カテゴリー「プレヴィン」の記事

2014年12月10日 (水)

R・シュトラウス ニ重小協奏曲 プレヴィン指揮

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まるで、ヨーロッパの王宮かなにかを思わせる雰囲気ざましょう?

恵比寿ガーデンプレイスの奥にあるレストラン。

ジョエル・ロブションにございます。

いくつかのレストランの形態が入ってますが、そのうちガストロノミーは、ミュシュランガイドの三つ星を取っておりますそうな。

まったく無縁の世界ですが、こうして、うっとりさせてくれる写真でも眺めながら、緑茶ハイをすするのもオツなもんです。

ちなみに、カジュアルな方のレストランのメニューはこんな感じ。

Robuchon

モダン・フレンチだそうです。

食べたくもあり、いや、歳取ってくると、和食で、最後はお茶漬けかなにかでさらっとしたいねぇ・・・・

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 R・シュトラウス  クラリネットとファゴットのためのニ重小協奏曲

     Cl:ペーター・シュミードル Fg:ミヒャエル・ウェルバ

   アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                       (1996.11 @ウィーン)


R・シュトラウス(1864~1949)の生誕150年は、思ったほどに盛り上がらずに、静かに終わりそうです。

かといって、演奏されなかった訳じゃなくて、むしろ、コンサートやオペラのプログラムとして、シュトラウスの音楽は、世界的に完全に定着してしまっていて、日常に聴ける作曲家のひとりとなっているわけですね。

オーケストラの技能の向上や、録音技術の目覚ましい進化なども、マーラーなどとともに、人気作曲家へと押し上げる要因のひとつです。

そんなシュトラウスでも、まだオペラはその一部しか親しまれておりませんし、室内作品も、まだまだ素敵な作品がたくさん。
そして、今日は、最晩年のユニークな協奏作品を。

20分程度の、可愛いくもステキな作品で、これは、まさにオペラの世界です。

弦楽とハープは、文字通り伴奏する存在にとどまり、クラリネットとファゴットという、きらびやかさとは無縁の中音の楽器ふたつが、まるで、言葉の多い多弁なシュトラウスのオペラの登場人物のようにして、語りまくり、歌いまくるのです。

3つの楽章を成してはいますが、連続して演奏され、最初の楽章では、クラリネットが主役で、朗々と清々しいソロをたくさん聴かせます。
2楽章は逆に、ファゴットが楚々と緩やかなソロでなごませてくれます。
 そして、3楽章にいたって、ふたつの楽器の明るくも、語り口の滑らかかつ多弁な競演となります♪

1947年、イタリアのルガーノの、スイス・イタリア語放送局からの委嘱を受けて、12月クリスマス明けに完成させました。

 こうした曲は、オーケストラの首席たちをソロにしてこそ、ファミリーな感じで、その妙意が味わえるものです。
そうした意味で、ウィーンフィルであります。
ウィーンの管楽器の、まろやかな丸みを帯びた響きが、シュトラウスの清朗な世界にぴったりときます。
先日、60~70年代のウィーンフィルの木管の代名詞のような存在だった、アルフレート・プリンツ氏が亡くなってしまいましたが、そのあとがシュミードル。
ウェルバのファゴットとともに、代々、永々と続く、ウィーンフィルの伝統をその血脈とともに語り継ぐ名手たちです。
 その伝統も、時代の変遷とともに、楽器の変化も伴いながら変わりゆくのも、それは宿命で致し方がないことですね。
わたくしが名前を思いだせるのも、その音色が脳裏に浮かぶのも、彼らの世代までかもです。

ホルン、オーボエ、そして、このニ重協奏曲を録音しているのは、あとは、ドレスデン。
ベルリンには、この曲がありませんでしたね。

シュトラウス晩年の澄み切った心境を感じさせる桂曲にございます。

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2014年8月 2日 (土)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 プレヴィン指揮

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芝浦から浜松町方面を望む。

休日ですので、オフィスビルの明かりは、ほとんどなく、マンションの明かりはちらほらあります。

江戸時代までは、ここは海。
運河がその名残であります。

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    ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界より」

   アンドレ・プレヴィン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

                      (1990.4.30 @ロイスホール、UCLA)


いわゆる「新世界」であります。

Fromが付いているから、「新世界より」とか、「から」とかになります。

そして、俗に言う、第9と呼ぶ方はまずはおりません。

とかなんとか書いてますが、これほどの有名曲になると、もうなにも書くことはありません。

 この曲は、自分には、年末から正月にかけてのイメージがあって、何故かというと、小学生のときの、初レコードがこの曲でありまして、それは、親からのありがたいクリスマスプレゼントだったのです。

ケルテスとウィーンフィルの「新世界」と、カラヤンの「田園」、この2枚。

毎日毎日、その2枚のレコードしかありませんから、飽くことなく聴き続けた少年のワタクシ。
各種溢れかえる、音源は、いまやネットからのものも加わり、一度流しておしまい。
レコードをあれほど、大切に聴いた自分が、遠い存在のように感じます。

そんな思いもふまえて、ブログをやることの効能は、1枚のCDをじっくりと聴くという行為、そのものにも直結するということです。

さてさて、真夏の新世界、今宵は、アンドレ・プレヴィンのロスフィル時代の演奏で。

ジュリーニという大物がヨーロッパに去ったあとのロスフィルには、プレヴィンがやってきました。
1985年から89年の4年間ですが、ロスフィルの明るいサウンドには、プレヴィンはまさにお似合いで、ジュリーニ退任のあと、士気の落ちたこのオーケストラを、プレヴィンは見事立ち直らせて、フィリップスやテラークに多くの録音を残し、日本にもやってきました。

1楽章の繰り返しはなしで、演奏タイムは約41分。
そのわりに、テンポがゆったりめに感じるのは、プレヴィンらしく、丁寧にやさしく、音楽の隅々にいたるまで目を光らせているからでして、どこにも急いたところはなく、おっとりとした温和な演奏なのです。

懐かしさや、かっこいい旋律満載の超名曲ですが、こんな風な普通の温厚新世界があってもいいと思います。
 旋律の歌わせ方も、いかにも優しいプレヴィンですよ。
聴き慣れた旋律の数々も、どこか新鮮に聴こえます。
埋もれてしまう各声部も、浮かび上がってきて、そちらも新鮮。
 そして、第2楽章ラルゴのしみじみ演奏には泣かされました。
ことに、中間部の哀切あふれる歌い回しは、そうくるかって感じでたまりません。

聴き古した名曲も、いろんな発見を与えてくれる演奏で聴くのもまたいいことであります。

最近、プレヴィンの活動が聞かれないけど、もう85歳。
いつまでも元気にいて欲しいと思いますね。

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2014年5月20日 (火)

ウォルトン ヴァイオリン協奏曲 ケネディ&プレヴィン

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日差しの中は、暑いくらいですね、5月の陽光。

でも、木蔭へ入ると、ほんとに気持ちがいい。

夏は、どこもかしこも暑くてまいるけど、4、5月は、実に過ごしやすくてよろしい。

10,11月も同じく好きでありますな。

どちらも、英国音楽がお似合い。

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  ウォルトン  ヴァイオリン協奏曲

       Vn:ナイジェル・ケネディ

  アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

           (1987.7 @アビーロードスタジオ、ロンドン)


ウィリアム・ウォルトン(1902~1983)。

イングランド北西部マンチェスター州のオールダム生まれ、晩年はイタリアに居を構え、ナポリ湾に浮かぶイスキア島に80歳で没するのですが、その死は83年のことですから、いまだに記憶に残ってます。

その作品数は、作曲に慎重で筆が遅かったこともありますが、決して多くはないものの、広範なジャンルに渡っていて、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽、器楽、オペラ、声楽、吹奏楽と、ほぼすべてに残しておりますし、映画音楽もあるんです。

有名どころでは、交響曲第1番と、スペクタクルな声楽曲「ペルシャザールの饗宴」があげられるほか、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのそれぞれ1曲づつの協奏曲も演奏頻度が高いです。

その作風は、時代を考えるとティペットなどにくらべると保守的で、大胆でカッコいいブリテンのシャープな音楽造りと、抒情的でメロディアス、そしてときに大胆な和声を聴かせるR・V=ウィリアムズなどのエッセンスをそれぞれ併せ持ったような感じです。
その響きは、ときにミステリアスで、陰りをおびることもあり、ときには、神々しいくらいに眩しく輝かしいこともありなんです。

一度ハマると、聴けばすぐウォルトンとわかるくらいに特徴がありますが、わたくしが聴いたウォルトンは、まだ半分もありませんので、今後、録音も増えていくことも合わせて期待したいところです。

ヴァイオリン協奏曲は、1939年の作。
ヤッシャ・ハイフェッツの委嘱により書かれ、ロジンスキーとクリーヴランド管との共演で初演。
さらに初レコードィングも、ハイフェッツによって、シンシナシティで行われてますが、ハイフェッツは、1943年にオーケストラ、ことに打楽器に手ををくわえた版も、作曲者自身の指揮により録音しております(1950)。
いまでは、一般に改訂版が演奏されております。

3つの楽章からなり、全曲は約30分。
アンダンテ・トランクィロの抒情的な第1楽章は、ふたつの主要な主題に泣かされます。
どちらも哀感と、クールなひんやり感あふれる忘れがたい旋律であります。
ヴァイオリンの技巧的なカデンツァにも引き込まれますね。
さすがは、ハイフェッツを前提に書かれた作品であります。

さてここで、この曲全体を覆う雰囲気なのですが、20年代後半から繁茂に訪れるようになったイタリアの陽光。それを感じることができるのです。
そのイタリアのまばゆい日の光と地中海の輝きとを愛したウォルトンは、のちに56年になって、イタリアに居を構えることとなります。

憂いに満ちた1楽章ではありますが、そのクールながらも透明感を感じますし、なんといっても、第2楽章のスケルツォが、ナポリターナ・カンツォネッタなのです。
陽気なわけではなく、そのリズムをたくみにモダンに処理しておりますし、ヴァイオリンの超絶ぶりも楽しいです。

3楽章は、ヴィヴァーチェで、オーケストラは、明るく開始。でも、ヴァイオリンソロは、リリカルな歌で応じます。
陽気さと、抒情的な歌とが交差しながら曲は進行し、耳が離せないほどに魅力的なのですが、最後のエンディングに近く、第1楽章の最初の哀愁に満ちた旋律が感動的にヴァイオリンによって奏され、聴く側はえもいわれぬ至福の結末感を味わうこととなります。

若かった頃のケネディと、まだ背中がピシっとしていたプレヴィンとの演奏は、悪かろうはずがありません。
ケネディさんには、当然ながら、妙にはじけたところもなく、いたく真摯に、この素敵な協奏曲に取り組んでいて、暖かな抒情が、プレヴィンのマイルドなオーケストラとともに魅力的でありました。
ほんというと、もっと鋭角にビシッとした切れ味も効かせて欲しかったりもしましたが・・・。

このケネディ盤と、ヘンデル、ベルを持ってますが、最近出たT・リトルも聴いてみたいですし、なんといっても、本家ハイフェッツを聴いたことがないのは、いけませんね。

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2014年1月 1日 (水)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」組曲

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twozeroonefour年 今年もよろしくお願いいたします。

さっき、ご挨拶をしたとおもったら、もうこれだ。

この終いをつけ、あらたな始まりを祝う風習や、その感情の醸成は、島国の日本人ならでは。

わたくしも、日ごろの鬱憤を忘れて、新春を寿ぎましょう。

今年の、アニヴァーサリー作曲家は、キリのいい年周りでいうと、R・シュトラウス(1864~1949)ぐらいで、あとは小粒です。
強いていえば、ラモー(没後250)、C・H・E・バッハ(生誕300)、グルック(生誕300)、リャードフ(生誕100)、あと、アルマ・マーラー(没後50)なんてのもあります。

ですから、わたくし的には、R・シュトラウス・イヤーなのです。

これまで、全オペラを聴いてきましたが、またいくつか取り上げたいと思います。

そんな楽しみもある2014年の始まりは、「ばらの騎士」。

「ばらキシ」でございます。

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   R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」 組曲

    アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                 (1992.10 @ムジークフェライン、ウィーン)


15作あるR・シュトラウスのオペラの中で、一番上演回数も多く、人気がある作品が、「ばらの騎士」です。

前作「サロメ」までの、尖鋭的で、血なまぐさい音楽とドラマは影をひそめ、耳当たりのいい、ワルツを中心に据え、細やかな感情の機微を、ホフマンスタールの名台本を得て描き尽した名作です。

そのなかから、管弦楽曲を編み出して、組曲としたものが、約22分ぐらいのこちら。

さらに、一番有名なワルツは、コンサートのアンコールピースとしてもよく演奏されます。

「ばらの騎士」は、あらゆるオペラの中で、5指に入るくらいに好きで、その舞台もたくさん見ております。
少し年を経てしまった女性の、揺れ動く気持ちと、自分を見つめ、時間の経過に気付く、自戒と諦念、そして、あらたな道へと踏み出す勇気。

そんな儚いドラマを、シュトラウスは音楽で完璧に描き出してやみません。

今月の神奈川フィルの定期演奏会と、翌日のミューザ特別演奏会では、この曲がメインとなります。

親子でウィーンフィル出身のゲッツェルさんの、主席客演指揮者就任披露公演となります。

年初めから、とろけるような魅惑的な演奏会に出会うこととなってます。

そちらで、お会いできれば、幸いです。

本年もみなさまにとって、よき1年でありますように。

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2013年12月31日 (火)

R・シュトラウス 「4つの最後の歌」 ローテンベルガー

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今年も、大晦日を迎えることになりました。

と思って、去年の記事みたら、おんなじ出だしだった。

でもほかに書きようがない今日。

今年も、ほぼ毎日、たくさん音楽を聴きました。

何度も書きますが、ワーグナー、ヴェルディ、ブリテンのアニヴァーサーリーだったから、大忙し。
かなりの分量を占めてます。

それから、佐村河内守さんのコンサートに2度行けました。
CDで聴くのと、全然違う空気感と、聴者全体の一体感。
素晴らしい体験でした。
しかし、台風のおかげで、ピアノソナタの初演には立ち会うことができませんでした。
そのCDは、ただいま格闘中で、近く記事にできると思います。

そして、なんといっても、今年一番の喜びは、神奈川フィルの新公益法人化が決定したこと。
オーケストラと楽団のみなさま、関係者のご努力の賜物ですし、われわれリスナーの熱い思いも後押ししての成果だったと思います。
ともかく、うれしー。
加えて、神奈川フィル監修の本も発刊。
ちょっとだけ、お手伝いできたことも、今年の喜びのひとつとなりました。

というわけで、来年も、神奈川フィルを思いきり楽しめそうで、なによりなのです。

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   R・シュトラウス  「最後の4つの歌」

        S:アンネリーゼ・ローテンベルガー

      アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

            (1974.12 @アビーロード・スタジオ、ロンドン)


毎年、この日に聴くことにしてます。

シュトラウス、絶美の音楽。

1864年生まれ、1949年没。
来年、生誕150年、没後65年のシュトラウス。

死の前年、1948年、人生のすべてを達観し、作曲された、黄昏に満ちた素晴らしい4つのオーケストラつきの歌曲。

ヘッセの詩による「春」、「9月」、「眠りにつくとき」、アイフェンドルフの詩による「夕映えに」。

85歳のシュトラウス、達観したとはいえ、まだまだ若々しく、朗らかな心情を失ってなかったから、これで最後とは思ってはいなかったのですが、ミューザを司る神は、もうシュトラウスに、最後のオペラを作る余力を残さなかったので、いくつかの歌曲を除けば、この曲集が事実上、シュトラウスのまとまった最終作といえます。

ともかく美しい。

数日前に、ブリテンのオペラでも触れましたが、人間は、美しい物を常に求め、心に留めておきます。
音楽における、「美」という言葉があれば、きっと、シュトラウスの「最後の4つの歌」こそ、相応しいものと思えます。
 それが、シュトラウスの場合、人によっては、人工的な美と捉えられても、わたくしはいっこうに構わないのです。
ともかく美しいものは、美しい。

これまで、幾種類の演奏をライブも含めて聴いてきたことでしょうか。

初めて、この曲を聴いて、知ったのは、75年のウィーン音楽祭のライブ。
エリザベス・ハーウッドのソプラノ、シュタインとウィーン交響楽団のFMライブでした。
もう亡くなってしまた英国の名歌手は、カラヤンのボエームのムゼッタでデビューした美声の持ち主でした。
ウィーンのオケの、独特の管楽器の音色も、この曲にぴったりで、カセットテープに残して聴きまくりました。

そして、近時では、松田奈緒美さんの歌、シュナイト&神奈川フィルの超絶的な名演奏。
言葉を失うほどの美しさと、襟を正したくなるほどの厳しい音の選び方。
美の裏腹にあった、極度の緊張感が、快感を呼ぶ、素晴らしい演奏でした。

前置きが長くなりましたが、今年の「最後の4つの歌」は、ドイツの名花、アンネリーゼ・ローテンベルガーとアンドレ・プレヴィンの共演盤。

高校の時に発売されたものの、すぐに廃盤になって久しかったもので、ずっと探していたし、待ちわびていた1枚。
精度高い完璧な歌唱や、オーケストラを聴きなれた、いまの耳からすると、ややぬるく感じるし、ローテンベルガーの声にも陰りがうかがえる。

少しあとの、ルチア・ポップと同様に、誰にも愛されるチャーミングな声と、その愛らしい人柄が偲ばれるローテンベルガーの歌声は、それでも、さすがに往年の美しい高音を聴かせてくれます。
もともと低い方は苦しかったけれど、ドイツ語の美感を感じさせる、とても味わいに富んだ歌いぶりは、聴いていて涙が出そうになりました。

プレヴィンの指揮も、美に奉仕してます。
ソフィスティケイトされすぎなところも、このころの、ロンドン響とのコンビならでは。

何度聴いても、いつ聴いても、「夕映えに」の最後の場面は涙がでます。
赤く染まった夕空が、藍色に変わりつつあり、そこに鳥がかなたに羽ばたいて、やがて見えなくなって、景色もぼやけてゆく・・・・・。

      はるかな、静かな、平安よ

      かくも深く夕映えのなかに

      私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう

      これがあるいは死なのだろうか

               (夕映えに、より)


新年を迎えるにあたって、死への旅路を感じさせるなんて・・・、と思われるむきもございましょう。
わたくしは、毎年、年の最後には、こうして「終り」という、観念を大切に思いたいと思ってます。

そして、また始まるのですから。

あと数時間後には、またあらたにご挨拶もうしあげたく存じます。

本年も、ご照覧、ありがとうございました。

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 2007「シュティンメ&パッパーノ」

 2008「ステューダー&シノーポリ」

 2009「ポップ&テンシュテット」

 2010「フレミング&ティーレマン」

 2011「デラ・カーザ&ベーム」

 2012「マッティラ&アバド」

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2013年10月 8日 (火)

ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 プレヴィン指揮

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この大きな鳥居は、靖国神社の第一鳥居で、高さは25mだそうです。

先日、市ヶ谷に用事がありまして、そのあと神保町に向かって靖国通りを歩きました。

なにかとよからぬことをする輩もいるものですから、警察の方々もそこここに。

それでも都会のど真ん中にある神社ですから、外国の観光客もそこそこいらっしゃいましたね。

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  ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 ハ短調

   アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

              (1992.10 @オール・セインツ教会、ロンドン)


交響曲でいう「第8番」は、ベートーヴェンが規模的には短め・軽めの作品を残し、第9との対比で交響曲史上稀にみる前例を残したが、それとは逆のパターンをやってしまったのがショスタコーヴィチ。

7番、8番と第二次世界大戦中の大作を書き、勝利に終わった戦後、だれしもが壮大な規模と感動をもたらす巨篇としての第9を期待していたところに発表されたのは、軽快で小ぶりな9番だった。
こうした軽い裏切りともとれる肩すかしを、ショスタコーヴィチは意図的にやるところがあって、それは、例の証言にもあるような隠された秘密などとは程遠い、悪戯のような、遊びの境地ではなかったのではと思ったりもします。

死人に口なし、早々に死んじゃったから真相はわからないけれど、ショスタコーヴィチの音楽はあれこれ詮索せずに、その音楽を純粋に聴き親しむの限ると思ってる。
もちろん、いろんなニュアンスが満載の多面的な顔を持ったその音楽だから、時には、時代背景や、当時のソ連のことなども考えて、想像をたくましくして聴くのもよし、です。

この8番は、67分という長さを持ってますが、全体の色調はともかく暗くて憂鬱。

過去記事から以下引用します。

>全5楽章、そのうちを、演奏時間で40%近くを第1楽章が占めるといういびつなバランス。
しかも、その1楽章は中間部に強烈なアレグロ部分を有するアダージョ楽章であって、その冒頭部分とともに第5交響曲を連想させる。
 この楽章は、今や聴き古して表層的に思えてきてしまった第5の1楽章と異なり、聴くほどに深く激しく孤高な音楽として迫ってくるものがある。

同じように深みある音楽が第4楽章のラルゴ。
パッサカリア形式の人類への葬送行進曲のような、何とも言えず内面的な音楽で、前楽章の大音響から休みなく始まり、皮相的な終楽章にそのまま連結している。

 リズミカルな動きが妙に楽しく、そして虚しくもあっけないスケルツォの第2楽章。
こちらもリズミカルだが、もっと強烈かつ行進曲的で激しい第3楽章。

先のラルゴをはさんで、妙に楽天的かつ捉えどころのない終楽章は、途中驚くべき悲劇への逆戻りのカタルシス大音響が待ち受けているものの、すぐさま妙な明るさを取り戻し、最後のピチカートを伴った消えゆくようなエンディングに収斂していく。

この満たされない終わり方。

ここに明るいきたるべき未来を見るか、戦争や悲劇はまだ続く、と見るか・・・・。
私には、どちらかわからない。<

なんだか今夜はよく眠れそうにないな・・・・。

だからムラヴィンスキーの演奏はまったくすごいし、コンドラシンもキッレキレだけど、わたしには、このプレヴィンやハイティンクの、ある意味優しい演奏の方が好きだな。
静かな場面に、プレヴィンのマイルドさがとてもよく出ているし、LSOの優秀さもばっちり受け取れる録音の良さも特筆もの。
EMI旧盤も最近復刻されたので、聴いてみたい。

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2013年6月13日 (木)

ラヴェル 「ボレロ」 プレヴィン指揮 

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眩しい海辺で食べるカレーです。

鬱陶しいお天気が続くもんだから、5月の陽光を懐かしんで実家近くのカレー屋さんの画像を。

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晩ご飯済ましたのに、こうして画像を見てたらまたお腹がすいてきてしまった。

カレーは別腹か?

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   ラヴェル  ボレロ

    アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

             (1979.6 @キングスウエイホール、ロンドン)


急にボレロが聴きたくなったから、ボレロ。

カレーみたいに、急に聴きたくなるのがボレロ。

その顛末がわかっちゃいるけど、だまされて興奮するのがボレロ。

音楽史上もっともシンプルな造りだけど、その反復感が人を刺激しまくるのがボレロ。

小太鼓奏者の方にブラボーが集まるのがボレロ。

そのオリジナルバレエは、いまやフラッシュモブとも呼べる集団効果がボレロ。

誰が演奏しても、そこそこウマくいくのがボレロ。

チョー~長~いクレッシェンドともいえるのがボレロ。

あぁボレロ、されどボレロ、しかしボレロ、何故におまえはボレロ、人を惑わすのか。

まだまだ、どしどし書けそうなボレロ。

ディアギレフのバレエ・リュスのところにいた、イダ・ルビンステイン夫人の独立に伴い彼女のために書かれたバレエ音楽。

CDでも、ライブでも、もう知り尽くしたと思って聴いてると、いつの間にか、思わぬ興奮状態に高められてしまう、ルーティン化の常習性あるアブナイ音楽の一つといっていいかも。

オケの名技性よりも、ここは指揮者の腕の見せ所だ。

ライブで聴いた1番は、小澤さんと新日。
指揮棒を持たず、最初は指揮もせず、体を揺らすのみで各奏者を目で率いて行く小澤マジック。
拍子をとりだしたのは弦が出てきてから。
あとはもう魔法がかけられたみたいに、小澤さんのしなやかな指揮姿に見とれるのみで、そこから独特の熱いうねりが生まれて、いつしか熱狂の域に達していったのを覚えている。もう30年以上前だ。

CDでは、格式高く味わい深いアンセルメ、全体を熱い弧のようにひと筆に描ききったミュンシュ、エレガントでスマートなクリュイタンス、オケを夢中にさせ熱狂の淵に落とし込んだアバド。
そして今宵、久々に聴いたプレヴィン盤は、おそらく最長に近い、全編17分13秒をかけたジックリ型のインテンポ演奏。
プレヴィンという人は、元来、腰の重たい演奏をする人で、そこにスタイリッシュ感と、優しい眼差しの貫かれた柔らかな歌い回しが加味される訳で、決してポップで軟な指揮者じゃないのです。
そんな、ときに粘りさえも感じるこのボレロは、ロンドン響のめちゃくちゃウマいのと、レスポンスの豊かさでもって極めてユニークな演奏に思います。
お約束の終盤の盛り上がり感は、これまた尋常でないほどですが、クール感も残したところがまたプレヴィンらしいところ。

面白かった。

と思って聴いてたら、NHKで佐村河内さんが出てました。

すかさず、「みなとみらい」でのピアノソナタ演奏会をプレオーダーしましたがいかに。

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静かな海はいい。

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2013年1月 8日 (火)

ブラームス 交響曲第4番 プレヴィン指揮

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2013年のお正月を振り返りつつの、恒例の名曲シリーズ。

いつも登場します、実家の海。

1月1日の夕暮れ時の相模湾です。

この日は強風で、波もご覧のとおり荒れてましたね。

おかげで空気が冷たく澄んで、美しい遠景が望めました。

あの山の先を、次の日の駅伝は目指したわけです。

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   ブラームス  交響曲第4番 ホ短調

      アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

                 (1987.10 @ワトフォード・タウンホール)


月イチ幻想で、何気にスタートしました、恒例、新春名曲シリーズ。

バーンスタインのEMIの幻想的録音には、ちょっとまいってしまい、EMI本国ロンドンのプレヴィンの録音には満足のわたくし。
それは録音という音の印象ばかりでなく、音楽をありのままに、そしてしっとりとあるがままのロマン派音楽を印象付けたからです。

そして、1番や2番を指揮しないプレヴィンのブラームスも大好きです。
ドイツ・レクイエムも、協奏曲も繰り返し録音するのに、1番と2番の記録はありません。
もしかして1番の演奏記録はあったかもしれません・・・・。

そんなプレヴィンのブラームスの4番。
日本でも何回か演奏してくれました。

明るさと歌謡性、スマートでこだわりない音楽造り。
そんなプレヴィンの音楽性が、ブラームスではなぜか最大限に発揮され、聴く私たちも、いつも「プレヴィンのブラームス?」と思いつつも、完全に「プレヴィンのブラームス!」と納得させ、心から暖かい気分にさせてしまう。

プレヴィンのブラームスの4番の録音は、80年代のロイヤル・フィルの音楽監督時代で、同時期にジュリーニの後を継いでロサンゼルス・フィルの指揮者も務めていた時代。
そんなプレヴィンが後年、N響にポストを得て、毎年聴けるようになるとは思いもしなかったわけで、当時、出る音源はすべてコンプリート中だったワタクシには驚きの後年なわけです。

N響でもやったこの4番は、自在さあふれる貫録の名演だったけれど、こちらのロイヤル・フィル盤では、明るいなかにも、ほど良い情熱と思いもよらぬ渋さが混在となっていて、その麗しい配合ぶりが、ブラームスのロマンと古典の融合ぶりに巧みにマッチしているんです。

ホ短調の哀感にじみ出た1楽章、英国系ムーディなゴシック建築ともいうべき2楽章。
かのYESがこの楽章を演奏したのがよく理解できるノリのよい3楽章。
ともかく驚きの堂々たる歩みを聴かせる4楽章。
ブラインドで聴いたら、まさかプレヴィンとは思いますまい。
同じく、ロイヤル・フィルともわからないでしょう。

英国のブラームスは、かねてより好んでおりますが、この音盤は、アバド&LSOと並んで、なかでも好きな1枚です。

澄んだ冷気と、暖かいブラームス。

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2012年10月16日 (火)

ラヴェル 「優雅で感傷的なワルツ」 プレヴィン指揮

Minatomirai_5

桜木町駅からほんの少し歩いて撮影。

神奈川県人だけど、横浜までは45分もかかる海辺が実家だから、子供時代は通常は平塚か茅ヶ崎、藤沢へ、ハレの日の買い物に。
とうぜん、各駅にあったデパートの食堂がお目当て。(茅ヶ崎はデパートじゃなくってダイクマだったから、アツアツのたこ焼きだ)

姉が横浜の大学に通うようになって、我が家もグレードアップして、休日に横浜へいくようになったのが中高時代。
西口と石川町ばかり、というか、当時は伊勢佐木町は大人の街だったし、桜木町なんて、それこそなんにもなかった駅だったような記憶が。
そして私は、大学時代は渋谷だったので、横浜から東横線でした。

わたしの、ノスタルジーは渋谷と横浜の街に多くあるんだけれども、渋谷はご存じのとおり、別の街に変貌してしまいました。
でも、横浜は横浜博を境に街の具合が変わりましたが、今も当時も本質は変わりません。
同じく、大洋ホエールズも川崎から移動してきても、名前やオーナーが変わっても変わりません。

いま住む、千葉にも愛着はありますが、神奈川の田舎だけど、そちらへの想いはまた別格。
歳とともに強く感じるし、若き日々の選択を苦く思う、今の歳を経た自分であります。

Ravel_previn

  ラヴェル  「優雅で感傷的なワルツ」

    アンドレ・プレヴィン指揮 ロイヤル・フィルハモニー管弦楽団
                        
                   (1985 ロンドン アビーロードスタジオ


ワルツが好きだったラヴェル。
「ラ・ヴァルス」(1920)より早く、1911年にピアノによるワルツとして書かれ、その好評に気をよくして、翌12年にオーケストレーションがなされた曲。

ウィーンのワルツや熱狂的な舞踏会をオマージュして書かれた「ラ・ヴァルス」と合い和するように、こちらではシューベルトのスタイル、すなわちレントラーでありましょう、を思わせるようにして書かれた連作ワルツです。

華やかで爆発的な「ラ・ヴァルス」と違い、こちらは一服の幻想曲のようで、渋くて内面的、でもとってもお洒落な音詩。
8つの円舞曲は、ほぼ18分くらいで、それぞれ繊細でもあり、ダイナミックでもあり、痛快洒脱でもあり、です。
 でも繰り返しますが、ともかく、「オシャレ」。
パリのシャンゼリゼを闊歩するかと思うと、ふと秋色のショーウィンドウを足を止めて眺めたり。オープンカフェでソーセージをつまみながら白葡萄酒を飲むの雰囲気。
こんなおフランスしてる曲なのに、いまひとつ大衆的な人気がないのは、先に書いたとおり、ラヴェルならではの爆発的なエンディングがなく、静かに後ろ髪引かれつつ終わること。

でも、じっくり聴いてください、このワルツ。

フランスの光と影、ちょっと寂しくてシックな光景、それがきっとどなたの耳にも伝わるんじゃないでしょうか。

かつて聴いたこの曲を含むしなやかな名演。
小澤さんがラヴェルのアニヴァーサリーイヤーにラヴェルを連続して取りあげた年。
この曲と「ラ・ヴァルス」を休みなしに演奏しました。
そのあとは、武満の「カトレーン」初演と「ボレロ」だったかな?

ともかくお洒落じゃなくちゃいけません。
この曲は。

プレヴィンロイヤルフィルの希少な演奏は、少し腰が重いけれど、歌いまわしの豊かさと、ビューティフルな音色の配合では素晴らしいものです。

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2012年8月30日 (木)

デュカス 「魔法使いの弟子」

Isobe_2

ご家庭でも、ホッピー。

いまや簡単に、どこでもホッピー。

Isobe_1

そして、あるとき、無性に食べたくなり、焼いてしまいましたよ、磯辺焼き。

あたくし、これ、大好きなんですよ。

海苔も手でちぎっちゃって、荒々しい作りですが、キレイな仕上がりじゃない方がうまそう。

お正月は、醤油味で、ほうれん草と鶏出汁、なるとのお雑煮と、磯辺焼きが、ワタクシのお餅の食べ方。

砂糖とかきな粉は、まったく受け付けません。。。。

 前にも書いたかもしれませんが、銀座の路地には、夏は風鈴、冬は磯辺焼きの屋台が出ます。
若かりし頃、調子にのって、お土(オミヤ)で数十個買って、お店に持って行きました。
ところが、それを食べ尽くしたのは、持ち込み人のワタクシにございました。
その夜、一晩中、胃が痛くてたまりませんでしたね・・・・。

いまは、自分で、佐藤の切り餅を買ってきて焼いて作ります。

Previn_musicnight

   デュカス   「魔法使いの弟子」

     アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

              (1974、75 ロンドン、キングスウェイホール)


ポール・デュカス(1865〜1935)、魔法使い一曲で名を成しているようなフランス作曲家でありますが、その生涯はなかなか地味で謎。

ウィキによれば、完璧主義者ゆえ、その作品は大半が破棄され、13曲程度が現存するのみとあります。
その中から、聴く機会の比較的あるものを選べば、この曲と、無題の交響曲、「ラ・ペリ」、「ポリュークト」序曲、オペラ「アリアーヌと青髭」あたりになるでしょうか。

「魔法使い」に聴かれる、鮮やかなオーケストレーションと光彩陸離たる華やかさは、そのごく一面で、デュカスの音楽は、意外なまでに渋くて、かっちりしたまとまりあるものに思ったりしてますから、オペラの傑作、「アリアーヌ」をいずれ取り上げたいと思ってます。

1897年、世紀の変わり目に書かれたこの曲は、いわずもがなですが、ゲーテがまとめた詩をもとにしてますが、なんといっても、ディズニー映画の「ファンタジア」ですね。

スココフスキーの音楽指揮で、1940年(!)の極彩色の作品ですよ。
スココフスキーといえば、さらにその前、「オーケストラの少女」が1937年です。
こりゃ、日本は負けるわな。

ミッキーマウスが魔法使いの弟子に扮し、箒がこれでもか、これでもかとバケツに水を運んでくるこの場面。
子供の頃に、テレビのディズニー・アワーで何度も見て、もうやめなよミッキー・・なんて、その音楽の緊迫感とともに、念じるように見ていたことを覚えてます。

長じて、今度は、自分の子供たちに、ビデオになったこの作品を見せるようになりました。
子供たちには、意のままにならない箒が怖かったようですし、なによりも師匠の怒りが、ミッキーを打ち砕くのが怖かったようです。

こうして、親子代々、ディズニーは受け継がれてゆくのですね。

しかし、そこに流れたクラシック音楽は、必ずしもそうならないところが、クラヲタお父さんとしては悲しいところなのですね。

そんな哀しみと、懐かしい思い出を抱きつつ、デュカスの巧みな音楽を楽しむのも悪くないです。ほんとに、よく出来てる作品です。

プレヴィンは、この曲が大得意で、ロンドン響とのこちらの盤と、ロスフィルとの再録、N響での演奏など、何度も手がけてます。
後年のものほど、重たくなってしまうのですが、LSOの顔として大人気だった70年代、BBCのテレビ番組に基づいて録音されたシリーズのひとつです。
聴かせ上手だけど、嫌味がまったくなく、ソフィスティケートされた耳にも心にも気持ちよい演奏。思えば、プレヴィンのこんな芸風は誰にも真似できないものだった。
LSOの上手さもも引き立つ1枚です。
いまから37年も前の演奏とは思えません。

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