カテゴリー「日本の音楽」の記事

2014年11月25日 (火)

武満 徹 ノヴェンバー・ステップス 岩城宏之指揮

Iy

近所の銀杏も、すっかり黄色く色づきました。

これが散って、地面もまた、黄色く染まって美しいのですが、それは即、冬ということで、それはそれで、寂しく、厳しいもの。

でも、街は、ことに夜が眩しく賑やか。

それは、都会ばかりですが・・・・

政治や経済、国際問題なんぞ、あれやこれや、頭をよぎり、かつ、自分の仕事や生活に忙しいニッポンのみなさん。

わが邦には、こんなに美しい四季と、それぞれに色ずく自然があります。

心、穏やかに、静かに楽しむ気持ちを大事にしたいものです。

Takemistu1984

わたくしが行った、このコンサートも、CDになっております。

  武満 徹   「地平線のドーリア」

          「ノヴェンバー・ステップス」

          「鳥は星形の庭に降りる」

          「ドリームタイム」

          「オリオンとプレアデス」(犂と昴)

    岩城 宏之 指揮 NHK交響楽団

 

        琵琶:鶴田 錦史

        尺八:横山 勝也

        チェロ:堤 剛

              (1984.6.13 @東京文化会館)


このコンサートは、サントリー音楽財団が、1981年より、毎年定期的に行ってきた「作曲家の個展」の4年目、1984年のライブであります。

松平頼則、黛敏郎、山田耕筰と続いて、4年目が、武満徹でした。

この年は、まだ、サントリー・ホールが開館していなかったため、オーケストラ演奏の大半は、文化会館とNHKホール、人見記念講堂などで行われていた時分。
そんな昔じゃないけど、でも、思えば遠い昔に感じます。

作品説明と、詳細な年譜、内外の執筆陣による読み物や対談など、充実したパンフレットは、いまでも貴重なものに思います。

「年齢とともに感受性は鈍る。批判力ばかりが増して、創作の歩調は緩慢になる。
義理や社交のために、無為な時間を過ごす。他人を受け入れない半面、そのぶん、自分を許すようになる。歳とって、碌なことはない、が、そうなって感じられ、捉え得ることもある。それを説明するのは、だが億劫だ。
三十年音楽を続けてきたのであるから、これからは、より新しい仕事をしなければならない。正直に、余分を言わず、骨格のしっかりした仕事がしたい。
 今回、「個展」という機会があたえられたことは、私にとっては、極めて意味のある転機であり、あるいはこれを天機と呼ぶのだろうか?
 この<作曲家の個展>のために択んだ曲は、それぞれ、節目、節目に生まれたものである。
紆余曲折を経て、道は自ら判然とする。」


このパンフレットの巻頭に添えられた、武満徹自身の言葉であります。
このとき、作曲者は、54歳になる年。

氏の思いは、ほぼ全面的に、わたくしの今に被ります。
もちろん、平々凡々たるワタクシには、転機はあっても、天機なんぞ、見出す場もすべもありませぬが。。。

そんな節目を感じながら作曲者が挑んだこの<個展>に、当時のわたくしは、まだ20代の若輩。
ただただ、武満サウンドの精緻なる響きに、緊張感をもって浸るしかできなかったと思います。

Takemistu

 発出のものは、2枚組で、コンサートすべての曲目が収録されているものですが、わたしの再発編集ものは、「地平線」と「ノヴェンバー」と、「鳥は星形」の3曲のみ。

若い耳で聴いた武満と、いま、そこそこの年齢を重ねた耳で聴いた武満とでは、同じ演奏でも、まったく受け止めかたが違います。
なによりも、CDですから、何度も繰り返し聴けるし、気になったところは、後戻りできる。
66年から、77年にかけての作品3つで、この頃の作品には、調性感もあるし、なにより、音に色彩を感じます。
それが聴きやすさにつながっていて、近現代音楽を、当時よりも多く、それも多面的に聴くようになっている今の自分には、甘味なる音の響きと受け止めることもできました。

「ノヴェンバー・ステップス」は、邦楽器と西洋楽器の競演であり、その対比と融合を静かに味わうのですが、両者の緊張感と間の空気感こそ、邦と洋との相違でありましょう。
序と、11の並列された段(ステップ)からなり、そして、まさに11月にニュー・ヨークで初演。
 すでに半世紀近く前の音楽ですが、常に、新鮮な感覚でもって聴くことができます。

もうひとつ、武満徹の言葉を引用します。

「わたしの音楽は、たんに娯みや慰めのものではない。わたしの音楽は、いま生きている時代の、知や感情と結びついてはいるが、だからといって同時代性に靠れかかっているわけではない。私の音楽はつねに、個人的感情から生まれるものであり、「日本主義」というようなものとは関わりをもつものではない。
 私の音楽は、「自然」から多くを学んでいる。
自然が、謙虚に、しかし無類の精確さでさししめすこの宇宙の仕組みにたいして、私の音楽は、その不可知の秩序への限りない讃歌なのだ。
私は、音楽を通して、「世界」の匿名の部分(パーツ)になりたい。」


この言葉を読むと、武満作品が、その後も語り続けたものが、よくわかるような気がします。
ですから、邦楽器は、単に和楽器であっただけで、とりたてて、和と洋の対比という聴き方も一理あれど、違うような気もいたしますね。

 この84年の個展ののち、96年に、66歳で亡くなるまで、武満徹は、まだまだ多くの作品を、さらに深い切り口でもって残しました。

わたくしも、「天機」を求め、つかめるように頑張らなくてはいけませんね。
11月は、自分も、このブログも、ひとつまた歳を重ねました。

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2014年5月22日 (木)

武満 徹 「海へ」 Ⅲ ニコレ

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静かな海ですが、そう見えるのは、堤防に出て沖を見てるから。

奥は、真鶴と伊豆半島の、わたくしのいつもの海の夕暮れの一遍です。

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  武満 徹  「海へ~Toward The Sea」 Ⅲ

       フルート:オーレル・ニコレ

       ハープ :吉野 直子

           (1993.2 @スイス、ラ・ショードフォン)


武満徹(1930~1996)が亡くなって、もう17年になるんですね。

あの神経質そうな語り口で、でもユーモアをもって語るその声や、小澤さんや岩城さん、若杉さんの演奏会で、ステージにあがる小柄な、そのお姿。
いずれも、よく覚えております。

わたくしは、武満作品、ひいては日本の音楽の熱心な聴き手では、決してありませんが、それでも日本音楽の音源は武満CDばかり、しかも、「ノヴェンバー・ステップス」ばかりなところが偏りすぎなところ・・・・。

今宵聴いた「海へ Ⅲ」は、フルートとハープのための作品で、Ⅲとあるのは、編成を変えて、3つのバージョンがあるという意味です。

Ⅰは、アルトフルートとギターで、1981年。
Ⅱは、アルトフルートとハープ、弦楽オーケストラの編成で、同じく1981年。
Ⅲは、今日のバージョンで、アルトフルートとハープで、こちらは1989年。

いずれも、聴いたことがある(はず)けれど、それがいつだったか、どこだったか、覚えてない。
そんな曖昧な記憶の向こうに、いつもあるのが、わたしにとっての武満作品なのかもしれない。

いつも瞑想のなかに、少し離れて鳴っているような、静的な音楽。
それ以上に確たるイメージをいだけない、そんないけない聴き手なのです。
申し訳ありません。

水、そして、海や川は、武満徹作品の最重要アイテムです。

この「海へ」は、眺める海ではなくて、積極的に海に溶け込んで、無重力なままに、一体化にならんとしたようなイメージであるそうです。
メルヴィルの「白鯨」にもインプレッションを受けているともしてます。

曲は、3分半程度の3つの部分からなりまして、①「夜」、②「白鯨」、③「鱈岬」。
それらが、そのタイトルに対してどうかというと、なんとも言い難いものはありますが、そこに、ともかく、「海」をイメージすることができます。
 鯨が、どーーんっていう風じゃ、決してない。
むしろ、海中で、静かにうねるようにして泳ぐ鯨っていう、ファンタジーなイメージがあります。

海=Sea、すなわち、Es・E・Aという海を文字通りあらわす3つの音が曲中に混ぜあわされていて、いつもの緻密な武満作風であること表明しております。

そして、この曲に際し、有名な詩句ですが、できれば、クジラのように優雅で、頑健な肉体を持ち、西も東もない海を泳ぎたいと書いております。

そんな言葉を手掛かりに、短い曲ですから、何度も何度も聴いて、冒頭の海の写真の夕日を浴びた静けさと、その水中にいるかもしれない、別な顔を持つ海と戯れる自分を想像してみることにしました・・・・。

そうしたら、なんだか、眠くなってきました。

これを、メディテーションと呼ぶべきなのでしょうか・・・・・。

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2014年5月17日 (土)

神奈川フィルハーモニー第299回定期演奏会 現田茂夫指揮

Minatomirai20140516

来月をピークに、日も長くなってきましたね。

金曜は、遠来の客人が飛行機で飛ぶ前に、打ち合わせも兼ねて、夕方にちょっと一杯(実際は3杯)。

電車に乗って、しっかり睡眠で、気が付くと関内。

そこから、ハマスタを覗いて、主が今日はいないことを確認して、ぶらぶらと、みなとみらいホールへ。

5月の定期演奏会は、こうして始まりました。

Kanaphll_201405

   團 伊玖磨     交響組曲「アラビア紀行」

   モーツァルト    ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K218

                 Vn:崎谷 直人

   ドヴォルザーク  交響曲第7番 ニ短調

     現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                 (2014.5.16@みなとみらいホール)



5月の新緑の季節には、いつも現田さんが帰ってくる。
去年はヴェルディ、一昨年はワーグナー、そして今年はドヴォルザークがメイン。

この曲の配列をみて、当初は、短めのプロだな、早めに終わりそうだから、たくさん飲めるぞ・・・、なんて思っていた自分。

ところが、いざ終わってみると、21時30分。
「アラビア紀行」を甘く見過ぎていました。
まさに、親方たちをさげすんではならぬ、のザックスいわく、神奈川所縁の團先生をあなどってはならぬ、という思いに満たされました。

團先生は、今年生誕90年で、一夜明けた本日5月17日が御命日。
「夕鶴」「ひかりごけ」などのオペラを何度も指揮している現田さんは、團作品のプロフェッショナル。
2006年1月に、この「アラビア」と、「シェエラザード」というエキゾチックプログラムをやってますが、この少しあとから神奈フィルを聴きだしたので、わたくしは、初「アラビア」でした。

①「回教寺」、②「河」、③「遊牧民」、④「遺跡」、⑤「祭礼風舞曲」

5つの部分からなる、演奏時間38分の大曲。

打楽器、鍵盤楽器も勢ぞろいの、ゴージャス極まりない、まさにオール東洋といった感じの各曲で、これまたゴージャス好きの現田さんにぴったり。

  
それぞれ面白かったけれど、悠久を感じさせ、オーボエ3女性が活躍の②「河」と、バルトーク風のミステリアスな④「遺跡」では、ヴァイオリンの分奏が見ていて不思議。
そして、お祭り⑤「祭礼風舞曲」は、聴いてる、こちとらも体をゆすぶりたくなる感じで、むしろ「和テイスト」の原初的なリズムに快感。
最後に、①冒頭の部分(たぶん)が回顧されて、盛大に終了。

面白かったです。
このコンビで、團シリーズなんぞ、ナクソス録音して欲しいですね。

2曲目は、がらりと変わってモーツァルト。

新コンマス、崎谷さんのソロ。若いけれど、豊富な経験と輝かしい経歴の崎谷さん。
室内楽に秀でる、期待のコンマスなんです。

最初は硬かったけれど、暖かい仲間のバックに囲まれ、すぐにほぐれて、リラックスして曲に溶け込むようにして演奏する崎谷さん。
その語り口は、とても自然で、音色は、繊細でピュア。
1楽章の技巧的な場面では、アグレッシブさも。
そしてどんな静かな場面でも、一音一音がホールにしっかり響いていて、明快そのものでした。
ヨアヒム作のカデンツァが、こんなに立派に、しかもモーツァルトの本作に溶けあってるのも、実に気持ちのいいものだ。
ということで、文句なしの崎谷さん、神奈フィル・ソロデビューでした。
 現田さん指揮するオーケストラは、音をしっかり抑え、ソロをマイルドに取り巻くような優しいバックでした。こんな、ソット・ヴォーチェ・モーツァルトも悪くない。

そして、耳にさらに優しく届いたのが、アンコールのハイドンの四重奏。
モーツァルトとばかり思いつつ聴いてしまいましたが、いい曲、いい演奏、そしてそれを微笑みながら聴いているわれわれ聴衆に、オーケストラの皆さんでした。

後半は、ドヴォルザークで、時計は8時45分。

8・9番は、聴けば確かにいいと思うけれど、ふだん聴くには、5~7番かな。
メロディアスな旋律が、次々に飛び出してくるドヴィルザーク・サウンド満載の曲なんです。
これもまた、現田さん向きの作品でありまして、さらに、神奈川フィル本来のキラキラ系の美音を、さりげなく、くすぐるようにして引き出す指揮者ですから、悪かろうはずがありません。
コクや深み、民族臭、そのあたりとは無縁かもしれませんが、ワタクシは、こんな輝かしい神奈川フィルの音が好きだったんです。
指揮棒を持たなくなった現田さんは、その分、音楽に細やかな表情がついてきたような気がします。
先にあげた、懐かしくも親しいいくつものきれいなフレーズを、こんな風に気持ちよく聴けたのも久しぶりでした。
ことに第2楽章は、絶品でした。
ボヘミアの情景ならぬ、日本の田舎の田園風景を思って聴いたのですから。
素敵なスケルツォのあと、アタッカで始めた終楽章の勇壮な盛り上げも巧みなもので、ティンパニの神戸さんの一撃も見事に決まったフィナーレなのでした。

若い奏者のみなさんも、しっかり馴染んで、お互いが知り尽くした指揮者とオーケストラ。
聴くわれわれも、すっかり馴染んだ自宅でくつろぐ感があって、ほんとうにほのぼのとした気持ちになりました。

次は10月の「千人の交響曲」がこのコンビ。

そして次回300回記念定期は、若いシェフ、川瀬さんの「復活」です。

来週も音楽堂で、宮本さんの指揮で、ハイドンとビゼーにズッキーことファゴットの鈴木さんでモーツァルト。

まいど、こんなに近くに感じて、楽しませてくれるオーケストラはありませんぜ。

神奈川フィルを聴きに、みなさんも横浜へGO!

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先月も忙しかったけれど、今回も短時間集中飲食懇親会。

楽団から、中崎さんにもお越しいただき、久しぶりの台湾料理のお店。

ビールおいしい。

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具だくさんのチャーハンはいつも美味しかったけど、今回は、あんかけチャーハンでしたよ。
エビ・カニ、たっぷり。

これもまた、コンサートの楽しみ。

みんなで、さっきのコンサートのことや、神奈川フィルのこと、世間のことなどなど、語って飲むんです。

こちらにも、どうぞ、みなさまお越しくださいませ。  

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2013年11月15日 (金)

武満 徹 「秋」 沼尻竜典指揮

Kenrokuen

金沢の兼六園。

雪吊りもあって、この画像は数年前の12月。

ちょっと冬枯れが寂しく、妙に風情があります。

年々、寒暖の差が激しくなって、夏と冬の割合が増していると思います。

それが今年ほど強く感じます。

春も秋も、ほんのちょっとしかなかった・・・・。

困ったものだ。

明確な四季がってこそ、日本の風情なのだから。

Takemistu

 武満 徹  「秋」
     
      ~琵琶、尺八、オーケストラのための~


    尺八:横山 勝也    琵琶:中村鶴城

      沼尻 竜典 指揮 東京都交響楽団

                   (1996.7 @芸術劇場)


武満徹の日本楽器、琵琶と尺八のための作品といえば、いうまでもなく、「ノヴェンバー・ステップス」ということになりますが、オケを除いた「エクリプス」とともに、その姉妹作ともいうべき作品が、同じ編成による音楽。

1973年の作曲で、その初演はいつ、どこでだかブックレットには書いてません。

武満作品は、存命中は、あまりに普通に演奏会にかけられ、しかも初演も、ごくふつうに巡り合うことができたから、知らぬ間に聴いている、ということが多い。

でも、この「秋」は、この沼尻盤が初聴きだし、ほかの演奏もないのでは。

ノヴェンバー・ステップスが、和と洋、すこしおっかなびっくりなコラボレーションの中に、絶妙の緊張感の美を孕んでいたのに対し、こちらは、和楽器も、西洋オーケストラにしっかり組みこまれ、馴染んでいて、でもそれがごく自然で、オケをリードする形で、ソロをオケが聴きながら、武満サウンドを微細に変幻させながら着いてゆく・・・とのそんな風情にあふれた音楽に感じました。

解説によれば、和楽器ふたつにも、ちゃんとした楽譜が書きしるされているとありまして、これはもう、横山勝也&鶴田錦史の独壇場じゃなくて、それを受け継ぐ和楽器奏者たちを念頭にもおいた普遍作品ともなっているのでした。

色彩的ですらある、この「秋」に、日本の静謐な秋も重ねることができますが、それは同時に、劇的な季節の変貌の一瞬であるいまの「秋」終りをも、わたくしには符合させることもできるのでした。
それほどに、ときに劇的な武満作品です。

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2013年8月 2日 (金)

武満徹 「鳥は星形の庭に降りる」 尾高忠明指揮

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茅ヶ崎にある浄見寺というところの前庭。

波のように美しく手入れされた石庭でした。

以前の画像ですが、こちらは、大岡越前守忠相の菩提のあるところです。

春は桜がとても美しいです。

これが日本の庭と一概に呼ぶことはできませんが、京都の龍安寺の枯山水の石庭は、海外から見た、「日本の庭」というイメージのひとつの典型かもしれません。

われわれ日本人でも、老若男女、これに静謐で寡黙で禁欲的な禅的世界を感じ取ることができます。

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  武満 徹  「鳥は星形の庭に降りる」 (1977)

    尾高 忠明 指揮 BBCウェールズ交響楽団

                (1995.11 @スワンシー)


ねこを挟んで、何気に庭園シリーズをやっておりますこと、お気づきでしたか。

優しく抒情的で気品のある英国、原色の色彩感と色気とエキゾシズムのスペイン。
そして静的で多くを語らずモノクロームながら深みのある日本。

それぞれですが、それぞれに美しく、音楽が表現できることの素晴らしさをいまさらに感じます。

武満徹(1930~96)が亡くなって、もう17年が経ちます。

日本人の演奏家の手を離れて、海外演奏家によるタケミツもいまや全然普通になりました。
コンサート・レパートリーとしても、大変に重要な位置を占めるようにもなりました。

これまでに、コンサートで武満作品はいくつも聴き、普通にその初演作にも接し、ステージに上がる武満さんを、この目で見たりもしておりました。
無念なことに、どの曲の初演に立ち会ったか、いまはよく覚えてないところがまずいところですが、ただひとつ、P・ゼルキンを筆頭としたアンサンブル・タッシと小澤征爾による「カトレーン」はよく覚えてます。

今日の「鳥は星形の庭に降りる」は、サンフランシスコ初演なのですが、その日本初演を聴いたような気もするという、はなはだに失礼な記憶しかありません・・・・。

音源では、小澤さんと尾高さんのふたつを持ってます。

今日の尾高さんは、BBCのオーケストラの知的でフレキシブルな側面を感じさせる整然とした演奏です。

この曲はともかく美しい。
作曲者が見た夢を音楽にした。
それは、星の形をした庭に、鳥の群れが下降していき、そこに降り立つというもの。
星の形=5を音楽に例えれば、5つの黒鍵があり、その音列を逆に下降させるという手法でもって曲を作ったといいます。
素人にはよくわかりませんが、そうすることで、少しの不安定感とともに東洋的な神秘感、そしてなによりも、鳥たちを客観的に見つめる人間の孤独感と平安も感じさせる気がします。
オーボエが、鳥の舞のような動きを示し、活躍しますが、最後のひと鳴きは、ついに庭に舞い降りるときの終息感が全音階的な和音でもって語られるとき、日本ならではの結びの、帰結の美が強く感じられます。

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2013年5月30日 (木)

武満 徹 「明日ハ晴レカナ、曇リカナ」 晋友会

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鬱陶しいむしむし梅雨空の今日の首都圏。

こんな五月晴れが、ほんとうに眩しく、羨ましく思いだされる1日でした。

ニュースをひねれば、死や暴力、隣国との摩擦、政治家の暴走とあげ足取り、芸能人のつまらん話題・・・・・、そんなのばかり。

そういえば、潮田益子さんが亡くなりました。
まだお若い方でした。
小澤さんとの共演のレコードやバッハの無伴奏もありました。
わたくしの昭和はどんどん過去になっていきます。

Takemitsu_cho

 武満 徹  混成合唱のための「うた」

   ~明日ハ晴レカナ、曇りカナ~

     関根 晋 指揮 晋友会合唱団

                 (1992.9.15 @川口 リリアホール)


武満徹が編曲・作曲した無伴奏混成合唱のための二つの作品集からなる合唱曲集。
これを、合唱曲集と呼ばず、「うた」~Songs~というところが武満流。

50~80年代にかけて作曲されたものを90年代前半に曲集として編んだものです。

 1.さくら                2.小さな空

 3.うたうだけ             4.小さな部屋で

 5.恋のかくれんぼ          6.見えないこども

 7.明日ハ晴レカナ、曇りカナ   8.島へ

 9.死んだ男の残したものは   10.○と△のうた

11.さようなら             12.翼


一筋の流れのようにして聴くこれらの無伴奏合唱。

まさに形式ばらず、肩肘はらない軽いタッチの「うた」。

歌っている詩は、時として、呑気に聴いてらんないシリアスさも内包するけれど、タケミツソングスは、そんなシリアスさも優しく馴染みあるタッチでさらりと聴かせてしまう。

研ぎ澄まされた神経と耳で持って息を詰めるようにして聴かなくてはならない、武満徹の現代音楽ジャンルの作品。
それらと対峙するのでなく、同一の人物がしっかり書いたもうひとつの顔の作品群。
映画音楽のジャンルなどもそうでしょう。
あの泣けるほどに美しい「波の盆」もそう。

こうして、気の置けない雰囲気の合唱は、人々の集いの中で育まれていった英国のパート・ソングを思わせるものがありました。
ディーリアスやホルストたちの涼しげで、田園情緒あふれる庭園音楽たち。

そして日本語の綾なす美しさ。

繊細で細やかな抒情と言葉の意味なすリアルさの妙。

谷川俊太郎をメインに作曲者の詩。

     昨日ノ悲シミ

     今日ノ涙

     明日ハ晴レカナ

     曇リカナ


     明日ノ苦シミ

     今日ノ悩ミ

     明日ハ晴レカナ

     曇リカナ


今日は、ぐっとキタ

このシンプル・ソング

晋友会のしなやかな美しいハーモニー。

いいじゃないか。

武満ソングスのもう1枚の愛聴盤。
オペラ歌手ゆえに劇性も豊か、でもメゾゆえのきめ細やかさ。
林美智子さんの「地球はマルイぜ」。
ご本人のサインもいただき、大切な1枚です。

心の中はずっとずっと晴レていて欲しいものです

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神奈川フィル監修の名曲案内。

本格発売中!

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2013年4月13日 (土)

神奈川フィル音楽堂シリーズ 武満徹と古典派の名曲①

Yokohama_park1

今年はチューリップの開花も早い関東。

われらがベイの本拠地の足元、横浜公園のチューリップを見てきました。

大慌てで、桜木町にとってかえし、紅葉坂。

この坂で、これからはひと汗かいてしまう季節になりました。

春から初夏の風物詩ともなった神奈川フィルの音楽堂シリーズ。

今年は、「若い指揮者と神奈川フィルの首席奏者」、そして「武満徹と古典派音楽」というテーマで、なかなか素敵なプログラムが組まれてます。

Kanagawaphill201304

   武満 徹    「波の盆」

   モーツァルト  ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲

             ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第3楽章

              Vn:石田 泰尚   Vla:柳瀬 省太

   ハイドン     交響曲第90番 ハ長調

         川瀬 賢太郎指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

 

                      (2013.4.13 @神奈川県立音楽堂)

どうでしょうか、いい演目でしょう。
成功が約束されたかのようなモーツァルトも楽しみだったけれど、わたしには、美しい武満作品「波の盆」を神奈川フィルで聴けることが密かな願望であり、今回は喜びなのでした。

尾高忠明さんがCDも残し、演奏会でも折に触れとりあげる曲目。
氏はいつも指揮するとき、涙がでちゃうんですよ、とお話されてました。
わたしも、スマホに入れて持ち歩いていて、疲れたときとか、嫌なことがあったときに聴いたりしてます。
それだけ、癒しと緩やかな優しさにあふれた音楽です。

6つの場面が緩やかに進行するなか、突如あらわれるマーチングバンドはとてもスパイスが効いています。
この日、若い川瀬クンは冒頭から大きな手ぶりで意欲的に指揮をしますが、オケも聴衆もまだあたたまっておらず、音楽が遠いところにとどまっている感がありました。
しかし、ブラスが登場してピリッと引き締まり、終曲では涙が滲むほどに共感にあふれた麗しい演奏となりました。
美しい神奈川フィルの弦と、そこに絡み合う木管の妙。充分に味わえ満足でした。
願わくは、もう少し熟した指揮者との組み合わせでもう一度聴きたい。

この曲の弊ブログ記事→ドラマの概要も書きました。

石田&柳瀬のコンビによるモーツァルト。
悪いはずがありません。
石田コンマスの華奢でスリムなヴァイオリンは、モーツァルトのギャラントな雰囲気を、柳瀬さんの艶とコクのあるヴィオラは、モーツァルトの馥郁たる愉悦感をそれぞれにあらわし尽くしていて、素晴らしく味わい深い演奏でした。
2楽章の哀感の表現も素敵なもので、泣き節を聴かせる石田ヴァイオリンに、からみあうように共鳴し合う柳瀬ヴィオラ。
本当に美しい瞬間でした。
お二人を見ていてもそのお姿が対照的なのは当たり前ながら、上へ上へつま先立つようにして弾く石田コンマスに対し、どっしり構え、わずかに左右に動くだけの柳瀬ヴィオラ。
神奈川フィルの音を支えるお二人の演奏を鮮やかなアンコールもふくめ、堪能できました。

川瀬君の指揮は、生き生きと、そして柔らかくソロを引き立てることに徹し、自然と仲間をもりたてるオーケストラとなっておりました。

後半は地味だけれど、コンサートの最後に最適の隠し玉のような、びっくりハイドン90。
ザロモンセットの前で、いまひとつ地味なグループが、「オックスフォード」を含む90~92番。
普段ハイドンをあまり聴くことのないわたくしですが、90番は大昔にベームのレコードで聴いたくらいの記憶しかなく、今回、予習でネット上にあったラトルとベルリンフィルのライブを聴いてぶっ飛びました(笑)。
サプライズだから、演目パンフには書いてなぴりいし、事前の話もまったくなし。
で、始まりました90番。

ピリオドでもなく、両翼配置でもなく、普通がいいね。
序奏のあとほどなく始まる第1楽章。弾むようなリズム感がいかにも快活ハイドン。
川瀬クン、大振りだけど、やるじゃん。
このキレのよさと、のびのびと自由な感じは、迷いが一切なく爽やかな疾走感がイイ。
早いパッセージも難なく乗り越え、神奈川フィルのアンサンブルも完璧だし、拝見していて皆さん気持ちよさそう。
バロックティンパニも効いてる効いてる。

伸びやかな第2楽章は長調と短調の間を行き来する歌謡性にあふれた楽章。
ここで驚きの川瀬ジャンプが登場するとは。
なにも兄さん、そこまでとも思ったけれど、短調のとき、低弦の刻みを深く入れ込みたかったのでしょう。なかなか劇的な効果を生んでましたよ。
各楽器のソロも美しいものでした。
こういう場面もハイドンの音楽の魅力で、主席の皆様の妙技も味わえるのが楽しい。

3楽章のメヌエット。乗ってきた川瀬クン、ここでも微妙に跳躍を繰り返し、さらに驚いたことに、聴衆の方を半分見ながらのコバケン&ノリントン振り。
オーボエの鈴木さんのソロが素敵。

そして何が起こるか、やってくれるか終楽章。
元気に明るくガンガン進む快感は、幸せの週末気分にますます花を添えるようでワクワクしてしまう。
強弱のメリハリと、巧みな転調を鮮やかに描き分ける川瀬クンの堂々たる指揮も乗ってきました。オケもノリノリですよ。石田コンマスもジャンプのお株を奪われちゃったけれど、ガンガン弾いてます。
そして完全終結その1。
当然に、割れるばかりの拍手。
川瀬クンは、拍手に答えるようにこちらを向きますが、しばしの間(4小節)を置いてまたやりますよ的な顔になり、振り向いて終結部の再開。ざわつく聴衆。
譜面のページを大慌てで戻して、みんな再開。
そして、今度も威勢よく完全終結。ブラボーも出ちゃう。
聴衆の拍手に答えそうになる指揮者に、立ちあがって、何だよ終るのかよと迫るヤンキー一人! おびえた指揮者は、また終結部を繰り返すのでした。
今度こそお終い。無茶苦茶気合いをこめて、超ダイナミックなエンディングに、ほんとの最後を実感した我々聴衆が熱狂の拍手をしたことは言うまでもありません。
 ハイドンの仕掛けたいたずらに見事に引っ掛かりましたよ。

大人しそうな真面目顔の川瀬クン、やりますよ実に。
妙にこねくり回さず、空回りしない若さがそのまま出ているのが、実に素直でいいです。
このところナイスな企画続出の神奈川フィル、今回も大正解のコンサートでした。

Suiyo

アフターコンサートは、野毛に降りて、いつもの居酒屋と思ったら満席。

近くの中華小皿料理のお店で、生ビール、ハイボール、紹興酒をたくさんたくさん飲んだのでした。

そしてこれもまたお約束の終電、東京湾半周の旅で帰還。

みさなんお疲れ様でした。ありがとうございました。

※記事はバックデートして、土曜日公開にしました。

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2012年9月 5日 (水)

矢代秋雄 チェロ協奏曲&三善 晃 ヴァイオリン協奏曲 神奈川フィル

Choumeiji

谷中にあります、日照山長明寺。

日蓮宗のお寺でして、左手にはたくさんのお墓がございまして、由緒あるお山にございます。

つい最近、改築されたようで、ご覧のように、ぴっかぴか。

眩しい青空と、百日紅の色合いも加わって、とても清新で、清々しい。

気温は30℃をゆうに超えてましたが。

Yashiromiyosi

  矢代 秋雄   チェロ協奏曲(1960)

       チェロ:向山 佳絵子

  
三善 晃    ヴァイオリン協奏曲(1965)

       ヴァイオリン:ドゥヴィー・エルリー

   外山 雄三 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

               (1993.9.17、1993.11.19 音楽堂)


神奈川フィルハーモニーの定期演奏会のライブCD。

第111回と、113回の定期演奏会です。

神奈フィル指揮者としては4人目、音楽監督として第2代目の外山さんは、演奏会に必ず、日本人作曲家の作品を載せたとあります。
このCDの演奏会の演目。

  111回 シューベルト   交響曲第1番
        矢代秋雄       チェロ協奏曲
        ドヴォルァーク 交響曲第9番「新世界から」

  113回  ウェーバー   「魔弾の射手」序曲
        三善 晃     ヴァイオリン協奏曲
        モーツァルト   交響曲第41番「ジュピター」

このように、硬軟とりまぜ、真ん中に日本人作品を入れ、聴きやすいように配置し、聴衆にとっても無理なく魅力を感じるプログラムを作ってます。
名曲があることで、それらを完璧にすることで、厳しいトレーナーとされる外山さんの薫陶もきっと光ったことでありましょう。

名曲への人気は、いつの世も根強いものがありますが、一方で、マーラーやブルックナー、世紀末系への嗜好も高くなり、あわせて重厚長大作品が好まれるようになった昨今。
バランス的に、日本人作品を配置するのがなかなか難しくなったような気もします。

でも、過去に演奏された半世紀前のこれらの作品の充実ぶりには、正直目を見張るものがあります。
矢代作品、三善作品、どちらも、ヨーロッパの伝統音楽と日本の文化としての音楽が、高次元で結びついた感があり、西洋楽器を用いて、それは西洋とはまったく異なる世界が築き上げられております。
時に、ベルクやショスタコーヴィチ、ブリテンなども感じさせますが、そのテイストは、濃厚なソースではなくて、醤油や加減のいい出汁です。

矢代作品は、チェロならではの朗々とした響きが全曲を支配する耳馴染みのいい曲で、明快な旋律線はないように感じるが、その独白的なソロは思索的でとても聴き応えがありました。
レント楽章で、フルートソロと繰り広げる独奏チェロのモノローグは、和楽器同士のつぶやきみたいで、深いものがあります。

一方、三善作品の方は、打楽器の活躍も目立ち、オケが満遍なくよく響き高鳴ります。
3つの楽章を持つ伝統的な作りのようですが、その内容はかなり自由で、ロマンティックです。
先に記したとおり、わたしにはベルクの協奏曲を思い起こす音楽でした。

この際お願いしておきましょう。

神奈川フィルに取り上げてもらいたい曲として、このふたつ。

ソロは、もう誰とは申しません、あのお二方です。

指揮は、下野さん、湯浅さん、もちろん聖響さんでも。

そろそろ、来シーズンの演目が煮詰まっているんじゃないでしょうか。

ファンとしては、勝手に提案して妄想する会で、酒が飲めちゃうんですよね。

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2011年4月26日 (火)

武満 徹 「波の盆」 尾高忠明指揮

Matsubagiku

路傍の花。
松葉菊?でしょうか。
おわかりになる方は教えてください。
誰かが植えたのでしょうが、力強いものです。
そして、花の色の美しさにはかないません。

Takemitsu_hosokawa_otaka_sso

季節はずれだけれど、あまりに美しい音楽なものだから。

武満徹(1930~1996)の「波の盆」。

83年の同名のテレビ映画のために書かれた武満徹の音楽で、その組曲。
その映画は、実相時昭雄が監督で、脚本が倉本聡。

いま「波」とかいうと、どうもあの思いがよぎってしまうのですが、ここでいう「波」は、この映画の舞台となったハワイの海。そして、そこから故国日本を思い、隔てる海のこと。
そして「盆」とは、8月のお盆。

開戦前、ハワイに移住して生活した日系1世。
しかし、2世である息子は、米軍に協力し、やがて実家のある広島に原爆が落下することとなる。日本や家族によかれと思った息子の行動が裏目に出ることとなったが、その息子を父は許すことができず、勘当したまま息子は死去。
時間は経過し、その息子の愛娘、すなわち孫が訪ねてくる。
嬉しいものの、わだかまりを捨てられない。
静かな海を見ながら、死んだ妻と語りあい、徐々にその心を開いてゆく。
ハワイ日系社会で、盆踊りが行われ、そこで息子と妻が踊る姿を見出す・・・・。
はじめて、息子の思いをわかったかのような思いの父・・・・。

どうも、このような内容なのです。
この映像は、いまやなかなか見ることができないが、ここにつけられた音楽を知ってしまった以上は、なんとしても観てみたいと思っている。

映画音楽の武満徹は、写実的で、旋律的。そしてとてもわかりやすい。
そしてその映画音楽の数は、あまりに多くて驚く。
亡き田中好子さんの、「黒い雨」もそうです。

本格クラシカルの分野でも、調性が戻り、静謐さはそのままに、明快で耳に馴染みやすい音楽となりつつあった。
 武満徹は、「水」を代表格に、自然をモティーフとした作品が多く、人間やその営みといったドロドロした世界とは一線を画していたように思います。
人間を語る場合でも、自然、ないしは人間を取り巻く何か(たとえば「無」)を通して。

こんなこと偉そうに書きつつも、わたくしは、武満作品を多くは聴いてないし、聴いても感覚的に流してしまう所作が多い。
これから歳を経たら、わかるようになるのかしら?

そんな思いはともかく、「波の盆」は調和のとれた美しい音楽の世界。
この作品をことのほか愛する、尾高さんのCDでは、6つの場面が組曲となっている。

 Ⅰ「波の盆」(Tray of waves)~ジャケットにはNami no Bonなのに
 Ⅱ「ミサのテーマ」 主人公の亡き妻
 Ⅲ「色あせた手紙」
 Ⅳ「夜の影」
 Ⅴ「ミサと公作」 妻ミサと主人公
 Ⅵ「終曲」


全編大半がアダージョないしは、アンダンテ。
癒しの音楽ともいわれるかもしれないが、この静けさをどう聴くか。
 映画を観てないから、あくまでイメージだけれど、大切なもの、親しいものを思い、辛いことや悔やまれることを、緩やかながら忘れてゆく、そんないじらしくも愛おしい気持ちを呼び覚ます音楽に聴こえます。
言葉にすることはできないくらいの美しさ。
でも、終始、のっぺりとしているわけでなく、「夜の影」では、まるでアイヴズのようにマーチングバンドが突如として乱入してくる。
その唐突さの対比が、また主人公の感情のわだかまりと移り変わりを思わせる。

シャンドスの海外盤ですが、尾高さん、自ら解説を書いておられる(英字)。
「なんと感情的な音楽なのでしょうか。指揮をしながら涙を隠すことができなかった。そして、ヴァイオリン奏者たちが、実際に涙を流しながらレコーディングをしたのです・・・・」

Ⅰであらわれる主要旋律が、ほぼ全編にわたって流れてます。

youtube等でも、聴けますので是非、この美しさを味わってみてください。

   尾高忠明 指揮 札幌交響楽団 (2000.5.8@札幌Kitara)

このCDには、ほかに同じ武満の「乱」、忠明さんの兄・惇忠の「オルガンと管弦楽のための幻想曲」、細川俊夫の「海の記憶(広島シンフォニー)」も収録されていて、それぞれにこれに素晴らしくも美しいのです。

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2009年12月28日 (月)

武満 徹 「ノヴェンバー・ステップス」 ハイティンク指揮

Horyuji_1 法隆寺の回廊。

渋いですな。
何年に改修されているかわかりませんが、いぶし銀を感じるとともに、こうしたさりげない部分にも美的なこだわりを感じさせる日本人の細やかさ。

Tosyodaiji

唐招提寺。
12月の初旬、まだ残る紅葉。

均衡のとれた建築美に自然のおりなす彩。

Heiteink_takemistu_2 クリスマスが終わると、街にはまったくその形跡も跡形もなくなってしまう日本。

ま、欧米じゃないからあたりまえだけど、クリスマスに浮かれていた人々が、いまは慌ただしく、よいお年をとかいいながら、年越しの準備をして、神妙に正月を迎える。
 天の邪鬼だから、普通にしていたいし、クリスマスも延長したいから、クリスマス・オラトリオやメサイアを聴いたり、バイロイト放送を確認したりしている今日この頃のわたくしです。

しかし、土曜の第9は空しい内容だったなぁ・・・。

ヨーロッパと日本、それぞれの伝統の融合。
曲も演奏も、そんな意義のもとに選択してみた。

武満徹「ノヴェンバー・ステップス」。
琵琶と尺八とオーケストラのための二重協奏曲ともいえる音楽。

融合とか、先に書いけれど、この曲における日本の伝統楽器と西洋のフルオーケストラは、溶け合うというよりは、互いが拮抗し、聴きあい、その2者の間に生まれる緊張感を奏者も聴き手も感じ取る・・・・、といった風情のありかたに思う。

1967年11月、ニューヨークフィルの創立125周年の記念の依嘱作として初演された。
その11月という意味と、「序」と11の「段」からなっているところから「ノヴェンバー」の名前が付いているという。
11の段といっても、私のような素人では判別不能。
でも、日本の11月という、冬を迎える前の深まる秋、その静謐感がこの東西楽器の競演によく聴いてとれる。
竹林のざわめき、風の音色、空気の香り、高く澄み切った空、百舌の鳴き声・・・・などなど、われわれ日本人の心にある秋の心象。
武満氏が、それを思って作曲したかどうか不明なれど、わたしは武満の音楽にいつも感じるそうしたものを、和楽器が大胆に使われていることも相まって、この曲に強く感じる。

初めて聴いたのは、オーケストラがついていない、この曲の元になっている「エクリスプス」。これを、NHKの教育テレビで中学生の時に観た。
当然に、鶴田錦史の琵琶と横山勝也の尺八のコンビである。
和楽器には、まったく興味がなかっただけに、これには心底驚いた。
その、劇的な表現の幅の大きさに。
 で、すぐにあと、ノヴェンバー・ステップスを小沢征爾の指揮で、これもテレビで観た。
オーケストラとの組み合わせの妙。そして終盤のカデンツァで、あのエクリプスの場面が再現され、いたく感激したものだ。

実演では一度だけ、岩城宏之の指揮で武満徹の作品だけの一夜で。
コンサートすべてが武満作品で、途中安らかにあっちの世界へ行きそうになったのを覚えている(笑)

Heiteink_takemistu3 いまや、日本のクラシック音楽の古典ともいえる作品に、ハイティンクコンセルトヘボウ鶴田&横山コンビとともに録音を残している。
1969年の録音で、カップリングはメシアン。
ほんとは、メシアンの方がフランドル風の渋さがコンセルトヘボウっぽくて面白いのだけれど、われらがハイティンクが貴重にも武満作品を指揮しているので、この1枚はとても大切な音源となっている。
 たしかに、あのホールと、フィリップス録音の響きがオーケストラばかりでなく、琵琶と尺八の音にもする。
当時から、日本人奏者の多かったコンセルトヘボウだけれども、やはり、小沢盤や若杉盤の冷凛とした透徹感とは隔たりがあって、ちょっと生ぬるい。
でも、それがふくよかなハイティンクとコンセルトヘボウの特徴。
よいではないか。
 和楽器と完全なる対比が、巧まずしてなされている。

現代物をあまりやらない印象があるハイティンクだが、オランダの作曲家や、リゲティなどもいくつかライブ以外にスタジオ録音しているので、復刻が待たれる。

若いぜ、ハイティンク。

Yakushiji こちらは薬師寺の回廊。
改修したから、派手なくらい・・・・。

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