カテゴリー「イギリス音楽」の記事

2020年7月 4日 (土)

ハウェルズ チェロ協奏曲 ジョンストン

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鮮やかなとりどりの紫陽花が旬です。

連日の雨でふさぎがちな日々に、ちょっと癒しを与えてくれます。

Howells

 ハウェルズ チェロ協奏曲

   チェロ:ガイ・ジョンストン

 クリストファー・シーマン指揮 ブリテン・シンフォニア

     (2018.12~2019.1 @キングズカレッジ、ケンブリッジ)

英国作曲家ハウェルズ(1892~1983)は、私の大好きな作曲家のひとりで、ヴォーン・ウィリアムズやフィンジに通じる叙情派。
過去記事で何度も書いてますが、42歳で、最愛の息子をポリオで突然に亡くしてしまうことから、陰りを帯びたシリアスな作品を書くようになった。
それまでは、田園情緒あふれるオーケストラ作品や、室内作品、瀟洒なピアノ曲などを中心に書いてます。

グロースターシャーで、家族と過ごした夏、9歳の息子マイケルを失ってしまい、満身創痍となったハウェルズ。
その気持ちを切り替えるため、さらにその思いを照射するためにもと、娘のウルスラは、父に作曲に戻るように勧めました。
そして出来上がったのが「楽園讃歌」で、まだ息子が存命中だった1933年から手掛けていた後のチェロ協奏曲。

ただ、チェロ協奏曲は、協奏曲としての形を結ぶことができず、「チェロと管弦楽のための幻想曲」という17分あまりの作品として完成される。
続く2楽章は、チェロとピアノスコアだけが残されることとなり、それを1992年にクリストファー・パーマーが補筆完成。
この作品は、チェロ協奏曲の2楽章ということでなく、「チェロと管弦楽のための挽歌」という曲として残されることとなります。
パーマーは、作曲家・プロデューサーとして多くの仕事をなしており、英国作曲家たちの作品を掘り起こしたり再生したりするばかりか、執筆家としても数々の作曲家について残してます。
残念ながらパーマーは1995年に49歳で亡くなってしまう。

パーマーの死でその先がなくなってしまったチェロ協奏曲の完成。
ハウェルズ財団のサポートを得て、今度はハウェルズの研究者でもあり、オルガン奏者でもあったジョナサン・クリンチが「幻想曲」と「挽歌」をそれぞれ1楽章と2楽章とすることで、それぞれとの整合性を第一優先にした第3楽章を創作しました。
2010年から、ラター、ロイド・ウェッバー、ペインなどの助言を受けつつ完成させ、2016年に、今回の演奏者ガイ・ジョンストンのチェロによって初演されております。

以上が、この作品の生い立ちで、CD解説書などを参照しまとめました。

第1楽章は、モダンな雰囲気のなかに、痛切なペシミズムと哀愁を感じさせるもので、少しばかり受け止めは重たいです。
でも第2楽章になると、その気分も救われます。
憂鬱と孤独が何故だか心地いい、そんな癒しの音楽で、ともかく美しい。
 そして前ふたつの楽章を統合しつつ、エネルギッシュな気分に押される前向きな音楽となった3楽章。
クリンチ自身も語ってますが、ウォルトン風でもあります。
悲しみと、ぶつけようの怒りや痛みを開放するような、そんな爽快さもありました。

私には慣れ親しんできた、ハウェルズの作風がしっかり投影されている立派なハウェルズ作品と思えました。
これも、クリンチの言葉ですが、ハウェルズはチェロを男性の声とみなし、その声はまさに作曲者の声となっていると語ってます。

今回聴いた、新しい録音は、教会での録音でもあり、響きがとても豊かで、でも音の芯はしっかりとしている優秀なもの。
演奏も初演者だけあって大いに共感しながらのもので、オケとともに音色もキレ味も素晴らしいと思いました。

当CDは2枚組で、この余白にはオルガン作品が、もう1枚にはテ・デウム、ミサ曲、マニフィカトなどの宗教作品が収められてます。
この合唱宗教作品は、ことのほか美しく、いずれの機会にまた取り上げたいと思います。

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 「幻想曲」と「挽歌」は、こちらのヒコックス盤にも収められていて、これが世界初録音でした。

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ハートのような紫陽花見つけました💛

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2020年4月 5日 (日)

ディーリアス 人生のミサ デル・マー指揮

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晴れた春分の日の日の入りを、吾妻山から眺めました。

富士に沈む夕陽。

壮絶ともいえる夕暮れの様子を立ち会うのが大好きです。

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ディーリアスの大作、人生のミサを久しぶりに聴く。

集めた音源は4種もあり、今回は、デル・マーの指揮によるものをメインに、聴きまくりました。

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  ディーリアス 人生のミサ

    S :キリ・テ・カナワ
    Ms:パメラ・ボウデン
    T :ロナルド・ダウド
    Br:ジョン・シャーリー=クワァーク

 ノーマン・デル・マー指揮 BBC交響楽団
              BBC合唱団
              BBCコーラル・ソサエティ
    (1971.5.3 @ロンドン、ライブ)

イタリアのわけわからないレーベルから出てるこのCD。
放送録音と思われ、音像も少し遠く感じられますが、ちゃんとしたステレオで、鑑賞に支障はありません。
おまけに、カップリングはグローヴズ指揮するレクイエムもついてるので、ディーリアス好きにはたまらない音源なのです。

安定のシャーリー=クワァークが神々しく、いちばん耳にまっすぐ届きます。
キリ・テ・カナワがディーリアスを歌うなんて、と思いつつ聞いたけど、そのクリーミーで清潔な歌唱は、思った以上に相応しく、とてもいいです。
ボウデンの奥ゆかしいメゾに、熱っぽいダウドのテノール。
ダウドは、デイヴィスのベルリオーズ・レクイエムでソロを歌っている方です。

そして、師ビーチャムのもとで学んだ、デル・マーの定評あるディーリアス。
ベーレンライター版のベートーヴェンを校訂した、ジョナサン・デル・マーの親父さんです。
ときに、野生的な場面もあるこの作品、そうしたダイナミックな局面の描き方は、デル・マーのもっとも得意とするところだし、この作品の一番美しいシーン、第2部の牧場の真昼の美しさといったらない、陶然としてしまった・・・

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ここで、この作品のことを、下記、過去のヒコックス盤の記事からの引用です。

4人の独唱、2部合唱を伴なう100分あまりの大作。
こうした合唱作品や、儚い物語に素材を求めたオペラなどに、ディーリアスの思想がぎっしり詰まっているのだ。
 ディーリアスは、世紀末に生きた人だが、英国に生まれたから典型的な英国作曲家と思いがちだが、両親は英国帰化の純粋ドイツ人で、実業家の父のため、フレデリックもアメリカ、そして音楽を志すために、ドイツ、フランスさらには、その風物を愛するがゆえにノルウェーなどとも関係が深く、コスモポリタンな作曲家だった。

その音楽の根幹には、「自然」と「人間」のみが扱われ、宗教とは一切無縁
そう、無神論者だったのである。
この作品も、「ミサ」と題されながらも、その素材は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」なのであるから。

 アールヌーヴォ全盛のパリで有名な画家や作家たちと、放蕩生活をしている頃に「ツァラトゥストラ」に出会い、ディーリアスはその「超人」と「永却回帰」の思想に心酔してしまった。
同じくして、R・シュトラウスがかの有名な交響詩を発表し大成功を収め、ディーリアスもそれを聴き、自分ならもっとこう書きたい・・・、と思った。
1909年、ビーチャムの指揮により初演され、その初録音もビーチャムによる。
 
ドイツ語の抜粋版のテキストに付けた音楽の構成は、2部全11曲。

合唱の咆哮こそいくつかあるものの、ツァラトゥストラを歌うバリトン独唱を中心とした独唱と合唱の親密な対話のような静やかな音楽が大半を占める。
日頃親しんだディーリアスの世界がしっかりと息づいていて、大作にひるむ間もなく、すっかり心は解放され、打ち解けてしまう。

第1部

 ①「祈りの意志への呼びかけ」 the power of the human will
 ②「笑いの歌」 スケルツォ 万人に対して笑いと踊りに身をゆだねよ!
 ③「人生の歌」 人生がツァラトストラの前で踊る Now for a dance
 ④「謎」      ツァラトゥストラの悩みと不安
 ⑤「夜の歌」   不気味な夜の雰囲気 満たされない愛

第2部

 ①「山上にて」 静寂の山上でひとり思索にふける 谷間に響くホルン
           ついに人間の真昼時は近い、エネルギーに満ちた合唱
 ②「竪琴の歌」 壮年期の歐歌!
           人生に喜びの意味を悟る
 ③「舞踏歌」  黄昏時、森の中をさまよう 牧場で乙女たちが踊り、一緒になる
           踊り疲れて夜となる
 ④「牧場の真昼に」 人生の真昼時に達したツァラトゥストラ
           孤独を愛し、幸せに酔っている
           木陰で、羊飼いの笛にまどろむ
 ⑤「歓喜の歌」 人生の黄昏時
           過ぎし日を振りかえり人間の無関心さを嘆く
           <喜びは、なお心の悲しみよりも深い>
 ⑥「喜びへの感謝の歌」
           真夜中の鐘の意味するもの、喜びの歌、
           永遠なる喜びを高らかに歌う!
            
       O pain! O break heart!
                     Joy craves Eternity,
                     Joy craves for all things endless day!
                    Eternal, everlasting, endless dat! endless day!
                      
           (本概略は一部、レコ芸の三浦先生の記事を参照しました)

 冒頭のシャウトする合唱には驚くが、先に書いたとおり、すぐに美しいディーリアスの世界が展開する。
妖精のような女声合唱のLaLaLaの楽しくも愛らしい踊りの歌。

「夜の歌」における夜の時の止まってしまったかのような音楽はディーリアスならでは。
「山上にて」の茫洋とした雰囲気にこだまする、ホルンはとても素晴らしく絵画的でもある。
さらに、「牧場の昼に」の羊飼いの笛の音は、オーボエとコールアングレで奏され、涙がでるほどに切なく悲しい。
この場面を聴いて心動かされない人がいるだろうか
まどろむツァラトゥストラの心中は、悩みと孤独・・・・。
「歓喜の歌」の合唱とそのオーケストラ伴奏、ここでは第1部の旋律が回顧され、極めて感動的で私は、徐々にエンディングに向けて感極まってしまう。
そして、最後の「喜びへの感謝の歌」では4人の独唱者が高らかに喜びを歌い上げ、合唱は壮大かつ高みに登りつめた歌を歌うクライマックスを築く。
そして、音楽は静かになっていって胸に染み込むように終わる。

シェーンベルクの「グレの歌」にも似ているし、スクリャービンをも思わせる世紀末後期ロマン派音楽でもある。
 以前、畑中さんの批評で読んだことがあるが、「人生のミサ」の人生は、「生ける命」のような意味で、人の生の完結論的な意味ではない、と読んだことがある。

英語の「LIFE」も同じ人生を思わせるが、原作の「Eine Messe des  Leben」のLebenの方がイメージが近いような気がする。

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②ビーチャム盤


   S:ロジーナ・ライスベック
   A:モニカ・シンクレア
   T:チャールズ・クレイグ
   Br:ブルース・ボイス

 サー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1952~53 @アビーロードスタジオ)

モノラルだけど、ちゃんとしたスタジオ録音なので、音はくっきり鮮明、そして生々しい。
演奏も、さすが初演者だけあって、熱のこもったもので、情熱の掛け方が半端ない。
そして、陶酔的な美しさは、さすがディーリアスの守護神ともいえるビーチャム。
ホルンは、このとき、ブレインだったのでしょうか。。
モノラルゆえに、そのどこか鄙びた響きは、わたしには郷愁すら感じる・・・・

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③グローヴズ盤


   S:ヘザー・ハーパー
   A:ヘレン・ワッツ
   T:ロバート・ティアー
   Br:ベンジャミン・ラクソン

 サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1972 @ロンドン)

ビーチャム盤に次ぐふたつめの正規録音で、これが国内発売されたとき、すでに私はディーリアス好きだったけど、2枚組の大作には手が手ず、三浦先生の特集記事だけど、興味深々で読むにとどまっていた。
さらに全部集めたはずの、EMI「音の詩人ディーリアス1800シリーズ」でも出たはずなのに、なぜかこのグローヴズの「人生のミサ」は購入していなかったのが今思えば不思議なこと。
そして、実際に耳にしたのは、CD時代になってから。
グローヴズらしい滋味あふれる、優しさと自信にあふれた素晴らしいディーリアス演奏です。
当時、ハイティンクのもとで黄金時代を築くことになるロンドン・フィルのくすんだ響きも、渋くも神々しい。
お馴染みの歌手の名前が揃っているのも懐かしい。
明るめのラクソンの声が美しく、すてきなものだ。
 ただ、録音が強音で、割れてしまうのが惜しい。
ちゃんとマスタリングして、再発して欲しいな。

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④ヒコックス盤


   S:ジョーン・ロジャース
   A:ジーン・リグビー
   T:ナイジェル・ロブソン
   Br:ピーター・コールマン・ライト

 サー・リチャード・ヒコックス指揮ボーンマス交響楽団
                 ボーンマス交響合唱団
   
    (1996@ボーンマス)

ヒコックスも早くに亡くなってしまったが、シャンドスに、ディーリアスを次々に録音していたなかでの逝去は、本当に残念だった。
そこで、この作品が録音されたのは僥倖もの。
やはりデジタルでの鮮明な録音で、こういう合唱作品で音割れの心配なく聴けることが嬉しい。
こうして、いくつも並べて聴いてみると、歌手が小粒に感じるものの、悪くない。
ことにオーストラリア出身のコールマン・ライトのこれも明るめのバリトンがいい。
濃淡ゆたかな合唱の扱いがさすがにヒコックスはうまい。
静かな場面での弱音の美しさは、録音の良さも手伝って、ほかの盤では味わえないし、ボーンマス響のニュートラルサウンドと、それを引き出すヒコックスの指揮の巧さも感じます。
かつて、新日フィルに客演したヒコックスを聴いたけれど、オケと合唱をコントロールする巧さは、長年の合唱指揮者としての経験の積み重ねだと思ったことがある。
そのときの演目は、ブリテンの「春の交響曲」だった。
1999年の文化会館でのコンサート。

Azumayama-fuji-03

沈んだ夕陽。

こうして夜の闇が訪れますが、いま、世界は闇のなかにいるかのよう。

人類の叡智もかなわない猛威に、不安は増すばかり。

いつかやってくる明るい夜明けを期待して、いまは静かに過ごすばかり。

そしてひたすら、連日、音楽を聴き、オペラを観るばかり。

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2020年3月 1日 (日)

ウォーロック 「たいしゃくしぎ」

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真冬の夕方どきの湘南海岸。

遠くの箱根の山が薄く染まり、砂浜の足跡も寂しく、厳しい雰囲気。

繰り返す波の音に、こんなときは、海鳥が鳴いたりすると、寂しさもひとしおになって、もっと雰囲気が出る。

3月の始まりなのに、絶望的な音楽を。。。

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      ウォーロック 「たいしゃくしぎ」

    T:ジェームス・グリフェット

  コールアングレ:マリー・モードック
  フルート:マリー・ライアン
  ハフナー弦楽四重奏団

           (1993)

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    T:ジョン・マーク・エインズリー

   ナッシュ・アンサンブル
       
         (1997.4 @ロンドン) 


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    T:イアン・パートリッジ

  ロンドン・ミュージック・グループ

        (1973.6 @アビーロードスタジオ)

ピーター・ウォーロック(1894~1930)は、ロンドン生まれの作曲家。
寡作化であったのは、36歳という短い生涯であること以上に、学校では音楽を学びながら、さらに専門の音楽大学、ことに英国でいうところの王立音楽院などに進むこともなく、独学で音楽を学ぶという、ほんとうの音楽マニア的な作曲家であったので、本格的な大作を書くことができなかったことにもあると言われてます。
 そして、悩める作曲家でもあり、36歳という若さの死は、いくつかの説もあるようですが、自ら命を絶ったことであります。

音楽マニアと書いたのは、そのメインは、大好きな作曲家だったのが、30年ほど先輩にあたるフレデリック・ディーリアスの大ファンだったこと。
実際に会ったりもして、その思いも伝えたりしてますが、ディーリアス研究の著作もあって、大いに評価されてまして、それはいつか手にしたいと考えてもいます。
そしてなによりも、ディーリアスの音楽が、自身の作曲の手本にもなっていて、その作品からディーリアスの姿を感じ取ることもできるものもあります。
あと、クィルターや、オランダの作曲家でロンドンに住んだファン・ディーレンからも影響を受けているとされます。

ピーター・ウォーロックという名前は、いわゆるペン・ネームで、本名はフィリップ・ヘセルタインというものです。
山尾敦史さんの名著「英国音楽入門」で読みました。
ヘセルタインは、とても優しくて内省的なタイプと自分を評していて、芸術家というのは破天荒な存在で、苦悩に満ちていて放蕩を繰り返し、酒浸りになっているようなものだ、という思い込みがあったといいます。
そのために、作曲家としてのヘセルタインは、ペンネームのウォーロックに変身し、髭もたくわえ、友人の作曲家のモーランと連れ立って酒場通いをして、女友達に囲まれるような日々を過ごした時期もあったとありました。
 そんななかで、いくつかのシンプルながら、珠玉の作品を残すことになるのですが、うつ病の症状も出始め、さらには創作力も弱まって、著作や作曲もうまく進まないようになってしまった・・・・
ウォーロックという名前の言葉の意味には、魔法使い、占い師、さらには世捨て人というような意味合いもあるそうです。

なんか気の毒なウォーロックさんとヘセルタインさんなのでありました。

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ウォーロックの多くない作品のなかでの、代表作は、弦楽のためめの「カプリオール組曲」。
それと歌曲集「たいしゃくしぎ」と歌曲の数々。

20年以上前に読んだ前褐の山尾さんの本で、ディーリアス好きのわたくしは、ウォーロックに大いに興味を持ち、「たいしゃくしぎ」という鳥がジャケットになったCDをすぐに購入しました。
ASV原盤で、いまは廃盤のようですが、こちらは、ほかに「カプリオール」とか弦楽四重奏付きのすてきな歌曲が収録されていて、いまでも大切に聴いてます。
しかし、残念なことにこのCDには、詩の原文がついてませんでした。
 いまでは、ネットですぐに探すことができますが、20年前はそんな時代じゃなかった。
その後に購入したのが、エインズリーとナッシュ・アンサンブルのハイペリオン盤と、イアン・パートリッジのEMI盤の2枚でした。
「たいしゃくしぎ」の原詩を知りたい、ウォーロックの歌曲をもっと聴きたいという思いからです。
そこで苦闘しながら知ることとなった、「たいしゃくしぎ」の歌詞の内容・・・

その音楽もそうですが、イェーツの詩によるその内容も、暗くて、救いがなくて、惨憺たる心情にあふれたものだったのでした。

4編からなる22分ほどのこの曲は、コールアングレとフルート、弦楽四重奏を伴ったテノールによる歌曲集です。
「たいしゃくしぎ」=ダイシャクシギは、渡り鳥で、日本で越冬することもあるそうですが、あんまり見かけることはありません。
河口などの水辺にすごし、その長いくちばしで、地中の虫などを餌にして、これまた長い足でよちよち歩いたり、佇んだりしてるそうで。
またちょっとミステリアスな雰囲気もあるので、神秘的な存在として、この世の無常を問いかける鳥ともされているといいます。
日本の俳句などにも似合いそうな渋い存在ともとれますね。。

コールアングレ(イングリッシュホルン)という楽器がソロで活躍する曲といえば、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」を思い起こしますし、ワーグナー好きなら「トリスタンとイゾルデ」の第3幕、病床のトリスタンを心配する牧童の笛を思い出します。
 そう、いずれも悲しみや、孤独、厳しい自然などを表出するのにうってつけの楽器。
これに、澄んだ無垢なるフルートの音色と、短調が基調の厳しい弦楽四重奏が絡むという、最高の虚無っぷり。
こんな音と楽器の配色を見出したウォーロックは逆にすごいと思います。
そして、こうした無常ともいえる内省的な音楽は、私淑したディーリアスの音楽領域にも重なるものと思います。
 しかし、ウォーロックの音楽は、こんな風に暗くて救いのものばかりではありません。

16世紀、17世紀イングランドのテューダー朝、ステュワート朝の音楽の研究も行っていたウォーロックですから、「カプリオール組曲」のような瀟洒でシンプルな音楽も書きましたし、歌曲のなかには、心躍るような楽しい歌も多くあります。
そんな二面性のあるウォーロックさん。

アイルランド人で、神秘主義にも傾倒したイェーツの詩と不可分に結びついた「たいしゃくしぎ」
1922年、ウォーロック28歳のときの作品。
藤井宏行さんの訳詞が、ネットで見れますので、参照にさせていただきました、ありがとうございます。(→The Curlew

 ①O Curlew , Cry no more                     
   おおたいしゃくしぎよ、もう鳴くな
 ②Pale Brows , still hands and dim hair 
   蒼ざめた顔 柔らかな手と柔らかな髪
 ③I cried when the moon was murmuring to the birds       
   わたしは叫んだ 月が小鳥たちにつぶやいていたときに
 ④(Interlide)       (間奏)
 ⑤I wander by the edge         
        わたしは、この岸辺をさまよう

各詩の最初を読むだけで、哀愁と忘れがたい悲しみを追い求める姿が浮き彫りになります。
曲の冒頭で、コールアングレの演奏が始まるとすぐ、ひんやりとした状況に包まれてしまう。
そして次いであらわれる、たいしゃくしぎに、鳴かないでくれと呼びかける歌、イギリスのリリックなテノール歌手の歌声あってこそ、この音楽を歌い込むことが可能とも思います。
歌うばかりか、独白のように、詩を読んだりもします。
ともかく救いナシ。
あまりに切々とした歌で、同情を誘ってしまうような音楽でありつつ、あちら側に行っちゃった感じも受けるので、ついていっちゃいけない、と曲が終わったときに心に誓うのも忘れてはなりません。

初聴きのグリフェットのマイルドな歌声、エインズリーの哀感ともなったリリカルな声、パートリッジのちょっとか細さすら感じさせる泣きの歌。
全部、好きです。
あと、パドモアも録音したみたいですから、そちらはフィンジがカップリングされてまして、是非にもと思っています。

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いま現出した不安の日々に、こうした音楽も聴いて、逆に光明の光りを感じ取ることも必要かと思います。

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2019年12月 1日 (日)

ブリテン 聖ニコラス ブリテン指揮

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国内も、国外も、身の回りの狭い社会にも、いろんなことが日々、ハイスピードで起きてることを感じてしまうのは、SNSなど、ネット社会の行きつきつつある、ひとつの現象だろうし、これからも、ますます加速する流れだと思います。

四季のメリハリもなくなりつつあるなか、必ずやってくる私の大好きなクリスマスシーズン。

有楽町駅前の、毎年おなじみの交通会館のイルミネーションです。
ほどよく華美でありながら、銀座の入り口のひとつでもあるので、その落ち着きが美しい。

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  ブリテン 聖ニコラス

   T:ピーター・ピアーズ

   BS:デイヴィット・ヘミングス

 ベンジャミン・ブリテン指揮 オールドバラ祝祭管弦楽団・合唱団 ほか

         (1955.4.14 @オールドバラ 教区教会)

「聖ニコラス」、すなわち、サンタクロースの起源として知られるギリシア人司教「ミラのニクラウス」のことであります。
正教会と西側西方教会とで、その伝説の中身が違ったりもしますが、基本は、弱気ものを密かに助けるという聖人の姿。
貧しいものや、罪を着せられたものに、施しを授ける伝承から生まれたサンタクロース伝は、あまねく世界にプレゼントを配る、おおらかなあのお姿に昇華され、さらには商業的なキャラクターにもなって、愛されキャラとして確立したものと思います。

戦後、1948年、ブリテンは、サセックスのランシングカレッジ100周年記念のために、この聖ニクラウス伝説をもとにした平易なカンタータを作曲。
いつものように、ピーター・ピアーズを前提としたテノール独唱に、合唱、少年合唱、弦楽合奏、オルガン、ピアノ、打楽器といった、ブリテンならではの編成。
このピアーズのソロ、弦楽合奏と打楽器以外は、アマチュア音楽家を想定しているというところもまた、ブリテンらしいところです。
オペラでも、こうした楽器編成を取ってますが、ブリテン独特のミステリアスでクールな響き、でも暖かい音楽といった二律背反的な音楽がここにもあります。
全編、50分を要する意外な大作。

9つの部分からなりますが、概要は次のとおり。

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①イントロダクション
 いまを生きる人々よりの、ニコラスへの呼びかけ。
 ニコラスの話をしよう。

②ニコラスの誕生
 ニコラスは母親のお腹のなかから叫んだ、「God be glorified!」
 明るく、ホッピングするような曲。
 ブリテンが、その叫ぶ声に選んだのは、少年合唱のなかの最少年者で、その拙さがまたピュアに聴こえます

③ニコラスの神への献身
 成長したニコラスは、テノールソロによって歌われ、
 そのテノールと弦楽だけの③
 かなりシリアスなムードにおおわれる。
 両親が亡くなり、家に一人、そして広い世界と人間の過ちを知る。
 神への奉仕の人生を歩む。

④パレスチナ(エルサレム)への旅へ
 ニコラスの航海が描かれるが、男声による船員。
 かれらは、聖人に敬意を払わない
 その報いとして海は大荒れ、船員は絶望に
 嵐は、少女たちの声が代弁、なかなかに荒涼たるサウンドが展開。
 しかし、ニコラスは祈りで船員たちを落ち着かせ、そして神に向かって祈り、静かに終わる

⑤ニコラスはマイラへ、そして司教に
 マイラ(ミラ、現トルコ内)に到着したニコラスは、その地で司教に選出。
 ニコラスは、神の前に誓い、そして讃美歌に包まれる。

 Old Hundred=詩編第100編からの讃美歌が全員で歌われ、きわめて感動的。

 「世に住むすべての人々は、明るい声で主に歌いましょう
  彼は喜んで使える、その称賛は語り継がれる
  あなた方は、彼の前に来て喜びなさい・・」

⑥獄舎からのニコラス
 ローマの支配下となり8年。相次ぐ迫害。
 獄舎でのパンの施しの孤独な秘蹟を行いつつも、この現状を憂うニコラス。
  罪なき市民の処刑を助けた伝説からの場面。
 ここでは、③のようにニコラスのテノールと弦による少し切迫した音楽。

⑦ニコラスと漬物少年(ピックルスボーイ)
 凍てつく冬、旅行者たちが空腹のため食事をとろうとする。
 ニコラスにも勧める。
 しかし、ニコラスはそれを制止し、行方不明の3人の名前を呼びかける。
 すると肉屋に殺された少年たちが蘇り、ハレルヤを歌いだす。
  これもニコラス伝説のひとつ。
 子供たちの守護聖人であること、サンタクロース伝説であります。
 ここでは行進曲調の音楽と、子供たちを憂う母の女声合唱、そしてニコラスの祈り。
 そして、子供たちの純真な「アレルヤ」がオルガンを伴って広がり、
 最後は、明るい行進調で曲を閉める。

⑧敬意と素晴らしき業績
 40年に及ぶ、ニコラスの慈悲、善意、慈善の行い、優しさなどを、いくつものエピソードで短く回顧。
 ト長調の平和なムードの音楽で、ピアノのアルペッジョと弦の優しい背景のなか、合唱と少年少女たちが掛け合いのようにニコラスを称えい合います。

⑨ニコラスの死
 死を前にしたニコラスは、畏れと歓喜とともに、天で待つ神への愛に熱くなり、そして受け入れます。
 テノールの絶叫のようなソロで始まり、合唱も伴い熱いソロです。
  そして、それが鎮まると、オルガンが静かに序奏し、そこから超感動的な讃美歌が始まる。

  「神は神秘的な方法で動く 実践するその不思議
   彼は彼の足跡を海に植え そして嵐に乗る。・・・・ 」

 こちらは、⑤の讃美歌Oldと違って、New Londonとして編されてます。
 暗闇から輝く光、これを讃えたもの。

 この堪えようもない、感動をどう捉えようか。
 ブリテンの作品、彼のオペラにも通じる、エンディングのマジックです。
 聴衆には、この讃美歌をご一緒に、という一言もあります。
 荘厳に鳴り響くオルガン、輝くシンバル、とどろくティンパニを伴った心浮き立つ讃美歌。

このように、シンプルながら見事に構成された作品で、聴くほどに味わいがあります。
無垢の子供たち、気の毒な人々を愛した博愛のブリテンならではの、素材選びだし、それにつけられた音楽も素晴らしいものとなりました。

取り上げたCD盤は、モノラルなので、教会的な空間の広がりはここに求めることはできませんが、デッカならではの鮮明でリアルな録音で、曲の良さは十分に堪能できる。
なによりも、特徴的なピアーズののめり込んだような歌唱がいい。
そして、作曲者の直伝の指揮は、この曲のモニュメンタルな存在として、今後の指標にもずっとなるものでしょう。

ほかにもいくつか録音はありますが、まだそれらは聴いてません。
あとよかったのは、今年BBCのネットで録音した、クレオバリーのキングスカレッジ勇退のライブ。
ケンブリジのキングズ・カレッジ教会の響きが心地よく、実の神々しい感じでステキな演奏だった。

Yuurakuchou-2

今年のクリスマスシーズンは、天皇陛下のご即位や、新元号のスタートなどがありながらも、多かった災害なども身近に感じたりして、どうもきらびやかさは控えめのように感じます。
特に、千葉県民だから、そう思うのか、県内の商業施設など少し抑制ぎみ。

静かに過ごしたい12月ですが、きっと慌ただしくなるのでしょうねぇ・・・・

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2019年11月12日 (火)

バックス 伝説 コレッティ(ヴィオラ)

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2019年11月9日の晩、翌日に、ご即位の奉祝パレードを控えた東京タワーも、記念のライトアップ。

自分と同期生の東京タワーも、ご覧のように美しく輝き、東にスカイツリーができても、まだまだ東京の顔として現役。
この日も、世界各国の方々も多くいらっしゃいました。

天皇陛下とは1歳違い、皇太子さまの時代より、ずっと親しく感じていたお方です。
昭和天皇は遠くの存在、平成天皇は父のような存在、そしてご即位された令和の時代の新天皇は、より親しみを持てる身近な存在。

陛下は、オックスフォード大学ご修学のご経歴と、そして自らヴィオラを弾かれます。

本日は、英国のヴィオラ作品を聴いて、あらためまして御奉祝の祝意を捧げたいと存じます。

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  アーノルド・バックス Legend ~伝説

    ヴィオラ:ポール・コレッティ

    ピアノ :レスリー・ハワード

        (1993.09.23 @ピーターズハム、ロンドン)

こちらのCDは、英国作曲家のヴィオラ室内楽作品を集めたもので、ブリテン、V・ウィリアムス、グレインジャー、ブリッジ、レベッカ・クラーク、そしてバックスの曲が収められてます。

これらの中では、女流のクラークさん(1886~1979)の3楽章形式のソナタという大作もあって、これがなかなかに抒情的かつモダーンな一品なのですが、それはまたいずれの機会に。

本日は、日ごろ、その作風や音色が耳になじんだ作曲家、バックスの10分あまりの幻想的な作品に絞りました。

バックスは大好きな英国作曲家で、もういくつも記事にしてますが、その素敵な、ワンパターンともいえる3楽章形式の7つの交響曲を中心に、オペラ以外に残した多彩なジャンルの作品たちを、愛してやみません。
 ロンドンっ子でありながら、ケルト文化に感化され、その音楽をたどり、収集し、自らの音楽に反映させました。
この「Legend」も、そうした雰囲気が満載の作品で、交響曲でいえば、3番とあのケルト臭満載の4番とのあいだに書かれました。
1928年、バックス45歳の作品です。

ためらいがちなヴィオラの音色に、感覚的なピアノが寄り添い、ミステリアスでありつつも、抒情と幻想の入り混じる、わたくしには、えもい合わぬ、バックス・ワールドを堪能できる佳品です。
それにしても、ヴァイオリンのように、突き抜けたサウンドもなく、チェロのように、人を包み込むような深い音空間を築きあげるでもない。
縁の下の力持ちのような、普段は、言葉少ないヴィオラの音色。
それこそ、多弁でなく、静かな物言いは、どんなに言葉や音を尽くすよりも、人の耳や心に緩やかに入ってきて、安心感をもたらします。

ヴィオラを嗜む天皇陛下の、その人となり、その御声、そのもののような気がいたします。
こんな風ないい方は不遜かもしれませんが、それこそ、国民や日本のことを、いつも祈っておられる皇室の存在が、わたくしたちに与えてくださる、安堵と安寧の安心感なのかもしれません。

ちなみに、ほかの収録曲、クラークのソナタ以外も、V・ウィリアムズ節が堪能できる「ロマンス」、グレインジャーの「サセックスの母のクリスマス・キャロル」など、べらぼうに美しく、そしてハートウォームな曲が聴けて、秋の夜にもぴったりです。

スコットランド出身、メニューイン門下のコレッティの艶のあるヴィオラは気持ちいい音色をふんだんに奏でてます。
彼も、期せずして、天皇陛下と同じ年でした。

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きれいなものは、きれい。
尊いものは、尊い。

それでいいじゃないですか。

2000年も続いた、日本国の皇統と、われわれ日本人の想いは、これからも弥栄にあれと心より思います。

パレードを体感しようと出かけましたが、思いもしなかった手荷物検査の長蛇の列は、一向に進まず長時間並んで終了でした。

上空のヘリコプターと、はるか遠くに見える、観覧できた方々の振る日の丸を眺めつつ、その雰囲気を堪能いたしました。

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2019年9月19日 (木)

ディーリアス 弦楽四重奏曲 去りゆくつばめ ブロドスキーSQ

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こんな、初夏から夏にかけての1枚が、懐かしく思われる今日この頃。

季節の変わり目は、四季に応じてあるけれども、冬から春のわくわく感、春から夏の沸き立つ解放感。
そして、夏から秋へは、寂しさと楽しかった日々への寂寞の想いがあります。
さらに、秋から冬は、備えと身支度を伴って身が引き締まります。

9月17日から21日頃を、暦でいう七十二侯のうち「玄鳥去」にあたります。
そう、元気に飛び交っていた「つばめ」たちが、南の暖かい地に飛び去る季節を言うのです。

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  ディーリアス 弦楽四重奏曲

    ブロドスキー・カルテット

               (1982)

ディーリアス唯一の弦楽四重奏曲。
第一次大戦によるドイツ軍の侵攻により、永遠の地と定めた、フランス、グレからオルレアンに一時避難、しかし、一時ドイツ軍が引いてグレに戻ったものの、ビーチャムの勧めもあって、イギリスへと渡った。
ちょうどその頃、書かれた四重奏曲で、1916~17年の作品にあたります。

もうひとつ。1893年に書かれた四重奏曲があって、そちらは破棄されてしまったので、現存するのはこちらだけ。
当初は、3楽章構成であったが、すぐにスケルツォ楽章を加えて4楽章形式としました。

4つの楽章からなる、正統的な四重奏曲で、そのの緩徐楽章である、第3楽章がフェンビーによって編曲された、弦楽合奏による小品「去りゆくつばめ」の原曲。

Slow and wistfully」~ゆっくりと、物憂げに~と但し書きされた、美しくも儚い楽章。

弦楽合奏で聴くより、四重奏で聴くと、より耳をそばだてることになり、去りゆくつばめ、去りゆく秋を想い、気分はまさに物憂くなります。
そんな想いを、軽く和らげ払拭させてくれるような快活な4楽章が続くことに。
こちらは、速く、勢いよく、と題されてます。
さかのぼるようにして、1楽章のメロディーが再現されたり、総括的な終楽章となりますが、やはり、心に残るのは、先の3楽章。
3楽章を最後にしてもよかったのでは、なんて思ったりもします。

のびやかな1楽章は、どこか憂いを含みながらも、英国田園詩情を漂わせてくれます。
民謡調の中間部が素敵な追加された2楽章のスケルツォ。
そして、Late Swallows「さりゆくつばめ」が来るわけです。

正統的な四重奏曲と書きましたが、ベートーヴェンの中期などのかっちりとしたものと比べると、はるかに感覚的な音楽で、その流れに身を任せることが出来ない聴き手には、退屈な音楽としかうつらないででしょう。
ですが、これがディーリアスの魅力です。

グレからイギリスに去る時、夫人イェルカによれば、ディーリアスは「つばめと別れるのがとてもつらい」と言っていたそうです。
季節の時候として、遅くまで残って飛び交うつばめも、次々に去っていく。
それを見ながら思うディーリアスの脳裏には、戦時避難したおりに接した負傷兵や避難者たちの姿もあって、戦没者への想いもありました。

昨日の雨が上がり、朝から青空が雲の中から顔を出してます。
空もだんだん高くなってきました。

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 「去りゆくつばめ」弦楽合奏版で好きなのは、慈しむようなバルビローリと、楚々としたノーマン・デル・マーのもの。

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2019年9月14日 (土)

ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

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今年は、最初は涼しく、その後の暑さが厳しすぎたせいか、吾妻山の早咲きのコスモスは少し精彩に欠くような気がしました。

でもその名の通り、初秋に咲く、この花の色合いや佇まいはとても美しい。

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こんな教会の中で演奏された曲をネットで聴きました。

そう、英国音楽好きを自称しておきながら、こんなに美しい音楽を知らないできた。

いや、でもメロディーはなぜか知っていた。

しかも、6月から8月にかけて、イギリスでの演奏会でのものを3種類も。

  ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

        ~16人の独唱者とオーケストラのための~

 ステファン・クレオバリー指揮 ブリテン・シンフォニエッタ
                キングズ・カレッジ・コーラス
       (2019.06.29 ケンブリッジ、キングズ・カレッジ教会)

 マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団
            ハレ合唱団
            (2019.05.23 マンチェスター)

 マーティン・ブラビンス指揮 BBCスコティッシュ交響楽団
               BBCシンガーズ
             (2019.08.13 ロイヤル・アルバートホール)

短い間に、3回も演奏されます。
そう、それにはいわれがあります。

指揮者ヘンリー・ウッドの指揮活動50年を記念して、ほぼ同年代だった朋友のヴォーン・ウィリアムズは、この素敵な作品を1938年に作曲した。
ヘンリー・ウッドは、指揮者として、作曲家・編曲者として、そして、音楽プロデュースにおける改革者として、ビーチャム、さらには、ボールトやバルビローリらの先人として英国音楽界にその足跡を残した人です。
プロムス、すなわちプロムナードコンサートの第1回目の指揮者でもあり、その後もクィーンズホールから現在のロイヤルアルバートホール(RAH)に至るまで、ずっと指揮者として活躍し、いまは、プロムスの期間中、そのホールに胸像が掲げられてます。
そのウッドの生誕150年が今年だったわけです。(1869~1944)

今年のプロムスでは、ブラビンスの指揮で演奏され、6月には、キングス・カレッジを長年率いたクレオバリーのフェアウェルコンサートのなかで、そして5月には、ハレ管のマーラー2番の、驚きのアンコールで演奏されました。

このように、ウッドと所縁があることで、今年多く演奏され、放送も多く聴くことができ、この作品がことさらに好きになった次第です。
聴いたことがあるメロディ、CD棚を探しまくり、いくつかある交響曲の全曲のカップリングにもないかと思ったが、残念ながら手持ちのCDにはありません。

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作曲時に選ばれた16人の歌手とオーケストラによるこの作品、歌手たちはソロであったり、重唱であったりで、
 のちに、ソロを4人とし、合唱とオーケストラによるものへと編曲。
さらに、ヴァイオリンソロを伴うオーケストラ版にも編曲されました。
わたくしは、きっと、このオーケストラ版をどこかで聴いたのだろうと思われます。

歌詞は、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」からとられてます。
この物語は喜劇でありながら、ユダヤ人とキリスト教者との当時の微妙な関係が描かれたりもしているのですが、ヴォーン・ウィリアムズはそのあたりはスルーして、この戯曲に出てくる音楽にまつわるシーンから美しい言葉を取り上げました。

物語の概略は、ヴェニスの商人、その親友が結婚をしたがっているが資金がない、それを用立てるために、ユダヤ人高利貸しから借金をするが、期日に返すことができずに、証文通りに、心臓を差し出すことになってしまう。その裁判で、裁判官に扮した親友の婚約者の機知によって助けられ、高利貸しは財産没収とキリスト教への改宗を命じられてしまうというオハナシ。

ここで、ヴォーン・ウィリアムズが選んだシーンは、①婚約者が裁判に勝利して、家に帰ったとき、幸せにあふれた気分で月を見上げ、もれてくる音楽を聴いたときの気分、②もともと父に反発していたた高利貸しの娘が、判決で得た父の没収財産の半分を得て、婚約者のキリスト教徒の若者と駆け落ち、夜空を見ながら天体の音楽を語り合う、このふたつです。

曲の最初は、美しい、美しすぎるメインテーマが、ソロ・ヴァイオリンによって奏でられます。
そう、あの「揚げひばり」をお好きな方なら、すぐに、このメロディーは忘れられないものとなります。
優しさと慈悲にあふれた旋律です。
そのあとに、こんどは16人の重唱で。

 「月明かりが、ここにのぼり、そこに眠るなんて、
  なんて甘い想いなのでしょう
  ここに座りながら、音楽が。
  私たちの耳に忍び寄るように
  静かな夜、甘いハーモニー・・・」

ソプラノソロが、of sweet harmony と寄り添うように歌います。

このソロと、その歌詞は、曲の最後にも歌われ、まさに癒しのサウンドを持って印象的に静かに終了する重要なモティーフです。

曲は途中、ヴォーン・ウィリアムズならではの、ミステリアスな進行を伴った神秘サウンドもあらわれますが、最終は、幸福なムードのなかに終わります。
13分ぐらいの曲ですが、何度もいいますが、ほんと美しい。

「天体の音楽は人には聴こえない」とシェイクスピアの原詩にはありますが、ヴォーン・ウィリアムズは、それをわれわれの耳に届けようとしたのかもしれません。

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3つの演奏、ともに素敵です。
クレオバリーの教会での演奏は、雰囲気そのものが素晴らしく、響きもいい。
エルダーは、マーラーで歌ったソプラノがそのまま歌っているのか、ソロが素晴らしく感動的。
プロムスのブラビンスは、巨大な響きのいいホールを美しい響きで満たしてしまい、賑やかな聴衆を静まりかえらせてしまったくらいに、集中力あふれた演奏。

ボールトのCDを今度は聴いてみよう。

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2019年4月29日 (月)

バックス 交響曲「春の炎」 マーク・エルダー指揮

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春は、初夏の日差しを伴って、一挙に訪れる。

自然の織りなす色彩は、目にも鮮やかでなかには、人の手で変化し生まれた色合いもあるかもしれないが、「色」を作り出した神の差配に感謝です。

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  バックス 交響曲「春の炎」~Spring Fire~

 サー・マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団

   (2010.3.18 @ブリッジウォーターホール、マンチェスター)

アーノルド・バックス(1883~1953)は、英国音楽好きのわたくしにとって大切な作曲家のひとり。
オペラ以外のジャンルの残された数々の作品、シャンドスレーベルのおかげで、そのほとんどを集めることができました。
生粋のロンドンっ子でありながら、ケルト文化を愛し、イギリス各地を旅して、自らの音楽の作風に反映させていった。

イギリスの作曲家ならではの抒情性と、神秘感あふれるミステリアスな雰囲気、そしてダイナミックな響き、自然の厳しさ、寂しさなども満載のその音楽。
前にも書きましたが、シャープでスモーキーなアイラ・モルトウイスキーを愛でるに等しい、そんなバックスの音楽です。

「春の炎」は、もう11年も前に、このブログで記事にしてますが、そのときの演奏は、ヴァーノン・ハンドリーとロイヤルフィルの演奏のもの。
今回は、英国音楽から、イタリアオペラやワーグナーまで、広範なレパートリーを持つエルダーの指揮によるもので。

7曲ある純粋交響曲の前、1913年のバックスの初期作品のひとつ。
5つの表題のついた楽章からなる、「森」を主人公にした交響詩のようなもの。

1.「夜明け前の森にて」
2.「夜明けと日の出」
3.「一日」
4.「森の国の愛」(ロマンス)
5.「メナド(maenads)」

1.夜明け前、雨が降り注ぐ森。雨の雫を感じさせるような美しく、夢見るような雰囲気。
2.印象派風の曖昧な幻想的な雰囲気から、徐々に音たちが立ち上がってくる日の出の生き生きとした様相。
3.ついにお日様も全開!春、爆発的に来りて、森は陽気な雰囲気に満たされて、あらゆる妖精たちが活動開始。
4.春の森は、愛の森でもある。まさにロマンス、ソロ・ヴァイオリンの甘い音色と、ソフトフォーカスなオーケストラの背景が美しい。
5.ギリシャ神話のディオニュソスを称える女性の取り巻きメナド。神話の中では、狂喜乱舞するという女性たちだが、超自然的な存在の象徴ともとられ、ここではダイナミックなオーケストレーションが駆使され、まるでR・シュトラウス的な眩さがあり、森は眩しくも賑やかな雰囲気につつまれる。

全曲33分、連続して演奏されます。
日本の、緩やかで、ほのぼのとした春とは大違いに、バックスの描いた春は、かくもミステリアスでかつ、ダイナミックなものでありました。

ハレ管のライブ録音である当盤。
ロンドンのオケともちょっと違う、少しばかりローカルな印象も、ケント・ナガノ以来、バリっとした現代的なオーケストラに変貌した。
でも、こうした英国音楽をハレ管で聴くと、いわゆる本場ものという思いを強くする。
音楽への共感の度合いが、指揮者とともに、やはり違うのであろう。
美しくも明るい演奏で、録音の生々しさも手伝って「春」の爆発力を感じます。

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このCDには、あと、ディーリアスの「春への牧歌」「北国のスケッチ」から「春の行進」。
そして、ブリッジの「春の訪れ」が収められてます。

いずれも素敵な曲であり、すてきな演奏です。

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青空も花々も、タワーもまぶしい~

4月最後の、そしてどうやら平成最後のブログ記事となりそうです。

過去記事

「ハンドリー指揮 ロイヤルフィル」

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2018年12月30日 (日)

ホルスト 第1合唱交響曲 ウェットン指揮

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有楽町駅前の交通会館のイルミネーション。

安定の美しさ。

クリスマスが終わっても、ウィンターシーズンはずっとやってますので、うれしい。

そして年末、あと2日で、音楽界は第9ばかりで、スーパーに行っても喜びの歌が流れてる。

これだけあふれかえると食傷気味に。

あの合唱の4楽章ばかりでなく、その前の3つの楽章を、じっくりと聴いてほしいものである。

で、わたくしは、ホルストの「合唱交響曲」を。

Holst_sym

     ホルスト  第1合唱交響曲 op41

       ソプラノ:リン・ドーソン

    ヒラリー・デイヴォン・ウェットン指揮

         ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

         ギルドフォード・コラール・ソサエティ

                (1993.3 @ヘンリーウッドホール)

「惑星」ばかりがホルストじゃないよ、と英国レーベルにかなりあるホルスト作品を収集してます。
確かに「惑星」の面白さや、作品としての精度の高さはないかもしれないが、どの曲も、ホルストならではの神秘感や東洋風の雰囲気、ゴージャスな響き、それと、英国詩情なども聴き取ることができて楽しいものです。

ホルスト(1874じゃら1934)の作品分野に多いのは、合唱作品。
自国の文学や、インド文学などに傾倒していたこともあり、それらを素材にした作品が多く生み出されたし、朋友のR・V・ウィリアムズの影響もあったりして、洒落たパートソングなどにも、多くの曲を残しています。

交響曲の分野では、若いころの「コッツウォルズ交響曲」が、純粋オーケストラ作品であるほか、あとは、合唱とソプラノソロを伴った「第1合唱交響曲」があるのみ。
「第2合唱交響曲」は、スケッチのみが残され、完成されずじまい。

1923~24年に書かれた1番の方の合唱交響曲は、作曲家と教師としての名声をすでに得ていた充実期の作品ながら、25年のリーズでの初演は、そこそこの成功となったものの、その後の再演が不評で、以降、あまり返り見られることのない作品として埋もれてしまった。
逆に、「惑星」が有名になりすぎてしまったことの反動でもあります。
ちなみに、その「惑星」は、1916年の完成。

          ーーーーーーーーーーーーーーーーー

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曲は長さにして約50分。
プレリュードを含む5つの部分となっていて、そのプレリュード以外の4つの部分が交響曲の体をなしております。

18世紀末のイギリスの詩人、ジョン・キーツの詩をそのテキストに用いてます。

「前奏曲」 Invocation to Pan

   重苦しいなかに、合唱が祈りともつぶやきとも取れない抑揚のない歌を。
  神秘的な、まるで秘儀に立ち会うかのような感じ。

「バッカナールの歌」 Song of Bacchanal

  ヴィオラソロとソプラノによる、まるでV・ウィリアムズのような
 晩秋の様相たたえた美しい出だし。
 その後は、ソロと合唱が交互に、ことに合唱はにぎにぎしくなり、
 バッカスをたたえる。

「ギリシアの壺に寄す」 Ode to Grecian Um

 キーツの代表作に付けた第2楽章=緩徐楽章的な存在。
 木管が印象的な合いの手をうちつつ、合唱が語りかけるように歌い進める。
 ギリシアの壺に書かれた絵をみて、あれこれ思いをめぐらすキーツの原詩。
 ときに、慰めに満ちた葬送風なところもあり、最後の最後の1節にソプラノが
 美しく登場。

「スケルツォ」 Fancy Chorus

  ここでのオーケストラは、まさに「惑星」の「天王星」のよう。
 早口の女声コーラスにハープがからんで面白い。
 ベルや木琴、チェレスタも登場し、楽しいスケルツォ。
 繰り返すが、惑星っぽい。

「フィナーレ」 Finale

 19分あまりの一番大きい楽章。
 ソプラノがアカペラで歌いだす。
 「魂よ」という詩で、そのあと合唱も加わって荘重な雰囲気に。
 そしてまた、ソプラノに明け渡され、弦とハープを背景に美しい。
 さらに合唱も、ソットボーチェで歌い始めると、背景は金管が重々しい。
 ここは、「土星」っぽい。
 やがて、もりあがり、トランペットがぴきーーんと鳴り響き眩しい。
 さらに、再び静まり、ハープとソロヴァイオリンを伴ったソプラノ。
 ここは実に美しい。
  パターン的に、こうして超美的なシーンを経て、そのあと、合唱が爆発。
 という具合に、喜びと感謝、実りの果実を戴く賛歌となる。
 各声部がフーガのように橋渡しをしてゆくのも楽しい。
 しかし、最後の最後は、音楽は弱まって、この章の冒頭の「魂よ」に戻って
 ソロの歌を合唱が引き継いで、静かに、静かに終わっていきます。

こんな流れの合唱交響曲。

正直、テキストは難解です。
物語性もなく、対訳もなく、英詩を眺めていてもさっぱりわかりません。
この作品によく言われるのは、キーツの詩が散りばめられているだけで、詩と音楽の流れと融合性がないとのこと。
まさにそのように思いますが、わたくしは、シンプルに、ホルストの筆致をそこそこに感じ、聴きとることで、この作品の良さを味わうことができました。
ことに、抒情的な部分は、きわめて美しく、優しい味わいがありました。

この作品の初録音が、今回のハイペリオン盤。
なじみのない指揮者ですが、合唱を主体として、うまくまとめていると思います。
その合唱はなかなか巧いが、おなじみのドーソンが、最初の方、ちょっとフラットぎみで不安定。でも静かな部分はとても素敵。

最近、A・デイヴィスがシャンドスに、ヒコックスの後を引き継いでホルスト作品を継続的に録音しtれおり、この作品も出ている様子。
そちらも是非聴きたいものです。

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年末ぎりぎりまで、いろんなことが起きた2018年。
平成30年、最後の投稿は、あともうひとつ。

「惑星」以外のホルスト作品 過去記事

 「雲の使者」 ヒコックス指揮
 

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2018年12月 9日 (日)

ディーリアス 「高い丘の歌」 A・デイヴィス指揮

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少し前、毎年11月は、伯父の命日の月で、一緒に眠る従姉の墓参と伯母へのお見舞いに群馬まで出かけます。

そして足を延ばして、四万温泉へ。

四万湖のあたりは、紅葉が終盤で、赤や黄色の絨毯をサクサクと踏み歩き散策しました。

母と姉とで、むかしのことをたくさんお話ししました。

嫌なこと、厳しいことはたくさんあれど、昔語りは幸せなことしか思い出しません。

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  ディーリアス  「高い丘の歌」

    S:オリヴィア・ロビンソン

    T:クリストファー・ボーウェン

  サー・アンドルー・デイヴィス指揮 BBC交響楽団
                       BBC交響合唱団

          (2010.10.15 オール・セインツ教会)


愛するディーリアス(1862~1934)の作品のなかで、もっとも好きな音楽がこの「高い丘の歌」。

「高い丘の歌」は、1911~12年にパリ近郊のグレ・シュル・ロワンで書かれた30分あまりの音詩。
ディーリアスの音楽って、まさに、「音による詩」と呼ぶに相応しい。
そして、その受け止め方は、聴く人の人生や暮らし、考え方、まわりの自然や見てきた風景、それらによってさまざま。

そう、特定の感情や事象に直接に紐つかないから、いつも新鮮だし、距離感もそこそこあって、自分の感情に飛び込みすぎない優しさがある。

わたくしは、そんな風にして、ディーリアスの音楽をずっと聴いてきました。

グリーグと知り合い、そして、ノルウェーの自然や風物を愛し、その海や厳しい大自然を思わせる音楽をいくつも書いたが、この曲もその一環。
でも、ノルウェーの大自然に接したことがない自分には、写真や映像で見るその自然を想像しつつも、自分の育ったお家から見えた風景や、街の自然を重ね合わせて聴くことできるのだ。
それが、自分にとっての「ディーリアスの世界」なのです。

「わたしは高い丘陵地帯にいるときの喜びと陶酔感を現そうとし、高地と広漠たる空間を前にしたときの孤独感とメランコリーを描こうとしたのだ。
ヴォーカルパートは自然における人間を象徴したのである」

                                                                 (ディーリアス:三浦敦史先生訳)

作者のこの曲に対する言葉。
この作品の魅力を一番物語っている。

丘陵、山や山岳とも違う、丘。
丘的なものも、日本の地味豊かな山々とも違って、殺伐として膨らみがただあるだけのものを想像したりもする。
唯一の英国訪問の際、ロンドンから車で発し、北上してバーミンガム方面へ、さらに南下してドーバー方面へと走りまくったことがありますが、郊外へ出て田園地帯を通過すると、丘のようなぽっこりした緑の小山が、そこここに見られたのでした。
そんな風景も、自分のなかでは英国音楽、とりわけ、ディーリアスやV・ウィリアムズを聴くときに思い浮かんだりするものなのです。

同じように、山を歩んだ音楽として、シュトラウスのアルプス交響曲がありますが、あちらは、もうリアルそのもので、音楽が登山という体験を、まんま表現しつくしている。
 ディーリアスのこちらは、写実的な要素がまったくないから、自分のなかのイメージで、思いのままに聴くことが出来る。
なんでも音や音楽にしてやろうという強引さは、これっぽっちもないので、ともかく優しく、寄り添ってくれるんだ。

何度も書くようで恐縮ですが、自分の育った家の前には、小さな山があって、その山の向こうには、富士山の頭だけがちょこんと見えてました。
夕暮れ時には、西側のその山の空が赤く染まって、ときに壮絶な夕焼けが見られることもありました。
そして、夕焼けのオレンジはやがて濃くなり、藍色にそまって暗くなっていくのです。
そんな風景を見ながら、私はディーリアスの音楽を聴いてました。
いまは離れて暮らしているけれど、ディーリアスの音楽は、また、そうした景色を呼び起こすことで、自分にとっての故郷へのノスタルジーをかり立ててくれるのです。
 この作品の最後、日が暮れ沈んでしまうくらいに、音楽がどんどんフェイドアウトしてしまう終わり方。
後ろ髪ひかれ、そして哀しく、自然の摂理の寂しさすらを感じさせます。

  ---------------

1887年のノルウェー訪問以来、生涯で17回も同国を訪れていたディーリアス。
視力を失い、体が麻痺してしまった晩年でも、車いすでかの地の丘や日没の感じられる場所へ連れていってもらっていました。

作曲の8年後、1920年、アルバート・コーツの指揮で初演。
ドイツでドイツ人指揮者によって初演が企画されるも、大戦で流れた結果のロンドン初演。
ディーリアスは、そのあと、P・グレインジャーに、これは自分の最高の作品のひとつ
と語ったという。

コンサートでは、あまり取り上げらることがないのは、30分あまりのこの曲が、一夜の演目のなかのどこで演奏できるか、その答えがないからだと思ったりもする。
そして、多くの聴衆と一緒に聴くより、ひとり静かに聴くべき音楽だからであろう。

ビーチャム盤はまだ未聴ながら、4つめの「高い丘の歌」。
シャンドスへ、ヒコックスのあとを継いでディーリアスもシリーズ化している、サー・アンドルーの演奏。
デリケートなまでの繊細さで、この曲に対して、実に素晴らしい演奏を録音してくれたことに感謝です。
この美しい演奏をしっかりととらえた雰囲気豊かな素晴らしい録音にも感謝です。

Song_of_summer

今年は、この本の刊行もうれしい出来事でした。
まだ読んでる途上ですが、断片的に接することができていたフェンビーの著述が、こうして翻訳されて体系化されたことに、こちらも感謝です。
聴きなれたディーリアスの音楽に、さらに奥行きが深まりました。

過去記事

「フェンビー&ロイヤルフィル」

「グローヴス&ロイヤル・リヴァプールフィル」

「ロジェストヴェンスキー&BBC響」



Shima_b

1か月前の晩秋。

街はいま、クリスマス。

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