテーマにした劇的交響曲は、経済的な援助も受けた恩人パガニーニに献呈されている。
100分あまりの大作は、3つの部分からなり、さらにそれぞれがいくつかに分けられている。
 1部では、物語の前段として両家対立のありさまや、メゾやテノールの独唱による、物語全体の顛末も歌われるプロローグ的なもの。
二人の愛を称え、シェイクスピアの詩をも讃えるメゾの歌は甘味でもあり、とても素晴らしい。
 2部は、華やかな舞踏会と、そこに忍び込み、愛を交わしあう二人、妖精マブの女王が描かれる。オーケストラだけの部分が多く、極めて魅力的。
美しい愛の情景に、めくるめく舞踏会の場面と熱狂的なマブ女王のスケルツォ。
 3部は、ジュリエットの葬送の情景と、キャピュレット家の墓の前にひとり佇むロメオ、そしてその早合点による自殺。目覚めたジュリエットも後追いをする。
これらは、オーケストラだけで演奏される部分で、かなり雄弁かつ夢想的で、クラリネットの悲痛な叫びにも似た独白、目覚めたジュリエットが傍らにロメオを見出したときの一瞬の爆発的な歓喜。急転直下そこに死を見出した時の、弦の厳しいまでの響きと下降線を描く音型。ベルリオーズの面目躍如たる場面である。
 そして、終曲は、唯一の登場人物ロレンス神父が大活躍。
二人の死の報は、両家を再び喧噪に巻き込む。神父は、両家のためになると思い、二人を結婚させていたことを朗々と歌う。それでも、両家はけしからん、いまいましいと喧嘩ごしである。神父はさらに、二人の死の真相を語り、このままでは両家に罰が下らんと諭すが、まだまだ過去の因縁をあげつらっていがみ合う両家。
ついに神父も、静まれろくでなしどもめ!と大演説をはじめ、ついには両家にも和解の風が吹き、それぞれが敵方のロメオとジュリエットを悼み、讃美する。
「私たちは誓います。すべての怨恨を捨て去り、永遠に友であることを・・・」
 この最後の部分が長大で、全体の緊張感ある凝縮感からすると、やや冗長で持ってまわった感もあるが、壮大ですべての合唱グループが唱和するので、かなりの高揚感を味わえる。
ここを聴くと、いつもワーグナーの「タンホイザー」の終結部を思い起こす。
実際、よく似ている。

この曲に初めて接したのが、75年にブーレーズがBBC響とやってきた時のオーケストラ抜粋の演奏。テレビとFMで繰り返し視聴した。
ブーレーズの整然とした指揮ぶりは熱狂とは遠かったが、愛の情景やスケルツォが本当に素晴らしかった。その後、マゼールとフランス国立管の全曲演奏の来日公演をこれもテレビとFMで楽しんだ。

音源では、ちょっと古くて音も割れ気味ながら、ロマンと熱狂、そして格調に満ちたミュンシュのステレオ盤が素晴らしい。幻想とカップリングで廉価盤となった、超お得のCD。
ボストン響の香り高い響きと、技量の高さ。独唱陣、とりわけハープにのって歌わえる、メゾのエリアスの歌は夢幻的でたまらなく好きだ。

     Ms:ロザリンド・エリアス  T:チェザーレ・ヴァレッティ
     Bs:ジョルジョ・トッツィ

      シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団
                      ニューイングランド音楽院合唱団 
                         (1962年録音) 

Yurakutyo1 大きな街はどこもかしこもイルミネーションだらけ。
植物もかわいそう。

有楽町フォーラムを左手に。

Yurakutyo3 有楽町マリオンの中通路。

  

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2008年11月21日 (金)

マーラー 交響曲第2番「復活」 メータ指揮

1_2実は本日ワタクシ節目の誕生日であります。
若い頃から誕生日には仕事でろくなことがない。
今年も例外でなく、それに加えて周りを取り巻く環境の閉塞感たるやない!
子供の頃は、楽しいことばっかりだったもんだよ。
今の子供たちは、あんまり楽しそうじゃないし、彼らもそれを意識していないし。

でもですよ、私の楽しみは「音楽」にあります。
いくつになっても好きな音楽が聴ける喜び。きっと自分にどんなことが起こっても、この先音楽だけは聴いていると思う。
苦しいときも、悲しいときも、そして楽しいときも、音楽がそこにあった。
これからも音楽の神様、ミューズさま、どうぞよろしくお願いします。

こちらの画像は、名古屋駅のイルミネーション。かなり豪華です。写真撮りまくりです。
夜大好き、イルミネーション大好きのワタクシですから。
そして、酒の神、バッカスさま、これからもよろしくお願いします。
でもそろそろガタのきつつある体も気をつけなくては。皆さんもね。

Mahaler2_mehta

心残りの「歌入り交響曲シリーズ」。
シリーズ当初は、マーラー全曲を終えたばかりだったものだから、あえて省いたけれど、やはりマーラーさまを無視するわけにはいかない。
このシリーズを味わってみて痛感したのが、ベートーヴェンと、そしてマーラーの偉大さ。
マーラーはベルリオーズとはまた異なる次元で、ベートーヴェン後の交響曲の可能性を極めてしまった人に思う。
 それが職業作曲家オンリーではなく、有能な指揮者であり、卓越した劇場のオペレーターでもあったところがまたすごい。
 マーラーは、交響曲と歌曲、そしてオペラを一緒くたにして融合してしまった超人とも思っている。

そのマーラーの歌入り交響曲はここの記すまでもなく、2、3、4、8、大地の5曲。
そして本日はちょっと神妙な気分だから、交響曲第2番「復活」を聴いてみた。

この曲は、マーラーはおろか、あらゆる交響曲の中でも人気のトップクラスにあるであろう。演奏会で取り上げれば、必ず痺れるような感動を味わえるし、それは自宅でCDを聴いても同じこと。
今でこそCDでは、途方もないダイナミックレンジが収録されその再生も容易だけれど、レコード時代は、あまりの大音響に音割れ、へたすりゃ安物スピーカーがハウリングを起こし、音飛びまで危惧しなくてはならなかった思い出がある。
安物の装置でしか再生できなかったから、音響雑誌でみるシステムなどは夢のまた夢。
そんな安物装置の大敵でありながら、一方でうれしいくらいに良く鳴ってくれたのがロンドンレーベルのレコード。
メータの一連のマーラーもそのひとつであろうか。
私はこの演奏を手に入れたのはCD時代になってから。時を同じくして出たアバド&シカゴ響のレコードを先に買ってしまったからである。
このふたつの「復活」はまさに、マーラーの新時代の幕開けを飾った演奏なのだ!
バーンスタインやクレンペラーらの先達がマーラーとともに生きた演奏だったのにくらべ、アバドやメータ、そしてレヴァインは、マーラーを音楽史上の一人の作曲家として素直にとらえた純音楽的な演奏をおこなった。
そのアプローチは今でもマーラー演奏の根底となっていると思うし、様々な解釈を生む源流ともなったのだと思う。
ついでに書くと、ハイティンクは、バーンスタインと同時期にマーラーやブルックナーに熱中していったが、それはコンセルトヘボウとともに楽譜の忠実な再現という基本事項から、その独特の響きを熟成させていったといった、新時代的なマーラー演奏とも異なる次元の存在であったように思う。

今日のCDは、1枚に全曲がすっぽりと納まった徳用ぶり。
千人もそうだが、マーラーほどCDの恩恵を受けている作曲家はいないだろう。
81分あまりの収録で、音割れなどを気にせずに、メータウィーンフィルが作り出す、豊穣の響きに浸ることができる。
ここでのメータは、ともかく自然児のように、大らかにふるまっている。
メータ特有のグラマラスで肉太に響きは、ウィーンフィルの柔らかな音色で随分と緩和されている。鋭角的な指揮をするメータだが、出てくる音楽は角が取れていて、マイルドである。2楽章や3楽章ではそうした響きがとりわけ気持ちよい。
1楽章では、以外にテンポに緩急をつけていて、うごめき立ち上がる低弦は恐ろしく克明で不気味である。アバドの演奏では、この場面、ものすごいデリケートで逆な意味での無気味さがあった・・・・。
鋭さと繊細さのアバド、生々しさと柔和さのメータ、そんな「復活」の対比であろうか・・・。
 ルードヴィヒコトルバスの歌の素晴らしさは特筆もの。
そしてバラッチュ率いる国立歌劇場の言葉の意味をかみしめるかのような見事な合唱。
5楽章の「Bereite dich!」から俄然、音楽は熱を帯びてきて圧倒的なクライマックスに向けてひた走る。そのさまが実に気持ちがよろしい。そこに作為や思い入れがなく、音楽の発露であるところがメータやアバドのいいところだ。

それにしても、このころのデッカ録音は素晴らしく音がいい。1975年の録音で、ロケーションはゾフィエンザール、プロデューサー名にレイ・ミンシャル、エンジニアにジェイムス・ロック、コリン・ムアフット、ジャック・ロウといった、お馴染みの名前が書かれている。
聴き慣れたショルテイの「タンホイザー」や「パルシファル」と同じ響きをこの録音に聴くことも可能だ。

やっぱり、マーラーを取り上げてよかった。気分が少しは晴れ晴れとした。
あとふたつ、歌入り交響曲を補完します。

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2008年11月13日 (木)

グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」 シモノフ指揮

Cosmos 黄花(きばな)コスモスであります。

コスモスは強く、やたらに群生するけど、集まるととてもきれいだ。

でも一本一本は、とても華奢な茎で、今にも折れそう。
そして花はとても可憐で愛らしい。
(オヤジのいう台詞じゃないけれど)
でも、根っこは結構しっかりしてます。

人間も一人一人かくありたいもの。

Gorecki_sym3_simonov

歌入り交響曲シリーズ、終章は、ポーランドの作曲家ヘンリク・グレツキ(1933~)の交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」。
その第2楽章が、BBC放送(?)で繰返し放送されたこともあって、ジンマンとアップショーによるCDがヒットチャート入りしたという話も、最近のことながら、何故か懐かしい。
 あくまで、癒し系の音楽として大いに評価されたから。
今の世の中、さぁといえば、「癒し」を売り物にすることばかりだけれど、その「癒し」の概念も変転しつつあるように思う。
92年頃からブレイクした「悲歌のシンフォニー」は、音楽による癒しというブームを巻き起こした。その前から「アダージョ・カラヤン」とかなんとかで、コンピレーション・アルバムが作り出されていたから「癒し」の下地は出来ていた。
私のようなヘヴィー・クラヲタ・リスナーからすると、ミュージック・セラピーなんて鼻もひっかけないジャンルだけれど、「悲歌のシンフォニー」は癒しなんぞとは全然違う、メッセージ発進力の強い音楽に思う。
 
 クラシック音楽界の癒しは、あいもかわらず、耳ざわりのいい音楽の羅列ばかりだけれど、ドラマや日本の歌々は、リアルに人に涙に訴え、五感を刺激することがトレンドになりつつあるように思える。「篤姫」などはその典型ではないかと。
ともかく、男も女も泣く。あたり構わず泣く。
そして、私も音楽で泣くことにかけては誰にも負けていない。

ペンデレツキと同い年のグレツキは、初期の頃こそ前衛的な作風であったらしいが、アウシュヴィッツ(オシュウェンツィム)生まれだけあって、悲惨を重ねた光景が染み付いているであろう。
調性へ回帰し、中世の典礼音楽やルネサンス期のポリフォニーなども考慮して、独自の響きを希求し、構成も単純化・明晰化するようになった。
明るさと祈りのような音楽、そして単純な音形の繰返し(ミニマム音楽)などがグレツキの音楽の特徴となったようだ。
暗い過去や環境からの脱却を音楽に込めたのかもしれない。

この曲は、1976年の作品。3つの楽章からなり、ソプラノ独唱を伴なう。
第1楽章、コントラバスでうめくように、ささやくように開始される、24小節の定旋律の繰返し。重々しく悲しみに満ちた音楽は、徐々にこちらの胸を締め付けてゆくようだ。
ソプラノが、ポーランドの祈りの聖歌を歌う。聖母マリアの嘆きであろうか。
 私の愛しい、選ばれた息子よ、その傷を母と分かちあい給え・・・・
 私の愛しい恵みよ、あなたはもう私のもとを離れようとしているのだから・・


第2楽章、美しいけれども、あまりにも切なく重い雰囲気が支配する。
ナチスの独房の壁に刻みこまれた祈りの言葉。18歳の女性によるもので、独唱によって切実なムードを伴なって歌われるが、不思議と心休まる音楽・・・。
 お母様、どうか泣かないで下さい。
 天にまします清らかな王女さま、どうか私をお救いください・・・・

第3楽章、この楽章はこれまでの音楽と雰囲気を異にするものだから、違う曲になってしまったのかと錯覚してしまうくらい。普通にオーケストラ伴奏で、独唱が素朴で寂しげな歌を歌いはじめるものだから、「カントルーヴのオーヴェルニュの歌」を思い起してしまった。
ポーランドの民謡だそうな。
これがなかなかに胸を打つ。同じ音形をこれまた繰りかえすオケにのって、クリアなソプラノの歌声が単純な歌を楚々と歌う。歌好きの私も満足のこの楽章。
 亡くなった息子を思い歌う母。
 私の愛する息子はどこへ、きっと蜂起の時に殺されてしまったのでしょう・・・ 

ジンマンのCD以来、本場ポーランドのものを中心にいくつも録音されている。
今日はちょっとひねって、名匠ユーリ・シモノフ指揮のロイヤル・フィルハーモニーの演奏。
爆演系シモノフは、もともと劇場の人だけに、音楽の起伏をしっかり捉えてドラマをしっかり見据えた演奏をする人だ。淡々とした中に、おやっと思わせる聞かせ方があったりして、とても充実した「悲歌のシンフォニー」となっている。
とおり一片のムード音楽などでは決してなく、クラシカルの分野の交響曲のひとつとしての演奏といっていいかもしれない。
シモノフは手兵モスクワ・フィルと度々来日しているけれど、毎度毎度辟易とするソリスト連の冠コンサートで、まったく聴く気もおきない。
単独での来日プログラムを切に切に望みたい!
ソプラノのスーザン・グリットンが同情を込めた歌唱で、私のお気に入りの歌手アップショーの域に達しているかも。

これにて、歌入り交響曲シリーズは完結。
何度も書くけれど、音源が入手できない作品は多数あります。
ロパルツ、アイスラー、伊福部、團伊球磨、柴田南雄、クニッペル、メラルティン、ニストレム、ハンソン、ホヴァネス、シュニトケ、グラス・・・などなど。

でも、今回とりあげなかった心残りがあります・・・・。
時代は、さかのぼりますが次週3作ほど取上げておしまいとしたいと存じます。
乞うご期待・・・??

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2008年11月12日 (水)

黛 敏郎 「涅槃」交響曲 岩城宏之指揮 and 神奈川フィルのこと

Akiu2 秋空が眩しすぎて、黄色い銀杏が飛んでしまった。
バカチョンデジカメの限界。

でも、妙にあっちの世界っぽい雰囲気になった。

我々日本人の生活には、仏教や神道が根付いていて、それを無視しては社会生活を営めないし、主として消費生活の面からは、キリスト教の行事までを取り込んでしまっている。
宗教にこんなにフレキシブルな人種は日本人くらいか・・・・。
それに都合いいときだけ、手を合わせるのも。

Mayuzumi_nirvana_sym 歌入り交響曲シリーズ。いよいよ終盤、日本人作曲家の登場。
歌入りジャパンシンフォニー、誰でも、この曲を思い浮かべるかもしれない。
あとは團伊玖磨か林光か・・・・。

黛敏郎(1929~1997)の「涅槃」交響曲
1958年の作品で、もう半世紀前。

黛敏郎といえば、私には「題名のない音楽会」の司会者のイメージがあまりにも強い。
それと、黛ジュンのお兄さんかと真剣に思っていた時期もあった。
沈着冷静、端正で姿勢も正しい紳士という面影が強く残っていて、氏の語る音楽談義に絶対の信頼を寄せていたものだ。番組で時おりビートルズも取り上げ、賞賛していたのも私の意に大いにかなうことだった。
長じて、氏が右寄りだったことがわかり、おいおいちょっと待てよ・・・、ということにもなったが、N響の放送で、「饗宴」や「涅槃」「曼荼羅」などを聴くにつけ、そうした存在よりは極めて日本人的な名作曲家という思いを強くしていったものだ。

こうした音楽になると、CDの解説しか頼るものがなく、いくつか引用させていただく。
黛敏郎は、日本人の自然や宗教観を重く捉え、「梵鐘」の響きを解析し、それをオーケストラの響きに置き換えた。57年の「カンパノロジー」という作品。
それを第1楽章に引用し、さらに「声明」という人声を取り入れることで「梵鐘」と溶け合うようにした。それがこの交響曲となって結実したわけ。

第1楽章「カンパノロジー」、3つに分かれたオーケストラが互いに音をずらしあうことで、鐘のうなりの効果を表出する。
第2楽章「首楞巌神咒」(しゅうれんねんじんしゅ)、さっぱりわかりませぬが、禅宗の経が男性合唱によって力強く歌われる(唱えられる)。かなりもり上がります。
抑揚ある経を聴いて、何かとりつかれたように忘我の境地になってしまう感がある・・・。
第3楽章「カンパノロジーⅡ」、オケだけの梵鐘の部分。カッコイイです。
第4楽章「摩呵梵」(まかぼん)、天才○○・・ではありません。
大乗仏教の経典が唱えられる。これまた2楽章と同じく、怪しいまでに熱を帯びていて、本能をくすぐられるようだ。
第5楽章「カンパノロジーⅢ」、乱打される実際の鐘にオスティナートのようにオケが何度も何度も同じフレーズを繰り返す・・・。そこにヴォカリーズの合唱も加わりクライマックスを築きつつも静かに終楽章に収斂されてゆく。
第6楽章「一心敬礼」(いっしんきょうらい)、前の楽章からヴォカリーズが「お~、おぉ~お・・・」と歌いつなぎ、弦の持続音と管のこだまがそれを支える。
「お~、お~」は次第に盛上り、やがて静かに消え入るようにして終わる。

亡き岩城宏之指揮の東京都交響楽団東京混声合唱団の共感あふれる演奏は95年のライブ。
そーいえば、小沢さんは、黛作品を振らないな。
海外でこの曲を演奏したら、今ならかなりウケると思うんだけど!

煩悩を突き抜けて、最後には悟りの境地にいたるのが、この交響曲の描かんとする世界という。私には煩悩が多すぎてこの交響曲40分だけでは解脱できませぬ。
これに、マタイにヨハネに教会カンタータ全部をもってしても無理かもしれない、典型的日本人なのであります。
第一、酒飲みながら聴いてるんだもの・・・・。

補追)
神奈川フィルの指揮者体制刷新のニュースが、昨日いつもお世話になっているyurikamomeさんのブログからもたらされました
何となく気配はあったものの、現田&シュナイトの二頭体制が黄金期としての最充実の時を迎えているのに、何故??という気持ちが正直あった。
新常任指揮者は、金聖響さん。人気指揮者だけれど、私はCDも含め一度も聴いたことがない。
今の神奈フィルの音を築き上げた現田さんは、名誉指揮者の称号が授与されるが、シュナイトさんはいかに・・・。足腰が弱くなり、体調を考えての退任。
悲しい体制変更ではあるけれど、どこの楽団にも、そして会社や社会にもあること。
願わくは、それが新たな輝かしい一歩であることを祈りたいもの。
金さんといえば、私は「遠山の金さん」か「金さん・銀さん」だったけれど、こうなりゃ、指揮者・金さん、大いに応援しますよ! 我が故郷オーケストラ、神奈川フィルの指揮者だもの。
来期は、「トリスタン前奏曲と愛の死」や「ミサ・ソレ」を振るみたいだし、現田さんはショスタコ!、湯浅氏がエルガー1番、このあたりが注目。

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2008年11月11日 (火)

ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」 ハイティンク指揮

Acde1f0 昼時の駐車場で見つけたねこ。

かなりくたびれた、おんぼろねこ。

見ていて気の毒なヤツで、眼が悪そう。車が近づいても動かない。

「もー、あたしは疲れました・・・、そっとしておいて下さいまし」

そんな雰囲気ただよう、今日のにゃんこでしたぁ。

Shostako13_haitink 歌入り交響曲シリーズ、いよいよショスタコーヴィ(1906~1975)の登場。
ショスタコーヴィチの歌入り交響曲は、第2番、第3番、第13番、第14番と4曲あるが、初期のふたつは短く、アヴァンギャルド風で実験的でもあって、イデオロギーが横溢し??の気分となる。
晩年に向かう、13番、14番は、ショスタコーヴィチの最高傑作とも言える巨大な作品で、ふたつとも「死」と「恐怖」を描いた問題作でもある。
そのふたつがショスタコの交響曲の中で、4番と並んで、もっとも好きな作品。

1962年、スターリン体制終結後のフルシチョフ体制化の作品で、「体制の雪どけ」で固く閉ざしてきたリアルな音楽を書き始めた頃。
エフゲニー・エフトゥシェンコの詩「バビ・ヤール」のいくつかの部分と、さらに、この作品のためにあらたに書かれた詩の5篇からなる。
「バビ・ヤール」は、キエフ郊外にある谷の名前で、ナチスがユダヤ人はおろかウクライナ人、ポーランド人、ロシア人までも大量虐殺した場所という。

ショスタコーヴィチ 交響曲第13番「バビ・ヤール」作品113

①「バビ・ヤール」この曲の白眉的な1楽章。ナチスによる暴虐が描かれる。
独唱は、自分がユダヤ人ではないかと歴史上の人物たちを上げて歌う。アンネ・フランクの悲劇についても言及される。リズミカルで不気味な行進調の音楽が2度ほど襲ってくる。
ファシストたちの到来である・・・・。
②「ユーモア」、ユーモアを忘れちゃならねぇ。支配者どもも、ユーモアだけは支配できなかった。辛辣かつ劇的な楽章、オーケストラの咆哮もすさまじい。
③「商店で」、獄寒のなかを行列する婦人たちを称える讃歌。
これも皮肉たっぷりだが、音楽は極めて深刻で寒々しい・・・。
④「恐怖」、これまた重い、重すぎの音楽。恐怖はどこにでもすべりこんでくる。その恐怖はロシアにおいて死のうとしている。・・・・が、詩(DSは作曲であろうか)を書きながらとらわれる、書かないという恐怖にかられる。仮面を被った痛切きわまりない音楽に凍りそうだ。
⑤「出世」、終楽章は一転おどけた、スケルツォのような音楽だ。
ガリレオ、シェイクスピア、パスツール、ニュートン・・・、世の偉人たちが生前そしられ、誹ったものたちは忘れられ、誹られた人々は出世した・・・・。
「出世をしないことを、自分の出世とするのだ」
皮肉に満ちた音楽、最後はチェレスタがかき鳴らされ静かに曲を閉じる。

不思議な作品ではあるが、その緊張感と皮肉に満ちた1時間はとても魅力的。

ハイティンクの純音楽的な解釈は、あまりにも立派すぎて、この交響曲の威容を伝えてやまない。コンセルトヘボウのカロリーの高い響きもまことに素晴らしく、快感すら覚える。
彼らがブルックナーやマーラーを演奏するように、真摯に楽譜に取り込んだ結果がこれ。
より鮮烈な解釈や、緻密な解釈の演奏もほかにあるが、ハイティンクの一本筋の通った演奏は誰をも納得させてしまうだろう。
 冷静かつ音楽的なリンツラーのバスも素晴らしい。
この人はこの曲のスペシャリストで、デュトワとベルリンフィルのFMライブでも歌っていた。

  ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ
                     同 男性合唱団 
                     Bs:マリウス・リンツラー
                       (84.10録音) 

次回予定している、「ショスタコーヴィチ・シリーズ」では誰の演奏をとりあげようか、楽しみ。「オーマンディ盤」の過去記事はこちら
    

 

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2008年11月 6日 (木)

ブリテン 「春の交響曲」 プレヴィン指揮

Ashiyu 初公開、ワタクシの足。
足湯でくつろぐの図であります。

11月に入ったら寒さを体感するようになった。
頭冷やして足冷やさず。
「頭寒足熱」とは、ほんとよく言ったもので、足をこうして暖かくするだけで、体中ポカポカ。
コタツと一緒、寒い日などは、入ったら出られない。

四季おりおり、日本人の発想は素晴らしいもんだ。

Britten_spring_sym_previn 歌入り交響曲シリーズもいよいよ先が見えてきた。
今を生きる我々の世代の音楽にバーンスタインあたりから入ってきた。
以前も書いたが、実は存在は把握できながら、音源が手に入らずにこちらで取上げられなかった曲がかなりある。日本人作曲家もいるし、ソ連やドイツ、アメリカ、フランスなど、多彩なものだ。

ブリテン(1913~1976)は、バーンスタインより5歳年長、ショスタコーヴィチより7歳年下。
この3人は、お互い交流があった点でも音楽史的におもしろい。
バーンスタインはいずれの作品もよく指揮していたが、同世代人のカラヤンは・・・・、と思うと面白いもんだ。
これら3人を今よく演奏する指揮者は、スラトキンにラトル、そしてプレヴィンの3人。

そのプレヴィンロンドン響時代の名盤が、ブリテンの「春の交響曲」。
78年の録音で、イギリスの春の爆発的ともいえるうつろいを、わかりやすく明快なタッチで演奏している。
早熟なブリテン36歳、1949年のこの作品は、マーラーの大地の歌のような連作歌曲の集合体のような作品で、バリトンを除く独唱3人と混声合唱、少年合唱を伴なった作品。
大きく4部からなり、それぞれの部はいくつかの章に細分化されてはいるが、春の訪れという導入部的な1楽章、反戦の意を込めた緩除的な2楽章、スケルツォの3楽章、歓喜に沸くフィナーレの4楽章、という交響曲的な構成。

春にちなんだ英国の詩14編が、全12曲に散りばめられ、その作者は中世の作者不詳のものから、スペンサー、J・ミルトン、オーデン、W・ブレイクら高名な方々まで。
以前の記事と結びは同じになってしまうけれど、夏の到来による輝かしい季節への突入を最後に高らかに歌う。この場面はブリテンの才気爆発ともいえるもので、私は何度聴いても高鳴る胸を押さえきれない。かっこいいブリテンの音楽を体感していただきたいもの。

中世のカノン「夏は来たりぬ」が合唱や独唱によって歌われ、少年合唱がこだまのように入ってくる。次々に高まり行く高揚感。
そしてテノールが、ボーモント&フレッチャーの詩を語るようにして歌う。
神を称え、王国を称え、人々を称える。
その後、唐突なまでのトゥッティで曲を閉じる。

    S:シーラ・アームストロング  A:デイム・ジャネット・ベーカー
    T:ロバート・ティアー

   アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
                    ロンドン交響合唱団
              合唱指揮:リチャード・ヒコックス
                (78.6 ロンドン・キングスウェイホール)

完璧な独唱、ことにJ・ベーカーが素敵すぎ。
合唱指揮にヒコックスの名前が見られるのがうれしいね。
秋なのに、春です。

過去の記事
「ガーディナーの指揮」によるものはこちら

  

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2008年10月30日 (木)

バーンスタイン 交響曲第1番「エレミア」 スラトキン指揮

Soseki_2 道後温泉にあった夏目漱石の胸像。
則天去私
画像をクリックして、その意をご覧下さい。

欲としがらみ、思い入ればかりの私の今の生き様。
このような心境になるのはいつのことやら・・・・。

Berstein_sm1_2_slatkin_2 歌入り交響曲。
今日は、作曲家レナード・バーンスタイン(1918~1990)。
ウィスキーとチェーンスモークがレニーの命を縮めたのは否めない。もう少し節制してくれたら・・・と思わざるを得ない。
明るく開放的なレニーと印象とは裏腹に、作曲家としての彼はシリアスな作品が多い。
ユダヤ人として、そして人間として神に訴えかけるような曲や、全人的に平和を希求するような作品。

交響曲は3曲残したが、そのうち1番と3番に声楽が使用されているほか、2番もピアノ独奏を伴なう協奏的なものだけに、オーケストラだけの純粋交響曲はひとつもない。
それだけ、交響曲というジャンルにメッセージ性を込めたといえる。
ワルターの代役で、歴史的なニューヨークフィル・デビューを飾ったのが1943年。
その前年の44年にこの第1交響曲は、ピッツバーグで自身の指揮で初演されている。
世界大戦真っ只中。バーンスタインは作曲と指揮で、アメリカの寵児となった。

交響曲第1番「エミリア」と題され、3つの楽章からなる。
ユダヤの抑圧への悲しみと怒りを秘めた重たく悲観的な内容で、それぞれ「預言」「冒涜」「哀歌」というタイトルが付けられている。
そのタイトルどおり、1楽章は何か悲劇の始まりを予見させる重々しい内容となっているし、2楽章はリズムと大音響が交錯しあう切羽詰まったような音楽。
そして3楽章には、メゾソプラノの独唱が登場し、旧約聖書の「エレミアの哀歌」からの数節を歌う。静寂の中に、嘆きと悲しみ、そして神へ憐れみを乞うこの楽章は、非常に感動的なものだ。

バビロニアのネブカドネザル王によってエルサレムの地を追われたユダヤの民。
いわゆるバビロニア捕囚。国も神殿も失ない希望も失いつつあった民に預言者エレミアが現れ、苦しみこそ、罪を清めるもの、神こそ導き手であり希望の源泉であると解く。
ユダヤ民族の発祥であり、世界の歴史の混迷の根源がここにある。

ああ、むかしは民の満ち溢れていたこの都
国々の民のうちで大いなるものであったこの町
今は寂しいさまで座し、やもめのようになった


主よ、顧みてください・・・・

戦争のさなか、自身のルーツを思い、同朋が苦難に陥っている。
バーンスタインは平和を思い、この並々ならぬ重い交響曲を作曲した。

これまで、作曲者自身の演奏ばかりであったが、いろいろな指揮者たちが取上げるようになった。
その中で、もっとも優れた演奏に思われるのが、レナード・スラトキンBBC交響楽団によるもの。音楽をわかりやすく明確な解釈を施すスラトキン。
深刻なばかりでなく、ひとつの交響曲として音楽に正面から向き合った真摯な演奏。
スラトキンは、さらに濃厚なユダヤ思想と平和希求の3番「カデッシュ」を別バージョンで録音している。
そして、メゾのミシェル・デ・ヤングの深い声もよかった。
彼女、イゾルデの待女ブランゲーネのスペシャリストだ。

バーンスタインの音楽もこうして、年代を重ねてクラシック音楽のジャンルの中にしっかりと組み込まれていくのだな。
感慨深いものがある・・・・・。

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2008年10月20日 (月)

ホルンボー 交響曲第4番「シンフォニア・サクラ」 A・ヒュー指揮

Odawara_catsle 夜の小田原城
酔いにまかせて歩いて行ってみた。
幼稚園の遠足、小学校の遠足、それ以外はそういえば行ったことがなかったかもしれない。
高校時代、この街に通ったのに、そして、お堀の周辺は始終歩いていたのに、本丸まで行ったことがなかった。
地元とは、そんなものかもしれない。

久々に汗をかきつつ訪れた小田原城。堀の近くの市民施設では合唱の練習か、いいハーモニーが聞こえる。天守閣の元には、高校生の男女が楽しそうに集っている。
おいおい、君たち、私の後輩かい?
おじさんはね、・・・・なんて声をかけたら今時大変なことになる。
城址公園は動物園にもなっていて、長寿のゾウさんもいたところ。夜間は動物の匂いがする不思議空間。
高校時代を過ごした場所を探索し、酒を飲むって、大人の楽しみかもしれないね。

Holboe_sym4不連続、歌入り交響曲のシリーズ。
シリーズを開始して、調べ進むうち、予想外にあるこの形式。
ほとんどがマーラー後の近世で、ドイツばかりでなく、欧米亜各国の作曲家が盛んに取上げている。
その大半が未知の作品であり、作曲家も名前を知っている程度。
年代順にここまで来るなかにも、音源が見つからずに、はしょった作品もいくつもあるし、あと数回の中にも省かざるをえない曲もあるのが実情。

そんな中で、北欧作曲家はBISレーベルのおかげで、録音に恵まれることが多い。
その一人が、デンマークの作曲家、ヴァン・ホルンボー(1909~1996)。
同郷の先輩作曲家にカール・ニールセンがいるが、ホルンボーもニールセンとは接点があって、学生時代の恩師でもあり、その作風に多大な影響を受けた関係でもある。
ルーマニア人のピアニストと結婚したこともあって、同地で過ごしたこともあり、東欧風の響きもその音楽には響く。
近世・現代の作曲家ではあるが、この1枚を聴いて、他の作風も調べる限り、難解な音楽ではなく、先輩ニールセンやバルトーク、ストラヴィンスキーの響きが色濃く、北欧・東欧と新古典主義の融合の作風に聞こえる。
ただし、これも表面的な印象に過ぎず、なにせ、13の交響曲、20の四重奏曲、数曲の交響作品、オペラ・合唱曲など、多作家だっただけに、その全貌を知ることはCD1枚ではとうてい叶わない。
今回の交響曲第4番を聴いていて、先だって聴いた「ブライアンのゴシック交響曲」と同じような響きも聴き取ることができたのが面白い。

1942年の作曲で、全6楽章。時は第二次世界大戦の真っ只中。曲は、独軍収容所で死んだ弟に捧げられたもので、合唱を伴なう宗教的な内容となっている。
急緩急、交互に訪れる6楽章。作者自身による詩はかなり深刻なもので、最初は恐れと怒りに人類が覆われる暗い様相を歌うが、徐々に平安を望み、神の栄光を称えてゆく。
音楽も冒頭から激しいが、こちらも徐々に明るく澄んだ雰囲気に様変わりしてゆく。

最初の激しい音楽は、大河ドラマの「独眼流正宗」のようで、戦国武士が突進するようなイメージで、ちょっと和風。暗から明へ、その勇ましい音楽も、神を称える朗らかな明るさに徐々にとって変わる。
何度も聴いて、耳に馴染んでくると、なかなかに良い曲であります。
ほかの交響曲もよさそうであります。

ウェールズ出身のオーウェル・ヒューズはホルボーンの交響曲を連続録音している。
英国系の指揮者は、ニールセンやシベリウスを伝統的に得意にしているが、ヒューズもその一人なのであろう。鋭く、キレのよさと、しみじみ感が両立した演奏である。
オーケストラが本場デンマークのオーフス交響楽団
実力派と聴いた。オーフスは、ちょっと調べたら、中世の街並みを再現した場所もある美しい街のようである。
北欧3国には、どうも惹かれるものがあります。

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2008年10月13日 (月)

ストラヴィンスキー 詩篇交響曲 バーンスタイン指揮

Yui 東名高速、静岡の由比あたりを上り方面に走る。
東名高速のルートの中でもこのあたりは一番風光明媚な場所。

下りは、海に向かって走るみたいだし、夕刻だと海が染まって美しい。
そして、上りは海の上に富士がそびえて見えて気持ちがいい。

うすぼんやりと、富士が見えます。

Bernstein_3 歌入り交響曲、今回はストラヴィンスキー(1882~1971)の「詩篇交響曲」。
ストラヴィンスキーはスタイルの異なる交響曲を5つ作曲している。
習作の第1番、管楽のための交響曲、3章の交響曲、ハ長の交響曲、詩篇交響曲。
合唱が用いられたのが、「詩篇交響曲」で、3つの楽章からなり、それぞれに合唱が旧約聖書の詩篇を歌う。
合唱曲のようで、どこが交響曲なんだとも思ってしまう。
ストラヴィンスキーは、合唱と楽器の合奏を対等に扱い、交響曲の形式から離れたいわば協奏交響曲のような形式を思い描いたらしい。

ヴァイオリンとヴィオラ、クラリネットを省き、ピアノ2台を加えた変則オーケストラに児童合唱と混声合唱。
くすんだ渋い響きに充たされた、宗教的な儀式めいた音楽。

ボストン響のクーセヴィッキーの委嘱により、1930年に書かれた。
様式を変転させていったストラヴィンスキーの第二期、新古典主義時代にあたり、「エディプス王」「ミューズ・・」「妖精の口づけ」「ヴァイオリン協奏曲」などが同時期に書かれている。
だから決して難解ではなく、弾むリズムとシンプルな楽想に溢れた聴きやすい音楽となっている。

 第1楽章は、神の慈悲を乞う真摯な祈りの音楽。印象的な管のトゥッティとユニゾンが耳に残る。繰返しのオスティナート効果が特徴的で、ブリテンやバーンスタイン、映画オーメンの音楽を思い起してしまった。
 第2楽章は、神への感謝。フーガである。オケの静かな場面に続き、神秘的な合唱がなかなかに聴きもの。最後には、フォルテでオケと合唱による賛美が強く現れ、ドキっとする。
 第3楽章は、全能の神を称える音楽。オケと合唱が交錯し好対照をなす壮大な音楽に発展してゆき、そのリズムとともに、なかなかの高揚感が味わえる。
最後には、神を称える「ラウダーテ ドミニウム」が静かに歌われ曲を閉じる。

とっつきのいい音楽ではないが、冷静でシャープな演奏や曲に没頭し熱い演奏などで聴きたい。前者は、ブーレーズや未聴ながらギーレン、ラトルなど。
後者がバーンスタインだ。
さすが、ユダヤの使徒のような存在であっただけあって、こうした音楽や言葉への共感度の高さがその熱い音にストレートに跳ね返ってくる。
ロンドン響の反応がいいが、ニュートラルな響きもまたそれに相応しい。
合唱はイギリス・バッハ祝祭合唱団によるもの。
1972年4月の録音は、この曲が初演されてまだ42年しか経っていなかったし、作曲者がその前年に亡くなったばかりのもの。
もうこの頃、私は音楽ファンでして、ストラヴィンスキーが亡くなったこともよく覚えております。合掌。

(本CDは、「エディプス王」とのカップリングで、エディプスはいずれ取上げる予定につき、ジャケットなしです)

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