カテゴリー「ワーグナー」の記事

2023年1月14日 (土)

ワーグナー「リエンツィ」スタインバーグ&ヴァイグレ指揮

Kankan-0

相模湾です。
あまりの沖合なので、うっすらとしか映りませんでしたが、昨秋行われた国際観艦式を見てやろうと吾妻山に登りました。
12か国が参加した観艦式。
遠目にも艦隊とわかるその姿、何船も見えるそのシルエットは相模湾とは思えませんでしたね。

Kankan-1

バイロイトでは上演されない、「さまよえるオランダ人」より前の3作。
「妖精」「恋愛禁制」「リエンツィ」

正式名は「リエンツィ 最後の護民官」。

当ブログ2度目の初期作を交えたワーグナー全作を取り上げるシリーズ、ようやく「リエンツィ」です。
過去記事に手を入れながら再掲します。

「妖精」は、ウェーバーの影響を受けつつ、マルシュナーのような幻想世界をも意識したドイツロマン派の流れに、ベルカント的な要素も取り入れた折衷的なオペラ。

恋愛禁制」は、一転してこれがワーグナーかと思わせるようなブッファの世界で、ロッシーニ的な劇の進行もあったものの、しっかりとワーグナー的な分厚い音が出てきた。

リエンツィ」は、史劇をもとにした、これまでとまた異なるグランド・オペラの世界となり、尺も長大となり、ここでもワーグナーのスタイルを確立するにいたった。

指揮者として活動していたロシア領のリガで「リエンツィ」の構想を練り始めたワーグナーだが、かさんだ借金から逃亡するように、ロンドンを経てパリへ赴く。
マイヤーベア風のグランドオペラスタイルになっているのも、パリで書かれ、そこで上演を目論んだから、というのが最大の理由。
パリで一花咲かせ、借金も返済しという目論見で、オペラ座での初演を画策しつつ1840年に完成させ、同時に台本も作り上げていた「さまよえるオランダ人」の作曲も開始した。
この間、屈辱的なアルバイトで困窮を耐え忍び、音楽系の新聞に寄稿したり、小説を書いたりすることで、表現者としての自己満足に安住する日々だったようだ。
こうした耐乏の2年間を過ごし「オランダ人」も完成。
「闇夜、困窮のなかに茨の道を通って栄光の世界へ。神よこれを与えたまえ」と書き残してもいるワーグナー。
オペラ座から声がかからず、ひたすら耐えること2年で、「リエンツィ」と「オランダ人」のドレスデンでの初演が決定した。
かつて捨てた第2の故郷とも呼ぶべきドレスデンへと帰ったワーグナー、1842年の「リエンツィ」初演は規格外の大成功となった。
ワーグナーの伝記映画で、子供たちがリエンツィの勇ましい曲を吹き鳴らしながら行進しているシーンがあって、きっとドレスデンの市民たちも、あの序曲で出てくるテーマに熱狂したものと想像できる。

史劇の「リエンツィ」と神話や伝承に題材をとり、ライトモティーフを活用した「オランダ人」が同時期に書かれ、オランダ人以降の有名作とのタイムラグはほとんどなかった「リエンツィ」。
ワーグナーのスタイルの確立は、「リエンツィ」であったといえるだろう。
ワーグナーが自身の立ち位置を、性格のまったく異なる初期3作で順次確立したわけである。


序曲ばかりが超有名な5幕のロングなオペラは、カットなしだと3時間40分もかかる。
完全全曲盤は、ホルライザー盤とサヴァリッシュ盤のふたつで、30年ぶりの新盤、3つ目のヴァイグレ盤は合理的なカットを施した短縮版で2時間45分。
同様にP・スタインバーグのDVDも短縮版による上演です。

「平民の出であるリエンツィは貴族たちの横暴に対して平民の自由のため立ち上がり、熱狂した市民たちは国王になってもらいたいと乞われる。しかし、リエンツィは護民官と呼ばれたいという。
貴族たちはリエンツィを殺そうとし、ローマの新皇帝と教皇も貴族たちの奸計によりリエンツィを弾圧する。
扇動された無知な市民たちはリエンツィに反抗的な態度を見せるようになり、リエンツィは教会側から破門。
市民はリエンツィに投石し、彼の話など聞かなくなり、宮殿に火をつけてしまい、リエンツィはその火焔のなかに姿を消す・・・」

ざっくりとこんなストーリー。

実際に存在した「コーラ・ディ・リエンツォ(1313~1354)」は、公証人から政治家になった人物で、貴族批判をつらぬき、最後はやりすぎの施策から諸方から嫌悪され殺されてしまう劇的な人生を送った人物のようだ。
思えば、ワーグナーの好みそうな存在だったわけだ。

Riennzzi-steinburg

  ワーグナー 歌劇「リエンツィ」

 リエンツィ:トルステン・ケルル
 イレーネ(妹):マリカ・シェーンベルク
 アドリアーノ(妹の恋人、コロンナの息子):ダニエラ・ジンドラム
 コロンナ(貴族):リヒャルト・ヴィーゴルト
 オルシーニ(貴族):シュテファン・ハイデマン
 枢機卿オルヴィエート:ロベルト・ボルク
 バロンェッリ(リエンツィの同士):マルク・ヘラー
 チェッコ(リエンツィの同士):レオナルド・ネイヴァ
 平和の使者:ジェニファー・オローリン

ピンカス・スタインバーグ指揮 トゥールーズ・キャピタル管弦楽団

               トゥールーズ・キャピトール合唱団
               ミラノ・スカラ座アッカデミア合唱団


      演出:ジョルジュ・ラヴェッリ
 
                           (2012.10  @キャピトール劇場、トゥールーズ)

10年前の上演時当時、3時間出ずっぱりの難役、リエンツィを歌わせては随一だったのがトルステン・ケルルで、ケルルの出た2010年のベルリン・ドイツ・オペラでの舞台もDVD化されてましたが、ナチスを思わせるその舞台に嫌気を覚えたのでフランスのこちらを選択。
しかし、観た途端にがっかり・・・・というか殺伐としすぎて、人間味がゼロで幕が下りたあとに、後味の悪さが残る舞台だった。
直接感はないが、やはり独裁者を思わせる演出。

この演出では、時代設定は衣装などからルネッサンス期で忠実とを思わせたがいかがだろうか。
市民、貴族、聖職者、近隣諸国指導者といった登場人物たちは、その衣装からうまく対比されているが、その人物たちのすべての顔は白塗りで、ここがキモイというか、殺伐としすぎて感じた次第だ。
白塗りの顔は、いろんなものに変化できる、という比喩なのだろうか。
市民に称賛され担がれたリエンツィが、今度は批判され貶められてしまう、そんな移り気な人間たちを描こうとしたのだろう。
仲間が豹変してしまい、白塗りのうえにさらに仮面をつけてしまう禍々しさもあった。

舞台装置はほとんどなくシンプルだが、舞台奥に重層的な檀があり、そこに聖職者たちが並んで歌う場面はなかなかに効果的だったし、教会の内部を照明でうまく表したのもよい。
でも何度も見返したくなる舞台とは思わなかったな。

6

ケルルのリエンツィが、ルネ・コロを忘れさせるくらいの素晴らしい歌唱だ。
持ち味のほの暗い中低域に、よく伸びるスピンとした高域とムラのない素晴らしい声。
アップになるとビジュアル的に白塗りがキツイ姿だが、あまり演技力を要求されない演出だけによかったという皮肉な面もあり。
アドリアーノ役の迫真の歌唱もよかったし、妹イレーネのリリカルな歌も存在感ありでかつ清々しい。
合唱団のなかに、東洋人が散見され、白塗りはキョン〇ーに見えてしまいなんともいえない。

最近名前をあまり聴かなくなった、ピンカス・スタインバーグのきびきびととしあ音楽造りは、ここでは曲の冗長さを補っていて、トゥールーズの明るいサウンドもワーグナーの若書きの音楽に彩りを添えていた。
ウィレム・スタインバーグの息子、ピンカス氏も70歳後半で、かつてよくN響に来てたし、いまはブタペスト・フィルの指揮者のようだ。

Rienzi-frankfurt

 リエンツィ:ピーター・ブロンダー
 イレーネ:クリスティアーネ・リボール
 コロンナ:ファルク・シュトルックマン
 アドリアーノ:クラウディア・マーンケ
 オルジーニ :ダニエル・シュムッツハルト
 枢機卿オルヴィエート:アルフレート・ライター
 バロンチェリ:ベアウ・ギブソン
 チェッコ:ペーター・フェリックス・バウアー

セヴァスティアン・ヴァイグレ指揮
 
  フランクフルト歌劇場管弦楽団/合唱団


     (2013.5.17~20 @アルテ・オパー、フランクフルト)

30年ぶりの音盤は、ワーグナー生誕200年の際に行われた演奏会形式による初期3作のフランクフルトにおけるライブ。
これはまず、ヴァイグレの気合のこもった熱意ある指揮ぶりを讃えたい。
文字通り、一気呵成といった感じで、舞台を伴わない、しかも一般的に聴き慣れていない音楽の冗長さを聴き手に飽きさせないように、巧みにメリハリをつけて聴かせてくれる。
テンポは快速で、これはこれで大胆な演奏とも言えそうだ。
しかし、ホルライザー盤がドレスデンの音色も手伝って聴かせてくれた味わいや、サヴァリッシュの舞台と一体となったスタイリッシュかつ熱狂感などとは遠く、やや乾いて、遠くに聴こえたのも事実。
舞台での上演だったら違っていたかも。

リエンツィ役のドイツ系イギリス人歌手ブロンダーは、この役にしては声が軽く、どちらかと言うとローゲとかヘロデを持ち役にするようなタイプなので、ヒーロー感は薄い。
マーンケのアドリアーノの強靭な声、シュトルックルマンの性格的なコロンナ、リボールの優しいけれど一本気な歌唱もよし。
合唱団もふくめ、オペラハウスのまとまりのよさが強み。

初期3作のボックスセットが格安になっているので、これらのオペラを聴き馴染むようにするには最適の一組です。

日本では、若杉弘がコンサート形式でハイライトを94年に、同じく若杉弘が藤沢市民オペラで98年に舞台初演を行っている。
その上演に立ち会えなかったのが痛恨でありました。
「妖精」は舞台観劇経験あり、あと「恋愛禁制」と「リエンツィ」を体験できれば、ワーグナー全作観劇達成となりますが、はたしてこの先なりうるでしょうか・・・・

14世紀ローマ

第1幕

 ラテラーノ教会へ向かう路上、貴族のオルシーニ一行が現れリエンツィの妹イレーネを誘拐する。
ここへ同じ貴族コロンナ家が通りかかり、それを逆に奪おうともみ合いが始まる。
コロンナの息子アドリアーノ(ドラマテック・ソプラノ役)は、愛するイレーネを助けようとするが、そこへ民衆も加わり大騒ぎとなる。
ライモンド枢機卿が鎮めようとしても無理。
そこへ、リエンツィが登場して貴族たちに世界の法律と謳われたローマの栄光はどこへ!と大熱弁をふるい民衆を熱狂させ、「リエンツィ万歳!」と叫ぶ。
成り上がりものめと、不満をぶつける貴族たちは、いずれ見ておけと城壁の外へと去ってゆく。
リエンツィは、貴族たちが今後一切横暴なことはしないと誓わない限り城内にはいれないことを提案し、枢機卿や民衆の賛同を得る。
 イレーネは自分を助けてくれたアドリアーノをリエンンツィに紹介する。
アドリアーノが「民衆の力で何をするのか」と問うと、リエンツィは「ローマの解放と自由都市の実現」と答える。
貴族の立場ではそれに従えないし、イレーネを愛してるしで、心境は複雑なアドリアーノである。
 ここで、ソプラノ二人による愛の二重唱となる。

1_20230114180601

やがて民衆が集まり、武装したリエンツィを迎えると、人々は「リエンツィを王に!」と叫ぶが、リエンツィは自分はあくまで「護民官」として欲しいと応え、「リエンツィ万歳!護民官万歳!」と讃える。

第2幕

カピトール宮殿内。
2_20230114180601

城外の貴族たちは治安を守る宣誓をしたうえで、城内に戻っていて、ローマは一時的に平穏になった。
使者からもその平和の知らせを受けるリエンツィである。
 貴族のコロンナとオルシーニも挨拶にくるが、そのあとオルシーニはコロンナにお前それでいいのか、と反逆をそそのかし、二人してリエンツィ暗殺を相談する。
それを影で聞きつけたアドリアーノは、リエンツィに忠告するが、衣装の下に甲冑を着けているから大丈夫と答える。
 ここで各国へも手を打った結果として、諸国の使者を接見し、平和の祝賀会が始まり、長大なバレエが挿入される。
リエンツィは諸国使者に神聖ローマ帝国への忠誠を示唆するような発言もして、諸国の連中はえ?ってなる。
やがて計画通りオルシーニが刃物でリエンツィを襲うが、甲冑によって未遂に終わる。
捕らわれた貴族たちの人民裁判がすぐさま行われ、死刑が求刑される。

3_20230114180601

アドリアーノとイレーネが、父コロンナの助命を嘆願し、リエンツィは躊躇しつつも心動かされ、人民がそれを望むなら・・・、として、再び平和を守ると誓わせて許すことと相成った。
許された貴族たちは、逆に情けをかけられたとして馬鹿にされたと内心、怒りを覚える。
 市民の急進派でリエンツィの支持者バロンチェリとチェッコは、ほんとにいいのだろうか、甘すぎないかと不安を隠せない・・。


第3幕

古代の広場。
ローマを離れた貴族たちが武装してローマに攻めてきていることが判明。
リエンツィは、民衆を鼓舞して反乱軍を迎え撃ち戦おうと立ち上がる。
 一人残ったアドリアーノは、ついに父と恋人の板ばさみになってしまったことを嘆いて歌う。
進軍ラッパが鳴り、戦場に向かうリエンツィたちを追い、父とともに戦おうと飛び出そうとするが、イレーネに懇願され引き止められる。
 やがて戦いで夫や子供が亡くなってゆくことを女性たちは嘆く、一方でリエンツィが勝利して凱旋してくる。
コロンナとオルシーニの死骸も運ばれてきて、アドリアーノは、叫びをあげて悲しむ。
彼はついにリエンツィとの決裂を選び、恨んで復讐を誓う。
民衆もあの時処刑していれば・・・とわだかまりが高まり、仲間もリエンツィの判断はおかしかったと言いだす。
しかし、戦勝祝いのトランペットが響きわたる。

第4幕

 ラテラーノ協会前。
バロンチェリとチェッコが悪い噂を聞いたかということで、語り合っている。
リエンツィが、ドイツの王子の神聖ローマ皇帝選出についての協議をしたことなどが大使から法王に伝えられ、不興を買っていること。
そもそも、妹と貴族の息子の関係を利用して貴族側に取りいろうとしているようだ、と不満が続出する。
 そこへアドリアーノが現れ、リエンツィの裏切りの証拠ならいくらでも出せると意気込む。
朝となり、リエンツィとイレーネは教会へ向かうが、すっかり冷めてしまった空々しい民衆の態度。

4_20230114180601

そこへ枢機卿が、貴族側の工作もあり貴族に傾いたローマ法王から、リエンツィ破門の知らせを持ってきてそれを宣言する。
「破門」の言葉にショックを受けるリエンツィ。
アドリアーノは一緒に逃げようとイレーネを促すが、彼女はその手を振りきり、兄のもとにとどまることと決意。

第5幕

 カピトール宮殿内。
リエンツィは「全能の神よ、私をお見下ろしください・・・」という祈りに満ちた名アリアを歌う。
そこへイレーネが現れ、自分を見捨てなかったのは天と妹だけだというが、妹は、これがローマの女の勉めとしながらも、恋人と別れる辛さはわからないだろうとと悲しむ。
兄はアドリアーノの元へ行けというが、妹は一緒に死を選ぶ覚悟を選ぶ。
いま一度、民衆を説得しようと出てゆく。
そこへアドリアーノがやってきて、イレーネに逃げようと誘うが彼女は受け入れない。
おりから民衆が松明をもって宮殿に向かってくるので、イレーネは慌てて兄のあとを追う。
 宮殿に向って民衆が石を投げつけたりして騒いでいるなか、リエンツィがバルコニーに現れ、「誰がこの自由をもたらせたのか?・・・」と演説を説くが、人々はもう耳を貸そうとしない。
バロンチェリは「耳を貸すな、ヤツは裏切り者だ」と叫ぶ。
リエンツィは最後の言葉として、「これがローマか?永くローマの7つの丘は顕在だった。永遠の都市は不滅だ!お前たちは見ることだろう、リエンツィがきっと帰ってくることを!」と叫ぶ。

5_20230114180601

だが民衆は、ついに宮殿に火を放ってしまう。
イレーネもあらわれ、それを救おうとアドリアーノも宮殿に飛び込む・・・。
しかし、その宮殿の塔が崩れ落ち、リエンツィ、イレーネ、アドリアーノの3人は焼け落ちた宮殿とともに下敷きとなってしまう。


いやはや、長い長い。あらすじも端折ると訳がわからなくなる筋なので長文となりました。

短縮された箇所は、2幕の諸国使者の個々の挨拶、長大なバレエ、4幕と5幕の一部。
そこがなくとも過不足なく感じた次第。

群衆心理の恐ろしさと、先導者が扇動者となってしまうことの矛盾。
権力を握ると言動にも注意しなくちゃならんという歴史の教訓なども描かれていて、その後のワーグナーの生きざまや、ワーグナーの音楽を政治利用した輩なども知ってる私たちには、なるほどなるほどとなります。

オランダ人とほぼ同じ時期に書かれているので、合唱の扱いなどはオランダ人を思わせるところもあり、聖職者たちが破門を告げるか所などは、幽霊船の合唱にも通じるところがあり。
さらにこの先のタンホイザーを思わせるところは、3幕のアドリアーノのアリアなどはエリザベートの2幕の懇願の場面、教会のテ・デウムなど。
オケは雄弁で、歌手に与えられた歌も難しい。
なによりも巨大な編成と、多くの優秀な歌手が必要。
ルネッサンス・ローマの史実に対し、読み替え的な時代設定を無視した演出を持ち込むと、いまのご時世、逆に問題となりかねないので、かつてのミュンヘンにおけるポネル演出のような舞台がいいと思う。

Rienzi_1

初期3作を終え、次は「さまよえるオランダ人」。
オランダ人はありままるほどに上演され、録音も映像も残されてきた。
リエンツィはそれを思うとあまりに気の毒な存在だ。

序曲ばかりが有名になりすぎたオペラも珍しいものだ。

Wagner-jansons-opo

今日、1月14日はマリス・ヤンソンスの誕生日で、存命であれば80歳になるところでした。
オスロフィルとの若き頃のワーグナー録音は、以前blogであまりよろしくないですね、と偉そうな記事を起こしてますが、「リエンツィ」序曲は勢いよろしく、また艶やかでもありいい感じです。
長い「リエンツィ」の記事をヤンソンスの指揮で締めたいと思います。

Kankan-0a

陽光まぶしい相模湾の向こうに真鶴半島と伊豆半島。

| | コメント (0)

2022年10月22日 (土)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ティーレマン指揮

Ring-linden

ワーグナーの本場、ドイツはやはりすごかった。

昨年はベルリン・ドイツ・オペラでヘアハイム演出でリング4部作が上演完成し、今年はバイロイトで延期になっていたリングの通し上演がなされ、賛否両論を巻き起こす騒ぎとなりました。
またシュトットガルトでも順番に上演中で、さらにこの10月にはベルリン国立歌劇場でも1週間のうちにリングを通し上演する新演出公演がなされました。
指揮は当然に、この劇場に君臨してきたバレンボイムで、監督になって30年目、11月の80歳の記念上演となるはずでした。
今年の2月頃から体調がすぐれず、キャンセルを繰り返してきたバレンボイムですが、夏に復調を見せたにもかかわらず、医師から深刻な神経疾患ゆえリングの指揮にストップがかかりました。
バレンボイムはこれを機に、今後のこの劇場での指揮もふくめ、指揮活動も見直す発言をしてわれわれを驚かせました。

その代役といってはあまりあるほどの大物ティーレマンが選ばれ、ティーレマンとしては故郷ベルリンの老舗での指揮ということになり、3回のチクルスのうち2回を指揮することとなりました。
のこり1回は、この劇場の副指揮者でバレンボイムの弟子筋でもあるグッガイス。
彼は、ヴァイグレの後任としてフランクフルトオペラの音楽監督となる有望株です。

全4作がネット配信されましたので、すべてを喜々として聴いてみました。

演出はバレンボイムのお気に入りのチェルニアコフで、保守的なイメージの先行するティーレマンもチェルニアコフの才能は高く評価していると表明してました。
その手掛ける演出は、さながら心理劇のような複雑な考察を持ち込んだもので、舞台も人物も完全に設定替えをしてしまう、そんな天才肌のチェルニアコフ。

公開画像とほんの少しのyoutube映像からは、いつものこの演出家らしい閉ざされた空間と、小割りにした左右・上下に連続する部屋、天井の低さを犠牲にしても複層的に階上も利用する巧みさなどを確認できる。
これらの空間が回り舞台のように場面展開とともにクルクルと動いて、登場人物たちが移動したりする。
こうした舞台設定のなかで、人物たちはまるで映画俳優に求められるような、大胆かつ細やかな演技をしつつ歌うわけで、歌手への負担はとても大きいと思う。
 そしてなにより、大胆な読み替えもあることから、本来のドラマと音楽とを知悉していないと途方にくれることになるは、毎度のチェルニアコフ演出の術。

短いトレーラーを見ただけでもワクワクしてしまう面白さ。
これは確実に映像化されるだろう。
観たくてしょうがない。

ドイツの評論を読んでみた。
またちょっと長めのトレーラーも見たので半ば推測の域ですが。
舞台はウォータンが所長をつとめる研究機関で、その名も「ESCHE」と書いてある。
調べたら「トネリコ」の意味だった。
いくつもの部屋は緻密に区割りされていて、実験室、待合室、講堂、体育館、ガラス張りの家、廊下、エレベーター室、檻などなど。

Gott-2

上記はおそらくその平面図で、下のフロアは3人の老いたノルンとブリュンヒルデ、黄色い服はジークリンデが着ていたレガシーだろう。
ともかくすべてが細かいから映像向き。

1960年代から現代までを、研究室を舞台に4つの楽劇で睡眠療法やらストレス療法、心理療法とやらをやっていて、神々たちは支配者と上級の研究者であり、人間や巨人たちは実験体で、地下作業場ではそれに対立するニーベルング族が労働を強いられている。
ジークムントは自閉症ぎみの逃亡者で、ジークリンデもホームレスで同じ症状で突発的行動をとり、フンディングは警官。
ガラス張りの部屋の外や階上からは所長ウォータンが常に動向を監視。
ラインの乙女も、ワルキューレたちもみんな研究所のスタッフ。
ブリュンヒルデを囲う炎はなし。
ジークフリートはアディダスのジョギングスーツを着たやんちゃ坊主だが、これもまた実験体。
おもちゃやレゴを与えられて育ったが、それらを破壊し、火をつける、その行為が剣を鍛える場面とは。。。
ミーメは神経質な老人で、ファフナーは拘束着をつけた野蛮人で係員にジークフリートのところへ連れてこられぶっコロされる。
森の小鳥も白衣のスタッフさんで、ジークフリートを所内をくるくると案内してブリュンヒルデの元へいざなう。
あとわからないのがギービヒ家の立ち位置で、ウォータンは所長を引退しており、あらたなビジネスとして取り組んでいるのがギービヒ家なのだろうか?上級市民風に見える。
ジークフリートはグンターに化けることなく、そのままでブリュンヒルデの前にあらわれるので、これはブリュンヒルデは精神的にもキツイだろう。
ジークフリートは体育館でバスケットボールに興じるなかで、登り旗の先っぽで刺されてしまう。
イジメを受けて死んだジークフリートの周りで後悔する人々。
ここからラストがどういう展開か、ほんとに見てみたいし知りたい。
ひとり生き残るのがブリュンヒルデで、彼女は自己犠牲に殉ずることはない模様。
※ラストシーンはワーグナーが草稿の段階で書いていた結末の台詞を背景にブリュンヒルデが旅立つ様子を描いたようだ。
「わたしは世界の終わりを見た」というものだろう。
実験の失敗、あたらしい人間の創造の失敗・・・・・

黄金なし、剣なし、槍なし、炎なし、ライン川なしのないないずくしの室内リング。
ここまで解釈を施してしまうのがチェルニアコフだし、昨今の演出。
面白いし刺激を受けることにおいては最高の楽しみだろう。
しかし、室内的な空間でワーグナーの壮大なドラマが矮小化されてしまうのも事実だろう。

ベルリンにおいては、昨年のヘアハイム演出よりは上位だとの見方のようですが、さていかに。

画像と動画はすべてベルリン国立歌劇場のサイトからお借りして引用しております。

Alle Bilder und Videos stammen von der Website der Berliner Staatsoper


  ワーグナー 楽劇 四部作「ニーベルングの指環」

   クリスティアン・ティーレマン指揮

    ベルリン国立歌劇場管弦楽団

Rg

 

  「ラインの黄金」

ウォータン:ミヒャエル・フォレ  ドンナー:ラウリ・ファサール
フロー :シャボンガ・マキンゴ  ローゲ:ロランド・ヴィラソン
フリッカ:クラウディア・マーンケ フライア:アンネット・フリテッシュ
エルダ :アンナ・キスユジット    ファゾルト:ミカ・カレス
ファフナー:ペーター・ローゼ   
アルベリヒ:ヨハンネス・マルティン・クレーンツェル
ミーメ :ステファン・リューガメーア   
ウォークリンデ:エヴェリン・ノヴァーク 
ウェルグンデ:ナタリア・スクリッカ 
フロースヒルデ:アンナ・ラプコプスカヤ

                      (2022.10/2)


Wa_20221020092001


 
 

   「ワルキューレ」

ジークムント:ロバート・ワトソン 
ジークリンデ:ヴィダ・ミクネヴィチウテ 
フンディンク:ミカ・カレス    
ウォータン:ミヒャエル・フォレ

フリッカ:クラウディア・マーンケ 
ブリュンヒルデ:アニヤ・カンペ
その他ワルキューレのみなさん

                    (2022.10.3)

Sie

  

 「ジークフリート」

ジークフリート:アンドレアス・シャガー 
ミーメ:ステファン:リューガメーア
さすらい人:ミヒャエル・フォレ 
アルベリヒ:ヨハンネス・マルティン・クレーンツェル
ファフナー:ピーター・ローゼ  エルダ:アンナ・キスユジット
ブリュンヒルデ:アニヤ・カンペ      
森の小鳥:ヴィクトリア・ランデム

                             (2022.10.6)

Gott

  

  「神々の黄昏」

ジークフリート:アンドレアス・シャガー  ブリュンヒルデ:アニヤ・カンペ
グンター:ラウリ・ファサール       ハーゲン:ミカ・カレス
アルベリヒ:ヨハンネス・マルティン・クレーンツェル 
グルトルーネ:マンディ・フレドリヒ       
ワルトラウテ:ヴィオレッタ・ウルマーナ     
第1のノルン:ノア・ベイナルト      
第2のノルン:クリスティーナ・スタネク 
第3のノルン:アンナ・サミュエル   
ウォークリンデ:エヴェリン・ノヴァーク 
ウエルグンデ:ナタリア・スクリッカ  
フロースヒルデ:アンナ・ラプコプスカヤ
エルダ:アンナ・キスユジット     ウォータン:ミヒャエル・フォレ

                      (2022.10.9)


神々の黄昏でカーテンコールに出てきたチェルニアコフに対し、盛大なブーイングがなされていたけれど、音楽面ではティーレマンのそれこそ壮大な指揮が実に素晴らしいと思った。
聴きながら、腰を低く構え、両腕を開きつつ指揮棒の丸い持ち手を揺らしながらも、堂々としたティーレマンの指揮ぶりが脳裏に浮かんでしようがなかった。
ともかくテンポがじっくりで、揺るがせにしない巨大な音楽が終始鳴り響く。
いろんなモティーフがじっくりと歌われるし、弦楽のいろんな刻みもこんなに克明に弾かれると驚きの効果を生むし、こんな風になってたのかと聴いていて驚くか所もたくさんあった。
それでいて、緻密で細やかな配慮にもことかかず、音楽はときに繊細ですらあった。
若い頃には唐突なパウゼがいかにも不自然だったが、いまや舞台の進行や人物たちの心理にも寄り添うように、ときおり起こすタメはとても音楽的だった。
ワルキューレ2幕のウォータンの、終末を望む強い言葉「Das Ende」を繰り返すが、そこにあったパウゼは、これまで聴いたワルキューレのなかで、一番、最大に長かったし、緊張の瞬間でもあった。

演奏時間が演奏の良しあしではないが、ティーレマンのリング演奏時間の違いは過去演と比較するととても大きい。
ウィーンでのリングを持っていないので、バイロイトでの演奏家から、2008年の正規盤でなく、2006年の手持ちライブで比較。

           2006年      2022年

ラインの黄金    2時間30分     2時間47分 

ワルキューレ    3時間42分     3時間53分

ジークフリート   4時間1分       4時間5分

神々の黄昏     4時間25分     4時間42分

年齢を重ねてテンポが伸びるのはよくあるが、ティーレマンの演奏はより中身が濃くなっていると同時に、音楽の繊細さも増していると思う。
ラインの黄金と黄昏における長大さは、今回のドイツの評でも指摘されていた。
オーケストラもこらえ切れない場面も散見されたが、ティーレマンの指揮にベルリンのオケも聴衆も間違いなく魅了されたことだろう。
バレンボイムのあともありだ!

このティーレマンの指揮に、微に入り細に入りぴたりと符合するように繊細で細やか、そして滑らかな語り口で、きっと演技にも巧みに合わせていたであろうウォータンがフォレ。
この滑らかかつ饒舌なフォレと丁々発止と絡むのが、マイスタージンガーでもいつも共演しているクレーンツェル。
このアルベリヒの巧みさも文句なしで、神々の黄昏ではすっかり老いてしまっているのも歌でよくわかるほどの演技派。

思えば、イゾルデ、クンドリーとシャガーとともに共演し、そこでもバレンボイム&チェルニアコフだったのが、アニヤ・カンペのブリュンヒルデへの挑戦。
背伸びした役柄でもあるが、彼女らしく繊細・細やかな歌い口で、静かなシーンではとても感動的で、父娘の会話などフォレの名唱とともになかなかに感動的だった。
しかし、ジークフリートと黄昏のラストではかなり厳しい局面となってしまった。
 一方の相方のシャガーはジークフリートにもすっかりなじんで、天真爛漫そのもの。
トリスタンの映像でも、今回のジークフリートの映像の一部でも、チェルニアコフの指示だろうけど、ずいぶんとファンキーな動作をしていて笑える。

ハーゲンをはじめ、リングの悪方3役を巧みに歌ったカレスは、声が明るめなバス。
ローゲに果敢に挑戦した新境地打開のヴィラソンさん、声に灰汁が濃すぎて、見た目のげじげじさんも不評だったようだが、私は応援したい。
小柄なリトアニア出身のジークリンデ、ミクネヴィチウテさん、すてきな歌唱だった。
好きなメゾ、マーンケさんのフリッカも安定感あるうまさ。
ジークムントのアメリカ人テノールは、そのお声がアメリカンすぎる歌いまわしで不評、でもわたしは今後よくなると思った。
ミーメのリューガメーアはまさに職人気質の性格テノールで実によろしい。

歌手はやはりリンデン・オーパーなだけにコネクションの豊富さもあり、ドイツ・オペラに比べると充実の極み。

ともかく、歌手のみなさん、たいへんです、お疲れ様です、といいたい。

リンデンオーパー、日本にバレンボイムとなんどもやってきてくれた。
その前、スゥイトナーの時代にも、数限りなく来日してくれた。
ふたりの監督のオペラやオケ公演を幸いにして何度か接することができたが、もしかしたらこの先、ティーレマンとの来演となるのだろうか。
ドレスデンの指揮者が、かつてはコンヴィチュニーやスゥイトナーのようにベルリンでも長く活躍する、そんな先達のなおれのように、ティーレマンも受け継ぐのだろうか。

バイロイト以外のドイツのワーグナーの演奏史はこうして受け継がれていくことに、安堵している。

| | コメント (0)

2022年8月 7日 (日)

バイロイト ブーイング史

Bayreuth

絶賛開催中のバイロイト音楽祭。

3年ぶりにフルスペックでの通常開催。

しかし、目玉のひとつ、新演出の「ニーベルングの指環」が賛否両論の大炎上。

4夜を聴き終え、各幕では歌手を讃えるブラボーが飛び、4作すべての終幕では総合的な評価として激しいブーイングが浴びせられました。

73年頃から聴きだしたバイロイト音楽祭の放送、今年ほどの激しいブーはちょっとなかった。

ということで、70年代以降の放送のみから記憶する、バイロイトのブーイング史をたどってみるという企画です。

激しさは別、年代順のブー記録。

①「タンホイザー」1972年 G・フリードリヒ演出 ラインスドルフ指揮

Thumb_17371_gallery_medium

 東ドイツ圏から登場のフェルゼンシュタイン系の演出家フリードリヒは、当時は先鋭で、巡礼者にナチスを思わせる軍服を着せ、これが盛大に炎上した。
音楽面でも数十年ぶりに復帰したラインスドルフが不調で、こちらも不評で、シュタインに初年度から変わった。
1951年のハルトマン以来の外部演出家、エヴァーディングが穏当なオランダ人で、その次に来たのがフリードリヒ。
あとのローエングリンは絶賛され、パルジファルは、ワーグナーの血をひかない演出家による初のものだったが、さほどに批判もされず。
でも指揮のレヴァインは嫌々指揮してたとかのエピソードあり。

②「ニーベルングの指環」1976年 P・シェロー演出 ブーレーズ指揮

Boulez_ring_20220807160701

これこそ、バイロイトの最大のブーイングを浴びたプロダクション。
産業革命時代にしたその舞台、時代設定を動かしたことも、もしかしたらバイロイト初だし、当時先端を行ってたドイツの演出でも斬新。
しかし、70年代から、新バイロイト様式への反発がドイツ各地で生まれ、カッセルなどでは目を見張る演出が行われつつあった。
そんななか、シェローが、こともあろうにバイロイトで、しかもバイロイト100年という記念の年にやってしまった。
抽象的かつ簡潔を旨としたバイロイト様式と、すべて真反対の具象化、時代置き換え、大げさかつリアルな演技がシェロー演出。
肩車した巨大なリアル巨人や、残虐なまでの殺害シーン、アルベリヒは指ごと切られ血しぶきが舞う。
当時の穏健な演出になれた聴衆には、戸惑うことばかりだし、よりによってそこは聖地バイロイトだった。
シェローを強く推して、ウォルフガンク・ワーグナーを説得したブーレースの指揮も準備不足で、スコアを追うのに精いっぱい。
有名な話ですが、団員がふざけてブルッフのヴァイオリン協奏曲を弾いても、指揮者はわからなかったとか。
そんなことで、4夜すべて録音しながら年末を過ごした、当時の大学生だったワタクシは、初めて聴くブーイングの激しさに驚いた。
なんでも、黄昏の終演では、客同士が小競り合いを起こし、警察も出動したとか。
バイロイトの当主、ウォルフガンクにも非難があつまり、シェローに「指環から手を引かせる」会みたいなのが組織され、抗議活動がなされた。
しかし、シェローは、演出を少しずつ改善し、ブーレーズも瞬く間にリングを手の内にして、楽員を関心させてしまった。
年を追うごとに、ブーは鳴りを潜め、ブラボーが勝るようになり、最終年度は完璧に出来上がったプロダクションとなった。

このシェロー&ブーレーズのリングは、バイロイトが戦後の新バイロイト様式と決別し、本来のワーグナーが目指した実験劇場としての存在に、再び、新バイロイトの精神と同じように立ち返った画期的な上演となりました。
こうしたターニングポイントには、当然ながらブーイングはつきものだろう。

③「さまよえるオランダ人」 1978年 H・クプファー演出 D・R・デイヴィス指揮

Flyingdutchmanbayreuth-1

東側から社会派演出家クプファーの登場と、黒人歌手エステスの登場で話題になった。
初版の救済のないバージョンで、ゼンタの精神分裂的な妄想として描いた斬新な演出で、荒々しい初版の音楽とともに、初年度は観客の拒否反応にあった。
しかし、クプファーはこれで西側でも高名になり、数々の名舞台を作り上げるようになる。

④「ニーベルングの指環」 1883年 P・ホール演出 ショルティ指揮

Hqdefault-1

シェロー演出の反動のように、ト書きに忠実に、ロマンティックなリングを目指した、フレンチ組に対するブリテッシュ組のホール演出。
一糸まとわずプールで泳ぐラインの乙女たちを巨大な鏡に映しこんだりと、大がかりな仕掛けが話題を呼んだが、ドラマへの求心力不足は否めなかったとの評が多い。
ピットを覆う天井を取り払い、直接的なサウンドを狙ったショルティの試みだが、劇場の優れた音響を活かしきれず、格闘するショルティがオケを煽るようにして、今聴いてもやたらと速くてせわしない。
ベーレンスのブリュンヒルデが大輪の花を咲かせた。

⑤「ニーベルングの指環」 1988年 H・クプファー演出 バレンボイム指揮

Wk-barenboim-1

レーザー光線を巧みに使い、SFタッチ、近未来的な社会派ドラマを作り上げたクプファーの凄腕。
初年度は聴衆の戸惑いと、バレンボイムの指揮の空転ぶりがブーを浴びた。
それ以降はシェローと並ぶ、ワーグナー兄弟以降の最高のリングのひとつと評されている。

⑥「パルジファル」 2004年 シュルゲンジーフ演出 ブーレーズ指揮

Bay2007parsifal1

あらゆる宗教の神々を登場させ、アフリカの土着宗教までもが表現されたらしい。
ウサギが腐り、う〇がわく様子を映像で見せたりと、ともかくパルジファルからキリスト教的な神聖なものをすべて洗いざらい捨て去ることが主眼だった様子。
この演出、映像はおろか、舞台写真も少なめ。
とんでもないブーと口笛ピーピーの応酬。
 ブーレーズはそんな舞台はどこ吹く風、30年以上前のヴィーラント演出時の演奏とまったく変わらないところが恐ろしい。
このプロダクションは4年で引っ込められた。


⑦「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 2007年 カタリーナ・ワーグナー演出 ヴァイグレ指揮

Meistersinger_160709_383_3akt_enriconawr

ワーグナーのひ孫の初バイロイト演出で、なにかやってやろうという意欲が空回り。
美術学校を舞台に、妙な性描写、デフォルメされた顔人形など、客観的にもその意図が混迷。
ザックスとワルターとに保守と革新を代弁させ、バイロイトとワーグナー家の行く末なども暗示か。
お馴染みのヴァイグレさんも、だんだんよくなったし、フォークトという歌手がここから新たなワーグナー歌手として活躍するようになった。

⑧「ローエングリン」 2010年 ノエンフェルス演出 ネルソンス指揮

Lo2011c

お騒がせオジサン、ノイエンフェルスの遅すぎたバイロイト登場。
ネズミ王国、しっぽとハゲ鬘にお笑いを誘いつつ、飼いならされる群衆=ネズミ軍団、おどおどした独裁者の王様、エルザとオルトルートの均一性などを巧みに描き、そこに迷い込み脱出を試みたローエングリンや、キモイ跡継ぎなど、情報過多に初年度は理解不能で笑いとブーが。
指揮と歌手は、絶賛。

⑨「タンホイザー」 2011年 バウンガルテン演出 ヘンゲルブロック指揮

Bronlinepublikationab1020102101782011072

これは観た瞬間にアカンと思った。
第一、キモイ。
ヴェーヌスの妊娠、爬虫類の登場、化学薬品の工場、バイオハザードなタンホイザーなんてクソだった。
1回見ただけでもう勘弁。
ヘンゲルブックもすぐに降りてしまった。
4年で打ち切りの刑。

⑩「ニーベルングの指環」 2013年 カストルフ演出 ペトレンコ指揮

Rheingold2013bayreutherfestspiele104_vim

ペトレンコの指揮にのっけから注目が集まり、その指揮と強靭かつビビッドな音楽は絶賛。
しかし、ラインの黄金から、アメリカのR66沿いのSSやラブホが舞台の猥雑さ、通じて石油をリングに見立てたような設定で、社会主義の限界資本主義の矛盾など、ワーグナーの音楽の本質からはずれたイデオロギーをぶち込もうとして失敗した感じ。
4作が脈連なく感じたのも、逆に面白く、4作が別々でもよかったモザイク的なリング。
ペトレンコの指揮がもったいなかった。

⑪「タンホイザー」 2019年 T・クラッツァー演出 ゲルギエフ指揮

Tannhuser01

クラッツァーの前歴を知ってたので危ぶんだが、これがまた実に面白かった。
タンホイザーにLGBTや階級格差、自由への渇望などを巧みに盛り込んだ演出で、それこそ、今風で、かつ映像を巧みに用いたDVD・動画を意識した演出だった。
めっちゃ面白かったけど、でもこれ、タンホイザーじゃないんじゃね?とも思った次第。
忙しすぎのゲルギエフの練習不足もたたり、ゲルギーも批判され、なかば追い出されるようにして首になってしまった。

⑫「ニーベルングの指環」 2022年 シュヴァルツ演出 マイスター指揮

Rheingoldbayreutherfestspiele114__h558_v

コロナで苦節2年の順延、しかも、予定のインキネンもコロナでこけてしまい、練習も2週間もないままに、マイスターが担当。
待ちに待った「リング」の聴衆の反応は、シェロー以来の、いやそれ以上のブーイングを浴びた。
「黄昏」のみが映像化され、ドイツ国内限定で視聴が可能。
工夫して観ることも出来なくはないが、どうもそんな気もしないし、4部作全部を観ないと、その演出意図もわからないだろう。
画像と海外評のみから読み解くのも、今回の33歳の若いシュヴァルツ演出はそうとうに入り組んでるし、伏線やギャグもやたらと多そうだ。
演出家いわく、ネットフリックス風としたように、画像はまるでアメリカのファミリードラマ風で、衣装も原色だったりキラキラ系だったりで、神々や巨人の姿は造像できないし、ハーゲンなんて黄色いポロシャツ1枚のカジュアルぶりだ。
また本来は登場してこない人物も、平気で出てくるし、写真からは推し量ることができない。

「パルジファル」が、いまやその神聖性をはく奪されてしまったように、シュヴァルツは、「リング」から、あらゆるリング的な要素をすべて消し去ることをしたのではないか、と思う。
ライン川、黄金、槍、剣、炎、森・・・・なにもないらしい、ワーグナーが微に入り細に入り散りばめたライトモティーフは、なにを意味するのか、この舞台ではまったく意味をなさずに鳴り響いたのだろう(か?)
ウォータンが手にしたたのは槍じゃなくてピストル。
ジークフリートは防弾チョッキ着てるし、ブリュンヒルデを守る愛馬グラーネは、ピストルもった男だった。
ワルキューレたちは、美容整形に夢中で、鼻・あごなどを整形中で包帯まきながら、みんなスマホに夢中ww
アルベリヒはラインの黄金では、少年を誘拐し、きっとこれが4部作を通じる「子供」がキーポントなんだろうと想像。
黄昏のラストシーンも、そこに落としどころがあるらしい。

はたして、このシュヴァルツ演出が、半世紀前のシェロー演出のように名舞台として今後受け入れられるだろうか。
もしくは、実験で終わるのだろうか。
どちらになるにしても、ブーイングを覚悟に、こうした演出を聖地に持ってきたワーグナー家の末裔、その姿勢は正しく勇気があると言えるだろう。

指揮のマイスターにもブーイングは容赦なかった。
ときに揺らしたり、伸びたりといった場面はあったが、もしかしたら舞台の進行に合わせてのことだったかもしれない。
わたしは、面白く新鮮に聴いたがどうだろう。
お馴染みのブリュンヒルデを歌ったテオリンさまにもブーが。
強烈なくらいに巨大な声は相変わらずだが、今回は言語不明瞭と非難された。
指揮者の交代があったように、歌手も急な交代がいくつか。
ワルキューレでウォータンのコニュチュニーが椅子からこけて、ギャグかと思われたが、怪我をして3幕はカヴァーだったグンター役が登板。
めっちゃ張り切ったけど、ラストの告別シーンで失速。
神々のジークフリート、超人グールドが体調を壊し、これもカヴァー役のヒリーに交代し、彼は見事に歌った。
ベルリン・ドイツ・オペラのヘアハイムのリングでのジークフリートだった彼。
ウォータンで活躍したドーメンがハーゲンで復帰し、その暗めの声が実によかったし、シャガーのジークフリートが実に素晴らしい出来栄え。
歌手は、総じてよかったが、あの演出で細かな演技をしながらと思うと、昨今のオペラ歌手はたいへんだな、と思う次第だ。



ここに書いたものは網羅できませんでしたが、激しいブーを動画にまとめてみました。

ちょっと疲れる10分間ですが、今年はことにすごい。

ブーも疲れるだろうに・・・・

| | コメント (0)

2022年7月30日 (土)

ワーグナー トリスタンとイゾルデ ポシュナー指揮バイロイト2022

Marunouchi-1

ある日のビルとビルの間から見た青空、そして街路樹の緑がうまく取り囲むようにしてうまく撮れた。

半世紀前なら、こんなお洒落で自然豊かな通りではなかった丸の内の中通り。

7月25日にプリミエを迎えたバイロイト音楽祭。

「トリスタンとイゾルデ」の舞台画像をみて、自分が写した写真を思い起こした次第。

画像はすべてバイエルン放送より拝借してます。

Tristanundisoldebayreutherfestspiele162_

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

    トリスタン:ステファン・グールド
    イゾルデ :キャサリーネ・フォスター
    マルケ王 :ゲオルグ・ツェッペンフェルト
    クルヴェナール:マルカス・アイフェ
    ブランゲーネ :エカテリーナ・グバノヴァ
    メロート :オラフール・シグルダルソン
    牧童   :ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
    舵手   :ライムント・ノルテ
    若い水夫 :シャボンガ・マキンゴ

  マルクス・ポシュナー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
               バイロイト祝祭合唱団
      合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ

      演出:ロラント・シュヴァーブ
      装置:ピエロ・ヴィンチグエッラ
      衣装:ガブリエーレ・ルップレヒト

          (2022.7.25 @バイロイト)

バイエルン放送協会により、ネット同時放送がされ、すぐさまにストリーミング配信もされたので、即日に効くことができました。

音質の良さは、申すまでもなく、ドイツの放送局のネット配信はどこも質が高く、ひとつも乱れることなく聴くことができる。

まいどのことですが、こうして毎夏、バイロイトの音をすぐさまに聴くことのできる幸せは、昔だったら考えられないこと。

コロナ禍により、2年前、新演出上演される予定だった「リング」が中止となり、昨年もコロナで準備も整わず順延。
もともと予定されていた「トリスタンとイゾルデ」と、延期になった「リング」通し上演が今年2022年の目玉となりました。
このふたつの大きな作品を新演出しようとカタリーナ総裁をはじめ決意できたのは、パンデミックの温床となってしまう合唱団の登場が少なめだっただからとか。

それでも一波乱あり、リングのインキネンはコロナで出演不可となり、トリスタンの指揮予定のマイスターがリングに。
急きょ、穴の開いたトリスタンを指揮したのがポシュナーでしたので、今年は新演出への注目と、2回のリハーサルで挑んだポシュナーの指揮に注目が集まりました。

ミュンヘン生まれのポシュナーはドイツとオーストリアを中心に、多くのオーケストラとオペラハウスで活躍してきた指揮者で、アーヘンの歌劇場、スイス・イタリア語放送オケ、リンツ・ブルックナー管などのポストを歴任。
地味だけど、手堅い実力者で、パルジファルと使徒の饗宴を組み合わせたCDや、全集進行中のブルックナーの一部を聴いたことがある。

前奏曲が始まると、最初は燃焼不足ながら、すぐにいい感じになってきて、自分的にはいい速度を保ちつつ、余剰なタメは少なめ、適度なうねりも効果的で、幕が開いて水夫、そしてイゾルデが歌いだすと、オーケストラの音たちは舞台上のドラマ・歌手の歌と均一化して一体化して全3幕、最後までだれるところが一切なく、息も切らさず集中して聴くことができた。
テンポも走りすぎることなく、適切だし、ここはというときの爆発力も備えていて万全。
オーケストラだけでも、今回のトリスタンは、わたしは成功だと思う。
このよきトリスタンが、今年は2回しか上演されないのももったいないと思う。

40度近くになったドイツの猛暑のなか、歌手たちは体調管理も大変だったであろう。
主役級で、一番安心して聴けて安定してたのがツェッペンフェルトのマルケ。
この美しくも深く、滋味深い声は、年々よくなると思う。
いまや最高のマルケであり、グルネマンツだ。

アイフェの友愛あふれるクルヴェナールも、このバリトンにあった役柄だけに素晴らしく聴けた。
今年は、トリスタンとタンホイザーでグールドとのコンビだ。
クルヴェナールの死は、なかなかに泣かせました・・・

Tristanundisoldebayreutherfestspiele168_

カストルフのリングでブリュンヒルデをすべて歌ったイギリスのフォスターも、かつてのグィネス・ジョーンズに次ぐブリテッシュワーグナーソプラノとして、わたしの好きな歌手で、イゾルデに回った今年も、疲れを見せぬ安定した歌唱でした。
彼女のTwitterをフォローしたら、気軽に返してくれて、どこでいま何を歌っているかがわかり、身近な存在となりました。
今年のイゾルデの舞台写真をみたら、なんだか前首相メルケルさんに似てるな・・と思ったり。

Tristanundisoldebayreutherfestspiele164_

対するグールドの八面六臂の活躍ぶり。
トリスタンを2回、タンホイザーを4回、黄昏のジークフリートを3回!
今年60歳になったグールド、その疲れを知らぬ力強さと親しみやすさを持った声は今年も健在で、このタフマンにバイロイトは本当に救われていると思う。
しかし、贅沢な欲をいえば、聴き慣れすぎて、トリスタンの声には、若々しさをともなった、孤独と気品をさらに求めたい気も。

グバノヴァのブランゲーネも悪くなくて、フォスターとの声の対比と、イゾルデの反面的な存在意義も、よく出ていた。

ほかの端役諸氏は、年々知らない名前が連ねるようになった。
そしてなかなかの多国籍ぶり。

歌もオケも、充実のトリスタン、ちょっと褒めすぎかな。

しかし、驚くべきことに、「愛の死」がまだ鳴り終わってないのに、聴衆からは拍手が巻き起こってしまった・・・・・・

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ブーイングのない新演出って、もう何年振りだろうか。
1幕からブラボーが飛び交い、終幕は前段に述べた通りのありさま。

それだけ、よけいなことをしなかった、シュヴァーブ演出は、写真だけ見るとなかなかに美しく幻想的な「トリスタン」で、聴衆は思わず、こんなの待ってましたとばかりに熱狂したのでしょうか。

写真だけで批評はできませんが、いくつかの断片や、ニュース映像、ドイツ各紙の反応などを見ると、いずれも好評で、「星・波・色」の3要素を巧みに使い悲劇でなく、また分断でもなく、愛のある未来を描いたようだ。

Tristanundisoldebayreutherfestspiele158_

最初の3幕の画像にあるリングのようなものは、最初から据えられていて、2幕では、恋人たちはここに水が満たされて飲まれてしまう。
恋人たちを上からのぞき込む若い男女、イゾルデの愛の死の後には、年老いた男女の恋人がこれを見守る・・・といった風なことを読みました。
なんか、美しいと思う。
コロナで世界中の人々の心は荒んでしまった。
リングは、嫌な予感もしなくもないが、いまオペラの演出は、妙にこねくり回し、解釈を施すより、心に響くもの、そんな愛のあるもの、ワーグナーの音楽に満ち溢れるものにして欲しいものだ。

Tristanundisoldebayreutherfestspiele160_

これは、メロートの刃を見立てたネオン管が降りてきて・・・という2幕のシーン。

暑いけど、とんでもなく暑いけど、ワーグナーは最高だ💓

Marunouchi-2

今年のバイロイトでは、スタッフか関係者で、性被害だが差別だかが行われたとかなんとかでもめたらしい。

世界はほんと、そんなことばかりだし、告発や被害仕立てもSNSであっというまに拡散し炎上する。
もう、そうしたようなことも飽きたし、やめて欲しい。
静かに過ごしたいし、目にもしたくない。

バイロイト音楽祭の終盤は、ネルソンスによりオーケストラコンサートが2回あり、ここでは、オランダ人、タンホイザー、トリスタンの断片が演奏されるが、歌手はフォークトとフォスター。
フォークトのトリスタン(2幕)が聴ける。

来年のバイロイトは、パルジファルの新演出が、カサドの指揮、カレヤのタイトルロールで。
タンホイザーの指揮に、ふたりめの女性指揮者ナタリー・シュトゥッツマン。
シュトゥッマンは、歌手から指揮者となり、こんどはアトランタ響の首席にもなることが発表され、各オペラハウスでもその活躍が著しい。
はやくも、来年も楽しみなバイロイト。

| | コメント (4)

2022年7月20日 (水)

ワーグナーの夏、音楽祭の夏、はじまる

Shonandaira-07

平塚市の大磯町との境目にある「湘南平」。

5月でしたが、ほぼ半世紀ぶりに行きました。

戦時中には、B29をねらう高射砲が据えられたが、平塚大空襲のときに爆破されてしまった。

いまでは、恋人たちが、ここに鍵を結ぶ平和なデートスポットになっていて覚醒の感があります。

子供時代、わたしの住む隣町にも防空壕が多くあり、怖いけどもぐったりしたものですが、これは予測された米軍の相模湾上陸に備えてのものだと大人になってわかり、身震いがしました。

Shonandaira-01

目を東京方面に転じると、江の島と三浦半島が見えます。

手前は烏帽子岩に、平塚港。

天候不順なれど、夏来たり、そして国内外に音楽祭の季節。

悲しみと不安のなかにありますが、音楽界は平常運転で、夏がめぐってきました。

ヨーロッパ各地は現在、記録的な猛暑にみまわれ、イギリスでは40度を記録・・・

Wagner-bayreuth-2Wagner-bayreuth-1

夏の音楽祭といえば、わたしにはバイロイト

初めて買ったワーグナーのレコードが、突如として現れた「ベームのリング」。
そのときの予約特典が、2枚組のハイライト盤で左の画像。
そのあと、フィリップス社が既存の名盤、サヴァリッシュのオランダ人、タンホイザー、クナッパーツブッシュのパルジファルをセットにして発売。
そのときのサンプラー廉価盤が右の画像。
このとき、はじめて世評高い孤高の名盤とされた「クナのパルジファル」に接し、さわりだけだったけど、神々しい感銘を受けたものです。

こうして、ともかく私のワーグナーはバイロイトあってのもので、年末に放送されるNHKの放送を必死に録音し、あの劇場のサウンドを脳裏に刻み付けてきました。
年末でなくとも、リアルタイムでバイロイトの現地の音や映像がすぐさまに確認できるようになった現在。
コロナで変則的な上映が続いたここ2年、今年はフルスペックで予定通りの上演になるかと思いきや・・・・

2022年の上演作品は、新作が「トリスタンとイゾルデ」と「リング」、再演が「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」ということで、新演出が2本と前期ロマンテックオペラ3作が揃って上演されるという珍しい年となりました。

2020年に予定されたプリミエから2年経過してとうとう上演される、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出による「リング」。
指揮者のインキネンがコロナにかかり、オーケストラとのリハーサルがろくに出来ずに降板。
つくづくインキネンはついてない。
代わりに、トリスタンを指揮する予定のコルネリウス・マイスターがリングの任に当たることに。
マイスターは、シュトットガルト歌劇場の音楽監督として、リングを手掛けており、同劇場のサイトで、ピアノを弾きながら楽曲解説を行うマイスター氏を確認しましたが、わかりやすい解説と明快なピアノ演奏に驚きましたね。
読響の首席客演時代はパッとしなかったみたいですが、劇場叩き上げ的な指揮者として、シュタイン、シュナイダー、コバーなどと同じく、バイロイトを支える職人指揮者のようになって欲しいものです。

リングに移ったマイスターの代わりにトリスタンの指揮者に選出されたのは、マルクス・ポシュナー。
ポシュナーはミュンヘン出身で、現在リンツ・ブルックナー管の指揮者で、全曲録音も進行中。
ブルックナーの専門家みたいにしか思われてないけど、手持ちCDで、アーヘンの劇場との録音で、パルジファルと使徒の愛餐がありました。
はたして、いかなるトリスタンを聴かせてくれましょうか。

指揮者では、オランダ人はリニフ、タンホイザーはコバー、ローエングリンはティーレマンと盤石。

歌手は、変動多くて、ウォータンとオランダ人を歌う予定のルントグレンが降りて、前者はシリンスとコニチュニーに、オランダ人はおなじみのマイヤーに。
 ステファン・グールドがかつてのヴィントガッセン級の八面六臂の大活躍で、トリスタン、ジークフリート(黄昏)、タンホイザーを歌うタフマンに。
あと、フォークトは、ジークムントとローエングリン。
シャガーがジークフリートに。
 イゾルデを長く担当したテオリンがブリュンヒルデ、前のリングのブリュンヒルデを歌ったフォスターがイゾルデ、と言う具合にステキなクロスも楽しみ。

演出はどうなんでしょうね。
こんな風に、始まる前から妄想たくましくして記事が書けるのもバイロイトの楽しみです♬

Proms2022

バイロイトと並んで、わたくしの夏を飾る音楽祭がイギリスの「Proms」

約2か月間にわたって、ロンドンの巨大なロイヤル・アルバート・ホールで催されるフレンドリーな音楽祭。

イギリス全土のBBC局をつなぐので、ロンドン以外の各地の面白いコンサートを、極東の日本でも居ながらにしてネット空間で楽しむことができる。

でも主流はアルバートホールでの演奏会で、今年、わたくしがチェックしたものは、「オラモ&BBCのヴェルレク」がファーストコンサート。
大活躍のウィルソンの英国音楽の数々、セシル・スマイスのオペラ「漂流者たち」をティチアーティのグラインドボーンメンバーで。
ヤマカズ&バーミンガムで、スマイスとラフマニフ2番。
エルダー卿とハレで、プッチーニ外套、ロイヤルフィルによる日本人作曲家の一日、ダウスゴーのニールセンシリーズ、ラトル&LSOの復活、ガードナーのゲロ夢、ペトレンコ&BPOのマーラー7番、シフによるベートーヴェン後期ソナタ、セガン&フィラ管のエロイカ、バーバー、プライス、スタセフスカヤのラストナイト。

10月末には、スタセフスカヤ&BBCで、proms2022Japanが開催されます。
プログラムは自分的にはイマイチだけど、ニッキーがやってくるので、行きたいな。

promsは、BBCのネット放送で、すべてストリーミング再生可能です。

オラモ&BBCのヴェルディのレクイエムを早くも聴きました。
タイミングがタイミングなだけに、深刻な面持ちで聴きましたが、極めて純音楽的でカチっとした演奏。
ただ歌唱陣は自分には今ひとつ。
ソプラノ歌手がドラマテックさはよいとしても、言語不明瞭な感じで不安定で、ムーディだった。

こんなこと言ってはサイトの存続すら危うくなりますが、Promsの今年の画像ひとつとっても、ここにうかがわれるのは、「多様性」。
BBCはアメリカの各局と並んで、こうしたジェンダー的なことに、そうとうにこだわりぶりを見せてます。
極東の小さな町で、世界につながったネット放送を聴く自分が偉そうなことは言えませんが、半世紀以上音楽を聴いてきた自分の耳を信じたいと思った。
なにが優先されるのか、なにが大切なのか・・・・
私は、とんでもないことに言及しているかもしれません。

Salzburg

相変わらず豪華ザルツブルグ音楽祭

フルシャ指揮のカーチャ・カバノヴァ(コスキー演出)、アルティノグリュー指揮のアイーダ、クルレンツィスの青髭公、ヴィラソン演出(?)のセビリアの理髪師、メスト&グレゴリアンのプッチーニ三部作、マルヴィッツの魔笛、ルスティオーニ指揮のルチアなどなど。
どれも映像付きで観たい聴きたい。

オーケストラ演奏会も豪奢ですので、オーストリア放送のネット配信がどれだけあるか楽しみではあります。

Exp


現在開催中でもうじき終わっちゃうのがエクスアン・プロヴァンス音楽祭

サロネンの舞台付きマーラー復活、サロメ、イドメネオ(日本人スタッフ)、ロッシーニのモーゼとファラオ、ポッペアとオルフェオのモンテヴェルディ2作、ノルマ、ベルリオーズ版オルフェオとエウリディーチェ

夏の後半はルツェルン音楽祭
アバドから引き継いだシャイーは、今年はラフマニノフ2番とマーラー1番。
フルシャがこのところ、ルツェルンでドヴォルザークをシリーズ化して、今年は新世界。

Bregenz

湖上の祭典、ブレゲンツ音楽祭では、ウィーン交響楽団が主役。
蝶々夫人、ジョルダーノの珍しいオペラ「シベリア」、ハイドンのアルミーダ。
湖上の蝶々さん、なんかステキそうですが、ここの演出はいつもぶっ飛んでるからな。
演出はホモキだから、まあ大丈夫か、見たいな。

アメリカへ渡ると、ダングルウッド
ボストン響とネルソンスの指揮が主体ですが、毎年、オペラをコンサート形式で取り上げます。
今年は、ドン・ジョヴァンニ。
ネルソンスがふんだんに聴けるのがこの音楽祭前半で、ハルサイ、ガーシュイン、ラフマニノフ3番など、いずれもネット配信されます。
録音も抜群にいいのが、ボストン響やタングルウッドのライブの楽しみです。

日本ではサマーミューザ
聴きに行きたいけど、突然行くパターンにしないと、ほんとに行けない昨今のパターン。

Bayreutherfestspiele2022

悲しい事件はあったけど、暑さに負けるな、コロナなんて〇〇っくらえ、仕事も頑張れ。夏は音楽祭だ、ワーグナーだ!

| | コメント (0)

2021年12月 6日 (月)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ベルリン・ドイツ・オペラ 2021

Momijidani-a

東京タワーの横にある「もみじ谷」公園にて。

今年は青空がやたら青くて、いまのところ連日の晴れ。

赤が映えます。

Re
             (ラインの黄金~ローゲと神々のみなさま)

ベルリン・ドイツ・オペラの新しい「リング」が、昨年から始まって、11月に完了。
RBB(ドイツのネット放送)で、全4部作を高音質で聴くことができた。

ベルリン・ドイツ・オペラのリングといえば、われわれ日本人が通しリングを始めて体験した、ゲッツ・フリードリヒのトンネル・リングが長らく定番として上演されてきました。
それに代わる「リング」
コロナの影響を受けて、「ワルキューレ」のみ2020年、ほかの3作を2021年に相次いで上演して新リングを完成させました。

演出は、人気のステファン・ヘアハイムということもあり、4部作は映像収録され、来年に発売されるそうだ。
お値段次第でポチっとするかもしれないけど、トレーラーを見てなんともいえない気分になるのは、昨今の演出のありがちなこと。
全部見なくちゃわからんが、正直言って、ギャグ満載のリングのパロディ化か・・・・
いや、面白いよ、きっと。。。たぶん・・・・

各役柄にいろんな意味を持たせる手法、それが観劇すれば説得力を持って、劇のなかで大きな流れのなかのパズルのひとつになる。
そうなれば、万々歳なんだけど・・・・ヘアハイム・リングはどうなるだろうか。

Wa
    (ワルキューレ~夫婦喧嘩を見守る群衆、盾もお笑い)

音だけで4部作を聴いての悪印象は、登場人物の歌以外に発する声。
うなり声、叫び声、笑い声、それも下卑たヒヒヒだったり多数・・・、音だけで聴いてると、正直、音楽の感興を阻害することとなる。
で、舞台写真やトレーラーから推察される、それらの声。。
なんで、そんなことまでして、ワーグナーの本来の本質をわざと外して意味付けを行い、解釈をするんだろうか・・・・
アルベリヒと息子のハーゲンのいやらしいヒヒヒはキモイ。
しかも、彼らの顔は、バッドマンのジョーカーそのものだ。
さらに、グンターに変身したジークフリートは、オバQみたいだったww

すいません、つらつらと、ちゃんと全部見て語れってことだけど。

しかし、その演奏面は素晴らしい。
まずもって、長らくベルリン・ドイツ・オペラを率いる、スコットランド出身のドナルド・ラニクルズの指揮が素晴らしい。
ワーグナーやリングを指揮して30年以上、と本人も語るとおり、演出抜きして堂々たるワーグナーを聴かせてくれる。
重厚なれど軽やかで、しかも鮮明で一点の曇りなし。
大きな流れをまず構築しつつ、細部を緻密に積み上げ、壮大かつダイナミックな雄大なワーグナー。
バイロイトでも90年代タンホイザーを指揮、そのころから聴くようになったラニクルズ。
ここで、こう決めて、こう伸ばして、こう、がぁーーっときて、という具合に、ワタクシが思う流れがぴたりと符合して心地いい。
左手に指揮棒、サウスポーのワーグナー指揮者ラニクルズ氏の待望のリングです。
サンフランシスコ・オペラとベルリン・ドイツ・オペラの指揮者であり、英国でもBBC系のオーケストラとの音源多数。
ラニクルズのマーラーやブルックナーも素晴らしいです。

Sieg
        (ジークフリート~ミーメさんと主人公)

ベルリン・ドイツ・オペラのオーケストラの巧さも定評のあるところ。
傷も散見されたが、ピットの中の熱気あふれる演奏を堪能。
神々の黄昏の大団円は、ことさらに感動的だった。

Gotter
  (神々の黄昏~たぶん自己犠牲のシーン、下着まみれ・・・)

歌手では、なんといっても、シュティンメのブリュンヒルデが、安定感と力強さ、しなやかさで比類ない存在を示してました。
しかしね、ヘアハイムって、下着姿が好きなんだよな、ほかの演出でも。
全編にわたって、その下着姿が氾濫していて、ブリュンヒルデにも容赦ない。
ラインの乙女たちも、あられもない姿で、男とアレしちゃうし、下着姿の群衆が、いたるとこでヤリまくってる・・・・
何だこりゃって感じで、R指定になるよこりゃ・・・

ジークフリートで登場したアメリカのテノール、クレイ・ヒレイ(Clay Hilley)が驚きの歌声。
明るく屈託のない、よく伸びる声は自然児ジークフリートにぴったり。
黄昏では、より厳しさも求めたいところだったが、スタミナも十分で最初から最後まで元気な声。
なかなかの巨漢で、動きがアレなのはしょうがないが・・・

ミーメのチュン・フン?(Ya-Chung Huang)もびっくりの発見。
台湾出身の新星で、のびやかでクリアーボイス。
ベルリン・ドイツ・オペラの専属になったようで、今後の活躍も期待。

ウォータン&さすらい人は、スコットランド出身のパターソンで、このバスバリトンも最近ウォータンを各地で歌っており、パリのジョルダン・リングでもそうだった。
やや軽めで、もう少し力強さも求めたいところだけど細やかな歌いまわしは巧みで、アルベリヒやミーメとの絡みは面白かった。
ただラインの黄金では、オーストラリア出身のデレック・ウェルトンがウォータンで、より若々しい雰囲気。
あえて、ラインの黄金のウォータンを異なる立場で描きたかった演出意図なのかもしれない。

あと印象に残ったのは、アメリカのヨヴァノヴィチのジークムントは豊かな実績を裏付ける力唱だし、ダムラウのヴァルトラウテもシュティンメのブリュンヒルデに負けず劣らずの存在感。
ほかの諸役も初めて聞く名前ばかりだが、いずれもベルリン・ドイツ・オペラの水準の高さを物語る歌唱でありました。


「ラインの黄金」

ウォータン:デレック・ウェルトン ドンナー:ヨエル・アリソン
フロー :アットリオ・グラッサー ローゲ:トマス・ブロンデーレ
フリッカ:アンニカ・シュリヒト  フライア:フルリナ・シュトゥッキ
エルダ :ユデット・クタシ      ファゾルト:アンドリュー・ハリス
ファフナー:トビアス・ケラー   アルベリヒ:マルクス・ブリュック
ミーメ :ヤ-チュン・フン    ウォークリンデ:ヴァレリア・ザヴィンスカヤ
ウェルグンデ:アリアナ・マンガネッロ フロースヒルデ:カリス・トラッカー

                      (2021.6/12)

ジョーカーのアルベリヒは、トランペットを手にしつつ、4部作中、ずっと据えられているピアノの中から即、指環を取り出し、黄金強奪となった。
悪魔くんみたいなローゲは、見た目は悪魔に変身したミッキーマウスか?
やさぐれた神々たちも情けない雰囲気。
聴衆から笑い声もあがる(笑)
でも虹色はきれいだな。



「ワルキューレ
 
ジークムント:ブランドン・ヨヴァノヴィッチ   
ジークリンデ:エリザベス・タイゲ
フンディンク:トビアス・ケラー   ウォータン:イアン・パターソン
フリッカ:アンニカ・シュリヒト   ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ

ワルキューレは本物の狼さんが出てるし大丈夫か?
ジークムントはニートみたい。
ピアノから剣を引っこ抜くのは無理筋じゃね?
そうそう、ピアノからみんな登場するね。
ヘアハイムのパルジファルでも、クンドリーは貞子みたいに、穴からせせりあがってきたし。
ジークリンデの感動的な感謝の歌をピアノ伴奏するブリュンヒルデ。
告別シーンはどんなだろ?

見てみたい。



「ジークフリート」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ミーメ:ヤ-チュン・フン
さすらい人:イアン・パターソン アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン
ファフナー:トビアス・ケラー  エルダ:ユデット・クタシ
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ      
森の小鳥:ドルトムント少年合唱団員

          (2021.11.12)

ほぼワーグナーそっくりのミーメ。
ピアノから楽譜を誕生させる楽器職人かい。
それにしてもジークフリートがでかい、小柄なミーメの3倍もあるよ。
大蛇ファフナーが秀逸で、牙がラッパになってるし、そこからファフナーは引っ張り出される。
巻き付けた白い布をジークフリートにくるくるされて、時代劇の悪代官みたいに、あれぇーー、とばかりに、ほれはれほれはれ、されてしまいステテコ姿にされたあげく刺されちゃう。
しかし、大きな疑問は、鳥の声を少年に歌い演じさせたこと。
苦し気だし不安しか感じない。
さらに血まみれで横たわってたし・・・・まさかジークフリートに・・ってか??
ハッピーエンドも、主役の二人以外に、下着男女が乱れまくり、やりまくり・・・・・

なんだかんだで、観てみたいww



「神々の黄昏」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ
グンター:トマス・レーマン   
ハーゲン:アルベルト・パッセンドルファー
アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン グルトルーネ:アイレ・アスゾニ       
ワルトラウテ:オッカ・フォン・デア・ダムラウ・     
第1のノルン:アンナ・ラプコフスカヤ      
第2のノルン:カリス・タッカー     第3のノルン:アイレ・アスゾニ   
ウォークリンデ:ミーチョット・マレッロ 
ウエルグンデ:カリス・タッカー  フロースヒルデ:アンナ・ラプコフスカヤ

             (2021.10.17)

ノルンたちはスキンヘッド、どうでもいいけど、下着マンたちのひらひらはどうにかならんのか?(笑)
元気にピアノを弾くブリュンヒルデ。
ギービヒ家はリッチマンのおうち。
最初は普通の人だったハーゲン、夢に父親が現れてからジョーカー顔に変貌。
ラインの乙女もスキン化してしまうのか?
ラストシーンも下着衆ぞろぞろ、手のひらピラピラ鬱陶しい。

いやはや、やっぱり全部観てみたいww

聴衆の反応のyutubeもあり、歌手と指揮者にはブラボーの嵐。
演出家ご一行が出てくると、ブーが飛んでました。

でも、さすがはドイツ、コロナがまだ蔓延してるのに、リングをやってしまう。
そして、聴衆も演出はアレ?で批判しつつも、ワーグナーを求める心情止み難しで、演奏と音楽には大熱狂。
行かなかったけど、日本でも2年越しのマイスタージンガーが上演された。
世界中、やはり、ワーグナーがなければ生きていけないのだ。

    ーーーーーーーーーーーーーーーー

しかし、35年前に観劇した「トンネル・リング」が懐かしい。
同時期に、二期会による日本人リングも観劇していたが、そちらは新バイロイト風の抽象的な舞台だっただけに、具象的な動きで表現意欲も強かったトンネル・リングは当時の自分には驚異的ですらありました。
映像で親しんだ、シェローのリングや、クプファーのリングも、いまや懐かしの領域に。
いずれも現代の演出からしたら穏健の域にあるが、でもそのメッセージ力は、なんでもありのいまのものからしたら、ずっとずっと強かったと思う。

Momijidani-b

晩秋から初冬を抜かして、本物の冬がしっかりときました。

| | コメント (0)

2021年8月25日 (水)

ワーグナー・テノールをいっぱい聴く

003a 

お盆の前、オリンピック閉会式の日の東京タワー。

ひまわりたくさん、夜でもきれいに撮れました。

デジカメより、スマホの方が簡単にキレイに撮れるという、なんともいえない気分ですが。。。

003_20210819212601

自分の愛用するデジカメがもう古いな・・と思う、今日この頃。

でも、古きものにも、良きことあり。

そう、戦後以降からにしますが、ワーグナーを歌うテノールを聴きまくりました。
そっくり、バイロイトで活躍した歌手たちを振り返ることとなりました。
キャラクター・テノールは除外させていただき、主役級を歌う歌手ということで。

Wagner-windgassen-1

まずは、なんといってもウォルフガンク・ヴィントガッセン
ベームのトリスタンとリングで、ワーグナーにのめりこんでいった私にとって、ヒーロー役はみんなヴィントガッセンだった。
戦前の重ったるい古めかしい歌唱とは、一線を画した気品あふれる歌、ずば抜けた底力あふれる声に、ワーグナーの音楽とはなんたるかを、私の耳に刻み付けてくれた。
ゆえに不器用なところもあり、そこを活かしたオルロフスキー公やローゲなど、味のあるところもみせてくれました。
50~60年代のトリスタンやリングの音源は、ほとんどがヴィントガッセンで、あとはニルソンやヴァルナイだったりします。

Wagner-1

ラモン・ヴィナイは、バリトン→テノール→バリトンと声域を変えて活躍した稀有の存在。
しかも、オテロとイァーゴの両役を持ち役にしていたというマルチぶりで、まさにオオタニサン状態。
トリスタン、タンホイザー、パルジファルなどの音源を聴いてますが、ほの暗い声に帯びる高貴さは素晴らしく、ワーグナー諸役にうってつけ。チリ出身というのも信じられないところ。

ハンス・バイラーハンス・ホップ、ふたりのハンスさんもここに記すべきヘルデンテノールですが、いまの耳で聴くとやや古めかしく感じるかもしれません。

・シャーンドル・コンヤは、ローエングリン、ヴァルター、パルジファルを得意にしたほか、ヴェルデイとプッチーニも持ち役にした、明るめな色調の、いまでも通じる歌唱力を持った歌手だった。
ラインスドルフとのローエングリンは完全全曲盤だし、ボストン響のワーグナーということで貴重な録音。

・ジェス・トーマス、アメリカ出身のヘルデンテノールとして大成功した先人。
アメリカで、大学時代には心理学を専攻していて、その声の良さを認められて歌手の勉強をしたというキャリアの持ち主で、ドイツに渡ってからもイタリアものばかりだったという。クナッパーツブッシュの61年パルジファルでバイロイトデビューしてから、ワーグナー歌手として活躍を始めた。
60年代のトーマスの輝かしさ・神々しい歌声は、いまでもほんと魅力的。

・ジェームズ・キング、トーマスと同じくアメリカが輩出した傑出したテノール。
わたしにとって、P・ホフマンと並ぶ、最高のジークムントで、最高の影のない女の皇帝役。
バリトンからスタートしたこともあるように、やや暗めの声に情熱的な歌唱は、悲劇的な役柄にぴったりだった。
不思議とカラヤンとの共演が音源含めないように思えますが、ジークフリートやトリスタンには挑戦しなかったのもキングらしいところ。
バーンスタインとジークフリートにチャレンジした音源を持ってますが、やはり、キングはジークムントだな。

・ジョン・ヴィッカース、カナダ出身で、最初は医学生を目指した、こちらも変わり種。
強靭な声ではないが、カラヤンに愛され、「完璧なフォルティシモとピアニッシモを兼備したテノール」と絶賛されていたという。
ちょっと褒めすぎとも思うけど、カラヤンやショルティにとって、ワーグナーやヴェルディには絶対になくてはならないドラマテックテノールだった。
バイロイトには、パルジファルとジークムントで、2年しか登場しなかった。
ちょっとクセのある声。

・ルネ・コロ、ヴィントガッセン後、ドイツの生んだ最高のテノールと確信。
オペレッタやポップスからスタートして、トリスタンやジークフリートを歌うヘルデンテノールになった、広大なレパートリーを持つ、知性あふれる美声の持ち主。
ジークムントとローゲを除いて、リエンチまで入れてワーグナーの主要テノールの役を全部録音した唯一のテノール。
コロも、カラヤン、ショルティに多く器用されることで、多くの全曲盤が残されることとなりましたが、私が好きなのは72年にスウィトナーと録音した2枚のCDで、ほぼすべてのワーグナー諸役をここで聴けます。
まだまだ若々しく、やや生硬な感じも残るフレッシュな歌唱は、いまでも素晴らしい。
同じころだと思うが、プッチーニやイタリアオペラのアリアも録音していて、日本では一度も発売されたことがなく、復刻して欲しい。
自慢としては、日本を愛してくれて、多くの実演に接することができた。
タンホイザー、ヴァルター、ジークフリート、パルジファル、ソロで詩人の恋、引退コンサートなど。
トリスタンだけ逃したのが無念なり。

フリッツ・ウール、ヘルミン・エッサー、ヘルゲ・ブリリオート、ジェイムス・マックラッケン、ローベルト・シェンクなどなど、まだたくさん。

Wagner-2

ジーン・コックス、アメリカ出身で、空軍のパイロットで世界大戦にも参戦してたらしい。
ヴィントガッセンのあとの70年代のバイロイトを支えたテノールで、マンハイム歌劇場をずっとホームにして、ミュンヘンでも活躍。
ホルスト・シュタインのリングで、ずっとジークフリートを歌い、唯一の録音であるヴァルターや、パルジファル、ローエングリンも歌っている。
ヴィントガッセンのあと、コックスのジークフリートばかりを聴いて、ワーグナーファンになっていったので、コックスは今でもとても好きです。
厳しい評論筋には、けちょんけちょんにされてしまうけれど、コックスの健康的なジークフリートはクセもなく、明るく爽快で。
最期は、バイロイトで亡くなったというのも、この歌手らしいところです。

・ペーター・ホフマン、スキャンダル的な大騒ぎとなった76年のシェロー・ブーレーズ、フレンチリングで、唯一といっていいくらいに喝采をあびた、ホフマンのジークムント。
バイロイトデビューのホフマンは、陸上競技のアスリート出身で、鍛え抜かれた身体と身体能力の高さも、舞台映えする容姿とともに、その張り詰めたピンとはったストレートボイスは、われわれワーグナー好きを虜にしてしまいました。
ジークムント、ローエングリン、パルジファル、トリスタン、ヴァルターを歌い、タンホイザーはバイロイトでも記録がありません。
実演は聴けなかったけれど、コロとともに、私の大好きなワーグナー歌手です。
パルジファルで、実際の槍をを手で受け止めたのは、ホフマンならでは!

・スパス・ヴェンコフ、法律家、ヴァイオリニスト、スポーツ選手などの多彩な顔を持つブルガリア出身のテノール。
東側だったこともあり、西側へのデビューはやや遅れ、なんといっても、カルロス・クライバーのトリスタンの3年目を救ったヴェンコフ。
突如現れたヴェンコフの力強い声に、当時大いにしびれたものです。
日本にも何度か来日してますが、ブロムシュテットとN響のワーグナーコンサートを聴いた覚えがありますが、ごく少しの登場で、トリスタンとタンホイザーのほんのさわりみたいに記憶します。席が遠く、記憶もちょっと曖昧なのが残念。
ウィーン国立歌劇場のトリスタンで登場を予告されながら、降りてしまったのも残念な思い出です。
やや陰りを帯びた銀色のような声のヴェンコフのトリスタンは、やはりいまでも素晴らしいと思います、特に3幕。

・マンフレート・ユンク、地味ですが、ジーン・コックスと同じように、この歌手もバイロイトのジークフリート役を長く担当し、急場を救った人です。
ブーレーズのリングの2年目から、ショルティ、シュナイダーのリング、パルジファル、さらにはローゲにミーメまで、長らく活躍。
親しみやすいほっこりした声は、健康的なジークフリートだったし、無垢のパルジファル、さらには味わい深いミーメなど、忘れがたい歌手のひとりです。

・ライナー・ゴールドベルク、本番に弱いとかさんざん言われ、実際、大きな舞台でやらかしてる。
ショルティのバイロイトリングでも降りちゃったし、マゼールのウィーン国立歌劇場音楽監督就任のタンホイザーでも不調だった(と読んだ記憶あり)。でもレコーディングには恵まれ、レヴァインやハイティンクのリングにも登場。
やや、喉に詰まったような硬質な声だけど、力強さとハリのある高音はなかなか魅力的で、私はスウィトナーのマイスタージンガーでのヴァルターを観劇してます。(そのときの、アダムとシュライヤーが最高だった)

・ジークフリート・イエルサレム、ファゴット奏者からヘルデンへ。
フローや水夫などの軽い役からスタートし、ローエングリン、パルジファル、ジークムント、そしてその名の通り、ジークフリートやトリスタンへとステップアップしていく様子を、バイロイト放送や多くの録音を通じて、つぶさに体感できた歌手で、この人も自分には親しい存在。
ソロアルバムは、デビュー時に1枚あるのみかもしれないが、CD化されてない。
この人は舞台で燃えるタイプだと思います。丸みを帯びた力強い声は、ハマるとしびれるような興奮を聴き手にもたらしてくれる。
ベルリン・ドイツ・オペラのリングでは、ジークムントを聴いてますが、ともかく凄い熱演・熱唱でした。
降り番のときに、ロビーで談笑するその真横に立ちましたが、ともかく背が高い!
あともう一度、ジークムントは、リザネックとの共演で、ガラコンサートで経験。いい思い出です。

Wagner-3

・ヨハン・ボータ、90年代に突如あらわれた南アフリカ出身の歌手。
イタリアオペラも全般歌い、シュトラウス、ワーグナーも等しく歌い、レコーディングも多い。
クリアボイスで抜けのよい高音域は魅力的だったが、早逝が悔やまれる。

・パウル・フライ、アイスホッケー選手だった変わり種。
ヘルツォーク演出の冬のローエングリンをずっと担当し、その時期はレコーディングもそこそこあり。
この歌手もクリアボイスで、やや頼りなく感じるナイーブなローエングリンだった。

・トレステン・ケルル、ドイツ出身で、死の都のパウルのスペシャリスト(と思ってる)
ややこもった声ながら、バリトンがかった中音域から低域の暗めな響きが魅力的。
そこから、エイっと引き上げる高音域が特徴で、かつてのジーン・コックスを思わせる。
タンホイザーもあたり役。死の都、カルメン、グレの歌などを実演体験済。

・ジョン・トレレーヴェン、英国産のヘルデン。
ラニクルズのトリスタンのみが全曲録音で、なかなか聴かせる中音域は、3幕での破壊力が最強だった。
新国のイドメネオで実演体験済み。
戦前のテノールがよみがえったような感じ、でも悪くない。
新国でジークフリートを歌ってる。

・ポール・エルミング、デンマーク出身。
バリトンからスタートしただけあって、余裕のある低中音域をベースに、輝かしい高音域はとても魅力的だった。
ジークムントとパルジファルでバイロイトを支えた。
私も、両方のタイトルロールを実演で聴けました、とても好きな歌手です。
アンフォールーーターースの雄たけびは最高に素晴らしい!
アルブレヒト指揮のパルジファル(クルト・モルのグルネマンツ!)、シュタイン最後のN響パルジファル、バレンボイムのワルキューレでいずれも感銘を受けました。

・プラシド・ドミンゴ、このスーパー・テノールも、当然ながらワーグナーもレパートリーにした。
全曲盤がない役柄もあるが、ワーグナーのすべてのテノール役を録音している。
ヨッフムのマイスタージンガーが初ワーグナーだったと思うが、どうもわたしには、ドミンゴのテカテカした声と分別くさいほどの知的歌唱がワーグナーにおいては、あまり好きではないです。
それでも、メトの来演で、ジークムントを聴いて満足の極みだったというげんきんの極みの自分。
余芸でバイロイトでもワルキューレを指揮したけど失敗に終わった。

・ロバート・ディーン・スミス、アメリカ産、リリカルな役柄でスタートして、ついには有能なトリスタンとなった。
ヴァルター、ローエングリンにジークムント、トリスタンとバイロイトでは大活躍。
日本にも何度か来日してたけど、新国でジークムントを聴いてまして、そのときのフンディングがマッキンタイアだったのもいい思い出です。
キリリとした、すっきり系のテノール。
最初はスリムで舞台映えもよかったけど、だんだんとお腹ぽっこりに。

・ベン・ヘップナー、カナダ生まれのヘルデン。
90年代に大いに活躍し、高貴さ漂う声は安定していて、大柄な割にスマートで凛々しい歌唱だった。
日本には来てないかもしれないが、多くの巨匠から愛用されて、レコーディングはたくさん。
自分的にな、アバドのトリスタンがヘップナーだったので、何度も書いてますが、正規発売を熱望。
ヘップナーは2015年に引退してしまいました。

エンドリヒ・ヴォトリヒ(早逝してしまいましたが、新国でジークムント観劇)、アルフォンソ・エーベルツ、ウィリアム・ペルなどもバイロイトで活躍。

Wagner-4

・ペーター・ザイフェルト、ルチア・ポップの旦那さんだった歌手。
モーツァルト歌手的なイメージからスタートして、やはり、軽めの役柄から入り、ヴァルター、ローエングリン、パルジファル、ジークムントとたどって、ついにはトリスタンも立派に歌うようになった。
トリスタン役、どうだろうと思ったが、これがまた実に立派で、リリカルななかに、独特の高貴さがあり、一方で甘く優しい中音域も素晴らしい~ウィーン国立歌劇場のストリーミングを視聴。
ザイフェルトは、バイエルン来演のときにヴァルターとエリックを観劇。

・トマス・モーザー、アメリカ生まれでその後ウィーンへ。
最初はモーツァルト歌手だったと思うが、90年代にヘルデンの声域まで歌うようになり、主にウィーンで活躍。
バイロイトには出ていないはずだが、ティーレマンのトリスタンがCD化されて、そのブリリアントな声に驚いたものだ。

・ロバート・ギャンビル。こちらもアメリカ生まれの歌手。
モーザーと同じく、モーツァルトやロッシーニ歌手としてスタート。
実は、ワタクシ、もうかれこれ30年以上まえ、唯一のウィーン訪問でフォルクスオーパーで魔笛を観劇。
そのときのタミーノがギャンビルだった。ぴか一の美声でひとり目立ってました。
その後、驚くべきことに、タンホイザー歌手としてギャンビルの名前とドレスデン国立歌劇場の来演でその声を聴いたときに驚いたものです。
モーザーと同じく、トリスタンまでレパートリーを広げました。

・ウォルフガンク・シュミット、バイロイトで18年にもわたり活躍した歌手で忘れてはならない存在。
レヴァインとシノーポリのリングでずっとジークフリートを歌い、タンホイザーとトリスタンも歌った。
さらに、ユンクと同じく、ミーメ役としても帰ってきた。
ちょっとクセのある声だが、破壊力とパワーは抜群だし、小回りも効く器用なヘルデン。
わたしのシュミット実演は、ドレスデン来演でのジークムント、キャラクターテノールとしての体験は、新国サロメのヘロデとミーメ。
当時のblogを読み返してみたが、ヒッヒッヒのミーメでなく、ウッヒッヒッヒのミーメと書いてあり笑えた。

・クリスティアン・フランツ、われわれ日本人にとってお馴染みの歌手のひとりだろう。
バイロイトでは、ティーレマンのリングのときのジークフリートで、ほかの劇場でもジークフリートのスペシャリストみたいな存在。
クリアな声で明晰、明るめな天真爛漫のジークフリートは、スタミナも十分で最後まで元気。
新国でジークフリートを2サイクルと、バレンボイムのトリスタンなどを観劇、いずれも文句なし。
息の長い歌手で、来年のびわ湖ではパルジファルを歌う予定。

・ヨナス・カウフマン、ミュンヘン生まれのいまやスーパー・スター。
経歴を見てみたら、ホッターとキングに学んでいるとのことで、カウフマンの言葉にのせる歌唱力の高さとバリトンがかった厳しい声が、なるほど、という思いがしました。
役柄への挑戦も慎重かつクレヴァーで、徐々に重い役柄に挑戦し、ローエングリンから、ついに今年はトリスタンを歌う歌手になった。
ドイツもの以外でもひっぱりだこで、ラダメス、オテロ、カヴァラドッシ、ホセなど映像もCDもたくさんだけど、バイロイトは1年のみ。
人気がありすぎて、ちょっとワタクシは引き気味だったけれど、今年のトリスタンを視聴して、やはりカウフマンは凄いな、ということになりました。

・ステファン・グールド、アメリカ生まれのヘルデンで、いまやバイロイトはおろか、世界のワーグナー上演に欠かせない歌手。
大柄で舞台映えもするが、スマートなカウフマンやフォークトに比べると、ちょっとデカすぎ。
その体格どおりに、声のパワーは抜群だが、繊細な歌いまわしや心理描写もうまく、知的な歌手でもある。
バイロイトでは、タンホイザー、ジークフリート、トリスタンを歌っていて、日本でも数多く舞台に立ってます。
わたしは、新国で、フロレスタン、オテロ、トリスタンを観劇、いずれもとんでもなく素晴らしかったが、ジークフリートは観ることができなかったのが残念。

・クラウス・フローリアン・フォークト、北ドイツ出身で、ハンブルクのオケでホルン奏者だった経歴を持ち、そのあたりイェルサレムに似てる。同時に歌もはじめ、最初はモーツァルトやドイツロマンティックオペラの軽めな役柄からスタートし、なんといっても2007年、カタリーナ・ワーグナー演出のマイスタージンガーでヴァルターを歌ってバイロイトデビューして、脚光を浴びた。
そのデビューをFMで聴いた自分は、その軽めな声に、ずいぶんと頼りない声だな、なんて不遜なことをつぶやいてました。
しかし、その後フォークトを次々に聴いて、どんな役柄でも、フォークトならではの声と歌い口で自分のものにしてしまう、その実力と歌唱の力に感服するようになりました。
ともかく美しい声で、そのしなやかさはヴィロードのよう。馬力もあってオケや合唱、ほかの歌手のなかにあっても、しっかりとその声を響かせ聴き手に届けることができる。
今年のジークムントもスマートかつ明晰な歌で、悲劇臭は薄いものの、実に新鮮なジークムントとなりました。
フォークトがトリスタンやジークフリートを歌うことはまずないと思いますが、2枚のソロアルバムでは少し聴けます。
ハンサムで子煩悩なところも、フォークトさん好印象です。

・アンドレアス・シャガー、オーストリア出身のヘルデンで、バレンボイムに多く起用されるようになって、メキメキと成長し、バイロイトの次期ジークフリートを担うようになった。
ちょっと楽天的な声なところも感じるけど、声に厳しさが増せばさらによくなる歌手だと思います。
今後に注目のシャガーさん、実演で早く聴いてみたい。

カウフマン、グールト、フォークトが、今現在の3大ワーグナー・テノールだと思います。

ここでは、書けなかったけれど、ランス・ライアン、クリストファー・ヴェントリス、ステファン・フィンケ、サイモン・オニール、ステュワート・スケルトンなど、いままでも、これからも私たちを魅了してくれることでしょう。

日本人歌手については、またの機会に取り上げたいです、なんたってお世話になりましたし、心強かった!

Sky

もうひとつのタワー、スカイツリー。
竹芝桟橋から撮りましたので遠いですが、これはこれで美しい。

ずいぶんと長文を書いてしまいました・・・・

| | コメント (8)

2021年8月 6日 (金)

ワーグナーの夏

003

お台場に設置されている聖火を見てきました。

オリンピック反対を訴えていたマスコミは、日本人選手の大活躍に手のひら返しを行い、夢中になって放送を続けております。

まぁ、そんなことになるだろうとは思ってました。

わたしは、やるんなら、堂々と胸はってやってしまえと思ってましたし、開会式のあのショボい日本感のない演出はともかくとして、世界の選手たちの晴れやかななお顔を見て、やっぱりよかったと思いましたね。

013a

そして、一方、わたしには、ワーグナーの夏が帰ってきました。

昨年は軒並み公演中止だった。
この夏は、各地でワーグナーが堰を切ったように上演されていて、やはり世界はワーグナーを求めていたんだと痛感。
ちなみにバイロイトでは、客数は50%以下で上演。

いくつかの上演を動画含めて視聴したので、簡単にあげときます。
演出の内容などは、まだ理解に及んでないので、いずれまた書くかもしれません。

Holland-2

バイロイト初の女性指揮者、オクサーナ・リニフが2021年のプリミエ作品、「さまよえるオランダ人」を指揮しました。
ウクライナ出身で、母国でピアノ、ヴァイオリン、フルートと指揮を学び、2004年26歳で、バンベルク響のクスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで3位となり、ジョナサン・ノットの元でバンベルクの副指揮者となります。
ちなみに、4年ごとに行われるこのコンクールは、その2004年が初回で、優勝者はドゥダメルです。
ドイツ各地で学び、ウクライナではオペラも指揮、さらにペトレンコのバイロイトリングでは、助手もつとめ、バイエルン州立歌劇場でも指揮をして、オペラ指揮者として頭角をあらわすようになり、2016年には、グラーツ歌劇場の音楽監督となりました。

  ワーグナー 「さまよえるオランダ人」

          ダーラント:ゲオルク・ツッペンフェルト
     ゼンタ:アスミク・グリゴリアン
     エリック:エリック・カーター
     マリー:マリアナ・プルデンスカヤ
     舵手 :アッティリオ・グラサー
     オランダ人:ジョン・ルントグレン

  オクサーナ・リニフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
              バイロイト祝祭合唱団

     演出:ディミトリ・チェルニアコフ 

        (2021.7.25 バイロイト祝祭劇場)

Holland-1

リニフの指揮に加え、歌手では、いまや引っ張りだこのグリゴリアンもバイロイトデビュー。
さらに、こちらも各劇場で引く手もあまた、チェルニアコフ演出がオランダ人で登場。

そのリニフさんの指揮が驚きのすばらしさで、全曲に渡ってどこもかしこも的確で、気の抜けたところは一切なし。
こうして欲しいと思うところは、自分的に納得のできる落としどころになっていたし、音楽のニュアンスがとても豊かで、ドラマティックな盛り上げにも欠けていなかった。

歌手では、グリゴリアンの力いっぱいの歌唱が目立ち、頑張りすぎー、と思うくらい。
もともと、彼女は、その演技も含めて、かなり役に没頭するタイプなので、ゼンタのような夢見心地と倒錯感ある役柄には向いてます。
今後、ジークリンデとか、飛躍してクンドリーなんかも聴いてみたい。
ツェペンフェルトの安定感と、初登場のカーターさんエリックもよかった。
ルントグレンのオランダ人は、この人、これまでウォータンで聴いたり、新国でスカルピアを聴いたりもしてるが、そのときのイメージ通り。
破壊的な声で、ちょっと大味、宿命を背負った深刻さや、気品はいまいち。

合唱団は演技だけで、実際は別室で歌ったというのもコロナ禍のバイロイトならでは。

もっとも、チェルニアコフ演出が、オランダ人もゼンタも、社会やその町から疎外された人物と描いているから、それに即した歌いぶりでもあるので、各歌手は演出上の役柄にピタリとはまっていたと思う。
その演出、工夫して映像で全部見たけど衝撃的です。
そのあたりは、またの機会に。
オペラDVDを試行錯誤しつつ集めてますが、気が付けばチェルニアコフ演出ばかり・・・・www

Meistersinger_20210805151901

 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    ザックス:・ミヒャエルフォレ         
    ポーグナー:ゲオルク・ツェペンフェルト

    フォゲルゲザンク:タンセル・アクツィベク 
    ナハティガル:アルミン・コラチェク

    ベックメッサー:ボー・スコウフス 
    コートナー:ヴェルナー・ファン・メッヘレン
 
    ツォルン:マルティン・ホムリッヒ  
    アイスリンガー:クリストファー・カプラン

    モーザー:リック・フルマン   
    オルテル:ライムント・ノルテ

    シュヴァルツ:アンドレアス・ヘール    
    フォルツ:ティモ・リッホネン
    ヴァルター:クラウス・フローリアン・フォークト  
    ダーヴィット:ダニエル・ベーレ

    エヴァ:クリスタ・マイヤー   
     マグダレーネ:ヴィーケ・レームクル

    夜警:ギュンター・グロイスベック

   フィリップ・ジョルダン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
                          エーベルハルトト・フリードリヒ:合唱指揮

     演出:バリー・コスキー

          (2021.7.26 @バイロイト祝祭劇場)

2017年から始まったコスキー演出は、昨年のお休みを経て4年目。
ユニークで、ユーモアとペーソス、風刺も効いた好演出は、さらに継続するか不明なれど、歌手にかなりの演技力と細かな動きも要求されるので、5年を経て、完全なるチームワークが出来上がっていたんだろうと思われます。
映像作品も、初年度とともに、こうした熟した舞台を残しておいて欲しいもの。
そんな欠かせないメンバーのひとり、もはや、ザ・ベックメッサーとなってしまった感のあるマルティン・クレーンツルが声が万全でなく、急きょ、劇場側はボー・スコウフスに依頼して、まさにギリギリの到着で初日公演に間に合った。
スコウフスは声だけの出演で、舞台袖から歌い、演技は手慣れたクレーンツルが行ったといいます。
ほかの日は復調したのか気になりますが、バイロイトのHPを見ると、26日と1日がスコウフスとありますが、残りの4公演はいかに。
 そのスコウフスのベックメッサーが聴けたという点で、今年のマイスタージンガーは貴重なものでした。
お馴染みの、やや陰りありバリトンで聴くベックメッサーは、味があり、神経質で妙にかっこよくもシュールな感じもしました。
ほかのいつもの歌手たち、弾むようなビビットな音楽造りのジョルダンの指揮、万全です。

Tannhuser-bayreuth-2

  ワーグナー  「タンホイザー

    領主ヘルマン:ギュンター・クロイスベック 
    タンホイザー:ステファン・グールド

    ウォルフラム:マルクス・アイヒェ  
    ヴァルター:マクヌス・ビジリウス

    ビテロルフ :オラフール・ジグルダルソン 
    ハインリヒ:ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
    ラインマール:ウィルヘルム・シュヴィンハマー 
    エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン 
    ヴェーヌス:エカテリーナ・グバノヴァ 

    牧童:カタリーナ・コンラディ
    ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ 
    オスカル:マンニ・ライデンバッハ

   アクセル・コバー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
       合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
      
    演出:トビアス・クラッツァー

           (2021.7.27 バイロイト祝祭劇場)

3年目だけど、昨年なしだったので、2年目のタンホイザー。
こちらも演技性の高いドラマのようなオペラになってるだけに、今後も主な役柄は固定されるでしょう。
初年度は怪我で最初は出演できなかった、本来のヴェーヌス役グバノヴァと、ヘルマン役のグロイスベックが登場。
一昨年、一番輝いていた代役ヴェーヌスのツィトコワの印象があまりに鮮やかだっただけに、グバノヴァにはちょっと不利だったかもしれないが、やはり力のある声は認めざるを得ないだろう。
フリーダム謳歌のヴェーヌス、どんな演技にビジュアルだったか、見てみたいものだ。

Tannhuser-bayreuth-1

左が一昨年のツィトコワ、右が今年のグバノヴァです。
しかし、これみてタンホイザーってもう、、、、50年前の人が見たら卒倒するでしょうな。
歌手は、みんな素晴らしかった。
 多忙さと、劇場の音響で苦戦したゲルギエフは早々に降りてしまい、代わりを任されたのは、またもアクセル・コバー。
これがまた実によかった。
オケと音響と舞台上の出来事も完全に掌握した手慣れた指揮は、安定感があり、これぞ真正ワーグナーの音楽、といえるものだ。
いつも書くけど、バイロイトには、シュタインやシュナイダーのような職人ワーグナー指揮者が必ず必要なんだ。
ライン・ドイツ・オペラの指揮者であるコバーは、いま同劇場でのリングが発売中で、なんとか聴いてみたいと思ってます。

ちなみに、冒頭の画像は、3幕の幕切れの場面で、タンホイザーの元でこと切れたエリーザベト、途方に暮れ羨ましいウォルフラム、悪い憑き物が取れすっきりしたヴェーヌスの姿です。
スクリーンでは、楽しそうに旅立つ二人が映しだされるシーンです。

Walkure-1

  ワーグナー 「ワルキューレ」

        ウォータン:トマス・コニェチュニ  
      ジークムント:クラウス・フローリアン・フォークト
        ジークリンデ:リセ・ダヴィッドセン
        ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン   
        フンディンク:ディミトリーベロッセルスキー
        フリッカ:クリスタ・マイヤー

        ワルキューレ:略

  ピエタリ・インキネン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

     アーティスト:ヘルマン・ニッチェ     

           (2021.7.29 バイロイト祝祭劇場)

2020年に、若いオーストリア人演出家、ファレンティン・シュヴァルツとインキネンの指揮でリング4部作が出る予定だったが、コロナで2年延期となり、その前哨戦的に上演されたワルキューレ。
 しかし、演出というか管掌アーティスト的な存在になったのは、ウィーン生まれの82歳のヘルマン・ニッチェ。
舞台美術家であり、劇作家であり、作曲家、画家でもある多角的な芸術家さんです。
ワーグナーにも造詣が深いとのことで、ワルキューレの音楽に合わせて舞台の上でパフォーマンスや絵画的なものの制作をするというもの。
写真でわかるとおり、歌手たちは黒い衣装を着て最低限の動きしかしていないようで、背景の白いキャンバスが、様々にペイントされてます。
ほかの写真では、舞台に思い切り塗料をぶちまけたり、磔刑のイエスみたいなものもありました。
評論では、「血まみれのカラフルな出来事におおわれたワルキューレ」とか書かれちゃってます。
 なんだかなぁ~って感じで、3幕が終わるとブーイングが飛んでます。

来年のリングに音楽面では備えるはずだったものの、ウォータン役のグロイスベックがウォータン役から降りると申し出ていて、来年はどうなるんだろうと心配です。
ということで、ここでも急きょ別の歌手が手配され、実績豊かなコニェチュニが歌いました。
クセのある独特の声は決して好きじゃないけれど、さすがにうまいもんです。
 歌手では、あとはなんといってもフォークトのジークムントのバイロイトデビューです。
決して背伸びしない、いつものフォークトならではの、明るい声によるジークムント。
健康的にすぎると思いもしたが、こんな明晰な声で歌われるジークムントはとても新鮮でした。
あと、ダヴィッドセンのジークリンデも素敵だが、テオリンのブリュンヒルデはどうだろう。
高域が絶叫になるすれすれに感じましたし、テオリンさん、こんなに声が揺れたっけ?

Walkure-2

インキネンの指揮が思ったほど精彩に欠けたように思います。
現地の評判でも、テンポが遅すぎとか書かれてますが、たしかに、2幕なんて96分もかかってる。
慎重になりすぎたのと、やはりホールの音を聴きながら的な、慣らし運転の思いもあったのかもで、気の毒にもブーも浴びたらしい。
なにより、舞台装置もなく、演技も少なめなのでやりにくかったでしょうね。
マッシモ劇場でのインキネンのリングをネット鑑賞したことがありますが、もっと熱くてドラマテック指揮だったですので、来年は楽しみではあります。

リングの他の3作をイメージしたアート作品が、劇場周辺に展示されているらしい。
神々の黄昏は、日本の塩田千春さんの作品です。

今年のバイロイト、以上4作に、ティーレマンの指揮で「パルジファル」の演奏会形式演奏。
あとネルソンスで、ワルキューレ1幕と黄昏の抜粋、ローエングリン、パルジファルなどのコンサートがあります。

2022年は、「リング」とあとは、「タンホイザー」「オランダ人」でしょうか?
2023年には、「パルジファル」新演出で、アメリカ人のジェイ・シャイブという演出家で、なんだか嫌な予感・・・
しかし、ジョゼフ・カレヤがパルジファルデビューします。
コロナと共生するバイロイト、上演も大胆な試みが引き続き必要です。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Tristan-aix-en-1

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ステュワート・スケルトン
   イゾルデ   :ニーナ・シュティンメ
   マルケ王   :フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
   ブランゲーネ :ジェイミー・バートン
   クルヴェナール:ジョゼフ・ワーグナー
   メロート   :ドミニク・セグウィック
   舵取り・牧童 :リナルド・フリエリンク
   舵手     :イヴァン・スリオン

    サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
               エストニア・フィルハーモニック室内合唱団

       演出:サイモン・ストーン

      (2021.7. 8 @エクサン・プロヴァンス)

この7月には、エクサン・プロヴァンス音楽祭でも「トリスタン」
しかも、演出は話題の映画監督でもあるサイモン・ストーン。
ストーンはザルツブルク音楽祭でメディア、ウィーンでトラヴィアータ、ミュンヘンで死の都とヒットを連発している。
フランス放送局から、音楽だけ聴きましたが、映像も全部見れました。
あまりに面白すぎる発想、まさに映画の世界、映像映えするから商品化間違えなし。
一番目の画像は、媚薬を飲んだ後、胸の赤いのは媚薬のワイン。

Tristan-aix-en-3

中東から、ブランド会社の社長夫人へ、社内で夜の偲び合い、他にも逢瀬の恋人たち、不倫発覚で真昼のオフィスに。
怪我を負い、地下鉄で故郷へ、社内にはレインボウプライドのひととか、みんなマスク着用。
ドレスアップしたイゾルデは、愛の死を歌い終えると、車外へ・・・・

一度じっくり再視聴します。

Tristan-aix-en-2

シュティンメは相変わらず素晴らしく、どの音域も無理なく聴こえるし、ふくよかで力強い(映像ではちょっと〇過ぎだけど)
スケルトンもこの役を何度も歌い演じて、完全に堂に入ってきた。
最初の頃は、乱暴な破滅的なトリスタンだったけど、いまでは落ち着いて、歌唱に厳しさも見せるようになったと思う。
でも太りすぎ。。。
あとみんな演技もうまく、歌唱もそれぞれよろしい。

驚きのロンドン響のオーケストラピット。
シンフォニーオーケストラのオペラは、充実したオケの響きが舞台の声をほったらかして奏者たちが飛ばしてしまう傾向があるが、ロンドン響は抑制の効いたラトルの指揮でもあり、普段からピットで演奏しているかのように、雰囲気あるものに感じました。
ロンドン響を離れるのがつくづくともったいない、ラトルの指揮。
いろんなところで、トリスタンを指揮していて、すっかり手の内に入ってます。
手持ちのラトルのトリスタンは、ウィーン、ベルリン、メトと今回のものとで4種。
いつか聴き比べを書いてみたいです。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Tristan-bayerische-1

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ヨナス・カウフマン
   イゾルデ   :アニヤ・ハルテロス
   マルケ王   :ミカ・カレス
   ブランゲーネ :オッカ・フォン・デア・ダメラウ
   クルヴェナール:ウオルフガンク・コッホ
   メロート   :シーン・ミハエル・プランプ
   舵取り    :マニュエル・ギュンター
   牧童     :ディーン・パワー
   舵手     :クリスティアン・リーガー

    キリル・ペトレンコ指揮 バイエルン州立歌劇場管弦楽団
                バイエルン州立歌劇場合唱団

       演出:クシストフ・ワリコフスキー

      (2021.7. 31 @バイエルン州立歌劇場)

ミュンヘンでもトリスタン。
ミュンヘン音楽祭のプリミエで、ここはなんといっても、カウフマンがついにトリスタンを歌ったことに話題が集中。
音源も限定放送の映像も確認しました。
カウフマンの声に、ちょっと飽きが来てたという、まったく不遜のワタクシを、びっくりさせてくれました。
悲劇性の強い、バリトン声のカウフマンはトリスタンやジークムントにぴったりと思ってたが、まさにそれを実感させてくれました。
3つの幕の長丁場、1幕は抑え気味に、2幕もソフトに、そして3幕にピークを持ってきて病めるトリスタンを緊張感豊かに歌い上げてました。
まだまだ余裕を感じるくらいでしたが、演技の少ない抑制された演出も歌手にとってはありがたかったかもしれません。

あと素晴らしかったのが、音楽監督としては最後の指揮となったペトレンコ。
全幕にわたり、これまた集中力が切れず、厳しい音楽造りでありながら、情感は豊か、オーケストラが舞台の歌手たちと一緒になって演じているかのような抜群の表現能力。
ラトル&LSOとペトレンコ&バイエルンのふたつのトリスタン、どちらも個性と音楽性にあふれてました。

リリカルなハルテロスがイゾルデを歌うなんて、最初は危惧しましたが、無理せず、ハルテロスらしい柔らかな声による女性らしいイゾルデでした。
愛の死は、ペトレンコの指揮とともに、美しい軌跡を描いて沈んでいくような夕陽のような感銘深いラストを歌ってました。
コッホとダメラウもいいが、カレス氏はビジュアルはいいが、その声が私の好みではなかったかも。

Tristan-bayerische-2

ワリコフスキーの演出は、よくわからなかった。
基本、トリスタンとイゾルデはまったく触れ合うことがなく、ディスタンスを保ったまま。
映像で補完、そして意味不明のスケキヨみたいな男女のパペットみたいな演じ手の人形。
これもまた、感情の補完なんでしょうかね。
決闘シーンなんかも、なくて、座ったまんまフリだけ。
海はこれっぽちもなく、すべて室内での出来事。
愛の二重唱の高まりの行き着く果ては、ふたりで注射器で腕にお注射でした。

プロヴァンスのトリスタンの写実的な舞台に比べると、暗く寂しいものでした。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上、7月にこんなにワーグナーが上演されました。
東京のマイスタージンガーは、初日がコロナ発生で中止とか、ともかく病禍にたたられっぱなし。
しかし、ともかく、世界も日本も、ワーグナーがなくては我慢ができません!

022a

聖火に群がる人々を制するように、ディスタンスを呼びかける係員。

人々もオリンピックに酔い、祭を待ち望んでる

020a

ずっと続く、人類は共生しなくてはならないのだろう。

| | コメント (0)

2021年5月22日 (土)

ワーグナー ヴェーゼンドンク、ジークフリート牧歌   ダウスゴー指揮

Entokuin-01

京都の圓徳院のお庭。

昨年の晩秋に続いて、新緑の季節に行ってまいりました。

娘の結婚式でした。

病禍で延び延びになり、さらに予定日も緊急事態宣言の延長となりましたが、当人たち・両家でやりましょうということに。

静かで、人の少ない京都、しかも貸し切りなので誰一人いない家族だけのお式。

いま思っても涙が出るほどに美しく、心温まるお式で、ひとりの親として生涯忘れえぬものとなりました。

Entokuin-04

昨秋は、真っ赤に染まった庭園が、麗しい緑につつまれました。

Wagner-dausgaard-1

 ワーグナー 「さまよえるオランダ人」序曲(初稿版)

       「ヴェーゼンドンク歌曲集」

       「さまよえるオランダ人」序曲(最終版)

       「ジークフリート牧歌」

       「夢」~ヴェーゼンドンク歌曲集より、ヴァイオリン独奏版

       「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

      S:ニーナ・シュテンメ

      Vn:カタリナ・アンドレアソン

  トーマス・ダウスゴー指揮 スウェーデン室内管弦楽団

            (2012.5,6,8 @エーレブルー・コンサートホール)

デンマーク出身の指揮者ダウスゴーによるワーグナー。
しかも室内オーケストラ。
ダウスゴーは現在、BBCスコテッシュ響とシアトル響のふたつのオーケストラの指揮者ですが、2019年までスウェーデン室内管の音楽監督を22年間つとめ、たくさんの録音を残しました。

そのダウスゴー、プログラム作りがユニークで、実によく考えたられた組み合わせを毎回提供してくれる。
数年前のpromsでも、シベリウスの5番の初稿版と、フィンランド民族音楽をからませた演奏会でネット視聴民であるワタクシをうならせたものです。

先ごろようやく入手したワーグナー作品集もユニーク。
一見、まとまりのない選曲に思えますが、よくよく考えながら聴くと、一本筋が通ってる。

「オランダ人」の序曲の初稿版は、1941年の完成で、全曲はその翌年。
序曲の終結部には、救済の動機はなく、呪われしオランダ人の主題で終了となり、通常の序曲集や全曲盤の多くで聴かれる結末と違い、悲劇臭が増してます。
そのあたりを意識したかのようなダウスゴーの指揮は、荒削りな側面をよく引き出していて、しかも軽快さをも感じさせ、マルシュナーの影響も受けた若きワーグナーの作品であることが実によくわかります。

続く、シュテンメのソロによるヴェーゼンドンク歌曲集は、1857年の作品。
いうまでもなく、マティルデ・ヴェーゼンドンクとの恋愛がもたらした作品で、トリスタンとイゾルデ(1857~1859)と同時期に書かれ、同じモティーフも流れ、トリスタン的なムードが横溢する作品。
シュテンメは力ある声を抑えぎみに、とても丁寧に、音に言葉の意味合いを乗せながらイゾルデ歌手としての実力もあわせて表出している。
同じスウェーデンの大先輩、ニルソンの持つ大らかさも、シュテンメは持ち合わせていて、「夢」など、広大な夢のなかに漂うな雰囲気を味わえました。
 そしてダウスゴーの指揮するスウェーデン室内管がうまい。
ワーグナー自身のオケ編ではないが、室内オケの強みは、透き通るとうな透明感と、新ウィーン楽派に通じるような怪しくも厳しく、透徹したサウンドに酔いしれる。
これは、すばらしいヴェーゼンドンクリーダーだと思う。

次は、ふたたび「オランダ人」序曲。
1860年にパリでの演奏会に際して、この序曲の終結部に21小節分を挿入し、さらにあらたに終曲として23小節分を作曲しなおした。
これがいまにもっぱら聴かれる序曲で、ヴェーゼンドンクを挟んで新旧を聴いてみると、1分あまり長くなったのは当然としても、ハープの導入で、音が豊かに、そしてロマンティックになり、さらには救済の夢見心地な雰囲気はトリスタン的であるとも思えた。
室内オケでの、透明感あふれるワーグナーは素敵なものだ。

そのあとにくる「ジークフリート牧歌」は、1870年のワーグナーの幸せ満ち溢れた時期の作品。
いうまでもなく、コジマの誕生日兼クリスマスのプレゼントで演奏された回廊の音楽。
速めのテンポで、すっきりと見通しよく演奏されてます。
オリジナルの各奏者1人でなく、オーケストラ版だけど、そこはこのコンビ、音が透けてみえるくらいに磨き上げられているし、慈しむような愛情あふれる演奏ではなく、サラッとしたこだわりの少ないスッキリ演奏で、これはこれでとても音楽的だし、夾雑物の一切ない蒸留水みたいで新鮮すぎ。

コジマを音楽で喜ばせた以前、マティルデ・ヴェーゼンドンクにも、ワーグナーは音楽のプレゼントをしました。
歌曲集から、5曲目の「夢」を管弦楽版に編曲(1857年)。
ここでは、ヴァイオリンソロを伴った版で録音されました。
これがまたムーディでありながら、どこか北欧風の小品のようにもなって聴こえましたのも、ヴァイオリンソロだからでしょうか。
歌曲集ではトリスタン色が強かったが、ここでは明るく、幸福感が漂うかのようで。

そして、最後にハ調の「マイスタージンガー」(1867年)がトリをつとめます。
ここにマイスタージンガーが来る必然性は、この明るい和音ではないかと。
室内オケで聴くマイスタージンガーは初めて。
軽やかで、重厚さなんてこれっぽちもないし、ダウスゴー流の快速テンポで、どんどん進む。
低回感なく、さらりとしたワーグナーだけど、各フレーズはしっかり浮き出てきて、しかもよく歌ってるし、その歌たちが実に心地よい。
半世紀以上もワーグナーを聴いてきて、こんなに面白いワーグナーは久しぶり。
エンディングも楽劇のオリジナルどおりに、礼拝堂の合唱に入る直前で、スパっと終わる心地よさ。
わたしには、これもまたあり、もともと巨大なワーグナーのオーケストラだけど、こんな風に、カジュアルに、嫌味なく演奏するのって実は難しいことなのだと思います。
また、これからの時代、大編成オケをピットに密集させるのも難しい局面を迎えました。
先だっての新国のワルキューレがそうだったように、ワーグナーも規模を落として上演するのもありかと。
トリスタンや、パルジファルなどは、そんな上演様式が十分可能ではないかと思います。

ダウスゴー、お気に入りの指揮者です。
次々にその音源を入手中。
マーラーと、ランゴー、チャイコフスキー、ブルックナー、シュトラウスなどを今後予定してます。

Entokuin-03

式の準備の間、男性はやることもなく、この歴史的な空間に、ワタクシと息子のふたりだけで10数分。

Entokuin-06

秀吉の死後、北政所は、亡夫との思い出深い伏見城の化粧殿と前庭をこの地に移築して、終焉の地としました。

北庭は、ほぼ設営当時のままとされ、開け放った間と庭は、時間が止まったかのような静謐な空間を体感できます。

Entokuin-05

丸窓の外の緑も美しい。

Entoku-06

昨年は、このような感じでした。

ともかく秋も初夏も美しいのですが、人気の場所なのでこんな光景になります。

ご住職のお話しを承りましたが、初夏の緑をこそ味わっていただきたいとのことでした。

娘よありがとう、そして幸せに。

| | コメント (3)

2021年3月26日 (金)

レヴァインを偲んでワーグナー&マーラー

Zoujyouji-a

季節は思い切りめぐってきて、関東の南はもう桜が満開。

今年は早すぎて、なんだか知らないが慌ててしまう日々。

ある早い朝に、増上寺の桜を見てきました。

そして、その数日前に、忘れたようにジェイムズ・レヴァインの訃報が飛び込んできました。

Levine-20210309

2021年3月9日に、カリフォルニア州パームストリングスの自宅で死去。
心肺停止で見つかり、死因は不明ながら、長年パーキンソン病を患っていたので、それが要因ではないかと。

バーンスタインやプレヴィンに次いで、アメリカが生み出したスター指揮者で、しかもオペラ指揮者。
でも、ここ2年ぐらいは、名前を出すことも憚られるくらいに、スキャンダルにまみれ全否定されてしまった。

この訃報も、音楽関係団体からは少なめで、スルーしているところがほとんど・・・・・

ホームページに大きく載せているのは、メトロポリタンオペラのみ。
あとは、一時、音楽監督を務めたミュンヘン・フィルがSNSで伝えてるのみ。
それとバイロイト音楽祭のホームページにも、死去の知らせが淡々とのってます。

Levine-20210309-mpo

ミュンヘンのあと、小沢の後に就任したボストン響のサイトやSNSにはまったくナシ。
ラヴィニア音楽祭などで関係の深かったシカゴ響もまったくなし、フィラデルフィアもなし。
ヨーロッパでも、ウィーンフィルもベルリンフィルも、一切触れてません・・・

このように音楽関係からの扱いは寂しい限りで、アメリカ各紙もさほど記事は多くないですが、ニューヨークタイムズなどは、その生涯と功績、そしてスキャンダルとを詳細に書いてました。
「彼のキャリアは性的不正の申し立てをめぐるスキャンダルで終わった」と書かれてます。
一時代を築いた大音楽家が、最後の最後で、しかも過去のことを掘り返されて、名声に傷がつき、ネグレクトされたあげくに病とともに生涯を終える・・・・

私は、音楽生活をレヴァインの全盛期とともに過ごした部分もあって、こんな終わり方は気の毒だし、不合理だと思う。
1回分の記事を割いて、私が聴いてきたレヴァイン、ワーグナーとマーラーに絞って思いを残しておきたい。

Ring-levine-1

レヴァインの基本はオペラ指揮者であったことと、ピアノの名手でもあったことから、歌と合わせものに特性があったこと。

1971年5月に「トスカ」でメットにデビュー。
この時の歌手が、バンブリーにコレッリですから、大歌手時代を感じさせます。
70年代は、オペラは歌手の時代から指揮者の時代に、その在り方も変わりつつあった頃。
メットの首席には73年、音楽監督には76年になります。
1975年に、メトロポリタンオペラが始めて日本にやってくるとのことで、大いに話題になりまして、その時の指揮者のひとりが、名の知れぬ人で、ジェイムズ・レヴィーンとかパンフレットには書いてあり、高校生だったワタクシは、は?誰?と思ったものです。
結局は来日しなかったのではないかな、たしか。

メットに文字通り君臨したレヴァインは、2018年に解雇されるまで、85のオペラを2552回指揮しております。
最後のメットでのオペラピットは、2017年10月の「魔笛」。
最後のメットの指揮は、2017年12月2日のヴェルディ・レクイエム。
 そのレクイエムの演奏のあと、その晩に、1968年レヴァイン・ナイトと称する秘会で、性的な辱めを受け、長く続いて死のうとまで思った、として4人の男性から訴えられるのでした。
メット側も、調査をして事実認定を取り、レヴァインを解雇、それを不服として任期分を賠償請求したレヴァインの要求額は580万ドル。
日本円で6億ぐらい?
2019年には、メット側が350万ドルを支払うことで和解してます。

 若い頃は、そんなに太ってなかったのに、巨漢になってしまったレヴァイン。
転倒して怪我したり、坐骨神経症にさいなまれていたあげく、パーキンソン病であることも判明。
メットの指揮では、車椅子から乗れる特製の指揮台で、カーテンコールも舞台に上がれず、ピットから歌手たちを賛美する映像が見られるようになりましたし、キャンセルでルイージや、ほかの指揮者に譲ったりの状況でした。

そんなわけで、長いメットでのキャリアの全盛期は、2000年の始めぐらいまでだと思います。

メットとのオペラ録音・映像は、ともかく数々あり、あげきれませんが、私はワーグナー。
DGとの蜜月が生んだ録音と別テイクの映像作品が、「ニーベルングの指環」でありまして、スタジオで真剣に打ち込んだ録音はオーケストラとしても大いに力が入っていて、その充実した歌手たちとともに、精度が極めて高いです。
音色はともかく明るく、ゆったりとした河の流れを感じさせる、大らかな語り口が、ワーグナーの音楽をわかりやすく、説明的に聴かせる。
ドイツの演奏家では、決してできない、シナマスコープ的なワーグナーは痛快でもあり、オモシロすぎでもありました。
 メットでのシェンクの具象的・伝統的演出とともにセットで楽しむべきリングなのかもしれない。
ベーレンスとモリスが素晴らしい。
 レヴァインは、バイロイトでもキルヒナー演出の「リング」を5年間指揮してますが、音楽はそちらの方がさらに雄弁で、つかみが大きい。
自家製CDRで聴いてますが、歌手はメットの方が上、オケはバイロイトの方がいい。

同じことが「パルジファル」にも言えます。
バイロイトで通算10年もパルジファルを指揮した記録を持つレヴァインですが、クナッパーツブッシュばりのゆったりとしたテンポながら、細部まで明快で、曇りないよく歌わせるパルジファルは、バイロイトのワーグナーファンには新鮮に響いたのです。
メットでのCD録音も、リングと同じことが言えますが、わたしにはドミンゴとノーマンがちょっと・・・・

メットでのレヴァインのワーグナー、タンホイザー(2015)、ローエングリン(1986)、トリスタン(1999)、マイスタージンガー(2001、2014)、リング(1989)、ラインの黄金(2010年)、ワルキューレ(2011)、パルジファル(1992)。
これだけ映像作品を持ってますが、いずれも水準は高いです。
演出もオーソドックスで、お金のかけ具合もゴージャスでメットならでは。

あと、オペラでは、若い頃のヴェルディをよく聴きました。
「ジョヴァンナ・ダルコ」「シチリアの晩鐘」「運命の力」「オテロ」ぐらいで、あとは少々食傷気味。
イタリアオペラにおける、レヴァインの生きの良さと活気みなぎる棒さばきは、70年代はクライバーと並ぶような感じでしたよ。

Mahler-levine

レコードで一部そろえた、レヴァインのマーラー。
CD時代に、まとめて他の番号も入手し、エアチェックの「復活」もあるので、あとは「8番」だけでした。

これもまた70年代の、「新時代のマーラー」と呼ばれたレヴァインのマーラー。

オペラを親しみやすく、聴きやすく指揮する手法でもって、ゆったりとした間合いをもって作り上げたマーラー演奏。
バーンスタインの自分の側に引き寄せ自己心情とともに感情を吐露してみせたマーラーと対局にあるような、客観的かつ豊穣なサウンドにもあふれたマーラー。
さきにふれたレヴァインのワーグナーと同じく、旋律線主体にわかりやすく、複雑なスコアを解きほぐしてみた感じで、だれもが親しみを感じ、嫌みを持つことがないだろう。
深刻さは薄目で、これらのビューティフルなマーラーは、これはこれで存在感がある。
加えて、当時、マーラーには積極的だったシカゴ響と、マーラーにはそうでもなかったフィラデルフィアを指揮しているのが大きい。
オケはべらぼうに巧い!
当時、アバドとシカゴのマーラーとともに、アメリカオケにぞっこんだった自分が懐かしく、アメリカという国の途方もない力と自由の精神にほれ込んでいたものです。
 今聞くと、録音のせいか、金管が耳にキツイが、このあたり今後リマスターして欲しいが、難しいでしょうね・・・
ところが、1番と6番を担当したロンドン響も実によろしくて、アメリカオケに負けてないし、レヴァインとの一体感をこちらの方が感じたりもする。しかもロンドンの方が録音がいい。

オペラ以外の指揮の音盤も数々ありますが、ブルックナーとは無縁だったレヴァインです。
ウィーンフィルとのモーツァルトも素敵なものでした。
交響曲もいいが、「ポストホルン」が好き。

Mozart-posthorn-levine1

ウィーンフィルから愉悦感にあふれた演奏を労せずして引き出したレヴァイン。

バイロイトとともに、ザルツブルクの常連となり、ウィーンフィルといくつものオペラを上演しました。
「魔笛」「イドメネオ」「ティト」「フィガロ」「ホフマン物語」「モーゼとアロン」などを指揮。
オーケストラコンサートでも常連でしたが、ザルツブルクデビューとなった1975年のロンドン響との「幻想交響曲」を今でも覚えてます。
カセットテープは消してしまったので、あの時の演奏をもう一度聴きたい。(でも難しいだろうな)

 最後に、マーラーの10番の最終場面を鳴らしつつ、レヴァイン追悼記事をここまでにします。

あとはグチです。

Zoujyouji-b

オバマ政権時代から横行しだした、アメリカのキャンセルカルチャー。

歴史の流れを無視したかのように、遡って、あれは間違いとレッテルを押す。
伝統や文化も間違えとして消す。

244年の歴史のアメリカでそれをやると、限りなく該当者が噴出する。
さらには、その前建国前史にまで遡って、しいては黒人差別へと結びつけて、過去の人物を否定していく風潮が激しい。
BLMの名のもと、建国の英雄たちの銅像が倒され、「風と共に去りぬ」まで上映封印、もっともっと拒否られてます。

歴史の経緯でいまある現在と社会、そこに普通に適合してきた、各民族のことをなおざりにしてないか?
多民族国家として大国になったアメリカの本質が揺れ動いているのは、こうした、アメリカを愛し適合してきた多国籍の人々のことを無視して、あんたら虐げられてきたんだよ、とうそぶいた連中がいて、彼らの狙い通りに、アメリカがいまおかしくなってしまったことだと思う。

心の奥底にあるものを、無理やりに引っ張り出してしまうのは、共産主義の常套だろう。
アメリカは完全にやられてしまった。
それに歯向かい、本来の自由で力強いアメリカを目指したトランプは、葬り去られてしまい、操り人形のような大統領が誕生した。

レヴァインの過去のことは、完全なる過ちで、被害者として手をあげた方々には落ち度もないと思います。
しかし、半世紀前のことを芸術の晩年を迎えていた人に、犯罪としてぶつけるのはどうだろうか?
そりゃ、やったものは悪いが、永遠に許されないのか、死んでも名誉は回復できないのか?

人間だれしも、過ちや言いたくない秘密はありますよ。
レヴァインが、白人でなかったら、メットで超長いポストを独占してなかったら、もしかしたらこんなことにはならなかったかも。

そして、なによりも言いたい。
アメリカの現某大統領や、その息子。
C元大統領とか、いろんなセレブたちの、あきらかな忌み嫌うべき風説の数々、それは人道上許されざるをえないものも多々。
それを明かそうとした人々の声が抹殺され、なんたってその連中はのうのうとしている。
どうせやるなら、責めるなら、そうした連中も、過去を暴いて、徹底的に凶弾すべきではないのか!

憧れたアメリカの自由と繁栄、民主主義の先生としての存在が、完全に消え去ったと認識したこの1年だった。
この流れは、日本にも確実に来る。

レヴァインの死に思う、アメリカの終焉。

こんなはずじゃないよ。

アメリカの復活を切に望む!

あわせて日本は日本であって欲しい!

| | コメント (6)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ ねこ アイアランド アバド アメリカオケ アメリカ音楽 イギリス音楽 イタリアオペラ イタリア音楽 ウェーベルン エッシェンバッハ エルガー オペラ カラヤン クラシック音楽以外 クリスマス クレー コルンゴルト コンサート シェーンベルク シベリウス シマノフスキ シュナイト シュレーカー シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン スクリャービン スーク チャイコフスキー チャイ5 ツェムリンスキー テノール ディーリアス ディーヴァ トリスタンとイゾルデ ドビュッシー ドヴォルザーク ハイティンク ハウェルズ バス・バリトン バックス バッハ バルビローリ バレンボイム バーンスタイン ヒコックス ビートルズ ピアノ フィンジ フォーレ フランス音楽 ブラームス ブリテン ブルックナー プッチーニ プティボン プレヴィン プロコフィエフ ヘンデル ベイスターズ ベネデッティ ベルク ベルリオーズ ベートーヴェン ベーム ホルスト ポップ マリナー マーラー ミンコフスキ ムソルグスキー メータ モーツァルト ヤナーチェク ヤンソンス ラフマニノフ ランキング ラヴェル ルイージ レクイエム レスピーギ ロシア系音楽 ロッシーニ ローエングリン ワーグナー ヴェルディ ヴォーン・ウィリアムズ 北欧系音楽 古楽全般 器楽曲 小澤征爾 尾高忠明 幻想交響曲 料理 新ウィーン楽派とその周辺 旅行・地域 日本の音楽 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 東欧系音楽 歌入り交響曲 現田茂夫 神奈川フィル 第5番 若杉 弘 趣味 音楽 飯守泰次郎 R・シュトラウス