東京都交響楽団演奏会 ワトキンス指揮
イギリスの若手指揮者 ワトキンス指揮の東京都交響楽団の定期演奏会を聴く。
会員でもなんでもない私、都響は何年ぶりかのお久しぶり状態。
そう、狙いはエルガー(ペイン版)の交響曲第3番。
尾高さんの演奏を逃してしまったから、生で聴くのは当然初めて。
そして! 極めて素晴らしかった!
普段、この曲をCDで聴いているのと格段に違うライブな臨場感が溢れ、眼前で手に取るように展開されるオーケストラに目を奪われっぱなしだった。
P席での鑑賞だったためであるが、「ここでこんなことを」、とか「こんな風に弾いてるんだ・・」とかの思いで満たされていたわけ。
シューマン ピアノ協奏曲
Pf:中野翔太
エルガー(A・ペイン版) 交響曲第3番
ポール・ワトキンス指揮 東京都交響楽団
(6.17@サントリーホール)
このところ、シューマンとエルガーばかり。
期せずして、その二人の作品の組合せの一夜。
シューマンの独奏は、若い中野クン。
冒頭は、ピアノもオケも噛みあわず、この指揮者、大丈夫かな・・と思わせるくらい。
1楽章後半から、徐々に音楽が響き出し、3楽章は実にフレッシュで活き活きとした演奏となった。ところが、3楽章で、ピアノが完全に落っこちてしまった・・・。
気を取り直して、なんとか曲を閉じたが、ちょっと後味が悪いかな。
この指揮者の振り方が見ていて拍子の打点がわかりにくい。
でもS・オラモ似の写真と違って、正面から見ていると、ときおりMr.ビーンのような顔をする。そういえば、ビーン氏はローワン・アトキンソンと、紛らわしいお名前。
イギリス室内管の准指揮者らしく、実力派で、顔はともかく、今後活躍する予感。
でもエルガーでは、そんな指揮ぶりが全然問題なく、大きな枠組みを築きつつ、3番の交響曲が持つ壮大さをとてもよく引き出していたように思う。
1楽章は、早めでこだわりなく進む様子に、じっくり型の尾高さんの演奏との違いに戸惑いつつも、その流れのよさにすっかり乗せられてしまった。
その冒頭の第1主題は、前記事の「使徒たち」で書いたとおり、イエスの受難や復活を描いたオラトリオ3部作の、未完の「最後の審判」のモティーフだという。
さすがに、その大作はペインさんも補完できないだろうなぁ。
2楽章の憂愁のスケルッオ、弱音器を着けたトランペットのソロがとても印象的。
打楽器が活躍するさまも、後ろから拝見していると、とても面白い。
都響のきめ細やかなアンサンブルが見事だった。
圧巻は続く二つの楽章。
「惑星」の「土星」を思わせる沈鬱かつ重々しい雰囲気を、エルガーの緩徐楽章らしい熱く高貴な抒情が打ち払う。ビオラにハープにオーボエにと、オケの動きに目が離せない。
ワトキンス氏の熱のこもった指揮は、オケをだんだんと熱くしていく。
そして、CDではとって付けたように感じる終楽章は、大交響曲の最後を飾る座りのいい音楽として鳴り響いた。
打楽器の大活躍は相変わらずであるが、全曲に渡って多用される、エルガーの特徴である上昇音型が見事に決まってゆく。
リズミカルで親しみやすい音楽に聴衆もついに引き込まれていくような雰囲気だった。
最後は急速に速度を落とし、ドラの音とともに静かに曲を閉じるわけであるが、もうひとつのエルガーの常套である、冒頭主要主題の回顧(ヴァイオリンでさりげなく現れる)を見事に決めてくれた。
曲を閉じて、指揮棒を抱え込むようにしたワトキンス。
未知の曲の方もおられるであろうが、エンディングの余韻をじっくりと味わうことができた。
会心のワトキンス氏、かなりのブラボーも飛び、最後は、エルガー=ペインのスコアを高く掲げ歓声に応えた。
プログラム解説には、マーラー10番や、未完成、ルルやトゥーランドットといった補筆完成版のことが書かれていて、クック版マーラー10番が、たどった成功の道を、このエルガー=ペインもたどることができるであろうか・・・あなたの判断は? とある。
私は、これまで、大好きなエルガーの交響曲がもう1曲増えたことを素直に喜んできたが、今回のライブ経験で、一歩踏み出し、札響・大フィルなど日本のオケが普通に名演をくりだすようになった、エルガーの名曲のひとつとして、認知いたします。はい。
11月には、尾高/札響が札幌定期で演奏したあと、恒例の東京公演でも演奏しますぞ!
エルガー 交響曲第3番の過去記事
コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団のCD
尾高忠明指揮 札幌交響楽団のCD
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)





















