カテゴリー「アバド」の記事

2021年1月29日 (金)

プロコフィエフ スキタイ組曲「アラとロリー」アバド指揮

Wakou-01

こう見えても「牛」さんです。

今年ほど、その年の干支が何であるか?あまり意識しない年はないと思う。

Wakou-02

なにもかも、世界中がおかしくなってしまった。

それでも、4丁目交差点の和光は、こうして2021年を演出してくれました。

プロコフィエフシリーズ、そして今日は怒りを込めて野卑に。

  -----------------

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

①の時代から。

Prokofiev-abbado-cso

  プロコフィエフ 「スキタイ組曲」~アラとロリー op.20

    クラウディオ・アバド指揮 シカゴ交響楽団

        (1977.2.22 @シンフォニーホール、シカゴ)

1914年、音楽院を卒業したプロコフィエフは、ロンドンでディアギレフに出会い、新作の委嘱を受け、手掛けるべく準備していたオペラ「賭博者」を提案するが断られる。
第2のストラヴィンスキーとして期待していたディアギレフは、「ロシアのおとぎ話か、原始的なものを」という提案をし、バレエ「アラとロリー」に取り掛かり、仕上げたピアノスコアで、ディアギレフに聞かせたものの、お気にめさず、別な素材にしてほしいとされる。
ディアギレフのバレエ・リュスでの作品は、こうして流れてしまい、プロコフィエフは出来た「アラとロリー」のなかから気に入った素材を集めてオーケストレーションし、1915年「スキタイ組曲」として完成させた。
 バレエ・リュスのために同時に書いたバレエ作品は、「道化師」op21で、1916年に完成。
しかし、その後、ロシア革命やアメリカ亡命などで、「道化師」の初演は1921年まで待たねばならなかったようだ。

  →「アバドの道化師」

 1.ヴェレスとアラの崇拝
 2.邪教の神、そして悪の精の踊り
 3.夜
 4.ローリーの輝かしい出発と日の出

スキタイ人は、有史以前に黒海周辺に暮らしていた世界史上初の遊牧騎馬民族で、その歴史を紐解くと世界を股にかけていて、なかなかに面白い。
この物語は、
「スキタイ人の偶像崇拝神、太陽神ヴェレスの姫アラ。
彼女に邪な愛を抱き、さまざまな霊をしかけたりと、ちょっかいを出し、脅かす続ける邪教神チュジボーグ。
そして、若い戦士ローリーは、彼女を苦境から救いだし、やがてアラと愛し合い結ばれる」という古きスラヴの伝説に基づくもの。

「春の祭典」を聴いて、自分もそれっぽい作風のものを書いてみようという思いが念頭にあったプロコフィエフ。
立派に、バーバリステックしてます!
1916年1月29日のマリンスキー劇場での初演は大騒ぎになったとか。

1.冒頭から激しく荒れまくる狂暴極まりない音楽。
ヴェレスへの帰依、憑依といいますか、もう狂っとるで。
静まると、なんとも怪しげなミステリアスな世界へ、こちらはアラを表すものだそうな。

2.そして来ますよ、キターっ!
邪教の神さんが、地下より悪霊召喚だ!
原始的でもあり、暴力的でもあり、かつまた超かっちょええ!
短いけど、ハルサイも真っ青の世界で、禍々しい世界にひたりましょうぞ!

3.一転、静かな夜想曲タッチの「夜」の音楽。
こちらも負けじおとらじの怪しげタッチな音楽。
夜陰にまぎれて、アラーを襲う邪教神チュジボーグだが、涼しげなチェレスタやハープによって表される月光を浴びて退散。

4.今度は、月の光から、日の出の明るい光景で、妙に明るくもあり、なんだか飄々としても感じるクルクル回るような音楽だ。
邪教神の成敗に向かうロリーと、闘いの様子。
そして、なんだかあっけないくらいに打ち負かしたようで、あたりを眩しい光線が徐々に照らしていくさまは、怪しさも満載。
光線のような輝かしい唐突な盛り上がりとエンディングは、スクリャービンの「法悦の詩」の終結に似たり。

ということで、にぎやかな22分間です。
夜中には絶対聴けない、ある程度音量を上げないと、ダイナミックレンジの幅が大きすぎて聴き取れない。

こんな音楽を、アバドは喜々として指揮しているように感じる。
全然、刺激的な音楽には聴こえない。
羽毛のように軽やかかつ、ナイフのように鋭利で、でもしっかり歌うスタイル。
あのスタイリッシュな一連のストラヴィンスキーシリーズにも通じる。
おまけに、ここではシカゴの強靭なアンサンブルが最高潮に寄与していて、オケはべらぼうにうまい。
ホールの乾いた響きをうまくとらえたDGの録音も、レコード時代から最高によかった。

この年の2月、同時期に、アバドとシカゴは、ポリーニを迎えて、あの名盤、バルトークの協奏曲を録音してます。
70年代から90年初期まで続いたアバドとシカゴの蜜月関係。
先ごろ、ハイドンのコンチェルタンテのライブが復刻されたが、シカゴ響のライブラリーに音源があれば、どんどん出して欲しいな。

Wakou-03

荒ぶるプロコフィエフの初期の音楽を、スタイリッシュなアバドの指揮で聴きました。

次のプロコフィエフは、ピアノ協奏曲2番か、「賭博者」であります。

| | コメント (4)

2021年1月23日 (土)

モーツァルト ピアノ協奏曲第22番 ゼルキン&アバド

Nanzenji-01

 昨年初冬に行った京都、南禅寺。

数年ぶりの京都は、娘のご縁が元で、今年の初夏にも訪問予定。

静かな京都は、やはりいい。

モーツァルトが聴きたくなって。

Mozart-1522

 モーツァルト ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482

            Pf:ルドルフ・ゼルキン

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1984.10 @セント・ジョンズ、スミス・スクエア)

22番の協奏曲が好きです。
スケール大きく始まるが、おおらかな第1楽章。
愉悦感あふれ、チャーミングな3楽章は、まるで、モーツァルトのオペラの一節を聴いているかのよう。
エンディングの瞬間も、ピアノのつぶやきが素敵すぎる。
そして、その間に挟まれた第2楽章は、ハ短調。
涙に濡れたような哀しみと嘆きのアリアです。

K488の23番の協奏曲と姉妹作となっていて、ともに、オーボエを外してクラリネットを起用していて、そのあたりが優美さとウェット感を醸し出している。
1785年、この頃のモーツァルトは、ハイドンセットを完成させ、翌年はフィガロと充実の日々の29歳でした。

ルドルフ・ゼルキン、このとき、81歳。
指揮するアバドは52歳。

明鏡止水なり。

枯淡ななかにも、瞬く愉悦感。

ゼルキンとアバド&LSOのモーツァルトは、レコード時代末期にスタートし、CDで買いなおし、1枚1枚揃えましたが、全部で7枚、14曲です。
しかし唯一、ヨーロッパ室内管に変えた16番は、単独ではCD化されず、15曲目のそちらは、なんとワタクシ持ってません。
組物セットには入ってるという不条理さ・・・・

ゼルキンのゆったりとしたなかに、モーツァルトの歌の本質を聞かせるピアノは、枯れていながら輝いてる。
アバドの慎ましさと、流麗かつ誠実な一音たりとも揺るがせにしないオーケストラは、ニュートラルなロンドン響のサウンドを得て、素晴らしいモーツァルトになってます。

Nanzenji-02

「和」な雰囲気。

| | コメント (2)

2021年1月20日 (水)

シューベルト ミサ曲第6番 アバド指揮

Azumayama-02_20210117094401

真冬の水仙は、鮮やかな花がないこの時期にあって、その甘い香りとともに癒しです。

そして、今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの旅立ちの日。

2014年1月20日から、もう7年が経ちました。

あの日の衝撃と悲しみ、自分のブログをよく読み返して思いでをなぞることがよくありますが、そのときの記事ほど、悲しいものはありません。

「さよなら、アバド」

Schubert-mass-abbado-1

 シューベルト ミサ曲第6番 変ホ長調 D.950

  S:カリタ・マッティラ Ms:マリアナ・リポヴシェク
  T:ジェリー・ハドレー T:ヨルゲ・ピタ
  Bs:ローベルト・ホル

 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
              ウィーン国立歌劇場合唱団
        合唱指揮:ワルター・ハーゲン-グロル

         (1986.11.1 @ムジークフェライン)  

アバドはシューベルトが大好きでした。
ご存じのとおり、交響曲全集、いくつかの交響曲録音、ロザムンデ、ミサ曲を数度、オペラにオーケストラ伴奏付き歌曲まで、多くの録音があります。
そんななかから、これまでブログで取り上げてなかったミサ曲第6番を。

ウィーンとの蜜月時代、86年に「万霊節(オールセインツ・諸聖人)」コンサートで取り上げた演目のライブで、このときは、モーツァルトの宗教作品も演奏してます。
同じ演奏が映像化されていて、さらに2012年のザルツブルク音楽祭でも演奏していて、こちらも映像化されてます。
こちらもモーツァルト作品と組み合わせていて「孤児院ミサ」です。
 1986年の頃は、アバドとウィーンフィルはベートーヴェンチクルスに取り組んでいた、まさにその年です。

6曲あるシューベルトのミサ曲。
なかでも、5番と6番は後期ミサ曲として規模も大きく、内容も深いため、昨今人気のある作品。
早逝のシューベルト、最後の年1828年の作で、生前は演奏されず、翌年に初演されたとのこと。
歌曲の人、シューベルトにとって典礼文のあるミサ曲・宗教曲は、きっと手ごわいカテゴリーだったと思いますが、そのためにも、対位法をしっかり身につけようと、この時期のシューベルトは懸命に勉強していたとのこと。
グロリアの最後におかれたフーガ形式の部分など、壮大な伽藍をのようで感銘を受けます。
そんな真摯なシューベルトの孤高の作品として、最後の3つのピアノソナタに通じるものもありまして、時間が許せばその3作を後で聴いてみたいと思ってます。
シューベルトが、もっと生きていたら、そのあとどんな作品を生んでくれたでしょうか?音楽史はまったく変わっていたかもしれません。

ベートーヴェンに取り組んでいたこの時期のアバドとウィーンフィルの演奏。
やはりベートーヴェンに近づいたシューベルトになっていると思います。
アバドらしく、流麗で歌にあふれた音楽ですが、フーガの部分など、かなり克明に描いていてスケールの大きさも感じさせるのがそうしたところです。
そう、シューベルトの晩年のスタイルに沿うような演奏がアバドの指揮なのです。
ほかの演奏を多くは聴いてませんが、もっとシューベルトらしい緩やかさや素朴さを感じさせるものはあるかもしれませんが、アバドのシューベルトのミサ曲は、シューベルトが次に向かおうとしていた世界を感じさせるような、そんな演奏でした。
オペラ歌手でそろえた独唱者もそんな意向がうかがえますが、ちょっと立派すぎたかも・・・。
同じことは、重厚な国立歌劇場の合唱団にもいえます。
 しかし、こともあろうに、2012年のザルツブルクライブはまだ未視聴であることは痛恨です。(買わねば!)
若いモーツァルト・オーケストラに、俊敏なシェーンベルク合唱団、大物のいないソロとのシューベルトは、きっとアバドがやりたかった、また別のシューベルト像の演奏かもしれません。
そちらはいずれ視聴して記事に残したいと思います。

Abbado-schubert

このCDと同じ演奏がDVDになってまして、そちらも併せて聴いております。
若々しいアバドの指揮姿は、颯爽としていて気持ちがいいものです。
前半のモーツァルトの宗教作品も含めて、アバドは全部、暗譜。
譜面を置いて、見ながらの指揮よりも、演奏者側は常に指揮者に見られてるいるという意識もあるので、逆に集中力も上がるし、緊張感も増すとは思いますが、でもアバドの柔らかな流れるような指揮にはなんらの威圧感もなく、出てくる音楽はいつもしなやかです。
もちろん、譜面に顔を突っ込んでいたと思うと、時にギロっと睨まれると、それに備えて奏者たちも常に緊張しますから、おっかない指揮者の場合は効果抜群です(笑)

Abbado-schubert_20210121112901

 あとは懐かしいウィーンフィルの面々。
そして、年齢層高めな国立歌劇場の合唱団の皆様(笑)。
女性陣の髪型は、この時代ならではで、カーリーヘアとかソバージュみたいなヘアスタイルがみられて、なんだか懐かしくもあり。
そして、日本はこの頃はバブルの真っただ中でございました。

いまでは、いろんな指揮者が取り上げるミサ曲6番ですが、アバドが録音した頃は、まだそんなにメジャー作品ではなかったです。
確か、記憶では、ジョルダン&スイス・ロマンドも同時期に発売され、珍しい曲が同時に、なんて話題になった記憶があります。

Azumayama-04_20210117094401

アバドの旅立ちの日に、すてきなシューベルトをじっくりと聴きました。
あらためて、クラウディオ・アバドは素晴らしい指揮者です♬

| | コメント (3)

2021年1月 2日 (土)

ヨゼフ・シュトラウス 「水彩画」

Azumayama-01_20210102080801  

「迎春」

2021年、関東地方は晴天のお正月を迎えましたが、寒さ厳しく早朝の山は例年にもまして、登るのに気力が必要でしたが、小高い山頂についてみれば、そこはもう爽快さの極みでして、新春を迎え清らかな気分に満たされました。

Azumayama-02_20210102080801

多難な年であった昨年。
今年は、普通の1年であって欲しいものです。

Abbado-new-year1991

  ヨゼフ・シュトラウス ワルツ「水彩画」 op.258

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        (1991.1.1 @ウィーン)

アバドのニュー・イヤーコンサートは、1989年と1991年の2年だけ。
ベルリンフィルの指揮者になってからは、ジルヴェスターコンサートがあるし、ウィーンとの関係も疎遠となってしまったので、貴重な2度の記録なんです。

その2年、2回のコンサートのなかから、これまでいくつかの曲をブログにしましたが、2021年最初の記事は、ヨゼフ・シュトラウスで。

ヨゼフ・シュトラウスは、父ヨハン・シュトラウス1世の次男、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の弟で、工学技師から音楽家に転向した鬼才の持ち主で、280の作品や多くの編曲、指揮活動をその42年の短い生涯に行ってます。
生没年は、1827~1870年で、思えば昨年2020年は、没後150年にあたりました。
その激動の人生は、Wikiに詳細が書かれてますので、是非ご覧下さい。
わたくしもびっくりしました。

ワルツ「天体の音楽」が好きで、むかしから、この曲ばかりを聴いてましたが、その印象は、抒情・詩情を感じさせるすっきり派というものでした。
そんなヨゼフ・シュトラウスにぴったりの指揮がアバドの個性だと思います。

多彩な才能に恵まれたヨゼフは、画才も豊かだったようで、数々の作品があるそうです。
水彩画の持つ淡いタッチや柔らかさをワルツで表出したかったそうで、そうした柔和で優しい部分と、決然としたきっぱり感をあらわす場面との5つのワルツがメインになってます。

Abbado-01

 アバドの流れるような指揮に乗ったウィーンフィルのやわらかなサウンドが魅力的。
古いVHSを復元しましたが、にこやかに笑みを浮かべながら指揮するアバド。
そして、この頃は、メンバーのひとりひとりの顔をそらんじていたくらいにお馴染みのウィーンフィルの面々。
豪華な主席級の奏者たちの顔ぶれ。
この頃のウィーンフィルのメンバーに慣れてますので、昨今のすっかり若返った顔ぶれは、映像で見せられても、私にはウィーンフィルとわかりません。

Abbado-02

ムジークフェラインの似合う指揮者アバド。

Abbado-03

1991年、58歳のにこやかなアバド。

Abbado-04

青きドナウの前のお決まりのしきたり。

「Frohes neues Jahr!」

ここ数十年、ニューイヤーコンサートは見なくなってしまったからかもしれません。
ファンの方には叱られるかもしれませんが、厳しい顔して指揮をするニュー・イヤーはちょっと苦手なもので。
わたくしのニュー・イヤーは、アバドとクライバーで止まってしまってます、古い人間ですなぁ・・・・・

Azumayama-03_20210102080801

今年も自分のペースで、聴きたいものを聴き、視聴し、書きたいように書きます。

ともかく、心も身体も健康第一、よろしくお願いいたします。

 

| | コメント (7)

2020年12月31日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第9番 アバド指揮

Roppongi-08

冬の六本木、けやき坂。

今年もきれいに輝いてました。

Roppongi-09

コンサートから遠ざかって久しいですが、さすがに日本の年末は第9大国であります。
各オーケストラは、対策を万全に施しつつ、第9をこぞって演奏。
海外指揮者組も来日してくれたのも心強い限りです。
演奏側も、聴き手側も、今年の第9、歓喜の歌は、万感の思いでありましたことでしょう。

わたくしの方は、今年最後の記事を兼ねつつ、敬愛するアバドの指揮で第9を。

 ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 op.125

Beethoven-sym-9-abbado

 クリムトのベートーヴェン・フリーズをジャケットにあしらった、アバド1回目の第9は、85年のライブ録音。
そのまえ、1981年に毎年恒例のウィーン交響楽団の第9に登場して指揮したものがアバドの第9、1号です。

  S:マーガレット・プライス     MS:ヘルガ・デルネッシュ
  T:ジークフリート・イェルサレム B:ゴットフリート・ホルニク

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン交響楽団
                  ウィーン・ジンクアカデミー
              (19811.1 @ウィーン


ウィーンフィルでないウィーンのオケを指揮した他流試合ですが、より自在を感じるし、思い切った表情付けもあり、そして劇的な高まりも素晴らしい。
あとワーグナー歌手を揃えた豪華な歌手陣も!

  S:ガブリエラ・ヴェニャチコヴァ Ms:マリアナ・リポヴシェク
  T:エスタ・ウィンベルイ     Br:ヘルマン・プライ

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                 ウィーン国立歌劇場合唱団
               (1986.5 @ウィーン)

長年聴きなじんだ安心感すら感じる自分にとって安心のアバドの第9はこれ。
やはり、ウィーンフィルの音色、ムジークフェラインの響きは魅力的だし、アバドの歌心も活きてる。

  S:カリタ・マッテラ     Ms:マルフレーダ・ホジソン
  T:ウォーレン・エルスワース  Br:ハルトムート・ウェルカー

     クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                  日本プロ合唱連盟
                 (1987.5.28  @サントリーホール)

わたくしのお宝の秘蔵ライブ。
87年5月に、ニューヨークと東京で、アバドとウィーンフィルは、ベートーヴェンチクルスを行いました。
サントリーホールでのその演奏は、NHKFMですべて生放送され、全部録音できました。
自家製CDRにして、大切に保管してますが、久しぶりに第9だけ聴いてみたら、これが実に素晴らしい。
ウィーンでのDG盤より、燃え盛っていて、アメリカと日本のツアー最後という意気込みも入って、ライブで熱くなるアバドの指揮ぶりをまともにとらえてます。
この時のベートーヴェンチクルス、正規音源化したら、世界遺産級のものになると思いますね。

Roppongi-11

Beethoven-sym9-abbado-bpo-salz

  S:ジェーン・イーグレン   Ms:ワルトラウト・マイヤー
  T:ベン・ヘップナー      Br:ブリン・ターフェル

     クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                  スウェーデン放送合唱団
                  エリック・エリクソン室内合唱団

                 (1996.4.2  @ザルツブルク)

ウィーンでの録音から10年後。
ザルツブルクイースター音楽祭での演奏会に合わせて、会場で録音したのでライブではありませんが、演奏会の前なので、やや慎重さはあるものの、盛り上がりは十分。
なによりも、ベーレンライター版を参照しており、流れるようなテンポで流麗さも感じる解釈。
ロマン派のベートーヴェンだったウィーンとくらべ、やや古典に傾いた感じのベルリン盤。
スウェーデンから連れてきた合唱団の精度が高く、ピリリとしており、ここでもソロ歌手たちの声が光るが、ターフェル君、歌いすぎ。

Abbado-beetohoven-bpo1Abbado-beetohoven-bpo2

  S:カリタ・マッテラ   Ms:ヴィオレタ・ウルマーナ
  T:トマス・モーザー    Br:トマス・クヴァストフ

     クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                  スウェーデン放送合唱団
                  エリック・エリクソン室内合唱団

                 (2000.5.4  @ベルリン)

4年前のザルツブルク録音より、ベーレンライター版をより徹底している演奏。
ベルリンフィルとの全集をライブ録音するという一貫なので、それはさらにそうした意気込みも感じる。
この全集が出たとき、即購入して聴いてみたが、自分にとって初のベーレンライター版ベートーヴェン全集で、その速いテンポと切り詰めた響きにショックを受け、アバドよお前もか・・・・的に思った当時の自分。
いまきけば、そんな思いはまったくなく、ピリオド奏法になれた今の自分の耳からしたら、全然普通に聴こえるのも時代の流れか。
フル編成でない第9は、とてもすっきりしてて、ぜい肉が完全にそぎ落とされスリムだ。
このベルリン盤を聴くと、96年のザルツブルク盤は、まだまだ手ぬるいと感じるくらいに、集中力と緊張感は増し、ベートーヴェンの厳しさ優しさもともに完全表出。
同時にアバドならではの淡麗さと、しなやかさ、そして速い中にも優美な歌を聴かせる3楽章が美しい。
終楽章のスウェーデンの合唱団の透徹した歌声も素晴らしい。
そして、ベルリンフィルはベルリンフィルだ、機能性と分厚さ、そして音色の明るさも!
 病で倒れる前のベルリンでのライブ録音、そして、その病を克服して2001年2月にローマでも全曲チクルスを映像収録。
この映像の音声をCD化した全集も出ましたが、第9のみは、同じベルリンでのライブが採用されました。
ローマでの演奏も聴いてはみたいですね。
合唱がローマの聖チェチーリアのものだったので、そのあたりに、アバドの思いがあったのかもしれません・・・・
映像でのローマの全集でも、第9は、DGライブと違う日、ヨーロッパコンサートで演奏されたものが収録されていて、バリトン歌手のみウィレム・シュルテに代わってます。

2000年の5月の第9演奏、その頃、私は秋にやってくるアバドの「トリスタン」のチケット争奪戦に参戦してまして、その発売日が子供の運動会の当日だったものですから、大きな声援のなか、シートの上で携帯でヒソヒソ電話してめでたくチケットゲットしたものでした。
ところが、そのあと6月に、アバドは病気療養のため静養します、との報が舞い込み大ショックを受けました。
トリスタンはともかく、アバドの無事を祈るばかり。
そして、11月の末に、アバドは痩せこけた姿でしたが、日本のわれわれの前に帰ってきてくれました!
文化会館のピットに現れたアバドを見て、わたしは泣きました・・・・・

Beethovensymphonyno9

  S:メラニー・ディーナー   Ms:アンナ・ラーソン
  T:ヨナス・カウフマン    Br:ラインハルト・ハーゲン

     クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
                                                マーラー・チェンバー・オーケストラ

                  バイエルン放送合団
                 (2007.8.10  @ルツェルン)  

ベルリンフィルを退任して、アバドの元に集まった名手たちとルツェルンで毎夏コンサートを開くようになりました。
2003年から始まった、ルツェルン音楽祭でのマーラーシリーズ。
2007年には、3番と併せて、ベートーヴェンの第9を取り上げました。
この前年、アバドとルツェルンは、日本にやってきて、マーラー6番とブルックナー4番を演奏。
そのどちらも聴きましたが、これがアバドとのお別れになろうとは、その時は思いもしなかった。

そしてこちらの第9は、DVDにもならず、正規には発売されませんでしたが、さる方のご厚意で聴くことができてます。
ベルリンでベーレンライター版での解釈の到達点を達成したアバド、ここでは、厳しさは柔和さにとってかわり、全曲にわたって微笑むようにして指揮する、笑顔のアバドが感じられます。
タイム的には、ウィーンの頃に戻ったように感じますが、音楽の表情はより多彩で、かつ自然。
このナチュラルさが、ルツェルン時代のアバドだったように感じます。
余計な解釈は施さずに、以心伝心の気の合う仲間と無垢なまでに音楽そのものに向き合う姿。
そこには透明感や無の世界を感じます。
ことさらに3楽章は絶品でありました。
ウィーンの日本ライブのような熱狂は最後ありませんが、それでも堂々とした着実な歩みを感じさせる終楽章に、アバドの到達した高みを感じ取ることができます。

Abbado-9
   ※ウィーン87は、古いカセットテープが音源ですので、回転速度がやや早いとも思われます・・・

アバドの第9を聴くこと6種。
版を変えたことも大きいですが、アバドの音楽の歩みを感じとることもできたその変化に驚きでした。
常に進化をやまなかったアバドに敬意を表したい思いでいっぱいです。

Roppongi-13

今年は、たいへんな年となってしまいました。
でもおかげで室内で過ごすことが多くなり、海外のネットストリーミングで数多くのオペラを見ることもでき、見聞がまた広まりました。
観劇したオペラの数、数えること200あまり!
どんだけ見てんだよ、2日にひとつはオペラ見てるって・・・
音楽はやめられない、そのためにも、心も身体も健康で元気にいることが命題です。

良い年になりますように。

| | コメント (7)

2020年10月28日 (水)

プロコフィエフ ピアノソナタ/ピアノ協奏曲第1番

Asakusa-05

浅草ビュー。

もう何年になるだろう、このビールを模したビルと、となりのう〇〇的なモニュメント。
そこに8年前にスカイツリーが加わって、隅田川と浅草のビュースポットとなりました。

このまえ、久方ぶりに浅草散歩をしてきました。
そう、ほぼ日本人で、混雑もなくゆったりの浅草でした。

  ---------------------

プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

今日は、①から、それも作品番号の初期のピアノ作品から。
母親にピアノを仕込まれ、幼少期から作曲をするようになり、その母が譜面に起こした作品は、プロコフィエフ5歳のとき!

ピアノの練習をするときに、2オクターブ上げて対旋律を加えて引くように母から教えられたことが、プロコフィエフはピアノによる音楽表現の原点。
音楽院時代以降の作品番号1(18歳)の前に、2つの交響曲、未完も含む4つのオペラ、複数のピアノ作品を手掛けているという早熟さ。
これらの作品は、ほとんど聴くことができないけれど、気になる存在です。

Rokofiev-sonata-146-bronfman

  プロコフィエフ ピアノソナタ第1番 ヘ短調 op.1

      イェフム・ブロンフマン

        (1991.9.17 @BMGスタジオ、ニューヨーク)

1907年、18歳のときの作品で、これまでに手掛けたピアノ作品からの引用などで作曲。
2年後に単一楽章にスリム化して8分ぐらいの作品とした。
メロディアスで情熱的でもあり、まだロマン派的な装いもある。
スクリャービンの初期の頃のようなショパンな感じもするし、ラフマニノフのような濃厚な歌いまわしも感じる。
しかし、情熱的ななかにも覚めた眼差しを感じるのは、やはりプロコフィエフらしいところ。
 5年後の2番目のソナタでは、別人のようなリズム感あふれたプロコフィエフが登場するのが驚き。

Prokofiev-kissin-abbado

  プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 op.10

      エウゲニー・キーシン

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1993.9 @フィルハーモニー、ベルリン)

1912年、2番目のソナタの前、サンクトペテルスブルク音楽院在学中の作曲で、同年に初演。
1914年の卒業試験で、協奏曲を1曲弾くという規定に対し、自分の作品、この1番の協奏曲を大胆にも披露して、院長だったグラズノフを呆れさせてしまったエピソードがある。
この1番、適度に短くて(17分ぐらいで、連続して演奏される3つの部分を持つ単一楽章形式)、スタイリッシュな感じが好きで、以前よりよく聴いていた。
それというのも、ここにあげたキーシンとアバドのCDをもう何年も前から聴いてきたもので。
3番ばかりが聴かれるプロコフィエフの協奏曲にあって、その3番と1番をカップリングにしたアバドのプロコフィエフ愛を感じるから。
キーシンの技巧の冴えと輝かしい音色もさることながら、アバド指揮するベルリンフィルの圧倒的なうまさ。
切れ味鋭く、クールでブルーな響きがプロコフィエフにぴったり。
もう完全に後年のプロコフィエフの顔をしている、このカッコいい1番の協奏曲を、こんなにスリリングに聴かせる演奏はないです。
同じ年、1993年にアバドはベルリンで、ソリストにガブリロフを迎えて演奏会で取り上げてます。
こちらのライブもエアチェック音源として持ってますが、そちらの方がさらにすごい。
ガブリロフのソロも、最後のクライマックスの超メカニカルぶりがすんばらしいし、アバドの追い込みぶりもすごい。
 ほかの演奏もいくつか聴いてますが、ピアノはともかく、アバドで慣れちゃうとオーケストラがいずれも、もっさりしていて感度不足に感じるんです。。。

この1番の協奏曲、プロコフィエフの一大特徴である「トッカータ調」も聴かれる佳作。
好き。

Asakusa-01  

隅田川とスカイツリー。
かっこいい水上船もパシャリと写りました。

若いサラリーマン時代、ここから出るお座敷船で、顧客を招いてよく宴会をやりました。
お相手は、お客様だから、ご接待のつもりが、逆に飲まされることおびただしい。
逃げ場のない船上、いまの若い方々には想像もできない苦行。
酒に弱い連中は死んでました・・・・・

でも楽しかった昭和の浅草なのでありました。
プロコフィエフも最高!
次はオペラ行きます。

| | コメント (0)

2020年10月 4日 (日)

ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 アバド指揮

Tw-13

10月1日は、中秋の名月で見事な満月でした。

そして、東京タワーは都民の日とGoToキャンペーンの東京解禁を祝して、グリーンカラーでライトアップ。

秋桜と書いてコスモス。
すっかり秋です。

Tw-06

音楽のシーズンも真っ盛りと言いたいところですが、コロナの蔓延状況で、各国でオペラやコンサートの開催状況がまったく異なります。
日本は、クラシックは聴衆が熱狂しないたぐいの音楽なので、観客はほぼ従来通りに入れることが可能に。
しかし、予防対策は事細かに取り決められ、この部分では開催側も聴く側も、そして何よりも演奏者側も細心の対応が引き続き必要。
ガイドラインを読むと、細かすぎて、文字が多すぎて、頭が痛くなる。
外来演奏家が来日はできても、2週間の待機があるので、実質無理・・・
ウィーンフィルの11月の来日はどうなるんだろう。

ウィーンの国立歌劇場をはじめ欧州各地の歌劇場は再開したが、メトロポリタンオペラは今シーズンは閉館を決定した。
感染率の高かったニューヨークではあるが、徐々に経済活動も再開してます。
しかし、再び陽性率が上昇との報もあるし、BLM運動などで治安も悪い。
なによりも、世界のスター歌手によって成り立つMETの舞台は、そのスター級歌手たちが渡米できないので、ウリである豪華な舞台が成立しない。
ヨーロッパは専属歌手たちがスター級も含めてしっかり根付いているし、日本も海外勢が来なくてもやっていけるし、観客も超一流を求めていない。
METや他民族国家アメリカの宿命をなんやら感じます。

Rossini-italiana-in-alegeri-abbado-1

  ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」 

    ムスタファ:ルッジェーロ・ライモンディ
    エルヴィラ:パトリシア・パーチェ
             ズルマ  :アンナ・ゴンダ
    ハーリー :アレッサンドロ・コルベッリ
             リンドーロ:フランク・ロパード
    イザベッラ:アグネス・バルツァ
    タッディオ:エンツォ・ダーラ

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団
            合唱指揮:ヘルムート・フロシャウアー
            チェンバロ:ロナルド・シュナイダー
            音楽助手:イオン・マリン

       (1987.9~10 @ウィーン・コンツェルトハウス)

コロナ期間にネット配信で視聴したロッシーニのオペラは10作。
何度も書くことで恐縮ですが、ベルカント系が苦手だったので、あまり聴いて来なかったロッシーニやドニゼッテイにベルリーニ。
しかし、コロナで見事克服(笑)

「セビリア」と「チェネレントラ」しかこれまで記事にしてなかったロッシーニですが、これからこちらもシリーズ化します。
手始めに、当然にアバド好きとしては、初出時のときから所蔵していた「アルジェのイタリア女」で、1度しか聴いてなかった(汗)

ロッシーニ覚醒一回目なので、ロッシーニのオペラを俯瞰します。

17~18世紀のイタリアオペラの系譜を引き継いだロッシーニ。
その生涯(1792~1868)で、自作の流用も含めて42作のオペラを残したが、オペラ作曲活動においては1808年~1829年まで、16歳から37歳までの期間となっていることは有名なおはなし。
驚くべきは、このほぼ20年間で、若いとも言える作曲家が、オペラセリアからスタートし、オペラブッファも極めて、同時にセリアもさらに深化させ、最後にはグランド・オペラの領域に踏み入れたこと。
ドニゼッテイ、ベルリーニ、そしてヴェルデイへと繋がるイタリアのオペラの流れの19世紀における源流がロッシーニ。

16歳の初オペラはセリアで「デメトリオとポリビオ」。
こちらが初演される前、18歳でのブッファ「婚約手形」が初めての上演された作品となり、その後3作を経て、「絹のはしご」「試金石」といういずれもブッファの快作を発表し、一方でセリアの傑作「タンクレディ」が作曲された。
このとき、ロッシーニは21歳。
オペラ作曲家として、その名声を確立させることになる「アルジェのイタリア女」が同じ年、1813年にヴェネチアで初演される。
「アルジェのイタリア女」と逆のパターンの物語、「イタリアのトルコ人」もこの1年後に続きます。
しかし、ロッシーニはオペラ・ブッファを1810年から1817年までの7年間でしか作曲していない。

1980年代から続いたロッシーニ・ルネッサンスで、いまでは多くのロッシーニのオペラが上演、録音されるようになりましたが、かつての昔は、ロッシーニの3大オペラは、3大ブッファで、「セビリア」「チェネレントラ」「アルジェ」の3作でありました。
 要は18歳から25歳までのあいだに、ロッシーニはオペラ・ブッファを極めつくしたこととなり、オペラから早々に足を洗い、人生の最後にあたって、自分は「オペラ・ブッファのために生まれてきた人間だった」としみじみ語ったというが、たしかにブッファ3作は、作者をしてそう語らせるにたる傑作であります。
 でも繰り返しとなりますが、それ以外の数多くあるロッシーニオペラの魅力、少しづつ観て聴いて、味わってみたいと思います。
(しかし、この歳になって、困ったもんです・・・・)

「アルジェのイタリア女」の作曲は、経営不振に陥っていたヴェネツィアのサン・ベネデット劇場のために、その義侠心から書かれたもので、わずか27日間で仕上げられたというから驚きであります。
初演は1813年5月22日で、その日は奇遇にも、ワーグナーの生まれた日でもありまして、実に興味深い符合です。
当時の東洋趣味からして、モーツァルトの「後宮」やウェーバーの「アブハッサン」にも通じる仕立て。
ともかくナンセンス極まりないドラマで、ありえないくらいのクレヴァーなイタリア女性に、間抜けな太守がメロメロとなり、まんまと騙されてしまうというもので、観る側は何も考えることもなく、ただただ才気煥発なイキイキとしたロッシーニの音楽に酔いしれればいいだけ。

初演以来、ずっと変わらず上演され続けてきたオペラともいえるが、いまの現在、あきらかにイスラムの太守であり、トルコ系でもあるやられ役を、そのままに描くことは演出上なかなか厳しいものと思われます。



ジャン・ピエール・ポネルの演出によるウィーンの舞台。
1990年の上演と思われます。

アバドのプリミエ舞台は、87年と88年で、そのときのアシスタント指揮者、イオン・マリンが90年には指揮してます。
エルヴィラを佐々木典子さんが演じてます。

太守の漆黒の色は、現在ではもっと薄くなり肉襦袢を着るようになってます。

  -----------------------------

「セビリア」と「チェネレントラ」はずっと早くから手掛けていたアバドは、スカラ座時代に73年、75年、83年に取り上げてます。
ロンドン響と録音することは、エディンバラで上演しなかったことから実現はしなかったのですが、スカラ座での録音がなされなかったのは、ちょっと残念。
ウィーンフィルのロッシーニは、当時は珍しいことで、歌劇場では始終ロッシーニは演奏していても、それは従来の手垢にまみれたスコアであったはずで、アバドはゼッタ校訂の「セビリア」と「チェネレントラ」と同じく、アツィオ・コルギによる校訂版を使用していて、リハーサルもかなり入念に行われたそうです。
トロンボーンとテインパニを廃し、かわりにピッコロを加えて、軽やかさをより増して、アバドならではの爽やかで透明感あふれるサウンドに一新させました。
ほんとは、ただでさえ味わいのあるウィーンの音色より、ロンドン響のほうが、このあたりよりスッキリ感が出たのではないかと思ったりもしますが、そこはやはりウィーンフィル、色彩感がまぶしく感じられる。
75年のロンドン響との序曲集と、87年のこちらのウィーンフィルとの序曲のみを聴き比べると、味わいの濃いウィーンと、よりニュートラルなロンドン、オーケストラの音色の違いとともに、アバドの音楽造りにスケール感が増しているのもわかるし、クレッシェンドの幅がより広大化しているのも聴いてとれる。
 オペラ本編の方でも、アバドならではのロッシーニ・クレッシェンドの巧みさを満喫することができる。
登場人物たちが、びっくりしたとき、密やかな秘密を持ち語るとき、最弱の繊細なピアニッシモで緊張感すら漂わせる。
そこから巧みにクレッシェンドを導いていっては、寄せては返す波のような見事なロッシーニサウンドを引き出すアバドの手腕。
劇場での経験値を重ねたアバドの進化を、かつてのロンドンでの録音とくらべ感じ取れます。
(一方で、若々しい70年代のアバドのロッシーニにも、愛着を感じ、ブッファのロッシーニの真の姿を聴くことができると思ったりしてます)

Rossini-italiana-in-alegeri-abbado-3

清潔でピュアなイメージのベルガンサにくらべ、バルツァの切れ味も鋭く、テクニックも抜群な歌唱は、このオペラの強い女性イザベッラを見事に歌い演じてます。
一瞬、カルメンっぽくて、ちょっと濃すぎる印象を受けるかもしれないけど、これはこれ、すごいもんです。
イタリア人に愛国を訴える名アリアもまったく見事。
当時、デビューしたてのアメリカのテナー、ロパードも若々しく最高音もしっかり出してる。
ライモンデイもこうしたコミカルな役柄は実にうまくて、むしろ気の毒にさえ思えるイイひとぶりを表出。
アバドのロッシーニになくてはならないブッファ・バリトン、エンツォ・ダーラも相変わらず素晴らしいし、若きコルベッリやP・パーチェも可愛くてよろし。
歌手のレヴェルの高さは、アバドの録音ならではです。

ウィーンでの舞台を、このコロナ禍に、2015年の上演で視聴することができました。
指揮は、故ロペス・コボスで、アブドゥラザコフのムスタファがあきれ返るくらいに素晴らしかった。
これもアバド時代から続くポネル演出のリバイバルで、誇張された人物表現が、現実世界と乖離していることをあえて強調していて、これまたポネルの天才性を感じた次第、ともかく面白かった。

  -----------------------------

第1幕
 アルジェの太守ムスタファの宮殿。
妻のエルヴィラをもう飽きたとして、彼女とその待女ズルマを悲しませる。
太守はエルヴィラをお払い箱にして、奴隷として捕まえていたイタリア人リンドーロと結婚させようとする。
そして、配下のハーリーに命じ、イカしたイタリア女を探してこいとする。
 海賊に捕まえられたイザベッラと彼女を密かに好きなタッディオ。
ムスタファは一目見てイザベッラを好きになり、彼女は、これはうまくやらねばと、巧みに取り入ることとなる。
串刺しにしてしまえ、と言われたタッディオを伯父と言って助ける彼女、そして宮殿に行方知れずとなった恋人リンドーロがいることを発見し、お互いにびっくり。
イザベッラはすかさず、頭を働かせて、正妻を追い出して自分を後釜にすえるとは何たること、と非難し、リンドーロを自分の奴隷として差し出すようにムスタファに命じる。
混乱する一同。

第2幕
 イザベッラの機嫌をとるために、タッディオにカイマカンという資格を与えることにするムスタファ。
イザベッラと二人きりになってコーヒーを飲みたいムスタファは、自分が咳をしたら退席せよとタッディオに命じるが、タッディオはそれを無視したあげく、リンドーロも妻エルヴィラもそこにいて、楽しい5重唱となる。
リンドーロとタッディオは、ムスタファにイタリア男の粋な嗜み、秘密結社の儀式を教えるからと、計略にまんまとのせる。
「パッパターチ」と唱えながら、ともかく食って飲んで、快楽にふける、その間になにが起きようと気にしない、ともかく飲んで食って「パッパターチ」。
そうした間に、イザベッラとリンドーロ、ふたりが恋人同士だったと知ってがっかりのタッディオと、囚われのイタリア人たちは、船をしたてて出港することに。
ここに至って、騙されたとしったムスタファ。
もうイタリア女はこりごり・・・・とやっぱりエルヴィラがいい、と仲を取り戻した二人、そして全員でイタリア女の勇気をたたえ、幕。

このオペラを聴くと、しばらく「パッパターチ」が耳から離れなくなります(笑)
ポネルの舞台では、うまそうなパスタをほんとに、もりもり食べてました。

全員の最後の合唱
 「美しいイタリア女がアルジェにやってきて、嫉妬深い男とうぬぼれの強い男に教訓を与えた
  女はその気になれば、誰でもたぶらかしてしまう」
いまどき、問題になりそうな歌詞ではあります・・・・・(笑)

面白いぞロッシーニ🎵

| | コメント (13)

2020年6月27日 (土)

アバド 「スカラ座 その黄金時代」

Shibapark-10

6月26日は、アバドの87回目の誕生日。

ブログ開設以来毎年、アバド特集をこの日に行ってます。

この生誕祭に、6年前から、まさかの追悼祭が加わってしまうとは・・・・・

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

今年はこの映像を。

懐かしくて涙が出ました。

La-scala

 「スカラ座 その黄金時代」

私も体験できた1981年のスカラ座の引っ越し公演。
そのときの模様や、イタリアから来同したジャーナリストのインタビュー集です。
アバド、フレーニ、カプッチッリ、ドミンゴの日本での貴重なインタビューと、シモン・ボッカネグラとレクイエムの舞台の様子、さらには、オテロとクライバーも出てきます。

ソフトフォーカスな画像ですが、日本語字幕もあり、NHKホール、文化会館、銀座や新宿など東京のあの頃の街並みなど、もうほんとに懐かしい映像の宝庫なのであります。

Simon-02

あのジャケットと同じ場面が、東京文化会館の舞台に再現されました。
私には、初アバド、初フレーニ、であたりまえに初スカラ座でした。
カプッチッリ、ギャウロウにはこの5年前のNHKイタリアオペラで、同じシモンを観てます。
このステキなアリアのシーンがこの映像では見れるんです。

Simon-01

父と娘であることが、わかった瞬間の感動的な場面。
この時、オーケストラはフォルテの瞬間を築くのですが、このときのアバドは指揮棒を両手で持って、思い切り振り下ろし、そして広げました。
その出てきた音の輝かしさと、ある意味陶酔的ともいえる音は、幾多も聴いてきたアバドの演奏のなかでも、もっとも脳裏に残るもののひとつです。

Simon-04

カーテンコールに出て行くふたり。
フレーニも今年、亡くなってしまいました・・・・

「シモン・ボッカネグラ」はヴェルデイのオペラのなかでも、もっとも好きな作品だし、あらゆるオペラのなかでも、自分的に上位にくるものです。
それもこれもアバドのこのときの上演と、DGのレコードがあってのもの。
アバドのシモンは、フィレンツェでのDVDも、ウィーンライブも、非正規スカラ座ライブもたくさん持ってますが、ほかはアバド以前の、ガヴァッツェーニとサンティーニのみ。
アバド以降のほかの指揮者のものは一切所有せず、実際、聴いたこともありません。
唯一、今月、ウィーン国立歌劇場のネットストリーミングで観たのが、アバド以外の初シモンでした。
でも、カプッチッリ、ギャウロウ、フレーニ、リッチャレッリ以外の歌手のシモンは、耳が受け入れることはできませんでしたし、それ以上にアバドの指揮でないと、やはりダメという、ある意味、哀しい結果となったのでした。

Requiem-03

文化会館で行われた2度のヴェルデイ「レクイエム」のうち、フレーニが歌った回の映像も観れます。
ここでは、アバドの大きな指揮ぶりと、4人の名歌手たちの歌いぶりが、少しだけど楽しめます。
このときの、NHKFM録音は、自分でも状態よく保存出来ていて、お宝的になってますが、ちゃんとした映像も残してほしかったものです。

ヴェルデイのレクイエムは、カラヤンとアバドが自分では無二の存在。
合唱団の素晴らしさでは、スカラ座に敵うものはありません。
ドミンゴが、この映像のインタビューで語ってますが、メゾソプラノが素晴らしい合唱団はなかなかなくて、このスカラ座は文句なく素晴らしいとしてました。
そう、男声もまったくすごいです。

オケも合唱も、スカラ座の全盛期は、アバド時代だと信じてます。

Requiem-02

ギャウロウもレクイエムにおいては無二の存在。
ルケッティもよかった。

Requiem-04

アバドも、ギャウロウ、カプッチッリ、テッラーニ、ルケッティ、フレーニ、みんな旅立ってしまいました。

このスカラ座来日の1981年、私は新入社員として、社会人1年目の年でした。
薄給だったので、シモンのS席のみに資金を注ぐのみでした。
今思えば、どんなことしても、クライバー含めて全部観て、聴いておくんだった。
でもね、新人1年生が、そそくさと定時上がりをできるような環境は、当時の社会や会社生活ではありえなかったな・・・

Abbado

アバドらしい、いやアバドにしか語れないインタビュー。
人によっては優等生的と思うかもしれない。
でも、アバドがこのあと、ロンドン、ウィーン、ベルリン、ルツェルンと登りつめ、指揮者として大きな存在になっても、ここで語るアバドの謙虚な姿勢はひとつも変わらなかった。

簡単に紹介します。

「演奏家や歌手たちと音楽的な交流を大事にします。見えやすいいよう、指揮台に立つだけで、上から横柄に指図するためではありませんよ。」

「内気な方? そうですね。私はあまり目立ちたくはないですね。指揮者の仕事は、作曲家の音楽をいかに伝えるかなので、指揮者が目立つ必要はないと、私は思ってます。楽譜をしっかり研究して、偉大な作曲家が残した音楽を披露するだけですよ。」
「ただ情熱に任せて音楽を続けるだけですよ。やればやるほど発見があって、満足することは決してありません。より深く学んでいけば、また新たな挑戦に行き着く、それが音楽の魅力です。」

あと、フルトヴェングラーを偉大な指揮者であり、彼のドイツ音楽は見事だと話します。
さらに、現在の指揮者では、クライバーを優れた芸術家としてあげてます。

ムーティとライバルとされてますね、と問われると、「ばかげてますよ、いろんな指揮者がいて当然、彼のように
世界中で活躍する指揮者がいることは喜ばしい、同じイタリアの指揮者でも、ジュリーニ、チェッカート、あと若いところではシャイーとシノーポリも出てきてますよ」、と大人の対応。

あと、新聞ではあなたは左派と書かれてますが・・に対しては、きっぱりと「勝手なレッテル貼りですよ!」とぴしゃり。
それから、海外で住みたい町は、ロンドンと答えてます。
地元ミラノは窮屈だったのでしょうか。
ロンドンはヨーロッパの芸術の中心であり、そこでひとり静かに読書や楽譜の研究をしたいと。
休日は、演劇をみたり、山歩き、スポーツなどとのお答えで、アバドらしい生真面目ぶりです。

アバドは居をロンドン、そのあとウィーン、そしてベルリン、最後はスイスに住まうことになります。
この若き日のインタビューどおり、静かに過ごすことが、一番の願いだったにかもしれません。

Freni

フレーニのインタビューも興味深かったです。
いずれは若い人を指導したいと、この頃から語っていて、その思いはアバドにも通じるものがあります。

幼馴染のパヴァロッティとは、乳母までおんなじで、すべてが同じと懐かしそうに語ってます。

そして、自分にとって偉大な指揮者は、カラヤンとしてます。
自分がアイーダを歌うなんて思いもしなかったけど、カラヤンのおかげと。
あと親しい仲間としてのアバドの名前をあげてます。

Simon-03

文化会館でカーテンコールに応えるアバド。

この数十年あと、トリスタンの上演で同じ文化会館で舞台で出てきたアバドの痩せ細った姿、そして最後のルツェルンとの来日で、オーケストラが去ったあと一人出てきたにこやかなアバド、いずれもともに、自分にとって忘れえぬ残像ですの数々です。

| | コメント (4)

2020年1月24日 (金)

ストラヴィンスキー 「プルチネッラ」 アバド指揮

Azumayama-33

水仙の花。
こちらはニホンズイセン。
家のまわりや、いつも行く吾妻山にもたくさん群生してます。
ヒガンバナ科とのことで、球根から育ちます。

その球根を、放り投げておくだけで自生し、どんどん育って今時分に花を咲かせます。

なんといっても香りがよろしい。

Pulcinella-abbado

  ストラヴィンスキー バレエ「プルチネッラ」

    Ms:テレサ・ベルガンサ
    T: ライランド・デイヴィス
    Br:ジョン・シャーリー・クワァーク

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

       (1978.3,5 @ヘンリー・ウッドホール、ロンドン)

アバドは、ロンドン響時代に、3大バレエを録音しましたが、順番で言うとペトルーシュカで完成させる前に「プルチネッラ」を取り上げました。
組曲版でなく、独唱も加わった全曲版であったところがアバドらしいこだわりといえます。
これら4つのバレエ作品に、あと同じくバレエ「カルタ遊び」に、ヴァイオリン協奏曲が、アバドが残したストラヴィンスキーの正規録音です。
あと非正規ですが、若き日の演奏「オイディプス王」もありまして、密かに聴いてますのでいずれ機会があれば取り上げたいと思ってます。
 この「オイディプス」はアバド向きの作品に思うのですが、ベルリンかルツェルンでも取り上げてもおかしくなかったです。
それと「カルタ遊び」も、ロッシーニなどのパロディにあふれていて、これもまた、70年代のアバドが取り上げるにふさわしい作品だったりします。

  ----------------------------

ディアギレフの依頼により1919年に作曲。
ペルゴレージの作品を中心に、ガッロ、チェレーリ、パリソッティなどの前古典派作品の大オーケストラ版への編曲、ということでの依頼だったが、ストラヴィンスキーの造り上げた音楽は、すっきりとした小ぶりな編成による、コンチェルトグロッソ的な作品で、各楽器がソロで活躍し、加えて3人の歌手も要するユニークなものでした。
 序曲(シンフォニア)と8場、18曲からなる音楽で、自身で選んだ8つの曲からなる組曲版の方が今ではよく演奏される。
1920年の初演では、アンセルメが指揮をとり、舞台美術と衣装はパブロ・ピカソ。

ちょっと探したら、舞台のスケッチと、それを再現した実際の舞台の写真を見ることができました。

Picasso

Pultinera

プルチネッラは、ナポリが発祥の地で、ナポリ近郊の町に実在した農民プッチョ・ダニエッロさんがモデルで、道化師さんのことで、ナポリの化身ともいわれるそうな。
長い帽子、だぼだぼの服に黒い仮面がトレードマーク。
明るく楽しく、誰からも愛される人懐っこい人気もので、ナポリの街には、プルチネッラの像や人形やらであふれているそうです。

このプルチネッラを主役のナポリの民衆劇を素材にしたこのバレエの筋も楽しいものです。
色男でもあるプルチネッラは、超人気もので、女たちにモテまくり。
恋人のピンピネルラも嫉妬。
街の若者たちは、ねたんだ挙句、殺してしまうが、身代わりを立てて助かるプルチネッラ。
その身代わりさんも、無事安全。
最後は、舞台は女性の気を引こうとした偽のプルチネッラだらけになって大騒ぎ。
最後は本物のプルチネッラとピンピネッラは仲直りして結婚、そして若者たちも女の子たちと結婚でハッピーエンド。

EMIのマリナーの全曲盤にバレエをつけた映像作品をネット視聴してみました。
これがまた面白いのなんのって。

Pulcinera-marrner

みんな可愛い。
いっぱい出てくるプルチネッラのダンスが愉快で、マネしてみたら身体じゅう痛くなった。
脱力系で、ひとりが棒で人形を操る3人羽織みたいな感じで、舞台中プルチネッラばっかり(笑)
カトちゃんのヒゲダンスを思い出しちまった・・・

  -----------------------

軽やかで、プルチネッラの鼻歌までも聴こえてきそうなアバドのストラヴィンスキー。
ロンドン響から、最高のロッシーニサウンドを引き出したように、センスばっちりの生き生きとしたプルチネッラは、このオーケストラとの演奏でこそできたものでしょう。
もっと羽目をはずしてもよさそうなところも、アバドならではの気品すら漂う上質ぶり。
いにしえの音楽が、ストラヴィンスキーによって鮮やかにリフレッシュされた感も満載で、ペルゴレージの音楽を愛したアバドのイタリアの歌心もここにはあります。
ともかく、しなやかによく歌う、そして、オペラのようなラルゴはまさに絶品。
 歌うといえば、ふたりの男声英国歌手はうまいもんだし、ベルガンサの知的だけどほのかな色気すらにじませる歌唱が素敵であります。
アバドとベルガンサのカルメンの翌年の録音であります。
アバドと1歳違いのベルガンサは、まだ健在のようで、アバドのことが大好きだったベルガンサさんには、ずっと元気でいて欲しいです!

  ----------------------------

レコードジャケットは、ピーター・ワンドリーというドイツ人アーティストのものです。
絵画からデザイン、彫刻など広範に手掛けたアーティストで、ロックやクラシックも好み、バレエにも造詣が深かったようです。
アバドのストラヴィンスキーは、全部この方の作品で、こうして並べてみると、シンメトリー感と色彩感、そして舞台をほうふつとさせる雰囲気がよく出てます。
 DGは、ワンドリーにいくつもジャケットを依頼してまして、バレンボイムのベルリオーズシリーズや、スタインバーグとボストン響のレコードもあります。

P9216770Harusai-abbadoPet-abbado

レコードジャケットは、大きいし見栄えもあるので、インテリアにもなりました。
曲を聴くときに、ジャケットをスピーカーの上に立てかけて、それを眺めながら聴いたものです。
このアバドのストラヴィンスキーや、アバドのマーラーの羽のジャケットなど、ほんと絵になりました。
洋楽系などは、壁に飾ったりもしてましたよ。
 CDでは、いまでは、ちょっと無理な大人な世界かもしれません。

| | コメント (4)

2020年1月20日 (月)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 アバド指揮

Azumayama-24a

毎度の場所ですが、お正月の吾妻山から。

富士と海と菜の花が一度に見れます。

Azumayama-31a

麓の小学校に通っていたから、子供の頃から始終登ってました。
でも、当時は山頂はこんなに整備されてませんでしたが。

Fidelio_20200118093601

  ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

 レオノーレ:ニーナ・シュティンメ
 フロレスタン:ヨナス・カウフマン
 ドン・ピッアロ:ファルク・シュトルックマン
 ドン・フェルナンド:ペーター・マッティ
 ロッコ:クリストフ・フィッシェサー
 マルツェリーネ:ラヘェル・ハルニッシュ
 ヤキーノ:クリストフ・シュトレール

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
               マーラー・チェンバー・オーケストラ
               アルノルト・シェーンベルク合唱団
         
          (2010.8.12,15 @ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日となります。
あのショックだった2014年から、もう6年が経ちます。

Fidelioabbadolucerne

ベルリンフィルを退任後、しばらくしてスタートさせたルツェルンのスーパーオーケストラとの共演は、2003年からスタートし、マーラーを毎年連続して取り上げました。
8番は予告されながら、残念ながら取り上げなかったのですが、2010年は、マーラー・チクルスの最後の9番と、「フィデリオ」が取り上げられました。
翌2011年には、折からの東日本大震災への追悼演奏で10番のアダージョを取り上げたほか、ブルックナー・チクルスが開始され、ベートーヴェンに、やがてブラームスにと円熟のアバドのルツェルン演奏が期待されていたなかでの死去でありました。

ベートーヴェンの作品の多くを指揮してきたアバドですが、「フィデリオ」を取り上げたのは、このルツェルン2010が初めてのはず。
(アバド歴長いので、そうだと思い書いてます)
人間ドラマを伴うオペラを好み、かなりのオペラのレパートリーを持つアバドでしたが、76歳にしての初「フィデリオ」とはまた興味深いことです。

   --------------------------

ジングシュピールの流れをくむドイツオペラとして、このフィデリオは、セリフも多くあり、番号オペラを取り入れつつ、音楽の流れがセリフによって寸断されてしまい、オペラとして、どうも居心地のよろしくない作品だと不遜にも常々思ったりもしてました。
 苦心のあげくに行き着いた夫婦愛唱和の作品ですが、オペラに関しては、ベートーヴェンはモーツァルトのような天性の才に恵まれなかったのかもしれません。
 しかし、個々のソロや重唱、合唱に目を向ければ、抒情と激情の織り交じったベートーヴェンらしい音楽です。
マルツェリーネの可愛いアリアや、ロッコの人の好さそうなアリア、父娘にレオノーレが加わった3重唱、ピツァロのイャーゴの信条告白のような悪のアリア。
そして素晴らしいのが、レオノーレの名アリア「悪者よどこへ行くのか」と、フロレスタンの苦悩から希望へと歌い込む監獄内のアリア。
あと、やはり劇的なのが、勇敢なレオノーレの夫救出のシーン。
息詰まるほどの間一髪の場面に、その後の歓喜の爆発。
ベートーヴェンならではの感銘を与えられる個々の音楽であります。

これらの個々のシーンを、アバドはまさにライブで燃えるアバドらしく、そして絶妙の歌心でもって丁寧に、そしてドラマティックに描き分けています。
冗長なセルフも、必要最小限にカットしていて、音楽の流れが停滞することがないように、心地よいテンポで、ある意味一気呵成に仕上げてます。
最後の歓喜の満ちたエンディングでは、興奮にあふれていて、ライブならではの感興に浸ることができます。
ヴィブラート少な目で、ルツェルンの凄腕のメンバーたちに、若いマーラーチェンバーの面々が加わったことで、いい意味での緊張感と若々しさも加味されたのではないかと思う。
アバドの音楽の若々しさというのは、常日頃、若い奏者たちと楽しみながら、音楽を築きあげるという、こうしたところにもあるのだから。

旬の歌手をそろえた配役も見事な顔ぶれ。
なかでも、このオペラの主役であるシュティンメのレオノーレの声の安定感と、力強さと明晰な知的な歌唱が素晴らしくて、声質にクセもないので、聴き飽きないのがシュティンメの歌なのです。
対するカウフマン。
フィデリオにおけるフロレスタンの出番は、あまりに少なくて、ベートーヴェンにこの点はなんとかして欲しかった・・・と思わせるカウフマンです。
アバドのお気に入りだったハルニッシュのリリカルなマルツェリーネがいい。
ほかの歌手もまとまりがよく、チームとして均整がとれていることも、このルツェルン音楽祭の持つ特徴かもしれません。
でも、シュトルックマンは、ちょっとアクが強すぎるかな・・・
 あと、鮮度高いのが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の緻密さ。

CDにはなったけど、アバドのルツェルン演奏の恒例の映像DVDは、このフィデリオにはなかった。
映像の契約元が、2010年から変わったことが影響しているのだろうか。
マーラーの9番(2010年)から、EiuroartsからAccentusに変更。

Lucerne__fidelio

その舞台の様子を探したところ、オーケストラの後方に低いステージを作り、合唱は観客席に置くというスタイルのようです。
衣装も均一だし、オペラの上演というよりは、やはりオラトリオ的な演奏の仕方ともいえるかもしれません。
これまでオペラ上演として「フィデリオ」を取り上げなかったアバドの考え方が、このあたりにあると思いますし、ルツェルンで若いニュートラルな奏者たちと、やりたかった気持ちもわかるような気もします。

世を去る3年と少し前。
アバドはこのように、常に挑戦と、若者たちとの共演を望み、実践し続けました。
これまでの巨匠たちにはない謙虚さと、進取の気性にあふれたアバドでした。
アバドのもとで演奏し育った若い演奏家たちが、いま、そしてこれから、世界のオーケストラの主力として活躍していきます。
そして、彼らはアバドのことをレジェンドとして心に刻み続けていくことでしょう。

フィデリオ 過去記事

 「新国立劇場公演 S・グールド、ヨハンソン」

 「ベーム&ベルリン・ドイツオペラ DVD キング、ジョーンズ、ナイトリンガー」

 

Azumayama-01a

今日は大寒。
菜の花は満開なれど、春まだ遠し・・・

アバドの新譜や音源発掘が絶えて久しい。
何度も書きますが、下記の正規音源化を強く、激しく希望。

 ①ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
 ②ワーグナー「パルジファル」
 ③ワーグナー「ファウスト」序曲
 ④マーラー 「大地の歌」
 ⑤バッハ  「マタイ受難曲」
 ⑥バッハ  「ロ短調ミサ」
 ⑦バッハ  カンタータ ロンドンでのF・プライとの共演
 ⑧ノーノ  「プロメテオ」
 ⑨モンテヴェルディ ロンドンやベルリンでの演奏
 ⑩ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ベルリンフィルとのもの
   ⑪ヴェルディ 「オテロ」  ベルリンフィルとのもの
 ⑫ヴェルディ 「ナブッコ」 むかしのスカラ座とのもの
 ⑬ヴェルディ 「アイーダ」 ミュンヘンオリンピックのときの上演
 ⑭ドニゼッティ「ルチア」  むかしのスカラ座とのもの
   
  あとまだたくさん、なんでもいからお願いっ!

| | コメント (12)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ ねこ アイアランド アバド アメリカオケ アメリカ音楽 イギリス音楽 イタリアオペラ イタリア音楽 ウェーベルン エッシェンバッハ エルガー オペラ カラヤン クラシック音楽以外 クリスマス クレー コルンゴルト コンサート シェーンベルク シベリウス シマノフスキ シュナイト シュレーカー シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン スーク チャイコフスキー チャイ5 ツェムリンスキー テノール ディーリアス ディーヴァ トリスタンとイゾルデ ドビュッシー ドヴォルザーク ハイティンク ハウェルズ バス・バリトン バックス バッハ バルビローリ バレンボイム バーンスタイン ヒコックス ビートルズ ピアノ フィンジ フォーレ フランス音楽 ブラームス ブリテン ブルックナー プッチーニ プティボン プレヴィン プロコフィエフ ヘンデル ベイスターズ ベネデッティ ベルク ベルリオーズ ベートーヴェン ベーム ホルスト ポップ マリナー マーラー ミンコフスキ ムソルグスキー メータ モーツァルト ヤナーチェク ヤンソンス ラフマニノフ ランキング ラヴェル ルイージ レクイエム レスピーギ ロシア系音楽 ロッシーニ ローエングリン ワーグナー ヴェルディ ヴォーン・ウィリアムズ 北欧系音楽 古楽全般 器楽曲 小澤征爾 尾高忠明 幻想交響曲 料理 新ウィーン楽派とその周辺 旅行・地域 日本の音楽 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 東欧系音楽 歌入り交響曲 現田茂夫 神奈川フィル 第5番 若杉 弘 趣味 音楽 飯守泰次郎 R・シュトラウス