カテゴリー「レクイエム」の記事

2022年4月30日 (土)

フォーレ レクイエム A・ディヴィス

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桜満開のときの小田原城。

ライトアップされた城と桜を見てきました。

Odawara-3

高校時代を小田原で過ごしたけれど、お城に登城したのはほんの数回。
むしろ幼稚園や小学校の時の方がよく行っていた。
学校が終わると、音楽が早く聴きたくてお家にまっしぐらだった。

Odawara-4

いまや、観光地となった小田原だし、箱根の玄関口として訪れる方もたくさん。

小田原といえば、みなさん海鮮やおでんということになりますが、たしかにそれらは美味しいけれど、城下町グルメはういろうという和菓子とあじの干物に、かまぼこ。
あと、自分の思い出はレトロな昭和のデパートと喫茶店、そこで食べたホットドッグ。
そして「名曲堂」という名のレコード店。
レコードは名曲堂と、ナックというショッピングセンターにあったレコード店。

フォーレレクイエム

これほどに優しく、心の空白感や喪失感をなだめてくれる音楽はない。
と同時に哀しくないときも、心の平安を呼び覚ましてくれる音楽。

フォーレの音楽は、多くは室内楽作品やピアノ、歌曲などに佳作が多いが、いわゆるフランス音楽的なエスプリとともに、どこか没頭感のある陶酔してしまうようなパッションのようなものも感じる。
フランスはラテンなのだ。

昨今のフランスという国をみているとつくづくと思う。
植民地統治の名残から他民族国家でもありつつ、熱いパッションは変わらない。

一方で、何年か前にノートルダム寺院が火災にあったとき、フランスの人々の悲しみや喪失感を見たときに、カトリック教徒としての熱き信仰心あふれる姿も見ました。
真摯な祈りが基調の音楽は遠くルネサンス期からバロック期までさかのぼり、営々としていまにいたるまで優美ななかに感じ取ることもできると思います。

滋味にあふれるフォーレ独特の陶酔感があふれるレクイエム。

人が無意味に亡くなりすぎる悲しみの連鎖。

フォーレを無性に聴きたくなり、ニュートラルで優しいアンドリュー・デイヴィスの若き頃の演奏で聴く。

Faure-requiem-davis

  フォーレ レクイエム

    S:ルチア・ポップ

    Br:ジークムント・ニムスゲルン

 アンドリュー・デイヴィス指揮 フィルハーモニア管弦楽団
                アンブロージアンシンガーズ

       (1977.7 @オール・セインツ教会)
  ※ジャケット画像は借り物です

いまや、英国音楽界の重鎮となったサー・アンドリュー。
指揮活動も50周年を数年前に迎え、コンサートとオペラに味わいのある演奏をいくつも残してます。
地味な印象が先行しがちですが、はったりのない誠実な演奏が、作品の本質を素直に引き出し、大いなる感銘を与えることもしばしです。
昨今の英国音楽の貴重な録音の数々は、ヒコックスやハンドレー、B・トムソン亡きあと、貴重な存在であるとしかいえません。
英国人ではないですが、現BBC響の指揮者としてその任期も延長したサカリ・オラモ、ブラビンス、ウィッグルワース、ジョン・ウィルソンらとともに私の信頼する英国音楽の担い手であります。

ことさらに、多くを語らず、優しい語り口でそっと素直につぶやいてみたような演奏。
イギリスのオケと合唱であることも多弁にならずにいい。
このコンビで、数年前にはデュリュフレのレクイエムの名演も録音している。

のちに、ウォータン歌手となりニムスゲルンも、ここではアクの強さは控えめに、柔らかな歌唱に徹していて好感が持てる。
あとなんといっても、ルチア・ポップの楚々たる、ほどよき甘き歌い口。
ポップの声が大好きな自分にとって、まさに天国からの歌声に聴こえる・・・・

前にも書いたが、人は死ぬ時に、麻薬の症状にも似た、体を麻痺そして高揚させる何かを分泌するとかいうことを読んだことがある。
美しく平安に満ちて亡くなるご尊顔が多い。
神様がすべてを解き放つように仕向けてくれるのだろうか。

フォーレの美しすぎるレクイエム。

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あざといぐらいの色合いのイルミネーションで城門もあでやか。

でも桜は、こんなふうに鮮やかに脚色しても美しい。

Odawara-1

何十年かぶりに、子供時代、青年時代を過ごしたエリアで暮らすようになった日々。

思い出の連鎖はやはりとどめようがない。

さまよえる自分はここにとどまり、終止符を打つのだろうか・・・・

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2019年4月 7日 (日)

モーツァルト レクイエム ハンニガン指揮

Azuma-02

先週の吾妻山。
まだまだ、桜のつぼみは固くて、数輪がほころんでいただけ。
今頃は、きっと5分咲きぐらいかな。

ネットでミュンヘンフィルの演奏会を鑑賞したので、そちらを記事にしてみます。

指揮は、最近、レパートリーを広げつつある、指揮もするソプラノ、バーバラ・ハンニガン。

Mpo  

  シェーンベルク 「地上の平和」

  ベルク     ヴァイオリン協奏曲
           ~ある少女の思い出に~

       Vn:クリスティアン・テツラフ

  モーツァルト  レクイエム

    S:エリザベス・カラーニ Ms:トゥーリ・デデ
    T:トーマス・エルヴィン Br:エリック・ロセニウス

  バーバラ・ハンニガン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
               ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団

           (2019.3.9 ガスタイク、ミュンヘン)

近現代ものを歌う、特異なソプラノ、いや、それも超ド級のテクニックと涼やかで、超クールな美声の持ち主、というイメージのハンニガン。
「ルル」と「グラン・マカーブル」の印象もものすごく強くて、その迫真の演技もすさまじいし、その身体能力もまったく驚きの彼女。

歌いながら指揮もし、指揮ながら歌う。
そんな指揮者としての彼女の、指揮者としての歌わない演奏会。

プログラミングが素敵すぎる。
シェーンベルクの合唱曲に、得意とするベルクの作品、そして自らは歌わないモーツァルトの彼岸のレクイエム。
レクイエムまたは、永遠といったテーマが貫かれてます。

透明感にあふれたシェーンベルクに、怜悧ななかにも、雄弁さを感じさせるテツラフのソロが素晴らしいベルク。
ベルクにおいては、オーケストラはさほどに個性的ではないけれど、終楽章の美しさと和声の響かせ方はなかなかのもの。

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指揮棒を持たずに、しなやかに指揮をするハンニガン。
動画でも多く見れますが、その指揮姿はかなりまっとうで、拍子を取りつつ、片手はしっかり音楽表現を振り分けていて、指揮者としてのその才覚は、大いに納得できるものです。

演奏時間45分ぐらいで、快速モツレクといっていい。
しかし、単なる無味乾燥なテンポの速さだけではなく、ヴィブラートを極力排した見通しの良さから浮かびあがってくる、磨きあげられた音ひとつひとつの光とその影の陰影の強さ。
かなりの集中力と緊張感の表出、音楽への踏み込みと強さとその意思を感じました。
そして、際立つリズムのよさと、明解さ。
アクセントも効きすぎるくらいに効いて、聴きなれたモツレクが極めて新鮮に聴こえました。

そして、面白いのは、後半のジェスマイヤーの手による部分。
ここでは、思い切りメリハリをつけて、繰り返しのマンネリ化を感じさせないように、一気呵成な感じ。
でもかえって、後半の霊感のなさが浮き彫りにされてしまうことも・・

しかし、素敵な指揮ぶりだな、バーバラさん。

Hannigan

彼女は、今度は、ストラヴィンスキーの「レイクス・プログレス」の集中して取り組んでます。
音楽の選択肢が、これまでの女性指揮者にはなかったものだ。

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女性指揮者の活躍が目立ってきた。

ポストを持って、世界を駆け巡る女性指揮者は、これまで数えるほどしかいなかったが、ここ数年は個性的な指揮者も続々登場し、活躍の場も広がっている。
ベテランのお馴染みの女性指揮者と、ハンニガンをのぞく、活躍中の彼女たちを集めてみました。

①イヴ・クウェラー(米)シュトラウスの「グンドラム」をはじめ、オペラ指揮者として成功
②マリン・オールソップ(米) 南北アメリカにポストを持ち、ロンドンでも大活躍、CD多し、取り上げる作品も有名どころから渋いところまで網羅。
③シモーネ・ヤング(豪) 母国とドイツでオペラ指揮者 リング、ブルックナー全曲を初録音した女性 ハンブルクオペラの音楽監督は画期的。
④スサンナ・マルッキ(フィンランド)オペラにたけ、ヘルンシンキフィルの首席指揮者に
⑤アロンドラ・デ・ラ・パーラ(メキシコ) 母国やアメリカから飛び出し、豪のクィーンズランド響の音楽監督へ
⑥エマニュエル・アイム(仏) クリスティ門下 バロック、古楽の指揮者
⑦アヌ・タリ(フィンランド)パヌラ門下 妹とともに自身でオケを創設
⑧ミルガ・グラジニーテ=ティーラ(リトアニア) ネルソンスのあとのバーミンガム市響の指揮者 DGの専属に 彼女は海外配信で一番多く聴いてる。プログラミングも知的だし、音楽の鮮度は抜群。
⑨カリーナ・カネラキス(米) オランダ放送フィル首席に ここ数年Promsで聴いてきたが、オーソドックななかに光るものが
⑩ソフィ・イェアンニン(スゥエーデン) メゾソプラノで、BBCシンガーズの指揮者 バロックから近現代まで、彼女の今後に注目したい
⑪Xian Zhang シャン・ジャン(中国)ミラノのヴェルディ響、NYPOの副指揮者を経てニュージャージー響の音楽監督
⑫Elim Chan エリム・チャン(香港) ハイティンクに師事 スコテッシュ管の首席客演、今年からアントワープ響の音楽監督
ベアトリーチェ・ヴェネッツィ(伊) ヴェルディ音楽院卒 プッチーニ音楽祭首席客演指揮者 オペラに強し プッチーニCD登場予定
オクサーナ・リニフ(ウクライナ) オペラの叩き上げ、グラーツ歌劇場の音楽監督に
ヨアナ・マルヴィッツ(独)ピアニスト 指揮はハノーファーから出発して、いまやニュルンベルク歌劇場の音楽監督に

日本
松尾葉子、三ツ橋教子、西村智実、田中裕子、斎藤友香理、藤本亜希子

以外と知らない、そして聴いたことが少ない日本人女性指揮者たち。
国内で長く活躍する人に加え、海外で活躍中の指揮者たちも増えてきた。
世界の彼女たちも含め、日本のオケもポストを設けて欲しいとも思います。
そして、われわれ聴き手も変わらなくては。
 
Azumayama-05

相模湾と富士、かすかに残った菜の花、で、いまは満開の桜。です。

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2018年8月19日 (日)

ディーリアス レクイエム M・デイヴィス指揮

Cosmos

夏も終盤。

お盆には、いつものように故郷へ帰り、いつもの吾妻山に朝早く登ってきました。

異常な暑さにみまわれたせいか、今年は、早くもコスモスの見頃は終わってました。

季節のサイクルが壊れている。

焦燥にもにた思いを本来、癒しを求めるはずの自然に接して覚えてしまう。

人間にできることはなんだろう・・・

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     ディーリアス   レクイエム

        S:ヘザー・ハーパー
        Br:ジョン・シャーリー=クヮーク

   メレディス・デイヴィス指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
                     ロイヤル・コラール・ソサエティ

                 (1968.2 キングスウェイホール)


「大戦で散ったすべての若い芸術家の霊に捧げて」
ディーリアス(1862~1934)にもレクイエムはあります。
しかし、無神論者であったディーリアスの残したものだから、キリスト者からは、「異端のレクイエム」と呼ばれたりして、かのビーチャムでさえも、この作品を演奏しようとは思わなかったといいます。

「人生のミサ」では、ニーチェをテクストとしたように、このレクイエムは、旧約聖書の伝道の書や、シェイクスピア、そしてニーチェの書からも採られた、とてもユニークな作品となっている。
アンチ・クリスチャンだったディーリアス。
ディーリアスは、いわゆる宗教上の神という概念を超え、自然を愛しぬいたがゆえの汎神論的な想いをもっていたものと思う。

ディーリアスの音楽には、自然の美しさ、自然と人間、動物たちとの共生、人生における別れの哀しみや存在の虚しさ、過ぎた日々や去ったものへの望郷、などをそのたゆたうような流れの中に常に感じる。
こうして、半世紀あまりもディーリアスの音楽を聴いてきたが、一時たりと、その音楽の本質を掴んだこともないようにも思う。
それがディーリアスの音楽なのかもしれない。
いつの間にか、寄り添うようにして存在してくれている。

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5つの章からなるレクイエム。
さらに大きく分けると、第1部と第2部のふたつ。
第1部前半は、バリトンが虚しさを説き、合唱は静かな荘重たる葬送的な場面で応えるが、後半は、エキゾティックな激しいやりとりとなる。
女声は、ハレルヤ、男声は、アッラーを唱える。
来世は否定され、いまある現世を享受せよ。

うってかわって、第2部は、哀しみをともなった抒情的な田園ラプソディー。
この作品の白眉的な場面で、静謐な美しさと輝きあふれた音楽。
バリトンが、最愛の人をたたえ、ソプラノもそれに応え彼の名誉を称える。
やがて、雪の残る山や木、冬の眠りから目覚める自然を歌い継いでゆき、やがて来る春の芽吹きを眩しく表出。
ふたたび、自然は巡り、やってくる春を寿いで、曲は静かに終わる。

死者を悼むレクイエムからしたら、まさに異質。
でも、巡り来る自然に、人生の機微を見たディーリアスの優しい目線、そして、第一次大戦で亡くなった若き芸術家たちへ捧げたディーリアスの想いを、ここに感じることで、慰めと癒しの音楽となるのです。

 Everything on earth will return again, ever return again

  Springtime. Summer, Autumn and Winter, and them comes

  Springtime, Springtime!


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以前にヒコックスの追悼で取り上げた、ヒコックス盤は、「人生のミサ」とのカップリングで、なおかつ録音も素晴らしいが、本日のメレディス・デイヴィス盤は、今でこそ、録音が古めかしく感じるものの、懐かしさ誘う、その全体の響きは、ハーパーとクヮークのジェントルな歌唱とともに、レコードで長らく親しんだものだけに、耳への刷り込みとなっている。
カップリングのこれまた泣けるほどに哀しい「田園詩曲」もともに美しい演奏。

Cosmos1

ノスタルジー誘う、我が育ちの街の景色。

相模湾に箱根の山。

Cosmos2

夏は富士山も隠れてしまいます。

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2018年6月 9日 (土)

ブラームス ドイツ・レクイエム シュナイト指揮

Hibiya_1

日比谷公園の中庭。

色濃い新緑が美しく、今年、早かった紫陽花も、この品種はちょうど見ごろ。

日本が梅雨に入る前、5月28日、ハンス=マルティン・シュナイトさんが亡くなりました。

享年87歳。

2009年に引退してドイツで静かにお過ごしだった。

神奈川フィルの音楽監督としてのシュナイトさんをたくさん聴くことができたことは、私の音楽生活のなかでも、とりわけ大きなものを占めるものです。

その神奈川フィルとの音源は、また機会をあらめて取り上げることとして、今回は追悼の気持ちをこめて、ドイツ・レクイエムを。

Brahms_deutsches_requiem_schneidt_2  Brahms_deutsches_requiem_schneidt_3

  ブラームス  「ドイツ・レクイエム」 op.45

      S:平松 英子    Br:河野 克典

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
            コンサート・マスター:荒井 英治

                     (1999.10.28 東京芸術劇場)

   S:平松 英子    Br:トーマス・バウアー

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                        シュナイト・バッハ合唱団
            コンサート・マスター:石田 泰尚
            協力:神奈川フィルハーモニー

                     (2008.4.25 東京オペラシティ)


ふたつのシュナイトさんのドイツレクイエム。
このうち、2008年の演奏会は、私も聴きました。
さらに、2007年の神奈川フィルの定期演奏会における、この曲の演奏会も聴くことが出来ました。

1997年に、東京フィルハーモニーのメンバーと協力のもと、設立されたシュナイト・バッハ管弦楽団。
毎年、日本にやってきて、この楽団と、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンと、独墺系の声楽作品を指揮。
 同時に、神奈川フィルへの客演も2001年頃からスタートさせ、年間2プログラムを指揮。そして、2007年から9年までは、音楽監督として在任。
思えば、音楽監督時代の3年間しか、私は聴くことができなかった。
もったいないことをしたものです。

幼少より聖トーマス教会の合唱団でスタートし、バッハの神髄を身につけ、さらには、カール・リヒターの急逝のあとの、ミュンヘン・バッハ管弦楽団の指揮者となった本物のドイツの宗教音楽の大家。
そればかりでなく、バイエルン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ヴッパタール劇場では総監督も、といった具合に、オペラ指揮者としても活躍をしていた。
以前に、幣ブログでも書きましたが、ヴッパタールでは、「ニーベルングの指環」も手掛けているんだ。

ドイツ音楽の伝統を受け継いだシュナイトさんの日本への思いは、暖かく、そして、日本人への見方もある意味的確だった。
いろんなもので読んだことの集約ですが、仏教が中心ではあるが、八百万の神がいる日本では、日本人はキリスト教もそのなかの一つ的なところもあって、宗教音楽への一次的なフィルターがなくまっさら、ゆえに指導のしがいがあった。
最後の演奏会で、シュナイトさんが語られました、世界は争いが絶えないが、日本人の仏教の心が平和を実現するのではないか。。。という言葉が印象に残る。
 そんな風に、日本を愛してくれたシュナイトさん。

氏の音楽には、「歌」と「祈り」が必ずその基本としてありました。
きれいなピアニシモにもこだわり、そこにも歌心が。
そして南ドイツ人らしい、明るい音色を好みました。
そして、指揮する後ろ姿には、いつも祈っているような、そんな印象が。

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ルター訳の聖書からの聖句を用いたブラームスの「ドイツ・レクイエム」に、ルター派のシュナイトさんはとりわけ大きなシンパシーを感じていました。

99年の演奏と、08年の演奏、真摯な音楽への取り組みと、言葉ひとつひとつを大切に、そしてその意味をよくよく歌いこむ丁寧さ、さらに全体の明るい基調など、ともに共通したすばらしさです。
ただし、ふたつの演奏で、大きく違うのは、演奏時間。
99年(68分43秒)、08年(75分31秒)。
わたしの聴いた3年間は、シュナイトさんのとるテンポは、いずれも遅めで、この2つの演奏タイムを見ても、後年の演奏スタイルであったわけだが、年を経て、テンポが遅くなることは多くの指揮者にあること。
しかし、シュナイトさんの音楽は、掘り下げが、より入念に、より緻密になり、結果として、音のひとつひとつが、祈りの中に凝縮されるような感じが、いつもしていました。

99年盤は、全体に覇気もあり、張り詰めたような厳しさがあるが、08年盤の方は、合唱とオーケストラの精度がさらに向上。ホールの違いもあって、録音も素晴らしい。
そして、聴いていて音楽と自分の呼吸感が、次第に同化していって、いつしか清らかな気分に満ち溢れる、そんな感動に包まれるのが08年のシュナイトさんの優しいまなざしの「ドイツ・レクイエム」。

日本を、横浜を愛してくれてありがとうございました。
シュナイトさんの魂が永遠でありますこと、お祈りいたします。

演奏会観劇記録

神奈川フィル

「ブラームス ドイツ・レクイエム」
「ブラームス ヴァイオリン協奏曲、交響曲第2番」
「ブリテン シンプルシンフォニー、プルチネルラ、ベートーヴェン1番」
「ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲、ブラームス 交響曲第4番」
「未完成、4つの最後の歌、死と変容」
「ハイドン 熊 、田園交響曲」
「ブルックナー ミサ曲第3番」
「ブラームス セレナード第2番 、シューマン 交響曲第2番」
「ブラームス 交響曲第3番 、ヒンデミット 画家マティス」
「ブラームス 二重協奏曲 、交響曲第1番」
「ブラームス 悲劇的序曲、哀悼の歌、運命の歌、ブルックナー テ・デウム」
「ブラームス ハイドン変奏曲 シューマン チェロ協奏曲 ライン」
「シューマン マンフレッド、ピアノ協奏曲、交響曲第4番」

その他のオーケストラ

「魔笛、トルコ風、シューベルト 交響曲第9番」 仙台フィル
「ブラームス ヴァイオリン協奏曲、田園」 札幌交響楽団
「ブルックナー 交響曲第7番」 ジャパン・アカデミーフィル
「ドイツ・レクイエム」 シュナイト・バッハ管弦楽団
「ヨハネ受難曲」 コーロ・ヌオーヴォ
「ミサ曲 ロ短調」 シュナイト・バッハ管弦楽団

どのコンサートも、ひとつひとつが忘れがたい演奏。
神奈川フィルには、私が聴けなかったものが10回以上。

わたくしにも、神奈川フィルにも、ひとつの時代でした。

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2017年10月29日 (日)

ドヴォルザーク レクイエム ケルテス指揮

Shiba_park

カメラの絞り機能が不全で、かえってこんなに幻想的な写真が撮れました。

あざみの花もぼけてしまい、影に覆われ、ぼんやりとした夕焼けとちぎれた雲が寂しい。

Dvorak_requiem_kertesz

     ドヴォルザーク   レクイエム op.89

 S:ピラール・ローレンガー        A:エルジェーベト・コムロッシ
 T:ロバート・イロースファルヴァイ   B:トム・クラウセ

   イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団
                      アンブロジアン・シンガーズ
                      合唱指揮:ジョン・マッカーシー

              (1968.12 @ロンドン、キングスウェイホール) 


自分の持つCDは、ダブルデッカのもので、こちらの画像とは違いますが、子供時代に見た、このジャケットが、やたらと思い出にあるので、デッカの初出時のものを拝借しました。
ロンドンレコードから出た邦盤は、大きな白枠ベースの中に、この絵画。
 1971年ごろに出た「ケルテスのドヴォルザークのレクイエム」は、レコ芸のオレンジ色のロンドンレコードの広告で、大きな紙面を割いてのものでした。

この絵画は、ブリューゲルの「十字架を担うキリスト」で、手前に磔刑に向かうイエスを嘆き、悲しむマリア一行がまず目に入る構図。
十字架を負うイエスは、連行する軍と日常の生活を送る人々の中に埋もれるようにして見える。右奥のサークルは、処刑場だ。
人々は、ブリューゲルの生きた16世紀の頃の存在になっている。
背景や、カラス、全愛の構図等、とても恐ろしく、そして悲しみに満ちた絵画に思います。

ドヴォルザークのレクイエムは、死の恐ろしさや、悲しみもあるけれど、もっとそれ以上に優しく、神への帰依と信頼にあふれた孤高の作品でありました。。。


音楽聴き始めの少年にとって、ドヴォルザークは新世界だし、ケルテスも新世界、レクイエムは、モーツァルトとヴェルデイしか、存在すら知らない。
なのに、ドヴォルザークのレクイエムって、しかも2LPでやたらと長そう・・・・

そんな思いをずっと引きずって、同じドヴォルザークの「スターバトマーテル」はやたらと聴くけれど、レクイエムは、常に遠い存在だった。
 遅ればせながら、この夏に、「ドヴォルザークのレクイエム」は、わたくしの心にピタリと符合するようにして、近しい存在としてやってきてくれました。

今年から事務所詰めが多くなったので、音楽を垂れ流し。
ドヴォルザークの全作品を、手持ち音源と、ネットで聞き流してやろうと思いつき、2か月かけてやってみましたよ。
イマイチ初期交響曲や、どれもこれもおんなじに聴こえちゃう室内楽も、あらためて体系的に、そして作曲順に聴いてみれば、それぞれが、ドヴォルザーク特有のメロディとリズムにあふれていることが日に日にわかるように。
 今回、とくによかったのが、弦楽四重奏や五重奏系、それと抒情的なピアノ曲たち。
それと味わい深いオラトリオ、ミサ、テ・デウム、聖書の歌などの声楽作品に、むにゃむにゃ系のチェコ語は難解ながら、メロデイふんだんなオペラ(さすがに音源なしもあります)。

そんななかでの「レクイエム」は手持ち音源のケルテス盤と、エアチェック音源の、ルイゾッテイ盤(ベルリンフィル)、youtubeにあった、パリの教会での演奏会を繰り返し視聴。

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1884年に、ロンドンのフィルハーモック協会の招聘で、ロンドンに赴き、「スターバト・マーテル」を演奏して、大絶賛され、ここからイギリスとの蜜月が始まるドヴォルザーク。
交響曲第7番や、8番もこうして生まれた。
 同時に、数々の名誉にも授かった充実のこの時期。
オーストリア=ハンガリー帝国皇帝から鉄王冠章、チェコ芸術アカデミー会員への推挙、プラハ音楽大学教授、カレル大学名誉博士・・・
 こんな時期に、バーミンガム合唱音楽祭からの委嘱で、1890年、10か月をかけて作曲されたのが「レクイエム」。

7年前に書かれたヴェルデイのレクイエムのことは、きっと頭にあったドヴォルザーク。
編成や、音楽の規模は、ほぼ同じ。
 特定の人物(マンゾーニ)の追悼の意図をもってかかれたヴェルディのそれは、死者のためのミサ曲であるレクイエムのとして、劇的かつ歌謡性にも富んだ壮大な作品。
ドヴォルザークの方は、特定の追悼の対象はなく、熱心なカトリック信者だった作曲者の内面の吐露であるとともに、シンフォニストとして、巧みな筆致を駆使した総決算的な作品なのだ。

通常のラテン語典礼文を使いながら、切り分けや、区切りを自由に行っていて、四角四面のレクイエムでもない。
ディエスイレはありますが、ヴェルディのような咆哮はなく、短めで簡潔。
むしろ、のちのフォーレ的なスタンスも後半には感じる。

曲は、大きく分けて二部。
1部は、入祭唱たるRequiem Aeternamから始まり、昇階唱、ディエスイレ、トゥーバ・ミルム、レコルダーレ、呪われしものConfutatis、そしてラクリモーサで締める。
 第2部は、奉献唱Offertorium、Hostias、サンクトゥス、Pie Jesu、アニュス・デイ。
ここでは、1部のラクリモーサのなかの、Pie Jesuが再現されるところが、この作品のキモかもしれない。
 冒頭にあらわれる旋律が、モットーとなって、全曲の重要な局面で使われていることで、大曲を引き締め、統一感を持たせることにもなっている。

1部は、峻厳できびしい雰囲気が漂い、神への痛切な祈りと死への涙にあふれているが、2部では、優しいドヴォルザークの目線を感じる、慰めと静かな祈りの世界。

合唱は、しばし、アカペラで歌い、ソロ歌手たちの扱いも、絶叫シーンはなく、静かな語り口のものが多い。
オーケストラも中間トーンで渋いが、よく聴きこむと、ソロや合唱を引き立てるとともに、単なる合いの手ばかりでなく、いろんなフレーズが、いろんな楽器の巧みな使い方で飛び出してきて、オケだけに注目して聴いてみても、大いに楽しめた。
とりわけ、2部が素晴らしいと思ってます。
Pie Jesuから、Agnus Deiの終曲ふたつは、絶品で、しんしんと深まる夜、静かに聴くに相応しく、心、休まります。
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録音時38歳だったケルテスの熱い指揮ぶりと、緻密な全体を見通す指揮ぶりとが、こうした大曲では、見事に発揮される。
有能な指揮者のもとに、オーケストラも歌い手たちも、完全一体化している。
ソロでは、ローレンガーの清らかな声が素敵だ。

この録音の5年後には、43歳で、テルアヴィブの海で亡くなってしまうケルテスだが、イスラエルフィルの客演に、ケルンから同行していたのが、バスの岡村喬生さん。
一緒に海に行ったのが、その岡村さんと、ルチア・ポップとイルゼ・グラマツキとのこと、岡村さんの著書に、その顛末が詳しく、ネットでも読めます。
読んでて、涙がでました。
そのときのイスラエルフィルでの演奏、ハイドンのネルソンミサも音源化されてます。

ケルテス、いい指揮者だった。
存命してれば、とも思いつつ、ドヴォルザークのレクイエムを聴きました。

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2015年8月13日 (木)

ヴェルディ レクイエム バーンスタイン指揮

Uminohoshi_2

前回の記事(ジル・レクイエム)のときに書いた、わたしの育った町にある幼稚園のカトリック教会。

とてもシンプルで、整然とした美しさ。

宗派は異なっても、教会とは、このように静かに、自分に向き合うところでもあるから、ありすぎない方がいい。

レクイエムは、カトリック典礼のミサで、その作曲者の奉じる宗派によっては、「レクイエム」とは無縁の人もいました。
だから、おのずとカトリックの多い、南の方の国にレクイエムは多いように思います。
 それでも、レクイエムの持つ、追悼と癒しの観念から、ブラームスやディーリアス、ブリテンのように、典礼文から離れた作品を残したり、声楽なしで、楽器だけのレクイエムを残した方もたくさんいます。

今日は、ブリテンとともに、毎年、この時期に聴く、ヴェルディのレクイエムを。

この作品こそ、ラテン系の正統レクイエムの最高傑作です。

Verdi_bernstein

    ヴェルディ  レクイエム

         S:マルティナ・アーロヨ   Ms:ジョセフィーヌ・ヴィージー

   
         T:プラシド・ドミンゴ      Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

    レナード・バーンスタイン指揮 ロンドン交響楽団
                        ロンドン交響合唱団
                        ジョン・オールディス合唱指揮

               (1970.2.25 @セント・ポール教会、ロンドン)


毎夏聴く、ヴェルディのレクイエムですが、バーンスタインのヴェルレクは、記事として、今回が2度目。
最初は音源、今回は映像記録です。

1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を退任し、その活動の軸足を、ヨーロッパに向けだしたのが、1970年。
 もちろん、バーンスタインに一目惚れし、相思相愛となった街、ウィーンは、60年代半ばより定期的に客演する関係でしたが、ベートーヴェン生誕200年の記念の年、1970年あたりからは、さらに蜜月の度合いを深めていきました。

 同じく、バーンスタインを愛したオーケストラであり、愛した街がロンドン。
ロンドン交響楽団とは、桂冠指揮者の関係を得て、多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティに、バーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。

1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、ヴェルディのレクイエムに取り組みました。
 解説書の記録によれば、2月19~21日に、ロイヤル・アルバート・ホール(RAH)でリハーサル、22日にコンサート本番、23、24日に、レコーディング。
25日には、場所をセント・ポール教会に移して映像収録。
26日に、RAHに戻って録音の手直し。
という具合に、1週間に渡って密なる取り組みがなされたようです。

Verreq_4

すでに取り上げた、音盤を聴いての印象と演奏の内容は、基本は、同じに思います。

演奏時間90分は、他盤にくらべて長め。
 後年、ぐっとテンポが粘りぎみになる時代のものにくらべると、遅さと速さが同居していていながら、じっくりとやる場所は、思い入れも深く、早いヶ所は、より速く、その対比が実に鮮やか。
 そして、全編にあふれる覇気は、なみなみならず、こんなに、気合いと、強い思いを感じさせる演奏はありません。
 それらが映像で、バーンスタインの熱い指揮ぶりを見ながら聴くとなおさら。

 全曲、暗譜で指揮をするバーンスタイン。このとき、52歳。
まだお腹も出てないし、髪の毛も白さはほどほどで、銀髪の映画俳優のようなカッコよさ。
怒涛のように、のたうち、そして軽やかに踊るように舞い、祈るように、心を込めたその鮮やかな指揮ぶり。
この時代のレニーの本質の姿を本当に久しぶりにつぶさに見て、感激してしまいました。

Verreq_5

 前にも書きましたが、この映像は、NHKが、71年か2年の、8月のこの時期に放送しまして、当時、中学生だった自分は、「ヤング・ピープルズ・コンサート」で、バーンスタインの指揮は、つぶさに観て知っていたのですが、ここで、彼の指揮する「ディエス・イレ=怒りの日」の音楽の凄まじさに、目も耳も、すっかり奪われたのを覚えてます。

 以来、この作品を愛し、永く聴いてきましたが、劇的な激しさとともに、そこにある歌心と優しい抒情、その方にこそ、感銘を見出すようになって久しいです。

 そんな目線や聴き方で、一見、派手なバーンスタインのヴェルレクを聴くと、真摯な独唱者や合唱たちの姿も相まって、熱くて切ないほどの祈りの気持ちが響いてきます。

 ことに、「ラクリモーサ」は、バーンスタイン独特の世界が展開され、痛切なる思いに浸ることとなりました。
 二人の女声の歌声にしびれる「レコルダーレ」、若々しいドミンゴの歌う「インジェミスコ」、滑らかな美しいライモンディの「コンフタティス」・・・、いずれも、イタリアオペラ的でない、バーンスタインの流儀のカンタービレは、歌と感情に即した、音楽の万国人たる、ユニークな感じ方ではないかと・・・。

 そして、太鼓が教会の残響を豊かに伴って鳴り渡る「ディエス・イレ」は、CDのコンサート会場のものとは違って、勇軍かつ、劇的な雰囲気を作りだしてます。

Verreq_2

 若かった歌手たちのなかでは、わたくしは、J・ヴィージーのまっすぐの歌声が、その気品あふれるお姿を拝見しながら聴くことによって、一番よかったです。
カラヤンの選んだフリッカである彼女、まだ85歳で健在のようです。

 アーロヨさんも、まだ78歳でお元気の様子で、声のピークは、この頃ではなかったでしょうか。ヴェルディ歌手としての本領を感じますが、もう少し突き抜けるような軽さが欲しいかしらね。

 で、まだまだ元気のドミンゴとライモンディの同年コンビは、73,4歳。
おふたりともに、その美声は、後年よりもより引き立ってますし、そのお姿も若い。

 話は、少しそれますが、かつての昔は、オーケストラの中には、女性奏者を入団させず、男性だけのオーケストラが多くありました。
 今では、とうてい考えられないことですが、歴史的にもいろんなワケがあって、そうした妙な伝統として、近年まで守りぬかれていたことですが・・・・
 その代表格は、ウィーン・フィルとベルリン・フィル。
ベルリンでは、ザビーネ・マイヤーを入団させようとしたカラヤンとオーケストラの間で、大きな軋轢が生まれたことは、高名な話です。
 さらに、ニューヨークフィル、ロンドン響、レニングラードフィル、読響なども思い浮かびます。
 今回、映像により、ロンドン響の演奏姿を拝見したわけですが、たしかに、男性奏者だけ。
83年に、アバドとの来日公演を全部聴きましたが、記憶は不確かですが、そのときは、女性奏者はちらほら。
しかし、その公演にもいたお馴染みの、有名奏者たちが、この70年の演奏にも、見受けることができて、とても懐かしかったです。

Verreq_3

バーンスタインが健在なら、いまや96歳。
今年は、没後15年を迎えます。

年月の経るの早いものです。

この映像の冒頭に、バーンスタイン自身のナレーションが入ります。

1940年の4万人の死者を出したロンドン大空襲において、被災しなかった、セント・ポール教会で、多くの爆撃を受けた人々に哀悼をささげる。
 (あらゆる)戦禍と迫害は、忌まわしい非人道的行為であり、過去の犠牲者のみならず、現代と未来の我々のためにも、この演奏を捧げる。
過去の死者のためのみらなず、いま、生きる者の苦悩のためにも・・・

2度の世界大戦、朝鮮、ベトナム、ナイジェリアなどの戦争の名をあげ、さらに、指導者の暗殺などにも言及しています。

ヒューマニスト、バーンスタインならではの思いの発露でありましょう。

 あくまで、私見ですが、この当時は、敗戦国日本への大空襲や原爆にふれることは、きっとタブーだったはずだし、その実態も隠されていたものと思われます。
東京大空襲だけで、11万7千人、二度の原爆で20万人超、全国に空襲は広がり、50~100万とも・・・・。
 情報公開がしっかりしているアメリカから、最近になって、驚きの報がいくつも出てきます。

バーンスタインは、のちに、広島に訪れ、心からの追悼の念を持って、みずからの「カデッシュ交響曲」を指揮しました。

 レニーが、いま健在だったら、テロや憎しみ、隣国同士の恨み、それらを見て、どのような行動を起こすでしょうか・・・・。

過去記事 ヴェルディ「レクイエム」

「アバド&ミラノ・スカラ座」

「バーンスタイン&ロンドン響」

「ジュリーニ&フィルハーモニア」

「リヒター&ミュンヘン・フィル」

「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」

「アバド&ウィーン・フィル」

「バルビローリ&ニューフィルハーモニア」

「カラヤン&ベルリン・フィル」

「アバド&ベルリン・フィル」

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2015年8月11日 (火)

ジャン・ジル レクイエム コーエン指揮

Uminohoshi_1

わたくしの育った町にある幼稚園のカトリック教会。

海の松原が、風で鳴る音が聞こえる家に住んでました。

そして幼稚園は、さらに海に近いところに2か所って、わたくしが通ったのは、ここではなく、西にほんのちょっと行ったところにある、プロテスタント系の幼稚園。

こちらの、カトリック系のほうが、敷地も広く、日曜学校でも、クリスマス会でも、ちょっと派手で、子供心に羨望をいだいたりしたものでした。
 50年も経って初めて、こちらの教会の中に、足を踏み入れてみましたが、思いのほか、簡潔で、とても清潔でした。
その様子は、また次の投稿で。

Umi_gilles

   ジャン・ジル   レクイエム

     S:アンヌ・アゼマ     CT:ジャン・ニルエ
     T:ウィリアム・ハイト   Br:パトリック・メイソン

 ジョエル・コーエン指揮 ボストン・カメラータ
                 エクサン・プロヴァンス音楽祭合唱団
                  アンサンブル・ヴォーカル・サジッタリウス
                  プロヴァンス・タンブール・アンサンブル

  (1989.7、1992.8 @サン・ソブール大聖堂 エクサン・プロヴァンス)


ジャン・ジルは、17世紀の南フランスの作曲家。

1669年生まれ、1795年没と、その生涯は、わずかに36年。
生来、虚弱な体質であったそうで、残された作品も、モテットが15曲、詩篇7曲に、この大作レクイエムのみ。
以下、かつてのレコード解説を一部、参考にしてます。

 いうまでもなく、ルイ14世の治下、パリ・ヴェルサイユに政治・文化が一極集中するなか、多くの音楽家は、都に集まり、華やかなヴェルサイユ楽派を形成しました。
 同時代の作曲家に、リュリ、ラモー、ドゥラランド、カンプラなどがいます。
そんななか、ジルは、南フランスから出ることなく、教会の音楽長として、プロヴァンスや、ラングドック地方の教会のために音楽を残し、演奏し、そして、最後は、トゥールーズの教会での職でもって亡くなります。

体が弱かったことや、生家が貧しかったことなども要因したのでしょうか。
この早世の、作曲家ジルの名前は、しかし、このレクイエム1曲でもって、音楽史に大きな足跡を残したものといえます。

同じ、プロヴァンス出身のカンプラは9歳上で、兄弟子にあたり、ジルのことを、とても可愛がり、このレクイエムもとても大切にあつかいました。
 カンプラのレクイエムも、とても美しい作品ですが、そちらの作曲は、1695年頃と言われてまして、こちらのジルが1694年。
 カンプラは、ジルのレクイエムが世に広まるよう大いに努め、カンプラの死後、フランス王族の葬儀や、ラモーの葬儀などにも演奏され、人々に愛されたといいます。
 さらに、南フランスでは、ジルとカンプラの、ふたつのレクイエムをミックスして演奏するようになり、それは、フランス革命が起きるまでの習慣となったそうです。

 ジルとカンプラのレクイエムは、わたくしは、もう30年も前でしょうか、ルネサンス・古楽の音楽にハマっていた頃に、レコードで、同時に購入しました。
それは、ともに、ルイ・フレモーの指揮で、いまでは、とうてい考えられないような、ロマンティックな、ヴィブラートギンギンの演奏でした。
 でも、それらは、この二つの美しいレクイエムが、南フランスの音楽のカテゴリーにあることをとてもよく理解させてくれるものでもありました。
さらにいえば、「ディエス・イレ」を持たない、鎮魂と救いの眼差しを大切にした、癒しのレクイエムという点で、ずっと後年の、フランスのレクイエムフォーレデュルフレにそのスタイルは引き継がれているのであります。

 その後に、古楽分野としての、ちゃんとした(?)演奏をCDで購入し、耳の膜が、1枚も1枚もそぎ落とされたような、新鮮かつピュアな思いで、さらに、これらのレクイエムの優しさが、一段と身にしみるようになりました。

 このジルのレクイエムは、南国ムードたっぷり。

曲の冒頭に、プロヴァンスの太鼓が葬送の開始のようにして、連打されます。
それは、痛切というよりは、どこか明るく、海から響く風音のようです。
このCDでは、曲の冒頭と最後に、それぞれ、フェイド・イン、ファイド・アウトで、プロヴァンスの現地の太鼓軍団が実際に演奏しているものが収録されてます。(なかほどにもあり)

そして、かつてのレコードではなかったことですが、ミサの典礼にのっとり、「ジルのレクイエム」の合間合間に、グレゴリオ聖歌の死者のためのミサが、挿入されてます。
これが、実に教会で体感しているような雰囲気あるものです。
 しかし、結果として、CD1枚の演奏時間がかなり長くなって、冗長さを覚えるのも事実です。
ですから、わたくしは、ときに、ジルの部分だけを抜き出して聴きます。
 曲は、全般に、明るい色調で、屈託なく、爽やかです。
レクイエムなのに、爽やかという表現もなんですが、南の風が吹き抜けるような、ゆるやかな優しさなのです。
そして、カンプラとも通じる、典雅で、繊細な抒情的な曲調。
巧みに、統一された音形は、全体のなかで、豊かな構成を伴い、品よくまとめられていて、起承転結的な聴後感もあって、レクイエムなのに、幸せな気持ちになります。
 まさに、癒しなのでしょうね、これが。

ひさびさに、取りだしたコーエンの演奏ですが、もう20年も前の演奏。
その先も、進化した古楽演奏。
変な言い方ですが、もっと、新しい解釈でも、こんど聴いてみたいものです。

過去記事

 「カンプラ レクイエム  ガーディナー指揮」

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2011年10月 4日 (火)

モーツァルト レクイエム マリナー指揮

Higanbana2011_1

涼しくなったり、暑くなったり・・・・、そんな代わる代わるの毎日で気が付いたらもう10月。
そして、気が付くと各所に彼岸花が咲いてました。

曼珠沙華とも呼びますがね、わたしはそちらの、少し禍々しい名前よりは、彼岸花という名称の方が好き。

例年、今頃の記事には、彼岸花の写真を飾ってますので見てみてください。
群生したり、白かったりで、美しい花に思います。

Higanbana2011_2

この花の花言葉は、wikしたら、「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」・・・、とありました。

なんだか、いかにも秋の寂しい草花っていう感じ。

だからという訳じゃありませんが、今日はモーツァルトレクイエム

Mo_requiem_marriner

モーツァルト最後の作品、レクイエムはご存じのとおり未完に終り、その補筆補完を弟子のジェスマイアーが行ったのであるが、これまで幾百と聴いてきたこのレクイエム(いわゆるモツレク)。
レコードで聴いた場合、A面までが、曲でいうと「ラクリモーサ」あたりまでが、モーツァルトの手になる部分。
そのあと、B面は弟子の補筆・作曲部分ほとんど。
私が、このレクイエムに開眼したのは中学生の頃、たびたび取り上げますコンサートホール・レーベルの1枚で、ピエール・コロンボ指揮によるウィーンの楽団の演奏。
飽くことなく聴き、いまだに刷り込みだったりします。
そしてとかく稚拙と言われちゃうB面も、公平に聴いてました。

ずっと後年になってからです。
ジェスマイアー部分がイマイチではないかということを、話に聞くにつれ読むにつれ気が付いたのは。
でも、本心では、ずっと聴きなじんできた、トータルとしての「モーツァルトのレクイエム」であり、そんなことは別にどうでもいいことと、実は今でも思っています。

1971年にミュンヘンのヴィオラ奏者であり、かのコレギウム・アウレウムのメンバー、そして当地の大学教授フランツ・バイアーが行ったジェスマイアー版への補作。
レヴィン版など、ほかにも出ているが、いまのところ、ジェスマイアーを認めつつ、よりモーツァルトらしさを求めた版としては、このバイアー版による演奏がその他バージョンとしては一番多い。

コレギウムアウレウムのレコードはあったが、このバイアー版をメジャーとして大々的に取り上げ、大いに宣伝し売れまくったのが、今日聴くマリナーの演奏。

  S:イレアナ・コトルバス  Ms:ヘレン・ワッツ
  T:ロバート・ティアー    Bs:ジョン・シャーリー・クヮーク

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 
        アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ&コーラス
                             (1977.ロンドン)

学究肌的な模索的取り組み具合を一切感じさせない、真摯でかつ気負いのないマリナーならではのモーツァルト。
マリナーのモーツァルトらしく、すっきりと見通しよくって、テクスチュアが透けて見えて、しかもとてみ親近感あふれる演奏。
モツレクに親近感などと、いささか不具合かもしれないけれど、遠くで鳴っているようで、実は身近にあるモツレク、といった感じで、わたしが昔から聴いてきた、先の深刻なコロンボ盤や壮麗なカラヤン、厳しいベーム盤などと比べれば歴然だったのでありました。

そして肝心のバイアー版の違いは・・・。

ジェスマイアー版を基本としているので、楽譜でも対比してじっくり検証しない限り、明確な違いは個々には申し述べることができません。
でも、過剰な伴奏部分の見直しが核にもあった由で、たしかに耳で感じるのは、全体としてのすっきり感と透明感。
それと、単調な繰り返しに終始していたホザナの終結部が、とても宗教的な様相に変わってそれらしくなった。
あと、ティンパニやトランペットの追加によるピリオド的な効果。

でも、モツレクはモツレク。
どんな版でもいいんです。

当時人気のコトルバスの情味に満ちたソプラノと、ほかの抑制の効いた英国歌手たちとのバランス感が少し気にはなるが、英国のモーツァルトとも言ってもいい、サー・ネヴィルのモツレクは、後年のジェスマイアー版による再録音よりも、ずっと気に入っている。

今週の神奈川フィルのモツレクは、どうなるのでしょう?
かつてシュナイト師は、バイアー版。
気負いなく、すっきりと聴かせて欲しいものです。

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2010年8月 7日 (土)

ヴェルディ レクイエム シュナイト指揮

Anne_3

先週末の、西宮「キャンディード」観劇前に訪問した「アンネのバラの教会」。
アンネの日記につづられた平和と愛への思いを受け継ぐべく設立された教会。
庭には、アンネの立像が立ち、そのまわりには、「アンネのバラ」と呼ばれる黄金に近い色のバラがたくさん植えられている。
もうシーズンは終わってしまって残念。
こちらで見てみてください。

Anne_5
西宮の山の手に建つちょっと可愛い教会。
かなりの坂道を登り、もう汗だく。
でも、ここは高台、さわやかな風が吹き抜けていました。

Verdi_requiem_schneidt
 毎年、夏のこの時期に聴きたくなる曲。
ヴェルディレクイエム
何度も書くことで恐縮ですが、中学の時に、テレビでバーンスタインの指揮する演奏をテレビで観たのが8月で、これがきっかけ。
飛んだり跳ねたり忙しいバーンスタインだったけど、祈るような指揮姿にこそ、レクイエムの本質を見た思いだった。

いくつも音源を揃えたけれど、やはりアバドとスカラ座のものが一番であることは自分のなかで変わりがない。

今回は、見つけたとき、こんなのあったのかと驚いた、ハンス・マルティン・シュナイト指揮のCD。
シュナイト師のイメージは、どうしてもバッハを中心とするドイツの宗教音楽のスペシャリストということになってしまうが、教会の少年合唱団からスタートし、オルガンも修めたことから宗教と教会音楽が身にしみついている事実からである。
そして、急逝したリヒターのあとを継いで、ミュンヘンバッハの指揮者になったことも、そのイメージを強める事実であろう。

でも、シュナイト師は、オペラ指揮者としても活躍したし、コンサート指揮者としてもいろんな録音を残しているはずだ。
そして、我々がよく知っているシュナイト師の顔は、日本を愛した滋味あふれる姿である。
時に厳しすぎて、演奏者を震え上がらせたらしいけれど、出てくる音楽はいつも優しい歌に満ちあふれ、聴く者を大きく包みこんでしまうような大人であった。

    S:シャロン・スゥイート    Ms:ヤルド・ファン・ネス
    T:フランシスコ・アライサ  Bs:サイモン・エステス

  ハンス・マルティン・シュナイト指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
                       ミュンヘン・バッハ合唱団
                       フランクフルト・ジングト・アカデミー
                         (1988.10.30@ミュンヘン)

この演奏は正直素晴らしい。
イタリア人が一人も見当たらない演奏であるが、ここにあるのはまぎれまない歌心と真摯なる祈りの音楽であり、たまたまそれはヴェルディの音楽であることにすぎない。

だからもっともヴェルディ的な、インジェミスコではテノールのアライサは押さえに抑えられていて、清潔な歌に徹しているのが面白い。
華やかなサンクトゥスも、流線的な流れるような解釈で、少しも浮つかない。
よって、多くの聴き手が期待する、怒りの日の爆発力とドラムの迫力は、ここではおとなしめで、足音はドタドタするけれど、少しも威圧的じゃない。
次ぐトゥーバ・ミルムでは、ラッパの付点が感じられるような特徴的な吹かし方で、まさにくしきラッパを思わせる克明なもの。迫りくる地獄の裁きをいやでも感じさせる迫力も次いで現出する。

ゆったりとしたラクリモーサは、重い足取りで涙にくれているようだが、音色は不思議と明るい。そしてアーメンをもう止まるくらいにじっくり歌う。
哀れなる我、レコルダーレ、ルクス・エテルナ・・・、これら、ヴェルレクの中でも美しい場面は、それこそ歌と温もりに満ちていてずっと浸っていたい耽美すれすれの演奏。

劇的な解釈や抒情的な場面は、聖句の意味するところに重きを置いて施しているようで、こうすることによって、ヴェルディの歌心が不思議とシュナイト節と渾然となってしまい、ユニークなレクイエムが出来あがっているのだ。

女声ふたりは素晴らしいし、バランスもいいが、アライサは苦しそうだし、エステスはちょっと異質で時おりオランダ人が顔を出すのがおもしろい。
合唱の精度はもう完璧です。さすがにミュンヘンバッハ

壮絶でやや重いリヒターの演奏と比べ、少し歌に傾きすぎるくらいに祈りをそこに乗せてしまいヒューマンな演奏としたシュナイト。
ヴェルレクは、どんな演奏でも素晴らしい。

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2010年8月 6日 (金)

ベルリオーズ レクイエム 小澤征爾指揮

Hiroshima_1

去年訪問した広島の平和記念公園。
修学旅行生や、外国のお客さんがいつもたくさん。
どんな人間でも、ここへ行ったら無口になり、同じ人間が造り出す戦争の凶器への怒りを感じることになる。

Hiroshima_3

8月は、日本の戦後のスタートラインの月でもあるが、日本が世界にも例のない悲惨な体験をしてしまった月。
86(ハチロク)、89(ハチキュウ)のことを、もっと世界に声を大にして言うべきとも思うし、一方で、他国になしてきたこともしっかりと認めて、みそぎを続けるという、そんな強いしたたかさも必要で、日本人にはなかなか持ちえない気質かもしれない。
 その点、同じ敗戦国でも、ドイツ人は明快であり続ける国民性で、自己主張とともに、自己批判精神もはっきりしてて豊かだ。
いい悪いがはっきりしてる。

Berlioz_requiem_ozawa

小澤征爾が、渡仏してコンクールをいくつも突破していったのが50年前。 
 一人の才能ある音楽家として、こいつはいい、と認められた日本人。
師事した名指揮者たちの中にシャルル・ミュンシュがいる。
思えばミュンシュと同じポストをたどり、ベルリオーズやラヴェルを特に若い頃に得意にした小澤さん。
ボストン交響楽団と同時に、パリ管弦楽団をもよく指揮してたので、パリ管の指揮者になることもファンとしては願ったのだけれど、いくつかの録音を残したあとは、パリでの活動はフランス国立管が中心となった小澤さん。
フランスのオケとのベルリオーズも聴きたかったところである。

DGへのベルリオーズ録音がコンプリートされず、RCAやCBSにまたがることになったのは、イマイチ残念。
DGというレーベルは、有力アーティストが名前を連ねていたので、アーティストが録音したいレパートリーも非常に制約を受けると、というようなことを小澤さんはDG専属時代に語っていた。
ちなみに、DGは、そのあと、バレンボイムとパリ管でベルリオーズ全集を企画し、さらにそのあと、レヴァインとベルリンフィルでも企画したが、いずれも未完。

合唱付きの大作を手際よく明晰に聴かせる小澤さんは、ベルリオーズのレクイエムを若いころから得意にしていて、何度も取り上げていたはずだ。
シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、という途方もなくバカらしい巨大な編成を必要とするこのレクイエム。
さぞかしすさまじい大音響なんだろう、とやたらと期待しつつFM放送を録音したのが小澤&ベルリン・フィルのライブで、高校生の頃。
 たしかにティンパニとラッパが鳴り渡るトゥーバ・ミルムのド迫力はすさまじいもので、カセットテープでは音がびり付いてしまい、どうしようもなかったくらい。
でも、そんな大音響の場面は、全曲80分間の中のごく一部。
 このレクイエムは、抒情と優しさに満ちた美しい音楽なのだと、何度もそのカセットテープを聴いて思うようになった。
その後にやはり放送録音した、レヴァインとウィーンフィルのライブでも、ウィーンのしなやかな音色が際立つ優しい音楽として実感。

こうした硬軟の際立つイメージを持ちつつ、正式音源を手にしたのはCD時代になってから。
その珍しい組み合わせとレーベルの珍しさからずっと聴きたかった「ミュンシュ&バイエルン放送、シュライヤー」のDG盤をまず購入。
この剛毅さと歌心を併せ持った名盤は、いずれまた取り上げたいと思う。
 その後、バーンスタイン、プレヴィン、そして今宵聴いた小澤と揃え、演奏会でもゲルギエフと読響の意外なまでに祈りに満ちた名演も聴くことができた。

ベルリオーズのレクイエムが結構好きなのであります。

作品番号5、ベルリオーズ34歳の作品は、その若さがとうてい想像もできないほどの、壮大さと緻密さ、そして教会の大伽藍のもとで聴かれることを想定して書かれた響きの放射。
一方で、心にしっかりと響いてくる祈りの音楽としての立ち位置もしっかり確保されている。
ベルリオーズの本質は、ばかでかい巨大サウンドではなく、抒情味にあると確信できる音楽に思う。

冒頭のレクイエムからキリエの場面では、死に際しての戸惑いや祈りを模索するかのような静かな出だし。
そして、最後のアニュスデイでも、冒頭部分が繰り返されるが、不思議なまでの清涼感が漂い、ティンパニの静かな連打もかつての怒りが遠く過ぎ去って平安が訪れようとする安堵感に満たされて曲を閉じる。

 これらに挟まれて、ディエス・イレ(トゥーバ・ミルム)の爆音、明るいまでの輝かしさを持つみいつの大王、無伴奏の合唱による静かな雰囲気のクエレンス・メ。
ラクリモーサは、涙の日を怒りで迎える趣の強い大音響サウンドを持っている。
オーケストラのリズムの刻みがやたらと印象的で、この作品の中でも好きなか所。
続く奉献唱のドミネ・イエスでは、また静かで抒情的になって木管を中心としたオーケストラの背景が美しい。
終曲にも同じ場面が回顧されるホスティアスは、男声、トロンボーン、フルートによる宗教的な対話のようである。
そして、この曲最大の聞かせどころがサンクトゥスで、テノール独唱が天国的なまでに美しく神を賛美して歌う。これはもうオペラアリアのようである。
続くホザンナのフーガのような壮麗な合唱、そしてまたテノール独唱が回帰し、その後も眩しいくらいに高らかにホザンナが歌われ、最終のアニュスデイに引き継がれる・・・。

小澤さんの演奏は、この作品のこけおどし的な存在から背を向け、ベルリオーズの抒情性が綾なす祈りの音楽という本質に迫った真摯なもので、師であるミュンシュやバーンスタインとも違った独自のベルリオーズとなっていると思う。

  小澤征爾指揮 ボストン交響楽団/ダングルウッド祝祭合唱団
            T:ヴィンソン・コール
                    (1993.10@ボストン)

Hiroshima_2

Hiroshima_4

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