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2018年12月20日 (木)

東京都交響楽団演奏会 R・シュトラウス ビゼー R=コルサコフ

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師走のクリスマス前の文化会館。

クリスマス感は、ちょっと少なめだけど、モニュメントがエントランスにいくつかありましたので、ちょっと手を加えてみました。

クリスマス期に、スペインにまつわる音楽特集。
それも、スペイン人以外の作曲者で。
なかなかナイスなプログラミングです。
そして、自分的には、R・シュトラウスの作品を数日の間に連続して聴けることが大きな喜びでした。
しかも、シュトラウス自身が、対の作品と称した「英雄の生涯」を聴いて、少し遡った作曲年代の「ドン・キホーテ」であります。

  東京都交響楽団第870回 定期演奏会

 R・シュトラウス     交響詩「ドン・キホーテ」

        Vc:ターニャ・テツラフ

        Vla:鈴木 学

 ビゼー          歌劇「カルメン」組曲より
                  A・ギルバート・セレクション

 R=コルサコフ     スペイン奇想曲

       アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団

         コンサートマスター:四方 恭子

               (2018.12.19 @東京文化会館)

演奏会の曲のメインということでは、シュトラウスが最後なのだろうけど、盛り上がりという点で、この演奏曲順は納得せざるをえない。
 そして、後半の名曲集の演奏があまりに鮮やかだったので、シュトラウスの滋味あふれる作品の印象が、コンサート終了後にちょっと弱まってしまった感はあります。

赤のドレスで登場のターニャ・テツラフさん、スリムで小柄な方で、遠めには、前駐日大使のキャロライン・ケネディを思い起こさせるような風貌です。
でも、写真でお顔を見ると、確かにお兄さんのヴァイオリニスト、クリスティアン・テツラフに似ている。
 その彼女のチェロの音色は美しい。名器ガァダニーニとのことですが、技巧に走らずバリバリ引くタイプでない、しっとりした雰囲気です。
兄たちとのアンサンブルや、カンマーフィルでの首席などの活動で、身についた、ほかの奏者をよく聴き、その溶け合いや対比にすぐさまに対応してゆくしなやかさを感じます。
実際、指揮者を挟んで向こう側で弾いていたヴィオラの鈴木さんの方をよく見て、聴いていました。
 狂気に走る、そんな唯我独尊的な主人公を雄弁に語る演奏は多々あれど、この日のターニャさんのチェロは、柔和な語り口の優しい雰囲気の主人公のように感じました。
だから、最終章の死の床にあった回想が、しみじみとして、そして万乗の物語を締めくくるに相応しいシーンとなりました。

対する従者のヴィオラの鈴木さんは、かなり克明な刻みで、ふくよかだけれども、音圧も豊かで、ご主人さまよりも、主張が明確、かつ強めの音。
でも、ヴィオラの肉声的な語りかけるような中声部的な魅力がたっぷり。

コンマス四方さんは、この日、ソロも多く、まさにベテランの味わい深さに、楽員の、指揮者のリスペクトを一身に受けてました。

そして、アラン・ギルバートさん。
登場人物たちの活躍の背景、シュトラウスの巧みな筆致によるオーケストラを、どちらかといえば控えがちに導いてました。
文化会館の木質だけれども、響きの少な目のパレットを意識したのでしょうか、ソロを引き立てるために、オーケストラを押さえがち。
曲の内容の違いもあるが、ノット&東響のノリに乗った、そして歌心にあふれたシュトラウスの前には分が悪かったし、オペラの経験もどんどん積んでほしいと思わせる、アランの指揮でした。
でも、ソロが出てこない場面のくだりは、都響の巧さもあって、聴きごたえ充分でした。

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後半は、オーケストラ名曲大会。

アラン・ギルバートの面目躍如たるシーンが展開されました。

明るいアメリカ人、オケを乗せまくり、キューの出し入れも正確無比に決まりまくり、奏者もずばずば決めまくり、聴き手もいつしかのりのりに!

通俗名曲たるカルメンは、巧みな選曲で、前奏曲に始まり、途中、有名アリアや間奏曲をはさみながら、ジプシーの踊りで猛烈なアッチェランドをかけて熱狂的に終了。
盛り上がりました。
私的には、アリアの数々を、オケのソロ楽器によって代用されるのは、原曲のイメージが強すぎるものだから、聴いててちょっとつらい部分もありますが、それにしても都響のソロの皆様の巧さは、芸達者の域に達してました。
闘牛士の歌なんか、思い切り歌いたくなりましたよ!

最後の、スペイン奇想曲。
アランさんは、聴衆を制しつつ、指揮台に昇るやいなや、あの開放的な打楽器満載のメロディーを一挙に鳴らしました。いい!
大好きなこの曲、16分ぐらいの長さが、実はとても長く感じる大きな音楽として聴くことができたのです。
R=コルサコフならではの、オーケストレーションの鮮やかさを、卓越した棒さばきでもって、エキゾチックなムードも満載に描きつくした演奏です。
都響のソロたちの安定感を、ここでも微に入り細を尽くしたバトンのキューでもって完璧に引き出すさまは、後ろから見ていて痛快。
 めちゃくちゃ盛り上がった後半に、アラン・ギルバートの面白さと実力を感じました。

都響の首席客演指揮者としてスタートしたばかりの、アラン・ギルバート。
NYPO時代の演奏の数々は、同団のHPから、わたくしもかなり聴きましたが、マーラーやショスタコーヴィチなどは二重丸。
でも、古典系やロマン派は、まだまだの感あり、そのあたりを今後いかに自分のものとしていくか、都響でも今後、ハイドンやモーツァルトを取り上げていくようなので、見守っていきたいと思ったりもした次第です。

終演後、オーケストラの中に入って聴衆の拍手にこたえる様子、わたしたち聴き手に手を振る様子など、フランクで、気のおけない雰囲気をもったアランさん、都響にも、日本の音楽シーンにも、とてもいい存在になりそうです。

楽しいコンサートでした♪

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今年も、チケットありながらいけなかったコンサートがいくつか。

何があるかわからない旅のような日々は、きっと来年も続くでしょう。

コンサートは、今年打ち止め。

あといくつか年内記事をUPします。

文化会館近くのお蕎麦屋さんで軽く一杯。
お皿が、めでた可愛かったのでパシャリ。

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2018年12月16日 (日)

東京交響楽団演奏会 ヴァレーズ R・シュトラウス

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サントリーホール内のすてきなツリー。

コンサート前のわくわく感が高まります。

そして、この日のコンサートは、激熱、高燃焼の密度の高い最高のものとなりました。

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 東京交響楽団第666回定期演奏会

ヴァレーズ    「密度21.5」(フルート・ソロ)

             「アメリカ」

  R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

            
Fl:甲藤 さち

            Vn:水谷 晃

 ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

          (2018.12.15 @サントリーホール)

これまたユニークで、好奇心をそそられる感度高いプログラム。
前半と後半で、ストーリーをつなげるのは、その意図を読み取るのは、私のような凡人には至難の業ですが、最初のヴァレーズ2作品を、休みなく続けて演奏した、ノットの考えにはまったくもって屈服せざるをえません。
 わたくしにとってのヴァレーズは、70年代、ズビン・メータがロス・フィルとレコーディングした「アルカナ」の1枚。
鳴り渡るサイレンや打楽器の殴打、聴いてたら、母親が何て聴いてんの?と驚かれました。
時は経て、そのときのハチャムチャ音楽のイメージのまま、ヴァレーズをろくに聴かずにまいりましたが、当時とうって変わって、多彩で多様な音楽を聴くことができるようになった現在、そのヴァレーズの音楽は、喧噪ばかりでない、緻密でかつ感覚的なものであることを、この度の、ノット&東響の凄演を聴いて思った次第。

友人の初演者フルーティストが作らせたプラチナ製のフルートの比重密度が、「21.5」ということでのソロ作品。
オーケストラも指揮者も全員揃ってから、ステージは暗くなり、首席フルートの甲藤さんにスポットがあたり静かに演奏された4分間。
コンサートの冒頭から、ホール中の聴き手の集中力が一気に高まります。
プログラムにも書いてあったので事前の承知事項でしたが、ドビュッシーの「シランクス」へのオマージュとしての作品。しっかりその音程も聴き取れましたし、なによりも甲藤さんの明晰なフルートの音色が素晴らしく、こんな大きなホールをフルート一本で音で満たすことができることへの憧れと驚きがありました。
そして、ヴァレーズのイメージを覆す、精緻な音楽であったことも、自分には新鮮な驚きでした。

次いでステージが明るくなるさま、今度はアルトフルートが、作品のモットーともいえる旋律を静かに奏でます。
こうして静かなソロ作品と、超巨大豊満な大オーケストラ作品とがつながりました!
このばかばかしいほどに喧噪ともとれる25分間、わたくしも、そしてほとんどの聴衆も、呪縛にあったかのように、パワーあふれる圧倒的なサウンドの連続に前作からの集中力を絶やすことなく聴き入りました!
 サイレンが常に鳴り渡るがゆえに、アメリカの都会をイメージもしますが、これも解説によれば、中南米も含めた広域南北アメリカを描いているとの由で、わたくしは、メキシコのレブルタスとか、アイヴズ、当然にストラヴィンスキーなどとともに、ベルクさえも聴いていて思い起こしてました。
ともかく、強烈な音圧で、何度も何度も襲ってくる。
ときおり顔をだす、モットーが息抜きみたいに感じる。
そしてエンディングの超烈しさと、超カッコよさは、しびれるほどの快感。
ノットの冴えわたる指揮ぶりも、P席からの観劇なだけにまるわかり。
あと15種におよぶ打楽器の数々とその演奏ぶりを上から覗く楽しみも、これまた極まれりでした。

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ここで休憩で、ほんとにほっとしました。

ホール、カラヤン広場もクリスマス。

さて、後半は、ヘルデンレーベン♪

深々と奏でられた英雄のテーマに、わたくしも含めて多くの方が、大きな安心感を抱いたことでしょう。
それほどに、前半の曲に逝ってしまったものですから。
おおらかに、大きな表情付けをもって英雄の登場が歌いこまれたあと、突然として敵出現で不穏な雰囲気になるが、ここでもって、ノット&東響の演奏にアクセルが入った感があった。
そのあとは、多少の傷もなんのその、さながらに、シュトラウスのオペラを聴くがごとく、舞台が次々に思い浮かぶような展開となりました。
しなやかなヴァイオリンソロをつとめたコンマスの水谷さん、なかなかの美音で、ノットも思い切り歌わせてましたし、同様に甘いオーボエ、艶やかなホルン、滔々と流れるシュトラウスならではの愛の場面に聞き惚れました。
 そして、戦場のかっこいいけれど壮絶な展開と、そのあとの高らかな勝利宣言、まったくもって背筋が痺れるような快感と高揚感に包まれた!
こんな感動していいんだろうか。
 そして続いた功績回顧。
これまで何気に聴いていたシュトラウスの過去作品からの旋律の数々、それぞれみんな丁寧に、埋没することなく浮き出て聴こえたのも、劇場たたき上げの指揮者ノットならではうまさ。
今回、「グンドラム」の旋律を明確に発見できたのも自分的には喜びです。
夕映え濃くなる、しみじみエンディングも素晴らしく、最後のエネルギーを一気に貯めて放出したかようなノットの渾身の一振りの最終和音も、やがて静かにきれいに消えていったわけだが、その後のホールの静寂も素晴らしいの一言。

 あ~、ほんとによかった。
最近、シュトラウスの交響詩を真剣に聴いてなかったけれど、その作品がほんとによく書けてるし、いい曲だと、心より思った次第です。
そして、なによりもシュトラウスはオペラの人なんだと、この演奏を聴いてつくづく実感。

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アークヒルズの美しいツリー。

このあと遠来の音楽仲間と新橋で一杯。

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馬刺し、そしてほどよい油をさらりと流してくれる芋焼酎で。

あと2週間で今年も終わりじゃん。

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2018年11月 3日 (土)

東京都交響楽団定期演奏会 シュレーカー、ツェムリンスキー

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 パソコンが逝ってしまったり、データも吹っ飛んでしまったりで傷心の日々。
遅ればせながら、超楽しみにしていたコンサートのことを書きます。

  東京都交響楽団 第864回定期演奏会

 シュレーカー      室内交響曲

 ツェムリンスキー   抒情交響曲

              S:アウシュリネ・ストゥンティーデ

      Br:アルマス・スヴィルパ

    大野 和士 指揮 東京都交響楽団

         (2018.10.24 @東京文化会館)

今年1月の「人魚姫」に続く、大野さんと都響のツェムリンスキー。
そして、シュレーカーとくれば、もう、わたくしのド・ストライク・ゾーンのコンサートなんです。

秋の装いが深まりつつある上野の森の晩、見上げれば月が美しい。

そこで響いた、後期ロマン派の終焉と、不安と焦燥、そして煌めく世紀末、それらを強く感じさせるふたりの作曲家の音楽。
その響きに身をゆだね、心身ともに開放され、我が脳裏は、100年前のウィーンやドイツの街を彷徨うような、そんな想いに満たされたのでした。

 シュレーカーの音楽をオペラを中心に聴き進めてきました。
9作あるオペラのうち、6作はブログにしました。
残る3作のうち、2つは準備中ですが、あとひとつが録音もない(たぶん)。
しかし、こんなわたくしも、「室内交響曲」は、存外の蚊帳の外状態でした。
音源も持ってるつもりが、持ってなかった。
 コンサートに合わせて予習しましたが、初期のブラームスチックな曲かと思いきや、「烙印された人々」の前ぐらいの時期で、わたくしの大好きなシュレーカー臭満載の、濃密かつ、明滅するような煌めきの音楽なのでした。

 文字通り、室内オーケストラサイズの編成でありながら、打楽器各種はふんだんに、そしてお得意のピアノに、チェレスタに、ハルモニウムが通常ミニサイズオケの後ろにぎっしり並んでる。
 連続する4つの楽章は、いろんなフレーズが、まるでパッチワークのように散り交ぜられ、それらが、混沌としつつも、大きな流れでひとつに繋がっているのを、眼前で、指揮姿や演奏姿を観ながら聴くとよくわかる。
それらの中で、オペラ「はるかな響き」と「音楽箱と王女」に出てきたような、聴きやすい旋律が何度か顔を出すのもうれしい聴きものでした。
 大野さんの、作品をしっかり掴んだ指揮ぶりは安定していて、都響のメンバーたちの感度の高い演奏スキルも見事なものでした。
 シュレーカーの音楽を聴いたあとに感じる、とりとめなさと、どこか離れたところにいる磨かずじまいの光沢ガラスみたいな感じ。
いつも思う、そんな感じも、自分的には、ちゃんとしっかり味わえました(笑)

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シュレーカー(1878~1934)、ツェムリンスキー(1871~1942)、ともにオペラ中心の作曲家であり、指揮者であり、教育者でもありました。
そして、ともに、ユダヤ系であったこともあり、活動期に登場するナチス政権により、他国に逃れたり、活動の制限を受けたりもしたし、シュレーカーの音楽にあっては、退廃音楽とのレッテルを貼られてしまう。
このふたりの音楽を並べて聴く意義を休憩時間にかみしめつつ。

後半は、オーケストラがステージ一杯にぎっしり。

黒い燕尾服に、シックな黒いドレス、リトアニアからやってきた、大野さんとも共演の多い二人の歌手は、指揮者の両脇に。

そして、始まったティンパニの強打と金管の咆哮。
この曲のモットーのようなモティーフ。
これを聴いちゃうと、もう数日間、このモティーフが頭に鳴り続けることになる。
この厭世観漂う、暗い宿命的な出だし、大野さん指揮する都響は、濁りなく豊かな響きでもって、この木質の文化会館のホールを満たした。
上々すぎる出だしに、加えてスヴィルパのバリトンがオーケストラを突き抜けるようにして豊麗なる歌声を聴かせるではないか。
不安に取りつかれたようなさまが、実に素晴らしい。
 それに対し、2楽章でのソプラノ、ストゥンティーデは、その出だしから声がこもりがち。
途中、強大化するオーケストラに、声が飲み込まれてしまう。
でも、のちの楽章では、しっかり復調したように、なかなかに尖がった、でもなかなかの美声を聴くことができて、とても安心した。

不安と焦燥から、こんどは濃密な愛を語る中間部。
バリトンの歌う、「Du bist mein Eigen、mein du,・・・」
「おまえは、わたしのもの、わたしのもの、わたしの絶えることのない、夢の中の住人よ」
もっとも好きなところ、まさに抒情交響曲と呼ぶにふさわしい場面。
胸が震えるほどステキだった。
 さらに、ソプラノがそれに応える、「Sprich zu mir , Geliebter」
「話してください、いとしい方」
復調のストゥンティーデのガラスのような繊細な歌声、それに絡まる、ヴァイオリンソロや、ハープにチェレスタといったキラキラサウンド。
耳を澄まして、そして研ぎ澄ませて、わたくしは、陶酔境へ誘われる思いだった。

でも、早くも男は愛から逃れようとし、女は別れを口にする。
大野さんのダイナミックな指揮のもと、激しいオーケストラの展開、打楽器の強打に、ビジュアル的にも目が離せない。
ここでのストゥンティーデの、カタストロフ的な絶叫も、ライブで聴くとCDと違ってスピーカーを心配することがなく、安心して堪能。
静的ななかでの、強大なダイナミズムの幅。
素晴らしい音楽であり、見事な都響の演奏と感じ入る。

最終章は、バリトンの回顧録。
スヴィルパさん、とてもマイルドな歌声で素晴らしい。
わたくしも、これまでの、この演奏のはじめから、振り返るような気持ちで聴き入りました。
そして、わたくしは、愛に満ちたマーラーの10番を思い起こしてしまった。
ときおり、あのモットーが顔を出しながらも、濃密でありながら、どこか吹っ切れたような、別れの音楽。
 ふだん、CDでは、あまり意識してなかった、オーケストラのグリッサンドが、この演奏ではとても強調され、そして効果的に聴こえたことも特筆すべきです。

静かに、しずかに終わったあとのしばしの静寂。
ひとこと、「ブラボ」と静かに発しようと思ったけど、そして、いい感じにできそうだったけれど、やめときました。
心のなかで、静かに声にするにとどめました。

この作品の良さを、心行くまで聴かせてくれた素晴らしい演奏でした。
大野さんの、この時代の音楽、オペラ指揮者としての適性をまた強く感じたこともここに記しておきたいです。

甘やかな気持ちで、ホールを出ると、月はさらに高く昇ってました。

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近くで軽く嗜んでから夢見心地で帰りました。

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2018年7月16日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 エルガー「ゲロンティアスの夢」 ジョナサン・ノット指揮

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暑い、暑い夏の夜、涼し気な水辺。

大いなる感銘に心開かれ、爽快なる気持ちに浸ることができました。

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  エルガー  オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 op.38

      T:マクシミリアン・シュミット
     Ms:サーシャ・クック
     Br:クリストファー・モルトマン

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
                  東響コーラス
           合唱指揮:冨平恭平
           コンサートマスター:グレブ・ニキティン

                    (2018.7.14 @サントリーホール)

ともかく感動、曲中、わなわなしてきて嗚咽しそうになった。

2005年、同じく東響の大友さん指揮のゲロンティアスを聴き逃してから13年。
実演でついに、それも理想的かつ完璧な演奏に出会うことができました。

CDで普段聴くのとは格段にその印象も異なり、この音楽の全体感というか、全貌を確実に掴むことが出来た思いです。

この半月あまり、ネット視聴と、その録音でもって、バイエルン国立歌劇場のペトレンコの「パルジファル」と、サロネン&フィルハーモニアの「グレの歌」をことあるごとに聴いていた。6月末から7月にかけて、演奏・上演されたそれらの、わたくしの最も好む音楽たち。
 そしてほどなく、こちらの「ゲロンティアス」。

いずれもテノールが主役で、苦悩と、その苦悩のうちから光明をつかむ展開とその音楽づくり。
今回、ゲロンティアスをじっくりと、そしてノットの指揮で聴くことができて、それらの作品(もっともグレは、発想はほぼ同時期ながら、作曲はゲロ夢の少しあと)との親和性を強く感じた次第でもあります。
あと、いつも想起するのが、ミサ・ソレムニス。感極まる合唱のフーガ。

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いつでも機会があったのに、ノットの指揮を聴くのは実に2006年のバンベルク響との来日以来のこと。
武満徹に、濃密な未完成、爆発的なベト7の演奏会で、その時の柔和な横顔に似合わぬ強い指揮ぶりをよく覚えてます。
 ところが、久しぶりのノットの指揮姿は、流麗かつ柔らかなもので、そこから導きだされる音楽は、どんなに大きな音、強い音でも刺激的なものは一切なく、緻密に重なり合う音符たちが、しなやかに織り重なって聴こえるほどに美しいのでした。
ドイツのオペラハウスから叩き上げの英国指揮者。
根っからの歌へのこだわりが生んだ、緻密ながらも歌心ある演奏。
それに応える東響のアンサンブルの見事さ。
完全にノットの指揮と一体化していたように思います。

それから特筆すべきは、東響コーラスの見事さ。
暗譜で全員が均一な歌声で、涼やかで透明感あふれる女声に、リアルで力強い男声が心に残ります。
時に聖句を持って歌うか所があるが、それらは本場英国の合唱さながらに、まるでカテドラルの中にいて聴くような想いになりました!

 あと、ノットの選んだ3人のソロ歌手も、非の打ち所のないすばらしさ。

ドイツ人とは思えない、イギリス・テナーのような歌声のシュミット。
エヴァンゲリストやバッハのカンタータ、モーツァルトのオペラ、フロレスタンなどを持ち役にするリリックなテノールですが、無垢さと悩み多き存在という二律背反的な役まわりにはぴったりの歌声でした。

声量は抑え目に、でも心を込めた天使を素敵に歌ったのがアメリカ人のクックさん。
最後の業なしたあとの告別の場面は、涙ちょちょぎれるほどに感動しました。
バッハのカンタータから、大地の歌、カルメン、ワーグナーまでも歌う広大なレパートリーを持った彼女ですが、そのチャーミングな所作とともに、清潔な歌がとても気にいりました。

出番少な目でもったいないぐらいに思ったのが、極めて立派な声で決然とした歌にびっくりしたモルトマン。この方は英国人。
英国バリトンは、柔らかく明るめの基調の声の方が多いが、モルトマン氏は、明瞭ながらもかなり強い声。ドン・ジョヴァンニやヴェルディのバリトンの諸役を得意にしているそうだから、きっとそれらもバリッといいことでしょう!

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しかし、ほんとに、いい音楽。

わなわなした箇所いくつか。

①いきなり前奏曲で、荘重な中からの盛り上がりで。

②ゲロンティアスが、サンクトゥスと聖なる神を称えつつも許しを祈る場面。
 この何度も繰り返し出てくるモティーフが大好きで、ときおり歌ってしまうのだ。

③第一部最後に、決然と歌いだすバリトンの司祭。背筋が伸びました。

④わなわなはしなかったけれど、悪魔たちの喧騒、そしてHa!
 生で聴くと、スピーカーの歪みや周りを気にせずに、思い切り没頭できるのさ。

⑤悪魔去り、天使たちが後の感動的な褒めたたえの歌を、前触れとして、ささやくように歌うか所。

⑥そして、ついに来る感動の頂点は、ハープのアルペッジョでもってやってくる。
 合唱のユニゾンでPraise to the Holiest in the light
  キターーーーーー、もうここから泣き出す。

⑦いつもびっくりの一撃は、これも生だと安心さ。

⑧最後のトドメは、最後の天使の歌と、静かな平和なるエンディング。
 祈るような気持ちで聴いてました。

ノットの指揮棒は、しばらく止まったまま。

ホールも静まったまま、誰ひとり動かない。

そっと降ろされるノットの腕。

しばらくして、それはそれは大きな拍手で、ブラボーはあるが、野放図さはなし。
間違いなくホールの聴き手のずべてが、感動に満たされていたと思う。

本当に素晴らしかった、心に残るコンサートでした。

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終演後、澄み切った味わいの日本酒を。

遠来の音楽仲間と語り合いました。

 過去記事

「エルガー ゲロンティアスの夢 ギブソン指揮」

「ジョナサン・ノット指揮 バンベルク交響楽団演奏会2006」

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2018年7月 1日 (日)

新日本フィルハーモニー定期演奏会 ベルク&マーラー リットン指揮

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梅雨明けの暑い夕暮れ、こんな景色が望めるホールに行ってきました。

久々のトリフォニーホールは、ベルクとマーラーの世紀末系、わたくしの大好物が並ぶ、新日フィルの定期でした。

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   ベルク    歌劇「ルル」組曲

           アルテンベルクの詩による歌曲集

   マーラー    交響曲第4番 ト長調

            S:林 正子

    アンドリュー・リットン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

                (2018.6.29 @すみだトリフォニーホール)


林正子さんを、3曲ともにソリストに迎えた、わたくしにとって魅惑のプログラム。
昨年のマルシャリンが素晴らしかった林さんのソロ、感想を先に言ってしまうと、マーラーよりベルクの方がよかった。
それは彼女の声質や、ホールでの聞こえかたからくる印象かもしれませんが、透明感と、一方で力強さのある声がストレートにわたしの耳に届いたのがベルクの方でした。
マーラーは、よく歌っていたけれど、オーケストラとのバランスや、間がちょっとかみ合わないような気もして、それはリットン氏の指揮にも要因があったようにも感じます。
 短い場面だけれど、ファムファタールたるルルを可愛く、そして小悪魔的に、宿命的歌わなければならない「ルルの歌」。幅広い音域を巧みに、でも柔らかさも失わずに聞かせてきれたように思います。
 一方のもうひとりの役柄、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の哀しみも、虚無感とともに、とても出てました。

 アルテンベルクは短い歌曲集だけれど、いまだに、何度聴いても、全貌がつかめません。
生で聴くのが初めてで、今回、たっぷり大編成のオーケストラが時に咆哮しても、知的に抑制され、歌手もその中で、楽器のように生かされているのを感じました。
そして、イメージやフレーズが、ヴォツェックに親和性があることも、よくわかったし、オペラの形態で追い求めたシンメトリーな構成をも聞き取ることができたのも実演のありがたみ。
林さんの、これまた抑制された歌声は、クールで切れ味も鋭いが、暖かさもただよわす大人の歌唱で、完璧でした。
 ベルクは、この歌曲集を、1912年に作曲しているが、作曲の動機は、マーラーの大地の歌を聴いたことによるもの。

時代は遡るが、後半はベルクからマーラーへ。

マーラーを得意にしているリットンさん。
手の内に入った作品ならではの、自在な音楽造りで、もうすっかり聴きなじんだ4番が、とても新鮮に、かつ、面白く聴くことができました。
強弱のつけ方、テンポの揺らしなど、細かなところに、いろんな発見もありました。
新日フィルも、それにピタリとつけて、とても反応がよろしい。
 1楽章の集結部、ものすごくテンポを落とし、弱めに徐々に音とスピードを速めていって、にぎやかに終わらせるという、聴きようによってはあざとい場面を聴かせてくれたが、実演ではこんなのもOKだ、面白かった。
 2度上げで調弦されたヴァイオリンと2挺弾きのコンマスの西江さん、繊細かつ洒脱でとてもよろしいかった2楽章。こちらも、細かなところにいろんな仕掛けがあって楽しい聴きもの。
 で、一番よかったのが、天国的なまでに美しかった3楽章。
美しいという形容以外の言葉しか浮かばない。
よく良く歌わせ、思い入れも、タメもばっちり、わたしの好きな、この3楽章の演奏のひとつとなりました。
 終楽章は、先にも書いた通り、歌が入ることで、ちょっとバランスがどうかな、となりましたが、これまた、心がホッとするような平安誘う、静かなエンディングと、大きな拍手までのしばしの間を楽しむことが出来ました。

ルル組曲の最初の方が、エンジンかかりきらない感じはありましたが、愛好するベルクの「ルル」を久々にライブで聴けた喜びとともに、マーラー⇒ベルクという世紀またぎの音楽探訪を、夏の一夜に堪能できました♪

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ホールを出ると、こんなクールなスカイツリー。

幸せな気分を後押し。

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2018年6月10日 (日)

「グリーンウェーブコンサート 20th」

Greenwave2018

初夏の恒例、今年もグリーンウェーブコンサートに行ってまいりました。

20年の節目。

保土ヶ谷の高台、仏向町にあるハンズゴルフクラブで行われる、神奈川フィルのヴァイオリン奏者、森園ゆりさんのコンサート。
相方のピアニストは、こちらもすっかりおなじみになりました、佐藤裕子さん。

梅雨どきに行われるけれど、毎回、晴れ率が高く、ことさら今年は30度越えの暑い一日となりました。
でも、緑に囲まれ、ときおり、ティーショットの心地よい音が漏れ聞こえる、それが音楽の邪魔にならない、そんな爽やかなひと時が、毎年の楽しみ。

Greenwave20th

  1.シューベルト         「アベ・マリア」

  2.ベートーヴェン   ヴァイオリンソナタ第5番「春」  第1楽章

  3.ヴィエニャフスキ    創作主題による華麗な変奏曲

  4.ショパン         マズルカ op.33-4

  5.パガニーニ          「ラ・カンパネラ」

  6.シンディング     プレスト

  7.モリコーネ       ニューシネマパラダイス

  8.ヘス          ラヴェンダーの咲く庭で

  9.ブラームス      ハンガリー舞曲第5番

  9.サラサーテ       ツィゴイネルワイゼン

 10.森園康香       花の香り~アンコール

         ヴァイオリン:森園ゆり

         ピアノ    :佐藤裕子

           (2018.6.9 @ハンズゴルフクラブ)

何度目かの曲もあり、初の曲もあり、そんななかで、ご自身も解説されてましたが、毎回入れる、自分としての勝負曲、そして聴き手にも、聴く覚悟を迫る作品、それが3曲目のヴィエニャフスキ。
攻めの姿勢で、まさに華麗なテクニックも披歴もありましたが、この曲の陰りある部分もしっとりと聴かせてくれました。

毎回、よく練られたプログラム。
ドイツ初期ロマン派の爽やかさで始まり、ついで、ヴィエニャフスキとショパンのピアノ作品(佐藤さんの安定感あるピアノ、素敵でした)でポーランドの憂愁。

イタリアと北欧の、風土異なる作曲家ふたり。
ことにシンディングは、これまで何度も聴いてきたけれど、段々とシンプルに音楽だけがそこに鳴っているような感じになってきたように思うのは私だけでしょうか。

シネマ系の作品ふたつ。
映画好きでもあるワタクシの心に触れるステキな選曲。
望郷さそうニューシネマP、そして、大好きなラヴェンダーの咲く庭では、こちらも切ない主人公の思いが、美しく切々と奏でられました。
この2曲が、この日の一番のわたくしにとっても聴きもの。

最後は、エキゾティックなハンガリーもので、お客様も大喜び♪

楽しいコンサートのお開きのお決まりは、ドイツで活躍中の娘さん、康香さんのこの日のための新曲。
チャーミングだけれど、音の進行など、なかなかと思わせる小品でした。

オーケストラの一員としての存在と、こうしてソロコンサートを行うソリストとしての森園さん。
断続的に聴かせていただき、今年は、ことに内省的な音楽の掘り下げを感じました。
わたしのような凡人には、表現者たる芸術家が、とてもうらやましく思ったりもします。
心情や感情を、音楽にその想いを載せて発信できるのですから。

Greemwave2018

絵面はよくありませんが、こちらもお楽しみの軽食。

毎回、おいしゅうございます。

梅雨のひと休み、初夏の1日を楽しみましたよ。

過去記事

 「2011年 第13回」

 「2012年 第14回

 「2013年 第15回」

 「2014年 第16回」

 「2015年 第17回」


 「2017年 第19回」

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2018年1月13日 (土)

「町人貴族」「人魚姫」 大野和士指揮 東京都交響楽団

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サントリーホールのエントランスには、Happy New Yearが。

その写真を撮って、都響のパンフを貼り合わせてみました。

    東京都交響楽団 第846回 定期演奏会

  R・シュトラウス   組曲「町人貴族」

  ツェムリンスキー  交響詩「人魚姫」

     大野 和士指揮 東京都交響楽団

              (2018.1.10 サントリーホール)


両曲とも、コンサートで聴くのはお初の新年演奏会初め。

大好きな二人の作曲家、ことに、ツェムリンスキーを聴き逃す手はない。

ピアノを中心に、打楽器各種を交えた室内編成のオーケストラ。
それぞれのソロがふんだんにあるものだから、都響の名手たちを聴く楽しみもある。

モリエールの町人貴族につけたリュリの音楽の編曲も、シュトラウスの手にかかると、煌びやかで、ちょっと甘味なテイストに。
シュトラウスのオリジナル作曲部分は、もっと手がこんでいて、古典風な姿をまといつつも、ナクソスのアリアドネを思わせる、地中海風な明快さと透明感のあるサウンドが実に心地よいのだ。
実演で聴くと、集中して聴くものだから、そんな想いを容易に抱くことができました。
 週のなか日、連休疲れもあります、そんな聴衆の中には、この心地よい音楽と滑らかな演奏に、すやすやとお休みになられる方もそこそこ見受けられました。

ドン・キホーテやばらの騎士よりの引用がチラホラ出てくる、終曲が音楽としてもこれまた面白くて、あと、ラインの黄金が出てくるところも、今回はちゃんと確認できたのもうれしかった!
洒脱なエンディングもナイスでした。

という感じで、前半は、肩慣らし的に。

後半は、お目当ての「人魚姫」。
「抒情交響曲」は、レコード時代、マゼール盤で開眼し、「人魚姫」は、かれこれ25年ほど前に、シャイーのライブ演奏を録音し、それを飽くことなく聴きまくり、その後に出たスタジオ録音のCDで、この曲が愛おしい存在となりました。

悲しい、そして同情をそそる、アンデルセンの童話につけられたツェムリンスキーの音楽は、ともかく美しい。
ライトモティーフも用いて、全3楽章が有機的につながり、アンデルセンの物語に沿って、その筋を思いながら聴くもよし、大オーケストラの音の洪水や、煌めくような音のシャワーや甘味なるサウンドに思い切り浸るもよしだ。

ピアニシモから強大なフォルテまで、演奏会で聴くことができたので、普段、まわりに気兼ねしてしまうCD聴きとは大違いに、音楽そのものにのめり込むことができた。

大野さんは、シュトラウスでは譜面を見ながら、ツェムリンスキーでは、譜面台も置かず、暗譜で指揮をした。
大野さんの指揮は、新国のトリスタンでも感じたことだが、指揮棒や指先から、音符が音になって振り撒かれるように、音楽そのもに一体化してしまうもので、このツェムリンスキーでも、その指揮姿を拝見しているだけで曲のイメージが沸き上がってくる。
オーケストラもこうした的確で安定的な指揮だと、きっと演奏しやすいであろう。

都響ならではの分厚い響きと、繊細な音色を堪能できたが、今回の演奏は浮ついたところがなく、キリリと引き締まったもので、大人の世紀末サウンドと感じました。
コンサートマスターの矢部さんの奏でる、麗しの愛の動機と、そこに合いの手を入れる木管の煌めき・・・、なんて美しいのだろう、と恍惚としてしまうことしきりでした。

人魚姫が死をえらび、海の泡となって立ち上ってゆく最終場面は、さながらレクイエムのようで、哀しさに身もつまされるような想いになりました。
心を込めた演奏ゆえ、ほんとうに沁みわたりました。

ホールを出ると、冷たい冬が待ってましたが、わたくしは、あのヴァイオリンの旋律を何度も思い浮かべながら暖かな心持ちで街を歩きました。

 当ブログの「ツェムリンスキー」記事


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ツェムリンスキー 「人魚姫」 と同じ香りのする音楽

 シェーンベルク 「ペレアスとメリザンド」
            「清められた夜」

 コルンゴルト  「シンフォニエッタ」

 アルヴェーン  交響曲第4番「海辺の岩礁から」

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2017年12月15日 (金)

ドヴォルザーク、マルティヌー、ブラームス フルシャ指揮 東京都交響楽団

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ヤクブ・フルシャ指揮する、東京都交響楽団の定期演奏会を聴いてまいりました。

 東京都交響楽団 第844回定期演奏会

  ドヴォルザーク  序曲「オセロ」

  マルティヌー    交響曲第2番

  ブラームス     交響曲第2番 ニ長調 

    ヤクブ・フルシャ 指揮 東京都交響楽団

            (2017.12.11 @東京文化会館)


前半がボヘミア、後半が独墺。
ブラームスとマルティヌー、そしてスークと集中的に取り組んできたフルシャの、首席客演指揮者としての最後のシリーズ。
この回とは別に、マルティヌーとブラームスのそれぞれ1番の交響曲が演奏されて、首席客演のポストの退任となります。

ここ数年、見る間に躍進したフルシャ。
バンベルク響の首席に加え、チェコフィルの首席客演への就任、フィルハーモニア菅にも客演ポストを持っている多忙な指揮者になりました。
ビエロフラーヴェク亡きチェコの音楽界をリードしてゆくことになるでしょう。

さて、渋いドヴォルザークの序曲。
3部作の序曲のひとつ、「オセロ」は、3つの中では一番地味ながら、美しい「自然のなかで」と同じ旋律も出てくるし、じっくり聴けば、いかにもドヴォルザークらしい、優しいメロディにもあふれていて、とても素敵な曲だ。
フルシャの情のこもった指揮に、都響の豊かなサウンド、それに文化会館の木質の響きが加わって、ほのぼの感と、終結部の切れ味のいいエンディングとが、ともにばっちり。
中間部にさらりと出てくる弦の懐かしい旋律に、思わず涙腺が刺激されました。

マルティヌーは、CDでは聴いてはいるが、実演でじっくり聴くのは初めて。(以前に神奈川フィルのゲネプロで4番)
ブラームスの1番と2番の関係にもたとえられるマルティヌーの1番と2番。
CDで聴いているといつも思う、錯綜するややこしさをマルティヌーの音楽に感じていたが、こうしてライブで聴いてみると、この2番の特徴である牧歌的な明るさとともに、マルティヌーが、各楽器をいくつものグループに分けたり、くっつけたりして、いろんなことが同時にそれぞれ進行していくさまが、とてもよくわかって、ほんとうにおもしろかった。
そして、マルティヌーの音楽が、決してモダンでも現代風でもなく、4つの楽章にしっかりと構成された伝統的な交響曲であること、そしてアメリカ亡命先での生涯の活動であったものの、やはりマルティヌーの音楽はチェコのものであること、そんなこともよくわかりました。
 マルティヌー協会の会長もつとめるフルシャの適格な指揮ぶりが、安定してました。
そして、マルティヌーの音楽に、きらきらした色彩も感じ取ることができたのも指揮者の腕前でしょうか。
第二楽章がことに美しく、ときに不安をも感じるほどの楽想の表現もよかったです。
にぎやかな終楽章も楽しくて、ブラボーも飛び交ったのも頷けるノリのよい演奏でした。

 後半は、おなじみのブラームス。
前半は、あまり親しみの少ない音楽だったの比べ、ブラームスの、それも伸びやかな2番ですから、冒頭から会場の雰囲気の和み方が違うように思いました。
 演奏もまさにそのとおりで、オーケストラもほんとうに気持ちよさそうに、体を揺らしながら、ブラームスをたっぷりと奏でております。
その演奏ぶりを、まったく邪魔することなく、オケを信頼して、そして解放してしまったかのような大らかな指揮のフルシャでした。
1楽章の繰り返しもしっかり行いつつ、インテンポでじっくりと仕上げられたブラームス。
忙しい12月に、そして、少し憂鬱な月曜日の締めくくりを、晴れやかな気分にしてくれた喜びに満ちた終楽章で、今度は聴き手みんなの心を明るく解き放ってくれた演奏でした。
 気持ちいい~

大きな拍手は鳴りやむことなく、そして楽員を称えるフルシャさん、次の会にはおそらく降り番なのでしょうか、コンマスの四方さんに敬意を込めて両頬にキッス。
退任の感謝のご挨拶、とても微笑ましく、そしてとても紳士的でした。

素敵な演奏会をありがとうございました。

帰りに、上野駅のパンダフルクリスマスをばパシャリとしました。

Pandatree

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2017年11月27日 (月)

フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団演奏会 2017.11.26

Minatomirai

日曜の夜のみなとみらいは、風が強かったがゆえに、空気も澄んで見通しがよかったです。

そして、みなとみらいホールで、見通しもよく、すっきり・くっきりの快演を堪能したました。

Wiener_symphoniker

   ベートーヴェン  交響曲第5番

   マーラー      交響曲第1番

   J・シュトラウス  「トリッチ・トラッチ・ポルカ」

              ポルカ「雷鳴と電光」

     フィリップ・ジョルダン 指揮 ウィーン交響楽団

                (1976.11.26 @みなとみらいホール)


75年のジュリーニ、2006年のルイージに次ぐ、3度目のウィーン交響楽団の演奏会。

ウィーンのセカンドオーケストラみたいに思われてるけど、ウィーンフィルは、ウィーン国立歌劇場のコンサート用のオーケストラで、いまでこそメンバーはほぼ一定のようだが、かつては、連日続くオペラの影響も受けてメンバーも変わったりということもあり、ウィーンの正統シンフォニーオケはウィーン響で、オペラ主体で、伝統ある定期演奏会もやるのがウィーンフィルという感じだったのが70年代頃まででしょうか。

ワルターやカラヤン、ベームも始終指揮をしていたけれど、ウィーン響は、長く続く首席指揮者が意外といなかった。
長かったのは、カラヤンとサヴァリッシュで、その後はジュリーニ、ラインスドルフ、シュタインも一時、ロジェストヴェンスキー、プレートル、エッシェンバッハ、デ・ブルゴス、フェドセーエフ、ルイージと、目まぐるしく指揮者が変わっているし、独墺系の人が少ないのも特徴。

でも、そんなウィーン響が好きで、レコード時代のサヴァリッシュの印象がずっとあるから。

前置き長いですね。

だから、今後の指揮界をしょって立つひとりの、P・ジョルダンには、長くその任について欲しいと思うし、おそらく初来日のジョルダンをともかく聴きたかった。
 スイスのドイツ語圏、チューリヒの出身であり、根っからのオペラ指揮者だった、アルミン・ジョルダンを父に持つフィリップが、オペラの道から叩き上げて、いまやパリ・オペラ座に、やがてウィーン国立歌劇場の指揮者にもなり、さらにバイロイトでもおそらく中心的な指揮者になりつつあることは、サラブレットの血筋とともに、スイス人的なオールマイティぶりにもあるものと思われる。

パリ・オペラ管とのベートーヴェン全集は、映像ですでに残されていて、いくつか視聴したが、今回のウィーン響との演奏は、現在チクルスで取り組み中であり、オーケストラの違いもあって、よりジョルダンらしさが徹底されていた。
 日本来日、初音出しが、第5なのも劇的。
対抗配置で、ベーレンライター版。
心地よいほどの快速なテンポでぐいぐい進むが、せかされたり、味気なかったりという想いはまったくない。
繰り返しは省略され、1楽章と2楽章、2楽章と3楽章は、指揮棒を止めず、ほぼ連続して演奏された。
全体が一気に演奏されたわけだが、緻密なスコアがあのモティーフで全体がつながり、そして暗から明という流れも明確になり、曲の密度もぐっと増した感がある。
 大振りの若々しい指揮ながら、オーケストラを完全に掌握していて、巧みに抑制をかけたりして考え抜かれた演奏でもあった。
全曲、おそらく30分ぐらい。
息つく間もなく歓喜のエンディングで、いきなり、ブラボーも飛び交いました。

ジョルダン&ウィーン響は、ベートーヴェン全集を収録中で、ウィーン響のサイトから拝借してここに張り付けておきます。第5も少し聴けます。
 
休憩後は、マーラーの1番。
2006年のルイージとの来日でも、この曲聴きました。

当時の配置の記憶はもうないが、今回のジョルダンのマーラーは、ベートーヴェンに引き続き対抗配置。
そして、改訂版では、3楽章のコントラバスはパートのユニゾンとされ、ルイージもそのとおりに演奏し、初改訂版だったので驚いたが、今回のジョルダン指揮では、慣れ親しんだソロパートによる演奏。
このソロがまた、艶やかで美しかった!
 そして、ルイージが避けた、終楽章のホルンパートのスタンドアップ。
ジョルダンは伝統に準じ、晴れやかにホルン全員立ち上がりました。

こんなことでわかる演奏の特徴。
アバドも一部そうだけど、装飾を排し、音楽の本質にピュアに迫るルイージの姿勢。
マーラー演奏において流れてきた伝統や、オーケストラのこれまでの伝統のなかで、過度なアーティキュレーションを抑えつつ、マーラーの持つ音楽の豊かさ、歌心において、新鮮な解釈を聴かせてくれたのがジョルダンだと思う。
伝統と、父親の姿をも意識するジョルダンと、新しい音楽の風潮が、フィリップのなかで、見事に昇華されて、彼の音楽観が生まれているんだろう。
 そんななかで、普段見過ごしがちな第2楽章が極めて面白かった。
ジョルダンの刻む、弾むリズムに、オーケストラが生き生きと反応し、新鮮なレントラーだった。そこにはウィーンの響きも。
 そして当然に、一気に、でも冷静さももって突き進んだフィナーレ。
自然な盛り上げでもって、高らかなファンファーレでもって爆発的なエンディング。
 そう、ものすごいブラボーでした。。。
ひっこんだと思うと、あっというまに出てくる精力的なジョルダン。
オケ全員を、一斉に振り向かせてホール後ろの客席にもご挨拶。

そして、アンコールは、爆発的な2曲。
みなとみらいホールは、最高に熱くなりました!

2020年、ウィーン国立歌劇場の指揮者になると、当然にウィーンフィルとの関係も深くなるので、ニュー・イヤーコンサートにも登場することでしょう。
明るい雰囲気と、優れた音楽性とその背景にある音楽への愛情と確信。

P・ジョルダンとウィーン交響楽団に注目!

コンサートのあとは、野毛で一杯。

神奈川フィルもお休み続きで心苦しい。
なんときゃ行かなくちゃ。
そして、ベイファンのお店でした。

Wiener_symphoniker_2

ジョルダン過去記事


 「ニーベルングの指環 オーケストラハイライト パリ」

 「バイロイト音楽祭 ニュルンベルクのマイスタージンガー」

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2017年11月11日 (土)

シベリウス 「クレルヴォ」交響曲 東京都交響楽団演奏会

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上野公園のイルミネーション。

コンサート後の、火照った心をクールに沈めてくれる。

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  東京都交響楽団第842回定期演奏会
  フィンランド独立100年記念

   シベリウス 「クレルヴォ交響曲」

          交響詩「フィンランディア」

     Ms:ニーナ・ケイテル

     Br:トゥオマス・プリシオ

  ハンヌ・リントゥ指揮 東京都交響楽団
               フィンランド・ポリテク男声合唱団
               合唱指揮:サーラ・アイッタクンプ

            (2017.11.8 東京文化会館)


シベリウス(1865~1957)の大作、クルルヴォ交響曲は、75分から80分もかかるうえ、フィンランド語による独唱と男声合唱を要することもあり、なかなか演奏機会に恵まれない。

フィンランド国、独立100年の記念行事の一環でもある、大いに意義に満ちたコンサートだったのであります。

簡単に、遠くても、親しみのある親日国フィンランドの歴史をざっくり紐解いてみる。
古代や先史時代はともかくとして、12世紀ごろにフィン人の国が形造られ、同時に隣国の強国スウェーデンとの葛藤も長く続き、やがて18世紀頃からは、ロシアの影響下におかれ、宗主国的な存在となる。
19世紀には、民族独立的な機運が芽生え、やがて1917年、ロシア革命に乗じて真の独立を果たす。

これが100年前。
そのあとも、ドイツ側について、ソ連との戦いになり、敗戦国ともなるが、東西からは巧みに一線を隔す存在になり、大らかな民主主義国家を貫いているが、近年は反ロシア的な動きで、NATO寄りに傾く政策を実施中・・・・とのこと。
前置き長いですが、愛国作曲家シベリウスの音楽を聴くうえで、そんなフィンランドの歴史を頭に置いておくことも肝要かと。

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「クレルヴォ交響曲」は、1891年、26歳のシベリウスがベルリンに留学中に、大叙事詩「カレワラ」のなかのクレルヴォにまつわる物語を素材に書き上げた劇的交響曲。

以前の自分のブログから、その物語の概略をここに引用します。

<戦いの英雄クレルヴォは、黄色い髪に青い眼のハンサムだった。あるとき森で出会った乙女に夢中になってしまい、思わず、こと、いたしてしまう。
ところが、自分の妹であったことがわかり、みずからの命を絶とうとする。
だが母親にいさめられ、思い直し、かつての父の敵を討つべく戦いに挑む。
はれて、戦に勝ち、クレルヴォはかつて妹と会った森の中で自決して果てる・・・。>

北欧の神話は、ともかくエグかったり、ぶっとんでたりしますが、ここでは、同じ北欧神話に素材を求めた「ニーベルングの指環」の結婚の女神フリッカ様が、プンプンとお怒りになる内容となっている。

Ⅰ「イントロダクション」、Ⅱ「クレルヴォの青春」、Ⅲ「クレルヴォと妹」、Ⅳ「クレルヴォ戦いに赴く」、Ⅴ「クレルヴォの死」の5楽章。

でも、物語の表層はそうであっても、そんなイケない色恋は、唯一第3楽章で、独唱によるクレルヴォと乙女の二重唱で表されるが、それもかなりシャープな音楽で、抗う乙女が序徐々にの夢心地に自分を語る部分だけがロマンティック。
妹と知ったクレルヴォが、痛恨の叫びをあげて悲嘆にくれる様は、ほんとに痛切。
スケルツォ的な4楽章が明るい基調なのを除けば、この作品は、全編、悲壮なムードに覆われている。
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こんなシベリウス若き日の渾身の作品を、リントゥの指揮のもと、都響は圧倒的なその力量でもって、弛緩することなく、緊張感にあふれた演奏でもって聴かせてくれた。

冒頭、沈鬱な雰囲気のなか、クレルヴォの主題ともとれる旋律があらわれ、その後の展開がかなり地味なところが、まだまだ若書きともとれ、聴き手もいきなりだれてしまうところ。
しかし、終盤、その主題が決然と出現して褐が入るわけだが、このあたりの起伏のつけ方は、指揮者の腕の見せ所で、あたたまりきらないオーケストラを奮い立たせたように思う。

緩徐楽章的な2楽章は、北欧を感じさせる、いかにもシベリウス的な音楽で、都響の弦の美しさを味わえましたし、展開部でのリズミカルな木管は、これまたシベリウスならではの様相で、曇り空にしばしの明るさが兆したように聞こえます。

曲の中心で、一番長い3楽章では、いよいよ男声合唱と独唱が入る。
フィンランド・ポリテク男声合唱団、サッと立ち上がり、歌い始めると、さらにホールの空気が北欧化。フィンランド語の語感も、意味はさっぱりながら、やっぱりネイティブは違うと思わせます。
クレルヴォと乙女との出会いを歌ったあと、メゾとバリトンの二重唱も交えて展開。
 バリトンのプリシオが、実に素晴らしくて、自分の系譜を語るところでの豊かな声の響きび魅せられたし、この楽章の最後の悲痛の歌声と厳しい感情の吐露では、こちらまで緊張してしまい苦しくなってしまった。
その後のリントゥの大きな指揮ぶりによる劇的なエンディングも痺れたし、聴き手の多くは、ここでほぼ、この演奏と音楽にのめり込むようになったと思う。
 ケイテルさんのメゾは、声質的に、もう少し軽い方がよかったし、若干届きにくいかとも思ったけれど、長いソロと、まるでR・シュトラウスを思い起こさせるような、素敵な木管の背景にも聴き入ることができましたよ。
しかし、合唱のときも、ソロのときも、オーケストラは全員、それを支えつつも、いろんな動きをしていて、大変なものだと思いつつ拝見し、さらに、そのすべてを俯瞰し、統括する指揮者って、ほんと凄いものだな、いまさらながらに思ったりもしました。。

続く戦いへの旅立ちは、これまでの緊張を、ちょっと紐解く明るさがあり、聴き手のわれわれも、牧歌風のなじみやすい旋律にちょっと一息といったところ。
長身のリントゥさんも、指揮台で弾むようにしてました。

終楽章では、ワタクシは痺れっぱなし。
死地を求めるクレルヴォの様子を歌う合唱に、オーケストラは静かに、そして徐々に力を増してゆく、クレルヴォの主題にまつわる旋律を奏でる。
この展開に、私はゾクゾクしてきて、感動に震えました。
 そしてオーケストラのユニゾンで、あの旋律が勇壮にして、忽然と奏されたとき、わたくしはもう、わなわなと震えるほどに。
あとの厳しい、壮絶なエンディングは、もう手に汗握りっぱなしで、合唱に、オーケストラに、そして渾身の指揮棒にと目が離せませんでした!

すべての音が鳴りやんだあと、拍手もおこらず、しばしの静寂。
しかし、そのあと盛大なブラボーと熱い拍手が巻き起こったのは言うまでもありません。

この曲ひとつでも十分なのに、せっかくの本場の男声合唱だから、そして、フィンランド独立を祝うにふさわしい曲、「フィンランディア」が高らかに演奏されました。
都響もタフです!
中間部のフィンランド賛歌を静かに、でも心の底から歌う合唱団のお顔は、どこか彼方を思いながら夢見るように見えて、とても素敵なものでした。

オケが去ったあと、合唱団が順番に舞台を後にしますが、われわれ聴衆は、立ち上がって、最後の一人まで拍手でお送りしました。
彼らも、われわれの思いが伝ったのでしょうか、手を振ってくれましたし、ホールを出るときに、再び出会った彼らも、本当にうれしそうにしてました。

素晴らしい演奏会でした

Bunka

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 「デイヴィス&ロンドン響のクレルヴォ」


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