カテゴリー「イギリス音楽」の記事

2017年9月 9日 (土)

ディーリアス 「ブリッグの定期市」イギリス狂詩曲 私のディーリアスの原点へ

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毎度で恐縮、かつ、おなじみの吾妻山からのお盆の頃の眺望。

夏の終わりに、今年の夏を回顧すれば、前半は猛暑。
本来の、日本のふるさとの夏を謳歌したかったお盆の夏は、まったくの不発で、曇り空と小雨の日々。

海と空の境界も、曇り空で曖昧。

その後も、猛暑が数日襲いましたが、9月に入っても、関東は涼しく、おとなしい残暑となっております。

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  ディーリアス  「ブリッグの定期市」~イギリス狂詩曲

   サー・トーマス・ビーチャム指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

                    (1956.10.31)


わがノスタルジーを再び語ります。。。

ディーリアス好きの、原書ともよぶべき、ビーチャムのステレオ初期の1枚。

これは、ディーリアンたちの踏み絵とも呼ぶべき1枚で、もしかして、バルビローリから入った人でも、このビーチャムのディーリアスは、必ず聴いていることと思う。
ネットで見つけたこの素敵なジャケットをお借りしました。

弊ブログを始めた、ごく初期の2005年12月に、「望郷のディーリアス」として記事にしております。
もうあれから、12年も経っていることも驚きだけれども、その記事の内容にも、進歩も進化もなく、でも読めば、その想いは変わらいことに、なんだかうれしくも、確信とともに自身の音楽への歩みと嗜好にブレがないこと、なかったことが確認できて、妙に爽快な想いになったりしてます。

 少し、その昔の記事をなぞるようではありますが、わたくしのディーリアスとの出会いを、改めましてここに残して置こうと。

それは、わたくしが中学1年生のときであったでしょうか。
1971年、すでに、クラシックに目覚め、カラヤンのマジックにかかり、数少ないレコードは、カラヤンやアルゲリッチ&アバドの協奏曲などで、FMからの放送をむさぼるように聴き、いろんな音楽や演奏を吸収していった時代。

レコード欲しい、欲しい、を連発してた子供の夢を叶えようとしていた父母に、今思えば、どれだけ感謝をすればいいのでしょうか・・・・。
ホテル関係の仕事をしていた父が、あるとき、30枚ぐらいのレコードを抱えて帰ってきた。

狂気乱舞のわたくしでしたが、その1枚1枚を検分すると、海外のレコードばかりで、しかも、ジャズやポップスが主体で、クラシックは、ほんの数枚。
でも、なんでも吸収したい貪欲な中坊のワタクシは、なんでもかんでも聴きました。
 その音盤は、赤いものや、青いものもあり、テスト盤の無印みたいなものも。
きっと、ホテルの館内用のものや、もしかしたら、米軍放送局の払い下げみたいなものなども含まれていたのでしょうか。

クラシック系では、フルトヴェングラー、クリスティアン・フェラス、ミルシュティン、ストコフスキー&フランス放送管、カーメン・ドラゴン、などに混じって、白紙のジャケット&白紙のレーベルに、「ビーチャム、デリアスを振る」と書いてあった1枚が。

これが、わたくしと、ディーリアスとの出会い。

いまから、46年前のこと。

ともかくわからない。

ビーチャムってだれ?

デリアスって誰って・・・・

それでも、貴重なレコードですから、日々、何度も聴きました。
そうするうちに、当時、ベートーヴェンやドヴォルザーク、チャイコフスキーの名曲ばかりだった自分の耳に、旋律はあるものの、全体がぼやっとして、はっきりしないその音楽たちが、自らその音楽を語りだすように感じた日がいつしかやってきました。

 そう、多感な中学生ですから、学校のこと、クラスメートのこと、女の子のこと、そして、妙に厭世的になったり、人生とはなんぞや的な、ひよっこ的な想いに浸ったりしていたわけであります。
 そんなときに、なんとはなしに、「ビーチャム、デリアスを振る」のレコードをかけていました。
そして、自室から見ると、目の前は小高い山があり、富士山のてっぺんが晴れた日には、そのうえに見えたりしてました。
そこから見る、壮麗な夕暮れは、自分のなかでの原風景でもあり、そして、さまざまな想いとともに、このディーリアスの音楽がしっかりと結びつくようになり、完全に受け入れることとなったのです。

レコ芸の付録のレコードデータ集のような冊子から、ビーチャムとデリアス(=ディーりアス)をひも解き、その作曲家や曲名がわかったのは、それからほどない中3ぐらいのとき。

以来、私のディーリアス探訪が始まりました。

その完成形は、社会人になってから、EMIから発売された、「ディーリアス・アンソロジー」で、ターナーの絵画をあしらった数十枚のレコードの、ほぼすべてを入手し、そこにあった、私にとって、英国音楽の師とも呼ぶべき、三浦淳史さんの名解説とともに、ディーリアスをむさぼるように聴いたものでした。
1981年ごろのことにございます。

CD時代になってから、EMIからの諸作の復刻、シャンドス、ハイペリオン、ユニコーンなどの英国系レーベルがふんだん
ディーリアスの音楽を、まさに、幅広く聞くことができるようになりました。

 ディーリアス  「ブリッグの定期市」~イギリス狂詩曲

オーストラリア生まれのグレインジャーは、英国邦各地の民謡を採取し、すてきな音楽に編纂したが、そのなかのひとつ、リンカンシャー州で得たものが、「ブリッグの定期市」。
1905年のこと。
テノール独唱とアカペラの合唱のハミングによる美しすぎる佳作。

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   8月5日のことだった。
   すがすがしく晴れたその日
   ブリッグの定期市に僕はでかけた
   愛しい人にあうために

   朝、雲雀の声と共に
   心はずませ僕は目覚めた
   愛しい人に会えるのだ
   ずっと会いたかったあのひとに・・・・


              (宮沢淳一 訳)

 こんな風に、愛する人に会える喜びを歌いつつも、後半では、そんな想いや、人間そのものも、不滅ではないという、もの悲しい展開になる。

グレインジャーと親交を得て、その許諾のもと、これを原曲にして、書かれたのが、ディーリアスのイギリス狂詩曲。
そのスコアには、先の詩の冒頭の二節が書かれている。

朝靄を感じるような曖昧だけれど、夏の一日の始まりを思わせる清々しい冒頭部。
ここを聴いただけで、わたくしは、遠くに置いてきた自分の若き日々や、故郷の山や海、そして、懐かしい白レーベル・白ジャケットのレコードまで、一瞬にして脳裏に浮かんでくる。
 わたくしにとって、ノスタルジーのかたまりのような、イギリス狂詩曲。

そして出てくる「ブリッグの定期市」の主題。
1度しか行ったことがないイギリスの田舎道を、車で自ら走ったことがある。
どこまでも続く緑と、丸っこい丘、そして可愛い家の集まる集落に水辺。
そんな光景を見た。
それがそのまま音楽になったような気がする。

ビーチャムの凛々しいディーリアスの演奏には、この作曲家を愛しぬいた優しさと使命感のような厳しさもある。
固めのロイヤルフィルの響きと録音も、妙に自分の刷り込みにもなっている。

ディーリアスの音楽との出会いを作ってくれたあのレコード。
あのレコードを運んできたくれた父も、とうの昔に世を去ってしまった。
文字や画像、匂いや味などで、むかしを偲ぶことはできるけれど、音楽は、その時の自分はおろか、感情にまでも遡って体感させてくれるように思います。

Azuma

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2017年8月30日 (水)

ブリテン 戦争レクイエム ハイティンク指揮

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この画像を、ここに載せるのは、もう何度になるでしょうか。

ガラスのうさぎ。

夏には、多くの千羽鶴が寄せられるようになり、平和祈願の発祥地のようにもなってます。
私の育った神奈川の小さな町。
終戦直前、近くの平塚市には、軍需工場があり、すさまじい空襲を受けたが、この町には何もない。
にもかかわらず、駅に停車していた貨物車を狙い機銃掃射。
疎開していた親子に着弾し、お父さんが亡くなった。
 いまは、建て替えられたけど、子供の頃の駅舎には、銃痕が残っていました。

ともかく、戦争忌避の思いは誰もあり、そして過去を反省する思いは、人類がみな共用すべきものと思います。
そのうえで、日々緊迫する世界情勢に対応するための施策を、施政者は批判を恐れずになして欲しい。

毎夏に聴く音楽。

そして、年とともに、この音楽への共感が増し、その都度の感銘を深めていく。

画像は、コンセルトヘボウらしいものとして拾いました。

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   ブリテン  戦争レクイエム

     S:フェイ・ロビンソン    T:アンソニー・ロルフ=ジョンソン
     Br:ベンジャミン・ラクソン

   ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
                      アムステルダム・コンセルトヘボウ合唱団
                       オランダ少年合唱団

                    (1985.10.27@コンセルトヘボウ)

カセットテープに残した、NHKFMの放送音源。

山ほどある段ボールのなかのカセットテープとVHS。

この先の人生も考え、取捨選択をするように心がけ、がんがん処分、そしていかにして、自らのライブラリーに残すか。

音源については簡単だった。
ヤマハのCDライターが壊れてしまい、超シンプルな、USBカセットテープ再生マシーンを導入できて、さくさくPCへ取り込み中。

真っ先に取り込んだのが、「ハイティンクの戦争レクイエム」だ。

これがまた、実に素晴らしい演奏だったのだから!

ともかく美しい。
ハイティンクとコンセルトヘボウが、もっとも蜜月に結ばれていて、指揮者の個性も、オーケストラの音色も、そしてコンセルトヘボウというホールの響きも、完全に一体化している時期のものゆえの美しさ。

ふっくらした音を、入念に醸し出すハイティンクとコンセルトヘボウが、ブリテンの緻密に書かれた音楽の、優しさと、デリケートな繊細さを素晴らしく描きつくすのだ。
ディエス・イレでの強烈な咆哮は、録音のせいもあるが控えめ。
そう、この曲に、痛切さや、壮大さ、そして、強いメッセージ性を求める向きには、このハイティンクとコンセルトヘボウの柔らかな響きは、もの足りなく思えるかもしれない。

でも徹底した平和主義者で、弱者のことに目線を多く向けたブリテンの優しさを、この演奏には感じることができるかもしれない。
カセットテープから起こした音源だから、音に芯が少なく、もっといい録音状態であったら、いますこし印象はかわるのかもしれないが。

3人のイギリス人歌手たちは、それはもう素晴らしく、完璧。
ことに、ロルフ・ジョンソンの鬼気迫る歌と、ラクソンの美声は聴きものだった。

オランダ放送協会のデジタル録音でした、とのアナウンスまで入っている、このNHKFM音源。本家での正規音源化はならぬものだろうか。
東ベルリン時代にベルリン響に客演した、A・ギブソンの録音ももってます。
あと、サヴァリッシュとN響、シュライヤー、FD夫妻のものなんかも。

60年代は、作曲者本人の自演盤のみしかなく、それが絶対とされた「戦争レクイエム」。
いまいくつのCDが出てることだろうか。
作者の手を離れて、多くの演奏家たちによって、この作品が、どんどん名曲として確立してゆき、聴き手の心を世界中で揺さぶるようになった。

平和を唱えていても、相手があることだから、一方的に事を起こされる不条理もある。
でも、戦争はご免だ。
この曲、あの大きな国で演奏されちゃったりするんだろうか??

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2017年6月22日 (木)

ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時・・・」 ラトル指揮

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少し前の東京タワーと芝公園。

都心は狭いもので、歩いていろんな場所へ行けちゃうけど、ほんのちょっと移動するだけで、そこに普段住まう方や、勤務する方のカラーがまったく違って見える。

大使館などもあれば、外国の方の人種や雰囲気もすぐに違ってみえる。

狭いけど、大きすぎる東京は、行き過ぎた都会だな。

疲れちゃうよ。

私が、神奈川の片田舎から、都内に初めて出てくるようになったのは、幼稚園ぐらいのことかしら。
親戚の家が板橋にあったので、内部がまだ木製の湘南電車に乗って、東京駅まで出て、そこから丸の内線で池袋。
活気あふれる高度成長時代、車の排気ガスなんか、へっちゃらで、渋滞だらけで、カローラとサニー、いすゞN360とかが走りまくってた。

当時の写真は、みんなモノクロだけど、いまやそれもセピア色に変じてしまった。

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    ブリテン イギリス民謡組曲「過ぎ去りし時」

     サー・サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

                (1984.5@ワーウィック大学、コヴェントリー)

ブリテン(1913~1976)最後の管弦楽作品。

1974年秋に完成させ、翌年のオールドバラ音楽祭にて初演。
その翌年には、63歳で亡くなってしまうブリテン。

最晩年にいたって、イギリス民謡を扱った作品を残し、英国作曲家の先達の伝統に回帰した。
それもそのはず、この作品は、パーシー・グレインジャーに捧げられている。

三浦淳史先生の解説を参考に記します。

 この作品の副題は、トマス・ハーディの詩「生まれる前と死んでから」よりとられていて、この詩をもとに、ブリテンは、「冬の言葉」という名歌曲を編んでいる。

 誰にもおそらく想像がつくように そして地上のさまざまな証拠が示すように

 意識というものが生まれる前 万事はうまくいっていた・・・・・

 しかし、感じるという病がおこった 

 そして原始の正しさは間違った色に染まり始めた

 いったい無知が再認識されるのは あとどれくらいの時間がかかるのだろうか


                   ハーディ 命の芽生えの前とあと

なるほどのの、なかなかに深い詩、だけど、明快なテーマ。

 そして組曲は、5つからなる。

  ①「美果と美酒」 Cakes and Ale

  ②「にがいヤギ」  The Bitter withy

  ③「まぬけのハンキン」 Hankin Boody

  ④「リスを追え」 Hunt the squirrel

  ⑤「メルバーン卿」 Lord Melbourne


17~8分の、いたって平易でシンプルな音楽で、とても聴きやすい。

勇ましい感じの①、ちょっと、まさに苦みあふれる雰囲気の②は、ハープの美しさがアクセント。
舞曲調で、シニカルでドラムも効いてる③
面白いのは④、弦楽器でバグパイプそのものを再現してしまった。
そして、一番深みあふれるのが⑤
コールアングレの物哀しいソロが、懐かしさを誘い、どこかに忘れてきてしまった、そして記憶のどこか遠くにあるものを思い覚ますような、そんな淡さをもった音楽。

 この曲、初めて聴いたのは、バーンスタインの演奏で、初演間もないNYPOとの録音だった。

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FMでの録音だったけど、後年、CDで買い直して聴いてみて、明快なバーンスタインの指揮と、ブリテンへの共感にあふれた演奏が素晴らしいと思った。
それとこのバーンスタイン盤は、「ピーター・グライムズ」からの「4つの海の前奏曲」と「パッサカリア」がとてつもなくいい演奏だ。

それと、ラトル盤。
シンフォニア・ダ・レクイエムの名演に隠れてカップリングされたこの曲に喜んだものだ。
ラトルの音楽への切り込みの鮮やかさは、バーミンガム時代の方が、いまよりもずっと上ではないかと思ったりもする。
フィルハーモニアとの初来日を聴いて、ラトルのCDを聴きまくったけれど、ベルリンフィルになってから、ほとんど持ってません(笑)
ちゃんと聴かなくては、と思いつつ、いまに至る。

で、過去を振り返るのでありました。

 

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2017年1月29日 (日)

ディーリアス 北国のスケッチ グローヴス指揮

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既出写真ですが、岩手県の雫石あたりの風景。

いかにも、北国の雰囲気がたっぷり。

春近い頃でしたが、いまの冬真っ盛りのこの地は、こんな場所に足を踏み入れることさえできないでしょうね。

季節に応じて、いろんな音楽がありますし、ことに四季のめりはりが鮮やかな日本には、美しい言葉の芸術もたくさん。

同じ島国の英国も、夏はやや短いながらも、その四季はくっきりしてる。

そんな機微を英国の作曲家たちは、詩的なタッチでもってたくさんの作品を残してきました。

そんななかのひとり、大好きなディーリアスを。

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 ディーリアス  「北国のスケッチ」

   サー・チャールズ・グローヴス指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1974.12.22@ロンドン)


この素敵な曲を、弊ブログにて取り上げるのは2回目。
前回は、ハンドレー指揮のアルスター管によるシャンドス録音。
「フロリダ」組曲とのカップリングで、北国と南国の鮮やかな対比による、ナイスな1枚でした。

そして、今回は、レコード時代から親しんできた、グローヴスの演奏で。

社会人となって、ひとり暮らしを始めたころに、シリーズ化された、音の詩人ディーリアス1800。
そのすべてを、石丸電気で購入して、ディーリアス漬けの日々。

寂しい侘び住まいが、なおさらに切なく、それから故郷の山や海が懐かしく、人々が愛おしくなる想いで満たされた。

そんな望郷とノスタルジーが、わたくしのディーリアス愛。

4つの部分からなる、北国の四季を模した組曲。

  Ⅰ 「秋」・・・秋風が木立に鳴る

  Ⅱ 「冬景色」

  Ⅲ 「舞曲」

  Ⅳ 春の訪れ「森と牧場と静かな荒野」

どうでしょうか、このいかにもイギリスの北の方の景色を思わせる素敵なタイトル。
日本なら、さながら、北海道か、信州あたり。

三浦淳史さんの解説によるE・フェンビーの言葉によれば、若き日は放蕩の限りを尽くしたディーリアスも、歳を経ると、寡黙となり、「人間は空しい、自然だけがめぐってくる!」という思考を持って過ごしていたという。

まさに、この言葉を思わせる、めぐりゆく四季、自然を、そのまま感覚的にあらわしたような音楽なのです。
ここでは、おおむね、静かなタッチの音楽が続き、唯一、舞曲では、フォルテが響く。
春がやってくる前の喜びの爆発。
しかし、それまでの、秋と冬の心に沈みこむような静けさと、幻想的な沈鬱ぶりは、いかにもディーリアスらしいし、夜のしじまに映える、あまりにも美しい音楽だ。

で、それを打ち消す明るい舞曲。
そして最後は、めぐり来た春。
ソフト・フォーカスで、若干の曖昧さも保ちながら、ふんわりとした音楽となっている。
これもまた、ファンタジーである。

ビーチャムの育てたディーリアス・オケ、ロイヤルフィルを指揮したグローヴスの演奏は、わたしにとっては、懐かしくも、完全なるものです。
デジタル時代の、ハンドリーと、少し鄙びたアルスター管もいいが、こちらは、アナログのぬくもりを感じさせてくれる。

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こちらは、初出時のオリジナル・ジャケット。

ターナーの絵画をあしらったシリーズもいいけど、この写真もいい。

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2016年12月24日 (土)

フィンジ 「ディエス・ナタリス」(カンタータ「クリスマス」) マリナー

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今年のクリスマス、街の雰囲気や、わたくしも含めた人々の浮かれたような便乗さわぎは、少なめに感じます。

イルミネーションもそこそこに出現していて、例年通りですが、受け取る側が慣れてしまったのか、それとも、心情的に、そうとばかり言ってられないからなのか・・・・・。

イルミ好き、観察者としては、毎年、だいたい同じ場所を巡回しますが、今年は各処とも、こう言っちゃなんですが、年齢層高め。
あっ、自分もそうかもですが、若い人よりは、そうした方々の方が多く見受けられる気もします。
 イルミに限りませんが、どこへいっても、シニア層は、みなさん元気です。
そして若者は、静かだし、いても目立たない。

こんな風に見たり、思ったりしていること自体が、自らの視線がシニア層に近づきつつあるということなのでしょうね。
みなさん、元気で、屈託なく、感性も若い。

うまいこと、いろんな意味で、ベテランズと若い人たちの、いろんな循環が生まれるといい。

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シンプルで、森の一角を思わせるツリー。

こちらは、丸の内仲通りのあるビルのエントランスです。

けばけばしいイルミよりは、基本ツリーが好きであります。

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 フィンジ 「ディエス・ナタリス」~カンタータ「クリスマス」

     テノール:イアン・ボストリッジ

  サー・ネヴィル・マリナー指揮 

       アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ゼ・フィールズ

                     (1996.6 ロンドン)

ジェラルド・フィンジ(1901~1956)の「ディエス・ナタリス」。

生誕の日」または、「クリスマス」という邦題。

以下、以前の自己記事からの引用です。

しばらくブログを休止して、思いだしたように書いたりしてる不完全な状態を続けていると、筆は鈍るし、音楽すら久しぶりに聴いたりするものだから、言葉に結びつけるのは、ほんとに難儀なことになりました・・・
 自分の過去記事に、妙に感心してしまったり、ほうほう、そうだな、そうだったなぁ、とか、時間があれば、自らのブログを振り返ったりもしてます。

ですから、そんななかの一品、フィンジのこの曲のコピペ、お許しください。

「ディエス・ナタリス」は、1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。
そんな長きの空間を、とこしえとも思える静けさに変えてしまう不思議さ。
この音楽に感じるのは、そんな静けさです。

弦楽オーケストラとテノールのためのカンタータ。
またはソプラノによる歌唱も可とするこの曲。
もともとはバリトンによるものですから、あらゆる声域で歌える美しい曲。

器楽によるイントラーダ(序奏)に導かれた4つの歌からなる20分あまりの至福の音楽は、いつもフィンジを聴くときと同様に、思わす涙ぐんでしまう。
イエスの誕生を寿ぐのに、何故か悲しい。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


この曲で最大に素晴らしいのは、1曲目の弦楽によるイントラーダ。
最初からいきなり泣かせてくれます。
いかにもフィンジらしい美しすぎて、ほの悲しい音楽。
何度聴いても、この部分で泣けてしまう・・・・・。
1曲目のモティーフが形を変えて、全曲を覆っている。
この曲のエッセンス楽章です。

トラハーンの詩は、かなり啓示的でかつ神秘的。
その意をひも解くことは、なかなかではない。
生まれたイエスと、イエスの前に初心な自分が、その詩に歌い込まれているようで、和訳を参照しながらの視聴でも、その詩の本質には、わたしごときでは迫りえません。

全編にわたって、大きな音はありません。
静かに、静かに、語りかけてくるような音楽であり歌であります。

楚々と歌われ、静かに終わる、とりわけ美しい最終の「挨拶」。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと


生まれきたイエスと、自分をうたった心情でありましょうか。
訥々と歌う英語の歌唱が、とても身に、心に沁みます。

いつものフィンジらしい、そしてフィンジならではの内なる情熱の吐露と、悲しみを抑えたかのような抒情にあふれた名品に思います。

わたしには、詩と音楽の意味合いをもっと探究すべき自身にとっての課題の音楽ではありますが、クラリネット協奏曲やエクローグと同列にある、素晴らしいフィンジの作品。

と、5年前の自分が書いておりますが、その詩と音楽との意味合い、まったく探究じまいであります。
が、フィンジのナイーブな音楽は、ここでもともかく魅力的で、少しの憂愁と哀感が、優しさでそっと包まれているのを感じます。

マリナーの飾らない、楚々たる指揮ぶりが、フィンジの音楽を語らずして語る。
ポストリッジの神経質なまでの繊細な歌は、フィンジのナイーブな音楽を、その詩の神聖ぶりを、そしてちょっとの多感ぶりを表出している。
すてきな演奏!

国内外に、ロクなことがありませんが、静かで穏やかなクリスマスになることを祈ります。

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2016年8月 7日 (日)

ブリテン 戦争レクイエム K・ナガノ指揮

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広島と長崎に原爆を落とされて71年。

無辜の民間人に対する爆撃は、単なる殺戮にすぎなかった。

同様に、日本各地、内地までへも空襲が激化し、沖縄には上陸戦も。

負けたから、それらはやむなしか。。。。

が、しかし、日本人は、歴史には学ぶが、過去にこだわり執着することはない、そんな人種だと思う。
終わったことはしょうがない、さあ、次・・・、そんな心情を誰しもがいつも持っているのでは。

現職の大統領が初めて広島の地を訪れた今年。

異論はあるかもしれないが、謝罪なくとも、その意義は大きい。
大統領退任後の反核活動のメルクマールともなろうとも・・・・

 自分の身内の死に際しても、わたくしたちは、悲しみながらも、淡々と、日本人ならではの送り方でもって、亡き人への告別をする。
その後は、いろんな折りあいをつけながらも、亡き人と心の中で交流しながらも、自分を生き、そしてまた去ってゆく。

いわば、そんな墨絵のような、派手さはないけれど、決して色あせることのない、日本人の死生観を、いまさらながらに、つくづくと思う、そんな8月。

そして、聴きます、8月は「戦争レクイエム」とヴェルディ。

K_nagano

  ブリテン  戦争レクイエム

    S:エマ・ベル        T:ランス・ライアン
    Br:ラッセル・ブラウン

 ケント・ナガノ 指揮 エーテボリ交響楽団/合唱団

                     (2013.11.22 エーテボリ)


久しぶりの更新だけど、もう書きつくしたこの名作。

優れたこの作品の構成や生い立ちなどは、過去記事にて。

ブリテンの自演盤のみが、唯一の偉大な存在だったこの曲に、多様な演奏が続々と現れるようになったのは、そんなに昔のことではない。

そして、演奏会でもよく取り上げられるようになった。

戦争をしあった国出身で、3人の歌手たちを選ぶということも、いまではあまりなされなくなったし、なによりも、指揮者もオーケストラも多様な顔触ればかりとなった。

今年の「戦争レクイエム」は、放送音源から。

スウェーデンの放送局のネット放送から以前録音したもの。

エーテボリ響の音楽監督を務めるケント・ナガノの指揮で。

ブリテンを得意とするナガノは、かつてハレ管の指揮者のときに、ブリテンをかなり取上げていたけれど、戦争レクイエムは録音しなかったんじゃないかな。
実に共感のこもった、そして緊張感の高い指揮ぶりで、ときおり唸り声も聞かれる、気合充分の演奏。
 エーテボリ響が戦争レクイエムを演奏しているということが、興味深く、聴きものかと思い、それは、親父ヤルヴィのもと、北欧・スラヴ作品ばかり演奏しているイメージがあったから。

しかし、エーテボリ響のHPをのぞいてみて、歴代指揮者を俯瞰してみたら、北欧系の指揮者はもちろんのこと、D・ディクソン、コミッショーナ、デュトワなどなど、アメリカのオケのような指揮者の布陣だったのだ。
さらに、親父ヤルヴィの長期政権のあとは、ヴェンツァーゴ、ドゥダメル君、そしてK・ナガノと続いたわけ。
 でも、残念なことに、ナガノは来年、降りることになっていて、次期指揮者はフィンランドの若手、サントゥ=マティアス・ロウヴァリという30歳のフィンランド出身の人になるらしい。
注目の指揮者のようだ。

そして、はなしは戻って、この演奏、澄んだ響きのエーテボリ響が、明晰なナガノの音楽造りとあいまって、とても耳に新鮮に響いたのだった。
威圧感なく、ブリテンの斬新な音色と、優しい目線を、申し分なく味わえる。
録音も放送とは思えないレヴェルの高さ。

歌手では、去年まで、バイロイトでジークフリートを歌っていたランス・ライアンがユニークだった。
クセのある歌声は、ときにエキセントリックに聴こえるから、戦争の異常さ、切迫感なども妙にリアルに歌いでしているように感じる。
でも、ときにやる気なさそうなところもあるのがライアンの特徴か。

清楚なソプラノ、誠実なバリトンもともによかった。

「Let us sleep now・・・・」(ともに眠ろう・・・・」

「彼らを平和の中に憩わせたまえ、アーメン」

いつ聴いても、耳をそばだて、そして両手を前に組みたくなる、感動的なラスト・シーンに、今年も胸が熱くなった。

過去記事

 「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」


おまけ

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平和祈念公園は、何度か訪れたけれど、そのたびに見かけて、写真におさめていたのが、この真黒なねこ。

そして、オバマさんが来たときも、厳戒態勢をくぐりぬけて、カメラに映りこんでました。

平和であれ。

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2016年2月27日 (土)

ディーリアス 「シナーラ」 グローヴズ指揮

Naka_1

夜の紅白しだれ梅。

お月さんも、アングルにはおさめられなかったのですが、朧に輝いておりましたよ。

梅の甘い香りが、少しづつ緩みつつある夜の気配に色気を華ってましたね。

Delius_naka

 ディーリアス  「シナーラ」 ダウソンの詩による

         バリトン:ジョン・シャーリー=クヮーク

  サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー

                        (1969 @リヴァプール)


ディーリアス(1862~1934)が、薄幸の同世代の世紀末英国詩人、アーネスト・ダウソン(1876~1900)の同名の作品に作曲した「シナーラ」。

1907年に筆をとるも、長く捨て置き、ビーチャムの新作の依頼により、そして、その晩年に献身的に尽したフェンビーの強力を得て、1929年に完成させた。

バリトン独唱が、主人公となって、忘れえぬ女性「シナーラ」を歌う。

ポーランド系の娘、シナーラは、レストランの娘。
ダウソンは惚れこんで、2年間通い、口説いたが、結局、彼女は店のウェイターと一緒になってしまった。
自暴自棄となった彼は、夜の街に沈み、酒と女の日々。
そして、そんな歓楽のなかにも、ふっと思い浮かぶのはシナーラの姿・・・・。

曲は、やるせないまでに切なく、そして官能的でもありつつ、感覚的。
ときに響きはぼやけて虚ろだし、そして、反面明晰。
いろんな要素が10分たらずの曲に込められてる。
それは、忘れられないシナーラを、つねにどこかで求めている主人公の感覚かも。

 「さらに狂える楽を 強き酒を呼ばった
   だが宴が終わりを告げ 燈火消え去れば
  その時こそさしおりるは おまえの影よ

   シナーラ! 夜はおまえのもの
  そしてこの身は想いに沈み 昔の情熱に苛められる
  そうよ 恋しきおまえの唇を求めもとめて
  おまえを思いとおしてきたのだ シナーラよ
  我なりに  」

                南條竹則 訳

三浦淳史さんの解説を参考にいたしました。

ディーリアスの音楽に帰ってくると、ほんとうに、心の底から安寧感に満たされる・・・・・。

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2015年10月24日 (土)

バックス チェロ協奏曲 ウォールフィッシュ

Cosmos_radian

秋まっさかり。

コスモスはエリアによっては、もうおしまいなんてところもありますが、紅葉の前を飾る淡い色どりは、去った夏を懐かしんだりで、ちょっと切ないですね。

このところ、なにかと忙しいのと、精神的にもまいっているので、音楽も聴いてなかった。

朝やたらと早く目覚めたので、大好きな英国音楽のひとつを聴きつつPCに向かいました。

Bax

   バックス   チェロ協奏曲

       チェロ:ラファエル・ウォールフィッシュ

    ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                      (1986 @ロンドン、オールセインツ教会)


アーノルド・バックス(1883~1953)の音楽は、シャンドスレーベルのおかげで、かなりの録音がなされ、レコード時代にはその名前すらあまり聴かれることがなかったのに、いまでは体系的にその作品のほとんどを聴くことができるようになりました。

7つの交響曲や、数々の交響詩や管弦楽作品に、協奏的な作品。
室内楽、器楽、声楽曲などなど、オペラを除いてすべてのジャンルにその作品を残しました。
生粋のロンドンっ子でありながら、ケルト文化を愛し、イングランド北部・スコットランド・アイルランドの地をこよなく愛した作曲家。

そして、ロマンティストで、ちょっとナイーブなイケメンで、女性にももてた。
ハリエット・コーエンというピアニストとは、バックスは妻子がありながら、ロンドンでも、公然の仲になっていたし、彼女を伴って、アイルランドの地を旅したりもしたが、彼女はバックスの晩年まで付き添い、献身的にその作曲活動を支えた。

バックスの音楽の魅力は、イギリス音楽ならではの、気品と抒情を持ちつつも、シャープでダイナミックな自然描写にすぐれているところで、そこにはさらに豊富なファンタジーとミステリアスな様相も込められているところ。
 その独特なメロディラインには、どの曲にもバックスならではのパターン的な特徴があって、それにハマると、もう抜け出せなくなってしまいます。

そのバックスのチェロ協奏曲は、長く埋もれていましたが、今日聴いたウォールフィッシュによって甦演された桂品です。

1931年秋、ハリエット・コーエンは、スペインのチェリスト・作曲家のガスパール・カサドとコンサート・ツアーを行い、そして彼をバックスに紹介しました。
そのカサドの勧めもあり、翌32年に、生まれたのがこの協奏曲。
当然にカサドに捧げられ、演奏もされたものの、その後数十年、忘れられた作品となり、ベアトリス・ハリソンによって再演。
その後もまた埋もれ、そしてウォールフィッシュによる演奏が86年。
録音としては、そのあとは、2014年に新録音が行われている様子で、ぼちぼち世に出てくるのかしら・・・・。

この曲が生まれる経緯となったスペインの大チェリスト、カサドの名を冠したコンクールで、ウォールフィッシュは優勝しているのも因縁かもしれませんが、なにより、カサドの妻が、日本人ピアニストの原智恵子であることにも驚きを感じます。
原智恵子は、2001年に亡くなってますが、日本よりは、ヨーロッパでは名ピアニストとして知られた存在だったようで、その音源も聴くことができます。
 こうして、曲ひとつから、いろんな関係や結びつきを紐解いて、あれこれ想像することも楽しいものですし、ネット社会だから情報がすぐさま手に入る恩恵ですね。

さて、この作品、全体で3楽章、33分という大作ですが、オーケストラは小編成で、金管はトランペットが両端楽章にあらわれるのみで、弦楽に木管、ハープとティンパニという構成であります。

シャープな第1主題、そしていつものバックスのパターンのとおりに、懐かしく抒情にあふれた第2主題を持つ第1楽章。
チェロはさほどの名技性を発揮してませんが、ふたつの異なるムードの主題を変転しつつも弾き分けると言う点で、なかなか難易度が高いのかもしれません。

ノクターンと題された第2楽章が、極めて素敵なところが、この曲の白眉です。
チェロのロマンティックな独白に、オーケストラの各楽器が、しっとりと、優しく応じ、絡み合います。
その夢幻的な世界に、いつまでも浸っていたくなります・・・・。
ケルトの神秘的な森に、帳が降りて、木々が、露でしっとりと覆われるような、そんなイメージを目を閉じながら聴くといだくことでしょう。

早いパッセージが上下するモルト・ヴィヴァーチェ、第3楽章。
一番短い楽章となってますが、軽い疾走感が短調ということもあり、少し切迫した印象を与えます。
しかし、徐々に大らかな様相となり、チェロは懐古的な語り口となり、ヴィオラソロとの競演もどこかとても懐かしく感じます。
そのまま、曲は明るい色調を維持しつつ、エンディングのイメージを築き上げていって終結となります。

 ウォールフィッシュの明るく艶のあるチェロは、このレーベルに多くあるほかの英国作品同様に、すてきなものです。
そして、響きを多く取り入れた録音は、ブライデンとLPOというバックスに最適のコンビの音色を、とても雰囲気豊かにおさえております。

早朝は、曇り空だったけれど、この時間、空はすっかり秋晴れとなって高く広がりました。

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2015年9月18日 (金)

バターワース 二つのイギリス田園曲 マリナー指揮

Yurigahara_a

もう、しばらく行ってない北海道。

札幌の郊外にちょっと行けば、こんな公園や風景があります。

こんな景色をながめると、かならず、わたしの脳裏には、イギリス音楽や、北欧の音楽が、滔々と流れるのです。

厳しい冬、雪に覆われると、そう、チャイコフスキーとかですね。

Yurigahara

 バターワース  「二つのイギリス田園曲」 (Two Englishidylls)

    サー・ネヴイル・マリナー指揮

           アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ


過去、2度ほど、記事にしてまして、情報の少ない作曲家につき、重複する部分もありますが。

 
ジョージ・バターワース(1885~1916)。
 ロンドンっ子ながら、幼少期に、イングランド北部ヨークシャーに移住し、学生時代は、オックスフォード大学で、法律の勉学に励みつつも、音楽の道、捨てがたく、卒業後は、作曲家・評論家として活動を始めながらも、第1次大戦に出兵し、31歳にして戦死してしまった方です。
 父親のアレクサンダーは、北西鉄道を経営する実業家で、ジョージは、恵まれた環境にあって、法学を学びつつも、知りあったヴォーン・ウィリアムズとも意気投合し、英国民謡の調査に没頭し、音楽にものめり込んでいったのでした。

作品の多くは、自己批判精神の強いバターワース自身によって破棄されてしまってます。

数えるほどしか残されなかったその作品は、いずれも、自然の息吹きと、英国独特の詩情と、民謡調の懐かしさにあふれた、シンプルな桂曲ばかりです。

歌曲集「シュロップシャーの若者」が、とりわけ有名ですが、そこそこ録音もあるのが、3つある管弦楽作品。
1910~3年にかけてのその3作。
早期に「舟歌」という作品も書きましたが、それは消失してしまっているほか、最晩年に、「オーケストラ幻想曲」を手掛けましたが、戦死により未完となってます。

ですから、いずれも10分以内の、残された3つの、優しさあふれる作品を、われわれは、いとおしむようにして聴くわけです。

「ふたつのイギリス田園曲」は、1911年の作。
英国の伝統的な民話風バラード、いわゆる古謡とでもいうのでしょうか・・・に基づいていて、ほかの作品に共通する、いとも懐かしい、ほのぼのとした音楽です。
第1曲は、どこか聴いたことのあるような旋律が、清々しく、臆面もなく、オーケストラで奏されるのが、とても可愛く、ステキです。
強弱を伴いながら、各楽器において、何度も繰り返される、その旋律と、その変形。
 第2曲は、切れ目なく、でも曲調を変えて、オーボエによって、これもまた民謡調の旋律で始まります。
ここでは、1曲目の明るさに比べ、切なさといいますか、どこか寂しい秋の田園風景を思い起こさせます。
クラリネットや、ソロヴァイオリンも、かなり切ないです。
その後ろ髪引かれるムードのまま、静かに曲を閉じてしまいます。

なんか寂しい、でも、優しさにあふれたバターワースの音楽。
サー・ネヴィルは、3つの作品を、ともに、アカデミーの透明感あふれるサウンドでもって聴かせてくれます。

以前にも書きましたが、カルロス・クライバーが、何故か、この曲を気に入っていて、演奏会でよく取り上げていました。
わたくしは、まだ未聴ですが、シカゴに来演したおりのライブもあるそうですよ。
きっと、生き生きと、若々しい演奏なのでしょうね。

台風による大雨被害、地震、噴火、はるか南の大地震・・・・、防災月間の9月をいやというほど実感させてくれてますが、これ以上、なにごともなきこと、祈ります。
そして、日本の政治も揺れてます。

日々、落ち着きません。

静かに、音楽に浸りたいものですが・・・・・。

過去記事

 
 「シュロップシャーの若者 マリナー」

 「青柳の堤 デル・マー」

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2015年9月12日 (土)

アルウィン 交響曲第1番 ヒコックス指揮

Shibapark_1

絞りの調節に失敗してしまい、チョコレート色のコスモスが、まっ黒になってしまいました。

いつも散策する、このお気に入りの公園は、その一角が、英国庭園風になっていて、ちょっとほったらかしのワイルド系なとこもいい。

Shibapark_2


  アルウィン    交響曲第1番

     
サー・リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

                 (1992.20@トーティング、オールセインツ教会)

ウィリアム・アルウィン(1905~1985)は、ブリテン、ウォルトン、ティペットたちと、同時代の英国作曲家。
 その同時代人たちと比べ、さらに、つい最近まで存命だったことなどを思うと、その作風は、保守的でさえあります。

 そして、同時に、しばしば書くことで恐縮ですが、アルウィンは、英国抒情派の作曲家のひとりでもあります。
わたくしの思う、その抒情派は、ほかに、V・ウィリアムズ、アイアランド、バターワース、フィンジ、ハウェルズ、、モーラン、ラッブラなどです。

こうした田園風な抒情を持ち合わせている一方で、ウォルトンやティペットのようなダイナミックな部分をも持ち合わせていて、なかなかに多彩な側面のある作曲家であります。

さらに、アルウィンは、映画音楽もかなり残していて、劇的、心象的な音楽造りの才能をうかがわせます。
 同じくして、映画音楽とクラシックのジャンルを縦横に行き来した作曲家として、RVW、ブリス、ウォルトンなどが、英国作曲家として思い浮かびますが、今回の1番の交響曲を聴いていると、わたくしは、コルンゴルトを思い起こしてしまいました。
 あふれる歌心と、抒情の煌めき、そして、ダイナミックレンジの広大さと、オーケストラの鳴りのよさ。
そう、コルンゴルトの長大なあの交響曲です。

アルウィンは、フルートの名手でもあり、ロンドン響の首席でもあった時代もありました。
そんなことからか、あらゆる管楽器、そしてもちろん、ヴァイオリンやピアノのための協奏作品を多く残し、同様に、そうした楽器による室内楽作品もいくつか書いてます。

そんな、どちらかといえば、少し規模の小さめの作品たちや、映画音楽を書いていた当初のアルウィンですが、世界大戦後、1950年に、一念発起して、本格交響曲に取り組み、完成させました。
これまでの、作品から、一歩も二歩も踏み出したアルウィンの心境は、のるかそるかぐらいの、チャレンジングなものだったといいます。

バルビローリの指揮するハルレ管により、チェルトナムで初演されたとき、聴衆も、評論家も、大変好意的にこの曲を迎え、バルビローリに至っては、次の2番の交響曲をオーダーするほどの思い入れを持ったのでした。
 45歳のアルウィンは、こうして、本格クラシック作曲家として自他ともに認められ、以降、交響曲を5つ、オペラを二つと、英国音楽に、その足跡を残したのでした。

曲は、それぞれ10分あまりの規模の、正統的な4つの楽章から構成され、全曲で40分。
 やや暗めのアダージョで開始する第1楽章から、最終楽章の爆発的な解放感と明るさは、まさに、暗から明へという、交響曲の伝統にしっかり則っております。

しかし、なかでも、緩徐楽章たる第3楽章が、絶美といっていいほどの存在で、いつまでも、ずっとずっと浸っていたい美的・静的な世界であります。
ともかく、メロウで、そのきれいなことといったら、クリスタルの世界でもあるんです。

中間部が、優しく、抒情的な第1楽章は、ちょっと映画音楽的。
ホルンの咆哮もかっちょええ。
 打楽器大活躍のリズミカルな第2楽章は、スケルツォ的な存在。
そして、あの美の第3楽章があって、終楽章は、明るく輝かしい。
Allegro jubilanteと表記されてます。
これまでの、各楽章を振り返りつつ、コーダは、壮麗かつダイナミックの極みとなり、聴き手に結末感を大いに抱かせつつ、超スペシャルなエンディングとなります。

ヒコックスと、作曲者ゆかりのロンドン響の充実の演奏で。

 アルウィンは、画才にも秀でた人で、シャンドスはそのすべてに彼の描いた風景画を用いておりました。
この1番のジャケットは、「ダルトムーア」と題された素敵な作品。
イングランド南端、花崗岩におおわれ、ケルト臭も満載の神秘的な地が、ダルトムーアです。
行ってみたいものです。

アルウィン 過去記事

 「リラ・アンジェリカ」

 「交響曲第5番」

 「リチャード・ヒコックスを偲んで」

 「オータム・レジェンド」

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