カテゴリー「ベルク」の記事

2016年6月26日 (日)

シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク アバド指揮

Ajisai_shiba

関東は、梅雨まっさかり。

そして、ほぼ3ヶ月ぶりの投稿となりました。

幾多の皆さまから、暖かく、そしてご配慮にあふれたコメントを頂戴しながら、まったくご

返信も、反応もしなかったこと、ここに、あらためまして、お詫び申し上げます。

 ともかく、辛く、厳しい日々は、ブログ休止時と変わりなく続いてます。

しかも、予想もしなかったところから、いろんな矢が飛んできたりもします。

やぶれかぶれの感情は、そこから生まれ、音楽なんて、聴くゆとりも、受け入れる感情もありません。

そんな3ヶ月。

 しかし、でも、めぐってきた、「クラウディオ・アバドの誕生日」

存命ならば、今年は、この26日が、83回目。

そんな日に、アバドが生涯愛した、新ウィーン楽派の3人の作曲家を、いずれもウィーンフィルの演奏で聴きます。

Schoenberg_gurre_lieder_abbado

  シェーンベルク  「グレの歌」から 間奏曲、山鳩の歌

長大なグレの歌、全部を聴けないから、この作品のエッセンスとも呼ぶべき、中ほどにある場面を。
1900年に作曲を始め、第3部だけが、オーケストレーションが大幅に遅れ、最終完成は、1911年。
1913年に、シュレーカーの指揮によって初演。

後期ロマン派真っ盛りの作品ながら、最終完成形のときのシェーンベルクは、無調の領域に踏み込んでいたところがおもしろい。
1912年には、ピエロリュネールを生み出している。

むせかえるような甘味で濃厚な間奏曲、無常感あふれる死と悲しみの心情の山鳩の歌。
アバドのしなやかな感性と、ウィーンフィルの味わいが融合して、何度聴いても心の底からのめり込んでしまう。
久々に、音楽に夢中になりました。

アバドのこのライブ録音は、1992年。
88年には、マーラーユーゲントとECユースオケとで、何度も演奏していた。
そして、最後のルツェルンとなった、2013年に、この間奏曲と山鳩を取り上げた。
この最後の演奏が、掛け値なしの超絶名演で、まさに陶酔境に誘ってくれるかのような、わたくしにとってとても大切な演奏となってます。

Abbado_lu

ルツェルンでの最後のアバド。

Abbado_webern_3

  ウェーベルン  パッサカリア

ウェーベルンの作品番号1のこの曲は、1908年の作。

シェーンベルクの弟子になったのが、1904年頃で、グレの歌の流れを組むかのような、これまた濃厚な後期ロマン派的な音楽であり、グレの歌にも増して、トリスタン的でもある。

パッサカリアという古風ないでたちの形式に、ウェーベルンが込めた緻密さとシンプルさが、やがて、大きなうねりを伴って、巨大な大河のようなクライマックスとカタストロフ。

この濃密な10分間を、アバドは、豊かな歌心でもって静寂と強音の鮮やかな対比を見せてくれる。
むせぶようなホルンの効果は、これはまさにウィーンフィルでないと聴けない。

1974年、シェーンベルク生誕100年の年、ウィーンでは、新ウィーン楽派の音楽が数々演奏されたが、そのとき、アバドは、ウィーンフィルとこのパッサカリアや、5つの小品を取り上げ、NHKFMでも放送され、わたくしはエアチェックして、何度も何度も聴いたものだ。
 その音源は、いまも手元にあって、あらためて聴いてみても、若々しい感性が燃えたぎり、ウィーンフィルも、今とはまったく違う、ローカルな音色でもって、それに応じているところが素晴らしい。

Berg_lulu_abbado

  ベルク  交響的組曲 「ルル」

新ウィーン楽派の3人のなかで、一番若く、そして一番早く死を迎えてしまったベルク。

ウェーベルンと同じく、1904年に、シェーンベルクの弟子となり、以降、ずっとウィーンで暮らすことになるベルクだが、ユダヤの出自であった師がアメリカにのがれたのに対し、ベルクはユダヤではない代わりに、その音楽が退廃音楽であるとして、ナチス政権成立後は、その活動にかなりの制約を受けることとなった。

そんななかで、生まれたのが「ルル」。
破天荒な青年時代を送り、ぜんそくに悩まされ、病弱であったベルクは、文学好きということもあって、オペラの素材には、生々しい死がからむ、いわばヴェリスモ的な内容を選択した。
それが「ヴォツェック」であり、「ルル」である。
さらに、晩年の不倫も、「ルル」の背景にはあるともされる。

人生の落後者のような軍人と、魔性の女、ファム・ファタール。
それらが、悲しみとともに描かれているところが、ベルクの優しさであり、彼独自の問題提起の素晴らしさ。

ことに、「ルル」の音楽の運命的なまでに美しく、無情なところは、聴けば聴くほどに、悲しみを覚える。
自分の苦境に照らし合わせることで、さらにその思いは増し、ますます辛く感じた。
そんな自分のルルの聴き方が、また甘味に思えたりするのだ。

「ルル」は、1928~35年にかけての作品。
間があいているのは、アルマの娘マリーの死に接し、かのヴァイオリン協奏曲を書いたためで、ベルクは3幕の途中で亡くなり、未完のエンディングを持つ「ルル」となった。

アバドは、ベルクも若い頃からさかんに指揮していて、70年のロンドン響との作品集に続き、ウィーン時代の94年に、ウィーンフィルといくつもの録音を残している。
ニュートラルなロンドン盤もいいが、やはり、より濃密で、ムジークフェラインの丸みのある響きも捉えたウィーン盤の方が素晴らしい。

ロンド→オスティナート→ルルの歌→変奏曲→アダージョ

オペラの場面をシンフォニックにつないだ組曲に、アバドは、オペラの雰囲気も感じさせる迫真性と抒情をしのばせた。
「ヴォツェック」は何度も指揮したのに、「ルル」は、ついに劇場では振ることがなかった。
ウィーン国立歌劇場時代、上演予定であったが、辞めてしまったため、その計画を実現しなかったから、この組曲盤は、アバド好きにとっては貴重なのであります。

さてさて、暑いです。

まだ梅雨だけど、そぼ降る雨はなくて、晴れか土砂降りみたいな日本。
熊本の地震もあったし、大きな地震への不安は尽きない

ばかな都知事や辞めたけど、疑惑は消えないし、消化不良のまま参院選と、まもなく都知事選が始まる。
矛盾だらけの政治に社会。
 そして、海外へ眼を転ずれば、どこか某国が、偉そうに軍船で領海侵入を繰り返し、虎視眈々と長期計画で持って、ねらってきているし、さらに英国のEU離脱が、世界規模でもって、政治経済に影響を与える流れが進行中。

今後もトピックは、まだまだ続出するでしょうが、ブログ休止してた間に、こんないろんなことが起きてしまう2016年。
「ルル」の原作ではありませんが、「パンドラの箱」が次々に開いてしまうのか・・・・

しばらく、また消えますが、もう事件事故災害は勘弁してください、神様。。。

それでは、また、いつか。

Shiba_8
    

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2014年4月 9日 (水)

アバド追悼演奏会 ルツェルン

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4月6日に行われた、ルツェルン春の音楽祭における、クラウディオ・アバド追悼演奏会。

日本時間、同日晩に、慎んでネット観劇いたしました。

こちらは、終演後の聴衆を映したもの。

このパンフレッウトだけでも、グッときてしまう。

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 シューベルト  交響曲第8番「未完成」 第1楽章

          ルツェルン祝祭管弦楽団

 ヘルダーリン  

          語り:ブルーノ・ガンツ

 ベルク      ヴァイオリン協奏曲

          Vn:イザベル・ファウスト

 

 マーラー    交響曲第3番 第6楽章

    アンドリス・ネルソンス指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                       (2014.4.6 @ルツェルン)


アバドの音楽への想いを集約したような選曲。

あと、ここに、モーツァルトとベートーヴェン、そしてブラームスとヴェルディがあれば完璧と思うのは贅沢で不謹慎すぎること。

ルツェルンのクンストハウスのホールの、あるじなしの指揮台。

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オーケストラだけで、演奏された「未完成」の第1楽章。
痛切すぎる、涙にぬれたような未完成は、聴いてて辛くなった。
コンマス(この人、名前が出てこない)が、大きな身ぶりで主導しつつも、各セクションは、アバドの指揮でもあったように、お互いに聴きあいつつ、目線を交わしながらの演奏。

次いでのヘルダーリンは、まったく不明、わかりません。
ガンツさんは、アバドとの共演歴も長く、CDやDVDでも多く一緒に出てます。

そして、ベルク。

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イザベルさんとのベルクは、先年、モーツァルト管とのライブが出たばかり。
CD音源での精度の高さには及ばぬものの、彼女の熱い思いを込めたベルクは、切実で、静かに始まりつつ、後半の憑かれたような演奏には、驚きと感動を禁じえませんでした。
きっと、アバドとの共演を、思い描きながら弾いていたのでしょう。

そのアバドへの想いが、とてつもなく、最高度に高まり、神々しくも、侵しがたい雰囲気にホール全体が包まれてしまったマーラー。

アバドが愛したマーラーの、しかも、「愛がわたしに語るもの」。

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追悼を通り越して、これはもう、クラウディオ・アバドという名伏しがたい存在に対する、人々の想いの昇華であり、彼を失ったことに対する、人々それぞれの想いの結実なのかもしれません。

観て聴いて、ずっと不条理に哀しんでいた自分のなかで、オケも聴衆も、等しく涙する姿で、ようやく一体感を持って、アバドとの現生の告別を済ませることができた気持ちです。

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いつもの金管セクション。
フリードリヒさん。
2006年の来日でのリハーサルで、マーラー6番で、見事ひっくり返った。
繰り返しでは、完全復調。
アバドに投げキッスをされて、顔を真っ赤にして、嬉しそうにしていたフリードリヒ。
いつも必ず、彼はアバドの指揮の時には主席を吹いてます!

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涙・・・・

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そして、涙。


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ルツェルン名物、楽員同士のハグも、今回は、涙。


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やむことのない拍手。

ネルソンスの頬にも涙。

そして、スタンディングの聴衆にも・・・・・

オーケストラが去ったあとも、拍手はずっと、ずっと、放送中、止むことはありませんでした。

あと、数日後に、アバド仲間のみんなとお会いする予定です。

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2014年2月28日 (金)

ベートーヴェン、ベルク 協奏曲 アバド&MCO

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アバドの愛した若者オーケストラのひとつ、マーラー・チェンバーは、その能力からして、これまでアバドが携わった若者オケのなかでは、最強なのではないでしょうか。

ルツェルンの主力メンバーにもなっているほか、ルツェルンのベテランたちも、時に応じて参加したり、首席をはったりする。
いわば、コンパクト・ルツェルンかも。

ですから、その規模も変幻自在のフレキシビリティ満載、可能性も満載の、高機能オケでした。

アバドは、このオケで、ルツェルン発足前は、モーツァルトのオペラばかりでなく、「シモン・ボッカネグラ」や「ファルスタッフ」を上演したりと、その下準備にあてていたのでした。
 ベルリンフィルを中心とする凄腕が集まることになったのですから、アバドとしては、律儀にも、まずは、手兵のマーラー・チェンバーという形が最良だったのでしょう。

ルツェルンが本格スタートしてからは、マーラ・チェンバー(MCO)を母体とする形態にして、さらにMCOは、ハーディングやほかの指揮者たちに徐々に任せるようになりました。

MCOとの録音は、名手たちのバックをつとめる協奏曲録音が多いです。

今夜、そんななかのふたつを。

Beethoven_argerich_abbado

  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番、第3番

       マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                      (2000.2、2004.2 @フェラーラ)


アルゲリッチとアバド、最後の録音も、このコンビだったし、ふたりのDGへの初録音の一環もそう。

これまで、いくつもの共演と録音をしてきた、まさに朋友でした。

こんな関係は、いずれ、ポリーニに代表される、アバドと共演者たち、という特集をしてみようと思ってます。

いまから59年前、アバド21歳、アルゲリッチ13歳。
フリードリヒ・グルダのザルツブルクでのピアノスクールにて、同門で、知りあったことがきっかけ。

奔放なアルゲリッチ女史ですが、アバドの前では、時に女性らしくしとやかに、でも、時に、熱く燃え上がり、アバドを煽動してしまいます。
かつてのショパンやリスト、プロコフィエフ、チャイコフスキーがみんなそうだった。

ここでのベートーヴェンでは、アバドの目指す、若いオーケストラとのベートーヴェンの新風に、むしろアルゲリッチが感化されたかのように、はじけ飛ばんばかりの活力と、生まれたばかりのような高い鮮度のピアノを聴かせてます。

過度のノンヴィブラートの息苦しさに陥らず、ベートーヴェンの若い息吹を、伸びやかに、そしてしなやかに聴かせるアバド。
2番は、病に倒れる術前、3番は、術後安定した時期。
 そんな、時系列を少しも感じさせることのない活きのいいオーケストラです。

アルゲリッチの3番は、これが唯一。
でも、このふたりの気質からしたら、2番の方が弾みがよろしく、ベートーヴェンの青春の音楽の本質を突いているように感じますがいかがでしょうか。
ことに、2楽章の抒情と透明感は素晴らしいのですよ。

Berg_bracher_abbado

  ベルク          ヴァイオリン協奏曲

  ストラヴィンスキー  ヴァイオリン協奏曲

                 コリヤ・ブラッハー

   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                      (2003.10 @フェラーラ)


こちらは、うってかわって、近現代の協奏曲。

こんな先鋭の音楽にも、MCOは、ごく普通に取り組み、アバドとともに、嬉々として演奏してしまうのです。
ベルクについては、このCDが発売されてすぐ、2006年にすぐさま記事にしました。

さほど大きくはない編成のオーケストラが、ストラヴィンスキーで見せる小気味いい痛快なまでの、爽快感は、ストラヴィンスキーの音楽の持つラテン的な透明感と、軽やかさを完璧に表出してます。

ベルリン・フィルを、コンサートマスターとして、アバドとともに引っ張ってきたブラッヒャーの高性能かつ、隙のないヴァイオリンは、完璧でありすぎるところが、また困ったもので、文句のつけようがないのです。

欲を言えば、オーケストラともども、ベルクの甘さ、バッハへの思慕みたいな、どこかこの曲にあるロマンティックなところが申し少し出ていれば・・・という思いがあります。

アバドは、ベルリン時代のムローヴァとの演奏、2010年のファウストとの共演もあり、後者が敏感すぎる超名演になってます。

わたくしの大好きなこの曲に、アバドが、3つの演奏を残してくれたこと、いまは感謝にたえません。

コンチェルトに、オペラ、合わせものの達人、アバドのもとで、MCOのメンバーたちは、きっと多くのものを学び、そして進化していったことでしょう。

Mco_2

マーラー・チェンバー。

センターに、オーボエの吉井瑞穂さん、いつもにこやかにいらっしゃいます。

アバドの追悼、次は、いよいよルツェルンにまいります。

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2014年2月 2日 (日)

ベルク 「ヴォツェック」 アバド指揮

Abbado_wiener_staatsoper

ウィーン国立歌劇場のサイトでのアバド追悼ページ。

ウィーンフィルもそうでしたが、いくぶんあっさりとしてます。

アバドが関係してきた劇場やオーケストラのなかで、その特別ページが充実しているのは、やはりベルリンフィル。そして、スカラ座とロンドン響でした。

ウィーンとはデビュー以来、蜜月期間が長かったけれど、90年代終わり頃に冷え切った関係となってしまい、ウィーンフィルの指揮台に立つことがなくなってしまった。

91年のフィルクスオーパーから兼任の形でのヴェヒター男爵の総監督就任は、ウィーン生まれの同氏が、アバドの根差した深いドラマ性を持つオペラへの偏重に異を唱えるように、伝統回帰を打ち出しました。
 さらに、ヴェヒターの片腕は、辣腕化のホーレンダーが選らばれ、アバドは、彼らとソリが合わず、音楽監督の座を投げだすこととなりました。
そのヴェヒターも、92年には急死してしまい、ホーレンダー体制が引かれ、アバドはウィーンから遠ざかることとなりました。

 さらに、2000年には、ザルツブルクで、ウィーンフィルと「コシ・ファン・トゥッテ」と「トリスタン」を上演することになっていたが、キャンセルを表明。
演奏のたびに、楽員が変わる、ウィーンフィルのシステムに不満を表明したためとありましたが、体調の不安もあったのではないでしょうか。

アバドのオペラに対する意気込みと、完璧な上演を求める思いは、このように妥協がなく、地位をなげうっても、その意志を貫く強さもありました。
スカラ座のときも同様のことが何度かありました。

何度か書いてますが、アバドのオペラのレパートリーは、かなりユニークで、まんべんなく広く上演するというより、ひとつひとつの作品を何度も、じっくりと取り上げる慎重さがありました。
長くメトにとどまり、広大なレパートリーを誇るレヴァインとは、まったく違うタイプです。

「シモン・ボッカネグラ」、「ボリス・ゴドゥノフ」、「ヴォツェック」の3作が、アバドが最も愛したオペラ作品ではなかったかと思います。

Wozzeck_abbado

  ベルク  「ヴォツェック」

 ヴォツェック:フランツ・グルントヘーパー    マリー:ヒルデガルト・ベーレンス
 鼓手長:ヴァルター・ラファイナー        アンドレス:フィリップ・ラングリッジ    
  大尉:ハインツ・ツェドニク                        医者:オーゲ・ハイクランド 
 マルグレート:アンナ・ゴンダ          ほか

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                   ウィーン少年合唱団

                   演出:アドルフ・ドレーゼン

                       (1987.6 @ウィーン国立歌劇場)


この、アバド好きにとって、大切な「アバドのヴォツェック」。
思えば、一度も記事にしてなかったけれど、まさかこんなときに取り上げようとは・・・。

アバド亡きあと、その足跡を、関係したオケやハウスを振り返りながら確認してきました。

1986年に、マゼールの後をうけてのウィーン国立歌劇場の音楽監督時代は1991年まで。
得意の「シモン・ボッカネグラ」で84年に初登場してから、アバドは、ウィーンで多くの名舞台・名演奏を残しました。
その多くが、音源・映像化されてますので、ほんとうにありがたいことです。
ここでも、先にあげた3作を何度も取り上げてますし、スカラ座以来、理想を求めてきた「ペレアスとメリザンド」と「フィガロの結婚」、「ホヴァンシチナ」、「ローエングリン」、「アルジェのイタリア女」は、ウィーンでもって完成形となり、最高の精度を誇る名演として残されました。

さらに、シューベルトのオペラや、自身が発掘したロッシーニの「ランスの旅」、ヤナーチェク「死者の家から」(ザルツブルク)などの、ある意味マニアックな演目もさかんに取り上げましたから、レパートリー性を大切にする劇場旧派からはうとまれることもあったかもしれません。

保守的なウィーンと、その聴き手に、ウィーンモデルンなどの現代音楽祭で、新風を吹き込むなど、オペラ・コンサート、加えて演劇や美術など、大きな意味で、この街に変革をもたらしたのも、アバドの大きな功績だと思います。

ちょうど、任期中に、ウィーンを訪れましたが、アバドには出会えませんでした。
しかし、そのあと、アバドはクライバーとともに、国立歌劇場と日本にやってきてくれました。

さて、「アバドのヴォツェック」。

Wozzeck_abbado_wien


この演奏に聴かれる、最初から最後まで張りつめられた緊張感は、尋常のものではありません。
3つの幕が、それぞれに、組曲・交響曲・インヴェンションという巧みな形式を纏っているベルクの緻密な構成。
 それを、アバドは、完璧に把握して、その構成を感じさせることなく、かといって細部をおろそかにせずに、あきれかえるくらいに完璧に、そして鮮明に描き尽しております。
 ベルクの音楽の持つ、甘味さも、ウィーンの持ち味を生かして充分に味わえます。

Wozzeck_abbado_wien_1

ヴォツェックが、池にはまっていって死んだあとの、壮絶さと甘さの入り混じる間奏は、わたくしが、もっとも好きな音楽のひとつですが、ここは、アバドの演奏がなんといっても一番です。
血に染まったかのような池と、不気味な空。
そして、アバドの音楽は不思議と明るく、透明感にあふれてます。

ヴォツェックも、マリーも、残された息子も、みんな社会的な弱者。
そんな問題意識を感じさせるドラマに、強く共感して、狙いを付けたオペラに打ち込んだアバドの優しさと誠実さを、あらためて強く感じるのでした。

Wien

アバドは、音楽監督時代の89年と、卒業後の94年の2度、国立歌劇場と来日しております。

89年が、「ランスの旅」と「ヴォツェック」。
94年が、「フィガロ」と「ボリス・ゴドゥノフ」。

その頃は、結婚と子供の誕生が、まさにそこに重なり、コンサートから遠のいていた時期でして、これらのうち、「ボリス」しか観劇できなかったことは、いまにして痛恨の極みなのです。
変わりに、89年は、ルネ・コロが出演した「パルシファル」をS席にて観劇してるから、困ったものです。
返す返すも惜しいことをしました。

マリーは、ヴェイソヴィチ、鼓手長は、コクラン。
その他はほぼCDに同じメンバー
「ランス」とともに、アバドのすごさを、知らしめた公演でした。

こうして、スカラ座、ウィーン・シュターツオーパーと、アバドの真骨長のオペラを味わえた、われわれ日本は、ほんとうに幸せものでした。

天国のマエストロ・アバド、日本を愛してくれて、ありがとう。

そして、アバドのおかげで、新ウィーン楽派の3人を、ブーレーズとは違った切り口で、よく知ることとなりました。

 

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2013年12月20日 (金)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 ファウスト&アバド

Yodobashi_church

静謐な雰囲気のこのツリーは、新宿区百人町の淀橋教会です。

大久保の駅から見える、独特の屋根の建物がこちら。

プロテスタント系で、オルガンや器楽コンサートもよく催されてますが、まだ聴いたことはありません。

数年前、叔父の葬儀はここで行われまして、その叔父は、御殿場にありますこちらの教会の美しい共同墓地に眠っております。

Berg_faust_abbado

       ベルク  ヴァイオリン協奏曲

            Vn:イザベル・ファウスト

      クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

               (2010.12@マンツォーニ劇場、ボローニャ)


わたくしの3大ヴァイオリン協奏曲、トリは、ベルク(1885~1935)です。

3つの作品を年代別に並べてみます。

 ベルク    (1885~1935)    1935年

 バーバー  (1910~1981)    1940年

 コルンゴルト(1897~1957)    1945年


音楽の歴史の流れの中では、いうまでもなく、ベルク→コルンゴルト→バーバー。

マーラー後の、ツェムリンスキーを師とする、新ウィーン楽派にあったベルクは、一番保守的であったかもしれないし、緻密な作風をオペラの領域に持ち込んでいまに生きる劇的な音楽を残した。

その次に来たコルンゴルトは、神童の才を発揮したが、そちらの作風は、あふれるロマンティシズムで、回顧調。十二音などの最先端とはまったく違う調性音楽。

そして、アメリカにあって、これまた保守クラシカル路線を貫いたバーバー。

こうしてみれば、音楽の新しさ、といっては語弊がありますが、耳への斬新さでは、作曲名年代を遡って、すっかり逆になり、コルンゴルト→バーバー→ベルクがMAXとなります。

以前の記事から引用して、この曲について振り返ってみたいと思います。

>1935年、オペラ「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、その2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。

「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となりました。

そんな思いで聴くこのヴァイオリン協奏曲には、もうひとつ、バッハの名前も重なります。
2部構成の第2楽章で、バッハのカンタータ第60番「おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ」からのコラールがそのまま引用されていて、ヴァイオリンや木管で再現されると、そのあまりの美しさと崇高さにわたしは卒倒してしまいそうになる。

「主よみ心にかなうのなら、このいましめを解いてくださいわがイエスがきます。お休みなさい、おお世界よ。わたしは天にある家に戻ります・・・・・・・」

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされます。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされるのであります。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思います<

この曲の最後の浄化された澄み切った世界には、ほんとうに心動かされます。
ケルンテンの民謡と、いろいろと姿を変えたバッハのコラールのモティーフ、それぞれが交互に回想と諦念のようにあらわれて、天に昇るかのような和音にて平安を得たかのように終結。
いつも、息をするのもはばかれるほどに、集中して、感動して聴いてします。

アバドの声掛けで録音された、イザベル・ファストとのベルク。
生々しい録音も手伝って、実感と共感の伴った真摯なイザベルのヴァイオリンが、耳にどんどん入ってきます。
音楽との少しの距離感が、この人らしいところなのか。
彼女のバッハを聴いてみたいと思いました。

そして、2度目となるアバドの指揮。
大編成ではないモーツァルト管を指揮して、突き刺さるような集中力と、奏者に寄り添うような機敏さ、そして前にもまして透明感にあふれていて、かつ歌うベルクという、アバドならではの名演でありました。

1度目のブラッヒャー盤も、マーラー・チェンバーというフルオケでないオーケストラでもって、親密な雰囲気と鋭さを兼ね備えたベルクを造り上げておりました。

わたくしには、もうひとつ、実は、こちらの方が一番と思っているテイクが、ムローヴァをソロに迎えてのベルリンフィルライブのFM録音。
こちらが、ムローヴァの異様なまでの緊張感と、アバドのライブならではの即興感あふれる燃え方でもって極めて素晴らしい演奏なのです。
そして、やはりベルリンフィルという高性能のオケには、若いオケは敵わない。
独特の色もあり、コクと艶ともに、ベルクの音楽にぴったりなのです。
ファウスト盤と、このムローヴァ盤では、演奏時間が3分も違います。
遅くなっております。
このあたりは、アバドの行き着いた境地の裏返しとも言えるかもしれません。

ついでに、アバドではありませんが、録音を残さなかったカラヤンが、ピエール・アモイヤルをソロに迎えたライブも大切に持ってまして、そちらのオーケストラの濃厚さとビューティフルぶりは、ちょっと堪らないものです。

※こちらのジャケットの少女の横顔、気になりますね。
クリムトの「エレーネのポートレイト」という作品で、晩年に娶った極めて若い女性とのことであります。
まったく、あのオヤジったら!

Klimt_herene

ベルク ヴァイオリン協奏曲の過去記事

 「シェリング&クーベリック」

 「ブラッヒャー&アバド」

 「渡辺玲子&シノーポリ」

 「パイネマン&ケンペ」

 「ズッカーマン&ブーレーズ」

Yodobashi_church2

ブルー系のカラーは、クールで熱いベルクの音楽にぴったり合います。

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2013年1月23日 (水)

新ウィーン楽派による「J・シュトラウス」

Akabane1

ちょっと華やか、でもこの駅前を発し、ちょっと行くと、そこそこの場末感としみじみとした庶民感覚がしっかりと味わえる、ここは北区赤羽。

最近、お気に入りの街です。

広くはないけど、ぜんぶあり、ぜんぶ心地よく人懐こい。

Akabane2

よく見れば、AKABANE、軽くうかがえばAKB。

ナイスじゃございませぬか。

今日は、シェーンベルクを中心とする新ウィーン楽派の面々による、ウィーンの彼らのちょっと前のトレンド、先達のJ・シュトラウスのワルツの編曲バージョン作品を。

神奈川フィルの定期公演の演目のお勉強の流れで。

  ニコライ  「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

  ハイドン   トランペット協奏曲

           Tr:三澤 徹

  ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

    下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

 2013年1月25日 (金) 19:00 みなとみらいホール

Strauss_schoenberg

  J・シュトラウス 「皇帝円舞曲」 シェーンベルク編曲

            「南国のばら」  シェーンベルク編曲

            「酒、女、歌」   アルバン・ベルク編曲

            「宝石のワルツ」 ウェーベルン編曲

      ボストン交響楽団 室内アンサンブル

                      (1978 ボストン)


あまりに有名な喜遊感たっぷりのウィンナ・ワルツの名曲の数々は、わたしたち日本人には、NHKが放送してくれるきらびやかな黄金のムジークフェラインでの映像とともに、甘く切ない休日音楽としてすりこまれ、認識されているかと思います。

そのワルツを、約40年ほど活躍期があとのウィーンの次ぎの世代がサロン風な親密な音楽にしたてあげたのがこれらの編曲バージョン。

シェーンベルクはアマチュアから発し、ツェムリンスキーの強力な後押しを経て、「浄夜」や「グレの歌」で成功を勝ち得たものの、ウィーンではなにかとユダヤの出自が足を引っ張るものとなった。
真正ユダヤ教も隠し、プロテスタントしてふるまいつつも、かくなる不遇。

一方で、ベルリンではキャバレー・ソングで小金を稼ぐこともしたが、でもやがてRシュトラウスに認められたりして、音楽界の中央に出るようになり、私的な音楽レッスンで知り合ったウェーベルンとベルクとは完全に意気投合し師弟の間柄となる。
1904年のことだが、彼らの連動作業は、1920年代、J・シュトラウスのワルツの室内楽化で三者三様の成果をもたらすこととなりました。

さらにそれぞれ、弟子は先生の作品を、先生はバッハやブラームスといった偉大なドイツの先達を、ウェーベルンはさらにバッハを極め、ベルクは同時代のシュレーカーを、といった具合に各自が驚きの編曲の成果を出しているところが、この新ウィーン楽派の類い稀な存在であります。

上記のように、この音盤に収められたそれぞれは、J・シュトラウスの原曲が1880~90年代ということで、彼らの編曲バージョンとは30~40年ほど経た頃あいのもの。
第一次大戦後、次の戦争前のある意味怪しい爛熟期にあり、マーラー後、シェーンベルクと一派たちは無調から12音へと変転の頃。
日本は、大正時代の上向き文化吸収時代でありました。

3人の個性は、さほど明確ではありませんが、ピアノやアルモニウム、打楽器の多用が目立ち、妙に不安感をつのるのがシェーンベルク編。
優しくマイルドで、原作に響きが忠実、かつロマンティックなベルク版。
室内楽的で精緻な細やかさを持ち繊細かつ透明感あふれるウェーベルン。

当時のコンマス。シルヴァーシュタインが中心のベラボーにうまいボストン響のアンサンブルのこの演奏は、まったく素晴らしくって、味わいと機能性とにかけてません。
DGの名作のひとつです。

あとアルバン・ベルクSQがこれらに自在な演奏を残してますが、それはまた別の機会に。

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2012年9月 8日 (土)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 ズッカーマン&ブーレーズ

Mikimoto8m

銀座ミキモト店頭、8月です。

9月はもう違うかもしれませんが、あと少しでクリスマスツリーが立ってしまうんですな。

季節の巡りは暑くて遅く感じますが、あと3ヶ月でクリスマスですよ。

自分も1年歳を重ね、そう考えると、もういやになってしまいますね。

Berg_boulez

    ベルク    ヴァイオリン協奏曲

        Vn:ピンカス・ズッカーマン

     ピエール・ブーレーズ指揮 ロンドン交響楽団

                   (1984.11.21 ロンドン)


わたくしにとって、3大ヴァイオリン協奏曲といえば、ベルク、コルンゴルト、バーバーだ。

略して、BKBだ。

アルバン・ベルク(1885~1935)。短い生涯、さほど多くない作品、でもオーケストラ曲、協奏曲、室内楽、器楽、オペラ、歌曲と音楽のすべてのジャンルを網羅している点がすごいと思う。

そのほぼすべてが好きですが、なんといっても、わたくしとしては、このヴァイオリン協奏曲と「ルル」と「ヴォツェック」のふたつのオペラに集約されます。

1935年、「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、アルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。
「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となりました。

そんな思いで聴くこのヴァイオリン協奏曲には、もうひとつ、バッハの名前も重なります。
2部構成の第2楽章で、バッハのカンタータ第60番「おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ」からのコラールがそのまま引用されていて、ヴァイオリンや木管で再現されると、そのあまりの美しさと崇高さにわたしは卒倒してしまいそうになる。

「主よみ心にかなうのなら、このいましめを解いてください。わがイエスがきます。お休みなさい、おお世界よ。わたしは天にある家に戻ります・・・・・・・」

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされます。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされるのであります。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思います。

ベルクの音楽を聴くと、師シェーンベルクとも、同僚のウェーベルンとも異なる、劇的音楽への親近性を思います。
オペラの人であり、裏返しは、オペラ指揮者でシンフォニストのマーラーのようでもあります。
シェーンベルクは革新を築き、ウェーベルンは革新の先の未来の音楽を開き、ベルクは、過去を見据えながらもオペラの歴史を継承した。
ベルクの音楽には、ほかの二人にない人間の顔を見出すことができます。

三人のバッハとの結びつきある音楽を選んだ特集でした。

新ウィーン楽派は、ブラームス、ワーグナー、マーラーとを結ぶかけはし的な存在でもあります。

ブーレーズが、この3人の作曲家を繰り返し演奏することも、こうしてわかります。
一音一音が耳にそのまま入ってくるリアルさがあり、その非情さが実に美しい。
ズッカーマンの抜群の音色のよさは、鋭利ではないけれど、ベルクの音楽の味わいを表出してやみません。

ともかく、わたしは、ベルクのヴァイオリン協奏曲が好きだ

ベルク ヴァイオリン協奏曲の過去記事

 「シェリング&クーベリック」

 「ブラッヒャー&アバド」

 「渡辺玲子&シノーポリ」

 「パイネマン&ケンペ」

そして、神奈川フィルでは、次週から2定期連続でウェーベルンが聴けます。
新ウィーン楽派の音楽のライブは、なかなか聴く機会もありません。
横浜へ是非!

  ウェーベルン  オーケストラのための6つの小品

  R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番

       Hr:プシェミスル・ヴォイタ

  ブラームス   交響曲第2番
   
       伊藤 翔 指揮 神奈川フィルハモニー管弦楽団

  2012年 9月15日(土) 14:00 みなとみらいホール

そして、声を大にして言いたい!

石田コンマスで、BKBを!!!

ベルク、コルンゴルト、バーバーを神奈川フィルで!!!


(コルンゴルトは、藤沢で9月23日演奏されますが、いけそうもありません・・・)

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2012年2月19日 (日)

ベルク 「ルル」 プティボン

Minatomirai201202_a

みなとみらい地区にあったハートのイルミネーション。

バレンタインやホワイトデーを睨んでのハートでございましょう。

渇ききったワタクシには縁のないイベントにございます。

今日は、怖い女のオペラを。

ファム・ファタール

「魔性の女」

「場末の女」じゃありませんよ。

男中心に見た限りにおいての自身を破滅に追いやるような運命的な存在としての女。

「魔性の男」ってあんまり言わないけれど、どんなんでしょうね。

Lulu

18禁の表示がDVDにあります(独語)。

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ベルク「ルル」

オペラにおけるファム・ファタールの最強が「ルル」かもしれない。

その「ルル」に果敢に挑戦したのが、わが愛しのパトリシア・プティボン

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ジュネーヴ、ザルツブルク、リセウ(ザルツブルクは別演出)と連続で舞台に立ち、キュートなプティボンを知るわたしたちに衝撃を与えるほどの体当たり的なルルを演じ歌った。

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プティボンのレパートリーは広大で、古楽から現代曲まで、フランス・イタリア・ドイツ・アメリカ、あらゆる国の歌をカヴァーする多彩なもの。
オペラでは、役柄は限定的で、なんでもかんでもということはなく、彼女が気に入り、絞りこんだものだけを徹底的に突き詰めるスタンスだ。

パトリシアがルルという役柄のどこに魅力を見出しのか?

このDVDを観るとおおよそ理解できる。

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(うさぎちゃんと、くたびれたピエロ姿のシゴルヒ)

大胆な、ほぼヌードを披露しながらも、それは本来のピュアなひとりの女性の姿。
その上に、相手方の男性によって替える様々な衣装に頭髪、化粧、そして何よりも彼女の細やかかつ大胆なる表情。

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彼女の2度の来日公演のほとんどに接し、どこに彼女の本質があるかわからないくらいになって、そしてそこにこそ、彼女の魅力を感じたわけで、思えば、女性の持つ様々な姿を歌い見せつけることこそが、彼女の個性そのものだと思うに至った次第。

  ルル:パトリシア・プティボン   ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:ジュリア・ジュオン
  シェーン博士:アシュレイ・ホラント   アルヴァ:ポール・グロウブス
  シゴルヒ:フランツ・グルントハーパー 猛獣使い:アンドレアス・ヘール
  画家:ウィル・ハルトマン         銀行家:クルト・ギーセン
  医事諮問官:ロベルト・ヴェーレ     ほか

     演出:オリヴィエ・ピィ

   ミヒャエル・ボーダー指揮 リセウ歌劇場管弦楽団
                  (2010.11@バルセロナ リセウ大歌劇場)


演出のピィは、わたくし、あんまり好きじゃない。
ファンタジー不足で、説明的すぎて、かぶりもの、露出大、リアルすぎ・・・・いずれも嫌い。
これまで、トリスタン、ホフマン物語をDVDで観たけれど、そんな印象ばかり。
赤、グリーン、イエロー、ブルーと原色のけばけばしさが充満する舞台。
舞台奥には、これまたお得意の鉄骨の回廊やステージがあって、ネオンで飾り付けられて、それらが常に右に左に動いている。
それらは、ときに大人のおもちゃのお店だったり、売春宿だったり、18禁映画館だったり、ホテルだったりするから、その猥雑ぶりたるや・・・。
そしてそこにうごめく怪しい人々は、モロにそれらの人たちで、まともにリアルな性描写がなされている。
ルルもそこにいって・・・・、あらもうダメ。
エロい雰囲気の娼婦さんたちが右に左にうろついていて気になっちゃうし。
映画館では、微妙な映像が垂れ流されてるし。
そしてそこはまた、警察の取り調べ室や病室にもなるから、リアル追及のアイデアとしては効果的なのだが、なにもそんなにまでして、モロにくどいくらいに表現することはないだろう。
観客の想像力をバカにしているとしか思えない。

ベルクの書いたト書きは、かなり詳細で台本のセリフと合わせると、確かに、そんなリアルなことになっちゃうかもしれないが、そこは、ベルクの雄弁な音楽が補ってあまりあるものだから、リアルな舞台は、ベルクの音楽への集中力を弱めることになって感じた。

ピィの意図は、裸のルルが偽りの姿に身をやつして、やがてサンタクロース姿の切り裂きジャックに刺され、裸に戻って昇天する・・・という魔性の女に救いを与えたものに思われた。
そのピィの狙いは、多面的な顔を見せるプティボンあってのものに思われるが、その彼女が実に素敵なもの。

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まさに、プティボンの独り舞台。
弾けるように踊り歌うかと思ったら、濃厚かつエロティックな妖艶な眼差しで男どもを射すくめ惑わしてしまう。
目力の凄さ。お馴染みのクリクリまなこの感情表現力の多彩さ。
こうして映像を観るワタクシをもメロメロにしてしまう、プティボンの描き出すルル。
でも、そこに漂うのはどこか孤独な姿。
寂しそうなのです。

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(Meine Seele~わたしの魂)

歌の多彩な魅力と積極さは、プティボンならでは。
コンサートでいつも感じる彼女の声量の豊かさと声の威力。
可愛いコケットリーな歌唱ばかりじゃありません。
フォルムが崩れる寸前くらいに地声でシャウトしたり、コロラトゥーラばりの涼やかな高音を巧みに入れ込んだりする技巧の確かさ。
そしてシェーン博士相手に歌う「ルルの歌」の入魂の歌唱に、わたしは鳥肌が立つと同時にベルクの甘味かつ宿命的な音楽に今更ながら魅せられてしまった。

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グルントハーパーを除くと、有名歌手の名前はないが、いずれも個性豊かで、しっかりした歌唱と演技のひとばかり。
ゲュヴィッツ令嬢は、この役のスペシャリストのジュオン
特異さをも漂わす完璧な令嬢の描写です。
ひと際存在感あるグルントハーパーのシゴルヒ、巨漢だが美声を聴かせるシェーン博士の英国出身のホラント(この人ブリテンのスペシャリスト)、アメリカのリリックテノール、グローヴスのアルヴァもよい。

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リセウ歌劇場から発信される映像はこのところ大量で、意欲的な上演も多い。
いつからこうなったのかわかりません。
この劇場のいまの音楽監督が、ミヒャエル・ボーダーで、ボーダーは日本でもお馴染み。
新国の指揮台にも何度か立っております。
安定感と明晰さで安心して聴けるベルク。
オケの明るさも感じました。
欲をいえばその先がもっと欲しい。

ルルを聴いちゃうと、しばらくその音が耳にこびりついて離れない。
チェルハの補筆完成3幕版によるものでした。
これで、ルルのDVDは3つめ。
シェーファーのグライドボーン盤と、パッパーノのコヴェントガーデン盤。

過去記事

 「びわ湖オペラ 沼尻竜典指揮」

 「アバド ルル組曲」

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2011年5月31日 (火)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 パイネマン&ケンペ

Tokyotowerrose_2

ライトアップを再開した東京タワー。
週末は、ダイアモンドヴェールをおとなしめに、平日は腰から下を通常モードで。

夏バージョンになると白い光になるはず。
でも、この方が暖かみと落ち着きがあっていい。

芝公園のバラと一緒に。

Kempe_bbc

最愛のヴァイオリン協奏曲のひとつ、アルバン・ベルクの作品。

レアな組み合わせの1枚。
ドイツの女流エデット・パイネマンルドルフ・ケンペの指揮するBBC交響楽団
1976年のロンドン・ライブであります。

タワレコが復刻したDGに入れたドヴォルザークの協奏曲が人気を呼んだパイネマン。
わたしは、そちらはまだ未聴なわけだけど、パイネマンの名前だけは以前から知っていた。
レコード時代に、そのドヴォルザークのジャケットを店で見ていたし(買わないところがなんですが)、アバドの音源収集の中で、アバドが指揮したバッハの協奏曲のソリストをつとめている音源があることを発見していたけれど、その真偽のほどがわからない故に(アバドかどうか?)。
だからどうも謎というか幻っぽいヴァイオリニストに感じていた(聴いたことないのに)。

そして、ようやく聴いたのが、ベルクだった。

「ある天使の思い出に」 とスコアに記された、この甘味かつ陶酔的、そして宗教色や民族色も漂わせた協奏曲の魅力に、わたしはもうながらく取りつかれている。
精緻に、巧みなまでにイメージや仕掛けがその構成のいたるころに施されたベルクの作品の数々。
この協奏曲も例外でなく、アルマの娘マノンのこと、自身の恋のことなどを回顧しつつも、それらを綿密なる筆致でもって十二音技法による協奏曲の形式に封じこめた。

そんな巧みの作品を、パイネマンは繊細な音色のヴァイオリンでもって美しく弾いていて、これまでいろいろと聴いてきたベルクの中でも一番女性的で、透明感あふれるものであった。
これを聴いちゃうと、チョン・キョンファとかムターなどは、情が濃すぎて聴こえてしまう。
パイネマンは外に向かって音が放射してゆくのでなく、あくまで内向きに、感情の機微も控えめに捉えているように聴こえ、わたしはこの「控えめ」なベルクがいたく気に行ってしまったものだ。

ケンペのベルクというのも珍しいかも。
もちろんオペラ指揮者だから、ベルクはもちろん指揮していたはず。
広範なレパートリーを持ちながら、レコーディングに恵まれなかったので、こんなライブ録音が出てくると嬉しい限り。

ロイヤルフィル時代にグラゴルミサの録音があった、カップリングのヤナーチェクのシンフォニエッタは貴重だし、まして、英国もののティペットなどは驚きだ。
いずれも、ケンペらしい堅実でゆるぎのない真面目な演奏だし、ベルクもパイネマンを支える呼吸ゆたかな表情がとても新鮮に感じた。
ロンドンでの活動は、コヴェントガーデンとビーチャムのあとのロイヤルフィル。
その後が、晩年最後のポスト、BBC響だったけど、任期を残して亡くなってしまう。
いつも思うけれど、70年代亡くなったケンペとケルテスがもっと存命だったら。

Tokyotowerrose_3

 ベルク ヴァイオリン協奏曲の過去記事

 「シェリング&クーベリック」

 「ブラッヒャー&アバド」

 「渡辺玲子&シノーポリ」

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