カテゴリー「アバド」の記事

2020年10月28日 (水)

プロコフィエフ ピアノソナタ/ピアノ協奏曲第1番

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浅草ビュー。

もう何年になるだろう、このビールを模したビルと、となりのう〇〇的なモニュメント。
そこに8年前にスカイツリーが加わって、隅田川と浅草のビュースポットとなりました。

このまえ、久方ぶりに浅草散歩をしてきました。
そう、ほぼ日本人で、混雑もなくゆったりの浅草でした。

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

今日は、①から、それも作品番号の初期のピアノ作品から。
母親にピアノを仕込まれ、幼少期から作曲をするようになり、その母が譜面に起こした作品は、プロコフィエフ5歳のとき!

ピアノの練習をするときに、2オクターブ上げて対旋律を加えて引くように母から教えられたことが、プロコフィエフはピアノによる音楽表現の原点。
音楽院時代以降の作品番号1(18歳)の前に、2つの交響曲、未完も含む4つのオペラ、複数のピアノ作品を手掛けているという早熟さ。
これらの作品は、ほとんど聴くことができないけれど、気になる存在です。

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  プロコフィエフ ピアノソナタ第1番 ヘ短調 op.1

      イェフム・ブロンフマン

        (1991.9.17 @BMGスタジオ、ニューヨーク)

1907年、18歳のときの作品で、これまでに手掛けたピアノ作品からの引用などで作曲。
2年後に単一楽章にスリム化して8分ぐらいの作品とした。
メロディアスで情熱的でもあり、まだロマン派的な装いもある。
スクリャービンの初期の頃のようなショパンな感じもするし、ラフマニノフのような濃厚な歌いまわしも感じる。
しかし、情熱的ななかにも覚めた眼差しを感じるのは、やはりプロコフィエフらしいところ。
 5年後の2番目のソナタでは、別人のようなリズム感あふれたプロコフィエフが登場するのが驚き。

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  プロコフィエフ ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調 op.10

      エウゲニー・キーシン

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1993.9 @フィルハーモニー、ベルリン)

1912年、2番目のソナタの前、サンクトペテルスブルク音楽院在学中の作曲で、同年に初演。
1914年の卒業試験で、協奏曲を1曲弾くという規定に対し、自分の作品、この1番の協奏曲を大胆にも披露して、院長だったグラズノフを呆れさせてしまったエピソードがある。
この1番、適度に短くて(17分ぐらいで、連続して演奏される3つの部分を持つ単一楽章形式)、スタイリッシュな感じが好きで、以前よりよく聴いていた。
それというのも、ここにあげたキーシンとアバドのCDをもう何年も前から聴いてきたもので。
3番ばかりが聴かれるプロコフィエフの協奏曲にあって、その3番と1番をカップリングにしたアバドのプロコフィエフ愛を感じるから。
キーシンの技巧の冴えと輝かしい音色もさることながら、アバド指揮するベルリンフィルの圧倒的なうまさ。
切れ味鋭く、クールでブルーな響きがプロコフィエフにぴったり。
もう完全に後年のプロコフィエフの顔をしている、このカッコいい1番の協奏曲を、こんなにスリリングに聴かせる演奏はないです。
同じ年、1993年にアバドはベルリンで、ソリストにガブリロフを迎えて演奏会で取り上げてます。
こちらのライブもエアチェック音源として持ってますが、そちらの方がさらにすごい。
ガブリロフのソロも、最後のクライマックスの超メカニカルぶりがすんばらしいし、アバドの追い込みぶりもすごい。
 ほかの演奏もいくつか聴いてますが、ピアノはともかく、アバドで慣れちゃうとオーケストラがいずれも、もっさりしていて感度不足に感じるんです。。。

この1番の協奏曲、プロコフィエフの一大特徴である「トッカータ調」も聴かれる佳作。
好き。

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隅田川とスカイツリー。
かっこいい水上船もパシャリと写りました。

若いサラリーマン時代、ここから出るお座敷船で、顧客を招いてよく宴会をやりました。
お相手は、お客様だから、ご接待のつもりが、逆に飲まされることおびただしい。
逃げ場のない船上、いまの若い方々には想像もできない苦行。
酒に弱い連中は死んでました・・・・・

でも楽しかった昭和の浅草なのでありました。
プロコフィエフも最高!
次はオペラ行きます。

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2020年10月 4日 (日)

ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 アバド指揮

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10月1日は、中秋の名月で見事な満月でした。

そして、東京タワーは都民の日とGoToキャンペーンの東京解禁を祝して、グリーンカラーでライトアップ。

秋桜と書いてコスモス。
すっかり秋です。

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音楽のシーズンも真っ盛りと言いたいところですが、コロナの蔓延状況で、各国でオペラやコンサートの開催状況がまったく異なります。
日本は、クラシックは聴衆が熱狂しないたぐいの音楽なので、観客はほぼ従来通りに入れることが可能に。
しかし、予防対策は事細かに取り決められ、この部分では開催側も聴く側も、そして何よりも演奏者側も細心の対応が引き続き必要。
ガイドラインを読むと、細かすぎて、文字が多すぎて、頭が痛くなる。
外来演奏家が来日はできても、2週間の待機があるので、実質無理・・・
ウィーンフィルの11月の来日はどうなるんだろう。

ウィーンの国立歌劇場をはじめ欧州各地の歌劇場は再開したが、メトロポリタンオペラは今シーズンは閉館を決定した。
感染率の高かったニューヨークではあるが、徐々に経済活動も再開してます。
しかし、再び陽性率が上昇との報もあるし、BLM運動などで治安も悪い。
なによりも、世界のスター歌手によって成り立つMETの舞台は、そのスター級歌手たちが渡米できないので、ウリである豪華な舞台が成立しない。
ヨーロッパは専属歌手たちがスター級も含めてしっかり根付いているし、日本も海外勢が来なくてもやっていけるし、観客も超一流を求めていない。
METや他民族国家アメリカの宿命をなんやら感じます。

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  ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」 

    ムスタファ:ルッジェーロ・ライモンディ
    エルヴィラ:パトリシア・パーチェ
             ズルマ  :アンナ・ゴンダ
    ハーリー :アレッサンドロ・コルベッリ
             リンドーロ:フランク・ロパード
    イザベッラ:アグネス・バルツァ
    タッディオ:エンツォ・ダーラ

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団
            合唱指揮:ヘルムート・フロシャウアー
            チェンバロ:ロナルド・シュナイダー
            音楽助手:イオン・マリン

       (1987.9~10 @ウィーン・コンツェルトハウス)

コロナ期間にネット配信で視聴したロッシーニのオペラは10作。
何度も書くことで恐縮ですが、ベルカント系が苦手だったので、あまり聴いて来なかったロッシーニやドニゼッテイにベルリーニ。
しかし、コロナで見事克服(笑)

「セビリア」と「チェネレントラ」しかこれまで記事にしてなかったロッシーニですが、これからこちらもシリーズ化します。
手始めに、当然にアバド好きとしては、初出時のときから所蔵していた「アルジェのイタリア女」で、1度しか聴いてなかった(汗)

ロッシーニ覚醒一回目なので、ロッシーニのオペラを俯瞰します。

17~18世紀のイタリアオペラの系譜を引き継いだロッシーニ。
その生涯(1792~1868)で、自作の流用も含めて42作のオペラを残したが、オペラ作曲活動においては1808年~1829年まで、16歳から37歳までの期間となっていることは有名なおはなし。
驚くべきは、このほぼ20年間で、若いとも言える作曲家が、オペラセリアからスタートし、オペラブッファも極めて、同時にセリアもさらに深化させ、最後にはグランド・オペラの領域に踏み入れたこと。
ドニゼッテイ、ベルリーニ、そしてヴェルデイへと繋がるイタリアのオペラの流れの19世紀における源流がロッシーニ。

16歳の初オペラはセリアで「デメトリオとポリビオ」。
こちらが初演される前、18歳でのブッファ「婚約手形」が初めての上演された作品となり、その後3作を経て、「絹のはしご」「試金石」といういずれもブッファの快作を発表し、一方でセリアの傑作「タンクレディ」が作曲された。
このとき、ロッシーニは21歳。
オペラ作曲家として、その名声を確立させることになる「アルジェのイタリア女」が同じ年、1813年にヴェネチアで初演される。
「アルジェのイタリア女」と逆のパターンの物語、「イタリアのトルコ人」もこの1年後に続きます。
しかし、ロッシーニはオペラ・ブッファを1810年から1817年までの7年間でしか作曲していない。

1980年代から続いたロッシーニ・ルネッサンスで、いまでは多くのロッシーニのオペラが上演、録音されるようになりましたが、かつての昔は、ロッシーニの3大オペラは、3大ブッファで、「セビリア」「チェネレントラ」「アルジェ」の3作でありました。
 要は18歳から25歳までのあいだに、ロッシーニはオペラ・ブッファを極めつくしたこととなり、オペラから早々に足を洗い、人生の最後にあたって、自分は「オペラ・ブッファのために生まれてきた人間だった」としみじみ語ったというが、たしかにブッファ3作は、作者をしてそう語らせるにたる傑作であります。
 でも繰り返しとなりますが、それ以外の数多くあるロッシーニオペラの魅力、少しづつ観て聴いて、味わってみたいと思います。
(しかし、この歳になって、困ったもんです・・・・)

「アルジェのイタリア女」の作曲は、経営不振に陥っていたヴェネツィアのサン・ベネデット劇場のために、その義侠心から書かれたもので、わずか27日間で仕上げられたというから驚きであります。
初演は1813年5月22日で、その日は奇遇にも、ワーグナーの生まれた日でもありまして、実に興味深い符合です。
当時の東洋趣味からして、モーツァルトの「後宮」やウェーバーの「アブハッサン」にも通じる仕立て。
ともかくナンセンス極まりないドラマで、ありえないくらいのクレヴァーなイタリア女性に、間抜けな太守がメロメロとなり、まんまと騙されてしまうというもので、観る側は何も考えることもなく、ただただ才気煥発なイキイキとしたロッシーニの音楽に酔いしれればいいだけ。

初演以来、ずっと変わらず上演され続けてきたオペラともいえるが、いまの現在、あきらかにイスラムの太守であり、トルコ系でもあるやられ役を、そのままに描くことは演出上なかなか厳しいものと思われます。



ジャン・ピエール・ポネルの演出によるウィーンの舞台。
1990年の上演と思われます。

アバドのプリミエ舞台は、87年と88年で、そのときのアシスタント指揮者、イオン・マリンが90年には指揮してます。
エルヴィラを佐々木典子さんが演じてます。

太守の漆黒の色は、現在ではもっと薄くなり肉襦袢を着るようになってます。

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「セビリア」と「チェネレントラ」はずっと早くから手掛けていたアバドは、スカラ座時代に73年、75年、83年に取り上げてます。
ロンドン響と録音することは、エディンバラで上演しなかったことから実現はしなかったのですが、スカラ座での録音がなされなかったのは、ちょっと残念。
ウィーンフィルのロッシーニは、当時は珍しいことで、歌劇場では始終ロッシーニは演奏していても、それは従来の手垢にまみれたスコアであったはずで、アバドはゼッタ校訂の「セビリア」と「チェネレントラ」と同じく、アツィオ・コルギによる校訂版を使用していて、リハーサルもかなり入念に行われたそうです。
トロンボーンとテインパニを廃し、かわりにピッコロを加えて、軽やかさをより増して、アバドならではの爽やかで透明感あふれるサウンドに一新させました。
ほんとは、ただでさえ味わいのあるウィーンの音色より、ロンドン響のほうが、このあたりよりスッキリ感が出たのではないかと思ったりもしますが、そこはやはりウィーンフィル、色彩感がまぶしく感じられる。
75年のロンドン響との序曲集と、87年のこちらのウィーンフィルとの序曲のみを聴き比べると、味わいの濃いウィーンと、よりニュートラルなロンドン、オーケストラの音色の違いとともに、アバドの音楽造りにスケール感が増しているのもわかるし、クレッシェンドの幅がより広大化しているのも聴いてとれる。
 オペラ本編の方でも、アバドならではのロッシーニ・クレッシェンドの巧みさを満喫することができる。
登場人物たちが、びっくりしたとき、密やかな秘密を持ち語るとき、最弱の繊細なピアニッシモで緊張感すら漂わせる。
そこから巧みにクレッシェンドを導いていっては、寄せては返す波のような見事なロッシーニサウンドを引き出すアバドの手腕。
劇場での経験値を重ねたアバドの進化を、かつてのロンドンでの録音とくらべ感じ取れます。
(一方で、若々しい70年代のアバドのロッシーニにも、愛着を感じ、ブッファのロッシーニの真の姿を聴くことができると思ったりしてます)

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清潔でピュアなイメージのベルガンサにくらべ、バルツァの切れ味も鋭く、テクニックも抜群な歌唱は、このオペラの強い女性イザベッラを見事に歌い演じてます。
一瞬、カルメンっぽくて、ちょっと濃すぎる印象を受けるかもしれないけど、これはこれ、すごいもんです。
イタリア人に愛国を訴える名アリアもまったく見事。
当時、デビューしたてのアメリカのテナー、ロパードも若々しく最高音もしっかり出してる。
ライモンデイもこうしたコミカルな役柄は実にうまくて、むしろ気の毒にさえ思えるイイひとぶりを表出。
アバドのロッシーニになくてはならないブッファ・バリトン、エンツォ・ダーラも相変わらず素晴らしいし、若きコルベッリやP・パーチェも可愛くてよろし。
歌手のレヴェルの高さは、アバドの録音ならではです。

ウィーンでの舞台を、このコロナ禍に、2015年の上演で視聴することができました。
指揮は、故ロペス・コボスで、アブドゥラザコフのムスタファがあきれ返るくらいに素晴らしかった。
これもアバド時代から続くポネル演出のリバイバルで、誇張された人物表現が、現実世界と乖離していることをあえて強調していて、これまたポネルの天才性を感じた次第、ともかく面白かった。

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第1幕
 アルジェの太守ムスタファの宮殿。
妻のエルヴィラをもう飽きたとして、彼女とその待女ズルマを悲しませる。
太守はエルヴィラをお払い箱にして、奴隷として捕まえていたイタリア人リンドーロと結婚させようとする。
そして、配下のハーリーに命じ、イカしたイタリア女を探してこいとする。
 海賊に捕まえられたイザベッラと彼女を密かに好きなタッディオ。
ムスタファは一目見てイザベッラを好きになり、彼女は、これはうまくやらねばと、巧みに取り入ることとなる。
串刺しにしてしまえ、と言われたタッディオを伯父と言って助ける彼女、そして宮殿に行方知れずとなった恋人リンドーロがいることを発見し、お互いにびっくり。
イザベッラはすかさず、頭を働かせて、正妻を追い出して自分を後釜にすえるとは何たること、と非難し、リンドーロを自分の奴隷として差し出すようにムスタファに命じる。
混乱する一同。

第2幕
 イザベッラの機嫌をとるために、タッディオにカイマカンという資格を与えることにするムスタファ。
イザベッラと二人きりになってコーヒーを飲みたいムスタファは、自分が咳をしたら退席せよとタッディオに命じるが、タッディオはそれを無視したあげく、リンドーロも妻エルヴィラもそこにいて、楽しい5重唱となる。
リンドーロとタッディオは、ムスタファにイタリア男の粋な嗜み、秘密結社の儀式を教えるからと、計略にまんまとのせる。
「パッパターチ」と唱えながら、ともかく食って飲んで、快楽にふける、その間になにが起きようと気にしない、ともかく飲んで食って「パッパターチ」。
そうした間に、イザベッラとリンドーロ、ふたりが恋人同士だったと知ってがっかりのタッディオと、囚われのイタリア人たちは、船をしたてて出港することに。
ここに至って、騙されたとしったムスタファ。
もうイタリア女はこりごり・・・・とやっぱりエルヴィラがいい、と仲を取り戻した二人、そして全員でイタリア女の勇気をたたえ、幕。

このオペラを聴くと、しばらく「パッパターチ」が耳から離れなくなります(笑)
ポネルの舞台では、うまそうなパスタをほんとに、もりもり食べてました。

全員の最後の合唱
 「美しいイタリア女がアルジェにやってきて、嫉妬深い男とうぬぼれの強い男に教訓を与えた
  女はその気になれば、誰でもたぶらかしてしまう」
いまどき、問題になりそうな歌詞ではあります・・・・・(笑)

面白いぞロッシーニ🎵

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2020年6月27日 (土)

アバド 「スカラ座 その黄金時代」

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6月26日は、アバドの87回目の誕生日。

ブログ開設以来毎年、アバド特集をこの日に行ってます。

この生誕祭に、6年前から、まさかの追悼祭が加わってしまうとは・・・・・

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

今年はこの映像を。

懐かしくて涙が出ました。

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 「スカラ座 その黄金時代」

私も体験できた1981年のスカラ座の引っ越し公演。
そのときの模様や、イタリアから来同したジャーナリストのインタビュー集です。
アバド、フレーニ、カプッチッリ、ドミンゴの日本での貴重なインタビューと、シモン・ボッカネグラとレクイエムの舞台の様子、さらには、オテロとクライバーも出てきます。

ソフトフォーカスな画像ですが、日本語字幕もあり、NHKホール、文化会館、銀座や新宿など東京のあの頃の街並みなど、もうほんとに懐かしい映像の宝庫なのであります。

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あのジャケットと同じ場面が、東京文化会館の舞台に再現されました。
私には、初アバド、初フレーニ、であたりまえに初スカラ座でした。
カプッチッリ、ギャウロウにはこの5年前のNHKイタリアオペラで、同じシモンを観てます。
このステキなアリアのシーンがこの映像では見れるんです。

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父と娘であることが、わかった瞬間の感動的な場面。
この時、オーケストラはフォルテの瞬間を築くのですが、このときのアバドは指揮棒を両手で持って、思い切り振り下ろし、そして広げました。
その出てきた音の輝かしさと、ある意味陶酔的ともいえる音は、幾多も聴いてきたアバドの演奏のなかでも、もっとも脳裏に残るもののひとつです。

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カーテンコールに出て行くふたり。
フレーニも今年、亡くなってしまいました・・・・

「シモン・ボッカネグラ」はヴェルデイのオペラのなかでも、もっとも好きな作品だし、あらゆるオペラのなかでも、自分的に上位にくるものです。
それもこれもアバドのこのときの上演と、DGのレコードがあってのもの。
アバドのシモンは、フィレンツェでのDVDも、ウィーンライブも、非正規スカラ座ライブもたくさん持ってますが、ほかはアバド以前の、ガヴァッツェーニとサンティーニのみ。
アバド以降のほかの指揮者のものは一切所有せず、実際、聴いたこともありません。
唯一、今月、ウィーン国立歌劇場のネットストリーミングで観たのが、アバド以外の初シモンでした。
でも、カプッチッリ、ギャウロウ、フレーニ、リッチャレッリ以外の歌手のシモンは、耳が受け入れることはできませんでしたし、それ以上にアバドの指揮でないと、やはりダメという、ある意味、哀しい結果となったのでした。

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文化会館で行われた2度のヴェルデイ「レクイエム」のうち、フレーニが歌った回の映像も観れます。
ここでは、アバドの大きな指揮ぶりと、4人の名歌手たちの歌いぶりが、少しだけど楽しめます。
このときの、NHKFM録音は、自分でも状態よく保存出来ていて、お宝的になってますが、ちゃんとした映像も残してほしかったものです。

ヴェルデイのレクイエムは、カラヤンとアバドが自分では無二の存在。
合唱団の素晴らしさでは、スカラ座に敵うものはありません。
ドミンゴが、この映像のインタビューで語ってますが、メゾソプラノが素晴らしい合唱団はなかなかなくて、このスカラ座は文句なく素晴らしいとしてました。
そう、男声もまったくすごいです。

オケも合唱も、スカラ座の全盛期は、アバド時代だと信じてます。

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ギャウロウもレクイエムにおいては無二の存在。
ルケッティもよかった。

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アバドも、ギャウロウ、カプッチッリ、テッラーニ、ルケッティ、フレーニ、みんな旅立ってしまいました。

このスカラ座来日の1981年、私は新入社員として、社会人1年目の年でした。
薄給だったので、シモンのS席のみに資金を注ぐのみでした。
今思えば、どんなことしても、クライバー含めて全部観て、聴いておくんだった。
でもね、新人1年生が、そそくさと定時上がりをできるような環境は、当時の社会や会社生活ではありえなかったな・・・

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アバドらしい、いやアバドにしか語れないインタビュー。
人によっては優等生的と思うかもしれない。
でも、アバドがこのあと、ロンドン、ウィーン、ベルリン、ルツェルンと登りつめ、指揮者として大きな存在になっても、ここで語るアバドの謙虚な姿勢はひとつも変わらなかった。

簡単に紹介します。

「演奏家や歌手たちと音楽的な交流を大事にします。見えやすいいよう、指揮台に立つだけで、上から横柄に指図するためではありませんよ。」

「内気な方? そうですね。私はあまり目立ちたくはないですね。指揮者の仕事は、作曲家の音楽をいかに伝えるかなので、指揮者が目立つ必要はないと、私は思ってます。楽譜をしっかり研究して、偉大な作曲家が残した音楽を披露するだけですよ。」
「ただ情熱に任せて音楽を続けるだけですよ。やればやるほど発見があって、満足することは決してありません。より深く学んでいけば、また新たな挑戦に行き着く、それが音楽の魅力です。」

あと、フルトヴェングラーを偉大な指揮者であり、彼のドイツ音楽は見事だと話します。
さらに、現在の指揮者では、クライバーを優れた芸術家としてあげてます。

ムーティとライバルとされてますね、と問われると、「ばかげてますよ、いろんな指揮者がいて当然、彼のように
世界中で活躍する指揮者がいることは喜ばしい、同じイタリアの指揮者でも、ジュリーニ、チェッカート、あと若いところではシャイーとシノーポリも出てきてますよ」、と大人の対応。

あと、新聞ではあなたは左派と書かれてますが・・に対しては、きっぱりと「勝手なレッテル貼りですよ!」とぴしゃり。
それから、海外で住みたい町は、ロンドンと答えてます。
地元ミラノは窮屈だったのでしょうか。
ロンドンはヨーロッパの芸術の中心であり、そこでひとり静かに読書や楽譜の研究をしたいと。
休日は、演劇をみたり、山歩き、スポーツなどとのお答えで、アバドらしい生真面目ぶりです。

アバドは居をロンドン、そのあとウィーン、そしてベルリン、最後はスイスに住まうことになります。
この若き日のインタビューどおり、静かに過ごすことが、一番の願いだったにかもしれません。

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フレーニのインタビューも興味深かったです。
いずれは若い人を指導したいと、この頃から語っていて、その思いはアバドにも通じるものがあります。

幼馴染のパヴァロッティとは、乳母までおんなじで、すべてが同じと懐かしそうに語ってます。

そして、自分にとって偉大な指揮者は、カラヤンとしてます。
自分がアイーダを歌うなんて思いもしなかったけど、カラヤンのおかげと。
あと親しい仲間としてのアバドの名前をあげてます。

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文化会館でカーテンコールに応えるアバド。

この数十年あと、トリスタンの上演で同じ文化会館で舞台で出てきたアバドの痩せ細った姿、そして最後のルツェルンとの来日で、オーケストラが去ったあと一人出てきたにこやかなアバド、いずれもともに、自分にとって忘れえぬ残像ですの数々です。

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2020年1月24日 (金)

ストラヴィンスキー 「プルチネッラ」 アバド指揮

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水仙の花。
こちらはニホンズイセン。
家のまわりや、いつも行く吾妻山にもたくさん群生してます。
ヒガンバナ科とのことで、球根から育ちます。

その球根を、放り投げておくだけで自生し、どんどん育って今時分に花を咲かせます。

なんといっても香りがよろしい。

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  ストラヴィンスキー バレエ「プルチネッラ」

    Ms:テレサ・ベルガンサ
    T: ライランド・デイヴィス
    Br:ジョン・シャーリー・クワァーク

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

       (1978.3,5 @ヘンリー・ウッドホール、ロンドン)

アバドは、ロンドン響時代に、3大バレエを録音しましたが、順番で言うとペトルーシュカで完成させる前に「プルチネッラ」を取り上げました。
組曲版でなく、独唱も加わった全曲版であったところがアバドらしいこだわりといえます。
これら4つのバレエ作品に、あと同じくバレエ「カルタ遊び」に、ヴァイオリン協奏曲が、アバドが残したストラヴィンスキーの正規録音です。
あと非正規ですが、若き日の演奏「オイディプス王」もありまして、密かに聴いてますのでいずれ機会があれば取り上げたいと思ってます。
 この「オイディプス」はアバド向きの作品に思うのですが、ベルリンかルツェルンでも取り上げてもおかしくなかったです。
それと「カルタ遊び」も、ロッシーニなどのパロディにあふれていて、これもまた、70年代のアバドが取り上げるにふさわしい作品だったりします。

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ディアギレフの依頼により1919年に作曲。
ペルゴレージの作品を中心に、ガッロ、チェレーリ、パリソッティなどの前古典派作品の大オーケストラ版への編曲、ということでの依頼だったが、ストラヴィンスキーの造り上げた音楽は、すっきりとした小ぶりな編成による、コンチェルトグロッソ的な作品で、各楽器がソロで活躍し、加えて3人の歌手も要するユニークなものでした。
 序曲(シンフォニア)と8場、18曲からなる音楽で、自身で選んだ8つの曲からなる組曲版の方が今ではよく演奏される。
1920年の初演では、アンセルメが指揮をとり、舞台美術と衣装はパブロ・ピカソ。

ちょっと探したら、舞台のスケッチと、それを再現した実際の舞台の写真を見ることができました。

Picasso

Pultinera

プルチネッラは、ナポリが発祥の地で、ナポリ近郊の町に実在した農民プッチョ・ダニエッロさんがモデルで、道化師さんのことで、ナポリの化身ともいわれるそうな。
長い帽子、だぼだぼの服に黒い仮面がトレードマーク。
明るく楽しく、誰からも愛される人懐っこい人気もので、ナポリの街には、プルチネッラの像や人形やらであふれているそうです。

このプルチネッラを主役のナポリの民衆劇を素材にしたこのバレエの筋も楽しいものです。
色男でもあるプルチネッラは、超人気もので、女たちにモテまくり。
恋人のピンピネルラも嫉妬。
街の若者たちは、ねたんだ挙句、殺してしまうが、身代わりを立てて助かるプルチネッラ。
その身代わりさんも、無事安全。
最後は、舞台は女性の気を引こうとした偽のプルチネッラだらけになって大騒ぎ。
最後は本物のプルチネッラとピンピネッラは仲直りして結婚、そして若者たちも女の子たちと結婚でハッピーエンド。

EMIのマリナーの全曲盤にバレエをつけた映像作品をネット視聴してみました。
これがまた面白いのなんのって。

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みんな可愛い。
いっぱい出てくるプルチネッラのダンスが愉快で、マネしてみたら身体じゅう痛くなった。
脱力系で、ひとりが棒で人形を操る3人羽織みたいな感じで、舞台中プルチネッラばっかり(笑)
カトちゃんのヒゲダンスを思い出しちまった・・・

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軽やかで、プルチネッラの鼻歌までも聴こえてきそうなアバドのストラヴィンスキー。
ロンドン響から、最高のロッシーニサウンドを引き出したように、センスばっちりの生き生きとしたプルチネッラは、このオーケストラとの演奏でこそできたものでしょう。
もっと羽目をはずしてもよさそうなところも、アバドならではの気品すら漂う上質ぶり。
いにしえの音楽が、ストラヴィンスキーによって鮮やかにリフレッシュされた感も満載で、ペルゴレージの音楽を愛したアバドのイタリアの歌心もここにはあります。
ともかく、しなやかによく歌う、そして、オペラのようなラルゴはまさに絶品。
 歌うといえば、ふたりの男声英国歌手はうまいもんだし、ベルガンサの知的だけどほのかな色気すらにじませる歌唱が素敵であります。
アバドとベルガンサのカルメンの翌年の録音であります。
アバドと1歳違いのベルガンサは、まだ健在のようで、アバドのことが大好きだったベルガンサさんには、ずっと元気でいて欲しいです!

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レコードジャケットは、ピーター・ワンドリーというドイツ人アーティストのものです。
絵画からデザイン、彫刻など広範に手掛けたアーティストで、ロックやクラシックも好み、バレエにも造詣が深かったようです。
アバドのストラヴィンスキーは、全部この方の作品で、こうして並べてみると、シンメトリー感と色彩感、そして舞台をほうふつとさせる雰囲気がよく出てます。
 DGは、ワンドリーにいくつもジャケットを依頼してまして、バレンボイムのベルリオーズシリーズや、スタインバーグとボストン響のレコードもあります。

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レコードジャケットは、大きいし見栄えもあるので、インテリアにもなりました。
曲を聴くときに、ジャケットをスピーカーの上に立てかけて、それを眺めながら聴いたものです。
このアバドのストラヴィンスキーや、アバドのマーラーの羽のジャケットなど、ほんと絵になりました。
洋楽系などは、壁に飾ったりもしてましたよ。
 CDでは、いまでは、ちょっと無理な大人な世界かもしれません。

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2020年1月20日 (月)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 アバド指揮

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毎度の場所ですが、お正月の吾妻山から。

富士と海と菜の花が一度に見れます。

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麓の小学校に通っていたから、子供の頃から始終登ってました。
でも、当時は山頂はこんなに整備されてませんでしたが。

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  ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

 レオノーレ:ニーナ・シュティンメ
 フロレスタン:ヨナス・カウフマン
 ドン・ピッアロ:ファルク・シュトルックマン
 ドン・フェルナンド:ペーター・マッティ
 ロッコ:クリストフ・フィッシェサー
 マルツェリーネ:ラヘェル・ハルニッシュ
 ヤキーノ:クリストフ・シュトレール

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
               マーラー・チェンバー・オーケストラ
               アルノルト・シェーンベルク合唱団
         
          (2010.8.12,15 @ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日となります。
あのショックだった2014年から、もう6年が経ちます。

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ベルリンフィルを退任後、しばらくしてスタートさせたルツェルンのスーパーオーケストラとの共演は、2003年からスタートし、マーラーを毎年連続して取り上げました。
8番は予告されながら、残念ながら取り上げなかったのですが、2010年は、マーラー・チクルスの最後の9番と、「フィデリオ」が取り上げられました。
翌2011年には、折からの東日本大震災への追悼演奏で10番のアダージョを取り上げたほか、ブルックナー・チクルスが開始され、ベートーヴェンに、やがてブラームスにと円熟のアバドのルツェルン演奏が期待されていたなかでの死去でありました。

ベートーヴェンの作品の多くを指揮してきたアバドですが、「フィデリオ」を取り上げたのは、このルツェルン2010が初めてのはず。
(アバド歴長いので、そうだと思い書いてます)
人間ドラマを伴うオペラを好み、かなりのオペラのレパートリーを持つアバドでしたが、76歳にしての初「フィデリオ」とはまた興味深いことです。

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ジングシュピールの流れをくむドイツオペラとして、このフィデリオは、セリフも多くあり、番号オペラを取り入れつつ、音楽の流れがセリフによって寸断されてしまい、オペラとして、どうも居心地のよろしくない作品だと不遜にも常々思ったりもしてました。
 苦心のあげくに行き着いた夫婦愛唱和の作品ですが、オペラに関しては、ベートーヴェンはモーツァルトのような天性の才に恵まれなかったのかもしれません。
 しかし、個々のソロや重唱、合唱に目を向ければ、抒情と激情の織り交じったベートーヴェンらしい音楽です。
マルツェリーネの可愛いアリアや、ロッコの人の好さそうなアリア、父娘にレオノーレが加わった3重唱、ピツァロのイャーゴの信条告白のような悪のアリア。
そして素晴らしいのが、レオノーレの名アリア「悪者よどこへ行くのか」と、フロレスタンの苦悩から希望へと歌い込む監獄内のアリア。
あと、やはり劇的なのが、勇敢なレオノーレの夫救出のシーン。
息詰まるほどの間一髪の場面に、その後の歓喜の爆発。
ベートーヴェンならではの感銘を与えられる個々の音楽であります。

これらの個々のシーンを、アバドはまさにライブで燃えるアバドらしく、そして絶妙の歌心でもって丁寧に、そしてドラマティックに描き分けています。
冗長なセルフも、必要最小限にカットしていて、音楽の流れが停滞することがないように、心地よいテンポで、ある意味一気呵成に仕上げてます。
最後の歓喜の満ちたエンディングでは、興奮にあふれていて、ライブならではの感興に浸ることができます。
ヴィブラート少な目で、ルツェルンの凄腕のメンバーたちに、若いマーラーチェンバーの面々が加わったことで、いい意味での緊張感と若々しさも加味されたのではないかと思う。
アバドの音楽の若々しさというのは、常日頃、若い奏者たちと楽しみながら、音楽を築きあげるという、こうしたところにもあるのだから。

旬の歌手をそろえた配役も見事な顔ぶれ。
なかでも、このオペラの主役であるシュティンメのレオノーレの声の安定感と、力強さと明晰な知的な歌唱が素晴らしくて、声質にクセもないので、聴き飽きないのがシュティンメの歌なのです。
対するカウフマン。
フィデリオにおけるフロレスタンの出番は、あまりに少なくて、ベートーヴェンにこの点はなんとかして欲しかった・・・と思わせるカウフマンです。
アバドのお気に入りだったハルニッシュのリリカルなマルツェリーネがいい。
ほかの歌手もまとまりがよく、チームとして均整がとれていることも、このルツェルン音楽祭の持つ特徴かもしれません。
でも、シュトルックマンは、ちょっとアクが強すぎるかな・・・
 あと、鮮度高いのが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の緻密さ。

CDにはなったけど、アバドのルツェルン演奏の恒例の映像DVDは、このフィデリオにはなかった。
映像の契約元が、2010年から変わったことが影響しているのだろうか。
マーラーの9番(2010年)から、EiuroartsからAccentusに変更。

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その舞台の様子を探したところ、オーケストラの後方に低いステージを作り、合唱は観客席に置くというスタイルのようです。
衣装も均一だし、オペラの上演というよりは、やはりオラトリオ的な演奏の仕方ともいえるかもしれません。
これまでオペラ上演として「フィデリオ」を取り上げなかったアバドの考え方が、このあたりにあると思いますし、ルツェルンで若いニュートラルな奏者たちと、やりたかった気持ちもわかるような気もします。

世を去る3年と少し前。
アバドはこのように、常に挑戦と、若者たちとの共演を望み、実践し続けました。
これまでの巨匠たちにはない謙虚さと、進取の気性にあふれたアバドでした。
アバドのもとで演奏し育った若い演奏家たちが、いま、そしてこれから、世界のオーケストラの主力として活躍していきます。
そして、彼らはアバドのことをレジェンドとして心に刻み続けていくことでしょう。

フィデリオ 過去記事

 「新国立劇場公演 S・グールド、ヨハンソン」

 「ベーム&ベルリン・ドイツオペラ DVD キング、ジョーンズ、ナイトリンガー」

 

Azumayama-01a

今日は大寒。
菜の花は満開なれど、春まだ遠し・・・

アバドの新譜や音源発掘が絶えて久しい。
何度も書きますが、下記の正規音源化を強く、激しく希望。

 ①ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
 ②ワーグナー「パルジファル」
 ③ワーグナー「ファウスト」序曲
 ④マーラー 「大地の歌」
 ⑤バッハ  「マタイ受難曲」
 ⑥バッハ  「ロ短調ミサ」
 ⑦バッハ  カンタータ ロンドンでのF・プライとの共演
 ⑧ノーノ  「プロメテオ」
 ⑨モンテヴェルディ ロンドンやベルリンでの演奏
 ⑩ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ベルリンフィルとのもの
   ⑪ヴェルディ 「オテロ」  ベルリンフィルとのもの
 ⑫ヴェルディ 「ナブッコ」 むかしのスカラ座とのもの
 ⑬ヴェルディ 「アイーダ」 ミュンヘンオリンピックのときの上演
 ⑭ドニゼッティ「ルチア」  むかしのスカラ座とのもの
   
  あとまだたくさん、なんでもいからお願いっ!

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2019年11月24日 (日)

タルティーニ ヴァイオリン協奏曲 グッリ&アバド

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群馬県の榛名湖、そして水面の向こうは榛名山。

11月の初めですが、紅葉はもう終盤。

火山でもある榛名山のカルデラ湖で、真冬には凍結し、ワカサギ釣りも楽しめます。
そして、晩秋先取りで、寒かった。

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  タルティーニ ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 D15
         ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 D64
         合奏協奏曲 イ短調  D115

     Vn:フランコ・グッリ

  クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・アンジェリクム管弦楽団

                (1962 ミラノ)

アバド、29歳の録音。

ミラノの名門音楽一家に生まれ、ミラノ・ヴェルディ音楽院ピアノ科を卒業したアバドは、ピアニストとしてスタート。
指揮者への道の情熱も止めがたく、シエナ、ウィーンで名教授スワロフスキーなどに学び、朋友メータとともに、ワルターやカラヤンのリハーサルなどに立ち会い(忍び込み・・)などの経験を積んだエピソードは有名だし、先ごろ、元気に来日したメータも、懐かしくもおかしげに語っています。

59年に、トリエステで指揮者デビューをしてから、イタリア各地やウィーンで活動を始め、今回の協奏曲の伴奏としてのレコーディングは、まさにデビュー3年後のもので、おそらくこれが指揮者としての初録音かもしれません。

ピアニストとしての録音はすでにいくつかあって、下段に過去記事をリンクしました。

この録音の翌年、1963年、アバドは、ニューヨークで、ミトロプーロス指揮者コンクールを征し、世界へと羽ばたいてきくことととなります。

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1926年、トリエステ生まれのヴァイオリニスト、フランコ・グッリは、録音があまり多くなく、しかもメジャーレーベルとは縁がなかったので、あまり知られていないアーティストだが、70年代からアメリカにわたり、そこで名教授として活動し、日本のヴァイオリニストでもグッリの教鞭を受けた方が多いといいます。
2001年に亡くなってますが、写真で見ると、とてもイケメンで、ヴァイオリニスト加藤洋子さんのブログを拝見すると、チャーミングでおしゃれな方だったようで、氏の人柄が偲ばれます。→Franco Gulli先生

グッリの音源は、恥ずかしながら、今回のタルティーニの協奏曲1枚のみですが、そのお名前は、1971年頃から知るところとなってました。

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会員制のレコード頒布組織、コンサートホールソサエティーの中学生ながらの会員だったので、そこで販売されたモーツァルトの協奏曲の新譜が、その素敵なジャケットとともに気にはなりつつも、当時はお小遣いが回らず、購入できなかったものでした。
しかも、共演の指揮者が、当時おそらくデビューしたての、アルミン・ジョルダンで、オケはローザンヌ室内管とジュネーヴ・アンジェリクム合奏団でした。
グッリは、にちに再録音してますが、このスイス録音は、是非復刻して欲しいものです。

さて、「悪魔のトリル」しか知らない、でもヴァイオリンに徹した作曲家のイメージのジュゼッペ・タルティーニ(1692~1770)。
消失したものも含めて、ヴァイオリン協奏曲を200曲、ソナタを200曲以上も作曲しているが、イタリアバロックのほかの巨匠、ヴィヴァルディやコレルリと比べると、かなり日陰な存在です。
CDでは、29枚に及ぶヴァイオリン協奏曲全集というとてつもないものが出てますが、わたくしのようなものには、グッリ&アバド盤が1枚あればいいや、と思ってしまいます・・・
 平尾行蔵さんのCD解説によれば、タルティーニには、その作風から3つの創作時期があるといい、その3つの時期からそれぞれ1曲づつ選曲されたのがこのCDだということです。
「対位法的な作法」「装飾された抒情旋律による作法」「和声とディナーミクを重視した作法」の3期。

「バロックを越えたロマン主義の先取り」ともされたタルティーニの音楽。
グッリの明るく、かつ柔和なヴァイオリンの音色、そして確かな技巧に裏打ちされた明確・明快さが、もう60年近く前の録音にもかかわらず、いまでも鮮度は落ちてませんし、聴いていて、とても気分爽快になります。
オーケストラもそうですが、いまや古楽器やその奏法に慣れた耳からすると、実に豊かな歌にあふれてます!
このおおらかな響き、たおやかなムードは、アナログの世界そのもので、今のデジタルでヴィヴィッドな古楽演奏からは残念ながら聴くことができません。

 そして、タルティーニの音楽の抒情的な美しさはどうだろう。
2つ目の協奏曲の緩徐楽章なんて、哀しいほどのグッリの美音に包まれて、陶然としてしまいます。
アバドの指揮も、弱音で歌う、まさに後年のアバドの真骨頂をここに早くも聴く思いがします。
 曲はいずれも、アバドの兄、ミケランジェロと、2曲目では特に、クラウディオの校訂が入っていることろにも注目です。
のちに、ペルゴレージに傾倒してゆく若きアバドのバロック音楽の演奏。
精緻さと歌のバランス感覚のよさは、さすがのものですし、生真面目なところもアバドらしいくて、もっとハジけてもいいかもと思ったりも。
でも、グッリの上品な明るいヴァイオリンには、ぴったりかも。

レコード時代は、70年代にトリオレコードから出たものですが、90年代にCD復刻された音盤を購入したものです。
録音年代を考えれば立派なステレオ録音で、艶のあるヴァイオリンサウンドを楽しめます。
最近、ワーナーより、アーリー・レコーディングスとして再発されましたが、そちらの音質はどうだろう、気になります。
このような、若きアバドの音源の発掘とともに、膨大なライブ音源、そしてなんといっても、ベルリンフィルとの、あの「トリスタン」をなんとか音源化して欲しいものだ。

アバド若き日の録音 過去記事

 「イタリア・バロック名作集 アバド親子」

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晩秋色に染まる榛名山と逆さ榛名山。

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ヨーロピアンな榛名湖の対岸。

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2019年6月30日 (日)

ラヴェル 「シェエラザード」 アバド指揮

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もう盛りは過ぎましたが、街のあちこちでみかける紫陽花。

初夏の訪れとともに、開花し始め、梅雨に最盛期を迎える彩りあざやかな、日本由来の花。

G20で来日の各国首脳も、目にしたことでありましょう。

蒸し暑いが、梅雨のしっとりした風情は、紫陽花あってのものです。

かつてのむかし、西欧人が憧れた、神秘のヴェールにくるまれたアジアを想った音楽を。

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    ラヴェル 「シェエラザード」

      S:マーガレット・プライス

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1987.11 @オールセインツ教会、ロンドン)

ラヴェルの歌曲集「シェラザード」は、アジアをテーマにした3編の詩に寄せたもの。
ラヴェルの芸術仲間の、トリスタン・クリングゾールの同名の詩によるもので、そう、おわかりでしょうが、ワグネリアン風の色濃いお名前。
本名はアルテュール・ジュスタン・ロン・ルクレールという、これまた長~い名前。

世紀末ヨーロッパの知識人たちの、ジャポニスムに代表されるような、東洋へのあこがれと、エキゾチシズムは、たくさんの芸術作品を生み出しました。
1903年に作曲されたラヴェルの「シェエラザード」も、まさにそのひとつといっていい。

①「アジア」 ②「魅惑の笛」 ③「つれない人」

千夜一夜物語が、その根底にあるテーマだから、①「アジア」では、行ってみたい、船出してみたい、観てみたいを、連発するが、港のものうい風景や、回教寺院の尖塔などを見たいといいつつ、曲がって大きな刀で罪もない人の首をチョンするのを見たいなどと、恐ろしい想いも吐露する。
しかし、これらは、ときおり、大きな禍々しいフォルテがやってくるものの、おおむね、物憂げで、沈滞したムードに覆われている。

美しいのは②「魅惑の笛」で、まさに独奏フルートがとびきり美しい。
ほんとに美しい、ここでも、その物憂く、はかないムードは、ドビュッシーの牧神の午後にも通じる、白昼の幻想のようなものだ。
昼寝する主人の横で、恋人の笛の音色に耳を傾ける少女。
その様子が眼にうかぶ、静かな音楽です。

そして、その静けさは、弱音器を付けた弦楽器と夢幻な管のかなでる秘め事のような音楽、③「つれない人」にもつながる。
その詩がまた、刹那的でセクシャルな退廃感にあふれている。
女性に、つれなく別れを告げる異国の青年。しかし、その後ろ姿は女性的に腰をひねって・・・っていう意味シンぶり。
音楽も、後ろ髪ひかれるような甘味な余韻を残しつつ静かに終わる。

80年代後半に、ロンドン響とともに録音された、アバドのラヴェルシリーズに、この素敵な歌曲が含まれたことは幸いです。
精緻で、かつ明るく、情熱にもあふれた明快なラヴェルを残したアバド。
コンビの最終次期にもあたり、阿吽の呼吸で、ロンドン響の自発的なサウンドを引き出した。
 クリアで、歌いすぎることのない、冷静なM・プライスの歌声も、アバドのこの美しい「シェエラザード」には相応しいものだと思います。

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ロス・アンヘルスや、S・グラハム、そして、いまお気に入りの歌手、クレヴァッサの蠱惑の声で歌う「シェラザード」も好きです。

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      マリアンヌ・クレヴァッサ

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2019年6月26日 (水)

ヤナーチェク シンフォニエッタ アバド指揮

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毎度の場所です。

緑と海と空の青が美しいこの時期。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年ミラノ生まれですから、今年86回目の生誕日。

残念ながら、空のひととなってしまい、新譜もあまり出なくなってしまいましたが、レーベルにも恵まれ、若い頃から通算盤歴も長い指揮者でしたので、いまでも、たくさんの音源を繰り返し聴いて過ごすことができることに感謝です。

以外にもアバドの好んだ作曲家、ヤナーチェク。
そのもっとも有名な作品を今宵は聴きました。

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  ヤナーチェク シンフォニエッタ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1968.2 @ロンドン・キングスウェイホール)

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   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

          (1987.11 @ベルリン・イエスキリスト教会)

1966年がレコードデビューだから、ロンドン響との68年の録音は、アバド初期のデッカ録音。
日本では、71年にロンドンレコードから発売されたと記憶しますが、クラシック聴き始めの小学生だったので、まだまだ、ヤナーチェクなんて、ましてや、カップリングのヒンデミットのウェーバーの変奏曲なんて、まったく眼中になく、難しそうな音楽だろうと思っていた。
 アルゲリッチとのショパンで、すでにアバドのレコードは所持していましたが、このロンドン響とのシンフォニエッタを聴いたのは、CD時代になって早々のこと。
そして、ヤネーチェクのシンフォニエッタが、私の耳に飛び込んできて魅了されたのは、72年にクーベリックのDG盤が出たときのこと。
FMで聴いて、録音して、夢中になった。
そのあと、N響でも、マタチッチや岩城さんの放送があり、この作品の骨太な演奏に惹かれていった。

でも、すこし後に聴いたアバドのシンフォニエッタは、そのスリムなスマートさで、ぜんぜんイメージが違うものだった。
ロンドン響の、見事なブラスセクションをえて、切れ味抜群、でも、豊かな歌にあふれたヤナーチェクの演奏に驚いた。
明るい歌いまわし、そして、ロンドンならではの、インターナショナルなシンフォニエッタ。

そのあとの、ベルリンでの再録音は、ベルリンフィルの高性能ぶりを感じさせる、超高機能の演奏。
鉄壁ななかに、やはり、歌があって、朗々としつつ、民族臭も感じさせるような表情への細かなこだわりがある。
アバドが取り上げたほかのヤナーチェクの作品には、「死」がまとわるテーマの作品が多くて、運命的な死と、避けることのできない宿命や民族的な問題への直視があります。

若き日々のブリリアントな演奏から、ヤナーチェクの音楽への切込みの深さ。
さらなるオペラ作品など、アバドに挑戦してもらいたかったです。

ちなみに、85年頃のFM放送ですが、ウィーンフィルとのライブも、ライブラリー化してます。
丸い感じの演奏が、ベルリンとの鋭さと、ちょっと味わいが違っていておもしろいです。

ことしの、アバド生誕祭は、ちょっと渋いですが、「アバドとヤナーチェク」。
後任のラトルにもしっかり受け継がれていること、この歓迎すべき師弟関係は、アバド→ラトル→ハーデイングへと引き継がれていることを感じますがいかに。

アバドの生誕記念日に。

アバドのヤナーチェク 過去記事

「死の家から」

「死んだ男の日記」

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青い景色は、相模湾と真鶴半島に、遠く伊豆。


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2019年4月 6日 (土)

バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番 アバド指揮

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満開の桜、あとは散るだけとなりましたこの週末。

桜の名所には驚くほどの外国の方が。

日本人のわれわれと同じように、桜を愛で、写真を撮り、その下で楽しんでいる。

桜の咲く日本が誇らしい。

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そして、今週は、5月1日からの新年号「令和」の発表に日本中が沸いた。

清々しく、涼やかでもあり、また美しい語感も伴った年号だと思います。

なによりも、万葉集を由来とする点も、とても麗しい。

富める者も、そうでないものも、聖も貧も等しく万人の歌を集めた1300年以上前の歌集。

来たる新年号を思いつつ、そして30年の平成の時代、今上天皇の残りのご在位のことなどを考えつつ、爽やかな晴天のもと、桜と東京タワーを愛でつつ逍遥いたしました。

そんな気分に、バッハのブランデンブルク協奏曲、それも第5番が晴れやかでぴったり。
しかも、ちょっとギャランとな雰囲気だし。

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  バッハ  ブランデンブルク協奏曲第5番 

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

          (1975.5 1976.11 @ミラノ)

   Vl:ジュリアーノ・カルミニョーラ

   Fl:ジャック・ズーン

   Cemb:オッタヴィオ・タシトーン

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

         (2007.4.21 レッジオ・エミーリア)

スカラ座の音楽監督だったころに、なぜか録音されたアバドのブランデンブルク協奏曲の全曲。
親しい仲間のようだった、スカラ座の面々との、和気あいあいとも感じ取れる親密なアンサンブル。
この頃、「マクベス」や「シモン」といった深刻なドラマを伴うオペラを日々上演していたコンビの、このバッハの演奏は一種の解放感のような「歌」あふれた雅さを感じ取ることができる。

スカラ座フィルハーモニーを創設し、定期演奏会も充実させたアバド。
スカラ座フィルとも、マーラーを録音して欲しかった。
2012年に奇跡のカンバックを遂げたときの「6番」の録音など、残ってないものかな・・・

Abbado-bach  

スカラ座との録音の32年後、孤高の境地の境地に到達したアバドが、自ら創設したオーケストラ・モーツァルトとブランデンブルク協奏曲をライブにて再録音した。
ソロやメンバーに、ルツェルンの仲間たちを交え、若い奏者とベテランが等しく、アバドのもとに集った、こちらは凝縮された緊密なアンサンブル。
古楽奏法で、奏者も刈り込んで、透明感と弾むようなリズム感あふれる若々しい演奏。
スカラ座とのコンサートスタイルの、いわゆる当時の演奏は、あれがオーソドックなものだった。
試みに、愛聴するシューリヒトや、リヒターの演奏を聴いても、タイムの上でも、だいたい同じスタイル。
押しも押されぬ大家となっても、積極的に演奏の在り方を追い求めたアバド。
ベルリンで取り上げた、マタイやロ短調も、その晩年に指揮をしたかったかもしれません。

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門の向こうに見事な桜🌸

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増上寺の桜🌸

ココログが全面リニューアルして、使い勝手がいまだにわかりにくく、いまいちな週末。

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2019年3月18日 (月)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 

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先週の河津桜と東京タワー。

芝公園の一角で、四季折々の花がきれいに整備され、美しく咲きます。

寒暖の差も大きく、その歩みは一進一退なれど、春はそこまで。

年中聴いてますが、とりわけ桜の季節に、そして沈丁花の香りが漂いだすころに聴きたくなるのがベルクの音楽。

何度かしか経験はないが、ベルクのオペラを観劇したあとは、歩く足元もふわつき、どこか割り切れない不条理さにさいなまれ、そして周辺の空気が甘く感じたりして、官能的な思いに浸りながら帰宅した思いが何度かある。

もう、33年前に初めて観た二期会の若杉さん指揮する「ヴォツェック」の帰り、モクレンの香りだったか。
そして、10年前に琵琶湖まで飛んで行った、「ルル」。
その時の帰りは、湖畔を散策しながら、ほてった頬を冷ましながら、怪しいまでに美しい湖面に浮かぶ月を眺めたものだ。

かようにして、わたくしのベルクへの想いは、香りや、光といった五感の一部とともに印象付けられているのだ。

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    ベルク  ヴァイオリン協奏曲

           ~ある天使の思い出に~


        Vn:ギドン・クレーメル

    サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1984.3 ミュンヘン)

初めて買ったベルクのヴァイオリン協奏曲の音源が、クレーメル盤。
外盤で出て即、買った。
何度も、何度も聴いた。
とりわけ、日曜の晩、床に就く前に、グラスを傾けながら聴くと、より切ない感じになってたまらなかった。。

クレーメルの硬質な、ちょっと神経質な音色もいいが、ほんとは、も少し色が欲しいところ。
でも、デイヴィスとバイエルンの暖かな音色はいい。


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              Vn:ヘンリク・シェリング

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1968.5 ミュンヘン)

そして、その次に買ったのが、LP時代の名演、シェリングとクーベリックのもの。
気品ある端正なヴァイオリンに、クーベリックとバイエルンのこれまたマーラー仕込みの柔らかな響き、この融合にヨーロッパの音楽の流れと歴史を感じる。
この1枚は、ほんとうに気に入った。いまでも大好き。

そして、ベルクのヴァイオリン協奏曲を次々に入手、エアチェックも多数。

ちょいと羅列すると、渡辺玲子、パイネマン、ズッカーマン、スピヴァコフ、スターン、ブラッヒャー、ファウスト、アラベラ・シュタインバッハ、ツィンマーマン、テツラフ、ムローヴァ、堀、アモイヤル・・・・まだあるかも。

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        Vn:イザベル・ファウスト

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

               (2010.12@マンツォーニ劇場、ボローニャ)


アバドの指揮する3つの音源。
ソリストも、オーケストラも、いずれも違う。
ムローヴァ(ベルリンフィル、エアチェック音源)、ブラッヒャー(マーラー・チェンバー)、ファウスト(オーケストラ・モーツァルト)。
豊饒さと激性、でも豊富な歌いまわしのムローヴァ盤、気脈の通じた、元コンサートマスターとの自在かつ、緻密なブラッヒャー盤、そして、いまのところ、ベルクのヴァイオリン協奏曲で、一番と思っているのが、イザベル・ファウスト盤。
がっつりと音楽の本質に切り込むファウストのヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へと誘ってくれるような演奏に思う。

過去記事より、曲についてのこと。

1935年、オペラ「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、その2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。

「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となった。

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされる。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされる。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。

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     バッハ     カンタータ第60番「おお、永遠、そは雷のことば」

        A:ヘルタ・テッパー
        T:エルンスト・ヘフリガー
        Bs:キート・エンゲン

     カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
                   ミュンヘン・バッハ合唱団

                  (1964 ミュンヘン)


ベルクが、引用したバッハのカンタータ。
1723年の作曲で、イエスの行った奇跡を著した福音書をもとに、「恐怖と希望の対話」をえがいたもの。(解説書より)

死に怯える「恐怖」と、一方で、奇跡が起こる強い信仰を持つ「希望」との対話。
やがて、お互いが寄り添い、希望の喜びを歌う。

このカンタータの最後におかれたコラールが、ベルクがその旋律を引用したもの。
ここに聴くバッハの原曲も、憧れとどこか、終末観を感じさせるもので、リヒターのアナログ的な演奏も懐かしく、甘いものがある。
信仰とは、ときに、甘味なるものなのだ。

 「足れり、主よ、み旨にかなわば、割れを解き放ちたまえ!
  わがイエス来たりたもう。いざさらば、おお、世よ!

  われは天なる家に往くなり。われは平安をもて確かに往くなり。
  わが大いなる苦しみは地に葬られる。 足れり」  (訳:杉山 好)

ふたつの作品を聴きつつ過ごした日曜。

朝晩はまだ寒いが、日中は、暖かさに、鼻腔をくすぐる芳香を感じる。

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