スクリャービン 交響曲第3番「神聖な詩」 キタエンコ指揮
霧雨にけぶった、みなとみらいへの眺め。
開港時の景色とは、明らかに違いますが、ここ、横浜は、いまも進取の気性にあふれた、高感度の街です。
そして、わたくしには、この街は、後期ロマン派的な場所とも思えるんですよ。
スクリャービン 交響曲第3番 「神聖な詩」
ドミトリー・キタエンコ指揮 フランクフルト放送交響楽団
(1994 @フランクフルト)
今年は、アレクサンドル・スクリャービン(1872~1915)の没後100年。
モスクワ生まれ、途中、西欧に過ごしたが、モスクワに病死したスクリャービンは、43歳という短命でした。
もう少し、長く生きていたら、相当に面白い作品たちが生まれたはず。
その生涯に、作風が見事に変転していったからであります。
同時代人に、ラフマニノフ(1873)、シェーンベルク(1874)、ラヴェル(1875)などが、いますが、その変化っぷりは、シェーンベルクに等しいものがいえると思います。
ピアノの名手でもあったことから、ショパンやリストの影響下にあった前期。
そして、後期は、ニーチェに心酔し、神秘主義へと、その音楽も変化させてゆき、神秘和音を編み出し、やがて、視覚と聴覚に訴えかける作品(プロメテウス)も生み出すようになる。
さらに拡張して、五感を呼び覚ます長大な劇作品をも手掛けたが、未完。
どうです、その先、どうなっていったか、むちゃくちゃ興味ありますよね。
日本では、ピアノ作品は、さかんに取り上げられますが、オーケストラ作品では、4番の「法悦の詩」ぐらいしか、あまり聴かれないのではないでしょうか。
欧米でも、せいぜい、5番「プロメテウス」と、そして、3番「神聖な詩」ぐらい。
50分あまりを要する、この大規模な交響曲は、先に書いた作風の変化の、ちょうどターニングポイントみたいな曲で、素材からして、神秘主義的な傾倒のあらわれが見受けられます。
その音楽も壮大かつ、濃厚なロマンティシズムのなかに、怪しい不思議感をも感じさせ、とても魅力的なんです。
ちなみに、リッカルド・ムーティが、この作品をとても得意にしていて、盛んに取り上げておりました。
エアチェック音源でも、ウィーンフィルやバイエルンとのものを愛聴してますよ。
1904年の完成で、妻を捨ててまで、同じ神秘主義仲間(?)のタチャーナ・シュレーゼルと同居し、さらに西欧へもしばしば出かけていた時分。
ニーチェからの影響のあらわれか、連続する3つの楽章は、それぞれ、フランス語で、「闘争」、「快楽」、「神聖なる戯れ」とタイトルされております。
曲の冒頭に、威圧的ともとれる序奏がついていて、これが全曲通じて出現するモットーとなってます。
1楽章は、このモットーがかなり威勢よく鳴り響く一方、活気ある主題も印象的で、約26分の長大さも、飽かずに聴くことができます。
わたしが、たまらなく、好きなのは、濃密な2楽章で、これが、「快楽」なのかしらと、思える、イケナイ雰囲気は、甘味料もたっぷり。
ときおり、だめよダメダメ的な警告音も入りますが、このトリスタン的な世界は、ともかく魅力的でアリマス。
甘味な思いに浸っていると、曲は止まることなく、すぐさま、トランペットの早いパッセージでもって「神聖なる戯れ」に突入。
そう、この作品は、全般に、トランペットが大活躍するのです。
「法悦の詩」でもそうですが、輝かしさと、狂おしさ、ともどもの表出は、スクリャービン作品では、この楽器がキーポイントです。
独奏ヴァイオリンが、「快楽」の思いでをちょいと奏でますが、すぐに、トランペットに否定されちゃいます。
そう、快楽はほどほどに、神聖の儀なのでアリマス。
曲は、全楽章を振りかえりながら、金管を中心に、カッコよく展開し、だんだんと崇高の境地に至ってまいります。
最後のフィナーレは、めちゃくちゃ盛り上がりますぜ!
キタエンコの指揮は、ロシア的な分厚さや、押しつけがましさが一切ない、西欧風なものでありながら、しっかりした音のうねりを感じさせる点で、まったく素晴らしいものです。
インバルに続いて、ふたつのスクリャービン全集を録音した、フランクフルトのオーケストラの優秀さについては申すまでもなく、トランペットも突出することなく、全体の響きのなかに溶け合っていて、ドイツのオーケストラであることを実感させます。
この曲のあとに、4番「法悦の詩」を聴くと、スクリャービンの変化をさらに感じることができます。
スクリャービン過去記事
「交響曲第1番 キタエンコ指揮」
「交響曲第4番 アバド指揮」
「交響曲第4番 アバド指揮」
「交響曲第5番 アバド指揮」
「ピアノ協奏曲 オピッツ」
「ピアノ協奏曲 ウゴルフスキ」
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