カテゴリー「イギリス音楽」の記事

2022年7月20日 (水)

ワーグナーの夏、音楽祭の夏、はじまる

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平塚市の大磯町との境目にある「湘南平」。

5月でしたが、ほぼ半世紀ぶりに行きました。

戦時中には、B29をねらう高射砲が据えられたが、平塚大空襲のときに爆破されてしまった。

いまでは、恋人たちが、ここに鍵を結ぶ平和なデートスポットになっていて覚醒の感があります。

子供時代、わたしの住む隣町にも防空壕が多くあり、怖いけどもぐったりしたものですが、これは予測された米軍の相模湾上陸に備えてのものだと大人になってわかり、身震いがしました。

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目を東京方面に転じると、江の島と三浦半島が見えます。

手前は烏帽子岩に、平塚港。

天候不順なれど、夏来たり、そして国内外に音楽祭の季節。

悲しみと不安のなかにありますが、音楽界は平常運転で、夏がめぐってきました。

ヨーロッパ各地は現在、記録的な猛暑にみまわれ、イギリスでは40度を記録・・・

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夏の音楽祭といえば、わたしにはバイロイト

初めて買ったワーグナーのレコードが、突如として現れた「ベームのリング」。
そのときの予約特典が、2枚組のハイライト盤で左の画像。
そのあと、フィリップス社が既存の名盤、サヴァリッシュのオランダ人、タンホイザー、クナッパーツブッシュのパルジファルをセットにして発売。
そのときのサンプラー廉価盤が右の画像。
このとき、はじめて世評高い孤高の名盤とされた「クナのパルジファル」に接し、さわりだけだったけど、神々しい感銘を受けたものです。

こうして、ともかく私のワーグナーはバイロイトあってのもので、年末に放送されるNHKの放送を必死に録音し、あの劇場のサウンドを脳裏に刻み付けてきました。
年末でなくとも、リアルタイムでバイロイトの現地の音や映像がすぐさまに確認できるようになった現在。
コロナで変則的な上映が続いたここ2年、今年はフルスペックで予定通りの上演になるかと思いきや・・・・

2022年の上演作品は、新作が「トリスタンとイゾルデ」と「リング」、再演が「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」ということで、新演出が2本と前期ロマンテックオペラ3作が揃って上演されるという珍しい年となりました。

2020年に予定されたプリミエから2年経過してとうとう上演される、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出による「リング」。
指揮者のインキネンがコロナにかかり、オーケストラとのリハーサルがろくに出来ずに降板。
つくづくインキネンはついてない。
代わりに、トリスタンを指揮する予定のコルネリウス・マイスターがリングの任に当たることに。
マイスターは、シュトットガルト歌劇場の音楽監督として、リングを手掛けており、同劇場のサイトで、ピアノを弾きながら楽曲解説を行うマイスター氏を確認しましたが、わかりやすい解説と明快なピアノ演奏に驚きましたね。
読響の首席客演時代はパッとしなかったみたいですが、劇場叩き上げ的な指揮者として、シュタイン、シュナイダー、コバーなどと同じく、バイロイトを支える職人指揮者のようになって欲しいものです。

リングに移ったマイスターの代わりにトリスタンの指揮者に選出されたのは、マルクス・ポシュナー。
ポシュナーはミュンヘン出身で、現在リンツ・ブルックナー管の指揮者で、全曲録音も進行中。
ブルックナーの専門家みたいにしか思われてないけど、手持ちCDで、アーヘンの劇場との録音で、パルジファルと使徒の愛餐がありました。
はたして、いかなるトリスタンを聴かせてくれましょうか。

指揮者では、オランダ人はリニフ、タンホイザーはコバー、ローエングリンはティーレマンと盤石。

歌手は、変動多くて、ウォータンとオランダ人を歌う予定のルントグレンが降りて、前者はシリンスとコニチュニーに、オランダ人はおなじみのマイヤーに。
 ステファン・グールドがかつてのヴィントガッセン級の八面六臂の大活躍で、トリスタン、ジークフリート(黄昏)、タンホイザーを歌うタフマンに。
あと、フォークトは、ジークムントとローエングリン。
シャガーがジークフリートに。
 イゾルデを長く担当したテオリンがブリュンヒルデ、前のリングのブリュンヒルデを歌ったフォスターがイゾルデ、と言う具合にステキなクロスも楽しみ。

演出はどうなんでしょうね。
こんな風に、始まる前から妄想たくましくして記事が書けるのもバイロイトの楽しみです♬

Proms2022

バイロイトと並んで、わたくしの夏を飾る音楽祭がイギリスの「Proms」

約2か月間にわたって、ロンドンの巨大なロイヤル・アルバート・ホールで催されるフレンドリーな音楽祭。

イギリス全土のBBC局をつなぐので、ロンドン以外の各地の面白いコンサートを、極東の日本でも居ながらにしてネット空間で楽しむことができる。

でも主流はアルバートホールでの演奏会で、今年、わたくしがチェックしたものは、「オラモ&BBCのヴェルレク」がファーストコンサート。
大活躍のウィルソンの英国音楽の数々、セシル・スマイスのオペラ「漂流者たち」をティチアーティのグラインドボーンメンバーで。
ヤマカズ&バーミンガムで、スマイスとラフマニフ2番。
エルダー卿とハレで、プッチーニ外套、ロイヤルフィルによる日本人作曲家の一日、ダウスゴーのニールセンシリーズ、ラトル&LSOの復活、ガードナーのゲロ夢、ペトレンコ&BPOのマーラー7番、シフによるベートーヴェン後期ソナタ、セガン&フィラ管のエロイカ、バーバー、プライス、スタセフスカヤのラストナイト。

10月末には、スタセフスカヤ&BBCで、proms2022Japanが開催されます。
プログラムは自分的にはイマイチだけど、ニッキーがやってくるので、行きたいな。

promsは、BBCのネット放送で、すべてストリーミング再生可能です。

オラモ&BBCのヴェルディのレクイエムを早くも聴きました。
タイミングがタイミングなだけに、深刻な面持ちで聴きましたが、極めて純音楽的でカチっとした演奏。
ただ歌唱陣は自分には今ひとつ。
ソプラノ歌手がドラマテックさはよいとしても、言語不明瞭な感じで不安定で、ムーディだった。

こんなこと言ってはサイトの存続すら危うくなりますが、Promsの今年の画像ひとつとっても、ここにうかがわれるのは、「多様性」。
BBCはアメリカの各局と並んで、こうしたジェンダー的なことに、そうとうにこだわりぶりを見せてます。
極東の小さな町で、世界につながったネット放送を聴く自分が偉そうなことは言えませんが、半世紀以上音楽を聴いてきた自分の耳を信じたいと思った。
なにが優先されるのか、なにが大切なのか・・・・
私は、とんでもないことに言及しているかもしれません。

Salzburg

相変わらず豪華ザルツブルグ音楽祭

フルシャ指揮のカーチャ・カバノヴァ(コスキー演出)、アルティノグリュー指揮のアイーダ、クルレンツィスの青髭公、ヴィラソン演出(?)のセビリアの理髪師、メスト&グレゴリアンのプッチーニ三部作、マルヴィッツの魔笛、ルスティオーニ指揮のルチアなどなど。
どれも映像付きで観たい聴きたい。

オーケストラ演奏会も豪奢ですので、オーストリア放送のネット配信がどれだけあるか楽しみではあります。

Exp


現在開催中でもうじき終わっちゃうのがエクスアン・プロヴァンス音楽祭

サロネンの舞台付きマーラー復活、サロメ、イドメネオ(日本人スタッフ)、ロッシーニのモーゼとファラオ、ポッペアとオルフェオのモンテヴェルディ2作、ノルマ、ベルリオーズ版オルフェオとエウリディーチェ

夏の後半はルツェルン音楽祭
アバドから引き継いだシャイーは、今年はラフマニノフ2番とマーラー1番。
フルシャがこのところ、ルツェルンでドヴォルザークをシリーズ化して、今年は新世界。

Bregenz

湖上の祭典、ブレゲンツ音楽祭では、ウィーン交響楽団が主役。
蝶々夫人、ジョルダーノの珍しいオペラ「シベリア」、ハイドンのアルミーダ。
湖上の蝶々さん、なんかステキそうですが、ここの演出はいつもぶっ飛んでるからな。
演出はホモキだから、まあ大丈夫か、見たいな。

アメリカへ渡ると、ダングルウッド
ボストン響とネルソンスの指揮が主体ですが、毎年、オペラをコンサート形式で取り上げます。
今年は、ドン・ジョヴァンニ。
ネルソンスがふんだんに聴けるのがこの音楽祭前半で、ハルサイ、ガーシュイン、ラフマニノフ3番など、いずれもネット配信されます。
録音も抜群にいいのが、ボストン響やタングルウッドのライブの楽しみです。

日本ではサマーミューザ
聴きに行きたいけど、突然行くパターンにしないと、ほんとに行けない昨今のパターン。

Bayreutherfestspiele2022

悲しい事件はあったけど、暑さに負けるな、コロナなんて〇〇っくらえ、仕事も頑張れ。夏は音楽祭だ、ワーグナーだ!

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2022年1月 9日 (日)

フィンジ ディエス・ナタリス

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正月も過ぎ、松も明け、毎日が矢のように過ぎてしまう。

月日がほんと早い。

心落ち着くジェラルド・フィンジを聴く。

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     フィンジ(1901~1956) 作品集 

 ①祝典讃歌「見よ、満ち足りた最後の生贄」

 ② ディエス・ナタリスよりアリア「挨拶」

 ③ シルヴィアって?

 ④ 3つの独り言~恋の骨折り損

 ⑤ 清く穏やかな流れ

 ⑥ ローリクム・ロールム

 ⑦ Introit 入祭唱

 ⑧ Come away , come away ,Death 来たれ 死よ

 ⑨ 前奏曲 ヘ短調

 ⑩ ロマンス 変ホ長調

 ⑪ リズビー・ブラウンに

 ⑫ ディエス・ナタリス~イントラーダ

 ⑬ もはや灼熱の太陽も怖れるな

 ⑭ セヴァーン狂詩曲

 ⑮ エクローグ ヘ長調

   Sax:エイミー・ディクソン ①②⑥⑧⑪⑬


   Vn:トーマス・グールド ⑦

   Pf:トム・ポスター ⑮

   Hr:ニコラス・フリューイ ③

 ニコラス・コロン指揮 オーロラ・オーケストラ
   
    (2015.7,8  @フェアフィールド・ホール、クロイドン)

フィンジの作品ばかりを集めたCDは、マリナー以来かもしれない。
しかもメジャーレーベルで。

ニコラス・コロンは、もうじき39歳のわかいイギリスの指揮者で、彼とティチアーティ、英国ユースオケのメンバーとで2004年に設立した、オーロラ・オーケストラの指揮者を務めている。
彼らの演奏会は、プロムスなどで数年来、視聴しているが、古典~ロマン派系ではピリオド奏法を採用し、立演で行うなかなかに刺激的かつ楽しいものです。
若い彼らは、まさに若いリスナー向けに、解説を入れながら聴きどころを分析しながら演奏したり、また幻想交響曲では、メンバーがいろんなお面を装着して想像力をかきたてるような楽しいコンサートを行ったりしてます。

またコロンは、ハーグのレジデンティオケと、昨年からはフィンランド放送響の首席、ケルン・ギュルツェニヒ管の首席客演ともなってます。
活動の幅を大きく伸ばしつつあり、レパートリーも古典から近現代ものまで広範に収める、今後の注目株であります。

ユニークな活動を続けるコロン&オーロラオケのフィンジ。
その内容も、フィンジの心優しい音楽に徹底的にスポットをあてた1枚となっていて、これもまたユニークなものといえます。
聴く人によっては、もしかしたらムーディに過ぎると思う向きもあるかもしれません。
ここでは、至芸の名曲「エクローグ」を最終に据え、ロマンスや、セヴァーン狂詩曲といった名小品、クリスマスのカンタータ、ディエス・ナタリスから2曲、数ある歌曲集から数曲。
歌曲では、サキソフォーンのソロに編曲されていて、それが素敵なスパイスとなってます。
フィンジ入門編というより、フィンジの音楽にすでに魅了された聴き手が、ここに収録された1曲、1曲のあらたな側面を見いだすような、そんな1枚だと思います。

フィンジの魅力のひとつは、デリケートな歌曲の数々。
ここでは、「いざ花冠を捧げよう」から③と⑧、「地球、空気、そして雨」から⑧と⑬が選択されていて、サキソフォーンとホルンによる声に変わるソロがとてもステキなのであります。
美人さんのエイミー・ディクソンの麗しい演奏。
あとパートソングから弦楽合奏へ編曲された⑤も美しい桂曲。

1楽章の出来栄えに不満を感じ、引っ込めてしまったヴァイオリン協奏曲の2楽章にあたる⑦「intoroit(入祭唱)」は、まさにヴァイオリンとオーケストラによる作品で、美しさ・儚さ、これ極まれりといった抒情にあふれた作品。
このあと、「来たれ死よ」(シェイクスピア詩)が続くものだから泣ける・・・・

楚々たる抒情作、ロマンスは、いまやいくつも演奏があるが、コロン盤の優しさは、曲の並びも手伝い泣けます。
そして、最後は「エクローグ」で締めるフィンジ作品集。

くりかえし、何度も聴いて、ずっと浸っていたい。
窓の外は冬の澄んだ青空。

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  フィンジ カンタータ「ディエス・ナタリス」

    T:トビー・スペンス

   スコテッシュ・アンサンブル

     (2007.10 @ウィグモア・ホール、ロンドン)

コロンのフィンジ集に、2曲おさめられた5つの部分からなるカンタータ。
「生誕の日」または「クリスマス」と邦題として訳される20分あまりの作品。
1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


いずれもフィンジらしい、滋味と抒情にあふれた音楽で、そこに哀しみもたたえた雰囲気があるのも、まさにこの作曲者ならでは。
この曲、これまで何度かblogに残してきましたが、テノールによる歌唱を前提とし、ソプラノでもOKとされてます。
清潔なソプラノでの歌唱も素晴らしいのですが、やはり繊細なイギリス系のテノールで聴くのが味わいも深いというもの。

とりわけ美しい最終の「挨拶」。
イエスの生誕、その出会いにふるえる自分、清新な心持ちが歌われる。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと

ロンドン生まれのトビー・スペンスは、ヘンデル、モーツァルトからブリテン、アデスまで、広範なレパートリーを持つリリカルなテノールで、ポストリッジと同じような立ち位置にあり、彼よりやや声は強いイメージです。
健康的な明るめの声は、陰りあるポストリッジともまた違い、この健やかなる作品の別の側面を聴かせてくれるように思った。

年が明け、初孫が生まれした。

その無垢なる姿を見て、この腕に抱いたとき、この作品が脳裏に浮かび、響きました。

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穏やかに、平和でありますように。

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2021年10月10日 (日)

バックス 交響的変奏曲 フィンガーハット

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賞味期限切れたけど、今年の彼岸花

9月20日のものですが、その1週間前には影もかたちもなかった。

突然、ぐわーっと咲いて、すぐに枯れてしまうのも彼岸花、またの名を曼殊沙華。

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美しいけど、怪しいね、彼岸花。

イギリスにもあるのかな?

アーノルド・バックス(1883~1953)の協奏曲的作品を。

少しの暑さも感じる初秋にふさわしい音楽。

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  バックス ピアノとオーケストラのための交響的変奏曲

      Pf:マーガレット・フィンガーハット

   ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

    (1987.1.7,8 @オール・セインツ教会、トゥーティング、ロンドン)

バックス中期の名作。
心臓の病持ちであったバックスは、第1次大戦に召集されず、その間、多くの交響詩やヴァイオリンやヴィオラのソナタなどを作曲。
こうした作曲活動のなか、バックスの人生に大きな転換期を告げる、出会いがあった。
妻と子がありながら、ピアニストのハリエット・コーエンと恋に落ち、彼女との関係は生涯続くこととなる。
最初は、いわゆる浮気、やがてその関係が強い友情となり、やがて切り離せない音楽パートナーとなる二人の関係。
バックスのピアノとオーケストラのための作品は5曲あり、いずれもコーエンを念頭に書かれてます。
1948年には、グラスで怪我をしてしまい、右手でピアノが弾けなくなった彼女のために、バックスは左手のための協奏曲を残してます。
 ちなみに、イケメン、バックス、1920年代半ば、コーエンとの関係のほかに、もうひとり、若いメアリー・グリーブスという愛人もできて、彼女はバックスが亡くなるまで尽くしたという。

こんな恋多き、ロマンス多しバックスの交響的変奏曲は、コーエンとの愛の産物のような存在なのですが、その夢幻かつ神秘的な雰囲気からは、甘味な恋愛感情のようなものは感じられない。
1916年より作曲を開始、ピアノ版は1917年に完成、1919年にオーケストレーションを済ませ、1920年に、コーエンのピアノ、ヘンリー・ウッドの指揮により初演。
しかし、スコアは刊行されず、第2次大戦で損傷を負ったりもして、1962年にスコアは復元されされ蘇演。
1970年に、ハットーのピアノとハンドレーの指揮で録音され、これがしばらく唯一の録音だった。
シャンドスのバックス・シリーズを担ったB・トムソンの指揮による1枚が今宵のCD。

ふたつの部分からなり、6つの変奏と1つの間奏曲からなる50分の大曲。

  第1部
   ①テーマ
   ②変奏曲Ⅰ 若者
   ③変奏曲Ⅱ 夜想曲
   ④変奏曲Ⅲ 闘争
  第2部
   ①変奏曲Ⅳ 寺院
   ②変奏曲Ⅴ 遊戯
   ③間奏曲  魔法
   ④変奏曲Ⅵ 勝利

それぞれの変奏曲にはタイトルがついているけど、それと音楽の曲調とマッチングさせて聴く必要もないように思う。
朗々として、そしてかつミステリアス、ケルト臭ただよう、スモーキーフレーバーのようないつものバックスサウンドに身をゆだねて聴くに限る。
バックス研究家は、この作品が、ケルトから北欧へのバックスの志向のターニングポイントになっているとします。

冒頭の主題からして、郷愁さそうバックスサウンド。
オケが懐かしそうなテーマを奏でると、そのあとから、詩的なピアノがアルペッジョで入ってくる。
この雰囲気ゆたかな出だしを聴いただけで、この作品のエッセンスは味わえるものと思う。

1910年に書かれた第1番のヴァイオリン・ソナタから引用も変奏曲のなかにはあります。
このソナタもメロディアスで懐かしい雰囲気なのですが、ピアノと響きあふれるオーケストラで聴くと極めてステキな様相を呈します。
ソナタの冒頭には、イェーツの詩の一部が書かれている。
「A pity beyond all telling is
       Hid in the heart of love」
それと、1916年に書かれた歌曲「別れ」からの引用もあるようで、そちらの曲は、まだ聴いたことがありません。

年代を考えると、古風なバックスの音楽スタイルですが、ともかく美しく、懐かしい。
フィンガーハットの詩情あふれるピアノと、バックスの伝道師、シャープな音楽造りのブライデン・トムソンの指揮が素晴らしい。

バックスの7つの交響曲は、この作品のあとから作曲が始まります。
オペラ以外のジャンルにすべてその作品を残したバックス。
シャンドスレーベルのシリーズは、だいたい揃えました。
DGやEMIなどのメジャーや、メジャー演奏家が決して取り上げない、そんなバックスが好きであります。

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暑さ寒さも彼岸まで、なんてのは今年に限りあてはまらない。

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2021年4月24日 (土)

モーラン ラプソディ ファレッタ指揮

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4月早々の吾妻山。

もう桜は散り始めで、今年はほんとに早かった。

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富士山、ちょっとだけ。

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  モーラン ピアノとオーケストラのための第3ラプソディ

     Pf:ベンジャミン・フリス

   ジョアン・ファレッタ指揮 アルスター管弦楽団

       (2012.9.17 @アルスター・ホール、ベルファスト)

アーネスト・ジョン・モーラン(1894~1950)は、英国抒情派の作曲家。
以前のモーランの記事でも書いてますが、そのプロフィールを再度。
直接的な師弟関係は、アイアランド。
アイアランドは、同じく抒情派で、出身の
スコットランドゆえにケルト文化を愛し、朋友バックスとともにケルトの神秘かつ原初的な世界に大いに影響を受けたのでありました。
ロンドン生まれのアイルランド系のモーランは55歳の短命だったが、その死の要因は、第1次世界大戦で頭部に重傷を負ったことで精神を病んだことでもありました。
自身が育ったノーフォーク地方の民謡や風物の採取に熱中し、やがて自身のアイルランドの血に目覚めていったという生涯。
豊かな自然のイギリス東部のノーフォークと、孤高なケルト文化を背景にしたアイルランドやスコットランド、このあたりの光景を思い浮かべながら聴くと、モーランのその美しい音楽はますます心にしみわたるようにして聴こえます。

数はそんなに多くはないけれど、オペラ的なもの以外のジャンルにまんべんなくその作品を残したモーラン。

アイアランドに師事していたころのの若き作品に、ラプソディ(狂詩曲)第1番があり、1922年。
その2年後に、ラプソディ第2番を作曲し、こちらは1941に改作されてスケールアップ。
どちらもモーランらしいメロディアスな作品。
 そして充実期の1943年、バックスの提案を受け、ラプソディの3作目を、しかもピアノ独奏を伴う協奏曲風なスタイルの作品を書きます。
これが、ピアノとオーケストラのための第3ラプソディです。
同年8月、ロンドンで、バックスの公然の恋人だったハリエット・コーエンのピアノ、ボールト指揮するBBC響にて初演し、成功をおさめます。

連続して演奏される17分ぐらいの曲。
明確に3つの部分からなってますので、まさにピアノ協奏曲ともいえる。
快活でリズミカルな第1部は、特徴的なモティーフが何度も繰りかえされる。
やがて、静まり、ピアノが独白を始めると、そこにオーケストラがそっと支えるようにして入ってくる。
緩徐楽章的な第2部の始まり。
ここが、この作品の白眉ともいえます。
ともかく美しく、儚げで、郷愁もたっぷり。
遠くを眺めて、ずっとずっと聴いていたい。
 しかし、ピアノが再び元気を取り戻したかのように第1部を回帰される。
ここからが第3部で、懐かしそうに第2部のムードも回顧しつつ、第3部は一番スケールが豊か。
打楽器も鳴り、金管も元気だし、例の特徴的なモティーフをオケもピアノも何度も繰り返す。
2部の美しさをピアノソロのカデンツァのメインとしつつ、やがてジャズっぽい即興性も感じさせつつ、鮮やかなコーダを迎え曲は閉じる。

短めだし、いろんな要素がなにげにたくさん詰まっているラプソディ3番。
何度きいたことでしょうか。

すっきり系のイギリスのピアニスト、フリスさん。
NY生まれの女性指揮者ファレッタさんは、かつてアルスター管弦楽団の首席を務めていて、雰囲気豊かなのこの作品にピタリのオーケストラから、素敵なサウンドを引き出してます。
かつて、ブライデン・トムソンやハンドリーらのもとでローカルな味わいのオーケストラだったアルスター管。
ファレッタのそのあとがエル・システマ系のラファエル・パヤーレ(モントリオール交響楽団の次期指揮者)。
パヤーレのあとは、イタリアのイケメンで有望核のダニエーレ・ルスティオーニが首席を務めてます。
こうして、ローカルな味わいのオーケストラも、グローバルな波に流されていくのはちょっと寂しいですが、このアルスター管は生で、一度聴いてみたいものです。
 あとファレッタさんが、いま指揮者のバッファローフィルも何枚か集めましたのでまた特集しようかと思います。

 「モーラン ヴァイオリン協奏曲 モルトコヴォッチ」 

 「モーラン 弦楽四重奏曲、ヴァイオリンソナタ メルボルンSQ」 

   「モーラン  交響曲 ハンドレー指揮」

 「モーラン ロンリー・ウォーターズ」

 「モーラン 幻想四重奏曲」

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2021年1月15日 (金)

ディーリアス 日の出前の歌、楽園への道 ヒューズ指揮

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ある日の相模湾の夜明け。

よく、夜明け前が一番暗いといいます。
確かに、お日さまが昇る直前は、真っ暗でした。

日の出とともに、あたりは急速に変化し、暖かささえも感じることができる。

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目を転じると、沖には大島の姿も見えます。

こんな海を見て育ちました。

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  ディーリアス 「日の出前の歌」

         「楽園への道」
     ~「村のロミオとジュリエット」間奏曲~
           (オリジナル版)

 オーウェン・アーウェル・ヒューズ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

       (1988.4.18 @ミッチャム、ロンドン)

なんども書いててすいません、毎度おなじみディーリアス。

やっぱり好きです。

ディーリアスの音を聴くと、自分の脳内に、なにかが分泌されるような気がします。
どんな状況下、どんな気持ちにあっても、それは同じ。

私を救ってくれる音楽だといまさらに思いました。
同じ思いをもたらす音楽としては、自分にはワーグナーがいますが、強引なワーグナーに比べ、そっと優しく、そばにいてくれるディーリアスの音楽。

昨年来の出口の見えない疾疫の蔓延、政治と経済の混乱、不正を許した民主主義の崩壊の兆しなどなど・・・・
ほんとに不安と不満がたまり、もやもや感が尽きませぬ。

終わりはあるはず、夜明けは近い、そして新しく歩みだすのだ、という思いをもって、ディーリアスのこの2曲をしっとりと聴きました。
もうね、涙が出そうになりました。

ディーリアスの大ファンであったウォーロックに捧げられた「日の出前の歌(A Song before Sunrise)」。
甘味で刹那的に聴こえるけれど、日の出前、自然が目覚めてくる雰囲気を描いたもので、聴きながら勝手にイギリスの田園風景と、徐々に日に染まりゆく野や草木の様子を思い浮かべることができる。

一方、「楽園への道」は、そのオペラの原題のとおり、小さな村の反目しあう家に生まれた少年と少女の悲恋の物語。
村人の目線から逃げることのできない二人は、朽ちた別荘の裏に流れる小川から、小舟に乗って旅立つ。
それは、行き先のない「愛の死」への旅だったけど、でももう誰も追ってこない、ふたりにとっての楽園なのでした・・・・
 こんな物悲しい物語のオペラにつけられた間奏曲は、あまりに儚くも美しく、そして哀しい。
ディーリアスの「トリスタンとイゾルデ」
愛の成就は、陶酔的な大きなクライマックスを築くが、徐々に弱まる音は魂の浄化。
きれいさっぱりと出直したいものだ・・・・・・

このCDでは、ビーチャムが編んだ単独演奏用の間奏曲ではなく、オペラの中の間奏曲をそのままに演奏したものが収録されてます。
各楽器のソロが目立つ編曲版の方がより劇的に聴こえ、オリジナル版はより静謐な雰囲気が勝るような気がしました。

過去記事→「村のロメオとジュリエット」

アーウェル・ヒューズは、ウェールズ出身で、ボールト、ケンペ、ハイティンクに学んだ王道系の指揮者で、父親も高名な作曲家。
英国もの以外に、デンマークの作曲家ホルンボーの専門家みたいに、BISにたくさん録音してまして、なにげに私もブログに書いてます。
このディーリアス、ノーブルなフィルハーモニア管を指揮して、ゆったりと、慈しむようにして、ディーリアスの感覚的な世界を描きだしてます。
久々に聴いたこの1枚。最初の頃と印象がまた変わりました。
美しすぎるその演奏。

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夜明けは近い、のだろうか・・・・・

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2020年9月 6日 (日)

エルガー 交響曲 コリン・デイヴィス指揮

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吾妻山、頂の象徴ともいえる大きな木。

前にも書いてますが、この麓の小学校に通っていたころは、こんなきれいに整備されてなくて、広場にもなってなかった。
こんな木もなかったような記憶が。
当たり前だけど、登山道も整備されてなくて、石もごろごろの山道。

教室で飼っていたウサギがいなくなって、きっと裏山の吾妻山に逃げたんだよ、いや、猿に襲われたんんだよ、とか教室で大騒ぎになり、放課後、みんなで山に探しに行ってしまった。
そしてあたりは暗くなってしまった。
子供だけの決行だったので、大騒ぎになり、事を知らなかった、担任の若い先生は大目玉をくらいました。
結局、ウサギさんは見つからず、猿の犯行という都市伝説だけが残りましたとさ。。。。

今を去ること、半世紀前の小さな町の出来事でした。

 エルガーの交響曲を3曲、全部デイヴィスで聴いてみる。

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  エルガー 交響曲第1番 変イ長調 op.55

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.9~10 @バービカンセンター、ロンドン)

エルガー(1857~1934)の人生は、そっくりそのまま19世紀末を生き抜いたわけだけど、その作風には後期ロマン派風ないしは、世紀末風なテイストは感じることはない、(と自分は思ってる)
それは、イギリスという大陸国でないことが大きいと思うし、英国音楽界が、本格的なシンフォニストやオペラ作曲家を生んでこなかったことにもよるかもしれない。
 本格的な交響曲作家は、パリー(1948~1918)とスタンフォード(1952~1924)のふたりで、いずれもブラームスへの賛美がその交響曲にうかがえる。
そして彼らの後輩、エルガーの1番の交響曲は、1907年に取り組まれ、おんとし50歳。
それこそ、ブラームスの1番のように熟考を重ねての年月を感じるが、できた音楽は、まるでブラームスでもなければ、チャイコフスキーやドヴォルザークのような民族色に根差したものでもなかった。
そう、英国の音楽だった。
「ノビルメンテ~高貴に」と付されたモットー主題が全体を覆う、堂々としながらも、哀感と儚さもあり、そして本格的な交響曲は、これまでにない英国交響曲だった。

1番はほんとうに好きで、最近のCDはあまり購入してないが、20種もありました。
コンサートでも何度も聴いてる。
そして何度聴いても、終楽章で最後にモットー主題が忽然と、そして力強くあらわれると涙が出るほどに感動する。
 サー・コリン・デイヴィスの熱い指揮は、このあたりがまことに素晴らしく、ぐいっと一本行ってみよう的な男らしさもありつつ、常にノビルメンテな気品も感じるところは、これもまたデイヴィスらしいところ。
 同じ時期に、集中して演奏されたコンサートのライブ録音だけども、LSOの本拠地、バービカンのデッドな響きをそのままとらえているので、音がかなり硬く潤いがないのが残念。
この頃のLSOレーベルの音はみんなそうで、でもその後はかなり改善されたと思う。

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エルガー 交響曲第2番 変ホ長調 op.63

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.10 @バービカンセンター、ロンドン)

実は、私は1番より2番の方を先に聴いている。
バレンボイムが本格オーケストラと録音し始めた頃のロンドンフィルとの2番が、CBSソニーから出て、FMで放送されたものを録音して、何度も何度も聴いて耳になじませた。
エルガーを聴くようになったのは、それがきっかけの70年代。
1番の方が、馴染みやすいけれど、よりエルガーらしく、より英国の交響曲らしく感じるのは2番。
1番を完成させ、大成功を収めた翌年に作曲。
大英帝国の一翼を担ったエドワード7世の逝去にともない、亡き国王への追悼に捧げられた2番。
快活な1楽章に続く、2楽章ラルゲットがその追悼の想いを一心に表出していて、その哀感は、押しては引く波のように、じわじわと心に迫ってきて、音が旋律が、みんな涙に濡れているように感じる。
心が辛いときとか、これを聴くと、ほんとうに沁みる、泣ける。
こうして、エルガーはエドワード朝の終焉に、英国の沈みゆく帝国の姿を見たのかもしれない。
 可愛いスケルツォも素敵だし、どこか、幸せな安寧の地に誘われるような終楽章とその終わり方も素晴らしい。

1番を何度も録音したデイヴィスだが、2番の正規録音はこれだけ。
心を尽くした2楽章は、オーケストラの素晴らしさとともに、実に味わい深く、ここにこそ、デイヴィスの音楽造りの神髄を感じます。
それは、オペラとモーツァルト、ベルリオーズに長けた歌心と気品と情熱。
緩やかに曲を閉める、その構成力の豊かさもいい。

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エルガー 交響曲第3番 ハ短調 op.88 
        アンソニー・ペイン補筆完成版


 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.12 @バービカンセンター、ロンドン)

ペインが補筆完成させた3番を含めて、エルガー3作を全部録音している指揮者は、アンドリューとコリンのふたりのデイヴィスと、われらが尾高さん、そしてヒコックスの4人。
1・2番を録音している現役指揮者で、エルダー、ガードナー、W・ペトレンコは3番を録音するだろうか。
あとバレンボイムは絶対やりそうにないし、アシュケナージは引退しちゃったり・・・

自分的には、マーラーの10番とともに、立派にエルガーの交響曲として認知・認識して楽しんでます。

過去記事から、この補筆完成作品の成立の経緯を引用貼り付け。
「BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガーは亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管され、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、いずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。
さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。
エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。」

未完の作品や過去の作品からの引用もあり、そのあたりはネットで調べるとたくさん出てきますのでどうぞ。

デイヴィスは、これまでの1、2番と同じように、この作品が既存で周知のエルガーの立派な交響曲であるかのように、がっつりと情熱をもって取り組み、唸りながら歌いながらの指揮ぶりも録音にはしっかりと残されている。
テヌート気味に開始される、ちょっと風変わりな冒頭、ずいぶんと威勢よくキレがいいのもデイヴィス。
そのあとしっかりといかにもエルガーらしい第2主題、このあたりの情のこもった歌わせ方はデイヴィスならでは。
エルガーの一幅の管弦楽曲としても単独で存在できそうな愛らしい第2楽章では、ものすごくデイヴィスの声が聞こえるのもご愛敬。
そしてきました、緩徐楽章は3楽章。
沈鬱なムードと優しくなだめるような雰囲気がないまぜになった深みのある音楽で、前にも書いたけど、ホルストの土星のような、哲学的な様相をもった感じで、自分はかなり好き。
こういう音楽を振らせると、デイヴィスの音楽の重心はかなり下の方、重々しい音楽を作ります。
 一転、行進曲調の不思議なムードを持った終楽章は、明るそうでいて、どこか陰りのある寂しさも伴います。
この楽章を交響曲の終楽章として完結感を持たせつつ締めるのは、指揮者の力量の問われるところで、デイヴィスはタメを活かしつつ、活気と推進力を押し出す一方、全体を俯瞰し、しみじみとしたムードもうまく出してます。
最後に、音楽は静かに収斂していって、ドラの音、一音で終わる集結部で、エルガーを聴いたという気持ちに、これまたしみじみと浸ることができます。
 これまで、コンサートで3回聴いてますが、最近めっきりやらなくなった演目です。

スタンフォード、パリー、エルガーと続いて、英国の交響曲作家は次々と登場することとなりました。
ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、バックス(1883~1972)、ウォルトン(1902~1983)、ブライアン(1876~1972)、ティペット(1905~1998)、アーノルド(1921~2006)。
あっ、純粋交響曲は残しませんでしたがブリテン(1913~1976)も忘れてはいけませんね。

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ということで、エルガー3曲、デイヴィスで一気聴き。

エルガーには、未完の作品もそこそこあり、それを補筆することも継続してます。
ピアノ協奏曲と、オペラ「スペインの貴婦人」(一部)は、いずれ取り上げたいと思います。

やたらと大きい台風10号が九州に近づいてます。
台風シーズン到来は喜べないけど、これもまた季節の歩みだし、日本のロケーションの宿命。
年々、大型化する台風、大きな被害がでませんようにお祈りします。

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吾妻山にある、由緒ある吾妻神社。
いつも山に登ったら参拝してます。
いつもひと気ありません。
日本武尊の東征のおり、入水した海岸に流れ着いた弟橘姫命(おとたちばなのひめ)の櫛を祀っているという云われがあります。
日本武尊は、わが妻よ、と嘆いたことから吾妻山と名前が付けられました。

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2020年8月30日 (日)

ディーリアス 河の上の夏の夜 ヒコックス指揮

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今年の夏のいつものお山の上。

涼しい7月でコスモスが早まり、暑い8月ではやくも枯れ始めてしまった。

なにもかも異例づくしの今年。

さらに安倍総理の辞任にも驚き。
病を抱えつつの長年の執務、お疲れさまでしたと言いたい。
なにごとも身体が大切、健康が大事。

ディーリアスの代表作たちで夏の疲れを癒そう。

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    ディーリアス

 「そり乗り(冬の夜)」
 「フェニモアとゲルダ」間奏曲
 「春初めてのかっこうを聞いて」
 「河の上の夏の夜」
 「日の出前の歌」
 「ラ・カリンダ」~「コアンガ」より
 「イルメリン」前奏曲
 「ハッサン」~間奏曲とセレナーデ
 「夏の夜」
 「エアとダンス」

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 ノーザン・シンフォニア

       (1985.9 @ニューカッスル・アポン)
    
ディーリアスの音楽ジャンルは、多岐に渡りますが、交響曲がないのがいかにもディーリアスらしいところ。
形式の決まった交響曲という構成に、興味を示さなかったのだろうか。
そして、無宗教だったことから、キリスト教色もなく、むしろ東方やアメリカなどの土着的な風土に興味や共感を示し、そうしたものを音楽に反映させました。

オペラや声楽作品でも、男女の恋愛模様は幸せ感は少なめで、いつも悲しみをたたえているし、別離に光をあてている音楽が多いのもディーリアスならでは。
あとは、ディーリアスならではといえば、なによりも人ではなく、自然がその音楽の対象であり、季節感もそこにはあふれているわけであります。

そんなディーリスの音楽の特徴のエッセンスを味わえる1枚が、このヒコックス盤。
このあとのディーリアスを始めとするヒコックスの英国音楽の数々の録音の初期のものだけに、その選曲は、ビーチャム盤にも似ています。
アーゴレーベルに始まり、EMIへ、そのあとはシャンドスに幾多の録音を残してくれたヒコックスも、亡くなってもう12年となる。
60歳での心臓発作による、その早すぎる死は、いまでも悔やまれてならない。
存命だったら、英国の音楽をほぼ体系的に、すべて録音に残してくれたものと思うので。
シャンドスは、ヒコックスのあとの英国路線を、アンドリュー・デイヴィスとエドワード・ガードナー、サカリ・オラモに託しましたので、聴き手としてはありがたいことではあります。
でも、シャンドスレーベル、最近、お高いんだよなぁ~

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今回のブログタイトルは、「河の上の夏の夜」にしましたが、季節性のみをとらえただけで、理由はありません。

クリスマス時にも聴きたい、楽しいワクワクする音楽「そり乗り」。
秋の黄昏時の薄幸の哀しみあふれた「フェニモアとゲルダ」。
春のはじまりだけど、もの悲しい雰囲気の「春はじめてのかっこう・・」と夏の水辺の音楽「河の上の夏の夜」は姉妹作。
これぞ、ディーリアスの音楽の神髄。
どちらも、かっこうと、虫の声で、季節を描写しますが、それがリアルでなく、そこはかとないのが、どこか日本人的な俳句の世界みたいな感性で、大いに共感できる。
 ディーリアスが住んだ、フランスのグレでは、自宅近くを流れる緩やかな川で、夏はよく舟遊びをしたそうですが、それもまた日本の夏を思わせるけど、でも、いまの熱帯化した日本には、まったく想像もできない風情だな。
こうして、音楽だけでも、季節感を味わえるのは、ディーリアスに感謝しなくちゃならない。

「日の出前の歌」は、文字通り、自然が目覚める夜明けの音楽で、どこか刹那的にも感じる。
ディーリアスのアメリカ時代への思い出でもある、「ラ・カリンダ」は、楽しい夕暮れ時のダンスで、その独特のリズムと雰囲気はクセになります。
 最初のオペラ、「イルメリン」の前奏曲は北欧のロマンティックな伝説に基づくもので、まさに夢見るような優しい雰囲気にあふれていて、お休み前の曲としても絶好の佳曲。
 エキゾティックな東方劇「ハッサン」からの2曲は、これもまた、儚くも美しい小品で、コンサートなどで、多くの人と一緒に聴くのでなく、ひとり静かに、耳を傾けるに限る。
 ビーチャムの編曲した「夏の夕べ」は、若い頃の作品で、趣き豊かに始まり、思わぬ盛り上がりのフォルテもあるが、グリーグやシベリウスみたいな北欧ムードもあり。
「エアとダンス」は弦楽作品で、これもまたディーリアスらしい、慎み深くも愛らしい曲で好き。

ざっとレビューしましたが、ヒコックスの癖のない、すっきりサウンドは、それぞれの曲の特徴やイメージをしっかりとらえつつ、安心してディーリアスサウンドに身をゆだねることができるものです。
 現在は、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアという名称になってますが、この室内オーケストラは、以前はノーザン・シンフォニア・オブ・イングランド。
まさに、イギリス北東部のイングランド、そちらのゲーツヘッドという市を拠点にしていて、現在の音楽監督は、ラルス・フォークトで、首席客演がジュリアン・ラクリン、名誉指揮者がトマス・ツェートマイアーという具合に、本業指揮者でなく、ピアニストやヴァイオリニストであることが面白い。
ネットで、ツェートマイアー指揮するブルックナーの6番を聴いたが、これが驚くべき新鮮な演奏だった。
イギリス各地のオーケストラも、それぞれに特徴があって面白い。

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まだまだ厳しい夏の暑さは続くけれど、暦のうえではとっくに秋。
年々短くなる「春」と「秋」。
ちゃんとした秋が、今年はあって欲しい。
ディーリアスの音楽だけしか、季節を味わったり、偲んだりできなくなってはいけません・・・

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2020年8月15日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム パッパーノ指揮

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こちらは靖国神社の境内の奥にある日本庭園。

今年は、みたま祭りが中止となり、その時分に行ったけれど、ひと気は少なく、とても静かでした。

静謐な中、漂う清らかな雰囲気。

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  ブリテン 「戦争レクイエム」

    S :アンナ・ネトレプコ
    T :イアン・ボストリッジ
    Br:トマス・ハンプソン

  サー・アントニオ・パッパーノ指揮
  
   ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団/合唱団

       (2013.6.25~29 @ローマ)

 58年前に初演のブリテンの反戦への思いが詰まった「戦争レクイエム」

1961年、戦火で焼失したコヴェントリーの聖ミカエル大聖堂の再築落成に合わせて作曲された「戦争レクイエム」。
翌62年の同地での初演は、戦いあった敵国同士の出身歌手をソロに迎えて計画されたものの、ご存知のように、英国:ピアーズ、独:F=ディースカウ、ソ連:ヴィジネフスカヤの3人が予定されながら、当局が政治的な作品とみなしたことで、ヴィジネフスカヤは参加不能となり、英国組H・ハーパーによって行われた。
翌63年のロンドン再演では、ヴィジネフスカヤの参加を得て、かの歴史的な録音も生まれたわけであります。

この再演での作曲者自身の指揮によりロンドン交響楽団との録音が、長らくこの作品の犯しがたき名盤として君臨してきましたが、20年後の1983年、サイモン・ラトルの録音を皮切りに、多くの録音が行われるようになり、演奏会でも頻繁に取り上げられるようになりました。
毎年、少しづつその音源を増やし、エアチェックやネット録音も含めて15種。
昨年はついに女性指揮者マルヴィッツの放送も追加。
今年のブログは、まだ取り上げてなかったパッパーノ盤です。

サーの称号も得ているイギリス人で、両親はイタリア人、音楽の勉強はアメリカ、指揮者としては劇場から叩き上げ。
そんなパッパーノも若い若いと思ってたら、もう60歳。
コヴェントガーデンでのオペラ上演の数々や、ローマでのレコーディングを聴くにつけ、最近のパッパーノは若い頃の、イキの良さはそのままに、知的な音楽づくりながら、音が実に雄弁に語り出す恰幅の良さも感じてます。
オテロやリングなどの放送、とても感銘を受けました。
そしてともかくレパートリーが広い。

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 この戦争レクイエムは、手兵のイタリアのオーケストラを指揮して、歌手はロシア、イギリス、アメリカと、顔触れにドイツこそないものの、ブリテンの初演時の思いのように、戦った国同士のメンバーということになります。
パッパーノの明晰な音楽は、ここでも際立っていて、ローマのオーケストラから透明感あふれる響きを引き出していて、ダイナミックな劇的なシーンも濁ることのない鮮烈さを味わうことができました。
 3人のなかで、いちばん声が重たいのがなんとネトレプコ。
レパートリーも拡充して、ドラマティコになっていった時期のもので、悲壮感ただようその歌声はなかなかに際立ってる。
いつものように繊細な歌い口のボストリッジに、友愛感じるハンプソンのあたたかなバリトンもとてもよかった。

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この時期に、この曲の持つ、戦没者への追悼という意味合いととともに、ブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いをあらためて強く受け止め、考えてみるのもいいことです(毎年この思いは綴っているのでi以下も含めまして再褐となります。)

しかし、この曲は、ほんとうによく出来ている。
その編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」


この映像を見ると、上記の、オーケストラ編成や合唱の配置のことがよくわかります。
ネトレプコは契約の関係か、収録時いなかったのか、登場しません。

※初演後の60年代の演奏状況は、コリン・デイヴィス(62独初演)、ラインスドルフ(63米初演)、ハイティンク(64蘭初演)、ケルテス(64墺初演)、アンセルメ(65瑞初演)、サヴァリッシュ(65独再演)、ウィルコックス(65日本初演~読響)
2022年の初演60年の年には、日本でもどんな「戦争レクイエム」が聴けることでしょうか。
希望を込めて、J・ノット指揮、露・英または米・独の歌手、日本のオケと合唱で。
これぞ、ブリテンの思いの理想の結実かと!

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実際のドンパチはないものの、世界は戦争状態に近いと思います。
反目しあう国と国、人種と人種、宗教と宗教、思想と思想 etc・・・・
争いはずっとずっと絶えることはない。
それがデイリーに可視化されて見えてしまういまのネット社会は、便利なのか、ストレス発生装置なのか、むしろ情報過多でわからない。

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2020年7月 4日 (土)

ハウェルズ チェロ協奏曲 ジョンストン

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鮮やかなとりどりの紫陽花が旬です。

連日の雨でふさぎがちな日々に、ちょっと癒しを与えてくれます。

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 ハウェルズ チェロ協奏曲

   チェロ:ガイ・ジョンストン

 クリストファー・シーマン指揮 ブリテン・シンフォニア

     (2018.12~2019.1 @キングズカレッジ、ケンブリッジ)

英国作曲家ハウェルズ(1892~1983)は、私の大好きな作曲家のひとりで、ヴォーン・ウィリアムズやフィンジに通じる叙情派。
過去記事で何度も書いてますが、42歳で、最愛の息子をポリオで突然に亡くしてしまうことから、陰りを帯びたシリアスな作品を書くようになった。
それまでは、田園情緒あふれるオーケストラ作品や、室内作品、瀟洒なピアノ曲などを中心に書いてます。

グロースターシャーで、家族と過ごした夏、9歳の息子マイケルを失ってしまい、満身創痍となったハウェルズ。
その気持ちを切り替えるため、さらにその思いを照射するためにもと、娘のウルスラは、父に作曲に戻るように勧めました。
そして出来上がったのが「楽園讃歌」で、まだ息子が存命中だった1933年から手掛けていた後のチェロ協奏曲。

ただ、チェロ協奏曲は、協奏曲としての形を結ぶことができず、「チェロと管弦楽のための幻想曲」という17分あまりの作品として完成される。
続く2楽章は、チェロとピアノスコアだけが残されることとなり、それを1992年にクリストファー・パーマーが補筆完成。
この作品は、チェロ協奏曲の2楽章ということでなく、「チェロと管弦楽のための挽歌」という曲として残されることとなります。
パーマーは、作曲家・プロデューサーとして多くの仕事をなしており、英国作曲家たちの作品を掘り起こしたり再生したりするばかりか、執筆家としても数々の作曲家について残してます。
残念ながらパーマーは1995年に49歳で亡くなってしまう。

パーマーの死でその先がなくなってしまったチェロ協奏曲の完成。
ハウェルズ財団のサポートを得て、今度はハウェルズの研究者でもあり、オルガン奏者でもあったジョナサン・クリンチが「幻想曲」と「挽歌」をそれぞれ1楽章と2楽章とすることで、それぞれとの整合性を第一優先にした第3楽章を創作しました。
2010年から、ラター、ロイド・ウェッバー、ペインなどの助言を受けつつ完成させ、2016年に、今回の演奏者ガイ・ジョンストンのチェロによって初演されております。

以上が、この作品の生い立ちで、CD解説書などを参照しまとめました。

第1楽章は、モダンな雰囲気のなかに、痛切なペシミズムと哀愁を感じさせるもので、少しばかり受け止めは重たいです。
でも第2楽章になると、その気分も救われます。
憂鬱と孤独が何故だか心地いい、そんな癒しの音楽で、ともかく美しい。
 そして前ふたつの楽章を統合しつつ、エネルギッシュな気分に押される前向きな音楽となった3楽章。
クリンチ自身も語ってますが、ウォルトン風でもあります。
悲しみと、ぶつけようの怒りや痛みを開放するような、そんな爽快さもありました。

私には慣れ親しんできた、ハウェルズの作風がしっかり投影されている立派なハウェルズ作品と思えました。
これも、クリンチの言葉ですが、ハウェルズはチェロを男性の声とみなし、その声はまさに作曲者の声となっていると語ってます。

今回聴いた、新しい録音は、教会での録音でもあり、響きがとても豊かで、でも音の芯はしっかりとしている優秀なもの。
演奏も初演者だけあって大いに共感しながらのもので、オケとともに音色もキレ味も素晴らしいと思いました。

当CDは2枚組で、この余白にはオルガン作品が、もう1枚にはテ・デウム、ミサ曲、マニフィカトなどの宗教作品が収められてます。
この合唱宗教作品は、ことのほか美しく、いずれの機会にまた取り上げたいと思います。

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 「幻想曲」と「挽歌」は、こちらのヒコックス盤にも収められていて、これが世界初録音でした。

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ハートのような紫陽花見つけました💛

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2020年4月 5日 (日)

ディーリアス 人生のミサ デル・マー指揮

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晴れた春分の日の日の入りを、吾妻山から眺めました。

富士に沈む夕陽。

壮絶ともいえる夕暮れの様子を立ち会うのが大好きです。

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ディーリアスの大作、人生のミサを久しぶりに聴く。

集めた音源は4種もあり、今回は、デル・マーの指揮によるものをメインに、聴きまくりました。

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  ディーリアス 人生のミサ

    S :キリ・テ・カナワ
    Ms:パメラ・ボウデン
    T :ロナルド・ダウド
    Br:ジョン・シャーリー=クワァーク

 ノーマン・デル・マー指揮 BBC交響楽団
              BBC合唱団
              BBCコーラル・ソサエティ
    (1971.5.3 @ロンドン、ライブ)

イタリアのわけわからないレーベルから出てるこのCD。
放送録音と思われ、音像も少し遠く感じられますが、ちゃんとしたステレオで、鑑賞に支障はありません。
おまけに、カップリングはグローヴズ指揮するレクイエムもついてるので、ディーリアス好きにはたまらない音源なのです。

安定のシャーリー=クワァークが神々しく、いちばん耳にまっすぐ届きます。
キリ・テ・カナワがディーリアスを歌うなんて、と思いつつ聞いたけど、そのクリーミーで清潔な歌唱は、思った以上に相応しく、とてもいいです。
ボウデンの奥ゆかしいメゾに、熱っぽいダウドのテノール。
ダウドは、デイヴィスのベルリオーズ・レクイエムでソロを歌っている方です。

そして、師ビーチャムのもとで学んだ、デル・マーの定評あるディーリアス。
ベーレンライター版のベートーヴェンを校訂した、ジョナサン・デル・マーの親父さんです。
ときに、野生的な場面もあるこの作品、そうしたダイナミックな局面の描き方は、デル・マーのもっとも得意とするところだし、この作品の一番美しいシーン、第2部の牧場の真昼の美しさといったらない、陶然としてしまった・・・

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ここで、この作品のことを、下記、過去のヒコックス盤の記事からの引用です。

4人の独唱、2部合唱を伴なう100分あまりの大作。
こうした合唱作品や、儚い物語に素材を求めたオペラなどに、ディーリアスの思想がぎっしり詰まっているのだ。
 ディーリアスは、世紀末に生きた人だが、英国に生まれたから典型的な英国作曲家と思いがちだが、両親は英国帰化の純粋ドイツ人で、実業家の父のため、フレデリックもアメリカ、そして音楽を志すために、ドイツ、フランスさらには、その風物を愛するがゆえにノルウェーなどとも関係が深く、コスモポリタンな作曲家だった。

その音楽の根幹には、「自然」と「人間」のみが扱われ、宗教とは一切無縁
そう、無神論者だったのである。
この作品も、「ミサ」と題されながらも、その素材は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」なのであるから。

 アールヌーヴォ全盛のパリで有名な画家や作家たちと、放蕩生活をしている頃に「ツァラトゥストラ」に出会い、ディーリアスはその「超人」と「永却回帰」の思想に心酔してしまった。
同じくして、R・シュトラウスがかの有名な交響詩を発表し大成功を収め、ディーリアスもそれを聴き、自分ならもっとこう書きたい・・・、と思った。
1909年、ビーチャムの指揮により初演され、その初録音もビーチャムによる。
 
ドイツ語の抜粋版のテキストに付けた音楽の構成は、2部全11曲。

合唱の咆哮こそいくつかあるものの、ツァラトゥストラを歌うバリトン独唱を中心とした独唱と合唱の親密な対話のような静やかな音楽が大半を占める。
日頃親しんだディーリアスの世界がしっかりと息づいていて、大作にひるむ間もなく、すっかり心は解放され、打ち解けてしまう。

第1部

 ①「祈りの意志への呼びかけ」 the power of the human will
 ②「笑いの歌」 スケルツォ 万人に対して笑いと踊りに身をゆだねよ!
 ③「人生の歌」 人生がツァラトストラの前で踊る Now for a dance
 ④「謎」      ツァラトゥストラの悩みと不安
 ⑤「夜の歌」   不気味な夜の雰囲気 満たされない愛

第2部

 ①「山上にて」 静寂の山上でひとり思索にふける 谷間に響くホルン
           ついに人間の真昼時は近い、エネルギーに満ちた合唱
 ②「竪琴の歌」 壮年期の歐歌!
           人生に喜びの意味を悟る
 ③「舞踏歌」  黄昏時、森の中をさまよう 牧場で乙女たちが踊り、一緒になる
           踊り疲れて夜となる
 ④「牧場の真昼に」 人生の真昼時に達したツァラトゥストラ
           孤独を愛し、幸せに酔っている
           木陰で、羊飼いの笛にまどろむ
 ⑤「歓喜の歌」 人生の黄昏時
           過ぎし日を振りかえり人間の無関心さを嘆く
           <喜びは、なお心の悲しみよりも深い>
 ⑥「喜びへの感謝の歌」
           真夜中の鐘の意味するもの、喜びの歌、
           永遠なる喜びを高らかに歌う!
            
       O pain! O break heart!
                     Joy craves Eternity,
                     Joy craves for all things endless day!
                    Eternal, everlasting, endless dat! endless day!
                      
           (本概略は一部、レコ芸の三浦先生の記事を参照しました)

 冒頭のシャウトする合唱には驚くが、先に書いたとおり、すぐに美しいディーリアスの世界が展開する。
妖精のような女声合唱のLaLaLaの楽しくも愛らしい踊りの歌。

「夜の歌」における夜の時の止まってしまったかのような音楽はディーリアスならでは。
「山上にて」の茫洋とした雰囲気にこだまする、ホルンはとても素晴らしく絵画的でもある。
さらに、「牧場の昼に」の羊飼いの笛の音は、オーボエとコールアングレで奏され、涙がでるほどに切なく悲しい。
この場面を聴いて心動かされない人がいるだろうか
まどろむツァラトゥストラの心中は、悩みと孤独・・・・。
「歓喜の歌」の合唱とそのオーケストラ伴奏、ここでは第1部の旋律が回顧され、極めて感動的で私は、徐々にエンディングに向けて感極まってしまう。
そして、最後の「喜びへの感謝の歌」では4人の独唱者が高らかに喜びを歌い上げ、合唱は壮大かつ高みに登りつめた歌を歌うクライマックスを築く。
そして、音楽は静かになっていって胸に染み込むように終わる。

シェーンベルクの「グレの歌」にも似ているし、スクリャービンをも思わせる世紀末後期ロマン派音楽でもある。
 以前、畑中さんの批評で読んだことがあるが、「人生のミサ」の人生は、「生ける命」のような意味で、人の生の完結論的な意味ではない、と読んだことがある。

英語の「LIFE」も同じ人生を思わせるが、原作の「Eine Messe des  Leben」のLebenの方がイメージが近いような気がする。

Delius-mass-beecham

②ビーチャム盤


   S:ロジーナ・ライスベック
   A:モニカ・シンクレア
   T:チャールズ・クレイグ
   Br:ブルース・ボイス

 サー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1952~53 @アビーロードスタジオ)

モノラルだけど、ちゃんとしたスタジオ録音なので、音はくっきり鮮明、そして生々しい。
演奏も、さすが初演者だけあって、熱のこもったもので、情熱の掛け方が半端ない。
そして、陶酔的な美しさは、さすがディーリアスの守護神ともいえるビーチャム。
ホルンは、このとき、ブレインだったのでしょうか。。
モノラルゆえに、そのどこか鄙びた響きは、わたしには郷愁すら感じる・・・・

Groves

③グローヴズ盤


   S:ヘザー・ハーパー
   A:ヘレン・ワッツ
   T:ロバート・ティアー
   Br:ベンジャミン・ラクソン

 サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1972 @ロンドン)

ビーチャム盤に次ぐふたつめの正規録音で、これが国内発売されたとき、すでに私はディーリアス好きだったけど、2枚組の大作には手が手ず、三浦先生の特集記事だけど、興味深々で読むにとどまっていた。
さらに全部集めたはずの、EMI「音の詩人ディーリアス1800シリーズ」でも出たはずなのに、なぜかこのグローヴズの「人生のミサ」は購入していなかったのが今思えば不思議なこと。
そして、実際に耳にしたのは、CD時代になってから。
グローヴズらしい滋味あふれる、優しさと自信にあふれた素晴らしいディーリアス演奏です。
当時、ハイティンクのもとで黄金時代を築くことになるロンドン・フィルのくすんだ響きも、渋くも神々しい。
お馴染みの歌手の名前が揃っているのも懐かしい。
明るめのラクソンの声が美しく、すてきなものだ。
 ただ、録音が強音で、割れてしまうのが惜しい。
ちゃんとマスタリングして、再発して欲しいな。

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④ヒコックス盤


   S:ジョーン・ロジャース
   A:ジーン・リグビー
   T:ナイジェル・ロブソン
   Br:ピーター・コールマン・ライト

 サー・リチャード・ヒコックス指揮ボーンマス交響楽団
                 ボーンマス交響合唱団
   
    (1996@ボーンマス)

ヒコックスも早くに亡くなってしまったが、シャンドスに、ディーリアスを次々に録音していたなかでの逝去は、本当に残念だった。
そこで、この作品が録音されたのは僥倖もの。
やはりデジタルでの鮮明な録音で、こういう合唱作品で音割れの心配なく聴けることが嬉しい。
こうして、いくつも並べて聴いてみると、歌手が小粒に感じるものの、悪くない。
ことにオーストラリア出身のコールマン・ライトのこれも明るめのバリトンがいい。
濃淡ゆたかな合唱の扱いがさすがにヒコックスはうまい。
静かな場面での弱音の美しさは、録音の良さも手伝って、ほかの盤では味わえないし、ボーンマス響のニュートラルサウンドと、それを引き出すヒコックスの指揮の巧さも感じます。
かつて、新日フィルに客演したヒコックスを聴いたけれど、オケと合唱をコントロールする巧さは、長年の合唱指揮者としての経験の積み重ねだと思ったことがある。
そのときの演目は、ブリテンの「春の交響曲」だった。
1999年の文化会館でのコンサート。

Azumayama-fuji-03

沈んだ夕陽。

こうして夜の闇が訪れますが、いま、世界は闇のなかにいるかのよう。

人類の叡智もかなわない猛威に、不安は増すばかり。

いつかやってくる明るい夜明けを期待して、いまは静かに過ごすばかり。

そしてひたすら、連日、音楽を聴き、オペラを観るばかり。

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