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2015年5月31日 (日)

レスピーギ 「セミラーマ」 ガルデッリ指揮

B

5月のある日の夕焼け。

くっきりとした冬の夕焼けと違って、この時期のものは、地上の熱の影響で、なかなかに、ドラマティックな光景になることが多いです。
何度も、書きますが、夕焼け大好き。

Respighi_semirama

  レスピーギ  歌劇「セミラーマ」

    セミラーマ(バビロニアの女王):エヴァ・マルトン
    スジャーナ(カルデアの王女):ヴェロニカ・キンチェシュ
    メロダーシュ(バビロニアの士官):ランドー・バルトリーニ
    ファラッサール(アッシリアの統治者):ラーヨス・ミラー
    オルムス(バアル神の高僧):ラースロ・ポルガー
    サティバーラ(バアル神の預言者):タマス・クレメンティス

  ランベルト・ガルデッリ指揮  ハンガリー国立管弦楽団
                    ハンガリー放送合唱団

                     (1990.8.20~29 @ブタペスト)


レスピーギ(1879~1936)の10あるオペラ関連作品(そのうち一つは、未完。さらにひとつは、未完を夫人が補筆完成)のうち、3番目、「セミラーマ」を。

レスピーギの概略、その人となりは、こちらに書きました(→)

レスピーギのオペラは、そのすべてが録音されておらず、また、その限られた音源も手に入れにくく、しかも外盤ばかりで、その作品の詳細理解が難しいのですが、未知オペラをじっくり聴きあげることが好きなワタクシ、次のターゲットをレスピーギにいたしました。

1908~10年にかけての作品で、ドイツ滞在中に書きはじめ、ボローニャにて完成。
初演も、ボローニャで、同年、11月に行われ、大成功を博したとされます。

原作は、ヴォルテールの「セミラミス」で、これを台本作家アレッサンドロ・チェーレが3幕仕立てにいたものが、このオペラのベースです。

 このセミラミスは、美貌・聡明・残虐さをそなえた、紀元前9世紀のアッシリアの伝説上の人物で、アッシリア王に気に入られ、王子も産むが、その王を殺し、王子は行方不明になり、やがてあらわれた王子を、実の息子とお互い知らずに結婚しようとし、最後は、その息子に、父殺しの復讐をされてしまう。

かつてのギリシア神話によくある説話のたぐいで、オイディプスやエレクトラを思い起こします。

そして、この題材は、多くのオペラとしても残されてます。
一番有名どころでは、ロッシーニの「セミラーミデ」でしょう。

 この壮絶なドラマに、レスピーギは、その劇的なオーケストレーションの才能と、イタリアオペラの伝統の豊麗な歌唱を組み合わせ、見事な作品を書き上げました。
30歳のレスピーギの意欲的なこのオペラには、いろんな要素がぎっしり詰まっていて、以下、解説からや、聴いた印象も含めて羅列してみます。

・強気で自己中心的な女王(王女)、そして、暗い影を引きずっているという意味で、
 サロメや、エレクトラ、トゥーランドットに通じる。
 同様に、壮大な歴史ドラマが背景に。

・そうした意味もこめて、その音楽は、R・シュトラウス(1864~1949)顔負けの濃厚
 芳醇世紀末サウンド。
  同様に、先輩プッチーニ(1858~1924)顔負けの、甘味で美しい旋律の渦。
 さらに、ロシアで教えを受けたR=コルサコフ譲りの、エキゾティシズム。
 ペンタトニック音調が、いかにもメソポタミアン(?)な雰囲気を醸し出してる。
  レスピーギ若き日々の立ち位置が、よくわかります。
 古典的な佇まいを示すのは、ずっと後年のこと。

・プッチーニは、このレスピーギの「セミラーマ」が作曲されたころ、まだ、
 「トゥーランドット」(1919年頃より準備、1924年未完)の発想をまだ持ち合わせて
 いなかったが、レスピーギのスコアを どこかで見たという可能性が云々される・・・・

・「トゥーランドット」とのキャストの類似性
 そちらも、もともとが、アラビアが舞台の物語。
 ドラマティックソプラノによる女王、ヒーローの王子、その王子を慕う優しいソプラノ
 慈悲に溢れたお爺さん(バス)は、共通。
 そこに、「セミラーマ」は、横恋慕するバリトンが加わる。

・「サロメ」の影響
 シュトラウスの「サロメ」は、1905年の作で、「セミラーマ」作曲開始の3年前。
 セミラーマ前に、ドイツに長期滞在していたレスピーギ。

・コルンゴルトサウンドへの近似性
 コルンゴルト(1897~1957)は、レスピーギの一回り後輩。
 近未来的なキラキラサウンドは、お互い近いものがある。
 ことに、「死の都」を一瞬思わせるヶ所が、「セミラーマ」にもありました。
   しいては、ハリウッドの壮大な歴史ドラマにも相通じるものも!


 以上のように、聴いていて、いろんなインスピレーションが湧き上がってくるレスピーギの初期のころのオペラ。
あと出しイメージ操作のできる、いまのわれわれ聴き手ですがゆえ、このように、何に似てるとか、誰の影響とか言ってしまいます。
 ですが、以前にも、ぼんやりと書いたとおり、音楽って、そういうものだし、作曲家も、演奏家も、みんなお互いに影響しあって、刺激しあって存在してるもの。
何々風とか、誰それに似てるなんて、別に、その音楽の存在価値をおとしめるものでは、一切ない表現や評価だと思います。
 そして、いろんな作曲家たちが活動した時代背景や、場所、それらの相関関係を紐解くことも、後世のわれわれには、楽しみのひとつであります。

 物語は、紀元前9世紀ごろのバビロニア

第1幕 バビロンの王宮
 
女王セミラーマと、かつて征服された国の王女、いまは、その待女となったスジャーナが、反乱軍との戦いに勝利した自軍が、多くの豪華な戦利品を積んで入港するのを空中庭園から見守っている。
しかし、ふたりの女性が気になるのは、それらのお宝ではなく、その出生も謎に満ちた勇敢な戦士、メロダーシュのこと。
 
 反乱軍の指導者の処刑も行われ、セミラーマは、冷徹に対処しつつも心が苦しい。
その晩、スジャーナとメロダーシュは、久方ぶりに会って、お互いの愛を確認する。
ふたりは、幼馴染みであった。

第2幕 バアルの神殿

高僧オルムスが朝の祈りを捧げている。
そこへ、ファラッサールが預言者とともに、相談にやってくる。
彼は、かつて、バビロニアの国王を高僧から約束もされ、かつての国王殺しも加担していて、セミラーマが、メロダーシュに夢中になっていることから、彼女のことを失いたくないと思っている。
 この横柄な態度に、バアル神の像の後ろで聞いていたセミラーマが躍り出て、怒りをあらわにする。
 ファラッサールは、あの正体不明の亡命者、メロダーシュこそ、かつてのセミラーマの息子ニノでありことを告げるが、セミラーマはまったく信じることがなく、メロダーシュとの婚姻を進めることを宣言する。
高僧オルムスの占いでは、不吉の預言が・・・

第3幕 宮殿

セミラーマとメロダーシュの婚姻が発表され、その賑やかな祝宴に皆は浮かれている。
ファラッサールは、スジャーナに、メロダーシュの身の上の秘密を告げ、彼女からメロダーシュに思いを踏みとどまらせようと画策する。
 深い悲しみに落ち込み、愛する恋人を失うことでは、利害の一致する彼女は、メロダーシュに、ファラッサールから聞いた話を伝え、母親と結婚することをやめさせようとする。
 熱い愛を語りあう、セミラーマとメロダーシュのところにスジャーナは意を決して登場。
女王は、席を外すが、スジャーナから話を聞いた血の気の多いメロダーシュは、意味のない中傷として腹をたて、むしろ、ファラッサールを殺害する計画をたてる。
 その晩、暗い霊廟にて。
ファラッサールがかつて、先王を暗殺したのと同じように、今度は、メロダーシュが隠れ、待ち受ける。
そして、あらわれた人物にメロダーシュは襲いかかり、一撃で倒してしまう。
 
 ところが、倒したその人物は、セミラーマであった。
セミラーマは、息も絶え絶えに、「わたしの息子よ、母親の言葉を聞け、わたしは、これから暗黒をさまよいます、そして、永遠にあなただけを愛します、ニノ、わたしの子供、母は、あなたに口づけがしたい・・・・」といってこと切れる。
外では、セミラーマの名を歌い呼ぶ、声がこだまする。

                幕

対訳なしで、まっく難渋しましたが、だいたいこんな感じの物語です。
セミラーマは、冷たいトゥーランドットのようで、でも、息子に命を奪われることで、母として覚醒し、優しいひとりの女性となって浄化されるのです。
最後の、静謐なシーンは、とても印象的で、感動します。

そして、全編にわたる、若いとはいえ、レスピーギならではのオーケストラの素晴らしさ。
歌も、イタリア・オペラの伝統を踏まえながらも、激烈なヴェリスモとは一線を画した、どちらかといえば、フランスやドイツのオペラに近い感じで、抒情と流麗さが際立ちます。

1幕の若い男女の二重唱は、匂い立つほどの芳香を感じます。
とてつもなく美しく、官能的で、トリスタン的でもありました。

2幕では、東洋風の調べが、アラビアンな雰囲気ムンムンで、エロティックかつエキゾティック。
そして、ファラッサールの、まるで、スカルピアをも思わせるような信条告白がナイスなアリアがありました。
さらに、セミラーマの気の強さが満々なのが分かるアリアもあります。
まるで、不感症のトゥーランドットみたいだ。
何度もいいますが、トゥーランドットより先の作曲ですから。

3幕では、スジャーナの「悲しいかな・・・」という、それこそ哀れさそうアリアが美しい。
そのあと、一転して、パーティのどんちゃん騒ぎになだれ込む、その対比。
ベルクやシュレーカーすらも思いおこしたその鮮やかさ。
その宴会は、「神々の黄昏」の第2幕っぽい。
そして熱い親子の恋人的な二重唱に、母として死を迎える、楚々とした最後の場面。
優しい女性として、自省もこめて、人生の括りとして、力強く、でも愛情を込めて歌う死のセミラーマは、ほんとに感動的です。
死による浄化が、ここで行われる訳です。

 全体を統率する、ガルデッリの指揮が、まことにもって素晴らしい。
オペラの呼吸を完璧なまでに身に付けたこの指揮者は、ヴェルデイを指揮する如く、真摯に、そして旋律のラインを大切にしながらも、歌手を盛りたててます。
ハンガリーのオケが、こんなに軽やかで明るいのも、この指揮者のおかげです。

エヴァ・マルトンは、相変わらずの熱演ですが、マゼール盤のトゥーランドットが刷り込みでもあるので、どうしても、そちらの印象に引っ張られます。
強引さが逆によく出ていて、これはこれで良い歌唱でしょう。

息子兼恋人のバロトリーニは、ちょっと一本調子。
ドミンゴだったら・・・との思いをぬぐい切れません。
もっと、スタイリッシュな歌を望みたい。

あと、ポルガーの深いバスが印象的で、このハンガリーの亡き名バリトンの良き記録ともなりました。
ほかは、まずまずかな。

なによりも、ゼロから始まって、何度も何度も聴いて、ものにしてゆく、初聴きのオペラ体験。
レスピーギのオペラ、ほかの作品も、なかなかでして、これから聴き馴染んでゆくこと、大いに楽しみです。

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2015年5月 8日 (金)

レスピーギ 交響組曲「鳥」 オーマンディ指揮

Ninomiya_4

連休終わりましたね。

概ね、好天に恵まれ、各地はラッシュ状態だったみたいですね。

わたくしは、いつもどおり、神奈川の実家に帰って、その周辺のみで、毎日、早朝散歩を楽しみつつ、のんびりしましたよ。

アヤメの花と、夏みかんと青空。

5月ならではの光景でした。

Ninomiya_3

  レスピーギ  交響組曲 「鳥」

           ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

                        (1960年代 フィラデルフィア)


レスピーギシリーズ。

今日は、ちょっと短めの可愛い管弦楽作品。

1927年、48歳のレスピーギ。
「ローマの祭」の1年前の作品です。

ローマ三部作の、華やかで豪快なサウンドから、うって変わって、古典的な佇まいを持つ、瀟洒で、典雅な組曲です。

17世紀から、18世紀にかけてのフランス、イタリア、イギリスのクラブサン作品をもとに作曲されたもので、原曲の雰囲気を巧みに残しつつも、レスピーギらしく、描写のウマさ、キラリ系の音色も散りばめ、楽しくも優雅な作品となりました。

 ①「前奏曲」  誰もが聴いたことあるような楽しい出だし。あとのめんどりも登場。

 ②「はと」   はとポッポというと、いまや、あの宇宙から来た問題行動のヒト??
          でも、こちらは、憂愁を感じさせる緩やかな曲。
          フランスのジャン・ガロという人の原曲。

 ③「めんどり」 いかにも「めんどり」、かまびすしいし、ちょこまかしてる。
           最終のトランペットの嘶きが、おもろい。
           町内に、鶏肉屋さんがあって、そこのもものローストは絶品だった。
           その店のオバサンは、鳥にそっくりだった。
           ラモーの原作。

 ④「夜啼き鶯」 作者不詳のヴァージナル原曲(英)。
           夜のしじまに泣く夜鶯は、ロマンティックで涼やか。
           いい感じ~

 ⑤「かっこう」  誰が聴いても、かっこう鳴いてます。それもたくさん、何度も何度も
           レスピーギの見事な筆致が冴え渡る。
           各楽器に橋渡しされ、弦楽器も鳥の羽ばたきのように軽やか。
           そして、最後は、冒頭の主題がちょっと晴れやかに登場してお終い。
           イタリアのパスキーニの作品が原曲。

なんか、すっきりする桂曲にございましたね。
休み明けの、ぼんやり頭にちょうどいい。

そしてオーマンディとフィラ管は、こうした曲では、抜群にうまく、キラキラ感も、爽快感も充分。
CBSの録音も、それに相応しく、60年代のアメリカンサウンドって感じ。

レスピーギ、楽しいな。
           

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2015年4月30日 (木)

レスピーギ 劇的交響曲 ナザレス指揮

Tokyo_tower_a

まいど、こちらでは、おなじみ東京タワーです。

そろそろ夏の白のライトアップ仕様に変更の季節です。

5月連休も始まるし、ほんと、月日の流れるのは早い。

この前、お正月だったのにね・・・

 先日の、「ローマ三部作」以来、脳内は、噴水松祭りとなっておりまして、ことあるごとに、それらのフレーズが鳴り渡っております。

その流れでもって、レスピーギのほかの作品も聴きましょう。

Respigi_sinfonica

  レスピーギ   劇的交響曲~Sinfonia Drammatica

    ダニエル・ナザレス指揮 スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1986.2@ヴラティスラヴァ)


1.レスピーギ

オットリーノ・レスピーギ(1879~1936)は、ローマ三部作や、リュート組曲ばかりが突出して有名ですが、交響曲から、室内楽、器楽、オペラ、声楽まで、あらゆるジャンルに広範にその作品を残した多作家です。

作曲以外にも、音楽学者・教育者としても実績があり、指揮者であり、奏者としても、ピアノ・ヴァイオリンの名手であり、音楽の分野すべてにその情熱を注いだ才人でした。

ボローニャに生まれ、音楽教師の父から、ピアノとヴァイオリンを学び、音楽の道を進む。
地元の音楽院で、本格的に楽器や作曲を習得し、当初は、ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタートさせ、ペテルブルグでは、R=コルサコフに出会って、大きな影響を受けたりもしている。
 1900年以降(21歳)からは、活動の主力を作曲に移し、1913年には、聖チェチーリア音楽院に職を得て、ローマに移住し、教鞭とともに作曲活動に従じることとなります。
 1919年(40歳)には、作曲の師弟で、歌手でもあったエルザ(1894~1996)と年の差の恋を経て、結婚。
エルザは、レスピーギを献身的に支え、自身の作曲活動は押さえ、主人の作曲した歌曲や声楽作品の演奏や、編曲、そして、没後も、未完のオペラの補筆完成、伝記の執筆、レスピーギ財団の設立など、多くの偉業を残し、102歳で亡くなってます。
 96年のことですから、まだ少し前ですね。
彼女の存在は、レスピーギにどれだけ、力を与えたか、はかり知れません。
彼女自身の作品も、そこそこ残っておりまして、オペラ作品もあるみたいです!

そんな献身的な愛を背景に、多くの作品をローマを拠点に残したわけです。
あと、レスピーギを語るうえで、忘れてはならないのは、トスカニーニの存在です。
「松」と「祭」の初演者であり、いまにいたるまで、その残された録音は名盤として輝いてますが、トスカニーニは、「松」の初演の大成功を自身が独占したかのようにふるまって、レスピーギの不興を買ったりもしてます。
 それと、方や自由の国アメリカで、その活動を謳歌したトスカニーニですが、ローマで、音楽の最高学府の院長も務め、ローマを愛したレスピーギは、ときに台頭したイタリアン・ファシズム、ムッソリーニとも折り合いをつけなくてはなりませんでした。
ローマの栄光の回帰を謳ったムッソリーニに共感も覚えたことは確かでしょうね。
 しかし、幸いなことに、といったらなんですが、戦争が激化する前、1936年に、レスピーギは、心臓の疾患で亡くなることとなりました。
 ひとまわり世代が上の、アルプスの向こう側にいたR・シュトラウスとナチスとの関係も、心の中では従っていなかったという点においても、どこか共通していると思います。

2.シンフォニア・ドラマティカ

1913~14年(34歳)の意欲作。
大規模な声楽作品や、オペラも3つ書いていて、その作曲の腕は、ほぼ完成の域に達していました。
15年には、「ローマの噴水」が待ち受けてます。

全曲で1時間。しかも3つの楽章。
 そう、先達のフランクの影響もあるのでしょう、同じ3つの楽章で、循環形式を思わせ、3楽章では、前の楽章の旋律が諸所回顧されます。

しかし、長いです。
1楽章:23分 2楽章:17分 3楽章:18分

多くの構想を経ての作曲だったらしく、しかも、全体は、シリアスなムードに覆われてます。

なかでも、長大な1楽章は、全編深刻。
フランクのような重々しい序奏部があり、その後の展開は、マーラーのような深刻・激情・憂愁、といった感じのなかに、明るさも垣間見られるものです。
しかも、その多彩な響きは、R・シュトラウスです。
 その音楽を聴いて、誰に似てるとか、・・っぽいとか言うのは簡単ですが、実は、年代の考察と、地理的環境を鑑み、それこそが、彼らの音楽の影響のし具合を推し量るものなのです。

第2楽章は、抒情の極み。
全編、メランコリックなまでに、いじらしい旋律が支配する。
それは、R・シュトラウスも感じさせつつ、でも濃厚さはなく、すっきり系のこだわりの少ないR=コルサコフって感じ。
そのオーケストレーションや、響きが、ちょっとロシアン後期ロマン派です。
そう、聴きようによっては、スクリャービンも顔を出します。
 ともかく、美しい音楽で、核心的な深みはなくとも、その磨き抜かれた美音は快感なのです。

第3楽章は、これまでの最終結として、すべての要素、作曲家の影が、ちらつき、オーケストレーションにおいても、明晰・明快の限りを尽くし、巧みの筆致に近づきつつあります。
この楽章は、まさに「劇的」で、3管編成、ホルン6、打楽器4、オルガンといった大編成オケが炸裂します。

正直、イマイチ感はありますが、レスピーギを知るうえで、この交響作品も必聴の音楽のひとつだと思います。

このCDは、インド出身の、ダニエル・ナザレスとスロヴァキアのオケという、多国籍演奏ですが、なかなかにウマイものです。
ほんとは、シャンドスのダウンズ&BBCフィルの方が、バリッとしてそうですが・・
でも、こちらの演奏の、ヨーロピアンな雰囲気とやるせない終末感、世紀末感は、とても気にいってます。
 ナザレスさんは、70年代後半からウィーンを中心に活躍した指揮者で、メータっぽい芸風で、確か、N響にも来たはずです。
知的な中に、没頭的なスタイルを有し、爆演もときに披歴する面白い指揮者だったと記憶してます。
FMの海外ライブでよく聴きました。
昨年、早世してしまったそうです。

レスピーギの特集、ほかの作曲家もランダムに挟みながら、いくつかやろうと思ってます。

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2015年4月26日 (日)

神奈川フィルハーモニー第308回定期演奏会  川瀬賢太郎指揮

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今年は、横浜公園のチューリップをまだ見にいってませんでした。

みなとみらいでのコンサートを前に、ちょっと足をのばして、ベイスターズ開催試合で賑わうハマスタに気を取られつつ、最後のチューリップの見ごろを収めてきましたよ。

Yokohama_park_f

とりどりの鮮やかなチューリップたち。

これから聴く、華やかな音楽たちへの期待が、いやでも高まります

レスピーギの音楽は、ともかく艶やかで、音の輝きにあふれていて、いろんな側面が、抜群のオーケストレーションとともに楽しめます。

そして、まったく、爽快極まりない演奏に、この日、「ハマは、ローマになりました

Kanaphill201503

      レスピーギ   交響詩「ローマの噴水」

                 交響詩「ローマの松」

                                  交響詩「ローマの祭」

             マスカーニ   歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲
                               (アンコール)


     川瀬 賢太郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                      (2015.4.25 @みなとみらいホール)


ローマ三部作を、一度に聴ける。

CD1枚分の演目で、時間的には、短めだけど、アンコールも入って、文字通り、イタリア尽くしのコンサートを思い切り楽しみ、そして、思いきり熱い拍手を送りました!

それにしても、神奈川フィル向きのこれらの曲。
以前に、神奈川フィルで聴きたい曲を、リストアップしたことがあります。
4年前に書いた、その聴きたい曲ランキング(→)ですが、10曲中、もう6曲も、実現してきております。
ほんとに、うれしい。
神奈川フィルに対する自分のイメージが、ひとつひとつ結実していくことも、応援の醍醐味です。

さて、前置き長いですね。

 3曲を、作曲順に、噴水(1916)→松(1924)→祭(1928)。
こうして聴くことで、レスピーギの筆致が円熟してゆくこともわかるし、より、芸術的なエンターテイメント性を高めて行くこともわかります。
 あらゆるジャンルに、まんべんなく、多くの作品を残したレスピーギですが、イタリアのR・シュトラウスと呼んでもいい。
56歳という、ちょっと短めの生涯に、後半は、オペラに心血を注いだ点でも、シュトラウスに近い。
さらに、古典主義への回帰と、当時イタリア・オペラ界における主流、ヴェリスモからの脱流という点でも。

こうして、パイプオルガンのあるホールで聴くと、3曲ともに、オルガンがいかに効果的に使われているかがよくわかりました。
なによりも、お家では楽しめない大音量と繊細なピアニシモを、誰はばかることなく楽しめるのもライブならでは。

・「ローマの噴水」

静かな朝から、ローマは始まりました。
1曲目から、神奈川フィルは精緻の限りをつくし、音の透明感が大切なこの曲の本質をしっかりとらえて聴かせてくれました。
 そして、ぞくぞくするクレッシェンドを、川瀬さんは、巧みに導きだし、「昼のトレヴィの噴水」では、この曲に、こんなに胸が高まるのは初めてというくらいに、ドキドキしましたね。
キラキラした眩い音のシャワーを、思いきり浴びた感じ。
 チェロトップの門脇さんのソロも艶やかで、斎藤さんのクラリネットも深みがありました。
夕暮れの、しじまが降りたつとき、思いきり、息をひそめて、神奈川フィルの美音に集中しました。
 が、前のご年配の紳士が、こともあろうに、飴ちゃん攻撃を。
おいおい、やめてよ。。。。すかさず、お隣の方が制止をして、大事には至りませんでしたが・・・・。

・「ローマの松」

静かな宵闇から、いきなり、真っ昼間!
湧き立つ音たち、華やぐ子供たちの賑やかな声、そして声。
今日も、譜面台から、ちょこんと頭をのぞかせたホルンの実加ちゃん、先輩・同僚たちに囲まれて、若々しい弾むホルンを聴かせてましたよ。
 うごめく低弦、金管の分厚い咆哮が聴けた「カタコンブ」
 ついでm斎藤さんの抑えたクラリネットが素敵で、小山さんのオーボエも可愛いし、首席交代した山本さんの繊細なチェロ、涼やかなピアノ、そして舞台袖で吹くトランペット氏、完璧で聴き惚れました。
この、「ジャニコロ」の幻想感あふれるシーンなど、静かで、抒情的な音楽の素晴らしさも、レスピーギの本領。
ナイチンゲールの鳴き声は、ホール左右の上から、降り注いできまして、ステレオ効果も満点で、さながら夜の帳も降りた桃源郷に、ひとり佇み、思索する想いでした。

 川瀬さんは、一音一音、とても丁寧に扱っていて、フォルテや激情場面との鮮やかな対比が実に見事です。
そして、それに応える神奈フィルの各奏者たちの、ソロも次々に決まりまくり、この「松」は、乗りまくりの、完璧なる激演となりました。
 爆発的な大団円では、平尾さんの渾身のシンバルに、神戸さんの、ティンパニの思い切りの乱れ打ち。
左右客席上方から、トランペット、オルガン脇でトロンボーンも加わり、ビジュアル的にも大壮観。
川瀬&神奈フィルの繰り出す音の洪水と荘厳な大伽藍は、ホールの聴衆を熱い興奮でもってステージと一体化して、言葉に尽くせぬ大エンディングとなりました。
ホールが、地鳴りするほどに、音で埋め尽くされ、わたくしは、もう、眼前のまばゆいばかりの出来ごとに、拍手も忘れて、ぽかーんとしてました。

 そしたら、真後ろから、超盛大なブラボーさんが登場。
この方、やたらと声がいいんだ(笑)
このオジサンにもブラボーだ。

・「ローマの祭」

ローマは、祭の季節。
わたくしは、3部作のなかで、「祭」が一番大好きだ、ワッショイ!

ホール正面、オルガンの左右に陣取ったトランペット舞台と、オーケストラの大咆哮で、にぎにぎしくも始まりまして、われわれ聴衆は、即座にテンションあがります。
ローマ時代を思わせる古風な和声に基づく弦にからみつく、金管たちの雄叫び。
このあたりを、音を濁らせることなく、明快に処理してまして、オケの力量とともに、川瀬さんの耳の良さもあるはず。
 淡々した祈り、イングリッシュホルンとヴィオラの客演のソリストも素敵。
祭のなかの、ひとときの静けさ。
そんな中でも、音の高まりを見せるレスピーギの筆の冴えは、ほんと大したものです。

 次いで時代は、ルネサンス期にいたり、この曲で一番うっとりとしてしまう、素敵な弦によるセレナーデが、神奈フィルの美しいストリングスで味わえる喜び。
 もう、わたくしは、ほわーーっとなってしまって、とろけそうでしたよ。
マンドリンの登場で、ホールの空気は、暖かな春の宵のように(実際は収穫祭の喜びですが・・・)。
マーラー以来、お馴染みのマンドリンは、その第一人者の青山忠さん。
味のあるマンドリンは、さすがの一言に尽きます!
石田さん、山本さんの、フルートの江川さんのソロも、そこに華を添えました。

 そして、いよいよ、三部作の大団円は、キリストの誕生を祝う、「主顕祭」で、巨大な大ピークを迎えることになりました。

さあさあ、寄ってらっしゃい、酔ってらっしゃい。
音のエネルギーは、高まるばかり。
 難曲揃いのこのコンサートの最後にあって、指揮者もオーケストラも、熱の入れようはハンパない。
すっとんきょうな踊りや、サーカスワルツ、おどけたトロンボーン。
川瀬さん、お尻ふりふり、楽しそうだし、ときおり、跳躍も!

 ここでも、その音楽の狂乱ぶりと興奮は、聴衆に熱く伝わり、息つく間もない音楽の展開に、そして、思いもしない川瀬さんの仕掛けた大アッチェランドに、ステージのみなさんとともに、大熱狂の渦へと、引き込まれ、巻き込まれてゆくのでした。
 すかさず、後ろのブラボーさんに負けないように、ワタクシも、渾身のブラボーを一声献上いたしましたこと、ここにご報告いたします。

アンコールは、レスピーギより、一回り目の世代、その作品も、「噴水」より26年も前のマスカーニの名旋律を。
ゆったりと、思いを込めて演奏されるこの曲。
オペラの間奏曲として聴くと、あっさり終っちゃうけれど、こうして単品で、しかもオリジナルのオルガン付きで聴くと、いじらしいほどの美しい旋律と、その歌心に、涙が出るほどの感銘を覚えました。
そして、繰り返しですが、神奈フィルの弦は美しい。

 ローマ三部作のような音楽は、若い感性を持った清新な指揮者によって導かれる演奏も、聴かせ上手のベテラン指揮者のものよりも、一層楽しく、スポーティで、かつ何が起きるかわからない反応を見るような楽しみがあること、オケと川瀬さんの幸せな結びつきで実感しました。

終演後は、シーズンスタートの乾杯式。

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トランペット・ファンファーレ付き

黒岩神奈川県知事からも、てっぺん目指せ的な激励もあって、楽団理事さん、川瀬さん、副指揮者就任の阿部さん、新入団の楽員さんたちの、楽しいお話もあり、和気あいあいとしたひと時でした。
 わたくしも、知事や川瀬さんと、一緒に写真を撮っていただき、有頂天です。

みなさま、お疲れさまでした。

 アフターコンサートは、We Love 神奈川フィルのメンバーで、土曜のマチネのお楽しみ、「横浜地ビール 驛の食卓」へ行った(みたいです)。

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わたくしは、今回も体調の関係で、お休みしましたが、そこでは、テノールのお歌も入り、イタリアの延長で、大いに盛り上がったみたいですよ

次回の定期は、うって変わって北欧です。
その前に、イタリアオペラもアリマス!行けるかな?

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2015年4月24日 (金)

レスピーギ 交響詩「ローマの祭」 バーンスタイン・マゼール指揮

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都会の祭りであります。

数年前の写真の再褐ですが、都心の三田で毎夏行われる、三田フェスの様子。

みんな、弾んでますねぇ~

関東人のわたくしですが、東北のお祭りも、関西のお祭りも、ろくに知りませんで、憧れをもって、毎夏眺めるばかりです。

日本の祭りは、キンチョーの夏ぢゃなくて、そこそこ、プリミティブで、夏の解放感も手伝って、野卑なところがあって、どこか、甘酸っぱいものがあります。

え? 自分だけかしら。

Festa_3

湘南カラーに埋め尽くされた、こちらは、平塚の七夕祭り。

毎度の昔話で恐縮ですが、子供のころから、平塚の七夕はお馴染みで、湘南電車でふた駅いって、煌びやかさと、出店の数々、そして、ときには、恐怖のどん底も味わう、まさに、祭りの醍醐味を味わいつくしていたのでした。

その恐怖は、お化け屋敷もありましたが、戦地から帰還の傷痍軍人さんたちが、道端で施しを求める姿が、そこかしこにありまして、それが、子供心に怖かった。
 どんな組織がそこにあったのか、よくわかりませんが、軍服を着て、アコーディオンを弾いたりして、みずからを悲しみに染めて、同情をひかんとする、その姿に違和感を持ったのは、もう少しあとのことでした。
でも、いまでは、戦地に赴いた皆さまのこと、われわれ子供や、日本の地のために戦い、傷付いた方々に、敬意とその負傷に同情を覚える次第です・

平塚の七夕ばかりか、川崎大師にも見受けられましたし・・・・・

あっ、また、よけいなこと書いてるし。。。
レスピーギのローマ三部作のなかでも、もっとも意欲的かつ、オーケストレーション的に円熟の極みをみた、最高傑作。
 わたくしは、三作のなかで、「祭」が一番好き!!

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  レスピーギ  交響詩 「ローマの祭」

    レナード・バーンスタイン指揮 ニュー・ヨークフィルハーモニック

                     (1968.3 @NY)

    ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

                     (1975.5 @クリーヴランド)


「祭」は、ともかく、かっこよく、人を酔わせるほどに、興奮と酔狂の極みにまで持っていってしまう。

レコード時代は、LP1枚で、「噴水」と「松」で完結してしまい、編成も大掛かりで、お金のかかる「祭」は、あまり録音されることはなかった。

そんななかで、オーマンディとバーンスタインは、この曲を得意にして、レコーディングも、しっかり当時からしてました。

いまでは、CD1枚に、三部作をおさめて、連続した演奏で、その真価を問う指揮者が増えました。

そんな、特異な「ローマの祭」を、今日は、思い入れのあるふたつの演奏で。

過去記事ぺたり・・・

>「ローマの松」もそうだがともかく、オーケストラがよく鳴る。

3部作のうち、一番最後(1928年)に書かれただけあって「祭」の方が多彩な表現に満ちており、R・シュトラウスばりの熟練のオーケストレーション技法がバリバリに楽しめる。

プッチーニの20年後輩だが、オペラに向かわずにオーケストラ作品や素敵な歌曲に桂曲を残したレスピーギ。
それでもオペラ作品もあるようなので、聴いてみたいと日頃思っている。(脚注・ただいま準備中)

いきなり金管の大咆哮で始まる「チルリェンセス」はローマ時代の暴君の元にあった異次元ワールドの表出。

キリスト教社会が確立し、巡礼で人々はローマを目指し、ローマの街並を見出した巡礼者たちが喜びに沸く「五十年祭」。

ルネサンス期、人々は自由を謳歌し、リュートをかき鳴らし、歌に芸術に酔いしれる「十月祭」。

手回しオルガン、酒に酔った人々、けたたましい騒音とともに人々は熱狂する。キリストの降誕を祝う「主顕祭」はさながらレスピーギが現実として耳にした1928年頃の祭の様子。

①の不協和音が乱れ飛ぶかのようなカオスの世界、ジワジワと祈りが浸透しつつ美しい広がりを見せる②、まさに自由だ!的な③は、イタリアの歌心満載。
そして、だまっていてもすさまじい④で逝っちゃってクダサイ。

てな、わけで、オーケストラの精度は度外視して、勢いと即興的な流れで、一気に「ローマの祭」を描ききったバーンスタイン。
一気呵成のすさまじいまでの、一直線の流れは、ある意味快感の域に達しつつも、どこか危ないくらいのやばさがある。
そう、これがバーンスタイン。
サーカスカーニバルの音頭なんか、まったく堂にいったもので、思わず、体が動いちゃう。
そして、怒涛のエンディングはとんでもないですぜ!!

 それと、この曲の演奏で大好きなのが、マゼールのクリーヴランド時代の演奏。
デッカのアナログ録音の超優秀さを、まざまざと体感できる。
ずばずば、しゃきっと、各々、決めどころが、完璧なまでに決まりまくる、鮮やかにすぎるマゼールのキレのよい指揮ぶり。
そして、あきれかえるほどに、うまい、クリーヴランドのオーケストラ。
上出来すぎて、それが不満。
そこに何があるって・・・・、バーンスタインの怒涛の味わいや、オーマンディの煌びやかだけど、語り口の放漫さ、慎ましいけど、透き通るようなオーケストレーションマジックの味わえるマリナー、そして、若き血潮みなぎりつつも、うますぎるヤンソンス。

それらの、わたくしのファイバリットと同等に、適度なデフォルメと、極めて高い音楽性に満ちたマゼール旧盤は、とっても素晴らしい名演なのでした。

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2015年4月23日 (木)

レスピーギ 交響詩「ローマの松」 オーマンディ指揮

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歴史ある、国道一号線を西へ。

大磯宿を超え、いまも残る松並木。

かつての昔から、歴史の大動脈だった、東海道。
国道一号線は、こちらの画像の、左側が海で、右が山。

旅人は、その道すがら、山や、近隣の寺社に詣でながら旅したことでありましょう。
この手前に、高麗山。
ちょっと行くと、左に、吉田邸(焼失したけど再建中)があり、左には、国府神社の鳥居も。
そこは、相模国の神社の総元締め的な場所でして、年に一度、相模の六社が集まる、国府祭(こくふさい)があります。

思った以上の規模でして、子供の頃は、よく行ったものです。

この松並木も、年々、病気などもあって劣化してます。
そりゃそうですよね、樹木・木々も、人間と同じく、生きているわけですからね。

可哀そうだけど、植え替えとか、伐採とか、悲しい決断も必要なのでしょうね。
そんなことが、成熟した日本の社会のあちこちに起きてます。

前置きが、本題から、どんどん遠くなっていく。

「松」、そう、「ローマの松」です。

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   レスピーギ  交響詩「ローマの松」

      ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

                         (1973.4 @フィラデルフィア)


川瀬&神奈川フィルによる「ローマ三部作」のコンサートで、前半のトリをつとめるのが、一番有名な、「松」。
有名度では、まさに、松竹梅の、松を担う存在で、1924年初演以来、その華やかさにおいて、世界中のオーケストラで演奏され、そして、われわれ愛好家にも、愛される名曲となっております。

以下、またズルしますが、過去記事より。

>この曲を最後にもってくれば、必ずコンサートのフィナーレとして成功するし、祝典的な気分も横溢しているから、ジルヴェスター系のコンサートにももってこいだ!
「松」を歴史の証人としての恒久的な存在として、ローマの悠久の過去を音楽で振り返るという寸法で、そのアイデアは実に秀逸。

①「ボルジア荘園の松」松の木立の下で元気に遊ぶ子供たち。

②「カタコンブ付近の松」ローマ時代の地下墓地、迫害を受けたキリスト教徒たちに思いをはせる。グレゴリオ聖歌の引用。

③「ジャニコロの松」満月を受けて浮かびあがる松。幻想的な光景でナイチンゲールも美しく鳴く。

④「アッピア街道の松」ローマ軍の進軍街道、アッピア街道沿いに立つ松。勇壮で力強い大行進が思い起こされる。

この4編の中では、③ジャニコロが一番好き。
ドビュッシー的な雰囲気で、いかにも詩的な夜のムード。夜鶯が心をくすぐる。
そしてもちろん、最後はローマ軍の大進軍で打ちのめされてください。<

という、かつての記事。
 レスピーギのリアルさは、こうしたタイトルに則した、完璧なまでの、そして、静止画像を超えて、見たまんまの画像が、聴き手にそのまま伝わるところの精度の高さ。

どうしても、勇壮で華やかなフィナーレに、耳目がいってしまいますが、あらためて、「ジャニコロの松」における、抒情の輝きと、ナイチンゲールの囀りの融合が素晴らしい♪

煌びやかなフィラデルフィア・サウンドを全開にさせつつ、こうした抒情を、しんみりと、さらりと聴かせてくれるオーマンデイの、味わい深い演奏は、永遠の名演と言ってもいいかもしれません。
爆発的な盛り上げには、欠けるかもしれませんが、オーケストラを聴く喜びは、ここにたっぷりとあるし、フィラ管の名技性と、鉄壁のアンサンブルも、あわせて味わえます。
 レコード時代、「火の鳥」とのカップリングで、擦り切れるほどに聴きまくった演奏でもあります。

川瀬&神奈フィルの「松」、若さはじける演奏を期待!

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こちらは、三保の松原。

松は、ほんのちょっとだけ。

手当もしてましたが、風や病虫対策がきっと難題なんだろうな・・・・・

 日本の松と、ローマの松、見た目は違いますが、いずれも、そこにあって、歴史の移り変わりを見てきた点では同じです。

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2015年4月22日 (水)

レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」 ルイージ指揮

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文字通り、噴水です。

こちらは、皇居近くの和田倉噴水公園ですよ。

夜には、ライトアップされて、とても雰囲気がいいのよ。

そして、ローマの風物詩の噴水4つを、そのまま交響詩にしたのがレスピーギ。

ローマ三部作の第1作が、「ローマの噴水」です。

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   レスピーギ  交響詩「ローマの噴水」

      ファビオ・ルイージ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

               (2000.6 @ジュネーヴ・ヴィクトリアホール)


4月の神奈川フィルのみなとみらいホール定期は、新シーズンの華やかな開始演目として、レスピーギのローマ三部作がプログラミングされました。

演奏は、作曲順に、噴水(1916)→松(1924)→祭(1928)、ということになります。

本ブログでも、3部作は、何度も登場してますが、これら代表作以外にも、いくつものジャンルに作品を残したレスピーギの曲を、わたくしは、集めております。
オペラもなかなか面白い作品があったりです。

ちょっとズルして、以前の記事からコピペ。

①「夜明けのジュリアの谷の噴水」朝が来る前の曖昧な雰囲気のなか牧歌的なムードも漂う。
②「朝のトリトンの噴水」ナイアディスとトリトンが朝の眩しい日差しの中で踊る。ホルンは明るく響き、ピアノや打楽器が舞い踊るように活躍する。
③「昼のトレヴィの噴水」ついに日は高く昇った昼。ネプチューンの勝利の凱旋。この曲最高のフォルテが聴かれるまで大いに盛り上がってゆく。この場面、「アルプス交響曲」をいつも思ってしまうのは、私だけ?
④「黄昏のメディチ荘の噴水」夕暮れを迎え、夕焼けは徐々に夜へと変わってゆく。

全編に漂う幻想的なムードは、この曲の最大の魅力。
①と④を聴き、まだ見ぬひと気のないローマの朝靄や夜霧を思うのもいい。
キラキラ輝く②トリトンの泉に目を細めるのもよろしい。
そして、③活気ある観光地トレヴィで、コインを投げ入れ、そして噴水の水飛沫を思い切り浴びちゃってください。<

噴水と祭りの間には、12年の隔たりがあり、レスピーギの音楽は、あとになるほど、より大胆に、豪快に、そして緻密になって行きます。
それがよくわかることも、3つを並べて順に聴くことの面白さ。

噴水は、ともかく瑞々しさと、音の粒が跳ねるような新鮮さがよろしい。

今日は、ファビオ・ルイージの歌心と、冷静さとを兼ね備えた、ちょっとクールな演奏で。
アンセルメ時代と、スイス・ロマンドは変わりはしたけれど、でもその明るい音色は、魅力的で、ルイージの指揮によっても引き立っておりました。
 ルイージ時代は、1997~2002年と5年間でしたが、もっとここでやって欲しかった。
ルイージさんは、どうもいろんなポストが長続きしないですな。
ドレスデン、ウィーン響もそうだった。
いまは、チューリヒとメトが中心。

このCDには、「祭」もおさめられていて、そちらは、結構ハジけてますよ

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2013年9月 6日 (金)

レスピーギ 「ローマの祭」 ガッティ指揮

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夏の名残り強く残る盛り場。

盛り場と申しましても、こちらは少しの場末感ただよう、横浜野毛の入口から行ったら結構奥の方。

それ風な場所もあってかねての結界みたいな感じを思わせますが、こうした宵闇に、ほんとに美味しいものを求めて人々が集まります。

これもまた大都会の持つひとコマと思います。

そして、まだ「夏」を忘れちゃならない。

故郷の夏は、「祭り」だよ。

「おら、みんなに会いでぇ!」、だよ。

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  レスピーギ  交響詩「ローマの祭」

  
 ダニエレ・ガッティ指揮  ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                     (1996.10 @ローマ)


いわずとしれました、レスピーギのローマ三部作。

「松」「噴水」「祭り、その3つのタイトルを持つ交響詩は、はなやかかつ、知的なオーケストレーションを持ち味あとしたレスピーギの代表作です。

レスピーギ(1879~1936)は、まだそんなに遠くない存在の生没年で、ちょっと遅れてきたイタリア世紀末作曲家です。

プッチーニより約20年あと、イタリア伝統のオペラ作曲家としての立場から少し身を置いて、シンフォニスストでもなく、オーケストラや器楽を中心にすえて、オペラや歌曲に対した。

ここに以前の記事から、ヴェルディ後のイタリアオペラ作曲家の系譜を再褐しときます。

  ★ヴェルディ(1813~1901) 

  ・ボイート(1842~1918)
  ・カタラーニ(1854~1893)
  ・レオンカヴァルロ(1857~1919)
  ・プッチーニ(1858~1924)
  ・マスカーニ(1863~1945)
  ・チレーア(1866~1950)
  ・ジョルダーノ(1867~1948)
  ・モンテメッツィ(1875~1952)
  ・アルファーノ(1875~1954)

  ・レスピーギ(1869~1936)

レスピーギは、その生没年から言えば、その作風は保守的であり、古代の旋法やバロック期の古風な佇まいを引用した古典主義的な存在でもありますが、一方でそれらをベースにしながらも、オーケストラの技法を駆使し、豊かな響きと大胆な和声を駆使した前記のような華麗なサウンドも身上としてます。
 いま、そのオペラ作品を聴き始めましたが、こちらはその両面を巧みに持ち合わせた作品が多く、聴き応え充分です。
ただ、多くあるように、歌詞対訳の障壁があって、じっくりとりくむと数カ月を要しますので、また時間が許せば、そのオペラの諸作品をシリーズ化したいと思っております。

さて、今宵は、そんなことは悩むことなしに、痛快で劇画的、血沸き、心躍る、ローマのフェッシバルのいくつかに心を馳せて、思いきり鳴りっぷりのいいレスピーギの粋な交響詩を聴こうじゃありませんか。

かつての記事からまたもや再褐。

いきなり金管の大咆哮で始まるチルリェンセスはローマ時代の暴君の元にあった異次元ワールドの表出。

キリスト教社会が確立し、巡礼で人々はローマを目指し、ローマの街並を見出した巡礼者たちが喜びに沸く五十年祭」。

ルネサンス期、人々は自由を謳歌し、リュートをかき鳴らし、歌に芸術に酔いしれる月祭」。

手回しオルガン、酒に酔った人々、けたたましい騒音とともに人々は熱狂する。キリストの降誕を祝う主顕祭はさながらレスピーギが現実として耳にした1928年頃の祭の様子。

いつ聴いても③の夏のものうい雰囲気のセレナーデには酔ってしまう。
そして、その酔いをぶっ飛ばすような、④の強烈かつぶっ飛びの最終エンディング。
まさに、「イェーーイ」と快哉を叫びたくなるんだ。

もう10年経つけれど、いまや名匠となったガッティのピチピチとしながらも、知的な指揮に、歌心満載のローマの俊敏なオケ。

ローマ三部作には、トスカニーニ、オーマンディ、ムーティ、ヤンソンス、マリナーと大好きな音盤数あれど、このガッテイ盤もイタリア男の魅力あふれる素敵な1枚であります。

そして、この曲、神奈川フィルの美音で持って、港町で是非聴いてみたい。

若い、川瀬君でOK!


 ローマ3部作 過去記事

ローマ三部作」 マリナー&アカデミー


「ローマの松」 ヤンソンス&オスロフィル

「ローマの噴水」 デュトワ指揮

「ローマの松」  トスカニーニ&NBS響

「ローマの祭」   シノーポリ&ニューヨーク・フィル 

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2012年6月 2日 (土)

レスピーギ 「ローマ3部作」 マリナー指揮

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芝公園のバラと東京タワー。

スカイツリーの大盛況にめげず、頑張ってほしい東京タワー。

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先っぽが、交換工事のため撤去され、短くなっちゃった。

スカイツリー詣ではまだだけど、東京タワーの品格はやはり別格だと思います。

今日は、土曜日だし、華やかなオーケストラ曲を爽快に。

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レスピーギ(1879~1936)の交響詩集、「ローマ3部作」。

  交響詩「ローマの松」

  交響詩「ローマの噴水」

  交響詩「ローマの祭」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮

         アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
                         (1990.9 @ロンドン)


この大音響と繊細なるピアニシモのあふれる3つの交響詩は、レコードでは、そのダイナミズムゆえ、1枚に詰め込むことがなかなかできませんでした。
いまや、3つが一緒に1枚に。CD時代の恩恵をこうむった典型かもしれません。
レコード時代の花形は「ローマの松」で、これ単独で、他の作品と組み合わせられることも多かったし、「ローマの噴水」とのコンビがもっとも多かった。
だから、もっとも遅くやってきたのは「ローマの祭」だけど、いまは「祭」が一番好きになった。

作曲年代は違えども、やはり同時に、一緒くたに聴きたい「ローマ3部作」。

「ローマの噴水」(1916)、「ローマの松」(1924)、「ローマの祭」(1928)。

この3部作ばかりが有名なレスピーギだけれど、初期は交響曲、豊富なオーケストラ曲、各種協奏曲、室内楽曲もたくさん。そしてオペラと歌曲は珠玉の世界。
そうです、まるで、R・シュトラウス(1864~1949)でございます。

少し時代は違えど、イタリアのR・シュトラウス、しいてはイタリアの後期ロマン派の旗手がレスピーギ。

「ローマ3部作」をマリナーの指揮で聴いてる人はあんまりいないだろうな。

これらの曲に期待する明るい華やかさとキラキラ感は充分。
でも、フルオーケストラの強大サウンドとはどこか無縁。
アカデミーとはいえ、フルオケクラスの布陣と思われますが、マリナーが指揮すれば腰は少し軽めなれど、透き通ったオーケストラサウンドに、あっさりさっぱりの見通しよいレスピーギが聴かれるのです。

アッピア街道の松の大行進も威圧的でなく、純音楽的なひたむきな盛り上げ方だし、祭のチェリチンチス、最後のダイナミックな主顕祭の興奮きわまりない場面でのきっちりと律義なまでのリズムの取り方とスコアそのものの盛り上がりを信じたかのような演奏ぶりは、非常に好ましいものです。
かつてのマリナーなら、さらさらと過ぎてしまうような、カタコンブやジャニコロの松の粒立つような抒情の素晴らしさや、水しぶきをあびるような清冽なトリトンの噴水、そしてローマ郊外の祭の夜のセレナーデなど、あくまでナチュラルで透明感ある抒情サウンド満載なのでした。

多くにお薦めはできませんが、古風なメロディスト、レスピーギの姿をかいま見るうえでも、是非聴いていただきたいサー・ネヴィル・マリナーの1枚でした。

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 ローマ3部作 過去記事

「ローマの松」 ヤンソンス&オスロフィル

「ローマの噴水」 デュトワ指揮

「ローマの松」  トスカニーニ&NBS響

「ローマの祭」   シノーポリ&ニューヨーク・フィル 


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2011年11月11日 (金)

レスピーギ 「教会のステンドグラス」 ロペス=コボス指揮

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ある教会の扉の上にあったステンドグラス。

キリストは最後の晩餐で、弟子たちに「パンは自分の体、葡萄酒は自分の血として、分け与えた」。その葡萄が豊かに実ること、そして麦は、そう、パンの種であります。

「麦と葡萄」とは、キリスト教にとって大事な象徴なのであります。

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レスピーギの4つの交響的印象「教会のステンドグラス」。

ローマ3部作がやたらと有名で、その他はそうでもないレスピーギ(1879~1936)は、その年代的にも 、世紀末をはさみ、わたしのもっとも好む世代の作曲家のひとりであります。
オペラもたくさん書いているので、聴いてみたいのだが、その音源がなかなか入手しにくい。
素敵な歌曲もたくさんあるし、オーケストレーションの達人だから、その歌劇はきっと面白いに違いない。

ローマ3部作を書いていた狭間の、1925年の作品ながら、4つの曲からなる初めの3つは、22年に書かれたピアノ作品「グレゴリオ聖歌による3つの前奏曲」にオーケストレーションを施したもの。

レスピーギお得意のグレゴリオ聖歌の引用や教会旋法、そしてお馴染みのカラフルでダイナミックなオーケストレーションの極みが、余すことなく味わえる作品であります。
4つの曲に、聖書や教会にまつわる情景が標題付きで描かれていて、それらを知り聴いてもよし、知らずとも精妙かつ華やかなオーケストラサウンドが楽しめる具合になっています。

教会へ行くと、左右の壁にステンドグラスや絵画が飾られております。
それらは、イエスの受胎告知から降誕、成長と布教、受難と十字架、復活と栄光などが順番に物語として、いわば文盲だった昔の人々向けに絵本としての機能を果たしていたわけであります。

レスピーギのこの曲は、そうした物語的なステンドグラスという訳ではなく、それらからチョイスされた出来事が音楽化されているのです。

エジプトへの逃亡・・・・ヘロデ王が救世主誕生を恐れ、2歳以下の英児を皆殺しにしようとしたため、ヨゼフとマリアとイエスはエジプトへ逃れる。
 エキゾテックな雰囲気と逃避行の物憂さを感じますな。

大天使ミカエル・・・・守護聖人ミカエルは、反キリストへの戦いの守り神であり、悪魔サタンとの戦いをここでは描いております。
ミカエルは、ミサ曲やレクイエムを聴いてると出てきます(たしか・・・)。
レスピーギパワー炸裂の大サウンドに酔いしれ、ドラの一撃を待ちうけましょう。
実際、今日のCDのテラーク録音は凄まじい音響であります。
そして、ハリウッドの大スペクタル映画のようで、チャールトン・ヘストンやビクター・マチュアが出てきそうですよ。

サンタ・キアラの朝の祈り・・・・アッシジの聖フランチェスコといえば、メシアンの最後の大作オペラですが、そのフランチェスコと一心同体であった聖女がキアラ(クララ)。
清貧に生きた聖女のつつましい祈りが、美しく静的に描かれております。

偉大なり聖グレゴリオ・・・・グレゴリウス1聖は、そうグレゴリオ聖歌の人。
音楽の面から言っても、典礼を整備完結して教会に偉大な足跡をのこした点や文筆活動からいっても、大グレゴリウスと呼ぶにふさわしいお人。
音楽も威容さを表出していて、オルガンも重厚にズンズンなるし、グレゴリオ聖歌も神々しく、そして分厚くティンパニを伴った金管で響き渡る。

レスピーギを聴くことは、一種の快感でもあります。
そして、オーケストラがうまくて、録音がよければ文句なし。
今回は、ヘスス・ロメス=コボス指揮のシンシナシティ交響楽団の93年録音にて。
申し分ない演奏にて、今日は3度も楽しんでしまいました。
ジャケットも美しいです。
コボスはスペイン人だけど、レスピーギを得意にしていて、一方でブルックナーの権威でもあるという、熱き血と知的スマートさを兼ね備えた才人指揮者です。
コボスのリングを聴いたのは、もう20年以上も前だけれど、シンシナシティとのコンビはなかなか実りあるものだった。
いまはマドリード中心に活躍中みたい。
HPで、その指揮ぶりがいくつか視聴できます。→こちら

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