カテゴリー「シュレーカー」の記事

2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2014年9月12日 (金)

シュレーカー 「烙印を押された人々」 前奏曲

Hills

何度か登場の、六本木ヒルズのシュールなモニュメントと、遠景の夏の東京タワー。

10月には、東京タワーもオレンジ色になります。

このところ、忙しいいのと、別口ライブなどで、記事更新が滞ってまして、申し訳ありません。

聴きたい曲、書きたい曲、紹介したい曲など、それこそ、次から次にあるのですが、あれよと言う間に、日が経ってしまい、季節感も失い、記事のタイミングも失してしまうというもどかしさを感じてます。

今宵は、ときおり頭のなかで鳴りだす音楽のひとつを取りだしてみました。

 シュレーカー 歌劇「烙印を押された人々」 前奏曲

Schreker_die_gezeichneten

    エド・デ・ワールト指揮 デンマーク放送交響楽団

Schreker_die_gezeichneten_albrecht

    ゲルト・アルブレヒト指揮 ウィーン放送交響楽団

Schreker_die_gezeichneten_nagano

    ケント・ナガノ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団

Schreker_prelude_toadorama_shinaisk

    ヴァシリー・シナイフスキー指揮 BBCフィルハーモニック

いま、手持ちの「烙印を押された人々」の前奏曲にまつわる音源です。

最後のシナイフスキー盤は、オペラの全般をもイメージして、幻想曲風にしたてた「あるドラマへの前奏曲」という、ロングバージョン。
おおいに聴き応えがあります。

ですが、オペラ全体をつまみ聴くには、この曲はそぐわず、コンサートバージョンっぽい。

でも、時間がない時などは、わたくしは、とても重宝してます。

 このオペラは、いろんなストーリーを入れ込みすぎて、焦点がぼやけぎみないつものシュレーカーのオペラの中にあって、2時間30分の長帳場ながら、ややこしい筋立てながらも、求心的なドラマになっていて、聴き応えも、劇としての面白さも高いと思います。

醜い男と思いこんでいる主人公、そして、その彼が同情と、やがて愛情を注いだのが、ヒロインで、彼女は美しいけれど、心臓が悪く、熱い恋などできる体でない。
そんな彼女をたらしこむ、遊び人のイケメン。
 この3人に、快楽悪逆追及の貴族たちと、彼らが作った快楽のテーマパークに心奪われる民衆。

出てくる連中、みんなが、あかんレッテルを貼りたくなる、そんなオペラって珍しいですね。

成功したオペラでありますが、台本も指揮も、すべてひとりでこなす才人であったシュレーカーは、そのユダヤという出自ゆえに、華やかな第一線から締め出され、心臓の疾患も出てしまい、失意のうちに亡くなってしまう・・・。

いわゆる、「退廃のレッテルをナチス政権によって貼られた作曲家」の代表格であります。

この前奏曲、ほんとに好きで、痺れるような、甘味なまでの官能に、酔いしれるようにして聴いてしまいます。
ザルツブルクのフェルゼンライトシューレの特性を活かした、ケント・ナガノ指揮による映像の演出は、レーンホフによるもの。
仮面劇のようで、怪しくも、想像力を抱かせる秀逸なものです。
いずれまた、ちゃんとレビューしたいと思います。

ここにあげた前奏曲のみの演奏において、一番好きなのは、デ・ワールトによるものですね。
マーラーと、ツェムリンスキー、シェーンベルクと同列の存在としてのシュレーカーを感じさせる明快な演奏なんです。

新国あたりで、このオペラが取り上げられることは、永遠にないだろうなぁ~

過去記事

 「デ・ワールト&デンマーク国立歌劇場」

 「シナイスキー&BBCフィルハーモニック」

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2013年12月13日 (金)

シュレーカー ある大歌劇のための前奏曲 シナイスキー

Mikimoto

銀座ミキモトの、恒例のツリー。

その足元には、今年はリングのオブジェ。

頭が入りそう。

Schreker_2

  シュレーカー  ある大歌劇のための前奏曲

    ヴァシリー・シナイスキー指揮 BBCフィルハーモニック

                         (2000.10 @マンチェスター)


久しぶりのフランツ・シュレーカー(1874~1934)。
でも、こうしてブログで取り上げるのは、しばらくぶりだけど、日常的にちょこちょこ聴いてます。

あらためて、そのプロフィールを過去記事から引用しておきます。
これも何度もやってますが、シュレーカーの人となりを知っていただきたいから。

>ユダヤ系オーストリアの作曲家。

自らリブレットを創作し、台本も書き、作曲するという、かつてのワーグナーのような目覚ましい才能で、10作(うち1つは未完)のオペラを残している。
 指揮者としても、シェーンベルクの「グレの歌」を初演したりして、作曲家・指揮者・教育者として、世紀末を生きた実力家。

ドイツオペラ界を席巻する人気を誇ったものの、ナチス政権によって、ベルリンの要職を失い、失意とともに、脳梗塞を起こしてしまい56歳で亡くなってしまう。

その後すっかり忘れ去られてしまったシュレーカー。

マーラーの大ブレイクの影に、同時代人としても、まだまだこのうような作曲家がたくさんいます。
しかし、いずれも交響曲作家でなく、劇音楽を中心としていたところがいまだ一般的な人気を勝ちえないところだろうか。<

という、シュレーカーさん。
亡命をすることはなかったのですが、次々に追い込まれ、心臓の疾患で亡くなりました。

その音楽は、退廃的でもなく、シェーンベルクの初期作と同じような、甘味で濃密な表現主義的な世界にも通じ、かつマーラーのような、複雑な顔を持っています。

強烈な個性は持ち合わせておりませんが、しびれるような官能性と、その半面のシャープなほどの冷淡なそっけなさ、そして掴みがたい旋律線。
 それらの味わいが、一度好きになると、やめられなくなる。
いくつも聴いてくると、その音楽のパターンが自分の中で整理されてくる。
そして、常習性を持って、聴くようになる。
毎夜、ブログのために、音楽を聴きます。
その作業が終ったあとに、寝るまでにツマミ聴きする音楽たちのひとつがシュレーカーやコルンゴルトなんです。

さて、シャンドスが出したシナイスキー指揮によるシュレーカーの管弦楽作品の2枚目。
その中から、「ある大歌劇のための前奏曲」。
ほかの収録曲も、とても魅力的なのですが、既出であったり、また、改めて取り上げたかったりもしますので、ご案内は、ここでは割愛しました。

この曲は、シュレーカー最後の作品です。

1920年初演の「音楽箱と王女」の時から芽生えた、「メムノン」という題材のオペラ化。
しかし、構想を持ちつつも、その後の指揮活動や、いくつものオペラの作曲で、本格的に手が付けられない。
1933年に、したためていた素材から、この大前奏曲をとりあえず、生み出した。
前奏曲とはいいつつも、実に24分の大作で、思い描いたオペラ本編のエッセンスの集結なのでありましょう。
これを編んだあと、ナチスの脅威も迫り、翌年にはシュレーカーは亡くなってしまいます。

エジプト神話に素材を求め、半神のメムノンと、それを探し求める女性・・・・、というようなドラマのようです。

音楽は、エキゾテッィクで、まがまがしい雰囲気で始まり、その後に、シュレーカーらしい、甘味で後ろ髪ひかれる旋律も交錯してきます。
冒険的なファンファーレ風な場面もありますし、夜のしじまを感じさせる、これまたシュレーカーならでは怜悧な音楽も響きます。
このような、とりとめのなさの連続が、不思議なほどに、耳に麗しく響いてくる。

でも何十回も聴いてるけど、どこか遠くで鳴ってる音楽。

それがまたシュレーカーなのであります。

壮大な素材、完成していたら、どんなオペラになっていたことでしょうか!

シナイスキーとBBCフィルの明快な演奏。
ムントとウィーントーンキュンストラとのナクソス盤よりも、バリっとはっきりしてました。

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2012年10月27日 (土)

シュレーカー あるドラマへの前奏曲 シナイスキー指揮

Mikimoto2


銀座ミキモトのショーウィンドウから。

美しゅうございます。

11月になったらきっとクリスマスモードに包まれるのでしょう。

また街は何故かハロウィーン。いつからこうなった?


Schreker_prelude_toadorama_shinaisk

  フランツ・シュレーカー(1878~1934)

     1.「あるドラマへの前奏曲」

     2.「ヴァルス・レンテ」

     3.交響的序曲「エッケルト」

     4.「宝さがし」~交響的間奏曲

     5.「はるかな響き」~夜曲

     6.幻想的序曲

  ヴァシリー・シナイスキー指揮 BBCフィルハーモニック

                         (1999.4 @マンチェスター)


わたしのフェイバリット作曲家のひとり、シュレーカー。
過去記事から、あらためまして、そのプロフィールを短くまとめたものを引用しておきます。

シュレーカー(1878~1934)はユダヤ系オーストリアの作曲家。
自らリブレットを創作し、台本も書き、作曲するという、かつてのワーグナーのような目覚ましい才能で、10作(うち1つは未完)のオペラを残している。
指揮者としても、シェーンベルクのグレの歌を初演したりして、作曲家・指揮者・教育者として、世紀末を生きた実力家。
シュレーカーのことは、弊ブログの大事な作曲家のひとりになっていますので、過去記事をご参照ください。
ドイツオペラ界を席巻する人気を誇ったものの、ナチス政権によって、ベルリンの要職を失い、失意とともに、脳梗塞を起こしてしまい56歳で亡くなってしまう。

その後すっかり忘れ去られてしまったシュレーカー。

マーラーの大ブレイクの影に、同時代人としてまだまだこのうような作曲家がたくさんいます。
しかし、いずれも交響曲作家でなく、劇音楽を中心としていたところがいまだ一般的な人気を勝ちえないところだろうか。<

オペラ作曲家といってもいい存在だったところがマーラーと違うところですが、そのオペラは全部で10作。
当ブログでは、5作品を取り上げ、あと3作は記事準備中。
未完と音源が出ていないものがあと1つずつとなります。

今日のCDは、オペラ作品にまつわる管弦楽曲を中心に集めた1枚です。

は、「烙印された人々」の前奏曲のデラックスバージョン。(過去記事
オペラ初演ののちに、ワインガルトナーとウィーンフィルによって演奏されている。
本来の前奏曲に、オペラ各幕の間奏曲などをつなぎ合わせて交響詩のように仕上がっていて、20分の大作となってます。
このオペラが大好きで、前奏曲だけでも何度も聴いてますから、これはもう嬉しい作品です。
甘味で濃厚なロマンティシズムにあふれた身も心も、耳も痺れるような音楽。
でもどこか醒めたクールさがただようところがシュレーカーならでは。

は、ウィーン風の瀟洒な感じの小粋なワルツで、小管弦楽のために、と付されております。パントマイム(バレエ)「王女の誕生日」との関連性もある桂作です。

の「エッケルト」は、オルガンもガンガン鳴る大規模な序曲で、もろにワーグナーの影響を感じさせます。
比較的初期の1902年の作品。これもまたウィーンフィル(ヘルメスベルガー指揮)によって初演されていて、いかにシュレーカーが当時メジャーだったかがわかりますね。
ヴィクトール・フォン・シェフェルという人の同名の小説をもとにした表題音楽。

④「宝さがし」の間奏曲。3幕と4幕の間に演奏される長い、これまた官能的な曲。
このオペラは過去記事を参照してください。
宝物を見つけることのできるリュートを持った吟遊詩人の物語。
主人公と彼を愛し、でも裏切る女性との濃厚ラブシーンはまるで「トリスタン」の世界で、そのシーンのあとに演奏される音楽。
田まらんばい。

⑤「はるかな響き」の夜曲は、シュレーカーのオペラ2作目で、いよいよ世紀末風ムードの作風に突入していく契機の作品。
これも過去記事ご参照。
はるかな響きが聴こえる芸術家とその幼馴染の女性、それぞれの過ちと勘違い、転落の人生。イタイ物語が多いのもシュレーカーの特徴です。
このオペラから、夜にひとり悲しむヒロインの場面などを中心に編まれた音楽がこの夜曲。
これまた超濃厚かつ、月と闇と夜露を感じさせるロマンティックな音楽であります。
超大好きですよ、これ。

は③とともに初期作品。1904年に完成し、初演は遅れること1912年。
もうその頃はシュレーカーのスタイルは濃厚系に変貌してしまっていたころ。
少しばかりとらえどころなく、後年の魅惑のスタイルと比べると魅力に欠ける。
それでも、ダイナミックで色彩感も豊かで、これはこれで個性的でもありました。

シナイスキーは日本でもお馴染みのロシアの指揮者で、シャンドスにはロシアのきわものを多く録音中だが、以外なところでのこのシュレーカーは大胆かつ繊細で、実に器用なところを見せている。
マンチェスターのBBCフィルは実にうまくて、英国のBBCオケの層の厚みを感じます。
このコンビのシュレーカーは第2集もありまして、それはまたいずれのお楽しみに。

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2012年3月20日 (火)

シュレーカー 「宝さがし」 アルブレヒト指揮

Tokyotower1

東京タワーの前に、雪。

冬の写真を遅ればせながら。

スカイツリーが出来上がったけれど、やっぱり、こちらの方が好きだな。

Schreker_der_schatzgraber

フランツ・シュレーカー オペラ「宝さがし」

「宝捜し」・・・・、というよりは、トレジャーハンターというような意味合いの方がいいかも。

女王の失われた宝石を探す男の物語、おとぎ話的でもあり、刹那的な男女の出会いと別れでもあります。

シュレーカー(1878~1934)はユダヤ系オーストリアの作曲家。
自らリブレットを創作し、台本も書き、作曲するという、かつてのワーグナーのような目覚ましい才能で、10作(うち1つは未完)のオペラを残している。
指揮者としても、シェーンベルクのグレの歌を初演したりして、作曲家・指揮者・教育者として、世紀末を生きた実力家。
シュレーカーのことは、弊ブログの大事な作曲家のひとりになっていますので、過去記事をご参照ください。
ドイツオペラ界を席巻する人気を誇ったものの、ナチス政権によって、ベルリンの要職を失い、失意とともに、脳梗塞を起こしてしまい56歳で亡くなってしまう。

その後すっかり忘れ去られてしまったシュレーカー。

マーラーの大ブレイクの影に、同時代人としてまだまだこのうような作曲家がたくさんいます。
しかし、いずれも交響曲作家でなく、劇音楽を中心としていたところがいまだ一般的な人気を勝ちえないところだろうか。
そして、今後も、このままメジャーになれず、かといって以前のようには埋もれないまでのチョイ地味作曲家たちで推移してゆくと思われます。
それでいいのだと思います。

  エリス:ヨーゼフ・プロチュカ  エルス:ガブリエレ・シュナウト
  王  :ハラルト・シュタム    道化:ペーター・ハーゲ
  巡査:ハンス・ヘルム       アルビ:ヘインツ・クルーゼ
  宿屋の主人(エルスの父) :カール・シュルツ
  市長、作家:ペーター・ガラード 執事、ヘラルト:ウルバン・マルンベルク
  地主:フランツ・フェルディナント・ネンドヴィヒ  ほか

   ゲルト・アルブレヒト指揮 ハンブルク国立劇場フィルハーモニック
                   ハンブルク国立歌劇場合唱団
               (1989.5、6 @ハンブルク国立歌劇場ライブ)


ときは中世ドイツ。

プロローグ

 王様が、道化を呼んで特命ミッションを授けている。(リブレットでは、独語がNaar、英語訳がFool、となっていて「馬鹿」じゃあんまりだから、道化ということで)
王妃が実は病気で非常に弱っている。
それというのも、大事な不老と美をもたらす魔法の宝石を失ったからとのこと。
手を尽くして探したが見つからない。
そこで、道化は、この国を行脚するトテジャー・ハンターがいると提案。
彼の名はエリスといって、吟遊詩人で、リュートを抱えていて、その楽器が宝物を見出すという。
さっそく、その男を連れて参れという王様に、晴れて宝石が見つかれば、わたくしめにも、可愛い妻を娶らせてくださいと約束を求める道化なのでした。

第1幕

 結婚式を控えた宿屋の娘エルスと、若い地主が森を行くが、エルスは残忍なこの地主のことが嫌いでならない。しかし金持ちのこの男は、エルスに結婚の証しに、装飾品を授ける。(ところがこれが、王妃の失われた宝石から出来ていた・・・・)
いやでいやでしょうがない彼女は、古くからの彼女の雇い人アルビを呼んで、地主を殺して欲しいと依頼する。

 宿屋にて、エルスの父が金持ちとの結婚に喜んでいるが、そこに市長や巡査、作家や名士などがやってきて、祝杯で飲み始める。
巡査はエルスに未練たらたら。
そこへ、吟遊詩人エリスがやってくる。彼はバラードを歌い、森で見つけた宝石をエルスにプレゼントする。地主が殺されたはずの森の近くで見出したもののようなので、驚くエルスだが、エリスに一目惚れしてしまい夢中に・・・・。

 そして、森で死体があがったとの報に騒然となり、巡査はこの怪しい吟遊詩人の身柄を拘束する。

第2幕

 街で悄然とすりエルス。そこに道化が現れ、道化は彼女のことが気に入り、いまリュートを担いだ青い目の吟遊詩人を探しているというと、それはエリスのことで、いま捕まってしまい、絞首刑になりそうとの告白を受ける。
よし、ではなんとかしようと約束する道化。

 いよいよ、刑場に連行されるエリス。
エルスを見つけ、束の間の愛情を交わし合うふたり。ここでもバラードを歌うエリス。
ことを急ぐ巡査に、国王の使いが急きょあらわれ、処刑の中止を命じる。
この男には王の重大ミッションがあるから、即刻、宝探しに出立せよ!
エリスの探すものが、自分が持つあの宝石とわかり苦悩するエルス。
夜の逢瀬を約束して別れる。
 しかし、エルスは求める宝石が自分のところから見つかっては大変と、アルビに、エリスに危害を加えない約束で、リュートを盗み出すことを命じる。

第3幕

 夕刻、エルスは優しかった亡母の子守歌を回顧して歌う。
そのエルスのバルコニーにあらわれるエリスだが、リュートを奪われ傷心。
王への約束が果たせず、お咎めを請うのだ。
しかし、エルスは自ら王妃の宝石をさし出し、その出自は問わないということで、彼に託す。
そして、二人は、長い長い、そして超甘味なるキラキラした二重唱を歌い、さらに同類のオケによる間奏曲もまじえて、聴き手を官能の境地に遊ばせてくれるのであります。

第4幕

 お城は、宝石が戻り、王妃が元気になったということで、大パーティが催され、誰もが浮かれている。エルスだけが元気がない。
エリスもヒーロー扱いだが、意地悪な宰相は、どのようにしてリュートなしでお宝を探し当てたのだ?と質問するが、エリスは、美しいバラードを歌って答える。
古き昔、王妃様がお持ちになる前、転々とした持ち主のおひとりから・・・・と。
 しかし、巡査が、殺人実行犯アルビを逮捕し、そしてそれを教唆した女性がいると、申し立てる。
 そこへ現れた道化は、王様に、あのときの約束、そう妻を娶ることの承認を求め、その女性はエルスと指さして、彼女を救うことに・・・・・。

エピローグ

 数年のち
道化の求めに応じ、エリスは彼らの住む場所にやってくる。
エルスがずっと長らく病気に伏せっていてもう長くないと。
意識も薄く、茫然とするエルスを抱きつつ、長いバラードでもって彼女を慰め、死出のはなむけとする。
ほら見えるだろう・・・、エリスとエルス、そして子供たちが、彼ら恋人たちの宝を・・・と。
エルスは彼の腕の中で息を引き取り、道化が祈りを唱えるなか、音楽はクレッシェンドしてゆき、劇的に幕を閉じる。

                  幕

微妙だけれど、よく書けてる原作。
完成9作のオペラの5作目のこちらは、1920年にフランクフルトで初演。
大成功となり、ドイツ各地で4年間で350回以上も上演されたという。

これが成功の頂点で、その人気は少しずつ衰えてゆく、1930年代に入ると、ヒトラーの登場で、上演も制限・妨害されるなどして、徐々に輝きを失ってゆくシュレーカー。

ここまでの5作を聴いてきて、前にも書いたシュレーカーの特徴とお決まりのパターンが、ここでも踏襲されているのを感じる。

人間の欲望の尽きることのない性(さが)とそれへの肯定感

これをヒロインの女声に担わせている。
痛い女性・・・、といっては、世の女性陣に怒られましょうが、その彼女たちを愛情をもって、そして救済の暖かな目線でもって描いております。
わかっちゃいるけど陥ってしまう。
そんな彼女たちの歌う、没頭的な歌は、あまりに美しく哀しみに満ちてます。

対する男も、エキセントリックボーイでして、これもまたイタイ。
ドラマテッィク・ソプラノに対して、没頭的なヘルデンの要素を求められるテノール。
彼ら二人による濃厚でリキュールたっぷりのチョコレートケーキのような甘味極まりない二重唱は、あきらかに「トリスタン」的世界。
3幕のエルスの子守歌から、エリス登場後の濃密なる場面は、身も心もとろけてしまいそう。
もうたまりませぬ・・・・・・。

あと、音楽面での特徴のひとつは、底抜けな乱痴気シーンが必ずあること。
これまでのオペラにも必ずありました。
「宝さがし」では、4幕の王宮の場面。笑い声までも、世紀末してるし。

それと、物語の前段の説明や重要な場面が、複数人物で、語りともとれるシュプレヒシュティンメ的に早口で進行するので、展開があれよあれよというまに進行してしまう。
対訳がないと難渋このうえない。
そして、それらの快速シーンと対比して、先の濃厚ラブシーンなどは時間が止まったように陶酔の限りを尽くすので、その間のギャップが大きい。

こうした落差も、シュレーカーの音楽をイマイチと捉えてしまう要因なのかもしれない。

でも、何作も聴き、そして「宝さがし」も、ここ数年、ことあるごとに聴いて慣らしてきただけに、酔える3幕をピークに、シュレーカーの音楽の素晴らしさを身をもって体感できるようになってきました。

このCDは、ハンブルクで行われた歴史的な蘇演のライブでして、指揮者G・アルブレヒトあっての緯業であります。
アルブレヒトのシュレーカーのオペラは3つ、ツェムリンスキーも3か4つはあります。
ドライでそっけないときもあるアルブレヒトの指揮は、オペラを聴きやすくまとめ上げる能力にかけては抜群で、ワーグナーでも何度もそんな体験をしたことがあります。
ベタベタになりすぎない、スリムポーションの表現主義音楽の演奏にかけては、K・ナガノと双璧に思います。

エリスのプロチュカが素晴らしいと思った。
リート歌いのこのテノールは、ドラマティックな歌唱はその信条ではないと思うけれど、ここではそんなイメージをかなぐり捨てた熱唱。
日本びいきで、日本にも住んでいたんじゃなかったかな・・・?

ワーグナーでお馴染みのシュナウトは、同じアルブレヒトの指揮する「遥かな響き」でもヒロインをつとめていたが、ここでは、わたしはちょっとキツかった。
なにがって、このエルスは結構、アーとかエーとか叫ぶんです。
それがあまりに、キンキンで、耳が辛い。
そして、ちょっと声がフラットぎみ。
いや力強さはあるけれど、もう少しナイーブさというか、憎めないカワユサといいますか、そんな危ない女性であって欲しかったけれど、おっかさん風なんだな・・・。
でも立派な歌唱です。

ミーメ歌手のP・ハーゲが、とんでもなくいいです。
狂言回しの存在感ばっちり。

ハンブルクのチームは、日本に何度か来てますのでお馴染みの声ばかりで、安定感あります。

そんなわけで、シュレーカーの「宝さがし」でした。

音源で手に入るあと3作、徐々に紹介してまいります。

この「宝さがし」、後年、シュレーカーの手でオーケストラの組曲が作られ、メンゲルベルクとコンセルトヘボウによって初演されてます。
想像するだけで、痺れそう・・・。


シューレーカーのオペラ(記事ありはリンクあります)

 「Flammen」 炎  1901年

 「De Freme Klang」 はるかな響き  1912年

 「Das Spielwerk und Prinzessin」 音楽箱と王女 1913年
 
 「Die Gezeichenten」 烙印された人々  1918年

 「Der Schatzgraber」 宝さがし 1920年

 「Irrelohe」   狂える焔   1924年

 「Christophorus oder Die Vision einer Oper 」 
         クリストフォス、あるいはオペラの幻想 
  1924年

 「Der singende Teufel」 歌う悪魔   1927年

  「Der Schmied von Gent」 ヘントの鍛冶屋 1929年

 「Memnon」メムノン~未完   1933年

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2011年5月24日 (火)

シュレーカー 「ロマンティックな組曲」 ムント指揮

Shiba_park

夜の公園。

このところ、天候・気温の変転が激しいのだけれど、暖かい晩にふらふらと、さまよえるワタクシにございました。

あの日以来、感情の機微も大きく揺れるようになってきてて、以前にも増して涙もろくなっていると思う。
と同時に、ふりかかる不合理・不条理の数々に、なすすべなく、その怒りをどこへぶつけていいかわからず、またそれを押し殺しているものだから、その抑圧にそろそろ耐えきれず、変調を来たしかねない時期になりつつあると思う。
 
 夜、快調に眠りにつくのですが、夜中に目が覚めてしまう。
それから、寝ようとしても、うとうと眠りで、時計とにらめっこ。
しまいには、日曜日、余震がきたりして、「キターーッ」とばかりに本格的に目覚めてしまう。
だから、昼から夕方にかけて、無性に眠くなり失態をおかすこともあるんです。

このところ、どうもこんな繰り返しなんです。

私的なことですが、こんな風に書いて曝すことで、気を紛らわそうとしてます。
どうぞ、あしからず、です。

でも、音楽があるから救いですよnote
大丈夫です。

Schreker_romantic_suite

ランツ・シュレーカー(1878~1934)のシリーズ。
しばらくぶりに取り上げます。

シュレーカーの人となりは、過去記事をごらんください。

世紀末を完全に挟んで生きた作曲家で、ドイツを中心に作曲・指揮・教育者として順風満帆の時を過ごしたけれど、1920年台以降、ナチス台頭とともに下降線をたどり、ついには退廃音楽のレッテルをいただき要職を解雇され、失意のうちに静かに世を去り、以来、忘れられてしまったシュレーカー。

9作品あるオペラのうち、6作品までは聴いているが、残り1作は入手困難。ほかは、音源なしの状態。
オペラ以外は、小品が多いなか、それらも音源は限られていて、寂しいものだ。

おそらく、今後も期待できないシュレーカー作品のレコーディングだけれど、一番入手しやすい1枚をご紹介。

旧マルコポーロ盤、現ナクソスのこちらは、最後のオペラ的作品になるはずだった「メムノンへの前奏曲と、比較的初期の作品「ロマンティックな組曲」。
エジプト時代に題材を求めた「メムノン」は、晩年の作品で怪しげなムードをもちつつも聴きやすい音楽であるが、わたしなどは、実はもっと何かを求めたい少し中途半端な雰囲気。
オペラ全体があればまた違ったかもしれない。

1902年の「ロマンテッィクな組曲」は、4編からなる1902年の作品。
3つ目の「間奏曲」のみが1900年に先だって書かれたが、いずれもオペラで言うと、初作の歌劇「炎~Flammmen」の前にあたる。
実は、その「炎」は、室内オケを使いシュトラウスの大幅な影響下にあることを感じさせるものだった。
でも、この組曲は、あとの「遥かな響き」の先取りを予感させるし、シェーンベルクやウェーベルンの表現主義的なそれこそ甘味なるロマンティシズムを感じさせる桂品なのだ。

 Ⅰ.「牧歌」
 Ⅱ.「スケルツォ」
 Ⅲ.「インテルメッツォ」
 Ⅳ.「舞曲」

27分ぐらいの「ロマンティックな小交響曲」と思ってください。
先に記したような新ウィーン楽派っぽい部分は1楽章。
ウェーベルンの「夏風・・」風で、魅惑的な曲です。
 そしてスケルツォは、大先輩シューベルトを思わせる爽快なもの。
最高の聴かせどころは、インテルメッツォ。
北欧音楽のようなメルヘンと自然の調和のような優しい雰囲気に包まれます。
最後の舞曲は、快活で前への推進力ある、シンフォニエッタの終楽章的存在に等しい。

日本でもおなじみ、ウーヴェ・ムントが指揮する低部オーストリア音楽家管弦楽団
ウィーンは地元指揮者になかなか厳しく、他国での活躍が目立つムントさん。
N響や京響でも親しいけれど、先輩グシュルバウアーと同様に、少年合唱団の出自でもあり、同じく、ウィーン以外の南欧での活躍も目立つ存在。

オケは変な名前だけれど、ウィーン・トーンキューンストラ
ウィーン周辺の数あるオケの中で、地味な存在だけれど、ムントやのちのルイージなどに鍛えられ、現在、家系指揮者クリスティアン・ヤルヴィが主席で、ますますユニークな存在になっていると思う。
かつてはおなじみワルベルクもここで活躍してました。

そんなコンビのシュレーカー。
オケの柔らかい響きに巧みな遠近感と繊細さを誇るの木管と金管。
強奏の少ない、なだらかな音楽に感じたけれど、どこをとっても、後々のシュレーカーそのひとのドラマ性の存在と、鋭い視線に満ちたシニカルさを感じることができる。

万人向けの作品(某先生みたいだ)ではないけれど、ベルリンフィルあたりの明るくバリっとした響きで聴いてみたい気もします。
今回の演奏が、少しばかりローカルっぽいものですから・・・・。

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2011年1月17日 (月)

シュレーカー 「音楽箱と王女」 ヴィントフール指揮

Rotsupongi1

六本木の夜。
六本木の顔は、かねては華やかだった交差点周辺。
いまもそれはそれは賑やかだけれども、商業施設によって分散し、ヒルズとミッドタウンに多くの人や車が流れている。
2月のバレンタインの頃まで、けやき坂のイルミネーションは続いてます。
クリスマスが過ぎても、まだイルミしてるこちら。
クールなトーキョーが味わえます。
車の中から、こんな感じ。

Schreker_spielwerk_2

フランツ・シュレーカー(1878~1934)のオペラシリーズ。

9作中の第3作目、「Das Spielwerk und die Prinzessin」。
さて、この独語の邦題をいかにすべきか?
Spielは、おもちゃとかゲーム、Werkは、お仕事。
ますますわからんぞ・・・。
Wikiなどのネット上では、「おもちゃと姫君」なんて訳されているけれど、CDのリブレットの英訳では、「The music box and the princess」となっている。
これを素直に和訳すると、「音楽箱(オルゴール?)と姫」なんてことになる。
オペラタイトルは、そのオペラのイメージの第一印象だけに、これじゃメルヘンチックになってしまいかねない。
ツワモノ、シュレーカーとメルヘン調とはすぐにはかみ合わないし、事実、このオペラの音楽は、わたしたちにとってお馴染みの、甘味で濃厚、夢幻的かつ悪魔的なシュレーカーの音に満たされているわけなので、どうもそれらの邦訳はそぐわない気がするのだけれども・・・・。
かつてレコ芸の長木先生は「からくりの鐘と王女」とつけておりました。
それはそれで、オペラの筋立てに即した素晴らしい題名かとも思います。

でも、わたしは、「音楽箱と王女」といたしました。
リブレット英訳を見てるとBOXばかり出てくるし、そもそも、その「おもちゃ」なるものは、音楽に共鳴して得も言われぬ響きを奏でるのだ、とあります。
そうした「からくり箱」、そしてなんとなく曖昧なままで、ということで。
なにか気のきいた名前があれば教えてください。

前段からして、長くなってしまった。
かようにして、シュレーカーの作品たちは、その素晴らしい音楽に反して、作品の背景理解がなかなかに難しく、劇内容と台詞も複雑で、英訳されたリブレットを見ていてもさっぱりとわからない。
音楽の方は、ずっと聴き続けて1年あまりで、すっかり耳になじんだのだけれど、対訳に悪戦苦闘すること数日。
適当に脚色して、ここにその概略を残します。

前作はるかな響きが、1912年の初演・大成功で、ウィーンでも認められ、ウィーン音楽院教授に迎えられたシュレーカー。
翌1913年2月には、シェーンベルクの「グレの歌」の初演指揮をウィーンで行うなど、同地での活動のピークを徐々に築きつつあった。
同年、フランクフルトとウィーンにおいて、この「音楽箱と王女」を初演。
しかし、おもったほどの成功は得られず、当時の音楽批評家のジュリアス・コルンゴルト(あのコルンゴルトの親父)のアンチ・シュレーカー報道でスキャンダル化してしまった。
のちの1915年、シュレーカーは、このオペラを縮小改編して、1幕ものの「Das Spielwerk」として書きなおし、1920年にワルターの指揮で演奏されて成功をおさめている。
このように、シュレーカーをとりまく人物たちは、お馴染みの名前の人々ばかりで、彼の弟子筋も同じく有名人ばかり。
シュレーカーだけが埋もれた存在となってしまった。
つくづく、ナチスという存在が疎ましい。

この作品の唯一の音源は、1913年の初稿版によるもので、キール劇場におけるライブ。

 マイスター・フローリアン:トーマス・ヨハンネス・マイヤー
 王女:ユリア・ヘニング     旅の職人:ハンス・ユルゲン・シェーフリン
 ウォルフ:マティアス・クライン リーゼ:アンネ・カロリン・シュルテル
 城の執事:ハンス・ゲオルク・アーレンス   ほか

   ウルリヒ・ヴィントフール指揮 キール・フィルハーモニー管弦楽団
                     キール歌劇場合唱団
                         (2003.1@キール)
プロローグ

ここでは4人の男たちがかつて、この街で起きたことを語らんとするが、いずれも問わず語りで、神のみぞ知る・・・・と。

第1幕

 夜明け、親方フローリアンの職場のドアをたたく女ひとり。
彼女は、離縁した親方の妻リーゼ。
道に若い男が倒れている、それはあなたと私の息子よ、と叫ぶ。
しかし、フローリアンは、私に息子などいない、頼むからもう行ってくれ。ととりあわない。
(リーゼは、なかば錯乱していて、かねて王女の恋人だった息子がいなくなってしまったことで、王女を恨んでいる)
 で、その倒れていた若い男は、旅の職人で、城近くで、執事に会うが、執事からは、この街はよろしくないから、早く出ていった方がよいと忠告される。
職人は、聴いてくれとんばかりに笛を取り出し、シンプルな調べを奏でる。
すると、あたりから鐘が鳴り響き、えもいわれぬ雰囲気になる。
親方フローリアンは喜びが数年ぶりに戻ってきたと、執事は古い音楽箱が鳴り響いたことに感謝し、さっそく城に報告に行く。

フローリアンはその職人に語る。
王女には、ヴァイオリンを奏でる若い恋人がいた。それは彼の息子だった。
彼は、誰にも真似することのできない美しい音色でもって、フローリアンの作った音楽箱を春の歌のように共鳴させることができる唯一の男だった。
王女と息子は、その音楽と不思議な箱でもってお互いにのめり込み、若い日々を浪費するがごとく狂乱の宴へと没頭してしまうようになった。そして、親方はそんな息子を追放してしまった。
 音楽箱を、自分の妻の手引きで、弟子のウォルフが細工したから、このように人を惑わす響きを出すようになってしまったからである。
いまや、こうして清らかな音を取り戻したということは、自分が必死に調整したからであると。
フローリアンは、若い職人の旅の疲れをねぎらい自宅で歓待する。

王女があらわれる。そこへ敷物を敷きなさい、豪勢な食事も出しなさい・・と贅沢な注文ばかり。執事は、じつはよろしきお知らせでして、今朝ほど若い男が。。云々と語るも、うつろな王女は耳を貸さない。
でも王女もこの時を待っていた、死だけが私の充足・・・と歌う。

今度は、王女とウォルフの会話。
あの箱のお陰でこんなことになってしまった、あの箱に今宵、真鍮をかぶせてしまうのです。
それは、わたくしが・・・とウォルフ。
ウォルフの姦計に心も体も、騙されてしまう王女であった。

第2幕

朝、親方のところに泊まった若い職人は、前夜に見た不思議な夢をかたる。
「女王(Queen)の大祝賀会に自分は舞踏の曲の演奏をするために招かれ、笛を吹いたのだが、彼女は生まれたままの姿で、それを問うと、何故?と笑って悲しい目をした・・・・・。」

朝、外へでて、笛を吹く職人。またしても芳しい響きが。
そこへ、ほうほうの体で、王女がやってきて苦しそうにしている。
これは大変と、介抱し、水を飲ませてあげる職人。
語るうちに、王女は、ここから自分を連れてどこか遠くへ連れて行って欲しいと懇願するが、職人は、今日が済めば明日にでも、と語る。
彼は、彼女が王女であることを知らないのである。
今日は、病気の王女を癒しにいくからと。
彼女は、そいつは悪魔だ、老親方もそうだ・・・と訳わからないことを口走り、これには職人も混乱。
しかし、彼は、王女を救いたいのだ、彼女のために死んでもいいとまで、語る。
それが終わったら、一緒に逃げてくれる?と王女。
そう、あたりまえさ、君を愛している。必ずやりとげるさ、と職人。
彼女は、去り際に、それはきっとできないわ、と呟く・・・・。

夜、4人の男たちが死んだ男を親方フローリアンの家の前に運んでくる。
ウォルフは、なにも自分たちの祝賀の晩に死体なんてと怒るが、男たちは、死者をその父のもとに届けにきた。彼は天に昇るため、そして彼のヴァイオリンを弾くことになろう・・・と。
次の場への間、この横たわる男は起き上がり立ち去り、空は雲が立ち込め、城はあざやかなイルミネーションにおおわれ、鐘が鳴り響く。

楽しげな音楽に乗り、市民たちが繰り出してきて、それは酔っ払いもまじって乱痴気騒ぎとなり、やがて魔女は誰だとか始まり、王女を殺せと言い始め、城に殺到する。

ウォルフは、彼女に罪はない、悪いのはあの親方で魔術師だとするからまたややこしい。
 さらに、リーゼは、悪いのはあの女、母たちよ、息子たちを守りなさいと、これまた煽るようなことを言い、王女は怖れおののき、わたしの人生には何の意味もなくただ死にたいと語るも、リーゼの王女へのなじりは、息子の死体を見てしまった故に激しさを増すばかり。

そこへ、執事にいざなわれて若い旅の職人が混乱のなかに登場し、王女を紹介され、それが今朝あった彼女とわかりびっくり。
 わたしにはできるとして、職人は笛を取り出し吹き始める。
すると、おなじみのえも言われる雰囲気が醸し出され、虚ろな病魔の王女は様子が一変。例の音楽箱も神々しく響きはじめ、市民たちも神妙になり踊りだす。
そして、フローリアンの家では箱に合わせて、死んだ息子もヴァイオリンを弾きだすのが見える・・・・。
王女と職人のふたりは、城近くの丘に登りつつ、この晴れやかな日に、旅立つ喜びを歌い合い熱い二重唱となり、城の中に消えてゆく。
フローリアンは、市民よ待ってくれ、聴いてくれ、息子がいまヴァイオリンを弾いているのだ、死がいま音楽を奏でているのだ・・・・と錯乱状態。
ウォルフに扇動されて松明をもった人々があわられ、松明を投げつけ、親方の家は燃える。
ウォルフは、王女はどこだ?せっかくの祝宴が、おまえの恋人はここだ。。。とこちらも混乱。
やがて、城が朝日に浮かびあがり、音楽箱も鳴りをひそめる。

が、しかし、鐘の音だけは、街に降り注ぐようになり続けるのであった。
 それを聴いたフローリアンは、狂気の笑みを浮かべ、傍らにはリーゼがうなだれいて、「聴こえるか?聴いたか?」と。
人々は、そんな親方には目もくれず、ひざまずいて祈ります。
「おお、主よ、わたしたちの罪ゆえ、お慈悲の道のすべがないのを知りました・・・・」

                ~幕~

どうも、よくわからない内容。
かなりの誤訳・作文はお許しを。

こうして書いてて、「パルシファル」と「マイスタージンガー」を思い起こした。
職人は無垢なるパルシファルと歌合戦に臨むワルター、親方は、グルネマンツとザックス。王女は、アンフォルタスとクンドリーとエヴァ。
ウォルフは、クリングゾルにベックメッサー。
リーザはクンドリー。
(おまけに彼女たちは二面性を併せ持っていることで共通)

このオペラの台本の冒頭には、ニーチェの「ツァラトゥストラ」の真夜中の歌の一部が、シュレーカーによって引用され、記載されている。
「だがすべての快楽は永遠を、深い永遠を欲する」と。
そう、マーラーの第3交響曲で歌われる深いアルトの独唱、永劫回帰の思想。

人間の欲望の尽きることのない性(さが)とそれへの肯定感を、シュレーカーはいつもその独特なドラマの選択によって描いている。
いままで聴いてきたオペラでは、それは、ついついイタいことしてしまう女性たちによってあらわされてきた。
ここでも、王女と、親方の元妻たちがそう。

この筋の内容の考察は、まだまだ足りないと思うし、もしかしたら考え違いかもしれない。
また改めることもあるかもしれない。

しかし、シュレーカーの私にとっての素晴らしい音楽は変わりがない。
ふたつの幕の2番目の置かれた前奏曲のような間奏曲は、単独で聴いてもまったくシビレるほどで、これまで聴いてきた彼のオペラの間奏曲や前奏曲たちと並べて、機会あるごとに聴いている曲なのだ。
甘い歌に、熱い二重唱、邪悪なモティーフを伴ったクレド、民衆のはちゃむちゃ・ハーレムサウンド・・・・、どのオペラにも共通のシュレーカー流儀。
濃厚かつ甘味なる世紀末サウンドの典型。
 ワーグナー、マーラー、シュトラウス、ツェムリンスキー、新ウィーン楽派、コルンゴルトと来て、当然の帰結としてたどりいたシュレーカー。
そのほかにもその周辺作曲家はたくさんいるけれども、こうして聴くほどに、自分の波長にぴたりと合っていることを痛感する。

キール・オペラの面々は、実にしっかりしたキャラクター作りでもって、万全の歌を聴かせてくれた。
新国でもヴォツェックとマンドリーカで、お馴染みになったマイヤーはことに立派で印象的。
エキセントリック感もある王女のヘニングと、リリカルなシェーフリンも気に入った。
リーゼのシュルテルの存在感もすごいもので、ウォルフ役はその点、少し弱かったかも。

ヴィントフールは、この手の知られぬオペラをよく取り上げてくれていて、以前、シュトラウスの「ダナエの愛」をここでは記事にしております。
ベルリン・ドイツ・オペラでも活躍中の実力派のようです。

これにて、シュレーカーのオペラは4作目。
あと、音源が手に入ったものふたつを用意してあります。
年内にいけるかな?


シューレーカーのオペラ記事

 「炎」~Flammen

 「はるかな響き」

 「烙印を押された人々」

Rotsuongi2

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2010年10月 4日 (月)

シュレーカー 「はるかな響き」 アルブレヒト指揮

Tokyo_tower1
ある夜の東京タワー。
スカイツリーに日本一の座をすでに渡し、来年にはこれまでの役割も終える。
私と同期だけに、とても寂しい。
運営会社は民間企業だけに、電波事業収入の大半がなくなるとタワーの運用もおぼつかなくなるという・・・・。
いつまでも残って欲しいぞ、東京タワーflair

Scherker_der_ferne_klang
フランツ・シュレーカー(1878~1934)のシリーズ。
国内盤のまったくないオペラばかりで、外盤で入手できるものはあらかた揃えて、それぞれ機会あるごとに聴きこんでいるけれど、その音楽はすぐにお馴染みになるものの、劇内容の把握が容易でない・・・。
ということで、多少脚色を交えてのご案内、あしからず。

9作あるシュレーカーの劇場作品のうち、1作目の「Flammen ~炎」(1902年)に次ぐオペラが「Der ferne kang~はるかな響き」。
10年の隔たりは大きく、イマイチ過去に軸足あった前作から大きく世紀末ワールドに踏み出したシュレーカーを感じる作品。
ツェムリンスキーや前期シェーンベルクと同類の雰囲気に、わたしはとろけるくらいにわが身をその音楽に溺れさせることができる。
ナチスによって退廃音楽のレッテルを貼られてしまうシュレーカー。
大まかな概要は、過去記事をご覧ください。
フランクフルトにおける初演は大成功で、すぐさまワルターが上演し、シュレーカーのオペラは主にドイツにて人気を得てゆくこととなる。
全3幕、2時間30分。
ピアノ版のヴォーカルスコアを作成したのはアルバン・ベルク。

大オーケストラに、それに張り合う強い声の歌手たち。
でも抒情的な繊細な歌い口も要するので、ワーグナー歌手というよりも後期のシュトラウスのオペラが歌えるような強さとリリカルさを兼ね備えた歌手が必要。

シュレーカーのオペラをいくつか聴いてきて(いまのところ記事準備中も含めて6作)、音楽のパターンは読めてきた。

①ライトモティーフの効果的な多用
②ロマン派の響きを表現主義や象徴主義、印象派風、新古典風、民族風・・・、そうあらゆる要素の中に封じ込めてしまった。
ゆえに中途半端な印象やとらえどころのなさを与えることとなる。
③オペラの中で、お約束の超濃厚ロマンティシズム溢れる絶美な場面が必ずある。
それらは、ヒロインのソプラノが夢見心地に陶酔感をもって歌う。
④③の反動のように、酒池肉林のはちゃむちゃ乱痴気シーンが出てきて、にぎにぎしい。
そこでは、大衆的なダンス音楽だったり、高尚なワルツだったりと、舞踏の権化のようだ。
⑤シュプレッヒシュテンメの先駆的な活用。
⑥ヒロインの女性の心理が摩訶不思議。
その女性たちは、たいてい「痛い女性」たち。
わかっちゃいるけどイケナイ恋にはまってしまい、悔恨にくれることになる。
彼女たちに与えられた没頭的な歌がステキなわけで、シュレーカーの心理もまたあれこれ想像してみたくなる。

これからもっと聴きこんで、研究してゆけばまた違った印象や顔も見えてくるかもしれないが、これらの多面的なシュレーカーの音楽が私はとても好きなのであります。

 グレーテ:ガブリエーレ・シュナウト  フリッツ:トマス・モーザー
 グラウマン(父):ヴィクトール・フォン・ハーレム 母:バーバラ・シェルラー
 役者:ハンス・ヘルム     ヴィゲリウス博士:ジークムント・ニムスゲルン
 老婆:ユリア・ジュオン    白鳥亭亭主:ヨハン・ウェルナー・プライン
 合唱団員1:ペーター・ハーゲ   通行人:ロルフ・アッペル
 伯爵:ロラント・ヘルマン       騎士:ロベルト・ヴォーレ
 男爵、合唱団員2、警察:ギドン・ザックス
 ルドルフ:クラウディオ・オテッリ  その他

   ゲルト・アルブレヒト 指揮 ベルリン放送交響楽団/合唱団
                   RIAS室内合唱団
                    (1990.10@ベルリン・イエスキリスト教会)

第1幕
 1)グラウマン家の居間
グラウマン家の娘、グレーテとその幼馴染の芸術家フリッツはお互い魅かれあう仲。
フリッツには、「はるかなる響き」が聴こえる。それを求めて、生まれ故郷から世界へと飛び出して行こうとしている。
外界で神の栄光を得て、グレーテの前に有名となって帰ってくること、そしてその時には、彼女の足元に、富と名声、私自身とそのすべての愛を投げ出すと約束して、彼女に口づけして走り去る・・・・。
 残されたグレーテの前に老婆があらわれ、語る。
「あの青年は、こんな可愛い少女を残して誠実ではない。。。白鳥亭の父親、ヴィゲリウス、地主たちはもう十分、不名誉なこと・・・」
この言葉に不安になるグレーテ。
 やがて、母がきて、家事へと駆り立て、夫が今日も白鳥亭で飲んだくれて金を浪費しているとぶつくさ言うが、グレーテが町を出て働きたいというと、無下に振る舞う。
 そこへ、白鳥亭で飲んでいた面々がどやどやとやってくる。
父グラウマンは、娘を賭けにかけて負けてしまい、面々は冗談半分にグレーテをかっさらいにやってきたのだ。
私には、約束した人がいるーーーっと言っても構ってもらえず、地主は迫る。
いよいよ困ったグレーテは、「フリッツ、あなたのもとへ」と、そこを逃げ出す。


 2)森の中
フリッツのことを想いつつも、彼女は自殺することも考えてしまう。
フリッツは、私のことをとてもきれいだと言ったわ、こんな若くして死んでしまうなんて・・・、
と思いとどまり、彼が遠く離れてしまったことを嘆く。
そこにまたあの老婆があらわれ、ささやく。
「お嬢さん、ついておいで。素敵な服に、美男の遊び仲間、豪華な家で一日中、愛とお楽しみが待ってるよ・・・」
グレーテは、老婆についてゆく。


第2幕
 10年後、ヴェニス近くの舞踏場
話し声と音楽が喜びを満たす「仮面の館」の外から聴こえ、ダンサーや女たちが客を引こうと待ち構えているが、彼女たちの話題は、いまやこのプレジャーハウスのプリマに成長した紳士たちがご執心のグレーテのことだ。
あの森の出来事から10年、女性の美しさや男性たちの欲望といった周囲の喧騒から欺くようにして、物憂げな彼女は、フリッツへの想いにまだ捉えられているのだった。
彼女は歌う、「私の周りには輪がきつく、きつく取り巻き、私の顔は歪んで見える。。だから私はみんなと同じように野放図に笑い、息が切れるまで踊り狂うの・・・」とやけ気味。
 そこで彼女は、自分や他の女性たちを一番喜ばせた紳士の相手をするわ、と提案。
伯爵と騎士が、それぞれ我こそはと、歌い、騎士の冒険譚が人気を博し、決断を迫られるグレーテ。
 騎士の歌、瞳、そしてその動きは、私にあるものを想い起こさせたと、グレーテ。
そうして、フリッツの愛への希望を語る。
 そこへ、ゴンドラに乗って、見知らぬ男がやってきて、皆はそれに注目する。
そう、その男こそ、フリッツその人なのでありました。
お互いにそれとわかった二人。フリッツは、グレーテにまだ若い日々と同じものを見出し、これまで長年散々苦労して何も見つからず、ゴールを見失って諦めていたところに、あの祝福された「響き」を聴き、それに導かれるようにしてここにやってきた、と語る。
「この響きはいったい・・・、これでもう探し求めることはない。悪魔は生と愛をだまし取ったけれど、いまこそ、私はあなたのみを求める、女神よ、愛するグレーテ、わたしのもの・・・」と熱烈に歌い、グレーテはその腕に飛び込む。

 しかし、腕の中のグレーテは、かつての可愛いグレーテではないのでは、大いに疑問にとらわれ、恐怖も感じたフリッツ。
伯爵は彼女のためにと決闘を挑むが、フリッツは、こんな絶望のもとに戦いをする価値はないとして、その場を立ち去る。
 「あぁ、フリッツ・・」と希望をたたれ絶望するグレーテ。
伯爵に促されて、「そうね、踊りましょう」と狂乱の音楽に合わせて踊り明かすグレーテ。


第3幕
 1)劇場の前のカフェの庭
1幕に出てきたヴェギリウス博士と売れない役者の古い知人ふたりがカフェに腰掛けている。
二人はかつての思い出話、とりわけ、あの町での悪戯話などをしてしきりに懐かしんでいる。
今宵の出し物は、「ハープ」という劇で、その作者こそフリッツであった。
カフェには、出演者の合唱団員が二人やってきて、今宵の出し物は成功をおさめるだろうと語っている。
と、そこにグレーテが警官に連れられてやってくる。
彼女は、公演を観劇し、気分が悪くなってしまい、そこへ酔った浮浪者に親しげにからまれてしまっていたのである。そう、彼女は街の娼婦レベルまで落ち込んでいたのである。
ヴェギリウスが彼女をグレーテと認め、警官を帰すが、その間、劇が終り、それが大失敗に終わったことを一同は聞いてしまう。
しかも、フリッツが病に冒されていて死を待つばかりとのこともグレーテは知る。
「わたしは、彼のところに行かなくてはならない・・」とヴェギリウスに懇願し、彼はグレーテをフリッツの元に連れてゆくこととなる。


 2)フリッツの書斎
小鳥の鳴き声が美しい庭。
フリッツは、病の中、失意と悔恨にさいなまれている。
彼は、いまや自身の名誉欲や野望のためにグレーテを突き放してしまい、自分の幸運もいまや尽きてしまったことを強く感じていた。探せど探せど、見出すことができなかった・・・。
 そこへ、友人のルドルフがやってきて、元気を出せ、最終幕だけ書き直せば成功するからと勧めるが、当のフリッツにはもうその力も気力も萎えてしまった。
彼の唯一の想いは、グレーテのことだけだった。
その時、ヴェギリウスの訪問が告げられる。
そして、彼の耳には、いまや忘れ去っていたあの「あるかな響き」がはっきりと聴こえるのであった。
ヴェギリウスの陰に隠れたようにした惨めな女、そう、グレーテがあらわれる。
お互いの名を呼び合い、ついにふたりの恋人は再び結びついたのでありました。
グレーテは彼を腕の中に抱き、「フリッツよゆっくりお休み・・・」と優しく歌い、フリッツは、「あぁ、親しきひとよ、甘き陶酔の香り・・・、グレーテ、おまえがノートを開いたのか・・・・」と虚ろになりながら息絶える・・・・・。

 彼の名を激しく叫ぶグレーテ。
                   ~幕~    

半分、想像も交えて、こんな内容かと。多少の間違いはご容赦を。

それにしても、わたくしにはこの魅力的な音楽を、これまで何度聴いたことであろう。
こんな感じで、シュレーカーの手に入る音源を少しでも手があくと、手当たり次第に聴き、耳になじませている日々。
 そうして聴いてくると、自分なりの聴きどころをいくつか持つようになる。
Ⅰ.まず、「はるかな響き」のモティーフや他のライトモティーフで出来ている前奏曲。
そのあとの若い恋人たちのまだ爽やかさの残る二重唱。
白鳥亭の輩たちがドヤドヤ押し寄せるシュレーカーお得意の乱痴気音楽。
森に一人になったグレーテの心情をあらわすかのような、極めてロマンテックなモノローグとオーケストラによる超濃厚間奏曲。
Ⅱ.乱痴気2号は、ヴェネチアのお遊び場所。世紀末の盛り場の雰囲気ムンムン。
グレーテの夢見るようなモノローグでは、彼女がイッちゃってるのを感じるし、その後にゴンドラで登場のフリッツの長大な歌はもう、トリスタンの情熱的な歌そのもので、聴いていてのめり込んでしまうし、独語のセリフを見ていて歌いたくなっちまう私なのだ。
この幕の最後に、また乱痴気が戻ってくるが、その顛末がまたかっこいい音楽なんだ。
Ⅲ.この幕ではなんといっても、2場への長大な間奏曲の絶美の素晴らしさ!!!
プロムスで、メッツマッハーが演奏したものです。
夜露滴るようなロマンテック極まりない素敵な音楽なのです。
 それが、鳥のさえずる中庭の死を待つフリッツの部屋への場面転換となるんだ。
そして最後の邂逅の場面。
これもまた、そう、トリスタンの死に際に駆け付けるイゾルデの劇的な場面に同じ。
勝利に満ちたような輝かしい音楽も響くが、夢見心地のフリッツの歌の背景は、おぼろげで儚い、そしてはるかな響きの変形も鳴り響く。。。
静かな死を迎えるかと思ったら、グレーテの「フリッツ・・・・Nein!」の絶叫とともに、激しいフォルティシモのエンディングとなるのがびっくりで、こちらは心臓にちと悪い。

シューレーカーやツェムリンスキーのオペラの紹介に、アルブレヒトの果たした役割は極めて大きい。
世紀末音楽以外の場合は、そのザッハリヒ的な味もそっけもない演奏に不満を感じるアルブレヒトであるいけれど、こうした音楽には、のめり込まんばかりの情熱と、ほどよい冷静さが心地よい。
機能的なオケとともに、申し分のない指揮であります。

ワーグナー歌手ばかりのキャストも充実の極み。
シュナウトは、アルブレヒトのお気に入り歌手であるけれど、うまくて器用なところは認めるにしても、ブリュンヒルデっぽくて、おっかさんみたいなイメージをぬぐいきれない。
最後の絶叫も怖すぎ・・・。
デノケやシュヴァンネヴィルムス、シェーファーぐらいの、もう少しリリカルな歌手で聴いてみたい。
モーザーのフリッツが非常に気に行った。気品ある声とうらはらに、融通の効かない剛直さもよく出てるし、没頭的な歌唱がよかった。
ほかの馴染みある歌手たちも万全です。

このオペラ、「烙印」とならんで、ヨーロッパではたまに上演されるみたいで、日本でも大野和士がコンサート形式で初演してますのでお聴きなった方もいらっしゃるのでは。
現在のような不況の真っ只中では、シュレーカー作品などが上演される見込みはまったくないが、不安な世相になると、世紀末的な思想や爛熟芸術が以外に心を救うのでは、なんて勝手に思ってます。

次のシューレーカーは、「おもちゃと姫君」であります。

Tokyo_tower2

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2010年8月12日 (木)

シュレーカー、コルンゴルト、マーラー プロムス2010  メッツマッハー指揮

Rainbow1
今日の夕方の空に虹がかかったそうな。
娘が撮った写真です。
レインボー、ダブルで。

Metzmacher2
プロムスの世紀末プログラムを録音しつつ聴きました。
マーラーをメインに、シュレーカーコルンゴルトを前半に据えた濃厚演奏会。
こんなことができるのは、メッツマッハーベルリン・ドイツ響のコンビならでは。
あとは、前任のケント・ナガノやコンロンぐらいかsign01

 シュレーカー  「遥かな響き」~夜曲

 コルンゴルト  ヴァイオリン協奏曲
   

          Vn:レオニダス・カヴァコス

 マーラー    交響曲第7番「夜の歌」
                                      

   インゴ・メッツマッハー指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
              (2010.8.10@ロイヤルアルバートホール)

シュレーカーの曲は、オペラの第3幕の間奏曲で、官能的な痺れるような音楽。
も~たまりません。
オケが完全にシュレーカー節を体得しちゃってます。
「遥かな響き」は、いまハマってるオペラでして、近々記事アップ予定です。
シュレーカー+メッツマッハー+ベルリン・ドイツ響・・・理想的な組み合わせじゃぁないですかsign01

ついで、カヴァコフの弾くコルンゴルト
も~とろけてしまいそう。わたしの最高に好きなヴァイオリン協奏曲。
わたしの、4大ヴァイオリン協奏曲は、コルンゴルト、バーバー、ベルク、ディーリアスなんです。
普通じゃないですな。
この曲のスペシャリストみたいなカヴァコスさん、素晴らしいです。
 1楽章が終ると拍手が起きてしまうのが、プロムスならではのご愛敬だけど、この拍手、マーラーでもちょびちょび起きてしまうから、これはどうも考えものだ。
センチメンタルで泣けるし、歌い口が鮮やかな第1楽章。
ロマンティックに滔々と歌いアルバートホールに美音が響きわたる第2楽章。
スリリングで無窮動的競演が見事な第3楽章。
これは、実にいい演奏じゃぁないですかsign01

最後は、ホルンが出だしコケちゃって痛いけれど、快調に低徊することなく進行するクールでキレのいいマーラーだ。
それでいて、7番の持つ奇矯な雰囲気も見事に醸し出しているし、セレナードも実によく歌っていて美しい。
これは、実にカッコいいマーラーじゃぁないですかsign01

メッツマッハーと相性ピッタリのベルリン・ドイツ響だけど、2007年から着任したこのオケをもう退任してしまうらしい。
いままで、この指揮者をろくに聴いてこなかったけれど、こうしてストライクゾーンを刺激してくれちゃう演奏を聴くと、これからいろいろ聴いてみたい。
 そうそう、今年、新日本フィルに来てマーラー振るみたいじゃないですかぁsign01

これまでの、プロムス、全部は聴いてないけど、ラニクルズのマーラーとエルガーがよかった。
あとラトルと古楽オケによるトリスタンの2幕も面白かったけれど、トリスタンのヘップナーがメロメロだった。
ネルソンスの新世界は奇をてらいすぎなれど、若々しい。
プロムスは、あと1ヶ月。大物が順次出てきます。

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2010年7月11日 (日)

シュレーカー 「Flammen~炎」 ストローベル指揮

Tokyo_tower
東京タワーを三田方面から望むの図。
このオレンジカラーのバージョンは、冬ものなんです。
いまもそう。
いつ降るかわからない雨で、夏バージョンの白色に電球交換作業ができないのだそうです。
次の予定では13日に衣替えといいます。
無理に換えなくても、これはこれでいいと思うんですけどね。

Schrekker_flammen
フランツ・シュレーカー(1878~1934)のシリーズ。
完成された9作あるオペラの第1作、「炎」~Flammenを聴きます。
シュレーカー24歳の若書きで、彼のオペラは常にそうだが、台本もすべて自分で書き上げ、ウィーンにて学生たちによって初演された。
もともとのテキストは、シュレーカーが歌曲をたくさん付けている、ドラ・レーン(Dora Leen)。
初演ののち、ほどなく、オーケストレーションを施している。

作品10ではあるが、すでにかなりの作品を残しているものの、のちの濃密かつユニークな痺れるような大オーケストラサウンドを知るものとしては、かなり先達たちの強い影響下にある折衷的な音楽に聴こえる。
 その音楽は、ワーグナーというよりは、R・シュトラウスの古典風なスッキリサウンドでもあり、響きとしてはブルックナーのスコアを学んだとされるように、ホルンや低弦の重奏に多少の野暮っぽさも感じる次第。

中世十字軍派遣の時代の夫婦の物語で、忠誠を誓いつつも堕ちてしまい、やがて死を選ぶ女性を描いていて、こうした女性をかたちを変えつつも常にオペラの素材に求めたシュレーカー。変わっているといえば変わってるし、ひねくれてますな。

80分以内でCD1枚のオペラ。
15のシーンを前奏曲と間奏曲で二つの場に分けたシンメトリー構成。

 皇太子:アダム・クルーツェル   イルムガルト:クリスティン・ティーゼン
  アグネス(イルムガルトの妹):レスリー・ボーリンガー
 吟遊詩人:オイゲン・プロクター  未亡人マーゴット:ザビーネ・ヒューズ

  フランク・ストローベル指揮 ミュンヘンPPP劇場アンサンブル
                           (1989.8 @ミュンヘン)

吟遊詩人が、皇太子留守中の館にやって来て祈りをささげ、そこに滞在することとなる。
マーゴットが改めて歌う。
皇太子が十字軍に従軍し聖なる戦いに出征している。残した妻のがほかの誰かを愛するようになっていたならば、帰郷したときの、妻への挨拶の接吻が彼女に死をもたらすだろうと、その皇太子は言い置いて出ていったと。
 イルムガルトは妹と語る。夫の言葉は日々重くのしかかっていると。
純情な妹は、兄さんも遠い国で3年の間、あなたのことを思ってるのよ、と歌う。
 先の吟遊詩人の歌に妹アグネスは心動かされる。
ところが、テノール役の二枚目吟遊詩人は、情熱の歌の矛先をイルムガルトに向ける。
熱い歌の数々に、ついにイルムガルトもほだされ、二人揃って愛を高らかに語り始めてしまうのであった。

ところが、そこへ、夫の皇太子が帰還するとの伝令が入る。
帰国の喜びに湧く、マーゴット、アグネス、そして人々。
ますます盛り上がり、一緒に逃避行へと走ろうとするイルムガルトと吟遊詩人。
優しいアグネスは、兄が無事に帰り、そして何事も口づけで発覚しないようにと、姉のためにも祈る。
 ところが、イルムガルトは小一時間のうちに、自分の進むべき道を見出し、詩人に別れを告げ、詩人もなんでやねん、とかいいながらも別れ去るのであった。
館を飾り付け、夫の帰りを熱烈歓迎ムードにしたてるイルムガルトに妹も安心。
皇太子の晴れやかな帰還に湧きたつ人々。
おお、妻よ、と駆け寄る夫に、待ったをかける妻は、もうよろけるようで衰弱していて、妹は、姉が死んじゃうと慌てる・・・・。
イルムガルトは、吟遊詩人の歌声に魔法のように引きこまれ、幸せを感じてしまった。
彼の言葉は、詩になり、やがて甘い歌になり、愛を運んできたの。
でも彼は死も運んできた。
この燃えるような感覚は、今まで知らない世界で、私の魂は炎の中にあるの・・・。
 こうして、わたしはあなたの言いつけにそむきました。
神よお許しください、私は死を選びました。。。。
一方で人々は神を賛美しつつ、


なんだか、はっきりしませんねぇ。
対訳がないので、私も想像も交えてますが、もやもやしすぎですよ。
無理くりに浮気させて、いけない女にして、周りは固いオバサンと純な女子で固めて、際立たせている感じ。
登場人物の顔や性格が、まったく見えない。
 まだまだの若きシュレーカーのオペラ第1作でありました。

演奏してるグループは、ミュンヘンの劇場グループのもので、調べたら、ワーグナーの息子、ジークフリートのオペラを次々に取り上げている実験的な団体。
でも、合唱はヘロヘロだし、歌手も女声の姉妹二人は、かなり危なかっしくてガックシきてしまう。というか、ひどい。なんだろ、これ・・・って感じなんだけど、熱っぽさは大いに評価。
男は、まずまず。
あと、オケも頼りない・・・・。
CPOのキール盤を買うんだった。
指揮のストローベルは、マニアックな音楽、それも無声映画とか隠れた映画音楽などもどんどん取り上げる妙な指揮者で、これはこれで、そうした方面で実力発揮してる人。

演奏は、あれれ、なんだけど、シュレーカーののちのちの顔を拝める、妙に気になる第一作オペラを手軽に聴ける意義は大きく、楽しめました。

シュレーカーのオペラ9作中、この「炎」と「烙印された人々」は取り上げ済み。
あと、「はるかな響き」、「おもちゃと姫君」、「宝捜し」、「クリストフォス、あるいはオペラの幻想」以上4作のCDを手当て済みでして、日々聴いてます。
これらが入手できる音源でして、順次取り上げる予定ですが、この手のオペラは対訳もなく、独語だけのCDもあり、とっても難渋してます。
酔ってる場合じゃないけれど、シュレーカーの甘味かつシャープ、和声の失われつつあるギリギリの音楽は、私にとって、極めて魅力的なサウンドで、ついつい飲んじゃいます。

ヨーロッパの劇場のように、新国でも上演してもらいたいなぁ。
いまの状況では無理だろうな・・・・。 

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