2010年1月20日 (水)

ベートーヴェン 祝祭劇「献堂式」序曲 アバド指揮

6 4_2 今日は、大寒。
暦の上では、今日から立春まで、とても寒いですよ、という日。

でも皆さん、びっくりこかれましたように、春を思わせる気温で、昼休みは、東京は上着なしでも気持ちよかった。
夜は風が出たけれど、それでも寒くなく、家へ帰る途中、風に乗って梅の花の香りがただよっておりましたよ。

そして気になるこの画像は、12月3日に、ミラノのスタジオで収録された音楽対談番組。
発売された「音楽の友」でもレポートされていたし、いつもお世話になっている、アバド・ファンのサイト「con grazia」の掲示板でもご紹介があったもの。
そして、その映像をしっかり拝見しましたよ。
おりからスカラ座で上演された「カルメン」を、スタジオ内に並んだスカラ座フィルをバレンボイムが指揮して、楽曲紹介。観客も入ってます。
このスタジオは、もしかしたら、DGの数々のヴェルディのオペラを収録した場所ではなかろうか!!
そして、驚くほどイタリア語が堪能なバレンボイムのインタビューに続き、マエストロ・アバドがスタンディングの敬意を表され、登場。
バレンボイムのピアノで、ベートーヴェンの3番の協奏曲の終楽章を指揮。
スカラ座フィルを指揮するのは、いったい何年ぶりになるのでありましょうやsign03
きたるべき、マーラーの前哨戦ともいえる感動の組み合わせ。
朋友バレンボイムも、ピアノを弾きながら、思わず腕がうずうずしちゃってる。
こんな二人に睨まれて、オーケストラは大変だ。
イタリア語だからさっぱりわからないけれど、和気あいあいとした対談に続き、もう一人の朋友ポリーニが登場して、さらに対談が進み、ポリーニはピアノは弾かなかったものの、劇若のブラームスの協奏曲の映像が背景に流れて、いい雰囲気の巨匠3人組でありました。
こんなすげぇ番組は、DVDにでもしてもらいたいですな。

Abbado_beethoven_die_weihe_des_haus こちらは、15年ぐらい前のアバドのジャケット。
壮年の覇気に満ちております。
いまや、好々爺然としておりますが、相変わらずその表情は若々しい。

そして納得したこと。
先だって、神奈川フィルの主席チェロの山本さんを囲む会で、小澤征爾さんの目力のすごさ、というお話を氏からお聞きした。
それと同じような人間の目の力というものを、先の巨匠3人にも感じた。
目の力の雰囲気は、三者三様なのだけれど、人を動かす力とでもいいましょうか。。。

今日も、ベートーヴェンの後期を意識しつつ、しかもアバドということで、音楽を選択してみた。
祝祭劇「献堂式」序曲 作品124
ひとつ前の作品123が「ミサ・ソレムニス」、あとの作品125が第9交響曲。
巨大な作品に挟まれて、あまり有名でもなく、交響曲にカップリングされている程度で、地味な作品なのであります。
 祝祭劇とあるからには劇付随音楽なのであるが、大作作曲中に依頼を受けたうえ、納期も短かったため、劇音楽のほとんどを、作品113の「アテネの廃墟」から転用して、序曲と第8曲目のバリトンと合唱の音楽を付け加えて間に合わせた。
ウィーンのヨーゼフシュタット劇場のこけら落し用の音楽なのでありますが、当時は過去作の転用とかアレンジなんてことは気にせず、おおらかなものだったのだろう。
 ちなみに、この劇音楽、すなわち「アテネの廃墟」には、そっちの方の序曲もあるし、両方に超有名な「トルコ行進曲」が入っております。
 アバドベルリンフィルという超豪華な演奏で聴く「トルコ行進曲」は、キビキビとしたもので、ある意味快感を呼び起こしてくれますぞ。

さて、その序曲は、作曲時期からして、さぞや深淵なる音楽なのだろうと思いきや、堂々としていて、明朗快活な明るい音楽なのであります。
力強い和音の連続で始まり、荘重な出だしの前半は感動の兆しを予見させるが、続く主部は早いテンポの二重フーガで、にぎにぎしく、祝祭の雰囲気を盛り上げてゆく。
そのまま一気加勢に、ある意味楽しい雰囲気のまま曲は終結する。
 深みはないが、昨晩のピアノソナタで書いたとおり、ベートーヴェンが簡潔さモットーにして書いたような感じで、わかりやすく、気分も高揚することで、祝典的な序曲としては、大変よく書かれているのではと。

アバドにこうした音楽を振らせると実にうまい。
気まじめなアバドが、ベルリンフィルを相手に、真剣にベートーヴェンに挑んでいるが、いつものように、スリムでしなやかな響きがそこにあるので、実に気持ちがよろしい。
93年の録音。
Abbado_beethoven_ouverturen 一方、アバドは89年にウィーンフィルと序曲全集を録音していて、この序曲もそこに含まれている。
どちらも、オーケストラの持ち味が活かされた、とてもいい演奏だが、切れ味で勝るベルリン盤の方が今は好きかも。

明日も、一日の半分、暖かいらしい。
体調を壊しませんように。

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2009年12月 4日 (金)

ラヴェル 「ボレロ」 アバド指揮

Taiyaki_nagoya 変わり種のたい焼きを。
チョコとかカスタードはよくあるけど、こちらは、「お好みたい焼き」。

あんこの代わりに、お好み焼きの具?が入ってる。
結構お腹いっぱいになります。
@160円。

ほのぼのお好みたい焼き本舗

Taiyaki_nagoyajpg2 こちらは、普通のあんこタイプ。

めでたいですな。
跳ねてます。

Abbado_bolero 爆演シリーズ?

燃えなかったゲルギエフの演奏会の反動か、気持ちが「爆」を求めております(笑)

いつも物静かな印象のアバド
でも音楽への情熱ははかり知れぬほどに熱い。
オーケストラとの共同作業をこころがけ、そこに乗っかっているようでいて、オケのやる気をまんまと引き出してしまう。

だから気のあったメンバーたちと、それこそ興が乗ったときのライブは本当にすごいアバドなのだ。
進化するアバドはいま、ルツェルンを軸に、その重要な構成メンバーである、マーラー・チェンバーと古典専門のモーツァルト・オケの若いふたつの団体と仕事をすることが、楽しくてならないようだ。
オケの若さとアバドの成熟、この相対する要素が、いまだかつてない音楽の領域を切り開きつつある。
この常変わらぬ進行形の姿がアバドなのである。
先月体調を壊して(心臓疾患!)コンサートをキャンセルしているが、大事には至らなかったようで何よりである。

さて、そのアバドがポストを得たオーケストラの中で、一番相性が良かったと思うのが、ロンドン交響楽団である。
もちろん、スカラ座もいいし、ベルリンフィルの後期などはオケの献身も加わって神がかっていたけれど、ロンドン響とはお互い肩肘はらず、若かったアバドがやりたいことをやり、オケが素直に応じているという自然さがよいのである。
83年にこのコンビで来日し、来日中に首席指揮者から音楽監督への就任が発表され、アバドはとても嬉しそうな顔をしていた。
私は、このときの3つのプログラムをすべて聴いた。
①火の鳥、巨人、②不思議な役人、幻想、③ラ・ヴァルス、マーラー5番
どれもこれも燃えたぎる名演だったが、当時マーラーにはまっていたので、マゼール&ウィーンと時をおかずに聴いた5番が、もうむちゃくちゃに素晴らしい演奏だった。
ロンドン響の圧倒的なうまさにも驚きの連続!

そのロンドン響とラヴェルの全集を残したアバドだが、「ボレロ」をメインにしたこちらのCDがその1枚目であった。
アバドのラヴェルは、展覧会とラ・ヴァルスが先行して出ていたが、そちらはムソルグスキー寄りの渋い演奏で、それにラ・ヴァルスは霞んでしまった印象がある。
そして、このボレロを聴いたときの驚き。
ごく普通に、インテンポで始まり、敏感な弱音がいかにもアバドらしいわい、フムフムと思っているうちに、ジワジワと熱くなってくる。
そしてテンポも音圧も徐々にあがってくる。
一瞬アンサンブルが怪しくなるところもご愛敬。
オーケストラの各奏者たちは、もうノリノリである。
ことに金管の明るい輝きは炸裂寸前。

そしてついにやってくる最後の全オーケストラによる咆哮はすさまじく、そこにはこともあろうに興奮した楽員の叫び声が混じっているのだ。その後の急転直下のエンディングはそれこそ大爆発である。
ジャケットの解説に、この時の逸話が挿入されている。

「録音の際、間断なく演奏された主要録音の最後の数小節で、弦セクションの楽団員から自然に叫び声が湧き起こった。これはもちろん楽譜にないことであるが、その効果はめざましく、アバドの要望によりこの録音が採用されている」

スペイン狂詩曲」の終曲、祭りもまたすさまじいアッチェランドがかかり唖然としてしまう。
歌に満ちた「マ・メール・ロア」は美演。

音楽の楽しみをいつも味あわせてくれるアバドでありました。
爆シリーズ終わり。

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2009年11月28日 (土)

ベルク 室内協奏曲 アバド指揮

1 六本木ヒルズ内にある、毛利庭園。
その池に、クリスタルに輝くイルミネーション。

都市の樹と呼ぶそうな。
グリーンやブルー、赤にと刻々と色が変わるすぐれもの。

周辺のけやき坂もすばらしくキレイであります。
こちらも取材済みですから、いずれUPします。

Berg_chamber_concert_abbado 今日もベルクを聴いてやろうじゃないか。

大好きなヴァイオリン協奏曲でも、と思ったけど、何度か登場させているので、同じ協奏曲で、「ヴォツェック」の次に書かれた、室内協奏曲を聴くこととした。

ピアノとヴァイオリン、13管楽器のための室内協奏曲」というのが正式な名称。

ピアノとヴァイオリンはソロ、オケにあたる楽器は、ピッコロ、フルート、オーボエ、イングリッシュ・ホルン、クラリネット2本、バス・クラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン2本、トランペット、トロンボーンという編成。

こんなにユニークな楽器の取り合わせの協奏曲は、ほかにないのでは。

いつものベルクらしく、この曲にもいろんな想いを込めて緻密のかぎりに作曲されている。
1924年の、師シェーンベルクの50歳の誕生日に献呈するつもりで、筆を進めたが間にあわなかった。

では、師の誕生日に送りたかったこの曲の内容はというと。
まず、冒頭にこの曲のモットー主題が、フルート、ヴァイオリン、ホルンの橋渡しで演奏される。
新ウィーン楽派の面々がよく使う手だが、その主題の中に、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルクの3人の名前を音名が共通する音で織り込んだのだ。
 この3という数字も、意味深く扱っていて、楽章は3つ、3つの楽器群。
1楽章はピアノ、2楽章はヴァイオリンが主体で、3楽章は二つの楽器が協奏し合うという3のバランス。
 さらに5という数字にも、意味を持たせているという。モットーが5つの小節、楽器総数が15、3×5=15、5回繰り返される旋律が多々ある。これらは、師の年齢50歳を意識してのことといわれている。
そして曲は無調が主体だが、一部、12音も柔軟に取り入れている。

まぁ、こんな小難しいことはあまり意識せずに、楽器間の緊張したやり取りや、時折ふっとあらわれるベルクらしい甘味な表情などを見つけ出したりしながら聴くのがよい。

1楽章は、「友情」と題され、スケルツォ風主題と5つの変奏。
この変奏には、ベルクの友人5人の名前がつけられていて、ピアノの怪しい輝きが魅力。

第2楽章は、アダージョで「愛」。これは、自身のヴァイオリン協奏曲とも似ていて、ベルクらしい美しさを聴くことができる。
シェーンベルクの病床にあった妻マティルデの名前が使われているほか、師の「ペレアスとメリザンド」からのメリザンドの主題も引用されている。

休みなくピアノの大胆なカデンツァで始まる3楽章は、冒頭のヴァイオリンとの超絶的な二重奏が強烈だ。「世界」と題され、これまでの二つの楽章と二つの楽器が融合した大曲。
二重奏の導入部、ロンド・リトミコ、コーダの3つに分けることもできる。
この楽章は、シェーンベルクの室内交響曲にそっくりに聴こえるのは、ホルンの活躍が大きいからだろうか。
熱気と緊迫感に満ちていて、スケッチにはベルク自身が、「世界、人生、万華鏡」と書いたとおり、いろんな方向から音が飛んできて、それは光の放射のようにいろんな色に姿を変えてみえるし、多面的で一言で推し量りがたい音楽である。
最後のコーダは、2分であっという間だが、モットーが次々とめまぐるしく奏され、ピアノの持続音の上にオーボエ、ピッコロなどが早いパッセージを刻んだあと、ヴァイオリンがピチカートで2楽章冒頭の旋律をポロロンと奏でる。
ずっとピアノは響いたまま、曲は消えるように終わる。

これは、かなり印象的な場面だ。
ベルクの音楽は、小難しく聞こえる反面、耳ざわりの非常にいいものだが、いつも最後は何か問題を投げかけてくる。
この曲も、最後のピチカートのあまりにあっけないお終いには、肩透かしを食らうが、その先にあるものはなんだろうか。
人生、こんなもん・・・・、ってなことかしらん。

ベルクの使徒アバドがCBSに録音したこの音盤。
アイザック・スターンと、ピーター・ゼルキンとの共演も珍しい。
オケはロンドン交響楽団メンバー。
全員が研ぎ澄まされ、明晰な音を紡ぎだしていて敢然とするところがない。
これは素晴らしい演奏だ。
ブーレーズもバレンボイムとともに何度か録音している。

3 2_2

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2009年11月13日 (金)

ペルゴレージ スターバト・マーテル アバド指揮

Takatsuki 高槻教会
高山右近ゆかりの教会は、とても清々しく落ち着く場所でありました。

聖母マリアとその足元の扇風機がなんとも庶民に開かれた雰囲気にございました。

こちらの写真は、いずれまたご紹介します。

Stabat_mater_orch アバドは、特定の作曲家に強い思い入れをもって、執念ともいえる意欲で、その作品演奏に励むことが多い。
マーラー、ムソルグスキー、新ウィーン楽派などに加えて、ペルゴレージもそう。

一番有名な「スターバト・マーテル」だけではなく、「ディキシド・ドミヌス」を含む宗教作品を集めた1枚とさらにミサ曲などの1枚、都合3枚のペルゴレージ・アルバムを続々とリリースする。

来年、2010年が生誕300年の記念の年となることもあっての録音ながら、超巨匠になったアバドが、マーラーを繁茂に演奏するかたわら、スターバト・マーテルばかりでなく、ペルゴレージのまったく未知の作品まで掘り起こして録音を重ねているということ自体がすごいことだと思う。
しかも、ピリオド奏法に徹した積極的な演奏で、その探究心の豊かさと進取の気性は、かつての大巨匠たちには考えられないことだと思う。

ペルゴレージ(1710~1736)は、中部イタリアに生まれ、その後ナポリで活躍した作曲家で当時絶大な人気を誇ったらしい。
オペラを数十曲、宗教作品・歌曲多数と声中心にその作品を残したが、26歳で亡くなってしまうという天才につきものの早世ぶりであった。
スターバト・マーテルは、おそらく最後の作品とされているが、磔刑となったイエスの十字架のもとで、悲しむ聖母マリアを歌った聖歌で、ヴィヴァルディ、スカルラッティ、ロッシーニ、ドヴォルザーク、プーランクなどが有名どころ。
 それらの中にあって、抒情的な美しさと優しい歌と劇性にあふれていることで、ペルゴレージのものが燦然と輝いている。

アバド3度目の録音は、ピリオド奏法を用いながらも、少しも先鋭にならず、リュートを交えた響きは古雅で暖かく、そして繊細極まりない演奏となった。テンポも早くなっている。
嘆きの歌であるから、基本は短調であり、悲痛な音楽でもある。
アバドの透徹した表現は、その悲しみを歌いだしてやまない。
一方で、アバドのこの演奏には、不思議と明るさが漂っているように感じる。
それは、音楽をする喜びに満ち溢れた明るさとでもいえようか。
若い奏者たちのレスポンスの高い演奏が、アバドを若々しくしているのか、アバドの深淵な域に至った人間性が、若いオーケストラから驚くべきサウンドを引き出しているのか。
マーラー・チェンバーと同じことがここでも言えるのではないか。
 アバドのお気に入りの歌手ふたり、ハルニッシュミンガルドのニュートラルな歌もすっきりと好ましくも美しい。

    ソプラノ:ラヘル・ハルニッシュ   コントラルト:サラ・ミンガルド
   
         オーケストラ・モーツァルト

                  (2007.11@ボローニャ)

Stabat_mater
83年録音のロンドン響との録音。
こちらは、レコード・アカデミー賞をとった名盤である。
当時、コンサートスタイルの演奏が主流の中にあって、ロンドン響を小編成に組みなおし、バッハやヴィヴァルディをさかんに演奏していたアバド。
この録音が出たときも、垢をすっかり洗い落したかのような、スッキリとスマートなペルゴレージに、多くの聴き手が新鮮な思いを抱いたはずだ。

新盤を聴いて、こちらを聴きなおすと、そのあまりの違いに驚くを禁じ得ない。
テンポの相違は先に書いたとおりだが、響きが過剰に感じ、感情表現も濃く感じる。
演奏スタイルの時代の変遷もあろうが、それ以上にアバドのやりたいことが違ってきているわけである。歌手の歌い方も、大幅に異なる。
ここで歌っている、マーシャルヴァレンティーニ・テッラーニは見事としか言いようのない素晴らしい歌唱である。しかし、新盤での抑制の利いた若い歌と比べると、歌いすぎと聴こえるし、オペラティックですらある。
 でもですよ、私には、この清々しい歌に満ち溢れたペルゴレージも捨てがたく、どこか懐かしく、若い頃のことを思い起こしたりもしてしまう1枚なのであります。
25年も前だもの。私も若いですから。

  ソプラノ:マーガレット・マーシャル 
  コントラルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ

         ロンドン交響楽団員
                 (1983.11@ロンドン・キングスウェイホール)

Stabat_mater_la_scalla そして、79年の録画によるスカラ座メンバーとの演奏。
こんな映像が、今年、忽然と姿をあらわした。
しかも歌手が、リッチャレッリテッラーニなのだから。
さらに、演奏会場がすばらしい。
オーストリア、ケルンテン州の美しい湖のあるオシアッハの、シュティフツ教会。
装飾美あふれるバロック建築の、これまた美しい教会である。

「ケルンテンの夏」音楽祭でのライブと思われる。

宗教音楽は、本来コンサート会場ではなく、教会での典礼の一部であったわけだから、こうした場所での演奏は至極当然であり、演奏する側も、聴く側も、音楽の感じ方が変わってくるはずだ。
アバドがこの音楽に求めたものが、こうしたシテュエーションでの映像を見てわかるような気がした。
ロンドンでの録音より、オーケストラは小規模で、教会の豊かな響きは意外と捉えられておらずデッドである。だから、よけいに音ひとつひとつが直接的に訴えかけてくる。
無駄なものを切り詰めた直截な表現に感じ、そうした意味では新盤に近い。
この演奏の2年後に、スカラ座を引き連れて、カルロスとともに来日したアバド。
その時のコンマスも座っていて、なぜか懐かしく思い出される。
アバドも歌手もともかく若い。
指揮棒を持たずに簡潔な動きで真摯な雰囲気がにじみ出ていて、ペルゴレージの音楽が持つ抒情と劇的な要素を見事に描き出している。
 惜しくも亡くなってしまった、ヴァレンティーニ・テッラーニの深みのある声がまったくもって素晴らしく、この頃は重い役柄で声が疲れていなかった、リッチャレッリのリリカルな歌声も素敵。ロンドン盤の歌唱より、こちらの方がオペラへの傾きが少ない。

     ソプラノ:カーティア・リッチャレッリ
     コントラルト:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ

         スカラ座合奏団
              (1979.夏@オシアッハ、シュティフツ教会)

3種類そろったアバドのペルゴレージ「悲しみの聖母」。
新盤は別次元の感あるが、それを含めて3つともに、わたしの大切なライブラリーとなりそうだ。願わくは、プティボンに、このソプラノ・パートを歌って欲しいもの。
キャプチャー画像を多めに貼ってみました。
若い、きれい、かっこいい、でしょnote

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2009年11月11日 (水)

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番 五嶋みどり&アバド

Toyota_kanihnke 車であのトヨタのおひざ元を走っているときに、突然現れた立派なお城。

あれっ、地図にもナビにも出てないぞ?

誰の居城ぢゃあ~?

実はこれ、「かに本家 豊田城店」だそうな。

まじですごい。

天守閣でカニを食うのかcancer

Shostakovichi_vln_con_midori_abbado ショスタコーヴィチヴァイオリン協奏曲第1番
これは大曲であり、4楽章の連続しない完結した構成は、まるで交響曲の様相を呈している。

1947年~48年の作品で、交響曲でいえば9番と10番の間。
スターリン政権下の文化委員ジダーノフの行った時の知識人への抑圧キャンペーンとちょうど重なる時期で、ショスタコーヴィチはダヴィッド・オイストラフを想定した書いたこの協奏曲を引っ込めてしまう。
そしてあたりさわりない、映画音楽や合唱作品を書きつつも、この深刻な協奏曲を完成させた。
初演は遅れること1955年に、オイストラフとムラヴィンスキーによってなされている。

例のDSCH音型も使用されるなど、第10交響曲との関連性も窺われるが、なんといっても、ヴァイオリン・ソロに要求される超絶的な技巧と多様な音楽性でもって驚くべき作品となっている。
トランペットとトロンボーンを欠く、渋く、かつ名技性を要求されるオーケストラ部分も凄まじい。

第1楽章:夜想曲
第2楽章:スケルツォ
第3楽章:パッサカリア
第4楽章:ブルレスケ


沈滞ムードとノクターン的夢想が織り込まれた第1楽章は緩除楽章。
いかにもショスタコっぽいスケルツォは、途中ノリノリのお得意の行進曲モードで、聴いていて思わず体が動いてしまう。
ヴァイオリン独奏がずっとカデンツァのように弾きまくらなくてはならない高難易度のパッサカリア。その形式のとおり、古風で甘味な雰囲気もあるが、実に深みのある音楽。
アタッカで強烈に始まる終楽章はまた、無窮動的なショスタコモード満載。
ソロとオケが激しくぶつかり合い、しのぎを削るかのようでとどまるところを知らない。
ラストは興奮の坩堝だ。

   ヴァイオリン:五嶋みどり

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                         (1997.12 ベルリン)

こんな凄まじい協奏曲を、五嶋みどりがライブ録音したのが97年、26歳のこと。
技巧的にまったくの過不足がないばかりか、一音一音に込められた覇気がひしひしと伝わってきて、こんなに音楽に入り込んで大丈夫だろうかと思ってしまう。
スケール感はさほどではないものの、繊細さと鋭さにおいては目を見張るものがあるし、音の充実度においては先に書いたとおりである。

いまのところ、アバド唯一のショスタコーヴィチ録音であるという点で、アバディアンである私にとっては、ミドリさん以上に注目度が高い録音である。
アバドの持ち味である繊細さと鋭さは、ミドリさんと同じくするものであるが、どこか醒めた眼差しも感じるのは私だけであろうか。
もちろん天下のベルリンフィルだけあって、2楽章や終楽章は凄まじいまでの鳴りっぷりである。
アバドのショスタコーヴィチは、この他にベルリンフィル退任コンサートで「ハムレット」を取り上げているのみである。
ムソルグスキーにのめり込むほどに、ショスタコーヴィチには向かわなかったアバドである。それでも、パッサカリアの深刻極まりなく重厚な響きは、まったく素晴らしいものである。

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2009年11月 4日 (水)

「プティボンのラモー」と「アバドのペルゴレージ」を聴きながら

A 見てくださいよ、このコスモス畑。

先週、兵庫県を中心に出張したおり、行程に含まれていた淡路島。
そこで、得意の寄り道でござる。

あわじ花さじき」という県営の公園。無料なんです。
そしてやたらデカイんです。
急に寒くなって、いまさらコスモスでもないけれど、まだ満開のはず。
花の鮮度切れにならないうちに、公開しときます。
D 黄色いコスモスもこんなです。

こんな写真を整理しながら、本日もプティボ~ンheart02

あのクリクリまなこのかわゆいジャケットのCDを聴いております。
ラモーのオペラ「プラテー」と「イメンとオモール」からのソロ。
彼女の声に、心が洗われます。
そして愉快なソロでは、あのお姿が目に浮かびます。
E

こーんな感じです。
こんな2色畑、初めて見たeye

C そして、もう1枚。
ペルゴレージの「スターバト・マーテル」。
こちらも美しく、歌に満ちた桂品でございます。
アバドは、この曲がよほど好きと見えて、映像も含めて3種類が手元にあります。
最新のものは、モーツァルト・オーケストラを指揮してピリオド奏法に徹してる。
おっそろしく透徹した演奏ですぞ。

B_2 ラモーはフランス・バロック、ペルゴレージは、イタリア・バロック。
ともに同時代に活躍したオペラ作曲家でもあります。

アバドの「スターバト・マーテル」は次週あたりに取り上げます。

サルビアの海や~

F 公園を眺め渡すの図であります。
まるで、富良野のようじゃありませんか。

1 明石海峡を望むの図。

こんな道草くってたら、約束の時間に遅れそうになってしもうた。

毎日、プティボンの声を聴かないと気がすまない。
こりゃ、重症だわなdespair

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2009年10月23日 (金)

ウェーベルン オーケストラのためのパッサカリア アバド指揮

Makhari 千葉市の幕張副都心

高速で帰宅中にパシャリ。
お月さんもいい感じで撮れました。

昔は高層ビルといえば、霞が関ビル。
そのあと、新宿の副都心が開発され、いまや都内は高層ビル・高層マンションだらけ。

そして首都圏の3都市~横浜、千葉、さいたま、にも副都心ができましたな。
いずれも、ビジネスと商業、住居のバランスが取れた街。
こういう光景は結構好きであります。
幕張の自慢は、商業系。
イオンの本社、カルフール、コストコ、三井アウトレット、あと少し上れば、ららぽーとにIKEAsign01

Abbado_webern

今週は、私のフェイバリット4人指揮者を取り上げていて、最後は「にゃんこ」を挟んで、クラウディオ・アバドであります。

アバドとの付き合いは、もう何度もここに書いてきたけど、長いのです。
1972年にボストン響とのスクリャービン&チャイコフスキーを聴いて打ちのめされて以来37年間。
ずっとアバドを聴いてきた。
クーセヴィッツスキー・コンクールで優勝したアバドの楽壇デビューは1959年だが、スワロフスキー門下として同門で朋友のメータと同じくウィーンとの縁が大きい。
その後、ミトロプーロス指揮者コンクールではコシュラーと優勝を分け合い、バーンスタインのもとでも学んだ。
そして、カラヤンに認められザルツブルク音楽祭に伝説的なデビューを飾るのが67年のこと。マーラーの「復活」がその曲目。
故郷のスカラ座の指揮者となり、ウィーン・フィル、ロンドン響、シカゴ響(首席客演)、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィル、ルツェルンという超一流ポストを歴任したことは、みなさんご存じのとおり。
カラヤンと同じような、こんなすごい地位を昇りつめていくなんて、最初は予想もできなったこと。
でもアバドは権謀術策を尽くしたりしてこんな地位を掴んでいった訳ではさらさらなく、オケやハウスから請われるようにして自然のなりゆきでなっていった。
野望や嫉妬とは無縁のアバドは、平気でその地位を投げ出してしまう。

音楽することだけを純粋に考えているそんなアバド。
その最大の功績は、若手演奏家の育成。
ECユースオケ、ヨーロッパ室内管、マーラー・ユーゲント・オケ、マーラー・チェンバー、モーツァルト・オケなどなど。

かつては考えられない新時代の指揮者と呼べるのではなかろうか。
オペラハウスから叩き上げて実績をつけて地位を築いてゆくのが昔の指揮者のあり方。
ベームもカラヤンも、カルロスもそう。
アバド以降の指揮者たちは、コンクールで名をあげてからオペラに入って行くパターンとなったが、名門の出アバドは、労せずして根っからのオペラ指揮者でもあった。

好きなものだから、一度こうしたことを書いておきたかったアバド。
ウィーンの街とは切っても切れないから、マーラーや新ウィーン楽派は超得意。

ウィーンフィルとの蜜月時代に、新ウィーン楽派の3人の作品が録音されたことは、本当にありがたくも貴重なこと。
アバドの精緻なウェーベルンは、若い頃から絶品で、73年にウィーン・フィルと初来日したおり、ベートーヴェンやブラームスに混じって、ウェーベルンの5つの小品を演奏したが、これまた評論家筋からはけちょんけちょん。
オケに乗ってるだけ、振ってるだけと。
ただ、ウェーベルンだけは絶賛された。
弱音で歌うという、当時としては考えらないリリシズムをウェーベルンの音楽でやってのけたのだから。
74年のシェーンベルク・イヤー(100歳)に、アバドはウェーベルンをたくさん指揮していて、FMで「パッサカリア」が放送された。
これがまあ、あきれ返るほどの歌に満ち溢れた美しい演奏で、むせかえるほどのウィーンフィルの美音も放送録音ながら、はなはだ素晴らしく捉えられていた。
今でも私の大切な音源のひとつである。

そして、正規録音は90年。
若い情熱は、より自在な音色の配列に重きを置くようになってクールさが増したし、再弱音から強音までのダイナミクスの幅がきわめて大きい。
ウェーベルンの習作期最後のこの作品は、後期ロマン派の香りが色濃いが、トリスタンやマーラー、ツェムリンスキーの流れをしっかり汲んでいる一方、緻密な対位法や休止の効果的な使用など、のちのウェーベルンの顔もしっかり刻まれている。
本当のアバドらしさは、「5つの小品」や「6つの小品」、「変奏曲」などに出ていると思うが、
今宵は濃密なパッサカリアを聴きたかった。
最後のクライマックスの頂点で、ホルンがこの曲の重要な楽想のひとつをオーケストラの上に、一本奏でて、それが残像のように残るのだが、この場面、ウィーンフィルならではの美しさで、諸盤のなかで、アバドが最高だと思う。

この曲も夜の音楽であります。

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2009年10月 5日 (月)

ベルク 「ルル組曲」 アバド指揮

Biwako_sepia_2 琵琶湖に月。
セピア処理してみました。

昨日観劇したベルクの「ルル」。

完全に悩殺されてしまった。
帰宅後、新幹線で書いた記事に手をいれながら、「ルル」をつまみ聴き。

一夜明けても、私の頭の中はルルだらけ。
どうしたらいいんだろ。
明日は、またまた無謀にも、新国の「オテロ」千秋楽があるというのに。
気分が切り変わらないよ。

Berg_lulu_abbado こうなりゃ、とことん。

ベルク(1885~1935)は、「ルル」を2幕までで、3幕を不完全なままで、悪性腫瘍により世を去った。
残された3幕からの抜粋部分2曲を、第2幕からの3曲の後につなげて、ルル組曲(交響曲とも)とした。
親父クライバーによる初演であった。

2幕から、ルルの魔性が本格的に音楽にもにじみ出てくるので、これら5つの曲は、オペラの雰囲気を30分で味わえる寸法となっている。

1.ロンド  2.オスティナート 3.ルルの歌  4.変奏曲    5.アダージョ

ベルクは、登場人物たちにそれぞれ12音音列によるライトモティーフを付けていて、登場人物から他の登場人物に基礎音列を関連づけて導き出されているという。
そのすべては、私にもわからない。
もっと聴きこんで味わいつくしたいと思っている。
それだけ、ベルクの音楽は魅力的で、昨日の舞台を経験して、ルル願望は満たされはしたものの、もっと知りたい「ルル」なのであります。
ホールで頂戴したパンフレットには、かなり読みでのある記事が満載で、まだ読破はしていないものの、目からウロコの部分も多々ある。

ベルクを愛するアバドは、若い頃からずっとベルクに取り組んできて、「ヴォツェック」には執念とも呼ぶべき取組み方を見せスカラ、ウィーン、ベルリンと指揮し続けた。
「ルル」もウィーン時代に手がける予定があったが、ベルリン着任により実現しなかったのが残念。ベルリン時代に何故「ルル」を取り上げなかったかは不明。
でも、70年のロンドン響、94年のウィーンフィルと2度に渡って、こちらの「ルル組曲」を録音していて、そのどちらもが素晴らしく密度の濃い演奏となっている。

ロンドン盤は、ニュートラルですっきりと整理され、知的で切れ味鋭い演奏だが、ウィーン盤は、その印象はそのままに、より濃密でダイナミックレンジの広い味わい深い演奏になっている。
24年の歳月とともに、オーケストラの持ち味が大きく作用しているのだ。
どちらもアバドらしい、歌心にあふれているが、そこに甘味なベルク節がおのずと載ってくるのがウィーンフィルならでは。
むせかえるようなホルンの咆哮、唸りをあげてむせび泣くヴァイオリン。
切り裂きジャックによる、ルル殺害の大音響も決して威圧的にならない。
そのあとの、ゲシュヴィッツ令嬢のルルへの愛情吐露に続く、オペラのエンディングの虚ろな響きにも歌がある。
録音も今もって絶品で、ムジークフェラインの黄金色が立ち上ってくるようだ。

Lulu2_a こちらが、1970年のベルリン・ドイツオペラ来日公演の写真のうちの1枚。

ゼルナーの演出は、ベームのレコードジャケットと同じもので、これらを眺めつつ、未知なる「ルル」に想像をめぐらせていたワタクシである。

この時の演目は、「コシ・ファン・トゥッテ」「魔弾の射手」「ローエングリン」「ファルスタッフ」「モーゼとアロン」「ルル」という玄人じみたもので、指揮者も音楽監督マゼールにヨッフム、ホルライザー、マデルナ。
歌手は、FD,リゲンツァ、マティス、ローレンガーなど今思えば素晴らしい方々。
ルルは、当時の第一人者キャサリン・ゲイヤー。
小学生のわたしは、訳も分からず、テレビ放映された「ローエングリン」を見ていた。
ピットにいるマゼールが、ヴィーラント演出のブルーの光りをあびて、指揮していたのをまだ覚えている。

また、昔話をしてしまった。
こんなことの積み重ねで、音楽好きが昂じていった訳であります。
いまもまだ「ルル」聴いてまんねん。
「オテロ」はどうなる? え?

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2009年9月30日 (水)

「ヨナス・カウフマン オペラアリア集」 アバド指揮

Motomachi_union 先日の連休中の横浜元町

恒例チャーミングセール真っ盛り。

ものすごい人出でしたよ。
八景島で、姪の出演したイベントがあり、夕方に元町、中華街と散策。

学生時代は、横浜が乗換駅だったので、横浜の街を始終歩きまわっていたのでとても懐かしい。
女子は、ハマトラだったもんね・・・。

Kaufmann

ドイツが久々に生んだテノールのスター、ヨナス・カウフマンの新しいCDを聴いた。

1968年ミュンヘン生まれだから、結構ベテラン。そう、90年代なかばからすでに活躍をしていて、ここ数年で世界のオペラハウスからひっぱりだこになっている。

私は、チューリヒの「ティトの慈悲」のDVDを持っているのみで、そちらはまだ未開封。
ゆえに今回、初カウフマンだったのである。



 1.ワーグナー:『ローエングリン』~遠い国により
 2.ワーグナー:『ローエングリン』~白鳥よ、!
 3.モーツァルト:『魔笛』~何と美しい絵姿
 4.モーツァルト:『魔笛』~この少年たちの賢い教えを
 5.シューベルト:『フィエラブラス』より
 6.シューベルト:『アルフォンソとエストレッラ』より
 7.ベートーヴェン:『フィデリオ』~神よ!ここは何という暗さだ
 8.ワーグナー:『ワルキューレ』~冬の嵐は去り
 9.ワーグナー:『パルジファル』~アンフォルタス!
10.ワーグナー:『パルジファル』~役立つのはただひとつの武器


       テノール:ヨナス・カウフマン
       弁者  :ミヒャエル・ヴォレ
       クンドリー:マルガレーテ・ヨスヴィク


   クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ
                   パルマ劇場合唱団

                      (2008.12@パルマ)
      

そして、このCD、なんとアバドマーラー・チェンバー・オケと伴奏を付けているのだから驚き。
ゆえに即購入した訳でもある。
アバドは、孫のような若いオーケストラやソリストや歌手たちとの共演を好んで行っていて、いずれも真剣勝負の演奏ばかりで、進取の気性と若い人を育てる熱意にいつも心打たれる思いがする。
カウフマンの歌について書く前に、アバドとオーケストラを褒めちゃうけど、ここに聴くオケの響きの精妙さと雄弁さは特筆に値する。
音ひとつひとつに心が通っていて、いきいきと弾み、呼吸し、歌い手と一緒に慟哭し、喜悦する。すべてが深い表現に通じている。
あのルツェルンのスーパーオケでのアバドと一緒なのだ。
ここまでアバドは深化しているのかと、感嘆せざるをえない。
褒めすぎと思う向きは、どうぞ聴いてみてください。
シューベルトとフィデリオ、そしてパルシファルがとりわけ素晴らしい、鳥肌ものだ。
クンドリーも登場するパルシファルの同情と悔恨の歌、ワーグナーの書いた複雑なスコアが鮮やかに解き明かされる思いがする。音楽は、ウェーベルンやドビュッシーの領域へと踏み込むかのように精緻で美しい・・・。
「役立つのはただひとつの武器」が歌われたあとは、そのままカットなく長いエンディングとなるが、こちらがまたとびきり美しい。
透明感にあふれ、その響きは軽やかでさえあるが、気持のこもった祈りの音楽である。
こんな素晴らしいパルシファルの結末部分をこれまでに聴いたことがない。
非正規盤の全曲、ベルリンフィルとの抜粋盤、いずれをも凌駕していると思う。
マーラー・チェンバーとの全曲録音を切に望みたい。

そして、カウフマンですよ。
このテノールは容姿もgoodだが、声も実に素晴らしい。

もっと軽い声を予想していたのに、ローエングリンの第一声から太くて、豊かな声量にびっくりしてしまった。あのフォークトばりの優男ではなくて、J・トーマスやP・ホフマンのような力強い立派なバリトンがかった声だったのである。
かといって、ヘルデンともまだ言えないかもしれない。
重ったるいロブストな声とはまったく異なって、もっと器用で細やかな歌い回しにも長けていて、抒情的な役柄も歌えそう。
 タミーノやシューベルトには、そうしたキリリとしたカウフマンの姿が浮かび上がってくる。
フロレスタンは、アバドとも共演したばかりの役柄。いきなり嘆きの叫びを上げず、ピアニシモからのクレシェンドが珍しい聴きもの。ここでの絶望と希望を行き来する明暗の歌い分けがとても素晴らしいと思った。
そして、注目のワーグナーは、ローエングリンとパルシファルの親子二代とジークムントを歌っている。
現役世代で、これだけ声があって、ワーグナーらしい高貴さと陰りを持ち合わせているテノールは見当たらないのではないか。
久しく払底していた、本格ワーグナー・テノール路線に光が差し込むのを見る思いだ。
ジークムントはロマンテックなアリアしか歌われていないこともあって、ややムーディに流れすぎだが、ローエングリンとパルシファルは、耳が洗われる思いのする新鮮な歌で、アバドの鮮度高いオーケストラとともに最高の場面である。

カウフマン氏、ワーグナーのレパートリー拡張には慎重で、ジークフリート、トリスタン、タンホイザーについては長くかかる、とブックレットのインタビューにも答えている。
そう、長くじっくりと歌いこんでいって欲しい。
でもこっちも待ちきれないから、早くしてね(笑)
ちなみに、パルシファルでクンドリーとして付き合っているヨスヴィク(Joswig~読み方不明)は、カフウマンの奥方との由。

Friedrich2   ジャケットは、ロマン派の画家、フリードリヒのもの。

こんな細工を施したジャケットを使うなんて、はや大物であります。
ポリーニの弾いたシューベルト「さすらい人幻想曲」のジャケットでもありました。

カウフマンが、「ばらの騎士」のテノール歌手で出演している映像。
ティーレマンとミュンヘンフィル、フレミング、ハバラタが出演の話題のバラキシ。
イタリア歌手ということで、スパゲッティぱくついてます(笑)

http://www.youtube.com/watch?v=mYg9IvjVmds

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2009年8月17日 (月)

ドビュッシー 「牧神の午後への前奏曲」 アバド指揮

Oiso_pine 帰省中に撮った大磯の松並木
東海道の昔から変わらぬ姿。
真夏の昼間の眩しい日差しを受けて影はクッキリ涼しげ。

こんな街道沿線でも海の見える云々とかで、マンションが計画中で、建設反対の幟もちらほら。
このあたりは昔からマンション計画は反対を浴びて挫折する鬼門なのになんでやるのかね?
吉田茂邸も全焼しちゃうし、どうもいいことない。

Abbado_debussy 「ものうい真夏の昼さがり、シシリアの岸辺、森かげにまどろんでいた牧神が、夢からさめて笛を吹く。」

残暑を楽しむ音楽を聴きましょう。
たまりにたまった仕事に、先延ばししてた出張、子供の宿題のサポート・・・、あぁ時間がない。
こんな時でも週末にワーグナーを聴いちゃうという芸当をお見せしますのでお楽しみに。

仕事再開の本日、短めに、でも内容は濃い1曲。
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をば。

この曲は、中学生の時に聴いた。
曲の内容も知り、夏休みのうだるような一日、昼のさなかによく何回も聴いて、ホワ~ンとしていたものだ。
冒頭、フルートの吹けば簡単に思われるメロディから始まり、曖昧で模糊、夢かうつつかと思われる具合に進行する。こうした雰囲気が、日の中や木漏れ日のように徐々に光の加減を変えていって、いろんなイメージを映し出してゆく。
私は、その流れに身を委ねて、ふわふわと、そして陶然としているだけで、この曲の10分間が流れ過ぎていってしまう・・・。

象徴派詩人マラルメの詩をモティーフにしたこの前奏曲。
最初は「間奏曲」と「終曲」も付けて3曲の作品になる予定だったというが、この「前奏曲」だけでもう充分。
ワーグナーに傾倒したドビュッシーのワーグナーへの決裂の前奏曲でもあった。

アバドロンドン交響楽団音楽監督時代の最後の頃(86年)の録音のこのCD。
「海」が好きでそればかり集めていたら、おのずと「牧神」も付いていて、たくさん揃えてしまった。このアバド盤は、違うカップリングだけれど、このコンビのイメージ通り、明るいブルー系のクリアーなドビュッシーで、夢幻な雰囲気よりは地中海的な明晰さを感じる。
そして微細なまでにデリケートで歌心にも満ちたアバドの牧神は、のちのベルリンフィルとの録音とともに、私の好きな「牧神」のひとつ。

夏の昼食に、ビールを飲んで、そうめんを食べて、胡瓜かじって、この曲を聴いてまどろむのを夢みて、これより寝ます。お休みなさい。

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