カテゴリー「ドヴォルザーク」の記事

2021年5月30日 (日)

ケルテス指揮 ウィーンフィル

Shinagawa 

とてもすがすがしい1枚が撮れました。

休日の公園のひとこま、奥に東京タワー、品川です。

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この公園の奥には、すてきなバラ園がありました。

黄色いバラ、好きです。

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  モーツァルト 交響曲第40番 ト短調 K550

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1972.11 @ウィーン)

イシュトヴァン・ケルテスとウィーンフィルの懐かしき名演を取り上げます。

ケルテスのモーツァルトは定評あり、オペラやアリア集の録音もありますが、交響曲は6曲で、そのいずれもが爽やかで柔軟かつ、ゆったりとした気分にさせてくれる佳演であります。
25番もともに、短調の厳しさや寂しさは少なめで、音楽的に純なところがいいのです。

ケルテスは、1929年生まれで、1973年に43歳で亡くなってます。
よくよくご存じのとおり、イスラエルフィルに客演中、テルアヴィブの海岸で遊泳中に溺死してしまった。
いまもし、もしも存命だったら91歳。

ケルテスと同年生まれの現存の指揮者を調べてみますと。
ドホナーニと引退したハイティンクがいます。
そして1927生まれのブロムシュテットの元気な姿には、ほんとに感謝したいです。

亡くなってしまった、同年もしくは同世代指揮者は、プレヴィン、レーグナー、アーノンクール、スヴェトラーノフ、コシュラー、マゼール、クライバー、マズア、デイヴィス、ロジェストヴェンスキーと枚挙にいとまがありません。
アバドは1933年、小澤は1935年、メータは1936年。
こんな風に見てみてみると、ケルテスの世代の指揮者たちが、いかに充実していたかよくわかりますし、もしも、あの死がなければ、とほんとうに惜しい気持ちになります。

ベーム、カラヤン、バーンスタイン、ショルティなどの大巨匠世代の次の世代の指揮者たち。
当然のことに、70年代が始まる直前からクラシック音楽に目覚めて聴いてきた自分のような世代にとって、彼らの世代は、当時は次世代を担う若者指揮者とされ、自分が歳を経るとともに活躍の度合いを増して、世界の重要ポストにその名を占めるようになっていった様子をつぶさに見てました。
つくづく、自分も歳をとったものだと感慨深く思いますが・・・

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  シューベルト 交響曲第5番 変ロ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1970.4 @ウィーン)

これぞ、理想的なシューベルトのひとつ、とも思われる歌心とやさしさにあふれた演奏。
CD初期のデッカから出た変なジャケットだけど、よく見ると悪くないww
 ウィーンフィルと交響曲全集を録音してますが、なんとまだ未入手。
これを機会に揃えましょう。
やや劇的に傾いた7年前の録音の未完成と、愉悦感のある5番の対比が面白いが、モーツァルトの40番を愛したとされるシューベルト。
ト短調の3楽章がウィーンフィルの魅力的な音色もあいまって、軽やかかつ透明感も感じるのが素敵なところ。
60年代初めの、やや力こぶの入った指揮から、70年代、40歳になったケルテスが長足の進歩をしているのを感じた次第。

ハンガリーのブタペストに生まれ、まずはヴァイオリンから。
24歳で指揮者のキャリアをスタートさせ、ハンガリー国内で活躍、オペラも多く手掛けるが、国民が政府に立ち上がったことを契機に起きたソ連軍の侵攻~ハンガリー動乱で、西側に亡命。
 アウグスブルク歌劇場の指揮者となり、すぐさま総監督に指名され、徐々に脚光を浴びるケルテス。
現代の指揮者たちと違い、劇場からたたき上げていくスタイルでした。
そして生まれるウィーンフィルとの出会いは、かの「新世界」の録音で、1960年。

ここから怒涛のキャリアアップが開始です。
ザルツブルク音楽祭、イッセルシュテットのいたハンブルク、アンセルメの健在だったスイス・ロマンド、カルベルトのバンベルクなどでも絶賛。
さらに、ロンドン響への客演も好評でドヴォルザークの録音が開始され、65年には首席指揮者に就任。
そのまえ、64年には、ケルン歌劇場の総監督にもなってます。
さらにバンベルク響の首席に。

活躍の場は、ケルンとバンベルクを中心にウィーンとロンドン。
そして、68年にロンドンを辞すると、アメリカでも活動開始し、シカゴではラヴィニア音楽祭を任されます。
こうしてみると、ハンガリーを出て、40歳まで怒涛の活躍と、ポスト就任の嵐、それからデッカがいかに推していたかがわかります。

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  ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調

 イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1973.2 @ウィーン)

1972年から、モーツァルトとともに、ブラームスの交響曲の録音が始まりました。
ケルテスのみずみずしい音楽作りが一番味わえるのが3番の演奏ではないかと思います。
2楽章なんて、ずっと聴いていたい爽やかでありつつ、ロマンあふれる演奏で、ジャケットの背景にあるような新緑のなかで聴くようなすてきなブラームスに思いますね。
2番はこのときは録音されず、64年の演奏を再発するかたちで全集が完成しました。
73年3月の録音の直後、ケルテスの死が待っていたからです・・・・・
ハイドンの主題による変奏曲は、指揮者なしでウィーンフィルの団員のみで録音されたのも有名なおはなしです。

ケルテスの死の顛末は、今年1月に亡くなった岡村喬夫さんの著作「ヒゲのおたまじゃくし世界を泳ぐ」に詳細が書かれてますが未読です。
イスラエルフィルに客演中のケルテス、その演目のメインはハイドンの「ネルソンミサ」で、都合12回の演奏会が予定された。(CD化あり)
4回が終了したある日、泳ぐことが大好きだったケルテスは、歌手たちを誘って、ホテル前の海岸に海水浴に出ます。
歌手たちは、岡村さん、ルチア・ポップ、イルゼ・グラマツキの3人。
階段を降りて砂浜に、しかし、あとで気が付いた看板には、この海岸はホテルの責任範囲外と書かれていて、とても見つかりにくいところにあったと。
女性陣は、浜辺で帽子をかぶって見学、いきなり飛びこんだケルテスは、岡村さんに早く来いよと誘い、岡村さんは躊躇しながらも海に入りますが、ケルテスの姿はどんどん遠くに。
波は高く荒れていて、岡村さんは必死の思いでたどり着いて助けを求め、レスキューたちが瀕死のケルテスを救いだしましたが・・・・

演奏会は指揮者を変えて継続したそうですが、ポップは泣き崩れて歌えそうにない状態。
しかし、演奏会が始まるとシャキッとして見事に歌い終えた、さすがはプロと岡村さんの本にはあるそうです。
涙ながらにケルテス婦人のもとに報告に行った話とか、ケルテスの最後を知ることができる貴重な著作のようです。

  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」

    イシュトヴァン・ケルテス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1961 @ウィーン)

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言わずと知れた「新世界」の名盤のひとつ。
32歳の若きケルテスの力みなぎる指揮に、名門ウィーンフィルが全力で応えた気合の入った演奏。
5年後のロンドン響との再録は、繰り返しも行い、ちょっと落ち着いた雰囲気を感じますが、ここに聴かれる演奏は、いい意味で若くてきりっとした潔さがあります。
思い切り演奏してるウィーンフィルもこの時代のウィーンフィルの音色満載で、デッカの生々しい録音も手伝って、あのショルティのリングにも通じるウィーンフィルを楽しめます。

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わたしが小学生だったとき、クリスマスプレゼントで初めて買ってもらったレコードが、この1枚です。
あと同時に、カラヤンの田園。
この2枚が、わたくしの初レコードで、記念すべき1枚でもありました。
平塚のレコード屋さんで、クラシックはそんなに多くはなかったのに、よくぞこのケルテス盤がそこにあって、よくぞ自分は選んだものです。
こちらは初出のオリジナルジャケットでなく、68年あたりにシリーズ化された、ウィーンフィルハーモニー・フェスティバルというシリーズの再発ものです。
半世紀以上も前の新世界体験、いまでも自分の耳のすりこみ演奏ですし、何度聴いても、爽快な思いにさせてくれる1枚であります。

歴史のタラればですが、もしもケルテスが存命だったら。
・セルのあとのクリーヴランド管弦楽団を託された~ハンガリー系だから相性抜群で、さらなるドヴォルザークの名演を残したかも。
・ウィーンとの蜜月は継続し、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になり、モーツァルトやドイツオペラ、ベルカント系までも極めたかも。
 
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 あとウィーンフィルとはベートーヴェン全集も録音されたかも。
 1972年秋のウィーンフィルの定期オープニングは、ケルテス指揮で、ブレンデルを迎えて、ベートーヴェンの4番の交響曲と「皇帝」が演奏された。ブレンデルとの全集なんかもほんと聴いてみたかった。

・カラヤンの跡目として、ベルリンの候補者のひとりになっていたかも。
・西側の一員として、自由国家となったハンガリーにも復帰して、自国の作曲家の名演をたくさんのこしたかも
・ワーグナーを果たして指揮したかどうか、バイロイトに登場したかどうか
・ブルックナーは4番を残したが、マーラーの交響曲は指揮しただろうか

こんな風に妄想し、想像することも音楽を聴く楽しみのひとつではあります。

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品川の公園には、こんなイングリッシュな光景も展開してました。

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2020年10月22日 (木)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロストロポーヴィチ

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秋の空に、もう咲き終わって、ばらばらの秋桜。

手を入れてない、こんな自然なまんまが好きだったりしますね。

なにもしなくても、災害が来ようが、疫病が来ようが、ちゃんと鮮やかな色で咲いてくれる。

今日は、エヴァーグリーン的な曲に演奏を。

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  ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 op.104

             ムスティフラフ・ロストロポーヴィチ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1968.9 @イエス・キリスト教会、ベルリン)

通称ドヴォコンのド定番。
ロストロポーヴィチのドヴォコンは、いったいいくつあるんだろう?
調べたら7つの録音があるそうで、わたしは、このカラヤンとジュリーニしか聴いたことがありませぬ。
曲も大物だし、ロストロポーヴィチの音色も濃いものだから、ちょっとお腹がいっぱい的なものがあって、それ以上は聴けてません。
でもボールトとの共演は聴いてみたいもの。

1969年のレコードアカデミー賞を受賞していて、その数年後に買ったレコードなので、金のシールが貼ってありました。
ちなみに、この年、F=ディースカウのドイツ歌曲全集や、ベームのフィデリオ、メータのツァラトゥストラ、ホッターの冬の旅など、いまに至るまで名盤とされるレコードが受賞してます。
このレコードのジャケットの装丁も豪華なもので、重量もあり、匂いも好きだった(笑)

ということで、これまた「ほんとに久しぶりに聴くシリーズ」

いわゆる名盤すぎて、もう書くことありません。
ただただ、立派、うまい、完璧、知情意全部そろってる。
以上。

これを擦り減るほど聴いた中学生時代は、第1楽章ばっかりがお気に入りで、静かな2楽章は退屈だった。
でも、年配者となったいま、第2楽章の抒情が一番好き。
そういう耳で聴くと、このロストロポーヴィチ&カラヤンの演奏は、贅沢すぎて、もう少し鄙びたところ、優しさ、のどかさが欲しいところだ。
だから、シフ&プレヴィンの優しさや、ジャンドロン&ハイティンクのノーブルさ、このあたりの方が、肩ひじはらずに聴けるので、自分は好きだったりします。
 それでもやはり、思春期に聴いた本演奏は、イエスキリスト教会の壮麗な録音の響きも含めて、実家の思い出みたいな、そんなノスタルジーがあるのです。

もう一回、第2楽章を聴いて、寝るとしましょう。

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 ロココとのカップリングもよかったな。

数年前、日々、時間があったとき、ドヴォルザークの全作品を毎日毎日聴いてみようと思い、チャレンジしてみた。
作品目録をもとに、作曲順に、多くは手持ちでないので、ネット検索をかけて、だいたいのものは聴けました。
オーケストラ、協奏作品はともかく、あらゆるジャンルにわたるその作品にあふれる歌心と自然愛、そして親しみやすさ。
まさにメロディメーカーであるドヴォルザークを再認識しました。
オペラ、声楽作品、室内楽、ピアノ作品などなど、ほんとに気に入りました。

最近、いろんな連続聴きブログをプロジェクト化してしまってまして、先々の残された時間をどうしようかと思ってますが、ドヴォルザークも、全部は絶対無理だけど、いろいろ取り上げたいと思ってる。
 同様の全曲聴きをチャイコフスキーに対してもやったので、チャイコフスキーも・・・(笑)

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音楽聴くためにも元気でいなくちゃならん。

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2019年12月14日 (土)

ヤンソンスを偲んで ⑤アムステルダム

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いつもながらセンスあふれるコンセルトヘボウのネット上のページ。

そんななかに、ヤンソンスを悼む枠ができるなんて、もっとずっと先のことだと思っていた。
追悼のページを拝見して、センスあふれるなんて、無粋すぎますね....

でもコンセルトヘボウは、ガッティが退任に追い込まれたり、名誉指揮者のハイティンクが勇退、そしてまさかのヤンソンスの死、昨年からこのオーケストラにとって激変が続きます。

ヤンソンス追悼シリーズも終盤。

バイエルン放送響が2003年、ほぼ同じくして、コンセルトヘボウが2004年、ヤンソンスをそれぞれに首席指揮者として任命しました。
ピッツバーグから、ヨーロッパの名門に。
どちらのオーケストラも、これまでに日本に何度もやってきていて、とても馴染みのある存在で、そこに、日本大好きなヤンソンスですから、交互に毎年来日するという夢のような年が続きました。

コンセルトヘボウとの来演で聴いた曲は、「ベートーヴェン2番」「英雄の生涯」「ペトルーシュカ」「悲愴」「エグモント序曲」「ベートーヴェン8番」「新世界」「モーツァルト ピアノ協奏曲25番(内田光子)」「巨人」「ドヴォルザーク8番」「ティル」「ラ・ヴァルス」「マーラー3番」などです。
そして、マーラーをのぞいて、毎回、お馴染みのアンコール曲たち。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

          (2003.6.6 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとは、EMIに91年に幻想を録音してますが、そのとき以来(たぶん)。
コンセルトヘボウの自主レーベルでもありました。
このレーベルのジャケットは、いずれも楽しく、色彩的で、曲のイメージも大づかみにしていて、収集する喜びもありました。
就任まえの「新世界」で、このコンビのスタート直前第1弾。
ヤンソンスらしい、リズム感と歌心にあふれてますが、「ラルゴ」の美しさと痛切さは、なかなかのものです。
そして相変わらず、聴かせ上手で、思わず夢中にさせてしまう音楽づくりで、「新世界」にのめり込んだ少年時代の気分もかくやと、思わせるものです。

ただ、自分の耳に、脳裏に刻み込まれている、フィリップス録音のアムステルダム・コンセルトヘボウの音とは、もはや別物と感じたことも事実。
シャイーになってデッカに録音主体が移ってから、コンセルトヘボウは、もう往年のサウンドとは違うものとなってしまっていたのですが、あの単刀直入すぎるシャーの音楽よりは、ヤンソンスの血も涙もある人間的な音楽造りは、コンセルトヘボウにはお似合いのものかと思ったりもしました。

このあと、2004年には、就任記念演奏会としてのライブ「英雄の生涯」が録音されましたが、その年には私は、その「英雄の生涯」や「悲愴」を東京で聴くことができて、一挙にヤンソンスとコンセルトヘボウの虜となりました。

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   フランク 交響曲 ニ短調

 マリス・ヤンソンス指 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

創立120周年のアニヴァーサリーで、ネット上でジャケットとともにダウンロードできた貴重な1枚。
ハイティンク、ジュリーニ、アーノンクール、バーンスタイン、コンドラシン、ミュンフンなどの指揮者の音源も同時に配信されました。

そう、コンセルトヘボウで聴くフランク。
デ・ワールトの録音しかなく、いまはそれも廃盤。
フランクと同じフランドル系のオーケストラで聴くというのは、この渋い交響曲には理想的なことだと思ってます。
 それをかなえてくれたヤンソンスの指揮。
でも渋いというよりは、全体の色調は明るめで、ヤンソンスらしい爽快さが先にたちます。
しかし、繰り返される循環主題が、いろいろと色調を変えて登場する際の描き分け方は、耳をそばだてることも多く、単調に、そして晦渋になりがちなフランクの音楽がとても聴きやすく、あっという間の40分間となります。
バイエルンでもこの曲は残さなかったのではないかしら・・・

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  マーラー 交響曲第1番「巨人」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

         (2006.11 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウの指揮者になったからには、そう、マーラー。
映像もふくめて、全部残したのかどうか、もうわからなくなってしまいましたし、その半分ぐらいしか聴いてません。
そんななかで、録音と同じころに日本でも聴いた1番が、ヤンソンスにはお似合いの曲だとも思うので、とりあげます。

洗練の度合いを増したこのコンビ、マーラーの陰りを描き出すというよりは、マーラーの音楽にいっぱい詰まったいろんな要素を、完璧に引き出して開陳してみせる感じで、その後のコンセルトヘボウとのマーラーには、そんな、ちょっと綺麗ごとてきなものも感じてしまうこともあった。
美しすぎる録音のせいもあるかもしれない。

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でも、マーラーの実演で、2010年にミューザで聴いた「3番」には、ことのほか圧倒された。→過去記事

最後の楽章に頂点を築いたかのような、そこに向かってひたひたと昇りつめるような演奏に、ホール中の聴き手を金縛りにかけてしまう感がありました。
そして、その終楽章、「愛がわたしに語るもの」は、生涯忘れえぬような感動につつまれ、涙がとまりませんでした・・・・・

このときの来日以降、わたしはヤンソンスを実演で聴くことがありませんでした。
翌年の震災もあり、仕事の方も大不芳に陥り、神奈フィル以外の音楽会に行く余裕すらなくなりました・・・・
 あのときのヤンソンスのマーラーが聴けて。ほんとうによかったと、つくづく思いました。

しかし、しかしですよ、その後のバイエルンとのマーラー第9を聴いた方から、そのときの様子を聞くにつれ、痛恨の極みに包まれるのでありました。。。。。

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  プーランク グローリア

    S:リューバ・オルゴナソヴァ

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
            オランダ放送合唱団

        (2005,12 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとバイエルンに着任して以来、ヤンソンスは声楽作品を積極的に取り上げ続けました。
ドヴォルザークのレクイエムという名演も残しましたが、今回は、ヤンソンスならではの抜群のリズム感と緻密さとが、プーランクの軽妙さと信仰深い神妙さとを見事に描き出した「グローリア」をじっくり聴きました。

ジャケットも美しいものだし、コンセルトヘボウもまた美しい。
カップリングのオネゲルの「典礼風」も、ムラヴィンスキーの得意とした曲で、オスロ時代もいい演奏を残してました。
感動的な3楽章がステキすぎます。

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  ラフマニノフ 交響的舞曲

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

ヤンソンスの残したラフマニノフでは、ロンドン編で取り上げたフィルハーモニアとの2番と並んで、この「交響的舞曲」がいい。
全編、まさに舞曲ともいえるくらいに弾んで、泣いて、むせんで、笑って、爆発する、そんなマーラーも顔負けの喜怒哀楽の激しいラフマニノフの音楽。
コンセルトヘボウの音色がラフマニノフにぴったりとくる。
録音だけのはなしでいえば、マーラーよりもラフマニノフの方が、コンセルトヘボウにはあってる、と思うくらい。
最近、この曲が2番よりもブームじゃないかと世界を見ていて思う。

憂愁で2番ほどベタつかず、長さもほどほどだし、オーケストラの名技性も発揮できるし、なによりも聴いていて面白い。
いま言ったいいところを全部そなえているのがヤンソンスのこの演奏じゃないか、と。

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    チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」

  オネーギン:ボー・スコウフス 
  タチャーナ:クラッシミーラ・ストヤノヴァ
  レンスキー:アンドレイ・ドゥナエフ
  オリガ:エレーナ・マクシモーヴァ
  グレーミン公:ミハイル・ペトレンコ

   演出:シュテファン・ヘアハイム

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
             ネーデルランド・オペラ合唱団

       (2011.6~7 @ネーデルランド・オペラ劇場)

アムステルダムでは、ヤンソンスは、手兵がピットに入るネーデルランド・オペラの指揮台に何度か立ちました。
ウィーンでは何度かあったはずだけど、これまでなかなかできなかった、オペラピットでの指揮。

得意のチャイコフスキーのオペラ、このオネーギンに続いて、2016年には同じヘアハイムの演出で「スペードの女王」も上演してますし、昨年2018年にはザルツブルクで、ノイエンフェレスのオモシロ演出でも「スペードの女王」を指揮してます。
この「スペードの女王」、ヤンソンスはバイエルンでも演奏会形式で取り上げ、そのまま録音もなされました。
作品的には、「オネーギン」より、「スペードの女王」の方が優れているとは思いますが、豊富なメロディがあふれんばかりに詰まっているオネーギンの方が、一般には聴きやすいオペラでしょう。

残念ながら、アムステルダムでの「スペードの女王」はまだ未入手ですので、今回の追悼特集では、「オネーギン」をつまみ聴きしました。
ヘアハイムの演出には「いにしえのロシア」臭はありませんが、ユニークさでは語り尽くせぬものがあります。
舞台には目をつぶって、オケピットのなかの音に耳を集中すると、やはりコンセルトヘボウの優秀さと、音の深みを強く感じる。
ヤンソンスも生来のオペラ指揮者のように、てきぱきと、手際のいい仕事ぶりで、演出で行われていることとは、ちょっと乖離した純正チャイコフスキー・サウンドをピットの中から起ち上げてます。
手紙のアリアや、レンスキーのアリアなど、泣けてきます・・・・・

ヤンソンスのオペラの記録が、あとショスタコーヴィチの「ムツェンスク」を除いてあまり残されず残念でした。
チャイコフスキーは当然として、ムソルグスキー、R.シュトラウスやプッチーニ、ワーグナーの前半の3作などは、ヤンソンス向きだったと思うのです。

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コンセルトヘボウのツイッター。

最後はミュンヘン。

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2019年5月18日 (土)

ドヴォルザーク 「伝説曲」 アルブレヒト指揮

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静岡県の富士宮にある「白糸の滝」

連休中に、ほんとに久しぶりに行きました。
小学校のときの遠足で行きましたが、そのとき以来かも。

富士山の雪解け水が沸きだしたもので、画像のずっと右側にも、まさに白糸のごとく清流があふれてます。

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   ドヴォルザーク 伝説曲 op.59

 ゲルト・アルブレヒト指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

      (1995.4.27 @芸術の家、ドヴォルザークホール、プラハ)

愛すべきドヴォルザークの桂曲。

この作品をブログに取り上げるのは、これで2度目。
前回は2011年の4月で、震災直後の不安な日々に、慰めを求めるようにして聴いて書きました。

そのときにも書きましたが、元来、この曲が好きで、その出会いは、もう40年も前のこと。
大学生のころ、FMで放送されたクーベリック指揮するイギリス室内管のライブ演奏で、エアチェックして何度も聴いた。
クーベリックとイギリス室内管という組み合わせが新鮮でしたし、ドヴォルザークの管弦楽作品に室内オケ、しかも本場でなくイギリスのオケ、という以外な組み合わせに、とても引かれるものがありましたので、曲に加えて、その演奏も大いに気に入って、何度も何度も聴いたものです。
室内オーケストラ、それもそのはず、この10曲からなる組曲のような作品は、もともと40歳のドヴォルザークが2台のピアノのために書いたもので、それを自身で小編成のオーケストラ向けに編曲したものだからです。

全曲にわたって、フォルテ以上大きな音はなく、ゆったりとなだらかに進む、小曲の集まり。
全部聴いても40分ぐらい。
ドヴォルザークならではの、優しいメロディがたっぷりで、次々にあらわれる旋律の数々は、どこかで聴いたことあるような、懐かしさや郷愁を誘うものばかりです。
観たことはありませんが、ボヘミアの森や自然って、この音楽のイメージでもって聴いていのでしょうか。
スラヴ舞曲は、ボヘミアの市井をも反映した人々の音楽って感じですが、伝説曲はそれこそ、ボヘミアの自然と懐かしい昔語りのような雰囲気の音楽に感じます。
このすてきな音楽に、これ以上の言葉はいりませんし、わたくしも、これらの10曲に、それぞれのコメントを残すことなんかできません。
作品の性格上、演奏会で全曲を取り上げられることはありません。
多くの方に、リラックスした気分でもって、ぜひこの音楽を味わって欲しいです。
雨よりは、よく晴れた日に聴いてほしい。

今日のCDは、チェコフィルの主席を93年から96年まで務めたゲルト・アルブレヒトの指揮で。
チェコの人以外の初の主席指揮者ということで、話題になり、その短い任期は何かとうわさされましたが、ここに聴くドヴォルザークは、わりと実務的な演奏に徹するアルブレヒトながら、心をこめて優しさあふれる音色をチェコフィルから引き出していまして、安心してその演奏に身をゆだねることができるものです。
それにしても、チェコフィルの弦は美しい。

アルブレヒトは、読響の指揮者としても長く活躍しましたが、わたくしは、「パルジファル」の上演と、ハンブルクオペラとの「タンホイザー」を観劇したことがあります。
そう、アルブレヒトはオペラ指揮者として、私には親しい存在で、ツェムリンスキーやシュレーカーなどの初録音や開拓で、とても恩義がある方なのです。
同時に、アルブレヒトはドヴィルザークのオペラと声楽作品の掘り起こしと初録音にも取り組んでました。
その途上で亡くなってしまいましたし、しかもその音源もなかなか手に入りにくいものばかり。
ドヴォルザークのオペラも、「ルサルカ」以外にもいい作品がたくさんあるので、じょじょに集めてますので、いつかブログに残したいとも思ってはいますが、時間が・・・・。

過去記事

「ドヴォルザーク 伝説曲 クーベリック指揮」

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白糸といいながら、太いものはかなりの大瀑ですが、その水質は透明で清涼感たっぷりです。

ただ残念なのは、人が多すぎたこと。
しかも、入らないように柵がはってあるのに滝のちかくまで入り込んでいるんだ。
外国の方もたくさんいたのに、それは日本人ですよ。。

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上からみると、こんな感じ。
新緑とともに美しいものです。

この日は、帰りがとてつもない渋滞に巻き込まれてしまい往生しました。
連休も疲れるもんだ。


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2019年5月12日 (日)

ドヴォルザーク ジプシー歌曲集より「母が教えてくれた歌」 フレミング

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柄にもなく、美しいカーネーションのお花を。

そう、母の日に。

そして、音楽も母の日の定番、ドヴォルザークの歌を。

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 ドヴォルザーク 「ジプシー歌曲集」op.55 から
     
    「母が教えてくれた歌」

   ソプラノ:ルネ・フレミング

  サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

           (1997.@ロンドン)

ブラームスと同じくして、ドヴォルザークもジプシーにまつわる音楽を残しました。
7曲の歌曲集のなかの4曲目が、このあまりに有名な作品。

チェコ語とドイツ語、それぞれの歌詞に作曲され、この名旋律は、クライスラーがヴァイオリン作品に編んだことから、世界中で愛される音楽のひとつとなりました。
親しみやすい旋律をやすやすと生み出した、まさにメロディメーカーとしてのドヴォルザークらしい、美しくも、ちょっとセンチメンタルな歌であります。

その歌詞は、ちょっと調べればたくさん出てきますので探してみてください。

家を持たず放浪の生活をするジプシーたち。
歌も、親から子へ語り継がれていった。
母から教えてもらった歌、それをいまは、自分の子らに聴かすこととなった。

親になりわかる、親の気持ち。
まして、母親の気持ちとなれば、あぁ、そうだったのかと、涙が出るほどの感情につつまれることもある。

この長い連休の大半を、私は、育った実家で姉弟ととで母とともに過ごしました。
こんなに長く一緒にいたのは、正月休みや、盆休み以上の長さでありました。
それこそ御代替わりの恩恵でありましょうか、お仕事をされていた方々には、まことに申し訳なく存じますが、連休のありがたみを満喫いたしました。

年々、老いてゆく母。
おりしも、亡父の23回忌も併せて行うことができました。
耳も遠くなり、こちらの声も届かないこともたびたび、さらに、足腰もすっかり弱まり、長く歩くことはままならない。
 よくあることですが、昔語りをさせたら、年寄りにはかないません。
戦時中のこと、親戚の関係筋の話や家系のこと、さらに亡父との出会いのことなどなど、いつも多く、大好きなビールをすすりながら語ってもらいます。
 自分の子らも、いずれも社会人として巣立ちましたが、まだまだ子供たちのことが心配。
この歳になって、母の気持ちがつくづくわかります。
そして、母よ、あなたは強かった!

そんな思いを込めて、ドヴォルザークの名旋律を聴きました。
フレミングの声は、わたくしには濃厚すぎて、ちょっと辛いことがいつもなのですが、オーケストラ伴奏付きなので、これぐらいでちょうどよいかもです。

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母への感謝と、いつまでも元気で、という思いをこめて。

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2019年5月 1日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ジュリーニ指揮

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令和元年の初記事。

東京タワーの麓には、毎年、この時期たくさんの鯉のぼりが泳いでます。


A_3

333匹の鯉のぼりと、1匹だけの「さんまのぼり」。

1枚目の写真に「さんま」、います。

秋に例年開催の三陸大船渡市とのサンマ祭とのコラボです。

 平成の一番の記憶は、わたくしには、東北を中心に襲った東日本大震災のこと。
逃げようもない自然災害の無慈悲さを痛感しました。
そして、国民が絶望と悲しみにおちいる中、先の天皇陛下がテレビで励ましのお言葉を発し、その後被災地を巡ってお声をかけた。
日本は、その象徴としての天皇の下、まさにひとつだということを確信した。

この令和の時代にもいかなる災害が待ち受けているのか?
心の備えも忘れずに、過ごしたいと思う。
そして、日本人としての心も必ず忘れずに。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

            (1977.4,2,6@オーケストラホール、シカゴ)


「新世界」でスタート。
クラシック入門、聴き始めに必ず通る登竜門的な名曲。
今更ながらに、聴いてみると、しみじみと、ほんといい曲だとつくづく思う点で、わたくし的には「田園」と双璧です。

マーラーとブルックナーが人気の主流を占めるなか、それらに並んで、コンサートでも、外来オケでもよくプログラムにのります。
でも、同じドヴォルザークの「8番」のほうが、演奏頻度は高くなったかも。

そんな「新世界」を聴きつくしたリスナーに、いまこそじっくり聴いて欲しい、そんな演奏がジュリーニのシカゴ盤。
丁寧かつ克明な音楽造り。
 この時期、72年頃から、レーベルをまたがって、「第9」を連続的に取り上げ、録音しました。
ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーです。
「悲愴」も晩年作という意味では同一ですが、その多くをシカゴ響と。
作曲者の晩年、ないしは、最後期の作品ということに着目して力を注いだ70年代後半のジュリーニは、自身の円熟と重ね合わせるようにして、各作曲家の晩年作品を深く切り込むようにして録音しました。
この時期において、優秀なシカゴ響は、その思いになくてはならぬものでした。

ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となること。

60年代から、ジュリーニはシカゴとは相思相愛の仲で、剛毅な音楽造りのショルティは、きっちりした造形のなかに、歌心をにじませたジュリーニの存在が必要だったし、コヴェントガーデンで親しく接したジュリーニのことが大好きだったのかもしれません。
 ジュリーニは、ロスフィルの音楽監督のオファーを受けるまえ、シカゴを離れることになったが、ポストを辞したあとも、客演指揮者のトップの扱いを受けつづけ、アバドとともに、シカゴのアイドルであったんだろうと思う。
現音楽監督、ムーティにも通じるイタリア人指揮者との親和性。
ドイツ系、ハンガリー系の指揮者によって培われたシカゴの歴史に、マルティノンも含むラテン系の指揮者たち。
多民族国家のアメリカが生んだ世界最高補のオーケストラ、その指揮者たも多士済々、そのフレキシブルな柔軟さも、まさに最高峰です。

そんなシカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と、これを初めて聴いたときに驚いたものです。
いま聴いても、その思いはかわりません。
ことに、第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなってます。

ちなみに、フィルハーモニア盤も、次のコンセルトヘボウ盤も聴いたことありません。
ジュリーニはDG時代が好きなのですもので。

新世界は、どんな演奏でもいい曲ですから感動します。

でも力演ほど醒めてしまうし、飽きてもしまう。
譜面どおりでは面白くない。
このジュリーニのように指揮者の強い意志でもって聴かせるのも一興だが、案外、こじんまりと、薄めの編成でサラッとやってしまうのもいいかもしれない。
昨年、ネットで聴いた、ティチアーティのスコットランド室内管との退任コンサートでの新世界が、とってもよかった。
まだまだ、いろんな「新世界」の可能性が開かれているのであります。

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平成から令和にかけての連休。

天気はどうも冴えませんが、明るく、わくわく感をともなった、御世代わりをわれわれ日本人は体験できました。

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2018年9月24日 (月)

ドヴォルザーク 後期3大交響曲 マリナー指揮

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あんなに暑くて、文句ばっかりいってたのに、さすがに、暑さ寒さも彼岸まであります。

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   ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 op70

          交響曲第8番 ト長調 op88

                           
  交響曲第9番「新世界より」 ホ短調 op95

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団

              (1981.2、1984.3 ミネソタ)


ネヴィル・マリナーがアメリカのミネソタ管弦楽団の首席指揮者を務めたのは、1979~創立86年で、このフィリップスのドヴォルザーク録音は、その間の蜜月時代に行われたもの。

Minnesota

ミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くミネソタ管は、1903年の創立で、ミネアポリス交響楽団としてスタートし、その歴代指揮者も大物ばかり。

オーマンディ、ミトロプーロス、ドラティ、スクロヴァチェスキー、そして、マリナー、あとは、デ・ワールト、大植英次ときて、いまは、オスモ・ヴァンスカが長期にわたってその任にあります。
オーケストラ・ビルダーとして各オーケストラを鍛え上げたドラティと、ミスターSの略称で20年間親しまれた、スクロヴァチェスキー。このふたりが、ミネソタ管の根本を作り上げた指揮者ではないかと思います。
 それ以降は、数は多くはなけれど、メジャーな指揮者とともに、いい録音がいくつも残ってますし、大植英次の名前を知らしめるようになったのもミネソタ管あってのことかもです。

現在のヴァンスカ首席の元では、経営側と楽団側とのゴタゴタを乗り越え、名コンビとして、素晴らしいシベリウスを聴かせてます。(2番しか聴いたことなけれど)
大都会だけど、大きな州のなかには、湖水も点々とするミネソタ州。
アメリカの各オーケストラにも、それぞれ味があります。

ミネアポリスは、隣りのセントポールと合わせた広域都市圏としてみると、人口335万人の大都市圏となります。
メジャーリーグでは、ミネソタ・ツインズがあって、かつて西岡(ロッテ→ツインズ→阪神)が在籍したところ。
あと、プリンスの出身地でもあります。
こんな大都市が、国内にごろごろあるところが、アメリカという大国の巨大さであります。

Mineapolice

ミネソタ管の本拠地、オーケストラ・ホール(左側・グーグルマップより)

ちなみに、ミネソタ管は、2017年より、日本人指揮者の藤本亜希子さんが、副指揮者として活躍していることも、嬉しいことです。

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マリナーは、のちにアカデミーとも再録音をしているが、私は、そちらは未聴です。
ラトルが初来日したフィルハーモニア管に帯同し、8番を演奏したが、その得意とする8番をまず単独で録音し、3年後に、7番と9番を録音して、一挙に後期3大交響曲を完成させたわけです。
 国内盤でも、8番が単独で出て、そのあとは、3曲がセットで出たので、意外と入手しにくかったような印象を持ってます。

CD時代になって聴いた7、9番。
なかなか素敵なジャケットで、そのデザインは、Sylvan Steenbrink というライターで、いかにもアメリカン、といった作品ばかりで、そのサイトはかなり楽しいものでした。

早めのテンポで、こだわりなく、すいすい進む7番
でも、ときに、ティンパニの強打を見せたり、終楽章でたたみ込むような迫力を見せたりと、思わぬメリハリを展開してみせる。
でも、この7番の一番好きな楽章、2楽章のブラームスがボヘミアにやってきたかのような、内声部のほのぼのとした豊かな歌が、マリナー特有のすっきり感でもって、とても爽やかに聴くことができます。

手の内に入った感のある8番は、明るく軽快に、でも、ここはもっと歌って・・・というところも、す~っと流してしまうところもあって、まさにマリナー風。
昨今、あらゆる指揮者が好んで取り上げる8番だけど、力こぶが入り過ぎてダイナミックになりすぎたり、張り切り過ぎたフォルテでうるさく鳴らしたりという演奏もあるが、マリナーには、そんな効果を狙うような様子はさらさらなく、淡々とバランス良く4つの楽章を聴かせる。
あのメロディアスな3楽章も、楚々たる雰囲気で、これはこれでいい、と思わせます。

9番「新世界」は、繰り返しも行いつつ、これまたスッキリと見通しのいい演奏。
名旋律が次々に繰り広げられるなか、以外や新鮮な内声部が聴こえてくるところがマリナーらしい。
アメリカのオーケストラならば、身に沁みつくほどに演奏し慣れたこの曲だから、穏健なマリナーの指揮に、もっとガンガンやりたいと思う楽員もいたであろう。
そんなオーケストラをうまく抑制しつつ、最後の大団円では、オーケストラを解放させるように、かなりダイナミックな終焉を築きます。
そんななかに、8番のように、楚々たるラルゴが、無垢な感じで、高い秋空に映えたりします。

マリナー卿のドヴォルザーク、秋の始まりに相応しい演奏でした。

2年前の10月2日に、マリナー卿は亡くなりました。

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2017年12月15日 (金)

ドヴォルザーク、マルティヌー、ブラームス フルシャ指揮 東京都交響楽団

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ヤクブ・フルシャ指揮する、東京都交響楽団の定期演奏会を聴いてまいりました。

 東京都交響楽団 第844回定期演奏会

  ドヴォルザーク  序曲「オセロ」

  マルティヌー    交響曲第2番

  ブラームス     交響曲第2番 ニ長調 

    ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団

            (2017.12.11 @東京文化会館)


前半がボヘミア、後半が独墺。
ブラームスとマルティヌー、そしてスークと集中的に取り組んできたフルシャの、首席客演指揮者としての最後のシリーズ。
この回とは別に、マルティヌーとブラームスのそれぞれ1番の交響曲が演奏されて、首席客演のポストの退任となります。

ここ数年、見る間に躍進したフルシャ。
バンベルク響の首席に加え、チェコフィルの首席客演への就任、フィルハーモニア菅にも客演ポストを持っている多忙な指揮者になりました。
ビエロフラーヴェク亡きチェコの音楽界をリードしてゆくことになるでしょう。

さて、渋いドヴォルザークの序曲。
3部作の序曲のひとつ、「オセロ」は、3つの中では一番地味ながら、美しい「自然のなかで」と同じ旋律も出てくるし、じっくり聴けば、いかにもドヴォルザークらしい、優しいメロディにもあふれていて、とても素敵な曲だ。
フルシャの情のこもった指揮に、都響の豊かなサウンド、それに文化会館の木質の響きが加わって、ほのぼの感と、終結部の切れ味のいいエンディングとが、ともにばっちり。
中間部にさらりと出てくる弦の懐かしい旋律に、思わず涙腺が刺激されました。

マルティヌーは、CDでは聴いてはいるが、実演でじっくり聴くのは初めて。(以前に神奈川フィルのゲネプロで4番)
ブラームスの1番と2番の関係にもたとえられるマルティヌーの1番と2番。
CDで聴いているといつも思う、錯綜するややこしさをマルティヌーの音楽に感じていたが、こうしてライブで聴いてみると、この2番の特徴である牧歌的な明るさとともに、マルティヌーが、各楽器をいくつものグループに分けたり、くっつけたりして、いろんなことが同時にそれぞれ進行していくさまが、とてもよくわかって、ほんとうにおもしろかった。
そして、マルティヌーの音楽が、決してモダンでも現代風でもなく、4つの楽章にしっかりと構成された伝統的な交響曲であること、そしてアメリカ亡命先での生涯の活動であったものの、やはりマルティヌーの音楽はチェコのものであること、そんなこともよくわかりました。
 マルティヌー協会の会長もつとめるフルシャの適格な指揮ぶりが、安定してました。
そして、マルティヌーの音楽に、きらきらした色彩も感じ取ることができたのも指揮者の腕前でしょうか。
第二楽章がことに美しく、ときに不安をも感じるほどの楽想の表現もよかったです。
にぎやかな終楽章も楽しくて、ブラボーも飛び交ったのも頷けるノリのよい演奏でした。

 後半は、おなじみのブラームス。
前半は、あまり親しみの少ない音楽だったの比べ、ブラームスの、それも伸びやかな2番ですから、冒頭から会場の雰囲気の和み方が違うように思いました。
 演奏もまさにそのとおりで、オーケストラもほんとうに気持ちよさそうに、体を揺らしながら、ブラームスをたっぷりと奏でております。
その演奏ぶりを、まったく邪魔することなく、オケを信頼して、そして解放してしまったかのような大らかな指揮のフルシャでした。
1楽章の繰り返しもしっかり行いつつ、インテンポでじっくりと仕上げられたブラームス。
忙しい12月に、そして、少し憂鬱な月曜日の締めくくりを、晴れやかな気分にしてくれた喜びに満ちた終楽章で、今度は聴き手みんなの心を明るく解き放ってくれた演奏でした。
 気持ちいい~

大きな拍手は鳴りやむことなく、そして楽員を称えるフルシャさん、次の会にはおそらく降り番なのでしょうか、コンマスの四方さんに敬意を込めて両頬にキッス。
退任の感謝のご挨拶、とても微笑ましく、そしてとても紳士的でした。

素敵な演奏会をありがとうございました。

帰りに、上野駅のパンダフルクリスマスをばパシャリとしました。

Pandatree

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2017年10月29日 (日)

ドヴォルザーク レクイエム ケルテス指揮

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カメラの絞り機能が不全で、かえってこんなに幻想的な写真が撮れました。

あざみの花もぼけてしまい、影に覆われ、ぼんやりとした夕焼けとちぎれた雲が寂しい。

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     ドヴォルザーク   レクイエム op.89

 S:ピラール・ローレンガー        A:エルジェーベト・コムロッシ
 T:ロバート・イロースファルヴァイ   B:トム・クラウセ

   イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団
                      アンブロジアン・シンガーズ
                      合唱指揮:ジョン・マッカーシー

              (1968.12 @ロンドン、キングスウェイホール) 


自分の持つCDは、ダブルデッカのもので、こちらの画像とは違いますが、子供時代に見た、このジャケットが、やたらと思い出にあるので、デッカの初出時のものを拝借しました。
ロンドンレコードから出た邦盤は、大きな白枠ベースの中に、この絵画。
 1971年ごろに出た「ケルテスのドヴォルザークのレクイエム」は、レコ芸のオレンジ色のロンドンレコードの広告で、大きな紙面を割いてのものでした。

この絵画は、ブリューゲルの「十字架を担うキリスト」で、手前に磔刑に向かうイエスを嘆き、悲しむマリア一行がまず目に入る構図。
十字架を負うイエスは、連行する軍と日常の生活を送る人々の中に埋もれるようにして見える。右奥のサークルは、処刑場だ。
人々は、ブリューゲルの生きた16世紀の頃の存在になっている。
背景や、カラス、全愛の構図等、とても恐ろしく、そして悲しみに満ちた絵画に思います。

ドヴォルザークのレクイエムは、死の恐ろしさや、悲しみもあるけれど、もっとそれ以上に優しく、神への帰依と信頼にあふれた孤高の作品でありました。。。


音楽聴き始めの少年にとって、ドヴォルザークは新世界だし、ケルテスも新世界、レクイエムは、モーツァルトとヴェルデイしか、存在すら知らない。
なのに、ドヴォルザークのレクイエムって、しかも2LPでやたらと長そう・・・・

そんな思いをずっと引きずって、同じドヴォルザークの「スターバトマーテル」はやたらと聴くけれど、レクイエムは、常に遠い存在だった。
 遅ればせながら、この夏に、「ドヴォルザークのレクイエム」は、わたくしの心にピタリと符合するようにして、近しい存在としてやってきてくれました。

今年から事務所詰めが多くなったので、音楽を垂れ流し。
ドヴォルザークの全作品を、手持ち音源と、ネットで聞き流してやろうと思いつき、2か月かけてやってみましたよ。
イマイチ初期交響曲や、どれもこれもおんなじに聴こえちゃう室内楽も、あらためて体系的に、そして作曲順に聴いてみれば、それぞれが、ドヴォルザーク特有のメロディとリズムにあふれていることが日に日にわかるように。
 今回、とくによかったのが、弦楽四重奏や五重奏系、それと抒情的なピアノ曲たち。
それと味わい深いオラトリオ、ミサ、テ・デウム、聖書の歌などの声楽作品に、むにゃむにゃ系のチェコ語は難解ながら、メロデイふんだんなオペラ(さすがに音源なしもあります)。

そんななかでの「レクイエム」は手持ち音源のケルテス盤と、エアチェック音源の、ルイゾッテイ盤(ベルリンフィル)、youtubeにあった、パリの教会での演奏会を繰り返し視聴。

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1884年に、ロンドンのフィルハーモック協会の招聘で、ロンドンに赴き、「スターバト・マーテル」を演奏して、大絶賛され、ここからイギリスとの蜜月が始まるドヴォルザーク。
交響曲第7番や、8番もこうして生まれた。
 同時に、数々の名誉にも授かった充実のこの時期。
オーストリア=ハンガリー帝国皇帝から鉄王冠章、チェコ芸術アカデミー会員への推挙、プラハ音楽大学教授、カレル大学名誉博士・・・
 こんな時期に、バーミンガム合唱音楽祭からの委嘱で、1890年、10か月をかけて作曲されたのが「レクイエム」。

7年前に書かれたヴェルデイのレクイエムのことは、きっと頭にあったドヴォルザーク。
編成や、音楽の規模は、ほぼ同じ。
 特定の人物(マンゾーニ)の追悼の意図をもってかかれたヴェルディのそれは、死者のためのミサ曲であるレクイエムのとして、劇的かつ歌謡性にも富んだ壮大な作品。
ドヴォルザークの方は、特定の追悼の対象はなく、熱心なカトリック信者だった作曲者の内面の吐露であるとともに、シンフォニストとして、巧みな筆致を駆使した総決算的な作品なのだ。

通常のラテン語典礼文を使いながら、切り分けや、区切りを自由に行っていて、四角四面のレクイエムでもない。
ディエスイレはありますが、ヴェルディのような咆哮はなく、短めで簡潔。
むしろ、のちのフォーレ的なスタンスも後半には感じる。

曲は、大きく分けて二部。
1部は、入祭唱たるRequiem Aeternamから始まり、昇階唱、ディエスイレ、トゥーバ・ミルム、レコルダーレ、呪われしものConfutatis、そしてラクリモーサで締める。
 第2部は、奉献唱Offertorium、Hostias、サンクトゥス、Pie Jesu、アニュス・デイ。
ここでは、1部のラクリモーサのなかの、Pie Jesuが再現されるところが、この作品のキモかもしれない。
 冒頭にあらわれる旋律が、モットーとなって、全曲の重要な局面で使われていることで、大曲を引き締め、統一感を持たせることにもなっている。

1部は、峻厳できびしい雰囲気が漂い、神への痛切な祈りと死への涙にあふれているが、2部では、優しいドヴォルザークの目線を感じる、慰めと静かな祈りの世界。

合唱は、しばし、アカペラで歌い、ソロ歌手たちの扱いも、絶叫シーンはなく、静かな語り口のものが多い。
オーケストラも中間トーンで渋いが、よく聴きこむと、ソロや合唱を引き立てるとともに、単なる合いの手ばかりでなく、いろんなフレーズが、いろんな楽器の巧みな使い方で飛び出してきて、オケだけに注目して聴いてみても、大いに楽しめた。
とりわけ、2部が素晴らしいと思ってます。
Pie Jesuから、Agnus Deiの終曲ふたつは、絶品で、しんしんと深まる夜、静かに聴くに相応しく、心、休まります。
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録音時38歳だったケルテスの熱い指揮ぶりと、緻密な全体を見通す指揮ぶりとが、こうした大曲では、見事に発揮される。
有能な指揮者のもとに、オーケストラも歌い手たちも、完全一体化している。
ソロでは、ローレンガーの清らかな声が素敵だ。

この録音の5年後には、43歳で、テルアヴィブの海で亡くなってしまうケルテスだが、イスラエルフィルの客演に、ケルンから同行していたのが、バスの岡村喬生さん。
一緒に海に行ったのが、その岡村さんと、ルチア・ポップとイルゼ・グラマツキとのこと、岡村さんの著書に、その顛末が詳しく、ネットでも読めます。
読んでて、涙がでました。
そのときのイスラエルフィルでの演奏、ハイドンのネルソンミサも音源化されてます。

ケルテス、いい指揮者だった。
存命してれば、とも思いつつ、ドヴォルザークのレクイエムを聴きました。

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2017年7月23日 (日)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」 カラヤン指揮

Mitama

7月15日の靖国神社、みたま祭り。

かつては、御霊祭りと書かれていたように記憶するけど、いまは、みたま祭り。

もう何度もここで書いているけど、社会人生活を始めた会社が、靖国神社のすぐそばにあって、新人1年目の夏に、同期で御霊祭りに行ったけれど、その頃は、よくある村の神社の夏祭りみたいで、屋台は各種たくさんあり、おまけに、お化け屋敷とか、明らかに昭和な感じの、ろくろ首などの見世物小屋なんかも。。。

いろんな経緯を経て、屋台・出し物を取りやめて、光の演出のもと、盆踊りや神輿、日本各地の踊りなど、シンプルな祭りが定着し、参拝と祭り参加の方々も、若い人たちに加えて、海外の方々がとても多くなりました。

いろんな思いを心に、しっかり参拝、そしてひとり、祭りを楽しみました。

Dvorak_karajan

ドヴォルザーク  交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1964.3 @ベルリン、イエスキリスト教会)

このところ、外出をしない場合は、仕事をしながらでも、音楽を流していることが多くなった。
ながら聴きのたぐいだが、それが結構聴けちゃう。

交響曲の歴史をたどろうと、ハイドン前は端折って、そのパパ・ハイドンから始め、そうはいいつつ、全作無理だから、モーツァルトも同じように、後半の作品のみを。
ベートーヴェンに、シューベルトに、ベルリオーズに・・・・、そして、チャイコフスキーにたどり着いたら、思い切って、全作品を、と思い立ち、ネットで聴ける限りの作品を、オペラや器楽・室内もろとも聞き流し倒した!

そして、いまは、ドヴォルザーク中。
初期の交響曲は、なかなかにう~む・・・的だったけど、ふんだんにある室内楽作品やピアノ曲に魅せられた。
あと、声楽作品も素晴らしく、金太郎飴的な感じもあるが、どれもこれも、なみなみとしたメロディにあふれまくっているんだ。
オペラは、その音源自体がなくて、その大半は聴けないが、ルサルカだけじゃないよ、と確信。

後期に入って、新世界にアメリカに、いままでにない聴き方もできた気もする。

 それと、もうひとつ。
カラヤンを再び聴こう、という最近の思いだ。

恥ずかしながら、カラヤンの新世界は、初めて聴いた。
音楽入門の小中学の頃、なんでもかんでもカラヤンばかり。
でも新世界は、ケルテスを買ってしまったから、同じ曲の異演などは買うことができない少年時代だった。
 しかし、いつの日からか、アンチカラヤンに転じた自分。
オペラのカラヤン以外は、ことごとく聴かなくなった。

でも、いまは、60~70年代、DG時代のカラヤンを、当時聴けなかったという想いの裏返しもあり、少しづつ聴き始めたのだ。
カラヤン好きだった少年時代に刷り込みとなった、チャイコフスキー5番も、ほかの番号を、断片的だったベートーヴェンも、まったく手つかずだったブラームスもだ。

で、入手したカラヤンの新世界。

おー、なんてカッコいいんだろ。
この作品の、勇壮さや、郷愁感、爽快感、そんなイメージを、しっかりわしづかみにして、ベルリンフィルの高度な演奏能力を余すことなく開陳してみせた、そんな演奏。
 そんな行き届いた心地よさが、大昔の自分にはもどかしかったのだろうか。

クラシック聴き始めのころへのノスタルジーも、この時代のカラヤンを、やたらと聴いてみたいという想いを後押ししているかもしれない。

でもしかし、いま真摯に聴いてみて、きわめて音楽的で、どの楽器も思い切り鳴りきっているさまは、いまの高規格世界標準化してしまったベルリンフィルと同じではあるものの、まだまだローカルドイツの重厚さを保っていることも実感できた。

第2楽章には、ホロリときてしまった。
コッホが吹いているのかしら、フルートはツェラー、クラリネットはライスター、ホルンはザイフェルトかな・・・・なんて思いながら聴くのも楽しかった。

カラヤン、見直し中、ドヴォルザークのいろんなメロディも、日々駆け巡り中。

Komachu

靖国のあとは、神保町まで下って、ほっぴーなる、お神酒をいただきました(笑)

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