カテゴリー「プロコフィエフ」の記事

2020年9月20日 (日)

プロコフィエフ 交響曲第1番、第2番

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浜松町のJRと並行する橋からパシャリ。

左手の茶色いビルは歴史ある貿易センタービルで、モノレール駅も直結していて国内の空の窓口的な存在でもありました。
これが、来年あたりから解体が始まります。

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右手の工事中のビルが、貿易センタービルの後ろにあたる場所に建設中の貿易センタービル南館。

早くもこうして駅通路とつながってました。

コロナでも、都心部は着々といろんな建設が止まることなく進行してまして、たまに行くとびっくりすることがあります。
新橋駅の駅ナカとか、有楽町のガード下の進化とか、たくさん。
でも、東京ばかり。
コロナで、一極集中は徐々に収まっていくのではないかと思ってますが・・・・

さて、コロナで自分のなかで目覚めた「プロコフィエフ」。
なんで今さら感もありますが、親しいようで、どこか遠かったプロコフィエフの音楽。
作風のいろんな変遷があり、ロシア革命とソ連の体制の影響を受けざるをえなかった点で、ショスタコーヴィチと同じ。
でもシンフォニストとしては、明らかにショスタコーヴィチの方がポスト・マーラー的な存在として大きな存在。
しかし、交響曲以外のプロコフィエフのもうひとつの、いやそれ以上の存在としての劇場音楽作家としての顔。
それを知りえたのがコロナ禍のオペラストリーミング大会。
8作あるオペラだけでも、その半分を観劇できまし、バレエも同様。
ドラマの仕立ても面白さもさることながら、感覚的に訴えてくるその音楽が抒情と力強さにあふれていることも再認識。

交響曲シリーズとオペラシリーズをスタートします。

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 プロコフィエフ(1891~1953)の61年の、いまでは短いともいえる生涯は、亡命と遍歴の歴史でもあります。

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフの場合、こうした時代の変遷で、その音楽をとらえてみるのも面白いし、実にわかりやすい。
モダニストとしてならしたロシア時代、欧米やアジアの素材も取り入れつつ、さらに原色的なロシアテイストもにじませ、やはり故国への想いもにじませた亡命時代。
憧れた故国に帰ると、そこは本音と建て前の世界で生き残らなくてはならなかった。
体制に寄った音楽と皮相な音楽の壮大なマッチングはクールでさえある。

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  プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 op25

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

    (1973.5 @キングスウェイホール)画像は借り物です

シンプルで、まさに古典の顔をした「古典交響曲」。
こんなお手頃で聴きやすい交響曲を聴いて、「ピーターと狼」のプロコフィエフっていいなぁ、なんて思って、次の2番の交響曲を聴くとぶったまげることとなる。
そう、第1交響曲が異質なのだ。
子供時代から作曲していたが、サンクトペテルブルク音楽院を経て、すでにモダニスト然とした作風を得ており、21歳のピアノ協奏曲第1番(1912)、22歳の協奏曲第2番(1913)は、なかなかのぶっ飛びぶりであり、そのあと荒々しい「スキタイ組曲」もある。

そして、1917年、26歳で亡命前に「古典交響曲」を作曲する。
ということで、あえて「古典」という18世紀スタイルに身を固めた交響曲を作曲したプロコフィエフは、逆にスゴイくせ者だということになります。
事実、この曲でプロコフィエフを語られるのを、作曲者は嫌ったらしい(笑)

ということで、お馴染みのこの清々しい交響曲をマリナーとアカデミーの小俣のきれあがったような気持ちいい演奏で。
このレコードがロンドンレーベルから出た時は、ビゼーの交響曲とのカップリングで、「マリナーのハ調の交響曲」という宣伝文句で発売され、ジャケットも可愛い女の子の洋画だった。なつかしー
 3楽章が、のちの「ロメオとジュリエット」の1幕、客人たちの入場で使われていて、それを聴くのも楽しいもので、なんだかんだでプロコフィエフは、この作品が好きだったんじゃないかと思う。
古典の姿をまとったモダニスト的な作風は、斬新なリズムとスピード感などに現れてます。

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  プロコフィエフ 交響曲第2番 ニ短調 op40

 小澤 征爾 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1990.1 @イエスキリスト教会、ベルリン)

第2番は1925年、34歳の作品。
亡命後、アメリカと欧州を行き来しつつ活動していたプロコフィエフは、結婚も決め、南ドイツの街に移住。
その後、パリに移住したその前後に書かれたであろう第2交響曲は、先に書いた通り、ぶっ飛びの攻撃性と実験性を持つ曲。
初めて聞いたときは、それこそビックリしたと同時に、さっぱり訳がわからなくて、つかみどころもなく、単なる実験作じゃんか・・・との印象で終わりにしていた。

このところの、プロコフィエフ熱でもって聴き直すと、これはこれでプロコフィエフの音楽の面白さが凝縮されたユニークな存在として、オペラにも通じる作品であると思うようになってきた。
そのオペラとは、「賭博者」と「火の天使」。
不協和音と、クセになる快感を呼び起こすオスティナート効果、甘い旋律の切なさとクールさ。
37分ぐらいの長さだけど、楽章はふたつ。
全編フォルテの激しい1楽章、ピアノが導入され熱狂したように弾きまくり、金管は咆哮し、弦はキュウキューと弓をこすり付けるようにしてかき鳴らす。
目まぐるしいけれど、この狂おしさが面白くて好き。
「春の祭典」の12年後。
プロコフィエフはロシア時代に、ディアギレフとも出会い、「アラとロリー」(スキタイ組曲)を1916年に作曲している。

忽然と終わる1楽章に続く、長い第2楽章は、抒情的でしなやかなメロディで開始され、どこかホッとすることとなる。
しかし、油断は禁物、スケルツォ的な野卑な部分が突然顔を出して、安住の気持ちをかき乱す。
と思ってるとまた抒情的な雰囲気が、ミステリアスな雰囲気でもって回帰し、さらにややこしい。
そう、よくよく聴くと変奏曲形式になっている。
6つの変奏を聴き分けるまでには至っていないし、よっぽど聴きこまなくてはそこまでにはなれません。
トランペットがピロピロと鳴ったり、弦と木管がキンキンしたりで、面白い場面も続出しつつ、素朴な変奏主題も鳴っている。
終わりの方は暴力的になり、ちぎっては投げの音の爆弾になりますが、突如、冒頭の抒情主題が回帰し、やれやれという風になりますが、そのままあっけなく終わってしまう。
 おいおい、もっと先ないのか~い?って気分にさせられること甚だしい(笑)

ソナタ形式のフォルテだらけの1楽章。
変奏曲形式のとりとめない2楽章。
プロコフィエフ自身が「鉄と鋼でできた作品」としたが、この交響曲っぽくない交響曲が、いずれにせよ実験的な作品であることには違いない、、、です。
 このある意味ナイスな作品が、後年、体制下の影響か、改訂の筆を入れようとしましたが、途中で終了。
それでよかったと思われます。

小澤さんの音楽の整理能力と、巧みなオーケストラコントロールは、超優秀なベルリンフィルを得て、水を得た魚のようにピッチピチの鮮烈な演奏に反映されてます。
野卑さはないけれど、このやっかいな作品をすごく聴きやすくしてくれたと思います。

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浜松町から汐留には線路沿いの遊歩道ですぐに行けます。

文化放送のビルの隙間から東京タワー。

暑さもひと段落、歩き回るのにいい季節となりました。

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2019年12月21日 (土)

プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」 プレヴィン指揮

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恵比寿ガーデンプレイス。

毎冬見に行ってます。

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バカラシャンデリア、豪奢なものです。

大きなツリーと、このシャンデリアをつなぐ坂道にはイルミネーション。

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そして、いちばん先には、ロブションのシャトーレストラン。

これらは見るだけは無料です(笑)

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  プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

       (1983.4 @アビーロードスタジオ、ロンドン)
       ※ジャケット画像はネットからの借り物です

先ごろのヤンソンスの急逝も驚き、悲しみましたが、今年は、アンドレ・プレヴィンも亡くなってしまいました。
2月28日がその命日となりました。
クラシック音楽界では、あと、J・ノーマン、ギーレン、ツェンダーなどの逝去も伝えられ、時代の流れをいやでも感じさせる年でもありました。
そこそこ長く、クラシック音楽を聴いてきているけど、思えば自分も古めの聴き手になったものだと感じます。

そんな自分でも、ようやく全曲聴いて、大いに気にいった作品が今宵のバレエ音楽。

プレヴィンはロシア系のバレエ音楽を得意にして、録音も多く残しましたが、不思議とストラヴィンスキーは手掛けなかった。
プレヴィンの火の鳥とか、ペトルーシュカはあってもおかしくないのに・・・・

マゼール盤と並んで、その全曲盤が最高峰と思っているプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」。
もうひとつのプロコフィエフのバレエ音楽は、気にはなってたけど、曲じたい聴いたことがないし、シンデレラってのもいまさらなぁ~と思ってました。
 そんなとき、ニューヨークフィルに客演したユロフスキの演奏をネットで聴いたのです。
抜粋版によるものでしたが、あたりまえのことですが、プロコフィエフらしいサウンドが満載で、聴き親しんだ交響曲のようでもあり、かっこいいワルツなんて眩暈がしそうなほどいい感じだし、曲の途中で、シンデレラに時間を継げる時計の音がパコパコなるところなんて、あ~、おもしれ~って感じで大いに気に入ったのでした。
そして、プレヴィンの2CD組の盤を購入しました。

全50曲で1時間52分、ともかく何度も聴きまして、耳にすっかり馴染ませました。
そして仕上げに、実際のバレエの舞台をネット鑑賞しました。
ほんとに便利な時代です。
バレエ音痴のわたくしですが、そうしてみてほんとに思ったのは、バレエダンサーの皆さんがほんとスゴイってこと。
とくにプリマとなるとずっと出ずっぱりで、あの運動量。
オペラ歌手は歌い演じるけれども、踊り演じるということの大変さと、活動期間も限られることなどにも想いを馳せたりもしましたね。
 そして、オーケストラピットの指揮者のこと。
オペラの舞台とはまた違う、舞台の進行を考えながら、ダンサーたちの動きも見ながらの指揮は、やはりオペラに通じつつも違うものがあるように思った次第。

 あとはなによりも、プロコフィエフの音楽がとてもよく書けていること。
誰もが知る、ペローの「シンデレラ」物語を、そのままい音楽にしたともいえる。
プロコフィエフの言葉。
「わたしは、音楽を通して、異なる人物、すなわち、可愛らしい物思いにふけったシンデレラと、気の弱い父親、意地悪な継母、利己的な姉たち、情熱的な若い王子を、観客が彼らの喜びや悲しみをともにせざるをえないような方法で伝えようと試みた。」

 まさに、作曲者の言う通り、バレエの舞台には、その素晴らしい音楽にぴったりの誰もが知るわかりやすい物語が展開されるのでした。
あとバレエには、オペラの演出のように、読み解きが必要となるような演出はあるのでしょうか・・
映像で観たのは、まずチューリヒバレエのもので指揮はフェドセーエフ。
亡くなったのは、父でなく母。姉たちは男性でオネエ、家もダンススタジオのようだったし、仙女さんはシンデレラ贔屓の先生。
あと面白いところ多数。
最後のエンディングでは、幸せそうに歩む王子とシンデレラの後ろから、ちゃっかり・こっそり姉ふたりが着いていっちゃうというもの。
洒落たエンディングで、思わず微笑んでしまった。
 そのあと、伝統的な舞台もいくつか観たけれど、物語に忠実で美しいけれど、先のチューリヒほどの面白さはないように感じた自分。
でも、ちょっとバレエにはまりそうな予感が・・・・・

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「ロミオとジュリエット」から9年後の完成で、1944年の作品。
まさに独ソ戦の真っただ中で、その翌年には、憎っくきソ連は日本に侵攻してくるのでしたが・・
安定した音楽活動期にあったプロコフィエフは、もっと大衆に愛される音楽をと思い、キーロフ劇場からの依頼もあって、1941年に「シンデレラ」に取り組む。
完成までのブランク期間は、文字通り、戦争によるもの。

 第1幕 シンデレラと姉たち、そして舞踏会へ
 第2幕 城内の舞踏会
 第3幕 舞踏会の翌朝、シンデレラを探す王子とハッピーエンド

1幕 序奏からしてプロコフィエフ節満載。
全編にわたって顔を出す旋律はシンデレラのモティーフらしい。
プロコフィエフの音楽の特徴を端的にあらわしていて、今回、シンデレラを何度も聴いて痛感したこと。
それは、シャープで澄みわたる高域に、響きわたる歌う低域。
そんなプロコフィエフサウンドを求めて、オペラにもチャレンジしてみたいし、交響曲やピアノソナタで、その作風の変遷を追ってみたいと思う。
 ユーモラスな継母・姉たちの音楽、仙女さんの主導する四季に応じたダンス、そしてシンデレラの憂愁と舞踏会への出発。
時限爆弾ともいうえべき、時計の警告の描き方その1.

2幕 リズムと各種ダンスの祭典
舞踏会の前座、そして到着した、意地悪姉さんたちの踊りと彼女たちのなにかと面白い所作が、ちゃんと音楽化されてるおかしみ。
野放図でありながら、憂愁とシニカルさもたたえたワルツが素晴らしく好きで、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」を思わせるステキさ!

お決まりの各国のダンスに、いまでは言葉にしちゃいけないような人々のダンスに、民族臭ただようムード、そして姉さんたちの滑稽さも忘れてはいない。
プロコフィエフの旧作から、「オレンジの恋」のあのモティーフが出てくるのもおもしろい。
 そんななかで、静まりかえって、雰囲気が神妙になってしまう、シンデレラの登場。
ここでも、ワルツが始まり、全体を独特なムードにしてしまい、各種ダンスのあと、王子とシンデレラのパドゥ・ドゥーでは、とてもロマンテックな音楽が・・・チェロの甘い音色に、木管の合いの手が美しい。
 うごめく低音が、ここでもしっかりプロコフィエフサウンドを紡いでる。
2人が引いたあとの、またあのワルツ、でも今度は時間切れの切迫したウッドブロックと金管の警告。
ここが面白いところで、オケのおどろおどろしい響きも聴きもので、さぁ、無事にシンデレラは城から逃げ出し、王子は彼女の片方の靴を見つけだすところで、2幕終了。

3幕 翌朝の恋にトチ狂った王子さん
三回ある王子率いる、シンデレラ捜索隊の切羽つまったギャロップは、舞台せましと飛び回る。
音楽も、思わず、指揮してしまいたくなるような躍動感にあふれてる。
3度の候補者巡りには、スパニッシュ、アジアンと異国ムード満載で、これまたバレエのお約束か。
三度目はシンデレラの目覚めで、昨夜の思い出と諦念を思わせる音楽。
しかして王子は、シンデレラの家を探しあてるが、姉たち、継母も靴があわず、ついにシンデレラに・・・
見事なまでに美しいサプライスをえがいたプロコフィエフの音楽。
あとは、妖精さんの音楽のように、フォルテはなく、優しい、優しい、夢のゆうな音楽となる。
でも、先に書いたように、高域と低域の歌のやり取りはここでもしっかりあって、とっても感動的な音楽シーンを作り上げている。
 センチメンタルな終末的なエンディングでは、チェレスタが伴うことで、このステキな童話の、めでたしめでたしの終結を盛り上げます。

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ロンドン響、退任後、ロイヤルフィルの指揮者として帰ってくるまえの頃の録音。
LSOでよかった、と思います。
お互いの結びつきがまだ強かった頃、まだまだ一挙手一投足が同じころで、アバド時代ともかぶるころです。
そのニュートラルな響きが万能で、どんな曲でも、しっかり演奏できてしまうコンビにあって、このプロコフィエフは文句のつけようのない演奏。
あのエレガントなプレヴィンの指揮ぶりが、このバレエに込められたプロコフィエフの想いを、見事に表出していると思います。

今回、この曲の音盤で調べたら、ロジェストヴェンスキーのものと、アシュケナージの指揮のものがあるようです。
ソ連時代の演奏と、亡命者としてピアニストがアメリカのオケを降ったもの、このふたつに興味深々でありますっ!!

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2019年1月20日 (日)

アバドのプロコフィエフ

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日の入り直後、浮かんだ雲が夕日を浴びて美しかった。

そして、クラウディオ・アバドが天に召されて早くも5年。

あの日の朝、ネットで海外ニュースをぼんやりと見ていて、飛び込んできたアバドの訃報。

呆然として、しばらく何も手につかなかった。

でも、ときおり思い出したように出てくる発掘音源が、心から楽しみだし、残された豊富な音源や映像に囲まれているのも、思えばファンとしては幸せなことなのかもしれない。

この日に、アバドの得意としたプロコフィエフをいろいろ聴いてみた。

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「ロメオとジュリエット」「道化師」 抜粋  ロンドン交響楽団 66年

ピアノ協奏曲第3番 マルタ・アルゲリッチ ベルリンフィル  67年

「古典交響曲」、交響曲第3番       ロンドン交響楽団 69年

「キージェ中尉」「スキタイ組曲」      シカゴ交響楽団  77年

「アレクサンドル・ネフスキー」        ロンドン交響楽団 79年

タイボルトの死               ECユースオケ  79年

ヴァイオリン協奏曲第1番・2番  ミンツ シカゴ交響楽団  83年

「ピーターと狼」「古典交響曲」ほか    ヨーロッパ室内管  86年

ピアノ協奏曲第1番・3番   キーシン  ベルリンフィル    93年

「ロメオとジュリエット」抜粋      ベルリンフィル    96年

 (あと映像として、シモン・ボリバルとのスキタイ、ピーターと狼
    ワンとルツェルンでピアノ協奏曲第3番)

アバドの録音したプロコフィエフは、以上だと思います。

こうしてみると、やはり、「ロミオ」が一番お得意で、あとは協奏曲。

でも、本当にアバドらしいのは、「アレクサンドル・ネフスキー」と交響曲第3番。

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「アレクサンドル・ネフスキー」、もともとは、エイゼンシュタインの依頼による映画音楽からチョイスした壮大な声楽作品。
ダイナミックで写実的な場面は、迫力満点で、アバドは、気脈の通じ合ったロンドン響と緻密かつ明快盛大な音楽を作り出している。
 しかし、この作品のもうひとつの一面、圧制に苦しむ民衆と、その開放、このあたりをよく描いていて、ムソルグスキーを愛したアバドの着眼点は、ここにあると思わせる、そんな「ネフスキー」の演奏になってます。
そして、録音が抜群によろしい。
 
 そして、ユニークなのが、交響曲第3番
若い頃から、プロコフィエフの交響曲ならこの3番のみを演奏してきたアバド。
西側の指揮者で、この3番に刮目した初の指揮者ではないでしょうか。
 2番とともに、アヴァンギャルドな作風も有しつつ、ロシアの憂愁や、甘味な旋律もあふれる、何気に素晴らしい作品で、バレエ音楽にも近い。
これをアバドは、イタリア人の明るい目線でもって、歌でもって答え、快活に演奏してしまった。
プロコフィエフの特徴である、クールなリリシズムを、アバドほど巧みに描きだす指揮者ないなかった。

Prokofiev

画像は借り物ですが、アバドのDGデビュー盤は、朋友アルゲリッチとの、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェル。
ともに、両曲一番の名演だと、いまもって思ってます。
67年の録音ですが、この年、さらにベルリンフィルとは、ブラームスのセレナーデ2番などを入れてまして、カラヤン以外の録音は当時はとても珍しかったはず。
当の名器ベルリンフィルも嬉々として演奏している感があり、ノリノリです。
そしてアバドのスマートな指揮に、アルゲリッチの情熱的なピアノが見事な反応を起こして、チョーかっこいいプロコの3番が仕上がりました。
のちの慎重すぎのキーシンとのもの、さらには、アクロバティックな空疎なY・ワンのものより、ソリストとの組み合わせで、この一番古いものが好きです。

協奏曲で、シェロモ・ミンツとのヴァイオリン協奏曲
こちらも、今度は曲が、とくに2番が深いだけに、さらにシカゴがオケなだけに、演奏の充実度が高いです。アバドの緻密なバックがあって、ミンツの美音が光っている印象。
受ける印象は、冷たい空に浮かぶ怜悧な三日月みたいな感じの美しさ。

さらにシカゴの高性能ぶりをまざまざと見せつけてくれる見本のような、「キージェとスキタイ」。
このふたつの組曲の理想的な演奏がアバド盤でしょう。
切れ味するどく、どこもかしこもエッジが効いていて、リズム感も抜群、聴いていて、爽快かつ胸のすくような快感を覚えます。
さらに、この1枚もまた、録音がよい!

「ピーターと狼」は、各国の著名人たちがそれぞれに声を担当して各地で発売されたが、日本では、アバド自身が選んだ坂東玉三郎。
しかし、私の持っている外盤は、カレーラスで、スペイン語だったりします。
鋭敏な演奏で、面白いのですが、この音盤でステキなのは、その余白に収められた「ヘブライ序曲」と「軍隊行進曲」だったりします。
アバドらしい凝った企画です。

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アバドのメジャーレーベルデビューが、デッカへの「ロミオとジュリエット」
組曲から、9曲を抜き出したロンドン響との演奏。
デッカの生々しい録音が今でも鮮度高いですし、アバドの堂々としてゆるぎない指揮ぶりもデビュー盤とは思えない充実ぶりを感じさせます。
音色は明るく、地中海的ですらあります。
そして、ここでも抜群のリズム感が光ります。

79年に、ザルツブルク音楽祭で、若いECのオケとの演奏会のアンコールに「タイボルトの死」を演奏。
この鮮烈かつ、血の出るような熱気あふれる演奏はライブで燃えるアバドならでは。

そして、デビュー盤から30年後、お互いにベストコンビとなったベルリンフィルとの録音は、今度は組曲からではなく、全曲版全52曲から、アバドが選び出し、曲順も変えた20曲の抜粋版。
以前に書いたこの音盤の記事と、今聴いても思いは変わらないで、ここに再褐しておきます。

<繊細な歌う絶妙のピアニシモから、分厚いフォルティッシモまで、広大なダイナミックレンジを持つ鮮烈な演奏。
威圧的にならず、明るいまでのオーケストラの鳴りっぷりのよさが味わえるのも、見通しいい音楽造りをするアバドならでは。
 有名な「モンタギュー家とキャピレット家」や「決闘」「タイボルトの死」などでは、オーケストラの目のさめるようなものすごいアンサンブルと、アバドの弾けるようなリズムさばきに興奮を覚える。
 一方、恋人たちの場面での明るいロマンティシズム、ジュリエットの葬式~死の場面での荘重で静謐極まりないレクイエムのような透明感、それぞれにアバドの持ち味。>

最後におかれた2曲~悲痛極まりないジュリエットの葬儀、それから、リリシズムをたたえたジュリエットの死をふたたび聴いて、5年目の想い出をここに閉じることといたしましょう。

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波立つ相模湾と、遠く、箱根の山に沈む夕日。

「ジュリエットの死」、美しすぎて泣けてきた。

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2015年6月 6日 (土)

プロコフィエフ 「ピーターと狼」 ハイティンク指揮

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呼べばやってくる、某公園のおなじみの、にゃんにゃん。

親しみもありつつ、ツンデレで、逞しい一面も。

いろんな人に可愛がられる公園のにゃんこでした。

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   プロコフィエフ   「ピーターと狼」

       語り:ヘルマン・プライ

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                      (1969.9 @アムステルダム)


プロコフィエフ(1891~1953)の生没年を見ると、そんなに昔の人じゃないですね。
帝政ロシア時代に生まれ、26歳のときに、ロシア革命を経験し、一時亡命はするも、ソ連邦時代には、同邦を代表する作曲家としていろんな縛りの中に生きた人だし、一方で、世界各地を巡って、ソ連邦の作曲家としての顔を売り込むという、ある意味、自由な日々も送れた、そんなプロコフィエフさん。

ちなみに、日本の明治・大正・昭和をも全部、きっと知っていたはずのプロコフィエフさん。
日清戦争(1894)、日露戦争(1894)を経て、列強の仲間入りしてゆく日本との関係も深いですな。
日本滞在中に、和のリズムや旋律に感化されていることも、嬉しい出来事です。

そして、われわれ日本人が、学校の音楽の授業で、必ず聴いた音楽を書きました。
「ピーターと狼」。

いまは、どうかわかりませんが、わたくしは、習いましたよ。

日本語のナレーションは、坂本九。
演奏は、カラヤンのフィルハーモニア盤だったような記憶がありますよ。
なんたって、小学生だったから、もう半世紀くらい前ですよ。

作風が色々変化したプロコフィエフ、1936年、「ロメオとジュリエット」と同じ年の作品。
モダニズムや、激烈な音楽造りから脱して、メロディもしっかりあって、抒情と鋭さも兼ね備えたシャープな作風を取るようになりました。
 親しみやすさと、平易さ、そして、たくみな描写でもって、ナレーションの語るその場面が目に浮かぶほどのリアリティさ。

子供のときは、狼が出てきて、ヒヤヒヤしたし、こずるいネコが憎らしく思い、そして、狼が捕まって、みんなで行進する場面では、晴れやかな気持ちになったものです。

 でも、プチクラヲタ・チャイルドだった自分、廉価盤時代でも、こうした曲には手を出しませんでしたが、フォンタナから出てた、ハイティンク盤が、ハイティンク好きとしては、気になってましたね。

そして、CDを最近購入。
国内レコードでは、ナレーションは、樫山文江さん。
そして、外盤では、なんと、バリトンのヘルマン・プライなのでした。

この、深くて暖かみのあるバリトン声によるナレーションが、とても包容力と親しみに溢れていて、素敵なのですよ。
 そして、それに、完璧なまでに符合しているのが、ハイティンク指揮するコンセルトヘボウの、いつものあの、あったかサウンドに、フィリップスの明晰ウォームトーン。
ことに、この手の曲は、分離がよくなくては話しにならないが、ここでは、ごく自然な、ソロ楽器の捉え方と、劇に合わせたステレオサンドが、とても素晴らしいのですよ。

こうした曲の場合、指揮者が素晴らしいとか、解釈がどうの、とははなはだそぐわないのですが、ここでは、ハイティンクとコンセルトヘボウならでは、ということと、プライの声が、いつものプライらしいですよ、ということにとどめておきましょうかね。

ねこさんも、ピーターの飼い猫として、登場しますが、楽器はクラリネットということで、そのイメージは、そろり、そろりとした動きが、いかにも、ですな。

カラヤン、バーンスタイン、ベーム、小澤、アバド・・・、幾多の大指揮者も録音してきた、「ピーターと狼」。
みなさまも、たまには、いかがですか?
その際は、ナレーターで演奏を選ぶのもひと手ですよ。

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2012年10月23日 (火)

プロコフィエフ バレエ組曲「道化師」 アバド指揮

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都内北区赤羽の名店「まるます家」。

ここは、AM9:00~PM10:00という営業時間で、酒から、豊富なおつまみから、定食、ご飯ものまで、オールタイムで楽しめちゃうワンダーランドですよ。

ネット上ではとんでもなくいろんな情報が出てます。

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先日、川口でお客さんとPM5時からしこたま飲んで。
(生ビール1、熱燗4、生酒1、焼酎1)

そのあとひとり、都内方面に戻る途中、急に思い立ち、赤羽に途中下車。

PM7時30分。
この時点で、もうそうとう酔ってます。

そして、なんと行列に並んで、「まるます家」さんでしたよ。

「ごめん、こんな席で」と通された急ごしらえの席は、どうしてどうして、カウンターじゃなかったけれど、劇団ひとり居酒屋にしてはもったいないお席。

でも、初挑戦の店で、「何します?」と急に言われても、酔ってるし、メニューは壁に貼ってある紙が遠くて読めないし・・・・・、で、思いついたのが、「うなぎ」。
そしたら、「ないない、ない!」って怒られちゃった。
で、気を取り直して、出てきた言葉が「チュウハイ、やまかけ」と、何故か「イカ納豆」。

で、こうなりまして、おんなじようなのばっかりのパワーアップ商材ばかり。

アタクシ、決してそんなつもりじゃぁ・・・・・。

このあと、おばちゃんがやたらと丁寧に・・・・。

Marumasu5

こうなりゃ、やけくそっ、とばかりに、遠目に見えたメニュー札から、「メンチカツ」をオーダー。
これはしかし、マジにうまかったぜ。

ライスもらおうとおもったけど、ガマンしてやったぜぇ。

チュウハイ飲んで、ネバネバ系ツルツル流し込んで、メンチカツだぜぇ。

この店、お酒は3杯までの決まりがあるので、このあたりでオバチャンとお別れ。

これで、よく覚えてないけど、2000円チョイ。

「すいませんぇ~ん、こんな席で申し訳ありませ~ん、またいらしてね」

な~んて、言われちまったぜ、おい。

このあと、へろへろのワタクシ、駅のパン屋さんに突入して、ベーコンエピやソーセージフランスや、アップルパイや、グラタンパンなどを購入したようで、さらに田町駅に降りて、駅前のベンチに座ってそのパンを食って、コンビニで北川景子のアイス「パリッテ」を買って、食べてやったぜ。

朝起きたら、記憶はないけど、そんな残骸をいくつも発見して、悲しかったぜぇ。

はぁ。

Prokoviev_abbado

     プロコフィエフ バレエ組曲「道化師」から

    クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

            (1966.10 @キングスウェイホール、ロンドン)


飲むとひとり道化師のようなワタクシ。

音楽にも「道化師」とタイトルされた作品はいくつもありますが、やはりオペラやバレエに多い。
一番は、レオンカヴァッロのオペラ、それとヴェルディの「リゴレット」もそうでしょう。
いずれも、お笑いを宿命とする男の悲哀と涙の悲劇で、優しい仮面の裏の激情を描いてます。
それと、最近また復刻したカバレフスキーのナイスなオーケストラ組曲「道化師」。
これはいいです。メロディがヒロイックでかっこいいです。
あとは、プロコフィエフのバレエ音楽「道化師」です。
 こちらは、「ロミオ」や「シンデレラ」に押されて、人気の点で少し落ちるかもしれません。

「アラとロリー」に続く、プロコフィエフ2作目のバレエ作品は、1915年で、作者24歳。
例によってディアギレフのバレエ・ルッスからの依頼によるもの。
第一次大戦により初演もされることなく、またディギレフからの要請で大きく手を加え、1921年にパリで初演されている。
さらにその後、バレエ組曲として自身の手で編まれたのがこちらの組曲で、全部で12曲のうち、アバドは9曲を選んで録音している。
この作曲から初演までの6年間の間に、プロコフィエフは、ロシア革命の難を逃れ、アメリカ亡命を決意し、シベリア鉄道でユーラシア大陸を横断し、航路、福井の敦賀にやってきて、そのあと日本各地を旅することとなります。
 わたしたち日本人が、ときにプロコフィエフの音楽に感じる親しみは、こんな経緯で採取された日本のメロディがどこか根底に使われてたりするからでありますね。

内容は、細かくは不明ながら、「7人の道化師を騙した道化師の物語」とサブタイトルがつけられているとおり、ひとりの道化師が、仲間の7人の道化師を騙して金をくすめとり、その7人が道化師を殺してやろうと繰り広げる物語・・・のようであります。
この音楽は、けっして豊かでも、面白くもありませんが、やはりなんといっても、プロコフィエフならではの弾むリズムと、抒情性、興奮呼び覚ますバーバリズムに、早くもあふれているところが魅力なところです。
後半の争いの場面や終幕の踊りでのダイナミックで、野生的な雰囲気は面白いです・
それと、この頃通じていたストラヴィンスキーとの交流の影響とも思われる場面が、道化師たちの妻の死の場面で、「ペトルーシュカ」を完全に思わせるミステリアスぶり。
舞台で観たら、きっと面白いのでしょう。

アバド、34歳の指揮。

1966年は、レコーディングでは、ほぼデビューの年で、ウィーンフィルのベートーヴェンに次ぐ録音と記憶します。
青臭さが一切なく、当時も機能性抜群だったロンドン響を縦横に指揮しつつ、堂々たる演奏になってます。
リズム感、旋律の歌わせ方のしなやかぶり、強靭なまでのカンタービレ、切れ味の鋭さ・・・・、どれをとっても、いまのアバドと遜色なく、こうした曲では、アバドはまったく変わりない俊馬ぶりなのでした。眩しいですよ、音が。
 
オリジナルカップリングの。「ロミオ」組曲は、後年のベルリン盤とも違った推進力が。
3番とのカップリングだった第1交響曲も清々しい、軽快な演奏に思います。

イタリア人は、プロコフィエフが得意なんです!

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2012年9月20日 (木)

プロコフィエフ 交響曲第5番 エッシェンバッハ指揮

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日暮里駅近くから望んだスカイツリー。

まだ接近を試みたことがないスカイツリーは、都内・千葉のいろんなところからチラ見しているけれど、どうも東京タワーのような親近感がない。

まぁ、それも時間の問題でして、もう少し涼しくなったら近づいてやろうと思うさまよえるオジサンなのでした。

Eschenbach

サントリーホールで、スタンディングオヴェイションに答えるスキンヘッド。

がくがくブルブルでこっそり撮ってしまいました。

かれこれ8年前のフィラ管との来日時。逮捕されちゃいますかね、あたし・・・・・。

絶対にやらないことだけど、この人は撮りたかった。

手ブレでボケちゃっても、わかりますよね。

わたくし、賛否両論ありますこの指揮者兼ピアニストが好きなんです。

第一、なにをしでかすかわからないんですもん。

そしてハマるとドデカイことをやらかすし。

   プロコフィエフ  交響曲第5番

     クリストフ・エッシェンバッハ指揮 北ドイツ放送交響楽団

               (2002.9 @ハンブルク)


しかも今回は、さらにイケナいことに、非正規盤ライブでございますわ。

あくまで、個人のお楽しみを、日記にしてしましたの図で受け取りください。

ワーグナーやブラームス、後期ロマン派、ロシアものなどの、重厚長大系に驚きの名演をくりひろげるエッシェンバッハ。

大戦末期のソ連にて書かれた第5交響曲は、プロコフィエフの交響曲の中でも一番、旋律的で、抒情的かつ独特のリズム感にも貫かれた名作。
中学生のときに、コンサートホールレーベルのサージェント&LSO盤を手にして目覚めたこの曲。
後年、やたらと凝っていろんな演奏を聴きまくり、原点のサージェントと新旧プレヴィン盤、そして意外に、FMでのチェリビダッケが好きだったりします。

数年前に手にしたこちらのエッシェンバッハもいまはお気に入りの1枚。
ゆったりとねっとりと始まり、テンポはつねにゆったりめ。
1楽章の最終音の壮絶さといったらありません。
一気呵成の2楽章も面白いし、まったく素晴らしいのが3楽章のアダージョの深遠なる世界。まるでマーラーを聴くかのようなジワジワとした感銘の深まりが味わえます。
それでもって、終楽章のとんでもない怒涛の煽りっぷり。

こんな風な、ちょっとお下劣チックないつものエッシェンバッハですが、そんななんでもアリ的な演奏が、マゼールのような計算ずくなところが見え隠れしないところがいいと思うんです。

詩的で、痛いほどに思い詰めたような繊細さと鋭さもあったピアニストのエッシェンバッハは、指揮者となってどこへ向かうのか、実はよくわからなかったりします。
そんな一筋縄ではいかないところが、ほかの元ピアニストの指揮者たちと異なるところデス。

Ozawa_eschenbach

特別付録 フサフサの若き日、いつもこんな風でスノッブな方から顰蹙をかっていた小澤さん。そして亡き石井眞木さん。

ワタクシが、エッシェンバッハを妙に好むのは、この他人事とは思えない激変ぶりぶりにあるのかもしれない。
オレ様だって、若い頃は・・・・って歌うのは腹の出たファルスタッフでございましたなぁ〜

おぉ、ついでに申さば、プロコの5番、現田さんと神奈川フィルでやってほしいな。

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2010年11月13日 (土)

NHK交響楽団定期演奏会 プレヴィン指揮

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公園通りのPARCOの今年のイルミネーション。
タコみたいな、メリーゴーランドみたいな不思議物体。

赤いりんごが周囲にあったから、りんごの木の株かも。
でもパルコのサイトを見たら、マジョルカ マジョルカという新しい香水をイメージしたものなんだそうな。
この中に入ったら、その香りを味わえたかもしれませぬ。
わたしのようなオヤジ一人では、まずは不可能な行為でございますな。

相変わらずの人混みに辟易としたあと、これを見て少し和んで、NHKホール。

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  武満 徹      「グリーン」

  ガーシュイン    ピアノ協奏曲ヘ調

  プロコフィエフ   交響曲第5番

    アンドレ・プレヴィン 指揮とピアノ  NHK交響楽団
                     (2010.11.13@NHKホール)

武満・ガーシュイン・プロコフィエフプレヴィンらしい演目が並んだ今宵の定期。
オケが出てきてびっくり。
まろ様こと、篠崎さんがオケのメンバーと一緒に早くも登場。
でもセカンドに座り、堀さんが後に登場。
そう、本日は、ダブルコンマスの豪華布陣だったのであります。

そして、まさにプレヴィンの魅力を味わうプレヴィン・コンサート
これで自作があれば完璧だった。

ガーシュイン1925、プロコフィエフ1945、武満1967。
それぞれの作品の作曲年であるが、それぞれに20年の経過がある。
近代ものの場合、その時代の響きを聞き取るのも楽しいこと。

ジャズの要素と本格クラシカル音楽を融合しアメリカ音楽の独自性を打ち立てたガーシュイン。

第二次大戦末期のソ連といういびつな体制の中で、戦勝ムードとともにむかえられたプロコフィエフ

高度成長期に差し掛かっていた日本のクラシカル音楽を世界に認めさせることとなる武満の初期作品。

ほんと、よく考えられたプログラムであります。

そて、そして、今回来日の最終演目であるプロコフィエフは、N響も乗りまくって、まったくナイスな名演となりました!
この曲との付き合いは長く、中学生時代にサージェントのレコードで開眼し、大学時代は、FM放送をたくさん録音して、毎日聴きまくったものだ。
チェリビダッケ、コンドラシン、カラヤン、マゼール、バーンスタインなどなど。
そして、音盤ではロンドン響とロスフィルのふたつのプレヴィン盤も愛聴しているのです。
難解なモダニストから、平易でシンプルな作品を作る作曲家になったプロコフィエフの5番は、メロディが満載で、リズミカルでもあり、盛り上がりにも欠けていない。
プレヴィンは、この曲のそうした聴きやすさをさらに増すようなかたちで、山場をいくつも作りながら楽章間のインターバルを少なめにして一気に聴かせてくれた。

わたし的には、レコ芸の月評で大木氏に散々の酷評を浴びてしまった旧ロンドン響盤が、メランコリックでありつつ、颯爽としていて大好きな演奏なのであるが、今回のN響とのものは、そうした要素は備えつつも、より自在で繊細さが出ているように感じた。
N響の実力が実はモノをいっているように強く感じ、オケのパワーと緻密さには舌を巻いてしまったのです。
プレヴィンは、そのN響の力を信頼して、小さな動きで大きな音から、繊細きわまりない音まで引き出すことに成功している。
前にも書いたとおり、首が悪いことから、足腰に支障が出てしまっているプレヴィンの腰かけての指揮は、極めてわかりにくい。

しかし、その眼力の鋭さは横で見てるとスゴイものがあって、優しさと厳しさのないまぜになった目ヂカラは、それこそ、クレンペラーばりの域に達しているのではないかしら。
ことさらに素晴らしかったのは、第3楽章の深みある表現で、張り詰めた緊張感があったのがよいし、プレヴィンならではの歌の魅力も感じることができた。
終楽章の常動的な雰囲気が、最後、一気に弾けて終わると、ホールはブラボーの歓声に包まれました。
プレヴィンの指揮に奉じるN響メンバーの熱演たるや、なかなかのものでありました。
演奏後、しばらく立つことのできないプレヴィンを堀コンマスが助けて、客席ににこやかに応じる姿に、私はプレヴィンをずっと聴いてきてよかったと心から思った。

前半の、武満作品は、まるでメシアンのように聴こえた。
美しく、どこまで浸っていたい音楽のたぐい。
最後の最後の数秒で、曲の雰囲気が変わって、終わってしまう。
プレヴィンは、あっさりと指揮棒を置いたが、わたしもふくめ観客はあまりにあっけないので拍手ができず、プレヴィンが何か言ってるのが静かなホールに響いたくらい。
桂曲・桂演でありましょう!

お得意ガーシュインの弾き振り。
ピアノの蓋を外し、オケに対し縦に配置したが、ゆえに、私の席(1F右サイド)では、ピアノの音はオケに埋れてしまってあまり聴きとれないのでした。
放送ではそんなことがないと思いますが、暗譜でまったく完璧にスイスイすらすらと弾いていたスイングする、プレヴィンの至芸が楽しめたのではないかと。
技巧は衰えずとも、音量が落ちたのかしら。オケのメンバーをもっと刈り込んでもよかったかも。
ピアノに埋れながらの雰囲気もある指揮だったので、絶対オケからは見えない場面も多々あって、堀さんが、弓や体で完全に指揮をしてました。
こんな風にオケに支えられながらも危なげなく、ガーシュインの素敵な曲を弾きったプレヴィン。
2楽章の小粋なブルースが、とっても瀟洒な雰囲気を出していて、思わずわたしも、まわりのご夫人方も体を揺らしてしまうのでありました。
今度のプレヴィンの来日には、オケなしで、ジャズコンサートでもいかがでしょうかね。


Andreprevin2

N響の冊子には、来シーズンの予定がちょっこし出てまして、プレヴィンは10月定期を3つ振ります。
ちなみに、9月がブロムシュテットで、11月がコウト。
次回も早くも楽しみなプレヴィンであります。
その前にN響とは、来春、全米ツアーを予定していて、武満とプロコ5番に加え、エルガーのチェロ協奏曲と、キリの引退コンサートの一環として「最後の4つの歌」を予定している。
 ますます蜜月の度合いを高めている、プレヴィン&N響です。

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2010年9月29日 (水)

プロコフィエフ 交響曲第6番 プレヴィン指揮

Maihama1

秋のお刺身盛り合わせ。
生のアオヤギ(ぷりっと甘~い)、濃厚〆サバ(大好きー)、戻りかつお(大好物、脂ノリノリーっ)、生アジ(コリッコリ)、こんな4点盛り。
お酒も大量に摂取したことは、言うまでもありません。

新橋の「舞浜」という魚と地鶏焼きの店。
新橋は、サラリーマンの街だから安くて新鮮、そして、ここはお昼の焼き魚も行列の店。

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新鮮といえば、アンドレ・プレヴィンが、ロサンゼルス・フィルの指揮者になったときは、これもまたナイスなコンビの誕生に沸いたものだった。
1985年、ジュリーニの後を受けて音楽監督に就任し、当時はロイヤル・フィルとの掛け持ちで、多忙な売れっ子指揮者だった。
プレヴィンといえば、ロンドン交響楽団(LSO)。
LSO退任後は、ピッツバーグ響の指揮者となり、さらにLSOと疎遠になるのを覚悟で、英国では、ロイヤル・フィルのオファーを受け、ピッツバーグ後は、ロス・フィルという具合に英国・米国でのポストを歴任したところが面白い。
 そのプレヴィンが、11月のN響に、またやってきてくれる。
N響の首席客演を引き受けたこのとも意外だった。
首の具合が悪く、長期の旅行が難しいとのことで、しばらく来日がなかったが、数年前から再びN響にやってくるようになった。
賞味期限切れとか、なんとか見る筋もありますが、マリナーと同じく、プレヴィンは相変わらずプレヴィンで、腰かけてよろよろしながらも、プレヴィン・オーラは絶大で、N響からまろやかで、親しみやすい響きを引き出すのがさすがのところだ。

今回のプレヴィンの演目は、ブラームスの3番と4番。
そして、武満作品にガーシュインの弾き振りと、プロコフィエフの5番。
2回のコンサートは、なかなか魅力的な演目で、プロコはしばらく演奏してないのではないかしら。
欧米のオケへの客演演目と同じものをいつも携えてくるから、きっと自信にあふれた演奏になりそう。
あと、N響メンバーとの室内楽なんてのもあって、多彩なプレヴィンが味わえる11月の初めなのであります。

さてと、今日は、プレヴィンとロサンゼルス・フィルがさかんに取り上げたプロコフィエフから、交響曲第6番を。
この曲、けっこう好きなんです。
2~4番がシャープでモダンな厳しめの作品なのに対して、5~6番は旋律的で聴きやすく、一方で機知に富んでいて爆発的でもある・・・。
こんなイメージを単純にもっている。

1946年の作曲で、翌年にムラヴィンスキーにより初演。
いうまでもなく、この時のソ連は、戦勝国として、そして共産国として絶頂にあり、わが日本は敗戦のどん底にあって、この赤い国に北の島々を掠めとられてしまった時でもあります。
3楽章形式で、終楽章の明るく快活なヴィヴァーチェは勝利の美酒に酔うようにも聴こえるが、ここはショスタコーヴィチと同じように、はちゃむちゃフィナーレの中に隠された作者の警鐘があるともいう。
メランコリックな懐かしい旋律と、暗い雰囲気が交互に相まみえる長大で複雑な1楽章。
このクールでかつ優しい旋律の宝庫は、まさにプロコフィエフならでは。
緩徐楽章にあたる2楽章の優美なことといったら、バレエ音楽のひとコマのようであります。しかし、どこか小骨が刺さったように、何か問いたげなのです。

プレヴィンとロス・フィルの演奏は、一聴、乾いた印象を与えるが、これはロイス・ホールのややデッドな響きを優秀なフィリップス録音陣がまともに捉えてしまったからかもしれない。
しかし、プレヴィンの本質ともいえる音色の暖かさと、ロスフィルの明るさが見事にマッチして、プロコフィエフのモダンな響きを軽いタッチで捉えている。
外面的な効果を狙うことは押さえこんでいて、2楽章の深い響きに、プロコフィエフの問いたかった戦争の悲しみを歌い込んだ感があるのです。
ある意味渋い演奏。
本場系の演奏は疲れてしまうので、西欧風のプロコやショスタコが好きなわたくしです。

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2010年6月22日 (火)

プロコフィエフ 「ロメオとジュリエット」 アバド指揮

Cosmos_azumayama1

コスモス
一輪。
もう咲いてましたよ。
先週、神奈川の実家の小さな山を登って見たら発見。
周辺は、サツキが満開で、まだ菜の花も残り、コスモスのツボミもちらほら。
いろんな季節が交錯する不思議な光景。
でも、梅雨の晴れ間、日差しは強いですな。

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6月26日
は、私が敬愛してやまないクラウディオ・アバドの77歳の誕生日であります。
今週は、アバド特集をやります
癌からの再起以来、いつまでも元気で若々しいアバドだけれども、ちょっと気になるのが、5月恒例のベルリン・フィル定期登場後、体調を崩して入院してしまい、その後のスケジュールをキャンセル。
歴史的なカムバックになるはずだったスカラ座でのマーラー演奏も、無念、中止となってしまった。
こちらは、ラブコールのミラノ市に対し、出演の条件として市内の緑化(植樹)を打ち出して合意し、いざ予算がないのどうのと揉めていた矢先のこと。
体調悪化での中止とはいえ、生まれ故郷にも容赦もないリベラルなアバドならではの逸話がまた生まれてしまった。
 スカラ座時代も、惨憺たるイタリア経済界がオペラ予算を削減したりしようとすると、辞表を叩きつけて闘ったり、歌手たちがとどまるように慰留したりと、故郷に対しては熱い思いをぶつけてきたアバド。
 温厚だけど、熱いイタリア魂を持ったクラウディオなのです。

アバディアンとして、前置きが長くなりましたが、本題は、プロコフィエフ「ロメオとジュリエットであります。
全52曲のバレエ音楽と、そこからの第1から第3までの作者自選の組曲版。
これらが通常のロメオの演奏パターンだ。
 だがアバドは、全曲版と組曲版からそれぞれ、順番も入れ替えて20曲の、いわばアバド版ともいうべき抜粋版を作り出して録音した。

90年の音楽監督就任以来、ベストマッチなコンビとなりつつあったベルリンフィルとの96年の録音。この3年あと頃から、病魔の兆しもあらわれるアバド。
若い頃からお得意のプロコフィエフは、ベルリンフィルという強力なオーケストラを得て、繊細な歌う絶妙のピアニシモから、分厚いフォルティッシモまで、広大なダイナミックレンジを持つ鮮烈な演奏になっている。
威圧的にならず、明るいまでのオーケストラの鳴りっぷりのよさが味わえるのも、見通しいい音楽造りをするアバドならでは。
 有名な「モンタギュー家とキャピレット家」や「決闘」「タイボルトの死」などでは、オーケストラの目のさめるようなものすごいアンサンブルと、アバドの弾けるようなリズムさばきに興奮を覚える。
一方、恋人たちの場面での明るいロマンティシズム、ジュリエットの葬式~死の場面での荘重で静謐極まりないレクイエムのような透明感、それぞれにアバドの持ち味。

この1枚は、ずっと今日まで記事にせずに温存してきたけど、プロコのロメオの中でも一番素晴らしい演奏ではないかと贔屓目ながらも確信している次第。
あと、ロンドン響とのデッカ旧録音、プレヴィンの全曲。このあたりが好きですな。

以前にも書いたけれど、イタリア人指揮者は、プロコフィエフがお好き。
アバド、ムーティ、シャイー、ガッティ、ルイージ・・・みんなそう。
プロコフィエフの音楽はネ暗じゃないし、明快さやリズム感にあふれているからでしょうか。

Cosmos_azumayama2
ほい、これ、菜の花とコスモスの季節を超えたコラボレーションなり。

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2008年2月 4日 (月)

プロコフィエフ 「アレクサンドル・ネフスキー」 アバド指揮

Nosyapu 昨日は、関東でも終日雪で、私の住む千葉でも10cmは積もったろうか。
子供は、朝からテンションが上がりっぱなし。
雪に慣れた地域の方からすれば、なんのことはないと思われるだろうが、ちょっとの雪で道路や鉄道は止まってしまうし、ケガ人も続出。

この画像は、数年前の1月に訪れた根室の「納沙布岬」。
日本最東端の地からは、北方領土も真近に見えるはずだったが、ご覧の吹雪状態。
これ、ワタシです。ゆえあって、アライグマの恰好をしております。
道内の方と一緒だったが、その方もせっかく来たのだから行きましょうと、吹き荒れる岬に向かった。途中、車が雪にハマってしまい、地元の方に助けられたりもした。
Imgp0370 Imgp0377その方からは、「バカなことすんでねぇ」なんて怒られたけれど、我々は決行してしまった。
灯台に近づくほど、雪はない、というか強風で雪が飛ばされてしまっているのだ。
風と氷の世界に、身も凍る思いだった!

 

Prokofiev_alexander 氷の世界、といえば、この音楽も。
プロコフィエフ(1891~1953)の「アレクサンドル・ネフスキー」。
この中に、「氷の上での戦い」が描かれている。
この音楽のクライマックスでもあるが、氷のツルツルとした雰囲気も音楽でかもし出されているし、戦いの凄まじさもクレッシェンドしてゆき、やがて大音響となる様子で描きだされている。

 

映画への付随音楽、いわゆるサウンド・トラック音楽に熱をいれていたプロコフィエフが、「戦艦ポチョムキン」で有名なエイゼンシュタインの依頼で、この「アレクサンドル・ネフスキー」の映画に音楽を付けることとなった。1938年のこと。
プロコフィエフは、この音楽から7編を抜き出し、カンタータ形式の声楽作品にしたてあげたのが、この曲。

13世紀、ゲルマン騎士団の侵攻をくい止め、撃破したアレクサンドル・ネフスキーを描いた映画を一度、この音楽とともに観てみたいものだ。
プロコフィエフの音楽は、ドラマテックであるとともに、国を蹂躙されて苦しむロシアの民を深刻に描いたり、戦士を悼んだ独唱が入ったり、最後は賛歌ありと、なかなかヴァラエティー豊かで楽しめる。

ロシア音楽を好むアバドは、とりわけムソルグスキーとプロコフィエフが得意だ。
ムーティやシャイーもプロコ好きだから、イタリア人はプロコがお好きなのか。
リズムとモダニズム感が、共感を呼ぶのであろうか。
アバドは、圧力に苦しむ民衆の声を描いた部分と、その解放の喜びに大きな共感をよせて指揮しているようだ。
強弱の幅が、めちゃくちゃ広くて、どんな大きな音でも、細部がよく聴こえる。
オブラスツォワの歌う哀歌、彼女の歌も素晴らしいけれど、オケの美しさも特質すべき。
アバドとロンドン響の名盤のひとつは、録音も目覚しくよい。

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