2008年3月 4日 (火)

ジュセッペ・ディ・ステファノを偲んで

昨日は、トリスタンの夢を見たことを書きました。
そして、昨晩の夢も朝からうる覚えに記憶している・・・・・。
今回は、なんと「ラ・ボエーム」だったのである!
それも、最後の場面。ミミは登場しなかったけれど、ロドルフォが泣き叫んでいたんだ。
そして、その場面を家族に見せて、どう?泣けるでしょ? なんて、言っているワタシがいた。なんちゅう夢じゃ?
それと朝でも覚えている自分、歳を感じるなぁ~。今晩は、いったい・・・・。

Di_stefano_2 3日、ミラノにて、世紀のテノールのひとり、「ジュセッペ・ディ・ステファーノ」が亡くなった。
享年86歳、新聞によれば2004年にケニアの別荘で、強盗に襲われ負傷。以来、昏睡状態だったという。
粋なディ・ステファーノとしては、本当に無念の亡くなり方ではなかったろうか!

1921年シチリア生まれ。生粋のイタリアン・テナーとして、デル・モナコ、フランコ・コレルリ、タリアヴィーニ、ベルゴンツィらと、まさにイタリアオペラの黄金時代を担ったステファノ。

直情的なドラマティコのデル・モナコと違い、もう少しリリックでベルカント系に強かった。
多少の歌い崩しがご愛嬌で、それが歌いどころでバッチリ決まってしまう味のあるテノールだった。型の決まったヴェルディよりは、ドニゼッティやプッチーニ、ジョルダーノが良かった。
そして何よりも、ステファノですぐに思いおこすのは、ナポリ民謡の数々だろう!!
何種類も録音が出ていて、誰もが一度は聴いたことがあるはずだ。
まさに、故郷の歌を気持ちよさげに、思いのたけを込めて歌うステファノの声に、明るい陽光を見る思いだ。

Callasstefano 日本との係わりでは、よき伴侶だったマリア・カラスの復活公演に同行し、1974年にNHKホールでジョイントリサイタルを行なったこと。
ステファノがカラスをいたわり、立てつつも、衰えを隠せないカラス。
それに引きかえ、元気一杯・立派だったステファノ。
そして翌年75年には、カラスとステファノの「トスカ」が横浜で上演されることとなった。
だがやはり、カラスは無理で、カラスの指名を受けたモンセラット・カバリエがトスカを歌った。この模様は、NHKFMで生中継されたし、後日テレビでも放映された。
Stefano カヴァラドッシを元気一杯歌ったステファノは、お腹がポッチャリ・メタボだったけど、とんでもなく立派なもんだった。「ヴィット~リ~ア~~!」の聴かせどころも、もの凄かった。
この公演では、ステファノ自身が演出家もつとめた。
懐かしいカセットテープがあるはずなので探してみようか。

その後のステファノの活動は、あまり耳にしなかったが、悠々自適のいなせな後世を送っていたのだろうな・・・・・。
決して美声ではないけれど、感性のおもむくままに歌い上げた歌は、いつも心がこもり、時として音楽のフォルムを踏み外してしまうこともあったかもしれない。
その心の入れ込み具合を味わうのが、ステファノの歌を聴く醍醐味。
こちらの気持ちも解放され、大きく深呼吸する気分になる。

あまりに素晴らしい「カタリ」を聴きながら、今宵は偉大なテノール歌手を偲ぼう。
ご冥福をお祈りします。

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2007年12月20日 (木)

ジーン・コックス オペラ・アリア集

Ginza12m2 銀座のソニー・ビルの様子。

いつも思うけれど、こうした飾り付けにいくらかかっているんだろう。
こちらは毎年チャリティー募金が目玉になっていて趣旨は非常によろしいけど。

空虚なネオンやイルミネーションはそろそろ見直して欲しいもの。

でも夜のネオンは、いつどこでも恋しいけれどね。

Jean_cox

ジーン・コックス」の名前をご存知の方は、私と同世代のワーグナー・ファンかもしれない。
1970年代前半に、バイロイトで獅子奮迅の活躍をした歌手なのだ。
私はご多分にもれず、年末恒例のバイロイト音楽祭のFM放送のおかげもあって、ワーグナーに開眼していったこともある。
ヴィーラント・ワーグナー演出のリングは、1970年(マゼール指揮)で終わってしまい、その年はまだワーグナーなんて思いもよらない世界だったが、1971年からのウォルフガンク・ワーグナーのリングあたりから聴き始めた。
たしか、そこで登場したのがホルスト・シュタインであり、ジークフリートを歌ったジーン・コックスだったはず。

演出に独創性が希薄となり、指揮もベームやマゼールからすると小粒、歌手もヴィントガッセン、ニルソンの時代から世代交代の時期にあった。
でもそこはシュタイン、年々磨きがかかり、誰をも納得させてしまうワーグナー演奏を次々に繰り広げることとなった・・・・。

でもソプラノもテノールも、やや不毛の時期だった。
リゲンツァやジョーンズまでは少し間があったし、デルネッシュはカラヤンが独占してしまっていた。
ヘルデン・テノールにおいて、J・キングの守備範囲以外、ヴィントガッセンとR・コロ、ホフマンの間をつないだのがこのジーン・コックス。J・トーマスは、70年代は不調だったし。

アメリカのアラバマ州に生まれ、ボストンでじっくり勉強をつんでヨーロッパに渡る。
このあたりは、先達とまったく同じ道を歩む。
イタリアでデビューし、ファウストやロドルフォを歌い、その後、マンハイムに拠点を移しイタリアものを中心に活躍。とりわけオテロは今でも語り草・・・と解説にある。
マンハイムでいよいよワーグナーの諸役に挑み、やがてバイロイトへの道が開かれることになる。
当時、マンハイムにはホルスト・シュタインもいたから、この二人の関係もうかが知れる。

Cox バイロイトでは、エリック、ジークフリート、パルシファル、ヴァルターを歌った。
年によっては、ヴァルターとジークフリートすべてを歌うという快挙もなしていて、当時バイロイトにはなくてはならぬコックスだったのだ。
正規録音は、残念ながら「マイスタージンガー」のみで、シュタインのリングが聴けないのが残念だ。
かなり気合をいれて飛ばしてしまう人だから、スタミナ配分に問題があったらしく、ジークフリートでは元気一杯のブリュンヒルデに押されっぱなしだったし、黄昏では、息も絶え絶えの葬送行進曲のモノローグだったらしい。
私のエアチェック音源でジークフリートが少し残っているけれど、結構いいと思うけど。
CDRでも売ってるけど、高い!

そんなコックスの唯一と思われるCDが今日の1枚。
「フィデリオ」「魔弾の射手」「タンホイザー」「マイスタージンガー」「パルシファル」「神々の黄昏」、これらから歌われている。
なかでも黄昏は、ジークフリートが記憶を回復しつつ、鳥の歌やブリュンヒルデのことを歌う場面から、その死と葬送行進曲までたっぷりと収録されている。
録音時期が不明だが、正直全盛期を過ぎていることは否めない。
声の威力や音程に不満があるのは事実だが、高音をエイッとばかりに張り上げるさまは、コックスの特徴で、人によってはダメのレッテルを貼りそうだが、私は微笑ましく聴く。
こんな健康優良児的な人のいいジークフリートは他に聴かれないから。
神々しい役柄よりは、朴訥であったり自然児的であったりする役柄の似合うコックスなのである。それにしても、どんなオテロを歌っていたのだろう。やたらに興味がある・・・・。

オーケストラは、英国のフランク・シップウエィ指揮のマンハイム国立歌劇場
このオケが聴ける点でも貴重な1枚。雰囲気豊かないい演奏に驚き。
このCDは、ひょっとするともう手に入らないかもしらん。

Gotter3_cox

ウォルフガンク演出のリング。中肉中背のコックス・ジークフリート。

今年も25日から、恒例のバイロイト放送が始まる。
新演出のマイスタージンガーの盛大なブーが聴きもの??

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2007年11月 5日 (月)

知られざるプッチーニ  P・ドミンゴ

Takanosu 先週は、秋田・青森に出張。
今回は気ままなレンタカーでの、一人出張だったから、時間の許す範囲内で寄り道したり、食べたりしたが、こんな場合は往々にして、電話攻勢を受けてしまい、どこでもかしこでも携帯が鳴ってしまう。

人を不自由にしてしまう文明の利器なり

こちらは、秋田県鷹巣市のとある神社。国道から、よさげな小さな森が見えたから、思い切りハンドルを切り潜入。簡潔でとても美しい神社だった。苔に落ちた銀杏の葉がとてもきれいだ。

Domingo_puccini

こちらは、作曲家プッチーニ
いや、ウソ。
プッチーニらしくポーズを決め、変装したドミンゴ
セピアの画像が、まったくもってそれらしい。

このCDは、プッチーニの未発表の作品を含む、主に若書きの作品集。
全部で16曲が歌われているが、ピアノないしは、オルガンの伴奏によるもの。
その伴奏が、ウィーン生まれの指揮者で、シルズとの名コンビで数々の録音を残した、ジュリアス・ルーデル
まず先に、ルーデルから誉めちゃうと、これがまた達者でかつ情感たっぷりで素晴らしい。
外盤につき、詳細は不明なれど、このCDの録音にあたっては、ルーデルの研究成果もかなりあるのではないかな?

肝心のドミンゴが悪かろうはずがない。
最近でこそ、何でもかんでもドミンゴで、その立派過ぎて分別くさい声が、やや鼻についてしまうが、プッチーニやヴェリスモ系に関しては、私はドミンゴの精緻で整った歌唱が好きだ。プッチーニ特有の甘い旋律や、豊麗な響きなどは、ドミンゴの声でこそ映える。

ほとんどの曲が初めて聴くものだが、プッチーニのオペラを聴いたことがある人なら全然OK。ボエームやバタフライの有名旋律がチョロチョロと顔を出すし、まんまそのものの曲もある。こうして聴くと、プッチーニはメロディー・メーカーとして天才的なものがあったと感心してしまう次第。
宗教的な歌曲も含むが、それらも実にメロディーしてるし、歌として聴き応えがある。
バスとの二重唱は、F・ディアスが登場していて、これまた美声だ。

オペラも含めて、プッチーニの作品の全貌がまだ必ずしも親しまれていない実情。
ロンディーヌ(つばめ)やエドガー、ヴィリ・・・。
なかでも、つばめは愛すべきオペラなんだけどな。

Kuroishi_koyo 北東北の紅葉は場所によってはもう終わっていた。
こちらは、青森県黒石市郊外の紅葉谷。
この道を登りつめると、「八甲田山」がそびえる。

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2007年10月20日 (土)

スパス・ヴェンコフ ワーグナー・アリア集

Ninomiya_azumayama_dog 街をさまよい中出会った、イケメン犬。
すがすがしい、ナイスなワン君。
いいなぁ、おまえ、もてるだろ。

最近は見た目重視の社会。
「おかしいぞ」
「おまえにはまだ早い」

わんこも、にゃんこもカワユイやつばかりがもてる世の中。犬社会も大変なだろな。

Wenkoff こちらは必ずしもイケメンとは関係なさそうだが、声だけは実にいい男の、スパス・ヴェンコフ
ヴェンコフが突如注目を集めたのは、彼のキャリアの後半ともいっていい、1976年。
バイロイトでカルロス・クライバーのトリスタンが74年から始まったものの、リゲンツアのイゾルデは絶賛されたものの、ブリリオートのトリスタンは散々の評価で、クライバーが降りてしまうのではないかと噂されたりもした。
(今聴いてみて、不安定だけどそんなに悪くないブリリオート。)
その危急を救ったのが、突如現れたヴェンコフのトリスタンだった。ここでようやく、「カルロスのトリスタン」は完璧なものになったが、予定の3年でシュタインと交代してしまった。

ヴェンコフは、ブルガリア出身。マルチな才能の持主で、ソフィアの大学では法律を専攻し、法律家を職業としてスタートする一方、出身地のオペラ座のオケのヴァイオリニストとしても活躍していた。さらに、バスケットボールとチェスの名手ともある。
オペラ座で第二ヴァイオリンを弾く一方、コーラスにも参加し、正式に歌の勉強を重ねて50年代から60年代にかけて、オペラ歌手としてデビュー、役柄もアルフレートやピンカートンなどから徐々に広げて行き、同時に西ドイツに活躍の場を求め、数々のロールをレパートリーにしていった。
そう、こうしてみると、すごいキャリアをベースにした積上げ人生が見事花ひらいたの感がある。もちろん、豊かな才能あってのものだろう。
 
その後、バイロイトでは、トリスタン、タンホイザー、パルシファルなどを歌い、ベルリンを中心にワーグナーではなくてはならぬ存在として80年代半ばまで活躍した。
日本には、スウィトナー時代のベルリン国立歌劇場の引越し公演で「タンホイザー」を歌った。これはNHK放送されたし、同じメンバーのCDも出てる。
ブロムシュテットとN響のトリスタン2幕の演奏会形式公演にも登場している。
ウィーン国立歌劇場のトリスタン公演で、私は期待してNHKホールに出向いたが、キャンセル。代わりは、たよりないG・ブレンナイスだった・・・。
ということで、ヴェンコフは私にとって幻のような存在。

 「パルシファル」、「ジークフリート」森の場面、「タンホイザー」、「トリスタンとイゾルデ」

  ハインツ・フリッケ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
                           (1977年録音)

お得意のロールばかりを、バイロイトデビューの頃に録音した1枚。
これが実に聴き応えがある。トリスタンは3幕の長大なモノローグが25分にわたって収められている。
このトリスタンを聴いて、数日前のトリスタンが呑気な声に聴こえてしまう。
切実で真摯、それでいて切羽つまったような熱狂の度合いも強い。
強靭な喉に恵まれた音楽性、クレバーな自己制御と爆発力。
最強のトリスタンの一人といっていいかもしれない。

70年から80年代、カラヤンやショルティのワーグナー録音にはついぞ登場しなかったヴェンコフ。スター主義のメジャーレーベルは見向きもしなかったから、ほんとうに貴重な1枚なんだ。肉太のヘルデンテノールとは、完全に一線を画したピーンと張りつめた強い声。
バイエルン放送局に眠る数々の音源の復刻が待ちどおしい。

オーケストラの音色が、録音のせいもあるが、随分と渋い。
先般のバレンボイムの元では、ベルリン・フィルにも匹敵するような音色の美しいスーパーなオケになっていたのに。楽器の違いや、環境の変化によって変化せざるを得ないであろう。タンホイザーのローマ語りのオーケストラのくすんだ響きを聴いていて、そう思った次第。

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2007年8月29日 (水)

ポール・エルミング ワーグナー

Yurigaoka_a 札幌の百合丘公園。

パルシファル」第3幕の野辺での洗礼の場は、こんな美しい花畑であって欲しい。

でも本当は、もっと粗野で、かつ楚々とした花が点々と咲いているほうが、聖金曜日のイメージなのかもしれない。
ワーグナーが書いたこの場面の音楽は、そんな絵のように美しく、禁欲的であるはず。

Yurigaoka_b

第2幕の花の乙女たちの誘惑、そしてクンリーの妖艶な魔の手は、原色のユリの花こそ相応しい。
こんな色のドレスが恐ろしく似合ったのが、ヴァルトラウト・マイアである。
アンフォルタスも、私ら、お父さんチームも、その魔力の元に当然のごとく平伏してしまう。
偉いぞパルシファル!

Elming そんな偉いパルシファル列伝のなかのひとりが、デンマーク出身の「ポール・エルミン」だ。

バレンボイムのリングで1990年にジークムント・デビューしたエルミングだが、本来はバリトン歌手として出発していた。
解説によれば、遡ることバイロイトデビュー10年前には、パパゲーノやシャープレス、フィガロの伯爵などを歌っていたらしい。
まさにシンジラレナ~イ思いだ。

確かにその声は立派なバリトン域に裏うちされた、力強さがある。
独断で申せば、怒られるの承知で、P・ホフマンとイエルサレムを足したような声・・・・。
かなり誉めすぎかもしれないが、90年代の全盛期には、ジークムントの「ウェールゼ・・・!」、パルシファルの「アンフォールタース・・・!」の絶唱が、それこそものの見事に決まりまくり、FM放送を聴きながら快哉を叫んだもんだ。

そんなエルミングも、録音にイマイチ恵まれず、バレンボイムのリング以外、唯一の正規録音といってもいい「ドホナーニのワルキューレ」は未聴だし、廃盤のまんま。
実演でも、結構体調不良でコケル人で、東京での「バレンボイムのワルキューレ」公演では不調を押して出演するとのアナウンスが入った。でもかなりの力投で、満足の出来栄えだったけど。
しかし、別公演の「パルシファル」演奏会形式では、出演出来ず、当時経験不足のアナセンが譜面に顔を突っ込みながら歌った。
その後、「シュタインN響」のパルシファル3幕と、G・アルブレヒトの「パルシファル」の両方共に聴くことが出来て、いいコンディションのもとでのエルミングの素晴らしさを確認できた。

今回のCDは、2005年と6年にデンマークにて録音されたもので、最新のエルミングの様子がいい音で確認できる。
ラインの黄金」からローゲのモノローグ、「ワルキューレ」から2曲のソロ、「パルシファ 」から2・3幕の抜粋。

もう少し早く録音して欲しかった・・・、というのが正直な感想。
少しぶら下がりぎみの音程の甘さが気になる。
声にも往年の力強さが欲しい。
残念な限りだが、随所に役柄を歌いこんだ味のある歌が聴かれることも事実で、「ジークムント」と「パルシファル」に徹したエルミングの良さが味わえる。
最近は、ローゲやミーメのキャラクター役を演じているらしい。

たっぷり収録された「パルシファル」でのクンドリー役、「Nina Pavlovski」がむしろ素晴らしいと感じた。同じデンマーク出身で、日本(たぶん新国)でも歌っているらしい。
硬質で、キリリと締まった歌声がとても好感。
オケは、日本でお馴染み、D・ハウシルトが指揮する、アンデルセンゆかりの地、オーデンセ交響楽団がなかなかにワーグナーの味を出している。
北欧陣は、歴代ワーグナーに強い。神話とヴァイキングの血が流れている・・・・、な~んてね。

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2007年8月 8日 (水)

ジェス・トーマス ワーグナー集 

1 聖地バイロイトでは、音楽祭真っ盛り。
悪評のカテリーナ・マイスタージンガーも今日、3度目の舞台。初日の音楽を聴いた限りでは??
まあ、毎年初物は苦労して、毎年少しづつ軌道修正しつつ、4~5年くらいで完成の域に達する、というのがこれまでだった。
でもこんな図式が通用しなくなったのは、くそシュルゲンジーフのパルシファルからだったのかもしれない。ネットで聴いたパルシファルは、A・フィッシャーの指揮が演出を無視したかのように、素晴らしかった。ホールのグルネマンツとヘルリツィウスのクンドリーが良い。あとは私には受け入れ難い・・・。こんな音の印象。演出への激しいブーイングも相変わらず。

ティーレマン・リングも苦戦の模様。ジークフリートとブリュンヒルデは素晴らしいが、以外や期待のドーメンのヴォータンがちょっと・・・・。こんなはずじゃないのに・・・・。
タンホイザーもイマイチ・・・、ルイージが振っていたら・・・・。

Jthomas 年末にちゃんとした音で聴いたらまた印象が変わるのかもしらん。

お口直しに、今ではおいそれと聴けなくなってしまった、正統ワーグナーテノールの歌声を。

アメリカ産のヘルデンテノール、ジェス・トーマス(1927~1993)がDGに録音したワーグナーの場面集を聴く。

トーマスはアメリカで勉強し、ドイツに修行に出かけ、見事に成功した良き時代のテノールの一人で、
残された録音もそこそこあるので、日本での実演はバイロイト67の来日のみと思われるが、馴染み深い存在だ。
そしてそれ以上に、気品と力強さに満ちた声は、トーマスより一世代前のでっぷりとした声とは一線を画したスマートで清らかな歌声となっていて、理想的なローエングリンやパルシファルとしていまだに新鮮に聴こえる。

この1枚は、1962年頃の録音で、指揮はワルター・ボルンと知らない人だけれど、なんたってベルリンフィルがバックをつとめている。
完全にカラヤン・オケになる前の頃だけあって、低弦の刻みひとつとっても克明で重厚。
一方で洗練された響きも充分で、トーマスの清潔で力強い歌にピタリと寄り添っているようだ。
「マイスタージンガー」「ローエングリン」「ワルキューレ」「ラインの黄金(ローゲ!!)」「リエンツィ」「パルシファル」、これらから短いながらも素晴らしいトーマスの歌が楽しめる。
本当に耳が洗われるような思いで聴いた。
バイロイトに登場する昨今のテノールとは雲泥の差だ・・・・・。
私も、耳が少し保守的に過ぎるのかしら、昔ばなしばかりになってしまう。

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2007年6月23日 (土)

市原多朗 オペラ・アリア集

Hachioji_von_nobu_6 今日、土曜日は毎度楽しんでいるテレビドラマ「喰いタン2」の最終回だった。
少し悲しいお別れのエンディングは、後続の3はもうないのではないかと、予見させるものであった。

ドラマの最後にいつも歌われる「ポリタン」、横浜が発祥らしい。
涙ながらに食べるナポリタンがとても美味しそうだった。

だから、パスタ画像をどうぞ。
ボロネーゼだけれど、パスタがフェットチーネだった。
これはこれで、歯ごたえが嬉しい美味さだったなぁ。
八王子「ヴォン・ノブ」にて。

Taro_ichihara 日本のイタリアン「ナポリタン」ということで、日本が生んだ名イタリアン・テナー「市原多朗」を聴く。
この外盤CDの解説には、「メイド・イン・ジャパンのイタリアアン・テノールの希少な存在」と書かれている。

確かに素晴らしい歌声。
ブラインドで聴かされたら、我らが同朋が歌っているなんて想像もできない。
リリコながら、中低域が充実しているため、レンジの幅が非常に広い。

そして、どこまでも伸びやかな高域はクセがなく、誰が聴いても「ああいい声!」と思うこと必定。
この素晴らしい高域を武器に、下の音域も充分に響かせるものだから、ヴェルディ中期のリッカルドやドンカルロ、アルヴァーロなどのドラマテックな役柄も聴き応えある。

山形県の酒田市の生まれ、芸大に学んだのち、シエナとローマで研鑚を積んだ、とある。
酒田は、何度か訪問したことがあるが、雪は少ないながら冬は厳しい日本海に面した街で、ともかく魚がおいしい。北前船で栄えた商都。
この街から、イタリアンテナーが生まれたわけだ。なんだか訳もなく、嬉しい。
駅近くの、東急インのフレンチ・レストランは指折りの名店。
一人出張だったので、そんな名店には行けず、ふらりと入った寿司屋がまた素晴らしかった。冬の日本海ならではの、珍しいネタで目も眩むばからり・・・・・・。

あらあら、いつのまにか、食いしん坊ネタに脱線。

日本人としては、極めて美味しいテナー「市原多朗」。
どちらかといえば、真面目な歌いぶりだから、ヴェルディの方がいい。
イタリア語の発声を、キッチリと完璧に行なうものだから、本場の方がたとはまた違う生真面目さがモロに出てしまう。
この深刻さがヴェルディの「真面目ロール」にはピッタリなのだ。
スケコマシのマントヴァ公でさえ、何か崇高な悩みを抱えていそうだ。「女心のうた」が収録されていないのも頷けたりして。
日本人歌手の宿命であろうか?

でもそんな妄想は抜きにして、正直素晴らしい声に酔える1枚であった。

 ヴェルディ 「マクベス」「ルイザ・ミラー」(このアリアはまったくスバラシイ)「リゴレット」
    「トラヴィアータ」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」「運命の力」「ドン・カルロ」
 プッチーニ 「ボエーム」「トスカ」

     エドゥアルド・ミュラー指揮ペルージア交響楽団  (1999年録音)

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2007年6月15日 (金)

ヴェルディ 「オテロ」 ヴィントガッセン&F・ディースカウ

Othello 暑いですな。

じゃあ、熱(厚)い暑苦しい、変り種「オテロ」を一発。

ワーグナー専門といっていいくらいの、ヘルデンテナー「ウォルフガンク・ヴィントガッセン」の歌う「オテロ」をば。

DGが60年代にいくつか録音した、ドイツ語によるイタリアオペラの抜粋シリーズ。
約1時間の内容ながら、ズシリと文字通り重い。

  オテロ:ウォルフガンク・ヴィントガッセン  デスデモーナ:テレサ・ストラータス
  イャーゴ:D・フッシャー・ディースカウ    カッシオ   :フリードリヒ・レンツ

      オットー・ゲルデス指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
                                (1966年頃録音)

ヴィントガッセン(1914~1974)といえば、ワーグナー。それもトリスタンとジークフリートという重量級を生涯歌い続けただけに、それらのイメージがあまりに強いし、実際ワーグナー以外の音源は、第9か「こうもり」、R・シュトラウスの一部ぐらいしか思いつかない。
そのヴィントガッセンのオテロが聴ける貴重な1枚。
ベームのトリスタンやリングと同時期の記録であることも嬉しいぞ。

爆発的な冒頭の場面から始まる。以外や録音優秀。オケもものすごい迫力。
この指揮者、「ケルテス」じゃなくて「ゲルデス」は、カラヤンのプロデューサーとして高名だが、DGにベルリン・フィルを振った新世界や、「タンホイザー」、ヴォルフなどいくつかあって不思議指揮者の一人。ここでは、まずまずですよ。
 合唱が「帆だ、帆だ・・・」と歌いはじめるが、ここはドイツ語。おっとっと・・・・。
喧騒を静めるかのように、ヒーローの登場!
「喜べー!」  原語では「エッスルターテ!」とピーンとスピントを効かせてオテロ登場となるが、・・・・・・ここでは「フロイント ヤーレ!」(たぶんこんな風に歌っているみたい)と歌って登場となる。そして、その声があのヴィントガッセンである。
熊を追って登場のジークフリートのようにくるかと思ったが、以外や颯爽たる登場で、これはこれでインパクト充分!

Windgasenn  デスデモーナとの美しい二重唱でも違和感は強い。なんとなくモッサリとしていて、「口づけを・・・」という場面は「ウン バーチョ」となるところが「アイン キッシン」となるわけ。
でも、3幕の苦悩のモノローグのド迫力は実際問題すさまじい。
機関車に乗ってズンズンと迫ってくるみたいで、この怒りと嘆きは誰も止められないと思われる。
「オテロの死」は、さながら傷に倒れた「トリスタン」だ。死の淵にある歌だ。
私にとって唯一無二の、デルモナコの直情的・ヒロイックなオテロをある意味忘れさせてくれる、ヴィントガッセンのオテロだ。
器用とはいえないヴィントガッセンが運命に翻弄されるままに演じたものだから。

もう一人の主役、F・ディースカウのイャーゴはさすがと思わせる、実に堂々たるもの。
言葉の魔術師FDさま。一語一語が意味慎重で緊張感が高い。
完全にオテロを操縦している様が、ヴィントガッセンとの二重唱でもわかる。
そしてFDが歌うと、ドイツ語が原語の作品であるかのように聴こえる。
バルビローリ盤が聴いてみたい。
若きストラータスもよい。

もう30年以上前、二期会「オテロ」を観劇した。若杉弘の指揮、宮原卓也、栗林義信、鮫島有美子(デビュー!)の面々の上演は、日本語訳詞によるものだった。
オテロの数々のカッコイイ場面は、日本語で「よろこ~べ・・・」「剣を捨て~ろ~」なんて歌われていて、ちょっと恥ずかしかったり、おかしかったり。
ドイツ語でも違和感を感じるのだから、やはり作曲者が音符を付けた原語のほうがいいに決まってる。

このシリーズには、FD、コツーブ、シュタインBPOの「リゴレット」や、ボルク、FD、トーマスの「仮面舞踏会」、「運命の力」、ステュワート、リアー、シュタインの「ナブッコ」・・・・こんな魅力的なものも出ている。

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2007年4月17日 (火)

シューベルト 「冬の旅」 ルネ・コロ

Sake_2  春はどこへ行った?ともかく寒いですなぁ。
一時あんなに暖かかったのに、おまけに連日の冷たい雨。みょうちくりんな天候に、体の温度計がおかしくなりそうであります。

寒いことをいいことに、今宵は千葉の地酒で熱燗を飲む。
画像は以前のものですが、内容はほぼ一緒。
お気に入りの「常滑焼」の酒器は、実に手に馴染み、右手が忙しいこと。

それはそうと、今日の首都圏の朝は、あらゆる電車が連鎖的に遅延してましたな。
人身事故、急病人、混雑による遅延とね。
推測するにですな、新入社員の配属が始まったこと、高校・大学の新学期の本格化、リクルーターの活動などが重なって、普段と異なる様相を呈しているのではないかと。
4月の半ばって、そういう時期。戻りたいな、あのコロに・・・・(オヤジのつぶやき)

Kollo_winterrese_1 寒さが戻ってきてしまったので、こちらもあのコロを思い出しついでに、「冬の旅」を登場させてしまおうではないか。
春が戻ってくる前に、大急ぎで「冬の旅」を、企画である。

こちらの急いた気持ちを察してか、この「冬の旅」は快速のすたすた歩きの忙しい旅立ちで始まる・・・・。

われらがワーグナー歌手、「ルネ・コロ」はもう引退して久しいが、今年70歳になる。
70年代の颯爽とした「ローエングリン」や「ヴァルター」は今でも伝説級の舞台姿。もちろん見たことないけど、数々の写真がそれを物語っている。
日本でも、「エリック」と「ローエングリン」以外は演じてくれたので、「トリスタン」以外は私も舞台に接することができた。

そんなコロの歌曲。「詩人の恋」は以前取り上げ、ヴァルターのような若々しさが嬉しい歌であったが、この「冬の旅」はジャケットが物語るように、後半はかなり疲れた旅人になっているように思う。
声が疲れているのではなく、人生の辛酸を舐めてしまった男のほろ苦さとでも言おうか。
そう、コロが引退前に演じたあのアウトローのような「タンホイザー」のそれを思わせる。
前半は、かなりの表現意欲で、驚くほど隈取りが濃いし、歌い飛ばすような勢いもある。
後半から、周りから浮いてしまう悲しい男をしっかりした声で歌いあげようとしている。

この冬に聞いたホッターはボソボソ声でありながら、そこに温もりの優しさを見出すことが可能だったけれど、コロのしっかりと意志をもった声は、かえって「誰の手も借りずにさすらってやる」ぞと、不気味な伴侶とともに旅立っていってしまうので、優しい手を差し伸べることができない。

ユニークな「コロの冬の旅」。
いつもお世話になっているeuridiceさんが、取上げていらっしゃいます。
ご紹介のコロ自身の言葉とともに、ワーグナー好き、テノール好きにとってなるほど、の記事です。

ちなみに、このCD、あるショップで500円で投売り状態のものを救出したが、コロの意志は、ドイツの体の不自由な子供たちへのチャリティーとのこと。
こんなに安く買って、どうもすんません。

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2007年4月 5日 (木)

フランシスコ・アライサ オペラ・アリア集

Osaka_castle 三重から大阪へまわる出張から帰還しました。大阪は寒かったり、暖かかったり、突然雨が降ったりとせわしなかかったけれど、空いた時間を利用して桜見物やCD屋訪問などをしました。
 夜も珍しく多忙で、関西首脳団の方々とは、今回は交歓することが出来ませんでした。
城があれば、すぐに行ってしまう私ですが、大阪は数えきれないほど来ているのに、「大阪城」は初めて。それも満開の桜の時期に。
日本の城には、桜が似合うのう。

Araizaフランシスコ・アライサ」、この名前を最近聞かないが、欧米の歌劇場では相変わらず活躍しているのであろうか?
アライサの名前は、1981年のスカラ座来日公演で、アバドの指揮により「セビリアの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵を歌った時に強烈に印象付けられた。舞台は「シモン」しか観れなかったが、NHKが全公演をTV・FMで放送してくれたので、その美しい声と若々しい容姿が日本のファンの間で話題になったものだ。
以降の大活躍は、日の出の勢いで「テノール・リリコ」として引っぱりだこになった。
イタリア、フランス、ロシア、モーツァルトと、リリコのレパートリーは大方制覇してしまった。
その後、徐々に重い役柄に挑戦を始め、カヴァラドッシ、シェニエ、バッカス、ワーグナー(ローエングリン、ワルター、ローゲ等)も歌うようになった。
頭脳派テノールとしては、当然の挑戦であり、当然の帰結であった訳だ。
最近聞かれないのは、こうした無理がたたったのであろうか?
リートなどに活路を見出しているのであろうか。

1950年、メキシコ生まれ。メキシカンながら、先輩ドミンゴやカレーラスと同じく知性的なアプローチによる端正な歌は、持ち前の美声とともに、テノールを聴く楽しみを充分に味わえる。どちらかというと、明るいドミンゴよりは、陰りを含んだカレーラスの個性に近いと思う。

このCDは1986年にロンドンで録音されたもの。
「リゴレット」「トラヴィアータ」「マノン」「ウェルテル」「トスカ」「ボエーム」「オネーギン」「アルルの女」などから歌われていて、伴奏は「アルベルト・ゼッタ指揮イギリス室内管」。
どのアリアも、キッチリと歌われているが、私が気にいったのは「ボエーム」の「冷たい手を」。並み居るテノール・アリアのなかでも大好きなこの曲。アライサは情熱を込めた真摯な歌いぶりでなかなかに泣かせる。
ゼッタのオペラを知りぬいた指揮も雰囲気がいい。室内オケの見通しのよさもいいもんだ。

Araiza_walter でもワーグナー好きとしては、アライサのワーグナーやシュトラウスが聴きたかった。
男のわたしが言うのも何だけど、あの容姿だもの、ワルターにローエングリンは最高でしょ。

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2007年3月 6日 (火)

「ペーター・ホフマン」 ワーグナーを歌う

Hofmann ワーグナーを聴く楽しみは、長大な楽劇を骨の髄まで染みとおるように聴くのも良いが、ソロ歌手達の名唱で、名場面のサワリを聴くのも充分に楽しい。
序曲・前奏曲だけだと、続きが欲しくなるが、歌付きだと満足感が味わえる。

今晩は、容姿もその歌声も極めてかっこいい「ペーター・ホフマン」の残したワーグナー曲集を久しぶりに取り出してみた。
1983年の録音で、日本盤がCBSソニーから出てすぐに買い求めた。
当時はCD1枚が3800円もした。今思うと、よく買えたものだ。というか、CDなんて、月に1~2枚しか買えなかった。その分、大事に何度も何度も聴いたわけ。

それはそうと、1944年生まれのホフマンを始めて聴いたのが、1976年のバイロイト放送。そう、あのシェロー=ブーレーズのバイロイト100年のセンセーショナルなリング。
激しいブーばかりが、やたら印象にのこったが、ジークムントを歌ったホフマンの素晴らしい声に驚いた。
J・キングを無二のジークムントと思い込んでいた自分にとって、そのクリアーな声には魅了された。
その後、主としてバイロイトでの放送を通じ、「ジークムント」「パルシファル」「ローエングリン」「トリスタン」「ヴァルター」などをエアチェックして楽しんだ。
「コロ」「イェルサレム」と並んで、「3大ヘルデン・テノール」を謳歌したものだ。
カラヤン、ショルティ、バーンスタイン、レヴァインなどの大物からもひっぱりだこになり、CDも豊富に残されている。
若い頃から、歌っていたロックの分野でも活躍したマルチぶりであったが、私などワーグナーは声の負担が大きいから、無理して欲しくないな、と思っていたのだが・・・・・。

そんなホフマンも、90年代に入ると、歌唱が安定せず、不調の連続になってしまい、第一線から姿を消してしまうことになった。
悲しむべきか、パーキンソン病に犯されていたのである。
この病さえなければ、ジークフリートにタンホイザーといったロールへのチャレンジが待ち受けていたのに・・・・・。

 「マイスタージンガー」「ワルキューレ」「ジークフリート」「リエンツィ」「タンホイザー」
 「ローエングリン」それぞれの聞かせどころが、収録されている。
伴奏は、若きイヴァン・フィッシャー指揮のシュトットガルト放送響。
兄アダムがバイロイトで活躍し、自身はブタペストの重鎮となった。

ホフマンの声は、先にふれたように、クリアーでかつ力強いハリを伴なったもので、コロのような甘さのかわりに、陰りを感じさせるものだ。
その点では、ジークムントにピッタリで、キングと並んで、最高のジークムントだと思う。
小柄ながら、貴族のような容姿と、男ながら憎らしいまでのセクシーさは、ボッテリした往年のワーグナー歌手には全くない要素だった。
映像で観るジークムントとローエングリンには、まったく惚れ惚れとしてしまう。
白いシャツを着たジークムントに、大きな月を背景に眩いばかりに登場するローエングリン。

不世出の名ヘルデンテノールを聴きながら、今宵はグラスの酒がやけに進む。

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2007年2月15日 (木)

「ジェイムズ・キング」 アリア集

Boots_bear これ何だと思います?
女性ならすぐおわかり。男性社会には縁のない「ブーツ・ホルダー」。
あまりのカワユサに写真撮ってしまいました。ブーツのフォームを維持すると共に消臭効果もあるすぐれものの「くまさん」。
いいなぁ。女性は。オヤジの革靴には「くま」ではなく、虫が似合う。
イカンことだ。オヤジももっとかわゆく、お洒落にならなくてはなりませぬ。

niklaus vogel」さんの「オペラ・マンスリー」企画に突如参加!

Jking われらが「ジークムント」、「ジェイムズ・キング」はいつ聴いてもカッコイイし、ヒロイックだ。舞台姿も実にサマになっているし、悲劇的なヒーローを歌うに相応しい声と容姿だ。

でも、衣装を脱いだキングは、アメリカの大規模農場の農夫のようなオッサンを思わせる。いや、カウボーイとも言えるかも。

一昨年、80歳で亡くなってしまった「ジェイムズ・キング」。
私のような世代にとって、永遠の「ジークムント」である。あまり器用な歌手ではなかったが、ワーグナーとR・シュトラウスにおいて、この人をおいては語れぬ超素晴らしい役柄がある。先の「ジークムント」に、「パルシファル」、「バッカス(アリアドネ)」、「皇帝(影のない女)」、「アポロ(ダフネ)」あたり。
一方、イタリア物も得意にしていて、直情的な役柄は、小回りのなさが妙に真実味を醸し出して、ド迫力の歌唱を聞かせる。「ピンカートン」「カラフ」「オテロ」「サムソン」・・・・。

 ベートーヴェン 「フィデリオ」から       ワルベルク指揮
 ワーグナー   「ローエングリン」から    アイヒホルン指揮
               「パルシファル」から        〃
           「マイスタージンガー」から  ワルベルク指揮
 R・シュトラウス 「影のない女」から      アイヒホルン指揮
 ヴェルデイ    「オテロ」から         ワルベルク、アイヒホルン指揮
           デスデモナ:ベーレンス   イャーゴ:グロソップ
       
キングお得意の数々が、渋い指揮者とミュンヘン放送管弦楽団のいずれもライブでの演奏で収録されていて、あまりの素晴らしさに一気に聴いてしまった。
「オテロ」での共演者を見ていただきたい。カラヤンのもとでイヤーゴを歌ったグロソップはやや時代がかった表現が残るが、キングの破れかぶれ的なオテロは、ドミンゴのような優等生オテロとも違った、悲劇を一身に背負って、「もうしょうがねぇ~!」というような切迫感と悲劇性をその声で見事に表現しつくしている。たまらん!!

シュトラウスにも鳥肌が立つほど感銘を受けたし、ワーグナー、ことにパルシファルはすばらしすぎ!
全曲が放送ライブで、観客の盛大な拍手も収められていて、こちらも気持ちいい反応に嬉しさを禁じえない。

それにしても、この「オテロ」はいい。「すごいよ、すごすぎるよ!」

   

           

 

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2007年1月13日 (土)

「ルネ・コロ」 ワーグナー集 スゥイトナー指揮

Kollo_1 ご存知「ルネ・コロ」をば。

ワーグナー好き、テノール好きなら、知らぬ人はいない、ヘルデン・テノール。ごたぶんにもれず、私もこのテノールが大好きで、70年代始めの本格デビュー時から聴き続けてきた。
最初のメジャーレコードは、ショルティの「魔笛」の武士役ではなかったろうか。その後、カラヤンとショルティに重宝され、いきなり主役に抜擢され、バイロイトでも「オランダ人」の舵手や、「ラインの黄金」のフローといった、ちょい役の登竜門から起用され、70年代半ばには、バイロイトになくてはならぬ人気歌手となった。

そんな「ルネ・コロ」も今年は70歳になる。(1937年生まれ)こちらも歳を重ねるわけね。ベルリン生まれ、祖父は多作家のオペレッタ作曲家、父も作詞・作曲・実業家、という家庭に育ったわけだから、音楽家として恵まれた環境にあった。
最初はポップス系でヒットを飛ばし、同時にクラシックの勉強も重ね、ドイツの地方オペラであらゆる役柄をこなしながら上昇気流を待ちつつ、大指揮者やバイロイト当局の目にとまることとなった。

Kollo_2 コロが登場するまでは、ワーグナーのヘルデンテナー役は、ヴィントガッセンに代表されるような肉太で、骨格豊かなたくましい声の持主が多かった。先輩格のジェームズ・キングやジェス・トーマスらのアメリカン・ヘルデンは、クリアーな声を聞かせたが、もともとのバリトン系の音域が力強さと陰りを与えていたのに対し、ルネ・コロは、明るく伸びきった鮮明な歌声に独特の甘さを加えた、それまでにない声の持主だった。

こうした声で歌われる、「ローエングリン」や「マイスタージンガー」「パルシファル」が悪かろうはずがない。自我も強いコロは、声をセーブしつつ歌手生命を長く保つことを心掛けつつ、さらに重い役柄へも慎重に手を広げていった。
「タンホイザー」「ジークフリート」「トリスタン」の諸役は、ヴィントガッセンを忘れさせてくれる名唱を残してくれた。

今回の2枚のCDは、1973年、まだ大役を手掛ける前の初々しい「コロ」をフィーチャーし、ワーグナーのテノールの主要な役柄をすべて網羅したもの。
 
  「リエンツィ」「オランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「マイスタージンガー」
  「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」「パルシファル」

さすがにトリスタンはないが、素晴らしい企画である。このところ、いくつか類似の企画が出てそれらを楽しませてもらったが、出っ張り引っ込みが多すぎたし、伴奏がヘナチョコすぎた。
 そこへ行くと、コロの明るくめざましい歌は実に鮮やかで、今聴いても実に鮮度が高し、どの曲もムラなく素晴らしい。前期のものほど誰も太刀打ちできない滴るような魅力がある。唯一全曲盤のない「ジークムント」は声のハリは素晴らしいが、少し甘口にすぎるのもコロらしいところ。
 こうしたコロの歌の魅力に加えて、オーケストラが特質大に素晴らしい。
スゥイトナー指揮のベルリン国立歌劇場が贅沢にもバックをつとめている。
この雰囲気豊かで、舞台の1シーンを感じさせてくれる演奏を何と例えたらよいか。
もっと、もっと続いて欲しいところで、フェイドアウトしてしまう。
でも「パルシファル」の最後の場面と「ジークフリート」の森のささやき、そしてそして、「ジークフリートの葬送行進曲」が聴けるのである。
これらは極めて音楽的で、コロの明晰な歌と通じる世界を持っている。
スゥイトナーのワーグナーは、日本でもいくつか上演されたが、明くるく開放的な響きの印象があり、ここでも確認できる。

コロの舞台は、「タンホイザー」「マイスタージンガー」「リング」「パルシファル」と来日公演で経験でき、本当に貴重な思い出となっている。年々、横に大きくなり、上のほうも寂しくなり、苦悩の吟遊詩人が良く似合うようになった。
今は現役を引退し、自適の生活にあろうが、いつまでも元気に過ごしていて欲しい歌手だ。

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2006年10月 4日 (水)

ゲオルギュウ&アラーニャ ヴェルディ2重唱 アバド指揮

Gheorghiualagna_2 さて、前回人気絶頂の「ネトレプコ」を取上げたばかりだが、2物賜いしもうひとかた「アンジェラ・ゲオルギュウ」を忘れては片手落ち。
ショルティに起用され、一挙に花開いた彼女は、ネトレプコの少し先輩にあたる。ルーマニアの音楽の環境ではない普通の家庭に生まれ、ものすごい努力を経て歌手になった。ルーマニア特有の黒髪にエキゾチックな容姿は魅力的だ。ネトレプコは、その名前ゆえ苗字にチャンをつけてしまったが、ゲオルギュウにちゃんはおかしい。この場合は「アンジェラちゃん」と呼びたいが、彼女は大人の女性のシックな魅力で一杯だ。

しかも、ダンナがイケメン・ナイスガイのテノール「アラーニャ」ときたもんだ。
Gheorghiualagna2 「ネトレプコにMr.ビーン」は少し憎らしいが、「アンジェラにロベルト」はもう音楽的にも同質性が漂っているし、文句なしの実質コンビ。
舞台に録音にますます数が増えている。
こんな実力派同士のコンビ、しかもヒーロー・ヒロインのコンビはかつてないかもしれない。

今回のCDは、1998年に録音された「ヴェルディのオペラ・デュエット集」。
ここでも贅沢に「アバドとベルリン・フィル」がバックをつとめている。
この二人、もとはリリコからスタートしているが、徐々にドラマティコに役柄を拡張して行き、今ではカルメンやトスカ、マンリーコまでも歌うようになった。
無理をしてレパートリーを広げているわけではなく、慎重に自己の個性を活かしながら知的な歌に徹していて、その知能的歌唱は聴く側に快感にも似た爽快感を与える。
ドイツ物以外はすべてこなす驚異的レパートリーを既に手にいれているが、役の掘り下げも時代にマッチした重々しさのない、クールなもの。

Georghyu2 アバドとベルリン・フィルは隅々まで目の行き届いた相変わらず見事なもの。ヴェルディの沸き立つ興奮よりは、悩む登場人物の心理をとらえた、これまた知的なアプローチで、二人の歌にぴったりだ。

欲をいうと、せっかくのベルリン・フィルなのだから、もう少し伴奏ばかりでない部分も選曲して欲しかった。音楽が二重唱ばかりだと、単調におちいり、全体が少し平板に思う。

まあ、これは贅沢な注文。
舞台ばかりでなく映像も、技術の加速度的な進歩で、歌手の超アップが部屋でも楽しめるようになり、オペラのあり方もかわりつつある。
Cosmos_upimgp2545 歌手達も自助努力をして、美しい体とルックスを声とともに獲得・維持しなくてはならない時代になった。だから、イイ女・イイ男の歌手はこれからも続出するであろう。(たぶん)

千葉の佐倉のコスモス。

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2006年8月22日 (火)

「カルロ・ベルゴンツィ」 オペラ・アリア集

Bergonzi イタリアオペラ系のテノールを聴く楽しみは、ドイツのそれとは大分に違う。惜しげも無く高音に力をさき、聴く側、観る側に快感にも似た喜びをもたらさなくてはならない。
だが、そればかりでなく、強烈な個性を付与した名テノール達が歴史に名を残したわけで、正規録音が残る以降では、破れかぶれにドラマティックだった「デル・モナコ」、イタリア男の粋の象徴「ディ・ステファーノ」、ヒーローのようだった「コレッリ」。こんな男たちのなかで、最も歌手生命も長く、歌のきれいな形にこだわったのが「カルロ・ベルゴンツィ」ではないかと思う。

1924年、生粋のイタリア生まれ。このところ名歌手が次々と世を去るが、まだ存命中のはずだ。先にふれた通り、2000年以降も歌手として舞台に立っていて、その美しいフォームは全く往時と同じで、その厳しい努力は頭の下がる思いである。
見た目は、普通のおっさんのようだが、ベルカント唱法をキッチリ守ったスタイリッシュな歌唱は、聴いていて背筋を伸ばしてしまうような真摯なものだ。
 よって、ヴェリスモ系よりは、ヴェルディの真面目な諸役において絶対的な存在感を示す。それも初期のズンタッタ、ズンタッタ的なオペラよりは、苦悩する役柄が多く劇的な中期以降の作品がすならしい。このCDに収められている「アイーダ」「仮面舞踏会」「ルイザ・ミラー」「運命の力」などはまったく聞き惚れてしまう。
 プッチーニ以降も悪くはないが、激情的な表現が少し紳士的にすぎるかもしれない。
でも私はこれも好きだ。デル・モナコだと振り回されて疲れてしまうが、ベルゴンツィならどこか醒めた部分があってホッとする。
こちらの分野からは、「アンドレア・シェニエ」「トスカ」「マノン・レスコー」、それに私の大好きな「アドリアーナ・ルクヴルール」などから収められている。カヴァラドッシはカラスとベルゴンツィのレコードが私のすり込み盤などで、たいへん気持ちよく聴けた。
それに、「アドリアーナ」のマウリッツィオの短いアリア2曲は祖国と愛情に苦悩するお定まりのイタリア物ながら、チレアが付けた音楽があまりにも素敵だ。

何だかんだで、ベルゴンツィの素晴らしい歌に魅了されてしまう1枚。
57年、ベルゴインツィ33歳の若々しい記録。ガヴァッツェーニとローマ・サンタ・チェチーリア管の雰囲気豊かな伴奏も現在では聴けない、良き時代のものだ。

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