カテゴリー「アバド」の記事

2018年2月24日 (土)

高崎保男先生を偲んで

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最後まで残っていた冬のイルミネーションですが、バレンタインの終わった週末を限りに、こちらも終了してしまいました。

このあたりは、旧薩摩藩の敷地で、幕末の出来事と所縁のある場所。
ビルの立ち並ぶエリアに、ぽつんと、勝海舟と西郷隆盛の会ったところ、などの表示があったりします。

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音楽評論家の高崎保男先生が、12月にお亡くなりなっていたそうです。

レコード芸術で、目立たぬように静かに記事になっていました。

故人のご遺志とのこと。

近年、ただでさえ、オペラの新譜が、ことに国内盤ではまったく発売されなくなり、レコ芸オペラ担当の、高崎さんの名評論がまったく読むことができなくなっていた。
しかし、ときおり出るソロCDなどで、今度は高崎先生の名前が見られなくなっていたので、ちょっと心配をしておりました。

そして、この訃報。

静かに去られた高崎先生。

わたくしが生まれて間もないころからずっとレコ芸のオペラ担当をされていらっしゃいました。
わたくしがオペラが好きになったのも、それから、クラウディオ・アバドが大好きになったのも、高崎先生の数々の文章があってのもの。

心に残るいくつかの記事を思いおこすと、今後活躍する指揮者の特集での「アバド」の記事。
オペラ評論での、「アバドのチェネレントラ」「カラヤンのトリスタン」「ベームのリング」「ヴェルデイ、オペラ合唱曲、アバド・スカラ座」「アバドのマクベス」「アバドのシモンボッカネグラ」・・・・数限りなくあります。

オールドファンの域に達しつつあるわたくし。
音楽を活字と共に味わう世代だったかもしれません。
今のように、あふれかえる音源を自由自在に受け止めることのできる時代とはまったく違う世の中だった。
高額だった1枚のレコードを擦り減るように聴き、そしてそれを買うにも、大切な指標となったのが評論家の先生の記事。
自分の想いと、波長のあう方のご意見なら間違いないと思う先生の存在がうれしかった。

そんな高崎先生でした。

同じレコ芸の、今度は巻末の訃報欄に、同じく音楽評論家の岩井宏之さんがお亡くなりなった記事が出てました。
岩井さんも、好きな音楽評論家でした。
やはり、アバドのことを高く評価し、さらには、神奈川フィルの役員もつとめられた方。

時の流れを大きく感じます。

高崎、岩井、両先生に感謝をいたしますとともに、その魂の安らかならんことをお祈りいたします。

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2018年1月28日 (日)

マーラー 交響曲第2番「復活」 アバド指揮1965年

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2018年1月2日の日の出。

相模湾を赤く染める朝焼けは、今年も、健勝に、そして明るく過ごしたいと、切に手を合わせたくなる神々しい美しさでした。

そんな1月も、もうじき終わってしまいます。
ほんと、毎日があっという間に過ぎてしまう。

今日は、時間をずっとさかのぼって、クラウディオ・アバドが世界のひのき舞台に躍り出るきっかけとなった演奏を聴きました。

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   マーラー 交響曲第2番 「復活」

      S:ステファニア・ヴェイツォヴィッツ
      A:ルクレツィア・ウェスト

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                     ウィーン国立歌劇場合唱団

                   (1965.8.14 ザルツブルク)


伝説的な32歳のアバドのウィーンフィルとザルツブルク音楽祭デビューの熱演。

1959年指揮者デビュー、イタリアを中心にヨーロッパで活動、1963年、ニューヨークでミトロプーロス国際指揮者コンクールで1位となり、バーンスタインの助手となる。
 バーンスタインのヤングピープルズコンサートでラヴェルを振る映像が残されていて、youtubeでも見ることができます。
その後、ベルリン放送響へ客演し、カラヤンの目にとまることとなり、1965年のザルツブルクデビューとなります。
バーンスタインにもきっとマーラーの薫陶は得たであろうアバドは、同年7月に、スカラ座でまず、「復活」を指揮して、ウィーンフィルに臨んだ。
ちなみに、67年には、ウィーン響と6番を指揮。

2番と6番は、アバドにとって勝負曲のような作品であり、マーラー指揮者としての存在を確立させた2曲だと思う。

今回視聴のCDは、放送音源からのもので、当然にモノラル。
しかし、音に芯があって、聴きやすいもので、後半に行くにしたがって音楽が熱を帯びてゆく様や、緩徐楽章の美しさや、この頃、思い切り音楽を歌わせていたアバドならではのしなやかさも十分に楽しめるものです。

アバドは、このあと3種類の録音と、1つの映像(音源と同一)を残しています。

         Ⅰ   Ⅱ   Ⅲ   Ⅳ   Ⅴ   TTL

1965 ウィーン  20:55   10:18   10:40   4:42   32:28    79'05"

1976 シカゴ       20:47   10:03   10:33   5:28   34:51    81'11"

1992 ウィーン    21:20   10:34   11:48  5:28  36:16    86'32"

2003 ルツェルン 20:45    9:23    11:22  5:04   33:51     80'02"


4つの演奏の演奏時間。
なにも、演奏タイムが、その演奏の優劣に結びつくものではありませんが、その特徴をあらわしていることも確か。

トータルタイムが一番速いのが、ザルツブルクライブで、その次がルツェルン。
ルツェルンの一連のマーラー演奏が、明るく、透明感に満ちており、アバドの行き着いた境地を表しているところが、このタイムの変遷だけみてもわかります。
1~3楽章に、あまり変化は見られず、歌の入る楽章で、タイムの違いが出ている。
ことに、92年のウィーンライブの5楽章は、タイムをみると、ずいぶん念入りに感じますが、聴いていると決してそんな風には聴こえません。
ムジークフェラインの響きが影響した可能性はあります。

そして32歳のアバドと70歳のアバド、このふたつの演奏時間がとても近いところが、本当に興味深いし、アバドらしい。
 カラヤンに後押しされ、マーラーはまだ聴衆がついてこれないから危険だ、との周囲の声を跳ね返して、2番を選択した若きアバド。
この演奏の大成功で、ウィーンフィルとのレコーディングも始まり、世界のオーケストラから引っ張りだこになった、その記念すべき第一歩。
 ベルリンでのポストを終えて、ルツェルンで得た自分のオーケストラと、いろんな重圧から解かれて踏み出した開放的なさらなる第一歩。

もちろん、シカゴとの演奏には、このレコードが、メータやレヴァインらとともに、マーラー演奏に新しい風を呼び込んだという意味合いがあり、ウィーンライブには、アバドとウィーンとの決裂の時期的な意味合いも、それぞれ私にはあります。

さて、ザルツブルクの演奏に関し、アバドは後年語っています。
「自分を殺してやりたくなりました。本当です。終わって、後からテープを聴いて、初めて悪くなかったことに気づきました。もちろん変更すべき箇所は数多くありましたが、より自然発生的であることから、いくつかの部分は1976年の(シカゴ)の録音より優れています。不思議ではありますが、私のキャリアを通じて、その時点では不当に悪いというものの、いわゆる『スペシャル』な夜があるものです」

その自然発生的なるものが、終楽章にむかってじわじわと音から立ち上がってくる熱気に感じられます。ティンパニの強打や、猛烈なアッチェランドなど、スタジオでの冷静なアバドには出てこないような表現であります。
一方で、静かな場面での緻密な音の響かせ方などは、後年のものとそん色なく素晴らしい。

この演奏のラジオ放送を聴いていたアルフレート・ブレンデルは、見知らぬ指揮者ながら、「巨大な情熱と確信と支配力があって、それがオーケストラと聴衆に伝播させていた」と語ってます。

モノラル録音ながら、これを聴きながら、ダイナミックな大振りで、マーラーの音楽に没頭的になっているアバドの指揮姿や表情が思い浮かんできました。

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こうしてみると、ベルリンでの2番が残されなかったのが惜しい。

96年のベルリンフィルとの来日公演で、この曲を取り上げたとき、わたくしは、90年代のほぼ10年間、多忙な仕事や、子供らが生まれたことなどから、コンサートから遠ざかっていた時期にあたり、アバドの来日公演をことごとく聴き逃していました。
NHKの放送をビデオ収録してありますが、いまやそれも見れません。
いつかはDVDに復刻してやろうとは思ってますが・・・

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ここまで日が昇ると、少し温もりも出てきます。

マーラーの2番の終楽章の圧倒的なフィナーレにふさわしい輝かしさ。

アバドを偲んで何度も聴きました。

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2018年1月20日 (土)

ロッシーニ 「セビリアの理髪師」 アバド指揮 プライ

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菜の花と富士。

毎正月に、実家に帰るとこの景色が望める幸せ。

今年は、晴れの日が続いたので、富士がくっきり、すっきり。

おまけに、今年、ちょっと不安視した駅伝も、見事に完勝。

ありがたき正月になりました。

そして、1月も後半に至ると思い起こすのが、クラウディオ・アバドの命日。

あれから4年です。

今年のアバドの命日には、ことし2018年に、没後10年のアバドの朋友、ヘルマン・プライとの共演を。

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   ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」

 アルマヴィーヴァ伯爵:ルイジ・アルヴァ  バルトロ:エンツォ・ダーラ
 ロジーナ:テレサ・ベルガンサ        フィガロ:ヘルマン・プライ
 バジリオ:パオロ・モンタルソロ        フィオレロ:レナート・チェザーリ
 ベルタ:ステファニア・マラグー        士官:ルイジ・ローニ

      クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団
                      アンブロージアン・オペラコーラス
              合唱指揮:ジョン・マッカーシー
              チェンバロ:テオドール・グシュルバウアー
              ギター:バルナ・コヴァーツ

               (1971.9 @ワトフォードタウンホール、ロンドン)


初めて買ったアバドのオペラのレコード。

その前には、「チェネレントラ」が出てはいたけれど、すぐには手が出ず、より有名なセビリアの登場を待ち、飛びつきました。
それでも、ちょっと半年ほど遅れて、横浜駅西口にあったヤマハで、お正月に購入。
川崎大師の帰りでした。
3枚組のズシリと重いカートンボックスに入った豪華なオペラのレコード。
所有する喜びにあふれてました。

アバドは、昨年亡くなったゼッダの改定版を前面に押し立てて、ロッシーニ演奏に革新をもたらせた指揮者のひとりでありました。
過剰な装飾や、オーケストラに慣習的に追加された楽器や誇張を取り除いたスッキリとした軽やかなロッシーニ。

ブッファ的な側面ばかりで語られたロッシーニには、セリアもグランドオペラもあったと見直された60年代半ば。
その流れで、フィルターを取り除いたロッシーニの音楽を体現させたのはアバドだと思う。

オモシロ可笑しいロッシーニのブッファに、生真面目に取り組み、端役に至るまで、すべての登場人物たちの歌に等しく目を配らせ、お笑いドラマを人間ドラマにまで昇華してしまった。
アバドが、ヴェルディのオペラに取り組む、その同じ姿勢がロッシーニの演奏にもあると思う。
だから、アバドのロッシーニは、セビリアよりは、チェネレントラ、そしてさらにランスの旅の方がより素晴らしい。
ベルリンフィルでロッシーニのオペラをやってしまったところが、これまたアバドらしいところ。

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   1981年のスカラ座の引っ越し公演での「セビリア」は、薄給を「シモン」のS席に振り当ててしまったので、テレビ観劇となりましたが、終始、このレコードより、テンポも速めにとり、ダイナミズムも緩急も自在で、より劇場的な指揮ぶりでした。
そして、ポネルの回り舞台の面白さと、ヌッチ、アライサ、V・テッラーニと新鮮な歌手たちの鮮やかさも、いまや伝説級の名舞台と言えます。

もう46年も前のころ録音。
当時、ロンドン交響楽団は、アバドの意思にもっとも俊敏に反応することのできたオーケストラであったと思う。
オペラのオーケストラではないが、ゆえに新しい響きも紡ぎだすことができたし、そこはアバドの歌心もそっくり反映させることができている。
いまでも充分に、その鮮度を保っているロッシーニ演奏です。

当時、最高のロッシーニ歌いをずらりと揃えた配役。
ただ、昨今のよりスタイリッシュで、高度な技量を備えた歌唱からすると、やや古めかしさも感じたりもするのは贅沢な想いかもしれない。
そのなかで、燦然と輝いているのはベルガンサのロジーナ。
清潔さただよう麗しくも正しき歌。
チェネレントラでの歌唱とともに、しっかりと耳に残しておきたい歌唱です。

ヘルマン・プライの当たり役フィガロ、うますぎの感もなくはないが、そして、思いのほか声の威力も気になるところだが、その人懐こい歌声は、こうしたイタリアものでも魅力的。
プライの明朗快活な歌は、モーツァルトの同役とともに、フィガロが当たり前のように同一人物であることを強く感じさせます。
そして、わたしたちは、ここに聴くプライの声で、彼の歌うパパゲーノやグリエルモ、果ては、ベックメッサーやヴォルフラムなどをも思い起こすことができる。
それほどに、ヘルマン・プライの声は、自分にとって馴染みの声なのです。
アバドは、プライとの共同作業を多く行っていて、スカラ座のフィガロの結婚では、伯爵までも歌っているし、ずっと後年、ウィーンフィルとの第9ではバリトンソロもつとめている。
そして以前にも書いたけれど、アバドのヴォツェックにもチャレンジする予定もあった。
アバドが病に倒れる前は、ワーグナーへの挑戦として、マイスタージンガーやタンホイザーの名前もあがっていたので、もしそれが実現していれば、プライのザックスなんてのもあり得たのかもしれません・・・。

ヘルマン・プライは、1998年7月22日に69歳で亡くなりました。
そして、クラウディオ・アバドは、2014年1月20日に。

アバドの命日に、偉大な歌手と指揮者を偲んで。

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過去記事

 「チェネレントラ」 アバド LSO

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2017年6月28日 (水)

ロッシーニ 序曲集 アバド指揮

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どんより梅雨空東京タワー。

蒸すし、すっきりしませんな。

こんな時には・・・・

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      ロッシーニ 歌劇序曲集

     ①「セビリアの理髪師」      ②「ラ・チェネレントラ」
   
     ③「どうぼうかささぎ」       ④「アルジェのイタリア女」

     ⑤「ブルスキーノ氏」        ⑥「コリントの包囲」

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                 (1971、1975 @ロンドン、エディンバラ)


これで、すっきり!

朝から、気分爽快になるこの1枚。

こちらも11年前に記事に残してます。

アバドといえば、忘れちゃいけないロッシーニ演奏。

ベルリン時代にも、当団とオペラ上演してしまったくらい。

そのアバドのロッシーニの原点が、この1枚。

いや正確には、アバドのオペラ録音デビューにあたる、「チェネレントラ」と「セビリア」のふたつで、1971年のもの。
そのふたつの録音から、このCDの①と②は転用されている。

「セビリア」の全曲盤は、すぐさま購入しました。
そして、それより前に出た「チェネレントラ」のすばらしさは、後年味わうことになるのでしたが、当時、それが発売されたときの、日本の音楽界の驚き!

「これが噂のアバドのロッシーニ」とか、「アバドのオペラ」とか、大いに宣伝された。

そう、いまではあたりまえとなった、A・ゼッダの考証版を用いての、すっきり軽快、透明感あふれるロッシーニサウンドを世に知らしめたのだ。

数年後に、4つの序曲を新録音して出されたのがこの1枚。

しなやかに歌いまくる、どこまでも明晰かつ、軽やかなロッシーニ演奏がここに。
後年の再録音では取り上げられたグランドオペラの華やかな序曲、「ウィリアムテル」や「セミラーミデ」は、ここでは、意識したかのようにスルーして、ブッファの軽快な序曲ばかりとしたことも、アバドの意識の表れかも。
そこに唯一セリアもあるとこがまた、アバドらしい。

塵と埃を洗い落とし、スコアの音符が、躍動して見えるかのような生き生き感。
ピアニシモを美しく歌うことにかけてはアバドの右に出る指揮者は、当時からいなかった。
だから、ロッシーニクレッシェンドは、耳をそばだててしまうほどに完璧かつ躍動的。

RCAに入れ直した2度目のロッシーニも素晴らしいが、スケールは大きくなった。
そして、ヨーロッパ室内管との3度目のものは、小回りの効く室内オケを駆使し、さらに若い楽員たちの笑顔が見えるような楽しい演奏。

でも、自分は、この1回のものが好き。
ロンドン響のスッキリサウンドも大いにプラスしてる。

さぁ、梅雨に負けず、今日も元気にsign03
 

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2017年6月26日 (月)

メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」 アバド指揮

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ある夜の東京タワーと紫陽花。

本格的な梅雨となり、湿度も高めで、体もまだついていけない、そんな6月の終わり頃。

今年もめぐってきた、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年6月26日、ミラノ生まれ。

ヨーロッパには梅雨がないから、きっと今時分は、清々しい初夏の陽気なのでしょう。

新しい録音や演奏が途絶えたとしても、自分的には、アバドは、まだ生きています。

アバドの得意とした作曲家、メンデルスゾーンを聴きます。



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  メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」

    クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

             (1967.2 @キングスウェイホール、ロンドン)


「イタリア」でもよかったけれど、いまの気分は、スコッチ。

アバドが、50年代後半、ウィーンでスワロフスキー教授に学んだあと、指揮者としてのキャリアをスタートさせ、63年に、ミトロプーロス指揮者コンクールに優勝し、注目を集め、バーンスタインに認められ、ニューヨークフィルを指揮。
その後は、65年に、今度はカラヤンに推され、ザルツブルクで、ウィーンフィルを振って、マーラーの復活。

順風満帆の若きクラウディオ。

レコーディングでも、66年にウィーンフィルを指揮して、デッカにベートーヴェンの7番でデビュー。同年、ロンドン響とプロコフィエフのロメオ抜粋を録音。
そして、翌67年に、このメンデルスゾーンと、ベルリンフィルとブラームスのセレナードをDGに。

アバド、33歳の録音。

この演奏、もう11年前に一度記事にしてます。
85年の全曲録音も、トータルに素晴らしいけれど、アバドの青春譜とひとことで片づけるには、まことに惜しい、後年の録音にはない瑞々しさと、煌めきにあふれた桂演。

メンデルスゾーンの音楽にある明るい歌心を、まったく嫌味なく、素直に感じて、そのまま音にしてしまった感があって、音楽は生まれたての駿馬のように、すくっと立ち上がって、緑の丘や野山を駆け抜けるような、そんな爽快さにあふれてる。
この時にしか成しえなかったであろう演奏かもしれない。

このレコードが国内発売されたのは、1971年で、もうクラヲタしてて、アバドのファンにもなっていた自分だけど、そこでは購入することなく、4番のFMのエアチェックで我慢していた。
2曲を、ちゃんとレコードで聴いたのは、その10年後ぐらいで、アバドは、シカゴ、ロンドン、ミラノ、ウィーンを股にかける大指揮者になっていた・・・・。

いま、相応の歳の大人となって、再びじっくりと聴くアバドのスコッチ。
第3楽章の憂いと、優美さが、相交わる歌の饗宴に、アバドのこの若き演奏の神髄を聴く思いだ。
ほんとに美しいので、いつまでも浸っていたい。

前にも挿入しましたが、国内初出のときのレコ芸の広告。

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このころに戻ったらな・・・・・

もう一度、アバドの次から次に出る音盤と、目覚ましいキャリアアップぶり、そして行けなかったいくつもの来日コンサートを追いかけてみたい。。。。。

歳を経ると、むかしのことばっかり。
夢も昔のことを、ほんとよく見るようになったよ・・・・


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一輪の赤いバラを、アバドの誕生の日に。

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2017年1月20日 (金)

ブラームス ドイツ・レクイエム アバド指揮

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新春の吾妻山は、富士と海と、菜の花と水仙。

中腹あたりに、水仙の群生があり、香しい香りが漂っているのでした。

そして、1月20日。

もう3年、いや、まだ3年。

なんだか、遠い記憶のようになってしまったあの日。

クラウディオ・アバドの命日です。

あのときが、夢の彼方のように感じ、いや、感じたい自分があって、アバドは、兄のようにして、いつまでも、自分の近くにいてくれるような気もしているから、あの日が、なかったようになってるのかもしれない・・・・、自分のなかで。

癒しと、追憶のレクイエムを聴きます。

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  ブラームス ドイツ・レクイエム op.45

    ソプラノ:チェリル・ステューダー

    バリトン:アンドレアス・シュミット

 クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                 スウェーデン放送合唱団
                 エリック・エリクソン室内合唱団

              (1992.10 @ベルリン、フィルハーモニー)

ブラームスを愛し、若い頃から、その作品をずっと取り上げていたアバド。

交響曲は2番や4番を、スカラ座時代から、ほかの番号もロンドンや各所で。
協奏曲の各種は、数え切れないほどの名手たちと共演。

そして、声楽作品も、ウィーンやベルリン、ロンドンで。

ドイツ・レクイエムやアルト・ラプソディまでが、通常の指揮者は、取り上げ・録音するけれど、アバドは、合唱作品のほとんどを取上げた。

いま残された録音や、放送音源の数々で聴く「アバドのブラームス」。

ことに、アバドのブラームスの声楽作品は、その端正な佇まいと、紳士的ともいえる慎ましさは、ロマン派にあって、古典派の立ち位置でもあったブラームスの演奏として理想的。

正規音源としては、ベルリンフィルハーモニーでのこちらの92年の録音と、97年のウィーンでの映像があって、どちらも、そうしたブラームスの真髄に迫った名演に思います。

今日はCD。

どうだろう、この精度の高さは。

合唱とオーケストラが、弱音からフォルテの強音まで、どこまでもきれいに、混濁することなく混ざり合い、どの声部の音も、すっきり・くっきり聴こえる。
そして、その音色。
どこをとっても、お馴染みのベルリンフィルの音なんだ。
この音は、変わったと言われたカラヤン時代の音と同じだし、現在のラトルの紡ぎだす洗練さと重厚さの音ともおんなじ。
 全体のトーンは、緻密極まりない合唱団も含めて、明るめだけれど、この明晰な明るさは、カラヤン時代もあったことで、ラテン的な輝きを感じさせる点でも、カラヤンの音とも少し通じるように今宵や感じました。
もちろん、カラヤンのようなゴージャス感はないですよ。

ともかく、明るく、美しく、音がなみなみとあふれるような、アバドの「ドイツ・レクイエム」。

北ドイツでなく、南の方。
アルプスのふもとにあるような、そんなブラームスが好き。

絶頂期だったステューダーと、この当時、声楽作品ではひっぱりだこだったA・シュミットの律義な歌は万全。
欲を言えば、ヘルマン・プライとの共演でも聴いてみたかった。
アバドとプライは、朋友のように、よく共演していたから。
 でも、このとき、まだ存命だったプライだったら、アバドの根ざす、明るさと透明感あるブラームスにはならなかったかも・・・。
プライの人間臭い優しさは、巧さにつながり、色が出てしまったかも・・・・。

アバドは、そのプライと、ロンドン響時代に、このドイツ・レクイエムで共演していて、1983年のこと。
それから、アバドの初「ドイツ・レクイエム」は、同じロンドン響で、77年のこと。
そのときは、ルチア・ポップがソプラノ!

平和と安らぎのなかに終えるドイツ・レクイエムを聴きながら、外は今にも、ちぎれた雲から雪が舞い降りてきそうな寒さ。

日本中寒いです。

いや、世界中、異常に寒く、ことにヨーロッパの寒波はすごいらしい。
凍死者が多数でたり、交通事故が多発したりと大変らしいし、ふだん雪とは無縁な地中海地方やイタリア南部、スペイン南部も大雪・・・・

アバドの眠る、スイス、エンガディン地方もきっと深い雪に見舞われていることでしょう。
しんしんと、そして、あたたかく、クラウディオ兄を包んで欲しい。

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そして、サンモリッツを有するエンガディン地方、2026年の冬季オリンピック誘致を目論んでる様子。
昨今の、五輪を思うにつけ、静かにしておいていただきたいが・・・・・・・

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クラウディオ・アバド 3回忌に

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2017年1月 8日 (日)

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 アバド指揮

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唯一の曇り空の朝だった、1月2日。

雲の合間から富士が少しだけ。

菜の花は七分咲き。

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見おろす相模湾は、穏やかで静か。

右手奥、箱根の山は、駅伝の往路の到着を待ちうけ中。

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何度も書きますが、この街に育ったわたくしは、この場所がたまらなく好き。

帰るたびに登ります。

麓の小学校は、わたくしが通った頃は、正しき木造校舎で、二宮金次郎さんも、薪を背負い本を読んで、これまた正しく佇んでおりました。

今日は、折り目正しいアバドのモーツァルトを聴きます。

モーツァルトの20番K466のピアノ協奏曲、アバドには4種の正規録音があります。

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   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

        フリードリヒ・グルダ

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1974.9 @ウィーン ムジークフェライン)

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             ルドルフ・ゼルキン

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                    (1981.11@ロンドンキングスウェイホール)

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           マリア・ジョアオ・ピリス

   クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2011.9 @ボローニャ)


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          マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2013.3 @ルツェルン)


こうして4種、連続して聴くと、それぞれがまったく違って聴こえるのは、もちろん、素晴らしいピアニストたちによるもの。

軽やかで、愉悦感あふれ、美音を聴かせるグルダ。

かっちりと、一音一音を揺るがせもせず、誠心誠意尽くすようなピアノを聴かせるゼルキン。

無作為の美しさ、緊張感をも通り過ぎて晴朗な心境に誘われるピリスのピアノ。

最初に聴いたときは、さらりとして聴こえたけれど、いまこうしてまとめ聴きをしてみて感じる、アルゲリッチの即興性と自在さ。たくみに聴き手の心を掴んでしまう豊かな感性を感じる。

こうしたピアニストたちに、アバドの指揮は、ぴたりと寄り添うようにしていて、4つの演奏ともにまったく違うところが見事。
もちろん、オーケストラの違い、そしてなによりも年代の違いも大きい。

70年代、80年代、そして2010年代。
前者ふたつは、フルオーケストラによる響きの豊かな従来型の音色で、安心感も漂うが、後者2つは、室内オーケストラによる切り詰めた響きで、かつ古楽の奏法も取り入れ、キビキビ感も。

口さがないグルダが、小僧呼ばわりして、そんなグルダが彼のピアノとは別に、嫌いになったけれど、70年代、ウィーンフィルとアバドの組合わせは、幸せなコンビだった。
まろやかで、丸っこい響きは、ムジークフェラインのホールの響きに溶けあい、グルダのピアノと一体になって聴こえる。
なんの文句があったんだろ、グルダさん。
20番の短調のふたつの楽章に挟まれた真ん中のロマンツェ。
そのたおやかな美しさは、この演奏を聴くと、愛おしくなるほどの歌いぶりで引き立つ。

ロンドン響とのゼルキンの背景を飾るアバドの指揮は、思いのほかシンフォニックで、これまた響きも豊かで、しなやかさも抜群。
こちらの少し前に録音された、交響曲40番と41番にも通じる構えの大きさもある。
そしてゼルキンのゆったりとしたピアノを支えるような敏感さも。
ここでも、2楽章は美しい。
キングスウェイホールの響きも、ロンドン響のニュートラルさと芯の強さを捉えた録音でもって楽しめる。

若手を集めた、文字通り、アバドの元に集まった手兵とも呼ぶべき、オーケストラ・モーツァルトの二つの演奏。
ややデットな録音ゆえに、オーケストラの目の摘んだ音色が、ひとりひとりの奏者の集まりのようにマスとなって聴こえる。
そんなリアリティあふれるモーツァルトだけど、ピリスとともに、澄み切った境地を目指しているような演奏に感じるのがボローニャでの録音。
ロマンツェは、速めのテンポで、さらりと、まるで、上善如水のように、味わいはすっきりと、さらさら。
ピリスとともに、この演奏に漂う透明感には、モーツァルトの微笑みを感じます。

さて、最後のアルゲリッチ盤。
よりピリオド的な奏法が強まり、ルツェルンのホールの響きは豊かながら、オーケストラの音は切り詰められて感じる。
しかし、どうだろう、この若々しさは。
ピリス盤よりも、溌剌として、表情も豊かで、自在なアルゲリッチのピアノに、すぐさま反応してしまう、鮮やかなまでのオーケストラなのだ。
2楽章も、アルゲリッチの多彩なピアノに負けておらず、そして、羽毛のように軽やかでしなやかなオーケストラは、ほんとに素晴らしいもので、弱音の繊細さも堪能できる。

こうして4つのK466を聴いたが、ソロイストに合わせ、そして万全のパレットを仕上げるアバドの指揮の巧みさは、協奏曲の指揮者として、ひっぱりだこだったアバドの魅力をあらためて感じさせるものでした。

しかし、あたまの中が、モーツァルトのニ短調だらけになってしまった。

最後に、去年のよく見えてた富士山2016。

Azuma_2
 

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2016年8月14日 (日)

ヴェルディ レクイエム アバド スカラ座

Shibapark

ここ数十年、夏のおやすみ、すなわちお盆休みは、いまから31年前に起きた惨劇、日本航空機の御巣鷹山墜落事故の日の記憶から始まり、終戦の日を迎えることとなり、それこそ人の命の尊さを、真夏の暑さのなかに、しっかりと噛みしめることとなっている。。。。

あの事故の日、まだ社会人になって4年目。
都内の冷房もない暑いワンルームに帰って、テレビをつけたら飛び込んできたニュースだった。

またもっと遡ると、テレビを通じての惨禍の記憶は、1972年のミュンヘンオリンピック事件。
9月5日、パレスチナゲリラが、イスラエル選手たちを人質にとり、空港で銃撃戦となり選手を含む多くが亡くなった。
男子バレーや体の金メダルラッシュで、浮かれていた中学生だったが、血なまぐさい事件に凍りついたものだった。
 さらに、追悼セレモニーで、ルドルフ・ケンペの指揮するミュンヘン・フィルが競技場で、英雄交響曲の葬送行進曲を演奏した場面もはっきりと覚えている。

これらの悲しい出来事は、戦争を知らない私の、夏の惨事の記憶である。

世界を見渡せば、とんでもないテロリズムが蔓延し、日本でもどこかを踏みたがえた人間が惨劇を起こしたりもして、右も左も、かつては考えにくい悪夢を生んでいる。

もう、夏の記憶を血で塗り込めるのは勘弁してほしいものだ、いや、夏ばっかりじゃないけど。

そんなこんなを思いつつ、夏の「ヴェルディのレクイエム」を聴く。

Abbado_scala

 ヴェルディ    レクイエム

    S:ミレルラ・フレーニ    Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ

    S:アンナ・トモワ・シントウ Ms:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    T:ヴェリアーノ・ルケッティ Bs:ニコライ・ギャウロウ


  クラウディオ・アバド 指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団/合唱団

                  (1981.9.3/11 東京文化会館)


NHKFMのエアチェックテープをCDR化した、私家盤です。

忘れもしない、これも夏の記憶。

音楽監督クラウディオ・アバドに率いられて、大挙来日したスカラ座。
しかもアバドの朋友、カルロス・クライバーの帯同という超豪華な引っ越し公演だった。
スカラ座は、その後も何度も来日しているが、アバドがやってきたのは、この年、1981年だけだった。

もう、何度も書いているが、アバドは、シモンとセビリアの理髪師。
カルロスは、オテロとボエーム。
多くの聴衆は、カルロス・クライバーの指揮に飛びついたが、アバド・ファンのわたくしは、一念発起して、アバドの「シモン・ボッカネグラ」を最上の席にて観劇することだけに、新入社員の薄給のすべてをかけた。。。。

だがしかし、NHK様が、すべての公演と、2度のレクイエム、そしてガンドルフィが指揮したロッシーニのミサ曲までも、テレビ・FM放送をしてくれるという素晴らしいことをしてくださった。

おかげで、わたくしのエアチェック・ライブラリーには、「シモン」を除く、そのすべてが今でも健在なのであります。(シモンは、放送日が観劇日だったのです。。。。)

そして、そんなに悪くない音質で残されたふたつのレクイエムを、久しぶりに、続けて聴いてみた。

この引っ越し公演で、ヴェルディの二つのオペラのヒロインをつとめた、ふたりのソプラノ、フレーニと、トモワ・シントウ。
それ以外のソロは、3人共通。

フレーニは、シモンのマリア。シントウは、オテロのデスデモーナ。
真摯でひたむき、そして耳も洗われるような正統ベルカント歌唱を聞かせるフレーニ。
ドラマテッィクで、ちょっとのヴィブラートが劇性を醸し出すシントウ。
どちらかといえばフレーニの方が好きだけど、どちらも、甲乙つけがたい名歌唱。

そして要のような存在感を示すギャウロウの朗々としたバス。
51歳で早世してしまった、テッラーニの琥珀に輝やく、そして、少しの陰りをもったメゾ。
あと、元気のいい、でも、思い切りテノール馬鹿を感じさせつつも、まばゆいルケッティ。
欲をいえば、ルケッティとダブルで、ドミンゴかアライサも聴きたかったものだ。

このふたつの演奏に通じる、音楽の密度の濃さ。
そして、途切れることのない緊張感と集中力は、曲が後半に進むにしたがい増してゆき、聴き手をやがて呪縛してしまうことになる。
それを生みだしているのがアバドの指揮なのだ。
ことに、2度目の11日の演奏の、ものすごい熱さといったらない。
絶叫するかのような合唱は、アバドの気迫の指揮と一体化し、かつ絶妙なピアニシモでは、完璧にコントロールされたオーケストラとともに耳が釘付けになる。
 いつものように、静寂やピアニシモで歌う、そんなアバドの真骨頂がここにある。

スカラ座、ウィーン、ベルリンの3つの正規(ライブ)録音に比べてもそん色ない名演奏に思う。
いつか正規音源化を望みたい。
あと、アバドには、ローマでの若き日の演奏(youtubeあり)や、ロンドンでの演奏など、ヴェルレクは数々あり。
あと、かえすがえすも、ルツェルンでも取上げて欲しかったものです。。。。。

「バーンスタイン&ロンドン響 DVD」

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2016年6月26日 (日)

シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク アバド指揮

Ajisai_shiba

関東は、梅雨まっさかり。

そして、ほぼ3ヶ月ぶりの投稿となりました。

幾多の皆さまから、暖かく、そしてご配慮にあふれたコメントを頂戴しながら、まったくご

返信も、反応もしなかったこと、ここに、あらためまして、お詫び申し上げます。

 ともかく、辛く、厳しい日々は、ブログ休止時と変わりなく続いてます。

しかも、予想もしなかったところから、いろんな矢が飛んできたりもします。

やぶれかぶれの感情は、そこから生まれ、音楽なんて、聴くゆとりも、受け入れる感情もありません。

そんな3ヶ月。

 しかし、でも、めぐってきた、「クラウディオ・アバドの誕生日」

存命ならば、今年は、この26日が、83回目。

そんな日に、アバドが生涯愛した、新ウィーン楽派の3人の作曲家を、いずれもウィーンフィルの演奏で聴きます。

Schoenberg_gurre_lieder_abbado

  シェーンベルク  「グレの歌」から 間奏曲、山鳩の歌

長大なグレの歌、全部を聴けないから、この作品のエッセンスとも呼ぶべき、中ほどにある場面を。
1900年に作曲を始め、第3部だけが、オーケストレーションが大幅に遅れ、最終完成は、1911年。
1913年に、シュレーカーの指揮によって初演。

後期ロマン派真っ盛りの作品ながら、最終完成形のときのシェーンベルクは、無調の領域に踏み込んでいたところがおもしろい。
1912年には、ピエロリュネールを生み出している。

むせかえるような甘味で濃厚な間奏曲、無常感あふれる死と悲しみの心情の山鳩の歌。
アバドのしなやかな感性と、ウィーンフィルの味わいが融合して、何度聴いても心の底からのめり込んでしまう。
久々に、音楽に夢中になりました。

アバドのこのライブ録音は、1992年。
88年には、マーラーユーゲントとECユースオケとで、何度も演奏していた。
そして、最後のルツェルンとなった、2013年に、この間奏曲と山鳩を取り上げた。
この最後の演奏が、掛け値なしの超絶名演で、まさに陶酔境に誘ってくれるかのような、わたくしにとってとても大切な演奏となってます。

Abbado_lu

ルツェルンでの最後のアバド。

Abbado_webern_3

  ウェーベルン  パッサカリア

ウェーベルンの作品番号1のこの曲は、1908年の作。

シェーンベルクの弟子になったのが、1904年頃で、グレの歌の流れを組むかのような、これまた濃厚な後期ロマン派的な音楽であり、グレの歌にも増して、トリスタン的でもある。

パッサカリアという古風ないでたちの形式に、ウェーベルンが込めた緻密さとシンプルさが、やがて、大きなうねりを伴って、巨大な大河のようなクライマックスとカタストロフ。

この濃密な10分間を、アバドは、豊かな歌心でもって静寂と強音の鮮やかな対比を見せてくれる。
むせぶようなホルンの効果は、これはまさにウィーンフィルでないと聴けない。

1974年、シェーンベルク生誕100年の年、ウィーンでは、新ウィーン楽派の音楽が数々演奏されたが、そのとき、アバドは、ウィーンフィルとこのパッサカリアや、5つの小品を取り上げ、NHKFMでも放送され、わたくしはエアチェックして、何度も何度も聴いたものだ。
 その音源は、いまも手元にあって、あらためて聴いてみても、若々しい感性が燃えたぎり、ウィーンフィルも、今とはまったく違う、ローカルな音色でもって、それに応じているところが素晴らしい。

Berg_lulu_abbado

  ベルク  交響的組曲 「ルル」

新ウィーン楽派の3人のなかで、一番若く、そして一番早く死を迎えてしまったベルク。

ウェーベルンと同じく、1904年に、シェーンベルクの弟子となり、以降、ずっとウィーンで暮らすことになるベルクだが、ユダヤの出自であった師がアメリカにのがれたのに対し、ベルクはユダヤではない代わりに、その音楽が退廃音楽であるとして、ナチス政権成立後は、その活動にかなりの制約を受けることとなった。

そんななかで、生まれたのが「ルル」。
破天荒な青年時代を送り、ぜんそくに悩まされ、病弱であったベルクは、文学好きということもあって、オペラの素材には、生々しい死がからむ、いわばヴェリスモ的な内容を選択した。
それが「ヴォツェック」であり、「ルル」である。
さらに、晩年の不倫も、「ルル」の背景にはあるともされる。

人生の落後者のような軍人と、魔性の女、ファム・ファタール。
それらが、悲しみとともに描かれているところが、ベルクの優しさであり、彼独自の問題提起の素晴らしさ。

ことに、「ルル」の音楽の運命的なまでに美しく、無情なところは、聴けば聴くほどに、悲しみを覚える。
自分の苦境に照らし合わせることで、さらにその思いは増し、ますます辛く感じた。
そんな自分のルルの聴き方が、また甘味に思えたりするのだ。

「ルル」は、1928~35年にかけての作品。
間があいているのは、アルマの娘マリーの死に接し、かのヴァイオリン協奏曲を書いたためで、ベルクは3幕の途中で亡くなり、未完のエンディングを持つ「ルル」となった。

アバドは、ベルクも若い頃からさかんに指揮していて、70年のロンドン響との作品集に続き、ウィーン時代の94年に、ウィーンフィルといくつもの録音を残している。
ニュートラルなロンドン盤もいいが、やはり、より濃密で、ムジークフェラインの丸みのある響きも捉えたウィーン盤の方が素晴らしい。

ロンド→オスティナート→ルルの歌→変奏曲→アダージョ

オペラの場面をシンフォニックにつないだ組曲に、アバドは、オペラの雰囲気も感じさせる迫真性と抒情をしのばせた。
「ヴォツェック」は何度も指揮したのに、「ルル」は、ついに劇場では振ることがなかった。
ウィーン国立歌劇場時代、上演予定であったが、辞めてしまったため、その計画を実現しなかったから、この組曲盤は、アバド好きにとっては貴重なのであります。

さてさて、暑いです。

まだ梅雨だけど、そぼ降る雨はなくて、晴れか土砂降りみたいな日本。
熊本の地震もあったし、大きな地震への不安は尽きない

ばかな都知事や辞めたけど、疑惑は消えないし、消化不良のまま参院選と、まもなく都知事選が始まる。
矛盾だらけの政治に社会。
 そして、海外へ眼を転ずれば、どこか某国が、偉そうに軍船で領海侵入を繰り返し、虎視眈々と長期計画で持って、ねらってきているし、さらに英国のEU離脱が、世界規模でもって、政治経済に影響を与える流れが進行中。

今後もトピックは、まだまだ続出するでしょうが、ブログ休止してた間に、こんないろんなことが起きてしまう2016年。
「ルル」の原作ではありませんが、「パンドラの箱」が次々に開いてしまうのか・・・・

しばらく、また消えますが、もう事件事故災害は勘弁してください、神様。。。

それでは、また、いつか。

Shiba_8
    

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2016年1月25日 (月)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 アバド指揮

Azumafuji_1

今年のお正月の吾妻山。

本日、日本列島は寒波が襲来し、雪と低温にみまわれておりますが、お正月はともかく暖かかった。
菜の花もほぼ満開。

そして、1月も残すところ、あと一週間。

碌なことがなく、八方ふさがりに陥って久しいが、ブログも頂戴したコメントも放置プレー状態。
いけないいけないと、一念発起して、曲を聴き、更新することとしました。

 そして、はたと気が付いた。

こともあろうに、アバドの命日を失念してしまうとは・・・・・・・。

ふがいない自分に、情けなくて、心が張り裂けそうだ・・・。

Azumafuji_5

マーラーが聴きたかった。

ひとつには、先だって、ロイヤル・コンセルトヘボウが主役の映画を試写会で観た。

そのことは、次のブログにしたためようと思うが、そこでは、上質のマーラー演奏の模様が映像化されていて、8番の神秘の合唱が、感動的に流れていたのだった。

そして、マーラーの音楽をとことん愛したクラウディオ・アバド。

Abbado_8

  マーラー 交響曲第8番 「千人の交響曲」

   S:チェリル・ステューダー、シルヴィア・マクネアー、アンドレア・ロスト

   A:アンネ・ゾフィー・オッター、ロセマリー・ラング

   T:ペーター・ザイフェルト

   Br:ブリン・ターフェル     Bs:ヤン・ヘンドリク・ロータリング

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                    ベルリン放送合唱団
                    プラハ・フィルハーモニー合唱団
                    テルツ少年合唱団

                       (1994.2 @ベルリン)


シカゴとウィーン、ベルリン、そして、ルツェルンで、3つのマーラー録音を残したアバド。
しかし、8番は、ベルリンでのライブ録音を1種残したのみ。

ルツェルンでのシリーズの大トリに取り上げると予告されながら、結局は演奏されなかった。
それほどに、この大作を取り上げるには、体力と気力、そしてなによりも、オペラも歌える優秀な8人の歌手と、フル編成のオーケストラと大人数の合唱と、それを収納するホールといった具合にクリアすべき難題がたくさんある。

ロンドン響の時代から、シーズンには大きな命題を掲げて、練り上げられた知的なプログラミングを行ったアバド。
1994年のベルリンフィルのプログラムは、「ファウスト」にまつわる曲目が取り上げられました。
シューマンの「ファウストの情景」もここで取り上げられましたし、なんといっても、アバド初の「千人の交響曲」に注目が集まったものです。

95年に発売されたこのCD。
いまでは、わたくしの、アバドのCDのなかでも、宝物のような1枚です。

アバドらしく、明るくしなやかで、そして緻密な響き。
透明感あふれるサウンドは、どんなに音が大音量で重なっても美しく溶け合っていて、ベルリンフィルのスーパーぶりもそれに拍車をかける。
さながらオペラを指揮する時のアバドのように、全体に見通しがすっきりしている。
歌手も、合唱も、きっと歌いやすいのでしょう。
8人のソロの真摯な歌い口もとても素晴らしい。

ルツェルンでも、千人の交響曲をやって欲しかったけれど、数年後には病に冒されてしまうアバドが、ベルリンとウィーンで大活躍していた時期の覇気にあふれるこの名演が残されて、ほんとうに感謝しなくてはなりません。
 病後のアバドは、その音楽に別の魂が宿るようになり、鬼気迫るものがあり、ある種の高みに達したわけで、ベルリンフィルと、そしてその後のルツェルンのメンバーとも、その関係は完全同質化してしまったと思うのですが、その前のベルリン時代のひとつの絶頂期が94年ではなかったかと、これまた思ってます。

曲は、いま、「神秘の合唱」に差し掛かり、ほろほろと落涙。

数日遅れの、アバドの命日に。

Azuma_3

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