ペルゴレージ 「スターバト・マーテル」 アバド指揮
オーストリアのケルンテンのオシアッハ教会。
毎夏、ケルンテンでは、音楽祭が行われ、FM放送でもかねてより、しばしば放送されてました。
カトリックならではの、装飾性豊かな、雰囲気あふれる美しい教会。
この教会で、アバドは、かつて、スカラ座のアンサンブルを率いて、ペルゴレージを中心としたバロックコンサートを行い、映像化もされました。
同じペルゴレージの、美しい作品を、ロンドンで録音しました。
それは、レコード・アカデミー賞を受賞し、名盤の誉れ高いものとなりました。
そして、さらに、アバドは、2004年に設立した、イタリアの若者オーケストラ、モーツァルト管を率いて、まったく違うアプローチで、2007年に、再び録音しました。
アルヒーフ・レーベルから登場した、この一連のアバドのペルゴレージ・シリーズ。
まさか、ウィーンやベルリンのポストを歴任した指揮者が、古楽のジャンルから登場するとは、まったく思いもしなかった。
そんな驚きの清新さを持ち合わせた、アバドに、あらためて感心し、そして感謝です。
アバドが、最後に心血を注いだ、モーツァルト管弦楽団のレビューに入るまえに、アバドの最高傑作のひとつ、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」を3種取り上げた過去記事を、ここに、そのまま引用させていただきますこと、どうかお許しください。
以下、2009年11月13日の、弊ブログ記事を、そのままに貼り付けて、終わりにします。
>引用 開始<
アバドは、特定の作曲家に強い思い入れをもって、執念ともいえる意欲で、その作品演奏に励むことが多い。
マーラー、ムソルグスキー、新ウィーン楽派などに加えて、ペルゴレージもそう。
一番有名な「スターバト・マーテル」だけではなく、「ディキシド・ドミヌス」を含む宗教作品を集めた1枚とさらにミサ曲などの1枚、都合3枚のペルゴレージ・アルバムを続々とリリースする。
来年、2010年が生誕300年の記念の年となることもあっての録音ながら、超巨匠になったアバドが、マーラーを繁茂に演奏するかたわら、スターバト・マーテルばかりでなく、ペルゴレージのまったく未知の作品まで掘り起こして録音を重ねているということ自体がすごいことだと思う。
しかも、ピリオド奏法に徹した積極的な演奏で、その探究心の豊かさと進取の気性は、かつての大巨匠たちには考えられないことだと思う。
ペルゴレージ(1710~1736)は、中部イタリアに生まれ、その後ナポリで活躍した作曲家で当時絶大な人気を誇ったらしい。
オペラを数十曲、宗教作品・歌曲多数と声中心にその作品を残したが、26歳で亡くなってしまうという天才につきものの早世ぶりであった。
スターバト・マーテルは、おそらく最後の作品とされているが、磔刑となったイエスの十字架のもとで、悲しむ聖母マリアを歌った聖歌で、ヴィヴァルディ、スカルラッティ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクなどが有名どころ。
それらの中にあって、抒情的な美しさと優しい歌と劇性にあふれていることで、ペルゴレージのものが燦然と輝いている。
アバド3度目の録音は、ピリオド奏法を用いながらも、少しも先鋭にならず、リュートを交えた響きは古雅で暖かく、そして繊細極まりない演奏となった。テンポも早くなっている。
嘆きの歌であるから、基本は短調であり、悲痛な音楽でもある。
アバドの透徹した表現は、その悲しみを歌いだしてやまない。
一方で、アバドのこの演奏には、不思議と明るさが漂っているように感じる。
それは、音楽をする喜びに満ち溢れた明るさとでもいえようか。
若い奏者たちのレスポンスの高い演奏が、アバドを若々しくしているのか、アバドの深淵な域に至った人間性が、若いオーケストラから驚くべきサウンドを引き出しているのか。
マーラー・チェンバーと同じことがここでも言えるのではないか。
アバドのお気に入りの歌手ふたり、ハルニッシュとミンガルドのニュートラルな歌もすっきりと好ましくも美しい。
ソプラノ:ラヘル・ハルニッシュ コントラルト:サラ・ミンガルド
クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト管弦楽団
(2007.11@ボローニャ)
83年録音のロンドン響との録音。
こちらは、レコード・アカデミー賞をとった名盤である。
当時、コンサートスタイルの演奏が主流の中にあって、ロンドン響を小編成に組みなおし、バッハやヴィヴァルディをさかんに演奏していたアバド。
この録音が出たときも、垢をすっかり洗い落したかのような、スッキリとスマートなペルゴレージに、多くの聴き手が新鮮な思いを抱いたはずだ。
新盤を聴いて、こちらを聴きなおすと、そのあまりの違いに驚くを禁じ得ない。
テンポの相違は先に書いたとおりだが、響きが過剰に感じ、感情表現も濃く感じる。
演奏スタイルの時代の変遷もあろうが、それ以上にアバドのやりたいことが違ってきているわけである。歌手の歌い方も、大幅に異なる。
ここで歌っている、マーシャルとヴァレンティーニ・テッラーニは見事としか言いようのない素晴らしい歌唱である。しかし、新盤での抑制の利いた若い歌と比べると、歌いすぎと聴こえるし、オペラティックですらある。
でもですよ、私には、この清々しい歌に満ち溢れたペルゴレージも捨てがたく、どこか懐かしく、若い頃のことを思い起こしたりもしてしまう1枚なのであります。
25年も前だもの。私も若いですから。
ソプラノ:マーガレット・マーシャル
コントラルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団員
(1983.11@ロンドン・キングスウェイホール)
そして、79年の録画によるスカラ座メンバーとの演奏。
こんな映像が、今年、忽然と姿をあらわした。
しかも歌手が、リッチャレッリとテッラーニなのだから。
さらに、演奏会場がすばらしい。
オーストリア、ケルンテン州の美しい湖のあるオシアッハの、シュティフツ教会。
装飾美あふれるバロック建築の、これまた美しい教会である。
「ケルンテンの夏」音楽祭でのライブと思われる。
宗教音楽は、本来コンサート会場ではなく、教会での典礼の一部であったわけだから、こうした場所での演奏は至極当然であり、演奏する側も、聴く側も、音楽の感じ方が変わってくるはずだ。
アバドがこの音楽に求めたものが、こうしたシテュエーションでの映像を見てわかるような気がした。
ロンドンでの録音より、オーケストラは小規模で、教会の豊かな響きは意外と捉えられておらずデッドである。だから、よけいに音ひとつひとつが直接的に訴えかけてくる。
無駄なものを切り詰めた直截な表現に感じ、そうした意味では新盤に近い。
この演奏の2年後に、スカラ座を引き連れて、カルロスとともに来日したアバド。
その時のコンマスも座っていて、なぜか懐かしく思い出される。
アバドも歌手もともかく若い。
指揮棒を持たずに簡潔な動きで真摯な雰囲気がにじみ出ていて、ペルゴレージの音楽が持つ抒情と劇的な要素を見事に描き出している。
惜しくも亡くなってしまった、ヴァレンティーニ・テッラーニの深みのある声がまったくもって素晴らしく、この頃は重い役柄で声が疲れていなかった、リッチャレッリのリリカルな歌声も素敵。ロンドン盤の歌唱より、こちらの方がオペラへの傾きが少ない。
ソプラノ:カーティア・リッチャレッリ
コントラルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
クラウディオ・アバド指揮 スカラ座合奏団
(1979.夏@オシアッハ、シュティフツ教会)
3種類そろったアバドのペルゴレージ「悲しみの聖母」。
新盤は別次元の感あるが、それを含めて3つともに、わたしの大切なライブラリーとなりそうだ。願わくは、プティボンに、このソプラノ・パートを歌って欲しいもの。
キャプチャー画像を多めに貼ってみました。
若い、きれい、かっこいい、でしょ
>以上、引用終わり<
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