カテゴリー「イギリス音楽」の記事

2020年9月 6日 (日)

エルガー 交響曲 コリン・デイヴィス指揮

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吾妻山、頂の象徴ともいえる大きな木。

前にも書いてますが、この麓の小学校に通っていたころは、こんなきれいに整備されてなくて、広場にもなってなかった。
こんな木もなかったような記憶が。
当たり前だけど、登山道も整備されてなくて、石もごろごろの山道。

教室で飼っていたウサギがいなくなって、きっと裏山の吾妻山に逃げたんだよ、いや、猿に襲われたんんだよ、とか教室で大騒ぎになり、放課後、みんなで山に探しに行ってしまった。
そしてあたりは暗くなってしまった。
子供だけの決行だったので、大騒ぎになり、事を知らなかった、担任の若い先生は大目玉をくらいました。
結局、ウサギさんは見つからず、猿の犯行という都市伝説だけが残りましたとさ。。。。

今を去ること、半世紀前の小さな町の出来事でした。

 エルガーの交響曲を3曲、全部デイヴィスで聴いてみる。

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  エルガー 交響曲第1番 変イ長調 op.55

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.9~10 @バービカンセンター、ロンドン)

エルガー(1857~1934)の人生は、そっくりそのまま19世紀末を生き抜いたわけだけど、その作風には後期ロマン派風ないしは、世紀末風なテイストは感じることはない、(と自分は思ってる)
それは、イギリスという大陸国でないことが大きいと思うし、英国音楽界が、本格的なシンフォニストやオペラ作曲家を生んでこなかったことにもよるかもしれない。
 本格的な交響曲作家は、パリー(1948~1918)とスタンフォード(1952~1924)のふたりで、いずれもブラームスへの賛美がその交響曲にうかがえる。
そして彼らの後輩、エルガーの1番の交響曲は、1907年に取り組まれ、おんとし50歳。
それこそ、ブラームスの1番のように熟考を重ねての年月を感じるが、できた音楽は、まるでブラームスでもなければ、チャイコフスキーやドヴォルザークのような民族色に根差したものでもなかった。
そう、英国の音楽だった。
「ノビルメンテ~高貴に」と付されたモットー主題が全体を覆う、堂々としながらも、哀感と儚さもあり、そして本格的な交響曲は、これまでにない英国交響曲だった。

1番はほんとうに好きで、最近のCDはあまり購入してないが、20種もありました。
コンサートでも何度も聴いてる。
そして何度聴いても、終楽章で最後にモットー主題が忽然と、そして力強くあらわれると涙が出るほどに感動する。
 サー・コリン・デイヴィスの熱い指揮は、このあたりがまことに素晴らしく、ぐいっと一本行ってみよう的な男らしさもありつつ、常にノビルメンテな気品も感じるところは、これもまたデイヴィスらしいところ。
 同じ時期に、集中して演奏されたコンサートのライブ録音だけども、LSOの本拠地、バービカンのデッドな響きをそのままとらえているので、音がかなり硬く潤いがないのが残念。
この頃のLSOレーベルの音はみんなそうで、でもその後はかなり改善されたと思う。

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エルガー 交響曲第2番 変ホ長調 op.63

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.10 @バービカンセンター、ロンドン)

実は、私は1番より2番の方を先に聴いている。
バレンボイムが本格オーケストラと録音し始めた頃のロンドンフィルとの2番が、CBSソニーから出て、FMで放送されたものを録音して、何度も何度も聴いて耳になじませた。
エルガーを聴くようになったのは、それがきっかけの70年代。
1番の方が、馴染みやすいけれど、よりエルガーらしく、より英国の交響曲らしく感じるのは2番。
1番を完成させ、大成功を収めた翌年に作曲。
大英帝国の一翼を担ったエドワード7世の逝去にともない、亡き国王への追悼に捧げられた2番。
快活な1楽章に続く、2楽章ラルゲットがその追悼の想いを一心に表出していて、その哀感は、押しては引く波のように、じわじわと心に迫ってきて、音が旋律が、みんな涙に濡れているように感じる。
心が辛いときとか、これを聴くと、ほんとうに沁みる、泣ける。
こうして、エルガーはエドワード朝の終焉に、英国の沈みゆく帝国の姿を見たのかもしれない。
 可愛いスケルツォも素敵だし、どこか、幸せな安寧の地に誘われるような終楽章とその終わり方も素晴らしい。

1番を何度も録音したデイヴィスだが、2番の正規録音はこれだけ。
心を尽くした2楽章は、オーケストラの素晴らしさとともに、実に味わい深く、ここにこそ、デイヴィスの音楽造りの神髄を感じます。
それは、オペラとモーツァルト、ベルリオーズに長けた歌心と気品と情熱。
緩やかに曲を閉める、その構成力の豊かさもいい。

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エルガー 交響曲第3番 ハ短調 op.88 
        アンソニー・ペイン補筆完成版


 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.12 @バービカンセンター、ロンドン)

ペインが補筆完成させた3番を含めて、エルガー3作を全部録音している指揮者は、アンドリューとコリンのふたりのデイヴィスと、われらが尾高さん、そしてヒコックスの4人。
1・2番を録音している現役指揮者で、エルダー、ガードナー、W・ペトレンコは3番を録音するだろうか。
あとバレンボイムは絶対やりそうにないし、アシュケナージは引退しちゃったり・・・

自分的には、マーラーの10番とともに、立派にエルガーの交響曲として認知・認識して楽しんでます。

過去記事から、この補筆完成作品の成立の経緯を引用貼り付け。
「BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガーは亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管され、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、いずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。
さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。
エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。」

未完の作品や過去の作品からの引用もあり、そのあたりはネットで調べるとたくさん出てきますのでどうぞ。

デイヴィスは、これまでの1、2番と同じように、この作品が既存で周知のエルガーの立派な交響曲であるかのように、がっつりと情熱をもって取り組み、唸りながら歌いながらの指揮ぶりも録音にはしっかりと残されている。
テヌート気味に開始される、ちょっと風変わりな冒頭、ずいぶんと威勢よくキレがいいのもデイヴィス。
そのあとしっかりといかにもエルガーらしい第2主題、このあたりの情のこもった歌わせ方はデイヴィスならでは。
エルガーの一幅の管弦楽曲としても単独で存在できそうな愛らしい第2楽章では、ものすごくデイヴィスの声が聞こえるのもご愛敬。
そしてきました、緩徐楽章は3楽章。
沈鬱なムードと優しくなだめるような雰囲気がないまぜになった深みのある音楽で、前にも書いたけど、ホルストの土星のような、哲学的な様相をもった感じで、自分はかなり好き。
こういう音楽を振らせると、デイヴィスの音楽の重心はかなり下の方、重々しい音楽を作ります。
 一転、行進曲調の不思議なムードを持った終楽章は、明るそうでいて、どこか陰りのある寂しさも伴います。
この楽章を交響曲の終楽章として完結感を持たせつつ締めるのは、指揮者の力量の問われるところで、デイヴィスはタメを活かしつつ、活気と推進力を押し出す一方、全体を俯瞰し、しみじみとしたムードもうまく出してます。
最後に、音楽は静かに収斂していって、ドラの音、一音で終わる集結部で、エルガーを聴いたという気持ちに、これまたしみじみと浸ることができます。
 これまで、コンサートで3回聴いてますが、最近めっきりやらなくなった演目です。

スタンフォード、パリー、エルガーと続いて、英国の交響曲作家は次々と登場することとなりました。
ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、バックス(1883~1972)、ウォルトン(1902~1983)、ブライアン(1876~1972)、ティペット(1905~1998)、アーノルド(1921~2006)。
あっ、純粋交響曲は残しませんでしたがブリテン(1913~1976)も忘れてはいけませんね。

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ということで、エルガー3曲、デイヴィスで一気聴き。

エルガーには、未完の作品もそこそこあり、それを補筆することも継続してます。
ピアノ協奏曲と、オペラ「スペインの貴婦人」(一部)は、いずれ取り上げたいと思います。

やたらと大きい台風10号が九州に近づいてます。
台風シーズン到来は喜べないけど、これもまた季節の歩みだし、日本のロケーションの宿命。
年々、大型化する台風、大きな被害がでませんようにお祈りします。

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吾妻山にある、由緒ある吾妻神社。
いつも山に登ったら参拝してます。
いつもひと気ありません。
日本武尊の東征のおり、入水した海岸に流れ着いた弟橘姫命(おとたちばなのひめ)の櫛を祀っているという云われがあります。
日本武尊は、わが妻よ、と嘆いたことから吾妻山と名前が付けられました。

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2020年8月30日 (日)

ディーリアス 河の上の夏の夜 ヒコックス指揮

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今年の夏のいつものお山の上。

涼しい7月でコスモスが早まり、暑い8月ではやくも枯れ始めてしまった。

なにもかも異例づくしの今年。

さらに安倍総理の辞任にも驚き。
病を抱えつつの長年の執務、お疲れさまでしたと言いたい。
なにごとも身体が大切、健康が大事。

ディーリアスの代表作たちで夏の疲れを癒そう。

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    ディーリアス

 「そり乗り(冬の夜)」
 「フェニモアとゲルダ」間奏曲
 「春初めてのかっこうを聞いて」
 「河の上の夏の夜」
 「夜明け前の歌」
 「ラ・カリンダ」~「コアンガ」より
 「イルメリン」前奏曲
 「ハッサン」~間奏曲とセレナーデ
 「夏の夜」
 「エアとダンス」

 サー・リチャード・ヒコックス指揮 ノーザン・シンフォニア

       (1985.9 @ニューカッスル・アポン)
    
ディーリアスの音楽ジャンルは、多岐に渡りますが、交響曲がないのがいかにもディーリアスらしいところ。
形式の決まった交響曲という構成に、興味を示さなかったのだろうか。
そして、無宗教だったことから、キリスト教色もなく、むしろ東方やアメリカなどの土着的な風土に興味や共感を示し、そうしたものを音楽に反映させました。

オペラや声楽作品でも、男女の恋愛模様は幸せ感は少なめで、いつも悲しみをたたえているし、別離に光をあてている音楽が多いのもディーリアスならでは。
あとは、ディーリアスならではといえば、なによりも人ではなく、自然がその音楽の対象であり、季節感もそこにはあふれているわけであります。

そんなディーリスの音楽の特徴のエッセンスを味わえる1枚が、このヒコックス盤。
このあとのディーリアスを始めとするヒコックスの英国音楽の数々の録音の初期のものだけに、その選曲は、ビーチャム盤にも似ています。
アーゴレーベルに始まり、EMIへ、そのあとはシャンドスに幾多の録音を残してくれたヒコックスも、亡くなってもう12年となる。
60歳での心臓発作による、その早すぎる死は、いまでも悔やまれてならない。
存命だったら、英国の音楽をほぼ体系的に、すべて録音に残してくれたものと思うので。
シャンドスは、ヒコックスのあとの英国路線を、アンドリュー・デイヴィスとエドワード・ガードナー、サカリ・オラモに託しましたので、聴き手としてはありがたいことではあります。
でも、シャンドスレーベル、最近、お高いんだよなぁ~

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今回のブログタイトルは、「河の上の夏の夜」にしましたが、季節性のみをとらえただけで、理由はありません。

クリスマス時にも聴きたい、楽しいワクワクする音楽「そり乗り」。
秋の黄昏時の薄幸の哀しみあふれた「フェニモアとゲルダ」。
春のはじまりだけど、もの悲しい雰囲気の「春はじめてのかっこう・・」と夏の水辺の音楽「河の上の夏の夜」は姉妹作。
これぞ、ディーリアスの音楽の神髄。
どちらも、かっこうと、虫の声で、季節を描写しますが、それがリアルでなく、そこはかとないのが、どこか日本人的な俳句の世界みたいな感性で、大いに共感できる。
 ディーリアスが住んだ、フランスのグレでは、自宅近くを流れる緩やかな川で、夏はよく舟遊びをしたそうですが、それもまた日本の夏を思わせるけど、でも、いまの熱帯化した日本には、まったく想像もできない風情だな。
こうして、音楽だけでも、季節感を味わえるのは、ディーリアスに感謝しなくちゃならない。

「夜明け前の歌」は、文字通り、自然が目覚める夜明けの音楽で、どこか刹那的にも感じる。
ディーリアスのアメリカ時代への思い出でもある、「ラ・カリンダ」は、楽しい夕暮れ時のダンスで、その独特のリズムと雰囲気はクセになります。
 最初のオペラ、「イルメリン」の前奏曲は北欧のロマンティックな伝説に基づくもので、まさに夢見るような優しい雰囲気にあふれていて、お休み前の曲としても絶好の佳曲。
 エキゾティックな東方劇「ハッサン」からの2曲は、これもまた、儚くも美しい小品で、コンサートなどで、多くの人と一緒に聴くのでなく、ひとり静かに、耳を傾けるに限る。
 ビーチャムの編曲した「夏の夕べ」は、若い頃の作品で、趣き豊かに始まり、思わぬ盛り上がりのフォルテもあるが、グリーグやシベリウスみたいな北欧ムードもあり。
「エアとダンス」は弦楽作品で、これもまたディーリアスらしい、慎み深くも愛らしい曲で好き。

ざっとレビューしましたが、ヒコックスの癖のない、すっきりサウンドは、それぞれの曲の特徴やイメージをしっかりとらえつつ、安心してディーリアスサウンドに身をゆだねることができるものです。
 現在は、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアという名称になってますが、この室内オーケストラは、以前はノーザン・シンフォニア・オブ・イングランド。
まさに、イギリス北東部のイングランド、そちらのゲーツヘッドという市を拠点にしていて、現在の音楽監督は、ラルス・フォークトで、首席客演がジュリアン・ラクリン、名誉指揮者がトマス・ツェートマイアーという具合に、本業指揮者でなく、ピアニストやヴァイオリニストであることが面白い。
ネットで、ツェートマイアー指揮するブルックナーの6番を聴いたが、これが驚くべき新鮮な演奏だった。
イギリス各地のオーケストラも、それぞれに特徴があって面白い。

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まだまだ厳しい夏の暑さは続くけれど、暦のうえではとっくに秋。
年々短くなる「春」と「秋」。
ちゃんとした秋が、今年はあって欲しい。
ディーリアスの音楽だけしか、季節を味わったり、偲んだりできなくなってはいけません・・・

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2020年8月15日 (土)

ブリテン 戦争レクイエム パッパーノ指揮

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こちらは靖国神社の境内の奥にある日本庭園。

今年は、みたま祭りが中止となり、その時分に行ったけれど、ひと気は少なく、とても静かでした。

静謐な中、漂う清らかな雰囲気。

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  ブリテン 「戦争レクイエム」

    S :アンナ・ネトレプコ
    T :イアン・ボストリッジ
    Br:トマス・ハンプソン

  サー・アントニオ・パッパーノ指揮
  
   ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団/合唱団

       (2013.6.25~29 @ローマ)

 58年前に初演のブリテンの反戦への思いが詰まった「戦争レクイエム」

1961年、戦火で焼失したコヴェントリーの聖ミカエル大聖堂の再築落成に合わせて作曲された「戦争レクイエム」。
翌62年の同地での初演は、戦いあった敵国同士の出身歌手をソロに迎えて計画されたものの、ご存知のように、英国:ピアーズ、独:F=ディースカウ、ソ連:ヴィジネフスカヤの3人が予定されながら、当局が政治的な作品とみなしたことで、ヴィジネフスカヤは参加不能となり、英国組H・ハーパーによって行われた。
翌63年のロンドン再演では、ヴィジネフスカヤの参加を得て、かの歴史的な録音も生まれたわけであります。

この再演での作曲者自身の指揮によりロンドン交響楽団との録音が、長らくこの作品の犯しがたき名盤として君臨してきましたが、20年後の1983年、サイモン・ラトルの録音を皮切りに、多くの録音が行われるようになり、演奏会でも頻繁に取り上げられるようになりました。
毎年、少しづつその音源を増やし、エアチェックやネット録音も含めて15種。
昨年はついに女性指揮者マルヴィッツの放送も追加。
今年のブログは、まだ取り上げてなかったパッパーノ盤です。

サーの称号も得ているイギリス人で、両親はイタリア人、音楽の勉強はアメリカ、指揮者としては劇場から叩き上げ。
そんなパッパーノも若い若いと思ってたら、もう60歳。
コヴェントガーデンでのオペラ上演の数々や、ローマでのレコーディングを聴くにつけ、最近のパッパーノは若い頃の、イキの良さはそのままに、知的な音楽づくりながら、音が実に雄弁に語り出す恰幅の良さも感じてます。
オテロやリングなどの放送、とても感銘を受けました。
そしてともかくレパートリーが広い。

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 この戦争レクイエムは、手兵のイタリアのオーケストラを指揮して、歌手はロシア、イギリス、アメリカと、顔触れにドイツこそないものの、ブリテンの初演時の思いのように、戦った国同士のメンバーということになります。
パッパーノの明晰な音楽は、ここでも際立っていて、ローマのオーケストラから透明感あふれる響きを引き出していて、ダイナミックな劇的なシーンも濁ることのない鮮烈さを味わうことができました。
 3人のなかで、いちばん声が重たいのがなんとネトレプコ。
レパートリーも拡充して、ドラマティコになっていった時期のもので、悲壮感ただようその歌声はなかなかに際立ってる。
いつものように繊細な歌い口のボストリッジに、友愛感じるハンプソンのあたたかなバリトンもとてもよかった。

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この時期に、この曲の持つ、戦没者への追悼という意味合いととともに、ブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いをあらためて強く受け止め、考えてみるのもいいことです(毎年この思いは綴っているのでi以下も含めまして再褐となります。)

しかし、この曲は、ほんとうによく出来ている。
その編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作か所は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組み。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロ。
それぞれに、この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
 戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
 曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。

②第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
 戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、曲の最後は、ここでも祈り。

③第3曲目「オッフェルトリウム」。
 男声ソロ二人と、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。

④第4曲「サンクトゥス」。
 ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような○△※ムニャムニャ的な出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。

⑤第5曲は「アニュス・デイ」。
 テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。

⑥第6曲目「リベラ・メ」。
 打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場の緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」


この映像を見ると、上記の、オーケストラ編成や合唱の配置のことがよくわかります。
ネトレプコは契約の関係か、収録時いなかったのか、登場しません。

※初演後の60年代の演奏状況は、コリン・デイヴィス(62独初演)、ラインスドルフ(63米初演)、ハイティンク(64蘭初演)、ケルテス(64墺初演)、アンセルメ(65瑞初演)、サヴァリッシュ(65独再演)、ウィルコックス(65日本初演~読響)
2022年の初演60年の年には、日本でもどんな「戦争レクイエム」が聴けることでしょうか。
希望を込めて、J・ノット指揮、露・英または米・独の歌手、日本のオケと合唱で。
これぞ、ブリテンの思いの理想の結実かと!

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実際のドンパチはないものの、世界は戦争状態に近いと思います。
反目しあう国と国、人種と人種、宗教と宗教、思想と思想 etc・・・・
争いはずっとずっと絶えることはない。
それがデイリーに可視化されて見えてしまういまのネット社会は、便利なのか、ストレス発生装置なのか、むしろ情報過多でわからない。

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2020年7月 4日 (土)

ハウェルズ チェロ協奏曲 ジョンストン

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鮮やかなとりどりの紫陽花が旬です。

連日の雨でふさぎがちな日々に、ちょっと癒しを与えてくれます。

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 ハウェルズ チェロ協奏曲

   チェロ:ガイ・ジョンストン

 クリストファー・シーマン指揮 ブリテン・シンフォニア

     (2018.12~2019.1 @キングズカレッジ、ケンブリッジ)

英国作曲家ハウェルズ(1892~1983)は、私の大好きな作曲家のひとりで、ヴォーン・ウィリアムズやフィンジに通じる叙情派。
過去記事で何度も書いてますが、42歳で、最愛の息子をポリオで突然に亡くしてしまうことから、陰りを帯びたシリアスな作品を書くようになった。
それまでは、田園情緒あふれるオーケストラ作品や、室内作品、瀟洒なピアノ曲などを中心に書いてます。

グロースターシャーで、家族と過ごした夏、9歳の息子マイケルを失ってしまい、満身創痍となったハウェルズ。
その気持ちを切り替えるため、さらにその思いを照射するためにもと、娘のウルスラは、父に作曲に戻るように勧めました。
そして出来上がったのが「楽園讃歌」で、まだ息子が存命中だった1933年から手掛けていた後のチェロ協奏曲。

ただ、チェロ協奏曲は、協奏曲としての形を結ぶことができず、「チェロと管弦楽のための幻想曲」という17分あまりの作品として完成される。
続く2楽章は、チェロとピアノスコアだけが残されることとなり、それを1992年にクリストファー・パーマーが補筆完成。
この作品は、チェロ協奏曲の2楽章ということでなく、「チェロと管弦楽のための挽歌」という曲として残されることとなります。
パーマーは、作曲家・プロデューサーとして多くの仕事をなしており、英国作曲家たちの作品を掘り起こしたり再生したりするばかりか、執筆家としても数々の作曲家について残してます。
残念ながらパーマーは1995年に49歳で亡くなってしまう。

パーマーの死でその先がなくなってしまったチェロ協奏曲の完成。
ハウェルズ財団のサポートを得て、今度はハウェルズの研究者でもあり、オルガン奏者でもあったジョナサン・クリンチが「幻想曲」と「挽歌」をそれぞれ1楽章と2楽章とすることで、それぞれとの整合性を第一優先にした第3楽章を創作しました。
2010年から、ラター、ロイド・ウェッバー、ペインなどの助言を受けつつ完成させ、2016年に、今回の演奏者ガイ・ジョンストンのチェロによって初演されております。

以上が、この作品の生い立ちで、CD解説書などを参照しまとめました。

第1楽章は、モダンな雰囲気のなかに、痛切なペシミズムと哀愁を感じさせるもので、少しばかり受け止めは重たいです。
でも第2楽章になると、その気分も救われます。
憂鬱と孤独が何故だか心地いい、そんな癒しの音楽で、ともかく美しい。
 そして前ふたつの楽章を統合しつつ、エネルギッシュな気分に押される前向きな音楽となった3楽章。
クリンチ自身も語ってますが、ウォルトン風でもあります。
悲しみと、ぶつけようの怒りや痛みを開放するような、そんな爽快さもありました。

私には慣れ親しんできた、ハウェルズの作風がしっかり投影されている立派なハウェルズ作品と思えました。
これも、クリンチの言葉ですが、ハウェルズはチェロを男性の声とみなし、その声はまさに作曲者の声となっていると語ってます。

今回聴いた、新しい録音は、教会での録音でもあり、響きがとても豊かで、でも音の芯はしっかりとしている優秀なもの。
演奏も初演者だけあって大いに共感しながらのもので、オケとともに音色もキレ味も素晴らしいと思いました。

当CDは2枚組で、この余白にはオルガン作品が、もう1枚にはテ・デウム、ミサ曲、マニフィカトなどの宗教作品が収められてます。
この合唱宗教作品は、ことのほか美しく、いずれの機会にまた取り上げたいと思います。

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 「幻想曲」と「挽歌」は、こちらのヒコックス盤にも収められていて、これが世界初録音でした。

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ハートのような紫陽花見つけました💛

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2020年4月 5日 (日)

ディーリアス 人生のミサ デル・マー指揮

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晴れた春分の日の日の入りを、吾妻山から眺めました。

富士に沈む夕陽。

壮絶ともいえる夕暮れの様子を立ち会うのが大好きです。

Azumayama-fuji-02

ディーリアスの大作、人生のミサを久しぶりに聴く。

集めた音源は4種もあり、今回は、デル・マーの指揮によるものをメインに、聴きまくりました。

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  ディーリアス 人生のミサ

    S :キリ・テ・カナワ
    Ms:パメラ・ボウデン
    T :ロナルド・ダウド
    Br:ジョン・シャーリー=クワァーク

 ノーマン・デル・マー指揮 BBC交響楽団
              BBC合唱団
              BBCコーラル・ソサエティ
    (1971.5.3 @ロンドン、ライブ)

イタリアのわけわからないレーベルから出てるこのCD。
放送録音と思われ、音像も少し遠く感じられますが、ちゃんとしたステレオで、鑑賞に支障はありません。
おまけに、カップリングはグローヴズ指揮するレクイエムもついてるので、ディーリアス好きにはたまらない音源なのです。

安定のシャーリー=クワァークが神々しく、いちばん耳にまっすぐ届きます。
キリ・テ・カナワがディーリアスを歌うなんて、と思いつつ聞いたけど、そのクリーミーで清潔な歌唱は、思った以上に相応しく、とてもいいです。
ボウデンの奥ゆかしいメゾに、熱っぽいダウドのテノール。
ダウドは、デイヴィスのベルリオーズ・レクイエムでソロを歌っている方です。

そして、師ビーチャムのもとで学んだ、デル・マーの定評あるディーリアス。
ベーレンライター版のベートーヴェンを校訂した、ジョナサン・デル・マーの親父さんです。
ときに、野生的な場面もあるこの作品、そうしたダイナミックな局面の描き方は、デル・マーのもっとも得意とするところだし、この作品の一番美しいシーン、第2部の牧場の真昼の美しさといったらない、陶然としてしまった・・・

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ここで、この作品のことを、下記、過去のヒコックス盤の記事からの引用です。

4人の独唱、2部合唱を伴なう100分あまりの大作。
こうした合唱作品や、儚い物語に素材を求めたオペラなどに、ディーリアスの思想がぎっしり詰まっているのだ。
 ディーリアスは、世紀末に生きた人だが、英国に生まれたから典型的な英国作曲家と思いがちだが、両親は英国帰化の純粋ドイツ人で、実業家の父のため、フレデリックもアメリカ、そして音楽を志すために、ドイツ、フランスさらには、その風物を愛するがゆえにノルウェーなどとも関係が深く、コスモポリタンな作曲家だった。

その音楽の根幹には、「自然」と「人間」のみが扱われ、宗教とは一切無縁
そう、無神論者だったのである。
この作品も、「ミサ」と題されながらも、その素材は、ニーチェの「ツァラトゥストラ」なのであるから。

 アールヌーヴォ全盛のパリで有名な画家や作家たちと、放蕩生活をしている頃に「ツァラトゥストラ」に出会い、ディーリアスはその「超人」と「永却回帰」の思想に心酔してしまった。
同じくして、R・シュトラウスがかの有名な交響詩を発表し大成功を収め、ディーリアスもそれを聴き、自分ならもっとこう書きたい・・・、と思った。
1909年、ビーチャムの指揮により初演され、その初録音もビーチャムによる。
 
ドイツ語の抜粋版のテキストに付けた音楽の構成は、2部全11曲。

合唱の咆哮こそいくつかあるものの、ツァラトゥストラを歌うバリトン独唱を中心とした独唱と合唱の親密な対話のような静やかな音楽が大半を占める。
日頃親しんだディーリアスの世界がしっかりと息づいていて、大作にひるむ間もなく、すっかり心は解放され、打ち解けてしまう。

第1部

 ①「祈りの意志への呼びかけ」 the power of the human will
 ②「笑いの歌」 スケルツォ 万人に対して笑いと踊りに身をゆだねよ!
 ③「人生の歌」 人生がツァラトストラの前で踊る Now for a dance
 ④「謎」      ツァラトゥストラの悩みと不安
 ⑤「夜の歌」   不気味な夜の雰囲気 満たされない愛

第2部

 ①「山上にて」 静寂の山上でひとり思索にふける 谷間に響くホルン
           ついに人間の真昼時は近い、エネルギーに満ちた合唱
 ②「竪琴の歌」 壮年期の歐歌!
           人生に喜びの意味を悟る
 ③「舞踏歌」  黄昏時、森の中をさまよう 牧場で乙女たちが踊り、一緒になる
           踊り疲れて夜となる
 ④「牧場の真昼に」 人生の真昼時に達したツァラトゥストラ
           孤独を愛し、幸せに酔っている
           木陰で、羊飼いの笛にまどろむ
 ⑤「歓喜の歌」 人生の黄昏時
           過ぎし日を振りかえり人間の無関心さを嘆く
           <喜びは、なお心の悲しみよりも深い>
 ⑥「喜びへの感謝の歌」
           真夜中の鐘の意味するもの、喜びの歌、
           永遠なる喜びを高らかに歌う!
            
       O pain! O break heart!
                     Joy craves Eternity,
                     Joy craves for all things endless day!
                    Eternal, everlasting, endless dat! endless day!
                      
           (本概略は一部、レコ芸の三浦先生の記事を参照しました)

 冒頭のシャウトする合唱には驚くが、先に書いたとおり、すぐに美しいディーリアスの世界が展開する。
妖精のような女声合唱のLaLaLaの楽しくも愛らしい踊りの歌。

「夜の歌」における夜の時の止まってしまったかのような音楽はディーリアスならでは。
「山上にて」の茫洋とした雰囲気にこだまする、ホルンはとても素晴らしく絵画的でもある。
さらに、「牧場の昼に」の羊飼いの笛の音は、オーボエとコールアングレで奏され、涙がでるほどに切なく悲しい。
この場面を聴いて心動かされない人がいるだろうか
まどろむツァラトゥストラの心中は、悩みと孤独・・・・。
「歓喜の歌」の合唱とそのオーケストラ伴奏、ここでは第1部の旋律が回顧され、極めて感動的で私は、徐々にエンディングに向けて感極まってしまう。
そして、最後の「喜びへの感謝の歌」では4人の独唱者が高らかに喜びを歌い上げ、合唱は壮大かつ高みに登りつめた歌を歌うクライマックスを築く。
そして、音楽は静かになっていって胸に染み込むように終わる。

シェーンベルクの「グレの歌」にも似ているし、スクリャービンをも思わせる世紀末後期ロマン派音楽でもある。
 以前、畑中さんの批評で読んだことがあるが、「人生のミサ」の人生は、「生ける命」のような意味で、人の生の完結論的な意味ではない、と読んだことがある。

英語の「LIFE」も同じ人生を思わせるが、原作の「Eine Messe des  Leben」のLebenの方がイメージが近いような気がする。

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②ビーチャム盤


   S:ロジーナ・ライスベック
   A:モニカ・シンクレア
   T:チャールズ・クレイグ
   Br:ブルース・ボイス

 サー・トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1952~53 @アビーロードスタジオ)

モノラルだけど、ちゃんとしたスタジオ録音なので、音はくっきり鮮明、そして生々しい。
演奏も、さすが初演者だけあって、熱のこもったもので、情熱の掛け方が半端ない。
そして、陶酔的な美しさは、さすがディーリアスの守護神ともいえるビーチャム。
ホルンは、このとき、ブレインだったのでしょうか。。
モノラルゆえに、そのどこか鄙びた響きは、わたしには郷愁すら感じる・・・・

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③グローヴズ盤


   S:ヘザー・ハーパー
   A:ヘレン・ワッツ
   T:ロバート・ティアー
   Br:ベンジャミン・ラクソン

 サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
                ロンドン・フィルハーモニック合唱団
   
    (1972 @ロンドン)

ビーチャム盤に次ぐふたつめの正規録音で、これが国内発売されたとき、すでに私はディーリアス好きだったけど、2枚組の大作には手が手ず、三浦先生の特集記事だけど、興味深々で読むにとどまっていた。
さらに全部集めたはずの、EMI「音の詩人ディーリアス1800シリーズ」でも出たはずなのに、なぜかこのグローヴズの「人生のミサ」は購入していなかったのが今思えば不思議なこと。
そして、実際に耳にしたのは、CD時代になってから。
グローヴズらしい滋味あふれる、優しさと自信にあふれた素晴らしいディーリアス演奏です。
当時、ハイティンクのもとで黄金時代を築くことになるロンドン・フィルのくすんだ響きも、渋くも神々しい。
お馴染みの歌手の名前が揃っているのも懐かしい。
明るめのラクソンの声が美しく、すてきなものだ。
 ただ、録音が強音で、割れてしまうのが惜しい。
ちゃんとマスタリングして、再発して欲しいな。

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④ヒコックス盤


   S:ジョーン・ロジャース
   A:ジーン・リグビー
   T:ナイジェル・ロブソン
   Br:ピーター・コールマン・ライト

 サー・リチャード・ヒコックス指揮ボーンマス交響楽団
                 ボーンマス交響合唱団
   
    (1996@ボーンマス)

ヒコックスも早くに亡くなってしまったが、シャンドスに、ディーリアスを次々に録音していたなかでの逝去は、本当に残念だった。
そこで、この作品が録音されたのは僥倖もの。
やはりデジタルでの鮮明な録音で、こういう合唱作品で音割れの心配なく聴けることが嬉しい。
こうして、いくつも並べて聴いてみると、歌手が小粒に感じるものの、悪くない。
ことにオーストラリア出身のコールマン・ライトのこれも明るめのバリトンがいい。
濃淡ゆたかな合唱の扱いがさすがにヒコックスはうまい。
静かな場面での弱音の美しさは、録音の良さも手伝って、ほかの盤では味わえないし、ボーンマス響のニュートラルサウンドと、それを引き出すヒコックスの指揮の巧さも感じます。
かつて、新日フィルに客演したヒコックスを聴いたけれど、オケと合唱をコントロールする巧さは、長年の合唱指揮者としての経験の積み重ねだと思ったことがある。
そのときの演目は、ブリテンの「春の交響曲」だった。
1999年の文化会館でのコンサート。

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沈んだ夕陽。

こうして夜の闇が訪れますが、いま、世界は闇のなかにいるかのよう。

人類の叡智もかなわない猛威に、不安は増すばかり。

いつかやってくる明るい夜明けを期待して、いまは静かに過ごすばかり。

そしてひたすら、連日、音楽を聴き、オペラを観るばかり。

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2020年3月 1日 (日)

ウォーロック 「たいしゃくしぎ」

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真冬の夕方どきの湘南海岸。

遠くの箱根の山が薄く染まり、砂浜の足跡も寂しく、厳しい雰囲気。

繰り返す波の音に、こんなときは、海鳥が鳴いたりすると、寂しさもひとしおになって、もっと雰囲気が出る。

3月の始まりなのに、絶望的な音楽を。。。

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      ウォーロック 「たいしゃくしぎ」

    T:ジェームス・グリフェット

  コールアングレ:マリー・モードック
  フルート:マリー・ライアン
  ハフナー弦楽四重奏団

           (1993)

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    T:ジョン・マーク・エインズリー

   ナッシュ・アンサンブル
       
         (1997.4 @ロンドン) 


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    T:イアン・パートリッジ

  ロンドン・ミュージック・グループ

        (1973.6 @アビーロードスタジオ)

ピーター・ウォーロック(1894~1930)は、ロンドン生まれの作曲家。
寡作化であったのは、36歳という短い生涯であること以上に、学校では音楽を学びながら、さらに専門の音楽大学、ことに英国でいうところの王立音楽院などに進むこともなく、独学で音楽を学ぶという、ほんとうの音楽マニア的な作曲家であったので、本格的な大作を書くことができなかったことにもあると言われてます。
 そして、悩める作曲家でもあり、36歳という若さの死は、いくつかの説もあるようですが、自ら命を絶ったことであります。

音楽マニアと書いたのは、そのメインは、大好きな作曲家だったのが、30年ほど先輩にあたるフレデリック・ディーリアスの大ファンだったこと。
実際に会ったりもして、その思いも伝えたりしてますが、ディーリアス研究の著作もあって、大いに評価されてまして、それはいつか手にしたいと考えてもいます。
そしてなによりも、ディーリアスの音楽が、自身の作曲の手本にもなっていて、その作品からディーリアスの姿を感じ取ることもできるものもあります。
あと、クィルターや、オランダの作曲家でロンドンに住んだファン・ディーレンからも影響を受けているとされます。

ピーター・ウォーロックという名前は、いわゆるペン・ネームで、本名はフィリップ・ヘセルタインというものです。
山尾敦史さんの名著「英国音楽入門」で読みました。
ヘセルタインは、とても優しくて内省的なタイプと自分を評していて、芸術家というのは破天荒な存在で、苦悩に満ちていて放蕩を繰り返し、酒浸りになっているようなものだ、という思い込みがあったといいます。
そのために、作曲家としてのヘセルタインは、ペンネームのウォーロックに変身し、髭もたくわえ、友人の作曲家のモーランと連れ立って酒場通いをして、女友達に囲まれるような日々を過ごした時期もあったとありました。
 そんななかで、いくつかのシンプルながら、珠玉の作品を残すことになるのですが、うつ病の症状も出始め、さらには創作力も弱まって、著作や作曲もうまく進まないようになってしまった・・・・
ウォーロックという名前の言葉の意味には、魔法使い、占い師、さらには世捨て人というような意味合いもあるそうです。

なんか気の毒なウォーロックさんとヘセルタインさんなのでありました。

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ウォーロックの多くない作品のなかでの、代表作は、弦楽のためめの「カプリオール組曲」。
それと歌曲集「たいしゃくしぎ」と歌曲の数々。

20年以上前に読んだ前褐の山尾さんの本で、ディーリアス好きのわたくしは、ウォーロックに大いに興味を持ち、「たいしゃくしぎ」という鳥がジャケットになったCDをすぐに購入しました。
ASV原盤で、いまは廃盤のようですが、こちらは、ほかに「カプリオール」とか弦楽四重奏付きのすてきな歌曲が収録されていて、いまでも大切に聴いてます。
しかし、残念なことにこのCDには、詩の原文がついてませんでした。
 いまでは、ネットですぐに探すことができますが、20年前はそんな時代じゃなかった。
その後に購入したのが、エインズリーとナッシュ・アンサンブルのハイペリオン盤と、イアン・パートリッジのEMI盤の2枚でした。
「たいしゃくしぎ」の原詩を知りたい、ウォーロックの歌曲をもっと聴きたいという思いからです。
そこで苦闘しながら知ることとなった、「たいしゃくしぎ」の歌詞の内容・・・

その音楽もそうですが、イェーツの詩によるその内容も、暗くて、救いがなくて、惨憺たる心情にあふれたものだったのでした。

4編からなる22分ほどのこの曲は、コールアングレとフルート、弦楽四重奏を伴ったテノールによる歌曲集です。
「たいしゃくしぎ」=ダイシャクシギは、渡り鳥で、日本で越冬することもあるそうですが、あんまり見かけることはありません。
河口などの水辺にすごし、その長いくちばしで、地中の虫などを餌にして、これまた長い足でよちよち歩いたり、佇んだりしてるそうで。
またちょっとミステリアスな雰囲気もあるので、神秘的な存在として、この世の無常を問いかける鳥ともされているといいます。
日本の俳句などにも似合いそうな渋い存在ともとれますね。。

コールアングレ(イングリッシュホルン)という楽器がソロで活躍する曲といえば、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」を思い起こしますし、ワーグナー好きなら「トリスタンとイゾルデ」の第3幕、病床のトリスタンを心配する牧童の笛を思い出します。
 そう、いずれも悲しみや、孤独、厳しい自然などを表出するのにうってつけの楽器。
これに、澄んだ無垢なるフルートの音色と、短調が基調の厳しい弦楽四重奏が絡むという、最高の虚無っぷり。
こんな音と楽器の配色を見出したウォーロックは逆にすごいと思います。
そして、こうした無常ともいえる内省的な音楽は、私淑したディーリアスの音楽領域にも重なるものと思います。
 しかし、ウォーロックの音楽は、こんな風に暗くて救いのものばかりではありません。

16世紀、17世紀イングランドのテューダー朝、ステュワート朝の音楽の研究も行っていたウォーロックですから、「カプリオール組曲」のような瀟洒でシンプルな音楽も書きましたし、歌曲のなかには、心躍るような楽しい歌も多くあります。
そんな二面性のあるウォーロックさん。

アイルランド人で、神秘主義にも傾倒したイェーツの詩と不可分に結びついた「たいしゃくしぎ」
1922年、ウォーロック28歳のときの作品。
藤井宏行さんの訳詞が、ネットで見れますので、参照にさせていただきました、ありがとうございます。(→The Curlew

 ①O Curlew , Cry no more                     
   おおたいしゃくしぎよ、もう鳴くな
 ②Pale Brows , still hands and dim hair 
   蒼ざめた顔 柔らかな手と柔らかな髪
 ③I cried when the moon was murmuring to the birds       
   わたしは叫んだ 月が小鳥たちにつぶやいていたときに
 ④(Interlide)       (間奏)
 ⑤I wander by the edge         
        わたしは、この岸辺をさまよう

各詩の最初を読むだけで、哀愁と忘れがたい悲しみを追い求める姿が浮き彫りになります。
曲の冒頭で、コールアングレの演奏が始まるとすぐ、ひんやりとした状況に包まれてしまう。
そして次いであらわれる、たいしゃくしぎに、鳴かないでくれと呼びかける歌、イギリスのリリックなテノール歌手の歌声あってこそ、この音楽を歌い込むことが可能とも思います。
歌うばかりか、独白のように、詩を読んだりもします。
ともかく救いナシ。
あまりに切々とした歌で、同情を誘ってしまうような音楽でありつつ、あちら側に行っちゃった感じも受けるので、ついていっちゃいけない、と曲が終わったときに心に誓うのも忘れてはなりません。

初聴きのグリフェットのマイルドな歌声、エインズリーの哀感ともなったリリカルな声、パートリッジのちょっとか細さすら感じさせる泣きの歌。
全部、好きです。
あと、パドモアも録音したみたいですから、そちらはフィンジがカップリングされてまして、是非にもと思っています。

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いま現出した不安の日々に、こうした音楽も聴いて、逆に光明の光りを感じ取ることも必要かと思います。

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2019年12月 1日 (日)

ブリテン 聖ニコラス ブリテン指揮

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国内も、国外も、身の回りの狭い社会にも、いろんなことが日々、ハイスピードで起きてることを感じてしまうのは、SNSなど、ネット社会の行きつきつつある、ひとつの現象だろうし、これからも、ますます加速する流れだと思います。

四季のメリハリもなくなりつつあるなか、必ずやってくる私の大好きなクリスマスシーズン。

有楽町駅前の、毎年おなじみの交通会館のイルミネーションです。
ほどよく華美でありながら、銀座の入り口のひとつでもあるので、その落ち着きが美しい。

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  ブリテン 聖ニコラス

   T:ピーター・ピアーズ

   BS:デイヴィット・ヘミングス

 ベンジャミン・ブリテン指揮 オールドバラ祝祭管弦楽団・合唱団 ほか

         (1955.4.14 @オールドバラ 教区教会)

「聖ニコラス」、すなわち、サンタクロースの起源として知られるギリシア人司教「ミラのニクラウス」のことであります。
正教会と西側西方教会とで、その伝説の中身が違ったりもしますが、基本は、弱気ものを密かに助けるという聖人の姿。
貧しいものや、罪を着せられたものに、施しを授ける伝承から生まれたサンタクロース伝は、あまねく世界にプレゼントを配る、おおらかなあのお姿に昇華され、さらには商業的なキャラクターにもなって、愛されキャラとして確立したものと思います。

戦後、1948年、ブリテンは、サセックスのランシングカレッジ100周年記念のために、この聖ニクラウス伝説をもとにした平易なカンタータを作曲。
いつものように、ピーター・ピアーズを前提としたテノール独唱に、合唱、少年合唱、弦楽合奏、オルガン、ピアノ、打楽器といった、ブリテンならではの編成。
このピアーズのソロ、弦楽合奏と打楽器以外は、アマチュア音楽家を想定しているというところもまた、ブリテンらしいところです。
オペラでも、こうした楽器編成を取ってますが、ブリテン独特のミステリアスでクールな響き、でも暖かい音楽といった二律背反的な音楽がここにもあります。
全編、50分を要する意外な大作。

9つの部分からなりますが、概要は次のとおり。

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①イントロダクション
 いまを生きる人々よりの、ニコラスへの呼びかけ。
 ニコラスの話をしよう。

②ニコラスの誕生
 ニコラスは母親のお腹のなかから叫んだ、「God be glorified!」
 明るく、ホッピングするような曲。
 ブリテンが、その叫ぶ声に選んだのは、少年合唱のなかの最少年者で、その拙さがまたピュアに聴こえます

③ニコラスの神への献身
 成長したニコラスは、テノールソロによって歌われ、
 そのテノールと弦楽だけの③
 かなりシリアスなムードにおおわれる。
 両親が亡くなり、家に一人、そして広い世界と人間の過ちを知る。
 神への奉仕の人生を歩む。

④パレスチナ(エルサレム)への旅へ
 ニコラスの航海が描かれるが、男声による船員。
 かれらは、聖人に敬意を払わない
 その報いとして海は大荒れ、船員は絶望に
 嵐は、少女たちの声が代弁、なかなかに荒涼たるサウンドが展開。
 しかし、ニコラスは祈りで船員たちを落ち着かせ、そして神に向かって祈り、静かに終わる

⑤ニコラスはマイラへ、そして司教に
 マイラ(ミラ、現トルコ内)に到着したニコラスは、その地で司教に選出。
 ニコラスは、神の前に誓い、そして讃美歌に包まれる。

 Old Hundred=詩編第100編からの讃美歌が全員で歌われ、きわめて感動的。

 「世に住むすべての人々は、明るい声で主に歌いましょう
  彼は喜んで使える、その称賛は語り継がれる
  あなた方は、彼の前に来て喜びなさい・・」

⑥獄舎からのニコラス
 ローマの支配下となり8年。相次ぐ迫害。
 獄舎でのパンの施しの孤独な秘蹟を行いつつも、この現状を憂うニコラス。
  罪なき市民の処刑を助けた伝説からの場面。
 ここでは、③のようにニコラスのテノールと弦による少し切迫した音楽。

⑦ニコラスと漬物少年(ピックルスボーイ)
 凍てつく冬、旅行者たちが空腹のため食事をとろうとする。
 ニコラスにも勧める。
 しかし、ニコラスはそれを制止し、行方不明の3人の名前を呼びかける。
 すると肉屋に殺された少年たちが蘇り、ハレルヤを歌いだす。
  これもニコラス伝説のひとつ。
 子供たちの守護聖人であること、サンタクロース伝説であります。
 ここでは行進曲調の音楽と、子供たちを憂う母の女声合唱、そしてニコラスの祈り。
 そして、子供たちの純真な「アレルヤ」がオルガンを伴って広がり、
 最後は、明るい行進調で曲を閉める。

⑧敬意と素晴らしき業績
 40年に及ぶ、ニコラスの慈悲、善意、慈善の行い、優しさなどを、いくつものエピソードで短く回顧。
 ト長調の平和なムードの音楽で、ピアノのアルペッジョと弦の優しい背景のなか、合唱と少年少女たちが掛け合いのようにニコラスを称えい合います。

⑨ニコラスの死
 死を前にしたニコラスは、畏れと歓喜とともに、天で待つ神への愛に熱くなり、そして受け入れます。
 テノールの絶叫のようなソロで始まり、合唱も伴い熱いソロです。
  そして、それが鎮まると、オルガンが静かに序奏し、そこから超感動的な讃美歌が始まる。

  「神は神秘的な方法で動く 実践するその不思議
   彼は彼の足跡を海に植え そして嵐に乗る。・・・・ 」

 こちらは、⑤の讃美歌Oldと違って、New Londonとして編されてます。
 暗闇から輝く光、これを讃えたもの。

 この堪えようもない、感動をどう捉えようか。
 ブリテンの作品、彼のオペラにも通じる、エンディングのマジックです。
 聴衆には、この讃美歌をご一緒に、という一言もあります。
 荘厳に鳴り響くオルガン、輝くシンバル、とどろくティンパニを伴った心浮き立つ讃美歌。

このように、シンプルながら見事に構成された作品で、聴くほどに味わいがあります。
無垢の子供たち、気の毒な人々を愛した博愛のブリテンならではの、素材選びだし、それにつけられた音楽も素晴らしいものとなりました。

取り上げたCD盤は、モノラルなので、教会的な空間の広がりはここに求めることはできませんが、デッカならではの鮮明でリアルな録音で、曲の良さは十分に堪能できる。
なによりも、特徴的なピアーズののめり込んだような歌唱がいい。
そして、作曲者の直伝の指揮は、この曲のモニュメンタルな存在として、今後の指標にもずっとなるものでしょう。

ほかにもいくつか録音はありますが、まだそれらは聴いてません。
あとよかったのは、今年BBCのネットで録音した、クレオバリーのキングスカレッジ勇退のライブ。
ケンブリジのキングズ・カレッジ教会の響きが心地よく、実の神々しい感じでステキな演奏だった。

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今年のクリスマスシーズンは、天皇陛下のご即位や、新元号のスタートなどがありながらも、多かった災害なども身近に感じたりして、どうもきらびやかさは控えめのように感じます。
特に、千葉県民だから、そう思うのか、県内の商業施設など少し抑制ぎみ。

静かに過ごしたい12月ですが、きっと慌ただしくなるのでしょうねぇ・・・・

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2019年11月12日 (火)

バックス 伝説 コレッティ(ヴィオラ)

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2019年11月9日の晩、翌日に、ご即位の奉祝パレードを控えた東京タワーも、記念のライトアップ。

自分と同期生の東京タワーも、ご覧のように美しく輝き、東にスカイツリーができても、まだまだ東京の顔として現役。
この日も、世界各国の方々も多くいらっしゃいました。

天皇陛下とは1歳違い、皇太子さまの時代より、ずっと親しく感じていたお方です。
昭和天皇は遠くの存在、平成天皇は父のような存在、そしてご即位された令和の時代の新天皇は、より親しみを持てる身近な存在。

陛下は、オックスフォード大学ご修学のご経歴と、そして自らヴィオラを弾かれます。

本日は、英国のヴィオラ作品を聴いて、あらためまして御奉祝の祝意を捧げたいと存じます。

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  アーノルド・バックス Legend ~伝説

    ヴィオラ:ポール・コレッティ

    ピアノ :レスリー・ハワード

        (1993.09.23 @ピーターズハム、ロンドン)

こちらのCDは、英国作曲家のヴィオラ室内楽作品を集めたもので、ブリテン、V・ウィリアムス、グレインジャー、ブリッジ、レベッカ・クラーク、そしてバックスの曲が収められてます。

これらの中では、女流のクラークさん(1886~1979)の3楽章形式のソナタという大作もあって、これがなかなかに抒情的かつモダーンな一品なのですが、それはまたいずれの機会に。

本日は、日ごろ、その作風や音色が耳になじんだ作曲家、バックスの10分あまりの幻想的な作品に絞りました。

バックスは大好きな英国作曲家で、もういくつも記事にしてますが、その素敵な、ワンパターンともいえる3楽章形式の7つの交響曲を中心に、オペラ以外に残した多彩なジャンルの作品たちを、愛してやみません。
 ロンドンっ子でありながら、ケルト文化に感化され、その音楽をたどり、収集し、自らの音楽に反映させました。
この「Legend」も、そうした雰囲気が満載の作品で、交響曲でいえば、3番とあのケルト臭満載の4番とのあいだに書かれました。
1928年、バックス45歳の作品です。

ためらいがちなヴィオラの音色に、感覚的なピアノが寄り添い、ミステリアスでありつつも、抒情と幻想の入り混じる、わたくしには、えもい合わぬ、バックス・ワールドを堪能できる佳品です。
それにしても、ヴァイオリンのように、突き抜けたサウンドもなく、チェロのように、人を包み込むような深い音空間を築きあげるでもない。
縁の下の力持ちのような、普段は、言葉少ないヴィオラの音色。
それこそ、多弁でなく、静かな物言いは、どんなに言葉や音を尽くすよりも、人の耳や心に緩やかに入ってきて、安心感をもたらします。

ヴィオラを嗜む天皇陛下の、その人となり、その御声、そのもののような気がいたします。
こんな風ないい方は不遜かもしれませんが、それこそ、国民や日本のことを、いつも祈っておられる皇室の存在が、わたくしたちに与えてくださる、安堵と安寧の安心感なのかもしれません。

ちなみに、ほかの収録曲、クラークのソナタ以外も、V・ウィリアムズ節が堪能できる「ロマンス」、グレインジャーの「サセックスの母のクリスマス・キャロル」など、べらぼうに美しく、そしてハートウォームな曲が聴けて、秋の夜にもぴったりです。

スコットランド出身、メニューイン門下のコレッティの艶のあるヴィオラは気持ちいい音色をふんだんに奏でてます。
彼も、期せずして、天皇陛下と同じ年でした。

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きれいなものは、きれい。
尊いものは、尊い。

それでいいじゃないですか。

2000年も続いた、日本国の皇統と、われわれ日本人の想いは、これからも弥栄にあれと心より思います。

パレードを体感しようと出かけましたが、思いもしなかった手荷物検査の長蛇の列は、一向に進まず長時間並んで終了でした。

上空のヘリコプターと、はるか遠くに見える、観覧できた方々の振る日の丸を眺めつつ、その雰囲気を堪能いたしました。

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2019年9月19日 (木)

ディーリアス 弦楽四重奏曲 去りゆくつばめ ブロドスキーSQ

Lave

こんな、初夏から夏にかけての1枚が、懐かしく思われる今日この頃。

季節の変わり目は、四季に応じてあるけれども、冬から春のわくわく感、春から夏の沸き立つ解放感。
そして、夏から秋へは、寂しさと楽しかった日々への寂寞の想いがあります。
さらに、秋から冬は、備えと身支度を伴って身が引き締まります。

9月17日から21日頃を、暦でいう七十二侯のうち「玄鳥去」にあたります。
そう、元気に飛び交っていた「つばめ」たちが、南の暖かい地に飛び去る季節を言うのです。

Delius-elgar-brodsky

  ディーリアス 弦楽四重奏曲

    ブロドスキー・カルテット

               (1982)

ディーリアス唯一の弦楽四重奏曲。
第一次大戦によるドイツ軍の侵攻により、永遠の地と定めた、フランス、グレからオルレアンに一時避難、しかし、一時ドイツ軍が引いてグレに戻ったものの、ビーチャムの勧めもあって、イギリスへと渡った。
ちょうどその頃、書かれた四重奏曲で、1916~17年の作品にあたります。

もうひとつ。1893年に書かれた四重奏曲があって、そちらは破棄されてしまったので、現存するのはこちらだけ。
当初は、3楽章構成であったが、すぐにスケルツォ楽章を加えて4楽章形式としました。

4つの楽章からなる、正統的な四重奏曲で、そのの緩徐楽章である、第3楽章がフェンビーによって編曲された、弦楽合奏による小品「去りゆくつばめ」の原曲。

Slow and wistfully」~ゆっくりと、物憂げに~と但し書きされた、美しくも儚い楽章。

弦楽合奏で聴くより、四重奏で聴くと、より耳をそばだてることになり、去りゆくつばめ、去りゆく秋を想い、気分はまさに物憂くなります。
そんな想いを、軽く和らげ払拭させてくれるような快活な4楽章が続くことに。
こちらは、速く、勢いよく、と題されてます。
さかのぼるようにして、1楽章のメロディーが再現されたり、総括的な終楽章となりますが、やはり、心に残るのは、先の3楽章。
3楽章を最後にしてもよかったのでは、なんて思ったりもします。

のびやかな1楽章は、どこか憂いを含みながらも、英国田園詩情を漂わせてくれます。
民謡調の中間部が素敵な追加された2楽章のスケルツォ。
そして、Late Swallows「さりゆくつばめ」が来るわけです。

正統的な四重奏曲と書きましたが、ベートーヴェンの中期などのかっちりとしたものと比べると、はるかに感覚的な音楽で、その流れに身を任せることが出来ない聴き手には、退屈な音楽としかうつらないででしょう。
ですが、これがディーリアスの魅力です。

グレからイギリスに去る時、夫人イェルカによれば、ディーリアスは「つばめと別れるのがとてもつらい」と言っていたそうです。
季節の時候として、遅くまで残って飛び交うつばめも、次々に去っていく。
それを見ながら思うディーリアスの脳裏には、戦時避難したおりに接した負傷兵や避難者たちの姿もあって、戦没者への想いもありました。

昨日の雨が上がり、朝から青空が雲の中から顔を出してます。
空もだんだん高くなってきました。

Delius_del_mar

 「去りゆくつばめ」弦楽合奏版で好きなのは、慈しむようなバルビローリと、楚々としたノーマン・デル・マーのもの。

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2019年9月14日 (土)

ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

Cosmos-3

今年は、最初は涼しく、その後の暑さが厳しすぎたせいか、吾妻山の早咲きのコスモスは少し精彩に欠くような気がしました。

でもその名の通り、初秋に咲く、この花の色合いや佇まいはとても美しい。

Rvw

こんな教会の中で演奏された曲をネットで聴きました。

そう、英国音楽好きを自称しておきながら、こんなに美しい音楽を知らないできた。

いや、でもメロディーはなぜか知っていた。

しかも、6月から8月にかけて、イギリスでの演奏会でのものを3種類も。

  ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

        ~16人の独唱者とオーケストラのための~

 ステファン・クレオバリー指揮 ブリテン・シンフォニエッタ
                キングズ・カレッジ・コーラス
       (2019.06.29 ケンブリッジ、キングズ・カレッジ教会)

 マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団
            ハレ合唱団
            (2019.05.23 マンチェスター)

 マーティン・ブラビンス指揮 BBCスコティッシュ交響楽団
               BBCシンガーズ
             (2019.08.13 ロイヤル・アルバートホール)

短い間に、3回も演奏されます。
そう、それにはいわれがあります。

指揮者ヘンリー・ウッドの指揮活動50年を記念して、ほぼ同年代だった朋友のヴォーン・ウィリアムズは、この素敵な作品を1938年に作曲した。
ヘンリー・ウッドは、指揮者として、作曲家・編曲者として、そして、音楽プロデュースにおける改革者として、ビーチャム、さらには、ボールトやバルビローリらの先人として英国音楽界にその足跡を残した人です。
プロムス、すなわちプロムナードコンサートの第1回目の指揮者でもあり、その後もクィーンズホールから現在のロイヤルアルバートホール(RAH)に至るまで、ずっと指揮者として活躍し、いまは、プロムスの期間中、そのホールに胸像が掲げられてます。
そのウッドの生誕150年が今年だったわけです。(1869~1944)

今年のプロムスでは、ブラビンスの指揮で演奏され、6月には、キングス・カレッジを長年率いたクレオバリーのフェアウェルコンサートのなかで、そして5月には、ハレ管のマーラー2番の、驚きのアンコールで演奏されました。

このように、ウッドと所縁があることで、今年多く演奏され、放送も多く聴くことができ、この作品がことさらに好きになった次第です。
聴いたことがあるメロディ、CD棚を探しまくり、いくつかある交響曲の全曲のカップリングにもないかと思ったが、残念ながら手持ちのCDにはありません。

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作曲時に選ばれた16人の歌手とオーケストラによるこの作品、歌手たちはソロであったり、重唱であったりで、
 のちに、ソロを4人とし、合唱とオーケストラによるものへと編曲。
さらに、ヴァイオリンソロを伴うオーケストラ版にも編曲されました。
わたくしは、きっと、このオーケストラ版をどこかで聴いたのだろうと思われます。

歌詞は、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」からとられてます。
この物語は喜劇でありながら、ユダヤ人とキリスト教者との当時の微妙な関係が描かれたりもしているのですが、ヴォーン・ウィリアムズはそのあたりはスルーして、この戯曲に出てくる音楽にまつわるシーンから美しい言葉を取り上げました。

物語の概略は、ヴェニスの商人、その親友が結婚をしたがっているが資金がない、それを用立てるために、ユダヤ人高利貸しから借金をするが、期日に返すことができずに、証文通りに、心臓を差し出すことになってしまう。その裁判で、裁判官に扮した親友の婚約者の機知によって助けられ、高利貸しは財産没収とキリスト教への改宗を命じられてしまうというオハナシ。

ここで、ヴォーン・ウィリアムズが選んだシーンは、①婚約者が裁判に勝利して、家に帰ったとき、幸せにあふれた気分で月を見上げ、もれてくる音楽を聴いたときの気分、②もともと父に反発していたた高利貸しの娘が、判決で得た父の没収財産の半分を得て、婚約者のキリスト教徒の若者と駆け落ち、夜空を見ながら天体の音楽を語り合う、このふたつです。

曲の最初は、美しい、美しすぎるメインテーマが、ソロ・ヴァイオリンによって奏でられます。
そう、あの「揚げひばり」をお好きな方なら、すぐに、このメロディーは忘れられないものとなります。
優しさと慈悲にあふれた旋律です。
そのあとに、こんどは16人の重唱で。

 「月明かりが、ここにのぼり、そこに眠るなんて、
  なんて甘い想いなのでしょう
  ここに座りながら、音楽が。
  私たちの耳に忍び寄るように
  静かな夜、甘いハーモニー・・・」

ソプラノソロが、of sweet harmony と寄り添うように歌います。

このソロと、その歌詞は、曲の最後にも歌われ、まさに癒しのサウンドを持って印象的に静かに終了する重要なモティーフです。

曲は途中、ヴォーン・ウィリアムズならではの、ミステリアスな進行を伴った神秘サウンドもあらわれますが、最終は、幸福なムードのなかに終わります。
13分ぐらいの曲ですが、何度もいいますが、ほんと美しい。

「天体の音楽は人には聴こえない」とシェイクスピアの原詩にはありますが、ヴォーン・ウィリアムズは、それをわれわれの耳に届けようとしたのかもしれません。

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3つの演奏、ともに素敵です。
クレオバリーの教会での演奏は、雰囲気そのものが素晴らしく、響きもいい。
エルダーは、マーラーで歌ったソプラノがそのまま歌っているのか、ソロが素晴らしく感動的。
プロムスのブラビンスは、巨大な響きのいいホールを美しい響きで満たしてしまい、賑やかな聴衆を静まりかえらせてしまったくらいに、集中力あふれた演奏。

ボールトのCDを今度は聴いてみよう。

Cosmos-2

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