カテゴリー「イタリアオペラ」の記事

2018年10月20日 (土)

ベルリーニ 「ノルマ」 カバリエを偲んで

大歌手のひとり、モンセラ・カバリエさんが、10月6日になくなりました。
享年85歳。生まれ故郷のバルセロナにて。

引退して久しいが、その全盛期の数々の名唱を聴いてきたわたくしのような世代には、寂しさもひとしおです。

歌手が亡くなるたびに思い、ここで記することですが、指揮者や器楽奏者の場合、現役を全うしつつ亡くなるというケースが多く、突然の悲しみにみまわれる訳ですが、歌手たちの場合は、一線を退いたのち、かなりの年月を経ての訃報を受け取ることが多いので、その喪失感は、耳に馴染んだその歌声とともに、じわじわとくることとなります。

人間の声は、聞く人の脳裏に記憶としてしっかりと刻まれるので、歌手たちの声もそれぞれに、人々の耳に残り続けることとなります。
そんな風に親しんだ声のひとつが、カバリエの声。

Bellini_norma_caballe_1
 ベルリーニ 歌劇「ノルマ」

ノルマ: モンセラ・カバリエ  アダルジーザ:フィオレンツァ・コソット
ポルリオーネ:プラシド・ドミンゴ オロヴェーソ:ルッジェロ・ライモンディ
クロティルデ:エリザベス・ベインブリッジ フラヴィオ:ケネス・コリンズ

 カルロ・フェリーチェ・チラーリオ指揮 ロンドン・フィルハーモニック
                アンブロジアン・オペラ・シンガーズ

             (1972.9 ロンドン、ウォルサムストウ)


ベルカント系のオペラをふだん、まったくといっていいほどに聴かないわたくし。
オペラ聞き始めのころは、なんでも貪欲に聴いたものだから、ベルリーニもドニゼッティもまんべんなく聴いたものですが。

 そして、カバリエの訃報を受けて、まず取りだしたのが「ノルマ」。
美しい旋律と歌にあふれたベルリーニのノルマ。
70年代前半のカバリエの絶頂期をむかえた頃の歌声は、ともかく優しく、美しく、そして、このオペラのアリアのように清らか。
もともと、ドラマテックな声も充分に持っていたカバリエだけど、愛する男を信じる優しい女性から、不実な男と知り、怒りに燃えてゆき変貌してゆく主人公を見ごとに歌っている。
カラスの強烈なまでののめり込み具合はここにはないけれど、カバリエのノルマの方が、普段聴きできる親しみやすさがある。
 そして、この演奏でのさらなる魅力は、コソットとの黄金コンビが聴けること。
コソットのアダルジーザは、同役での最高の歌唱に思います。
水もしたたるような素晴らしい歌声、声のディクションも純正そのもので、まさに本物!
その二人の歌う素敵な二重唱は、すてきなこと、このうえなし。
 ドミンゴの声は若く、輝かしい。
苦手意識はぬぐえないが、カバリエの歌で久々に聴くベルリーニのオペラ、美しいものでした。

そして、思い出のカバリエとコソットの名コンビといえば、これ。
  

Adoriana_2

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」

NHKが招聘した、1976年のイタリア・オペラ団。
このあと、この企画は終了してしまったけれど、その最後に相応しい名舞台だった。
何度も、このブログで自慢してますが、高校生だったワタクシ、この舞台にくぎ付けとなりました。
カバリエとコソットの、ひとりの男(若かったカレーラス)をめぐる、恋のさや当て。
お互いに、その素性を隠しながら、はじめは静かなやりとりが、だんだんと激昂してゆくさまが、ほんと、手に汗ものでした。
こんな、おっかない女性たちの板挟みになる小柄なカレーラスが、ほんと気の毒に思えたのでした。

Adoriana_1

思い出のすみれの花を送り返され、哀しみに暮れるアドリアーナ。
この儚く美しいアリアを、カバリエは、あの絶妙のピアニシモでもって歌い、巨大なNHKホールの隅々に、耳を澄ます人々の耳に、響かせたのでした。
このあと、駆けつけたカレーラスのマウリツィオと、ドラーツィのミショネ、この3人によるセンチメンタルな幕切れに、わたくしは落涙したのです。
いまでも、忘れられない。

Tosca_davis

  プッチーニ 「トスカ} 

そして、「トスカ」のカバリエも思い出深い。
アドリアーナを聴いたその年、同じくカレーラスとの共演に、イタリアオペラに初登場のコリン・デイヴィスの指揮によるレコード。

これがまた、フィリップス録音の奥行き豊かな素晴らしい録音とともに、シンフォニックな、かっちりした「トスカ」だった。
ドラマティコとしての、存在感を、その前の「アイーダ」での歌唱で、普遍的にしたカバリエのスケール豊かで、かつ、絶妙の音域の上下を、オペラの歌唱に導入した見事な歌。

カラス&プレートルと並ぶ、「トスカ」の本流とも呼べるCDのひとつと、自分では思ってます。

 わたくしが、カバリエのアドリアーナを体験する前年。

カラスが、ステファーノとコンビを組んで、日本で限定復活という「トスカ」上演計画がありました。

残念ながら、ほんとの直前で、カラスはキャンセルし、その代役の白羽は、カバリエにあたりました。
横浜の県民ホールでの上演で、NHKは、FMで生放送。
わたくしは、必死にカセットでエアチェック。
ピアノ伴奏もする、ヴェントーラというピアニスト兼指揮者と、新日フィルのバック。
このオケは、あまり冴えないものでしたが、そこそこの年齢に達してたステファーノのいまだに最高水準のカヴァラドッシは驚きだった。
それ以上に、例の弱音から、強い声まで、振幅の幅の大きい素晴らしい歌唱。
「恋に生き、歌に生き」のアリアでは、またも県民ホールを、ソットヴォーチェで満たしたのでした。

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 ヴェルディ 「アイーダ」

これが、実はカバリエの初レコード。
若獅子と呼ばれたムーティのデビュー間もないころの1974年の録音で、アバドがスカラ座で取り上げたそのキャストを、アイーダ役以外そのまま使って録音したことで、EMIに怒りを覚えたけれど、そんな思いは、この鮮烈なレコードを聴いて吹っ飛んだ。
 「わが故郷」では、また絶妙のピアニシモが。
んでもって、アイーダとアムネリスの対決は、ここでもコソットとの最高コンビでした。
ドミンゴもピカピカしてますし、カプッチルリにギャウロウ、ローニと超豪華な布陣です。

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 ヴェルディ 「群盗」

ドラマは、むちゃくちゃだけど、ヴェルディ初期~中期の歌の宝庫のようなオペラ。
ガルデッリによるヴェルディの初期シリーズにも、カバリエは登場して、その鮮度の高い声を聴かせてました。


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ワーグナーもあり。
正規音源では、メータとニューヨークフィルと、あとロンバールともアリア集を録音しています。
この音源は、一部未入手なのですが、メータのリング抜粋に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」が挿入されてまして、ドイツ系の歌手にない、サラっとしたクセの一切ない歌唱は、新鮮ではありましたが、耳当たりばかりが良すぎて、あまり残るものもなかったのも事実でした。
イゾルデを歌った若い頃の音源を目にしたことがあります。
予想される内容ですが、全曲なら一度聴いてみたいです。

Salome_caballe

 R・シュトラウス 「サロメ」

1968年の録音。
若い頃は、ドイツ物をかなり歌っていて、なかでもシュトラウスは、マルシャリンやアラベラなど、各タイトルロールを演じていました。
そんなシュトラウスへの適性を感じさせるこの「サロメ」。
少女であるサロメが、ヨカナーンを知ることで、怪しい女に変貌していく、そんなシュトラウスの狙いを、このカバリエの歌唱は見事に歌いだしていると思う。
ともかくキレイで、後に怪しい。
マッチョのミルンズのヨカナーンに、バリッとしたキングのナラボートも面白い。

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シュトラウスを録音したバーンスタインとのワンショット。

フランス国立管との、サロメと歌曲。
このDGの1枚もカバリエらしい美しい1枚。
そして生き生きとしたバーンスタインの指揮に、フランスのオケの明るさも。

Strauss_caballe

     R・シュトラウス  4つの最後の歌

   アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー

1977年頃の録音。
ロンバールとは、このほか、タンホイザーとトリスタンの一部を録音している。
多分にムーディに聴こえるカバリエのシュトラウスだけれど、言葉への思いは、そこそこに、シュトラウスの音符をこれほどまでに美しく歌い上げた歌唱は少ない。

カバリエの美声を聴くのに相応しい音楽、そしてその逝去を偲ぶにこの美しい音楽は相応しい。

わが若き日々に、オペラの奥行き深い楽しみを教えてくれたカバリエさんの数々の歌声。

カバリエさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2018年9月 8日 (土)

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 ピド指揮

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9月第一週は、大型台風の襲来による四国・関西地区での被害に加え、北海道では、胆振地方での大きな地震。
さらには、いずれも停電をともなう、インフラ損傷の2次被害。

心よりお見舞い申し上げます。

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     チレーア 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」

     アドリアーナ・ルクヴルール:アンナ・ネトレプコ
     ザクセン公マウリツィオ:ピョートル・ベチャーラ
     ブイヨン公妃 :エレナ・ツィトコーワ
     ミショネ    :ローベルト・フロンターリ
     ジャズイユ僧院長:ラウル・ジメネス
     キノー     :ライアン・スピード・グリーン
     家令      :パーヴェル・コルガティン
     ジュヴノ    :ブリオニー・ドゥイエル
     アンジュヴィル:ミリアン・アルバノ
     
   エヴェリーノ・ピド 指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
               
              演出:デイヴィット・マクヴィカー

            (2017.11.12 ウィーン国立歌劇場)


以前に、BBCで放送されたものを録音しました。
ウィーン国立歌劇場における「アドリアーナ・ルクヴルール」の公演の音源。
コヴェントガーデンを初め、リセウ、パリ、サン・フランシスコの各オペラカンパニーとの共同制作。
こんな輪に、新国も入れればいいなぁ、とも思うが、東洋の島国だと、装置の融通などがコスト的に厳しいんだろうな・・。

さて、あらゆるオペラのなかで、かなり好きな作品にはいる、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
何度も書いてますが、1976年のNHKの招聘していたイタリア・オペラ団の演目のなかのひとつが、このオペラでした。
カバリエ、コソット、カレーラスという名歌手3人が、それこそ火花を散らすような歌と演技でもって日本のオペラファンを虜にしてしまった。
広いNHKホールで、その興奮にひたっていたひとりが、この私でもあります。

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 ヴェルディ(1813~1901) 

  ・ボイート      (1842~1918)
  ・カタラーニ    (1854~1893)
  ・レオンカヴァルロ(1857~1919)
  ・プッチーニ    (1858~1924)
  ・フランケッティ  (1860~1942)
  ・マスカーニ    (1863~1945)
  ・チレーア     (1866~1950)
  ・ジョルダーノ   (1867~1948)
  ・モンテメッツィ  (1875~1952)
  ・アルファーノ   (1875~1954)
  ・レスピーギ    (1879~1936)

ヴェルデイ以降の、イタリア・オペラの作曲家。
プッチーニの存在感が図抜けているものの、その他の作曲家の個々の作品には、聴くべきものがそれぞれにあります。
一様に、ヴェリスモ・オペラとひとくくりに出来ない、激情的なドラマと音楽ばかりではありません。
そんな中での愛すべき作品が、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
そして、作曲家としての、チレーアは、これらヴェリスモ派のなかでは、もっとも抒情的で、穏健な作風を持っています。

チレーアの残されたオペラは、5作品。
「ジーナ」「ラ・チルダ」「アルルの女」「アドリアーナ・ルクヴルール」「グローリア」。
チルダ以外は音源入手済みですが、「ジーナ」は若書き風で、ちょっとイマイチ、「グロリア」は、なかなかですが、リブレットがイタリア語のみで、内容把握がまだまだ。
あとは、器楽曲、声楽曲が少々。

イタリアの長靴の先っぽのほうにある、カラブリア州のパルミ生まれ。
そう、南イタリアの体中に歌にあふれたような人なのだ。
ナポリの音楽院を優秀な成績で出て、作曲家としてイタリア全土に名をはせたのが、アルルの女とアドリアーナ。
一時、フィレンツェで教鞭を執るも、最後の教職をナポリで終え、その生涯は、今度はイタリアの北西、ジェノヴァの西側にある美しい街、ヴァラッツェで亡くなっている。

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1902年の作曲で、その頃には、プッチーニは、「トスカ」で大成功をおさめ、次の「蝶々さん」を準備中。ちなみに、「カヴァレリア」は12年前、「パリアッチ」は10年前。
マーラーは、5番の交響曲を作曲、R・シュトラウスは、初期オペラ「火の欠乏」を仕上げたあとで、大半のオーケストラ曲は作曲済み。

こんな時代背景を頭に置いて聞くのも大切。
どの作曲家も華麗なオーケストレーションと、大胆な和声に、その筆の業を繰り出していた。
そこへいくと、チレーアの音楽はおとなしく感じるが、主人公たちにライトモティーフを与え、それらが、歓び、哀しみ、怒りの感情とともに、巧みに変化していくさまは、登場人物たちの心情の綾を、デリケートに描いていてすばらしい。
 さらに、グランドオペラ的な側面も、劇中劇としてのバレエ音楽の挿入などで、華やかな一面も。
しかし、そのバレエ音楽は、バロック調の新古典的な音楽で、これまたチレーアの音楽の冴えた一面だ。

 あと、なんといっても、4人の主人公たちに、短いながらもふんだんに与えられたアリアのメロディアスかつセンチメンタルなこと。

ことに、わたくしは、陰りをおびた、マウリツィオのアリアがみんな好き。
ひとりの女性への愛と、祖国への愛、ふたりの女性のはざまで、悩む軍人でもある男。
ピカピカしたテノールより、少々疲れた焦燥感がある声で歌われることが相応しい。
まさに、カレーラスのイメージ。

アドリアーナは、まさに大女優然としたプリマドンナの役柄。
堂々たるグランドマナーが必要、でも、繊細な歌いまわしも最後には求められる難役。
目をつぶって聴くカバリエの歌声が最高だし、テバルディもすばらしいが立派すぎか。
ラストシーンは、儚く、哀しい・・・



ブイヨン公妃は、このオペラでは、ちょっと憎まれ役だし、意地悪で、最後の最後のはひどいことしやがる。
そんな女だけど、愛するマウリツィオ様には健気で、いじらしい。
そんな可愛い側面と、何が何でも、自分のものと、荒れ狂う嫉妬の鬼と化す二面が必要。
これまた、コソットが思い出だ。
実際に見聞きした、カバリエとコソットの恋のさや当ては、鳥肌ものだった!

あと何気に、同調できるのがミショネ。
黙って、哀しみの背中を歌いださなくてならない、いいひとバリトンの役柄。
これまた、NHKのドラーツィが味のある歌に演技だった。
普段は剛毅なバリトン役を歌う、ミルンズもすごくいい。

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今回聴いた、ウィーンのライブ。
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4人の歌手がよくそろっていて、しかもビジュアル的に、もきっとよかったに違いない。
全体に、ふくよかになり、声も重く、最近では、ある意味、鈍重にも聴こえるネトレプコ。
彼女の場合は、映像がないと映えないのが残念なところだが、舞台で朗読を聴かせつつ、それがだんだんと、熱を帯びてきて、超激熱な叫びの歌に転じてゆくところの迫真ののめり込み具合が実にすさまじく、さすがネトレプコと感心した。
前半は繊細さをもう少し望みたいところだが、終幕の「スミレ」のアリアから、死へ向かうところも、まさにお得意の薄幸の女を地で演じ、歌っていて、とても感動的だ。

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相方の、ベチャーラ。これが、私にはとてもよかった。
この歌手のここ数年の進境の著しさといったらない、知らなかった自分を悔いるくらいだ。
この夏のバイロイトの「ローエングリン」で関心したのも記憶に新しい。
もともと、リリックな声に、力強さが加わり、喉を突き抜けるような力のある高音が出るようになった。
そして、品のある声質もいい。
わたしの理想とする、カレーラスに迫るようなイメージの、ベチャーラのマウリツィオ。

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あと、実は今回の歌手の中で、一番驚いたのが、ツィトコーワのブイヨン公妃。
なんとクリアーな、メゾソプラノの音域の歌手だろう。
声の威力も申し分なし。
強い声も、これまでのメゾソプラノが演じてきた、ブイヨン公妃の名歌唱とひけをとらないし、そんな強い歌唱とともに、女性的な優しさや、揺れ動く感情も歌いだしている。
 あー、素敵だ、と思いつつ、途中で気が付いた。
彼女の名前が、しばらくぶりで聴く、あのツィトコーワたん、だったこと。
 小柄なロシア出身のメゾ。
その小柄で金髪の可愛い風貌にもこだわらす、その声は、声量と声の上下の幅が極めて豊かな、ビジュアルも好感度以上の歌手だ。
新国で、オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを聴いて、その所作のカワユサに、虜になっていたんだ。
その彼女が、憎々し気な適役を、まさに的確に演じ歌っている。
音域の広いこの役柄を完璧に歌ってますし、どうしようもない心の葛藤も、その一本気な歌から聴き取ることもできます。
ほんと、すてきな、ツィトコーワ。

その彼女のインタビュー。

歌手として、音楽家としての風格や、いい雰囲気が出るようになりました。

ロシア、マリンスキー系の歌手たちの躍進が続いているように思います。

日本にも帰ってきて欲しいですね。

この演奏、ウィーンフィルのメンバーも大半の、国立歌劇場の美音をつかさどる、イタリアオペラの歌心満載の実務的なピドの指揮も、オケの柔らかな音色の魅力も伴って最高にステキです。

正規音源も数々聴いてますが、あと印象にのこるのが、80年代のJ・パタネの指揮する、バイエルンのシュターツオーパーのFM録音音源。
M・プライスのクリアーなアドリアーナ、N・シコフの壊れそうなぐらいの情熱の塊のマウリツィオ。

「アドリアーナ・ルクヴルール」が大好きです。

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2018年6月26日 (火)

「スカラ座のアバド」 ヴェルディ・オペラ合唱曲集 アバド指揮

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 6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生の日。

1933年ミラノ生まれ。

父も兄も、ミラノ・ヴェルディ音楽院の院長を務める名門の出自で、幼くして指揮者を夢見たナイーブな少年は、長じて、なるべくしてスカラ座の指揮者となりました。

ちなみに、兄マルチェロの息子、ロベルトも指揮者で、そのお顔も指揮姿も叔父クラウディオにそっくり。
クラウディオの息子ダニエーレは演出家で、生前、「魔笛」にて親子共演を果たしてます。

アバドの誕生日に、録音上のアバド&スカラ座の原点の1枚を聴きます。

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  ヴェルディ オペラ合唱曲集

 「ナブッコ」~祭りの飾りを
         行け、我が思いよ、金色の翼に乗って

 「トロヴァトーレ」~アンヴィル・コーラス

 「オテロ」~喜びの炎を

 「エルナーニ」~謀反人たちの合唱

 「アイーダ」~凱旋の合唱

 「マクベス」~しいたげられた祖国

 「十字軍のロンバルディア人」~エルサレムへ、エルサレムへ
                     おお、主よ、ふるさとの家々を

 「ドン・カルロ」~ここに明けた、輝かしき喜びの日が

    クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                  (1974.11 ミラノ)


当ブログでは、この音盤について記事にするのは2度目。

アバドの誕生日に、何を聴こうか考えたときに、レコード時代、一番頻繁に聴いたものは何かなと考えたときに、この1枚がそれだった。

ちなみに、聴いた頻度の高いものを列挙すると、あとは、ウィーンでの悲愴、ベルリンとの1回目のブラームス2番、春の祭典、ショパンのピアノ協奏曲1番、ボストンとのスクリャービンとチャイコフスキー・・・・、こんな感じで、CDより、レコードの方が多く聴いてる。
すなわち、レコードが高価なものだったから、そうたくさん買えなかったし、買うならアバドだったから、こんな風になる。

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1968年にスカラ座の音楽監督に就任したアバド。
アバドのファンになってから、イタリアでのアバドの活動は、レコ芸の海外レポートを通じてしか知ることができなくて、ロンドン響とのロッシーニしかなかったオペラ録音に、いつ、スカラ座とヴェルディをやってくれるのか、それこそ首を長くして待ち望んだ、そんな高校生でした。
そこに登場したのが、この合唱曲集。
オペラ全曲盤ではないが、アバド&スカラ座のヴェルディへの渇望を満たすには充分すぎるほどの1枚で、私は喜々として、日々この1枚を何度も何度もターンテーブルの上に乗せたものです。

オペラ録音の主役はコストの関係もあって、ロンドンが中心となっていたなかでの本場イタリアの純正ヴェルディサウンド。
60年代初頭から毎年続いたDGへのスカラ座の録音も、65年のカラヤンとのカヴァ・パリ以来途絶えていただけに、74年のこの録音は、スカラ座としても久々のレコードとなり、楽員も合唱団も、気合十分。

そんなはちきれんばかりの意欲的な音が、冒頭のナブッコから満載。
みなぎる迫力と、輝かしいばかりの明るさと煌めき。
貧弱なレコード再生装置から、こんな音たちが、滔々とあふれ出してきたのです。
いまでも、あの高揚感をよく覚えてますよ。

いま聴いても、その想いは同じ。
ことに、男声合唱の力強さと、女声も含めた、声の明瞭さは、スカラ座合唱団ならではのもの。
オーケストラの精度も高く、アバドの統率のもと、一糸乱れぬアンサンブルであり、ほんのちょっとしたフレーズでも、雰囲気豊かで、アバドの指揮ゆえに、歌心もたっぷり。
オケも合唱も、ピアノ・ピアニシモの美しさは耳のご馳走でもある。

アバドは、マーラーを通じ、その音楽の高みを晩年には、自在さと透明感の頂点に持っていったけれども、一方で、ヴェルディの演奏を聴くと、生来のアバドの根源のひとつをも感じ取らせてくれるように思います。
 アバドのスカラ座との関係は、1986年に終止符を打ってしまいましたが、スカラ座からすると、ムソルグスキーやベルクばっかりに偏重する音楽監督は、芸術性の高さとは別に、大衆受けからは遠く、アバドからしたら、より自分の好きな作品を上演したいし、マーラーを主体としたシンフォニー作品をより探求したかったから、やむを得ない結末だったかもしれません。
 しかし、ファンとすると、こんなに素晴らしいヴェルディ演奏、このあと数年にわたり録音されたものを今もって聴くと、本当に残念なコンビの解消だと思います。
いまは残された、アバド&スカラ座のヴェルディに、ヴェルディ演奏の本物の神髄を味わうことができることに感謝しなくてはなりませんね。

心からありがとうございます、マエストロ・アバド。

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CDでは、オペラ全曲盤からのものを含めた1枚が出ておりますが、それらは素晴らしい演奏ながら、全曲録音からの切り抜き。
本来のオリジナル盤の方が求心力高いです!

アイーダで、凱旋行進曲のトランペットが、右と左で、しっかり分かれて録音されているのも、この時代ならでは。
そんなシーンでも興奮しまくりの、若きわたくしでした♪

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2018年5月27日 (日)

ヴェルディ 「リゴレット」 ボニング指揮

Azuma

つつじがまだ咲いていた頃の吾妻山より。

今年の桜は早かったけど、つつじも早かった。

でも色が濃くて、美しかった今年のつつじ。

今日は、日曜日、天気も上々、暑いし、そうだ、ヴェルディ聴こう!

Rigoletto

 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

    マントヴァ公:ルチアーノ・パヴァロッティ  リゴレット:シェリル・ミルンズ
  ジルダ:ジョン・サザーランド         スパラフチレ:マッティ・タルヴェラ
  マッダレーナ:ユゲット・トゥランジョー   モンテローネ伯爵:クリフォート・グラント
  チェプラーノ伯爵:ジョン・ギッブス     チェプラーノ夫人:キリ・テ・カナワ
  マルロ:クリスティアン・ドゥ・プレシス   ボルサ:リッカルド・カッシネッリ
  ジョヴァンナ:ジョセフィッテ・クレメンテ 

    リチャード・ボニング 指揮 ロンドン交響楽団
                     アンブロージアン・オペラ・コーラス
                                       合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                (1971.6 @キングスウェイホール、ロンドン)


ヴェルディ17作目のオペラ。
よりドラマに劇性を織り込み、愛国心一辺倒から、人間の心情により切り込むようになった中期の作品。
このあと、トロヴァトーレ、ラ・トラヴィアータ、シチリアの晩鐘、シモン・ボッカネグラ、仮面舞踏会、運命の力・・・・と続いてゆく。
このあたりから以降が、いまも一番上演され、聴かれているヴェルディのオペラです。
1861年、フェニーチェ劇場で初演。

ヴィクトル・ユーゴーの「王は楽しむ」が原作。
有名な話だけれど、モーツァルトとダ・ポンテがフィガロの結婚で、貴族の身勝手をチクリと刺したように、ヴェルディは、上演禁止をくらっているユーゴーの戯曲に着目した。
ただ、それは王の横暴よりは、醜く、毒舌の道化師と、その美しい娘、その父娘の清らかな愛とその悲劇に着目したわけだ。

場所や立場は変えたものの、ヴェルディの描き出した愛憎あふれるドラマに付した音楽は素晴らしい。
公爵への愛を愛を諦めず、疑わないジルダに、娘の目を覚ますために、公爵がマッダレーナを誘惑する姿を見せつけ、悲しむ娘に復讐を誓うリゴレット。
この高名な四重唱の、役柄それぞれの異なる心情を、あの軽やかともいえるメロディにのせたヴェルデイ、ほんとにすごいと思う。

 でも、娘ジルダの優しさと深い愛は、さらに高次元だった。
急転直下のラストシーンに、呪いの恐怖と、なによりも娘を失い、ひとりとなったリゴレットの悲劇が浮き上がる仕組み。

極めてよくできたオペラだと思います。

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でも、懲りない女好きにすぎるマントヴァ公には困ったもので、観る側にとって、感情移入のしにくい役柄だ。
しかし、全盛期のパヴァロッティの朗らかかつ、あっけらかんとした美声と危なげない歌声を聴いちゃうと、憎めなくなる(笑)
この録音のあった1971年に、パヴァロッティは、NHKのイタリアオペラ団で来日し、マントヴァ公を歌っていて、私もテレビで見た記憶がうっすらとある。
この時の指揮は、マタチッチ。
マタチッチは、同時に、トゥーランドットも指揮していたので、これらのライブとか復活しないものだろうか。

あと、今日の音源で、実は一番好きなのが、ミルンズのリゴレット。
マッチョで、ヒロイックなミルンズの声が大好きで、さらに心情の襞の濃いカプッチッルリとともに、リゴレット役としてはすぐれたものの一つと思う。
意気軒高だった前半、しかし、娘をかどわかされ怒りを爆発させつつ涙を誘う、このあたりのドラマテックなミルンズはことに素晴らしく、すべてを失う悲劇に満ちた最後もいい。

サザーランドの美声も久々に聴くと新鮮なもんだ。
ときに機械のようで不感症チックに感じるときもあったが、そうでばかりでもないのかな、サザーランド。
ベルカント系が苦手だから、あまり聴いてこなかった歌手のひとりだ。

タルヴェラの美声のスパラフチレもいいし、今年、亡くなってしまったカナダのマッダレーナのトゥランジョー、いろんなオペラ録音にその名をみることが多かった。

思えば、主要なこの盤の歌手は、もうみな物故してしまった。
ミルンズは83歳で、まだ健在。
ロンドン響から、オペラティックな雰囲気の音を引き出しているボニングも、88歳ながら健在。

個性豊かな往年の歌手たちの時代、よかったぁ~

今は映像主体だし、劇場からも遠のいているから、最近の歌手たちを覚えきれないし、ロシア系やバルト系などの振興もあって、よけいにその名前をおぼられない焦燥の思いをいだいてます・・・・

久々の、休日のヴェルデイ。
気分がよかった。

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新緑が眩しい。

梅雨の足音も近い。

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2018年5月 4日 (金)

序曲、前奏曲、間奏曲 スカラ座 シャイー指揮

Azumayama

連休前半の吾妻山よりの眺望。

相模湾に、箱根連山、そして富士。
そして被写体には入りきれないけれど、左は真鶴岬に奥は伊豆半島、右は丹沢に大山。

見通しよくて、青空もスッキリ☀

Chailly

   イタリアオペラ 序曲、前奏曲、間奏曲


ヴェルデイ     「一日だけの王様」序曲
ヴェルディ     「十字軍のロンバルディア人」第3幕への前奏曲
カタラーニ     「ラ・ワリー」第3幕への前奏曲
ロッシーニ     「試金石」序曲
ドニゼッティ    「パリのウーゴ伯爵」序曲   
ベルリーニ     「ノルマ」序曲
ジョルダーノ    「シベリア」第2幕への前奏曲
プッチーニ     「蝶々夫人」第2幕 間奏曲
プッチーニ     「エドガー」第4幕への前奏曲
ポンキエッリ    「ラ・ジョコンダ」 時の踊り
レオンカヴァッロ 「道化師」 間奏曲
レオンカヴァッロ 「メディチ家の人々」 前奏曲、第3幕前奏曲
ボイート      「メフィストフェーレ」 プロローグへの前奏曲


    リッカルド・シャイー指揮 スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

                (2016.6 @アルチンボルディ劇場、ミラノ)


ミラノ生まれのリッカルド・シャイーが2017年より、スカラ座の音楽監督に就任。
その出自からも、スカラ座のポストに就くことは、いずれ予想はされていたこと。
アバドの元で、スカラ座で修行し、そこから羽ばたいていったシャイー。
そのポストも、いずれも腰掛けでなく、長く留まり、録音もふくめ、一定の成果をあげ、また次のポストに移動するといった優等生的パターン。

1982~89年 ベルリン放送響
1983~93年 ボローニャ歌劇場
1988~04年 ロイヤル・コンセルトヘボウ
1999~05年 ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響
2005~16年 ライプチヒ・ゲヴァントハウス
2005~08年 ライプチヒ歌劇場
2016~     ルツェルン祝祭管
2017~     ミラノ・スカラ座

こんな感じのステッアップぶり。
デビューしたての頃、ベルリン放送響の時代は、イタリア出身の指揮者らしく、歌心も在り、爽快、明快、熱烈かつ緻密といった音楽に、いつもときめきを覚えて、シャイーをかなり聴いたもんだ。
 しかし、コンセルトヘボウの時代から、?と思い出した。
ハイティンクの時代にあった、あのふくよかなRCOサウンドが聴こえなくなった。
ゲヴァントハウスでも、ドイツの古豪のイメージを吹き消してしまった。
知的かつ合理的な音楽解釈は、見事でもありながら、面白みもなかったりする。
いつもセカセカしていて、素通りされてしまうイメージで、その姿がつかみにくい。。
などなどの不満を持つようになって久しい。

そんなシャイーも65歳。
アバドの跡を追うようにして、ルツェルンとスカラ座へ。
ルツェルンとのシュトラウスは聴いたけれど、ちょいと肩透かし。
でもさすがに、音楽の仕上がりのよさは抜群だった。
 そして、スカラ座就任記念の1枚は、イタリア・オペラの名作曲家たちの、ちょっと渋めの序曲・間奏曲集。
そう、こういの、わたくし、大好物なんですよーー

ベルリン放送響とのプッチーニ作品集を、いまもってシャイーの代表盤と思うわたくし、この1枚に、シャイーの並々ならぬスカラ座就任への意欲を感じました。
シャイーは、こういうのが一番いいし、彼のスタイリッシュなスタイルが、大仰にならずに、イタリアオペラの歌心をさらりと表出していて、とても爽やかなんだ。
 いずれのオペラも、スカラ座で演奏された演目ばかりを選曲。
ロッシーニからジョルダーノまで、必ずしも時代順で並んではいないが、19世紀のほぼ100年のイタリアオペラの作曲家のオーケストラ技法の一端を一望にして垣間見ることができる好企画でもあるんだ。
 弾むようなロッシーニに、思いのほかシンフォニックなドニゼッティやベルリーニ。
滴るようなヴァイオリンソロが聴かれるヴェルディのロンバルディア。
なかなかに、おどろおどろしい、そしてかっこいい、ボイート。
抒情的で、思わずキュンとなってしまうステキなプッチーニ。
わーーい、時の踊りに、小躍りしたくなる、スカラ座オケ、うめぇーもんだ!!
ジョルダーノやレオンカヴァッロのオペラは、もっと聴かれていいぞと思わせる、シベリアとメディチ。どちらも全曲盤を持ってます、いま聴き込み中。
そういえば、マスカーニやアルファーノ、モンテメッツィ、チレーアはないのね。

繰り返しますが、シャイーはこういうのが得意。
見知らぬオペラをイタリアものばかりでなく、もっと掘り起こして欲しい。

あと、シャイーのオペラの課題は、モーツァルトに、ワーグナーとシュトラウスでしょうな。
オペラに専念いただき、オケプロは、しばらく卒業ということで。
なんてこと書いたらシャイー・ファンに怒られそうだけど、シャイーのオペラが好きだからなんですよ。
 そう、あとその音楽性は、ティーレマンあたりと真反対かもです。

それから、そうそう、スカラ座は、バレンボイム以外は、ずっとイタリア人指揮者だったから、ムーティ以降12年ぶりのイタリア人音楽監督なんですね。
トスカニーニ18年、デ・サバータ24年、アバド18年、ムーティ19年、いずれも長いです。
シャイーにも長く務めていただき、スカラ座の黄金期をまた作り上げて欲しいと心より思います。


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望遠鏡から富士山頂をパシャリ。

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2018年1月20日 (土)

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 アバド指揮 プライ

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菜の花と富士。

毎正月に、実家に帰るとこの景色が望める幸せ。

今年は、晴れの日が続いたので、富士がくっきり、すっきり。

おまけに、今年、ちょっと不安視した駅伝も、見事に完勝。

ありがたき正月になりました。

そして、1月も後半に至ると思い起こすのが、クラウディオ・アバドの命日。

あれから4年です。

今年のアバドの命日には、ことし2018年に、没後10年のアバドの朋友、ヘルマン・プライとの共演を。

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   ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」

 アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ  バルトロ:エンツォ・ダーラ
 ロジーナ:テレサ・ベルガンサ        フィガロ:ヘルマン・プライ
 バジリオ:パオロ・モンタルソロ        フィオレロ:レナート・チェザーリ
 ベルタ:ステファニア・マラグー        士官:ルイジ・ローニ

      クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                      アンブロージアン・オペラコーラス
              合唱指揮:ジョン・マッカーシー
              チェンバロ:テオドール・グシュルバウアー
              ギター:バルナ・コヴァーツ

               (1971.9 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


初めて買ったアバドのオペラのレコード。

その前には、「チェネレントラ」が出てはいたけれど、すぐには手が出ず、より有名なセビリアの登場を待ち、飛びつきました。
それでも、ちょっと半年ほど遅れて、横浜駅西口にあったヤマハで、お正月に購入。
川崎大師の帰りでした。
3枚組のズシリと重いカートンボックスに入った豪華なオペラのレコード。
所有する喜びにあふれてました。

アバドは、昨年亡くなったゼッダの改定版を前面に押し立てて、ロッシーニ演奏に革新をもたらせた指揮者のひとりでありました。
過剰な装飾や、オーケストラに慣習的に追加された楽器や誇張を取り除いたスッキリとした軽やかなロッシーニ。

ブッファ的な側面ばかりで語られたロッシーニには、セリアもグランドオペラもあったと見直された60年代半ば。
その流れで、フィルターを取り除いたロッシーニの音楽を体現させたのはアバドだと思う。

オモシロ可笑しいロッシーニのブッファに、生真面目に取り組み、端役に至るまで、すべての登場人物たちの歌に等しく目を配らせ、お笑いドラマを人間ドラマにまで昇華してしまった。
アバドが、ヴェルディのオペラに取り組む、その同じ姿勢がロッシーニの演奏にもあると思う。
だから、アバドのロッシーニは、セビリアよりは、チェネレントラ、そしてさらにランスの旅の方がより素晴らしい。
ベルリンフィルでロッシーニのオペラをやってしまったところが、これまたアバドらしいところ。

Rossini
   1981年のスカラ座の引っ越し公演での「セビリア」は、薄給を「シモン」のS席に振り当ててしまったので、テレビ観劇となりましたが、終始、このレコードより、テンポも速めにとり、ダイナミズムも緩急も自在で、より劇場的な指揮ぶりでした。
そして、ポネルの回り舞台の面白さと、ヌッチ、アライサ、V・テッラーニと新鮮な歌手たちの鮮やかさも、いまや伝説級の名舞台と言えます。

もう46年も前のころ録音。
当時、ロンドン交響楽団は、アバドの意思にもっとも俊敏に反応することのできたオーケストラであったと思う。
オペラのオーケストラではないが、ゆえに新しい響きも紡ぎだすことができたし、そこはアバドの歌心もそっくり反映させることができている。
いまでも充分に、その鮮度を保っているロッシーニ演奏です。

当時、最高のロッシーニ歌いをずらりと揃えた配役。
ただ、昨今のよりスタイリッシュで、高度な技量を備えた歌唱からすると、やや古めかしさも感じたりもするのは贅沢な想いかもしれない。
そのなかで、燦然と輝いているのはベルガンサのロジーナ。
清潔さただよう麗しくも正しき歌。
チェネレントラでの歌唱とともに、しっかりと耳に残しておきたい歌唱です。

ヘルマン・プライの当たり役フィガロ、うますぎの感もなくはないが、そして、思いのほか声の威力も気になるところだが、その人懐こい歌声は、こうしたイタリアものでも魅力的。
プライの明朗快活な歌は、モーツァルトの同役とともに、フィガロが当たり前のように同一人物であることを強く感じさせます。
そして、わたしたちは、ここに聴くプライの声で、彼の歌うパパゲーノやグリエルモ、果ては、ベックメッサーやヴォルフラムなどをも思い起こすことができる。
それほどに、ヘルマン・プライの声は、自分にとって馴染みの声なのです。
アバドは、プライとの共同作業を多く行っていて、スカラ座のフィガロの結婚では、伯爵までも歌っているし、ずっと後年、ウィーンフィルとの第9ではバリトンソロもつとめている。
そして以前にも書いたけれど、アバドのヴォツェックにもチャレンジする予定もあった。
アバドが病に倒れる前は、ワーグナーへの挑戦として、マイスタージンガーやタンホイザーの名前もあがっていたので、もしそれが実現していれば、プライのザックスなんてのもあり得たのかもしれません・・・。

ヘルマン・プライは、1998年7月22日に69歳で亡くなりました。
そして、クラウディオ・アバドは、2014年1月20日に。

アバドの命日に、偉大な歌手と指揮者を偲んで。

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過去記事

 「チェネレントラ」 アバド LSO

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2017年9月30日 (土)

フラヴィアーノ・ラボー イタリアン・テノール

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9月23日、お彼岸の東京タワー。

ブルーです。

で、どこか、テノールな気分。

往年のテノール聴きました、そして、クールに熱くなりました。


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なんだかなぁ、すぎるジャケットで、いろんなものに見えてくる・・・
お口直しに、別バージョンを拾いました。
Labo

    ヴェルディ    「運命の力」

  ポンキエッリ  「ラ・ジョコンダ」

  プッチーニ   「ラ・ボエーム」 「トスカ」 「トゥーランドット」

  ジョルダーノ  「フェドーラ」

       T:フラヴィアーノ・ラボー

 フェルナンド・プレヴィターリ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                             (1954 ローマ)


フラヴィアーノ・ラボーの名を知る方は、だいたい、私より上の世代ぐらいでしょうか。
NHKが招聘した「イタリア・オペラ団」は、1956年より1976年まで、8回にわたって来日し、日本に本物のオペラを根付かせる原動力ともなった。
伝説級の公演の数々。

私が記憶にあるのは、1971年の第6次のものからで、そのあと73年は、NHKホールのこけら落とし、さらに76年は、実際にその舞台に立ち会うことができた。
その71年に、カラフ。73年に、カヴァラドッシとラダメスを歌ったのが、ラボーでありました。

小柄で、おっさん体系だけれども、その声は野暮ったさの一切ないスマートで洗練されたもので、かつ、力強さと輝かしさにもかけてはいない。
ベルゴンツィや、後輩のカレーラス系の声のイメージといえばよいかな。

正規録音としては、DGのスカラ座の「ドン・カルロ」ぐらいしか、ちゃんとしたものでは出ていなかったので、このアリア集の復活はとてもうれしい思いをしました。

モノラルながら、実に明晰な録音で、ラボーの素晴らしい歌声を楽しむことができます。

ラボーは、1927年生まれ、ロマーニャ州ピアチェンツァ県の出身で、イタリアでもどちらかというと、北西に位置する場所。
イタリアの北と南、その気質も大きく異なる。
そんなことも思いながら、イタリアの地図を眺めたりしながらラボーの声を聴くのも楽しい。
1991年に、交通事故で亡くなった新聞報道を見たときは、ちょっと驚き、寂しい思いをしたものだ。

73年の「トスカ」は、テレビを通じて何度も観劇しました。
赤いドレスの美しいカヴァイヴァンスカのトスカと、小柄なおじさん、ラボーのカヴァラドッシは、伝統的で、ゴージャスな舞台と演出とともに、ほぼ初「トスカ」だった自分のトスカ体験の刷り込みとなりました。

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ラスト、ローマの早朝の朝焼けのなかの処刑シーンでは、その空の色の美しさも、これまた刷り込み。
この頃に出た、メータ盤のジャケットが、たぶん、この舞台のものだったはずで、レコ芸にその盤の書評を書いていた桜井センリさんが、体験されたローマの朝のことに触れていて、私も、まだ見ぬローマのことを憧れでもって想像したものだ。

Tosca_3

懐かしい思い出ばかりのフラヴィアーノ・ラボーの歌声。

最近は、ワーグナーとシュトラウス中心のドイツ・オペラぐらいしか、新しい演奏は聴かないので、イタリアものの最近の歌手は、名前すらわからなくなってしまった・・・。
古いのしか知らない、聴かないイタリア・オペラなのでした。

 ヴェルディは、ここでは、ドン・アルヴァーロのアリア1曲だけだが、この耳洗われるような正統歌唱に、居住まいを正したくなる想いがする。
残りのプッチーニにも、涙が出そうなくらいに、こころが熱くなった・・・・

どれ、爽やかなイタリア産の白ワインでも開けて、もう一度聴こう。

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2017年1月 1日 (日)

ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」から

2017

「お世話になりました」の、大晦日から1日経つと、「おめでとう」の応酬となる、これほどに時間の経過が鮮やかな二日間ってない。

仕事もでもそう、毎日、顔を突き合わせてるのに、数日合わないだけで、「よいお年を」、「おめでとうございます」、のやりとりが日本中で交わされる。

世界の国々では、どうなってるんでしょうね。

節目、折り目を大切にする日本、四季もくっきりしていて、それぞれに催しが地域ごとにある。
宗教にも寛大で、八百万神に囲まれてる。

そんな日本の風習に、自分も思いきり浸ってま~す。

だらだらと導入部。

そして、おめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

ペースは鈍りますが、ブログは、2017年、ゆるゆると再開です。

新年初回は、今年のアニヴァーサリー作曲家、生誕150年のジョルダーノのオペラから。

大物アニヴァーサリーはいない今年、わたくしには、ジョルダーノかな。

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  ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」から アリア

   アンドレア・シェニエ:マリオ・デル・モナコ

   マッダレーナ:レナータ・テバルディ

   ジェラール:エットーレ・バスティアニーニ

 ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                            (1959.6 @ローマ)


ジョルダーノ(1867~1948)の代表作「アンドレア・シェニエ」。

プッチーニのひとまわりあとの世代だが、イタリアのヴェリスモ作曲家として、マスカーニやレオンカヴァッロ、チレーア、アルファーノと並ぶ存在。

プッチーニとの共作で多くの名作を産んだ、イルリーカの台本に基づく。

フランス革命時のパリを舞台に、理想と信念とに燃える詩人アンドレア・シェニエと、貴族の令嬢マッダレーナとの熱い愛、そして、そこに横恋慕しつつも悩む、令嬢家の召使いから、革命に身を投じ、革命政権の高官となるジェラールとの、まるでトスカのような3人の絡み合いのオペラ。
アリアがふんだんに盛りこめられ、ソプラノ・テノール・バリトンという3役が主要人物をなしている。
しかし、全曲に出ずっぱりで、歌いどころ、演じどころも多いのが、タイトルロールのアンドレア・シェニエのテノール。
愛にも、国を思う愛国心にも、そして詩作にも一途に一本義なシェニエ役は、ドラマティックなテノールが必要。
歴代の名テノールが録音してます。

今朝は、3人のアリアを抜き出して聴いてみました。

 アンドレア・シェニエ  「ある日、青空をながめて」

 ジェラール        「国を裏切るもの」              

 マッダレーナ       「わたしの死んだ母」

 アンドレア・シェニエ  「五月の美しい日のように」


シェニエのふたつの情熱的なアリアは、まったくもって素晴らしくて、テノールの声を持っていたなら、絶対に歌いたい。
自然を賛美しながら貴族の前で歌う「ある日、青空をながめて」は、やがて、暴政と市井の民の貧しい生活を見ようとしない貴族への批判に転じる。

同様に情熱的なジェラールのクレドともいうべき熱い心情吐露は、祖国を愛すがいまや、暴力に訴える身の上となってしまった自嘲と、マッダレーナへの愛を歌う。
このアリアも大すきで、これは車のなかで歌ったりてしまう。

かたや革命によって家は没落、母も亡くなり、極貧に耐えるマッダレーナの切々としたアリア。愛するシェニエが捕らえられ、彼を救ってくれるのなら、わが身を捧げましょうと、ジェラールに向けて歌う。
泣けるようなメロディに、心動かされ、涙も滲む。
そう、ジェラールも感動し、彼女を諦め、同じ愛国者であるシェニエを助けようと奔走する・・・・・。

終幕、処刑を前にしたシェニエの辞世ともいうべき澄み切った心境と、愛を、これまた高まる情熱とともに歌う。

最後に、断頭台に消えるシェニエとマッダレーナの熱い二重唱も相当なハイテンションであります。

こんな3人、デル・モナコ、テバルディ、バスティアニーニは、理想的な歌でありました。

シェニエは、あとはコレルリとカレーラス、マッダレーナはスコット、ジェラールはカプッチルリが好き。

10数種のオペラがあるジョルダーノ、長命なわりに謎も多いが、激情が生む興奮度の高いその音楽は、しっかり聴くと意外と楽しく旋律も豊かで、聴きごたえあります。
「フェドーラ」と「シベリア」しか聴いてませんが、今年は機会があればチャレンジしたいところです。

ポピュリズムが世界に蔓延しつつあるが、シェニエの歌にある純粋な高潔の志は忘れてはいけないと思う、そんな2017年の始まりでありました。
 

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2016年12月23日 (金)

プッチーニ 「トスカ」 テ・デウム

Shinagawa_1

品川の新スポット、品川シーズンテラス。

規模はそんなに大きくないですが、東京タワーを遠くにまっすぐ望む位置に、イルミネーショイン。

ベルを鳴らすと、色が変化します。

Shinagawa_6

色違い。

駅から少し遠いので、人も少なめ。
Tosca_1    

 今日、12月22日は、プッチーニの誕生日。

いまから、158年前です。

プッチーニ大好き。

イタリアオペラでは、ヴェルディも好きだけど、数が多すぎるし、作品にムラがありすぎる。
しかし、偉大なヴェルディ。
 そして、プッチーニは、作品数がそんなに多くないから、そのすべてを把握できたし、そのすべてが好き。

蝶々さんのアリアから、当然のようにして入門し、テレビのディズニーかなにかの放送で、映画版の蝶々さんをみたのが初プッチーニのオペラかも。
しかし、本格的に親しんだのは、1973年のNHKイタリアオペラの公演の放送。

NHKホールのこけら落としの一環で、名歌手たちが大挙して来日して、豪華な舞台を繰りひろげた。
ベルゴンツィ、コソットの「アイーダ」、スコット、クラウス、ギャウロウの「ファウスト」、スコット、カレーラス、ブルスカンティーニの「トラヴィアータ」、そして、カヴァイバンスカ、ラボーの「トスカ」の4演目だ。

そのすべてをテレビとFMで堪能し、その前よりワーグナーに毒されていたワタクシに、イタリアのオペラの素晴らしさを植え付けてくれた。

この「トスカ」と、その年に発売されたカラヤンの「ボエーム」によって、プッチーニ熱に浮かされることとなったわけだ。

さて、名アリアと、緊迫のドラマの宝庫、そして、主要登場人物のすべてが死んでしまうという悲劇に、甘味なるプッチーニの音楽。
すべての音符が、脳裏に沁み込んでいるけれど、とりわけ好きなのが、スカルピアの「テ・デウム」だ。

1幕の最後、悪漢スカルピアは、かねてより思いを寄せていた、歌姫トスカを、計略をもって嫉妬のかたまりへと陥れる。
 まんまと術中にはまったトスカを、紳士然と送りだしたスカルピアは、自身の想いを赤裸々に歌う。
 この教会の大聖堂で演じ、歌われるこの場面は、壮大・壮麗極まりない。

この神聖な場で、邪悪で邪まな思いをぶつけつつ、周りの民衆は、主は偉大なり、神を讃えんと、テ・デウムを高らかに歌う。
やがて、スカルピアも、その祈りに唱和して、十字を切る。

この二面的な思いと、歌を見事に結びつけたプッチーニの天才的な筆の冴え!

「ヤツには死を、そして彼女は俺の腕のなかに。トスカは、俺に神を忘れさせるぞ!」

悪いやっちゃぁ~

とかいいながら、男も女もみんな一緒かも・・・、二面性を仮面をかぶって演じてる。

そんな、悪いヤツ、もしかしたら、嘘つきだけど、正直なナイスガイ、スカルピアは誰の歌が一番好き?

Tosca_calas

カラスのステレオ録音の方のゴッピ
サバータ盤は、モノだし、壮大感がちょっとなので、こちら。
実に、巧みで、トスカの心の隙に入り込む、嫌らしいスカルピアなんだ。
声だけで、千両役者。

あと、好きなのは、ミルンズのスカルピア。
プライス、ドミンゴと共演のメータ盤。
若々しく、スマートな憎々しさ。
西部劇の悪役か、ダーディ・ハリーに出てくるような70年代風のギャングみたいな・・・
そんな声量と美声のたっぷりなミルンズが好き。

そして、いがいにも、F=ディースカウの知的かつ、知能犯的な悪の結社の親玉スカルピア。
理詰めで、トスカとカヴァラドッシを追い詰める。
が、しかし、ブリュンヒルデのようなニルソンのトスカに殺されちゃう。
うまいよFD。

映像系で見ると、目の動きが歌以上にスカルピアしてるライモンディ
威力のある声は圧倒的。
ちょっとクセのあるバスの声だけど、よく練られていて、歌が実に巧み。
これもまた、悪いやっちゃ、とつくづく思う。

それから、最近では映像で見たハンプソン・スカルピア。
マフィアの親玉みたいな、表面、エリートな紳士だけど、実は真黒なダーティ野郎。
そんなスカルピアもすてきだった。

あと、希少なバスティアニーニの超かっちょええ強面スカルピアもある。
海賊盤だけど、テバルディとディ・ステファーノという強力トリオ。
実は、いい人なんじゃないか、悩みさえ抱えて感じるバスティアニーニのスカルピアは面白い。

あとあと、まだまだ、たくさんすきです、スカルピアの存在。

クリスマスにらしからぬ話題となりましたが、主を讃えん、「テ・デウム」ということで、併せて、プッチーニ讃

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2015年5月31日 (日)

レスピーギ 「セミラーマ」 ガルデッリ指揮

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5月のある日の夕焼け。

くっきりとした冬の夕焼けと違って、この時期のものは、地上の熱の影響で、なかなかに、ドラマティックな光景になることが多いです。
何度も、書きますが、夕焼け大好き。

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  レスピーギ  歌劇「セミラーマ」

    セミラーマ(バビロニアの女王):エヴァ・マルトン
    スジャーナ(カルデアの王女):ヴェロニカ・キンチェシュ
    メロダーシュ(バビロニアの士官):ランドー・バルトリーニ
    ファラッサール(アッシリアの統治者):ラーヨス・ミラー
    オルムス(バアル神の高僧):ラースロ・ポルガー
    サティバーラ(バアル神の預言者):タマス・クレメンティス

  ランベルト・ガルデッリ指揮  ハンガリー国立管弦楽団
                    ハンガリー放送合唱団

                     (1990.8.20~29 @ブタペスト)


レスピーギ(1879~1936)の10あるオペラ関連作品(そのうち一つは、未完。さらにひとつは、未完を夫人が補筆完成)のうち、3番目、「セミラーマ」を。

レスピーギの概略、その人となりは、こちらに書きました(→)

レスピーギのオペラは、そのすべてが録音されておらず、また、その限られた音源も手に入れにくく、しかも外盤ばかりで、その作品の詳細理解が難しいのですが、未知オペラをじっくり聴きあげることが好きなワタクシ、次のターゲットをレスピーギにいたしました。

1908~10年にかけての作品で、ドイツ滞在中に書きはじめ、ボローニャにて完成。
初演も、ボローニャで、同年、11月に行われ、大成功を博したとされます。

原作は、ヴォルテールの「セミラミス」で、これを台本作家アレッサンドロ・チェーレが3幕仕立てにいたものが、このオペラのベースです。

 このセミラミスは、美貌・聡明・残虐さをそなえた、紀元前9世紀のアッシリアの伝説上の人物で、アッシリア王に気に入られ、王子も産むが、その王を殺し、王子は行方不明になり、やがてあらわれた王子を、実の息子とお互い知らずに結婚しようとし、最後は、その息子に、父殺しの復讐をされてしまう。

かつてのギリシア神話によくある説話のたぐいで、オイディプスやエレクトラを思い起こします。

そして、この題材は、多くのオペラとしても残されてます。
一番有名どころでは、ロッシーニの「セミラーミデ」でしょう。

 この壮絶なドラマに、レスピーギは、その劇的なオーケストレーションの才能と、イタリアオペラの伝統の豊麗な歌唱を組み合わせ、見事な作品を書き上げました。
30歳のレスピーギの意欲的なこのオペラには、いろんな要素がぎっしり詰まっていて、以下、解説からや、聴いた印象も含めて羅列してみます。

・強気で自己中心的な女王(王女)、そして、暗い影を引きずっているという意味で、
 サロメや、エレクトラ、トゥーランドットに通じる。
 同様に、壮大な歴史ドラマが背景に。

・そうした意味もこめて、その音楽は、R・シュトラウス(1864~1949)顔負けの濃厚
 芳醇世紀末サウンド。
  同様に、先輩プッチーニ(1858~1924)顔負けの、甘味で美しい旋律の渦。
 さらに、ロシアで教えを受けたR=コルサコフ譲りの、エキゾティシズム。
 ペンタトニック音調が、いかにもメソポタミアン(?)な雰囲気を醸し出してる。
  レスピーギ若き日々の立ち位置が、よくわかります。
 古典的な佇まいを示すのは、ずっと後年のこと。

・プッチーニは、このレスピーギの「セミラーマ」が作曲されたころ、まだ、
 「トゥーランドット」(1919年頃より準備、1924年未完)の発想をまだ持ち合わせて
 いなかったが、レスピーギのスコアを どこかで見たという可能性が云々される・・・・

・「トゥーランドット」とのキャストの類似性
 そちらも、もともとが、アラビアが舞台の物語。
 ドラマティックソプラノによる女王、ヒーローの王子、その王子を慕う優しいソプラノ
 慈悲に溢れたお爺さん(バス)は、共通。
 そこに、「セミラーマ」は、横恋慕するバリトンが加わる。

・「サロメ」の影響
 シュトラウスの「サロメ」は、1905年の作で、「セミラーマ」作曲開始の3年前。
 セミラーマ前に、ドイツに長期滞在していたレスピーギ。

・コルンゴルトサウンドへの近似性
 コルンゴルト(1897~1957)は、レスピーギの一回り後輩。
 近未来的なキラキラサウンドは、お互い近いものがある。
 ことに、「死の都」を一瞬思わせるヶ所が、「セミラーマ」にもありました。
   しいては、ハリウッドの壮大な歴史ドラマにも相通じるものも!


 以上のように、聴いていて、いろんなインスピレーションが湧き上がってくるレスピーギの初期のころのオペラ。
あと出しイメージ操作のできる、いまのわれわれ聴き手ですがゆえ、このように、何に似てるとか、誰の影響とか言ってしまいます。
 ですが、以前にも、ぼんやりと書いたとおり、音楽って、そういうものだし、作曲家も、演奏家も、みんなお互いに影響しあって、刺激しあって存在してるもの。
何々風とか、誰それに似てるなんて、別に、その音楽の存在価値をおとしめるものでは、一切ない表現や評価だと思います。
 そして、いろんな作曲家たちが活動した時代背景や、場所、それらの相関関係を紐解くことも、後世のわれわれには、楽しみのひとつであります。

 物語は、紀元前9世紀ごろのバビロニア

第1幕 バビロンの王宮
 
女王セミラーマと、かつて征服された国の王女、いまは、その待女となったスジャーナが、反乱軍との戦いに勝利した自軍が、多くの豪華な戦利品を積んで入港するのを空中庭園から見守っている。
しかし、ふたりの女性が気になるのは、それらのお宝ではなく、その出生も謎に満ちた勇敢な戦士、メロダーシュのこと。
 
 反乱軍の指導者の処刑も行われ、セミラーマは、冷徹に対処しつつも心が苦しい。
その晩、スジャーナとメロダーシュは、久方ぶりに会って、お互いの愛を確認する。
ふたりは、幼馴染みであった。

第2幕 バアルの神殿

高僧オルムスが朝の祈りを捧げている。
そこへ、ファラッサールが預言者とともに、相談にやってくる。
彼は、かつて、バビロニアの国王を高僧から約束もされ、かつての国王殺しも加担していて、セミラーマが、メロダーシュに夢中になっていることから、彼女のことを失いたくないと思っている。
 この横柄な態度に、バアル神の像の後ろで聞いていたセミラーマが躍り出て、怒りをあらわにする。
 ファラッサールは、あの正体不明の亡命者、メロダーシュこそ、かつてのセミラーマの息子ニノでありことを告げるが、セミラーマはまったく信じることがなく、メロダーシュとの婚姻を進めることを宣言する。
高僧オルムスの占いでは、不吉の預言が・・・

第3幕 宮殿

セミラーマとメロダーシュの婚姻が発表され、その賑やかな祝宴に皆は浮かれている。
ファラッサールは、スジャーナに、メロダーシュの身の上の秘密を告げ、彼女からメロダーシュに思いを踏みとどまらせようと画策する。
 深い悲しみに落ち込み、愛する恋人を失うことでは、利害の一致する彼女は、メロダーシュに、ファラッサールから聞いた話を伝え、母親と結婚することをやめさせようとする。
 熱い愛を語りあう、セミラーマとメロダーシュのところにスジャーナは意を決して登場。
女王は、席を外すが、スジャーナから話を聞いた血の気の多いメロダーシュは、意味のない中傷として腹をたて、むしろ、ファラッサールを殺害する計画をたてる。
 その晩、暗い霊廟にて。
ファラッサールがかつて、先王を暗殺したのと同じように、今度は、メロダーシュが隠れ、待ち受ける。
そして、あらわれた人物にメロダーシュは襲いかかり、一撃で倒してしまう。
 
 ところが、倒したその人物は、セミラーマであった。
セミラーマは、息も絶え絶えに、「わたしの息子よ、母親の言葉を聞け、わたしは、これから暗黒をさまよいます、そして、永遠にあなただけを愛します、ニノ、わたしの子供、母は、あなたに口づけがしたい・・・・」といってこと切れる。
外では、セミラーマの名を歌い呼ぶ、声がこだまする。

                幕

対訳なしで、まっく難渋しましたが、だいたいこんな感じの物語です。
セミラーマは、冷たいトゥーランドットのようで、でも、息子に命を奪われることで、母として覚醒し、優しいひとりの女性となって浄化されるのです。
最後の、静謐なシーンは、とても印象的で、感動します。

そして、全編にわたる、若いとはいえ、レスピーギならではのオーケストラの素晴らしさ。
歌も、イタリア・オペラの伝統を踏まえながらも、激烈なヴェリスモとは一線を画した、どちらかといえば、フランスやドイツのオペラに近い感じで、抒情と流麗さが際立ちます。

1幕の若い男女の二重唱は、匂い立つほどの芳香を感じます。
とてつもなく美しく、官能的で、トリスタン的でもありました。

2幕では、東洋風の調べが、アラビアンな雰囲気ムンムンで、エロティックかつエキゾティック。
そして、ファラッサールの、まるで、スカルピアをも思わせるような信条告白がナイスなアリアがありました。
さらに、セミラーマの気の強さが満々なのが分かるアリアもあります。
まるで、不感症のトゥーランドットみたいだ。
何度もいいますが、トゥーランドットより先の作曲ですから。

3幕では、スジャーナの「悲しいかな・・・」という、それこそ哀れさそうアリアが美しい。
そのあと、一転して、パーティのどんちゃん騒ぎになだれ込む、その対比。
ベルクやシュレーカーすらも思いおこしたその鮮やかさ。
その宴会は、「神々の黄昏」の第2幕っぽい。
そして熱い親子の恋人的な二重唱に、母として死を迎える、楚々とした最後の場面。
優しい女性として、自省もこめて、人生の括りとして、力強く、でも愛情を込めて歌う死のセミラーマは、ほんとに感動的です。
死による浄化が、ここで行われる訳です。

 全体を統率する、ガルデッリの指揮が、まことにもって素晴らしい。
オペラの呼吸を完璧なまでに身に付けたこの指揮者は、ヴェルデイを指揮する如く、真摯に、そして旋律のラインを大切にしながらも、歌手を盛りたててます。
ハンガリーのオケが、こんなに軽やかで明るいのも、この指揮者のおかげです。

エヴァ・マルトンは、相変わらずの熱演ですが、マゼール盤のトゥーランドットが刷り込みでもあるので、どうしても、そちらの印象に引っ張られます。
強引さが逆によく出ていて、これはこれで良い歌唱でしょう。

息子兼恋人のバロトリーニは、ちょっと一本調子。
ドミンゴだったら・・・との思いをぬぐい切れません。
もっと、スタイリッシュな歌を望みたい。

あと、ポルガーの深いバスが印象的で、このハンガリーの亡き名バリトンの良き記録ともなりました。
ほかは、まずまずかな。

なによりも、ゼロから始まって、何度も何度も聴いて、ものにしてゆく、初聴きのオペラ体験。
レスピーギのオペラ、ほかの作品も、なかなかでして、これから聴き馴染んでゆくこと、大いに楽しみです。

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