カテゴリー「アバド」の記事

2017年6月26日 (月)

メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」 アバド指揮

Shiba

ある夜の東京タワーと紫陽花。

本格的な梅雨となり、湿度も高めで、体もまだついていけない、そんな6月の終わり頃。

今年もめぐってきた、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年6月26日、ミラノ生まれ。

ヨーロッパには梅雨がないから、きっと今時分は、清々しい初夏の陽気なのでしょう。

新しい録音や演奏が途絶えたとしても、自分的には、アバドは、まだ生きています。

アバドの得意とした作曲家、メンデルスゾーンを聴きます。



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  メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」

    クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

             (1967.2 @キングスウェイホール、ロンドン)


「イタリア」でもよかったけれど、いまの気分は、スコッチ。

アバドが、50年代後半、ウィーンでスワロフスキー教授に学んだあと、指揮者としてのキャリアをスタートさせ、63年に、ミトロプーロス指揮者コンクールに優勝し、注目を集め、バーンスタインに認められ、ニューヨークフィルを指揮。
その後は、65年に、今度はカラヤンに推され、ザルツブルクで、ウィーンフィルを振って、マーラーの復活。

順風満帆の若きクラウディオ。

レコーディングでも、66年にウィーンフィルを指揮して、デッカにベートーヴェンの7番でデビュー。同年、ロンドン響とプロコフィエフのロメオ抜粋を録音。
そして、翌67年に、このメンデルスゾーンと、ベルリンフィルとブラームスのセレナードをDGに。

アバド、33歳の録音。

この演奏、もう11年前に一度記事にしてます。
85年の全曲録音も、トータルに素晴らしいけれど、アバドの青春譜とひとことで片づけるには、まことに惜しい、後年の録音にはない瑞々しさと、煌めきにあふれた桂演。

メンデルスゾーンの音楽にある明るい歌心を、まったく嫌味なく、素直に感じて、そのまま音にしてしまった感があって、音楽は生まれたての駿馬のように、すくっと立ち上がって、緑の丘や野山を駆け抜けるような、そんな爽快さにあふれてる。
この時にしか成しえなかったであろう演奏かもしれない。

このレコードが国内発売されたのは、1971年で、もうクラヲタしてて、アバドのファンにもなっていた自分だけど、そこでは購入することなく、4番のFMのエアチェックで我慢していた。
2曲を、ちゃんとレコードで聴いたのは、その10年後ぐらいで、アバドは、シカゴ、ロンドン、ミラノ、ウィーンを股にかける大指揮者になっていた・・・・。

いま、相応の歳の大人となって、再びじっくりと聴くアバドのスコッチ。
第3楽章の憂いと、優美さが、相交わる歌の饗宴に、アバドのこの若き演奏の神髄を聴く思いだ。
ほんとに美しいので、いつまでも浸っていたい。

前にも挿入しましたが、国内初出のときのレコ芸の広告。

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このころに戻ったらな・・・・・

もう一度、アバドの次から次に出る音盤と、目覚ましいキャリアアップぶり、そして行けなかったいくつもの来日コンサートを追いかけてみたい。。。。。

歳を経ると、むかしのことばっかり。
夢も昔のことを、ほんとよく見るようになったよ・・・・


Rose

一輪の赤いバラを、アバドの誕生の日に。

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2017年1月20日 (金)

ブラームス ドイツ・レクイエム アバド指揮

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新春の吾妻山は、富士と海と、菜の花と水仙。

中腹あたりに、水仙の群生があり、香しい香りが漂っているのでした。

そして、1月20日。

もう3年、いや、まだ3年。

なんだか、遠い記憶のようになってしまったあの日。

クラウディオ・アバドの命日です。

あのときが、夢の彼方のように感じ、いや、感じたい自分があって、アバドは、兄のようにして、いつまでも、自分の近くにいてくれるような気もしているから、あの日が、なかったようになってるのかもしれない・・・・、自分のなかで。

癒しと、追憶のレクイエムを聴きます。

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  ブラームス ドイツ・レクイエム op.45

    ソプラノ:チェリル・ステューダー

    バリトン:アンドレアス・シュミット

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                 スウェーデン放送合唱団
                 エリック・エリクソン室内合唱団

              (1992.10 @ベルリン、フィルハーモニー)

ブラームスを愛し、若い頃から、その作品をずっと取り上げていたアバド。

交響曲は2番や4番を、スカラ座時代から、ほかの番号もロンドンや各所で。
協奏曲の各種は、数え切れないほどの名手たちと共演。

そして、声楽作品も、ウィーンやベルリン、ロンドンで。

ドイツ・レクイエムやアルト・ラプソディまでが、通常の指揮者は、取り上げ・録音するけれど、アバドは、合唱作品のほとんどを取上げた。

いま残された録音や、放送音源の数々で聴く「アバドのブラームス」。

ことに、アバドのブラームスの声楽作品は、その端正な佇まいと、紳士的ともいえる慎ましさは、ロマン派にあって、古典派の立ち位置でもあったブラームスの演奏として理想的。

正規音源としては、ベルリンフィルハーモニーでのこちらの92年の録音と、97年のウィーンでの映像があって、どちらも、そうしたブラームスの真髄に迫った名演に思います。

今日はCD。

どうだろう、この精度の高さは。

合唱とオーケストラが、弱音からフォルテの強音まで、どこまでもきれいに、混濁することなく混ざり合い、どの声部の音も、すっきり・くっきり聴こえる。
そして、その音色。
どこをとっても、お馴染みのベルリンフィルの音なんだ。
この音は、変わったと言われたカラヤン時代の音と同じだし、現在のラトルの紡ぎだす洗練さと重厚さの音ともおんなじ。
 全体のトーンは、緻密極まりない合唱団も含めて、明るめだけれど、この明晰な明るさは、カラヤン時代もあったことで、ラテン的な輝きを感じさせる点でも、カラヤンの音とも少し通じるように今宵や感じました。
もちろん、カラヤンのようなゴージャス感はないですよ。

ともかく、明るく、美しく、音がなみなみとあふれるような、アバドの「ドイツ・レクイエム」。

北ドイツでなく、南の方。
アルプスのふもとにあるような、そんなブラームスが好き。

絶頂期だったステューダーと、この当時、声楽作品ではひっぱりだこだったA・シュミットの律義な歌は万全。
欲を言えば、ヘルマン・プライとの共演でも聴いてみたかった。
アバドとプライは、朋友のように、よく共演していたから。
 でも、このとき、まだ存命だったプライだったら、アバドの根ざす、明るさと透明感あるブラームスにはならなかったかも・・・。
プライの人間臭い優しさは、巧さにつながり、色が出てしまったかも・・・・。

アバドは、そのプライと、ロンドン響時代に、このドイツ・レクイエムで共演していて、1983年のこと。
それから、アバドの初「ドイツ・レクイエム」は、同じロンドン響で、77年のこと。
そのときは、ルチア・ポップがソプラノ!

平和と安らぎのなかに終えるドイツ・レクイエムを聴きながら、外は今にも、ちぎれた雲から雪が舞い降りてきそうな寒さ。

日本中寒いです。

いや、世界中、異常に寒く、ことにヨーロッパの寒波はすごいらしい。
凍死者が多数でたり、交通事故が多発したりと大変らしいし、ふだん雪とは無縁な地中海地方やイタリア南部、スペイン南部も大雪・・・・

アバドの眠る、スイス、エンガディン地方もきっと深い雪に見舞われていることでしょう。
しんしんと、そして、あたたかく、クラウディオ兄を包んで欲しい。

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そして、サンモリッツを有するエンガディン地方、2026年の冬季オリンピック誘致を目論んでる様子。
昨今の、五輪を思うにつけ、静かにしておいていただきたいが・・・・・・・

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クラウディオ・アバド 3回忌に

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2017年1月 8日 (日)

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 アバド指揮

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唯一の曇り空の朝だった、1月2日。

雲の合間から富士が少しだけ。

菜の花は七分咲き。

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見おろす相模湾は、穏やかで静か。

右手奥、箱根の山は、駅伝の往路の到着を待ちうけ中。

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何度も書きますが、この街に育ったわたくしは、この場所がたまらなく好き。

帰るたびに登ります。

麓の小学校は、わたくしが通った頃は、正しき木造校舎で、二宮金次郎さんも、薪を背負い本を読んで、これまた正しく佇んでおりました。

今日は、折り目正しいアバドのモーツァルトを聴きます。

モーツァルトの20番K466のピアノ協奏曲、アバドには4種の正規録音があります。

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   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

        フリードリヒ・グルダ

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1974.9 @ウィーン ムジークフェライン)

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             ルドルフ・ゼルキン

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                    (1981.11@ロンドンキングスウェイホール)

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           マリア・ジョアオ・ピリス

   クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2011.9 @ボローニャ)


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          マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2013.3 @ルツェルン)


こうして4種、連続して聴くと、それぞれがまったく違って聴こえるのは、もちろん、素晴らしいピアニストたちによるもの。

軽やかで、愉悦感あふれ、美音を聴かせるグルダ。

かっちりと、一音一音を揺るがせもせず、誠心誠意尽くすようなピアノを聴かせるゼルキン。

無作為の美しさ、緊張感をも通り過ぎて晴朗な心境に誘われるピリスのピアノ。

最初に聴いたときは、さらりとして聴こえたけれど、いまこうしてまとめ聴きをしてみて感じる、アルゲリッチの即興性と自在さ。たくみに聴き手の心を掴んでしまう豊かな感性を感じる。

こうしたピアニストたちに、アバドの指揮は、ぴたりと寄り添うようにしていて、4つの演奏ともにまったく違うところが見事。
もちろん、オーケストラの違い、そしてなによりも年代の違いも大きい。

70年代、80年代、そして2010年代。
前者ふたつは、フルオーケストラによる響きの豊かな従来型の音色で、安心感も漂うが、後者2つは、室内オーケストラによる切り詰めた響きで、かつ古楽の奏法も取り入れ、キビキビ感も。

口さがないグルダが、小僧呼ばわりして、そんなグルダが彼のピアノとは別に、嫌いになったけれど、70年代、ウィーンフィルとアバドの組合わせは、幸せなコンビだった。
まろやかで、丸っこい響きは、ムジークフェラインのホールの響きに溶けあい、グルダのピアノと一体になって聴こえる。
なんの文句があったんだろ、グルダさん。
20番の短調のふたつの楽章に挟まれた真ん中のロマンツェ。
そのたおやかな美しさは、この演奏を聴くと、愛おしくなるほどの歌いぶりで引き立つ。

ロンドン響とのゼルキンの背景を飾るアバドの指揮は、思いのほかシンフォニックで、これまた響きも豊かで、しなやかさも抜群。
こちらの少し前に録音された、交響曲40番と41番にも通じる構えの大きさもある。
そしてゼルキンのゆったりとしたピアノを支えるような敏感さも。
ここでも、2楽章は美しい。
キングスウェイホールの響きも、ロンドン響のニュートラルさと芯の強さを捉えた録音でもって楽しめる。

若手を集めた、文字通り、アバドの元に集まった手兵とも呼ぶべき、オーケストラ・モーツァルトの二つの演奏。
ややデットな録音ゆえに、オーケストラの目の摘んだ音色が、ひとりひとりの奏者の集まりのようにマスとなって聴こえる。
そんなリアリティあふれるモーツァルトだけど、ピリスとともに、澄み切った境地を目指しているような演奏に感じるのがボローニャでの録音。
ロマンツェは、速めのテンポで、さらりと、まるで、上善如水のように、味わいはすっきりと、さらさら。
ピリスとともに、この演奏に漂う透明感には、モーツァルトの微笑みを感じます。

さて、最後のアルゲリッチ盤。
よりピリオド的な奏法が強まり、ルツェルンのホールの響きは豊かながら、オーケストラの音は切り詰められて感じる。
しかし、どうだろう、この若々しさは。
ピリス盤よりも、溌剌として、表情も豊かで、自在なアルゲリッチのピアノに、すぐさま反応してしまう、鮮やかなまでのオーケストラなのだ。
2楽章も、アルゲリッチの多彩なピアノに負けておらず、そして、羽毛のように軽やかでしなやかなオーケストラは、ほんとに素晴らしいもので、弱音の繊細さも堪能できる。

こうして4つのK466を聴いたが、ソロイストに合わせ、そして万全のパレットを仕上げるアバドの指揮の巧みさは、協奏曲の指揮者として、ひっぱりだこだったアバドの魅力をあらためて感じさせるものでした。

しかし、あたまの中が、モーツァルトのニ短調だらけになってしまった。

最後に、去年のよく見えてた富士山2016。

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2016年8月14日 (日)

ヴェルディ レクイエム アバド スカラ座

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ここ数十年、夏のおやすみ、すなわちお盆休みは、いまから31年前に起きた惨劇、日本航空機の御巣鷹山墜落事故の日の記憶から始まり、終戦の日を迎えることとなり、それこそ人の命の尊さを、真夏の暑さのなかに、しっかりと噛みしめることとなっている。。。。

あの事故の日、まだ社会人になって4年目。
都内の冷房もない暑いワンルームに帰って、テレビをつけたら飛び込んできたニュースだった。

またもっと遡ると、テレビを通じての惨禍の記憶は、1972年のミュンヘンオリンピック事件。
9月5日、パレスチナゲリラが、イスラエル選手たちを人質にとり、空港で銃撃戦となり選手を含む多くが亡くなった。
男子バレーや体の金メダルラッシュで、浮かれていた中学生だったが、血なまぐさい事件に凍りついたものだった。
 さらに、追悼セレモニーで、ルドルフ・ケンペの指揮するミュンヘン・フィルが競技場で、英雄交響曲の葬送行進曲を演奏した場面もはっきりと覚えている。

これらの悲しい出来事は、戦争を知らない私の、夏の惨事の記憶である。

世界を見渡せば、とんでもないテロリズムが蔓延し、日本でもどこかを踏みたがえた人間が惨劇を起こしたりもして、右も左も、かつては考えにくい悪夢を生んでいる。

もう、夏の記憶を血で塗り込めるのは勘弁してほしいものだ、いや、夏ばっかりじゃないけど。

そんなこんなを思いつつ、夏の「ヴェルディのレクイエム」を聴く。

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 ヴェルディ    レクイエム

    S:ミレルラ・フレーニ    Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ

    S:アンナ・トモワ・シントウ Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ


  クラウディオ・アバド 指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団/合唱団

                  (1981.9.3/11 東京文化会館)


NHKFMのエアチェックテープをCDR化した、私家盤です。

忘れもしない、これも夏の記憶。

音楽監督クラウディオ・アバドに率いられて、大挙来日したスカラ座。
しかもアバドの朋友、カルロス・クライバーの帯同という超豪華な引っ越し公演だった。
スカラ座は、その後も何度も来日しているが、アバドがやってきたのは、この年、1981年だけだった。

もう、何度も書いているが、アバドは、シモンとセビリアの理髪師。
カルロスは、オテロとボエーム。
多くの聴衆は、カルロス・クライバーの指揮に飛びついたが、アバド・ファンのわたくしは、一念発起して、アバドの「シモン・ボッカネグラ」を最上の席にて観劇することだけに、新入社員の薄給のすべてをかけた。。。。

だがしかし、NHK様が、すべての公演と、2度のレクイエム、そしてガンドルフィが指揮したロッシーニのミサ曲までも、テレビ・FM放送をしてくれるという素晴らしいことをしてくださった。

おかげで、わたくしのエアチェック・ライブラリーには、「シモン」を除く、そのすべてが今でも健在なのであります。(シモンは、放送日が観劇日だったのです。。。。)

そして、そんなに悪くない音質で残されたふたつのレクイエムを、久しぶりに、続けて聴いてみた。

この引っ越し公演で、ヴェルディの二つのオペラのヒロインをつとめた、ふたりのソプラノ、フレーニと、トモワ・シントウ。
それ以外のソロは、3人共通。

フレーニは、シモンのマリア。シントウは、オテロのデスデモーナ。
真摯でひたむき、そして耳も洗われるような正統ベルカント歌唱を聞かせるフレーニ。
ドラマテッィクで、ちょっとのヴィブラートが劇性を醸し出すシントウ。
どちらかといえばフレーニの方が好きだけど、どちらも、甲乙つけがたい名歌唱。

そして要のような存在感を示すギャウロウの朗々としたバス。
51歳で早世してしまった、テッラーニの琥珀に輝やく、そして、少しの陰りをもったメゾ。
あと、元気のいい、でも、思い切りテノール馬鹿を感じさせつつも、まばゆいルケッティ。
欲をいえば、ルケッティとダブルで、ドミンゴかアライサも聴きたかったものだ。

このふたつの演奏に通じる、音楽の密度の濃さ。
そして、途切れることのない緊張感と集中力は、曲が後半に進むにしたがい増してゆき、聴き手をやがて呪縛してしまうことになる。
それを生みだしているのがアバドの指揮なのだ。
ことに、2度目の11日の演奏の、ものすごい熱さといったらない。
絶叫するかのような合唱は、アバドの気迫の指揮と一体化し、かつ絶妙なピアニシモでは、完璧にコントロールされたオーケストラとともに耳が釘付けになる。
 いつものように、静寂やピアニシモで歌う、そんなアバドの真骨頂がここにある。

スカラ座、ウィーン、ベルリンの3つの正規(ライブ)録音に比べてもそん色ない名演奏に思う。
いつか正規音源化を望みたい。
あと、アバドには、ローマでの若き日の演奏(youtubeあり)や、ロンドンでの演奏など、ヴェルレクは数々あり。
あと、かえすがえすも、ルツェルンでも取上げて欲しかったものです。。。。。

「バーンスタイン&ロンドン響 DVD」

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2016年6月26日 (日)

シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク アバド指揮

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関東は、梅雨まっさかり。

そして、ほぼ3ヶ月ぶりの投稿となりました。

幾多の皆さまから、暖かく、そしてご配慮にあふれたコメントを頂戴しながら、まったくご

返信も、反応もしなかったこと、ここに、あらためまして、お詫び申し上げます。

 ともかく、辛く、厳しい日々は、ブログ休止時と変わりなく続いてます。

しかも、予想もしなかったところから、いろんな矢が飛んできたりもします。

やぶれかぶれの感情は、そこから生まれ、音楽なんて、聴くゆとりも、受け入れる感情もありません。

そんな3ヶ月。

 しかし、でも、めぐってきた、「クラウディオ・アバドの誕生日」

存命ならば、今年は、この26日が、83回目。

そんな日に、アバドが生涯愛した、新ウィーン楽派の3人の作曲家を、いずれもウィーンフィルの演奏で聴きます。

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  シェーンベルク  「グレの歌」から 間奏曲、山鳩の歌

長大なグレの歌、全部を聴けないから、この作品のエッセンスとも呼ぶべき、中ほどにある場面を。
1900年に作曲を始め、第3部だけが、オーケストレーションが大幅に遅れ、最終完成は、1911年。
1913年に、シュレーカーの指揮によって初演。

後期ロマン派真っ盛りの作品ながら、最終完成形のときのシェーンベルクは、無調の領域に踏み込んでいたところがおもしろい。
1912年には、ピエロリュネールを生み出している。

むせかえるような甘味で濃厚な間奏曲、無常感あふれる死と悲しみの心情の山鳩の歌。
アバドのしなやかな感性と、ウィーンフィルの味わいが融合して、何度聴いても心の底からのめり込んでしまう。
久々に、音楽に夢中になりました。

アバドのこのライブ録音は、1992年。
88年には、マーラーユーゲントとECユースオケとで、何度も演奏していた。
そして、最後のルツェルンとなった、2013年に、この間奏曲と山鳩を取り上げた。
この最後の演奏が、掛け値なしの超絶名演で、まさに陶酔境に誘ってくれるかのような、わたくしにとってとても大切な演奏となってます。

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ルツェルンでの最後のアバド。

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  ウェーベルン  パッサカリア

ウェーベルンの作品番号1のこの曲は、1908年の作。

シェーンベルクの弟子になったのが、1904年頃で、グレの歌の流れを組むかのような、これまた濃厚な後期ロマン派的な音楽であり、グレの歌にも増して、トリスタン的でもある。

パッサカリアという古風ないでたちの形式に、ウェーベルンが込めた緻密さとシンプルさが、やがて、大きなうねりを伴って、巨大な大河のようなクライマックスとカタストロフ。

この濃密な10分間を、アバドは、豊かな歌心でもって静寂と強音の鮮やかな対比を見せてくれる。
むせぶようなホルンの効果は、これはまさにウィーンフィルでないと聴けない。

1974年、シェーンベルク生誕100年の年、ウィーンでは、新ウィーン楽派の音楽が数々演奏されたが、そのとき、アバドは、ウィーンフィルとこのパッサカリアや、5つの小品を取り上げ、NHKFMでも放送され、わたくしはエアチェックして、何度も何度も聴いたものだ。
 その音源は、いまも手元にあって、あらためて聴いてみても、若々しい感性が燃えたぎり、ウィーンフィルも、今とはまったく違う、ローカルな音色でもって、それに応じているところが素晴らしい。

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  ベルク  交響的組曲 「ルル」

新ウィーン楽派の3人のなかで、一番若く、そして一番早く死を迎えてしまったベルク。

ウェーベルンと同じく、1904年に、シェーンベルクの弟子となり、以降、ずっとウィーンで暮らすことになるベルクだが、ユダヤの出自であった師がアメリカにのがれたのに対し、ベルクはユダヤではない代わりに、その音楽が退廃音楽であるとして、ナチス政権成立後は、その活動にかなりの制約を受けることとなった。

そんななかで、生まれたのが「ルル」。
破天荒な青年時代を送り、ぜんそくに悩まされ、病弱であったベルクは、文学好きということもあって、オペラの素材には、生々しい死がからむ、いわばヴェリスモ的な内容を選択した。
それが「ヴォツェック」であり、「ルル」である。
さらに、晩年の不倫も、「ルル」の背景にはあるともされる。

人生の落後者のような軍人と、魔性の女、ファム・ファタール。
それらが、悲しみとともに描かれているところが、ベルクの優しさであり、彼独自の問題提起の素晴らしさ。

ことに、「ルル」の音楽の運命的なまでに美しく、無情なところは、聴けば聴くほどに、悲しみを覚える。
自分の苦境に照らし合わせることで、さらにその思いは増し、ますます辛く感じた。
そんな自分のルルの聴き方が、また甘味に思えたりするのだ。

「ルル」は、1928~35年にかけての作品。
間があいているのは、アルマの娘マリーの死に接し、かのヴァイオリン協奏曲を書いたためで、ベルクは3幕の途中で亡くなり、未完のエンディングを持つ「ルル」となった。

アバドは、ベルクも若い頃からさかんに指揮していて、70年のロンドン響との作品集に続き、ウィーン時代の94年に、ウィーンフィルといくつもの録音を残している。
ニュートラルなロンドン盤もいいが、やはり、より濃密で、ムジークフェラインの丸みのある響きも捉えたウィーン盤の方が素晴らしい。

ロンド→オスティナート→ルルの歌→変奏曲→アダージョ

オペラの場面をシンフォニックにつないだ組曲に、アバドは、オペラの雰囲気も感じさせる迫真性と抒情をしのばせた。
「ヴォツェック」は何度も指揮したのに、「ルル」は、ついに劇場では振ることがなかった。
ウィーン国立歌劇場時代、上演予定であったが、辞めてしまったため、その計画を実現しなかったから、この組曲盤は、アバド好きにとっては貴重なのであります。

さてさて、暑いです。

まだ梅雨だけど、そぼ降る雨はなくて、晴れか土砂降りみたいな日本。
熊本の地震もあったし、大きな地震への不安は尽きない

ばかな都知事や辞めたけど、疑惑は消えないし、消化不良のまま参院選と、まもなく都知事選が始まる。
矛盾だらけの政治に社会。
 そして、海外へ眼を転ずれば、どこか某国が、偉そうに軍船で領海侵入を繰り返し、虎視眈々と長期計画で持って、ねらってきているし、さらに英国のEU離脱が、世界規模でもって、政治経済に影響を与える流れが進行中。

今後もトピックは、まだまだ続出するでしょうが、ブログ休止してた間に、こんないろんなことが起きてしまう2016年。
「ルル」の原作ではありませんが、「パンドラの箱」が次々に開いてしまうのか・・・・

しばらく、また消えますが、もう事件事故災害は勘弁してください、神様。。。

それでは、また、いつか。

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2016年1月25日 (月)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 アバド指揮

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今年のお正月の吾妻山。

本日、日本列島は寒波が襲来し、雪と低温にみまわれておりますが、お正月はともかく暖かかった。
菜の花もほぼ満開。

そして、1月も残すところ、あと一週間。

碌なことがなく、八方ふさがりに陥って久しいが、ブログも頂戴したコメントも放置プレー状態。
いけないいけないと、一念発起して、曲を聴き、更新することとしました。

 そして、はたと気が付いた。

こともあろうに、アバドの命日を失念してしまうとは・・・・・・・。

ふがいない自分に、情けなくて、心が張り裂けそうだ・・・。

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マーラーが聴きたかった。

ひとつには、先だって、ロイヤル・コンセルトヘボウが主役の映画を試写会で観た。

そのことは、次のブログにしたためようと思うが、そこでは、上質のマーラー演奏の模様が映像化されていて、8番の神秘の合唱が、感動的に流れていたのだった。

そして、マーラーの音楽をとことん愛したクラウディオ・アバド。

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  マーラー 交響曲第8番 「千人の交響曲」

   S:チェリル・ステューダー、シルヴィア・マクネアー、アンドレア・ロスト

   A:アンネ・ゾフィー・オッター、ロセマリー・ラング

   T:ペーター・ザイフェルト

   Br:ブリン・ターフェル     Bs:ヤン・ヘンドリク・ロータリング

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                    ベルリン放送合唱団
                    プラハ・フィルハーモニー合唱団
                    テルツ少年合唱団

                       (1994.2 @ベルリン)


シカゴとウィーン、ベルリン、そして、ルツェルンで、3つのマーラー録音を残したアバド。
しかし、8番は、ベルリンでのライブ録音を1種残したのみ。

ルツェルンでのシリーズの大トリに取り上げると予告されながら、結局は演奏されなかった。
それほどに、この大作を取り上げるには、体力と気力、そしてなによりも、オペラも歌える優秀な8人の歌手と、フル編成のオーケストラと大人数の合唱と、それを収納するホールといった具合にクリアすべき難題がたくさんある。

ロンドン響の時代から、シーズンには大きな命題を掲げて、練り上げられた知的なプログラミングを行ったアバド。
1994年のベルリンフィルのプログラムは、「ファウスト」にまつわる曲目が取り上げられました。
シューマンの「ファウストの情景」もここで取り上げられましたし、なんといっても、アバド初の「千人の交響曲」に注目が集まったものです。

95年に発売されたこのCD。
いまでは、わたくしの、アバドのCDのなかでも、宝物のような1枚です。

アバドらしく、明るくしなやかで、そして緻密な響き。
透明感あふれるサウンドは、どんなに音が大音量で重なっても美しく溶け合っていて、ベルリンフィルのスーパーぶりもそれに拍車をかける。
さながらオペラを指揮する時のアバドのように、全体に見通しがすっきりしている。
歌手も、合唱も、きっと歌いやすいのでしょう。
8人のソロの真摯な歌い口もとても素晴らしい。

ルツェルンでも、千人の交響曲をやって欲しかったけれど、数年後には病に冒されてしまうアバドが、ベルリンとウィーンで大活躍していた時期の覇気にあふれるこの名演が残されて、ほんとうに感謝しなくてはなりません。
 病後のアバドは、その音楽に別の魂が宿るようになり、鬼気迫るものがあり、ある種の高みに達したわけで、ベルリンフィルと、そしてその後のルツェルンのメンバーとも、その関係は完全同質化してしまったと思うのですが、その前のベルリン時代のひとつの絶頂期が94年ではなかったかと、これまた思ってます。

曲は、いま、「神秘の合唱」に差し掛かり、ほろほろと落涙。

数日遅れの、アバドの命日に。

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2016年1月 1日 (金)

ヨーゼフ・シュトラウス ワルツ「水彩画」 アバド指揮

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2016年のスタート。

昨年は、世界規模で連動するかの如く、自然や人間の引き起す災禍に、みまわれました。

今年も、不幸なことに、そして、残念ながら、その流れを断ち切ることができないように思います。

厳しい現実ですが、人間に問われた試練、叡智を持って、ひとりひとりが対処していくことしかありません。

それでも、ともかく、いい年にしたい。

にこやかに、円満に過ごせる日々を送りたい。

そんな思いを抱きつつ、新春に、ワルツを1曲。

聴き始めといたします。

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  ヨーゼフ・シュトラウス  ワルツ「水彩画」 op258

     クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1991.1.1 @ウィーン)


ヨハン・シュトラウスの弟、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ。

ヨーゼフは、42歳で亡くなってしまう早世でしたが、その作品は、発表されたものだけでも、280曲以上。
芸術家と呼ぶに相応しいほどに、才能に恵まれ、指揮も練達だったし、絵画や文学にも精通していたそうな。
さらに、作曲家としても、シンフォニーやオペラのジャンルへも進出することを計画していたといいます。

多くを聴いてませんが、わたくしは、ヨーゼフの作品の中では、「天体の音楽」「うわごと」「トランスアクティオン」などが好きです。
 いずれも、抒情味があって、優しい歌心に満ちてます。

「水彩画」もそんな感じの作品です。
柔らかな出だしは、水彩画の少し輪郭のソフトな雰囲気をよく出してます。
でも、すぐさま、主部の元気のいいワルツに突入して、俄然、明るい基調となって曲は進行します。
次々にあらわれるワルツは、刻々と色合いを変えて、まさに色彩的ですが、それらが淡いほどに美しいのは、まさにヨーゼフの個性なのでしょうね。

89年と91年の2回しかニューイヤーコンサートには登場しなかったアバド。

いずれの年も、シューベルトやモーツァルト、そして得意の、オペラを絡めたカドリーユを織り込むなど、これまでにないユニークなプログラムを築いたアバド。

ヨーゼフの作品を、しなやかに、そして、思いきり歌い込んで、緩急も見事に付けて、とても見事に指揮してます。
 
そして、ウィーンフィル。近年の世界標準化してしまったこのオーケストラにとって、ここに聴かれる、ウィーン訛りを伴った、丸っこい音色は、いくつもある引き出しのひとつとなってしまいました。
この頃は、まさに、ウィーンはウィーンだった。。。。

twozeroonesix年、いい年にしましょう。

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2015年8月28日 (金)

マーラー 交響曲第4番 アバド指揮

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東日本は、秋が急激にやってきて、連日の曇り空と、しとしと雨。

まだ学生さんたちは、夏休みなのに、なんだか気の毒、としかいいようのないその雰囲気のなさ。

お盆の頃から、季節感はなくなってしまいました。

そのお盆には、いつもの、地元のお山に早朝登って、この時期の季節早どりの、コスモスと相模湾を写真におさめてきましたが、この日も、薄曇りで、しかも、コスモスは二分咲きぐらいで、ちょいと寂しい感じ。

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  マーラー  交響曲第4番 ニ長調 

          S:ルネ・フレミング

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (2005.5 @ベルリン)


やっぱり、マーラーはいいな。

久しぶりに聴くマーラーです。

その作品いかんを問わず、ほんとうに、久方ぶりのマーラーは、ほぼ10ヶ月ぶりくらい。

 初めてマーラーの音楽を、意識して聴いたのは何番で、誰の演奏だったろう・・・。

いまや、正確に覚えておりませんが、もしかしたら、FM放送のレコード音源放送での、バーンスタイン&NYPOの6番だったかもしれません。

または、テレビで観た、バーンスタインのトーク教育番組における、4番だったかもしれません。

70年代初頭の出来事でした。

 しかし、急速に訪れた、わたくしの70年代マーラーブームは、FMエアチェックでは、ドホナーニBPOの1番、アバドVPOの4番、ジュリーニVSOの9番、小澤BPOとフランス管の8番などでした。。。
 ともかく、やたらと未知数のマーラーの音楽は、FMを録音して、聴きまくるしかなかった。

そんななかでの、アバドの4番は、独唱がゼーダーシュトレムのもので、ともかくクールで優しい感じの演奏で、その印象は、いまも変わりません。
 その2年後ぐらいに、DGに録音した同じウィーンフィルとの演奏では、歌手は、もっとコケットリーな、フォン・シュターデとのものでしたね。

以来、正規には、アバドは、合計4つの4番の演奏を残してます。

一番古い、ウィーンフィル&シュターデとの演奏から30年を経て取り上げられた、以降の3つの演奏。

 ①ウィーンフィル      シュターデ  1977
 ②ベルリン・フィル     フレミング  2005
 ③マーラー・ユーゲント  バンゼ    2006
 ④ルツェルン祝祭管    コジェナー   2009


歌手の選択も、面白いです。

③の軽やかな、バンゼを除けば、いずれもメゾないしは、その領域の声域をカヴァーできる声の持ち主ばかり。
FMのゼーダーシュトレムも、メゾ領域まで歌う人だったから、なおさらです。

アバドが抱いた、天国的ばかりでない、この4番という曲の、ゆるやかで優しい、でも、ちょっと人を諭すような感のあるイメージ。
それを醸し出すのが、ふくよかなメゾ音域の歌手に託した4楽章でした。

しかし、今回、恥ずかしながら初開封した②のCD。
7年間も、未開封。
 なぜ、聴いてこなかったというと、ルネ・フレミング様の濃厚なお声が、シュトラウスにはいいけれど、マーラーの、まして、こちらの天国的な曲にはそぐわないのではないかと危惧し、触手が伸びなかったのでありました。

その印象は、やはり的中し、アバドとベルリンフィルの築きあげる、緻密でありながら明るい色調のパレットには、フレミングの濃い色の原色カラーは、正直、幻滅でした。

カップリングのベルクは、その濃厚ボイスが極めて魅力的で、アバドとBPOも、カラフルな色調でもって、素敵な演奏を仕立てあげているように思いました。
ベルクは、それでいいのです。

マーラーの4番は、自分的には、無垢でピュアなイメージを、あくまで求めたいので、アバドとBPOの演奏にもかかわらず、その歌声は、ちょっとやり過ぎ感を感じた次第です。

でも、いいんですよ、素敵ですよ、彼女の歌は・・・・

しかし、アバドとBPOが紡ぎ出す、3楽章の優しく、爽やかな草原の世界。
素晴らしすぎ。

アバドが愛したマーラー。
2番、4番、6番、9番あたりが、きっと一番好きで、晩年になるほどに、9番に傾倒していったのでしょうか。。。。

 アバドとムローヴァの間に育まれた息子、ミーシャ君のジャズ・ベーシストとしての、CDデビューが本日でした。

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ふたりにそっくりの、生真面目な風貌のミーシャ。

期しくも、この日、母・ムローヴァの、プロコフィエフのコンチェルトのCDの発売日と重なりました。

その母も、この符合に、喜びを隠せずに表明してますが、天国のクラウディオも、いつものあの笑顔でもって、最上級の微笑みを浮かべていることでしょう。

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2015年7月21日 (火)

ブラームス ハンガリー舞曲 アバド指揮

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文字通りの笑顔。

いろんな民族の顔。

先週の、靖国の御霊祭での、各界著名人たちの筆による提灯のなかから。

いろいろと難しいこともありましょうが、ともかく、世界が平和であってほしいもの。

 でも、そんな思いや笑顔を蹂躙する指導体制にある国が、いくつもあることはたしか。

人々は、「みんな笑顔」で、それぞれの立場で接することができるんだけど、国レヴェルではどうにもならないということ。

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世界中のあらゆる民族には、その民族の心や生活に根差した「調べ」が、必ずあります。

クラシック音楽のいいところは、思想信条は抜きにして、そうした音楽たちを、心置きなく楽しめること。

各地の舞曲シリーズをさりげなくやりましたが、最後は、中欧の香り満載の、ブラームスの、ハンガリー舞曲を。

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 ブラームス  ハンガリー舞曲 全21曲

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                  (1982,4,6 ウィーン、ゾフィエンザール)


ハンガリー舞曲は、ブラームスのジプシーの民族音楽から素材を得ての編曲で、全部で21曲。

これを一度に聴くと、正直飽きてしまいます。
その時の気分によって、つまみ聴きするか、BGMみたいにして流し聴きするのがいいかも。
そして、それぞれの短さと盛り上がりの効果から、コンサートのアンコールピースとして定番の曲もいくつかあります。
この点も、ブラームスがアドヴァイスしたという、ドヴォルザークのスラヴ舞曲と兄弟のような関係にあります。

若きブラームスが、レメニーというヴァイオリニストとピアノでコンビを組んで、楽旅したおりに、そのレミニーからハンガリー・ジプシーの音楽の魅力を教えられた。
数十年後、ピアノ連弾用のハンガリー舞曲を出版し、さらに、10年後には、第2集を完成させる。
1集目のときに、レメニーから著作権の問題を指摘されるも、ブラームスのこの曲集は、編曲でるということで、うまく折り合いが付いたと言うのも高名なおハナシです。

21曲をオーケストラ編曲したのは、ブラームス以外に、ドヴォルザークも含めて複数いて、その力量にも差があったりして、曲によってはさっぱり印象に残らないものもあったりです。
そんな訳で、全曲試聴は、ちょっと中だるみが伴うのですよ。
編曲の編曲というややこしいおハナシ。

アバドのこちらの全曲録音は、早いテンポで、ずばずばと、軽快に、そして、ウィーンフィルならではの明るく、丸っこい音色も魅力的。
 切れ味よろしく、リズム感も豊か。
郷土色は薄目でも、スマートで軽快なハンガリー舞曲です。
聴いていると、アバドのあのニコニコ笑顔が思い浮かんでくるようです。

ロンドン響との来日でのアンコールは、お得意の1番でした。
ことあるごとに、この1番や5番、6番を演奏してましたね。
 国内盤の初出レコードのこのジャケットが一番好きですな。

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2015年6月26日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 アバド指揮

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ここは、わたくしのもっとも好きな場所。

自分が育った町と海を見下ろせる小高い山の上です。
 

どこまでも澄んだ青空、高い空、緑。

気持ちも、心も、飛翔するような気持ちになります。

あの高みに昇っていった、敬愛やまないクラウディオ・アバドの誕生日が6月26日です。

  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 D944

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

              (2011.9.19~25 ボローニャ、ボルツァーノ)


アバドの新譜が、こうして出てくることが、いつも通りに感じる。

マエストロからの、素敵な贈り物のように。

そして、いつも、アバドの新譜が出ると、喜々として手にして、封を開けるのももどかしく、そして、でも慎重にターンテーブルや、トレイに、ディスクを置いて、ワクワクしながら、その音を待ち受けてきた。
そんなことを繰り返しながら、もう45年も経ってしまった。

そして、つい先ごろ登場した、シューベルトの大交響曲。

2011年、いまから4年前のライブ録音で、若き手兵、オーケストラ・モーツァルトの本拠地ボローニャと、ボローニャから北へ220kmほどのボルツァーノという街、その2か所での演奏会のライブ録音です。
このときに、それぞれ演奏されたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、ピアノは、ジョアオ・ピリスです。
そう、もうすでにCDになってるあの名盤です。

ボルツァーノについて気になったので調べてみました。

Bozen

オーストリア・アルプスを背に、国境も近く、地図で見ると、インスブルックやミュンヘンもそんなに遠くなく感じます。
アバドの生まれたミラノよりも北。
そして、このボルツァーノから、西へスイス国境を超えて向かえば、クラウディオが永久に眠る場所ということになります。
 アバドは、晩年は、ボローニャから北、このあたりからスイスにかけてを、ずっと愛していたのですね。
 イタリアは、日本と同じく、南北に長い国。
同じ国でも、北と南では、その気質も全然違う。
そんなことを、こうした地図を眺めてみて、よくわかることです。
 そう、アバドとムーティの違いなんかもね。

いつか、このあたりを旅してみたいものです。

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こんな美しい青空のとおりに、けがれなく、澄みきった透明感にあふれたシューベルト。

アバドの行きついた高みは、まるで無為の境地にあるようで、何もそこにはないように感じ、あるのは、音楽だけ。
シューベルトその人の顔すら思い浮かばせることもない。

どこまでも自然そのもので、音楽を愛し抜き、全霊を込めて信じたアバドの、いわば、なにごともなさざる指揮に、若いピュアな演奏家たちが、心を無にして従っただけ。

ただひとつ、晩年のアバドの様式として、古典ものは、ヴィブラートを抑えめに、表情もつつましやかに演奏することが多く、ここでも、弦楽器は、滔々と歌うというよりは、きめ細やかに緻密な歌い回しが目立ちます。
特に、第2楽章では、ヴィブラート少なめの弦が綾なす、繊細かつ敏感な音色が、静謐な響きと雰囲気を出していて、その得もいわれぬ場面に、わたくしは、涙ぐんでしまうのでした。

全楽章、繰り返しをしっかり行っていて、全曲で62分54秒。

堂々と、ロマン派交響曲として演奏される典型の第1楽章も、楚々たる様相で、足取りは着実かつ静か。
オーケストラのバランスも美しく、各楽器のやりとりが透けて見えるようで、聴いていて、いろんな発見があったりします。

リズム感は、さすがと思わせる3楽章。
伸びやかなトリオの大らかさは、アバドの笑顔が思い浮かびます。

そして、通常、大オーケストラでは、晴れやかかつ、歓喜にあふれた4楽章を描きだし、大団円としてのフィナーレとなります。
しかし、このアバドの指揮では、そんな風には聴こえず、ここでも淡々と、スコアをあるがままに鳴らし、そして室内オーケストラとしての機能性を活かし、響きは、どこまでも、緻密かつ透明です。
ふだん、大きなオーケストラでの演奏に聴きなれている方は、この終楽章には、もしかしたら、肩すかしをくらうかもしれません。
柔らかく、優しい眼差しと、微笑みでもって包まれるような、そんなアバドのシューベルトのフィナーレでした・・・・・。
 ここで、また涙が出てしまいました。

アバドには、もうひとつの正規録音、1987年のヨーロッパ室内管弦楽団との全集録音のものがあります。
こちらは、新シューベルト全集が、この曲までは、まだ刊行されていない年代だったので、アバドは、自筆譜と出版譜との照合を、当時のこのオーケストラ団員だったステファーノ・モッロと共同で行い、新たな解釈を施しました。
 結果、とくに、第2楽章では、オーボエの旋律が、いままで聴いたことのないフレーズになっていたり、強弱が、目新しいものになったりと、新鮮だけど、何度も聴くには、ちょっとスタンダードじゃないな、的な演奏になってました。
 ここでの演奏は、キビキビとしていて、大胆な表現意欲にもあふれ、シューベルトへの愛情を思いきり表出したような活気と歌心にあふれたものです。

しかし、1991年、ECOと来日してシューベルト・チクルスを行ったとき、わたくしは、この曲を聴きましたが、それは、その改訂版ではなく、従来の版での演奏で、すごく安心し、かつ颯爽とした名演に酔いしれたものでした。

それともうひとつ、FM録音の自家製CDRで、88年のウィーンフィルとの演奏もあります。
こちらは、ムジークフェラインにおけるウィーンフィルの丸っこい響きが全面に押し出された、ウィーンのシューベルトという感じで、さらにライブで燃えるアバドならでは。
すごい推進力と、とてつもないエネルギーを感じます。
これはこれで、あの次期の充実しきったアバドらしい名演です。
これも正規盤にならないかな。。。

次のアバドの新譜は、なにが出てくるかな・・・・・

アバドの誕生日に。

 アバド誕生日 過去記事一覧

2006「チャイコフスキー ロメオとジュリエット、スクリャービン 法悦の詩」 

2007「ワーグナー ベルリン・ジルヴェスター・コンサート」

2008「ドビュッシー ペレアスとメリザンド組曲」

2009「マーラー 交響曲第1番<巨人> CSO」

2010「ブラームス 交響曲全集 1回目」

2011「シェーンベルク グレの歌」

2012「R・シュトラウス エレクトラ」

2013「ワーグナー&ヴェルディ」

2014「マーラー 交響曲第2番<復活> 3種」

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