カテゴリー「小澤征爾」の記事

2024年3月14日 (木)

小澤征爾さんを偲んで ③

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夏の音楽祭のタングルウッド、小澤さんの名前を冠したホール。

雪も残る場所に、小澤さんを悼む献花台が・・・・

泣けます。

ボストン交響楽団の音楽監督として、1973年~2002年までのほぼ30年間、ミュンシュに次ぐボストン響の第2黄金期を築きました。

なんども書きますが、サンフランシスコと一時は掛け持ちで、アメリカの西海岸と東とでメジャーオケの指揮者を務めたことが、日本人としてほんとうに誇りに思いました。
日本が戦争で戦ったアメリカのメジャーオケの指揮者に。
戦後30年も経ずしてオケの優秀な導き手となってしまった。
アメリカの寛容さとともに、西洋音楽の世界にたすき一本で飛びこみ、成功を勝ち取った小澤さんの胆力をこそ最大限に褒めるべきでしょう。

ここにある白い上っ張りのような上下のスーツ。
当時のクラシック業界では極めて異例だったかと思います。
アメリカとフランスだから受け入れられた、クラシック業界の型破り的な存在が小澤さんで、いまこそ思えば、そんな姿も心から誇らしく感じます。
日本が誇るもうひとり、あられチャンやドラゴンボールの鳥山明さんの訃報にも驚いたばかり。
世界で、その名を言えばわかる日本人のともに代表格。
いまこそ、政府はおふたりに、国民栄誉賞を与えるべきだ!

「小澤&ボストン」

たくさんの名盤から、忘れえない音盤を。

ボストン響はRCAレーベルの専属だったので、小澤さんとボストンとの初録音は69年の「カルミナ・ブラーナ」と「火の鳥」「ペトルーシュカ」。
ペトルーシュカは唯一の録音なので貴重だし、カルミナ・ブラーナでの小澤さんのリズム感抜群の若さ、マッチョなミルンズのバリトンなんかも聴きもの。
リマスターで再発して欲しいです。

その後、ボストンはDGに録音するようになり、小澤さんはEMIに録音していたので、73年の音楽監督就任までは、DGはスタインバーグ、ティルソン・トーマス、アバドの指揮でボストン録音。
ホールの特性も活かし、重厚感とヨーロッパ風な落ち着きあるDG録音は極めて新鮮だった。

①ベルリオーズ

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   幻想交響曲 1973年

38歳の小澤さん。
ベルリオーズの本来持つ音楽、さわやかさと抒情味、小澤ならではの豊かなリズム感。
スピード感もあるしなやかさも誰の幻想にもないものだった。

いま聴いても爽快でかっこいい幻想だ。

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    ファウストの劫罰 1973年

幻想と同じ年に録音。
声楽を伴った大作を、てきぱきと、演奏者側にとっても、聴き手にとっても簡明でわかりやすい解釈をほどこす指揮者。
レコード時代は3枚組の大作が、CDでは2枚で、あっという間に聴くことができる。
まさに劇的なドラマ感を伴って2時間ちょいが、ほんと短く感じる見事な指揮。
当時まだ、ミュンシュの指揮を知っている楽員も多数いたはずだが、剛毅さとは違う、ベルリオーズの輝かしさを引き出す小澤には、そうした楽員さんもほれ込んだことだろう。
ただタングルウッドの合唱団の精度は今聴くとやや厳しい。
 新日フィルでこの作品を聴いたときは、日本語での演奏だったこともいまや懐かしい。

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   レクイエム (1993年)

DGへの一連のベルリオーズから20年。
得意の作品で、若い頃から何度も取り上げていた。
シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、途方もなくバカらしい巨大な編成
初聴きがFMで放送された小澤&ベルリン・フィルのライブで、大音響を期待して聴いたが、そんなシーンは全体の一部で、全編に死を悼む、歌心とリリシズムにあふれた作品とわかったのも、小澤さんの指揮あってのものだった。
円熟期を迎えた小澤さんのベルリオーズは、この時期にまた幻想やファウスト、ロミオをボストンで再録音して欲しかったと思わせる。
こけおどし的な大音響におぼれない、真摯な姿勢でベルリオーズの抒情性を引き出した。
ロミオとジュリエットは実は持ってません・・・・

DGというのは不思議なレーベルで、ベルリオーズ全集を小澤でやりかけて、途中で止まってバレンボイムに変り、それもまた止まってレヴァインに、それもまた完結しなかった。
ボストンのネット放送で、ベアトリスとベネディクトが流されてましたので、こうした録音もなされなかったのが残念だし、今井信子さんとハロルドも録音して欲しかった。
大きな所帯のレーベルだと、レパートリーがかぶって、全集録音完成がなかなかままならないものだ。
小澤&ボストンで残せなかったもの、ベルリオーズとベートヴェン、ブラームスの全集などです。

②マーラー

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  「千人の交響曲」  (1980年)

77年のDGへの1番が、若やいだ眩しさ感じる演奏で、このままマーラーシリーズに突入するのではと期待したが、それは持ち越され、フィリップスレーベルへと引き継がれ、いきなり8番!
この時期、小澤さんは、巨大な作品のスペシャリストとしてパリとベルリンでさかんに取り上げ、ボストンではライブ録音につながりました。
ここでも大曲を豊かな構成感でもって、わかりやすく聴かせるツボを押さえた小澤ならではの小澤節が随所に聴かれる。
第2部の感動的な高揚感は、すべての奏者・歌手の一体感を感じます。
みんなが小澤の棒に夢中になってる様子がわかる。

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   交響曲第2番「復活」 (1986年)

小澤の復活、ことあるごとに指揮してきた勝負曲だと思います。
自信と確信に満ちた演奏は、極めて感動的でどこにもブレのないまっすぐな演奏で、ラストではじっと聴いていられないくらいに感動してしまう「復活」だ。
いくつかある「小澤の復活」、この際みんな聴いてみたいと思っている。

1980~1993年までかかった小澤のマーラー全集。
フィリップスレーベルはよくぞ、最後まで完結してくれたと思うし、ボストン響の高性能ぶりと美しい音色、ホールのプレゼンスのよさ、日本人としておおいに共感できるしなやかなマーラーが残されました。
10番アダージョまで含めて、大切なマーラー全集のひとつですが、「大地の歌」は残念です。

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2002年に最後の定期でとりあげたマーラーの第9は、NHKで放映され、わたしも録画して大切にしてます。
感動的な第9で、濃密なバーンスタインとはまったく違う、われわれ日本人好みの和風だしのような味付けのマーラーは、小澤さんの侘び寂様式のなせる技かと。
それをボストン響から引き出しているところがすごい。

以上、ベルリオーズとマーラーが、小澤さんとボストン響の最良の演奏だと思うし、小澤さんのもっとも得意なレパートリーじゃなかったかと思う。

③R.シュトラウス

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 「英雄の生涯」「ツァラトゥストラはかく語りき」 (1981年)

小澤さんの初の本格的なシュトラウス作品。
デジタル初期で、レコード時代末期の発売は、レコード1枚特価で2000円で購入。
あまりの録音の素晴らしさと、小澤の小俣の切れ上がったかのようなカッコいいシュトラウスサウンドに痺れまくった。
同じく、レコードで親しんできたメータの重厚で鮮明すぎる演奏とも違う意味で、鮮やかかつ、すべてが明快ですみずみまで聴こえる見晴らしのいいシュトラウスだった。
2枚のレコードがCDでは廉価になり、1枚に収まって1000円を切るようになり、それのみがショックだった。
ともに、ボストン時代の朋友、シルヴァースタインのヴァイオリンが鮮やかでありました。

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 「ドン・キホーテ」 (1984年)

CD初期に買った1枚で、タスキ付きで貼りました。
タスキもまたうまく溶け込んだようなジャケットイメージだったので。
ロストロポーヴィチとカラヤンのレコードで刷りこみだったこの曲を、東洋人のふたりが取り組んだ1枚は、濃密なカラヤン盤のようでなく、さらりとした筆致で淡々と描いた浮世絵みたいなドン・キホーテだった。
この頃の小澤さんを描いたドキュメンタリーで、ヨーヨーマと語りあうシーンがあり、アジア人同士、この先は映さないで欲しいというような、音楽と人種(?)に触れていくシーンがあった。
その先のことは、語らずもがなで、自分のなかでも、西洋音楽をどう受け止めて楽しんでいくのか、という投げかけにもなり、小澤さんが戦ってきたもの、勝ち得たものの大きさを感じた次第なのです。

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  楽劇「エレクトラ」 (1988年)

ダングルウッドでは、コンサートオペラの形式演奏も多く、きっとそこで演奏されたボストン響のオペラ録音。
このおどろおどろしいけれど、実はシュトラウスの高度な作曲技法と交響詩で培った巧みなオーケストレーション、そして歌をオケの一部ともしてしまうとうな巧みな歌の数々。
このあたりを小澤さんは、見事に解析して明快に解釈してみせた。
オペラティックな要素は弱いけれど、一気呵成のドラマ感も巧みに表出。
ボストン響の巧さと軽やかさ、ベーレンスの軽やかでもあるタイトルロール、録音のよさ・・・数あるエレクトラのなかでも名演中の名演と思っている。

④チャイコフスキー

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 交響曲第5番と6番 (1977年、1986年)

なんども繰り返し録音を重ねたチャイコフスキーの後期の3つの交響曲。
ボストンとのこのふたつの録音が、いちばん安定しているし、完璧な演奏だった。
DGの5番は、輝かしく美しい。
このときに3つ全部録音してほしかったし、1~3番も残して欲しかったものだ。
悲愴が大好きだったと思う小澤さん、パリ管、サイトウキネンでも録音したし、ライブでも複数音源があります。

三大バレエもボストンと録音。
眠りの森だけは組曲となりましたが、シンフォニックなかっちりとした「白鳥の湖」は聴く音楽としては完璧な出来栄えかと思う。
協奏曲も複数録音ありますが、若い頃のものを聴いてみたい。

でも「小澤のチャイコフスキー」の真骨頂はふたつのオペラにあります。

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 「スペードの女王」 (1991年)

オネーギンとスペードの女王のふたつのオペラで持って、小澤さんは、欧米各地のハウスを席巻したと言っていい。
ボストンでのスペードの女王は、この演奏の模範的な演奏で、ロシア的でない、欧風でもない、ピュアなチャイコフスキーのオペラスタイルを打ち立てたものだと思う。
ふだんオペラのピットに入らないボストンだからこそ、ということもあり、オネーギンもこのコンビでやって欲しかった。
小澤さんのチャイコフスキーのオペラには、フレーニが必ず共演していたこともフレーニファンとしてはうれしいことだ。
この演奏を聴くと、ボストン響がほんとうに優秀なオケだと思うし、その音色がともかく美しいこともわかります。

⑤ストラヴィンスキー

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 三大バレエ

小澤2度目の春の祭典は、アナログ時代最末期の1979年の録音。
学生時代のことだったが、めちゃくちゃ録音がよかったし、ボストンを完全に手中に納めた小澤さんの指揮ぶりが小気味よさと爆発力の兼合いがバツグンで、痺れるような演奏だった。
シカゴとの若き日の演奏よりも大人な演奏。

ペトルーシュカは、先に触れた通りだが、組曲でのボストンとの初期録音の「火の鳥」は、小澤さんの得意曲で、パリ管との全曲盤に続いてボストンとも1983年に全曲盤を再録音して、その堂に入った落ち着きある演奏は美しさも感じるものだった。
しかしながら、パリ管とのほうが、ずっとイケてると思う。

⑥フランス系

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 ラヴェル 管弦楽曲集 (1974年)

ボレロやスペイン狂詩曲の1枚に続いて、いきなり4枚組の全集が出たのが1975年で、その前年の録音。
ラヴェルの生誕100年にDGが小澤にまかせた記念碑的な全集。
オペラがこのときに残されなかったのが残念だが、わたしは、新日で同時期に小澤さんのラヴェルをかなり聴きました。
子供の魔法も、コンサート形式で聴きましたし、武満徹作品の初演との組み合わせも聴きました。
70年代後半から80年代、小澤さんの一番輝いていた時期を聴けたことがありがたい。


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 フランクとプーランク (1991年)

メインのフランクの交響曲もいいが、ややこじんまりとしすぎ。
むしろプーランクがすばらしくて、小粋さとしゃれっ気が、小澤さんがプーランクのスペシャリストであったことがよくわかる。
スタバト・マーテルとグローリアも極めてかっこよくて、DGには、そのままプーランクのオペラなども続けて欲しかったと思います。

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     「パリの喜び」「スペイン」「ミニヨン」「ファウスト」(1986,7年)

フランス音楽の華やぎを、瀟洒に、そしてさらりと日本人らしく描いてみせた傑作で、同時にヨーロピアンなオケの音色も魅力も全開だ。
録音もジャケットも素晴らしい、この先、ずっと手元に置いておきたい名盤だと思います。
カラヤンも同じような豪奢な1枚を残したが、あの華やぎは何度も聴けるものではないので・・・

小澤&ボストンは、フォーレにもオケ作品とレクイエムの録音があるが未聴です。

⑦20世紀音楽の名演

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  レスピーギ 「ローマ三部作」 (1977年)

ローマ三部作の面白さを私に植え付けてくれたのが、小澤さんのレコードだった。
録音も素晴らしくって、ボストン響の抜群のウマさとパワフルだけど、品位を兼ね備えた演奏が実に素晴らしかった。
若い頃は、豪快なシーンばかりに耳が行ってしまったが、昨今、この小澤盤を聴くときは、静かで精緻な場面に耳をそばだてるようになった。
それだけ緻密な演奏であり、心配りの豊かなローマ三部作なのだ。

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  シェーンベルグ 「グレの歌」 (1979年)

小澤さんの音盤のなかで、1番ともいえる名演であり、同曲の数多い演奏のなかでも1.2を争う演奏。
何度も書きますが、声楽を伴った大きな作品と、一瞬たりとも弛緩せずによどみなく、わかりやすく、そしてあるがままに劇的に仕上げることのできた小澤征爾。
しかもこの精度の高さをライブでもなしえてしまう耳のよさと職人技。
もちろんライブ感あふれる白熱さや感興の高まり、興奮などもこの膨大な作品にとてもあっている。
歌手も素晴らしくて、ノーマンもいいが、トロヤノスがいい。
やぶれかぶれのマックラッケンもとんでもなくヘルデンしてる。
小澤さんの追悼に、マーラー9番や10番もしめやかでいいが、わたしは、グレ・リーダーの輝かしいラストも相応しいと思った。

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  アイヴス 交響曲第4番 (1976年)

これも小澤&ボストンの傑作の1枚。
副指揮者を要し、若い頃はその副指揮者だった小澤さん。
ここでは、ひとりですべてをこなし、当時はベルリンフィルでも指揮して一同を驚かせてしまった。
抜群の切れ味とクールさ、音色のあたたかさ、複雑な音楽がやがて収斂して簡潔に響くようになる様を見事に描き切る能力。
4つの交響曲、ぜんぶやって欲しかった。

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  武満 徹 「カトレーン」「鳥は星形の庭に降りる」 (1977年)

小澤&ボストンの武満は今や希少です。
研ぎ澄まされた武満作品に、小澤さんの緻密な指揮と味わいは必須。
ゼルキンやストルツマンのアンサンブルタッシを想定して書かれた「カトレーン」は異空間のイメージ漂う夢想とリアルが入り乱れる曲で、わたしはこの初演を聴いております。
ボストンでの初演作、鳥は星形と合わせ、自分には思い出深い1枚です。
日本人指揮者は、みなさん共通に武満の音楽をレパートリーにしてますが、小澤、岩城、若杉、秋山の4氏が最強でありましょう。
日本人作品も多く指揮して広めた功績も小澤さんにはおおいにあります!


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小澤・ボストンの最良のピーク時の1986年の来日、わたしは聴くことができました。
サントリーホールがまだなかったので、文化会館をメインに、横浜、大阪、京都、神戸、尼崎、広島、静岡、甲府という公演。
いまプログラムを見返し、日本の受け入れ側も地方が豊かで、中央ばかりでなかったことがわかります。
プログラムは、マーラーの3番をメインに、ベートヴェンの3,5番、ブラームス1番、ツァラトゥストラ、弦チェレ、マメールロワ、プロコのロメジュリなどです。
初心者もツウもうならせる見事な演目を日本各地で披露したのでした。

ワタクシは、文化会館でのマーラー3番。
この曲のライブの最初の機会でした。
もうね、小澤さんのキビキビとしつつ、巧みなキューと音楽そのものと化した指揮姿に釘付けでしたよ!!
ボストンの面々も真剣に、深刻に、ときに喜悦に満ちた表情を浮かべながらの演奏は、指揮者に全幅の信頼を寄せてのものでした。
ビムバムが日本の少年少女たちによって歌いだされると、楽員のみなさん、とくに多くいらした女性奏者たちが、お互いに顔を見合わせながらにこやかにしているのをまじかに拝見。
最終楽章の麗しき平安の世界を描いた小澤さんの指揮ぶりと、楽員のみなさんの幸せそうなお顔の数々・・・・
いまでも覚えてます。

音楽史上、もっとも幸せな結びつきだったのが、「小澤征爾とボストン響」だったといえると確信します。

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ボストン響のX投稿から。
歴代のボストン・ポップスの指揮者たちともお友達。
切れちゃってますが現在のネルソンスとのツーショットもうれしい。

まえにも書いてますが、神奈川県西部に育ったワタクシは、高校時代にオーケストラ部にちょっと所属してまして、そのときの仲間と近くの箱根に遠足。
そこで出会った外国人に、果敢にもみんなで声掛けし、どこから来たんですか?
ボストンよ、と妙齢のマダム。
すかさず、ワタクシは、ボストン・シンフォニー、セイジオザワと矢継ぎ早に返信。
ご婦人と旦那さんは、思い切りにこやかに、ベリーグッドと答えてくださいました。
もう半世紀近くまえの思い出語り、片田舎の青年でも、小澤さんがどれほど誇らしく思えたことでしょう。

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ボストン響のHPから。

シンフォニーホールの「B」を消灯して、「SO」

「セイジ・オザワ」

永遠なれ、われらが小澤征爾さん!

ありがとう、わが音楽ライフを導いていただきまして。

ゆっくりおやすみください

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2024年3月 2日 (土)

小澤征爾さんを偲んで ②

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小澤さんの公式サイトからの訃報のご案内。

逝去が伝えられてから、世界のありとあらゆる方向から、お悔やみが報が相次ぎ、こんなところでも小澤さんは指揮台に立っていたのかと驚くばかりでした。

前回の記事にも書いたとおり、「世界のオザワ」は、われわれが思う以上に「世界のオザワ」だったし、偉大な存在だったことを思い知りました。

1回や2回では終わりそうもない、小澤さんと世界のオーケストラとの共演のレビューですが、こたびの訃報を受けてのまとめでは、ボストン響とそれ以外と、大きく2回に分けて顧みてみたいと思いました。

ボストンは最終として、まずはそれ以外のオーケストラや劇場との演奏を手持ちの音源やエアチェック音源で大急ぎで聴きなおしてみました。

①NHK交響楽団

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武者修行→ブザンソン、カラヤン・コンクール、クーセヴィッキー賞を経て、カラヤンとバーンスタインの知己を得た小澤さんを、日本を代表するオーケストラが迎えたのは自然な流れ。
そこで起きた不幸な出来事は語り草の世界ともなりましたが、1963年を最後に、後年N響の指揮台に復活するまで32年を経ました。
キングレコードからかつて出たN響のライブを集めたなかにあったのが、62年のメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」。
それを先ごろNHKが放送してくれて、聴くことができましたが、切れ味抜群で、豊かなエキゾシズムを讃えたシャープな演奏でした。
95年の歴史的な再開も、ロストロポーヴィチの登場も合いまして、当時とても感激した思いがあります。
しかし、その32年間は長かったし、もったいなかった長い期間でした。

②ニューヨーク・フィルハーモニック

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 バーンスタインの元で副指揮者をつとめ、1961年から1971年まで、その指揮台に立った。
同団の追悼を見ると124回のコンサートがあったというから、その一端でも聴いてみたいものだ。
バーンスタインの青少年向けのヤングピープルズ・コンサートにも若き小澤さんは登場していて、わたしも中学生のころに見た記憶がある。
正規録音としては、アンドレ・ワッツとのラフマニノフの3番の協奏曲ぐらいと、アイヴズぐらいしかないのが残念。
来日公演の記録とかもないものかな・・・・
1970年の同団の来日では、日本フィルとの野球対決があり、そのときのレコ芸の写真はいまでも大切にしてます。
バーンスタインのあと、NYPOはブーレーズを指揮者に選んだわけだが、このとき小澤さんだったら、ボストンとの関係は出来なかったかもしれませんね。

③トロント交響楽団

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日本でのポストを伴った活動を辞して、アメリカ大陸での活路を求めた小澤さんの前には、自由で小澤さんの音楽スタイルを受容してくれる音楽風土がありました。
シカゴでのラヴィニア音楽祭と同時期に、カナダのトロントでポストを得た小澤さんは、後年もずっと繰り返し指揮し続けたレパートリーを取り上げました。
「幻想交響曲」と「トゥーランガリラ」と武満作品です。
いずれも、録音もいまだに素晴らしく、若き小澤のメルクマールとしての名盤としてずっと残しておきたい演奏だと思います。
ちなみにトロント響は、かつては楽団存続に危機もありましたが、いまはG・ヒメノのもと、なかなかよさげな活動をしてます。

④シカゴ交響楽団

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 夏のラヴィニア音楽祭での成功から、ショルテイ就任前のシカゴ響との関係を深めたのは、マルティノンが音楽監督時代で、60年代半ばから後半まで。
RCAレーベルとトロント響と同時に、いくつもの録音をなし、さらには欧州ベースのEMIにも録音が開始されたことで、日本人として初の欧米メジャーレーベルとのレコード録音という快挙を成し遂げたのでした。
この頃から、小澤さんは長髪となり、燕尾服やスーツを着ないで、白い上っ張りのような衣装や、白いタートルネックを着用するようになり、お堅いクラシック業界のなかにあって、型にはまらない革新的な存在としてビジュアル面でも抜きんでた存在となっていきました。
まだビートルズが解散せずに、世界のミュージックシーンを席巻していた頃です。
 こうした小澤さんのクラシック音楽界における革新性は、そのスポーティな指揮姿とともに、ビジュアル面、大胆で斬新な音楽造りといった多面的な要素が合い増して、世界に新鮮さと驚きをあたえることとなりました。
当の日本では受け入れられず、アメリカが迎えた小澤さんなのでした。

シカゴとの音源では、「シェエラザード」とヤナーチェクのシンフォニエッタが極めて秀逸。
RCAへの、ベートーヴェン第5や「春の祭典」も、のちのボストンでの大人の演奏もいいが、若書きのこちらもすこぶる鮮度が高い。

⑤日本フィルハーモニー交響楽団

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 日本では、フジサンケイグループの傘下にあった日フィルが小澤さんを迎え、首席指揮者として、読響の若杉さんとまるで競争するように、当時日本初演となるような大曲を次々に演奏していった。
前の記事にも書きましたが、フジテレビ関東局8チャンネルの日曜の朝、日フィルの演奏会の放送があり、そこで小澤さんの名と指揮ぶりをしることとなりました。
日フィル時代の小澤さんの音源は、万博の時期も重なり、日本人作曲家のものや、協奏曲作品が多くあり、いまそのあたりを聴いてみたいと思っています。
1972年、フジグループの放送撤退で、楽団の危機に陥り、分裂した日フィルからの新日フィルに小澤さんは注力することとなりました。

⑥サンフランシスコ交響楽団

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 1970年に音楽監督就任、当時アメリカでの録音に乗り出していたDGとすぐさま契約し、ガーシュインやバーンスタイン作品を録音。
ロメオとジュリエット3態などは、企画の良さもあって絶賛されました。
サンフランシスコ響はフィリップスとも録音を開始し、DGにはボストンとの録音ということで、70年代はアメリカでメジャーレーベルを股にかけての活躍が目立ちました。
明るく、カラッとしたカリフォルニアサウンドともてはやされ、それはフィリップスレーベルの音の良さも手伝って、小澤さんの竹を割ったような明快サウンドとともに日本のわれわれも、誇らしい思いにさせてくれたのでした。
英雄と新世界、のちの再録音より、このときのものが私は大好きですね。
サンフランシスコ響が、アメリカでのメジャーの存在を確立できたのは、小澤さんの治世からだし、次のデ・ワールト、ブロムシュテット、MTT、サロネンの秀逸な指揮者に恵まれていくのも小澤さん以降です。
 先にも書きました、1975年の同団との凱旋公演は、小澤さんが海外のオケを引き連れて日本に帰ってきた初の公演だった。

⑦パリ管弦楽団

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 1970年頃からその相性の良さもあいまって、EMIでの録音の始まったコンビ。
チャイコフスキーの4番、火の鳥、ベロフとのストラヴィンスキー、ワイセンベルクとプロコフィエフとラヴェルといった具合に、カラフルな曲目を、まさにそれらしく演奏した華やかなイメージを与えたコンビ。
ミュンシュのオーケストラをボストンと同じように小澤さんが指揮をして、EMIにレコーディングをする、これもまた日本人の気持ちをめちゃくちゃ刺激する快挙でありましたね。
 さらに小澤&パリ管は、フィリップスへも録音を開始ししたけれど、チャイコフスキーの録音だけで終わってしまったのが残念なところだ。
パリ管は、バレンボイムでなく、小澤さんを選択すべきだったと思うし、ボストンとパリの兼任はレパートリー上もやりやすかったのではないかと思いますね。
フランスのオーケストラとは、このあとフランス国立菅との関係を深めていくことになります。
パリ管の訃報記事がなかったが、その本拠地のフィルハーモニーの追悼X

⑧新日本フィルハーモニー交響楽

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日フィル解散後、自主運営で荒波に漕ぎ出した新日本フィルを当初かた導いたのが小澤さん。
楽壇の追悼文を拝読すると、小澤さんとの共演は624回に及んだとしており、ボストンと後年のサイトウキネンとともに、小澤さんともっとも親しく音楽を歩んだオーケストラといえます。
私も「燃える小澤の第9」のキャッチで買ったレコードを気に、第9で小澤&新日フィルのコンサートに通い始め、会員にもなって、数えきれないほど聴かせていただきました。
それらの詳細はいつかまとめて記録しておこうと思います。
小澤コネクションを活かして、世界のトップが客演してくれて、新日の演奏会で間近に聴くことのできた偉大な演奏家もたくさん。
ゼルキン、ポリーニ、ベーレンス、ノーマン、タッシほか、たくさん。
武満作品の初演や、オペラもいくつか、レコーディングしなかったシューマンなども・・・・
ほんとにありがたく、身近な存在として感じられた小澤&新日フィルなのでした。


⑨ボストン交響楽団

 サンフランシスコと兼任で、1973~2002年という長期にわたる音楽監督の在任記録を作りました
ボストンとの関係は、特別ですので、追悼③にて取り上げたいと思います。

⑩ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

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  デビューしたてのころは、ロンドン交響楽団との共演や録音があった。
その後、70年代以降のロンドンでのオーケストラパートナーは、当時のニュー・フィルハーモニア管だった。
アーカイヴは全部調べておりませんが、それでもニュー・フィルハーモニアとは70年代までの共演でとどまった。
しかし、その関係は相思相愛だったはずで、ボストンやパリでやった演目をそのままロンドンでも指揮していました。
第9の2枚組のレコードの最終麺に、リハーサル風景が収録されていて、和気あいあいとした雰囲気のなかに、また皆さんと共演できます、ベルリオーズのファウストですと小澤さんが言うと、楽員から大喝采があがりました。
その第9は、おりしも世界的なオイルショックのおりの録音で、会場には満足な暖房がなく、みんな防寒着を着て演奏している光景もジャケットや手持ちの雑誌に残されてます。
しかし、音楽はとんでもなく熱く、オケも合唱も、ソロもみんな、小澤さんと一体化して、ライブ感あふれる演奏が見事なフィリップス録音でもって残されたのでした。
この「小澤の第9」はほんとに大好きです。
ニュー・フィルハーモニアとはモーツァルトの交響曲、P・ゼルキンとのベートヴェンもRCAに残されましたが、こちらは未聴で聴いてみたいですね。
 今回の訃報は、ロンドンのオケはあまり取り上げてなかったです。
その点がちょっと意外だった。

⑪フランス国立管弦楽団

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パリ管との関係から、フランス国立菅へとパリでの活動の比重を移しました。
思えばバーンスタインもそうでしたね。
フランス的な作品ばかりを録音し、カルメンを含むビゼー、オネゲル、オッフェンバックなど、それらの作品のスタンダードとなりうるものばかり。
そのレパートリーもふくめ、小澤さんの一番素敵な側面が聴かれるのがフランス国立菅との演奏だと思います。
華やかに響きがちだったパリ管よりも、小澤さんの円熟度合いも深まった、ナショナル管との方がいいですね。
実際の演奏会では、マーラーの千人とか、大規模作品をやっていて、アメリカ、ドイツ、フランスでの各地の演奏拠点での小澤さんのレパートリーの組み方、誰かアーカイブを作成してくれませんかね。

⑫ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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 カラヤンに教えを請うたゆえに、当然にベルリン・フィルとも深い関係を築く。
1966年以降2016年まで、極めて多くのコンサートを指揮し、日本にも一緒に来た。
ベルリン・フィルでは声楽を伴う大規模作品をしばしば取り上げたが、そうした大作の録音がなされなかったのは本当に残念なことだ。
楽団は、小澤さんを名誉団員として迎え、大いに評価したこともまた誇らしいことです。
カラヤンの輝かしい音色とは違う、機動力に飛んだしなやかで鋭敏な演奏を小澤さんと残したベルリン・フィル。
このオーケストラもまた小澤さんとの相性がバツグンだったと思います。
チャイコフスキーの交響曲や管弦楽作品、ガーシュイン、カルミナ・ブラーナなどの華やかな作品のほか、このコンビの金字塔はプロコフィエフの交響曲全集であろう。
これだけでこぼこのない、高水準のプロコフィエフ全集がベルリン・フィルによって残されたことが幸甚なことだ。
手持ちに、マーラーの千人の交響曲の75年のエアチェック音源があるが、その熱量たるや目を見張るものがあり、ライブでの小澤さんのすごさをまざまざと感じさせます。
将来、ベルリンでのライブ音源が正規化されることを望みます。

⑬サイトウキネン・オーケストラ

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いうまでもなく、小澤さんの生涯の師は斎藤秀雄さんでしょう。
バーンスタインでもカラヤンでもなく、斎藤サン。
独特の指揮の技術は、日本人ならではの細やかさと、緻密さ、細かなところまで伝達できる人知と決めごとを伴ったものでしょう。
秋山和慶さんとともに、1984年にスタートした日本人によるスーパー・オーケストラはのちのアバドのルツェルンにも匹敵するような、同じ思いを共有する者同士の有機的なオーケストラ。
ブラームスの全集は、われわれ日本人が世界に誇るべき超名盤だと思います。
数多くのメジャーレーベル録音も残しましたが、わたしにはこのブラームスを越える演奏が見当たりません。
もちろんいまだに聴いていない音盤もあるし、恥ずべきことに実演での小澤&サイトウキネンを経験してません。
でも、批判を覚悟に述べますが、海外のトップ奏者もいるとはいえ、日本人同士のどこか箱庭的な演奏に、のちになっていくのを感じましたし、小澤の円熟が、あまりに悟りの境地的な、上善如水のような無色透明な領域の高みへと達しすぎてしまった感を自分では否めず、その音楽が楽しめなくなっていったのでした。
こんなこと書いてケシカランと思うむきもございましょう。
円熟の極みは、オケが感化されてしまい、なにごとも予定調和に安住してしまうという弱点もあるとも思う。
昨今でいえば、ブロムシュテットがそのような高みに至っているし、引退前のハイティンクもそうだった。
 しかし、そんな小澤&サイトウキネンの超絶名演は、あとは武満作品とプーランクにあったと思ってます。
透明感と軽やかさ、それが小澤さんの晩年スタイルだったかと。
水戸室内管も仲間同士の思いが結実した楽団で、小澤さんは1990年結成時かた指揮をしてました。
澄んだ晩年スタイルをより徹底させるには、日本人による室内オケがいちばんだったでしょう。
若い奏者たちを好んで指揮し、指導したのも小澤さんならではです。

⑭ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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 ウィーンフィルとも1966年に初共演。
ザルツブルク音楽祭でいきなりコジ・ファン・トゥッテを指揮したが、そのときの評価はまちまちだったとのこと。
ウィーンフィルとの本格活動は、1980年代後半からでフィリップス録音でのドヴォルザーク・シリーズやR・シュトラウスなどは、このコンビならではのまろやかかつ、リズム感にあふれた演奏だと思う。
でも世評高いシェエラザードは、かつてのシカゴやボストンの方が面白みがあるし、ウィーンフィルとしてもプレヴィンの二番煎じみたいな感じだ。
 ウィーンフィルとはベルリンでのような大胆なプログラムの選択が出来ず、さらには体調も関係もあり、小澤さんならではの大向こうをはった演奏ができなかった、そんなイメージがあるコンビです。
そんななかで、エアチェック音源での、シェーンベルク「ペレアス」がドライブも効いてて、さらに濃厚さと透明感がいい具合な名演だ。
ウィーンとは、もっと若い時期での蜜月を望みたかった。
 ニューイヤーコンサートでは、小澤さんならではのライブ感と盛り上げのウマさが際立ったものでしたが、体調のこともあり、その後の登場がなかったのが残念ですね。

⑮ウィーン国立歌劇場

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  ウィーンとの良好な関係は、オペラ座の音楽監督というポストに帰結し、それはアバドのあとの数年の空白を埋めるものでした。
アバドと小澤、それからメータは、みんなアドバイスし合う仲間で、ウィーン時代のアバドにインタビューをした岸恵子さんがMCをした番組に、オネーギンで客演していた小澤さんや、その小澤さんがアバドに電話をしてきた様子などが放送されました。
スカラ座に小澤さんが登場したのもアバドの時代。
そんな横のつながりが、国際的であり、音楽でつながる信頼感のようなものに感じ、とてもうれしく思いました。
シュターツオーパーのアーカイヴを調べると、88年のオネーギンから09年の同作品まで、18作品を指揮してます。
ふたつのチャイコフスキー作品、ファルスタッフ、オランダ人、トスカ、ヴォツェックなど、得意のレパートリーに加え、クルシェネクの「ジョニーは演奏する」を上演するという画期的なこともなしました。
 しかし、小澤さん、もっと早くにオペラに入り込んで欲しかった。
アメリカのオーケストラの音楽監督は音楽以外のこともあり、忙しいと聞く。
どこかのハウスで、レパートリーの拡張をしておくべきだった・・・というのは贅沢な思いですかね。
ウィーンの劇場の音源はORFに記録がたくさん残っているはずです、このあたりも楽しみです。

⑯そのほか

スカラ座には、コンサートとオペラで何度か登場。
トスカ、オベロン、オネーギン、スペードの女王がその演目。

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パリ・オペラ座とはウィーン前はかなり登場。
なんといっても、メシアンの「聖フランチェスコ」の83年の初演が歴史的な快挙。
この長大なオペラを初演に導き、完全に手の内におさめたわかりやすい指揮は、小澤さんならではで、ほかの指揮者ではあの時ありえなかったことだろう。
小澤さんの代表作といっても差し支えないと思う。
パリでの相性のよさは、オペラでも同じ、ファウストの劫罰、フィデリオ、トゥーランドット、トスカ、ファルスタッフ、タンホイザーなどを指揮している。
フランスのミュージック専門サイト、国をあげて小澤さんを追悼してました。

メトロポリタンオペラには、オネーギンとスペードの女王の2演目で。
92年と2008年です。
こうしてみると、小澤さんのもっとも得意としたオペラは、チャイコフスキーのふたつの作品ということになりますね。
抒情と劇性のたくみな両立、そしてサスペンスにも似たスリリングな音楽造りがばっちり噛み合ったのがチャイコフスキーのオペラだったのでしょう。

コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラ
ここでもオネーギン。
しかし、1974年の1度だけで、このときはショルティにとってかわってレコーディングが行われた。

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以上、ざっと思い当たる小澤さんの指揮した先を調べました。
それにしても、アメリカ・ヨーロッパ、当然に日本で、ロシア以外の世界で活躍。
そして2010年以降の体調不良で、アクティブな小澤さんの活動の足を引っ張ることとなり、それ以降は晩年といえる余生を過ごすことになってしまったことが残念極まりない。

最後は、ボストンでの音楽を聴きつつ振り返りたいと思います。

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献花台を見てたら泣けてきました・・・・

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2024年2月11日 (日)

小澤征爾さんを偲んで ①

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ここ10年ぐらいの体調不良と毎夏に松本で見られるそのお姿から、やはり来るものが来てしまったという覚悟の末に届いたその訃報。

2月6日に安らかにお休みになられたとのこと。

小澤征爾さん、享年88歳。

ずばり、悲しいです、とんでもなく寂しいです。

わたしも、もうそこそこの年齢になっている。

小学生の頃から、クラシック音楽に親しみ、いろんな音楽家とともに歳を経ながら彼らの音楽を聴いてきた。

ずっと先輩ですが、小澤さんは、われらが日本人にとっても誇れる存在だったし、自分も小学生の頃からテレビで視聴して、小澤さんを聴きたくて、人生で初のオーケストラの定期会員になったという自分の歴史もあります。

最初の画像は、30年余りの長い歴史を築いたボストン交響楽団のホームページの冒頭です。
世界各国のオーケストラがお悔やみを述べ、世界各国の芸術家、音楽関係団体、ホール、音楽メディア、あらゆる方々が小澤さんの訃報を伝え、自分たちの小澤さんとの関係や思いを表明してます。

亡くなってしまい、ほんとうに、つくづくと思うこと、小澤さんは「世界のオザワ」だった。

小澤さんの追悼記事を起こしたいと思います。

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小澤さんを知ったのは1969年、音楽雑誌でいろんな第9の特集をやっていて、その年の日本の第9はどうなる?という記事もありました。
日本のオケの第9は、3人の指揮者に注目!、ということで、N響は岩城宏之、読響は若杉弘、日フィルは小澤征爾、という3人。
N響への信頼度はテレビの影響が大きかったのはあたりまえですが、小澤さんがあのころから長髪になり、クラシック音楽の固いイメージとは違う姿をしていたこともあり、わたしはやっぱり、岩城さんだなと子供ながらに勝手に思っていた時代でした。

N響事件の真相を知ったのはもっとあとのことだった。
おなじテレビでも、フジテレビがスポンサーだった日本フィルは、日曜の朝、日フィルの演奏会を放送していて、渡邉暁男や手塚幸紀などとならんで小澤さんの指揮姿も観ていたのでした。
その日フィルが危急存亡の危機に陥り、小澤さんの必死の活動も、いろんな書き物で拝読し、一生懸命に応援したのが中学生の自分。
「白鳥の歌なんて聴こえない」、当時好きだった庄司薫の小説にならい、最後の日フィルの演奏会を指揮した小澤さんの指揮姿の雑誌の切り抜きは、いまでも大切に保管してます。
マーラーの2番「復活」でした。

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サンフランシスコ響の指揮者になり、少し間をおいてボストン交響楽団の指揮者にもなった小澤さん。
1975年にサンフランシスコ響を率いて来日、文字通り凱旋公演となりました。

テレビで見た長髪で、定番の燕尾服でない小澤さんの、動物的ともいえる鋭敏かつしなやかな指揮ぶり。
オケは外国人、それを巧みに指揮する日本人。
ほんとに誇らしかった。
当時すでに、完璧なアバドファンだった中学生の自分ですが、小澤さんは、アバドとは違った意味でのファンになりました。
それはいわば、アイドル的な憧れの存在とでもいうべきものでした。

ダフニス全曲が好きになったのもこのとき、おまけにアンコールに、指揮台を降りてピチカート・ポルカをやってしまうお洒落な小澤さん、大好きになりました。

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 さらに同じころ、レコード発売された、「小澤の第9」を購入し夢中になった。

すぐさま、新日の第9公演を聴きに行った。

細かなキューを巧みに出しつつ、ダイナミックな指揮ながらも、繊細で細かいところも気配りされた第9に感服。


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その流れで、新日本フィルの定期会員になりました。

数多くの小澤さんの演奏や、朝比奈隆、井上道義などもたくさん聴きました。

それらの思い出は、次回以降としますが、新日以外に、ボストン交響楽団の来演でのマーラーしか、実演では聴かなかったのもまた残念なことです。
いつでも聴けるという思いと、ベルリンやウィーンとも普通にやってくる小澤さんに、やや飽きが来てしまったのが正直なところで、かつての凱旋に興奮した自分が、そのころはあまりに懐かしくも新鮮に思われた。

オペラ指揮者となり必死に劇場での体験を積んだ小澤さん、師匠の思いをともにする日本の仲間たちとボストン響に匹敵するくらいの年月を過ごし、日本人としての音楽演奏をみなで極めた小澤さん。
このあたりを、ワタクシはほとんど聴くことがなかった。
いま想えば悔やまれること極まりないですが、小澤さんの活動の前半のピーク時を身近に体験できたことで満足すべきことだと思うようにしてます。

ボストン交響楽団では、カネラキスの指揮の折り、訃報を受けて追悼セレモニーが行われました。



小澤さんの、ご冥福をお祈りいたします。

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2020年9月20日 (日)

プロコフィエフ 交響曲第1番、第2番

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浜松町のJRと並行する橋からパシャリ。

左手の茶色いビルは歴史ある貿易センタービルで、モノレール駅も直結していて国内の空の窓口的な存在でもありました。
これが、来年あたりから解体が始まります。

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右手の工事中のビルが、貿易センタービルの後ろにあたる場所に建設中の貿易センタービル南館。

早くもこうして駅通路とつながってました。

コロナでも、都心部は着々といろんな建設が止まることなく進行してまして、たまに行くとびっくりすることがあります。
新橋駅の駅ナカとか、有楽町のガード下の進化とか、たくさん。
でも、東京ばかり。
コロナで、一極集中は徐々に収まっていくのではないかと思ってますが・・・・

さて、コロナで自分のなかで目覚めた「プロコフィエフ」。
なんで今さら感もありますが、親しいようで、どこか遠かったプロコフィエフの音楽。
作風のいろんな変遷があり、ロシア革命とソ連の体制の影響を受けざるをえなかった点で、ショスタコーヴィチと同じ。
でもシンフォニストとしては、明らかにショスタコーヴィチの方がポスト・マーラー的な存在として大きな存在。
しかし、交響曲以外のプロコフィエフのもうひとつの、いやそれ以上の存在としての劇場音楽作家としての顔。
それを知りえたのがコロナ禍のオペラストリーミング大会。
8作あるオペラだけでも、その半分を観劇できまし、バレエも同様。
ドラマの仕立ても面白さもさることながら、感覚的に訴えてくるその音楽が抒情と力強さにあふれていることも再認識。

交響曲シリーズとオペラシリーズをスタートします。

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 プロコフィエフ(1891~1953)の61年の、いまでは短いともいえる生涯は、亡命と遍歴の歴史でもあります。

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフの場合、こうした時代の変遷で、その音楽をとらえてみるのも面白いし、実にわかりやすい。
モダニストとしてならしたロシア時代、欧米やアジアの素材も取り入れつつ、さらに原色的なロシアテイストもにじませ、やはり故国への想いもにじませた亡命時代。
憧れた故国に帰ると、そこは本音と建て前の世界で生き残らなくてはならなかった。
体制に寄った音楽と皮相な音楽の壮大なマッチングはクールでさえある。

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  プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 op25

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

    (1973.5 @キングスウェイホール)画像は借り物です

シンプルで、まさに古典の顔をした「古典交響曲」。
こんなお手頃で聴きやすい交響曲を聴いて、「ピーターと狼」のプロコフィエフっていいなぁ、なんて思って、次の2番の交響曲を聴くとぶったまげることとなる。
そう、第1交響曲が異質なのだ。
子供時代から作曲していたが、サンクトペテルブルク音楽院を経て、すでにモダニスト然とした作風を得ており、21歳のピアノ協奏曲第1番(1912)、22歳の協奏曲第2番(1913)は、なかなかのぶっ飛びぶりであり、そのあと荒々しい「スキタイ組曲」もある。

そして、1917年、26歳で亡命前に「古典交響曲」を作曲する。
ということで、あえて「古典」という18世紀スタイルに身を固めた交響曲を作曲したプロコフィエフは、逆にスゴイくせ者だということになります。
事実、この曲でプロコフィエフを語られるのを、作曲者は嫌ったらしい(笑)

ということで、お馴染みのこの清々しい交響曲をマリナーとアカデミーの小俣のきれあがったような気持ちいい演奏で。
このレコードがロンドンレーベルから出た時は、ビゼーの交響曲とのカップリングで、「マリナーのハ調の交響曲」という宣伝文句で発売され、ジャケットも可愛い女の子の洋画だった。なつかしー
 3楽章が、のちの「ロメオとジュリエット」の1幕、客人たちの入場で使われていて、それを聴くのも楽しいもので、なんだかんだでプロコフィエフは、この作品が好きだったんじゃないかと思う。
古典の姿をまとったモダニスト的な作風は、斬新なリズムとスピード感などに現れてます。

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  プロコフィエフ 交響曲第2番 ニ短調 op40

 小澤 征爾 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1990.1 @イエスキリスト教会、ベルリン)

第2番は1925年、34歳の作品。
亡命後、アメリカと欧州を行き来しつつ活動していたプロコフィエフは、結婚も決め、南ドイツの街に移住。
その後、パリに移住したその前後に書かれたであろう第2交響曲は、先に書いた通り、ぶっ飛びの攻撃性と実験性を持つ曲。
初めて聞いたときは、それこそビックリしたと同時に、さっぱり訳がわからなくて、つかみどころもなく、単なる実験作じゃんか・・・との印象で終わりにしていた。

このところの、プロコフィエフ熱でもって聴き直すと、これはこれでプロコフィエフの音楽の面白さが凝縮されたユニークな存在として、オペラにも通じる作品であると思うようになってきた。
そのオペラとは、「賭博者」と「火の天使」。
不協和音と、クセになる快感を呼び起こすオスティナート効果、甘い旋律の切なさとクールさ。
37分ぐらいの長さだけど、楽章はふたつ。
全編フォルテの激しい1楽章、ピアノが導入され熱狂したように弾きまくり、金管は咆哮し、弦はキュウキューと弓をこすり付けるようにしてかき鳴らす。
目まぐるしいけれど、この狂おしさが面白くて好き。
「春の祭典」の12年後。
プロコフィエフはロシア時代に、ディアギレフとも出会い、「アラとロリー」(スキタイ組曲)を1916年に作曲している。

忽然と終わる1楽章に続く、長い第2楽章は、抒情的でしなやかなメロディで開始され、どこかホッとすることとなる。
しかし、油断は禁物、スケルツォ的な野卑な部分が突然顔を出して、安住の気持ちをかき乱す。
と思ってるとまた抒情的な雰囲気が、ミステリアスな雰囲気でもって回帰し、さらにややこしい。
そう、よくよく聴くと変奏曲形式になっている。
6つの変奏を聴き分けるまでには至っていないし、よっぽど聴きこまなくてはそこまでにはなれません。
トランペットがピロピロと鳴ったり、弦と木管がキンキンしたりで、面白い場面も続出しつつ、素朴な変奏主題も鳴っている。
終わりの方は暴力的になり、ちぎっては投げの音の爆弾になりますが、突如、冒頭の抒情主題が回帰し、やれやれという風になりますが、そのままあっけなく終わってしまう。
 おいおい、もっと先ないのか~い?って気分にさせられること甚だしい(笑)

ソナタ形式のフォルテだらけの1楽章。
変奏曲形式のとりとめない2楽章。
プロコフィエフ自身が「鉄と鋼でできた作品」としたが、この交響曲っぽくない交響曲が、いずれにせよ実験的な作品であることには違いない、、、です。
 このある意味ナイスな作品が、後年、体制下の影響か、改訂の筆を入れようとしましたが、途中で終了。
それでよかったと思われます。

小澤さんの音楽の整理能力と、巧みなオーケストラコントロールは、超優秀なベルリンフィルを得て、水を得た魚のようにピッチピチの鮮烈な演奏に反映されてます。
野卑さはないけれど、このやっかいな作品をすごく聴きやすくしてくれたと思います。

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浜松町から汐留には線路沿いの遊歩道ですぐに行けます。

文化放送のビルの隙間から東京タワー。

暑さもひと段落、歩き回るのにいい季節となりました。

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2020年1月 8日 (水)

べートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 エッシェンバッハ

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2020年 新春の寿ぎを申し上げます。

神奈川の実家から、いつも登る吾妻山からみた富士山と菜の花。

1月3日の早朝、1年のうち、一番美しい冬の富士です。
菜の花の向こうは桜で、春には、菜の花が残っていればさらに素晴らしい景観が望めます。

今年、アニヴァーサリーを迎える作曲家で一番の大物は、やはり生誕150年のベートーヴェン。
あと、没後100年のブルッフ、没後150年のヨゼフ・シュトラウスあたりが切りのいい年度でしょうか。
バーンスタインも早や没後30年です。

名曲中の堂々たるコンチェルトの名曲、「皇帝」を。

Emperor

 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」

     Pf:クリストフ・エッシェンバッハ

   小沢 征爾 ボストン交響楽団

       (1973.10 @ボストン)

いまは指揮者としての活動ががメインとなった、というよりも、数々のポストを歴任する名指揮者となったエッシェンバッハ。
1940年2月生まれだから、もうじき80歳。
そのエッシェンバッハが33歳で、ジャケット画像のとおり、ふっさふさ。

ピアノに隠れてますが、ボストン響のポストを得たばかりの小沢さん、当時38歳は、1935年生まれで、今年の9月には85歳になります。

ともにずっと聴いてきた音楽家です。
いつまでも元気に活躍してほしいと願うばかりです。

その彼らの若き「皇帝」。

まさに、「若き」という言葉が似合う「皇帝」。
溌剌として、爽やかとも言ってもいいくらいに、新春に相応しい気持ちのいい演奏だ。
エッシェンバッハは指揮を始めたばかりの頃で、この少しあとに、日本のオケにも客演してベートーヴェンを振ったりしている。
10本の指ではとうていできない表現の可能性を見出したかのように、暗い情念に裏打ちされたかのような濃厚な味付けするように、指揮を執るようになってから変貌したエッシェンバッハ。
 バレンボイムは、根っからの指揮者であったかのように変化を感じないが、アシュケナージやロストロポーヴィチなども、ソリストから指揮者に転じると構えの大きな表現者に変貌したかのようであった。

モーツァルトから、ドイツロマン派、ショパンあたりの弾き手としてドイツグラモフォンの看板ピアニストだったエッシェンバッハが指揮者を替えてベートーヴェンの協奏曲を3曲録音したものの、残念ながら全曲は残さず。
その自身の境遇などからも、マーラーに共感し、特異なマーラーやブルックナー指揮者のひとりとなりました。
そんなのちのちのことがが想像だにできないのが、この「皇帝」なのだ。

 明快な粒立ちのいいピアノは、この時期よく聴いたモーツァルトの演奏にも通じるものがあって、「堂々たる皇帝」というよりも、御世代わりの新たに即位した「若き新帝」って感じ。
でも、2楽章の叙情性や、3楽章の終わりの方などに、ちょっと立ち止まってみせて、複雑な表情を垣間見せるところがエッシェンバッハならではか・・・

 重心の軽めな小沢さんの指揮。
気配りの効いた細やかな指揮とあわせて、当時の欧米の楽壇には、極めて新鮮な音楽造りだったに違いありません。
同時期のベルリオーズやのちのラヴェルなどとともに、小沢&ボストン+DGのイメージが、わたくしには定まってますが、これもまたそれにそぐうもので、こんな気持ちのいいベートーヴェンを久しぶりに聴いて思うのは、この時期に、ボストンとDGにベートーヴェンの交響曲全集を録音して欲しかったということ。
のちのフィリップスでのこのコンビの音は、またちょっと違うものとなりましたので。

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ベートーヴェンイヤーの前回は、1970年の生誕200年。
オジサンの聴き手のわたくしは、その年のことを明快に覚えてます。
レコード会社各社は、ベートーヴェン全集をこぞって発売。

Beethoven

ジャケットには、こんなベートーヴェンのシールが貼られてました。
1770~1970、ベートーヴェン200年です。

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さらにシール拡大。

そして忘れてならないのは、この年、大阪で万国博覧会が行われました。
1969年にアポロ11号が持ち帰った、月の石がアメリカ館に展示され、とんでもない行列ができたりもしました。
 この万博に合わせて、世界各国の演奏家やオーケストラ、オペラ団が来日。
カラヤン&ベルリンフィル、セル・ブーレーズ&クリーブランド、バーンスタイン・小澤&ニューヨークフィル、プレートル・ボド&パリ管、プリッチャード・ダウンズ&ニューフィルハーモニア、Aヤンソンス&レニングラード、ロヴィツキ&ワルシャワフィル、デッカー&モントリオール、ベルリン・ドイツ・オペラ、ボリショイ・オペラなどなど
 ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ソ連、ポーランドと各国勢ぞろいです。
いまでは、あたりまえとなった各国オケやオペラの来日ですが、こんなに大挙して訪れたことは、当時には考えられない豪華なことでした。
 しかも、NHKがかなり放送してくれたので、小学生だったワタクシは、連日テレビの前に釘付けでした!
このなかでは、カラヤンがベートーヴェンの全曲演奏をしました。
あと国内オケでは、サヴァリッシュがN響で全曲、イッセルシュテットが読響で第9とミサソレを。

ベートーヴェン一色となった1970年でした。
2020年も多くのオケがやってきましが、ベートーヴェンは案外と少な目。

目立つのはクルレンツィスとムジカエテルナと、オリンピック関連のドゥダメルBPOの第9ぐらいか。
あえていってしまうキワモノ的なクルレンツィス。
50年前はベートーヴェンやブラームスが、コンサートの花形でありメインだった。
いまは、マーラーとブルックナーが人気。
ベートーヴェンをやるならば、新機軸を持ち込まないと・・ということでありましょうか。

そんなこんなを考えつつ、エッシェンバッハと小澤の「皇帝」を何度も聴き返し、「やっぱり気持ちいいなぁ~、これでいいんだよ~」とつぶやいてる2020年の自分がいました。

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1月の11日から、吾妻山では、「菜の花まつり」が開催されます。
ちっちゃい町で、なんにもないのがいいところ。
みんな来てね~

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2018年2月11日 (日)

ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 小澤征爾指揮

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海と月。

いまさら1月のスーパームーンの写真ですいません。

こういう光景に、ドビュッシーとかラヴェルの音楽を思い起こしてしまう、音楽好きのサガ。

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  ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

     小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団
           タングルウッド音楽祭合唱団

                (1973.10 ボストン)


アバド、メータときて、70年代の若手三羽がらす、小澤さんのラヴェル。

当時の3人の写真、いや、実際に自分の目で見た3人は、とても若くて、とてもアクティブで、指揮姿もダイナミックだった。
でも、3人のうちの二人が病に倒れた。
復帰後の活動は縮小したものの、より深淵な音楽を聴かせてくれるようになった。
でも、亡きアバドも、小澤さんも、痩せて、すっかり変わってしまった。

そんななかで、メータはひとり、大病もせず、ふくよかさは増したものの、風貌からするとあまり変わらない。
カレーのパワーは大きいのだろうか・・・

雑談が過ぎましたが、「小澤のラヴェル」。
1975年、高校生のときに単発で「ボレロ」の1枚が出て、そのあと一気に4枚組の全集が発売されました。
ラヴェル生誕100年の記念の年。
高値のレコードは眺めるだけでしたが、その年、もうひとつの手兵だったサンフランシスコ響を率いて凱旋し、ダフニスとクロエ全曲をメインとする演奏会が文化会館で行われた。
前半がP・ゼルキンとブラームスの2番で、アンコールはピチカートポルカ。
テレビ放送され、食い入るように見たものでした。

あと思い出話しとして、当時、小澤さんのコンサートを聴くために、新日フィルの定期会員になっていて、ラヴェルが多く演奏され、ダフニスも聴いております。
小澤さんの指揮する後ろ姿を見ているだけで、そこに音楽がたっぷり語られているようで、ほれぼれとしていた高校・大学生でした。

小澤さんのラヴェルは、こちらの70年代のものだけで、再録音はなく、その後はオペラしか録音していないので、貴重な存在。

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抜群のオーケストラコントロールで、名門ボストン響から、しなやかで、美しい響きを引き出すとともに、ダイナミックな迫力をも感じさせる若さあふれる演奏。
ボストンの時代が、自分には親しみもあるし、後年の落ち着き過ぎたスマートすぎる演奏よりは、熱さを感じる点で、より本来の小澤らしくで好き。
だって、「燃える小澤の」というのが、当時のレコード会社のキャッチコピーだったんだから。
まだまだミュンシュの残影が残っていたボストン響。
精緻さと豪胆さを兼ね備えていたミュンシュの魂が乗り移ったと言ったら大げさか。
それに加えて、俊敏なカモシカのような、見事な走りっぷり。
「海賊たちの戦い」の場面のド迫力を追い込みは見事だし、なんたって、最後の「全員の踊り」のアップテンポ感は興奮させてくれる。
 こうした熱き場面ばかりでなく、冒頭から宗教的な踊りにかけての盛り上げの美しさ、そして当然のごとく、そして、ボストン響の名技が堪能できる夜明けとパントマイムも端麗。

30~40代の颯爽とした「小澤のラヴェル」、ほかの曲も含めて堪能しました。

小澤さんのボストン就任の前、DGはアバドとボストンと「ダフニス」第2組曲を録音しましたが、そちらの方が落ち着いた演奏に聴こえるところが面白い。
もちろん、アバドも歌にあふれた美しい演奏です。
アバドが亡くなったとき、ボストン響はのメンバーがアバドの思い出を語っている様子が、youtubeで見れます。
アバドのボストン響客演は、そんなに多くはありませんが、80年代まで続き、シューマンの4番や、マーラーの2、3番など、魅力的な演目がありました。
どこかに録音が残っていないものでしょうか。

アバド、没後4年にあわせて、70年代のメータと小澤も聴いてみました。

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2015年3月28日 (土)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 小澤征爾 指揮

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一挙に開きました。

春、きたー。

それでも、朝晩は、肌寒く、一進一退ですが、晴れた日の陽気の気持ちよさは、ハンパなく、人間も、動物も、そして花たちも、気持ちよく開放的になります。

こちらは、本日、土曜日の都内、港区の桜。

たくさんの方が、見上げて、写真を撮ってましたよ。

そして、そんなサタデーナイトに、気分よろしく、フロム・ザ・ニュー・ワールド。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

    小澤 征爾 指揮  サンフランシスコ交響楽団

                    (1975.5 @サンフランシスコ)


いまは、手放してしまいましたが、このジャケット、大好きでした。

サンフランシスコとボストンという、西と東のアメリカのメジャーオケの音楽監督を、同時につとめた小澤さんの若々しい横顔。
 背景は、ゴールデンゲートブリッジ。

サンフランシスコ響を指揮した、アメリカ由来の作品に相応しい、秀逸なジャケットでした。
欧米中心のクラシック音楽の世界にあって、そこに新風を吹かせた、まさに、新世界を切り開いたアジア人が当時の小澤さん。

いまでこそ、世界各地の指揮者や、オーケストラが、あたりまえのように、クラシック音楽の最前線で活躍し、等しく、扱われる世の中となりましたが、そのパイオニア的な存在だった、小澤さんの存在や、役割は、ほんとに大きかったと思う。

語り草となった、その渡欧歴伝や、大演奏家たちとの出会いや交流。

そして、ともかく、海外にポストを持った小澤さんは、登り竜そのものでした。

トロント、サンフランシスコ、ボストンの順に、北米のオーケストラの指揮者に次々となる一方、ベルリン、ウィーン、パリ、ロンドンと、欧州でも定期的に招かれ、もちろん、日本でも、N響との問題を跳ね返すように、日フィルと、解散後の新日フィルで高レヴェルの演奏を繰り広げてました。

この頃の、小澤さんに熱をあげて、さかんに聴いてきたわたくしは、やはり、この頃の小澤さんが一番、輝いていたように思えて、一番好きなんです。

もちろん、その後の、すなわち、ボストン後のウィーンを中心とするヨーロッパでの活躍に、わが邦のサイトウキネンも、高く評価するわけですが、でも、やはり、70~80年ぐらいの小澤さんが、自分は好き。
 兄貴のような存在の小澤さんに、一緒になって、クラシック音楽の道を歩んできたような気がするし、そんな世代だからです。

 そんな思いの存在は、そう、アバドと、メータにも強く感じるところです。

いつものように、前段が長すぎで、メインは短くなりますが、こちらの、サンフランシスコでの「新世界」。
バリッと、乾いた録音のせいもあるけど、ともかく、さわやかで、明るく、からっとしたカリフォルニアサウンドを思わせるような、若々しい演奏なんです。

ジャケットと、その演奏と、その録音が、イメージにおいて、3つかみあったような、爽快感。

ほんと、気持ちいい。

晴天、雲なし、ピュアで、正直、じめじめしてなくて、どこまでもまっすぐ。
行くところ敵なし、ビューティフル・アメリカ&ジャパン。
いまなら、クール・ジャパンで、スシ美味しい~、ニッポンシュサイコー・・・・

こんなふうに、いろんなことを思い、想像しながら、久しぶりに聴きました。

でも、この録音時の頃のサンフランシスコを舞台にした映画があります。

そう、クリント・イーストウッドの「ダーティ・ハリー」シリーズです。

病めるアメリカ、人種の坩堝に、ベトナム戦争の後遺症にありながら、社会がすさんでゆくなか、組織をも無視したアウトロー刑事が、次々に犯罪を断罪してゆく映画シリーズでした。
大学時代、全部見ました。

 あの頃に、小澤さんは、アメリカで活躍したんですね。

小澤さんの、音楽にピュアに取組む、まっすぐぶりや、バーンスタインゆずりの、かっこいい指揮ぶり。
そして、その言動にもあふれる、繊細で、優しい音楽造り。
 アメリカの人々の心を、掴んだのもよくわかります。

そんなこんなを、この爽やかな「新世界」を聴きながら思ったりもしました。

2楽章の「ラルゴ」のしなやかな歌心には、癒されます。
そして、随所に、小澤さんの唸り声が聴かれますが、そのお声は、若く瑞々しい~

いまの仙人の域に達した、高みにある小澤さんに、多大なる敬意を崇敬を表しつつ、わたくしは、かねての自分の導き手であった頃の小澤さんを、懐かしみ、親しみを感じる次第です♪

同時に録音された、「英雄」も、またこの春の日に聴いてみようかな。。。

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2014年12月14日 (日)

チャイコフスキー 「スペードの女王」 小澤征爾指揮

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東京駅、丸の内口のKITTE。

かつての郵政省、東京中央郵便局の、ちょっとレトロなビルは、日本郵便株式会社の手掛ける初の商業施設として、外観は巧みにそのままにして生まれ変わった。

昨年のことであります。

そして、昨冬から始まった、この「ホワイト・ツリー」

日に何度か、ライトアップ・プログラムが実施され、四季を感じさせる、さまざまな色どりに染まります。

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これは、春でしょうね。

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そして、グリーンは、初夏のイメージを受けました。

きらきらですな。

 今日は、ロシアの四季を、いろんな局面で感じさせる、チャイコフスキー。

全部で13作もあった、チャイコフスキーのオペラ。

破棄したり、未完だったものを除いても9作品。

ロシアの土臭さも感じる伝統と、ヨーロッパ的な洗練されたオペラ感。

これらが、たくみに相まったのが、チャイコフスキーのオペラ。

ブログでは、まだこれで、3作ですが、あと1作そろえれば、音源で聴ける作品を全部そろえることができそうです。

ゆっくりですが、それらも記事にしていきたいと思います。

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  チャイコフスキー 「スペードの女王」

   ヘルマン:ウラディミール・アトラントフ  
     リーザ:ミレルラ・フレーニ
  トムスキー公:セルゲイ・レイフェルクス 
    侯爵夫人:モーリン・フォレスター
  イェルスキー公:ドミトリ・ホロストフスキー  
    ポリーナ:カトリーネ・シージンスキー   
    マーシャ:ドミニク・ラベッル
  家庭教師:ジャニス・タイラー        
    チェカリンスキー:エルネスト・ガヴァッツィ
  スーリン:ジュリアン・ロデスク         
    チャップリッキー:デニス・ペテルソン
  ナルーモフ:ジョルジュ・シャミーネ その他

  小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団
           タングルウッド祝祭合唱団
          アメリカ少年合唱団

   (1991.10.11 @ボストン、NY)


1888年、チャイコフスキーは、弟モデストから、プーシキン原作の「スペードの女王」のオペラ化を打診される。
ただ、チャイコフスキーは、そのとき、オペラ「 チャロデイカ」の創作が終えたことで手いっぱいで、いったんは、その申し出を受けたものの、断りをいれ、弟をがっかりさせた。
相次ぐオペラの作曲よりも、シンフォニックな作品を書きたい気分だったと言ったといいます。
 それが第5交響曲となり、次いで、バレエ「眠りの森の美女」が生まれます。
弟の提案から、1年半後、チャイコフスキーは、俄然、「スペードの女王」の作曲意欲が沸き、1890年に一挙に完成させるのでした。

チャイコフスキーの生涯もあと3年。
病死ではありますが、オペラはあと1作、美しい「イオランタ」が書かれますが、再充実期にあった、チャイコフスキーの名作のひとつが、「スペードの女王」なのです。

3幕、ほぼ3時間を要する大作で、レコード時代は、4枚組で、高価でもあり、なかなか手が出ない作品のひとつでしたね。
CDでも、3CDとなりますが、各幕が1枚づつに収まり、聴きやすくなりました。

日本ではあんまり上演されません。
そもそもロシア・オペラは、本場からの来演ばかりで、新国も独・伊ばかりで、日本人には、どうもロシア語がやっかいなのでしょうか。。

「エフゲニ・オネーギン」の方が、はるかに定番となっておりますが、「スペードの女王」も、そちらと同じく、美しく、親しみやすい旋律や、アリアが、ぎっしり詰まっていて、しかも、オーケストラがとてもよく鳴るように書かれていて、さすがと思わせます。

そして、オネーギンと同じく、情緒不安定のむちゃくちゃな男と、そいつに翻弄されるお嬢様というシテュエーションとなっているところが面白いです。
 激しすぎる性格が及ぼす、身の破滅は、ロシアの社会問題をもえぐる皮相さも持っています。

「スペードの女王」における、おばかさんは、ギャンブルがもとで、人も殺し、恋人の命も、自分の命も失ってしまうという大破滅ぶりなのですが、濃淡あれど、昔から人間の陥りやすい、今では、病気とも認定される依存症のひとつがギャンブルなのです!
ワタクシは、賭け事はいっさいやりません。でも、ワタクシは、酒が・・・・・・。

 暗いロシアの大地と、上流社会と、そうでない人々の対比、華やかなな舞踏会や、こっけいな道化っぽい役柄も出てくる。このあたりは、ロシア系オペラの常套か。
そこに、メロディアスな旋律と、ゴージャスな響きが加わること、それこそがチャイコフスキーのオペラの魅力です。
 素敵なアリアの数々も、思わず口ずさみたくなるものばかり。

あらすじを

 18世紀末 ペテルスブルク

第1幕

 第1場 公園の広場


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 子供たちが遊んでいると、兵隊の真似をした少年たちが行進してきて、子供らも、彼らについて去ってゆく。
ゲルマンの友人、チェカリンスキーとスーリンは、そういえば、最近彼は元気がないね、などと語るところへ、そのゲルマンが、親友のトムスキー公とやってきて、彼は、名も知らぬ高嶺の花、身分違いの女性に恋をしてしまったと絶望的に歌う。

イェレスキー公爵が散歩しながら近づいてきて、婚約をしたそうで、おめでとうなどと皆からいわれ、彼も、まんざらでなく、その相手はそう、ちょうどあちらからやって来るご婦人ですと紹介する。
その女性は、公爵夫人と孫娘のリーザ。
驚きを隠せないゲルマンと、その熱い視線に、不安と困惑を感じるリーザであった。

彼らが去ったあと、トムスキーは、あの老公爵夫人も、若い頃は、美人で、パリでは社交界でモテモテだったと語りはじめる。
でも、彼女は、恋よりは賭け事に夢中で、ある晩、カードで大負けし一文無しに。
彼女に思いがあったある伯爵から、一夜を共にするなら、絶対に負けない3枚のカードの秘密を教えるといわれ、翌日、彼女は、大勝ちする。
その秘密を、彼女は夫と、ある美男子に教えたところ、ある晩、夢に幽霊が出てきて、カードの秘密を知ろうとする男から、きっと災いを受けるであろうと予言を受けた・・・と歌う。

みなは、ゲルマンにどうだ、チャンス到来だとぞと言ってからかう。

 第2場 リーザの部屋

リーザが、友人のポリーナと二重唱。
そして、ポリーナは、リーザに親愛の情を示すロマンスをしっとりと歌うものの、そのムードがあまりに寂しすぎて、次はもっと元気な歌を、ということで家人も出てきて、踊りながらリズミカルな歌となる。
ひとりになったリーザは、婚約した日にもかかわらず、心晴れず、涙を流しつつ、美しいアリアを歌う。
心の中に、あの情熱的な青年の姿が残っているのだ。
そして、バルコニーの下に、そのゲルマンがあらわれ、ピストルを出して、自殺をほのめかして、情熱的に迫る。
そこに、伯爵夫人が物音がしたと、ドアを叩くが、リーザは取り繕い、彼女はゲルマンの熱意に負けて、愛していますと、ついに告白してしまう。

 

第2幕

 第1場 ある高官の館


 仮面舞踏会。

Qs_2

 賑やかな夜会で、人々は、花火を見に外へ、そして、ゲルマンの友人たちは、あいつも、最近元気になったな、と噂する。
広場には、イェレスキー公とリーザふたり。
悲しそうな彼女に、「あなたを心から愛しています」と、素晴らしいアリアを歌う。
出てゆくふたりと入れ違いに、ゲルマンがリーザからの「大広間でお待ちください」との手紙を手にして入ってくる。
これで、3枚のカードの秘密がわかれば、彼女と逃避行だと興奮する。
そこへ、友人たちが戻ってきて、ゲルマンに「3枚のカード」とささやく。
幻覚と勘違いする困ったゲルマン。

Qs_3

 ここで、劇中劇が行われ、その余興が終ると、リーザは、ゲルマンに、隠し戸の鍵と、自分の部屋に通じる伯爵夫人の寝室の鍵も合わせて渡し、今夜、いらしてくださいとささやく。
リーザとカードの秘密もともに手にできると、喜びまくるゲルマン。

 第2場 伯爵夫人の寝室

 ゲルマンが鍵を開けてやってくるが、そのとき、待女たちと伯爵夫人が戻ってくる。
彼は、すかさず、物陰にかくれる。
リーザも戻ってきて、部屋にはついてこないで、と小間使いを返す。
伯爵夫人は、昔の華やかな舞踏会を懐かしんで歌い、やがて床につく。
そこへ、ゲルマンがそっと近づき、3枚のカードの秘密を教えてくださいと迫るが、あまりのことに、驚いた夫人は声もでない。
急くゲルマンは、思わずピストルを出して脅迫するが、そのとき夫人は、恐怖のあまり、発作を起こし、息を引き取ってしまう・・・・。
物音に、リーザが現れ、私でなく、カードの秘密が目的だったのね、と叫んで泣き伏す。

 

第3幕

 第1場 兵舎のなか、ゲルマンの寝室


 リーザからの手紙。そこには、「きっと殺意はなかったものと、いまは思っています、今夜、もう一度、運河のところで会ってください」というものだった。
そこへ、不気味な合唱の歌声が幻覚のように聴こえる。
伯爵夫人の葬式の幻影を思い、恐怖にとらわれるなか、窓が開き、そこには、婦人の幽霊があらわれる。。。。
 「あまえのところに来たのは、リーザを救うためだ、カードの秘密は・・・・、3・7・エース」と教えて消える。
 ゲルマンは、狂喜して、その3つのカードを繰り返し言う。

 第2場 運河

 凍てつく夜、リーザが黒い服をまとい、愛する人への複雑な思いを「ああ、心配で疲れきってしまった」と、素晴らしいアリアを歌う。
そこへ、ゲルマンがあわられ、ふたりは熱く抱き合い、ふたりで逃げましょうと歌う。
あなたとならどこへでも、では、どこへと問うリーザに、「賭博場!」と狂ったように答えるゲルマン。
しっかりして、とうながすリーザに耳もかさないゲルマンは、婆さんから、カードの秘密を知ったのだ、「3・7・エース」と叫び、リーザを振り切って、狂ったように賭博場へと向かってしまう。
絶望のリーザは、運河に身を投げてしまう。

 第3場 賭博場

 ゲルマンの友人たちが、人々に交じり、酒を飲みながらカードに興じてるところへ、イェレスキー公がやってきて、恋に破れた男は、カードには強いのだと、婚約を解消したことを話す。
景気づけに、トムスキー伯が小唄を歌う。
 そこに、当たりまくって、誰も相手をしなくなっているゲルマンがやってきて、「人生は賭け」と歌う。
では、わたしがお相手をしようと、イェレスキー公。
カードが配られ、皆はそれを取り囲み見守る。
「エース!」と叫ぶゲルマン。
「君のカードは、スペードの女王!」と言い返すイェレスキー公。
カードを見つめるゲルマンは、カードの中の、スペードの女王が、伯爵夫人の顔にかわり、にやりと笑うのを見て、驚愕する。
 何が欲しい、俺の命か!
こう叫んだゲルマンは、短剣を取り出し、自らの胸を刺す。

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 瀕死のゲルマンは、イェレスキー公に許しを乞い、そして、リーザよ、本当に愛している、わたしの天使よ・・・と絶え絶えに言ってこと切れる。
 人々は、彼を許したまえ、そしてその魂に安らぎを・・・・と静かに歌い幕となる。

(画像は、1970年のボリショイ・オペラの引っ越し公演のもの。ロジェストヴェンスキーに、このCDと同じくアトラントフのゲルマン)

               幕

おそろしあ、げに、恐ろしき、ロシアの熱き血潮。
そして博徒と化した人間が、周りの人々を陥れ、そして自ら破滅するさま。

ロシア的なリアリズムが、ロシア的な自然~さっぱりとした気持ちのいい夏に恋が萌芽し、凍てつく冬に破綻する~との物語の符合でもって、見事に引き出される。

原作もさることながら、チャイコフスキーの劇的極まりない音楽の素晴らしさといったらありません。
抒情と激情の対比、現実離れした幻想と厳しい現実の対比。

主導動機でもって、繰り返される旋律は、いやでも舞台の緊張感を呼び起こす。

「Tri Karty」・・・・「3枚のカード」、この運命のような言葉、このオペラ中、いたるところで、キーワードのように歌われ、ささやかれる。
やたらと耳につきます。
このあたりのチャイコフスキーの音楽の作り方も素晴らしい。

この言葉にもてあそばれ、やがて命を献上するゲルマンでありました。

 オネーギンとともに、このオペラをレパートリーとする小澤さん。
ボストン時代に、こうして素晴らしい録音と歌手でもってレコーディングが残されたのは、本当に幸いなことです。
 明るめの色調のオーケストラは、機能的でありながら、切れ味も抜群。
イキイキとした息吹を吹き込む小澤さんの指揮は、音楽もメリハリが効いて、リズム感も抜群で、かつダイナミック。
そして、チャイコフスキーの抒情も巧みに引き出してます。
 欲を言えば、スマートにすぎ、シンフォニックに過ぎる点か。
そして、どす黒いロシアの憂愁が抜け落ちた感あり。
 そのあたりは、自分的には苦手なので、こうしてヨーロッパ的なロシアものを好むのですが、次は、ロストロポーヴィチやゲルギエフを聴いてみたいと思う。

映像では、ロジェストヴェンスキーの指揮によるパリ上演を見ましたが、演出が風変わり。
精神系の病院が舞台で、ゲルマンは完全に病める人でした。
それはある意味、ギャンブル=依存症という構図が言い得てるようで。

 さて、歌手では、タチャーナも見事に歌うフレーニのリーザが最高です。
優しさと一途さを歌うことでは、ヴェルディやプッチーニの諸役を歌うフレーニに同じ。
人肌を感じる、その暖かい歌声に、冬の寒さもぬくもります。

 対するアトラントフの劇的ぶりは、この演奏の中で、一番ねばっこい歌唱で、ひとり、おそロシアしていて際立ちます。
 ホロフトフスキー、レイフェルクスといった豪華な顔ぶれも素晴らしいです。
それと味のある超ベテラン、フォレスターさん。
死に際の断末魔のだみ声や、幽霊声がちょっと怖い。

 幕切れのセンチメンタルなシーンで流れる、前奏曲や、劇の随所にあらわれる愛の旋律は、泣けるほどにステキなのでありました。

おしまい。

 

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今日も、寒い。

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2013年11月 4日 (月)

ボロディン 「だったん人の踊り」 小澤征爾指揮

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秋のまっさかりです。

連休も終わり、どこにも行かなかったワタクシは、駅のディスプレイを見て、なごんでおるのです。

リスに、赤とんぼまでいますよ。

でも、このお休みは、日本シリーズがことのほか喜ばしかった。

こうでなくっちゃいけない、そんな結末でしたよ。

日本を明るくする出来事のひとつでしたね。

オレンジ色のファンの方には、来年も申し訳ありませんが、今度はわが方ベイ軍に頑張らせていただきますよ。

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   ボロディン 歌劇「イーゴリ公」~「だったん人の踊り」

     小澤 征爾 指揮 シカゴ交響楽団

                  (1969 @シカゴ)


なんだか忙しくて、土曜の晩以来、音楽も聴く暇なく、月曜の夜遅くになっちまいました。

意図しなかったけれど、ダンス系の音楽を聴いていたことに気付いた(笑)。

短くて、モリモリした曲で、しかもロシアと思って、即コレ。

小澤さんの、44年前の記録から。

CBSとRCAに録音を初めていた小澤さんは、シカゴのラヴィニアで活動するようになって、EMIにシカゴ響と録音を始めた。
CBSには、トロントとニューヨークフィルとロンドンのオケと少しだけ。
RCAには、トロント、ボストンやロンドンのオケと。

ヨーロッパの老舗EMIは、当時、やはりレーベルとしての格の違いがあった。
やがてパリ管との組み合わせも実現し、日本人を喜ばせてくれました。

70年代前半は、そんな小澤さんの活動で、日本では、日フィルとのコンビがフジテレビで見れる時代。

艶やかさと、伸びやかさが身上の生き生きした表情。
ごつさや、威圧感や腹に響く重厚な迫力は、ここにはありません。
しかし、リズム感のよさと、弾みっぷりは、あの当時のレコード界を飾った巨匠たちの演奏スタイルにはなくって、目の覚めるような軽快さとスピード感は、世界の聴き手に新鮮な驚きを与えたに違いありません。
 緩やかな歌い回しもとても上手なものですから、オケが気持ちよく付いていってるのがよくわかります。

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ピチピチで小ざっぱりの小澤さんの音楽は楽しく、聴くわたくしの脳波にも若い刺激を与えてくれますよ。

全曲盤を映像や音でも持ってますが、いまもって聴き通したことのない「イーゴリ公」。
長すぎなのです。
ワーグナーなら、まったく苦にならないけれど・・・。

だからしばらく、いや、この年になったらもう無理かな、全曲制覇。

キエフの大公、イーゴリ公とだったん人たちとの闘いのドラマ。
だったん陣営での、コンチャク・カーンのイーゴリ公へのもてなしは、だったん人たちの男と女のなまめかしさと勇壮さの入り乱れる華やかなものでありました・・・・。とさ。

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2013年1月11日 (金)

チャイコフスキー 「眠りの森の美女」 小澤征爾指揮

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わたくしの郷里の山では、菜の花がもう咲いてます。

この週末からは菜の花祭りも始まります。

正月の3日の山上からの、菜の花ごしの富士です。

寒いけれど、20分の山頂への行程で汗ばみますから、体はポッカポカ。

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冬は菜の花、春は桜、夏秋はコスモス。

最高です。

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  チャイコフスキー バレエ組曲「眠りの森の美女」

       小澤 征爾指揮  パリ管弦楽団

                    (1974.2 @パリ)

新春名曲シリーズは、「眠りの森」でございます。

ということで、次に登場する曲もおのずと種明かしとなってしまう選曲ですが、チャイコフスキーの3大バレエの音楽としては一番地味な存在なところです。

前回告白したとおり、「眠りの森の美女」の全曲は音源も持ってませんし、全部を聴いたことも見たこともありませぬ。

思えば、チャイコフスキー(1840~1893)より長生きしているいまの自分。
というか、53歳という今にしては短命だった。
欧州ではコレラは死を意味する最強の病だったわけで、その点もいまでは思いもよらないことなのですが、その死には、あちらの嗜好とか、チャイコフスキーには不名誉なことばかりの尾ひれがついてしまうのも考えものです。
バレリーナを夢見て、志す少女には、無用の情報かもですが、そんなことはまったく関係なく、チャイコフスキーは天才的だったと思わざるを得ないですね。

ペローの原作に基づく3時間に及ぶこの大作バレエをあっという間に作曲してしまったのは、1889年。
同時代人のブラームスは晩年の枯淡の域に達しており、マーラーは1番を書き終えて指揮者として引っ張りだこ。
もちろん、ロシアの同時代世代では、5人組がいて、彼らは晩年または死を迎えてしまった人たちもいるという環境。
ちなみに日本は明治22年で、近代国家の基礎固め中!

長い全曲盤はこれからも聴くことはないかもしれませんが、5曲からなる組曲版は、これからも折りにふれて聴くことでありましょう。
ともかく旋律にあふれてます。
そして同時期の交響曲第5番との関連性もしっかりと見受けられます。
2曲目のパ・ダクシオンでは、5番の2楽章と終楽章の旋律に同じものが聴けます。

そして、NHKがクラシック番組のテーマ曲にもよくつかうのがこのバレエ組曲。
5曲のうち、3つまでもが使われてますよ。
ワルツ、パ・ダクシオン、パノラマの3つです。
わたくしのようなオールド・ファンには懐かしいものです。

今日は、これまた懐かしの音源、小澤&パリ管ですから。
70年代、小澤さんがもっとも覇気にあふれ、輝いていた時分の録音。
DGとフィリップスに録音するようになっての小澤さんが一番好きだな。
また書きますが、EMIでのパリ録音は音がイマイチで、このフィリップス録音の芯の通った、そしてしっとりとした名録音で、小澤&パリ管という日本人がもっともよろこぶ組み合わせの真髄が発揮されたのですよ。
パリを席巻したハナエ・モリみたいに。

ともかく、どこまでもしなやかで、音符ひとつひとつが弾んで聴こえ、それでいて過剰な歌い回しなどは一切なくって、むしろ淡白でかつ流麗。
パリの輝かしいオーケストラを日本人が、指揮棒一本でもって操るという、それこそ、誇りに思いたくなった当時の懐かしくも嬉しい音源のひとつです。
いまや普通となった日本人指揮者の活躍。
そのあと30年を経て、お隣の国のお馴染みの指揮者がパリを拠点に大活躍。
かの国の愛好家もさぞかし心が高鳴ったことでしょうね。
こうして、クラシック音楽の非本流の国から発するその演奏は、世界を納得させたのです。

それはそうと、100年眠ったオーロラ姫と家族と、宮廷の面々。
100年後の時代のギャップってなかったのでしょうかね。
バレエに疎いので不明ですが、100年を今に置き換えた読み替え演出って面白そうではありませぬか。
オペラ界では間違いなくやることでしょうが、バレエでは如何に。

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