カテゴリー「アバド」の記事

2023年6月26日 (月)

ヴェルディ 「ファルスタッフ」 アバド指揮

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毎年の梅雨の時期には、小田原城で紫陽花と菖蒲を楽しみます。


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そして、6月26日は、クラウディオ・アバドの90回目の誕生日。

90越えで現役のブロムシュテットとドホナーニが眩しい存在です。

2005年秋にblogを開設以来、2006年のアバドの誕生日を祝福しつつアバドの記事を書くこと、今年で17回目となりました。

さらに1972年にアバドの大ファンになって以来、今年はもう51年が経過。

つくづく永く、アバドを聴いてきたものです。

今年の生誕日には、アバドの演奏のなかでも、間違いなくトップ10に入るだろう大傑作録音、「ファルスタッフ」を取り上げました。

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  ヴェルディ 「ファルスタッフ」

   ファルスタッフ:ブリン・ターフェル   
   フォード:トマス・ハンプソン
   フェントン:ダニエル・シュトゥーダ  
   カイユス:エンリコ・ファチーニ
   バルドルフォ:アンソニー・ミー 
   ピストーラ:アナトゥーリ・コチュルガ
   フォード夫人アリーチェ:アドリアンネ・ピエチョンカ
   ナンネッタ:ドロテア・レシュマン 
   クイックリー夫人:・ラリッサ・ディアドコヴァ
   ページ夫人メグ:ステラ・ドゥフェクシス

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団

        (2001.4 @フィルハーモニー、ベルリン)


2000年の春に胃癌のため活動を停止し、その年の10月から11月にかけて、日本にやってきてくれた。
そのときの瘦せ細った姿と裏腹に、鬼気迫る指揮ぶりは今でも脳裏に焼き付いています。
その翌年2001年からフル活動のアバドは、いまDVDに残るベートーヴェンのチクルスを敢行し、そのあとザルツブルクのイースター祭で「ファルスタッフ」を上演します。
それに合わせて録音されたのが、このCD。

病後のベルリンフィル退任前の2年間は、アバドとしても、ベルリンフィルとのコンビとしても、豊穣のとき、長いコンビが相思相愛、完全に結びついた時期だったかと思います。
ベルリンフィルにカラヤン後の新たな風を吹かせた、そんなアバドの理想のヴェルディがここに完結した感がある。

一聴してわかる、音の輝かしさと明るさ伴う若々しさ。
カラヤンとは違う意味で雄弁極まりないオーケストラは、アンサンブルオペラ的なこの作品において、歌手たちの歌と言葉に、完璧に寄り添い、緻密にヴェルディの書いた音符を完璧に再現。
オーケストラも歌手も、完全にアンサンブルとして機能し、その生気たるや、いま生まれたての瑞々しさにあふれてる。
ヴェルディの音楽におけるオーケストラの完成度という意味では、アバドのファルスタッフは私にはNo.1だと思う。
カラヤンのドン・カルロもすごいけれど、あそこまで嵩にかかったオーケストラにはひれ伏すのみだが、アバドのヴェルディにおけるベルリンフィルは、しなやかさと俊敏さがあり、何度も聴いても耳に優しい。
若い恋人たちの美しいシーンはほんとうに美しいし、2幕最後の洗濯籠のシーンもオーケストラは抜群のアンサンブルを聴かせ、ワクワク感がハンパない。
各幕のエンディングの切れ味と爽快感もこのうえなし。
さらには、3幕後半の月明りのシーンの清涼感とブルー系のオケの響きも無類に美しく、そのあとのドタバタとの対比感も鮮やか!

ファルスタッフのオーケストラでいえば、カラヤンのウィーンフィルは雄弁かつオペラティックで面白いし、うまいもんだ。
同じウィーンフィルでも、バーンスタインはヴェルディを自分の方に引き寄せすぎ、でも面白い。
トスカニーニのNBCは鉄壁かつ、でも歌心満載。案外アバドの目指した境地かも・・・
ジュリーニのロスフィルは、これがあのメータのロスフィルかと思えるくらいに、落ち着きと紳士的な雰囲気。
スカラ座時代にアバドがファルスタッフを取り上げていたらどうだったろうか。
と空想にふけるのもまたファンの楽しみです。

病気あがりで、ザルツブルクでの上演前にみっちり練習を兼ねたレコーディング。
ファルスタッフのターフェルがレコ芸のインタビューで、そのときの様子を語ってました。
「彼はかなり痩せてしまい、皆とても心配していた。すると彼は音楽をすることによってエネルギーを得て、本当に元気になってしまいました。録音中、彼の瞳はきらきらと輝き、指揮をしながら飛び上がっていたのです。彼はこのオペラの生気、朗らかさを心の底から愛しているのだと思います。それが彼の健康に素晴らしい効力を発揮したのでした」
その音楽に明確な意見を持ちながら、若い歌手や演奏家たちに、完璧主義者でありながらフレンドリーで暖かく指導することで、レコーディング自体がすばらしいレッスンだったとも語ってました。
アバドの人柄と、あの大病を克服した音楽への愛を強く感じるエピソードです。

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ターフェルが36歳のときの録音で、その頃、すでにファルスタッフを持ち役にしていただけあって、その歌唱には抜群の巧さと切れ味がある。
初演の練習にずっと立ち会ったヴェルディは、歌手たちに細かい指示を出し、それはリコルディ社は書き取り記録したそうだ。
その細かな指示を歌手は反映させなくてはならず、ファルスタッフの多彩な性格の登場人物たちは、そのあたりでも役柄の描き分けが必要なわけ。
ターフェルは若い威力あふれる声を抑制しつつ、緻密な歌いぶりで、きっとアバドとの連携もしっかり生きていることでしょう。

ハンプソンのフォードも若々しく、ターフェルとの巧みなやりとりも聴きがいがある。
若すぎな雰囲気から、娘に対する頑迷な雰囲気はあまり出ないが、この歌手ならではの知的なスタイルはアバドの指揮にもよく合っている。

女声陣の中では、ナンネッタのレシュマンが断然ステキで、軽やかな美声を堪能できる。
ピエチョンカを筆頭とする夫人たちの、声のバランスもいいし、なかでは、クイックリー夫人が楽しい。
2000年当時の実力派若手歌手の組み合わせは、いまでも新鮮につきます。

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シェイクスピアと台本のボイート、そしてヴェルディの三位一体で極められた最高のオペラがファルスタッフ。
昔の栄光をいまだに忘れられない没落の士、ファルスタッフは、経済的な打開策としても、夫人たちに声をかけた。
それがしっぺ返しを食らうわけだが、思えば可哀想なファルスタッフ。
喜劇と悲劇を混在させたかのような見事なドラマと音楽に乾杯。

「世の中すべて冗談だ。
 人間すべて道化師、誠実なんてひょうろく玉よ、知性なんてあてにはならぬ。
 人間全部いかさま師!みんな他人を笑うけど、最後に笑うものだけが、ほんとうに笑う者なのだ」
                (手持ちの対訳シリーズ、永竹由幸氏訳)

皮肉に見つつも、真実を見極めた言葉に、屈託のないヴェルディの輝きあふれる音楽。
でも真摯極まりないアバドの演奏は、もしかしたら遊びの部分が少なめかも。

シェイクスピアに素材を求めたヴェルデイのオペラは、「マクベス」「オテロ」そして「ファルスタッフ」。
いずれもアバドは指揮しましたが、残念ながら「オテロ」は95~97年に3年連続でベルリンフィルと演奏してますが、録音としては残されませんでした。
オテロ役が3年で全部ことなり、レーベルのライセンスの問題もあるかもしれないし、おそらくアバドは理想のオテロ歌手に出会えなかったのかもしれません。
台本に内在する人間ドラマにもこだわる、そんなアバドが好き。
そんなアバドの高貴なヴェルディ演奏が好きなんです。

「ファルスタッフ過去記事」

「新国立劇場公演 2007」

「ジュリーニ&LAPO」

小澤征爾と二期会のファルスタッフを観劇したのが1982年。
国内上演4度目のものを体験。
先ごろ亡くなった栗山昌良さんの演出、タイトルロールは栗林義信さんだった。
日本語による上演で、今思えば悠長なものでしたが、でもわかりやすく、舞台に普通に釘付けとなりましたね。
「わっかい頃は、この俺だって・・・」とファルスタッフが自慢げに歌う場面は、日本語で歌えるくらいに覚えちゃったし、クィクリー夫人登場の挨拶は、「よろし~~く」で、もう出てくるたびに会場は笑いに包まれたものだ。
きびきびと楽しそうに指揮していた小澤さんも若かったなぁ。



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6月のアバドの誕生祭は、毎年、紫陽花が多め。

忙しかったので、記事は遅れ、バックデートして投稿してます。

アバド生誕祭 過去記事一覧

「ロメオと法悦の詩 ボストン響」2006

「ジルヴェスターのワーグナー」2007

「ペレアスとメリザンド 組曲」2008

「マーラー 1番 シカゴ響」2009

「ブラームス 交響曲全集」2010

「グレの歌」2011

「エレクトラ」2012

「ワーグナー&ヴェルディ ガラ」2013

「マーラー 復活 3種」2014

「シューベルト ザ・グレート」2015

「新ウィーン楽派の音楽」2016

「メンデルスゾーン スコットランド」2017

「スカラ座のアバド ヴェルディ合唱曲」2018

「ヤナーチェク シンフォニエッタ」2019

「スカラ座 その黄金時代DVD」2020

「ランスへの旅」2021

「アバド&アルゲリッチ」2022

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2023年6月24日 (土)

モーツァルト オペラアリア ネトレプコ&アバド

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ひさかたぶりの東京タワー。

いつでも行ける場所が、近いけど遠い場所に。
なにごともそんなものでしょう。

日々、簡単に行ける場所は、誰でも同じでない。

そんなことはともかく、モーツァルトのオペラはいい。

しかし、モーツァルトはあの短い人生で、交響曲から協奏曲、器楽、室内楽、オペラと、なんであんなに書けたんだろ。

人類の奇跡でしょう。

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 モーツァルト 「イドメネオ」 エレクトラとイリアのアリア

        「フィガロの結婚」 スザンナのアリア

        「ドン・ジョヴァンニ」 
          ドンナ・アンナとドン・オッタービオの二重唱

     S:アンナ・ネトレプコ

  クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト・オーケストラ

         (2005.3 @ボローニャ)

この豪華メンバーによるモーツァルトアルバム、アバドが指揮して新規に録音したのはこの4つだけで、あとのアバドは「魔笛」からの音源。
ヴァイグレとドレスデン、マッケラスとスコットランド室内管によるものが大半です。
実はそちらもなかなか素晴らしいのですが、ここではネトレプコとアバドの4曲だけをじっくり聴きましょう。

2003年にCDでのデビューを飾ったネトレプコは、翌2004年にアバドとマーラー・チェンバーとイタリア・オペラアリア集を録音してます。
その翌年のこのモーツァルト。
イタリアオペラ集のジャケットと、今現在の20年後のネトレプコを比べると、その変化に驚きます。
それは、そっくりそのまま、その声にもいえていて、20年前のネトレプコはスーブレットからコロラトゥーラの役柄を清々しく歌う歌手だったが、いまはマクベス夫人やアイーダ、エルザだけだがワーグナーをも歌うようなドラマティコになりました。
ひととき、声も荒れがちだったが、いまはまたそれを乗り越え、神々しさも感じるゴージャスな声と美声を聴かせてます。

ただ、いまが全盛期であるネトレプコに、水を差したのがご存知のとおり、ロシアのウクライナ侵攻。
いまネトレプコは、あれだけ人気を誇り、重宝されたメットから締め出され、欧州の劇場ではイタリアかドイツの一部でしか登場していない。
前にも書いたけれど、音楽家と政治とは別の次元にあるべきと思うし、愛国心は誰にも譲れない気持ちだと思う。
非難されるべき独裁者の手先にあるのならともかく。
しかも、ロ・ウ戦争の真実なんて、西側に立脚する日本には片側の情報しか入らないから、軽々に非難もできないとも思ってる。

話しはまったく変わってしまうが、戦争のおかげで、シモノフとモスクワフィルが聴けなくなってしまったのが残念でならない。

しかし、ここで生気あふれる清潔かつ歌心あるバックを務めているアバドが、もし存命だったら、アバドはネトレプコと共演するだろうか。
わたしは、アバドだったら無為の立場で、純粋な思いでモーツァルトのコンサートアリアなどを指揮していたかもしれない。と思ったりもしてる。

アバド90回目の誕生日まであと数日。

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2023年1月28日 (土)

シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」 アバド指揮

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このところの寒波で、丹沢の山々も今朝は白く染まりました。

1年前は、窓の外はビルばっかりだったのに、いまは遠くに丹沢連峰を見渡せる場所にいます。

子供の頃は、左手に富士の頂きが見えたのですが、木々が茂ったのか、まったく見えなくなってしまった。

でも、家を出て数秒上の方に行くと富士はよく見えます。

こんな気持ちのいい景色とまったく関係ない曲を。

それというのも、1月27日は「ホロコーストを想起する国際デー」だった。

wikiによると、「憎悪、偏見、人種差別の危険性を警告することを目的とした国際デーである。1月27日が指定されている。国際ホロコースト記念日とも呼ばれる。」とあります。

ホロコーストというと、ナチスの戦時における行為がそのまま代名詞になっているし、人類史上あってはならない非道なことだったけれど、ソ連もウクライナで同じことをやっているし、いまも戦渦にある場所は世界にいくつかある。
しかし、形骸化した国連組織は、いま現在起きている事実上のホロコーストを止めることはできないし、非難決議すらできない。
国連の常任理事国が、侵略している国だし、民族弾圧をしている国の2か国であることはもう笑い話みたいなことだ。

音楽blogだからこれ以上は書かないが、世界と社会の分断を意図的に図っている組織や連中があり、その背後にはあの国、K産主義者があると思う。
自由と民主の国にK産主義はいらん。

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  シェーンベルク 「ワルシャワの生き残り」

    語り:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン放送合唱団

                        (2001.9.9 @ベルリン)

この音源は、私の私的なもので、FMから録音したカセットテープからCDR化したものです。
正規にないもので申しわけありませんが、今日、この日に聴きなおして衝撃的だったので記事にしました。

この日のベルリンフィルとの演目は、オールシェーンベルクで、「ワルシャワ」に始まり、ピーター・ゼルキンとのピアノ協奏曲、「ペレアスとメリザンド」の3曲でして、CDRにきっちり収まる時間。
自分としては、極めて大切な音源となりました。

アバドは、「ワルシャワの生き残り」を2度録音してまして、ECユースオケとマクシミリアン・シェルの語りの79年ライブ、ウィーンフィルとゴットフリート・ホルニックの語りの89年録音盤。
若い頃にも各地で取り上げていたはずで、アバドの問題意識の一面とその意識を感じます。

1992年に歌手を引退したフィッシャー=ディースカウ。
その後は朗読家としての活動を行ったFD。
そんな一環としてのアバドとの共演だった。
アバドがFDの現役時代に、共演があったかどうかわかりませんが、ヘルマン・プライとは友人としてもよく共演していたので、個性の異なるFDとはあまり合わなかったのかもしれません。

ここで聴く、一期一会のような緊迫感あふれる迫真の演奏。
いかにもディースカウと言いたいくらいに、言葉に載せる心情の切迫感と、とんでもない緊張感。
ベルリンフィルの切れ味あふれる高度な演奏能力を目いっぱいに引き出すアバドのドラマテックな指揮ぶり。
わずか7分ほどの演奏時間に固唾をのんで聴き入るワタクシであった。

以下は、過去記事をコピペ。

1947年アメリカ亡命時のシェーンベルクの作品。
第二次大戦後、ナチスの行った蛮事が明らかになるにつれ、ユダヤ系の多かったリベラルなアメリカでは怒りと悲しみが大きく、ユダヤの出自のシェーンベルクゆえ、さらに姪がナチスに殺されたこともあり、強い憤りでもってこの作品を書くこととあいりました。
クーセヴィッキー音楽財団による委嘱作。
73歳のシェーンベルクは、その前年、心臓発作を起こし命はとりとめたものの、その生涯も病弱であと数年であったが、この音楽に聴く「怒りのエネルギー」は相当な力を持って、聴くわたしたちに迫ってくるものがある。
  12音技法による音楽でありますが、もうこの域に達すると、初期の技法による作品にみられるぎこちなさよりは、考え抜かれた洗練さを感じさせ、頭でっかちの音楽にならずに、音が完全にドラマを表出していて寒気さえ覚えます。

ワルシャワの収容所から地下水道に逃げ込んだ男の回想に基づくドラマで、ほぼ語り、しかし時には歌うような、これもまたシュプレヒシュティンメのひとつ。
英語による明確かつ客観的な語りだが、徐々にリアルを増してきて、ナチス軍人の言葉はドイツ語によって引用される。
これもまたリアル恐怖を呼び起こす効果に満ちている。


叱咤されガス室への行進を余儀なくするその時、オケの切迫感が極度に高まり、いままで無言であった人々、すなわち合唱がヘブライ語で突然歌い出す。
聖歌「イスラエルよ聞け」。
最後の数分のこの出来事は、最初聴いたときには背筋が寒くなるほどに衝撃的だった。
この劇的な効果は、効果をねらうものでなく、あくまでもリアル第一で、ユダヤの長い歴史と苦難を表したものでありましょう。
抗いがたい運命に従わざるを得ないが、古代より続く民族の苦難、それに耐え抜く強さと後世の世代に希望を問いかける叫びを感じるのであります。


フィッシャー=ディースカウとアバド、マーラーやシューマンで共演して欲しかったものです。

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寒さは続く。

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2023年1月20日 (金)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 アバド指揮

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地元の海の1月のある日の日没。

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日が沈む瞬間の輝きは眩しいほどに美しかった。

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日です。

アバドは「悲愴」の録音を4種残しました。

同じチャイコフスキーの5番とともに、ずっと指揮してきた重要レパートリーのひとつです。

 チャイコフスキー 交響曲第6番 ロ短調 op74 「悲愴」

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  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1973.10.1~ @ムジークフェライン、ウィーン)

1973年の初来日、日本から帰った数カ月後にウィーンで録音されたのが「悲愴」。

日本発売されたその日に、高校生の自分、速効買いました。

ムジークフェラインの響きを、まともに捉えた生々しい録音は、硬くなく柔らかでとてもリアルな音だった。
そこには、いまとは違うウィーンフィルのウィーンフィルの音としての音色と響きが、しっかりとここに刻印されておりました。
柔らかな音楽造りするアバドの持ち味が、ウィーンのまろやかなサウンドと相まって、実にピュアな「悲愴」となっておりました。

高校時代の日々、毎日飽くことなく聴きましたね。
冒頭のファゴットと低弦のあとの木管は、ウィーンの楽器が耳に刷り込まれているので、ほかの楽団の楽器では物足りないと思うようになった。
当時のウィーンフィルは、現在と違ってチャイコフスキーを演奏することなどあまりなく、若いアバドにすべてをゆだねてしまったようで、出てくる音はどこまでがアバドか、どこまでがウィーンフィルかわからないくらいに、幸せな共同作業になっていると思う。

4つあるアバドの悲愴のなかでは、いまでもこれが一番好きです。
アバドは10年後の83年にウィーンフィルとコンサートで取り上げてまして、NHKでも放送され、わたくしも録音しましたが、そのCDRがどこかへ行ってしまった・・・
もったいないことしました。 

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   シカゴ交響楽団

      (1986.11.10 @シカゴ)

ウィーン盤から13年後、アバドはその間、スカラ座、ロンドン響、ウィーン国立歌劇場に加えて、相性のよかったシカゴでもポジションを得て、指揮界の頂点にさしかかる途上にあり、そのシカゴとの悲愴再録音。
チャイコフスキー全集の3作目で、ここではやはり、シカゴの高性能ぶりが際立ち、克明なアンサンブルと音の明快さ、金管の輝かしさなどが目覚ましいです。
アバドの流麗な音楽造りは自然さも増して、流れるようにスムースに音楽が進行するが、そこにあふれる歌はもしかしたらウィーン盤以上かもしれない。
ことに2楽章がほんと美しい。
ただいつも書くことかもしれないが、録音が私には潤い不足に感じ、これがDGだったらと思わざるをえません。
またはオケがボストン響だったら、チャイコフスキーの場合はよかったかもしれない。

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  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

    (1993.8.23 @ザルツブルク音楽祭)

指揮者とオーケストラの集中力と、それが引き起こす熱気は尋常ではない。(以前の記事より)
第1楽章が歌いまくりつつも終始熱いまま終え、オケの隅々まで気持ちよさそうな第2楽章を経て、元気な第3楽章では最初のほうこそ手堅くきっちりと進行するものの、徐々にテンションが上がってきて、テンポもあがって最後は熱狂的になる。
そのエンディングから息つく暇もなく、アタッカで始まる最終楽章。
これが、この演奏の白眉。
歌いまくる弦に、思いの丈を入れ込んだ管、むせび泣くような金管にメリハリの効いたティンパニ。
強弱の幅もはっきりしてて、高性能のオーケストラが、すべてをかなぐり捨てて、熱く燃え上がるアバドの棒のもとにその思いを集中させている。
ここでは、めったに聞くことができないアバドの唸り声も聴こえる。
この頃のアバドはライブで燃え上がり、ベルリンフィルもアバドの魅力に取りつかれつつある時期だった。

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  シモン・ボリヴァル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

   (2010.3.18 @ルツェルン)

ベルリンを退任してから、ルツェルン祝祭管との活動と併行して、アバドはマーラー・ユーゲント、マーラー室内管、モーツァルト管など、若者のオーケストラをますます指導、指揮するようになっていった。
そんな一貫として、キューバやベネズエラを訪れ、独自システムにより音楽への道を歩んでいた若者を指導するようにもなりました。
シモン・ボリヴァルの若いオーケストラを積極的にヨーロッパに紹介し、自ら指揮したり、ドゥダメルを推したりもしたアバド。
唯一の音源が彼らをルツェルンに引き連れていったコンサートのものです。
プロコフィエフの「スキタイ」組曲、ベルクの「ルル」組曲、モーツァルトの「魔笛」のアリア、そして「悲愴」交響曲という盛りだくさんのコンサート。
このなかでは、個人的にはプロコフィエフが一番よいと思う。
そして「悲愴」は、アバドらしく流動的な滔々と流れるような演奏で、句読点はあえて少なめにサラリとした感触を受けます。
ルツェルンの仲間たちとの一連のマーラーのように、無為の境地にある指揮者に、オーケストラが夢中になって演奏している様子が見て取れる。
映像で観ると、若い奏者たちは譜面に夢中だけど、体を大きく揺らし演奏しつつも前に立つ指揮者のオーラに感化されゆく姿もわかります。
しかし、ここでも欲をいえば、ルツェルンのオケだったらどうだっただろうかという気持ちになります。
シモン・ボリヴァルの若者オケは彼らの良き個性だと思うが開放的にすぎて、音が広がりすぎて聴こえます。
編成も大きいので、緻密に簡潔な演奏をするようになった晩年のアバド様式にはちょっと・・という気がしました。
メンバーのなかに、ベルリンフィルやルツェルンのオケでのちに見るようになる顔や、ホルンに今やモントリオール響の指揮者となったラファエル・パヤーレの姿も見受けられます。

こうしたとおり、アバドが愛し、育てた音楽家が世界でどんどん活躍するようになってます。
これぞ、アバドが願い、目指し、築いた音楽の世界だったと日に日に思うようになりました。
アタッカで終楽章に入るアバドスタイル。
アバドの思いを考えながら、少し照明を落として演奏されている4楽章が消えるように終わり、長い沈黙のあと拍手が始まる。
アバドは感謝するように手を合わせてました・・・・

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アバドの命日の記事

2022年「マーラー 交響曲第9番」

2021年「シューベルト ミサ曲第6番」

2020年「ベートーヴェン フィデリオ」

2019年「アバドのプロコフィエフ」

2018年「ロッシーニ セビリアの理髪師」

2017年「ブラームス ドイツ・レクイエム」

2016年「マーラー 千人の交響曲」

2015年「モーツァルト レクイエム」
  
2014年「さようなら、アバド」

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2022年12月10日 (土)

カルメンへ Berlin Gala アバド指揮

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東京タワーの横にある大きな芝公園のなか、もみじ谷があります。

何種かの紅葉があって、色合いよろしく、東京タワーの赤にも映えてました。

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あいにくの曇天ですが足を伸ばした甲斐がありました。

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        A Salue to Carmen

  ビゼー      「カルメン」 抜粋

  ラヴェル     スペイン狂詩曲

  サラサーテ   カルメン幻想曲
 
  ラフマニノフ  パガニーニの主題による狂詩曲

  ファリャ    「三角帽子」~火祭りの踊り

  ブラームス   ハンガリー舞曲第1番、第5番

   カルメン:アンネ・ゾフィー・オッター

   ドン・ホセ:ロベルト・アラーニャ

   エスカミーリョ:ブリン・ターフェル

   フラスキータ:ヴェロニク・ジェンス

   ネルセデス:ステラ・ドゥフェクシス

   Vln:ギル・シャハム

   Pf:ミハエル・プレトニョフ

   合唱:オルフェオン・ドノスティアラ
      南チロル少年合唱団

        (1997.12.31 @ベルリン)

1997年のベルリン、ジルヴェスターコンサート。
カラヤン、アバド、ラトルの初期は、NHKが毎年衛星生放送をしてくれてたので、いずれの年も紅白を観る家族をよそに、ひとり録画をしながら楽しんでいたものです。
同時にバイロイト音楽祭のFM放送とかN響の第9とかも録音していたので、いま思えばむちゃくちゃ忙しかった。

アバド時代になって、ジルヴェスターコンサートは、毎年テーマを定めた知的かつ華やかなプログラムになった。
CD化されて、より良い音質で楽しめるようになったし、映像もブルーレイ化されて視聴できるようになって、ほんとにありがたいことです。
20年前には考えられなかったことです。

CDには全部の曲が入りきれないので、ファリャとブラームスの1番は収録されていません。
DVDの曲順もCDと異なっていて、これについてはいろいろ調べたけれどよくわかりません。
(DVD:カルメン→ラフマニノフ→サラサーテ→ラヴェル→ファリャ→ブラームス)

「A Salute to Carmen」というタイトルがこの年のジルヴェスターコンサート。
カルメンへ敬意をこめて、的な意味でしょうか。
舞台のスペイン、ジプシー、ラプソディーといったテーマに沿った演目です。
「人生、愛、そして死にまつわる舞踏」といったサブタイトルもついてまして、さすがはアバド、知的なプログラミングです。

 自分でまとめたもので、以前も掲載しましたが、ベルリン時代のプログラムの各テーマです。

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カラヤン時代には考えられなかったこうした動きは、ラトル、ペトレンコに継がれベルリンフィルに定着したと思います。
1990~2002年のアバドのベルリンフィル時代は、こうして見てみると10年計画のようにも感じられ、ロンドンとウィーンで積み上げてきたものが集大成された感もありますし、新たなレパートリーへのチャレンジもみられ、アバドの果敢さもうかがわれます。
このあとはルツェルンで、自身の最愛のレパートリーを最愛の仲間とともにつきつめる究極の演奏の極致に達するわけです。

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DVDで観る1997年末のアバドとベルリンフィル。
アバドも病気になる前なので、ふくよかで指揮台への登場も若々しく、小走りに階段を降りたりしてます。
その指揮姿も、流れるような流線形の指揮ぶりで、ときおり浮かべる笑みもいまや懐かしい。
もう25年も前なんだ。
つくづくとアバドがもういないなんて・・・・

それとベルリンフィルの団員の若々しさ。
カラヤン時代のメンバーもこの頃はまだ多く残っていて、ヴィオラには土屋邦夫さんの姿もありました。

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豪華なメンバーによるカルメン。
ベルリンフィルでもこのメンバーで全曲録音して欲しかった。
オッターの流麗で爽やかなくらいのカルメンは、アバドの考えに即したものだろう。
ターフェルは肉厚で、アラーニャはすこぶる瑞々しい。
合唱にスペインのバスク地方から精鋭合唱団を呼んでくる豪華さ。

いまや指揮者のイメージが勝ってしまっているプレトニョフとアバドの共演も希少。
なにげに、さりげなくも超絶技巧の弾きこなしを見せてくれるし、あの美しいテーマをアバドとベルリンフィルが身体を揺らしながら奏でるシーンは実に感動的。

超絶技巧といえば、シャハムのサラサーテも、ものすごい!
聴衆のブラーボーが一番飛んでた。

精緻なスペイン狂詩曲は、ベルリンフィルのメンバーの凄腕を再確認。
アバドのファリャもこれが唯一で、明るい音色が解放感を与えてくれる。
そして最後は、アバドの18番でもあるハンガリー舞曲で、指揮者もオケもノリノリに!

てな具合で、一足はやく年末感を楽しみました。

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サロメを挟んで、プレヴィン、マリナー、ハイティンクとアバドと聴いてきました。

4人のわたしのフェイバリット指揮者ですが、みんな物故してしまった。

忘れないように、こうして定期的に取り上げていこうと思います。

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2022年7月 8日 (金)

ヴェルディ レクイエム アバド指揮

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6月の終わりの頃のある日の夕焼け。

壮絶にすぎて、ドラマテックにすぎて、なにか起きやしないかと不安な思いを抱いた。

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  ヴェルディ  レクイエム

 S:カティア・リッチャレッリ Ms:シャーリー・ヴァーレット

 T:プラシド・ドミンゴ    Bs:ニコライ・ギャウロウ

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

                ミラノ・スカラ座合唱団

         合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

           (1979.6、80.1,2  @ミラノ)

悲しみと怒りの日に、ヴェルディのレクイエムを、最愛の演奏で聴く。

怒りの日にばかり焦点が向きますが、ヴェルディのレクイエムは、死者を悼む、まさにレクイエム。
残されたひとたちへの哀歌であり、悲しみへよりそう優しい音楽。

今日の日こそ、ラクリモーサが心締め付けられるほどに響く。

アバドの誠実な指揮、豊かな歌心が、こんなときこそ泣けるほどに美しく一途でした。

日本にとってきわめて大きな喪失が本日あった。

まだ受け入れられない。

その喪失感は、世界のメディアや指導者たちの言葉を聞けばわかる。

大きな存在を失った日本は、そして大きな岐路に立たされることになった。

そのことを、しばらくしたら、国民とメディアは気が付くと思う。

「反」の人は、結構です、ずっと騙されていてください。
マスコミや「反」のひとが植え付けた悪のイメージが元凶だと思う!

安倍さん、日本を守っていただきありがとうございました。

その魂が永遠でありますこと、心よりお祈り申し上げます。
そして、天から、日本を守ってください。

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2022年7月 6日 (水)

ロッシーニ 序曲 アバド指揮

Hirastuka

七夕の準備の進む平塚市。

繁華街の公園では、園児たち、小学生たちの七夕のぼりが鮮やかに展示されてます。

今週末には、3年ぶりの本格七夕まつりが開催。
コロナで待ち望んでいた仙台ともリンクした平塚の伝統あるお祭り。

子供時代は毎年狂喜乱舞したお祭りで、両親へのわがままも、ことさらに通る贅沢な瞬間でした。

暑すぎのアバド生誕週間でしたが、その後、台風までも参戦し、天候は急転直下の日々。

すっきり、晴れやか気分にさせてくれるアバドのロッシーニ序曲集を聴く。

ヨーロッパ室内管との演奏は今回あえてスルーして、ロンドン響とのものを、曲もセリアでなく、ブッファを選んで聴きました。

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 ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」序曲

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

         (1975.2 @ロンドン)

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 ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」 序曲

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

         (1978.05 @キングスウェイホール、ロンドン)

アバドが70年代に、年をあまりおかずに録音したロッシーニの序曲集。

わたくし的には、最初のDG盤がジャケットもステキで、思い入れが強いのですが、全6曲中、セビリアとチェネレントラが全曲盤からの使いまわしというところがやや残念なところで、あえて再録して欲しかったな、と。

しかし、75年の2月は、あの「春の祭典」が録音された同時期にあたるものです。
ロッシーニを軽やかに指揮するがごとく、ハルサイをもいとも簡単に俊敏に演奏してしまったアバドとロンドン響。
名門ロンドン響の腕っこき奏者たちがアバドに夢中になってしまった。
そんな颯爽としたアバドの指揮ぶりが、ここに聴かれて、いま40年以上も経っても爽快このうえなし。

78年に、RCAレーベルに入れたロッシーニとヴェルディの序曲集も、大学生になった自分は学校の生協で購入して、来る日も来る日も聴きました。
セミラーミデとウィリアムテルという巨大セリアの序曲をここに選んだように、スケール感を増した演奏ぶりで、キングスウェイホールの厚い響きもセリア系序曲やヴェルデイの音楽には相応しいものでした。
でも、ブッファ系の軽やかさは相変わらずで、セビリアの理髪師にいたっては、そのまま流用した「イギリスの女王エリザベッタ」の序曲を選曲するというこだわりぶりで、しかも相変わらずのすっきり感とノリの良さ。
ロッシーニの音楽に、生真面目に取り組み、ユーモアよりは歌い口の美しさと軽やかさ、透けるようなシルキーな響きをもたらしたアバドの真骨頂がここに聴かれます。

ロンドン響とのこの2枚に比べると、ヨーロッパ室内管との録音は、より自在になり、テンポも快速で、若い手兵とロッシーニの音楽をひたすら楽しんでいる風情があります。
より晩年に、マーラー・チェンバーとかモーツァルト管とやってくれたらいったい・・・・そんな思いもよぎるアバドの鮮度高いロッシーニでした。

1813年、21歳のときの「アルジェのイタリア女」では、イタリア女に惚れこんだアルジェの太守を滑稽に描いた、当時大人気のトルコ風なエキゾチックなお笑いオペラ。
そして、こんどは、その逆パターンを1年後に作曲。
ここでは、トルコの王子がイタリアに乗り込んで引き起こす色恋沙汰。

アバドは、「アルジェ」はレパートリーにしていたが、トルコ人は指揮しなかった。
ほかには「セビリア」「チェネレントラ」「ランスへの旅」と全4作のみ。
ヴェルディとともに、もう少し、ロッシーニのオペラも残して欲しかったと思いますね。

七夕の日に、爽快なアバドのロッシーニを。

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2022年6月26日 (日)

アバド&アルゲリッチ

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梅雨空の曇天のもと、先日のライトアップに次いで、小田原城の花菖蒲と紫陽花を見てきました。

青空が欲しいところではありましたが、写真を撮るにはいい光の塩梅かもしれません。

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本丸へ渡る橋と花菖蒲のコントラストが美しい。

まるでモネが描いたかのような印象派のイメージのような写真が撮れました。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年6月26日、89回目の誕生日です。

今年は、ソリストとして、ポリーニと並んで一番共演の多かった、マルタ・アルゲリッチとの録音をすべて聴いてみました。

グルダに教えを乞いたいという願いのもと、アルゼンチンからオーストリアへ勉強に出たアルゲリッチは、1955年の、グルダのザルツブルク・ピアノ夏季講習でアバドと出会うことになりました。
その後、アルゲリッチは57年にブゾーニコンクールとジュネーブのコンクールで優勝、60年には早くもDGデビュー、さらに65年にはショパンコンクールに優勝し、24歳にして若手ピアニストの花形となりました。
 一方のアバドは、58年にダングルウッドでクーセヴィツキ賞を受賞、63年にミトロプーロス国際指揮コンクールで優勝し、ひのき舞台に踊りでるようになります。
アバドもアルゲリッチも、年齢の差は少しあるものの、ほぼ同時期にスターとして歩みを始めてます。

いつもお世話になっておりますアバド資料館によりますと、アバドとアルゲリッチのオーケストラでの共演は1966年のロンドン響におけるプロコフィエフ3番のようですが、
以来、アバドが亡くなる前年の2013年までふたりの共演はずっと継続することになります。

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 プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調

 ラヴェル    ピアノ協奏曲 ト長調

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1967.5.29~6.1 @イエス・キリスト教会)

こちらはコンサートでの流れでの録音でなく、レコードのための録音で、当時は、そのようなことがあたりまえだった。
実はこちらは、CD時代になってから聴いたもので、プロコフィエフに関しては、この演奏がいちばんと思っている。
ベルリンフィルであることが、あまり意識されないですが、イエス・キリスト教会での録音で、その響きがカラヤンが盛んに録音を行っていた時期のものにかぶって、そういう聴き方も楽しいものです。
ずばりこの時期にかぶるカラヤンの録音はシベリウスの6番や、レ・プレリュード、モルダウ、あと数か月後には、かの名盤・オペラ間奏曲集、ラインの黄金なんかがあります。
 脱線しましたが、クールでリリシズムあふれたこの2曲は、ふたりの個性にぴったりですから、思い出としてはショパン&リストにかなわないのですが、曲の好みと、演奏者たちの曲への相性からいえば、プロコフィエフ&ラヴェルの方が上と考えます。
ともに、緩徐楽章が抒情味としゃれっ気とがセンス抜群だと思いますね。

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   ショパン ピアノ協奏曲第1番 ホ短調

   リスト  ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1968.2.2~12 @ウォルサムストウ、ロンドン)

このレコードを手にしたのは、まだ中学生だった。
初めて買ったアバドのレコードで、1971年ではなかったかと思う。
最初はおもにショパンばかり聴きまくり、のちに、いやリストの方が面白いと気づき、両曲ともにすり減るように聴いた。
 アルゲリットとアバド、ラテン系の血をもった若い二人がぶつかり合うさまは、歌心にあふれ、熱血的な熱さにもありで、そのころ、夢中になって夢見心地で聴く若き自分が、いまでは恥ずかしく思い出させるくらいだ。
本blogの初期の頃にも書いた「我が青春のショパン」みたいな感じですよ。
それが、いまやもう二度と生まれないこの名コンビによる若い演奏は、情熱的で、晩年のあやなす透明感とはまったく異なるもので、この録音が34歳のアバドと、26歳のアルゲリッチで残されたことに感謝したいです。
ロンドン響が、これがDGに初登場だったこともいまや貴重な1枚です。
ちなみに、ショパンの2番はロンドン響で69年に演奏しているようですが、そのとき録音がなされなかったのはちょっと残念。

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  ラヴェル  ピアノ協奏曲 ト長調

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1984.2 @セント・ジョーンズ・スミス・スクエア、ロンドン)

アルゲリッチとアバド、2度目の録音は、アバドとロンドン響とのラヴェル全集の一環で。
左手の方は、アルゲリッチの勧めで、当時右手を負傷していたベロフが起用されました。
ふたりは、このラヴェルで共演することが一番多かったようで、2000年代に入ってからもマーラー・チェンバーなどでも演奏を繰り返してます。
こちらの演奏、ラヴェルのこの曲のなかで一番好きです。
ジャズ的な洒脱かつ即興的な要素がくまなく整然と再現されるし、なんたって羽毛のような軽やかさがいい。
2楽章の夢見心地で、淡い色彩にあふれた演奏は、このステキな曲のなかでも最も素晴らしいものだと思います。
実は、自分の結婚式で、好きな曲ばかりをチョイスして式中に流したのですが、この2楽章を、この演奏で使用したのでした。
いまでは儚い思い出で化してしまいました・・・・
 ちなみに、亡父の式最後での言上では、マーラーの3番の終楽章。
これもまたアバドとウィーンフィルの演奏でした・・・そのとき泣いてました

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  スクリャービン 交響曲第5番「プロメテウス」

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
               ベルリン・ジングアカデミー

      (1992.5 @フィルハーモニー、ベルリン)

ロンドンとウィーンと同じように、アバドはシーズンごとにテーマを定めて、さらにはコンサートに絞っても、ひとつのテーマでプログラムを練るようにしてました。
音楽ばかりでなく、街をあげて、各種芸術に、そうしたテーマで取り組むという活動。
アバドのもっとも評価されていい一面でもあります。
ベルリンでの、このコンサートのテーマは「プロメテウス」=神話のさまざまな変奏。
ベートーヴェン「プロメテウスの創造物」、リスト交響詩「プロメテウス」、スクリャービン「プロメテウス」(火の詩)、ノーノ「プロメテウス」という演目。

プロメテウス」はギリシア神話上の神。
音から神の姿に似せて人間を作り、魂と命を与えた。そのうえに、火と技術を与えたことで、「ゼウス」の怒りに触れた。人間がゼウスら神の好敵手となったからである。
プロメテウスはコーカサスの岩場に縛られ、その肝臓をワシについばまれることとなる。
その肝臓は枯れることなく、プロメテウスは苦しんだ・・・・・。
それを後に救ったのが「ヘラクレス」である・・・・。(ジャケット解説より)過去記事から。

スクリャービンが考えた音楽と色彩、「音と色」との融合について。
当時開発された、音と、その音に対応したイメージの光がでるという「色光鍵盤」を用いて作曲したのが「プロメテウス」。
アバドは、ピアノにそんな小細工はせずに、フィルハーモニーホールの照明をさまざまに駆使することで、スクリャービンの精妙なる世界に近づけようとした。
神秘感というよりは、後期ロマン派の延長線上にあるスクリャービンの音を、アルゲリッチとともに引き出した演奏。
若き日々の、ショパンが嘘みたいに感じるけれど、でもスクリャービンも若い作品はショパンみたいだった。

Strauss-abbado

  R・シュトラウス  ブルレスケ

    マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1992.12.31  @フィルハーモニー、ベルリン) 

大晦日のジルヴェスターコンサートでも、毎年、ひとりの作曲家やテーマに絞り込んだプログラムを組みました。
93年の幕開けに相応しい、R・シュトラウスのきらびやかな世界を展開してくれたコンサート。
NHKの生放送を食い入るようにして観ました。
なんたって、アバドが「ばらの騎士」を振ったのですからね。
ドン・ファン、ブルレスケ、ティル、ばらの騎士のラストシーン。
アルゲリッチ、フレミング、シュターデ、バトルといった華やか極まりない出演者。

表面的に走りそうなブルレスケを、さすがはアルゲリッチで、鮮やかなテクニックとともに、明晰で見通しのいい明朗シュトラウスサウンドを造り上げていて見事。
アバドもこうした即興的な曲では、当意即妙に、軽やかな指揮ぶり。
ティンパニのゼーガースの鮮やかな叩きっぷりも目に浮かぶよう!
この時代のベルリンフィルのメンバーはすごかったなぁ

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  チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調

     マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

      (1994.12.8~10 @フィルハーモニー、ベルリン)

ライブで燃えるふたり。
ともに、DGへ、デュトワとポゴレリチと録音をしていますが、そちらの方が幻想味とスケール感ではまさっていて、よりチャイコフスキーらしさがあります。
しかし、ここでの二人は火の玉のように熱い!
聴衆を前にして、気心知れたふたりの演奏家が、お互いに高まりあい、オケも夢中に一緒くたになってしまい一糸乱れぬすさまじさを披歴。
まさにライブ感あふれる演奏で、そうそうに何度も聴ける演奏ではありません。
今回、久しぶりに聴いてびっくりしました(笑)

このときの演奏会のプログラムを「クラウディオ・アバド資料館」にて調べてみました。
前半がモンテヴェルディのコンソート、シュトックハウゼンのグルッペン、そしてチャイコフスキーの一夜。
指揮もオケも、そして聴衆も待ち望んでいた「音楽」あふれる音楽だったのが後半戦でした。
アルゲリッチはその雰囲気をまんま受けて燃え尽きるようにして弾きまくってしまったのか!
2楽章の抒情の世界では、ベルリンフィル奏者たちとの珠玉の共演が聴かれるし、抑制の聴いたアバドの指揮もここではステキ。
しかし、終楽章は火の玉化してしまった!

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  ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調

          ピアノ協奏曲第3番 ハ短調

      マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ

      (2000.2 、2004.2  @テアトロ・コムナーレ、フェラーラ)

アバドが体調を崩したこともあり、あのチャイコフスキーのような共演はなくなってしまい、古典派の音楽を取り上げることが多くなりました。
アルゲリッチは、ベートーヴェンでは1~3番までしか弾かないのか?
シノーポリと1,2番を録音し、アバドとは2,3番をライブ録音。
ふたりは、1番を2005年にルツェルンとの欧州ツアーで演奏してますが、そちらは録音されなかったのが残念。

過去記事に書いた内容を再掲
アバドの目指す、若いオーケストラとのベートーヴェンの新風に、むしろアルゲリッチが感化されたかのように、はじけ飛ばんばかりの活力と、生まれたばかりのような高い鮮度のピアノを聴かせてます。
過度のノンヴィブラートの息苦しさに陥らず、ベートーヴェンの若い息吹を、伸びやかに、そしてしなやかに聴かせるアバド。
2番は病に倒れる術前、3番は術後安定した時期。
 そんな、時系列を少しも感じさせることのない活きのいいオーケストラ。
アルゲリッチの3番は、これが唯一だが、このふたりの気質からしたら、2番の方が弾みがよろしく、ベートーヴェンの青春の音楽の本質を突いているように感じますがいかがでしょうか。
ことに、2楽章の抒情と透明感は素晴らしいのですよ。」

2番の協奏曲は、アバドがヨーロッパ室内管とシューベルト交響曲チクルスをやったときに、ペライアのソロで聴きました。
ここでの2楽章も、ふたりとも神がかり的な美しさでした。
アバドの誕生日に、アルゲリッチで何度もこの楽章を聴いてます。

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  モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

         ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K503

       マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 モーツァルト管弦楽団

      (2013.3.18,16 @コングレスザール、ルツェルン)

オーケストラ・モーツァルトを指揮した2013年のルツェルン・イースター音楽祭でのライブ録音が、いまのところ、アバドと朋友アルゲリッチとの最後の録音。

過去記事を編集~初のモーツァルトに、アルゲリッチ自身は、このライブの音源化に消極的だったといいます。
これまでのふたりの共演は、ベートーヴェンを除けば、ロマン派、ロシア、フランス、という具合で、どちらかといえば、華やかで、ソロもオーケストラも情熱と煌めきが似合うような曲目ばかりでした。

アバドの指揮には、よりピリオド的な奏法が強まり、ルツェルンのホールの響きは豊かながら、オーケストラの音は切り詰められて感じる。
しかし、どうだろう、この若々しさは。
ピリス盤よりも、溌剌として、表情も豊かで、自在なアルゲリッチのピアノに、すぐさま反応してしまう、鮮やかなまでのオーケストラ。
アルゲリッチの多彩なピアノに負けておらず、そして、羽毛のように軽やかでしなやかなオーケストラは、ほんとに素晴らしいもので、弱音の繊細さも堪能できる。
グルダ、ゼルキン、ピリスとモーツァルトで共演を重ねてきたアバド。
ことに20番、若き日を思い起こすような、遠い目で見たような枯淡の緩徐楽章をふたりして語りあうようにして聴かせてくれました。
歳を経ると、緩徐楽章がことさらに耳に、身に染み入るように感じます。

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モーツァルトのCDの裏ジャケットには、若いふたりが。

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こちらもいまは、カラーでリマスタリングされてますが、手持ちのショパンのレコードの見開きジャケットのなかの1枚で懐かしさもひとしお。

1967年から2013年まで、朋友ふたりの46年におよぶ共演を聴きました。

いつの時代も、若々しく、軽やかで、機敏な演奏のふたり。

梅雨がどこかへ行ってしまい、暑いばかりの2022年6月26日、よきアバドの生誕祭を過ごせました。

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2022年3月 1日 (火)

シューマン ピアノ協奏曲 ブレンデル&アバド

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寒かった2月もおしまい。

季節はちゃんとめぐり、梅の芳香が街にただようになりました。

しかしながら、世界は自然の移ろいを愛でる余地や心地を与えてくれません。

日本だけが崇高なる9条をかかげ、たてまつるなか、そんな夢想ともいえる理想郷を吹き飛ばしてしまった独裁者。

そんなヤツが実際にいて、死んだような眼で、侵攻を正当化し、核で脅す行為を行った現状を世界に見せつけた。

悲しいのは、そんな暴君を支持せざるをえなかった音楽家たちも断罪されつつあること。

いや、その度合いにもよるが、指揮者Gは支持者でもあり友人でもあったが、ロシアの一般の人々が、自分はそうじゃありませんという声明をせざるをえないのが悲しすぎる。
その国の国民であることで謝罪をしなくてはならないっておかしくないか。
日本人も、戦後にそうした教育をほどこされ、自虐史観の固まりとなり、やがて国力さえ弱めるような事態にいまなっている。

Hirayama-ume-9

ウクライナの無辜の民、それから命令で赴き、命を散らしてしまったロシアの兵士たち、それぞれの命の重みは同じ。

西側の脅威があったとはいえ、これをしかけた指導者P大統領、そして危機が迫るのを知りつつ安穏としていたウクライナ政府、それぞれに問題ありだと思う。

他山の石は、日本に即ふりかかる。

めずらしく音楽以外のことを・・・黙ってらんない

危機のときに、やってきてくれるウルトラセブンは、もういないと思っていい。

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  シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 op.54

        アルフレート・ブレンデル

  クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

      (1979.6 @ウォルサムストウ、ロンドン)

初めて買ったシューマンのピアノ協奏曲がこのブレンデル&アバド盤。
DG専属だったアバドのフィリップスレーベルへの登場もあり、ともかくすぐに飛びつきました。

デジタル移行まえ、アナログの最終期の録音で、当時、フィリップスの録音の良さは定評があり、このレコードを代表に、最新フィリップスサウンドを聴くというレーベル主催の催し物に抽選で当たり、聴きに行きました。
大学生だった自分、会場はちょうど通学路にあった塩野義ビルのホールで、スピーカーはイギリスのKEFだったかと思う。
名前は忘れてしまったがMCは著名なオーディオ評論家氏で、このシューマンや小沢のハルサイとか、ネグリのヴィヴァルディとかが紹介され、ともかく自宅では味わえない高音質サウンドに魅了されたものです。

いま聴いても、芯のある録音の素晴らしさは極めて音楽的で、ピアノの暖かな響きと、オーケストラのウォーム・トーンがしっかりと溶け合って美しい。
ブレンデルのピアノが、折り目正しい弾きぶりのなかに、シューマンのロマンティシズムの抽出が見事で、柔和ななかに輝く詩的な演奏。
アバドとロンドン響も、ともかくロマン派の音楽然としていて、溢れいづる音楽の泉にとともに、早春賦のような若々しい表情もある。
春や秋に聴く音楽であり、演奏でもあると思う。
久々に聴いて、学生時代を思い出したし、若かった自分、いまとまったく違った若者の街、渋谷を懐かしくも思い出した。

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遡ること小学生の自分。
ウルトラQ→ウルトラマンと続いて名作「ウルトラセブン」に夢中だった。
同時期にサンダーバード。
プラモデルで、ウルトラホーク号や、サンダーバード1~5号、ピンクのペネロープ号など、みんな揃えましたね。

そして衝撃的だったウルトラセブンの最終回。
戦い疲れ、もうあと1回変身したらあとがないと知ったセブン=モロボシ・ダンは、アンヌ隊員に「アンヌ、僕はねM78星雲からきたウルトラセブンなんだ!」と告白します。
ここで衝撃を受けるアンヌ、画面は彼女のシルエットとなり、流れる音楽はシューマンのピアノ協奏曲の冒頭。

アンヌは「人間であろうと宇宙人であろうと、ダンはダンで変わりないじゃないの、たとえウルトラセブンでも」
いまなら涙なしには見れない感動の坩堝となるシーン。
最後の戦いの間、シューマンの音楽は流れます。

このときの演奏は、リパッティとカラヤンのもので、刹那的なロマンを感じる演奏ですね。

昔のレコ芸で、ウルトラマンやウルトラセブンを数本監督した実相寺昭雄氏とウルトラセブン以降、ウルトラシリーズの音楽をすべて担当・作曲した冬木徹氏の対談を読んだことがあります。
あの感動のシーンの音楽は悩んだ末の窮余の一策で、チャイコフスキーのコンチェルトでとか言われたけれど、なんか違うなということになり、家から持ってきたレコードだったと冬木氏は語ってます。
円谷プロの円谷一氏は、早逝してしまったが、ヴァイオリンも習っていたしクラシック好きだったと。
だから冬木氏の作り上げたウルトラセブンに流れる音楽も、シンフォニックで格調高い。
円谷氏は、テレビで流される音楽を聴いてたら日本中の子供たちは耳が悪くなっちゃう、そうじゃない、子供たちの耳が音楽的な耳に育つようなものを作ってよ、と冬木氏に語ったそうな。

ほぼほぼ、セブンの時代は、ワタクシがクラシックに目覚めたころ。
あれがシューマンの曲だと知ったのはずっとあとのことだったけれども、ウルトラセブンのあのシーンは、きってもきれないことになった。
子供時代、青春時代がないまぜになって、どこか切なく甘い思い出です。

ウルトラセブンに出演していたウルトラ警備隊のメンバーも物故したりしてますが、ヒーローのモロボシ・ダン役の森次晃嗣さんは、藤沢の鵠沼でジョリー・シャポーというレストランを経営していて、お店によくいらっしゃるとのこと。
一度行ってみたい。
ヒロインのアンヌ隊員役の、ひし美ゆり子さんは、多くのお孫さんに恵まれ、孫の預かりを日々楽しみにしていらっしゃるご様子。
SNSでよく拝見してます。

そして、私もそっくり歳を重ねて孫も生まれたし、今月、東京を去ろうと決意し準備中で超忙しい。

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2022年2月 4日 (金)

ふたつの2番 チャイコフスキー&ブラームス アバド指揮

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わが吾妻山の菜の花と背景の相模湾

春の兆しは1月終わりぐらいからもうやってきてます。

晴れと寒さも加わり、今年の吾妻山はことさらに美しく、カメラを構える方も多数。

今日は、アバドの若き日々のふたつの2番を。

ともにすでにブログで書いておりますが、アバドらしさ満載です。

チャイコフスキーとブラームスの交響曲第2番。

どちらが先に書かれたか?

ブラームス!と思ってしまいますが、実はチャイコフスキーの2番の方が先に書かれてます。

チャイコフスキーの2番が1872年、ブラームスの2番が1877年。

ブラームスは1833年生れ、1897年没。
チャイコフスキーは1840年生れ、1893年没、ということで、チャイコフスキーの方が後に生まれ、先に亡くなっています。
いかに、ブラームスが慎重で晩成型のタイプであったことがわかるし、チャイコフスキーが才能を早くから開花させ、そして急ぐようにして急逝してしまったか・・・・

しかし、これら2番に共通するのは、南へのあこがれと、それを堪能した解放感です。
チャイコフスキーは、ウクライナの南方にあるカムヤンカというモルドバ寄りのドニエストル川流域の地で夏の休暇を過ごし、そこでウクライナ民謡などを取り入れつつ作曲。
ブラームスは、オーストリアの風光明媚なウェルター湖畔ペルチャッハで、同じく6月から10月までの夏のタイミングで作曲。
ともに、明らかに明るさが基調となる素敵な交響曲となりました。

その2曲を若いアバドはDGに録音。

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 チャイコフスキー 交響曲第2番 ハ短調 op.17

  クラウディオ・アバド指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

        (1968.2.20 @ロンドン) ジャケットは借り物です

アバドがレコードデビューしてまだ2年、ロンドン響との録音も始まっていたが、同時期に共演を始めていたニュー・フィルハーモニア管とのいまでは希少な録音。
同オーケストラとは、あと、ブラームスのカンタータ「リナルド」があります。
ともかく渋いところを30代初めのアバドは責めてました。

DGがそんなアバドに注目してレコーディングパートナーにしたけど、必ずしも演奏会の演目と並行して録音したわけじゃないみたいだ。
いつもお世話になっておりますアバド資料館を拝見しますと、このチャイコフスキーも次のブラームスも同時期の演奏会記録にはなくて、録音だけの曲目選択だったと思われます。
いまでは考えられないことだけど、かつては、レーベルやプロデューサーの意向で、そんな采配ができた。
さらにデータを見ると、同じ1968年2月、アルゲリッチとショパンとリストを録音していて、そちらはロンドン響。

むかしのレコ芸で、高崎保男先生が、ニュー・フィルハモニアを指揮するアバドのトリスタン前奏曲と愛の死を聴いたことを書いておられ、60年代のアバドがどんなトリスタンを演奏していたのか、ともかく気になってしょうがなかった思いがありました。

8年経過して1楽章を全面的に改定した版を作って、いまがそれが定番となりましたが、全編明るい雰囲気のただよう2番を、イタリア人が奔放に指揮した、というような評価ばかりだった。
しかし、あっけらかんとした終楽章にも、アバドらしい冷静さを伺えるとともに、何と言っても、この曲の魅力であるロシアの抒情にあふれた、それはファンタジックな1番にも通じる第1楽章の演奏が、旋律美とリズム感にあふれまくっていて、そのあたりの抒情を巧みに引き出し、メリハリとともに、全体のバランスも見事にとった構成感を感じさせる真摯な演奏なのであります。
16年後のシカゴとの演奏もアバドゆえに好きだけど、オケが立派すぎるし、録音に雰囲気が少なすぎるので、比べたら旧盤の方が好き。
随所にあらわれるアバドの歌心と表情の若々しさ。
イギリスのオーケストラのニュートラルさも、この時期のアバドの感性をそのまま映し出してくれるようだ。
それにしてもウクライナ・・・・・いかになるのでしょう。

Brahms-2-abbado_20220131081601

    ブラームス 交響曲第2番 ニ長調  Op.73

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

   (1970.11 @イエス・キリスト教会、ベルリン)ジャケットは借り物です

1970年といえば、日本では大阪万博の年でアポロ11号が月から持ち帰った「月の石」で大フィーバーしていた。
音楽界でも、世界中のオーケストラやオペラ、ソリストたちが次々に来日、おまけにベートーヴェンの生誕200年の年でもありました。
カラヤンとベルリンフィルは5月に来日し、大阪でベートーヴェン・チクルスを行い、東京でもベートーヴェン、ブラームス、幻想、チャイコフスキー5番などを演奏していて、そのプログラム数の多さはいまでは考えられないくらいだ。

その年の秋の録音であるアバドとのブラームス2番。
カラヤンが文字通り独占状態だったベルリンフィルのレコーディングは、ベーム、ヨッフム、ライトナー、なぜかプロデューサーのゲルデス以外にDGへの録音はなかなかなされなかった時分。
若いイタリア人指揮者がカラヤンの主力レパートリーのひとつをベルリンフィルでいきなり録音することは、当時の感覚からすると驚きでした。

このレコードが発売されたときは、自分は中学生で、当時のNHKは、新譜レコードをよく放送してくれていたものだからFMで聴いた記憶があります。
ブラームスはなぜか4番しか聴いたことがなく、1番すらよく知らなかった自分にとって、ともかく明るくきれいな曲だな、という印象でした。
そして当時のレコ芸などでも、このアバド盤は絶賛されていて、この曲の決定盤は、カラヤンかアバドだとかされてました。
数年後に、4つのオーケストラを振り分けた交響曲全集で、ようやく正規にレコードを購入しました。→ブラームス 交響曲全集
全集のなかで、この2番がいまだに一番いい演奏だと思うし、のちの88年の再録音よりも自分は好きですね。
 なんたって、若やいだ、のびのびとした演奏で、北からやってきたブラームスが、春光あふれる自然のなかでくつろいでるような、そんなイメージなんです。
歌にあふれた演奏、美しい弱音、均整のとれた全曲を見通す構成感など、後世にずっと変わらないアバドの個性がここに満載です。

Azumayama-d

相模湾に、小田原の街、箱根の山

春はもう少し

Azumayama-f

アバドの若き日々の演奏に、こちらも若き日々を思い起こし、なんだかとても爽やかな気分になれました。

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