カテゴリー「アバド」の記事

2019年1月20日 (日)

アバドのプロコフィエフ

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日の入り直後、浮かんだ雲が夕日を浴びて美しかった。

そして、クラウディオ・アバドが天に召されて早くも5年。

あの日の朝、ネットで海外ニュースをぼんやりと見ていて、飛び込んできたアバドの訃報。

呆然として、しばらく何も手につかなかった。

でも、ときおり思い出したように出てくる発掘音源が、心から楽しみだし、残された豊富な音源や映像に囲まれているのも、思えばファンとしては幸せなことなのかもしれない。

この日に、アバドの得意としたプロコフィエフをいろいろ聴いてみた。

Prokoviev_abbado

「ロメオとジュリエット」「道化師」 抜粋  ロンドン交響楽団 66年

ピアノ協奏曲第3番 マルタ・アルゲリッチ ベルリンフィル  67年

「古典交響曲」、交響曲第3番       ロンドン交響楽団 69年

「キージェ中尉」「スキタイ組曲」      シカゴ交響楽団  77年

「アレクサンドル・ネフスキー」        ロンドン交響楽団 79年

タイボルトの死               ECユースオケ  79年

ヴァイオリン協奏曲第1番・2番  ミンツ シカゴ交響楽団  83年

「ピーターと狼」「古典交響曲」ほか    ヨーロッパ室内管  86年

ピアノ協奏曲第1番・3番   キーシン  ベルリンフィル    93年

「ロメオとジュリエット」抜粋      ベルリンフィル    96年

 (あと映像として、シモン・ボリバルとのスキタイ、ピーターと狼
    ワンとルツェルンでピアノ協奏曲第3番)

アバドの録音したプロコフィエフは、以上だと思います。

こうしてみると、やはり、「ロミオ」が一番お得意で、あとは協奏曲。

でも、本当にアバドらしいのは、「アレクサンドル・ネフスキー」と交響曲第3番。

Prokofiev_alexander

「アレクサンドル・ネフスキー」、もともとは、エイゼンシュタインの依頼による映画音楽からチョイスした壮大な声楽作品。
ダイナミックで写実的な場面は、迫力満点で、アバドは、気脈の通じ合ったロンドン響と緻密かつ明快盛大な音楽を作り出している。
 しかし、この作品のもうひとつの一面、圧制に苦しむ民衆と、その開放、このあたりをよく描いていて、ムソルグスキーを愛したアバドの着眼点は、ここにあると思わせる、そんな「ネフスキー」の演奏になってます。
そして、録音が抜群によろしい。
 
 そして、ユニークなのが、交響曲第3番
若い頃から、プロコフィエフの交響曲ならこの3番のみを演奏してきたアバド。
西側の指揮者で、この3番に刮目した初の指揮者ではないでしょうか。
 2番とともに、アヴァンギャルドな作風も有しつつ、ロシアの憂愁や、甘味な旋律もあふれる、何気に素晴らしい作品で、バレエ音楽にも近い。
これをアバドは、イタリア人の明るい目線でもって、歌でもって答え、快活に演奏してしまった。
プロコフィエフの特徴である、クールなリリシズムを、アバドほど巧みに描きだす指揮者ないなかった。

Prokofiev

画像は借り物ですが、アバドのDGデビュー盤は、朋友アルゲリッチとの、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェル。
ともに、両曲一番の名演だと、いまもって思ってます。
67年の録音ですが、この年、さらにベルリンフィルとは、ブラームスのセレナーデ2番などを入れてまして、カラヤン以外の録音は当時はとても珍しかったはず。
当の名器ベルリンフィルも嬉々として演奏している感があり、ノリノリです。
そしてアバドのスマートな指揮に、アルゲリッチの情熱的なピアノが見事な反応を起こして、チョーかっこいいプロコの3番が仕上がりました。
のちの慎重すぎのキーシンとのもの、さらには、アクロバティックな空疎なY・ワンのものより、ソリストとの組み合わせで、この一番古いものが好きです。

協奏曲で、シェロモ・ミンツとのヴァイオリン協奏曲
こちらも、今度は曲が、とくに2番が深いだけに、さらにシカゴがオケなだけに、演奏の充実度が高いです。アバドの緻密なバックがあって、ミンツの美音が光っている印象。
受ける印象は、冷たい空に浮かぶ怜悧な三日月みたいな感じの美しさ。

さらにシカゴの高性能ぶりをまざまざと見せつけてくれる見本のような、「キージェとスキタイ」。
このふたつの組曲の理想的な演奏がアバド盤でしょう。
切れ味するどく、どこもかしこもエッジが効いていて、リズム感も抜群、聴いていて、爽快かつ胸のすくような快感を覚えます。
さらに、この1枚もまた、録音がよい!

「ピーターと狼」は、各国の著名人たちがそれぞれに声を担当して各地で発売されたが、日本では、アバド自身が選んだ坂東玉三郎。
しかし、私の持っている外盤は、カレーラスで、スペイン語だったりします。
鋭敏な演奏で、面白いのですが、この音盤でステキなのは、その余白に収められた「ヘブライ序曲」と「軍隊行進曲」だったりします。
アバドらしい凝った企画です。

Abbado_prokofiev_romeojuliet

アバドのメジャーレーベルデビューが、デッカへの「ロミオとジュリエット」
組曲から、9曲を抜き出したロンドン響との演奏。
デッカの生々しい録音が今でも鮮度高いですし、アバドの堂々としてゆるぎない指揮ぶりもデビュー盤とは思えない充実ぶりを感じさせます。
音色は明るく、地中海的ですらあります。
そして、ここでも抜群のリズム感が光ります。

79年に、ザルツブルク音楽祭で、若いECのオケとの演奏会のアンコールに「タイボルトの死」を演奏。
この鮮烈かつ、血の出るような熱気あふれる演奏はライブで燃えるアバドならでは。

そして、デビュー盤から30年後、お互いにベストコンビとなったベルリンフィルとの録音は、今度は組曲からではなく、全曲版全52曲から、アバドが選び出し、曲順も変えた20曲の抜粋版。
以前に書いたこの音盤の記事と、今聴いても思いは変わらないで、ここに再褐しておきます。

<繊細な歌う絶妙のピアニシモから、分厚いフォルティッシモまで、広大なダイナミックレンジを持つ鮮烈な演奏。
威圧的にならず、明るいまでのオーケストラの鳴りっぷりのよさが味わえるのも、見通しいい音楽造りをするアバドならでは。
 有名な「モンタギュー家とキャピレット家」や「決闘」「タイボルトの死」などでは、オーケストラの目のさめるようなものすごいアンサンブルと、アバドの弾けるようなリズムさばきに興奮を覚える。
 一方、恋人たちの場面での明るいロマンティシズム、ジュリエットの葬式~死の場面での荘重で静謐極まりないレクイエムのような透明感、それぞれにアバドの持ち味。>

最後におかれた2曲~悲痛極まりないジュリエットの葬儀、それから、リリシズムをたたえたジュリエットの死をふたたび聴いて、5年目の想い出をここに閉じることといたしましょう。

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波立つ相模湾と、遠く、箱根の山に沈む夕日。

「ジュリエットの死」、美しすぎて泣けてきた。

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2019年1月 1日 (火)

シューベルト 交響曲第5番・第8番「未完成」   アバド指揮

2019

2019年、平成31年の始まりに。

今年は、御代替わりの年で、自分とほぼ同世代の天皇陛下がご即位される。

自分にとっても、こうして年を重ねてきて、感慨深い1年となりそうです。

かつて停止したこともありました。

いまでは自分の音楽の体験録ともいえるようなこのブログですが、14年目となる今年も、ゆっくりとですが、稚拙ながらの言葉を連ねてまいりたいと思います。

今年の1枚目は、まさかの新譜登場、アバドの若き日のシューベルトです。

Schubert_abbado_1

   シューベルト 交響曲第8番「未完成」

            交響曲第5番


   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1971.5.31 @ムジークフェラインザール、ウィーン)


2018年に、突然登場したアバドの新譜ですが、実はこれ、わたくしはかつての昔に聴いていたのです。

音楽にひたすらのめり込んでいた高校時代。
FM放送の番組表をメインとするFMファンや、週刊FMを購読してましたが、NHKFMの番組表のなかに、アバドとウィーンフィルの「未完成」がプログラムのひとつにのってました。

「あれ? アバドとウィーンには、未完成のレコードはないはず?」
73年か74年だったかと思う。
完全なアバドファンだった自分は、アバドの録音のすべてを把握していたから、その当時、「アバドの未完成」の録音はない、というのが、当たり前の前提でした。

平日の昼時のレコードでのクラシック番組でしたが、運よく、テスト週間で早帰りで、疑心暗鬼で聴くことができました。
しっかり「アバドとウィーンフィルの演奏で」と放送されました。
 でも、当時より、アバドの全てを知っていたつもりのわたくしは、これは間違いだ、ベートーヴェンの8番とデータを取り違えているんだと思いつつ聴き、聴き終え、クリップスとウィーンフィルの演奏であろうということで、納得させた当時の自分でした。

でも、こうして、71年のオーストリア放送協会での録音の復刻を聴いてみると、時代的な裏付けもふまえても、きっとあのNHK放送は、この音源であったろうということを確信したのが、これを聴いた昨秋のことなどでありました。
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そう、ウィーン情緒を感じ取れる、まさにクリップス風の柔らかなシューベルト。

でも、ここにある歌心は、アバドの知的ななかにもあるイタリア心とも裏返しにあり、柔らかな中にも、劇的な局面も聴いてとれます。

「未完成」においては、遠い昔の自らの懐かしの記憶でありますミュンシュとクリップス、その間にあるような演奏だと、このアバド盤を聴いて思ったりもしました。

「第5」は、もう、ウィーンフィルのウィーンフィルである音色が満載。
CDのリブレットに、当時のオーケストラメンバーの一覧が掲載されてますが、をれを見ても懐かしいウィーンフィル。
いまや絶滅危惧種的と化した、オーケストラの個性的な味わいがここにあると聴いてとれました。
グローバル化したオーケストラの世界。
ウィーンフィルも例外でなく、70年代は、まだまだかつてのウィーンの音色を保ってました。
鄙びたオーボエ、柔和なフルート、甘味なクラリネット、もっこりしたファゴット。
ホルンも丸くて耳に美味。
そして琥珀の弦楽器は、ムジークフェラインの響きそのもの。
そして、歌、また歌のアバドの指揮。
あぁ、なんて美しいんだろう。

正月1日の朝から、耳のご馳走をたらふくいただきました。

もう帰ってこない組み合わせのシューベルトでした。
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本年もよろしくお願いいたします。

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2018年6月26日 (火)

「スカラ座のアバド」 ヴェルディ・オペラ合唱曲集 アバド指揮

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 6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生の日。

1933年ミラノ生まれ。

父も兄も、ミラノ・ヴェルディ音楽院の院長を務める名門の出自で、幼くして指揮者を夢見たナイーブな少年は、長じて、なるべくしてスカラ座の指揮者となりました。

ちなみに、兄マルチェロの息子、ロベルトも指揮者で、そのお顔も指揮姿も叔父クラウディオにそっくり。
クラウディオの息子ダニエーレは演出家で、生前、「魔笛」にて親子共演を果たしてます。

アバドの誕生日に、録音上のアバド&スカラ座の原点の1枚を聴きます。

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  ヴェルディ オペラ合唱曲集

 「ナブッコ」~祭りの飾りを
         行け、我が思いよ、金色の翼に乗って

 「トロヴァトーレ」~アンヴィル・コーラス

 「オテロ」~喜びの炎を

 「エルナーニ」~謀反人たちの合唱

 「アイーダ」~凱旋の合唱

 「マクベス」~しいたげられた祖国

 「十字軍のロンバルディア人」~エルサレムへ、エルサレムへ
                     おお、主よ、ふるさとの家々を

 「ドン・カルロ」~ここに明けた、輝かしき喜びの日が

    クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                  (1974.11 ミラノ)


当ブログでは、この音盤について記事にするのは2度目。

アバドの誕生日に、何を聴こうか考えたときに、レコード時代、一番頻繁に聴いたものは何かなと考えたときに、この1枚がそれだった。

ちなみに、聴いた頻度の高いものを列挙すると、あとは、ウィーンでの悲愴、ベルリンとの1回目のブラームス2番、春の祭典、ショパンのピアノ協奏曲1番、ボストンとのスクリャービンとチャイコフスキー・・・・、こんな感じで、CDより、レコードの方が多く聴いてる。
すなわち、レコードが高価なものだったから、そうたくさん買えなかったし、買うならアバドだったから、こんな風になる。

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1968年にスカラ座の音楽監督に就任したアバド。
アバドのファンになってから、イタリアでのアバドの活動は、レコ芸の海外レポートを通じてしか知ることができなくて、ロンドン響とのロッシーニしかなかったオペラ録音に、いつ、スカラ座とヴェルディをやってくれるのか、それこそ首を長くして待ち望んだ、そんな高校生でした。
そこに登場したのが、この合唱曲集。
オペラ全曲盤ではないが、アバド&スカラ座のヴェルディへの渇望を満たすには充分すぎるほどの1枚で、私は喜々として、日々この1枚を何度も何度もターンテーブルの上に乗せたものです。

オペラ録音の主役はコストの関係もあって、ロンドンが中心となっていたなかでの本場イタリアの純正ヴェルディサウンド。
60年代初頭から毎年続いたDGへのスカラ座の録音も、65年のカラヤンとのカヴァ・パリ以来途絶えていただけに、74年のこの録音は、スカラ座としても久々のレコードとなり、楽員も合唱団も、気合十分。

そんなはちきれんばかりの意欲的な音が、冒頭のナブッコから満載。
みなぎる迫力と、輝かしいばかりの明るさと煌めき。
貧弱なレコード再生装置から、こんな音たちが、滔々とあふれ出してきたのです。
いまでも、あの高揚感をよく覚えてますよ。

いま聴いても、その想いは同じ。
ことに、男声合唱の力強さと、女声も含めた、声の明瞭さは、スカラ座合唱団ならではのもの。
オーケストラの精度も高く、アバドの統率のもと、一糸乱れぬアンサンブルであり、ほんのちょっとしたフレーズでも、雰囲気豊かで、アバドの指揮ゆえに、歌心もたっぷり。
オケも合唱も、ピアノ・ピアニシモの美しさは耳のご馳走でもある。

アバドは、マーラーを通じ、その音楽の高みを晩年には、自在さと透明感の頂点に持っていったけれども、一方で、ヴェルディの演奏を聴くと、生来のアバドの根源のひとつをも感じ取らせてくれるように思います。
 アバドのスカラ座との関係は、1986年に終止符を打ってしまいましたが、スカラ座からすると、ムソルグスキーやベルクばっかりに偏重する音楽監督は、芸術性の高さとは別に、大衆受けからは遠く、アバドからしたら、より自分の好きな作品を上演したいし、マーラーを主体としたシンフォニー作品をより探求したかったから、やむを得ない結末だったかもしれません。
 しかし、ファンとすると、こんなに素晴らしいヴェルディ演奏、このあと数年にわたり録音されたものを今もって聴くと、本当に残念なコンビの解消だと思います。
いまは残された、アバド&スカラ座のヴェルディに、ヴェルディ演奏の本物の神髄を味わうことができることに感謝しなくてはなりませんね。

心からありがとうございます、マエストロ・アバド。

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CDでは、オペラ全曲盤からのものを含めた1枚が出ておりますが、それらは素晴らしい演奏ながら、全曲録音からの切り抜き。
本来のオリジナル盤の方が求心力高いです!

アイーダで、凱旋行進曲のトランペットが、右と左で、しっかり分かれて録音されているのも、この時代ならでは。
そんなシーンでも興奮しまくりの、若きわたくしでした♪

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2018年2月24日 (土)

高崎保男先生を偲んで

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最後まで残っていた冬のイルミネーションですが、バレンタインの終わった週末を限りに、こちらも終了してしまいました。

このあたりは、旧薩摩藩の敷地で、幕末の出来事と所縁のある場所。
ビルの立ち並ぶエリアに、ぽつんと、勝海舟と西郷隆盛の会ったところ、などの表示があったりします。

Abbado_requiem

音楽評論家の高崎保男先生が、12月にお亡くなりなっていたそうです。

レコード芸術で、目立たぬように静かに記事になっていました。

故人のご遺志とのこと。

近年、ただでさえ、オペラの新譜が、ことに国内盤ではまったく発売されなくなり、レコ芸オペラ担当の、高崎さんの名評論がまったく読むことができなくなっていた。
しかし、ときおり出るソロCDなどで、今度は高崎先生の名前が見られなくなっていたので、ちょっと心配をしておりました。

そして、この訃報。

静かに去られた高崎先生。

わたくしが生まれて間もないころからずっとレコ芸のオペラ担当をされていらっしゃいました。
わたくしがオペラが好きになったのも、それから、クラウディオ・アバドが大好きになったのも、高崎先生の数々の文章があってのもの。

心に残るいくつかの記事を思いおこすと、今後活躍する指揮者の特集での「アバド」の記事。
オペラ評論での、「アバドのチェネレントラ」「カラヤンのトリスタン」「ベームのリング」「ヴェルデイ、オペラ合唱曲、アバド・スカラ座」「アバドのマクベス」「アバドのシモンボッカネグラ」・・・・数限りなくあります。

オールドファンの域に達しつつあるわたくし。
音楽を活字と共に味わう世代だったかもしれません。
今のように、あふれかえる音源を自由自在に受け止めることのできる時代とはまったく違う世の中だった。
高額だった1枚のレコードを擦り減るように聴き、そしてそれを買うにも、大切な指標となったのが評論家の先生の記事。
自分の想いと、波長のあう方のご意見なら間違いないと思う先生の存在がうれしかった。

そんな高崎先生でした。

同じレコ芸の、今度は巻末の訃報欄に、同じく音楽評論家の岩井宏之さんがお亡くなりなった記事が出てました。
岩井さんも、好きな音楽評論家でした。
やはり、アバドのことを高く評価し、さらには、神奈川フィルの役員もつとめられた方。

時の流れを大きく感じます。

高崎、岩井、両先生に感謝をいたしますとともに、その魂の安らかならんことをお祈りいたします。

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2018年1月28日 (日)

マーラー 交響曲第2番「復活」 アバド指揮1965年

Azumayama_sunsghine_1

2018年1月2日の日の出。

相模湾を赤く染める朝焼けは、今年も、健勝に、そして明るく過ごしたいと、切に手を合わせたくなる神々しい美しさでした。

そんな1月も、もうじき終わってしまいます。
ほんと、毎日があっという間に過ぎてしまう。

今日は、時間をずっとさかのぼって、クラウディオ・アバドが世界のひのき舞台に躍り出るきっかけとなった演奏を聴きました。

Abbado2

   マーラー 交響曲第2番 「復活」

      S:ステファニア・ヴェイツォヴィッツ
      A:ルクレツィア・ウェスト

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                     ウィーン国立歌劇場合唱団

                   (1965.8.14 ザルツブルク)


伝説的な32歳のアバドのウィーンフィルとザルツブルク音楽祭デビューの熱演。

1959年指揮者デビュー、イタリアを中心にヨーロッパで活動、1963年、ニューヨークでミトロプーロス国際指揮者コンクールで1位となり、バーンスタインの助手となる。
 バーンスタインのヤングピープルズコンサートでラヴェルを振る映像が残されていて、youtubeでも見ることができます。
その後、ベルリン放送響へ客演し、カラヤンの目にとまることとなり、1965年のザルツブルクデビューとなります。
バーンスタインにもきっとマーラーの薫陶は得たであろうアバドは、同年7月に、スカラ座でまず、「復活」を指揮して、ウィーンフィルに臨んだ。
ちなみに、67年には、ウィーン響と6番を指揮。

2番と6番は、アバドにとって勝負曲のような作品であり、マーラー指揮者としての存在を確立させた2曲だと思う。

今回視聴のCDは、放送音源からのもので、当然にモノラル。
しかし、音に芯があって、聴きやすいもので、後半に行くにしたがって音楽が熱を帯びてゆく様や、緩徐楽章の美しさや、この頃、思い切り音楽を歌わせていたアバドならではのしなやかさも十分に楽しめるものです。

アバドは、このあと3種類の録音と、1つの映像(音源と同一)を残しています。

         Ⅰ   Ⅱ   Ⅲ   Ⅳ   Ⅴ   TTL

1965 ウィーン  20:55   10:18   10:40   4:42   32:28    79'05"

1976 シカゴ       20:47   10:03   10:33   5:28   34:51    81'11"

1992 ウィーン    21:20   10:34   11:48  5:28  36:16    86'32"

2003 ルツェルン 20:45    9:23    11:22  5:04   33:51     80'02"


4つの演奏の演奏時間。
なにも、演奏タイムが、その演奏の優劣に結びつくものではありませんが、その特徴をあらわしていることも確か。

トータルタイムが一番速いのが、ザルツブルクライブで、その次がルツェルン。
ルツェルンの一連のマーラー演奏が、明るく、透明感に満ちており、アバドの行き着いた境地を表しているところが、このタイムの変遷だけみてもわかります。
1~3楽章に、あまり変化は見られず、歌の入る楽章で、タイムの違いが出ている。
ことに、92年のウィーンライブの5楽章は、タイムをみると、ずいぶん念入りに感じますが、聴いていると決してそんな風には聴こえません。
ムジークフェラインの響きが影響した可能性はあります。

そして32歳のアバドと70歳のアバド、このふたつの演奏時間がとても近いところが、本当に興味深いし、アバドらしい。
 カラヤンに後押しされ、マーラーはまだ聴衆がついてこれないから危険だ、との周囲の声を跳ね返して、2番を選択した若きアバド。
この演奏の大成功で、ウィーンフィルとのレコーディングも始まり、世界のオーケストラから引っ張りだこになった、その記念すべき第一歩。
 ベルリンでのポストを終えて、ルツェルンで得た自分のオーケストラと、いろんな重圧から解かれて踏み出した開放的なさらなる第一歩。

もちろん、シカゴとの演奏には、このレコードが、メータやレヴァインらとともに、マーラー演奏に新しい風を呼び込んだという意味合いがあり、ウィーンライブには、アバドとウィーンとの決裂の時期的な意味合いも、それぞれ私にはあります。

さて、ザルツブルクの演奏に関し、アバドは後年語っています。
「自分を殺してやりたくなりました。本当です。終わって、後からテープを聴いて、初めて悪くなかったことに気づきました。もちろん変更すべき箇所は数多くありましたが、より自然発生的であることから、いくつかの部分は1976年の(シカゴ)の録音より優れています。不思議ではありますが、私のキャリアを通じて、その時点では不当に悪いというものの、いわゆる『スペシャル』な夜があるものです」

その自然発生的なるものが、終楽章にむかってじわじわと音から立ち上がってくる熱気に感じられます。ティンパニの強打や、猛烈なアッチェランドなど、スタジオでの冷静なアバドには出てこないような表現であります。
一方で、静かな場面での緻密な音の響かせ方などは、後年のものとそん色なく素晴らしい。

この演奏のラジオ放送を聴いていたアルフレート・ブレンデルは、見知らぬ指揮者ながら、「巨大な情熱と確信と支配力があって、それがオーケストラと聴衆に伝播させていた」と語ってます。

モノラル録音ながら、これを聴きながら、ダイナミックな大振りで、マーラーの音楽に没頭的になっているアバドの指揮姿や表情が思い浮かんできました。

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こうしてみると、ベルリンでの2番が残されなかったのが惜しい。

96年のベルリンフィルとの来日公演で、この曲を取り上げたとき、わたくしは、90年代のほぼ10年間、多忙な仕事や、子供らが生まれたことなどから、コンサートから遠ざかっていた時期にあたり、アバドの来日公演をことごとく聴き逃していました。
NHKの放送をビデオ収録してありますが、いまやそれも見れません。
いつかはDVDに復刻してやろうとは思ってますが・・・

Azumayama_sunsghine_2

ここまで日が昇ると、少し温もりも出てきます。

マーラーの2番の終楽章の圧倒的なフィナーレにふさわしい輝かしさ。

アバドを偲んで何度も聴きました。

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2018年1月20日 (土)

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 アバド指揮 プライ

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菜の花と富士。

毎正月に、実家に帰るとこの景色が望める幸せ。

今年は、晴れの日が続いたので、富士がくっきり、すっきり。

おまけに、今年、ちょっと不安視した駅伝も、見事に完勝。

ありがたき正月になりました。

そして、1月も後半に至ると思い起こすのが、クラウディオ・アバドの命日。

あれから4年です。

今年のアバドの命日には、ことし2018年に、没後10年のアバドの朋友、ヘルマン・プライとの共演を。

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   ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」

 アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ  バルトロ:エンツォ・ダーラ
 ロジーナ:テレサ・ベルガンサ        フィガロ:ヘルマン・プライ
 バジリオ:パオロ・モンタルソロ        フィオレロ:レナート・チェザーリ
 ベルタ:ステファニア・マラグー        士官:ルイジ・ローニ

      クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                      アンブロージアン・オペラコーラス
              合唱指揮:ジョン・マッカーシー
              チェンバロ:テオドール・グシュルバウアー
              ギター:バルナ・コヴァーツ

               (1971.9 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


初めて買ったアバドのオペラのレコード。

その前には、「チェネレントラ」が出てはいたけれど、すぐには手が出ず、より有名なセビリアの登場を待ち、飛びつきました。
それでも、ちょっと半年ほど遅れて、横浜駅西口にあったヤマハで、お正月に購入。
川崎大師の帰りでした。
3枚組のズシリと重いカートンボックスに入った豪華なオペラのレコード。
所有する喜びにあふれてました。

アバドは、昨年亡くなったゼッダの改定版を前面に押し立てて、ロッシーニ演奏に革新をもたらせた指揮者のひとりでありました。
過剰な装飾や、オーケストラに慣習的に追加された楽器や誇張を取り除いたスッキリとした軽やかなロッシーニ。

ブッファ的な側面ばかりで語られたロッシーニには、セリアもグランドオペラもあったと見直された60年代半ば。
その流れで、フィルターを取り除いたロッシーニの音楽を体現させたのはアバドだと思う。

オモシロ可笑しいロッシーニのブッファに、生真面目に取り組み、端役に至るまで、すべての登場人物たちの歌に等しく目を配らせ、お笑いドラマを人間ドラマにまで昇華してしまった。
アバドが、ヴェルディのオペラに取り組む、その同じ姿勢がロッシーニの演奏にもあると思う。
だから、アバドのロッシーニは、セビリアよりは、チェネレントラ、そしてさらにランスの旅の方がより素晴らしい。
ベルリンフィルでロッシーニのオペラをやってしまったところが、これまたアバドらしいところ。

Rossini
   1981年のスカラ座の引っ越し公演での「セビリア」は、薄給を「シモン」のS席に振り当ててしまったので、テレビ観劇となりましたが、終始、このレコードより、テンポも速めにとり、ダイナミズムも緩急も自在で、より劇場的な指揮ぶりでした。
そして、ポネルの回り舞台の面白さと、ヌッチ、アライサ、V・テッラーニと新鮮な歌手たちの鮮やかさも、いまや伝説級の名舞台と言えます。

もう46年も前のころ録音。
当時、ロンドン交響楽団は、アバドの意思にもっとも俊敏に反応することのできたオーケストラであったと思う。
オペラのオーケストラではないが、ゆえに新しい響きも紡ぎだすことができたし、そこはアバドの歌心もそっくり反映させることができている。
いまでも充分に、その鮮度を保っているロッシーニ演奏です。

当時、最高のロッシーニ歌いをずらりと揃えた配役。
ただ、昨今のよりスタイリッシュで、高度な技量を備えた歌唱からすると、やや古めかしさも感じたりもするのは贅沢な想いかもしれない。
そのなかで、燦然と輝いているのはベルガンサのロジーナ。
清潔さただよう麗しくも正しき歌。
チェネレントラでの歌唱とともに、しっかりと耳に残しておきたい歌唱です。

ヘルマン・プライの当たり役フィガロ、うますぎの感もなくはないが、そして、思いのほか声の威力も気になるところだが、その人懐こい歌声は、こうしたイタリアものでも魅力的。
プライの明朗快活な歌は、モーツァルトの同役とともに、フィガロが当たり前のように同一人物であることを強く感じさせます。
そして、わたしたちは、ここに聴くプライの声で、彼の歌うパパゲーノやグリエルモ、果ては、ベックメッサーやヴォルフラムなどをも思い起こすことができる。
それほどに、ヘルマン・プライの声は、自分にとって馴染みの声なのです。
アバドは、プライとの共同作業を多く行っていて、スカラ座のフィガロの結婚では、伯爵までも歌っているし、ずっと後年、ウィーンフィルとの第9ではバリトンソロもつとめている。
そして以前にも書いたけれど、アバドのヴォツェックにもチャレンジする予定もあった。
アバドが病に倒れる前は、ワーグナーへの挑戦として、マイスタージンガーやタンホイザーの名前もあがっていたので、もしそれが実現していれば、プライのザックスなんてのもあり得たのかもしれません・・・。

ヘルマン・プライは、1998年7月22日に69歳で亡くなりました。
そして、クラウディオ・アバドは、2014年1月20日に。

アバドの命日に、偉大な歌手と指揮者を偲んで。

Azumayama_1

過去記事

 「チェネレントラ」 アバド LSO

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2017年6月28日 (水)

ロッシーニ 序曲集 アバド指揮

Rose_tower

どんより梅雨空東京タワー。

蒸すし、すっきりしませんな。

こんな時には・・・・

Abbado_rossini

      ロッシーニ 歌劇序曲集

     ①「セビリアの理髪師」      ②「ラ・チェネレントラ」
   
     ③「どうぼうかささぎ」       ④「アルジェのイタリア女」

     ⑤「ブルスキーノ氏」        ⑥「コリントの包囲」

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                 (1971、1975 @ロンドン、エディンバラ)


これで、すっきり!

朝から、気分爽快になるこの1枚。

こちらも11年前に記事に残してます。

アバドといえば、忘れちゃいけないロッシーニ演奏。

ベルリン時代にも、当団とオペラ上演してしまったくらい。

そのアバドのロッシーニの原点が、この1枚。

いや正確には、アバドのオペラ録音デビューにあたる、「チェネレントラ」と「セビリア」のふたつで、1971年のもの。
そのふたつの録音から、このCDの①と②は転用されている。

「セビリア」の全曲盤は、すぐさま購入しました。
そして、それより前に出た「チェネレントラ」のすばらしさは、後年味わうことになるのでしたが、当時、それが発売されたときの、日本の音楽界の驚き!

「これが噂のアバドのロッシーニ」とか、「アバドのオペラ」とか、大いに宣伝された。

そう、いまではあたりまえとなった、A・ゼッダの考証版を用いての、すっきり軽快、透明感あふれるロッシーニサウンドを世に知らしめたのだ。

数年後に、4つの序曲を新録音して出されたのがこの1枚。

しなやかに歌いまくる、どこまでも明晰かつ、軽やかなロッシーニ演奏がここに。
後年の再録音では取り上げられたグランドオペラの華やかな序曲、「ウィリアムテル」や「セミラーミデ」は、ここでは、意識したかのようにスルーして、ブッファの軽快な序曲ばかりとしたことも、アバドの意識の表れかも。
そこに唯一セリアもあるとこがまた、アバドらしい。

塵と埃を洗い落とし、スコアの音符が、躍動して見えるかのような生き生き感。
ピアニシモを美しく歌うことにかけてはアバドの右に出る指揮者は、当時からいなかった。
だから、ロッシーニクレッシェンドは、耳をそばだててしまうほどに完璧かつ躍動的。

RCAに入れ直した2度目のロッシーニも素晴らしいが、スケールは大きくなった。
そして、ヨーロッパ室内管との3度目のものは、小回りの効く室内オケを駆使し、さらに若い楽員たちの笑顔が見えるような楽しい演奏。

でも、自分は、この1回のものが好き。
ロンドン響のスッキリサウンドも大いにプラスしてる。

さぁ、梅雨に負けず、今日も元気にsign03
 

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2017年6月26日 (月)

メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」 アバド指揮

Shiba

ある夜の東京タワーと紫陽花。

本格的な梅雨となり、湿度も高めで、体もまだついていけない、そんな6月の終わり頃。

今年もめぐってきた、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年6月26日、ミラノ生まれ。

ヨーロッパには梅雨がないから、きっと今時分は、清々しい初夏の陽気なのでしょう。

新しい録音や演奏が途絶えたとしても、自分的には、アバドは、まだ生きています。

アバドの得意とした作曲家、メンデルスゾーンを聴きます。



P9216872

  メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」

    クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

             (1967.2 @キングスウェイホール、ロンドン)


「イタリア」でもよかったけれど、いまの気分は、スコッチ。

アバドが、50年代後半、ウィーンでスワロフスキー教授に学んだあと、指揮者としてのキャリアをスタートさせ、63年に、ミトロプーロス指揮者コンクールに優勝し、注目を集め、バーンスタインに認められ、ニューヨークフィルを指揮。
その後は、65年に、今度はカラヤンに推され、ザルツブルクで、ウィーンフィルを振って、マーラーの復活。

順風満帆の若きクラウディオ。

レコーディングでも、66年にウィーンフィルを指揮して、デッカにベートーヴェンの7番でデビュー。同年、ロンドン響とプロコフィエフのロメオ抜粋を録音。
そして、翌67年に、このメンデルスゾーンと、ベルリンフィルとブラームスのセレナードをDGに。

アバド、33歳の録音。

この演奏、もう11年前に一度記事にしてます。
85年の全曲録音も、トータルに素晴らしいけれど、アバドの青春譜とひとことで片づけるには、まことに惜しい、後年の録音にはない瑞々しさと、煌めきにあふれた桂演。

メンデルスゾーンの音楽にある明るい歌心を、まったく嫌味なく、素直に感じて、そのまま音にしてしまった感があって、音楽は生まれたての駿馬のように、すくっと立ち上がって、緑の丘や野山を駆け抜けるような、そんな爽快さにあふれてる。
この時にしか成しえなかったであろう演奏かもしれない。

このレコードが国内発売されたのは、1971年で、もうクラヲタしてて、アバドのファンにもなっていた自分だけど、そこでは購入することなく、4番のFMのエアチェックで我慢していた。
2曲を、ちゃんとレコードで聴いたのは、その10年後ぐらいで、アバドは、シカゴ、ロンドン、ミラノ、ウィーンを股にかける大指揮者になっていた・・・・。

いま、相応の歳の大人となって、再びじっくりと聴くアバドのスコッチ。
第3楽章の憂いと、優美さが、相交わる歌の饗宴に、アバドのこの若き演奏の神髄を聴く思いだ。
ほんとに美しいので、いつまでも浸っていたい。

前にも挿入しましたが、国内初出のときのレコ芸の広告。

Img_0026

このころに戻ったらな・・・・・

もう一度、アバドの次から次に出る音盤と、目覚ましいキャリアアップぶり、そして行けなかったいくつもの来日コンサートを追いかけてみたい。。。。。

歳を経ると、むかしのことばっかり。
夢も昔のことを、ほんとよく見るようになったよ・・・・


Rose

一輪の赤いバラを、アバドの誕生の日に。

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2017年1月20日 (金)

ブラームス ドイツ・レクイエム アバド指揮

Suisen_1

新春の吾妻山は、富士と海と、菜の花と水仙。

中腹あたりに、水仙の群生があり、香しい香りが漂っているのでした。

そして、1月20日。

もう3年、いや、まだ3年。

なんだか、遠い記憶のようになってしまったあの日。

クラウディオ・アバドの命日です。

あのときが、夢の彼方のように感じ、いや、感じたい自分があって、アバドは、兄のようにして、いつまでも、自分の近くにいてくれるような気もしているから、あの日が、なかったようになってるのかもしれない・・・・、自分のなかで。

癒しと、追憶のレクイエムを聴きます。

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  ブラームス ドイツ・レクイエム op.45

    ソプラノ:チェリル・ステューダー

    バリトン:アンドレアス・シュミット

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                 スウェーデン放送合唱団
                 エリック・エリクソン室内合唱団

              (1992.10 @ベルリン、フィルハーモニー)

ブラームスを愛し、若い頃から、その作品をずっと取り上げていたアバド。

交響曲は2番や4番を、スカラ座時代から、ほかの番号もロンドンや各所で。
協奏曲の各種は、数え切れないほどの名手たちと共演。

そして、声楽作品も、ウィーンやベルリン、ロンドンで。

ドイツ・レクイエムやアルト・ラプソディまでが、通常の指揮者は、取り上げ・録音するけれど、アバドは、合唱作品のほとんどを取上げた。

いま残された録音や、放送音源の数々で聴く「アバドのブラームス」。

ことに、アバドのブラームスの声楽作品は、その端正な佇まいと、紳士的ともいえる慎ましさは、ロマン派にあって、古典派の立ち位置でもあったブラームスの演奏として理想的。

正規音源としては、ベルリンフィルハーモニーでのこちらの92年の録音と、97年のウィーンでの映像があって、どちらも、そうしたブラームスの真髄に迫った名演に思います。

今日はCD。

どうだろう、この精度の高さは。

合唱とオーケストラが、弱音からフォルテの強音まで、どこまでもきれいに、混濁することなく混ざり合い、どの声部の音も、すっきり・くっきり聴こえる。
そして、その音色。
どこをとっても、お馴染みのベルリンフィルの音なんだ。
この音は、変わったと言われたカラヤン時代の音と同じだし、現在のラトルの紡ぎだす洗練さと重厚さの音ともおんなじ。
 全体のトーンは、緻密極まりない合唱団も含めて、明るめだけれど、この明晰な明るさは、カラヤン時代もあったことで、ラテン的な輝きを感じさせる点でも、カラヤンの音とも少し通じるように今宵や感じました。
もちろん、カラヤンのようなゴージャス感はないですよ。

ともかく、明るく、美しく、音がなみなみとあふれるような、アバドの「ドイツ・レクイエム」。

北ドイツでなく、南の方。
アルプスのふもとにあるような、そんなブラームスが好き。

絶頂期だったステューダーと、この当時、声楽作品ではひっぱりだこだったA・シュミットの律義な歌は万全。
欲を言えば、ヘルマン・プライとの共演でも聴いてみたかった。
アバドとプライは、朋友のように、よく共演していたから。
 でも、このとき、まだ存命だったプライだったら、アバドの根ざす、明るさと透明感あるブラームスにはならなかったかも・・・。
プライの人間臭い優しさは、巧さにつながり、色が出てしまったかも・・・・。

アバドは、そのプライと、ロンドン響時代に、このドイツ・レクイエムで共演していて、1983年のこと。
それから、アバドの初「ドイツ・レクイエム」は、同じロンドン響で、77年のこと。
そのときは、ルチア・ポップがソプラノ!

平和と安らぎのなかに終えるドイツ・レクイエムを聴きながら、外は今にも、ちぎれた雲から雪が舞い降りてきそうな寒さ。

日本中寒いです。

いや、世界中、異常に寒く、ことにヨーロッパの寒波はすごいらしい。
凍死者が多数でたり、交通事故が多発したりと大変らしいし、ふだん雪とは無縁な地中海地方やイタリア南部、スペイン南部も大雪・・・・

アバドの眠る、スイス、エンガディン地方もきっと深い雪に見舞われていることでしょう。
しんしんと、そして、あたたかく、クラウディオ兄を包んで欲しい。

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そして、サンモリッツを有するエンガディン地方、2026年の冬季オリンピック誘致を目論んでる様子。
昨今の、五輪を思うにつけ、静かにしておいていただきたいが・・・・・・・

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クラウディオ・アバド 3回忌に

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2017年1月 8日 (日)

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 アバド指揮

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唯一の曇り空の朝だった、1月2日。

雲の合間から富士が少しだけ。

菜の花は七分咲き。

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見おろす相模湾は、穏やかで静か。

右手奥、箱根の山は、駅伝の往路の到着を待ちうけ中。

Azumayama_2    

何度も書きますが、この街に育ったわたくしは、この場所がたまらなく好き。

帰るたびに登ります。

麓の小学校は、わたくしが通った頃は、正しき木造校舎で、二宮金次郎さんも、薪を背負い本を読んで、これまた正しく佇んでおりました。

今日は、折り目正しいアバドのモーツァルトを聴きます。

モーツァルトの20番K466のピアノ協奏曲、アバドには4種の正規録音があります。

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   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

        フリードリヒ・グルダ

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1974.9 @ウィーン ムジークフェライン)

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             ルドルフ・ゼルキン

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                    (1981.11@ロンドンキングスウェイホール)

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           マリア・ジョアオ・ピリス

   クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2011.9 @ボローニャ)


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          マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2013.3 @ルツェルン)


こうして4種、連続して聴くと、それぞれがまったく違って聴こえるのは、もちろん、素晴らしいピアニストたちによるもの。

軽やかで、愉悦感あふれ、美音を聴かせるグルダ。

かっちりと、一音一音を揺るがせもせず、誠心誠意尽くすようなピアノを聴かせるゼルキン。

無作為の美しさ、緊張感をも通り過ぎて晴朗な心境に誘われるピリスのピアノ。

最初に聴いたときは、さらりとして聴こえたけれど、いまこうしてまとめ聴きをしてみて感じる、アルゲリッチの即興性と自在さ。たくみに聴き手の心を掴んでしまう豊かな感性を感じる。

こうしたピアニストたちに、アバドの指揮は、ぴたりと寄り添うようにしていて、4つの演奏ともにまったく違うところが見事。
もちろん、オーケストラの違い、そしてなによりも年代の違いも大きい。

70年代、80年代、そして2010年代。
前者ふたつは、フルオーケストラによる響きの豊かな従来型の音色で、安心感も漂うが、後者2つは、室内オーケストラによる切り詰めた響きで、かつ古楽の奏法も取り入れ、キビキビ感も。

口さがないグルダが、小僧呼ばわりして、そんなグルダが彼のピアノとは別に、嫌いになったけれど、70年代、ウィーンフィルとアバドの組合わせは、幸せなコンビだった。
まろやかで、丸っこい響きは、ムジークフェラインのホールの響きに溶けあい、グルダのピアノと一体になって聴こえる。
なんの文句があったんだろ、グルダさん。
20番の短調のふたつの楽章に挟まれた真ん中のロマンツェ。
そのたおやかな美しさは、この演奏を聴くと、愛おしくなるほどの歌いぶりで引き立つ。

ロンドン響とのゼルキンの背景を飾るアバドの指揮は、思いのほかシンフォニックで、これまた響きも豊かで、しなやかさも抜群。
こちらの少し前に録音された、交響曲40番と41番にも通じる構えの大きさもある。
そしてゼルキンのゆったりとしたピアノを支えるような敏感さも。
ここでも、2楽章は美しい。
キングスウェイホールの響きも、ロンドン響のニュートラルさと芯の強さを捉えた録音でもって楽しめる。

若手を集めた、文字通り、アバドの元に集まった手兵とも呼ぶべき、オーケストラ・モーツァルトの二つの演奏。
ややデットな録音ゆえに、オーケストラの目の摘んだ音色が、ひとりひとりの奏者の集まりのようにマスとなって聴こえる。
そんなリアリティあふれるモーツァルトだけど、ピリスとともに、澄み切った境地を目指しているような演奏に感じるのがボローニャでの録音。
ロマンツェは、速めのテンポで、さらりと、まるで、上善如水のように、味わいはすっきりと、さらさら。
ピリスとともに、この演奏に漂う透明感には、モーツァルトの微笑みを感じます。

さて、最後のアルゲリッチ盤。
よりピリオド的な奏法が強まり、ルツェルンのホールの響きは豊かながら、オーケストラの音は切り詰められて感じる。
しかし、どうだろう、この若々しさは。
ピリス盤よりも、溌剌として、表情も豊かで、自在なアルゲリッチのピアノに、すぐさま反応してしまう、鮮やかなまでのオーケストラなのだ。
2楽章も、アルゲリッチの多彩なピアノに負けておらず、そして、羽毛のように軽やかでしなやかなオーケストラは、ほんとに素晴らしいもので、弱音の繊細さも堪能できる。

こうして4つのK466を聴いたが、ソロイストに合わせ、そして万全のパレットを仕上げるアバドの指揮の巧みさは、協奏曲の指揮者として、ひっぱりだこだったアバドの魅力をあらためて感じさせるものでした。

しかし、あたまの中が、モーツァルトのニ短調だらけになってしまった。

最後に、去年のよく見えてた富士山2016。

Azuma_2
 

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