カテゴリー「ワーグナー」の記事

2019年12月30日 (月)

ワーグナー 「ワルキューレ」 カラヤン指揮メット

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六本木けやき坂。

毎冬の風物詩のイルミネーションは、青と白、SNOW&BLUE。

何年か前は、シルバーとレッドが時間で切り替わるものだったけど、わたしはこの色合いが落ち着いていて好き。

Hills-b

歩いて往復80分くらいの散歩コースなのですが、年々キツくなってきた。
寒いのもあるが、歳とともに落ちる体力を実感してる。
今年は帰りは、途中で電車に乗ってしまった。

来年は、まとめて歩かずに、毎日少しづつでも歩くことを重ねていきたいと思ってる。

で、今年最後はワーグナー。
ちょっとおっかないジャケットだけど、ニルソンBOXから。

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  ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」

        ウォータン:テオ・アダム   
      ジークムント:ジョン・ヴィッカース 
        ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン
        ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン   
        フンディンク:マルッティ・タルヴェラ 
        フリッカ:ジョセフィーヌ・ヴィージー

        ワルキューレ:ジュディス・デ・ポール、キャルロッタ・オーデッセイ
          グェンドリン・キレブルー、ルイーゼ・パール
         マルシア・バルドウィン、フィリス・ブリル
         ジョアン・グリロ、シャーリー・ラブ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

           (1969.3.1 メトロポリタン・オペラハウス)

ベームとカラヤンのリングのキャストを混ぜたような歌手たち。
レコードでは、ヤノヴィッツがジークリンデで、クレスパンはブリュンヒルデ。
よりリリックな組み合わせで、「カラヤンのリング」を特徴づけるワルキューレだった。

ベルリンフィルをピットに入れることで、カラヤンのオペラの美学の完成を求めたザルツブルク・イースター音楽祭。
4年をかけた「リング」のスタートが「ワルキューレ」で、ザルツブルクの本番は、1967年。
そして、同じキャストで、ザルツブルクの上演に合わせて発売できるように1966年にベルリンのイエスキリスト教会でレコーディング。
こんな仕組みが、このあと何年も続くことになり、完成度の高い「カラヤンとベルリンフィルのオペラ」がいくつも録音されることになった。

同時に、カラヤンはアメリカの市場も、同じ仕組みでねらって、レコードが発売されるタイミングで、メトロポリタン・オペラに客演して「ラインの黄金」と「ワルキューレ」を指揮していた。
さすがカラヤンなれど、「ジークフリート」と「黄昏」だけは指揮しておらず、そのかわり、自身のザルツブルクの演出は引き継がれ、ラインスドルフやエールリンクの指揮で上演されている。

 メットのデータベースを調べたら、カラヤンのメットでの指揮は全部で15回で、「ラインの黄金」と「ワルキューレ」のみ。
1967年11月、12月 「ワルキューレ」 5回
1968年10月、11月 「ラインの黄金」 3回 「ワルキューレ」 3回
1969年2月、3月   「ラインの黄金」 2回 「ワルキューレ」 2回

これらのうちの、1969年3月の「ワルキューレ」が今回の貴重な録音で、ここでの指揮がカラヤンのメトロポリタン・オペラでの最後の指揮であります。

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カラヤンのライブはやはりスゴイ。
燃える指揮なのだ。
試みに演奏タイムを比較。

             1幕   2幕  3幕
 1966年スタジオ録音  67分  97分  72分
 1969年メットライブ  61分  86分  63分

各幕に、熱狂的な拍手が入ってるので、ライブはもう少し短い。
スタジオでは、よりをかけて入念に指揮しているし、編集もあって細部にこだわり完璧にしあがっているからであろう、その分テンポも伸びているし、緩急はそんなにつけてない。
しかし、メットライブは局所局面で、舞台上のドラマにのめり込むような箇所が多くあり、1幕の終わりの方などは官能と激情のほとばしりとともに、急速なアクセルふかしとなっていて興奮の極致だ。
2幕も同じく、ジークムントの死の告知あたりから、ただならぬ興奮が漂いはじめ緊迫の演奏となっている。
感動的な父娘の対話も、熱っぽい。
カラヤンに煽られてるのか、カラヤンを煽ってるのか、ニルソンとアダムの歌のすごさも、ここでは目をみはるばかりで、ベーム盤を思い起こすような感じだ。
 ウォータンの告別の感動の高まりも冷静なカラヤンとは思えないほどの熱さで、快速調だが、実に情のこもったものだ。
アメリカのオーケストラらしく、奏者自らも感動しちゃって興奮しちゃってる感じも伝わってくる。

スタジオ録音での完璧さと、きれいごとに包まれてない、カラヤンのライブは、本来の劇場の人であるカラヤンのほんとうの姿かもしれない。

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ニルソンはやはりニルソン。
幾多のブリュンヒルデやイゾルデをほかにもたくさん聴いてきたけれど、ニルソンは安心して聴いていれるし、自分には、スタートがニルソンだったし、ブリュンヒルデとイゾルデはニルソンでないとダメなのだ。
冷凛たる声と高貴さ。強靭さとしなやかさ、いずれもニルソンの声にはあると思う。

本来のジークリンデの声であったクレスパン。
メットでも実はニルソンとあわせてブリュンヒルデを歌っていたようで、ヤノヴィッツもジークリンデを歌った日があるようだ。
だがここでのクレスパンは、ショルティの録音のものより、少し不安定な感じを受けた。
 ヴィッカースは相変わらずで、いつものヴィッカースで威勢はよいが、キングのような不幸を背負ったような悲しみの切迫感が弱めです。
テオ・アダムは完璧!
文句なしのウォータンで、ステュワートの回でなく、アダムの録音が残されたのは幸いだった。
あと、J・ヴィージーもここでも最高のフリッカです。
ワルキューレたちは、完全なアメリカ娘で、激しくておおげさで笑えちゃうのも時代を感じさせるところ。

年代を考えるとモノラルなところが残念ですが、音質は良好で、このドラマチックなワルキューレを大いに楽しめるものであります。

ニルソンBOX、まだまだ面白い録音がたくさんありますので、またとりあげましょう。

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令和を迎えた日本。

内外ともに、安穏としていられない情勢は年々高まりつつあると思います。

そして、自分や家族・親族になにかと変化がありました。

そんななかでも、やはり音楽を聴くという行為は相変わらずでして、それをブログというツールに記録していくということも週1ぐらいのペースで継続できました。
暮れは、好きな演奏家の訃報もあって記事は頻出させましたが、またゆったりとやっていきたいと思ってます。
多くのコメントもいただきましてありがとうございました。

来年はベートーヴェンイヤーとなりますな。
何を聴こうかな・・・・

よいお年をお迎えください。

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2019年12月27日 (金)

ペーター・シュライアーを偲んで

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ペーター・シュライアーが亡くなりました。

ドレスデンにて、享年84歳。

こうしてまた、ずっと親しんできた歌手の一人が去ってしまいました。

親しみやすい、そして朗らかでそのリリックな声は、完全に自分の脳裏に刻まれております。
そんな思いを共にする聞き手も多いのではないでしょうか。

1935年、マインツの生まれ。
オペラ歌手、リート歌手、宗教音楽歌手、いずれにもシュライアーの功績は、舞台にステージに、そして数々の録音に深々と刻まれております

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バイエルン放送局の追悼ページには、「福音史家とワーグナー」とあります。
そう、ミュンヘンでは、リヒターやサヴァリッシュのバッハとワーグナーの演奏には、シュライアーはかかせませんでした。

ことしの1月には、テオ・アダムが亡くなってます。
シュライアーよりも年上のアダムでしたが、ふたりともドレスデン聖十字架協会の聖歌隊に所属。
ともにバッハの音楽で育ったところもあります。
そして、ふたりの共演も多かった。

福音史家としての録音はいくつかありますが、「マタイ」でいえば、リヒターとの録音は未聴のまま。
歌いすぎなところの批評を読んでから手を出せずに今日に至る。
抑制の効いたシュライアーらしいマタイといえば、マウエスベルガー盤です。
あとは、リヒターとのカンタータの数々。

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わたしには、シュライアーは、「タミーノとダーヴィッド」です。
初めてのシュライアーのレコードは、「ベームのトリスタン」の若い水夫です。
これは正直、この役のすりこみです。
シュライアーの歌が終わると、切迫したオケがきて、ニルソンのイゾルデの一声、そしてルートヴィヒのブランゲーネがきます。
もう、完全に脳内再生できるくらいに聴きこんでる。

 そして、シュライアーは、「ザ・タミーノ」といっても過言ではなかった存在です。

Zauberflote

手持ちの「魔笛」でもスウィトナー、サヴァリッシュ、デイヴィスの3種のものがあります。
思えば、みんな亡くなってしまった指揮者たち。
指揮者の声は残らないけれど、演奏全体として残る。
でも歌手たちの声はずっと耳に、その人の声として残るので寂しさもひとしお。

 シュライアーのダーヴィットは2回聴くことができました。
ここでも、指揮はスウィトナーとサヴァリッシュ。
ベルリン国立歌劇場とバイエルン国立歌劇場の来演におけるものです。
舞台を飛び回る若々しいシュライアーのダーヴィッドは、その芸達者ぶりでもって、マイスタージンガーのステージを引き締めました。
ヴァルターにレクチャーする長丁場の歌、喧嘩に飛び込む無鉄砲ぶり、ザックスとの軽妙なやりとり、歌合戦での見事なダンス・・・
いまでも覚えてます。
そして、ワーグナーが書いたもっとも美しいシーンのひとつ、5重唱の場面。

Meistersinger
             (バイエルン国立歌劇場の来日公演)

日本には何度も訪問してましたが、リートでシュライアーの歌声を聴くことはできませんでした。

「美しき水車屋の娘」は、これもシュライアーの得意な歌曲集でした。
この作品も思えば、シュライアーの歌声が自分にはすりこみ。
レコード時代のオルベルツ盤で親しみましたがCDで探してみたいと思います。
ギター伴奏による水車屋も、シュライアーならではのものでした・・・

Schubert-schreier

歌がいっぱい詰まった、シュライアーのシューベルト、ゲーテ歌曲集を今夜は取り出して聴いてみることとしよう。

年末の朝。目覚めたら一番に接した訃報に、急ぎ思いを残しました。

悲しい逝去の報が続きます。

ペーター・シュライアーさんの魂が、安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

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  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

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  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

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バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

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  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2019年9月 6日 (金)

バイロイト2019 勝手に総括

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もう秋の気配ただよう、いつものお山のうえ。

8月も終わり、日々、夏も後退して行きます。

そして、バイロイト音楽祭も終了しましたので、恒例のお勝手シリーズをしてしまいます。
いずれも、高音質のバイエルン放送局のネット配信を聴いての感想です。

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  ワーグナー 歌劇「タンホイザー」

ヘルマン:ステファン・ミリング タンホイザー:ステファン・グールド
エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコヴァ
ウォルフラム:マルクス・アイヒェ 

  指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ 
  演出:トビアス・クラッツァー

         (2019.07.25)

NHKでも放送されたようですし、多くの方が、このオモロイ演出を目の当たりにされたことと思います。
すでに、自分としては語り尽くしました。(タンホイザー2019
その時の思いと同じですが、3幕の本来の筋にある、ローマ帰りの巡礼たちは、私は「難民のようだ」と思って書いたのですが、2幕で警察当局に逮捕されたタンホイザーのことを考えれば、ムショ帰りの釈放された面々とみるべきなのだろうか?
 演出家が、それらを含めて、自身の演出・解釈を語っているものを見ても読んでもないですが、でもその姿格好からするとどちらともとれるのも面白いのかもしれない。
かたや、1幕での巡礼の合唱が、バイロイト祝祭劇場に集う観客、まさに、緑の丘のバイロイト巡礼者そのものだったのも笑えます。
その対称としての、3幕の巡礼者の姿が、まったく真逆の人々であること、すなわち、スノッブな人々と、社会に見捨てられたような人々であったこと。
 このあたりにも、クラッツァーの訴えたかったメッセージも含まれているものと思われます。
ともあれ、情報満載の忙しい舞台でありました。

歌手は、いずれも素晴らしかった。
とくに、女声ふたりは、あとで聴き返しても華のある見事なものです。
来年の配役を見ると、今年、急遽起用されたツィトコヴァは出演しない様子で、残念!
映像出演もあるから、来年は本来のグバノヴァで撮り直し、とのことだろうか。
でも彼女は、オルトルートでも1日、代役で歌いましたので、今年大活躍。
 あと、今年はティーレマンも1回指揮したりして、お騒がせのゲルギエフも降板で、ここ数年、指揮者が降りた場合などを救ってきた、実務的な手堅いオペラ指揮者、アクセル・コバーが登場予定。
ますます、かつてのホルスト・シュタイン的存在になってきた。

大好きなツィトコヴァの写真集を作りましたのでどうぞ。

Zhidkova

ブイヨン公妃、ブランゲーネ、フリッカ、オクタヴィアン、そしてカーテンコールのヴェーヌス

Lohengrin

  ワーグナー 歌劇「ローエングリン」

ローエングリン:K・フローリアン・フォークト エルザ:カミラ・ニールント
オルトルート:エレナ・パンクラトヴァ テルラムント:トマス・コニュチニー
ハインリヒ:ゲオルグ・ゼッペンフェルト

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:ユーヴァル・シャロン
  舞台装置・衣装:ナエオ・ラウヒ&ローザ・ロイ

         (2019.07.26)

2年目の「ブルー」なローエングリン。
電気技師ローエングリンは、エルザとオルトルートによって駆逐されてしまい、最後は、ブルー軍団のひとりだったエルザは、禁句を口走ったあとは、オレンジ色のドレスに替わり、よみがえった「グリーン」まみれな弟のゴットフリートとともに、持続可能なエネルギー社会に変えるような雰囲気のエンディング。
 ブルーの発電ローエングリンは、打ち破れて去り、豊富な電力を享受してきた民衆は全員ぶっ倒れ、ブラック軍団のオルトルートは、生き残り、ここはどこ?わたしは誰?的にきょろきょろ。
1回観れば、充分的なこのローエングリン演出に、今年も批判の声が多かったようです。
自然エネルギーに舵をきったドイツながら、さまざまな問題が噴出中ななかでの、このローエングリン。
政治色や社会問題を盛り込む場合の賞味期限を考えさせるもので、舞台より演奏の良さで持っているような感じです。
歌手は大幅に入れ替え。
放送された初日が、フォークトだったので、お馴染みの彼の繊細なタイトルロールを聴けたかれど、今年は去年のベチャーラとのダブルキャスト。
来年は、アンドレアス・シャガーの名前ふだけが、クレジットされてます。
さらに、当初は、ストヤノーヴァとネトレプコが予定されながら、ふたりとも降りて、ニールントとA・ダッシュのふたりがエルザ。
ニールントの安定した歌唱は、とても安心感があり、清楚感もあってよろしい。
去年のマイヤーのあとの、オルトルートは、パンクラトヴァで、おっかない雰囲気も十分で、なかなかドスの聴いたお声も立派でした。
クンドリーも全部歌った彼女、1日だけ、ツィトコヴァに交代、さらに、コニュチニーもT・マイヤーに1日交代したようなので、やはり、この夏の猛暑は、歌手には厳しい環境だったのでしょうか。

ティーレマンの指揮は、昨年よりもグレートアップしていて、充実の極み。
抒情と繊細さ、重厚なる響きに、思い切ったタメ、心涌きたつダイナミクス、さらさら流れたゲルギエフの指揮とは大違いのティーレマンでした。

Tristan

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

トリスタン:ステファン・グールド イゾルデ:ペトラ・ラング
マルケ王:ゲオルゲ・ゼッペンフェルト
クルヴェナール:グリール・グリムズレー
ブランゲーネ:クリスタ・マイヤー

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:カタリーナ・ワーグナー

        (2019.08.01)

ひたすら気の毒なトリスタンを表出した、当主カタリーナ・ワーグナー演出も5年目で、来年2020年は上演されない模様。
この演出を音楽面でずっと引きたててきたグールドのトリスタンですが、安定の歌唱でありつつ、ちょっと声が疲れ気味とも感じた。
全体に、暗い色調だし、幾何学的な装置などにも、出口の見えない閉塞感を感じる舞台との印象は、映像でみたときからずっとぬぐえない思いだ。
結局、イゾルデの不倫みたいな感じに仕立てて、マルケもそれを受け入れ許す懐の大きさもなく、残酷な君主ぶりを出す、ということで、つまらん妙な読み替えにしか思えないのがわたくしの思いです。
カタリーナさんは、バイロイトでは、マイスタージンガーとトリスタンしか演出していないが、2020のリングぐらい、思い切ってチャレンジすればよかったのに・・・と思います。

ペトラ・ラングのイゾルデ、4年目を迎えたけれど、よくなることを期待したけれど、やっぱり私の好みではなさそう。
絶叫系の高音は厳しい。
来年は、ワルキューレでのブリュンヒルデが予定されてるけど、叫びが不安・・
クリスタ・マイヤーの味のあるブランゲーネと、ゼッペンフェルトの特異な役回りのマルケが今年もよかった。

で、ここでも、ティーレマンの安心感満載の指揮は相変わらずよかった。
いまのところ、毎年文句なしだった、ティーレマンのトリスタン。

Meister

 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ザックス:ミヒャエル・フォレ ポーグナー:ギュンター・グロイスベック
ベックメッサー:マルティン・クレンツィル
ヴァルター:K・フローリアン・フォークト
エルザ:カミラ・ニールント ダーヴィット:ダニエル・ベーレ
マグダレーネ:ヴィーケ・レェーンクル

  指揮:フィリップ・ジョルダン
  演出:バリー・コスキー

       (2019.07.27)

こちらは、3年めのマイスタージンガー。
ワーグナーだらけの登場人物に、そのワーグナーにまつわる人物や、建物、事物、歴史などをたっぷりと、しかも事細かに絡み合わせた、外見は、まさに喜劇的な演出だけど、実は、とても深くて恐ろしい演出。
劇中で、その人物が変化するのにも、興味深いし、意味付けもあるので見ごたえや、考える面白さも与えてくれる。
ワーグナー→ザックス→ワーグナー、リスト→ポーグナー、コジマ→エヴァ→コジマ、ヴァルター→ワーグナー→ヴァルター、レヴィ→ベックメッサーなどなど、目まぐるしく変身・変化する。
 歌合戦の場が、ニュルンベルクの戦後裁判所であることや、連合軍にそこが支配されていることも、相当なパンチの効いたパロディであり、ザックスの大演説が、まさに法廷の証言台そのものから始まり、やがて舞台にぎっしり載ったオーケストラ(実は合唱団)を背景に歌い、やがて、それを指揮してしまい偉大なワーグナーへと変じてしまう大エンディング。
指揮するワーグナーの足元には、コジマ(エヴァ)が腰をかけている。

初年度は、面白いだけの目まぐるしい演出と思ったが、何度か見るうちに、いろんな仕掛けや、問いかけがそこにあると思うようになった。
でも、今年、2幕の拍手にはブーイングも聞かれた。
ユダヤ人を思わせるバルーンのことかな・・・

3年目、完全にチーム化した歌手たち。
いずれも、役になりきっていてお見事。
細やかな歌いまわしで、滑らかな美声も聴かせるフォレのザックスに、自在さと、バリトン的なデフォルメされた声で勝負できてしまうフォークト。
相変わらず、ベックメッサーそのものの、狡猾な雰囲気だけど、どこか抜けている、そんな風な歌唱ができてしまうクレンツィル。
来年は、ウォータンにまわるため、今年で終わるグロイスベックの美声のポーグナー。
このプロダクションのエヴァは、ニールントで決まり、と思わせる彼女、来年も続投。(今年は1回マギーが登板)
 そして、ますます好調、軽快さも見せるジョルダンの劇に付随した巧みな指揮も、歌心満載で実によかった。
タンホイザーは、ジョルダンでよかったのではないの?

Parsifal

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

アンフォルタス:ライアン・マッキニー パルジファル:アンドレアス・シャガー
グルネマンツ:ギュンター・グロイスベック
ティトゥレル:ウィレム・シュヴィンハマー
クリンゾール:デレク・ウェルトン クンドリー:エレナ・パンクラトヴァ

   指揮:セミョン・ビシュコフ
   演出:ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク

          (2019.07.30)

まず、喜ばしいことは、来年2020年には、この「パルジファル」演出はないこと。
4年目で、通常は5年サイクルだけど、また一休みして出てくるのかな?
「パルジファル」は、バイロイトを想定して、そしてしばらく聖地以外の上演を禁じていただけあって、この音楽祭にとっては特別な存在だった。
戦後の新バイロイトにあって、ヴィーラント・ワーグナーの伝説的な演出が、1951年から1973年まで23年間上演され、その後のウォルフガンク・ワーグナーの第一次演出が8年、物議をかもしたゲッツ・フリードリヒ演出が6年、その次のウォルフガンク・ワーグナーの第二次演出がその反動のように13年。
 そのあとは、ほかの諸作品と同じような扱いとなり、シュルゲンジーフが途中取りやめで4年、ヘアハイムが5年ということに。
そう、ワーグナー兄弟のあとは、長く続く演出が求められなくなって、「パルジファル」がバイロイトの専売特許でもなくなり、世界的にもカジュアル化してしまった感があります。
 まぁ、特別扱いをすることはありませんが、やはり、作者が想いを込めた舞台神聖祭典劇というタイトルぐらいは、バイロイトでは、それこそ、いつまでも神聖扱いして欲しいと思うワーグナー好きであります。

次のパルジファルは、また繋ぎで、このラウフェンベルクがちょこっと出てくる可能性はあるけど、それこそカタリーナさんに、当主の務めとして演出して欲しいもの。
だが、それは、黄昏が続くワーグナー家&バイロイトにトドメを指してしまうような予感もあります・・・・

中東を舞台に、内戦やテロ、宗教のいさかいなどを盛り込んだこの演出、映像で観たときから、あまりいい気分はしなかったし、何を言いたいのかわからん場面も多々。
結末のいかにも的な宗教的和解と、光のなかに終える場面は感動とは遠い。
あと、イエス化したアンフォルタスや、十字架コレクターのようなクリングゾルに、聖槍が十字架型だったりするのもおもろくない。
でも、花の乙女たちとの楽しそうな入浴シーンや、感動の失せる聖金曜日の背景の水浴シーンは、ちょっと好きかも(笑)

一方、演奏での今年の「パルジファル」は、集大成といえるくらいに、完成形に達した素晴らしいものといっていいかも。
ネルソンスの降板から始まった、このプロダクションを救ったのは、実務的なヘンシェルの安全かつ無難な指揮だった。
2年続いて、昨年からのビシュコフの指揮。
昨年は、多くを感じさせない、手探り的な指揮だったけど、今年はどうだろう。
きわめて積極的な、能動的な雄弁なパルジファルをビシュコフは仕立てあげたと思うのだ。
個々の場面を、ややデフォルメさせ、劇性を高めつつ、その場面が持つ意図やありかたを、全体のなかにうまく落とし込んだ感じなのだ。
各幕にある、ここはと思う聴かせどころを、いずれも外さず感動的に仕上げ、歌手たちにも無理なく歌わせれ、オケと舞台が見事に一体化した。
とりわけ、2幕のパルジファルの覚醒、3幕の聖金曜日の奇跡の感動的な高揚感は、とても素晴らしかった!

シャガーのパルジファルも、素晴らしい。
2幕の覚醒の「アンフォールタース」の絶叫が、ユニークかつ、彼のパルジファル歌唱の流れのなかで、とても活きている。
あんな舞台なのに、よきパルジファルを歌い・演じている。
そして、グロイスベックの若々しくも、活動的な雰囲気のグルネマンツに、明るいほどに悩めるマッキニーのアンフォルタスもいい。
クリングゾル、クンドリーのコンビも素敵だ。

なんだかんだで、最終放送日の「パルジファル」の音楽面での充実ぶりが光った2019年バイロイトでありました。

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来年2020年のバイロイトは、「リング」が新演出、「タンホイザー」「マイスタージンガー」「ローエングリン」が上演されます。
タンホイザーがコバー、マイスタージンガーがジョルダン、ローエングリンがティーレマンとコバー。
そして、「リング」は、30歳のオーストリアの新鋭ヴァレンティン・シュヴァルツの演出と、39歳のフィンランド出身のピエタリ・インキネンで、大幅な若返り。
 歌手も楽しみな布陣で、グロイスベックのウォータン、フォークトのジークムント、シャガーとグールドの分業ジークフリート、ラングとケーラー、ゲールケ3人分業のブリュンヒルデなど、夏の歌手の負担減ともとれる計画みたいだ。
あと、2001年以来の、「第9」がヤノフスキの指揮で。

Ring

インキネンはリングの指揮経験もあるし、日フィルでもラインの黄金をやってるし、最近ワーグナーにのめり込んでるので楽しみ。
しかし、30歳のシュヴァルツは未知数で、2017年に賞を取り、演出家としてドイツやウィーンで活動を始めたばかりの、これからが旬となろうかと思われる人。
彼を一本釣りしたのが、カタリーナ・ワーグナーで、ずいぶんと大胆なことをなさる。
「アラベラ」の映像の一部や、いくつかの画像、最近のダルムシュタットでの「トゥーランドット」の様子などを見てみたが、奇抜さは少なめであるものの、舞台の色調がいずれも暗くて、ダークな感じの印象。
 4つのオペラを一挙に造り上げなくてはならない、この若者に課せられた使命は大きすぎるし、カタリーナの当主としての眼力も問われるわけだ。
子供の頃から、両親とオペラに通い、家ではショルテイのワルキューレを聴いていたという、シュヴァルツのワーグナー演出家になりたいという大きな夢を後押しするバイロイト。
遠い異国にあって、なんだかとっても羨ましくもあり、これこそが、ワーグナーの伝統を守りつつ、更新していこうとするバイロイトの在り方なのかもしれません。

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2019年8月 4日 (日)

ワーグナー 「タンホイザー」 ゲルギエフ指揮   バイロイト2019

Yasukuni-4

先月の靖国神社「みたま祭り」。

ここ数年、ずっと行ってますが、天候不順にもかかわらず、今年の人出は多かった!
特に、若い人や外国の方が多い。
英霊を弔う本来の場所ですが、こうして、多くの人々で賑わい、楽しむ姿は、これでよいのではないかと思います。

さて、7月の終わりから、欧米各地で音楽祭が始まりました。
なかでも、わたくしの最大の楽しみは、バイロイト音楽祭とPromsです。
いずれも、その音源は優秀な音質でネット配信されますし、映像もちょっと工夫すればリアルタイムに観劇することができます。

さっそく、今年のプリミエ、「タンホイザー」を観ましたので、記事にしてみました。
昨今の演出にあるように、映像も意識した、微に入り細に入り、かなり発信性の高いものだから、まだこれからその受け止めの考えも変わるかもしれませんので、第一印象というところで。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019112__

映画のひとコマ?
「オズの魔法使い」?
そんなイメージを想起させるこちらが、「タンホイザー」の序曲からすでに繰り広がられます。

  ワーグナー  歌劇「タンホイザー

 領主ヘルマン:ステファン・ミリング タンホイザー:ステファン・グールド
 ウォルフラム:マルクス・アイヒェ  ヴァルター:ダニエル・ベーレ
 ビテロルフ :カイ・スティーフェルマン 
 ハインリヒ:ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
 ラインマール:ウィルヘルム・シュヴィンハマー 
 エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコヴァ 
 牧童:カタリーナ・コンラディ
 ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ 
 オスカル:マンニ・ライデンバッハ

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
            合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
      
   演出:トビアス・クラッツァー

               (2019.7.25 バイロイト祝祭劇場)

配役のなかで、誰それ?ってのがあります。
そう、下段のふたり。

ひとりめのショコラちゃんは、ドラァアグ・クィーンで、いわゆる「オネエ」のこと。
そして、オスカルは、映画「ブリキの太鼓」に出てくる小人、発達が止まった大人で、映画では関わった人間がみんな死んでゆくという残虐なキャラクター。
このふたりと、ヴェーヌスがヴェーヌスブルクの住人で、そのヴェーヌスは、パンクファッションをまとったロックな女で、無法者っぽい。
この世界に紛れ込んだタンホイザーは、芸術の世界から放逐された人物で、ピエロの恰好をしていて、マクドナルドのドナルドみたい。

序曲が始まると、スクリーンに映し出されるのは、ヴァルトブルク城で、そこであのメロディーが奏でられるのだから、一安心って感じ。
その城をドローン撮影で上空から映しながら、やがて現れるのはキャンピングカーで、車には屋根にはウサギのおもちゃが載ってる。

画像はいずれもバイエルン放送局のものを拝借してます。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019108__

ドイツ紙の批評によると、故シュルゲンジーフの物議をかもした「パルジファル」演出に映像で出てきた腐れゆくウサギのこと、とありました。
そして車に乗るのは、先の3人組に、ピエロのタンホイザーで、みんな楽しそうで、自由を謳歌している。
しかし、ふとメーターを見ると、ガソリンがエンプティ。食料も尽きて、一行は、バーガーキングのドライブスルー、運転手のヴェーヌスが注文し、タンホイザーはカードを提示、ところがそのカードは偽物で、カードに記された言葉は・・・
一方、残りの二人は駐車場のほかの車からガソリンを盗む、そしてかたっぱしから、ある言葉の書かれたチラシをまいたり貼ったり・・・

「Frei im Wollen    Frei Im Thun   Frei im Geniessen」

「自由を望み 行動し そして楽しむこと」

こんなスローガンを掲げた、いわば自由と希望を掲げた連中で、ここではアウトローであったり、LGBTであったり、社会の局外者であったりするわけです。
そして、この演出で、何度も出てくるこの言葉こそ、ワーグナーが発したもので、そのワーグナーこそ、タンホイザーとローエングリンの作曲の間ぐらいの時期に、革命に身を投じお尋ね者となり、亡命していたわけである。

ここに視点を置き、ワーグナーとタンホイザーをかぶらせたのではないかと思います。
ヴェーヌスブルク(と思われる場所)にいるときから、タンホイザーは分厚いスコアを持っていて、それを投げつけたりすると、ヴェーヌスが拾ってあげたりと・・。

 さて、ガソリン泥棒と無銭飲食をした一行の前に立ちふさがった警備員。
タンホイザーが止めるもむなしく、その警備員をひき殺してしまい、タンホイザーは一気に冷めてしまいふさぎ込んでしまう。

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そのあと、車を止めて、バーガー類をほおばる3人組、ニンフたちの合唱は、ラジカセから。
ついに、もうこんな生活やだと言わんばかりに、マリアの名前を叫んで、離脱するタンホイザー。
 倒れ込んだ野原に現れたのは牧童ならぬ、自転車に乗った市民。

Th-1

その導きで、行ったのは、緑の丘の上で、リアルバイロイト祝祭劇場の前庭。
合唱団は、上演を待つ観客で、暑いので、パンフレットをうちわ替わりにして扇いでる。
さて、つぎにあらわれ、ピエロのタンホイザーのかつての仲間の騎士たちは、劇場のスタッフたちで、首から認証カードを下げてる。
ここには、エリーザベトもあらわれ、タンホイザーにビンタを食らわせる。
 仲間にもどり、劇場に向かったタンホイザーを追って、車で侵入してきた、自由3人組、脱ぎ捨てられたピエロの衣装を拾って幕!

1幕の概要を長く書きすぎてしまった。
でも、この1幕でもって、全体の伏線も理解できるし、演出の意図もよく見えるのであえて詳細に。

2幕は、劇場の裏側にカメラが。出を待つエリーザベトは、従来のお姫様の姿で、舞台は、まるきりかつてのウォルフガンク・ワーグナーの伝統的な舞台のパロディーのようで、安心できるもの。
エリーザベトに対するウォルフラムの様子は、あきらかに好意以上のものがにじみ出てる。
 一方、スクリーンでは自由3人組が、劇場のバルコニーに登り、例のスローガンを掲示。
さらに劇場内部に潜入する。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019114__  

ヴェーヌスは、出演間際の女性合唱団員がトイレに入ったのを襲い、しばき上げ、衣装を盗んでなんと、ちょろちょろと合唱団として舞台に登場してしまい、口パクで歌う。
このあたりの、ヴェーヌス役のツィトコワちゃんの、演技のオモシロさやカワユサに笑い。( ´艸`)
 一方の、オネエとオスカル組は、劇場内を冒険、歴代指揮者たちの写真が飾られるところで、テーレマンを見て腰を振るショコラ、あとレヴァインにも反応してました( ´艸`)
観客に笑い声も巻き起こったようです。笑えるタンホイザーなんて( ´艸`)

タンホイザーの自爆シーンでは、ヴェーヌスがパンクな本性をあらわし、乱入したほかのふたりと踊りまくり、例の言葉の紙をまき散らす。
大騒乱となったところでの、エリーザベトの感動的な制止のシーン、彼女はなんとリストカットしたあざを振りかざすんだ。
 反省と後悔の念のタンホイザー、責める人々、こんな重唱のなか、カタリーナ・ワーグナーがスクリーンで登場、劇場スタッフからの連絡を受けて、彼女は、警察に通報。
パトカーが列をなして、劇場に向かい、警察官が舞台になだれ込む。
ローマへ、の一言とともに、領主ヘルマンの指令をもって、タンホイザーは、警察当局にしょっぴかれる。
残されたヴェーヌスは愕然とし、オスカルは座り込み、ショコラはレインボーの旗をハープにかぶせ抗議。
そう、自由が奪われた2幕の最後のひとまく。

Th-3  

ローマ巡礼行の音楽が流れる中、タンホイザーがまとっていたピエロの服が残る廃墟のようになったキャンピングカーの前で、オスカルはブリキの太鼓を鍋がわりに缶詰料理を。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019102__

そこに着の身着のままの体、お姫そのままのかっこうの空腹のエリーザベトがあらわれ、オスカルと遭遇し、料理を食べさせてもらう。
死にゆくエリーザベトに、人を死に導くオスカルという映画通りの流れ。
未練たらたら、エリーザベトに近づくウォルフラム。
そこへ、巡礼の合唱とともに、やってきたのは、まるで移民たちのよう。。。。。
そこにタンホイザーの姿はなく、エリーザベトは失意のうちに、アリアを歌い、なんと上着を脱いで下着姿に。
その傍らで、ウォルフラムは、ピエロの服と赤いかつらをかぶり、それを見たエリーザベトは喜び、そして車に引き入れ、ふたりは、いたしてしまうシーンが、リアルにえがかれる。
悔悟に暮れて歌うウォルフラムの「夕星の歌」。
タンホイザーになれなかった、自由を謳歌できなかった、いや、タンホイザーなったふりをしたことへの悔恨か。
歌う中、エリーザベトは車を出て、腕の古傷を押さえながら倒れ込み、オスカルがなだめる・・・

Th-7

舞台は回転し、成功者ショコラとブランド時計の巨大な看板のもと繰り広がられる。

Th-8

そこへ、移民風に薄汚れ、ビニール袋をもったタンホイザーが。
ウォルフラムは、ビニール袋から、もう年季の入ってしまった分厚い楽譜を恭しく取り出し、ローマ物語での教皇の話のあいだ、その楽譜を抱きしめたり、優しくなでたりする。
ところが、タンホイザーは、その楽譜を取り上げ、まるで教皇に断罪されたのがその楽譜であるかのように、丸めて地面に投げつける。
それをまた広い、大事に抱きかかえるウォルフラム。
最後は文字通り、やぶれかぶれで、ヴェーヌスブルクの音楽が流れ込むなか、ふたたび手にした楽譜を、ビリビリに引きちぎり、それをウォルフラムが必死に押しとどめるが、ついには、火をつけて焼いてしまう。

Th-6

そして登場のヴェーヌスは、なんと目無し帽をかぶったテロリスト然とした姿。
例の言葉の書かれたプラカードを掲げ、タンホイザーも一緒になって、それを掲げる。
ウォルフラムの、渾身の、それこそ愛情もこもった「エリザベート」の一言と、亡きがらを指さす姿に、タンホイザーも一変。
オスカルに見守られ、車中にあった血に染まったエリザベートをおろして、タンホイザーは彼女とともに横たわり、ウォルフラムは、彼女のお姫様の服を優しくかけてあげる。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019104__

見守るヴェーヌスの眼も、これまでと違った表情になった。
スクリーンでは、軽くピエロの化粧の残ったタンホイザーと仲良く車に揺られるエリザベート、ふたりの笑顔を写しつつ、旅の始まりと、終わりのような印象をあたえつつ、幕となる。

             幕

幕が閉じると、ブラボーを圧するブーイング。
ともかく、パロディーのきいた演出で、タンホイザーとワーグナーを重ね合わせ、さらには、バイロイトに集う観客、既定の演出や演技者を既存の観念とし、それらとは、真逆の世界に住まう連中を自由を謳歌する人々と位置づけ対立軸に持ち込んだ。
死による浄化も、最後には自由と希望を得る手段のようにも見えかねない。
わたしのような浅い思考力では、演出家クラッツアーの狙いや考えはわかりません。
 最初、画像や映像の断片しかみなかったときは、SNSなどで、批判をしたものだが、全編観たことで、その考えは少し変わった。

最初から最後まで、いろんな伏線をひきつつ、一本筋のとおった考え抜かれた演出だと思うようになった。
ただ、そこにLGBTや移民、テロなどの問題を絡めることで、その筋にもややこしさや、政治色が生まれることになった。

あと、スクリーンの多用は、ここまでやると禁じ手のカードを切りすぎた感がある。
舞台で再現できない、ありえへんストーリーをこれではいくらでも作れてしまう。
荒唐無稽な「リング」なんて映画チックにいくらでも制作できちゃうだろう。

そして、実際に歌い、演奏されてる音楽と舞台や映像との齟齬と乖離は、いかんともしがたい。
2幕のエリーザベトの必死の嘆願の感動的シーンは、リストカットの傷を見せられたり、かたわらで繰り広がられるヴェーヌスとタンホイザーの淫らな動きなどを見せつけられ、音楽の力を削いでしまうのだ。
何度も書くが、ワーグナーの音楽は、それだけで、すべてを表現しつくして雄弁なので、ごちゃごちゃいじくりまわさないで欲しい!と

オモシロくて楽しめる演出だったけど、やっぱりイヤだな。
でも、昨年の、環境問題をテーマにしたような「ローエングリン」よりは、よっぽど訴えかけは強いけどね・・・
未消化部分が多いので、またなにか書くかもしれません。

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Th-9
         (楽しそうな一行♪ 運転手はヴェーヌスさ!)

歌手は、こんなめんどくさい演出なのに、歌に演技に、実に素晴らしかった!
なかでも、ヴェーヌスのツィトコワ。
本来は、グバノヴァの予定であったが、彼女の怪我で、急遽ツィトコワが初日に立つことになったという。
小柄な彼女の強い声によるヴェーヌスは、安定していて、先に書いたように、その所作が可愛く、おもしろい。
新国にも以前、よく登場していて、私は以前よりファンなんです。
オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを観ました。音源では、ブイヨン公妃も素敵です。

あと、デビューのダビットソンのエリーザベトは、堂々たる声で、まさにプリマドンナ風。
最近のクールでスマートな歌唱ではなく、ちょっと一昔前のなつかしさを感じる一本気な声。
同じく北欧出身の先達たちのように、今後の活躍が予想されます。

あと、アイヒェの友愛と、それこそ複雑な愛情にあふれたウォルフラムをマイルドな声で歌い、揺れ動く優柔不断の演技もサマになってます。
グールドの安定感あるタンホイザーも素晴らしく、このタフで息の長い歌手の存在はありがたいものです。
演出の意図をよく理解して、大きな体で迫真の演技です。

 さて、演奏サイドで、唯一、ブーを浴びてたのがゲルギエフ。
聴きなれないところが強調されたり、音を一部引き延ばしたりと、いままで聴いてるタンホイザーとはちょっと違うようにも感じました。
テキパキと流してしまうことの多いゲルギエフのいつもの指揮とも、違う、一部はなかなかの力演に思える場面もありました。
報道では、バイロイトの劇場の独特の響きに苦戦していたとのこともあります。
そして、ザルツブルクとヴェルビエの各音楽祭をかけ持って飛び回っているこの夏のゲルギエフの多忙さで、ろくに練習もできていない、との指摘もあり、リハーサルにも遅れたりとか言われちゃってます。
 それに黙ってられないゲルギエフは、反撃し、そんなことはない、ワーグナーの音楽に真摯に取り組んでる、と反発してます。
しかし、どうやら来年はもう登場しないとのうわさも・・・・・

まぁ、こうしていろいろあるのが、バイロイトの、ことさら新演出の楽しみ。
来年は、「リング」の新演出年。
演出は、オーストリアのヴァレンティン・シュヴァルツと、指揮は、日フィルでおなじみのピエタリ・インキネン。

炎夏のヨーロッパ。
バイロイトも猛暑で、このタンホイザー初日には、暑さに対する抗議デモなんてのも行われちゃってます・・・・?

Yasukuni

日本では、祭りの季節。

日本の夏です。

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2019年5月25日 (土)

ワーグナー ニュルンベルクの「ローエングリン」 マルヴィッツ指揮

Reiwa

令和元年。

新元号を迎えて1か月。
すっかり馴染みました。

1

  ワーグナー 「ローエングリン」

 ハインリヒ:カール・ハインツ・レヒナー ローエングリン:エリック・ラポルテ
 エルザ:エミリー・ニュートン      テルラムント:リー・サンミン
 オルトルート:マルティナ・ダイク    伝令:キム・デホ
 
  ヨアナ・マルヴィッツ指揮 ニュルンベルク州立フィルハーモニー
               ニュルンベルク州立劇場合唱団

        演出:ダヴィット・ヘルマン

              (2019.5.11 @ニュルンベルク州立劇場)

CDもあんまり出てないし、ほとんど聴くことのできない、ドイツの由緒ある歌劇場のひとつ、ニュルンベルク州立劇場のライブをバイエルン放送局のライブで聴くことができました。
ドイツの劇場は、画像の公開も積極的なので、その数々の写真から、毎度のことながら、観てもいないのに、あれこれ想像を巡らせながらその放送を聴くことができるのも、ネット時代のありがたみです。

Nrnberg-1

ニュルンベルクの劇場は、その起源は、17世紀に遡り、現在の姿は、1905年に築造されたもの。
隣にはシャウシュピールハウス(コンサートホール)が併設され、人口50万のバイエルン州第二の都市の音楽の中心なのです。
 そして、ニュルンベルクといえば、マイスタージンガーゆかりの地。

Nrnberg-2

旧市街地は、グーグルマップでみても、中世の雰囲気が色濃く残るさまが見て取れます。

劇場の歴代の音楽監督で、目に付く方を列挙すると、ティーレマン、P・オーギャン、ペリック、そしてボッシュと続き、2018年から、注目の女性オペラ指揮者、ヨアナ・マルヴィッツが就任してます。
ちなみに、オペラ部門の芸術監督は、2018年から、ヤン・フィリップ・グローガーで、バイロイトで、ダンボールと扇風機の「オランダ人」を演出した人です。

マルヴィッツは、ピアニストでありながら、カペルマイスター的なオペラハウス叩き上げの存在で、ドイツ各地のハウスで、すでにかなりの舞台を指揮しており、レパートリーもドイツ物中心にかなりの数を築き上げてます。

ニュルンベルク劇場のオケは、同時に、コンサートオケも兼ねており、ピットからあがるオーケストラの響きは、シンフォニックかつ、劇場ならではの雰囲気豊かなものでもあり、ワーグナーの音楽に不可欠な力強さと、豊かな響きの混ざり合いを聴くことができるのでした。
それを統率する、マルヴィッツの指揮は、とてもスタイリッシュで、重苦しさのない今風のもの。
速めのテンポは、ドラマの勘どころをしっかりと押さえつつ、聴き手を音楽とその舞台に引き込ませるに十分なもの。
無理のない音楽造りなので、歌手たちも歌いやすいのでは。

ちなみに、演奏タイム。
Ⅰ(58分) Ⅱ(79分)Ⅲ(60分)

エルザのアメリカ人ソプラノ、エミリー・ニュートン以外、わたくしには聴いたことのない歌手たち。
そのニュートンの感動さそう、渾身の歌唱もよかったが、ラポルテのローエングリンにちょっとびっくり。
似せているのかと思わせるくらいに、ルネ・コロ+フローリアン・フォークトの声なんだ。
カナダのケベック圏出身のリリックテノールで、甘さと気品のよさが、ちょうどよく両立しているが、耳あたりがよいだけとも言えなくはない。でも、いい声で、気持ちのいいテノールだ。

ほかの諸役も、劇場のアンサンブル的な意味合いでも、とてもよくそろってる。
ドイツの劇場を中心に、中国・韓国系の歌手の活躍が増えているのも昨今のトレンドだ。

というわけで、ドイツの地方オケやオペラの、もこもこした響きや録音、ヘタクソな歌唱という過去のイメージを完全払拭してしまう、鮮やかな演奏と録音でありました。

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しかし、同時に確認することのできる舞台画像や、評論を見ると、ちょっとがっかり。

もう普通じゃいけないんだろうな。

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ブラバントの後継者争いが焦点。
キリスト教徒的な王やエルザ、そして市民たちの半分。
北欧やフン族のような異教徒的な、テルラムント夫妻と、市民たちの半分。
これら異なる宗教のもとにある人々の信教の争いでもあるように見受けられる舞台。

ローエングリンは、絵本に出てくるような、森の番人みたいな、グリム童話的な姿。
しかし、極めつけは、3幕。

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前奏曲を聴いてると、男のうめき声のような、掛け声ともとれる声がする。
評論と画像からすると、二人のカップルの結婚式にあたって、「ウォータン」が胸を誇張したワルキューレたちと登場し、猪を生贄として屠る様子なのだ。
オルトルートたちの奉じる神々は、まさに北欧神話の神々たち。
だからって、出てくることはないでしょうに。

さらに、禁を破られ傷心のローエングリンを襲うテルラムントをアシストするのは、なんと「ウォータン」。
ついでに、こんどは、ローエングリンの父、「パルジファル」も登場してきて助太刀。
たしかに、ローエングリンの物語には、そうした背景はあるけれども、まさに、なんじゃこりゃ、なんです。

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そして、論評を読んでると、やられたはずのテルラムントは、「パルジファル」によって、生き返らされ、なんと、次の後継者として指名されるようだ。
ローエングリンは、待って!と、倒れこむエルザのまん前で、森の騎士たちに、引きづられるようにして舞台奥に引っ立てられていってしまう。
 こんな不条理な幕切れの様子。

当然に、ブーの応酬。
歌手と指揮者には、ブラボーが。
演出家が出てきたときには、盛大なブーイングが。

このクセ玉まじりの変化球のような読み替え演出に、やはり「過ぎたるは及びがたし」の思いが。
もちろん、実物や映像全体を見ずに断じるのは、よろしくはありませんが。

ニュルンベルク・オペラのyoutubeサイトには、数々のトレイラーが公開されてまして、コンパクトな舞台ながら、極めて内容の濃い、そして過激な上演の数々を確認することができます。

ドイツ各地にあるオペラハウスが、市民たちの日常生活とともにありながら、こうして常に新しいものを希求し続けることに、音楽芸術の根付く強靭さを強く感じます。

Mallwitz

しかし、マルヴィッツさんの、この美しき指揮姿に、豊かな音楽性。
オペラ指揮者としてのますますの活躍に期待であります。


Reiwa-2

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2019年4月21日 (日)

ワーグナー 「パルジファル」 ブーレーズ指揮

C_1

今日、4月21日は、復活祭。
キリスト教社会においては、降誕祭とともに、最大のお祝いの日。

おりしも、ヨーロッパ諸国では、野山には花咲きほこり、春の到来の喜びと冬への決裂を祝います。

イエスの受難と復活、音楽も数多く、特にこのイースターの時期には、受難曲とパルジファルが演奏されます。

わたくしも、例年、聴きます。

Parsifal-boulez

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

アンフォルタス:トマス・ステュワート  ティトゥレル:カール・リッダーブッシュ
グルネマンツ:フランツ・クラス     パルジファル:ジェイムズ・キング
クリングゾル:ドナルド・マッキンタイア クンドリー:グィネス・ジョーンズ
聖杯守護の騎士:ヘルミン・エッサー、ベンクト・ルントグレン
小姓:エリザベス・シュヴァルツェンベルク、ジークリンデ・ワーグナー
   ドロテア・ジーベルト、ハインツ・ツェドニック
花の乙女:ハンネローレ・ボーデ、マルガリータ・クリアキ
     インガー・パウシティアン、ドロテア・ジーベルト
     ウェンディ・ファイン、ジークリンデ・ワーグナー
アルト独唱:マルガ・ヘフゲン

   ピエール・ブーレーズ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                バイロイト祝祭合唱団
        合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
        
        演出:ヴィーラント・ワーグナー

          (1970.7,8 @バイロイト)

ブーレーズのパルジファルを、ほんとに久しぶりに全曲聴きました。
1970年のライブ録音は、たしか、72年にレコード発売されました。
ちょうど、その頃から、年末のNHKFMを通して、ワーグナーの音楽にはまり始めていた中学生だった。

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レコードで5枚組。
当時のオペラを始めとする組物レコードは、豪華な装丁と分厚い解説書とで、手に取るとズシリとくる重さでした。
お小遣いも少なかった中学生だったので、レコード店で、この「ブーレーズのパルジファル」を憧れをもって眺めるしかなかったのです。
しかし、その翌年73年には、「ベームのリング」と「ベームのトリスタン」を入手して嬉々としておりました。

その「ブーレーズのパルジファル」を手に入れたのはCD時代になってから。
レコード発売から15年後の80年代半ばのことでした。
レコード5枚から、CD3枚に。
手にした感じも軽量だった。
時代の流れを感じつつも、今聴いても、ブーレーズのパルジファルは、鮮烈だし、色あせることない新鮮さを持って感動させてくれる。

ご存じのとおり、ともかく速い。
快調に聴くことができるが、でも、速すぎるという印象はまったくなく、パルジファルの音楽の魅力が、あますことなく、すべて押さえられていて、文句ありません。
それどころか、聖金曜日の音楽における抜群の高揚感は、ほかの演奏ではなかな聴くことができないほどで、大いに感動します。

対極の演奏に思われるクナッパーツブッシュにある神秘感や、滔々たる時間の流れと舞台の事象や、歌手の言葉に即して、刻々と変わる音の色合いのようなものは、ブーレーズの演奏にはありません。

オーケストラピットからは、整然とした響きが濁ることなく、明瞭に聴き取れ、明るいトーンの音色は神秘感よりは、現実的な音楽としての捉え方として再現されます。
これを聴くと、ワーグナーのパルジファルの先には、ドビュッシーがあり、ウェーベルンがあることを理解できます。

1951年からずっと続いた新バイロイト様式による、ヴィーラント・ワーグナーの演出は、53年にクレメンス・クラウスが振ったのを例外として、クナッパーツブッシュが常に指揮をしてきた。
1965年は、秋に亡くなってしまうクナッパーツブッシュが腰を痛めたため、クリュイタンスが指揮。
そして、1966年にブーレーズがパルジファルを初指揮するが、バイロイト当主のヴィーラントがクナッパーツブッシュ後の指揮をブーレーズに
ゆだねたのは、ラテン系の目線をワーグナーの音楽に持ち込むためだった。
その66年の音楽祭が始まるころ、ヴィーラント・ワーグナーはすでに体を壊してミュンヘンの病院にあって、実際の舞台を監督できていなかったわけで、そのヴィーラントは同年の10月に亡くなってしまうのです。

このときの演奏評を、愛読書のピネラピ・テュアリングの「新バイロイト」から引用します。
>バイロイト秘蔵のクナッパーツブッシュによるパルジファルに比べて、これ以上に著しく違っているケースをほかに想像することは難しい。ブーレーズのパルジファルは、敏捷で軽く(伝統的な荘重さに対して)、しかも思わず人を信服させてしまうようなものであった。
・・・・過去の演奏記録に比べて、タイミング(演奏時間)の幅広い変動にはびっくりしてしまうが、しかし、それでもブーレーズは見事な演奏を繰り広げた。ブーレーズといえあば、現代音楽が連想されるけれども、彼はパルジファルに対して真の愛情と感覚を持ち、パルジファルのなかに、ワーグナーの作品のみならず、オペラ作品全体を通じての転機を認めている。彼の演奏の仕方は、パルジファルを現代人の世界の中にしっかり定着させるようなやり方であるが、しかいそうかといって、ワーグナーの伝統主義者たちの感情を害するようなものでもないのである。<
51年以来、クナのパルジファルを聴いてきて、実際に66年の舞台に接した方の言葉として、とても意義あるものに思います。

ブーレーズは、66年から68年までの3年間、ヴィーラント演出のパルジファルを指揮しましたが、そのあとを継いだのが、69年のホルスト・シュタインで、70年には再度登場し、今回のCDの録音が残されました。
ちなみに、71年から73年までの3年間は、オイゲン・ヨッフムが指揮をして、そこでヴィーラント・ワーグナーの演出は終了となりました。

ブーレーズは、2005年と6年に、へんてこな演出ながら再登場してパルジファルを指揮しましたが、驚くべきことにその演奏の印象は70年のものとあまり変化しておらず、むしろ少し丸くなったような印象を受けました。
しかし、後述のとおり、さらにテンポが速くなってました。
演出のせいかもしれません。

60年代後半から70年代を通して活躍した歌手たち。
その前の、ヴァルナイやメードル、ニルソン、ヴィントガッセン、ホッターたちの大歌手の時代の次世代。
いずれも、ブーレーズの指揮にもうまく乗りつつ、伝統の上にあるワーグナー歌手たちの足跡にも応じた名歌唱と思います。
とりわけ、J・キングのパルジファルは素晴らしい。
この傷を癒すのは、のモノローグでの最後の一音、「den Schrein」を一番きれいに伸ばすのは、いろいろなパルジファル役を聴いてきたけど、キングが唯一。
声の威力と気品、そして苦悩ぶりも申し分なし。
フランツ・クラス、ステュワート、マッキンタイア、リッダーブッシュ、男声低音陣たちが、そろいもそろって美声なのもこのブーレーズ盤のユニークなところ。
そんななかで、ちょっと異質なのがジョーンズかも。
賛否あるけど、彼女の声は大好きなわたくしですが、この頃は、声のコントロールがまだ不十分で馬力が露呈してしまうところも見受けられる。でも、長いモノローグはボリュームを抑え気味にして聴くとなかなかに魅力的であった。
花の乙女や端役に、のちに大活躍する方や、かつてのベテランの名を見出すのもこの時代の良さでありましょう。

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バイロイトでの演奏タイム

 トスカニーニ             4時間48分
 クナッパーツブッシュ(1962) 4時間19分
 ブーレース        (1970) 3時間48分
 シュタイン        (1969) 4時間01分
 ヨッフム         (1971) 3時間58分
 シュタイン       (1981) 3時間49分
 レヴァイン       (1985) 4時間38分
 ティーレマン     (2001) 4時間20分
 ブーレーズ      (2005) 3時間35分
 A・フィッシャー    (2007) 4時間05分
 ガッティ         (2008) 4時間24分
 F・ジョルダン     (2009) 4時間14分
 ヘンシェル      (2016) 4時間02分  

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何度聴いても、パルジファルはいい、そしてよくできてる。
神聖性をあえて取り外そうとする昨今の演出があるなか、この作品は耳で聴いてこそ安心できるのである。

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 野辺の花、パルジファルは、これを見て、かつて自分を誘惑しようとした花たちがいたと歌う。

この聖金曜日の場面でクンドリー、洗礼を受け、はらはらと涙する。

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春の花は、色とりどりに美しく鮮やか。

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2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

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バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

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 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

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テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2018年12月23日 (日)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベーム指揮  ウィーン国立歌劇場

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東京タワーの周辺もクリスマス。

幻想的な雰囲気に撮れました。

クリスマスに対する憧憬の想いは子供もころから変わらない。

そして、その憧憬の想いは、この作品に対しても、ずっと変わらない。

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ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 トリスタン:ジェス・トーマス      イゾルデ:ビルギット・ニルソン
 マルケ王:マルッティ・タルヴェラ    ブランゲーネ:ルート・ヘッセ
 クルヴェナール:オットー・ヴィーナー メロート:ライト・ブンガー
 牧童 :ペーター・クライン      舵取り:ハラルト・プレーグルホフ
 若い水夫:アントン・デルモータ

  カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団

            演出:アウグスト・エヴァーデインク

              (1967.12.17 ウィーン国立歌劇場)

こんな希少なトリスタンを聴きました。
ニルソンのイゾルデは、たくさん聴けるけれども、J・トーマスのトリスタンなんて、どこにも残されていなくて、ただでさえ正規なオペラ全曲録音の少ないトーマスの録音だからよけいにそうです。

これは、11月に買ってしまった31枚組の「ニルソン・グレイト・ライブ・レコーディングス」のなかのひとつ。

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ニルソン財団の協力を受けて、各放送局に残るバイロイト、バイエルン、ウィーン、メット、ローマなどの上演ライブ放送をリマスターして正規音源化したものなんです。

このなかには、「トリスタン」は3種あり、サヴァリッシュのバイロイト(57年)、ベームのウィーン(当盤67年)、ベームのオーランジュ音楽祭(73年)がそれぞれ収録。
サヴァリッシュ盤は非正規のものを持ってるけど、音質が向上。
オーランジュ盤は、映像が有名だけれど、ステレオでちゃんとした音源では初。
そして、まったく初のお目見えが、ウィーン国立歌劇場盤だ。

ついでに、このボックスの収録内容は。
バルトーク「青ひげ公の城」 フリッチャイ指揮
ワーグナー「ローエングリン」 ヨッフム指揮バイロイト
ワーグナー「ワルキューレ」 カラヤン指揮 メット
ワーグナー「ジークフリート」3幕2場 スウィトナー指揮バイロイト
ワーグナー「神々の黄昏」自己犠牲 マッケラス指揮 シドニー
ベートーヴェン「フィデリオ」 バーンスタイン指揮 ローマ
プッチーニ「トゥーランドット」 ストコフスキー指揮 メット
R・シュトラウス「サロメ」 ベーム指揮 メット
R・シュトラウス「エレクトラ」 ベーム指揮ウィーン国立歌劇場、メット
R・シュトラウス「影のない女」 サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場

こんな感じで、不世出の大歌手ビルギット・ニルソンの主要なレパートリーを、これまで世に出ることがなかったものや、非正規盤であったものなどをしっかり網羅した大アンソロジーなのであります。
少年時代から、ニルソンのワーグナーにおける声を聴いてきた自分としては、まさに垂涎の一組となりました。

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ウィーン国立歌劇場のベームのトリスタン、67年のプリミエの初日の模様で、音源はモノラル。よく耳を澄ませば、若干のテープヒスも聞こえるが、鮮明な録音で、この作品の視聴にはまったく問題ないが、3幕の一部に欠落があるように思う。
あと2幕の長大な二重唱に、因習的なカットがあって、2幕は66分と短くなっている。
面白いのは、1幕の終わりの方、ステレオのように聴こえること。

 それはともかくとして、オーケストラが完全にウィーンフィルのそれであること。
60年代のよきウィーンフィルの音色であり、しかもベームの指揮であることがうれしい。
ひなびた感じの管の響きは、郷愁と憧れを抱かせるのに十分だし、ベームに大いに煽られて切羽つまった音を出すのもウィーンならではの雰囲気である。
 で、そのベームの指揮。
この当時、62年から始まったヴィーラント演出のバイロイトでの上演が70年までずっと続いていて、ニルソンとヴィントガッセンの二人を主役に据えた、文字通り鉄板的な上演だった。7年間のなかで、65年と、67年はバイロイトでの上演はなかったが、DGの名盤66年盤の翌年のウィーンの記録という意味でも貴重なものだ。
 DG盤と同じく、早めのテンポで、凝縮した響きを求めて過度な感情表現はないものの、歌手と舞台とピットが、ベームの指揮の元に一体化していることを強く感じる。
オペラの中心が指揮者であること。
昨今の演出過剰の舞台での小粒になったオペラ指揮者たちにはない、強力な存在感を、このような録音からも聴き取れるのが、昔の音源の楽しさでもあります。
1幕のマルケ王のもとへの到着、2幕の二重唱、3幕のトリスタンの夢想など、いずれもライブならではの高揚感を味わえ、劇場に居合わせた聴衆はさぞかし興奮したであろうと思います。
録音のせいかもしれませんが、ティンパニの強打もそこかしこで、素晴らしくって、DG盤とはまた違ったピットないの音の魅力を感じる。

そして、最初から最後まで、安定していて、冷たくも凛とした神々しさをたたえるニルソンのイゾルデは、自分にとっては、相変わらず無二の存在を裏付けるものでありました。
イゾルデのあらゆるシーンと歌声は、自分にはすべてニルソンなのです。

 で、この音源の大きな目玉が、J・トーマスのトリスタンにあったわけであります。
2幕に省略があったとはいえ、トーマスのトリスタンを、自分としては初に聴けたのだ。
ワーグナーかシュトラウスか、第九ぐらいしか音源がなかったところに、このトリスタンはまったくの朗報。
知的で気品のあるトーマスの歌声だが、凛々しいトリスタンが媚薬にのって愛の男に転じるさま、そして2幕の美しい二重唱での艶っぽさ。
そして、3幕では、驚きのやぶれっかぶれっぷり!
こんなトーマス聴いたことなかった。
古い時代の肉太のヘルデンとは一線を画すスマートな歌唱でありながら、こうした爆発を聴かせるトーマス。まったくもって素晴らしいトリスタンとなりました。
カラヤンのトリスタンが、ヴィッカースになったのは、これを聴いちゃうと、ほんとに残念だけど、カラヤンはトーマスをジークフリートとして使ったけれど、カラヤンのトリスタンのイメージにはならなかったのだろうか。

バイロイトと同じ、タルヴェラのマルケ王のマイルドな美声は、ここでも聴けます。
あつ、ちょっと古風なヴィーナーと、名わき役のR・ヘッセの歌声も懐かしい喜びでした。

この演奏に名を連ねている歌手も指揮者も演出家も、R・ヘッセを除いては、みんな物故してしまった。
いまの新しい録音による、新しい歌手たちの演奏もいいけれど、わたくしは、こうした過去の演奏の方が落ち着くし、好きだな。
 もちろん、昨今の歌手たちは、べらぼうに巧くなったし、演技もうまいし、ビジュアルもいいんだけれども・・・。

このニルソン大全、喜びを感じつつ、ちょっとづつ聴き進めてますので、また記事にすることもあろうかと思います。
とくに、「影のない女」は素晴らしいし、ちゃんとしたステレオ。
あと、ベームと振り分けたスウィトナーのジークフリートの一部が、これもステレオで聴けます!

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今年もあと1週間。

天皇陛下として最後のお誕生日のお言葉を拝見しました。

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2018年10月 6日 (土)

「タンホイザー」と「巨人」 ピッツバーグ響

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夜明けの相模湾。

左手は三浦半島。

このところ、雲に覆われる日々ばかりで、せっかく海のある街に帰っても、日の出を拝むことができなかった。

しかし、これはこれで絶景。

自然は怖い牙をむくけれど、静かなときは美しいものだ。

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  ワーグナー  交響組曲「タンホイザー」
            (パリ版に基づくマゼール編)

    ロリン・マゼール指揮 ピッツバーグ交響楽団

               (1990.12 ハインツホール)

マゼールが、84歳で亡くなってから、もう4年が経つ。
神出鬼没的な存在で、個性的で、ときに鼻につくこともあったけれど、なんだかんだで好きな指揮者でもあった。

その歴任ポストも世界をまたにかけたユニークな渡り方で、ベルリン放送響→ベルリン・ドイツ・オペラ→クリーヴランド管→フィルハーモニア菅(准指揮者)→フランス国立管→ウィーン国立歌劇場→ピッツバーグ響→バイエルン放送響→トスカニーニ・フィル→ミラノ・スカラ座(准指揮者)→ニューヨーク・フィル→ミュンヘン・フィルと、まあすごいことなんです。
日本にも、東響や読響、N響を振りに何度も来てました。

マゼールが一番面白かったのは、ベルリンからクリーヴランドぐらいまでと思ったりもしてます。
あとは、ウィーンで失敗して、ベルリンフィルの座も取れなくて、なんか迷走したりもした時期もあったりで。

そんななかから、ピッバーグ時代の1枚を。
マゼールのピッバーグ時代は、1984年~1996年と、割と長期に渡ってまして、なぜなら、マゼールは名門ピッバーグ大学で学んだほか、ピッバーグ響でもヴァイオリン奏者を務めた経験があるので、街にもオーケストラにも愛着があったわけだ。

ワーグナーのオペラ全曲録音を残すことがなかったのは、とても残念なことですが、抜粋や管弦楽作品は、いくつも残してくれました。
そんななかで、マゼールが手をいれた風変りな作品が「タンホイザー」組曲だ。

序曲から大規模なバッカナールになだれ込むパリ版に忠実な1幕前半。
なかなか堂々たる演奏で、バッカナールもマゼールならではの悩ましさ。
そして曲は、ヴェーヌスとタンホイザーの絡みがネットリと続き、そのままヴェヌスブルクは崩壊し、清廉な野辺へと転じ、騎士たちとの再会で高らかに終わる第1幕。
 2幕は、歌の殿堂の場面は、かなり華やか聴かせ、タンホイザーとエリーザベトの二重唱もしっかりあるが行進曲はおとなしめな印象。
エリーザベトの嘆願をへて、ヴェーヌスへ、としずしずと進むとこで終わり。
 3幕からは巡礼行から始まり、エリーザベトの祈り、しんみり夕星ときて、そのあと怪しいムードでヴェーヌスがやってきて、さらに駆け足で、ローマ語りをすっとばしながらやってからの巡礼たちの合唱、ここは合唱はなんとハミング、そして思わぬ軽やかさで曲を終結。
以外に尻すぼみな感じの構成で、マゼールとしては、みずから編んだのに、前半はマゼールらしいが、後半は、もっとガンガンやって欲しかった的な感じです。
 
 ドイツ的な響きを持つピッバーグ響は、腰の低い低音から、マゼールの紡ぎだす妖艶なサウンドまで、とても能動的に機能してます。うまいです。
 マゼールは、ウィーン国立歌劇場での音楽監督のデビュー演目に、この「タンホイザー」でもって、歌手の不調もあって、大ブーイングを浴びてしまい、さらに、カーテンコールで親指を下にするパフォーマンスをしてしまい、大炎上した、と読んだことがあります。
因縁のある「タンホイザー」を故郷のひとつ、ピッツバーグで、自らの編曲でリベンジしてみた1枚でした。
 ワタクシには、どうも歌がないと、気の抜けたビールのように思えてしまうのであります。
リングのオケ版もそうです。
 それより、マゼールのバイロイトでの「リング」を正規発売してほしいと思います。

   ----------------------

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ピッツバーグは、ペンシルバニア州の大都市で、オハイオ川の起点にあることから水辺の街でもあります。

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                           (Southern Airways HPより拝借)

鉄鋼の街として栄えたが、その後の鉄鋼産業の衰退で、次はハイテクや金融、まさにいまのアメリカの主要産業を基軸にした都市となっている。
大学も多く、むかしからの大企業も存続していて、そのひとつがケチャップの「ハインツ」。
ドイツやイギリスの資本の企業も多数。欧州との結びつきが大きい。

都市圏としての人口は240万人で、冬はとても寒そうだ。
野球は、そう、「パイレーツ」ですよ。桑田真澄がいっとき在籍してましたな。

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そして、オーケストラはピッツバーグ交響楽団。
ケチャップのハインツがスポンサーだし、本拠地もずばり、ハインツホール。

1895年の創立。一時、財政難で解散し、再スタートしたときは、クレンペラーも尽力し、そして、このオーケストラの基本を作り上げたのは、フリッツ・ライナー。
ライナーのあとは、スタインバーグが長く腰を据え、ドイツ的な響きを身につけた。
さらに、プレヴィン(76~84年)、マゼール(84~96年)、ヤンソンス(95~04年)、A・デイヴィス、ヤノフスキ、トゥルトリエの3人体制(05~07)、ホーネック(08~)という陣容。
 財政的に豊かなこともあり、そしてこのオーケストラや街や環境もいいのか、名指揮者たちが長く歴任してます。

Pittsburgh_heinzhall_2
                  (ピッバーグ響のHPより拝借)

スタインバーグからマゼールまでは、レコーディングがたくさんあったのに、ヤンソンスとはとてもいい関係だったのに係わらず、ショスタコーヴィチぐらいしか録音がない。
自主製作盤に魅力的なものはあるが、残念なこと。
90年代終わり頃から、アメリカのメジャーオケの録音は、お金がかかりすぎて採算が合わないようになってしまったからか・・・

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Honeck

   マーラー 交響曲第1番 「巨人」

    マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

               (2017.9.4 @Proms)


現在の指揮者ホーネックは好評で、先ごろ2022年まで、その任期を延長しました。
このコンビのCDは、そこそこ出てますが、高いし(笑)、腐るほど他盤持っている曲目ばかりなので、手が伸びません。
しかし、昨年ロンドンのプロムスの放送で聴いたマーラーは、実に活力みなぎる演奏で、いま聴き返しても、たくさん新鮮なヵ所が続出し、飽きさせることのない名演でした。

これほどの名曲になってしまうと、曲がちゃんとしているので、楽譜通りに演奏すれば、それなりの成果をあげることができるのですが、ホーネックは一音一音を大切に、そしてフレーズにもごくわずかに聴きなれない味付けを施します。
緩急も、かなりつけるのですが、それが自然体なのは、オーケストラ出身の指揮者だからでしょうか、嫌味がありません。

このホーネックの自在な指揮に、ピッバークのオケはピタリとついていきます。
そして金管の巧いこと!弦がしなやかで美しいこと。

いいオーケストラだと思います。
アメリカの香りのするヨーロッパのオケって感じ。
ボストン響にも通じるかな。

マーラーの最後のクライマックスの築きあげ方、じわじわ来ます、そしてタメもうまく決めつつ、底知れぬ大爆発。

ロンドンっ子も大歓声と大絶叫!

アンコールのJ・シュトラウスのポルカもすごいことになっちゃってます。

アメリカ、オーケストラの旅、楽しい~

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薄日に、漕ぎ立つ船あり。

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