カテゴリー「シェーンベルク」の記事

2016年6月26日 (日)

シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク アバド指揮

Ajisai_shiba

関東は、梅雨まっさかり。

そして、ほぼ3ヶ月ぶりの投稿となりました。

幾多の皆さまから、暖かく、そしてご配慮にあふれたコメントを頂戴しながら、まったくご

返信も、反応もしなかったこと、ここに、あらためまして、お詫び申し上げます。

 ともかく、辛く、厳しい日々は、ブログ休止時と変わりなく続いてます。

しかも、予想もしなかったところから、いろんな矢が飛んできたりもします。

やぶれかぶれの感情は、そこから生まれ、音楽なんて、聴くゆとりも、受け入れる感情もありません。

そんな3ヶ月。

 しかし、でも、めぐってきた、「クラウディオ・アバドの誕生日」

存命ならば、今年は、この26日が、83回目。

そんな日に、アバドが生涯愛した、新ウィーン楽派の3人の作曲家を、いずれもウィーンフィルの演奏で聴きます。

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  シェーンベルク  「グレの歌」から 間奏曲、山鳩の歌

長大なグレの歌、全部を聴けないから、この作品のエッセンスとも呼ぶべき、中ほどにある場面を。
1900年に作曲を始め、第3部だけが、オーケストレーションが大幅に遅れ、最終完成は、1911年。
1913年に、シュレーカーの指揮によって初演。

後期ロマン派真っ盛りの作品ながら、最終完成形のときのシェーンベルクは、無調の領域に踏み込んでいたところがおもしろい。
1912年には、ピエロリュネールを生み出している。

むせかえるような甘味で濃厚な間奏曲、無常感あふれる死と悲しみの心情の山鳩の歌。
アバドのしなやかな感性と、ウィーンフィルの味わいが融合して、何度聴いても心の底からのめり込んでしまう。
久々に、音楽に夢中になりました。

アバドのこのライブ録音は、1992年。
88年には、マーラーユーゲントとECユースオケとで、何度も演奏していた。
そして、最後のルツェルンとなった、2013年に、この間奏曲と山鳩を取り上げた。
この最後の演奏が、掛け値なしの超絶名演で、まさに陶酔境に誘ってくれるかのような、わたくしにとってとても大切な演奏となってます。

Abbado_lu

ルツェルンでの最後のアバド。

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  ウェーベルン  パッサカリア

ウェーベルンの作品番号1のこの曲は、1908年の作。

シェーンベルクの弟子になったのが、1904年頃で、グレの歌の流れを組むかのような、これまた濃厚な後期ロマン派的な音楽であり、グレの歌にも増して、トリスタン的でもある。

パッサカリアという古風ないでたちの形式に、ウェーベルンが込めた緻密さとシンプルさが、やがて、大きなうねりを伴って、巨大な大河のようなクライマックスとカタストロフ。

この濃密な10分間を、アバドは、豊かな歌心でもって静寂と強音の鮮やかな対比を見せてくれる。
むせぶようなホルンの効果は、これはまさにウィーンフィルでないと聴けない。

1974年、シェーンベルク生誕100年の年、ウィーンでは、新ウィーン楽派の音楽が数々演奏されたが、そのとき、アバドは、ウィーンフィルとこのパッサカリアや、5つの小品を取り上げ、NHKFMでも放送され、わたくしはエアチェックして、何度も何度も聴いたものだ。
 その音源は、いまも手元にあって、あらためて聴いてみても、若々しい感性が燃えたぎり、ウィーンフィルも、今とはまったく違う、ローカルな音色でもって、それに応じているところが素晴らしい。

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  ベルク  交響的組曲 「ルル」

新ウィーン楽派の3人のなかで、一番若く、そして一番早く死を迎えてしまったベルク。

ウェーベルンと同じく、1904年に、シェーンベルクの弟子となり、以降、ずっとウィーンで暮らすことになるベルクだが、ユダヤの出自であった師がアメリカにのがれたのに対し、ベルクはユダヤではない代わりに、その音楽が退廃音楽であるとして、ナチス政権成立後は、その活動にかなりの制約を受けることとなった。

そんななかで、生まれたのが「ルル」。
破天荒な青年時代を送り、ぜんそくに悩まされ、病弱であったベルクは、文学好きということもあって、オペラの素材には、生々しい死がからむ、いわばヴェリスモ的な内容を選択した。
それが「ヴォツェック」であり、「ルル」である。
さらに、晩年の不倫も、「ルル」の背景にはあるともされる。

人生の落後者のような軍人と、魔性の女、ファム・ファタール。
それらが、悲しみとともに描かれているところが、ベルクの優しさであり、彼独自の問題提起の素晴らしさ。

ことに、「ルル」の音楽の運命的なまでに美しく、無情なところは、聴けば聴くほどに、悲しみを覚える。
自分の苦境に照らし合わせることで、さらにその思いは増し、ますます辛く感じた。
そんな自分のルルの聴き方が、また甘味に思えたりするのだ。

「ルル」は、1928~35年にかけての作品。
間があいているのは、アルマの娘マリーの死に接し、かのヴァイオリン協奏曲を書いたためで、ベルクは3幕の途中で亡くなり、未完のエンディングを持つ「ルル」となった。

アバドは、ベルクも若い頃からさかんに指揮していて、70年のロンドン響との作品集に続き、ウィーン時代の94年に、ウィーンフィルといくつもの録音を残している。
ニュートラルなロンドン盤もいいが、やはり、より濃密で、ムジークフェラインの丸みのある響きも捉えたウィーン盤の方が素晴らしい。

ロンド→オスティナート→ルルの歌→変奏曲→アダージョ

オペラの場面をシンフォニックにつないだ組曲に、アバドは、オペラの雰囲気も感じさせる迫真性と抒情をしのばせた。
「ヴォツェック」は何度も指揮したのに、「ルル」は、ついに劇場では振ることがなかった。
ウィーン国立歌劇場時代、上演予定であったが、辞めてしまったため、その計画を実現しなかったから、この組曲盤は、アバド好きにとっては貴重なのであります。

さてさて、暑いです。

まだ梅雨だけど、そぼ降る雨はなくて、晴れか土砂降りみたいな日本。
熊本の地震もあったし、大きな地震への不安は尽きない

ばかな都知事や辞めたけど、疑惑は消えないし、消化不良のまま参院選と、まもなく都知事選が始まる。
矛盾だらけの政治に社会。
 そして、海外へ眼を転ずれば、どこか某国が、偉そうに軍船で領海侵入を繰り返し、虎視眈々と長期計画で持って、ねらってきているし、さらに英国のEU離脱が、世界規模でもって、政治経済に影響を与える流れが進行中。

今後もトピックは、まだまだ続出するでしょうが、ブログ休止してた間に、こんないろんなことが起きてしまう2016年。
「ルル」の原作ではありませんが、「パンドラの箱」が次々に開いてしまうのか・・・・

しばらく、また消えますが、もう事件事故災害は勘弁してください、神様。。。

それでは、また、いつか。

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2014年2月16日 (日)

シェーンベルク 「ペレアスとメリザンド」 アバド指揮

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クラウディオ・アバドと、若い奏者たち。

アバドは、70年代の早い時期から、ヨーロッパ各地のユース・オーケストラを率先して指揮して、指導してきました。

そのような無私の姿勢も、かつての巨匠たちにには、なかった姿でして、ポストを持っていた一流オーケストラとの集中的な活動と併せて、若い演奏家たちとの協演を、とても大切にしていました。

アバドのような一流指揮者が率先すれば、そこにスポンサーも付き、アバドを創設者とした、若いオーケストラが、いくつか生まれました。

 ・ECユース・オーケストラ(初代指揮者)              1978

 ・ヨーロッパ室内管弦楽団(創設者)              1981

 ・グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ(創設者) 1986

 ・マーラー・チェンバー・オーケストラ(創設者)       1997

 ・モーツァルト・オーケストラ(創設者)             2004


若いオーケストラ以外にも、それとあわせて、プロのオーケストラも、いくつかスタートさせていることはご存知のとおりです(スカラ座フィル、ルツェルン祝祭管)。

前回、アバドのベルリン・フィルでの全霊を傾けた活動について書きましたが、あちらは、年間の指揮数は相当数で、芸術監督としての責務もあったから、それら以外に、初期のウィーンの兼務などは不可能に近いこと。
まして、指揮するたびに、楽員さんが入れ替わるなんて、アバド・クオリティからしたら許しがたいことでしたでしょう。

それらの重責のなかで、若い奏者たちとの交流は、いかにアバドにとって、嬉しく楽しいことでしたでしょうか。

ECユース・オケとの音盤は、ザルツブルグ78年ライブが、熱気ほとばしる、熱い演奏ですが、そちらは今後またの機会として、本日は、マーラー・ユーゲントとの演奏を。

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まず、思う、この秀逸なジャケット。

  シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」

    クラウディオ・アバド指揮 グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケトラ
 


                     (2006.4 ウィーン・ムジークフェライン)

メイン曲、マーラーの4番の健康的ムードではなくて、爛熟世紀末、トリスタンの延長のようなシェーンベルクの音楽に、ぴたりと符合するんです、このジャケット。

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グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ(GMJO)は、オーストリアとハンガリーの若い奏者たちに門戸を広げる意味で、オーケストラ演奏経験を名指揮者たちのもとで積むというスタンスでスタートしました。
そしてすぐに、ヨーロッパ全域の若者を対象とし、さらに26歳までというラインも設定され、このオーケストラを卒業して、各地のオーケストラに旅立って行くというパターンが創出されました。
 このオーケストラの卒業生で造られた、マーラー・チェンバー・オーケストラについては、また次回となります。

 アバドは、若き日々から、シェーンベルク・ウェーベルン・ベルクの新ウィーン楽派の3人の音楽を、さかんに演奏してきました。
しかし、それには、諸所、段階がありました。
かつての昔は、このジャンルの音楽をコンサートのメインに据えるということは、なかなかに起こりえないこともその一因で、ウェーベルンの小品、ベルクの3つの小品、そのあたりを繰り返し演奏し続けました。

そして、有力ポストについて後、ヴォツェックやグレの歌などの、大きな作品に着手。
そんななかのひとつが、「ペレアスとメリザンド」です。

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この曲が大好きなものだから、アバドがいつ指揮するのか。
それが本当に待ち遠しかった。
かなり若い頃に、指揮はしているけれど、ベルリン時代の終わりごろに、「愛と死」のテーマのもと、集中して取り上げるようになりました。

わたくしのライブラリーには、2001年9月のベルリン・フィルライブがありまして、それはそれは、輝かしくて高貴で、美しい演奏で、ベルリンフィルの舌を巻くようなべらぼーなうまさも感じさせてくれる名演であります。
この時のプログラムは、F=ディースカウの語りによる「ワルシャワの生き残り」、P・ゼルキンのピアノによるピアノ協奏曲、というシェーンベルクの一夜なのです。
いまでは実現不能の、すごい顔ぶれです。

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(アバドには、ベルリンのフィルハーモニーとともに、ムジークフェラインもお似合い)

そして、2006年の4月には、GMJOとの欧州ツアーで、この曲と、マーラーの4番を取り上げていて、このときが、このコンビの最後の共演となっております。
結成いらい、各地を回りながら、毎年マーラーを中心に演奏してきました。
さらに、ウィーンモデルンでの現代音楽や、エディンバラでの「パルシファル」など、20年間のアバドとGMJOとの、幸せな結びつきでした。

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 (マーラーのときにも気になりました、パーカッションのかわゆい彼女)

この映像で見る若い奏者たちは、あたりまえだけど、本当に若い。
そして、その音色は、コクや音の背景も感じさせるベルリン・フィルの老練さには、足元も及びません。
 しかしながら、彼らの眼差しのまっすぐぶりは、アバドを尊敬の念を込めて見上げるその真摯な表情とともに、とても気持ちのいいものです。
ツアーを組んで、何度も何度も演奏してきているので、音楽はきっと自分の中に入り込んでいるはず。
だから、譜面を凝視しなくて、指揮者を見ながら演奏している場面の奏者も多々。
 アバドも、そんな彼らと、本当に楽しそうに指揮しています。
演奏が終って、何度も呼び返され、楽員たちもアバドに敬意を表し、立ち上がりませんが、アバドは自分ひとりが喝采を浴びることを、絶対にしない指揮者でした。
必ず、コンマスの手を取って、全員立たせてしまい、指揮台にも上がらず、一緒になってにこにこしてます。
 そんな謙虚なアバドは、相手が若者でも変わりありません。

シェーンベルクの青白い炎のような、甘味なるブルー系の音楽が、若いオーケストラの夢中の演奏から、静かに立ちあがってくるのを聴くことができました。

このDVDの良いところは、もうひとつ。

この曲の解説が冒頭に15分くらいあります。
シェーンベルクが凝って、そして編み込んだ物語の登場人物3人(ペレアス、メリザンド、ゴロー)を中心とするライトモティーフが、演奏シーンでもって紹介され、さらにブルー・グリーン・レッドの3色に置き換えることで、本編では、画面下に、その色のバーがほんのりあらわれるのです。
人物の心情がダブったりする場合は、二色になります。

観て、聴いて、シェーンベルクのペレアスへの音楽理解を深めることができるという、二重の楽しみがあるんです。

アバドが好きだった、マーラーとそのあとの新ウィーン楽派の作曲家たちの音楽。

若い奏者たちとの、生き生きとした表情は、この半年後、ルツェルンとの今思えば、最後の来日での、にこやかさとともに、病後、最良のコンディションにあったのでは、と思います。

若い奏者たちは、こうしてアバドや、ブーレーズなどの名手との貴重な体験を経て、プロ・オーケストラに旅立って行きましたし、なかなかポストもないことは、洋の東西ともに同じ。
アバドと仲間たちは、卒業生を中心とした、精鋭による、マーラー・チャンバー・オーケストラをあらたに創設したのでした。

次回は、マーラー・チャンバーとアバドの演奏をたどります。

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過去記事

 アバド&GMYOのマーラー4番

 バルビローリのペレアスとメリザンド

 ベームのペレアスとメリザンド

 エッシェンバッハのペレアスとメリザンド

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2013年11月17日 (日)

シェーンベルク 「清められた夜」 バレンボイム指揮

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低気圧の去ったあとの、急激かつドラマティックな夕暮れ時を捉えることができました。

夕焼け大好き男が、そのフェイヴァヴァリット嗜好をはぐくんだのは、この場所。

実家の家の、2階にあった自分のお部屋から見た夕焼け。

かつてはなかった建物もありますし、木々が変化して、富士山の頭も見えなくなってしまったけれど、小さな街が海から北側に開ける様子を、こうして横から眺めることができます。

右手は丹沢・大山山系、左手は吾妻山です。

夕暮れ時は、窓から見えるこんな景色を眺めながら、ワルキューレのウォータンの告別や、パルシファルのラストシーン、トリスタン、マーラーの第3や第9、ボエームやトスカ、ディーリアスの儚い音楽の数々、・・・・、あげればキリがないくらいの音楽たちとともに過ごしました。
若くて、多感な日々ですが、歳を経てしまった今では、それらはノスタルジーにしか過ぎず、この場所に戻ってこれるのは年に数回のみ。
自ら選んだ道とはいえ、都会の現実の厳しい日々にさらされる毎日です。

多くの方々にも共感いただける現実ではないでしょうか。

身をおいた境遇から脱することは易くありませんが、音楽はかつての自分に近付けてくれる、なんら変わらない存在なのです。

そう思うと、音楽を聴かないという自分は想像もできないし、音楽の数々のその存在に感謝したくなるんです。

今夜は、そんなノスタルジーかきたてる、そしてあの夕焼けが、だんだん藍色の空に染まって、やがてこの西の空に金星が輝き、暗い空にまたたいてゆくのを眺めて聴いた、シェーンベルクの「浄夜」を。

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   シェーンベルク  「清められた夜」

     ダニエル・バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団

                   (1967.6@アビーロード・スタジオ、ロンドン)


後期ロマン派、濃厚な情念あふれるスウィートかつ、どこか苦みも聴いたサウンド。

全編がそんな感じの「浄夜」。

1899年の作曲、シェーンベルク25歳の若き日の作品。

わかりますよ、25歳。

だれしもあった(ある)、20代の燃え盛るような思い。

それは人生に対してであったり、仕事に対してであったり、そして恋愛に対して!

そして、年々、そんな思いはいずれも遠くになりゆき、すべてが客観的になったり・・・・。

ドイツ世紀末の詩人、リヒャルト・デーメルの詩「女と世界」のなかの同名の詩に触発されて書かれた弦楽六重奏曲が原曲で、シェーンベルク自身による弦楽合奏版の編曲の方が演奏機会が多いですね。

いまは「浄夜」という呼び名の方が一般的になったけど、わたしには、いまだにかつて呼び親しんだ「清められた夜」というタイトルが相応しく思える。

どこか古風な感じと、「静」とひた隠しにした思いと、陰なる行為の果て・・・・

  男と女が寒々とした林の中を歩んでいる。
  月がその歩みにつきそい、二人を見下ろしている。
  月は高い樫の木の梢のうえにかかっている・・・・・


原詩ですが、その彼女は、違う男の子どもをはらんでいる。
告白する女。
男はすべてを受け入れ、静かにふたり、月の光のなか歩んでゆく・・・・。

すべては月の光で清められるのでありました、なーんて。うまくいくかね?

今夜は、わたくしにとって懐かしく、カラヤンとともに、忘れ得ぬ、バレンボイムの25歳。
そう、シェーンベルクがこの曲を書いた同じ歳での録音で。

ほぼ、バレンボイムの指揮録音デビュー時の頃のものです。

ピアニストに限らず、器楽奏者が、オーケストラという大きな自分のキャンバスを得たときに、表現意欲過多となる傾向がある。
オイストラフ、ロストロポーヴィチ、アシュケナージ、エッシェンバッハなどに思い当たること。
でも、バレンボイムは、どこか違う。
そんな様相もあるけれど、最初からピアニストと別の顔として、指揮者の並々ならぬ手腕と、生まれながらの指揮者的な不敵な要素も持ち合わせていた。
イギリス室内管を指揮してスタートしたキャリア当初から、堂々たる演奏と、濃厚な表現ぶりが際立っていたように思う。

カラヤンのような綺麗な濃密さとは違い、同じ濃厚さを持ちつつも、爽やかさも持ち合わせた青年が背伸びしたような味わいを持っている。
そんな感じが、「清められた夜」には妙に相応しい。

その後のバレンボイムの歩みは、みなさまご存知のとおり。
若いころの、大人びた演奏の方が好きだな。

このレコード、「ジークフリート牧歌」とヒンデミットがカップリング。
ワーグナーが実に素敵な演奏でした。

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2013年1月31日 (木)

シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」 アバド指揮

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芝浦の運河のひとコマ。

手前は行き止まりで、納涼船やクルーザーが待機してますが、いつも気になるのは、橋梁の方が低いこと。

潮が引くと出れるんですかね。ふむ。

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  シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」

       語り:マクシミリアン・シェル

    クラウディオ・アバド指揮 ECユース・オーケストラ
                    ウィーン・ジュネス合唱団

                       (1979.8 @ザルツブルク)


1947年、アメリカ亡命時のシェーンベルクの作品。
第二次大戦後、ナチスの行った蛮事が明らかになるにつれ、ユダヤ系の多かったリベラルなアメリカでは怒りと悲しみが大きく、ユダヤの出自のシェーンベルクとて、姪がナチスに殺されたこともあり、強い憤りでもって、この作品を書くこととなりました。

クーセヴィッキー音楽財団による委嘱作でもあります。

73歳のシェーンベルクは、その前年、心臓発作を起こし命はとりとめたものの、病弱でその生もあと数年であったが、この音楽に聴く「怒りのエネルギー」は相当な力を持って、聴くわたしたちに迫ってくるものがあります。

12音技法による音楽でありますが、もうこの域に達するとぎこちなさよりは、考え抜かれた洗練さを感じさせ、頭でっかちの音楽にならずに、音が完全にドラマを表出していて寒気さえ覚えます。

ワルシャワの収容所から地下水道に逃げ込んだ男の回想に基づくドラマで、ほぼ語り、しかし時には歌うような、これもまたシュプレヒシュティンメのひとつ。
英語による明確かつ客観的な語りだが、徐々にリアルを増してきて、ナチス軍人の言葉はドイツ語によって引用される。これもまた恐怖を呼び起こす効果に満ちている。

そして、叱咤されガス室への行進を余儀なくするその時、オケの切迫感が極度に高まり、いままで無言であった人々、すなわち合唱がヘブライ語で突然歌い出す。
聖歌「イスラエルよ聞け」。
最後の数分のこの出来事は、最初聴いたときには背筋が寒くなるほどに衝撃的だった。
この劇的な効果は、効果というようなものでなく、抗いがたい運命に従わざるを得ないが、古代より続く民族の苦難に耐え抜く強さと後世の世代にかける希望を感じるのであります。

アバドのザルツブルクライブは、若い演奏家たちの熱い思いが独特の緊張感を孕んでいて感性の鋭い演奏となっております。
M・シェルの極めて劇的な語りも絶妙です。

Abbado_webern_3

後年、アバドはウィーンフィルと正式に録音しておりますが、こちらはウィーンフィルの独特の音色が不思議な雰囲気を醸し出していて、かつG・ホーニクの語りは歌い手のようで、オペラティックな様相を呈しております。
こちらも好きな演奏。

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レコード時代、大いに聴いたのがブーレーズとBBCの鋭利で冷酷な演奏。
これはすごかった。
いまだに完璧です。

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2013年1月26日 (土)

神奈川フィルハーモニー 第286回定期演奏会 下野竜也指揮

Mm201301

みなとみらい地区の一番好きな景色のひとつ。

この日は、月と雲もうまく収まりました。

あと14分で、コンサートが始まります。

いつもながらギリギリの行動は、我ながらどうにかならないものでしょうかね・・・。

Kanaphill201301

  ニコライ  「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

  ハイドン   トランペット協奏曲

           Tr:三澤 徹

  ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

    下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

            
              (2013.1.25@みなとみらいホール)


ユニークなプログラムの1月の定期。
「マーラーとその時代、爛熟のウィーン」が今シーズンのお題目で、今回の演目は、「ウィーン」に関わりある4人と、マーラー後のシェーンベルクが爛熟の世紀末ということで、きれいに収まった感があります。

下野さんならではの曲の配置に、今シーズンの目玉のひとつとして期待しておりました。
小柄だけれど、その指揮姿は安定感ありひとつもブレません。
後ろ姿を見ている私たちには安心感があり、その指揮を見つめる楽員さんたちからは信頼感がきっとあるのでしょう。
この日も、オケの皆さんは音楽に入り込んで、時に微笑みつつ、いきいきとしておられました。

楽しくセンスあふれるニコライの序曲。
いまにも幕があがりそうな、そんな雰囲気にあふれた感興満点の桂演でした。
年初めの定期演奏会の幕開きに相応しい音楽に演奏です。

首席トランペットの三澤さんが登場のハイドンの協奏曲。
神奈フィルのマーラーやシュトラウスで、輝かしいソロを聴かせてきた三澤さん、少し緊張の面持ちで、聴くこちらも緊張が伝播してしまいそう。
でもすぐにほぐれていつもの煌めくようなトランペットを響かせてくれました。
楽器一本で、ホール一杯に音を満たしてしまう、そんなトランペットっていう楽器はスゴイと同時に怖いイメージもありますが、三澤さんの音色は優しく柔和で、耳にとても優しいものでした。
奏者泣かせの緩徐楽章。いつも思うのはドイツ国歌、すなわち同じハイドンの皇帝四重奏曲に似ていること。トランペットを静かに吹くのは難しいことと実感しましたし、罪な曲とも思いましたよ。
鮮やかで爽快に曲を閉じると、まずは心温かい仲間たちからの祝福の拍手。
メンバーがソロをつとめたときに、オケのみんなの演奏ぶりと、演奏後のうれしそうな姿をみるのは毎度楽しく心温まるものです。
ホンワカ気分となりましたハイドンでしたね。

休憩後は、お楽しみのブラ・シェン。
手持ちのツェンダー盤とエッシェンバッハ盤でもって、今回はギレリスの四重奏版も加えて徹底的に聴きこんでいどんだ本番だけに、音のひとつひとつ、旋律のどれもこれもが耳に親しく馴染んでどんどん飛び込んでくる、あっという間の40分間でした。
聴きながら痛感したのはここにある明らかな世紀末の響きで、すなわちシェーンベルクのもの。
それも当時アメリカにいて12音技法も極めてしまったのちに、若い日々の後期ロマン派の響きに帰りつくといった感があって、ウェーベルンのパッサカリアを思い起こしてもしまった。
アメリカの学生や聴衆も意識して、平易な作風を心がけるようになっていたというシェーンベルクですが、遠い故国やヨーロッパを思う望郷の響きも今回の演奏に感じることができました。

とうのは、下野さんの指揮は、哀感あふれる場面で思いきりオケを歌わせ、心憎いほどに聴いてるわたしの気持ちを刺激してくれちゃうのですから。
第1楽章の第2主題は、思わずこっちも4拍子を取りたくなっちゃうほどに、感情あふれる歌い回し。
3楽章のこれぞブラームスのロマンともいうべき、いぶし銀的な優しい旋律はじっくりと、深呼吸するかのように深々と。
はちゃむちゃなジプシー・チャルダッシュの4楽章の中にも、何度も楽器間で受け継ぎながら奏でられる哀愁のメロディーのチャーミングかつ連綿たる歌わせ方。
シモノーさんの揺さぶるような指揮に応えて、楽員さんたちも、本当に気持ち良さそうに、心を込めてのめり込むようにして演奏してましたよ。

それにしても、ブラームスの原曲が持っている楽章間・楽章内の多面性、それがシェーンベルクによって鮮やかな対比でもって引き出されているのを痛感しました。
ミステリアスな冒頭部分の音列にシェーンベルクが着目したのは別稿で書いたとおりですが、それがどんどん発展・進行してゆくさまを、オーケストラによって目の当たりするのは耳と目の贅沢なご馳走でした。
しかも、神奈フィルの美音が終始満載なのですからね。
 第3楽章の中間部に打楽器高鳴る行進曲が潜んでいるなんて思いもしません。
原曲の四重奏曲ではしっくりと収まっているんだけど、シェーンベルク版では、凶暴なくらいに突出してきて、別次元に連れていかれそう。
この楽章が印象深く静かに終わったと思うと、お一人様拍手が起きてしまいました。
それほどに、この楽章がふたつに聴こえて、もう4つの楽章が終わってしまったと思われたのでしょうか。
 2楽章も奇異なまでにふわっとした存在で、マーラーの怪しげでロマンティックな楽章のように感じられる。ここではホルンと、山本さんのチェロが素敵だったことを添えておきます。
 そして終楽章では興奮しましたね。炸裂する打楽器、唸りを上げるコントラバス、嘆き節のクラリネット、華麗なヴァイオリンソロ、どれもこれもがキマリまくり!
先に書いたとおり、下野指揮の着実な煽りは、最後、見事に爆発して、わたくしは興奮の坩堝。
思わずブラボーしちゃいましたぞ!

いやはや素晴らしいコンサートをありがとうございました。

ブラームスとシェーンベルクと下野さんと素晴らしい聴き手と、そしてそして、神奈川フィルに感謝です。

ということで、毎度お馴染みアフターコンサートで、ビールと紹興酒を飲みまくるのでした。

Seiryumon1

今回もお疲れのところ、楽員、楽団からそれぞれお越しいただき、さらに新しいメンバーもお迎えして、終電コースでございました。

Seiryumon2

心地よい酔いで、終電でウトウト。

満足の1日はこうして更けゆくのでした。

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2013年1月24日 (木)

ブラームス シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲 エッシェンバッハ

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もう終わってしまいましたが、ソニービル前のモニュメント。

「愛の泉」と名うたれ、募金すると、この色が数々のバージョンに変化をします。

人が多く、奇跡的にブルーのこの色を無人で撮影できました。

明日、金曜日の晩は神奈川フィルの定期演奏会。

渋いけれど、絶対的に音楽好きを刺激する攻撃的なプログラム。

  ニコライ  「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

  ハイドン   トランペット協奏曲

           Tr:三澤 徹

  ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

    下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

             2013年1月25日 (金) 19:00 みなとみらいホール

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   ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

      クリストフ・エッシェンバッハ指揮 ヒューストン交響楽団

                       (1995.9 @ヒューストン)


本記事は、過去記事や別稿に書いたものを引用いたします。あしからず。

ブラームスピアノ四重奏曲第1番は、1861年の作品で、晦渋な雰囲気を持ち、難曲ともされ、とっつきはあまりよろしくない。

その76年後の1937年、シェーンベルクが大オーケストラ曲に編曲した。
そして曲は、ブラームスの交響曲第5番とも呼ばれるような風格溢れるユニークな作品に変貌した。

シェーンベルク(1874~1951)はブラームスやJ・シュトラウスが好きだったらしく、ブラームスを通じてモーツァルトのリリシズムや起伏あるフレーズ、切り詰められた構造、組織だった作曲技法などを学んだと言っている。
もともとブラームスが大好きで、大いに影響をうけたシェーンベルクですが、ごく初期の番号なしのまさに0番の弦楽四重奏曲は、まんまブラームスであります。

ブラームスから大いに後押しされていたツェムリンスキーと知己を得て、師と仰ぎ、やがては自分の妹がツェムリンスキーと結婚して義兄弟となるふたり。
ツェムリンスキーからは、ワーグナーとマーラーという巨星の影響も受けるが、ウェーベルンとベルクという弟子と仲間を得て、その音楽は無調からやがて12音技法へと進化していった。

ブラームスの主題の展開と導き方に関し、思わぬ斬新さに大いに着目していて、そうした若い頃からのブラームス好きがあいまって出来上がった作品。

ナチス台頭によるアメリカ亡命後、寒い東海岸で病をえてしまい、西海岸ロサンゼルスに移動。
1937年、当時ロサンゼルスフィルの指揮者だったクレンペラーの勧めもあってこの曲の編曲に踏み切ったわけで、当然にクレンペラーが初演者であります。

この曲の解説には必ず出てくるシェーンベルクの言葉がこちら。

①「この作品が好きだった」

②「この曲があまり演奏されない」

③「たまに演奏されたとしても、あまりよくない演奏ばかり。よいピアニストほど、大きく鳴らしてしまうので、あなた方には弦が聞こえなくなってしまう。   一度そのすべてをわたしは聞いてみたい。ゆえに、挑戦したのだ。」

②と③については、いまやそんな思いはないのではないでしょうか・・・・。

冒頭の上下するト短調の第一主題のほの暗さと斬新な音の運びにシェーンベルクは着目していて、この冒頭を、木管のミステリアスな出だしで開始し、それが弦に広がり、徐々に分厚いサウンドに展開してゆくさまを、ブラームスの語法でもって完璧に再現している。

この動機の反転ともいうべき音の配列の例は、シェーンベルクを始めとする新ウィーン楽派たちも好んで採用しており、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲、ベルクのヴァイオリン協奏曲、ルルなどにも伺うことができる。

シェーンベルクは、ブラームスのスタイルにしっかりと固執しつつ、ブラームスがいまその時代にあったならばしたであろうやり口でもって再現したと自信を持ちつつ確信しています。

その後に生まれるブラームスの交響曲第1番の前に、そのブラームスは、もう交響曲の萌芽をここに生み出していて、ベートーヴェンの10番とも言われた第1交響曲の作曲者のこのピアノ四重奏曲は、シェーンベルクによって、ブラームスの第5交響曲として現出されたのであります。

4つの楽章のしっかりとした構成感。
一方で、悲劇的な要素へ傾き、それを打破せんとする決然とした勇猛感。
神秘的なまでの抒情と最後の民族的な異国感あふれる大爆発。

ブラームスのオリジナルのこれらの要素は、シェーンベルクによってしっかりとオーケストラの中に取り込まれ、倍増もされていて耳に斬新かつ圧巻。 

ブラームスの作品にはあきらかにない響きは、輝かしい金官、とくにトランペット。
グロッケンシュピール、スネアドラム、バスドラム、シンバルなどなどの打楽器の数々。
あまりにブラームス的なおおらかな3楽章の間に挟まれた行進曲と、終楽章のハンガリーのリズムが交錯し、クラリネットや弦のソロたちが最後に哀愁あふれるハンガリーを表出したかと思ったら、激しく舞い踊るようにしてダイナミックな終結を迎えるのです。

新ウィーン楽派の音楽を思いのほか好んで演奏、録音しているエッシェンバッハ。
ピアニストとしてもブラームスの元の曲を弾いて極めた結果として、このシェーンベルク版に取り組んでいるわけで、悠揚せまらぬ堂々たるブラームスを聴かせると同時に、打楽器のギラギラとした響きがいびつに感じるくらいに、異様なるシェーンベルクサウンドも同時に鳴らしつくしているところが、いかにもこの指揮者らしいところ。
3楽章の入念な歌いぶりも聴き応えあり、終楽章のチャールダッシュでは激しい興奮を味わえます。

神奈川フィルの美音で聴くことのできる明日の演奏会。
楽しみでなりませぬ。

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2013年1月23日 (水)

新ウィーン楽派による「J・シュトラウス」

Akabane1

ちょっと華やか、でもこの駅前を発し、ちょっと行くと、そこそこの場末感としみじみとした庶民感覚がしっかりと味わえる、ここは北区赤羽。

最近、お気に入りの街です。

広くはないけど、ぜんぶあり、ぜんぶ心地よく人懐こい。

Akabane2

よく見れば、AKABANE、軽くうかがえばAKB。

ナイスじゃございませぬか。

今日は、シェーンベルクを中心とする新ウィーン楽派の面々による、ウィーンの彼らのちょっと前のトレンド、先達のJ・シュトラウスのワルツの編曲バージョン作品を。

神奈川フィルの定期公演の演目のお勉強の流れで。

  ニコライ  「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

  ハイドン   トランペット協奏曲

           Tr:三澤 徹

  ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

    下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

 2013年1月25日 (金) 19:00 みなとみらいホール

Strauss_schoenberg

  J・シュトラウス 「皇帝円舞曲」 シェーンベルク編曲

            「南国のばら」  シェーンベルク編曲

            「酒、女、歌」   アルバン・ベルク編曲

            「宝石のワルツ」 ウェーベルン編曲

      ボストン交響楽団 室内アンサンブル

                      (1978 ボストン)


あまりに有名な喜遊感たっぷりのウィンナ・ワルツの名曲の数々は、わたしたち日本人には、NHKが放送してくれるきらびやかな黄金のムジークフェラインでの映像とともに、甘く切ない休日音楽としてすりこまれ、認識されているかと思います。

そのワルツを、約40年ほど活躍期があとのウィーンの次ぎの世代がサロン風な親密な音楽にしたてあげたのがこれらの編曲バージョン。

シェーンベルクはアマチュアから発し、ツェムリンスキーの強力な後押しを経て、「浄夜」や「グレの歌」で成功を勝ち得たものの、ウィーンではなにかとユダヤの出自が足を引っ張るものとなった。
真正ユダヤ教も隠し、プロテスタントしてふるまいつつも、かくなる不遇。

一方で、ベルリンではキャバレー・ソングで小金を稼ぐこともしたが、でもやがてRシュトラウスに認められたりして、音楽界の中央に出るようになり、私的な音楽レッスンで知り合ったウェーベルンとベルクとは完全に意気投合し師弟の間柄となる。
1904年のことだが、彼らの連動作業は、1920年代、J・シュトラウスのワルツの室内楽化で三者三様の成果をもたらすこととなりました。

さらにそれぞれ、弟子は先生の作品を、先生はバッハやブラームスといった偉大なドイツの先達を、ウェーベルンはさらにバッハを極め、ベルクは同時代のシュレーカーを、といった具合に各自が驚きの編曲の成果を出しているところが、この新ウィーン楽派の類い稀な存在であります。

上記のように、この音盤に収められたそれぞれは、J・シュトラウスの原曲が1880~90年代ということで、彼らの編曲バージョンとは30~40年ほど経た頃あいのもの。
第一次大戦後、次の戦争前のある意味怪しい爛熟期にあり、マーラー後、シェーンベルクと一派たちは無調から12音へと変転の頃。
日本は、大正時代の上向き文化吸収時代でありました。

3人の個性は、さほど明確ではありませんが、ピアノやアルモニウム、打楽器の多用が目立ち、妙に不安感をつのるのがシェーンベルク編。
優しくマイルドで、原作に響きが忠実、かつロマンティックなベルク版。
室内楽的で精緻な細やかさを持ち繊細かつ透明感あふれるウェーベルン。

当時のコンマス。シルヴァーシュタインが中心のベラボーにうまいボストン響のアンサンブルのこの演奏は、まったく素晴らしくって、味わいと機能性とにかけてません。
DGの名作のひとつです。

あとアルバン・ベルクSQがこれらに自在な演奏を残してますが、それはまた別の機会に。

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2012年9月 6日 (木)

シェーンベルク 管弦楽のための変奏曲 ブーレーズ指揮

Rainbowbridge_1

いならぶコンテナを臨むことができるレインボーブリッジからの眺め。

田町、浜松町方面、東京タワーも。

Rainbowbridge_2

東京湾の対岸に目を転ずれば、高層マンションの間からスカイツリー。

東南アジアか中国のどっかの都市みたいだ。

Scoenberg_boulez

シェーンベルク 管弦楽のための変奏曲

 
 ピエール・ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団

 (1991.12@シカゴ)


後期ロマン派、表現主義から無調、そして次ぎに来る12音技法。
1928年、フルトヴェングラーとベルリン・フィルによって初演された「管弦楽のための変奏曲」は、オーケストラによって初めて書かれた12音技法作品。

この技法の少しばかりしかめっ面をしたシビアな音楽を、かのフルトヴェングラーが初演しているところが面白い。
そして、ちなみに日本初演は1974年の朝比奈隆と大阪フィルによるもの。
こちらもまた面白い。

オクターブ内の12音を均等に使用する技法。
音列(セリー)の原型とその展開系を上げたり下げたりの組み合わせ。
それらが変奏として展開してゆくのであるが、9つの変奏をそれぞれに分析して、理解してゆくのは、わたしごときには至難の技であります。

室内楽的なソロの活躍する場面と、フルオケが鳴り響く場面、それらが交互に変転してゆく音楽に、素直に身を任せて聴き入るのみ。
 それでも、主題の部分の原型音列を耳に入れておくと、各変奏にその変化形がちょろちょろと確認することができて、なんとなくわかったような気分になります。
そして、変奏部分が終り、最後の長めの終曲では、明快に主題原型が力強く登場してくるので、完結感もある12音全鳴らしの結末を迎える。

よく出来てるし、理論先行の頭でっかちに陥っておらず、音楽がまだしっかりあるところがよい。バッハのカノンも見受けられるのでよけいにそう感じる。

12音技法の創設者であるシェーンベルクには、まだ音に色があり、弟子のウェーベルンになると、無色で無音の静寂が、ベルクには歌と熱が。
それぞれに違うイメージを持ってる新ウィーン楽派たちの12音。

Schoenberg_boulez

新旧ブーレーズ盤を聴いてます。

新シカゴ盤は、奏者の腕前の鋭さが目立ち、オケの全奏となると圧倒的な威力を発揮。
それを司るブーレーズの指揮ぶりも精緻そのもので、かつ明快・明晰。

対するBBC響は、70年代のブーレーズの切れ味の鋭さがビンビン響いてくる演奏。
エッジは強く、かつ音塊は熱い。音符に力を感じる。
BBCの無機質ぶりもよし。

実は、BBCの方が好きだな。

あと、超絶素晴らしいのが、ミトプーこと、ミトロプーロスとベルリンフィルの冷徹極まりないオカルト的な演奏。

そして、神奈川フィルでは、次週から2定期連続でウェーベルンが聴けます。
新ウィーン楽派の音楽のライブは、なかなか聴く機会もありません。
横浜へ是非!

  ウェーベルン  オーケストラのための6つの小品

  R・シュトラウス ホルン協奏曲第2番

       Hr:プシェミスル・ヴォイタ

  ブラームス   交響曲第2番
   
       伊藤 翔 指揮 神奈川フィルハモニー管弦楽団

  2012年 9月15日(土) 14:00 みなとみらいホール


明日も、新ウィーン楽派いきます。

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2011年9月13日 (火)

シェーンベルク 「清められた夜」 カラヤン指揮

Hills_4

昨日は中秋の名月。

そして1日あとの、ほぼ満月の今日13日の「月と東京タワー」です。

毎度お馴染みバカチョンカメラの解像度の低さには悲しいものがありますが・・・・。

Hills_2

ずっと引いて、遠望を。

こちらは、六本木ヒルズからの眺めです。

仕事を終え、散歩がてらに行ってきました。

月を見とれる若い男女も多かったです。

Schoenberg_karajan_2

月夜の晩に、シェーンベルク

そうくれば、「月に浮かれたピエロ(ピエロ・リュネール)」ということになりがちですが、ずっと若いころの、ロマンテック極まりない、いわば男女のちょいとエロい音楽ともいうべきが、清められた夜=浄夜

過去2度、記事にしてますが、それ以上語ることはありません。

要約すると、デーメルの官能的な詞は、違う男の子を宿してしまった男女の不合理かつ、生れ出ずる子供主体の前向きかつ、男子歩み寄りの物語。
そしてその音楽は、ワーグナーの影響、いまだ多大だった中、トリスタンの持つ官能的な側面のみを浮き彫りにしてしまった感あり、濃厚な後期ロマン派の典型的な響き。

そして、このような音楽を指揮しては、ピカイチ的な指揮者が、その分野にやや遅れて参入したカラヤン。
新ウィーン楽派やマーラーには、70年代を少し経てから本格的に取り組んだカラヤン。
むしろ、お得意のプッチーニから、逆アプローチしたかのような歌謡性と旋律線のかっこよさの追及から成り立ったジャンルなのではないかと思ったりしている。
プッチーニは、マーラーやR・シュトラウス、ウィーン楽派の作曲家たちと同世代だし、豊穣で巧妙なオーケストレーションは、究極の美を誇っているのだから・・・。

それにしても、カラヤン指揮するベルリン・フィルのある意味行き着いてしまった究極の機能美は、こうした曲では青白くうねるような怪しい炎のように感じるまでに、官能美に達している。
炎は、赤や朱に燃えるよりも、青白く燃える方が熱く、そして不純物なくクリーンなのです。

以前の記事にも書きましたとおり、この妖しい音楽は、「トリスタンとイゾルデ」を得意にする指揮者にとっても同様、素晴らしい演奏を残しております。
カラヤン、ブーレーズ、バレンボイム、メータ、サロネン、そしてきっと亡き若杉さん。
わたし的には、アバドにも是非残しておいて欲しい曲目。
それから、日本のオケでは、なんといっても美味なる神奈川フィルの弦楽セクションにて!

  男と女が寒々とした林の中を歩んでいる。

  月がその歩みにつきそい、二人を見下ろしている。

  月は高い樫の木の梢のうえにかかっている・・・・・。


1899年、19世紀もそれこそ終焉の年の作品。
日本は明治32年。
幕末の系譜、勝海舟が亡くなり、清国に数年前に勝ち、国際社会に顔を出し始め、数年後の日露戦争を控えていた時分。

そんな風に思うと、日本における西洋音楽はかなり後発だし、ヨーロッパでの音楽の進化は、感覚の域まで達していた訳なんです。
ちなみに、マーラーは第4交響曲まで手掛けております。

満月に思う、あれこれ。

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2011年6月26日 (日)

シェーンベルク 「グレの歌」 アバド指揮

Daikanyama_flower

今日、6月26日は、敬愛するクラウディオ・アバドの78回目の誕生日ですgood

病に倒れながらも、音楽への不屈の愛情でもって、復活を遂げてきたアバド。
気どらず、謙虚で無欲な姿勢はずっと変わらず。
誰もがうらやむ大きなポストにしがみ付くことなど一切せず(誰かと大違い)、あっさり投げだしてしまい、若者たちとの共演や指導に心血をそそぐマエストロ。
大巨匠と呼ぶに相応しいけれど、そんな言葉が似合わない、アニキのようなクラウディオ。
いつもニコニコしてます。

アバドのファンになって、これで39年。
無為に歳を経てしまった私に比べ、どんどん進化して高みに昇ってゆくかのようなマエストロ。
「大地の歌」や「ライン」、ショスタコーヴィチなどへの果敢な取り組みも継続中。
羨ましいくらいの若さ、いや、それは私などの元気不足の中高年には、見習わなくてはならないクラウディオの気力の高さでございます!

Schoenberg_gurre_lieder_abbado

マエストロ・アバドの誕生日に選んだ音楽は、シェーンベルク「グレの歌」。

広大なレパートリーのアバドが得意とするところを羅列すると。

ドイツ・オーストリア系の古典・ロマン派、ロッシーニ・ヴェルディとワーグナーのオペラ、ブルックナーとマーラー、新ウィーン楽派、ムソルグスキー中心のロシアもの、現代もの。

こんな感じでしょうか。

なかでも、若い頃からずっと指揮し続けているのが、マーラーと新ウィーン楽派の音楽ではないでしょうか。
マーラー、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク。
ツェムリンスキーをやってくれないけれど、世紀末を彩るこの流れは、わたくしも最も好む音楽エリアでございます。

アバドが「グレの歌」を取り上げたのは、1988年。
ECユースオケとマーラー・オケの混成という若者オケを振ってのもので、FM放送もされました。
そして、そのあと、92年にウィーンで演奏。
この曲にとって待望のオーケストラ、ウィーンフィルを指揮してのライブ録音の登場は、白日のもとに晒されたかのような明晰なブーレーズ盤ぐらいしか知らなかった私にとって、大いなる歓びだった。
潤いとしなやかな歌と、ウィーンフィルならではの甘い響きにあふれたこの演奏に、身も心もすっかり夢中になってしまったのでした。

 ヴァルデマール:ジークフリート・イェルザレム トーヴェ:シャロン・スウィート
 山鳩  :マリヤナ・リポヴシェク    農夫:ハルトムート・ウェルカー
 道化クラウス:フィリップ・ラングリッジ 語り:バルバラ・スコーヴァ 

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                    ウィーン国立歌劇場合唱団
                   アルノルト・シェーンベルク合唱団
                   スロヴァキアフィルハーモニー合唱団
                  (1992.5 @ウィーン・ムジークフェライン)


以前の記事から引用。

>そのまんま「ワーグナー」である。
第1部のヴァルデマール王と乙女トーヴェの愛の二重唱は、トリスタンそのものの官能の世界。
テノールとソプラノで交互に歌われる9つの歌は、ツェムリンスキーの抒情交響曲との類似性も見られる。
山鳩が王の妻の嫉妬で、トーヴェが殺されたことを歌う。
鳥の登場は、ジークフリートの世界。

第2部は短いが、王の恨み辛みのモノローグ。

そして第3部は、怒りで荒れ狂う王の狩の様子。これはまさにワルキューレ。
そして王に付き従う道化は、性格テノールによって歌われるとミーメそのもの。
最後は、シェーンベルク独特のシュプレヒゲザンク(語り)により、明るさがよみがえり、光り輝く生命の始まりが語られると大合唱による大団円となる。<


後期ロマン派最後の輝きともいえる濃厚な世紀末ムード。
大規模きわまりない大オーケストラは、その作曲のために、48段の楽譜を必要としたともいわれる。
デンマークの詩人、ヤコプセンの原作の独訳がベース。
1900年に取り掛かり、翌年に半ば完成。この頃の作品は、浄夜とペレアス。
長い中断を経て完全に出来あがったのは、1911年のことで、その頃はもう作風が変わっていたはずだが、濃厚ムードを変えることなく、調性ありの豊満サウンドを作りあげた。
初演は、フランツ・シュレーカー

2時間近くの大曲は、聴くほどに快感と満足感を覚える。
そして、ワーグナー以降のオペラのひとつともとれるので、ツェムリンスキーやシュレーカーのオペラ作品にも通じるロマンテックかつ、痺れるような甘味さも。
ヘルデンテノールが大活躍するので、テノール好きにもたまらない。

イェルザレムのヴァルデマールは、ブーレーズ盤のトーマスとともに、最高の出来栄え。
ヒロイックで悲壮感あふれるこの役柄をしっかり歌い込んでいるが、どこかクールで醒めたところがいい。。
それと好対照の性格テノールの道化役は、アバドお気に入りのラングリッジ。
光ってます。ラングリッジは、亡くなってしまったのですね。
トーヴェのスウィート、山鳩のリポヴシェク、農夫のウェルカー、いずれもワーグナー歌手ながら度を越した歌い過ぎもなく、何度も聴くに適度な歌唱かもしれない。
合唱の精度も高く、混成部隊とは思えない。
当初、違和感を感じたスコーヴァの語り。
シュプレヒ・ゲザンクの語りは、男声によるものが大半で、それに慣れた耳には、女声版は、少しキンキンと響きすぎて、辛いものがあった。
でも、慣れてしまえば、いや、よく聴けば、これほどに微に入り細に入り、細やかな語りを聴かされてしまうと、その説得力の方が違和感に勝るというもの。
どこかイってしまったかのような感じで始まるが、演劇性の高いスコーヴァの語りは段々と熱を帯びて、そして浄化してゆくのがよくわかるようになった。
 その語りのあとに訪れる混成8部による大讃歌の解放感と煌めきが、とても活きて聴こえる!

これら豪華布陣を統括するアバド。
音量のレベルの幅がやたらと大きく、それらが明快で、強大なフォルテも澄んでいるし、最弱のピアニシモの美しさもアバドならでは。
 冒頭の前奏曲、絡み合う木管と弦、そして柔らかなトランペット。
この出だしがとんでもなく好き。
ウィーンフィルの魅力が早くも満載の場面で、抑制の効いたアバドの知的な指揮が光る。
そのあと続く、濃厚な二重唱の背景も同様に、アバドはオケを抑え気味に、響きの美しさに注力して、そう、アバドのユニークな新時代のワーグナー演奏のように明晰な歌を信条とする音楽となっている。
いくつかあるオーケストラによる間奏や前奏もシビレルほどに美しい。

 いまに至るまで、単独で何度も取りあげている「山鳩の歌」は、淡々としたなかに鎮魂の哀歌と怒りがみなぎるが、アバドの演奏では、ここにマーラーを感じることもできる。

そして、最後の大団円。
徐々にクレッシェンドしていって、眩しいくらいに高揚するさまが、最高に素晴らしい。

  仰げ 太陽を 天涯に美しき色ありて、東に朝訪れたり。

  夜の暗き流れを出でて 陽は微笑みつつ昇る

  彼の明るき額より 光の髪は輝けり!


夜が主体の物語が、最終で一転、輝かしい太陽の朝となる。
いまの気分にぴったりの明るい未来あふれる結末を、アバドは素晴らしく演出してくれました。

過去記事

  「ブーレーズとBBC交響楽団のCD」

 「俊友会演奏会」

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