「ラヴェンダーの咲く庭で」 映画
その音楽だけは、ニコラ・ベネデッティの演奏するCDを通じて、とても気にいってたし、きっと、わたくしの理想とする英国の辺境の海辺の街が、すてきに描かれてるんだろうなと、想いをめぐらせていました。
いつも探してた。
そして、なんのことはない、近くのツタヤにありました。
そしてお借りして、じっくり鑑賞。
じんわりと、そして、あまりに同調もできる美しくも哀しい心情。
今日は、自分にも特別な日かもしれないのど、メルクマール的に、エントリーしておきます。
美しい映画の印象と、その思いは、またあとで、追加更新したいと思います。
(2017.03.26 追記)↓
トリスタンとイゾルデを思わせる、コーンウォールが舞台。
老いても、また、落ちぶれても、どんな悲しみにあっても、人間というものは、愛を希求し続けるんだ。
その愛は、世相や、世間で許されないものであっても、愛を抱く気持ちには罪はなく、限りなくピュアなものだ。
と、心から、想いたい。
そんな気持ちにさせてくれる、美しい映画だった。
年齢の違い、国の違い、などは考えにも足らず、ただひたすらに、優しさと愛おしさが貫く愛を、だれが間違いといえようか。
とんでもない想いだと、声を荒げる方もいらっしゃるかもしれないし、もしくは、ほのかに、自らの経験や想いに、同感なさる方もおられるかもしれない。
わたくしは、ここでは表明しませんが、ともかく儚く、そして麗しい心情に、ことのほか、同感いたしました。
英国、コーンウォール地方の海辺の町。
1936年のこと。
仲良く暮らす、二人の老人の域に間もなく達する姉妹。
そのもとに、難破のすえうちあげられた、若いポーランド人。
彼を介抱しつつ、二人の姉妹に生まれる、ほのかな恋心。
そして判明した、才覚あふれるヴァイオリニストとしての隠れたる才覚。
おりからあらわれた、ドイツ系の若き絵描きの女性。
彼女には、高名なるヴァイオリニストの兄があって、ポーランド人に接触し、この才能を、世に出すべく、兄と画策。
この憎むべき動きを察し、隠ぺいしようとした姉妹と、若きヴァイオリニストとの間で生まれた確執。
そこに、地場のローカルイズムや、初老医師の嫉妬、ユーモアあふれるお手伝いさん、などが、巧みにからまり、後半は緊迫のドラマとなる。
姉妹に、事情を説明し挨拶をしたい想いを封じられ、やむなくロンドンに消えたポーランド人から、ふたりのもとへ、謝罪と自画像、そして、近くロンドンで演奏会デビューする旨の手紙が届けられる。
コーンウォールでは、気のいい村人たちが、ラジオの前に集まり、これから始まるポーランド人の演奏のライブに耳をすませる。
そして、はじまったコンサート。
鳴り渡る、麗しくも哀しいメロディに、会場の人々は、感動のゆえ固唾をのみ込み、コーンウォールの村人たちは、誇らしげに、でも、失ったものへの悲しみに耐えつつも涙する。
コンサートの会場の感動した聴衆のなかには、ふたりの姉妹がありました・・・・
コンサート後のレセプション。
ふたりの姉妹を見つけたポーランド人は、かけより、感謝と喜びをあらわしますが、つらいことに、この夜の花形。
この場の一番偉い、貴族から声をかけられ、本人の意思とは逆に、姉妹のもとを離れることに。
振り返る若きヴァイオリニスト。
でも、一番愛した、妹は、姉を促し、帰りましょうと・・・・
コンサート会場を去るふたりの老姉妹。
そして、地元のコーンウォールの海辺を散策するふたりのシーンに切り替わり、この素敵な映画は終わりました。
続いて流される、この映画の音楽。
そう、ニコラ・ベネデッティが奏でたあの曲。
ナイジェル・ヘス作曲の書き下ろし作品。
ともかく美しい。
映画では、ジョシュア・ベルが弾いてます。
美しくてなにが悪いんだろう。
こんな愛らしい気持ち、それは、世代も、身分も超えて、はぐくまれる愛情や想いは、本人たちしか、結論を見いだせないのだから、それはそれで、いいのではないのか。
そんな風に想う、3月25日でありました。
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