クリスマス with レオンティン・プライス
毎年めぐりくるクリスマス・シーズン、あたりまえですが。
しかし、今年ほど不穏なうちに迎えたクリスマスもないと思います。
来年ももっと深刻な年になるかもしれません。
クリスマスの装飾に心和ませ、クリスマスの音楽に落ち着きと平安を求めましょう。
Chistmas with Leontyne Price
カラヤン/アヴェ・マリア
きよしこの夜
あめにはさかえ
われら三人の王
あら野の果てに
もみの木
ともに喜びすごせ
あめなる神には
高き天より
おさなごイエス(黒人霊歌)
アヴェ・マリア(シューベルト)
オ・ホーリー・ナイト
アヴェ・マリア(バッハ)
アレルヤ(モーツァルト)
レオンティン・プライス
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団員
ウィーン楽友協会合唱団/ウィーン・グロスシュタット少年合唱団
プロデューサー:ジョン・カルショウ
エンジニア:ゴードン・パリー
(1961.6.3~5 ゾフィエンザール、ウィーン)
オリジナルだと、クリスマスwithレオンティン・プライス、日本国内盤だとカラヤン/アヴェ・マリアになってしまう。
オペラハウスで引っ張りだことなったミシシッピー生まれのアメリカ人歌手と、その才能を見出し重用した大指揮者、そして名門オーケストラと、それほどまでに豪華な1枚。
そして忘れてならない、プロデューサーのカルショウの存在はデッカならでは。
録音はいまでこそ丸っこい音に感じるが、それでも音量を上げて聴くと、オーケストラの音に低域の豊かさと分離の良さと力強さ、ホールの響きの良さを感じる。
なにもカラヤンとウィーンフィルでなくてもよかったんじゃない?と思ってしまうが、それでもカラヤンはカラヤンの音がする。
たっぷりとした豊かな歌いまわしは豪華そのものだし、柔和なウィーンの音色もあります。
60年代にはいるとカラヤンはウィーンフィル、カルショウとともにオペラの数々を録音するようになりました。
60年には「こうもり」、そしてこのクリスマスアルバムの1か月前には、真反対の音楽ともいえる「オテロ」を録音。
翌62年にはプライスと「トスカ」、63年には同じくプライスと「カルメン」。
ウィーン国立歌劇場の芸術監督(56~64年)の時代と重なる、こんな流れのなかにあるクリスマスアルバムということが私には興味深い。
ベルリンで後年にヤノヴィッツあたりとクリスマスアルバムを作ってくれたらよかったのに、とも思いますね。
そのカラヤンが愛したソプラノ、レオンティン・プライスの声は、全盛期ゆえにゴージャスそのもの。
高音域に聴かれる声の美しさは素晴らしく、輝かしい。
低域もずっと後年はドスが効きすぎて、またヴィブラートがややきつくて厳しいものがあったが、この時期はそうでもなく、暖かみを感じる。
これらの定番のクリスマス曲のなかにあって、一番すばらしいのが、無伴奏で歌われる「おさなごイエス」。
祈りにあふれたような真摯なプライスの歌唱は感銘深いです。
プライスの歌は過去の録音ほどいい。
プッチーニのアリアとR・シュトラウスのモノローグを集めた2CDを久方ぶりに聴いてみた。
マノンレスコーと蝶々さんは刹那的なまでの歌いぶりで、そこに美的なスリルも感じたりもしました。
カラヤンが愛したのはゴージャスな声とそうした刹那感だったかもしれません。
一方で、カラヤンはR・シュトラウスには、ショルティと違ってプライスを起用することはありませんでした。
カラヤンは、ワーグナーやシュトラウスでは、よりリリカルな声を好みましたね。
しかし、久しぶりで聴いたプライスのサロメ、痺れるほどにいい。
破滅的な陶酔感が存外に素晴らしいのだ。
ラインスドルフとボストン響がバックを務めていて悪かろうはずがない。
ピュアなクリスマス音楽を聴いて、サロメに至るという、どこか背徳的な聴き方をしてしまったが、降誕の直前の旧約聖書の世界に至るのも悪くない聖書巡りかもしれません。(やっぱり変か)
グリーンなクリスマスもいい、緑もクリスマスカラー。
ハッピーホリデー、なんてまっぴらごめんだ。
メリークリスマスだ。
よきクリスマスをお迎えください。
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