カテゴリー「イタリアオペラ」の記事

2018年6月26日 (火)

「スカラ座のアバド」 ヴェルディ・オペラ合唱曲集 アバド指揮

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 6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生の日。

1933年ミラノ生まれ。

父も兄も、ミラノ・ヴェルディ音楽院の院長を務める名門の出自で、幼くして指揮者を夢見たナイーブな少年は、長じて、なるべくしてスカラ座の指揮者となりました。

ちなみに、兄マルチェロの息子、ロベルトも指揮者で、そのお顔も指揮姿も叔父クラウディオにそっくり。
クラウディオの息子ダニエーレは演出家で、生前、「魔笛」にて親子共演を果たしてます。

アバドの誕生日に、録音上のアバド&スカラ座の原点の1枚を聴きます。

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  ヴェルディ オペラ合唱曲集

 「ナブッコ」~祭りの飾りを
         行け、我が思いよ、金色の翼に乗って

 「トロヴァトーレ」~アンヴィル・コーラス

 「オテロ」~喜びの炎を

 「エルナーニ」~謀反人たちの合唱

 「アイーダ」~凱旋の合唱

 「マクベス」~しいたげられた祖国

 「十字軍のロンバルディア人」~エルサレムへ、エルサレムへ
                     おお、主よ、ふるさとの家々を

 「ドン・カルロ」~ここに明けた、輝かしき喜びの日が

    クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                  (1974.11 ミラノ)


当ブログでは、この音盤について記事にするのは2度目。

アバドの誕生日に、何を聴こうか考えたときに、レコード時代、一番頻繁に聴いたものは何かなと考えたときに、この1枚がそれだった。

ちなみに、聴いた頻度の高いものを列挙すると、あとは、ウィーンでの悲愴、ベルリンとの1回目のブラームス2番、春の祭典、ショパンのピアノ協奏曲1番、ボストンとのスクリャービンとチャイコフスキー・・・・、こんな感じで、CDより、レコードの方が多く聴いてる。
すなわち、レコードが高価なものだったから、そうたくさん買えなかったし、買うならアバドだったから、こんな風になる。

       ------------

1968年にスカラ座の音楽監督に就任したアバド。
アバドのファンになってから、イタリアでのアバドの活動は、レコ芸の海外レポートを通じてしか知ることができなくて、ロンドン響とのロッシーニしかなかったオペラ録音に、いつ、スカラ座とヴェルディをやってくれるのか、それこそ首を長くして待ち望んだ、そんな高校生でした。
そこに登場したのが、この合唱曲集。
オペラ全曲盤ではないが、アバド&スカラ座のヴェルディへの渇望を満たすには充分すぎるほどの1枚で、私は喜々として、日々この1枚を何度も何度もターンテーブルの上に乗せたものです。

オペラ録音の主役はコストの関係もあって、ロンドンが中心となっていたなかでの本場イタリアの純正ヴェルディサウンド。
60年代初頭から毎年続いたDGへのスカラ座の録音も、65年のカラヤンとのカヴァ・パリ以来途絶えていただけに、74年のこの録音は、スカラ座としても久々のレコードとなり、楽員も合唱団も、気合十分。

そんなはちきれんばかりの意欲的な音が、冒頭のナブッコから満載。
みなぎる迫力と、輝かしいばかりの明るさと煌めき。
貧弱なレコード再生装置から、こんな音たちが、滔々とあふれ出してきたのです。
いまでも、あの高揚感をよく覚えてますよ。

いま聴いても、その想いは同じ。
ことに、男声合唱の力強さと、女声も含めた、声の明瞭さは、スカラ座合唱団ならではのもの。
オーケストラの精度も高く、アバドの統率のもと、一糸乱れぬアンサンブルであり、ほんのちょっとしたフレーズでも、雰囲気豊かで、アバドの指揮ゆえに、歌心もたっぷり。
オケも合唱も、ピアノ・ピアニシモの美しさは耳のご馳走でもある。

アバドは、マーラーを通じ、その音楽の高みを晩年には、自在さと透明感の頂点に持っていったけれども、一方で、ヴェルディの演奏を聴くと、生来のアバドの根源のひとつをも感じ取らせてくれるように思います。
 アバドのスカラ座との関係は、1986年に終止符を打ってしまいましたが、スカラ座からすると、ムソルグスキーやベルクばっかりに偏重する音楽監督は、芸術性の高さとは別に、大衆受けからは遠く、アバドからしたら、より自分の好きな作品を上演したいし、マーラーを主体としたシンフォニー作品をより探求したかったから、やむを得ない結末だったかもしれません。
 しかし、ファンとすると、こんなに素晴らしいヴェルディ演奏、このあと数年にわたり録音されたものを今もって聴くと、本当に残念なコンビの解消だと思います。
いまは残された、アバド&スカラ座のヴェルディに、ヴェルディ演奏の本物の神髄を味わうことができることに感謝しなくてはなりませんね。

心からありがとうございます、マエストロ・アバド。

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CDでは、オペラ全曲盤からのものを含めた1枚が出ておりますが、それらは素晴らしい演奏ながら、全曲録音からの切り抜き。
本来のオリジナル盤の方が求心力高いです!

アイーダで、凱旋行進曲のトランペットが、右と左で、しっかり分かれて録音されているのも、この時代ならでは。
そんなシーンでも興奮しまくりの、若きわたくしでした♪

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2018年5月27日 (日)

ヴェルディ 「リゴレット」 ボニング指揮

Azuma

つつじがまだ咲いていた頃の吾妻山より。

今年の桜は早かったけど、つつじも早かった。

でも色が濃くて、美しかった今年のつつじ。

今日は、日曜日、天気も上々、暑いし、そうだ、ヴェルディ聴こう!

Rigoletto

 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

    マントヴァ公:ルチアーノ・パヴァロッティ  リゴレット:シェリル・ミルンズ
  ジルダ:ジョン・サザーランド         スパラフチレ:マッティ・タルヴェラ
  マッダレーナ:ユゲット・トゥランジョー   モンテローネ伯爵:クリフォート・グラント
  チェプラーノ伯爵:ジョン・ギッブス     チェプラーノ夫人:キリ・テ・カナワ
  マルロ:クリスティアン・ドゥ・プレシス   ボルサ:リッカルド・カッシネッリ
  ジョヴァンナ:ジョセフィッテ・クレメンテ 

    リチャード・ボニング 指揮 ロンドン交響楽団
                     アンブロージアン・オペラ・コーラス
                                       合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                (1971.6 @キングスウェイホール、ロンドン)


ヴェルディ17作目のオペラ。
よりドラマに劇性を織り込み、愛国心一辺倒から、人間の心情により切り込むようになった中期の作品。
このあと、トロヴァトーレ、ラ・トラヴィアータ、シチリアの晩鐘、シモン・ボッカネグラ、仮面舞踏会、運命の力・・・・と続いてゆく。
このあたりから以降が、いまも一番上演され、聴かれているヴェルディのオペラです。
1861年、フェニーチェ劇場で初演。

ヴィクトル・ユーゴーの「王は楽しむ」が原作。
有名な話だけれど、モーツァルトとダ・ポンテがフィガロの結婚で、貴族の身勝手をチクリと刺したように、ヴェルディは、上演禁止をくらっているユーゴーの戯曲に着目した。
ただ、それは王の横暴よりは、醜く、毒舌の道化師と、その美しい娘、その父娘の清らかな愛とその悲劇に着目したわけだ。

場所や立場は変えたものの、ヴェルディの描き出した愛憎あふれるドラマに付した音楽は素晴らしい。
公爵への愛を愛を諦めず、疑わないジルダに、娘の目を覚ますために、公爵がマッダレーナを誘惑する姿を見せつけ、悲しむ娘に復讐を誓うリゴレット。
この高名な四重唱の、役柄それぞれの異なる心情を、あの軽やかともいえるメロディにのせたヴェルデイ、ほんとにすごいと思う。

 でも、娘ジルダの優しさと深い愛は、さらに高次元だった。
急転直下のラストシーンに、呪いの恐怖と、なによりも娘を失い、ひとりとなったリゴレットの悲劇が浮き上がる仕組み。

極めてよくできたオペラだと思います。

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でも、懲りない女好きにすぎるマントヴァ公には困ったもので、観る側にとって、感情移入のしにくい役柄だ。
しかし、全盛期のパヴァロッティの朗らかかつ、あっけらかんとした美声と危なげない歌声を聴いちゃうと、憎めなくなる(笑)
この録音のあった1971年に、パヴァロッティは、NHKのイタリアオペラ団で来日し、マントヴァ公を歌っていて、私もテレビで見た記憶がうっすらとある。
この時の指揮は、マタチッチ。
マタチッチは、同時に、トゥーランドットも指揮していたので、これらのライブとか復活しないものだろうか。

あと、今日の音源で、実は一番好きなのが、ミルンズのリゴレット。
マッチョで、ヒロイックなミルンズの声が大好きで、さらに心情の襞の濃いカプッチッルリとともに、リゴレット役としてはすぐれたものの一つと思う。
意気軒高だった前半、しかし、娘をかどわかされ怒りを爆発させつつ涙を誘う、このあたりのドラマテックなミルンズはことに素晴らしく、すべてを失う悲劇に満ちた最後もいい。

サザーランドの美声も久々に聴くと新鮮なもんだ。
ときに機械のようで不感症チックに感じるときもあったが、そうでばかりでもないのかな、サザーランド。
ベルカント系が苦手だから、あまり聴いてこなかった歌手のひとりだ。

タルヴェラの美声のスパラフチレもいいし、今年、亡くなってしまったカナダのマッダレーナのトゥランジョー、いろんなオペラ録音にその名をみることが多かった。

思えば、主要なこの盤の歌手は、もうみな物故してしまった。
ミルンズは83歳で、まだ健在。
ロンドン響から、オペラティックな雰囲気の音を引き出しているボニングも、88歳ながら健在。

個性豊かな往年の歌手たちの時代、よかったぁ~

今は映像主体だし、劇場からも遠のいているから、最近の歌手たちを覚えきれないし、ロシア系やバルト系などの振興もあって、よけいにその名前をおぼられない焦燥の思いをいだいてます・・・・

久々の、休日のヴェルデイ。
気分がよかった。

Azumayama3

新緑が眩しい。

梅雨の足音も近い。

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2018年5月 4日 (金)

序曲、前奏曲、間奏曲 スカラ座 シャイー指揮

Azumayama

連休前半の吾妻山よりの眺望。

相模湾に、箱根連山、そして富士。
そして被写体には入りきれないけれど、左は真鶴岬に奥は伊豆半島、右は丹沢に大山。

見通しよくて、青空もスッキリ☀

Chailly

   イタリアオペラ 序曲、前奏曲、間奏曲


ヴェルデイ     「一日だけの王様」序曲
ヴェルディ     「十字軍のロンバルディア人」第3幕への前奏曲
カタラーニ     「ラ・ワリー」第3幕への前奏曲
ロッシーニ     「試金石」序曲
ドニゼッティ    「パリのウーゴ伯爵」序曲   
ベルリーニ     「ノルマ」序曲
ジョルダーノ    「シベリア」第2幕への前奏曲
プッチーニ     「蝶々夫人」第2幕 間奏曲
プッチーニ     「エドガー」第4幕への前奏曲
ポンキエッリ    「ラ・ジョコンダ」 時の踊り
レオンカヴァッロ 「道化師」 間奏曲
レオンカヴァッロ 「メディチ家の人々」 前奏曲、第3幕前奏曲
ボイート      「メフィストフェーレ」 プロローグへの前奏曲


    リッカルド・シャイー指揮 スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

                (2016.6 @アルチンボルディ劇場、ミラノ)


ミラノ生まれのリッカルド・シャイーが2017年より、スカラ座の音楽監督に就任。
その出自からも、スカラ座のポストに就くことは、いずれ予想はされていたこと。
アバドの元で、スカラ座で修行し、そこから羽ばたいていったシャイー。
そのポストも、いずれも腰掛けでなく、長く留まり、録音もふくめ、一定の成果をあげ、また次のポストに移動するといった優等生的パターン。

1982~89年 ベルリン放送響
1983~93年 ボローニャ歌劇場
1988~04年 ロイヤル・コンセルトヘボウ
1999~05年 ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響
2005~16年 ライプチヒ・ゲヴァントハウス
2005~08年 ライプチヒ歌劇場
2016~     ルツェルン祝祭管
2017~     ミラノ・スカラ座

こんな感じのステッアップぶり。
デビューしたての頃、ベルリン放送響の時代は、イタリア出身の指揮者らしく、歌心も在り、爽快、明快、熱烈かつ緻密といった音楽に、いつもときめきを覚えて、シャイーをかなり聴いたもんだ。
 しかし、コンセルトヘボウの時代から、?と思い出した。
ハイティンクの時代にあった、あのふくよかなRCOサウンドが聴こえなくなった。
ゲヴァントハウスでも、ドイツの古豪のイメージを吹き消してしまった。
知的かつ合理的な音楽解釈は、見事でもありながら、面白みもなかったりする。
いつもセカセカしていて、素通りされてしまうイメージで、その姿がつかみにくい。。
などなどの不満を持つようになって久しい。

そんなシャイーも65歳。
アバドの跡を追うようにして、ルツェルンとスカラ座へ。
ルツェルンとのシュトラウスは聴いたけれど、ちょいと肩透かし。
でもさすがに、音楽の仕上がりのよさは抜群だった。
 そして、スカラ座就任記念の1枚は、イタリア・オペラの名作曲家たちの、ちょっと渋めの序曲・間奏曲集。
そう、こういの、わたくし、大好物なんですよーー

ベルリン放送響とのプッチーニ作品集を、いまもってシャイーの代表盤と思うわたくし、この1枚に、シャイーの並々ならぬスカラ座就任への意欲を感じました。
シャイーは、こういうのが一番いいし、彼のスタイリッシュなスタイルが、大仰にならずに、イタリアオペラの歌心をさらりと表出していて、とても爽やかなんだ。
 いずれのオペラも、スカラ座で演奏された演目ばかりを選曲。
ロッシーニからジョルダーノまで、必ずしも時代順で並んではいないが、19世紀のほぼ100年のイタリアオペラの作曲家のオーケストラ技法の一端を一望にして垣間見ることができる好企画でもあるんだ。
 弾むようなロッシーニに、思いのほかシンフォニックなドニゼッティやベルリーニ。
滴るようなヴァイオリンソロが聴かれるヴェルディのロンバルディア。
なかなかに、おどろおどろしい、そしてかっこいい、ボイート。
抒情的で、思わずキュンとなってしまうステキなプッチーニ。
わーーい、時の踊りに、小躍りしたくなる、スカラ座オケ、うめぇーもんだ!!
ジョルダーノやレオンカヴァッロのオペラは、もっと聴かれていいぞと思わせる、シベリアとメディチ。どちらも全曲盤を持ってます、いま聴き込み中。
そういえば、マスカーニやアルファーノ、モンテメッツィ、チレーアはないのね。

繰り返しますが、シャイーはこういうのが得意。
見知らぬオペラをイタリアものばかりでなく、もっと掘り起こして欲しい。

あと、シャイーのオペラの課題は、モーツァルトに、ワーグナーとシュトラウスでしょうな。
オペラに専念いただき、オケプロは、しばらく卒業ということで。
なんてこと書いたらシャイー・ファンに怒られそうだけど、シャイーのオペラが好きだからなんですよ。
 そう、あとその音楽性は、ティーレマンあたりと真反対かもです。

それから、そうそう、スカラ座は、バレンボイム以外は、ずっとイタリア人指揮者だったから、ムーティ以降12年ぶりのイタリア人音楽監督なんですね。
トスカニーニ18年、デ・サバータ24年、アバド18年、ムーティ19年、いずれも長いです。
シャイーにも長く務めていただき、スカラ座の黄金期をまた作り上げて欲しいと心より思います。


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望遠鏡から富士山頂をパシャリ。

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2018年1月20日 (土)

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 アバド指揮 プライ

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菜の花と富士。

毎正月に、実家に帰るとこの景色が望める幸せ。

今年は、晴れの日が続いたので、富士がくっきり、すっきり。

おまけに、今年、ちょっと不安視した駅伝も、見事に完勝。

ありがたき正月になりました。

そして、1月も後半に至ると思い起こすのが、クラウディオ・アバドの命日。

あれから4年です。

今年のアバドの命日には、ことし2018年に、没後10年のアバドの朋友、ヘルマン・プライとの共演を。

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   ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」

 アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ  バルトロ:エンツォ・ダーラ
 ロジーナ:テレサ・ベルガンサ        フィガロ:ヘルマン・プライ
 バジリオ:パオロ・モンタルソロ        フィオレロ:レナート・チェザーリ
 ベルタ:ステファニア・マラグー        士官:ルイジ・ローニ

      クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                      アンブロージアン・オペラコーラス
              合唱指揮:ジョン・マッカーシー
              チェンバロ:テオドール・グシュルバウアー
              ギター:バルナ・コヴァーツ

               (1971.9 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


初めて買ったアバドのオペラのレコード。

その前には、「チェネレントラ」が出てはいたけれど、すぐには手が出ず、より有名なセビリアの登場を待ち、飛びつきました。
それでも、ちょっと半年ほど遅れて、横浜駅西口にあったヤマハで、お正月に購入。
川崎大師の帰りでした。
3枚組のズシリと重いカートンボックスに入った豪華なオペラのレコード。
所有する喜びにあふれてました。

アバドは、昨年亡くなったゼッダの改定版を前面に押し立てて、ロッシーニ演奏に革新をもたらせた指揮者のひとりでありました。
過剰な装飾や、オーケストラに慣習的に追加された楽器や誇張を取り除いたスッキリとした軽やかなロッシーニ。

ブッファ的な側面ばかりで語られたロッシーニには、セリアもグランドオペラもあったと見直された60年代半ば。
その流れで、フィルターを取り除いたロッシーニの音楽を体現させたのはアバドだと思う。

オモシロ可笑しいロッシーニのブッファに、生真面目に取り組み、端役に至るまで、すべての登場人物たちの歌に等しく目を配らせ、お笑いドラマを人間ドラマにまで昇華してしまった。
アバドが、ヴェルディのオペラに取り組む、その同じ姿勢がロッシーニの演奏にもあると思う。
だから、アバドのロッシーニは、セビリアよりは、チェネレントラ、そしてさらにランスの旅の方がより素晴らしい。
ベルリンフィルでロッシーニのオペラをやってしまったところが、これまたアバドらしいところ。

Rossini
   1981年のスカラ座の引っ越し公演での「セビリア」は、薄給を「シモン」のS席に振り当ててしまったので、テレビ観劇となりましたが、終始、このレコードより、テンポも速めにとり、ダイナミズムも緩急も自在で、より劇場的な指揮ぶりでした。
そして、ポネルの回り舞台の面白さと、ヌッチ、アライサ、V・テッラーニと新鮮な歌手たちの鮮やかさも、いまや伝説級の名舞台と言えます。

もう46年も前のころ録音。
当時、ロンドン交響楽団は、アバドの意思にもっとも俊敏に反応することのできたオーケストラであったと思う。
オペラのオーケストラではないが、ゆえに新しい響きも紡ぎだすことができたし、そこはアバドの歌心もそっくり反映させることができている。
いまでも充分に、その鮮度を保っているロッシーニ演奏です。

当時、最高のロッシーニ歌いをずらりと揃えた配役。
ただ、昨今のよりスタイリッシュで、高度な技量を備えた歌唱からすると、やや古めかしさも感じたりもするのは贅沢な想いかもしれない。
そのなかで、燦然と輝いているのはベルガンサのロジーナ。
清潔さただよう麗しくも正しき歌。
チェネレントラでの歌唱とともに、しっかりと耳に残しておきたい歌唱です。

ヘルマン・プライの当たり役フィガロ、うますぎの感もなくはないが、そして、思いのほか声の威力も気になるところだが、その人懐こい歌声は、こうしたイタリアものでも魅力的。
プライの明朗快活な歌は、モーツァルトの同役とともに、フィガロが当たり前のように同一人物であることを強く感じさせます。
そして、わたしたちは、ここに聴くプライの声で、彼の歌うパパゲーノやグリエルモ、果ては、ベックメッサーやヴォルフラムなどをも思い起こすことができる。
それほどに、ヘルマン・プライの声は、自分にとって馴染みの声なのです。
アバドは、プライとの共同作業を多く行っていて、スカラ座のフィガロの結婚では、伯爵までも歌っているし、ずっと後年、ウィーンフィルとの第9ではバリトンソロもつとめている。
そして以前にも書いたけれど、アバドのヴォツェックにもチャレンジする予定もあった。
アバドが病に倒れる前は、ワーグナーへの挑戦として、マイスタージンガーやタンホイザーの名前もあがっていたので、もしそれが実現していれば、プライのザックスなんてのもあり得たのかもしれません・・・。

ヘルマン・プライは、1998年7月22日に69歳で亡くなりました。
そして、クラウディオ・アバドは、2014年1月20日に。

アバドの命日に、偉大な歌手と指揮者を偲んで。

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過去記事

 「チェネレントラ」 アバド LSO

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2017年9月30日 (土)

フラヴィアーノ・ラボー イタリアン・テノール

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9月23日、お彼岸の東京タワー。

ブルーです。

で、どこか、テノールな気分。

往年のテノール聴きました、そして、クールに熱くなりました。


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なんだかなぁ、すぎるジャケットで、いろんなものに見えてくる・・・
お口直しに、別バージョンを拾いました。
Labo

    ヴェルディ    「運命の力」

  ポンキエッリ  「ラ・ジョコンダ」

  プッチーニ   「ラ・ボエーム」 「トスカ」 「トゥーランドット」

  ジョルダーノ  「フェドーラ」

       T:フラヴィアーノ・ラボー

 フェルナンド・プレヴィターリ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                             (1954 ローマ)


フラヴィアーノ・ラボーの名を知る方は、だいたい、私より上の世代ぐらいでしょうか。
NHKが招聘した「イタリア・オペラ団」は、1956年より1976年まで、8回にわたって来日し、日本に本物のオペラを根付かせる原動力ともなった。
伝説級の公演の数々。

私が記憶にあるのは、1971年の第6次のものからで、そのあと73年は、NHKホールのこけら落とし、さらに76年は、実際にその舞台に立ち会うことができた。
その71年に、カラフ。73年に、カヴァラドッシとラダメスを歌ったのが、ラボーでありました。

小柄で、おっさん体系だけれども、その声は野暮ったさの一切ないスマートで洗練されたもので、かつ、力強さと輝かしさにもかけてはいない。
ベルゴンツィや、後輩のカレーラス系の声のイメージといえばよいかな。

正規録音としては、DGのスカラ座の「ドン・カルロ」ぐらいしか、ちゃんとしたものでは出ていなかったので、このアリア集の復活はとてもうれしい思いをしました。

モノラルながら、実に明晰な録音で、ラボーの素晴らしい歌声を楽しむことができます。

ラボーは、1927年生まれ、ロマーニャ州ピアチェンツァ県の出身で、イタリアでもどちらかというと、北西に位置する場所。
イタリアの北と南、その気質も大きく異なる。
そんなことも思いながら、イタリアの地図を眺めたりしながらラボーの声を聴くのも楽しい。
1991年に、交通事故で亡くなった新聞報道を見たときは、ちょっと驚き、寂しい思いをしたものだ。

73年の「トスカ」は、テレビを通じて何度も観劇しました。
赤いドレスの美しいカヴァイヴァンスカのトスカと、小柄なおじさん、ラボーのカヴァラドッシは、伝統的で、ゴージャスな舞台と演出とともに、ほぼ初「トスカ」だった自分のトスカ体験の刷り込みとなりました。

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ラスト、ローマの早朝の朝焼けのなかの処刑シーンでは、その空の色の美しさも、これまた刷り込み。
この頃に出た、メータ盤のジャケットが、たぶん、この舞台のものだったはずで、レコ芸にその盤の書評を書いていた桜井センリさんが、体験されたローマの朝のことに触れていて、私も、まだ見ぬローマのことを憧れでもって想像したものだ。

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懐かしい思い出ばかりのフラヴィアーノ・ラボーの歌声。

最近は、ワーグナーとシュトラウス中心のドイツ・オペラぐらいしか、新しい演奏は聴かないので、イタリアものの最近の歌手は、名前すらわからなくなってしまった・・・。
古いのしか知らない、聴かないイタリア・オペラなのでした。

 ヴェルディは、ここでは、ドン・アルヴァーロのアリア1曲だけだが、この耳洗われるような正統歌唱に、居住まいを正したくなる想いがする。
残りのプッチーニにも、涙が出そうなくらいに、こころが熱くなった・・・・

どれ、爽やかなイタリア産の白ワインでも開けて、もう一度聴こう。

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2017年1月 1日 (日)

ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」から

2017

「お世話になりました」の、大晦日から1日経つと、「おめでとう」の応酬となる、これほどに時間の経過が鮮やかな二日間ってない。

仕事もでもそう、毎日、顔を突き合わせてるのに、数日合わないだけで、「よいお年を」、「おめでとうございます」、のやりとりが日本中で交わされる。

世界の国々では、どうなってるんでしょうね。

節目、折り目を大切にする日本、四季もくっきりしていて、それぞれに催しが地域ごとにある。
宗教にも寛大で、八百万神に囲まれてる。

そんな日本の風習に、自分も思いきり浸ってま~す。

だらだらと導入部。

そして、おめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

ペースは鈍りますが、ブログは、2017年、ゆるゆると再開です。

新年初回は、今年のアニヴァーサリー作曲家、生誕150年のジョルダーノのオペラから。

大物アニヴァーサリーはいない今年、わたくしには、ジョルダーノかな。

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  ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」から アリア

   アンドレア・シェニエ:マリオ・デル・モナコ

   マッダレーナ:レナータ・テバルディ

   ジェラール:エットーレ・バスティアニーニ

 ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                            (1959.6 @ローマ)


ジョルダーノ(1867~1948)の代表作「アンドレア・シェニエ」。

プッチーニのひとまわりあとの世代だが、イタリアのヴェリスモ作曲家として、マスカーニやレオンカヴァッロ、チレーア、アルファーノと並ぶ存在。

プッチーニとの共作で多くの名作を産んだ、イルリーカの台本に基づく。

フランス革命時のパリを舞台に、理想と信念とに燃える詩人アンドレア・シェニエと、貴族の令嬢マッダレーナとの熱い愛、そして、そこに横恋慕しつつも悩む、令嬢家の召使いから、革命に身を投じ、革命政権の高官となるジェラールとの、まるでトスカのような3人の絡み合いのオペラ。
アリアがふんだんに盛りこめられ、ソプラノ・テノール・バリトンという3役が主要人物をなしている。
しかし、全曲に出ずっぱりで、歌いどころ、演じどころも多いのが、タイトルロールのアンドレア・シェニエのテノール。
愛にも、国を思う愛国心にも、そして詩作にも一途に一本義なシェニエ役は、ドラマティックなテノールが必要。
歴代の名テノールが録音してます。

今朝は、3人のアリアを抜き出して聴いてみました。

 アンドレア・シェニエ  「ある日、青空をながめて」

 ジェラール        「国を裏切るもの」              

 マッダレーナ       「わたしの死んだ母」

 アンドレア・シェニエ  「五月の美しい日のように」


シェニエのふたつの情熱的なアリアは、まったくもって素晴らしくて、テノールの声を持っていたなら、絶対に歌いたい。
自然を賛美しながら貴族の前で歌う「ある日、青空をながめて」は、やがて、暴政と市井の民の貧しい生活を見ようとしない貴族への批判に転じる。

同様に情熱的なジェラールのクレドともいうべき熱い心情吐露は、祖国を愛すがいまや、暴力に訴える身の上となってしまった自嘲と、マッダレーナへの愛を歌う。
このアリアも大すきで、これは車のなかで歌ったりてしまう。

かたや革命によって家は没落、母も亡くなり、極貧に耐えるマッダレーナの切々としたアリア。愛するシェニエが捕らえられ、彼を救ってくれるのなら、わが身を捧げましょうと、ジェラールに向けて歌う。
泣けるようなメロディに、心動かされ、涙も滲む。
そう、ジェラールも感動し、彼女を諦め、同じ愛国者であるシェニエを助けようと奔走する・・・・・。

終幕、処刑を前にしたシェニエの辞世ともいうべき澄み切った心境と、愛を、これまた高まる情熱とともに歌う。

最後に、断頭台に消えるシェニエとマッダレーナの熱い二重唱も相当なハイテンションであります。

こんな3人、デル・モナコ、テバルディ、バスティアニーニは、理想的な歌でありました。

シェニエは、あとはコレルリとカレーラス、マッダレーナはスコット、ジェラールはカプッチルリが好き。

10数種のオペラがあるジョルダーノ、長命なわりに謎も多いが、激情が生む興奮度の高いその音楽は、しっかり聴くと意外と楽しく旋律も豊かで、聴きごたえあります。
「フェドーラ」と「シベリア」しか聴いてませんが、今年は機会があればチャレンジしたいところです。

ポピュリズムが世界に蔓延しつつあるが、シェニエの歌にある純粋な高潔の志は忘れてはいけないと思う、そんな2017年の始まりでありました。
 

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2016年12月23日 (金)

プッチーニ 「トスカ」 テ・デウム

Shinagawa_1

品川の新スポット、品川シーズンテラス。

規模はそんなに大きくないですが、東京タワーを遠くにまっすぐ望む位置に、イルミネーショイン。

ベルを鳴らすと、色が変化します。

Shinagawa_6

色違い。

駅から少し遠いので、人も少なめ。
Tosca_1    

 今日、12月22日は、プッチーニの誕生日。

いまから、158年前です。

プッチーニ大好き。

イタリアオペラでは、ヴェルディも好きだけど、数が多すぎるし、作品にムラがありすぎる。
しかし、偉大なヴェルディ。
 そして、プッチーニは、作品数がそんなに多くないから、そのすべてを把握できたし、そのすべてが好き。

蝶々さんのアリアから、当然のようにして入門し、テレビのディズニーかなにかの放送で、映画版の蝶々さんをみたのが初プッチーニのオペラかも。
しかし、本格的に親しんだのは、1973年のNHKイタリアオペラの公演の放送。

NHKホールのこけら落としの一環で、名歌手たちが大挙して来日して、豪華な舞台を繰りひろげた。
ベルゴンツィ、コソットの「アイーダ」、スコット、クラウス、ギャウロウの「ファウスト」、スコット、カレーラス、ブルスカンティーニの「トラヴィアータ」、そして、カヴァイバンスカ、ラボーの「トスカ」の4演目だ。

そのすべてをテレビとFMで堪能し、その前よりワーグナーに毒されていたワタクシに、イタリアのオペラの素晴らしさを植え付けてくれた。

この「トスカ」と、その年に発売されたカラヤンの「ボエーム」によって、プッチーニ熱に浮かされることとなったわけだ。

さて、名アリアと、緊迫のドラマの宝庫、そして、主要登場人物のすべてが死んでしまうという悲劇に、甘味なるプッチーニの音楽。
すべての音符が、脳裏に沁み込んでいるけれど、とりわけ好きなのが、スカルピアの「テ・デウム」だ。

1幕の最後、悪漢スカルピアは、かねてより思いを寄せていた、歌姫トスカを、計略をもって嫉妬のかたまりへと陥れる。
 まんまと術中にはまったトスカを、紳士然と送りだしたスカルピアは、自身の想いを赤裸々に歌う。
 この教会の大聖堂で演じ、歌われるこの場面は、壮大・壮麗極まりない。

この神聖な場で、邪悪で邪まな思いをぶつけつつ、周りの民衆は、主は偉大なり、神を讃えんと、テ・デウムを高らかに歌う。
やがて、スカルピアも、その祈りに唱和して、十字を切る。

この二面的な思いと、歌を見事に結びつけたプッチーニの天才的な筆の冴え!

「ヤツには死を、そして彼女は俺の腕のなかに。トスカは、俺に神を忘れさせるぞ!」

悪いやっちゃぁ~

とかいいながら、男も女もみんな一緒かも・・・、二面性を仮面をかぶって演じてる。

そんな、悪いヤツ、もしかしたら、嘘つきだけど、正直なナイスガイ、スカルピアは誰の歌が一番好き?

Tosca_calas

カラスのステレオ録音の方のゴッピ
サバータ盤は、モノだし、壮大感がちょっとなので、こちら。
実に、巧みで、トスカの心の隙に入り込む、嫌らしいスカルピアなんだ。
声だけで、千両役者。

あと、好きなのは、ミルンズのスカルピア。
プライス、ドミンゴと共演のメータ盤。
若々しく、スマートな憎々しさ。
西部劇の悪役か、ダーディ・ハリーに出てくるような70年代風のギャングみたいな・・・
そんな声量と美声のたっぷりなミルンズが好き。

そして、いがいにも、F=ディースカウの知的かつ、知能犯的な悪の結社の親玉スカルピア。
理詰めで、トスカとカヴァラドッシを追い詰める。
が、しかし、ブリュンヒルデのようなニルソンのトスカに殺されちゃう。
うまいよFD。

映像系で見ると、目の動きが歌以上にスカルピアしてるライモンディ
威力のある声は圧倒的。
ちょっとクセのあるバスの声だけど、よく練られていて、歌が実に巧み。
これもまた、悪いやっちゃ、とつくづく思う。

それから、最近では映像で見たハンプソン・スカルピア。
マフィアの親玉みたいな、表面、エリートな紳士だけど、実は真黒なダーティ野郎。
そんなスカルピアもすてきだった。

あと、希少なバスティアニーニの超かっちょええ強面スカルピアもある。
海賊盤だけど、テバルディとディ・ステファーノという強力トリオ。
実は、いい人なんじゃないか、悩みさえ抱えて感じるバスティアニーニのスカルピアは面白い。

あとあと、まだまだ、たくさんすきです、スカルピアの存在。

クリスマスにらしからぬ話題となりましたが、主を讃えん、「テ・デウム」ということで、併せて、プッチーニ讃

Shinagawa_8

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2015年5月31日 (日)

レスピーギ 「セミラーマ」 ガルデッリ指揮

B

5月のある日の夕焼け。

くっきりとした冬の夕焼けと違って、この時期のものは、地上の熱の影響で、なかなかに、ドラマティックな光景になることが多いです。
何度も、書きますが、夕焼け大好き。

Respighi_semirama

  レスピーギ  歌劇「セミラーマ」

    セミラーマ(バビロニアの女王):エヴァ・マルトン
    スジャーナ(カルデアの王女):ヴェロニカ・キンチェシュ
    メロダーシュ(バビロニアの士官):ランドー・バルトリーニ
    ファラッサール(アッシリアの統治者):ラーヨス・ミラー
    オルムス(バアル神の高僧):ラースロ・ポルガー
    サティバーラ(バアル神の預言者):タマス・クレメンティス

  ランベルト・ガルデッリ指揮  ハンガリー国立管弦楽団
                    ハンガリー放送合唱団

                     (1990.8.20~29 @ブタペスト)


レスピーギ(1879~1936)の10あるオペラ関連作品(そのうち一つは、未完。さらにひとつは、未完を夫人が補筆完成)のうち、3番目、「セミラーマ」を。

レスピーギの概略、その人となりは、こちらに書きました(→)

レスピーギのオペラは、そのすべてが録音されておらず、また、その限られた音源も手に入れにくく、しかも外盤ばかりで、その作品の詳細理解が難しいのですが、未知オペラをじっくり聴きあげることが好きなワタクシ、次のターゲットをレスピーギにいたしました。

1908~10年にかけての作品で、ドイツ滞在中に書きはじめ、ボローニャにて完成。
初演も、ボローニャで、同年、11月に行われ、大成功を博したとされます。

原作は、ヴォルテールの「セミラミス」で、これを台本作家アレッサンドロ・チェーレが3幕仕立てにいたものが、このオペラのベースです。

 このセミラミスは、美貌・聡明・残虐さをそなえた、紀元前9世紀のアッシリアの伝説上の人物で、アッシリア王に気に入られ、王子も産むが、その王を殺し、王子は行方不明になり、やがてあらわれた王子を、実の息子とお互い知らずに結婚しようとし、最後は、その息子に、父殺しの復讐をされてしまう。

かつてのギリシア神話によくある説話のたぐいで、オイディプスやエレクトラを思い起こします。

そして、この題材は、多くのオペラとしても残されてます。
一番有名どころでは、ロッシーニの「セミラーミデ」でしょう。

 この壮絶なドラマに、レスピーギは、その劇的なオーケストレーションの才能と、イタリアオペラの伝統の豊麗な歌唱を組み合わせ、見事な作品を書き上げました。
30歳のレスピーギの意欲的なこのオペラには、いろんな要素がぎっしり詰まっていて、以下、解説からや、聴いた印象も含めて羅列してみます。

・強気で自己中心的な女王(王女)、そして、暗い影を引きずっているという意味で、
 サロメや、エレクトラ、トゥーランドットに通じる。
 同様に、壮大な歴史ドラマが背景に。

・そうした意味もこめて、その音楽は、R・シュトラウス(1864~1949)顔負けの濃厚
 芳醇世紀末サウンド。
  同様に、先輩プッチーニ(1858~1924)顔負けの、甘味で美しい旋律の渦。
 さらに、ロシアで教えを受けたR=コルサコフ譲りの、エキゾティシズム。
 ペンタトニック音調が、いかにもメソポタミアン(?)な雰囲気を醸し出してる。
  レスピーギ若き日々の立ち位置が、よくわかります。
 古典的な佇まいを示すのは、ずっと後年のこと。

・プッチーニは、このレスピーギの「セミラーマ」が作曲されたころ、まだ、
 「トゥーランドット」(1919年頃より準備、1924年未完)の発想をまだ持ち合わせて
 いなかったが、レスピーギのスコアを どこかで見たという可能性が云々される・・・・

・「トゥーランドット」とのキャストの類似性
 そちらも、もともとが、アラビアが舞台の物語。
 ドラマティックソプラノによる女王、ヒーローの王子、その王子を慕う優しいソプラノ
 慈悲に溢れたお爺さん(バス)は、共通。
 そこに、「セミラーマ」は、横恋慕するバリトンが加わる。

・「サロメ」の影響
 シュトラウスの「サロメ」は、1905年の作で、「セミラーマ」作曲開始の3年前。
 セミラーマ前に、ドイツに長期滞在していたレスピーギ。

・コルンゴルトサウンドへの近似性
 コルンゴルト(1897~1957)は、レスピーギの一回り後輩。
 近未来的なキラキラサウンドは、お互い近いものがある。
 ことに、「死の都」を一瞬思わせるヶ所が、「セミラーマ」にもありました。
   しいては、ハリウッドの壮大な歴史ドラマにも相通じるものも!


 以上のように、聴いていて、いろんなインスピレーションが湧き上がってくるレスピーギの初期のころのオペラ。
あと出しイメージ操作のできる、いまのわれわれ聴き手ですがゆえ、このように、何に似てるとか、誰の影響とか言ってしまいます。
 ですが、以前にも、ぼんやりと書いたとおり、音楽って、そういうものだし、作曲家も、演奏家も、みんなお互いに影響しあって、刺激しあって存在してるもの。
何々風とか、誰それに似てるなんて、別に、その音楽の存在価値をおとしめるものでは、一切ない表現や評価だと思います。
 そして、いろんな作曲家たちが活動した時代背景や、場所、それらの相関関係を紐解くことも、後世のわれわれには、楽しみのひとつであります。

 物語は、紀元前9世紀ごろのバビロニア

第1幕 バビロンの王宮
 
女王セミラーマと、かつて征服された国の王女、いまは、その待女となったスジャーナが、反乱軍との戦いに勝利した自軍が、多くの豪華な戦利品を積んで入港するのを空中庭園から見守っている。
しかし、ふたりの女性が気になるのは、それらのお宝ではなく、その出生も謎に満ちた勇敢な戦士、メロダーシュのこと。
 
 反乱軍の指導者の処刑も行われ、セミラーマは、冷徹に対処しつつも心が苦しい。
その晩、スジャーナとメロダーシュは、久方ぶりに会って、お互いの愛を確認する。
ふたりは、幼馴染みであった。

第2幕 バアルの神殿

高僧オルムスが朝の祈りを捧げている。
そこへ、ファラッサールが預言者とともに、相談にやってくる。
彼は、かつて、バビロニアの国王を高僧から約束もされ、かつての国王殺しも加担していて、セミラーマが、メロダーシュに夢中になっていることから、彼女のことを失いたくないと思っている。
 この横柄な態度に、バアル神の像の後ろで聞いていたセミラーマが躍り出て、怒りをあらわにする。
 ファラッサールは、あの正体不明の亡命者、メロダーシュこそ、かつてのセミラーマの息子ニノでありことを告げるが、セミラーマはまったく信じることがなく、メロダーシュとの婚姻を進めることを宣言する。
高僧オルムスの占いでは、不吉の預言が・・・

第3幕 宮殿

セミラーマとメロダーシュの婚姻が発表され、その賑やかな祝宴に皆は浮かれている。
ファラッサールは、スジャーナに、メロダーシュの身の上の秘密を告げ、彼女からメロダーシュに思いを踏みとどまらせようと画策する。
 深い悲しみに落ち込み、愛する恋人を失うことでは、利害の一致する彼女は、メロダーシュに、ファラッサールから聞いた話を伝え、母親と結婚することをやめさせようとする。
 熱い愛を語りあう、セミラーマとメロダーシュのところにスジャーナは意を決して登場。
女王は、席を外すが、スジャーナから話を聞いた血の気の多いメロダーシュは、意味のない中傷として腹をたて、むしろ、ファラッサールを殺害する計画をたてる。
 その晩、暗い霊廟にて。
ファラッサールがかつて、先王を暗殺したのと同じように、今度は、メロダーシュが隠れ、待ち受ける。
そして、あらわれた人物にメロダーシュは襲いかかり、一撃で倒してしまう。
 
 ところが、倒したその人物は、セミラーマであった。
セミラーマは、息も絶え絶えに、「わたしの息子よ、母親の言葉を聞け、わたしは、これから暗黒をさまよいます、そして、永遠にあなただけを愛します、ニノ、わたしの子供、母は、あなたに口づけがしたい・・・・」といってこと切れる。
外では、セミラーマの名を歌い呼ぶ、声がこだまする。

                幕

対訳なしで、まっく難渋しましたが、だいたいこんな感じの物語です。
セミラーマは、冷たいトゥーランドットのようで、でも、息子に命を奪われることで、母として覚醒し、優しいひとりの女性となって浄化されるのです。
最後の、静謐なシーンは、とても印象的で、感動します。

そして、全編にわたる、若いとはいえ、レスピーギならではのオーケストラの素晴らしさ。
歌も、イタリア・オペラの伝統を踏まえながらも、激烈なヴェリスモとは一線を画した、どちらかといえば、フランスやドイツのオペラに近い感じで、抒情と流麗さが際立ちます。

1幕の若い男女の二重唱は、匂い立つほどの芳香を感じます。
とてつもなく美しく、官能的で、トリスタン的でもありました。

2幕では、東洋風の調べが、アラビアンな雰囲気ムンムンで、エロティックかつエキゾティック。
そして、ファラッサールの、まるで、スカルピアをも思わせるような信条告白がナイスなアリアがありました。
さらに、セミラーマの気の強さが満々なのが分かるアリアもあります。
まるで、不感症のトゥーランドットみたいだ。
何度もいいますが、トゥーランドットより先の作曲ですから。

3幕では、スジャーナの「悲しいかな・・・」という、それこそ哀れさそうアリアが美しい。
そのあと、一転して、パーティのどんちゃん騒ぎになだれ込む、その対比。
ベルクやシュレーカーすらも思いおこしたその鮮やかさ。
その宴会は、「神々の黄昏」の第2幕っぽい。
そして熱い親子の恋人的な二重唱に、母として死を迎える、楚々とした最後の場面。
優しい女性として、自省もこめて、人生の括りとして、力強く、でも愛情を込めて歌う死のセミラーマは、ほんとに感動的です。
死による浄化が、ここで行われる訳です。

 全体を統率する、ガルデッリの指揮が、まことにもって素晴らしい。
オペラの呼吸を完璧なまでに身に付けたこの指揮者は、ヴェルデイを指揮する如く、真摯に、そして旋律のラインを大切にしながらも、歌手を盛りたててます。
ハンガリーのオケが、こんなに軽やかで明るいのも、この指揮者のおかげです。

エヴァ・マルトンは、相変わらずの熱演ですが、マゼール盤のトゥーランドットが刷り込みでもあるので、どうしても、そちらの印象に引っ張られます。
強引さが逆によく出ていて、これはこれで良い歌唱でしょう。

息子兼恋人のバロトリーニは、ちょっと一本調子。
ドミンゴだったら・・・との思いをぬぐい切れません。
もっと、スタイリッシュな歌を望みたい。

あと、ポルガーの深いバスが印象的で、このハンガリーの亡き名バリトンの良き記録ともなりました。
ほかは、まずまずかな。

なによりも、ゼロから始まって、何度も何度も聴いて、ものにしてゆく、初聴きのオペラ体験。
レスピーギのオペラ、ほかの作品も、なかなかでして、これから聴き馴染んでゆくこと、大いに楽しみです。

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2015年5月29日 (金)

「オペラ間奏曲集」 カラヤン指揮

Takt_1

色鮮やかな、イタリアンサラダ。

こちらは、東京都内だけど、湘南野菜だけにこだわったお店。

歯ごたえも楽しめ、野菜の甘みもたっぷりあるんですよ。

Takt_2

メインのお肉は、短角牛の香味ロースト。

柔らかくジューシーなお肉に、頬がとろけそう・・・。

ちょっと前の画像です。

知ってる人は知っている、いまは、こんな美味しい生活をしてませんワタクシです。

でも、たまには、いい。
あとで、調整するという生活のサイクルを身につければね。

Karajan

     「オペラ間奏曲集」  

 
  1.ヴェルディ 「ラ・トラヴィアータ」 第3幕間奏曲

  2.マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」 間奏曲

  3.プッチーニ 「修道女アンジェリカ」 間奏曲

  4.レオンカヴァルロ 「パリアッチ」 間奏曲

  5.ムソルグスキー  「ホヴァンシチナ」 第4幕間奏曲

  6.プッチーニ 「マノン・レスコー」 第3幕間奏曲

  7.F・シュミット 「ノートル・ダム」 間奏曲

  8.マスネ    「タイース」 瞑想曲

  9.ジョルダーノ 「フェドーラ」 第2幕間奏曲

 10.チレーア   「アドリアーナ・ルクヴルール」 第2幕間奏曲

 11.ウォルフ・フェラーリ 「マドンナの宝石」 第3幕間奏曲

 12.マスカニーニ  「友人フリッツ」 間奏曲

   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1967.9.22 @イエス・キリスト教会)


今宵は、大好物の1枚を。

このジャケットからして懐かしい。

レコード時代、カラヤンのこのカッコいい横顔のジャケットは、ベートーヴェンの第9のゴージャスなジャケットと同じものでした。

そして、久しぶりに聴き直してみて、うめぇ~もんだ、と、思わず膝を叩くことになりました。

カラヤンとベルリンフィルが、もっとも、「カラヤンのベルリン・フィル」だった時代。

DGに大量の録音を、せっせと行っていた60年代。
ザルツブルクで併行上演中だった、リングも、ワルキューレやジークフリートの頃。
そんな大作に混じって、このような小粋なアルバムも、本気モードで録音してたカラヤン。

イタリア・オペラが中心ながら、ロシアとフランスも少し。

オペラ指揮者としてのカラヤンの面目躍如たるこの1枚は、序曲や前奏曲でなく、オペラ劇中の間奏曲=インテルメッツオばかりを集めたところがミソです。

オペラの中で、序曲や前奏曲は、劇全体の雰囲気を先取りした、いわばエッセンス的なものが多いのですが、間奏曲の場合は、劇の中の「つなぎ」「箸休め」的な存在。
そして、ドラマの進行のなかで、全体の話ではなく、直前に起こったこと、または、これからの幕で起こるであろう出来事を暗示したりもする役割を担います。

そんな間奏曲たちを、全力投球でもって演奏した、カラヤンとベルリンフィル。

ともかく、心をくすぐられ、痒いところに手が届くほどに、気が効いてるし、隙もなく完璧で、お上手。
特に、連綿たる旋律が、人工甘味料的な甘さと、怖いほどに美的に、滔々と演奏されるのは、耳の快楽であるとともに、イケナイものを聴いてしまった的な不安をも呼び起こします。
 それほどまでに、凄い魔力を持つこの1枚。

プッチーニ狂としては、そのオケ作品としては、もっとも大好きな「マノン・レスコー」が、世紀末の香りもぷんぷん、退廃的なまでに濃厚で、狂おしいほどの演奏です。
 全曲録音している、お得意の「カヴァ・パリ」も、実に堂に入った演奏で、うなりをあげるベルリンフィルの威力に、完全にお手上げになります。

「タイス」では、かのシュヴァルベの名ソロが、泣けるほどに美しい。
そして、カラヤンのチレーアも、実に貴重で、4幕の前奏曲でなく、2幕の間奏曲を選んだのが実に心ニクイ。
いじらしいほどに、ステキなチレーアの音楽の真髄を味わえるのだ。
この「アドリアーナ」に、「アンジェリカ」、「フェドーラ」は、いずれも大好きなオペラだけに、カラヤン節の一節でも録音が残されたのはうれしい。

しかし、純正なイタリア・オペラのカンタービレからすると、これら「カラヤンのベルリンフィル」の音は、正直、異質です。
あまりに、威力がありすぎて、嵩にかかったように鳴り渡る音の洪水は、しんどいことも事実。
「ノートル・ダム」と「友人フリッツ」にとくに強く、それを感じます・・・・。

ですが、豪華絢爛のエンターテイメント、ときには、こんな美味しいものを、次々にいただくのも、耳の贅沢というものです。

美味しゅうございましたheart01

いまや、姿を変えたベルリンフィルは、次のシェフを選べずに混迷してます。
あらためて、カラヤンの凄さを実感したし、大指揮者の時代、そしてアバドのような名指揮者の時代も、すでに過去のものになった感ありです。

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2015年3月22日 (日)

ヴェルディ 「オテロ」 神奈川県民ホール・オペラシリーズ2015

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久しぶりのオペラ観劇。

やっぱり、オペラはいい。

ドラマの展開と、音楽の進行に、どんどん自分が引き込まれてゆくのがわかる。

幕間に、ロビーに出て、同じ思いを多くの観客と共有できていることもわかる。

そして、上出来のほぼ完璧な舞台に、歌唱に、演奏だった。

 ヴェルディの「オテロ」、3度目の観劇体験でした。

1度目は、はるか昔、今回と同じ二期会のプロデュース。
若杉弘さんの指揮で、日本人キャストに、日本語上演というものでした。
千両役者オテロの登場は、「よろこーーべ・・・・」でしたね。

2度目は、新国。ヴェネツィアの水辺を、リアルに水をはった鏡面的な美しい舞台で展開される悲劇は、タイトル・ロールのステファン・グールドの劇演でもってすさまじい体験でした。

そして、3度目は、今回。
なんといっても、絶賛応援、神奈川フィルがピットに入ることが、わたくしにとっての最大のアドバンテージ。
その神奈川フィルの、オペラにおける実力はこれまで、なんども体験してきて既知のものでしたが、さらに、今回は、実力派の日本人歌手たちの素晴らしい歌唱も加わり、身も震えるほどの感銘を受けました。

Otello

   ヴェルディ   歌劇「オテロ」

     オテロ:福井  敬       デスデモーナ:砂川 涼子
     イヤーゴ:黒田 博      エミリーア:小林 由桂
     カッシオ:清水 徹太郎    ロデリーゴ:二塚 直紀
     ロドヴィーコ:斉木 健詞    モンターノ:松森  治
     伝令 :的場 正剛
    
     沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                びわ湖ホール声楽アンサンブル
                二期会合唱団
                赤い靴スタジオ
         合唱指揮:佐藤 宏

         演出:粟國 淳

                  (2015.3.21@神奈川県民ホール)


シェイクスピアの原作も、ヴェルディのオペラも、とことん突き詰められた心理描写の人間ドラマを内包しているものだから、その演出にあたっては、無駄な解釈は不要。

演出:  粟國さんの演出は、新たな解釈はしていないけれど、そうした意味では、余計なことはまったくせずに、ともかく、オテロという男が、ひとりの女性を愛するあまりに、突き進んでゆく悲劇をまっすぐに捉えたシンプルなものでした。

それは、誰が観てもわかりやすく、幕の進行とともに、緊張感の増してゆくもので、最後には、幸福の絶頂の1幕の2重唱が、懐かしく思い起こされるという按配。
 オテロが、息も絶え絶えに、デスデモーナに最後の口づけをしようとする場面。
口づけの主題が、オーケストラにあらわれるとき、わたくしは、儚くなって、涙が滲んできてしまった。
 副官イヤーゴに翻弄され、すべてを失ってしまったオテロの孤独が、最後の最後に、愛を取り戻した瞬間が、自分の死であり、死でもって成就した愛は、まるで、トリスタン的なものを感じてしまいました。
 ベットに横たわる二人だけに、スポットライトがあたり、まるで、レクイエムのように、浄化されたエンディングでした。

15世紀半ばのヴェネツィアの時代に忠実な衣装デザイン。
ちょっと殺伐とした荒々しい舞台装置は、島と海も感じました。
あと、舞台の中心には、8角形のステージがつねに据えられていたけど、ここで繰り広げられる愛憎のやりとりのうえで、とても効果的だと思いました。
 こうした段差があったり、急階段を上り下りしたりと、昨今のオペラ歌手たちは、たいへんだな、とも感じたり。

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歌手: 主役3人に人を得ました。

あんまり期待してなかったと言ったら怒られちゃいますが、福井さんのオテロが、実に素晴らしかった。
最初から最後まで、出ずっぱり、つねに強い声をはり出さなくてはならない難役を、スタミナ配分もしっかりとって、完璧な歌唱でした。
冒頭の「Esultate!」の力強い一声で、今日は、決まったな、と確信しました。
そして、疑心にとらわれ、最後の悲劇にむかって、徐々に正気を失っていくさまも、見事で、エキセントリックな一本調子にならずに、必然性があるかのような、ある意味冷静なる歌唱に思いました。日本人歌手ならではの、、丁寧なきめの細やかさともいえるかも。

さらに、すばらしかったのが砂川さんのデスデモーナ。
オテロに倒され、真横になって歌っても、その、まっすぐな声は、しっかり届く。
最後の、「柳の歌~アヴェ・マリア」では、その凛とした歌声が、まったくの不純物なく、こちらの耳に届きました。
堅実かつ、感動的な彼女の歌唱に、わたくしは、フレーニの歌声を思い起こしてしまった。
透明感ある、彼女のベルカント歌唱をわたくしは、初聴きでしたが、これから注目して聴きたいと存じます。

イヤーゴの黒田さん。声の威力は少し物足りませんが、邪悪さよりは、スタイリッシュで、頭脳犯的なクールなイヤーゴを歌いだしていたように思います。
オペラグラスで、ときおり拝見してましたが、その眼光や顔の表情ひとつに、細やかな演技が伴っていて、さすがと思わせました!

あと、わたくしのお気に入りのメゾ、小林さんのエミリーリア。
以前に、「ナクソスのアリアドネ」の作曲家を聴いて、その誠実な歌が好きになりました。
今回も献身的な歌と演技で、最後には、ついに、イヤーゴに抑えつけられていた思いを爆発させる強さも見せてくれました。
 カッシオの清水さんの明るい声もよかったです。

オーケストラ:的確なる沼尻さんの指揮に、有機的なオーケストラ

ドイツのリューベック歌劇場での活動も評判のオペラ指揮者としての沼尻さん。
オーケストラをあおったりすることもなく、舞台の歌手たちが歌いやすいように、ある意味、穏健な棒さばきで、全体の流れを作り、その中にドラマを構築してゆくという感じ。
職人的なさばき方や、棒のテクニックがドイツで受けるのは、若杉さんを思わせるからかな。
不満はないけれど、もっと、音楽が熱くなってもよかった。
乗りきらないところや、聴衆が温まってなかったからか、最初の方は、ちょっと温度不足。
激する、オテロとイヤーゴの二重唱と、そのあとの激情的な後奏は、それこそ、もっと激しくやって欲しかった。
でも、3幕、4幕は、そんな自分の思いこみの不満も、まったくなくって、緊張感ある音楽造りに、魅せられるようになりました。

 そんな指揮に、われらが神奈川フィルは、機敏に応えつつ、このところ痛感するようになった、オケ全体の有機的な存在としての響きを醸し出しています。
今回は、ピットのなかの、オペラのオーケストラとして、舞台の出来事、歌手たちの発する声とその背景に、たくみに反応して、ヴェルディの円熟の筆致を聴き手に味わわせてくれたように思います。
 上からのぞいてましたから、その演奏ぶりも確認できましたよ。
1幕の愛の二重唱の前奏、門脇さんの素敵なソロを中心とする4人のチェロ、美音でした。
うごめく低弦のクリアーさ、炸裂する打楽器、そして歌心を持った、木管に、弦楽。
ヴェルディならではの、バンダもともなった金管のスリムな輝き。
 ステージの神奈フィルも好きですが、オケピットのなかの神奈フィルも大好きであります。

好きなオペラのことだから、ついつい、長文になってしまいました。

来年のこのシリーズは、「さまよえるオランダ人」です。
そして、今年は、9月に「トゥーランドット」、12月に「金閣寺」があります。
楽しみ~

 「オテロ」過去記事

「ヴィントガッセン&F=ディースカウ」

「メータ&メトロポリタン」

「フリッツァ、石井 @新国」

「クライバー&スカラ座」

2

ホールから見えた、大桟橋に停泊中の旅客船「飛鳥」。

3幕の途中あたりで、出港したようです。

あと、4幕、各幕終了ごとの20分の休憩は、ちょっと、流れが阻害されたかも・・・。
もちろん、舞台変換と、歌手の負担を考えたら、そうなのですが。

素晴らしいロケーションの県民ホール。
デッドな響きがふだんは辛いところですが、ピットに入ると、とても音がよく響きます。
今回は、3階のライト前方で、ここは上にひさしもなく、音が溶け合って上に届くから、とてもよいのです。
あとは、1階の出来るだけ前方かな。

ご参考まで・・・・

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