カテゴリー「ヘンデル」の記事

2020年9月27日 (日)

ヘンデル 「エジプトのイスラエル人」 パロット指揮

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真夏ですが、初訪問の乃木神社。

言うまでもなく乃木希典将軍とそのご夫人を祀った神社です。

日本には、申告されてないものも含めると10万社以上の神社があるといいます。

神道は日本固有の宗教でもありつつ、日本人の心のなかにある容のあるようでない神様を拝む心のようなもの、とも思います。
一方で、仏教のお寺も、8万社もあります。

八百万の神様と仏様、キリストもほかの宗教の神様も、みんな共存できちゃう、そんな国が日本であります。

コロナのせいで、手水舎は使用できず、でもこんな美しく花で飾られた乃木神社の鳥居の下でした。

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  ヘンデル オラトリオ「エジプトのイスラエル人」 

 S:ナンシー・アージェンタ S:エミリー・ファン・エヴェラ
 A:ティモシー・ウィルソン
 T:アンソニー・ロルフ・ジョンソン
 B:デイヴィット・トーマス B:ジェレミー・ホワイト

  アンドリュー・パロット指揮 タヴァナー・プレイヤーズ
                タヴァナー・コーラス

        (1989.8~9 @アビーロードスタジオ)

前回のブログでは、プロコフィエフについて語り、シリーズ化も宣言しましたが、同じくコロナ禍のなか、あらためてその素晴らしさに目覚めた作曲家、ヘンデルを今回は取り上げます。
 やはり、海外の多くのネット配信で、ヘンデルのオペラやオラトリオを多く、見聞きすることができました。
視聴したアーカイブを調べてみたら、オペラ12本にオラトリオ3本でした。

いずれもともかくヘンデル作品は長い。
しかもタイトルが横文字ばかりで、覚えきれないし、その数もやたらと多い。
何から聴いていいかわからなかった自分に、時間の制限のあるストリーミング配信などは、ともかく聞かなくては、観なくてはならないから有効でした。
こうして、「水上の音楽」と「メサイア」だけだった自分のヘンデル観に、オペラの人、劇場の人ヘンデルがやってきました。

しかし、どうすんでしょうね、wikiで見たら、オペラだけでも42作あるし、オラトリオ系でも30作ぐらい。
カンタータも限りなくあるし、オペラ・声楽作品だけでも、ともかく膨大。
ともかく多くは無理だから、ゆっくりと取り上げましょう。
きっと途中で断念するか、もしくは当方が昇天してしまうかもしれませんので。。

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長い前置きはここまでで、「エジプトのイスラエル人」です。
「メサイア」の3年前、1738年の作品。
ロンドンで活躍中だったヘンデルが、オペラシーズンに出資金不足で新作発表がならずに、かわりに舞台上演のいらないオラトリオ作品を書くこととなり、同時期に「サウル」とともに書かれたのが「エジプトのイスラエル人」。

エジプトのイスラエル人とは、旧約聖書の「出エジプト記」を扱ったもので、「詩編」もテキストには選ばれてます。
そう、まさにモーゼに率いられたユダヤのイスラエルの民のエジプト出国を描いてます。
映画の「十戒」そのものの世界。
大学生のときに、学校で聖書を習ってよく読んだか所だし、「十戒」もちょうどリバイバル上演があったものだから、渋谷の東急で観たものです。

ヘンデルは、まず「モーゼの歌」(申命記32章を参照したもの)を作曲し、これはモーセによる神への賛美であり、イスラエルがいかに神から愛されたかが申命記で熱く語られてる部分。
そして、物語として、まずユダヤの民が飢餓などで、豊かなエジプトに逃れ、優秀な民族だったので国を富ませるために、いろんな労働を強いられますが、それでも共存してうまくやっていた、という出エジプト前の前提があります。
このあたりを、指導者ヨセフの死と融和的だったファラオ(エジプトの王)の逝去を悼む、という第1部の作曲と、そこに前年に作曲した「シオンの道は悲しみ」をそっくり使用することで代替することを思いつきます。
この曲は「キャロライン王妃のための葬送アンセム」で、国王ジョージ2世の妃、キャロラインの逝去を悼んで書かれたもので、ほぼ同世代の王妃は、ヘンデルのオペラを愛し、その活動を支援してました。
そんなヘンデルの王妃への想いが、ユダヤ人を庇護していたエジプトのファラオと、イスラエルのリーダー、ヨセフの死を悼む音楽に置き替えられてるわけです。

これを第1部とすることで、今度は中間に、「出エジプト」の場面が必要となり第2部が作曲され、全3部のオラトリオの完成となりました。

第1部 「ヨセフの死に寄せるイスラエル人の哀歌」
第2部 「出国」
第3部 「モーセの歌」

ソリストは5人が必要ですが、このオラトリオの主役は合唱で、曲は合唱曲が多くを占めます。
文字通り、第1部はしめやかに、楚々とした悲しみに包まれていて、合唱も憂いを帯びてます。
第2部は、ドラマテックですが、前ファラオと違って弾圧的だった新ファラオのエジプトに神が怒り、疾病や天変地異を起こすわけですが、音楽はそこまで具象的でなく、紅海の横断シーンも淡々としてます。
出エジプト記でなく、詩編からも多く録られていることからだと思いますが、ある意味とても音楽的。
そして出国を祝う第3部は、明るく、むしろこちらの方が壮大。
「メサイア」を思わせるような晴れやかな合唱曲や、バスふたりによる掛け合いのソロアリアも「メサイア」っぽいので親しみがわきます。

第2部は、出エジプト記と詩編を、いろんな風に組み合わせてヘンデル独自の流れに仕立ててますが、細かに聖書を対比して聴いてみるのも面白いものでした。
しかしまあ、もう老眼の域に達したワタクシには、なかなかシンドイ行為なので、そう何度もできるものではございません。
まずは、ヘンデルの美しく、そして壮麗な音楽に耳を傾け、そして身をゆだねることです。

もう30年も前の古楽演奏の最初の頃のパロットの演奏。
先鋭さもなく、中庸の美しさもあり、なによりも合唱の精度も高く、歌手たちもうまいです。
もっと最近の演奏で、ヘンデル演奏の最新を聴いてみたい気もします。

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  ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 モンテヴェルディ管弦楽団
                     モンテヴェルディ合唱団

       (1978.10 @オールセインツ教会)

知らない間にもう一組持ってました。
ヘンデル作品を集中的に録音していたガーディナーは2度録音してまして、これはその1回目。

ここでは、第1部に転用された「アンセム」は、切り離されて別に演奏されてます。
ただし、その序曲だけはそのまま「出国」の冒頭に置かれてまして、「出エジプト」と「モーセの歌」の2部構成となってます。
初演時に、華やかなアリアがなかったりで、ロンドンの聴衆には不人気だったため、2部と3部のみで演奏されることとなった風習を受けてのもの。
たしかに、出エジプトという、ユダヤの民にはめでたい出来事を、ちょっとしめやかすぎる第1部が冒頭に長くあったりすると、聴衆受けはよくなかったかもしれません。
 2度目の録音は聴いてませんが、70年代に、これだけ清新な古楽演奏をしていたガーディナーの先見性をここに聴くことができます。

まだまだ聴きとり不足ですが、「エジプトのイスラエル人」、いい作品だと思います。
オペラ的に上演することはまず不可能かと思いますが、メサイアばかりでない、ヘンデルのオラトリオ作品、このあとも続けます。

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エジプトとイスラエル。
高域で言うと、アラブとイスラエル。
旧約の太古から因縁を持って対立を続けてきた関係。

アメリカのトランプ政権が、この楔を解き、イスラエルとアラブ首長国連邦、そしてバーレーンとも国交正常化の仲介を成功させました。
ほかのアラブ諸国も続く可能性があります。
これは歴史的にも画期的なできごとで、このヘンデルの作品を聴いて、この出来事もしみじみと受け取ることができました。

トランプの選挙対策、なんてのは間違った発想。
ともかく長い長い対立の歴史からすると、ほんとにすごいことが起きたのだと思います。
世界的に原油需要の減退とOPECの力の低下で、相対的に中東のこれまでの強みが薄れてきたなか、アラブ諸国は先を見据えた動きをしたとみるべきでしょう。
そしてアメリカも、中東地域への力の配分も少なくすることができる。
自国ファースト政策と、なによりもその力を温存し、某国に注がねばならない、そんなアメリカの事情があります。
しかし、なんだか、世界がふたつの勢力にますます二分されつつあることが鮮明になってきました。

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ヘンデルの「エジプトのイスラエル人」の最後は強く明るい、ソプラノソロ付きの合唱です。
そこで歌われるのは、出エジプト記第15章1と21からとられてます。
「主にむかってわたしは歌おう、彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。」
そう、これは争いや武器は、もうナシ、もうおしまい・・・っていう明るく強いメッセージでありました。

まさにそうありたいもの。

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2020年4月12日 (日)

マタイとメサイア

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寄り添うように、とか、よく政治家とか、企業CMとか、いやもしかしたら自分も、寄り添うような音楽とかブログで発言してるかもしれない。

けれど、なんか、まやかしのように感じる。
感情論の押し付けであり、ごまかしではないかと・・・

政治家や企業に、本当の心で、そんな風に国民や消費者に接しているとは思えない。
平和なときには、そんな言葉も、優しく響く。
しかし、いまの緊急時には美辞麗句は通用しない。
具体的に何をするかが問われるから。

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しかし、季節はちゃんと巡ってくる。

毎年、イーズターの頃には、散歩も兼ねて増上寺周辺の桜を巡り歩くのだが、今年は、むしろ健康のために歩かなくては、という思いで、控えめの桜見でした。
ここは、見事に美しい椿が桜を背景に咲くのです。

聖金曜日から、復活祭にかけての音楽ということで、「マタイ受難曲」と「メサイア」それぞれ抜粋して聴きました。

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  バッハ 「マタイ受難曲」

   ペテロの否認~あわれみたまえ、わが神よ

    A:ヘルタ・テッパー
    T:エルンスト・ヘフリガー

  カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
             ミュンヘン・バッハ合唱団

先ごろ、ミュンヘンにて亡くなった、テッパーの歌で。
享年95歳のテッパーさんは、理想のオクタヴィアンとして、それとブランゲーネやフリッカなども歌うオペラ歌手でしたが、なんといっても「リヒターのマタイ」のアルト歌手としての存在が、われわれには大きいと思う。

マタイの核心的な場面が、ペテロの否認と、それに次ぐアルトの悔恨のアリアかと思ってます。
この少し前に、イエスによる重要な弟子のひとり、ペテロの裏切りの予言がエヴァンゲリストにより歌われ、鶏が鳴く前に、わたしを知らないと3度言うだろうとします。
そして、ペテロが女中に、この人もイエスと一緒にいたと言われると、わたしはその人を知らないと、ほかのひとにも3度も言ってしまいます。
そこで鶏が鳴き、ペテロは激しく泣くことになります。
 このあたりの、冷静なエヴァンゲリストが、抑揚をつけながらも感情の高ぶりをみせます。

そして、ヴァイオリンソロを伴った感動的なアリアが始まります。
「Erbarme dich」 憐れみたまえ、わが神よ わたしの苦い涙をお認めください
   心も、目も、ともに御前にひざまずき、激しくないております~

人間、誰しも、思い当たることがあるかもしれない、心に秘めたこともあるかもしれない。
そんな心理に光を当てた聖書の場面を、バッハの音楽は実に深く描いている。
テッパーの禁欲的な淡々した歌唱は、この歌の本質をついております。。。。

聴いてて、なんでこんなことになっちゃったんだろ、涙が出てきました。       

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  ヘンデル オラトリオ「メサイア」

   復活~栄光と永遠の命

  S:エディット・マティス   A:アンナ・レイノルズ
  T:ステュワート・バロウズ B:ドナルド・マッキンタイア

 カール・リヒター指揮 ロンドン・フィルハーモニック
            ジョン・オールディス合唱団

Ⅰ「預言と降誕」、Ⅱ「受難と復活」、Ⅲ「栄光と永遠の生命(救いの完成)」

アメリカや日本ではクリスマスに演奏されることが多いので、きらびやかな印象がある「メサイア」。
ましてバッハと比べると、開放的で、音は外に向かって行く印象を受けるが、でもしっとりとしたアリアもたくさん。
アリアと晴れやかな合唱の対比こそ、オペラ作曲家としてのヘンデルの真骨頂。
最近、ヘンデルのオペラをネット視聴したりすることも多く、少しハマりだしました。
そんな耳で聴くと、豊麗なヘンデルサウンドのなかに、人間の悩みや悲しみも織り込まれているのを感じます。

ハレルヤのあと、ソプラノの楚々とした信仰告白ともとれるイエスへの想いを歌ったステキなアリア。
そして不滅の偉大さをトランペットを伴って歌うバスの神々しいアリア。

リヒターの英語版メサイアが、ロンドンフィルで録音されたことはありがたいことでした。
LPOの暖かくも、くすんだ弦が素晴らしく効果をあげてます。
マティスの無垢ともいえる歌声もいい。

最後はイエス賛美の、アーメンコーラス。
キリスト者ではありませんが、人類がいまの苦難に打ち勝つこと、この音楽も輝かしくも、壮麗な光で世界を照らしてくれることを願います。

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早朝のせいもあるけど、誰もいない増上寺(4/4)
ほんと、ひといません。

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来年は、楽しく桜を愛でることができますように。

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2015年12月26日 (土)

ヘンデル 「メサイア」 オーマンディ指揮

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東京駅丸の内口の商業施設KITTE。

毎冬恒例のWHITE KITTE。

色が変化して、四季を演出。

きれいなものです。

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春夏秋冬を想って並べてみました。

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  ヘンデル  オラトリオ「メサイア」

    S:アイリーン・ファーレル    A:マーサ・リプトン

    T:デイヴィス・カニングハイム B:ウィリアム・ワーフィールド

   ユージン・オーマンディ指揮  フィラデルフィア管弦楽団
                      モルモン・タバナクル合唱団
              合唱指揮:リチャード・P・コンディ
              トランペット:ギルバート・ジョンソン

                      (1958,59 @フィラデルフィア)


ヘンデルの「メサイア」は、なにも、クリスマス・シーズンだけの音楽じゃない。

日本では、この時期に演奏され、聴かれることが多いけれど。

しかし、メサイア・救世主・イエス・キリストの生誕と、その栄光と、死と、その復活を描いた、このヘンデル作品は、思えば、聖書の物語をこと急ぎ過ぎ。

でも、2時間半ぐらいの物語に、イエスの生涯を凝縮しようとしたら、こんな感じになるのでしょうね。
オラトリオというカテゴリーにおいては、オペラと声楽曲の間に位置する、宗教的な作品ということになるのですから、宗教的に疎い日本人には、本来、なかなか取りつきにくいジャンルなのですね。

しかし、そこは、ヘンデル。
しかも、英語の原曲だし、高名なる「ハレルヤ」があるのですから、晴れの日好き、クリスマスのキラキラ好きな日本人には、大いに受けるわけです。

英語圏の国々には、等しく浸透していますね。
英国とアメリカ。そして、クリスマス好きの日本。
ドイツ語圏では、独語バージョンや、モーツァルト編があるにしても、どうでしょうかね。
まして、フランス、イタリア、ラテン系の国々では、この作品、あんまり聴かれないのではないでしょうか。

 アメリカの文化にあこがれた子供時代。

テレビでは、奥さまは魔女とか、ディズニーランド、ルーシーショーなどが土日に放映され、子供心に、アメリカの先進性に、すっかり心を奪われたものでした。
 その思いは、いまも基本で引きずっていると思います。
クリスマス時期における振る舞いとか、アメリカ発の風物への妄信などなどね・・・

 それと音楽では、クラシック音楽に目覚めた時期に、当時、二分してた流れが、カラヤンとバーンスタイン。
すなわち、ヨーロッパ本流と、アメリカ勢力との対抗軸。
DG・EMIとCBS・RCAですよ。
湯水のように毎月、発売される、ヨーロッパ発とアメリカ発のレコードは、いまでは信じがたいほどに勢いがありました。

そんななかの思いでの「メサイア」といえば、オーマンディ盤。

中学1年のことでしたか。
クリスマスも近い頃に、FMで聴いた「メサイア」は、もしかしたらリヒターの旧盤、すなわち独語バージョンによるものだったと思います。
ハイドンより前の、バロック音楽をほとんど聴いていなかったワタクシには、実に新鮮に響いたヘンデルのこの曲。
 すぐさま、レコードが欲しくなり、調べましたが、ほとんどが3枚組で高額なものばかり。
ところが、CBSソニーが出していた、ダブルシリーズというものがあって、主に、オーマンディの指揮による演奏が、2枚組で、2500円という破格値で、そのシリーズに、この「メサイア」があったのです。
 クリスマスプレゼントとして、父親に銀座のヤマハで買ってきてもらって、それこそ毎日、すり減るほどに聴きまくったのでした。

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 安い装置でも、実によく鳴るし、子供心にも、豪華な演奏であることがわかりました。
あと、合唱も歌手も、アメリカっぽくて、ドイツ系の歌唱とはかなり異なることも。
でも、ともかく、この演奏がとても気に入りました。
そして、お気に入りの番号を抜き出しながら聴くようにも。

①前奏曲→Comfort me 、Every valley テノール→And the glory 合唱→And he shall purify 合唱→Behold a virjin アルト・合唱→For unto us a Child is born 合唱→パストラル→He shall feed his flock アルト→His yoke is easy 合唱→②He was despised アルト→And with his stripes 合唱→All we like sheep 合唱→Thou Shalt break テノール→Halleuja 合唱→③I know that mey redeemer ソプラノ→The trumpet shall sound バス→Worthy is the Lamb 合唱

こんな感じの流れで自分なりの抜粋で。

 そして、今年、CD化された当盤を米アマゾンにて見つけて購入。
数十年ぶりに聴く、オーメンディの「メサイア」。
大昔のあの感覚がよみがえった。

ゴージャスなフィラデルフィア・サウンドはそのままに、一方で、大らかでありながらも、オーソドックスな解釈で、意外なまでの落ち着きを感じました。
CD化されて、少しキンキンしてた響きが抑制されたからでしょうか。
とても美しいオーケストラです。
それと、レコードでは、耳に突き刺さるように突出していた、トランペットソロが、実はとんでもなく名人芸で、とても音楽的なこともわかった。さすがに名の知れた名手。

あと、合唱がちょっと荒っぽいのと、怪しいのとが紛れ込んでる感があります。
レコード時代には気にならなかった、声の揺れや、ヴィブラートが独唱陣に感じるのも、時代の流れのなかで、自分の受け止めや、耳が変化してきたからなのでしょう。
 それでも、二人の女声陣は、とても聴き応えのある歌いぶりです。

懐かしさとともに、年齢の積み重ねを、しみじみと感じることとなった、オーマンディの「メサイア」でした。

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2013年6月 7日 (金)

ヘンデル 「ディクィスト・ドミヌス(主は言われた)」 ミンコフスキ指揮

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夕陽を浴びる教会。

こちらは、プロテスタント系でシンプルで清楚な趣き。

手前が幼稚園で、わたくしはこちらでお世話になりました。

もうかれこれ、半世紀近く前ですが、いまだに同じ海からほど近い、潮騒の聞こえる場所にあります。

どちらもかつては、こんなに立派な建物ではなかった。

木造のギシギシ系で、当時の印象では園庭も広くて、もっと広大な場所に感じてました。

半世紀も経つと、自分の尺度が大幅に変化して、同じここが、猫の額みたいに思えてしまうところが、悲しくも懐かしくあるところ。

ここで、園児たちの宗教劇が行われてましたが、いまはどうでしょうか。

わたくしは、イエス降誕を見にきた貧しい人々その3、ぐらいの役割で、あたまに唐草の風呂敷をかぶって演技しました。
ですから、いまでも、唐草風呂敷をかぶることには抵抗はありません・・・。
あ、いや、わたし、泥棒さんじゃありませぬよ。
ただ、子供心に、イエスのこととかを、身近に感じて過ごしましたし、麗しき思い出もたくさん生まれたことは、生涯忘れえぬことなのですから。

ヘンデルの音楽を知ったのは、学校時代の「ハレルヤ・コーラス」や「水上の音楽」なのですが、自主的に音楽を聴き始めてふたたび巡りあったヘンデルは、そう、「メサイア」なのですね。

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  ヘンデル 「ディクスト・ドミヌス」~主は言われり

    マレク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジュシャン・ドゥ・ルーヴル

        (1998.6 @オリヴィエ・メシアン・ホール、フランス放送局、パリ)


もしかしたら多くの方にご賛同いただけるのが、ヘンデルのメサイアが、バロック音楽への窓口。
バッハにはリヒターという厳格きわまりない番人がいて、イタリア系バロックはイ・ムジチがイコールで四季しかない。
しかし、メサイアには、そんな垣根が一切なくって、わたくしはデイヴィスとロンドン響の初回録音のものをFMで聴いて、一気に好きになった。
当時、ハープシコードすら珍しげに聴いた田舎育ちのわたくし。
チンチロと華奢になるハープシコードの音色に魅せられ、メサイアを聴いたものだった。

それ以降のメサイア遍歴は、さしたるものでなく、ヘンデル自体への興味もそんなでもなく、今日に至っているわけです。

ヘンデルの作品をたくさんお聴きになり、素晴らしいサイトをお造りの方々には本当に頭がさがりますし、一方で、ヘンデル初心者のわたくしを叱らないでいただきたいです。

1685~1759年の生没年のヘンデルは、生粋のドイツ人でありながら、イギリスに安住し死を迎えることになる、作曲家兼教師兼、多彩な才能の持ち主の人材だった。

本作は、ヘンデルが22歳のとき、1707年に、イタリア各地を勉学を兼ねて巡業中に作曲された。
内容は聖句も含めて、きっぱりと決然とした表現にあふれていて、ブレや迷いが一切ない。
これだけ一本義のストレート音楽は、ヘンデルにはほかにないのではないでしょうか。

旧約聖書の詩篇110(ないしは109)からとられたこの作品は、生真面目感と陶酔的なわが信じる神への帰依が描かれていて、なにもそんなに一生懸命、と思わなくもありませんが、ヘンデルの若さゆえに微笑ましくも思える音楽でもあるんです。
ずっと後年の「メサイア」の緩急・硬軟の自在感からしたら、よっぽど背筋が伸びてしまう音楽なのですが、ミンコフスキ率いるレ・ミュジシャンの柔軟な解釈からしたら、ヘンデルのそのあたりのシリアス感が英国的大らかさ、仏国的お洒落感によって、味わいをましていて、教条的な堅苦しさを一切感じませなんだ。

ミンコフさんの若い演奏ですが、その頃から、この方、先鋭さが丸く、いい形で着地する稀有の才能をお持ちだったと思うのであります。

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横浜三塔のひとつ、税関本館。

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2011年1月15日 (土)

ヘンデル 「水上の音楽」 プレヴィン指揮

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芝浦、竹芝桟橋あたりからレインボー・ブリッジを望むの図。
海はエエなぁ~。
本格的に、心が解放されるんだわぁ~
そして、造られた街、トーキョーはこうして美しい。

Handel

今日は、プレヴィン
ヘンデルは英国に帰化してるから、英国ものともいえます。
「水上の音楽」は、ヘンデルでもっとも有名な曲かもしれないが、でも最近は意外なまでにこの曲を聴くことが少なくなった気がする。
ご多分にもれず、いまやこの曲の演奏スタイルも古楽器によるピリオド奏法が主流となり、室内オケや一般オケの録音や演奏会ではあまり登場しなくなった。
多くのオペラやオラトリオが見直されていて、そちらの方へ興味も流れているし。

学究による版もふたつあり、60年代初頭までは旧ヘンデル全集、以降は新ヘンデル全集のレートリヒ教授版。

さらに、いくつかのオーケストラ版もある。
それらの中では、なんといっても英国の作曲家・指揮者のハミルトン・ハーティの編曲によるフルオーケストラバージョンが一番かもしれない。
わたしのような世代だと、音楽の授業で聴いた「水上の音楽」は必ずハーティ版で、なんらの疑念も挟まずに、そのゴージャスな響きを堪能していたわけだ。
「メサイア」の演奏にもかつてはそうしたことが言えて、英国や米国の指揮者たちのメサイアは華麗なイメージもあったのだ。
まったく、時代の変遷というものは恐ろしいもの。
澱や埃が払われて、生まれた当時のピュアな響きをまとって復刻される音楽たち。

でも、それがすべてかというとそうでもない。
私たちの音楽には、それらが育まれ、聴かれてきた過去があるわけで、それらを否定してしまっては、また見失うものも多い。
事実、今宵、ハーティ版ヘンデルを、久方ぶりに聴いてみて、これまた耳が新鮮な喜びを感じているのだから。

   ヘンデル  序曲 ニ短調 (エルガー編)

          「水上の音楽」組曲 (ハーティ編)

          「王宮の花火の音楽」組曲 (ハーティ編)

     アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団
                          (82.12@ピッツバーグ)


プレヴィンとピッツバーグ響の紡ぎだすヘンデル。
かつて学校で聴いたはずのカラヤンとベルリンフィルのゴージャス演奏とは対局にあるような渋さである。
重い響きを出すこのコンビだったが、なかなかに思索的な雰囲気もあってエアなどは、こんなにゆっくりと抒情のたけを込めて演奏しちゃっていいんだろうか、と思ってしまうくらい。少し腰が重すぎると感じてしまうのは、録音と原編曲のせいもあるかもしれない。
そのあたりを封じるには、華麗にバリバリ演奏しちゃうのが手かもしれないが、プレヴィンはそんなことはしない。
プレヴィンらしい、温もり感もあって、爽快さとはまた違った意味で気持ちのよい演奏であります。
ピッツバーグのホルンセクションの鮮やかさと、打楽器群のキレのよさも楽しい。
録音はフィリップスらしいピラミッド型の重厚なもので、あのケチャップの名を冠したハインツホールの響きも美しい。

なにか、いにしえの名曲を聴いたような気がする今宵なのでありました。

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現代の舟遊びは味気ないものです。

ハーティの音楽過去記事

「ハーティ ヴァイオリン協奏曲&ピアノ協奏曲」

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2010年12月25日 (土)

ヘンデル 「メサイア」 マリナー指揮

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横浜みなとみらい、クィーンズモールのツリー。
港街にかもめが飛んでます。
お隣のみなとみらいホールのパイプオルガンのクリスマス音楽の演奏に合わせて、鮮やかなツリー・パフォーマンスが行われるのでした。

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このツリーを見たあと、お隣で神奈川フィルの定期。
心に沁みるフォーレのレクイエムを聴いたのでした。
あちらは、死者と残された人々を優しく包みこむ音楽。

クリスマスにレクイエムや受難曲は禁物かもしれないけれど、フォーレのそれは、その音楽ゆえにいいのかもしれない。

そして、本日は、この時期ならではの定番を。

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ヘンデルのオラトリオ「メサイア」。
わたしが学校で習ったときは、オラトリオは聖譚曲と呼ばれてた。
オラトリオというよりは、そうした邦訳の方が宗教色が強く感じる。
同様に、この「メサイア」のタイトルも昔は、「救世主」とされていた。
それぞれがそう呼ばれなくなって、この作品が本来持っている、イエス・キリストの生涯を描いた宗教物語的な要素がかなり後退して、その音楽のよさのみが際立つようになり、より一般化したのも事実でありましょう。
それと英語による歌唱も、親しみやすさを後押ししてます。

3部形式のイエスの生涯。
Ⅰ「預言と降誕」、Ⅱ「受難と復活」、Ⅲ「栄光と永遠の生命(救いの完成)」
ゆえに、クリスマスに限れば、第1部のみで事足りるわけで、この時期に「メサイア」を聴く意義は、イエスを思い、その生き様を考えてみよう~的なことにあるわけだ。
そうした意味では、受難節や復活祭において、イエスを思い聴くことも充分ありなわけです。
無宗教な日本においては、ヘンデルの平明で伸びやかな音楽を中心にすえて、歌詞の中身や宗教観などは二の次にして聴くのもいいのかもしれない。

この曲が初演されたのは、1742年4月13日、アイルランドのダブリンの音楽堂でのこと。
その初演から250年を経て、同じダブリンで、その同じ日に演奏された記念コンサートのライブ録音が、本日のマリナー指揮によるCDであります。
こちらは映像も残されていて、NHKで放送もされました。

    S:シルヴィア・マクネアー   Ms:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
    CT:マイケル・チャンス
     T:ジェリー・ハドレー     Bs:ロバート・ロイド

  サー・ネヴィル・マリナー指揮
    アカデミー・アンド・コーラス・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ
       Tp:マーク・ベネット    Cemb:ジョン・コンスタブル
       Org:イアン・ワトソン
              (1992.4.13@ダブリン、ポイント劇場)

豪華歌手陣を配したこの演奏。
いま聴くと、18年の歳月は長く感じるかもしれない。
いまや古楽器を用いてもより洗練された鮮やかな演奏を普通に聴けるようになったけれども、こうした従来通りの演奏方法によるものこそ、わたしには新鮮でかつ懐かしく感じる。
なにも猫も杓子も、ピリオドしなくったっていい。
豊かな表情と、マリナーらしいキビキビした細部にこだわらない流れのよい感性豊かな演奏がこうしてとてもうれしい時がある。

イギリス由来の作曲家としてのヘンデル。
そして英国音楽としての伝統のうえに則っているかの様式美を描きだしたマリナー。
でも、そこはマリナーとその取り巻きの学究者。
少なめのヴィブラートで、表情が誇大になることや劇的になることを抑えつつ、歌うべきは歌い、締めるところはしっかり締め、実にソツなく全体を見通して演奏してます。
かつてのイギリスやアメリカでの、大オーケストラによる壮麗・劇的な演奏とは完全に一線を画していて、明快のそのものマリナーは、そう、いつものマリナーなのでした。
「ハレルヤ」に豪奢な響きを期待しちゃうと裏切られます。
軽やかで、かつ生真面目なくらいに楽譜を忠実に音にしたみたいなのです。
これもまたマリナー卿。
録音がちょっと潤い不足で、フィリップス録音も他流試合風なところが画龍点睛を欠くところか・・・・。

歌手はみんな立派です。
とりわけ、マクネアーとオッターのピュアな歌声は、混じりけのないおいし飲料水のようで、実に清々しい。
カウンター・テナーにいくつかのアルト歌唱の部分を配分しているところがユニークで、M・チャンスはまったくもって見事なものだけれど、オッターひとりでよかったかも・・・。
故ハドリーはやや歌い過ぎ、R・ロイドはやや不安定感を残すも、こちらは、さすがの品格が漂う歌唱。

わたしが一番好きな部分を、厳選してあげると。
 1.シンフォニアとそのあとのテノールのレシタテイーヴォとアリア。
 9.メゾのアリアと合唱「高き山にのぼれ」
12.合唱「ひとりの嬰児うまれたり」
13.田園曲と14.ソプラノと合唱による聖夜のくだり
18.ソプラノとメゾの二重唱
21.メゾのアリア「彼は侮られ・・・」
43.ソプラノのアリア「われは知る・・・」
46.バスのアリア「ラッパは鳴りて!」
51.「アーメンコーラス」

とかいいながら全部好きなんですな、これが。
百花繚乱の「メサイア」演奏。
皆さんは、どの演奏がお好きですか?

Shunjyuku_2

こちらは、新宿のミロード。
ミロードとサゼンテラス。いずれもブルー系の美しいイルミ。
ツリーっぽいものだけ、賞味期限の関係で公開しときます。
ほかは冬の景色として、いずれ公開してまいります。

LEDの普及で、初期投資は大きいものの、電気代が少なめでランニングはコスト減となっているはず(?)。
一番いいのは、球切れがなくなり耐用年数が伸びたこと。
でも、主催者側はいいけど、毎年毎年、同じものを見せられることになるわけでもありますな。
これはなんとも言えません。

クリスマスおめでとうございます

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2009年12月25日 (金)

ヘンデル 「メサイア」 シュナイト指揮

Azabu3 都心のカトリック麻布教会。

六本木と西麻布の中間。
こんな静謐な教会がひっそりとあります。

平日に伺ったが、この日も、集会が開かれておりました。

場所柄、結婚式などにも利用されているけれど、平常の宗教心が根付く教会は清々しいものだ。
ヘンデルは、英国国教会。
シュナイトさんは、プロテスタント。
同じキリスト教でも、三様となってしまった本日であります。

Messiah_schneidt ヘンデル「メサイア」は、邦名は「救世主」。
最近は、こんな風に決して呼ばれない。

私が、初めてこの曲を聴いた頃は、「救世主」だった。
そして、サブタイトルとして「メサイア」になってた。

またまた昔ばなしだけど、この作品のレコードは、ほんと限られていて、70年代前半では、クレンペラー、リヒター(独語版)、ビーチャム、サージェント、デイヴィス、シェルヘン、バーンスタイン、オーマンディ、ゲール、リヒター(英語版)などなど。
ほんと、限られていた。
ところが今や、古楽器によるもの、ピリオド奏法によるもの、コンサートスタイルによるもの、宗教感あふれるもの、などなど、百花繚乱。
数にして、100以上の録音があふれるようになった。

演奏の多様化がもたらしたという意味では、バッハも同じ。
でも、英語という万人的なテキストに加え、ハレルヤ・コーラスを代表とする合唱音楽として、アマチュアをはじめとする我々への歌える素材としての存在も極めて大きい。

ヘンデルは、合奏協奏曲とかオルガン協奏曲がよく聴かれていたけれど、最近は、オラトリオやオペラの興隆が著しい。
ことにオペラは、斬新な演出が施されて、世界中で上演されるようになった。
ヘンデルは、オペラとオラトリオの人なのであります。

1742年にダブリンで初演されて以来、メサイアは英国で爆発的な人気を呼び、すぐにヨーロッパ諸国へ広まっていった。
 歴史劇を扱うオラトリオであれば、主人公や登場人物たちがしっかり登場するのであるが、「メサイア」は登場人物のいないオラトリオであり、イエスは3人称で語られる。
詩篇や福音書、手紙などからテキストを得て、3つの部分はそれぞれ、「預言と降誕」「受難と復活」「栄光・救いの完成」となっている。
内容は、かなり宗教的なのである。
 そして、クリスマスシーズンに相応しいのは第1部だけとなるが、無宗教のなんでもありの国民が、キリストのことを音楽を通してだけでも考えてみるのに、最良の音楽であろう。

こんな超名作に、愛するハンス・マルティン・シュナイトの日本での演奏の音源が残されていることが、極めてうれしい。
今年は、シュナイト師が日本において、その指揮棒を置いて引退した年である。
手兵神奈川フィルとの渋いが、充実を極めたブラームスとブルックナー。
そして、エヴァンゲリストに自らなってしまったかのようなヨハネ。
横浜で不調を押して指揮した壮絶なシューマン。
オペラシティで、元気に登場して神がかり的なロ短調ミサを聴かせてくれた9月。

音楽を愛する者として、生涯忘れえぬ体験をさせていただいたことに、感謝の想いしかない。

そのシュナイト師が日本でずっと合唱音楽を指揮し続けるようになったのが、師の名前を冠したシュナイト・バッハ管弦楽団と合唱団の結成だ。
1998年に、東京フィルハーモニーを母体に、コンサートマスターの荒井氏が中心となって結成され、東フィルから神奈川フィルを交えて、シュナイト師の意思を貫いた有機的なオケと合唱団として活動した。
それが今年のシュナイト指揮による「ロ短調ミサ」によって活動の幕を下ろしたのである。

       S:田島 茂代    Ms:寺谷 千枝子
       T:辻 裕久      Br:河野 克典

     ハンス=マルティン・シュナイト指揮 
                シュナイト・バッハ管弦楽団/合唱団
                          (2000.12.4@みなとみらい)

シュナイト・ファミリーともいえる歌手の皆さん。
素晴らしいの一言。
リリカルで清純なソプラノの田島さん、輝くばかりに深みがあって、ビロードのようなメゾの寺谷さん、英国音楽の徒・辻さんの日本人離れした透明感ある声、日本のFD=河野さんの瑞々しいバリトン。

合唱も薫陶よろしく、よく歌いこんでいて見事であります。

そしてシュナイトさんの、音楽の呼吸のよさはどうだろう。
演奏者にも聴き手にも、理想的なテンポ設定で、どこをとっても心地よい。
この時分では、まだあの極端なまでにゆったりとしたテンポはとられておらず、ジャケット写真を見ると、立ったままの指揮ぶりで、ときおりドタドタと足を踏みならす音が盛大に収録されているのもご愛敬。
シュナイトさん、元気すぎ。
 メサイアは合唱曲も素晴らしい曲が散りばめられていて、その言葉ひとつひとつ、音符のひとつひとつに心が込められていて、そのこだわり具合にこそ、シュナイトさんの本領が聴いてとれる。1部の明るさ、2部の痛切感と深淵さ、3部の荘厳。

2部から3部が、シュナイト・メサイアの真骨頂であろうか。
音楽の緩急が激しくなり、かなり熱を帯びてきて、ハレルヤコーラスとアーメンコーラスでそれぞれ爆発する。
 ライブでそこに居合せれば、手に汗握って興奮してしまったことであろう。
シュナイトさんの音楽は、やはりライブが一番。
CDには収まりにくい音楽なのであろう。
それでも、このメサイアの完成度の高さは、ソリストの素晴らしさも相まって、相当なもの。
大切なCDが、またこうしてひとつ生まれた。

Azabu1

 



















カトリック麻布教会のステンドグラス。

Azabu_church4 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼間の様子。
まぶし~い。

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2007年12月17日 (月)

ヘンデル 「メサイア」 バーンスタイン指揮

Hamamastutree 浜松駅前にあるツリー。
このツリーは、なかなか精巧に造られていて、下から見上げると驚きだった。

今年は例年より地味な街(特に渋谷)と、そうでない街が混在しているが、どちらかというと、日本の繁華街は落ち着いた趣に向いつつあることを思わせる。

 

日本人にとってのクリスマスとは、商業的なイメージが先行するのみである。
神道ないしは仏教徒の国で、キリストの生誕を祝うのも奇異な話であるが、中国や韓国もどうもその傾向から逃れられないらしい。
25日になると、昨日までのクリスマス・ムードはきれいさっぱりとなくなってしまう。
本来のキリスト教国であれば、1月の1週くらいまでは、聖週間が続くらしいけれど。

そんな風潮にイルミネーション好きの私はしっかり乗ってしまう。
家でも、子供も見向きもしなくなったツリーを一人飾る寂しいお父さんなのである。
このお父さんは、クリスマスにはチキンをローストし、毎年違った料理に腕を振るう。
家族は、そんなのいいから、寿司でも食べさせろという。
自己満足の父なのである。

 

Bernstein_messiah

 

自己満足のひとつが、この時期の「メサイア」である。今でこそ、オリジナル楽器による俊敏な演奏も現れ、様々な解釈が楽しめるが、私がメサイアをはじめて聴いた頃は、大オーケストラによる豪華なものばかりであった。
FMで聴いたデイヴィスとロンドン響のものが初メサイア。

それから、カール・リヒターのドイツ語版がバッハよりのユニークなヘンデルだったが、そのリヒターもロンドンで英語版を録音した時は、少しロマンテックな解釈に傾いていた。

でも、常に心にある「メサイア」は、アメリカーンなメサイアで、オーマンディとフィラデルフィアのCBS盤なのだ。中学生の時にはじめて買ったメサイアがそれ。
2枚組2500円のダブルシリーズで、録音もよく擦り切れるほど聴いたものだから、もう傷だらけで、今は再生できないだろうな。

 

そんな思いで、バーンスタインの抜粋盤を聴いてみた。
1956年というステレオ最初期の録音で、バーンスタインとニューヨークフィルのコンビもごく初期の頃。元気一杯のにぎにぎしいメサイアを予想すると、意外に落ち着いた雰囲気に驚く。結構大人しく神妙に指揮している。
でもそこはバーンスタイン、ハレルヤコーラスなどは、じっとりと腰を落として演奏している。
そんな具合に、合唱曲はちょっと重たいが、ソロの場面ではなかなかいい雰囲気につつまれる。録音の具合もあろうが、もう少し派手さがあっても、と思わせるくらい。
歌手は、テノールがまるでズーズー弁で、へっぽこに聴こえる以外は、まずまず。

 

バーンスタインは、若い頃から、この「メサイア」や「マタイ」「天地創造」などの宗教作品をよく指揮していた。ヒューマンなレニーがマーラーなどと同等に、こうした曲に没頭していたのが面白い。

 

Ormandy_messiah

 

オーマンディの「メサイア」のレコード。
いまだに、このメサイアが私の指標。
我復活を望む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Hamamastu_tree2 浜松ツリーを下から覗くの図。

 

 

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2007年6月25日 (月)

ヘンデル 「水上の音楽」 マリナー指揮

Marriner_londonサー・ネヴィル・マリナー」が今年、久々にやってくる。
札響でメンデルスゾーン、N響でブラームス4番、四季などを演奏する予定。
プレヴィンとならんで、チケット争奪が厳しそうだな。

1924年生まれだから、もう83歳!
巨匠の一角に名を占める年齢だが、マリナーはそういうタイプではないかもしれない。
いつも変わらず、音楽を普通にわかりやすく聴かせてくれる身近な指揮者だから。

こちらの画像は、30年くらい前の雑誌の切り抜きから拝借したもの。テムズ川を背景に、絵になる「サー・ネヴィル」。

 

Marriner_handel_1 もうかれこれ35年ほど前だろうか、「マリナーとアカデミー室内管」が鮮烈なレコードを次々に送り出していたのは。
「四季」「管弦楽組曲」「水上の音楽」、モーツァルト、バルトーク、弦楽セレナーデ・・・・。
それらすべてが、新たな学究に基づいた新鮮で大胆な解釈による演奏で、ロンドンレーベルの巧みな宣伝にも乗って一家に1枚状態だったもんだ。
懐かしいよう。

 

そんな中から、時節柄、「ヘンデルの水上の音楽」を聴こう。
この曲は作者の自筆譜が残ってないため、数々の版があるらしいが、わたしには不案内な世界。
ただひとつ、英国作曲家「ハミルトン・ハーティ」の編曲したフルオーケストラ版は、今でも面白いと思う。
 マリナーのこの71年録音では、解説によるとケンブリッジの図書館の協力を得て独自の考察を経た解釈を行なっている。3つの組曲からなることに変わりはないが、曲の配列や入れ替えがなされているようである。
当然に通常の奏法ではあるが、打楽器が使われずシンプルで小気味よいサウンドになっていて、文字通りさわやかさの極地である。

Mariner2_1 現在は、古楽器やピリオド奏法が主流となってしまったため、35年前に極めて新鮮だった響きが、逆に今でも妙に鮮度が高く感じられる。

 

こちらも以前の切り抜きだが、アカデミー初期の頃は、曲によっては、自らコンサートマスターをつとめ、オケを率いていた。
隣りがアイオナ・ブラウン。

 

英国の上質な気品と、エスプリを感じさせる「マリナーとアカデミー」である。
こんな曲を聴きながら、舟の上で酒が飲めたら無常の幸せだな。
でも日本の屋形船は、ワタクシちょっとイメージが・・・・・。
あの天ぷらは最初はいいけれど、途中から誰も食べれくなって、山盛りの天ぷらにうんざり、船酔いと酒酔いにもうんざり、逃げ場のない接待などではまさに「水上の地獄」状態となる。

 

 

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