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2021年6月27日 (日)

ロッシーニ 「ランスへの旅」 アバド指揮

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梅雨の狭間の晴れ間に皇居。

二重橋です。

ほんとに美しい、緑と青。

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こちらは桜田門。

後ろ手に警視庁があり半蔵門、左手奥は国会議事堂があります。

こうした都心散歩も天気に恵まれると清々しいものです。

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6月26日は、クラウディオ・アバド、68回目の誕生日です。

アバドの十八番ともいえるロッシーニ。

実は「ランスへの旅」は、この作品が蘇演され、そのライブがCD化されてすぐに買い求めて聴いてから、実に35年ぶりに聴きました。
ベルリン盤は、持ってたけど、実は初めて聴いた。。。
なんども恐縮ですが、いまさらながらロッシーニが好きになりましたもので、喜々としてこのふたつの録音をとっかえひっかえ聴きまくり満悦の日々をこのところ送ってました。

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  ロッシーニ 歌劇「ランスへの旅」

   コリンナ:チェチーリア・ガスティア
   メリベーア侯爵夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
   フォルヴィルの伯爵夫人:レラ・クヴェッリ
   コルテーゼ夫人:カーティア・リッチェレッリ
   騎士ベルフィオール:エドアルド・ヒメネス
   リーベンスコフ伯爵:フランシスコ・アライサ
   シドニー卿:サミュエル・ラミー
   ドン・プロフォンド:ルッジェーロ・ライモンディ
   トロムボノク男爵:エンツォ・ダーラ
   ドン・アルヴァロ:レオ・ヌッチ
   ドン・プルデンツィオ:ジョルジョ・サルヤン
   ドン・ルイジーノ:オスラヴィオ・ディ・クレディーコ
   マッダレーナ:ラクェル・ピエロッティ
   デリア:アントネッラ・バンデッリ
   モデスティーナ:ベルナデッティ・マンカ・ディ・ニーサ
   アントニオ:ルイージ・デ・コラート
   ゼフィリーノ:エルネスト・ガヴァッツィ
   ジェルソミーノ:ウィリアム・マテウッツィ

    クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団
               プラハ・フィルハーモニー合唱団

         演出:ルカ・ロンコーニ

  (1984.8.16~26 @ペ-ザロ、ロッシーニ音楽院、ペドロッティホール)

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   コリンナ:シルヴィア・マクネアー
   メリベーア侯爵夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
   フォルヴィルの伯爵夫人:ルチアーナ・セッラ
   コルテーゼ夫人:チェリル・ステューダー
   騎士ベルフィオール:ラウル・ヒメネス
   リーベンスコフ伯爵:ウィリアム・マテウィツィ
   シドニー卿:サミュエル・ラミー
   ドン・プロフォンド:ルッジェーロ・ライモンディ
   トロムボノク男爵:エンツォ・ダーラ
   ドン・アルヴァロ:ルチオ・ガッロ
   ドン・プルデンツィオ:ジョルジョ・サルヤン
   ドン・ルイジーノ:グリエルモ・マッティ
   マッダレーナ:ニコレッタ・クリエル
   デリア:バーバラ・フリットーリ
   モデスティーナ:バーバラ・フリットーリ
   アントニオ:クラウディオ・オテッリ
   ゼフィリーノ:ポージダール・ニコロフ
   ジェルソミーノ:ポージダール・ニコロフ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団
         Fl:アンドレアス・ブラウ
         Hp:シャルロッテ・スプレンケレス

        演出:ドラナ・キーンアスト

      (1992.10.13~19 @ベルリン・フィルハーモニー)

このふたつの上演のほかに、アバドはスカラ座とウィーン国立歌劇場でも上演してます。
スカラ座:1985年9月~ キャストはペーザロのものとほぼ同じ
ウィーン国立歌劇場:1988年1月~ ペーザロのメンバーに、コルテーゼ夫人がカバリエに変わってます。
          1989年10月  東京文化会館で5回上演 カバリエ

こうしてみると、アバドはポストが変わるごとに、思い入れのある作品をことごとく取り上げてます。
ミラノ→ウィーン→ベルリン。
アバドの足跡をたどってみると、こうした勝負作品が絞られてきます。
オペラで言うと、シモン・ボッカネグラ、ドン・カルロ、チェネレントラ、ヴォツェック、ボリス・ゴドゥノフ、ここにランスへの旅も加えてもいいかもしれません。

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「バレーを伴う舞台カンタータ」というカテゴライズをされ、ロッシーニの作品目録にはオペラ扱いもされておらず、1970年代までは、まったく未知の作品だった「ランスへの旅」は、「ランスの旅、または金の百合亭」という長いサブタイトルもあります。
イタリアに別れを告げ、フランスで活動をしていた1825年、シャルル大帝の戴冠式に、ということでその祝賀式記念オペラを委嘱され作曲された。
このシャルル大帝の戴冠式が最後となってしまったが、フランスの歴代皇帝は、戴冠式の聖油を授かるのはランスで、という伝統があり、パリでは同時に祝祭行事が行われていた。
この事実をまさに扱ったのが、この作品で、「各国の時間を持て余したお金持ちがランスに向け、旅をしようと、金の百合亭という温泉地旅館に滞在していたが、馬車や馬といった交通手段を得ることができなくなり、大騒ぎになるが、シャルル大帝がパリに戻るということで、定期便を利用してパリに行くぞー、そのまえに宴会だぁ~」というのが概略。

結局、4度ほど上演され、ロッシーニはこうした特別な機会オペラなので、今後の上演にもこだわらず、出版もされず、フランス語オペラ「オリー伯爵」に改訂を加えて転用し、そのままになってしまい、自筆譜は各処にバラバラに消失。
 1970年代終わりの頃から、この作品の発見の旅が始まり、まずは、パリの国立図書館でパート譜の多くが発見。
次に、自筆譜の一部がローマのチェチーリア音楽院の図書館で見つかるが、自筆譜の多くは、オリー伯爵に転用後捨てられてしまっていたことも判明。
それからウィーンの国立図書館では、第三者による改作譜の一部も見つかり、調査の範囲も広がり、復元が苦心惨憺なされた。
それらの楽譜の一部が、ロッシーニ協会からアバドの元に送られ、興味を示したアバドは、復元の立役者ロッシーニ研究科のゴセット教授とともに、本格的な上演に向けて検討を積み重ねました。

こうして、1984年8月にペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティバルで歴史的ともいえる蘇演がなされたわけです。

初演時が、ともかく祝祭的な国家事業規模のものだったので、ロッシーニは当時の名歌手たちを想定して、10人もの主役級の歌手と難易度の高いアリアや重唱、名人芸を披露するソロを含むオーケストラパートなど、ある意味金に糸目をつけない贅沢品のような作品に仕上がってのです。
このあたりも、もう上演されないかも、的な思いを抱いた理由かもしれません。

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劇の内容は、ばからしく他愛もないけれど、ややこしいのは各国の登場人物たちの名前と身分をあらわすタイトルで、彼らが次々と登場しては歌いまくるので、その都度、解説書の配役表に戻ってにらめっこすることとなる。
それでも1度や2度ではわからない。
しかし、今回、貴重な映像を発見したので、それも全部見ることで、ほぼ作品理解につながりました。
ということで、ペーザロでの出演者をアイコンにして、みなさんのお立場や、このオペラで何をするかをまとめてみました。

Corinna コリンナ:有名なローマの女流即興詩人
            実はシドニー卿と相思相愛の精神的恋愛中
            しかし、女好きのベルフォーレに言い寄られる

Melibea メリベーア侯爵夫人:ポーランド出身、イタリア人将軍の未亡人
          リーベンスコフと恋仲だけど、ドン・アルヴァロも好意

Follevilleフォルヴィル伯爵夫人:若い未亡人、パリっ子で常に流行に敏感
              最後はすけこましのベルフォールとしっぽり 
  
Corteseコルテーゼ夫人:チロル生まれ、金の百合亭のオーナー
        とてもいい人、多くの使用人からも慕われてる

Belfiore騎士ベルフィオール:フランスの仕官、女性を口説くことが趣味
          日曜画家でもあったりする

Libenskofリーベンスコフ伯爵:ロシアの将軍、頑固で嫉妬深い
          メリベーア侯爵婦人のことが好き         

Sidneyシドニー卿:イギリスの軍人、コリンナを愛してる
      固い人物で、コリンナへの愛情表明も慎み深い

Don-profondドン・プロフォンド:学者、コリンナの友人
          熱狂的ともいえる骨董品・歴史物マニア
          ほかの人物たちをよく観察している

Trombonokトロムボノク男爵:ドイツの陸軍少佐、熱烈な音楽愛好家
         後半で、歌合戦の司会を務めるなど狂言回し的存在

Don-alvaroドン・アルヴァロ:スペインの提督、堅物風だが熱い男
         メリベーア侯爵夫人のことが好きで、リーベンスコフと喧嘩

ほかの登場人物は、宿の就業者や、各金持ちさんのお付きの方々ですが、レシタティーヴォだけだけど、重要な伝達役だったりで、役回りとしてそれなりの存在を求められます。
ペーザロ盤では、マッテウッツィがそうした端役を歌いながら、ベルリンではロシアの伯爵に昇級。
またおなじみのフリットーリがベルリン盤では端役として出てます。
ちょい役だけど、ちゃんとフリットーリのお声でした。

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「ランスでの戴冠式に備えて、金の百合亭で出発を待つ各国の諸氏。オーナーのコルテーゼ夫人がスタッフたちに激励。
おしゃれ好きのフォルヴィル伯爵夫人は、せっかくの衣装が届かずイライラしていて、しまいには気絶してしまう。
みんなで介抱するうち、荷物のなかから、ステキな帽子が見つかり、すっかり上機嫌な伯爵夫人。
メリベーア侯爵夫人をめぐって、リーベンスコフとドン・アルヴァロが喧噪を起こす、ほかのメンバーも加わって大騒ぎとなるが、そこにハープを伴って、コリンナが涼やかな歌を披露し、一同は聞き惚れ平和な思いをかみしめる。
 場は変わり、シドニー卿が登場し、フルートを伴ってコリンナへの愛を歌う。
ドン・プロフォンドは、シドニー卿にアーサー王の甲冑とかなんとかはどこで見れるの?と問い、とんちんかんなやり取りがある。
ついでは、女好きのベルフィオールがコリンナを歯も浮くようなセリフでナンパをするが、コリンナは冷たくあしらう。
そんなやりとりを、ニヤニヤしながら見ていたドン・プロフォンドは、参加した諸氏のお国のお宝や骨董を、ものすごい勢いで賛美する。
 さてしかし、一同のもとに、馬車の用意ができない、馬もまったく手当てできないという報告が届く。
<あーーーー!>ものすごい全員の声による落胆!

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 またまたさてしかし、お手紙到着、数日のうちに国王がパリに帰還し、そこでお祝いの行事が行われると判明。
一転して狂喜乱舞、パリなら定期便があるので必ず行ける、まずはここでパーティを、残ったお金は寄付しようということになり、14人の大コンチェルティーノとなる(ここはすごい!!)
 (全曲通しの1幕ものだけど、上演ではここで一休み)
メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフは、仲直りして愛の二重唱。
めでたし、ということでこれよりフィナーレ。
トロムボノクの司会で、メンバーが次々に、自国の歌やダンスを披露、ここがまた楽しい、まるでガラ・パフォーマンスだ。
最後は、コリンナに、ということで何をテーマに歌うかということで投票が行われ、フランス国王シャルル10世が選ばれ、彼女はオオトリに、ハープを伴い、これもまた素晴らしく玲凛としたアリアを披露。
国王を全員で賛美し、幕となる」  

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しかし、華麗でありつつ、ユーモアたっぷり、皮肉や引用も巧みで、最高のエンターテインメント魂に富んだロッシーニの筆は冴えわたってます。
聴いていると、体も動きだすみたいで、中毒性もあります(笑)

①コルテーゼ夫人のアリア~ものすごい技量が要求される
②フォルヴィル伯爵夫人のアリア~コロラトゥーラの難易度の高いアリア
③6重唱~嫉妬と混乱
④コリンナのアリア~ハープソロにより美しい曲
⑤シドニー卿のシェーナとアリア~フルートソロを伴う長大な曲、フルートは超難しい
⑥ベルフィオールとコリンナの二重唱~恥ずかしくなるくらいのナンパ曲
⑦ドン・プロフォンドのアリア~カタログの歌、私は町の何でも屋にも通じる早口アリア
⑧14声によるコンチェルタート~もう楽しくてしょうがない、アバドはここをアンコール
⑨メリベーア侯爵夫人とリーベンスコフの二重唱~どちらも難解な歌
⑩リトルネッロ~古風なバレエ音楽
⑪フィナーレ~ドイツ賛歌・ポロネーズ・ロシア賛歌:スペイン民謡・イギリス国歌・フランス民謡・ヨーデル
⑫即興曲~コリンナのアリア

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これが発売されたとき、高崎先生は「満漢全席」と評されました。

まさにそう、音楽もそうだし、この2つのCDのアバドの指揮のもとに集まった歌手たちのメンバーの豪華さもそう。
ペーザロの蘇演では、フレーニも候補としてノミネートされていたらしいから、そこもまた聴きたかった。
アバドとして最後のランスのベルリンまで、ずっと変わらぬメンバーのテッラーニがまず素晴らしい。
つくづく早逝が惜しまれますが、真のロッシーニ歌手かと思う。
 あと重複組では、凛々しいラミー、あきれ返るくらいにウマいライモンディ、余人をもって耐え難いエンツォ・ダーラの面白さ。
マクネアーも無垢でよろしいが、ガスティアの常人的でないくらいの美声によるコリンナが可愛い。
ふたりのフランス夫人は、クヴェッリの透明感あふれる歌唱、セッラの驚きの軽やかさ、どちらも捨てがたく好き。
館のオーナーは、リッチャレッリに軍配。ステューダーはちょっと不安定かな、声は好きだけどね。
アライサ完璧、大好き。
アバドファミリーのふたり、ヌッチとガッロもうまくて芸達者だ。
ふたりのヒメネスは、技量がすごい、でも空虚感も感じるのはロッシーニが描いたこの人物ゆえかww

最後にアバドの指揮。
映像で確認すると、完全暗譜。
その指揮姿も、聴かれる音楽も、まるで出会ったばかりの作品とはこれっぽちも感じさせない。
それだけ、自分のものになってるし、緻密に書かれたロッシーニの音符が自然体で、新鮮さをともなっていることに驚き!
指揮者とともに、初の演奏体験をしたヨーロッパ室内管の方が、鮮度のうえではかなり上回る。
演奏することの喜びを、アバドの指揮の下で爆発させている感じだ。
 一方、海千山千のベルリンフィル。
カラヤン時代は考えられなかったロッシーニのオペラに、全力投入。
世界一のオーケストラがロッシーニのオペラを演奏したらこうなる、という見本みないな、逆な意味で模範解答みたいな上質の演奏。
ブラウのフルートソロを始め、各奏者の腕前も引き立つ。
映像でも確認できる、手抜きなしの全力演奏ぶりに感心します。
両方のオケともに素晴らしいが、オペラとしては、ヨーロッパ室内管の方が相応しいかもしれません。
また、初演時の機会音楽としての祝祭性は、ベルリンフィルのきらびやかさが似合うのかもしれません。
こうなると、スカラ座、ウィーン、どちらも聴いてみたいもの。

で、そのウィーンでの上演の様子が、ネットで探すと全幕見れる。
画質は悪いが、カバリエの思わぬ芸達者ぶりもわかるし、最後に14重唱をアンコールしてる!!
さらに、ベルリンフィルとのステージ上演もネットにはありますよ。
こちらも低画質だけど、全員ノリノリで、観客も熱狂。アンコールもあり。
我が家には当時日本での放送のVHSビデオがあるはずなんだけど、行方不明中。
そしてさらに、ペーザロでの歴史的な蘇演もネットで、これがまた思わぬ高画質で見れました!!
これはまったく素晴らしい。
ということで、3つの映像も今回視聴。
頭のなか、ランスだらけだよ・・・・

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1989年のウィーン国立歌劇場の来日上演は、残念ながら、ランスとヴォツェックのアバドが指揮したふたつは行くことができなかった。

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パルジファルのS席に薄給を全力投球してしまったもので。
結婚したばかりで、そんな環境にもなかった時期でした。
しかし、時代はバブル真っ最中でしたねぇ・・・

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  (ペーザロでカーテンコールに応えるアバド)


長文となりましたが、アバドの音楽にかける思いは、ほんとうに熱く、多くの残された成果をこうして見聞きするにつけ、偉大な存在だったと思わざるをえません。

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大手町のビル群とお堀、そして城壁。

皇居の周りは、こうしてビルばかりとなってしまい、ほんとうはどうかと思われるのですが、考え抜かれた設計に基づいてのことだとは思います。
風も皇居から抜けて通るようになってるのが清々しいです。

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2021年4月18日 (日)

ドニゼッティ 「ドン・パスクワーレ」 ムーティ指揮

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3月31日、東京の上空の数か所に、ニコちゃんマークが描かれました😊

アクロバット・パイロットの室屋義秀さんが、空を見上げることで気分を良くして、明るくなりましょう、ということで実行したイベント。
これまで在住する福島や、栃木など、複数の場所で、スマイルマークを描き、文字通り笑顔を届けてきたそうです。

この日、情報を事前キャッチしたので、予定場所のひとつ、東京タワーの近く陣取りましたが、結構な上空でした。
でもたくさん集まった人々、みんな空を見上げて、ニッコニコでした!

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よくわからないかもしれませんが、黄緑色の桜です。

調べたら御衣黄(ギョイコウ)という品種だそうで、毎年気になってました。

ということで、関係はありませんが、当ブログには珍しいドニゼッティのオペラを。

というか、ドニゼッティ初登場です。

なんどもしつこく書いてますが、ヴェルディは早くから好んで聴いていたけれど、ヴェルディより前のベルカント系のオペラは、ちょっと苦手で、正直、食わず嫌いでした。
アバドのロッシーニが、アバドゆえの例外で、アバド以外のロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニは、「ルチア」と「ノルマ」以外は、まともに聴いたことがなかった。
 そして、何度も書きますが、コロナのおかげか、なんとやら、日々続いた世各地のオペラハウスのストリーミングで、あたり構わずに視聴しまくり、なんのことはない、なんでこんな素敵な世界に気が付かなかったんだろ、といまさらながらの開眼でした。
 そんな中から、楽しかった作品、「ドン・パスクワーレ」を。

オペラだけでも、70作以上もあるドニゼッティ(1797~1848)の決して長くない人生の、充実期・後期作品から取り上げ、そのあとは女王三部作などに挑戦してまいりたいと思います。

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  ドニゼッティ 「ドン・パスクワーレ」

   ドン・パスクワーレ:セスト・ブルスカンティーニ
   ノリーナ     :ミレッラ・フレーニ
   マラテスタ    :レオ・ヌッチ
   エルネスト    :イェスタ・ウィンベルイ
   公証人      :グゥイド・ファブリス

  リッカルド・ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
               アンブロージアン・オペラ・コーラス

      (1982.11,12 @キングス・ウェイホール、ロンドン)

   ドン・パスクワーレ:独身で富豪の70代
   マラテスタ:ドン・パスクワーレの有人で医師
   エルネスト:ドン・パスクワーレの甥
   ノリーナ :マラテスタの妹で、エルネストと恋仲

1842年に、ほぼ1か月半で完成させてしまった早書き。
というのも、1810年にステファノ・パヴェーシという戯曲家が書いた「セル・マルカントニオ」が初演され、同時に自分で作曲もしてオペラ化。
いまいち不評だったこの作品、台本をカンマラーノという作家がリメイクして、それが気に入ったドニゼッティが30年後にすんなりオペラ化したもの。
 内容は、当時のブッファものでよくある筋立てで、とりたたて目新しいものでないが、時代設定を変えたり、少しの解釈を施したりすると、皮肉の効いた風刺的なものにもなったりで、いろんな目線を見出すこともできるオペラだと思います。

そして、ドニゼッティの音楽は旋律にあふれ、どこまでも伸びやかで、聴き手を楽しい気分にしてしまいます。

いろんなサイトでその筋立てが読めますので、ごく簡略に。

ときは現代とあり、作曲当時の19世紀前半。

ドン・パスクワーレから美しい女性を嫁に、と頼まれていたマラテスタ。
自分の妹をそれに仕立てようと企て、老人はすっかりその気になりワクワクする。
甥のエルネストは、自分は結婚したいと申し出るが許されず、老人は、それより先に自分が結婚して財産もそちらに分与するから、おまえにはやらんよと言う。

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              (MET 兄と妹)

 マラテスタは、妹のノリーナがエルネストからの別れの手紙で悲しんでいるのを見て、ドン・パスクワーレとの結婚をしたてあげて、懲らしめようということになり、田舎育ちのおぼこ娘に扮することに。

パスクワーレ邸で、エルネストが悲しみに沈んでいる。

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             (Wien 結婚の儀)

一方、マラテスタに連れてこられたノリーナを一目見て気に入り、即座に結婚の準備ということになり、公証人が仕立てられ、さらにもう一人の公証人が必要とのことで、わけのわからないエルネストにそのお鉢がめぐってきて混乱。

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            (MET 嫁豹変の巻)

マラテスタが、そこはまあまあ、となだめ、正式書類が交わされると、ノリーナ態度豹変。
舘で働く人々の給金を値上げすると決め、買物もしまくるぞ、と息巻く。
エルネストも芝居とわかり、すっかり困ったドン・パスクワーレは嘆きと怒りごちゃごちゃに


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         (ROH 放蕩の限りを尽くす嫁)

ノリーナの買い物の金額は膨大で、ドン・パスクワーレは憂鬱になっていてノリーナと大げんか。
去り際にわざと落とした恋文をみつけ、呼ばれたマラケスタは浮気の現場に踏み込んで証拠をみつけるのが一番と進言。

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          (Wien 甘い夜に彼氏登場)

 夜になり、庭にやってきたエルネストは、甘いセレナードを歌い、ノリーナと二重唱。
ドン・パスクワーレが踏み込むが、エルネストは、すぐに姿をくらまし、地団駄を踏み、もうこりごり、こんな女とは離婚、エルネストに前から言ってた女性と結婚しなさい、ふたりに財産はあげると宣言。
 マラテスタは、エルネストを呼び、彼の恋人はノリーナだったことを話し、これまで仕組んだのが計略でしたとします。
善意から出た計略と認めたドン・パスクワーレ、最後は「万歳パスクワーレ」幕。

現実にはありえへん物語だけど、身の程知らずの金持ち爺さんもイカンですが、そのお年寄りをたぶらかすようにして、ひどいめに合わせるのも気の毒なものだ。
いまの世なら、パパ活して、本気になった、もしかしたら婚活中の中高年男性にさんざん貢がせて、わたし結婚しますの、とポイ捨てされちゃうみたいなもの。
まぁ、どっちもどっちか、やはり冷静に、自分をわきまえることが肝要かと・・・・
でも、このオペラでのドン・パスクワーレの描かれ方は、可哀想で、最後の最後にしか、いい人になれない。

 ムーティが70年代初め、注目株の指揮者として、ザルツブルク音楽祭にデビューして、指揮したのが「ドン・パスクワーレ」。
その十数年後、フィルハーモニアとフィラデルフィア、フィレンツェを手兵にしたムーティがスタジオ録音したもの。
まだまだ活きのいい時代だった頃のムーティ、序曲からして元気溌剌、飛ばしてます。
喜劇的なオペラとはいえ、一点一画もおろそかにしない厳格さも、この当時からムーティのオペラに対する姿勢は変わらず、ユーモアや愉悦感も欲しい感じはしますが、でも歌にあふれたドニゼッティの楽しい音楽がしっかりあり、そしてオペラティックな感興が律儀な演奏のなかにもしっかり息づいているのが、さすがのムーティ。

 もともと、フレーニの声質からしたらぴったりの役柄がノリーナ。
清廉であり、コケットリーでもあり、豊穣な声を堪能しました。
あと狂言回し的な存在の兄上、ヌッチもこうした役柄はほんとにうまくて楽しい。
大ベテラン、ブルスカンティーニも単体としてはいいし、わたしには懐かしい歌声なんだけど、同じバリトン同士のヌッチとの声の対比があまりよろしくないかもしらん。
 スウェーデンのテノール、ウィンベルイは、この頃活躍を始め、ここに抜擢されたが、美声でもしかしたらパヴァロッティを意識してたのかな、とも思わせましたが、イタリア人歌手たちのなかにあって、やや異質な部分も感じたりも。
その後、カラヤンにも重宝され、やがて声は重くなり、ついには最高のローエングリンやヴァルターともなったウィンベルイ。
早逝が惜しまれます。

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映像で観劇した「ドン・パスクワーレ」は、メットとウィーンのふたつと、音だけでコヴェントガーデン。

メトロポリタン 2010 レヴァイン、ネトレプコ、デル・カルロ、クヴィエチェン、ポレンツァーニ シェンク演出

ウィーン    2015  ピド 、ナフォロルニツァ、ペルトゥージ、プラチェトカ、フローレス ブルック演出

コヴェントガーデン 2019 ピド 、ペレチャッコ、ターフェル、ヴェルバ、ホテーア ミキエレット演出

メトは、シェンクの演出だけあって、原作に忠実な伝統的な演出。
最初は、こうした無難なものを見てからじゃないといけませんね。
ネトレプコは、歌に演技に元気いっぱいだけど、もうこの頃の彼女は声が重くなってきていて、軽やかさも求めたいところ。

実に面白かったのがウィーンで、ピーター・ブルックの娘さん、イリーナ・ブルックの演出。
現代に設定を置き、ドン・パスクワーレは実業家で、彼の営むバーのような店舗が舞台。
2幕冒頭の、トランペットの泣きのソロは、舞台に上がり、嘆き飲んだくれるエルネストの脇で演奏するミュージシャンとなっていた。
こんな風に随所に工夫が施されてあって、色彩的にもあざやかで、舞台映えがよろしい。

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  (ヴァレンティナ・ナフォロルニツァ)

フローレスが圧巻だったけど、4人のバランスがとてもよく、ナフォロルニツがとても可愛くて好き!
彼女は、同じブルックの演出で、ブリテンの真夏の夜の夢にも出ていて、そこでもかわゆかった。

音だけだけど、ピドの指揮が、ウィーンのものと同じくとてもよかったのがロイヤルオペラ。
ターフェルのドン・パスクワーレが、しっかりとバスで引き締めていて、聴きごたえあり。
話題のペレチャッコもよい。
画像を数枚みただけだけど、ミキエレットなので、これもまた見てみたい演出。

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ロッシーニ(1792~1868) ペーザロ出身(ボローニャの近く)
ドニゼッティ(1797~1848)ベルガモ出身(ミラノの北東)
ベッリーニ(1801~1835) カターニャ出身(シチリア島)
ヴェルディ(1813~1901  パルマ近郊出身(ミラノとボローニャのぐらい)

4人の生没年とその出身地を見てみましたが、ベッリーニだけ南イタリアの出身なんですね。
これから遅まきながら聴き進めていきたい作曲家たち。
しかし、時間がないねぇ~

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青空に浮かぶにっこりさん。

かなりあっという間にその笑顔を崩れて、なくなってしまう儚さもありましたよ。

またどこかの空に描かれることでしょう。

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緑の桜も、いまではとうに葉桜になってまして、今年の桜はめでる間もなく、あっという間に咲いて、散ってしまった感じ。


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2021年2月 7日 (日)

プッチーニ 三部作 フレーニ

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暦は春、2月4日が立春でした。

しかし気候は一進一退、極寒になり、また穏やかな陽気になり、繰り返しつつ春になります。

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わたしの郷里では、もう菜の花はおしまい。

次は桜を待つばかりです。

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 プッチーニ 三部作

   ミレッラ・フレーニ

 ブルーノ・バルトレッティ指揮 フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団
                フィレンツェ五月音楽祭合唱団

       (1991.7~8 @ヴェルディ劇場、フィレンツェ)

昨年2月8日に、ミレッラ・フレーニが亡くなり1年が経ちました。

プッチーニの3部作のヒロインをフレーニがすべて歌った一組を。

ヴェリスモに典型の痴情による悲劇、静謐な宗教劇、皮肉とユーモアのきいた喜劇。
この性格の異なる3つの1幕もののオペラを三部作としたプッチーニの天才性は、その素晴らしい音楽の描き分け方にも十分にうかがえる。
 しかし、この3作がなかなか同時上演されにくいのは、よく言われるように、その登場人物の多さで、しかも劇の性格が違うゆえに、歌手に求められるものも3作ともに違う。
3作のソプラノ歌手は、リリコ・スピントとリリコの声が求められる。
円熟期のフレーニは、それをこなせる希少な存在だった。
デッカにはかつて、大ソプラノ、テバルディが3役を歌ったガルデッリ盤があり、そのあと同じフィレンツェのオーケストラを使ったこちらのバルトレッティ盤が残されたのは、フレーニ・ファンとしてもほんとうにありがたいことです。
レナータ・スコットのマゼール盤では、ラウレッタ役はより軽いコトルバスに変わっていて、3役を歌った音盤は、テバルディとフレーニだけ。
私の舞台体験は2008年のプッチーニの生誕150年に上演された日本人だけの上演のみで、数年前の二期会公演は逃してしまいました。
あらすじなどは、パッパーノ盤の過去記事に手をいれたものを再褐してます。

  プッチーニ 「外套」

   ミケーレ:ホアン・ポンス  
   ジョルジェッタ:ミレッラ・フレーニ
   ルイージ:ジュゼッペ・ジャコミーニ  
   ティンカ:ピエロ・デ・パルマ
   タルパ :フランコ・デ・グランディス
   フルーゴラ:グロリア・スカルキ
   小唄売り:リカルド・カッシネッリ
   二人の恋人:バルバラ・フリットリ
         ロマーノ・エミリ

<パリのセーヌのほとり。海運を細々と営むミケーレ親方と妻ジョルジェッタ、働き手のルイージと仲間たち。

 仕事を終え煙草をふかすミケーレ、ジョルジェッタのつれないそぶりに心は浮かない。
ジョルジェッタは、仕事を終えたルイージや仲間たちに酒を振舞い、楽しい雰囲気。
仲間の妻は、田舎で旦那とつましい余生を送りたいと歌い、ジョルジェッタは、自分やルイージはパリの郊外の生まれで、こんな水辺での浮き草のような生活は早く終わりにしたいと歌う。そして、愛を交わしあい、密会を約束しあう二人。ルイージは熱い思いを歌う。
 寝ずに火照りを覚ますジョルジェッタにミケーレは、ふたりの間の亡くなった子供のことを話し、ふたたび「自分の外套に包まれればよい」と、やり直しを迫るが、またしてもそっけない妻。もう老いぼれた俺じゃだめなのか?と説得を試みるも・・・・
 一人になり、「売女奴め!」と怒り震わせ、男をひっとらえてやると、豹変するミケーレ。
煙草に火を着けるが、それを同じ合図と勘違いしたルイージが船にやってくる。
「ははぁん、お前か」「違う、あっしじゃありやせん」「いやテメエだ!」と押し問答の末、絞殺してしまう。物音に出てきたジョルジェッタ、夫の怪しい雰囲気に怖くなって、以前のように「喜びも悲しみも包んでしまうといった、外套に私を包んでよ」とおねだり。
「そうさ、時には罪もな!俺のとこへ来やがれ・・・」と外套から転がりでたルイージの死体にジョルジェッタの顔を無理やり押し付ける。
凄まじい悲鳴とともに幕。>

まだ駆け出しだった、フリットリの名前が3作いずれもあるのがうれしい。
ジャコミーニも新鮮な歌声。
なによりもフレーニの不安と安泰とに揺れ動く心情表現が細やかでいい。
ポンスの美声もいいが、このオペラ、妻が25歳、夫が50歳、間男が20歳の設定なので、ポンスさん若すぎに感じます。
 それにしてもよく書けてる音楽。
霧に煙るセーヌ川のパリな雰囲気、場末感や強殺の残忍さなど、不協和音や印象派風な手法を用いて見事に表出したプッチーニ。

  プッチーニ 「修道女アンジェリカ」

   修道女アンジェリカ:ミレッラ・フレーニ
   侯爵夫人 :エレナ・スリオティス
   修道院長 :グロリア・スカルキ
   修女長  :エヴァ・ポドレス
   修錬長  :ニコレッタ・クリエル
   ジェノヴィエファ:バルバラ・フリットリ
   オスミーナ:ヴァレリア・エスポジト
   ドルチーナ:アルガ・ロマンコ
   看護系修女:デボラ・ベロネシ ほか

<時は17世紀、トスカーナ地方のとある修道院。

 修道女アンジェリカは、フィレンツェの公爵家の娘ながら許されぬ子を宿し産んだため修道院に入れられ懺悔の日々を送っている。
修道女たちの祈りの合唱。修道女ジェノヴィエッファが中庭の泉に太陽の光が差し金色に輝くのを見つけ、マリア様の奇蹟が訪れるのよ、と沸く。
しかし、1年前にある修道女が亡くなったことも思い出す・・・・。
アンジェリカは生あるうちに花開き、死には何もないと語り、願いはないと語るが、皆はその言葉を信じず彼女の身の上話をささやく。
そこへ、修道女のひとりが蜂にさされ怪我をしたと騒ぎになるが、薬草に詳しいアンジェリカが秘伝の治療法を託す。
そこへ、アンジェリカの伯母の公爵夫人が立派な馬車でやってくる。修道院長から呼ばれ、接見するが、意地悪な伯母から、アンジェリカの妹が結婚することになりその遺産分与の同意を得にきたと伝えられる。家名を汚した姉の償いを妹がするのだとなじる。
7年前に生んだ坊やの消息を必死に尋ねるアンジェリカに、公爵夫人は2年前に伝染病で死んだと冷たく答える。その場に一人泣き伏せるアンジェリカ。
「いつ坊やに会えるの?天であえるの?」と、あまりにも美しいアリア「母もなく」を楚々と歌う。
彼女は、死を決意し、毒草を準備する。
毒薬を服し、聖母に自決の罪の許しを必死に乞うアンジェリカ。
そこへ天使たちの歌声とともに、眩い光が差し、聖母マリアが坊やを伴なってあらわれ、死にあえぐアンジェリカの方にそっと差し出す。にじり寄りつつ、彼女は救われ息を静かに引き取る・・・・・。>

もう、そもそもが涙なしには聴けない音楽。
「外套」の残忍性は影を潜めて、ここでは宗教秘蹟にふさわしく、抒情的で繊細かつ神秘的な音楽と、蝶々さんを思わせる哀しみと悲劇性もある音楽です。
修道院の無垢な雰囲気を醸し出す鳥のさえずりや、パルジファルを思わせるような浄化感もこのオペラの特徴です。
ともかく「母もなく」のアンジェリカのアリアはとてつもなく美しく、そして悲しみにあふれていて、これを歌うフレーニの声と感情の込め方はもう絶品であります。
3作のなかでは、一番フレーニに合った役柄だから余計に素晴らしい。
 そしてデッカらしい、味わい深い隠し味が、エレナ・スリオティスが意地悪な侯爵夫人役で登場していること。
喉の障害で一線から退いていたスリオティス、その声はお世辞にもいいとは言えない状態ですが、実に真実味があって迫真そのもの。
   
   プッチーニ 「ジャンニ・スキッキ」

    ジャンニ・スキッキ:レオ・ヌッチ
    ラウレッタ  :ミレッラ・フレーニ
    ツィータ   :エヴァ・ポドレス
    リヌッチオ  :ロベルト・アライサ
    ゲラルド   :リカルド・カッシネッリ
    ネルラ    :バルバラ・フリットリ
    ケラルディーノ:バルバラ・グエッリーニ
    ベット    :ジョルジョ・ジョルジェッティ
    シモーネ   :エンリコ・フィッソーレ
    マルコ    :オラツィオ・モーリ
    チエスカ   :ニコレッタ・クリエル  ほか
    
<1229年のフィレンツェ。ブオーゾ・ドナーティの家にて。

朝のドナーティ家、当主ブオーゾはすでに亡く、一族が取り囲んで神妙に泣いたふりをしている。膨大な遺産を期待する面々が、巷の噂の寄付ということを聞きつけて集結している。
きっと遺言状があるだろうということで探しだしてみると、噂どおりの全額教会寄付。
坊主だけが潤うと、一同は大騒ぎに。
そこで、リヌッチオは、許婚の父ジャンニ・スキッキに知恵を借りようと提案するが、策士だとして賛同を得られない。
リヌッチオは、いまのフィレンツェには、スキッキのような大胆で斬新な人物として街とともに称賛するアリアを高らかに歌う。
そこへスキッキと娘のラウレッタ登場。貪欲な一同に呆れ、こんな奴らに協力したくないと、ソッポを向いてしまうスキッキ。
しかし、愛娘が「私のお父さん」のアリアを歌い、その父の心をメロメロにしてしまう。

「私は、この人が好きなの・・・・、愛の指輪を買いに行きたいの・・・、もし愛することがだめなのならば、ポンテヴェッキオに行きます。そこで身を投げます。恋が私の心を燃やし苦しめるの、どうぞ神様死なせて下さい、お父さま、どうぞお哀れみを・・・」こんな掟破りの歌を娘に歌われ、お父さんはさっと心変わり。

「さあ、遺言状を貸してごらん」と、スキッキ。
この一族以外に誰も当主の死は知らない。では、自分がブオーゾになるまでと、そこへ、医師が回診にやってくるが、声音を使って見事にやり過ごすスキッキ。
自分がなり代わって遺言状を書き換えるまでよ!と巧みなアリアを歌う。
一同は感嘆し、それぞれの相続の思惑をスキッキに語りまくる。スキッキは、もしこの語りがバレたら法的には一同は手首をちょん切られると警告。ははっ!
 やがて公証人がやってくる。
すべての遺言のたぐいは今破棄し、これより語ることが唯一の遺言と、偽ブオーゾのスキッキは声音で語りだす。
遺産のそれぞれを一族の思いのままに語り、一同から小さくブラボーを得る。
そして、一族の関心のハイライト、「フィレンツェの勇壮な自宅と製材所、ロバなどの資産価値の高そうなアイテムは、なんと親友の「ジャンニ・スキッキ」に、とのたまう。
 苦虫をかみ締める一族たち。
公証人には、頭のなかで今考えたことを言ってるだけですよと言い、公証人は大いに賛同納得して去る。
 さあ大騒ぎの一族、とんでもない泥棒、ごろつき、うそつきと悪態の限り、スキッキは私の地所から出てゆけと命令!
一族は「あぁーーー!」、スキッキは「出てゆけーーー」の応酬。
 こんな騒ぎをよそに、恋の成就に熱くなる二人の恋人がフィレンツェの街を称える。
スキッキは語りでこんな洒落た口上を述べ幕となる。

「皆さん、ブオーゾの資産がうまく処理できましたかどうか。こんなやり口で、私は地獄行きの憂き目に会うでしょうが、偉大なるダンテのお許しを得て今宵お楽しみいただけましたらお許しください。どうぞ、情々酌量のうえ」>

そう、ほんと落としどころがドラマの筋も音楽もオシャレなんです。
ルネサンス期の新しい風や人物をうまく喜劇という枠で生かしている。
プッチーニの唯一の喜劇は、よく言われるように、晩年でヴェルディが「ファルスタッフ」を生んだように、そこから刺激を受けたとされる。
1時間のドラマのなかに、人間の腹黒さとそれを巧みに利用する狡猾さ、それと若い純粋な恋人たち、それらの人物たちを抱擁する街フィレンツェ、これらを描いてます。
悲劇・秘蹟と続いて、音楽はまるで一転、軽やかで明るい、イタリアの空を感じさせます。
 このおもしろオペラのなかに、きらりと光る暖かな涙と微笑みさそうラウレッタのアリア「わたしのお父さん」。
愛くるしくフレーニによって歌われると、思わず涙ぐんでしまいます。
30代の頃の彼女のプッチーニのアリア集も好んで聴きますが、あの頃の清純そのものの歌とはまた違って、表現の幅が広がり、その豊かな声に包まれるような思いがします。
 出始めのころのアラーニャも輝いてますね、テノールを聴く喜びが味わえます。
そして、レオ・ヌッチの巧みなジャンニ・スキッキには、ときに笑えるし、皮肉も脅しもたっぷりで、その技量のたくましさは、ヌッチのような歌手がいることを日本が知ったスカラ座の来日公演のフィガロ、あのときのイメージそのものでした。
 さてここにもデッカの隠し味が。
解説書に書いてありましたが、亡くなったブオーゾの甥の息子役に、スリオティスの娘(当時少女)が登場してます。
さらに、ベテラン指揮者バルトレッティのアシスタント指揮者として、これまたスリオティスの旦那さん、マルチェロ・グエッリーニがこの録音に参加してます。
 録音プロデューサーのひとりは、クリストファー・レイバーンの名前があり、カルショウなどとともに、デッカのオペラ録音の歴史と流れを感じることができます。

まさにフィレンツェのオーケストラを起用したデッカ。
プッチーニを得意にしたフィレンツェ生まれのバルトレッティの起用も正解だったと思います。
当時、フィレンツェのポストにあったバルトレッティですが、指揮者が中心のオペラ録音でなく歌手主体に組まれた録音でよく起用されて、その職人技と現代的な感覚が、とくにヴェリスモ系で強みを見せていたと思う。
ヴェルディでも、オーケストレーションが独特な「仮面舞踏会」なんかもよかったです。
この3部作の、それぞれの特徴を巧みに描きわけて表出しているし、さりげない歌手の引き立て方も、オペラティックな雰囲気豊かなオーケストラとともに味わい深いものがありました。

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わたしの郷里の自慢は、海と菜の花、そしてその温暖な風土です。

ミレッラ・フレーニが亡くなって1年。

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2020年3月15日 (日)

ヴェルディ ラ・トラヴィアータ スコット

Azumayama-03_20200307145901

 ベタですが、椿。

こちらも冬の吾妻山ではたくさん咲いてます。
なんたって、町の木が椿なのですからして。

Scala-verdi

  ヴェルディ ラ・トラヴィアータ

   ヴィオレッタ:レナータ・スコット
   アルフレード:ジャンニ・ライモンディ
   ジェルモン :エットーレ・バスティアニーニ
   フローラ  :ジュリアーナ・タヴァラッチーニ
   アンニーナ :アルマンダ・ボナート
   ガストン  :フランコ・リチャルディ
   ドビニー侯爵:ヴィルジリオ・カルボナーリ
   医師グランヴィル:シルヴィオ・マイオニカ
   ジュゼッペ :アンジェロ・メルクアーリ
   使者    :ジュゼッペ・モレーシ

  アントニーノ・ヴォットー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                 ミラノ・スカラ座合唱団

        (1962.7.2~7 @ミラノ・スカラ座)

頑張れ!イタリア!

Buona Fortuna!

そして、イタリアの名歌手、レナータ・スコットのヴィオレッタを。

先日、惜しくも亡くなられたフレーニさんの追悼特集のときにも書きましたが、永く聴いてきた往年の歌手たちの最近の動向を、ときおり検索したりして安心したりもしてます。
フレーニの訃報を聞いて、すぐに調べたのがスコットさんだったのです。

1934年サヴォーナの生まれで、2002年に引退はしたもののまだまだご健在。
2月24日にお誕生日をむかえられました。

そう、フレーニは1歳下で、彼女は27日が誕生日で、生まれもモデーナでイタリアの北の方。
レパートリーも似通っていたけれど、ライバルでもなんでもなく、オペラ界にともに君臨した名花であることに変わりはありません。
ふたりの共演盤もあったけれど、いまは廃盤の様子。

現在は、後進の指導にあたっているようで、なんと、今月3月にサヴォーナで日本人若手を招いてのマスタークラスが開催される予定でしたが、きっと中止。
http://nolimusicafestival.blogspot.com/2019/11/masterclass-con-renata-scotto-japan.html?m=0
関係者の皆様には、ほんとうにお気の毒なことです。

イタリアをはじめ、欧米、そして我が国も、ほとんどの演奏会・オペラが休止。

音楽好きからすると、多くの演奏家のことが心配です。
そして、北イタリアにいらっしゃるご高齢のスコットさんに、もしものことがあったらと思うと不安でなりません。

あくまで、ひとりの音楽好きの人間として、世界の音楽家・音楽好きの安全を願って、トラヴィアータを聴きます。

Traviata-1

1973年NHKホールの落成にあわせて上演された、第7期イタリア歌劇団の公演は、「椿姫」「アイーダ」「トスカ」「ファウスト」の4演目でした。
何度も書くことで恐縮ですが、中学生だったこのとき、テレビで全4演目を必死になって観劇しましたし、FM放送も聴きまくりました。
3年後の76年の最後のイタリア歌劇団公演には、ついに実際の舞台に接することができました。(シモンとアドリアーナ)

このときの、ヴィオレッタがスコットで、アルフレードはデビュー2年後の若手カレーラス、ジェルモンには、ベテランのブルスカンティーニという今思えば豪華なものでした。
伝統的な舞台に、華やかな衣装、そしてきらびやかな女性が、一転して悲劇のヒロインとなる。
そんな筋立てを、見事に描きわけたヴェルディの音楽に釘付けとなった中坊でした。
 ともかく、かわいそうなヴィオレッタ。
嫉妬に狂ったアルフレードが、皆の面前で、ヴィオレッタを辱める・・・、もうハラハラしました。
そして、最後は誤解も解けるも、死を覚悟して歌うヴィオレッタに涙した純情なワタクシでした。

Traviata-2

長じて、初老の身となったいま、ヴィオレッタへの同情と憐憫の気持ちは変わらねど、父ジェルモンの身勝手な行動に、腹が立つようになりました。
ついでに世間知らずのぼんぼんの息子ジェルモンにも。
以前も書いたかもしれませんが、このあたりの一工夫が、台本にもあれば、もう少し、人間心理に切り込んだヴェルディならではの音楽が別の姿で生まれたかもしれません。
もちろん、ふんだんすぎる豊富なメロディは耳にも心にもご馳走ではありますが。

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久しぶりに取り出したDGのスカラ座シリーズから。
前奏曲からして、あきらかにオーケストラの音色がヴェルディそのもので、以降もオペラを知り尽くしたオーケストラが、舞台の歌と一緒になって奏でる渾然一体の輝かしい演奏には、それこそ耳が洗われる思いがする。
ヴォットーの温厚だけれど、すべてが順当な指揮も、ここでは安心して聴ける。

若々しいスコットのヴィオレッタ。
同役でデビューした彼女は、まだ28歳の頃の声で、瑞々しさがいっぱい。
聴き手によっては、その張り切りすぎた高音がキツイという意見もありますが、私は、スコットのそんな一生懸命な歌が好きなのです。
レッジェーロからコロラトゥーラの声だったこの時分かと思います。
その最初の全盛期は、このころからあと、数年となりますが、声の変革を多大な努力のもと行い、きっとその過渡期が、日本でのヴィオレッタの舞台だったしょうか。
そして、ドラマティコ、リリコ・スピントの領域へその声も移行し、70年代後半以降、多くの録音を残したことはご存じのとおりです。
このあたり、フレーニの歩みともほぼかぶります。
 20代のスコットのヴィオレッタは、まずその声の美しさが際立ってまして、80年のムーティとの再録音に聴く落ち着きとはまた違う若々しさが魅力です。
そして、例えは稚拙ですが、スコットの声には庶民的な親しみがあるんです。
カラスやテバルディのような、圧倒的な威力と強靭な声と個性などとは大きく異なるその声。
わたしには、フレーニと同じく、ずっと聴いてきた耳に安心感のある声なのです。

そして、DGのこちらのシリーズ最大の聴きもののひとつは、バスティアニーニ。
ジェルモン向きの声ではないかな、とも思いますが、その朗々とした明快な声には痺れざるをえません。
その歌声から風光明媚なプロヴァンスの海と陸が脳裏に浮かんでくるのを感じます。
申し少し、存命だったら、と思わざるをえない。
あと録音の少ないライモンディの素直な声も、まさにアルフレードに相応しく、純正イタリアをここにも聴くことができる思いです。

録音もいまもって新鮮です。
聴き古したオペラだけれど、たまに聴くとほんと感動します。

スコットさん、いつまでもお元気で、心より祈ってます。

Jinchouge

少し前ですが、家の庭には、沈丁花が今年は早くも開いて、かぐわしい香りが。

奥には、ピンクの河津桜。

いい香りに包まれると、不安な気持ちも和らぎます。

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2018年10月20日 (土)

ベルリーニ 「ノルマ」 カバリエを偲んで

大歌手のひとり、モンセラ・カバリエさんが、10月6日になくなりました。
享年85歳。生まれ故郷のバルセロナにて。

引退して久しいが、その全盛期の数々の名唱を聴いてきたわたくしのような世代には、寂しさもひとしおです。

歌手が亡くなるたびに思い、ここで記することですが、指揮者や器楽奏者の場合、現役を全うしつつ亡くなるというケースが多く、突然の悲しみにみまわれる訳ですが、歌手たちの場合は、一線を退いたのち、かなりの年月を経ての訃報を受け取ることが多いので、その喪失感は、耳に馴染んだその歌声とともに、じわじわとくることとなります。

人間の声は、聞く人の脳裏に記憶としてしっかりと刻まれるので、歌手たちの声もそれぞれに、人々の耳に残り続けることとなります。
そんな風に親しんだ声のひとつが、カバリエの声。

Bellini_norma_caballe_1
 ベルリーニ 歌劇「ノルマ」

ノルマ: モンセラ・カバリエ  アダルジーザ:フィオレンツァ・コソット
ポルリオーネ:プラシド・ドミンゴ オロヴェーソ:ルッジェロ・ライモンディ
クロティルデ:エリザベス・ベインブリッジ フラヴィオ:ケネス・コリンズ

 カルロ・フェリーチェ・チラーリオ指揮 ロンドン・フィルハーモニック
                アンブロジアン・オペラ・シンガーズ

             (1972.9 ロンドン、ウォルサムストウ)


ベルカント系のオペラをふだん、まったくといっていいほどに聴かないわたくし。
オペラ聞き始めのころは、なんでも貪欲に聴いたものだから、ベルリーニもドニゼッティもまんべんなく聴いたものですが。

 そして、カバリエの訃報を受けて、まず取りだしたのが「ノルマ」。
美しい旋律と歌にあふれたベルリーニのノルマ。
70年代前半のカバリエの絶頂期をむかえた頃の歌声は、ともかく優しく、美しく、そして、このオペラのアリアのように清らか。
もともと、ドラマテックな声も充分に持っていたカバリエだけど、愛する男を信じる優しい女性から、不実な男と知り、怒りに燃えてゆき変貌してゆく主人公を見ごとに歌っている。
カラスの強烈なまでののめり込み具合はここにはないけれど、カバリエのノルマの方が、普段聴きできる親しみやすさがある。
 そして、この演奏でのさらなる魅力は、コソットとの黄金コンビが聴けること。
コソットのアダルジーザは、同役での最高の歌唱に思います。
水もしたたるような素晴らしい歌声、声のディクションも純正そのもので、まさに本物!
その二人の歌う素敵な二重唱は、すてきなこと、このうえなし。
 ドミンゴの声は若く、輝かしい。
苦手意識はぬぐえないが、カバリエの歌で久々に聴くベルリーニのオペラ、美しいものでした。

そして、思い出のカバリエとコソットの名コンビといえば、これ。
  

Adoriana_2

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」

NHKが招聘した、1976年のイタリア・オペラ団。
このあと、この企画は終了してしまったけれど、その最後に相応しい名舞台だった。
何度も、このブログで自慢してますが、高校生だったワタクシ、この舞台にくぎ付けとなりました。
カバリエとコソットの、ひとりの男(若かったカレーラス)をめぐる、恋のさや当て。
お互いに、その素性を隠しながら、はじめは静かなやりとりが、だんだんと激昂してゆくさまが、ほんと、手に汗ものでした。
こんな、おっかない女性たちの板挟みになる小柄なカレーラスが、ほんと気の毒に思えたのでした。

Adoriana_1

思い出のすみれの花を送り返され、哀しみに暮れるアドリアーナ。
この儚く美しいアリアを、カバリエは、あの絶妙のピアニシモでもって歌い、巨大なNHKホールの隅々に、耳を澄ます人々の耳に、響かせたのでした。
このあと、駆けつけたカレーラスのマウリツィオと、ドラーツィのミショネ、この3人によるセンチメンタルな幕切れに、わたくしは落涙したのです。
いまでも、忘れられない。

Tosca_davis

  プッチーニ 「トスカ} 

そして、「トスカ」のカバリエも思い出深い。
アドリアーナを聴いたその年、同じくカレーラスとの共演に、イタリアオペラに初登場のコリン・デイヴィスの指揮によるレコード。

これがまた、フィリップス録音の奥行き豊かな素晴らしい録音とともに、シンフォニックな、かっちりした「トスカ」だった。
ドラマティコとしての、存在感を、その前の「アイーダ」での歌唱で、普遍的にしたカバリエのスケール豊かで、かつ、絶妙の音域の上下を、オペラの歌唱に導入した見事な歌。

カラス&プレートルと並ぶ、「トスカ」の本流とも呼べるCDのひとつと、自分では思ってます。

 わたくしが、カバリエのアドリアーナを体験する前年。

カラスが、ステファーノとコンビを組んで、日本で限定復活という「トスカ」上演計画がありました。

残念ながら、ほんとの直前で、カラスはキャンセルし、その代役の白羽は、カバリエにあたりました。
横浜の県民ホールでの上演で、NHKは、FMで生放送。
わたくしは、必死にカセットでエアチェック。
ピアノ伴奏もする、ヴェントーラというピアニスト兼指揮者と、新日フィルのバック。
このオケは、あまり冴えないものでしたが、そこそこの年齢に達してたステファーノのいまだに最高水準のカヴァラドッシは驚きだった。
それ以上に、例の弱音から、強い声まで、振幅の幅の大きい素晴らしい歌唱。
「恋に生き、歌に生き」のアリアでは、またも県民ホールを、ソットヴォーチェで満たしたのでした。

Aida_muti

 ヴェルディ 「アイーダ」

これが、実はカバリエの初レコード。
若獅子と呼ばれたムーティのデビュー間もないころの1974年の録音で、アバドがスカラ座で取り上げたそのキャストを、アイーダ役以外そのまま使って録音したことで、EMIに怒りを覚えたけれど、そんな思いは、この鮮烈なレコードを聴いて吹っ飛んだ。
 「わが故郷」では、また絶妙のピアニシモが。
んでもって、アイーダとアムネリスの対決は、ここでもコソットとの最高コンビでした。
ドミンゴもピカピカしてますし、カプッチルリにギャウロウ、ローニと超豪華な布陣です。

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 ヴェルディ 「群盗」

ドラマは、むちゃくちゃだけど、ヴェルディ初期~中期の歌の宝庫のようなオペラ。
ガルデッリによるヴェルディの初期シリーズにも、カバリエは登場して、その鮮度の高い声を聴かせてました。


Mehta_nypo_ring

ワーグナーもあり。
正規音源では、メータとニューヨークフィルと、あとロンバールともアリア集を録音しています。
この音源は、一部未入手なのですが、メータのリング抜粋に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」が挿入されてまして、ドイツ系の歌手にない、サラっとしたクセの一切ない歌唱は、新鮮ではありましたが、耳当たりばかりが良すぎて、あまり残るものもなかったのも事実でした。
イゾルデを歌った若い頃の音源を目にしたことがあります。
予想される内容ですが、全曲なら一度聴いてみたいです。

Salome_caballe

 R・シュトラウス 「サロメ」

1968年の録音。
若い頃は、ドイツ物をかなり歌っていて、なかでもシュトラウスは、マルシャリンやアラベラなど、各タイトルロールを演じていました。
そんなシュトラウスへの適性を感じさせるこの「サロメ」。
少女であるサロメが、ヨカナーンを知ることで、怪しい女に変貌していく、そんなシュトラウスの狙いを、このカバリエの歌唱は見事に歌いだしていると思う。
ともかくキレイで、後に怪しい。
マッチョのミルンズのヨカナーンに、バリッとしたキングのナラボートも面白い。

Caballe_bernstein

シュトラウスを録音したバーンスタインとのワンショット。

フランス国立管との、サロメと歌曲。
このDGの1枚もカバリエらしい美しい1枚。
そして生き生きとしたバーンスタインの指揮に、フランスのオケの明るさも。

Strauss_caballe

     R・シュトラウス  4つの最後の歌

   アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー

1977年頃の録音。
ロンバールとは、このほか、タンホイザーとトリスタンの一部を録音している。
多分にムーディに聴こえるカバリエのシュトラウスだけれど、言葉への思いは、そこそこに、シュトラウスの音符をこれほどまでに美しく歌い上げた歌唱は少ない。

カバリエの美声を聴くのに相応しい音楽、そしてその逝去を偲ぶにこの美しい音楽は相応しい。

わが若き日々に、オペラの奥行き深い楽しみを教えてくれたカバリエさんの数々の歌声。

カバリエさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2018年9月 8日 (土)

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 ピド指揮

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9月第一週は、大型台風の襲来による四国・関西地区での被害に加え、北海道では、胆振地方での大きな地震。
さらには、いずれも停電をともなう、インフラ損傷の2次被害。

心よりお見舞い申し上げます。

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     チレーア 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」

     アドリアーナ・ルクヴルール:アンナ・ネトレプコ
     ザクセン公マウリツィオ:ピョートル・ベチャーラ
     ブイヨン公妃 :エレナ・ツィトコーワ
     ミショネ    :ローベルト・フロンターリ
     ジャズイユ僧院長:ラウル・ジメネス
     キノー     :ライアン・スピード・グリーン
     家令      :パーヴェル・コルガティン
     ジュヴノ    :ブリオニー・ドゥイエル
     アンジュヴィル:ミリアン・アルバノ
     
   エヴェリーノ・ピド 指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
               
              演出:デイヴィット・マクヴィカー

            (2017.11.12 ウィーン国立歌劇場)


以前に、BBCで放送されたものを録音しました。
ウィーン国立歌劇場における「アドリアーナ・ルクヴルール」の公演の音源。
コヴェントガーデンを初め、リセウ、パリ、サン・フランシスコの各オペラカンパニーとの共同制作。
こんな輪に、新国も入れればいいなぁ、とも思うが、東洋の島国だと、装置の融通などがコスト的に厳しいんだろうな・・。

さて、あらゆるオペラのなかで、かなり好きな作品にはいる、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
何度も書いてますが、1976年のNHKの招聘していたイタリア・オペラ団の演目のなかのひとつが、このオペラでした。
カバリエ、コソット、カレーラスという名歌手3人が、それこそ火花を散らすような歌と演技でもって日本のオペラファンを虜にしてしまった。
広いNHKホールで、その興奮にひたっていたひとりが、この私でもあります。

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 ヴェルディ(1813~1901) 

  ・ボイート      (1842~1918)
  ・カタラーニ    (1854~1893)
  ・レオンカヴァルロ(1857~1919)
  ・プッチーニ    (1858~1924)
  ・フランケッティ  (1860~1942)
  ・マスカーニ    (1863~1945)
  ・チレーア     (1866~1950)
  ・ジョルダーノ   (1867~1948)
  ・モンテメッツィ  (1875~1952)
  ・アルファーノ   (1875~1954)
  ・レスピーギ    (1879~1936)

ヴェルデイ以降の、イタリア・オペラの作曲家。
プッチーニの存在感が図抜けているものの、その他の作曲家の個々の作品には、聴くべきものがそれぞれにあります。
一様に、ヴェリスモ・オペラとひとくくりに出来ない、激情的なドラマと音楽ばかりではありません。
そんな中での愛すべき作品が、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
そして、作曲家としての、チレーアは、これらヴェリスモ派のなかでは、もっとも抒情的で、穏健な作風を持っています。

チレーアの残されたオペラは、5作品。
「ジーナ」「ラ・チルダ」「アルルの女」「アドリアーナ・ルクヴルール」「グローリア」。
チルダ以外は音源入手済みですが、「ジーナ」は若書き風で、ちょっとイマイチ、「グロリア」は、なかなかですが、リブレットがイタリア語のみで、内容把握がまだまだ。
あとは、器楽曲、声楽曲が少々。

イタリアの長靴の先っぽのほうにある、カラブリア州のパルミ生まれ。
そう、南イタリアの体中に歌にあふれたような人なのだ。
ナポリの音楽院を優秀な成績で出て、作曲家としてイタリア全土に名をはせたのが、アルルの女とアドリアーナ。
一時、フィレンツェで教鞭を執るも、最後の教職をナポリで終え、その生涯は、今度はイタリアの北西、ジェノヴァの西側にある美しい街、ヴァラッツェで亡くなっている。

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1902年の作曲で、その頃には、プッチーニは、「トスカ」で大成功をおさめ、次の「蝶々さん」を準備中。ちなみに、「カヴァレリア」は12年前、「パリアッチ」は10年前。
マーラーは、5番の交響曲を作曲、R・シュトラウスは、初期オペラ「火の欠乏」を仕上げたあとで、大半のオーケストラ曲は作曲済み。

こんな時代背景を頭に置いて聞くのも大切。
どの作曲家も華麗なオーケストレーションと、大胆な和声に、その筆の業を繰り出していた。
そこへいくと、チレーアの音楽はおとなしく感じるが、主人公たちにライトモティーフを与え、それらが、歓び、哀しみ、怒りの感情とともに、巧みに変化していくさまは、登場人物たちの心情の綾を、デリケートに描いていてすばらしい。
 さらに、グランドオペラ的な側面も、劇中劇としてのバレエ音楽の挿入などで、華やかな一面も。
しかし、そのバレエ音楽は、バロック調の新古典的な音楽で、これまたチレーアの音楽の冴えた一面だ。

 あと、なんといっても、4人の主人公たちに、短いながらもふんだんに与えられたアリアのメロディアスかつセンチメンタルなこと。

ことに、わたくしは、陰りをおびた、マウリツィオのアリアがみんな好き。
ひとりの女性への愛と、祖国への愛、ふたりの女性のはざまで、悩む軍人でもある男。
ピカピカしたテノールより、少々疲れた焦燥感がある声で歌われることが相応しい。
まさに、カレーラスのイメージ。

アドリアーナは、まさに大女優然としたプリマドンナの役柄。
堂々たるグランドマナーが必要、でも、繊細な歌いまわしも最後には求められる難役。
目をつぶって聴くカバリエの歌声が最高だし、テバルディもすばらしいが立派すぎか。
ラストシーンは、儚く、哀しい・・・



ブイヨン公妃は、このオペラでは、ちょっと憎まれ役だし、意地悪で、最後の最後のはひどいことしやがる。
そんな女だけど、愛するマウリツィオ様には健気で、いじらしい。
そんな可愛い側面と、何が何でも、自分のものと、荒れ狂う嫉妬の鬼と化す二面が必要。
これまた、コソットが思い出だ。
実際に見聞きした、カバリエとコソットの恋のさや当ては、鳥肌ものだった!

あと何気に、同調できるのがミショネ。
黙って、哀しみの背中を歌いださなくてならない、いいひとバリトンの役柄。
これまた、NHKのドラーツィが味のある歌に演技だった。
普段は剛毅なバリトン役を歌う、ミルンズもすごくいい。

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今回聴いた、ウィーンのライブ。
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4人の歌手がよくそろっていて、しかもビジュアル的に、もきっとよかったに違いない。
全体に、ふくよかになり、声も重く、最近では、ある意味、鈍重にも聴こえるネトレプコ。
彼女の場合は、映像がないと映えないのが残念なところだが、舞台で朗読を聴かせつつ、それがだんだんと、熱を帯びてきて、超激熱な叫びの歌に転じてゆくところの迫真ののめり込み具合が実にすさまじく、さすがネトレプコと感心した。
前半は繊細さをもう少し望みたいところだが、終幕の「スミレ」のアリアから、死へ向かうところも、まさにお得意の薄幸の女を地で演じ、歌っていて、とても感動的だ。

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相方の、ベチャーラ。これが、私にはとてもよかった。
この歌手のここ数年の進境の著しさといったらない、知らなかった自分を悔いるくらいだ。
この夏のバイロイトの「ローエングリン」で関心したのも記憶に新しい。
もともと、リリックな声に、力強さが加わり、喉を突き抜けるような力のある高音が出るようになった。
そして、品のある声質もいい。
わたしの理想とする、カレーラスに迫るようなイメージの、ベチャーラのマウリツィオ。

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あと、実は今回の歌手の中で、一番驚いたのが、ツィトコーワのブイヨン公妃。
なんとクリアーな、メゾソプラノの音域の歌手だろう。
声の威力も申し分なし。
強い声も、これまでのメゾソプラノが演じてきた、ブイヨン公妃の名歌唱とひけをとらないし、そんな強い歌唱とともに、女性的な優しさや、揺れ動く感情も歌いだしている。
 あー、素敵だ、と思いつつ、途中で気が付いた。
彼女の名前が、しばらくぶりで聴く、あのツィトコーワたん、だったこと。
 小柄なロシア出身のメゾ。
その小柄で金髪の可愛い風貌にもこだわらす、その声は、声量と声の上下の幅が極めて豊かな、ビジュアルも好感度以上の歌手だ。
新国で、オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを聴いて、その所作のカワユサに、虜になっていたんだ。
その彼女が、憎々し気な適役を、まさに的確に演じ歌っている。
音域の広いこの役柄を完璧に歌ってますし、どうしようもない心の葛藤も、その一本気な歌から聴き取ることもできます。
ほんと、すてきな、ツィトコーワ。

その彼女のインタビュー。

歌手として、音楽家としての風格や、いい雰囲気が出るようになりました。

ロシア、マリンスキー系の歌手たちの躍進が続いているように思います。

日本にも帰ってきて欲しいですね。

この演奏、ウィーンフィルのメンバーも大半の、国立歌劇場の美音をつかさどる、イタリアオペラの歌心満載の実務的なピドの指揮も、オケの柔らかな音色の魅力も伴って最高にステキです。

正規音源も数々聴いてますが、あと印象にのこるのが、80年代のJ・パタネの指揮する、バイエルンのシュターツオーパーのFM録音音源。
M・プライスのクリアーなアドリアーナ、N・シコフの壊れそうなぐらいの情熱の塊のマウリツィオ。

「アドリアーナ・ルクヴルール」が大好きです。

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2018年6月26日 (火)

「スカラ座のアバド」 ヴェルディ・オペラ合唱曲集 アバド指揮

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 6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生の日。

1933年ミラノ生まれ。

父も兄も、ミラノ・ヴェルディ音楽院の院長を務める名門の出自で、幼くして指揮者を夢見たナイーブな少年は、長じて、なるべくしてスカラ座の指揮者となりました。

ちなみに、兄マルチェロの息子、ロベルトも指揮者で、そのお顔も指揮姿も叔父クラウディオにそっくり。
クラウディオの息子ダニエーレは演出家で、生前、「魔笛」にて親子共演を果たしてます。

アバドの誕生日に、録音上のアバド&スカラ座の原点の1枚を聴きます。

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  ヴェルディ オペラ合唱曲集

 「ナブッコ」~祭りの飾りを
         行け、我が思いよ、金色の翼に乗って

 「トロヴァトーレ」~アンヴィル・コーラス

 「オテロ」~喜びの炎を

 「エルナーニ」~謀反人たちの合唱

 「アイーダ」~凱旋の合唱

 「マクベス」~しいたげられた祖国

 「十字軍のロンバルディア人」~エルサレムへ、エルサレムへ
                     おお、主よ、ふるさとの家々を

 「ドン・カルロ」~ここに明けた、輝かしき喜びの日が

    クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                  (1974.11 ミラノ)


当ブログでは、この音盤について記事にするのは2度目。

アバドの誕生日に、何を聴こうか考えたときに、レコード時代、一番頻繁に聴いたものは何かなと考えたときに、この1枚がそれだった。

ちなみに、聴いた頻度の高いものを列挙すると、あとは、ウィーンでの悲愴、ベルリンとの1回目のブラームス2番、春の祭典、ショパンのピアノ協奏曲1番、ボストンとのスクリャービンとチャイコフスキー・・・・、こんな感じで、CDより、レコードの方が多く聴いてる。
すなわち、レコードが高価なものだったから、そうたくさん買えなかったし、買うならアバドだったから、こんな風になる。

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1968年にスカラ座の音楽監督に就任したアバド。
アバドのファンになってから、イタリアでのアバドの活動は、レコ芸の海外レポートを通じてしか知ることができなくて、ロンドン響とのロッシーニしかなかったオペラ録音に、いつ、スカラ座とヴェルディをやってくれるのか、それこそ首を長くして待ち望んだ、そんな高校生でした。
そこに登場したのが、この合唱曲集。
オペラ全曲盤ではないが、アバド&スカラ座のヴェルディへの渇望を満たすには充分すぎるほどの1枚で、私は喜々として、日々この1枚を何度も何度もターンテーブルの上に乗せたものです。

オペラ録音の主役はコストの関係もあって、ロンドンが中心となっていたなかでの本場イタリアの純正ヴェルディサウンド。
60年代初頭から毎年続いたDGへのスカラ座の録音も、65年のカラヤンとのカヴァ・パリ以来途絶えていただけに、74年のこの録音は、スカラ座としても久々のレコードとなり、楽員も合唱団も、気合十分。

そんなはちきれんばかりの意欲的な音が、冒頭のナブッコから満載。
みなぎる迫力と、輝かしいばかりの明るさと煌めき。
貧弱なレコード再生装置から、こんな音たちが、滔々とあふれ出してきたのです。
いまでも、あの高揚感をよく覚えてますよ。

いま聴いても、その想いは同じ。
ことに、男声合唱の力強さと、女声も含めた、声の明瞭さは、スカラ座合唱団ならではのもの。
オーケストラの精度も高く、アバドの統率のもと、一糸乱れぬアンサンブルであり、ほんのちょっとしたフレーズでも、雰囲気豊かで、アバドの指揮ゆえに、歌心もたっぷり。
オケも合唱も、ピアノ・ピアニシモの美しさは耳のご馳走でもある。

アバドは、マーラーを通じ、その音楽の高みを晩年には、自在さと透明感の頂点に持っていったけれども、一方で、ヴェルディの演奏を聴くと、生来のアバドの根源のひとつをも感じ取らせてくれるように思います。
 アバドのスカラ座との関係は、1986年に終止符を打ってしまいましたが、スカラ座からすると、ムソルグスキーやベルクばっかりに偏重する音楽監督は、芸術性の高さとは別に、大衆受けからは遠く、アバドからしたら、より自分の好きな作品を上演したいし、マーラーを主体としたシンフォニー作品をより探求したかったから、やむを得ない結末だったかもしれません。
 しかし、ファンとすると、こんなに素晴らしいヴェルディ演奏、このあと数年にわたり録音されたものを今もって聴くと、本当に残念なコンビの解消だと思います。
いまは残された、アバド&スカラ座のヴェルディに、ヴェルディ演奏の本物の神髄を味わうことができることに感謝しなくてはなりませんね。

心からありがとうございます、マエストロ・アバド。

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CDでは、オペラ全曲盤からのものを含めた1枚が出ておりますが、それらは素晴らしい演奏ながら、全曲録音からの切り抜き。
本来のオリジナル盤の方が求心力高いです!

アイーダで、凱旋行進曲のトランペットが、右と左で、しっかり分かれて録音されているのも、この時代ならでは。
そんなシーンでも興奮しまくりの、若きわたくしでした♪

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2018年5月27日 (日)

ヴェルディ 「リゴレット」 ボニング指揮

Azuma

つつじがまだ咲いていた頃の吾妻山より。

今年の桜は早かったけど、つつじも早かった。

でも色が濃くて、美しかった今年のつつじ。

今日は、日曜日、天気も上々、暑いし、そうだ、ヴェルディ聴こう!

Rigoletto

 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

    マントヴァ公:ルチアーノ・パヴァロッティ  リゴレット:シェリル・ミルンズ
  ジルダ:ジョン・サザーランド         スパラフチレ:マッティ・タルヴェラ
  マッダレーナ:ユゲット・トゥランジョー   モンテローネ伯爵:クリフォート・グラント
  チェプラーノ伯爵:ジョン・ギッブス     チェプラーノ夫人:キリ・テ・カナワ
  マルロ:クリスティアン・ドゥ・プレシス   ボルサ:リッカルド・カッシネッリ
  ジョヴァンナ:ジョセフィッテ・クレメンテ 

    リチャード・ボニング 指揮 ロンドン交響楽団
                     アンブロージアン・オペラ・コーラス
                                       合唱指揮:ジョン・マッカーシー

                (1971.6 @キングスウェイホール、ロンドン)


ヴェルディ17作目のオペラ。
よりドラマに劇性を織り込み、愛国心一辺倒から、人間の心情により切り込むようになった中期の作品。
このあと、トロヴァトーレ、ラ・トラヴィアータ、シチリアの晩鐘、シモン・ボッカネグラ、仮面舞踏会、運命の力・・・・と続いてゆく。
このあたりから以降が、いまも一番上演され、聴かれているヴェルディのオペラです。
1861年、フェニーチェ劇場で初演。

ヴィクトル・ユーゴーの「王は楽しむ」が原作。
有名な話だけれど、モーツァルトとダ・ポンテがフィガロの結婚で、貴族の身勝手をチクリと刺したように、ヴェルディは、上演禁止をくらっているユーゴーの戯曲に着目した。
ただ、それは王の横暴よりは、醜く、毒舌の道化師と、その美しい娘、その父娘の清らかな愛とその悲劇に着目したわけだ。

場所や立場は変えたものの、ヴェルディの描き出した愛憎あふれるドラマに付した音楽は素晴らしい。
公爵への愛を愛を諦めず、疑わないジルダに、娘の目を覚ますために、公爵がマッダレーナを誘惑する姿を見せつけ、悲しむ娘に復讐を誓うリゴレット。
この高名な四重唱の、役柄それぞれの異なる心情を、あの軽やかともいえるメロディにのせたヴェルデイ、ほんとにすごいと思う。

 でも、娘ジルダの優しさと深い愛は、さらに高次元だった。
急転直下のラストシーンに、呪いの恐怖と、なによりも娘を失い、ひとりとなったリゴレットの悲劇が浮き上がる仕組み。

極めてよくできたオペラだと思います。

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でも、懲りない女好きにすぎるマントヴァ公には困ったもので、観る側にとって、感情移入のしにくい役柄だ。
しかし、全盛期のパヴァロッティの朗らかかつ、あっけらかんとした美声と危なげない歌声を聴いちゃうと、憎めなくなる(笑)
この録音のあった1971年に、パヴァロッティは、NHKのイタリアオペラ団で来日し、マントヴァ公を歌っていて、私もテレビで見た記憶がうっすらとある。
この時の指揮は、マタチッチ。
マタチッチは、同時に、トゥーランドットも指揮していたので、これらのライブとか復活しないものだろうか。

あと、今日の音源で、実は一番好きなのが、ミルンズのリゴレット。
マッチョで、ヒロイックなミルンズの声が大好きで、さらに心情の襞の濃いカプッチッルリとともに、リゴレット役としてはすぐれたものの一つと思う。
意気軒高だった前半、しかし、娘をかどわかされ怒りを爆発させつつ涙を誘う、このあたりのドラマテックなミルンズはことに素晴らしく、すべてを失う悲劇に満ちた最後もいい。

サザーランドの美声も久々に聴くと新鮮なもんだ。
ときに機械のようで不感症チックに感じるときもあったが、そうでばかりでもないのかな、サザーランド。
ベルカント系が苦手だから、あまり聴いてこなかった歌手のひとりだ。

タルヴェラの美声のスパラフチレもいいし、今年、亡くなってしまったカナダのマッダレーナのトゥランジョー、いろんなオペラ録音にその名をみることが多かった。

思えば、主要なこの盤の歌手は、もうみな物故してしまった。
ミルンズは83歳で、まだ健在。
ロンドン響から、オペラティックな雰囲気の音を引き出しているボニングも、88歳ながら健在。

個性豊かな往年の歌手たちの時代、よかったぁ~

今は映像主体だし、劇場からも遠のいているから、最近の歌手たちを覚えきれないし、ロシア系やバルト系などの振興もあって、よけいにその名前をおぼられない焦燥の思いをいだいてます・・・・

久々の、休日のヴェルデイ。
気分がよかった。

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新緑が眩しい。

梅雨の足音も近い。

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2018年5月 4日 (金)

序曲、前奏曲、間奏曲 スカラ座 シャイー指揮

Azumayama

連休前半の吾妻山よりの眺望。

相模湾に、箱根連山、そして富士。
そして被写体には入りきれないけれど、左は真鶴岬に奥は伊豆半島、右は丹沢に大山。

見通しよくて、青空もスッキリ☀

Chailly

   イタリアオペラ 序曲、前奏曲、間奏曲


ヴェルデイ     「一日だけの王様」序曲
ヴェルディ     「十字軍のロンバルディア人」第3幕への前奏曲
カタラーニ     「ラ・ワリー」第3幕への前奏曲
ロッシーニ     「試金石」序曲
ドニゼッティ    「パリのウーゴ伯爵」序曲   
ベルリーニ     「ノルマ」序曲
ジョルダーノ    「シベリア」第2幕への前奏曲
プッチーニ     「蝶々夫人」第2幕 間奏曲
プッチーニ     「エドガー」第4幕への前奏曲
ポンキエッリ    「ラ・ジョコンダ」 時の踊り
レオンカヴァッロ 「道化師」 間奏曲
レオンカヴァッロ 「メディチ家の人々」 前奏曲、第3幕前奏曲
ボイート      「メフィストフェーレ」 プロローグへの前奏曲


    リッカルド・シャイー指揮 スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

                (2016.6 @アルチンボルディ劇場、ミラノ)


ミラノ生まれのリッカルド・シャイーが2017年より、スカラ座の音楽監督に就任。
その出自からも、スカラ座のポストに就くことは、いずれ予想はされていたこと。
アバドの元で、スカラ座で修行し、そこから羽ばたいていったシャイー。
そのポストも、いずれも腰掛けでなく、長く留まり、録音もふくめ、一定の成果をあげ、また次のポストに移動するといった優等生的パターン。

1982~89年 ベルリン放送響
1983~93年 ボローニャ歌劇場
1988~04年 ロイヤル・コンセルトヘボウ
1999~05年 ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響
2005~16年 ライプチヒ・ゲヴァントハウス
2005~08年 ライプチヒ歌劇場
2016~     ルツェルン祝祭管
2017~     ミラノ・スカラ座

こんな感じのステッアップぶり。
デビューしたての頃、ベルリン放送響の時代は、イタリア出身の指揮者らしく、歌心も在り、爽快、明快、熱烈かつ緻密といった音楽に、いつもときめきを覚えて、シャイーをかなり聴いたもんだ。
 しかし、コンセルトヘボウの時代から、?と思い出した。
ハイティンクの時代にあった、あのふくよかなRCOサウンドが聴こえなくなった。
ゲヴァントハウスでも、ドイツの古豪のイメージを吹き消してしまった。
知的かつ合理的な音楽解釈は、見事でもありながら、面白みもなかったりする。
いつもセカセカしていて、素通りされてしまうイメージで、その姿がつかみにくい。。
などなどの不満を持つようになって久しい。

そんなシャイーも65歳。
アバドの跡を追うようにして、ルツェルンとスカラ座へ。
ルツェルンとのシュトラウスは聴いたけれど、ちょいと肩透かし。
でもさすがに、音楽の仕上がりのよさは抜群だった。
 そして、スカラ座就任記念の1枚は、イタリア・オペラの名作曲家たちの、ちょっと渋めの序曲・間奏曲集。
そう、こういの、わたくし、大好物なんですよーー

ベルリン放送響とのプッチーニ作品集を、いまもってシャイーの代表盤と思うわたくし、この1枚に、シャイーの並々ならぬスカラ座就任への意欲を感じました。
シャイーは、こういうのが一番いいし、彼のスタイリッシュなスタイルが、大仰にならずに、イタリアオペラの歌心をさらりと表出していて、とても爽やかなんだ。
 いずれのオペラも、スカラ座で演奏された演目ばかりを選曲。
ロッシーニからジョルダーノまで、必ずしも時代順で並んではいないが、19世紀のほぼ100年のイタリアオペラの作曲家のオーケストラ技法の一端を一望にして垣間見ることができる好企画でもあるんだ。
 弾むようなロッシーニに、思いのほかシンフォニックなドニゼッティやベルリーニ。
滴るようなヴァイオリンソロが聴かれるヴェルディのロンバルディア。
なかなかに、おどろおどろしい、そしてかっこいい、ボイート。
抒情的で、思わずキュンとなってしまうステキなプッチーニ。
わーーい、時の踊りに、小躍りしたくなる、スカラ座オケ、うめぇーもんだ!!
ジョルダーノやレオンカヴァッロのオペラは、もっと聴かれていいぞと思わせる、シベリアとメディチ。どちらも全曲盤を持ってます、いま聴き込み中。
そういえば、マスカーニやアルファーノ、モンテメッツィ、チレーアはないのね。

繰り返しますが、シャイーはこういうのが得意。
見知らぬオペラをイタリアものばかりでなく、もっと掘り起こして欲しい。

あと、シャイーのオペラの課題は、モーツァルトに、ワーグナーとシュトラウスでしょうな。
オペラに専念いただき、オケプロは、しばらく卒業ということで。
なんてこと書いたらシャイー・ファンに怒られそうだけど、シャイーのオペラが好きだからなんですよ。
 そう、あとその音楽性は、ティーレマンあたりと真反対かもです。

それから、そうそう、スカラ座は、バレンボイム以外は、ずっとイタリア人指揮者だったから、ムーティ以降12年ぶりのイタリア人音楽監督なんですね。
トスカニーニ18年、デ・サバータ24年、アバド18年、ムーティ19年、いずれも長いです。
シャイーにも長く務めていただき、スカラ座の黄金期をまた作り上げて欲しいと心より思います。


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望遠鏡から富士山頂をパシャリ。

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2017年9月30日 (土)

フラヴィアーノ・ラボー イタリアン・テノール

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9月23日、お彼岸の東京タワー。

ブルーです。

で、どこか、テノールな気分。

往年のテノール聴きました、そして、クールに熱くなりました。


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なんだかなぁ、すぎるジャケットで、いろんなものに見えてくる・・・
お口直しに、別バージョンを拾いました。
Labo

    ヴェルディ    「運命の力」

  ポンキエッリ  「ラ・ジョコンダ」

  プッチーニ   「ラ・ボエーム」 「トスカ」 「トゥーランドット」

  ジョルダーノ  「フェドーラ」

       T:フラヴィアーノ・ラボー

 フェルナンド・プレヴィターリ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                             (1954 ローマ)


フラヴィアーノ・ラボーの名を知る方は、だいたい、私より上の世代ぐらいでしょうか。
NHKが招聘した「イタリア・オペラ団」は、1956年より1976年まで、8回にわたって来日し、日本に本物のオペラを根付かせる原動力ともなった。
伝説級の公演の数々。

私が記憶にあるのは、1971年の第6次のものからで、そのあと73年は、NHKホールのこけら落とし、さらに76年は、実際にその舞台に立ち会うことができた。
その71年に、カラフ。73年に、カヴァラドッシとラダメスを歌ったのが、ラボーでありました。

小柄で、おっさん体系だけれども、その声は野暮ったさの一切ないスマートで洗練されたもので、かつ、力強さと輝かしさにもかけてはいない。
ベルゴンツィや、後輩のカレーラス系の声のイメージといえばよいかな。

正規録音としては、DGのスカラ座の「ドン・カルロ」ぐらいしか、ちゃんとしたものでは出ていなかったので、このアリア集の復活はとてもうれしい思いをしました。

モノラルながら、実に明晰な録音で、ラボーの素晴らしい歌声を楽しむことができます。

ラボーは、1927年生まれ、ロマーニャ州ピアチェンツァ県の出身で、イタリアでもどちらかというと、北西に位置する場所。
イタリアの北と南、その気質も大きく異なる。
そんなことも思いながら、イタリアの地図を眺めたりしながらラボーの声を聴くのも楽しい。
1991年に、交通事故で亡くなった新聞報道を見たときは、ちょっと驚き、寂しい思いをしたものだ。

73年の「トスカ」は、テレビを通じて何度も観劇しました。
赤いドレスの美しいカヴァイヴァンスカのトスカと、小柄なおじさん、ラボーのカヴァラドッシは、伝統的で、ゴージャスな舞台と演出とともに、ほぼ初「トスカ」だった自分のトスカ体験の刷り込みとなりました。

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ラスト、ローマの早朝の朝焼けのなかの処刑シーンでは、その空の色の美しさも、これまた刷り込み。
この頃に出た、メータ盤のジャケットが、たぶん、この舞台のものだったはずで、レコ芸にその盤の書評を書いていた桜井センリさんが、体験されたローマの朝のことに触れていて、私も、まだ見ぬローマのことを憧れでもって想像したものだ。

Tosca_3

懐かしい思い出ばかりのフラヴィアーノ・ラボーの歌声。

最近は、ワーグナーとシュトラウス中心のドイツ・オペラぐらいしか、新しい演奏は聴かないので、イタリアものの最近の歌手は、名前すらわからなくなってしまった・・・。
古いのしか知らない、聴かないイタリア・オペラなのでした。

 ヴェルディは、ここでは、ドン・アルヴァーロのアリア1曲だけだが、この耳洗われるような正統歌唱に、居住まいを正したくなる想いがする。
残りのプッチーニにも、涙が出そうなくらいに、こころが熱くなった・・・・

どれ、爽やかなイタリア産の白ワインでも開けて、もう一度聴こう。

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