カテゴリー「若杉 弘」の記事

2011年11月15日 (火)

ブルックナー 交響曲第2番 若杉弘指揮

Hanayamapark9

群馬県藤岡市にある桜山公園から。

今月の初め、親類のお墓参りに行って立ち寄った場所。

紅葉と冬桜が一緒に味わえる素晴らしい光景でした。

Hanayamapark10

遠くに山々を望み、手前は冬も近いのに桜。

Bruckner_syn2_wakasugi

ブルックナー交響曲第2番ハ短調

何度か表明しておりますが、ブルックナーの交響曲のなかでも、地味でひっそりと佇む風情の1,2,6番の3つが大好きです。
5番や後期の作品は、それはそれは素晴らしいのだけれど、感動しなくてはならいから、かえって聴くのに構えてしまう。
その点、これら日陰者3兄弟は、さらりとしていて、普段聴きができる。

だからその演奏も、やたらと立派でなくていい。
カラヤンやショルティの都会的演奏ではもっとも困るし、極度に厳しくてもいけない。
ウィーンフィルの美音は魅力だけれども、もっと鄙びていた方がいい。

変なこだわりが過ぎると、後で、つじつまが合わなくなっちゃうからやめときます。
私が抱く3兄弟のイメージを述べたまでです。
いずれも、抒情的で野辺や山々自然の光景を思わせる緩徐楽章を持っていて、それらがともかく美しくって、私はそれがまた大好きなんです。

そして、48歳、壮年期の2番。
ハ短調という調性ながら、この曲には平和で伸びやかな歌が溢れる明るい音楽に思える。
特に1楽章と2楽章がいい。
金管による信号風のリズムを伴ったファンファーレは1楽章全体を支配するほか、終楽章でも活躍するが、対する第3主題が実に麗しくて気持ちがよい。
深呼吸したくなる。
同様に、自然観と神への感謝に満ちた2楽章があまりにも素敵。
大昔のヨーロッパ旅行で車窓から見たスイスの町。
教会の尖塔があり、路角にはイエスの像や十字架があり、斜面には花々が溢れている。
遠い山には白い雪。
そんなイメージをずっと持ち続けているのが、ブルックナーの緩徐楽章の世界。
とりわけ、この2番と6番、そして1番が素晴らしいのです。
この2番の残りのふたつの楽章は、前半に比べると少しばかり弱く感じますが、それでも充分にブルックナー的で、かつ地味さ加減がよろしいのであります。

今日の演奏は、若杉弘さんが、92年にザールブリュッヘンにて録音した演奏。
これは素晴らしいです。
わたしが欲するこの曲のイメージを過不足なく描いてくれてます。
無為の勝利とでもいいましょうか、楽譜に真摯に対峙して、自然体で演奏したらこうなった、という感じです。
若杉さんのブルックナーやマーラーは、こんな風な肩肘はらない平常心の演奏が音楽のよさをくっきりと浮かび上がらせるところに魅力があると思うのです。
オーケストラが、的確で細やかな指揮に、何の苦労もなく反応して気持ち良さそうに演奏しているのがわかります。
ザールブリュッヘン放送響は、この演奏と併行するかのように、スクロヴァチェスキと全曲録音を同じレーベルにしましたが、わたしには、若杉さんとそうして欲しかったと思えてなりませぬ。
2番のほかには9番のみしか残さなかったこのコンビ。
その第9は、晩年の東京フィルとの感動的な名演がCD化されております。
それと、N響とのブルックナー全曲演奏も一部しかCD化されずじまいで、同時に演奏されたメシアンとともに、是非とも音源化していただきたいものです!

ブルックナー 交響曲第2番の過去記事

 「ジュリーニ&ウィーン交響楽団」

 「ヴァント&ケルン放送交響楽団」

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2010年6月13日 (日)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 若杉 弘 指揮

Azumayama1
この週末は、神奈川方面へ帰還。
記事は予約投稿にてすませてます。
さすがに、無名作曲家の記事は、みなさん食いつきません(笑)

暑かった関東の週末。
朝早めに、登頂したいつもの吾妻山。
家を出てから、20分くらいで、山頂の小さな山。
サツキがきれいな今時分。この先に富士があるのに暑いと見えません。

Wakasugi
テレビのN響アワーで、若杉さんの、マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」をやってりまして、1時間の放送時間にムリムリおさめるNHKの常套手段のひとつとして、無残なカットを施されまして、まったくライブラリー的な想いを満たされないまま、見始め、やがて観入り、聴きいってしまった。

1992年のN響定期。
このころ、年1回登場して、シリーズ的・独創的なプログラムを組んでいた若杉さん。
第8シリーズ、第9シリーズだったと記憶します。
都響とのチクルスの演奏会の翌年のN響定期。
この長大な曲を愛する若杉さんの的確かつ、隅々まで知りぬいた完璧な指揮姿にいまさらながら、感心をしてしまうわけだった。

オペラや声楽大曲を、破たんなく全体の見通し豊かに巧みに聴かせる若杉さん。
わかりやすい几帳面な指揮ぶりと、オケや合唱を見渡す眼力。

ビデオに全曲録画してあるはず。18年前の画像とはいえ、結構鮮明。

それと、変わらないのは、佐藤しのぶさんの、あたしよーーーっといわんばかりの存在感と、ちょいと派手目の存在感。
それに比べると、松本美和子さんの清楚な歌がよけい地味に感じる・・・。
伊原直子さんのメゾ、木村俊光さんのバリトンは、日本を代表する歌唱。ワーグナーやマーラーになくてはならない人だった。

それと思うのは、皆さんの髪型や顔つき、そして大きなレンズの眼鏡。
いかにも90年代前半のもの。
この頃の自分の写真もそうだもの。

それにしても、すんばらしい曲だねぇ。
オペラを書かなかったオペラ指揮者マーラーの、一番オペラしてる交響曲。
こんな膨大で野放図な交響曲が、実は繊細で美しい曲なのであって、そんなことにも気付かせてくれる若杉さんの指揮。
 この大曲が、身近に、始終聴かれるようになるなんて、かつて誰が予想したろう。
「私の時代は、いつか必ず来る」といったマーラー。

若杉弘&東京都交響楽団のCD

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2010年5月 8日 (土)

R・シュトラウス 「ヨゼフの伝説」 若杉弘 指揮

Fuji_1
「ふじ」の花が満開。
棚にするともっとキレイだけど、自立したものもよい。

ちょいと調べたら、「ふじ」には、動脈硬化・糖尿・メタボに効く成分が含まれているんだそうな。
蔓を粉状にしたり、花を酢の物、芽や種なども食べれるらしい。
あの豆みたいのはそのまま食べれそうだけど・・・・・。
 「ふじ」の花を見る目が変わってしまった。
これからは、「うまそ~、おいしそ~」って見ることにしましょう(??)

でも、「つつじ」とともに、その甘い香りは初夏の魅力のひとつですな。

Strauss_joseph
歌曲と室内楽以外は、大方取りあげたR・シュトラウス
残された管弦楽曲のなかから、バレエ音楽を。
劇音楽では、いうまでもなくわたしの愛してやまない15のオペラ作品がるのだけれど、それ以外は少ないし、演奏機会もまったくない状況。
劇付随音楽として、「町人貴族」。
バレエ音楽として、「ヨゼフの伝説」「あわ雪クリーム」「鳴りやんだ祭典」の3作。

本日は、それらの中で一番の大作「ヨゼフの伝説」を聴く。
作品番号は63で、1914年の作曲。
最後の有名な交響作品「アルプス交響曲」(作品64)と同時期で、オペラでは「アリアドネ」(作品60)と「影のない女」(作品65)の間に位置する関係。

豪奢なオーケストラ作品ながら、上演されないのは、あまりのフルオーケストラなのでピットに入れるのが興行的に大変だし、1時間あまりなので、同時上演作品の選別も難しそう。
 また、コンサートにかかりにくいのは、視覚的な要素がないと、その物語の理解が難しいのがお得意の交響作品との大きな相違だし、馴染みの少ない旧約聖書の物語を基本にしているためと思われる。
 それ以上に音楽に親しみやすさがやや足りなく、シュトラウスの霊感もやや欠如しているように感じるのも事実。

でもシュトラウス好きとしては、ほっとけない音楽だ。
鳴りっぷりのよい大オーケストラを眼前にする楽しみは随処にあるし、たとえば砂金がさらさらと舞い落ちるモティーフとかヴェールの薄衣をあらわすかのような、毎度おなじみのシュトラウスの手管が満載。
 全体に東洋・中近東風のエキゾテックムードに覆われているのも新鮮で、オペラでいうと、「エジプトのヘレナ」とか「サロメ」みたいな雰囲気もあり。
 そして、なんといってもドラマの外面的描写力と心理的描写力の両面に秀でていること。
これはまさに、オペラ作家のシュトラウスならではの強み。

このあたりを捉えて聴き込めば、なかなかによくできた作品だし、好きな音楽にもなってくる。

簡単なあらすじ

 ヤコブ(アブラハムの子イサクのそのまた子)とラケルの子ヨセフは、父に溺愛され、神格も宿っているため、たくさんいる兄弟たちから妬まれ、ユダヤの地からエジプトに奴隷として売られてしまう。
この少年ヨセフをひと目見て、魅せられてしまい、買い取った待衛長ポティファルの妻。
さっそく、ヨセフの枕元に忍びより迫ろうとするが、ヨセフは逃げ、マントをかぶってしまう。
なおも言い寄り、マントがはぎ取られ、上半身をあらわにしてしまったヨセフ。
もう、爛々の妻はうっとりである。
騒ぎを聞きつけ召使たちがやってくるが、ヨセフに罪を着せる爛々妻。
ポティファルに逮捕されてしまい拷問を受けんとする憐れヨセフ。
拷問の準備を見て再び、熱い心を燃やすポティファルの妻であるが、ヨセフは軽蔑のまなざし・・・・・。
 そこへ閃光が差し込み、大天使があらわれ、ヨセフの鎖を解き外へと導く。
妻はもう敵わぬと感じ、自らの首飾りで首をくくりこと切れる・・。
ヨセフと天使はそうして、天上へ消えてゆくのでありました・・・。


どうです、この筋立て。
まるで、「サロメ」じゃありませぬか。
権力側の俗たるサロメと、権力を超えた神的なヨカナーンとの対比に同じ。
人間の持つ二面を象徴的に描いた聖書の基本をそのままに、みずから台本を書き、作曲もしたR・シュトラウスでありました。

最後の天使の場面の神々しさと盛り上がりの素晴らしさは、シュトラウスの音楽を聴く喜びにあふれております。

この全曲盤に若杉弘さんの録音が残されていることは望外の喜び。
87年の全曲として世界初録音は、東京都交響楽団の演奏。
その後、シノーポリやI・フィッシャーの録音も続いた。
それとサヴァリッシュとN響の放送もCD化が望まれる。
 珍しい作品へのチャレンジという以上に、ここではシュトラウスやワーグナーを愛し続けた若杉さんの熱意がひしひしと感じられる熱演となっている。
時おり唸り声まで聴こえてくる。
息の長い旋律を伸びやかに歌い込み、ライトモティーフの浮かび上がらせかたもまったくもってうまいもので、錯綜した響きのなかから主要なメロディが見事に浮かびあがってくる。
録音がやや硬いのが難点だが、世界に誇れるシュトラウス演奏であります。

この録音、先ごろ、ほかの劇作品と組んで4CDで格安に復活したようだ。
これ1枚しか持ってないので、組物にされると本当に不便でならない。
どうにかならないだろうか。
シノーポリは、未所有だが、こちらも既得のものと組物にされてしまった。
 安くすればいいばかりじゃないと思うんだけど!

 ちなみに、旧約でのヨセフ物語は、続編があってややこしい。
逮捕されたヨセフは、夢を解き明かしそれが現実に起こったりするので、大いに重用されファラオにも認められ、エジプト宰相となる。
やがて、飢饉で苦しんだ母国の兄弟たちを助け、和解し、老いた父とも涙の再会をし長命を全うしたとさ・・・・・。

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2009年9月13日 (日)

松村 禎三 「沈黙」 若杉 弘 指揮

Tateyama_2遠く、海に沈む夕日。

壮絶な光景に、私はあたりが暗闇が支配するまで、立ち尽くして見入ってしまった。

この海を渡って、日本人も漕ぎ出して行ったし、海外からも、未知の日本へやってきた人々もたくさんいる。
今でこそ簡単なこと。昔を思えば、さぞかし苦難に満ちたことであろう。
Matsumura_chinmoku 海を渡って、禁教の国に布教にやってきた宣教師たち。
異国好きの信長は布教を許し、諸武将のなかにも熱心なキリシタン信者も生まれた。
しかし、秀吉は自分の意にならない武将を頑迷なキリスト信仰によるものという思いにさいなまられ、禁教のおふれを出す。
こうして過酷なキリシタン弾圧が行われた。
目の届く関西・中部は、歴史ある仏教の土壌がしっかり根付いている。
関東は外洋から遠い。
だから、九州、ことに長崎に多くの宣教師が上陸し、弱者としての農民や漁民がキリスト教に救いを見出し、キリシタンとして忍び暮らした。
しかし、奉行をはじめとする当局は、宣教師・キリシタンたちに容赦がなかった・・・・・。

遠藤周作の名著「沈黙」は、そうした時代を背景とした、宣教師の物語である。
私は、この小説を高校生の時に読んで衝撃を受けた。
大学、社会人と、時おり読み直しては、その衝撃の深さを増していった。
神の存在・不存在と、真のキリスト者の姿、個々の人間存在の弱さ、裏切りと後悔・・・・、こんなあまりにも深い問題が淡々とした物語の中に、読む人ひとりひとりの心に訴えかけてくる。

その小説をオペラ化したのが、松村禎三(1929~2007)。
1993年初演のこのオペラは、氏が10年の歳月をかけて夫人とともに台本作成から作り上げた深刻極まりない名作。
解説によれば、遠藤周作さんも、この作品を嫁に出したようなものだから、存分にあなた自身の「沈黙」にして欲しいと語ったという。
また松村氏は、キリスト者でない自分が、この題材をオペラにすることへの畏れ、そして作るにあたって国内外のミサに参列したり、殉教の地を訪れたり、キリシタンの方々にも会ったりもしたそうだ。

こんな背景もあり、松村禎三のオペラ「沈黙」は題材こそ小説「沈黙」であるが、作品として
は別物の「沈黙」であるかもしれない。

全2幕16場の2時間に、小説のすべてがおさまるはずもないが、筋立てはほぼ同じ。
活字と違い、耳で味わうこの「沈黙」。
宣教師たちは標準日本語、信徒たちは長崎方言。
言葉は明晰でわかりやすく、だからよけいにリアリティに富んでいる。
歌もあり、歌うような語りもあり、語りそのものある。
日本語による新ウィーン楽派のシュプレヒティンメのような感じ。
奉行のいやらしいまでの残虐さ、主人公ロドリゴの血を吐くような心情の吐露、転び人フェレイラの悩み・・・・。いずれも迫真的なまでにそうした歌唱を伴って描かれている。
チェンバロも加わったオーケストラは、大編成で、清らかな和音から、大迫力の弾圧や罵りの不協和音、宣教師の独白における無調のしらべ、等々ドラマテックなもの。
歌もオケもとても聴きやすく、2時間にわたってこの音楽に釘付けとなり、心揺さぶられること必定である。

 第1幕
エピローグ的な場面。
キチジローの両親と妹が炎のなか磔とされていて、キチジローはもだえ苦しむ。
マカオの教会。
若い宣教師ロドリゴが弾圧吹き荒れる日本への渡航をしようとしており、それをとどめる神父ヴァリニャーノ。恩師フェレイラの音信も途絶えている。
渡航の案内人にマカオにいる唯一の日本人キチジローが案内人に選ばれる。
長崎のトモギ村。
密航に成功したロドリゴと喜ぶ村人たち。ミサが行われキチジローは英雄扱い。
ところが、村人3人とキチジローが役人に捕えられ、踏み絵を試される。
3人はかたくなに拒むが、キチジローは言われるがままにマリア様は淫売と叫び、聖像に唾するのであった・・・。
3人は満ちゆく海で磔刑に処せられる。その中のひとりモキチの許嫁オハルは狂乱したように神に祈る。「神さまはおんなさとやろうか?」、神の存在への疑問を歌う。
しかし、モキチは「ハライソに参ろう・・・」と歌い、こと切れる。
逃げ行くロドリゴ。何もできずに悩み苦しむ。そこへ、キチジローがあらわれ、転んだことへの許しを必死に乞う。しかし、彼の裏切りによりロドリゴはその場で役人に捕らわれる。

 第2幕
牢内にいるロドリゴ。日本の風土にはキリスト教はなじまないと、長崎奉行は厳しく諭す。
そして通詞は、フェレイラがすでに転びバテレンとなり、名前も変えていると語る。
すでに捕えられた村人たちが登場。なぜパードレがここに・・。死にゆくオハルに秘蹟を与えるロドリゴ。オハルは、愛するモキチと神の幻影を見て昇天する。
海辺で、ロドリゴの前で村人たちを蓑巻きにして海に放り込むと奉行がロドリゴを脅す。
村人の転びでなく、卑劣にもロドリゴの転びを求める奉行井上。
進んで殉教を選択する村人たち。そして死に行く村人たちは神を見たが、ロドリゴには見えない。
牢に師フェレイラがやってくる。
この国は沼地のようにすぐに根が腐ってしまう。神も大日如来も同じになっている。
日本人には神の存在を考える力がないと語り、ロドリゴは出ていけ、と追い出してしまう。
処刑の決まったロドリゴは長崎の街を引き回される。石を投げつけられ愚弄される。
しかし、キチジローの許しを乞う声も聞こえる・・・。
処刑を前に、覚え苦しむロドリゴ。
そこに聴こえるうめき声。ロドリゴは肥え太った門番たちの鼾であろうと、自分の聖なる夜が汚されるとしてやめろと叫ぶ。
そこに先のフェレイラが登場。
これは、鼾ではない。耳の後ろに穴をあけられ穴に宙づりにされた信徒たちの苦しみの声なのだと語る。
自分もかつて、これを聴き、彼らのために転んだ。自分だけが苦しんでいるのではない。
教会の汚点となるのが怖いのか。彼らはお前のために苦しんでいるのだ・・・」と。

 翌朝、「今まで誰もしなかった一番辛い愛の行為をするのだ」というフェレイラの言葉についに折れ、ロドリゴはイエスの踏み絵を前にする。
「イエスよ、これがあなたのお顔なのか。ずいぶん疲れ果ててしまった・・。あなたのお顔の二つの眼をいま、私の足でふさごうとしている・・・・。
あなたはとうとう何も語りかけてくれなかった。あなたのために血がこんなに流されているのに。あなたも十字架の上で血を流している。あなたにできるのはそれだけは。
人間がこの世に地獄をつくりだし、滅ぼしあうその時にさえ、あなたはなにもしようとしないのか。主よあなたは本当におられるのか!」
イエスへの愛と失望を激情的に歌う上げ、ついに踏み絵に足をかける。
そしてその足のあまりの痛みにイエスの絵を抱きかかえるようにして、倒れ伏してしまう。

 
その後は浄化されたような清らかな音楽が流れるなか、このオペラは幕を閉じる。


そこに、神はあらわれたのあろうか・・・・・。

      ロドリゴ:田代 誠        フェレイラ:直野 資
     ヴァリニヤーノ:大島 幾雄   キチジロー:宮原 昭吾
     モキチ:小林 一男        オハル:釜洞 祐子
     おまつ:秋山 雪見        少年 :青山智恵子
     じさま:桑原 英明         老人 :有川 文雄
     キョウキチ:土師 雅人      井上筑後守:池田 直樹
     通詞 :水野 建司        役人 :峰 茂樹
     牢番 :志村 文彦        刑吏 :藤沢 敬
     修道士:高松 洋二

       若杉 弘 指揮 新星日本交響楽団
                  二期会合唱団/東京混声合唱団
                  ひばり児童合唱団
                  演出:鈴木 敬介
                     (93.11.4・6 日生劇場)

原作では、ロドリゴが踏み絵に挑むときに、その絵のイエスが「お前のその足の痛みを私が一番よく知っている。その痛みを分かち合うために、私はこの世に生まれ十字架を背負ったのだから・・・・。」と語りかける。
 その後も、キチジローを通してイエスの声がロドリゴに語りかける。
沈黙の意を悟ったロドリゴは、最後のキリシタン司祭として自覚する。

オペラの舞台では、踏み絵のイエスが語る場面は描きにくく、ロドリゴの独白と、その後の清らかな音楽でもって、事が達成されたことを現わしている。
CDの音源だけでは、この感動的な場面がちょっともの足りなく、実際の舞台ではさぞや、と思わせる。涙もろい私はきっと泣きぬれてしまうであろう。
裏切りと、それを悔い悩むキチジローの姿は、そっくりユダの姿でもあり、われわれの心にも棲む人間の弱さでもある。

キリスト者として、神を見たであろう遠藤周作。
一日本人として、神に迫ろうとした松村禎三。
「神の愛」というテーマでは遠藤作品の方に分が多分にある。
松村作品は、演出や強靭な指揮者の助けを必要とするかもしれない。
しかし、音楽で神の存在や、その姿に近づくことが出来た稀なる作品であろう。
最初に聴いたときは、小説と同じように強い衝撃を受けた。
そのあと何度か聴くたびに、オハルの嘆きのアリアに感動し、ロドリゴの独白に共鳴し、最後の浄化の音楽に涙ぐむようになった。
そう、普通にオペラとして受け入れることができるようになった。

ロドリゴの田代さんと、奉行の池田さんが迫真の歌唱。
釜洞さんのオハルも泣かせる。
若杉さんの劇場空間での表現力とその統率力はここでも抜群の威力を発揮している。

スコセッシ監督の手で映画化がされるようだが、なかなか実現しないようである。
その映画化の内容は、われわれ日本人には、ちょっと辛いものになりそうな気が・・・。
島国で、自国だけの力でのほほんと生きてきた日本ゆえの悲劇でもある。
そのあたりの理解を持って描いてくれないと、クジラやイルカのようなことになってしまいそう。

     

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2009年9月 7日 (月)

武満 徹 弦楽のためのレクイエム 若杉 弘指揮

Wakasugi20090907 「若杉 弘さん、お別れの会」

去る、7月21日、74歳でご逝去された、若杉弘さんのお別れの会に行ってまいりました。

本日、9月7日15時より、新国立劇場中劇場にて。

会場は1200名の方々で埋め尽くされ、故人をしめやかに偲びました。


私のような一般人もたくさんいたけれど、大半はどこかで見かけたようなことのある音楽関係の方々ばかり。
新国の芸術監督代行に就任する尾高さんご夫妻のお姿も。

司会は、私のような世代には懐かしい、NHKの後藤美代子さん。
世話人のお二人、新国運営財団理事長の遠山さんと、畑中良輔さんのご挨拶から始まった。
中でも、畑中さんは、若杉さんの歌の先生で、指揮者への道も示された師でもあり友人でもあったといいます。ピノキオに似てるからピノさんと、親しく呼ばれた畑中さんのお話、淡々としていながら、とても心あたたまるものでした。

お別れの言葉は、文化庁長官 玉井日出夫氏、日本芸術院長 三浦朱門氏、演出家で友人の栗山昌良氏。

喪主挨拶に立たれた若杉羊奈子さん。
伝統あるドレスデンでの経験がとても大きかったこと、「軍人たち」を上演できるのは新国でしかない、そのことに執念を燃やしたこと、そしてそれが実現すれば欧米のオペラハウスに肩を並べられると語っておられたこと、などをお話されました。

昨年5月の「軍人」の上演にその命を縮めるくらいに、精魂傾けたといいます。
私は、このオペラは観ることができなかったが、翌月、若杉さんの最後の指揮となった「ペレアスとメリザンド」に接することができました。
ゆるやかに変化する美しいドビュッシーの音楽が、オーケストラピットから立ち昇るのを今でも、この耳で、そしてその指揮姿をこの目で覚えております。

演劇に、音楽に情熱を傾け、最後まで劇場の人であった若杉さん。
そのお別れの会も、そのときと同じ劇場で行われたのでした。

最後に、新国立劇場のこけら落とし上演「ローエングリン」の第1幕への前奏曲の映像が、氏の写真などを交えながら上映されました。
私は、その清らかな響きに、涙が流れそうになりました。

フォーレのレクイエムの「イン・パラディスム」が流れるなか、出席者により献花が行われ、散会となりました。
奥様との話で、お別れのときには、この曲もいいよね、と話されていた若杉さんだそうです。

若杉さんに、たくさんオペラを教えてもらった、一聴衆として、音楽を愛するものとして、このお別れ会に出席してとてもよかったと思います。

Takemitsu_wakasugi 武満 徹の「弦楽のためのレクイエム」は、もう日本の現代音楽の中では古典的な作品。
1957年の作曲だから、もう50余年が経つ。

作者は、レクイエムをメディテーションとしてもよかったと述べているとおり、亡き人を瞑想しつつ思う、というような風情がある。
 でも不安な響きもあるし、人間存在の危うさも感じる。
さらに、作者の言葉。
「はじまりも終わりもさだかでない。人間とこの世界をつらぬいている音の河の流れの或る部分を、偶然に取り出したもの・・・・」
若杉さんが、東京都交響楽団を指揮した1991年の録音。
とても美しく、悠久の時間の波にのまれてしまうような気分になる・・・・。

若杉さん、天国のオペラハウス(新天国劇場)で、指揮されることでしょう。

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2009年8月29日 (土)

柴田南雄 交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」 若杉 弘指揮

Mizunaigawa 神奈川県の丹沢を流れる水無川。
毎年、車でかなり上流まで登り、河原でバーベキューを楽しむ。
だが、年々、水量が減少していて、広い河原に何本か別れていた流れも1本しかなくなってしまった。

梅雨らしさがなくなって、普通の雨がなくなり、南方化しつつあるゆえか。
山ヒルの大量発生、木々枯れ、鹿の下山・・・・。
丹沢山系も変化しつつある。
Ryujin

山道の途中にある「竜神の泉」。
名水の里、秦野盆地湧水群のなかのひとつ。
実家では、近所の方々とこちらまで足をのばしこの水を汲んでいる。
この水で煎れたお茶やコーヒーは格別にございます。

Shibata_yuku_kawa_no_2  柴田南雄(1916~1996)の交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」を聴く。
日本の音楽と少し縁遠いわたしなどは、柴田さんというと、音楽評論やFMでの解説といった方が馴染みがある。
一番印象に残っているのは年末のバイロイト放送の解説。
70年代はずっと柴田さんの解説だったように記憶している。その語り口は優しく、ユーモアにもあふれていて、ドイツ語の発音も独特のものがあって、今思うととても懐かしい。

その柴田さんも亡くなって早や13年。
指揮する若杉弘さんも、先ごろお亡くなりになり、日本の音楽界もさらに若返りが進んでいるのを実感する。

この交響曲は、1975年の作品で、昭和50年にあたり類ない激動の昭和半世紀を振り返り、かつ何よりも、柴田氏の10歳から60歳の50年の自分史を重ね合わせた作品であるとしている。
このCDのご自身の解説しか頼るものがないので、以下そちらを参考に曲の概略を。

第1部 音楽史・自分史
 第1楽章 いにしえ風の音楽で今様の旋律も
 第2楽章 新古典主義風の音楽で、突然出てくるものだからギャップが大きい
 第3楽章 スケルツォ 1930年代、ファシズムが近づくが音楽は少し楽天的。
       三文オペラ、会議は踊る、宝塚ソングなどの引用
 第4楽章 後期ロマン派風のメロディアスな音楽。映画音楽のようにも聴こえる
 第5楽章 60年代。12音技法が用いられ、一番現代音楽っぽい。

第2部 「方丈記」による。シアターピース風上演を要する
 第6楽章 「ゆく河の」 今様のモティーフを旋律に、方丈記を歌詞にした無限カノン
 第7楽章 「方丈記の口説」 聴衆の間に入った合唱団がひとりひとり方丈記を
       読み上げる。天変地異の様子も口説され、オーケストラは咆哮しまくる。
 第8楽章 「終曲」 方丈記冒頭が静やかに歌われ、その後うごめくオーケストラに
       のって、ひとりひとりが再び語る。
       それもひと段落すると、無伴奏合唱が歌う方丈記の一節。
   
       淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
       久しくとどまりたる例えなし。
       ゆく河の流れは絶えずして・・・・・

       この極めて感動的な合唱のあと、オーケストラによる曲の冒頭部分が
       再び繰り返され、静かに曲を閉じる。

方丈記に読まれる天変地異は、強風(竜巻か?)や大地震のことで、そのありさまは、今の我々には想像もつかない凄まじさであったろうが、それは淡々としていて、達観しているものだ。
何事も、ばたばたと騒ぎすぎる今の世の中。
悠久の書を読み、かつこうした音楽も聴くなどして穏やかに過ごしたいものである。
この交響曲、引用もありいろいろ詰め込みすぎとも言えようが、歌好きの私としては、オケの鳴りっぷりの良さも相まって、とても楽しく、そして興味深く聴いた。
願わくは、ホールで体感してみたいもの。

若杉さんの追悼も含んで、取り上げました。

        若杉 弘 指揮 東京都交響楽団
                  京混声合唱団
                                          (89.1 東京文化館)

※9月7日(月) 新国立劇場にて、故若杉弘さんを偲ぶ会が開かれます。
 

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2009年8月 6日 (木)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 若杉 弘 指揮

Tateyama_1房総、館山の北条海岸の夕日。
まだ梅雨の時期。

雨上がりに厚い雲の間から今しも沈む太陽が光彩陸離たる光景を描きだした。

私は30分あまりも立ち尽くし、見とれてしまった。
いい写真も撮れましたので、またご紹介したいと思います。

Wakasugi_8 先日、惜しまれつつも亡くなった若杉弘さん。
唯一持っているマーラーが、交響曲第8番「千人の交響曲」   
日本人で初めて、マーラー全集を録音した若杉さん。
そのレパートリーは、驚くほど広かった。

ジャンルでは、あらゆるオーケストラ作品にオペラ全般、和洋現代音楽。
時代では、古典から現代まで。
ほんとにオールマイティな人だった。
そんな中でもとりわけ得意にしていたのが、ワーグナーを源流とする後期ロマン派、新ウィーン楽派のあたりではなかろうか。
それに加えて、十字軍的な活動ともとれる現代作品への積極的な取り組み。

追悼記事にも書いたけれど、私は若杉さんを日本が生みだした最高のオペラ指揮者と思っていて、そのオーケストラピットでのお姿は鮮明に覚えている。
作品を完全に手のうちにいれて、歌手へのキュー出しもマメに行いつつ、譜面を見ながらの指揮でもオケへの指示も的確にこなす姿は、まるで千手観音か聖徳太子かとも思われるくらいに鮮やかなものだった。
これだけ細やかに振れる指揮者は、本場でもあまりいないものだから、ドイツのハウスからも声が掛って当然だった。

そんな若杉さんの声楽大曲のうまさがまざまざと味わえるのが、この千人。
都響とのチクルスの一環は、1991年の録音。
録音のせいか、オーケストラと合唱ばかりが目立ってしまうが、テキパキと曲が進行する中にも、絶妙の間合いでもって、聴き手を唸らせる場面が続出するし、大編成のオーケストラが混濁しないで、隅々まで透明感を保っているのもさすがである。
耳のいい若杉さんならでは。

    S、罪深き女:佐藤しのぶ     S、贖罪の女:渡辺美佐子
    S、栄光の聖母:大倉由紀枝   A、サマリアの女:伊原 直子
    A、エジプトのマリア:大橋 ゆり   T、マリア崇拝の博士:林 誠
    Br、法悦の神父:勝部 太     B、瞑想の神父:高橋 啓三

            若杉 弘 指揮 東京都交響楽団
                   晋友会合唱団、東京放送児童合唱団
                       (91.1.24@サントリーホール)

90年当時、活躍中の一流どころをそろえた歌手の歌声が、実はこの録音でははなはだ聴きにくい。遠くで歌っている印象しかなく、オケばかりが鮮明にとらえられた録音に起因するもの。今の録音技術をもってすれば、こんな大編成のライブなんて易々とできるのに残念なことだ。
大好きだった勝部さんの歌声も埋没、わたくしー、とばかりのギラギラの佐藤さんの声も埋没。林さんのリリカルな声は意外にもオケの上の方から舞い落ちるような感じで聞こえる。正直、いまの日本人歌手を聴きなれた耳からすると、辛いものもあるのが事実だが、私などは、こうした顔ぶれによる若杉さんや朝比奈さんのリングを聴いてきただけに、感慨もひとしおである。

全体にともかく感動的な雰囲気に満たされた若杉さんお得意のマーラーの8番。
ファウストの第二部の後半、ハープに乗ったヴァイオリンの美しい歌に導かれる旋律が歌われるあたりから、神秘の合唱、そしてエンディングにいたるあたりはあまりにも感動的な場面が続出して、実際にホールにいて手を握り締めて聴いているかのような思いにおちいる。

あらためて、若杉さんの偉大な足跡を偲ぶとともに、このところいろいろあった自分自身の気持ちにもぴったりと寄り添って力づけてくれた演奏であり、マーラーの音楽でありました。

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2009年7月30日 (木)

ブルックナー 交響曲第9番 朝比奈隆&若杉 弘 指揮

Dsc01245夏のお蕎麦は、「つけとろ」がいい。
ワタクシは、このすりおろした山芋に、蕎麦汁を入れても、かき混ぜないで、分離したまんまのところへ、蕎麦を絡めてつぃーっとたぐるのが好き。
徐々に汁と山芋とろろが混ざってきておいしいんだhappy02

こちらは、静岡で食べた蕎麦。
静岡といえば、丸子(まりこ)宿の「むぎとろ」が有名。
ここらの、ねばりの強い風味豊かな山芋を擦りこんだものに、味噌と出汁を加えた「とろろ汁」。これに麦飯がもう、やたらめったらウマいんだよう。

Sym9_asahina ブルックナー(1824~1896)の交響曲シリーズ、遅々としながらも最終の第9交響曲であります。
第8番の完成と同時に作曲が始められたのが1887年。
ブルックナー63歳。
しかし、同時にその8番の大幅な改訂、かつての1番(!)や3番の改訂などに取り組んだから、なかなか9番の作曲ははかどらなかったらしい。

ブルックナーが亡くなったのが、72歳。
9年の歳月をかけつつも、完成には至らなかったわけだが、この誰しもが先へ進めなかった第9を、こんなにまでも完了系の形で残し、その先の10番をまったく想像もさせもしないのが、ブルックナーの第9だと思う。
しかも、終楽章を欠いて、アダージョ楽章でこんな完結感をもっているなんて!

これは、まさに悟りの境地へ達した「彼岸の音楽」である。
音楽もそのひとつとして、あらゆる創造者がおのずと達してしまう高み。
すべてを極め尽くし、無駄も排し、すべては自己の音楽のみに奉仕してゆく境地。
この曲の第3楽章は、8番の延長ともとれるが、そういった神々しいすべてを極め尽くした音楽に感じるがゆえ、日頃からちょいちょい聴ける音楽ではないかもしれない。
音楽も破綻すれすれのギリギリ感を感じてしまうん。

マーラーの第9の終楽章とも、その旋律に類似性があるが、マーラーの音楽は「死」と隣り合わせ。死のあとには何もない即物的なもの、悲宗教的なものを思わせる。
ブルックナーは、「死」へ至る「生の浄化」に主眼があるように思える。

壮絶な第1楽章、かっこいいと思ってしまうのは不謹慎でありましょうか。
冒頭、弦のトレモロ開始とともに、ホルン群が奏でる勇壮な旋律、徐々にクレッシェンドしていって、最高のクライマックスが築かれる。ここでのティンパニのキメ打ちもいい。
それから、音楽は弱まり、わずかに休止したあと、弦によって歌うような素晴らしい第2主題が登場する。ここでの高貴な祈りに満ちた雰囲気は前段との対比もあってとても感動的。これらふたつの主題が絡み合いつつ、まるで歌いあげるようにして進行する長大な1楽章。
わたしの一番好きな場所は、最後の大詰めの場面で、ものすごいクライマックスのあと、ホルンが残り孤高の響きを聴かせる場面。
そしてカタルシス。その後のヒロイックなまでの音楽の運びにいつも涙が出そうになる。
その終結は無常なまでに崇高かつ非常・・・。

野人を思わせる激しいトゥッティが交錯するスケルツォ楽章。
初めてこの第9を聴いたときは、この楽章ばかりが耳に残ってしょうがなかった。
いまよく聴いてみたら、「はんにゃ」の「ずぐだんずんぶんぐん」にとても合うことを発見してしまった。こんなこと思って聴いてるって不謹慎でありましょうか。

終楽章に関しては、私は言葉を失う。この白鳥の歌ともいうべき音楽は黙してただひれ伏すように聴くのみ。
「愛する神に捧げるつもりで書いた」とされる第9交響曲。
この楽章は、神の前に額づく弱者たる人間が葛藤に苦しみつつも、やがて浄化されて平安を見出す姿を思う。
その浄化の場面で、第8交響曲の神々しい第3楽章と同じ旋律が回帰してくる。
さらに、第7交響曲のあの冒頭の旋律までもが姿をあらわす。
期せずして、自己の総決算を行ってしまったブルックナーに、この先の音楽は書けなかった。
私は、このあとに、テ・デウムなんて絶対聴きたくない。
そう思うのは、ファンとして不謹慎でありましょうか。

今回のこの記事、途中まで1か月前には書きあげていて、朝比奈盤や複数のヴァント盤、アバド盤、ワルター盤などを聴きつつあった。
だが、なかなかに筆が進まない。
音楽が重くのしかかりすぎた。

シリーズ最後を、朝比奈御大に敬意を表して、そのNHK交響楽団への客演ライブで締めくくろうとは、ずっと思っていたこと。
2000年5月のライブ、おやっさん92歳!
驚くべき精神力でもって貫かれた渾身の指揮ぶりは、優秀なN響を得て、双方熱くなった演奏となって結実した。この曲が初めてのブルックナー演奏だった朝比奈氏も彼岸を思い指揮していたのだろうか。
N響の圧倒的なパワーが響きの少ないNHKホールもあってか、このCDは非常にリアルな音の塊が聞かれる。実をいうと、それがやや不満で、もうちょっと響きに潤いが欲しいところだったりする。
こんな贅沢を思いつつも、やはり日本人がなしえた、西洋の神からは遠いが、八百万の神的崇高さを感じる・・・・。

Wakasugi_a そして先週惜しくも亡くなられた若杉弘さんのCDRを先週来何度も聴いている。
2007年の暮に東京フィルに客演したおりのライブ。
このときは、未完成とともに演奏され、別の日には、マーラーと新ウィーン楽派を取り上げるといった若杉さんらしいプログラムで、両方ともどうしても行きたかったけど、断念した心残りの演奏会。
これらはふたつとも、NHKが放送してくれて、私はとてもいい状態でCDRに残すことができた。
 これがしかし、あまりにも素晴らしい演奏なのだ。
ちょっとしたキズはあるけれど、最初から最後まで気のこもった、すさまじいまでの力の入れようで、全編にわたって若杉さんの唸り声まで聞こえる。
若杉さんは、インテンポの人だと思い込んでいたけど、最初から結構テンポを揺らして思わず手を握るほどの緊張感や開放感を生んでいる。
それらが小手先でなく、真摯なまでに音楽に共感し、寄り添ってているような演奏ぶりなので、聴き手の胸にぐいんぐいんと迫ってくる。
東フィルってこんなにすごかったっけ、とも思わせるくらい。
この若杉さんの文字通りの白鳥の歌、ブルックナーを通して神を見たかのような壮絶な演奏である。サントリーホールの音響をよくとらえた録音も放送音源とは思えないほど。
是非、CD化をsign01

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2009年7月22日 (水)

若杉 弘さんを偲んで

Mita 昨日、体調をしばらく壊されていた杉弘さんが亡くなりました。
この報せを、日食の日の朝、新聞で知り、思わす「エーっsign01」と声をあげてしまった。
何ということでしょうsign02

私は、極めて悲しいです。

ちょうど1年前、新国で「ペレアスとメリザンド」を指揮された舞台が、私にとって最後の若杉さんとなってしまった。
その時はずっと腰を掛けたまま指揮、カーテンコールにもなかなか登場せず、ようやく姿を現されたときは、舞台袖にそっと立ち、始終拝見しているのに、何かとてもお歳をめされたように感じた。
そのあと、入院され、コンサートもいくつかキャンセル。年末には復調され、得意の新ウィーン楽派やブルックナーを指揮され
安堵していた。
今年春先からまた入院、ムツェンスクや修善寺物語をキャンセルされ、秋のヴォツェックも断念の報に接したばかり。

そんな中での逝去の報せに、わたくし、どんなにショックを受けたことか・・・・・・・・。

Wakasugi
←若すぎの若杉さん、そして若すぎるその死。

私がクラシックを聴き始めたころ、若杉&読響、岩城&N響、小沢&日フィル、これら若手3人に率いられた在京オケがとても人気があった。
年末の第9などは、この3団体がいつも競っていて、いずれもテレビで見たりしたもんだ。
若杉&読響は、大曲の日本初演をたくさん手掛けていて、中でも「パルシファル」は金字塔ではなかろうか。何分お子様だったので観てませんが。

でも若杉さんは、指揮者の中でも実演をもっとも数多く聴いた方であります。
とくに私にとっては、若杉さんはオペラ指揮者だった。日本人指揮者が、ドイツのオペラハウスの音楽監督になるなんて、かつては考えられないことだった。
しかも、ライン・ドイツオペラに加えて、ドレスデン国立歌劇場の音楽監督にまでなってしまうなんて。 もちろん、ケルン放送とチューリヒ・トーンハレも快挙だった。
日本に活躍の場を移してから、新国の監督になるべくしてなり、見事なレバートリィの構築と斬新な演目で、連日満場の聴衆を唸らせとていたことはご承知の通りであります。
氏が傑作と呼んではばからなかった「ヴォツェック」や、生涯、力を注いでいたR・シュトラウスの「影のない女」を指揮できなかったこと、そして、いずれは予定されていた「パルシファル」もふくめて、きっとご無念であったことでありましょう。

実演以外でも、若杉さんはよく見かけておりました。幕間で飯守泰次郎さんと談笑している場面は何度も拝見した。
極めつけは、ある外来オペラのとき、隣接の百貨店を歩いていて、通路の角を曲がったらいきなり若杉さんと鉢合わせしてしまった。
あれ、どこかで見たことあるオジサンだなっと、思わず「こんにちは」と言ってしまった私。
若杉さんはもちろん、こちらを知らないわけだから、きょとんとしてました・・・。

オペラでは、ドイツオペラばかり観ることができた。初めて接する舞台が若杉さんの指揮によるものばかり。そう、数々の日本初演を手掛け、私もそこに居合わせることができたた。古いものからあげると。(※日本初演)

 ヴェルディ    「オテロ」 
 ベルク      「ヴォツェック」
 ワーグナー   「ワルキューレ」 
           「ジークフリート」 ※
           「神々の黄昏」  ※
 R・シュトラウス 「エジプトのヘレナ」 ※
           「ダナエの愛」    ※
           「ダフネ」       ※

 ドビュッシー    「ペレアスとメリザンド」

こんな感じで、シュトラウスは「インテルメッツォ」のチケットを持ちながらも行けなかったのが悔やまれる。これらの中では、「神々の黄昏」のラスト大団円が圧倒的な感動を植えつけてくれていて、何もなくなった舞台がただ真っ白く光るだけで、そこに自己犠牲の素晴らしい旋律があまりに美しく響いた・・・・。涙が止まらなかった。

若杉さんの知性と劇性のバランスのとれた安定感ある指揮は、オペラ上演の核的な存在として極めて頼もしい存在だった。
バトンテクニックも的確で、大曲を破たんなくまとめ上げる力は並々のものではなく、そうした力がヨーロッパでも高く評価された由縁であろうか。
まだまだたくさんオペラを指揮して欲しかったし、もっと聴きたかった若杉さん。

Wakasugi_tmso
今日は、若杉さんが黄金時代を築いた東京都交響楽団とのライブCDから、もっとも得意としたワーグナーの「ジークフリート牧歌」を追悼に聴きます。

コジマのための、贅沢な目覚めの廻廊の音楽。
今宵はこの心安らかな美しい音楽が、こんなにも切なく哀愁を持って響くなんて・・・・。

ゆったりめのテンポで心を込めて演奏されていて、オペラティックな感興も湧き上がって聴こえるほどに雰囲気がゆたか。

このCDには、シュトラウス「ドンファン」、プフィッツナー「パレストリーナ」、ヒンデミット「ウェーバー変奏曲」も収められていて、これ1枚がそっくり、若杉ワールドともいうべきお得意の作曲家で固められている。

NHKでは、さっそく追悼番組として、マーラーの第9の放送が予定されているようだが、若杉さんが嗜好をこらした、6番や、8番、9番のそれぞれシリーズもしっかり放送して欲しい。
さらに都響とのマーラー全集、読響との幻想やベートーヴェン、たくさんある録音も復刻して欲しいものであります。

若杉弘さん、たくさんのオペラや未知の音楽を聴かせていただきどうもありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(冒頭の写真は、本日、都内で撮影したものであります)

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2008年7月 1日 (火)

ドビュッシー 「ペレアスとメリザンド」 新国立劇場

Pelleasここで驚きのニュース。
新国立劇場の次期芸術監督予定者が早くも発表された。

  オペラ部門: 尾高 忠明 
  舞踊部門: デヴィッド・ビントレー 
  演劇部門: 宮田 慶子 

2010年から3シーズンの任期が予定され、今秋のシーズンからは、芸術参与として参画する由。新国のHPによる。
ずいぶんと手回しがいい、まだ現体制は始まって1年。
あと2年の都合3年では、それぞれ監督としてのカラーが出だしたところでおしまいというわけか・・・・。
なんだか腑に落ちない。
オペラ部門以外は、手が回らない分野だが、尾高さんのポストは極めて納得。ワーグナーやブリテンが大いに楽しみとなった。でも、せっかくの若杉さんだったのに、早すぎないかい・・・・。
それとも、体が万全ではないのかしら?
というのも、「ペレアスとメリザンド」のカーテンコールで、なかなか登場しなかったし、ようやく出ても舞台袖で、オケを称えるだけで、足がなんとなく辛そうにされていた。
各所で拝見しているお姿だけれど、正直、あれっ?という雰囲気であった。

Ki_20001208_11 土曜日に、新国立劇場と東京フィルの共催によるドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」を観劇。オーケストラはピットにしっかり入って、舞台上は簡潔で象徴的な装置。
歌手は舞台衣装は付けずに、通常のコンサート衣装。

小道具もなしに、演技は身振り手振りのあっさりしたもの。
プログラムに演出家の記載はなく、舞台構成として若杉さんの名前が。
これでわかる通り、芸術監督としての若杉さんのペレアスを上演したいとの強い思いが実現したものと思う。氏は常々、オペラの重要作品の名前いくつかあげているし、近現代作品への愛着も持ち続けている。
「軍人たち」や日本のオペラ、来シーズンのショスタコーヴィチ、再来シーズンのヴォッェクなどを自ら手掛けることで明らか。
今後、新国未演のトリスタンとパルシファル、日本未初演のシュトラウス作品などを予想しているわたくし。
Ki_20001208_8 前置きはともかく、中劇場という程よい空間で、最小限の動きに留められた舞台により、演奏者側と我々聴衆の音楽に対する集中力が高められたのではなかろうか。
ドビュッシーの精妙かつ精緻な音楽が、聴く側にひしひし伝わってくる。
泉、森や木、海、窓、メリザンドの長い髪(メリザンドの浜田さんはショートカット)、ナイフなどの、このオペラの重要なモティーフはすっかり取り除かれ、すべては聴衆の想像力に任されることとなる。
字幕とオーケストラとで、ライトモティーフをいかに巧妙に、網の目のように張り巡らしているかがよくわかり、ドビュッシーの音楽の緻密さも、いまさらながらによくわかった。
後年作曲される、「海」のフレーズが、海を遠く望むという場面でさりげなく現れたりすることも、私にとって大きな発見だった。こんな風に聴きこめば、きっと、もっともっといろんなものが隠されていることだろう。
そして、4幕の二重唱には、トリスタンの世界を見てしまった。
 舞台で、欲を言えば、照明が白色の暖色系で少し明るすぎで、もう少しほの暗く、かつグリーンなども配した方がよかったのでは。それと、樹の1~2本くらいは・・・・。

     ペレアス :近藤政伸       メリザンド:浜田理恵
     ゴロー  :星野 淳        アルケル:大塚博章
     ジュヌヴィエーヴ:寺谷千枝子  イニョルド:國光ともこ
     医師   :有川文雄

      若杉 弘 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                 新国立劇場合唱団
                    (6月28日 @新国立中劇場)

Ki_20001208_3 日本人にとって、もっとも難しいであろうフランス語によるドビュッシーのオペラ。
フランス語は、まったく門外漢だが、精緻な音楽と切っても切れない、独特の語感とその美しさを、今回出演の方々は、たいへん見事に表現していた。
手元の純正フランス産のボド盤を聴き直してみたが、やはり本場の仏語は違う・・・・。
でも、出演者の皆さんの努力たるや、並みのものではなかったであろう!
中では、本場で活躍する浜田さんの、リリカルで繊細な歌声が素晴らしかった。静かで穏やかな表情もメリザンドに相応しい。
星野さん若々しいゴローは、力強く、嫉妬にかられ徐々に押し付けがましい男に変貌してゆくさまが、実に見事。
近藤さんのペレアスも声が若々しく、とてもよかった。
老人役の大塚さんが、見た目一番若々しいのが何だが、オペラの最後を決める重要な役を立派な声で締めていた。

Ki_20001208_1 カーテンコールで驚いてしまったけれど、そんな姿とは思いもよらない若杉さんの指揮は、あまりにも素晴らしかった。
つねに移ろいゆき、色を徐々に変えつつあるような趣きあふれるドビュッシーの香しい音楽が、オーケストラピットから立ち昇ってくるのを感じた。
東京フィルが、東フィルとは思えないくらいに完璧だったことも特筆。

フォルテが数回しかない物静かなオペラ。歌もアリアなどというものはなく、なだらかな朗唱のみ。登場人物の背景は謎だらけで、ドラマの筋は悲しく空しい。
誰も幸せにならない・・・・・。
こんな物悲しくも、儚い夢のようなオペラを舞台で経験できたことは大きい。
1902年、前日のシュトラウスの「アリアドネ」に先立つこと10年。マーラー、プッチーニもまだまだ活躍中、シェーンベルクは同名の交響詩を作曲中。
こんな年に完成したドビュッシーの本作の立位置とその革新ぶりがよくわかる。

死に行くメリザンドを、優しくいたわる「レクイエム」のような終幕。
これまで、黙り続けた老アルケルが、「人の魂というものは、静かなものだ。ただ一人で去ってゆくのを好むものなのだ」と極めて深い内容を歌う。
生まれたばかりの子を抱き、「こんどは、この子があれの代わりに生きる番なのだ・・」と。
トランペットの最弱音を伴ないつつ、音楽が静かに、本当に静かに音を弱めていって消えていった。

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