カテゴリー「ラヴェル」の記事

2024年7月16日 (火)

ラヴェル ラ・ヴァルス アバド、小澤、メータ

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平塚の七夕まつり、今年は7月5日から7日までの開催で、極めて多くの人出となりました。

オオタニさんも登場。

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なんだかんでで、市内の園児たちの作品を集めた公園スペースが例年通りステキだった。

スポンサーのない、オーソドックスな純な飾りがいいんです。

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こちらはゴージャスな飾りで、まさにゴールドしてます。

ドルの価値失墜のあとは、やっぱり「金」でしょうかねぇ。

去年のこの時期にラヴェル、今年もラヴェルで、よりゴージャスに。

いまやご存命はひとりとなってしまいましたが、私がクラシック聴き始めのころの指揮者界は、若手3羽烏という言い方で注目されていた3人がいました。
メータが先頭を走り、小澤征爾が欧米を股にかけ、アバドがオペラを押さえ着実に地歩を固める・・・そんな状況の70年代初めでした。

3人の「ラ・ヴァルス」を聴いてしまおうという七夕企画。

2023年の七夕&高雅で感傷的なワルツ

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 ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

        (1970年 @UCLA ロイスホール LA)

メータが重量系のカラフルレパートリーでヒットを連発していた頃。
ここでも、デッカのあの当時のゴージャスサウンドが楽しめ、ワタクシのような世代には懐かしくも、郷愁にも似た感情を引き起こします。
現在では、ホールでそのトーンを活かしたライブ感あふれる自然な録音が常となりましたが、この時期のデッカ、ことにアメリカでの録音は、まさにレコードサウンドです。
メータの明快な音楽造りも分離のよい録音にはぴったりで、重いけれど明るい、切れはいいけれど、緻密な計算された優美さはある。
ということで、この時期ならではのメータの巧いラヴェル。
なんだかんでで、ロスフィル時代のメータがいちばん好きだな。

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   小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団

     (1973.3 @ボストン・シンフォニーホール)

日本人の希望の星だった70年代からの小澤征爾。
こちらもボストンの指揮者になって早々、ベルリオーズ・シリーズでDGで大活躍。
次にきたのは、ラヴェルの作品で、この1枚を契機にラヴェルの生誕100年でオーケストラ曲全集を録音。
1枚目のボレロ、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルスは高校時代に発売された。
ともかく、小澤さんならではの、スマートでありつつしなやか、適度なスピード感と熱気。
カッコいいのひと言に尽きる演奏だといまでも思ってる。
しかし、発売時のレコ芸評は、某U氏から、うるさい、外面的などの酷評を受ける。
そんなことないよ、と若いワタクシは思ったものだし、新日フィルでのラヴェル100年で、高雅で感傷的なワルツと連続をて演奏されたコンサートを聴いたとき、まったく何言ってんだい、これこそ舞踏・ワルツの最高の姿じゃんかよ!と思ったものでした。
同じころの、ロンドン響とのザルツブルクライブもエアチェック音源で持ってますが、こちらは熱狂というプラス要素があり、最高です。

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        クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

        (1981.@ロンドン)

なんだかんだ、全曲録音をしてしまったアバドのラヴェル。
その第1弾は、展覧会の絵とのカップリングの「ラ・ヴァルス」
メータのニューヨークフィルとの「ラ・ヴァルス」の再録音も同じく「展覧会の絵」とのカップリング。
ラヴェルの方向できらびやかに演奏してみせたメータの展覧会、それとは逆に、ムソルグスキー臭のするほの暗い展覧会をみせたのがアバド。
アバドのラ・ヴァルスは、緻密さと地中海の明晰さ、一方でほの暗い混沌さもたくみに表現している。
1983年のアバドLSOの来日公演で、この曲を聴いている。
しかし、当時の日記を読み返すと、自分の関心と感動の多くは後半に演奏されたマーラーの5番に割かれていて、ラヴェルに関しては、こて調べとか、10数分楽しく聴いた、オケがめちゃウマいとか、そんな風にしか書かれておらず、なにやってんだ当時のオマエ、といまになって思った次第。
スピードと細かなところまで歌うアバドの指揮に、ロンドン響はピタリとついていて、最後はレコーディングなのにかなりの熱量と、エッチェランドで、エキサイティングなエンディングをかもし出す演奏であります。

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2年前の七夕の頃に暗殺された安倍さん、そしてあってはならないことに、アメリカでトランプ前大統領が銃撃を受けた。

世界は狂ってしまった。
しかし、その多くの要因はアメリカにあると思う。
自由と民主主義をはきかえ、失ったアメリカにはもう夢はないのか。
そうではないアメリカの復活が今年の後半に見れるだろうか。
日本もそれと同じ命運をたどっている、救いはあるのか・・・・

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平和を!
平安と平和ファーストであって欲しい。

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2023年7月13日 (木)

ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ ミュンシュ指揮

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久方ぶりに七夕まつりに行ってきた。

ここ周辺の地に育ち、子供時代は欠かさず行っていた七夕。

昔は、竹製がメイン、いまは樹脂やクレーンなどを駆使した大がかりなものに。

かつては、親に連れて行ってもらった。
その後、自分が子供を連れて行った。
いまは、孫と行くようになった。
歳とったもんだ。

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   ラヴェル 「高雅で感傷的なワルツ」

    シャルル・ミュンシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

       (1963.3.14 @フィラデルフィア)

ミュンシュがフィラデルフィアを指揮した貴重な1枚。
しかも、レーベルがCBSで、当時のオーマンデイのもとでCBSにお抱え状態だったフィラデルフィアという、時代背景も偲ばせる1枚。
あと数年たてば、RCAへの録音となったかもです。

ラヴェルのほか、フォーレのペレアス組曲、ベルリオーズのファウストからオーケストラ作品などが収録されてます。

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レコード時代、廉価盤化されたものを購入して初聴き。
そのときは、CBS時代のいわゆるフィラデルフィアサウンドが聴かれ、ミュンシュの剛毅さが、とくにベルリオーズでは活きている印象だったが、録音がちょっといまひとつに感じていた。

CD化されたものを聴いたら、印象がかなり異なり、3曲ともに、かなり落ち着きある、むしろ渋い演奏にも感じたのです。
キンキン感じた録音が改善されたことも大きく、横への広がりと程よい響きが実に美しく、フィラデルフィアのオケの巧さ、とくに弦のしなやかさと艶もとても心地よい。

ミュンシュの指揮は、豪快さよりは、抑制の効いた精緻なもので、酸いも辛いも経験してきた大人の音楽を聞かせる。
ことに、フォーレの美しさは、いまの自分には例えようもないです。
こうもむかしの印象とは変わってしまうなんて・・・

高雅で感傷的なワルツ、わたくしラヴェルの作品のなかでも結構好きなんです。
ミュンシュはもしかしたら、この曲、この録音のみなんですかね。
華やかで熱狂的な「ラ・ヴァルス」と違い、幻想味がまさる瀟洒な、でも寂しさも感じるシックな作品。
ミュンシュの力を抜いたかのような優しいタッチによる演奏は、フィラ管の名手たちのソロも際立ち、じっくりと聴くにたる桂演であります。
シューベルト風のスタイルで作曲したというラヴェル。
ピアノ原曲と併せて聴くと、ラヴェルのオーケストレーションの天才性もわかります。

以前にも書きましたが、ラヴェルのアニバーサリー年に、小澤&新日フィルでこの曲が演奏されましたが、静かにこの作品が閉じたあと、ラ・ヴァルスがとめることなく演奏されて、雲の間から見えてくる舞踏会をつぶさに体感することができました。

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いくつになっても、七夕飾りは美しいものです。

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高雅で感傷的なワルツ、初のレコードはアンセルメでした。
リズム感豊かな、スイス・ロマンドとの名コンビが生んだ名演。

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いまは昔、むかしむかし、おフランスにパリという名前のお洒落な街がありました。
そんな感じのクリュイタンス盤。

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クールで研ぎ澄まされたラヴェル。
70年代のブーレーズはすごかった、クリーヴランドもすごかった。

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軽やかで歌心にあふれたアバドとLSO。
精緻なピアニシモは美しく、そんななかでも歌うアバドの指揮は好きです。

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高雅で感傷的なワルツ、おしまい。
  

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2022年12月 4日 (日)

ラヴェル ダフニスとクロエ ハイティンク指揮

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初冬の夕暮れの海岸。

西の空は淡く暮れ、遠景は箱根の山々。

海の夕焼けは、子供のときから大好きでした。

夜明けの音楽だけれど、今日はダフニス。

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  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

   ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団

        (2007.11.8~10 @オーケストラホール)

ダフニスとクロエは演奏会では第2組曲が主流で、ネット放送の海外演奏会でも第2組曲ばかり。

でも自分では、ダフニスは全曲版と決めております。

ラヴェルの管弦楽曲集をやるとなると、第2組曲をラストに持ってくるのが一番盛り上がる。 

しかし全曲版をコンサートのメイン、後半に持ってくるなら、前半の選曲に多彩な選択ができるし、50分あまりの光彩陸離たるラヴェルならではの音楽絵巻は充実のコンサートを約束すること間違いなし。

かつて経験した小澤征爾と新日フィルのライブでは、前半がヴェルディの「聖歌四篇」というユニークなプログラム。
小澤さんといえば、サンフランシスコ響と凱旋したとき、Pゼルキンとブラームスの1番の協奏曲にダフニス全曲。

こんな具合に意味深いプログラミングができるダフニス全曲。

今回のハイティンクとシカゴの前半は、このCDにも納められたプーランクのグロリアでした。

ハイティンクはラヴェルを得意としましたが、なかでもダフニスとクロエは大好きだったようで、30代の若き頃にコンセルトヘボウと第2組曲を、40代に今度は第1と第2の組曲。
さらに50代にロンドンフィルとの全曲版ライブ録音、60歳でボストン響と全曲、78歳でシカゴ響と全曲。
このように、ずっとダフニスを指揮し、録音も残してきました。

最後の録音であるシカゴ盤は、ともかく録音がよすぎて、ダイナミックレンジがむちゃくちゃ広い。
静寂の美しさを楽しもうとボリュームをあげて聴いてると、突然にリアル巨大な音塊が襲ってきて、とんでもなくびっくりしてしまう。
最高の装置なら難なくピアニッシモからフォルティシモまで均一に味わうことができるだろうが、我が家ではそうはいかない。
この録音の良さが、シカゴ響のべらぼうに巧い技量のほどを見事にとらえていて、ハイティンクの目指すシンフォニックなダフニスの魅力をあますことなく味わうことができます。
ハイティンクのダフニスは、ラヴェルの精緻な音楽をスコアを信じて、そのままに音にしたかのようで、舞台が目に浮かぶようなストーリーテラー的な表現はありません。
ともかく、いつものハイティンクらしく、真摯にラヴェルに取り組み、さりげなくも堂々たる演奏を完遂してしまう。
オーケストラの全幅の信頼と尊敬をもとになりたつ、指揮者として最高のレヴェルに立った存在としてなしうる芸術行為であろう。

前奏からして水際経つオーケストラの美しさと透明感、場面の変転は大らかながら、安心感があり、音楽の流れに身をまかせるだけでいい。
このあたりの安定した音楽づくりがハイティンクのよさだろう。
ベートーヴェンもブルックナーもマーラーもみんなそう。
ボリュームの操作さえ間違えなければ、最高と安定のオーケストラサウンドを堪能できるハイティンクのダフニスです。

続いてボストン響との演奏を聴くと、シカゴとはまったくちがったオーケストラの味わいがある。
ながらく培ったラヴェルの演奏の伝統が染みついたオーケストラの馥郁とした音色は、中間色に強みのあるハイティンクの指揮にばっちり。
シカゴにない味わいが醸し出されているのがボストン盤。

ロンドン・フィル盤は未聴。
70年代のコンセルトヘボウ盤は、まさにフランドル調の渋いけれど、耳に優しく柔らかくも柔和なラヴェルサウンド。
華やかさとは無縁の絹折れの世界。
できれば、コンセルトヘボウと79年頃の、このコンビの最盛期にも全曲録音を残してほしかった。

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ハイティンクのラヴェルはいい、好きです。

クープランの墓、高雅で感傷的なワルツ、古風なメヌエット、マ・メール・ロワなど、コンセルトヘボウ盤が最高に好きなんです。

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2020年1月12日 (日)

ムソルグスキー/ラヴェル 「展覧会の絵」 マゼール指揮

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2020年に入って、はやくも月の1/3が終了。

毎日がほんと早い。

外人さんだらけの銀座4丁目のショーウインドーは、富士と豪勢なバッグに、銀座の街も写し出していて、なんだか幻想的だった。

いつも長文書いちゃってますが、今日は短く。

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  ムソルグスキー ラヴェル編 組曲「展覧会の絵」

 ロリン・マゼール指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1972.10 @ロンドン)

名曲すぎて、過去聴きすぎて、ミミタコすぎて、もうあんまり聴かなくなってしまった曲。

その代表が、「展覧会の絵」。

チェリビダッケとロンドン響の壮絶な来日演奏の録音、アバドの2種のムソルグスキー臭の強い暗めの演奏。
これらのぞき、どうも、聴いていて、あの大仰な最後がとくにダメなんだ。

でも、レコード時代に気になっていた1枚を入手したので聴いてみた。

デッカのPhase4(フェイズ4)録音によるものもあって、マゼールの指揮だし、ニューの時代のフィルハーモニアだし。

マルチマイク録音で、各楽器が間近に迫るように強調され、かつそれをベースに2チャンネルのステレオサウンドにミックスダウンするという方式。
ストコフスキーのデッカ録音で多く聴いてきました。

で、聴いてみた。
面白いように、各楽器が、右や左からポンポン浮き上がるように出てくるし、聴こえてくる。
ほぼ半世紀前の録音とは思えない鮮明さと、生々しいリアルサウンド。
楽しい、楽しいよ~
ことに、展覧会の絵のような曲では、ソロ楽器が活躍するので、それらが強調されるように楽しめるし、あ~、ほかの楽器もこんな風にしてるんだ、との再発見もあったりして。
いまの現代では、こんな録音は邪道かもしれないが、古風な耳をもった私のような聴き手には、懐かしさと新鮮さがないまぜになったような感情にとらわれました。
フェイズ4とは別次元だが、中学時代は、4チャンネル録音も盛んになされ、アンプは買えなかったけれど、スピーカーの配線を工夫することで疑似4チャンネルが楽しめたものだ。
右や左、前や後ろから、音が万華鏡のように聴こえてきて、ハルサイなんて、最高だったんだ。

なにかしでかす指揮者マゼールは、ここでは意外とおとなしめ、っていうかごく普通。
でも、よく各曲を丹念に描きわけていて、とても丁寧な印象。
展覧会の絵の入門には絶好の演奏とおもしろ録音だと思う。

まだクレンペラーが君臨していた時代のニュー・フィルハーモニアもうまいもんだし、音色に華がある。

おもしろかった。

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2019年6月30日 (日)

ラヴェル 「シェエラザード」 アバド指揮

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もう盛りは過ぎましたが、街のあちこちでみかける紫陽花。

初夏の訪れとともに、開花し始め、梅雨に最盛期を迎える彩りあざやかな、日本由来の花。

G20で来日の各国首脳も、目にしたことでありましょう。

蒸し暑いが、梅雨のしっとりした風情は、紫陽花あってのものです。

かつてのむかし、西欧人が憧れた、神秘のヴェールにくるまれたアジアを想った音楽を。

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    ラヴェル 「シェエラザード」

      S:マーガレット・プライス

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1987.11 @オールセインツ教会、ロンドン)

ラヴェルの歌曲集「シェラザード」は、アジアをテーマにした3編の詩に寄せたもの。
ラヴェルの芸術仲間の、トリスタン・クリングゾールの同名の詩によるもので、そう、おわかりでしょうが、ワグネリアン風の色濃いお名前。
本名はアルテュール・ジュスタン・ロン・ルクレールという、これまた長~い名前。

世紀末ヨーロッパの知識人たちの、ジャポニスムに代表されるような、東洋へのあこがれと、エキゾチシズムは、たくさんの芸術作品を生み出しました。
1903年に作曲されたラヴェルの「シェエラザード」も、まさにそのひとつといっていい。

①「アジア」 ②「魅惑の笛」 ③「つれない人」

千夜一夜物語が、その根底にあるテーマだから、①「アジア」では、行ってみたい、船出してみたい、観てみたいを、連発するが、港のものうい風景や、回教寺院の尖塔などを見たいといいつつ、曲がって大きな刀で罪もない人の首をチョンするのを見たいなどと、恐ろしい想いも吐露する。
しかし、これらは、ときおり、大きな禍々しいフォルテがやってくるものの、おおむね、物憂げで、沈滞したムードに覆われている。

美しいのは②「魅惑の笛」で、まさに独奏フルートがとびきり美しい。
ほんとに美しい、ここでも、その物憂く、はかないムードは、ドビュッシーの牧神の午後にも通じる、白昼の幻想のようなものだ。
昼寝する主人の横で、恋人の笛の音色に耳を傾ける少女。
その様子が眼にうかぶ、静かな音楽です。

そして、その静けさは、弱音器を付けた弦楽器と夢幻な管のかなでる秘め事のような音楽、③「つれない人」にもつながる。
その詩がまた、刹那的でセクシャルな退廃感にあふれている。
女性に、つれなく別れを告げる異国の青年。しかし、その後ろ姿は女性的に腰をひねって・・・っていう意味シンぶり。
音楽も、後ろ髪ひかれるような甘味な余韻を残しつつ静かに終わる。

80年代後半に、ロンドン響とともに録音された、アバドのラヴェルシリーズに、この素敵な歌曲が含まれたことは幸いです。
精緻で、かつ明るく、情熱にもあふれた明快なラヴェルを残したアバド。
コンビの最終次期にもあたり、阿吽の呼吸で、ロンドン響の自発的なサウンドを引き出した。
 クリアで、歌いすぎることのない、冷静なM・プライスの歌声も、アバドのこの美しい「シェエラザード」には相応しいものだと思います。

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ロス・アンヘルスや、S・グラハム、そして、いまお気に入りの歌手、クレヴァッサの蠱惑の声で歌う「シェラザード」も好きです。

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      マリアンヌ・クレヴァッサ

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2018年2月11日 (日)

ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 小澤征爾指揮

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海と月。

いまさら1月のスーパームーンの写真ですいません。

こういう光景に、ドビュッシーとかラヴェルの音楽を思い起こしてしまう、音楽好きのサガ。

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  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

     小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団
           タングルウッド音楽祭合唱団

                (1973.10 ボストン)


アバド、メータときて、70年代の若手三羽がらす、小澤さんのラヴェル。

当時の3人の写真、いや、実際に自分の目で見た3人は、とても若くて、とてもアクティブで、指揮姿もダイナミックだった。
でも、3人のうちの二人が病に倒れた。
復帰後の活動は縮小したものの、より深淵な音楽を聴かせてくれるようになった。
でも、亡きアバドも、小澤さんも、痩せて、すっかり変わってしまった。

そんななかで、メータはひとり、大病もせず、ふくよかさは増したものの、風貌からするとあまり変わらない。
カレーのパワーは大きいのだろうか・・・

雑談が過ぎましたが、「小澤のラヴェル」。
1975年、高校生のときに単発で「ボレロ」の1枚が出て、そのあと一気に4枚組の全集が発売されました。
ラヴェル生誕100年の記念の年。
高値のレコードは眺めるだけでしたが、その年、もうひとつの手兵だったサンフランシスコ響を率いて凱旋し、ダフニスとクロエ全曲をメインとする演奏会が文化会館で行われた。
前半がP・ゼルキンとブラームスの2番で、アンコールはピチカートポルカ。
テレビ放送され、食い入るように見たものでした。

あと思い出話しとして、当時、小澤さんのコンサートを聴くために、新日フィルの定期会員になっていて、ラヴェルが多く演奏され、ダフニスも聴いております。
小澤さんの指揮する後ろ姿を見ているだけで、そこに音楽がたっぷり語られているようで、ほれぼれとしていた高校・大学生でした。

小澤さんのラヴェルは、こちらの70年代のものだけで、再録音はなく、その後はオペラしか録音していないので、貴重な存在。

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抜群のオーケストラコントロールで、名門ボストン響から、しなやかで、美しい響きを引き出すとともに、ダイナミックな迫力をも感じさせる若さあふれる演奏。
ボストンの時代が、自分には親しみもあるし、後年の落ち着き過ぎたスマートすぎる演奏よりは、熱さを感じる点で、より本来の小澤らしくで好き。
だって、「燃える小澤の」というのが、当時のレコード会社のキャッチコピーだったんだから。
まだまだミュンシュの残影が残っていたボストン響。
精緻さと豪胆さを兼ね備えていたミュンシュの魂が乗り移ったと言ったら大げさか。
それに加えて、俊敏なカモシカのような、見事な走りっぷり。
「海賊たちの戦い」の場面のド迫力を追い込みは見事だし、なんたって、最後の「全員の踊り」のアップテンポ感は興奮させてくれる。
 こうした熱き場面ばかりでなく、冒頭から宗教的な踊りにかけての盛り上げの美しさ、そして当然のごとく、そして、ボストン響の名技が堪能できる夜明けとパントマイムも端麗。

30~40代の颯爽とした「小澤のラヴェル」、ほかの曲も含めて堪能しました。

小澤さんのボストン就任の前、DGはアバドとボストンと「ダフニス」第2組曲を録音しましたが、そちらの方が落ち着いた演奏に聴こえるところが面白い。
もちろん、アバドも歌にあふれた美しい演奏です。
アバドが亡くなったとき、ボストン響はのメンバーがアバドの思い出を語っている様子が、youtubeで見れます。
アバドのボストン響客演は、そんなに多くはありませんが、80年代まで続き、シューマンの4番や、マーラーの2、3番など、魅力的な演目がありました。
どこかに録音が残っていないものでしょうか。

アバド、没後4年にあわせて、70年代のメータと小澤も聴いてみました。

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2016年1月11日 (月)

ラヴェル 「ラ・ヴァルス」 ブーレーズ指揮

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1月2日、日の出から間もない、吾妻山山頂。

いつもの帰郷は、今年は川崎大師は行かなかったけれども、この晴れやかな山頂と、箱根駅伝での母校の目覚ましい活躍に、日頃の鬱憤が吹き飛ぶような想いを味わったものでした。

最近、更新が滞りななか、年始からのシリーズ造りとして、ウィーンをモティーフにしたワルツ。
そんなテーマを考えておりました矢先。

ピエール・ブーレーズの逝去の報が、飛び込んでまいりました。

90歳という年齢でしたが、常に、ハルサイを指揮し、自作も次々に作り上げる、圧倒的なパワーの持ち主に、終わりはない、と思いこんでおりました。

その突然の死去に、自分にとって、ブーレーズといえば、コレ!
という曲を、まずは、聴いて、記事にしてみました。

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          ラヴェル  ラ・ヴァルス

   ピエール・ブーレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

                           (1974 NY)


わたくしが、ブーレーズを聴いたのは、クリーヴランドとのCBSハルサイからで、セルとともに来日した1970年の大阪万博の年だった。

作曲家であり、指揮者としても、近現代と前衛しかやらない、気難しい人との認識が、まず埋め込まれました。

そして、1974年、ニューヨーク・フィルの指揮者として、バーンスタインとともに再度来日。
この時、高校生のわたくしは、文化会館で聴くことができました。
プログラムは、マイスタージンガー前奏曲、メンデルスゾーン・イタリア、クルクナー・管弦楽のための音楽、ペトルーシュカ。
こんなユニークな演目で、いま思えば、ブーレーズのメンデルスゾーンなんて、極めて貴重なものでしたし、これらの曲を、70年の来日のときの写真で見て知っていた、気難しい顔のブーレーズが、腕っこきのNYPOの面々を前に、にこやかに指揮していたのでした。

バイロイトのDG「パルシファル」、CBSから出たNYPOとのワーグナー曲集なども聴き、バイロイト100周年の記念のリングの指揮者に抜擢されたブーレーズに、ワーグナー指揮者として、大いに期待をしたのも、そのすぐあとのこと。

さらに75年に、BBC響とともに来演し、NHKがそのすべてを放送してくれたものだから、ブーレーズのにこやかさ、プラス、本来の、とんがった姿をまざまざと体感できたのでした。
そのときは、自作や、ベルリオーズ、ドビュッシー、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキー、マーラー、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルクなど、まさに、ブーレーズの顔とも呼ぶべきレパートリーの、オンパレード。
いまだに、当時のエアチェック音源は大切なコレクションとなってます!

そして、76年のバイロイト・リング。
ここからの5年間は、ブーレーズ自身も、さらの演出家シェローのリングとの格闘です。
年々、向上する演奏の質。
ぼろぼろだった初年度と、録音に残された最終年度とでは、演奏の精度と出来栄えには、雲泥の開きがありました。

演奏家としてのブーレーズの凄さを、まざまざと感じさせたのは、実は、このバイロイト・リングでした。

その後の、ブーレーズの亡くなるまでの40年の歩みは、そのすべてを聴いてはおりませんが、概ね、70年代に成し遂げたことの、正確かつ、緻密な繰り返しではなかったでしょうか。
その証左として、2004年のバイロイトでの再度の「パルシファル」で、60~70年代の演奏と変わらぬ鋭さと、新鮮さを保っていたし、何度も指揮をしたハルサイも、若き日のフランス国立放送のものより、ますます若々しくなっていったのを聴くことができました。

作曲家としての評価は、ワタクシは疎い分野なので、言及はできませんが、今後は、バーンスタインの作品のように、多くの演奏家に取り上げられ、スタンダートと化してゆくものと思います。

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クールで正確無比なラヴェルを聴きながら、そう、まさに冷たいうえに、輝くような響きを持ったブーレーズの演奏で、その逝去を偲びたいと思います。

ピエール・ブーレーズさんの、魂が永遠でありますように、ここのお祈り申し上げます。

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1月2日の日の出。

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朝一番の日差しを浴びた水仙。

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2015年6月14日 (日)

神奈川フィルハーモニー第310回定期演奏会  パスカル・ヴェロ指揮

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神奈川フィル定期演奏会の日の定点観測地点から。

蒸し暑かった土曜の午後、これからフランス音楽特集を聴くのだ。

今シーズンは、土曜の午後が多くて、集客にはよろしいですが、なんだか、金曜の夜も懐かしい今日このごろ。

夜の方が聴くに相応しい音楽もあるからして・・・・

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   ラヴェル      組曲「マ・メール・ロワ」

              ピアノ協奏曲 ト長調

   ショパン      練習曲作品25 第1番「エオリアン・ハープ」~アンコール

              ピアノ:小菅 優

   サン=サーンス  交響曲第3番 「オルガン付き」

              オルガン:石丸 由佳

       パスカル・ヴェロ指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                       (2015.6.13@みなとみらいホール)


夜と昼、コンサートの時間について、冒頭書きましたが、自分的には、ラヴェルは夜、サン=サーンスは、白中。
そんなイメージですが、もちろん、昼のコンサートで聴いたからといって、ラヴェルの精妙な音楽の素晴らしさは、少しも劣ることはありません。
 ふだんCDでは、全曲盤を聴くことが多い「マ・メール・ロワ」ですが、こうして本来の組曲版で聴いても、マザーグースの夢の世界は、変わりなく素敵なものでした。
計算されつくされたラヴェルの精緻な音楽は、こうして生で聴くと、ほんとうによく出来てるなと思う。
そして、神奈川フィルの繊細・美麗なサウンドが、ラヴェル、そして、なんといってもこのお伽の音楽にぴたりと符合します。
各奏者が、少しづつですが、あまりにすてきなソロを奏でるのを、まるで夢見心地で聴いておりました。
なんてたって、石田コンマスの美しい、あまりに美しいソロがちょこっとはさまれる「妖精の園」。思わず涙ぐんでしまいました。
白昼のまどろみ誘う夢の世界を、優しく導いたのは、久しぶりのヴェロさんの指揮。
若々しいイメージだった南仏生まれのヴェロさんも、ずいぶんと落ち着きを増してきました。

きらめくラヴェルは、次いでピアノ協奏曲に引き継がれました。
シンプルで明快、弾むリズムのこの曲、初小菅さんですが、音楽への集中度、のめりこみ具合が、拝見してて楽しく、そして、その溌剌たる演奏がぴったりでした。
 ことに、第2楽章アダージョは、ふたたび涙ぐんでしまうほどに、美しく、そして内省的でした。
長いソロ、オーケストラは休止してますが、オケの皆さんは、ときに目を閉じ、じんわりと小菅さんのピアノを聴いて、出に備えます。
鈴木さんのコールアングレのソロが、ふるいつきたくなるような美しさ。
みなさん、小菅さんのソロに感じて、同質の音のパレットをゆったりと広げてくれました。
急転直下の華麗なエンディングも、見事に、オシャレにきまりました!

アンコールは、流れるような流線型の音楽、ショパンのエチュードからでした。
おフランスの流れに沿った、エレガントな選曲に、演奏にございました。
小菅さん、今度は、プロコフィエフあたりを聴いてみたいな。

 休憩後は、豪奢なサン=サーンス。
ヴェロさんの、自在かつ即興に溢れた指揮姿は、後ろから拝見してても、面白い。
大振りはせずとも、オーケストラから強大なサウンドを引き出し、そればかりでなく、抒情味に富んだ1楽章の第2部が、神奈フィルの弦の魅力もたっぷり味わうことができて、極めて魅力的でした。
弦楽器が、分奏で弾き分けて、きめ細かくその抒情の綾が成り立っていくのを目で確認しつつ聴くのも、実に楽しいものでしたね。

 それと対比して、2楽章2部のゴージャス極まりない音の洪水。
涼やかなピアノも楽しい第2主題、強大なフォルテも濁らずに、すっきり聴こえます。
CDで聴いてると、途中で虚しくなってしまう音楽ですが、ライブはいい。
集中できるし、なんてたって、お馴染みの神奈川フィルの面々が夢中になって演奏している様子を拝見しながら、音楽に入り込むことができるから。
神戸ティンパニ、豪放乱れ打ちを伴って、圧倒的な大迫力で最後の一音を、これでもかとばかりに伸ばしたヴェロさん。

オルガンの石丸さんを称えるヴェロさん、いかにもフランス紳士らしく、さりげなく、そしてオシャレでしたよ。

みなとみらいホールのオルガンが、こんな風にして大音響として鳴り響くのを聴くのは、実は初めてなんです。
オルガンリサイタルでも聴いてみようとは、前から思ってましたが、ここで聴いたそのオルガンは、豪快さよりは、明るい鮮明さが際立ち、この豊かな響きのホールに似合うものでした。
優しい音色というとパイプオルガンらしくない表現ですが、石丸さんのオルガンは、きっとそんな響きなのでしょうね。
ソロや協奏曲で是非、と思いましたね。
それと、神奈川フィルには、次は、ヴェロさんとプーランクですな!

鳴りやまない声援と拍手に応えて、「(この曲は)、ちょっと、うるさいですねぇ、でももう一回」と、2楽章2部を短縮して再演。
今度は、さきほどと、少し表現を変えて、より演奏効果を高めていたように思いますし、神戸さんも、叩き方が違ってました。
そして、さらに、最後の和音を引き延ばし~

大ブラボー飛び交いました。

気分すっきり、頬も紅潮したまま、この日は、都内で用事がありましたので、仲間や楽員さんへのねぎらいもせず、すぐさまホールを後にしました。

演奏する側は、きっとテンションの維持も含めて大変な演奏会ではなかったでしょうか。
お疲れ様でした。
そして、いつも、素敵な演奏をありがとう、神奈川フィル

We Love神奈川フィルのみんなは、お約束の横浜地ビールの店で、こんな美味しそうなのを食べてたみたいですよ。

Umaya

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2015年1月11日 (日)

新春ピアノ三重奏 Japan×France

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新春を感じさせるお花が、受付に飾られてました。

音楽と花と香り。

そんな五感をたっぷり楽しませていただける、コンサートに行ってまいりましたよ。

Megro_persimmon_1

 新春ピアノ三重奏

   花と共に奏でる<日本×フランス音楽>の世界

     宮城 道雄   「春の海」

     日本の四季 メドレー

     ドビュッシー  「月の光」

               映像第2集~「金色の魚」

     ラヴェル    「ツィガーヌ」

     サン=サーンス   動物の謝肉祭~「白鳥」

     フォーレ    エレジー

     ラヴェル    ピアノ三重奏曲

       アンコール  「花は咲く」

       ヴァイオリン:松尾 茉莉

       チェロ:    行本 康子

       ピアノ:     加納 裕生野

         フローリスト:元木 花香

         司会     :田添 菜穂子

                (2015.1.10 @目黒パーシモンホール)


神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります松尾茉莉さんと、その仲間たちによるコンサート。

Megro

日本のお正月・新春に相応しい宮城道雄の「春の海」で、たおやかに始まりました。

ご覧のとおり、日本の音楽と、フランスの音楽のたくみな組み合わせ。
みなさんのソロをはさんで、最後はラヴェルの色彩的な名作で締めるという考え抜かれたプログラムでした。

日本の四季の歌の数々が「ふるさと」を前後にはさんで奏でられ、会場は、ふんわりとした優しいムードに包まれました。

そのあとの加納さんのドビュッシーは、実に美しく、情感もたっぷりで、この作曲家に打ち込む彼女ならではの桂演でした。

エキゾティックなムードと超絶技巧満載のツィガーヌは、いつも前向きな松尾さんらしい、バリッと冴えた演奏。

後半は、静かな語り口で、超有名曲と、フォーレの渋い曲を弾いてくれた行本さんのチェロでスタート。

最後は、3人の熱のこもったラヴェル。
4つの楽章を持つ30分の大曲ですが、あっと言う間の時間の経過。
1914年の作曲で、いまからちょうど100年前の第1次大戦直前の頃の音楽は、夢想的なロマンと、熱気と躍動感という、ラヴェルのいろんな顔のすべてが、ぎっしりと詰まった音楽です。
きらきら感と、3楽章の神秘的な味わいをとてもよく弾きだしていたのが加納さんのピアノ。
柔らかな音色の行本さん。
そして、松尾さんは、しなやかさと、ひとり神奈川フィルとも呼びたくなるような美音でもって、魅了してくれましたね。
 若い3人の女性奏者たちによるフレッシュで香り高いラヴェル。
堪能しました。

最後は、「花は咲く」で、うるうるさせていただきました。

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そして、香りといえば、花と香りのアロマを演出されたのが元木さん。
3人が生花をつけて演奏し、しかも、ドレスはトリコロール。
ホワイエには、檜の香りが漂い、いただいた栞にも、お花の香りが。
 おじさんのワタクシですが、音楽と香りのマッチングに、思わず、頬がほころぶのでした。

センスあふれる企画と演奏、いただきました。
 

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2014年11月16日 (日)

神奈川フィルハーモニー第304回定期演奏会  金 聖響指揮

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今年も、やってきました、冬のクリスマスに向けたイルミネーション。

みなとみらいホールへは、桜木町より歩いて向かいます。

ランドマークプラザには、11月の定期では、毎回、出来たてのツリーイルミが輝いていて、これより聴く神奈川フィルの演奏する音楽への期待と不安も、美しく飾り立てて迎えてくれます。

さて、11月は金聖響さんが定期に戻ってきました。

Kanaphil201411

  クセナキキス   「ピソプラクタ」

  ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第3番 ハ短調

        Pf:ギューム・ヴァンサン※

  ブーレーズ    「メモリアル」

        Fl:江川 説子

  ラヴェル      バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

   ※アンコール

  リスト       ハンガリー狂詩曲第6番

  ショパン     ノクターン第1番 op9-1

                 (2014.11.15 @みなとみらいホール)


どうですか、このプログラム。

もう前衛とは呼べないけれど、現代音楽を、前半・後半のあたまに。

それに、王道コンチェルト(でも、3番とはまた渋いねよ)と、オーケストラの花形作品をエンディングにもってくるという、ひとひねりも、ふたひねりもあるプログラム。

こんな演目がのると、いつもと違うお客さんも聴きにいらっしゃる。
もちろん、わたくしのまわりには、いつもと同じお客様がいらっしゃって、きっと、一緒になって、ひぇ~、とか、えぇ~、とか、なんじゃそりゃ、的な思いで聴いていらしたと思います。

コンサートって、これだからおもしろい。

会場の空気を感じながら、音楽を聴くこと。

 で、その空気が、張り詰めた緊張感と好奇心で満たされたのが、クセナキス。

わたくしは、クセナキスその人の存在を、大阪万博のとき以来、名前のみを脳裏に刻みつけてはおりますが、その音楽を、まともに聴くのは、実は初めて。
アバドがウィーン時代に録音した曲を持ってますが、それがなにか思いだせないくらい。
 ですから、この作品も、ブーレーズ作品も、わたくしには語る資格がございません。

尊敬する音楽仲間、IANISさんに、神奈川フィルの応援ページに、クセナキスとブーレーズ作品について、紹介記事を投稿していただきました。→こちらをご参照

ピソプラクタ=確率的行為、というお題が、こうして生演奏で聴いてみて、なるほどと納得できる作品にございました。
弦・ウッドブロック・シロフォン・トローンボーン、合計49名。

弦のみなさんが、楽器を膝に立てたりで、一斉に、それもばらばらに、無秩序に、その胴を、コトコトと叩くところから曲は始まりました。
 ウッドブロクが、カツンカツンと決めゼリフのように、合いの手を入れるなか、弦は、ちゃんと弾くかと思いきや、それぞれの奏者が、思い思いに、ちょいちょいと弾いたり休んだり。
お馴染みのメンバーの皆さんを、右に左に目で追いながら、あっ、ここで弾いた、あっやめた、あっ、ピチカートだ、おっ、トロンボーンもぶわーーっときたし、シロフォンもコキンコキンやるし、ともかく、どこもかしこも気が抜けないし、目も耳の離させない。
 いったい、どんな風な譜面なんだろ。
ひとつの譜面を二人で見ながら、全然違うとことやってるし。
 お家に帰って、聴けばきくほど、悩みが多くなる。
そして、オーケストラのみなさんも、たいへんだったご様子で、それが痛いほどわかりました。
そして、指揮者は、よく振れるもんだと感心。
 同行の造詣深いIANISさんは、もっとはじけてもいい、おっかなびっくり弾いているとのご指摘でしたが、このようなチャレンジを重ねることで、オーケストラは成長するし、わたくしたち聴き手も、おおいなる刺激を与えられて、耳が豊かになっていくのだと思います。

 その次は、ほっと一息ベートーヴェン。
でも、ウィーンの当時は、びんびんの現代音楽作曲家だったベートーヴェンさん。

配置換えで、久しぶりに出てきたバロック・ティンパニに、あっ、今日は聖響さんの指揮だった・・・・と、思い当たり、ちょっと不安が走る。
でも、クセナキスがあったし、対向配置はなくて、通常。
そして、弦も管も、みんな普通にヴィブラートかけてます。
クセナキスのあとですから、潤い不足を感じることなく、自宅に帰ったかのような、ほんわかムードを味わうことができましたよ。
ことに、第2楽章は、素晴らしく優しく、抒情的。
 そう、この日のソロは、見た目はオジサンですが、91年生まれの若きフランスのピアニスト・ヴァンサン氏で、麗しくも優しいタッチの持ち主で、明快かつ透明感ある音色は魅力的なのでした。
 オケもばっちりで、ことに、神戸さんの叩くティンパニが、スコンスコーンときれいにホールにこだまして、とても心地がよろしいこと、このうえありません。
 クセナキスの緊張感が、ここでは薄れて、わたくしは、夢の中に、誘われそうな瞬間も何度かありました。あぶないあぶない。

大きな拍手に気をよくした、ヴァンサン氏。
いきなり、リストの大曲を弾き始めました!
繊細さとともに、驚きのバリバリの爽快超絶技巧を披歴してくれましたよ。
ベートーヴェンで見せた顔と、違う姿をわたくしたちに、見せたかったのでしょう。
ともかくすごかった。

割れんばかりの拍手に応えて、あれあれ、また1曲。
 今度は、しんみりとショパン。
わたくしの周りでは、ため息すら聞こえましたよ。
若いということの可能性と、魅力をたっぷり味わえました。
 もっとアンコールをしかねない雰囲気のヴァンサン君。
それを察したかのような、われわれ聴衆も、もうお腹いっぱい、と拍手の手を休めました(笑)

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 後半は、短いですよ。

初聴き、ブーレーズ作品。
こちらも、IANISさんの解説をどうぞ。→こちら

これはもう、フルート協奏曲かも。
ホルン2、ヴァイオリン3、ヴィオラ2、チェロ1の室内楽スケールの、透明感あふれる音楽で、ブーレーズが率いてきたアンサンブル・アンテルコンタンポランのフルート奏者追悼のオマージュとして作曲されたそうな。
こうした曲は、ともかく身をゆだねるしかありません。
聴いていて、わたくしは、ワーグナー(とくにトリスタン)→ベルク→ウェーベルン→ドビュッシー→武満・・・・というような音楽の流れを感じ、受け止めました。
 江川さんのフルートソロが、まったくもって素晴らしかった。
音の艶と粒立ちが明快で、音楽が耳に次々に届いてきました。

次ぐ「ダフニスとクロエ」でも、江川さんは桃源郷のようなフルートの音色を聴かせてくれました。
ベートーヴェンで首席をはった山田さんとともに、神奈川フィルのダブルフルート首席は、頼もしい限りです。

そして、その「ダフニス」。
われわれ聴衆の溜飲を下げるかのような、大爆発。
文字通り、たっぷりぎっしりのフルオーケストラでもって、まさに「全員の踊り」は、やったぁーーと叫びたくなるような快感と五感の喜びをもたらせてくれました。

IANIS兄貴が言ってたとおり、ブーレーズの精緻な音楽から、そのまま、ラヴェルの「夜明け」につながるような、そんな連続演奏も望ましいと思いましたが、神奈川フィルの本領発揮と思われる、美しくも眩しい、その夜明けでした。
そして、先にふれた無言劇はステキすぎだし。
ラストは、打楽器陣が、8人で、ばりばり!
爽快すぎるラストは、聖響さんのひと振りも見事にきまった!

いやぁ、面白いコンサートでした。

Landmark_4

クィーンズスクエアのツリーは、まだ点灯してません。

また来なくちゃ。

Kamon1

そして、野毛に進攻!

今回は、新潟からお越しの仲間に、さらにほんとうに久しぶりのお方や、若いお兄さん、そして、いつもお世話になってる楽団事務局の方にもご参加いただき、まいど楽しく、飲み食べ、そして、大いに盛り上がりました。

こちらは、湘南野菜の盛り合わせ。

カラフルざんしょ?
生でパリパリ食べちゃいました。

Kamon2 Kamon3

しらすピザに、たこ焼きも焼いちゃいましたよう~

みなさま、お世話になりました。

そして神奈川フィルのみなさま、いつもいい音楽を聴かせていただきありがとう。

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