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2020年1月16日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ラトル指揮

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まいど恐縮、クリスマスと年末年始は特に絵になるもんですから、銀座。

日の丸を仰げば、あの国の方々のあふれかえる言葉は少しは気になりません・・・??

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    R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

   マルシャリン:カミラ・ニールント
   オクタヴィアン:マグダレーナ・コジュナー
   オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
   ゾフィー:ゴルダ・シュルツ
   ファーニナル:マルクス・アイフェ
   マリアンネ:アレクサンドル・ロビアンコ
   ヴァルツァッキ:トーマシ・エヴェンスタイン
   アンニーナ:キャスリーン・ゲルトナー
   テノール歌手:マチュー・トレンザーニ ほか

  サー・サイモン・ラトル指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

        演出:ロバート・カーセン

        (2020.1.4  @メトロポリタン歌劇場)

今年正月の最新のライブ音源をネット視聴。

ベルリンでもやったでしょうかね?ラトルの「ばらきし」。
ほかのオペラもそうですが、奥様のコジュナーあっての指揮ともいえるかもしれません。
ほかの配役も、ベテラン、新鋭を取り混ぜたメットならではの豪華なものです。
2017年のプリミエで、その時は指揮はお馴染みのセバスティアン・ヴァイグレ。
フレミングとガランチャ、グロイスベックが歌ってます。

ラトルのオペラは何を振るかわからないところがあって、ワーグナーなら後期のものしかやらないし、ヴェルディはなし、プッチーニはそこそこで、シュトラウスならサロメかエレクトラあたりが向いてるだろうと思ってた。
割と重心が低く、硬い音を出すラトルだから、軽やかにやってほしい「ばらの騎士」はどうだろうか、との思いで聴き始めました。
 そうした風に感じるところもありがなら、この作品以降のシュトラウスならではの軽やかさと明朗さが、ラトルの持ち味である重厚さが描き分けるシュトラウスの分厚い響きとの対比でもって十分に活きてくる感じだ。
メットのオケのうまさと、オペラのオーケストラならではの雰囲気のよさでもって、シュトラウスの手の込んだ技法の数々が機能的なばかりならずに済んでいる感じ。
いまの手兵のロンドン響とやったら、さらにうまいけど、オペラの味わいとはまた違うものになったかもしれない。
 ちなみに、ラトルのメトロポリタンへの登場はこれが3度目。
ペレアスとメリザンド(2010年)、トリスタンとイゾルデ(2016年)に次ぐもの。

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            (メットのピットのラットル)

ラトルは、若いころアバドに感化されたということもあって、バーミンガム時代のCDは、ほぼ集めました。
選択するレパートリーが、いずれも面白くて新鮮で、その音楽づくりも先鋭で面白かった。
ベルリン時代は聴かなくなってしまったのは、面白みがなくなってしまったから。
でも、ベルリン時代の後半は肩の力が抜けた感じで、自在な音楽づくりが、カラヤンやアバドとも違うフレキシブルなコンビとなったことを確認できまして、そのまま、ロンドン響に帰り、ニュートラルさと強い音作りがオケの個性ともどもに最強のコンビになったと確信してます。

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奥様のコジュナーのオクタヴィアンが素敵なものだ。
オペラのレパートリーも随分と拡充してきたのも、夫のラトルの指揮があってのもの。
無理せず、細やかな歌唱をベースに女性的な優しい、そして知的なオクタヴィアンを歌っている印象で、やんちゃさはいまひとつ。

いま、マルシャリンとして一番なのがニールントだと思う。
新国で、彼女のマルシャリンを聴いてからもう12年がたつ。
あの時のスリムなお姿とはかわって、風格も出てきたが、声にもより気品とともに、諦念をはかなげに歌いあげる味わいも増しているのだろうと思う。
終幕の、ファーニナルの、「若い方はいいですね」的な問いかけに応えるマルシャリンの、「Ja Ja」はとても感情深い、考え抜かれた一言にことさら感じた。
フレミングの濃厚すぎる歌唱が、どうもだめなので、このニールントのクリアでかつ、言葉に感情を静かにしのばせた表現には、ことのほか感動しました。
 新国の舞台は、昨年亡くなってしまったジョナサン・ミラーの演出がとても洒落ていて、美しいものだった・・・・
1幕の終わりで、悲しみとあきらめに沈むマルシャリン、窓には振り出した雨の雫が流れ、彼女は煙草をゆっくりと取り出して美しい所作でくわえて窓の外を眺めるのでありました・・・・

南アフリカ出身のシュルツのゾフィー嬢の高音が清らかな美声で驚きだった。
彼女はこれから活躍しそうな感じで、パミーナ、ポーギーとベスなんかにも出てます。

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男声陣の充実も並々ならないものがあり、絶好調のクロイスベックのオックスには感心しまくり。
豊かな声量に柔らかさも備え、技量のほども完璧。
何よりも若々しく、いやらしい田舎のおっさんというイメージを払拭してしまうニュー・オックスだった。
最近ひっぱりだこのアイフェのファーニナルもよろしい。

私の好きなカーセンの演出。
写真で見る限り、メットだし、極端なことはしておらず、センスの良さを感じます。
オックスご一行は軍服をまとっている様子。
屋敷の壁画も神話時代の兵士や、小道具として大砲みたいなものも伺えます。
プリミエのときのスクリーンでは見なかったので、映像等で出たら確認したいところです。

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いやぁ、ネットでこんな素晴らしい上演の音源が高音質で楽しめちゃっていいのかな。
ますます、CDを買わなくなってしまう。
同じメットでは、いま上演中のセガンの「ヴォツェック」がもう聴けちゃったし、暮れのスカラ座のシャイー&ネトレプコの「トスカ」も視聴済み。
オーケストラコンサートもリアルタイムで聴いてます。
かつては想像もつかない音楽を聴く方法の多様化は、音楽産業のビジネスとしての衰退を招いているとは思いますが、そこにあるチャンスもまた多様化していると思います。

 でもね、なんといっても、劇場で観劇するオペラや、コンサートホールで聴くオーケストラやソロには何をどうやっても敵わないということ!
これだけは絶対。
時間や経済的な事情で、いまはよっぽど厳選したものしか行けない自分ですが、そこはつくづく思います!

若い方に言いたい。
あとで後悔しないように、これはと思ったら無理してでも行くべきです。
のちのちの自分の肥やしになることは必然です!

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 しかし、「ばらの騎士」はまったくもって素晴らしい作品。

年齢を重ねるごとに、元帥婦人の想いや行動が深く深く共感できるようになってきた。
男も女もない。
時の刻みが怖いし、いまはいいと思っても、明日は違うのではという不安の積み重ね。
それを克服して、「Ja Ja」で終了させるマルシャリンの強さを理解できるまで、まだ自分は未熟なのかもしれず、若いということなのか、バカなのか・・・・はてさて。

ホフマンスタールとシュトラウス、すごい!

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2019年12月24日 (火)

メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

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イエスが生まれたときに、星に導かれて、当方よりベツレヘムに拝みにやってきた3人の博士。

そのとき、イエス・キリストが公になられたという意味合いで、1月6日からを「公現節」として、「降誕祭」のあとの大きなお祭りともなってます。
バッハのカンタータにも、この節にちなんだ作品はあり、クリスマス・オラトリオの第6部もこの節のものです。

厳密には、クリスマスと切り分けて考えるべきでしょうが、イエスの降誕を祝う流れとしては同一。
クリスマスの飾りにも、この博士たちもあるし、何といっても、クリスマス・ツリーのてっぺんには、星が輝いているわけです。

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欧米の文化であるキリスト教徒としてのクリスマスと、商業主義が先行し、なぜかしっかり生活に根付いた「日本のクリスマス」。
25日が済んだら、もうクリスマスムードは払拭されてしまうけど、日本ではやむを得ないか・・・

イタリアに生まれ、アメリカ人オペラ作曲家として活躍したメノッテイ(1911~2007)の愛すべき作品を。
欧米、とくにアメリカではクリスマスイブの定番です。

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   メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

  アマール:アイケ・ホーカースミス
  母親:キルステン・グノールセン
  カスパール王:ディーン・アンソニー
  メルヒオール王:トッド・トーマス
  バルタザール王:ケヴィン・ショート
  王の従者:バート・レファン

 アルスター・ウィリス指揮 ナッシュヴィル交響楽団
              ナッシュヴィル交響合唱団
              シカゴ交響合唱団 
      (2006.12 @シャーマーホーン・シンフォニーセンター)

幼少より音楽の才能を発揮し、ミラノのヴェルディ音楽院に入学。
もしかしたら、クラウディオの父、ミケランジェロ・アバドが院長かなにかで在籍していた頃かもしれず、そうした歴史の綾も面白いものです。
渡米後は、フィラデルフィアのカーティス音楽院から活動をスタートさせ、そこでバーバーと知り合い、それこそ、長年のオトモダチになるのでした。
このオトモダチ関係は、早世してしまう指揮者、トマス・シッパースにのちに引き継がれ、多くのオペラ作品の理解者と初演者として強い味方になるのでした。
あんまりオトモダチ関係を意識すると、メノッテイの音楽への目が曇ってしまうのですが、こうした自由こそがアメリカの社会のよさであり、噂やスキャンダルとは無縁に、才能をいかんなくその作品に注いでいくことができるのでありましょう。

そのオペラ作品は短時間のものが多く、戦後のアメリカの豊満な家電生活に即したように、テレビで観るオペラなども開拓し、逆に、まるでテレビドラマのようなオペラも生み出したわけです。
声にこだわり、オペラにこだわったイタリアの血。
そして、豊かな経済のなかにあって、芸術をメディアも駆使して、一般大衆にも楽しめるようにしたアメリカの背景。
メノッテイのオペラ作品はまだ、ほんの少ししか聴いてませんが、イタリアとアメリカの融合、それも戦後の西側のひとつの姿としてみることで、その理解が深まるものと思います。

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オペラの内容

 時代は、まさに、イエスが生まれた、そのとき、ベツレヘムの近郊。
羊飼いのアマールは、松葉杖に頼らないと歩けない少年。
今日も、笛を吹きながら楽しい歌を歌い、とても大きな星が出てると言う。
母は、すこしばかり彼の歌や話が法螺話ではないかと心配してる。
 夜になり、ふたりは床につくが、見知らぬおじさんたちの歌声とともに、ドアをノックする音が・・・
アマールは、母さんに、なんか来たというが、嘘おいいじゃないよ、というやり取りがなんどか。
でも、ほんとうに、3人と従者のおじさんが3人やってきた。
生まれた素晴らしい子供に貢物をささげる旅をしているので、ひと宿貸してほしいとのこと。
貧乏な寡婦でございますが、どうぞと家に招き入れる母。
アマールは、それぞれのおじさんの持ち物などをみつつ、親しげに質問、耳の遠い王様もいて笑。
 
母は、なけなしの焚火を用意し、村人に声をかけ、旅人を食べ物や踊りでもてなす。
(若い女性たちのダンスの音楽などは、なかなかのものです)
村人も帰り、旅人もアマールも床につきますが、母は、いまの不自由な生活を嘆き、悲観にくれ、ついに王様の黄金に手をつけてしまう。
これに気づいた従者が騒ぎ立て、母を引っ立てますが、そこにアマールが必死の抵抗を。
メルヒオール王は、とっておきなさい、生まれた聖なるみどりごにはお金など必要なないのですと語る。
母は、黄金をともかく返し、いまの自分には、なにひとつ捧げるものや贈り物もない・・・と嘆きます。

それを聞いたアマールは、母さん、この松葉杖があるよ、これをあげようと差し出します。
するとどうでしょう。
奇跡が訪れました。
不自由だった足が・・・「ぼく、歩けるよ!歩ける」とおっかなびっくりで、アマールは杖なしで。
王様たちと従者は、天を仰ぎ奇跡をたたえ、母は涙にくれます。
アマールは、王様たちと一緒に、彼の救い主に会いにいくために、母に旅支度を手伝ってもらって村を出ていきます。

           幕

思わず涙ぐでしまう展開です。
この50分ぐらいの物語が、1951年にテレビでアメリカのお茶の間に流されたとき、熱心なキリスト教徒であり、常勝のアメリカの正義を疑っていなかった国民は、心から感動し、家族でのクリスマスの一夜に華を添えたことでしょう。

トランプの出現は、そんな時代の良き・強きアメリカを訴えてのものかもしれません。
語法ややり口は強引ですが、アメリカとはシンプルでハッキリしたそんな国なのです。

でも、混とんとした、世界にあって、アマール君の気持ちと母の愛は、絶対に不変のものです。
問題は、この不変のものが通念として通じない、価値観の程遠いあの国(C)です。

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少年役がキーですが、母親のモノローグもなかなかに深くて悲しい。
平易な旋律が全編流れるわかりやすい曲です。
アマールの吹く笛が、とても気にいって四六時中あたまから離れません。
感動的な場面で出てくる旋律も印象的。
そう、それは、これまたクリスマス映画のひとつである、「ホームアローン」の音楽を思い起こさせます。
あの映画も、少年の母との愛の物語ですね。

シッパースによる初演録音も持ってまして、トスカニーニとも親交のあったメノッティらしく、オケはNBC交響楽団です。
かなり鮮明な録音で、曲のよさは楽しめますが、デジタル録音の言葉も明瞭なナクソスのステキな2006年録音のほうが、やはり感動の度合いが違います。

ホーカースミスという少年のアマール君が、きわめて愛らしく、いとおしいです。
音楽の都、ナッシュヴィルのオーケストラもすがすがしい雰囲気です。

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期せずして、アメリカのオーケストラシリーズ。

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ナッシュヴィルは、テネシー州の州都で、人口は67万だけど、周辺の経済圏を入れると190万人の大都市圏。
なんたって、カントリーミュージックの聖都であり、ミュージックシティと呼ばれる所以もそこにあり。
出身のミュージシャンを調べたら、わたしごときが知ってる方ばかり。
チェット・アトキンス、ジョニー・キャッシュ、エイミー・グラント、ダナ・サマー、ドリー・パートン、エミリー・ハリス、パット・ブーン、ジミー・ヘンドリクス、ブレンダ・リー・・・・etc

大リーグ球団は3Aクラスで、アメリカンフットボールが強い感じ。

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ナッシュヴィル交響楽団は、もともとは1920年に創業。
その後大戦で停止、1946年が正式創立年度。
あまり知らない指揮者ばかりが続き、1893年にケネス・シャーマーホンが首席となって鍛え上げ、2005年まで継続。
シャーマーホーンの名前を冠したホールが本拠地で、そのシャーマーホーンとの録音もかつては多くありました。

その後、スラットキンが継いで、2009年からは、ジャンカルロ・ゲレーロというメキシコ系の指揮者が率いていて、この盤と同じく、ナクソスレーベルへの、このコンビの録音もかなり制作されている状況にありまして、ナクソスレーベルに感謝しなくてはなりませんね。
なかなかの実力派オケで、来年は、よくあるアメリカオケのように映画音楽やポップなクラシック音楽などとともに、マーラーの10番クック版みたいな本格派もやるみたいです。

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よきクリスマスを。

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2019年2月24日 (日)

ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」 アバド指揮

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数年目に訪れた、函館の聖ハリストス教会。

 

ロシア正教会の庇護下にあるハリストス正教会。

 

1859年が起源といいます。

 

ロシア・ビザンチン様式のこの教会建築は、見慣れたカトリックのそれとは、まったく違います。

 

函館山の中腹にある3つの教会、元町教会、聖ヨハネ教会とともに、3つの宗派の異なる建築物としても楽しめます、わたくしの大好きな場所です。

 

もう何年も行ってませんが。

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   ムソルグスキー  「ボリス・ゴドゥノフ」

    ボリス・ゴドゥノフ:ニコライ・ギャウロウ
    フョードル:ヘルガ・ミュラー・モリナーリ
    クセーニヤ:アリダ・フェラーリニ
    乳母:エレノーラ・ヤンコヴィック
    シュイスキー公:フィリップ・ラングリッジ
    シチェルカーロフ:ルイジ・デ・コラート
    ピーメン:ニコラ・ギュゼーレフ
    グリゴリー:ミハーイ・スヴェトレーフ
    マリーナ:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    ランゴーニ:ジョン・シャーリー・クワーク
    ワルラアーム:ルッジェーロ・ライモンディ
    ミサイール:フォロリンド・アンドレオーリ
    旅籠屋のおかみ:フェドーラ・バルビエーリ
    聖愚者:カルロ・ガイファ
    ニキーチキ:アルフレード・ジャコモッティ
    ミチューハ:ジョヴァンニ・サヴォイアルド 他

     クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

              (1978.7.12 ミラノ)


よくいわれるように、アバドのムソルグスキーへの入れ込みようは、執念ともいえるくらいのものでした。

ボリス・ゴドゥノフ」は、ロンドン、スカラ座、ウィーン、ザルツブルクでまんべんなく上演し、「ホヴァンシチナ」も、スカラ座とウィーンでそれぞれ上演。
レコーディングでも、そのふたつのオペラに、「展覧会」は2度、原典版「はげ山」は4回、その「はげ山」を含む管弦楽曲集は2回。
しかも、「展覧会」の余白には、めったに演奏されないオペラの場面がカップリングされるという凝りようで、1回目のロンドン響とのものは、ラヴェルがカップリングされながら、渋いムソルグスキー色の「展覧会」に仕上がっていたし、2度目のベルリンフィルとのものは、オケの音色が明るくなったものの、カップリング曲も含めて、ムソルグスキー色満載。
 チャイコフスキーの交響曲の余白にも、死の色の濃い歌曲も。

こんな風に、アバドはムソルグスキーがほんとに好きだった。

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42歳で亡くなってしまった、ムソルグスキー(1839~1881)のその時代。
ブラームスやブルックナーとかぶる世代。
マーラーは、ボリス作曲のころ、まだ11歳。

 そして、ロシアの国情は、帝政ロマノフ朝の最後期にあり、ニコライ1世からアレクサンドル2世へと治世が変わった頃。
権力者、貴族、地主が潤い、農奴制があったため、民衆=農民は、つねに虐げられていた。
そんななかで起きたクリミア戦争で、武器や戦力に欧州勢との違いを見せつけられ敗北し、社会改革の必要性をアレクサンドル2世も痛感。
 農奴解放令を出し、上からの指令での改革に乗り出すも、反権力者・人民主義者(ナロードニキ)たちの皇帝などの権力者打倒の動きに押され、皇帝は暗殺されてしまう。
その暗殺の年、1881年は、ムソルグスキーが亡くなった年でもあります。

ロシアは、その後、日露戦争、第一次世界大戦でどんどん国力を弱めて行き、1917年のロシア革命と、1922年のソ連の誕生を迎えるわけです。

こんな歴史を念頭に、ムソルグスキーの、とくに人の手が入っていない原典の作品を聴くと、そのほの暗さに、ロシアの民たちの声が聴こえてくるような気もする。
まったく違う曲に思える「はげ山の一夜」や、「ボリス・ゴドゥノフ」などがその典型かと。

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一方で、実在の「ボリス・ゴドゥノフ(1551~1605)」は、ロマノフ王朝前、モスクワ大公国の時代にあり、ここでのロシアは周辺国を次々に呑み込み大国化。
国の基盤も整備したものの、内戦や周辺国との闘いが多く、やはり民衆は疲弊した。

その晩年が独裁的な強帝であった、イワン4世、すなわちイワン雷帝(プロコフィエフの作品にあります)は、家族にも暴力的で、3人の息子のうち、長男を殺めてしまう。

ボリスは、このイワン雷帝の顧問官という立場にあり、雷帝の方針で、貴族を迫害し、ボリスのような新興士族を重用するということもあって、政務に携わることとなった。
 ちなみに、貴族として登場しているのがシュイスキー公で、この公がこのオペラの影のキーマンでもあったりします。
 さて、イワン雷帝が亡くなると、次の皇帝には、次男のフョードル1世が即位するが、彼は知的障害もあって、実の政務はまさにボリスが行うこととなった。
さらに自身の妹をフョードルに嫁がせ、皇帝の縁戚としての立場を着々と築いていった。
独裁的な前帝のあと、心優しいフョードルは、国民に人気で、すなわちボリスの政治は悪くはなかったということになる。

このオペラの肝のひとつは、「聖愚者=ユロージヴィ」の存在で、愚かななかに、聖なるものを見出すという考えです。
これは、フョードル1世にもいえて、さらに考えると「パルジファル」にもつながりますね。

そして、フョードル治世下、イワン雷帝の三男ドミトリーが変死。
跡継ぎのいなかったフョードル帝もなくなり、ここで、モスクワ公国の血筋が途絶え、ボリスが選定されることとなるわけです。
ちなみに、この頃の日本は、秀吉の天下です。

 このボリス・ゴドゥノフの皇帝就任から、その死までの7年間が、このオペラの時間軸。

さらに知っておきたいのは、宗教のこと。
東西教会の分裂でできたキリスト教の二つの派、カトリックと正教会。
正教会の総本山は、なんといってもコンスタンティノープルだったが、イワン雷帝の頃、モスクワが総教主府になり、ロシアが正教会の総本山との意識に立つこととなり、カトリックは異端として弾圧された。
 ところが、ポーランドで旗揚げした偽ドミトリーが、ゴドゥノフ一族を滅ぼし、皇帝を宣言し、今度はカトリックを導入しようとしたところ、民衆の反発に会い、クーデターで滅ぼされる。
その後は、シュイスキー公が皇帝になったり、またもや偽ドミトリー2号が出てくるなど、ロシアは混迷を深め、やがてロマノフ王朝が開かれるわけです。
ほんと、ややこしい。

このあたりまでを頭に置いておくと、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」は、とてもよく書けてるし、R=コルサコフが改訂し、ボリスの死で終わる版が、ムソルグスキーの意図と異なることがわかります。
すなわち、ボリスはタイトルロールでありますが、このオペラで描かれているのは、ロシアという国そのものだと思います。
 皇帝・貴族・民衆と農民、この3者がロシアの大地で織りなす、それぞれの対立軸。
何度も繰り返されるその権力者と民衆の栄枯盛衰は、ソ連になってからも、さらにソ連崩壊後の現在のロシアにあっても、その役柄こそ変化しても、ずっと不透明感があふれているんだろうと思います。

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罪に苛まされて、苦悩のうちに死ぬ権力者の悲劇。
それから、お上が変わっても、いつも貧困や悲しみに苦しむ民衆の悲劇。
このふたつ悲劇が織り込まれたのが、このロシアのオペラの本質であります。

聖愚者=ユロージヴィは歌います。

 「流れよ、流れよ、苦い涙 泣け、泣くがよい、正教徒の民よ
  すぐに敵がやってきて、また闇が訪れるよ
  漆黒の闇、何も見えない暗闇
  苦しみだ、これがロシアの苦悩
  泣け、泣くがいい、ロシアの民よ、飢えたる民!」


ロシアの作曲家が、その作品を多くオペラにした原作者プーシキンの1825年の作。
発禁処分を受けたりと、権力側とも闘争のあったプーシキンならではの、ロシアの悲劇の描き方。
この原作をあまねく活かしたのがムソルグスキーの音楽で、このほの暗いなかに、原色の世界を、見事に描くのがアバドの指揮なのでした。

よく言われますが、ムソルグスキーの音楽には歌があって、そして、旋律線とロシア語という言葉が連動し合う巧みさがあります。
そして、のちの表現主義的な要素もあり、アバドはこうしたあたりにも共感して、ヴェルディを指揮するように、そして、ベルクやシェーンベルク、マーラーを指揮するかのように、ムソルグスキーを指揮していたんだろうと思います。

今回、メインに聴いたスカラ座でのライブは、まさにアバドの真骨頂で、スカラ座のオーケストラから、渋い色調の音色と、一方で開放的な明晰な音色とを引き出しています。
ライブならではの熱気にもあふれていて、聴衆の興奮が、ものすごいブラボーとともに収録されているんです。

93年のベルリンフィルとの録音は、ちゃんとしたレコーディングなので、すべてが完璧極まりなく、精度も高く、オケも歌手もべらぼうに巧いです。
しかし、完璧のベルリン盤もいいが、このスカラ座の熱気に満ちた演奏も実に素晴らしいものがあります。
さらに、わたくしは、自慢じゃないけど、NHKで放送された91年のウィーン国立歌劇場でのライブ音源も所蔵していて、ウィーンフィルの音色も楽しめつつ、やはりムソルグスキーの原色の音楽がここにあります。

そしてさらに、94年9月、NHKホールで観劇したウィーン国立歌劇場との来日上演に、最上の席で立ち会えました。
暗譜で指揮するアバドの指揮に、歌手も合唱も、オーケストラも、そしてわれわれ観劇者も集中しつくし、一体となってしまいました。

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このときの演出が、ロシアの映画監督のタルコフスキーのもので、そもそも、タルコフスキー唯一のオペラ演出が、このボリスで、亡命中のタルコフスキーに、83年にアバドが依頼してロンドンで上演したものなのです。
タルコフスキーは、86年に亡くなってしまうのですが、アバドは、この演出を91年のウィーンでも取り上げ、そして、日本にもこのプロダクションを持ってきたのです。
ごくごく明快で、時代設定も動かさず、わかりやすい舞台でした。
印象的だったのが、舞台のどこかに、少年ドミトリーのような姿が始終あらわれていて、ボリスの心理を圧迫してゆく影武者のようになっていたことです。
 このタルコフスキー演出は、83年、91年、94年(東京)で取り上げてます。
そして、ベルリンフィルとのレコーディングのものは、ベルリンでのコンサートと、ザルツブルクでの上演に関わるもので、こちらの演出は、ヴェルニケとなりました。
94年4月ザルツブルク・イースター、8月にザルツブルクで、ベルリンフィルとウィーンフィルが、それぞれピットに入りました。
そして、その年の9月に東京にやってきたわけです。

集中的にボリスを指揮し続けた1994年、その年以来、アバドはボリスを取り上げる機会がありませんでした。
ボリスを、ムソルグスキーを愛したアバドです。

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 ザルツブルクのアバド

このスカラ座盤のいいところは、もうひとつ、ニコライ・ギャウロウのタイトルロールです。
絶頂期にあった、この深くて神々しいまでの美声は、ほんと魅力的です。
ほかの、スカラ座のイタリア歌手たちや、ロシア、ドイツの歌手、みんなアバドの元に素晴らしい歌です。

録音もちゃんとしたステレオで、視聴にはまったく問題ありません。

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ヴェルニケ演出での戴冠式の場。
全然違います。

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長文失礼いたしました。

いつかまた、今度は、「ホヴァンシチナ」を記事にしようと思います。

過去記事

 「ボリス・ゴドゥノフ アバド&ベルリンフィル」

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2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

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バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

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 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

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テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2018年12月23日 (日)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベーム指揮  ウィーン国立歌劇場

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東京タワーの周辺もクリスマス。

幻想的な雰囲気に撮れました。

クリスマスに対する憧憬の想いは子供もころから変わらない。

そして、その憧憬の想いは、この作品に対しても、ずっと変わらない。

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ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 トリスタン:ジェス・トーマス      イゾルデ:ビルギット・ニルソン
 マルケ王:マルッティ・タルヴェラ    ブランゲーネ:ルート・ヘッセ
 クルヴェナール:オットー・ヴィーナー メロート:ライト・ブンガー
 牧童 :ペーター・クライン      舵取り:ハラルト・プレーグルホフ
 若い水夫:アントン・デルモータ

  カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団

            演出:アウグスト・エヴァーデインク

              (1967.12.17 ウィーン国立歌劇場)

こんな希少なトリスタンを聴きました。
ニルソンのイゾルデは、たくさん聴けるけれども、J・トーマスのトリスタンなんて、どこにも残されていなくて、ただでさえ正規なオペラ全曲録音の少ないトーマスの録音だからよけいにそうです。

これは、11月に買ってしまった31枚組の「ニルソン・グレイト・ライブ・レコーディングス」のなかのひとつ。

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ニルソン財団の協力を受けて、各放送局に残るバイロイト、バイエルン、ウィーン、メット、ローマなどの上演ライブ放送をリマスターして正規音源化したものなんです。

このなかには、「トリスタン」は3種あり、サヴァリッシュのバイロイト(57年)、ベームのウィーン(当盤67年)、ベームのオーランジュ音楽祭(73年)がそれぞれ収録。
サヴァリッシュ盤は非正規のものを持ってるけど、音質が向上。
オーランジュ盤は、映像が有名だけれど、ステレオでちゃんとした音源では初。
そして、まったく初のお目見えが、ウィーン国立歌劇場盤だ。

ついでに、このボックスの収録内容は。
バルトーク「青ひげ公の城」 フリッチャイ指揮
ワーグナー「ローエングリン」 ヨッフム指揮バイロイト
ワーグナー「ワルキューレ」 カラヤン指揮 メット
ワーグナー「ジークフリート」3幕2場 スウィトナー指揮バイロイト
ワーグナー「神々の黄昏」自己犠牲 マッケラス指揮 シドニー
ベートーヴェン「フィデリオ」 バーンスタイン指揮 ローマ
プッチーニ「トゥーランドット」 ストコフスキー指揮 メット
R・シュトラウス「サロメ」 ベーム指揮 メット
R・シュトラウス「エレクトラ」 ベーム指揮ウィーン国立歌劇場、メット
R・シュトラウス「影のない女」 サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場

こんな感じで、不世出の大歌手ビルギット・ニルソンの主要なレパートリーを、これまで世に出ることがなかったものや、非正規盤であったものなどをしっかり網羅した大アンソロジーなのであります。
少年時代から、ニルソンのワーグナーにおける声を聴いてきた自分としては、まさに垂涎の一組となりました。

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ウィーン国立歌劇場のベームのトリスタン、67年のプリミエの初日の模様で、音源はモノラル。よく耳を澄ませば、若干のテープヒスも聞こえるが、鮮明な録音で、この作品の視聴にはまったく問題ないが、3幕の一部に欠落があるように思う。
あと2幕の長大な二重唱に、因習的なカットがあって、2幕は66分と短くなっている。
面白いのは、1幕の終わりの方、ステレオのように聴こえること。

 それはともかくとして、オーケストラが完全にウィーンフィルのそれであること。
60年代のよきウィーンフィルの音色であり、しかもベームの指揮であることがうれしい。
ひなびた感じの管の響きは、郷愁と憧れを抱かせるのに十分だし、ベームに大いに煽られて切羽つまった音を出すのもウィーンならではの雰囲気である。
 で、そのベームの指揮。
この当時、62年から始まったヴィーラント演出のバイロイトでの上演が70年までずっと続いていて、ニルソンとヴィントガッセンの二人を主役に据えた、文字通り鉄板的な上演だった。7年間のなかで、65年と、67年はバイロイトでの上演はなかったが、DGの名盤66年盤の翌年のウィーンの記録という意味でも貴重なものだ。
 DG盤と同じく、早めのテンポで、凝縮した響きを求めて過度な感情表現はないものの、歌手と舞台とピットが、ベームの指揮の元に一体化していることを強く感じる。
オペラの中心が指揮者であること。
昨今の演出過剰の舞台での小粒になったオペラ指揮者たちにはない、強力な存在感を、このような録音からも聴き取れるのが、昔の音源の楽しさでもあります。
1幕のマルケ王のもとへの到着、2幕の二重唱、3幕のトリスタンの夢想など、いずれもライブならではの高揚感を味わえ、劇場に居合わせた聴衆はさぞかし興奮したであろうと思います。
録音のせいかもしれませんが、ティンパニの強打もそこかしこで、素晴らしくって、DG盤とはまた違ったピットないの音の魅力を感じる。

そして、最初から最後まで、安定していて、冷たくも凛とした神々しさをたたえるニルソンのイゾルデは、自分にとっては、相変わらず無二の存在を裏付けるものでありました。
イゾルデのあらゆるシーンと歌声は、自分にはすべてニルソンなのです。

 で、この音源の大きな目玉が、J・トーマスのトリスタンにあったわけであります。
2幕に省略があったとはいえ、トーマスのトリスタンを、自分としては初に聴けたのだ。
ワーグナーかシュトラウスか、第九ぐらいしか音源がなかったところに、このトリスタンはまったくの朗報。
知的で気品のあるトーマスの歌声だが、凛々しいトリスタンが媚薬にのって愛の男に転じるさま、そして2幕の美しい二重唱での艶っぽさ。
そして、3幕では、驚きのやぶれっかぶれっぷり!
こんなトーマス聴いたことなかった。
古い時代の肉太のヘルデンとは一線を画すスマートな歌唱でありながら、こうした爆発を聴かせるトーマス。まったくもって素晴らしいトリスタンとなりました。
カラヤンのトリスタンが、ヴィッカースになったのは、これを聴いちゃうと、ほんとに残念だけど、カラヤンはトーマスをジークフリートとして使ったけれど、カラヤンのトリスタンのイメージにはならなかったのだろうか。

バイロイトと同じ、タルヴェラのマルケ王のマイルドな美声は、ここでも聴けます。
あつ、ちょっと古風なヴィーナーと、名わき役のR・ヘッセの歌声も懐かしい喜びでした。

この演奏に名を連ねている歌手も指揮者も演出家も、R・ヘッセを除いては、みんな物故してしまった。
いまの新しい録音による、新しい歌手たちの演奏もいいけれど、わたくしは、こうした過去の演奏の方が落ち着くし、好きだな。
 もちろん、昨今の歌手たちは、べらぼうに巧くなったし、演技もうまいし、ビジュアルもいいんだけれども・・・。

このニルソン大全、喜びを感じつつ、ちょっとづつ聴き進めてますので、また記事にすることもあろうかと思います。
とくに、「影のない女」は素晴らしいし、ちゃんとしたステレオ。
あと、ベームと振り分けたスウィトナーのジークフリートの一部が、これもステレオで聴けます!

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今年もあと1週間。

天皇陛下として最後のお誕生日のお言葉を拝見しました。

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2018年9月 8日 (土)

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 ピド指揮

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9月第一週は、大型台風の襲来による四国・関西地区での被害に加え、北海道では、胆振地方での大きな地震。
さらには、いずれも停電をともなう、インフラ損傷の2次被害。

心よりお見舞い申し上げます。

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     チレーア 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」

     アドリアーナ・ルクヴルール:アンナ・ネトレプコ
     ザクセン公マウリツィオ:ピョートル・ベチャーラ
     ブイヨン公妃 :エレナ・ツィトコーワ
     ミショネ    :ローベルト・フロンターリ
     ジャズイユ僧院長:ラウル・ジメネス
     キノー     :ライアン・スピード・グリーン
     家令      :パーヴェル・コルガティン
     ジュヴノ    :ブリオニー・ドゥイエル
     アンジュヴィル:ミリアン・アルバノ
     
   エヴェリーノ・ピド 指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
               
              演出:デイヴィット・マクヴィカー

            (2017.11.12 ウィーン国立歌劇場)


以前に、BBCで放送されたものを録音しました。
ウィーン国立歌劇場における「アドリアーナ・ルクヴルール」の公演の音源。
コヴェントガーデンを初め、リセウ、パリ、サン・フランシスコの各オペラカンパニーとの共同制作。
こんな輪に、新国も入れればいいなぁ、とも思うが、東洋の島国だと、装置の融通などがコスト的に厳しいんだろうな・・。

さて、あらゆるオペラのなかで、かなり好きな作品にはいる、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
何度も書いてますが、1976年のNHKの招聘していたイタリア・オペラ団の演目のなかのひとつが、このオペラでした。
カバリエ、コソット、カレーラスという名歌手3人が、それこそ火花を散らすような歌と演技でもって日本のオペラファンを虜にしてしまった。
広いNHKホールで、その興奮にひたっていたひとりが、この私でもあります。

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 ヴェルディ(1813~1901) 

  ・ボイート      (1842~1918)
  ・カタラーニ    (1854~1893)
  ・レオンカヴァルロ(1857~1919)
  ・プッチーニ    (1858~1924)
  ・フランケッティ  (1860~1942)
  ・マスカーニ    (1863~1945)
  ・チレーア     (1866~1950)
  ・ジョルダーノ   (1867~1948)
  ・モンテメッツィ  (1875~1952)
  ・アルファーノ   (1875~1954)
  ・レスピーギ    (1879~1936)

ヴェルデイ以降の、イタリア・オペラの作曲家。
プッチーニの存在感が図抜けているものの、その他の作曲家の個々の作品には、聴くべきものがそれぞれにあります。
一様に、ヴェリスモ・オペラとひとくくりに出来ない、激情的なドラマと音楽ばかりではありません。
そんな中での愛すべき作品が、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
そして、作曲家としての、チレーアは、これらヴェリスモ派のなかでは、もっとも抒情的で、穏健な作風を持っています。

チレーアの残されたオペラは、5作品。
「ジーナ」「ラ・チルダ」「アルルの女」「アドリアーナ・ルクヴルール」「グローリア」。
チルダ以外は音源入手済みですが、「ジーナ」は若書き風で、ちょっとイマイチ、「グロリア」は、なかなかですが、リブレットがイタリア語のみで、内容把握がまだまだ。
あとは、器楽曲、声楽曲が少々。

イタリアの長靴の先っぽのほうにある、カラブリア州のパルミ生まれ。
そう、南イタリアの体中に歌にあふれたような人なのだ。
ナポリの音楽院を優秀な成績で出て、作曲家としてイタリア全土に名をはせたのが、アルルの女とアドリアーナ。
一時、フィレンツェで教鞭を執るも、最後の教職をナポリで終え、その生涯は、今度はイタリアの北西、ジェノヴァの西側にある美しい街、ヴァラッツェで亡くなっている。

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1902年の作曲で、その頃には、プッチーニは、「トスカ」で大成功をおさめ、次の「蝶々さん」を準備中。ちなみに、「カヴァレリア」は12年前、「パリアッチ」は10年前。
マーラーは、5番の交響曲を作曲、R・シュトラウスは、初期オペラ「火の欠乏」を仕上げたあとで、大半のオーケストラ曲は作曲済み。

こんな時代背景を頭に置いて聞くのも大切。
どの作曲家も華麗なオーケストレーションと、大胆な和声に、その筆の業を繰り出していた。
そこへいくと、チレーアの音楽はおとなしく感じるが、主人公たちにライトモティーフを与え、それらが、歓び、哀しみ、怒りの感情とともに、巧みに変化していくさまは、登場人物たちの心情の綾を、デリケートに描いていてすばらしい。
 さらに、グランドオペラ的な側面も、劇中劇としてのバレエ音楽の挿入などで、華やかな一面も。
しかし、そのバレエ音楽は、バロック調の新古典的な音楽で、これまたチレーアの音楽の冴えた一面だ。

 あと、なんといっても、4人の主人公たちに、短いながらもふんだんに与えられたアリアのメロディアスかつセンチメンタルなこと。

ことに、わたくしは、陰りをおびた、マウリツィオのアリアがみんな好き。
ひとりの女性への愛と、祖国への愛、ふたりの女性のはざまで、悩む軍人でもある男。
ピカピカしたテノールより、少々疲れた焦燥感がある声で歌われることが相応しい。
まさに、カレーラスのイメージ。

アドリアーナは、まさに大女優然としたプリマドンナの役柄。
堂々たるグランドマナーが必要、でも、繊細な歌いまわしも最後には求められる難役。
目をつぶって聴くカバリエの歌声が最高だし、テバルディもすばらしいが立派すぎか。
ラストシーンは、儚く、哀しい・・・



ブイヨン公妃は、このオペラでは、ちょっと憎まれ役だし、意地悪で、最後の最後のはひどいことしやがる。
そんな女だけど、愛するマウリツィオ様には健気で、いじらしい。
そんな可愛い側面と、何が何でも、自分のものと、荒れ狂う嫉妬の鬼と化す二面が必要。
これまた、コソットが思い出だ。
実際に見聞きした、カバリエとコソットの恋のさや当ては、鳥肌ものだった!

あと何気に、同調できるのがミショネ。
黙って、哀しみの背中を歌いださなくてならない、いいひとバリトンの役柄。
これまた、NHKのドラーツィが味のある歌に演技だった。
普段は剛毅なバリトン役を歌う、ミルンズもすごくいい。

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今回聴いた、ウィーンのライブ。
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4人の歌手がよくそろっていて、しかもビジュアル的に、もきっとよかったに違いない。
全体に、ふくよかになり、声も重く、最近では、ある意味、鈍重にも聴こえるネトレプコ。
彼女の場合は、映像がないと映えないのが残念なところだが、舞台で朗読を聴かせつつ、それがだんだんと、熱を帯びてきて、超激熱な叫びの歌に転じてゆくところの迫真ののめり込み具合が実にすさまじく、さすがネトレプコと感心した。
前半は繊細さをもう少し望みたいところだが、終幕の「スミレ」のアリアから、死へ向かうところも、まさにお得意の薄幸の女を地で演じ、歌っていて、とても感動的だ。

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相方の、ベチャーラ。これが、私にはとてもよかった。
この歌手のここ数年の進境の著しさといったらない、知らなかった自分を悔いるくらいだ。
この夏のバイロイトの「ローエングリン」で関心したのも記憶に新しい。
もともと、リリックな声に、力強さが加わり、喉を突き抜けるような力のある高音が出るようになった。
そして、品のある声質もいい。
わたしの理想とする、カレーラスに迫るようなイメージの、ベチャーラのマウリツィオ。

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あと、実は今回の歌手の中で、一番驚いたのが、ツィトコーワのブイヨン公妃。
なんとクリアーな、メゾソプラノの音域の歌手だろう。
声の威力も申し分なし。
強い声も、これまでのメゾソプラノが演じてきた、ブイヨン公妃の名歌唱とひけをとらないし、そんな強い歌唱とともに、女性的な優しさや、揺れ動く感情も歌いだしている。
 あー、素敵だ、と思いつつ、途中で気が付いた。
彼女の名前が、しばらくぶりで聴く、あのツィトコーワたん、だったこと。
 小柄なロシア出身のメゾ。
その小柄で金髪の可愛い風貌にもこだわらす、その声は、声量と声の上下の幅が極めて豊かな、ビジュアルも好感度以上の歌手だ。
新国で、オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを聴いて、その所作のカワユサに、虜になっていたんだ。
その彼女が、憎々し気な適役を、まさに的確に演じ歌っている。
音域の広いこの役柄を完璧に歌ってますし、どうしようもない心の葛藤も、その一本気な歌から聴き取ることもできます。
ほんと、すてきな、ツィトコーワ。

その彼女のインタビュー。

歌手として、音楽家としての風格や、いい雰囲気が出るようになりました。

ロシア、マリンスキー系の歌手たちの躍進が続いているように思います。

日本にも帰ってきて欲しいですね。

この演奏、ウィーンフィルのメンバーも大半の、国立歌劇場の美音をつかさどる、イタリアオペラの歌心満載の実務的なピドの指揮も、オケの柔らかな音色の魅力も伴って最高にステキです。

正規音源も数々聴いてますが、あと印象にのこるのが、80年代のJ・パタネの指揮する、バイエルンのシュターツオーパーのFM録音音源。
M・プライスのクリアーなアドリアーナ、N・シコフの壊れそうなぐらいの情熱の塊のマウリツィオ。

「アドリアーナ・ルクヴルール」が大好きです。

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2018年9月 2日 (日)

バイロイト2018 勝手に総括

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夏は気温もあがり、周辺は大気も不安定になるので、富士山はなかなか拝めません。

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右に目を転じると、丹沢・大山は、近いこともあって、くっきり。

8月が終わりましたが、まだまだ暑い。

でも朝晩の涼しい風が心地よい時分ともなりました。

ヨーロッパの夏の音楽祭も、プロムス、ベルリン芸術祭はまだ継続中ですが、バイロイト、ザルツブルクは終了。

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バイロイト音楽祭2018、全作を視聴しましたので、自分勝手に、妄想も込めて総括します。

①「ローエングリン」

今年の新演出演目、すでにプリミエ直後に全曲視聴し、画像のみで想像し、演奏に関してはいくつかコメントもいたしました。
 → ワーグナー 「ローエングリン」 バイロイト&コヴェントガーデン

NHKでもすでに放送されたそうですが、ネット上で、バイエルン放送局が、上演後すぐに公開しましたので、わたくしも即座に観劇することもできましたので、少しばかり感想を書かせていただきます。

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変電所があったり、全体的にブルーであったり、ブリューゲル風の中世の意匠や、羽根
だったりで、現実と夢想の歴史をなぞっているかと、公開されていた画像で想像していたが、実際はかなり違うもので、最近になって出てきた画像が上のオレンジのお部屋のもの。

このお部屋は、夫婦のベッドルーム。
嫌がるエルザを変圧器の碍子のようなところへ巻きつけて、事を迫るローエングリン。
その前は、聖書を仲良く読む夫婦風だったが、イライラを隠せない旦那。
妻は聖書を手放さず、それをとりあげて、ベッドサイドの引き出しにしまってしまう。
それで、ローエングリンはメラメラして電線で緊縛に至るんだ。(演技も本気( ´艸`))
エルザ、めちゃくちゃ嫌がってる・・・

高圧の強力な電力をもたらした有能な電気技師。
テルラムントとの対戦では、まさに子供も喜ぶ空中戦をしたあげく、羽をもぎ取ってしまう。
オルトルートにも、エルザにも、よく見ると蝶やトンボのような柄が衣装に描かれている。
市民は、みんな電気技師の味方で、豊かな生活にうはうは。

驚き、というか、まさかの陳腐な幕切れは・・・
ローエングリンの最後のモノローグ、語るうちに、周辺は暗くなり、市民の持つ明かりもチカチカしてきて電気切れ。
エルザへの形見の品は、非常用電源っぽい。
勝ち誇るオルトルートは、やたらと元気がいい。
失意のうちに、しょんぼり去るローエングリンと引き換えに、出てきたのは、エルザの弟ならぬ、全身緑の葉っぱで出来た森林クンとも呼びたくなるようなゆるキャラ、手には、緑のモニュメントがチカチカ光っている。
 エルザとふたり、姉弟で、誇らしげに勝利とばかり、舞台前面に歩んでくる。

市民も、王も、みんなぶっ倒れてしまい、オルトルートはひとり生き残り、彼女自身は、ここはどこ?状態できょろきょろ。
期せずして、エコじゃない電気屋さんを追い出してしまったから、功労者なんだ。

なんじゃこりゃ。

ローエングリンで、なにも、こんなこと表現するこはねーだろ。
舞台・衣装デザインを担当したラウヒ夫妻が、長年準備してきたもので、アメリカの演出家シャロンは、ここ1年あたりの指名だから、後追いでの共同演出となったはず。

いまさら、自然エネルギーをモティーフにしてくることは、古臭いと思うし、なによりも、ワーグナーのト書きと、歌詞の内容がまったく無視されていて、矛盾だらけ。
自然エネルギーの可否は、この場で語る資格はありませんが、原発をやめたドイツは、風力・太陽光に力を注ぐ一方で、フランスからの電力融通もある実態。
悩めるドイツの社会問題を、芸術に反映させるのは、その表現のひとつの手法だが、あまりに安易にすぎないか。。。
 こうした仕掛けじみた、子供だましのような演出は、1度見て驚けば充分だな。
演出系の3人一緒のカーテンコールには、ブーも飛んでたし。

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ベチャーラのローエングリンと、マイヤーのオルトルートの二人が実に素晴らしい。
ほかの歌手も上々。
ティーレマンの指揮もさすがと思わせるところ多々あるが、テンポ設定が不自然なところが、映像で舞台を確認しながら聴くと感じるところあり。

演出と指揮では、ネズミ・ローエングリンの方が、音楽の読み込みがいい。
あともう一点、ドイツの今の問題は、流入した移民問題。
2000年のユルゲン・フリムのミレニアム・リングの演出でも、すでにトルコからの移民が、リング演出のなかに織り込まれていて、いまや、そこに難民が加わったドイツの病める姿を強く感じるわけだ。
最初は、3K的な仕事を担うつもりの移民が・・・・、もうやめときましょう。

②「パルジファル」

3年目のラウフェンベルク演出。時代設定を替えたカラーリング豊かな舞台に、ちょこちょこと政治色を絡めてくるこの人。

最初から、賞味期限が切れる寸前だった。
だって、中近東に、内戦やテロあたりをシンクロさせたから。
普遍性なし、この手の政治・社会問題はことに流動的だから。
状況は常に変わる。
やめときゃよかったのに。

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ネルソンスに降りられてしまい、堅実なヘンシェルが2年振り、今年からビシュコフが何気にバイロイトデビュー。
カラヤンが後継候補に名前を出してから、もう数うん十年が経つが、ビシュコフは、その見た目の濃さとは裏腹に、以外と堅実かつ、外れのない、職人的な存在になっていった。
このパルジファルも、オーケストラがしっかり鳴っていて、全体の枠組みも誰が聴いても安心できるものだったから、歌手たちも歌いやすかったのでは。
しいて、いえば、何も新たな発見や驚きはなかった、無難すぎることか。

アンドレアス・シャガーの2年目のタイトルロールが、とてもいい。
アンフォールターースの2幕の叫びもばっちり。
今年、グルマンツにまわったグロイスベックも、美声を生かして若々しい雰囲気でよし。
パンクローヴァのクンドリーも凄みを増してるし、マイアーの病的アンフォルタスも素敵。

音源だけでは、歌手が素晴らしかったパルジファル。


③「トリスタンとイゾルデ」

4年目のカタリーナの演出。
舞台は、夢も希望もない、哀れなイゾルデの不倫の顛末、ということで、救われないトリスタンが気の毒、と思いつつ、毎年聴く、素晴らしいグールドのタイトルロール。

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 グールドさん、今年は、ジークムントも歌っていて、忙しい。
最終公演は、そのワルキューレとのからみもあって、パルジファルのシャガーが、トリスタンになったそうな。
ほんと、可愛そうだよ、グールドさん。
歌が立派すぎて、使いまわし。
来年は、こちらのトリスタンに加えて、新演出のタンホイザーも・・・・。

3年目のペトラ・ラングのイゾルデ、だんだんよくなってきた。
高音が、絶叫交じりになってしまうところも、だいぶ解消してきた。
ビジュアル的にオルトルートやブランゲーネのイメージが、いまだにあるも、耳で聴くイゾルデとしては、ほぼよし、次年度に期待。

ぺテルソンとクリスタ・マイアーのブランゲーネ、クルヴェナールは、もう完全なチームワーク的な存在で文句ない。
ルネ・パペの美声のマルケ、いいけど、悪い奴に印象操作されたこの演出では、可愛そう。

ティーレマンは、毎度、安心して聴けるトリスタンだけど、そろそろ違う指揮者でも聴きたい。

④「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

2年目の、バリー・コスキー演出。
映像がないので確認できないが、ちょこちょこ見直しがされた由。
第2幕の冒頭のピクニック場面が芝生でなくなったらしい。
あと巨大な顔のバルーンもよりリアルになった感じ。
このコスキー・マイスタージンガー、かなり芸が細かく、装置も演技も、美に入り細にいるので、シェローのリングのように、だんだんと改善され、成長していくのでは、と期待。

だがしかし、ユダヤ系のコスキーの主張は、楽しい舞台の表にも裏にも、反ユダヤだったワーグナーを皮肉ったり、ユダヤ系の指揮者レヴィをもてあそんだりと多面的。
そこに戦後処理の法廷をリンクさせたりとで、かなり政治色がありすぎで、ややこしいが、要は、ワーグナーの音楽や、その存在にまつわるものを、そこに関わった人物たちをも、マイスタージンガー=名歌手として、一緒くたに、舞台の上に展開してみた、というところだろう。
観客がそれを、どう受け止めるか、それぞれの出自・年代に応じてさまざまでしょう・・。
こんなフリーダムなイメージ発信が、コスキーのマイスタージンガーかも。

 フィリップ・ジョルダンの指揮が、昨年と各段の進化。
演出との完全合意かもしれないが、昨年不自然に思われた、変な「間」やテンポ感がまったくなくなり、全体が緩やかか、のびやか、かつ、俊敏なかたちに収斂した感じ。
舞台の演出サイドも歩み寄り、指揮者も歌手も完全合意した結果での大きな成果と思われます。

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フォーレのザックスの雄弁さと、まろやかな歌いまわし、さらに素晴らしい。
対する、ベックメッサーのクレンツィルの芸達者ぶりも、音源からでもただよってきます。
フォークトの完全に、耳に馴染みのできた騎士ワルターも安心安全。
ダーヴィット、マグダレーネ、ポーグナー、マイスターたち、みんなチーム化して万全。
そこに、久々にエヴァとして登場の、エミリー・マギーさん。
すっかりおなじみ、マギーさん、これもまた耳になじんだ安心感だし、その歌いまわしにレヴェルアップも。(シュヴァンネウィリムスは、気の毒だった・・)

てなわけで、マイスタージンガーの音楽面での安定感が光りました。

⑤「さまよえるオランダ人」

2012年から5年続き、1年空けて、また上演された使い勝手のいい「オランダ人」。
もう見慣れたけれど、グローガーの演出は、わたくしには陳腐なものにか感じない。
ビジネスマン、段ボール、女工さん、扇風機工場・・・、みんな好きじゃない。
「オランダ人」には、宿命と希望、そして愛による救済、といった不変のモティーフを明確に求めたい。

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2年目からずっとゼンタを歌っているメルベトがいい。彼女の必死の歌だけを聴いてると、あの舞台を思い起こさずに済むし。
日本でもウォータンや、いろんな役を歌っているグリムスレイが、今年バイロイトデビューしてオランダ人を歌ったわけだが、アメリカ発のバス・バリトンの系譜、T・ステュワート、R・ヘイル、J・モリスの流れを継いだような、なめらかな美声と馬力を感じ、嬉しくなりました。
他の歌手も長く歌い継いで、万全だし、ライン・ドイツオペラで着実に実績を積んでいる、アクセル・コバーのきびきびとした、実務的な指揮が、実に的確でいい。
シュタインや、シュナイダーの担ってきた堅実なバイロイトの音楽の分野を下支えするような、そんな存在になって欲しい。

⑥「ワルキューレ」

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不評だったカストルフのリングが終了したが、今年は、戦後バイロイト史上初、一作のみを取り出しての上演で、その目玉は、ドミンゴの指揮というもの。
この演目は、3回だけの上演。
バイロイトのライブ放送は、基本、初日のものが聴けるわけだが、その後の2回の上演がどうだったかは不明なれど、ドミンゴの指揮者としての登場、失敗の巻としかいいようがなかった。
 録音していち早く聴いたが、最初は、じっくりとしたテンポに、どこか聴きなれない内声部などの強調等、ユニークな演奏じゃないか、と思いつつ聴いた。
が、しかし、レヴァインばりの大らかテンポなれど、音楽の流れがどうもつながらない。
細かに張り巡らされたライトモティーフが、すんなりスルーされて、意味合いを持たずに通り過ぎてゆくし、逆にメロディにこだわりすぎて、全体を見失うような雰囲気も感じられた。
これでは歌手も、歌い手&演じ手としてもやりにくいだろうな。
カーテンコールでは、ひとりだけブーを浴びていた。
 その後の上演で、よくなったか否かは不明ですが、、

ちょっと辛口にすぎるけれど、オペラ歌手として、最大級の功績を上げ、あらゆるオペラのロールを極めた大芸術家だけれども、いきなりバイロイトでワルキューレを指揮するということはチャレンジの度合いが過ぎたものと思わざるを得ない。
それより、このような企画をした劇場運営局もどうかと、同じく思わざるを得ない。

トリスタンと掛け持ちのグールドのジークムント。立派過ぎて、耳は聴きなれたジークフリートやトリスタンに聴こえてしまう。
カンペのジークリンデが素敵で、フォスターのブリュンヒルデも文句なし。
ウォータンの声は暗すぎ。
あと、二期会の金子美香さんが、グリムゲルデでバイロイトデビューという朗報あり。

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さてされ、現地で観劇もせずに、毎度、こうして言いたい放題、あいすいません、あくまで、個人の意見です。

ネットの恩恵に、最近、ますます感謝してます。
リアルタイムで、その演奏や映像を確認できる。
しかも、年々、技術も向上し、画質・音質ともにかなり高品質だ。
バイエルン放送局は、今年からサラウンド放送を始めた。
これらのコンテンツは、もちろん自分が楽しむものだけに限定されているわけですが、ほんと海外の放送局、とくに、ドイツと英国の局には感謝感謝。
 我が国はというと・・・、いいですもう。

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来年のバイロイト2019の、新演出は「タンホイザー」。
指揮は、ゲルギエフですよ・・・
演出は、38歳のトビアス・クラッツァー(Kratzer)という人。
面白そうだけど、いやな予感に、みた感じ。

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ここでもまたグールド。
タンホイザー復帰という安全策に、売り出し中の若いノルウェーのソプラノ、ダヴィットセンのエリザベト。さらに、マリンスキーからグヴァノバのヴェーヌス。

あと、「ローエングリン」のエルザに、ネトレプコとストヤノーヴァの声がノミネートされていて、他の演目は、「マイスタージンガー」に「トリスタン」「パルジファル」。
ベルリン・コーミッシュオーパーですから、こんなの当たり前ですが、ラモーのオペラを演出したトビアス・クラッツァーの舞台の様子。

早くも、来年のバイロイトに向けて、気持ちが動いてます(笑)

元気でいなくちゃ。

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2018年7月28日 (土)

ワーグナー 「ローエングリン」 バイロイト2018&コヴェントガーデン

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もう日は経ちますが、今年も、靖国神社のみたままつりに行ってきました。

猛暑のなか、今年から屋台も復活し、老若男女・日本人も外人さんも、ほんとにたくさんの人出で、おおいに賑わいました。

そして、同じ時期、本格的な夏の到来とともに、海外では夏の音楽祭の始まりとなります。

ここ数年、ネットで同時配信され、遠い異国の地にあってもすぐさま視聴することができる。

Proms、ザルツブルク、そしてバイロイトが、わたくしの夏の楽しみです。

今年のバイロイトのプリミエは、「ローエングリン」。

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     ワーグナー  歌劇「ローエングリン」

 ローエングリン:ピョートル・ベチャーラ エルザ:アニヤ・ハルテロス
 テルラムント : トマス・コニュチニー オルトルート:ヴァルトラウト・マイヤー
 ハインリヒ :ゲオルク・ゼッペンフェルト 伝令:エギルス・シリンス
 
  クリスティアン・ティーレマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                       バイロイト祝祭合唱団
           合唱指揮:エーベルハルト・フリードリヒ
           演出:ユーヴァル・シャロン
           舞台・衣装:ネオ・ラウヒ&ローザ・ロイ

                   (2018.07.25 バイロイト)   


当初、発表されていたロベルト・アラーニャが降りてしまい、代わりに起用されたベチャーラ。
ドレスデンでティーレマンとも共演していて、実績もあり、このところ売れっ子テノール。
あと、18年ぶりにバイロイトに帰ってきたマイヤーも注目。
そして、このローエングリンを指揮することで、バイロイトで上演される主要作すべてを手掛けたことになるティーレマン。
もしかしたら、戦後バイロイトで全作コンプリート指揮者は初かも。

こんな風に、なんだかんだいって、バイロイトは毎年、話題にことかかない。

そして耳で聴いた演奏は、なかなか素晴らしいものだった。

まず、ベチャ-ラのタイトルロール。

10年ほど前に、チューリヒ・オペラの来日公演で、ばらの騎士でのテノール歌手を聴いているが、その時の印象ではきれいな声、ぐらいのもので、今回のローエングリンを聴いて、スピンとする、その力強い声とともに、あふれる気品に、かつてのジェス・トーマスを思い起こしてしまった。これからも楽しみな歌手。
 あと、久々のマイヤーさん。
相変わらずの魅力的な中音域に、やや硬質なキリリとした声。
凄みはあるが、憎々しさを覚えないのは、イゾルデの声で聴きなれたせいか。
でも四半世紀前のアバド盤でのマイヤーに比べると、味わいは増しものの、さすがに声の威力は減じた感じだ。
 ハルテロスのエルザは、まずまず。1幕は、ちょっと不調ぎみで、苦しかった。
あとになるほどよかった。
ドイツも猛暑らしくて、歌手たちは体調管理が大変だ。
ハルテロスも、もう13年も前だけど、新国でエヴァを聴いていたが、当時の日記を見てみたら大きな体で、よく声が出ている、なんて書いてて何とも言えない。
来年のエルザは、ネトレプコとの報もあるけど、どうなんだろう。
 テルラムントのコニュチニーと、ゼッペンフェルトのハインリヒは万全の歌いぶり!

ティーレマンの指揮は、快速。
いつも重厚長大なワーグナーを、ゆったりめのテンポで堂々と推し進めるのに。
1幕の前奏曲からしてそう感じるし、3幕の前奏も早い。
演奏タイムは、全幕で3時間22分。
あとで取り上げるネルソンスは、3時間30分、ペーター・シュナイダーが3時間38分。
なにもテンポの速い、遅いが演奏の良し悪しを決めるものではないが、オペラの場合演出や舞台の流れに即した解釈ともなることもありうるから、このあたりは、いずれ観ることができるであろう舞台映像で判断したい。
 ということで、ティーレマンにしては、全体に軽く感じたわけだが、それでも要所要所で、タメを設けたりするところが見事に決まったりするところは、彼らしいところではあります。

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 で、演出。
「青=ブルー」の世界。
青の舞台の画像のいくつかを見て思ったのは、ヴィーラント・ワーグナーのローエングリン。バイロイトを始め、ウィーン、ベルリンでも、東京でもおなじみのあの青。
生誕101年のヴィーラントへのリスペクトか?

 過去記事 →ヴィーラントの青

この舞台のコンセプトは、装置・衣装のラウヒ夫妻が長らく準備してきたものとのことで、演出のロサンゼルス・オペラのシャロンの起用の決定は、その準備以降のこととのことなので、この舞台と演出は3者の完全共作ということのようだ。

画像を見て、毎度想像をめぐらすわけだが、変電所が舞台で、ローエングリンは送り込まれた電気技師。貴族・豪族たちは、ディズニーのお伽の国の人物のようで、羽根が生えてる。それに対し、民衆たちは、バロック調のリアルな衣装で、それぞれが三者三様。
舞台背景もよく見ると絵画的。

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 せっかく電気をもたらしたのに、追われてしまう寂しいローエングリン。
それを見送るエルザの背には、サバイバル電源のようなバックパックが。
う~む、想像はこのあたりまでにして、映像を待ちたいと思います。
 聴衆のブーがほとんどなかったので、穏健な落としどころがあったのでしょうね。

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ワーグナー  歌劇「ローエングリン」

 ローエングリン:クラウス・フローリアン・フォークト
 エルザ:ジェニファー・デイヴィス  テルラムント: トマス・ヨハンネス・マイヤー 
 オルトルート:クリスティン・ゴアーク ハインリヒ :ゲオルク・ゼッペンフェルト 
 伝令:コスタス・スモリギナ
 
  アンドリス・ネルソンス指揮 コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                     コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団
           演出:デイヴィッド・オールデン

                   (2018.07.01 ロンドン)   


6月から、ロンドンでは、オールデン演出によるプロダクションが上演。
指揮は、バイロイトで実験ネズミのローエングリンを指揮したネルソンス。
そして、いまや世界一ローエングリンを歌っているであろうフォークトを迎え、エルザには、当初、ネルソンスの奥さんのオポライスが予定されていたが、こちらも降板し、アイルランド出身のジェニファー・デイヴィスという若い歌手が起用され、その彼女が一躍スターとなった(らしい)。
そんな上演の様子、音源だけは、BBCのサイトで期間限定ネット配信されてました。

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まず、ここでは、ネルソンスの安定感のある指揮ぶりを称えたい。
ティーレマンよりいいかも。オケの雰囲気は、バイロイトの方が劇場の鳴りも含めて上に感じますが、全体のとらえ方のバランスのよさと個々の場面の緻密な描き分けが、とても見事。歌手も、オーケストラもこんな指揮ならとてもやりやすいのではないでしょうか。
2幕のダークサイドチームたちの暗黒の緊迫感ある場面は見事。
そして、3幕の禁断の問いの場面での切迫感と無常感。
で、最後の大団円は、思いっ切り引っ張って、とてつもない効果を引き出してました。

歌手では、フォークトが完璧。いうことない。
若いジェニファーさん、どちらかというとリリックな声で、エルザやエヴァがお似合いの感じですが、ここぞという場面では、けっこう頑張ってます。
ゴアークというアメリカ人メゾによるオルトルートは、おっかないです。
ヴィブラートを巧みに用いて、亭主の尻をたたき、とエルザをたらしこみますが、ちょっと何度も聴くとくどい印象を受けるかもです。
お馴染みのマイヤーのテルラムントも聴きなれた声だけに、私には安心感がありますが、フォークトのような完璧感はちょっとないです。
バイロイトと同じく、ここでもゼッペンフェルト。

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さて、写真で妄想。
オールデンの実際の舞台は観たことがないけれど、社会性のあるテーマをぶっこんでくる演出家。
ここでは、20世紀に時代設定をもってきて、爆撃後の焼け跡復興が舞台っぽい。
2幕の婚礼シーンには、白鳥の彫像がナチスを思わせるし、3幕(死体が右に転がっているので)のローエングリンの告別の場面では、それらしき旗が。
国王は、顔色悪く、ダーティなイメージだし、ダークサイド組と聖なる組とでは、黒と白で対比。労働者たち、市民は表情が暗く硬い。

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戦後の暗い社会に現れた救世主に、ナチスの申し子を重ね合わせようと皆が願望したが、エルザの一言で、その白い戦士は帰って行く。
 こんなことを想像しましたぞ。
勝手な妄想ですので、お許しください。

短期間に、ふたつの優秀なローエングリンの上演の様子を聴くことができました。
ネットとはかくもありがたいものです。

さぁ、この夏も各地の音楽祭聴き、いそがしーーー。

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2018年7月22日 (日)

ウェーバー 「魔弾の射手」 二期会公演

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オペラ公演に、スタンド花はよく見る光景ですが、特定の出演者に、ここに写った何倍も。

元宝塚のスター女優、大和悠河さんが出演することで、客層も一部普段と違う感じに。

わたくしの注目は、やはり、コンヴィチュニーの演出。

これで、「タンホイザー」「エフゲニー・オネーギン」「サロメ」に次いで4作目のコンヴィチュニーのオペラ。

ハンブルク州立歌劇場との共同制作だが、1999年プリミエの演出のもの。
DVDにもなっているが、そちらは未視聴。
ザミエルは、男性俳優が演じていて、今回の日本版では、コンヴィチュニーは、女性でやるとしたため、ズボン役もこなす、大和さんのザミエル役がやはり大きな見ものとなったわけだ。
大和さんは、オペラも大変にお好きで詳しいともききます。

「魔笛」や「フィデリオ」のように、セリフも伴う、ジングシュピールだから、原語上演とはうらはらに、セリフ部分は日本語で行われ、逆に英語の字幕が流された。

そして、このセリフ部分で、なんといっても圧巻かつ群を抜いていたのは、やはりザミエルの大和さん。
声の抑揚、声量、客席への届かせ方などなど、まったく見事。
それに対し歌手たちのセリフはまだまだのところもあった。生真面目すぎるというか、あざとく感じてしまったのだ。
思えば、かつてのオペラ録音では、セリフ部分を本業の声優が演じることが多く、歌声との違いにギャップを感じることもあった時代があった。
 ところがいまや、オペラを楽しむ手法に、映像も加わり、歌手たちには緻密な演技力や表情、そして語りも必要になった。
 ほんと、オペラ歌手のみなさんは、たいへんだと思います。

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   ウェーバー  歌劇「魔弾の射手」

    オットカール侯爵:大沼 徹    クーノー:米谷 毅彦
    アガーテ     :嘉目 真木子 エンヒェン:冨平 安希子
    カスパール    :清水 宏樹   マックス  :片寄 純也
    隠者        :金子 宏    キリアン  :石崎 秀和
    花嫁の介添   :田貝 沙織、鳥井 香衣、渡邊 仁美、長谷川 光栄

    ザミエル:大和 悠河      ヴィオラ・ソロ:ナオミ・ザイラー

      アレホ・ペレス指揮 読売日本交響楽団
                   二期会合唱団
                   合唱指揮:増田 宏昭

      演出:ペーター・コンヴィチュニー

                     (2018.7.21 @東京文化会館)


コンヴィチュニーの演出は、当初は読み替えが過ぎて語りすぎ、との印象を持っていましたが、実際に舞台に接するうちに、その印象の受け方が変わってきて、とても楽しめるようになった自分を発見することとなりました。
 知的な遊び心から発して、大胆すぎる解釈などへ、表現の幅に制約がなく自由すぎるところが面白い。
時代設定もいじるが、そのイジリ方には、現在のわれわれの生きる世の中の事象にリンクしていて、その考え方にのっとればおかしくない。
作者が、登場人物たちに与えた行動や感情にもメスを入れ、それを現代の視点で読み替える。
作品の根幹的な意図を決して外したり、崩壊させようとはせず、音楽とちゃんと符合。
また、舞台と客席を一体化してしまうのも、スリリングなところ。
もちろん、作品によっては、わたしは拒絶反応を起こすものもあるかもしれませんが、今回の「魔弾の射手」は、コンヴィチュニーの演出の意図がとてもわかりやすく、意欲的な舞台がほんとうの面白かった。

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フランス革命のあと30年。
偉そうで独善的な侯爵と雇われ人、森林官との上下関係、農民、市民のなりと存在、さらには、ドレスを着て死んだように横たわっていた人々は上流の方々か。
そんな人々の存在とあり方も、この演出では垣間見させてくれた。
 また上下するエレベーターは、その階に存する人物や社会を。
通常の村の出来事は4階、最後の場面は6階、もちろん、狼谷は地下、アガーテは神聖的な扱いで最上階の7階。(全部ウォッチしてたわけじゃないけど、エレベーターは劇中動きました)
 さらに、狼谷は、恐怖の怪しい森に囲まれた場所ではなく、もうそこは自然破壊され、壊れたものが散在する雑然とした空間。
そうした空間世界を作り出した人間の心の闇の象徴がザミエルで、彼(彼女)はいろんな姿に七変化する。
さらに、人当たり良く、にこにこした隠者は、われわれ観客の中にいて、舞台に上がっていってはお金を振り撒き、ザミエルすら買収しようとする。
この社会崩壊の繰り返しの無限ループを魔弾に込めた演出と思った次第。

     ---------------ーーー

歌手たちでは、ふたりの女声が一番素晴らしかった。
ヒロイン・アガーテの嘉目さんの清潔な歌と、確かな歌唱と美しいそのお姿。
チャーミングなエンヒェンだけど、コンヴィチュニーの演出では独自の存在となる、そんなエンヒェンをしっかりした歌声で届けてくれました。彼女も美人さんです。
 男声陣は、ちょっとお疲れかしら。
なんたって猛暑の中の14時公演。
期待した片寄さんのマックスが意気が上がらず、ほかの低音陣もちょっと冴えなかったかも。
そんな中で、カスパール役の清水さんは、なかなかの全力投球の悪漢ぶり。

大和さんのザミエルは、前述のとおり、スタイル抜群で切れ味満点の演技にお声。
あと、ヴィオラのザイラーさん、わざとダミ音で弾いたりと、なかなかの役者ぶり。
 それと、合唱団の力強さは特筆してよいでしょう。
先週の東響コーラスも絶賛したけれど、日本の合唱団のレベルは、オーケストラとともに、各段に新化していると思う。

ペレスさんは、全体に快速でもたれず、歌手たちにも優しい、オペラ指揮者らしいところを見せてくれました。演出の意図もしっかり汲んでのオーケストラピットでの存在。
迫力よりは、しなやかに歌わせる、それから抒情的な場面を美しく響かせる指揮に思いました。
読響の音色がこんなにキレイに美しく響くなんて驚きでもありました。
チェロのソロもとても素敵でした。

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舞台の様子を。
自分の備忘録ですので。
どんなに強烈な印象を受けても、数年たつと忘れてしまう。
そんなときに、自分の書いたものを読み返してみて、思い出したりもする。

舞台の様子は、産経さんの下記サイトにて画像とともに確認できます・

 ⇒ https://www.sankei.com/entertainments/news/180713/ent1807130010-n1.html

舞台左手には、赤いエレベーターが据えられていて、スポットを浴びている。
7階あって、地下とあるべきところには、「狼」との表示が。
舞台が暗くなって、いつの間にピットの指揮台に立ったのか、序曲が荘重に始まる。
そして、エレベーターの階数表示は6階。
曲の進行とともに、暗い雰囲気となり悪魔の力を思わせる部分になると、エレベーターは急降下を始め「狼」に。
そして最後、長~いパウゼ(ほんとに長かった)のときに、一気に4階(確か)まで駆け上がり、華々しく序曲を終結。

第1幕

マックスの放つ弾が外れるところは、降ろされた斜幕に穴が開く(なんの形か、オウムか?)。キリアンと農民たちに混じって、いや、それを先導するようにしていたのは、長い棒を持ったザミエルと動物の面をかぶった楽師たち。
かれらにそそのかされたかのような農民たちは、ほんとにいやらしく「へっへっへ」と歌う。
ことに女性の農民たちは、ちょっと猥雑な雰囲気。

クーノーとカスパールが加わる場面は、そんなにかわったところはなし。
マックスの有名な苦悩のアリアでは、周辺が真っ暗になり、緑色のスポットがマックス周辺にあたる。
その足元に、舞台したからザミエルが顔を出し、歌の内容に即して、葉っぱでなぞったり、マックスの銃を取り上げて舐めたりと、おちょくる。

そのあと、カスパールと飲む場面でも、給仕としてちょこっと登場のザミエル。
カスパールの邪悪な歌(この歌は、フィデリオのドン・ピツァロ、オテロのイャーゴを思わせる)に続き、銃で巨大な漫画みたいな大鷲の影を打つと、ほんとに漫画みたいな大鷲のぬいぐるみがドカンと落ちてくる。

第2幕

斜幕を下ろして、巧みに場面転換。裏方さんたちも大活躍するさまが見える。
エレベーターは6階。
大きなテーブルで編み物をするアガーテ、エンヒェンは、左手の階段から降りてくる。
階上の先祖の絵が落ちた設定となっている。
テーブルに乗ったエンヒェンの快活で可愛いアリエッタが終わると、会場の最前列にいた完璧なスーツ姿の紳士が立ち上がり、ブラボーとともに、花束を舞台の彼女に投げつける。
エンヒェンは、それを花瓶に生ける。
この二重唱の場面での、ふたりの女性の描き分けの対比は、衣装も含めてじつに見事。
やんちゃなエンヒェンは、イケメンの載った雑誌を眺めてきゃぴきゃぴしてるし、アガーテは花嫁衣裳を広げて繕い中。

アガーテの美しいアリアの場面は、それこそ、この日、一番雑念がなく美しかった。
舞台の4本の蝋燭、降りた斜幕に輝く星たち、そこから窓から顔を出すようにして、マックスを待ち受けるアガーテ。

マックスがやってくると、行くぞ、行かせない、気をつけていってらっしゃいの、ややこしい三重唱になるが、倒れた衣装ケースからザミエルも登場し、マックスを誘導。

 さて、エレベーターが「狼」まで下り、舞台転換。
舞台中央にはテレビ。そのうえにはデカいフクロウがいて目が光ってる。
ザミエルを呼び、探すカスパールはテレビのブラウン管の中。
疲労困憊の様子。
現れたザミエルは、今度は白いスーツ姿で、大きなファイルを持ってテレビの横の椅子に腰かけ、画面内のザミエルの交渉に受け答えするが、そのときにきりりとした身のこなし、足の組み替えのキレのよさなどお見事。
 テレビを強制終了して去るザミエルと入れ違いにカスパール、そしてまたお面をかぶり動物化した悪魔の手下たち。
そして恐る恐る登場のマックスだが、この場面になかなか入れない。
しかも、自分の母の霊(子役)や、入水自決しようとするアガーテの姿が見えて戸惑う。
このとき、悪の手下たちは、顔を覆って、聖なるものには弱いところを見せたりする。
 いよいよマックスも加わり、弾丸の製造に入るが、テレビの上の鍋に、いろんなものを仕込み、1弾ずつ数えるカスパールに、横のフクロウは反応し、そして不気味な濁り声で反復して数が読み上げられていく。
 最後の方になると、舞台奥から雑多な人物たちがうようよ出てきて、ゾンビのようにダンスする。
そして、最後の7弾目が出来上がり、読み上げられると、カスパールもマックスも、そしてゾンビたちも一斉にぶっ倒れ、会場内から、それかた会場へと向けて強力な照明が照らされ、わたしの周辺も白昼のような明るさ。
そこへ、舞台奥からザミエルが、今度はバスタオルルックで、アタッシュケース片手に登場し、倒れている人の間をすり抜け、舞台脇のエレベーターへ消えて行った。
舞台天井近くには、デジタルクロックが時を刻み始めた。

 休憩・・・・25分間の休憩中も、ロビーやトイレ、いたるところで、時間を刻む音が



第3幕

4階。マックスとカスパールの会話は、幕を下ろしたまま、スピーカーを通じて。
幕が上がると、大きな壁の前に、客席に背中を向けたまま、ドイツの、民族衣装的な可愛いいでたち。そのまま祈りと安寧を求めるカヴァティーナを歌う。
正面を向き歌ううちに、紳士が投げた花束が、ポロリポロリと一輪ずつアガーテの手から抜け落ちてしまいにすべてを落としてしまう。
先の紳士も、指差しで注意するものの・・・・

エンヒェンがやってきて、怖い夢を見たという従姉を慰める、そして可愛いロマンツェを歌う。
ここで、大きな壁の横から出てきたのが、赤い角を付け、大きなスリットの入ったドレスを着た悪魔(ザミエル)が舞台上でヴィオラソロを演奏。
彼女、歌に合わせ、エンヒェンの意志かのように、アガーテの心の隙に入り込もうとする。
歌の中で、十字を切るとか言葉が出てくると、楽器で顔を覆ったりもするし、いろいろといたずらも。

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                                (ハンブルグの舞台から)

村の付き添いたちは、さきの壁の上にのぼり、かわるがわるに花嫁にまつわる歌を歌う。
エンヒェンが、下の階から花嫁の花冠を受け取って戻ってくる。
緑色の箱を置いて、目を離した隙に、階下から手が伸びてきて、箱をすり替えてしまう。
それを見ていた、先ほどの観客の紳士は、ダメダメ、気が付いてと、舞台に促す。
死の花冠に動揺し、泣きそうになってエンヒェンだけど、介添え人たちと、落ち散らばった花を集めて、冠を編みアガーテにかけてあげる不安が一杯の表情と舞台。

幕が降り、舞台転換の合間、今度は赤いネクタイにスリムなダークスーツのザミエルが出てきて一席ぶつ。ヨーホー・トララララと。
1階前列正面にたくさん陣取ったファンの皆さんに投げキッスをすると歓声が。
勇壮なホルンに乗って幕があがると、ザミエルはスーツのまま狼。
口からは、赤いネクタイが舌のようにベロンと出てる。
舞台には、ドレス姿の男女が死んだように横たわっていて、「狩人の合唱」の合間、その日地たちの間を縫うようにザミエルは動き、踊る。

そして、狩りの供宴の終盤、村人総出。
オットカール様に、むちゃくちゃ恐縮して呂律が回らないクーノー。
され、マックスが最後の4発目を狙う先は、上空で小さく光る電球。舞台は暗くなり、動く電球のみ。低くなったところを射撃。
明るくなると、カスパールとアガーテが倒れている。
動揺する一同だが、しばらくするとアガーテが息を吹き返し復活。
虫の息のカスパールは、約束が違うぞ、天を呪うと、そこにザミエル登場。
恐ろしがる人々の前で、カスパールの胸元から緑色の長いスカーフのようなものを引っ張りだし去っていく。
狼谷の突き落としてしまえとの命令一下、人々はエレベーターにカスパールを運び込み下りボタンをオン。
 さてさて、真相を語らざるを得ないマックスが口を開き、オットカールは見た目も露骨に腹立たしくあたり、追放令を出そうとする侯爵にとりなしをする人々も。
 そこで、ご意見を、ということで、客席の紳士が登場。
最初は、遠慮がちに、でもだんだんと当たり前のようにして。
氏の登場に驚く舞台さんや、エンヒェンら登場人物たち。
まるで、ハンス・ザックスのように、最後のいいとこ、かっさらう勢いで、舞台中央に進行。
やがて、侯爵と、そしてクーノーに、懐から名刺入れのようなものを出して、金色の名刺大のものを渡す。それを見ていた他の登場人物たちも、次々にそのカードを欲しがり、あっという間に全員に行きわたる。
 さあ、オペラも大団円。
祈りを中空を見て簡単に捧げた後は、紳士、すなわち「隠者」の合図で、舞台両脇からシャンパングラスの乗った盆を持って、アテンダントのお姉さんたちがぞろぞろ登場して皆にグラスを。
さらに、「隠者」は、エレベーターから、「狼谷」のふたり、カスパールとザミエルを呼び出し、コミカルな動きで登場したふたりにもシャンパングラスをふるまう。
一同、キラキラした雰囲気にて、にこやかに舞台は終了。

                   幕

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夏らしいスタンド、でもって、え?美樹ちゃん!

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夏はユリだなぁ、って、増田恵子って、ケイちゃん!

ワタクシのようなオジサンにもうれしい大和さんのオペラデビューにございました!

オペラって、ほんとに素敵。

楽しかった。

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2018年6月26日 (火)

「スカラ座のアバド」 ヴェルディ・オペラ合唱曲集 アバド指揮

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 6月26日は、クラウディオ・アバドの誕生の日。

1933年ミラノ生まれ。

父も兄も、ミラノ・ヴェルディ音楽院の院長を務める名門の出自で、幼くして指揮者を夢見たナイーブな少年は、長じて、なるべくしてスカラ座の指揮者となりました。

ちなみに、兄マルチェロの息子、ロベルトも指揮者で、そのお顔も指揮姿も叔父クラウディオにそっくり。
クラウディオの息子ダニエーレは演出家で、生前、「魔笛」にて親子共演を果たしてます。

アバドの誕生日に、録音上のアバド&スカラ座の原点の1枚を聴きます。

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  ヴェルディ オペラ合唱曲集

 「ナブッコ」~祭りの飾りを
         行け、我が思いよ、金色の翼に乗って

 「トロヴァトーレ」~アンヴィル・コーラス

 「オテロ」~喜びの炎を

 「エルナーニ」~謀反人たちの合唱

 「アイーダ」~凱旋の合唱

 「マクベス」~しいたげられた祖国

 「十字軍のロンバルディア人」~エルサレムへ、エルサレムへ
                     おお、主よ、ふるさとの家々を

 「ドン・カルロ」~ここに明けた、輝かしき喜びの日が

    クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

                  (1974.11 ミラノ)


当ブログでは、この音盤について記事にするのは2度目。

アバドの誕生日に、何を聴こうか考えたときに、レコード時代、一番頻繁に聴いたものは何かなと考えたときに、この1枚がそれだった。

ちなみに、聴いた頻度の高いものを列挙すると、あとは、ウィーンでの悲愴、ベルリンとの1回目のブラームス2番、春の祭典、ショパンのピアノ協奏曲1番、ボストンとのスクリャービンとチャイコフスキー・・・・、こんな感じで、CDより、レコードの方が多く聴いてる。
すなわち、レコードが高価なものだったから、そうたくさん買えなかったし、買うならアバドだったから、こんな風になる。

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1968年にスカラ座の音楽監督に就任したアバド。
アバドのファンになってから、イタリアでのアバドの活動は、レコ芸の海外レポートを通じてしか知ることができなくて、ロンドン響とのロッシーニしかなかったオペラ録音に、いつ、スカラ座とヴェルディをやってくれるのか、それこそ首を長くして待ち望んだ、そんな高校生でした。
そこに登場したのが、この合唱曲集。
オペラ全曲盤ではないが、アバド&スカラ座のヴェルディへの渇望を満たすには充分すぎるほどの1枚で、私は喜々として、日々この1枚を何度も何度もターンテーブルの上に乗せたものです。

オペラ録音の主役はコストの関係もあって、ロンドンが中心となっていたなかでの本場イタリアの純正ヴェルディサウンド。
60年代初頭から毎年続いたDGへのスカラ座の録音も、65年のカラヤンとのカヴァ・パリ以来途絶えていただけに、74年のこの録音は、スカラ座としても久々のレコードとなり、楽員も合唱団も、気合十分。

そんなはちきれんばかりの意欲的な音が、冒頭のナブッコから満載。
みなぎる迫力と、輝かしいばかりの明るさと煌めき。
貧弱なレコード再生装置から、こんな音たちが、滔々とあふれ出してきたのです。
いまでも、あの高揚感をよく覚えてますよ。

いま聴いても、その想いは同じ。
ことに、男声合唱の力強さと、女声も含めた、声の明瞭さは、スカラ座合唱団ならではのもの。
オーケストラの精度も高く、アバドの統率のもと、一糸乱れぬアンサンブルであり、ほんのちょっとしたフレーズでも、雰囲気豊かで、アバドの指揮ゆえに、歌心もたっぷり。
オケも合唱も、ピアノ・ピアニシモの美しさは耳のご馳走でもある。

アバドは、マーラーを通じ、その音楽の高みを晩年には、自在さと透明感の頂点に持っていったけれども、一方で、ヴェルディの演奏を聴くと、生来のアバドの根源のひとつをも感じ取らせてくれるように思います。
 アバドのスカラ座との関係は、1986年に終止符を打ってしまいましたが、スカラ座からすると、ムソルグスキーやベルクばっかりに偏重する音楽監督は、芸術性の高さとは別に、大衆受けからは遠く、アバドからしたら、より自分の好きな作品を上演したいし、マーラーを主体としたシンフォニー作品をより探求したかったから、やむを得ない結末だったかもしれません。
 しかし、ファンとすると、こんなに素晴らしいヴェルディ演奏、このあと数年にわたり録音されたものを今もって聴くと、本当に残念なコンビの解消だと思います。
いまは残された、アバド&スカラ座のヴェルディに、ヴェルディ演奏の本物の神髄を味わうことができることに感謝しなくてはなりませんね。

心からありがとうございます、マエストロ・アバド。

Fl_2

CDでは、オペラ全曲盤からのものを含めた1枚が出ておりますが、それらは素晴らしい演奏ながら、全曲録音からの切り抜き。
本来のオリジナル盤の方が求心力高いです!

アイーダで、凱旋行進曲のトランペットが、右と左で、しっかり分かれて録音されているのも、この時代ならでは。
そんなシーンでも興奮しまくりの、若きわたくしでした♪

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