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2021年12月19日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」

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六本木の毛利庭園には、ハート型にうまくねじれたモニュメントが通年あります。

冬の夜景が一番しっくりきます。

遠くに東京タワーは、赤のライトアップ仕様。

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どんな色が施されても、東京タワーはスクッと美しい。

同期生、ワタシも頑張らねば。

そして、頑張って「サロメ」を乱れ聴いた。

R・シュトラウスのblog2度目のオペラ全作シリーズ。

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悩めるヘルデンテノール役を主人公にしたワーグナーの完全な影響下にあった1作目「グンドラム」(1894年)
ジングシュピール的メルヘン劇の「火の欠乏」(1901年)

これら、いまや上演機会の少ない2作に続いて書かれた「サロメ」は、シュトラウスとしても当時、興行収入が大いにあがったオペラで、ガルミッシュに瀟洒なヴィラを建てることもできた。
そして、いまや世界中でこぞって上演される劇場になくてはならぬ演目となりました。

原作のオスカー・ワイルドの戯曲は1891年にパリでフランス語により作成。
ドイツでは、独語訳により1901年に上演されているが、同時期にシュトラウスにオペラ化の提案がありその気になった。
しかし、その台本は採用されず、ラッハマンの原作の独語訳を採用することで1903年より作曲を開始、1905年に完成。
同年、ドレスデン初演され成功を博し、各地で上演されたものの、好ましくない内容として上演禁止にされることもあったという。
前2作以上に、ワーグナー以降のドイツオペラにあって革新的であったのは、優れた文学作品をその題材に選んだことで、しかもその内容が時代の先端をゆくデカダンス=退廃ものであったこと。
そうしたものを、実は人間は見たいのである。
 初演時のサロメ役は、見た目はまったく少女でもなく、しかし、こともあろうに、演出のせいもあったが、自分は品性ある女性、倒錯と不埒さばかり。。と駄々をこね、周りを困らせたらしい。
シュトラウスは、16歳の少女の姿とイゾルデの声のその両方を要求する方が間違っていると、自分のことながら皮肉をこめて語っている。
保守的なウィーンでの初演はずっと遅れて1918年。
マーラーのウィーン時代に、当局より検閲を受け、マーラーはシュトラウスあてに、上演できない旨の手紙をしたためているが、この手紙は投函されず仕舞い。いつかは上演できるとの思いもあったのではとされます。
オーストリア皇室の反対が強く、マーラーと劇場の関係が悪化したのも、そうしたことも理由にあるらしい。

日本初演は、ドレスデンでの世界初演から遅れること57年、1962年です。
調べたら、大阪で、グルリット指揮の東フィル、歌手はゴルツや、ウール、メッテルニヒという本場でも超強力のメンバーで、当時の日本の聴衆はさぞかし驚いたことだろう。
いまでは、日本人歌手のみによる上演も普通になされるようになり、半世紀における演奏技術の進化には目をみはるものがあります。
それは、世界的にみてもおなじことで、サロメを歌う歌手たちは、ビジュアル的にもスリムになり、磨きもかかり、声と演技とに、さまざまなスタイルの女性を歌いあげることも、ますます普通のことになった。

さて、シュトラウスの激しく、劇的で、しかも官能と甘味あふれる音楽。
「私はすでに長い間、東方およびユダヤ的側面を持つ音楽について、実際の東洋的な色彩、灼熱した太陽に不足していることを感じていた。
とくにめずらしいカデンツァで艶のある絹のように多様な色彩を出すような、本当に異国風な和声の必要さを感じた。
モーツァルトがリズムの差による人物描写を天才的な手法で行ったように、ヘロデとナザレ人たちの性格を対比するには、単純なリズムで特徴づけるだけでは不十分だと思った。
鋭い個性的な特徴を与えたいという思いから、多調性を採用した」
シュトラウスのこれらの言葉にあるように、サロメの音楽は色彩的であるとともに、描写的にも、これまで多くの交響詩で鍛え上げられた筆致の冴えが鮮やかなまでに生かされている。

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「サロメ」を視聴するにあたり、自分の着目ポイント

①冒頭を飾るナラボートの歌

②井戸から引き出されたヨカナーンとサロメの会話~エスカレートする欲求
 「体が美しい」→「黙れソドムの子」
 「体は醜い、髪が美しい」→「黙れソドムよ」
 「髪の毛は汚らわしい、お前のその口を所望する、接吻させろ」
 (ナラボート、ショックで抗議自殺)

③神々しいヨカナーン
 「お前を助けることができるのは唯一ひとり」
  ガリレア湖にいるイエスを歌う場面
  急に空気感が変わる清涼な雰囲気の音楽
  最後は「お前は呪われよ!」と強烈な最後通告を下す!
  そのときの凄まじい音楽

④ヘロデのすっとこどっこいぶり
 「さあ、サロメよ酒を飲め、そして同じその盃でワシも飲むんだから」
 「あまえの小さい歯で果物に付けた歯形を見るのが好き。
  少しだけ噛みきっておくれ、そしたら残りを食べるんだから、うっしっし」
  嫁にたしなめられつつも、お下劣ぶりはとまらない

⑤ユダヤ人たちの頑迷さと、救世主を待望するナザレ人
  それぞれの性格や、混乱ぶりを音楽で見事に表出

⑥7つのヴェールの踊りへなだれ込む瞬間が好き
  単体で聴いたんじゃ面白くない、流れが肝要
  この「7」という数字には意味合いがあるのだろうか?
  キリスト教社会にある、「7つの大罪」とリンクされているのだろうか

⑦ダンスのあとの、おねだりタイム
 H「見事、見事、褒美を取らすぞ、なにが欲しい?」
 S「銀の鉢へ」
 H「ほうほう、可愛いことを言いようるの、なんじゃ、なにが欲しい?」
 S「ヨカナーンの首」
 H「ぶーーっ、だめだ、だめぇーー」
 妻「ははは、さすがは、わたしの娘」

  ここでのヘロデのリアクションが面白いし、音楽も素っとん狂だ

  これまで観たヘロデびっくりリアクションの金賞は、メット。
  キム・ベグリーの思わず酒を吹く芸人魂あふれる演技

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   (サロメはマッティラ、かなりきめ細かな噴射でございます)

  ヘロデは、ルビー、宝石のありとあらゆるもの、白い孔雀などなど
  代替の品を提案する。
  シュトラウスの音楽の宝石すら音にしてしまう至芸を味わえる。
  提案のたびに、サロメは、「ヨカナーンの首を」と否定。
  
  この「ヨカナーンの首」を所望するサロメの言葉。
  この場面で、全部で「7回」あります。
  ここでも「」が!

  この7つの「ヨカナーンの首」をそれぞれ表現を変えて歌うサロメもいる
  
  「Gib' mir den Kopf den Jochanan!」
  ヨカナーンの首をくれ、という最後の7つめは壮絶
  ここだけでも、聴き比べが楽しい。
  演劇的な要素も多分に求められるようになったオペラ歌手たち。
  かつては考えられない、多様な歌唱を求められるようになったと思う。

⑧サロメのモノローグ

  あらゆるドラマテックソプラノのロールの最高峰級の場面
  聴き手はもう痺れるしかないが、歌手はほんと大変だ。
  愛おしむように、優しく歌い、
  でも官能と歓喜の爆発も歌いこまなくてはならない
  
⑨おまけ ヘロデのひと声

  おい、あの女を殺せー
  「Man töte dieses Weib!」

  ドラマの急転直下の結末を与える、このエキセントリックなひと声も大事
  いろんなヘロデで楽しみたい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなわけで、いろんなサロメや、オーケストラを聴きたくて、新旧いくつもの音源をそろえること8種類。
映像も4種、エアチェック音源は10種も揃えることとなりました。

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①「ショルティ盤」1961年
1961年、そう、日本初演の前年に、「リング」録音のはざまに、カルショウのプロデュースで録音されたもの。
あのリングの延長上にあるような録音で、生々しいリアルサウンドが、キレのいいショルティの剛直な演奏をまともに捉えたもので、ニルソンの強靭な歌声もいまだ色あせない。
しかしながら、ニルソンはすごいけれど、現代のもっとしなやかで、細やかな歌唱からすると強靭にすぎるか。
全般に現在の感覚からすると、やりすぎで重厚長大な感も否めない。
これ単体とすれば、立派すぎて非の打ちようもないのだけれども。

②「ベーム盤」1970年
CD時代になってから聴いたベーム&ハンブルグ歌劇場の70年ライブ。
ライブのベームならでは。
熱いけど、重くなくて、軽やかなところさえある。
長年サロメを指揮してきた勘どころを押さえた自在な指揮ぶりは、感興たくましく、さまざまなサロメの姿を見せてくれる。
それにしても、最期のサロメのモノローグのすさまじいばかりの盛りあがりはいつ聴いてもたまらない。
グィネス・ジョーンズの体当たり的な熱唱も、ベームに負けじおとらずで、私はがんらい、ジョーンズの声が好きなものだから、彼女の声や歌いぶりを批判する批評は相容れません。
70年代はじめ、オルトルート、レオノーレ、オクタヴィアンなど、メゾの領域もふくめた幾多のロールに起用され、指揮者からもひっぱりだこだったジョーンズ。
あわせてヴェルディやプッチーニも積極的に歌ってました。
私は、そんなジョーンズが好きで、ブリュンヒルデ、イゾルデ、バラクの妻、トゥーランドッドなど、みんな好き。
そう、ニルソンにかぶります。

③「スウィトナー盤」1963年
スウィトナーとドレスデンのサロメ。
味わいの深さと、ベームのような軽やかな局面もあり、モーツァルト指揮者だったスウィトナーが偲ばれる。
63年の録音で、前年に日本初演の舞台に立ったゴルツのサロメが、いま聴いても古臭くなく、なかなかに鮮烈なもの。
チョイ役に、アダム、ヨアヒム・ロッチュ、ギュンター・ライプなど、のちに東ドイツを代表する歌手たちの名前があるのが懐かしいが、準主役級はやや古めかしい歌唱も混在。

④「ラインスドルフ盤」1968年
以前にもブログに書いたラインスドルフ盤は、なんといってもカバリエのサロメ。
繊細な歌唱が、少女から妖女までを巧みに歌いこんでいて、まったく違和感はない。
マッチョなミルンズのヨカナーンとか、レズニックのヘロディアスなんかもいいし、キングのナラボートがヒロイックだ。
オペラ万能指揮者のラインスドルフとロンドン響も悪くない、ユニークだけど、普通にサロメが楽しめる。

⑤「ドホナーニ盤」1994年
まず、録音がいい。ショルティ盤がやや古めかしく感じるほどにいいし、ウィーンフィルのよさもばっちりわかる。
ドホナーニの指揮もかつてはドライに感じたが、いまやそうでもなく、ほどよい湿り気があっていい。
あとマルフィターノが、素晴らしい。
表現の幅が、無限大な感じで、少女から妖女までを声で見事に演じ切ってる。
映像もいくつか見たけど、顔もおっかないし、大胆なダンスも。。。
ターフェル立派すぎ、リーゲルのヘロデはナイスです。

⑥「メータ盤」1990年
なんたって、ベルリンフィル唯一のサロメ。
もうね、誰が指揮者でもいいや。
ともかく、いつものベルリンフィルの音がするし、べらぼーにウマいし、ゴージャス。
シンフォニックにすぎるメータの捉え方もあり。
マルトンは声の威力は十分で、少女らしさもあったりして意外、でも大味。
ヴァイクルは柔和すぎだが、ツェドニクのミーメのようなヘロデも素敵なもんだ。
ファスベンダーがヘロディアスという豪華さ

⑦「ベーム盤」1965年
メトロポリタンでのモノラルライブで、ニルソンの圧倒的なサロメ。
ここでも燃えまくるベームの指揮がすごい。
カール・リーブルという懐かしい名前がヘロデ役に。
クナのパルジファルのクンドリー、ダリスがヘロディアス。
ヨカナーンは知らない人

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⑧「シノーポリ盤」1990年
全体にリリカルなシノーポリのサロメ。
デビュー時の煽情的な演奏スタイルはなりを潜め、予想外のしなやかで、美しく、微細な感情移入にあふれたサロメの斬新な姿。
ステューダーの起用も、そんな意図に裏付けられていて、歌手ありきでもあるし、歌手もそんな演奏スタイルに全霊を注いでいる。
少女がそのまま無垢なまま妖しい女性になった感じ。
不安定さもその持ち味のまま、揺れ動くサロメ像を歌ったステューダー。
リザネック、ターフェル、ヒーステルマンも万全。
最近、一番好きなサロメの音盤かもです。

おわかりいただけただろうか、「カラヤン」がないのを。
なぜかこうなりました。
そのうちが、いつかになり、で、年月が経過した結果にすぎません。

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エアチェック編

①「ケンペ&バイエルン国立歌劇場」1973年
 当時のカセットテープから発掘、しかし、冒頭と最後の場面の40分ぐらい。
   むちゃくちゃ熱いケンペの指揮。
 リザネックが伝説級。

②「ホルライザー&ウィーン国立歌劇場、来日公演」1980年
 いまでもウィーンの舞台はこのバルロク演出。
 テレビ観劇もしました。
 リザネックは映像では厳しかったが、さすがの貫禄

③「シュタイン&スイス・ロマンド」1983年
 ジュネーヴ大劇場のライブ。
 シュタインのベームばりの熱気を感じさせる指揮が熱い。
 ミゲネスの芸達者なサロメに、エステスの力感豊かなヨカナーン。
 ロバート・ティアのヘロデに、ナラボートには若きウィンベルイ。

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④「ネルソンス&ボストン」2014年

 演奏会形式、鮮度抜群、切れ味よし、最高水準のオーケストラサウンド。
 バーグミン、ニキティン、シーゲル、ヘンシェル、みんないい。
 これはそのままCD化できる。
 音質も最高。

⑤「ラニクルズ&ベルリン・ドイツ・オペラ」2014年
 プロムスへの客演のライブ。
 ラニクルズの熱さと、BDOの手練れのおりなす充実のライブ。
 シュティンメのサロメがじっくり聴ける。

⑥「ペトレンコ&バイエルン国立歌劇場」2019年
 同時配信の映像も見た。
 複雑な心境になる演出で、最後は全員服毒自殺を・・・
 死んでないヨカナーン・・・
 ペトレンコの最高に鮮烈で、生き生きした、しかも切れ味抜群の早めのテンポで駆け抜けるようなオーケストラ。
 ペーターゼンのスリムでリリカルなサロメは、映像を伴わないと物足りないかも。
 でも、その歌は単体として説得力があり、魔性を感じさせる。
 コッホのやや醜いヨカナーンはいたぶり甲斐もあった。
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 そんだけ、ビジュアルを伴ったペーターゼンはすごい!
 演出はワリコフスキー。そのうち映像化されるかも。
 盛大なブーを浴びてます。

⑦「レオ・フセイン&ウィーン放送響」2020年

 テアター・アン・デア・ウィーンのコロナ前の1月のけ込み上演。
 ここでもペーターゼンの絶唱が。
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 奇抜な演出の模様は画像でも確認できる。
 バイエルンがいまだに映像化できないのは、こちらがあるからか?
 ウィーンも100年経って変わったものだ。

⑧「ボーダー&ウィーン国立歌劇場」2020年
 アンデア・ウィーンが斬新な演出で上演した同じ月、1月には、本家の国立歌劇場でもサロメ。
 72年からずっと続いているバルロク演出、ユルゲン・フリムの衣装・舞台。
  クリムト風の世紀末と旧約聖書の物語の融合はいまでも色あせない。
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 美人さん、リンドストロムのサロメが好き。
 北欧出身ならではの硬質さに、繊細な歌いまわし、首おくれ!も迫力あり。
 マイアーの鬼ママもいいし、フォレ、ペコラーロもさすが。
 ただ、前にも書いたが、最後にオケがこけてる・・・・
 同時期に、リンドストロムは、セガンの指揮で影のない女を歌ってまして、そちらもステキ

⑨「ルイージ&ダラス響」2020年
 ダラス響の演奏会形式上演。
 ルイージの明快な指揮に、明るいオケ。
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 リトアニア出身のステューンディテはサロメ、エレクトラで引っ張りだこ
 ザルツブルクでのエレクトラもいい。
 しなやか声の持ち主で、今後、ワーグナーを中心に据え活躍期待。

⑩「シャイー&スカラ座」2021年
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 きっとDVD になるだろうと思うスカラ座上演。
 こういうのは、シャイーはうまい。
 キャストもスカラ座ならではの豪華さ。
 ロシアのスキティナは美人でいま、こちらも引っ張りだこ。
 シーゲル、リンダ・ワトソン、コッホ、リオバ・ブラウンなどなど
 ミキエレットの風変りな演出も見てみたいぞ。
 
映像&舞台編

①「シノーポリ&ベルリン・ドイツ・オペラ」1990年
 昔のVHSテープにて。
 演出は穏健、マルフィターノの、のめり込んだ迫真の演技と歌。
 ダンスではすっぽんぽんに。
 ぼかし必須だ。
 エステスのヨカナーンが凄まじい

②「サマース&メトロポリタン」2008年
 メトにしては、現代風な演出。いまや普通。
 マッティラのビジュアルちょっと無理あるサロメだけど。
 歌は素晴らしい。
 上述のとおりのヘロデのベグリーのすっとこぶりが最高
 ヨカナーンはうしたろう。

③「ガッティ&コンセルトヘボウ」2017年
 演出がわけわからん中途半端っぷり。
 もっとはじけてもいいと思ったけど、そのくせ血みどろなところが苦手
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 スリムな美人ビストレムは、強靭さなしの、しなやか系サロメ。
 いいと思う。
 タトゥーンまみれのニキティンもいい
 なにより、ガッティとコンセルトハボウが硬軟合わせた万能ぶり

④「メスト&ウィーンフィル」2018年 ザルツブルク
 以前より活躍していたアスミク・グレゴリアンを驚きをもって聴いた!
 ショートカットのまさに真白きドレスをまとった少女。
 最初はおどおど、やがて顔色ひとつ変えない冷徹な美少女に変身
 そんな演技と役作りを、歌でも完璧に聴かせる。
 ソットボーチェから、強靭なフォルテまで、広大なレンジと声質七変化!
 まいりました!
  ほかの役柄、意味の分からない演出は彼女の前では無力。
 メストとウィーンフィルは無色透明で、これでよい。

舞台は、まだ2回のみ。
新国のエヴァーディング演出、二期会のコンヴィチュニー演出
過去記事リンクになってます。。

ながながと書きました。
いま、サロメのお気に入りは、ペーターゼンとグリゴリアンでござる。

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  (ペーターゼンのバイエルン、この番号はなに?
   実験動物の遺伝子ID・・・か)
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 (グリゴリアンのサロメ、おっかないサロメのイメージはいにしえに)

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サロメは、シュトラウスのオペラのなかでは苦手な存在だったけれど、こんだけ集中して聴くと、妙に愛着がわいた。
頭の中が、リングとサロメだらけで参った。
しかし、サロメには、ばらの騎士の音楽の要素もあるんだ。
やはりこうして、シュトラウスならではの音楽を、各処に確認することができたし、オペラ初期2作から、ここに至った筋道も確認、同時に、エレクトラもギリシア劇としての視野が次に用意されたことも、ここに認めることができる。

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2021年12月 6日 (月)

ワーグナー 「ニーベルングの指環」 ベルリン・ドイツ・オペラ 2021

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東京タワーの横にある「もみじ谷」公園にて。

今年は青空がやたら青くて、いまのところ連日の晴れ。

赤が映えます。

Re
             (ラインの黄金~ローゲと神々のみなさま)

ベルリン・ドイツ・オペラの新しい「リング」が、昨年から始まって、11月に完了。
RBB(ドイツのネット放送)で、全4部作を高音質で聴くことができた。

ベルリン・ドイツ・オペラのリングといえば、われわれ日本人が通しリングを始めて体験した、ゲッツ・フリードリヒのトンネル・リングが長らく定番として上演されてきました。
それに代わる「リング」
コロナの影響を受けて、「ワルキューレ」のみ2020年、ほかの3作を2021年に相次いで上演して新リングを完成させました。

演出は、人気のステファン・ヘアハイムということもあり、4部作は映像収録され、来年に発売されるそうだ。
お値段次第でポチっとするかもしれないけど、トレーラーを見てなんともいえない気分になるのは、昨今の演出のありがちなこと。
全部見なくちゃわからんが、正直言って、ギャグ満載のリングのパロディ化か・・・・
いや、面白いよ、きっと。。。たぶん・・・・

各役柄にいろんな意味を持たせる手法、それが観劇すれば説得力を持って、劇のなかで大きな流れのなかのパズルのひとつになる。
そうなれば、万々歳なんだけど・・・・ヘアハイム・リングはどうなるだろうか。

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    (ワルキューレ~夫婦喧嘩を見守る群衆、盾もお笑い)

音だけで4部作を聴いての悪印象は、登場人物の歌以外に発する声。
うなり声、叫び声、笑い声、それも下卑たヒヒヒだったり多数・・・、音だけで聴いてると、正直、音楽の感興を阻害することとなる。
で、舞台写真やトレーラーから推察される、それらの声。。
なんで、そんなことまでして、ワーグナーの本来の本質をわざと外して意味付けを行い、解釈をするんだろうか・・・・
アルベリヒと息子のハーゲンのいやらしいヒヒヒはキモイ。
しかも、彼らの顔は、バッドマンのジョーカーそのものだ。
さらに、グンターに変身したジークフリートは、オバQみたいだったww

すいません、つらつらと、ちゃんと全部見て語れってことだけど。

しかし、その演奏面は素晴らしい。
まずもって、長らくベルリン・ドイツ・オペラを率いる、スコットランド出身のドナルド・ラニクルズの指揮が素晴らしい。
ワーグナーやリングを指揮して30年以上、と本人も語るとおり、演出抜きして堂々たるワーグナーを聴かせてくれる。
重厚なれど軽やかで、しかも鮮明で一点の曇りなし。
大きな流れをまず構築しつつ、細部を緻密に積み上げ、壮大かつダイナミックな雄大なワーグナー。
バイロイトでも90年代タンホイザーを指揮、そのころから聴くようになったラニクルズ。
ここで、こう決めて、こう伸ばして、こう、がぁーーっときて、という具合に、ワタクシが思う流れがぴたりと符合して心地いい。
左手に指揮棒、サウスポーのワーグナー指揮者ラニクルズ氏の待望のリングです。
サンフランシスコ・オペラとベルリン・ドイツ・オペラの指揮者であり、英国でもBBC系のオーケストラとの音源多数。
ラニクルズのマーラーやブルックナーも素晴らしいです。

Sieg
        (ジークフリート~ミーメさんと主人公)

ベルリン・ドイツ・オペラのオーケストラの巧さも定評のあるところ。
傷も散見されたが、ピットの中の熱気あふれる演奏を堪能。
神々の黄昏の大団円は、ことさらに感動的だった。

Gotter
  (神々の黄昏~たぶん自己犠牲のシーン、下着まみれ・・・)

歌手では、なんといっても、シュティンメのブリュンヒルデが、安定感と力強さ、しなやかさで比類ない存在を示してました。
しかしね、ヘアハイムって、下着姿が好きなんだよな、ほかの演出でも。
全編にわたって、その下着姿が氾濫していて、ブリュンヒルデにも容赦ない。
ラインの乙女たちも、あられもない姿で、男とアレしちゃうし、下着姿の群衆が、いたるとこでヤリまくってる・・・・
何だこりゃって感じで、R指定になるよこりゃ・・・

ジークフリートで登場したアメリカのテノール、クレイ・ヒレイ(Clay Hilley)が驚きの歌声。
明るく屈託のない、よく伸びる声は自然児ジークフリートにぴったり。
黄昏では、より厳しさも求めたいところだったが、スタミナも十分で最初から最後まで元気な声。
なかなかの巨漢で、動きがアレなのはしょうがないが・・・

ミーメのチュン・フン?(Ya-Chung Huang)もびっくりの発見。
台湾出身の新星で、のびやかでクリアーボイス。
ベルリン・ドイツ・オペラの専属になったようで、今後の活躍も期待。

ウォータン&さすらい人は、スコットランド出身のパターソンで、このバスバリトンも最近ウォータンを各地で歌っており、パリのジョルダン・リングでもそうだった。
やや軽めで、もう少し力強さも求めたいところだけど細やかな歌いまわしは巧みで、アルベリヒやミーメとの絡みは面白かった。
ただラインの黄金では、オーストラリア出身のデレック・ウェルトンがウォータンで、より若々しい雰囲気。
あえて、ラインの黄金のウォータンを異なる立場で描きたかった演出意図なのかもしれない。

あと印象に残ったのは、アメリカのヨヴァノヴィチのジークムントは豊かな実績を裏付ける力唱だし、ダムラウのヴァルトラウテもシュティンメのブリュンヒルデに負けず劣らずの存在感。
ほかの諸役も初めて聞く名前ばかりだが、いずれもベルリン・ドイツ・オペラの水準の高さを物語る歌唱でありました。


「ラインの黄金」

ウォータン:デレック・ウェルトン ドンナー:ヨエル・アリソン
フロー :アットリオ・グラッサー ローゲ:トマス・ブロンデーレ
フリッカ:アンニカ・シュリヒト  フライア:フルリナ・シュトゥッキ
エルダ :ユデット・クタシ      ファゾルト:アンドリュー・ハリス
ファフナー:トビアス・ケラー   アルベリヒ:マルクス・ブリュック
ミーメ :ヤ-チュン・フン    ウォークリンデ:ヴァレリア・ザヴィンスカヤ
ウェルグンデ:アリアナ・マンガネッロ フロースヒルデ:カリス・トラッカー

                      (2021.6/12)

ジョーカーのアルベリヒは、トランペットを手にしつつ、4部作中、ずっと据えられているピアノの中から即、指環を取り出し、黄金強奪となった。
悪魔くんみたいなローゲは、見た目は悪魔に変身したミッキーマウスか?
やさぐれた神々たちも情けない雰囲気。
聴衆から笑い声もあがる(笑)
でも虹色はきれいだな。



「ワルキューレ
 
ジークムント:ブランドン・ヨヴァノヴィッチ   
ジークリンデ:エリザベス・タイゲ
フンディンク:トビアス・ケラー   ウォータン:イアン・パターソン
フリッカ:アンニカ・シュリヒト   ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ

ワルキューレは本物の狼さんが出てるし大丈夫か?
ジークムントはニートみたい。
ピアノから剣を引っこ抜くのは無理筋じゃね?
そうそう、ピアノからみんな登場するね。
ヘアハイムのパルジファルでも、クンドリーは貞子みたいに、穴からせせりあがってきたし。
ジークリンデの感動的な感謝の歌をピアノ伴奏するブリュンヒルデ。
告別シーンはどんなだろ?

見てみたい。



「ジークフリート」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ミーメ:ヤ-チュン・フン
さすらい人:イアン・パターソン アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン
ファフナー:トビアス・ケラー  エルダ:ユデット・クタシ
ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ      
森の小鳥:ドルトムント少年合唱団員

          (2021.11.12)

ほぼワーグナーそっくりのミーメ。
ピアノから楽譜を誕生させる楽器職人かい。
それにしてもジークフリートがでかい、小柄なミーメの3倍もあるよ。
大蛇ファフナーが秀逸で、牙がラッパになってるし、そこからファフナーは引っ張り出される。
巻き付けた白い布をジークフリートにくるくるされて、時代劇の悪代官みたいに、あれぇーー、とばかりに、ほれはれほれはれ、されてしまいステテコ姿にされたあげく刺されちゃう。
しかし、大きな疑問は、鳥の声を少年に歌い演じさせたこと。
苦し気だし不安しか感じない。
さらに血まみれで横たわってたし・・・・まさかジークフリートに・・ってか??
ハッピーエンドも、主役の二人以外に、下着男女が乱れまくり、やりまくり・・・・・

なんだかんだで、観てみたいww



「神々の黄昏」

ジークフリート:クレイ・ヒレイ  ブリュンヒルデ:ニーナ・シュティンメ
グンター:トマス・レーマン   
ハーゲン:アルベルト・パッセンドルファー
アルベリヒ:ヨルダン・シャナハン グルトルーネ:アイレ・アスゾニ       
ワルトラウテ:オッカ・フォン・デア・ダムラウ・     
第1のノルン:アンナ・ラプコフスカヤ      
第2のノルン:カリス・タッカー     第3のノルン:アイレ・アスゾニ   
ウォークリンデ:ミーチョット・マレッロ 
ウエルグンデ:カリス・タッカー  フロースヒルデ:アンナ・ラプコフスカヤ

             (2021.10.17)

ノルンたちはスキンヘッド、どうでもいいけど、下着マンたちのひらひらはどうにかならんのか?(笑)
元気にピアノを弾くブリュンヒルデ。
ギービヒ家はリッチマンのおうち。
最初は普通の人だったハーゲン、夢に父親が現れてからジョーカー顔に変貌。
ラインの乙女もスキン化してしまうのか?
ラストシーンも下着衆ぞろぞろ、手のひらピラピラ鬱陶しい。

いやはや、やっぱり全部観てみたいww

聴衆の反応のyutubeもあり、歌手と指揮者にはブラボーの嵐。
演出家ご一行が出てくると、ブーが飛んでました。

でも、さすがはドイツ、コロナがまだ蔓延してるのに、リングをやってしまう。
そして、聴衆も演出はアレ?で批判しつつも、ワーグナーを求める心情止み難しで、演奏と音楽には大熱狂。
行かなかったけど、日本でも2年越しのマイスタージンガーが上演された。
世界中、やはり、ワーグナーがなければ生きていけないのだ。

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しかし、35年前に観劇した「トンネル・リング」が懐かしい。
同時期に、二期会による日本人リングも観劇していたが、そちらは新バイロイト風の抽象的な舞台だっただけに、具象的な動きで表現意欲も強かったトンネル・リングは当時の自分には驚異的ですらありました。
映像で親しんだ、シェローのリングや、クプファーのリングも、いまや懐かしの領域に。
いずれも現代の演出からしたら穏健の域にあるが、でもそのメッセージ力は、なんでもありのいまのものからしたら、ずっとずっと強かったと思う。

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晩秋から初冬を抜かして、本物の冬がしっかりときました。

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2021年9月 2日 (木)

ベルク 「ルル」 二期会公演

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二期会公演、ベルク作曲の歌劇「ルル」を観劇。

昨年、東京文化会館で上演の予定が1年延期して、今度は別株が登場するなか、果敢なる上演。

きめ細かな対策を取り、舞台も絶妙なディスタンスを保った演出で、見事な上演で、その成功を大いに讃えたいと思います。

Sihinjyuku

文化会館から場所を移して、新宿文化センターで、この昭和感あふれるレンガの建物には、なんと2006年以来15年ぶりとなります。

そのときは、演奏会形式のR・シュトラウスの「ダナエの愛」で、若杉弘さんの指揮による日本初演でした。

約1,600席(ピット使用時)の比較的コンパクトなホールで、客席の傾斜は緩めなので、前の方が大きかったりするとステージに被ってしまい、一部見ずらいこともある。
残念なことに、斜め前にいた座高の高い方が、幕間で空いていたわたくしの前に移動してきてしまい、2幕ではちょっと往生しました・・・・

そんなことはともかく、演出には、ちょっとひとコトありますが、まずもって素晴らしい上演でありました。

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「ルル」は、未完のオペラ。
ヴェーデキントの「地霊」と「パンドラの箱」を原作にベルクが3幕7場台本を書き作曲を進めたが、完成されたのは2幕までで、3幕はショートスコアのみで、オーケストレーション中途となり、ベルクの死により未完となった。
 別途、3つの幕からチョイスした5つの楽章からなる「ルル」交響曲があり、3幕で使用される予定だった変奏曲(ルルの逃亡)とアダージョ(ルルとゲシュヴィッツ伯爵夫人の死)のふたつを、完成された2幕のあとに続けることで初演され、それが2幕版ということになります。

ベルクの未亡人ヘレーネは、第3者による補筆を禁じていたが、実はその補筆計画は密かに進行していて、フリードリヒ・ツェルハによる3幕完成版が1979年に、シェロー&ブーレーズのコンビにより3幕版として上演されました。

12年前に「ルル」を初観劇しましたが、そのときは3幕版(びわ湖ホール)
今回の二期会公演は2幕版での上演でした。

日本での「ルル」上演史 
 ① 1970年 ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演 ホルライザー指揮
 ② 1999年 コンサート形式          若杉 弘 指揮
 ③ 2003年 日生劇場/二期会           沼尻 竜典 指揮
 ④ 2005年 新国立劇場            アントン・レック指揮
 ⑤ 2009年 びわ湖ホール            沼尻 竜典 指揮
 ⑥ 2021年 二期会              マキシム・パスカル指揮

         ベルク 歌劇「ルル」

  ルル:冨平 安希子    ゲシュヴィッツ伯爵令嬢:川合 ひとみ
  衣装係、ギムナジウムの学生:杉山 由紀
  医事顧問:加賀 清孝   画家:大川 信之
  シェーン博士:小森 輝彦 アルヴァ:山本 耕平
  シゴルヒ:狩野 賢一   猛獣使い、力業師:小林 啓倫
  公爵、従僕:高柳 圭   劇場支配人:倉本 晋児
  ソロダンサー:中村 蓉

    演出:カロリーネ・グルーバー

  マキシム・パスカル指揮 東京フィルハーモニー交響楽団

       (2021.8.29 @新宿文化センター)

二期会のサイトで、演出家グルーバーが、2幕版を採用した理由を語っておりました。
・ベルクが残した真正な部分だけで上演することに意義がある。
・ヴェーデキントの独語が古く、ドイツ人でも難解。
 特に3幕は歌手の負担が大きいため
・共同制作は、多くの歌手を手当てできるアンサンブル劇場でないと難しい
ドイツでは、いろんな意味で、音楽にも真正さを追求する動きがあり、世界的にみても2幕版で上演される機会が増えているとのこと。

3幕で、ベルクが完成できなかった場面で、2幕版で省略されるシーン。
1場:パリでの逃亡生活、賭博、株暴落とさらなる逃亡(登場人物多数)
2場:ロンドンでの娼婦生活、その日の最初の客(医事顧問が演じる)
  ルル、ゲシュヴィッツ令嬢、シゴルヒ、アルヴァらのうらぶれた生活
  客の黒人(画家が演じる)によるアルヴァ殺害

2幕版では、以上が略され、続いて3人目、切り裂きジャック(シェーン博士が演じる)の登場とルルの殺害、帰り際にさらにゲシュヴィッツ伯爵令嬢も殺して去り、彼女は虫の息で、ルルへの愛を歌い幕となる。
  
上記の3幕の省略部分は特に、株暴落シーンなど、雑多すぎるし、人物もたくさん出るので私はいつも困惑する場面なのです。
しかし、今回の2幕版は、音楽としては通例通り変奏曲とアダージョが演奏されたわけだが、舞台ではなにも起こらなかった、と言っていい。

舞台上に女性のマネキンを多く配置し、ルルと同じ姿のダンサーを常に登場させ、ルル本人と対比させている。
マネキンは極度に女性の身体を強調した作りで、さまざまな鬘や衣装をまとい、演出家グルーバーさんの意図は、登場男性やゲシュヴィッツ伯爵令嬢からみたルルを意図しているという。
確かに、ルルを男性たちが呼ぶ名前は、ミニョンだったり、エーファ、ネリーだったりして、要は男性が自分の思いをルルに勝手に押し付けているというわけである。
そして、ダンサーはルルの内面の現れをパフォーマンスしている。
舞台の進行に合わせて、ダンサー・ルルは壁沿いを苦痛に満ちて動いたり、遠くから傍観していたりと、愛やもしかしたら感情の薄いルルの心情を表そうと様々に表現していた。

そして、最後のシーンである。
2幕の終わりで、アルヴァと二重唱を歌ったあと、アルヴァの思い、エーファであり母マリアである、聖母マリアの姿になったルル。
アルヴァはデスクに倒れた(寝た)ままにして、ルルはマリアの姿をかなぐりすてて、スリップ姿となり、虚空を見つめるように舞台を左右にさまよう。
そこに、ルルの内面のダンサーが様々に踊りつつ、ルル本体に近づき、ついには絡み合い、一体化したように表現したと見てとれた。
ここで幕となった・・・・・。

そうなんです、切り裂きジャックは登場しないし、当然に殺害シーンもないし、さらにはゲシュヴィッツ伯爵令嬢も出てこないし、彼女も巻き添え死をくらうことなく、令嬢のルルへの愛の声は、その姿なく流されるのみ。
まだかまだかと待ってた、当然にあるべきシーンがなく、拍子抜けだったと正直言いたい。
だって、衝撃的なフォルティシモでも舞台ではなにも起こらず・・・・・です。

事前に見ていたグルーバーの考えからすると、こういうのはありだろうな、というのが後付け的な感想ではあります。
ファム・ファタールとしての「ルル」の見方は間違っている(それこそが古い)と語っておられます。
当時の家父長制の問題が生んだ女性の悲劇であり、消費される女性に対する反証、そのあたりは、オスティナートにおけるシネマ(上田大樹氏による映像作品)で、ルルの逮捕劇・脱獄などの暗示が、おびただしい数のマネキンの部位が降り注ぐなか表現された秀逸なものであった。
さらにグルーバーによると、ベルクがヴェーデキントの劇をおそらく見たとき、当時の識者が、「女性を好きなように利用できる制度のひどさ」を例えて評論したものに接したかもしれない。
100年前の当時で、そのようなことを、しかも男性がいうと言うことは、大きなことであったが、いまはそれが良い方向になったのか?
今現在、真の意味での男女の平等が達成されているのか?
そうした問題提示も意図していると語る演出者。

極度のフェミニズムには、少し距離を取りたい自分ですが、この演出意図を事前に確認して観劇に及びましたが、さしたる過激さはなく、ただ、ルルの殺害シーンを消してしまったことで、効果としては、どこかぼやけてしまったという思いが強い。
内面のルルと実存のルルの最後の一体化は、わからんではないが、例えば映像作品などで、いくつの演出で見ることができる、「死による浄化」的なものを描いてもよかったのでは。
いや、こんな風に思うことが、ルルを単なるファム・ファタールとしてしか捉えていない、古臭い自分だということになるのか・・・・

あと、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の献身的な愛も、最後に姿を少しでも現すことで、その自己犠牲ともとれる存在で、ルルの内面一体化に華を添えることができたのではないかな、素人考えですがね。
コレラに罹患しながらもルルを救ったゲシュヴィッツ伯爵令嬢は、聖母マリアのブルーの衣装をまとっていたのも意味あることなのだろうか。

舞台全体の印象はシンプルで無駄を省いたスタイリッシュなもの。
ドア付きの稼働する箱、兼スクリーン機能をもった装置がいくつも並び、人物たちは、そのなかで自分の好みのマネキン(すなわち好みの自分のルル)と一緒に、ルルとシェーン博士との緊張のやりとりをのぞき込んだりする。
その箱が動いて、「LULU」の文字を映し出したり、それが「LUST」という言葉に変じたりしていた。
「LUST」、すなわち「欲望」である。

プロローグの猛獣使いのシーンや、場面展開のシーンでは、紗幕がたくみに使われ、観劇するわれわれの想像力を刺激したものだ。

長文となりましたが、1回ではとうてい理解が及ばないし、何度も観てみたい舞台と演出であることは確かだ。

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こうした演出で歌い演じた歌手のみなさんは、ともかくいずれも完璧で素晴らしかった。
12年前のびわ湖ルルで、ルルのカヴァーキャストだった冨平さん、舞台映えするお姿に負けず劣らずの素晴らしい高音を駆使して、同情さそう可愛い女性となってました。
3年前の素敵だったエンヒェン役以来の冨平さん、ただ素晴らしい高音域に対し、中音域の声にもうひとつ力が加わると万全かと思いました。
偉そうなこと書いてますが、コロラトゥーラとドラマティコ双方の難役でもある、このルル役、これだけ歌い演じることができるのは、並大抵のことではありません!

日本人ウォータンとして、最高のバスバリトンと思っている小森さんのシェーン博士も迫真の演技と、ドイツ語の明確できっちりした発声による完璧な歌唱に感銘を受けた。
願わくは、ジャック役でも見てみたかったが。
 このグルーバー2幕版では、おいしい役柄だったアルヴァ役の山本さん、ルル賛美での伸びのある歌かなテノール声は、プッチーニあたりを聴いてみたいと思わせるものでした。
 この演出では、やや影が薄い存在になってしまったゲシュヴィッツ伯爵令嬢の川合さん、3幕版でないとその存在の重さが出ませんが、もっと聴きたい声と、ちょっとセクシーなお衣装も素敵でした。
味のある狩野さんのシゴルヒ、粗暴ななかに力強い小林さんの力業師、リリカルな大川さんの画家、あと存在感があったのは可哀想な学生さん役の杉山さんで少年っぽさ、中性っぽさがよく出ていて可愛かったです。
ちょい役になってしまった医事顧問にベテラン加賀さん、ほかのみなさんも充実。
 演出家の強い意図をしっかり汲んで、しかも困難な環境のなか、練習を積んで見事な成果を結実されたと思います。
もうひとつのキャストと併せて、記録としても映像作品で残して欲しいと思います。

最期に最大級の賛辞を指揮者とオーケストラに。
休憩中、ピットの中をのぞきに行こうとしたら係員に静止されてしまったが(なんでやねん)、第1ヴァイオリンは8挺で、チェロやコントラバスの3~4ぐらいだった。
浅めのピットに、左側が弦、右側が木管・金管、さらに舞台袖に打楽器類ということで、ぎっしりだけど、ホールのキャパや歌手たちへの負担減も合わせた軽めの編成ではなかったかと。
これからの時代、ワーグナーもシュトラウスもこれでいいんじゃね、と思いましたし、聴いて納得でもありました。
 パスカル氏の指揮が、そのあたりを前提としても、実に緻密で抑制力も併せ持ちつつ、劇性も豊かな音楽を作り出していたと思う。
大柄なイケメンさんで、指揮棒を持たず、動きは少なく、オケも歌手たちも指揮者の指先に気持ちを集中させなければならない。
ベルクの微に入り細に入り、なんでも取り入れられた雑多ななかにも精妙さの光る音楽が、最大もらさず再現された。
私がベルクの音楽にいつも求める甘味な、アブナイくらいに宿命を感じさせる音色も東フィルから引き出してます。
ルルとシェーン博士との会話の部分、ラストのアダージョ、もうたまらなくって、わたしは舞台を見つつも、オケの紡ぐサウンドに陶酔境に誘われる思いだった。。。。泣けるぜ。

Lulu-dvd

私の手元にある「ルル」のDVD、あとメットの上演も。
音源は、ベーム、ブーレーズ、アントン・レックの3つのみ。

この作品は、歌手の技量と演技力の向上とともに、やはり映像で観てみたいもの。

いずれも3幕版ですが、youtubeで観たヴィーラント・ワーグナー演出のライトナーの指揮、シリアのルルによるいにしえ感漂うモノクロ映像がリアルで、もしかしたら初演時はこんな感じだったのか?と思わせるものでした。

2017年、ハンブルクでの上演。
回廊の魔術師、マルターラーの演出、ケント・ナガノの指揮では、斬新な演出が施されたという。
2幕版で、プロローグの場面の自在に動かしたり、最後には、ヴァイオリン協奏曲が全曲演奏されるという大胆さ。
音楽面、ベルクの気持ち的にも、それはありかもの上演。
バーバラ・ブラニガンの身体能力あってのもの。
観てみたい!

かように、まだまだ版や演出の楽しみもある「ルル」。
未完ゆえに、われわれをこの先も悩ませそうであります。

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2021年8月 6日 (金)

ワーグナーの夏

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お台場に設置されている聖火を見てきました。

オリンピック反対を訴えていたマスコミは、日本人選手の大活躍に手のひら返しを行い、夢中になって放送を続けております。

まぁ、そんなことになるだろうとは思ってました。

わたしは、やるんなら、堂々と胸はってやってしまえと思ってましたし、開会式のあのショボい日本感のない演出はともかくとして、世界の選手たちの晴れやかななお顔を見て、やっぱりよかったと思いましたね。

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そして、一方、わたしには、ワーグナーの夏が帰ってきました。

昨年は軒並み公演中止だった。
この夏は、各地でワーグナーが堰を切ったように上演されていて、やはり世界はワーグナーを求めていたんだと痛感。
ちなみにバイロイトでは、客数は50%以下で上演。

いくつかの上演を動画含めて視聴したので、簡単にあげときます。
演出の内容などは、まだ理解に及んでないので、いずれまた書くかもしれません。

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バイロイト初の女性指揮者、オクサーナ・リニフが2021年のプリミエ作品、「さまよえるオランダ人」を指揮しました。
ウクライナ出身で、母国でピアノ、ヴァイオリン、フルートと指揮を学び、2004年26歳で、バンベルク響のクスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで3位となり、ジョナサン・ノットの元でバンベルクの副指揮者となります。
ちなみに、4年ごとに行われるこのコンクールは、その2004年が初回で、優勝者はドゥダメルです。
ドイツ各地で学び、ウクライナではオペラも指揮、さらにペトレンコのバイロイトリングでは、助手もつとめ、バイエルン州立歌劇場でも指揮をして、オペラ指揮者として頭角をあらわすようになり、2016年には、グラーツ歌劇場の音楽監督となりました。

  ワーグナー 「さまよえるオランダ人」

          ダーラント:ゲオルク・ツッペンフェルト
     ゼンタ:アスミク・グリゴリアン
     エリック:エリック・カーター
     マリー:マリアナ・プルデンスカヤ
     舵手 :アッティリオ・グラサー
     オランダ人:ジョン・ルントグレン

  オクサーナ・リニフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
              バイロイト祝祭合唱団

     演出:ディミトリ・チェルニアコフ 

        (2021.7.25 バイロイト祝祭劇場)

Holland-1

リニフの指揮に加え、歌手では、いまや引っ張りだこのグリゴリアンもバイロイトデビュー。
さらに、こちらも各劇場で引く手もあまた、チェルニアコフ演出がオランダ人で登場。

そのリニフさんの指揮が驚きのすばらしさで、全曲に渡ってどこもかしこも的確で、気の抜けたところは一切なし。
こうして欲しいと思うところは、自分的に納得のできる落としどころになっていたし、音楽のニュアンスがとても豊かで、ドラマティックな盛り上げにも欠けていなかった。

歌手では、グリゴリアンの力いっぱいの歌唱が目立ち、頑張りすぎー、と思うくらい。
もともと、彼女は、その演技も含めて、かなり役に没頭するタイプなので、ゼンタのような夢見心地と倒錯感ある役柄には向いてます。
今後、ジークリンデとか、飛躍してクンドリーなんかも聴いてみたい。
ツェペンフェルトの安定感と、初登場のカーターさんエリックもよかった。
ルントグレンのオランダ人は、この人、これまでウォータンで聴いたり、新国でスカルピアを聴いたりもしてるが、そのときのイメージ通り。
破壊的な声で、ちょっと大味、宿命を背負った深刻さや、気品はいまいち。

合唱団は演技だけで、実際は別室で歌ったというのもコロナ禍のバイロイトならでは。

もっとも、チェルニアコフ演出が、オランダ人もゼンタも、社会やその町から疎外された人物と描いているから、それに即した歌いぶりでもあるので、各歌手は演出上の役柄にピタリとはまっていたと思う。
その演出、工夫して映像で全部見たけど衝撃的です。
そのあたりは、またの機会に。
オペラDVDを試行錯誤しつつ集めてますが、気が付けばチェルニアコフ演出ばかり・・・・www

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 ワーグナー 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

    ザックス:・ミヒャエルフォレ         
    ポーグナー:ゲオルク・ツェペンフェルト

    フォゲルゲザンク:タンセル・アクツィベク 
    ナハティガル:アルミン・コラチェク

    ベックメッサー:ボー・スコウフス 
    コートナー:ヴェルナー・ファン・メッヘレン
 
    ツォルン:マルティン・ホムリッヒ  
    アイスリンガー:クリストファー・カプラン

    モーザー:リック・フルマン   
    オルテル:ライムント・ノルテ

    シュヴァルツ:アンドレアス・ヘール    
    フォルツ:ティモ・リッホネン
    ヴァルター:クラウス・フローリアン・フォークト  
    ダーヴィット:ダニエル・ベーレ

    エヴァ:クリスタ・マイヤー   
     マグダレーネ:ヴィーケ・レームクル

    夜警:ギュンター・グロイスベック

   フィリップ・ジョルダン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
                          エーベルハルトト・フリードリヒ:合唱指揮

     演出:バリー・コスキー

          (2021.7.26 @バイロイト祝祭劇場)

2017年から始まったコスキー演出は、昨年のお休みを経て4年目。
ユニークで、ユーモアとペーソス、風刺も効いた好演出は、さらに継続するか不明なれど、歌手にかなりの演技力と細かな動きも要求されるので、5年を経て、完全なるチームワークが出来上がっていたんだろうと思われます。
映像作品も、初年度とともに、こうした熟した舞台を残しておいて欲しいもの。
そんな欠かせないメンバーのひとり、もはや、ザ・ベックメッサーとなってしまった感のあるマルティン・クレーンツルが声が万全でなく、急きょ、劇場側はボー・スコウフスに依頼して、まさにギリギリの到着で初日公演に間に合った。
スコウフスは声だけの出演で、舞台袖から歌い、演技は手慣れたクレーンツルが行ったといいます。
ほかの日は復調したのか気になりますが、バイロイトのHPを見ると、26日と1日がスコウフスとありますが、残りの4公演はいかに。
 そのスコウフスのベックメッサーが聴けたという点で、今年のマイスタージンガーは貴重なものでした。
お馴染みの、やや陰りありバリトンで聴くベックメッサーは、味があり、神経質で妙にかっこよくもシュールな感じもしました。
ほかのいつもの歌手たち、弾むようなビビットな音楽造りのジョルダンの指揮、万全です。

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  ワーグナー  「タンホイザー

    領主ヘルマン:ギュンター・クロイスベック 
    タンホイザー:ステファン・グールド

    ウォルフラム:マルクス・アイヒェ  
    ヴァルター:マクヌス・ビジリウス

    ビテロルフ :オラフール・ジグルダルソン 
    ハインリヒ:ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
    ラインマール:ウィルヘルム・シュヴィンハマー 
    エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン 
    ヴェーヌス:エカテリーナ・グバノヴァ 

    牧童:カタリーナ・コンラディ
    ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ 
    オスカル:マンニ・ライデンバッハ

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
       合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
      
    演出:トビアス・クラッツァー

           (2019.7.27 バイロイト祝祭劇場)

3年目だけど、昨年なしだったので、2年目のタンホイザー。
こちらも演技性の高いドラマのようなオペラになってるだけに、今後も主な役柄は固定されるでしょう。
初年度は怪我で最初は出演できなかった、本来のヴェーヌス役グバノヴァと、ヘルマン役のグロイスベックが登場。
一昨年、一番輝いていた代役ヴェーヌスのツィトコワの印象があまりに鮮やかだっただけに、グバノヴァにはちょっと不利だったかもしれないが、やはり力のある声は認めざるを得ないだろう。
フリーダム謳歌のヴェーヌス、どんな演技にビジュアルだったか、見てみたいものだ。

Tannhuser-bayreuth-1

左が一昨年のツィトコワ、右が今年のグバノヴァです。
しかし、これみてタンホイザーってもう、、、、50年前の人が見たら卒倒するでしょうな。
歌手は、みんな素晴らしかった。
 多忙さと、劇場の音響で苦戦したゲルギエフは早々に降りてしまい、代わりを任されたのは、またもアクセル・コバー。
これがまた実によかった。
オケと音響と舞台上の出来事も完全に掌握した手慣れた指揮は、安定感があり、これぞ真正ワーグナーの音楽、といえるものだ。
いつも書くけど、バイロイトには、シュタインやシュナイダーのような職人ワーグナー指揮者が必ず必要なんだ。
ライン・ドイツ・オペラの指揮者であるコバーは、いま同劇場でのリングが発売中で、なんとか聴いてみたいと思ってます。

ちなみに、冒頭の画像は、3幕の幕切れの場面で、タンホイザーの元でこと切れたエリーザベト、途方に暮れ羨ましいウォルフラム、悪い憑き物が取れすっきりしたヴェーヌスの姿です。
スクリーンでは、楽しそうに旅立つ二人が映しだされるシーンです。

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  ワーグナー 「ワルキューレ」

        ウォータン:トマス・コニェチュニ  
      ジークムント:クラウス・フローリアン・フォークト
        ジークリンデ:リセ・ダヴィッドセン
        ブリュンヒルデ:イレーネ・テオリン   
        フンディンク:ディミトリーベロッセルスキー
        フリッカ:クリスタ・マイヤー

        ワルキューレ:略

  ピエタリ・インキネン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団

     アーティスト:ヘルマン・ニッチェ     

           (2021.7.29 バイロイト祝祭劇場)

2020年に、若いオーストリア人演出家、ファレンティン・シュヴァルツとインキネンの指揮でリング4部作が出る予定だったが、コロナで2年延期となり、その前哨戦的に上演されたワルキューレ。
 しかし、演出というか管掌アーティスト的な存在になったのは、ウィーン生まれの82歳のヘルマン・ニッチェ。
舞台美術家であり、劇作家であり、作曲家、画家でもある多角的な芸術家さんです。
ワーグナーにも造詣が深いとのことで、ワルキューレの音楽に合わせて舞台の上でパフォーマンスや絵画的なものの制作をするというもの。
写真でわかるとおり、歌手たちは黒い衣装を着て最低限の動きしかしていないようで、背景の白いキャンバスが、様々にペイントされてます。
ほかの写真では、舞台に思い切り塗料をぶちまけたり、磔刑のイエスみたいなものもありました。
評論では、「血まみれのカラフルな出来事におおわれたワルキューレ」とか書かれちゃってます。
 なんだかなぁ~って感じで、3幕が終わるとブーイングが飛んでます。

来年のリングに音楽面では備えるはずだったものの、ウォータン役のグロイスベックがウォータン役から降りると申し出ていて、来年はどうなるんだろうと心配です。
ということで、ここでも急きょ別の歌手が手配され、実績豊かなコニェチュニが歌いました。
クセのある独特の声は決して好きじゃないけれど、さすがにうまいもんです。
 歌手では、あとはなんといってもフォークトのジークムントのバイロイトデビューです。
決して背伸びしない、いつものフォークトならではの、明るい声によるジークムント。
健康的にすぎると思いもしたが、こんな明晰な声で歌われるジークムントはとても新鮮でした。
あと、ダヴィッドセンのジークリンデも素敵だが、テオリンのブリュンヒルデはどうだろう。
高域が絶叫になるすれすれに感じましたし、テオリンさん、こんなに声が揺れたっけ?

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インキネンの指揮が思ったほど精彩に欠けたように思います。
現地の評判でも、テンポが遅すぎとか書かれてますが、たしかに、2幕なんて96分もかかってる。
慎重になりすぎたのと、やはりホールの音を聴きながら的な、慣らし運転の思いもあったのかもで、気の毒にもブーも浴びたらしい。
なにより、舞台装置もなく、演技も少なめなのでやりにくかったでしょうね。
マッシモ劇場でのインキネンのリングをネット鑑賞したことがありますが、もっと熱くてドラマテック指揮だったですので、来年は楽しみではあります。

リングの他の3作をイメージしたアート作品が、劇場周辺に展示されているらしい。
神々の黄昏は、日本の塩田千春さんの作品です。

今年のバイロイト、以上4作に、ティーレマンの指揮で「パルジファル」の演奏会形式演奏。
あとネルソンスで、ワルキューレ1幕と黄昏の抜粋、ローエングリン、パルジファルなどのコンサートがあります。

2022年は、「リング」とあとは、「タンホイザー」「オランダ人」でしょうか?
2023年には、「パルジファル」新演出で、アメリカ人のジェイ・シャイブという演出家で、なんだか嫌な予感・・・
しかし、ジョゼフ・カレヤがパルジファルデビューします。
コロナと共生するバイロイト、上演も大胆な試みが引き続き必要です。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ステュワート・スケルトン
   イゾルデ   :ニーナ・シュティンメ
   マルケ王   :フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
   ブランゲーネ :ジェイミー・バートン
   クルヴェナール:ジョゼフ・ワーグナー
   メロート   :ドミニク・セグウィック
   舵取り・牧童 :リナルド・フリエリンク
   舵手     :イヴァン・スリオン

    サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団
               エストニア・フィルハーモニック室内合唱団

       演出:サイモン・ストーン

      (2021.7. 8 @エクサン・プロヴァンス)

この7月には、エクサン・プロヴァンス音楽祭でも「トリスタン」
しかも、演出は話題の映画監督でもあるサイモン・ストーン。
ストーンはザルツブルク音楽祭でメディア、ウィーンでトラヴィアータ、ミュンヘンで死の都とヒットを連発している。
フランス放送局から、音楽だけ聴きましたが、映像も全部見れました。
あまりに面白すぎる発想、まさに映画の世界、映像映えするから商品化間違えなし。
一番目の画像は、媚薬を飲んだ後、胸の赤いのは媚薬のワイン。

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中東から、ブランド会社の社長夫人へ、社内で夜の偲び合い、他にも逢瀬の恋人たち、不倫発覚で真昼のオフィスに。
怪我を負い、地下鉄で故郷へ、社内にはレインボウプライドのひととか、みんなマスク着用。
ドレスアップしたイゾルデは、愛の死を歌い終えると、車外へ・・・・

一度じっくり再視聴します。

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シュティンメは相変わらず素晴らしく、どの音域も無理なく聴こえるし、ふくよかで力強い(映像ではちょっと〇過ぎだけど)
スケルトンもこの役を何度も歌い演じて、完全に堂に入ってきた。
最初の頃は、乱暴な破滅的なトリスタンだったけど、いまでは落ち着いて、歌唱に厳しさも見せるようになったと思う。
でも太りすぎ。。。
あとみんな演技もうまく、歌唱もそれぞれよろしい。

驚きのロンドン響のオーケストラピット。
シンフォニーオーケストラのオペラは、充実したオケの響きが舞台の声をほったらかして奏者たちが飛ばしてしまう傾向があるが、ロンドン響は抑制の効いたラトルの指揮でもあり、普段からピットで演奏しているかのように、雰囲気あるものに感じました。
ロンドン響を離れるのがつくづくともったいない、ラトルの指揮。
いろんなところで、トリスタンを指揮していて、すっかり手の内に入ってます。
手持ちのラトルのトリスタンは、ウィーン、ベルリン、メトと今回のものとで4種。
いつか聴き比べを書いてみたいです。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

   トリスタン  :ヨナス・カウフマン
   イゾルデ   :アニヤ・ハルテロス
   マルケ王   :ミカ・カレス
   ブランゲーネ :オッカ・フォン・デア・ダメラウ
   クルヴェナール:ウオルフガンク・コッホ
   メロート   :シーン・ミハエル・プランプ
   舵取り    :マニュエル・ギュンター
   牧童     :ディーン・パワー
   舵手     :クリスティアン・リーガー

    キリル・ペトレンコ指揮 バイエルン州立歌劇場管弦楽団
                バイエルン州立歌劇場合唱団

       演出:クシストフ・ワリコフスキー

      (2021.7. 31 @バイエルン州立歌劇場)

ミュンヘンでもトリスタン。
ミュンヘン音楽祭のプリミエで、ここはなんといっても、カウフマンがついにトリスタンを歌ったことに話題が集中。
音源も限定放送の映像も確認しました。
カウフマンの声に、ちょっと飽きが来てたという、まったく不遜のワタクシを、びっくりさせてくれました。
悲劇性の強い、バリトン声のカウフマンはトリスタンやジークムントにぴったりと思ってたが、まさにそれを実感させてくれました。
3つの幕の長丁場、1幕は抑え気味に、2幕もソフトに、そして3幕にピークを持ってきて病めるトリスタンを緊張感豊かに歌い上げてました。
まだまだ余裕を感じるくらいでしたが、演技の少ない抑制された演出も歌手にとってはありがたかったかもしれません。

あと素晴らしかったのが、音楽監督としては最後の指揮となったペトレンコ。
全幕にわたり、これまた集中力が切れず、厳しい音楽造りでありながら、情感は豊か、オーケストラが舞台の歌手たちと一緒になって演じているかのような抜群の表現能力。
ラトル&LSOとペトレンコ&バイエルンのふたつのトリスタン、どちらも個性と音楽性にあふれてました。

リリカルなハルテロスがイゾルデを歌うなんて、最初は危惧しましたが、無理せず、ハルテロスらしい柔らかな声による女性らしいイゾルデでした。
愛の死は、ペトレンコの指揮とともに、美しい軌跡を描いて沈んでいくような夕陽のような感銘深いラストを歌ってました。
コッホとダメラウもいいが、カレス氏はビジュアルはいいが、その声が私の好みではなかったかも。

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ワリコフスキーの演出は、よくわからなかった。
基本、トリスタンとイゾルデはまったく触れ合うことがなく、ディスタンスを保ったまま。
映像で補完、そして意味不明のスケキヨみたいな男女のパペットみたいな演じ手の人形。
これもまた、感情の補完なんでしょうかね。
決闘シーンなんかも、なくて、座ったまんまフリだけ。
海はこれっぽちもなく、すべて室内での出来事。
愛の二重唱の高まりの行き着く果ては、ふたりで注射器で腕にお注射でした。

プロヴァンスのトリスタンの写実的な舞台に比べると、暗く寂しいものでした。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上、7月にこんなにワーグナーが上演されました。
東京のマイスタージンガーは、初日がコロナ発生で中止とか、ともかく病禍にたたられっぱなし。
しかし、ともかく、世界も日本も、ワーグナーがなくては我慢ができません!

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聖火に群がる人々を制するように、ディスタンスを呼びかける係員。

人々もオリンピックに酔い、祭を待ち望んでる

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ずっと続く、人類は共生しなくてはならないのだろう。

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2021年7月11日 (日)

R・シュトラウス 「火の欠乏」 シルマー&フェッロ

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雨の日の前日の空。

夕焼け好きのワタクシです。

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少し時間を経過して。

このあと、東京タワーのライトアップが引き立つ時間、好き。

本blog、二度目のシュトラウスのオペラ全作シリーズ。

第1作「グントラム」に続き、2作目の1幕オペラ「火の欠乏」。
私は、この作品がフリッケ盤で出たときから、Feuersnot、火がないことことから、「火の欠乏」と呼んできました。
ほかにも、「火の飢餓」「火の危機」とかも呼ばれますが、日本シュトラウス協会では、「火の消えた町」と称しているそうで、このオペラの内容からしたら、そちらがまさにピタリとくるものです。
ですが、ここでは、自分が長く親しんできた名前で行きます。

1901年、シュトラウス37歳の作品で、全作の「グントラム」からは9年の歳月が流れてます。
この間、多くの歌曲や、高名な交響詩、ティル、ツァラトゥストラ、ドン・キホーテ、英雄の生涯などを書き上げていて、そうオーケストレーションの達人にもなり、かつ歌に対しても名手の域に達していて、さらに指揮者としても大活躍だったシュトラウスなのです。

ワーグナーの虜が書き上げたような、素材ともに、もろにワーグナーの影響下にあった「グントラム」。
ここ「火の欠乏」では、ワーグナーを腐した町、ミュンヘンを揶揄する内容において、ワーグナーの素材などがパロディーとして使用されているが、ワーグナーの神話的な世界や、分厚いオーケストラ、半音階的な和音などは、ほぼありません。
響きは明るく明晰で、これはずっと後年まで続くシュトラウス独自に明朗な音楽に共通です。
美しく、思わず身体が動いてしまうようなステキなワルツもあるし、一度聴いたら忘れられないフレーズなどたくさん。
さらには、主役のバリトンの長大なモノローグは、後続のオペラで、ソプラノやバスが担うことになる、味わい深く、教訓や人生観をも感じさせるものがあります。

しかし、完成されたスコアの最後には、「全能者に敬意を表し、その誕生日に完成。1901年5月22日、ベルリンにて」とあります。
そう、5月22日は、ワーグナーの誕生日です。
あくまでワーグナーへのリスペクトは変わらなかったシュトラウスです。

「火の欠乏」から4年後には、「サロメ」が生まれますが、明るいメルヘンのあと、バラの騎士でなく、サロメやエレクトラに行ったのは、これもまたシュトラウスの音楽の変遷を思う中で面白いことです。
ひとつには、ホフマンスタールとの出会いも大きいことかと。
あとは、批判を恐れない、大胆な芸術家としてのシュトラウスの在り方。

「火の欠乏」は、ベルリンで作曲されたとき、当局から検閲を受けてます。
「サロメ」はもちろん検閲騒ぎになったわけですが、穏健な音楽の「火の欠乏」だったのですが、ヴォルツーゲンが書いた台本には、バイエルン地方の方言がそのままに用いられていて、なかには当時、猥雑な内容ともされたものだったからです。
シュトラウスは、ミュンヘンへの揶揄をこうした部分でも表しているのです。
 検閲後、ベルリンで初演されたが、7回ほど上演されたのち、ドイツ国の皇后が、つまらないと指摘したこともあり、上演は幕引きとなってしまった。

サロメ以降ばかりが、上演されるのに、「火の欠乏」は、音楽だけをとれば見逃せないシュトラウスらしい作品だと思います。
 クンラートの大演説にリングのライトモティーフが出てきたりして、とても神妙となります。
そのあと、火が町に戻ってくる場面の音楽のすばらしさといったらありません。
目頭が熱くなりました・・・・

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舞台はミュンヘン。今日はお祭り、「火祭の日」である。
子供達が楽しそうに歌いながら、町を練り歩く(呪文のような謎のセリフ)。
市長の娘ディムートは「結婚しない女」で、遊び仲間の女3人と子供達にお菓子をくばったりしている。
街の変わり者クンラートは、ボサボサの髪、むさ苦しいなりで自宅で本に没頭していて、今日が祭りの日ということを知ってかしらないか。
「燃え盛る火を二人して飛び越えると愛が成就するよ」と子供たちから、祭の伝説を聞かされ、すっかりその気になって夢中になってしまう。
調子に乗って「ディムート」に愛を告白して、ついでにキスまでしてしまう。
これには、町中大受けで、たくさんの人からディムートは囃され、笑いのネタにされてしまい、恥ずかしさのあまり、家に飛び込んでしまう。

ディムートは口惜しくてくやしくて、お返しをしようと思っていると、バルコニーの下にクンラートが現れる。
作戦ながら彼をすっかりその気にさせて、思わず熱烈な2重唱が歌われる。
クンラートは、感極まって上にあがりたがり、まんまと籠にのる。

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バルコニーに向けてするすると持ち上がって行くが、ディームートによって途中で止められてしまう。
ディムートは、街中の人を呼び集め、籠の中の宙吊りのクンラートは、さらしものにされ、物笑いの種となってしまった。

騙されたと知った彼は、頭にきて街の火や明かりを消してしまう呪文を唱える。

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ミュンヘンは、真っ暗闇になってしまった。

人々は、クンラートに助けを請い、またディームートのバカげた行為を非難し、彼女に謝るように、そして彼のもとに行くようにと嘆願する。
 ここでクンラートは、ついに世紀の大演説をぶつ。
「火祭のほんとうの意味を理解していないから、こうして暗闇が訪れるのだ。
かつてミュンヘンは偉大なマイスター(ワーグナー)を冷遇した、そしてシュトラウスもだ。」
このあたりで、ヴァルハラの動機まで出てくるし、シュトラウスの作品の旋律もチラチラする。
こんな意味のことを比喩をまじえながら、ちくちくと町を揶揄して人々を諭すように歌う。
 明かり(火)も愛も、唯一女性からもたらされるのだ、と歌い最後は二人仲良く抱き合う。

              幕

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  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:シモーネ・シュナイダー
   クンラート :マルクス・アイヒェ
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):ロウヴェン・フトハー
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ラース・ヴォルト
   エルスベート:モニカ・マスクス
   ウィゲリス :サンドラ・ヤンケ
   マルグレート:オレナ・トカール
   ヨェルク・ペーシェル:ヴィルヘルム・シュヴィンクハマー
   ヘーメルライン:ミヒャエル・クプハー
   コーフェル :アンドレアス・ブルクハルト
   クンツ・ギルゲンストック:ルートヴィヒ・ミッテルハマー
   オルトリープ・トゥルベック:ソン・スン・ミン

  ウルフ・シルマー指揮 ミュンヘン放送管弦楽団
             バイエルン放送合唱団
             ゲルトナープラッツ州立劇場少年少女合唱団

     (2014.1.24,26 @プリンツレゲンテン劇場、ミュンヘン)

ハインツ・フリッケ盤以来29年ぶりの「火の欠乏」の録音。
同じ、ミュンヘンでの録音で、オーケストラも同じなところがおもしろい。
そう、まさにミュンヘンゆかりの作品ゆえで、ワーグナーとシュトラウス自身に厳しかったミュンヘンでの録音しかないのもおもしろい。
しかも、このシルマー盤の録音は、ルートヴィヒ2世が、当初ワーグナーのために建設した劇場で行われてます!
このときの演奏会形式の模様がyoutubeで全曲視聴が可能です。
(https://www.youtube.com/watch?v=bplGSjUWQL0)

音質と画質は目をつぶるとして、この作品を手中にしたかのようなシルマーの練達の指揮ぶりと、大編制のミュンヘンの放送オケの実力のほどを感じさせます。
バイエルン放送響の影にかくれ、二軍みたいた存在に思われることが多いが、作品への順応性と、明るい音色と機能性の豊かさ。
管がものすごくうまいです。
CPO盤のこちらのCDは、音質も含め、下記のとおり歌手もよく理想的なもの。

歌手では、バイロイトの常連、名ウォルフラムのアイヒェの独り舞台。
素直なクセのない美声はのびのびとして、耳に心地いいし、言葉も明瞭で、かつてのプライの声を軽くしたような感じか。
聴かせどころ、「Feuersnot」と呼びかけるところ、ずばり、決まってますし、長大なモノローグも弛緩なく実に豊かです!
フリッケ盤のヴァイクルの声の印象が強すぎだが、このアイヒェの美声になれちゃうと、ヴァイクルの声は強すぎで、ザックスみたいに感じてしまうから困ったものだ。
 シュナイダーさんの、ディームートは、ちょっと高慢で空気読めない女性をよく歌いこんでいて、強い声も絶叫にならず、余裕があるのがいいです。
ほかたくさんの登場人物たち、本場での上演だけに、合唱・少年少女も含めて、みんなドイツ語がはっきりくっきりでよいです。

というにも下のDVDは、イタリア人たちの発声が明るすぎだったからなんです。

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  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:ニコラ・ベラー・カルボネ
   クンラート :ディートリヒ・ヘンシェル
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):アレックス・ヴァヴィロフ
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ルーベン・アモレッティ
   エルスベート:クリスティーネ・クノッレン
   ウィゲリス :アキーラ・フラカッソ
   マルグレート:アンナ・マリア・サッラ
   ヨェルク・ペーシェル:ミハイル・リソフ
   ヘーメルライン:ニコロ・チェリアーニ
   コーフェル :パオロ・バッタギルタ
   クンツ・ギルゲンストック:パオロ・オレチーナ
   オルトリープ・トゥルベック:クリスティアーノ・オリヴィエーリ

  ガブリエーレ・フェッロ指揮 マッシモ劇場管弦楽団
                マッシモ劇場合唱団

                マッシモ劇場児童合唱団

        演出:エンマ・ダンテ           

     (2014 @マッシモ劇場、パレルモ)

まさかの劇場上演のDVDが出ました。
しかも、シルマー盤と同じ2014年の上演記録です。
この年は、シュトラウスの生誕150年。
よくぞ、映像作品として出してくれました。
劇の内容からして、イタリア人の好みそうなものだし。

日本語対訳が付いてないものの、おおまかな筋立てを理解していれば、ほぼ楽しめます。
時代設定は現代にしてるものだから、やたらとたくさん出てくる登場人物たちが、誰が誰やらわからない。

主役の男女と、女性の父(城主・市長)、女性の女友達3人、父の秘書的(城の廷士)なテノール、このあたりだけ押さえておけば大丈夫かと。
しかしながら、この女性の演出家、最初から最後までダンサーを多用して、舞台はどこもかしこもダンサーだらけで、脱いだり着たり、男もブラジャーしてるし、なにがなんだかわからんし、目障りなことおびただしい。
ただでさえ、ちょい役の歌手がいっぱいいるのに・・・

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 でも、ラスト、クンラートが魔法を解除し、火が町に戻ってきたとき、ダンサーたちがオレンジの布をたくさんヒラヒラさせて、舞台がオレンジに染まったとき、素晴らしい音楽とともに、ほんと美しいと思いましたね。
ディームートが皆にせがまれて、クンラートの元に行き、最後に2人の邂逅の証に「すばらしい真夏の夜よ、永遠にアイしてるーー」って歯が浮くように歌うんですが、この演出では、窓から出てきたとき、ひとりはブラジャー姿、もうひとりは上半身裸の胸毛姿。。。。
なんだかなぁ、そこまで見せる必要あるかい??
最終場面のファタジー感、がぶっとんだ・・・

D・ヘンシェルのFDばりの知的な歌は、その気難しい風貌とともに、この役になりきってサマになってました。
でも、アイヒェのすばらしさには敵わない。
カルボネさんのディームートは、もう少し色っぽいと舞台映えしたと思うけど悪くない。
ほかの人は、多すぎでなんだかさっぱりわからないけど、3人娘は楽しかった。
 指揮のフェッロは、ずいぶんとお歳を召したものだと思った。
ロッシーニ指揮者として80年代に活躍、あと以外にも、ツェムリンスキーも指揮したりもしてたから、シュトラウスもお得意なんだろう。
パレルモの明るいけれど、ドイツの響きとは全然違うオケピットの音色が、思いのほか新鮮です。
この劇場で、インキネンはリングを振ってますね。

お部屋で、こうしてオペラが視聴できちゃう幸せ。
昔なら考えられないことです。
劇場に行きたいけれど、なかなか難しいし。

ワーグナーとシュトラウス、プロコフィエフも交互に全作を取り上げ中、ついでにヘンデルとロッシーニも。
歳と残された年月を考えたら、こんな企画はもう最後かもね。

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2021年6月11日 (金)

ビゼー 「カルメン」 マゼール指揮

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バラの花。

バラは漢字ではまず、書けませんな。(さかき・・・なんとかがあって覚えたフシもありますがむにゃむにゃ)

「バラ」、「ばら」、「薔薇」の3通り。

R・シュトラウスのオペラは、「ばらの騎士」と書くのが多い。
J・シュトラウスのワルツは、「南国のバラ」。
シューベルトの歌曲は、「野ばら」。
シューマンのカンタータは、「ばらの巡礼」。

そして、運命の女、いや、男をダメにする女、ファム・ファタールが口にくわえた花は、「薔薇」。
って漢字が合う。
カルメンは、ホセに、この薔薇を投げ、ホセは「お前が投げたあの花、牢屋でも枯れるまで握りしめていた・・」と虜にしまう。
メリメの原作は、どうやら薔薇ではないようだが、オペラでは、やっぱりバラじゃないとしまらない。
チューリップじゃ可愛いすぎるし、カーネーションじゃマザコンになっちまうし、桜だったら日本ではありそうだけど、蝶々さんになっちまう。
やっぱり薔薇だ!

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で、「カルメン」だ。

Carmen-maazel

   ビゼー 歌劇「カルメン」

 カルメン:アンナ・モッフォ  ドン・ホセ:フランコ・コレルリ
 ミカエラ:ヘレン・ドナート  エスカミーリョ:ピエロ・カプッチルリ
 スニガ:ホセ・ファン・ダム  モラレス:バリー・ダグラス
 フラスキータ:アーリン・オジェー メルセデス:ジャーヌ・ベルビエ
 ダンカイロ:ジャン=クリストフ・ベノワ
 レメンダード:カール・エルンスト・メルカー

  ロリン・マゼール指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
             ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
             シェーネベルク少年合唱団

              (1970 ベルリン)

長い指揮活動のなかで、オペラのポストで成功したのは、ベルリン・ドイツ・オペラ(1965~1971)だけで、ウィーン国立歌劇場は1982年に総監督となりながらも途中降板してしまった。
コヴェントガーデンやパリ、スカラ座にもたびたび客演したものの、劇場の運営や監督には、やはり向いてなかったのだろう。

あと、オペラの正規録音が、イタリアオペラとフランスオペラばかりで、ドイツ物は少ないのが残念。
ワーグナーはトリスタンの日本ライブが出たが、シュトラウスはその全曲録音がひとつもない。
バイロイトでのリングやローエングリンを是非正規化して欲しい。

そんななかで、「カルメン」は2度録音していて、マゼール向きのオペラであることがわかります。
ただし、2度目のものは、聴いたことがありませんし、サウンドトラック的な録音との印象もあるので、ちょっと。

この1回目の「カルメン」は、いまでは主流となったセリフ語りのアルコーア版での世界初録音でした。
これに先立つデ・ブルゴス盤は、オペラ・コミーク初演版、このあと、70年代は、バーンスタイン、ショルティ、アバドと、アルコーア版による録音が相次ぐこととなりました。

発売当時の驚きは、豪華キャストで、この共演は、他の演目では見られず、もしかしたら一期一会的な組み合わせでもありました。
最盛期を過ぎ、リリコのイメージをかなぐり捨てたモッフォ。
こちらも、引退直前のコレルリ。
バリバリのイタリアバリトン、カプッチッリ。
モーツァルト歌手だったドナート。

それを束ねる、ベルリン・ドイツオペラの海千山千の当主マゼール。
そして、出てきたレーベルが、当時の日本コロムビア。
発売時は、3枚組6,000円もしたので、中学生の自分には高値のバラ=花でして、ちゃんと聴いたのはCD時代になってから。
上のジャケット写真は、当時のレコ芸の表紙です。

名作なだけに、名録音も多数。
しかし、存外にわたしのCD棚には少ないもので、このマゼール盤、デ・ブルゴス、アバドと3種しかありません。
カラスですら持ってないし、全曲聴いたことがないかもしらん。
映像もなし、舞台は新国で1度だけ。
オペラとしての人気、トップクラスなだけに、いつでも聴けるという感覚からか、あまり聴かないという自分にとって不思議な存在のカルメンなんです。

ベルガンサと作り上げたスタイリッシュなアバド盤、オペラ座のカルメンなデ・ブルゴス。
そしてマゼールは、なんでもありのインターナショナルなごった煮カルメン、かな。

面白いくらいに個性むき出しの歌手たちが、鮮烈なのマゼールの指揮のもとにあって生き生きとして感じる。
マゼールのテンポ設定は、相変わらずで急なアクセルや、驚きのアッチェランド、強弱の激しさなど、かたときも耳を離すことができない。
ジプシーの歌なんて、あまりに遅く、そしてあまり静かに始まるのでボリュームをあげてしまうととんでもないことになる。
そう、どんな演奏よりも激しい、うずまく熱狂が待ってるのだから。
久しぶりに聴いて、この前おなじように、笑っちゃうくらいになった「春の祭典」を思い出してしまったww
こんなこと、あんなことをしでかしながら、すべてがオペラとしてのドラマを語っていて、その場面を引き立てる必然であることがマゼールたるゆえんで、いつまでも生命力を失わない演奏となったのだと思う。

モッフォの若い頃の、ほの暗さも伴った声が大好きだけど、ベルガンサとは違った意味で、堂々たるカルメンを否定するような、ひとりの女性としてのカルメンを歌いこんでいる。
「ソフィア・ローレンのカルメンでなく、ブリジット・バルドーのカルメンであろうとした」と彼女自身がこのとき語ったそうな。
誇張やおっかなさを表出することなく、なんだか、悲しみさえ感じさせるモッフォのカルメンが好きです。

これに対し、直情一直線的なホセを、ありあまる声で歌いぬいてるのがコレルリ。
大ベテランの味わいもあるが、モッフォの知的なカルメンに比べると、まるで制御不能のオテロのように感じるのが面白い。
同様に、イタリアオペラを歌うかのように、豊穣たる声をなみなみと聴かせるカプッチルリは、声の豊かさという点で破壊力抜群だ。

イタリア男たちにくらべ、儚く、可愛い、理想的なミカエラを歌うドナートは、まったく違和感なく、この個性豊かなカルメンの出演者たちのなかにあって、一服の可憐な清涼剤的な存在か。

ファン・ダム、オジェー、ベルビエらの名前がうかがえるのも、実に楽しく、当時のベルリン・ドイツ・オペラがいかに充実していたかがわかる。
これが録音された年、ベルリン・ドイツ・オペラは来日して、マゼールはローエングリンとファルスタッフを指揮してました。
よき時代かな。。

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東日本はこれから梅雨かよ。

もう充分暑いよ、疲れたよ。。

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2020年12月23日 (水)

R・シュトラウス 「グントラム」 クゥェラー指揮

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11月に30年ぶりぐらいに訪れた群馬県の「吹き割の滝」

間近かで見ることができて、迫力があるし、ちょっと怖い。

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900万年前の噴火でできた、とか気の遠くなるような話の岩石からなってまして、千畳敷といわれる川床で、このように近くまで行って覗き込むことができます。
外国勢ばかりだったようですが、ほぼ100%日本人で、静かな雰囲気でなによりでした。

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  R・シュトラウス 歌劇「グントラム」

    グントラム:ライナー・ゴールドベルク
    フライヒルト:イロナ・トコディ
    老公爵:シャンドール・ショーヨム・ナジ
    ロベルト公爵:イュトヴァン・ガーティ
    公爵付きの道化師:ヤーノシュ・バーンディ
    老人:アッティラ・フュロプ
    老婆:タマラ・タカーシュ
    フリートホルト:ヨージェフ・グレゴル
    使者:パール・コヴァーチュ
    第一の若者:タマーシュ・バートル
    第二の若者:ヤーノシュ・トート

  イヴ・クゥェラー指揮 ハンガリー国立交響楽団
           ハンガリー陸軍合唱団

       (1984 @ブタペスト)

15作あるR・シュトラウス(1864~1949)のオペラ。
当ブログでは、全作を一度、一部作品はくどいほど取り上げてますが、いま一度、全作のサイクルをやろうと思います。
ずっと聴いてきた音源、あらたな音源に映像作品。
自分でも楽しみです。
いくつものサイクルを同時進行してますので、2年ぐらいかけて、そう自分への励みとしてもやっていこうと思います。

シュトラウス最初のオペラが「グントラム」。
1887年に着想。
「ドン・ファン」の1年前から構想が練られ、自身の台本は、まず1891年に完成。
この時点で、いまもよく聴かれる高名な歌曲も作られていて、シュトラウスはもう、その作曲スタイルは確定してます。
グントラムの作曲の方は、同時に着手して、1892~93年に完成させます。
交響詩では、「マクベス」と「死と変容」がこの間で作曲されてます。
1894年ワイマールにて、30歳のシュトラウス自身の指揮で初演されたものの、成功したとは言えず、その後も散発的な上演はあったものの、次作の「火の欠乏」と同じく、劇場のレパートリーからは外れて久しく、シュトラウスのオペラの成功作は、10年後の「サロメ」を待つこととなります。
この初演の年、シュトラウスは、バイロイトに指揮者として登場し、「タンホイザー」を指揮してます。
 かくもあるとおり、ワーグナーの影響下の真っただ中にあったシュトラウス。
このオペラ処女作は、ドラマとしては、中世13世紀のミンネゼンガーの物語で、まさに「タンホイザー」の世界で、はたまた騎士として、苦境の女性を救い、去って行くヒロイックさもあるので、「ローエングリン」でもあり、さらに信仰と贖罪に身を投じることから「パルジファル」、そんな様々な影響をもろに感じるオペラであります。
 ついでに申せば、ヒロイン役は、さながらエルザで、敵役はテルラムントやクリングゾルだ。

10年後の「サロメ」が、官能と刺激にあふれた豊穣なサウンドが個性的なまでになっているのに対し、こちらの「グントラム」は、甘く美しい旋律に、このころすでに獲得していた巧みなオーケストレーションの能力を背景に、鮮やかでありながら、音楽が明朗なことは、すでに「エレクトラ」後のモーツァルト帰りの将来すら予見させます。
私は、聴いていて、「ダフネ」の地中海風的な明るい、清涼感も感じ取ることもでき、27歳のシュトラウスの音楽観が、すでに晩年の作風をも見通すくらいに達観していたのでは、と思うようになりました。
「ドン・ファン」のメロディーも流れてくるし、「英雄の生涯」に援用された旋律もありまして、第5部の英雄の業績では、「死と変容」や「ドン・キホーテ」の旋律と絡み合うようにして、この作品の前奏曲に出てくるメインテーマが登場してます。
しかしながら、その豊かなサウンドたちが、次々と垂れ流されるものの、そこに厳しさや、ドラマに付随した劇性が足りないような気がするのも事実で、そこは10年後の「サロメ」への進化ぶりであらためて確認することとなります。
あとシュトラウスならではの洒脱な軽やかさは、ここではまだまだで、次作にてそのあたりが確認できるかと思います。

 それから、主役がテノールであることは、シュトラウスの15のオペラのなかで、これが随一。
女声を愛したシュトラウスが、一番ワーグナーに振れていた時節の作品であることもそのひとつ。
ちなみに、シュトラウスのオペラで、男声が主役級である作品は、「火の欠乏」「インテルメッツォ」「無口な女」「平和の日」などで、それらはいずれも、バリトンかバスで低音男声。

当初3時間を越える大作であったが、あまりの不評に大幅な短縮を試みて、2時間あまりのサイズになったのが現行版で、ことの進み具合が唐突なのもそのあたりにあります。

簡単にあらすじを。時は中世・吟遊詩人の世界~そう「タンホイザー」と同じですよ。
主人公も、ひたむきに己の道を行き、正当防衛とはいえ、あらぬことか人を殺め、最後には愛を捨てて修行の道にでる生真面目ぶり。

第1幕
最高の善としてのキリスト教的友愛の世界を目指して修行する「グントラム」。
悪い男に操られ圧政を行う国を改革しようと、グントラムはやって来た。
貧しい人々に施しを与えつつ、その国の様子を人々にうかがうと、圧制者ロベルト公爵の妻で清き女性がいて、食べ物などをよく施してくれていたが、いまは夫に禁じられてしまった。
そこにその女性がまさに嘆いて入水自殺をしようとするが、それを助けたグンドラム。
その女性フライヒルトと相思相愛となってしまう。
彼女はかつて国を治めた老大公の娘だった。

第2幕
娘を助けたことで、公国に慇懃に迎えられる。
そこでグントラムは、圧政を止めるようにと大演説をぶつ。
(こりゃまさにタンホイザーの歌合戦そのもの、ハープの伴奏まであります)
人々を不安にさせ、そしてその気にさせてしまったグンドラム。
その男を成敗しろと言うロベルト公爵だが、誰も手を下せず、やむなく公爵と争いになり、グントラムは思わず殺してしまう。
これを批難する老公爵の長いモノローグも印象的で、バリトンの聞かせどころ。
印象的な行進曲調の勇ましいフレーズも登場。
グントラムはおとなしくお縄につき連行、フライヘルトは切実な悲しみを歌い、あわせてグントラムへの愛を誓う。
このあたりの高揚感は、シュトラウスの交響詩を聴いてるようだし、ワーグナーでいうとワルキューレみたいな雰囲気だ。

第3幕
一応自分の婿だから、老公爵は厳しく対処し、グントラムは幽閉の身となっている。
壮絶な前奏のあと、亡き公爵を弔う修道士たちの聖歌がアカペラで歌われ、そのあとすぐに後悔するグントラムの歌。
そこにフライヒルトが駆けつけて、激しく求愛し、愛の二重唱となる。
ここはまたトリスタン的な感じでありまして、独奏ヴァイオリンなんても絡んでなかなか濃厚な感じになる。
フライヒルトは、さあ立ち上がって、一緒に逃げましょうとグントラムを促し情熱的だが、グントラムは躊躇しつつ彼女の名前を呼ぶことしかできない。
 そこに、グントラムと教義を同じくする同志フリートホルトが登場し、グントラムにわれわれ高潔の士は、人を殺めては決してならないとして非難し仲間として罪を償うように進言する。
グントラムは、あれは正当防衛であり、自分には罪はなく、あくまで自身の罪は、そうひとりの女性、それも公爵の妻を愛してしまったことだと語る。
フリートホルトは、ばかげた考えだと諭すものの、グントラムはこれが自分の信条だとして、帰還も進める彼の言葉にも譲らす、やがて仲間は去る。
残されたフライヒルトは、愛は勝ち取られた、あなたは自由よ、と喜ぶ。
しかし、グントラムは、勝利は簡単かもしれないが、自分は神の思慮から外れてしまった、あなたのもとを去り、ひとりで孤独のうちに過ごさなくてはならないと語る。
フライヒルトは泣き伏せるが、グントラムは彼女に、あなたは国を歩き廻り、人々を笑顔にした、その国がいまあなたの元にある。
これからも頑張るんだよ、愛するフライヒルトと歌い、永遠の別れ、わたしの神があなたと共にあるとしてゆっくりと去って行く。

                     幕

こんな内容だが、ここでは主役を歌うテノール歌手の負担がものすごく重たい。
最初から出ずっぱりで、3つの幕にそれぞれ長いモノローグがあるほか、ことさら最後は、実に感動的で素晴らしくも熱いモノローグを歌わなくてはならない。
ちなみに、ラストはローエングリンのようでもあります。
私のような「テノール好き」には堪らない瞬間が数々ある。
老公爵のバリトンにも、ヒロインのソプラノにも没頭的な聞かせどころもある。
このように、サービス満点なところが、逆にドラマへの集中力を削いでる点があることも否めない。

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この作品の初のレコーディングが今回のクゥェラー盤。
クゥェラーさんは、アメリカ生まれの女性には珍しかったオペラ指揮者で、1981年生まれ、まだお元気の様子。
ニューヨーク・オペラ管弦楽団を自ら設立し、演奏会形式で珍しい作品を次々に取り上げ、カバリエやドミンゴ、バンブリー、フレミングなどの大物との共演も多く、さらに欧州の劇場へも多く客演してました。
ベルカント系も得意にしていて、ドニゼッティの研究でも知られている。
 その彼女が1983年にアメリカ初演を手掛けた「グントラム」。
翌年、ブタペストでも演奏会形式にて取り上げ、その時のキャストを使って録音されたものです。
録音当時、ハンガリーは社会主義国で、その国の強力なレーベルだったのが、フンガトロンで、ハンガリーのオーケストラや演奏家、歌手たちを知る窓口みたいな存在でありました。
そのフンガトロンとCBSソニーレーベルがアライアンスを組んで生まれた音源は数々ありまして、「グントラム」が選ばれたのは今思えばありがたいことでした。

クゥェラーさんの指揮ぶりは、本格的なもので、女流らしく、横へ横へと流れるような旋律線を美しく紡いで行くことで、シュトラウスの流麗な音楽が引き立っているように感じます。
一方で、鋭さに欠ける点も感じますが、そこはシュトラウスの初期作品ゆえ、この美しい演奏はこれはこれでいいんじゃないかと思います。
イタリアのオーケストラを指揮した、クーン盤とともに、きっとこれから先、録音されることはないだろう「グントラム」の希少なCDであろうと存じます。

題名役を歌う、ゴールドベルクは、東ドイツから忽然と現れ、80年代に活躍したヘルデンテノールで、レヴァインやハイティンクのリングで、ジークフリートやジークムントを歌っているけど、あまり評価されず気の毒な歌手だった。
私はいずれも悪くないといつも感じてますが、ちょっと喉に引っかかるような発声が好悪を呼ぶんだろうと思います。
ここでは、その作品ゆえか、ゴールドベルクの独り舞台で、実に雄弁で、テノールを聴く楽しみに浸れます。
 そう前にも書いてますが、わたくしはスウィトナーが指揮した「マイスタージンガー」でゴールドベルクを聴いてまして、とても関心した記憶があります。
本番に弱くて、ショルティのバイロイト・リングも直前に降りちゃったし、マゼールのウィーン国立歌劇場就任時の「タンホイザー」でも声が出なくなったりと、いろんな履歴があるのもゴールドベルクならではです。
 ゴールドベルク以外は、みんなハンガリーの人で、みんな名前がいかにもハンガリーって感じ。

イタリアオペラの印象の強いトコディさん、張り切ってまして、なかなかの熱演。
バイロイトの常連だったショーヨム・ナジもものすごく立派なバリトンを聴かせます。
あっという間に死んでしまう、適役のガーティさんや、ほかの初役もよし。

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いかにもな日本の原風景的な野山。
群馬の北の方なので、いまごろは雪に包まれているかも。。。

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このあたりはリンゴの産地でもありまして、このような美しい赤いリンゴが沿線にたくさん生っておりました。

このリンゴで焼いたアップルパイがまた美味なのでありました。

次のシュトラウスのオペラは、「火の欠乏」であります。

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2020年12月 4日 (金)

プロコフィエフ マッダレーナ ロジェストヴェンスキー指揮

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 紅葉はも終わってしまったけど、月も一緒に荒涼とした雰囲気の写真が撮れました。

毎年、この時期は、親類のお墓参りを兼ねて老母と姉と姪たちとで群馬に行くことになってます。

今年は、GoToのおかげで、どちらのお宿も満杯で、姉の手配で、ありがたくもようやく1室取ることができた。

それにしてもコロナ、正しく恐れ、正しく予防しようと思う。

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

今日は、①から、作品番号13のオペラ、「マッダレーナ」。

1911年、プロコフィエフ20歳のときの作品。
wikiの助けを借りて調べてみると、プロコフィエフは、1900年、9歳にして早くもオペラを書いてます。
さらに、10歳、12歳、16歳で、それぞれ1作づつ。
よって10代までに、未完のものも含めて4つのオペラを作曲してます。
それらは作品番号はなく、スコアも残されてるかどうか、いまのところ調べた限りではわかりませんでした。
早熟な天才プロコフィエフなのでした。

Prokofiev-maddalema

  プロコフィエフ 歌劇「マッダレーナ」 op.13

    マッダレーナ:エミリア・イワノワ
    ジェナーロ:アレクセイ・マルティノフ
    ステニオ:セルゲイ・ヤコヴェンコ
    ゲンマ :N.コプタノワ
    ロメオ :ヴィクトル・ルミャンツッェフ

   ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮
        ソビエト国立文化省交響楽団
    ヴァレリー・ポリャンスキー指揮
        ソヴィエト国立文化省室内合唱団

      (1986年 @モスクワ)

1幕4場の短めの作品で、同名のBaron Levinなる人の劇作品が原作。
15世紀、ヴェネツィアを舞台とする三角関係のもつれからくる殺人を描いた、ある意味、古典的な悲劇の筋立て。
 ヒロインのソプラノに、色男のテノールに、敵役のバリトン。
そう、おなじような仕立てが、「カヴァ(1890)、パリ(1892)」、プッチーニの「外套」(1916)、ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」(1917)、あとちょっと違うけど、コルンゴルトの「ヴィオランタ」(1915)。
ロシア版のヴェリスモオペラといっていいかもしれない。
 いずれも世紀末、刹那的なドラマに人々が気持ちを持っていかれる時期を象徴しているのだろうか。

プロコフィエフの「マッダレーナ」は前述のとおり、1911年で、この年は、マーラーの亡くなった年でもありました。

CDの解説書を参考にして、以下まとめてみました。

サンクトペテルブルク音楽院の作曲科は、3年前に卒業、引き続き、ピアノ科と指揮科に籍を置いていたプロコフィエフ。
「マッダレーナ」を短期間で完成させたものの、オーケストレーションは、4つの場のうち1場までしか完成させておらず、併行して、上演してもらえる機会をさぐることになったが、勉学中の立場のため、なかなかうまくいかなかった。
 モスクワの自由劇場が興味を示してくれたが、なんとその劇場は倒産。
のちの1914年、ロンドンでディアギレフに会い、この作品のことや、「賭博者」のオペラ化などを提案したが、ディアギレフはオペラ自体に興味を示さなかった・・・。
 さらに1916年、プライベートなオペラハウスで上演計画もあったが、それもダメに。
その後も、朋友、ミャスコフスキーの尽力で上演機会を探られたものの、結局は作曲者自身もふくめて、忘却のなかに、埋もれてしまった「マッダレーナ」なのでした。

この埋没してしまったオペラを、復活させたのが、英国指揮者のエドワード・ダウンズ。
ダウンズは劇的なその最期が話題になったりもしましたが、ロシア音楽、ことにプロコフィエフの第一人者。
ヴェルディとワーグナーも得意にした渋い名匠でした。
 そう、70年頃、江藤俊哉さんのバックで、ベートーヴェンとかメン・チャイとか指揮してた記憶があります。
そのダウンズが、2~4場の未完のオーケストレーションを、同時期のピアノ協奏曲第1番や「賭博者」のスタイルを参考にしながら完成させました。
1979年、BBCの企画で演奏され、3月にイギリスとソ連で同日放送。
1981年にはグラーツで、1982年にはセントルイスで上演されてます。
そして、プロコフィエフの録音にかけては、バレエ音楽中心にかなり実績のあるロジェストヴェンスキーが、デジタル時代になって録音したのが、今回のメロディアレーベルの1枚です。

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E・ダウンズが英訳したリブレットを参照に簡単なあらすじを

ヴェべチアの運河が見下ろせる芸術家(画家)ジェナーロの部屋で、夕暮れ時。
マッダレーナは窓辺で夕焼けの絶景を眺めて、気分はいいわ、でも血のような紫にそまった空を見て、少し罪悪感を感じぞっとする。
ゴンドラから、友人のジェンマとロミオが声をかけるが、マッダレーナは、ジェナーロの帰りを待っているの、と断る。
 そこに待ち望んだジェナーロが、勢いよろしく帰ってきて、マッダレーナに思いのたけを熱く歌し、やがて二重唱となる。
ふたりでお熱くなっているところに、ドアをノックする音がして、マッダレーナは慌てて隠れる。
ジェナーロの友人ステニオが思い詰めてやってきたのだ。
ステニオは、誰かいたの?君の奥さんかい?と聞くと、ジェナーロは、そうだよ、と答えます。
幸せかい?、うんそうさ、お互い愛しあってるのさ、やりとりする男ふたり。
 さて、心の秘密を聞かせようというステニオ、出会った女性に夢中になりすぎて、嫉妬で苦しいんだと思いを語る。
その彼女の名前や家族は?とジェナーロは聞くが、それがわからないんだ、突然やってきて、名前も、何も問うなと言うんだ。
かれこれ3か月余り、彼女のことが心の中を占めてしまい、どうしていいんだかわからない、と夢中で語るステニオ。 
 そのとき、カーテンが揺れるのに気が付いたステニオ、そして、そこにマッダレーナがいることに驚愕するステニオであった。
ジェナーロは、僕の妻であるマッダレーナだよ、と語るが、ステニオは違う、俺がさっきいった女性が彼女なんだ、と混乱する。
この蛇のような狡猾な女、ジェナーロに言い聞かせ、ジェナーロも混乱に陥り、いったいなにが本当なのかと?
マッダレーナは、ステニオにあなたは約束を破った!もう金輪際、あんたなんて知らないと言い放ち、ジェナーロには、わたしはあなたの妻なのよと言うが、男二人は、とんでもない女だと責める。
それでも、ジェナーロに切々と訴えるので、彼も心を変え、ステニオは騙されるんじゃないといさめる。
そしてマッダレーナは、ジェナーロに彼を殺して!といい、ついにジェナーロはステニオをナイフで刺し殺してしまう。
あ、やっちまったと一瞬の悔恨を残し、すかさず、自分にもナイフを突き立ててしまう。
息も絶え絶えに、マッダレーナに、先に行って神様の前で待ってるからとこと切れる・・・・
 ひとりのこったマッダレーナ、ジェナーロの亡骸に、わたしゃ行かないよ、ひとりになれた、自由だわ、と清々とした様子。
もし、どちらかが生き返ったら、どっちを選ぶ?いいえ、わたしは両方愛していたかもと呟き、窓の外に向かって、「人殺しーー!わたしのジェナーロが、知らない男に殺されたーーー」と叫び、急転直下で

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もうね、あっという間の50分間に、男ふたりが死んじゃって、悪い女が何事もなかったかのように次の生活に向かおうとする。
youtubeに、ロシアの黒海近く、ロストフ・ダ・ヌーという都市の劇場での上演動画があがってます。
音やカメラアングルは悪いですが、このオペラの概要はつかめると思います。
この演出では、黒子がでてきて、最後、マッダレーナは地に沈んでいってしまうような演出がなされてました。
コジ・ファン・トゥッテとドンジョヴァンニみたいな内容といえば、それまでですが、20歳の青年にしては、ずいぶんと血なまぐさい痴情のオペラを書いたものです。

クールな前奏曲や、ゴンドラの歌の旅情、ジェナーロの熱い思いを歌ったモノローグなど、なかなかいいです。
でも、このオペラで一番いいところは、ステニオの長いモノローグで、プロコフィエフらしい、狂気につつまれ、どんどんと深みにはまってゆく熱のようなものを帯びた部分です。
ロシア特有の、もうどうにもとまらない的な自暴自棄の音楽です。
ピアノ協奏曲や賭博者を思わせるような旋律や雰囲気もイメージされます。
 これに対し、ヒロインのマッダレーナには、目立った聴かせどころが少ないように思いました。

ロジェストヴェンスキーが、この作品の録音を残してくれたのはありがたいです。
歌手たちも素晴らしくステニオのヤコヴェンコが実によろしい。
作品としては、まだまだ未成熟ながら、プロコフィエフらしい輝きを随所に確認できる「マッダレーナ」でした。
きっと、今後もめったに上演されることはないでしょう。
しかし、ミニサイズの作品だから、コロナ社会にあっては、ざっくりと上演しやすいかもです。

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初冬の北関東は実に寒かったです。

街はクリスマスのイルミネーションが始まってますが、イルミ好きの男としては、ことしはどうも気分がのりません。

コロナとのお付き合いは、人類にとって長いものとなりそうです。

わたしは、籠って音楽三昧と行きたいところですが、それだけでは生きていけませんや。。。。

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2020年11月21日 (土)

ヘンデル 「アグリッピーナ」

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 11月7日、「立皇嗣の礼」にともない、東京タワーも美しい彩りでライトアップされました。

1年前は、天皇陛下のご即位、奉祝パレードが行われ、同じくこのように輝いた東京タワー。

こうして連綿と続く皇統が、日本とともにあり、正しく継がれてゆくことに、日本の歴史の歩みが今後とも永劫に続いていくことを願ってやみません。

Agrippina

  何度も書いてますが、不謹慎ながらコロナ自粛で世界のオペラハウスが配信してくれた動画や音源で、いままで聴くことのなかった分野や作曲家もじっくりと視聴することができて、その魅力に開眼しました。
オペラ好きとしても片寄りがあった自分。
ヘンデル、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、プロコフィエフを中心とするチャイコフスキー以外のロシアオペラ。
いまさら目覚めてしまった。
ヘンデルをこの期間に視聴した本数は、オペラ12、オラトリオ3であります。

今日はそんななかから、名作「アグリッピーナ」をとりあげます。

42作あるヘンデルのオペラ、ここ数十年で、非常に多く上演され、録音も多いのが「アグリッピーナ」。
いろんな国や地域に拠点を移しつつ、膨大な数の作品を残したヘンデル。
メサイアしかしらなかった自分にとって、まだまだ知らないことことばかりで、その作品と年代、活動拠点とが結びつきません。
そのあたりは、ゆっくりと勉強していきたいと思います。
ただ考えるに、ワーグナーやヴェルディ、プッチーニなどは、オペラ作曲家で、作品を順にたどっていけば、その生涯も辿れます。
しかし、ヘンデルは作品ジャンルも多岐にわたるため、作品順に枝葉から幹までと、その生涯を追い頭に入れることは甚だ難しいと思ったりもしてます。。。。

ドイツでの音楽活動から、1706年、21歳のヘンデルは、イタリア修行に出ますが、そのイタリア時代は、1710年まで続き、多くの作品を残してますが、なかでも成功したのがヴェネチアで初演された、ヴェンチェンツォ・グリマーニによる台本のオペラ「アグリッピーナ」です。
 アグリッピーナは、歴史上の実在の人物で、帝政ローマ時代の女性、皇帝クラウディウスの妻にして、皇帝ネロの母で、カリギュラの妹。
ローマ皇帝の系譜を眺めてみると、ちゃんと出てくるし、あとややこしいのは、こちらのアグリッピーナは、小アグリッピーナとされ、大アグリッピーナが母親で別途いらっしゃる。
さらに、アグリッパという皇帝が父親でいるし、ほんとややこしい。
 このオペラは、こうした史実を頭に入れて鑑賞すると、さらに面白く理解も深まりますが、でも普通に人間ドラマとして見てもまったく楽しめちゃうとことろが、台本とヘンデルの音楽の秀逸なところでしょうか。

 超簡単にドラマを要約しちゃうと、「夫の皇帝が海難事故で死亡との知らせに、連れ子のネロを次の皇帝にとたくらむアグリッピーナ。ところがどっこい、夫は生きてて、命の恩人に皇位を渡すと言い出すものだから、アグリッピーナは、女好きの夫を翻意させようと、若い女性を使って色仕掛けを企てるが、なんとバカ息子もそこにひっかかり台無しに、でも最後はなんだかハッピーエンドで急転直下。」

このオペラの登場人物たち(描かれ方)。

 アグリッピーナ~後妻で納まった当時違法の伯父の皇帝との結婚。
         子供のネローネを溺愛し、息子を次の帝位にという思い。
         策謀と嘘を繰り返す。
         ヒロインであれば、夫や恋人への愛に生きる姿が描かれる。
         彼女のその愛は息子にしかない。

 ネローネ   ~いわゆる「ネロ」
         キリスト者を弾圧した悪名しか残ってない。
         でも、意外にも治世は名君だったり。
          オペラでは、母の監視下にある。
         ゆえに、性への強烈な願望がある。
         やたらとバカ者で、sexに飢えている(笑)
         簡単にポッペアの策略に乗せられてしまい、母に怒られる。

 ポッペア   ~このオペラでは、フィガロのスザンナのような存在。
         愛しあった真の恋人がいるのに、各方面から言い寄られる。
         さらに、皇后アグリッピーナからも虚言で騙される。
         最後は、キーパーソンとなり正しき行いをしたようになる。

 オットーネ  ~皇帝クラウディオを助け、お気に入りとなる。
         でもアグリッピーナの策略で悪党の汚名をきせられる。 
         真の恋人はポッペア。
         いいひと役だけど、案外に存在が弱い。

 クラウディオ  ~間抜けな皇帝陛下。
          自分を助けたオットーネに帝位を譲る。
         と言ったばかりに、このオペラのような混乱が起きた。
          愛人にしようとしたポッペアにやたらと言い寄る。
         エロいおじさん、最後には愛を主体とした決断をする。

 パランテ、ナルチーゾ~王と皇后の臣下。
         アグリッピーナに下心を持っていて最初は妄信。
         後には皇后の悪の側面を痛感するサラリーマン。

 レスボ   ~ こちらは人畜無害の王の秘書
         恥ごとにも忠誠すぎて、反発を希望したかった(笑)

このオペラの物語の後日談。
 
 アグリッピーナ~息子皇帝ネロの指南役となり、あれこれ政策に介入。
         息子から疎ましく思われるようになり、暗殺されてしまう。
         アグリッピーナコンプレックスという概念も生まれた。

 ネローネ   ~哲学者セネカなどの補佐を受け、名君となるも暴君化。
         先のコンプレックスとは、近親姦などを受けたことで、
         母親を憎むようになり、自分が狂気の人物と思い込む。
         キリスト教者迫害で悪党とのレッテル貼りが定着
         最後は自決。

 ポッペア   ~オットーネと結婚するが、じつは二人目の夫。
         しかし、ポッペアを忘れられないネロに懇願され皇后に。
         キリスト者迫害は、彼女の指令との説も。
                          意外な悪女説もあるが、ネロは本当に愛してた。
         最後は夫婦喧嘩で、ネロに蹴られて死んでしまう。

 オットーネ  ~ ネロの友人だったのに、ポッペアを寝取られてしまう。
         左遷され地方で善政を敷く。
         ネロのあとの皇帝の親族だったので、ネロの次の次の皇帝に
         しかし、内乱などにあい、短い在位で死んでしまう。

 クラウディオ ~クラウディウス帝。気の毒な人生。
         アグリッピーナに毒キノコを食わされて死んでしまった。
         という説もあり・・・・・

このように、婚姻の観念がムチャクチャで、騙しだまされ、ほんとうに大変でしたでしょう、とつくづく思いますよ。
こうした歴史劇に着目したヘンデルの目利きは、なかなかのものだと思います。
登場人物たちの与えられた声部も、時代性はあるにしてもユニークです。
カストラートが3人も必要なのですから。

   アグリッピーナ~メゾソプラノ
   ネローネ   ~カウンターテナー
   ポッペア   ~ソプラノ
   オットーネ  ~カウンターテナー
   クラウディオ ~バス
   パランテ   ~バリトン
   ナルチーゾ  ~カウンターテナー
   レスボ    ~バリトン

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第1幕

 ローマ皇帝クラウディオが海難事故で死亡との報に、かねてよりの計画、息子ネロを皇帝にと思っていたアグリッピーナはにんまり。
自分に思いを寄せているパランテとナルチーゾ、それぞれに別途ネロ皇帝誕生への協力を命じる。
ネロは、市民に施しをあたえ、いかにいい人かをアピール。
 しかし、突然、クラウディオがオットーネによって救われたとの報が入り、一同がっかり。
そのオットーネが現れ、皇帝から後継者指名を受けたことを話し、アグリッピーナには、でも自分は帝位より、ポッペアとの愛が大事と語る。
一方、ポッペアは愛するオットーネのこと、あとクラウディオとネロからも求愛を受けていて、これはうまくふるまわなくてはと歌う。
そこへクラウディオがお忍びでやってくるが、巧みにいなしてしまうポッペア。
 策謀家アグリッピーナは、ポッペアにオットーネが帝位と引き換えに、皇帝クラウディオの寵愛にポッペアを差し出そうとしていることを告げ口し、自分はポッペアの味方よ、と語る。
愛が激しい怒りに変わったと嘆くポッペア。

第2幕

 パランテとナルチーゾは、アグリッピーナにだまされたかも・・と疑いを持つようになる。
一方、ポッペアへの愛を歌うオットーネ。
そこへ、アグリッピーナとポッペア、やがてクラウディオが勝利宣言をしつつ登場。
さらにネローネも出てきて、こんどはみんなでオットーネの非難合戦となり、オットーネはポッペアからも冷たくされ悲しみにくれる。
 ポッペアはしかし、なんとか彼を許してあげたいと思うようになり、そこへやってきたオットーネとぎこちないながら、仲直りしてゆく。
一方で、これでポッペアも手に入ると喜びのネローネ。
アグリッピーナは、計画が進行していることにニンマリ、危険なことに踏み込んでしまったことへの悩みと、息子がなんとしても統治者となることへの願いを強く持ち勇気を奮おうと歌う。
 彼女は、パランテとナルチーゾ、ふたりの部下がすべてを知っているので消そうと思い、ふたりを個別に呼んで、お互いを殺すように指示。
また夫のクラウディオには、オットーネが反乱を企てているとたきつけ、ネロを後継者にと説得する。
息子が皇帝になるのなら、どんなに逆風が吹こうとかまわないと母親としての強さをウキウキしながら歌う。

第3幕

 ポッペアの部屋。
オットーネがやってきて、仲直りは完了。
彼には隠れているように指示し、なにがあっても驚いちゃだめ、と言う。
そこへ今度はネローネがやる気満々でやってくるが、アグリッピーナが来るのよと言われ、あわてて隠れる。
しかし、ここへ来たのはクラウディオで、このエロ爺さんもポッペアは自分のもの、なんて風だったが、そこでネローネと鉢合わせ。
怒るクラウディオは、ネローネをたたき出して退出。
 ここで二人きりになったポッペアとオットーネは美しい二重唱で愛を確かめ合う。

 王宮の間
ネローネはポッペアがすべてを見抜いていると、母アグリッピーナに告げるが、母はかまやしない、最善を尽くすと力強い。
ネローネはポッペアへの愛が吹っ飛んだとして切れた様子。
一方、パランテとナルチーゾは、クラウディオにアグリッピーナの悪事をチクってしまう。
そこへ知らずにやってきたアグリッピーナは、クラウディオを言いくるめようと、言い訳の限りを尽くし、パランテとナルチーゾはあきれてしまう。
ここで、切々の夫への忠誠を歌うアグリッピーナ。
 王は、当事者すべてを呼べと決然と告げる。
ネローネに、ポッペアの部屋に居やがったなと怒りつつ、しょうがない、ポッペアと結婚しろと命令。
オットーネには約束通り、後継者となれと命じます。
ショックのアグリッピーナ、ポッペアとオットーネ。
オットーネは進み出て、王冠はいりません、それよりもポッペアとの愛が大切と述べます。
今度はクラウディオ、考えを変え、ふたりの結婚を祝福し、後継者にはネローネを指名。
喜びに満たされ、愛の神をたたえつつ幕。

 最後はあっけなさすぎて、長いオペラのエンディングとしてはあれれ?って印象を受けますが、そこは演出家の腕の見せ所。
今回視聴した3つの舞台は、それぞれにいろんな仕掛けが施されてました。


  ヘンデル 歌劇「アグリッピーナ」

    アグリッピーナ:ジョイス・ディドナート
    ネローネ:ケイト・リンジー
    ポッペア:ブレンダ・レイ
    オットーネ:イェスティン・デイヴィス
    クラウディオ:マチュー・ローゼ
    パランテ:ダンカン・ロック
    ナルチーゾ:ニコラス・タマーニャ
    レスボ:クリスティアン・ザレンバ

   ハリー・ベケット指揮 メトロポリタンオペラ
     
     演出:デイヴィッド・マクヴィカー

        (2020.2.29 @メトロポリタンオペラ、NY)
         ミレッラ・フレーニの思い出に捧ぐ上演

メトロポリタンオペラのストリーミング配信と、オンデマンドでも追加視聴しました。
コロナが蔓延していた正に最後のメトの上演。
さらに、亡くなったフレーニの思い出に、とクレジットされてました。

スター歌手ディドナートの存在感の大きさが光る。
映像で見ると、やはり華のある歌手であることがよくわかるが、その歌唱の確かさと技巧の冴え、あえて誇張してまで、アグリッピーナという女性の強さを表出。
一方で、その弱さも感じさせる陰影の濃い歌と演技を感じたのです。
メトの歌姫のひとり、ディドナートをこの春、たくさん視聴することができたけれど、彼女の歌と演技もさることながら、明るく屈託のない人柄、さりげなく周囲に気配りのできる人柄も感じることができて、今更ながら好きになりました。

Agrippina-04
      (ケイト・リンジー)

 あと驚きは、メゾが歌ったネローネで、美人のケイト・リンジーがすごくて、ストレッチをしながら歌うという身体能力の高さも見せ、俊敏極まりなく抜け目ないネローネとなってます。
あとはこれまた美人のブレンダ・レイのポッペアちゃん、見て聴いて楽しめる美味しい役柄です。
やはりメトはビジュアルにもこだわってます。
 デイヴィスのオットーネも巧みだし、お馴染みローゼのおとぼけクラウディオもよし。
パランテとナルチーゾの凸凹コンビもお笑いで、とくにナルチーゾはバーコードおじさんだった。

今回聴いたなかで、いちばん穏健なオーケストラだったビケット指揮のメトオケ。
ハープシコードも弾きながらの指揮、オケもちゃんとピリオド奏法してます。

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マクヴィカーのスタイリッシュな演出は、シンプルでありながら色彩も豊かで、ユーモアも随所に。
各役柄をデフォルメ的に描いているのも、人物たちがそれぞれに個性がありすぎなだけに、わかりやすくてよいと思った。
ラストシーンでは、ポッペアは、王位につくネローネに秋波を送るシーンがあって、この先を予見させるものになってます。
最後には、登場人物たちがみんなそれぞれの名が刻まれた石碑のうえに横たわり、歴史ドラマは幕となるが、ひとり石碑のないレスボが、読んでいた本を閉じ、高笑いするのは、ローマの帝位、偽証愛への嘲笑か・・・・・

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Agrippina-roh

    アグリッピーナ:ジョイス・ディドナート
    ネローネ:フランコ・ファジョーリ
    ポッペア:ルーシー・クロウ
    オットーネ:イェスティン・デイヴィス
    クラウディオ:ジャンルカ・ブラットー
    パランテ:アンドレア・マストローニ
    ナルチーゾ:エリック・ジュレナス
    レスボ:ホセ・コカ・ローザ

   マキシム・エメリャニチェフ指揮 エイジ・オブ・エンライトメント
     
     演出:バリー・コスキー

        (2019.10.11 @ロイヤルオペラ、ロンドン)

こちらは、ミュンヘンとオランダオペラとの共作。
ORFの放送をエアチェックしましたが、高音質です。
ここでもディドナート、耳だけで聴いても、その素晴らしい声が輝かしい。
メトと重複している歌手もいるが、ここではファジョーリの美声と超絶技巧に舌をまく。
いま彼が人気抜群なのもわかります。
 あとロシアのエメリャニチェフの若々しい指揮も爽快でよかったです。
この指揮者、まだ32歳で、通常オケも当然に、古楽オケもよく指揮していて、今ふうなマルチな存在です。

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ときおり、笑い声も起きるし楽しそう。
バリー・コスキーの演出が気になる、観てみたい。
ミュンヘンのトレイラーを見てみたけど、メタリックな舞台で、時代設定は現在そのもので、ホームドラマのようなものを想像。
ラスト、アグリッピーナは愛しぬいた息子からもスルーされ、ひとりぼっちになってしまうエンディングのようだ。。

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    アグリッピーナ:アンナ・ボニタティブス
    ネローネ:ラファエーレ・ペ
    ポッペア:ステファニー・トゥルー
    オットーネ:クリストファー・エインズリー
    クラウディオ:アシュレイ・リッチズ
    パランテ:アレックス・オッターバーン
    ナルチーゾ:ジェイムズ・ホール
    レスボ:ジョナサン・ベスト

   ロバート・ハワース指揮 エンシェント室内管弦楽団
     
     演出:ウォルター・サトクリフ

     (2018.6.18 @グランジ・フェスティバル、ニューハンプシャー)

こちらはネットで全編公開されている映像。
2016年あたりから始まったイギリスのニューハンプシャー州にあるグランジ劇場での音楽祭の上演。
こぶりな劇場で、舞台の上に劇場を再現し、そこで演じられる登場人物たちの劇中劇風にしたもの。
メトやウィーンの大掛かりなものと比べると、シンプルで仕掛けも乏しいが、これはこれでよくできた演出で、味わいも深かった。
こちらも皮肉やユーモア、ちょっとのお色気も満載で、ときに笑いながら観てしまった。
歌手も演出家も指揮者も、初めて聞く名前ばかりだけど、みんなしっかりしてます。
観客も十分に楽しんでる様子で、歌手も観客席に入ったりするので、劇場全体が一体感があります。

Grange-01

唯一知ってた名前、ボニタティブスのアグリッピーナは、悪女然としていなくて、どこかの品のいいママさんみたいな味を出してました。
おきゃんな感じのステファニー・トゥルーが、脱ぎっぷりも健康的でよろしく、その歌も姿もかわいい。
キモイ感じをうまく出してたネローネ役のペさん、ポッペアのパンプスを抱きしめたり、足の臭いを嗅ぎながらうっとり歌ったりと演技も愉快。
みんながスマホを使いこなしているのも楽しく、写メもみんなで仲良く撮ってます。

Grange-02

 気のおけない小劇場での、演劇を見るかのような雰囲気の舞台。
英国紳士淑女たちの楽しい田園劇風。
ラストは、新調された椅子が運ばれ、ネローネは喜々として腰掛け、横には満足そうにアグリッピーナが臣下ふたりをどかして立つ。
ポッペアとオットーネは手を取り合って舞台袖から姿を消し、脇から真っ赤な下着が投げ込まれ、笑いのうちに幕(笑)。
センスいい、楽しい舞台でした。
 古楽オケの洗練された響きと、キビキビした音楽の流れを作り出したハワースの指揮もよい。

Agrippina-wien

    アグリッピーナ:パトリシア・バードン
    ネローネ:ジェイク・アルデッティ
    ポッペア:ダニエル・ドゥ・ニーズ
    オットーネ:フィリッポ・ミネッチア
    クラウディオ:ミカ・カレス
    パランテ:ダミアン・パス
    ナリチーゾ:トム・ヴァーニー
    レスボ:クリストフ・ザイドル

 トーマス・ヘンゲルブロック指揮 バルダザール・ノイマン・アンサンブル
     
     演出:ロバート・カーセン

        (2016.3.16 @テアター・アン・デア、ウィーン)

こちらのウィーン上演はDVD視聴。
水着のねぇちゃんが出てくる予告編を見て購入決定(笑)

Agrippina-wien-03

カーセンらしい、カラフルさと、ひとひねりある舞台。
ご覧のとおり、イタリア共和国の指導者争い。
お色気もふんだんにあり、愉快なシーンもたくさんあり、笑い声も沸き起こります。
権力争いに、性と愛情と歪んだコンプレックスを絡めた秀逸な演出に思うが、でもちょっとやりすぎととらえる向きもあるかもしれない。
 仕事もバリバリできて、ネローネに心血を注ぐアグリッピーナ。
できそこないのちゃらんぽらんな小僧ネローネが強調され、SEXのことしか頭にない。
その彼がポッペアに裏切られ、だんだんと切れていくさまも描かれ、最後は・・・・
このオペラのあと起こる史実をも示唆した展開と驚きの最後。
めちゃくちゃ面白かったけど、ちょっと後味も悪い・・・・

Agrippina-wien-02

毅然としたパトリシア・パードンの歌と演技がいいが、ディドナートを聴いてしまうと、切れ味がもうひとつか。
ヘンデルのオペラ普及にビジュアル面でひと役かったドゥ・ニーズ。
声は可愛いが歌唱はやや緩い気もした。けど、エキゾティックなその容姿は魅力的。

Agrippina-wien-01

アルデッティのネローネが実にすさまじい。
ぼんぼんから、狂気に走る演出意図をよく表出、機敏な動きで、高音もしっかり伸びてるし技量も満点。
軍人のオットーネ役ミネッチア氏、嘘に弄ばれ嘆くアリアはとても素晴らしかった。

今回の視聴のなかで、オケが一番鮮烈だったのが、ヘンゲルブロックの指揮。
不安をあおる弦の刻み、えぐるような通奏低音、羽毛のような菅など、ヘンデルの音楽を多彩に聴かせてくれた。

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こうして少し時間をかけて、ヘンデルの若き名作を視聴しまくりました。
同時に聴き始めたヘンデルの他のオペラもそうですが、レシタティーボがやたらと多く、物語の進行の多くはそのレシタティーボで行われる。
それを紡ぐような存在のアリアも、登場人物のほとんどに複数割り当てられ、ともかく音楽の情報量がやたらと多い。
 CD時代になって、長尺の作品が数枚のCDで間断なく聴くことができるようになった。
さらにDVD時代にもなって、音楽とともに、舞台の進行を劇場に行くことなく手元で鑑賞できるようになり、音楽とドラマが結びついた。
ヘンデルやロッシーニのように、改作や引用が多く、どんなオペラも似たように聴こえてしまう、でもそれぞれに面白い劇を備えている、そんな作品たちが正当に蘇るようになりました。
これに目覚めたいま、ますます、忙しいことになったものだと思います。

「アグリッピーナ」のアリアの数、省略もあったので、演奏によっては異なるとは思いますが、小さいアリエッタも含め30もあります。
それ以外に重唱とちょっとした合唱で成り立ってます。

気に入ったアリアについて、自分の備忘録として羅列しておきます。

 1幕 ネローネ  ママの助けをかりて王座へ、ママ愛してる
     アグリッピーナ さあ仕事仕事、不屈の精神で戦うぞと意欲あふれ、
            技巧に満ちたアリア
     オットーネ ポッペアへの愛と希望を麗しく歌う
       ポッペア  恋人を待つゆったりとした気分にあふれたアリア。
          古雅な伴奏をうけて、さわやかな気分に
     アグリッピーナ ポッペアを言いくるめつつ、友であり愛してると歌う
     ポッペア   オットーネの裏切りへの怒り

 2幕 オットーネ  皆に無視され、恋人からも非難され四面楚歌
          王座はいいから、愛を、彼女を失うことを嘆く
     アグリッピーナ 有名な切実なアリア
           天よ望みをかなえてと訴えつつ、悔恨もにじませる
     アグリッピーナ こちらも有名な心弾む沸き立つようなアリア
           どんなに逆風が吹こうが母はがんばる!

 3幕 二重唱    ポッペアとオットーネ 仲直りで愛を確認
          静かな通奏低音でつつましく始まり
          弦も加わりだんだんといい感じに
     ネローネ   急速級のアリア。
          演出によっては、ここを境に狂気に走るネロ様。
     アグリッピーナ 慎ましくも夫への愛を呼び覚ましたと歌う
           (実はこれも偽善?または本心?演出の見せ所)

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 政治と愛と家族の物語でした。

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2020年11月 7日 (土)

ロッシーニ 「イタリアのトルコ人」 シャイー指揮

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さすがに今年は静かだったハロウィーン。
すっかり秋めいて、街も色づきを増してます。

いちばん過ごしやすく、いい季節なのに、なんかすっきりしない。
内外ともに、もやもやすることばかり。

特に、どうしちゃったの?
日本の民主主義のお手本だと思ってたアメリカ。
分断をはかる動きはずっと前からあったけど、今回ばかりは・・・・

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落ち着いた気持ちで、深まる秋を感じたい。

秋とは関係ないオペラを。
ロッシーニシリーズ。
「アルジェのイタリア女」ときたら、その裏バージョンのような「イタリアのトルコ人」

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  ロッシーニ 歌劇「イタリアのトルコ人」

   セリム:ミケーレ・ペルトゥージ
   フィオリッラ:チェチーリア・バルトリ
   ドン・ジェローニオ:アレッサンドロ・コルベッリ
   ドン・ナルチーソ:ラモン・ヴァルガス
   詩人(ジェローニオの友人):ロベルト・デ・カンディア
   ザイーダ:ラウタ・ポルヴェッリ
   アルバザール:フランチェスコ・ピッコリ

  リッカルド・シャイー指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
               ミラノ・スカラ座合唱団

       (1997.9.7~18 @ジョセッペ・ヴェルディ音楽院、ミラノ)

ロッシーニ(1792~1868)の42作あるオペラの13作目で、1814年、ミラノ・スカラ座の委嘱によって書かれた。
オペラ・ブッファとして「アルジェのイタリア女」の逆パターンで、トルコのプリンスが、今度はイタリアに行って巻き起こすドタバタ劇。
「アルジェ」の1年後に書かれ、大ヒットしたあちらの人気にのった2番煎じのような印象を植え付けられ、当初はあまり評価されなかった。
なにも深く考えることなく、そのバカバカしさを楽しめる「アルジェ」に比べ、ブッファとはいえ、筋立てがややこしく、尺も長く、単純に笑えるだけでもないちょっと複雑なオペラ。それが「イタリアのトルコ人」。

今日のCDはシャイーの指揮だけども、シャイーはCD初期の時代にも、CBSにこの作品を録音していて、そのときのジャケットだけは覚えていても、ついぞこれまで、このオペラを聴くことはありませんでした。
 そして、驚きの初聴きは、今年3月ですよ(笑)
どんだけ、苦手だったんだろ。

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コロナが忍び寄ってた2月のスカラ座でのライブをネット録音しました。
スカラ座のサイトにある豊富な画像や、トレーラーで想像を膨らませ、その音楽の巧みさにだんだんと魅かれました。

そして、シャイーのCDを購入し、バルトリの名唱に酔いしれ、コロナ禍の5月には、ネットストリーミング配信で、ボローニャ・テアトロコムナーレの2017年の上演を観劇することができました。
字幕なしだったけど、シャイーの外盤リブレットを片手に、ほぼ全体を理解することができた。

こうやって、いろんなメディアを使いながら、以前では考えられなかった音楽鑑賞方法の幅も広がり、ひとつのオペラをじっくりと、好みの作品にしていくという喜びもここにまた新たとなりました。

Rossini

ボローニャの上演は、ロッシーニ音楽祭からのもののようで、時代設定を60年代ぐらいにして、ポップでカラフルな舞台でした。
スカラ座の方が、より若いフレッシュな歌手たちでしたが、こちらのボローニャでは、日本の脇園彩さんが、セリムの元恋人役ザイーダ役で輝いてましたし、あとフィオリッラのハスミック・トローシャンが素直な美声で、なによりも美人さんで気に入りました。
彼女、昨年、新国の「ドン・パスクワーレ」で来日してたんですね。

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あらすじは正直、ややこしいです。

イタリアのナポリの海岸沿い

第1幕
ジプシーたちのキャンプのなか、かつてトルコの太守の息子セリムと恋人であったザイーダが、その別れを悲しみ、懐かしんでいる。
ドン・ジェローニオ(ヒロイン、フィオリッラの亭主)の友人である詩人が、ジプシーたちの生活に新たな素材を求めようと探しつつ登場。
そこへ、ジプシー占いを頼みに、そのジェローニオも登場する。
彼は、自分の美貌の妻が浮気性なので、相談に来たのだが、みんなにからかわれてしまう。
詩人は、この友人と気まぐれな彼の妻とのことに着目し、これらの人間模様を素材にしようと決める。
 その女性、フィオリッラは、単調な生活に飽き飽きとして、もっと新しい愛をと歌う。
そこへ、船が到着してトルコの王子セリムが登場、女好きの彼は、フィオリッラを一目見て好きになり、彼女もすっかりその気に。
その様子を、フィオリッラの愛人にもなれないが、大ファンのナルチーゾ(これもまたジェローニオの友人だが、彼はナルチーゾの心のうちを知らない)から聞かされ、嫉妬に狂うジェローニオと、思わぬ展開ににんまりの詩人。

家にセリムを引き入れコーヒーなんぞを二人して飲んでるところへ、ジェローニオが怒って帰ってくるが、逆にトルコの王子様になにをするのと、妻に窘められてしまう。
ナルチーゾもこの様子をうかがっていて、セリムとフィオリッラが浜辺であいびきの約束をするとことを盗み聞きで、四重唱となる。
ひとり残され、悶々としたジェローニオは、おりから来た詩人に不満をぶつけるが、詩人は、この展開を面白がり取り合ってくれない。
詩人のあと、妻フィオリッラが帰ってきて、彼は怒り喧嘩を売るが、フィオリッラは、うまいこと手懐けてしまい、すっかりジェローニオはおとなしくなってしまう。

海辺で待つセリム。そこへ、占い客を求め営業中のザイーダがやってきて、その声からセリムであることに気づき、やがてセリムもかつての恋人がここにいたことに感激し、抱き合う。
さらにそこに、様子を見に来たナルチーゾ、旅装の女性、すなわちフィオリッラもそろりそろりとやってくる。
さらにさらに、ジェローニオ、詩人もきて、全員が集結し1幕を締める役者がそろう。
 いまの気持ちはフィオリッラにあり、嫉妬するザイーダと恋敵のフィオリッラ。
その喧嘩を仲裁しようとするセリムとナルチーゾ、なにがなんだかわからないジェローニオ、面白い面白いとする詩人で幕。

第2幕
 ちくしょうと酒を飲んでるジェローニオのところへ、どうしても諦めきれないセリムが金を出すから妻をくれと迫るが、とんでもないともめるふたり。
この間のふたりのかけあいは、超絶技巧的で超おもしろい!
 次の場では、セリムを待つフィオリッラ。
でもザイーダの作戦で、フィオリッラは呼び出されたが、当のセリムもあらわれ、この際ザイーダの前で自分を選ばせてやろうとするが、当のセリムはどちらも選べず、ザイーダは怒ってしまう。
ここで、フィオリッラとセリムの二重唱。
 
詩人は、ジェローニオに今夜の舞踏会で仮面をつけて、セリムがフィオリッラと逃走しようとしていると告げる。
詩人は機転をきかせ、ザイーダにフィオリッラになりきらせ、ジェローニオも変装して舞踏会に行くように提案。
それを立ち聞きしていたナルチーゾも、この際トルコ人に変装して、フィオリッラとうまくやろうと決意のアリアを歌う。
ひとり残ったジェローニオは嘆きと怒りにくれ、これまたアクロバティックなアリアを歌う。
ついでに、ちょい役のザイーダの友人のアブラザールのアリアも挿入され、なかなかの歌わせどころがあり、ロッシーニのサービス精神を味わえることになります。

さて、舞踏会。
ナルチーゾをセリムと思い込んで腕を取るフィオリッラ、ザイーダをフィオリッラと信じ込んでこそこそするセリム。
その間にたって困惑しまくる人の好いジェローニオ。
あまりにも見事な5重唱。
二組はそれぞれ逃避行・・・・

ひとり残されたジェローニオに詩人がシナリオを見せ、フィオリッラと逃げたのはナルチーゾ、セリムはザイーダと一緒と言って安心させる。
そのフィオリッラは、この騒動を悔いて、亭主ジェローニオに心から申し訳ないという思いにとらわれ、しょんぼりとして身に着けた宝飾類を外して悲しむ。
ここでのアリアが実に素晴らしい。
 詩人のとりなしで、フィオリッラとジェローニオは和解し、こちらもよりを戻したセリムとザイーダも登場。
ナルチーゾもアブラザールもやってきて全員集結の大団円。
 詩人は、今回のプロットの集結を宣言。
「わたしの台本はハッピーエンドでした、聴衆の皆さんもそうお思いでしょう?」
愛をたたえる合唱で幕!

     ---------------------------

どうです?出たり入ったり、ややこしいでしょ(笑)
CDで聴いてるだけじゃわかんない、舞台を見ることで、「詩人」という狂言回しの役割の重要性がわかる。
この狂言回しには、大きなソロは与えられていないけれど、登場人物たちが見せる複雑な動きをプロデュースしているように聴くと、このオペラのみ方・聴き方の理解が深まるかもしれない。
ある意味、「コジ・ファン・トウッテ」を思わせる二組の恋人たちと、哲学者のドン・アルフォンソを想起します。
 そしてロッシーニのモーツァルトへのリスペクトは、曲中にもありました。
セリムが船で登場し、陸でフィオリッラが待ち受けるとこころ、ここに「ドンジョヴァンニ」のあの旋律が歌われます。
さらにそのふたりの二重唱では、「ドンジョヴァンニ」のアリアっぽい片鱗も確認できました。

こんな風に仕掛けのようなものが満載で、まだまだ味わいきれない気がしてます。
ですから、「イタリアのトルコ人」は、愉快な「アルジェのイタリア女」の亜流でなく、かなり立ち位置が違うオペラだと思います。

このオペラの真価が明らかになったのは、ここでもマリア・カラスの存在が大きいようです。
低音から高域まで、そして高度な技量も要求されるフィオリッラ役は、たしかに大変だと思いますが、メゾでもハイテクニックのあるバルトリのような歌手によって歌われると、魅力的な低音域の琥珀の輝きから、コケティッシュ感も出せる高域の歌いまわしで、耳のご馳走でした。
ほんとに素晴らしい役柄をロッシーニは残してくれたものだと思います。
 2幕最後の方の舞踏会における5重唱の素晴らしさは、ボローニャの舞台でも際立ってまして、5人以外の舞踏会の参加者がストップモーションで動きを止め、静かな緊張感を持たせ、そこから徐々に始まるロッシーニ・クレシェンドで渦巻くような興奮状態を作り出す。
音楽と舞台がぴたりと符合してました。
あと、フィオリッラの後悔のアリアも、そこに、ジプシーたちと、詩人の合いの手がうまく絡んで、その気の毒のヒロインの胸のうちをうまく表出してまして見事。

バルトリのステキさは前段のとおり。
バスとバリトンにも超難しい役柄のセリムとジェローニオ。
ペルトゥージとコルベッリがあきれるほどに素晴らしい。
ついでにもひとつ、ヴァルガスもいいし、詩人のカンディアーも全体をしっかり引き締めてました。
ポルヴェッリのザイーダもうまいもんです!

シャイーの水際だった巧みでイキのいい指揮は、スカラ座のオケあってのもので、現代感覚溢れすぎてそぎ落としの多いこともあったこの頃のシャイーの指揮に、潤いを与えているようにも感じました。
ただ、デッカの録音なのに、ちょっと冴えないような気が・・・
ちなみに、チェンバロでなくフォルテピアノが使われ、これがいい味だしてました。
ここ数週間、何度聴いたかわからない(笑)

Zoujyouji-02

増上寺山門越しに浜松町の駅の方、線路まで見渡せる、そんな空いてる日曜の朝。

最近の音楽聴きループ、ヘンデル⇔ロッシーニ⇔プロコフィエフ⇔ドヴォルザーク⇔ワーグナー⇔R・シュトラウス⇔ドニゼッティ⇔プッチーニ⇔英国音楽⇔バッハ、ときどきマーラー&ブルックナー。
あぁ~、忙しいよ。

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