シベリウス 交響曲第4番 セーゲルシュタム指揮
冬の日本海。
いつぞやの越前海岸。
冬の日本海は本来もっと厳しく、人を寄せ付けない雰囲気かもですが、この日は波もなく、静かな海。
分厚い雲から、いつ降り出すか、またはいつ雷が鳴るか・・・。
冬の北陸、それも終りごろは、雷を伴った悪天候の日々と聞きます。
わたしも、なんどか味わいました。
弁当忘れても、傘忘れるな・・・・。
そんな日本海側の天候を思うと、わたしの生息する関東エリアは、夕べのような積雪もまれにありますが、恵まれているのです。
でも、そんな絶海から獲れる海の幸はまた格別です。
日本人でよかった・・・的なものがあります。
厳しい寒さが全国的に続くこの日にシベリウス(1965~1957)。
交響曲第4番 イ短調
シベリウスの7曲はまんべんなく好きなのですが、歳とともにその嗜好も変わり、最初は当然のこととして2番。
その後に、1番と5番。
次ぎは、3・7ときて、最後は4番や6番に至る。
しかし、わたしは、2番・1番以外は、いきなり同時にやってきた。
FM東京で、ヘルシンキ・フィルのシベリウス交響曲全曲演奏の来日公演を放送したとき。
全部エアチェックして、冬の寒い日々にむさぼるようにして聴いた音源。
渡邊暁雄とオッコ・カムが振り分けたそのシリーズは、CDとして音源化されました。
その音源を聴きまくった時は、ホット・ウイスキーが流行ったときで、わたしもそれを飲みながらひとり音楽に没頭する日々でした。
会社生活、ごく初期の頃。
あの頃に、心熱くして聴いた4番の交響曲。
それも、第3楽章のラルゴの静謐な世界が徐々に、それも何度か熱を帯びていって、ついにフォルテに達するところに、寒さも忘れるほどの熱い感銘を覚えたものでした。
独り暮らしの都会の侘び住まい。
寂しさと悲しさの無聊をかこつかのような寒い夜に、聴くのはシベリウスの7曲の交響曲にマーラーのすべて、そしてディーリアスにワーグナーでした。
だから、シベリウスの音楽にも、若き日々への懐かしい郷愁を感じてしまうのです。
みなさん、それぞれ、もしかしたらシベリウスへの想いをお持ちかもしれません。
ことにわれわれ日本人には、そんな気持ちや想いが強いのかもしれません。
英国が周囲を海に囲まれた島国で、自然豊かな国ゆえにシベリウスの音楽の演奏の伝統があるのと同じように、海と山と、そして森や水にも豊かな、わが日本にもシベリウスをすんなりと受け入れ共感する土壌があるものだと思います。
それゆえに思う、本場フィンランドの人たちの演奏するシベリウスを絶対視する憧れの想い。
ヘルシンキフィルのシベリウス全集は、定番の間違いなしのベルグルンドに続いてセーゲルシュタムも録音しました。
デンマークでの録音はまだ未聴なのですが、ヘルシンキのものは1枚1枚揃えて、楽しみに聴いてきた全集。
セーゲルシュタムの演奏は、てきぱきと運ぶ機能的な側面を持ちつつ、じっくりとした歌いまわしにもシベリウスの真髄を見る想いでして、構えも大きく壮大な北欧の自然も体感できるような演奏なのです。
交響曲の多作家として完璧ギネスのセーゲルシュタムのデビュー盤は、フィリップス社へのワーグナーで、ニルソンとかのへっぽこと呼ばれたブリリオートと録音したもの。
北欧出身者同士のワーグナーは、なかなかのものでした。
そして、ヘルシンキフィルとの来日でも聴いた5番が忘れられない。
厳冬の晩に聴く、セーゲルシュタムのシベリウスの4番。
熱くも孤独の寂しさも味わえる桂演でございました。
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