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2020年12月23日 (水)

R・シュトラウス 「グントラム」 クゥェラー指揮

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11月に30年ぶりぐらいに訪れた群馬県の「吹き割の滝」

間近かで見ることができて、迫力があるし、ちょっと怖い。

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900万年前の噴火でできた、とか気の遠くなるような話の岩石からなってまして、千畳敷といわれる川床で、このように近くまで行って覗き込むことができます。
外国勢ばかりだったようですが、ほぼ100%日本人で、静かな雰囲気でなによりでした。

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  R・シュトラウス 歌劇「グントラム」

    グントラム:ライナー・ゴールドベルク
    フライヒルト:イロナ・トコディ
    老公爵:シャンドール・ショーヨム・ナジ
    ロベルト公爵:イュトヴァン・ガーティ
    公爵付きの道化師:ヤーノシュ・バーンディ
    老人:アッティラ・フュロプ
    老婆:タマラ・タカーシュ
    フリートホルト:ヨージェフ・グレゴル
    使者:パール・コヴァーチュ
    第一の若者:タマーシュ・バートル
    第二の若者:ヤーノシュ・トート

  イヴ・クゥェラー指揮 ハンガリー国立交響楽団
           ハンガリー陸軍合唱団

       (1984 @ブタペスト)

15作あるR・シュトラウス(1864~1949)のオペラ。
当ブログでは、全作を一度、一部作品はくどいほど取り上げてますが、いま一度、全作のサイクルをやろうと思います。
ずっと聴いてきた音源、あらたな音源に映像作品。
自分でも楽しみです。
いくつものサイクルを同時進行してますので、2年ぐらいかけて、そう自分への励みとしてもやっていこうと思います。

シュトラウス最初のオペラが「グントラム」。
1887年に着想。
「ドン・ファン」の1年前から構想が練られ、自身の台本は、まず1891年に完成。
この時点で、いまもよく聴かれる高名な歌曲も作られていて、シュトラウスはもう、その作曲スタイルは確定してます。
グントラムの作曲の方は、同時に着手して、1892~93年に完成させます。
交響詩では、「マクベス」と「死と変容」がこの間で作曲されてます。
1894年ワイマールにて、30歳のシュトラウス自身の指揮で初演されたものの、成功したとは言えず、その後も散発的な上演はあったものの、次作の「火の欠乏」と同じく、劇場のレパートリーからは外れて久しく、シュトラウスのオペラの成功作は、10年後の「サロメ」を待つこととなります。
この初演の年、シュトラウスは、バイロイトに指揮者として登場し、「タンホイザー」を指揮してます。
 かくもあるとおり、ワーグナーの影響下の真っただ中にあったシュトラウス。
このオペラ処女作は、ドラマとしては、中世13世紀のミンネゼンガーの物語で、まさに「タンホイザー」の世界で、はたまた騎士として、苦境の女性を救い、去って行くヒロイックさもあるので、「ローエングリン」でもあり、さらに信仰と贖罪に身を投じることから「パルジファル」、そんな様々な影響をもろに感じるオペラであります。
 ついでに申せば、ヒロイン役は、さながらエルザで、敵役はテルラムントやクリングゾルだ。

10年後の「サロメ」が、官能と刺激にあふれた豊穣なサウンドが個性的なまでになっているのに対し、こちらの「グントラム」は、甘く美しい旋律に、このころすでに獲得していた巧みなオーケストレーションの能力を背景に、鮮やかでありながら、音楽が明朗なことは、すでに「エレクトラ」後のモーツァルト帰りの将来すら予見させます。
私は、聴いていて、「ダフネ」の地中海風的な明るい、清涼感も感じ取ることもでき、27歳のシュトラウスの音楽観が、すでに晩年の作風をも見通すくらいに達観していたのでは、と思うようになりました。
「ドン・ファン」のメロディーも流れてくるし、「英雄の生涯」に援用された旋律もありまして、第5部の英雄の業績では、「死と変容」や「ドン・キホーテ」の旋律と絡み合うようにして、この作品の前奏曲に出てくるメインテーマが登場してます。
しかしながら、その豊かなサウンドたちが、次々と垂れ流されるものの、そこに厳しさや、ドラマに付随した劇性が足りないような気がするのも事実で、そこは10年後の「サロメ」への進化ぶりであらためて確認することとなります。
あとシュトラウスならではの洒脱な軽やかさは、ここではまだまだで、次作にてそのあたりが確認できるかと思います。

 それから、主役がテノールであることは、シュトラウスの15のオペラのなかで、これが随一。
女声を愛したシュトラウスが、一番ワーグナーに振れていた時節の作品であることもそのひとつ。
ちなみに、シュトラウスのオペラで、男声が主役級である作品は、「火の欠乏」「インテルメッツォ」「無口な女」「平和の日」などで、それらはいずれも、バリトンかバスで低音男声。

当初3時間を越える大作であったが、あまりの不評に大幅な短縮を試みて、2時間あまりのサイズになったのが現行版で、ことの進み具合が唐突なのもそのあたりにあります。

簡単にあらすじを。時は中世・吟遊詩人の世界~そう「タンホイザー」と同じですよ。
主人公も、ひたむきに己の道を行き、正当防衛とはいえ、あらぬことか人を殺め、最後には愛を捨てて修行の道にでる生真面目ぶり。

第1幕
最高の善としてのキリスト教的友愛の世界を目指して修行する「グントラム」。
悪い男に操られ圧政を行う国を改革しようと、グントラムはやって来た。
貧しい人々に施しを与えつつ、その国の様子を人々にうかがうと、圧制者ロベルト公爵の妻で清き女性がいて、食べ物などをよく施してくれていたが、いまは夫に禁じられてしまった。
そこにその女性がまさに嘆いて入水自殺をしようとするが、それを助けたグンドラム。
その女性フライヒルトと相思相愛となってしまう。
彼女はかつて国を治めた老大公の娘だった。

第2幕
娘を助けたことで、公国に慇懃に迎えられる。
そこでグントラムは、圧政を止めるようにと大演説をぶつ。
(こりゃまさにタンホイザーの歌合戦そのもの、ハープの伴奏まであります)
人々を不安にさせ、そしてその気にさせてしまったグンドラム。
その男を成敗しろと言うロベルト公爵だが、誰も手を下せず、やむなく公爵と争いになり、グントラムは思わず殺してしまう。
これを批難する老公爵の長いモノローグも印象的で、バリトンの聞かせどころ。
印象的な行進曲調の勇ましいフレーズも登場。
グントラムはおとなしくお縄につき連行、フライヘルトは切実な悲しみを歌い、あわせてグントラムへの愛を誓う。
このあたりの高揚感は、シュトラウスの交響詩を聴いてるようだし、ワーグナーでいうとワルキューレみたいな雰囲気だ。

第3幕
一応自分の婿だから、老公爵は厳しく対処し、グントラムは幽閉の身となっている。
壮絶な前奏のあと、亡き公爵を弔う修道士たちの聖歌がアカペラで歌われ、そのあとすぐに後悔するグントラムの歌。
そこにフライヒルトが駆けつけて、激しく求愛し、愛の二重唱となる。
ここはまたトリスタン的な感じでありまして、独奏ヴァイオリンなんても絡んでなかなか濃厚な感じになる。
フライヒルトは、さあ立ち上がって、一緒に逃げましょうとグントラムを促し情熱的だが、グントラムは躊躇しつつ彼女の名前を呼ぶことしかできない。
 そこに、グントラムと教義を同じくする同志フリートホルトが登場し、グントラムにわれわれ高潔の士は、人を殺めては決してならないとして非難し仲間として罪を償うように進言する。
グントラムは、あれは正当防衛であり、自分には罪はなく、あくまで自身の罪は、そうひとりの女性、それも公爵の妻を愛してしまったことだと語る。
フリートホルトは、ばかげた考えだと諭すものの、グントラムはこれが自分の信条だとして、帰還も進める彼の言葉にも譲らす、やがて仲間は去る。
残されたフライヒルトは、愛は勝ち取られた、あなたは自由よ、と喜ぶ。
しかし、グントラムは、勝利は簡単かもしれないが、自分は神の思慮から外れてしまった、あなたのもとを去り、ひとりで孤独のうちに過ごさなくてはならないと語る。
フライヒルトは泣き伏せるが、グントラムは彼女に、あなたは国を歩き廻り、人々を笑顔にした、その国がいまあなたの元にある。
これからも頑張るんだよ、愛するフライヒルトと歌い、永遠の別れ、わたしの神があなたと共にあるとしてゆっくりと去って行く。

                     幕

こんな内容だが、ここでは主役を歌うテノール歌手の負担がものすごく重たい。
最初から出ずっぱりで、3つの幕にそれぞれ長いモノローグがあるほか、ことさら最後は、実に感動的で素晴らしくも熱いモノローグを歌わなくてはならない。
ちなみに、ラストはローエングリンのようでもあります。
私のような「テノール好き」には堪らない瞬間が数々ある。
老公爵のバリトンにも、ヒロインのソプラノにも没頭的な聞かせどころもある。
このように、サービス満点なところが、逆にドラマへの集中力を削いでる点があることも否めない。

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この作品の初のレコーディングが今回のクゥェラー盤。
クゥェラーさんは、アメリカ生まれの女性には珍しかったオペラ指揮者で、1981年生まれ、まだお元気の様子。
ニューヨーク・オペラ管弦楽団を自ら設立し、演奏会形式で珍しい作品を次々に取り上げ、カバリエやドミンゴ、バンブリー、フレミングなどの大物との共演も多く、さらに欧州の劇場へも多く客演してました。
ベルカント系も得意にしていて、ドニゼッティの研究でも知られている。
 その彼女が1983年にアメリカ初演を手掛けた「グントラム」。
翌年、ブタペストでも演奏会形式にて取り上げ、その時のキャストを使って録音されたものです。
録音当時、ハンガリーは社会主義国で、その国の強力なレーベルだったのが、フンガトロンで、ハンガリーのオーケストラや演奏家、歌手たちを知る窓口みたいな存在でありました。
そのフンガトロンとCBSソニーレーベルがアライアンスを組んで生まれた音源は数々ありまして、「グントラム」が選ばれたのは今思えばありがたいことでした。

クゥェラーさんの指揮ぶりは、本格的なもので、女流らしく、横へ横へと流れるような旋律線を美しく紡いで行くことで、シュトラウスの流麗な音楽が引き立っているように感じます。
一方で、鋭さに欠ける点も感じますが、そこはシュトラウスの初期作品ゆえ、この美しい演奏はこれはこれでいいんじゃないかと思います。
イタリアのオーケストラを指揮した、クーン盤とともに、きっとこれから先、録音されることはないだろう「グントラム」の希少なCDであろうと存じます。

題名役を歌う、ゴールドベルクは、東ドイツから忽然と現れ、80年代に活躍したヘルデンテノールで、レヴァインやハイティンクのリングで、ジークフリートやジークムントを歌っているけど、あまり評価されず気の毒な歌手だった。
私はいずれも悪くないといつも感じてますが、ちょっと喉に引っかかるような発声が好悪を呼ぶんだろうと思います。
ここでは、その作品ゆえか、ゴールドベルクの独り舞台で、実に雄弁で、テノールを聴く楽しみに浸れます。
 そう前にも書いてますが、わたくしはスウィトナーが指揮した「マイスタージンガー」でゴールドベルクを聴いてまして、とても関心した記憶があります。
本番に弱くて、ショルティのバイロイト・リングも直前に降りちゃったし、マゼールのウィーン国立歌劇場就任時の「タンホイザー」でも声が出なくなったりと、いろんな履歴があるのもゴールドベルクならではです。
 ゴールドベルク以外は、みんなハンガリーの人で、みんな名前がいかにもハンガリーって感じ。

イタリアオペラの印象の強いトコディさん、張り切ってまして、なかなかの熱演。
バイロイトの常連だったショーヨム・ナジもものすごく立派なバリトンを聴かせます。
あっという間に死んでしまう、適役のガーティさんや、ほかの初役もよし。

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いかにもな日本の原風景的な野山。
群馬の北の方なので、いまごろは雪に包まれているかも。。。

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このあたりはリンゴの産地でもありまして、このような美しい赤いリンゴが沿線にたくさん生っておりました。

このリンゴで焼いたアップルパイがまた美味なのでありました。

次のシュトラウスのオペラは、「火の欠乏」であります。

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2020年12月 4日 (金)

プロコフィエフ マッダレーナ ロジェストヴェンスキー指揮

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 紅葉はも終わってしまったけど、月も一緒に荒涼とした雰囲気の写真が撮れました。

毎年、この時期は、親類のお墓参りを兼ねて老母と姉と姪たちとで群馬に行くことになってます。

今年は、GoToのおかげで、どちらのお宿も満杯で、姉の手配で、ありがたくもようやく1室取ることができた。

それにしてもコロナ、正しく恐れ、正しく予防しようと思う。

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

今日は、①から、作品番号13のオペラ、「マッダレーナ」。

1911年、プロコフィエフ20歳のときの作品。
wikiの助けを借りて調べてみると、プロコフィエフは、1900年、9歳にして早くもオペラを書いてます。
さらに、10歳、12歳、16歳で、それぞれ1作づつ。
よって10代までに、未完のものも含めて4つのオペラを作曲してます。
それらは作品番号はなく、スコアも残されてるかどうか、いまのところ調べた限りではわかりませんでした。
早熟な天才プロコフィエフなのでした。

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  プロコフィエフ 歌劇「マッダレーナ」 op.13

    マッダレーナ:エミリア・イワノワ
    ジェナーロ:アレクセイ・マルティノフ
    ステニオ:セルゲイ・ヤコヴェンコ
    ゲンマ :N.コプタノワ
    ロメオ :ヴィクトル・ルミャンツッェフ

   ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮
        ソビエト国立文化省交響楽団
    ヴァレリー・ポリャンスキー指揮
        ソヴィエト国立文化省室内合唱団

      (1986年 @モスクワ)

1幕4場の短めの作品で、同名のBaron Levinなる人の劇作品が原作。
15世紀、ヴェネツィアを舞台とする三角関係のもつれからくる殺人を描いた、ある意味、古典的な悲劇の筋立て。
 ヒロインのソプラノに、色男のテノールに、敵役のバリトン。
そう、おなじような仕立てが、「カヴァ(1890)、パリ(1892)」、プッチーニの「外套」(1916)、ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」(1917)、あとちょっと違うけど、コルンゴルトの「ヴィオランタ」(1915)。
ロシア版のヴェリスモオペラといっていいかもしれない。
 いずれも世紀末、刹那的なドラマに人々が気持ちを持っていかれる時期を象徴しているのだろうか。

プロコフィエフの「マッダレーナ」は前述のとおり、1911年で、この年は、マーラーの亡くなった年でもありました。

CDの解説書を参考にして、以下まとめてみました。

サンクトペテルブルク音楽院の作曲科は、3年前に卒業、引き続き、ピアノ科と指揮科に籍を置いていたプロコフィエフ。
「マッダレーナ」を短期間で完成させたものの、オーケストレーションは、4つの場のうち1場までしか完成させておらず、併行して、上演してもらえる機会をさぐることになったが、勉学中の立場のため、なかなかうまくいかなかった。
 モスクワの自由劇場が興味を示してくれたが、なんとその劇場は倒産。
のちの1914年、ロンドンでディアギレフに会い、この作品のことや、「賭博者」のオペラ化などを提案したが、ディアギレフはオペラ自体に興味を示さなかった・・・。
 さらに1916年、プライベートなオペラハウスで上演計画もあったが、それもダメに。
その後も、朋友、ミャスコフスキーの尽力で上演機会を探られたものの、結局は作曲者自身もふくめて、忘却のなかに、埋もれてしまった「マッダレーナ」なのでした。

この埋没してしまったオペラを、復活させたのが、英国指揮者のエドワード・ダウンズ。
ダウンズは劇的なその最期が話題になったりもしましたが、ロシア音楽、ことにプロコフィエフの第一人者。
ヴェルディとワーグナーも得意にした渋い名匠でした。
 そう、70年頃、江藤俊哉さんのバックで、ベートーヴェンとかメン・チャイとか指揮してた記憶があります。
そのダウンズが、2~4場の未完のオーケストレーションを、同時期のピアノ協奏曲第1番や「賭博者」のスタイルを参考にしながら完成させました。
1979年、BBCの企画で演奏され、3月にイギリスとソ連で同日放送。
1981年にはグラーツで、1982年にはセントルイスで上演されてます。
そして、プロコフィエフの録音にかけては、バレエ音楽中心にかなり実績のあるロジェストヴェンスキーが、デジタル時代になって録音したのが、今回のメロディアレーベルの1枚です。

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E・ダウンズが英訳したリブレットを参照に簡単なあらすじを

ヴェべチアの運河が見下ろせる芸術家(画家)ジェナーロの部屋で、夕暮れ時。
マッダレーナは窓辺で夕焼けの絶景を眺めて、気分はいいわ、でも血のような紫にそまった空を見て、少し罪悪感を感じぞっとする。
ゴンドラから、友人のジェンマとロミオが声をかけるが、マッダレーナは、ジェナーロの帰りを待っているの、と断る。
 そこに待ち望んだジェナーロが、勢いよろしく帰ってきて、マッダレーナに思いのたけを熱く歌し、やがて二重唱となる。
ふたりでお熱くなっているところに、ドアをノックする音がして、マッダレーナは慌てて隠れる。
ジェナーロの友人ステニオが思い詰めてやってきたのだ。
ステニオは、誰かいたの?君の奥さんかい?と聞くと、ジェナーロは、そうだよ、と答えます。
幸せかい?、うんそうさ、お互い愛しあってるのさ、やりとりする男ふたり。
 さて、心の秘密を聞かせようというステニオ、出会った女性に夢中になりすぎて、嫉妬で苦しいんだと思いを語る。
その彼女の名前や家族は?とジェナーロは聞くが、それがわからないんだ、突然やってきて、名前も、何も問うなと言うんだ。
かれこれ3か月余り、彼女のことが心の中を占めてしまい、どうしていいんだかわからない、と夢中で語るステニオ。 
 そのとき、カーテンが揺れるのに気が付いたステニオ、そして、そこにマッダレーナがいることに驚愕するステニオであった。
ジェナーロは、僕の妻であるマッダレーナだよ、と語るが、ステニオは違う、俺がさっきいった女性が彼女なんだ、と混乱する。
この蛇のような狡猾な女、ジェナーロに言い聞かせ、ジェナーロも混乱に陥り、いったいなにが本当なのかと?
マッダレーナは、ステニオにあなたは約束を破った!もう金輪際、あんたなんて知らないと言い放ち、ジェナーロには、わたしはあなたの妻なのよと言うが、男二人は、とんでもない女だと責める。
それでも、ジェナーロに切々と訴えるので、彼も心を変え、ステニオは騙されるんじゃないといさめる。
そしてマッダレーナは、ジェナーロに彼を殺して!といい、ついにジェナーロはステニオをナイフで刺し殺してしまう。
あ、やっちまったと一瞬の悔恨を残し、すかさず、自分にもナイフを突き立ててしまう。
息も絶え絶えに、マッダレーナに、先に行って神様の前で待ってるからとこと切れる・・・・
 ひとりのこったマッダレーナ、ジェナーロの亡骸に、わたしゃ行かないよ、ひとりになれた、自由だわ、と清々とした様子。
もし、どちらかが生き返ったら、どっちを選ぶ?いいえ、わたしは両方愛していたかもと呟き、窓の外に向かって、「人殺しーー!わたしのジェナーロが、知らない男に殺されたーーー」と叫び、急転直下で

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もうね、あっという間の50分間に、男ふたりが死んじゃって、悪い女が何事もなかったかのように次の生活に向かおうとする。
youtubeに、ロシアの黒海近く、ロストフ・ダ・ヌーという都市の劇場での上演動画があがってます。
音やカメラアングルは悪いですが、このオペラの概要はつかめると思います。
この演出では、黒子がでてきて、最後、マッダレーナは地に沈んでいってしまうような演出がなされてました。
コジ・ファン・トゥッテとドンジョヴァンニみたいな内容といえば、それまでですが、20歳の青年にしては、ずいぶんと血なまぐさい痴情のオペラを書いたものです。

クールな前奏曲や、ゴンドラの歌の旅情、ジェナーロの熱い思いを歌ったモノローグなど、なかなかいいです。
でも、このオペラで一番いいところは、ステニオの長いモノローグで、プロコフィエフらしい、狂気につつまれ、どんどんと深みにはまってゆく熱のようなものを帯びた部分です。
ロシア特有の、もうどうにもとまらない的な自暴自棄の音楽です。
ピアノ協奏曲や賭博者を思わせるような旋律や雰囲気もイメージされます。
 これに対し、ヒロインのマッダレーナには、目立った聴かせどころが少ないように思いました。

ロジェストヴェンスキーが、この作品の録音を残してくれたのはありがたいです。
歌手たちも素晴らしくステニオのヤコヴェンコが実によろしい。
作品としては、まだまだ未成熟ながら、プロコフィエフらしい輝きを随所に確認できる「マッダレーナ」でした。
きっと、今後もめったに上演されることはないでしょう。
しかし、ミニサイズの作品だから、コロナ社会にあっては、ざっくりと上演しやすいかもです。

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初冬の北関東は実に寒かったです。

街はクリスマスのイルミネーションが始まってますが、イルミ好きの男としては、ことしはどうも気分がのりません。

コロナとのお付き合いは、人類にとって長いものとなりそうです。

わたしは、籠って音楽三昧と行きたいところですが、それだけでは生きていけませんや。。。。

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2020年11月21日 (土)

ヘンデル 「アグリッピーナ」

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 11月7日、「立皇嗣の礼」にともない、東京タワーも美しい彩りでライトアップされました。

1年前は、天皇陛下のご即位、奉祝パレードが行われ、同じくこのように輝いた東京タワー。

こうして連綿と続く皇統が、日本とともにあり、正しく継がれてゆくことに、日本の歴史の歩みが今後とも永劫に続いていくことを願ってやみません。

Agrippina

  何度も書いてますが、不謹慎ながらコロナ自粛で世界のオペラハウスが配信してくれた動画や音源で、いままで聴くことのなかった分野や作曲家もじっくりと視聴することができて、その魅力に開眼しました。
オペラ好きとしても片寄りがあった自分。
ヘンデル、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、プロコフィエフを中心とするチャイコフスキー以外のロシアオペラ。
いまさら目覚めてしまった。
ヘンデルをこの期間に視聴した本数は、オペラ12、オラトリオ3であります。

今日はそんななかから、名作「アグリッピーナ」をとりあげます。

42作あるヘンデルのオペラ、ここ数十年で、非常に多く上演され、録音も多いのが「アグリッピーナ」。
いろんな国や地域に拠点を移しつつ、膨大な数の作品を残したヘンデル。
メサイアしかしらなかった自分にとって、まだまだ知らないことことばかりで、その作品と年代、活動拠点とが結びつきません。
そのあたりは、ゆっくりと勉強していきたいと思います。
ただ考えるに、ワーグナーやヴェルディ、プッチーニなどは、オペラ作曲家で、作品を順にたどっていけば、その生涯も辿れます。
しかし、ヘンデルは作品ジャンルも多岐にわたるため、作品順に枝葉から幹までと、その生涯を追い頭に入れることは甚だ難しいと思ったりもしてます。。。。

ドイツでの音楽活動から、1706年、21歳のヘンデルは、イタリア修行に出ますが、そのイタリア時代は、1710年まで続き、多くの作品を残してますが、なかでも成功したのがヴェネチアで初演された、ヴェンチェンツォ・グリマーニによる台本のオペラ「アグリッピーナ」です。
 アグリッピーナは、歴史上の実在の人物で、帝政ローマ時代の女性、皇帝クラウディウスの妻にして、皇帝ネロの母で、カリギュラの妹。
ローマ皇帝の系譜を眺めてみると、ちゃんと出てくるし、あとややこしいのは、こちらのアグリッピーナは、小アグリッピーナとされ、大アグリッピーナが母親で別途いらっしゃる。
さらに、アグリッパという皇帝が父親でいるし、ほんとややこしい。
 このオペラは、こうした史実を頭に入れて鑑賞すると、さらに面白く理解も深まりますが、でも普通に人間ドラマとして見てもまったく楽しめちゃうとことろが、台本とヘンデルの音楽の秀逸なところでしょうか。

 超簡単にドラマを要約しちゃうと、「夫の皇帝が海難事故で死亡との知らせに、連れ子のネロを次の皇帝にとたくらむアグリッピーナ。ところがどっこい、夫は生きてて、命の恩人に皇位を渡すと言い出すものだから、アグリッピーナは、女好きの夫を翻意させようと、若い女性を使って色仕掛けを企てるが、なんとバカ息子もそこにひっかかり台無しに、でも最後はなんだかハッピーエンドで急転直下。」

このオペラの登場人物たち(描かれ方)。

 アグリッピーナ~後妻で納まった当時違法の伯父の皇帝との結婚。
         子供のネローネを溺愛し、息子を次の帝位にという思い。
         策謀と嘘を繰り返す。
         ヒロインであれば、夫や恋人への愛に生きる姿が描かれる。
         彼女のその愛は息子にしかない。

 ネローネ   ~いわゆる「ネロ」
         キリスト者を弾圧した悪名しか残ってない。
         でも、意外にも治世は名君だったり。
          オペラでは、母の監視下にある。
         ゆえに、性への強烈な願望がある。
         やたらとバカ者で、sexに飢えている(笑)
         簡単にポッペアの策略に乗せられてしまい、母に怒られる。

 ポッペア   ~このオペラでは、フィガロのスザンナのような存在。
         愛しあった真の恋人がいるのに、各方面から言い寄られる。
         さらに、皇后アグリッピーナからも虚言で騙される。
         最後は、キーパーソンとなり正しき行いをしたようになる。

 オットーネ  ~皇帝クラウディオを助け、お気に入りとなる。
         でもアグリッピーナの策略で悪党の汚名をきせられる。 
         真の恋人はポッペア。
         いいひと役だけど、案外に存在が弱い。

 クラウディオ  ~間抜けな皇帝陛下。
          自分を助けたオットーネに帝位を譲る。
         と言ったばかりに、このオペラのような混乱が起きた。
          愛人にしようとしたポッペアにやたらと言い寄る。
         エロいおじさん、最後には愛を主体とした決断をする。

 パランテ、ナルチーゾ~王と皇后の臣下。
         アグリッピーナに下心を持っていて最初は妄信。
         後には皇后の悪の側面を痛感するサラリーマン。

 レスボ   ~ こちらは人畜無害の王の秘書
         恥ごとにも忠誠すぎて、反発を希望したかった(笑)

このオペラの物語の後日談。
 
 アグリッピーナ~息子皇帝ネロの指南役となり、あれこれ政策に介入。
         息子から疎ましく思われるようになり、暗殺されてしまう。
         アグリッピーナコンプレックスという概念も生まれた。

 ネローネ   ~哲学者セネカなどの補佐を受け、名君となるも暴君化。
         先のコンプレックスとは、近親姦などを受けたことで、
         母親を憎むようになり、自分が狂気の人物と思い込む。
         キリスト教者迫害で悪党とのレッテル貼りが定着
         最後は自決。

 ポッペア   ~オットーネと結婚するが、じつは二人目の夫。
         しかし、ポッペアを忘れられないネロに懇願され皇后に。
         キリスト者迫害は、彼女の指令との説も。
                          意外な悪女説もあるが、ネロは本当に愛してた。
         最後は夫婦喧嘩で、ネロに蹴られて死んでしまう。

 オットーネ  ~ ネロの友人だったのに、ポッペアを寝取られてしまう。
         左遷され地方で善政を敷く。
         ネロのあとの皇帝の親族だったので、ネロの次の次の皇帝に
         しかし、内乱などにあい、短い在位で死んでしまう。

 クラウディオ ~クラウディウス帝。気の毒な人生。
         アグリッピーナに毒キノコを食わされて死んでしまった。
         という説もあり・・・・・

このように、婚姻の観念がムチャクチャで、騙しだまされ、ほんとうに大変でしたでしょう、とつくづく思いますよ。
こうした歴史劇に着目したヘンデルの目利きは、なかなかのものだと思います。
登場人物たちの与えられた声部も、時代性はあるにしてもユニークです。
カストラートが3人も必要なのですから。

   アグリッピーナ~メゾソプラノ
   ネローネ   ~カウンターテナー
   ポッペア   ~ソプラノ
   オットーネ  ~カウンターテナー
   クラウディオ ~バス
   パランテ   ~バリトン
   ナルチーゾ  ~カウンターテナー
   レスボ    ~バリトン

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第1幕

 ローマ皇帝クラウディオが海難事故で死亡との報に、かねてよりの計画、息子ネロを皇帝にと思っていたアグリッピーナはにんまり。
自分に思いを寄せているパランテとナルチーゾ、それぞれに別途ネロ皇帝誕生への協力を命じる。
ネロは、市民に施しをあたえ、いかにいい人かをアピール。
 しかし、突然、クラウディオがオットーネによって救われたとの報が入り、一同がっかり。
そのオットーネが現れ、皇帝から後継者指名を受けたことを話し、アグリッピーナには、でも自分は帝位より、ポッペアとの愛が大事と語る。
一方、ポッペアは愛するオットーネのこと、あとクラウディオとネロからも求愛を受けていて、これはうまくふるまわなくてはと歌う。
そこへクラウディオがお忍びでやってくるが、巧みにいなしてしまうポッペア。
 策謀家アグリッピーナは、ポッペアにオットーネが帝位と引き換えに、皇帝クラウディオの寵愛にポッペアを差し出そうとしていることを告げ口し、自分はポッペアの味方よ、と語る。
愛が激しい怒りに変わったと嘆くポッペア。

第2幕

 パランテとナルチーゾは、アグリッピーナにだまされたかも・・と疑いを持つようになる。
一方、ポッペアへの愛を歌うオットーネ。
そこへ、アグリッピーナとポッペア、やがてクラウディオが勝利宣言をしつつ登場。
さらにネローネも出てきて、こんどはみんなでオットーネの非難合戦となり、オットーネはポッペアからも冷たくされ悲しみにくれる。
 ポッペアはしかし、なんとか彼を許してあげたいと思うようになり、そこへやってきたオットーネとぎこちないながら、仲直りしてゆく。
一方で、これでポッペアも手に入ると喜びのネローネ。
アグリッピーナは、計画が進行していることにニンマリ、危険なことに踏み込んでしまったことへの悩みと、息子がなんとしても統治者となることへの願いを強く持ち勇気を奮おうと歌う。
 彼女は、パランテとナルチーゾ、ふたりの部下がすべてを知っているので消そうと思い、ふたりを個別に呼んで、お互いを殺すように指示。
また夫のクラウディオには、オットーネが反乱を企てているとたきつけ、ネロを後継者にと説得する。
息子が皇帝になるのなら、どんなに逆風が吹こうとかまわないと母親としての強さをウキウキしながら歌う。

第3幕

 ポッペアの部屋。
オットーネがやってきて、仲直りは完了。
彼には隠れているように指示し、なにがあっても驚いちゃだめ、と言う。
そこへ今度はネローネがやる気満々でやってくるが、アグリッピーナが来るのよと言われ、あわてて隠れる。
しかし、ここへ来たのはクラウディオで、このエロ爺さんもポッペアは自分のもの、なんて風だったが、そこでネローネと鉢合わせ。
怒るクラウディオは、ネローネをたたき出して退出。
 ここで二人きりになったポッペアとオットーネは美しい二重唱で愛を確かめ合う。

 王宮の間
ネローネはポッペアがすべてを見抜いていると、母アグリッピーナに告げるが、母はかまやしない、最善を尽くすと力強い。
ネローネはポッペアへの愛が吹っ飛んだとして切れた様子。
一方、パランテとナルチーゾは、クラウディオにアグリッピーナの悪事をチクってしまう。
そこへ知らずにやってきたアグリッピーナは、クラウディオを言いくるめようと、言い訳の限りを尽くし、パランテとナルチーゾはあきれてしまう。
ここで、切々の夫への忠誠を歌うアグリッピーナ。
 王は、当事者すべてを呼べと決然と告げる。
ネローネに、ポッペアの部屋に居やがったなと怒りつつ、しょうがない、ポッペアと結婚しろと命令。
オットーネには約束通り、後継者となれと命じます。
ショックのアグリッピーナ、ポッペアとオットーネ。
オットーネは進み出て、王冠はいりません、それよりもポッペアとの愛が大切と述べます。
今度はクラウディオ、考えを変え、ふたりの結婚を祝福し、後継者にはネローネを指名。
喜びに満たされ、愛の神をたたえつつ幕。

 最後はあっけなさすぎて、長いオペラのエンディングとしてはあれれ?って印象を受けますが、そこは演出家の腕の見せ所。
今回視聴した3つの舞台は、それぞれにいろんな仕掛けが施されてました。


  ヘンデル 歌劇「アグリッピーナ」

    アグリッピーナ:ジョイス・ディドナート
    ネローネ:ケイト・リンジー
    ポッペア:ブレンダ・レイ
    オットーネ:イェスティン・デイヴィス
    クラウディオ:マチュー・ローゼ
    パランテ:ダンカン・ロック
    ナルチーゾ:ニコラス・タマーニャ
    レスボ:クリスティアン・ザレンバ

   ハリー・ベケット指揮 メトロポリタンオペラ
     
     演出:デイヴィッド・マクヴィカー

        (2020.2.29 @メトロポリタンオペラ、NY)
         ミレッラ・フレーニの思い出に捧ぐ上演

メトロポリタンオペラのストリーミング配信と、オンデマンドでも追加視聴しました。
コロナが蔓延していた正に最後のメトの上演。
さらに、亡くなったフレーニの思い出に、とクレジットされてました。

スター歌手ディドナートの存在感の大きさが光る。
映像で見ると、やはり華のある歌手であることがよくわかるが、その歌唱の確かさと技巧の冴え、あえて誇張してまで、アグリッピーナという女性の強さを表出。
一方で、その弱さも感じさせる陰影の濃い歌と演技を感じたのです。
メトの歌姫のひとり、ディドナートをこの春、たくさん視聴することができたけれど、彼女の歌と演技もさることながら、明るく屈託のない人柄、さりげなく周囲に気配りのできる人柄も感じることができて、今更ながら好きになりました。

Agrippina-04
      (ケイト・リンジー)

 あと驚きは、メゾが歌ったネローネで、美人のケイト・リンジーがすごくて、ストレッチをしながら歌うという身体能力の高さも見せ、俊敏極まりなく抜け目ないネローネとなってます。
あとはこれまた美人のブレンダ・レイのポッペアちゃん、見て聴いて楽しめる美味しい役柄です。
やはりメトはビジュアルにもこだわってます。
 デイヴィスのオットーネも巧みだし、お馴染みローゼのおとぼけクラウディオもよし。
パランテとナルチーゾの凸凹コンビもお笑いで、とくにナルチーゾはバーコードおじさんだった。

今回聴いたなかで、いちばん穏健なオーケストラだったビケット指揮のメトオケ。
ハープシコードも弾きながらの指揮、オケもちゃんとピリオド奏法してます。

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マクヴィカーのスタイリッシュな演出は、シンプルでありながら色彩も豊かで、ユーモアも随所に。
各役柄をデフォルメ的に描いているのも、人物たちがそれぞれに個性がありすぎなだけに、わかりやすくてよいと思った。
ラストシーンでは、ポッペアは、王位につくネローネに秋波を送るシーンがあって、この先を予見させるものになってます。
最後には、登場人物たちがみんなそれぞれの名が刻まれた石碑のうえに横たわり、歴史ドラマは幕となるが、ひとり石碑のないレスボが、読んでいた本を閉じ、高笑いするのは、ローマの帝位、偽証愛への嘲笑か・・・・・

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    アグリッピーナ:ジョイス・ディドナート
    ネローネ:フランコ・ファジョーリ
    ポッペア:ルーシー・クロウ
    オットーネ:イェスティン・デイヴィス
    クラウディオ:ジャンルカ・ブラットー
    パランテ:アンドレア・マストローニ
    ナルチーゾ:エリック・ジュレナス
    レスボ:ホセ・コカ・ローザ

   マキシム・エメリャニチェフ指揮 エイジ・オブ・エンライトメント
     
     演出:バリー・コスキー

        (2019.10.11 @ロイヤルオペラ、ロンドン)

こちらは、ミュンヘンとオランダオペラとの共作。
ORFの放送をエアチェックしましたが、高音質です。
ここでもディドナート、耳だけで聴いても、その素晴らしい声が輝かしい。
メトと重複している歌手もいるが、ここではファジョーリの美声と超絶技巧に舌をまく。
いま彼が人気抜群なのもわかります。
 あとロシアのエメリャニチェフの若々しい指揮も爽快でよかったです。
この指揮者、まだ32歳で、通常オケも当然に、古楽オケもよく指揮していて、今ふうなマルチな存在です。

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ときおり、笑い声も起きるし楽しそう。
バリー・コスキーの演出が気になる、観てみたい。
ミュンヘンのトレイラーを見てみたけど、メタリックな舞台で、時代設定は現在そのもので、ホームドラマのようなものを想像。
ラスト、アグリッピーナは愛しぬいた息子からもスルーされ、ひとりぼっちになってしまうエンディングのようだ。。

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    アグリッピーナ:アンナ・ボニタティブス
    ネローネ:ラファエーレ・ペ
    ポッペア:ステファニー・トゥルー
    オットーネ:クリストファー・エインズリー
    クラウディオ:アシュレイ・リッチズ
    パランテ:アレックス・オッターバーン
    ナルチーゾ:ジェイムズ・ホール
    レスボ:ジョナサン・ベスト

   ロバート・ハワース指揮 エンシェント室内管弦楽団
     
     演出:ウォルター・サトクリフ

     (2018.6.18 @グランジ・フェスティバル、ニューハンプシャー)

こちらはネットで全編公開されている映像。
2016年あたりから始まったイギリスのニューハンプシャー州にあるグランジ劇場での音楽祭の上演。
こぶりな劇場で、舞台の上に劇場を再現し、そこで演じられる登場人物たちの劇中劇風にしたもの。
メトやウィーンの大掛かりなものと比べると、シンプルで仕掛けも乏しいが、これはこれでよくできた演出で、味わいも深かった。
こちらも皮肉やユーモア、ちょっとのお色気も満載で、ときに笑いながら観てしまった。
歌手も演出家も指揮者も、初めて聞く名前ばかりだけど、みんなしっかりしてます。
観客も十分に楽しんでる様子で、歌手も観客席に入ったりするので、劇場全体が一体感があります。

Grange-01

唯一知ってた名前、ボニタティブスのアグリッピーナは、悪女然としていなくて、どこかの品のいいママさんみたいな味を出してました。
おきゃんな感じのステファニー・トゥルーが、脱ぎっぷりも健康的でよろしく、その歌も姿もかわいい。
キモイ感じをうまく出してたネローネ役のペさん、ポッペアのパンプスを抱きしめたり、足の臭いを嗅ぎながらうっとり歌ったりと演技も愉快。
みんながスマホを使いこなしているのも楽しく、写メもみんなで仲良く撮ってます。

Grange-02

 気のおけない小劇場での、演劇を見るかのような雰囲気の舞台。
英国紳士淑女たちの楽しい田園劇風。
ラストは、新調された椅子が運ばれ、ネローネは喜々として腰掛け、横には満足そうにアグリッピーナが臣下ふたりをどかして立つ。
ポッペアとオットーネは手を取り合って舞台袖から姿を消し、脇から真っ赤な下着が投げ込まれ、笑いのうちに幕(笑)。
センスいい、楽しい舞台でした。
 古楽オケの洗練された響きと、キビキビした音楽の流れを作り出したハワースの指揮もよい。

Agrippina-wien

    アグリッピーナ:パトリシア・バードン
    ネローネ:ジェイク・アルデッティ
    ポッペア:ダニエル・ドゥ・ニーズ
    オットーネ:フィリッポ・ミネッチア
    クラウディオ:ミカ・カレス
    パランテ:ダミアン・パス
    ナリチーゾ:トム・ヴァーニー
    レスボ:クリストフ・ザイドル

 トーマス・ヘンゲルブロック指揮 バルダザール・ノイマン・アンサンブル
     
     演出:ロバート・カーセン

        (2016.3.16 @テアター・アン・デア、ウィーン)

こちらのウィーン上演はDVD視聴。
水着のねぇちゃんが出てくる予告編を見て購入決定(笑)

Agrippina-wien-03

カーセンらしい、カラフルさと、ひとひねりある舞台。
ご覧のとおり、イタリア共和国の指導者争い。
お色気もふんだんにあり、愉快なシーンもたくさんあり、笑い声も沸き起こります。
権力争いに、性と愛情と歪んだコンプレックスを絡めた秀逸な演出に思うが、でもちょっとやりすぎととらえる向きもあるかもしれない。
 仕事もバリバリできて、ネローネに心血を注ぐアグリッピーナ。
できそこないのちゃらんぽらんな小僧ネローネが強調され、SEXのことしか頭にない。
その彼がポッペアに裏切られ、だんだんと切れていくさまも描かれ、最後は・・・・
このオペラのあと起こる史実をも示唆した展開と驚きの最後。
めちゃくちゃ面白かったけど、ちょっと後味も悪い・・・・

Agrippina-wien-02

毅然としたパトリシア・パードンの歌と演技がいいが、ディドナートを聴いてしまうと、切れ味がもうひとつか。
ヘンデルのオペラ普及にビジュアル面でひと役かったドゥ・ニーズ。
声は可愛いが歌唱はやや緩い気もした。けど、エキゾティックなその容姿は魅力的。

Agrippina-wien-01

アルデッティのネローネが実にすさまじい。
ぼんぼんから、狂気に走る演出意図をよく表出、機敏な動きで、高音もしっかり伸びてるし技量も満点。
軍人のオットーネ役ミネッチア氏、嘘に弄ばれ嘆くアリアはとても素晴らしかった。

今回の視聴のなかで、オケが一番鮮烈だったのが、ヘンゲルブロックの指揮。
不安をあおる弦の刻み、えぐるような通奏低音、羽毛のような菅など、ヘンデルの音楽を多彩に聴かせてくれた。

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こうして少し時間をかけて、ヘンデルの若き名作を視聴しまくりました。
同時に聴き始めたヘンデルの他のオペラもそうですが、レシタティーボがやたらと多く、物語の進行の多くはそのレシタティーボで行われる。
それを紡ぐような存在のアリアも、登場人物のほとんどに複数割り当てられ、ともかく音楽の情報量がやたらと多い。
 CD時代になって、長尺の作品が数枚のCDで間断なく聴くことができるようになった。
さらにDVD時代にもなって、音楽とともに、舞台の進行を劇場に行くことなく手元で鑑賞できるようになり、音楽とドラマが結びついた。
ヘンデルやロッシーニのように、改作や引用が多く、どんなオペラも似たように聴こえてしまう、でもそれぞれに面白い劇を備えている、そんな作品たちが正当に蘇るようになりました。
これに目覚めたいま、ますます、忙しいことになったものだと思います。

「アグリッピーナ」のアリアの数、省略もあったので、演奏によっては異なるとは思いますが、小さいアリエッタも含め30もあります。
それ以外に重唱とちょっとした合唱で成り立ってます。

気に入ったアリアについて、自分の備忘録として羅列しておきます。

 1幕 ネローネ  ママの助けをかりて王座へ、ママ愛してる
     アグリッピーナ さあ仕事仕事、不屈の精神で戦うぞと意欲あふれ、
            技巧に満ちたアリア
     オットーネ ポッペアへの愛と希望を麗しく歌う
       ポッペア  恋人を待つゆったりとした気分にあふれたアリア。
          古雅な伴奏をうけて、さわやかな気分に
     アグリッピーナ ポッペアを言いくるめつつ、友であり愛してると歌う
     ポッペア   オットーネの裏切りへの怒り

 2幕 オットーネ  皆に無視され、恋人からも非難され四面楚歌
          王座はいいから、愛を、彼女を失うことを嘆く
     アグリッピーナ 有名な切実なアリア
           天よ望みをかなえてと訴えつつ、悔恨もにじませる
     アグリッピーナ こちらも有名な心弾む沸き立つようなアリア
           どんなに逆風が吹こうが母はがんばる!

 3幕 二重唱    ポッペアとオットーネ 仲直りで愛を確認
          静かな通奏低音でつつましく始まり
          弦も加わりだんだんといい感じに
     ネローネ   急速級のアリア。
          演出によっては、ここを境に狂気に走るネロ様。
     アグリッピーナ 慎ましくも夫への愛を呼び覚ましたと歌う
           (実はこれも偽善?または本心?演出の見せ所)

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 政治と愛と家族の物語でした。

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2020年11月 7日 (土)

ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」 シャイー指揮

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さすがに今年は静かだったハロウィーン。
すっかり秋めいて、街も色づきを増してます。

いちばん過ごしやすく、いい季節なのに、なんかすっきりしない。
内外ともに、もやもやすることばかり。

特に、どうしちゃったの?
日本の民主主義のお手本だと思ってたアメリカ。
分断をはかる動きはずっと前からあったけど、今回ばかりは・・・・

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落ち着いた気持ちで、深まる秋を感じたい。

秋とは関係ないオペラを。
ロッシーニシリーズ。
「アルジェのイタリア女」ときたら、その裏バージョンのような「イタリアのトルコ人」

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  ロッシーニ 歌劇「イタリアのトルコ人」

   セリム:ミケーレ・ペルトゥージ
   フィオリッラ:チェチーリア・バルトリ
   ドン・ジェローニオ:アレッサンドロ・コルベッリ
   ドン・ナルチーソ:ラモン・ヴァルガス
   詩人(ジェローニオの友人):ロベルト・デ・カンディア
   ザイーダ:ラウタ・ポルヴェッリ
   アルバザール:フランチェスコ・ピッコリ

  リッカルド・シャイー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
               ミラノ・スカラ座合唱団

       (1997.9.7~18 @ジョセッペ・ヴェルディ音楽院、ミラノ)

ロッシーニ(1792~1868)の42作あるオペラの13作目で、1814年、ミラノ・スカラ座の委嘱によって書かれた。
オペラ・ブッファとして「アルジェのイタリア女」の逆パターンで、トルコのプリンスが、今度はイタリアに行って巻き起こすドタバタ劇。
「アルジェ」の1年後に書かれ、大ヒットしたあちらの人気にのった2番煎じのような印象を植え付けられ、当初はあまり評価されなかった。
なにも深く考えることなく、そのバカバカしさを楽しめる「アルジェ」に比べ、ブッファとはいえ、筋立てがややこしく、尺も長く、単純に笑えるだけでもないちょっと複雑なオペラ。それが「イタリアのトルコ人」。

今日のCDはシャイーの指揮だけども、シャイーはCD初期の時代にも、CBSにこの作品を録音していて、そのときのジャケットだけは覚えていても、ついぞこれまで、このオペラを聴くことはありませんでした。
 そして、驚きの初聴きは、今年3月ですよ(笑)
どんだけ、苦手だったんだろ。

Turcco-in-italis-scala

コロナが忍び寄ってた2月のスカラ座でのライブをネット録音しました。
スカラ座のサイトにある豊富な画像や、トレーラーで想像を膨らませ、その音楽の巧みさにだんだんと魅かれました。

そして、シャイーのCDを購入し、バルトリの名唱に酔いしれ、コロナ禍の5月には、ネットストリーミング配信で、ボローニャ・テアトロコムナーレの2017年の上演を観劇することができました。
字幕なしだったけど、シャイーの外盤リブレットを片手に、ほぼ全体を理解することができた。

こうやって、いろんなメディアを使いながら、以前では考えられなかった音楽鑑賞方法の幅も広がり、ひとつのオペラをじっくりと、好みの作品にしていくという喜びもここにまた新たとなりました。

Rossini

ボローニャの上演は、ロッシーニ音楽祭からのもののようで、時代設定を60年代ぐらいにして、ポップでカラフルな舞台でした。
スカラ座の方が、より若いフレッシュな歌手たちでしたが、こちらのボローニャでは、日本の脇園彩さんが、セリムの元恋人役ザイーダ役で輝いてましたし、あとフィオリッラのハスミック・トローシャンが素直な美声で、なによりも美人さんで気に入りました。
彼女、昨年、新国の「ドン・パスクワーレ」で来日してたんですね。

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あらすじは正直、ややこしいです。

イタリアのナポリの海岸沿い

第1幕
ジプシーたちのキャンプのなか、かつてトルコの太守の息子セリムと恋人であったザイーダが、その別れを悲しみ、懐かしんでいる。
ドン・ジェローニオ(ヒロイン、フィオリッラの亭主)の友人である詩人が、ジプシーたちの生活に新たな素材を求めようと探しつつ登場。
そこへ、ジプシー占いを頼みに、そのジェローニオも登場する。
彼は、自分の美貌の妻が浮気性なので、相談に来たのだが、みんなにからかわれてしまう。
詩人は、この友人と気まぐれな彼の妻とのことに着目し、これらの人間模様を素材にしようと決める。
 その女性、フィオリッラは、単調な生活に飽き飽きとして、もっと新しい愛をと歌う。
そこへ、船が到着してトルコの王子セリムが登場、女好きの彼は、フィオリッラを一目見て好きになり、彼女もすっかりその気に。
その様子を、フィオリッラの愛人にもなれないが、大ファンのナルチーゾ(これもまたジェローニオの友人だが、彼はナルチーゾの心のうちを知らない)から聞かされ、嫉妬に狂うジェローニオと、思わぬ展開ににんまりの詩人。

家にセリムを引き入れコーヒーなんぞを二人して飲んでるところへ、ジェローニオが怒って帰ってくるが、逆にトルコの王子様になにをするのと、妻に窘められてしまう。
ナルチーゾもこの様子をうかがっていて、セリムとフィオリッラが浜辺であいびきの約束をするとことを盗み聞きで、四重唱となる。
ひとり残され、悶々としたジェローニオは、おりから来た詩人に不満をぶつけるが、詩人は、この展開を面白がり取り合ってくれない。
詩人のあと、妻フィオリッラが帰ってきて、彼は怒り喧嘩を売るが、フィオリッラは、うまいこと手懐けてしまい、すっかりジェローニオはおとなしくなってしまう。

海辺で待つセリム。そこへ、占い客を求め営業中のザイーダがやってきて、その声からセリムであることに気づき、やがてセリムもかつての恋人がここにいたことに感激し、抱き合う。
さらにそこに、様子を見に来たナルチーゾ、旅装の女性、すなわちフィオリッラもそろりそろりとやってくる。
さらにさらに、ジェローニオ、詩人もきて、全員が集結し1幕を締める役者がそろう。
 いまの気持ちはフィオリッラにあり、嫉妬するザイーダと恋敵のフィオリッラ。
その喧嘩を仲裁しようとするセリムとナルチーゾ、なにがなんだかわからないジェローニオ、面白い面白いとする詩人で幕。

第2幕
 ちくしょうと酒を飲んでるジェローニオのところへ、どうしても諦めきれないセリムが金を出すから妻をくれと迫るが、とんでもないともめるふたり。
この間のふたりのかけあいは、超絶技巧的で超おもしろい!
 次の場では、セリムを待つフィオリッラ。
でもザイーダの作戦で、フィオリッラは呼び出されたが、当のセリムもあらわれ、この際ザイーダの前で自分を選ばせてやろうとするが、当のセリムはどちらも選べず、ザイーダは怒ってしまう。
ここで、フィオリッラとセリムの二重唱。
 
詩人は、ジェローニオに今夜の舞踏会で仮面をつけて、セリムがフィオリッラと逃走しようとしていると告げる。
詩人は機転をきかせ、ザイーダにフィオリッラになりきらせ、ジェローニオも変装して舞踏会に行くように提案。
それを立ち聞きしていたナルチーゾも、この際トルコ人に変装して、フィオリッラとうまくやろうと決意のアリアを歌う。
ひとり残ったジェローニオは嘆きと怒りにくれ、これまたアクロバティックなアリアを歌う。
ついでに、ちょい役のザイーダの友人のアブラザールのアリアも挿入され、なかなかの歌わせどころがあり、ロッシーニのサービス精神を味わえることになります。

さて、舞踏会。
ナルチーゾをセリムと思い込んで腕を取るフィオリッラ、ザイーダをフィオリッラと信じ込んでこそこそするセリム。
その間にたって困惑しまくる人の好いジェローニオ。
あまりにも見事な5重唱。
二組はそれぞれ逃避行・・・・

ひとり残されたジェローニオに詩人がシナリオを見せ、フィオリッラと逃げたのはナルチーゾ、セリムはザイーダと一緒と言って安心させる。
そのフィオリッラは、この騒動を悔いて、亭主ジェローニオに心から申し訳ないという思いにとらわれ、しょんぼりとして身に着けた宝飾類を外して悲しむ。
ここでのアリアが実に素晴らしい。
 詩人のとりなしで、フィオリッラとジェローニオは和解し、こちらもよりを戻したセリムとザイーダも登場。
ナルチーゾもアブラザールもやってきて全員集結の大団円。
 詩人は、今回のプロットの集結を宣言。
「わたしの台本はハッピーエンドでした、聴衆の皆さんもそうお思いでしょう?」
愛をたたえる合唱で幕!

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どうです?出たり入ったり、ややこしいでしょ(笑)
CDで聴いてるだけじゃわかんない、舞台を見ることで、「詩人」という狂言回しの役割の重要性がわかる。
この狂言回しには、大きなソロは与えられていないけれど、登場人物たちが見せる複雑な動きをプロデュースしているように聴くと、このオペラのみ方・聴き方の理解が深まるかもしれない。
ある意味、「コジ・ファン・トウッテ」を思わせる二組の恋人たちと、哲学者のドン・アルフォンソを想起します。
 そしてロッシーニのモーツァルトへのリスペクトは、曲中にもありました。
セリムが船で登場し、陸でフィオリッラが待ち受けるとこころ、ここに「ドンジョヴァンニ」のあの旋律が歌われます。
さらにそのふたりの二重唱では、「ドンジョヴァンニ」のアリアっぽい片鱗も確認できました。

こんな風に仕掛けのようなものが満載で、まだまだ味わいきれない気がしてます。
ですから、「イタリアのトルコ人」は、愉快な「アルジェのイタリア女」の亜流でなく、かなり立ち位置が違うオペラだと思います。

このオペラの真価が明らかになったのは、ここでもマリア・カラスの存在が大きいようです。
低音から高域まで、そして高度な技量も要求されるフィオリッラ役は、たしかに大変だと思いますが、メゾでもハイテクニックのあるバルトリのような歌手によって歌われると、魅力的な低音域の琥珀の輝きから、コケティッシュ感も出せる高域の歌いまわしで、耳のご馳走でした。
ほんとに素晴らしい役柄をロッシーニは残してくれたものだと思います。
 2幕最後の方の舞踏会における5重唱の素晴らしさは、ボローニャの舞台でも際立ってまして、5人以外の舞踏会の参加者がストップモーションで動きを止め、静かな緊張感を持たせ、そこから徐々に始まるロッシーニ・クレシェンドで渦巻くような興奮状態を作り出す。
音楽と舞台がぴたりと符合してました。
あと、フィオリッラの後悔のアリアも、そこに、ジプシーたちと、詩人の合いの手がうまく絡んで、その気の毒のヒロインの胸のうちをうまく表出してまして見事。

バルトリのステキさは前段のとおり。
バスとバリトンにも超難しい役柄のセリムとジェローニオ。
ペルトゥージとコルベッリがあきれるほどに素晴らしい。
ついでにもひとつ、ヴァルガスもいいし、詩人のカンディアーも全体をしっかり引き締めてました。
ポルヴェッリのザイーダもうまいもんです!

シャイーの水際だった巧みでイキのいい指揮は、スカラ座のオケあってのもので、現代感覚溢れすぎてそぎ落としの多いこともあったこの頃のシャイーの指揮に、潤いを与えているようにも感じました。
ただ、デッカの録音なのに、ちょっと冴えないような気が・・・
ちなみに、チェンバロでなくフォルテピアノが使われ、これがいい味だしてました。
ここ数週間、何度聴いたかわからない(笑)

Zoujyouji-02

増上寺山門越しに浜松町の駅の方、線路まで見渡せる、そんな空いてる日曜の朝。

最近の音楽聴きループ、ヘンデル⇔ロッシーニ⇔プロコフィエフ⇔ドヴォルザーク⇔ワーグナー⇔R・シュトラウス⇔ドニゼッティ⇔プッチーニ⇔英国音楽⇔バッハ、ときどきマーラー&ブルックナー。
あぁ~、忙しいよ。

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2020年10月 4日 (日)

ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 アバド指揮

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10月1日は、中秋の名月で見事な満月でした。

そして、東京タワーは都民の日とGoToキャンペーンの東京解禁を祝して、グリーンカラーでライトアップ。

秋桜と書いてコスモス。
すっかり秋です。

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音楽のシーズンも真っ盛りと言いたいところですが、コロナの蔓延状況で、各国でオペラやコンサートの開催状況がまったく異なります。
日本は、クラシックは聴衆が熱狂しないたぐいの音楽なので、観客はほぼ従来通りに入れることが可能に。
しかし、予防対策は事細かに取り決められ、この部分では開催側も聴く側も、そして何よりも演奏者側も細心の対応が引き続き必要。
ガイドラインを読むと、細かすぎて、文字が多すぎて、頭が痛くなる。
外来演奏家が来日はできても、2週間の待機があるので、実質無理・・・
ウィーンフィルの11月の来日はどうなるんだろう。

ウィーンの国立歌劇場をはじめ欧州各地の歌劇場は再開したが、メトロポリタンオペラは今シーズンは閉館を決定した。
感染率の高かったニューヨークではあるが、徐々に経済活動も再開してます。
しかし、再び陽性率が上昇との報もあるし、BLM運動などで治安も悪い。
なによりも、世界のスター歌手によって成り立つMETの舞台は、そのスター級歌手たちが渡米できないので、ウリである豪華な舞台が成立しない。
ヨーロッパは専属歌手たちがスター級も含めてしっかり根付いているし、日本も海外勢が来なくてもやっていけるし、観客も超一流を求めていない。
METや他民族国家アメリカの宿命をなんやら感じます。

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  ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」 

    ムスタファ:ルッジェーロ・ライモンディ
    エルヴィラ:パトリシア・パーチェ
             ズルマ  :アンナ・ゴンダ
    ハーリー :アレッサンドロ・コルベッリ
             リンドーロ:フランク・ロパード
    イザベッラ:アグネス・バルツァ
    タッディオ:エンツォ・ダーラ

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団
            合唱指揮:ヘルムート・フロシャウアー
            チェンバロ:ロナルド・シュナイダー
            音楽助手:イオン・マリン

       (1987.9~10 @ウィーン・コンツェルトハウス)

コロナ期間にネット配信で視聴したロッシーニのオペラは10作。
何度も書くことで恐縮ですが、ベルカント系が苦手だったので、あまり聴いて来なかったロッシーニやドニゼッテイにベルリーニ。
しかし、コロナで見事克服(笑)

「セビリア」と「チェネレントラ」しかこれまで記事にしてなかったロッシーニですが、これからこちらもシリーズ化します。
手始めに、当然にアバド好きとしては、初出時のときから所蔵していた「アルジェのイタリア女」で、1度しか聴いてなかった(汗)

ロッシーニ覚醒一回目なので、ロッシーニのオペラを俯瞰します。

17~18世紀のイタリアオペラの系譜を引き継いだロッシーニ。
その生涯(1792~1868)で、自作の流用も含めて42作のオペラを残したが、オペラ作曲活動においては1808年~1829年まで、16歳から37歳までの期間となっていることは有名なおはなし。
驚くべきは、このほぼ20年間で、若いとも言える作曲家が、オペラセリアからスタートし、オペラブッファも極めて、同時にセリアもさらに深化させ、最後にはグランド・オペラの領域に踏み入れたこと。
ドニゼッテイ、ベルリーニ、そしてヴェルデイへと繋がるイタリアのオペラの流れの19世紀における源流がロッシーニ。

16歳の初オペラはセリアで「デメトリオとポリビオ」。
こちらが初演される前、18歳でのブッファ「婚約手形」が初めての上演された作品となり、その後3作を経て、「絹のはしご」「試金石」といういずれもブッファの快作を発表し、一方でセリアの傑作「タンクレディ」が作曲された。
このとき、ロッシーニは21歳。
オペラ作曲家として、その名声を確立させることになる「アルジェのイタリア女」が同じ年、1813年にヴェネチアで初演される。
「アルジェのイタリア女」と逆のパターンの物語、「イタリアのトルコ人」もこの1年後に続きます。
しかし、ロッシーニはオペラ・ブッファを1810年から1817年までの7年間でしか作曲していない。

1980年代から続いたロッシーニ・ルネッサンスで、いまでは多くのロッシーニのオペラが上演、録音されるようになりましたが、かつての昔は、ロッシーニの3大オペラは、3大ブッファで、「セビリア」「チェネレントラ」「アルジェ」の3作でありました。
 要は18歳から25歳までのあいだに、ロッシーニはオペラ・ブッファを極めつくしたこととなり、オペラから早々に足を洗い、人生の最後にあたって、自分は「オペラ・ブッファのために生まれてきた人間だった」としみじみ語ったというが、たしかにブッファ3作は、作者をしてそう語らせるにたる傑作であります。
 でも繰り返しとなりますが、それ以外の数多くあるロッシーニオペラの魅力、少しづつ観て聴いて、味わってみたいと思います。
(しかし、この歳になって、困ったもんです・・・・)

「アルジェのイタリア女」の作曲は、経営不振に陥っていたヴェネツィアのサン・ベネデット劇場のために、その義侠心から書かれたもので、わずか27日間で仕上げられたというから驚きであります。
初演は1813年5月22日で、その日は奇遇にも、ワーグナーの生まれた日でもありまして、実に興味深い符合です。
当時の東洋趣味からして、モーツァルトの「後宮」やウェーバーの「アブハッサン」にも通じる仕立て。
ともかくナンセンス極まりないドラマで、ありえないくらいのクレヴァーなイタリア女性に、間抜けな太守がメロメロとなり、まんまと騙されてしまうというもので、観る側は何も考えることもなく、ただただ才気煥発なイキイキとしたロッシーニの音楽に酔いしれればいいだけ。

初演以来、ずっと変わらず上演され続けてきたオペラともいえるが、いまの現在、あきらかにイスラムの太守であり、トルコ系でもあるやられ役を、そのままに描くことは演出上なかなか厳しいものと思われます。



ジャン・ピエール・ポネルの演出によるウィーンの舞台。
1990年の上演と思われます。

アバドのプリミエ舞台は、87年と88年で、そのときのアシスタント指揮者、イオン・マリンが90年には指揮してます。
エルヴィラを佐々木典子さんが演じてます。

太守の漆黒の色は、現在ではもっと薄くなり肉襦袢を着るようになってます。

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「セビリア」と「チェネレントラ」はずっと早くから手掛けていたアバドは、スカラ座時代に73年、75年、83年に取り上げてます。
ロンドン響と録音することは、エディンバラで上演しなかったことから実現はしなかったのですが、スカラ座での録音がなされなかったのは、ちょっと残念。
ウィーンフィルのロッシーニは、当時は珍しいことで、歌劇場では始終ロッシーニは演奏していても、それは従来の手垢にまみれたスコアであったはずで、アバドはゼッタ校訂の「セビリア」と「チェネレントラ」と同じく、アツィオ・コルギによる校訂版を使用していて、リハーサルもかなり入念に行われたそうです。
トロンボーンとテインパニを廃し、かわりにピッコロを加えて、軽やかさをより増して、アバドならではの爽やかで透明感あふれるサウンドに一新させました。
ほんとは、ただでさえ味わいのあるウィーンの音色より、ロンドン響のほうが、このあたりよりスッキリ感が出たのではないかと思ったりもしますが、そこはやはりウィーンフィル、色彩感がまぶしく感じられる。
75年のロンドン響との序曲集と、87年のこちらのウィーンフィルとの序曲のみを聴き比べると、味わいの濃いウィーンと、よりニュートラルなロンドン、オーケストラの音色の違いとともに、アバドの音楽造りにスケール感が増しているのもわかるし、クレッシェンドの幅がより広大化しているのも聴いてとれる。
 オペラ本編の方でも、アバドならではのロッシーニ・クレッシェンドの巧みさを満喫することができる。
登場人物たちが、びっくりしたとき、密やかな秘密を持ち語るとき、最弱の繊細なピアニッシモで緊張感すら漂わせる。
そこから巧みにクレッシェンドを導いていっては、寄せては返す波のような見事なロッシーニサウンドを引き出すアバドの手腕。
劇場での経験値を重ねたアバドの進化を、かつてのロンドンでの録音とくらべ感じ取れます。
(一方で、若々しい70年代のアバドのロッシーニにも、愛着を感じ、ブッファのロッシーニの真の姿を聴くことができると思ったりしてます)

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清潔でピュアなイメージのベルガンサにくらべ、バルツァの切れ味も鋭く、テクニックも抜群な歌唱は、このオペラの強い女性イザベッラを見事に歌い演じてます。
一瞬、カルメンっぽくて、ちょっと濃すぎる印象を受けるかもしれないけど、これはこれ、すごいもんです。
イタリア人に愛国を訴える名アリアもまったく見事。
当時、デビューしたてのアメリカのテナー、ロパードも若々しく最高音もしっかり出してる。
ライモンデイもこうしたコミカルな役柄は実にうまくて、むしろ気の毒にさえ思えるイイひとぶりを表出。
アバドのロッシーニになくてはならないブッファ・バリトン、エンツォ・ダーラも相変わらず素晴らしいし、若きコルベッリやP・パーチェも可愛くてよろし。
歌手のレヴェルの高さは、アバドの録音ならではです。

ウィーンでの舞台を、このコロナ禍に、2015年の上演で視聴することができました。
指揮は、故ロペス・コボスで、アブドゥラザコフのムスタファがあきれ返るくらいに素晴らしかった。
これもアバド時代から続くポネル演出のリバイバルで、誇張された人物表現が、現実世界と乖離していることをあえて強調していて、これまたポネルの天才性を感じた次第、ともかく面白かった。

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第1幕
 アルジェの太守ムスタファの宮殿。
妻のエルヴィラをもう飽きたとして、彼女とその待女ズルマを悲しませる。
太守はエルヴィラをお払い箱にして、奴隷として捕まえていたイタリア人リンドーロと結婚させようとする。
そして、配下のハーリーに命じ、イカしたイタリア女を探してこいとする。
 海賊に捕まえられたイザベッラと彼女を密かに好きなタッディオ。
ムスタファは一目見てイザベッラを好きになり、彼女は、これはうまくやらねばと、巧みに取り入ることとなる。
串刺しにしてしまえ、と言われたタッディオを伯父と言って助ける彼女、そして宮殿に行方知れずとなった恋人リンドーロがいることを発見し、お互いにびっくり。
イザベッラはすかさず、頭を働かせて、正妻を追い出して自分を後釜にすえるとは何たること、と非難し、リンドーロを自分の奴隷として差し出すようにムスタファに命じる。
混乱する一同。

第2幕
 イザベッラの機嫌をとるために、タッディオにカイマカンという資格を与えることにするムスタファ。
イザベッラと二人きりになってコーヒーを飲みたいムスタファは、自分が咳をしたら退席せよとタッディオに命じるが、タッディオはそれを無視したあげく、リンドーロも妻エルヴィラもそこにいて、楽しい5重唱となる。
リンドーロとタッディオは、ムスタファにイタリア男の粋な嗜み、秘密結社の儀式を教えるからと、計略にまんまとのせる。
「パッパターチ」と唱えながら、ともかく食って飲んで、快楽にふける、その間になにが起きようと気にしない、ともかく飲んで食って「パッパターチ」。
そうした間に、イザベッラとリンドーロ、ふたりが恋人同士だったと知ってがっかりのタッディオと、囚われのイタリア人たちは、船をしたてて出港することに。
ここに至って、騙されたとしったムスタファ。
もうイタリア女はこりごり・・・・とやっぱりエルヴィラがいい、と仲を取り戻した二人、そして全員でイタリア女の勇気をたたえ、幕。

このオペラを聴くと、しばらく「パッパターチ」が耳から離れなくなります(笑)
ポネルの舞台では、うまそうなパスタをほんとに、もりもり食べてました。

全員の最後の合唱
 「美しいイタリア女がアルジェにやってきて、嫉妬深い男とうぬぼれの強い男に教訓を与えた
  女はその気になれば、誰でもたぶらかしてしまう」
いまどき、問題になりそうな歌詞ではあります・・・・・(笑)

面白いぞロッシーニ🎵

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2020年9月13日 (日)

シュレーカー 「烙印を押された人々」 K・ナガノ指揮

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青の世界。

どこか近未来の都市を思わせるこちらは、わたしの秘密のスポット。
秋冬バージョンは、この光がオレンジになります。

この写真の左側に、新しいビルが完成し、そこにソフトバンクグループが引っ越してくるそうで、総勢1万人もの人が増えるらしい。
わたしの秘密基地が・・・・・

竹芝桟橋の近くです。
右手奥は、勝どき、月島。

色めが似てるジャケット、でもちょっと怪しい。

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 シュレーカー 「烙印を押された人々」

  公爵アドルノ:ロバート・ヘイル 
  貴族タマーレ:ミヒャエル・フォレ
  市長ナルディ:ウォルフガンク・シェーネ
  その娘カルロッタ:アンネ・シュヴェンネウィルムス
  貴族アルヴィアーノ:ロバート・ブルベイカー
   その他大勢

 ケント・ナガノ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
           ウィーン国立歌劇場合唱団

   演出:ニコラウス・レーンホフ

  (2005.7.26 @フェルゼンライトシューレ、ザルツブルク)

ときおり無性に聴きたくなるシュレーカーの音楽。
なかでも、「烙印を押された人々」は前奏曲だけでも始終聴いてます。
濃厚な世紀末ムードと、痺れるような感覚的な音楽、前奏曲がこのオペラの内容をすべてを表出している。

シュレーカー(1873~1934)は、ドイツにおける印象主義の先駆者ともいわれ、響きの魔術師ともいわれた。
独墺では、シェーンベルクのわずか下、フランスではラヴェルと同世代、ということでシュレーカーの時代的な立ち位置がわかると思う。
当時のドイツのおける人気オペラ作曲家で、そのオペラはワルターやクレンペラーがこぞって取り上げた。
ふたつの大戦に翻弄され、ことにそのユダヤの出自もあり、ナチスに目をつけられてからは、「退廃的」であるとのレッテルを貼られ、ご禁制の音楽とされてしまった。

ナチスの貼ったレッテルをはがし、その音楽たちがいかに現在において素晴らしい立ち位置を持ちうるか、ということに貢献したのは、ギーレン、アルブレヒトらの存在、ラインスドルフのコルンゴルト「死の都」の録音、そしてデッカの「退廃音楽シリーズ」の一連の録音、マゼールのツェムリンスキー「抒情交響曲」であると思う。
1970年代半ばからのこと。

今思えば、いずれ来たにせよ、一連のこうしたムーブメントがなければ、マーラー、シュトラウスのあとは、新ウィーン楽派どまりで、独墺の20世紀末周辺音楽の一部は封印されたままで、はなはだ彩りに欠いたものとなっていたことでしょう。
現在も、シュレーカーの音楽は一般的にはなっていないと思いますが、それでもその完成された9作のオペラはなんらかの形で聴くことができます。
2005年にザルツブルク音楽祭で上演された「烙印を押された人々」が、シュレーカーのオペラの唯一の映像作品かもしれない。
このコロナ禍で、シュレーカーのような大規模な作品は上演されにくくなるかもしれないけれど、でもコロナのおかげで、ネット配信された「はるかな響き」と「ヘントの鍛冶屋」のふたつの上演映像を録画することができました。
いずれのときに記事にしようかと思ってます。

さて、「烙印を押された人々」というタイトル。
独語の本題は「Die Gezeichneten」で、これをGoogle先生で翻訳すると、「描かれた」とか中途半端な邦訳にしかなりませんで、「Zeich」は「お絵かき」とかいうことになります。
なので、「描かれた人々」的な意味合いではないかと。(わかる方教えて欲しい)
 日本語でいう、「烙印を押す」という意味合いは、拭い去ることのできない汚名を着せられる、とか、不名誉な評判を立てられる、とかのマイナスイメージです。
 このオペラの内容は、まさに退廃的な場面もあり、そこに溺れる人々を描いてもいるので、邦題の意味合いは符合してます。
一方で、ヒロインのカルロッタは、病弱な画家であり、精神的にも危うく、醜男のアルヴァーノの姿絵を描くことを所望し、アルヴァーノはそんな彼女に同情と愛情を抱くわけです。
だから、「描かれた人々」という独題は、まさにオペラの中身でもあります。

自身で台本も起こすシュレーカーに、ツェムリンスキーは、「醜い男の悲劇」をオペラにしたいということで、台本制作を依頼。
シュレーカーは、以前、パントマイム付随音楽として作曲した「王女の誕生日」と同じように、オスカー・ワイルドの童話や戯曲を参考に、台本制作を進めるうちに、自分でこのオペラを作曲したい思いになった。
ツェムリンスキーに、断りをいれて作曲を進めて出来上がったのが「烙印を押された人々」。
ツェムリンスキーは、この素材を忘れがたく、のちにオペラ「小人」を作曲することとなります。

 1908年 シュレーカー  「王女の誕生日」
 1918年 シュレーカー  「烙印を押された人々」
 1922年 ツェムリンスキー「小人」(王女の誕生日)

いまでは、ポリコレもあり、これらのオペラの内容を台本通りにまともに演出・上演することは難しいでしょう。
しかし、シュレーカーもツェムリンスキーも、気の毒な彼らの存在があるから作曲したのではなく、彼らこそ、真実を見抜く目を持っている、繊細で豊かな感情を持っていることを、これらの作品の中の重要なモティーフや目線にしているものと思います。
シュレーカーのほかのオペラの登場人物たちは、どこかそうした人物たちが多い。

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自分がかつて書いたあらすじが超長いので、記事として独立させましたので下記リンクで。

「烙印を押された人々」 あらすじ

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今回のDVDのザルツブルク上演の演出は故レーンホフ。
そんなに過激な演出や極端な読替えはしないけれど、その舞台はいつも暗かったり、無機質だったり、そんなイメージを持ってまして、今回も全体に暗めで、美しい、なんていう形容詞とは程遠い・・・です。
横広の長いフェルゼンライトシューレをうまく活用し、背景の壁もうまく利用して多層的な舞台背景を作り出したのは見事。
 あの懐かしい、サヴァリッシュとバイエルンの「リング」が、人の顔のうえで登場人物たちが演技したように、今回も顔や手をダイナミックに使っているし、その石造の素材、それと市民たちの白塗り顔と仮面が、それこそ無機質で冷たく、感情表現を持たせないようにしている点にも意味があるように思えた。

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 主役のアルヴィアーノは、身体の不自由な醜男ではなく、トランスジェンダーとして描かれていたように思う。
前奏曲から、お化粧セットを取り出し、化粧に余念なく、カツラもかぶる。
貴族の仲間たちも、ちょっとそれっぽい。
 カルロッタは、まったく画家を思わせることがなく、ト書きをまったく無視。
アルヴィアーノを肖像を描くべく、自室へ招いたカルロッタは、絵を描くのでなく、アルヴィアーノの女装をひとつひとつ解いてゆく。
そこで発作を起こすのだが、倒れたときに指さすのは、頭上の巨大な人の手で、アルヴィアーノはそれを仰ぎ見る。
これが原作の「干からびた手と赤い筋のような紐・・・」の絵、これを描いたのがカルロッタで、その心を病んだ彼女を、アルヴィアーノが理解し、同情を寄せることになるシーンであった。

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しかし、ここでは、アルヴィアーノはカルロッタを肉体的に愛することができないことも、うまく描かれていて、最後に彼女が、ゲス野郎の色男タマーレに魅かれ、身体をゆだねてしまう流れがよくわかる。
 タマーレや貴族たちが、街の若い女性や人妻を誘拐して、監禁窟を作っていたわけだが、このレーンホフ演出では、婦人ではなく、いたいけのない、少年少女だった。貴族たちの性向が、そっち系と思わせたのが、最後の結末で見えたわけだが、これは思いがけなくも、アメリカで地下で潜行して起きている疑獄事件にも通じていて、レーンホフの社会の闇を見る鋭さを15年前の演出ながら感心もした次第。
話は変わりますが、トランプ大統領・共和党政権は、この問題の根が深いとみて、徹底的に調べようとしてます。
 そんなわけで、烙印を押された人々、これから押されるであろう人々は、まだまだたくさん世界中にいますよ。

衝撃的なラストは、石像の顔が血の涙を流すところ・・・・哀しい。

アメリカのテノール、ブルベイカーは、アルヴィアーノのスペシャリストで、その没頭的な歌と、どこか気の毒な風貌と歌いぶりが、完全にサマになってます。

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この上演の2年後、ドレスデンとの来演でマルシャリンを聴いたシュヴァンネウィリムスが、その時の典雅なムードとは大違いの体当たり的な歌と演技で引き込まれる、そんなカルロッタを演じている。
少し金属質な声も、この夢中な登場人物にぴったりだった。

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 あと、驚きは、やはりフォレの演技と声の圧倒的な存在感。
憎々しさもあまりあり、最後にアルヴィアーノに射殺されて、清々した気分になるほど(笑)
一昨年のバイロイトのマイスタージンガーで、ザックスとエヴァが、フォレとシュヴァンネウィリムスだったりで、不思議な感じだった。
それから、ベテラン、R・ヘイルのこれも表層的な紳士ぶった悪漢を高貴な声で歌い演じていて見事だった。

K・ナガノとベルリン・ドイツ響の作り出すオーケストラは、和声ではなく、流れゆく横へ横へと伸びてゆく響きを、次々に編み出して繋いて、そして紡いでゆく手法でもって、素晴らしいシュレーカーサウンドを作り上げている。

ドイツの劇場で、この作品はしばしば上演されていて、いずれそれらの映像も出ないものだろうか。
いろんな演出で観てみたい、社会的問題の発信力あるオペラだし、その音楽も汲めどもつきない魅力があって、まだまだいろんな発見があるものだから。

シューレーカーのオペラ(記事ありはリンクあります)

 「Flammen」 炎  1901年

 「De Freme Klang」 はるかな響き  1912年

 「Das Spielwerk und Prinzessin 」 音楽箱と王女 1913年
 
 「Die Gezeichenten」 烙印された人々  1918年

 「Der Schatzgraber」 宝さがし 1920

 「Irrelohe」   狂える焔   1924年

 「Christophorus oder Die Vision einer Oper 」 
         クリストフォス、あるいはオペラの幻想 1924

   ※CD入手済み いずれ記事化

 「Der singende Teufel」 歌う悪魔   1927年

   ※音源未入手

  「Der Schmied von Gent」 ヘントの鍛冶屋 1929年
   
   ※映像保存済み いずれ記事化

 「Memnon」メムノン~未完   1933年

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右手は東芝ビルや、新しいマンション。
左手からは、東京湾クルーズ船が出る波止場。

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秋冬バージョン。

もうじき、秋がやってくる。
長い秋になって欲しいもの。

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2020年8月22日 (土)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 朝比奈 隆

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今年じゃないけど、暑い日、湿気が多いとこんな壮絶な空色の夕焼けになります。

こんな空を見ると「ワルキューレ」だな。

ということで、思い切った企画を。
何日間かかけて全部聴きました。
自分も居合わせた伝説の演奏会。
昨年、ようやく入手したこのCD。
思い切って一気に聴きました。

今回は、長文となります!

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 ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」

  朝比奈 隆 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

      (1984~87年 @東京文化会館)

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  「ラインの黄金」

 ウォータン :池田 直樹  フリッカ   :辻 宥子
 フライア  :西松 登美子 ドンナー   :勝部 太
 フロー   :種井 静夫  ローゲ    :大野 徹也
 エルダ   :西 明美   ファゾルト  :岸本 力
 ファフナー :高橋 啓三  アルベリヒ  :多田羅 廸夫
 ミーメ   :磯崎 義昭  ウォークリンデ:釜洞 祐子
 ウェルグンデ:渡辺 美佐子 フロースヒルデ:牧川 典子

           (1984.6.11 月曜 19:00~)

1984年から4年間をかけて行われた「リング」の演奏会形式上演。
社会人3年目の若者だったワタクシ。
平日の7時開始という、通常コンサートと同じなので、気軽に、るんるん気分で文化会館に向かいました。

1階の最前列の席、そして登場した楽員さんたちが、舞台ギリギリ一杯に並ぶさまは壮観で、マーラーはこのホールで聴いていましたが、こんな巨大なオーケストラを見るのも初めてでありました。
ワーグナーの書いた楽譜どおりの楽器の数、ハープも確か6台あったはずだ。
4部作通じて、リングを演奏するオーケストラを間近に見ることができたのも、これもまた稀有な経験だったと言っていいかも。
レコードやバイロイトのFM録音で、耳に完全に刷り込まれていた「リング」の音たち。
あんなことしてる、あ、ここではああして弾いてるんだ、叩いてるんだとか、実際で目で見ながら聴いて、目線もきょろきょろ状態でありました。
そして、なにも気にせずに、その大音響に浸り、堪能しまくるという贅沢。

すでにブルックナーで、新日とのコンビは聴いていた、朝比奈隆。
初めて指揮する「リング」は、4作とも腰掛けを置いて、そこに大半は掛けながら、大きな譜面台に顔を突っ込みながら的な感じでした。
ときおりクライマックスでは、腰掛けから立ち上がり、オーケストラを睥睨するかのごとく、大きな指揮ぶりで、そうした「決め」の場面ではオーケストラが実に雄弁極まりないものでした。
あとは、音楽の流れに即した、おおらかな大河のような安心安全の演奏。

今回、一番古い「ラインの黄金」をあの時以来に聴いてみて驚いたのは、その録音の鮮明さと優秀さ。
ややデッドな文化会館だけど、木質の響きも魅力なホールで、その特徴をよくとらえていると思った。
そして、オーケストラが優秀。
ちょこっとあれれ?はあるけれど、そんなことは気にならない、大指揮者に導かれ、この指揮者のためなら、そして4年間の挑戦といった果敢さも、各奏者たちを奮わせたことでしょう。

大編成のオーケストラの後ろにひな壇を設けて、そこで歌われたので、部分的に声が遠く感じることもあり。
しかし、実際にここに居合わせて聴いたときも、歌手たちの声はしっかり聴き手に届いてました。
二期会を中心に、当時のドイツものに強い歌手たちをそろえた布陣は立派なものであります。
ホッターに師事したという池田直樹さんのウォータンが、3作通じて、一番安定感あり、ラインでは若々しさもありました。
大野徹也さんは、この後、日本の生んだ本格ヘルデンとしてワーグナーにシュトラウスにと大活躍しますが、ローゲ、ジークムント、ジークフリートと3役を歌いました。
一見、つながりのありそうでない3役だけど、こうしてひとりの歌手が歌うことで、ローゲの重要性と橋渡し役ぶりを一貫できることにも気づきました。
指環を奪うことをけしかけ、ブリュンヒルデを守る焔となり、最後は槍をかじり、すべてを焔で包んでしまう存在。
それを感じながら歌った大野さん、実に立派でした。
ラインの乙女に、釜洞裕子、渡辺美佐子の名前を見出せるのもこの時期ならでは。

このときのプログラムでは、金子健志さんが楽曲解説。
渡辺護さんが、演奏会形式の意義。
高辻知義さんが、当時議論白昼の「第2新国」について書かれてます。

ちなみに、新日フィルの音楽監督は井上道義で、永久指揮者が斎藤秀雄、顧問が朝比奈、首席が小澤征爾、幹事が山本直純・小泉和裕・手塚幸紀といった布陣。
この年の秋のシーズンは、井上がプロコフィエフプロ、コジ・ファン・トウッテ、ディーリアスなどの英国プロ、小澤がアルゲリッチとラフマニノフなどを取り上げてます。

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  「ワルキューレ」

 ジークムント :大野 徹也    ジークリンデ    :西松 登美子
 フンディング :高橋 啓三    ウォータン     :池田 直樹
 フリッカ   :辻 宥子     ブリュンヒルデ   :西 明美
 ゲルヒルデ  :柳澤 涼子      オルトリンデ    :菊池 貴子
 ワルトラウテ :桑田 葉子    シュヴァルトライテ :上泉 睦子
 ヘルムヴィーゲ:渡辺 美佐子   ジークルーネ    :永井 和子
 グリムゲルデ :大藤 祐子      ロスワイセ     :妻鳥 純子

        (1985.10.12 土曜 15:00~)

1幕の開始、そのテンポはかなり遅くて、かつ克明な音楽の造り。
でもあとは、力感もともなった鮮烈な運び。

やや不安定でフラット気味の大野さんの1幕だけど、2幕以降は持ち直した感じで、悲劇的な様相も豊か。
リリックで真摯、ひたむきさがよい西松登美子さん。覚えてる、美人だったので、とくに!
安定感あり、貫禄ある神々の長らしさと、怒りと優しさの池田ウォータン。
告別のシーンは名唱だ!
西明美さんの真っ直ぐな、ヴィブラートの少ないブリュンヒルデは若々しく力感もほどよし。
ここでは、ラインゴールドと一転、力強い辻フリッカに、雄弁な高橋フンディングもよい。

テンポに違和感を感じたのは最初だけで、あとは存外、快速・快調。
前作同様に、朝比奈先生の指揮に応えるオケの気迫が、多少のキズをうわまって、感動を呼ぶ結果になってる。
1階8列目の席で聴いた、3幕の告別の感動的な音楽は、自分の音楽体験でも上位にくると思ってる。
このCDを聴きながら、最低限ながら、身振り手振りの演技を伴って、心のこもった歌唱をおこなったみなさんを思い起こすことができる。

1985年のこの年の夏、朝比奈さんは体調を崩し大阪を含め、いくつかのコンサートをキャンセル。
そうしたなか、東京にやってきて、久方ぶりの指揮だったこのワルキューレ。
やはり、並々ならない意欲を持って体調を克服し、いどんだ演奏会形式上演だったわけです。
有名シーンも続出するワルキューレ、立ち上がっての渾身の指揮ぶりも覚えてます。
最終の告別シーンは、オーケストラの美感も含めて、CDであらためて聞くと絶品に感じました。

1幕、2幕は休憩時間も短めで、3幕前に長い食事タイムが設けられました。
いまや昔の感じですが、上野の街まで下りてビール飲みました。

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  「ジークフリート」

 ジークフリート:大野 徹也   ミーメ  :磯崎 義昭
 さすらい人  :池田 直樹   アルベリヒ:多田羅 廸夫
 ファフナー  :高橋 啓三   エルダ  :西 明美
 ブリュンヒルデ:豊田 喜代美  鳥の声  :清水 まり

        (1986.04.19 土曜日 15:00~)

3年目のリング。
こちらも昼からスタートで、3幕前には90分の休憩タイム。
聴き手は、ここまでくるとワーグナーファンばかりなので大丈夫ですが、歌いっぱなしの歌手と出ずっぱりの指揮者とオケには、これくらいの休憩が必用かと思いました。
こうして、オーケストラを眼前にして聴くと、ジークフリートでは、2幕と3幕とで、トリスタンとマイスタージンガーで中断したことから、その分厚い響きとより複雑に、きめ細やかになったライトモティーフの重なり合いなどが、奏者の弾く姿でもよく確認ができて、ワーグナーの音楽が進化したことがわかって、面白かった記憶があります。
実際に聴いたときは、交通整理ぐらいの指揮しか・・・とか思ったものですが、こうしてCDで聴くと、じつに恰幅がよくて立派なワーグナーで、いろんな音がすべてちゃんと聴こえる明快なわかりやすい演奏とも思います。
でも不可解なテンポの落とし方などが、コンサート会場では目立ち、歌手もおっと、という感じの場面もありました。
CDでは、そうした箇所も、ゆるやかに流れるドラマの一環として聴くことができて、違和感はそんなに感じません。

当時のプログラムを読み返すと、この4月の公演の前、2月には朝比奈先生は散歩中に足の小さい骨を骨折してしまい、静養後の東京だったことが書かれてました。
ともかく、指揮者もオーケストラも、4年間、強い意気込みと意欲を保ち続けていたことでしょう。
それは、聴くワタクシにも言えて、4年間、転勤とか病気とか遭遇したくないと思い続けてましたから・・・
ちなみに、プログラムには、練習指揮者への謝辞も出てまして、佐藤功太郎氏と朝比奈千足氏のお名前が出てました。

さて、「ジークフリート」の日本初演は、1983年、ワーグナー没後100年という節目での二期会の上演。
ほんとの初演ではありませんが、私はその3公演の中日を観劇しました。
若杉弘の指揮、ジークフリートは大野、ブリュンヒルデは辻、さすらい人が池田という朝比奈リングのメンバーと同じ顔触れ。
ミーメはホルスト・ヒーステルマンで、これが絶品だったことを覚えてる。
当時の20代の自分の日記を読み返してみて、若杉さんの緻密ですっきりしたもたれないワーグナーを絶賛していて、あと大野ジークフリートの声はまだまだだが、これだけのヘルデンは日本人として期待が高い、というようなことを書いてました。
 ちなみに、この二期会公演が、わたくしの初ワーグナーオペラ体験でありました。

その時から3年。
大野ジークフリートは落ち着きと貫禄を伴って、しかもこの作品ならではの若々しさもともなった歌唱であります。
まだ声のふらつきを感じる箇所もありますが、1幕の最後や、ブリュンヒルデとの二重唱でのタフぶりは見事。
2幕の抒情性もよいです。
1幕最後には、ガッツポーズをされていたような記憶がございます。
 あとその声に好悪は集めそうですが、篠崎さんのミーメ。
言語明瞭でディクションが素晴らしく、アクの強さがミーメの狡猾さと、一方でのおっちょこちょいぶりも表出。
池田さすらい人も、ワルキューレのときよりも、達観した歌がさまになっていて、こちらもドイツ語の発声が耳に心地よい。
リリックな持ち味の豊田さんのブリュンヒルデも、CDからの歌声で、当時の舞台も思い起こせました。

新日本フィルは、この年の9月には、小澤征爾の指揮で「エレクトラ」を演奏会形式上演してまして、定期会員だった自分も聴いております。
ブリュンヒルデを歌った豊田喜代美のタイトルロールに、西明美、多田羅廸夫などのお馴染みのメンバー。
井上、小澤を擁した新日フィルは、意欲的なプログラムが目立ちました。

ちなみに、この「ジークフリート」の1週間前には、私は、ウィーン国立歌劇場来演の「トリスタンとイゾルデ」をNHKホールで観ております。
さらに、この年の秋11月には、二期会の「ワルキューレ」を若杉さんの指揮で観劇。

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  「神々の黄昏」

 ブリュンヒルデ:辻 宥子   ジークフリート:大野 徹也
 グンター   :勝部 太   ハーゲン   :多田羅 廸夫
 グートルーネ :渡辺 美佐子 アルベリヒ  :牧野 正人
 ワルトワウテ :秋葉 京子  第1のノルン :奥本 とも
 第2のノルン :桑田 葉子  第3のノルン :菊池 貴子
 ウォークリンデ:福成 紀美子 ウェルグンデ :上泉 りく子
 フロースヒルデ:加納 里美

      合唱:晋友会   合唱指揮:関屋 晋

        (1987.10.3 土曜日 15:00~ 日本初演)
 
朝比奈リング最終年。
文化会館の改修があって、定期演奏会の開始も10月となったこの年。
「神々の黄昏」は日本初演にあたりました。
そして、この演奏会の1か月後、11月7日に、私は同じ文化会館で、ベルリン・ドイツ・オペラの「神々の黄昏」の上演を観劇しております。
そう、1987年の10月から11月にかけて、日本で初めての「リング」通し上演がなされ、こちらも若かった私は薄給をつぎ込んで全部観劇しているのです。
ですから、この年の秋は、黄昏を2度体験したわけです。
まさに、日本はバブルの真っただ中にあったわけで、ワタクシは、音楽と酒に浸り続けた日々だったのありました。

長い1幕のあとに、90分休憩。
2幕と3幕の間には30分休憩でした。
最初の90分は時間を持て余した覚えがありますね。

大野さんのジークフリート、さらにたくましくなって、自信もみなぎってました。
1幕で人格が3度変わる難役ですが、幸せに満ちた歌声、騙され恋にほだされたせっかちな役柄、そして別人になり切り悪の歌声、と見事に歌い分けてましたし、スタミナ配分も申し分なく、ラストの死の場面は迫真迫るものがありました。
あら捜しをして、欲を言えばきりがないですが、この時代に、この難役をこれだけ立派に歌いきったことを賞賛しなくてはなりません。

同様のことが辻さんのブリュンヒルデにもいえて、メゾが本領なので、高域はこうしてCDで聴くと辛いものがあるが、演奏会での印象はそうではありませんでした。
とにかくひたむきな、真っ直ぐの気合の入った歌唱で、あのときの自己犠牲では神々しさすらありました。
 あと知能犯的な知的なハーゲンを感じさせる多々羅さんの役造りもいいが、ラストシーンではオーケストラの熱気に「リングに触れるな」はCDではかき消されてしまいました。
勝部さんのグンターも懐かしいし、渡辺美佐子さんの気の毒なグートルーネもよろしい。

合唱は録音のせいか、ホールで聴いたときのほうが、圧倒的だけど、でも日本の合唱団はこのときも、ずっと前からも精度は高い。

長丁場のオペラだけど、有名シーンも多数ある「神々の黄昏」
ラインの旅、葬送行進曲、自己犠牲など、そうしたシーンでは、朝比奈先生も指揮経験が豊かなせいもあり、スコアに顔を埋めることなく、立ち上がり渾身の指揮で、実に説得力あふれる演奏となった。
ことに、葬送行進曲からラストまでは、4年間の集大成ともいえる意気込みからか、オーケストラ部分は、あらゆる「黄昏」の演奏のなかでも上位にくるくらいに、やる気にあふれた音の粒立ちの良さと熱気が味わえる。
そして素直に感じる、ワーグナーの音楽の素晴らしさ。
この魅力にはあらがえない。

こうして神々の黄昏を聴き終えて、あの日、しびれるような感動と達成感に満たされた若い時分を思い出すことができた。
そして贅沢なことに、この1か月後にはリング通しで、さらなる感動を味わっていた自分も同じ文化会館にはいたのでありました。。。。

ついでに言うと、二期会の「リング」完結は、1991年7月の「神々の黄昏」で、若杉さんの指揮。
これもよく覚えている感動的な上演でした。
二期会のオペラも、今思えば、音源として残しておいて欲しかったものです。
「若杉さんの指環」なんて、夢のようです・・・・

Wagner-ring-asahina-1985

調子に乗ってチケットもお見せします。
ラインの黄金なんて最前列で、オケのシャワーを浴びてますよ(笑)
自分の行った演奏会のCDが聴けることの幸せ。
あと、なにごとも、記録しておくことの大切さ。
そういう意味では、ブログは日記替わりで、自分の音楽ライフのアーカイブなんです。

朝比奈リングの演奏タイム

①「ラインの黄金」  2時間32分
②「ワルキューレ」  3時間47分
③「ジークフリート」 3時間54分
④「神々の黄昏」   4時間15分

Rainbow-01_20200808171601

ほどほどのゲリラ雷雨は、虹の副産物がありますので許せますが、激しいヤツ、長いヤツは困ります、ダメです。

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2020年8月10日 (月)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑭

Yasukuni-01

 暑いですね。

残暑お見舞い申し上げます。

涼し気な写真を1枚。

で、まだ観てますよオペラ。
デイリーメトロポリタンオペラは継続中で、過去の伝説級の上演も配信してくれるし、昨年・今年の最新のものも。
ROH、グラインドボーン、オランダオペラ、シュッツットガルト、ボローニャ、ローマ、マッシモなどなどなどなど、もう枚挙にいとまなく、とうてい全部は見きれません。
youtube配信は後回しにして日々過ごしてます。

Tulandot-01

 プッチーニ 「トゥーランドット」 MET 2009

レヴァインの所有ビデオ、先月のセガンの最新ストリーミングに次いで、3度目の豪華絢爛ゼッフィレリの舞台。
これはもう、METの定番ですな。
 ネルソンスの弾けるサウンドと、タメも生かして同時代人マーラーにも通じる大胆なオーケストレーションを感じさせる指揮。

クイズ大会、3幕の変貌、アンミカ似のグレギーナの目線・指先・表情すべてが巧みにすぎる。
ジョルダーノ、気の毒なリューを捨てて氷の姫に走る無謀な男の鈍感さもよし。
リュー、ベテランティムール、よぼよぼ王様もよし。
 リューの死のあと、悲しみのなかに終わるバージョンもやったらどうだろうか。

Tulandot-02

晩年のプッチーニがなかなか書ききることのできなかったエンディング。
補筆したアルファーノ版はあきらかに霊感不足。
 でも、アルファーノの補筆版は責めても、アルファーノの「シラノ・ベルジュラック」と「復活」は名品です、責めないでください( ノД`)

Wozzeck-01

METのヴォツェックをぼちぼち観るか。
梅雨寒で暗澹たる気分だがな。

Wozzeck-02

  ベルク 「ヴォツェック」 MET 2020

今年の1月。隠蔽ウィルスが今思えば気になる時節。
ケントリッジ演出ということで、予想通りのアニメとマッピング、スクリーン多用の舞台演出。
ベルクの緻密な作品、セガンはビビッドな音楽造りで、すべての声部が実によく聴こえる。
あまりにも、音が明々白日にさらされた感もぬぐえない。
でも、音楽の仕組みがよくわかったセガン指揮と演出でもあり。

Wozzeck-03

第一次大戦を多く意識させるもので、兵隊さんも歩行も、うまくベルクのこのオペラとリンクさせてた。
 3幕各5場を連続上演。
場割の多さ、上演の難しさを、マッピングで巧みにこなしたのは見事。
想像力も刺激される。
いい人バリトンのマッティの新境地。
思えば、故H・プライもアバドの勧めで歌おうとしたけど断念。
そんなことも思ったマッティの挑戦。
 マリーのファン・デン・フィーヴァーもよかった。
聖書を手に歌うシーンでは、ほんとに涙流してた。
 釘付けになって観てしまったヴォツェック。
Thanks MET

Bohem

 プッチーニ 「ラ・ボエーム」 MET 1982

間に合った、早朝ボエーム MET1982
忙しいのでながら見だけど、音が意外といいので録っておこっと。
カレーラスはやっぱりいい、自分の耳にしっくりくる。
ストラータスのビジュアルのよさ、スコット、モリス、名人ターヨなども、豪華なメットならではのキャスト。
半年前、日本はクライバーで沸いた!

Chally

 わけ合って番外編。
Proms1990 プロコフィエフ 交響曲第3番
ナイスな演奏、シャイー&コンセルトヘボウ。
イタリア人はプロコ3番がお好き。
アバドとムーティもね。


今年のPromsは全部中止。
BBCは過去のアーカイブを2か月間無料開放してくれるという気前のよさ。

Fire

プロコフィエフ「炎の天使」エクサンプロヴァンス2018

大野和士&パリ管によるオーケストラ。
音源のみのパリのクラシック放送局の配信。

これは素晴らしかった、録音しちまった、3番と連続聴きした。
映像で観たいぞ!

【補筆】アウシュリネ・ストゥンディーテのレナータが、なかなかに、ぶっ飛び級の素晴らしさ。
彼女は、先だって、ダラスでの「サロメ」も聴いたし、先日のザルツブルク「エレクトラ」のタイトルロールも早速ネット視聴できた。
いずれもイケてます!

Wagnermask

【閑話休題】
ワーグナー(の)マスク
バイロイトより。
全面休館となったバイロイト劇場にて、スタッフさんかな。

欲し~い♪

Lucia_20200810151401

 ドニゼッティ 「ランメルモールのルチア」 MET 2011

女優兼歌手ともいえる、ナタリー・デッセイの独り舞台。
最盛期を過ぎたけど、やはり繊細な演技に、細やかかつデリケートな歌唱。
でも2007年の来日公演は、もっと美しかったし、完璧だった・・・
でもステキなナタリー黄色のハート
 震災後の1週間ぐらいの時期の上演・・・

Walkure-01

  ワーグナー 「ワルキューレ」 MET 2019

バイロイトなき今年、やっぱり夏はワーグナー。
ありがたき最新リング上演の配信。
 ジョルダンの指揮がよろしい。
俊敏機敏な反応のよさ、それが舞台の様子と歌手たちにすぐさま連動。
オケが混濁せずに、すべての楽器がすっきり・くっきり聴こえる、実に耳のよい指揮者。


ルパージュの演出で2度目の配信、ジークリンデ以外の歌手は刷新。
爆声の大迫力で、グロイスベックとウェストブロックが一番おとなしく感じる不思議(笑)
でも、グリムスレーはいいな。
アメリカバスバリトンの系譜、J・モリスの後を継げるか。
ゲルケさんは、いい歌手だけど、発声がどうもね・・

(どこでみつけたのか、グリムスレーさんから、いいねいただきました(笑))

Butterfly-01

  プッチーニ 「蝶々夫人」 MET 2016

声に陰りあふれるオポライスに、楽観的なアラーニャ。
他の諸役もよし、チチョンの指揮もいい。
 随所に日本テイストをにじませ、それらは正しいけれど、当時の日本にない、いまのカラフルなアニメ的な色彩が、東南アジア的にふれすぎだし、文楽な黒子などは日本を意識しすぎか


Butterfly-02

アメリカ人は普通なのに、なんで日本人たちだけがデフォルメされた存在なのか。
所詮、そんなもんなんだろう。
日本人スタッフが絡んでも、大衆のイメージにそぐわなかればだめだろうし。
 広島原爆投下の日に現地ではストリーミング。
ピンカートンとトルーマンは日本の敵だよ!


Shinkoku

ハミングコーラスのシーン。
恥ずかしながら、シノーポリの演奏を嫁との結婚式で、嫁の和装の衣装替え入場の音楽に使いました。
今を去ること数うん十年前の記憶の彼方。
いまやトゥーランドット姫のように君臨する妻でございまして・・・
こちらは新国の理想的なその場面。


Parsifal-met-00

土曜朝からパルジファル
楽しそうだな、イェルザレムさん、じゃなかった、パルジファルさん。


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  ワーグナー 「パルジファル」 MET 1992

いまや古い映像だけど、清々しいまでにワーグナーのト書きに忠実。
聖金曜日のシーンの美しさもこれが随一。
歌と音楽に浸るだけ、ともかくあれこれ想像したり考えなくて済むから楽だ。
イェルザレム、マイヤー、モル、ヴァイクル、マツーラなど当時のベストキャスト。


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マイヤーさん、美しい。
2幕と1,3幕とで、まったく別人に歌い演じる、クンドリーは難しい役。


Parsifal-met-03

ワーグナーの反ユダヤ主義思想がその作品にも反映されている、という考えから、パルジファルは、もっとも演出の難しいオペラになったと思う。
春のストリーミングで8本ぐらい観たけど、宗教色はすべてなし、クンドリーは生き、自然賛美、分断解消、世界平和的な結末に置き替えられるものばかり。


METのパルジファル歴代指揮者を見てみたら、60年代からラインスドルフ、ベーム、プレートル、ルートヴィヒ、スタインバーグ、そして今回のレヴァインがなんと20年間も。
あとはゲルギエフ、P・シュナイダー、ガッティ、セガンと続いていた。
ベームの音源出ないかな!


Yasukuni-02

コンサートも工夫をしながら、内外ともに再開してます。
ザルツブルクではオペラも上演。
観客もかなりの間引きで、演出も距離感をとってのものらしい。

私の方は、身体的に、コンサートは当面無理だと思っている。
CDの買い出しにも行けないので、ネットであれこれ物色したりの日々。
そして、こうしてオペラ観劇と、豊富なライブ音源。
つくづくネットの恩恵を受けております。

PCR検査陽性者数は、接触者をたどって、検査を広げていけば増えるのはあたりまえ。
感染者であるけれど、無症状者。
ともかく数字に踊らされ、恐怖感ばかりを植え付けるのはどうかと思いますよ。
陽性者からの高年齢者と基礎疾患者への感染をともかく注意すればよいだけでは。。。
この時事ネタにはご意見はご不要で願います。

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2020年7月24日 (金)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑬

Takeshiba-01

晴れると寸暇を惜しんで歩き回る。

スカイツリーもいい塩梅に見える。

近未来風の船は、松本零士のデザインで「ヒミコ」という名前らしい。
同じようなデザインであと2種あって、お台場・日の出・豊洲・浜離宮・浅草を行き来してます。

あとついでに、芝浦運河には水上タクシーも走ってます。
しかし、このコロナ禍で、どちらも運用は大変でしょう・・・・

さてさて、まだ観てます、ネットでオペラ。

毎日配信はウィーンが終わり、METだけとなり、あとは、欧州各地のハウスが期間限定で時おり配信。
そちらも見てますが、日々配信の切迫感がないので、その記録はいつか残したいと思う。

Ondonpasquale1979

 ドニゼッテイ 「ドン・パスクワーレ」 MET 1979

歴史的映像。
今日のMETは、79年のビヴァリー・シルズの「ドン・パスクワーレ」だが、さしがに音も画質も古い。
つまみ視聴にて候。
シルズの可愛い声が好きで、結構音源も集めたけど、やはり耳で聴くに限るかな。
クラウスにバッキエ、歴史的なメンバーだし、レッシーニョなんてカラスとよく共演してた指揮者だ。


Del-lago

 ロッシーニ 「湖上の美人」 MET 2015

その音楽は、なぜかポリーニが指揮者となったCDで聴いていたけれど、恋人がズボン役、晴れやかテノールも二人で、耳で聴いてるだけでは、よくわからなかったロッシーニのセリア。
よく理解できました、面白かった。
前から思ってたあひる口、ディドナートがステキ!


あと、またもフローレス様にやられ、メゾの男前のバルチェローナの男前ぶりにも惚れた。
指揮のマリオッティ君、アバドの指揮ぶりにそっくり。
ロッシーニと同郷の生まれながらのオペラ指揮、いいわ!


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 R・シュトラウス 「サロメ」、「エレクトラ」

本日は泣きたくないのでMETのボエームはスルー。

音楽配信で、ルイージ&ダラス響の「サロメ」、ネルソンスのロイヤルオペラの「エレクトラ」をながら聴き。
ダラスの優秀なオケを確認、切り詰めた音なのに豊饒サウンドのルイージ。
かたや、ダイナミズムを活かし、局面の各所では大見えを切るネルソンス!


(補足~サロメ:アウスリーネ・スタンディテ、エレクトラ:クリスティーネ・ゲールケ)

Milenes

 ヴェルディ 「イル・トロヴァトーレ」 MET 1988

スルーしようと思ったけど、好きなミルンズが出てるので、つまみ視聴。
最盛期は過ぎたが、いかにもアメリカ西部劇風のミルンズの美声と爆声はやっぱりいい。
いまの視線からするとゆるすぎの演出が辛い。
パヴァロッティもマンリーコ的でないし・・・


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 モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 MET 2014

今のプロダクションの前の演出。
美しい舞台で、それは出演者のビジュアルにもおよび、まさにbeautiful。
レオナルドさん好き!
元気な快活レヴァインに、アメリカ人歌手たちの明るい、わかりやすい歌唱。
愉悦にあふれたモーツァルトの音楽はやはり素晴らしい。


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今日のMETは、ザンドナーイ「フランチェスカ・ダ・リミニ」2013
ワーグナー的なヴェリスモ。
夜に観るべき濃厚オペラだな。

日本初演観ました(自慢)
レアCD持ってます(自慢)
口を開けて目が笑っている笑顔

Francesca-02

こんなレア作品もMETのレパートリー。
ダンテの神曲の地獄編からの戯曲化が元のオペラ。
許されない恋をしてしまった、女性が地獄を彷徨うというのがダンテの原作。
これを脚本して、トリスタンや、ロメジュリ的な不幸な愛憎劇にしたオペラ。


さすが美麗な舞台。
花嫁の敵対勢力との政略結婚の相手は、醜男。
忖度して美男の弟を嫁との初見に出したら、見事に恋に落ちた二人。
あとは、トリスタンやオテロ的な嫉妬と密告で悲劇に陥るふたり。
そんなオペラです。
ヴェリスモ・ワーグナーであります。
若いウェストブロックよろしい。


10年前の日本初演に立ち会いました。
ワーグナー好き、グレの歌好き、プッチーニ好きなら気に入ってもらえると思います。
でも、アリアはありません。


過去記事 フランチェスカ・ダ・リミニ 日本初演

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チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」 MET 2013

「エウゲニ・オネーギン」MET 2013
英国のデボラ・ワーナーの演出。
光と影、淡い色彩に、フェルメールのような遠近感の美しさ。
よけいな読替えのない節度もある舞台が、悩まなくていい、ストレスフリーなことを実感。
でも、少々の刺激は欲しいけど・・・
この頃のネトレプコの清々しさ。

Onegin-02

10代のタチャーナが気品ある大人に、ネトレプコの演技も歌唱も目線、指先まで見事に描きわけてる。
 クヴィエチェン、声よろし、でも身勝手なこの人物を演じるには、この時期はまだまだで、今の彼で聴きたいな。
指揮棒なしゲルギエフ、舞台の声に応じつつ、かなりオーケストラをコントロールしてた 。

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 ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 MET 1999

古風に感じる映像。
ケルト風の衣装や髪形が、主役たちのふとっちょビジュアルで、相撲レスラーを思わせることとなった。
2008年のライブビューイングは視聴済みで同じ演出。
映像はイマイチ、歌唱はいずれも見事でヘップナーが実にいい。
でもイーグレンは・・・?

しかし、チラ見で音声のみは優秀でありました。

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 プッチーニ 「マノン・レスコー MET 2016

オポライスのビジュアル満載、その声は悲劇臭があって、突き抜けることのない陰りが声にある。
プッチーニ向けの声。
オジサンの域のアラーニャは、やはりその声はヴェルデイよりはプッチーニ。
ルイージの歌心と大胆にオケをドライブする指揮が素晴らしかった!


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フランス革命前の時代から、ナチス政権占領下のパリに設定を移設した舞台。
田舎から出てきたあとは、きらびやかンマリリン・モンローのような風貌に。
ラストのアメリカの荒野は、破壊され荒廃した教会の内部。
時代を無理やり移設したけど、なんの意義も見いだせなかぅた気がするが・・・・


Takeshiba-02

こんな感じのお船。

おっ、奥には、ほぼ完成してるオリンピック村。
こんな感じで、対岸の豊洲はマンションだらけ。

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ちょっと拡大して見てみましょう。

来年は、ちゃんと本来の目的で使えるでしょうか。
そのあと、マンションとして購入予定の方々も気が気でないでしょうね。
1年間使われないで、維持管理費も大変だ。 

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2020年7月17日 (金)

オペラストリーミング大会の軌跡 ⑫

Asagao

梅雨だけど、朝顔も咲きます。

豪雨かんべん、でも、週間天気に晴れマークが出るようになって、ちょっと嬉しい梅雨明け心待ち。

で、まだまだオペラ見てます。

ほぼMETのみになってしまった。
Youtube配信では、ロイヤルオペラ、グラインドボーン、シュッツトガルト、フランクフルトなどがまだまだ継続。
忙しいよ・・・・

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 ヴェルディ 「ドン・カルロ」 ウィーン 2017

スルーしようかと思ってたけど、観てみた。
ありがとうウィーン。
まさかの、僕らのツィトコーワたんが出てるじゃない!
しかも、アバド息子の演出。

 しかし、躊躇したお名前は、ドミンゴとフルラネット。
ドン・カルロそのもののドミンゴに違和感、最盛期を過ぎたキレのないもごもごしたフィリッポ2世。
そのふたり、やっぱり好みじゃないけど、ツィトコーワにストロヤノヴァ、ヴァルガス君がよろしい。
アバド息子、もっと精進望む。


Don-carlo-02

ガン撲滅のスターチャリティ・レコード(1976)
アバドとロンドン響で、ドミンゴが2役を歌うロドリーゴの死は、擦り切れるほど聴いた。
いまバリトン歌手となったドミンゴには感じられない鮮烈な深い声があった。
ドミンゴのここ数年のバリトンには、テノールのドミンゴの延長でしかないテカテカぶり。


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 ムソルグスキー 「ホヴァンシチナ」 ウィーン 2014

この年プリミエ、ショスタコーヴィチ版による上演で、3管編成の分厚い響き。
ラストの分離派教徒たちの殉教を覚悟したシーンはフォルテで悲劇的に終わる。
アバドの1989年の上演では、最後だけストラヴィンスキー版を採用し、静かに、それこそボリスのように終わる。


足場だらけで、出たり引っ込んだり、上がったり降りたり、脱いだり着たりで、なんだかなぁ?の印象。
垂直線の動きばかりで、人物たちは横でほとんど交わらない。
閉塞感はよく出てた。
最後はみんな沈んで、オペラの開始のシーンが回帰した。
変わらぬロシア、終わりも始まりもつながってるってことか。

表題役のフルラネットがよかった。
けど、途中から声がおかしくなり、幕間に喉不調的なアナウンスあった。
しかし、絡んだ喉が、ドスと凄みがでるとは皮肉なもんだ。
ビシュコフさんの指揮ステキ。
マルファ役のマクシーモワがなかなかよし、気に入った。

Atomic

 アダムズ 「ドクター・アトミック」 MET 2008

2005年のアダムズ作品。
文字通り、原爆の開発者オッペンハイマーが主役で、日本への原爆投下の半月前、ニューメキシコ州での実験葛藤を描いたオペラ。
アダムズならではの繰返し音型と、色彩豊かな音色の洪水に酔える・・が内容がシリアスすぎだし日本人には辛い。


ドイツの原爆開発を恐れて始めた計画、しかしそのドイツは降伏したのに、原爆を日本に、というワシントンの命。
科学者たちは疑念にとらわれ、神への祈りや心の葛藤にとらわれる。
 日本地図、廣島の市街図、博士が語るナガサキ、ヨコハマ、ナゴヤ、ヒロシマ・・という言葉


Atomic-01

悲しみのラストは実験投下後、白い光のなかに日本語で女性の声。
「お水をください、谷本さん助けてください。子供たちが・・・」という言葉が繰り返され幕となった・・・
 ここまでやるなら、「Dr.アトミックⅡ」を作って、原爆投下後の開発者・為政者・日本を描いて欲しい!
辛かった緊張のオペラ。


Sonnambula

  ベッリーニ 「夢遊病の女」 ウィーン 2017

「夢遊病の女」2017ウィーン
マッターホルンの麓の洒落たホテル。
演出の読込みも、で、あのデセイだったから気の毒だけどヒロインも及ばなかった。
それでもウィーンの歌姫ファリーちゃん、可愛い、頑張った。
ナザロワも可愛い。
相変わらずのフローレス、完璧でにくらしいくらい。


Samson_20200716214501

 サン=サーンス 「サムソンとデリラ」 2018 MET

METの好む美男美女、しかし歌唱も完璧なアラーニャとガランチャ。
「あなたの声に心が開く」はほんと素晴らしかった
しかし、禍々しいバッカナーレは気持ち悪い。
オラトリオ的なこのオペラ、難しいな。


Manon-01  

 マスネ 「マノン」 MET 2019

昨年秋の新しいマノンは、リゼッテ・オロペサ。
明晰な声、確かな技量に素直な歌唱は誰しも好ましく思う。
2006年の「つばめ」での印象がずっと残ってて、以来いろんなちょい役で出てた彼女、世界的にブレイク!
キューバの血を引くアメリカ歌手。
一挙に好きになりました。

デグリューは、同じアメリカのファビアーノ。
初聴きだけど、この声も驚きで、青臭い情熱とシャイな感じは褒めすぎだけど、カレーラスを思わせる。
カツラもお似合いだ・・・
あとポーランドのルキンスキーのレスコーもよかったし。


Manon-02

ラストのぼろぼろのマノン、冒頭の田舎出のおぼこ娘を思い出し、思わず涙す。
 アメリカは今、ずたずたで大変だけど、こんな素晴らしいオペラハウスを築くことができたのも、血も色も関係ない理想国家あってのものだったはずだ。
頑張れ、アメリカ!


Falstaff-01

   ヴェルディ 「ファルスタッフ」 ウィーン 2016

もしかしたら、最後のウィーンの無料ストリーミング。
オオトリとして、人生の境地を描いたシェイクスピア劇のヴェルディオペラ。
素晴らしき選択。
マクヴィガーのシェイクスピア時代設定の幻想的舞台が素晴らしい。
ファルスタッフの化身、マエストリ!


Falstaff-02

 ちょっと重いけど、メータの指揮。
数年後のいま、旬になった歌手もよし


オテロと並ぶ、ヴェルディの行き着いた自在の作風のオペラは、偉大です!

Falstaff-03_20200716220101

今日はウィーンのファルスタッフ。
レコード時代買えなかったオペラはCD時代に外盤で。
対訳シリーズのお世話になった。
訳によっては、いまやご法度のセリフも
大爆笑


Nose-01

今日のMETは「鼻」鼻
ショスタコーヴィッチ第1交響曲のあとのオペラ。
夕方鑑賞予定、それまで鼻伸びそう。


Nose

 ショスタコーヴィッチ 「鼻」 MET 2013

大野和士も絡んだリヨン、プロヴァンスとの共作。
ショスタコの若き日の作品、アバンギャルドな作風で、当時レニングラードという西欧の風の吹きやすい場所で得た西側の最新の音楽が盛り込まれてる。
 床屋さんに鼻を切られ、その鼻が権威や地位を持って歩きだし、事件も起こす。


最後は戻った鼻に浮かれる主役。
「どうしてこの作者たちは、祖国に対して何の役にたたない題材を取り上げたのか?」というシニカルな虚しい最後のオチがあって、ショスタコならでは。
前衛と体制賛美の第2交響曲も同時に作曲で作風は同じ。
この難役を得意にするジヨットというバリトン、すごいわ。


「ルル」と同じケントリッジ演出で、切り絵を映像にしたマッピングが、ここではうまく機能してたと思うし、描きにくい登場物の「鼻」をうまく処理できた感じ。
 ともかく面白かった!
観客たちも、ときおり爆笑。
劇場で観てみたいオペラ!


Asagao-02  

 雨ばっかり、寒いし、夏が恋しい、かも。

まだ少し続くよオペラストリーミング大会。

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