ロッシーニ 序曲 アバド指揮
七夕の準備の進む平塚市。
繁華街の公園では、園児たち、小学生たちの七夕のぼりが鮮やかに展示されてます。
今週末には、3年ぶりの本格七夕まつりが開催。
コロナで待ち望んでいた仙台ともリンクした平塚の伝統あるお祭り。
子供時代は毎年狂喜乱舞したお祭りで、両親へのわがままも、ことさらに通る贅沢な瞬間でした。
暑すぎのアバド生誕週間でしたが、その後、台風までも参戦し、天候は急転直下の日々。
すっきり、晴れやか気分にさせてくれるアバドのロッシーニ序曲集を聴く。
ヨーロッパ室内管との演奏は今回あえてスルーして、ロンドン響とのものを、曲もセリアでなく、ブッファを選んで聴きました。
ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」序曲
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
(1975.2 @ロンドン)
ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」 序曲
クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
(1978.05 @キングスウェイホール、ロンドン)
アバドが70年代に、年をあまりおかずに録音したロッシーニの序曲集。
わたくし的には、最初のDG盤がジャケットもステキで、思い入れが強いのですが、全6曲中、セビリアとチェネレントラが全曲盤からの使いまわしというところがやや残念なところで、あえて再録して欲しかったな、と。
しかし、75年の2月は、あの「春の祭典」が録音された同時期にあたるものです。
ロッシーニを軽やかに指揮するがごとく、ハルサイをもいとも簡単に俊敏に演奏してしまったアバドとロンドン響。
名門ロンドン響の腕っこき奏者たちがアバドに夢中になってしまった。
そんな颯爽としたアバドの指揮ぶりが、ここに聴かれて、いま40年以上も経っても爽快このうえなし。
78年に、RCAレーベルに入れたロッシーニとヴェルディの序曲集も、大学生になった自分は学校の生協で購入して、来る日も来る日も聴きました。
セミラーミデとウィリアムテルという巨大セリアの序曲をここに選んだように、スケール感を増した演奏ぶりで、キングスウェイホールの厚い響きもセリア系序曲やヴェルデイの音楽には相応しいものでした。
でも、ブッファ系の軽やかさは相変わらずで、セビリアの理髪師にいたっては、そのまま流用した「イギリスの女王エリザベッタ」の序曲を選曲するというこだわりぶりで、しかも相変わらずのすっきり感とノリの良さ。
ロッシーニの音楽に、生真面目に取り組み、ユーモアよりは歌い口の美しさと軽やかさ、透けるようなシルキーな響きをもたらしたアバドの真骨頂がここに聴かれます。
ロンドン響とのこの2枚に比べると、ヨーロッパ室内管との録音は、より自在になり、テンポも快速で、若い手兵とロッシーニの音楽をひたすら楽しんでいる風情があります。
より晩年に、マーラー・チェンバーとかモーツァルト管とやってくれたらいったい・・・・そんな思いもよぎるアバドの鮮度高いロッシーニでした。
1813年、21歳のときの「アルジェのイタリア女」では、イタリア女に惚れこんだアルジェの太守を滑稽に描いた、当時大人気のトルコ風なエキゾチックなお笑いオペラ。
そして、こんどは、その逆パターンを1年後に作曲。
ここでは、トルコの王子がイタリアに乗り込んで引き起こす色恋沙汰。
アバドは、「アルジェ」はレパートリーにしていたが、トルコ人は指揮しなかった。
ほかには「セビリア」「チェネレントラ」「ランスへの旅」と全4作のみ。
ヴェルディとともに、もう少し、ロッシーニのオペラも残して欲しかったと思いますね。
七夕の日に、爽快なアバドのロッシーニを。
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