カテゴリー「ロッシーニ」の記事

2020年11月 7日 (土)

ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」 シャイー指揮

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さすがに今年は静かだったハロウィーン。
すっかり秋めいて、街も色づきを増してます。

いちばん過ごしやすく、いい季節なのに、なんかすっきりしない。
内外ともに、もやもやすることばかり。

特に、どうしちゃったの?
日本の民主主義のお手本だと思ってたアメリカ。
分断をはかる動きはずっと前からあったけど、今回ばかりは・・・・

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落ち着いた気持ちで、深まる秋を感じたい。

秋とは関係ないオペラを。
ロッシーニシリーズ。
「アルジェのイタリア女」ときたら、その裏バージョンのような「イタリアのトルコ人」

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  ロッシーニ 歌劇「イタリアのトルコ人」

   セリム:ミケーレ・ペルトゥージ
   フィオリッラ:チェチーリア・バルトリ
   ドン・ジェローニオ:アレッサンドロ・コルベッリ
   ドン・ナルチーソ:ラモン・ヴァルガス
   詩人(ジェローニオの友人):ロベルト・デ・カンディア
   ザイーダ:ラウタ・ポルヴェッリ
   アルバザール:フランチェスコ・ピッコリ

  リッカルド・シャイー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
               ミラノ・スカラ座合唱団

       (1997.9.7~18 @ジョセッペ・ヴェルディ音楽院、ミラノ)

ロッシーニ(1792~1868)の42作あるオペラの13作目で、1814年、ミラノ・スカラ座の委嘱によって書かれた。
オペラ・ブッファとして「アルジェのイタリア女」の逆パターンで、トルコのプリンスが、今度はイタリアに行って巻き起こすドタバタ劇。
「アルジェ」の1年後に書かれ、大ヒットしたあちらの人気にのった2番煎じのような印象を植え付けられ、当初はあまり評価されなかった。
なにも深く考えることなく、そのバカバカしさを楽しめる「アルジェ」に比べ、ブッファとはいえ、筋立てがややこしく、尺も長く、単純に笑えるだけでもないちょっと複雑なオペラ。それが「イタリアのトルコ人」。

今日のCDはシャイーの指揮だけども、シャイーはCD初期の時代にも、CBSにこの作品を録音していて、そのときのジャケットだけは覚えていても、ついぞこれまで、このオペラを聴くことはありませんでした。
 そして、驚きの初聴きは、今年3月ですよ(笑)
どんだけ、苦手だったんだろ。

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コロナが忍び寄ってた2月のスカラ座でのライブをネット録音しました。
スカラ座のサイトにある豊富な画像や、トレーラーで想像を膨らませ、その音楽の巧みさにだんだんと魅かれました。

そして、シャイーのCDを購入し、バルトリの名唱に酔いしれ、コロナ禍の5月には、ネットストリーミング配信で、ボローニャ・テアトロコムナーレの2017年の上演を観劇することができました。
字幕なしだったけど、シャイーの外盤リブレットを片手に、ほぼ全体を理解することができた。

こうやって、いろんなメディアを使いながら、以前では考えられなかった音楽鑑賞方法の幅も広がり、ひとつのオペラをじっくりと、好みの作品にしていくという喜びもここにまた新たとなりました。

Rossini

ボローニャの上演は、ロッシーニ音楽祭からのもののようで、時代設定を60年代ぐらいにして、ポップでカラフルな舞台でした。
スカラ座の方が、より若いフレッシュな歌手たちでしたが、こちらのボローニャでは、日本の脇園彩さんが、セリムの元恋人役ザイーダ役で輝いてましたし、あとフィオリッラのハスミック・トローシャンが素直な美声で、なによりも美人さんで気に入りました。
彼女、昨年、新国の「ドン・パスクワーレ」で来日してたんですね。

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あらすじは正直、ややこしいです。

イタリアのナポリの海岸沿い

第1幕
ジプシーたちのキャンプのなか、かつてトルコの太守の息子セリムと恋人であったザイーダが、その別れを悲しみ、懐かしんでいる。
ドン・ジェローニオ(ヒロイン、フィオリッラの亭主)の友人である詩人が、ジプシーたちの生活に新たな素材を求めようと探しつつ登場。
そこへ、ジプシー占いを頼みに、そのジェローニオも登場する。
彼は、自分の美貌の妻が浮気性なので、相談に来たのだが、みんなにからかわれてしまう。
詩人は、この友人と気まぐれな彼の妻とのことに着目し、これらの人間模様を素材にしようと決める。
 その女性、フィオリッラは、単調な生活に飽き飽きとして、もっと新しい愛をと歌う。
そこへ、船が到着してトルコの王子セリムが登場、女好きの彼は、フィオリッラを一目見て好きになり、彼女もすっかりその気に。
その様子を、フィオリッラの愛人にもなれないが、大ファンのナルチーゾ(これもまたジェローニオの友人だが、彼はナルチーゾの心のうちを知らない)から聞かされ、嫉妬に狂うジェローニオと、思わぬ展開ににんまりの詩人。

家にセリムを引き入れコーヒーなんぞを二人して飲んでるところへ、ジェローニオが怒って帰ってくるが、逆にトルコの王子様になにをするのと、妻に窘められてしまう。
ナルチーゾもこの様子をうかがっていて、セリムとフィオリッラが浜辺であいびきの約束をするとことを盗み聞きで、四重唱となる。
ひとり残され、悶々としたジェローニオは、おりから来た詩人に不満をぶつけるが、詩人は、この展開を面白がり取り合ってくれない。
詩人のあと、妻フィオリッラが帰ってきて、彼は怒り喧嘩を売るが、フィオリッラは、うまいこと手懐けてしまい、すっかりジェローニオはおとなしくなってしまう。

海辺で待つセリム。そこへ、占い客を求め営業中のザイーダがやってきて、その声からセリムであることに気づき、やがてセリムもかつての恋人がここにいたことに感激し、抱き合う。
さらにそこに、様子を見に来たナルチーゾ、旅装の女性、すなわちフィオリッラもそろりそろりとやってくる。
さらにさらに、ジェローニオ、詩人もきて、全員が集結し1幕を締める役者がそろう。
 いまの気持ちはフィオリッラにあり、嫉妬するザイーダと恋敵のフィオリッラ。
その喧嘩を仲裁しようとするセリムとナルチーゾ、なにがなんだかわからないジェローニオ、面白い面白いとする詩人で幕。

第2幕
 ちくしょうと酒を飲んでるジェローニオのところへ、どうしても諦めきれないセリムが金を出すから妻をくれと迫るが、とんでもないともめるふたり。
この間のふたりのかけあいは、超絶技巧的で超おもしろい!
 次の場では、セリムを待つフィオリッラ。
でもザイーダの作戦で、フィオリッラは呼び出されたが、当のセリムもあらわれ、この際ザイーダの前で自分を選ばせてやろうとするが、当のセリムはどちらも選べず、ザイーダは怒ってしまう。
ここで、フィオリッラとセリムの二重唱。
 
詩人は、ジェローニオに今夜の舞踏会で仮面をつけて、セリムがフィオリッラと逃走しようとしていると告げる。
詩人は機転をきかせ、ザイーダにフィオリッラになりきらせ、ジェローニオも変装して舞踏会に行くように提案。
それを立ち聞きしていたナルチーゾも、この際トルコ人に変装して、フィオリッラとうまくやろうと決意のアリアを歌う。
ひとり残ったジェローニオは嘆きと怒りにくれ、これまたアクロバティックなアリアを歌う。
ついでに、ちょい役のザイーダの友人のアブラザールのアリアも挿入され、なかなかの歌わせどころがあり、ロッシーニのサービス精神を味わえることになります。

さて、舞踏会。
ナルチーゾをセリムと思い込んで腕を取るフィオリッラ、ザイーダをフィオリッラと信じ込んでこそこそするセリム。
その間にたって困惑しまくる人の好いジェローニオ。
あまりにも見事な5重唱。
二組はそれぞれ逃避行・・・・

ひとり残されたジェローニオに詩人がシナリオを見せ、フィオリッラと逃げたのはナルチーゾ、セリムはザイーダと一緒と言って安心させる。
そのフィオリッラは、この騒動を悔いて、亭主ジェローニオに心から申し訳ないという思いにとらわれ、しょんぼりとして身に着けた宝飾類を外して悲しむ。
ここでのアリアが実に素晴らしい。
 詩人のとりなしで、フィオリッラとジェローニオは和解し、こちらもよりを戻したセリムとザイーダも登場。
ナルチーゾもアブラザールもやってきて全員集結の大団円。
 詩人は、今回のプロットの集結を宣言。
「わたしの台本はハッピーエンドでした、聴衆の皆さんもそうお思いでしょう?」
愛をたたえる合唱で幕!

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どうです?出たり入ったり、ややこしいでしょ(笑)
CDで聴いてるだけじゃわかんない、舞台を見ることで、「詩人」という狂言回しの役割の重要性がわかる。
この狂言回しには、大きなソロは与えられていないけれど、登場人物たちが見せる複雑な動きをプロデュースしているように聴くと、このオペラのみ方・聴き方の理解が深まるかもしれない。
ある意味、「コジ・ファン・トウッテ」を思わせる二組の恋人たちと、哲学者のドン・アルフォンソを想起します。
 そしてロッシーニのモーツァルトへのリスペクトは、曲中にもありました。
セリムが船で登場し、陸でフィオリッラが待ち受けるとこころ、ここに「ドンジョヴァンニ」のあの旋律が歌われます。
さらにそのふたりの二重唱では、「ドンジョヴァンニ」のアリアっぽい片鱗も確認できました。

こんな風に仕掛けのようなものが満載で、まだまだ味わいきれない気がしてます。
ですから、「イタリアのトルコ人」は、愉快な「アルジェのイタリア女」の亜流でなく、かなり立ち位置が違うオペラだと思います。

このオペラの真価が明らかになったのは、ここでもマリア・カラスの存在が大きいようです。
低音から高域まで、そして高度な技量も要求されるフィオリッラ役は、たしかに大変だと思いますが、メゾでもハイテクニックのあるバルトリのような歌手によって歌われると、魅力的な低音域の琥珀の輝きから、コケティッシュ感も出せる高域の歌いまわしで、耳のご馳走でした。
ほんとに素晴らしい役柄をロッシーニは残してくれたものだと思います。
 2幕最後の方の舞踏会における5重唱の素晴らしさは、ボローニャの舞台でも際立ってまして、5人以外の舞踏会の参加者がストップモーションで動きを止め、静かな緊張感を持たせ、そこから徐々に始まるロッシーニ・クレシェンドで渦巻くような興奮状態を作り出す。
音楽と舞台がぴたりと符合してました。
あと、フィオリッラの後悔のアリアも、そこに、ジプシーたちと、詩人の合いの手がうまく絡んで、その気の毒のヒロインの胸のうちをうまく表出してまして見事。

バルトリのステキさは前段のとおり。
バスとバリトンにも超難しい役柄のセリムとジェローニオ。
ペルトゥージとコルベッリがあきれるほどに素晴らしい。
ついでにもひとつ、ヴァルガスもいいし、詩人のカンディアーも全体をしっかり引き締めてました。
ポルヴェッリのザイーダもうまいもんです!

シャイーの水際だった巧みでイキのいい指揮は、スカラ座のオケあってのもので、現代感覚溢れすぎてそぎ落としの多いこともあったこの頃のシャイーの指揮に、潤いを与えているようにも感じました。
ただ、デッカの録音なのに、ちょっと冴えないような気が・・・
ちなみに、チェンバロでなくフォルテピアノが使われ、これがいい味だしてました。
ここ数週間、何度聴いたかわからない(笑)

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増上寺山門越しに浜松町の駅の方、線路まで見渡せる、そんな空いてる日曜の朝。

最近の音楽聴きループ、ヘンデル⇔ロッシーニ⇔プロコフィエフ⇔ドヴォルザーク⇔ワーグナー⇔R・シュトラウス⇔ドニゼッティ⇔プッチーニ⇔英国音楽⇔バッハ、ときどきマーラー&ブルックナー。
あぁ~、忙しいよ。

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2020年10月 4日 (日)

ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 アバド指揮

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10月1日は、中秋の名月で見事な満月でした。

そして、東京タワーは都民の日とGoToキャンペーンの東京解禁を祝して、グリーンカラーでライトアップ。

秋桜と書いてコスモス。
すっかり秋です。

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音楽のシーズンも真っ盛りと言いたいところですが、コロナの蔓延状況で、各国でオペラやコンサートの開催状況がまったく異なります。
日本は、クラシックは聴衆が熱狂しないたぐいの音楽なので、観客はほぼ従来通りに入れることが可能に。
しかし、予防対策は事細かに取り決められ、この部分では開催側も聴く側も、そして何よりも演奏者側も細心の対応が引き続き必要。
ガイドラインを読むと、細かすぎて、文字が多すぎて、頭が痛くなる。
外来演奏家が来日はできても、2週間の待機があるので、実質無理・・・
ウィーンフィルの11月の来日はどうなるんだろう。

ウィーンの国立歌劇場をはじめ欧州各地の歌劇場は再開したが、メトロポリタンオペラは今シーズンは閉館を決定した。
感染率の高かったニューヨークではあるが、徐々に経済活動も再開してます。
しかし、再び陽性率が上昇との報もあるし、BLM運動などで治安も悪い。
なによりも、世界のスター歌手によって成り立つMETの舞台は、そのスター級歌手たちが渡米できないので、ウリである豪華な舞台が成立しない。
ヨーロッパは専属歌手たちがスター級も含めてしっかり根付いているし、日本も海外勢が来なくてもやっていけるし、観客も超一流を求めていない。
METや他民族国家アメリカの宿命をなんやら感じます。

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  ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」 

    ムスタファ:ルッジェーロ・ライモンディ
    エルヴィラ:パトリシア・パーチェ
             ズルマ  :アンナ・ゴンダ
    ハーリー :アレッサンドロ・コルベッリ
             リンドーロ:フランク・ロパード
    イザベッラ:アグネス・バルツァ
    タッディオ:エンツォ・ダーラ

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団
            合唱指揮:ヘルムート・フロシャウアー
            チェンバロ:ロナルド・シュナイダー
            音楽助手:イオン・マリン

       (1987.9~10 @ウィーン・コンツェルトハウス)

コロナ期間にネット配信で視聴したロッシーニのオペラは10作。
何度も書くことで恐縮ですが、ベルカント系が苦手だったので、あまり聴いて来なかったロッシーニやドニゼッテイにベルリーニ。
しかし、コロナで見事克服(笑)

「セビリア」と「チェネレントラ」しかこれまで記事にしてなかったロッシーニですが、これからこちらもシリーズ化します。
手始めに、当然にアバド好きとしては、初出時のときから所蔵していた「アルジェのイタリア女」で、1度しか聴いてなかった(汗)

ロッシーニ覚醒一回目なので、ロッシーニのオペラを俯瞰します。

17~18世紀のイタリアオペラの系譜を引き継いだロッシーニ。
その生涯(1792~1868)で、自作の流用も含めて42作のオペラを残したが、オペラ作曲活動においては1808年~1829年まで、16歳から37歳までの期間となっていることは有名なおはなし。
驚くべきは、このほぼ20年間で、若いとも言える作曲家が、オペラセリアからスタートし、オペラブッファも極めて、同時にセリアもさらに深化させ、最後にはグランド・オペラの領域に踏み入れたこと。
ドニゼッテイ、ベルリーニ、そしてヴェルデイへと繋がるイタリアのオペラの流れの19世紀における源流がロッシーニ。

16歳の初オペラはセリアで「デメトリオとポリビオ」。
こちらが初演される前、18歳でのブッファ「婚約手形」が初めての上演された作品となり、その後3作を経て、「絹のはしご」「試金石」といういずれもブッファの快作を発表し、一方でセリアの傑作「タンクレディ」が作曲された。
このとき、ロッシーニは21歳。
オペラ作曲家として、その名声を確立させることになる「アルジェのイタリア女」が同じ年、1813年にヴェネチアで初演される。
「アルジェのイタリア女」と逆のパターンの物語、「イタリアのトルコ人」もこの1年後に続きます。
しかし、ロッシーニはオペラ・ブッファを1810年から1817年までの7年間でしか作曲していない。

1980年代から続いたロッシーニ・ルネッサンスで、いまでは多くのロッシーニのオペラが上演、録音されるようになりましたが、かつての昔は、ロッシーニの3大オペラは、3大ブッファで、「セビリア」「チェネレントラ」「アルジェ」の3作でありました。
 要は18歳から25歳までのあいだに、ロッシーニはオペラ・ブッファを極めつくしたこととなり、オペラから早々に足を洗い、人生の最後にあたって、自分は「オペラ・ブッファのために生まれてきた人間だった」としみじみ語ったというが、たしかにブッファ3作は、作者をしてそう語らせるにたる傑作であります。
 でも繰り返しとなりますが、それ以外の数多くあるロッシーニオペラの魅力、少しづつ観て聴いて、味わってみたいと思います。
(しかし、この歳になって、困ったもんです・・・・)

「アルジェのイタリア女」の作曲は、経営不振に陥っていたヴェネツィアのサン・ベネデット劇場のために、その義侠心から書かれたもので、わずか27日間で仕上げられたというから驚きであります。
初演は1813年5月22日で、その日は奇遇にも、ワーグナーの生まれた日でもありまして、実に興味深い符合です。
当時の東洋趣味からして、モーツァルトの「後宮」やウェーバーの「アブハッサン」にも通じる仕立て。
ともかくナンセンス極まりないドラマで、ありえないくらいのクレヴァーなイタリア女性に、間抜けな太守がメロメロとなり、まんまと騙されてしまうというもので、観る側は何も考えることもなく、ただただ才気煥発なイキイキとしたロッシーニの音楽に酔いしれればいいだけ。

初演以来、ずっと変わらず上演され続けてきたオペラともいえるが、いまの現在、あきらかにイスラムの太守であり、トルコ系でもあるやられ役を、そのままに描くことは演出上なかなか厳しいものと思われます。



ジャン・ピエール・ポネルの演出によるウィーンの舞台。
1990年の上演と思われます。

アバドのプリミエ舞台は、87年と88年で、そのときのアシスタント指揮者、イオン・マリンが90年には指揮してます。
エルヴィラを佐々木典子さんが演じてます。

太守の漆黒の色は、現在ではもっと薄くなり肉襦袢を着るようになってます。

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「セビリア」と「チェネレントラ」はずっと早くから手掛けていたアバドは、スカラ座時代に73年、75年、83年に取り上げてます。
ロンドン響と録音することは、エディンバラで上演しなかったことから実現はしなかったのですが、スカラ座での録音がなされなかったのは、ちょっと残念。
ウィーンフィルのロッシーニは、当時は珍しいことで、歌劇場では始終ロッシーニは演奏していても、それは従来の手垢にまみれたスコアであったはずで、アバドはゼッタ校訂の「セビリア」と「チェネレントラ」と同じく、アツィオ・コルギによる校訂版を使用していて、リハーサルもかなり入念に行われたそうです。
トロンボーンとテインパニを廃し、かわりにピッコロを加えて、軽やかさをより増して、アバドならではの爽やかで透明感あふれるサウンドに一新させました。
ほんとは、ただでさえ味わいのあるウィーンの音色より、ロンドン響のほうが、このあたりよりスッキリ感が出たのではないかと思ったりもしますが、そこはやはりウィーンフィル、色彩感がまぶしく感じられる。
75年のロンドン響との序曲集と、87年のこちらのウィーンフィルとの序曲のみを聴き比べると、味わいの濃いウィーンと、よりニュートラルなロンドン、オーケストラの音色の違いとともに、アバドの音楽造りにスケール感が増しているのもわかるし、クレッシェンドの幅がより広大化しているのも聴いてとれる。
 オペラ本編の方でも、アバドならではのロッシーニ・クレッシェンドの巧みさを満喫することができる。
登場人物たちが、びっくりしたとき、密やかな秘密を持ち語るとき、最弱の繊細なピアニッシモで緊張感すら漂わせる。
そこから巧みにクレッシェンドを導いていっては、寄せては返す波のような見事なロッシーニサウンドを引き出すアバドの手腕。
劇場での経験値を重ねたアバドの進化を、かつてのロンドンでの録音とくらべ感じ取れます。
(一方で、若々しい70年代のアバドのロッシーニにも、愛着を感じ、ブッファのロッシーニの真の姿を聴くことができると思ったりしてます)

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清潔でピュアなイメージのベルガンサにくらべ、バルツァの切れ味も鋭く、テクニックも抜群な歌唱は、このオペラの強い女性イザベッラを見事に歌い演じてます。
一瞬、カルメンっぽくて、ちょっと濃すぎる印象を受けるかもしれないけど、これはこれ、すごいもんです。
イタリア人に愛国を訴える名アリアもまったく見事。
当時、デビューしたてのアメリカのテナー、ロパードも若々しく最高音もしっかり出してる。
ライモンデイもこうしたコミカルな役柄は実にうまくて、むしろ気の毒にさえ思えるイイひとぶりを表出。
アバドのロッシーニになくてはならないブッファ・バリトン、エンツォ・ダーラも相変わらず素晴らしいし、若きコルベッリやP・パーチェも可愛くてよろし。
歌手のレヴェルの高さは、アバドの録音ならではです。

ウィーンでの舞台を、このコロナ禍に、2015年の上演で視聴することができました。
指揮は、故ロペス・コボスで、アブドゥラザコフのムスタファがあきれ返るくらいに素晴らしかった。
これもアバド時代から続くポネル演出のリバイバルで、誇張された人物表現が、現実世界と乖離していることをあえて強調していて、これまたポネルの天才性を感じた次第、ともかく面白かった。

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第1幕
 アルジェの太守ムスタファの宮殿。
妻のエルヴィラをもう飽きたとして、彼女とその待女ズルマを悲しませる。
太守はエルヴィラをお払い箱にして、奴隷として捕まえていたイタリア人リンドーロと結婚させようとする。
そして、配下のハーリーに命じ、イカしたイタリア女を探してこいとする。
 海賊に捕まえられたイザベッラと彼女を密かに好きなタッディオ。
ムスタファは一目見てイザベッラを好きになり、彼女は、これはうまくやらねばと、巧みに取り入ることとなる。
串刺しにしてしまえ、と言われたタッディオを伯父と言って助ける彼女、そして宮殿に行方知れずとなった恋人リンドーロがいることを発見し、お互いにびっくり。
イザベッラはすかさず、頭を働かせて、正妻を追い出して自分を後釜にすえるとは何たること、と非難し、リンドーロを自分の奴隷として差し出すようにムスタファに命じる。
混乱する一同。

第2幕
 イザベッラの機嫌をとるために、タッディオにカイマカンという資格を与えることにするムスタファ。
イザベッラと二人きりになってコーヒーを飲みたいムスタファは、自分が咳をしたら退席せよとタッディオに命じるが、タッディオはそれを無視したあげく、リンドーロも妻エルヴィラもそこにいて、楽しい5重唱となる。
リンドーロとタッディオは、ムスタファにイタリア男の粋な嗜み、秘密結社の儀式を教えるからと、計略にまんまとのせる。
「パッパターチ」と唱えながら、ともかく食って飲んで、快楽にふける、その間になにが起きようと気にしない、ともかく飲んで食って「パッパターチ」。
そうした間に、イザベッラとリンドーロ、ふたりが恋人同士だったと知ってがっかりのタッディオと、囚われのイタリア人たちは、船をしたてて出港することに。
ここに至って、騙されたとしったムスタファ。
もうイタリア女はこりごり・・・・とやっぱりエルヴィラがいい、と仲を取り戻した二人、そして全員でイタリア女の勇気をたたえ、幕。

このオペラを聴くと、しばらく「パッパターチ」が耳から離れなくなります(笑)
ポネルの舞台では、うまそうなパスタをほんとに、もりもり食べてました。

全員の最後の合唱
 「美しいイタリア女がアルジェにやってきて、嫉妬深い男とうぬぼれの強い男に教訓を与えた
  女はその気になれば、誰でもたぶらかしてしまう」
いまどき、問題になりそうな歌詞ではあります・・・・・(笑)

面白いぞロッシーニ🎵

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2018年1月20日 (土)

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 アバド指揮 プライ

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菜の花と富士。

毎正月に、実家に帰るとこの景色が望める幸せ。

今年は、晴れの日が続いたので、富士がくっきり、すっきり。

おまけに、今年、ちょっと不安視した駅伝も、見事に完勝。

ありがたき正月になりました。

そして、1月も後半に至ると思い起こすのが、クラウディオ・アバドの命日。

あれから4年です。

今年のアバドの命日には、ことし2018年に、没後10年のアバドの朋友、ヘルマン・プライとの共演を。

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   ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」

アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ バルトロ:エンツォ・ダーラ
ロジーナ:テレサ・ベルガンサ      
フィガロ:ヘルマン・プライ
バジリオ:パオロ・モンタルソロ     フィオレロ:レナート・チェザーリ
ベルタ:ステファニア・マラグー     士官:ルイジ・ローニ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                アンブロージアン・オペラコーラス
              合唱指揮:ジョン・マッカーシー
              チェンバロ:テオドール・グシュルバウアー
              ギター:バルナ・コヴァーツ

       (1971.9 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


初めて買ったアバドのオペラのレコード。

その前には、「チェネレントラ」が出てはいたけれど、すぐには手が出ず、より有名なセビリアの登場を待ち、飛びつきました。
それでも、ちょっと半年ほど遅れて、横浜駅西口にあったヤマハで、お正月に購入。
川崎大師の帰りでした。
3枚組のズシリと重いカートンボックスに入った豪華なオペラのレコード。
所有する喜びにあふれてました。

アバドは、昨年亡くなったゼッダの改定版を前面に押し立てて、ロッシーニ演奏に革新をもたらせた指揮者のひとりでありました。
過剰な装飾や、オーケストラに慣習的に追加された楽器や誇張を取り除いたスッキリとした軽やかなロッシーニ。

ブッファ的な側面ばかりで語られたロッシーニには、セリアもグランドオペラもあったと見直された60年代半ば。
その流れで、フィルターを取り除いたロッシーニの音楽を体現させたのはアバドだと思う。

オモシロ可笑しいロッシーニのブッファに、生真面目に取り組み、端役に至るまで、すべての登場人物たちの歌に等しく目を配らせ、お笑いドラマを人間ドラマにまで昇華してしまった。
アバドが、ヴェルディのオペラに取り組む、その同じ姿勢がロッシーニの演奏にもあると思う。
だから、アバドのロッシーニは、セビリアよりは、チェネレントラ、そしてさらにランスの旅の方がより素晴らしい。
ベルリンフィルでロッシーニのオペラをやってしまったところが、これまたアバドらしいところ。

Rossini

  1981年のスカラ座の引っ越し公演での「セビリア」は、薄給を「シモン」のS席に振り当ててしまったので、テレビ観劇となりましたが、終始、このレコードより、テンポも速めにとり、ダイナミズムも緩急も自在で、より劇場的な指揮ぶりでした。
そして、ポネルの回り舞台の面白さと、ヌッチ、アライサ、V・テッラーニと新鮮な歌手たちの鮮やかさも、いまや伝説級の名舞台と言えます。

もう46年も前のころ録音。
当時、ロンドン交響楽団は、アバドの意思にもっとも俊敏に反応することのできたオーケストラであったと思う。
オペラのオーケストラではないが、ゆえに新しい響きも紡ぎだすことができたし、そこはアバドの歌心もそっくり反映させることができている。
いまでも充分に、その鮮度を保っているロッシーニ演奏です。

当時、最高のロッシーニ歌いをずらりと揃えた配役。
ただ、昨今のよりスタイリッシュで、高度な技量を備えた歌唱からすると、やや古めかしさも感じたりもするのは贅沢な想いかもしれない。
そのなかで、燦然と輝いているのはベルガンサのロジーナ。
清潔さただよう麗しくも正しき歌。
チェネレントラでの歌唱とともに、しっかりと耳に残しておきたい歌唱です。

ヘルマン・プライの当たり役フィガロ、うますぎの感もなくはないが、そして、思いのほか声の威力も気になるところだが、その人懐こい歌声は、こうしたイタリアものでも魅力的。
プライの明朗快活な歌は、モーツァルトの同役とともに、フィガロが当たり前のように同一人物であることを強く感じさせます。
そして、わたしたちは、ここに聴くプライの声で、彼の歌うパパゲーノやグリエルモ、果ては、ベックメッサーやヴォルフラムなどをも思い起こすことができる。
それほどに、ヘルマン・プライの声は、自分にとって馴染みの声なのです。
アバドは、プライとの共同作業を多く行っていて、スカラ座のフィガロの結婚では、伯爵までも歌っているし、ずっと後年、ウィーンフィルとの第9ではバリトンソロもつとめている。
そして以前にも書いたけれど、アバドのヴォツェックにもチャレンジする予定もあった。
アバドが病に倒れる前は、ワーグナーへの挑戦として、マイスタージンガーやタンホイザーの名前もあがっていたので、もしそれが実現していれば、プライのザックスなんてのもあり得たのかもしれません・・・。

ヘルマン・プライは、1998年7月22日に69歳で亡くなりました。
そして、クラウディオ・アバドは、2014年1月20日に。

アバドの命日に、偉大な歌手と指揮者を偲んで。

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過去記事

 「チェネレントラ」 アバド LSO

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2010年8月25日 (水)

「ロッシーニ・リサイタル」 チェチーリア・バルトリ

Thirty_one

サーティワン・アイスクリームですよ
たまに子供たちに連れていかれますがね、おじさんひとりじゃ行けないから、待ってるんです。
左が、トロピカル・アイス~パイン、マンゴー、ココナッツ。
右が、ファンタステックアイランド~トロピカルアイスやバナナ、ブラッドオレンジなどのミックス。
夏ならではの一品じゃぁございませんか。
 皆さんも、残暑厳しいけれど、夏が逝く前にどうですか・・・。

Bartoli_rossini_2
今日もイタリアです。
しかも、とびきりフレッシュなメゾの歌声。
チェチーリア・バルトリの1990年、今から20年前の歌声は、現在の円熟の声からすると、もぎたてのイタリア産のレモンを思いっきり絞った感じ
当時まだ24歳。
思えば、デビューした時から完成された歌手だった。
いまでもフレッシュぶりは変わらず、しかもますます進化している。

目覚ましい技巧と幅広い音域を駆使して聴く者を圧倒し、彼女の歌の世界に引きずりこまれてしまう強烈さがあるけれど、それが極めて快感なんですぅ。
いや、その、変な意味じゃなくって、完璧な歌唱が極めて音楽的な意味での快感を呼ぶわけなんです・・・。

星の数ほどあるオペラ創作のあとに、これまたたくさん書かれたロッシーニの歌曲ばかりを集めた1枚は、ロッシーニとモーツァルトを得意とするバルトリのさすがと思わせる生き生きとした情感あふれるものになっている。

 1.「羊飼いの乙女」 2.「情け知らずの彼女」 3.「吟遊詩人」
 4.「ヴェネツィアの競艇」~競漕前のアンツォレータ、
   競漕中のアンツォレータ   競槽後のアンツォレータ   
 5.「黙って嘆こう」~5曲  6.「恨みごと」    
 7.「見上げた洒落女」    8.「昔風のアリエッタ」
 9.「チロルのみなしご」  10.「マルグリットのお話」 
11.「ニッツァ」      12.「見捨てられた魂」  
13.「スペインのカンツォネッタ」
14.カンタータ「ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク」  

       Ms:チェチーリア・バルトリ
       Pf :チャールズ・スペンサー
                   (1990.4@ウィーン)


粋でサロン風なアリエッタから、楽しい心弾むようなカンツォネッタに、その反対に悲しみに満たされた歌、そして、最後の長大でドラマテックな大作カンタータまで、バルトリのすさまじいまでの技巧と深い心情描写に耳はくぎ付け。
いろんなジャンルのオペラを残したロッシーニの幅広い音楽スタイルが、歌曲でもってこの1枚に集約されている感じ。
チェネレントラのアリアの旋律も聴こえるし、最後の大曲などは、手に汗握るような大アリアの様相で、バルトリの鮮烈で目覚ましい歌唱炸裂といった感じですごいのなんのって

バルトリさんのライブを聴いてみたいけど、そのチケットはいつも非常に高い。
それがネックながら、オペラ舞台もふくめて、一度は経験したい、チェチーリア・バルトリさまでございました。

明日もイタリア行きますよ~

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2009年9月 2日 (水)

ロッシーニ オペラ序曲集 エヴェリーノ・ピド

Jiro 「いまさら、ジロー、罪だよジロー、あたしにとって、昔は昔・・・・♪」

なはははぁ。

この行列はですな、好きな方ならすぐわかる、ジロリアンなる言葉も生まれた「ラーメン二」であります。

私の事務所からちょっと望遠にして見えます(笑)
ここに事務所を構えてもう数年経つけれど、二郎さんには、一度も行ったことがありません。
いつもこの行列だし、作法がありそうでわかんないし、歳とってきたのでキツそうだし・・・。
う~む、しかし、行ってみたいぞ。
ということで、ただ今侵攻計画中でございます。
いつかこちらでご報告が出来たらと存じます(笑)

 

Uchumeshi 二郎はまだお預けだけど、今日は「宇宙めし」を食すのだ。

>宇宙で不足しがちなカルシウムとビタミンDを配合。
パリふにゃ感覚の無重力食感グミ<

おまけに、ロシアのロケットに乗って旅した宇宙乳酸菌入りのすぐれた宇宙食なのだ

にゃはははぁ。

これ、サンクス(サークルK)限定で売ってますよ。
これ食べると、思わずこう言います。「ワレワレハ、チキュウジンデアル

Rossini_pido インパクトある食べ物ネタふたつで、力尽きそうだけど、今晩は軽~く、ロッシーニ行ってみよう。
昨晩の楽しかったイタリア・オペラの世界の延長でもあります。

ロッシーニ(1792~1868)にはいったい何曲のオペラがあるのだろう。
軽いものからシリアスなセリアまで、ほんとに短期間にたくさん書いた人だ。
私がクラシックを聴き始めたことは、ロッシーニといえば、序曲集か「セビリアの理髪師」くらい。
小学校で「ウィリアムテル」序曲は定番だけど、そのオペラでさえ全曲が録音されたのは70年代半ば。LP5枚の超大作に誰しも驚いたもんだ。
それと、序曲集といえば、カラヤン、トスカニーニ、セラフィンぐらいで、いま聴けば、オケがジャカスカ鳴る威勢のいい演奏だ。
そこに新風を吹き込んだのがゼッダを始めとするクリティカルエディションの登場。
それを演奏面で実行したのが、クラウディオ・アバドである。
余分三兄弟はすっかり取り払われ、まるで風呂あがりのようなすっきり・くっきりの明快なロッシーニ演奏が以来主流となった。
歌手たちの歌唱力の進歩、舞台演出の存在感の確立もロッシーニのブームに拍車をかけ、いまや世界中でいろんなロッシーニのオペラが聴かれるようになった。
私も乗り遅れないように、これからもロッシーニを聴こう。

 「セビリアの理髪師」「絹のはしご」「アルジェのイタリア女」
 「ブルスキーノ氏」
 「イタリアのトルコ人」「チェネレントラ」
 「婚約手形」「試金石」


    エヴェリーノ・ピド 指揮 ロイヤル・イルハーモニー管弦楽団

今晩のCDは、消費税込で315円!
例の「ロイヤル・フィルハーモニー・コレクション」の中の1枚。
これが、バカにしちゃいけません。
まったく素晴らしい演奏なんだから。
とにもかくにも、指揮者のエヴェリーノ・ピドの力量ゆえ。
ピドは、一昨年のナタリー・デセイの来日に同行し、東フィルを指揮したが、その時の鮮やかな指揮ぶりは伴奏以上のものだったし、その名前も覚えやすかったので、このCDを発見して即100円玉を数えた。
ピドについては、こちらLINDEN日記にも書かれてます。

アバドのスカラ時代、オーケストラでファゴットを吹いていたという経歴の持ち主。
まさにアバド直伝のロッシーニを鮮やかに聴かせてくれる。
ダイナミック・レンジの幅やクレッシェンドの鮮やかさはアバドには敵わないが、ピドは小気味よく、緩急の付け方が自在で、はじけるリズム感も抜群。
オペラの序曲という存在が相応しい舞台を感じさせる演奏。
ロンドンのオーケストラは、こうした音楽や指揮者への適性は抜群。
録音もいい。

どこかで、ころがっていたら是非拾って欲しいCDであります。

ちなみにこのロイヤルシリーズ、私の手持ちのお勧めは、「ハンドレーの惑星、ワーグナー、ラフマニノフ2番」、「シモノフの1812年、白鳥の湖、春祭」あたり。
まだまだめっけもんがあると思いますよ。

「アバドのロッシーニ序曲集」過去記事

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2009年6月17日 (水)

ロッシーニ 「チェネレントラ」 新国立劇場公演

Cenerentola200906



















新国立劇場公演、ロッシーニの「チェネレントラ」を観劇。
オペラはやっぱりイイ!
楽しかった、面白かった、ホロリときた、快感だった・・・、そんなあらゆる人間感情を呼び起こしてくれる。
それがオペラの醍醐味🎵

新国立劇場の出し物も、このところ巧妙を極めている。
トーキョーリングに、ショスタコ・マクベス夫人ときて、ロッシーニのブッフォときた。

今回の上演も、一流歌手が揃ったこともあり、平日なのに、かなりの観客動員だった。

わたしは久々のイタリアもの、しかもベルカントものに、まるでおいしいイタリアンをいただくかのように、次々と興ぜられる、めくるめく料理の数々をワクワクしながら楽しんだものだ

  ロッシーニ 歌劇「ラ・チェネレントラ」

   チェネレントラ:ヴェッセリーナ・カサロヴァ 
   ドン・ラミーロ:アントニーオ・シラグーザ
   ダンディーニ:ロベルト・カンディア    
   ドン・マニフィコ:ブルーノ・デ・シモーネ
   アリドーロ:ギュンター・クロイスベック   
   クロリンダ:幸田 浩子
   ティースベ:清水 華澄

  ディヴィット・サイラス指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                新国立劇場合唱団
  演出:ジャン・ピエール・ポネル   再演演出:グリシア・アサガロフ

                 (2009.6.17 @新国立劇場)


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 まずは、ご馳走を惜し気もなく振る舞ってくれた歌い手たちのことから。
これまでご覧になられた方々が大絶賛のシラグーザ、この人がまったくもって素晴らしい。
ストレートで伸びやかな声は明るく不純物がまったく見当たらない天然もので、その抜群の技巧も嫌味なくナチュラルかつスポーティな快感を呼び起こすもの。
ロッシーニのためにあるような美声が劇場にサンサンと降り注いだのだ
フレッシュなレモン果汁のようなスッキリ声。
2幕のアリアでは高音を次々と見事に決め、大喝采を浴び、後半をアンコールしてさらにハイCを大伸ばしして我々を大いに楽しませてくれた。

それと期待のカサロヴァ。大柄でスカート役が似合わない、なーんて言ったら怒られちゃうけど、そんな見た目のおっかなさは度外視して、その完璧極まる歌唱力と他を圧する声量にはただただ呆れ返るばかり。オクタヴィアンもいいけれど、ロッシーニもやはりいい。
Ki_20002091_12 ただカルメンなどドラマティックな役を歌うようになり、声が重たくなってきた気がする。
でも濃いめの赤葡萄酒の味わいのチェネレントラもいいものだ。
トリを決める最後の大シェーナは、ただでさえ大好きなアリアなのに、カサロヴァの実演で聴いてるものだから、胸が締め付けられるような感動と興奮につつまれドキドキしちゃった

 

















日本のスター、幸田浩子さんがイジワル姉さんのクロリンダ役。このオペラ唯一のソプラノで、ちょこっとしたソロはあるものの勿体ないくらいの配役。
でもですよ、さすが彼女、いくつかの重唱の場面で、耳をくすぐる美声が際立って通って聴こえる。これもまた耳のご馳走。彼女は、甘いドルチェ。
もう一人のイジワル姉さん、清水さん。かつて観たワルキューレやマクロプロス、外套などで、舞台に懐深さを提供している彼女、今回は見せ場たっぷりで、その素敵な声がカサロヴァとかぶっちゃうと気の毒だったけど、しっかりと下から支える歌声は味があった。
そして彼女は、イタリア料理には欠かせないオリーブかな。

Ki_20002091_7 彼女たち、ポネルの演出では、いじわるよりは、ユーモラスで滑稽な存在として描かれていて、その楽しい演技は主役二人より光っていたかもしれない。
でも、妹灰かぶり姫にいいとこを持ってかれちゃうと、その存在が一転、陰りあるものに変貌していまう。そのあたりの機微もこの二人実に見事だったと思う。

あと低音男声3人組。これまた芸達者な3人。
ブッフォの典型ともいえるドン・マニーフィコ役のデ・シモーネは、そのオッサン風の風貌からしてピッタリの役柄で、おもしろおかしさが見るからににじみ出てるようだし、明るい歌声に言葉の洪水、そしてクレッシェンドするロッシーニ特有の歌唱。
板についた、というのはこういうことをいうのだろうか。
このおじさんは、ちょっとしたリゾットかな。ほんのちょっと皿に盛って、濃い味を楽しんで、でもまだメインのパスタを待つっていう感じ。でもとても存在感あるし憎めないのよね。

まったく同じことが、ダンディーニのカンディアにいえる。
フィガロのような狂言回し的な素直な歌声と、憎めない存在。その動きに軽快さも欲しいが、誰しも微笑んでしまう、ナイスな従者役だった。
彼は、アンティパスト(前菜)のようでいて、しっかり主菜にもなっていて、それをつまみながら何杯もワインが飲めちゃうイイ味出してるタイプ。







それとクロイスベックのアリドーロ。一人超越的な存在の役柄だが、この人唯一のゲルマン系。深々としたバスは、なかなかに素敵。彼は、チューリヒオペラの映像に数々出てるし、バイロイトでローエングリンのハインリヒを歌うことも決まっていて、ドイツ・バス界の期待の星なんだ。
付け合わせのコントルノにはもったいない立派な声。

いやはや、これだけでお腹一杯。

Ki_20002091_5







 



でも本日の一方のおいしいメインデッシュは、故ポネルの残した名演出。
ポネルといえば、バイロイトのトリスタンの映像が脳裏に刻みこまれている私だが、それともうひとつが、「セビリアの理髪師」。
スカラ座の来日公演のテレビ放送は、いまでも覚えている。
キレのある鮮やかな登場人物たちの動きに、合唱も含めた、音楽の一音一音、強弱への巧みな反応。
クレシェンドに合わせ揺れ動く人物たちは、ロッシーニの音楽を理解し、表現し尽くしていた。
 それとまったく同じことが、今宵のチェネレントラにも言えた。
踊るような軽やかさと、弾けるような身のこなし、合唱の時に集団、時に個、そんな観ていて面白い動きに、ロッシーニの音楽が際立つ。
主役ふたりは、細かいところは自在にふるまっていたように思うが、カサロヴァさまは、動作がコワすぎか(笑)

演出の按配の詳細は、アバドのDVDで再度確認。
舞台転換は、新国の奥行ある舞台装置を駆使できたこともあってお見事。

今回はここまでで、目一杯。
舞台の詳細はここに記す能力を持ちませんです。

英国の指揮者サイラスは、オペラ練達の人。全体を巧みにまとめあげる才はたいしたもの。でも生真面目にすぎるかも。
日本のオケだからよけいにそう。
完璧な仕上がりだけど、昨今の機敏な演奏や、長く親しんだアバドの小股の切れ上がったような爽快さもない。
序曲から乗ってこなくて、そんな不満にとらわれたが、歌が入ってくると、サイラスの付けの巧みさがその不満を補ってあまりあるようになって気にならなくなった。
なかなか難しいものである。確かにオケは立派だったのだけど、弾けるような歌手たちの舞台には、もう少し違うオケピットがあっても・・・、と思った次第。

Opera_palace
そして最後に、メインのパスタは、わたしも含めた観客。
舞台に歌に、敏感に反応し、ブラボーの嵐を連呼。
久々に長いカーテンコールに、スタンディング。
最後の最後まで、大いに楽しめました

 

 

 

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2008年6月22日 (日)

ロッシーニ 「ラ・チェネレントラ」 アバド指揮

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  先週後半は、仙台~八戸~青森に出張。八戸から帰ることも出来たけれど、長時間の新幹線はツライ。
三沢空港は、いつも満席。
どうせ車だから、青森まで走らせ、青森空港を利用することに。
最終便までの間に、市内で寿司を食べても充分に間に合う。
詳細は、近日別館にてご案内。

もう、美味すぎ!
貴重品となりつつある「いか」。
コリコリで、甘い。菊を添えて食べればさらに甘い!

青森では、例の秋葉原のことが日々の話題だ。
お客さんのなかに、妹が同級だったとか、親父は○○銀行だとか・・・・。どこへ行っても、人の口は減らないもんだなぁ。

Abbado_cenerentora













ロッシーニ
(1792~1868)は、39ものオペラを書いたが、そのすべてはその生涯76歳の半ばである37歳までに書いてしまった。
その後の悠々自適ぶりは、皆さんご承知のとおり。
美食と料理の研究にあかした後半生、羨ましいやらもったいないやら・・・・・。

普段は、ロッシーニはあまり聴かない私。
唯一、アバド好きとして、アバドのものだけを聴く。
アバドはオペラ指揮者としては、ロッシーニやドニゼッティ、ベルリーニからそのキャリアをスタートさせている。
特にロッシーニは、何を振っても評価されない日本の評論家たちには、ストラヴィンスキーとともに絶賛された。
アルベルト・ゼッダの校訂を経た版を採用したその演奏は、当時とても新鮮で、この「チェネレントラ」と「セヴィリアの理髪師」は、既存盤を過去のものとしてしまう存在となった。

今でこそ当たり前となってしまったが、当時は打楽器が派手に鳴り、オーケストラも無用に厚く、厚化粧を施されたロッシーニ・・・・、ように思われた。
アバドを聴いてから、遡って過去演を聴いたから、順序は逆だけれど、アバドの演奏は、その厚化粧を取り去り、まるで風呂上りのようなサッパリとした風情が漂っている。
でもスッピンの味気なさではなくて、音楽の持つ色気や風情がニュートラルに表わされていて、新鮮かつ活き活きとしている。
いやピチピチとしていると言えようか。
明晰で、どこまでも清潔。まさに水を得た魚のようなアバドに、アバドを無能呼ばわりした評論筋は誰一人不平を唱えられない。
当時、ざまみろ!という心境だった。へへっ。

シャルル・ペローの有名なる原作「シンデレラ姫(灰かぶり姫)」。

第1幕
 時は18世紀イタリアの某所。
落ちぶれ貴族、ドン・マニーフィコの娘二人がはしゃぐなか、アンジェリーナ(チェネレントラ)は古い悲しい歌を歌っている。
彼女は、ドン・マニーフィコの後妻の娘で、今はいびられ、小間使いのようにされている。
しかも母の持参金も親父とその娘たちに使い果たされてしまった・・・・・。
 そこへ、王子の顧問アリドーロが、乞食に扮してやってくる。
姉たちは、追い返すが、チェネレントラは優しく食べ物などを与える。
王子が従者に変装して現れ、チェネエントラと一目、恋に落ちる。
 かたや、王子に変装した従者ダンディーニは、ドン・マニーフィコや二人の娘たちにちやほやされる。
チェネレントラは、先の従者会いたさに、城の舞踏会に行かせて欲しいとせがむが、ドン・マニーフィコに聞き入れられない。
偽王子の「3人いるはずの娘さんは?」との問いにも、死にましたとドン・マニーフィコ。
偽王子の気を引こうと躍起の二人の娘、そこへ先の乞食に扮したアリドーロの手助けで、宮殿に着飾って登場したチェネレントラ。

第2幕
 偽王子のダンディーニは、チェネレントラに結婚を申し込むが、彼女は従者を愛していると素直に断る。
そこへ、本物の王子が進み出て、結婚を申し込むが、チェネレントラは腕輪のひとつを渡してその場を走り去る。
ドン・マニーフィコは、偽王子に従者です、と身分を明かされ唖然と・・・。

 何事もおきず、元通りになってしまい嘆くチェネレントラ。
二人の姉がまた辛くあたる。
(この時期のオペラにつきものの、派手な嵐のシーン)
雨を避けて、王子とダンディーニが立ち寄る。
チェネレントラの腕輪を認め、よく見ようとする王子だが、あっちへ行ってろと意地悪親父が・・・。
さすがに王子は怒り一喝。
それでも、親や姉をとりなす心優しいチェンレントラ。

宮殿では、許されたドン・マニーフィコと姉たちを、抱擁してチェネレントラは歓びとともに、素晴らしいアリアを歌ってハッピーエンドで幕。

   ロッシーニ 歌劇「ラ・チェネレントラ」

     チェネレントラ:テレサ・ベルガンサ   
     王子ドン・ラミロ:ルイジ・アルヴァ

     ダンディーニ:レナート・カペッキ    
     ドン・マニーフィコ:パオロ・モンタルソロ

     クロリンダ :マルゲリータ・グリエルミ 
     ティスベ :ラウラ・ザンニーニ

     アリドーロ :ウーゴ・トラーマ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                スコテッシュオペラ合唱団
          チェンバロ:テオドル・グシュルバウアー
              (1971.9 @エディンバラ)

先に書いたとおりのアバドのスマートな指揮に、ニュートラルなロンドン響が実にいい。
後年のウィーンフィルとのロッシーニでは、オケがはみ出してしまうこともあって、それもいいが、ロンドン響は、まさにアバドの手足となって、この粋な演奏の一躍を担っている。
両者のつくり出すロッシーニ・クレッシェンドは、極めて幅が広く唖然とするほど見事にきまる。

歌手は、今でこそ、バルトリという超絶歌手が出てしまったが、当時はベルガンサが随一の存在。
ちょっと大人びた風情と少しの色気が、とてもいい。装飾歌唱の自然さとその技巧も素晴らしい。
のちに、カルメンを歌うようになることが信じられない。
 ほかのベテラン歌手たちの芸達者ぶりも見事だが、ちょっと古臭く感じることも・・・・。
姉役のグリエルミは、クライバーのボエームのムゼッタだったな・・・。

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72年の発売時の広告。
ついに出た、アバドのオペラ、ロッシーニ!

レコード産業は、ピークを数年後に迎えつつあった。

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2007年8月24日 (金)

ロッシーニ スターバト・マーテル ジュリーニ指揮

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夏の生花。
淡い花々ばかりが集められた。

実家にて私が撮影。コンパクトデジカメでも、結構キレイでしょ。

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ロッシーニ(1792~1868)は、38歳までに39ものオペラを作曲し、以降はオペラを一切書かず、歌曲や宗教曲、器楽曲を書いて、そして美食にまみれて過ごした。

不思議な人である。才能が枯渇した訳ではなく、劇場音楽からきれいさっぱり手を引いてしまった。

そんな後半生の名作が、「スターバト・マーテル」。
悲しみの聖母」と訳される「スターバト・マーテル」は、磔刑に死したイエスの傍らで悲しみにくれる聖母マリアに思いを馳せる賛歌。
ロッシーニ以外では、ぺルゴレージやヴェルディ、ドヴォルザークらの作品があって、いずれもレクイエムなどの厳しさと違って、優しい慰めに満ちた音楽である。

ロッシーニが二度に渡って書いたこの作品。
宗教曲というよりは、オペラの一場面でも聴いているかの気分になる。
私のような歌好きからすると、たまらない雰囲気なのだ。
「尊き御子の苦しみを見給える、慈しみ深き御母は、悲しみに沈み給えり。」
こんな歌詞を、テノール独唱が朗々と明るく歌いまくり、超高音域をアクロバテックにこなさなくてはならない。テノールの活躍はその一例で、4人の独唱者に本当に魅力的なアリア、いや違う・・・、ソロが用意されている。
その泉のようにあふれ出る旋律の洪水に、達筆だけでないロッシーニの神への情熱の吐露を感じ取ることができるものと思う。

S:カーティア・リッチャレッリ S:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
T:ダルマシオ・ゴンザレス  Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団/合唱団

ジュリーニが81年にロンドンで録音したDG盤。
数ある同曲のなかで、歌に対する敏感さと、宗教曲に対する真摯さとが見事に調和した名演奏ではなかろうか!
ロンドンのオケが、軽やかすぎずに渋い音色で応えている。
そしてなんといっても4人の歌手の素晴らしさといったらない。
なかでも当時活躍していた、ゴンザレスが超高音をラクラクと歌っていて驚かされる。
ライモンディの美声にも痺れるし、クールなリッチャレッリに、品のある今は亡きテッラーニ
名曲・名演・名録音、言うことなし。

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2006年11月21日 (火)

ロッシーニ 序曲集 アバド指揮

Abbado_rossini














今日は懐かしいまず1枚を。
アバドが1975年にロンドン交響楽団と録音した「ロッシーニの歌劇序曲集」、ロンドン響と蜜月時代の幸せを感じさせる演奏。

  「セビリアの理髪師」 「チェネレントラ」 「どろぼうかささぎ」
  「アルジェのイタリア女」 「ブルスキーノ氏」 「コリントの包囲」

 

理髪師とチェネレントラ(シンデレラ)は、71年の全曲録音からとられていて、ちょっとズルイかな。でも演奏はそんなことを抜きにして、素晴らしすぎてウキウキしてしまう。

 アバドがアルベルト・ゼッタの改訂版で、当時よりオリジナルに近いと思われたロッシーニ演奏を打ち出す前までは、大オーケストラで過剰な響きに満ちた重ったるいロッシーニ演奏が当たり前だった。それはそれで、ブッファの伝統的解釈としてドタバタと楽しいものであったろう。
 でも、アバドの「チェネレントラ」と「セビリア」が登場した時、その清新な響きに、皆驚かされたであろう。 そしてこの序曲集は、全曲盤より広く聴かれたはずで、余分な脂肪をそぎ落とし、すっきり爽やか、軽快かつ心地よい響きに気持ちよい思いをした方も多いに違いない。今聴いても、どこまでもよどみない歌は美しく、一緒に口笛を吹きたくなるような歌心に満ちている。いわゆるロッシーニ・クレッシェンドは、弱音で歌うアバドの面目躍如たるもので、完璧に決まっている。アバドを優等生とか面白味がないという方には、チェネレントラ」序曲でも聴いていただきたい。いつ幕が開いてもおかしくない劇場の感興に満ちている。

Abbdo_rosiiini  








ジャケットもセンス溢れる素敵なものだった。最近国内廉価盤で、オリジナルが復活した。これが1000円で買えちゃう、嬉しいけれど、複雑な気分。こちらは、私の持つ再発レコード。2000円でも廉価盤だった・・・・。

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1978年にどうしたことか、RCAにロンドン響と録音したロッシーニ。
 「セミラーミデ」 「絹のはしご」 「イタリアのトルコ人」
 「セビリアの理髪師」 「タンクレディ」 「ウィリアム・テル」
規模の大きな序曲もあり、録音もキングスウェイ・ホールでRCAということから、こちらはやや響きが壮麗。でも小気味良さは変わらない。

Abbado_rossini_eco








1989年若い手兵「ヨーロッパ室内管」と再び録音。
 「セビリアの理髪師」 「セミラーミデ」 「アルジェのイタリア女」
 「ウィリアム・テル」 「チェネレントラ」 「絹のはしご」 「どろぼうかささぎ」
実に3度目の録音もある、このCDは前2作をミックスしたような選曲。
テンポも速まり、小回りのより効いた自在な演奏。鮮度はやや後退したが、若い演奏者たちとのコラボを楽しんでいる様子が目に浮かぶ。

最近のロッシーニ演奏が、どういう状況にあるか、私には不明だが、これらのアバドの演奏はひとつのスタンダートであり、トスカニーニやカラヤン、ムーティらとも全く異なった個性的な演奏だと思う。

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