カテゴリー「オペラ」の記事

2017年8月 6日 (日)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 二期会公演2017

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観たいなぁ~、と思っていたら、大の音楽仲間から、行きませんか?とのお誘いをいただき、お譲りいただいた「バラキシ」。

ワーグナーとシュトラウスが国内で上演されるときは、何があっても観劇してた自分ですが、仕事の不芳や、チケットを不意にしてしまうことの恐怖から、ここしばらく、舞台から遠ざかっていました。

行っちゃう。そう、これを第一に行動すればいいんだ。
巧みに、仕事も先回りして、手を打って・・・・、あっ、かつてはそうしてたんだな。。。

いやはや、ともかく、久しぶりのオペラ観劇、ほんとにありがとうございました。
感謝感激でありました。
Rosenkavalier

R・シュトラウス  楽劇「ばらの騎士」

   元帥夫人:林 正子       オックス男爵:妻屋 秀和
   オクタヴィアン:小林 由佳   ゾフィー:幸田 浩子
   ファニナル:加賀 清孝     マリアンネ:栄 千賀 
   ヴァルツァッキ:大野 光彦 
  アンニーナ:石井 藍
   警部:斉木 健詞         執事:吉田 連
   公証人:畠山 茂         料理屋の主人:竹内 公一
   テノール歌手:菅野 敦     孤児:大網 かおり
   孤児:松本 真代         孤児:和田 朝妃
   帽子屋:藤井 玲南        動物売り:芹沢 佳通
   ほか
   モハメッド:ランディ・ジャクソン レオポルド:光山 恭平

 セヴァスティアン・ヴァイグレ指揮 読売日本交響楽団
                        二期会合唱団

   演出:リチャード・ジョーンズ

                     (2017.7.26 @東京文化会館)


オペラ観劇歴、通算7度目となる、この日の「ばらの騎士」。

何度も観てしまうのは、なによりも、その音楽がとてつもなく素晴らしいことで、劇作家ホフマンスタールとともに成しえたこのオペラは、ワーグナーの意匠を継いだ、シュトラウス独自の音楽と劇との高度な融合たる「楽劇」という名にふさわしいものと思う。
 ちなみに、シュトラウスは、この作品を最後に、楽劇の呼称を取りやめてしまう。

さてさて、今宵の舞台は。

ロンドン出身のR・ジョーンズの演出は、グラインドボーンですでに上演されたものをそのまま導入したもので、ご自身や、スタッフも来日して、本家の舞台そのままに再現したもの。

 ジョーンズの舞台は、かつて新国立劇場で、ショスタコーヴィチの「ムツェンスクのマクベス夫人」を体験済で、舞台の中に、さらに額縁的な空間を築き、その中で行われる劇に、より客観性と既視感を持たせるという、観る者にとって、とても心理的な作用をあたえるもののように思われたものだ。

 今回の「ばらの騎士」も同様に、文化会館の舞台のなかに、もうひとつ額縁が据えられ、われわれ観客をそれを、どこかの物語のように、客観的に観るとともに、まばゆさとポップな色彩につつまれた舞台空間に幻惑されるという、さらなる第三者的な立場を体感することとなった。
これぞ、われわれの「夢の世界」の構築ではないだろうか。

 本来の舞台設定は、マリア・テレジア傘下のモーツァルト時代で、ここでは、ワルツなんてなかったから、このオペラでは、ホフマンスタールとシュトラウスの巧みな創作。
しかし、ジョーンズが置いた舞台は、シュトラウスたちが、まさに作曲したその時代。
1910年ごろ、ときは、世紀末で、シュトラウスは大半の交響詩を作曲し、オペラは、サロメとエレクトラで、当時の前衛的な存在だったけれど、「ばらの騎士」で、見事な古典帰りをみせた。。。、そんな時代背景は、マーラーがその最後の時を刻んでいたし、シェーンベルクは十二音音楽をすでに完成させていた。
 そんなモダンと、追憶の乱れる世紀末に、ジョーンズは着目したのではないかと思った。

観劇してて、賛否はともかく、普通と違う、おやっとした場面を列挙(備忘録です)。
長々とすいません。

高揚感とむせ返るような前奏は、幕を閉じたまま演奏され、オクタヴィアンの第一声の直前に幕が開く。
そこには、肉襦袢らしきものをまとったマルシャリンが、シャワーを浴び、入浴中。
オクタヴィアンは、まだまだ元気で、あがった婦人に抱き着きまとわりつき、ふたりはイチャイチャ。
 オックス男爵の突然の来訪には、モハメット君が、ちょろちょろしながら、婦人の使用したスポンジをクンクンしてるし、付け毛なんかも、懐にいれようとしながらも、執事に静止されちゃう。憧れ強すぎのモハメット。
 オックス男爵は、お付きのレオポルドを息子のようにしていた。
その男爵、客席から見てたら、寺門ジモンそっくり。
あと、アンニーナは、メイクのせいもあるけど、渡辺直美だった。
 元帥夫人が、鏡に映る自分の姿に哀しみを感じ、皆を遠ざける場面では、ひとり、フロイトが立会い、彼女のモノローグを聞く。
オクタヴィアンが再び現れるとともに、フロイト氏はいなくなるが、アンニュイに浸る元帥婦人は、ソファのうえで、哀しみと現実とを歌いながら丸くなる・・・可愛いのだ。

幕が開くと、そこはファーニナル家なんだけど、一面に壁がしつらえてあり、ドアがひとつの閉鎖的な部屋空間の場面。オクタヴィアン到着のワクワク感は弱めで、眼鏡っ子のゾフィーが、スタイリスト風の連中にお仕着せ人形のように、ハレの日のドレスに着替えさせられている。
マリアンネは、ドアを開け閉めしながら、期待あふれる外の様子を伝える。
さて、いよいよ騎士登場の段になって、壁が上がり、黄金色の壁に、FANINALと光文字で書かれた奥壁と玄関風の階段と大広間が目の前に広がり、閉塞感は吹き飛び、ここで颯爽と登場するオクタヴィアンに、会場のみんなが釘付けとなり、シュトラウスの美音に酔いしれるわけだ。
 ばらの献呈の場面では、見つめあう二人が、前後に揺れ、彼らの心の揺れも表現される素敵なシーンだったが、聴衆からは、ユーモアと見たのか、笑いが起こったのは、どんなもんだろうか・・・・
 さて続いて、婿殿の登場では、従者レオポルドがかなりのわがもの顔風に目立つ。
婿は、ゾフィーを商品のように扱い、テーブルの上に載せて、司法書士やら法律家連中も、そこに加わる。
イライラを募らせるオクタヴィアン。
ふたりの束の間の逢瀬は、また前壁で仕切られ、私の大好きな美しい二重唱が行われる。先の広い空間よりは、今度はとても好ましい密室が出来上がった。
ふたりのイタリア人に見つかり、通報され、また大騒ぎとなり、オックスの棒寂無人ぶりはピークとなり、オクタヴィアンが、剣も持たずに、決闘を申し入れたあげく、使用したものは・・・、なんと、銀の薔薇で、オックスのお尻をプスリと!
そのあとは、あまりイジリようのないオーソドックスな展開。
おしりの痛いオックスは、極上の酒とオクタヴィアンに寝返ったアンニーナがもたらした偽の手紙に、すっかりご機嫌になり、例のワルツを。
田舎から引き連れてきた部下たちは、1幕で、物売りから巻き上げた、ちょっとエッチな写真集をビロビロと広げ、オックスはさらにご満悦。

前奏曲では、幕を開けずに、しばらくオケピットの演奏に集中。
オックスをおちょくる居酒屋は、ド派手な色使いに、幾何学模様の壁紙の三角空間的な部屋。いたずらのリハーサルでは、壁にあるスイッチを押すと、ソファーがでっかいベットにするすると変身する仕掛けに失笑(笑)。
 オックスとレオポルドの登場、それからオーストリアの民族衣装風のオクタヴィアン。
レオポルド君は、仕掛人側が放った女性の色仕掛けにひっかかり退場し、以降、オックスにとっては役に立たない。
ステテコに鬘も取って禿げ頭となったオックスと、酒をグビグビ飲んじゃうオクタヴィアンの楽しい掛け合い。泣き上戸となったオクタヴィアンは、果物ナイフで、はたまた、天井から降りてきたロープで自殺を図ろうとして、オックスのオロオロぶりも半端ない。
 その後、ぞろぞろ出てくる、お化けや、オックスの妻と称するアンニーナや子供たち、オクタヴィアンもそろって、男爵を責めるところでは、全員がキョンシー風の動きになっておもろい。
 そんなこんなで、警察がやってきて、裁判風になり、そして、取り調べはまるで刑事ドラマのよう。
 最後に、ドタバタ劇の締めくくりに登場するマルシャリンは、ゴールド系のモードファッション。彼女に諭し、諭されたオックスが大騒ぎでもって退出したあとは、このオペラのもっとも美しいシーン。
 揺れ動くマルシャリン、オクタヴィアン、ゾフィーの3人に、ドアの隙間から憧れをもってもって覗うモハメットに注目。
クライマックスの3重唱、真ん中に金色のマルシャリン、右手に水色のオクタヴィアン、左手にパープルのゾフィー、背景はブルーの部屋。
マルシャリンが引き立つ、鮮やかすぎる色彩で、聴く3人の美唱に酔いしれる。
 幕引きのシュトラウスとホフマンスタールの機智あふれる場面では、モハメット君が、ちょろちょろと侵入し、探し出したのは、ソファーに忘れられたマルシャリンのショール。
思い切りそこに顔をうずめて、嬉しそうに退出して、楽しくエンディング。

                   
舞台に、映像に、ばらの騎士はいくつも観たけれど、どの演出もそれぞれに楽しかった。
オットー・シェンクの時代背景にも、ト書きにも忠実な伝統的な演出を、おそらく基軸にして、出来上がってきた様々な演出。

そんななかで、今回のR・ジョーンズ演出は、原色的な色彩と、額縁的な空間とで、かなりユニークな存在に思えた。
そんな中で行われる、微細なまでに凝った演技。
私には、それがやや過剰に思われた。次々に目移りしてしまい、音楽に身をゆだねることが出来ない。
まぁ、これが昨今のオペラ演出の風潮なのだから、あれこれ言わず、全体を楽しめばいいんだけど。

オクタヴィアンに傾きがちな視点を、マルシャリンに引き戻し、しかもモハメット君が懸想する大人の女性を描きつくした。
レオポルドが目立ったのも新しい。
そして、ゾフィーは操り人形のようだったけれど、徐々に自分の意志で動く機微がよく見えるように。あげればキリがない・・・

 さて、そんな舞台で、演技も、そして歌唱も完璧だった日本人歌手たち。
安定感と余裕すら感じる妻屋さんのオックス。
3人の女声の美しすぎる調和も、大いなる聴きもの。
アリアドネの作曲家以来、ファンになった、凛とした小林さんのオクタヴィアン。
幸田さんの美声は相変わらずだけど、声に力が少し増して、より多くホールに響かせることが出来るようになった感あり。
 あと、なんといっても素敵だった、大人の女性としての元帥婦人を歌った林さん。
1幕のモノローグで、手鏡を見てから変化する彼女の想い。
フロイト博士の臨席のもと歌われるその場面における林さんの歌と演技には、ほんとホロリときました・・・・。
誰しも、男も女も、そんな想いや歌に、自分を重ね合わせることができる、この作品の一番素晴らしい場面であることも実感できた。

 二期会のおなじみの歌手のみなさんも、出色、とくに二人のイタリア人たちはよかった。

 オペラの手練れ、ヴァイグレの指揮は、もう少しシュトラウスの音楽の色香が欲しいところではあったが、力強い読響から、まとまりのよい、柔らかな響きを引き出すことに成功していたのでは。
初日だったから、後になるほどよくなっていったことでしょう。

久しぶりのオペラ。
盛大なカーテンコールまで、楽しく観劇することができました。

舞台の模様はこちら、Classic news

SPISにてご覧ください。

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2017年7月 8日 (土)

ワーグナー 「ローエングリン」 ベーム指揮

Kanda

1874年創建、1928年再建の神田教会。

ロマネスク様式の壮麗なる堂内は、東京の喧騒のなかにいることを忘れさせてしまうほどに、静謐な雰囲気。

そして、こうした教会の神聖なるイメージと、その舞台が結びついてるワーグナー作品はというと、「ローエングリン」と「パルジファル」、あと、市民が主役の市井の楽劇「マイスタージンガー」でしょうか。

タイトルロールが、親子で、聖杯守護の騎士であることでの「ローエングリン」と「パルジファル」。
パルジファルでは、聖体拝領の儀が堂内で行われ、まさに堂内が現場となるが、ローエングリンでは、2幕での教会の外側での出来事が描かれる。
教会に向かう幸せな二人に、ちょっかいをかける闇の側の住人。
オルトルートは異教徒だから、教会には入れません。

ということで、「ローエングリン」を。

Wagner_lohengrin

 ワーグナー 「ローエングリン」

   ハインリヒ:マルティ・タルヴェラ   ローエングリン:ジェス・トーマス
   エルザ   :クレア・ワトソン       テルラムント :ワルター・ベリー
   オルトルート:クリスタ・ルートヴィヒ 伝令士 :エーベルハルト・ヴェヒター 
   4人の貴族:クルト・エクヴィルツ、フリッツ・シュペルバウアー
           ヘルベルト・ラクナー、リュボミール・パントチェフ

     カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
                           演出:ヴィーラント・ワーグナー

                         (1965.5.16 @ウィーン国立歌劇場)


オルフェオが正規復刻してくれた「ベームのローエングリン」をようやく視聴。

音のあまりよくなかった放送音源からの板起こし盤と比べて、音の揺れも少なくなり、音にも芯が出て、明瞭なサウンドがモノラルながら楽しめるようになった。

バイロイトのように、正規録音スタッフがライブ収録してくれていたらと考えると、欲が沸いてくるが、それでもこの活気あふれる演奏が、ちゃんと聴けることを喜ばなくてはなるまい。

ベームは生前、ローエングリンなんてずっと4拍子で降ってりゃいいんだ、とのたまっていたが、まさに、そうしたシンプルなとらえ方をしつつ、ここでのベームの指揮は、音楽に抜群の生気を注ぎこんでいるように思う。
 ライブで燃えるベーム、ここでも本領発揮。
65年といえば、この夏、ベームは、バイロイトでヴィーラントのリング新演出を指揮。
その前、62年から、バイロイトでトリスタンやマイスタージンガーを指揮して、ヴィーラントと組んできた。
その延長上にあった、ウィーンでのローエングリンでもあった。

この時期に残されたベームのワーグナーのライブ録音と同じく、音楽は緊迫感を保ち、凝縮されたドラマ表現に寄与するように、大いに劇性に富んでいる。
それと、要所要所で見せる、たたみかけるような迫真の推進力をもっていて、1幕の後半と3幕の後半のドラマティックなシーンは、ほんとに素晴らしい。
ほかの指揮者では味わえない、熱いベームのワーグナーの醍醐味がここにある。

歌手たちも豪華。

60年代最高のローエングリン上演の布陣ではなかろうか。

気品あふれるトーマスのローエングリンは、数年前のケンペとの録音より、力強さが増した。
ルートヴィヒとベリーの暗黒面夫婦は、悪かろうはずがない。
実夫婦でもあるこの二人の共演は、数多くあるが、ちょっと弱気な旦那を、きつく締めあげるおっかないカミさんって感じで、「このハ〇ーー!」とか、「違うだろーーー」って聞こえてくるようだ・・・・・・ガクガク、ブルブル。。。。

タルヴェラのハインリヒも、いまとなっては懐かしい歌声で、とてもマイルドでいいし、ヴェヒターの伝令士のカッコよさは、のちのヴァイクルを思わせる。

クレア・ワトソンは美声で、ちょっとお人形さんだけど、この役は、これでいい。

1970年の大阪万博で来日したベルリン・ドイツ・オペラが、7つのオペラを持ってきたけれど、そのなかのひとつが、ヴィーラント演出の「ローエングリン」で、マゼールとヨッフムが交代で指揮をした。
私は、NHKが放送したものをテレビで見た記憶が、かすかにあって、指揮はマゼールだった。
とても神秘的で、きれいな音楽だなぁ~程度の印象で、暗闇で指揮をするマゼールを見つめていて、オペラ本編をそのあと観たかとうかは記憶にない・・・。
 しかし、この時の上演の写真を、数年後にワーグナー狂いとなって、見直して、ローエングリンという作品の視覚的な刷り込みが生じることとなったわけだ。

Lohemgrin_berlin

ウィーンでの、このライブ録音の舞台も、これと似た雰囲気のものではないかと推量し、このCDを聴くのも楽しいものだった。

そして、いまのウィーンでのローエングリンは、ホモキの演出で、指揮は、ネゼ=セガン、タイトルロールはフォークト。
劇場のサイトで、映像が少し見れるが、一瞬、魔弾の射手かと思ったし、建物内で行われる閉鎖空間が息苦しい・・・でも才人、ホモキのことだから、どんな仕掛けがあるのか!

あと、プラハの歌劇場で、カタリーナ・ワーグナーが、父ウォルフガンクが1967年にバイロイトで演出したローエングリンを、6月に、リヴァイバル上演したとの報を見つけた!!


Lohengrin
(プラハ放送局のサイトより)

詳しい情報は、こちらと こちら

ヴィーラントは、バイロイトでは、1度しかローエングリンを演出しておらず、マイスタージンガーとともに、バイロイトで好評だったのが、ウォルフガンクのローエングリン。

情報過多、読み込み過多の演出優位のオペラ上演界にあって、50年前の演出の復刻の試みは何を意味するのだろうか。
自身が、マイスタージンガーで風刺の効いた、当時少し過激な演出をしたカタリーナ。
次のトリスタンでは少し控えめとなり、そして、この復刻。
外部招聘の演出では、今年はポップなコスキーが登場して、大いに騒ぎとなりそう。

揺れ動く、バイロイトの当主だが、実験劇場たる存在で、古きも新しきも、おおいに玉石混合であって欲しい、というのが、いまのワタクシの思いだ。
本物の音楽さえ、保たれていればいい。
音楽の邪魔をしない演出ならいい。
こんな感じです。

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2017年5月21日 (日)

コルンゴルト 「死の都」 ヴァイグレ指揮

Ninomiya_fuji_2

神奈川の家から遠く富士の夕暮れ。

一日の終わりは、壮麗な夕焼けで幕引きになるのが好き。

そして、後ろ髪をひかれるようにして、昼は去り、夜がやってくるのだ。

こんな景色を大学生の時まで見て暮らした。

社会人になると東京と千葉へ。
でも自分に一番の街はここ。

去ったけど、一生去れない場所。

終わりがなければ始まらない。

そんなことをいくつか繰り返してきたけれど、この春にも大きな変化があったことは、これまでに書いた通り。

マーラーの10番をピークに別れを音楽で追い求めたものだ。

そして、ここしばらくは、コロンゴルトの音楽に足を止めようではないか。

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  コルンゴルト  「死の都」

   パウル:クラウス・フローリアン・フォークト
   マリエッタ、マリーの幻影:タチアナ・パヴロフスカヤ
   フランク、ピエロ:ミヒャエル・ナジ  ブリギッタ:ヘドヴィク・ファスベンダー
   ユリエッテ:アンナ・ライベルク    ルシエンヌ:ジェニー・カールシュテット
   ガストン:アラン・バルネス       ヴィクトリン:ユリアン・プレガルディエン
   
  セバスチャン・ヴァイグレ指揮 フランクフルト歌劇場管弦楽団
                      フランクフルト歌劇場合唱団

                         (2009.11@フランクフルト歌劇場)


またかとお思いでしょうが、コルンゴルトのオペラ「死の都」であります。

このヴァイグレ盤、このところ毎日のように流し続けていて、4年前に入手していらい、以前はさほどでもなく思っていた、フォークトのパウルが実に素晴らしいことに、いまさらながらに気が付いた。

誰もが、フォークトの美声と、そのユニークなヘルデンの常識を覆すような不思議なほどの力感に驚かれていることの思います。
しかし、よく考え抜かれた歌唱は、どんな役柄でも、フォークトなりの完璧さでもってなりきってしまうことの凄さ。
 パウルという役柄の難しさは、全幕ほとんど出ずっぱりで、没頭感をもって、ドラマティックな力感を伴った歌唱を駆使しまくらなくてはないらいし、甘美さや、ほろ苦い諦念も歌いこまなくてはならないので、パウル歌手は、これまで限定的な存在だった。

ルネ・コロ、J・キング、イェルザレム、T・ケルルなど、いずれもジークムントやトリスタンを歌うような歌手たちの持ち役だ。

そんななかにあってのフォークトの歌の存在。

パウルの心情に同化してしまったかのような、繊細極まりない知的かつ、情熱的な歌唱。
すべてが考え抜かれ、言葉をじっくりと歌いこんでいるのがわかる。
華奢ななかにも、スピントの効いた力強さと、圧倒的な声量も。
きらきらした退廃具合も申し分なし。
いままで、コロとケルルばかりだった私の理想のパウルに、遅ればせながらフォークトが加わった。

このフランクフルト・ライブは、歌手ではフォークトの独り舞台かもしれないが、マリンスキー育ちのパヴロフスカヤは、悪くないが、フレミングの声に似ていて、ちょっと隈取りが濃いかも。
ナジのフランク&ピエロはよい。
バイロイトでもウォルフラムなどで活躍のイケメンバリトンは、今後とも注目。

ライブながら、録音は実によく、オーケストラ・ピットの生々しい音が臨場感豊かに聴こえる。
ヴァイグレの整然としつつ、全体のバランスをよく見通したスタイリッシュな指揮はこれでよいと思う。
まだ音源は多くはないが、過去の正規音源のなかの指揮者では、一番いい。

添付のリブレットには、舞台写真が豊富に載せられていて、想像力を刺激してくれる。
フォークトはスキンヘッドで、詰襟を着ていて、ちょっと病的な感じだし、死神や老婆もたくさん・・・・、マリエッタは赤いドレスで、普通に美しいし。
映像で観てみたいものです。

映像といえば、新国で観たホルテン演出の舞台のDVDでは、フォークトなんだよな。
手に入れねばね。

Ninomiya_fuji_3

現実と夢想が、行き来して、リアルな現実も、夢も、どっちも明滅するように、それこそ、自分の夢に出てくるようになった。

 しかし、現実の人間たる自分は弱いけど、妙に強い。
いまの現実は、前では考えられなくなった違った忙しさに包まれるようになった。
過ぎ去った夢、だんだんと過去のものとして、置き換え、忘れようとしつつあるのが、これまた夢のなか・・・・・・・・。

こんな男の心情にぴたりとくるものを描きつくした、若きコルンゴルトに、啓稔をすら感じます。

 わが憧れ、わが惑いが、この夢に蘇る。

 踊りで得て、そして失ったわが幸せ
 ラインの川沿いで踊る
 月光のなかで、青い瞳が、この身に
 切なる眼差しをそそぎ
 辛い思いを訴える
 ここにいて どこにもいかないで
 故郷を見守って、静かに花開く幸せを
 わが憧れ、わが惑いが この夢に蘇る
 遥かなる魔力が この魂に 火をともす
 踊りの魔力に誘われ
 役者へと たどりつく
 優しすぎる あの女に従い
 涙ながらの口づけを知る

 酔いと苦しみ 惑いと幸せ
 これが曲芸師の定めか
 わが憧れ わが惑いが
 この夢に蘇る
 蘇る 蘇る・・・・


      (訳:広瀬大介)

 この身にとどまるしあわせよ

 永遠にさらば 愛しいひとよ
 死から生が別たれる
 憐れみなき避けられぬさだめ
 光溢れる高みでこの身を待て
 ここで死者がよみがえることはない


      (訳:広瀬大介)


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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2016年3月20日 (日)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 大好きなオペラ

2

春は急にやってきて、でも、また戻ったりの一進一退で本格化する。

春は、その機微も色合いも、きれい。

3月も終わりに近づき、大好きな音楽を、つまみ聴きながら慌ただしく夜を過ごし、そして床につく。

もちろん、長大なオペラばっかりなので、聴くことなく、これまでの印象で書いたりもします。

Mozart_figaro

  モーツァルト 「フィガロの結婚」

汲めどもつきない、音楽の魅力という名の宝庫、そんなフィガロ。

聴くたびに、さまざまな発見や驚き、そして既聴の安定路線ながらも、喜びに満たされる。

これからいくつか続くファイバリット作品に共通するものだけど、とりわかフィガロは、赤裸々な人間ドラマが、天衣無縫の域の音楽でもって引き立ってる。

 往年の歌手たちが指揮者の厳しくも、モーツァルトを知り尽くした棒の元で自在に繰り広げるマジカルな演奏。 
自分世代的にも、ベーム盤が最高です。
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団でむしろよかった。
ベームの60年代のストイックかつ、音楽優先の個性がとても反映されてる。
のちのウィーンとの関係では、麗しいけれど、緩すぎるから。

 そして、ザルツブルク音楽祭のFM放送で何度も聴いて、そして録音もされたカラヤン盤。
シュターデと、ホセ・ファン・ダム、トム・クラウセがとてもよい。

 ブリテッシュなモーツァルト。
グラインドボーンの紳士的なモーツァルトには、上質でふくよかな嗜みを感じ、そして、隠された秘めごとも盗み聴きできそうな感じ。
ともかく真面目。
味わい深いハイティンク盤。

 同じ傾向ながら、もっと軽やかで、羽毛のような肌触りが心地よく、そして、さわやかな聴後感を味わえるマリナー盤。
歌手陣充実。

 そして、最愛のアバド盤。
ウィーンの楽壇が成し遂げることができた最良のモーツァルトだけど、ここにはウィーンのよき伝統はなく、あるのは清新かつヴィヴィットな音楽。
歌心と、ピュアな切り口がとても新鮮なアバドの指揮。
マクネア、スコウフス、ガッロ、バルトッリ、ステューダー・・・歌手たちも、いまも通じる現代的な歌唱。
悪かろうはずがないアバド盤

 ほかにも、たくさん、好きな「フィガロ」が。
オヤジクライバー、ジュリーニ、クレンペラー、バレンボイム(旧)、デイヴィス(旧)などなど。
ともかく古いですね。

フィガロは、ほどよく古いほどいい。
こんなこと言ったら退場ですかね。

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2015年8月30日 (日)

バイロイト2015、勝手に総括

Bayreuth_1

海のはるか向こうのバイロイト音楽祭も、今年も終了しました。

この年まで、異母姉妹の、エヴァとカタリーナのワーグナーの曾孫姉妹の運営は終了し、来年からは、演出家も兼ねるカタリーナのひとりのバイロイトとなります。

その試金石は、今後も次々に厳しく辛い局面となって訪れるでしょうが、大リヒャルトの血族として、その伝統を守り抜いて行って欲しいと思います。

そんななかで、大きな力添えとなるのが、指揮者ティーレマンで、バイロイト始まって以来の、音楽監督的なポストにも就任しましたね。

今年は、今後、いつくもあるだろう、その二人の共作ともなる「トリスタンとイゾルデ」が、プリミエ公演となりました。

かの地もきっと、暑かったでありましょう、ことしの夏。
歌手も、観客も、相当の覚悟のいる聖地バイロイトであります。

この夏の終わりに、ネット収録した音源を聴きつつ、同じくネットから拾い集めた画像を見ながら、あれこれ妄想しつつ、自分だけの総括をここに残しておきます。

画像は、バイエルン放送局のサイトから、ありがたくも拝借しております。

Bayreuth_2

パッと見、よく見る、こんな舞台。

パラスト的な、上下左右の空間演出は、多層的に見せ場を造るのに最適でしょう。
批評では、これらが時として動いて、行き場をふさいだり、進路が見えなくなったりするんだようで。
登場人物たちの心理を描きだすのに、まことに相応しい。
けれど、よくあるやり方ゆえに、安直の感もぬぐえません。

Bayreuth_3

マルケ王のご一行に、トリスタンは、こんなことされちゃってます。

Bayreuth_4

シンプルな舞台なんだけど、全体像はどうだったのでしょうか。

いずれ登場する、映像作品でもって判断したいと思いますが、いくつか拝見した画像から推定するかぎり、なんだか霊感不足は否めないですな。

バイロイトにおける、「初トリスタン」だった、ティーレマン。
ウィーンとのCDよりも早く、全体にみなぎる活力という点でも勝っているように感じました。
筆厚が強いです。
しかし、あざとさと言おうか、入り込み方と言おうか、その思い入れが、ときに尋常でなく感じるヶ所もありました。
その代表は、第2幕の終結部で、伸ばしすぎだ。
急転直下感が薄れすぎ。
 でも、これは、実際の舞台で観て聴けば、もっと別のインパクトを与えるはずなのでして、ティーレマンのあざとさと、大胆さは、やはり生・ライブでないと体得できないのかもしれない。

 アニヤ・カンペが降りてしまい、お馴染みの、ヘルリツィウスがイゾルデを歌った。
ミレニアムリングでのブリュンヒルデは、実に素晴らしかったし、ドレスデンとの来日公演などでも、身近に接した彼女ですが、最初は、安定感あっていいと思いましたが、声の疲弊やアラが目立ちました。
絶叫のように聴こえるフォルテは、正直、辛いかも。
 その一方、新国でも、完璧なトリスタンを聴かせてくれた、グールドのトリスタンは、ここでもいやとうほど完璧でした。
軽やかさも備えた、明るさと重厚さを併せ持つヘルデンヴォイスを堪能できましたね。
あと、ブランゲーネの、クリスタ・マイヤーが、これはまた素敵すぎ。
彼女のクンドリーを、ハイティンクのパルシファルで拝見して以来、大好きな歌手のひとりとなってますっ!

Bayreuth_5

アンネッテ・ダッシュが、エヴァとして帰ってきましたが、この画像を見る限り、かなりふくよかに。
お母さんになったのではなかったかな。
その彼女のエヴァは、やはり強さも備えていて、極めて素敵なのでした。
 そして、相方のフォークトは、ローエングリンの名人として、いまや自在さも加えて、完全完璧な歌唱でしたよ。
 フォークトの歌声を、華奢で頼りないといった10年前の自分が恥ずかしい。
この方で聴くコルンゴルトは、もう、桃源郷のような美的世界です。

フランス人指揮者のアルティノグリューが、バイロイトデビュー。
この若いフランス指揮も、実によかったです。
明るく活気も備えつつ、新鮮さも。
エンディングのカッコよさは、前任のネルソンスに迫るものあり。
いい指揮者じゃないかしら!

ノイエンフェルスの、ねずみローエングリン。
音楽面でも、今年、一番、まともかもね。

Bayreuth_6

3年目の、カストルフ・リングは、ことし、ジークフリート役の入れ替えがあり、そして、なんといっても、ベルリンフィルの時期首席指揮者のペトレンコに、注目が集まりました。
ティーレマンとの直接対決も。

2年分とあわせ、ハイライト的に聴き直してみて、ペトレンコの指揮は、さらによくなった感もありつつ、一方で、ちょっと雑な感じも受けまして、ここで、もっと。。。。という場面がなくはなかったです。

丹念に、楽譜を読み解き、まるで聴いたことのないフレーズが、ぽんぽん出てくるサマは、初年度より楽しみでしたが、ことしも、いくつもありました。
 4部作の、あまり表面化しない、ちょっとしたところで、いろんな楽器が浮き上がったりしてきたりして面白い。
根っからのオペラ指揮者として、この長大な連作を研究しながらの指揮は、きっとペトレンコとしても、途上の解釈なのでしょう。
舞台で行われる出来事も、指揮には反映されますし。
そんなこんなで、カストルフの妙な演出も、その解釈には反映されてしまっていると思います。
 
 黄昏の大団円の、急ぎすぎ、かつ音を被せすぎの解釈には、この場面を神聖な思いでもって、なん百回も聴いてきた自分にとっては、許しがたい浅薄なものでした。
どうなんだろう、キリル君。

3年で降りたがった理由も、いろいろ考えつつ、自身の心情と折り合わなかった舞台だったのかなと思ったりもしてます。
ラインとワルキューレは素晴らしく、ジークフリートと黄昏は、アレレです。

Bayreuth_7

エロいラインの乙女に囲まれるジークフリートさん。

ジークフリートは、フィンケに代わり、より力強い歌唱となりましたが、少々不安定。
一方、相方のブリュンヒルデのフォスターは、しなやかさに、馬力も増して、相当いい感じ。
 しかし、カラニコフのバリバリ連射は、何度聴いてもいかん!

銃を手離さない、英雄ジークフリートなんて。

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上海発の株価暴落が世界にすぐさま多様な影響を与える、そんな現実も直結してしまう、みょうちくりんな演出ながら、でも、そんな問題提起も、社会性の表出も、たまたま当たっただけかもしれないけれど、不思議とありかもしれないと思わせるカストルフ演出。

いろんな評論や、レポートが目に入ってきた3年目だけど、映像化されても、ご勘弁願いたいカス演出だな。
 ペトレンコは、ティーレマンが君臨してしまうと、今後、その登場が厳しいかもしれないけれど、どんな俗世間にも毒されず、カペルマイスター職人として3年後を迎えて欲しい。

 今年のバイロイトは、もうひとつ「さまよえるオランダ人」。
この演出もテレビで観て、まったく好きになれず、歌手たちもうわべだけで終始した耳当たりのいい感じは、今年も同じ。
ただ、アクセル・コバーのきびきびした指揮はよかった。

 2016年のバイロイトは、「パルシファル」がネルソンスの指揮とフォークトのタイトルロールで、演出も、奇抜すぎる野郎が降りたので、きっと無難なスタート。
4年目の「リング」は、指揮がペトレンコに変わって、なんと、大御所、ヤノフスキ。
ついにバイロイト初登場となるヤノフスキの、ザッハリヒだけれど、詩情豊かな指揮が、アコーステックなあの劇場のサウンドで聴ける。
どうなるんだろ。
ウォータンが、3人の歌手に割り当てられたのは、カス演出の整合性のなさを逆手にとったゆえか。
 「トリスタン」では、P・ラングがイゾルデ!
実演で何度か接してますが、ブランゲーネからイゾルデに昇格です!
あとは、「オランダ人」の再演。
タイトルロールがルントグレンというスェーデンのバリトン。
ワルキューレのウォータンも担当しますが、たしか軽めのバリトンでアクも強かった印象がありますが、どうなるんでしょう。

 なんだかんだいって、文句もいいつつも、ネットでタダの音源を拝聴しつつ、大いに楽しむことのできるバイロイト音楽祭。
数年前には、暮れのNHKFMでしか、その音楽の全貌を確認できなかったのに、いまでは、リアルタイムにに聴いて、画像も確認できて、文句も言える世の中に。

これだけでも、感謝しなくてはなりませんね。

今年の夏も終わり、そしてまた、通常運転の月日が続くわけです。

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2015年8月23日 (日)

モーツァルト 「後宮からの逃走」 ティチアッティ指揮

Proms2015

なんだか気ぜわしくて、しかもクソ暑かったので、チェックが8月に入ってとなってしまいましたが、ロンドンでは、今年も、Promsやってます。

今年のアニヴァーサリーにちなんで、シベリウスの全交響曲やその作品、ショスタコーヴィチ、ニールセン、スクリャービン、バルトーク、ブーレーズ、バーンスタインなどなど、多くの作品がたっぷり並べられてます。

そして、その演奏会は、毎度のとおり、BBCsoと、各地のBBCオケ、ロンドンの主要オケに加えて、今年は、ネルソンスとボストン響、MT・トーマスとSFSO、テミルカーノフとペテルブルク、ビシュコフ&ラトルとウィーンフィルなどなど、多彩な顔触れです。

外来では、ネルソンスがマーラー6番とショスタコ10、ラトルがウィーンフィルとなんと、エルガーの「ゲロンティアス」。
そして、ビシュコフは、フランツ・シュミットの交響曲やります。
あと、大物では、ハイティンクが今年も登場して、ECOとザ・グレート。
 ラスト・ナイトは、オールソップの指揮で、カウフマンもプッチーニで共演。
9月12日までです、ロンドンの夏は長いんです♪

だいたい10日ぐらいは、オンデマンドで、BBCの特設サイトで、高音質で聴くことができます。

尾高さんのウォルトンや、ニッキーのコルンゴルト、ガーディナーの第5&幻想なんかをすでに楽しみましたが、今日は、モーツァルトの「後宮からの逃走」のコンサート形式上演を聴きましたよ。

    モーツァルト    「後宮からの逃走」

 デルモンテ:エドガラス・モントヴィダス コンスタンツェ:サリー・マシューズ
 ブロンデ:マリー・エリクスモーエン   ペドリオ:ブレンデン・パトリック・グネル
 オスミン:トビアス・ケラー         太守セリム・パシャ:フランク・ソーエル

  ロビン・ティチアッティ指揮 オーケストラ・オブ・エイジ・オブ・エンライトメント
                    グラインドボーン祝祭オペラ

                (2015.8.14 @ロイヤル・フェシバル・ホール)


まだ32歳。
いま注目のイタリアの血を引く、ロンドンっ子、ロビン・ティチアッティの指揮する「後宮」。
CDでの幻想しか聴いてなかったけれど、古楽から近現代まで、それぞれの演奏スタイルに合わせて、フレキシブルに対応しつつ、溌剌とした清新な音楽を爽やかにやってのけるティチアッティ君。

Proms_1

そして、歌心と、オペラの呼吸をまるで生まれながらに体得しているかのようなオペラ指揮者としての素質を、ここに感じました。
若くして、グラインドボーンの音楽監督にも就任し、そのディスクも、フィガロ、ヘンゼル、オネーギン、ばらキシ、Pグライムズと、ユニークな選択ぶり。
イタリアものや、ワーグナーを意図的に避けているフシもあり、したたかさもうかがわれます。

今回の「後宮」は、グラインドボーンのプロダクションをそのままプロムスに持ち込み、簡易なステージオペラ上演としたものです。
本上演の方の演出は、マクヴィカー。
衣装や、小道具はそのままのようです。

Proms_2

 ジングシュピールとして、独語の台詞が随所に織り込まれた作品ですが、全体は2時間20分と、ちょっと長め。
その台詞部分は、聴いているだけだと、正直長く感じられます。
 でも、会場は、大いに盛り上がっているようでして、ときおり、笑いや爆笑が起きて、大盛り上がりです。
このあたりは、ライブや映像ではないと、面白みが伝わってきませんね。
 オスミンが間抜けに描かれ、おちょくられるような内容ですからね、きっと、イギリス人のユーモアのセンスが散りばめらた内容となっているのでしょう。

そんな耳だけで聴いた、このオペラ。
やはり、指揮者と古楽のオーケストラの、血沸き肉躍るような躍動的なサウンドが、極めて魅力的でした。
モーツァルト当時の、トルコ・異国情緒を醸し出す、数々の打楽器が入る賑やかな音楽にも係わらず、それらは元気いっぱいの反面、しっとりとした情緒や、感情の機微も生き生きとした表情とともに、しっとりと描き分けているように思いました。

去年、手兵のスコットランド室内管と来日してましすが、無理しても聴けばよかったです。

歌手では、モントヴィダスが、明るくて伸びのあるテノールでしたし、マシューズのコンスタンツェは、立派すぎる声で、伯爵夫人クラスかなとも思いましたが、すてきなものでした。

グラインドボーンの映像が、きっと映像になるでしょうから、また、その時も楽しみにしましょう。

こんな高品質の演奏が連日行われるプロムスが羨ましく、そして、ハーディングに次ぐ、有能な英国指揮者に、今後ともに注目であります。
 それにしても、台詞が長かったけれど、その合間に、波の音や、鳥のさえずりなんかも流されて、なかなかの雰囲気であったことも申し添えておきます。
(画像は、BBCのサイトから拝借しております)

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2015年8月 2日 (日)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 クレンペラー指揮

Sodegaura_1

どんよりと、雲が立ち込めた相模湾。

海は、晴れの日と、荒天の日では、その顔つきが全然違う。

北欧や北ヨーロッパの海、ことに冬の海は、きっともっと厳しく、こんなもんじゃないんだろうな。

日本海も北海道の海もしかり。

以前に、真冬で吹雪吹き荒れる根室の納沙布岬へ行ったことあるけど、道内の案内人がいたから行けたけど、途中、車がはまってしまい、地元の人から死にたいのかと怒られましたよ。。。

そして、海を呪って、死にたくても死ねない男の物語を。

Holander

  ワーグナー   さまよえるオランダ人

   オランダ人:テオ・アダム         ダーラント :マッティ・タルヴェラ
   エリック:ジェイムズ・キング        ゼンタ:アニヤ・シリヤ
   マリー:アンネリース・ブルマイスター  舵取り:ケネス・マクドナルド

    オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                    BBCコーラス

                        (1968.3.19 @RFH ロンドン)


夏になると、ワーグナー熱が疼きます。

9,000キロ以上離れたドイツの聖地、バイロイト音楽祭が真夏のいま、真っ盛りだからなのです。
ネットが、いまのように興隆していなかった時代は、9月にならないと、現地の様子すら報じられなかったけれど、いまや、リアルタイムで、舞台の様子に加え、その音源すら耳にすることができる。

何度も書きますが、かつては、冬休みに、NHK様がFMで白昼から、その年のバイロイト音楽祭を全部、放送してまして、日曜の「オペラ・アワー」で開幕。
その後は、平日の昼の放送で、「パルシファル」だけは、翌年のイースターの時期の日曜の放送が、お決まりでしたね。

その後、年末の放送は、夜間に移動し、21時スタートとなりまして、「パルシファル」も含めた、年末夜の一挙放送になりました。
ですから、かねては、冬の方がワーグナー熱に取りつかれることが多かったです。

音質と安定性を考えれば、FM放送ということになるのでしょうが、リアルに聴けるネット放送もストリームも含め、高音質化していて、いまのワタクシには、夏のバイロイトがすぐさま聴ける「イマ」に方が、ワーグナーの熱中時期ということになりますね。

今年のバイロイトでも上演されている「さまよえるオランダ人」。

映像ですでに確認済みですが、あの演出は、どうにも好きじゃない。
北の海の厳しさや、港町の市井の人々の生活と、そこに起こった、伝説の具現化というロマンが、まったく活かされていなくて、陳腐な手漕ぎボートと、サラリーマン的な集団生活と姑息な街の人々、そして、ただひとり浮かび上がるゼンタの普通の人としての問題意識。
オランダ人なんて、存在そのものが希薄だったし、韓国人歌手のきれいごとだけの麗し歌唱も、深みがまったくなし。。。

あぁ、また叱られそうなこと書いちゃった。

今年の演奏は、まだ聴いてませんが、ティーレマンが指揮しても、浅薄な内容はとどめようがなかった。

で、今夜は、最近聴いた「オランダ人」のなかでも、強烈な印象と、「これだ!」と膝を打つことになった凄演を。

オットー・クレンペラーのEMIへのアビーロード・スタジオ録音(2月19日~3月14日)の直後に、ロイヤル・フェスティバル・ホールにて演奏されたライブ録音。
 何度も綿密な演奏を経て録音完成されたあとの、実演は、さぞや、きっと、演奏家たちの手の内におさめた、そして、客席を前にした興奮と充実の完成度の高さを刻んだものでしょう。
 聴いていて、その場に居合わせた観客のみなさんが、羨ましくてなりませんでした。
3幕版による演奏ながら、幕を重ねるごとに、その熱気が高まっていくのがわかります。
そして、何よりも、英国のオーケストラである、ニュー・フィルハーモニア管が、まるで、ドイツの楽団であるかのように、オペラのオーケストラであるかのように、咆哮し、迫力にあふれ、歌手や合唱たちとともに、感情移入し、歌いまくっていること。それが一番の驚きです。

筆厚の強さ、高さを、オペラティックな感情表現の機微を、クレンペラーの指揮に感じ、それがイギリスのオーケストラを、ドイツのオーケストラ以上の存在に変貌させてしまってます。
 ありきたりな表現ですが、ワーグナー音楽に必須の、ある種の「うねり」をここに、完全に感じます。
ベームや、カラヤンの明晰さとは、大きく異なりますが、楽譜を白日のもとにさらけ出したかのような、リアルさがここにはあって、そこから生まれるドラマのリアリティは、オケと優れた歌手たちを巻き込んで、ど迫力のオペラ再現となっているのでした。

スタジオ録音では、エリックが、ショルティのリングで、もしかしたらジークフリートを歌ったかもしれない、コツーブ。
舵手が、ウンガーでした。
 こちらのライブでは、エリックは、なんと、ジェイムズ・キングで、舵手は英人のマクドナルドに変わってます。
ヘルデンが、エリックを歌うと、こうなる。
ヒロイックで、愛する人を必死に踏みとどまらせようとする夢中さが、強引さとなって逆手に出てくる。
そんな、エリックの役柄を、完璧に感じさせます。
ヴィントガッセンも、コロも、ホフマンも、エリックを歌うと、そんな風だった。
まるで、ジークムントのような、キングのエリックに痺れました!

アダムのオランダ人は、アクのある声はともかくとして、ドイツ語の美しさと、感情表現の豊かさでもって、昨今のバイロイトのオランダ人が、素人のように感じさせる本質的な歌唱です。
最新のオランダ人の録音のひとつ、ミンコフスキ盤を聴いてますが、オケはともかく、歌唱が、軽過ぎて、かねての歴史的な歌声を聴いてしまうと、虚しくなります。
昨今の歌手たちは、声だけで勝負でなく、ビジュアルや、詳細までも見られてしまう映像の世界に生きているものだから、声以外での演技にも注力せねばならず、ほんとに大変だなと思うのですが、声の表現力の軽重は、ますます、かねてと開きが生まれております。

アニア・シリアの迫真の歌唱もも素晴らしくって、61年のサヴァリッシュ盤の初々しさと違って、憑かれたようなエネルギーすら感じる、すさまじいものでした。

わたくしの持つ音源は、モノラルですが、BBC音源を復刻させたテスタメント盤は、ステレオ録音らしいですよ。
そちらも、聴いてみたいですが、この盤も、音は鮮明で、迫力満点。

演奏も録音も、すべてが克明な、クレンペラーのオランダ人でした。

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2015年7月24日 (金)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死 ティーレマン指揮

Shiba_a

連日、暑い日が続き、その合間に台風の影響もあってか、驟雨にみまわれる首都圏。

風が強くて、雲も勢いよく流れます。

夕方には、ドラマティックな夕焼けの光景が展開されます。

そんな日に、ビルの屋上で東京タワーと一緒の夕焼け風景を撮ることができました。

Thielemann_wagner

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

    クリスティアン・ティーレマン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

              (1997.4 @コーリングスウッド、ニュージャージー州)

                         ウィーン国立歌劇場

           イゾルデ:デボラ・ヴォイト

              (2003.5 @ウィーン国立歌劇場ライブ)


今年も、始まりますよ、バイロイト音楽祭。

ここのところ、画像だけで、けちょんけちょんにして、がっかりしているものだから、中学時代からの積年の夢であります、聖地訪問の志しは、年々、衰えている最中であります。
 ドイツの劇場は、意外と画像の放出に寛大なものだから、先に、画像ニュースが飛び込んできて、映像作品として味わうよりも前に、だいたいのところが想像できて、辛口の言葉を紡いでしまうのです。
 個人のつぶやきですので、そのあたりは、今年も、寛大なお心をお持ちになって、どうかお許しください。

 今年のバイロイトの演目 7月25日が初日。

「トリスタンとイゾルデ」 新演出 カタリーナ・ワーグナー ティーレマン指揮

   S・グールド、ヘルリツィウス、ツェッペンフェルト、ペーテルソン、C・マイヤー

「ローエングリン」    ノイエンフェルス演出  アラン・アルティノグリュ指揮

   フォークト、ダッシュ、ラシライネン、P・ラング

「さまよえるオランダ人」  グローガー演出   アクセル・コバー指揮

   サミュエルとクワンチュルのユン韓国コンビ、メルベート、ムツェーク

「ニーベルンクの指環」   カストルフ演出   キリル・ペトレンコ指揮

   コッホ、ドーメン、マーンケ、ボータ、カンペ、フォスター、フィンケ、コンラッド
   ブルメイスター、ミリング・・・・

以上のリング+3演目。

パルシファルは、今年もお休みで、来年、恐怖の奇抜演出家による新演出(笑)で、そちらの指揮は、ネルソンス。

異母姉妹のエヴァが共同監督から降りる前の、妹、カタリーナの新演出による「トリスタン」。
バイロイトでの演出は、マイスタージンガーに続いて2作目で、相棒は、いまのバイロイトの音楽監督とも呼ぶべきティーレマン。

待望の新演出ですが、大植英次がプリミエを指揮したマルターラーの長く続いた演出以来、10年ぶりの新トリスタンです。
 当初、イゾルデは、アニヤ・カンペが予定されましたが、ジークリンデ役で、ずっとバイロイトで高評価を得ていた彼女は、イゾルデへの挑戦を断念し、降りてしまいました。
変わりに、といっては失礼なくらいに、きっと立派なイゾルデを演じ歌うでありましょう、ヘルリツィウスに、今回も、きっと救われることとなるでしょう。
 トリスタンは、お馴染みのグールド。
新国でも、熱き名唱は、忘れえぬものですからして、他の諸役も充実の顔ぶれだし、ティーレマンだから、音楽面での成功は約束されたようなものです。
 カタリーナの、思いつきではない、シンプルな演出を期待したいです!

ずっと続いたノイエンフェルスによる、ねずみローエングリンは、ヘンテコなキモイ演出の「タンホイザー」が打ち切りになったため、延長。
ゆえに、指揮は、ネルソンスに変わって、フランスのオペラ指揮者、今後、大注目のアルティノグリュ。
なにげに、おなじみ、ラシライネンが初テルラムント。

へっぽこ演出ゆえか、降りたタンホイザーのヘンゲルブロック、そのあとを指揮したアクセル・コバーが、今度は、ティーレマンに変わって「オランダ人」。
実務的な指揮ながら、ドイツのオペラハウス叩きあげの典型のような、いわば、シュタイン的な存在のひとに思います。
おそらく、最後の出し物になって欲しい、その扇風機工場オランダ人は、韓国系歌手ふたりが主役級。

そして、「リング」は、ペトレンコ。

このバイロイトで、ベルリンフィルの指揮者を期せずして争うこととなった、ティーレマンとペトレンコが、同じ時期に、その指揮台に立ちます!

今年の、バイロイトの最大のトピックは、申し訳ないけど、カタリーナのトリスタン演出じゃなくて、今後の指揮界をしょってたつ、ティーレマンとペトレンコのふたりが、聴けるという点にあるのではないでしょうか!

ちなみに、ペトレンコのリングの指揮は、今年まで。
後は、降りてしまいましたが、アルティノグリュか、コバー、もしかしたら、P・シュナイダーの復活も・・・・、そんな風なことを思いめぐらすのも、ワーグナー好きの楽しみです。

 さてさて、今年の新演出の「トリスタン」。
ティーレマンは、DGとの録音の早い時期にフィラデルフィアと管弦楽曲として。
その後に、ウィーン国立歌劇場でのライブを、それぞれ、録音しました。

フィラ管とのコンビは、いまや貴重な組み合わせですが、長く、サヴァリッシュが指揮し、そして愛された土壌を、このドイツ的な重厚でありつつ、音色の豊かな演奏に感じます。
念入りに、じっくりと、タメもたっぷりに演奏された、この「前奏曲と愛の死」は、演奏時間19分40秒。
あらためて、スコアを見ながら聴いてみましたが、一音一音、ほんとにたっぷり弾かせているし、休止も完全にしっかり取ってる。
流れに任せたようなところは一切なく、ティーレマンの思う通りの完璧な音符の再現をなした演奏です。
 そこには、トリスタンの持つ、情念やうねりは、逆に感じることがないのも事実。
面白いものですね。
コンサートオーケストラを指揮したゆえかもしれません。
ただ、これを、ワーグナーのオーケストラ曲として、単品で楽しみならば、完璧な演奏です。
 

Thielemann

一方、6年後の、ウィーンでの劇場ライブで、この「前奏曲と愛の死」だけをチョイスしてみると、その演奏時間は、18分42秒。
ほぼ1分、早くなってます。
オペラのオーケストラとしてのウィーンフィルとともに、ピットに入ったティーレマンの指揮には、ライブ感にあふれた自在さを感じ、ドラマの起承転結の、最初と最後を切り取ったかのような思いをいだきます。
前奏曲では、焦燥感を描きつつも、まだ燃焼不足ですが、愛の死では、大きな物語を集結させる大河の流れのような安堵感と集結感があります。
 これぞ、オペラ指揮者ティーレマンの本領なのでしょう。
このように、切り取って聴くべきじゃない、全曲録音と、最初から20分のドラマに集約しようとした管弦楽曲録音との違いをまざまざと感じました。

違ってあたりまえですが、その点、カラヤンは、スタジオ録音では、どちらも均一だったように思います。
でも、ライブでは凄かった!

 さて、明日開幕の、バイロイト・トリスタンの画像をドイツ紙から拝借。
ブルーな感じですな・・・

Tristan2015

3幕の牧童とクルヴェナールでしょうかね・・・・・

 過去記事

「トリスタンとイゾルデ」 ティーレマン&ウィーン国立歌劇場

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2015年5月10日 (日)

モーツァルト 「コジ・ファン・トゥッテ」 ベーム指揮

Tomita_a

もう、ここ千葉では、とっくに見ごろを過ぎてしまいましたが、千葉市富田の都市農業交流センターです。

船橋から東金にかけて、徳川家康が造らせた鷹狩のための道筋。
御成街道(おなりかいどう)をずっと下った千葉市若葉区にある農業公園です。

Tomita_b

紫に、赤に白・・・・こうして細かな花がたくさん集積して、一色に。
マスとしての美しさと、ひと花、ひと花の可憐さ。

明るく、陽気もいい。

さぁ、モーツァルトでも。

Mozart_cosi

  モーツァルト  歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」

      フィオルディリージ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 
      ドラベッラ:クリスタ・ルートヴィヒ
      フェルナンド:ルイジ・アルバ
      グリエルモ:ヘルマン・プライ
      ドン・アルフォンソ:ヴァルター・ベリー
      デスピーナ:オリヴェラ・ミリャコヴィチ

   カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                ウィーン国立歌劇場合唱団
             演出:ヴァーツラフ・カシュリーク

                         (1969年製作)


モーツァルトの名作オペラ、「コジ・ファン・トウッテ」。

1790年作曲の、ダ・ポンテとのコンビの生み出したブッファで、同じ、ダ・ポンテ3大オペラ(フィガロ、ドン・ジョヴァンニ)の中でも、際立つ個性は少なめながら、アンサンブル・オペラとして、形式上も、ドラマ仕立ても、そして歌手たちのあり方も、シンプルでシンメトリーな構成が美しく完結しております。
 そして、その音楽は、ギャラントで、ロココ調な美質と抒情を有しています。

そんな「コジ」のわたくしにとって理想ともいえる映像作品が、ベームの指揮により、映画版。

Cosi_1

 予算上も、演出上も、いまやなかなかありえない、オペラの映画化。
60~80年代前半ぐらいまでが数は少ないけれど、全盛だったように思います。
その代表が、今回のベーム盤。
カラヤンのカルメン、カヴァ・パリ、ラインゴールド、ベームのサロメ、アリアドネ、レヴァインのトラヴィアータ・・・、いくつも名作が残されました。

そして、自分にとって忘れられない憧れのツールが、かつて存在した、「クラシック・イン・ビデオ」という製品です。

Video_1 Video_2

ポニー・ビデオ(いまのポニー・キャニオン)が、ポニー・クラシックという法人を設立して、家庭向けビデオと、カラヤンを中心とするビデオ映像作品をパックにして販売しておりました。
71年頃だったと思いますが、当時の価格で、38万円!
いまでは、その何倍もの感覚の金員ですよ!
子供心に、欲しくてたまらなかったけれど、そんなもの、一般家庭では、高嶺の花。
毎日、憧れと、想像力ばかりが高まるばかりの少年でありました。

それが、いま、映像作品も簡単に手に入るし、はるかに鮮明で、かつ豊かなサウンドで、いとも簡単に、それらの作品が楽しめる世の中になりました。
ほんと、この分野も隔世の感ありありですね。

Bohm

 さて、モーツァルトのオペラでも、「コジ」をもっとも得意にし、愛したベームですから、その音源も、非正規もいれると、ほんと、たくさんあります。
ですが、代表作は、74年のザルツブルク・ライブと、62年のフィルハーモニアEMI盤、そして、この映像版ということになるでしょうか。

理想的な歌手の顔ぶれは、それぞれの全盛期で、ビジュアルも歌声も言うことナシ。
そして、オーケストラがウィーンフィルで、69年当時のこのウィーンならではの芳醇な音色といったらありません。

Wpo

序曲は、オペラ全体に共通する、白基調のロココ風邸宅が、スタジオ内にしつらえられ、そこに懐かしのウィーンフィルの面々が陣取って、高座にいつもの、ニコリともしないベーム。

コンサートマスターは、ウェラー。その横には、やたらと若いヒンク。
フルートには青年のようなトリップ。オーボエはトレチェクかな。
つくづく、この頃から、ベームやアバドとの来日の頃が、ウィーンフィルにとっても、自分にとっても、いい時代だったな、とつくづく思います。

 オペラ本編は、ゴージャスなリアル衣装に、シンプルだけど、写実的な舞台装置に、本物ばかりの小道具。
鮮明な映像で、それらが実に見ごたえあります。
まさに映画ならではのリアル・カットで、往年の歌手たちの若き日々も、アップに耐えうるものです。

場面の転換ごとに、インターバルがあって、字幕による簡単なト書きや、場面説明があって、オペラの流れが無味乾燥にならず、とてもいい効果をあげております。
 さらに、ときおり、シルエット影絵も挿入され、登場人物たちの心象や、よからぬ妄想(ちょっとエッチだったり・・・笑)をあらわしたりもしてますよ。

ユーモラスな仮面を装着した、背景人物たちも含め、主役の歌手たちの演技は、今風でないことは事実ですが、モーツァルトの音楽の懐の深さは、これこそが、ぴたりと符合するように、ことに、わたくしのような世代の人間には、そう思われます。
同時に、昨今の時代考証を自由に動かし、いろんな意味合いを込めた現代演出にも、モーツァルトの音楽は、しっかりと似合ってしまうところが、すごいところなのですね。

ベームの「コジ」に、必須の歌手。
ヤノヴィッツ、ルートヴィヒ、プライ、ベリーの4人は、もう完璧で、愉悦と軽やかさ、そして軽妙さに加えて、しっとりとしたモーツァルトの品位を歌いだしていて、文句なし。

Cosi_3

ことに、揺れ動く心を、そのクリスタルな美声でもって聴かせるヤノヴィッツは素晴らしいと思います。
 ルートヴィヒもそうですが、声の揺れが気になる、方もいらっしゃるでしょうが、後年のよりも、声はハリがあって若々しくていいですね。

もちろん甘い美声に、しっかりとしたフォルムを持ったルイジ・アルバのモーツァルトは、ロッシーニ以上にステキなものだし、セルビアの名花ミリャコヴィチの狂言回しも楽しいですよ。

Cosi_2

ほのぼのと、モーツァルトのよさ、ウィーンフィルの味わいのよさ、そして往年の耳にすっかり馴染んだ歌手たちのよさ。
そしてベームのオペラの素晴らしさを堪能した土日でした。

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