2008年6月17日 (火)

東京都交響楽団演奏会 ワトキンス指揮

Tmso イギリスの若手指揮者 ワトキンス指揮の東京都交響楽団の定期演奏会を聴く。
会員でもなんでもない私、都響は何年ぶりかのお久しぶり状態。

そう、狙いはエルガー(ペイン版)交響曲第3番
尾高さんの演奏を逃してしまったから、生で聴くのは当然初めて。


そして! 極めて素晴らしかった!
普段、この曲をCDで聴いているのと格段に違うライブな臨場感が溢れ、眼前で手に取るように展開されるオーケストラに目を奪われっぱなしだった。
P席での鑑賞だったためであるが、「ここでこんなことを」、とか「こんな風に弾いてるんだ・・」とかの思いで満たされていたわけ。

      シューマン         ピアノ協奏曲
                  
                 Pf:中野翔太

      エルガー(A・ペイン版) 交響曲第3番 

       ポール・ワトキンス指揮 東京都交響楽団
                       (6.17@サントリーホール)

このところ、シューマンとエルガーばかり。
期せずして、その二人の作品の組合せの一夜。
シューマンの独奏は、若い中野クン。
冒頭は、ピアノもオケも噛みあわず、この指揮者、大丈夫かな・・と思わせるくらい。
1楽章後半から、徐々に音楽が響き出し、3楽章は実にフレッシュで活き活きとした演奏となった。ところが、3楽章で、ピアノが完全に落っこちてしまった・・・。
気を取り直して、なんとか曲を閉じたが、ちょっと後味が悪いかな。
この指揮者の振り方が見ていて拍子の打点がわかりにくい。
でもS・オラモ似の写真と違って、正面から見ていると、ときおりMr.ビーンのような顔をする。そういえば、ビーン氏はローワン・アトキンソンと、紛らわしいお名前。
イギリス室内管の准指揮者らしく、実力派で、顔はともかく、今後活躍する予感。

でもエルガーでは、そんな指揮ぶりが全然問題なく、大きな枠組みを築きつつ、3番の交響曲が持つ壮大さをとてもよく引き出していたように思う。
1楽章は、早めでこだわりなく進む様子に、じっくり型の尾高さんの演奏との違いに戸惑いつつも、その流れのよさにすっかり乗せられてしまった。
その冒頭の第1主題は、前記事の「使徒たち」で書いたとおり、イエスの受難や復活を描いたオラトリオ3部作の、未完の「最後の審判」のモティーフだという。
 さすがに、その大作はペインさんも補完できないだろうなぁ。

2楽章の憂愁のスケルッオ、弱音器を着けたトランペットのソロがとても印象的。
打楽器が活躍するさまも、後ろから拝見していると、とても面白い。
都響のきめ細やかなアンサンブルが見事だった。
圧巻は続く二つの楽章。
「惑星」の「土星」を思わせる沈鬱かつ重々しい雰囲気を、エルガーの緩徐楽章らしい熱く高貴な抒情が打ち払う。ビオラにハープにオーボエにと、オケの動きに目が離せない。
ワトキンス氏の熱のこもった指揮は、オケをだんだんと熱くしていく。
そして、CDではとって付けたように感じる終楽章は、大交響曲の最後を飾る座りのいい音楽として鳴り響いた。
打楽器の大活躍は相変わらずであるが、全曲に渡って多用される、エルガーの特徴である上昇音型が見事に決まってゆく。
リズミカルで親しみやすい音楽に聴衆もついに引き込まれていくような雰囲気だった。
最後は急速に速度を落とし、ドラの音とともに静かに曲を閉じるわけであるが、もうひとつのエルガーの常套である、冒頭主要主題の回顧(ヴァイオリンでさりげなく現れる)を見事に決めてくれた。
 曲を閉じて、指揮棒を抱え込むようにしたワトキンス。
未知の曲の方もおられるであろうが、エンディングの余韻をじっくりと味わうことができた。

会心のワトキンス氏、かなりのブラボーも飛び、最後は、エルガー=ペインのスコアを高く掲げ歓声に応えた。

プログラム解説には、マーラー10番や、未完成、ルルやトゥーランドットといった補筆完成版のことが書かれていて、クック版マーラー10番が、たどった成功の道を、このエルガー=ペインもたどることができるであろうか・・・あなたの判断は? とある。
 私は、これまで、大好きなエルガーの交響曲がもう1曲増えたことを素直に喜んできたが、今回のライブ経験で、一歩踏み出し、札響・大フィルなど日本のオケが普通に名演をくりだすようになった、エルガーの名曲のひとつとして、認知いたします。はい。

11月には、尾高/札響が札幌定期で演奏したあと、恒例の東京公演でも演奏しますぞ!

  エルガー 交響曲第3番の過去記事

 コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団のCD
 尾高忠明指揮 札幌交響楽団のCD
 

   

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2008年6月11日 (水)

中村靖&金子裕美 「英国の薫り」

Nakumurakaneko バリトンの中村靖さんとソプラノの金子裕美さんのジョイントリサイタルを聴く。
ピアノは、柴田かんなん。
「英国の薫り」と題されたコンサート、フィンジやウォーロック、クィルター らの抒情と文学性豊かな、あまりにも素適な歌曲の数々。
同様のジョイントリサイタルは、これで3回目、中村さんのソロコンサートを入れると6回目の英国歌曲コンサートとなるらしい。
今まで、知らなかった自分が疎ましい。
ともあれ、初参戦のわたくし、今後は必ず押さえなくちゃならないシリーズであります。

みなとみらい小ホールで全席自由ながら、チケットは4500円と、ちとお高い。
土曜日聴いた、神奈川フィルが定期会員割引があったとはいえ3200円だったものだから・・・・。
平日の夜の横浜、英国音楽好きを自認する身としては、何をおいても駆けつけなくてはならない。

英国作曲家の歌曲は、デリケートで静かやな曲やミステリアスな雰囲気の曲が多いだけに、輝かしい声や雄弁な語り口、うますぎる歌手とは無縁の世界かもしれない。
今日のお二人は、そうした部類の歌手には属さない。真摯で暖か、ちょっと甘さも感じさせてくれる、伸びやかで、それは気持ちのいい歌声だった。

  ウォーロック 「結婚日和」、「乳搾りの娘たち」、「睡蓮(The Water Lilly)」
           「さくらんぼ釣り」、「思いてよ」
  ガーニー   「野は満ちて」、「柳の園で(The Sally Gardens)」
           「時がもし」、「春の願い」
  クィルター   「夢の谷」、「フクシアの樹」、「音楽は、優しき声絶えしとき・・」
  アイアランド   「歌曲聖俗集」
  
  フィンジィ   「ディエス・ナタリス(生誕の日)」
           歌曲集「歌人へ」

  ~アンコール~
  
  レーマン   「ここに一人の男とその恋人が」
  ブリテン   「柳の園で」

       金子裕美(ウォーロック・クィルター・生誕の日、レーマン)
       中村 靖 (ガーニー・アイアランド・歌人へ、ブリテン)
       ピアノ:柴田かんな
                       (6.11@みなとみらい小ホール)

彼岸にたどり着いてしまったかのような歌曲集「たいしゃくしぎ」の作曲家ウォーロック。
あの曲のイメージが強すぎたか、今日の5曲の歌は明るく楽しい牧歌調の音楽に驚き、かつ聞き惚れた。別名をもつ二面性の人ゆえか・・・。
 いかにも英国田園情緒満載のガーニーさんの歌。
リズミカルなヶ所が楽しく、明るく屈託ないクィルターの曲。他の曲もいろいろチェックしたくなる。
オーケストラ曲やピアノ曲を親しんでいるアイアランドの歌曲は、今回始めて聴く。
抒情とモダンな大胆さが交錯するアイアランドの歌曲。バーバーやジャズの雰囲気を感じてしまった。いい曲じゃないか!
 そして、本日のメインは後半のフィンジの2連作。
フィンジは寡作ながら、ナイーブで傷つきやすいデリケートな素晴らしい音楽ばかり残した。クラリネット協奏曲は、ワタクシ最愛の音楽のひとつ。
そして、ディエス・ナタリスも大好きな曲。本来のオーケストラ伴奏版はいくつか持っているが、今日のピアノ版は、オケよりもニュアンス豊かに感じ、極めて美しかった。
そう、この曲を始めとして、ピアノの柴田さん、あまりにも素晴らしい。慈しむようなピアノの音色に英国の緑の丘の風景が、ほのぼのと浮かびあがってくるようだ!
金子さんの、クリアーボイスで聴くフィンジ。
序奏の場面から、もう私は不覚にも涙をこぼしてしまった。
 同様に、中村さんの歌う「歌人へ」。これは初聴き。
なかなかに崇高かつ気品溢れる曲調で、哀感もたっぷり。
中村さんの真剣な歌い口は、とても共感が溢れていてよかった。

イェーツの「柳の園」に付けた曲が3つ。ガーニーに、アイアランドの歌曲集の中に、そしてアンコールのブリテン。いずれも青春の甘酸っぱさを感じる桂曲!
英国音楽を愛するお二人、とても素晴らしい。
ことに、金子さんの繊細で無垢の声はとても気に入りましたぞ。
私の郷里に近いところの方というのも、親しみがわくし。

なかなか満席とはいかない、渋いコンサートだったけれど、私の近くのご婦人など、フィンジの曲を聴いて「あぁ~、きれい」とおっしゃっていた。
こんな風に、英国音楽が静かに楚々と広まっていけばいいと思う。
ただ、曲のひとつひとつで拍手をするのはいかがなものかと。まして歌曲集ではちょっと・・・・。

Nakumurakaneko2

幸せのコンサートでありました。
また来年に。

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2008年6月 8日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 シュナイト指揮

Kanagawa_phl_200806 今日は、午前中はお仕事。午後は、横浜へ行って神奈川フィルを聴く。
シュナイト音楽堂シリーズを楽しむようになって、土曜はこんなパターン。

今期のシューマン・シリーズ最後は「ライン」を取り上げることもあって、ほぼ満席。
でも、ブラームスとシューマンという、ドイツロマン派本流のプログラムは、渋いといえば渋い。


  ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
  
  シューマン チェロ協奏曲
           VC:山本裕康

          交響曲第3番「ライン」

          ハンス=マルティン・シュナイト指揮 神奈川フィルハーモニー
                                  (6.7 県立音楽堂)      


20080607_1 ブラームスのハイドン変奏曲を冒頭に持ってきたのは、オーケストラにとってもその実力開示の試金石みたいな曲だけに、なかなか大変だったのではないかしら。低弦だけの伴奏の上に乗って管が奏でる主題。硬さがひとつもなく、暖色系のトーンはこのコンビならでは。この曲、生て聴くとオーケストラの各楽器がいろんなことをやっていておもしろい。ピッコロやトライアングルも入ってピロピロ、チンチロやるが、そこはブラームス、浮ついたところがひとつもない。
そのあたりの燻し銀の中に南ドイツ風の響きを感じさせるところが、シュナイト師の毎度の真骨頂か。

チェロ首席の山本氏をソリストにした、協奏曲。
この旋律の明確でない、何か模糊とした協奏曲は演奏効果を発揮しにくい曲。
CDで聴いても、どうも判然としないことが多い。晩年のシューマンの持つ晦渋さを、どう解きほぐすか。そのあたりが聴きものだった。
山本氏のチェロ、1楽章は硬くまだほぐれていない感じで、う~むの雰囲気。
対するオケは、シュナイト師に絶妙にコントロールされて素晴らしい伴奏ぶり。
2楽章、山本氏の紡ぎ出す美音は、ここでついに本領発揮。弦楽器のピチカートに乗って、ロマンテックな旋律をそれは綺麗に歌う。オーケストラのチェロ独奏との絡み合いも、さすがに息のあった雰囲気で心和む。
リズミカルな3楽章の難しいパッセージの連続も難なく易々とこなし、オケを見渡しながらの演奏ぶりで、とてもリラックスしていた様子。
やはり、オケの一員としての協奏曲の演奏。シューマンのこの曲の場合、それでいいのだろう。とてもよかったが、この曲はやはり捉えどころがないな。
 むしろ、「明日はシューマンの誕生日。ということで、バッハを」と笑いをとってのアンコール、無伴奏チェロ組曲「サラバンド」が、息を飲むほどに、抜群に素晴らしかった。
同僚のコンマス石田氏とのやりとりも楽しかったし、シュナイトさんの山本氏への思いやりとユーモア溢れる動作も微笑ましかった。

Top2 「ライン」は、シューマンの交響曲を聴き始めるのに「春」とともに、真っ先に馴染む曲。
私も、この曲から入ったけれど、ほかの番号の方(はっきり言って2番)にだんだんと魅力を感じ始め、この5楽章のバランスの悪い交響曲をあまり聴くことがなくなってきた。
 そんな浮気な私に褐を入れんばかりの、シュナイト/神奈フィルの演奏。
1楽章の出だしから、ガツンとやられてしまった。
何と言う芳醇かつ暖かな音色なのだろう。すべてが自然で、いろいろ言われるシューマンの楽譜をいじくりまわした形跡など微塵もない。
有名な2楽章には、とうとうと流れるラインの様子を思い浮かべてしまう大らかさが充溢し、愛らしい雰囲気をやさしく表現した3楽章もこんなに楽しく聴いたことはないと思う。
そして、圧巻は4楽章。この楽章の重々しさと、終楽章の一転明るさが、いつも居心地悪く感じるのだが、そんなことを感じてた自分を恥じなくてはならないくらいに、その対比が見事だった。聖堂の大伽藍を仰ぎみるような気分で聴いた4楽章に、宗教的なものすら感じることができた。さすがに祈りの指揮者シュナイト師!
明るい終楽章は、走らず着実な演奏で、最後までテンポを守りぬいた堂々たるラスト。
満員の聴衆が湧いたのは、申し上げるまでもないです。

いやはや、なんだかんだで、このコンビに、またやられちまいました。
これで、9月までシュナイトさんの指揮はお休み。ひとまず、ドイツへお帰りになることだろうが、また元気に帰ってきて欲しい! 自他ともに認める「浜ッ子」なのだから。

アフターコンサートは、毎度お馴染み「神奈フィルを勝手に応援する会」が開催された。
今回の例会場は「一の蔵」が満杯であったので、小粋な中国家庭料理の店へ。
居酒屋と違い、酒飲みにとって「間」が持つかなとも思われたが、なんのことはない。
こちらもなんだかんだで、楽しく時は過ぎ、いい時間に。皆さんお世話さまでした。

シューマンの響きを思い起こしつつ、うつらうつらと、東京湾を半周して帰還。
あまりに満足だったので、寝ながらヨダレなんぞ流してなかったかしら・・・・・。

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2008年6月 5日 (木)

フランクフルト放送交響楽団演奏会 P・ヤルヴィ指揮

Furankfurt_rso パーヴォ・ヤルヴィ指揮フランクフルト放送交響楽団の来日公演を聴く。
このオーケストラは、やはりエリアフ・インバルの名を抜きには考えられない。インバル後、キタエンコやウルフがよく務めたものの、インバルとのマーラーを初めとする精密で分析的な演奏は、このオケの名前についてまわる宿命かもしれない。

ウルフは、シュトットガルトのように、ピリオド奏法をこのオケに植えつけたが、そちらの分野にもめっぽう強い多角的なP・ヤルヴィの音楽監督就任は、誠にいい選択かもしれない。

インバルの幻影を打ち払うことができるか!

私の大好きな演目に、そこそこリーズナブルなチケットで、即飛びついた私だ。

       R・シュトラウス  最後の4つの歌
               S:森 麻季

       マーラー      交響曲第9番

    パーヴォ・ヤルヴィ指揮 フランクフルト放送交響楽団
                        (6.4@サントリーホール)

観客は7割の入り、休憩後のマーラーになって8割くらいに増えたかな?
シュトラウスは、フライング拍手があったりで、客の反応はちょつとイマイチ。
マーラーになると、聴衆の側の聴き入ろうとする空気が違って感じられたから、いかにマーラーが時代を掴んでしまったかがわかる。

Maki_mori そのシュトラウスの歌曲だが、ドレスデンでのゾフィーが巨大NHKホールの前に力負けしてしまった森麻季ちゃんのきれいな声がサントリーホールでは、いかに響くかが、大いに気になるところであった。
そして、結果は・・・私の2Rの席には響いてこなかった。
第1曲「春」の歌いだし「In dammirigen gruften・・・」だけは聴き取れた。
がしかし、その後は完全にオケに埋没してしまっていた。
指揮者の押さえようという雰囲気がなかったから、前方の席ではよく聴こえていたのだろう。前方で観劇した、「ばらの騎士」は全然問題なかったから、一重に声量なのだろうか?
第2曲「9月」のオケを透かして聴かれる歌いまわしや美声は素晴らしいのに・・・。
ここでのホルンのソロの素晴らしいこと!
続く「眠りにつくとき」、「夕映えの中で」は、いずれもオケの奏者達の腕の冴えが目立つ。
 もう少し編成を刈込んでもよかったのでは。
素適な声の持主だけに、オケとの合わせものは慎重にした方がいいのかも。
おなかに、赤ちゃんがいらっしゃるので無理はしないで欲しいし・・・。
今日の彼女、黒いドレスに髪をアップにして、大人の雰囲気。
遠目には、キャスリーン・バトルを思い起させた。
 オケも含めて、昨秋聴いた、シュナイト&神奈川フィルの美音に敵わない。

本日は、二人の世紀をまたいだ作曲家の晩年の作品を集めたプログラムだが、シュトラウス作品が1948年。マーラーの第9が1910年。
38年もの開きがあるのに、かたやロマンティシズムにどっぷりとつかり、過去を回顧するかのような爛熟の響き。一方は、無調の扉を開き、新時代への掛け橋とならんとする彼岸の響き。
どちらも好きなだけに、これを並べたプログラミングの妙に感心。

Furankfurt_rso2 メインのマーラーは、ユニークかつ壮絶な名演とあいなった。
個々のカ所では、初めて聴くような音の押さえ方や、出し方、間の取り方など、細かな点がたくさん散見。大枠で言えば、リズム感が豊かで(パーヴォの指揮はいつも弾むような動き)しなやか。そして明るく、前向きな音楽の運び。
マーラーの第9と、大仰に構えず、1曲の交響曲として全体を見据え、全体を睨みながらも清新な響きを細部にまで漲らせる。
私には、息詰まるような緊張感はあまり感じられず、音楽の美しさ(終楽章の美演)や革新性(1楽章の終わり)を意識させる演奏だった。
後ろ姿のパーヴォ、N響のラフマニノフに続いて2度目だが、その姿が実に指揮者してる。
ブレない正確かつ明確な指揮は、きっとオケからしても頼もしいのだろうな。
恐ろしきヤルヴィ一門。
 終楽章エンディングは、克明な解釈で、しっかり指揮して、オケもしっかり着いていった。
それがまた完璧に決まった。
この曲、お約束となってしまった静寂の享受は、演奏者と聴衆が見事に一体となって完璧だった。
楽員が去る中、ヤルヴィは拍手に呼びだされてステージに再度登場。

それにしても、完璧な精度のオーケストラだ。機能性も充分伺えたし、弦は厚く、管も層が幾重にもある。金管も完璧。ドイツの放送オケはすごい。
そして、明らかにインバルとは違う個性を見出し、フランクフルトは多様性を持ったマルチオケとなる気配を感じる。
心配は、パーヴォ氏の多忙。ドイツカンマーに故国のエストニア・オケ、シンシナシティに、このフランクフルト。さらにパリ管までも手中に・・・・。


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2008年5月24日 (土)

神奈川フィルハーモニー演奏会 シュナイト指揮

Img 神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期公演を聴く。
お馴染みハンス=マルティン・シュナイト師の指揮。
このオーケストラ、特にこのコンビが繰り出す名演の数々に魅かれてついに定期会員となってしまった。

千葉在住、都内勤務の自分にとって、金曜日の夜に横浜に登場するのは、なかなかにタイヘンだし、まして定期会員になることは、ちょっとリスキーだったが、5公演をチョイスできるフェイヴァリット会員なるシステムがあって大助かり!
郷里のオーケストラへの愛着がなせる技なり。
(今、住む千葉のあのオケはいったいどうなってしまうんだろ・・・)

前段が長くなってしまったが、またもやドイツ音楽の真髄を味わわせてくれた名演との遭遇に心が震えた。

       ブラームス 交響曲第3番
   
       ヒンデミット 交響曲「画家マティス」

  ハンス=マルティン・シュナイト指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                         (5.23@みなとみらいホール)

両曲合わせて75分くらいのシンプルなプログラムながら、その渋い、いや渋すぎる組み合わせに、もうワクワク状態。
ふたつともに、生で聴くのは初めて。

Kana_phil_2  ブラームスの3番は、かなり好きな曲で、力強さとともに、豊かな歌と哀愁に満ちた雰囲気が堪らなくいい。
冒頭から、一音一音をかなりゆったりと鳴らし、かつ引っ張る。これは、じっくりとやるぞ、と思い、こちらも心して構える。
そう、すみずみまでよく歌わせるシュナイト節が35分間展開させられた訳である。
繰り返しは省略されたものの、堂々たる冒頭主題に続く木管で歌われる牧歌的な主題。
この対比が実によろしい。時おりホルンが突出してしまうところをシュナイト師は、巧みに抑えながらバランスをとっている様子がうかがえた。
癒やしの音楽ともいえる第2楽章は、木管群が活躍。暖色系の音色が、このコンビによって見事に紡ぎだされる。さらに、こんどは、弦楽器の活躍する第3楽章。
曲が始まる前、有名な旋律をまず奏でるチェロのメンバーたちに、指揮者がよ~く歌ってよ・・・・なんて風に目で合図している様子。メンバーたちは、わかってますよ~とばかりににこやかに頷く・・・。こんなやりとりがあった。
そして音楽は、その様子のとおりに、思わず引き込まれるくらいに歌い、かつ泣きの名演。聞き古したこの旋律が、なんと豊かに響いたことであろうか。
コンマス石田氏の動きも気合いの入った終楽章。熱くてほろ苦い展開が、やがて静かに収束に向かい、いつものように祈るような指揮でピアニッシモの音が静かに消えた。
またもや、美しくも筋張の瞬間。堪え切れない人の拍手がぱらぱらと起きたが、大満足のエンディングで、シュナイト師もにこやかに楽員を讃えていた。
考えたら、この曲、すべての楽章が静かに終わる音楽なんだ。

休憩後のヒンデミットの「画家マティス」。
この曲や、グリューネヴァルトの絵については、アバドのCDの過去記事をご参照。
時代を考えると保守的なヒンデミットの作風。
ヒンデミットの作品にいえること、とっつきが悪く、なかなか微笑んでくれない。
アバドの演奏でも、アバドはまるで得意とするムソルグスキーを演奏するかのような渋いくて内省的なものだった。
はたして、シュナイト/神奈フィルはいかに。
 そう、それはそれは、美しくも輝やかしく、歌心と祈りにも欠けていない素適な名演だった。
オケがちょこちょこと踏み外すことはあったが、そんなことは全く気にならない。
あのムッツリ顔のヒンデミットの曲を、こんなにキレイに演奏できるんだ!

第1楽章「天使の合奏」は、曖味さのまったくないまさに天から光りが徐々に降り注いでくるかのような演奏。CDだと、もやもやした演奏に聞こえるが、素晴らしいホールで聴くこのコンビの演奏には、そうしたところが一切ない。
第2楽章「埋葬」。木管による哀感そそられる楚々とした旋律とそれを包み込む弦の伴奏が心を打つ。指揮棒を置き、ニュアンス豊かなシュナイト師の背中を見ているだけで、その音楽が感じられる。ソロオーボエ、毎度ながらにいい。
そして、フルートとこの音楽で大活躍のピッコロ、この二人がまた素晴らしい!
長大な第3楽章「聖アントニウスの誘惑」。強烈なフォルテの打激が数回、ここへ来てリズミカルで、賑やかなフルオーケストラが聴けるが、この演奏には華やかさなどひとつもない。クライマックスに向いつつ、オケが夢中になってシュナイト師の指揮に着いていっているのを目のあたりにして、聴くこちら側もどんどんと引き込まれ、ドキドキしてきてしまう。
さして、騒然とした中から、光明のようにコラールが管で奏でられ、それがやがて全オーケストラの合奏に引き継がれてゆくとき、私はもう感動で胸が一杯になりむせってしまいそうになった・・・。曲が高らかに終っても、身動きひとつしない指揮者と楽員。
またやられてしまった、シュナイト/神奈フィルに!

Landmark2 この音楽を見直すことのできた素晴らしいコンサート。
でもこんなの聴いちゃうと、CD聴けないヨ、罪なコンビ・・・・。

アフターコンサートは、神奈川フィルを愛するメンバーの方々とおいしいお酒で楽しいひと時を過しました。みなさん、お世話になりました。

         

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2008年5月17日 (土)

NHK交響楽団演奏会 尾高忠明指揮

尾高忠明指揮のNHK交響楽団定期演奏会を聴く。
喧騒の渋谷を一生懸命歩いて坂を行くと汗が出る季節になった。
よいお天気で代々木公園の緑も濃くなり、お目当てのエルガーを聴くにふさわしく、初夏の陽気に気分が高まる。
若者のストリートミュージックに負けずに、早くも脳裡には、こんな緑や涼やかな水の流れのような第2楽章の中間部の爽快な旋律が鳴っていた。

  ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第3番
        ピアノ:ブルーノ・レオナルド・ゲルバー

  
  エルガー     交響曲第1番
 

     尾高忠明 指揮 NHK交響楽団
                   (5月17日NHKホール)



Nhkso5_2 ベートーヴェンの3番の協奏曲をライブで聴くのは初めて。しかもえらく久しぶりに聴く。
だからということでもないが、ベートーヴェンの新鮮でみずみずしい音楽に、あらためて感動。万年青年のようなゲルバー。もう大変なベテランだが、まだまだ若々しい。
ロマンあふれる2楽章が、ともかく素晴らしかった。ふくよかで美しいゲルバーのピアノの音色、優しく包みこむかのような尾高さんの指揮。1番や2番の緩徐楽章とともに大好きな場面だな。
両端楽章も、もちろんよかった。ともかく、よく響き混じり気ないピアノ。
時折、唸り声も発するが、激したところの全然ない大人のベートーヴェンは、とても気にいった。
4番も聴いてみたいぞ。

それでもってお待ちかねのエルガーの交響曲第1番
この曲、以前の記事「クラヲタ生活40周年」の特集、マイフェヴァリット曲の交響曲部門の第1位を飾ったくらいに大好きなのだ。
これまで何度も尾高さんが取り上げてきたけれど、常に聴けなかった。
ついに念願かなって、尾高エルガーの真骨頂を間近に聴くことができた。

何が好きかって、全曲を支配するモットー(循環主題)がまず素晴らしい。
冒頭に、ティンパニの静かなトレモロに導かれて、中音域から始まる主題。
これが徐々に各楽器に広がり、やがてオーケストラによる全奏となる。
この間の盛上りで、もう私の涙腺は破られてしまう。
それから始まる主部の壮大さ、2楽章の滝の流れのような爽やかさ、3楽章の気品に満ちた情熱の歌とホルンが明滅する、そのエンディングの深淵さ。いくつもお楽しみはある。
そしてダイナミックな運びの中に、全曲を懐かしく振り返りつつ、最後に冒頭の主題が全オーケストラで現れる!
ここに至って、私は毎度、涙ちょちょぎれ状態となってしまい、崇高なエンディングを感銘のうちに迎えることとなるわけだ。

Otaka 尾高さん、渾身の指揮。
譜面台は置きながらも、暗譜で指揮。それも、隅々まで熟知し、この曲が好きでならないとた様子が、その指揮ぶりからも充分伺える。
尾高さんの指揮は、何度も観て聴いてきたけれど、こんなに熱く、気持ちのこもった指揮姿は見たことがないかも。
小柄な姿が、何倍にも大きく見えた。
私も、最初から最後まで、背筋を伸ばして音楽に飲み込まれ、酔いしれたし、涙も流した。
N響の金管の実力は、やはり他のオケと較べると段違いに素晴らしい。
3楽章の終わりのホルンはものの見事に決まっていたし、終楽章のグロリアスな響きも素晴らしい。尾高さんは、最初金管を押さえ気味におもったが、終楽章では全開。
席の関係(1階R)から低弦が響きすぎたかもしれないが、全体のバランスは耳のよい尾高さんならではで、まとまりのよいノーブルなエルガー。
ウェールズ響のCDと異なる点は、尾高さんがテンポを少し揺らしたり、楽器の出入りのメリハリも豊かになったり、そして何といっても自信と情熱を持った指揮棒から生まれる音楽の幅の豊かさ。そしてそこから生まれる音楽することの歓び!

これまで聴いたエルガーの1番で、最高の演奏のひとつだと断言できる。
涙ながらに、最初に、ブラボーの一声を、さりげなくかけたのはわたしだよ。

N響機関紙に、来シーズンプログラムの記載あり。
まずは、今シーズンの12月、J・コウトの指揮で「トリスタン」の前奏曲愛の死に2幕をエーベルツ、ワトソンのバイロイト組で。
12月、デュトワでエディプス王。2月、エリシュカで我が祖国。4月、デ・ワールトでリング抜粋やアルプス・シンフォニー、5月、尾高でエルガーのチェロ協と第2交響曲。
こんな按配なんです。早くも来年も金が・・・・・。

エルガーの交響曲の自己リンク

交響曲第1番

 
バルビローリ/フィルハーモニア管
 大友直人/京都市交響楽団 演奏会
 尾高忠明/BBCウェールズ響
 ノリントン/シュトットガルト放送響
 プリッチャード/BBC交響楽団

交響曲第2番

 尾高忠明/読売日本交響楽団
 大友直人/京都市交響楽団
 
大友直人/東京交響楽団 
 B・トムソン/ロンドン・フィルハーモニー

交響曲第3番

 K・デイヴィス/ロンドン交響楽団





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2008年5月11日 (日)

神奈川フィルハーモニー演奏会 シュナイト指揮

Schneidt_schuman2ハンス・マルティン・シュナイト指揮神奈川フィルハーモニーによる「シュナイト音楽堂シリーズ
今シーズンはシューマン・シリーズで、前回はかわいいプティボンと重なり聴けなかったもの。
このコンビのドイツものは、必聴ゆえ、午前中仕事をこなし、万全を期して横浜へ。
生憎の雨と、ど渋いプログラムもあって、今日の県立音楽堂は約7割の入り。
めったに演奏会では聴けない二つの円熟ロマン派音楽なのに、もったいない!

  ブラームス   セレナード第2番 イ長調
  シューマン    交響曲第2番 ハ長調

 ハンス=マルティン・シュナイト指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
   (5月10日 神奈川県立音楽堂)


Schneidt_schuman ビオラ、チェロ、コントラバス、木管、ホルンというユニークな編成によるブラームスのセレナードは、若書きとはいえ、どこをとっても我々が思い描くブラームスの音世界。
その楽器編成ゆえ、音楽は普通に喋る人声のようで、声高なところがいっさいなく、極めて落ち着き、かつマイルドなものである。
ゆったりとしたテンポをとったシュナイト師の指揮は、ほのぼのとした響きと深い呼吸を神奈フィル・メンバーから導き出していて、聴いていてほんとに気持ちがのびのびとしてゆく思いだった。ビオラのアンサンブルにやや難ありながら、木管がカバーしていたし、細かなことを気にせず、大らかな気分で楽しめた。
田園風景を彷彿さえるかのような1楽章と、ピッコロの活躍する終楽章がとりわけ楽しい。

休憩後は、シューマン。
同じ2番の洒落たプログラム、のどかなブラームスのセレナードに比べ、何と晦渋で渋い趣きを持つことか。出だしの序奏の部分でそう痛感した。
日頃聴いているCDでも、2番はいずれもそういう、くすんだ印象が先行する曲だ。
 ところが、この日のシュナイト&神奈フィルは、主部が始まると、それはそれは活気と推進力に満ちたもので、音はきらめきすら感じてしまった。テンポも心持ち速めでノリが良い。
前半降り番で、張り切るコンマスの石田氏の大きなアクションが、弦を中心に全体を引っ張っていて、どうやらそのあたりに要因がありそうだ。
そこに、シュナイト師の南ドイツ気質が混ぜ合わされ、稀なるシューマン演奏となってゆくのだ。
2楽章のユニークなスケルツォも同様に、一気呵成。最後の音が鳴り終わって、その響きが緊張感とともにホールに「こだま」したものだ。
そして、美しかったのが3楽章。よくよく聴けば、同じ単純な旋律が各楽器で橋渡しされているだけだが、どうしてこんなに美しいのだろうか。シューマンの歌に対する天性の素晴らしさにちょっと感心。そんな場面をここでは、じっくりとしたテンポを設定し、実によく歌っていた。楽章が始まる前の、アウフタクトで、シュナイト師は「歌うように」との指示を指揮棒を置いた右手で出していたのが印象的。ヴァイオリンがともかく美しい。
そして、終楽章で今日のシューマンはものの見事に決まった!
明るく決然とした響きに強力なカンタービレ、今まで聴いていた2番は一体なんだったのだろうか、とドキドキしつつティンパニ(見事だった)の連打による大団円を迎えることとなった。ホールは、4楽章では、熱気につつまれそこここで、体を揺らす人、指で拍子を取る人などが見受けられた。ご一緒したyurikamomeさんのお話では、涙をぬぐうご婦人もいらっしゃったとか!

盛大な拍手とブラボー。シュナイトさんも楽員も満足で上機嫌の面持ち。
シューマンの新たな面を垣間見させてくれた、素晴らしいコンサート。
至福の土曜の午後であった。

その至福は、アフターコンサートでの歌声聞こえる居酒屋「一の蔵」での楽しい語らいで倍増されました。先生、yurikamomeさん、どうもお世話さまでした。

毎度ながら、ちょっと飲み過ぎ。でもいいお酒だから、今朝も快調。
早く起床し、仕事で狭山・川越まで車で高速を飛ばして、ただ今帰還。
シューマンの響きが頭をかけめぐりつつ、ちょうどよいドライブになった。


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2008年4月12日 (土)

パトリシア・プティボン ソプラノリサイタル

Petibon_2  初めて聴いて以来、私のアイドル的お気に入り歌手となった、「パトリシア・プティボン」の来日公演を聴く。
昨年の来日が流れ、今年、一番気持ちのいい季節にやってきてくれた。

昨年は、これまた念願の姉貴筋にあたる「ナタリー・デセイ」を聴くことができたから、二人の素敵なフランス・ソプラノがいながらにして味わえて、本当に幸せだ。

そのパトリシア、ナタリーの妹分なんてことを言ってらんない。
レパートリーが一部被るだけで、彼女は、ナタリーとは別の次元にあるユニークな存在の歌手だということを、今日は痛感させられた。

 アーン     「クロリスに」、「懐疑の人」、「葡萄摘みの3日間」
          「彼女の館のとりこになったとさ。」
 コープランド   歌曲集「アメリカの古い歌」第2集より
          「シオンの庭」、「小さな馬たち」、「チリガリン・チョウ」「河にて」
 ロザンタール 「フィド、フィド」、「動物園の年寄りラクダ」
 バーバー   「この輝ける夜に、きっと」
 アメリカ民謡 「私の愛する人は黒髪」
 プーランク   「ヴィオロン」、「愛の小径」

 コレ      「ラバ引きたちの人生」
 オブラドルス 「花嫁はおちびさん」
 トゥリーナ   「あなたの青い眼」
 ファリャ    「七つのスペイン民謡」より
           「ムーア人の布地」、「子守唄」
 モーツァルト 「フィガロの結婚」より
           バルバリーナのカヴァティーナ
           スザンナのアリア「早くおいで、美しい歓びよ」
 サティ     「ブロンズの彫像」、「ダフェネオ」
 アブルケル  「愛してる」

        ~アンコール~
 日本古謡   「さくら さくら」
 オッフェンバック 「ホフマン物語」よりオランピアのアリア
 カントルーブ  「オーベルヌの歌」より「羊飼いの娘よ、私を愛してるなら」
 ファリャ    「アストゥリアーナ」
 アブルケル  「愛してる」

      ソプラノ:パトリシア・プティボン
      ピアノ :マチェイ・ピクルスキ
                (4月12日@オペラシティ)


実に渋くも、魅力的なプログラム。
前半は、フランス、アメリカの曲を交互に。後半は、スペイン、フランス、ドイツで。
初聴きの曲ばかりだったけれど、最初のアーンの曲からもう惹かれっぱなし。
大きなホールでのリサイタルにちょっと不安だったが、バッハを思わせる清楚な音楽の第1曲目、パトリシアの第一声からして、その不安は消し飛んでしまった。

Pitibon  ソノリティの豊かさ、一音一音の粒立ちのよさ、歯切れのよさ、明晰な発声と発音、完璧なテクニック、以外や強い声、あふれ出る情感とユーモア、はじけとぶような才気・・・・。
もうどんな言葉を尽くしても語りきれない素晴らしさ。
加えてチャーミングで暖かな歌声があるものだから、誰をも魅了してしまうのは必然。
この来日で、パトリシアは、私のアイドルから日本中の音楽好きのアイドルになってしまったのではないかしら。
寂しくも嬉しいこの気持ち。世界を魅了する彼女。日本人がもっとも好む声質とステージマナーを兼ね備えているからなおのこと。
ホールは、最後は立ち上がっての歓声に包まれ、彼女は「アリガトウ」と投げキッス!
カワユイぞ!

このリサイタル、予想はしていたけれど、いろんな仕掛けやパフォーマンスが満載だった。
これに、ホールが一体となり、笑い、沸きにわいた。
少し詳しく紹介すると~
コープランドの「小さな馬たち」では、ウィンドチャイムやカスタネットなどを奏でながらの歌唱。次の「チンガリン・チョウ」では、陽気に足踏みをしながら舞台狭しと歌い、何故かイケメン風男性(日本人)が登場、彼はこれまたなかなかのイケメンピアニストにおもちゃのピストルで撃たれてしまうし、ピアニストはプティボンにクラッカーのピストルで撃たれる。
あとを、モップで掃除するユーモラスな彼女。
 オブラドルス「花嫁はおちびさん」では、達者な日本語による前置きがあった。
圧巻は「フィガロ」。
ホールの照明が落ち、舞台はピアニストの譜面を除き真っ暗。
緑色に光る野球のボールサイズの球体が転がり出てきて、それを拾い上げ持ちながら歌う。そのボール、青や黄、赤に変化する仕組みで、寂しさを歌うバルバリーナの心象をよく表わしていたのではなかろうか。
次のスザンナの結婚の歓びを待受ける健やかなアリアでは、お洒落な傘を持ちながら、そして傘に先ほどの光る球体を組み込んで思いを込めて歌った。
これには涙が出そうになった。なんて素適なスザンナなんどろう。
舞台は暗いまま、パトリシアのスザンナはそのまま舞台を下がっていった。
サティの2曲では、サイケなメガネをかけ、見世物小屋のしがなさを歌い、また大きな黒くて丸い付け鼻を付けたりはずしたりして、男女の会話を粋に歌ってみせたりもした。
 そして、最後は長い白い筒を持ちながらのアブルケルの「ジュテーム」。
Patricia_2 彼女のコロラトゥーラ炸裂の曲。舞台左右に動きまくり、筒をメガフォンに見立てて口に当てて歌ったり、客席に下りてきて、男性観客にちょっかいを出したり・・・。
ネクタイを引っ張られていた殿方がうらやましいぞ。私のほぼ斜め前。こんなことならネクタイしてくるんだった・・・・・。
それでもって、ジュテームの相手は、白い筒をするすると開くと、なんと「徳永英明」のポスターじゃないの!これには大受け。さらに、ピアニスト・マチェイ君、舞台袖から負けじとポスターを持ってきて広げると「柴咲コウ」だったものだから爆笑。

楽しいばかりでない。
アンコールでは、静謐な感が漂い観客を黙らせてしまった「さくらさくら」。
ビブラフォンを弾きながら歌う彼女。心に染み入る歌。
あらゆる歌に見せる適性の確かさ。おそらく彼女なら、日本の演歌も見事に歌ってしまうのではないかな!

普段馴染みのないアメリカの歌曲、バーバーや民謡での親密かつ心に響く情感豊かな歌には心底感動できた。コープランドの「河にて」も同様だったが、こりゃよく聴くと「たんたんたぬきの○○は・・・・」の歌でありました。
 さらにフランス語の響きの美しさ。
アーンやプーランク(とりわけ「愛の小径」の洒落た味わい)で聴く、パトリシアのフランス語には、我々日本人が逆立ちしても敵わないムードと情感に満ち満ちていた。
 
 
クリクリと動く眼、悪戯っぽい笑顔、元気なパフォーマンス、天性の歌うたいであり役者。
そんな彼女にまたメロメロになっちまったぜ。

Petibon2 終演後のサイン会は、パトリシア小吉ちゃんのすっかり虜と化した我々聴衆の長蛇の列にも終始笑顔で応対してくれた彼女。
「今度は、ツェルビネッタとゾフィーを聴かせて」と言おうと思ってたけれど、いざ彼女の前に立つと言葉が出てこない。だって、サインする前とした後に、にこやかに、こちらの顔を見つめてくれるのだもの。こんなドキドキしたの、おじさん久しぶりだよ~ん。
(ついでに言うと、イケメンピアニストも並んでサインしてたので、ついでに頂戴。このニイチャンにも見つめられてしもうた・・・・。要は二人とも、サービス精神旺盛なプロってこと)
写真も気軽に応じる気さくな彼女。
ずっとそのまま、ニュートラルで聡明であって欲しいな
今年、ベルクの「ルル」に挑戦するとのこと!!ジュネーヴに飛んでいきたい。

今回、ナタリーと同じく、romaniさんと並んで鑑賞。
同じ世代のお父さん同士、始終頷きっぱなし。今回もお世話になりました。

ナタリー&パトリシア、二人の共演を夢見て浮つくような足取りでホールをあとに。

プティボンのCD自己リンク
 「フレンチ・タッチ」
 「フランス・バロック・アリア」

 

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2008年4月 6日 (日)

ブラームス ドイツ・レクイエム シュナイト指揮

Schneidt_deutsches_requiem

4月3日は、ブラームスの命日だったそうな。
出張先の車の中で聴いたFM放送で知り、その放送では、ウラッハのクラリネット五重奏曲を流していた。
車を運転しながら、聴き入ってしまったけれど、あまりのロマンチックな泣きの演奏に、かえって辛い気分になってしまった。
名演だけれど、いま、このシテュエーションでは違うなって演奏ってある。
天に唾を吐くような思いだったが、ウラッハとウィーンの演奏は、まさにそう聴こえた。

ブラームスの音楽の聴き方が、曲にもよるがだんだんと変貌してきているように思う。
フルトヴェングラーやワルター、バーンスタインのようなロマン派的な演奏や、カラヤンのような響きを重視した演奏、ケンペ、ベーム、ザンデルリンクのようにカッチリした演奏。
これらも大いに好んで聴いているが、歌謡性もあってまろやかで豊かな詩情や歌に満ちたブラームスに、私は惹かれることが多い。

こんなことを長々と書いてきたのも、今日聴いたシュナイト師のドイツ・レクイエムがまさに、そうしたブラームスだったから。

         ブラームス    ドイツ・レクイエム

          S:平松英子    Br:トーマス・バウアー

    ハンス=マルティン・シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団
                          コンサートマスター:石田泰尚
                                                                      シュナイト・バッハ合唱団
                           (4月5日@オペラシティ)
   

Schneidt_deutsches_requiem2 昨年1月に、神奈川フィル定期で、シュナイト師のドイツ・レクイエムは聴いていて、その南ドイツ的な響きと精緻な音楽に感激したものだったが、今回はそれを上回る完成度で、75分あまり縛りつけられたように聴き入ることとなった。

こうした渋い演目となると、聴衆も心地よく眠りの境地へいざなわれてしまうもので、その対策としての飴やガムを口に運ぶガサガサ音が発生して気分を害してしまうのだが、今日はそれが皆無。
満席のホールの観衆は、宗教的な儀式に参列しているかのように、まんじりともせずに集中していた。
それゆえか、咳をする方が、やたら目立ってしまうことに・・・・。

この曲の試金石ともいえるような冒頭の静かな出だしから、慈しむような優しさに満ちていた。
そして、合唱がマタイ伝の一節「悲しんでいる人たちは幸いである・・・・・」と歌い始めると、もう私は感動で胸が一杯になってしまった。
ティンパニの痛打も全曲に渡って極めて印象的で、シュナイト師は、低音を時おり煽ったりして、充分響かせることに心を砕いていた。
第3曲のバリトンは、若いバウアー。この人の美しくも甘さをたたえた声は実に魅力的で、その誠実な歌は、宗教作品やリートにぴったり。
経歴をみると、レーゲンスブルクの聖歌隊の出身で、ここでシュナイト師との接点があったのであろう。
同じように、第5曲で清潔で天国的な歌声をホール一杯に響かせてくれた平松英子さんも、シュナイト師に師事したひとり。

このように、歌手も神奈川フィルが主体のオーケストラも、有志の合唱団も、すべてがシュナイト師を奉じて集まり、一丸となっていて、その絆というか、結びつきが作品の背景にある宗教心などをも越えてしまった音楽する喜びに到達していたように感じる。
それは、われわれ聴衆にも伝わってきて、こんな渋い音楽なのに、時おりブラームスらしい木管の優しい合いの手などを見つけては、微笑みさえ浮かべてしまう自分なのであった。

この作品のクライマックスであろう大規模なフーガを内包する、第3曲と第6曲が素晴らしかったのは当然として、優しさに満ちた第4曲と第5曲。
慰めに満ちた終曲。ハープのゆるやかなアルペッジョに伴なわれて静かに曲を閉じたとき、祈るようなシュナイト師の後姿を見つめながら、われわれ聴衆は拍手もなくじっと佇むのみであった。

「音楽の幸せ」ここに尽きる。

ライブ録音もなされていたので、そちらも楽しみ。
是非、多くの方に聴いていただきたい。

アフターコンサートは、新宿3丁目の素晴らしくも味わいゆたかな居酒屋の名店にご案内いただき、音楽の余韻を楽しみながら、おいしい酒と肴をいただきました。
みなさん、ありがとうございました。

 「ドイツ・レクイエム」自己リンク

 シュナイト/神奈川フィル
 尾高忠明/札幌交響楽団



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