カテゴリー「ドヴォルザーク」の記事

2019年5月18日 (土)

ドヴォルザーク 「伝説曲」 アルブレヒト指揮

Shiraito-2

静岡県の富士宮にある「白糸の滝」

連休中に、ほんとに久しぶりに行きました。
小学校のときの遠足で行きましたが、そのとき以来かも。

富士山の雪解け水が沸きだしたもので、画像のずっと右側にも、まさに白糸のごとく清流があふれてます。

Dvorak-legends-3

   ドヴォルザーク 伝説曲 op.59

 ゲルト・アルブレヒト指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

      (1995.4.27 @芸術の家、ドヴォルザークホール、プラハ)

愛すべきドヴォルザークの桂曲。

この作品をブログに取り上げるのは、これで2度目。
前回は2011年の4月で、震災直後の不安な日々に、慰めを求めるようにして聴いて書きました。

そのときにも書きましたが、元来、この曲が好きで、その出会いは、もう40年も前のこと。
大学生のころ、FMで放送されたクーベリック指揮するイギリス室内管のライブ演奏で、エアチェックして何度も聴いた。
クーベリックとイギリス室内管という組み合わせが新鮮でしたし、ドヴォルザークの管弦楽作品に室内オケ、しかも本場でなくイギリスのオケ、という以外な組み合わせに、とても引かれるものがありましたので、曲に加えて、その演奏も大いに気に入って、何度も何度も聴いたものです。
室内オーケストラ、それもそのはず、この10曲からなる組曲のような作品は、もともと40歳のドヴォルザークが2台のピアノのために書いたもので、それを自身で小編成のオーケストラ向けに編曲したものだからです。

全曲にわたって、フォルテ以上大きな音はなく、ゆったりとなだらかに進む、小曲の集まり。
全部聴いても40分ぐらい。
ドヴォルザークならではの、優しいメロディがたっぷりで、次々にあらわれる旋律の数々は、どこかで聴いたことあるような、懐かしさや郷愁を誘うものばかりです。
観たことはありませんが、ボヘミアの森や自然って、この音楽のイメージでもって聴いていのでしょうか。
スラヴ舞曲は、ボヘミアの市井をも反映した人々の音楽って感じですが、伝説曲はそれこそ、ボヘミアの自然と懐かしい昔語りのような雰囲気の音楽に感じます。
このすてきな音楽に、これ以上の言葉はいりませんし、わたくしも、これらの10曲に、それぞれのコメントを残すことなんかできません。
作品の性格上、演奏会で全曲を取り上げられることはありません。
多くの方に、リラックスした気分でもって、ぜひこの音楽を味わって欲しいです。
雨よりは、よく晴れた日に聴いてほしい。

今日のCDは、チェコフィルの主席を93年から96年まで務めたゲルト・アルブレヒトの指揮で。
チェコの人以外の初の主席指揮者ということで、話題になり、その短い任期は何かとうわさされましたが、ここに聴くドヴォルザークは、わりと実務的な演奏に徹するアルブレヒトながら、心をこめて優しさあふれる音色をチェコフィルから引き出していまして、安心してその演奏に身をゆだねることができるものです。
それにしても、チェコフィルの弦は美しい。

アルブレヒトは、読響の指揮者としても長く活躍しましたが、わたくしは、「パルジファル」の上演と、ハンブルクオペラとの「タンホイザー」を観劇したことがあります。
そう、アルブレヒトはオペラ指揮者として、私には親しい存在で、ツェムリンスキーやシュレーカーなどの初録音や開拓で、とても恩義がある方なのです。
同時に、アルブレヒトはドヴィルザークのオペラと声楽作品の掘り起こしと初録音にも取り組んでました。
その途上で亡くなってしまいましたし、しかもその音源もなかなか手に入りにくいものばかり。
ドヴォルザークのオペラも、「ルサルカ」以外にもいい作品がたくさんあるので、じょじょに集めてますので、いつかブログに残したいとも思ってはいますが、時間が・・・・。

過去記事

「ドヴォルザーク 伝説曲 クーベリック指揮」

Shiraito-3

白糸といいながら、太いものはかなりの大瀑ですが、その水質は透明で清涼感たっぷりです。

ただ残念なのは、人が多すぎたこと。
しかも、入らないように柵がはってあるのに滝のちかくまで入り込んでいるんだ。
外国の方もたくさんいたのに、それは日本人ですよ。。

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上からみると、こんな感じ。
新緑とともに美しいものです。

この日は、帰りがとてつもない渋滞に巻き込まれてしまい往生しました。
連休も疲れるもんだ。


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2019年5月12日 (日)

ドヴォルザーク ジプシー歌曲集より「母が教えてくれた歌」 フレミング

Carnation

柄にもなく、美しいカーネーションのお花を。

そう、母の日に。

そして、音楽も母の日の定番、ドヴォルザークの歌を。

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 ドヴォルザーク 「ジプシー歌曲集」op.55 から
     
    「母が教えてくれた歌」

   ソプラノ:ルネ・フレミング

  サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

           (1997.@ロンドン)

ブラームスと同じくして、ドヴォルザークもジプシーにまつわる音楽を残しました。
7曲の歌曲集のなかの4曲目が、このあまりに有名な作品。

チェコ語とドイツ語、それぞれの歌詞に作曲され、この名旋律は、クライスラーがヴァイオリン作品に編んだことから、世界中で愛される音楽のひとつとなりました。
親しみやすい旋律をやすやすと生み出した、まさにメロディメーカーとしてのドヴォルザークらしい、美しくも、ちょっとセンチメンタルな歌であります。

その歌詞は、ちょっと調べればたくさん出てきますので探してみてください。

家を持たず放浪の生活をするジプシーたち。
歌も、親から子へ語り継がれていった。
母から教えてもらった歌、それをいまは、自分の子らに聴かすこととなった。

親になりわかる、親の気持ち。
まして、母親の気持ちとなれば、あぁ、そうだったのかと、涙が出るほどの感情につつまれることもある。

この長い連休の大半を、私は、育った実家で姉弟ととで母とともに過ごしました。
こんなに長く一緒にいたのは、正月休みや、盆休み以上の長さでありました。
それこそ御代替わりの恩恵でありましょうか、お仕事をされていた方々には、まことに申し訳なく存じますが、連休のありがたみを満喫いたしました。

年々、老いてゆく母。
おりしも、亡父の23回忌も併せて行うことができました。
耳も遠くなり、こちらの声も届かないこともたびたび、さらに、足腰もすっかり弱まり、長く歩くことはままならない。
 よくあることですが、昔語りをさせたら、年寄りにはかないません。
戦時中のこと、親戚の関係筋の話や家系のこと、さらに亡父との出会いのことなどなど、いつも多く、大好きなビールをすすりながら語ってもらいます。
 自分の子らも、いずれも社会人として巣立ちましたが、まだまだ子供たちのことが心配。
この歳になって、母の気持ちがつくづくわかります。
そして、母よ、あなたは強かった!

そんな思いを込めて、ドヴォルザークの名旋律を聴きました。
フレミングの声は、わたくしには濃厚すぎて、ちょっと辛いことがいつもなのですが、オーケストラ伴奏付きなので、これぐらいでちょうどよいかもです。

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母への感謝と、いつまでも元気で、という思いをこめて。

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2019年5月 1日 (水)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ジュリーニ指揮

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令和元年の初記事。

東京タワーの麓には、毎年、この時期たくさんの鯉のぼりが泳いでます。


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333匹の鯉のぼりと、1匹だけの「さんまのぼり」。

1枚目の写真に「さんま」、います。

秋に例年開催の三陸大船渡市とのサンマ祭とのコラボです。

 平成の一番の記憶は、わたくしには、東北を中心に襲った東日本大震災のこと。
逃げようもない自然災害の無慈悲さを痛感しました。
そして、国民が絶望と悲しみにおちいる中、先の天皇陛下がテレビで励ましのお言葉を発し、その後被災地を巡ってお声をかけた。
日本は、その象徴としての天皇の下、まさにひとつだということを確信した。

この令和の時代にもいかなる災害が待ち受けているのか?
心の備えも忘れずに、過ごしたいと思う。
そして、日本人としての心も必ず忘れずに。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団

            (1977.4,2,6@オーケストラホール、シカゴ)


「新世界」でスタート。
クラシック入門、聴き始めに必ず通る登竜門的な名曲。
今更ながらに、聴いてみると、しみじみと、ほんといい曲だとつくづく思う点で、わたくし的には「田園」と双璧です。

マーラーとブルックナーが人気の主流を占めるなか、それらに並んで、コンサートでも、外来オケでもよくプログラムにのります。
でも、同じドヴォルザークの「8番」のほうが、演奏頻度は高くなったかも。

そんな「新世界」を聴きつくしたリスナーに、いまこそじっくり聴いて欲しい、そんな演奏がジュリーニのシカゴ盤。
丁寧かつ克明な音楽造り。
 この時期、72年頃から、レーベルをまたがって、「第9」を連続的に取り上げ、録音しました。
ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーです。
「悲愴」も晩年作という意味では同一ですが、その多くをシカゴ響と。
作曲者の晩年、ないしは、最後期の作品ということに着目して力を注いだ70年代後半のジュリーニは、自身の円熟と重ね合わせるようにして、各作曲家の晩年作品を深く切り込むようにして録音しました。
この時期において、優秀なシカゴ響は、その思いになくてはならぬものでした。

ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となること。

60年代から、ジュリーニはシカゴとは相思相愛の仲で、剛毅な音楽造りのショルティは、きっちりした造形のなかに、歌心をにじませたジュリーニの存在が必要だったし、コヴェントガーデンで親しく接したジュリーニのことが大好きだったのかもしれません。
 ジュリーニは、ロスフィルの音楽監督のオファーを受けるまえ、シカゴを離れることになったが、ポストを辞したあとも、客演指揮者のトップの扱いを受けつづけ、アバドとともに、シカゴのアイドルであったんだろうと思う。
現音楽監督、ムーティにも通じるイタリア人指揮者との親和性。
ドイツ系、ハンガリー系の指揮者によって培われたシカゴの歴史に、マルティノンも含むラテン系の指揮者たち。
多民族国家のアメリカが生んだ世界最高補のオーケストラ、その指揮者たも多士済々、そのフレキシブルな柔軟さも、まさに最高峰です。

そんなシカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と、これを初めて聴いたときに驚いたものです。
いま聴いても、その思いはかわりません。
ことに、第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなってます。

ちなみに、フィルハーモニア盤も、次のコンセルトヘボウ盤も聴いたことありません。
ジュリーニはDG時代が好きなのですもので。

新世界は、どんな演奏でもいい曲ですから感動します。

でも力演ほど醒めてしまうし、飽きてもしまう。
譜面どおりでは面白くない。
このジュリーニのように指揮者の強い意志でもって聴かせるのも一興だが、案外、こじんまりと、薄めの編成でサラッとやってしまうのもいいかもしれない。
昨年、ネットで聴いた、ティチアーティのスコットランド室内管との退任コンサートでの新世界が、とってもよかった。
まだまだ、いろんな「新世界」の可能性が開かれているのであります。

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平成から令和にかけての連休。

天気はどうも冴えませんが、明るく、わくわく感をともなった、御世代わりをわれわれ日本人は体験できました。

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2018年9月24日 (月)

ドヴォルザーク 後期3大交響曲 マリナー指揮

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あんなに暑くて、文句ばっかりいってたのに、さすがに、暑さ寒さも彼岸まであります。

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   ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 op70

          交響曲第8番 ト長調 op88

                           
  交響曲第9番「新世界より」 ホ短調 op95

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団

              (1981.2、1984.3 ミネソタ)


ネヴィル・マリナーがアメリカのミネソタ管弦楽団の首席指揮者を務めたのは、1979~創立86年で、このフィリップスのドヴォルザーク録音は、その間の蜜月時代に行われたもの。

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ミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くミネソタ管は、1903年の創立で、ミネアポリス交響楽団としてスタートし、その歴代指揮者も大物ばかり。
オーマンディ、ミトロプーロス、ドラティ、スクロヴァチェスキー、そして、マリナー、あとは、デ・ワールト、大植英次ときて、いまは、オスモ・ヴァンスカが長期にわたってその任にあります。
オーケストラ・ビルダーとして各オーケストラを鍛え上げたドラティと、ミスターSの略称で20年間親しまれた、スクロヴァチェスキー。このふたりが、ミネソタ管の根本を作り上げた指揮者ではないかと思います。
 それ以降は、数は多くはなけれど、メジャーな指揮者とともに、いい録音がいくつも残ってますし、大植英次の名前を知らしめるようになったのもミネソタ管あってのことかもです。

現在のヴァンスカ首席の元では、経営側と楽団側とのゴタゴタを乗り越え、名コンビとして、素晴らしいシベリウスを聴かせてます。(2番しか聴いたことなけれど)
大都会だけど、大きな州のなかには、湖水も点々とするミネソタ州。
アメリカの各オーケストラにも、それぞれ味があります。

ミネアポリスは、隣りのセントポールと合わせた広域都市圏としてみると、人口335万人の大都市圏となります。
メジャーリーグでは、ミネソタ・ツインズがあって、かつて西岡(ロッテ→ツインズ→阪神)が在籍したところ。
あと、プリンスの出身地でもあります。
こんな大都市が、国内にごろごろあるところが、アメリカという大国の巨大さであります。

Mineapolice

ミネソタ管の本拠地、オーケストラ・ホール(左側・グーグルマップより)

ちなみに、ミネソタ管は、2017年より、日本人指揮者の藤本亜希子さんが、副指揮者として活躍していることも、嬉しいことです。

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マリナーは、のちにアカデミーとも再録音をしているが、私は、そちらは未聴です。
ラトルが初来日したフィルハーモニア管に帯同し、8番を演奏したが、その得意とする8番をまず単独で録音し、3年後に、7番と9番を録音して、一挙に後期3大交響曲を完成させたわけです。
 国内盤でも、8番が単独で出て、そのあとは、3曲がセットで出たので、意外と入手しにくかったような印象を持ってます。

CD時代になって聴いた7、9番。
なかなか素敵なジャケットで、そのデザインは、Sylvan Steenbrink というライターで、いかにもアメリカン、といった作品ばかりで、そのサイトはかなり楽しいものでした。

早めのテンポで、こだわりなく、すいすい進む7番
でも、ときに、ティンパニの強打を見せたり、終楽章でたたみ込むような迫力を見せたりと、思わぬメリハリを展開してみせる。
でも、この7番の一番好きな楽章、2楽章のブラームスがボヘミアにやってきたかのような、内声部のほのぼのとした豊かな歌が、マリナー特有のすっきり感でもって、とても爽やかに聴くことができます。

手の内に入った感のある8番は、明るく軽快に、でも、ここはもっと歌って・・・というところも、す~っと流してしまうところもあって、まさにマリナー風。
昨今、あらゆる指揮者が好んで取り上げる8番だけど、力こぶが入り過ぎてダイナミックになりすぎたり、張り切り過ぎたフォルテでうるさく鳴らしたりという演奏もあるが、マリナーには、そんな効果を狙うような様子はさらさらなく、淡々とバランス良く4つの楽章を聴かせる。
あのメロディアスな3楽章も、楚々たる雰囲気で、これはこれでいい、と思わせます。

9番「新世界」は、繰り返しも行いつつ、これまたスッキリと見通しのいい演奏。
名旋律が次々に繰り広げられるなか、以外や新鮮な内声部が聴こえてくるところがマリナーらしい。
アメリカのオーケストラならば、身に沁みつくほどに演奏し慣れたこの曲だから、穏健なマリナーの指揮に、もっとガンガンやりたいと思う楽員もいたであろう。
そんなオーケストラをうまく抑制しつつ、最後の大団円では、オーケストラを解放させるように、かなりダイナミックな終焉を築きます。
そんななかに、8番のように、楚々たるラルゴが、無垢な感じで、高い秋空に映えたりします。

マリナー卿のドヴォルザーク、秋の始まりに相応しい演奏でした。

2年前の10月2日に、マリナー卿は亡くなりました。

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2017年12月15日 (金)

ドヴォルザーク、マルティヌー、ブラームス フルシャ指揮 東京都交響楽団

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ヤクブ・フルシャ指揮する、東京都交響楽団の定期演奏会を聴いてまいりました。

 東京都交響楽団 第844回定期演奏会

  ドヴォルザーク  序曲「オセロ」

  マルティヌー    交響曲第2番

  ブラームス     交響曲第2番 ニ長調 

    ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団

            (2017.12.11 @東京文化会館)


前半がボヘミア、後半が独墺。
ブラームスとマルティヌー、そしてスークと集中的に取り組んできたフルシャの、首席客演指揮者としての最後のシリーズ。
この回とは別に、マルティヌーとブラームスのそれぞれ1番の交響曲が演奏されて、首席客演のポストの退任となります。

ここ数年、見る間に躍進したフルシャ。
バンベルク響の首席に加え、チェコフィルの首席客演への就任、フィルハーモニア菅にも客演ポストを持っている多忙な指揮者になりました。
ビエロフラーヴェク亡きチェコの音楽界をリードしてゆくことになるでしょう。

さて、渋いドヴォルザークの序曲。
3部作の序曲のひとつ、「オセロ」は、3つの中では一番地味ながら、美しい「自然のなかで」と同じ旋律も出てくるし、じっくり聴けば、いかにもドヴォルザークらしい、優しいメロディにもあふれていて、とても素敵な曲だ。
フルシャの情のこもった指揮に、都響の豊かなサウンド、それに文化会館の木質の響きが加わって、ほのぼの感と、終結部の切れ味のいいエンディングとが、ともにばっちり。
中間部にさらりと出てくる弦の懐かしい旋律に、思わず涙腺が刺激されました。

マルティヌーは、CDでは聴いてはいるが、実演でじっくり聴くのは初めて。(以前に神奈川フィルのゲネプロで4番)
ブラームスの1番と2番の関係にもたとえられるマルティヌーの1番と2番。
CDで聴いているといつも思う、錯綜するややこしさをマルティヌーの音楽に感じていたが、こうしてライブで聴いてみると、この2番の特徴である牧歌的な明るさとともに、マルティヌーが、各楽器をいくつものグループに分けたり、くっつけたりして、いろんなことが同時にそれぞれ進行していくさまが、とてもよくわかって、ほんとうにおもしろかった。
そして、マルティヌーの音楽が、決してモダンでも現代風でもなく、4つの楽章にしっかりと構成された伝統的な交響曲であること、そしてアメリカ亡命先での生涯の活動であったものの、やはりマルティヌーの音楽はチェコのものであること、そんなこともよくわかりました。
 マルティヌー協会の会長もつとめるフルシャの適格な指揮ぶりが、安定してました。
そして、マルティヌーの音楽に、きらきらした色彩も感じ取ることができたのも指揮者の腕前でしょうか。
第二楽章がことに美しく、ときに不安をも感じるほどの楽想の表現もよかったです。
にぎやかな終楽章も楽しくて、ブラボーも飛び交ったのも頷けるノリのよい演奏でした。

 後半は、おなじみのブラームス。
前半は、あまり親しみの少ない音楽だったの比べ、ブラームスの、それも伸びやかな2番ですから、冒頭から会場の雰囲気の和み方が違うように思いました。
 演奏もまさにそのとおりで、オーケストラもほんとうに気持ちよさそうに、体を揺らしながら、ブラームスをたっぷりと奏でております。
その演奏ぶりを、まったく邪魔することなく、オケを信頼して、そして解放してしまったかのような大らかな指揮のフルシャでした。
1楽章の繰り返しもしっかり行いつつ、インテンポでじっくりと仕上げられたブラームス。
忙しい12月に、そして、少し憂鬱な月曜日の締めくくりを、晴れやかな気分にしてくれた喜びに満ちた終楽章で、今度は聴き手みんなの心を明るく解き放ってくれた演奏でした。
 気持ちいい~

大きな拍手は鳴りやむことなく、そして楽員を称えるフルシャさん、次の会にはおそらく降り番なのでしょうか、コンマスの四方さんに敬意を込めて両頬にキッス。
退任の感謝のご挨拶、とても微笑ましく、そしてとても紳士的でした。

素敵な演奏会をありがとうございました。

帰りに、上野駅のパンダフルクリスマスをばパシャリとしました。

Pandatree

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2017年10月29日 (日)

ドヴォルザーク レクイエム ケルテス指揮

Shiba_park

カメラの絞り機能が不全で、かえってこんなに幻想的な写真が撮れました。

あざみの花もぼけてしまい、影に覆われ、ぼんやりとした夕焼けとちぎれた雲が寂しい。

Dvorak_requiem_kertesz

     ドヴォルザーク   レクイエム op.89

 S:ピラール・ローレンガー        A:エルジェーベト・コムロッシ
 T:ロバート・イロースファルヴァイ   B:トム・クラウセ

   イシュトヴァン・ケルテス指揮 ロンドン交響楽団
                      アンブロジアン・シンガーズ
                      合唱指揮:ジョン・マッカーシー

              (1968.12 @ロンドン、キングスウェイホール) 


自分の持つCDは、ダブルデッカのもので、こちらの画像とは違いますが、子供時代に見た、このジャケットが、やたらと思い出にあるので、デッカの初出時のものを拝借しました。
ロンドンレコードから出た邦盤は、大きな白枠ベースの中に、この絵画。
 1971年ごろに出た「ケルテスのドヴォルザークのレクイエム」は、レコ芸のオレンジ色のロンドンレコードの広告で、大きな紙面を割いてのものでした。

この絵画は、ブリューゲルの「十字架を担うキリスト」で、手前に磔刑に向かうイエスを嘆き、悲しむマリア一行がまず目に入る構図。
十字架を負うイエスは、連行する軍と日常の生活を送る人々の中に埋もれるようにして見える。右奥のサークルは、処刑場だ。
人々は、ブリューゲルの生きた16世紀の頃の存在になっている。
背景や、カラス、全愛の構図等、とても恐ろしく、そして悲しみに満ちた絵画に思います。

ドヴォルザークのレクイエムは、死の恐ろしさや、悲しみもあるけれど、もっとそれ以上に優しく、神への帰依と信頼にあふれた孤高の作品でありました。。。


音楽聴き始めの少年にとって、ドヴォルザークは新世界だし、ケルテスも新世界、レクイエムは、モーツァルトとヴェルデイしか、存在すら知らない。
なのに、ドヴォルザークのレクイエムって、しかも2LPでやたらと長そう・・・・

そんな思いをずっと引きずって、同じドヴォルザークの「スターバトマーテル」はやたらと聴くけれど、レクイエムは、常に遠い存在だった。
 遅ればせながら、この夏に、「ドヴォルザークのレクイエム」は、わたくしの心にピタリと符合するようにして、近しい存在としてやってきてくれました。

今年から事務所詰めが多くなったので、音楽を垂れ流し。
ドヴォルザークの全作品を、手持ち音源と、ネットで聞き流してやろうと思いつき、2か月かけてやってみましたよ。
イマイチ初期交響曲や、どれもこれもおんなじに聴こえちゃう室内楽も、あらためて体系的に、そして作曲順に聴いてみれば、それぞれが、ドヴォルザーク特有のメロディとリズムにあふれていることが日に日にわかるように。
 今回、とくによかったのが、弦楽四重奏や五重奏系、それと抒情的なピアノ曲たち。
それと味わい深いオラトリオ、ミサ、テ・デウム、聖書の歌などの声楽作品に、むにゃむにゃ系のチェコ語は難解ながら、メロデイふんだんなオペラ(さすがに音源なしもあります)。

そんななかでの「レクイエム」は手持ち音源のケルテス盤と、エアチェック音源の、ルイゾッテイ盤(ベルリンフィル)、youtubeにあった、パリの教会での演奏会を繰り返し視聴。

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1884年に、ロンドンのフィルハーモック協会の招聘で、ロンドンに赴き、「スターバト・マーテル」を演奏して、大絶賛され、ここからイギリスとの蜜月が始まるドヴォルザーク。
交響曲第7番や、8番もこうして生まれた。
 同時に、数々の名誉にも授かった充実のこの時期。
オーストリア=ハンガリー帝国皇帝から鉄王冠章、チェコ芸術アカデミー会員への推挙、プラハ音楽大学教授、カレル大学名誉博士・・・
 こんな時期に、バーミンガム合唱音楽祭からの委嘱で、1890年、10か月をかけて作曲されたのが「レクイエム」。

7年前に書かれたヴェルデイのレクイエムのことは、きっと頭にあったドヴォルザーク。
編成や、音楽の規模は、ほぼ同じ。
 特定の人物(マンゾーニ)の追悼の意図をもってかかれたヴェルディのそれは、死者のためのミサ曲であるレクイエムのとして、劇的かつ歌謡性にも富んだ壮大な作品。
ドヴォルザークの方は、特定の追悼の対象はなく、熱心なカトリック信者だった作曲者の内面の吐露であるとともに、シンフォニストとして、巧みな筆致を駆使した総決算的な作品なのだ。

通常のラテン語典礼文を使いながら、切り分けや、区切りを自由に行っていて、四角四面のレクイエムでもない。
ディエスイレはありますが、ヴェルディのような咆哮はなく、短めで簡潔。
むしろ、のちのフォーレ的なスタンスも後半には感じる。

曲は、大きく分けて二部。
1部は、入祭唱たるRequiem Aeternamから始まり、昇階唱、ディエスイレ、トゥーバ・ミルム、レコルダーレ、呪われしものConfutatis、そしてラクリモーサで締める。
 第2部は、奉献唱Offertorium、Hostias、サンクトゥス、Pie Jesu、アニュス・デイ。
ここでは、1部のラクリモーサのなかの、Pie Jesuが再現されるところが、この作品のキモかもしれない。
 冒頭にあらわれる旋律が、モットーとなって、全曲の重要な局面で使われていることで、大曲を引き締め、統一感を持たせることにもなっている。

1部は、峻厳できびしい雰囲気が漂い、神への痛切な祈りと死への涙にあふれているが、2部では、優しいドヴォルザークの目線を感じる、慰めと静かな祈りの世界。

合唱は、しばし、アカペラで歌い、ソロ歌手たちの扱いも、絶叫シーンはなく、静かな語り口のものが多い。
オーケストラも中間トーンで渋いが、よく聴きこむと、ソロや合唱を引き立てるとともに、単なる合いの手ばかりでなく、いろんなフレーズが、いろんな楽器の巧みな使い方で飛び出してきて、オケだけに注目して聴いてみても、大いに楽しめた。
とりわけ、2部が素晴らしいと思ってます。
Pie Jesuから、Agnus Deiの終曲ふたつは、絶品で、しんしんと深まる夜、静かに聴くに相応しく、心、休まります。
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録音時38歳だったケルテスの熱い指揮ぶりと、緻密な全体を見通す指揮ぶりとが、こうした大曲では、見事に発揮される。
有能な指揮者のもとに、オーケストラも歌い手たちも、完全一体化している。
ソロでは、ローレンガーの清らかな声が素敵だ。

この録音の5年後には、43歳で、テルアヴィブの海で亡くなってしまうケルテスだが、イスラエルフィルの客演に、ケルンから同行していたのが、バスの岡村喬生さん。
一緒に海に行ったのが、その岡村さんと、ルチア・ポップとイルゼ・グラマツキとのこと、岡村さんの著書に、その顛末が詳しく、ネットでも読めます。
読んでて、涙がでました。
そのときのイスラエルフィルでの演奏、ハイドンのネルソンミサも音源化されてます。

ケルテス、いい指揮者だった。
存命してれば、とも思いつつ、ドヴォルザークのレクイエムを聴きました。

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2017年7月23日 (日)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」 カラヤン指揮

Mitama

7月15日の靖国神社、みたま祭り。

かつては、御霊祭りと書かれていたように記憶するけど、いまは、みたま祭り。

もう何度もここで書いているけど、社会人生活を始めた会社が、靖国神社のすぐそばにあって、新人1年目の夏に、同期で御霊祭りに行ったけれど、その頃は、よくある村の神社の夏祭りみたいで、屋台は各種たくさんあり、おまけに、お化け屋敷とか、明らかに昭和な感じの、ろくろ首などの見世物小屋なんかも。。。

いろんな経緯を経て、屋台・出し物を取りやめて、光の演出のもと、盆踊りや神輿、日本各地の踊りなど、シンプルな祭りが定着し、参拝と祭り参加の方々も、若い人たちに加えて、海外の方々がとても多くなりました。

いろんな思いを心に、しっかり参拝、そしてひとり、祭りを楽しみました。

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ドヴォルザーク  交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」

   ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1964.3 @ベルリン、イエスキリスト教会)

このところ、外出をしない場合は、仕事をしながらでも、音楽を流していることが多くなった。
ながら聴きのたぐいだが、それが結構聴けちゃう。

交響曲の歴史をたどろうと、ハイドン前は端折って、そのパパ・ハイドンから始め、そうはいいつつ、全作無理だから、モーツァルトも同じように、後半の作品のみを。
ベートーヴェンに、シューベルトに、ベルリオーズに・・・・、そして、チャイコフスキーにたどり着いたら、思い切って、全作品を、と思い立ち、ネットで聴ける限りの作品を、オペラや器楽・室内もろとも聞き流し倒した!

そして、いまは、ドヴォルザーク中。
初期の交響曲は、なかなかにう~む・・・的だったけど、ふんだんにある室内楽作品やピアノ曲に魅せられた。
あと、声楽作品も素晴らしく、金太郎飴的な感じもあるが、どれもこれも、なみなみとしたメロディにあふれまくっているんだ。
オペラは、その音源自体がなくて、その大半は聴けないが、ルサルカだけじゃないよ、と確信。

後期に入って、新世界にアメリカに、いままでにない聴き方もできた気もする。

 それと、もうひとつ。
カラヤンを再び聴こう、という最近の思いだ。

恥ずかしながら、カラヤンの新世界は、初めて聴いた。
音楽入門の小中学の頃、なんでもかんでもカラヤンばかり。
でも新世界は、ケルテスを買ってしまったから、同じ曲の異演などは買うことができない少年時代だった。
 しかし、いつの日からか、アンチカラヤンに転じた自分。
オペラのカラヤン以外は、ことごとく聴かなくなった。

でも、いまは、60~70年代、DG時代のカラヤンを、当時聴けなかったという想いの裏返しもあり、少しづつ聴き始めたのだ。
カラヤン好きだった少年時代に刷り込みとなった、チャイコフスキー5番も、ほかの番号を、断片的だったベートーヴェンも、まったく手つかずだったブラームスもだ。

で、入手したカラヤンの新世界。

おー、なんてカッコいいんだろ。
この作品の、勇壮さや、郷愁感、爽快感、そんなイメージを、しっかりわしづかみにして、ベルリンフィルの高度な演奏能力を余すことなく開陳してみせた、そんな演奏。
 そんな行き届いた心地よさが、大昔の自分にはもどかしかったのだろうか。

クラシック聴き始めのころへのノスタルジーも、この時代のカラヤンを、やたらと聴いてみたいという想いを後押ししているかもしれない。

でもしかし、いま真摯に聴いてみて、きわめて音楽的で、どの楽器も思い切り鳴りきっているさまは、いまの高規格世界標準化してしまったベルリンフィルと同じではあるものの、まだまだローカルドイツの重厚さを保っていることも実感できた。

第2楽章には、ホロリときてしまった。
コッホが吹いているのかしら、フルートはツェラー、クラリネットはライスター、ホルンはザイフェルトかな・・・・なんて思いながら聴くのも楽しかった。

カラヤン、見直し中、ドヴォルザークのいろんなメロディも、日々駆け巡り中。

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靖国のあとは、神保町まで下って、ほっぴーなる、お神酒をいただきました(笑)

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2017年6月14日 (水)

ビエロフラーヴェクとJ・テイトを偲んで

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梅雨入りはしたけれど、なんだか、シトシトとはいかない風情のなくなってしまった、近年の日本の6月。

そんな梅雨入りまえ、現役で活躍していたいぶし銀的な指揮者が、相次いで亡くなった。

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チェコの指揮者、イルジー・ビェロフラーヴェク、享年71歳。

5月31日に亡くなりました。

例年、ロンドンのプロムスに出ていたのに、昨年と今年はなしということで、どうしたのかな、と思っていた。
でも、今年秋には、チェコフィルと来日が予定されていたので、さほど気にはしていなかったところへの、訃報。

すぐさま、海外のニュースや、チェコフィルのサイトを見てびっくりした。
別人と思うような、スキンヘッドの姿がそこにあって、闘病後の復活の指揮姿だったのだ。
それにしても若い。

チェコフィルの首席に若くしてなったあと、やむなく短期で、アルブレヒトに交代。
そのあと、20年ぶりにチェコフィルに復帰、ついに、両者一体化した、稀なるコンビが完成したのに・・・。

ビエロフラーヴェクが躍進したのは、1度目のチェコフィルのあと、BBC響との関係を築いてからだと思う。
広大なレパートリーと、豊富なオペラ経験が、マルチなロンドンでの活動に活かされた。
チェコ音楽の専門家と思われる向きもあるかもしれないが、プロムスではお祭り騒ぎのラストナイトを何度も指揮していたし、当然に、英国音楽も多く指揮したし、マーラーやショスタコーヴィチ、さらに、グラインドボーンでは、素晴らしいトリスタンの映像も残してくれた。

日フィルとN響とも関係が深く、何度も来日してます。
日フィルとの「わが祖国」のチケットを手にしながら、仕事で行けなくなってしまったことも、いまや痛恨の出来事です。

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ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界より」

   イルジー・ビェロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1989.9 @プラハ)


1度目の新世界。
最近出た新しいものはまだ未聴なので、なんとしても全曲が欲しいところ。
若々しい、そして、注目したいのが、この録音の年月。

同年秋に起こる、ビロード革命直前。
東ヨーロッパの共産主義崩壊の前夜ともいうべき頃合い。
いったい、どのような気持ちで「新世界」交響曲を演奏していたのでありましょうか。
 が、しかし、この演奏は、清新でさわやかでさえある。
純粋に音楽に打ち込む、指揮者の姿が目に浮かぶようだ。
若き日のビエロフラーヴェクを思いつつ、ラルゴを聴いてたら、ジーンとしてきた。

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 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 4つの海の前奏曲

  イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 BBC交響楽団

                        (2007.7 ロンドン)


BBC響とのプロムス・ライブより。
クールで、シャープだけれども、優しい目線を感じるブリテンの音楽を、違和感なく柔軟に仕上げています。
錯綜する音が、キレイに聴こえるのも、ビエロフラーヴェクの耳の良さで、BBCのオケの巧さも抜群。
このコンビの相性は、ほんとよかったと思う。

それにしても、チェコ楽壇にとっては、とてつもなく大きなビエロフラーヴェクの逝去。
チェコフィルは、どうなる・・・・

 

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イギリスの指揮者、サー・ジェフリー・テイト、享年74歳。

こちらは、6月2日に亡くなってしまいました。

医学専攻から、音楽家へ転身、オペラハウスから叩き上げの、オペラ指揮者であり、モーツァルト指揮者でもあった。
テイトの名前を知ったのは、シェロー&ブーレーズのバイロイト・リングで、副指揮者を務めていたことから。
メイキングビデオにも映っていた。
 そのテイトが、イギリス室内管の指揮者となり、交響曲を手始めに、内田光子との協奏曲など、モーツァルト指揮者として80年代以降活躍し始めたときは、ワーグナーやオペラ指揮者との認識があっただけに驚いたものだ。

その後、ロッテルダムフィルの指揮者もつとめ、亡くなるまでは、ハンブルク響。
あと、オペラの指揮者としては、コヴェントガーデンに、ナポリ・サンカルロにポストを持ち、メトやドレスデンなど、大活躍をしたテイト。
生まれながらの二分脊椎症というハンデを追いながら、そんなことはもろともせず、常に集中力と、音の透明さを引き出すことに心がけ、クリーンな音楽を作り出す名指揮者だったと思う。

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   モーツァルト  交響曲第40番 ト短調

    サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

                        (1984 @ロンドン)


最初に手にしたテイトのモーツァルト。
もう何度も聴きました。
モダン楽器の室内オケで聴くブリテッシュ・モーツァルト。
清潔で、明るく、さらりとしていながら、歌心はたっぷり。
ともかく美しく、無垢で、その嫌味のない音楽は、当時も今も変わらず、飽きのこない、私の理想のモーツァルト演奏のひとつ。


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  ワーグナー 「パルジファル」 前奏曲

    サー・ジェフリー・テイト指揮 バイエルン放送交響楽団

                        (1987 @ミュンヘン)


ハンブルク響との「黄昏」抜粋は、未聴。
いまのところ唯一の、テイトのワーグナー。
バイエルン放送響という名器を得て、おおらかかつ、悠然としたワーグナーとなった。
しかし、そこはテイト。
これも、オーケストラの明るさを生かしつつ、明晰で、濁りのない、美しいワーグナーなのだ。
おまけに、「コロンブス」と「ファウスト」という、珍しい序曲が、一級の演奏で聴けるという喜び。
この1枚を聴くと、なにゆえに、レコード会社は、テイトによるワーグナー全曲録音を残してくれなかったのか、と怒りたくなる。

その変わり、テイトには、シュトラウスやベルク、フンパーディンクのオペラ録音があります・・・・・。
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       エルガー  「ソスピリ」

    サー・ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

                   (1990 @ロンドン)


最後は、この曲で。

エルガーの哀しみのいっぱいつまった音楽で。

ふたりの名指揮者の追悼にかえさせていただきます。

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2017年4月22日 (土)

読売日本交響楽団名曲シリーズ サッシャ・ゲッツェル指揮

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   読売日本交響楽団 第601回 名曲シリー

 ウェーバー     歌劇「魔弾の射手」序曲

 グリーグ       ピアノ協奏曲 イ短調

 ショパン      ノクターン第20番 嬰ハ短調~アンコール

        Pf:ユリアンナ・アヴデーエワ

 ドヴォルザーク  交響曲第7番 ニ短調

   サッシャ・ゲッツェル指揮 読売日本交響楽団

                (2017.4.21 @東京芸術劇場)


半年ぶり以上の、オーケストラコンサート。
そう、このようにして、徐々に、以前のようにはなりませぬが、音楽生活へ復帰中のさまよえるクラヲタなのでした。

なんたって、聴きたかったゲッツェルさん。

神奈川フィルの首席客演指揮者として3年の任期を、先シーズン終了し、最後の年は、わたくしがお休みをしてしまったので聴けなかったものの、めくるめくコルンゴルトや、ブルックナー、ベートーヴェンなどで、魅惑され尽くした指揮者。

日本が大好きになってくれた。
こうして、神奈川フィル以外にも客演してくれるようになり、ゲッツェルさんの素晴らしさを多くの方に知っていただきたい。
 ボルサン・イスタンブールフィルの芸術監督として、さらに、最近は、ウィーン国立歌劇場の常連として多忙になりつつあり、日本でのポストは当面難しいでしょう。
こうして、単発でも、客演してくれるのがうれしい。
 11月は、紀尾井ホール、来年1月はN響にも登場するみたい!

さて、独・北欧・中東欧のロマン派音楽を集めたプログラム。
アンコールにも、その流れはしっかり通っていて、それぞれのお国・民族テイストも感じさせる演目なところがいい配分。
 そして、序曲→コンチェルト→交響曲、というコンサートの王道も、ここにはあります。

ゲッツェルさん、お得意のオペラの序曲からスタート。
お互いに、まだ暖まりきれない感じのなか、柔らかな響きを意識しつつ、音楽はとてもしなやかだった。
カルロス・クライバーなみに、キビキビ行くかと思ったら、ゆったりめに、大きく歌わせることに傾注。
「魔弾の射手」じゃなくて、「オベロン」の方が、ゲッツェルさんにはよかったかも・・・。

2010年、ショパン・コンクールの覇者アヴデーエワさん。
遠目にも、なかなかの美人さんです。
そして、その華奢なお姿にも係わらず、音のダイナミックレンジは広く、音色は豊かでした。
ことに、弱音の美しさ。
オーケストラも充分に押さえつつ、彼女のキレイなピアニシモの背景を紡ぎだしていたのが、第2楽章。
この楽章が、自分的にはこの演奏の白眉だった。
北欧の抒情が、巨大なホールのなかに浮き立つような、そんなクリアかつ清らかなピアノ。
1楽章も3楽章も、静かな部分が好きだし、そこがまた、彼女のピアノと、抑制されたゲッツェルさん指揮するオーケストラのステキなところだった。

 アンコールも、息をのむほどに、美しく切ないショパンでしたね。
メランコリーの極みだけど、ベタつかず、明晰です。
オケの片隅に座って聴き入るゲッツェルさんのお姿もナイスですよ。
 
 さて後半のドヴォルザーク。
この渋いけれど、メロディメーカーとしてのドヴォルザークならではの、懐かしい豊富な旋律がこぼれだすように、ホールにあふれるさまが、眼前に繰り広げられ、魅惑されっぱなしの40分だった。

読響のダイナミックなサウンドも、芸術劇場の巨大な空間をたっぷり満たしているのがよくわかる。
ゲッツェルさんの指揮は、そんなオーケストラの能力を自発的に解放してしまう、そんな魅力を秘めている。
神奈川フィルでは、オケの力を100%引き出し、神奈フィルならではの美音のフルコースを展開して見せた。

以前は、跳躍すら見せていた躍動的なゲッツェルさんの指揮だけど、華麗でキレのよい動きはそのままに、より内面に切り込むような、より表情の豊かな指揮ぶりになってきたように思う。
そう、この曲でも、私は第2楽章の美しさと、歌謡性に息を飲みました。
牧歌的なボヘミアの森が、新緑のウィーンの森になったと思わせるような、まろやかさと、すがすがしさと、愛らしい歌の歌わせ方。

 こうして4つの楽章が、しっかりとした構成感を感じさせるようにカッチリ演奏され、さらに3楽章から、終楽章へは、アタッカで休みなく突入して、より劇性を強める効果を生んでいて、この渋い交響曲を隈どり豊かに聴かせる工夫もなされてました。

読響との初顔合わせ、メンバーのなかには、神奈川フィルからのお顔もちらほら。
もちろん、元神奈川フィルのお方も。

明後日には、かつてのゲッツェルさんのホームグランド、みなとみらいホールで、同じプログラムが。
その日の方が、きっと、もっと素晴らしくなることでしょう。

終演後は、神奈川フィル応援メンバーの数人と久しぶりにお会いし、あとは喧騒の池袋の街へ。
しかし、金曜の夜はどこも満杯で、放浪のあげく、ホールの真横でメキシカンしました。
ヨーロッパしたかったけど、メキシカンって(笑)

Mexico

しかし、アボガド率高いな。
チーズフライにも入ってるし。

あ、あと、美人さんのアヴデーエワさんのHPで、ショパンの24の前奏曲全曲の映像が観れますよ。

http://www.avdeevapiano.com/index.php/videos.html
それと、SNS大好きなゲッツェルさんのHP

http://www.saschagoetzel.com/

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2016年2月18日 (木)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ジャンドロン

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立ち姿も、その芳しい香りも美しい水仙。

いろんな花言葉がありますが、その学名「ナルシサス」は、ギリシア神話に出てくる、ナルキッソスに由来することは、以前にもここで書いたとおり。

そう、ナルシストです。

自分の美しい姿を小川の水面に見て、恋してしまうという、あれです。

ですから、自己愛とか、うぬぼれ、といった花言葉もあるみたいです。
別に、自分が一番好きなのは、あたりまえだと思いますけど、加減はありますな。

Dovrak

    ドヴォルザーク  チェロ協奏曲 ロ短調

        チェロ:モーリス・ジャンドロン

   ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                         (1969.11 ロンドン)


懐かしいイメージの常にある、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。

そして、自分にとって、いつか聴いてみたいと、子供のときから思っていた演奏。

その想いをずっと抱きながらも、40年の年月を経て、聴いたのが数年前。

音楽鑑賞の遍歴って、わたしのような世代の人間には、もしかしたら、きっとそんなものだろうと思う。

ともかく、レコードが高かったし、貴重な時代。
情報源は、レコ芸かステ芸、ステレオサウンドの活字しかなかったし、音楽をレコードと生演奏以外から享受するには、ラジオ放送とNHKしかなかった。

いまの若いリスナーには、信じられないほどに不自由だったから、常に、音楽に飢えていた。
あの頃の情熱たるや、いまでは、言葉にできないくらいの熱いもので、ああした想いを、いま、若い人たちが理解できるとはとうてい思えない。

おっさんのたわいごとです。

でも、心配することはないね。

さりげなく、スマホやPCで音楽を、どんなシテュエーションでに聴くことができるって、音楽が日常になくてはならない証しでしょう。
クラシック音楽も、まさに、そんな享受の仕方のなかあって、もしかしたら、ワタクシのようなおじさん世代よりも、より大衆化しているのかもしれない・・・

 前置きが長くなりましたが、フランスの名チェリスト、モーリス・ジャンドロンの弾くドヴォコン。
1971年、ハイティンクの音盤のカタログを入手して、マーラーやブルックナーといった未知のレコードばかりが載ってるなか、このジャンドロンをソリストとするドヴォコンのジャケットがあって、当時、かねてより、定盤のロストロ・カラヤンの例の音盤を、擦り切れるほどに聴いていたものだから、そうじゃない演奏って、どんなんだろうと、興味深々だった。

その後に訪れた、ハイティンク・フェイバリットに押され、ともかく聴きたかったけれど、機会のなかったこの演奏。

 がっかりと、なっとくの双方を味わいましたが、何度も聴きこむうちに、魅惑的な演奏に思えるようになりました。

まず、がっかりが、修正できない部分は、ハイティンクの指揮。
フレーズの最後のあっけないぶった切り。
この時期の、コンセルトヘボウとの録音でも、ときおり感じる淡泊さは、ふくよかなオケの音色で助けられていたけれど、ロンドンフィルは、ノーマルで反応が良すぎるものだから、その印象は性急に感じられることもしばし。
 ハイティンクが、LPOを、RCO化してしまうのは、もう少しして後。

 そして、肝心のジャンドロンのチェロ。

ともかく、明るくて明晰。
誰をも惹き付けてしまう、オープンな表情付けのなかに、南フランス風の情熱と、爽やかさの両輪を聴くことができる。
ともかく流れがよろしくって、ジャンドロンのチェロは、流線形を描くがごとく、ゆるやかに、でも、情熱的に響くのでした。

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