カテゴリー「ベルク」の記事

2019年11月19日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮

Muza

東京交響楽団の定期演奏会を、本拠地のミューザ川崎で聴く。

ベルクとマーラー、わたしにとっても、指揮者ジョナサン・ノットにとっても欠かすことのできないレパートリー。

聴くという受容側の自分が、レパートリーなどと、偉そうなことを言いますが、ずっとその界隈の音楽を聴き続けてきた。
いまや、それらが世界の音楽シーンで受け入れられ、人気の音楽たちとなった。

9月頃から、このブログも、最近では珍しいコンサート通いも含めて、つとめて意識して、この分野・この時代の音楽を取り上げてきたことにお気づきでしょうか・・・・

R・シュトラウス、コルンゴルト、シェーンベルク、ツェムリンスキー、ウェーベルン、ベルク、マーラー、クリムト(シューベルト)、これらが、自分のブログによく並んだものだと、われながら思います。
こうした曲目を演奏会でも選択できる東京という音楽都市もすごいものだと思います。

Nott-tso-201911

  ベルク   管弦楽のための3つの小品

  マーラー  交響曲第7番 ホ短調

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

       (2019.11.17 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

①ベルクの唯一といっていいオーケストラ作品。
マーラーの交響曲に感化され、同じような規模の大作品を書こうと目論んだが、師のシェーンベルクから、それはベルクの本分ではないと諭され、大規模さを受け継ぎながらも「性格的小品」を作曲することとなった。
それがこの作品で、実演で聴くのは、これが初めてでありました。
音源では、これまで、アバドとロンドン響のレコードをずっと聴いてきて、CDでもアバドとウィーンフィル、ブーレーズ、デイヴィスなどをずっと聴いてきたけれど、やはりライブで、大オーケストラを眼前にして聴くと、各奏者がどんなことをしているか、指揮者はどんなふうに振り分けているのか、などなど、きょろきょろしながらも、この複雑な作品を少しでも紐解く術となったような気がします。
「前奏曲」「輪舞Reigen」「行進曲」の3つの小品のなかに、それぞれA-B-Aという対称構造があって、それがなんとなくわかったような、これもまた、気がします。
でも「行進曲」は、つかみどころがなく、音の咆哮がどこに向かうのかわからなくなって、焦燥感を抱いたりもした。
この対称構造は、ベルクのいつも追い求めたもので、「ヴォツェック」などは、完全にそれに一致する緻密な作品だ。
その「ヴォツェック」の響きも、「ルル」もヴァイオリン協奏曲も、この作品のどこかしこに、潜んでいるような気もしながら聴いた。
 ノットのよく整理された指揮ぶりは、熱いながらも、とても緻密で、東響も、このベルクの音楽によく食らいつき、青白くも、宿命的なベルクサウンドをよく響かせていたと思う。
ミューザ川崎は、こんな作品の響きがとてもよく似合うと思う。

②前半からヘヴィーな20分。
後半も、超大編成の80分。
この合計100分を、われわれ聴衆は、まんじりともせず、集中力を途切らすことなく聴きとおしたのだ。
それだけ、音楽に没頭させる、夢中にさせてしまう、そんな感度と鮮度の極めて高い、とりわけ後半のマーラーだったのだ。
 わたくしのお隣にいらっしゃった、かなり年配のご夫妻は、きっと7番なんて初めてかもしれない、でも、ずっと真剣に聴いていたし、終わったあとも、スゴイ、いいよ、すごいよ、をご夫婦で連発されてました。
きっとホールにいらした方の、ほとんどの印象かもしれません。

ともかく、このマーラーの万華鏡のような、めくるめく変転する「7番」という交響曲を、まさに百花繚乱のごとく演奏したのが、この日の「ノット&東響」なのだ。
明るくよく響き渡るテナーホルンを吹かれた方、その艶のある音色は、この日の演奏の成功を半分約束されたようにも感じてしまいました。
そして、曲はだんだん加速するのだが、そこでノットは、テンポを落として、徐々に加速するスタイルをとったのにはちょっと驚き。
それ以外は、インテンポで、要所・各処をビシバシと決めていく、キレ味のいいマーラーとなりました。
ノットの気合に満ちた指揮ぶりを、斜め正面から見る席だったので、その「圧」の強さに、演奏してない自分までもが引き込まれて、長い1楽章からもう気圧されたようになってしまい、その楽章の終了時には、思い切り息と肩をついて、ふぅ~っとなりました。

最初の夜曲、第2楽章では、ホルンの見事さ、そして東響の各奏者の冴え、それと弦楽のユニゾンの楽しさなどを満喫。
ノットさんも、楽しそうに振ってましたね。
鐘はどこに? 録音かと思ったけど、最上階だったらしい・・・

「影」のように、す、すッーと滑りこむような第3楽章。
CDなどで聴いてると、その中間部も含めて、とらえどころがなく、もやもやしてますが、ここもやはりライブの楽しさ。
各楽器が、あんなことやってる、こんなことやってる、と観察しながら聴くのもいい。
5つの楽章の真ん中の折り返し。
前後に夜曲にはさまれ、これも思えば、シンメトリーな構造。
ベルクの作品を並べた、その対比の意図も、ここにあるのかもしれません、なんて思いながら聴いていた。

大好きな4楽章の夜曲、奇怪な夜の森の楽章のあと、最後の歓喜の前の、ひとときの「なごみの夜の音楽」。
わたくしは、若い頃、日曜の夜のアンニュイな気分を沈めるために、寝る前に、ウィスキーをくゆらしながら、この楽章だけをよく聴いたものです。
そのときの演奏は、バーンスタイン旧盤か、アバド・シカゴ盤でありました。
 そんな懐かしき若き思い出に浸りながら聴いた、ノット&東響のこの楽章には、ノスタルジーとともに、ちょっと不安の淵なども垣間見せるような、深みのある演奏となりました。
自分的には、この楽章が一番いい出来栄えかとも思いましたね。

そして、なんでこんなに歓喜の爆発になっちゃうんだろ的な、パロディも交えた、とどまることをしらない終楽章の明るさ。
6番のあとに、そして8番の前に、こんなむちゃくちゃな7番を書いたマーラーという作曲家の不思議さと、泣いたカラスがもう笑った的な、なんでもありのマーラーの心象に、切り込むような、バラエティあふれる演奏なんじゃないかと、この終楽章を聴きながら思った。
でも、そんなことはどうでもいい、というくらいに、最後のコーダでは、これでもかというくらいの盛り上がりに、もうドキドキが止まらない!
ノットの、掛け声ともとれる声も聴こえ、曲は大エンディングとなりました。

そのときの、われわれ聴衆の、大爆発たるや、こんなの久しぶりでした。
わたくしも、ブラボー一発かませましたぜ!
ノットさんのお顔も上気して、にこやかに会心の出来ばえとみて取れましたし、東響の皆さんの疲れと満足感の入り混じったお顔もそれぞれ印象的でした。
最後は、ひとり、ノットさんがコールに応えて出てきて、ここでもブラボーの嵐でした。

いやぁ~、ひとこと、「楽しかった~」

Azeria

川崎駅チカのツリー。

めくるめくマーラーサウンドを堪能したあとのツリー。

ドイツの黒い森、暗い夜、自然のあらゆる営みとささやき、人間の醜さと愛、なにもかもが詰まったようなマーラーの7番を、そのあるがままに、展開して見せてくれたのが、この日の「ノットの夜の歌」だったかもしれない。
そこに、何を聴くか、何を求めるかは、わたしたち聴き手次第。

前夜もサントリーホールで演奏しているが、そのときとも、また違う演奏だったと言っている方もおりました。
そして、東響の会員である知人の話では、2公演あると、そのいずれも違う、というノットのいつもやり方のようです。
楽員も命がけだし、ノットも常に、考え、探求し続けている。
日本のオーケストラシーンのなかでも、もっとも先端をゆく名コンビになりつつあるようだ。

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2019年10月27日 (日)

マーラー祝祭オーケストラ 定期演奏会

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日曜午後、こんな素敵なプログラムの演奏会があるのを発見し、思い立ってミューザ川崎へ。

新ウィーン楽派の3人の作品のみ。

わたくしの大好物ともいえる作品3作です。

マーラー祝祭オーケストラは、2001年に指揮者の井上喜惟氏の提案のもと結成されたアマチュアオーケストラで、国際マーラー協会からも承認を得ている団体。
毎年の演奏会で、すでにマーラーの全交響曲を演奏しつくし、今回は、マーラーに関わり、その後のウィーン楽壇の礎をを築いた3人の作曲家、新ウィーン楽派の3人に作品を取り上げたものです。

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 ウェーベルン  パッサカリア (1908)

 ベルク            ヴァイオリン協奏曲 (1935)


     Vn:久保田 巧

 シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」(1902~3)

  井上 喜惟 指揮 マーラー祝祭オーケストラ

        (2019.10.27 @ミューザ川崎 コンサートホール)

正直言って寂しい観客の入りで、開演15分前に行って全席自由の当日券でしたが、ふだん、ミューザではなかなか体験できない良席を、両隣を気にすることなく独占し、音楽にのみりこみ、堪能することができました。

マーラーの名は冠してはいても、やはりこうした演目では、なかなか集客は難しいもの。
しかも、川崎の地でもあり、この日は、川崎名物のハロウィンパレードが同時刻に開催。

しかし、そんなの関係ないわたくしは、うきうき気分のミューザ川崎でありました。

ウェーベルンの作品1は、ウェーベルン唯一の大オーケストラによる後期ロマン派臭ただよう10分あまりの作品です。
長さ的に、コンサートの冒頭にもってこられる確率が高くて、これまでのコンサート履歴でも、ほとんどがスタートの演目でした。
しかし、いずれも、オーケストラも聴き手も、あったまる前の状態で、流れるように過ぎてしまうという難点がありまして、今回もまったく同じ状況に感じました。
なにものこりません。
1974年のシェーンベルク生誕100年の年にかかわり、翌年にかけてFMで放送されたアバドとウィーンフィルの演奏が、わたくしの、絶対的な完全・完璧なるデフォルメ演奏であります。
これが耳にある限り、どんな演奏も相当な演奏でないとアカンのですが、今回、この曲のキモもひとつ、曲の終結部の方で、ホルンがオーケストラの中で残り、残影のような響きを聴かせるところ、ここはとてもよかったです。

ベルクのヴァイオリン協奏曲。
この曲が、本日のいちばんの聴きもので、豊かな技巧に裏打ちされ、繊細でリリカルなヴァイオリンを聴かせてくれた久保田さんが素晴らしかった。
本来はデリケートでもあり、バッハのカンタータの旋律も伴う求心的な作品。
主役のヴァイオリンの求道的なソロに、大規模なオーケストラは、ときに咆哮し、打楽器も炸裂するが、このあたりの制御があまり効いておらず、久保田さんのヴァイオリンを覆い隠してしまった場面も多々あり。
ここは、指揮者の問題でもありつつ、全体を聴きながら演奏して欲しいオーケストラにも求めたいところかも。
交響曲のように演奏しては、オペラ作曲家のベルクの作品の魅力は減じてしまうのだから。。。
 でも、曲の最後の方、浄化されたサウンドをミューザの空間を久保田さんのヴァイオリンが満たし、夢見心地のわたくし、死の先の平安を見せていただいたような気がしますよ・・・・
 久保田さんのドレス、ウィーンの同時代を思わせる、パープルとホワイトの素敵なものでした!!

シェーンベルクのペレアスとメリザンド
20日前に、ここミューザで聴いた「グレの歌」とほぼ同時期の、後期ロマン派の作風にあふれるロマンティック極まりない音楽。
ここでも、トリスタンの半音階的手法が用いられ、音楽は当然に男女の物語りだから、濃厚濃密サウンドが展開。
 4管編成の大オーケストラが舞台上にならび、圧倒的なサウンドが繰り広げられ、この作品では、ときおり現れる、各奏者のソロ演奏がキモともなるが、いずれも見事なもので、前半プロとの奏者の編成の違いも判明もしたわけだが、木管、それとトロンボーンセクションとホルン群がここでは素晴らしかった。
単一楽章で、その中に、登場人物たちのモティーフを混ぜあわせながら、それぞれの場面を描き分けるには、指揮者の手腕が試されるところだが、本日はなにも言うまい。
 緊張感を途切れさせず、このはてしない難曲を演奏しきったオーケストラを讃えたいです!

演奏効果や、奏者の出番は考えずに、この素晴らしい演目の順番を、自分的には、前半後半、逆にするのも一手かも、とも。

 1、シェーンベルク ペレアス
 2、ウェーベルン  パッサカリア
 4、ベルク     ヴァイオリン協奏曲

作曲年代順にもなるし、オーケストラと聴衆の集中度と熱の入り方という意味での順番で。。

 次の、このコンビの演奏会は、来年5月に、マーラーが戻ってきて3番です。
蘭子さんのメゾで♡

コンサートの時間帯とかぶるようにして、川崎駅の反対側では、有名となった「川崎ハロウィン・パレード」が行われましたようで、駅へ向かう途上、可愛い仮装の子供たちと、吸血鬼やおっかない妖精さんや、悪魔さんたちにも出会いましたとさ・・・・

わたくしは、やっぱり、世紀末音楽の方が好き・・・・・

(10/30に渋谷でコンサートの予定あり、一日前だから大丈夫でしょうかねぇ)

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2019年3月18日 (月)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 

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先週の河津桜と東京タワー。

芝公園の一角で、四季折々の花がきれいに整備され、美しく咲きます。

寒暖の差も大きく、その歩みは一進一退なれど、春はそこまで。

年中聴いてますが、とりわけ桜の季節に、そして沈丁花の香りが漂いだすころに聴きたくなるのがベルクの音楽。

何度かしか経験はないが、ベルクのオペラを観劇したあとは、歩く足元もふわつき、どこか割り切れない不条理さにさいなまれ、そして周辺の空気が甘く感じたりして、官能的な思いに浸りながら帰宅した思いが何度かある。

もう、33年前に初めて観た二期会の若杉さん指揮する「ヴォツェック」の帰り、モクレンの香りだったか。
そして、10年前に琵琶湖まで飛んで行った、「ルル」。
その時の帰りは、湖畔を散策しながら、ほてった頬を冷ましながら、怪しいまでに美しい湖面に浮かぶ月を眺めたものだ。

かようにして、わたくしのベルクへの想いは、香りや、光といった五感の一部とともに印象付けられているのだ。

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    ベルク  ヴァイオリン協奏曲

           ~ある天使の思い出に~


        Vn:ギドン・クレーメル

    サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1984.3 ミュンヘン)

初めて買ったベルクのヴァイオリン協奏曲の音源が、クレーメル盤。
外盤で出て即、買った。
何度も、何度も聴いた。
とりわけ、日曜の晩、床に就く前に、グラスを傾けながら聴くと、より切ない感じになってたまらなかった。。

クレーメルの硬質な、ちょっと神経質な音色もいいが、ほんとは、も少し色が欲しいところ。
でも、デイヴィスとバイエルンの暖かな音色はいい。


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              Vn:ヘンリク・シェリング

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1968.5 ミュンヘン)

そして、その次に買ったのが、LP時代の名演、シェリングとクーベリックのもの。
気品ある端正なヴァイオリンに、クーベリックとバイエルンのこれまたマーラー仕込みの柔らかな響き、この融合にヨーロッパの音楽の流れと歴史を感じる。
この1枚は、ほんとうに気に入った。いまでも大好き。

そして、ベルクのヴァイオリン協奏曲を次々に入手、エアチェックも多数。

ちょいと羅列すると、渡辺玲子、パイネマン、ズッカーマン、スピヴァコフ、スターン、ブラッヒャー、ファウスト、アラベラ・シュタインバッハ、ツィンマーマン、テツラフ、ムローヴァ、堀、アモイヤル・・・・まだあるかも。

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        Vn:イザベル・ファウスト

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

               (2010.12@マンツォーニ劇場、ボローニャ)


アバドの指揮する3つの音源。
ソリストも、オーケストラも、いずれも違う。
ムローヴァ(ベルリンフィル、エアチェック音源)、ブラッヒャー(マーラー・チェンバー)、ファウスト(オーケストラ・モーツァルト)。
豊饒さと激性、でも豊富な歌いまわしのムローヴァ盤、気脈の通じた、元コンサートマスターとの自在かつ、緻密なブラッヒャー盤、そして、いまのところ、ベルクのヴァイオリン協奏曲で、一番と思っているのが、イザベル・ファウスト盤。
がっつりと音楽の本質に切り込むファウストのヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へと誘ってくれるような演奏に思う。

過去記事より、曲についてのこと。

1935年、オペラ「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、その2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。

「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となった。

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされる。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされる。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。

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     バッハ     カンタータ第60番「おお、永遠、そは雷のことば」

        A:ヘルタ・テッパー
        T:エルンスト・ヘフリガー
        Bs:キート・エンゲン

     カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
                   ミュンヘン・バッハ合唱団

                  (1964 ミュンヘン)


ベルクが、引用したバッハのカンタータ。
1723年の作曲で、イエスの行った奇跡を著した福音書をもとに、「恐怖と希望の対話」をえがいたもの。(解説書より)

死に怯える「恐怖」と、一方で、奇跡が起こる強い信仰を持つ「希望」との対話。
やがて、お互いが寄り添い、希望の喜びを歌う。

このカンタータの最後におかれたコラールが、ベルクがその旋律を引用したもの。
ここに聴くバッハの原曲も、憧れとどこか、終末観を感じさせるもので、リヒターのアナログ的な演奏も懐かしく、甘いものがある。
信仰とは、ときに、甘味なるものなのだ。

 「足れり、主よ、み旨にかなわば、割れを解き放ちたまえ!
  わがイエス来たりたもう。いざさらば、おお、世よ!

  われは天なる家に往くなり。われは平安をもて確かに往くなり。
  わが大いなる苦しみは地に葬られる。 足れり」  (訳:杉山 好)

ふたつの作品を聴きつつ過ごした日曜。

朝晩はまだ寒いが、日中は、暖かさに、鼻腔をくすぐる芳香を感じる。

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2018年7月 1日 (日)

新日本フィルハーモニー定期演奏会 ベルク&マーラー リットン指揮

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梅雨明けの暑い夕暮れ、こんな景色が望めるホールに行ってきました。

久々のトリフォニーホールは、ベルクとマーラーの世紀末系、わたくしの大好物が並ぶ、新日フィルの定期でした。

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   ベルク    歌劇「ルル」組曲

           アルテンベルクの詩による歌曲集

   マーラー    交響曲第4番 ト長調

            S:林 正子

    アンドリュー・リットン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

                (2018.6.29 @すみだトリフォニーホール)


林正子さんを、3曲ともにソリストに迎えた、わたくしにとって魅惑のプログラム。
昨年のマルシャリンが素晴らしかった林さんのソロ、感想を先に言ってしまうと、マーラーよりベルクの方がよかった。
それは彼女の声質や、ホールでの聞こえかたからくる印象かもしれませんが、透明感と、一方で力強さのある声がストレートにわたしの耳に届いたのがベルクの方でした。
マーラーは、よく歌っていたけれど、オーケストラとのバランスや、間がちょっとかみ合わないような気もして、それはリットン氏の指揮にも要因があったようにも感じます。
 短い場面だけれど、ファムファタールたるルルを可愛く、そして小悪魔的に、宿命的歌わなければならない「ルルの歌」。幅広い音域を巧みに、でも柔らかさも失わずに聞かせてきれたように思います。
 一方のもうひとりの役柄、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の哀しみも、虚無感とともに、とても出てました。

 アルテンベルクは短い歌曲集だけれど、いまだに、何度聴いても、全貌がつかめません。
生で聴くのが初めてで、今回、たっぷり大編成のオーケストラが時に咆哮しても、知的に抑制され、歌手もその中で、楽器のように生かされているのを感じました。
そして、イメージやフレーズが、ヴォツェックに親和性があることも、よくわかったし、オペラの形態で追い求めたシンメトリーな構成をも聞き取ることができたのも実演のありがたみ。
林さんの、これまた抑制された歌声は、クールで切れ味も鋭いが、暖かさもただよわす大人の歌唱で、完璧でした。
 ベルクは、この歌曲集を、1912年に作曲しているが、作曲の動機は、マーラーの大地の歌を聴いたことによるもの。

時代は遡るが、後半はベルクからマーラーへ。

マーラーを得意にしているリットンさん。
手の内に入った作品ならではの、自在な音楽造りで、もうすっかり聴きなじんだ4番が、とても新鮮に、かつ、面白く聴くことができました。
強弱のつけ方、テンポの揺らしなど、細かなところに、いろんな発見もありました。
新日フィルも、それにピタリとつけて、とても反応がよろしい。
 1楽章の集結部、ものすごくテンポを落とし、弱めに徐々に音とスピードを速めていって、にぎやかに終わらせるという、聴きようによってはあざとい場面を聴かせてくれたが、実演ではこんなのもOKだ、面白かった。
 2度上げで調弦されたヴァイオリンと2挺弾きのコンマスの西江さん、繊細かつ洒脱でとてもよろしいかった2楽章。こちらも、細かなところにいろんな仕掛けがあって楽しい聴きもの。
 で、一番よかったのが、天国的なまでに美しかった3楽章。
美しいという形容以外の言葉しか浮かばない。
よく良く歌わせ、思い入れも、タメもばっちり、わたしの好きな、この3楽章の演奏のひとつとなりました。
 終楽章は、先にも書いた通り、歌が入ることで、ちょっとバランスがどうかな、となりましたが、これまた、心がホッとするような平安誘う、静かなエンディングと、大きな拍手までのしばしの間を楽しむことが出来ました。

ルル組曲の最初の方が、エンジンかかりきらない感じはありましたが、愛好するベルクの「ルル」を久々にライブで聴けた喜びとともに、マーラー⇒ベルクという世紀またぎの音楽探訪を、夏の一夜に堪能できました♪

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ホールを出ると、こんなクールなスカイツリー。

幸せな気分を後押し。

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2016年6月26日 (日)

シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク アバド指揮

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関東は、梅雨まっさかり。

そして、ほぼ3ヶ月ぶりの投稿となりました。

幾多の皆さまから、暖かく、そしてご配慮にあふれたコメントを頂戴しながら、まったくご

返信も、反応もしなかったこと、ここに、あらためまして、お詫び申し上げます。

 ともかく、辛く、厳しい日々は、ブログ休止時と変わりなく続いてます。

しかも、予想もしなかったところから、いろんな矢が飛んできたりもします。

やぶれかぶれの感情は、そこから生まれ、音楽なんて、聴くゆとりも、受け入れる感情もありません。

そんな3ヶ月。

 しかし、でも、めぐってきた、「クラウディオ・アバドの誕生日」

存命ならば、今年は、この26日が、83回目。

そんな日に、アバドが生涯愛した、新ウィーン楽派の3人の作曲家を、いずれもウィーンフィルの演奏で聴きます。

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  シェーンベルク  「グレの歌」から 間奏曲、山鳩の歌

長大なグレの歌、全部を聴けないから、この作品のエッセンスとも呼ぶべき、中ほどにある場面を。
1900年に作曲を始め、第3部だけが、オーケストレーションが大幅に遅れ、最終完成は、1911年。
1913年に、シュレーカーの指揮によって初演。

後期ロマン派真っ盛りの作品ながら、最終完成形のときのシェーンベルクは、無調の領域に踏み込んでいたところがおもしろい。
1912年には、ピエロリュネールを生み出している。

むせかえるような甘味で濃厚な間奏曲、無常感あふれる死と悲しみの心情の山鳩の歌。
アバドのしなやかな感性と、ウィーンフィルの味わいが融合して、何度聴いても心の底からのめり込んでしまう。
久々に、音楽に夢中になりました。

アバドのこのライブ録音は、1992年。
88年には、マーラーユーゲントとECユースオケとで、何度も演奏していた。
そして、最後のルツェルンとなった、2013年に、この間奏曲と山鳩を取り上げた。
この最後の演奏が、掛け値なしの超絶名演で、まさに陶酔境に誘ってくれるかのような、わたくしにとってとても大切な演奏となってます。

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ルツェルンでの最後のアバド。

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  ウェーベルン  パッサカリア

ウェーベルンの作品番号1のこの曲は、1908年の作。

シェーンベルクの弟子になったのが、1904年頃で、グレの歌の流れを組むかのような、これまた濃厚な後期ロマン派的な音楽であり、グレの歌にも増して、トリスタン的でもある。

パッサカリアという古風ないでたちの形式に、ウェーベルンが込めた緻密さとシンプルさが、やがて、大きなうねりを伴って、巨大な大河のようなクライマックスとカタストロフ。

この濃密な10分間を、アバドは、豊かな歌心でもって静寂と強音の鮮やかな対比を見せてくれる。
むせぶようなホルンの効果は、これはまさにウィーンフィルでないと聴けない。

1974年、シェーンベルク生誕100年の年、ウィーンでは、新ウィーン楽派の音楽が数々演奏されたが、そのとき、アバドは、ウィーンフィルとこのパッサカリアや、5つの小品を取り上げ、NHKFMでも放送され、わたくしはエアチェックして、何度も何度も聴いたものだ。
 その音源は、いまも手元にあって、あらためて聴いてみても、若々しい感性が燃えたぎり、ウィーンフィルも、今とはまったく違う、ローカルな音色でもって、それに応じているところが素晴らしい。

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  ベルク  交響的組曲 「ルル」

新ウィーン楽派の3人のなかで、一番若く、そして一番早く死を迎えてしまったベルク。

ウェーベルンと同じく、1904年に、シェーンベルクの弟子となり、以降、ずっとウィーンで暮らすことになるベルクだが、ユダヤの出自であった師がアメリカにのがれたのに対し、ベルクはユダヤではない代わりに、その音楽が退廃音楽であるとして、ナチス政権成立後は、その活動にかなりの制約を受けることとなった。

そんななかで、生まれたのが「ルル」。
破天荒な青年時代を送り、ぜんそくに悩まされ、病弱であったベルクは、文学好きということもあって、オペラの素材には、生々しい死がからむ、いわばヴェリスモ的な内容を選択した。
それが「ヴォツェック」であり、「ルル」である。
さらに、晩年の不倫も、「ルル」の背景にはあるともされる。

人生の落後者のような軍人と、魔性の女、ファム・ファタール。
それらが、悲しみとともに描かれているところが、ベルクの優しさであり、彼独自の問題提起の素晴らしさ。

ことに、「ルル」の音楽の運命的なまでに美しく、無情なところは、聴けば聴くほどに、悲しみを覚える。
自分の苦境に照らし合わせることで、さらにその思いは増し、ますます辛く感じた。
そんな自分のルルの聴き方が、また甘味に思えたりするのだ。

「ルル」は、1928~35年にかけての作品。
間があいているのは、アルマの娘マリーの死に接し、かのヴァイオリン協奏曲を書いたためで、ベルクは3幕の途中で亡くなり、未完のエンディングを持つ「ルル」となった。

アバドは、ベルクも若い頃からさかんに指揮していて、70年のロンドン響との作品集に続き、ウィーン時代の94年に、ウィーンフィルといくつもの録音を残している。
ニュートラルなロンドン盤もいいが、やはり、より濃密で、ムジークフェラインの丸みのある響きも捉えたウィーン盤の方が素晴らしい。

ロンド→オスティナート→ルルの歌→変奏曲→アダージョ

オペラの場面をシンフォニックにつないだ組曲に、アバドは、オペラの雰囲気も感じさせる迫真性と抒情をしのばせた。
「ヴォツェック」は何度も指揮したのに、「ルル」は、ついに劇場では振ることがなかった。
ウィーン国立歌劇場時代、上演予定であったが、辞めてしまったため、その計画を実現しなかったから、この組曲盤は、アバド好きにとっては貴重なのであります。

さてさて、暑いです。

まだ梅雨だけど、そぼ降る雨はなくて、晴れか土砂降りみたいな日本。
熊本の地震もあったし、大きな地震への不安は尽きない

ばかな都知事や辞めたけど、疑惑は消えないし、消化不良のまま参院選と、まもなく都知事選が始まる。
矛盾だらけの政治に社会。
 そして、海外へ眼を転ずれば、どこか某国が、偉そうに軍船で領海侵入を繰り返し、虎視眈々と長期計画で持って、ねらってきているし、さらに英国のEU離脱が、世界規模でもって、政治経済に影響を与える流れが進行中。

今後もトピックは、まだまだ続出するでしょうが、ブログ休止してた間に、こんないろんなことが起きてしまう2016年。
「ルル」の原作ではありませんが、「パンドラの箱」が次々に開いてしまうのか・・・・

しばらく、また消えますが、もう事件事故災害は勘弁してください、神様。。。

それでは、また、いつか。

Shiba_8
    

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2014年4月 9日 (水)

アバド追悼演奏会 ルツェルン

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4月6日に行われた、ルツェルン春の音楽祭における、クラウディオ・アバド追悼演奏会。

日本時間、同日晩に、慎んでネット観劇いたしました。

こちらは、終演後の聴衆を映したもの。

このパンフレッウトだけでも、グッときてしまう。

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 シューベルト  交響曲第8番「未完成」 第1楽章

          ルツェルン祝祭管弦楽団

 ヘルダーリン  

          語り:ブルーノ・ガンツ

 ベルク      ヴァイオリン協奏曲

          Vn:イザベル・ファウスト

 

 マーラー    交響曲第3番 第6楽章

    アンドリス・ネルソンス指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                       (2014.4.6 @ルツェルン)


アバドの音楽への想いを集約したような選曲。

あと、ここに、モーツァルトとベートーヴェン、そしてブラームスとヴェルディがあれば完璧と思うのは贅沢で不謹慎すぎること。

ルツェルンのクンストハウスのホールの、あるじなしの指揮台。

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オーケストラだけで、演奏された「未完成」の第1楽章。
痛切すぎる、涙にぬれたような未完成は、聴いてて辛くなった。
コンマス(この人、名前が出てこない)が、大きな身ぶりで主導しつつも、各セクションは、アバドの指揮でもあったように、お互いに聴きあいつつ、目線を交わしながらの演奏。

次いでのヘルダーリンは、まったく不明、わかりません。
ガンツさんは、アバドとの共演歴も長く、CDやDVDでも多く一緒に出てます。

そして、ベルク。

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イザベルさんとのベルクは、先年、モーツァルト管とのライブが出たばかり。
CD音源での精度の高さには及ばぬものの、彼女の熱い思いを込めたベルクは、切実で、静かに始まりつつ、後半の憑かれたような演奏には、驚きと感動を禁じえませんでした。
きっと、アバドとの共演を、思い描きながら弾いていたのでしょう。

そのアバドへの想いが、とてつもなく、最高度に高まり、神々しくも、侵しがたい雰囲気にホール全体が包まれてしまったマーラー。

アバドが愛したマーラーの、しかも、「愛がわたしに語るもの」。

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追悼を通り越して、これはもう、クラウディオ・アバドという名伏しがたい存在に対する、人々の想いの昇華であり、彼を失ったことに対する、人々それぞれの想いの結実なのかもしれません。

観て聴いて、ずっと不条理に哀しんでいた自分のなかで、オケも聴衆も、等しく涙する姿で、ようやく一体感を持って、アバドとの現生の告別を済ませることができた気持ちです。

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いつもの金管セクション。
フリードリヒさん。
2006年の来日でのリハーサルで、マーラー6番で、見事ひっくり返った。
繰り返しでは、完全復調。
アバドに投げキッスをされて、顔を真っ赤にして、嬉しそうにしていたフリードリヒ。
いつも必ず、彼はアバドの指揮の時には主席を吹いてます!

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涙・・・・

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そして、涙。


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ルツェルン名物、楽員同士のハグも、今回は、涙。


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やむことのない拍手。

ネルソンスの頬にも涙。

そして、スタンディングの聴衆にも・・・・・

オーケストラが去ったあとも、拍手はずっと、ずっと、放送中、止むことはありませんでした。

あと、数日後に、アバド仲間のみんなとお会いする予定です。

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2014年2月28日 (金)

ベートーヴェン、ベルク 協奏曲 アバド&MCO

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アバドの愛した若者オーケストラのひとつ、マーラー・チェンバーは、その能力からして、これまでアバドが携わった若者オケのなかでは、最強なのではないでしょうか。

ルツェルンの主力メンバーにもなっているほか、ルツェルンのベテランたちも、時に応じて参加したり、首席をはったりする。
いわば、コンパクト・ルツェルンかも。

ですから、その規模も変幻自在のフレキシビリティ満載、可能性も満載の、高機能オケでした。

アバドは、このオケで、ルツェルン発足前は、モーツァルトのオペラばかりでなく、「シモン・ボッカネグラ」や「ファルスタッフ」を上演したりと、その下準備にあてていたのでした。
 ベルリンフィルを中心とする凄腕が集まることになったのですから、アバドとしては、律儀にも、まずは、手兵のマーラー・チェンバーという形が最良だったのでしょう。

ルツェルンが本格スタートしてからは、マーラ・チェンバー(MCO)を母体とする形態にして、さらにMCOは、ハーディングやほかの指揮者たちに徐々に任せるようになりました。

MCOとの録音は、名手たちのバックをつとめる協奏曲録音が多いです。

今夜、そんななかのふたつを。

Beethoven_argerich_abbado

  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番、第3番

       マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                      (2000.2、2004.2 @フェラーラ)


アルゲリッチとアバド、最後の録音も、このコンビだったし、ふたりのDGへの初録音の一環もそう。

これまで、いくつもの共演と録音をしてきた、まさに朋友でした。

こんな関係は、いずれ、ポリーニに代表される、アバドと共演者たち、という特集をしてみようと思ってます。

いまから59年前、アバド21歳、アルゲリッチ13歳。
フリードリヒ・グルダのザルツブルクでのピアノスクールにて、同門で、知りあったことがきっかけ。

奔放なアルゲリッチ女史ですが、アバドの前では、時に女性らしくしとやかに、でも、時に、熱く燃え上がり、アバドを煽動してしまいます。
かつてのショパンやリスト、プロコフィエフ、チャイコフスキーがみんなそうだった。

ここでのベートーヴェンでは、アバドの目指す、若いオーケストラとのベートーヴェンの新風に、むしろアルゲリッチが感化されたかのように、はじけ飛ばんばかりの活力と、生まれたばかりのような高い鮮度のピアノを聴かせてます。

過度のノンヴィブラートの息苦しさに陥らず、ベートーヴェンの若い息吹を、伸びやかに、そしてしなやかに聴かせるアバド。
2番は、病に倒れる術前、3番は、術後安定した時期。
 そんな、時系列を少しも感じさせることのない活きのいいオーケストラです。

アルゲリッチの3番は、これが唯一。
でも、このふたりの気質からしたら、2番の方が弾みがよろしく、ベートーヴェンの青春の音楽の本質を突いているように感じますがいかがでしょうか。
ことに、2楽章の抒情と透明感は素晴らしいのですよ。

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  ベルク          ヴァイオリン協奏曲

  ストラヴィンスキー  ヴァイオリン協奏曲

                 コリヤ・ブラッハー

   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

                      (2003.10 @フェラーラ)


こちらは、うってかわって、近現代の協奏曲。

こんな先鋭の音楽にも、MCOは、ごく普通に取り組み、アバドとともに、嬉々として演奏してしまうのです。
ベルクについては、このCDが発売されてすぐ、2006年にすぐさま記事にしました。

さほど大きくはない編成のオーケストラが、ストラヴィンスキーで見せる小気味いい痛快なまでの、爽快感は、ストラヴィンスキーの音楽の持つラテン的な透明感と、軽やかさを完璧に表出してます。

ベルリン・フィルを、コンサートマスターとして、アバドとともに引っ張ってきたブラッヒャーの高性能かつ、隙のないヴァイオリンは、完璧でありすぎるところが、また困ったもので、文句のつけようがないのです。

欲を言えば、オーケストラともども、ベルクの甘さ、バッハへの思慕みたいな、どこかこの曲にあるロマンティックなところが申し少し出ていれば・・・という思いがあります。

アバドは、ベルリン時代のムローヴァとの演奏、2010年のファウストとの共演もあり、後者が敏感すぎる超名演になってます。

わたくしの大好きなこの曲に、アバドが、3つの演奏を残してくれたこと、いまは感謝にたえません。

コンチェルトに、オペラ、合わせものの達人、アバドのもとで、MCOのメンバーたちは、きっと多くのものを学び、そして進化していったことでしょう。

Mco_2

マーラー・チェンバー。

センターに、オーボエの吉井瑞穂さん、いつもにこやかにいらっしゃいます。

アバドの追悼、次は、いよいよルツェルンにまいります。

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2014年2月 2日 (日)

ベルク 「ヴォツェック」 アバド指揮

Abbado_wiener_staatsoper

ウィーン国立歌劇場のサイトでのアバド追悼ページ。

ウィーンフィルもそうでしたが、いくぶんあっさりとしてます。

アバドが関係してきた劇場やオーケストラのなかで、その特別ページが充実しているのは、やはりベルリンフィル。そして、スカラ座とロンドン響でした。

ウィーンとはデビュー以来、蜜月期間が長かったけれど、90年代終わり頃に冷え切った関係となってしまい、ウィーンフィルの指揮台に立つことがなくなってしまった。

91年のフィルクスオーパーから兼任の形でのヴェヒター男爵の総監督就任は、ウィーン生まれの同氏が、アバドの根差した深いドラマ性を持つオペラへの偏重に異を唱えるように、伝統回帰を打ち出しました。
 さらに、ヴェヒターの片腕は、辣腕化のホーレンダーが選らばれ、アバドは、彼らとソリが合わず、音楽監督の座を投げだすこととなりました。
そのヴェヒターも、92年には急死してしまい、ホーレンダー体制が引かれ、アバドはウィーンから遠ざかることとなりました。

 さらに、2000年には、ザルツブルクで、ウィーンフィルと「コシ・ファン・トゥッテ」と「トリスタン」を上演することになっていたが、キャンセルを表明。
演奏のたびに、楽員が変わる、ウィーンフィルのシステムに不満を表明したためとありましたが、体調の不安もあったのではないでしょうか。

アバドのオペラに対する意気込みと、完璧な上演を求める思いは、このように妥協がなく、地位をなげうっても、その意志を貫く強さもありました。
スカラ座のときも同様のことが何度かありました。

何度か書いてますが、アバドのオペラのレパートリーは、かなりユニークで、まんべんなく広く上演するというより、ひとつひとつの作品を何度も、じっくりと取り上げる慎重さがありました。
長くメトにとどまり、広大なレパートリーを誇るレヴァインとは、まったく違うタイプです。

「シモン・ボッカネグラ」、「ボリス・ゴドゥノフ」、「ヴォツェック」の3作が、アバドが最も愛したオペラ作品ではなかったかと思います。

Wozzeck_abbado

  ベルク  「ヴォツェック」

 ヴォツェック:フランツ・グルントヘーパー    マリー:ヒルデガルト・ベーレンス
 鼓手長:ヴァルター・ラファイナー        アンドレス:フィリップ・ラングリッジ    
  大尉:ハインツ・ツェドニク                        医者:オーゲ・ハイクランド 
 マルグレート:アンナ・ゴンダ          ほか

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                   ウィーン少年合唱団

                   演出:アドルフ・ドレーゼン

                       (1987.6 @ウィーン国立歌劇場)


この、アバド好きにとって、大切な「アバドのヴォツェック」。
思えば、一度も記事にしてなかったけれど、まさかこんなときに取り上げようとは・・・。

アバド亡きあと、その足跡を、関係したオケやハウスを振り返りながら確認してきました。

1986年に、マゼールの後をうけてのウィーン国立歌劇場の音楽監督時代は1991年まで。
得意の「シモン・ボッカネグラ」で84年に初登場してから、アバドは、ウィーンで多くの名舞台・名演奏を残しました。
その多くが、音源・映像化されてますので、ほんとうにありがたいことです。
ここでも、先にあげた3作を何度も取り上げてますし、スカラ座以来、理想を求めてきた「ペレアスとメリザンド」と「フィガロの結婚」、「ホヴァンシチナ」、「ローエングリン」、「アルジェのイタリア女」は、ウィーンでもって完成形となり、最高の精度を誇る名演として残されました。

さらに、シューベルトのオペラや、自身が発掘したロッシーニの「ランスの旅」、ヤナーチェク「死者の家から」(ザルツブルク)などの、ある意味マニアックな演目もさかんに取り上げましたから、レパートリー性を大切にする劇場旧派からはうとまれることもあったかもしれません。

保守的なウィーンと、その聴き手に、ウィーンモデルンなどの現代音楽祭で、新風を吹き込むなど、オペラ・コンサート、加えて演劇や美術など、大きな意味で、この街に変革をもたらしたのも、アバドの大きな功績だと思います。

ちょうど、任期中に、ウィーンを訪れましたが、アバドには出会えませんでした。
しかし、そのあと、アバドはクライバーとともに、国立歌劇場と日本にやってきてくれました。

さて、「アバドのヴォツェック」。

Wozzeck_abbado_wien


この演奏に聴かれる、最初から最後まで張りつめられた緊張感は、尋常のものではありません。
3つの幕が、それぞれに、組曲・交響曲・インヴェンションという巧みな形式を纏っているベルクの緻密な構成。
 それを、アバドは、完璧に把握して、その構成を感じさせることなく、かといって細部をおろそかにせずに、あきれかえるくらいに完璧に、そして鮮明に描き尽しております。
 ベルクの音楽の持つ、甘味さも、ウィーンの持ち味を生かして充分に味わえます。

Wozzeck_abbado_wien_1

ヴォツェックが、池にはまっていって死んだあとの、壮絶さと甘さの入り混じる間奏は、わたくしが、もっとも好きな音楽のひとつですが、ここは、アバドの演奏がなんといっても一番です。
血に染まったかのような池と、不気味な空。
そして、アバドの音楽は不思議と明るく、透明感にあふれてます。

ヴォツェックも、マリーも、残された息子も、みんな社会的な弱者。
そんな問題意識を感じさせるドラマに、強く共感して、狙いを付けたオペラに打ち込んだアバドの優しさと誠実さを、あらためて強く感じるのでした。

Wien

アバドは、音楽監督時代の89年と、卒業後の94年の2度、国立歌劇場と来日しております。

89年が、「ランスの旅」と「ヴォツェック」。
94年が、「フィガロ」と「ボリス・ゴドゥノフ」。

その頃は、結婚と子供の誕生が、まさにそこに重なり、コンサートから遠のいていた時期でして、これらのうち、「ボリス」しか観劇できなかったことは、いまにして痛恨の極みなのです。
変わりに、89年は、ルネ・コロが出演した「パルシファル」をS席にて観劇してるから、困ったものです。
返す返すも惜しいことをしました。

マリーは、ヴェイソヴィチ、鼓手長は、コクラン。
その他はほぼCDに同じメンバー
「ランス」とともに、アバドのすごさを、知らしめた公演でした。

こうして、スカラ座、ウィーン・シュターツオーパーと、アバドの真骨長のオペラを味わえた、われわれ日本は、ほんとうに幸せものでした。

天国のマエストロ・アバド、日本を愛してくれて、ありがとう。

そして、アバドのおかげで、新ウィーン楽派の3人を、ブーレーズとは違った切り口で、よく知ることとなりました。

 

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2013年12月20日 (金)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 ファウスト&アバド

Yodobashi_church

静謐な雰囲気のこのツリーは、新宿区百人町の淀橋教会です。

大久保の駅から見える、独特の屋根の建物がこちら。

プロテスタント系で、オルガンや器楽コンサートもよく催されてますが、まだ聴いたことはありません。

数年前、叔父の葬儀はここで行われまして、その叔父は、御殿場にありますこちらの教会の美しい共同墓地に眠っております。

Berg_faust_abbado

       ベルク  ヴァイオリン協奏曲

            Vn:イザベル・ファウスト

      クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

               (2010.12@マンツォーニ劇場、ボローニャ)


わたくしの3大ヴァイオリン協奏曲、トリは、ベルク(1885~1935)です。

3つの作品を年代別に並べてみます。

 ベルク    (1885~1935)    1935年

 バーバー  (1910~1981)    1940年

 コルンゴルト(1897~1957)    1945年


音楽の歴史の流れの中では、いうまでもなく、ベルク→コルンゴルト→バーバー。

マーラー後の、ツェムリンスキーを師とする、新ウィーン楽派にあったベルクは、一番保守的であったかもしれないし、緻密な作風をオペラの領域に持ち込んでいまに生きる劇的な音楽を残した。

その次に来たコルンゴルトは、神童の才を発揮したが、そちらの作風は、あふれるロマンティシズムで、回顧調。十二音などの最先端とはまったく違う調性音楽。

そして、アメリカにあって、これまた保守クラシカル路線を貫いたバーバー。

こうしてみれば、音楽の新しさ、といっては語弊がありますが、耳への斬新さでは、作曲名年代を遡って、すっかり逆になり、コルンゴルト→バーバー→ベルクがMAXとなります。

以前の記事から引用して、この曲について振り返ってみたいと思います。

>1935年、オペラ「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、その2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。

「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となりました。

そんな思いで聴くこのヴァイオリン協奏曲には、もうひとつ、バッハの名前も重なります。
2部構成の第2楽章で、バッハのカンタータ第60番「おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ」からのコラールがそのまま引用されていて、ヴァイオリンや木管で再現されると、そのあまりの美しさと崇高さにわたしは卒倒してしまいそうになる。

「主よみ心にかなうのなら、このいましめを解いてくださいわがイエスがきます。お休みなさい、おお世界よ。わたしは天にある家に戻ります・・・・・・・」

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされます。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされるのであります。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思います<

この曲の最後の浄化された澄み切った世界には、ほんとうに心動かされます。
ケルンテンの民謡と、いろいろと姿を変えたバッハのコラールのモティーフ、それぞれが交互に回想と諦念のようにあらわれて、天に昇るかのような和音にて平安を得たかのように終結。
いつも、息をするのもはばかれるほどに、集中して、感動して聴いてします。

アバドの声掛けで録音された、イザベル・ファストとのベルク。
生々しい録音も手伝って、実感と共感の伴った真摯なイザベルのヴァイオリンが、耳にどんどん入ってきます。
音楽との少しの距離感が、この人らしいところなのか。
彼女のバッハを聴いてみたいと思いました。

そして、2度目となるアバドの指揮。
大編成ではないモーツァルト管を指揮して、突き刺さるような集中力と、奏者に寄り添うような機敏さ、そして前にもまして透明感にあふれていて、かつ歌うベルクという、アバドならではの名演でありました。

1度目のブラッヒャー盤も、マーラー・チェンバーというフルオケでないオーケストラでもって、親密な雰囲気と鋭さを兼ね備えたベルクを造り上げておりました。

わたくしには、もうひとつ、実は、こちらの方が一番と思っているテイクが、ムローヴァをソロに迎えてのベルリンフィルライブのFM録音。
こちらが、ムローヴァの異様なまでの緊張感と、アバドのライブならではの即興感あふれる燃え方でもって極めて素晴らしい演奏なのです。
そして、やはりベルリンフィルという高性能のオケには、若いオケは敵わない。
独特の色もあり、コクと艶ともに、ベルクの音楽にぴったりなのです。
ファウスト盤と、このムローヴァ盤では、演奏時間が3分も違います。
遅くなっております。
このあたりは、アバドの行き着いた境地の裏返しとも言えるかもしれません。

ついでに、アバドではありませんが、録音を残さなかったカラヤンが、ピエール・アモイヤルをソロに迎えたライブも大切に持ってまして、そちらのオーケストラの濃厚さとビューティフルぶりは、ちょっと堪らないものです。

※こちらのジャケットの少女の横顔、気になりますね。
クリムトの「エレーネのポートレイト」という作品で、晩年に娶った極めて若い女性とのことであります。
まったく、あのオヤジったら!

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ベルク ヴァイオリン協奏曲の過去記事

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 「ブラッヒャー&アバド」

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ブルー系のカラーは、クールで熱いベルクの音楽にぴったり合います。

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