カテゴリー「イタリアオペラ」の記事

2017年1月 1日 (日)

ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」から

2017

「お世話になりました」の、大晦日から1日経つと、「おめでとう」の応酬となる、これほどに時間の経過が鮮やかな二日間ってない。

仕事もでもそう、毎日、顔を突き合わせてるのに、数日合わないだけで、「よいお年を」、「おめでとうございます」、のやりとりが日本中で交わされる。

世界の国々では、どうなってるんでしょうね。

節目、折り目を大切にする日本、四季もくっきりしていて、それぞれに催しが地域ごとにある。
宗教にも寛大で、八百万神に囲まれてる。

そんな日本の風習に、自分も思いきり浸ってま~す。

だらだらと導入部。

そして、おめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。

ペースは鈍りますが、ブログは、2017年、ゆるゆると再開です。

新年初回は、今年のアニヴァーサリー作曲家、生誕150年のジョルダーノのオペラから。

大物アニヴァーサリーはいない今年、わたくしには、ジョルダーノかな。

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  ジョルダーノ 「アンドレア・シェニエ」から アリア

   アンドレア・シェニエ:マリオ・デル・モナコ

   マッダレーナ:レナータ・テバルディ

   ジェラール:エットーレ・バスティアニーニ

 ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                            (1959.6 @ローマ)


ジョルダーノ(1867~1948)の代表作「アンドレア・シェニエ」。

プッチーニのひとまわりあとの世代だが、イタリアのヴェリスモ作曲家として、マスカーニやレオンカヴァッロ、チレーア、アルファーノと並ぶ存在。

プッチーニとの共作で多くの名作を産んだ、イルリーカの台本に基づく。

フランス革命時のパリを舞台に、理想と信念とに燃える詩人アンドレア・シェニエと、貴族の令嬢マッダレーナとの熱い愛、そして、そこに横恋慕しつつも悩む、令嬢家の召使いから、革命に身を投じ、革命政権の高官となるジェラールとの、まるでトスカのような3人の絡み合いのオペラ。
アリアがふんだんに盛りこめられ、ソプラノ・テノール・バリトンという3役が主要人物をなしている。
しかし、全曲に出ずっぱりで、歌いどころ、演じどころも多いのが、タイトルロールのアンドレア・シェニエのテノール。
愛にも、国を思う愛国心にも、そして詩作にも一途に一本義なシェニエ役は、ドラマティックなテノールが必要。
歴代の名テノールが録音してます。

今朝は、3人のアリアを抜き出して聴いてみました。

 アンドレア・シェニエ  「ある日、青空をながめて」

 ジェラール        「国を裏切るもの」              

 マッダレーナ       「わたしの死んだ母」

 アンドレア・シェニエ  「五月の美しい日のように」


シェニエのふたつの情熱的なアリアは、まったくもって素晴らしくて、テノールの声を持っていたなら、絶対に歌いたい。
自然を賛美しながら貴族の前で歌う「ある日、青空をながめて」は、やがて、暴政と市井の民の貧しい生活を見ようとしない貴族への批判に転じる。

同様に情熱的なジェラールのクレドともいうべき熱い心情吐露は、祖国を愛すがいまや、暴力に訴える身の上となってしまった自嘲と、マッダレーナへの愛を歌う。
このアリアも大すきで、これは車のなかで歌ったりてしまう。

かたや革命によって家は没落、母も亡くなり、極貧に耐えるマッダレーナの切々としたアリア。愛するシェニエが捕らえられ、彼を救ってくれるのなら、わが身を捧げましょうと、ジェラールに向けて歌う。
泣けるようなメロディに、心動かされ、涙も滲む。
そう、ジェラールも感動し、彼女を諦め、同じ愛国者であるシェニエを助けようと奔走する・・・・・。

終幕、処刑を前にしたシェニエの辞世ともいうべき澄み切った心境と、愛を、これまた高まる情熱とともに歌う。

最後に、断頭台に消えるシェニエとマッダレーナの熱い二重唱も相当なハイテンションであります。

こんな3人、デル・モナコ、テバルディ、バスティアニーニは、理想的な歌でありました。

シェニエは、あとはコレルリとカレーラス、マッダレーナはスコット、ジェラールはカプッチルリが好き。

10数種のオペラがあるジョルダーノ、長命なわりに謎も多いが、激情が生む興奮度の高いその音楽は、しっかり聴くと意外と楽しく旋律も豊かで、聴きごたえあります。
「フェドーラ」と「シベリア」しか聴いてませんが、今年は機会があればチャレンジしたいところです。

ポピュリズムが世界に蔓延しつつあるが、シェニエの歌にある純粋な高潔の志は忘れてはいけないと思う、そんな2017年の始まりでありました。
 

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2016年12月23日 (金)

プッチーニ 「トスカ」 テ・デウム

Shinagawa_1

品川の新スポット、品川シーズンテラス。

規模はそんなに大きくないですが、東京タワーを遠くにまっすぐ望む位置に、イルミネーショイン。

ベルを鳴らすと、色が変化します。

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色違い。

駅から少し遠いので、人も少なめ。
Tosca_1    

 今日、12月22日は、プッチーニの誕生日。

いまから、158年前です。

プッチーニ大好き。

イタリアオペラでは、ヴェルディも好きだけど、数が多すぎるし、作品にムラがありすぎる。
しかし、偉大なヴェルディ。
 そして、プッチーニは、作品数がそんなに多くないから、そのすべてを把握できたし、そのすべてが好き。

蝶々さんのアリアから、当然のようにして入門し、テレビのディズニーかなにかの放送で、映画版の蝶々さんをみたのが初プッチーニのオペラかも。
しかし、本格的に親しんだのは、1973年のNHKイタリアオペラの公演の放送。

NHKホールのこけら落としの一環で、名歌手たちが大挙して来日して、豪華な舞台を繰りひろげた。
ベルゴンツィ、コソットの「アイーダ」、スコット、クラウス、ギャウロウの「ファウスト」、スコット、カレーラス、ブルスカンティーニの「トラヴィアータ」、そして、カヴァイバンスカ、ラボーの「トスカ」の4演目だ。

そのすべてをテレビとFMで堪能し、その前よりワーグナーに毒されていたワタクシに、イタリアのオペラの素晴らしさを植え付けてくれた。

この「トスカ」と、その年に発売されたカラヤンの「ボエーム」によって、プッチーニ熱に浮かされることとなったわけだ。

さて、名アリアと、緊迫のドラマの宝庫、そして、主要登場人物のすべてが死んでしまうという悲劇に、甘味なるプッチーニの音楽。
すべての音符が、脳裏に沁み込んでいるけれど、とりわけ好きなのが、スカルピアの「テ・デウム」だ。

1幕の最後、悪漢スカルピアは、かねてより思いを寄せていた、歌姫トスカを、計略をもって嫉妬のかたまりへと陥れる。
 まんまと術中にはまったトスカを、紳士然と送りだしたスカルピアは、自身の想いを赤裸々に歌う。
 この教会の大聖堂で演じ、歌われるこの場面は、壮大・壮麗極まりない。

この神聖な場で、邪悪で邪まな思いをぶつけつつ、周りの民衆は、主は偉大なり、神を讃えんと、テ・デウムを高らかに歌う。
やがて、スカルピアも、その祈りに唱和して、十字を切る。

この二面的な思いと、歌を見事に結びつけたプッチーニの天才的な筆の冴え!

「ヤツには死を、そして彼女は俺の腕のなかに。トスカは、俺に神を忘れさせるぞ!」

悪いやっちゃぁ~

とかいいながら、男も女もみんな一緒かも・・・、二面性を仮面をかぶって演じてる。

そんな、悪いヤツ、もしかしたら、嘘つきだけど、正直なナイスガイ、スカルピアは誰の歌が一番好き?

Tosca_calas

カラスのステレオ録音の方のゴッピ
サバータ盤は、モノだし、壮大感がちょっとなので、こちら。
実に、巧みで、トスカの心の隙に入り込む、嫌らしいスカルピアなんだ。
声だけで、千両役者。

あと、好きなのは、ミルンズのスカルピア。
プライス、ドミンゴと共演のメータ盤。
若々しく、スマートな憎々しさ。
西部劇の悪役か、ダーディ・ハリーに出てくるような70年代風のギャングみたいな・・・
そんな声量と美声のたっぷりなミルンズが好き。

そして、いがいにも、F=ディースカウの知的かつ、知能犯的な悪の結社の親玉スカルピア。
理詰めで、トスカとカヴァラドッシを追い詰める。
が、しかし、ブリュンヒルデのようなニルソンのトスカに殺されちゃう。
うまいよFD。

映像系で見ると、目の動きが歌以上にスカルピアしてるライモンディ
威力のある声は圧倒的。
ちょっとクセのあるバスの声だけど、よく練られていて、歌が実に巧み。
これもまた、悪いやっちゃ、とつくづく思う。

それから、最近では映像で見たハンプソン・スカルピア。
マフィアの親玉みたいな、表面、エリートな紳士だけど、実は真黒なダーティ野郎。
そんなスカルピアもすてきだった。

あと、希少なバスティアニーニの超かっちょええ強面スカルピアもある。
海賊盤だけど、テバルディとディ・ステファーノという強力トリオ。
実は、いい人なんじゃないか、悩みさえ抱えて感じるバスティアニーニのスカルピアは面白い。

あとあと、まだまだ、たくさんすきです、スカルピアの存在。

クリスマスにらしからぬ話題となりましたが、主を讃えん、「テ・デウム」ということで、併せて、プッチーニ讃

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2015年5月31日 (日)

レスピーギ 「セミラーマ」 ガルデッリ指揮

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5月のある日の夕焼け。

くっきりとした冬の夕焼けと違って、この時期のものは、地上の熱の影響で、なかなかに、ドラマティックな光景になることが多いです。
何度も、書きますが、夕焼け大好き。

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  レスピーギ  歌劇「セミラーマ」

    セミラーマ(バビロニアの女王):エヴァ・マルトン
    スジャーナ(カルデアの王女):ヴェロニカ・キンチェシュ
    メロダーシュ(バビロニアの士官):ランドー・バルトリーニ
    ファラッサール(アッシリアの統治者):ラーヨス・ミラー
    オルムス(バアル神の高僧):ラースロ・ポルガー
    サティバーラ(バアル神の預言者):タマス・クレメンティス

  ランベルト・ガルデッリ指揮  ハンガリー国立管弦楽団
                    ハンガリー放送合唱団

                     (1990.8.20~29 @ブタペスト)


レスピーギ(1879~1936)の10あるオペラ関連作品(そのうち一つは、未完。さらにひとつは、未完を夫人が補筆完成)のうち、3番目、「セミラーマ」を。

レスピーギの概略、その人となりは、こちらに書きました(→)

レスピーギのオペラは、そのすべてが録音されておらず、また、その限られた音源も手に入れにくく、しかも外盤ばかりで、その作品の詳細理解が難しいのですが、未知オペラをじっくり聴きあげることが好きなワタクシ、次のターゲットをレスピーギにいたしました。

1908~10年にかけての作品で、ドイツ滞在中に書きはじめ、ボローニャにて完成。
初演も、ボローニャで、同年、11月に行われ、大成功を博したとされます。

原作は、ヴォルテールの「セミラミス」で、これを台本作家アレッサンドロ・チェーレが3幕仕立てにいたものが、このオペラのベースです。

 このセミラミスは、美貌・聡明・残虐さをそなえた、紀元前9世紀のアッシリアの伝説上の人物で、アッシリア王に気に入られ、王子も産むが、その王を殺し、王子は行方不明になり、やがてあらわれた王子を、実の息子とお互い知らずに結婚しようとし、最後は、その息子に、父殺しの復讐をされてしまう。

かつてのギリシア神話によくある説話のたぐいで、オイディプスやエレクトラを思い起こします。

そして、この題材は、多くのオペラとしても残されてます。
一番有名どころでは、ロッシーニの「セミラーミデ」でしょう。

 この壮絶なドラマに、レスピーギは、その劇的なオーケストレーションの才能と、イタリアオペラの伝統の豊麗な歌唱を組み合わせ、見事な作品を書き上げました。
30歳のレスピーギの意欲的なこのオペラには、いろんな要素がぎっしり詰まっていて、以下、解説からや、聴いた印象も含めて羅列してみます。

・強気で自己中心的な女王(王女)、そして、暗い影を引きずっているという意味で、
 サロメや、エレクトラ、トゥーランドットに通じる。
 同様に、壮大な歴史ドラマが背景に。

・そうした意味もこめて、その音楽は、R・シュトラウス(1864~1949)顔負けの濃厚
 芳醇世紀末サウンド。
  同様に、先輩プッチーニ(1858~1924)顔負けの、甘味で美しい旋律の渦。
 さらに、ロシアで教えを受けたR=コルサコフ譲りの、エキゾティシズム。
 ペンタトニック音調が、いかにもメソポタミアン(?)な雰囲気を醸し出してる。
  レスピーギ若き日々の立ち位置が、よくわかります。
 古典的な佇まいを示すのは、ずっと後年のこと。

・プッチーニは、このレスピーギの「セミラーマ」が作曲されたころ、まだ、
 「トゥーランドット」(1919年頃より準備、1924年未完)の発想をまだ持ち合わせて
 いなかったが、レスピーギのスコアを どこかで見たという可能性が云々される・・・・

・「トゥーランドット」とのキャストの類似性
 そちらも、もともとが、アラビアが舞台の物語。
 ドラマティックソプラノによる女王、ヒーローの王子、その王子を慕う優しいソプラノ
 慈悲に溢れたお爺さん(バス)は、共通。
 そこに、「セミラーマ」は、横恋慕するバリトンが加わる。

・「サロメ」の影響
 シュトラウスの「サロメ」は、1905年の作で、「セミラーマ」作曲開始の3年前。
 セミラーマ前に、ドイツに長期滞在していたレスピーギ。

・コルンゴルトサウンドへの近似性
 コルンゴルト(1897~1957)は、レスピーギの一回り後輩。
 近未来的なキラキラサウンドは、お互い近いものがある。
 ことに、「死の都」を一瞬思わせるヶ所が、「セミラーマ」にもありました。
   しいては、ハリウッドの壮大な歴史ドラマにも相通じるものも!


 以上のように、聴いていて、いろんなインスピレーションが湧き上がってくるレスピーギの初期のころのオペラ。
あと出しイメージ操作のできる、いまのわれわれ聴き手ですがゆえ、このように、何に似てるとか、誰の影響とか言ってしまいます。
 ですが、以前にも、ぼんやりと書いたとおり、音楽って、そういうものだし、作曲家も、演奏家も、みんなお互いに影響しあって、刺激しあって存在してるもの。
何々風とか、誰それに似てるなんて、別に、その音楽の存在価値をおとしめるものでは、一切ない表現や評価だと思います。
 そして、いろんな作曲家たちが活動した時代背景や、場所、それらの相関関係を紐解くことも、後世のわれわれには、楽しみのひとつであります。

 物語は、紀元前9世紀ごろのバビロニア

第1幕 バビロンの王宮
 
女王セミラーマと、かつて征服された国の王女、いまは、その待女となったスジャーナが、反乱軍との戦いに勝利した自軍が、多くの豪華な戦利品を積んで入港するのを空中庭園から見守っている。
しかし、ふたりの女性が気になるのは、それらのお宝ではなく、その出生も謎に満ちた勇敢な戦士、メロダーシュのこと。
 
 反乱軍の指導者の処刑も行われ、セミラーマは、冷徹に対処しつつも心が苦しい。
その晩、スジャーナとメロダーシュは、久方ぶりに会って、お互いの愛を確認する。
ふたりは、幼馴染みであった。

第2幕 バアルの神殿

高僧オルムスが朝の祈りを捧げている。
そこへ、ファラッサールが預言者とともに、相談にやってくる。
彼は、かつて、バビロニアの国王を高僧から約束もされ、かつての国王殺しも加担していて、セミラーマが、メロダーシュに夢中になっていることから、彼女のことを失いたくないと思っている。
 この横柄な態度に、バアル神の像の後ろで聞いていたセミラーマが躍り出て、怒りをあらわにする。
 ファラッサールは、あの正体不明の亡命者、メロダーシュこそ、かつてのセミラーマの息子ニノでありことを告げるが、セミラーマはまったく信じることがなく、メロダーシュとの婚姻を進めることを宣言する。
高僧オルムスの占いでは、不吉の預言が・・・

第3幕 宮殿

セミラーマとメロダーシュの婚姻が発表され、その賑やかな祝宴に皆は浮かれている。
ファラッサールは、スジャーナに、メロダーシュの身の上の秘密を告げ、彼女からメロダーシュに思いを踏みとどまらせようと画策する。
 深い悲しみに落ち込み、愛する恋人を失うことでは、利害の一致する彼女は、メロダーシュに、ファラッサールから聞いた話を伝え、母親と結婚することをやめさせようとする。
 熱い愛を語りあう、セミラーマとメロダーシュのところにスジャーナは意を決して登場。
女王は、席を外すが、スジャーナから話を聞いた血の気の多いメロダーシュは、意味のない中傷として腹をたて、むしろ、ファラッサールを殺害する計画をたてる。
 その晩、暗い霊廟にて。
ファラッサールがかつて、先王を暗殺したのと同じように、今度は、メロダーシュが隠れ、待ち受ける。
そして、あらわれた人物にメロダーシュは襲いかかり、一撃で倒してしまう。
 
 ところが、倒したその人物は、セミラーマであった。
セミラーマは、息も絶え絶えに、「わたしの息子よ、母親の言葉を聞け、わたしは、これから暗黒をさまよいます、そして、永遠にあなただけを愛します、ニノ、わたしの子供、母は、あなたに口づけがしたい・・・・」といってこと切れる。
外では、セミラーマの名を歌い呼ぶ、声がこだまする。

                幕

対訳なしで、まっく難渋しましたが、だいたいこんな感じの物語です。
セミラーマは、冷たいトゥーランドットのようで、でも、息子に命を奪われることで、母として覚醒し、優しいひとりの女性となって浄化されるのです。
最後の、静謐なシーンは、とても印象的で、感動します。

そして、全編にわたる、若いとはいえ、レスピーギならではのオーケストラの素晴らしさ。
歌も、イタリア・オペラの伝統を踏まえながらも、激烈なヴェリスモとは一線を画した、どちらかといえば、フランスやドイツのオペラに近い感じで、抒情と流麗さが際立ちます。

1幕の若い男女の二重唱は、匂い立つほどの芳香を感じます。
とてつもなく美しく、官能的で、トリスタン的でもありました。

2幕では、東洋風の調べが、アラビアンな雰囲気ムンムンで、エロティックかつエキゾティック。
そして、ファラッサールの、まるで、スカルピアをも思わせるような信条告白がナイスなアリアがありました。
さらに、セミラーマの気の強さが満々なのが分かるアリアもあります。
まるで、不感症のトゥーランドットみたいだ。
何度もいいますが、トゥーランドットより先の作曲ですから。

3幕では、スジャーナの「悲しいかな・・・」という、それこそ哀れさそうアリアが美しい。
そのあと、一転して、パーティのどんちゃん騒ぎになだれ込む、その対比。
ベルクやシュレーカーすらも思いおこしたその鮮やかさ。
その宴会は、「神々の黄昏」の第2幕っぽい。
そして熱い親子の恋人的な二重唱に、母として死を迎える、楚々とした最後の場面。
優しい女性として、自省もこめて、人生の括りとして、力強く、でも愛情を込めて歌う死のセミラーマは、ほんとに感動的です。
死による浄化が、ここで行われる訳です。

 全体を統率する、ガルデッリの指揮が、まことにもって素晴らしい。
オペラの呼吸を完璧なまでに身に付けたこの指揮者は、ヴェルデイを指揮する如く、真摯に、そして旋律のラインを大切にしながらも、歌手を盛りたててます。
ハンガリーのオケが、こんなに軽やかで明るいのも、この指揮者のおかげです。

エヴァ・マルトンは、相変わらずの熱演ですが、マゼール盤のトゥーランドットが刷り込みでもあるので、どうしても、そちらの印象に引っ張られます。
強引さが逆によく出ていて、これはこれで良い歌唱でしょう。

息子兼恋人のバロトリーニは、ちょっと一本調子。
ドミンゴだったら・・・との思いをぬぐい切れません。
もっと、スタイリッシュな歌を望みたい。

あと、ポルガーの深いバスが印象的で、このハンガリーの亡き名バリトンの良き記録ともなりました。
ほかは、まずまずかな。

なによりも、ゼロから始まって、何度も何度も聴いて、ものにしてゆく、初聴きのオペラ体験。
レスピーギのオペラ、ほかの作品も、なかなかでして、これから聴き馴染んでゆくこと、大いに楽しみです。

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2015年5月29日 (金)

「オペラ間奏曲集」 カラヤン指揮

Takt_1

色鮮やかな、イタリアンサラダ。

こちらは、東京都内だけど、湘南野菜だけにこだわったお店。

歯ごたえも楽しめ、野菜の甘みもたっぷりあるんですよ。

Takt_2

メインのお肉は、短角牛の香味ロースト。

柔らかくジューシーなお肉に、頬がとろけそう・・・。

ちょっと前の画像です。

知ってる人は知っている、いまは、こんな美味しい生活をしてませんワタクシです。

でも、たまには、いい。
あとで、調整するという生活のサイクルを身につければね。

Karajan

     「オペラ間奏曲集」  

 
  1.ヴェルディ 「ラ・トラヴィアータ」 第3幕間奏曲

  2.マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」 間奏曲

  3.プッチーニ 「修道女アンジェリカ」 間奏曲

  4.レオンカヴァルロ 「パリアッチ」 間奏曲

  5.ムソルグスキー  「ホヴァンシチナ」 第4幕間奏曲

  6.プッチーニ 「マノン・レスコー」 第3幕間奏曲

  7.F・シュミット 「ノートル・ダム」 間奏曲

  8.マスネ    「タイース」 瞑想曲

  9.ジョルダーノ 「フェドーラ」 第2幕間奏曲

 10.チレーア   「アドリアーナ・ルクヴルール」 第2幕間奏曲

 11.ウォルフ・フェラーリ 「マドンナの宝石」 第3幕間奏曲

 12.マスカニーニ  「友人フリッツ」 間奏曲

   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1967.9.22 @イエス・キリスト教会)


今宵は、大好物の1枚を。

このジャケットからして懐かしい。

レコード時代、カラヤンのこのカッコいい横顔のジャケットは、ベートーヴェンの第9のゴージャスなジャケットと同じものでした。

そして、久しぶりに聴き直してみて、うめぇ~もんだ、と、思わず膝を叩くことになりました。

カラヤンとベルリンフィルが、もっとも、「カラヤンのベルリン・フィル」だった時代。

DGに大量の録音を、せっせと行っていた60年代。
ザルツブルクで併行上演中だった、リングも、ワルキューレやジークフリートの頃。
そんな大作に混じって、このような小粋なアルバムも、本気モードで録音してたカラヤン。

イタリア・オペラが中心ながら、ロシアとフランスも少し。

オペラ指揮者としてのカラヤンの面目躍如たるこの1枚は、序曲や前奏曲でなく、オペラ劇中の間奏曲=インテルメッツオばかりを集めたところがミソです。

オペラの中で、序曲や前奏曲は、劇全体の雰囲気を先取りした、いわばエッセンス的なものが多いのですが、間奏曲の場合は、劇の中の「つなぎ」「箸休め」的な存在。
そして、ドラマの進行のなかで、全体の話ではなく、直前に起こったこと、または、これからの幕で起こるであろう出来事を暗示したりもする役割を担います。

そんな間奏曲たちを、全力投球でもって演奏した、カラヤンとベルリンフィル。

ともかく、心をくすぐられ、痒いところに手が届くほどに、気が効いてるし、隙もなく完璧で、お上手。
特に、連綿たる旋律が、人工甘味料的な甘さと、怖いほどに美的に、滔々と演奏されるのは、耳の快楽であるとともに、イケナイものを聴いてしまった的な不安をも呼び起こします。
 それほどまでに、凄い魔力を持つこの1枚。

プッチーニ狂としては、そのオケ作品としては、もっとも大好きな「マノン・レスコー」が、世紀末の香りもぷんぷん、退廃的なまでに濃厚で、狂おしいほどの演奏です。
 全曲録音している、お得意の「カヴァ・パリ」も、実に堂に入った演奏で、うなりをあげるベルリンフィルの威力に、完全にお手上げになります。

「タイス」では、かのシュヴァルベの名ソロが、泣けるほどに美しい。
そして、カラヤンのチレーアも、実に貴重で、4幕の前奏曲でなく、2幕の間奏曲を選んだのが実に心ニクイ。
いじらしいほどに、ステキなチレーアの音楽の真髄を味わえるのだ。
この「アドリアーナ」に、「アンジェリカ」、「フェドーラ」は、いずれも大好きなオペラだけに、カラヤン節の一節でも録音が残されたのはうれしい。

しかし、純正なイタリア・オペラのカンタービレからすると、これら「カラヤンのベルリンフィル」の音は、正直、異質です。
あまりに、威力がありすぎて、嵩にかかったように鳴り渡る音の洪水は、しんどいことも事実。
「ノートル・ダム」と「友人フリッツ」にとくに強く、それを感じます・・・・。

ですが、豪華絢爛のエンターテイメント、ときには、こんな美味しいものを、次々にいただくのも、耳の贅沢というものです。

美味しゅうございましたheart01

いまや、姿を変えたベルリンフィルは、次のシェフを選べずに混迷してます。
あらためて、カラヤンの凄さを実感したし、大指揮者の時代、そしてアバドのような名指揮者の時代も、すでに過去のものになった感ありです。

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2015年3月22日 (日)

ヴェルディ 「オテロ」 神奈川県民ホール・オペラシリーズ2015

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久しぶりのオペラ観劇。

やっぱり、オペラはいい。

ドラマの展開と、音楽の進行に、どんどん自分が引き込まれてゆくのがわかる。

幕間に、ロビーに出て、同じ思いを多くの観客と共有できていることもわかる。

そして、上出来のほぼ完璧な舞台に、歌唱に、演奏だった。

 ヴェルディの「オテロ」、3度目の観劇体験でした。

1度目は、はるか昔、今回と同じ二期会のプロデュース。
若杉弘さんの指揮で、日本人キャストに、日本語上演というものでした。
千両役者オテロの登場は、「よろこーーべ・・・・」でしたね。

2度目は、新国。ヴェネツィアの水辺を、リアルに水をはった鏡面的な美しい舞台で展開される悲劇は、タイトル・ロールのステファン・グールドの劇演でもってすさまじい体験でした。

そして、3度目は、今回。
なんといっても、絶賛応援、神奈川フィルがピットに入ることが、わたくしにとっての最大のアドバンテージ。
その神奈川フィルの、オペラにおける実力はこれまで、なんども体験してきて既知のものでしたが、さらに、今回は、実力派の日本人歌手たちの素晴らしい歌唱も加わり、身も震えるほどの感銘を受けました。

Otello

   ヴェルディ   歌劇「オテロ」

     オテロ:福井  敬       デスデモーナ:砂川 涼子
     イヤーゴ:黒田 博      エミリーア:小林 由桂
     カッシオ:清水 徹太郎    ロデリーゴ:二塚 直紀
     ロドヴィーコ:斉木 健詞    モンターノ:松森  治
     伝令 :的場 正剛
    
     沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                びわ湖ホール声楽アンサンブル
                二期会合唱団
                赤い靴スタジオ
         合唱指揮:佐藤 宏

         演出:粟國 淳

                  (2015.3.21@神奈川県民ホール)


シェイクスピアの原作も、ヴェルディのオペラも、とことん突き詰められた心理描写の人間ドラマを内包しているものだから、その演出にあたっては、無駄な解釈は不要。

演出:  粟國さんの演出は、新たな解釈はしていないけれど、そうした意味では、余計なことはまったくせずに、ともかく、オテロという男が、ひとりの女性を愛するあまりに、突き進んでゆく悲劇をまっすぐに捉えたシンプルなものでした。

それは、誰が観てもわかりやすく、幕の進行とともに、緊張感の増してゆくもので、最後には、幸福の絶頂の1幕の2重唱が、懐かしく思い起こされるという按配。
 オテロが、息も絶え絶えに、デスデモーナに最後の口づけをしようとする場面。
口づけの主題が、オーケストラにあらわれるとき、わたくしは、儚くなって、涙が滲んできてしまった。
 副官イヤーゴに翻弄され、すべてを失ってしまったオテロの孤独が、最後の最後に、愛を取り戻した瞬間が、自分の死であり、死でもって成就した愛は、まるで、トリスタン的なものを感じてしまいました。
 ベットに横たわる二人だけに、スポットライトがあたり、まるで、レクイエムのように、浄化されたエンディングでした。

15世紀半ばのヴェネツィアの時代に忠実な衣装デザイン。
ちょっと殺伐とした荒々しい舞台装置は、島と海も感じました。
あと、舞台の中心には、8角形のステージがつねに据えられていたけど、ここで繰り広げられる愛憎のやりとりのうえで、とても効果的だと思いました。
 こうした段差があったり、急階段を上り下りしたりと、昨今のオペラ歌手たちは、たいへんだな、とも感じたり。

3


歌手: 主役3人に人を得ました。

あんまり期待してなかったと言ったら怒られちゃいますが、福井さんのオテロが、実に素晴らしかった。
最初から最後まで、出ずっぱり、つねに強い声をはり出さなくてはならない難役を、スタミナ配分もしっかりとって、完璧な歌唱でした。
冒頭の「Esultate!」の力強い一声で、今日は、決まったな、と確信しました。
そして、疑心にとらわれ、最後の悲劇にむかって、徐々に正気を失っていくさまも、見事で、エキセントリックな一本調子にならずに、必然性があるかのような、ある意味冷静なる歌唱に思いました。日本人歌手ならではの、、丁寧なきめの細やかさともいえるかも。

さらに、すばらしかったのが砂川さんのデスデモーナ。
オテロに倒され、真横になって歌っても、その、まっすぐな声は、しっかり届く。
最後の、「柳の歌~アヴェ・マリア」では、その凛とした歌声が、まったくの不純物なく、こちらの耳に届きました。
堅実かつ、感動的な彼女の歌唱に、わたくしは、フレーニの歌声を思い起こしてしまった。
透明感ある、彼女のベルカント歌唱をわたくしは、初聴きでしたが、これから注目して聴きたいと存じます。

イヤーゴの黒田さん。声の威力は少し物足りませんが、邪悪さよりは、スタイリッシュで、頭脳犯的なクールなイヤーゴを歌いだしていたように思います。
オペラグラスで、ときおり拝見してましたが、その眼光や顔の表情ひとつに、細やかな演技が伴っていて、さすがと思わせました!

あと、わたくしのお気に入りのメゾ、小林さんのエミリーリア。
以前に、「ナクソスのアリアドネ」の作曲家を聴いて、その誠実な歌が好きになりました。
今回も献身的な歌と演技で、最後には、ついに、イヤーゴに抑えつけられていた思いを爆発させる強さも見せてくれました。
 カッシオの清水さんの明るい声もよかったです。

オーケストラ:的確なる沼尻さんの指揮に、有機的なオーケストラ

ドイツのリューベック歌劇場での活動も評判のオペラ指揮者としての沼尻さん。
オーケストラをあおったりすることもなく、舞台の歌手たちが歌いやすいように、ある意味、穏健な棒さばきで、全体の流れを作り、その中にドラマを構築してゆくという感じ。
職人的なさばき方や、棒のテクニックがドイツで受けるのは、若杉さんを思わせるからかな。
不満はないけれど、もっと、音楽が熱くなってもよかった。
乗りきらないところや、聴衆が温まってなかったからか、最初の方は、ちょっと温度不足。
激する、オテロとイヤーゴの二重唱と、そのあとの激情的な後奏は、それこそ、もっと激しくやって欲しかった。
でも、3幕、4幕は、そんな自分の思いこみの不満も、まったくなくって、緊張感ある音楽造りに、魅せられるようになりました。

 そんな指揮に、われらが神奈川フィルは、機敏に応えつつ、このところ痛感するようになった、オケ全体の有機的な存在としての響きを醸し出しています。
今回は、ピットのなかの、オペラのオーケストラとして、舞台の出来事、歌手たちの発する声とその背景に、たくみに反応して、ヴェルディの円熟の筆致を聴き手に味わわせてくれたように思います。
 上からのぞいてましたから、その演奏ぶりも確認できましたよ。
1幕の愛の二重唱の前奏、門脇さんの素敵なソロを中心とする4人のチェロ、美音でした。
うごめく低弦のクリアーさ、炸裂する打楽器、そして歌心を持った、木管に、弦楽。
ヴェルディならではの、バンダもともなった金管のスリムな輝き。
 ステージの神奈フィルも好きですが、オケピットのなかの神奈フィルも大好きであります。

好きなオペラのことだから、ついつい、長文になってしまいました。

来年のこのシリーズは、「さまよえるオランダ人」です。
そして、今年は、9月に「トゥーランドット」、12月に「金閣寺」があります。
楽しみ~

 「オテロ」過去記事

「ヴィントガッセン&F=ディースカウ」

「メータ&メトロポリタン」

「フリッツァ、石井 @新国」

「クライバー&スカラ座」

2

ホールから見えた、大桟橋に停泊中の旅客船「飛鳥」。

3幕の途中あたりで、出港したようです。

あと、4幕、各幕終了ごとの20分の休憩は、ちょっと、流れが阻害されたかも・・・。
もちろん、舞台変換と、歌手の負担を考えたら、そうなのですが。

素晴らしいロケーションの県民ホール。
デッドな響きがふだんは辛いところですが、ピットに入ると、とても音がよく響きます。
今回は、3階のライト前方で、ここは上にひさしもなく、音が溶け合って上に届くから、とてもよいのです。
あとは、1階の出来るだけ前方かな。

ご参考まで・・・・

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2015年2月26日 (木)

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」~マウリツィオのアリア カレーラス

Collete

不届きなやからが、ハートにいたずらの缶を置いちゃってますが、桜木町のコレットマーレのエントランス。

クリスマス・バレンタイン・ホワイトデーと、ハートマークが活躍しますな。

寒い冬も、もうじきおしまい。

 わたくしの、好きなイタリアオペラでも、1,2をあらそう、チレーアの「アドリアーナ・ルクヴルール」から、テノールのアリアをツマミ聴き。

Adriana_1

 チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」から

     マウリツィオのアリア

        「あなたの中に母の優しさと微笑みを」

        「心、疲れて」

        「ロシアの将軍の命令は!」

      マウリツィオ:ホセ・カレーラス

       ジャン・フランコ・マシーニ指揮 NHK交響楽団

                            (1976)


このオペラ大好きで、映像はまだ少ないですが、音源は、そこそこ集めて聴いてます。

プッチーニと同じころのイタリアオペラ界のヴェリスモの潮流に乗りつつも、抒情派として、旋律重視の優しくも儚いオペラを数々残したチレーア。

当時、まださほど知られていなかったチレーアのこのオペラを世界最高のキャストでもって上演したNHKのイタリア・オペラ団。

1976年のこと、わたくしは、高校生ながらに、銀座のどこだかのチケットセンターに並び、このオペラと、「シモン・ボッカネグラ」のチケットをなけなしのお小遣いでゲットしたのでした。
前にも書きましたが、カウンターのチケット売りのおばさまは、「え?ドミンゴはいいの?」と聞いてきたものでした。

そう、このときの、もうひと演目は、ドミンゴが、二役やった「カヴァ・パリ」で、並んだ大方のお客さんは、そちらが狙い。

 そして、巨大なNHKホールの隅々にこだました、カヴァリエのピアニシモと、コソットとの丁々発止の迫真のやりとり。
 彼女たち、存在感ばりばりのお姉さまたちに挟まれ、翻弄される憂国の志士を歌ったカレーラス。

おっきなカバリエに愛を告白するカレーラスは、健気で、その一途さが、男のわたくしにも、とても好ましかったものです。


ほかのふたつのアリアも、さらのあのときの全幕も、youtubeにあるとこがすごいものです。


このアリアの、盛り上がりの途中で、フライング拍手があったのですが、そこは巧みに編集されてました。


マウリツィオ役は、多くのテノールが歌ってますが、わたくしには、カレーラスがいちばん。
デル・モナコは強すぎてヒロイックだし、コレルリは重たい。
ドミンゴは、ワケ知りすぎて面白くないし、ベルゴンツィは、おっさんにすぎる。
ちょっと真面目すぎのカレーラスが、この悩める愛する男にはぴったり。


そして、N響が、こんなに柔らかく、雰囲気豊かなのは、フランコ・マシーニの素晴らしい指揮があってのものでした。

チレーアのオペラは、いくつあるかまだ勉強中ですが、4作ほど揃えて、ちょびちょび聴いてます。
いつか、しっかり記事にできればと思ってます。

 過去記事

 「アドリアーナ・ルクヴルール」NHKイタリアオペラ

 「アドリアーナ・ルクヴルール」 テバルディ、シミオナート、デル・モナコ

 「アルルの女」

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2015年2月11日 (水)

マリオ・デル・モナコ ヴェリスモアリア

Tokyotower20150129

真夜中の東京タワー。

先日、アバド会のあと、歩いて帰還。

人っ子ひとりいない寒い街に、このタワーのオレンジの灯は、とても暖かく、心強いのでした。

途中あった、熊野神社から1枚。

Del_monaco

  マリオ・デル・モナコ  ヴェリスモ・オペラから

  ジョルダーノ 「フェドーラ」(56エレーデ)
           「アンドレア・シェニエ」(48,51クワドリ)

  ボイート    「メフィストフェーレ」(58セラフィン)

  ザンドナイ  「ロメオとジュリエット」(56エレーデ)

  カタラーニ  「ワリー」(56エレーデ)

  チレーア   「アドリアーナ・ルクヴルール」(48ネグリア)

  プッチーニ  「蝶々夫人」(56エレーデ)、「西部の娘」(58カプアーナ)
           「トスカ」(抜粋、59プラデッリ、テバルディ)


ヴェルディもいいけど、デル・モナコの魅力は、ヴェリスモ系のオペラにあると思います。

激情的なドラマに、音楽だから、デル・モナコの直情径行的な真っすぐの情熱的な歌唱は、まさにぴたりときます。

「カヴァ・パリ」と、「トゥーランドット」は、別なCDに収録されてますが、こちらは10枚組の激安アンソロジー集からとなります。

1915年生まれ、1982年没。
そう、今年は、デル・モナコの生誕100年なんです。
67歳での心臓発作によるその死も早かったですが、デル・モナコの全盛時代も意外と短くて、それでも、たくさんの録音が残されたのは、デッカレコード専属であったことが大きいですね。

63年に自動車事故に会い、その後は、声も少し後退してしまった。
40年代後半から50年代がそのピークで、62年のカラヤンとの「オテロ」は、確かに素晴らしいものの、声の威力では、54年の旧録音、そして、なんたって、NHKイタリアオペラの来日上演が無敵にすごい。
あの声の威力を維持するのはたいへんなことだったろうけれども、喉を酷使しても、歌に、演技にと全力投球するその姿は、まさにプロ中のプロであったと痛感します。

69年の単身来日では、子供時代の記憶に、N響と共演したリサイタルのテレビ放送が、うっすらとですが残ってます。
オペラに目覚めた中高生は、イタリアオペラは、もうなんでもデル・モナコしかなかった。
ステファーノも好きだったけれど、破滅的なまでの一期一会の感情移入と、聴く側へ没頭感と快感をもたらすのは、デル・モナコをおいて、ほかにいなかった。。。

そして、テノール歌手のありかたは、その後、スタイリッシュで危なげのない、スマート歌唱が主体となりました。
まさに、不世出の大歌手と呼ぶに相応しい、マリオ・デル・モナコさまです。

この1枚の中では、やはり、アンドレア・シェニエが素晴らしい。
祖国を思い、ギンギンに熱くなるシェニエは、わたくしには、このデル・モナコが一番。
そして次に好きなシェニエは、以外にもカレーラスとコレッリだったりします。
 あと、「トスカ」が、デッカの正規全曲盤のものだけに、録音も素晴らしくよくて、デル・モナコの情熱のカヴァラドッシは、新鮮さすら感じるテバルディとともに、ローマの輝かしいオケも含め、とても魅力的でした。

休日の午前、デル・モナコの声に力を与えられ、やたらと元気もいただきましたnote

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2014年7月29日 (火)

カルロ・ベルゴンツィを偲んで

Bergonzi

またひとり、忘れえぬ音楽家の訃報が届きました。

イタリアの純正テノール、カルロ・ベルゴンツィさん。

1924年7月13日生まれ、2014年7月25日没。

ミラノの病院にての逝去とのこと。

ちょうど90歳。

万全の自己管理と、長命を保ったその声も、90歳という年波には勝てなかったということでしょうか。

いよいよ寂しい。

引退して久しい、でも、80歳ぐらいまで歌い続けたし、CD録音もデジタル時代になっても盛んだった、この生粋のイタリアの大テノールの死をもって、イタリア・オペラのテノールの黄金時代は、完全に幕を閉じたと言ってもいい。

それほどの大歌手でした。

オペラに親しんだ若き日々、デル・モナコの交通事故後の日本公演をテレビで見て、フランコ・コレルリとテバルディの来日デュオもテレビで観劇。
そして、NHKイタリアオペラで飾ったNHKホールのオープニング記念の「アイーダ」で、ベルゴンツィをテレビ観劇。

この3人こそ、わたくしのイタリアオペラのテノール御三家です。

 ですから、ラダメスは、いまもって、ベルゴンツィが一番。

Tosca_callas

それと、カヴァラドッシです。

テレビで観た「アイーダ」とともに、仔細に観た「トスカ」にも心奪われました。

プッチーニの音楽に目覚めたのも、1973年のこのNHKイタリアオペラでのこと。

この時は、美しい伝説的なカヴァイバンスカのトスカに、フラビアーノ・ラボーのカヴァラドッシ。
このラボーが、とてもよくって、その風貌もどこかベルゴンツィに似ている。

そして、そのとき買ったのが、カラスの「トスカ」。
ベルゴンツィがカヴァラドッシなのでした。
このレコードも擦り切れるほどに聴きまくりました。
後に気付いたのは、カラスの声の荒れ具合で、絶頂期をすでに過ぎていたこの録音なのでしたが、ベルゴンツィと、スカルピアのゴッピは、最高潮の歌いぶりで、いつもレコードに合わせて、カヴァラドッシとスカルピアの二役を、歌っていたものです。

このようにして、ベルゴンツィの歌を聴き始めたのですが、レコードにCDに、彼の出演する音源を、いったいどれだけ持っていることかわかりません。
 あらゆる指揮者、レーベルに重宝され、常にテノールの主役はベルゴンツィとなることが多かった。
デル・モナコとコレルリが、早くに声を亡くし、引退してしまったことも大きいですが、ベルゴンツィの声の特質が、リリカルなベルカントから、スピントの聴いたドラマティコまでをカヴァーする広大なレパートリーをものにしていたことが大きいです。

そして、その歌いぶりは、危なげがなく、常にフォルムがしっかりとしていて崩れず、知的かつスタイリッシュなもの。
ですから、破滅的な役柄や、暴走系、悪人系には、まったく向いていません。
カヴァ・パリの二役を歌ったのは、カラヤンのコントロール下にあったからにすぎません。

でも、ヴェルディならば、突進型や甘い色口系でも、ベルゴンツィの抑制の聴いた歌唱であるならば、ヴェルディの音楽の持つ本来の魅力を巧みに、多面的に引き出すことができて、どのタイトルロールも、まったくもって素晴らしいのでした。

ですから、ベルゴンツィは、真正なるヴェルディ歌いなのです。

そんな中から、わたくしの愛聴久しいヴェルディは、「カラヤンのアイーダ」「セラフィンのトロヴァトーレ」「クレーヴァのルイザ・ミラー」「ショルティのドン・カルロ」「クーベリックのリゴレット」「ガルデッリの群盗」「ガルデッリの運命の力」・・・・、あぁ、枚挙にいとまがありません。

Bergonzi_cd

後進を指導することにかけても、なみなみならなかったから、日本の歌手の方でも、ベルゴンツィに教えを仰いだ人が多いのではないでしょうか。

何度も来日していながら、ついぞ実演に接することはありませんでした。

今宵は、以前も取り上げたソロCDを聴きながら、哀悼の念を捧げたいと存じます。

ヴェルディ、マイアベーア、プッチーニ、チレーア、プッチーニの名品が、ガヴァッツーニの指揮によっておさめられた1枚です。

ビンビン響くベルゴンツィの声は、一点の曇りもなく、空は真っ青に突き抜けてます。

心も、耳も洗われるというのは、こういうことなのでしょうね。

カルロ・ベルゴンツィさんの、魂が安らかならんこと、お祈りいたします。

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2014年1月23日 (木)

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 アバド指揮

Abbado_scala


クラウディオ・アバドは、私の音楽を聴いて楽しむという人生のうえでの、最大の支柱であり、心から敬愛し、思慕した人でした。

訃報に接し、嗚咽し、二日の間、晩には涙にくれました。

今日は、ボローニャでの、アバドの棺を担ぐ、アバドゆかりの人々の画像も確認しました。

悲しみは、悲しみとして受け入れなくてはなりません。

クラシック聴き始めの頃から、アバドは常に、私のそばに存在していた気がします。

最初のレコードは、71年に買ったアルゲリッチとのショパンとリストの協奏曲でした。

以来ずっと親しく聴いてきました。

そんな歴史を、顧みつつ、アバドを偲んで、しばらくの間、アバドを聴いていきたいと思います。

神奈川フィルの演奏会がありますので、そちらも挟んで。

アバドの世代以降の指揮者は、コンクールで優勝して、成功をつかみ、音楽界にデビューして行くというパターンが生まれました。
劇場の下積みで、一歩一歩叩きあげてゆくということでなしに、いきなり華やかにメジャーデビューしたりし始めたわけです。

アバドも同じく、名門一家の出自ながら、コンクールで賞を得て、バーンスタインやカラヤンに推されてニューヨークフィルやウィーンフィルを指揮するようになったわけです。
しかし、アバドの違うところは、根っからのオペラ指揮者であったことです。

早い時期から、オペラでも成功を導きだし、故郷のミラノ・スカラ座に迎えられました。

作品への深い洞察と、周到な準備に基づく完璧な表現と解釈。
限られたレパートリーを掘り下げ尽し、何度も挑戦しては、パーフェクトの度合いを深めていった。

その代表が、ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」。

この演奏は、アバドの残した録音の最高傑作といってはばかりません。

それどころか、あらゆるオペラ録音の中にあっても最上級の評価に値する最大傑作だと思ってます。

70年代初めから取り組み始めた「シモン」。
何度も何度も上演し、折しも、イタリア経済界苦境のおり、スカラ座も予算が少なく、再演に次ぐ再演で、アバドは「チェネレントラ」とともに、この「シモン」を執拗なまでに取り上げました。

そのピークに録音されたのが、この音源。

さらに、その4年後、今度は、スカラ座を伴って来日して、この完璧に出来上がった「シモン」を、東京文化会館で上演してくれました。

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  ヴェルディ 歌劇「シモン・ボッカネグラ」

  シモン:ピエロ・カプッチルリ    フィエスコ:ニコライ・ギャウロウ
  ガブリエーレ:ホセ・カレーラス  アメーリア:ミレルラ・フレーニ
  ピエトロ:ホセ・ファン・ダム     パオロ:ジョヴァンニ・フォイアーニ
  隊長:アントニーノ・サヴァスターノ 腰元:マリア・ファウスタ・ガラミーニ

     クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                      ミラノ・スカラ座合唱団

                        (1977.1 @ミラノ CTCスタジオ)


知情意、三拍子そろった、耳と心洗われるヴェルディ演奏の真髄。

紺碧の地中海を思わせる、透明感と深みさえもった、緩やかな序奏を聴いた瞬間、私はいつも、この素晴らしい演奏と音楽に耳が釘付けになり、全曲を一気に通して聴かざるをえなくなる。

そして、常に思い出すのは、颯爽とピットに登場し、聴衆にサッと一礼し、指揮を始めるアバドの姿。
非常灯もすべて落として、真っ暗ななかに、オケピットの明かりだけ。
文化会館の壁に、浮かび上がるアバドの指揮する影。

1981年9月の初アバド体験は、「シモン」というオペラの素晴らしさとともに、アバドのオペラ指揮者としての凄さを見せつけられ、生涯忘れえぬ思い出となったのでした。

舞台も、歌手も、合唱も、そしてオーケストラも、アバドの指揮棒一本に完璧に統率されていて、アバドがその棒を振りおろし、そして止めると、すべてがピタッと決まる。
背筋が寒くなるほどの、完璧な一体感。

当時のつたないメモを、ここに記しておきます。

「これは、ほんとうに素晴らしかった。鳥肌が立つほどに感動し、涙が出るばかりだった。
なんといっても、オーケストラのすばらしさ。ヴェルディそのもの、もう何もいうことはない。
あんな素晴らしいオーケストラを、僕は聴いたことがない。
そして、アバドの絶妙な指揮ぶり。舞台もさることながら、僕はアバドの指揮の方にも目を奪われることが多かった・・・・・。」

ちょうど、そのひと月前、ベームが亡くなって、音楽界は巨匠の時代から、その次の世代へと主役の座が移りつつあり、アバドはその先端にあった指揮者のひとりなのでした。

海を愛し、イタリアを愛し、しかし、運命の歯車にその生涯を狂わせれた男の物語。
この渋いオペラをアバドは、スカラ座でも、ウィーンに移ってからも、そのあともずっと指揮し続けました。
「シモン」がアバドのおかげで、いまのようなメジャーな存在になったといっていいかもしれません。
こうした、運命に翻弄される人物や、心理的な内面を語るようなドラマ性をもったオペラ作品を、アバドは好んで取り上げました。
「ヴォツェック」「ボリス・ゴドゥノフ」もそれと同様の存在でした。

最後の場面で、シモンが体に毒が回るなか、窓を大きく開き、愛する海を眺めて歌うモノローグ。
そのあとの敵フィエスコとの邂逅、そして家族に囲まれて迎える死。
シモンは愛娘に手を差しのばしながら倒れ、フィエスコは、民衆にその死を伝える。

この静かなレクイエムのような終結部が、今ほど心に沁みることはありません。

アバドを送る、追悼として、心より捧げたいと思います。

Abbado_20140120a

音楽を愛し、音楽のためだけに生きたアバド。

その魂が、いつまでも安らかでありますように。
             
  

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2013年12月23日 (月)

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 ジュリーニ指揮

Nakadori

丸の内仲通りの一隅に、ちょっとした庭園スペースがあって、いつもそこは素敵なのでした。

このシーズンは、プーさんたちのイエローなツリー。

ツリーには、蜜蜂の巣が飾られてますよ。

Verdi_falstaff_giulini

    ヴェルディ  「ファルスタッフ」

 ファルスタッフ:レナート・ブルソン   フォード:レオ・ヌッチ
 フェントン:ダルマチオ・ゴンザレス  カイユス:マイケル・セルス
 バルドルフォ:フランシス・エガートン ピストーラ:ウィリアム・ウィルダーマン
 フォード夫人アリーチェ:カーティア・リッチャレッリ
 ナンネッタ:バーバラ・ヘンドリックス 
 クイックリー夫人:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
 ページ夫人メグ:ブレンダ・ブーザー

  カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団
                      ロサンゼルス・マスターコラール

            (1982.4 @ロサンゼルス、ミュージックセンター ライブ)


ヴェルディ(1813~1901)最後のオペラは、喜劇となりました。

1892年に完成、翌年80歳の年にスカラ座で初演。
もしかしたら、これが最後のオペラとわかっていた聴衆は、熱狂的な歓声と称賛をイタリアオペラの最大の作曲家に浴びせた。

ワーグナーは、半音階の大悲恋楽劇「トリスタン」と、ハ長の喜・楽劇「マイスタージンガー」を対のようにして重ねて作曲した。

ヴェルディも、悲劇的な「オテロ」と、そのあとは喜劇の「ファルスタッフ」を晩年に、対のようにして創作。
ともに、シェイクスピアの原作で、ボイートの台本。
晩年に巡り合った、彼らは、後世のわたしたちに、このような素晴らしいオペラの傑作を残してくれました。
ですから、いまだに恵まれない、作曲家としてのボイート、ことにオペラ「メフィストフェーレ」なんかは、ちゃんと聴いて評価しなくてはいけません。

この大傑作オペラの記事を、自分ではたくさん書いてるつもりだったけど、よくみたら、新国の観劇記事しか残してないことに気が付きました。
音源は、それこそたくさん持っているのに。
カラヤン、バーンスタイン、ショルティ、ジュリーニ、アバド。

ともかくヴェルディ指揮者でなくても、このオペラを好んで指揮する大家が多い。

それは、「オテロ」とともに、シンフォニックなアプローチが可能な作品だからだろうか。
作曲を進化させたヴェルディは、先にワーグナーが到達したように、そしてお互いが影響しあったように、「オペラ」を旧弊の概念から脱却させ、音楽優位の総合芸術としての概念で確立させた。

「オテロ」以降、アリアという歌手の見せ場が、劇の中で突出してしまわないように、ドラマと音楽の流れの中に、しっかりと埋め込んでしまった。
モノローグ(独白)とも言うべき、登場人物の心情吐露に変わったわけで、そこにはアリアのような形式はなく、長さも長短あり、劇の流れの効果のなかで、歌われる。
したがって、歌手の名技性をひけらかしたり、大むこうを唸らせるような派手な歌はなくなりました。
そうして生れた、ある意味自由な心情吐露は、素晴らしい旋律を伴って、プッチーニに受け継がれたのであります。

このような背景から、オテロとファルスタッフに、交響的な演奏も可能なのでして、歌手を楽器のようにして扱った、カラヤンが、この二つのオペラを得意にしたのもうなずけます。
バーンスタインの快活な演奏にも、その流れを感じますが、ショルティはまたちょっと複雑で、軸足はオペラ指揮者かもしれません。

シンフォニー指揮者としても練達であるジュリーニとアバドは、ともにシンフォニーオーケストラを指揮しながら、オペラの呼吸をオーケストラに完全に植えつけてしまい、歌手たちもそれを背景に生き生きと振る舞っているのが聴いてとれます。
そして、ともに過去、レコード・アカデミー賞を受賞(アバドは大賞)しております。

それに反して記事が少ないことを反省し、これからちょくちょく書こうかと思ってます。

このオペラの舞台経験は、さほど多くなくて、82年の二期会(小澤征爾指揮)と、2007年新国立(ダン・エッティンガー指揮)の2回だけ。
どちらも鮮明に覚えてます。
舞台にすると、まさに喜劇としての色合いを濃く感じ、そこに、若い恋人のロマンスと、夫婦の倦怠期と愛情、そして男の遊び心と、それより上手の女性の強さ・優しさ・したたかさ、こんなもろもろのことを、目の当たりにし、楽しめることができます。

このオペラの詳細は、「オテロ」もそうですが、全曲チクルスの中で、また来年か、再来年の記事で取り上げたいと思います。

今日の音源は、それこそ、元オペラ指揮者だったジュリーニが、オペラからはしばらく足を洗い、その後、長らくを経て、ロサンゼルスフィル時代に、ロスフィルをピットに入れて上演した記念碑的なライブ録音であります。

最初の開始音から感じる明るく、軽い響き。
見通しがよく、透明感にあふれている。
いずれ取り上げる、アバドとベルリン・フィルも同じようなイメージを持つ。

ともに行き着いた境地。
でも、弾むような若さを持つのはアバドの特徴だけど、ジュリーニの演奏には、いつものようなゆったりとしたテンポの運びのなかに、もしかしたら貴族?と、ほんとうに思わせるノーブルさを、サー・ジョンに感じさせもする面白さがあります。

このオペラで大切な、いくつもある重唱。
歌手たちのハーモニーをくっきりと響かせ、オーケストラも混濁することなく、しっかりつけてゆく、この熟練の手腕は、オペラ指揮者ジュリーニそのものです。
ロスフィルの音色も、ここではヴェルディにピタリ!
メータの、プレヴィンの、サロネンの、いまやドゥダメルのロスフィルの音。
ずっと好きだったけど、ジュリーニ時代がもっと長ければ、きっとこのオケはもっとスゴイ存在になっていたかも。

豪華な歌手たちに、いまさら、なにを言えばいいでしょう。
でも以外に一番好きなのは、リッチャレルリのアリーチェ。
ふるいつきたいほどの豊かな声です。

それと当時絶頂期だったゴンザレスのフェントンは、驚きの美声。
故テッラーニのもったいないくらいのクイックリー夫人。
同じく、ミスター・フォードのヌッチの凛々しさ。

ブルソンのファルスタッフは、当初からその豊穣な声が素晴らしいと思ってました。
でも何度も聴くと、そこにややドラマ性の空虚さを感じる場面があったりします。
今年、ブルソンをいろいろ聴いてきて、そんな思いを抱くようになりました。
カプッチルリやヌッチを聴いて、思うブルソンなのですが、その声自体は極めて立派で、しかも美声。素晴らしいと思います。

しかし、「オテロ」と「ファルスタッフ」、このふたつの傑作は、こうして連続して聴くと、その完璧な出来上がりに感服しまくりです。

過去記事

 「新国立劇場 D・エッティンガー指揮」

Nakadori2

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