2008年7月20日 (日)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ベーム指揮

Logo1_gross夏の到来とともに、ドイツでは「バイロイト音楽祭」が始まる。
毎年日本にいて、この時期いてもたってもいられなくなる私である。
そんな訳で、真夏はワーグナー。
暮れは、NHK様が四半世紀に渡ってFMで放送してくれているので、真冬もワーグナー。
春も秋も、季節がいいから心置きなくワーグナー。
そして、年中ワーグナーなわたしである。

今年のバイロイトは、7月25日に、新演出の「パルシファル」で幕を開ける。
若いヘルンハイムの演出(過激派らしいが・・)、ガッティの指揮、我らが藤村さんのクンドリー、ユンのグルネマンツというアジア組が主役級。楽しみなことだ。
バイロイトのサイトが大幅にリニューアルされ、すっきりしたけど、過去舞台画像がまったく消え去ってしまった。そのかわり、ビデオが充実していて、ティーレマンのリング姿や、ガッテイやパルシファルを演出するヘルンハイムがちょこっと見れる。
こうしたビデオも、時おり更新されるといいし、画像は遠い極東で、バイロイトを偲ぶよすがであるから、是非とも載せて欲しい!

Bohm_hollander

ひさしぶりの「さまよえるオランダ人」。
長大なワーグナー作品の中にあって、短いこのロマンテックオペラは、CD2枚で2時間20分くらい。
劇場上演でも、19時開演でも余裕の作品。
かといって、のちの作品ほどに積極的に聴くこともなく、CDは5種類しかないし、舞台経験も3回のみ。
ワーグナーの色濃い音楽ではあるが、まだ番号付きの伝統的なオペラの域から脱することが出来ず、素材は斬新ながらドイツオペラの因習から完全に抜け出すことが出来ずにいた作品。
でも、題材の背景にある暗いさや、バスバリトンを主役におき、ヒロインも夢み、病的なまでの存在で、登場人物がいずれも暗く自己の世界を持っている。唯一ダーラントだけが俗物だが、彼も最愛の娘を失う結末があり、このオペラ後は悲しい運命が待ち受けている。
 こんな伝説的な題材を選択し、思うままに音楽を付けたということ自体が、若きワーグナーの革新なのであろう。
「妖精」でお伽話(ある意味ジングシュピール)を、「恋愛禁制」でイタリア的な喜劇を、「リエンチ」で歴史劇的グランド・オペラを。
これらの後に選んだ「オランダ人」は、伝説の世界に素材を求め、のちのち、伝説や神話を題材にしてゆくことの先駆けとなった。

音楽もライトモティーフの活用がより明瞭となり、番号付きなれど、音楽はよどみなく連続性があって、緊張感も増すこととんった。
ワーグナーの作品を、作曲順に聴いてゆく楽しみは、その筆と素材の新化を実感することにもある。

Hollader_702ab 1966年のヴィーラント・ワーグナー亡きあと、運営を任されたウォルフガンクは、演出も継続するかたわら、劇場の運営の責任も負わなくてはならなくなった。
必然として、兄弟以外の第三者を演出家として招かなくてはならなくなった。
その最初の人物が、アウグスト・エヴァーディンク
1969年に、「オランダ人」の演出で登場し74年に、カルロスとの伝説的な「トリスタン」の演出を受け持った。
69年と70年は、スイスの名匠ヴァルヴィーゾが指揮したが、71年はベームとワラットが指揮した。ヴァルヴィーゾは、シュタインとともにこの後、バイロイトで活躍することとなるが、長年ヴィーラントと組んだベームは、71年が最後のバイロイトとなった。
その後に、バイロイト100年の記念でマイスタージンガーの一部を指揮している・・・・。

DGがすかさず録音したこのライブは、ベームのあの「トリスタン」や「リング」の延長線上にある演奏で、早いテンポで、熱気とライブの高揚感に満ち溢れた熱すぎるオーケストラピットが舞台をリードしている。
金管の咆哮、ティンパニの激打、うなりをあげる低弦、凄まじい。
宿命を感じさせる運命の主題なども、必然的な切羽詰まった後戻りできない悲しみも感じさせる。一般人と幽霊船の船乗りたちの合唱のやり取りも、足踏みの威勢良さとともに、これまた迫力満点。
 ワーグナーの若書きと、出発点を1幕形式の凝縮されたドラマとして息も切らさずに描こうとしたベームの意図は明らか。
トリスタンと同等に自己主張するベームのオランダ人。

  オランダ人:トマス・ステュワート   ゼンタ :グィネス・ジョーンズ
  ダーラント:カール・リッダーブッシュ エリック:ヘルミン・エッサー
  マリー:ジークリンデ・ワーグナー   舵取り:ハラルト・エク

   カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
                合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
                  (1971年バイロイト)

Hollader_702a 70年代を代表する素晴らしいキャストは強力で、主役級3人は文句なし。
亡きステュワートは美声に、悲劇性と気品を織り込んだ名唱だし、これも亡きリッダーブッシュの暖かい声も相変わらず好きだな。
そして今回あらためて驚きと感銘を与えてくれたのが、デイム・ジョーンズの輝くばかりの中音域の素晴らしさ。人によってはヴィブラートが気になるかもしれないが、私は本ブログで何度も書いているように、彼女のその音域のふるいつきたくなるような美しさが好きなのだ。そしてその存在感は、並ではないと思う。
 あと、エッサーも私は何故か好きで、ジーン・コックスと似たような声は憎めず気になる。
エイッと高音を引き出す歌い方が古風と言われようが、この人のタンホイザーやトリスタンの悲劇的・壊滅的な歌いぶりはなかなかのものと思っている。

その活動の最後の頃のピッツに指導された合唱の強靭さは文句なし。

悲劇的な別れと、その後の清らかな救済。
見事なまでの演奏に、聴き手はかなり感動することとなります。

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2008年5月25日 (日)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ハイティンク指揮

Bhaitink CDレコーダーのHDDの整理をしていたら、以前録音した「ハイティンクとベルリン・フィル」のライブ録音が出てきた。2006年頃の演奏のはず。
「魔弾の射手」とヒンデミットの「ウェーバー変奏曲」、ブラームスの2番というプログラム。
聴きだしたら、やめられなくなった。
ハイティンクは、いつからこんな巨匠風の腰の据わった演奏をするようになったのだろうか!
コンセルトヘボウ後、ドレスデンの指揮者になったあたりから、さらに飛躍したように思う。
ヒンデミットが一昨日の名残もあり、耳に馴染む。さすがベルリンフィルだけあって、凄まじいまでのウマさと威力に感服。
 ちなみに、ベルリンフィルの本拠地が火災に会い修復中とのこと!!
年一回のアバドの客演が、ヴァルトビューネに変更になっちまった・・・・。
(お世話になっているこちらで動画も見れます。)

さて、私は若い頃から、頭部がリーブしてたハイティンクが昔から好きである。
妙に近親感があるものだからねぇ。
聴きだしたのは、高校の頃、コンセルトヘボウとの来日記念に廉価盤やら新譜が大量に発売され、それを期に聞き始めた。小品ばかりを収めたサンプラー盤のようなレコードがとても気に入って、世間のハイティンクに対する風当たりの強さに憤慨したもんだ。
そして、FMで放送されたブルックナーの5番のすごい名演で、この指揮者は完全に、私のお気に入りの一人となった。
数々聴いた演奏は、過去記事をご照覧。
シカゴとの最近のCDは未聴(高い・・・・)ながら、おそらくこのコンビ最後の来日となる来年の公演はチケット取れるだろうか? シカゴは2010年からムーティが指揮者に。

Meistersinger_haitink そんなハイティンクの待望の1組。
コヴェントガーデン、ロイヤル・オペラ・ハウスのアーカイブの中から、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が登場したのだ。
ケンペのリング」とともに、同時期に、「ブリテッシュ・ワーグナー」がやってきた。
新録音はないけれど、過去の名演が次々に蘇えるある意味、いい時代になった。

このマイスタージンガー、1997年の上演で、アナログながら立派なステレオ録音で、それどころか最新の硬い録音よりハウスの響きを自然に捉えていて、歌手とオケのバランスもよく素晴らしい音なのだ。

ハイティンクのワーグナーは、EMIへの「タンホイザー(85年)」、「リング(88~91年)」の2種があるが、オペラの経験を格段に積みつつあったため、後年のものほど良い出来栄え。それでも、ミュンヘンのオケの実力と指揮者の構成の豊かさから生まれるシンフォニックなワーグナー・サウンドは、私の好きな演奏のひとつ。
 ところが今回の、舞台上演では、以前のCD用の録音がかすんでしまうくらいに、ハウスの興奮と感興に満ち満ちていて、舞台と結びついた音楽が実にイキイキとしている。
正直、こんなハイティンクは聴いたことがない。
アゴーギグを巧みに活用し、メリハリも充分。そして出てくる音楽は、このハ長の音楽の理想ともいうべき明るくも柔らかな響き。
どの幕にも、興奮した聴衆の盛大な拍手が入っているし、3幕の始まりにハイティンクを迎え称える大きな拍手も収録されている。
前奏曲からして、堂々たる威容だが、終幕最後の「親方たちを蔑んではならぬ」以降の部分は、胸が熱くなるような名演だ!

ザックス:ジョン・トムリンソン     ポーグナー:グゥイン・ハウエル
ベックメッサー:トーマス・アレン    ヴァルター:イェスタ・ウィンベルイ
エヴァ :ナンシー・グスタフソン   マグダレーネ:カスリーン・ウィン・ロジャース
ダーヴィッド:ヘルベルト・リッパード コートナー:アンソニー・マイケルズ・ムーア

   ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
                                               ロイヤル・オペラハウス合唱団
         演出:グラハム・ヴィック  (97年7月ライブ)

Meistersinger_haitink2_3   キャストは味があるし、英国風でもあって実によろしい。
傑出した出来栄えの歌手は見当たらないし、ドイツ人は一人くらい。
中では、トムリンソンの安定感と存在感が目立つ。私は、この人の声がちょっと強すぎて苦手なのだけれど、彼が演じる若々しいウォータンのようなこのザックスは面白く聴いた。
年輪とともに、いまひとつ味わいが欲しいところ。
そのあたりを食ってしまったのが、アレン卿のベックメッサー。
芸達者ぶりに聴衆の笑い声が起きているし、実際、2幕のザックスとのやりとりはすごい。
普通じゃ聴かれないくらいに、ハンマーをトンカン叩くザックスのリズムに全然負けずに、へんてこなセレナーデを歌いまくる。3幕の歌合戦では、自信なさげにオドオドしてるし・・・。
ベックメッサーとしては、プライと並んで最上のものだと思う。

若くして亡くなったウィンベルイは、今健在なら、主要なワーグナー役でひっぱりだこになっていたろう。そんな思いをいだかせるヴァルターの歌唱。ちょっと一本調子だけれど、存在感ある魅力的な声だ。
リッパードのリリカルなダーヴィッドや、硬質ながらいかにもエヴァちゃんらしい一途な歌(3幕のトリスタンの箇所)が魅力のグスタフソン。ほかの歌手もみないい。
ブックレットの舞台写真を見ると、普通っぽい演出ながら、シェークスピアを思わせるような舞台背景で、正規映像も見たいもんだ。

通算11種類目のうれしいハイティンクの「マイスタージンガー」。
こちらで、ちょっと映像が見れます。
ロイヤルオペラのシリーズ、ハイティンクの「パルシファル」も出てくる可能性もありですぞ!

 マイスタージンガー 自己ブログリンク

  クリュイタンス指揮  バイロイト57年盤
  ヴァルヴィーソ指揮 バイロイト74年盤
 ベルント・ヴァイクル

                     

 

  

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2008年5月 5日 (月)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 パッパーノ指揮

6 7_2 名古屋のおいしいものシリーズ。
今日は、「ひつまぶし」。
おひつのご飯の上に、うなぎの蒲焼を刻んだものをたっぷりと乗せる。
これを、よくまぶして、ご飯茶碗によそってまず一杯。そして同じようによっそったものに、海苔やネギを載せて二杯目。
そして三杯目は、お茶漬けでいただく。
このまぶしは、やはり浜松以西の腹開き、直焼きでないと、カリカリ感と香ばしさがでない。
ともかく、どえりゃ、うみゃぁであかんわ。

Tristan_pappano

ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を聴く。

通算14種類目のトリスタンCDで、どれもこれも愛着や思い出があって捨て難いものばかり。

目下最新のトリスタンCDは、このパッパーノ盤であるが、最後まで購入をためらった。
理由は、大方のワーグナー好きと同じく、ドミンゴにある。
ワーグナーのような大作となると、まず指揮者ありきで、録音されたり上演される。最近は演出ありきではあるけれど。
ところが、このCDは、「パッパーノのトリスタン」ではなくて、「ドミンゴのトリスタン」と呼ばれ、録音・発売された。
ドミンゴのワーグナーはどうも苦手である。
声が開放的にすぎ、朗々としすぎなのだ。そしてなんでもソツなくこなしてしまい、面白みがないともいえるし・・・・・。

そんなことだから、このCDは聴くことがあるまいと思っていた。でも、ステメのイゾルデと藤村さんのブランゲーネは是非揃えておきたいと思ってもいた。
がしかし、渋谷タワレコで、2,670円という安値を発見。同じ輸入盤でも、ケースに入ってDVDもついて、分厚い解説が付くとその倍くらいの価額なのに、解説もなにもないCDケースだけのものが格安で売られていたわけだ。
そして、まじまじと見て、隅々まで豪華な配役に驚き、レジに直行とあいなった。

   トリスタン :プラシド・ドミンゴ  イゾルデ :ニナ・ステメ
   マルケ王 :ルネ・パペ      ブランゲーネ:藤村美穂子
   クルヴェナール:オアフ・ベーア メロート  :ジャレド・ホルト
   牧童   :イアン・ポストリッジ  舵手   :マシュー・ローズ
   若い水夫:ロランド・ヴィラゾン

  アントニオ・パッパーノ指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                           (2004、5年録音)

なんという贅沢な顔ぶれ。ちょい役にポストリッジにヴィラゾンだもの。
純正ドイツ人は、パペとベーアだけ、ほかはオケにいたるまで、国際的で、英国・スゥエーデン・ニュージーランド・メキシコ、そして日本といった具合で、我が国の宝ともなりつつある藤村さんが、このような強豪の中で豊かな存在感を示しているのが実に心強い。

Isolde_sremme その藤村さんのブランゲーネがまた素適だ。ふくよかで、暖か味に富んだ美声で歌われる2幕の見張りの歌は、オケの美しさとあいまって、陶然とさせてくれる。
そして、ステメのイゾルデは、情感が実に豊かで、強い王女というよりは、一人の愛に生きる女性を歌いだしている。だから、1幕よりは2幕の方がいいし、「愛の死」での透明感あふれる歌はとてもいい。
北欧出身のドラマテックソプラノは歴代、怜悧・強靭なタイプが多かったが、最近は、ブリュンヒルデやアイーダも歌っている彼女、今後どのような歌手になって行くか、大いに楽しみ。

パペの滑らかな美声のマルケ王、生真面目なベーアのクルヴェナールもいい。
豪華脇役ふたりのうち、ポストリッジは予想通りのきめ細やかで、同情溢れる歌いぶりだけど、ヴィラゾンは、もともと甘すぎる歌が気になる人だっただけに、何か調子に乗りすぎた余剰な歌唱に聴こえのは私だけだろうか。
そして、その師匠にあたる肝心のドミンゴだが、予想以上に立派に歌っている。
でもそれ以上の印象をもてないのが、私のドミンゴのワーグナー歌唱に対する毎度の反応、あの声でドイツ語、子音も軽く違和感が。ヴェルディやプッチーニは文句なしなんだけれど。
 ドミンゴのワーグナー録音をあげてみると、エリック・タンホイザー・ローエングリン・トリスタン・ヴァルター・ジークムント・ジークフリート(抜粋)・パルシファル、とすべて制覇してしまった。同様のテノールは、ルネ・コロのみなので、ドミンゴのある意味すごさを感じる。

パッパーノコヴェントガーデンは、予想以上にいい。
オケはドラマをかなり雄弁に語っているし、抒情的な部分での歌謡性においてもなかなかにユニークなトリスタンとなっていうと思う。

てな、わけで、何だかんだで、トリスタンゆえ、大いに楽しめました。
ステメと藤村、パッパーノの3人が聴きものかな。

  

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2008年4月 8日 (火)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 METライブビューイング

Bbtristanisolde_2 METライブビューイング、「トリスタンとイゾルデ」を観劇。@六本木ヒルズ。
18時30分から、2回の休憩をはさんで、終了は23時45分。
劇場だと、場内をぶらぶらしたり、軽く飲んだりするスペースもあって気が紛れるけれど、映画館だと長い休憩が手持ち無沙汰だ。館内では、メトのハウス内を固定カメラで録ったものが流されていて、我々がそうするように、オケピットを覗き込む人などが映されているものの、それをじっと眺めているのも退屈だし・・・・・・。
しょうがないから、白ワインを買ってきて持ち込み、それをミネラルウォーターで割ってチビチビ飲んで過すこととした。

Tristan_2250 毎回、一流歌手によるナビゲーション付がうれしいこのシリーズだが、今回は「スーザン・グラハム」。
理知的で聡明な彼女、ユーモアもたっぷりで、受ける歌手や劇場スタッフらの受け答えも洒落ていて楽しい。
この方は、メットのアシスタント・マネージャーの「サラ・ブリングハースト」で、世界中から歌手を集めたリ、発堀したりしているという。
興味深い内容だったから、長くなるけれど、今回は、本来ベン・ヘップナーが歌う予定であったが、病気で降板し、ベルリンにいた「ロバート・ディーン・スミス」を急遽、呼び寄せたという。
トリスタンをメットクラスで歌えるテノールは、世界に10人くらいしかいないし、どの歌手がどこで何をしているか、すべて把握していなくてはならいのだと。
 今では、リングがカザフスタンや中国、日本でも上演されるようになり、その回数が飛躍的に増えたが、歌手の状況はかわらない。
今はバリトンでも、数年したら立派なヘルデンになるかもしれないし、数年後も見据えて押えていかなくてはならないこと。端役から数年後には、ジークリンデが出てくるかもしれないし、若手の起用も行っていくとのこと。
 ドイツで、歌手の情報提供をしている協力者は、ワーグナーのひ孫エヴァ・ワーグナーだそうな。
こうした大劇場の裏舞台が覗けるのも、ライブビューイングの楽しさ。

  トリスタン:ロバート・ディーン・スミス  イゾルデ:デボラ・ヴォイト
  マルケ王:マッティ・サルミネン     ブランゲーネ:ミシェル・デ・ヤング
  クルヴェナール:アイケ・ウィレム・シュルテ

    ジェイムズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団
                     演出:ディーター・ドルン
                     (2008.3.22 メトロポリタン歌劇場)

Smithrobert_dean_lohengrin_02_2  今回のプロダクションは、数年前の「ディーター・ドルン」の演出によるもので、すでにDVDで出ているものと同じ(はず)。ヘップナーとイーグレンの巨大な恋人同士にレヴァインの指揮で、見た事はないけれど、重量攻勢に目をつぶって聴きたい映像・・・・。

そいいう意味では、今回、D・スミスに代ったことは大変にありがいことで、中肉中背のD・スミスとダイエットに成功したヴォイトの二人は、さほどのガッカリコンビにはなっていないところがよかった。
D・スミスは、時代考証ゆえか、後頭部にお団子のちょんまげを付けていて、見た目がまるで、千代の富士であったことを申し添えておこう。
3幕で、クルヴェナールの胸に倒れていた時、クルヴェナールの胸のバックルかなにかに、そのちょんまげが絡んでしまい、深刻にモノローグを歌いながらも、片手で必死にはずそうとしていた。それに気付いたシュルテのクルヴェナールが、こりゃイカン的な顔を一瞬して、手伝っていたのが実は笑えますた。
 大植英次のバイロイトデビュー時に、トリスタンデビューしたスミスは、なかなか立派なトリスタンになった。決して重い声でなく、力強いヘルデンというイメージでもないが、悲劇的な色合いをもったジークムント系の歌声にシビれる人は多いのではなかろうか。しぼり出すような声が賛否を呼ぶが、私は本人が無理をせずセーブしながら知的な歌い口なので良しとしている。
ジークフリートにはならない系のトリスタン。スミスのレパートリーは、ローエングリン、ジークムント、ヴァルター、最近タンホイザー、アルヴァーロ、レンスキー、シェニエ、グレーミン、皇帝(シュトラウス)など。

Tristan_2213a グラハムと「スージー」と「デビー」と呼び合う、アメリカーンなデヴォラ・ヴォイト
明るく楽しいキャラクターは、幕間でも予裕たっぷり。
そべての音域に余裕が感じられ、声量も豊かなドラマテックソプラノは、その歌唱も大らかでありながら、細部も完璧に歌いこんでいる。テクニックも万全でありがら、人間味豊かな声は、そのほのぼのとした雰囲気と相まって、怒れる人イゾルデというよりは、愛する人イゾルデの味わい。でも病的なまでの一途の盲目の愛ではなくて、女将さん的な、どんとこい的な雰囲気もあったことは事実。
素晴らしい声だけれど、もうすこし陰りや隈取りが欲しいところ。
W・マイヤーや、ステメらの欧州組との違いを、ポラスキなどと同じく感じてしまったがいかに。

昨秋のバレンボイムの公演でも聴いた、ミシェル・デ・ヤング(相変わらず大きい)の情感あふれるブランゲーネ、いい人まっさかりの、シュルテのクルヴェナール。
シュルテは、素晴らしい式武官として活躍したし、ベックメッサーとしても日本で聴くことができた名バリトン。
サルミネンの味わいあるマルケ王は、さすがに歳を感じさせた。もう30年近く歌っているベテランだ。

それ以上、35年に渡ってメットを本拠にするレヴァインも、さすがに風貌は年齢を感じさせる。そして、その巨体は苦しそうではあるけれど、出てくる音楽は重厚さとは異なる意味でのドラマテックでかつオペラテックなもの。弾むような豊かなリズム感もイキイキとした奥行きをドラマに与える。相変わらずのオペラ指揮者レヴァインだが、そろそろ職人芸を脱し、カリスマ感も欲しいかも。

映像を見たのに、演奏のことばかり。
演出については、語れるほど感じることができなかったから。
衣装や小道具は、ケルト風がリアルで、きめ細かく手が込んでいる。
1幕で、イゾルデが、「タントリスの物語」を歌う場面では、旅行箱の中から、船と人形を取り出すし、刃の欠けた剣も出したもんだ。
3幕のカレオールの廃墟では、まるでチェスやゲームのような戦士たちの模型が下からせりあがってきた。
こんな具象的なリアルさがある一方で、舞台装置は、極めて簡潔で、1幕の巨大な帆と、2幕の見張りの塔と箱のように小さく陳腐な厨風の部屋ぐらいしか目立つものはなかった。
 そんな中で一番効果的な存在は、全体にわたって背景をつとめた白いスクリーン状の幕。この幕が、人物の心象や出来事に応じて、いろいろなカラーに染まって舞台を支配していて、これが極めて印象的だった。
だから余計に、先の小道具の具象性が陳腐に感じられることに。
 さらに、この演出を大味にしていたのが、映像技術の饒舌さ。
マルチスクリーンを多用し、フェイドイン・アウトを繰返し、画面をいくつも分割し、舞台上の人物をそれぞれ映しだすなどの小手先の効果を狙いすぎた二次的な演出がなされた。
映像でクローズアップ画面を見ることじたいがそうではあるが、本来の実演舞台とは遠く離れた仕業に思った。
その映像担当監督は、動きが少なく、抽象的な内容が多いから・・・、などと語っていたが、ワーグナーにはそれを補ってあまりある音楽の雄弁さがあるのだから、そんな小手先の所業はそぐわないと思っている。

Hills47 こんな不満も抱きつつも、小さな炎を前に歌われた「愛の死」のヴォイトの歌唱に、涙を止めることができなかった。
アメリカ人歌手抜きでは、もはや考えられないワーグナー歌唱。
サルミネンとシュルテ以外は、すべて米国産。
ここに日中韓がまた入り込もうとしている。
エヴァ・ワーグナーの見立ては、間違いなくグローバルな視点に立っているようだ。

 「トリスタントイゾルデ」自己リンク

 大植バイロイト2005
 アバドとベルリン・フィル
 
バーンスタインとバイエルン放送響
 P・シュナイダー、バイロイト2006
 カラヤン、バイロイト1952
 
カラヤンとベルリン・フィル
 ラニクルズとBBC響
 バレンボイムとベルリン国立歌劇場公演

 

 

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2008年3月31日 (月)

ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 クリュイタンス指揮

                                 先週Kuranosuke金曜日のこと、品川で打ち合わせ後、田町まで歩いた。
近道をしようと閑静な高輪の住宅街を歩いていたら、またもや前日訪れた「泉岳寺」の前に出てしまった。

大石内蔵助」の立像をパチリ。

そして、伊皿子坂を歩くとN響の練習場がある。
今日は、高級車がたくさん止まっていて練習日の様子。
と思ったら、楽器を手にした、テレビでお馴染みの楽員が何人か出てきた。練習風景を覗き見たいものだ。

Img

大石内蔵助じゃないけれど、高潔の中年男性が活躍するオペラが、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。

中世の実在の人物、作家「ハンス・ザックス」は、まさに当時の風習として靴職工として2年間修行を積んだらしい。
その後、ドイツ各地を遍歴し、国民への啓蒙と、道徳の高揚に力を注ぐ詩作活動をし、ルターの新教にも目覚めてゆく。

こんなザックスの大まかな背景を知っておくと、ワーグナーが描いたザックス像が、とてもわかりやすいかもしれない。
旧習に捕らわれず、かといって古きも大切に。愛を忘れず、自己を知り、己を抑え、人を立てる。そんな人物が、民衆の人気を集める。
中世ドイツの「大石内蔵助」は、「ハンス・ザックス」。

Buehne_meistersinger_big トリスタンと二律背反するハ長調の世界、4月のスタートに相応しい調和の調べ。
何度も書くけれど、ロマン派歌劇を「ローエングリン」で極めてしまったワーグナーは、壮大な「リング」に着手し、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」第2幕までを仕上げ、「トリスタン」そして、「マイスタージンガー」に没頭することになる。
「ローエングリン」から「ラインの黄金」への飛躍も驚くべき進化だが、「リング」の狭間の2作の驚異的な完成度、「マイスタージンガー」の長調主体の一見単純ながら複雑な和声法、それがそっくり「ジークフリート」3幕と「神々の黄昏」に引継がれていることに感嘆せざるを得ない。

音がひたすら開放的に向かってしまいかねない「マイスタージンガー」は、意外と完璧な名演がないかもしれない。
ヴィーラント・ワーグナーに請われてバイロイトで活躍した「クリュイタンスのマイスタージンガー」は、表情が明るいだけでなく、細部に目を凝らした緻密な演奏だ。
3幕の高揚感やダンスのリズムの素晴らしさといったらない。
今では、ブーレーズやアバドに代表される、明晰かつクール、そして音がイキイキとして、ドラマをおのずと語るような集中力。
簡潔な舞台で、ヴィーラントがワーグナーの音楽に託そうとしたメッセージは、曇りない明晰さであったろう。そこに複雑な人間ドラマの根源を見出そうとしたのでは。
 戦後の新バイロイトでのマイスタージンガーは、唯一ワーグナー兄弟以外の前世紀の遺物のようなハルトマン演出でスタートした。
B1 そして56年に、ヴィーラントがとりあげたマイスタージンガーは、センセーショナルなものだったらしい。写実的・具象的な背景が不可欠に思われたこの作品に、イマジネーションの世界を持ち込んだ。それは「ニュルンベルクのないマイスタージンガー」と呼ばれたらしい。
現在ならば、そんな「ニュルンベルクのない・・」演出は当たり前だけど。
いくつかの画像でしか確かめられないけれど、今でも新鮮な思いで見ることができる。
昨今の品のない饒舌な演出など薬にしたくもない、ファンタジー溢れる雰囲気だ。

  ザックス:グスタフ・ナイトリンガー  ポーグナー:ヨーゼフ・グラインドル
 フォーゲルゲザンク:フリッツ・ウール ナハティガル:エグモント・コッホ
 ベックメッサー:カール・シュミット・ワルター コートナー:トニ・ブランケンハイム
 モーザー:ヘルマン・ウィンクラー   フォルツ :オイゲン・フックス
 ヴァルター:ワルター・ガイスラー   エヴァ  :エリザベス・グリュンマー
 ダーヴィット:ゲルハルト・シュトルツェ 
 マグダレーネ:ゲオルギーネ・ミランコヴィック

 夜警:アーネスト・ヴァン・ミル

    アンドレ・クリュイタンス指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
            演出:ヴィーラント・ワーグナー (57年)

どうです?この味のある配役。ワーグナー好きなら、唸らざるをえないでしょ。
ナイトリンガーのザックスですよ。
ナイトリンガー=アルベリヒという図式が完璧に耳の中に出来上がっている。
ベームとショルティのリングをいやというほど聴いてきた自分にとって、古今東西最高のアルベリヒは、ナイトリンガー以外にない。
その彼が、ザックスを歌っているのだ!!
聴いてみると、豊かな声量と輝くばかりの低音で超立派なザックスなのだ。・・・・けれど、でもやっぱりアルベリヒだよ。これが。歌いまわしや、語尾が完全にあのアルベリヒを歌うナイトリンガーのイメージ。
強烈な個性の歌手を、その個性と役柄を同質化して見て、聴いてしまう、その典型だ。
でも、素適なザックスだ。酸いも甘いもかみ分けたような味わいあるザックスなのだ。

もうひとり、強烈なイメージの人といえば・・・・、そう、シュトルツェのダーヴィット。
こちらは、アルベリヒの敵対する弟ミーメのイメージが満載の歌手なのだ。
ダーヴィトは、シュライアーのようなコミカルかつ生真面目なイメージを抱く役柄だけれど、シュトルツェが歌うと、いまひとつ狡猾ながらもおっちょこちょい的な雰囲気になる。
これまた、面白い聴きものだ。
 さらにひとり、グラインドルのポーグナーは、私にはハーゲン刷り込み歌手なので、油断ならない雰囲気の声なのだ。ふふふっ。

グリュンマーの清潔な雰囲気、ブランケンハイムの性格的なコートナー、鬱陶しいくらいに達者なワルターのベックメッサー。みんな面白い。
初めて聴く、ガイスラーのワルターはちょっと野放図だがとてもいい声。
この歌手はイタリアものがいいかも。1918~1979ともう物故しているが、ほかに音源がないのが残念。

50年も前の録音ながら、まずは鮮明な録音。
冒頭にお馴染みのバイエルン放送のアナウンスが入っている。
各幕の終わりには、盛大な拍手も。終幕では、オケが鳴っているのに、興奮した観客の拍手がフライングもクソもないくらいに自然に始まっている。

いろいろマイスタージンガーを聴いた方に是非お薦め。
クリュイタンスのワーグナー、バイロイトではあと「タンホイザー」「ローエングリン」「パルシファル」を指揮している。オルフェオ復刻「タンホイザー」は聴いたので、のこる二つを是非にも聴いてみたい。

舞台では、ベルリン(スウィトナー)、ミュンヘン(サヴァリッシュ、メータ)、新国と4度観劇しているけれど、他の諸作と比べ、しばらく上演に間が空いている。
ウィーンが持ってくる話があったけれど、指揮者のマネジメント筋の高額ギャラ要求で、流れてしまった・・・。

 ヴァルヴィーソ指揮 バイロイト74年盤
 ベルント・ヴァイクル
 

 
 

 

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2008年3月20日 (木)

ワーグナー 「パルシファル」 レヴァイン指揮

Parsifal_levine明日は、聖金曜日。
キリストが十字架に架けられ殉教した日。
多くの日本人には「そんなの関係ない」状態だけれども、私のようなクラヲタ君は、音楽によって節目の日を確認したくなる。

聖金曜日という言葉がまともに使われているのは、ワーグナーの「パルシファル」が随一だろう。
歌劇や楽劇でもなく、舞台神聖祭典劇という、いかにも取っ付きにくいジャンルの表示をまとわせ、バイロイト以外での上演を禁じたワーグナーの意図は
尊大に過ぎるかもしれないが、晩年に到達した宗教的理念の純真な発意でもあろう。
「私の生からの告別」~ワーグナーはこの作品をそう呼んだ。

ワーグナーが、「パルシファル」を発想したのは、パルシファルの息子「ローエングリン」を着想中の時期に遡る。中世の聖杯物語やタンホイザーの登場人物ウォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルシファル」などを参考にしているという。

聖杯は、いうまでもなく十字架上のイエスの脇腹を刺した槍によってほとばしり出た聖なる血を浴びた杯のこと。
ダヴィンチ・コードなどでもすっかりお馴染みになってしまったが、本来のキリスト教の聖遺物である「聖杯」と「槍」が重要なモティーフとなっている。
そうした宗教の上にしっかり根ざした伝統演出は、聖地バイロイトでもすでに多面的な解釈に姿を変えて受容されているが、さすがに神聖祭典劇ともなると賛否両論を巻き起こすことも多い。
昨年は、観てもないのに、私がことあるごとにこき下ろしている映画監督のシュリゲンジーフ演出がようやく4年で終了した。バイロイト関連じゃないかもしれないが、怒った婆さんが卵を投げつけている面白い動画はこれ
ところが2008年の新演出は、ノルウェー出身の若いシュテファン・ヘルハイムが受け持つ。この人も大胆・過激なヒトらしく、ネットで調べたら音楽まで恣意的にいじってしまうらしいじゃないか・・・・。この夏もまた、バイロイトはすごいブーイングに包まれるのかしらん。
でも、ダニエル・ガッティの指揮は楽しみ。

Parsifal_friedrich 遡ること26年。パルシファル初演100年の演出は、当時東ドイツから呼ばれたゲッツ・フリードリヒ。物議をかもした72年のタンホイザー、美しい79年のローエングリンに続く登場。SF的な要素もあり、密閉された聖堂のような四角い空間の中で行なわれる劇は、脱神聖祭典劇をまさに目指したものかもしれず、意外にその舞台はすんなりと聴衆に受け入れられたようだ。
フリードリヒ演出は、私もベルリン・ドイツ・オペラの公演でいくつか観ているが、何と言っても生涯忘れ得ないのは、タイムトンネルを設えた「リング」だ。
この思い出はいずれ取上げてみたい。
 ただ、このパルシファル演出、指揮のレヴァインは痛烈に批判していて、ファンタジーがないとかなんとか後に散々だったらしい。
ゆったりと大河のような流れの音楽を作り出すレヴァインには、お気に召さなかったのだろう。やはり、メトの絵画的なシェンクの演出じゃないとしっくりこなかったのだろうか。

 アンフォルタス:サイモン・エステス  ティトゥレル:マッティ・サルミネン
 グルネマンツ:ハンス・ゾーティン   パルシファル:ペーター・ホフマン
 クンドリー:ヴァルトラウト・マイヤー  クリングゾル:フランツ・マツーラ

   ジェイムス・レヴァイン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
                    合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ
                               (85年7月バイロイト)

Parsifal_friedrich_2 まず何と言っても素晴らしいのが、ホフマンのパルシファル。
ピーンと一本張りつめたような揺るぎのない見事な声は、明晰で曇りないうえ、バリトンのような中域はかげりを帯びている・・・といった具合に、その声はいいことづくめで、音源で聴けるパルシファルとしては最高かもしれない。2幕の「アンフォールタ~ス」には痺れる。
(といいながら、コロ・キング・トーマスもいいけれど・・・)
ついで、マイヤーもこの頃はまだ若くて声の威力がすごいし(叫び声NO1かも)、病めるクンドリーに同情を寄せたくなってしまう。
エステスのアクは強いがこちらの悩める姿の表現力も圧倒的。
ゾーティンは、個性は薄いものの、長年グルネマンツを歌いこんだ安定感は抜群で、声の深みも美しい。バイロイト歴が長いベテランだけど、本当はヴォータンなども歌って欲しかった。ばらの騎士のオックス男爵を舞台で観たことがあるけれど、軽妙さもあるなかなかの役者ぶりに関心した覚えがある。
 それに、マツーラのクリングゾルも私は好きだ。このほの暗い声の性格バリトンもヴォータンを歌っていたらしいので、これまた聴いてみたかったな。

Parsifal_friedrich_3 さて、レヴァインの指揮。いやいやだった(?)とは思えないくらい、落ちついた音楽で、テンポは非常に遅い。クナッパーツブッシュを凌ぐかもしれない。
遅いけれど、弛緩せず、血が通っているし、歌手や合唱に無理のない歌いやすい間合いと緊張感にも満ちている。
もっと進化したパルシファルを我々はたくさん聴いてしまっているから、必ずしもこの指揮に満足は出来ないけれど、バイロイトの温もりある響きと相まって、ゆったりと気持ちのいい演奏には思う。
それにしても、このプロダクションの映像はないものだろうか!!

                      Ⅰ      Ⅱ     Ⅲ
  レヴァイン(バイロイト)     119分   75分    85分
  レヴァイン(メトロポリタン)   112分   78分    82分
  クナッパーツブッシュ(56)   112分   68分    79分 
    ブーレーズ(70)           94分   59分     65分  

パルシファルの過去記事

  ポール・エルミングのワーグナー  
  クナッパーツブッシュ(64年)
  クナッパーツブッシュ(60年)
  クナッパーツブッシュ(56年)
  バイロイト放送2006
  ショルティ(71年)
  エッシェンバッハ(04年)
  
バイロイト放送2005
  クナッパーツブッシュ(58年)
  
飯守泰次朗 東京シティフィル上演

 
  

   

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2008年2月23日 (土)

ワーグナー 「ワルキューレ」 二期会公演②

Walkure1_04 二期会ワルキューレ、今回2回目の観劇。
前回と異なるキャストでプレオーダーで取得した、グレードも上げた席(1階8列目)で土曜の午後をワーグナーにすっぽり浸かろうと万端の思い。    

あまりに説明的で、ト書きにない人物の動きに、ちょっと消化不良ぎみだった私。
一度経験したから、なんであんたがそこにの違和感はさほど抱くことなく、普通に受け入れられた。
やはり、リング4部作としてではなく、単発の「ワルキューレ」としての完結感をより出すために、しつこいほどの描写が必要であったのだろう。
ヴォータンが何故、指輪に手を直接出せず、そのためにウェルズング族を生まなくてはならなかったことや、指輪にかけられた愛を断念せざるを得ない宿命などが、単発ではなかなかわかりにくい。
Walkure1_06_2  どうしてヴォータンは愛するジークムントから手を引かざるを得なくなったのか、その点をもっともわかりやすくするためには、結婚をつかさどる女神フリッカを重要な役回りとして扱わざるをえなくなったのであろう。
前回書いたとおり、フリッカが最初から最後まで登場するし、フンディンクまでちょろちょろ出てくる。
 それ以外にもト書きにない、人物や場面がいくつも見られることになったが、これはこれでいいのかもしれないと思った。

ただそれは、ワーグナーが網の目のようにはりめぐらした精妙なライトモティーフを軽視することにもつながった。音楽と劇(舞台)が乖離してしまうことだ。
ワーグナーはしつこいまでに、登場人物や物や感情にまで主題を与えたが、そこに登場しない人物までには何も用意していない。ト書きにない人物や事象は、音楽だけから見れば場違いなのである。
劇の仕立てからすれば、何の矛盾もないことではあるから難しいものだ。

ただ、リングの中で重要な要素、剣や槍といったものが軽々しく扱われていたように思う。ジークムントが危急存亡の嘆きを発し、武器を求めてる場面、剣(ノートゥンク)の主題が高らかに鳴るのに、ノートゥンクは暗闇にむなしくささったままで無視されてしまう。
こうした矛盾がいたるところに散見。
ブリュンヒルデがヴォータンに、その槍で一突きにしてくれ、と歌っても、ヴォータンは手ぶらだったり・・・・・。


前回と異なる場面でいうと、ジークムントの死の場面。
前回は、ヴォータンはジークムントに手を差し延べ、拒絶され、終わったが、今回はそのあとジークムントはヴォータンの胸に倒れこみひしと抱き合う。
これだよ、私の好むお涙シーンのひとつは
ちなみに、きょうの涙ポロリの場面は、①ジークムントの死の告知の場面でのジークムントとブリュンヒルデの感動的なやりとり。(成田さん、横山さん、素晴らしいし、飯守先生の指揮が神々しかった)、②ジークムントの死、③ジークリンデがジークフリートの受胎を告げられ感謝をささげる場面(橋爪さん、素適すぎ)、④ヴォータンの告別、魔の炎の音楽でのオーケストラの圧倒的な盛上り(手を握り締めてしもうたわ)。⑤わかっちゃいたけど、少女ブリュンヒルデが登場してヴォータンに抱きつく、そして小さく手を振るんだもの、やめていただきたいです・・・・(涙)

今日はそこら中で、グスグスと鼻をすする音がしておった。

Walkure1_09 やっぱり、ワルキューレはリング争奪ではなくて、「愛のドラマ」なんだわな。
その愛は、夫婦・父息子・父娘・兄妹・恋人・祖父孫・叔母甥・・・・・。
ゆえに、「ニーベルングの指環」でありながら、リングが不在のドラマでもあるわけだ。
幕間で、二期会関係者に観劇中のある女性が、「あの井戸は、なんざます??」とまともに聞いていた。関係者の方、答えに窮して、「実はプロンクターボックスなんです」・・・・、女性は「はははっ、そうなの。で、何?」、「こちらのパンフレットに演出の意図が書かれておりますので・・・・」などというやり取りが行なわれていたのを盗み聞きしていたワタシ。
 私は、あの井戸は、運命をつかさどるモニュメントで、ここに登場する人物たちを惑わし、導くいわば「リング」ではないかと、想像する次第・・・・・。

     ジークムント:成田勝美     ジークリンデ:橋爪ゆか
    ヴォータン :小森輝彦     ブリュンヒルデ:横山恵子

    フンディンク:長谷川顯     フリッカ  :小山由美
    その他、ワルキューレ

  飯守泰次郎 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
              演出:ジョエル・ローウェルス
                   (2008.2.23 文化会館)

今回の歌手陣も前回にもまして強力で、ほんとうに素晴らしい歌が聴けて超うれしい。
小山さんの、フリッカの圧倒的な存在感と声の表現力、そいて独語の確かさ。
独語でいえば、初めて接した小森さんのヴォータンが言葉と歌が完全に一体化した見事な発声で、声も前回の泉さんにも増して美しい。これからこの人のドイツものがおおいに楽しみ。ヴォータン役の聴かせどころである2幕の長大なモノローグや、告別ではなかなかに味のある歌が聴けたし、フンディンクに蔑みの一撃を加える「Geh!」では、予想に反しソット・ヴォーチェで、むしろ凄みを感じさせてくれた。私は、ホッターやマッキンタイアと同じようなこうした歌い口のほうが好きである。
こちらが小森さんのHP
 そして、感心したのが橋爪さんの没頭感あふれるジークリンデ。前向きな声の力に溢れたすばらしい歌唱に思った。
お馴染みの成田さんのジークムントは順当な出来栄え。
長谷川さんの、安定感抜群のフンディング、頭も衣装も小鉄さんと全然違ってる。
上も下も、名前がとても親しみある、横山さんのブリュンヒルデ、以前シュトラウスの「エジプトのヘレナ」を聴いたときより、声に力強さと存在感が加わり、今後ますます国内のドラマテック・ソプラノの第1人者になるのでは。そして、こちらが横山さんのHP

8人のワルキューレたち、今回よく観察すると、衣装も羽も微妙に異なる。
オッサンとしては、何故かお一人(たぶんヘルムヴィーゲ)、胸の大きく開いた衣装でちょっと違和感が・・・・・。

飯守先生の指揮は、オケの時に空転する熱演(特に金管)はあったものの、相変わらずワーグナーの真髄をとらえて離さない熱演。
とりわけ素晴らしかったのが、ヴォータンの告別における高揚感。
そして、今回痛感したのが、場と場をつなぐ移ろい行く音楽。ワーグナーが巧に書いた主題の移り変わりを実に見事に表現していたように思う。
2幕、ヴォータンとブリュンヒルデの場面から、ジークムンとジークリンデの逃避行の場面に切り替わる音楽の素晴らしさ。鳥肌が立つ思いだった。
今日は、幕が降りきるまでヒヤヒヤしたけれど、拍手は音楽が止んでから。
よかったよかった。

いやぁ、なんだかんだで、すっかり楽しんだワルキューレだった。
今回で10度目の観劇体験。次は、来年、新国だ!

Oyama1 ワーグナーに身も心も浸り、肉が食べたくなった。
違う日になってしまったかのように寒風吹くなか、上野の山を下り、アメ横近くの「肉の大山」へひとり向かい、酒を飲む。
ここは超安くて、肉料理はなんでもある。ステーキ肉のような「牛かつ」や「煮込み」でひとしきり飲んで、東京駅へ出ると、なんと総武本線が大幅遅れ、というか動いてない。
肉食った祟りか、ワーグナーの毒をもっと覚ませともいうのか?
家には11時過ぎにたどりついた・・・・・・。ち~ん。

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2008年2月21日 (木)

ワーグナー 「ワルキューレ」 二期会公演①

Nikikai_walkure 二期会公演、ワーグナーのワルキューレを観劇。
ワルキューレは、演奏会形式を含めてこれで通算9回目。我ながらずいぶん観て聴いてきたもんだ。
どの舞台も、その時代時代、印象深い舞台で
今でもそれぞれ思いだすことができる。

今回の二期会ワルキューレは、タブルキャストで、平日二回と土日の上演。
今日は15時開演、19時40分終幕で、もう少しどうにかならなかったのだろうか?
幕あいの留守番電話対応が大変だった。
自分の仕事管理能力を棚にあげて。
夜8時前にホールを出て、その時間の中途半端なこと。でも今日は「鹿男・・・」もあるし、普通に満員電車に乗って帰宅することにした。


さて、すっかり手のうちに入ったワルキューレ、ローウェルスという演出家がいかなる舞台を見せるか、20年前大活躍だったベテラン大野徹也さんの久方ぶりのジークムントがとうか、飯守先生の自家薬籠中のワーグナーがどうか、などの思いで上野へ。

舞台の様子を本演出が、一般と違う点に絞って書いてみたい。
これから観る方は、お読みにならない方がいいかも・・・・。

 舞台は、黒系のモノトーン、装置はまったくといっていいほどなく、シンプル。
衣装も渋系で、暖色系は一切なし。時代設定
不明。

第1幕
ピットに迫り出したステージに四角の井戸のようなものがあり、1幕では出番のないはずのヴォータンが腰掛けている。
幕が開くとさらに二人。痩せて卑屈そうな様子でヴォータンの足元にいるのはローゲ。もう一人は少女時代のブリュンヒルデらしい。戦乱の亡者のような一行が、舞台奥を行進してゆく。

Walkure2_03 ジークムントが駆け込んできて、ジークリンデと出会うさまをウ゛ォータンは傍観している。
先ほどの四角いコーナーが、時に青に赤に光ったりして、泉の役割や、2幕でヴォータンが沈思するときに眺めたりするモニュメントとなっている
 フンディングは、手下を連れた文字通り虎刈りの俗物で、ジークムントが一人ウェールゼ・・・と悩んでいるとき、舞台の奥のベットで、ジークリンデに圧し掛かったりしてるオッサンになっている。
ジークムントが剣を抜くとき、またもやヴォータンが登場。槍を掲げ、手助けしている。
兄妹の二重唱の場面、出番であるはずのないフリッカが何故か出てきて、汚らわしそうにしている。

第2幕
開幕前から、ジークリンデがまとっていた、白い布が、1幕最後から四角いコーナーに掛けられ、そこに男がうずくまっている。
幕開き、いきなり8人のワルキューレが勇士達を収納している。
このワルキューレたち、本来3幕まで登場するはずもないが、虫のような羽をはやしている。
早くから、フリッカも出ている。
そしてフリッカとヴォータンの長丁場では、執事がいてヴォータンが脱いだ服を片付けたりしているし、二人分のグラスワイン(赤)を運んできたりする。
夫婦のやりとりがかなりリアルで、女性上位の動きでヴォータンはおろおろするばかり。出番なしのフンディンクが私のお願い聞いてとばかりに登場する。
 失意のヴォータンの長大なモノローグ。ヴァルハラに戦士を集め中の段になると、舞台奥が開き、8人のワルキューレたちと、勇士らが登場してごちゃごちゃやってる。
そこに、先のブリュンヒルデ少女もいる。
 兄妹の逃避行、ヴォータンとブリュンヒルデがいる間に、兄妹登場。当然二人には見えない神々の姿・・・。
兄妹ふたりになったあとも、ちゃっかりヴォータンが登場。自分が見えないように魔法をかけたのか、兄妹は動かない。ジークムントの方に未練がましく手をかけ、ジークリンデに至っては槍で突いて殺そうとする。でも思い直し、お腹に手をあて(妊娠を確認し)満足そうに去る。去り際にジークムントの顔あたりに手をかざしてから、ジークムントは正気に戻ったように動きだした。
 ジークリンデが夢の中で狂乱する。奥では、雪が降りしきり、妊婦が辛そうに横切る。
Walkure2_05_2 なんと、フリッカがブリュンヒルデの手を引き、ジークムントの死の告知の場面へ導く。
最初は見えないブリュンヒルデだが、彼女が手をかざすと魔法が解けたかのように見える存在となる。
戦いでは、やはり卑怯にもフンディングは手下二人を連れている。
手下をやっつけたが、フンディングとの戦いでは、ノートゥンクをヴォータンに折られ、ヴォータンに刺されたかのようなジークムント。
間にはいったヴォータンが、思わずジークムントに手をさしのべるが、ジークムントは拒絶する!見た目にもがっかり寂しいヴォータンである。死につつある息子が寄りかかってくるのを受け止めるだけ。
最後の確認にフリッカがまたもや登場して現場確認している。

第3幕
 勇士たちの戦場での戦いで、ワルキューレの騎行がはじまる。
戦士たちを集める戦乙女たち。舞台奥に薄暗い階段があり、勇士たちはそこを昇ってヴァルハラに向かうらしい。
駆け込むブルンヒルデとジークリンデ。このあたりは普通。
ジークリンデが、懐妊の知らせとともに感謝を歌う場面では、金色の照明が舞台右から全員を照らし、感動的な場面。
怒れる父と罰を受ける娘。大きな羽をはやしたワルキューレたちが、いろいろ分割しながらヴォータンとやり取りする。
父の厳罰が決定的となるなか、またもやト書きにない満足そうなフリッカが執事を連れて登場、ブリュンヒルデの背中の羽根を執事が取るのを確認。
父・娘の会話のあと、娘の懇願に負けるが告別の準備をまったくしない父親。
告別の素晴らしい音楽をうけて、なんとジークムントが登場しヴァルハラの階段をゆっくり登りだす。ジークムントは、こちらを振り返り、ブリュンヒルデと目をかわす。
神性を抜く口付けのあと、ひとりブリュンヒルデは舞台奥(多分、山頂)に去る。
去ったと思ったら、緞帳の影から、幼い日のブリュンヒルデ(少女)が駆け出てきて、ヴォータンと楽しく抱き合う??
Walkure2_10 娘の懇願を聞き入れ、山を火で包むが、ブリュンヒルデはいつのまにか、山の頂きに自分一人で勝手にいってしまっている。
火をおこすため、案の定ローゲが登場