カテゴリー「ベルリオーズ」の記事

2015年10月 7日 (水)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ティチアッティ指揮

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10月の小便小僧は、もろ、ハロウィーンでした。

本来は、ケルトに由来する季節の変わり目を意識した、収穫祭プラス魔除け的な宗教儀式だったハロウィーン。

かつては、アメリカの物量的な豊かさの象徴的なリッチなお祭り、みたいに自分には映っていて、「奥さまは魔女」とか、ピーナッツの漫画「スヌーピー」で観て、そんなものがあるのか的な遠い事象でした。

しかし、気づけば、わが日本では、そんな由来・起源なんて、まったく関係なく、クリスマスやバレンタインを宗教性とは無縁のカレンダー上の季節のお祭りにしてしまった国柄ですから、毎年、大盛り上がりとなっております。

まぁ、それはそれでいいとして、わたしのようなオッサンは、ただそれを眺めるだけで、お部屋で静かに音楽でも聴いているに限りますな、秋の夜長ですからして。

今年の10月31日は、土曜日ですから、さぞかし賑やかな終末になることでしょうな。

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浜松町の小僧クンも、ほれ、ご覧の通り、かわゆくなってますよ。

ほんと、よく出来てる。

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  ベルリオーズ  幻想交響曲 op14

         ロビン・ティチアッティ指揮 スコットランド室内管弦楽団

                       (2011.10 @エディンバラ)


今月のツキイチ幻想は、若手ホープ(古い言葉かな)の、英国指揮者・ティチアッティの指揮で。

9月は、忘れてしまい、1ヶ月サボりました。

さて、ティチアッティは、1983年生まれのイタリア系のロンドンっ子で、祖父は、作曲家。
父は弁護士、母は理学療法士、兄はヴァイオリニスト、姉は神学者といった、錚々たる優秀な家系のもとあって、もともとは、正規の指揮の勉強は受けておらず、ヴァイオリンやピアノ、打楽器をユースオケで演奏しつつ、15歳くらいから、指揮も始めたそうな。
 ラトルとC・ディヴィスに学んだのは、その豊かな家系からくる恵まれた環境だったからかもしれませんね。

指揮者としては、2005年にデビュー。
その後、ムーティとスカラ座に迎えられるという栄誉を得て、2007年には、スゥエーデンのイエグレといい都市のオーケストラの首席指揮者に就任。
グラインドボーンのツアー指揮者もつとめ、2010年には、スコットランド室内管の首席、バンベルク響の首席客演、2014年には、ユロフスキのあとを受けて、グラインドボーンオペラの音楽監督に就任してます。

順風満帆の32歳。

客演の状況を見てると、スカラ座、コヴェントガーデン、ゲヴァントハウス、バイエルン放送、ドレスデン、チェコフィル、フィラデルフィアと、まさにすごい。

ですが、この人、その音楽造りも、大胆ななかにも、以外と慎重派にうかがえ、かつてのラトルのように、英国にとどまり、じっくり大勢していくのではないかと、期待も込めつつ思っています。
 いまの世界の指揮界、若返りも急で、オーケストラ地図も欧米ばかりじゃなくなり、有望株は奪い合いとなっているので、ティチアッティ君も、メジャーポストにひっぱり出されてしまうかもしれませんね。。

 さて、その彼の音楽ですが、昨今のトレンドのとおり、古楽奏法もしっかり体得し、ピリオドを適宜用いた解釈から、現代作品まで、幅広いレパートリーを築きつつあります。
同時に、ティチアッティの強みは、オペラが振れること。
実験的な要素も試せて、かつ伝統の強みもあるグラインドボーンのポストは、ますます彼のオペラ解釈を強くすることでしょうし、一方、手兵のスコットランド室内管の機動力と柔軟さが、彼のやりたいことを叶えてくれる環境を築いてくれることでしょう。

2011年、まだ20代だったときのこちらの「幻想」。
ヴィブラートを控え気味に、ツィーツィーっという、この曲にしては耳新しく、新鮮かつ大胆な奏法が各所で目立ち、そうした意味で、いろんな発見もあります。
 だが、思ったよりは、まっとうで、同じピリオドでも、かつてのガーディナーとか、ミンコフスキの方が、もっと大胆だった。

このあたりの中庸さは、実は見通しのよさと、しなやかな旋律の歌わせ方、全体の構成感の豊かさにつながるものとして、わたくしは受け止めました。
アバドからラトル、ハーディングにつながるものを感じます。

全曲で繰り返しを入れて、約53分。
ちょっとゆっくり目ですが、速いところは大胆でスバズバ行きます。
断頭台は揺るぎない歩みですが、切れば血の吹きだすような鮮度の高さと強さがあり。
終結のヴァルプルギスでも、過剰な熱狂に溺れることなく、音楽の生々しさを追求しているようで、明るさすら感じる白日感がありました。
 そして、一番気に入ってるのが、野の情景のしっとりとした抒情的な演奏です。
室内オケということもあり、ほんと瑞々しく、そして美しい景色が広がってます。

今後がますます楽しみなティチアッティ。
すでに、ベルリオーズ・シリーズや、シューマンの交響曲、新世界やブラームスの渋いところ、オペラもいくつも出てまして、われらが、川瀬賢太郎さんとひとつ違いの、この若者の演奏も川瀬君とともに、追いかけてゆく楽しみがひとつ増えました。

最後に、来シーズンの神奈川フィルのオープニングは、川瀬・幻想ですよ
むふふ

過去記事

  「モーツァルト 後宮からの誘拐 Proms2015」

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2015年7月15日 (水)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ロンバール指揮

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7月の小便小僧は、夏休みバージョン。

小便も元気いいです。

しかし、梅雨はどこへ行った?暑いよ。

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前も、後ろも、見事なひまわり。

毎度、コスプレ担当のボランティアのみなさまに、感謝。

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  ベルリオーズ  幻想交響曲 op14

   アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1973 @ストラスブール)


ロンバール?、お若い方々には、ご存知ないかも知れませぬね。

70年代半ばに、彗星のようにあらわれた、フランスは、パリ出身のダンディー指揮者なんざぁますよ。

Lombard

1940年生まれ、フランス国内での活動から、1966年のミトロプーロス指揮者コンクール優勝(ちなみに、我らが飯守先生は、このとき4位。わがアバドは、63年優勝)。
その後、バーンスタインの助手をつとめ、アメリカでメトなどで活躍し、オペラ指揮者としての才覚もあらわす。
71年からは、母国ストラスブール・フィルの音楽監督となり、エラートとの契約も成立し、当時、オーケストラ録音にこぎ出したエラートの看板コンビとして、大量の録音を残しました。
 その後は、ボルドー・アキテーヌ管弦楽団、そして、いまは、スイス・イタリア語放送管弦楽団の指揮者として活躍してます。

メジャーに躍り出ることは、いまに至るまでなかったけれど、エラート時代に残した演奏の数々は、当時も今も、フランスのエスプリと、ストラスブールという多面的な顔を持つ街のオーケストラの特色を引き出した点で、大いに評価されていい指揮者だと思います。

ストラスブールは、地政学的な文化面で言うと、ドイツであり、そして、政治的な存在としてはフランスなのです。
ライン川を隔てて、ドイツのケールという街と一体化してます。
さらに、地図で地名を見てみると、フランス内のストラスブール周辺は、ドイツ的な地名ばっかり。
シュトラスブルク、ドイツ語では、そうなるんですね。
EUの街、そして交通の要衝となってます。

ロンバールとストラスブールフィルのコンビは、確か70年代に、日本にも来たと記憶しますし、ロンバールも読響あたりに来演してたと思います。
いまは、太っちょになってしまったロンバールですが、エラート時代の録音の数々は、クライバーや、デビュー当初のレヴァインもかくやと思わせる、新鮮で、イキのいい、ピッチピチの演奏を造り上げる指揮者でした。
しかも、エラートの録音が、また鮮明で実によかった。
ラヴェルやドビュッシーのレコード、FMでエアチェックした幻想や、カルメンなどなど、そのイメージは脳裏に刷り込まれてます。
 レコ芸で、誰かが、ロンバールの指揮に対して、小股の切れあがったナイスな演奏と評しておりましたが、当時は、まさにそんなイメージだったんですよ。

今回、久方ぶりにCDで聴くロンバールの幻想。

快速です。
47分ぐらい(繰り返しなし)。

そして、速さと同時に、勢いと若さがありまして、これはまた意気軒昂とした超前向き演奏と感じましたよ。
爆演系じゃありません。
スピーディで、スマート。細部にこだわらないようでいて、意外や緻密。
指揮者の強い意志も感じる、この疾走感あふれる幻想は、いくつもある幻想のなかでも、ユニークな存在だと思います。
 それは、古豪レーベル復活をかけたエラートの熱意と、ほぼ録音などなかった指揮者とオーケストラの前向きさ。それらが融合した結果のものかと。

ドイツ的なきっちり感と、オペラのオーケストラでもあるストラスブールフィルに、ラテン系だけれども、スマートな側面も持ってるロンバールの、ステキな名コンビの結実です。
 彼らの「幻想」は、掛け値なしに、かっちょよくって、大好きですよ。

CD化されてないものも多いですが、このコンビの音盤は、ラフマニノフのピアノ協奏曲、フランク、R・シュトラウス、新世界、ヴェルレク、カルメン(クレスパン)、ペリコール、ファウスト、コシ、トゥーランドットなどなど、かなりあります。
そこそこ聴いてますので、それらはまたいずれここで。

台風が近づいてます、日本全国、広く用心、そして安心安全でありますよう、お祈り申し上げます。

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2015年5月22日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ミュンシュ指揮

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今月、5月の小便小僧クンの写真を撮り忘れてしまいました。

よって、今年、2015年5月は欠番します。

過去4年間の5月をレヴュー。

まずは、2011年、震災の2カ月後・・・・。

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2012年5月。

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2013年5月。

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2014年5月は、変化して、桃太郎コスプレ!

今年、電車の中からチラ見したら、兜と鯉のぼりしょってました。

そして、ツキイチ幻想。

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  ベルリオーズ  幻想交響曲

    シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団

                     (1962.@ボストン)


名指揮者シャルル・ミュンシュ(1891~1968)は、ご存知のとおり、ベルリオーズを得意にし、多くの録音も残しましたが、そのミュンシュに若き日に師事した、小澤さんも、ベルリオーズをレパートリーにして、師のボストン響の音楽監督を長く務めたことは、ご存知のとおり。

 ミュンシュの幻想は、いま、5ないしは、6種類の録音が残ってますが、そのうち、代表的な3つのスタジオ録音のみ聴いてます。
パリ管ライブや、ハンガリーの放送録音は、聴いたことありません。

そして、新旧ボストンと、EMIパリ管の中で、とびきり一番の演奏が、ボストン新盤62です。

旧盤は勢いがありますが、録音も含めて荒い。
パリ管盤は、自在さが増したのと、新生オケとのやる気のエモーショナルが、熱く燃えた演奏になっておりますが、EMIの録音が好きじゃない。
そのパリ管より、さらに激してるのが、ボストン62。

おまけに、RCAのボストン録音の中でも、とりわけ素晴らしい音で、とても50年以上前のものとは思えない生々しさと、音の力感、分離のよさが際立ちます。
もともとの演奏がそうだからなのですが、低音のうなりをあげる迫力を、まともに捉えているところも、この録音の素晴らしさです。

しかし、すさまじい迫力。

ミュンシュの指揮の一本義な熱さ、縦割りにキレのいいド迫力サウンドは、聴いていて、人を思いきり夢中にさせてしまう情熱の爆発に、タジタジになってしまう。
 ちょうど、ベイスターズが、曲の途中で、サヨナラ勝ちをしたもんだから、その興奮も乗り移って、自分の中で気分大高揚、すごいことになってしまった、終楽章サバトのシーン。
 息つく間もない一気ぶりに、思わず、笑いがこみ上げてくる。
最後の、途方もない大迫力のエンディングは、パリ管でも、旧盤でもそうですが、かなり音を伸ばします。

そんな迫力シーンばかりでなく、ミュンシュのオシャレなところは、舞踏会のワルツのセンス溢れる歌い回しや、1楽章にあらわれる、恋人の主題の緩急の付け方。
 そして、もうここ数年、この曲で一番好んでる静かな田園風景の、おっとりした中にも、不穏な影を潜ませる味わいの深さ。

ベルリオーズの狂気が、そのままミュンシュの棒に乗り移ってしまったかのような、凄まじさと、熱気と情熱に溢れた演奏。
アメリカ的な派手さやにぎにぎしさに陥っていないのは、ヨーロピアンなボストン響の響きあってのもの。

そうそう、ホールの外の車の音も、ちゃんと聴こえる優秀録音なんですよ。

以上、おしまい。

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2015年3月 6日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 バティス指揮

201503_hamamatsucho_a

3月の浜松町駅・小便小僧は、春の火災予防運動に連動して、消防服をまとってます。

顔隠れちゃってまして、かわゆす~

201503_hamamatsucho_b

まいどながら、よく出来てますね。

春先は、風も強く、乾燥してます。

みなさま、火の用心。

熱血注意?

Berlioz

ジャケットが、ちょろっとお花のカラーといい感じですな。

あらためまして、説明しますと、毎月、この小便小僧クンの衣裳替えに合わせまして、月一回の「幻想交響曲」を、いろんな演奏で取り上げてます。

この月イチ大作戦、幻想に飽き足らず、大好きなチャイコフスキーの5番も加え、月替わりでやってます。

   ベルリオーズ  幻想交響曲

     エンリケ・バティス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

                     (1998 @ロンドン)


メキシコの謎の爆演指揮者、エンリケ・バティス(1942年生まれ)は、そこそこ聴いてますが、どうにもよくわからない。
 なにゆえ、爆演かも、さっぱり聴きとれない。

ロンドンのオケとの録音しか聴いてないので、至極まっとうにしか思えない。
メキシコのオケのもの聴かずして・・・と叱られそうですね。

クラシックを聴き始めた69年頃、ロンドンレーベルが売りだした、アルゼンチンの指揮者、カルロス・パイタも爆系と言われましたが、実際はそうでもない感じで、そのパイタとバティスが、どうもイメージ的にかぶってしまって、いまに至るまで変わりません。

 でも、今宵は、ほろ酔いで、バティスの幻想に、のめり込むようにして食い入り、聴きました。
スマートな演奏様式による「幻想」に慣れ親しんだ自分です。
よくよく聴けば、このバティスの幻想、ロンドンのオケとは思えないくらいに、荒々しい響きを引き出してます。
つーか、正直、粗い。

ゆったりと丹念な出だしの1楽章ですが、主部が始まると、怒涛のような勢いの激しい、息もつかせてくれない疾風感あふれる様相を呈し、一気に突き進みます。

ワルツは、すいすいと進むなか、意外と歌心もあって麗しい感じよ。
気持ちいい。
でも、音圧が高いし、強いとこが、この指揮者ならでは。

やる気のなさそうな感じで始まる、野の情景ですが、流れがとてもよくって、ここでも、のびのびと歌うこと、実に気持ちがイイ。

狂ったような、すっとんきょうな、木管。
エンドは、まさに、ストンと落ちちゃう断頭台の4楽章は、おもろすぎ。

さぁさぁ、来るぞと身構える終楽章のヴァルプルギス。
蠢く低弦、よじれるような奇怪な管。
ぶわーーっとくる、音圧は、激しくて、デリカシーもくそもなく、野放図すぎ。
全部フォルテは、正直、疲れるわ。

でも、おもろい。
でも、疲れるし、めんどくさい。

 といことで、いいんだか、なんだか、さっぱりわからない「幻想交響曲」を、酔っ払いが聴いてみました。。。

この演奏、ロイヤルフィルの数年前のものともいう説もアリマス。
メキシコ産のCDですからして・・・・

あっ、テキーラでも飲みながら聴いてみるんだった。

メキシコ産の「1812年」も仕入れましたので、いずれまた。
 

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2015年1月 7日 (水)

ベルリオーズ 幻想交響曲 アバド&LSO

Hamamatsucho_a

新年1月の小便小僧は、このとおり、干支と門松を従えた勇志ですよ。

おしっこの勢いもいいですな!

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お背中の家紋は、なんでしょうか。

梅の印と見受けますが、どうでしょう。

今年も、いろんなコスプレを期待してますよ。

毎度ながら、ボランティアのみなさま、ごくろうさまです。

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  ベルリオーズ  幻想交響曲

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

        1983.7.31 @ザルツブルク

        1983.9.1  @ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール


今月の月イチは、幻想交響曲。

もうじき、1年。

敬愛するアバドの訃報に接してから。

でも、いまや、全然悲しくない。

いつも、そばにいますよ、わたくしにとってのクラウディオ・アバド。

 今日は、秘蔵のFMライブ録音の自家製CDRで、「アバドの幻想」を聴いてみました。

「アバドの幻想」といえば、シカゴ響との鮮やかな録音が真っ先に浮かびますし、シュールでリアルなジャケットも素晴らしい1枚ですね。

そして、わたくしにとっての、「アバドの幻想」のもうひとつは、ロンドン響との来日公演。

1983年5月の東京文化会館でのものでした。

この時の来日公演は、以前にも書きましたが、3公演を全部聴いて、アバドの一挙手一投足が、いまでも、脳裏に刻まれております。

 文化会館での幻想は、まず、バルトークのマンダリンが疾風怒涛のように演奏され、そして熱き、その幻想、そして、アンコールはブラームスのハンガリー舞曲1番。
ほかの演奏会での、マーラー1番と5番のあとには、アンコールを一切やらなかったことが、いまとなっては、よくわかるアバドの思いです。

 そして、その1983年は、「アバドの幻想イヤー」なのでした。

2月に、シカゴで指揮をしてスタジオ録音。
5月に、ロンドン響と日本公演。
7月に、ロンドン響とザルツブルク音楽祭出演。
9月に、ロンドン響と、ロンドンのプロムスに登場。

夏のロンドン響とのヨーロッパツアーでは、きっと、上記以外の地でも演奏したに違いありません。

 その後の「アバドの幻想」は、2006年のシモン・ボリバル、2008年のルツェルン、2013年のベルリン、ということになります。

後年の熟成した幻想とは異なり、勢いと思いきりのよい解釈において、83年の演奏は、いずれも、アバドならではのしなやかさとともに、爆発的なライブ感。

シカゴのスタジオ録音よりも、より熱く、飛ばしてるのが、7,8月の音楽祭ライブ。

なかでも、ロンドンでのライブは、後半に行くにしたがって、ものすごい熱気で、おそらく、お上品なザルツブルクのお客様よりも、ロンドンの野放図なくらいの若者パワーを、背中に思いきり浴びてしまった演奏の方が、極熱で、ヴァルプルギズの夜の凄まじさは、とんでもなく素晴らしい。
ザルツもすごいけど、ロンドンの方の濃密・熱狂ぶりは、すさまじいです。

 私家盤なので、あんまり激烈に誉めたたえても、みなさま、醒めてしまうかもしれず、もうやめときますが、これらの放送音源が、いつか、正規に日の目を見ることを願いたいです。

Abbado_lso
 

 

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2014年12月18日 (木)

幻想&チャイ5 ヤンソンス

Hamamastucho1

はいはい、お約束の小便小僧サンタさん。

12月は、必ずサンタになりますね。

それでも、このコスプレをされているボランティアの皆さんは、手を抜きません。
毎年違うんです。

Hamamatsuchou201012  Hamamatsucho_201112_c

    2010年                    2011年

Hamamastucho201212  Hamamatsucho201312_a

   2012年                     2013年

ずっと毎月、撮り続けてる小便小僧クン。

そして、毎月、幻想に始まり、いまは、チャイ5も加えて聴いております。

継続は、ときに正直、厳しいときもあり、でも楽しいです。

こうして楽しませていただいているのも、小僧クンに毎月衣裳を合わせていらっしゃる方々あってのこと。

ありがとうございます。

そして、今月は、特別に、「幻想」&「チャイ5」でまいります。

それも、先ごろ来日して、安定の熱くも音楽的な演奏を繰り広げたヤンソンスとバイエルン放送響の録音で。

Berioz_jansons

  ベルリオーズ  幻想交響曲

   マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

            (2003.10ライブ@ガスタイク・ホール、ミュンヘン)


ヤンソンスの幻想は、全部で4つ。

コンセルトヘボウとのEMIスタジオ録音盤(91年48歳)、ベルリン・フィルとのヨーロッパコンサートライブ映像(2001年58歳)、バイエルンとの一般発売なしライブ盤(2003年60歳)、バイエルンとの最新ライブ(2013年70歳)。

4つめのBRクラシックから出た演奏は、まだ聴いてませんで、その存在を最近知ったばかり。
今日、あらためて聴いた2003年盤が素晴らしいものだから、もういいかな、と思って、今回はスルーしましたが、やはり聴いてみたいな。
いずれの機会に。

今回のCDは、以前にもご紹介しましたが、2007年の彼らの来日公演で入手しました。
そしてその前、2005年のこのコンビでの来日では、幻想の実演を聴いております。
 そのときのライブは、凄かった。
オケがノリにのって、ヤンソンスの指揮に、まさにのせられてイケイケどんどんの幻想。
それでも、音楽性は失われずに、磨きぬかれた洗練された音は輝いてました。

その印象とほぼ一緒、そして、少し荒削りにしたような力強さと、一気呵成の若さも感じるのが、2003年のライブ。
ミュンヘンのオケに特有の暖かさをたたえつつも、機能的かつ克明なアンサンブルは、聴いていて爽快そのもの。
 野の情景など、惚れぼれとしてしまう抒情と、半面の急展開の激しさの鮮やかな対比。
興奮すべき、終楽章のエンディングは、もっと激しくやって欲しいという聴き手の気持ちと裏腹に、じっくり鮮明・克明な描き方。
シンフォニーとしての容を巧みに描きだした「幻想」なのです。

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 チャイコフスキー 交響曲第5番

   マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

             (2009.10ライブ@ガスタイクホール、ミュンヘン)


84年(41歳)の、オスロフィルとの全曲録音の一環と、このバイエルン盤の2種。

レニングラード・フィルとのいくつかの来日公演で、86年に指揮していますが、ヤンソンスのチャイコフスキーで、録音に残されているものは、いずれも、ヨーロッパ仕様のチャイコフスキーだと思います。

ワタクシのエアチェックライブラリーのなかにある、唯一の、ヤンソンス&レニングラードフィルの音源は、ショスタコの5番とチャイコの4番です。
ソ連邦崩壊前の、86年の演奏ですが、これがまたスピーディで、パワフルで、凄まじい。
一度聴いたら、お腹いっぱいの高カロリー演奏ですが、それより前のオスロとの演奏は、もっとあっさり感があるところが面白いです。

親父も指揮したレニングラードだけど、ムラヴィンスキーは来日不能となったものの、当時はまだ健在だったオーケストラ。
やはり、若いヤンソンスは、勢いで行くしかなかったのか。

 その後の、オスロや、ピッツバーグでの度重なる来日を、いずれも聴くことはできませんでしたし、おそらく、チャイ5も指揮したものと思いますが、ロシア的な濃密さとは遠い、機能性に富んだ、そして、ヤンソンスならではの、輝かしく熱い演奏が繰り広げられたはずです。

円熟のヤンソンスが手にした、ふたつの、もっともヨーロッパ的なオーケストラ、コンセルトヘボウとバイエルンは、いずれも、その黄金時代を築き、築きつつありますが、ラトヴィア生まれのヤンソンスが、脱ロシア志向であることは見逃せません。

バルト三国は、一時はソ連でしたが、やはり、ヨーロッパなのだな、と強く認識。

そんなヤンソンスとバイエルンとのチャイコフスキーは、後期の3つの交響曲がライブ録音として残されてますが、それらがいずれも、堂々としつつ、新鮮かつクリアーな明確な演奏なのです。
 オーケストラの優秀さも、随所に感じつつ、ここでは、チャイコフスキーの音楽の歌い回しが、ヤンソンスの感じたまま、奔流のようにして流れでております。
ちょっとしたフレーズにも、ほかの演奏にない、わずかな違いや、個性が、よく聴くとあわらわれまして、45分間、この作品が好きな人間には、飽くことなく、かつ新鮮に感じられる演奏です。
 1楽章が、こんなに素敵に、かっこよく響くのもヤンソンスならではだし、バイエルンの澄み切ったかっこいいサウンドが実に心地よく耳に届きます。
2楽章も、カラヤンのような美意識とは遠いところで、ナチュラルな美しさを保ちつつ、かつ熱いです。
 優美なワルツに、スマート極まりない終楽章。
思わず、指揮棒が欲しくなるような、乗せられちゃうチャイ5に、後半に行くにしたがってなってまいりまして、かつてのように、突っ走ることもなく、堂々と、ごく自然なフィナーレを築きあげることとなります。

普通に、いいなぁ、という名演です。
個性的ではありませんが、高度な名演です。

コンセルトヘボウとも、バイエルンとも、チャイコフスキーの全曲は残して欲しいものです。

ちなみに、次期を更新しなかったコンセルトヘボウは、次はガッティ。
うーーむ。
また、シャイーみたいになるのかなぁ・・・・

オランダの音楽界は、どうも、わかりません。
でも、ハイティンクのあと、コンセルトヘボウは、もう違うオーケストラとなってしまったといっていいかもしれません。

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2014年10月31日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 スラトキン指揮

Hamamastucho21410_a_2

超、遅ればせながら、10月の小便小僧。

ハロウィンがテーマです。

迂闊にも忘れてましたが、ハロウィンだったので、ぎりぎり、当日に、しかも、魑魅魍魎のヴァルプルギスの宴、幻想交響曲こそ、相応しい、ということで

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今回も、力のこもった、まさにコスプレ仮装は、ほんとに見事です。

前後左右、完璧ですね。

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  ベルリオーズ   幻想交響曲

   レナード・スラトキン指揮 リヨン国立管弦楽団

                    (2011.8,9 @リヨン)


幻想交響曲の聴きどころは、幾多あれど、やはり衆目の多くは、最後の楽章の魔女たちを始めとする魑魅魍魎たちの宴の場面で、最後に激していって、爆発的に終焉を迎えるところかと。

わたくしも、最後にそれがあるから、それまでの、恋模様・夢・舞踏会・のどかな田園風景・処刑といった各場面が、それぞれに光彩を放って活きてくるのを楽しめるわけです。

ベートーヴェンの第9から6年後にあるベルリオーズの「幻想」は、多彩な楽器を、それこそ多彩な奏法を駆使しつつ、とうてい6年後とは思えない別次元の響きでもって存在します。
ベルリオーズの革新性に、その年月を思うと、いつも驚きです。

しかも、ライトモティーフの走りとも呼ぶべき、統一主題の巧みな使用と、繊細で、リリカルな歌心も併せ持ったオーケストレーション。
何度も聴いて、聴きあきないのが、ベルリオーズの、そして幻想の魅力であります。

もちろん、ロミオも、ファウストも、レクイエムも好きですが、長さ的に、そう何度も聴けるものではありません。
オペラ、トロイ人にチャレンジ中ですが、あれはまた長大すぎて、まだ全貌をつかめません。
いずれにせよ、おもろい作曲家ベルリオーズなんです。

 スラトキンが、二世指揮者として、彗星のように登場したのは、70年代後半。
セントルイス響を鍛え上げて、アメリカのメジャー5大オケに次ぐとまで言われるようにしてしまった。
その後に、N響に客演して、鮮やかな日本デビュー。
ラフマニノフ2番、マーラー、ショスタコ、そして幻想と、メリハリと元気のいい爆発的な指揮でもって、わたくしは、テレビにくぎ付けになりましたね。
 そのスラトキンが、N響の音楽監督候補のひとりに名があがり、最終的にはデュトワになったことも、よく覚えてます。
 スラトキンは、どうも、大きなメジャー・ポストには、無欲(無縁)のようで、セントルイス後も、ニューヨークフィルで名があがりながらも、ワシントン・ナショナル響、BBC響、ナッシュビル響、デトロイト響、そして、リヨン管という就任歴を持ってます。

器用すぎるのと、厳しすぎるのがいけないのかしら?

そのスラトキンも、もう70歳。

かつての俊敏さに加えて、この録音では、じっくりとした語り口の味わい深さを、野の情景に感じますし、ちょっとしたフレーズでも、手を抜かず、ハッとするような切り口でもって新鮮さを聴き手に与えてくれます。
南仏のオケでありながら、ちょっと渋い幻想に仕上がった感もありますよ。
そして、もっと暴れてもよかったかも・・・

コルネット付きの、第2楽章が、別トラックに収録してありまして、そちらの華やかさが妙に浮き立っているのも、面白いものでした。

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2014年9月16日 (火)

ベルリオーズ 幻想交響曲 ケンペ指揮

Hamamastucho201409_2

遅ればせながら、9月の小便小僧。

粋なはっぴをまとって、小便の勢いも一直線。

広義な意味での、秋祭り。

夏祭りは、お盆にまつわる祭りということで、帰ってきた祖先の御霊と相楽しむような、イヴェント的な要素が強く、華やかでありますね。

秋祭りは、収穫の感謝を捧げる祭りでしょうか。

ですから、地域性もさまざまで、11月まで、秋祭りはあります。

わたしの住まう、自治会では、毎年12月の第1日曜日が秋祭りということで、ついでにクリスマスまで強引にくっつけちゃう。

Hamamastucho201409_b

後ろ姿。

かわいいね。

足袋もすばらしい、まいどながら、いい仕事されてます。

Berlioz_kempe

 ベルリオーズ   「幻想交響曲」

   ルドルフ・ケンペ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                  (1959.5 @ヘドヴィッヒ教会、ベルリン)


「ケンペの幻想」、なんか、あんまりイメージなかったけれど、ドイツの本流みたいなケンペだけど、かなり器用な指揮者だったし、なんたって、R・シュトラウスのスペシャリスト。
複雑難解なシュトラウスの音楽を、意外なまでに軽快な棒さばきで持って、すっきり・くっきり聴かせることができたケンペ。

ワーグナーにおいても、重厚長大でなく、音を大切にしながらも、重たすぎないノーマルな演奏を聴かせてくれてました。

晩年の、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなども、みんなそう。
個性のなさを、云々せずに、その音楽の素直なあり方こそを評価すべき、安心すべき名指揮者でしたね。

1910~1976、あまりに早すぎたその生涯。

あと20年存命だったら、オーケストラ界は、まったく違うものになっていたかもしれません。

ドレスデン生まれで、関係の深かったオーケストラは、当然にドレスデンのシュターツカペレ。
そして、ウィーン、ミュンヘン、チューリヒ、ロイヤルフィル、BBC、そしてベルリンです。
そこに、アメリカのオケも加わったりすることを夢想するのも楽しいこと。

こんな経歴のあるケンペですから、ベルリオーズも難なく、むしろ軽やかに仕上がってます。
繊細で、こまやかなまでに、静かな部分が美しい。
テンポを揺らさずに、克明な音の表出が目立つから、速い場面でのゴツゴツ感がありますが、それでも、音楽はしなやかですよ。

瑞々しい1楽章と、普通に気持ちいいワルツ。
田園のような3楽章。
少しもうるさくない断頭台は、ちょいと真面目すぎで、おもろくない。
同じく、おもろくないといえば終楽章だけど、音楽の彫りが、ほんと深い。
カラヤン時代初期のベルリン・フィルだけど、カラヤンの方が、腰が重く、重厚に感じるのは、録音のせいだろうか。
でも、この楽譜をそのまま音にした感は、とても新鮮なのです。
 4,5楽章は、多くの指揮者が、ここぞとばかり、がんがんごんごん行くんですが、このケンペ盤は、まったくの王道。
 ごく普通の熱狂しないエンディングに、妙に感激してしまうのでした。

それでいて、音の質量は軽く、明るいのでした。

面白いな、こんな幻想も。

そして、録音時49歳のケンペ。

ドレスデンとも、後に、この曲をやって欲しかったな。

Kempe

一度も、日本にはやってくることのなかったケンペ。

札幌冬季オリンピックのとき、夏のミュンヘンとの互恵で、ミュンヘンフィルがやってきたのは1972年。

音楽監督ケンペは体調不全で、当初から予定されず、代わりに、ノイマンが来るとのことでしたが、ノイマンも東側の事情でダメになり(だったと記憶します・・・)、結局、フリッツ・リーガーという、オペラの大ベテランが随行しました。

夏のミュンヘン五輪で、イスラエル選手・関係者が、パレスチナ武装グループによるテロに合い、ハイジャックの末、双方、多数の死者を出すという惨事が起きました。
 2月の札幌のあとを受けての夏のミュンヘンでした。

犠牲者への追悼式が、五輪のスタジアムで行われ、そのとき演奏されたのが、英雄交響曲の第2楽章。
地元ミュンヘンフィルを指揮したのが、ルドルフ・ケンペでした。

中学生のわたくし、それをテレビで見てました。

地域の紛争が、いまや、世界レベルで拡大しつつあると思います。

あのときの、ケンペの指揮したベートーヴェンの教訓が、いまに至るまで、まったく活きておりません・・・・・

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2014年7月10日 (木)

ベルリオーズ 幻想交響曲 デュトワ指揮

Hamamatsucho201407

浜松町駅の小便小僧シリーズ。

もう7月も10日をまわってしまいました。

今月は、犯罪・非行防止の「社会を明るくする運動」キャンペーンのコスプレですよ。

ひまわりを足元に、サマールックでありました。

なんか清々しいじゃないですか。

Dutoit_bso

 ベルリオーズ  幻想交響曲

  シャルル・デュトワ指揮 ボストン交響楽団

                  (2014.4.26 @ボストン)


今月の小便小僧、月イチ、略して「小便月イチ」・・・、あっ、これはいかんね。

月刊「月イチ」は、幻想交響曲。

まだまだネタはありますし、放送音源も日々加わるので、無尽蔵の幻想でやんす。

おなじみの、シャルル・デュトワが、ボストン響を本拠地で指揮した音源を。

ご存知のとおり、名門ボストン響の5月の来日が、マゼールの降板により、デュトワに率いられて行われました。

フィラデルフィアとも、機を接して重なったアメリカ・メジャーオケの競演。

どちらも、その持ち味全開で、相変わらずの、わたしたち日本の聴き手の憧れを満足させてくれる演奏だったようです。

その前の、マゼールと交代が決まった時点でのボストンでの演奏会の様子を、オンデマンドで聴くことができました。

不遜なこと書きますが、すっかりおなじみのデュトワは、逆にすっかり、慣れきって、わかりきってしまった想いが先立ち、新鮮味が正直ないのですね。
N響の音楽監督として就任したときは、ドイツ系ばかりだったN響に、文字通り新風を巻き起こす指揮者として、ホールにも喜々として参じたし、FM録音も夢中で行いました。

ですが、それも徐々に平常化してしまうと、たまにある新鮮なプログラム以外は、さほどの喜びをもたらすことがなくなりました。
ほんと、贅沢な思いですよね。

ことに、繰り返し演奏してきた、「幻想」「ハルサイ」「ダフニス」「オケコン」「シェエラザード」あたりには食傷ぎみとあいなりました。

ですが、ところ変わって、モントリオールやN響、フィラ管、フランスオケでなければ、結構、新鮮。

ロイヤルフィルもよいし、ドイツのオケや、フィラ管以外の米メジャーもまたよしです。

それが、今回のように、ミュンシュ・小澤とベルリオーズの演奏伝統がある、ボストン響だったりすると、これはこれで、聴くイメージからして、実に鮮度管理が高等なものが期待できるんですよ。

むちゃくちゃ前おき長いね。

3度ほど聴きました、このコンビの幻想。

安定感抜群で、不明瞭なところがひとつもなく、曲中すべてに光があたっていて、ある意味では健康的で、輝かしい。
3楽章の野の情景でも、麗しい抒情が満載。
オケの優秀さもあって、PCからの音源起こしでも、ダイナミックレンジは上下に大きく、幅広い。

聞かせどころを際立たせることもなく、ゆったりめの全体54分を、丹念に仕上げ、すべてにおいて明快・完璧な演奏となってます。
4・5楽章の萌え萌えの場面では、旧モントリオールやN響のいくつかの演奏にある、迫力のアッチェランドはここになく、1楽章から始まる、物語の積み重ねの終結としての爆発というよりは、純粋な交響曲としての居住まいをしっかりと浮き彫りにして、そのなかでの着実なフィナーレを描いてみせた感じです。

だから、ちょっと肩すかし的な感もありますが、音の充実感は高いです。

来日公演の幻想を聴いた方の感想をお聴きしたいところですが、わたくしには、曲のよさを実感させてくれる安定の演奏に思いましたが、一方で、この曲の持つ魔力をあまりにも感じさせてくれない演奏でもあるように思いました。

偉そうなこと言ってますが、幻想の演奏は、ほんとにいろんな可能性があります。
そんななかで、安全運転すぎたのかな、と。
N響に来た頃の幻想の鮮烈さには、叶わないかも。

聴き手とは、贅沢かつ、我がままなものです。
「デュトワの幻想」、もう少し聴きこんでみなくてはなりませんね。

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2014年5月14日 (水)

ベルリオーズ 幻想交響曲 アバド指揮

Hamamatsucho201505_a

すっかり遅れてしまいました、5月の小便小僧。

連休があったもんで、なんだかんだで。

ご覧のとおり、桃太郎コスプレですよ。

Hamamatsucho201505_b

後ろ姿、可愛いね。

そう、日本一ですよ。

あと数週間で、小便小僧クンも、きっと傘をさすことになるんですね。
日が経つことが、なんと早いこと。

Abbado201305

  ベルリオーズ 幻想交響曲 

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                          (2013.5.19 @ベルリン)


ベルリンフィル退任後、いつもの年なら、5月は、クラウディオ・アバドがベルリンに帰ってくる月でした。

今年は、ベルリンっ子も、ベルリンフィルの面々も、きっと寂しい思いをしていることでありましょう。

アバドが指揮する予定だった、今月17日のコンサートは、ラトルが受け持ち、アバド追悼コンサートとなります。
シューベルト「ロザムンデ」間奏曲、モーツァルト ヴァイオリン協奏曲3番(ツィマーマン)、ブルックナー 交響曲第7番、というプログラムです。

ベルリン・フィルとの最後の演奏会だったのが、昨年の5月。
演目は、メンデルゾーン 「真夏の夜の夢」と、ベルリオーズの「幻想交響曲」でした。
楽団のデジタルコンサートのアーカイブにありますので、会員になれば、いつでも鑑賞できますし、さきに、NHKFMで放送もされましたので、録音いたしました。

「アバドの幻想」といえば、1983年のシカゴ響との鮮烈な録音が、その代名詞でありますし、あと、わたくしには、その同じ年に来日したロンドン響との演奏が、いまでもまぶたに浮かぶくらいの鮮やかなものなのです。
 その時は、文化会館で、アバドのごく至近で聴いたものですから、その若々しい指揮ぶりをつぶさに観察することもでき、アバド・ファンをさらにまっしぐら、とういう感じでした。

あれから、30年。

その間、アバドが幻想を指揮することは、2006年にシモン・ボリヴァルと、2008年にルツェルンとありましたが、ベルリンでは、わたくしの記憶に間違いがなければ、この2013が初ではなかったのではないでしょうか・・・・。

病後、そしてルツェルン時代、年々、若返るような音楽造りをしていたアバドですが、この演奏には、30年の年月の重みを感じます。
 テンポも速く、表情もすっきりと、達観したかのような澄み切った表現を極めていたアバドに、ほんの少し疲れのようなものを感じるのが、この「幻想」でした。

慎重な1楽章は、テンポもゆったりで、どこか乗ってこない感じ。
2楽章のワルツも、ゆったりと丁寧な歌い口で、表情は優しくて、ダンスの熱狂からは程遠いものがあります。

3楽章から生彩をおびだしてきて、繊細かつ緩やかな歌い回しが、しなやかで、いかにもアバドらしい。
徐々に盛り上がりゆくこの楽章の強弱の対比も鮮やかで、ふっきれなく感じた1楽章が遠い昔の出来事みたいに思えました。
ベルリンフィルの管の名手たちの、ブリリアントな音色も相変わらず素敵なもんです。

威圧的に決してならない断頭台は、繰り返しも行い、丹念に克明な仕上がりで、急がず慌てずの巨匠の歩みですが、その表現は極めて渋いです。
ファンファーレも慎ましく、あっさりとしたもので、いままでの威圧的な断頭台の音楽の概念と遠いところにあると思わせます。

ヴァルプルギスも、ゆったりめに、じっくりきます。
鐘は録音で教会のものでしょうか、とても美しく響きます。
デイエスイレを吹く金管もおとなしめで、おどろおどろ感はゼロ。
インテンポで、オーケスストラを抑えめに進行して行きますが、最後の最後に、ベルリンフィルの底力が爆発。
ものすごい音圧で持って、充実極まりないフィナーレを迎えるのでした。

オーケストラの威力でもって、最後は盛大に爆発したわけですが、マーラーとブルックナーをのぞいては、大規模な作品を指揮することがなくなっていた晩年のアバド。
 この、いわば渋い「幻想」を聴いて、アバドがこの年、なぜベルリオーズを取り上げたのだろうかと思って、年譜をみたら納得。

コンサートの前半が、メンデルスゾーン(1809~1847)で、後半がベルリオーズ(1803~1869)で、同時代人。
真夏の夜が、1826年と1842年の作曲で、幻想は、1830年の作曲。
ともに、ロマン派の最盛期を築いた作曲家の同じ頃の作品。

ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、シューマン、そしてブラームスと、ルツェルンも含めて、次々と取り上げ、そして取り上げる予定だったアバド。
こうした流れの俯瞰の中に、この渋い「幻想」を、極めて純音楽的に捉えていたのではないでしょうか。
ですから、標題性は薄めな解釈で、驚くことに、楽章間には、間はおかず、全曲がほぼアタッカで演奏されております。

やはり、アバドはすごかった。

いまとなっては、再晩年の演奏ということになりますが、いつまでも、音楽の中に、新鮮な可能性と発見を求めていたのです。
 大巨匠と呼ぶに相応しくない、そんないつまでも進取の気性に富んだ、われらがマエストロ、クラウディオの「幻想交響曲」なのでした。

シモン・ボリヴァルとルツェルンのものも、いずれは聴く機会を得たいと思います。

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