カテゴリー「オペラ」の記事

2020年2月11日 (火)

ミレッラ・フレーニを偲んで ②

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ミレッラ・フレーニ(1935~2020)の逝去を悼み、2本目の記事は、彼女の音源をいろいろ聴いて偲びます。

始めて買ったフレーニのレコードが、これも初めての「ラ・ボエーム」です。
中学生のとき、発売早々に買いました。 
たしか、舞台設定と同じ頃の季節は冬でした。
来る日も来る日も、ミミとロドルフォのアリアと、ふたりの二重唱を聴いてました。
でも、4幕はミミの死が辛すぎてたどり着かなかったです。。。

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  プッチーニ 「ラ・ボエーム」

ベルリンフィル初のイタリアオペラ録音。
そしてDGではなく、デッカ録音というところが当時は話題になりました。
そう、確かにオーケストラの威力は強力で、録音もソニックステージで、分離が鮮やか、かつ擬音もたっぷり入って雰囲気豊かなものでした。

当時好きな子もいたりして、その子をミミにあてはめたりしていた中坊でした。
だから、このフレーニの愛らしいミミが、今に至るまで、私の「ザ・ミミ」なのです。
フレーニのミミは、かけがえのない唯一無二の存在です。
ミミの死は、ほんとうに泣いちゃいます。

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 プッチーニ 「マノン・レスコー」
       「蝶々夫人」

フレーニには、いずれも他に録音がありますが、シノーポリとのこちらが好きです。
いろんな女性の姿を描き続けたプッチーニの各タイトルロールへの想いが、フレーニによって、そのまま歌い込まれてます。
いずれも最後には、命を落としてしまう、気の毒な役柄ばかりだけれども、それゆえに、フレーニの優しくも暖かい歌声が胸にしみます。

あとは、「トゥーランドット」のリュウと、「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタがフレーニらしい可愛さを味わえますね。

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 モーツァルト 「フィガロの結婚」

フィガロのスザンナと、「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナもフレーニの得意のレパートリーでした。

コリン・デイヴィス指揮するBBC響とのフィリップス録音は、活気あふれる快速テンポにのって、快活で元気なスザンナを生き生きと歌ってます。
ベームのフィガロの映像盤では、プライのフィガロとともに、抜群のコンビを組んでますが、そちらは以前にビデオ収録したもののいまや見れませんし、正規盤をいつか欲しいと思ってます。
 そして、アバドがスカラ座時代に上演したフィガロでは、このふたりが入れ替わって、プライが伯爵、フレーニが伯爵夫人ロジーナを歌ってます。
以前にも、こちらのブログでも取り上げましたが、フレーニの伯爵夫人は、あたりを打ち払うような穏やかさと気品にあふれた歌唱で、とても落ち着きがあります。
でも、わたくしたちには、フレーニはスザンナですね。

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 ビゼー 「カルメン」

フレーニといえば、ミカエラも忘れちゃいけませんね。
ファムファタールのカルメンに対して、切なさ一杯の待つ女性、ミカエラをこれまた愛らしく歌ってます。
自分なら、おっかないカルメンなんかから逃げて、こんなかわいいミカエラちゃんを、ちゃんと選びますね。

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 マスカニーニ 「友人フリッツ」

血なまぐさいカヴァレリアのあとに書いたマスカニーニの牧歌的オペラといわれる、ハートウォーミングな愛すべきオペラ。
まだブログで取り上げてませんが、マスカーニのオペラは、レオンカヴァッロ、ジョルダーノとともに、着々とそろえています。
 同郷のパヴァロッティとの共演では、ボエームのそれとともに、抜群の声のコンビネーションです。
他愛もないドラマですが、ここにたくさん散りばめられたアリアの数々は、とても素敵なものばかりで、なおかつ優しいフレーニの声向きのものですから、若きフレーニの瑞々しい、フルーティーな歌声が大いに楽しめます。
こういう歌を聴くと、いまやこんな歌声の歌手はいないな、とつくづく彼女の存在がありがたく感じられるものです。
それは同じく若いパヴァロッティにも言えることです。

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  チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」
           「スペードの女王」

チャイコフスキーのこのふたつのオペラもフレーニは得意にしておりました。
スーブレットから、徐々に声に力感も増して、リリコ・スピントの役柄までを幅広く歌うようになったフレーニ。
そんな一環としてのチャイコフスキーのオペラ。
夫君のギャウロウの指導などもあったかもしれません。

タチャーナも、リーザもどちらも、私には理想的な歌唱でして、ロシア風のほの暗さやたくましい歌いまわしとは、まったく隔絶した、透明感あふれるクリーンでクリアな歌です。
西欧側のチャイコフスキーとして、最高の歌であり、指揮者もオーケストラも同様の響きを感じます。
大好きな「手紙の場」を何度もここだけ聴きましたし、いまも聴いてます。
不安と焦燥、そしてそれが情熱へと変わっていくタチャーナの心情をフレーニは見事に歌い込んでます。

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 ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」
       「ドン・カルロ」
       「エルナーニ」
       「オテロ」

やっぱりヴェルディ。
フレーニの歌うヴェルディは、正統派ソプラノの理想のヴェルディという言葉しかない。
数々の録音あれど、非正規のものもここにあげてしまうほど、そのライブが素晴らしい。
マリア、エリザベッタ、ドンナ・エルヴィーラ、デスデモーナ。

アバドのシモンは、わたくしの生涯の思い出の日本での上演と、完成度の極めて高いイタリアオペラのレコードの最高峰のふたつでフレーニが歌ってます。
父と恋人を愛する純なマリアです。

スカラ座のライブのドン・カルロは貴重な音源で、録音もステレオでよいです。
いつも上演していたメンバーをカラヤンにかっさわれて録音もそちらで行われてしまったので、フレーニ、カレーラス、カプッチルリ、ギャウロウ、オブラスツォワとそろった超豪華キャストは捨てがたいものがありますし、しかも5幕版です。
 ここでのエリザベッタは、気品と悲劇性とが見事に溶け合った名唱であります。
アバドとのドン・カルロでは、あとウィーン国立歌劇場でのFMライブも持ってまして、フレーニがここでも最高、聴衆の喝采が止みません。

 初期オペラに特有の荒唐無稽ぶりが満載の「エルナーニ」でも、夫君のギャウロウと共演。
3人の男性に愛されてしまうという悩み多き女性ですが、初期ゆえにふんだんなアリアと歌の数々がここにあふれてます。
しかも、まだスカラ座就任前のムーティの強靭なカンタービレに乗ってうたうフレーニの歌声は素晴らしいです。

デスデモーナは、カラヤンの正規録音もいいですが、やはりカルロス・クライバーの情熱ほとばしる指揮と、カプッチルリのイヤーゴが聴けるライブ盤でのフレーニがよい。
運命と夫の妄想にもてあそばれる、この悲劇的な役柄も、やはりフレーニ向きで、実に素晴らしい。
終幕の「柳の歌~アヴェマリア」を聴きましょう。
その清らかなフレーニの歌声に、在りし日の、わたしたちの名歌手フレーニを偲びます。

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           スカラ座来日公演 クライバー指揮

フレーニを偲ぶ特集。

最後はミミ。

「わたしの名はミミ」そして、最後の場面を聴いて涙をひとしずく・・・・・

ミレッラ・フレーニさん、たくさんの歌をとどけていただいて、ほんとうにありがとうございました。
これからも、ずっとずっと、あなたの歌声を聴いてまいります。

その魂が安らかならんこと、心よりお祈り申し上げます♰

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ミレッラ・フレーニを偲んで ①

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ミレッラ・フレーニが、2月8日、故郷のモデナの自宅で亡くなりました。
享年84歳。
2月27日の誕生日まで、あと少しでしたが、このところ療養中だったとのことです。
モデナの地元紙の逝去の報です。

こうして、またひとり、わたしにとって思い出深い、いえ、世界のオペラファンにとってもっとも愛すべき歌手が去ってしまいました。

歌手が亡くなるたびに思い、そして書くことですが、その歌声が聴き手の脳裏に完全に刻まれるものですから、引退して久しくとも、現役で活躍していた指揮者や奏者の死去と同等といえるくらいに悲しみは大きいものです。

活躍の名前を見なくなってしまった歌手たちが、いままだ健在かな?どうしてるかな?などと、ときおり検索したりしてます。
そんななかのひとりが、フレーニでした。
わたしを導いてくれた、まだちょっと気になる歌手たちが何人も思い浮かびます。

フレーニは、多くの舞台、指揮者たちにひっぱりだこだったので、その音源もたくさんあります。
そのオペラの代表的な演奏にもなっているので、私もたくさん持ってます。
そして、何度かその舞台にも接することができ、小柄で、チャーミングな所作も、その歌声とともに、しっかりと記憶にとどめてます。

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こちらは、モデナのオペラハウス、パヴァロッティ・モデナのフェイスブック。
同郷の幼馴染みのパヴァロッティの名前を冠したハウスです。
Ciaoは、こんにちはの挨拶ばかりでなく、バイバイとか、さよなら、とか親しみを込めたお別れの挨拶にも使われます。

往年のカラスやテヴァルディが大歌手と呼ばれ、スターダムにあり、ゴシップも噂されたりしたのに比べ、フレーニは、常に親しみやすい存在として、わたしたちのお姉さんてきな存在で、大歌手と呼ぶよりは、親しみを込めて「名歌手」と呼ぶに相応しい存在でした。

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こちらは、スカラ座のFacebook。

お宝画像のような1枚。
これは、ヴェルディのレクイエムの演奏後のものでしょうか。
ご主人のギャウロウ、パヴァロッティ、オブラスツォワ、そしてアバドも、みんないまごろ天上で楽しくしていらっしゃるのでしょうか・・・・

アバド、フレーニ、ギャウロウ、カプッチルリ、パヴァロッティは、みんな仲良しでファミリーのようでした。

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世界中のオペラハウスが、フレーニの逝去を偲んで続々と報じております。
こちらは、ウィーン国立歌劇場。
エリザベッタを歌うお姿でしょうか。

ヴェルディとプッチーニを軸に、モーツァルト、ベルリーニ、ドニゼッテイ、グノー、そしてチャイコフスキー。
ドン・カルロのエリザベッタにおける気品と悲劇性は、いまもって、フレーニを超える歌唱はありません。
もちろん、ミミも!

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1981年のスカラ座の来日における「シモン・ボッカネグラ」のマリア。

アバドの指揮にドキドキしながら釘付けでしたが、この作品を、その5年前のNHKイタリアオペラでも接し、熟知していた若きワタクシです。
カプッチルリ、ギャウロウの強力男声陣に、ひと際咲いたフレーニのひたむきな歌唱にしびれました。
ストレーレルの名舞台、船の前で歌うこのフレーニのアリア、忘れられない1シーンであり、彼女の歌声です。

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ウィーン国立歌劇場の1986年の来日公演。
鮮烈だったシノーポリの指揮。
巨大なNHKホール、小柄なのに、その魅力的な声ですみずみにまで満たしてしまう、その声量と真っ直ぐなストレートヴォイスに驚きだった。
奔放さと、明るい無邪気さ、そして薄幸のマノンを見事に歌い込んだフレーニでした。

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擦り切れるほど聴いた、フレーニの参加したヴェルディのレクイエム。
カラヤンとアバド、ふたりの指揮者に愛され、多くの共演があります。
カラヤンの1度目の録音は、派手さはなく、意外と渋いですが、さすがはベルリンフィルという威力があります。
アバドのこれも1度目は、なんといってもスカラ座のオケと合唱のすばらしさと、アバドの求心力の強さ。
そして、いずれも真摯なフレーニの歌には、癒しさえ感じます。
彼女の最後の言葉、Libera me がしみます。。。

追悼第1の記事は、このあたりで筆をおきます♰

Chaio Mirrela Freni !

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2020年1月20日 (月)

ベートーヴェン 「フィデリオ」 アバド指揮

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毎度の場所ですが、お正月の吾妻山から。

富士と海と菜の花が一度に見れます。

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麓の小学校に通っていたから、子供の頃から始終登ってました。
でも、当時は山頂はこんなに整備されてませんでしたが。

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  ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」

 レオノーレ:ニーナ・シュティンメ
 フロレスタン:ヨナス・カウフマン
 ドン・ピッアロ:ファルク・シュトルックマン
 ドン・フェルナンド:ペーター・マッティ
 ロッコ:クリストフ・フィッシェサー
 マルツェリーネ:ラヘェル・ハルニッシュ
 ヤキーノ:クリストフ・シュトレール

  クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
               マーラー・チェンバー・オーケストラ
               アルノルト・シェーンベルク合唱団
         
          (2010.8.12,15 @ルツェルン)

1月20日は、クラウディオ・アバドの命日となります。
あのショックだった2014年から、もう6年が経ちます。

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ベルリンフィルを退任後、しばらくしてスタートさせたルツェルンのスーパーオーケストラとの共演は、2003年からスタートし、マーラーを毎年連続して取り上げました。
8番は予告されながら、残念ながら取り上げなかったのですが、2010年は、マーラー・チクルスの最後の9番と、「フィデリオ」が取り上げられました。
翌2011年には、折からの東日本大震災への追悼演奏で10番のアダージョを取り上げたほか、ブルックナー・チクルスが開始され、ベートーヴェンに、やがてブラームスにと円熟のアバドのルツェルン演奏が期待されていたなかでの死去でありました。

ベートーヴェンの作品の多くを指揮してきたアバドですが、「フィデリオ」を取り上げたのは、このルツェルン2010が初めてのはず。
(アバド歴長いので、そうだと思い書いてます)
人間ドラマを伴うオペラを好み、かなりのオペラのレパートリーを持つアバドでしたが、76歳にしての初「フィデリオ」とはまた興味深いことです。

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ジングシュピールの流れをくむドイツオペラとして、このフィデリオは、セリフも多くあり、番号オペラを取り入れつつ、音楽の流れがセリフによって寸断されてしまい、オペラとして、どうも居心地のよろしくない作品だと不遜にも常々思ったりもしてました。
 苦心のあげくに行き着いた夫婦愛唱和の作品ですが、オペラに関しては、ベートーヴェンはモーツァルトのような天性の才に恵まれなかったのかもしれません。
 しかし、個々のソロや重唱、合唱に目を向ければ、抒情と激情の織り交じったベートーヴェンらしい音楽です。
マルツェリーネの可愛いアリアや、ロッコの人の好さそうなアリア、父娘にレオノーレが加わった3重唱、ピツァロのイャーゴの信条告白のような悪のアリア。
そして素晴らしいのが、レオノーレの名アリア「悪者よどこへ行くのか」と、フロレスタンの苦悩から希望へと歌い込む監獄内のアリア。
あと、やはり劇的なのが、勇敢なレオノーレの夫救出のシーン。
息詰まるほどの間一髪の場面に、その後の歓喜の爆発。
ベートーヴェンならではの感銘を与えられる個々の音楽であります。

これらの個々のシーンを、アバドはまさにライブで燃えるアバドらしく、そして絶妙の歌心でもって丁寧に、そしてドラマティックに描き分けています。
冗長なセルフも、必要最小限にカットしていて、音楽の流れが停滞することがないように、心地よいテンポで、ある意味一気呵成に仕上げてます。
最後の歓喜の満ちたエンディングでは、興奮にあふれていて、ライブならではの感興に浸ることができます。
ヴィブラート少な目で、ルツェルンの凄腕のメンバーたちに、若いマーラーチェンバーの面々が加わったことで、いい意味での緊張感と若々しさも加味されたのではないかと思う。
アバドの音楽の若々しさというのは、常日頃、若い奏者たちと楽しみながら、音楽を築きあげるという、こうしたところにもあるのだから。

旬の歌手をそろえた配役も見事な顔ぶれ。
なかでも、このオペラの主役であるシュティンメのレオノーレの声の安定感と、力強さと明晰な知的な歌唱が素晴らしくて、声質にクセもないので、聴き飽きないのがシュティンメの歌なのです。
対するカウフマン。
フィデリオにおけるフロレスタンの出番は、あまりに少なくて、ベートーヴェンにこの点はなんとかして欲しかった・・・と思わせるカウフマンです。
アバドのお気に入りだったハルニッシュのリリカルなマルツェリーネがいい。
ほかの歌手もまとまりがよく、チームとして均整がとれていることも、このルツェルン音楽祭の持つ特徴かもしれません。
でも、シュトルックマンは、ちょっとアクが強すぎるかな・・・
 あと、鮮度高いのが、アルノルト・シェーンベルク合唱団の緻密さ。

CDにはなったけど、アバドのルツェルン演奏の恒例の映像DVDは、このフィデリオにはなかった。
映像の契約元が、2010年から変わったことが影響しているのだろうか。
マーラーの9番(2010年)から、EiuroartsからAccentusに変更。

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その舞台の様子を探したところ、オーケストラの後方に低いステージを作り、合唱は観客席に置くというスタイルのようです。
衣装も均一だし、オペラの上演というよりは、やはりオラトリオ的な演奏の仕方ともいえるかもしれません。
これまでオペラ上演として「フィデリオ」を取り上げなかったアバドの考え方が、このあたりにあると思いますし、ルツェルンで若いニュートラルな奏者たちと、やりたかった気持ちもわかるような気もします。

世を去る3年と少し前。
アバドはこのように、常に挑戦と、若者たちとの共演を望み、実践し続けました。
これまでの巨匠たちにはない謙虚さと、進取の気性にあふれたアバドでした。
アバドのもとで演奏し育った若い演奏家たちが、いま、そしてこれから、世界のオーケストラの主力として活躍していきます。
そして、彼らはアバドのことをレジェンドとして心に刻み続けていくことでしょう。

フィデリオ 過去記事

 「新国立劇場公演 S・グールド、ヨハンソン」

 「ベーム&ベルリン・ドイツオペラ DVD キング、ジョーンズ、ナイトリンガー」

 

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今日は大寒。
菜の花は満開なれど、春まだ遠し・・・

アバドの新譜や音源発掘が絶えて久しい。
何度も書きますが、下記の正規音源化を強く、激しく希望。

 ①ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」
 ②ワーグナー「パルジファル」
 ③ワーグナー「ファウスト」序曲
 ④マーラー 「大地の歌」
 ⑤バッハ  「マタイ受難曲」
 ⑥バッハ  「ロ短調ミサ」
 ⑦バッハ  カンタータ ロンドンでのF・プライとの共演
 ⑧ノーノ  「プロメテオ」
 ⑨モンテヴェルディ ロンドンやベルリンでの演奏
 ⑩ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ベルリンフィルとのもの
   ⑪ヴェルディ 「オテロ」  ベルリンフィルとのもの
 ⑫ヴェルディ 「ナブッコ」 むかしのスカラ座とのもの
 ⑬ヴェルディ 「アイーダ」 ミュンヘンオリンピックのときの上演
 ⑭ドニゼッティ「ルチア」  むかしのスカラ座とのもの
   
  あとまだたくさん、なんでもいからお願いっ!

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2020年1月16日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ラトル指揮

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まいど恐縮、クリスマスと年末年始は特に絵になるもんですから、銀座。

日の丸を仰げば、あの国の方々のあふれかえる言葉は少しは気になりません・・・??

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    R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

   マルシャリン:カミラ・ニールント
   オクタヴィアン:マグダレーナ・コジュナー
   オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
   ゾフィー:ゴルダ・シュルツ
   ファーニナル:マルクス・アイフェ
   マリアンネ:アレクサンドル・ロビアンコ
   ヴァルツァッキ:トーマシ・エヴェンスタイン
   アンニーナ:キャスリーン・ゲルトナー
   テノール歌手:マチュー・トレンザーニ ほか

  サー・サイモン・ラトル指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

        演出:ロバート・カーセン

        (2020.1.4  @メトロポリタン歌劇場)

今年正月の最新のライブ音源をネット視聴。

ベルリンでもやったでしょうかね?ラトルの「ばらきし」。
ほかのオペラもそうですが、奥様のコジュナーあっての指揮ともいえるかもしれません。
ほかの配役も、ベテラン、新鋭を取り混ぜたメットならではの豪華なものです。
2017年のプリミエで、その時は指揮はお馴染みのセバスティアン・ヴァイグレ。
フレミングとガランチャ、グロイスベックが歌ってます。

ラトルのオペラは何を振るかわからないところがあって、ワーグナーなら後期のものしかやらないし、ヴェルディはなし、プッチーニはそこそこで、シュトラウスならサロメかエレクトラあたりが向いてるだろうと思ってた。
割と重心が低く、硬い音を出すラトルだから、軽やかにやってほしい「ばらの騎士」はどうだろうか、との思いで聴き始めました。
 そうした風に感じるところもありがなら、この作品以降のシュトラウスならではの軽やかさと明朗さが、ラトルの持ち味である重厚さが描き分けるシュトラウスの分厚い響きとの対比でもって十分に活きてくる感じだ。
メットのオケのうまさと、オペラのオーケストラならではの雰囲気のよさでもって、シュトラウスの手の込んだ技法の数々が機能的なばかりならずに済んでいる感じ。
いまの手兵のロンドン響とやったら、さらにうまいけど、オペラの味わいとはまた違うものになったかもしれない。
 ちなみに、ラトルのメトロポリタンへの登場はこれが3度目。
ペレアスとメリザンド(2010年)、トリスタンとイゾルデ(2016年)に次ぐもの。

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            (メットのピットのラットル)

ラトルは、若いころアバドに感化されたということもあって、バーミンガム時代のCDは、ほぼ集めました。
選択するレパートリーが、いずれも面白くて新鮮で、その音楽づくりも先鋭で面白かった。
ベルリン時代は聴かなくなってしまったのは、面白みがなくなってしまったから。
でも、ベルリン時代の後半は肩の力が抜けた感じで、自在な音楽づくりが、カラヤンやアバドとも違うフレキシブルなコンビとなったことを確認できまして、そのまま、ロンドン響に帰り、ニュートラルさと強い音作りがオケの個性ともどもに最強のコンビになったと確信してます。

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奥様のコジュナーのオクタヴィアンが素敵なものだ。
オペラのレパートリーも随分と拡充してきたのも、夫のラトルの指揮があってのもの。
無理せず、細やかな歌唱をベースに女性的な優しい、そして知的なオクタヴィアンを歌っている印象で、やんちゃさはいまひとつ。

いま、マルシャリンとして一番なのがニールントだと思う。
新国で、彼女のマルシャリンを聴いてからもう12年がたつ。
あの時のスリムなお姿とはかわって、風格も出てきたが、声にもより気品とともに、諦念をはかなげに歌いあげる味わいも増しているのだろうと思う。
終幕の、ファーニナルの、「若い方はいいですね」的な問いかけに応えるマルシャリンの、「Ja Ja」はとても感情深い、考え抜かれた一言にことさら感じた。
フレミングの濃厚すぎる歌唱が、どうもだめなので、このニールントのクリアでかつ、言葉に感情を静かにしのばせた表現には、ことのほか感動しました。
 新国の舞台は、昨年亡くなってしまったジョナサン・ミラーの演出がとても洒落ていて、美しいものだった・・・・
1幕の終わりで、悲しみとあきらめに沈むマルシャリン、窓には振り出した雨の雫が流れ、彼女は煙草をゆっくりと取り出して美しい所作でくわえて窓の外を眺めるのでありました・・・・

南アフリカ出身のシュルツのゾフィー嬢の高音が清らかな美声で驚きだった。
彼女はこれから活躍しそうな感じで、パミーナ、ポーギーとベスなんかにも出てます。

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男声陣の充実も並々ならないものがあり、絶好調のクロイスベックのオックスには感心しまくり。
豊かな声量に柔らかさも備え、技量のほども完璧。
何よりも若々しく、いやらしい田舎のおっさんというイメージを払拭してしまうニュー・オックスだった。
最近ひっぱりだこのアイフェのファーニナルもよろしい。

私の好きなカーセンの演出。
写真で見る限り、メットだし、極端なことはしておらず、センスの良さを感じます。
オックスご一行は軍服をまとっている様子。
屋敷の壁画も神話時代の兵士や、小道具として大砲みたいなものも伺えます。
プリミエのときのスクリーンでは見なかったので、映像等で出たら確認したいところです。

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いやぁ、ネットでこんな素晴らしい上演の音源が高音質で楽しめちゃっていいのかな。
ますます、CDを買わなくなってしまう。
同じメットでは、いま上演中のセガンの「ヴォツェック」がもう聴けちゃったし、暮れのスカラ座のシャイー&ネトレプコの「トスカ」も視聴済み。
オーケストラコンサートもリアルタイムで聴いてます。
かつては想像もつかない音楽を聴く方法の多様化は、音楽産業のビジネスとしての衰退を招いているとは思いますが、そこにあるチャンスもまた多様化していると思います。

 でもね、なんといっても、劇場で観劇するオペラや、コンサートホールで聴くオーケストラやソロには何をどうやっても敵わないということ!
これだけは絶対。
時間や経済的な事情で、いまはよっぽど厳選したものしか行けない自分ですが、そこはつくづく思います!

若い方に言いたい。
あとで後悔しないように、これはと思ったら無理してでも行くべきです。
のちのちの自分の肥やしになることは必然です!

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 しかし、「ばらの騎士」はまったくもって素晴らしい作品。

年齢を重ねるごとに、元帥婦人の想いや行動が深く深く共感できるようになってきた。
男も女もない。
時の刻みが怖いし、いまはいいと思っても、明日は違うのではという不安の積み重ね。
それを克服して、「Ja Ja」で終了させるマルシャリンの強さを理解できるまで、まだ自分は未熟なのかもしれず、若いということなのか、バカなのか・・・・はてさて。

ホフマンスタールとシュトラウス、すごい!

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2019年12月24日 (火)

メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

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イエスが生まれたときに、星に導かれて、当方よりベツレヘムに拝みにやってきた3人の博士。

そのとき、イエス・キリストが公になられたという意味合いで、1月6日からを「公現節」として、「降誕祭」のあとの大きなお祭りともなってます。
バッハのカンタータにも、この節にちなんだ作品はあり、クリスマス・オラトリオの第6部もこの節のものです。

厳密には、クリスマスと切り分けて考えるべきでしょうが、イエスの降誕を祝う流れとしては同一。
クリスマスの飾りにも、この博士たちもあるし、何といっても、クリスマス・ツリーのてっぺんには、星が輝いているわけです。

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欧米の文化であるキリスト教徒としてのクリスマスと、商業主義が先行し、なぜかしっかり生活に根付いた「日本のクリスマス」。
25日が済んだら、もうクリスマスムードは払拭されてしまうけど、日本ではやむを得ないか・・・

イタリアに生まれ、アメリカ人オペラ作曲家として活躍したメノッテイ(1911~2007)の愛すべき作品を。
欧米、とくにアメリカではクリスマスイブの定番です。

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   メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

  アマール:アイケ・ホーカースミス
  母親:キルステン・グノールセン
  カスパール王:ディーン・アンソニー
  メルヒオール王:トッド・トーマス
  バルタザール王:ケヴィン・ショート
  王の従者:バート・レファン

 アルスター・ウィリス指揮 ナッシュヴィル交響楽団
              ナッシュヴィル交響合唱団
              シカゴ交響合唱団 
      (2006.12 @シャーマーホーン・シンフォニーセンター)

幼少より音楽の才能を発揮し、ミラノのヴェルディ音楽院に入学。
もしかしたら、クラウディオの父、ミケランジェロ・アバドが院長かなにかで在籍していた頃かもしれず、そうした歴史の綾も面白いものです。
渡米後は、フィラデルフィアのカーティス音楽院から活動をスタートさせ、そこでバーバーと知り合い、それこそ、長年のオトモダチになるのでした。
このオトモダチ関係は、早世してしまう指揮者、トマス・シッパースにのちに引き継がれ、多くのオペラ作品の理解者と初演者として強い味方になるのでした。
あんまりオトモダチ関係を意識すると、メノッテイの音楽への目が曇ってしまうのですが、こうした自由こそがアメリカの社会のよさであり、噂やスキャンダルとは無縁に、才能をいかんなくその作品に注いでいくことができるのでありましょう。

そのオペラ作品は短時間のものが多く、戦後のアメリカの豊満な家電生活に即したように、テレビで観るオペラなども開拓し、逆に、まるでテレビドラマのようなオペラも生み出したわけです。
声にこだわり、オペラにこだわったイタリアの血。
そして、豊かな経済のなかにあって、芸術をメディアも駆使して、一般大衆にも楽しめるようにしたアメリカの背景。
メノッテイのオペラ作品はまだ、ほんの少ししか聴いてませんが、イタリアとアメリカの融合、それも戦後の西側のひとつの姿としてみることで、その理解が深まるものと思います。

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オペラの内容

 時代は、まさに、イエスが生まれた、そのとき、ベツレヘムの近郊。
羊飼いのアマールは、松葉杖に頼らないと歩けない少年。
今日も、笛を吹きながら楽しい歌を歌い、とても大きな星が出てると言う。
母は、すこしばかり彼の歌や話が法螺話ではないかと心配してる。
 夜になり、ふたりは床につくが、見知らぬおじさんたちの歌声とともに、ドアをノックする音が・・・
アマールは、母さんに、なんか来たというが、嘘おいいじゃないよ、というやり取りがなんどか。
でも、ほんとうに、3人と従者のおじさんが3人やってきた。
生まれた素晴らしい子供に貢物をささげる旅をしているので、ひと宿貸してほしいとのこと。
貧乏な寡婦でございますが、どうぞと家に招き入れる母。
アマールは、それぞれのおじさんの持ち物などをみつつ、親しげに質問、耳の遠い王様もいて笑。
 
母は、なけなしの焚火を用意し、村人に声をかけ、旅人を食べ物や踊りでもてなす。
(若い女性たちのダンスの音楽などは、なかなかのものです)
村人も帰り、旅人もアマールも床につきますが、母は、いまの不自由な生活を嘆き、悲観にくれ、ついに王様の黄金に手をつけてしまう。
これに気づいた従者が騒ぎ立て、母を引っ立てますが、そこにアマールが必死の抵抗を。
メルヒオール王は、とっておきなさい、生まれた聖なるみどりごにはお金など必要なないのですと語る。
母は、黄金をともかく返し、いまの自分には、なにひとつ捧げるものや贈り物もない・・・と嘆きます。

それを聞いたアマールは、母さん、この松葉杖があるよ、これをあげようと差し出します。
するとどうでしょう。
奇跡が訪れました。
不自由だった足が・・・「ぼく、歩けるよ!歩ける」とおっかなびっくりで、アマールは杖なしで。
王様たちと従者は、天を仰ぎ奇跡をたたえ、母は涙にくれます。
アマールは、王様たちと一緒に、彼の救い主に会いにいくために、母に旅支度を手伝ってもらって村を出ていきます。

           幕

思わず涙ぐでしまう展開です。
この50分ぐらいの物語が、1951年にテレビでアメリカのお茶の間に流されたとき、熱心なキリスト教徒であり、常勝のアメリカの正義を疑っていなかった国民は、心から感動し、家族でのクリスマスの一夜に華を添えたことでしょう。

トランプの出現は、そんな時代の良き・強きアメリカを訴えてのものかもしれません。
語法ややり口は強引ですが、アメリカとはシンプルでハッキリしたそんな国なのです。

でも、混とんとした、世界にあって、アマール君の気持ちと母の愛は、絶対に不変のものです。
問題は、この不変のものが通念として通じない、価値観の程遠いあの国(C)です。

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少年役がキーですが、母親のモノローグもなかなかに深くて悲しい。
平易な旋律が全編流れるわかりやすい曲です。
アマールの吹く笛が、とても気にいって四六時中あたまから離れません。
感動的な場面で出てくる旋律も印象的。
そう、それは、これまたクリスマス映画のひとつである、「ホームアローン」の音楽を思い起こさせます。
あの映画も、少年の母との愛の物語ですね。

シッパースによる初演録音も持ってまして、トスカニーニとも親交のあったメノッティらしく、オケはNBC交響楽団です。
かなり鮮明な録音で、曲のよさは楽しめますが、デジタル録音の言葉も明瞭なナクソスのステキな2006年録音のほうが、やはり感動の度合いが違います。

ホーカースミスという少年のアマール君が、きわめて愛らしく、いとおしいです。
音楽の都、ナッシュヴィルのオーケストラもすがすがしい雰囲気です。

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期せずして、アメリカのオーケストラシリーズ。

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ナッシュヴィルは、テネシー州の州都で、人口は67万だけど、周辺の経済圏を入れると190万人の大都市圏。
なんたって、カントリーミュージックの聖都であり、ミュージックシティと呼ばれる所以もそこにあり。
出身のミュージシャンを調べたら、わたしごときが知ってる方ばかり。
チェット・アトキンス、ジョニー・キャッシュ、エイミー・グラント、ダナ・サマー、ドリー・パートン、エミリー・ハリス、パット・ブーン、ジミー・ヘンドリクス、ブレンダ・リー・・・・etc

大リーグ球団は3Aクラスで、アメリカンフットボールが強い感じ。

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ナッシュヴィル交響楽団は、もともとは1920年に創業。
その後大戦で停止、1946年が正式創立年度。
あまり知らない指揮者ばかりが続き、1893年にケネス・シャーマーホンが首席となって鍛え上げ、2005年まで継続。
シャーマーホーンの名前を冠したホールが本拠地で、そのシャーマーホーンとの録音もかつては多くありました。

その後、スラットキンが継いで、2009年からは、ジャンカルロ・ゲレーロというメキシコ系の指揮者が率いていて、この盤と同じく、ナクソスレーベルへの、このコンビの録音もかなり制作されている状況にありまして、ナクソスレーベルに感謝しなくてはなりませんね。
なかなかの実力派オケで、来年は、よくあるアメリカオケのように映画音楽やポップなクラシック音楽などとともに、マーラーの10番クック版みたいな本格派もやるみたいです。

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よきクリスマスを。

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2019年2月24日 (日)

ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」 アバド指揮

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数年目に訪れた、函館の聖ハリストス教会。

 

ロシア正教会の庇護下にあるハリストス正教会。

 

1859年が起源といいます。

 

ロシア・ビザンチン様式のこの教会建築は、見慣れたカトリックのそれとは、まったく違います。

 

函館山の中腹にある3つの教会、元町教会、聖ヨハネ教会とともに、3つの宗派の異なる建築物としても楽しめます、わたくしの大好きな場所です。

 

もう何年も行ってませんが。

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   ムソルグスキー  「ボリス・ゴドゥノフ」

    ボリス・ゴドゥノフ:ニコライ・ギャウロウ
    フョードル:ヘルガ・ミュラー・モリナーリ
    クセーニヤ:アリダ・フェラーリニ
    乳母:エレノーラ・ヤンコヴィック
    シュイスキー公:フィリップ・ラングリッジ
    シチェルカーロフ:ルイジ・デ・コラート
    ピーメン:ニコラ・ギュゼーレフ
    グリゴリー:ミハーイ・スヴェトレーフ
    マリーナ:ルチア・ヴァレンティーニ・テッラーニ
    ランゴーニ:ジョン・シャーリー・クワーク
    ワルラアーム:ルッジェーロ・ライモンディ
    ミサイール:フォロリンド・アンドレオーリ
    旅籠屋のおかみ:フェドーラ・バルビエーリ
    聖愚者:カルロ・ガイファ
    ニキーチキ:アルフレード・ジャコモッティ
    ミチューハ:ジョヴァンニ・サヴォイアルド 他

     クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                     ミラノ・スカラ座合唱団
             合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ

              (1978.7.12 ミラノ)


よくいわれるように、アバドのムソルグスキーへの入れ込みようは、執念ともいえるくらいのものでした。

ボリス・ゴドゥノフ」は、ロンドン、スカラ座、ウィーン、ザルツブルクでまんべんなく上演し、「ホヴァンシチナ」も、スカラ座とウィーンでそれぞれ上演。
レコーディングでも、そのふたつのオペラに、「展覧会」は2度、原典版「はげ山」は4回、その「はげ山」を含む管弦楽曲集は2回。
しかも、「展覧会」の余白には、めったに演奏されないオペラの場面がカップリングされるという凝りようで、1回目のロンドン響とのものは、ラヴェルがカップリングされながら、渋いムソルグスキー色の「展覧会」に仕上がっていたし、2度目のベルリンフィルとのものは、オケの音色が明るくなったものの、カップリング曲も含めて、ムソルグスキー色満載。
 チャイコフスキーの交響曲の余白にも、死の色の濃い歌曲も。

こんな風に、アバドはムソルグスキーがほんとに好きだった。

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42歳で亡くなってしまった、ムソルグスキー(1839~1881)のその時代。
ブラームスやブルックナーとかぶる世代。
マーラーは、ボリス作曲のころ、まだ11歳。

 そして、ロシアの国情は、帝政ロマノフ朝の最後期にあり、ニコライ1世からアレクサンドル2世へと治世が変わった頃。
権力者、貴族、地主が潤い、農奴制があったため、民衆=農民は、つねに虐げられていた。
そんななかで起きたクリミア戦争で、武器や戦力に欧州勢との違いを見せつけられ敗北し、社会改革の必要性をアレクサンドル2世も痛感。
 農奴解放令を出し、上からの指令での改革に乗り出すも、反権力者・人民主義者(ナロードニキ)たちの皇帝などの権力者打倒の動きに押され、皇帝は暗殺されてしまう。
その暗殺の年、1881年は、ムソルグスキーが亡くなった年でもあります。

ロシアは、その後、日露戦争、第一次世界大戦でどんどん国力を弱めて行き、1917年のロシア革命と、1922年のソ連の誕生を迎えるわけです。

こんな歴史を念頭に、ムソルグスキーの、とくに人の手が入っていない原典の作品を聴くと、そのほの暗さに、ロシアの民たちの声が聴こえてくるような気もする。
まったく違う曲に思える「はげ山の一夜」や、「ボリス・ゴドゥノフ」などがその典型かと。

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一方で、実在の「ボリス・ゴドゥノフ(1551~1605)」は、ロマノフ王朝前、モスクワ大公国の時代にあり、ここでのロシアは周辺国を次々に呑み込み大国化。
国の基盤も整備したものの、内戦や周辺国との闘いが多く、やはり民衆は疲弊した。

その晩年が独裁的な強帝であった、イワン4世、すなわちイワン雷帝(プロコフィエフの作品にあります)は、家族にも暴力的で、3人の息子のうち、長男を殺めてしまう。

ボリスは、このイワン雷帝の顧問官という立場にあり、雷帝の方針で、貴族を迫害し、ボリスのような新興士族を重用するということもあって、政務に携わることとなった。
 ちなみに、貴族として登場しているのがシュイスキー公で、この公がこのオペラの影のキーマンでもあったりします。
 さて、イワン雷帝が亡くなると、次の皇帝には、次男のフョードル1世が即位するが、彼は知的障害もあって、実の政務はまさにボリスが行うこととなった。
さらに自身の妹をフョードルに嫁がせ、皇帝の縁戚としての立場を着々と築いていった。
独裁的な前帝のあと、心優しいフョードルは、国民に人気で、すなわちボリスの政治は悪くはなかったということになる。

このオペラの肝のひとつは、「聖愚者=ユロージヴィ」の存在で、愚かななかに、聖なるものを見出すという考えです。
これは、フョードル1世にもいえて、さらに考えると「パルジファル」にもつながりますね。

そして、フョードル治世下、イワン雷帝の三男ドミトリーが変死。
跡継ぎのいなかったフョードル帝もなくなり、ここで、モスクワ公国の血筋が途絶え、ボリスが選定されることとなるわけです。
ちなみに、この頃の日本は、秀吉の天下です。

 このボリス・ゴドゥノフの皇帝就任から、その死までの7年間が、このオペラの時間軸。

さらに知っておきたいのは、宗教のこと。
東西教会の分裂でできたキリスト教の二つの派、カトリックと正教会。
正教会の総本山は、なんといってもコンスタンティノープルだったが、イワン雷帝の頃、モスクワが総教主府になり、ロシアが正教会の総本山との意識に立つこととなり、カトリックは異端として弾圧された。
 ところが、ポーランドで旗揚げした偽ドミトリーが、ゴドゥノフ一族を滅ぼし、皇帝を宣言し、今度はカトリックを導入しようとしたところ、民衆の反発に会い、クーデターで滅ぼされる。
その後は、シュイスキー公が皇帝になったり、またもや偽ドミトリー2号が出てくるなど、ロシアは混迷を深め、やがてロマノフ王朝が開かれるわけです。
ほんと、ややこしい。

このあたりまでを頭に置いておくと、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」は、とてもよく書けてるし、R=コルサコフが改訂し、ボリスの死で終わる版が、ムソルグスキーの意図と異なることがわかります。
すなわち、ボリスはタイトルロールでありますが、このオペラで描かれているのは、ロシアという国そのものだと思います。
 皇帝・貴族・民衆と農民、この3者がロシアの大地で織りなす、それぞれの対立軸。
何度も繰り返されるその権力者と民衆の栄枯盛衰は、ソ連になってからも、さらにソ連崩壊後の現在のロシアにあっても、その役柄こそ変化しても、ずっと不透明感があふれているんだろうと思います。

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罪に苛まされて、苦悩のうちに死ぬ権力者の悲劇。
それから、お上が変わっても、いつも貧困や悲しみに苦しむ民衆の悲劇。
このふたつ悲劇が織り込まれたのが、このロシアのオペラの本質であります。

聖愚者=ユロージヴィは歌います。

 「流れよ、流れよ、苦い涙 泣け、泣くがよい、正教徒の民よ
  すぐに敵がやってきて、また闇が訪れるよ
  漆黒の闇、何も見えない暗闇
  苦しみだ、これがロシアの苦悩
  泣け、泣くがいい、ロシアの民よ、飢えたる民!」


ロシアの作曲家が、その作品を多くオペラにした原作者プーシキンの1825年の作。
発禁処分を受けたりと、権力側とも闘争のあったプーシキンならではの、ロシアの悲劇の描き方。
この原作をあまねく活かしたのがムソルグスキーの音楽で、このほの暗いなかに、原色の世界を、見事に描くのがアバドの指揮なのでした。

よく言われますが、ムソルグスキーの音楽には歌があって、そして、旋律線とロシア語という言葉が連動し合う巧みさがあります。
そして、のちの表現主義的な要素もあり、アバドはこうしたあたりにも共感して、ヴェルディを指揮するように、そして、ベルクやシェーンベルク、マーラーを指揮するかのように、ムソルグスキーを指揮していたんだろうと思います。

今回、メインに聴いたスカラ座でのライブは、まさにアバドの真骨頂で、スカラ座のオーケストラから、渋い色調の音色と、一方で開放的な明晰な音色とを引き出しています。
ライブならではの熱気にもあふれていて、聴衆の興奮が、ものすごいブラボーとともに収録されているんです。

93年のベルリンフィルとの録音は、ちゃんとしたレコーディングなので、すべてが完璧極まりなく、精度も高く、オケも歌手もべらぼうに巧いです。
しかし、完璧のベルリン盤もいいが、このスカラ座の熱気に満ちた演奏も実に素晴らしいものがあります。
さらに、わたくしは、自慢じゃないけど、NHKで放送された91年のウィーン国立歌劇場でのライブ音源も所蔵していて、ウィーンフィルの音色も楽しめつつ、やはりムソルグスキーの原色の音楽がここにあります。

そしてさらに、94年9月、NHKホールで観劇したウィーン国立歌劇場との来日上演に、最上の席で立ち会えました。
暗譜で指揮するアバドの指揮に、歌手も合唱も、オーケストラも、そしてわれわれ観劇者も集中しつくし、一体となってしまいました。

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このときの演出が、ロシアの映画監督のタルコフスキーのもので、そもそも、タルコフスキー唯一のオペラ演出が、このボリスで、亡命中のタルコフスキーに、83年にアバドが依頼してロンドンで上演したものなのです。
タルコフスキーは、86年に亡くなってしまうのですが、アバドは、この演出を91年のウィーンでも取り上げ、そして、日本にもこのプロダクションを持ってきたのです。
ごくごく明快で、時代設定も動かさず、わかりやすい舞台でした。
印象的だったのが、舞台のどこかに、少年ドミトリーのような姿が始終あらわれていて、ボリスの心理を圧迫してゆく影武者のようになっていたことです。
 このタルコフスキー演出は、83年、91年、94年(東京)で取り上げてます。
そして、ベルリンフィルとのレコーディングのものは、ベルリンでのコンサートと、ザルツブルクでの上演に関わるもので、こちらの演出は、ヴェルニケとなりました。
94年4月ザルツブルク・イースター、8月にザルツブルクで、ベルリンフィルとウィーンフィルが、それぞれピットに入りました。
そして、その年の9月に東京にやってきたわけです。

集中的にボリスを指揮し続けた1994年、その年以来、アバドはボリスを取り上げる機会がありませんでした。
ボリスを、ムソルグスキーを愛したアバドです。

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 ザルツブルクのアバド

このスカラ座盤のいいところは、もうひとつ、ニコライ・ギャウロウのタイトルロールです。
絶頂期にあった、この深くて神々しいまでの美声は、ほんと魅力的です。
ほかの、スカラ座のイタリア歌手たちや、ロシア、ドイツの歌手、みんなアバドの元に素晴らしい歌です。

録音もちゃんとしたステレオで、視聴にはまったく問題ありません。

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ヴェルニケ演出での戴冠式の場。
全然違います。

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長文失礼いたしました。

いつかまた、今度は、「ホヴァンシチナ」を記事にしようと思います。

過去記事

 「ボリス・ゴドゥノフ アバド&ベルリンフィル」

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2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

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バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

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 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

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テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2018年12月23日 (日)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベーム指揮  ウィーン国立歌劇場

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東京タワーの周辺もクリスマス。

幻想的な雰囲気に撮れました。

クリスマスに対する憧憬の想いは子供もころから変わらない。

そして、その憧憬の想いは、この作品に対しても、ずっと変わらない。

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ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」

 トリスタン:ジェス・トーマス      イゾルデ:ビルギット・ニルソン
 マルケ王:マルッティ・タルヴェラ    ブランゲーネ:ルート・ヘッセ
 クルヴェナール:オットー・ヴィーナー メロート:ライト・ブンガー
 牧童 :ペーター・クライン      舵取り:ハラルト・プレーグルホフ
 若い水夫:アントン・デルモータ

  カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
               ウィーン国立歌劇場合唱団

            演出:アウグスト・エヴァーデインク

              (1967.12.17 ウィーン国立歌劇場)

こんな希少なトリスタンを聴きました。
ニルソンのイゾルデは、たくさん聴けるけれども、J・トーマスのトリスタンなんて、どこにも残されていなくて、ただでさえ正規なオペラ全曲録音の少ないトーマスの録音だからよけいにそうです。

これは、11月に買ってしまった31枚組の「ニルソン・グレイト・ライブ・レコーディングス」のなかのひとつ。

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ニルソン財団の協力を受けて、各放送局に残るバイロイト、バイエルン、ウィーン、メット、ローマなどの上演ライブ放送をリマスターして正規音源化したものなんです。

このなかには、「トリスタン」は3種あり、サヴァリッシュのバイロイト(57年)、ベームのウィーン(当盤67年)、ベームのオーランジュ音楽祭(73年)がそれぞれ収録。
サヴァリッシュ盤は非正規のものを持ってるけど、音質が向上。
オーランジュ盤は、映像が有名だけれど、ステレオでちゃんとした音源では初。
そして、まったく初のお目見えが、ウィーン国立歌劇場盤だ。

ついでに、このボックスの収録内容は。
バルトーク「青ひげ公の城」 フリッチャイ指揮
ワーグナー「ローエングリン」 ヨッフム指揮バイロイト
ワーグナー「ワルキューレ」 カラヤン指揮 メット
ワーグナー「ジークフリート」3幕2場 スウィトナー指揮バイロイト
ワーグナー「神々の黄昏」自己犠牲 マッケラス指揮 シドニー
ベートーヴェン「フィデリオ」 バーンスタイン指揮 ローマ
プッチーニ「トゥーランドット」 ストコフスキー指揮 メット
R・シュトラウス「サロメ」 ベーム指揮 メット
R・シュトラウス「エレクトラ」 ベーム指揮ウィーン国立歌劇場、メット
R・シュトラウス「影のない女」 サヴァリッシュ指揮 バイエルン国立歌劇場

こんな感じで、不世出の大歌手ビルギット・ニルソンの主要なレパートリーを、これまで世に出ることがなかったものや、非正規盤であったものなどをしっかり網羅した大アンソロジーなのであります。
少年時代から、ニルソンのワーグナーにおける声を聴いてきた自分としては、まさに垂涎の一組となりました。

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ウィーン国立歌劇場のベームのトリスタン、67年のプリミエの初日の模様で、音源はモノラル。よく耳を澄ませば、若干のテープヒスも聞こえるが、鮮明な録音で、この作品の視聴にはまったく問題ないが、3幕の一部に欠落があるように思う。
あと2幕の長大な二重唱に、因習的なカットがあって、2幕は66分と短くなっている。
面白いのは、1幕の終わりの方、ステレオのように聴こえること。

 それはともかくとして、オーケストラが完全にウィーンフィルのそれであること。
60年代のよきウィーンフィルの音色であり、しかもベームの指揮であることがうれしい。
ひなびた感じの管の響きは、郷愁と憧れを抱かせるのに十分だし、ベームに大いに煽られて切羽つまった音を出すのもウィーンならではの雰囲気である。
 で、そのベームの指揮。
この当時、62年から始まったヴィーラント演出のバイロイトでの上演が70年までずっと続いていて、ニルソンとヴィントガッセンの二人を主役に据えた、文字通り鉄板的な上演だった。7年間のなかで、65年と、67年はバイロイトでの上演はなかったが、DGの名盤66年盤の翌年のウィーンの記録という意味でも貴重なものだ。
 DG盤と同じく、早めのテンポで、凝縮した響きを求めて過度な感情表現はないものの、歌手と舞台とピットが、ベームの指揮の元に一体化していることを強く感じる。
オペラの中心が指揮者であること。
昨今の演出過剰の舞台での小粒になったオペラ指揮者たちにはない、強力な存在感を、このような録音からも聴き取れるのが、昔の音源の楽しさでもあります。
1幕のマルケ王のもとへの到着、2幕の二重唱、3幕のトリスタンの夢想など、いずれもライブならではの高揚感を味わえ、劇場に居合わせた聴衆はさぞかし興奮したであろうと思います。
録音のせいかもしれませんが、ティンパニの強打もそこかしこで、素晴らしくって、DG盤とはまた違ったピットないの音の魅力を感じる。

そして、最初から最後まで、安定していて、冷たくも凛とした神々しさをたたえるニルソンのイゾルデは、自分にとっては、相変わらず無二の存在を裏付けるものでありました。
イゾルデのあらゆるシーンと歌声は、自分にはすべてニルソンなのです。

 で、この音源の大きな目玉が、J・トーマスのトリスタンにあったわけであります。
2幕に省略があったとはいえ、トーマスのトリスタンを、自分としては初に聴けたのだ。
ワーグナーかシュトラウスか、第九ぐらいしか音源がなかったところに、このトリスタンはまったくの朗報。
知的で気品のあるトーマスの歌声だが、凛々しいトリスタンが媚薬にのって愛の男に転じるさま、そして2幕の美しい二重唱での艶っぽさ。
そして、3幕では、驚きのやぶれっかぶれっぷり!
こんなトーマス聴いたことなかった。
古い時代の肉太のヘルデンとは一線を画すスマートな歌唱でありながら、こうした爆発を聴かせるトーマス。まったくもって素晴らしいトリスタンとなりました。
カラヤンのトリスタンが、ヴィッカースになったのは、これを聴いちゃうと、ほんとに残念だけど、カラヤンはトーマスをジークフリートとして使ったけれど、カラヤンのトリスタンのイメージにはならなかったのだろうか。

バイロイトと同じ、タルヴェラのマルケ王のマイルドな美声は、ここでも聴けます。
あつ、ちょっと古風なヴィーナーと、名わき役のR・ヘッセの歌声も懐かしい喜びでした。

この演奏に名を連ねている歌手も指揮者も演出家も、R・ヘッセを除いては、みんな物故してしまった。
いまの新しい録音による、新しい歌手たちの演奏もいいけれど、わたくしは、こうした過去の演奏の方が落ち着くし、好きだな。
 もちろん、昨今の歌手たちは、べらぼうに巧くなったし、演技もうまいし、ビジュアルもいいんだけれども・・・。

このニルソン大全、喜びを感じつつ、ちょっとづつ聴き進めてますので、また記事にすることもあろうかと思います。
とくに、「影のない女」は素晴らしいし、ちゃんとしたステレオ。
あと、ベームと振り分けたスウィトナーのジークフリートの一部が、これもステレオで聴けます!

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今年もあと1週間。

天皇陛下として最後のお誕生日のお言葉を拝見しました。

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2018年9月 8日 (土)

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」 ピド指揮

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9月第一週は、大型台風の襲来による四国・関西地区での被害に加え、北海道では、胆振地方での大きな地震。
さらには、いずれも停電をともなう、インフラ損傷の2次被害。

心よりお見舞い申し上げます。

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     チレーア 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」

     アドリアーナ・ルクヴルール:アンナ・ネトレプコ
     ザクセン公マウリツィオ:ピョートル・ベチャーラ
     ブイヨン公妃 :エレナ・ツィトコーワ
     ミショネ    :ローベルト・フロンターリ
     ジャズイユ僧院長:ラウル・ジメネス
     キノー     :ライアン・スピード・グリーン
     家令      :パーヴェル・コルガティン
     ジュヴノ    :ブリオニー・ドゥイエル
     アンジュヴィル:ミリアン・アルバノ
     
   エヴェリーノ・ピド 指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
                   ウィーン国立歌劇場合唱団
               
              演出:デイヴィット・マクヴィカー

            (2017.11.12 ウィーン国立歌劇場)


以前に、BBCで放送されたものを録音しました。
ウィーン国立歌劇場における「アドリアーナ・ルクヴルール」の公演の音源。
コヴェントガーデンを初め、リセウ、パリ、サン・フランシスコの各オペラカンパニーとの共同制作。
こんな輪に、新国も入れればいいなぁ、とも思うが、東洋の島国だと、装置の融通などがコスト的に厳しいんだろうな・・。

さて、あらゆるオペラのなかで、かなり好きな作品にはいる、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
何度も書いてますが、1976年のNHKの招聘していたイタリア・オペラ団の演目のなかのひとつが、このオペラでした。
カバリエ、コソット、カレーラスという名歌手3人が、それこそ火花を散らすような歌と演技でもって日本のオペラファンを虜にしてしまった。
広いNHKホールで、その興奮にひたっていたひとりが、この私でもあります。

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 ヴェルディ(1813~1901) 

  ・ボイート      (1842~1918)
  ・カタラーニ    (1854~1893)
  ・レオンカヴァルロ(1857~1919)
  ・プッチーニ    (1858~1924)
  ・フランケッティ  (1860~1942)
  ・マスカーニ    (1863~1945)
  ・チレーア     (1866~1950)
  ・ジョルダーノ   (1867~1948)
  ・モンテメッツィ  (1875~1952)
  ・アルファーノ   (1875~1954)
  ・レスピーギ    (1879~1936)

ヴェルデイ以降の、イタリア・オペラの作曲家。
プッチーニの存在感が図抜けているものの、その他の作曲家の個々の作品には、聴くべきものがそれぞれにあります。
一様に、ヴェリスモ・オペラとひとくくりに出来ない、激情的なドラマと音楽ばかりではありません。
そんな中での愛すべき作品が、「アドリアーナ・ルクヴルール」。
そして、作曲家としての、チレーアは、これらヴェリスモ派のなかでは、もっとも抒情的で、穏健な作風を持っています。

チレーアの残されたオペラは、5作品。
「ジーナ」「ラ・チルダ」「アルルの女」「アドリアーナ・ルクヴルール」「グローリア」。
チルダ以外は音源入手済みですが、「ジーナ」は若書き風で、ちょっとイマイチ、「グロリア」は、なかなかですが、リブレットがイタリア語のみで、内容把握がまだまだ。
あとは、器楽曲、声楽曲が少々。

イタリアの長靴の先っぽのほうにある、カラブリア州のパルミ生まれ。
そう、南イタリアの体中に歌にあふれたような人なのだ。
ナポリの音楽院を優秀な成績で出て、作曲家としてイタリア全土に名をはせたのが、アルルの女とアドリアーナ。
一時、フィレンツェで教鞭を執るも、最後の教職をナポリで終え、その生涯は、今度はイタリアの北西、ジェノヴァの西側にある美しい街、ヴァラッツェで亡くなっている。

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1902年の作曲で、その頃には、プッチーニは、「トスカ」で大成功をおさめ、次の「蝶々さん」を準備中。ちなみに、「カヴァレリア」は12年前、「パリアッチ」は10年前。
マーラーは、5番の交響曲を作曲、R・シュトラウスは、初期オペラ「火の欠乏」を仕上げたあとで、大半のオーケストラ曲は作曲済み。

こんな時代背景を頭に置いて聞くのも大切。
どの作曲家も華麗なオーケストレーションと、大胆な和声に、その筆の業を繰り出していた。
そこへいくと、チレーアの音楽はおとなしく感じるが、主人公たちにライトモティーフを与え、それらが、歓び、哀しみ、怒りの感情とともに、巧みに変化していくさまは、登場人物たちの心情の綾を、デリケートに描いていてすばらしい。
 さらに、グランドオペラ的な側面も、劇中劇としてのバレエ音楽の挿入などで、華やかな一面も。
しかし、そのバレエ音楽は、バロック調の新古典的な音楽で、これまたチレーアの音楽の冴えた一面だ。

 あと、なんといっても、4人の主人公たちに、短いながらもふんだんに与えられたアリアのメロディアスかつセンチメンタルなこと。

ことに、わたくしは、陰りをおびた、マウリツィオのアリアがみんな好き。
ひとりの女性への愛と、祖国への愛、ふたりの女性のはざまで、悩む軍人でもある男。
ピカピカしたテノールより、少々疲れた焦燥感がある声で歌われることが相応しい。
まさに、カレーラスのイメージ。

アドリアーナは、まさに大女優然としたプリマドンナの役柄。
堂々たるグランドマナーが必要、でも、繊細な歌いまわしも最後には求められる難役。
目をつぶって聴くカバリエの歌声が最高だし、テバルディもすばらしいが立派すぎか。
ラストシーンは、儚く、哀しい・・・



ブイヨン公妃は、このオペラでは、ちょっと憎まれ役だし、意地悪で、最後の最後のはひどいことしやがる。
そんな女だけど、愛するマウリツィオ様には健気で、いじらしい。
そんな可愛い側面と、何が何でも、自分のものと、荒れ狂う嫉妬の鬼と化す二面が必要。
これまた、コソットが思い出だ。
実際に見聞きした、カバリエとコソットの恋のさや当ては、鳥肌ものだった!

あと何気に、同調できるのがミショネ。
黙って、哀しみの背中を歌いださなくてならない、いいひとバリトンの役柄。
これまた、NHKのドラーツィが味のある歌に演技だった。
普段は剛毅なバリトン役を歌う、ミルンズもすごくいい。

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今回聴いた、ウィーンのライブ。
Adriana_2

4人の歌手がよくそろっていて、しかもビジュアル的に、もきっとよかったに違いない。
全体に、ふくよかになり、声も重く、最近では、ある意味、鈍重にも聴こえるネトレプコ。
彼女の場合は、映像がないと映えないのが残念なところだが、舞台で朗読を聴かせつつ、それがだんだんと、熱を帯びてきて、超激熱な叫びの歌に転じてゆくところの迫真ののめり込み具合が実にすさまじく、さすがネトレプコと感心した。
前半は繊細さをもう少し望みたいところだが、終幕の「スミレ」のアリアから、死へ向かうところも、まさにお得意の薄幸の女を地で演じ、歌っていて、とても感動的だ。

Adriana_4_a

相方の、ベチャーラ。これが、私にはとてもよかった。
この歌手のここ数年の進境の著しさといったらない、知らなかった自分を悔いるくらいだ。
この夏のバイロイトの「ローエングリン」で関心したのも記憶に新しい。
もともと、リリックな声に、力強さが加わり、喉を突き抜けるような力のある高音が出るようになった。
そして、品のある声質もいい。
わたしの理想とする、カレーラスに迫るようなイメージの、ベチャーラのマウリツィオ。

Adriana_3

あと、実は今回の歌手の中で、一番驚いたのが、ツィトコーワのブイヨン公妃。
なんとクリアーな、メゾソプラノの音域の歌手だろう。
声の威力も申し分なし。
強い声も、これまでのメゾソプラノが演じてきた、ブイヨン公妃の名歌唱とひけをとらないし、そんな強い歌唱とともに、女性的な優しさや、揺れ動く感情も歌いだしている。
 あー、素敵だ、と思いつつ、途中で気が付いた。
彼女の名前が、しばらくぶりで聴く、あのツィトコーワたん、だったこと。
 小柄なロシア出身のメゾ。
その小柄で金髪の可愛い風貌にもこだわらす、その声は、声量と声の上下の幅が極めて豊かな、ビジュアルも好感度以上の歌手だ。
新国で、オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを聴いて、その所作のカワユサに、虜になっていたんだ。
その彼女が、憎々し気な適役を、まさに的確に演じ歌っている。
音域の広いこの役柄を完璧に歌ってますし、どうしようもない心の葛藤も、その一本気な歌から聴き取ることもできます。
ほんと、すてきな、ツィトコーワ。

その彼女のインタビュー。

歌手として、音楽家としての風格や、いい雰囲気が出るようになりました。

ロシア、マリンスキー系の歌手たちの躍進が続いているように思います。

日本にも帰ってきて欲しいですね。

この演奏、ウィーンフィルのメンバーも大半の、国立歌劇場の美音をつかさどる、イタリアオペラの歌心満載の実務的なピドの指揮も、オケの柔らかな音色の魅力も伴って最高にステキです。

正規音源も数々聴いてますが、あと印象にのこるのが、80年代のJ・パタネの指揮する、バイエルンのシュターツオーパーのFM録音音源。
M・プライスのクリアーなアドリアーナ、N・シコフの壊れそうなぐらいの情熱の塊のマウリツィオ。

「アドリアーナ・ルクヴルール」が大好きです。

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2018年9月 2日 (日)

バイロイト2018 勝手に総括

Azumayama18

夏は気温もあがり、周辺は大気も不安定になるので、富士山はなかなか拝めません。

Azumayama16

右に目を転じると、丹沢・大山は、近いこともあって、くっきり。

8月が終わりましたが、まだまだ暑い。

でも朝晩の涼しい風が心地よい時分ともなりました。

ヨーロッパの夏の音楽祭も、プロムス、ベルリン芸術祭はまだ継続中ですが、バイロイト、ザルツブルクは終了。

Bayreuth_2018_2

バイロイト音楽祭2018、全作を視聴しましたので、自分勝手に、妄想も込めて総括します。

①「ローエングリン」

今年の新演出演目、すでにプリミエ直後に全曲視聴し、画像のみで想像し、演奏に関してはいくつかコメントもいたしました。
 → ワーグナー 「ローエングリン」 バイロイト&コヴェントガーデン

NHKでもすでに放送されたそうですが、ネット上で、バイエルン放送局が、上演後すぐに公開しましたので、わたくしも即座に観劇することもできましたので、少しばかり感想を書かせていただきます。

Lohengrin_3

変電所があったり、全体的にブルーであったり、ブリューゲル風の中世の意匠や、羽根
だったりで、現実と夢想の歴史をなぞっているかと、公開されていた画像で想像していたが、実際はかなり違うもので、最近になって出てきた画像が上のオレンジのお部屋のもの。

このお部屋は、夫婦のベッドルーム。
嫌がるエルザを変圧器の碍子のようなところへ巻きつけて、事を迫るローエングリン。
その前は、聖書を仲良く読む夫婦風だったが、イライラを隠せない旦那。
妻は聖書を手放さず、それをとりあげて、ベッドサイドの引き出しにしまってしまう。
それで、ローエングリンはメラメラして電線で緊縛に至るんだ。(演技も本気( ´艸`))
エルザ、めちゃくちゃ嫌がってる・・・

高圧の強力な電力をもたらした有能な電気技師。
テルラムントとの対戦では、まさに子供も喜ぶ空中戦をしたあげく、羽をもぎ取ってしまう。
オルトルートにも、エルザにも、よく見ると蝶やトンボのような柄が衣装に描かれている。
市民は、みんな電気技師の味方で、豊かな生活にうはうは。

驚き、というか、まさかの陳腐な幕切れは・・・
ローエングリンの最後のモノローグ、語るうちに、周辺は暗くなり、市民の持つ明かりもチカチカしてきて電気切れ。
エルザへの形見の品は、非常用電源っぽい。
勝ち誇るオルトルートは、やたらと元気がいい。
失意のうちに、しょんぼり去るローエングリンと引き換えに、出てきたのは、エルザの弟ならぬ、全身緑の葉っぱで出来た森林クンとも呼びたくなるようなゆるキャラ、手には、緑のモニュメントがチカチカ光っている。
 エルザとふたり、姉弟で、誇らしげに勝利とばかり、舞台前面に歩んでくる。

市民も、王も、みんなぶっ倒れてしまい、オルトルートはひとり生き残り、彼女自身は、ここはどこ?状態できょろきょろ。
期せずして、エコじゃない電気屋さんを追い出してしまったから、功労者なんだ。

なんじゃこりゃ。

ローエングリンで、なにも、こんなこと表現するこはねーだろ。
舞台・衣装デザインを担当したラウヒ夫妻が、長年準備してきたもので、アメリカの演出家シャロンは、ここ1年あたりの指名だから、後追いでの共同演出となったはず。

いまさら、自然エネルギーをモティーフにしてくることは、古臭いと思うし、なによりも、ワーグナーのト書きと、歌詞の内容がまったく無視されていて、矛盾だらけ。
自然エネルギーの可否は、この場で語る資格はありませんが、原発をやめたドイツは、風力・太陽光に力を注ぐ一方で、フランスからの電力融通もある実態。
悩めるドイツの社会問題を、芸術に反映させるのは、その表現のひとつの手法だが、あまりに安易にすぎないか。。。
 こうした仕掛けじみた、子供だましのような演出は、1度見て驚けば充分だな。
演出系の3人一緒のカーテンコールには、ブーも飛んでたし。

Lohengrin_1

ベチャーラのローエングリンと、マイヤーのオルトルートの二人が実に素晴らしい。
ほかの歌手も上々。
ティーレマンの指揮もさすがと思わせるところ多々あるが、テンポ設定が不自然なところが、映像で舞台を確認しながら聴くと感じるところあり。

演出と指揮では、ネズミ・ローエングリンの方が、音楽の読み込みがいい。
あともう一点、ドイツの今の問題は、流入した移民問題。
2000年のユルゲン・フリムのミレニアム・リングの演出でも、すでにトルコからの移民が、リング演出のなかに織り込まれていて、いまや、そこに難民が加わったドイツの病める姿を強く感じるわけだ。
最初は、3K的な仕事を担うつもりの移民が・・・・、もうやめときましょう。

②「パルジファル」

3年目のラウフェンベルク演出。時代設定を替えたカラーリング豊かな舞台に、ちょこちょこと政治色を絡めてくるこの人。

最初から、賞味期限が切れる寸前だった。
だって、中近東に、内戦やテロあたりをシンクロさせたから。
普遍性なし、この手の政治・社会問題はことに流動的だから。
状況は常に変わる。
やめときゃよかったのに。

P_2

ネルソンスに降りられてしまい、堅実なヘンシェルが2年振り、今年からビシュコフが何気にバイロイトデビュー。
カラヤンが後継候補に名前を出してから、もう数うん十年が経つが、ビシュコフは、その見た目の濃さとは裏腹に、以外と堅実かつ、外れのない、職人的な存在になっていった。
このパルジファルも、オーケストラがしっかり鳴っていて、全体の枠組みも誰が聴いても安心できるものだったから、歌手たちも歌いやすかったのでは。
しいて、いえば、何も新たな発見や驚きはなかった、無難すぎることか。

アンドレアス・シャガーの2年目のタイトルロールが、とてもいい。
アンフォールターースの2幕の叫びもばっちり。
今年、グルマンツにまわったグロイスベックも、美声を生かして若々しい雰囲気でよし。
パンクローヴァのクンドリーも凄みを増してるし、マイアーの病的アンフォルタスも素敵。

音源だけでは、歌手が素晴らしかったパルジファル。


③「トリスタンとイゾルデ」

4年目のカタリーナの演出。
舞台は、夢も希望もない、哀れなイゾルデの不倫の顛末、ということで、救われないトリスタンが気の毒、と思いつつ、毎年聴く、素晴らしいグールドのタイトルロール。

T_1

 グールドさん、今年は、ジークムントも歌っていて、忙しい。
最終公演は、そのワルキューレとのからみもあって、パルジファルのシャガーが、トリスタンになったそうな。
ほんと、可愛そうだよ、グールドさん。
歌が立派すぎて、使いまわし。
来年は、こちらのトリスタンに加えて、新演出のタンホイザーも・・・・。

3年目のペトラ・ラングのイゾルデ、だんだんよくなってきた。
高音が、絶叫交じりになってしまうところも、だいぶ解消してきた。
ビジュアル的にオルトルートやブランゲーネのイメージが、いまだにあるも、耳で聴くイゾルデとしては、ほぼよし、次年度に期待。

ぺテルソンとクリスタ・マイアーのブランゲーネ、クルヴェナールは、もう完全なチームワーク的な存在で文句ない。
ルネ・パペの美声のマルケ、いいけど、悪い奴に印象操作されたこの演出では、可愛そう。

ティーレマンは、毎度、安心して聴けるトリスタンだけど、そろそろ違う指揮者でも聴きたい。

④「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

2年目の、バリー・コスキー演出。
映像がないので確認できないが、ちょこちょこ見直しがされた由。
第2幕の冒頭のピクニック場面が芝生でなくなったらしい。
あと巨大な顔のバルーンもよりリアルになった感じ。
このコスキー・マイスタージンガー、かなり芸が細かく、装置も演技も、美に入り細にいるので、シェローのリングのように、だんだんと改善され、成長していくのでは、と期待。

だがしかし、ユダヤ系のコスキーの主張は、楽しい舞台の表にも裏にも、反ユダヤだったワーグナーを皮肉ったり、ユダヤ系の指揮者レヴィをもてあそんだりと多面的。
そこに戦後処理の法廷をリンクさせたりとで、かなり政治色がありすぎで、ややこしいが、要は、ワーグナーの音楽や、その存在にまつわるものを、そこに関わった人物たちをも、マイスタージンガー=名歌手として、一緒くたに、舞台の上に展開してみた、というところだろう。
観客がそれを、どう受け止めるか、それぞれの出自・年代に応じてさまざまでしょう・・。
こんなフリーダムなイメージ発信が、コスキーのマイスタージンガーかも。

 フィリップ・ジョルダンの指揮が、昨年と各段の進化。
演出との完全合意かもしれないが、昨年不自然に思われた、変な「間」やテンポ感がまったくなくなり、全体が緩やかか、のびやか、かつ、俊敏なかたちに収斂した感じ。
舞台の演出サイドも歩み寄り、指揮者も歌手も完全合意した結果での大きな成果と思われます。

M_1

フォーレのザックスの雄弁さと、まろやかな歌いまわし、さらに素晴らしい。
対する、ベックメッサーのクレンツィルの芸達者ぶりも、音源からでもただよってきます。
フォークトの完全に、耳に馴染みのできた騎士ワルターも安心安全。
ダーヴィット、マグダレーネ、ポーグナー、マイスターたち、みんなチーム化して万全。
そこに、久々にエヴァとして登場の、エミリー・マギーさん。
すっかりおなじみ、マギーさん、これもまた耳になじんだ安心感だし、その歌いまわしにレヴェルアップも。(シュヴァンネウィリムスは、気の毒だった・・)

てなわけで、マイスタージンガーの音楽面での安定感が光りました。

⑤「さまよえるオランダ人」

2012年から5年続き、1年空けて、また上演された使い勝手のいい「オランダ人」。
もう見慣れたけれど、グローガーの演出は、わたくしには陳腐なものにか感じない。
ビジネスマン、段ボール、女工さん、扇風機工場・・・、みんな好きじゃない。
「オランダ人」には、宿命と希望、そして愛による救済、といった不変のモティーフを明確に求めたい。

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2年目からずっとゼンタを歌っているメルベトがいい。彼女の必死の歌だけを聴いてると、あの舞台を思い起こさずに済むし。
日本でもウォータンや、いろんな役を歌っているグリムスレイが、今年バイロイトデビューしてオランダ人を歌ったわけだが、アメリカ発のバス・バリトンの系譜、T・ステュワート、R・ヘイル、J・モリスの流れを継いだような、なめらかな美声と馬力を感じ、嬉しくなりました。
他の歌手も長く歌い継いで、万全だし、ライン・ドイツオペラで着実に実績を積んでいる、アクセル・コバーのきびきびとした、実務的な指揮が、実に的確でいい。
シュタインや、シュナイダーの担ってきた堅実なバイロイトの音楽の分野を下支えするような、そんな存在になって欲しい。

⑥「ワルキューレ」

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不評だったカストルフのリングが終了したが、今年は、戦後バイロイト史上初、一作のみを取り出しての上演で、その目玉は、ドミンゴの指揮というもの。
この演目は、3回だけの上演。
バイロイトのライブ放送は、基本、初日のものが聴けるわけだが、その後の2回の上演がどうだったかは不明なれど、ドミンゴの指揮者としての登場、失敗の巻としかいいようがなかった。
 録音していち早く聴いたが、最初は、じっくりとしたテンポに、どこか聴きなれない内声部などの強調等、ユニークな演奏じゃないか、と思いつつ聴いた。
が、しかし、レヴァインばりの大らかテンポなれど、音楽の流れがどうもつながらない。
細かに張り巡らされたライトモティーフが、すんなりスルーされて、意味合いを持たずに通り過ぎてゆくし、逆にメロディにこだわりすぎて、全体を見失うような雰囲気も感じられた。
これでは歌手も、歌い手&演じ手としてもやりにくいだろうな。
カーテンコールでは、ひとりだけブーを浴びていた。
 その後の上演で、よくなったか否かは不明ですが、、

ちょっと辛口にすぎるけれど、オペラ歌手として、最大級の功績を上げ、あらゆるオペラのロールを極めた大芸術家だけれども、いきなりバイロイトでワルキューレを指揮するということはチャレンジの度合いが過ぎたものと思わざるを得ない。
それより、このような企画をした劇場運営局もどうかと、同じく思わざるを得ない。

トリスタンと掛け持ちのグールドのジークムント。立派過ぎて、耳は聴きなれたジークフリートやトリスタンに聴こえてしまう。
カンペのジークリンデが素敵で、フォスターのブリュンヒルデも文句なし。
ウォータンの声は暗すぎ。
あと、二期会の金子美香さんが、グリムゲルデでバイロイトデビューという朗報あり。

   ------------------------

さてされ、現地で観劇もせずに、毎度、こうして言いたい放題、あいすいません、あくまで、個人の意見です。

ネットの恩恵に、最近、ますます感謝してます。
リアルタイムで、その演奏や映像を確認できる。
しかも、年々、技術も向上し、画質・音質ともにかなり高品質だ。
バイエルン放送局は、今年からサラウンド放送を始めた。
これらのコンテンツは、もちろん自分が楽しむものだけに限定されているわけですが、ほんと海外の放送局、とくに、ドイツと英国の局には感謝感謝。
 我が国はというと・・・、いいですもう。

   -----------------------

来年のバイロイト2019の、新演出は「タンホイザー」。
指揮は、ゲルギエフですよ・・・
演出は、38歳のトビアス・クラッツァー(Kratzer)という人。
面白そうだけど、いやな予感に、みた感じ。

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ここでもまたグールド。
タンホイザー復帰という安全策に、売り出し中の若いノルウェーのソプラノ、ダヴィットセンのエリザベト。さらに、マリンスキーからグヴァノバのヴェーヌス。

あと、「ローエングリン」のエルザに、ネトレプコとストヤノーヴァの声がノミネートされていて、他の演目は、「マイスタージンガー」に「トリスタン」「パルジファル」。
ベルリン・コーミッシュオーパーですから、こんなの当たり前ですが、ラモーのオペラを演出したトビアス・クラッツァーの舞台の様子。

早くも、来年のバイロイトに向けて、気持ちが動いてます(笑)

元気でいなくちゃ。

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