カテゴリー「ハイティンク」の記事

2016年2月18日 (木)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ジャンドロン

Suisen

立ち姿も、その芳しい香りも美しい水仙。

いろんな花言葉がありますが、その学名「ナルシサス」は、ギリシア神話に出てくる、ナルキッソスに由来することは、以前にもここで書いたとおり。

そう、ナルシストです。

自分の美しい姿を小川の水面に見て、恋してしまうという、あれです。

ですから、自己愛とか、うぬぼれ、といった花言葉もあるみたいです。
別に、自分が一番好きなのは、あたりまえだと思いますけど、加減はありますな。

Dovrak

    ドヴォルザーク  チェロ協奏曲 ロ短調

        チェロ:モーリス・ジャンドロン

   ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                         (1969.11 ロンドン)


懐かしいイメージの常にある、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。

そして、自分にとって、いつか聴いてみたいと、子供のときから思っていた演奏。

その想いをずっと抱きながらも、40年の年月を経て、聴いたのが数年前。

音楽鑑賞の遍歴って、わたしのような世代の人間には、もしかしたら、きっとそんなものだろうと思う。

ともかく、レコードが高かったし、貴重な時代。
情報源は、レコ芸かステ芸、ステレオサウンドの活字しかなかったし、音楽をレコードと生演奏以外から享受するには、ラジオ放送とNHKしかなかった。

いまの若いリスナーには、信じられないほどに不自由だったから、常に、音楽に飢えていた。
あの頃の情熱たるや、いまでは、言葉にできないくらいの熱いもので、ああした想いを、いま、若い人たちが理解できるとはとうてい思えない。

おっさんのたわいごとです。

でも、心配することはないね。

さりげなく、スマホやPCで音楽を、どんなシテュエーションでに聴くことができるって、音楽が日常になくてはならない証しでしょう。
クラシック音楽も、まさに、そんな享受の仕方のなかあって、もしかしたら、ワタクシのようなおじさん世代よりも、より大衆化しているのかもしれない・・・

 前置きが長くなりましたが、フランスの名チェリスト、モーリス・ジャンドロンの弾くドヴォコン。
1971年、ハイティンクの音盤のカタログを入手して、マーラーやブルックナーといった未知のレコードばかりが載ってるなか、このジャンドロンをソリストとするドヴォコンのジャケットがあって、当時、かねてより、定盤のロストロ・カラヤンの例の音盤を、擦り切れるほどに聴いていたものだから、そうじゃない演奏って、どんなんだろうと、興味深々だった。

その後に訪れた、ハイティンク・フェイバリットに押され、ともかく聴きたかったけれど、機会のなかったこの演奏。

 がっかりと、なっとくの双方を味わいましたが、何度も聴きこむうちに、魅惑的な演奏に思えるようになりました。

まず、がっかりが、修正できない部分は、ハイティンクの指揮。
フレーズの最後のあっけないぶった切り。
この時期の、コンセルトヘボウとの録音でも、ときおり感じる淡泊さは、ふくよかなオケの音色で助けられていたけれど、ロンドンフィルは、ノーマルで反応が良すぎるものだから、その印象は性急に感じられることもしばし。
 ハイティンクが、LPOを、RCO化してしまうのは、もう少しして後。

 そして、肝心のジャンドロンのチェロ。

ともかく、明るくて明晰。
誰をも惹き付けてしまう、オープンな表情付けのなかに、南フランス風の情熱と、爽やかさの両輪を聴くことができる。
ともかく流れがよろしくって、ジャンドロンのチェロは、流線形を描くがごとく、ゆるやかに、でも、情熱的に響くのでした。

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2015年8月 1日 (土)

ストラヴィンスキー 「火の鳥」 ハイティンク指揮

Zojyouji_a

真夏の、芝増上寺。

盆踊り祭りが行われてまして、散歩がてら、東京タワーと夕焼けの見物に行きましたら遭遇しました。

境内には、所せましと、出店が。
石焼きピザの店は、本物の窯があって焼いてるし、浜松町にある日本酒センターも出店して、効き酒セットなるものもやらかしてるし、お隣のプリンスホテルも、美味しそうなケータリングしているぐらいだから、ともかくグルメなのでした。

しかし、暑い、しかも湿度高い!

Firebird

 ストラヴィンスキー バレエ音楽「火の鳥」

   ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                       (1973.11 @ロンドン)


暑いから、先週のハルサイに続いて、ストラヴィンスキーのバレエ音楽を聴く。

なぜ、暑いからか・・・

わかりませんが、ストラヴィンスキーの、とくに三大バレエは、夏向きの音楽に感じます。
とくに、ハルサイとペトルーシカはね。
「火の鳥」は、夏と冬かな。。
あくまで、わたくしのイメージにすぎませんがね。

そして、今宵は、先だっての「メータのハルサイ」に続きまして、70年代ものを。

最新の演奏の音盤は、ほとんど聴かなくなってしまった、哀しみのノスタルジーおやじです。
かつて、慣れ・聴き親しんだ演奏ばかりを聴き、そして、購入してます。

新しい演奏は、ネットで、世界中のそれこそ、イマの演奏を確認できます。

そして、一番大きいのは、アバドを見守り続けてきた自分にとって、アバドが召されてしまったあと、現存指揮者では、ハイティンクとマリナー、プレヴィンぐらいしか、ファイヴァリットの対象がいなくなってしまったこと・・・・・

新しい録音が、ライブでしか成し得ず、しかも新録が編成の大きなものでは激減してしまった。
かねての、レコードヲタクは、CDの復刻ものと、生の演奏会にしか、楽しみの活路を見いだせなくなってしまっているんです。
あぁ、悲しい~

そんななかでの、大いなる喜びのひとつが、「ハイティンクの火の鳥」。

ようやく入手しました、ロンドンフィルとの旧盤。

ハイティンクの「ストラヴィンスキー三大バレエ」は、70年代のロンドンフィルとのものと、ほぼ90年頃の、ベルリンフィルとのもの、ふたつが録音として残されてます。
レパートリーが広く、どんな曲でも器用にこなすことができるハイティンクにとって、ストラヴィンスキーは、若い時から、お手の物で、コンセルトヘボウでも、30代の若き「火の鳥」の組曲版が残されてます。

40代にあったハイティンクと、当時の手兵のひとつロンドンフィルの、こちらの演奏は、かねてより聴いてきた、思わぬほどの若々しさと俊敏さにあふれた「ハルサイ」と同じくして、ダイナミックで、表現力の幅が大きく、細かなところにも、目線が行き届き、仕上がりの美しい、完璧な演奏になってます。
LPOのノーブルなサウンドは、コンセルトヘボウと同質な厚みと暖かさを持っていて、ハイティンクとの幸せなコンビの絶頂期と思わせます。
 フィリップスの相変わらずの、録音の素晴らしさも手伝って、まるで、コンセルトヘボウです。
これこそが、ハイティンクの指揮者としての個性になっていったのでしょうね。
豊かな弦の馥郁たる音色と、オケ全体の分厚さと高貴な味わい。
マイルドな木管と金管。
全体の色調は、渋色暖色系。

切れ味は、昨今の技量高き演奏からすると物足りないかもしれませんが、先に書いたとおり、味わいある「火の鳥」として、存在感ある1枚かと思います。
それでもって、カスチェイの踊りにおける、疾走感とリズムの取り方の鮮やかさは、なかなかのものだし、場面場面の移り変わりも絶妙。
終曲の晴れやかさも、素晴らしくって、心の底から、感動できたし、爽快なエンディングの典型を、なにげに描きあげているところが、さすがにハイティンクと実感しましたよ。
 ベルリン盤は、未聴です。いつかまた。

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2015年7月19日 (日)

ドヴォルザーク スラヴ舞曲 ハイティンク指揮

Yasukuni

靖国神社の御霊祭に行ってきました。

東京地区のお盆は、7月のこの時期。

それに合わせて、行われる都会の夏祭りなのですが、本来は、靖国に眠る英霊への慰霊を込めた、いわゆる慰霊祭。
このたくさんの提灯にも、個人や、戦没者の遺族、同期の会などの名前が刻まれてます。

今年から、境内・参道には、出店もなくなり、より慰霊の念の強まる厳かな雰囲気が。

もちろん、遅い時間に行ったので、このような感じでしたが、もう少し早いと、盆踊りが、写真の先にある、大村益次郎さんの像の下の特設ステージで行われてましたし、日によっては、青森ねぶたとか、歌謡ショーとかもにぎやかに行われています。

前にも書きましたが、社会人1年生のとき、当時の会社が、九段下にあったものですから、当時は、よくこのお祭りに行ったものでした。
当時は、おどろおどろしい見世物小屋とか、お化け屋敷なんかも出てて、完全なお祭り状態。
祭、本来の意味を考えるうえでも、今回の出店中止の処置やよかったのではないかと。

浴衣を着た若者や、欧米中心の外国人など、ほんとに多かったですし、わたくしも何人ものシャッターを押しましたよ。

Yasukuni_dovo

  ドヴォルザーク  スラヴ舞曲第1集 第1番~8番 op46

   ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                        (1959~68 @アムステルダム)


ハイティンクの若き頃の録音。

ハイティンクはドヴォルザークには、そんなに積極的ではなくて、交響曲は7番と8番、その折りのカップリングとして作品46のスラヴ舞曲。
あとは、ジャンドロンとチェロ協奏曲。
これぐらいしかないです。
「新世界」を振らない~ハイティンクの七不思議のひとつです。

以下、過去記事より~
「先輩ブラームスの勧めもあって、ドヴォルザークは、ピアノ連弾用のボヘミアの舞曲集を作曲することとなるが、それは同時に、ブラームスのハンガリー舞曲でひと儲けした楽譜商ジムロック社にとって、二匹目柳の下のドジョウなのでした。
 8曲の作品46のこちらのスラヴ舞曲集は大成功をえて、文字通りドヴォルザークの本格出世作となり、即座にオーケストレーションもされました。

8年後には、作品72の二番目の曲集も作曲され、全16曲のスラヴ舞曲は、ボヘミアの息吹きを感じさせるばかりでなく、スロヴァキア、ウクライナ、ポーランドなどのスラヴ諸国の民族音楽の集大成のような舞曲集となっております。

コンサートのアンコール曲でも、この曲集のなかの多くが定番となってます。」

全曲録音も多くて、セルやクーベリック、ノイマンらの往年の東欧系指揮者によるものを聴く機会がどうしても多いです。
そんな中で、妙に好きだったのが、この堂々たるハイティンクの演奏。
高校時代に、ハイティンクのファンになりましたが、その時の来日を機に発売されたいくつかのレコード。
その中にあったのが、ハイティンクとコンセルトヘボウの管弦楽曲名演集で、全部で8曲。
スラブ舞曲の第1番が、そこには収録されてまして、正直重々しくて、当時効き慣れてたセルのリズム感あふれる演奏との違いに驚いたものでした。

そして、後年、ハンガリー舞曲とカップリングされて、まとめられた作品46の8曲の廉価CDを入手し、その年代の違いによる録音の質感の違いはあるものの、当初の1番を聴いた重厚感あふれるイメージに包まれていて、さすがはこのコンビと唸らせるものでした。
 さらに聴き重ねるごとに、このオーケストラの持つ、独特の色気のようなものも感じるようになりました。
 ことに4番ヘ長調あたりであらわれる、各種楽器のソロの色香に。
独奏ヴァイオリンは名手、クレバースでしょうか。
 6番ニ長調の軽やかさと、思わぬ自在さは、当時、ぼんくらのように批評していた評論家諸氏は、何を聴いていたのでしょうか。
 やはり、ブルックナーやマーラーなどの大曲ばかりを、60年代から録音しまくっていたハイティンクは、それらがまだ完全認知されていない時代に先行していたために、まともに聴く人がいなかったから、その評価が遅きに失したのでしょう。
後年、スケールが大きくなり、オーケストラの結びつきも強まり、他のオーケストラでも、遜色なく名演を残すようになったハイティンクは、若いころから変わりなく、ハイティンクでした。

8番のダンス音楽として熱気をはらんだ雰囲気と、恰幅のいい悠然たる響きを伴った演奏を聴いて、つくづくそう思います。
ともかく立派でありつつ、洗練された軽やかさも。
そんな印象が、この曲集の最初から最後まで貫いてまし、毎度の褒め言葉は、フィリップス録音の素晴らしさ。

廉価CDのカップリングのブラームスのハンガリー舞曲は、後年、80年に10曲録音されたもので、こちらも最高ですよ、立派すぎるのが難点(笑)。

ともに、民族的であるよりは、ヨーロピアンな香りの舞曲集の演奏でありました。

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2015年6月 6日 (土)

プロコフィエフ 「ピーターと狼」 ハイティンク指揮

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呼べばやってくる、某公園のおなじみの、にゃんにゃん。

親しみもありつつ、ツンデレで、逞しい一面も。

いろんな人に可愛がられる公園のにゃんこでした。

Peter

   プロコフィエフ   「ピーターと狼」

       語り:ヘルマン・プライ

 ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                      (1969.9 @アムステルダム)


プロコフィエフ(1891~1953)の生没年を見ると、そんなに昔の人じゃないですね。
帝政ロシア時代に生まれ、26歳のときに、ロシア革命を経験し、一時亡命はするも、ソ連邦時代には、同邦を代表する作曲家としていろんな縛りの中に生きた人だし、一方で、世界各地を巡って、ソ連邦の作曲家としての顔を売り込むという、ある意味、自由な日々も送れた、そんなプロコフィエフさん。

ちなみに、日本の明治・大正・昭和をも全部、きっと知っていたはずのプロコフィエフさん。
日清戦争(1894)、日露戦争(1894)を経て、列強の仲間入りしてゆく日本との関係も深いですな。
日本滞在中に、和のリズムや旋律に感化されていることも、嬉しい出来事です。

そして、われわれ日本人が、学校の音楽の授業で、必ず聴いた音楽を書きました。
「ピーターと狼」。

いまは、どうかわかりませんが、わたくしは、習いましたよ。

日本語のナレーションは、坂本九。
演奏は、カラヤンのフィルハーモニア盤だったような記憶がありますよ。
なんたって、小学生だったから、もう半世紀くらい前ですよ。

作風が色々変化したプロコフィエフ、1936年、「ロメオとジュリエット」と同じ年の作品。
モダニズムや、激烈な音楽造りから脱して、メロディもしっかりあって、抒情と鋭さも兼ね備えたシャープな作風を取るようになりました。
 親しみやすさと、平易さ、そして、たくみな描写でもって、ナレーションの語るその場面が目に浮かぶほどのリアリティさ。

子供のときは、狼が出てきて、ヒヤヒヤしたし、こずるいネコが憎らしく思い、そして、狼が捕まって、みんなで行進する場面では、晴れやかな気持ちになったものです。

 でも、プチクラヲタ・チャイルドだった自分、廉価盤時代でも、こうした曲には手を出しませんでしたが、フォンタナから出てた、ハイティンク盤が、ハイティンク好きとしては、気になってましたね。

そして、CDを最近購入。
国内レコードでは、ナレーションは、樫山文江さん。
そして、外盤では、なんと、バリトンのヘルマン・プライなのでした。

この、深くて暖かみのあるバリトン声によるナレーションが、とても包容力と親しみに溢れていて、素敵なのですよ。
 そして、それに、完璧なまでに符合しているのが、ハイティンク指揮するコンセルトヘボウの、いつものあの、あったかサウンドに、フィリップスの明晰ウォームトーン。
ことに、この手の曲は、分離がよくなくては話しにならないが、ここでは、ごく自然な、ソロ楽器の捉え方と、劇に合わせたステレオサンドが、とても素晴らしいのですよ。

こうした曲の場合、指揮者が素晴らしいとか、解釈がどうの、とははなはだそぐわないのですが、ここでは、ハイティンクとコンセルトヘボウならでは、ということと、プライの声が、いつものプライらしいですよ、ということにとどめておきましょうかね。

ねこさんも、ピーターの飼い猫として、登場しますが、楽器はクラリネットということで、そのイメージは、そろり、そろりとした動きが、いかにも、ですな。

カラヤン、バーンスタイン、ベーム、小澤、アバド・・・、幾多の大指揮者も録音してきた、「ピーターと狼」。
みなさまも、たまには、いかがですか?
その際は、ナレーターで演奏を選ぶのもひと手ですよ。

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2015年4月18日 (土)

ブラームス ピアノ協奏曲第2番 ブレンデル&ハイティンク

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落日間もない東京タワー。

まだこの時期は、オレンジ色のライトアップ。

初夏から、白色のライトアップに切り替わります。

何度見ても、このタワーはバランス的にも、とても美しい。

スカイツリーより、数等好きですね。

そして、この暖かなカラーがいい。

暖色系の曲に、演奏。ブラームスを聴きます。

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   ブラームス  ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op83

        Pf:アルフレート・ブレンデル

   ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                      (1973.12 @コンセルトヘボウ)


ブラームス最充実期のピアノ協奏曲。
1番から22年を経てのシンフォニックな力作ですが、イタリア旅行を挟んでいるところから、かの地の陽光も、この作品の隅々には射していて、第2交響曲と通じるところもあり、わたくには、春の陽気のいい頃に聴く音楽のひとつとなっているんです。

もちろん、3楽章のチェロの独奏を伴う、実に魅力的な場面では、多分に内省的に聴くこともできて、秋の気配も感じることもできます。

そう、ブラームスって、「春と秋」がお似合いnote

ホルンソロで開始される伸びやかで、かつ雄大な第1楽章。
緊迫のなかにも、晴れやかなトリオを持つスケルツォ。
協奏曲に、スケルツォですから、これはもう交響曲の形態です。
そして、チェロのソロが、やたら暖かくて、朗々としていて、そこにピアノとオーボエが加わって、ほんと、ずっとずっと浸っていたくなる絶美の世界、そんな第3楽章。
 うってかわって、軽快で、うきうきと弾むような終楽章。

個性的なピアノ協奏曲です。
いかつく、悩み多き1番より、この2番の方が、数等好きであります。

今日は、これまた、この曲のイメージにぴったりの演奏と録音で。

ソフトで柔和なブレンデルが、ブラームスの柔の部分を思いきり引きだして聴かせてくれる。
ブレンデルの中庸なピアノが、ブラームスにはぴったりだと思います。
後年、アバドとも再録音をしてますが、あちらの円熟のピアノもよいですが、こちらには、春の華やぎのような若さもあります。
 そして、それ以上に素晴らしいのが、ハイティンク&コンセルトヘボウ
73年といえば、日本にやってきた年で、そこでの演奏や、マーラーやブルックナー、ロンドンフィルとのストラヴィンスキーなどが徐々に好評価を得るようになっていた時分です。
 この両者の個性が、渾然一体となったこの名コンビによるブラームスは、まろやかで、響きもたっぷりとしていて、まことに申し分がありません。
少し前の記事で、交響曲第2番を取り上げ、激賞しましたが、こちらもブラームスの理想的な演奏のひとつになっております。
 各ソロもうまくて、味わいがあり、ちょっと鄙びた音色を出してるところなんかたまりません。
録音も、もちろんフィリップスならではの、鮮明さと、重厚さ、そして温もり感たっぷり。

73年12月の録音ですが、この年の5月に、ブレンデルは、ハンス・シュミット=イッセルシュテットと1番を録音しました。
そして、その後に2番ということでしたが、その録音のあと、イッセルシュテットは急逝してしまい、ハイティンクにまわってきたものです。
1番は、たいそうな評判になりましたが、この2番は、静かに出て、いまに至るまで目立たぬ存在に甘んじてます。。。。
1番とともに、リマスターして、再発されんこと、強く望みます。

ハイティンクは、アラウ、ブレンデル、アシュケナージ、アックスと4度もこの協奏曲を録音してます。
そして、アバドも、ポリーニで2回と、ブレンデルで録音しました。
ソリストたちに好まれる指揮者、ということができるでしょうね。

 ちなみに、この曲で一番好きな演奏が、ポリーニ&アバドの旧盤。
そして、今日のこちらに、アシュケナージ&ハイティンク、バックハウス&ベームといったところでしょうか。
 今秋は、神奈川フィルで、オピッツ&ゲッツエルという夢のような演奏が予定されてますnote

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2015年4月 2日 (木)

ブラームス 交響曲第2番 ハイティンク指揮

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一足先に、満開だった、芝増上寺のしだれ桜。

もう、いまは、散ってしまい、寂しい感じになってます。

Shiba_b

ソメイヨシノは、満開で、週の終わりには、雨も降り、きっと散ってしまいます。

本格的な春の訪れは、桜の開花でもって急に始まり、散ってしまうと、初夏への準備に入ります。

うららかな、時候に、ブラ2。

Brahms_sym2_haitink

   ブラームス  交響曲第2番 ニ長調

  ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                      (1973.6 @アムステルダム)


春の陽気に相応しい音楽のひとつが、ブラームスの2番。

明るい長調が基調の、喜びと暖かさにあふれたこの交響曲。

1番と4番よりは、2番と3番の方が、好き。

それは、北と南って感じかな。

でも4曲ともに、等しく名曲ですね、なんだかんだで、しょっちゅう耳にすることになってます。

 ハイティンクは、ブラームスの全集を、コンセルトヘボウ、ボストン、ロンドンと、3度録音してます。
ドレスデンやウィーンとも残して欲しかったところですが、これら3つのブラームス全集は、わたくしには、とても大切なセットです。

ロンドンのものは、録音が、ちょっといまひとつに感じ、ボストンは完璧ですが、どこか余所ゆきな感じで、ほんとのハイティンクの姿じゃない感が、わずかにあり。
そして、コンセルトヘボウのものが、一番に思えるのは、指揮者とオーケストラの均一なまでの関係が、それぞれに補完しあって、見事に結びついているからなのです。

4曲の録音で、一番古い3番は、旋律の扱いに、やや、そっけないところがありますが、オケの暖かなの響きでもって、包まれるようにして救われてます。
1,4番と経て、その音にも気合と充実ぶりを込めるようになったあと、最後に録音された2番にいたって、指揮者とオーケストラが、完全に、渾然一体となり、それがおのずと音楽を語るようになった。

どこがどうの、といった特徴は、取り立ててありません。

でも、この演奏のそこかしこ、隅々にみなぎる親密感は、今日明日で造られたものでなく、まして、優秀な指揮者が、瞬間風速的にいっときの名演を造り上げたようなものでもありません。
 同じ血の流れるもの同士が、長きにわたって育んできた関係の、最良の美しい結実とも呼ぶべきもので、指揮者とオーケストラとの幸せな結びつきが、ここに完結したのでした。

 高校生だったわたくしが、ハイティンク好きになったのは、それより少しまえで、いつも、ぼろくそに批評されてういたこの指揮者のことを、応援し始めたのは、3番の交響曲のレコードを買い、おりから来日した、このコンビの演奏をテレビで観てからでした!

 この2番と、チャイコフスキーの5番のレコードでもって、辛口だった、レコ芸の大木正興さんの評論が、絶賛に切り替わった。
それもまた、当時、喜ばしかったこと。
氏は、アバドのマーラーでも、高評価を下し、わたくしの溜飲を下げていただいたものでした・・・・。

 ともかく、この2番の演奏は、ほんと、素晴らしい。
言うことないから、なにも書きません。
録音もフィリップスのアナログ時代の、最盛期の素晴らしさ。

目をつぶって聴くと、行ったことはないけど、赤い絨毯に敷き詰められた、木質のコンセルトヘボウのあのホールの画像が、脳裏によみがえります。
 そして、同時に、日本の美しい、春と秋の景色にも、ぴたりとくるようです。

ブラ2の、わたくしのマイベストは、アバド&ベルリンフィルの旧盤と、こちらのハイティンク&ACO。そして、非正規ですが、クレー&フランクフルト放送。
ライブでは、なんといっても、シュナイト&神奈川フィルです♪
  

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2014年10月 2日 (木)

ブリテン 「真夏の夜の夢」 ハイティンク指揮


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真夏の夕暮れの東京タワー。

ついこの前までの暑い夏は、涼しい秋にとってかわりました。

冬から春も劇的だけど、夏から秋も、いつのまにか風が変わってしまい、朝晩に急に季節が進行したことを痛感します。

懐かしいな、夏。

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    ブリテン 歌劇「真夏の夜の夢」

 オベロン :ジェイムス・バウマン   ティターニア:イレアナ・コトルバス
 パック   :ダミエン・ナッシュ     テセウス :リーヴェ・ヴィッサー
 ヒッポリタ :クレイエ・パウエル     ライサンダー:ライランド・デイヴィス
 ディミトリアス:デイル・ディージング ハーミア:シンシア・ブキャナン
 ヘレナ  :フェリシティ・ロット       ボトム:クルト・アッペルグレン
 クィンス :ロバート・ブリソン        フルート:パトリック・パワー
 スナッグ :アンドリュー・ギャラガー スナウト:アドリアン・トンプソン
 スターヴリング:ドナルド・ベル
 妖精:蜘蛛の巣、豆の花、からしの種、我・・・・ボーイ・ソプラノ

        演出:サー・ピーター・ホール

     ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                        
                         (81.@グラインドボーン)

   
シェイクスピア原作の「真夏の夜の夢」。
「真夏」とありますが、本来のこの物語の季節は、夏至の頃。

そして、夏もすっかり終わった秋のいま、こうして記事にしてます。
というか、真夏に鑑賞してたのに、今頃の記事。
最近の週末は、忙しくて、以前のようにオペラ記事を書く時間がないのです。

音楽での、「真夏の夜の夢」の代表作は、メンデルスゾーンの同名の劇音楽でありましょう。
あと、古くは、パーセルの「妖精の女王」で、原作から半世紀後。
そして、英国からは、ずっと下って、ブリテンのこちらのオペラとなります。
あと、変わったところでは、コルンゴルトがメンデルスゾーンの作品を映画様にオマージュした同名の劇作品もあります。

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ブリテンのオペラは、1960年の作品。
そして、原作のシェイクスピアの戯曲は、1596年。
ほぼ400年を経て、ブリテンと朋友のピアーズは、原作にほぼ忠実に従い、幻想・ロマン・笑い・風刺・夫婦愛といった妖精を介した人間のドラマが、楽しく美しくここに描かれることとなりました。

保守的な作風だったブリテンですから、1960年という年の作品にしては、メロディも豊かで、とても聴きやすいオペラで、しかも全3幕、2時間30分という長さながら、ドラマの運びと、巧みな音楽とで、楽しみつつ、あっという間に終わってしまう。

過去に2度記事にしてますが、簡単な、あらすじ・・・。

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妖精の王オベロンと妃のティターニアが、愛しい少年をめぐって喧嘩をして、頭にきたオベロンは、遊び心で、寝て起きて最初に見た人に恋してしまうという薬草を、妖精パックに探しにいかせる。

 人間の男女4人が、それぞれ、たがいに違う相手と出てきて、恋の悩みをぶつけ合う。

それを観察するオベロンは、気を効かせて、うまく恋が成就するように、パックに、かの惚れ薬を塗るように命じるが、そそかっしいパックは、違う相手の瞼に塗ってしまい、本来の恋人希望でない女性に起こされた彼は、彼女をひと目で好きになってしまう。

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 一方、森には、演芸の出し物を練習しにきた職人たち数人。

かたわらでは、妃ティターニアが休みにつくが、パックは職人のひとりを誘い出して、その姿をロバにしてしまう。

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 翌朝、目を覚ました妃は、ロバを見て、即、恋に落ちる。

妖精たちもまじえて、平和かつ滑稽な情景が続くが、一方、ひとりの女性を巡り、大げんかとなった4人の男女の喧騒もすさまじい。

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 パックに、ひと違いをしたことに、激怒して、お仕置きをするオベロン。

パックは、4人をばらばらに呼び出し、ふたたび、惚れ薬を処方。 

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さらに、妃の魔法も解き、妖精の王夫妻と4人は、仲直りの美しい朝を迎える。

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そして、その晩は、領主の婚礼。

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合わせて、4人の祝福も同時に行い、宴の出し物は、職人たちの抱腹絶倒の寸劇。

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やがて、劇も終わり、皆が去ったあと、妖精夫妻も仲良く歌い、最後に一人になったパックが狂言回しとして、舞台の幕を締める。


 登場人物が多くて、一見、ばたばた騒ぎに見えるけれど、舞台や映像に接すれば、その思いは霧消してしまいます。

 3幕の滑稽な劇中劇も、1幕で行われる職人たちの練習風景と巧みに結びついていて、もやもやが晴れるし、なによりも、全体に巧みなライトモティーフの使用による効果があふれ出てます。
 1幕と3幕は、それぞれ夢想的な前奏曲から始まり、そこから次々に、その幕の出来事も含めて音楽が派生して、大きくドラマを築いて行くさまが聴きこむとよくわかる。
さらに、中間の第2幕は、長大なパッサカリア形式ともとれるそうです。
 そう、全体をシンフォニックに捉えることも可能なオペラなのです。

 また、原作に妖精たちとして、少年がたくさん出てくることも、ブリテンの好む素材でありましたでしょう。
オペラでも、妖精たち=少年合唱は、3つの幕でそれぞれに大活躍で、古雅なまでのコーラスを披露して、3つの幕を結びつける効果も生んでいるように思われます。

あと、狂言回しのパックちゃんですが、語りに重点を置いたシュプレヒティンメのような存在で、歌いません。
わたしの持つデイヴィス盤では青年が、観劇した舞台では女性が、そしてこちらの映像のハイティンク盤では少年が、これまた、まったく達者に機敏に演じております。

ブリテンのオペラ16作中、10番めのものですが、このオペラよりあと、旋律的なオペラに別れを告げ、東洋風な音楽も取り入れ、よりミステリアスでユニークな、ある意味感覚的な音楽の方向へと向かうのでした。

 さて、グラインドボーン時代、1980年代のハイティンクは、ロンドンフィルの指揮者という立場でもって、オペラを本格的に指揮し始めた頃で、必死にレパートリーの開拓に努めていた頃。
モーツァルトのダ・ポンテオペラや、ストラヴィンスキー、ブリテンなどの名演をこうして残してくれました。
いずれもふくよかで、穏健な解釈ながら、音楽はときに生真面目すぎたりもしましたね。
でも、シンフォニックなアプローチが、ブリテンには、ピタリと決まって、とてもスッキリしてます。
カーテンコールに出てくるその姿も、頭は一緒ですが、まだ50代だから、とても若い。
グラインドボーンのあと、デイヴィスの後を受けて、コヴェントガーデンの音楽監督となり、オペラ指揮者としての立場も完成させることになるハイティンクでした。

歌手では、お馴染みのコトルバスが素晴らしいですね。
バウマンのオベロンも見栄えもよく、完璧な歌です。

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そして、4人の人間の恋人たちの素晴らしさ。
とりわけ、若きロットとR・ディヴィス。

 最後に、演出は、ピーター・ホール。
王立シェイクスピア劇団やナショナル・シアターの監督をつとめたピーター・ホールは、劇や映画に加え、オペラ演出でもかなりの舞台を残しております。
英国で、数々実績をあげていたホールに、バイロイトが声をかけたのは、シェロー&ブーレーズの革新的な「リング」のあと。

 ショルティとともに、バイロイトに乗り込み、それまでの「フレンチ・リング」に対し、「ブリテッシュ・リング」と呼ばれたのが1983年のこと。
このブリテンの映像の頃は、もう構想・準備に入っていたものと思われます。
 具象的で、ロマンティックだったバイロイトの「リング」は、ある意味賛否両論で、前が凄すぎたのと、ショルティが、劇場の音響にうまく自分の想いを合わすことができず、1年で降板してしまったことが気の毒な評価となってしまいました。

 ですが、その後を受けたペーター・シュナイダーの指揮が素晴らしくて、歌手もベーレンスを中心に安定して、このプロダクションは成功裏に終了することとなりました。
こちらの映像は残されませんでしたが、ほんのちょっとだけ、ビデオで持ってますよ。

話が飛んでしまいましたが、ホールの造りだす舞台はとても美しくて、あらゆる人の想像の中に出てくるものと同じ感じでもって展開するので、幻想と現実の狭間をただようこの舞台を理想的な演出として評価してもいいと思います。
 リングでは、「リアルなメルヘン」と評されましたが、ここでも、まさにそう。
ある意味、原作に忠実であることの美しさです。
 もちろん、解釈により生まれる美しさや、刺激を否定するものでなく、大いに双方を受け入れたい心情に変わりはありません。

いまや、いろんな演出や演奏が登場していると思われますが、ひとつのスタンダートとして大切な映像に演奏だと思います。

それにしても、ブリテンのオペラのエンディングは、急転直下かっこいい

15

「妖精さんのしでかす出来事は、いつでも、ありまぁす

by パックさん



 
過去記事

 「デイヴィス&ロンドン響」

 「名古屋二期会公演 阪 哲朗 指揮」
  

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2013年11月22日 (金)

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 アシュケナージ、ベルマン

Suqare_garden

京橋に新しく出来た、商業&オフィスビルから。

いいですねぇ、これまた。

いい歳して、クリスマスとイルミネーションが大好きなんですよう。

冬の澄んだ空気に、映えるツリーやイルミ。

ロマンティックなチャイコフスキーやラフマニノフ、後期ロマン派の音楽にぴったりとくると思っているのはワタクシだけ?

今夜です!

  ブラームス   交響曲第3番 ヘ長調

  ラフマニノフ  ピアノ協奏曲第3番 ニ短調

       ピアノ:清水 和音

  垣内 悠希 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          2013年11月22日 金曜日 19:00 みなとみらいホール


横浜の街を彩るイルミネーションに、いっそう華をそえるような、キラキラしたラフマニノフが聴けるでしょう。


Rachmaninov_p3_ashke

  ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 ニ短調

          Pf:ウラディーミル・アシュケナージ

  ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                        (1985.8 @アムステルダム)

4曲のラフマニノフの協奏曲のなかで、一番長大。
レコード時代は、これ1曲で1枚。
CD時代になって、2番との組み合わせも可能になって、かえってますます1・4番が日蔭者みたいになっちゃってあまり聴かれなくなった気がする。

それはそうと、交響曲第1番への非難総口撃から立ち直ったラフマニノフは、ロシアからヨーロッパ各地へと、ピアニストとして活動しながら、作曲活動も盛んにおこない、そんな中、アメリカへ向かう際に仕上げられた3番の協奏曲。
ニューヨークで、自身のピアノで1909年に初演。

ヨーロッパ演奏旅行中に起きた革命で、祖国へ戻れなくなり、転々と過ごし、最後にはナチスの登場で、アメリカにて亡くなることになるラフマニノフ。

この曲には、まだそんな望郷の思いは出てませんが、すさまじい技巧のピアノと、しっかりした構成に富むオーケストラとが奏でるメロディアスで、ロマンティックな情感あふれるこの3番も、2番に負けず、最高の名曲だと思います。

ロシア・ソ連から、逃れた芸術家はそれこそたくさんいますが、音楽家はとくに西側での活動もある程度許されていたので、息苦しい故国から逃れる人も少なくなかった。

ホロヴィッツ、アシュケナージ、ベルマン、この3人がこの3番をそれぞれ録音してます。

ホロヴィッツに関しては、ライナーとのものや、晩年のオーマンディとの記念碑的なライブなどがありますが、それらはまたの機会にして、より聴きやすく、安定した演奏としてアシュケナージ盤を聴きました。

抒情派としての売込みだった若き頃の、ピアニスト・アシュケナージ。
この曲を4回も録音してます。
最後のハイティンクとの共演では、堂々たる濃密なオーケストラを背景に、余裕たっぷり、構えの大きい、それでいて繊細で歌心にもあふれた演奏です。
最近のこの曲の録音はあまり聴いてないのですが、わたくしの中では、これが一番。
オーケストラの素晴らしさも、ハイティンク&コンセルトヘボウの最良の時期のその最後の輝きみたいな切なさをも感じる素敵なものです。
欲をいえば、デッカではなくて、フィリップス録音だったらよかった。

アシュケナージは、あとプレヴィン盤もすばらしくて、煌めきはそちらの方がうえ。

Bermanabbado

       Pf:ラザール・ベルマン

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                     (1976 @ロンドン)


リヒテルが幻(まぼろし)じゃなくなって、その次に出現したる、まぼろしピアニストは、ラザール・ベルマンだ。
鉄のカーテンの向こう側に潜んでいたベルマンが、忽然と前世期の遺物みたいなヴィルトォーソとして西側に姿をあらわしたときは、音楽界は沸騰しました。
75年頃だったか、レコ芸の裏表紙に大々的に宣伝された、熱情ソナタが第1弾だったかと。
そのあとは、カラヤンやジュリーニ、そしてこのアバドとの共演と、メジャーからひっぱりだこ。
ソ連崩壊の前後に故国を去りました。

2005年には亡くなっていますが、晩年はその名前もあまり聴かれなくなり、少し寂しい最後でした。

いま久しぶりに聴き返してみて、いま風のスッキリクッキリ系の演奏に慣れた耳には、妙に新鮮で、テンポは揺らさずとも、歌い回しを大きく表情付けも豊かにすることで、こんなにも情念あふれる演奏になるのだと思った次第。
タッチの力感あふれる強靱さとともに、柔らかな表情は、抒情的なアシュケナージとはまた違うふくよかな魅力も感じます。
そして、歌いまくるアバドの指揮にあわせての、第2楽章の哀切を極めたピアノにはほとほとまいります。
のちにアバドはジルベルシュタインとベルリンで録音してますが、あの他人行儀的な生真面目さと変わって、ここではロンドンの気心知れたオーケストラとともに、歌また歌、そしてムソルグスキー真っ青の暗い響きも引き出してます。
 その二人が大爆発する終楽章のエンディングには、思わず快哉を叫ばずにはいられません。

これまたわたくしにとっては懐かしい青春のひとコマみたいな演奏です。

以上、ラフマニノフ大好きオジサンでした。

あと数時間後には、横浜でこれを聴きますよ。

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2013年10月24日 (木)

マーラー 「嘆きの歌」 ハイティンク指揮

Minatomirai20131018_a

横浜コスモワールド。

演奏会に行く前に、ちょいと覗いてみました。

ブルー系のイルミネーションがとてもキレイ。

クリスマスまであと2ヶ月。

この前まで猛暑だなんだと言ってたのに。

そしてまだ台風シーズンなんだから、季節感はむちゃくちゃに。

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  マーラー カンタータ「嘆きの歌」

   S:ヘザー・ハーパー       A:ノーマ・プロクター
   T:ウェルナー・ホルヴェーグ

 ベルナルト・ハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
                    オランダ放送合唱団

                  (1973.2 @アムステルダム)


ネットで、懐かしいジャケットを見つけて、お借りしてきました。
高校生の時にレコード発売されたハイティンクのマーラー。

交響曲は、8番でもって全曲録音が終わり、あとは「大地の歌」を残すのみのところへ、出てきたこのレコード。
興味はありつつも、買うまでには至らなかったこの音盤は、CD時代になって期せずして、ふたつ持つこととなりました。
3番とのカップリングと、エロクワンスの廉価盤での10番とのセット。

  
マーラーの残された完成作品としての第1作。
1878年、18歳のマーラーは、ウィーン音楽院在籍中に、ワーグナーに魅せられるが、ワーグナーが自ら劇作をものし、台本を書いたように、自身も台本創作欲につかれ、素材を「グリム童話」に求めた声楽作品となりうべきものを書きあげた。

「子供と家庭の童話」の中から「歌う骨」という物語を選んだ。
そこに、マルティン・グラーフという人の詩「嘆きの歌」を織り交ぜた。

そして作曲は、その2年後20歳の年に完成し、ウィーン音楽院の作曲賞に応募したものの見事に落選。
傷心のマーラーは、それでも、指揮やピアノでもって地方のどさ廻りをして生活を成り立たせる努力をする・・・・。

この音楽に聴こえてくる1番や2番のフレーズ、それらの完成までは、あと4年です。

3部からなる大作で、Ⅰ「森のメルヘン」、Ⅱ「吟遊詩人」、Ⅲ「婚礼のできごと」からなってます。

Ⅰ.むかし、誇り高く美しい女王がいた。彼女と結婚するには、森に咲く赤い1本の花を見つけた者のみ。
ふたりの騎士の兄弟が、森へ勇み立つ。弟は優しい心根の青年、兄は邪悪な心を持つ男。弟は見事、花を見つけ、帽子に刺して、柳の陰でまどろんでしまう。
それを見つけた兄は、弟を剣で一太刀。

Ⅱ.ひとりの楽士が、柳の下を通りかかり、白々と輝く骨を見つけた。
木の管と思い、それを横笛にしようと彼は取り上げた。
そしてその横笛を吹いてみた。
笛は歌い出した。「親愛なる楽士よ・・・兄がこのおれを殺してしまった、やがて素晴らしい女性と結婚をする、なんという悲しみ・・・・・」
楽士は、各地でこの悲しい笛を吹き広め、やがてお城へ登る。

Ⅲ.婚礼のただなか。かまびすしく賑やかな楽隊に合唱。
王は青ざめて、ふさぎこんでいる。
そこへ楽士がやってきて、横笛を吹くと、あの歌が・・・。
王は玉座を飛び降り、笛を取り上げ、邪悪な笑みを持って横笛を口にする。
すると、「ああ、兄上、親愛なる兄上よ・・・、あなたは私の若い命を死に委ねてしまった・・・」
女王は倒れ、人々は逃げ去り、城壁は崩れ、王は下敷きになってしまう。
なんたる悲しみ、嘆き!

こんな感じの、まさに残酷かつ、嘆きに満ちた、ドイツ中世独特の物語。

この奇嬌なドラマにマーラーが付けた音楽は、オペラを書かなかった作曲家の、一番オペラに近い作品と思われるくらいに、ドラマティックでかつロマンティック。
そして、マーラー独特の明暗・悲喜・唐突・・・、二面性、いや多面性を秘めた複雑な音楽の運びも、この若書きでは明らかになってる。

この3部作を、後年2度ほど改訂していて、3度目、1901年の作曲後20年を経た初演時には、第1部を削除してしまい2部構成としました。
アルマとのお付き合いのさなか、残虐な場面を削除し、破綻に終わる結婚の物語を少しでも薄めようという気持ちもあったのでしょうか。

今日のハイティンク盤は、この最終稿の2部構成版によるものです。
約40分くらいで、ちょうど聴きやすい長さ。
原典の3部版は、ブーレーズやラトルです。
わたしの手持ちのラトル盤は65分もかかりますので、第1部が長いのです。
正直、中だるみしますが、よりグロテスクな雰囲気は3部版の不均衡さの方にあるかと思います。

牧歌的な雰囲気や、婚礼のシーンでの激しさや、バンダ別動隊の巧みな効果など、後年の交響曲の雰囲気にも通じる面白さがあります。
ソロたちの扱いが、情景を述べたり、登場人物になったりと、やや劇的要素に乏しいが、微笑ましいところもありです。

「本当は残酷なグリム童話」とは裏腹に、マーラーの音楽は、ほのぼのとしていますが、マーラー好きには堪らないシーンも続出しますよ。
最後の、思わぬエンディングもイイです。

ハイティンクとコンセルトヘボウ、そしてフィリップス録音は、期待を裏切らない、ふくよか、ヨーロピアンサウンドでもって、耳に心地よく、味わいも深いです。
テノールが弱いですが、ふたりの女声は素晴らしいです。

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2013年7月 6日 (土)

ワーグナー オペラ管弦楽曲集 ハイティンク指揮

Mihonomatsubara_2

世界遺産登録なった富士山を三保の松原の海岸からのぞむ。

この写真は、よく静岡へ仕事で行っていたころのものを思い出して探しだしました。

海に浮かぶように見える富士は、やはり静岡からの眺めが一番でしょうね。

ほんと、素晴らしい。

Mihonomatsubara_1

たぶんいまもあるのでしょう、無粋な波消しブロック。

これを沖に移動することも実行されるそうな。

いつまでも美しくあって欲しいものであります。

Haitink_wagner

 ワーグナー  「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲

          「パルシファル」前奏曲

          「ローエングリン」第1幕への前奏曲、第3幕への前奏曲

          「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

          「ジークフリート牧歌」

   ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

                         (1974@アムステルダム)


ハイティンク&コンセルトヘボウシリーズ、最終回はワーグナー。

録音された1974年は、それまで評価の低かった日本で、これまでいつも一緒に来ていたヨッフムも同行せず、単独で来日して、ブルックナーの5番の名演を行った。
このコンビのこの年の5番は、ウィーンでのライブがFM放送され、いまでも音源として持っていますが、堂々たる演奏で、まさにオルガンのような重層的な響きが魅力的でありました。
レコードもロンドンフィルとのストラヴィンスキーや、ブラームス、チャイコフスキーなど、次々に発売されて、評論家の大先生からもお誉めをいただくようになり、アバドとともに、ハイティンク好きだったわたくしは、妙に嬉しかったものです。

75年に発売の、ワーグナー集は、ご覧のとおりの素敵なジャケット。
ノイシュヴァンシュタイン城へ行くと、不自然にあでやかな写真のパンフレットが売ってましたが、そんな感じのジャケット写真。
レコード・ショップでいつも手にして眺めつつ、悩みながらも結局購入することはなかった。
高価なレコードをそんなに買える訳じゃないから、どうしてもレコ芸の評論を頼りとしてしまう、そんな高校生。
月評は、U先生。立派でオケが素晴らしい、シンフォニックと誉めつつも、どこか気乗りしない書き方。でも録音評は最高得点の95点でした。

結局、わたくしが、ハイティンクのワーグナーを購入して聴いたのは、CD時代になってから。ハイティンクの初ワーグナーオペラ録音の「タンホイザー」のあとだったかもしれない。
ですから、オペラ指揮者としても、名声を確立した頃。
あれから10年です。

そんな耳で聴いたハイティンク&ACOのワーグナー。
イメージとして、ワーグナーのオペラの世界から遠い、かっちりとしたシンフォニックなものでは・・・・という思いがあったのですが、それは完全に異なる響きだった。
確かに、ここにあるワーグナーは、オケピットにあって、さらなる劇世界の幕開きを告げるような、緊張感や高揚感あふれるようなものではない。
 しかし、10分の前奏曲に真っ向から勝負して、ひと時たりとも気の抜けたような音がなく、また神秘性も、官能も、祝祭性、崇高さも・・・、みんななし。
何と言ったらいいか、楽譜がそのまま音になった感じ。
しかも、それがコンセルトヘボウという美しい織物のような摘んだ響きのオーケストラなものだから、ホールの音色と相まって、独特のユニークなワーグナーになっていると感じました。

ハイティンクの指揮は、いつも自分の解釈を強く打ち出すタイプではなく、オーケストラの自主性を汲みあげつつ、音楽に自然に語らせるタイプなので、音楽の説得力が高ければ高いほど素晴らしい効能を引き起こす。
かつて、ドレスデンと来日してブルックナーの8番を聴いたおり、熱狂する拍手に応えて、指揮台のスコアを高く掲げる仕草をしました。
音楽が一番なのだという真面目で謙虚な姿勢。

その後、ハイティンクの指揮によるワーグナーを中心とするオペラの数々を聴いてきたけれど、初期の頃の、ただ精妙に鳴っているだけの印象から、痺れるようなオペラの高揚感は感ぜずとも、音が、ドラマがおのずと語り出し、歌手たちも無理なく自然に役柄に入り込んでいる様子を後年のものほど強く感じるようになりました。

チューリヒでの「パルシファル」などは、そんな名演の典型でしょう。

正規録音では、「オランダ人」「ローエングリン」「トリスタン」があれば、ハイティンクのワーグナー主要作は揃うこととなります。いずれも、ロンドンやチューリヒで指揮してますので、いずれは音源や映像が出てくるものと期待します。

さて、COAとのこちらのワーグナー。いずれも気に入って演奏です。
ゆったりめで、どうどうと歩む「マイスタージンガー」、木質感の味わえる清澄な「パルシファル」と「ローエングリン」。
普通に演奏するだけで、かくも美しく、しかもじわじわ感が増してゆく「トリスタン」。
ブルックナーの7番の余白に入っていた「ジークフリート牧歌」は、いまはここと、同じ8番の余白に佇んでます。ほんわかとしたふくよかムードが美しい。

コンセルトヘボウは、ハイティンク時代の音色と変わりつつあり、よりスリムに、柔軟に、高性能にシェイプされた。
自主レーベルを中心とする録音も今風だけれど、やはり、わたくしには、ハイティンク治下のフィリップス録音が最高だと思っております。

オーケストラのホームページから、ハイティンクの貴重な映像を見ることができます。

http://www.concertgebouworkest.nl/en/orchestra/conductor/Haitink-Bernard/

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