カテゴリー「ワーグナー」の記事

2020年10月18日 (日)

ワーグナー 「妖精」 エトヴェシュ指揮

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都会の中にも秋を感じさせるシーンがたくさん。

それにしても曇天や雨ばかりの関東地方です。

ワーグナー聴きます。
全作のサイクルをまた開始しようと思います。
もう書きつくしたけど、行けるかな?

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  ワーグナー 歌劇「妖精」

   アーダ  :スー・パッチェル    
   アリンダル:ライモ・シルキア
   ローラ  :ダクマール・シュンベルガー
   モラルト :セバスチャン・ホレック
   ドロッラ :ビルギット・ビーア    
   ゲルノート:アルトゥール・コーン
   ツェミーナ:ウルリケ・ゾンターク
   フェルツィーナ:マヌエラ・クリスチャク
   グンター :フリーダー・ランク
   グロマ  :
 アレッサンドロ・パタリーニ

 ガボール・エトヴェシュ指揮 カリアリ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団
               カリアリ・テアトロ・コムナーレ合唱団

        (1998.1.12,14 @カリアリ・テアトロ・リリコ)

これまで2度記事にしてます。
1度目は実際のオペラの舞台を観ることができて、日本初演でした。
2度目はサヴァリッシュのCDで、こちらは1983年のワーグナー没後100年に際して挑んだサヴァリッシュのワーグナー13作品全作上演のライブ。
そして今回は、おそらくこのブログ最終となるであろう、ワーグナーのオペラ全作レビューの2度目の挑戦。

でも、オランダ人前の3作ともなると、あきらかに付随するネタ不足で、これまで書いた内容の編集とコピペとなりますこと、ご了承のほど。

オランダ人(1842)以前とは、「妖精」(1834)、「恋愛禁制」(1836)、「リエンツィ」(1840)の3作品。
「妖精」以前に、「婚礼」というオペラ作品を手掛けているが完成されず、21歳の「妖精」がワーグナーのオペラ第1作となった。
この「婚礼」は、1幕1場の断片のみ残っているが、ネットでちょこっと聴けたけど、ワーグナーらしい片りんもうかがえるものでした。

「婚礼」の主人公などの名前を援用しての1833~34の作曲、姉で女優のロザーリエへの思慕や彼女の助力から生まれた作品。
しかし上演に奔走してくれた彼女の急死もあって、ワーグナーは意欲を失い、以来このオペラは初演されることがなく、ワーグナーの死後1888年にミュンヘンで上演されたのが初とのこと。

それ以降も、あまり演奏機会がなく、近年での画期的な上演は、1983年ミュンヘンでのワーグナー全作品上演を一人受け持ったサヴァリッシュ指揮の演奏会形式でのもの。
そのあとの上演記録は不明だが、今日のCDの1998年のイタリアのカレアリ、2006年の東京オペラプロデュース(新国)、2011年のフランクフルト(ヴァイグレ指揮)、2013年のライプチヒ(シルマー指揮)などが本格劇場での上演記録で、あとはモスクワの小さなハウスや、スロヴァキアのコツシェ劇場などで、どちらかというと大オペラハウスでレパートリー化するようなオペラでは絶対にないところが、初期3作の共通項だろうか。

3時間あまりを要する長さで、音楽は、ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベア風であり、1度や2度聴いただけでは、さっぱりわからない筋立ても聴き手を困惑させるもの。
おおまかにいうと、「影のない女」のような夫婦が強く結ばれるための試練と、子供も交えた家族愛、そして生真面目なカップルと、コミカルなお笑いカップルふたつが出てくるので、「魔笛」をも思わせる内容。

以下、以前の記事より「妖精」の上演の難しさを・・・

ワーグナー意欲溢れる盛り込みぶり~筋だてがややこしいことに加え、登場人物のそれぞれに難しいアリアが与えられている。
それらをこなせる歌手を揃えること事態が大変。
そしてその主要人物が多すぎるし、かえって人物たちの個性が希薄となってしまうので、出演歌手もやりにくい。

いろんな要素のごった煮~筋でいえば、前述のとおり、おとぎ話的で、「魔笛」や「影のない女」。
主役のアーダはプリマでかつコロラトゥーラの要素も必要。
その夫役のアリンダルは、リリックであると同時に狂乱しなければならいうえ、最後にはヘルデン的な力強さとスタミナを要する。
喜劇的なコンビ、パパゲーノとパパゲーナのようなゲルノートとドロッラに芸達者な二人の男女を要する。
戦いに殉ずるシリアスなワルキューレのようなアリンダルの妹ローラと、アリンダルの親友のいい人役が、ウォルラムのようなモローラで、この二人にも恋愛模様がある。
ともかくまだまだいろんな人物が出たり入ったりと目まぐるしい。

3次元的な妖精の世界と、世俗的な王宮の中を始終、いったり来たりする舞台のややこしさ。
最新式の回り舞台が必要になるくらいで、演出上の工夫がたいへん。

アリア・重唱にこだわり、場や番号オペラの因習を踏んだワーグナーの音楽は、ドイツの先輩からの影響もありつつ、ベルリーニやドニゼッティすらその歌唱法には思わせるものがある。
しかしライトモティーフ風の示導動機も早くも導入しており、これまた時に、オランダ人やタンホイザーを彷彿とさせる響きやシーンも多々あるし、質問してはならない「禁門」や、自らの自己犠牲といった、ワーグナーならではのモティーフも盛り込まれている。
3幕のクライマックスでは、感動的なタンホイザーの終幕を思わせる音楽の閃きがある。

それと、主人公の妖精の娘アーダは自己中心的な存在でもあり、自己犠牲的な行動もするが、その義理の妹となる王子の妹、ローラはワルキューレ的なおっかない戦乙女。
この二人が合体すると、ワーグナーの理想とした女性が出来上がる、そう、のちのブリュンヒルデのような。

第1幕

かつて、アリンダル王子とそのお供のゲルノートは、狩りに出て立派な鹿を見つけ、それを追ったが、川の水にのまれてしまう、これが8年前のこと。
そこで出会った美しいアーダと恋に落ちたアリンダルは、彼女の身分を問わないことを条件に夫婦となり、二人の子供をもうけるが、8年後、禁断の質問をしてしまい、アーダは消え失せてしまう。
 王子を探しにきた、親友のモラルトと部下たち。失意に沈むアリンダルを説得し、故国に帰る気にさせる。
そこに再びアーダが現れ、そして悲しみ、アリンダルに何が起こっても自分を呪ってはいけないと話す。
アリンダルは、またいずれ会えるのだから呪わないと「誓う」と言ってしまう。
実はアーダの父が死に、王女になることになり、人間になることが難しくなっていたのだ。
そう、彼女は、人間の男と妖精の女から生まれた女性なのである。

第2幕

王子の祖国は敵の攻撃で壊滅寸前。ひとり気を吐くアリンダルの妹ローラ。
兄の無事帰還の知らせで沸き立つローラと民衆。
王子とともに行方知れずだったお供のゲルノートと、その許婚ドロッラの滑稽なくらいパパゲーノ・パパゲーナのような結びつきも演じられる

 アーダが現れ、ふたりのお付きの妖精とやりとりをする。その後の彼女の大アリアは素晴らしい。
兄の帰還に沸き立つ宮廷、そこにアーダが登場する。
 アーダは、二人の子供をアリンダルに手渡すが、その喜びもつかのま、アーダは
子供たちを裂けた大地の中に突き落とす。
さらに、軍が総崩れになった知らせとともに、敵が女で、アーダであったことが発覚。
これらの仕打ちに、ぶち切れ怒るアリンダル。
 ついに呪いの言葉を口にしてしまう。
試練に耐えらえなかったアリンダル。

それとともに、悲嘆にくれるアーダ。
彼女はこれで人間になる望みを失い、自分は100年間石にならなくてはならないという。
軍を負かせたのは、内通者がいたからで、将軍モラルトを守り、やがて彼が勝利をもたらすであろうこと。
子供たちは、人間社会に来るため清めたのであってすぐに戻ること・・・これらを告白する。
すると、子供たちがそこに戻り、勝利を得たモラルトも帰還する。
勝利に沸く民衆と、悲しみに打ち沈むアーダとアリンダル。

第3幕

狂気に陥ったアリンダルに代わり、友人のモラルトと妹のローラが王位を継ぎ、その祝宴が行われる。
モラルトは、喜ばしいことではないと、本来の王となる王子の立ち直りを全員で祈る。

皆が去ったあと、アリンダルは狂気と愛を求める夢想のなかで長大なモノローグを歌う。
 王室をかつて導いた魔法使いグロマの声がアリアンダルを励まし、空から、楯と剣と竪琴が降りてくる。
そこへふたりの妖精が現れ、こうなればダメもとだ、とか言いながら、アーダを救ってみせると意気込むアリンダルを、石になりつつあるアーダの元へ連れていくことになる。
ふたつの試練を、グロマの声の励ましと与えられた武器で乗り越えたアリンダル。
 しかし、最後は石を壊す呪文がわからない。
竪琴をかき鳴らし、愛の歌を歌い、ついに試練に勝ちアーダを救いだすことができた。

 妖精の王が現れ、試練に勝った報酬として、アーダとともに不死身の生を与え、妖精の国の王として王国を治めることとなる。
アリンダルとアーダは、故国の妹とモラルトに仲良く国を治めるように歌い、一同賛美のうちに幕。

どうです、ややこしいでしょ。
南イタリアのオペラのオーケストラらしい明るい音色が支配する録音。
2007年のドレスデン国立歌劇場の来日公演で「タンホイザー」を指揮したエトヴェシュ。
その時はオケが素晴らしかったので指揮者の力量は不明だったように記憶するけれど、ここでは、全体のアンサンブルをうまくまとめあげ、舞台上の歌手たちに奉仕するような律儀な指揮ぶりに感じる。
サヴァリッシュのような明晰さはここではないが、オケが明るいから不思議とスッキリしたワーグナーが仕上がった感じだ。

あまり知らない歌手たちばかりだけど、ヒロイン・アーダ役のアメリカのソプラノ、パッチェルさんがなかなか頑張ってる。
ワーグナーやシュトラウスを得意にした彼女、力強さと軽やかさも持ち備えたなかなかの力量とみたが、録音があまりないのが残念。
ドイツの劇場でジョナサン・ノットが活躍していた頃、その指揮でイゾルデを歌っていた履歴も発見しました。
 あと、その夫役のフィンランド出身のテノール、シルキアが、高域をえいッとばかりに引き上げる歌い方が、往年のヘルデン、ジーン・コックスに声も似ていてなかなkの聴きもの。
 あとの歌手は玉石混交な感じだけで、総じて頑張ってます。
でも、豪華なメンバーをそろえたサヴァリッシュ盤には及ばない。仕方あるまいね。

ワーグナー初期オペラ、次は「恋愛禁制」です。

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街並みも秋づいてきましたね。

 過去記事

「東京オペラプロデュース 日本初演公演」

「サヴァリッシュ&バイエルン放送響」

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2020年8月22日 (土)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 朝比奈 隆

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今年じゃないけど、暑い日、湿気が多いとこんな壮絶な空色の夕焼けになります。

こんな空を見ると「ワルキューレ」だな。

ということで、思い切った企画を。
何日間かかけて全部聴きました。
自分も居合わせた伝説の演奏会。
昨年、ようやく入手したこのCD。
思い切って一気に聴きました。

今回は、長文となります!

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 ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」

  朝比奈 隆 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

      (1984~87年 @東京文化会館)

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  「ラインの黄金」

 ウォータン :池田 直樹  フリッカ   :辻 宥子
 フライア  :西松 登美子 ドンナー   :勝部 太
 フロー   :種井 静夫  ローゲ    :大野 徹也
 エルダ   :西 明美   ファゾルト  :岸本 力
 ファフナー :高橋 啓三  アルベリヒ  :多田羅 廸夫
 ミーメ   :磯崎 義昭  ウォークリンデ:釜洞 祐子
 ウェルグンデ:渡辺 美佐子 フロースヒルデ:牧川 典子

           (1984.6.11 月曜 19:00~)

1984年から4年間をかけて行われた「リング」の演奏会形式上演。
社会人3年目の若者だったワタクシ。
平日の7時開始という、通常コンサートと同じなので、気軽に、るんるん気分で文化会館に向かいました。

1階の最前列の席、そして登場した楽員さんたちが、舞台ギリギリ一杯に並ぶさまは壮観で、マーラーはこのホールで聴いていましたが、こんな巨大なオーケストラを見るのも初めてでありました。
ワーグナーの書いた楽譜どおりの楽器の数、ハープも確か6台あったはずだ。
4部作通じて、リングを演奏するオーケストラを間近に見ることができたのも、これもまた稀有な経験だったと言っていいかも。
レコードやバイロイトのFM録音で、耳に完全に刷り込まれていた「リング」の音たち。
あんなことしてる、あ、ここではああして弾いてるんだ、叩いてるんだとか、実際で目で見ながら聴いて、目線もきょろきょろ状態でありました。
そして、なにも気にせずに、その大音響に浸り、堪能しまくるという贅沢。

すでにブルックナーで、新日とのコンビは聴いていた、朝比奈隆。
初めて指揮する「リング」は、4作とも腰掛けを置いて、そこに大半は掛けながら、大きな譜面台に顔を突っ込みながら的な感じでした。
ときおりクライマックスでは、腰掛けから立ち上がり、オーケストラを睥睨するかのごとく、大きな指揮ぶりで、そうした「決め」の場面ではオーケストラが実に雄弁極まりないものでした。
あとは、音楽の流れに即した、おおらかな大河のような安心安全の演奏。

今回、一番古い「ラインの黄金」をあの時以来に聴いてみて驚いたのは、その録音の鮮明さと優秀さ。
ややデッドな文化会館だけど、木質の響きも魅力なホールで、その特徴をよくとらえていると思った。
そして、オーケストラが優秀。
ちょこっとあれれ?はあるけれど、そんなことは気にならない、大指揮者に導かれ、この指揮者のためなら、そして4年間の挑戦といった果敢さも、各奏者たちを奮わせたことでしょう。

大編成のオーケストラの後ろにひな壇を設けて、そこで歌われたので、部分的に声が遠く感じることもあり。
しかし、実際にここに居合わせて聴いたときも、歌手たちの声はしっかり聴き手に届いてました。
二期会を中心に、当時のドイツものに強い歌手たちをそろえた布陣は立派なものであります。
ホッターに師事したという池田直樹さんのウォータンが、3作通じて、一番安定感あり、ラインでは若々しさもありました。
大野徹也さんは、この後、日本の生んだ本格ヘルデンとしてワーグナーにシュトラウスにと大活躍しますが、ローゲ、ジークムント、ジークフリートと3役を歌いました。
一見、つながりのありそうでない3役だけど、こうしてひとりの歌手が歌うことで、ローゲの重要性と橋渡し役ぶりを一貫できることにも気づきました。
指環を奪うことをけしかけ、ブリュンヒルデを守る焔となり、最後は槍をかじり、すべてを焔で包んでしまう存在。
それを感じながら歌った大野さん、実に立派でした。
ラインの乙女に、釜洞裕子、渡辺美佐子の名前を見出せるのもこの時期ならでは。

このときのプログラムでは、金子健志さんが楽曲解説。
渡辺護さんが、演奏会形式の意義。
高辻知義さんが、当時議論白昼の「第2新国」について書かれてます。

ちなみに、新日フィルの音楽監督は井上道義で、永久指揮者が斎藤秀雄、顧問が朝比奈、首席が小澤征爾、幹事が山本直純・小泉和裕・手塚幸紀といった布陣。
この年の秋のシーズンは、井上がプロコフィエフプロ、コジ・ファン・トウッテ、ディーリアスなどの英国プロ、小澤がアルゲリッチとラフマニノフなどを取り上げてます。

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  「ワルキューレ」

 ジークムント :大野 徹也    ジークリンデ    :西松 登美子
 フンディング :高橋 啓三    ウォータン     :池田 直樹
 フリッカ   :辻 宥子     ブリュンヒルデ   :西 明美
 ゲルヒルデ  :柳澤 涼子      オルトリンデ    :菊池 貴子
 ワルトラウテ :桑田 葉子    シュヴァルトライテ :上泉 睦子
 ヘルムヴィーゲ:渡辺 美佐子   ジークルーネ    :永井 和子
 グリムゲルデ :大藤 祐子      ロスワイセ     :妻鳥 純子

        (1985.10.12 土曜 15:00~)

1幕の開始、そのテンポはかなり遅くて、かつ克明な音楽の造り。
でもあとは、力感もともなった鮮烈な運び。

やや不安定でフラット気味の大野さんの1幕だけど、2幕以降は持ち直した感じで、悲劇的な様相も豊か。
リリックで真摯、ひたむきさがよい西松登美子さん。覚えてる、美人だったので、とくに!
安定感あり、貫禄ある神々の長らしさと、怒りと優しさの池田ウォータン。
告別のシーンは名唱だ!
西明美さんの真っ直ぐな、ヴィブラートの少ないブリュンヒルデは若々しく力感もほどよし。
ここでは、ラインゴールドと一転、力強い辻フリッカに、雄弁な高橋フンディングもよい。

テンポに違和感を感じたのは最初だけで、あとは存外、快速・快調。
前作同様に、朝比奈先生の指揮に応えるオケの気迫が、多少のキズをうわまって、感動を呼ぶ結果になってる。
1階8列目の席で聴いた、3幕の告別の感動的な音楽は、自分の音楽体験でも上位にくると思ってる。
このCDを聴きながら、最低限ながら、身振り手振りの演技を伴って、心のこもった歌唱をおこなったみなさんを思い起こすことができる。

1985年のこの年の夏、朝比奈さんは体調を崩し大阪を含め、いくつかのコンサートをキャンセル。
そうしたなか、東京にやってきて、久方ぶりの指揮だったこのワルキューレ。
やはり、並々ならない意欲を持って体調を克服し、いどんだ演奏会形式上演だったわけです。
有名シーンも続出するワルキューレ、立ち上がっての渾身の指揮ぶりも覚えてます。
最終の告別シーンは、オーケストラの美感も含めて、CDであらためて聞くと絶品に感じました。

1幕、2幕は休憩時間も短めで、3幕前に長い食事タイムが設けられました。
いまや昔の感じですが、上野の街まで下りてビール飲みました。

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  「ジークフリート」

 ジークフリート:大野 徹也   ミーメ  :磯崎 義昭
 さすらい人  :池田 直樹   アルベリヒ:多田羅 廸夫
 ファフナー  :高橋 啓三   エルダ  :西 明美
 ブリュンヒルデ:豊田 喜代美  鳥の声  :清水 まり

        (1986.04.19 土曜日 15:00~)

3年目のリング。
こちらも昼からスタートで、3幕前には90分の休憩タイム。
聴き手は、ここまでくるとワーグナーファンばかりなので大丈夫ですが、歌いっぱなしの歌手と出ずっぱりの指揮者とオケには、これくらいの休憩が必用かと思いました。
こうして、オーケストラを眼前にして聴くと、ジークフリートでは、2幕と3幕とで、トリスタンとマイスタージンガーで中断したことから、その分厚い響きとより複雑に、きめ細やかになったライトモティーフの重なり合いなどが、奏者の弾く姿でもよく確認ができて、ワーグナーの音楽が進化したことがわかって、面白かった記憶があります。
実際に聴いたときは、交通整理ぐらいの指揮しか・・・とか思ったものですが、こうしてCDで聴くと、じつに恰幅がよくて立派なワーグナーで、いろんな音がすべてちゃんと聴こえる明快なわかりやすい演奏とも思います。
でも不可解なテンポの落とし方などが、コンサート会場では目立ち、歌手もおっと、という感じの場面もありました。
CDでは、そうした箇所も、ゆるやかに流れるドラマの一環として聴くことができて、違和感はそんなに感じません。

当時のプログラムを読み返すと、この4月の公演の前、2月には朝比奈先生は散歩中に足の小さい骨を骨折してしまい、静養後の東京だったことが書かれてました。
ともかく、指揮者もオーケストラも、4年間、強い意気込みと意欲を保ち続けていたことでしょう。
それは、聴くワタクシにも言えて、4年間、転勤とか病気とか遭遇したくないと思い続けてましたから・・・
ちなみに、プログラムには、練習指揮者への謝辞も出てまして、佐藤功太郎氏と朝比奈千足氏のお名前が出てました。

さて、「ジークフリート」の日本初演は、1983年、ワーグナー没後100年という節目での二期会の上演。
ほんとの初演ではありませんが、私はその3公演の中日を観劇しました。
若杉弘の指揮、ジークフリートは大野、ブリュンヒルデは辻、さすらい人が池田という朝比奈リングのメンバーと同じ顔触れ。
ミーメはホルスト・ヒーステルマンで、これが絶品だったことを覚えてる。
当時の20代の自分の日記を読み返してみて、若杉さんの緻密ですっきりしたもたれないワーグナーを絶賛していて、あと大野ジークフリートの声はまだまだだが、これだけのヘルデンは日本人として期待が高い、というようなことを書いてました。
 ちなみに、この二期会公演が、わたくしの初ワーグナーオペラ体験でありました。

その時から3年。
大野ジークフリートは落ち着きと貫禄を伴って、しかもこの作品ならではの若々しさもともなった歌唱であります。
まだ声のふらつきを感じる箇所もありますが、1幕の最後や、ブリュンヒルデとの二重唱でのタフぶりは見事。
2幕の抒情性もよいです。
1幕最後には、ガッツポーズをされていたような記憶がございます。
 あとその声に好悪は集めそうですが、篠崎さんのミーメ。
言語明瞭でディクションが素晴らしく、アクの強さがミーメの狡猾さと、一方でのおっちょこちょいぶりも表出。
池田さすらい人も、ワルキューレのときよりも、達観した歌がさまになっていて、こちらもドイツ語の発声が耳に心地よい。
リリックな持ち味の豊田さんのブリュンヒルデも、CDからの歌声で、当時の舞台も思い起こせました。

新日本フィルは、この年の9月には、小澤征爾の指揮で「エレクトラ」を演奏会形式上演してまして、定期会員だった自分も聴いております。
ブリュンヒルデを歌った豊田喜代美のタイトルロールに、西明美、多田羅廸夫などのお馴染みのメンバー。
井上、小澤を擁した新日フィルは、意欲的なプログラムが目立ちました。

ちなみに、この「ジークフリート」の1週間前には、私は、ウィーン国立歌劇場来演の「トリスタンとイゾルデ」をNHKホールで観ております。
さらに、この年の秋11月には、二期会の「ワルキューレ」を若杉さんの指揮で観劇。

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  「神々の黄昏」

 ブリュンヒルデ:辻 宥子   ジークフリート:大野 徹也
 グンター   :勝部 太   ハーゲン   :多田羅 廸夫
 グートルーネ :渡辺 美佐子 アルベリヒ  :牧野 正人
 ワルトワウテ :秋葉 京子  第1のノルン :奥本 とも
 第2のノルン :桑田 葉子  第3のノルン :菊池 貴子
 ウォークリンデ:福成 紀美子 ウェルグンデ :上泉 りく子
 フロースヒルデ:加納 里美

      合唱:晋友会   合唱指揮:関屋 晋

        (1987.10.3 土曜日 15:00~ 日本初演)
 
朝比奈リング最終年。
文化会館の改修があって、定期演奏会の開始も10月となったこの年。
「神々の黄昏」は日本初演にあたりました。
そして、この演奏会の1か月後、11月7日に、私は同じ文化会館で、ベルリン・ドイツ・オペラの「神々の黄昏」の上演を観劇しております。
そう、1987年の10月から11月にかけて、日本で初めての「リング」通し上演がなされ、こちらも若かった私は薄給をつぎ込んで全部観劇しているのです。
ですから、この年の秋は、黄昏を2度体験したわけです。
まさに、日本はバブルの真っただ中にあったわけで、ワタクシは、音楽と酒に浸り続けた日々だったのありました。

長い1幕のあとに、90分休憩。
2幕と3幕の間には30分休憩でした。
最初の90分は時間を持て余した覚えがありますね。

大野さんのジークフリート、さらにたくましくなって、自信もみなぎってました。
1幕で人格が3度変わる難役ですが、幸せに満ちた歌声、騙され恋にほだされたせっかちな役柄、そして別人になり切り悪の歌声、と見事に歌い分けてましたし、スタミナ配分も申し分なく、ラストの死の場面は迫真迫るものがありました。
あら捜しをして、欲を言えばきりがないですが、この時代に、この難役をこれだけ立派に歌いきったことを賞賛しなくてはなりません。

同様のことが辻さんのブリュンヒルデにもいえて、メゾが本領なので、高域はこうしてCDで聴くと辛いものがあるが、演奏会での印象はそうではありませんでした。
とにかくひたむきな、真っ直ぐの気合の入った歌唱で、あのときの自己犠牲では神々しさすらありました。
 あと知能犯的な知的なハーゲンを感じさせる多々羅さんの役造りもいいが、ラストシーンではオーケストラの熱気に「リングに触れるな」はCDではかき消されてしまいました。
勝部さんのグンターも懐かしいし、渡辺美佐子さんの気の毒なグートルーネもよろしい。

合唱は録音のせいか、ホールで聴いたときのほうが、圧倒的だけど、でも日本の合唱団はこのときも、ずっと前からも精度は高い。

長丁場のオペラだけど、有名シーンも多数ある「神々の黄昏」
ラインの旅、葬送行進曲、自己犠牲など、そうしたシーンでは、朝比奈先生も指揮経験が豊かなせいもあり、スコアに顔を埋めることなく、立ち上がり渾身の指揮で、実に説得力あふれる演奏となった。
ことに、葬送行進曲からラストまでは、4年間の集大成ともいえる意気込みからか、オーケストラ部分は、あらゆる「黄昏」の演奏のなかでも上位にくるくらいに、やる気にあふれた音の粒立ちの良さと熱気が味わえる。
そして素直に感じる、ワーグナーの音楽の素晴らしさ。
この魅力にはあらがえない。

こうして神々の黄昏を聴き終えて、あの日、しびれるような感動と達成感に満たされた若い時分を思い出すことができた。
そして贅沢なことに、この1か月後にはリング通しで、さらなる感動を味わっていた自分も同じ文化会館にはいたのでありました。。。。

ついでに言うと、二期会の「リング」完結は、1991年7月の「神々の黄昏」で、若杉さんの指揮。
これもよく覚えている感動的な上演でした。
二期会のオペラも、今思えば、音源として残しておいて欲しかったものです。
「若杉さんの指環」なんて、夢のようです・・・・

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調子に乗ってチケットもお見せします。
ラインの黄金なんて最前列で、オケのシャワーを浴びてますよ(笑)
自分の行った演奏会のCDが聴けることの幸せ。
あと、なにごとも、記録しておくことの大切さ。
そういう意味では、ブログは日記替わりで、自分の音楽ライフのアーカイブなんです。

朝比奈リングの演奏タイム

①「ラインの黄金」  2時間32分
②「ワルキューレ」  3時間47分
③「ジークフリート」 3時間54分
④「神々の黄昏」   4時間15分

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ほどほどのゲリラ雷雨は、虹の副産物がありますので許せますが、激しいヤツ、長いヤツは困ります、ダメです。

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2020年6月14日 (日)

ワーグナー オペラ 序曲・前奏曲 全部聴く

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梅雨入り前の晴れ間に神社巡り。

旧東海道、品川宿を抜けて品川神社に。

1187年の創始で場所柄、家康などとも由縁のある社です。

この社の後ろのほうに、板垣退助の墓石がありますが、改装工事で行きつきませんでした。

自由民権運動の祖でもあり、板垣死すとも自由は死せず・・・は著名な言葉です。

最近は、自由の名のもとに歪んだ活動が横行してると思いますがいかに。。。。

そして、存外に市民運動に身を投じ、貴族的な政治を批判したワーグナーも革命好きな方でした。

関係ないけど、この際、10あるオペラ作品の管弦楽部分を一気に聞いてしまおうという企画です。

数年前にもやってますが、音楽への渇望がみなぎるいま、またやっちゃいます。

一部ジャケットは、手持ちが好みでないものは、借り物です。

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  「妖精」 序曲

 エド・デ・ワールト指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

現存する完成された、ワーグナーのオペラ作品の第1作。
この前に「婚礼」という作品を手掛けたが、未完のまま破棄。
1834年、21歳の作品。
ウェーバーやマルシュナー、マイヤーベアなどの影響を受けつつ、オペラの内容もおとぎ話風で、かつ喜劇的な要素や、狂乱の場的ないろんな要素が混在していて、しかも歌手への負担も大きく、なかなか上演が難しい処女作。
序曲もなかなか演奏会でもお目にかかれない。
 目隠しされて聴かされたら、ワーグナーとはすぐには見抜けないけど、のちのワーグナー風であることは確か。
オランダ人みたいな旋律も聴かれる。
ワールトがコンセルトヘボウとデジタル初期に残した録音は、さすがのフィリップスサウンドで、フレッシュかつ活気あふれる演奏であります。
ジャケットがノイシュバンシュタイン城の近隣にあるホーエンシュヴァンガウ城であることが実によい。
ノイシュバンシュタインの前に、ルートヴィヒ2世がこの城で過ごした縁の地です。

唯一の舞台体験・日本初演 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2008/02/post_7711.html

サヴァリッシュのCD   http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/06/post-4d08.html


Sawallish

  「恋愛禁制」 序曲

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 フィラデルフィア管弦楽団

非正規のものも含むと、初期3作を含むワーグナー全オペラ作品を上演し、聴くことができる唯一の指揮者がサヴァリッシュ。
「妖精」のすぐあと23歳の作品。
シェイクスピアの戯曲をベースにした、イタリアを舞台とする、ワーグナーらしからぬイタリアンカラーに染まった喜劇。
カラッとした明るさのなかに、音楽と劇とが密接感を増していて、イタリアンだけどワーグナーらしさが出てきているオペラ。
タンバリンとカスタネットで始まるワーグナーの音楽なんてちょっと信じられないですね。
中間部では劇中のアリアの旋律が出てきて、なかなかいい雰囲気。
以外と好きな序曲だったりしますな。

フィラデルフィアの明るい音色と機能性があって、ミュンヘンの明るさとはまた違う楽しみがあります。

日本でも上演歴があるも、見逃してます。

サヴァリッシュのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-fbc3.html


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  「リエンツィ」 序曲

 ズビン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

序曲だけはやたらと有名。
でも全曲上演はやたらと長いこともあって、欧米でもめったに上演されず、わたしは、準地元・藤沢での98年の日本初演をこれまた逃してしまった。
借金と遍歴癖のワーグナーは、パリではやりのグランドオペラ風の上演を目指し、かの地で「リエンツィ」を作曲したのは27歳1840年のこと。
しかし、初演はされず、42年にドレスデンで初演され大成功し、その流れでオランダ人につながる。
全曲はともかく長くて、初レコードは5枚組だった。
その全曲のエッセンスともいえるのが序曲。
熱烈な護民官リエンツィの祈りの旋律が美しく、そして勇壮で、人心を鼓舞してしまいそうな、行進調の勇猛果敢な音楽。
深く考えず、楽しめるメータの指揮でどうぞ。

このオペラでもサヴァリッシュの献身的な活動が光りますが、同時にルネ・コロという大歌手あってのリエンツィ。

ホルライザーのCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2009/07/post-e13c.html


Barenboim_20200613104601

  「さまよえるオランダ人」 序曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

いよいよ7大オペラとなると、耳なじみばかり。
リエンツィと同時期に29歳で作曲し、ドレスデンでリエンツィの1年後に初演。
ライトモティーフの活用が堂に入り、音楽の構成力も大幅UPし、無駄がなくなった。
初稿版では、序曲のオペラのラストも救済動機はなし。
その40年後、1880年に円熟の域に達したワーグナーの最終稿で、救済がプラスされた。
救済ありバージョンが主流だったけど、最近はバイロイトでもなしバージョンも多く上演されるようになった。
その混在もあって、序曲は救済なし、ラストは救済ありの折衷方式も新国で観ました。

でも序曲単独では、演奏効果が上がり、完結感が増すので救済の動機で終わるものがほぼ100%。
パリ管のワーグナーということで、デジタル初期にレコードで出たバレンボイム盤にすぐ飛びついた。
菅の音色などに、フレンチワーグナーの香りを感じさせるが、バレンボイムの重さ感は、とくにトリスタンなどに顕著。
ホルンがステキなパリ管オランダ人はいい。これ好き。

Abbado-2

  「タンホイザー」 序曲

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

32歳のワーグナー、リエンツィとオランダ人の成功で指揮者としてもドレスデンの宮廷劇場のポストをえて、順風ななかに「タンホイザー」を作曲。
これまた成功して、少し改訂してドレスデン版として、いまの序曲が完全演奏され、その後にヴェーヌスブルグの音楽に入るのが今の定番。
のちにパリでの上演に際し、序曲の途中のヴェーヌスブルグの音楽から、オペラ本編になだれこんだり、歌合戦に手を入れたパリ版が作られ、この版の上演も多々あるし、さらにドレスデンとパリ版の折衷もあるという、実はややこしいタンホイザー。

でも、普通に取り上げられる序曲は15分のオペラのエッセンスともいうべきドレスデン版のもの。
起承転結がちゃんとあって、思えばオペラの内容を凝縮したもの。
よく歌うアバドの研ぎ澄まされたワーグナーは、トリスタンを中心にほかの指揮者とは違う新しいワーグナーを打ち立てたと思っている。
癌で倒れることがなかったら、トリスタンとパルジファルのあとに、このタンホイザーを、やがてマイスタージンガーを取り上げたかもしれない。(本人もそんな発言をした時期があった。)
同じベルリンフィルでも、カラヤンの重心の低いレガート気味のワーグナーとは、まったく違う。
明るく、透明で、ピアニシモが豊かでサラリとしたローカロリーのワーグナーは新鮮。

Bohm

  「ローエングリン」 前奏曲

 カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ドレスデンを拠点とした37歳の年に完成、しかし革命好きが災いし指名手配を受けドイツから出ざるを得なくなり、ローエングリンの初演はリストに託し、ヴァイマールで上演。
タンホイザーからローエングリンへの飛躍も大きく、オペラの内容を凝縮したような大規模な序曲は廃され、簡潔な前奏曲となり、オペラ本編でもアリアが突出することなく、劇の流れが優先し、人物たちの性格表現がより豊かに。
性格もよろしくなく、品行方正とは言い難かったワーグナーが、こんな清らかな音楽を書くなんて。
ロマンティストであり、美と理想を求める自己陶酔性がワーグナーの一面、というより本質がこの音楽かもしれない。
同じことはトリスタンにもいえる。

ベームとウィーンフィルの木質感あふれる、まろやかなローエングリンは、その穏やかでゆったりとした運びにおいて理想的な美しさ。
前にも書いたけど、ベームはローエングリンは、最初から最後まで、4拍子で振ってればいいんじゃよ・・なんて言ってたけど、正規録音で全曲残してほしかったな。

ベームのローエングリンCD http://wanderer.way-nifty.com/poet/2017/07/post-c1ea.html


Stkowski

  「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

 レオポルド・ストコフスキー指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

46歳となったワーグナー、1859年の作品。
ドレスデンを追われ、亡命先のスイスで、このトリスタンの前に「リング」に取り組み、ライン、ワルキューレ、ジークフリートの2幕までを完成させていた。
楽劇・ムジークドラマは、もうすっかり板について、全曲に張り巡らされたライトモティーフ、どこまでも発展していく無限旋律など、ワーグナーの筆致は最高の域に。
加えて、半音階進行の和声など、このトリスタンが聴く人に、それこそ憧憬と渇望を与えてしまうというやるせないイケナイ音楽なのだ。
ワタクシも中学~高校と胸かきむしりながら聴いてました(笑)
演奏会でも、「前奏曲と愛の死」はやたらと人気曲で、ブルックナーの7番とマーラーの5番の前に演奏されることが多い。

ストコフスキーを選んだことには深い意味はありませんが、91歳の指揮者とは思えない若々しさと、不思議な毒気を感じます。
前奏曲の盛り上がりでは、超快速で、胸かきむしるヒマはございません。
愛の死も、さらさらと流麗にことが進み、何事もなかったように浄化されてしまうワザを披露してくれますが、最後にスコアを一ひねりしてまして、最終音がどこか違う。
やっぱりなんかやってた(笑)

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  「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲

 サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

短調に続いて長調、それも開放的なハ調。
リングの合間に書かれたトリスタンとの姉妹作。
いろんなことを同時進行的にこなしていたワーグナーは、イケナイ結婚や、パトロンを得ての安定的な生活のなか、試行錯誤しつつ1867年に齢54歳でマイスタージンガーを完成。
没頭的な愛に溺れた二人が主役のトリスタンに対し、マイスタージンガーは、ニュルンベルクという街と親方たち、ドイツ芸術が主役で、神話や伝説でなく史実を描いたことでも画期的。
でも、ちょっと政治色も出て、後々の火種として使われてしまうことも・・・

バルビローリのステレオ録音のワーグナー集は50年代後半のハレ菅のものと、晩年のロンドン響とのマイスタージンガー前奏曲だけ(たぶん)
前奏曲のテンポのゆったりぶりは、ブーレーズと並んで随一かと。
でもその豊かな歌といったらありません。
併録された3幕への前奏曲とならんで、しみじみと聴ける味わい深いワーグナー。
さらに併録の3幕の市民の踊りや親方たちの入場などの弾むリズムや、生き生きとした活力など、バルビローリならでは。
ちなみに、親方たちの入場から、ザックスの市民への挨拶、そしてラストのエンディングと3幕が手短にまとめられてます。
カラヤンのドレスデンでのマイスタージンガーが、最初はバルビローリの指揮で企画されたとか・・・

Runnicles

  「ニーベルングの指環」 管弦楽曲集

 ドナルド・ラニクルズ指揮 ドレスデン・シュターツカペレ

1848~1874年、35歳から61歳まで、あしかけ26年をかけて作曲された「リング」4部作。
最初に書かれたラインの黄金のライトモティーフが、進化しつつも、容を変えずに、神々の黄昏にまで引き継がれ、連続性を持った4つの楽劇がひとつの大河ドラマのように保たれているのが、この年月を思うと驚異であります。
ワタクシのような凡人には、とうていなすことのできない持続的な事業継続意欲。
14時間かかる全作を1時間ぐらいの連続した流れの音楽とした、フリーヘル版オーケストラル・アドヴェンチャーは定番化しましたが、ここで聴くのはそうではない、楽曲チョイス方式。
ワルキューレの騎行、告別と魔の炎の音楽、森のささやき、夜明けとラインの旅と葬送行進曲に自己犠牲。

スコットランド出身のラニクルズは長くベルリン・ドイツ・オペラを率いるオペラ指揮者であり、ブルックナーやマーラーなどのドイツもの、英国音楽も得意とするマルチな指揮者で、左手に指揮棒を持つ左利き指揮者であります。
ラニクルズのダイナミックで、スケールの大きい演奏は結構好きで、大曲を構成力豊かにテキパキと指揮できる力量は並々ならないです。
毎年のPromsでは、オペラをやってくれますので、ワーグナー、シュトラウス、ブリテンなど、かなりアーカイブができました。
そんなラニクルズがドレスデンを指揮した正当・本流ワーグナーがこの1枚。
96年の録音で、オペラのオーケストラであることを管のちょっとしたフレーズや、雰囲気ゆたかな弦の支えなどに感じるし、なによりも音色の暖かさがよろしくて、ヒノキ香る温泉にゆったりと浸るが思いであります。
ヤノフスキがリングを録音した、あのときのドレスデンの音です。

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  「パルジファル」 前奏曲と聖金曜日の音楽

 オイゲン・ヨッフム指揮 バイエルン放送交響楽団

リングを自分の劇場を造ってついに上演。
しかし、ワーグナーの夢はまだ冷めやらず、イタリアに居を移して1877年、64歳の年に「パルジファル」を完成。
しかし、パルジファル構想は、ずっと昔、ローエングリンの頃に着想されていて30数年間あたためてきたもの。
ここでも変わらぬ熱意と、絶倫的な構想力の維持の力を感じます。
パルジファル後も、まだオペラの発想があったワーグナー、ワタクシにはもう神さんです。
舞台神聖祭典劇という大仰なジャンルを開拓したものの、あとにも先にも、これひとつ。
楽劇はシュトラウスや一部の作曲家が使ったけれど・・・

リングでは単独演奏できるような長い前奏曲はなしで、パルジファルでは、ローエングリンを思わせるような神聖かつ静謐な長い前奏曲が付きました。
愛餐の動機、聖杯の動機、信仰の動機からなるシンプルながら、実に深みのある前奏曲。
単独演奏だと完結感をつけるためのエンディングがあるが、わたくしは、そのまま音が延ばされ、そのまま本編に突入して欲しい思いにかられる。
ワーグナーの書いたもっとも美しい音楽のひとつと思うのが、「聖金曜日の音楽」。
野に咲く花のように美しい。

1951年から続いた戦後バイロイトの象徴ともいえる、ヴィーラント=クナッパーツブッシュのパルジファル。
70年代に入っての数年を指揮し、ラストをみとったのがヨッフム。
まさに順当ともいえる穏健かつ緩やかなこのCDでの演奏は、57年の録音でミュンヘンのきっとヘラクレスザールでのものでしょうか、とても鮮明で響きも豊かです。
初代指揮者として、バイエルン放送響の足場を築きあげたヨッフム。
この時期のバイエルンも、いまと変わらず暖かくて明晰なサウンドを聴かせます。
いまも昔もミュンヘンのオーケストラは優秀で、味わいにもかけてません。

ヨッフムのパルジファル http://wanderer.way-nifty.com/poet/2011/07/post-175f.html
オルフェオで正規復刻してくんないかな・・・

数日かけてワーグナーの全オペラ作品を駆け足で振り返りましたが、オオトリの聖金曜日の音楽で、ほろりときました。
ワーグナーのような大規模な音楽は、コンサートでも、ましてやオペラ上演でも、今後いかにして取り上げられるのだろうか。
いい着地点が見つかりまして、ワーグナー好きの渇望をなんとか満たしてほしいものです。

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梅雨まっさかりで、街はしっとりとしてます。

ウィルスのヤツは、暑さと湿り気には弱いのだろうか・・・
まったくもう!

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2020年4月19日 (日)

ワーグナー 「パルジファル」 ストリーミング大会

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芝公園内、増上寺の隣にある神社。

家康を祀った芝東照宮。

梅と桜が、毎春、美しく咲きます。

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八重桜、日本の神社仏閣と桜は、とてもよく似合います。

もともとが八百万の神を信じてきた、いや無意識のうちに、そんな日々を生活に溶け込ましてきた日本人。
なんにでも手を合わせてしまう、ある意味無宗教ともいえるのかもしれないが、その根底には自然信仰があるかもしれません。

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毎春パルジファル。
そう聖金曜日のシーンがあるし、ワーグナーがそれこそ舞台神聖祭典劇と名付け、バイロイトを想定して作曲しただけに、以降しばらく一般劇場で上演が禁じられたある意味特別な作品。

戦後1951年に再開されたバイロイト音楽祭では、作曲家の孫、ヴィーラント・ワーグナーの演出とクナッパーツブッシュの指揮によるこのパルジファルが、定番・名物ともなり、ライブ録音もなされ、世界のワーグナー好きの指標となりました。
この演出は1973年まで続くことになりますが、その後を受けたウォルフガンク・ワーグナーの穏健な演出も同じ基調にありました。

バイロイト以外では、情報がなく不明ですが、そのバイロイトでも、「パルジファル」の基本概念を覆す演出が始まったのは、1982年のゲッツ・フリードリヒから。
この演出の映像がないのが残念ですが、時空の概念を超える空間演出とか評され、指揮のレヴァインは嫌々指揮してたとか、あとで告白したりしてます。
その後、穏健な舞台に行きつ戻りつつ、本場のバイロイトも伝統的な解釈にとらわれない上演が定着したように思います。

 その伝統的な解釈とは、その根底に「キリスト教」があるということ。
原罪と救済、聖杯と聖槍といった聖具、聖堂に礼拝、受難と復活、こうしたモティーフがワーグナーの書いた物語に普遍的にあるので、それらを抽象・具象問わずに再現すること。

しかし、このキリスト教信仰の根底の裏返しには、他の宗教への蔑視や、ワーグナーの反ユダヤといった思想、ナチスの台頭なども想起させるというのも近年のフラット社会を根差した考えから、あえて「キリスト教」的なものをスルーする動きが出ているわけです。

作品が、持っている根底を、いまの風潮と、どう折り合いをつけていくか。
「パルジファル」という作品を、いまの現在上演するのは、ほんとうに難しいと思われるし、ある意味、やりがいのある凄い作品なのだ、ということにもなります。

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演奏会やオペラの上演ができなくなり、また自宅で過ごす方が世界中多くなり、オペラのネットストリーミング配信がとても多くなりました。
すっかり、その恩恵を、極東に住みながら受けているわけで、申し訳なくもありがたい思い出いでいっぱいなのです。
もう、それこそたくさん現在進行形で観ているけれど、それを各々記事にするのもどうかと思われますので、これまでしませんでした。
しかし、「パルジファル」だけは残しておこうと。
なんと9つの「パルジファル」上演が放送され、うち7つを観てしまいました!
古いものから。

Met-1Met-3

 2013年 メトロポリタンオペラ

カナダのジラール演出。
ガッティ指揮、カウフマン、パペ、マッティ、ダライマン、ニキティン。
舞台の真ん中に亀裂があり、右は宗教的な団体、左は女性たち。
パルジファルは、この亀裂の中を分け入り、クリングゾルから槍を奪還して、そちらの世界を崩壊させ、最後は亀裂がなくなり、同一の世界となって、みんなで光が差す空を見上げるというもの。
聖具はちゃんとあるが、キリスト教的なものはまったく感じさせず、聖杯系の方々は白いワイシャツ。
 他民族国家アメリカらしい、自由社会を描くものか、この演出のころはまだましだったアメリカ社会は、ソーシャリズムとポリティカル・コレクトネスで、より多文化共生という複雑な様相を呈している。
いつかまた、そんな社会を背景としたパルジファル演出がなされるのではと思う。
ちなみに、花の乙女たちは、まるで「貞子」のようであったことを、ここに付記しておきます。
若いカウフマンがビジュアル的に最高。


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 2015年 ウィーン国立歌劇場

もっと前と思われるが録画されたのが2015年のクリスティーネ・ミーリッツの演出。
アダム・フィッシャー指揮、ボーダ、ミリング、フォレ、デノケ、ボアーツ。 
聖杯守護の騎士たちは、フェンシングスクールの生徒たちで、その練習に勤しんでいる。
クリングゾールの城は、現代風のリビングルームで赤い装飾、ミラーボールで、クスリ漬けのクンドリーはキャバレー一の売れっ子のように晴れやかに登場。
3幕は、ただただ暗く、聖金曜日も暗く、野も花もなく、遠くに山並みがあるのみ。
ともかくやたらと血だらけアンフォルタスは、ライトセーバーみたいな槍でなんとなく癒されるのみ。
最後は、昇天したクンドリーを除いて、全員がステージから観客の方を見つめて終わり・・・と思いきや、開けられなかった聖杯の箱を持っていたジイさんが、それを落としてしまって、聖杯が粉々になっちまうオチがある。
 伝統的な演出の多いウィーンでもこんな感じで、むしろ滑稽で笑える。
A・フィッシャーの指揮がまことによろしく、故ボーダの見た目はキツイけど、素晴らしい歌を聴いて、その死の大きさを思う。
デノケは、まったく不調で、絶叫も外し、気の毒で、この役には似合わない。

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 2015年 ベルリン州立歌劇場

ロシア出身のチェルニアコフ演出。
バレンボイム指揮、シャガー、パペ、コッホ、カンペ、トマッソン、あとティトゥレルに懐かしいマティアス・ヘレ。
今回の一連の観劇のなかで、自分的には一番ショックだったし、よくよく考えられた演出であり、演奏の安定感も一番だと思った。

見事な読み込みで、ワーグナーの物語の根本は変えずに、今生きる我々にいろんな問題を提示してみせた感じ。
聖杯騎士軍団は暗い新興宗教を仰する軍団で完全三密状態にある方々。
指導者ティトゥレルは崇められ、道を踏み外したアンフォルタスは、バカにされ小突かれまくる。
パルジファルは家出のバックパッカーで、危ない神経質な少年で、リュックからミネラルウォーターを出したり、いろいろ細かな動きをする。 
クリングゾルの城は、身寄りなしの女子たちの寮みたいな感じで、クンドリーはそこの出身者で姉的な存在。
クリングゾルは悪者ではなく、その寮のおどおどしたバーコード頭のオヤジさんで、すごくいい人で、クンドリーのことが心配でならない感じ。
そこへ、2階の窓からこそこそ侵入するパルジファルに失笑。
で、あわれクリングゾールは、ぶっ殺さ・・・・
マザコンのパルジファルの性を開放したのは、クンドリーで、クンドリーは、きっとかつての侵入者だったアンフォルタスのことが忘れられない。そんな仕掛けもある。
当然に、聖金曜日もクソもなく、密室状態でのあの神々しい音楽は、ただの美しい音楽でしかない。
パルジファルとクンドリー、子供時代のこだわりの品々を出してきて、これは背負ってたもの、かつての縛りから解放される解釈とみた。
 パルジファルの聖なる行いに、信者たちは、あらたな指導者の登場とばかりに、アンフォルタスを捨て置き、パルジファルを撫でまわし、崇め奉る。
そして、最後は軍団の影のフィクサー、グルネマンツが・・・・・ここは観てのお楽しみか。
人間の抱える苦悩をどう開放するか、宗教はみせかけなのか、人の集団組織を維持するには悪もまたしかりか、いろいろと考えさせることが満載で、ともかく登場人物たちの目まぐるしい動きは、それぞれに心理的な動きも内包していて目が一時たりと離せない。
 このチェルニアコフとバレンボイムのコンビで、プロコフィエフの「賭博者」と「修道院での婚約」の2本も今回観ることができたが、これらもまた実に深くて、これまた超面白い演出だった。
 シャガー、パペ、カンペ、みんないい。トマッソンの気の毒なクリングゾルもこれまでにない存在だった。

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 2017年、2019年 ウィーン国立歌劇場

ウィーンのいまのパルジファル。
ラトヴィア出身のヘルマニスの演出で、この人は知らなかった。
2017:ビシュコフ指揮、ヴェントリス、K・ユン、フィンリー、シュティンメ、シュメッケンベッヒャー。
2019:ゲルギエフ指揮 オニール、パペ、T・マイヤー、ツィトコワ、ダニエル。

暗いムードの以前のウィーンの舞台とうってかわって、この明るいゴールド系の色彩。

ウィーン分離派・世紀末のリアルな舞台設定。
オットー・ワーグナーの設計した、ウィーンの郊外にある聖レオポルト教会そのもので、この教会はシュタインホーフにある精神病院内の付属教会です。
ここがリアル舞台となっていて、まさに病院内での出来事ということになる演出。
時代設定もその時分で、ワグナリアン風の市民・病院職員が最後には身を隠さずに登場するし、パルジファルも時代遅れのリアル騎士になっていてノスタルジー誘う存在。
でも、いずれも病んでる(精神的に)存在ということか・・・
 聖具は、槍は尖がった棒で、聖杯はなんと脳みそ。
医師のグルネマンツは治療方法に大いに悩み、アンフォルタスは頭に包帯を巻き、患部は頭で血がにじんでる。
クリングゾルも医師で、院内の光の届かない場所で、電気治療を施していて、何人か失敗してる様子が描かれ、その脇には大きな脳に槍が突き刺さっている。
その槍を取り返すのがパルジファルで、クリングゾルは、槍を取られたあとも、元通り研究に勤しむ図が描かれる。
クンドリーは、グルネマンツの下では檻に収監され、クリングゾルの下では、ワルキューレのような姿で騎士を誘惑。
 聖金曜日はなく、心持ち、クリムト風の花が壁面にマッピングされるのみで、宗教性は皆無。
アンフォルタスは救われて即死。
巨大脳みその上に、シュタインホーフの巨大な天蓋が下りてきて、クンドリーは、静かに舞台を去り、行方知れず。
なんだかよくわからないうちに、グルネマンツが蓄音機のまえで、音楽を聴きつつ幕。
アールヌーヴォな装置は、それなりに美しいが、聖具が脳みそにとって代わり、心の病の治療の仕方による争いに読替えた感じ。
フロイトとかも意識したのかもしらん。
なによりも、ウィーンの観光大使みたいな演出に感じ、そこに今風のテイストをつっこんだのかな。
観光地巡りはいらないな。

ビシュコフの2017年版は音が悪すぎ、ユンのグルネマンツが素晴らしく、シュティンメも存在感たっぷりで、フィンリーもよし。
ゲルギエフ2019版は、音質最高ながら、急ぎすぎのテンポはいかがなものか。
でも、安心感のパペに、なんといってもツィトコワの強靭な声と、演技のうまさが抜群のクンドリーに感嘆。
今年のパルジファルは、指揮はアルテノグリューだったようだ。

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 2019年 ハンブルク州立歌劇場

配信が重く、全部見てません!見たい!

2017年制作のアヒム・フライヤー演出。
K・ナガノの指揮、シャガー、ユン、コッホ、マーンケ、バイコフ。
こんな姿をしてますが、豪華なメンバーです。
 フライヤーは、いつもこんなステージと人物デザインをしかけてきます。
わたくしは、1984年のハンブルクオペラの来日で、この人の1982年演出の「魔笛」を観てます。
それはもう、びっくりの舞台で、テーマが魔法の笛ですから、ある意味なんでもあり的な納得感もありました。
いろんな演出を手掛けているようですが、しかし、これパルジファルですよ(笑)
黒い画像がグルネマンツ、緑がパルジファル。
完結してみてませんが、物語の筋や、登場人物たちの動きは、ト書き通り。
要は、その描き手の人物や背景にフライヤーならではの誇張とシニカルな意味づけをしたのだと思います。
それと静的かつデフォルメされた動きと、顔に描かれた表情以外のものを感じさせない一方的な人物たちのイメージの植え付け、これもまた、ある意味、音楽がその演出を補完することで成り立つ舞台かと思料しました。
能とアメリカのスクリーンも意識か、
グルネマンツはお顔がちぐはぐ、パルジファルは笑い顔のジョーカー、クンドリーは汚らしい感じ、クリングゾルはマジシャン、アンフォルタスは二人羽織の磔刑のイエス・・・・
存外に面白い、ちゃんと全部見たい。
冷静なナガノの指揮に、ここでもシャガーの明るい声、ユンの滑らかなバス、で、マーンケの驚きのクンドリー。
これは意外に、いいパルジファルだと思う(笑)

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 2018年 バイエルン州立歌劇場

ベイルート出身、フランス系のアウディの演出、そしてバセリッツの舞台装置。
K・ぺトレンコの指揮、カウフマン、パペ、ゲルハーヘル、シュティンメ、コッホ(クリングゾル)

プリミエ時にすでに映像確認済み。
第一印象はとても悪く、気にいらない。
それはいまも同じ。

神聖を徹底的に排除し、陳腐化する。
聖杯は、まったく登場しないし、聖なる槍も、針金のような陳腐な十字架もどき。
聖なる行いには、最後は血塗られた手で顔を覆い、タイトルロールの主役も、こんなふうに見たくないってさ。
この行いは、宗教的な場面で常に出てくる。
ちくいち、そうしたワーグナーの意図と宗教観を消してみせる。
花の乙女たちは、肉襦袢を着て出血した醜い姿・・あ~もう。
ワーグナーの音楽と劇を完全に踏み違えている!
と思う前に、こうした否定オンリー、陳腐化でひとつのオペラが成立することが可能なことに感嘆、そしてこれでいいのだろうか、との思い。

わかりませんよ、こんな素人が書き連ねてることですから、もっと大きなメッセージや考えも込められていたかもしれません。
でも好きじゃないな。
ミュンヘンでこれ?
2年前のライブでは、たいそうなブーイングが飛んでました。

ペトレンコの指揮はやたら快速。
でもメリハリがあって強いオケがピットから立ち昇る感じ。
個人的には、でも、う~む?かな
充実のカウフマンに、シュティンメはよし。
コッホもアンフォルタスより、ビジュアル的にもクリングゾルのほうがいいが、アンフォルタスのゲルハーヘルは妙に多弁でどうも・・

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あと、ザルツブルクイースターのティーレマン、デンマークのA・フィッシャーなどもありましたが、今回は時間切れ。

しかし、おかげさまで、前にもまして、普通の演出や出来事では満足できなくなってしまった自分がある。

でもね、既成を壊すことだけに、自らの意義を見出すだけになったら、そこは暗黒しか残らないと思う。
観る人が、素直にちゃんと、その意図を受け止められる演出こそあるべきものだ。

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2019年12月30日 (月)

ワーグナー 「ワルキューレ」 カラヤン指揮メット

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六本木けやき坂。

毎冬の風物詩のイルミネーションは、青と白、SNOW&BLUE。

何年か前は、シルバーとレッドが時間で切り替わるものだったけど、わたしはこの色合いが落ち着いていて好き。

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歩いて往復80分くらいの散歩コースなのですが、年々キツくなってきた。
寒いのもあるが、歳とともに落ちる体力を実感してる。
今年は帰りは、途中で電車に乗ってしまった。

来年は、まとめて歩かずに、毎日少しづつでも歩くことを重ねていきたいと思ってる。

で、今年最後はワーグナー。
ちょっとおっかないジャケットだけど、ニルソンBOXから。

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  ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」

        ウォータン:テオ・アダム   
      ジークムント:ジョン・ヴィッカース 
        ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン
        ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン   
        フンディンク:マルッティ・タルヴェラ 
        フリッカ:ジョセフィーヌ・ヴィージー

        ワルキューレ:ジュディス・デ・ポール、キャルロッタ・オーデッセイ
          グェンドリン・キレブルー、ルイーゼ・パール
         マルシア・バルドウィン、フィリス・ブリル
         ジョアン・グリロ、シャーリー・ラブ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

           (1969.3.1 メトロポリタン・オペラハウス)

ベームとカラヤンのリングのキャストを混ぜたような歌手たち。
レコードでは、ヤノヴィッツがジークリンデで、クレスパンはブリュンヒルデ。
よりリリックな組み合わせで、「カラヤンのリング」を特徴づけるワルキューレだった。

ベルリンフィルをピットに入れることで、カラヤンのオペラの美学の完成を求めたザルツブルク・イースター音楽祭。
4年をかけた「リング」のスタートが「ワルキューレ」で、ザルツブルクの本番は、1967年。
そして、同じキャストで、ザルツブルクの上演に合わせて発売できるように1966年にベルリンのイエスキリスト教会でレコーディング。
こんな仕組みが、このあと何年も続くことになり、完成度の高い「カラヤンとベルリンフィルのオペラ」がいくつも録音されることになった。

同時に、カラヤンはアメリカの市場も、同じ仕組みでねらって、レコードが発売されるタイミングで、メトロポリタン・オペラに客演して「ラインの黄金」と「ワルキューレ」を指揮していた。
さすがカラヤンなれど、「ジークフリート」と「黄昏」だけは指揮しておらず、そのかわり、自身のザルツブルクの演出は引き継がれ、ラインスドルフやエールリンクの指揮で上演されている。

 メットのデータベースを調べたら、カラヤンのメットでの指揮は全部で15回で、「ラインの黄金」と「ワルキューレ」のみ。
1967年11月、12月 「ワルキューレ」 5回
1968年10月、11月 「ラインの黄金」 3回 「ワルキューレ」 3回
1969年2月、3月   「ラインの黄金」 2回 「ワルキューレ」 2回

これらのうちの、1969年3月の「ワルキューレ」が今回の貴重な録音で、ここでの指揮がカラヤンのメトロポリタン・オペラでの最後の指揮であります。

   -------------------

カラヤンのライブはやはりスゴイ。
燃える指揮なのだ。
試みに演奏タイムを比較。

             1幕   2幕  3幕
 1966年スタジオ録音  67分  97分  72分
 1969年メットライブ  61分  86分  63分

各幕に、熱狂的な拍手が入ってるので、ライブはもう少し短い。
スタジオでは、よりをかけて入念に指揮しているし、編集もあって細部にこだわり完璧にしあがっているからであろう、その分テンポも伸びているし、緩急はそんなにつけてない。
しかし、メットライブは局所局面で、舞台上のドラマにのめり込むような箇所が多くあり、1幕の終わりの方などは官能と激情のほとばしりとともに、急速なアクセルふかしとなっていて興奮の極致だ。
2幕も同じく、ジークムントの死の告知あたりから、ただならぬ興奮が漂いはじめ緊迫の演奏となっている。
感動的な父娘の対話も、熱っぽい。
カラヤンに煽られてるのか、カラヤンを煽ってるのか、ニルソンとアダムの歌のすごさも、ここでは目をみはるばかりで、ベーム盤を思い起こすような感じだ。
 ウォータンの告別の感動の高まりも冷静なカラヤンとは思えないほどの熱さで、快速調だが、実に情のこもったものだ。
アメリカのオーケストラらしく、奏者自らも感動しちゃって興奮しちゃってる感じも伝わってくる。

スタジオ録音での完璧さと、きれいごとに包まれてない、カラヤンのライブは、本来の劇場の人であるカラヤンのほんとうの姿かもしれない。

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ニルソンはやはりニルソン。
幾多のブリュンヒルデやイゾルデをほかにもたくさん聴いてきたけれど、ニルソンは安心して聴いていれるし、自分には、スタートがニルソンだったし、ブリュンヒルデとイゾルデはニルソンでないとダメなのだ。
冷凛たる声と高貴さ。強靭さとしなやかさ、いずれもニルソンの声にはあると思う。

本来のジークリンデの声であったクレスパン。
メットでも実はニルソンとあわせてブリュンヒルデを歌っていたようで、ヤノヴィッツもジークリンデを歌った日があるようだ。
だがここでのクレスパンは、ショルティの録音のものより、少し不安定な感じを受けた。
 ヴィッカースは相変わらずで、いつものヴィッカースで威勢はよいが、キングのような不幸を背負ったような悲しみの切迫感が弱めです。
テオ・アダムは完璧!
文句なしのウォータンで、ステュワートの回でなく、アダムの録音が残されたのは幸いだった。
あと、J・ヴィージーもここでも最高のフリッカです。
ワルキューレたちは、完全なアメリカ娘で、激しくておおげさで笑えちゃうのも時代を感じさせるところ。

年代を考えるとモノラルなところが残念ですが、音質は良好で、このドラマチックなワルキューレを大いに楽しめるものであります。

ニルソンBOX、まだまだ面白い録音がたくさんありますので、またとりあげましょう。

Hills-c

令和を迎えた日本。

内外ともに、安穏としていられない情勢は年々高まりつつあると思います。

そして、自分や家族・親族になにかと変化がありました。

そんななかでも、やはり音楽を聴くという行為は相変わらずでして、それをブログというツールに記録していくということも週1ぐらいのペースで継続できました。
暮れは、好きな演奏家の訃報もあって記事は頻出させましたが、またゆったりとやっていきたいと思ってます。
多くのコメントもいただきましてありがとうございました。

来年はベートーヴェンイヤーとなりますな。
何を聴こうかな・・・・

よいお年をお迎えください。

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2019年12月27日 (金)

ペーター・シュライアーを偲んで

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ペーター・シュライアーが亡くなりました。

ドレスデンにて、享年84歳。

こうしてまた、ずっと親しんできた歌手の一人が去ってしまいました。

親しみやすい、そして朗らかでそのリリックな声は、完全に自分の脳裏に刻まれております。
そんな思いを共にする聞き手も多いのではないでしょうか。

1935年、マイセンの生まれ。(2020.03.03訂正)
オペラ歌手、リート歌手、宗教音楽歌手、いずれにもシュライアーの功績は、舞台にステージに、そして数々の録音に深々と刻まれております

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バイエルン放送局の追悼ページには、「福音史家とワーグナー」とあります。
そう、ミュンヘンでは、リヒターやサヴァリッシュのバッハとワーグナーの演奏には、シュライアーはかかせませんでした。

ことしの1月には、テオ・アダムが亡くなってます。
シュライアーよりも年上のアダムでしたが、ふたりともドレスデン聖十字架協会の聖歌隊に所属。
ともにバッハの音楽で育ったところもあります。
そして、ふたりの共演も多かった。

福音史家としての録音はいくつかありますが、「マタイ」でいえば、リヒターとの録音は未聴のまま。
歌いすぎなところの批評を読んでから手を出せずに今日に至る。
抑制の効いたシュライアーらしいマタイといえば、マウエスベルガー盤です。
あとは、リヒターとのカンタータの数々。

  -------------------

わたしには、シュライアーは、「タミーノとダーヴィッド」です。
初めてのシュライアーのレコードは、「ベームのトリスタン」の若い水夫です。
これは正直、この役のすりこみです。
シュライアーの歌が終わると、切迫したオケがきて、ニルソンのイゾルデの一声、そしてルートヴィヒのブランゲーネがきます。
もう、完全に脳内再生できるくらいに聴きこんでる。

 そして、シュライアーは、「ザ・タミーノ」といっても過言ではなかった存在です。

Zauberflote

手持ちの「魔笛」でもスウィトナー、サヴァリッシュ、デイヴィスの3種のものがあります。
思えば、みんな亡くなってしまった指揮者たち。
指揮者の声は残らないけれど、演奏全体として残る。
でも歌手たちの声はずっと耳に、その人の声として残るので寂しさもひとしお。

 シュライアーのダーヴィットは2回聴くことができました。
ここでも、指揮はスウィトナーとサヴァリッシュ。
ベルリン国立歌劇場とバイエルン国立歌劇場の来演におけるものです。
舞台を飛び回る若々しいシュライアーのダーヴィッドは、その芸達者ぶりでもって、マイスタージンガーのステージを引き締めました。
ヴァルターにレクチャーする長丁場の歌、喧嘩に飛び込む無鉄砲ぶり、ザックスとの軽妙なやりとり、歌合戦での見事なダンス・・・
いまでも覚えてます。
そして、ワーグナーが書いたもっとも美しいシーンのひとつ、5重唱の場面。

Meistersinger
             (バイエルン国立歌劇場の来日公演)

日本には何度も訪問してましたが、リートでシュライアーの歌声を聴くことはできませんでした。

「美しき水車屋の娘」は、これもシュライアーの得意な歌曲集でした。
この作品も思えば、シュライアーの歌声が自分にはすりこみ。
レコード時代のオルベルツ盤で親しみましたがCDで探してみたいと思います。
ギター伴奏による水車屋も、シュライアーならではのものでした・・・

Schubert-schreier

歌がいっぱい詰まった、シュライアーのシューベルト、ゲーテ歌曲集を今夜は取り出して聴いてみることとしよう。

年末の朝。目覚めたら一番に接した訃報に、急ぎ思いを残しました。

悲しい逝去の報が続きます。

ペーター・シュライアーさんの魂が、安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

Strauss-rosenkavalier-jansons

  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

Britten-warrequiem-jansons

  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

Brso-2

バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

Mahler-sym9-jansons

  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2019年9月 6日 (金)

バイロイト2019 勝手に総括

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もう秋の気配ただよう、いつものお山のうえ。

8月も終わり、日々、夏も後退して行きます。

そして、バイロイト音楽祭も終了しましたので、恒例のお勝手シリーズをしてしまいます。
いずれも、高音質のバイエルン放送局のネット配信を聴いての感想です。

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  ワーグナー 歌劇「タンホイザー」

ヘルマン:ステファン・ミリング タンホイザー:ステファン・グールド
エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコヴァ
ウォルフラム:マルクス・アイヒェ 

  指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ 
  演出:トビアス・クラッツァー

         (2019.07.25)

NHKでも放送されたようですし、多くの方が、このオモロイ演出を目の当たりにされたことと思います。
すでに、自分としては語り尽くしました。(タンホイザー2019
その時の思いと同じですが、3幕の本来の筋にある、ローマ帰りの巡礼たちは、私は「難民のようだ」と思って書いたのですが、2幕で警察当局に逮捕されたタンホイザーのことを考えれば、ムショ帰りの釈放された面々とみるべきなのだろうか?
 演出家が、それらを含めて、自身の演出・解釈を語っているものを見ても読んでもないですが、でもその姿格好からするとどちらともとれるのも面白いのかもしれない。
かたや、1幕での巡礼の合唱が、バイロイト祝祭劇場に集う観客、まさに、緑の丘のバイロイト巡礼者そのものだったのも笑えます。
その対称としての、3幕の巡礼者の姿が、まったく真逆の人々であること、すなわち、スノッブな人々と、社会に見捨てられたような人々であったこと。
 このあたりにも、クラッツァーの訴えたかったメッセージも含まれているものと思われます。
ともあれ、情報満載の忙しい舞台でありました。

歌手は、いずれも素晴らしかった。
とくに、女声ふたりは、あとで聴き返しても華のある見事なものです。
来年の配役を見ると、今年、急遽起用されたツィトコヴァは出演しない様子で、残念!
映像出演もあるから、来年は本来のグバノヴァで撮り直し、とのことだろうか。
でも彼女は、オルトルートでも1日、代役で歌いましたので、今年大活躍。
 あと、今年はティーレマンも1回指揮したりして、お騒がせのゲルギエフも降板で、ここ数年、指揮者が降りた場合などを救ってきた、実務的な手堅いオペラ指揮者、アクセル・コバーが登場予定。
ますます、かつてのホルスト・シュタイン的存在になってきた。

大好きなツィトコヴァの写真集を作りましたのでどうぞ。

Zhidkova

ブイヨン公妃、ブランゲーネ、フリッカ、オクタヴィアン、そしてカーテンコールのヴェーヌス

Lohengrin

  ワーグナー 歌劇「ローエングリン」

ローエングリン:K・フローリアン・フォークト エルザ:カミラ・ニールント
オルトルート:エレナ・パンクラトヴァ テルラムント:トマス・コニュチニー
ハインリヒ:ゲオルグ・ゼッペンフェルト

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:ユーヴァル・シャロン
  舞台装置・衣装:ナエオ・ラウヒ&ローザ・ロイ

         (2019.07.26)

2年目の「ブルー」なローエングリン。
電気技師ローエングリンは、エルザとオルトルートによって駆逐されてしまい、最後は、ブルー軍団のひとりだったエルザは、禁句を口走ったあとは、オレンジ色のドレスに替わり、よみがえった「グリーン」まみれな弟のゴットフリートとともに、持続可能なエネルギー社会に変えるような雰囲気のエンディング。
 ブルーの発電ローエングリンは、打ち破れて去り、豊富な電力を享受してきた民衆は全員ぶっ倒れ、ブラック軍団のオルトルートは、生き残り、ここはどこ?わたしは誰?的にきょろきょろ。
1回観れば、充分的なこのローエングリン演出に、今年も批判の声が多かったようです。
自然エネルギーに舵をきったドイツながら、さまざまな問題が噴出中ななかでの、このローエングリン。
政治色や社会問題を盛り込む場合の賞味期限を考えさせるもので、舞台より演奏の良さで持っているような感じです。
歌手は大幅に入れ替え。
放送された初日が、フォークトだったので、お馴染みの彼の繊細なタイトルロールを聴けたかれど、今年は去年のベチャーラとのダブルキャスト。
来年は、アンドレアス・シャガーの名前ふだけが、クレジットされてます。
さらに、当初は、ストヤノーヴァとネトレプコが予定されながら、ふたりとも降りて、ニールントとA・ダッシュのふたりがエルザ。
ニールントの安定した歌唱は、とても安心感があり、清楚感もあってよろしい。
去年のマイヤーのあとの、オルトルートは、パンクラトヴァで、おっかない雰囲気も十分で、なかなかドスの聴いたお声も立派でした。
クンドリーも全部歌った彼女、1日だけ、ツィトコヴァに交代、さらに、コニュチニーもT・マイヤーに1日交代したようなので、やはり、この夏の猛暑は、歌手には厳しい環境だったのでしょうか。

ティーレマンの指揮は、昨年よりもグレートアップしていて、充実の極み。
抒情と繊細さ、重厚なる響きに、思い切ったタメ、心涌きたつダイナミクス、さらさら流れたゲルギエフの指揮とは大違いのティーレマンでした。

Tristan

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

トリスタン:ステファン・グールド イゾルデ:ペトラ・ラング
マルケ王:ゲオルゲ・ゼッペンフェルト
クルヴェナール:グリール・グリムズレー
ブランゲーネ:クリスタ・マイヤー

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:カタリーナ・ワーグナー

        (2019.08.01)

ひたすら気の毒なトリスタンを表出した、当主カタリーナ・ワーグナー演出も5年目で、来年2020年は上演されない模様。
この演出を音楽面でずっと引きたててきたグールドのトリスタンですが、安定の歌唱でありつつ、ちょっと声が疲れ気味とも感じた。
全体に、暗い色調だし、幾何学的な装置などにも、出口の見えない閉塞感を感じる舞台との印象は、映像でみたときからずっとぬぐえない思いだ。
結局、イゾルデの不倫みたいな感じに仕立てて、マルケもそれを受け入れ許す懐の大きさもなく、残酷な君主ぶりを出す、ということで、つまらん妙な読み替えにしか思えないのがわたくしの思いです。
カタリーナさんは、バイロイトでは、マイスタージンガーとトリスタンしか演出していないが、2020のリングぐらい、思い切ってチャレンジすればよかったのに・・・と思います。

ペトラ・ラングのイゾルデ、4年目を迎えたけれど、よくなることを期待したけれど、やっぱり私の好みではなさそう。
絶叫系の高音は厳しい。
来年は、ワルキューレでのブリュンヒルデが予定されてるけど、叫びが不安・・
クリスタ・マイヤーの味のあるブランゲーネと、ゼッペンフェルトの特異な役回りのマルケが今年もよかった。

で、ここでも、ティーレマンの安心感満載の指揮は相変わらずよかった。
いまのところ、毎年文句なしだった、ティーレマンのトリスタン。

Meister

 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ザックス:ミヒャエル・フォレ ポーグナー:ギュンター・グロイスベック
ベックメッサー:マルティン・クレンツィル
ヴァルター:K・フローリアン・フォークト
エルザ:カミラ・ニールント ダーヴィット:ダニエル・ベーレ
マグダレーネ:ヴィーケ・レェーンクル

  指揮:フィリップ・ジョルダン
  演出:バリー・コスキー

       (2019.07.27)

こちらは、3年めのマイスタージンガー。
ワーグナーだらけの登場人物に、そのワーグナーにまつわる人物や、建物、事物、歴史などをたっぷりと、しかも事細かに絡み合わせた、外見は、まさに喜劇的な演出だけど、実は、とても深くて恐ろしい演出。
劇中で、その人物が変化するのにも、興味深いし、意味付けもあるので見ごたえや、考える面白さも与えてくれる。
ワーグナー→ザックス→ワーグナー、リスト→ポーグナー、コジマ→エヴァ→コジマ、ヴァルター→ワーグナー→ヴァルター、レヴィ→ベックメッサーなどなど、目まぐるしく変身・変化する。
 歌合戦の場が、ニュルンベルクの戦後裁判所であることや、連合軍にそこが支配されていることも、相当なパンチの効いたパロディであり、ザックスの大演説が、まさに法廷の証言台そのものから始まり、やがて舞台にぎっしり載ったオーケストラ(実は合唱団)を背景に歌い、やがて、それを指揮してしまい偉大なワーグナーへと変じてしまう大エンディング。
指揮するワーグナーの足元には、コジマ(エヴァ)が腰をかけている。

初年度は、面白いだけの目まぐるしい演出と思ったが、何度か見るうちに、いろんな仕掛けや、問いかけがそこにあると思うようになった。
でも、今年、2幕の拍手にはブーイングも聞かれた。
ユダヤ人を思わせるバルーンのことかな・・・

3年目、完全にチーム化した歌手たち。
いずれも、役になりきっていてお見事。
細やかな歌いまわしで、滑らかな美声も聴かせるフォレのザックスに、自在さと、バリトン的なデフォルメされた声で勝負できてしまうフォークト。
相変わらず、ベックメッサーそのものの、狡猾な雰囲気だけど、どこか抜けている、そんな風な歌唱ができてしまうクレンツィル。
来年は、ウォータンにまわるため、今年で終わるグロイスベックの美声のポーグナー。
このプロダクションのエヴァは、ニールントで決まり、と思わせる彼女、来年も続投。(今年は1回マギーが登板)
 そして、ますます好調、軽快さも見せるジョルダンの劇に付随した巧みな指揮も、歌心満載で実によかった。
タンホイザーは、ジョルダンでよかったのではないの?

Parsifal

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

アンフォルタス:ライアン・マッキニー パルジファル:アンドレアス・シャガー
グルネマンツ:ギュンター・グロイスベック
ティトゥレル:ウィレム・シュヴィンハマー
クリンゾール:デレク・ウェルトン クンドリー:エレナ・パンクラトヴァ

   指揮:セミョン・ビシュコフ
   演出:ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク

          (2019.07.30)

まず、喜ばしいことは、来年2020年には、この「パルジファル」演出はないこと。
4年目で、通常は5年サイクルだけど、また一休みして出てくるのかな?
「パルジファル」は、バイロイトを想定して、そしてしばらく聖地以外の上演を禁じていただけあって、この音楽祭にとっては特別な存在だった。
戦後の新バイロイトにあって、ヴィーラント・ワーグナーの伝説的な演出が、1951年から1973年まで23年間上演され、その後のウォルフガンク・ワーグナーの第一次演出が8年、物議をかもしたゲッツ・フリードリヒ演出が6年、その次のウォルフガンク・ワーグナーの第二次演出がその反動のように13年。
 そのあとは、ほかの諸作品と同じような扱いとなり、シュルゲンジーフが途中取りやめで4年、ヘアハイムが5年ということに。
そう、ワーグナー兄弟のあとは、長く続く演出が求められなくなって、「パルジファル」がバイロイトの専売特許でもなくなり、世界的にもカジュアル化してしまった感があります。
 まぁ、特別扱いをすることはありませんが、やはり、作者が想いを込めた舞台神聖祭典劇というタイトルぐらいは、バイロイトでは、それこそ、いつまでも神聖扱いして欲しいと思うワーグナー好きであります。

次のパルジファルは、また繋ぎで、このラウフェンベルクがちょこっと出てくる可能性はあるけど、それこそカタリーナさんに、当主の務めとして演出して欲しいもの。
だが、それは、黄昏が続くワーグナー家&バイロイトにトドメを指してしまうような予感もあります・・・・

中東を舞台に、内戦やテロ、宗教のいさかいなどを盛り込んだこの演出、映像で観たときから、あまりいい気分はしなかったし、何を言いたいのかわからん場面も多々。
結末のいかにも的な宗教的和解と、光のなかに終える場面は感動とは遠い。
あと、イエス化したアンフォルタスや、十字架コレクターのようなクリングゾルに、聖槍が十字架型だったりするのもおもろくない。
でも、花の乙女たちとの楽しそうな入浴シーンや、感動の失せる聖金曜日の背景の水浴シーンは、ちょっと好きかも(笑)

一方、演奏での今年の「パルジファル」は、集大成といえるくらいに、完成形に達した素晴らしいものといっていいかも。
ネルソンスの降板から始まった、このプロダクションを救ったのは、実務的なヘンシェルの安全かつ無難な指揮だった。
2年続いて、昨年からのビシュコフの指揮。
昨年は、多くを感じさせない、手探り的な指揮だったけど、今年はどうだろう。
きわめて積極的な、能動的な雄弁なパルジファルをビシュコフは仕立てあげたと思うのだ。
個々の場面を、ややデフォルメさせ、劇性を高めつつ、その場面が持つ意図やありかたを、全体のなかにうまく落とし込んだ感じなのだ。
各幕にある、ここはと思う聴かせどころを、いずれも外さず感動的に仕上げ、歌手たちにも無理なく歌わせれ、オケと舞台が見事に一体化した。
とりわけ、2幕のパルジファルの覚醒、3幕の聖金曜日の奇跡の感動的な高揚感は、とても素晴らしかった!

シャガーのパルジファルも、素晴らしい。
2幕の覚醒の「アンフォールタース」の絶叫が、ユニークかつ、彼のパルジファル歌唱の流れのなかで、とても活きている。
あんな舞台なのに、よきパルジファルを歌い・演じている。
そして、グロイスベックの若々しくも、活動的な雰囲気のグルネマンツに、明るいほどに悩めるマッキニーのアンフォルタスもいい。
クリングゾル、クンドリーのコンビも素敵だ。

なんだかんだで、最終放送日の「パルジファル」の音楽面での充実ぶりが光った2019年バイロイトでありました。

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来年2020年のバイロイトは、「リング」が新演出、「タンホイザー」「マイスタージンガー」「ローエングリン」が上演されます。
タンホイザーがコバー、マイスタージンガーがジョルダン、ローエングリンがティーレマンとコバー。
そして、「リング」は、30歳のオーストリアの新鋭ヴァレンティン・シュヴァルツの演出と、39歳のフィンランド出身のピエタリ・インキネンで、大幅な若返り。
 歌手も楽しみな布陣で、グロイスベックのウォータン、フォークトのジークムント、シャガーとグールドの分業ジークフリート、ラングとケーラー、ゲールケ3人分業のブリュンヒルデなど、夏の歌手の負担減ともとれる計画みたいだ。
あと、2001年以来の、「第9」がヤノフスキの指揮で。

Ring

インキネンはリングの指揮経験もあるし、日フィルでもラインの黄金をやってるし、最近ワーグナーにのめり込んでるので楽しみ。
しかし、30歳のシュヴァルツは未知数で、2017年に賞を取り、演出家としてドイツやウィーンで活動を始めたばかりの、これからが旬となろうかと思われる人。
彼を一本釣りしたのが、カタリーナ・ワーグナーで、ずいぶんと大胆なことをなさる。
「アラベラ」の映像の一部や、いくつかの画像、最近のダルムシュタットでの「トゥーランドット」の様子などを見てみたが、奇抜さは少なめであるものの、舞台の色調がいずれも暗くて、ダークな感じの印象。
 4つのオペラを一挙に造り上げなくてはならない、この若者に課せられた使命は大きすぎるし、カタリーナの当主としての眼力も問われるわけだ。
子供の頃から、両親とオペラに通い、家ではショルテイのワルキューレを聴いていたという、シュヴァルツのワーグナー演出家になりたいという大きな夢を後押しするバイロイト。
遠い異国にあって、なんだかとっても羨ましくもあり、これこそが、ワーグナーの伝統を守りつつ、更新していこうとするバイロイトの在り方なのかもしれません。

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2019年8月 4日 (日)

ワーグナー 「タンホイザー」 ゲルギエフ指揮   バイロイト2019

Yasukuni-4

先月の靖国神社「みたま祭り」。

ここ数年、ずっと行ってますが、天候不順にもかかわらず、今年の人出は多かった!
特に、若い人や外国の方が多い。
英霊を弔う本来の場所ですが、こうして、多くの人々で賑わい、楽しむ姿は、これでよいのではないかと思います。

さて、7月の終わりから、欧米各地で音楽祭が始まりました。
なかでも、わたくしの最大の楽しみは、バイロイト音楽祭とPromsです。
いずれも、その音源は優秀な音質でネット配信されますし、映像もちょっと工夫すればリアルタイムに観劇することができます。

さっそく、今年のプリミエ、「タンホイザー」を観ましたので、記事にしてみました。
昨今の演出にあるように、映像も意識した、微に入り細に入り、かなり発信性の高いものだから、まだこれからその受け止めの考えも変わるかもしれませんので、第一印象というところで。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019112__

映画のひとコマ?
「オズの魔法使い」?
そんなイメージを想起させるこちらが、「タンホイザー」の序曲からすでに繰り広がられます。

  ワーグナー  歌劇「タンホイザー

 領主ヘルマン:ステファン・ミリング タンホイザー:ステファン・グールド
 ウォルフラム:マルクス・アイヒェ  ヴァルター:ダニエル・ベーレ
 ビテロルフ :カイ・スティーフェルマン 
 ハインリヒ:ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
 ラインマール:ウィルヘルム・シュヴィンハマー 
 エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコヴァ 
 牧童:カタリーナ・コンラディ
 ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ 
 オスカル:マンニ・ライデンバッハ

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
            合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
      
   演出:トビアス・クラッツァー

               (2019.7.25 バイロイト祝祭劇場)

配役のなかで、誰それ?ってのがあります。
そう、下段のふたり。

ひとりめのショコラちゃんは、ドラァアグ・クィーンで、いわゆる「オネエ」のこと。
そして、オスカルは、映画「ブリキの太鼓」に出てくる小人、発達が止まった大人で、映画では関わった人間がみんな死んでゆくという残虐なキャラクター。
このふたりと、ヴェーヌスがヴェーヌスブルクの住人で、そのヴェーヌスは、パンクファッションをまとったロックな女で、無法者っぽい。
この世界に紛れ込んだタンホイザーは、芸術の世界から放逐された人物で、ピエロの恰好をしていて、マクドナルドのドナルドみたい。

序曲が始まると、スクリーンに映し出されるのは、ヴァルトブルク城で、そこであのメロディーが奏でられるのだから、一安心って感じ。
その城をドローン撮影で上空から映しながら、やがて現れるのはキャンピングカーで、車には屋根にはウサギのおもちゃが載ってる。

画像はいずれもバイエルン放送局のものを拝借してます。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019108__

ドイツ紙の批評によると、故シュルゲンジーフの物議をかもした「パルジファル」演出に映像で出てきた腐れゆくウサギのこと、とありました。
そして車に乗るのは、先の3人組に、ピエロのタンホイザーで、みんな楽しそうで、自由を謳歌している。
しかし、ふとメーターを見ると、ガソリンがエンプティ。食料も尽きて、一行は、バーガーキングのドライブスルー、運転手のヴェーヌスが注文し、タンホイザーはカードを提示、ところがそのカードは偽物で、カードに記された言葉は・・・
一方、残りの二人は駐車場のほかの車からガソリンを盗む、そしてかたっぱしから、ある言葉の書かれたチラシをまいたり貼ったり・・・

「Frei im Wollen    Frei Im Thun   Frei im Geniessen」

「自由を望み 行動し そして楽しむこと」

こんなスローガンを掲げた、いわば自由と希望を掲げた連中で、ここではアウトローであったり、LGBTであったり、社会の局外者であったりするわけです。
そして、この演出で、何度も出てくるこの言葉こそ、ワーグナーが発したもので、そのワーグナーこそ、タンホイザーとローエングリンの作曲の間ぐらいの時期に、革命に身を投じお尋ね者となり、亡命していたわけである。

ここに視点を置き、ワーグナーとタンホイザーをかぶらせたのではないかと思います。
ヴェーヌスブルク(と思われる場所)にいるときから、タンホイザーは分厚いスコアを持っていて、それを投げつけたりすると、ヴェーヌスが拾ってあげたりと・・。

 さて、ガソリン泥棒と無銭飲食をした一行の前に立ちふさがった警備員。
タンホイザーが止めるもむなしく、その警備員をひき殺してしまい、タンホイザーは一気に冷めてしまいふさぎ込んでしまう。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019106__

そのあと、車を止めて、バーガー類をほおばる3人組、ニンフたちの合唱は、ラジカセから。
ついに、もうこんな生活やだと言わんばかりに、マリアの名前を叫んで、離脱するタンホイザー。
 倒れ込んだ野原に現れたのは牧童ならぬ、自転車に乗った市民。

Th-1

その導きで、行ったのは、緑の丘の上で、リアルバイロイト祝祭劇場の前庭。
合唱団は、上演を待つ観客で、暑いので、パンフレットをうちわ替わりにして扇いでる。
さて、つぎにあらわれ、ピエロのタンホイザーのかつての仲間の騎士たちは、劇場のスタッフたちで、首から認証カードを下げてる。
ここには、エリーザベトもあらわれ、タンホイザーにビンタを食らわせる。
 仲間にもどり、劇場に向かったタンホイザーを追って、車で侵入してきた、自由3人組、脱ぎ捨てられたピエロの衣装を拾って幕!

1幕の概要を長く書きすぎてしまった。
でも、この1幕でもって、全体の伏線も理解できるし、演出の意図もよく見えるのであえて詳細に。

2幕は、劇場の裏側にカメラが。出を待つエリーザベトは、従来のお姫様の姿で、舞台は、まるきりかつてのウォルフガンク・ワーグナーの伝統的な舞台のパロディーのようで、安心できるもの。
エリーザベトに対するウォルフラムの様子は、あきらかに好意以上のものがにじみ出てる。
 一方、スクリーンでは自由3人組が、劇場のバルコニーに登り、例のスローガンを掲示。
さらに劇場内部に潜入する。

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ヴェーヌスは、出演間際の女性合唱団員がトイレに入ったのを襲い、しばき上げ、衣装を盗んでなんと、ちょろちょろと合唱団として舞台に登場してしまい、口パクで歌う。
このあたりの、ヴェーヌス役のツィトコワちゃんの、演技のオモシロさやカワユサに笑い。( ´艸`)
 一方の、オネエとオスカル組は、劇場内を冒険、歴代指揮者たちの写真が飾られるところで、テーレマンを見て腰を振るショコラ、あとレヴァインにも反応してました( ´艸`)
観客に笑い声も巻き起こったようです。笑えるタンホイザーなんて( ´艸`)

タンホイザーの自爆シーンでは、ヴェーヌスがパンクな本性をあらわし、乱入したほかのふたりと踊りまくり、例の言葉の紙をまき散らす。
大騒乱となったところでの、エリーザベトの感動的な制止のシーン、彼女はなんとリストカットしたあざを振りかざすんだ。
 反省と後悔の念のタンホイザー、責める人々、こんな重唱のなか、カタリーナ・ワーグナーがスクリーンで登場、劇場スタッフからの連絡を受けて、彼女は、警察に通報。
パトカーが列をなして、劇場に向かい、警察官が舞台になだれ込む。
ローマへ、の一言とともに、領主ヘルマンの指令をもって、タンホイザーは、警察当局にしょっぴかれる。
残されたヴェーヌスは愕然とし、オスカルは座り込み、ショコラはレインボーの旗をハープにかぶせ抗議。
そう、自由が奪われた2幕の最後のひとまく。

Th-3  

ローマ巡礼行の音楽が流れる中、タンホイザーがまとっていたピエロの服が残る廃墟のようになったキャンピングカーの前で、オスカルはブリキの太鼓を鍋がわりに缶詰料理を。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019102__

そこに着の身着のままの体、お姫そのままのかっこうの空腹のエリーザベトがあらわれ、オスカルと遭遇し、料理を食べさせてもらう。
死にゆくエリーザベトに、人を死に導くオスカルという映画通りの流れ。
未練たらたら、エリーザベトに近づくウォルフラム。
そこへ、巡礼の合唱とともに、やってきたのは、まるで移民たちのよう。。。。。
そこにタンホイザーの姿はなく、エリーザベトは失意のうちに、アリアを歌い、なんと上着を脱いで下着姿に。
その傍らで、ウォルフラムは、ピエロの服と赤いかつらをかぶり、それを見たエリーザベトは喜び、そして車に引き入れ、ふたりは、いたしてしまうシーンが、リアルにえがかれる。
悔悟に暮れて歌うウォルフラムの「夕星の歌」。
タンホイザーになれなかった、自由を謳歌できなかった、いや、タンホイザーなったふりをしたことへの悔恨か。
歌う中、エリーザベトは車を出て、腕の古傷を押さえながら倒れ込み、オスカルがなだめる・・・

Th-7

舞台は回転し、成功者ショコラとブランド時計の巨大な看板のもと繰り広がられる。

Th-8

そこへ、移民風に薄汚れ、ビニール袋をもったタンホイザーが。
ウォルフラムは、ビニール袋から、もう年季の入ってしまった分厚い楽譜を恭しく取り出し、ローマ物語での教皇の話のあいだ、その楽譜を抱きしめたり、優しくなでたりする。
ところが、タンホイザーは、その楽譜を取り上げ、まるで教皇に断罪されたのがその楽譜であるかのように、丸めて地面に投げつける。
それをまた広い、大事に抱きかかえるウォルフラム。
最後は文字通り、やぶれかぶれで、ヴェーヌスブルクの音楽が流れ込むなか、ふたたび手にした楽譜を、ビリビリに引きちぎり、それをウォルフラムが必死に押しとどめるが、ついには、火をつけて焼いてしまう。

Th-6

そして登場のヴェーヌスは、なんと目無し帽をかぶったテロリスト然とした姿。
例の言葉の書かれたプラカードを掲げ、タンホイザーも一緒になって、それを掲げる。
ウォルフラムの、渾身の、それこそ愛情もこもった「エリザベート」の一言と、亡きがらを指さす姿に、タンホイザーも一変。
オスカルに見守られ、車中にあった血に染まったエリザベートをおろして、タンホイザーは彼女とともに横たわり、ウォルフラムは、彼女のお姫様の服を優しくかけてあげる。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019104__

見守るヴェーヌスの眼も、これまでと違った表情になった。
スクリーンでは、軽くピエロの化粧の残ったタンホイザーと仲良く車に揺られるエリザベート、ふたりの笑顔を写しつつ、旅の始まりと、終わりのような印象をあたえつつ、幕となる。

             幕

幕が閉じると、ブラボーを圧するブーイング。
ともかく、パロディーのきいた演出で、タンホイザーとワーグナーを重ね合わせ、さらには、バイロイトに集う観客、既定の演出や演技者を既存の観念とし、それらとは、真逆の世界に住まう連中を自由を謳歌する人々と位置づけ対立軸に持ち込んだ。
死による浄化も、最後には自由と希望を得る手段のようにも見えかねない。
わたしのような浅い思考力では、演出家クラッツアーの狙いや考えはわかりません。
 最初、画像や映像の断片しかみなかったときは、SNSなどで、批判をしたものだが、全編観たことで、その考えは少し変わった。

最初から最後まで、いろんな伏線をひきつつ、一本筋のとおった考え抜かれた演出だと思うようになった。
ただ、そこにLGBTや移民、テロなどの問題を絡めることで、その筋にもややこしさや、政治色が生まれることになった。

あと、スクリーンの多用は、ここまでやると禁じ手のカードを切りすぎた感がある。
舞台で再現できない、ありえへんストーリーをこれではいくらでも作れてしまう。
荒唐無稽な「リング」なんて映画チックにいくらでも制作できちゃうだろう。

そして、実際に歌い、演奏されてる音楽と舞台や映像との齟齬と乖離は、いかんともしがたい。
2幕のエリーザベトの必死の嘆願の感動的シーンは、リストカットの傷を見せられたり、かたわらで繰り広がられるヴェーヌスとタンホイザーの淫らな動きなどを見せつけられ、音楽の力を削いでしまうのだ。
何度も書くが、ワーグナーの音楽は、それだけで、すべてを表現しつくして雄弁なので、ごちゃごちゃいじくりまわさないで欲しい!と

オモシロくて楽しめる演出だったけど、やっぱりイヤだな。
でも、昨年の、環境問題をテーマにしたような「ローエングリン」よりは、よっぽど訴えかけは強いけどね・・・
未消化部分が多いので、またなにか書くかもしれません。

    --------------------------

Th-9
         (楽しそうな一行♪ 運転手はヴェーヌスさ!)

歌手は、こんなめんどくさい演出なのに、歌に演技に、実に素晴らしかった!
なかでも、ヴェーヌスのツィトコワ。
本来は、グバノヴァの予定であったが、彼女の怪我で、急遽ツィトコワが初日に立つことになったという。
小柄な彼女の強い声によるヴェーヌスは、安定していて、先に書いたように、その所作が可愛く、おもしろい。
新国にも以前、よく登場していて、私は以前よりファンなんです。
オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを観ました。音源では、ブイヨン公妃も素敵です。

あと、デビューのダビットソンのエリーザベトは、堂々たる声で、まさにプリマドンナ風。
最近のクールでスマートな歌唱ではなく、ちょっと一昔前のなつかしさを感じる一本気な声。
同じく北欧出身の先達たちのように、今後の活躍が予想されます。

あと、アイヒェの友愛と、それこそ複雑な愛情にあふれたウォルフラムをマイルドな声で歌い、揺れ動く優柔不断の演技もサマになってます。
グールドの安定感あるタンホイザーも素晴らしく、このタフで息の長い歌手の存在はありがたいものです。
演出の意図をよく理解して、大きな体で迫真の演技です。

 さて、演奏サイドで、唯一、ブーを浴びてたのがゲルギエフ。
聴きなれないところが強調されたり、音を一部引き延ばしたりと、いままで聴いてるタンホイザーとはちょっと違うようにも感じました。
テキパキと流してしまうことの多いゲルギエフのいつもの指揮とも、違う、一部はなかなかの力演に思える場面もありました。
報道では、バイロイトの劇場の独特の響きに苦戦していたとのこともあります。
そして、ザルツブルクとヴェルビエの各音楽祭をかけ持って飛び回っているこの夏のゲルギエフの多忙さで、ろくに練習もできていない、との指摘もあり、リハーサルにも遅れたりとか言われちゃってます。
 それに黙ってられないゲルギエフは、反撃し、そんなことはない、ワーグナーの音楽に真摯に取り組んでる、と反発してます。
しかし、どうやら来年はもう登場しないとのうわさも・・・・・

まぁ、こうしていろいろあるのが、バイロイトの、ことさら新演出の楽しみ。
来年は、「リング」の新演出年。
演出は、オーストリアのヴァレンティン・シュヴァルツと、指揮は、日フィルでおなじみのピエタリ・インキネン。

炎夏のヨーロッパ。
バイロイトも猛暑で、このタンホイザー初日には、暑さに対する抗議デモなんてのも行われちゃってます・・・・?

Yasukuni

日本では、祭りの季節。

日本の夏です。

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2019年5月25日 (土)

ワーグナー ニュルンベルクの「ローエングリン」 マルヴィッツ指揮

Reiwa

令和元年。

新元号を迎えて1か月。
すっかり馴染みました。

1

  ワーグナー 「ローエングリン」

 ハインリヒ:カール・ハインツ・レヒナー ローエングリン:エリック・ラポルテ
 エルザ:エミリー・ニュートン      テルラムント:リー・サンミン
 オルトルート:マルティナ・ダイク    伝令:キム・デホ
 
  ヨアナ・マルヴィッツ指揮 ニュルンベルク州立フィルハーモニー
               ニュルンベルク州立劇場合唱団

        演出:ダヴィット・ヘルマン

              (2019.5.11 @ニュルンベルク州立劇場)

CDもあんまり出てないし、ほとんど聴くことのできない、ドイツの由緒ある歌劇場のひとつ、ニュルンベルク州立劇場のライブをバイエルン放送局のライブで聴くことができました。
ドイツの劇場は、画像の公開も積極的なので、その数々の写真から、毎度のことながら、観てもいないのに、あれこれ想像を巡らせながらその放送を聴くことができるのも、ネット時代のありがたみです。

Nrnberg-1

ニュルンベルクの劇場は、その起源は、17世紀に遡り、現在の姿は、1905年に築造されたもの。
隣にはシャウシュピールハウス(コンサートホール)が併設され、人口50万のバイエルン州第二の都市の音楽の中心なのです。
 そして、ニュルンベルクといえば、マイスタージンガーゆかりの地。

Nrnberg-2

旧市街地は、グーグルマップでみても、中世の雰囲気が色濃く残るさまが見て取れます。

劇場の歴代の音楽監督で、目に付く方を列挙すると、ティーレマン、P・オーギャン、ペリック、そしてボッシュと続き、2018年から、注目の女性オペラ指揮者、ヨアナ・マルヴィッツが就任してます。
ちなみに、オペラ部門の芸術監督は、2018年から、ヤン・フィリップ・グローガーで、バイロイトで、ダンボールと扇風機の「オランダ人」を演出した人です。

マルヴィッツは、ピアニストでありながら、カペルマイスター的なオペラハウス叩き上げの存在で、ドイツ各地のハウスで、すでにかなりの舞台を指揮しており、レパートリーもドイツ物中心にかなりの数を築き上げてます。

ニュルンベルク劇場のオケは、同時に、コンサートオケも兼ねており、ピットからあがるオーケストラの響きは、シンフォニックかつ、劇場ならではの雰囲気豊かなものでもあり、ワーグナーの音楽に不可欠な力強さと、豊かな響きの混ざり合いを聴くことができるのでした。
それを統率する、マルヴィッツの指揮は、とてもスタイリッシュで、重苦しさのない今風のもの。
速めのテンポは、ドラマの勘どころをしっかりと押さえつつ、聴き手を音楽とその舞台に引き込ませるに十分なもの。
無理のない音楽造りなので、歌手たちも歌いやすいのでは。

ちなみに、演奏タイム。
Ⅰ(58分) Ⅱ(79分)Ⅲ(60分)

エルザのアメリカ人ソプラノ、エミリー・ニュートン以外、わたくしには聴いたことのない歌手たち。
そのニュートンの感動さそう、渾身の歌唱もよかったが、ラポルテのローエングリンにちょっとびっくり。
似せているのかと思わせるくらいに、ルネ・コロ+フローリアン・フォークトの声なんだ。
カナダのケベック圏出身のリリックテノールで、甘さと気品のよさが、ちょうどよく両立しているが、耳あたりがよいだけとも言えなくはない。でも、いい声で、気持ちのいいテノールだ。

ほかの諸役も、劇場のアンサンブル的な意味合いでも、とてもよくそろってる。
ドイツの劇場を中心に、中国・韓国系の歌手の活躍が増えているのも昨今のトレンドだ。

というわけで、ドイツの地方オケやオペラの、もこもこした響きや録音、ヘタクソな歌唱という過去のイメージを完全払拭してしまう、鮮やかな演奏と録音でありました。

  ---------------------

しかし、同時に確認することのできる舞台画像や、評論を見ると、ちょっとがっかり。

もう普通じゃいけないんだろうな。

5

ブラバントの後継者争いが焦点。
キリスト教徒的な王やエルザ、そして市民たちの半分。
北欧やフン族のような異教徒的な、テルラムント夫妻と、市民たちの半分。
これら異なる宗教のもとにある人々の信教の争いでもあるように見受けられる舞台。

ローエングリンは、絵本に出てくるような、森の番人みたいな、グリム童話的な姿。
しかし、極めつけは、3幕。

2

前奏曲を聴いてると、男のうめき声のような、掛け声ともとれる声がする。
評論と画像からすると、二人のカップルの結婚式にあたって、「ウォータン」が胸を誇張したワルキューレたちと登場し、猪を生贄として屠る様子なのだ。
オルトルートたちの奉じる神々は、まさに北欧神話の神々たち。
だからって、出てくることはないでしょうに。

さらに、禁を破られ傷心のローエングリンを襲うテルラムントをアシストするのは、なんと「ウォータン」。
ついでに、こんどは、ローエングリンの父、「パルジファル」も登場してきて助太刀。
たしかに、ローエングリンの物語には、そうした背景はあるけれども、まさに、なんじゃこりゃ、なんです。

4_1

そして、論評を読んでると、やられたはずのテルラムントは、「パルジファル」によって、生き返らされ、なんと、次の後継者として指名されるようだ。
ローエングリンは、待って!と、倒れこむエルザのまん前で、森の騎士たちに、引きづられるようにして舞台奥に引っ立てられていってしまう。
 こんな不条理な幕切れの様子。

当然に、ブーの応酬。
歌手と指揮者には、ブラボーが。
演出家が出てきたときには、盛大なブーイングが。

このクセ玉まじりの変化球のような読み替え演出に、やはり「過ぎたるは及びがたし」の思いが。
もちろん、実物や映像全体を見ずに断じるのは、よろしくはありませんが。

ニュルンベルク・オペラのyoutubeサイトには、数々のトレイラーが公開されてまして、コンパクトな舞台ながら、極めて内容の濃い、そして過激な上演の数々を確認することができます。

ドイツ各地にあるオペラハウスが、市民たちの日常生活とともにありながら、こうして常に新しいものを希求し続けることに、音楽芸術の根付く強靭さを強く感じます。

Mallwitz

しかし、マルヴィッツさんの、この美しき指揮姿に、豊かな音楽性。
オペラ指揮者としてのますますの活躍に期待であります。


Reiwa-2

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