カテゴリー「オペラ」の記事

2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2016年3月20日 (日)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 大好きなオペラ

2

春は急にやってきて、でも、また戻ったりの一進一退で本格化する。

春は、その機微も色合いも、きれい。

3月も終わりに近づき、大好きな音楽を、つまみ聴きながら慌ただしく夜を過ごし、そして床につく。

もちろん、長大なオペラばっかりなので、聴くことなく、これまでの印象で書いたりもします。

Mozart_figaro

  モーツァルト 「フィガロの結婚」

汲めどもつきない、音楽の魅力という名の宝庫、そんなフィガロ。

聴くたびに、さまざまな発見や驚き、そして既聴の安定路線ながらも、喜びに満たされる。

これからいくつか続くファイバリット作品に共通するものだけど、とりわかフィガロは、赤裸々な人間ドラマが、天衣無縫の域の音楽でもって引き立ってる。

 往年の歌手たちが指揮者の厳しくも、モーツァルトを知り尽くした棒の元で自在に繰り広げるマジカルな演奏。 
自分世代的にも、ベーム盤が最高です。
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団でむしろよかった。
ベームの60年代のストイックかつ、音楽優先の個性がとても反映されてる。
のちのウィーンとの関係では、麗しいけれど、緩すぎるから。

 そして、ザルツブルク音楽祭のFM放送で何度も聴いて、そして録音もされたカラヤン盤。
シュターデと、ホセ・ファン・ダム、トム・クラウセがとてもよい。

 ブリテッシュなモーツァルト。
グラインドボーンの紳士的なモーツァルトには、上質でふくよかな嗜みを感じ、そして、隠された秘めごとも盗み聴きできそうな感じ。
ともかく真面目。
味わい深いハイティンク盤。

 同じ傾向ながら、もっと軽やかで、羽毛のような肌触りが心地よく、そして、さわやかな聴後感を味わえるマリナー盤。
歌手陣充実。

 そして、最愛のアバド盤。
ウィーンの楽壇が成し遂げることができた最良のモーツァルトだけど、ここにはウィーンのよき伝統はなく、あるのは清新かつヴィヴィットな音楽。
歌心と、ピュアな切り口がとても新鮮なアバドの指揮。
マクネア、スコウフス、ガッロ、バルトッリ、ステューダー・・・歌手たちも、いまも通じる現代的な歌唱。
悪かろうはずがないアバド盤

 ほかにも、たくさん、好きな「フィガロ」が。
オヤジクライバー、ジュリーニ、クレンペラー、バレンボイム(旧)、デイヴィス(旧)などなど。
ともかく古いですね。

フィガロは、ほどよく古いほどいい。
こんなこと言ったら退場ですかね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年8月30日 (日)

バイロイト2015、勝手に総括

Bayreuth_1

海のはるか向こうのバイロイト音楽祭も、今年も終了しました。

この年まで、異母姉妹の、エヴァとカタリーナのワーグナーの曾孫姉妹の運営は終了し、来年からは、演出家も兼ねるカタリーナのひとりのバイロイトとなります。

その試金石は、今後も次々に厳しく辛い局面となって訪れるでしょうが、大リヒャルトの血族として、その伝統を守り抜いて行って欲しいと思います。

そんななかで、大きな力添えとなるのが、指揮者ティーレマンで、バイロイト始まって以来の、音楽監督的なポストにも就任しましたね。

今年は、今後、いつくもあるだろう、その二人の共作ともなる「トリスタンとイゾルデ」が、プリミエ公演となりました。

かの地もきっと、暑かったでありましょう、ことしの夏。
歌手も、観客も、相当の覚悟のいる聖地バイロイトであります。

この夏の終わりに、ネット収録した音源を聴きつつ、同じくネットから拾い集めた画像を見ながら、あれこれ妄想しつつ、自分だけの総括をここに残しておきます。

画像は、バイエルン放送局のサイトから、ありがたくも拝借しております。

Bayreuth_2

パッと見、よく見る、こんな舞台。

パラスト的な、上下左右の空間演出は、多層的に見せ場を造るのに最適でしょう。
批評では、これらが時として動いて、行き場をふさいだり、進路が見えなくなったりするんだようで。
登場人物たちの心理を描きだすのに、まことに相応しい。
けれど、よくあるやり方ゆえに、安直の感もぬぐえません。

Bayreuth_3

マルケ王のご一行に、トリスタンは、こんなことされちゃってます。

Bayreuth_4

シンプルな舞台なんだけど、全体像はどうだったのでしょうか。

いずれ登場する、映像作品でもって判断したいと思いますが、いくつか拝見した画像から推定するかぎり、なんだか霊感不足は否めないですな。

バイロイトにおける、「初トリスタン」だった、ティーレマン。
ウィーンとのCDよりも早く、全体にみなぎる活力という点でも勝っているように感じました。
筆厚が強いです。
しかし、あざとさと言おうか、入り込み方と言おうか、その思い入れが、ときに尋常でなく感じるヶ所もありました。
その代表は、第2幕の終結部で、伸ばしすぎだ。
急転直下感が薄れすぎ。
 でも、これは、実際の舞台で観て聴けば、もっと別のインパクトを与えるはずなのでして、ティーレマンのあざとさと、大胆さは、やはり生・ライブでないと体得できないのかもしれない。

 アニヤ・カンペが降りてしまい、お馴染みの、ヘルリツィウスがイゾルデを歌った。
ミレニアムリングでのブリュンヒルデは、実に素晴らしかったし、ドレスデンとの来日公演などでも、身近に接した彼女ですが、最初は、安定感あっていいと思いましたが、声の疲弊やアラが目立ちました。
絶叫のように聴こえるフォルテは、正直、辛いかも。
 その一方、新国でも、完璧なトリスタンを聴かせてくれた、グールドのトリスタンは、ここでもいやとうほど完璧でした。
軽やかさも備えた、明るさと重厚さを併せ持つヘルデンヴォイスを堪能できましたね。
あと、ブランゲーネの、クリスタ・マイヤーが、これはまた素敵すぎ。
彼女のクンドリーを、ハイティンクのパルシファルで拝見して以来、大好きな歌手のひとりとなってますっ!

Bayreuth_5

アンネッテ・ダッシュが、エヴァとして帰ってきましたが、この画像を見る限り、かなりふくよかに。
お母さんになったのではなかったかな。
その彼女のエヴァは、やはり強さも備えていて、極めて素敵なのでした。
 そして、相方のフォークトは、ローエングリンの名人として、いまや自在さも加えて、完全完璧な歌唱でしたよ。
 フォークトの歌声を、華奢で頼りないといった10年前の自分が恥ずかしい。
この方で聴くコルンゴルトは、もう、桃源郷のような美的世界です。

フランス人指揮者のアルティノグリューが、バイロイトデビュー。
この若いフランス指揮も、実によかったです。
明るく活気も備えつつ、新鮮さも。
エンディングのカッコよさは、前任のネルソンスに迫るものあり。
いい指揮者じゃないかしら!

ノイエンフェルスの、ねずみローエングリン。
音楽面でも、今年、一番、まともかもね。

Bayreuth_6

3年目の、カストルフ・リングは、ことし、ジークフリート役の入れ替えがあり、そして、なんといっても、ベルリンフィルの時期首席指揮者のペトレンコに、注目が集まりました。
ティーレマンとの直接対決も。

2年分とあわせ、ハイライト的に聴き直してみて、ペトレンコの指揮は、さらによくなった感もありつつ、一方で、ちょっと雑な感じも受けまして、ここで、もっと。。。。という場面がなくはなかったです。

丹念に、楽譜を読み解き、まるで聴いたことのないフレーズが、ぽんぽん出てくるサマは、初年度より楽しみでしたが、ことしも、いくつもありました。
 4部作の、あまり表面化しない、ちょっとしたところで、いろんな楽器が浮き上がったりしてきたりして面白い。
根っからのオペラ指揮者として、この長大な連作を研究しながらの指揮は、きっとペトレンコとしても、途上の解釈なのでしょう。
舞台で行われる出来事も、指揮には反映されますし。
そんなこんなで、カストルフの妙な演出も、その解釈には反映されてしまっていると思います。
 
 黄昏の大団円の、急ぎすぎ、かつ音を被せすぎの解釈には、この場面を神聖な思いでもって、なん百回も聴いてきた自分にとっては、許しがたい浅薄なものでした。
どうなんだろう、キリル君。

3年で降りたがった理由も、いろいろ考えつつ、自身の心情と折り合わなかった舞台だったのかなと思ったりもしてます。
ラインとワルキューレは素晴らしく、ジークフリートと黄昏は、アレレです。

Bayreuth_7

エロいラインの乙女に囲まれるジークフリートさん。

ジークフリートは、フィンケに代わり、より力強い歌唱となりましたが、少々不安定。
一方、相方のブリュンヒルデのフォスターは、しなやかさに、馬力も増して、相当いい感じ。
 しかし、カラニコフのバリバリ連射は、何度聴いてもいかん!

銃を手離さない、英雄ジークフリートなんて。

Bayreuth_8

上海発の株価暴落が世界にすぐさま多様な影響を与える、そんな現実も直結してしまう、みょうちくりんな演出ながら、でも、そんな問題提起も、社会性の表出も、たまたま当たっただけかもしれないけれど、不思議とありかもしれないと思わせるカストルフ演出。

いろんな評論や、レポートが目に入ってきた3年目だけど、映像化されても、ご勘弁願いたいカス演出だな。
 ペトレンコは、ティーレマンが君臨してしまうと、今後、その登場が厳しいかもしれないけれど、どんな俗世間にも毒されず、カペルマイスター職人として3年後を迎えて欲しい。

 今年のバイロイトは、もうひとつ「さまよえるオランダ人」。
この演出もテレビで観て、まったく好きになれず、歌手たちもうわべだけで終始した耳当たりのいい感じは、今年も同じ。
ただ、アクセル・コバーのきびきびした指揮はよかった。

 2016年のバイロイトは、「パルシファル」がネルソンスの指揮とフォークトのタイトルロールで、演出も、奇抜すぎる野郎が降りたので、きっと無難なスタート。
4年目の「リング」は、指揮がペトレンコに変わって、なんと、大御所、ヤノフスキ。
ついにバイロイト初登場となるヤノフスキの、ザッハリヒだけれど、詩情豊かな指揮が、アコーステックなあの劇場のサウンドで聴ける。
どうなるんだろ。
ウォータンが、3人の歌手に割り当てられたのは、カス演出の整合性のなさを逆手にとったゆえか。
 「トリスタン」では、P・ラングがイゾルデ!
実演で何度か接してますが、ブランゲーネからイゾルデに昇格です!
あとは、「オランダ人」の再演。
タイトルロールがルントグレンというスェーデンのバリトン。
ワルキューレのウォータンも担当しますが、たしか軽めのバリトンでアクも強かった印象がありますが、どうなるんでしょう。

 なんだかんだいって、文句もいいつつも、ネットでタダの音源を拝聴しつつ、大いに楽しむことのできるバイロイト音楽祭。
数年前には、暮れのNHKFMでしか、その音楽の全貌を確認できなかったのに、いまでは、リアルタイムにに聴いて、画像も確認できて、文句も言える世の中に。

これだけでも、感謝しなくてはなりませんね。

今年の夏も終わり、そしてまた、通常運転の月日が続くわけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月23日 (日)

モーツァルト 「後宮からの逃走」 ティチアッティ指揮

Proms2015

なんだか気ぜわしくて、しかもクソ暑かったので、チェックが8月に入ってとなってしまいましたが、ロンドンでは、今年も、Promsやってます。

今年のアニヴァーサリーにちなんで、シベリウスの全交響曲やその作品、ショスタコーヴィチ、ニールセン、スクリャービン、バルトーク、ブーレーズ、バーンスタインなどなど、多くの作品がたっぷり並べられてます。

そして、その演奏会は、毎度のとおり、BBCsoと、各地のBBCオケ、ロンドンの主要オケに加えて、今年は、ネルソンスとボストン響、MT・トーマスとSFSO、テミルカーノフとペテルブルク、ビシュコフ&ラトルとウィーンフィルなどなど、多彩な顔触れです。

外来では、ネルソンスがマーラー6番とショスタコ10、ラトルがウィーンフィルとなんと、エルガーの「ゲロンティアス」。
そして、ビシュコフは、フランツ・シュミットの交響曲やります。
あと、大物では、ハイティンクが今年も登場して、ECOとザ・グレート。
 ラスト・ナイトは、オールソップの指揮で、カウフマンもプッチーニで共演。
9月12日までです、ロンドンの夏は長いんです♪

だいたい10日ぐらいは、オンデマンドで、BBCの特設サイトで、高音質で聴くことができます。

尾高さんのウォルトンや、ニッキーのコルンゴルト、ガーディナーの第5&幻想なんかをすでに楽しみましたが、今日は、モーツァルトの「後宮からの逃走」のコンサート形式上演を聴きましたよ。

    モーツァルト    「後宮からの逃走」

 デルモンテ:エドガラス・モントヴィダス コンスタンツェ:サリー・マシューズ
 ブロンデ:マリー・エリクスモーエン   ペドリオ:ブレンデン・パトリック・グネル
 オスミン:トビアス・ケラー         太守セリム・パシャ:フランク・ソーエル

  ロビン・ティチアッティ指揮 オーケストラ・オブ・エイジ・オブ・エンライトメント
                    グラインドボーン祝祭オペラ

                (2015.8.14 @ロイヤル・フェシバル・ホール)


まだ32歳。
いま注目のイタリアの血を引く、ロンドンっ子、ロビン・ティチアッティの指揮する「後宮」。
CDでの幻想しか聴いてなかったけれど、古楽から近現代まで、それぞれの演奏スタイルに合わせて、フレキシブルに対応しつつ、溌剌とした清新な音楽を爽やかにやってのけるティチアッティ君。

Proms_1

そして、歌心と、オペラの呼吸をまるで生まれながらに体得しているかのようなオペラ指揮者としての素質を、ここに感じました。
若くして、グラインドボーンの音楽監督にも就任し、そのディスクも、フィガロ、ヘンゼル、オネーギン、ばらキシ、Pグライムズと、ユニークな選択ぶり。
イタリアものや、ワーグナーを意図的に避けているフシもあり、したたかさもうかがわれます。

今回の「後宮」は、グラインドボーンのプロダクションをそのままプロムスに持ち込み、簡易なステージオペラ上演としたものです。
本上演の方の演出は、マクヴィカー。
衣装や、小道具はそのままのようです。

Proms_2

 ジングシュピールとして、独語の台詞が随所に織り込まれた作品ですが、全体は2時間20分と、ちょっと長め。
その台詞部分は、聴いているだけだと、正直長く感じられます。
 でも、会場は、大いに盛り上がっているようでして、ときおり、笑いや爆笑が起きて、大盛り上がりです。
このあたりは、ライブや映像ではないと、面白みが伝わってきませんね。
 オスミンが間抜けに描かれ、おちょくられるような内容ですからね、きっと、イギリス人のユーモアのセンスが散りばめらた内容となっているのでしょう。

そんな耳だけで聴いた、このオペラ。
やはり、指揮者と古楽のオーケストラの、血沸き肉躍るような躍動的なサウンドが、極めて魅力的でした。
モーツァルト当時の、トルコ・異国情緒を醸し出す、数々の打楽器が入る賑やかな音楽にも係わらず、それらは元気いっぱいの反面、しっとりとした情緒や、感情の機微も生き生きとした表情とともに、しっとりと描き分けているように思いました。

去年、手兵のスコットランド室内管と来日してましすが、無理しても聴けばよかったです。

歌手では、モントヴィダスが、明るくて伸びのあるテノールでしたし、マシューズのコンスタンツェは、立派すぎる声で、伯爵夫人クラスかなとも思いましたが、すてきなものでした。

グラインドボーンの映像が、きっと映像になるでしょうから、また、その時も楽しみにしましょう。

こんな高品質の演奏が連日行われるプロムスが羨ましく、そして、ハーディングに次ぐ、有能な英国指揮者に、今後ともに注目であります。
 それにしても、台詞が長かったけれど、その合間に、波の音や、鳥のさえずりなんかも流されて、なかなかの雰囲気であったことも申し添えておきます。
(画像は、BBCのサイトから拝借しております)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年8月 2日 (日)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 クレンペラー指揮

Sodegaura_1

どんよりと、雲が立ち込めた相模湾。

海は、晴れの日と、荒天の日では、その顔つきが全然違う。

北欧や北ヨーロッパの海、ことに冬の海は、きっともっと厳しく、こんなもんじゃないんだろうな。

日本海も北海道の海もしかり。

以前に、真冬で吹雪吹き荒れる根室の納沙布岬へ行ったことあるけど、道内の案内人がいたから行けたけど、途中、車がはまってしまい、地元の人から死にたいのかと怒られましたよ。。。

そして、海を呪って、死にたくても死ねない男の物語を。

Holander

  ワーグナー   さまよえるオランダ人

   オランダ人:テオ・アダム         ダーラント :マッティ・タルヴェラ
   エリック:ジェイムズ・キング        ゼンタ:アニヤ・シリヤ
   マリー:アンネリース・ブルマイスター  舵取り:ケネス・マクドナルド

    オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                    BBCコーラス

                        (1968.3.19 @RFH ロンドン)


夏になると、ワーグナー熱が疼きます。

9,000キロ以上離れたドイツの聖地、バイロイト音楽祭が真夏のいま、真っ盛りだからなのです。
ネットが、いまのように興隆していなかった時代は、9月にならないと、現地の様子すら報じられなかったけれど、いまや、リアルタイムで、舞台の様子に加え、その音源すら耳にすることができる。

何度も書きますが、かつては、冬休みに、NHK様がFMで白昼から、その年のバイロイト音楽祭を全部、放送してまして、日曜の「オペラ・アワー」で開幕。
その後は、平日の昼の放送で、「パルシファル」だけは、翌年のイースターの時期の日曜の放送が、お決まりでしたね。

その後、年末の放送は、夜間に移動し、21時スタートとなりまして、「パルシファル」も含めた、年末夜の一挙放送になりました。
ですから、かねては、冬の方がワーグナー熱に取りつかれることが多かったです。

音質と安定性を考えれば、FM放送ということになるのでしょうが、リアルに聴けるネット放送もストリームも含め、高音質化していて、いまのワタクシには、夏のバイロイトがすぐさま聴ける「イマ」に方が、ワーグナーの熱中時期ということになりますね。

今年のバイロイトでも上演されている「さまよえるオランダ人」。

映像ですでに確認済みですが、あの演出は、どうにも好きじゃない。
北の海の厳しさや、港町の市井の人々の生活と、そこに起こった、伝説の具現化というロマンが、まったく活かされていなくて、陳腐な手漕ぎボートと、サラリーマン的な集団生活と姑息な街の人々、そして、ただひとり浮かび上がるゼンタの普通の人としての問題意識。
オランダ人なんて、存在そのものが希薄だったし、韓国人歌手のきれいごとだけの麗し歌唱も、深みがまったくなし。。。

あぁ、また叱られそうなこと書いちゃった。

今年の演奏は、まだ聴いてませんが、ティーレマンが指揮しても、浅薄な内容はとどめようがなかった。

で、今夜は、最近聴いた「オランダ人」のなかでも、強烈な印象と、「これだ!」と膝を打つことになった凄演を。

オットー・クレンペラーのEMIへのアビーロード・スタジオ録音(2月19日~3月14日)の直後に、ロイヤル・フェスティバル・ホールにて演奏されたライブ録音。
 何度も綿密な演奏を経て録音完成されたあとの、実演は、さぞや、きっと、演奏家たちの手の内におさめた、そして、客席を前にした興奮と充実の完成度の高さを刻んだものでしょう。
 聴いていて、その場に居合わせた観客のみなさんが、羨ましくてなりませんでした。
3幕版による演奏ながら、幕を重ねるごとに、その熱気が高まっていくのがわかります。
そして、何よりも、英国のオーケストラである、ニュー・フィルハーモニア管が、まるで、ドイツの楽団であるかのように、オペラのオーケストラであるかのように、咆哮し、迫力にあふれ、歌手や合唱たちとともに、感情移入し、歌いまくっていること。それが一番の驚きです。

筆厚の強さ、高さを、オペラティックな感情表現の機微を、クレンペラーの指揮に感じ、それがイギリスのオーケストラを、ドイツのオーケストラ以上の存在に変貌させてしまってます。
 ありきたりな表現ですが、ワーグナー音楽に必須の、ある種の「うねり」をここに、完全に感じます。
ベームや、カラヤンの明晰さとは、大きく異なりますが、楽譜を白日のもとにさらけ出したかのような、リアルさがここにはあって、そこから生まれるドラマのリアリティは、オケと優れた歌手たちを巻き込んで、ど迫力のオペラ再現となっているのでした。

スタジオ録音では、エリックが、ショルティのリングで、もしかしたらジークフリートを歌ったかもしれない、コツーブ。
舵手が、ウンガーでした。
 こちらのライブでは、エリックは、なんと、ジェイムズ・キングで、舵手は英人のマクドナルドに変わってます。
ヘルデンが、エリックを歌うと、こうなる。
ヒロイックで、愛する人を必死に踏みとどまらせようとする夢中さが、強引さとなって逆手に出てくる。
そんな、エリックの役柄を、完璧に感じさせます。
ヴィントガッセンも、コロも、ホフマンも、エリックを歌うと、そんな風だった。
まるで、ジークムントのような、キングのエリックに痺れました!

アダムのオランダ人は、アクのある声はともかくとして、ドイツ語の美しさと、感情表現の豊かさでもって、昨今のバイロイトのオランダ人が、素人のように感じさせる本質的な歌唱です。
最新のオランダ人の録音のひとつ、ミンコフスキ盤を聴いてますが、オケはともかく、歌唱が、軽過ぎて、かねての歴史的な歌声を聴いてしまうと、虚しくなります。
昨今の歌手たちは、声だけで勝負でなく、ビジュアルや、詳細までも見られてしまう映像の世界に生きているものだから、声以外での演技にも注力せねばならず、ほんとに大変だなと思うのですが、声の表現力の軽重は、ますます、かねてと開きが生まれております。

アニア・シリアの迫真の歌唱もも素晴らしくって、61年のサヴァリッシュ盤の初々しさと違って、憑かれたようなエネルギーすら感じる、すさまじいものでした。

わたくしの持つ音源は、モノラルですが、BBC音源を復刻させたテスタメント盤は、ステレオ録音らしいですよ。
そちらも、聴いてみたいですが、この盤も、音は鮮明で、迫力満点。

演奏も録音も、すべてが克明な、クレンペラーのオランダ人でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2015年7月24日 (金)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 ティーレマン指揮

Shiba_a

連日、暑い日が続き、その合間に台風の影響もあってか、驟雨にみまわれる首都圏。

風が強くて、雲も勢いよく流れます。

夕方には、ドラマティックな夕焼けの光景が展開されます。

そんな日に、ビルの屋上で東京タワーと一緒の夕焼け風景を撮ることができました。

Thielemann_wagner

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

    クリスティアン・ティーレマン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

              (1997.4 @コーリングスウッド、ニュージャージー州)

                         ウィーン国立歌劇場

           イゾルデ:デボラ・ヴォイト

              (2003.5 @ウィーン国立歌劇場ライブ)


今年も、始まりますよ、バイロイト音楽祭。

ここのところ、画像だけで、けちょんけちょんにして、がっかりしているものだから、中学時代からの積年の夢であります、聖地訪問の志しは、年々、衰えている最中であります。
 ドイツの劇場は、意外と画像の放出に寛大なものだから、先に、画像ニュースが飛び込んできて、映像作品として味わうよりも前に、だいたいのところが想像できて、辛口の言葉を紡いでしまうのです。
 個人のつぶやきですので、そのあたりは、今年も、寛大なお心をお持ちになって、どうかお許しください。

 今年のバイロイトの演目 7月25日が初日。

「トリスタンとイゾルデ」 新演出 カタリーナ・ワーグナー ティーレマン指揮

   S・グールド、ヘルリツィウス、ツェッペンフェルト、ペーテルソン、C・マイヤー

「ローエングリン」    ノイエンフェルス演出  アラン・アルティノグリュ指揮

   フォークト、ダッシュ、ラシライネン、P・ラング

「さまよえるオランダ人」  グローガー演出   アクセル・コバー指揮

   サミュエルとクワンチュルのユン韓国コンビ、メルベート、ムツェーク

「ニーベルンクの指環」   カストルフ演出   キリル・ペトレンコ指揮

   コッホ、ドーメン、マーンケ、ボータ、カンペ、フォスター、フィンケ、コンラッド
   ブルメイスター、ミリング・・・・

以上のリング+3演目。

パルシファルは、今年もお休みで、来年、恐怖の奇抜演出家による新演出(笑)で、そちらの指揮は、ネルソンス。

異母姉妹のエヴァが共同監督から降りる前の、妹、カタリーナの新演出による「トリスタン」。
バイロイトでの演出は、マイスタージンガーに続いて2作目で、相棒は、いまのバイロイトの音楽監督とも呼ぶべきティーレマン。

待望の新演出ですが、大植英次がプリミエを指揮したマルターラーの長く続いた演出以来、10年ぶりの新トリスタンです。
 当初、イゾルデは、アニヤ・カンペが予定されましたが、ジークリンデ役で、ずっとバイロイトで高評価を得ていた彼女は、イゾルデへの挑戦を断念し、降りてしまいました。
変わりに、といっては失礼なくらいに、きっと立派なイゾルデを演じ歌うでありましょう、ヘルリツィウスに、今回も、きっと救われることとなるでしょう。
 トリスタンは、お馴染みのグールド。
新国でも、熱き名唱は、忘れえぬものですからして、他の諸役も充実の顔ぶれだし、ティーレマンだから、音楽面での成功は約束されたようなものです。
 カタリーナの、思いつきではない、シンプルな演出を期待したいです!

ずっと続いたノイエンフェルスによる、ねずみローエングリンは、ヘンテコなキモイ演出の「タンホイザー」が打ち切りになったため、延長。
ゆえに、指揮は、ネルソンスに変わって、フランスのオペラ指揮者、今後、大注目のアルティノグリュ。
なにげに、おなじみ、ラシライネンが初テルラムント。

へっぽこ演出ゆえか、降りたタンホイザーのヘンゲルブロック、そのあとを指揮したアクセル・コバーが、今度は、ティーレマンに変わって「オランダ人」。
実務的な指揮ながら、ドイツのオペラハウス叩きあげの典型のような、いわば、シュタイン的な存在のひとに思います。
おそらく、最後の出し物になって欲しい、その扇風機工場オランダ人は、韓国系歌手ふたりが主役級。

そして、「リング」は、ペトレンコ。

このバイロイトで、ベルリンフィルの指揮者を期せずして争うこととなった、ティーレマンとペトレンコが、同じ時期に、その指揮台に立ちます!

今年の、バイロイトの最大のトピックは、申し訳ないけど、カタリーナのトリスタン演出じゃなくて、今後の指揮界をしょってたつ、ティーレマンとペトレンコのふたりが、聴けるという点にあるのではないでしょうか!

ちなみに、ペトレンコのリングの指揮は、今年まで。
後は、降りてしまいましたが、アルティノグリュか、コバー、もしかしたら、P・シュナイダーの復活も・・・・、そんな風なことを思いめぐらすのも、ワーグナー好きの楽しみです。

 さてさて、今年の新演出の「トリスタン」。
ティーレマンは、DGとの録音の早い時期にフィラデルフィアと管弦楽曲として。
その後に、ウィーン国立歌劇場でのライブを、それぞれ、録音しました。

フィラ管とのコンビは、いまや貴重な組み合わせですが、長く、サヴァリッシュが指揮し、そして愛された土壌を、このドイツ的な重厚でありつつ、音色の豊かな演奏に感じます。
念入りに、じっくりと、タメもたっぷりに演奏された、この「前奏曲と愛の死」は、演奏時間19分40秒。
あらためて、スコアを見ながら聴いてみましたが、一音一音、ほんとにたっぷり弾かせているし、休止も完全にしっかり取ってる。
流れに任せたようなところは一切なく、ティーレマンの思う通りの完璧な音符の再現をなした演奏です。
 そこには、トリスタンの持つ、情念やうねりは、逆に感じることがないのも事実。
面白いものですね。
コンサートオーケストラを指揮したゆえかもしれません。
ただ、これを、ワーグナーのオーケストラ曲として、単品で楽しみならば、完璧な演奏です。
 

Thielemann

一方、6年後の、ウィーンでの劇場ライブで、この「前奏曲と愛の死」だけをチョイスしてみると、その演奏時間は、18分42秒。
ほぼ1分、早くなってます。
オペラのオーケストラとしてのウィーンフィルとともに、ピットに入ったティーレマンの指揮には、ライブ感にあふれた自在さを感じ、ドラマの起承転結の、最初と最後を切り取ったかのような思いをいだきます。
前奏曲では、焦燥感を描きつつも、まだ燃焼不足ですが、愛の死では、大きな物語を集結させる大河の流れのような安堵感と集結感があります。
 これぞ、オペラ指揮者ティーレマンの本領なのでしょう。
このように、切り取って聴くべきじゃない、全曲録音と、最初から20分のドラマに集約しようとした管弦楽曲録音との違いをまざまざと感じました。

違ってあたりまえですが、その点、カラヤンは、スタジオ録音では、どちらも均一だったように思います。
でも、ライブでは凄かった!

 さて、明日開幕の、バイロイト・トリスタンの画像をドイツ紙から拝借。
ブルーな感じですな・・・

Tristan2015

3幕の牧童とクルヴェナールでしょうかね・・・・・

 過去記事

「トリスタンとイゾルデ」 ティーレマン&ウィーン国立歌劇場

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年5月10日 (日)

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 ベーム指揮

Tomita_a

もう、ここ千葉では、とっくに見ごろを過ぎてしまいましたが、千葉市富田の都市農業交流センターです。

船橋から東金にかけて、徳川家康が造らせた鷹狩のための道筋。
御成街道(おなりかいどう)をずっと下った千葉市若葉区にある農業公園です。

Tomita_b

紫に、赤に白・・・・こうして細かな花がたくさん集積して、一色に。
マスとしての美しさと、ひと花、ひと花の可憐さ。

明るく、陽気もいい。

さぁ、モーツァルトでも。

Mozart_cosi

  モーツァルト  歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」

      フィオルディリージ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 
      ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒ
      フェルナンド:ルイジ・アルバ
      グリエルモ:ヘルマン・プライ
      ドン・アルフォンソ:ヴァルター・ベリー
      デスピーナ:オリヴェラ・ミリャコヴィチ

   カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                ウィーン国立歌劇場合唱団
             演出:ヴァーツラフ・カシュリーク

                         (1969年製作)


モーツァルトの名作オペラ、「コジ・ファン・トウッテ」。

1790年作曲の、ダ・ポンテとのコンビの生み出したブッファで、同じ、ダ・ポンテ3大オペラ(フィガロ、ドン・ジョヴァンニ)の中でも、際立つ個性は少なめながら、アンサンブル・オペラとして、形式上も、ドラマ仕立ても、そして歌手たちのあり方も、シンプルでシンメトリーな構成が美しく完結しております。
 そして、その音楽は、ギャラントで、ロココ調な美質と抒情を有しています。

そんな「コジ」のわたくしにとって理想ともいえる映像作品が、ベームの指揮により、映画版。

Cosi_1

 予算上も、演出上も、いまやなかなかありえない、オペラの映画化。
60~80年代前半ぐらいまでが数は少ないけれど、全盛だったように思います。
その代表が、今回のベーム盤。
カラヤンのカルメン、カヴァ・パリ、ラインゴールド、ベームのサロメ、アリアドネ、レヴァインのトラヴィアータ・・・、いくつも名作が残されました。

そして、自分にとって忘れられない憧れのツールが、かつて存在した、「クラシック・イン・ビデオ」という製品です。

Video_1 Video_2

ポニー・ビデオ(いまのポニー・キャニオン)が、ポニー・クラシックという法人を設立して、家庭向けビデオと、カラヤンを中心とするビデオ映像作品をパックにして販売しておりました。
71年頃だったと思いますが、当時の価格で、38万円!
いまでは、その何倍もの感覚の金員ですよ!
子供心に、欲しくてたまらなかったけれど、そんなもの、一般家庭では、高嶺の花。
毎日、憧れと、想像力ばかりが高まるばかりの少年でありました。

それが、いま、映像作品も簡単に手に入るし、はるかに鮮明で、かつ豊かなサウンドで、いとも簡単に、それらの作品が楽しめる世の中になりました。
ほんと、この分野も隔世の感ありありですね。

Bohm

 さて、モーツァルトのオペラでも、「コジ」をもっとも得意にし、愛したベームですから、その音源も、非正規もいれると、ほんと、たくさんあります。
ですが、代表作は、74年のザルツブルク・ライブと、62年のフィルハーモニアEMI盤、そして、この映像版ということになるでしょうか。

理想的な歌手の顔ぶれは、それぞれの全盛期で、ビジュアルも歌声も言うことナシ。
そして、オーケストラがウィーンフィルで、69年当時のこのウィーンならではの芳醇な音色といったらありません。

Wpo

序曲は、オペラ全体に共通する、白基調のロココ風邸宅が、スタジオ内にしつらえられ、そこに懐かしのウィーンフィルの面々が陣取って、高座にいつもの、ニコリともしないベーム。

コンサートマスターは、ウェラー。その横には、やたらと若いヒンク。
フルートには青年のようなトリップ。オーボエはトレチェクかな。
つくづく、この頃から、ベームやアバドとの来日の頃が、ウィーンフィルにとっても、自分にとっても、いい時代だったな、とつくづく思います。

 オペラ本編は、ゴージャスなリアル衣装に、シンプルだけど、写実的な舞台装置に、本物ばかりの小道具。
鮮明な映像で、それらが実に見ごたえあります。
まさに映画ならではのリアル・カットで、往年の歌手たちの若き日々も、アップに耐えうるものです。

場面の転換ごとに、インターバルがあって、字幕による簡単なト書きや、場面説明があって、オペラの流れが無味乾燥にならず、とてもいい効果をあげております。
 さらに、ときおり、シルエット影絵も挿入され、登場人物たちの心象や、よからぬ妄想(ちょっとエッチだったり・・・笑)をあらわしたりもしてますよ。

ユーモラスな仮面を装着した、背景人物たちも含め、主役の歌手たちの演技は、今風でないことは事実ですが、モーツァルトの音楽の懐の深さは、これこそが、ぴたりと符合するように、ことに、わたくしのような世代の人間には、そう思われます。
同時に、昨今の時代考証を自由に動かし、いろんな意味合いを込めた現代演出にも、モーツァルトの音楽は、しっかりと似合ってしまうところが、すごいところなのですね。

ベームの「コジ」に、必須の歌手。
ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、プライ、ベリーの4人は、もう完璧で、愉悦と軽やかさ、そして軽妙さに加えて、しっとりとしたモーツァルトの品位を歌いだしていて、文句なし。

Cosi_3

ことに、揺れ動く心を、そのクリスタルな美声でもって聴かせるヤノヴィッツは素晴らしいと思います。
 ルートヴィヒもそうですが、声の揺れが気になる、方もいらっしゃるでしょうが、後年のよりも、声はハリがあって若々しくていいですね。

もちろん甘い美声に、しっかりとしたフォルムを持ったルイジ・アルバのモーツァルトは、ロッシーニ以上にステキなものだし、セルビアの名花ミリャコヴィチの狂言回しも楽しいですよ。

Cosi_2

ほのぼのと、モーツァルトのよさ、ウィーンフィルの味わいのよさ、そして往年の耳にすっかり馴染んだ歌手たちのよさ。
そしてベームのオペラの素晴らしさを堪能した土日でした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2015年3月22日 (日)

ヴェルディ 「オテロ」 神奈川県民ホール・オペラシリーズ2015

1

久しぶりのオペラ観劇。

やっぱり、オペラはいい。

ドラマの展開と、音楽の進行に、どんどん自分が引き込まれてゆくのがわかる。

幕間に、ロビーに出て、同じ思いを多くの観客と共有できていることもわかる。

そして、上出来のほぼ完璧な舞台に、歌唱に、演奏だった。

 ヴェルディの「オテロ」、3度目の観劇体験でした。

1度目は、はるか昔、今回と同じ二期会のプロデュース。
若杉弘さんの指揮で、日本人キャストに、日本語上演というものでした。
千両役者オテロの登場は、「よろこーーべ・・・・」でしたね。

2度目は、新国。ヴェネツィアの水辺を、リアルに水をはった鏡面的な美しい舞台で展開される悲劇は、タイトル・ロールのステファン・グールドの劇演でもってすさまじい体験でした。

そして、3度目は、今回。
なんといっても、絶賛応援、神奈川フィルがピットに入ることが、わたくしにとっての最大のアドバンテージ。
その神奈川フィルの、オペラにおける実力はこれまで、なんども体験してきて既知のものでしたが、さらに、今回は、実力派の日本人歌手たちの素晴らしい歌唱も加わり、身も震えるほどの感銘を受けました。

Otello

   ヴェルディ   歌劇「オテロ」

     オテロ:福井  敬       デスデモーナ:砂川 涼子
     イヤーゴ:黒田 博      エミリーア:小林 由桂
     カッシオ:清水 徹太郎    ロデリーゴ:二塚 直紀
     ロドヴィーコ:斉木 健詞    モンターノ:松森  治
     伝令 :的場 正剛
    
     沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                びわ湖ホール声楽アンサンブル
                二期会合唱団
                赤い靴スタジオ
         合唱指揮:佐藤 宏

         演出:粟國 淳

                  (2015.3.21@神奈川県民ホール)


シェイクスピアの原作も、ヴェルディのオペラも、とことん突き詰められた心理描写の人間ドラマを内包しているものだから、その演出にあたっては、無駄な解釈は不要。

演出:  粟國さんの演出は、新たな解釈はしていないけれど、そうした意味では、余計なことはまったくせずに、ともかく、オテロという男が、ひとりの女性を愛するあまりに、突き進んでゆく悲劇をまっすぐに捉えたシンプルなものでした。

それは、誰が観てもわかりやすく、幕の進行とともに、緊張感の増してゆくもので、最後には、幸福の絶頂の1幕の2重唱が、懐かしく思い起こされるという按配。
 オテロが、息も絶え絶えに、デスデモーナに最後の口づけをしようとする場面。
口づけの主題が、オーケストラにあらわれるとき、わたくしは、儚くなって、涙が滲んできてしまった。
 副官イヤーゴに翻弄され、すべてを失ってしまったオテロの孤独が、最後の最後に、愛を取り戻した瞬間が、自分の死であり、死でもって成就した愛は、まるで、トリスタン的なものを感じてしまいました。
 ベットに横たわる二人だけに、スポットライトがあたり、まるで、レクイエムのように、浄化されたエンディングでした。

15世紀半ばのヴェネツィアの時代に忠実な衣装デザイン。
ちょっと殺伐とした荒々しい舞台装置は、島と海も感じました。
あと、舞台の中心には、8角形のステージがつねに据えられていたけど、ここで繰り広げられる愛憎のやりとりのうえで、とても効果的だと思いました。
 こうした段差があったり、急階段を上り下りしたりと、昨今のオペラ歌手たちは、たいへんだな、とも感じたり。

3


歌手: 主役3人に人を得ました。

あんまり期待してなかったと言ったら怒られちゃいますが、福井さんのオテロが、実に素晴らしかった。
最初から最後まで、出ずっぱり、つねに強い声をはり出さなくてはならない難役を、スタミナ配分もしっかりとって、完璧な歌唱でした。
冒頭の「Esultate!」の力強い一声で、今日は、決まったな、と確信しました。
そして、疑心にとらわれ、最後の悲劇にむかって、徐々に正気を失っていくさまも、見事で、エキセントリックな一本調子にならずに、必然性があるかのような、ある意味冷静なる歌唱に思いました。日本人歌手ならではの、、丁寧なきめの細やかさともいえるかも。

さらに、すばらしかったのが砂川さんのデスデモーナ。
オテロに倒され、真横になって歌っても、その、まっすぐな声は、しっかり届く。
最後の、「柳の歌~アヴェ・マリア」では、その凛とした歌声が、まったくの不純物なく、こちらの耳に届きました。
堅実かつ、感動的な彼女の歌唱に、わたくしは、フレーニの歌声を思い起こしてしまった。
透明感ある、彼女のベルカント歌唱をわたくしは、初聴きでしたが、これから注目して聴きたいと存じます。

イヤーゴの黒田さん。声の威力は少し物足りませんが、邪悪さよりは、スタイリッシュで、頭脳犯的なクールなイヤーゴを歌いだしていたように思います。
オペラグラスで、ときおり拝見してましたが、その眼光や顔の表情ひとつに、細やかな演技が伴っていて、さすがと思わせました!

あと、わたくしのお気に入りのメゾ、小林さんのエミリーリア。
以前に、「ナクソスのアリアドネ」の作曲家を聴いて、その誠実な歌が好きになりました。
今回も献身的な歌と演技で、最後には、ついに、イヤーゴに抑えつけられていた思いを爆発させる強さも見せてくれました。
 カッシオの清水さんの明るい声もよかったです。

オーケストラ:的確なる沼尻さんの指揮に、有機的なオーケストラ

ドイツのリューベック歌劇場での活動も評判のオペラ指揮者としての沼尻さん。
オーケストラをあおったりすることもなく、舞台の歌手たちが歌いやすいように、ある意味、穏健な棒さばきで、全体の流れを作り、その中にドラマを構築してゆくという感じ。
職人的なさばき方や、棒のテクニックがドイツで受けるのは、若杉さんを思わせるからかな。
不満はないけれど、もっと、音楽が熱くなってもよかった。
乗りきらないところや、聴衆が温まってなかったからか、最初の方は、ちょっと温度不足。
激する、オテロとイヤーゴの二重唱と、そのあとの激情的な後奏は、それこそ、もっと激しくやって欲しかった。
でも、3幕、4幕は、そんな自分の思いこみの不満も、まったくなくって、緊張感ある音楽造りに、魅せられるようになりました。

 そんな指揮に、われらが神奈川フィルは、機敏に応えつつ、このところ痛感するようになった、オケ全体の有機的な存在としての響きを醸し出しています。
今回は、ピットのなかの、オペラのオーケストラとして、舞台の出来事、歌手たちの発する声とその背景に、たくみに反応して、ヴェルディの円熟の筆致を聴き手に味わわせてくれたように思います。
 上からのぞいてましたから、その演奏ぶりも確認できましたよ。
1幕の愛の二重唱の前奏、門脇さんの素敵なソロを中心とする4人のチェロ、美音でした。
うごめく低弦のクリアーさ、炸裂する打楽器、そして歌心を持った、木管に、弦楽。
ヴェルディならではの、バンダもともなった金管のスリムな輝き。
 ステージの神奈フィルも好きですが、オケピットのなかの神奈フィルも大好きであります。

好きなオペラのことだから、ついつい、長文になってしまいました。

来年のこのシリーズは、「さまよえるオランダ人」です。
そして、今年は、9月に「トゥーランドット」、12月に「金閣寺」があります。
楽しみ~

 「オテロ」過去記事

「ヴィントガッセン&F=ディースカウ」

「メータ&メトロポリタン」

「フリッツァ、石井 @新国」

「クライバー&スカラ座」

2

ホールから見えた、大桟橋に停泊中の旅客船「飛鳥」。

3幕の途中あたりで、出港したようです。

あと、4幕、各幕終了ごとの20分の休憩は、ちょっと、流れが阻害されたかも・・・。
もちろん、舞台変換と、歌手の負担を考えたら、そうなのですが。

素晴らしいロケーションの県民ホール。
デッドな響きがふだんは辛いところですが、ピットに入ると、とても音がよく響きます。
今回は、3階のライト前方で、ここは上にひさしもなく、音が溶け合って上に届くから、とてもよいのです。
あとは、1階の出来るだけ前方かな。

ご参考まで・・・・

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2015年2月26日 (木)

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」~マウリツィオのアリア カレーラス

Collete

不届きなやからが、ハートにいたずらの缶を置いちゃってますが、桜木町のコレットマーレのエントランス。

クリスマス・バレンタイン・ホワイトデーと、ハートマークが活躍しますな。

寒い冬も、もうじきおしまい。

 わたくしの、好きなイタリアオペラでも、1,2をあらそう、チレーアの「アドリアーナ・ルクヴルール」から、テノールのアリアをツマミ聴き。

Adriana_1

 チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」から

     マウリツィオのアリア

        「あなたの中に母の優しさと微笑みを」

        「心、疲れて」

        「ロシアの将軍の命令は!」

      マウリツィオ:ホセ・カレーラス

       ジャン・フランコ・マシーニ指揮 NHK交響楽団

                            (1976)


このオペラ大好きで、映像はまだ少ないですが、音源は、そこそこ集めて聴いてます。

プッチーニと同じころのイタリアオペラ界のヴェリスモの潮流に乗りつつも、抒情派として、旋律重視の優しくも儚いオペラを数々残したチレーア。

当時、まださほど知られていなかったチレーアのこのオペラを世界最高のキャストでもって上演したNHKのイタリア・オペラ団。

1976年のこと、わたくしは、高校生ながらに、銀座のどこだかのチケットセンターに並び、このオペラと、「シモン・ボッカネグラ」のチケットをなけなしのお小遣いでゲットしたのでした。
前にも書きましたが、カウンターのチケット売りのおばさまは、「え?ドミンゴはいいの?」と聞いてきたものでした。

そう、このときの、もうひと演目は、ドミンゴが、二役やった「カヴァ・パリ」で、並んだ大方のお客さんは、そちらが狙い。

 そして、巨大なNHKホールの隅々にこだました、カヴァリエのピアニシモと、コソットとの丁々発止の迫真のやりとり。
 彼女たち、存在感ばりばりのお姉さまたちに挟まれ、翻弄される憂国の志士を歌ったカレーラス。

おっきなカバリエに愛を告白するカレーラスは、健気で、その一途さが、男のわたくしにも、とても好ましかったものです。


ほかのふたつのアリアも、さらのあのときの全幕も、youtubeにあるとこがすごいものです。


このアリアの、盛り上がりの途中で、フライング拍手があったのですが、そこは巧みに編集されてました。


マウリツィオ役は、多くのテノールが歌ってますが、わたくしには、カレーラスがいちばん。
デル・モナコは強すぎてヒロイックだし、コレルリは重たい。
ドミンゴは、ワケ知りすぎて面白くないし、ベルゴンツィは、おっさんにすぎる。
ちょっと真面目すぎのカレーラスが、この悩める愛する男にはぴったり。


そして、N響が、こんなに柔らかく、雰囲気豊かなのは、フランコ・マシーニの素晴らしい指揮があってのものでした。

チレーアのオペラは、いくつあるかまだ勉強中ですが、4作ほど揃えて、ちょびちょび聴いてます。
いつか、しっかり記事にできればと思ってます。

 過去記事

 「アドリアーナ・ルクヴルール」NHKイタリアオペラ

 「アドリアーナ・ルクヴルール」 テバルディ、シミオナート、デル・モナコ

 「アルルの女」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月14日 (土)

モーツァルト 「バスティアンとバスティエンヌ」 ハーガー指揮

Shinjuku_love_4

LOVEざんす。

バレンタインデーとか、なんとかデーとかから、縁遠くなって久しいけれど。

なんだか、甘酸っぱい青春の記憶や、若いサラリーマン時代の記憶がよみがえる。

子供のときから、チョコ好きだった。

メリーチョコレートの甘い匂いの残る包み紙まで集めていた子供時代。

こんな時期に、ひとり、チョコレートを買うと、恥ずかしさを覚えるオジサンになりました。

愛せよ、若人たち。

P2133292

  モーツァルト 歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」 K50

   バスティエンヌ(羊飼いの娘):エデット・マティス

   バスティアン(その恋人):クラウス・アーカン・アーンシュ

   コラ(村の賢者、占い師):ヴァルター・ベリー

  レオポルド・ハーガー指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

 

                     (1976.2 @ザルツブルク)

いまから250年ほど前。

1767年、モーツァルトが12歳で作曲した、愛らしいオペラ。

交響曲でいうと、8番まで書いていたし、クラヴィーア付きのチェロやヴァイオリンのソナタも複数、ピアノ協奏曲も数曲残していた12歳の神童は、父レオポルドのプロデュースで、ザルツブルクからヨーロッパ各地に遠征をさかんにしておりました。
 こちらは、ウィーン楽旅のおりに書かれたもの。

オペラというよりは、ジングシュピールで、ドイツ語によるコミカルな音楽劇で、同じモーツァルトでも、イタリア語によるブッファやセリアと明確に異なるジャンルとなります。
後年の、後宮や劇場支配人、魔笛などと同じくするもの。

原作は、作曲もなした、かのジャン・ジャック・ルソーの牧歌劇「村の占い師」で、そちらは、1752年で、モーツァルトの生まれる4年前。
そちらをパロディ化した劇の独語訳が、直接のこの作品の原作となります。

序曲と11のアリア、5つの重唱、それらをつなぐ13のレシタティーヴォで成り立ってますが、それぞれの曲は短いので、全曲でも40分。

平易なメロディとシンプルな音楽運びは、実に耳に優しく、深刻さのカケラもないので、気持ちよく楽しめます。
しかし、そこは、さすがのモーツァルト。
若書きながらに、喜怒哀楽の単純な恋愛ドラマに、音楽は人物たちの感情の機微にあわせ、ぴたりと寄り添ってます。
 ことに、ヒロインのバステイェンヌはカワユク描かれてます。
それと、やたらと耳について離れないのは、占い師コラの歌う、怪しげな、おまじないのアリア。
 「デッギー、ダッギー、シュリー、ムリー、ホーレム、ハーレム・・・・・」(笑)
これはどうも、ラテン語由来らしいのですが、その意味はさっぱりで、韻語好きのモーツァルトですから、なにか意味がありそうで、そのあたりを解説されてる方も、調べたらいらっしゃいまして、すごいな、と思いました。
 映画でもありましたが、おふざけ好きのアマデウスくんは、姉とよく、スカ○ロ系の冗談を言い合ったりしてたそうですから、純な天才のやることは、まさに天真爛漫すぎですな。

さて、あともうひとつ、この作品でよく皆さん書かれていること。
そう、たった1分半の序曲ですが、これがベートーヴェンの「英雄」のメロディに激似。
ジャン、ジャンのあとチェロで奏でられるあの勇壮な旋律ですよ。

 簡単なあらすじ

コルシア島のバステァィア地方

 「バスティアンとバスティエンヌは恋人同士だけれども、最近、彼氏のバスティアンが、ほかの娘に心移りしているとして、私を捨ててしまったの・・と嘆いている。
そこにあらわれた占い師コラに悩みを打ち明け、コレは、一度、冷たくしてみたらとアドヴァイス。
 今度は、バスティアンが登場し、コラは、彼女は、わしの魔法で他の男のもとに去ったよ、とおどかす。それは勘弁してくれ、なんとかしてと懇願され、コラや怪しげな呪文を説く。
 そこに、バスティエンヌがやってくるので、バスティアンは、可愛い人よ好き~と言いよるものの、彼女はコラのアドヴァイス通り、わたしは街へ去るのよ、冷たくあしらう。
 しかし、彼は、君なしには生きていけない、水に飛びこまなくちゃいけない・・・と歌い、その言葉に彼の真の愛を見出したバスティエンヌは嬉しくなって、彼のもとへ飛び込む。
 そこに登場のコラは、子供たちよ、ほら、嵐や雨のあとには、こうして仲直りと二人を祝福して、めでたしめでたし・・・・。」

エディット・マティスのチャーミングな歌声は、まさにモーツァルトを歌うためにあるような感じ。素敵です。
それと、ベリーは、こういうのを歌うと、ほんとウマいし、嫌味がまったくない。
アーンシュは、悪くないです。
70~80年代はじめ、この北欧出身のテノールは、バッハやモーツァルト歌いで、そこそこ活躍し、マイスタージンガーのダーヴィット、シュトラウスの「エジプトのヘレナ」のスペシャリストでもありました。

 
今日も、モーツァルトは、幸せな気分にしてくれます。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ | ねこ | アイアランド | アバド | アメリカ音楽 | イギリス音楽 | イタリアオペラ | イタリア音楽 | ウェーベルン | エッシェンバッハ | エルガー | オペラ | カラヤン | クラシック音楽以外 | クレー | コルンゴルト | コンサート | シェーンベルク | シベリウス | シュナイト | シュレーカー | シューベルト | シューマン | ショスタコーヴィチ | ショパン | スーク | チャイコフスキー | チャイ5 | ツェムリンスキー | テノール | ディーリアス | ディーヴァ | ドビュッシー | ドヴォルザーク | ハイティンク | ハウェルズ | バス・バリトン | バックス | バッハ | バルビローリ | バレンボイム | バーンスタイン | ヒコックス | ビートルズ | ピアノ | フィンジ | フォーレ | フランス音楽 | ブラームス | ブリテン | ブルックナー | プッチーニ | プティボン | プレヴィン | ベイスターズ | ベネデッティ | ベルク | ベルリオーズ | ベートーヴェン | ベーム | ホルスト | ポップ | マリナー | マーラー | ミンコフスキ | メータ | モーツァルト | ヤナーチェク | ヤンソンス | ラフマニノフ | ランキング | ラヴェル | ルイージ | レクイエム | レスピーギ | ロシア系音楽 | ワーグナー | ヴェルディ | ヴォーン・ウィリアムズ | 北欧系音楽 | 古楽全般 | 器楽曲 | 小澤征爾 | 尾高忠明 | 幻想交響曲 | 料理 | 新ウィーン楽派とその周辺 | 旅行・地域 | 日本の音楽 | 日記・コラム・つぶやき | 映画 | 書籍・雑誌 | 東欧系音楽 | 歌入り交響曲 | 現田茂夫 | 神奈川フィル | 第5番 | 若杉 弘 | 趣味 | 音楽 | 飯守泰次郎 | R・シュトラウス