カテゴリー「イギリス音楽」の記事

2022年11月13日 (日)

ホルスト 「惑星」 マリナー指揮

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ある日の西の空の三日月。

実家に移動して来て、窓の外は毎日空が見渡せます。

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徒歩7分の海に出れば相模湾で、シーズンオフには人っ子ひとりいない静かな海を独占できる。

移転して1年も経たないうちに、都会の空は遠い存在となってしまった。

コンサートなんておっくうで、帰りのことを考えると嫌になっちゃう。

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     ホルスト 「惑星」

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

      (1977. 6.22~24  @コンセルトヘボウ)

懐かしい1枚を。

みんな物故してしまった私の好きな指揮者4人衆のひとり、マリナー卿。
92歳、現役真っ最中で亡くなって、もう6年。
ただでさえ膨大な数のマリナーのレコーディング、まだまだ聴いていない録音もたくさんありますし、愛聴盤でも当ブログで取り上げていない録音もいくつもあります。
聴いていない代表は、ハイドンのネイムズシンフォニーとモーツァルトの交響曲、セレナーデ集など。
あと、愛聴盤の代表が、この「惑星」でした。

大学時代に発売されて聴きたくてしょうがなかったけれど、学生時代ギリギリに、なんとエルガーのエニグマと2枚組で限定発売された。
それこそ、飛びつくように大学の生協で購入し、評判だったその録音の良さに、若き自分は狂喜乱舞した。

ハイティンクですっかり馴染んでいたコンセルトヘボウのオーケストラの音色と、コンセルトヘボウのホールの響きが、フィリップスの超優秀な録音でもって、しかも大好きな「惑星」が月夜が窓から見渡せる部屋の自分の安い装置から、素晴らしい音で鳴り響いたのでありました。

いつも書いていることですが、アナログ時代最盛期の70年代後半のフィリップス録音はすべてが素晴らしいと思う。
コンセルトヘボウ、ボストン、ロンドン、ロッテルダム、スイス、いずれの録音会場でもクオリティの高い録音がなされていた時期。

レコード発売時のレコ芸の若林駿介さんの録音評をいまでも覚えてます。
打楽器の音が強すぎるが残響が豊かで音に艶がある・・・的な内容だったと記憶します。
CD化されたこのアナログ録音ですが、まさにそうで、加えて刺激的な強音を感じさせないで、オケの音のダイナミックな強さを体感させてくれる、いまでも素晴らしい録音だと思います。

マリナーの指揮、相変わらず丁寧で不器用なまでに指揮棒を振り分けているのがわかる丁寧な指揮。
作品が実によく書けているから、フルオーケストラ演目を指揮し始めたころのマリナーの素っ気なさもかえって新鮮に感じるし、むしろ演出過多の演奏よりずっと客観的な惑星っぽい。
イギリスのオケでも聴いてみたかったけど、ここでのコンセルトヘボとの驚きの組み合わせは成功としかいいようがないです。
分厚い響きに暖かな音色は、当時、金管に木管に名手ぞろいの奏者たちの巧みな演奏も加わり、誠に心地よく素晴らしいものです。

マリナーの「惑星」は1976年に東京フィルに来演したおりに、NHKFMで放送され体験済みでした。
日本のオケに初登場の50代になったばかりのマリナーさん。
この当時は、マリナーといえばアカデミーという具合に自身が創設した室内オーケストラでの活動をメインにしつつ、ロンドンのフルオーケストラなどへの客演を初めていた時期で、東フィルもいいところに目を付けたなと思ったものです。
 その後のマリナーのフルオーケストラへの進出と躍進ぶりは、もうここに記すまでもないでしょうあ。
いま思えば、ベルリンフィルとウィーンフィルからは呼ばれなかった(はず)。
これもまたマリナーたるゆえん。

マリアーの清涼感あふれる上品で美しい「惑星」。
秋の日に、懐かしい思いとともに聴きました。

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失敗した皆既月食の写真。

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おまけ

「惑星」ジャケット選手権

わたくしの偏見でもって選んだ惑星のナイスなジャケット。
左上から時計回りに、①プレヴィンLSO、②メータLAPO、③ショルティLPO、④バーンスタインNYPO、⑤マリナーACO、⑥ハイティンクLPO、⑦小沢BSO、⑧ノリントンSRSO、⑨プレヴィンRPO、⑩ラトルPO

レコードだと大判なので、音楽を聴くとき、スピーカーのうえに立てて聴くと、雰囲気もとてもあがりました。

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2022年10月12日 (水)

ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲&南極交響曲

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9月最初の頃の吾妻山。

ここはコスモスが早く咲きますが、今年はやたらと早くて7月の終わりごろから咲き始めて、お盆明けにはもう萎みはじめてしまいました。

やたらと暑かった今年の夏、いろんなことがありましたが、季節の巡りがどんどん早くなっているような気がしてなりません。

今年はヴォーン・ウィリアムズの生誕150年、そして10月12日が誕生日です。

9曲ある交響曲、いずれも個性的な作品ですが、その様相からいくつかのカテゴリーに分けることができます。

田園情緒あふれる抒情的な3番(田園)と5番はすでに記事にしましたが、今回は描写的なスクリーンさえ思い浮かぶような作品をふたつ。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第2番「ロンドン」

    リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

       (2000.12.19 @オール・セインツ教会)

ロンドンという巨大な都市の一日を描いた交響曲。
過去記事を手を入れながら。
この街の風物や、住む人を通して描いてみせた4つの楽章のがっちりした立派な構成のちゃんとした交響曲。

英国作曲家たちを語る上で、二つの世界大戦の影響は避けては通れない。
長命だったRVWゆえに、二つの戦争が影を落とした作品も多く、そのひとつが「ロンドン交響曲」で、第一次大戦開始直前に書かれていて、このあと従軍してフランスで活動もしている。

活気ある都会を描きつつも、終楽章では失業者であふれるロンドンの様子が陰鬱にも表現されていて重苦しい気分にさせる。

第1楽章「テムズ河畔のロンドンの街の夜明け~市場や街の朝の雑踏」
第2楽章「大都会の郊外の静やかな夕暮れ」
第3楽章「夜想曲~夜の繁華街」
第4楽章「不安な大都会~失業者の行進」

活気あふれる都会が目覚め、生き生きとしてくる場面を巧みに描いた1楽章。
第2楽章の抒情的な音楽は、RVWならではで、3番や5番と同じ雰囲気もあり、これを聴きながら、先に崩御されたエリザベス女王を偲ぶこともできる。
夜の雑多な雰囲気を感じさせる3楽章もロンドンの街の姿だろう。
暗い雰囲気の4楽章、途中、雑踏のにぎやかさもぶり返すが、最後はまた不安に覆われ、ウェストミンスター寺院の鐘が鳴りつつ静かに終わる・・・・。


都会は賑やかで華やかだけど、その陰には不安もいっぱい。
時間だけが流れるように通り過ぎてゆくのも、いまの都会は同じく。

ヒコックスは、7番「南極」と9番を残して急逝してしまったが、シャンドスに残した残りの交響曲は、いずれも精度の高い、RVWへの共感あふれる名演ばかりで、おまけに録音も極上。
このロンドン交響曲の録音では、RVWが作曲ののちに手をいれて軽減化してしまった現行の通常版でなく、作曲当時の原典版による録音であることが画期的。
 その相違は、繰り返し的に現れる展開をもっと簡略化し、全体の演奏時間も10分ほどスリム化した現行版に対し、各楽章にいろんな局面で繰り返しやモティーフの追加を行っているのがオリジナル版。
聴き慣れたこともあるが、通常版のほうがスムーズだし、曲のイメージはストレートに伝わってくる。
でも、大きな違いは2楽章の悲しみの発露がより大きいことと、終楽章がくどいことを通り越して、ロンドンという街の大きさを巧ますじて表していること。
全体で、10分以上長い原典版。
その分、深刻さも増してます。

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   ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第7番「南極」

      S:シーラ・アームストロング

  ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック

       (1984.11 @アビーロードスタジオ)

R・シュトラウスばりの標題性豊かで、写実的な交響曲。
「アルプス交響曲」の南極バージョン。
オルガンがギンギンに鳴って大氷河の絶壁や孤高の絶景を思わせるし、ウィンドマシンも極めて寒々しい効果をあげている。
さらに、ひょこひょこ歩きのペンギンまで巧みに模写される。
ヴォーン・ウィリアムズは多彩で、教会音楽やミサも残しつつ、シンフォニストでもあったし、オペラ作曲家でもあった。
エルガーとの違いはオペラ。
具象的な劇作品の有無においてまったく違うが、英国を愛することではまったく同じ。

多彩なRVWの9つの交響曲のなかでも、いちばん交響詩的かつ映画音楽風。
「南極のスコット」という映画につけた音楽をベースに自身で5楽章編成の交響曲に編み直した交響曲

作曲者はこの作品に「Sinfonia Antartica」というイタリア語の表記を与えた。
1951年、80歳という年齢での作品!
映画は1912年に南極点を目指したイギリス、スコット隊の遭難の悲劇を描いたものだった。
このスコット隊に先んじること1ヶ月前には、ノルウェーのアムンゼン隊が南極点に到達していて、アムンゼン隊は極点のみをひたすら目指したのに対し、スコット隊は学術的な研究や観察を経ながらの進行ゆえに時間の差と悲劇の遭難が生じたと言われる。

大編成のオーケストラによる「南極」の描写音楽という要素に加えて、大自然に挑む人間の努力やその空しさ、最後には悲劇を迎えることになり、その死を悼むかのような悲歌に終わる。
描写音楽に人間への警告も加えたような、こんな一大ページェント作品なのだ。

 シュトラウスのような楽天的な派手さはなく、常にミステリアスで、神秘の未知との出会いと危険のもたらす悲劇性に満ちた交響曲になっている。
氷原を表わすような寒々しく冷気に満ちたソプラノ独唱や女声合唱、おまけに滑稽なペンギンや鯨などの驚きの出会いが表現される。
怪我をした隊員が足手まといになることを恐れ自らブリザードの中に消えてゆくシーンまで、こんな悲しい場面もオーボエの哀歌を伴って歌われている。
 最終楽章では、大ブリザードに襲われ隊は壊滅をむかえてしまう。
嵐のあと、またソプラノや合唱が寒々しく響き、荒涼たる寂しい雰囲気に包まれる。
ウィンドマシンが空しく鳴るなか曲は消えるように終わってゆく・・・・

アルプス交響曲と南極交響曲をともに録音したのはハイティンクが随一だろう。
アルプス交響曲にいたっては、手持ちの音源で、コンセルトヘボウ2種、ベルリンフィル、ウィーンフィル、シカゴ、ロンドンなどとの演奏を手持ち。
それらの演奏がカラヤンのように、巧みに聴けせるのでなく、かっちりとした交響曲として壮大に起立するかのような存在として聴かせたのがハイティンク。
南極交響曲でも、探検隊彼らへのレクイエムのように慈しみを持ちつつも冷静な演奏に徹していて、長く聴くに相応しい普遍的な演奏となりました。

希望が無限なように思われる苦難を耐え忍ぶこと。
ひるまず、悔いることなく、全能と思われる力に挑むこと。
このような行為が、善となり、偉大で愉しく、美しく自由にさせる

これこそが人生であり、歓喜、絶対的主権および勝利なのである」(シェリー詩)
こちらが1楽章への引用句。

「私は今回の旅を後悔していない。我々は危険を冒した。
また、危険を冒したことを自覚している。
事態は我々の意図に反することになってしまった。
それゆえ、我々は泣き言を言ういわれはないのだ。」
  
遭難後、発見されたスコット隊長の日記。
終楽章に引用された一節。

いまの地球人にはこんな書き込みはできないだろう。
自然を制覇し、思いのままにできると思ってしまっている。
日本の山々を切り崩して行われる再生可能エネルギーなんてマヤカシものにしかすぎない。

RVWの描き、感じた自然への脅威を、人間は忘れてはならないし、自らが造った都会の暴走も意識しなくてはならないだろう。

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冠雪まえのブルーな富士。

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2022年9月10日 (土)

エリザベス女王ご崩御を受け音楽にて偲ぶ

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バッキンガム宮殿に大英帝国旗が半旗であがりました。
(BBCより拝借)

ご年齢から考えて、この日が来ることはわかっていましたが、つい3日ほど前には、新首相トラスさんの訪問を受け、任命も行い組閣を指示した姿を見たばかりでした。

最後まできっちりと英国と国民のために仕事をなさいました。

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ロンドンの繁華街、ピカデリーにも女王の訃報を伝えるLEDが。

王室をいただく英国と、皇室をいただく日本とは、国民感情は同じだと思います。

その存在のない国、アメリカや中国、ロシアやフランスの国民には、王室・皇室の尊厳への特別な思いはわからないと思います。

日英ともに、ひらかれた皇室を戦後、ずっと根差してきたので、よけいに親しみを持って国民は女王や天皇陛下を感じていたと思う。

日本人でも親しみを持っていたエリザベス2世女王。

最愛の英国音楽でもって、女王陛下への哀悼の念をお捧げしたいと存じます。

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  エルガー 交響曲第1番 第3楽章

   エイドリアン・ボールト指揮 ロンドン・フィルハーモニック

       交響曲第2番 第2楽章

   ジョン・バルビローリ指揮 ハレ管弦楽団

癒しの音楽ともとれる儚くも美しい1番の緩徐楽章。
大英帝国への鎮魂歌、涙に濡れたような音楽だが、どこまでも高貴であり神々しい2番の緩徐楽章。
エリザベス前王女の曽祖父にあたるエドワード7世に捧げられたのが2番の交響曲。

エルガーは1930年に、子供時代に書いたスケッチをもとにした「子供部屋」という可愛い組曲を書いて、エリザベス王女、マーガレット王女姉妹、母エリザベス妃に献呈しています。
このとき、エルガーは押しもおされぬ英国最大の作曲家として尊敬を一身に受けていて、国王の音楽師範でもありました。
エルガー73歳、エリザベス王女4歳の時です。
しかしながら、探したけれどこの作品の音源は持ってませんでしたので、ネット上で聴くことができました。
愛情あふれる、かわいらしい作品です。

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  ブリテン 歌劇「グロリアーナ」

    チャールズ・マッケラス指揮 ウェールズ・ナショナル・オペラ

       交響組曲「グロリアーナ」

    ベンジャミン・ブリテン指揮 南西ドイツ放送交響楽団
           T:ピーター・ピアーズ

私の愛するブリテンのオペラのひとつ。
即位70周年プラチナ・ジュビリーを讃えて、この6月にこの作品を取り上げたばかり。→グロリアーナDVD
1953年、エリザベス2世女王の即位戴冠式奉祝にて作曲されたオペラで、エリザベス1世を主人公にした内容。
老いと孤独、とりまく政治など、ひとりの女性としての描いたこのオペラは、ネガティブキャンペーンをうたれ長らく埋もれてしまった。
ユーモアあふれる故エリザベス陛下におかれては、きっと笑顔でこの作品を受け入れたことでしょうが。
今後、上演機会も増えると思います。

この長い作品のエッセンスともいうべき、作者の編んだ交響組曲も、今年はジュビリーに合わせてコンサートで取り上げられてました。
軽快ながら荘重なる前奏曲、エセックス公の歌う悲しみのリュートソング、英国各地の舞踏曲、悲しみの苦渋の判断を下す女王のラストシーン。
これらオペラの4つのシーンを抽出してます。
最後、オペラ全編にわたって聴かれる女王を賛美する歌が優しく奏でられ、オペラと同様、それは消え入るように終わります。

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  ブリテン 「ラクリメ」

    Ms:ジーン・リグビー

   リオネル・フレンド指揮アンサンブル・ナッシュ

ダウランドの「あふれよ、わが涙」をもとにした痛切な作品。
緊張感漂う悲しみと、ヴィオラソロを伴う癒しの音楽でもあります。
シリアスなブリテンの音楽には、必ず心奪われる美しく優しいシーンもあります。

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  フィンジ 「いざ花束を捧げよう」

    Br:ステファン・ヴァーコー

 リチャード・ヒコックス指揮シティ・オブ・ロンドン・シンフォニエッタ

フィンジの書いた5曲からなるシェイクスピア歌曲集。

「Come away, come away, death」〜来たれ 死よ
「Who is Silvia?」〜シルビア
「Fear no more the heat o' the sun」〜もはや日照りを恐るることもなく
「O mistress mine」〜おぉ 愛しい君よ
「It was a lover and his lass」〜それは恋する若者たち

最初の曲が恐ろしいまでに透徹した孤高の作品。
静かななかに、哀しみのあまりに慟哭してしまいそうだ。
3曲目も悲しい。不幸にして亡くなった女性への哀悼の歌は痛切だ・・・
ほかの作品たちが、明るくのびやかで、ウキウキしていて救われる。
ピアノ版がオリジナルで、のちに弦楽オーケストラ版も作られた。
フィンジの音楽にはほんとうに癒される。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第5番

    ブライデン・トムソン指揮 ロンドン交響楽団

ことさらに第3楽章が素晴らしい。
あまりに美しく儚く、切ない音楽。
純真な祈りの心。
何度も繰り返されるアレルヤ。
死んだら流して欲しい音楽。
宗教感と自然観、そして作曲当時の戦渦にあった社会観などが美しくも昇華した音楽。
亡き女王に捧げるべき哀しみの音楽。

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  アイアランド The Forgotten Rite

   リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

詩的で幻想的、ケルト風味もただようアイアランドの音楽。
ノルマンディーの島々に訪れたときの印象を残した10分あまりの管弦楽曲。
海の香りもする神秘的でロマンテックな作品で、ハープの清涼なグリッサンドにのって、どこか天に昇っていくような澄んだ音楽になる。
日本と同じく海に囲まれた英国の女王を送るに、この幻想的な曲も相応しいと思った。

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 ハウエルズ ヴァイオリンとオーケストラのための3つの舞曲

    Vn:リディア・モルドコヴィチ

  リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

熱心なイギリス教会の信者でオルガン奏者でもあったハウェルズ。
最愛の息子を失い、美しく透明感あふれる声楽作品を残した。
また抒情派として、心優しい田園情緒あふれるすてきな作品も数々あります。
そんななかで、私が大好きなのが、この3つの舞曲の真ん中の曲。
「揚げひばり」にも通じる癒し効果も抜群の曲で、ともかく美しくグリーンな音楽。
イギリスの美しい自然を思いながら・・・・


もっとも愛する作品、ハウエルズのレクイエムともいえる「楽園賛歌」は大きな作品なので、いつかまた聴いてみようと思う。

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と思ったら、久方ぶりなので全部聴いてしまった。
ヒコックスとロンドン交響楽団で。

6章からなる神への感謝と死を悼むレクイエム。
英語とラテン語の聖句を交えた切実な音楽で、その形式はのちのブリテンのレクイエムも思わせる。
作者は、子の死で傷を得た内面を描いたような「秘なるドキュメント」として公で演奏されることを拒んだものの、ヴォーン・ウィリアムズの勧めで作曲後12年を経て初演された。
シビアな雰囲気もただようが、そこは抒情派ハウエルズ、随所に美しいシーンがあり、無垢なるソプラノ声にも天の声を感じる。
英国教会にあるステンドグラスから差してくる光の彩。
慰めと祈りの法悦、死の矛盾への怒り、でも最後のハレルヤで救われる。

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  ディーリアス 「日没の歌

      S:サラ・ウォーカー

      Br:トマス・アレン

   エリック・フェンビー指揮 ロイヤルフィルハーモニック
                アンブロージアンシンガーズ

ディーリアスには別れの音楽が多い。
感覚の音楽ともいうべきディーリアスは、四季折々の自然に触れて、そこに人間や大自然を重ね合わせて眺めるのが好きだった。
「日没の歌」はソロと合唱を含む作品で、アーネスト・ダウソンの詩に基づいた。
セシル・グレイの言葉によると「過ぎ去った日々にたいする、かの忘れがたい悲哀と未練の感」といわれ、ディーリアスのあらゆる作品にあてはまると思われる。
人生の儚さ、そして慰めをここに感じる音楽です。
最後は、夕日が沈むかのように、静かに消え入るように、静寂に溶け込んでしまう・・・・

この美しい作品を、私は夕焼けを見ながら聴くのが好き。
過ぎ去った日々を思いながら・・・

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  ビートルズ アビーロード

      「Her Mjesty」

ビートルズにも女王陛下を親愛の情をこめて歌った曲があります。
珠玉の名作、アビーロードの最後に、こっそりひっそりとたたずむ短い作品。
ポール・マッカートニーの作品で、彼ひとりで歌う。
女王を可愛い、ステキだと歌いながら、ちょこっとジョークを交えたビートルズらしい曲で、最後にさらりとある意味深な曲。
サー・ポールも女王の崩御を悼み、神のご加護をと追悼のメッセージを出しました。

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  エルガー ソスピリ

   ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

       エニグマ変奏曲~ニムロッド
 
   ネヴィル・マリナー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ

最後はやはり、エルガーで偉大な女王を偲びましょう。
楚々とした哀歌、ソスピリを聴いたら泣けてきた・・・・

エニグマ変奏曲のなかからの「ニムロッド」は単独でもアンコールで取り上げられることも多い。
追悼の意はないが、ここには高貴さ、高潔さに対する尊敬と親しみ深さをここに感じます。
BBCの女王のありし日を伝える映像には、この曲が流れてました。

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エリザベス女王の魂が永遠でありますこと、お祈り申し上げます。

そして日本の親愛なる国、英国の新しい国王に榮あれ。

英国音楽を心より愛するひとりとして、追悼の念を持って書きました。

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2022年8月17日 (水)

ブリテン 戦争レクイエム サヴァリッシュ指揮

Taihuu

お盆に台風8号が襲来し、悪天にみまわれました。

お休みをとって、旅をされた皆様は、まったくとんでもないタイミングでの台風直撃でした。

こちらは、家から見た、台風が去ったあっと、すぐのふたつに割れた空。

世界中、いいことがない日々、台風とともに嫌な空気を洗い去って欲しいと、この絶景を見て思いましたね。

Usagi

ガラスのうさぎ像。

東京大空襲で母と妹を失い、そこでみつけたガラスのうさぎ、二宮に疎開していた少女ですが、今度は二宮駅で無差別の機銃掃射を受け、父を失いひとりになってしまう。
近くの平塚には軍需工場があり、平塚は空襲の目的地のひとつだったが、二宮はなにもなかった町でした。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:ユリア・ヴァラディ
   T:ペーター・シュライヤー
   Br:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 NHK交響楽団
        日本プロ合唱団連合
        東京荒川少年少女合唱隊

      (1979.5.7 @東京文化会館)

毎年、この時期に、戦争レクイエムを。
戦没者への追悼とブリテンが熱く希求し続けた反戦平和の思いの込められた独自のレクイエム。
今年ほど、リアルに戦争が起きてしまう恐ろしさと、隣国が起こしているという日本にとっての脅威とを感じたことはない。
春にはボストン交響楽団がパッパーノの指揮でとりあげ、冒頭にU国の国家が演奏されてます。
そちらを今年は取り上げようかとも思いましたが、パッパーノ盤はすでに取り上げ済みですので、自分がこの作品を知ることとなったサヴァリッシュの演奏にしました。

1979年に演奏されたこの音源は、同日に生放送されたものをエアチェックしたカセットテープから板起こししました。
サヴァリッシュは、フィッシャー=ディースカウ夫妻をよくN響に呼んできて、数々の名演を残してくれました。
この戦争レクイエムと同時期に、ショスタコーヴィチの14番や、マーラーの4番、歌曲、さらに違う年にはバルトークの青髭、シューマンのファウスト、ドイツレクイエムなど。
いずれも権利関係をクリアして正規音源化して欲しいものばかりです。

サヴァリッシュとFDは、年齢も近く、まさに朋友。
知的な演奏を志すふたりは、レコーディングも多く、ピアニスト&指揮者としてもサヴァリッシュはFDと相性がよかった。
このライブでも、戦争レクイエムの初演者として、気合の入り方と、抑制の巧みさとで、極めて雄弁な歌唱を聴かせるフィッシャー=ディースカウ。
夫婦共演の際は、まるでFD歌唱が乗り移ったかのようなヴァラディの歌も素晴らしい。
ヴァラディはFDとは歳の差婚だったので、引退はしたものの、まだまだお元気の様子。
ハンガリー出身、ルーマニア育ちなので、ドイツものばかりでなく、イタリアもの、スラヴ系もレパートリーにありまして、メゾ領域もこなす幅広い音域を活かし、ドラマテックでありつつ、細やかなリリックな歌唱もこなせる歌手でした。
何度か舞台も経験できた好きなソプラノのひとりです。
言葉に意味を持たせつつ、これもまた知的なシュライヤーの歌声もわれわれにはお馴染みです。
ただ、イギリス系のテノールで聴き慣れたこの作品には、やや違和感も感じることは確かです。
それでもこのシュライヤーの歌唱は、真摯なサヴァリッシュの戦争レクイエムの演奏にはぴったりで、やや神経質系に傾くイギリス系のテノールよりもここでは相応しいとも感じます。

そのサヴァリッシュの指揮が、これもまた集中力と緊張感に富んだもので、理知的でいつも生真面目なその演奏スタイルから一歩も二歩も踏み出した感興の高まりを感じます。
いまのN響なら、もっと精度の高い演奏ができるとも思うが、指揮者への全幅の信頼と、ライブでの記念碑的な演奏会であることから、みんな夢中になって取り組んでいることが、当時の映像の記憶からも思い出せるし、この音源にも感じます。
つくづく思うが、NHKはこうした演奏会をはじめ、たくさんの音源や映像を保有していると思う。
ちゃんと残っているものはしっかりアーカイブ化して有償でも、もっともっと公開して欲しいものだ。

なんでも海外と比べれないいというわけではないが、英BBCが、BBC傘下のオーケストラはおろか、国内のオケ、オペラ座の音源をほぼフリーでストリーミング放送している。
ドイツの放送局各局、フランス放送、北欧・東欧の各局もみな同じ。
NHKは国民から金を取ることばかりに主眼があるようで、サービス精神はなきに等しいと思う。

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                (路傍のキバナコスモス)

過去記事から再掲載

この曲は、ほんとうによく出来ている。
編成は、3人の独唱、合唱、少年合唱、ピアノ・オルガン、多彩な打楽器各種を含む3管編成大オーケストラに、楽器持替えによる12人の室内オーケストラ。
レクイエム・ミサ典礼の場面は、ソプラノとフルオーケストラ、合唱・少年合唱。
オーエン詩による創作部分は、テノール・バリトンのソロと室内オーケストラ。

この組み合わせを基調として、①レクイエム、②ディエス・イレ、③オッフェルトリウム、④サンクトゥス、⑤アニュス・デイ、⑥リベラ・メ、という通例のレクイエムとしての枠組みを作り上げた。
この枠組みの中に、巧みに組み込まれたオーエンの詩による緊張感に満ちたソロがある。
この英語によるソロと、ラテン語典礼文による合唱やソプラノソロの場面が、考え抜かれたように、網の目のように絡み合い、張り巡らされている。

「重々しく不安な感情を誘う1曲目「レクイエム」。
戦争のきな臭い惨禍を表現するテノール。
曲の締めは、第2曲、そして音楽の最後にあらわれる祈りのフレーズ。
第2曲は長大な「ディエス・イレ」。
戦いのラッパが鳴り響き、激しい咆哮に包まれるが、後半の「ラクリモーサ」は、悲壮感あふれる素晴らしいヶ所で、最後は、ここでも祈り。
第3曲「オッフェルトリウム」、男声ソロふたりと、合唱、二重フ―ガのような典礼文とアブラハムの旧約の物語をかけ合わせた見事な技法。
第4曲「サンクトゥス」、ピアノや打楽器の連打は天上の響きを連想させ、神秘的なソプラノ独唱は東欧風、そして呪文のような出だしを経て輝かしいサンクトゥスが始まる。
第5曲は「アニュス・デイ」。テノール独唱と合唱典礼文とが交互に歌う、虚しさ募る場面。
第6曲目「リベラ・メ」。打楽器と低弦による不気味な出だしと、その次ぎ訪れる戦場のリアルな緊迫感。
やがて、敵同士まみえるふたりの男声ソロによる邂逅と許し合い、「ともに、眠ろう・・・・」と歌い合う。
ここに至って、戦争の痛ましさは平和の願いにとって替わられ、「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」と調和の中にこの大作は結ばれる。」

最後に至って、通常レクイエムとオーエン詩が一体化・融合して、浄化されゆく場面では、聴く者誰しもを感動させずにはいない。
敵同士の許し合いと、安息への導き、天国はあらゆる人に開けて、清らかなソプラノと少年合唱が誘う。
このずっと続くかとも思われる繰り返しによる永遠の安息は安らぎを覚える。
最後の宗教的な結び、「Requiescant in pace.Amen」~彼らに平和のなかに憩わせ給え、アーメンでの終結、ライブで聞いたらこのあとには拍手はいらない静寂を保ったまま、静かにホールを去りたいものだ。

70~80年代は、日本は平和でよかった。
世界は米ソの冷戦やベトナム戦争はあったが、日本は高度成長と見えてた明るい未来とに酔うようにして、国民みんなが元気で明るかった。
50年を経たいまはどうだろう・・・・
あきらかに力を誇示する国が台頭し、自由と民主主義の先生だった国も自国が分断の危機。
日本は成長を忘れたようにして、怠惰をむさぼるのみか・・・・
日本の危機、世界の危機にあるいま、ブリテンの音楽意義がある。
敵対していた国の歌手たちによる初演、ブリテンの思いを今こそ・・・・と思います。

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2022年7月20日 (水)

ワーグナーの夏、音楽祭の夏、はじまる

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平塚市の大磯町との境目にある「湘南平」。

5月でしたが、ほぼ半世紀ぶりに行きました。

戦時中には、B29をねらう高射砲が据えられたが、平塚大空襲のときに爆破されてしまった。

いまでは、恋人たちが、ここに鍵を結ぶ平和なデートスポットになっていて覚醒の感があります。

子供時代、わたしの住む隣町にも防空壕が多くあり、怖いけどもぐったりしたものですが、これは予測された米軍の相模湾上陸に備えてのものだと大人になってわかり、身震いがしました。

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目を東京方面に転じると、江の島と三浦半島が見えます。

手前は烏帽子岩に、平塚港。

天候不順なれど、夏来たり、そして国内外に音楽祭の季節。

悲しみと不安のなかにありますが、音楽界は平常運転で、夏がめぐってきました。

ヨーロッパ各地は現在、記録的な猛暑にみまわれ、イギリスでは40度を記録・・・

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夏の音楽祭といえば、わたしにはバイロイト

初めて買ったワーグナーのレコードが、突如として現れた「ベームのリング」。
そのときの予約特典が、2枚組のハイライト盤で左の画像。
そのあと、フィリップス社が既存の名盤、サヴァリッシュのオランダ人、タンホイザー、クナッパーツブッシュのパルジファルをセットにして発売。
そのときのサンプラー廉価盤が右の画像。
このとき、はじめて世評高い孤高の名盤とされた「クナのパルジファル」に接し、さわりだけだったけど、神々しい感銘を受けたものです。

こうして、ともかく私のワーグナーはバイロイトあってのもので、年末に放送されるNHKの放送を必死に録音し、あの劇場のサウンドを脳裏に刻み付けてきました。
年末でなくとも、リアルタイムでバイロイトの現地の音や映像がすぐさまに確認できるようになった現在。
コロナで変則的な上映が続いたここ2年、今年はフルスペックで予定通りの上演になるかと思いきや・・・・

2022年の上演作品は、新作が「トリスタンとイゾルデ」と「リング」、再演が「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」ということで、新演出が2本と前期ロマンテックオペラ3作が揃って上演されるという珍しい年となりました。

2020年に予定されたプリミエから2年経過してとうとう上演される、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出による「リング」。
指揮者のインキネンがコロナにかかり、オーケストラとのリハーサルがろくに出来ずに降板。
つくづくインキネンはついてない。
代わりに、トリスタンを指揮する予定のコルネリウス・マイスターがリングの任に当たることに。
マイスターは、シュトットガルト歌劇場の音楽監督として、リングを手掛けており、同劇場のサイトで、ピアノを弾きながら楽曲解説を行うマイスター氏を確認しましたが、わかりやすい解説と明快なピアノ演奏に驚きましたね。
読響の首席客演時代はパッとしなかったみたいですが、劇場叩き上げ的な指揮者として、シュタイン、シュナイダー、コバーなどと同じく、バイロイトを支える職人指揮者のようになって欲しいものです。

リングに移ったマイスターの代わりにトリスタンの指揮者に選出されたのは、マルクス・ポシュナー。
ポシュナーはミュンヘン出身で、現在リンツ・ブルックナー管の指揮者で、全曲録音も進行中。
ブルックナーの専門家みたいにしか思われてないけど、手持ちCDで、アーヘンの劇場との録音で、パルジファルと使徒の愛餐がありました。
はたして、いかなるトリスタンを聴かせてくれましょうか。

指揮者では、オランダ人はリニフ、タンホイザーはコバー、ローエングリンはティーレマンと盤石。

歌手は、変動多くて、ウォータンとオランダ人を歌う予定のルントグレンが降りて、前者はシリンスとコニチュニーに、オランダ人はおなじみのマイヤーに。
 ステファン・グールドがかつてのヴィントガッセン級の八面六臂の大活躍で、トリスタン、ジークフリート(黄昏)、タンホイザーを歌うタフマンに。
あと、フォークトは、ジークムントとローエングリン。
シャガーがジークフリートに。
 イゾルデを長く担当したテオリンがブリュンヒルデ、前のリングのブリュンヒルデを歌ったフォスターがイゾルデ、と言う具合にステキなクロスも楽しみ。

演出はどうなんでしょうね。
こんな風に、始まる前から妄想たくましくして記事が書けるのもバイロイトの楽しみです♬

Proms2022

バイロイトと並んで、わたくしの夏を飾る音楽祭がイギリスの「Proms」

約2か月間にわたって、ロンドンの巨大なロイヤル・アルバート・ホールで催されるフレンドリーな音楽祭。

イギリス全土のBBC局をつなぐので、ロンドン以外の各地の面白いコンサートを、極東の日本でも居ながらにしてネット空間で楽しむことができる。

でも主流はアルバートホールでの演奏会で、今年、わたくしがチェックしたものは、「オラモ&BBCのヴェルレク」がファーストコンサート。
大活躍のウィルソンの英国音楽の数々、セシル・スマイスのオペラ「漂流者たち」をティチアーティのグラインドボーンメンバーで。
ヤマカズ&バーミンガムで、スマイスとラフマニフ2番。
エルダー卿とハレで、プッチーニ外套、ロイヤルフィルによる日本人作曲家の一日、ダウスゴーのニールセンシリーズ、ラトル&LSOの復活、ガードナーのゲロ夢、ペトレンコ&BPOのマーラー7番、シフによるベートーヴェン後期ソナタ、セガン&フィラ管のエロイカ、バーバー、プライス、スタセフスカヤのラストナイト。

10月末には、スタセフスカヤ&BBCで、proms2022Japanが開催されます。
プログラムは自分的にはイマイチだけど、ニッキーがやってくるので、行きたいな。

promsは、BBCのネット放送で、すべてストリーミング再生可能です。

オラモ&BBCのヴェルディのレクイエムを早くも聴きました。
タイミングがタイミングなだけに、深刻な面持ちで聴きましたが、極めて純音楽的でカチっとした演奏。
ただ歌唱陣は自分には今ひとつ。
ソプラノ歌手がドラマテックさはよいとしても、言語不明瞭な感じで不安定で、ムーディだった。

こんなこと言ってはサイトの存続すら危うくなりますが、Promsの今年の画像ひとつとっても、ここにうかがわれるのは、「多様性」。
BBCはアメリカの各局と並んで、こうしたジェンダー的なことに、そうとうにこだわりぶりを見せてます。
極東の小さな町で、世界につながったネット放送を聴く自分が偉そうなことは言えませんが、半世紀以上音楽を聴いてきた自分の耳を信じたいと思った。
なにが優先されるのか、なにが大切なのか・・・・
私は、とんでもないことに言及しているかもしれません。

Salzburg

相変わらず豪華ザルツブルグ音楽祭

フルシャ指揮のカーチャ・カバノヴァ(コスキー演出)、アルティノグリュー指揮のアイーダ、クルレンツィスの青髭公、ヴィラソン演出(?)のセビリアの理髪師、メスト&グレゴリアンのプッチーニ三部作、マルヴィッツの魔笛、ルスティオーニ指揮のルチアなどなど。
どれも映像付きで観たい聴きたい。

オーケストラ演奏会も豪奢ですので、オーストリア放送のネット配信がどれだけあるか楽しみではあります。

Exp


現在開催中でもうじき終わっちゃうのがエクスアン・プロヴァンス音楽祭

サロネンの舞台付きマーラー復活、サロメ、イドメネオ(日本人スタッフ)、ロッシーニのモーゼとファラオ、ポッペアとオルフェオのモンテヴェルディ2作、ノルマ、ベルリオーズ版オルフェオとエウリディーチェ

夏の後半はルツェルン音楽祭
アバドから引き継いだシャイーは、今年はラフマニノフ2番とマーラー1番。
フルシャがこのところ、ルツェルンでドヴォルザークをシリーズ化して、今年は新世界。

Bregenz

湖上の祭典、ブレゲンツ音楽祭では、ウィーン交響楽団が主役。
蝶々夫人、ジョルダーノの珍しいオペラ「シベリア」、ハイドンのアルミーダ。
湖上の蝶々さん、なんかステキそうですが、ここの演出はいつもぶっ飛んでるからな。
演出はホモキだから、まあ大丈夫か、見たいな。

アメリカへ渡ると、ダングルウッド
ボストン響とネルソンスの指揮が主体ですが、毎年、オペラをコンサート形式で取り上げます。
今年は、ドン・ジョヴァンニ。
ネルソンスがふんだんに聴けるのがこの音楽祭前半で、ハルサイ、ガーシュイン、ラフマニノフ3番など、いずれもネット配信されます。
録音も抜群にいいのが、ボストン響やタングルウッドのライブの楽しみです。

日本ではサマーミューザ
聴きに行きたいけど、突然行くパターンにしないと、ほんとに行けない昨今のパターン。

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悲しい事件はあったけど、暑さに負けるな、コロナなんて〇〇っくらえ、仕事も頑張れ。夏は音楽祭だ、ワーグナーだ!

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2022年1月 9日 (日)

フィンジ ディエス・ナタリス

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正月も過ぎ、松も明け、毎日が矢のように過ぎてしまう。

月日がほんと早い。

心落ち着くジェラルド・フィンジを聴く。

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     フィンジ(1901~1956) 作品集 

 ①祝典讃歌「見よ、満ち足りた最後の生贄」

 ② ディエス・ナタリスよりアリア「挨拶」

 ③ シルヴィアって?

 ④ 3つの独り言~恋の骨折り損

 ⑤ 清く穏やかな流れ

 ⑥ ローリクム・ロールム

 ⑦ Introit 入祭唱

 ⑧ Come away , come away ,Death 来たれ 死よ

 ⑨ 前奏曲 ヘ短調

 ⑩ ロマンス 変ホ長調

 ⑪ リズビー・ブラウンに

 ⑫ ディエス・ナタリス~イントラーダ

 ⑬ もはや灼熱の太陽も怖れるな

 ⑭ セヴァーン狂詩曲

 ⑮ エクローグ ヘ長調

   Sax:エイミー・ディクソン ①②⑥⑧⑪⑬


   Vn:トーマス・グールド ⑦

   Pf:トム・ポスター ⑮

   Hr:ニコラス・フリューイ ③

 ニコラス・コロン指揮 オーロラ・オーケストラ
   
    (2015.7,8  @フェアフィールド・ホール、クロイドン)

フィンジの作品ばかりを集めたCDは、マリナー以来かもしれない。
しかもメジャーレーベルで。

ニコラス・コロンは、もうじき39歳のわかいイギリスの指揮者で、彼とティチアーティ、英国ユースオケのメンバーとで2004年に設立した、オーロラ・オーケストラの指揮者を務めている。
彼らの演奏会は、プロムスなどで数年来、視聴しているが、古典~ロマン派系ではピリオド奏法を採用し、立演で行うなかなかに刺激的かつ楽しいものです。
若い彼らは、まさに若いリスナー向けに、解説を入れながら聴きどころを分析しながら演奏したり、また幻想交響曲では、メンバーがいろんなお面を装着して想像力をかきたてるような楽しいコンサートを行ったりしてます。

またコロンは、ハーグのレジデンティオケと、昨年からはフィンランド放送響の首席、ケルン・ギュルツェニヒ管の首席客演ともなってます。
活動の幅を大きく伸ばしつつあり、レパートリーも古典から近現代ものまで広範に収める、今後の注目株であります。

ユニークな活動を続けるコロン&オーロラオケのフィンジ。
その内容も、フィンジの心優しい音楽に徹底的にスポットをあてた1枚となっていて、これもまたユニークなものといえます。
聴く人によっては、もしかしたらムーディに過ぎると思う向きもあるかもしれません。
ここでは、至芸の名曲「エクローグ」を最終に据え、ロマンスや、セヴァーン狂詩曲といった名小品、クリスマスのカンタータ、ディエス・ナタリスから2曲、数ある歌曲集から数曲。
歌曲では、サキソフォーンのソロに編曲されていて、それが素敵なスパイスとなってます。
フィンジ入門編というより、フィンジの音楽にすでに魅了された聴き手が、ここに収録された1曲、1曲のあらたな側面を見いだすような、そんな1枚だと思います。

フィンジの魅力のひとつは、デリケートな歌曲の数々。
ここでは、「いざ花冠を捧げよう」から③と⑧、「地球、空気、そして雨」から⑧と⑬が選択されていて、サキソフォーンとホルンによる声に変わるソロがとてもステキなのであります。
美人さんのエイミー・ディクソンの麗しい演奏。
あとパートソングから弦楽合奏へ編曲された⑤も美しい桂曲。

1楽章の出来栄えに不満を感じ、引っ込めてしまったヴァイオリン協奏曲の2楽章にあたる⑦「intoroit(入祭唱)」は、まさにヴァイオリンとオーケストラによる作品で、美しさ・儚さ、これ極まれりといった抒情にあふれた作品。
このあと、「来たれ死よ」(シェイクスピア詩)が続くものだから泣ける・・・・

楚々たる抒情作、ロマンスは、いまやいくつも演奏があるが、コロン盤の優しさは、曲の並びも手伝い泣けます。
そして、最後は「エクローグ」で締めるフィンジ作品集。

くりかえし、何度も聴いて、ずっと浸っていたい。
窓の外は冬の澄んだ青空。

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  フィンジ カンタータ「ディエス・ナタリス」

    T:トビー・スペンス

   スコテッシュ・アンサンブル

     (2007.10 @ウィグモア・ホール、ロンドン)

コロンのフィンジ集に、2曲おさめられた5つの部分からなるカンタータ。
「生誕の日」または「クリスマス」と邦題として訳される20分あまりの作品。
1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


いずれもフィンジらしい、滋味と抒情にあふれた音楽で、そこに哀しみもたたえた雰囲気があるのも、まさにこの作曲者ならでは。
この曲、これまで何度かblogに残してきましたが、テノールによる歌唱を前提とし、ソプラノでもOKとされてます。
清潔なソプラノでの歌唱も素晴らしいのですが、やはり繊細なイギリス系のテノールで聴くのが味わいも深いというもの。

とりわけ美しい最終の「挨拶」。
イエスの生誕、その出会いにふるえる自分、清新な心持ちが歌われる。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと

ロンドン生まれのトビー・スペンスは、ヘンデル、モーツァルトからブリテン、アデスまで、広範なレパートリーを持つリリカルなテノールで、ポストリッジと同じような立ち位置にあり、彼よりやや声は強いイメージです。
健康的な明るめの声は、陰りあるポストリッジともまた違い、この健やかなる作品の別の側面を聴かせてくれるように思った。

年が明け、初孫が生まれした。

その無垢なる姿を見て、この腕に抱いたとき、この作品が脳裏に浮かび、響きました。

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穏やかに、平和でありますように。

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2021年10月10日 (日)

バックス 交響的変奏曲 フィンガーハット

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賞味期限切れたけど、今年の彼岸花

9月20日のものですが、その1週間前には影もかたちもなかった。

突然、ぐわーっと咲いて、すぐに枯れてしまうのも彼岸花、またの名を曼殊沙華。

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美しいけど、怪しいね、彼岸花。

イギリスにもあるのかな?

アーノルド・バックス(1883~1953)の協奏曲的作品を。

少しの暑さも感じる初秋にふさわしい音楽。

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  バックス ピアノとオーケストラのための交響的変奏曲

      Pf:マーガレット・フィンガーハット

   ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

    (1987.1.7,8 @オール・セインツ教会、トゥーティング、ロンドン)

バックス中期の名作。
心臓の病持ちであったバックスは、第1次大戦に召集されず、その間、多くの交響詩やヴァイオリンやヴィオラのソナタなどを作曲。
こうした作曲活動のなか、バックスの人生に大きな転換期を告げる、出会いがあった。
妻と子がありながら、ピアニストのハリエット・コーエンと恋に落ち、彼女との関係は生涯続くこととなる。
最初は、いわゆる浮気、やがてその関係が強い友情となり、やがて切り離せない音楽パートナーとなる二人の関係。
バックスのピアノとオーケストラのための作品は5曲あり、いずれもコーエンを念頭に書かれてます。
1948年には、グラスで怪我をしてしまい、右手でピアノが弾けなくなった彼女のために、バックスは左手のための協奏曲を残してます。
 ちなみに、イケメン、バックス、1920年代半ば、コーエンとの関係のほかに、もうひとり、若いメアリー・グリーブスという愛人もできて、彼女はバックスが亡くなるまで尽くしたという。

こんな恋多き、ロマンス多しバックスの交響的変奏曲は、コーエンとの愛の産物のような存在なのですが、その夢幻かつ神秘的な雰囲気からは、甘味な恋愛感情のようなものは感じられない。
1916年より作曲を開始、ピアノ版は1917年に完成、1919年にオーケストレーションを済ませ、1920年に、コーエンのピアノ、ヘンリー・ウッドの指揮により初演。
しかし、スコアは刊行されず、第2次大戦で損傷を負ったりもして、1962年にスコアは復元されされ蘇演。
1970年に、ハットーのピアノとハンドレーの指揮で録音され、これがしばらく唯一の録音だった。
シャンドスのバックス・シリーズを担ったB・トムソンの指揮による1枚が今宵のCD。

ふたつの部分からなり、6つの変奏と1つの間奏曲からなる50分の大曲。

  第1部
   ①テーマ
   ②変奏曲Ⅰ 若者
   ③変奏曲Ⅱ 夜想曲
   ④変奏曲Ⅲ 闘争
  第2部
   ①変奏曲Ⅳ 寺院
   ②変奏曲Ⅴ 遊戯
   ③間奏曲  魔法
   ④変奏曲Ⅵ 勝利

それぞれの変奏曲にはタイトルがついているけど、それと音楽の曲調とマッチングさせて聴く必要もないように思う。
朗々として、そしてかつミステリアス、ケルト臭ただよう、スモーキーフレーバーのようないつものバックスサウンドに身をゆだねて聴くに限る。
バックス研究家は、この作品が、ケルトから北欧へのバックスの志向のターニングポイントになっているとします。

冒頭の主題からして、郷愁さそうバックスサウンド。
オケが懐かしそうなテーマを奏でると、そのあとから、詩的なピアノがアルペッジョで入ってくる。
この雰囲気ゆたかな出だしを聴いただけで、この作品のエッセンスは味わえるものと思う。

1910年に書かれた第1番のヴァイオリン・ソナタから引用も変奏曲のなかにはあります。
このソナタもメロディアスで懐かしい雰囲気なのですが、ピアノと響きあふれるオーケストラで聴くと極めてステキな様相を呈します。
ソナタの冒頭には、イェーツの詩の一部が書かれている。
「A pity beyond all telling is
       Hid in the heart of love」
それと、1916年に書かれた歌曲「別れ」からの引用もあるようで、そちらの曲は、まだ聴いたことがありません。

年代を考えると、古風なバックスの音楽スタイルですが、ともかく美しく、懐かしい。
フィンガーハットの詩情あふれるピアノと、バックスの伝道師、シャープな音楽造りのブライデン・トムソンの指揮が素晴らしい。

バックスの7つの交響曲は、この作品のあとから作曲が始まります。
オペラ以外のジャンルにすべてその作品を残したバックス。
シャンドスレーベルのシリーズは、だいたい揃えました。
DGやEMIなどのメジャーや、メジャー演奏家が決して取り上げない、そんなバックスが好きであります。

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暑さ寒さも彼岸まで、なんてのは今年に限りあてはまらない。

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2021年4月24日 (土)

モーラン ラプソディ ファレッタ指揮

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4月早々の吾妻山。

もう桜は散り始めで、今年はほんとに早かった。

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富士山、ちょっとだけ。

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  モーラン ピアノとオーケストラのための第3ラプソディ

     Pf:ベンジャミン・フリス

   ジョアン・ファレッタ指揮 アルスター管弦楽団

       (2012.9.17 @アルスター・ホール、ベルファスト)

アーネスト・ジョン・モーラン(1894~1950)は、英国抒情派の作曲家。
以前のモーランの記事でも書いてますが、そのプロフィールを再度。
直接的な師弟関係は、アイアランド。
アイアランドは、同じく抒情派で、出身の
スコットランドゆえにケルト文化を愛し、朋友バックスとともにケルトの神秘かつ原初的な世界に大いに影響を受けたのでありました。
ロンドン生まれのアイルランド系のモーランは55歳の短命だったが、その死の要因は、第1次世界大戦で頭部に重傷を負ったことで精神を病んだことでもありました。
自身が育ったノーフォーク地方の民謡や風物の採取に熱中し、やがて自身のアイルランドの血に目覚めていったという生涯。
豊かな自然のイギリス東部のノーフォークと、孤高なケルト文化を背景にしたアイルランドやスコットランド、このあたりの光景を思い浮かべながら聴くと、モーランのその美しい音楽はますます心にしみわたるようにして聴こえます。

数はそんなに多くはないけれど、オペラ的なもの以外のジャンルにまんべんなくその作品を残したモーラン。

アイアランドに師事していたころのの若き作品に、ラプソディ(狂詩曲)第1番があり、1922年。
その2年後に、ラプソディ第2番を作曲し、こちらは1941に改作されてスケールアップ。
どちらもモーランらしいメロディアスな作品。
 そして充実期の1943年、バックスの提案を受け、ラプソディの3作目を、しかもピアノ独奏を伴う協奏曲風なスタイルの作品を書きます。
これが、ピアノとオーケストラのための第3ラプソディです。
同年8月、ロンドンで、バックスの公然の恋人だったハリエット・コーエンのピアノ、ボールト指揮するBBC響にて初演し、成功をおさめます。

連続して演奏される17分ぐらいの曲。
明確に3つの部分からなってますので、まさにピアノ協奏曲ともいえる。
快活でリズミカルな第1部は、特徴的なモティーフが何度も繰りかえされる。
やがて、静まり、ピアノが独白を始めると、そこにオーケストラがそっと支えるようにして入ってくる。
緩徐楽章的な第2部の始まり。
ここが、この作品の白眉ともいえます。
ともかく美しく、儚げで、郷愁もたっぷり。
遠くを眺めて、ずっとずっと聴いていたい。
 しかし、ピアノが再び元気を取り戻したかのように第1部を回帰される。
ここからが第3部で、懐かしそうに第2部のムードも回顧しつつ、第3部は一番スケールが豊か。
打楽器も鳴り、金管も元気だし、例の特徴的なモティーフをオケもピアノも何度も繰り返す。
2部の美しさをピアノソロのカデンツァのメインとしつつ、やがてジャズっぽい即興性も感じさせつつ、鮮やかなコーダを迎え曲は閉じる。

短めだし、いろんな要素がなにげにたくさん詰まっているラプソディ3番。
何度きいたことでしょうか。

すっきり系のイギリスのピアニスト、フリスさん。
NY生まれの女性指揮者ファレッタさんは、かつてアルスター管弦楽団の首席を務めていて、雰囲気豊かなのこの作品にピタリのオーケストラから、素敵なサウンドを引き出してます。
かつて、ブライデン・トムソンやハンドリーらのもとでローカルな味わいのオーケストラだったアルスター管。
ファレッタのそのあとがエル・システマ系のラファエル・パヤーレ(モントリオール交響楽団の次期指揮者)。
パヤーレのあとは、イタリアのイケメンで有望核のダニエーレ・ルスティオーニが首席を務めてます。
こうして、ローカルな味わいのオーケストラも、グローバルな波に流されていくのはちょっと寂しいですが、このアルスター管は生で、一度聴いてみたいものです。
 あとファレッタさんが、いま指揮者のバッファローフィルも何枚か集めましたのでまた特集しようかと思います。

 「モーラン ヴァイオリン協奏曲 モルトコヴォッチ」 

 「モーラン 弦楽四重奏曲、ヴァイオリンソナタ メルボルンSQ」 

   「モーラン  交響曲 ハンドレー指揮」

 「モーラン ロンリー・ウォーターズ」

 「モーラン 幻想四重奏曲」

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2021年1月15日 (金)

ディーリアス 日の出前の歌、楽園への道 ヒューズ指揮

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ある日の相模湾の夜明け。

よく、夜明け前が一番暗いといいます。
確かに、お日さまが昇る直前は、真っ暗でした。

日の出とともに、あたりは急速に変化し、暖かささえも感じることができる。

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目を転じると、沖には大島の姿も見えます。

こんな海を見て育ちました。

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  ディーリアス 「日の出前の歌」

         「楽園への道」
     ~「村のロミオとジュリエット」間奏曲~
           (オリジナル版)

 オーウェン・アーウェル・ヒューズ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

       (1988.4.18 @ミッチャム、ロンドン)

なんども書いててすいません、毎度おなじみディーリアス。

やっぱり好きです。

ディーリアスの音を聴くと、自分の脳内に、なにかが分泌されるような気がします。
どんな状況下、どんな気持ちにあっても、それは同じ。

私を救ってくれる音楽だといまさらに思いました。
同じ思いをもたらす音楽としては、自分にはワーグナーがいますが、強引なワーグナーに比べ、そっと優しく、そばにいてくれるディーリアスの音楽。

昨年来の出口の見えない疾疫の蔓延、政治と経済の混乱、不正を許した民主主義の崩壊の兆しなどなど・・・・
ほんとに不安と不満がたまり、もやもや感が尽きませぬ。

終わりはあるはず、夜明けは近い、そして新しく歩みだすのだ、という思いをもって、ディーリアスのこの2曲をしっとりと聴きました。
もうね、涙が出そうになりました。

ディーリアスの大ファンであったウォーロックに捧げられた「日の出前の歌(A Song before Sunrise)」。
甘味で刹那的に聴こえるけれど、日の出前、自然が目覚めてくる雰囲気を描いたもので、聴きながら勝手にイギリスの田園風景と、徐々に日に染まりゆく野や草木の様子を思い浮かべることができる。

一方、「楽園への道」は、そのオペラの原題のとおり、小さな村の反目しあう家に生まれた少年と少女の悲恋の物語。
村人の目線から逃げることのできない二人は、朽ちた別荘の裏に流れる小川から、小舟に乗って旅立つ。
それは、行き先のない「愛の死」への旅だったけど、でももう誰も追ってこない、ふたりにとっての楽園なのでした・・・・
 こんな物悲しい物語のオペラにつけられた間奏曲は、あまりに儚くも美しく、そして哀しい。
ディーリアスの「トリスタンとイゾルデ」
愛の成就は、陶酔的な大きなクライマックスを築くが、徐々に弱まる音は魂の浄化。
きれいさっぱりと出直したいものだ・・・・・・

このCDでは、ビーチャムが編んだ単独演奏用の間奏曲ではなく、オペラの中の間奏曲をそのままに演奏したものが収録されてます。
各楽器のソロが目立つ編曲版の方がより劇的に聴こえ、オリジナル版はより静謐な雰囲気が勝るような気がしました。

過去記事→「村のロメオとジュリエット」

アーウェル・ヒューズは、ウェールズ出身で、ボールト、ケンペ、ハイティンクに学んだ王道系の指揮者で、父親も高名な作曲家。
英国もの以外に、デンマークの作曲家ホルンボーの専門家みたいに、BISにたくさん録音してまして、なにげに私もブログに書いてます。
このディーリアス、ノーブルなフィルハーモニア管を指揮して、ゆったりと、慈しむようにして、ディーリアスの感覚的な世界を描きだしてます。
久々に聴いたこの1枚。最初の頃と印象がまた変わりました。
美しすぎるその演奏。

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夜明けは近い、のだろうか・・・・・

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2020年9月 6日 (日)

エルガー 交響曲 コリン・デイヴィス指揮

Azumayama-13

吾妻山、頂の象徴ともいえる大きな木。

前にも書いてますが、この麓の小学校に通っていたころは、こんなきれいに整備されてなくて、広場にもなってなかった。
こんな木もなかったような記憶が。
当たり前だけど、登山道も整備されてなくて、石もごろごろの山道。

教室で飼っていたウサギがいなくなって、きっと裏山の吾妻山に逃げたんだよ、いや、猿に襲われたんんだよ、とか教室で大騒ぎになり、放課後、みんなで山に探しに行ってしまった。
そしてあたりは暗くなってしまった。
子供だけの決行だったので、大騒ぎになり、事を知らなかった、担任の若い先生は大目玉をくらいました。
結局、ウサギさんは見つからず、猿の犯行という都市伝説だけが残りましたとさ。。。。

今を去ること、半世紀前の小さな町の出来事でした。

 エルガーの交響曲を3曲、全部デイヴィスで聴いてみる。

Elgar-sym1-davis-1

  エルガー 交響曲第1番 変イ長調 op.55

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.9~10 @バービカンセンター、ロンドン)

エルガー(1857~1934)の人生は、そっくりそのまま19世紀末を生き抜いたわけだけど、その作風には後期ロマン派風ないしは、世紀末風なテイストは感じることはない、(と自分は思ってる)
それは、イギリスという大陸国でないことが大きいと思うし、英国音楽界が、本格的なシンフォニストやオペラ作曲家を生んでこなかったことにもよるかもしれない。
 本格的な交響曲作家は、パリー(1948~1918)とスタンフォード(1952~1924)のふたりで、いずれもブラームスへの賛美がその交響曲にうかがえる。
そして彼らの後輩、エルガーの1番の交響曲は、1907年に取り組まれ、おんとし50歳。
それこそ、ブラームスの1番のように熟考を重ねての年月を感じるが、できた音楽は、まるでブラームスでもなければ、チャイコフスキーやドヴォルザークのような民族色に根差したものでもなかった。
そう、英国の音楽だった。
「ノビルメンテ~高貴に」と付されたモットー主題が全体を覆う、堂々としながらも、哀感と儚さもあり、そして本格的な交響曲は、これまでにない英国交響曲だった。

1番はほんとうに好きで、最近のCDはあまり購入してないが、20種もありました。
コンサートでも何度も聴いてる。
そして何度聴いても、終楽章で最後にモットー主題が忽然と、そして力強くあらわれると涙が出るほどに感動する。
 サー・コリン・デイヴィスの熱い指揮は、このあたりがまことに素晴らしく、ぐいっと一本行ってみよう的な男らしさもありつつ、常にノビルメンテな気品も感じるところは、これもまたデイヴィスらしいところ。
 同じ時期に、集中して演奏されたコンサートのライブ録音だけども、LSOの本拠地、バービカンのデッドな響きをそのままとらえているので、音がかなり硬く潤いがないのが残念。
この頃のLSOレーベルの音はみんなそうで、でもその後はかなり改善されたと思う。

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エルガー 交響曲第2番 変ホ長調 op.63

 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.10 @バービカンセンター、ロンドン)

実は、私は1番より2番の方を先に聴いている。
バレンボイムが本格オーケストラと録音し始めた頃のロンドンフィルとの2番が、CBSソニーから出て、FMで放送されたものを録音して、何度も何度も聴いて耳になじませた。
エルガーを聴くようになったのは、それがきっかけの70年代。
1番の方が、馴染みやすいけれど、よりエルガーらしく、より英国の交響曲らしく感じるのは2番。
1番を完成させ、大成功を収めた翌年に作曲。
大英帝国の一翼を担ったエドワード7世の逝去にともない、亡き国王への追悼に捧げられた2番。
快活な1楽章に続く、2楽章ラルゲットがその追悼の想いを一心に表出していて、その哀感は、押しては引く波のように、じわじわと心に迫ってきて、音が旋律が、みんな涙に濡れているように感じる。
心が辛いときとか、これを聴くと、ほんとうに沁みる、泣ける。
こうして、エルガーはエドワード朝の終焉に、英国の沈みゆく帝国の姿を見たのかもしれない。
 可愛いスケルツォも素敵だし、どこか、幸せな安寧の地に誘われるような終楽章とその終わり方も素晴らしい。

1番を何度も録音したデイヴィスだが、2番の正規録音はこれだけ。
心を尽くした2楽章は、オーケストラの素晴らしさとともに、実に味わい深く、ここにこそ、デイヴィスの音楽造りの神髄を感じます。
それは、オペラとモーツァルト、ベルリオーズに長けた歌心と気品と情熱。
緩やかに曲を閉める、その構成力の豊かさもいい。

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エルガー 交響曲第3番 ハ短調 op.88 
        アンソニー・ペイン補筆完成版


 サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

      (2001.12 @バービカンセンター、ロンドン)

ペインが補筆完成させた3番を含めて、エルガー3作を全部録音している指揮者は、アンドリューとコリンのふたりのデイヴィスと、われらが尾高さん、そしてヒコックスの4人。
1・2番を録音している現役指揮者で、エルダー、ガードナー、W・ペトレンコは3番を録音するだろうか。
あとバレンボイムは絶対やりそうにないし、アシュケナージは引退しちゃったり・・・

自分的には、マーラーの10番とともに、立派にエルガーの交響曲として認知・認識して楽しんでます。

過去記事から、この補筆完成作品の成立の経緯を引用貼り付け。
「BBCの委嘱で書き始めた3番目の交響曲、3楽章までのスケッチのみを残してエルガーは亡くなってしまう。
死期を悟った作曲者は、スケッチを破棄するように頼んだが、そのスケッチは大切に大英図書館に保管され、エルガーの娘カーリスをはじめととする遺族は故人の意思を尊重することで封印を望んだ。
1990年、BBCは交響曲の補完をアンソニー・ペインに依頼、同時に遺族の了解を得るべく交渉を重ね、1997年にまず録音が、翌98年には初演が、いずれもA・ディヴィスの指揮によって行なわれた。
一口に言えば、簡単な経緯だが、スケッチのみから60分の4楽章の大曲を作りあげることは、並大抵のものではなかったろう。
スケッチがあるといっても総譜はごく一部、スケッチを結び合わせて、かつエルガー・テイストを漂わせなくてはならない。
さらに終楽章は、ほとんどがペインの創作となるため、エルガーの他の作品からの引用で補わなくてはならない。
エンディングにエルガーの常套として、冒頭の旋律が回顧される、なるほどの場面もある。」

未完の作品や過去の作品からの引用もあり、そのあたりはネットで調べるとたくさん出てきますのでどうぞ。

デイヴィスは、これまでの1、2番と同じように、この作品が既存で周知のエルガーの立派な交響曲であるかのように、がっつりと情熱をもって取り組み、唸りながら歌いながらの指揮ぶりも録音にはしっかりと残されている。
テヌート気味に開始される、ちょっと風変わりな冒頭、ずいぶんと威勢よくキレがいいのもデイヴィス。
そのあとしっかりといかにもエルガーらしい第2主題、このあたりの情のこもった歌わせ方はデイヴィスならでは。
エルガーの一幅の管弦楽曲としても単独で存在できそうな愛らしい第2楽章では、ものすごくデイヴィスの声が聞こえるのもご愛敬。
そしてきました、緩徐楽章は3楽章。
沈鬱なムードと優しくなだめるような雰囲気がないまぜになった深みのある音楽で、前にも書いたけど、ホルストの土星のような、哲学的な様相をもった感じで、自分はかなり好き。
こういう音楽を振らせると、デイヴィスの音楽の重心はかなり下の方、重々しい音楽を作ります。
 一転、行進曲調の不思議なムードを持った終楽章は、明るそうでいて、どこか陰りのある寂しさも伴います。
この楽章を交響曲の終楽章として完結感を持たせつつ締めるのは、指揮者の力量の問われるところで、デイヴィスはタメを活かしつつ、活気と推進力を押し出す一方、全体を俯瞰し、しみじみとしたムードもうまく出してます。
最後に、音楽は静かに収斂していって、ドラの音、一音で終わる集結部で、エルガーを聴いたという気持ちに、これまたしみじみと浸ることができます。
 これまで、コンサートで3回聴いてますが、最近めっきりやらなくなった演目です。

スタンフォード、パリー、エルガーと続いて、英国の交響曲作家は次々と登場することとなりました。
ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)、バックス(1883~1972)、ウォルトン(1902~1983)、ブライアン(1876~1972)、ティペット(1905~1998)、アーノルド(1921~2006)。
あっ、純粋交響曲は残しませんでしたがブリテン(1913~1976)も忘れてはいけませんね。

Azumayama19

ということで、エルガー3曲、デイヴィスで一気聴き。

エルガーには、未完の作品もそこそこあり、それを補筆することも継続してます。
ピアノ協奏曲と、オペラ「スペインの貴婦人」(一部)は、いずれ取り上げたいと思います。

やたらと大きい台風10号が九州に近づいてます。
台風シーズン到来は喜べないけど、これもまた季節の歩みだし、日本のロケーションの宿命。
年々、大型化する台風、大きな被害がでませんようにお祈りします。

Azumayama-15

吾妻山にある、由緒ある吾妻神社。
いつも山に登ったら参拝してます。
いつもひと気ありません。
日本武尊の東征のおり、入水した海岸に流れ着いた弟橘姫命(おとたちばなのひめ)の櫛を祀っているという云われがあります。
日本武尊は、わが妻よ、と嘆いたことから吾妻山と名前が付けられました。

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