カテゴリー「ワーグナー」の記事

2021年8月25日 (水)

ワーグナー・テノールをいっぱい聴く

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お盆の前、オリンピック閉会式の日の東京タワー。

ひまわりたくさん、夜でもきれいに撮れました。

デジカメより、スマホの方が簡単にキレイに撮れるという、なんともいえない気分ですが。。。

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自分の愛用するデジカメがもう古いな・・と思う、今日この頃。

でも、古きものにも、良きことあり。

そう、戦後以降からにしますが、ワーグナーを歌うテノールを聴きまくりました。
そっくり、バイロイトで活躍した歌手たちを振り返ることとなりました。
キャラクター・テノールは除外させていただき、主役級を歌う歌手ということで。

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まずは、なんといってもウォルフガンク・ヴィントガッセン
ベームのトリスタンとリングで、ワーグナーにのめりこんでいった私にとって、ヒーロー役はみんなヴィントガッセンだった。
戦前の重ったるい古めかしい歌唱とは、一線を画した気品あふれる歌、ずば抜けた底力あふれる声に、ワーグナーの音楽とはなんたるかを、私の耳に刻み付けてくれた。
ゆえに不器用なところもあり、そこを活かしたオルロフスキー公やローゲなど、味のあるところもみせてくれました。
50~60年代のトリスタンやリングの音源は、ほとんどがヴィントガッセンで、あとはニルソンやヴァルナイだったりします。

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ラモン・ヴィナイは、バリトン→テノール→バリトンと声域を変えて活躍した稀有の存在。
しかも、オテロとイァーゴの両役を持ち役にしていたというマルチぶりで、まさにオオタニサン状態。
トリスタン、タンホイザー、パルジファルなどの音源を聴いてますが、ほの暗い声に帯びる高貴さは素晴らしく、ワーグナー諸役にうってつけ。チリ出身というのも信じられないところ。

ハンス・バイラーハンス・ホップ、ふたりのハンスさんもここに記すべきヘルデンテノールですが、いまの耳で聴くとやや古めかしく感じるかもしれません。

・シャーンドル・コンヤは、ローエングリン、ヴァルター、パルジファルを得意にしたほか、ヴェルデイとプッチーニも持ち役にした、明るめな色調の、いまでも通じる歌唱力を持った歌手だった。
ラインスドルフとのローエングリンは完全全曲盤だし、ボストン響のワーグナーということで貴重な録音。

・ジェス・トーマス、アメリカ出身のヘルデンテノールとして大成功した先人。
アメリカで、大学時代には心理学を専攻していて、その声の良さを認められて歌手の勉強をしたというキャリアの持ち主で、ドイツに渡ってからもイタリアものばかりだったという。クナッパーツブッシュの61年パルジファルでバイロイトデビューしてから、ワーグナー歌手として活躍を始めた。
60年代のトーマスの輝かしさ・神々しい歌声は、いまでもほんと魅力的。

・ジェームズ・キング、トーマスと同じくアメリカが輩出した傑出したテノール。
わたしにとって、P・ホフマンと並ぶ、最高のジークムントで、最高の影のない女の皇帝役。
バリトンからスタートしたこともあるように、やや暗めの声に情熱的な歌唱は、悲劇的な役柄にぴったりだった。
不思議とカラヤンとの共演が音源含めないように思えますが、ジークフリートやトリスタンには挑戦しなかったのもキングらしいところ。
バーンスタインとジークフリートにチャレンジした音源を持ってますが、やはり、キングはジークムントだな。

・ジョン・ヴィッカース、カナダ出身で、最初は医学生を目指した、こちらも変わり種。
強靭な声ではないが、カラヤンに愛され、「完璧なフォルティシモとピアニッシモを兼備したテノール」と絶賛されていたという。
ちょっと褒めすぎとも思うけど、カラヤンやショルティにとって、ワーグナーやヴェルディには絶対になくてはならないドラマテックテノールだった。
バイロイトには、パルジファルとジークムントで、2年しか登場しなかった。
ちょっとクセのある声。

・ルネ・コロ、ヴィントガッセン後、ドイツの生んだ最高のテノールと確信。
オペレッタやポップスからスタートして、トリスタンやジークフリートを歌うヘルデンテノールになった、広大なレパートリーを持つ、知性あふれる美声の持ち主。
ジークムントとローゲを除いて、リエンチまで入れてワーグナーの主要テノールの役を全部録音した唯一のテノール。
コロも、カラヤン、ショルティに多く器用されることで、多くの全曲盤が残されることとなりましたが、私が好きなのは72年にスウィトナーと録音した2枚のCDで、ほぼすべてのワーグナー諸役をここで聴けます。
まだまだ若々しく、やや生硬な感じも残るフレッシュな歌唱は、いまでも素晴らしい。
同じころだと思うが、プッチーニやイタリアオペラのアリアも録音していて、日本では一度も発売されたことがなく、復刻して欲しい。
自慢としては、日本を愛してくれて、多くの実演に接することができた。
タンホイザー、ヴァルター、ジークフリート、パルジファル、ソロで詩人の恋、引退コンサートなど。
トリスタンだけ逃したのが無念なり。

フリッツ・ウール、ヘルミン・エッサー、ヘルゲ・ブリリオート、ジェイムス・マックラッケン、ローベルト・シェンクなどなど、まだたくさん。

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ジーン・コックス、アメリカ出身で、空軍のパイロットで世界大戦にも参戦してたらしい。
ヴィントガッセンのあとの70年代のバイロイトを支えたテノールで、マンハイム歌劇場をずっとホームにして、ミュンヘンでも活躍。
ホルスト・シュタインのリングで、ずっとジークフリートを歌い、唯一の録音であるヴァルターや、パルジファル、ローエングリンも歌っている。
ヴィントガッセンのあと、コックスのジークフリートばかりを聴いて、ワーグナーファンになっていったので、コックスは今でもとても好きです。
厳しい評論筋には、けちょんけちょんにされてしまうけれど、コックスの健康的なジークフリートはクセもなく、明るく爽快で。
最期は、バイロイトで亡くなったというのも、この歌手らしいところです。

・ペーター・ホフマン、スキャンダル的な大騒ぎとなった76年のシェロー・ブーレーズ、フレンチリングで、唯一といっていいくらいに喝采をあびた、ホフマンのジークムント。
バイロイトデビューのホフマンは、陸上競技のアスリート出身で、鍛え抜かれた身体と身体能力の高さも、舞台映えする容姿とともに、その張り詰めたピンとはったストレートボイスは、われわれワーグナー好きを虜にしてしまいました。
ジークムント、ローエングリン、パルジファル、トリスタン、ヴァルターを歌い、タンホイザーはバイロイトでも記録がありません。
実演は聴けなかったけれど、コロとともに、私の大好きなワーグナー歌手です。
パルジファルで、実際の槍をを手で受け止めたのは、ホフマンならでは!

・スパス・ヴェンコフ、法律家、ヴァイオリニスト、スポーツ選手などの多彩な顔を持つブルガリア出身のテノール。
東側だったこともあり、西側へのデビューはやや遅れ、なんといっても、カルロス・クライバーのトリスタンの3年目を救ったヴェンコフ。
突如現れたヴェンコフの力強い声に、当時大いにしびれたものです。
日本にも何度か来日してますが、ブロムシュテットとN響のワーグナーコンサートを聴いた覚えがありますが、ごく少しの登場で、トリスタンとタンホイザーのほんのさわりみたいに記憶します。席が遠く、記憶もちょっと曖昧なのが残念。
ウィーン国立歌劇場のトリスタンで登場を予告されながら、降りてしまったのも残念な思い出です。
やや陰りを帯びた銀色のような声のヴェンコフのトリスタンは、やはりいまでも素晴らしいと思います、特に3幕。

・マンフレート・ユンク、地味ですが、ジーン・コックスと同じように、この歌手もバイロイトのジークフリート役を長く担当し、急場を救った人です。
ブーレーズのリングの2年目から、ショルティ、シュナイダーのリング、パルジファル、さらにはローゲにミーメまで、長らく活躍。
親しみやすいほっこりした声は、健康的なジークフリートだったし、無垢のパルジファル、さらには味わい深いミーメなど、忘れがたい歌手のひとりです。

・ライナー・ゴールドベルク、本番に弱いとかさんざん言われ、実際、大きな舞台でやらかしてる。
ショルティのバイロイトリングでも降りちゃったし、マゼールのウィーン国立歌劇場音楽監督就任のタンホイザーでも不調だった(と読んだ記憶あり)。でもレコーディングには恵まれ、レヴァインやハイティンクのリングにも登場。
やや、喉に詰まったような硬質な声だけど、力強さとハリのある高音はなかなか魅力的で、私はスウィトナーのマイスタージンガーでのヴァルターを観劇してます。(そのときの、アダムとシュライヤーが最高だった)

・ジークフリート・イエルサレム、ファゴット奏者からヘルデンへ。
フローや水夫などの軽い役からスタートし、ローエングリン、パルジファル、ジークムント、そしてその名の通り、ジークフリートやトリスタンへとステップアップしていく様子を、バイロイト放送や多くの録音を通じて、つぶさに体感できた歌手で、この人も自分には親しい存在。
ソロアルバムは、デビュー時に1枚あるのみかもしれないが、CD化されてない。
この人は舞台で燃えるタイプだと思います。丸みを帯びた力強い声は、ハマるとしびれるような興奮を聴き手にもたらしてくれる。
ベルリン・ドイツ・オペラのリングでは、ジークムントを聴いてますが、ともかく凄い熱演・熱唱でした。
降り番のときに、ロビーで談笑するその真横に立ちましたが、ともかく背が高い!
あともう一度、ジークムントは、リザネックとの共演で、ガラコンサートで経験。いい思い出です。

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・ヨハン・ボータ、90年代に突如あらわれた南アフリカ出身の歌手。
イタリアオペラも全般歌い、シュトラウス、ワーグナーも等しく歌い、レコーディングも多い。
クリアボイスで抜けのよい高音域は魅力的だったが、早逝が悔やまれる。

・パウル・フライ、アイスホッケー選手だった変わり種。
ヘルツォーク演出の冬のローエングリンをずっと担当し、その時期はレコーディングもそこそこあり。
この歌手もクリアボイスで、やや頼りなく感じるナイーブなローエングリンだった。

・トレステン・ケルル、ドイツ出身で、死の都のパウルのスペシャリスト(と思ってる)
ややこもった声ながら、バリトンがかった中音域から低域の暗めな響きが魅力的。
そこから、エイっと引き上げる高音域が特徴で、かつてのジーン・コックスを思わせる。
タンホイザーもあたり役。死の都、カルメン、グレの歌などを実演体験済。

・ジョン・トレレーヴェン、英国産のヘルデン。
ラニクルズのトリスタンのみが全曲録音で、なかなか聴かせる中音域は、3幕での破壊力が最強だった。
新国のイドメネオで実演体験済み。
戦前のテノールがよみがえったような感じ、でも悪くない。
新国でジークフリートを歌ってる。

・ポール・エルミング、デンマーク出身。
バリトンからスタートしただけあって、余裕のある低中音域をベースに、輝かしい高音域はとても魅力的だった。
ジークムントとパルジファルでバイロイトを支えた。
私も、両方のタイトルロールを実演で聴けました、とても好きな歌手です。
アンフォールーーターースの雄たけびは最高に素晴らしい!
アルブレヒト指揮のパルジファル(クルト・モルのグルネマンツ!)、シュタイン最後のN響パルジファル、バレンボイムのワルキューレでいずれも感銘を受けました。

・プラシド・ドミンゴ、このスーパー・テノールも、当然ながらワーグナーもレパートリーにした。
全曲盤がない役柄もあるが、ワーグナーのすべてのテノール役を録音している。
ヨッフムのマイスタージンガーが初ワーグナーだったと思うが、どうもわたしには、ドミンゴのテカテカした声と分別くさいほどの知的歌唱がワーグナーにおいては、あまり好きではないです。
それでも、メトの来演で、ジークムントを聴いて満足の極みだったというげんきんの極みの自分。
余芸でバイロイトでもワルキューレを指揮したけど失敗に終わった。

・ロバート・ディーン・スミス、アメリカ産、リリカルな役柄でスタートして、ついには有能なトリスタンとなった。
ヴァルター、ローエングリンにジークムント、トリスタンとバイロイトでは大活躍。
日本にも何度か来日してたけど、新国でジークムントを聴いてまして、そのときのフンディングがマッキンタイアだったのもいい思い出です。
キリリとした、すっきり系のテノール。
最初はスリムで舞台映えもよかったけど、だんだんとお腹ぽっこりに。

・ベン・ヘップナー、カナダ生まれのヘルデン。
90年代に大いに活躍し、高貴さ漂う声は安定していて、大柄な割にスマートで凛々しい歌唱だった。
日本には来てないかもしれないが、多くの巨匠から愛用されて、レコーディングはたくさん。
自分的にな、アバドのトリスタンがヘップナーだったので、何度も書いてますが、正規発売を熱望。
ヘップナーは2015年に引退してしまいました。

エンドリヒ・ヴォトリヒ(早逝してしまいましたが、新国でジークムント観劇)、アルフォンソ・エーベルツ、ウィリアム・ペルなどもバイロイトで活躍。

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・ペーター・ザイフェルト、ルチア・ポップの旦那さんだった歌手。
モーツァルト歌手的なイメージからスタートして、やはり、軽めの役柄から入り、ヴァルター、ローエングリン、パルジファル、ジークムントとたどって、ついにはトリスタンも立派に歌うようになった。
トリスタン役、どうだろうと思ったが、これがまた実に立派で、リリカルななかに、独特の高貴さがあり、一方で甘く優しい中音域も素晴らしい~ウィーン国立歌劇場のストリーミングを視聴。
ザイフェルトは、バイエルン来演のときにヴァルターとエリックを観劇。

・トマス・モーザー、アメリカ生まれでその後ウィーンへ。
最初はモーツァルト歌手だったと思うが、90年代にヘルデンの声域まで歌うようになり、主にウィーンで活躍。
バイロイトには出ていないはずだが、ティーレマンのトリスタンがCD化されて、そのブリリアントな声に驚いたものだ。

・ロバート・ギャンビル。こちらもアメリカ生まれの歌手。
モーザーと同じく、モーツァルトやロッシーニ歌手としてスタート。
実は、ワタクシ、もうかれこれ30年以上まえ、唯一のウィーン訪問でフォルクスオーパーで魔笛を観劇。
そのときのタミーノがギャンビルだった。ぴか一の美声でひとり目立ってました。
その後、驚くべきことに、タンホイザー歌手としてギャンビルの名前とドレスデン国立歌劇場の来演でその声を聴いたときに驚いたものです。
モーザーと同じく、トリスタンまでレパートリーを広げました。

・ウォルフガンク・シュミット、バイロイトで18年にもわたり活躍した歌手で忘れてはならない存在。
レヴァインとシノーポリのリングでずっとジークフリートを歌い、タンホイザーとトリスタンも歌った。
さらに、ユンクと同じく、ミーメ役としても帰ってきた。
ちょっとクセのある声だが、破壊力とパワーは抜群だし、小回りも効く器用なヘルデン。
わたしのシュミット実演は、ドレスデン来演でのジークムント、キャラクターテノールとしての体験は、新国サロメのヘロデとミーメ。
当時のblogを読み返してみたが、ヒッヒッヒのミーメでなく、ウッヒッヒッヒのミーメと書いてあり笑えた。

・クリスティアン・フランツ、われわれ日本人にとってお馴染みの歌手のひとりだろう。
バイロイトでは、ティーレマンのリングのときのジークフリートで、ほかの劇場でもジークフリートのスペシャリストみたいな存在。
クリアな声で明晰、明るめな天真爛漫のジークフリートは、スタミナも十分で最後まで元気。
新国でジークフリートを2サイクルと、バレンボイムのトリスタンなどを観劇、いずれも文句なし。
息の長い歌手で、来年のびわ湖ではパルジファルを歌う予定。

・ヨナス・カウフマン、ミュンヘン生まれのいまやスーパー・スター。
経歴を見てみたら、ホッターとキングに学んでいるとのことで、カウフマンの言葉にのせる歌唱力の高さとバリトンがかった厳しい声が、なるほど、という思いがしました。
役柄への挑戦も慎重かつクレヴァーで、徐々に重い役柄に挑戦し、ローエングリンから、ついに今年はトリスタンを歌う歌手になった。
ドイツもの以外でもひっぱりだこで、ラダメス、オテロ、カヴァラドッシ、ホセなど映像もCDもたくさんだけど、バイロイトは1年のみ。
人気がありすぎて、ちょっとワタクシは引き気味だったけれど、今年のトリスタンを視聴して、やはりカウフマンは凄いな、ということになりました。

・ステファン・グールド、アメリカ生まれのヘルデンで、いまやバイロイトはおろか、世界のワーグナー上演に欠かせない歌手。
大柄で舞台映えもするが、スマートなカウフマンやフォークトに比べると、ちょっとデカすぎ。
その体格どおりに、声のパワーは抜群だが、繊細な歌いまわしや心理描写もうまく、知的な歌手でもある。
バイロイトでは、タンホイザー、ジークフリート、トリスタンを歌っていて、日本でも数多く舞台に立ってます。
わたしは、新国で、フロレスタン、オテロ、トリスタンを観劇、いずれもとんでもなく素晴らしかったが、ジークフリートは観ることができなかったのが残念。

・クラウス・フローリアン・フォークト、北ドイツ出身で、ハンブルクのオケでホルン奏者だった経歴を持ち、そのあたりイェルサレムに似てる。同時に歌もはじめ、最初はモーツァルトやドイツロマンティックオペラの軽めな役柄からスタートし、なんといっても2007年、カタリーナ・ワーグナー演出のマイスタージンガーでヴァルターを歌ってバイロイトデビューして、脚光を浴びた。
そのデビューをFMで聴いた自分は、その軽めな声に、ずいぶんと頼りない声だな、なんて不遜なことをつぶやいてました。
しかし、その後フォークトを次々に聴いて、どんな役柄でも、フォークトならではの声と歌い口で自分のものにしてしまう、その実力と歌唱の力に感服するようになりました。
ともかく美しい声で、そのしなやかさはヴィロードのよう。馬力もあってオケや合唱、ほかの歌手のなかにあっても、しっかりとその声を響かせ聴き手に届けることができる。
今年のジークムントもスマートかつ明晰な歌で、悲劇臭は薄いものの、実に新鮮なジークムントとなりました。
フォークトがトリスタンやジークフリートを歌うことはまずないと思いますが、2枚のソロアルバムでは少し聴けます。
ハンサムで子煩悩なところも、フォークトさん好印象です。

・アンドレアス・シャガー、オーストリア出身のヘルデンで、バレンボイムに多く起用されるようになって、メキメキと成長し、バイロイトの次期ジークフリートを担うようになった。
ちょっと楽天的な声なところも感じるけど、声に厳しさが増せばさらによくなる歌手だと思います。
今後に注目のシャガーさん、実演で早く聴いてみたい。

カウフマン、グールト、フォークトが、今現在の3大ワーグナー・テノールだと思います。

ここでは、書けなかったけれど、ランス・ライアン、クリストファー・ヴェントリス、ステファン・フィンケ、サイモン・オニール、ステュワート・スケルトンなど、いままでも、これからも私たちを魅了してくれることでしょう。

日本人歌手については、またの機会に取り上げたいです、なんたってお世話になりましたし、心強かった!

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もうひとつのタワー、スカイツリー。
竹芝桟橋から撮りましたので遠いですが、これはこれで美しい。

ずいぶんと長文を書いてしまいました・・・・

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2021年8月 6日 (金)

ワーグナーの夏

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お台場に設置されている聖火を見てきました。

オリンピック反対を訴えていたマスコミは、日本人選手の大活躍に手のひら返しを行い、夢中になって放送を続けております。

まぁ、そんなことになるだろうとは思ってました。

わたしは、やるんなら、堂々と胸はってやってしまえと思ってましたし、開会式のあのショボい日本感のない演出はともかくとして、世界の選手たちの晴れやかななお顔を見て、やっぱりよかったと思いましたね。

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そして、一方、わたしには、ワーグナーの夏が帰ってきました。

昨年は軒並み公演中止だった。
この夏は、各地でワーグナーが堰を切ったように上演されていて、やはり世界はワーグナーを求めていたんだと痛感。
ちなみにバイロイトでは、客数は50%以下で上演。

いくつかの上演を動画含めて視聴したので、簡単にあげときます。
演出の内容などは、まだ理解に及んでないので、いずれまた書くかもしれません。

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バイロイト初の女性指揮者、オクサーナ・リニフが2021年のプリミエ作品、「さまよえるオランダ人」を指揮しました。
ウクライナ出身で、母国でピアノ、ヴァイオリン、フルートと指揮を学び、2004年26歳で、バンベルク響のクスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで3位となり、ジョナサン・ノットの元でバンベルクの副指揮者となります。
ちなみに、4年ごとに行われるこのコンクールは、その2004年が初回で、優勝者はドゥダメルです。
ドイツ各地で学び、ウクライナではオペラも指揮、さらにペトレンコのバイロイトリングでは、助手もつとめ、バイエルン州立歌劇場でも指揮をして、オペラ指揮者として頭角をあらわすようになり、2016年には、グラーツ歌劇場の音楽監督となりました。

  ワーグナー 「さまよえるオランダ人」

          ダーラント:ゲオルク・ツッペンフェルト
     ゼンタ:アスミク・グリゴリアン
     エリック:エリック・カーター
     マリー:マリアナ・プルデンスカヤ
     舵手 :アッティリオ・グラサー
     オランダ人:ジョン・ルントグレン

  オクサーナ・リニフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
              バイロイト祝祭合唱団

     演出:ディミトリ・チェルニアコフ 

        (2021.7.25 バイロイト祝祭劇場)

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リニフの指揮に加え、歌手では、いまや引っ張りだこのグリゴリアンもバイロイトデビュー。
さらに、こちらも各劇場で引く手もあまた、チェルニアコフ演出がオランダ人で登場。

そのリニフさんの指揮が驚きのすばらしさで、全曲に渡ってどこもかしこも的確で、気の抜けたところは一切なし。
こうして欲しいと思うところは、自分的に納得のできる落としどころになっていたし、音楽のニュアンスがとても豊かで、ドラマティックな盛り上げにも欠けていなかった。

歌手では、グリゴリアンの力いっぱいの歌唱が目立ち、頑張りすぎー、と思うくらい。
もともと、彼女は、その演技も含めて、かなり役に没頭するタイプなので、ゼンタのような夢見心地と倒錯感ある役柄には向いてます。
今後、ジークリンデとか、飛躍してクンドリーなんかも聴いてみたい。
ツェペンフェルトの安定感と、初登場のカーターさんエリックもよかった。
ルントグレンのオランダ人は、この人、これまでウォータンで聴いたり、新国でスカルピアを聴いたりもしてるが、そのときのイメージ通り。
破壊的な声で、ちょっと大味、宿命を背負った深刻さや、気品はいまいち。

合唱団は演技だけで、実際は別室で歌ったというのもコロナ禍のバイロイトならでは。

もっとも、チェルニアコフ演出が、オランダ人もゼンタも、社会やその町から疎外された人物と描いているから、それに即した歌いぶりでもあるので、各歌手は演出上の役柄にピタリとはまっていたと思う。
その演出、工夫して映像で全部見たけど衝撃的です。
そのあたりは、またの機会に。
オペラDVDを試行錯誤しつつ集めてますが、気が付けばチェルニアコフ演出ばかり・・・・www

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 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    ザックス:・ミヒャエルフォレ         
    ポーグナー:ゲオルク・ツェペンフェルト

    フォゲルゲザンク:タンセル・アクツィベク 
    ナハティガル:アルミン・コラチェク

    ベックメッサー:ボー・スコウフス 
    コートナー:ヴェルナー・ファン・メッヘレン
 
    ツォルン:マルティン・ホムリッヒ  
    アイスリンガー:クリストファー・カプラン

    モーザー:リック・フルマン   
    オルテル:ライムント・ノルテ

    シュヴァルツ:アンドレアス・ヘール    
    フォルツ:ティモ・リッホネン
    ヴァルター:クラウス・フローリアン・フォークト  
    ダーヴィット:ダニエル・ベーレ

    エヴァ:クリスタ・マイヤー   
     マグダレーネ:ヴィーケ・レームクル

    夜警:ギュンター・グロイスベック

   フィリップ・ジョルダン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
                          エーベルハルトト・フリードリヒ:合唱指揮

     演出:バリー・コスキー

          (2021.7.26 @バイロイト祝祭劇場)

2017年から始まったコスキー演出は、昨年のお休みを経て4年目。
ユニークで、ユーモアとペーソス、風刺も効いた好演出は、さらに継続するか不明なれど、歌手にかなりの演技力と細かな動きも要求されるので、5年を経て、完全なるチームワークが出来上がっていたんだろうと思われます。
映像作品も、初年度とともに、こうした熟した舞台を残しておいて欲しいもの。
そんな欠かせないメンバーのひとり、もはや、ザ・ベックメッサーとなってしまった感のあるマルティン・クレーンツルが声が万全でなく、急きょ、劇場側はボー・スコウフスに依頼して、まさにギリギリの到着で初日公演に間に合った。
スコウフスは声だけの出演で、舞台袖から歌い、演技は手慣れたクレーンツルが行ったといいます。
ほかの日は復調したのか気になりますが、バイロイトのHPを見ると、26日と1日がスコウフスとありますが、残りの4公演はいかに。
 そのスコウフスのベックメッサーが聴けたという点で、今年のマイスタージンガーは貴重なものでした。
お馴染みの、やや陰りありバリトンで聴くベックメッサーは、味があり、神経質で妙にかっこよくもシュールな感じもしました。
ほかのいつもの歌手たち、弾むようなビビットな音楽造りのジョルダンの指揮、万全です。

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  ワーグナー  「タンホイザー

    領主ヘルマン:ギュンター・クロイスベック 
    タンホイザー:ステファン・グールド

    ウォルフラム:マルクス・アイヒェ  
    ヴァルター:マクヌス・ビジリウス

    ビテロルフ :オラフール・ジグルダルソン 
    ハインリヒ:ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
    ラインマール:ウィルヘルム・シュヴィンハマー 
    エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン 
    ヴェーヌス:エカテリーナ・グバノヴァ 

    牧童:カタリーナ・コンラディ
    ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ 
    オスカル:マンニ・ライデンバッハ

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
       合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
      
    演出:トビアス・クラッツァー

           (2019.7.27 バイロイト祝祭劇場)

3年目だけど、昨年なしだったので、2年目のタンホイザー。
こちらも演技性の高いドラマのようなオペラになってるだけに、今後も主な役柄は固定されるでしょう。
初年度は怪我で最初は出演できなかった、本来のヴェーヌス役グバノヴァと、ヘルマン役のグロイスベックが登場。
一昨年、一番輝いていた代役ヴェーヌスのツィトコワの印象があまりに鮮やかだっただけに、グバノヴァにはちょっと不利だったかもしれないが、やはり力のある声は認めざるを得ないだろう。
フリーダム謳歌のヴェーヌス、どんな演技にビジュアルだったか、見てみたいものだ。

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左が一昨年のツィトコワ、右が今年のグバノヴァです。
しかし、これみてタンホイザーってもう、、、、50年前の人が見たら卒倒するでしょうな。
歌手は、みんな素晴らしかった。
 多忙さと、劇場の音響で苦戦したゲルギエフは早々に降りてしまい、代わりを任されたのは、またもアクセル・コバー。
これがまた実によかった。
オケと音響と舞台上の出来事も完全に掌握した手慣れた指揮は、安定感があり、これぞ真正ワーグナーの音楽、といえるものだ。
いつも書くけど、バイロイトには、シュタインやシュナイダーのような職人ワーグナー指揮者が必ず必要なんだ。
ライン・ドイツ・オペラの指揮者であるコバーは、いま同劇場でのリングが発売中で、なんとか聴いてみたいと思ってます。

ちなみに、冒頭の画像は、3幕の幕切れの場面で、タンホイザーの元でこと切れたエリーザベト、途方に暮れ羨ましいウォルフラム、悪い憑き物が取れすっきりしたヴェーヌスの姿です。
スクリーンでは、楽しそうに旅立つ二人が映しだされるシーンです。

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  ワーグナー 「ワルキューレ」

        ウォータン:トマス・コニェチュニ  
      ジークムント:クラウス・フローリアン・フォークト
        ジークリンデ:リセ・ダヴィッドセン
        ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン   
        フンディンク:ディミトリーベロッセルスキー
        フリッカ:クリスタ・マイヤー

        ワルキューレ:略

  ピエタリ・インキネン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

     アーティスト:ヘルマン・ニッチェ     

           (2021.7.29 バイロイト祝祭劇場)

2020年に、若いオーストリア人演出家、ファレンティン・シュヴァルツとインキネンの指揮でリング4部作が出る予定だったが、コロナで2年延期となり、その前哨戦的に上演されたワルキューレ。
 しかし、演出というか管掌アーティスト的な存在になったのは、ウィーン生まれの82歳のヘルマン・ニッチェ。
舞台美術家であり、劇作家であり、作曲家、画家でもある多角的な芸術家さんです。
ワーグナーにも造詣が深いとのことで、ワルキューレの音楽に合わせて舞台の上でパフォーマンスや絵画的なものの制作をするというもの。
写真でわかるとおり、歌手たちは黒い衣装を着て最低限の動きしかしていないようで、背景の白いキャンバスが、様々にペイントされてます。
ほかの写真では、舞台に思い切り塗料をぶちまけたり、磔刑のイエスみたいなものもありました。
評論では、「血まみれのカラフルな出来事におおわれたワルキューレ」とか書かれちゃってます。
 なんだかなぁ~って感じで、3幕が終わるとブーイングが飛んでます。

来年のリングに音楽面では備えるはずだったものの、ウォータン役のグロイスベックがウォータン役から降りると申し出ていて、来年はどうなるんだろうと心配です。
ということで、ここでも急きょ別の歌手が手配され、実績豊かなコニェチュニが歌いました。
クセのある独特の声は決して好きじゃないけれど、さすがにうまいもんです。
 歌手では、あとはなんといってもフォークトのジークムントのバイロイトデビューです。
決して背伸びしない、いつものフォークトならではの、明るい声によるジークムント。
健康的にすぎると思いもしたが、こんな明晰な声で歌われるジークムントはとても新鮮でした。
あと、ダヴィッドセンのジークリンデも素敵だが、テオリンのブリュンヒルデはどうだろう。
高域が絶叫になるすれすれに感じましたし、テオリンさん、こんなに声が揺れたっけ?

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インキネンの指揮が思ったほど精彩に欠けたように思います。
現地の評判でも、テンポが遅すぎとか書かれてますが、たしかに、2幕なんて96分もかかってる。
慎重になりすぎたのと、やはりホールの音を聴きながら的な、慣らし運転の思いもあったのかもで、気の毒にもブーも浴びたらしい。
なにより、舞台装置もなく、演技も少なめなのでやりにくかったでしょうね。
マッシモ劇場でのインキネンのリングをネット鑑賞したことがありますが、もっと熱くてドラマテック指揮だったですので、来年は楽しみではあります。

リングの他の3作をイメージしたアート作品が、劇場周辺に展示されているらしい。
神々の黄昏は、日本の塩田千春さんの作品です。

今年のバイロイト、以上4作に、ティーレマンの指揮で「パルジファル」の演奏会形式演奏。
あとネルソンスで、ワルキューレ1幕と黄昏の抜粋、ローエングリン、パルジファルなどのコンサートがあります。

2022年は、「リング」とあとは、「タンホイザー」「オランダ人」でしょうか?
2023年には、「パルジファル」新演出で、アメリカ人のジェイ・シャイブという演出家で、なんだか嫌な予感・・・
しかし、ジョゼフ・カレヤがパルジファルデビューします。
コロナと共生するバイロイト、上演も大胆な試みが引き続き必要です。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ステュワート・スケルトン
   イゾルデ   :ニーナ・シュティンメ
   マルケ王   :フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
   ブランゲーネ :ジェイミー・バートン
   クルヴェナール:ジョゼフ・ワーグナー
   メロート   :ドミニク・セグウィック
   舵取り・牧童 :リナルド・フリエリンク
   舵手     :イヴァン・スリオン

    サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
               エストニア・フィルハーモニック室内合唱団

       演出:サイモン・ストーン

      (2021.7. 8 @エクサン・プロヴァンス)

この7月には、エクサン・プロヴァンス音楽祭でも「トリスタン」
しかも、演出は話題の映画監督でもあるサイモン・ストーン。
ストーンはザルツブルク音楽祭でメディア、ウィーンでトラヴィアータ、ミュンヘンで死の都とヒットを連発している。
フランス放送局から、音楽だけ聴きましたが、映像も全部見れました。
あまりに面白すぎる発想、まさに映画の世界、映像映えするから商品化間違えなし。
一番目の画像は、媚薬を飲んだ後、胸の赤いのは媚薬のワイン。

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中東から、ブランド会社の社長夫人へ、社内で夜の偲び合い、他にも逢瀬の恋人たち、不倫発覚で真昼のオフィスに。
怪我を負い、地下鉄で故郷へ、社内にはレインボウプライドのひととか、みんなマスク着用。
ドレスアップしたイゾルデは、愛の死を歌い終えると、車外へ・・・・

一度じっくり再視聴します。

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シュティンメは相変わらず素晴らしく、どの音域も無理なく聴こえるし、ふくよかで力強い(映像ではちょっと〇過ぎだけど)
スケルトンもこの役を何度も歌い演じて、完全に堂に入ってきた。
最初の頃は、乱暴な破滅的なトリスタンだったけど、いまでは落ち着いて、歌唱に厳しさも見せるようになったと思う。
でも太りすぎ。。。
あとみんな演技もうまく、歌唱もそれぞれよろしい。

驚きのロンドン響のオーケストラピット。
シンフォニーオーケストラのオペラは、充実したオケの響きが舞台の声をほったらかして奏者たちが飛ばしてしまう傾向があるが、ロンドン響は抑制の効いたラトルの指揮でもあり、普段からピットで演奏しているかのように、雰囲気あるものに感じました。
ロンドン響を離れるのがつくづくともったいない、ラトルの指揮。
いろんなところで、トリスタンを指揮していて、すっかり手の内に入ってます。
手持ちのラトルのトリスタンは、ウィーン、ベルリン、メトと今回のものとで4種。
いつか聴き比べを書いてみたいです。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ヨナス・カウフマン
   イゾルデ   :アニヤ・ハルテロス
   マルケ王   :ミカ・カレス
   ブランゲーネ :オッカ・フォン・デア・ダメラウ
   クルヴェナール:ウオルフガンク・コッホ
   メロート   :シーン・ミハエル・プランプ
   舵取り    :マニュエル・ギュンター
   牧童     :ディーン・パワー
   舵手     :クリスティアン・リーガー

    キリル・ペトレンコ指揮 バイエルン州立歌劇場管弦楽団
                バイエルン州立歌劇場合唱団

       演出:クシストフ・ワリコフスキー

      (2021.7. 31 @バイエルン州立歌劇場)

ミュンヘンでもトリスタン。
ミュンヘン音楽祭のプリミエで、ここはなんといっても、カウフマンがついにトリスタンを歌ったことに話題が集中。
音源も限定放送の映像も確認しました。
カウフマンの声に、ちょっと飽きが来てたという、まったく不遜のワタクシを、びっくりさせてくれました。
悲劇性の強い、バリトン声のカウフマンはトリスタンやジークムントにぴったりと思ってたが、まさにそれを実感させてくれました。
3つの幕の長丁場、1幕は抑え気味に、2幕もソフトに、そして3幕にピークを持ってきて病めるトリスタンを緊張感豊かに歌い上げてました。
まだまだ余裕を感じるくらいでしたが、演技の少ない抑制された演出も歌手にとってはありがたかったかもしれません。

あと素晴らしかったのが、音楽監督としては最後の指揮となったペトレンコ。
全幕にわたり、これまた集中力が切れず、厳しい音楽造りでありながら、情感は豊か、オーケストラが舞台の歌手たちと一緒になって演じているかのような抜群の表現能力。
ラトル&LSOとペトレンコ&バイエルンのふたつのトリスタン、どちらも個性と音楽性にあふれてました。

リリカルなハルテロスがイゾルデを歌うなんて、最初は危惧しましたが、無理せず、ハルテロスらしい柔らかな声による女性らしいイゾルデでした。
愛の死は、ペトレンコの指揮とともに、美しい軌跡を描いて沈んでいくような夕陽のような感銘深いラストを歌ってました。
コッホとダメラウもいいが、カレス氏はビジュアルはいいが、その声が私の好みではなかったかも。

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ワリコフスキーの演出は、よくわからなかった。
基本、トリスタンとイゾルデはまったく触れ合うことがなく、ディスタンスを保ったまま。
映像で補完、そして意味不明のスケキヨみたいな男女のパペットみたいな演じ手の人形。
これもまた、感情の補完なんでしょうかね。
決闘シーンなんかも、なくて、座ったまんまフリだけ。
海はこれっぽちもなく、すべて室内での出来事。
愛の二重唱の高まりの行き着く果ては、ふたりで注射器で腕にお注射でした。

プロヴァンスのトリスタンの写実的な舞台に比べると、暗く寂しいものでした。

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以上、7月にこんなにワーグナーが上演されました。
東京のマイスタージンガーは、初日がコロナ発生で中止とか、ともかく病禍にたたられっぱなし。
しかし、ともかく、世界も日本も、ワーグナーがなくては我慢ができません!

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聖火に群がる人々を制するように、ディスタンスを呼びかける係員。

人々もオリンピックに酔い、祭を待ち望んでる

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ずっと続く、人類は共生しなくてはならないのだろう。

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2021年5月22日 (土)

ワーグナー ヴェーゼンドンク、ジークフリート牧歌   ダウスゴー指揮

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京都の圓徳院のお庭。

昨年の晩秋に続いて、新緑の季節に行ってまいりました。

娘の結婚式でした。

病禍で延び延びになり、さらに予定日も緊急事態宣言の延長となりましたが、当人たち・両家でやりましょうということに。

静かで、人の少ない京都、しかも貸し切りなので誰一人いない家族だけのお式。

いま思っても涙が出るほどに美しく、心温まるお式で、ひとりの親として生涯忘れえぬものとなりました。

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昨秋は、真っ赤に染まった庭園が、麗しい緑につつまれました。

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 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲(初稿版)

       「ヴェーゼンドンク歌曲集」

       「さまよえるオランダ人」序曲(最終版)

       「ジークフリート牧歌」

       「夢」~ヴェーゼンドンク歌曲集より、ヴァイオリン独奏版

       「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

      S:ニーナ・シュテンメ

      Vn:カタリナ・アンドレアソン

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

            (2012.5,6,8 @エーレブルー・コンサートホール)

デンマーク出身の指揮者ダウスゴーによるワーグナー。
しかも室内オーケストラ。
ダウスゴーは現在、BBCスコテッシュ響とシアトル響のふたつのオーケストラの指揮者ですが、2019年までスウェーデン室内管の音楽監督を22年間つとめ、たくさんの録音を残しました。

そのダウスゴー、プログラム作りがユニークで、実によく考えたられた組み合わせを毎回提供してくれる。
数年前のpromsでも、シベリウスの5番の初稿版と、フィンランド民族音楽をからませた演奏会でネット視聴民であるワタクシをうならせたものです。

先ごろようやく入手したワーグナー作品集もユニーク。
一見、まとまりのない選曲に思えますが、よくよく考えながら聴くと、一本筋が通ってる。

「オランダ人」の序曲の初稿版は、1941年の完成で、全曲はその翌年。
序曲の終結部には、救済の動機はなく、呪われしオランダ人の主題で終了となり、通常の序曲集や全曲盤の多くで聴かれる結末と違い、悲劇臭が増してます。
そのあたりを意識したかのようなダウスゴーの指揮は、荒削りな側面をよく引き出していて、しかも軽快さをも感じさせ、マルシュナーの影響も受けた若きワーグナーの作品であることが実によくわかります。

続く、シュテンメのソロによるヴェーゼンドンク歌曲集は、1857年の作品。
いうまでもなく、マティルデ・ヴェーゼンドンクとの恋愛がもたらした作品で、トリスタンとイゾルデ(1857~1859)と同時期に書かれ、同じモティーフも流れ、トリスタン的なムードが横溢する作品。
シュテンメは力ある声を抑えぎみに、とても丁寧に、音に言葉の意味合いを乗せながらイゾルデ歌手としての実力もあわせて表出している。
同じスウェーデンの大先輩、ニルソンの持つ大らかさも、シュテンメは持ち合わせていて、「夢」など、広大な夢のなかに漂うな雰囲気を味わえました。
 そしてダウスゴーの指揮するスウェーデン室内管がうまい。
ワーグナー自身のオケ編ではないが、室内オケの強みは、透き通るとうな透明感と、新ウィーン楽派に通じるような怪しくも厳しく、透徹したサウンドに酔いしれる。
これは、すばらしいヴェーゼンドンクリーダーだと思う。

次は、ふたたび「オランダ人」序曲。
1860年にパリでの演奏会に際して、この序曲の終結部に21小節分を挿入し、さらにあらたに終曲として23小節分を作曲しなおした。
これがいまにもっぱら聴かれる序曲で、ヴェーゼンドンクを挟んで新旧を聴いてみると、1分あまり長くなったのは当然としても、ハープの導入で、音が豊かに、そしてロマンティックになり、さらには救済の夢見心地な雰囲気はトリスタン的であるとも思えた。
室内オケでの、透明感あふれるワーグナーは素敵なものだ。

そのあとにくる「ジークフリート牧歌」は、1870年のワーグナーの幸せ満ち溢れた時期の作品。
いうまでもなく、コジマの誕生日兼クリスマスのプレゼントで演奏された回廊の音楽。
速めのテンポで、すっきりと見通しよく演奏されてます。
オリジナルの各奏者1人でなく、オーケストラ版だけど、そこはこのコンビ、音が透けてみえるくらいに磨き上げられているし、慈しむような愛情あふれる演奏ではなく、サラッとしたこだわりの少ないスッキリ演奏で、これはこれでとても音楽的だし、夾雑物の一切ない蒸留水みたいで新鮮すぎ。

コジマを音楽で喜ばせた以前、マティルデ・ヴェーゼンドンクにも、ワーグナーは音楽のプレゼントをしました。
歌曲集から、5曲目の「夢」を管弦楽版に編曲(1857年)。
ここでは、ヴァイオリンソロを伴った版で録音されました。
これがまたムーディでありながら、どこか北欧風の小品のようにもなって聴こえましたのも、ヴァイオリンソロだからでしょうか。
歌曲集ではトリスタン色が強かったが、ここでは明るく、幸福感が漂うかのようで。

そして、最後にハ調の「マイスタージンガー」(1867年)がトリをつとめます。
ここにマイスタージンガーが来る必然性は、この明るい和音ではないかと。
室内オケで聴くマイスタージンガーは初めて。
軽やかで、重厚さなんてこれっぽちもないし、ダウスゴー流の快速テンポで、どんどん進む。
低回感なく、さらりとしたワーグナーだけど、各フレーズはしっかり浮き出てきて、しかもよく歌ってるし、その歌たちが実に心地よい。
半世紀以上もワーグナーを聴いてきて、こんなに面白いワーグナーは久しぶり。
エンディングも楽劇のオリジナルどおりに、礼拝堂の合唱に入る直前で、スパっと終わる心地よさ。
わたしには、これもまたあり、もともと巨大なワーグナーのオーケストラだけど、こんな風に、カジュアルに、嫌味なく演奏するのって実は難しいことなのだと思います。
また、これからの時代、大編成オケをピットに密集させるのも難しい局面を迎えました。
先だっての新国のワルキューレがそうだったように、ワーグナーも規模を落として上演するのもありかと。
トリスタンや、パルジファルなどは、そんな上演様式が十分可能ではないかと思います。

ダウスゴー、お気に入りの指揮者です。
次々にその音源を入手中。
マーラーと、ランゴー、チャイコフスキー、ブルックナー、シュトラウスなどを今後予定してます。

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式の準備の間、男性はやることもなく、この歴史的な空間に、ワタクシと息子のふたりだけで10数分。

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秀吉の死後、北政所は、亡夫との思い出深い伏見城の化粧殿と前庭をこの地に移築して、終焉の地としました。

北庭は、ほぼ設営当時のままとされ、開け放った間と庭は、時間が止まったかのような静謐な空間を体感できます。

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丸窓の外の緑も美しい。

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昨年は、このような感じでした。

ともかく秋も初夏も美しいのですが、人気の場所なのでこんな光景になります。

ご住職のお話しを承りましたが、初夏の緑をこそ味わっていただきたいとのことでした。

娘よありがとう、そして幸せに。

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2021年3月26日 (金)

レヴァインを偲んでワーグナー&マーラー

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季節は思い切りめぐってきて、関東の南はもう桜が満開。

今年は早すぎて、なんだか知らないが慌ててしまう日々。

ある早い朝に、増上寺の桜を見てきました。

そして、その数日前に、忘れたようにジェイムズ・レヴァインの訃報が飛び込んできました。

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2021年3月9日に、カリフォルニア州パームストリングスの自宅で死去。
心肺停止で見つかり、死因は不明ながら、長年パーキンソン病を患っていたので、それが要因ではないかと。

バーンスタインやプレヴィンに次いで、アメリカが生み出したスター指揮者で、しかもオペラ指揮者。
でも、ここ2年ぐらいは、名前を出すことも憚られるくらいに、スキャンダルにまみれ全否定されてしまった。

この訃報も、音楽関係団体からは少なめで、スルーしているところがほとんど・・・・・

ホームページに大きく載せているのは、メトロポリタンオペラのみ。
あとは、一時、音楽監督を務めたミュンヘン・フィルがSNSで伝えてるのみ。
それとバイロイト音楽祭のホームページにも、死去の知らせが淡々とのってます。

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ミュンヘンのあと、小沢の後に就任したボストン響のサイトやSNSにはまったくナシ。
ラヴィニア音楽祭などで関係の深かったシカゴ響もまったくなし、フィラデルフィアもなし。
ヨーロッパでも、ウィーンフィルもベルリンフィルも、一切触れてません・・・

このように音楽関係からの扱いは寂しい限りで、アメリカ各紙もさほど記事は多くないですが、ニューヨークタイムズなどは、その生涯と功績、そしてスキャンダルとを詳細に書いてました。
「彼のキャリアは性的不正の申し立てをめぐるスキャンダルで終わった」と書かれてます。
一時代を築いた大音楽家が、最後の最後で、しかも過去のことを掘り返されて、名声に傷がつき、ネグレクトされたあげくに病とともに生涯を終える・・・・

私は、音楽生活をレヴァインの全盛期とともに過ごした部分もあって、こんな終わり方は気の毒だし、不合理だと思う。
1回分の記事を割いて、私が聴いてきたレヴァイン、ワーグナーとマーラーに絞って思いを残しておきたい。

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レヴァインの基本はオペラ指揮者であったことと、ピアノの名手でもあったことから、歌と合わせものに特性があったこと。

1971年5月に「トスカ」でメットにデビュー。
この時の歌手が、バンブリーにコレッリですから、大歌手時代を感じさせます。
70年代は、オペラは歌手の時代から指揮者の時代に、その在り方も変わりつつあった頃。
メットの首席には73年、音楽監督には76年になります。
1975年に、メトロポリタンオペラが始めて日本にやってくるとのことで、大いに話題になりまして、その時の指揮者のひとりが、名の知れぬ人で、ジェイムズ・レヴィーンとかパンフレットには書いてあり、高校生だったワタクシは、は?誰?と思ったものです。
結局は来日しなかったのではないかな、たしか。

メットに文字通り君臨したレヴァインは、2018年に解雇されるまで、85のオペラを2552回指揮しております。
最後のメットでのオペラピットは、2017年10月の「魔笛」。
最後のメットの指揮は、2017年12月2日のヴェルディ・レクイエム。
 そのレクイエムの演奏のあと、その晩に、1968年レヴァイン・ナイトと称する秘会で、性的な辱めを受け、長く続いて死のうとまで思った、として4人の男性から訴えられるのでした。
メット側も、調査をして事実認定を取り、レヴァインを解雇、それを不服として任期分を賠償請求したレヴァインの要求額は580万ドル。
日本円で6億ぐらい?
2019年には、メット側が350万ドルを支払うことで和解してます。

 若い頃は、そんなに太ってなかったのに、巨漢になってしまったレヴァイン。
転倒して怪我したり、坐骨神経症にさいなまれていたあげく、パーキンソン病であることも判明。
メットの指揮では、車椅子から乗れる特製の指揮台で、カーテンコールも舞台に上がれず、ピットから歌手たちを賛美する映像が見られるようになりましたし、キャンセルでルイージや、ほかの指揮者に譲ったりの状況でした。

そんなわけで、長いメットでのキャリアの全盛期は、2000年の始めぐらいまでだと思います。

メットとのオペラ録音・映像は、ともかく数々あり、あげきれませんが、私はワーグナー。
DGとの蜜月が生んだ録音と別テイクの映像作品が、「ニーベルングの指環」でありまして、スタジオで真剣に打ち込んだ録音はオーケストラとしても大いに力が入っていて、その充実した歌手たちとともに、精度が極めて高いです。
音色はともかく明るく、ゆったりとした河の流れを感じさせる、大らかな語り口が、ワーグナーの音楽をわかりやすく、説明的に聴かせる。
ドイツの演奏家では、決してできない、シナマスコープ的なワーグナーは痛快でもあり、オモシロすぎでもありました。
 メットでのシェンクの具象的・伝統的演出とともにセットで楽しむべきリングなのかもしれない。
ベーレンスとモリスが素晴らしい。
 レヴァインは、バイロイトでもキルヒナー演出の「リング」を5年間指揮してますが、音楽はそちらの方がさらに雄弁で、つかみが大きい。
自家製CDRで聴いてますが、歌手はメットの方が上、オケはバイロイトの方がいい。

同じことが「パルジファル」にも言えます。
バイロイトで通算10年もパルジファルを指揮した記録を持つレヴァインですが、クナッパーツブッシュばりのゆったりとしたテンポながら、細部まで明快で、曇りないよく歌わせるパルジファルは、バイロイトのワーグナーファンには新鮮に響いたのです。
メットでのCD録音も、リングと同じことが言えますが、わたしにはドミンゴとノーマンがちょっと・・・・

メットでのレヴァインのワーグナー、タンホイザー(2015)、ローエングリン(1986)、トリスタン(1999)、マイスタージンガー(2001、2014)、リング(1989)、ラインの黄金(2010年)、ワルキューレ(2011)、パルジファル(1992)。
これだけ映像作品を持ってますが、いずれも水準は高いです。
演出もオーソドックスで、お金のかけ具合もゴージャスでメットならでは。

あと、オペラでは、若い頃のヴェルディをよく聴きました。
「ジョヴァンナ・ダルコ」「シチリアの晩鐘」「運命の力」「オテロ」ぐらいで、あとは少々食傷気味。
イタリアオペラにおける、レヴァインの生きの良さと活気みなぎる棒さばきは、70年代はクライバーと並ぶような感じでしたよ。

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レコードで一部そろえた、レヴァインのマーラー。
CD時代に、まとめて他の番号も入手し、エアチェックの「復活」もあるので、あとは「8番」だけでした。

これもまた70年代の、「新時代のマーラー」と呼ばれたレヴァインのマーラー。

オペラを親しみやすく、聴きやすく指揮する手法でもって、ゆったりとした間合いをもって作り上げたマーラー演奏。
バーンスタインの自分の側に引き寄せ自己心情とともに感情を吐露してみせたマーラーと対局にあるような、客観的かつ豊穣なサウンドにもあふれたマーラー。
さきにふれたレヴァインのワーグナーと同じく、旋律線主体にわかりやすく、複雑なスコアを解きほぐしてみた感じで、だれもが親しみを感じ、嫌みを持つことがないだろう。
深刻さは薄目で、これらのビューティフルなマーラーは、これはこれで存在感がある。
加えて、当時、マーラーには積極的だったシカゴ響と、マーラーにはそうでもなかったフィラデルフィアを指揮しているのが大きい。
オケはべらぼうに巧い!
当時、アバドとシカゴのマーラーとともに、アメリカオケにぞっこんだった自分が懐かしく、アメリカという国の途方もない力と自由の精神にほれ込んでいたものです。
 今聞くと、録音のせいか、金管が耳にキツイが、このあたり今後リマスターして欲しいが、難しいでしょうね・・・
ところが、1番と6番を担当したロンドン響も実によろしくて、アメリカオケに負けてないし、レヴァインとの一体感をこちらの方が感じたりもする。しかもロンドンの方が録音がいい。

オペラ以外の指揮の音盤も数々ありますが、ブルックナーとは無縁だったレヴァインです。
ウィーンフィルとのモーツァルトも素敵なものでした。
交響曲もいいが、「ポストホルン」が好き。

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ウィーンフィルから愉悦感にあふれた演奏を労せずして引き出したレヴァイン。

バイロイトとともに、ザルツブルクの常連となり、ウィーンフィルといくつものオペラを上演しました。
「魔笛」「イドメネオ」「ティト」「フィガロ」「ホフマン物語」「モーゼとアロン」などを指揮。
オーケストラコンサートでも常連でしたが、ザルツブルクデビューとなった1975年のロンドン響との「幻想交響曲」を今でも覚えてます。
カセットテープは消してしまったので、あの時の演奏をもう一度聴きたい。(でも難しいだろうな)

 最後に、マーラーの10番の最終場面を鳴らしつつ、レヴァイン追悼記事をここまでにします。

あとはグチです。

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オバマ政権時代から横行しだした、アメリカのキャンセルカルチャー。

歴史の流れを無視したかのように、遡って、あれは間違いとレッテルを押す。
伝統や文化も間違えとして消す。

244年の歴史のアメリカでそれをやると、限りなく該当者が噴出する。
さらには、その前建国前史にまで遡って、しいては黒人差別へと結びつけて、過去の人物を否定していく風潮が激しい。
BLMの名のもと、建国の英雄たちの銅像が倒され、「風と共に去りぬ」まで上映封印、もっともっと拒否られてます。

歴史の経緯でいまある現在と社会、そこに普通に適合してきた、各民族のことをなおざりにしてないか?
多民族国家として大国になったアメリカの本質が揺れ動いているのは、こうした、アメリカを愛し適合してきた多国籍の人々のことを無視して、あんたら虐げられてきたんだよ、とうそぶいた連中がいて、彼らの狙い通りに、アメリカがいまおかしくなってしまったことだと思う。

心の奥底にあるものを、無理やりに引っ張り出してしまうのは、共産主義の常套だろう。
アメリカは完全にやられてしまった。
それに歯向かい、本来の自由で力強いアメリカを目指したトランプは、葬り去られてしまい、操り人形のような大統領が誕生した。

レヴァインの過去のことは、完全なる過ちで、被害者として手をあげた方々には落ち度もないと思います。
しかし、半世紀前のことを芸術の晩年を迎えていた人に、犯罪としてぶつけるのはどうだろうか?
そりゃ、やったものは悪いが、永遠に許されないのか、死んでも名誉は回復できないのか?

人間だれしも、過ちや言いたくない秘密はありますよ。
レヴァインが、白人でなかったら、メットで超長いポストを独占してなかったら、もしかしたらこんなことにはならなかったかも。

そして、なによりも言いたい。
アメリカの現某大統領や、その息子。
C元大統領とか、いろんなセレブたちの、あきらかな忌み嫌うべき風説の数々、それは人道上許されざるをえないものも多々。
それを明かそうとした人々の声が抹殺され、なんたってその連中はのうのうとしている。
どうせやるなら、責めるなら、そうした連中も、過去を暴いて、徹底的に凶弾すべきではないのか!

憧れたアメリカの自由と繁栄、民主主義の先生としての存在が、完全に消え去ったと認識したこの1年だった。
この流れは、日本にも確実に来る。

レヴァインの死に思う、アメリカの終焉。

こんなはずじゃないよ。

アメリカの復活を切に望む!

あわせて日本は日本であって欲しい!

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2021年3月19日 (金)

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」ブーレーズ指揮

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こちらは、桜の花、とおもいきや、すももの花だそうです(たぶん)

桜がいつもたくさん咲く東京タワー近辺なので、よけいにまぎらわしいです。

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こちらは河津桜で、もう今頃は葉桜になってます。

この日は、東日本大震災から10年の日、復興応援のライトアップでした。

忘れようもないあの日のこと、多くの犠牲者の皆様へご冥福をお祈りいたしますとともに、多くのことも学んだ日本人。

きっと起こる次のことにも、心して備えなくてはならないと思います。

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鶴首して待ってた「トリスタン」
さっそく聴いてみました。

前回の記事が、「恋愛禁制」。

下の根の乾かないうちに、もう究極の愛の世界へと誘われるという、ワーグナーの呪縛世界。

「恋愛禁制」は1836年・23歳、「トリスタン」は、1854年・41歳で着想して、1859年・46歳で完成。
ミンナと結婚した年の「恋愛禁制」から、人妻マティルデ・ヴェーゼンドンクとの不倫中の時期にあたり、燃え萌えのワーグナーの「トリスタン」。
困ったもんですが、トリスタンの音楽は聴く人を魅了してはばからない。

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  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ウォルフガンク・ヴィントガッセン
   イゾルデ   :ビルギッテ・ニルソン
   マルケ王   :ハンス・ホッター
   ブランゲーネ :ヘルタ・テッパー
   クルヴェナール:フランス・アンダーソン
   メロート   :セヴァスティアン・ファイエルジンガー
   舵取り・牧童 :ゲオルク・パスクーダ
   舵手     :ゲルト・ニーンシュテット

    ピエール・ブーレーズ指揮 NHK交響楽団
                 大阪国際フェスティバル合唱団

    演出:ヴィーラント・ワーグナー

      (1967.4.10 @フェスティバルホール、大阪)

1967年にバイロイト史上、初の海外公演ということで、日本はおろか世界でワーグナーファンの話題になった公演が、ついに正規音源化されました。
4月7日の「トリスタン」を皮切りに、4月17日の「ワルキューレ」まで、この10日間に、2作合計8公演を上演するというハードスケジュール。
固定キャストの歌手たちも大変ですが、すべてのピットに入ったN響も今思えばすごいこと。
いまでは、いろんな規約で不可能でしょう。

「トリスタン」のこの配役を見てもため息が出ますが、「ワルキューレ」もすごい、アダム、J・トーマス、デルネッシュ、シリア、G・ホフマン、ニーンシュテットでありますよ。
指揮がブーレーズとシッパースで、さすがに、このときバイロイトで指揮してたベームを呼ぶことはできなかったわけですが、後のN響とのことを考えると、スウィトナーあたりはアリじゃなかったかな。

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まず、聴いてみての感想。

録音が思いのほかに良好。
響きも分離も申し分のないステレオ録音で、音の揺れはゼロ。
ピットから響く低音も豊かで、澄んだヴァイオリンの高弦も美しい。
舞台の歌手たちの声も、混濁なくクリアーで、左右の声の位置や移動も自然。
 当時、NHKの技術が相当だったことと、今回のマスタリングが見事に成功していることを讃えたい。
yotubeには、モノクロモノラルの映像がありますが、同じ日だとすると、この音源はまったく次元が違います。
最後のフライング拍手もカットされてます。

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3回聴きましたが、ブーレーズの指揮は、聴きこむほどに、悪くないなと思うようになりました。
最初は、情もへったくれもない、ためのない飛ばしぶりに、うねりに欠けてるとも思ったのですが、よく考えたら、ブーレーズのワーグナーは、パルジファルもリングも、既成概念からの脱却をその根源にしており、今回のCDの解説書にある公演時のインタビューでも、まぎれもなくそのような発言をしてまして、大いに納得したわけです。
ちなみに、ヴィントガッセン、ニルソンのインタビューも、とても新鮮だったし、彼らの音楽がよく理解できるものだったし、N響の会誌からの記事や、諸井誠さんの当時の感想など、ほんとに、ほんとに貴重だし、興味深いものです。

さて、ブーレーズのテンポは速いのですが、それを感じさせないのは、パルジファルの演奏と同じ。
存外に歌わせるところでは、よく歌い、歌手のいいように付けてるし、1幕のラスト、2幕の二重唱からマルケの踏み込み、3幕のトリスタンのの妄想からイゾルデの到着、この3つのクライマックスの緊迫感とアッチェランドもかけたスリリングな高まりなど、これこそオペラの醍醐味と十分に思わせます。
 あとさすがのブーレーズと思わせるのは、イゾルデやトリスタンの独白に室内楽的なソロ楽器が付いたりする場面では、まさに新ウィーン楽派を思わせるような超緻密なサウンドを聴かせるとこと。
 どろどろした情念や、厚ぼったいサウンドとは無縁のワーグナー。
明確な拍子で隙がなく、冷徹だけど熱い。
これこそブーレーズのワーグナーだし、故ヴィーラント・ワーグナーが戦後、根差してきたワーグナーの在り方。
それを日本はいち早く、大阪で体験していたわけだ。

ブーレーズのバイロイト登場は、1966年のパルジファルから。
その数か月後に、日本でのトリスタン。
その後、トリスタンを劇場で指揮したことがあるか不明ですが、もしかしたらないかも・・・
ブーレーズのバイロイトは、日本から帰った67年夏、68年、70年、そのあと76~80年のリング、2005年、06年のパルジファルの合計11年。
いずれの演出も、大胆で、新機軸を根差したものであることが、ブーレーズがワーグナーを取り上げるときの判断があるのかもしれない。

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歌手では、ヴィントガッセンが圧巻。
最初から最後まで、スタミナを維持しつつ、最後の自己破滅的な爆唱ぶりまで、常に安定感があります。
昔ながらの歌唱と、現在のスタイリッシュな歌唱との橋渡しをしたような存在のヴィントガッセンのすごさを感じます。
このとき、53歳のヴィントガッセンは、1974年に60歳で早逝してしまいました。
高校生だった当時の自分、驚き、悲しんだものです。

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かたやニルソン、こちらも抜群の歌で、いつものニルソンの強くてハリのある声が安心感を持って楽しめます。
もっと繊細できめ細かなイゾルデを、そのあとの歌手たちで、たくさん聴くことができたわけですが、ニルソンの声によるイゾルデと、そしてブリュンヒルデは、わたしにとって唯一無二のものです。
ヴィントガッセンとニルソンがいなかったら、と思うとほんと怖いくらいです。

ホッターの滋味あふれるマルケ王も素晴らしい。
輝きすら感じる神々しさ。
ホッターのマルケ王は、バイロイトでは、調べたら52年、57年、64年の3回だけなので、この日本公演は実に貴重なものだ。
面白いことに、バイロイトでクルヴェナールも歌ってるホッターは器用な歌手でもありました。

あと自分には、バッハ歌いみたいに思い込んでたテッパーのブランゲーネも実によかった。
ストレートな声でイゾルデにかしずく、従順清潔なブランゲーネは素敵。
クルヴェナールは、やや好みでなかった。
懐かしいパスクーダ、あとワルキューレでフンディングを歌ってるニーンシュテットは、8公演全部に出演しているバイロイトの隠れた立役者であります。

最後にN響の獅子奮迅の演奏ぶりを、さらに大きく讃えたい。
ときおり、隙間風も吹くが、ブーレーズの指揮に文字通りくらいついていて、この熱量はたいへんなものだ。
横長のピットは、この公演に合わせて改造されたとありますが、オケの熱演をしっかりとこのCDで感じ取ることができます。
 ただ合唱は頑張ってるけど、発声が日本人的で、「ほーヘーはーヘ」になってる(そりゃそうだが)
あとついでに、ブラボーもまさに日本人的(あたりまえだが)。

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ヴィーラント・ワーグナーの舞台が見れることでも、世界的に貴重な大阪バイロイト。
2つとも、yotubeにありますが、かなり暗く、画質は遥か彼方の世界のものに感じます。
このあたりも、最新の技術で色を施したりしてリフレッシュできないものでしょうかね。
ヴィーラントの演出に関しては、解説書にあるヴィントガッセンの言葉が実に興味深く納得できるものだった。

ヴィーラントは、日本公演の前年の66年夏の音楽祭の頃からミュンヘンの病院に入院していて、10月17日に、49歳で亡くなってしまいました。
かなり前から計画されていた、日本公演は個人的助手であったペーター・レーマンが演出監督を引き継いでます。
このレーマンとホッターが、バイロイトではヴィーラントの意匠を引き継ぎました。

ヴィーラント健在だったら日本にもやってきたことと思うし、49歳の早すぎる死は惜しみてあまりあるものですね。
 愛読書ペネラピ・テュアリングの「新バイロイト」では、ヴィーラントの死の文章の中で、この日本公演のことが少しだけ書かれてます。
「きわめて壮観なヴィーラント・ワーグナーのバイロイト海外遠征が、彼の死後挙行された。もっともそのプランは、むろんずっと前から練られていたのだけれども。1967年4月、バイロイト全メンバーによる日本の大阪フェスティバル訪問がそれである。」
あとはメンバーの羅列で、詳細は触れてませんが、1966年は「悲劇の年」という章のタイトルで、1967年は「一人の舵手にゆだねられたバイロイト」という章名でありました。
さほどに、66~67年は、バイロイトにおける大きな転換期であったわけです。

諸井誠さんの文章によると、チケットは6万円(3万×2、たぶん)で、当時の感覚からいうとものすごく高額です。
サラリーマンの平均月給を調べたら、67年は36,200円でしたよ!
そして会場には、東京からの来阪観客がたくさん見受けられたとあります。
 トリスタンの日本初演は63年のマゼール、ベルリン・ドイツ・オペラですが、本場のバイロイトの歌手とヴィーラントの舞台ということで、いかに熱狂したのかがよくわかります。

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いまでこそ、日本人歌手でトリスタンを上演できるし、外来も含め、多数のワーグナー上演がなされるようになった日本。
54年前のフェスティバルホールでこの舞台に立ち会った人々の、驚きと感動と熱狂ぶりを、このCDを通じて感じます。
当時まだまだ先鋭的であった、「トリスタン」という音楽に対しても身を震わせた、自分にとっての先人たちをリスペクトしたく存じます。
日常茶飯事的に聴いてしまう、ワーグナーの音楽はおろか、日々湯水のように流れてしまう音楽を、もっと心を込めて聴くべし、と自戒の思いすら呼び起こす、そんな半世紀前の画期的な記録の復刻でした。
ありがとう、感謝です。
願わくは、「ワルキューレ」もお願いします。

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葉桜になった河津桜の次は、いよいよソメイヨシノ。

今年は早い、桜の季節。

54年前の大阪の4月は、連日雨だったそうな。

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2021年3月12日 (金)

ワーグナー 「恋愛禁制」 ボルトン指揮

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紅梅とライトアップされた東京タワー。

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もうひとつ、こちらも品種はわかりませんが、一番一般的な白の方。
芝公園にある梅園で、銀世界と呼ばれてます。
江戸時代に新宿あたりにあったものがこちらに移植されたものだそうな。

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主要作での全作サイクルは何度もやってますが、初期3作を含む全作サイクルは2度目の挑戦。
「妖精」に続いて、「恋愛禁制」まいります。
しかも、映像として出てますので喜び勇んで購入。
演出も含め、めっちゃ面白いです。

ワーグナーの完成されたオペラ第2作目。
色恋は禁止、というか、男と女がアレしたら死刑、というとんでもない法律にまつわる、ばかみたいな話の歌劇。

「妖精」を完成させたあと、すぐに「恋愛禁制」の台本と作詞にとりかかり、2年後23歳の若さで完成させたのが1836年。
同年3月に指揮者を務めていたマグデブルグで初演されたので、「妖精」初演がワーグナー没後だったので、自身の作品の初上演だった。
この初演の前、11月に熱愛中だった女優のミンナ・プラーナーと結婚し、うきうき・ラブラブ中だったワーグナーだけど、ミンナはなかなかの浮気性でその後、駆け落ちまでされちゃう。
そんな時期の「恋愛禁制」というタイトルが皮肉にも見えるのが、これもまたワーグナーらしいところ。

シェークスピアの「尺には尺を」という戯曲に基づいて、ワーグナー自身が台本を書いたもので、イタリアのパレルモを舞台にした完全な喜劇作品。
深刻なワーグナーらしからぬ、陽気な雰囲気が横溢するのは、喜劇であることと、舞台が陽光あふれるイタリアであることにもよります。

(以下、以前の自分のブログより一部コピペ)
カスタネットやトライアングルが鳴りまくるその序曲を初めて聴いたとき、なんじゃこれ??的な思いになった。
全曲は、全2幕、2時間30分、CD3枚の大作で、そのすべてが序曲的なハチャムチャイメージではなく、随所に後年のワーグナーらしい響きが聴き取れるのがうれしい。
修道女であったヒロインが修道院で祈るシーンでは、「パルジファル」やメンデルスゾーンの「宗教改革」で流れる「ドレスデン・アーメン」が響いてきて、なかなかに味わい深い。
そんな巧みな仕掛けも、よくよく聴くとたくさんあります。
後年、ワーグナーはこのオペラを「若気のいたりで、恥ずかしい」と言ったとされるが、イタリアオペラやフランスグランドオペラの影響下にあった、前作「妖精」よりも、ずっと進化している。

Liebesverbot

     ワーグナー 歌劇「恋愛禁制」

 登場人物が多くややこしいので整理しときます

総督フリードリヒ  国王外遊中で、王代行を務める。
          恋愛禁止令を発布した傲慢な人物。

若い貴族ルツィオ  禁制に怒る人物。
          ヒロイン・イザベラと恋仲になる。
          
 〃 クラウディオ ルツィオの友人で、イザベラの兄
          女性とイイことして禁制に触れ逮捕される。

 〃 アントニーノ 友達貴族仲間
 〃 アンジェロ     〃

イザベラ       両親を亡くし、修道院に入っている。
           しかし、兄逮捕の報を受け兄を救出にでる。

マリヤナ      修道院で一緒になったイザベラの幼馴染。
          総督フードリヒに捨てられたかつての恋人

ブリゲラ      総督フリードリヒの手先の衛兵隊長
          ウェイトレスのドーレッラに色目を使う

ドーレッラ     ウェイトレスさんで、ルツィオとも関係があった。
          のちイザベラのために働き、ブリゲラの求愛も受け止める

ポンティオ     居酒屋の給仕さんで、のち看守に昇格

ダニエリ      居酒屋の店主

    フリードリヒ:クリストファー・マルトマン     
    ルツィオ  :ペーター・ローダール

    クラウディオ:イルカー・アルジャユィレク  
    アントニーノ:デイヴィッド・アレグレット

    アンジェロ :デイヴィッド・イエルザレム    
    イザベラ  :マヌエラ・ウール

    マリヤナ  :マリア・ミロ    
    ブリゲッラ :アンテ・イエルクニカ

    ドーレッラ :マリア・ヒノヨーサ  
    ポンティオ :フランシスコ・ヴァース

    ダニエリ  :イサーク・ガラン

 アイヴァー・ボルトン指揮 マドリード王立歌劇場管弦楽団
              マドリード王立歌劇場合唱団
        演出:カスパー・ホルテン
         
     (2016.2.19 @テアトロ・レアル、マドリード)

     ※シェイクスピア没後400年記念上演

第1幕

 第1場

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パレルモの歓楽街で、兵士たち(警官)が酒場や遊郭を破壊していて、中から若い貴族たちが逃げ出してくる。
店主と給仕、ウェイトレスが衛兵隊長ブリゲッラに逮捕されて出てくる。
皆でくってかかるが、総督フリードリヒが出した遊興歓楽姦淫禁止令を読み上げられ、唖然とする。
そこへ、クラウディオが、恋人と一緒に寝たばかりに逮捕され、死刑を求告されるとして引ったてられてきて、皆で彼を救う手立てはないかと考える。
クラウディオは、友人のルツィオに修道院にいる妹のイザベラに窮状を伝えて助けて欲しいと言いにいってくれと依頼。

 第2場
修道院の中。
クラウディオの妹イザベラと3年ぶりに会った幼馴染のマリヤナが神に祈りをささげている。。
マリヤナは、かつて貧乏なドイツ人と密かに結婚していたが、彼が王に認められ出世してしまった、それが今のフリードリヒ、と語りイザベラを驚かせる。
そこへ、ルツィオが、兄逮捕&死刑の報をもってやってくる。
しかし、ルツィオはイザベラに一目惚れして、求婚するが、今はそれどころじゃないと、ピシャリ。
イザベラは皆で出てゆく。

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 第3場
法廷。総督がまだやってこないので隊長ブリゲッラは気を効かせて、また下心をもって、勝手に裁判を開始。
ポンティオに追放令が出して、ウェイトレスのドーレッラに禁酒法違反の罪を問うが、彼女のお色気作戦にメロメロに・・・
 その後、総督フリードリヒがやってくるが、アントーニオが現れ、せめて謝肉祭だけは許可して欲しいと誓願するが、フリードリヒは嘆願書を破り捨てる。
 次いでいよいよクラウディオの審理に入るが、若気の過ちという本人の主張を退け、死刑を宣告。
そこへ、イザベラが登場して、お願いの筋これありで、人払いを頼む。
 イザベラはフリードリヒに、ただ一人の肉親の兄を助けて欲しいと訴えるが、フリードリヒは頑として受け入れない。
怒ったイザベラは、恋をしたこともない男だ、と蔑み厳しくあたる。
一方、フリードリヒは、イザベラの美貌に目がくらみ、兄の味わった快楽を共に分かち合うなら許してつかわそう、わたしを楽しませなさい・・・。
と言うものだからイザベラは怒りまくり、皆にこの偽善をばらすと息巻く。
フリードリヒは、わしが愛を語ったと言っても誰も信じないだろうよとずるがしこさを発揮。
 そこで、皆が再登場するが、首尾が思わしくないことに落胆。
イザベラは、これはマリヤナを身代わりにしようというアイデアが浮かび、フリードリヒとの密会を約束する。

第2幕

 第1場
牢獄の中庭。
クラウディオのもとにイザベラが訪れ、兄の命乞いをしたら貞操を求められたと話すと、兄は怒り狂うが、でも生きていたいから是非そうして欲しい、と妹に言うのでイザベラもこれにはあきれ怒る。
そして、フリードリヒとマリヤナに、仮装して謝肉祭に来るようにとの手紙をしたため、ドーレッラに託す。
ルツィオがやってくるが、ドーレッラがかつて付き合っていたことを話し、彼を困らせるが、なんとしてもイザベラは守ると言い、彼女を喜ばせる。
看守になってしまった給仕のポンティオを買収して、兄に出る令状を真っ先にイザベラに渡すようにさせ、準備は整う。
 
第2場
フリードリヒの部屋。
連絡を心待ちにする心情を歌うが、愛と罪にさいなまれるバリトンのモノローグとしては、ワーグナーらしいところ。
そこへ待ちに待った手紙がやってきて、カーニバルに出かければ、イザベラに会えると喜ぶ。
でも法は曲げられない。兄クラウディオの放免状でなく、死刑執行書を書き、自分も今宵、同じ運命になるどろうが構わないと歌う。
隊長ブリゲッラとドーレッラが現れ、二人して仮装して出かけようと示し合わせる。ふたりは急接近したのだ。
 
第3場
パレルモの街の目抜き通り。
人々は禁制を破って謝肉祭に浮かれ騒いでいる。
賑やかな序曲の再現で、ルツィオを中心に浮かれ騒ぐ。
 そこへ隊長ブリゲッラが現れ、謝肉祭は禁止だ、と叫ぶので、人々は不承不承立ち去る。
ブリゲッラはさっそく仮装して、ドーレッラを探しにゆく。

イザベラとマリヤナが現れ、マリヤナを励まし、イザベラは去り、マリヤナも期待を胸にした歌を歌う。
仮装したフリードヒがそわそわと現れ、それと知ったルツィオにからかわれる。
そこへ、マリアナが合図を送り、イザベラと思い込んだフリードリヒはそそくさと付いてゆく。
ルツィオは、これを見てイザベラだと思っているから、これを追いかけようとするが、運悪くドーレッラがやってきて、ブリゲッラと勘違いしてこれを離さない。しかたがなく、接吻をしてごまかし走り去るルツィオ。
 さらに、これを見ていたイザベラはショックを受ける。
ということでまったくややこしい。

ポンペオによって真っ先に兄の令状が届き、なんと死刑執行令だったので、これを見たイザベラは怒り、ルツィオに復讐を頼むが、ルツィオはすっかり誤解しているので乗り気でない。
 そこへ、姦淫の咎で一組の男女が捕えられてくる。
仮面を取れば、男はフリードリヒ、女は自らをその妻と名乗る。

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イザベラは、これまでのいきさつを洗いざらい話し、フリドーリヒが嘘をついたと詰るが、フリードリヒは自分を死刑にしろと開き直る。
 そこで、人々は恋愛禁制の法律はもう破り捨てたから無効だ、と言ってフリードリヒを許す。
クラウディオも登場し、ルツィオもイザベラに謝罪し、修道院に帰ろうとするイザベラは、皆に止められ、かわりにルツィオの胸に飛び込む。
そのとき、国王帰国の知らせが入り、王を迎えようと謝肉祭は大いに盛り上がる。

         

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筋だけ読んだだけでも、ややこしいでしょ。
シェイクスピアの原作もややこしいが、ワーグナーの台本は、まだ未成熟ゆえか、あらゆるものを盛り込みすぎの印象を受けます。

シェイクスピアの「尺には尺を」をWikiしてみましたが、そのタイトルは「マタイ福音書」の一部の章からのものとされます。
マタイ伝7章2項~人を裁くことをやめなさい~
「自分が裁かれないために、人を裁くのをやめなさい。あなたが人を裁く同じ方法であなたは裁かれ、あなたが使う尺(量り)であなたは量られるだろう」

なるほど、まさに総督が出した法令に、自らが引っ掛かり、民衆の前に恥をさらしてしまった。
思えば、よくある話です、だって、人間だもの(笑)

ワーグナーの喜劇、後の円熟期の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の原型をここにとらえることもできます。
総督フリードリヒは、ベックメッサーに通じる、どこか憎めないキャラで嘘と偽善、権威主義の固まりのような人物で、のちにワーグナーが闘うことになる評論筋や反ワーグナーの連中に重ねることもできるかもしれない。
ヘルマン・プライが両方の役柄を歌って新境地を開いたのも懐かしい思い出です。

貴族のクラウディオとルツィオのお友達コンビは、マイスタージンガーのワルターとダーヴィッド。
ちょっと軽薄だけどクラウディオは、ほんとは愛に燃える一本気な男で、ルツィオは謝肉祭では、マイスタージンガーのヨハネ祭で踊り歌うダーヴィッドとまったく同じ役回りを演じる。

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お嬢様エヴァに相当するのは、強いて言えばマリアナですが、この役には夢見心地のアリアが1曲与えられてるだけで、ちょっと人物表現が弱いと感じる。
逆に、イザベラは縦横無尽の活躍で、コロラトゥーラ的なアリアもあるし、聴かせどころがたくさん。
イタリアオペラ的な存在で、ワーグナーの諸役にはあまりないタイプかもしれない。

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歌手はよく頑張ってますが、サヴァリッシュ盤に比べると非力です。
しかし、こと細かな演出に沿って歌うのも大変だったろうとも思う。

マヌエラ・ウールは、歌が少し不安定だけど、この難役をよく歌いました。
どこかで聞いたソプラノだなと思ったら、シュトラウスの「ダナエの愛」で聴いていて、同じ印象をそこで書いてた。
一番有名な歌手がマルトマン、歌とユーモラスな演技は最高でしたし、キモさまでうまく表出。

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テノール二人はまずまず、あとは、ドーレッラを歌ったスペインのソプラノ、ヒノヨーサ(と読むのかな?hinojosa)が色っぽくてお気に入りになりましたよ。
 あとボルトンの指揮するマドリードのオーケストラ、サヴァリッシュのような切れ味はないけど、明るい音色で、この作品を楽しむに不足はないもの。
序曲では、スクリーンにワーグナーの顔が映し出され、音楽に合わせて顔芸をするのがなんともユーモラスでありました。

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このDVDをこれから見ようという方は、以下はネタバレ含みますので読まないで

この映像作品、ともかくカラフルです。
ホルテンの演出舞台は、新国の「死の都」でもってとても関心したけれど、小道具の使い方が毎度うまい。
時代設定を現代にして、スマホをみんなが使いまくり。
取材のマスコミは、テレビカメラも使いつつ、スマホで写真撮りまくりだし、一般人もみんなそう。
愉快だったのは、獄中の兄と妹の会話で、対面じゃなくてスマホ電話での会話。
妹は怒って、スマホ電源をブチっと切るしで。
 あと、謝肉祭の仮装は、みんなワルキューレの世界。
総督は、ルートヴィヒ2世顔負けのワーグナーかぶれ、ミュンヘンのサッカーリーグを応援し、ビアジョッキを愛飲、さらにはマザコンか・・・
こんな風に、ドイツからパレルモに来た傲慢な総督を描いている(ように思う)。
そんな恋愛もまともにできないイタリアから見たドイツ人。
最後は驚きの女首相がルフトハンザで帰国し、ユーロをばらまき、イタリア人たちは金にひれ伏したかのように、カジノへ・・・・

こんなオチをつけるホルテンの演出は、やりすぎには感じず、ワーグナーの音楽のこの時期の単調さを助けるようなオモシロぶりでありました。

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早咲きの河津桜。

うまいこと写真におさまりました。

桜の開花の報も届くようになりました。

いろんなサイクルをやっているので、なかなか進まないワーグナーチクルス、次は「リエンツィ」。

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2020年10月18日 (日)

ワーグナー 「妖精」 エトヴェシュ指揮

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都会の中にも秋を感じさせるシーンがたくさん。

それにしても曇天や雨ばかりの関東地方です。

ワーグナー聴きます。
全作のサイクルをまた開始しようと思います。
もう書きつくしたけど、行けるかな?

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  ワーグナー 歌劇「妖精」

   アーダ  :スー・パッチェル    
   アリンダル:ライモ・シルキア
   ローラ  :ダクマール・シュンベルガー
   モラルト :セバスチャン・ホレック
   ドロッラ :ビルギット・ビーア    
   ゲルノート:アルトゥール・コーン
   ツェミーナ:ウルリケ・ゾンターク
   フェルツィーナ:マヌエラ・クリスチャク
   グンター :フリーダー・ランク
   グロマ  :
 アレッサンドロ・パタリーニ

 ガボール・エトヴェシュ指揮 カリアリ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団
               カリアリ・テアトロ・コムナーレ合唱団

        (1998.1.12,14 @カリアリ・テアトロ・リリコ)

これまで2度記事にしてます。
1度目は実際のオペラの舞台を観ることができて、日本初演でした。
2度目はサヴァリッシュのCDで、こちらは1983年のワーグナー没後100年に際して挑んだサヴァリッシュのワーグナー13作品全作上演のライブ。
そして今回は、おそらくこのブログ最終となるであろう、ワーグナーのオペラ全作レビューの2度目の挑戦。

でも、オランダ人前の3作ともなると、あきらかに付随するネタ不足で、これまで書いた内容の編集とコピペとなりますこと、ご了承のほど。

オランダ人(1842)以前とは、「妖精」(1834)、「恋愛禁制」(1836)、「リエンツィ」(1840)の3作品。
「妖精」以前に、「婚礼」というオペラ作品を手掛けているが完成されず、21歳の「妖精」がワーグナーのオペラ第1作となった。
この「婚礼」は、1幕1場の断片のみ残っているが、ネットでちょこっと聴けたけど、ワーグナーらしい片りんもうかがえるものでした。

「婚礼」の主人公などの名前を援用しての1833~34の作曲、姉で女優のロザーリエへの思慕や彼女の助力から生まれた作品。
しかし上演に奔走してくれた彼女の急死もあって、ワーグナーは意欲を失い、以来このオペラは初演されることがなく、ワーグナーの死後1888年にミュンヘンで上演されたのが初とのこと。

それ以降も、あまり演奏機会がなく、近年での画期的な上演は、1983年ミュンヘンでのワーグナー全作品上演を一人受け持ったサヴァリッシュ指揮の演奏会形式でのもの。
そのあとの上演記録は不明だが、今日のCDの1998年のイタリアのカレアリ、2006年の東京オペラプロデュース(新国)、2011年のフランクフルト(ヴァイグレ指揮)、2013年のライプチヒ(シルマー指揮)などが本格劇場での上演記録で、あとはモスクワの小さなハウスや、スロヴァキアのコツシェ劇場などで、どちらかというと大オペラハウスでレパートリー化するようなオペラでは絶対にないところが、初期3作の共通項だろうか。

3時間あまりを要する長さで、音楽は、ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベア風であり、1度や2度聴いただけでは、さっぱりわからない筋立ても聴き手を困惑させるもの。
おおまかにいうと、「影のない女」のような夫婦が強く結ばれるための試練と、子供も交えた家族愛、そして生真面目なカップルと、コミカルなお笑いカップルふたつが出てくるので、「魔笛」をも思わせる内容。

以下、以前の記事より「妖精」の上演の難しさを・・・

ワーグナー意欲溢れる盛り込みぶり~筋だてがややこしいことに加え、登場人物のそれぞれに難しいアリアが与えられている。
それらをこなせる歌手を揃えること事態が大変。
そしてその主要人物が多すぎるし、かえって人物たちの個性が希薄となってしまうので、出演歌手もやりにくい。

いろんな要素のごった煮~筋でいえば、前述のとおり、おとぎ話的で、「魔笛」や「影のない女」。
主役のアーダはプリマでかつコロラトゥーラの要素も必要。
その夫役のアリンダルは、リリックであると同時に狂乱しなければならいうえ、最後にはヘルデン的な力強さとスタミナを要する。
喜劇的なコンビ、パパゲーノとパパゲーナのようなゲルノートとドロッラに芸達者な二人の男女を要する。
戦いに殉ずるシリアスなワルキューレのようなアリンダルの妹ローラと、アリンダルの親友のいい人役が、ウォルラムのようなモローラで、この二人にも恋愛模様がある。
ともかくまだまだいろんな人物が出たり入ったりと目まぐるしい。

3次元的な妖精の世界と、世俗的な王宮の中を始終、いったり来たりする舞台のややこしさ。
最新式の回り舞台が必要になるくらいで、演出上の工夫がたいへん。

アリア・重唱にこだわり、場や番号オペラの因習を踏んだワーグナーの音楽は、ドイツの先輩からの影響もありつつ、ベルリーニやドニゼッティすらその歌唱法には思わせるものがある。
しかしライトモティーフ風の示導動機も早くも導入しており、これまた時に、オランダ人やタンホイザーを彷彿とさせる響きやシーンも多々あるし、質問してはならない「禁門」や、自らの自己犠牲といった、ワーグナーならではのモティーフも盛り込まれている。
3幕のクライマックスでは、感動的なタンホイザーの終幕を思わせる音楽の閃きがある。

それと、主人公の妖精の娘アーダは自己中心的な存在でもあり、自己犠牲的な行動もするが、その義理の妹となる王子の妹、ローラはワルキューレ的なおっかない戦乙女。
この二人が合体すると、ワーグナーの理想とした女性が出来上がる、そう、のちのブリュンヒルデのような。

第1幕

かつて、アリンダル王子とそのお供のゲルノートは、狩りに出て立派な鹿を見つけ、それを追ったが、川の水にのまれてしまう、これが8年前のこと。
そこで出会った美しいアーダと恋に落ちたアリンダルは、彼女の身分を問わないことを条件に夫婦となり、二人の子供をもうけるが、8年後、禁断の質問をしてしまい、アーダは消え失せてしまう。
 王子を探しにきた、親友のモラルトと部下たち。失意に沈むアリンダルを説得し、故国に帰る気にさせる。
そこに再びアーダが現れ、そして悲しみ、アリンダルに何が起こっても自分を呪ってはいけないと話す。
アリンダルは、またいずれ会えるのだから呪わないと「誓う」と言ってしまう。
実はアーダの父が死に、王女になることになり、人間になることが難しくなっていたのだ。
そう、彼女は、人間の男と妖精の女から生まれた女性なのである。

第2幕

王子の祖国は敵の攻撃で壊滅寸前。ひとり気を吐くアリンダルの妹ローラ。
兄の無事帰還の知らせで沸き立つローラと民衆。
王子とともに行方知れずだったお供のゲルノートと、その許婚ドロッラの滑稽なくらいパパゲーノ・パパゲーナのような結びつきも演じられる

 アーダが現れ、ふたりのお付きの妖精とやりとりをする。その後の彼女の大アリアは素晴らしい。
兄の帰還に沸き立つ宮廷、そこにアーダが登場する。
 アーダは、二人の子供をアリンダルに手渡すが、その喜びもつかのま、アーダは
子供たちを裂けた大地の中に突き落とす。
さらに、軍が総崩れになった知らせとともに、敵が女で、アーダであったことが発覚。
これらの仕打ちに、ぶち切れ怒るアリンダル。
 ついに呪いの言葉を口にしてしまう。
試練に耐えらえなかったアリンダル。

それとともに、悲嘆にくれるアーダ。
彼女はこれで人間になる望みを失い、自分は100年間石にならなくてはならないという。
軍を負かせたのは、内通者がいたからで、将軍モラルトを守り、やがて彼が勝利をもたらすであろうこと。
子供たちは、人間社会に来るため清めたのであってすぐに戻ること・・・これらを告白する。
すると、子供たちがそこに戻り、勝利を得たモラルトも帰還する。
勝利に沸く民衆と、悲しみに打ち沈むアーダとアリンダル。

第3幕

狂気に陥ったアリンダルに代わり、友人のモラルトと妹のローラが王位を継ぎ、その祝宴が行われる。
モラルトは、喜ばしいことではないと、本来の王となる王子の立ち直りを全員で祈る。

皆が去ったあと、アリンダルは狂気と愛を求める夢想のなかで長大なモノローグを歌う。
 王室をかつて導いた魔法使いグロマの声がアリアンダルを励まし、空から、楯と剣と竪琴が降りてくる。
そこへふたりの妖精が現れ、こうなればダメもとだ、とか言いながら、アーダを救ってみせると意気込むアリンダルを、石になりつつあるアーダの元へ連れていくことになる。
ふたつの試練を、グロマの声の励ましと与えられた武器で乗り越えたアリンダル。
 しかし、最後は石を壊す呪文がわからない。
竪琴をかき鳴らし、愛の歌を歌い、ついに試練に勝ちアーダを救いだすことができた。

 妖精の王が現れ、試練に勝った報酬として、アーダとともに不死身の生を与え、妖精の国の王として王国を治めることとなる。
アリンダルとアーダは、故国の妹とモラルトに仲良く国を治めるように歌い、一同賛美のうちに幕。

どうです、ややこしいでしょ。
南イタリアのオペラのオーケストラらしい明るい音色が支配する録音。
2007年のドレスデン国立歌劇場の来日公演で「タンホイザー」を指揮したエトヴェシュ。
その時はオケが素晴らしかったので指揮者の力量は不明だったように記憶するけれど、ここでは、全体のアンサンブルをうまくまとめあげ、舞台上の歌手たちに奉仕するような律儀な指揮ぶりに感じる。
サヴァリッシュのような明晰さはここではないが、オケが明るいから不思議とスッキリしたワーグナーが仕上がった感じだ。

あまり知らない歌手たちばかりだけど、ヒロイン・アーダ役のアメリカのソプラノ、パッチェルさんがなかなか頑張ってる。
ワーグナーやシュトラウスを得意にした彼女、力強さと軽やかさも持ち備えたなかなかの力量とみたが、録音があまりないのが残念。
ドイツの劇場でジョナサン・ノットが活躍していた頃、その指揮でイゾルデを歌っていた履歴も発見しました。
 あと、その夫役のフィンランド出身のテノール、シルキアが、高域をえいッとばかりに引き上げる歌い方が、往年のヘルデン、ジーン・コックスに声も似ていてなかなkの聴きもの。
 あとの歌手は玉石混交な感じだけで、総じて頑張ってます。
でも、豪華なメンバーをそろえたサヴァリッシュ盤には及ばない。仕方あるまいね。

ワーグナー初期オペラ、次は「恋愛禁制」です。

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街並みも秋づいてきましたね。

 過去記事

「東京オペラプロデュース 日本初演公演」

「サヴァリッシュ&バイエルン放送響」

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2020年8月22日 (土)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 朝比奈 隆

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今年じゃないけど、暑い日、湿気が多いとこんな壮絶な空色の夕焼けになります。

こんな空を見ると「ワルキューレ」だな。

ということで、思い切った企画を。
何日間かかけて全部聴きました。
自分も居合わせた伝説の演奏会。
昨年、ようやく入手したこのCD。
思い切って一気に聴きました。

今回は、長文となります!

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 ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」

  朝比奈 隆 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

      (1984~87年 @東京文化会館)

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  「ラインの黄金」

 ウォータン :池田 直樹  フリッカ   :辻 宥子
 フライア  :西松 登美子 ドンナー   :勝部 太
 フロー   :種井 静夫  ローゲ    :大野 徹也
 エルダ   :西 明美   ファゾルト  :岸本 力
 ファフナー :高橋 啓三  アルベリヒ  :多田羅 廸夫
 ミーメ   :磯崎 義昭  ウォークリンデ:釜洞 祐子
 ウェルグンデ:渡辺 美佐子 フロースヒルデ:牧川 典子

           (1984.6.11 月曜 19:00~)

1984年から4年間をかけて行われた「リング」の演奏会形式上演。
社会人3年目の若者だったワタクシ。
平日の7時開始という、通常コンサートと同じなので、気軽に、るんるん気分で文化会館に向かいました。

1階の最前列の席、そして登場した楽員さんたちが、舞台ギリギリ一杯に並ぶさまは壮観で、マーラーはこのホールで聴いていましたが、こんな巨大なオーケストラを見るのも初めてでありました。
ワーグナーの書いた楽譜どおりの楽器の数、ハープも確か6台あったはずだ。
4部作通じて、リングを演奏するオーケストラを間近に見ることができたのも、これもまた稀有な経験だったと言っていいかも。
レコードやバイロイトのFM録音で、耳に完全に刷り込まれていた「リング」の音たち。
あんなことしてる、あ、ここではああして弾いてるんだ、叩いてるんだとか、実際で目で見ながら聴いて、目線もきょろきょろ状態でありました。
そして、なにも気にせずに、その大音響に浸り、堪能しまくるという贅沢。

すでにブルックナーで、新日とのコンビは聴いていた、朝比奈隆。
初めて指揮する「リング」は、4作とも腰掛けを置いて、そこに大半は掛けながら、大きな譜面台に顔を突っ込みながら的な感じでした。
ときおりクライマックスでは、腰掛けから立ち上がり、オーケストラを睥睨するかのごとく、大きな指揮ぶりで、そうした「決め」の場面ではオーケストラが実に雄弁極まりないものでした。
あとは、音楽の流れに即した、おおらかな大河のような安心安全の演奏。

今回、一番古い「ラインの黄金」をあの時以来に聴いてみて驚いたのは、その録音の鮮明さと優秀さ。
ややデッドな文化会館だけど、木質の響きも魅力なホールで、その特徴をよくとらえていると思った。
そして、オーケストラが優秀。
ちょこっとあれれ?はあるけれど、そんなことは気にならない、大指揮者に導かれ、この指揮者のためなら、そして4年間の挑戦といった果敢さも、各奏者たちを奮わせたことでしょう。

大編成のオーケストラの後ろにひな壇を設けて、そこで歌われたので、部分的に声が遠く感じることもあり。
しかし、実際にここに居合わせて聴いたときも、歌手たちの声はしっかり聴き手に届いてました。
二期会を中心に、当時のドイツものに強い歌手たちをそろえた布陣は立派なものであります。
ホッターに師事したという池田直樹さんのウォータンが、3作通じて、一番安定感あり、ラインでは若々しさもありました。
大野徹也さんは、この後、日本の生んだ本格ヘルデンとしてワーグナーにシュトラウスにと大活躍しますが、ローゲ、ジークムント、ジークフリートと3役を歌いました。
一見、つながりのありそうでない3役だけど、こうしてひとりの歌手が歌うことで、ローゲの重要性と橋渡し役ぶりを一貫できることにも気づきました。
指環を奪うことをけしかけ、ブリュンヒルデを守る焔となり、最後は槍をかじり、すべてを焔で包んでしまう存在。
それを感じながら歌った大野さん、実に立派でした。
ラインの乙女に、釜洞裕子、渡辺美佐子の名前を見出せるのもこの時期ならでは。

このときのプログラムでは、金子健志さんが楽曲解説。
渡辺護さんが、演奏会形式の意義。
高辻知義さんが、当時議論白昼の「第2新国」について書かれてます。

ちなみに、新日フィルの音楽監督は井上道義で、永久指揮者が斎藤秀雄、顧問が朝比奈、首席が小澤征爾、幹事が山本直純・小泉和裕・手塚幸紀といった布陣。
この年の秋のシーズンは、井上がプロコフィエフプロ、コジ・ファン・トウッテ、ディーリアスなどの英国プロ、小澤がアルゲリッチとラフマニノフなどを取り上げてます。

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  「ワルキューレ」

 ジークムント :大野 徹也    ジークリンデ    :西松 登美子
 フンディング :高橋 啓三    ウォータン     :池田 直樹
 フリッカ   :辻 宥子     ブリュンヒルデ   :西 明美
 ゲルヒルデ  :柳澤 涼子      オルトリンデ    :菊池 貴子
 ワルトラウテ :桑田 葉子    シュヴァルトライテ :上泉 睦子
 ヘルムヴィーゲ:渡辺 美佐子   ジークルーネ    :永井 和子
 グリムゲルデ :大藤 祐子      ロスワイセ     :妻鳥 純子

        (1985.10.12 土曜 15:00~)

1幕の開始、そのテンポはかなり遅くて、かつ克明な音楽の造り。
でもあとは、力感もともなった鮮烈な運び。

やや不安定でフラット気味の大野さんの1幕だけど、2幕以降は持ち直した感じで、悲劇的な様相も豊か。
リリックで真摯、ひたむきさがよい西松登美子さん。覚えてる、美人だったので、とくに!
安定感あり、貫禄ある神々の長らしさと、怒りと優しさの池田ウォータン。
告別のシーンは名唱だ!
西明美さんの真っ直ぐな、ヴィブラートの少ないブリュンヒルデは若々しく力感もほどよし。
ここでは、ラインゴールドと一転、力強い辻フリッカに、雄弁な高橋フンディングもよい。

テンポに違和感を感じたのは最初だけで、あとは存外、快速・快調。
前作同様に、朝比奈先生の指揮に応えるオケの気迫が、多少のキズをうわまって、感動を呼ぶ結果になってる。
1階8列目の席で聴いた、3幕の告別の感動的な音楽は、自分の音楽体験でも上位にくると思ってる。
このCDを聴きながら、最低限ながら、身振り手振りの演技を伴って、心のこもった歌唱をおこなったみなさんを思い起こすことができる。

1985年のこの年の夏、朝比奈さんは体調を崩し大阪を含め、いくつかのコンサートをキャンセル。
そうしたなか、東京にやってきて、久方ぶりの指揮だったこのワルキューレ。
やはり、並々ならない意欲を持って体調を克服し、いどんだ演奏会形式上演だったわけです。
有名シーンも続出するワルキューレ、立ち上がっての渾身の指揮ぶりも覚えてます。
最終の告別シーンは、オーケストラの美感も含めて、CDであらためて聞くと絶品に感じました。

1幕、2幕は休憩時間も短めで、3幕前に長い食事タイムが設けられました。
いまや昔の感じですが、上野の街まで下りてビール飲みました。

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  「ジークフリート」

 ジークフリート:大野 徹也   ミーメ  :磯崎 義昭
 さすらい人  :池田 直樹   アルベリヒ:多田羅 廸夫
 ファフナー  :高橋 啓三   エルダ  :西 明美
 ブリュンヒルデ:豊田 喜代美  鳥の声  :清水 まり

        (1986.04.19 土曜日 15:00~)

3年目のリング。
こちらも昼からスタートで、3幕前には90分の休憩タイム。
聴き手は、ここまでくるとワーグナーファンばかりなので大丈夫ですが、歌いっぱなしの歌手と出ずっぱりの指揮者とオケには、これくらいの休憩が必用かと思いました。
こうして、オーケストラを眼前にして聴くと、ジークフリートでは、2幕と3幕とで、トリスタンとマイスタージンガーで中断したことから、その分厚い響きとより複雑に、きめ細やかになったライトモティーフの重なり合いなどが、奏者の弾く姿でもよく確認ができて、ワーグナーの音楽が進化したことがわかって、面白かった記憶があります。
実際に聴いたときは、交通整理ぐらいの指揮しか・・・とか思ったものですが、こうしてCDで聴くと、じつに恰幅がよくて立派なワーグナーで、いろんな音がすべてちゃんと聴こえる明快なわかりやすい演奏とも思います。
でも不可解なテンポの落とし方などが、コンサート会場では目立ち、歌手もおっと、という感じの場面もありました。
CDでは、そうした箇所も、ゆるやかに流れるドラマの一環として聴くことができて、違和感はそんなに感じません。

当時のプログラムを読み返すと、この4月の公演の前、2月には朝比奈先生は散歩中に足の小さい骨を骨折してしまい、静養後の東京だったことが書かれてました。
ともかく、指揮者もオーケストラも、4年間、強い意気込みと意欲を保ち続けていたことでしょう。
それは、聴くワタクシにも言えて、4年間、転勤とか病気とか遭遇したくないと思い続けてましたから・・・
ちなみに、プログラムには、練習指揮者への謝辞も出てまして、佐藤功太郎氏と朝比奈千足氏のお名前が出てました。

さて、「ジークフリート」の日本初演は、1983年、ワーグナー没後100年という節目での二期会の上演。
ほんとの初演ではありませんが、私はその3公演の中日を観劇しました。
若杉弘の指揮、ジークフリートは大野、ブリュンヒルデは辻、さすらい人が池田という朝比奈リングのメンバーと同じ顔触れ。
ミーメはホルスト・ヒーステルマンで、これが絶品だったことを覚えてる。
当時の20代の自分の日記を読み返してみて、若杉さんの緻密ですっきりしたもたれないワーグナーを絶賛していて、あと大野ジークフリートの声はまだまだだが、これだけのヘルデンは日本人として期待が高い、というようなことを書いてました。
 ちなみに、この二期会公演が、わたくしの初ワーグナーオペラ体験でありました。

その時から3年。
大野ジークフリートは落ち着きと貫禄を伴って、しかもこの作品ならではの若々しさもともなった歌唱であります。
まだ声のふらつきを感じる箇所もありますが、1幕の最後や、ブリュンヒルデとの二重唱でのタフぶりは見事。
2幕の抒情性もよいです。
1幕最後には、ガッツポーズをされていたような記憶がございます。
 あとその声に好悪は集めそうですが、篠崎さんのミーメ。
言語明瞭でディクションが素晴らしく、アクの強さがミーメの狡猾さと、一方でのおっちょこちょいぶりも表出。
池田さすらい人も、ワルキューレのときよりも、達観した歌がさまになっていて、こちらもドイツ語の発声が耳に心地よい。
リリックな持ち味の豊田さんのブリュンヒルデも、CDからの歌声で、当時の舞台も思い起こせました。

新日本フィルは、この年の9月には、小澤征爾の指揮で「エレクトラ」を演奏会形式上演してまして、定期会員だった自分も聴いております。
ブリュンヒルデを歌った豊田喜代美のタイトルロールに、西明美、多田羅廸夫などのお馴染みのメンバー。
井上、小澤を擁した新日フィルは、意欲的なプログラムが目立ちました。

ちなみに、この「ジークフリート」の1週間前には、私は、ウィーン国立歌劇場来演の「トリスタンとイゾルデ」をNHKホールで観ております。
さらに、この年の秋11月には、二期会の「ワルキューレ」を若杉さんの指揮で観劇。

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  「神々の黄昏」

 ブリュンヒルデ:辻 宥子   ジークフリート:大野 徹也
 グンター   :勝部 太   ハーゲン   :多田羅 廸夫
 グートルーネ :渡辺 美佐子 アルベリヒ  :牧野 正人
 ワルトワウテ :秋葉 京子  第1のノルン :奥本 とも
 第2のノルン :桑田 葉子  第3のノルン :菊池 貴子
 ウォークリンデ:福成 紀美子 ウェルグンデ :上泉 りく子
 フロースヒルデ:加納 里美

      合唱:晋友会   合唱指揮:関屋 晋

        (1987.10.3 土曜日 15:00~ 日本初演)
 
朝比奈リング最終年。
文化会館の改修があって、定期演奏会の開始も10月となったこの年。
「神々の黄昏」は日本初演にあたりました。
そして、この演奏会の1か月後、11月7日に、私は同じ文化会館で、ベルリン・ドイツ・オペラの「神々の黄昏」の上演を観劇しております。
そう、1987年の10月から11月にかけて、日本で初めての「リング」通し上演がなされ、こちらも若かった私は薄給をつぎ込んで全部観劇しているのです。
ですから、この年の秋は、黄昏を2度体験したわけです。
まさに、日本はバブルの真っただ中にあったわけで、ワタクシは、音楽と酒に浸り続けた日々だったのありました。

長い1幕のあとに、90分休憩。
2幕と3幕の間には30分休憩でした。
最初の90分は時間を持て余した覚えがありますね。

大野さんのジークフリート、さらにたくましくなって、自信もみなぎってました。
1幕で人格が3度変わる難役ですが、幸せに満ちた歌声、騙され恋にほだされたせっかちな役柄、そして別人になり切り悪の歌声、と見事に歌い分けてましたし、スタミナ配分も申し分なく、ラストの死の場面は迫真迫るものがありました。
あら捜しをして、欲を言えばきりがないですが、この時代に、この難役をこれだけ立派に歌いきったことを賞賛しなくてはなりません。

同様のことが辻さんのブリュンヒルデにもいえて、メゾが本領なので、高域はこうしてCDで聴くと辛いものがあるが、演奏会での印象はそうではありませんでした。
とにかくひたむきな、真っ直ぐの気合の入った歌唱で、あのときの自己犠牲では神々しさすらありました。
 あと知能犯的な知的なハーゲンを感じさせる多々羅さんの役造りもいいが、ラストシーンではオーケストラの熱気に「リングに触れるな」はCDではかき消されてしまいました。
勝部さんのグンターも懐かしいし、渡辺美佐子さんの気の毒なグートルーネもよろしい。

合唱は録音のせいか、ホールで聴いたときのほうが、圧倒的だけど、でも日本の合唱団はこのときも、ずっと前からも精度は高い。

長丁場のオペラだけど、有名シーンも多数ある「神々の黄昏」
ラインの旅、葬送行進曲、自己犠牲など、そうしたシーンでは、朝比奈先生も指揮経験が豊かなせいもあり、スコアに顔を埋めることなく、立ち上がり渾身の指揮で、実に説得力あふれる演奏となった。
ことに、葬送行進曲からラストまでは、4年間の集大成ともいえる意気込みからか、オーケストラ部分は、あらゆる「黄昏」の演奏のなかでも上位にくるくらいに、やる気にあふれた音の粒立ちの良さと熱気が味わえる。
そして素直に感じる、ワーグナーの音楽の素晴らしさ。
この魅力にはあらがえない。

こうして神々の黄昏を聴き終えて、あの日、しびれるような感動と達成感に満たされた若い時分を思い出すことができた。
そして贅沢なことに、この1か月後にはリング通しで、さらなる感動を味わっていた自分も同じ文化会館にはいたのでありました。。。。

ついでに言うと、二期会の「リング」完結は、1991年7月の「神々の黄昏」で、若杉さんの指揮。
これもよく覚えている感動的な上演でした。
二期会のオペラも、今思えば、音源として残しておいて欲しかったものです。
「若杉さんの指環」なんて、夢のようです・・・・

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調子に乗ってチケットもお見せします。
ラインの黄金なんて最前列で、オケのシャワーを浴びてますよ(笑)
自分の行った演奏会のCDが聴けることの幸せ。
あと、なにごとも、記録しておくことの大切さ。
そういう意味では、ブログは日記替わりで、自分の音楽ライフのアーカイブなんです。

朝比奈リングの演奏タイム

①「ラインの黄金」  2時間32分
②「ワルキューレ」  3時間47分
③「ジークフリート」 3時間54分
④「神々の黄昏」   4時間15分

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ほどほどのゲリラ雷雨は、虹の副産物がありますので許せますが、激しいヤツ、長いヤツは困ります、ダメです。

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2020年6月14日 (日)

ワーグナー オペラ 序曲・前奏曲 全部聴く

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梅雨入り前の晴れ間に神社巡り。

旧東海道、品川宿を抜けて品川神社に。

1187年の創始で場所柄、家康などとも由縁のある社です。

この社の後ろのほうに、板垣退助の墓石がありますが、改装工事で行きつきませんでした。

自由民権運動の祖でもあり、板垣死すとも自由は死せず・・・は著名な言葉です。

最近は、自由の名のもとに歪んだ活動が横行してると思いますがいかに。。。。

そして、存外に市民運動に身を投じ、貴族的な政治を批判したワーグナーも革命好きな方でした。

関係ないけど、この際、10あるオペラ作品の管弦楽部分を一気に聞いてしまおうという企画です。

数年前にもやってますが、音楽への渇望がみなぎるいま、またやっちゃいます。

一部ジャケットは、手持ちが好みでないものは、借り物です。

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  「妖精」 序曲

 エド・デ・ワールト指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

現存する完成された、ワーグナーのオペラ作品の第1作。
この前に「婚礼」という作品を手掛けたが、未完のまま破棄。
1834年、21歳の作品。
ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベアなどの影響を受けつつ、オペラの内容もおとぎ話風で、かつ喜劇的な要素や、狂乱の場的ないろんな要素が混在していて、しかも歌手への負担も大きく、なかなか上演が難しい処女作。
序曲もなかなか演奏会でもお目にかかれない。
 目隠しされて聴かされたら、ワーグナーとはすぐには見抜けないけど、のちのワーグナー風であることは確か。
オランダ人みたいな旋律も聴かれる。
ワールトがコンセルトヘボウとデジタル初期に残した録音は、さすがのフィリップスサウンドで、フレッシュかつ活気あふれる演奏であります。
ジャケットがノイシュバンシュタイン城の近隣にあるホーエンシュヴァンガウ城であることが実によい。
ノイシュバンシュタインの前に、ルートヴィヒ2世がこの城で過ごした縁の地です。

唯一の舞台体験・日本初演 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2008/02/post_7711.html

サヴァリッシュのCD   http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/06/post-4d08.html


Sawallish

  「恋愛禁制」 序曲

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

非正規のものも含むと、初期3作を含むワーグナー全オペラ作品を上演し、聴くことができる唯一の指揮者がサヴァリッシュ。
「妖精」のすぐあと23歳の作品。
シェイクスピアの戯曲をベースにした、イタリアを舞台とする、ワーグナーらしからぬイタリアンカラーに染まった喜劇。
カラッとした明るさのなかに、音楽と劇とが密接感を増していて、イタリアンだけどワーグナーらしさが出てきているオペラ。
タンバリンとカスタネットで始まるワーグナーの音楽なんてちょっと信じられないですね。
中間部では劇中のアリアの旋律が出てきて、なかなかいい雰囲気。
以外と好きな序曲だったりしますな。

フィラデルフィアの明るい音色と機能性があって、ミュンヘンの明るさとはまた違う楽しみがあります。

日本でも上演歴があるも、見逃してます。

サヴァリッシュのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-fbc3.html


Wagner-mehta-1

  「リエンツィ」 序曲

 ズビン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

序曲だけはやたらと有名。
でも全曲上演はやたらと長いこともあって、欧米でもめったに上演されず、わたしは、準地元・藤沢での98年の日本初演をこれまた逃してしまった。
借金と遍歴癖のワーグナーは、パリではやりのグランドオペラ風の上演を目指し、かの地で「リエンツィ」を作曲したのは27歳1840年のこと。
しかし、初演はされず、42年にドレスデンで初演され大成功し、その流れでオランダ人につながる。
全曲はともかく長くて、初レコードは5枚組だった。
その全曲のエッセンスともいえるのが序曲。
熱烈な護民官リエンツィの祈りの旋律が美しく、そして勇壮で、人心を鼓舞してしまいそうな、行進調の勇猛果敢な音楽。
深く考えず、楽しめるメータの指揮でどうぞ。

このオペラでもサヴァリッシュの献身的な活動が光りますが、同時にルネ・コロという大歌手あってのリエンツィ。

ホルライザーのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-e13c.html


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  「さまよえるオランダ人」 序曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

いよいよ7大オペラとなると、耳なじみばかり。
リエンツィと同時期に29歳で作曲し、ドレスデンでリエンツィの1年後に初演。
ライトモティーフの活用が堂に入り、音楽の構成力も大幅UPし、無駄がなくなった。
初稿版では、序曲のオペラのラストも救済動機はなし。
その40年後、1880年に円熟の域に達したワーグナーの最終稿で、救済がプラスされた。
救済ありバージョンが主流だったけど、最近はバイロイトでもなしバージョンも多く上演されるようになった。
その混在もあって、序曲は救済なし、ラストは救済ありの折衷方式も新国で観ました。

でも序曲単独では、演奏効果が上がり、完結感が増すので救済の動機で終わるものがほぼ100%。
パリ管のワーグナーということで、デジタル初期にレコードで出たバレンボイム盤にすぐ飛びついた。
菅の音色などに、フレンチワーグナーの香りを感じさせるが、バレンボイムの重さ感は、とくにトリスタンなどに顕著。
ホルンがステキなパリ管オランダ人はいい。これ好き。

Abbado-2

  「タンホイザー」 序曲

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

32歳のワーグナー、リエンツィとオランダ人の成功で指揮者としてもドレスデンの宮廷劇場のポストをえて、順風ななかに「タンホイザー」を作曲。
これまた成功して、少し改訂してドレスデン版として、いまの序曲が完全演奏され、その後にヴェーヌスブルグの音楽に入るのが今の定番。
のちにパリでの上演に際し、序曲の途中のヴェーヌスブルグの音楽から、オペラ本編になだれこんだり、歌合戦に手を入れたパリ版が作られ、この版の上演も多々あるし、さらにドレスデンとパリ版の折衷もあるという、実はややこしいタンホイザー。

でも、普通に取り上げられる序曲は15分のオペラのエッセンスともいうべきドレスデン版のもの。
起承転結がちゃんとあって、思えばオペラの内容を凝縮したもの。
よく歌うアバドの研ぎ澄まされたワーグナーは、トリスタンを中心にほかの指揮者とは違う新しいワーグナーを打ち立てたと思っている。
癌で倒れることがなかったら、トリスタンとパルジファルのあとに、このタンホイザーを、やがてマイスタージンガーを取り上げたかもしれない。(本人もそんな発言をした時期があった。)
同じベルリンフィルでも、カラヤンの重心の低いレガート気味のワーグナーとは、まったく違う。
明るく、透明で、ピアニシモが豊かでサラリとしたローカロリーのワーグナーは新鮮。

Bohm

  「ローエングリン」 前奏曲

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ドレスデンを拠点とした37歳の年に完成、しかし革命好きが災いし指名手配を受けドイツから出ざるを得なくなり、ローエングリンの初演はリストに託し、ヴァイマールで上演。
タンホイザーからローエングリンへの飛躍も大きく、オペラの内容を凝縮したような大規模な序曲は廃され、簡潔な前奏曲となり、オペラ本編でもアリアが突出することなく、劇の流れが優先し、人物たちの性格表現がより豊かに。
性格もよろしくなく、品行方正とは言い難かったワーグナーが、こんな清らかな音楽を書くなんて。
ロマンティストであり、美と理想を求める自己陶酔性がワーグナーの一面、というより本質がこの音楽かもしれない。
同じことはトリスタンにもいえる。

ベームとウィーンフィルの木質感あふれる、まろやかなローエングリンは、その穏やかでゆったりとした運びにおいて理想的な美しさ。
前にも書いたけど、ベームはローエングリンは、最初から最後まで、4拍子で振ってればいいんじゃよ・・なんて言ってたけど、正規録音で全曲残してほしかったな。

ベームのローエングリンCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2017/07/post-c1ea.html


Stkowski

  「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

 レオポルド・ストコフスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

46歳となったワーグナー、1859年の作品。
ドレスデンを追われ、亡命先のスイスで、このトリスタンの前に「リング」に取り組み、ライン、ワルキューレ、ジークフリートの2幕までを完成させていた。
楽劇・ムジークドラマは、もうすっかり板について、全曲に張り巡らされたライトモティーフ、どこまでも発展していく無限旋律など、ワーグナーの筆致は最高の域に。
加えて、半音階進行の和声など、このトリスタンが聴く人に、それこそ憧憬と渇望を与えてしまうというやるせないイケナイ音楽なのだ。
ワタクシも中学~高校と胸かきむしりながら聴いてました(笑)
演奏会でも、「前奏曲と愛の死」はやたらと人気曲で、ブルックナーの7番とマーラーの5番の前に演奏されることが多い。

ストコフスキーを選んだことには深い意味はありませんが、91歳の指揮者とは思えない若々しさと、不思議な毒気を感じます。
前奏曲の盛り上がりでは、超快速で、胸かきむしるヒマはございません。
愛の死も、さらさらと流麗にことが進み、何事もなかったように浄化されてしまうワザを披露してくれますが、最後にスコアを一ひねりしてまして、最終音がどこか違う。
やっぱりなんかやってた(笑)

Wagner-barbilloli-1

  「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲

 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

短調に続いて長調、それも開放的なハ調。
リングの合間に書かれたトリスタンとの姉妹作。
いろんなことを同時進行的にこなしていたワーグナーは、イケナイ結婚や、パトロンを得ての安定的な生活のなか、試行錯誤しつつ1867年に齢54歳でマイスタージンガーを完成。
没頭的な愛に溺れた二人が主役のトリスタンに対し、マイスタージンガーは、ニュルンベルクという街と親方たち、ドイツ芸術が主役で、神話や伝説でなく史実を描いたことでも画期的。
でも、ちょっと政治色も出て、後々の火種として使われてしまうことも・・・

バルビローリのステレオ録音のワーグナー集は50年代後半のハレ菅のものと、晩年のロンドン響とのマイスタージンガー前奏曲だけ(たぶん)
前奏曲のテンポのゆったりぶりは、ブーレーズと並んで随一かと。
でもその豊かな歌といったらありません。
併録された3幕への前奏曲とならんで、しみじみと聴ける味わい深いワーグナー。
さらに併録の3幕の市民の踊りや親方たちの入場などの弾むリズムや、生き生きとした活力など、バルビローリならでは。
ちなみに、親方たちの入場から、ザックスの市民への挨拶、そしてラストのエンディングと3幕が手短にまとめられてます。
カラヤンのドレスデンでのマイスタージンガーが、最初はバルビローリの指揮で企画されたとか・・・

Runnicles

  「ニーベルングの指環」 管弦楽曲集

 ドナルド・ラニクルズ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ

1848~1874年、35歳から61歳まで、あしかけ26年をかけて作曲された「リング」4部作。
最初に書かれたラインの黄金のライトモティーフが、進化しつつも、容を変えずに、神々の黄昏にまで引き継がれ、連続性を持った4つの楽劇がひとつの大河ドラマのように保たれているのが、この年月を思うと驚異であります。
ワタクシのような凡人には、とうていなすことのできない持続的な事業継続意欲。
14時間かかる全作を1時間ぐらいの連続した流れの音楽とした、フリーヘル版オーケストラル・アドヴェンチャーは定番化しましたが、ここで聴くのはそうではない、楽曲チョイス方式。
ワルキューレの騎行、告別と魔の炎の音楽、森のささやき、夜明けとラインの旅と葬送行進曲に自己犠牲。

スコットランド出身のラニクルズは長くベルリン・ドイツ・オペラを率いるオペラ指揮者であり、ブルックナーやマーラーなどのドイツもの、英国音楽も得意とするマルチな指揮者で、左手に指揮棒を持つ左利き指揮者であります。
ラニクルズのダイナミックで、スケールの大きい演奏は結構好きで、大曲を構成力豊かにテキパキと指揮できる力量は並々ならないです。
毎年のPromsでは、オペラをやってくれますので、ワーグナー、シュトラウス、ブリテンなど、かなりアーカイブができました。
そんなラニクルズがドレスデンを指揮した正当・本流ワーグナーがこの1枚。
96年の録音で、オペラのオーケストラであることを管のちょっとしたフレーズや、雰囲気ゆたかな弦の支えなどに感じるし、なによりも音色の暖かさがよろしくて、ヒノキ香る温泉にゆったりと浸るが思いであります。
ヤノフスキがリングを録音した、あのときのドレスデンの音です。

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  「パルジファル」 前奏曲と聖金曜日の音楽

 オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送交響楽団

リングを自分の劇場を造ってついに上演。
しかし、ワーグナーの夢はまだ冷めやらず、イタリアに居を移して1877年、64歳の年に「パルジファル」を完成。
しかし、パルジファル構想は、ずっと昔、ローエングリンの頃に着想されていて30数年間あたためてきたもの。
ここでも変わらぬ熱意と、絶倫的な構想力の維持の力を感じます。
パルジファル後も、まだオペラの発想があったワーグナー、ワタクシにはもう神さんです。
舞台神聖祭典劇という大仰なジャンルを開拓したものの、あとにも先にも、これひとつ。
楽劇はシュトラウスや一部の作曲家が使ったけれど・・・

リングでは単独演奏できるような長い前奏曲はなしで、パルジファルでは、ローエングリンを思わせるような神聖かつ静謐な長い前奏曲が付きました。
愛餐の動機、聖杯の動機、信仰の動機からなるシンプルながら、実に深みのある前奏曲。
単独演奏だと完結感をつけるためのエンディングがあるが、わたくしは、そのまま音が延ばされ、そのまま本編に突入して欲しい思いにかられる。
ワーグナーの書いたもっとも美しい音楽のひとつと思うのが、「聖金曜日の音楽」。
野に咲く花のように美しい。

1951年から続いた戦後バイロイトの象徴ともいえる、ヴィーラント=クナッパーツブッシュのパルジファル。
70年代に入っての数年を指揮し、ラストをみとったのがヨッフム。
まさに順当ともいえる穏健かつ緩やかなこのCDでの演奏は、57年の録音でミュンヘンのきっとヘラクレスザールでのものでしょうか、とても鮮明で響きも豊かです。
初代指揮者として、バイエルン放送響の足場を築きあげたヨッフム。
この時期のバイエルンも、いまと変わらず暖かくて明晰なサウンドを聴かせます。
いまも昔もミュンヘンのオーケストラは優秀で、味わいにもかけてません。

ヨッフムのパルジファル http://wanderer.way-nifty.com/poet/2011/07/post-175f.html
オルフェオで正規復刻してくんないかな・・・

数日かけてワーグナーの全オペラ作品を駆け足で振り返りましたが、オオトリの聖金曜日の音楽で、ほろりときました。
ワーグナーのような大規模な音楽は、コンサートでも、ましてやオペラ上演でも、今後いかにして取り上げられるのだろうか。
いい着地点が見つかりまして、ワーグナー好きの渇望をなんとか満たしてほしいものです。

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梅雨まっさかりで、街はしっとりとしてます。

ウィルスのヤツは、暑さと湿り気には弱いのだろうか・・・
まったくもう!

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2020年4月19日 (日)

ワーグナー 「パルジファル」 ストリーミング大会

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芝公園内、増上寺の隣にある神社。

家康を祀った芝東照宮。

梅と桜が、毎春、美しく咲きます。

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八重桜、日本の神社仏閣と桜は、とてもよく似合います。

もともとが八百万の神を信じてきた、いや無意識のうちに、そんな日々を生活に溶け込ましてきた日本人。
なんにでも手を合わせてしまう、ある意味無宗教ともいえるのかもしれないが、その根底には自然信仰があるかもしれません。

Parsifal-bayreuth

毎春パルジファル。
そう聖金曜日のシーンがあるし、ワーグナーがそれこそ舞台神聖祭典劇と名付け、バイロイトを想定して作曲しただけに、以降しばらく一般劇場で上演が禁じられたある意味特別な作品。

戦後1951年に再開されたバイロイト音楽祭では、作曲家の孫、ヴィーラント・ワーグナーの演出とクナッパーツブッシュの指揮によるこのパルジファルが、定番・名物ともなり、ライブ録音もなされ、世界のワーグナー好きの指標となりました。
この演出は1973年まで続くことになりますが、その後を受けたウォルフガンク・ワーグナーの穏健な演出も同じ基調にありました。

バイロイト以外では、情報がなく不明ですが、そのバイロイトでも、「パルジファル」の基本概念を覆す演出が始まったのは、1982年のゲッツ・フリードリヒから。
この演出の映像がないのが残念ですが、時空の概念を超える空間演出とか評され、指揮のレヴァインは嫌々指揮してたとか、あとで告白したりしてます。
その後、穏健な舞台に行きつ戻りつつ、本場のバイロイトも伝統的な解釈にとらわれない上演が定着したように思います。

 その伝統的な解釈とは、その根底に「キリスト教」があるということ。
原罪と救済、聖杯と聖槍といった聖具、聖堂に礼拝、受難と復活、こうしたモティーフがワーグナーの書いた物語に普遍的にあるので、それらを抽象・具象問わずに再現すること。

しかし、このキリスト教信仰の根底の裏返しには、他の宗教への蔑視や、ワーグナーの反ユダヤといった思想、ナチスの台頭なども想起させるというのも近年のフラット社会を根差した考えから、あえて「キリスト教」的なものをスルーする動きが出ているわけです。

作品が、持っている根底を、いまの風潮と、どう折り合いをつけていくか。
「パルジファル」という作品を、いまの現在上演するのは、ほんとうに難しいと思われるし、ある意味、やりがいのある凄い作品なのだ、ということにもなります。

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演奏会やオペラの上演ができなくなり、また自宅で過ごす方が世界中多くなり、オペラのネットストリーミング配信がとても多くなりました。
すっかり、その恩恵を、極東に住みながら受けているわけで、申し訳なくもありがたい思い出いでいっぱいなのです。
もう、それこそたくさん現在進行形で観ているけれど、それを各々記事にするのもどうかと思われますので、これまでしませんでした。
しかし、「パルジファル」だけは残しておこうと。
なんと9つの「パルジファル」上演が放送され、うち7つを観てしまいました!
古いものから。

Met-1Met-3

 2013年 メトロポリタンオペラ

カナダのジラール演出。
ガッティ指揮、カウフマン、パペ、マッティ、ダライマン、ニキティン。
舞台の真ん中に亀裂があり、右は宗教的な団体、左は女性たち。
パルジファルは、この亀裂の中を分け入り、クリングゾルから槍を奪還して、そちらの世界を崩壊させ、最後は亀裂がなくなり、同一の世界となって、みんなで光が差す空を見上げるというもの。
聖具はちゃんとあるが、キリスト教的なものはまったく感じさせず、聖杯系の方々は白いワイシャツ。
 他民族国家アメリカらしい、自由社会を描くものか、この演出のころはまだましだったアメリカ社会は、ソーシャリズムとポリティカル・コレクトネスで、より多文化共生という複雑な様相を呈している。
いつかまた、そんな社会を背景としたパルジファル演出がなされるのではと思う。
ちなみに、花の乙女たちは、まるで「貞子」のようであったことを、ここに付記しておきます。
若いカウフマンがビジュアル的に最高。


Wien-2Wien-1

 2015年 ウィーン国立歌劇場

もっと前と思われるが録画されたのが2015年のクリスティーネ・ミーリッツの演出。
アダム・フィッシャー指揮、ボーダ、ミリング、フォレ、デノケ、ボアーツ。 
聖杯守護の騎士たちは、フェンシングスクールの生徒たちで、その練習に勤しんでいる。
クリングゾールの城は、現代風のリビングルームで赤い装飾、ミラーボールで、クスリ漬けのクンドリーはキャバレー一の売れっ子のように晴れやかに登場。
3幕は、ただただ暗く、聖金曜日も暗く、野も花もなく、遠くに山並みがあるのみ。
ともかくやたらと血だらけアンフォルタスは、ライトセーバーみたいな槍でなんとなく癒されるのみ。
最後は、昇天したクンドリーを除いて、全員がステージから観客の方を見つめて終わり・・・と思いきや、開けられなかった聖杯の箱を持っていたジイさんが、それを落としてしまって、聖杯が粉々になっちまうオチがある。
 伝統的な演出の多いウィーンでもこんな感じで、むしろ滑稽で笑える。
A・フィッシャーの指揮がまことによろしく、故ボーダの見た目はキツイけど、素晴らしい歌を聴いて、その死の大きさを思う。
デノケは、まったく不調で、絶叫も外し、気の毒で、この役には似合わない。

Berlin-1Berlin-2

 2015年 ベルリン州立歌劇場

ロシア出身のチェルニアコフ演出。
バレンボイム指揮、シャガー、パペ、コッホ、カンペ、トマッソン、あとティトゥレルに懐かしいマティアス・ヘレ。
今回の一連の観劇のなかで、自分的には一番ショックだったし、よくよく考えられた演出であり、演奏の安定感も一番だと思った。

見事な読み込みで、ワーグナーの物語の根本は変えずに、今生きる我々にいろんな問題を提示してみせた感じ。
聖杯騎士軍団は暗い新興宗教を仰する軍団で完全三密状態にある方々。
指導者ティトゥレルは崇められ、道を踏み外したアンフォルタスは、バカにされ小突かれまくる。
パルジファルは家出のバックパッカーで、危ない神経質な少年で、リュックからミネラルウォーターを出したり、いろいろ細かな動きをする。 
クリングゾルの城は、身寄りなしの女子たちの寮みたいな感じで、クンドリーはそこの出身者で姉的な存在。
クリングゾルは悪者ではなく、その寮のおどおどしたバーコード頭のオヤジさんで、すごくいい人で、クンドリーのことが心配でならない感じ。
そこへ、2階の窓からこそこそ侵入するパルジファルに失笑。
で、あわれクリングゾールは、ぶっ殺さ・・・・
マザコンのパルジファルの性を開放したのは、クンドリーで、クンドリーは、きっとかつての侵入者だったアンフォルタスのことが忘れられない。そんな仕掛けもある。
当然に、聖金曜日もクソもなく、密室状態でのあの神々しい音楽は、ただの美しい音楽でしかない。
パルジファルとクンドリー、子供時代のこだわりの品々を出してきて、これは背負ってたもの、かつての縛りから解放される解釈とみた。
 パルジファルの聖なる行いに、信者たちは、あらたな指導者の登場とばかりに、アンフォルタスを捨て置き、パルジファルを撫でまわし、崇め奉る。
そして、最後は軍団の影のフィクサー、グルネマンツが・・・・・ここは観てのお楽しみか。
人間の抱える苦悩をどう開放するか、宗教はみせかけなのか、人の集団組織を維持するには悪もまたしかりか、いろいろと考えさせることが満載で、ともかく登場人物たちの目まぐるしい動きは、それぞれに心理的な動きも内包していて目が一時たりと離せない。
 このチェルニアコフとバレンボイムのコンビで、プロコフィエフの「賭博者」と「修道院での婚約」の2本も今回観ることができたが、これらもまた実に深くて、これまた超面白い演出だった。
 シャガー、パペ、カンペ、みんないい。トマッソンの気の毒なクリングゾルもこれまでにない存在だった。

Parsifal-wien2017Wien-2019-b

 2017年、2019年 ウィーン国立歌劇場

ウィーンのいまのパルジファル。
ラトヴィア出身のヘルマニスの演出で、この人は知らなかった。
2017:ビシュコフ指揮、ヴェントリス、K・ユン、フィンリー、シュティンメ、シュメッケンベッヒャー。
2019:ゲルギエフ指揮 オニール、パペ、T・マイヤー、ツィトコワ、ダニエル。

暗いムードの以前のウィーンの舞台とうってかわって、この明るいゴールド系の色彩。

ウィーン分離派・世紀末のリアルな舞台設定。
オットー・ワーグナーの設計した、ウィーンの郊外にある聖レオポルト教会そのもので、この教会はシュタインホーフにある精神病院内の付属教会です。
ここがリアル舞台となっていて、まさに病院内での出来事ということになる演出。
時代設定もその時分で、ワグナリアン風の市民・病院職員が最後には身を隠さずに登場するし、パルジファルも時代遅れのリアル騎士になっていてノスタルジー誘う存在。
でも、いずれも病んでる(精神的に)存在ということか・・・
 聖具は、槍は尖がった棒で、聖杯はなんと脳みそ。
医師のグルネマンツは治療方法に大いに悩み、アンフォルタスは頭に包帯を巻き、患部は頭で血がにじんでる。
クリングゾルも医師で、院内の光の届かない場所で、電気治療を施していて、何人か失敗してる様子が描かれ、その脇には大きな脳に槍が突き刺さっている。
その槍を取り返すのがパルジファルで、クリングゾルは、槍を取られたあとも、元通り研究に勤しむ図が描かれる。
クンドリーは、グルネマンツの下では檻に収監され、クリングゾルの下では、ワルキューレのような姿で騎士を誘惑。
 聖金曜日はなく、心持ち、クリムト風の花が壁面にマッピングされるのみで、宗教性は皆無。
アンフォルタスは救われて即死。
巨大脳みその上に、シュタインホーフの巨大な天蓋が下りてきて、クンドリーは、静かに舞台を去り、行方知れず。
なんだかよくわからないうちに、グルネマンツが蓄音機のまえで、音楽を聴きつつ幕。
アールヌーヴォな装置は、それなりに美しいが、聖具が脳みそにとって代わり、心の病の治療の仕方による争いに読替えた感じ。
フロイトとかも意識したのかもしらん。
なによりも、ウィーンの観光大使みたいな演出に感じ、そこに今風のテイストをつっこんだのかな。
観光地巡りはいらないな。

ビシュコフの2017年版は音が悪すぎ、ユンのグルネマンツが素晴らしく、シュティンメも存在感たっぷりで、フィンリーもよし。
ゲルギエフ2019版は、音質最高ながら、急ぎすぎのテンポはいかがなものか。
でも、安心感のパペに、なんといってもツィトコワの強靭な声と、演技のうまさが抜群のクンドリーに感嘆。
今年のパルジファルは、指揮はアルテノグリューだったようだ。

Humburg-1Humburg-4

 2019年 ハンブルク州立歌劇場

配信が重く、全部見てません!見たい!

2017年制作のアヒム・フライヤー演出。
K・ナガノの指揮、シャガー、ユン、コッホ、マーンケ、バイコフ。
こんな姿をしてますが、豪華なメンバーです。
 フライヤーは、いつもこんなステージと人物デザインをしかけてきます。
わたくしは、1984年のハンブルクオペラの来日で、この人の1982年演出の「魔笛」を観てます。
それはもう、びっくりの舞台で、テーマが魔法の笛ですから、ある意味なんでもあり的な納得感もありました。
いろんな演出を手掛けているようですが、しかし、これパルジファルですよ(笑)
黒い画像がグルネマンツ、緑がパルジファル。
完結してみてませんが、物語の筋や、登場人物たちの動きは、ト書き通り。
要は、その描き手の人物や背景にフライヤーならではの誇張とシニカルな意味づけをしたのだと思います。
それと静的かつデフォルメされた動きと、顔に描かれた表情以外のものを感じさせない一方的な人物たちのイメージの植え付け、これもまた、ある意味、音楽がその演出を補完することで成り立つ舞台かと思料しました。
能とアメリカのスクリーンも意識か、
グルネマンツはお顔がちぐはぐ、パルジファルは笑い顔のジョーカー、クンドリーは汚らしい感じ、クリングゾルはマジシャン、アンフォルタスは二人羽織の磔刑のイエス・・・・
存外に面白い、ちゃんと全部見たい。
冷静なナガノの指揮に、ここでもシャガーの明るい声、ユンの滑らかなバス、で、マーンケの驚きのクンドリー。
これは意外に、いいパルジファルだと思う(笑)

Bayerische-2Bayerische-1

 2018年 バイエルン州立歌劇場

ベイルート出身、フランス系のアウディの演出、そしてバセリッツの舞台装置。
K・ぺトレンコの指揮、カウフマン、パペ、ゲルハーヘル、シュティンメ、コッホ(クリングゾル)

プリミエ時にすでに映像確認済み。
第一印象はとても悪く、気にいらない。
それはいまも同じ。

神聖を徹底的に排除し、陳腐化する。
聖杯は、まったく登場しないし、聖なる槍も、針金のような陳腐な十字架もどき。
聖なる行いには、最後は血塗られた手で顔を覆い、タイトルロールの主役も、こんなふうに見たくないってさ。
この行いは、宗教的な場面で常に出てくる。
ちくいち、そうしたワーグナーの意図と宗教観を消してみせる。
花の乙女たちは、肉襦袢を着て出血した醜い姿・・あ~もう。
ワーグナーの音楽と劇を完全に踏み違えている!
と思う前に、こうした否定オンリー、陳腐化でひとつのオペラが成立することが可能なことに感嘆、そしてこれでいいのだろうか、との思い。

わかりませんよ、こんな素人が書き連ねてることですから、もっと大きなメッセージや考えも込められていたかもしれません。
でも好きじゃないな。
ミュンヘンでこれ?
2年前のライブでは、たいそうなブーイングが飛んでました。

ペトレンコの指揮はやたら快速。
でもメリハリがあって強いオケがピットから立ち昇る感じ。
個人的には、でも、う~む?かな
充実のカウフマンに、シュティンメはよし。
コッホもアンフォルタスより、ビジュアル的にもクリングゾルのほうがいいが、アンフォルタスのゲルハーヘルは妙に多弁でどうも・・

 ---------------------

あと、ザルツブルクイースターのティーレマン、デンマークのA・フィッシャーなどもありましたが、今回は時間切れ。

しかし、おかげさまで、前にもまして、普通の演出や出来事では満足できなくなってしまった自分がある。

でもね、既成を壊すことだけに、自らの意義を見出すだけになったら、そこは暗黒しか残らないと思う。
観る人が、素直にちゃんと、その意図を受け止められる演出こそあるべきものだ。

Shiba-4

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