カテゴリー「ディーヴァ」の記事

2023年12月 2日 (土)

マリア・カラス 生誕100年

018

秦野の街と富士山。

西に雲がかかっていないと見れば、富士山を見に行くことが多いです。

これから気温ももっと下がってくれば、よりキリリとした富士の姿が見れるようになるでしょう。

Callas-5

レコード芸術1978年11月号の表紙。
レコ芸の装丁はそれこそ芸術的に美しかった。

不世出の大歌手、マリア・カラスが12月2日で、生誕100年を迎えます。

1923年にニューヨークで生まれ、1977年9月16日にパリに死す。

53歳という早すぎる死と、短命に終わったけれど、その濃密すぎる歌手生活、そしてひとりの女性としての生き様は、いまだに多くの伝説に飾られてます。

ギリシアからの移民を両親にアメリカで生まれ、アテネでデビュー、その後、ヨーロッパを中心に活躍。
メットとはビングと喧嘩して仲違いしてしまうが、ミラノ、ロンドン、パリといったヨーロッパの都会での活動と生活がカラスはもっとも好きだったんだろうと思う。
正規に残されたスタジオ録音もそれらの都市でのもの。
EMIへのオペラ録音は23作。
それ以外のソロが11枚(たぶん)。
ライブ録音や海賊盤を数えると数多くの記録が残されてますが、いずれもモノラルの時代からステレオ初期のものに限定されてます。

歌手生命の絶頂期がモノラル期ということで、このあたりがもしかするといまの若い聴き手には、すでに遠い存在と感じさせるかもしれません。
生誕100年の日、彼女のソロ録音を集大成したセットを中心に聴いてみました。

カラスの全盛期は、1950年代で、60年代前半40代にはいると、すでに声は下降線をたどってしまった。
1965年、ロンドンでのトスカを最後に舞台生活に終止符を打つ。
それから1973年まで、再起を目指して、有力なトレーナーのもと、発声の改善などに取り組んだ。
1973年には、長崎にやってきてマダム・バタフライ・コンクールの特別審査員や入賞者へのレッスンなどを行う。
1974年には、復活の世界ツアーで、ディ・ステファーノとデュオ・リサイタルの最後の訪問地として来日。
NHKホールでのコンサートはテレビとFMで放送され、高校生だったワタクシも大感激でした。
その一環の札幌でのコンサートが、カラスの最後の演奏会となりました。

Callas-1

54年録音のプッチーニ集は、セラフィンとフィルハーモニア管の演奏。
プッチーニはカラスの主要レパートリーとして舞台で歌うのはトスカだけだったらしいが、ここで聴くトゥーランドットが鳥肌ものの素晴らしさ。
その強靭な真っ直ぐの声の姫に対し、同じ歌手とは思えないほどに愛おしさを歌い込めたリューも素敵だ。

Tosca

そんなカラスには、私は高校生の時に出会った。
現役を退いてしまっていた頃だけれど、「トスカ」の初レコードとして、プレートル盤を購入したのだった。
トスカの音楽そのものにのめり込んでいたし、ベルゴンツィが好きだったし、ゴッピのスカルピアという絶対的な存在も自分には決めてになる演奏だった。
もちろん、レコードで聴くカラスの歌は、女優が立ち、歌う舞台が思い浮かぶかのようなドラマチックかつ迫真にせまるもので、擦り切れるほどに聴いたものだから、カラスの声は完全に自分の脳内にそれこそ刷りこまれてしまった。
今にして思えば64年のこの録音では、もうカラスの声は衰えが正直感じられ、ずっとあとになって聴いた53年のデ・サバータ盤の絶頂期の声と、その比ではないが、自分にはプレートル盤は忘れがたいものであります。
トスカを最大のあたり役のひとつとしたカラス、その舞台ではまさに本物の宝石を装着し、ともかく役柄になりきることに徹し、全身から指の先までまさに、すべてが大女優としての所作であったとされます。
歌に生き恋に生きのアリアは、観衆に背を向け、聖母マリア像にだけ向かって歌ったと、ドナルド・キーンさんの読み物で知りました。
さらにスカルピアを刺す、果物ナイフへの一瞥も、徐々に殺意が帯びるようにその演技を高めていくその演技力も感嘆すべきものだったという。

ともかく、オペラを演出で楽しみ、劇場でも、DVDでも楽しむようになった現代、カラスのような大歌手ほど、それに相応しい存在だったといえます。

Callas-scalaBellini-norma-callas-1_20231201213301

カラスの功績のひとつは、ベルカントオペラの興隆をもたらしたこと。
ベルリーニとドニゼッティ、ロッシーニではイタリアのトルコ人など、これまであまり取り上げられなかったオペラに息を吹き込んだのがカラス。
単なるコロラトゥーラを越えて技巧の先にある登場人物の心理に踏み込んだ深い解釈。
次元の異なるカラスのベルカントオペラは、その後にやってくるサザーランド、シルズ、カバリエなどの後輩の歌唱に引き継がれることになる。
最大のライバルと言われたテバルディは、ベルカントオペラはあまり持ち役にしておらず、レパートリーも実際のところかぶっていないので、劇場でもうまく住み分けができたいたんだろうと思います。
息のながい活動をした大らかで親しみあふれるテバルディに対し、妥協を許さないストイックな活動をして短命に終わったカラス。
どちらも大歌手と呼ぶに相応しいですね。

これまで何度か書いてますが、コロナ渦における大量のオペラストリーミング視聴により、いまさらながら目覚めたベルカントオペラ。
目覚めた耳で、実はまだ「ノルマ」は聴き直していない。
カラスの代表的なオペラだと思いますので、こちらはいつか取り組んで記事にしたいと考えます。
そして、ソロCDのなかのスカラ座でのカラスに収められた1955年録音の「夢遊病の女」の長大なアリア。
セラフィンとスカラ座の雰囲気あふれるオケを背景に、落胆から歓喜の爆発を目が覚めるような歌唱で聴かせてます。
こちらも全曲盤が欲しいところです。

あと、廉価盤になったときに購入した「ルチア」のレコードは60年のロンドンでの再録音。
こちらも学生時代によく聴いたレコードなれど、まだCDでは買い直していない。
狂乱の場をありふれたお決まりのシーンにすることなく、運命に翻弄された女性の儚げな存在としても多面的に歌い上げるカラス。
これもカラスの大ファンだったドナルド・キーンさんの話だけれど、スコットランドが舞台なので、カラスの黒髪ではルチアらしくないということで、赤毛の鬘を装着したという。
そして、その鬘は、マレーネ・デートレヒにもらったものだといいます。

Callas-verdi

ヴェルデイの全曲録音はひとつも持っていない体たらくですが、このソロアルバムのなかにある「マクベス」の3つのアリアのシーンが絶品。
58年、レッシーニョ指揮のフィルハーモニアの録音。
しわがれ声というヴェルディの指示とはまったく違う、ピキーンと張りつめた強靭かつ有無を言わせない声。
3つのシーンにおけるマクベス夫人のそれぞれのシテュエーションを見ごとに歌い分けていて、驚異的な思いで今回あらためて聴き直した。
メットで、この役を歌う予定もあったとかで、それが実現して録音でも残されていたら決定的な存在になったと思う。

カルメンも含め、カラスの全曲盤はあまり持っていない自分。
フレーニ、スコットの現役世代とともにオペラを聴いてきた自分には、カラスはひと昔まえの世代となります。

生誕100年の節目に、聴いたカラスの歌。
モノ音源の時代ほどにぶれなく、どの音域でも均一の音色と解像度の高さを感じ、60年代半ばになると、表現が粗くなる局面も感じられた。
しかし、カラスはどこまでもカラス、強い表現意欲をアリアの隅々にまで浸透させ、聴き手を納得させ、しまいにはねじ伏せてしまう強さがあった。
もっともっと、端的に言うと、「歌がめちゃくちゃうまい」のである。
このような歌手はいまはもういないし、いまのような歌劇場のシステムでは生れ得ないだろう。
作られたスター歌手は出るだろうけど、カラスのように、出自、努力、運、声、演技力、ともに克復して大成するような歌手はきっともう出ない。

Callas-3

1974年にNHKホールで歌ったカラス。
そのときのテレビでの印象を以前のブログで書いてます。
>前年にオープンしたNHKホールという巨大空間で、ピアノ伴奏による、ディ・ステファノとのジョイントコンサートが開かれた。
欧米を経てから、カラスの生涯最後のコンサートが、日本だったことは複雑な気持ちだが、その公演はNHKで放送され、テレビとFMに釘付けだった。
出来栄えがどうのこうのではなく、モニュメント的なコンサートだったが、映像で見たカラスは、その立居振る舞いに大歌手のオーラが出まくっていた。
そして、カラスより、ステファノが現役そこのけの立派な歌だったのも鮮明に覚えている。
この映像と音源は、私の貴重なコレクションとなっている・・・・・・。<

>その翌年、カラスは横浜の県民ホールで「トスカ」の舞台に立つ予定だったが、やはり無理だった。
かわりにカラスに指名されたのが、
モンセラット・カバリエ
皮肉にも、カバリエの巨漢と、見事なソットヴォーチェをわれわれ日本人に強く印象付けた上演だった。<

Callas-4

日本公演のあと、パリでの生活。

お気に入りのレストランでほどよい量の食事を楽しみ、コーヒーを飲みながらお気に入りの小節を読むのがお決まりだったとか。
そんな姿をパリの人びとは見ていたが、突然に訪れたその死。

映画やドキュメントもたくさんあり、あんまり好きでない女優アンジェリーナ・ジョリーのカラス役による最新映画もある。
いずれも私には興味がない。
セレブというレッテルをはり、その局面にスポットをあてるのだろう。
舞台のカラス、カラスの素晴らしい歌声、たくまぬ努力、そのあたりに正当にひかりを当てて欲しいがいかがなものだろうか。

001_20231201230401

あっぱれ富士山!

| | コメント (8)

2023年8月18日 (金)

レナータ・スコットを偲んで

Renata-scotto-2

 メトロポリタンオペラのニュースの冒頭。

またもや悲しみの訃報が。

Renata-scotto-1

名ソプラノ、レナータ・スコットさんが、8月16日、生まれ故郷の北イタリア、ジェノヴァ近郊の街、サヴォーナで逝去。
享年89歳。

訃報相次ぎました。
飯守さんに継いでの悲しみ、さらに数日前は、スウェーデン出身のドラマティックソプラノ、ベリッド・リンドホルムも亡くなってしまった。

3年前に亡くなったフレーニの1歳上だったスコット。
フレーニの訃報を聞いた時に、心配になってスコットの動静を調べたりしたものです。
そして、そのとき安心したのもつかの間、この時を迎えてしまった。

地中海に面したサヴォーナは漁村でもあり、父は警察官、母は裁縫士で、歌うことが好きだった彼女は窓辺で外に向かって歌を披露し、道行く人からご褒美にキャンディをもらったりしていたという。
後年、まさにお針子の娘だった出自は、ミミを歌い演じるときのヒントとなったと語ってます。

18歳でスカラ座でヴィオレッタでデビュー、その後はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を重ね、数々の録音も残したのはご存知のとおりです。
レッジェーロからコロラトゥーラで、その最初の全盛期をむかえ、70年代初頭には不調期となりますが、声の変革を多大な努力のもと行って、
ドラマティコ、リリコ・スピントの領域へその声も移行し、70年代後半以降、ドラマティックな役柄もたくさん演じ、録音も復活して輝かしい第2黄金期を築いたのでした。

私がスコットを初めて聴いたのは、1973年のNHKイタリアオペラ団の来演の放送。
ワーグナー一辺倒から始まった私のオペラ好きへの道は、この年の来演で、FMから演目の紹介を兼ねて何度もレコードが放送され、それを聴き、本番も生放送で食い入るように聴き、テレビも興奮しながら観まくり、イタリアオペラへの開眼も済ませたのでした。

ヴィオレッタとマルガレーテの2役を歌ったスコットは、テレビで観るほどに、役柄に没頭したその姿が感動的で、ともに健気な女性をうたい演じてました。
スコットのこのときの歌と演技を見ていて、中学生ながらにオペラで歌手が、歌をいかに演技に乗せて、それをドラマとして築きあげ視聴する側の気持ちを高めていくのか、ほんとうにすごいことだと思ったのでした。

その後、スコットはソロで何度か来日していますが、残念ながら、わたしはスコットの声を生で聴いたことがありません。

手持ちのスコットの音源からアリアを抜き出して聴いて、今宵は偲ぶこととしました。

Renata-scotto-5

 ベッリーニ 「カプレーティとモンテッキ」

1967年スカラ座でのアバド、パヴァロッティ、アラガルらとの共演。
ちゃんとした録音で出ないものかとも思うが、視聴には差支えのない録音状態で、瑞々しくも美しく、軽やかなスコットの声が楽しめる。
アバドとは、ヴェルディのレクイエムぐらいしか共演はなかったかもしれない。

Verdi-rigoletto-1

 ヴェルディ 「リゴレット」 

1964年のユニークなキャストによる録音。
高音の凛とした美しさと、まだ純朴さもただよう素直な歌は実に新鮮。
テクニックも確かで聞惚れてしまう。
これなら娘を思う親父の気持ちもわかろうというもの。

Scalaverdi

 ヴェルディ 「ラ・トラヴィアータ」

後年のムーティ盤でなく、62年録音のこちらの方が好き。
ジルダよりもさらに若々しい声は、耳も心も洗われるような思いがする。
スカラ座のオケもすんばらしい。

Img_0913

73年のNHKホールでのあの姿、若いカレーラス、味わい深いブルスカンティーニとともに、いまでも脳裏に浮かぶ。

 ヴェルディ 「オテロ」

78年の録音。
彫りの深い歌唱は、運命にもてあそばれる不条理さ、最後には清らかさも歌いだして見事。
ドミンゴとミルンズという絶好の相方たちを得て、オペラティックな感興も増すばかり。
でも最近、ドミンゴの声に食傷気味。

Renata-scotto-8

 プッチーニ 「マノン・レスコー」

80年のメットライブ、映像もあり。
多様な生活を送りつつも、一途な愛を貫こうとするひとりの女性をスコットは見事に歌い演じてます。
この役に関しては、スコットとフレーニが双璧。
映像でみると、さらに迫真の演技が楽しめる。
レヴァインの指揮も素晴らしい。

Renata-scotto-7

 プッチーニ 「ラ・ボエーム」

若き日のDG盤は未聴、ここでは79年のレヴァイン盤で。
ロドルフォのクラウスとともに、ベテランでありながら、折り目正しい模範解答のような素晴らしすぎる恋人たち。
スコットの母を思いつつ歌うミミは、フレーニとともに、わたしには最高のミミです。
ラストは泣けてしまい、まともに聴けない・・・・

Renata-scotto-9

 プッチーニ 「トスカ」

80年録音、スコットの唯一のトスカ。
技巧を尽くしながらも自然な歌い口と強い説得力を持つ歌唱。
止められなくなるので、「歌に生き、恋に生き」だけを聴いて涙す。。。

Renata-scotto-6

 プッチーニ 「蝶々夫人」

66年のバルビローリ盤。
後年のマゼールとの再録は実は未聴で、蝶々さんにこのバルビローリ&スコット盤が残されて、ほんとに感謝しなくてはならない。
初々しい若妻としての可愛さ、船を待つ情熱、そして覚悟の死へと、スコットの蝶々さんは涙なしには聴けない。
うなり声も入ってしまうバルビローリの指揮も最高じゃないか。

Scotto_verdi


 ヴェルデイ アリア集

83年の録音。
マクベス夫人も歌うようになり、全盛期を過ぎてしまったスコットの声だけれども、エリザベッタのアリアなど悔恨の情が著しく聴きごたえあり、こうして若き日の声からずっと聴いてきて、ひとりの偉大な歌手の足跡とたくまぬ努力の道筋を感銘と感謝とともに確認できました。

ほんとうに寂しい。

いつも歌手の訃報に接すると書くことですが、楽器と違い、人間の声は耳に脳裏に完全に刻み付けられます。
だから歌手たちの声は、ずっと自分のなかに残り続けるのです。
それがいま存命でないとなると、自分のなかの何かが、ひとつひとつ抜け落ちていくような気がするのです。

Renata-scotto-3

レナータ・スコットさんの魂が安らかならんこと、心よりお祈りいたします。

| | コメント (2)

2022年5月14日 (土)

テレサ・ベルガンサを偲んで

Berganza-1

スペインの名花と呼ばれた、テレサ・ベルガンサが亡くなりました。

2022年5月13日、マドリード近郊にて、89歳でした。

こちらの画像は、スペイン政府の国立舞台芸術音楽研究所のツィートを拝借しました。

オペラでは、モーツァルトとロッシーニ歌いとしてメゾでありながらケルビーノ、ロジーナ、チェネレントラなどの決定盤的な録音を残したことだけでも偉大な存在です。
アバドのファンとしては、若き日のアバドのロッシーニには、ベルガンサの存在はなくてはならないものでした。

Image_20220514111901

装飾過多のロッシーニ演奏に一石を投じたアバドの初オペラ録音は、躍動感とともに透明感としなやかさにあふれたものでした。
そこにピタリと波長を合わせたかのようなベルガンサの清潔かつ、ほんのり感じる色香ある歌唱。
久々に聴きなおしても、すっきりした気分になれる歌唱にオケでした。
セビリアのロジーナも同じくして70年代のロッシーニ演奏の最高峰だと思う。
ベルガンサにはデッカへの旧録音もあり、まだろくに聴いたことがないので、そのヴァルビーゾ盤を手当てしたいと思います。

Bizet_carmen_2

新しいカルメン像を打ち立てたベルガンサは、初のカルメン録音にもアバドを選びました。
当初、ショルティ&パリ管と録音すると噂されましたが、ベルガンサが体調を崩したとかで、ロンドンでトロヤノスとの録音になったことはご存知のとおりです。
このブログでも何度も書いてますが、DGがアムネスティのために豪華アーティストによるオペラアリア集を出しましたが、そこでベルガンサは、クーベリック&バイエルンとハバネラを歌い、これが初カルメンとなりました。
豪華絢爛の出演者たちの綺羅星の歌唱のなかにあって、ベルガンサのカルメンは実に香り高い歌声で、当時、カラスやホーンなどの強いカルメンしか知らなかった時分には、実に新鮮なものに聴こえましたね。
同様にクーベリックの鮮烈な指揮も印象的でした。
 そして、ほどなく登場したアバドとの全曲盤。
アバドとの共通認識のもとに生まれた「ベルガンサのカルメン」は、レコ芸では「カルメン像の修正」と評された。
自分の過去記事~「カルメンの既成概念からの解放。
先にわたしが書き連ねた運命の女カルメンは、ベルガンサが歌うと、もっと女性的で明るくハツラツと息づくひとりの女。
そして、宿命の死へと淡々と運ばれてゆく女。」

Berganza-dg

Berganza-decca

DGとデッカの追悼ツィート。

イエペスとのスペイン歌曲や、ファリャ、コジなど、まだまだ聴いていないベルガンサの歌はたくさんあります。
亡き名歌手を偲びつつ、それらを揃えていく楽しみも残されてます。

Berganza-2

テレサ・ベルガンサさんの、魂が安らかなること、お祈りしたいと存じます。

| | コメント (4)

2021年10月19日 (火)

エディタ・グルベローヴァを偲んで

Gruberova-1

 エディタ・グルベローヴァが亡くなりました。

2021年10月18日、チューリヒにて、享年74歳の早すぎる死。

とても寂しい。

今朝はやく、訃報を知り、自分の音源の中から、ベルカントの女王と呼ばれた彼女の歌をいくつか聴き、偲びました。

上のニュースは、グルベローヴァが2019年に引退の舞台に選んだ劇場のある、バイエルン放送局の訃報。

下は、同じく、長らく活躍したウィーンのオーストリア放送局のもの。

Gruberova-2

わたしは、残念ながら、その舞台に接することができませんでした。

日本の歌劇団にもよく来日してましたが、残念だったのは、1980年のウィーン国立歌劇場の来演での、「ナクソスのアリアドネ」を逃したこと。
ベームの指揮もさることながら、グルベローヴァのツェルビネッタ、ヤノヴィッツのアリアドネに、キングのバッカスという、錚々たる顔ぶれ。
わたしは、就職の前年で、オペラ観劇なんて状況ではなかった・・・・
 しかし、NHKで放送された音源は、いまでもちゃんと持ってます。

Wien

だから、わたしには最高のツェルビネッタは、グルベローヴァ。

Ariadone_20211019080501

ザルツブルク音楽祭でのサヴァリッシュの音盤は、さらに完璧な歌唱。
唖然とするくらいのテクニックで、やすやすと転がるように歌うグルベローヴァだけど、感性豊かで、無機的になることなく、暖かな歌唱でどこまでも美しく、聴く人に安らぎとある意味、快感さえ与えることになる。

Mozart_zauberflote_haitink

あとは、なんといっても、グルベローヴァの名前を高めることになった、夜の女王。

決して悪い女王と思えなかった、愛情もありつつ、苦しむような女王を歌った。

Gruberova-queen

手持ちのグルベローヴァの音源の一部。
マリア・テュアルダ、ミュンヘンでの最後の演目、ロベルト・デヴリュー、清教徒、狂乱の場、モーツァルト、ハイライト集。

いずれゆっくり聴きたいけれど、R=コルサコフや、こうもりのチャールダシュなど、エキゾチックな役柄も抜群にうまかったし、ステキにすぎる。

大至急に書いてしまった記事ですが、グルベローヴァの死に、一刻も早く、彼女の声が聴きたかったから・・・・・

Csm_ariadne_auf_naxos_gruberova__c__wien
                                                       (Winer Staastoper)

エディタ・グルベローヴァさんの魂が安らかならんこと、お祈りいたします。

(1946.12.22~2021.10.18)

| | コメント (6)

2021年4月26日 (月)

クリスタ・ルートヴィヒを偲んで

Ludwig-20210424

メゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒさんが亡くなりました。

2021年4月24日、オーストリアのウィーンの北方にある、クロスターノイベルクの自宅にて逝去。

享年93歳でした。

ベルリン生まれ、戦後から歌手活動を開始し、次々に大きな劇場へと活動の場を広げ、それは時の名指揮者たちの後押しが常にありました。

メゾ・ソプラノという主役級のあまり多くない声域で、ルートヴィッヒのように長く、広大なレパートリーと、そして膨大なレコーディングを残した歌手はほかに見当たりません!

でも、50年近く現役を続け、大きな実績をあげているのに、偉大な歌手という肩書きというより、親しみのあるおなじみの歌手、というフレーズの方が似合うのが、クリスタ・ルートヴィヒさんでした。

今回の訃報を受けて、手持ちの音源をあれこれ探そうとおもったら、もう、あることあること。
ともかく、いろんな音盤にルートヴィッヒの名前がある。
たくさん、たくさん聴いてました。
リートの方もありますが、やはりルートヴィッヒはオペラ。

しかし、わたしの初ルートヴィッヒ聴きは、カラヤンの第9です。
小学生のときに観たカラヤンの第9の映画で、いまはなくなってしまった、新宿の厚生年金会館での上映です。
すぐさま、レコードも買いましたよ。
しかし、ルートヴィッヒじゃなかった。

可愛い美人って感じで、ちょうど母と同じぐらいな年齢なものだから、親しみと憧れがあったのかもしれません。

Tristan-bohmJacket_20210426205001

初めてのルートヴィッヒは、ベームのトリスタンでのブランゲーネ。
ここでの歌唱が、ブランゲーネ役のほぼ刷り込みです。
数年後のカラヤン盤も同じく、1幕の毅然とした役作りと、2幕での官能シーンの一役を買うような甘き警告、もうルートヴィッヒ以外は実はわたくし考えられないのでした。。。

115055353Gotter-karajan

クンドリーもルートヴィッヒならではの、多面的な役柄掘り下げのうまさが出た役柄。
聖と邪、1幕と2幕で巧みな歌唱。
そして、カラヤンのリングでは、黄昏でのヴァルトラウテが完璧で、ルートヴィッヒによってカラヤンのリングの大団円が引き締まった。

Cosi-3

ヤノヴィッツとのスーパーコンビ。

そうカラヤンの第9映画もこのふたり。

ヤノヴィッツはルートヴィッヒより10歳お若いけど、硬質なヤノヴィッツ声と暖かなルートヴィッヒの声とが巧みに融合するさまは、モーツァルトの愉悦にもぴたりでした。
ベームのコジ・ファン・トゥッテの映画はお宝です。

Strauss-die-frau-ohen-schatten-karajan-1Rosenkavalier_bernstein_20210426205001

R・シュトラウスの数々のオペラもルートヴィッヒなくしてはなりたちません。

影のない女での、バラクの妻は、ドラマテックな声を要求される難役だけど、それを難なく歌うルートヴィッヒ。
しかも、実際の夫であった、ヴァルター・ベリーとの共演はまさに適役。
カラヤン盤は、実はその指揮にももっと多くを求めたいが、ベームのザルツブルク音楽祭でライブCDがルートヴィッヒでなかったことが残念です。
手持ちのカセットテープから起こしたルートヴィッヒの出演した年の音盤は最高です!

バーンスタインのもとでマルシャリンを歌ったルートヴィッヒ。
ここでもベリーとの夫婦共演。
豊かな音域で歌うと、諦念感もより出て夫ある身である、そんな存在感も出てました。
こう言っちゃなんですが、人妻感あるお隣の美しい奥さんって感じ。

Wagner-brahams-mahler-ludwig-1

ルートヴィッヒの声を愛した大指揮者のひとり、クレンペラーとの共演。
ブラームスの「アルト・ラプソディ」、ワーグナーの「ヴェーゼンドンク」、マーラーの「リュッケルト」、おおよそこれらの作品に対する模範解答の歌唱がここに刻まれてます。
録音が今となっては古いですが、そのせいもあって、ルートヴィッヒの歌唱がいくぶん古いスタイルに受け取れる方もいるかもしれません。
でも、ここに聴く極めて正しきドイツ語のディクションと、少しの揺れも伴いつつ、その言葉に乗せたのっぴきならない感情表現は、昨今のオールマイティーな耳当たりのいい歌唱とは一線を画してます。
指揮者ともども、背筋を伸ばしたくなるような、そんな1枚です。

ルートヴィヒを偲んで、次はこれで。

Mahler_20210426212901Mahler-larajanMahaler_das_erde_baerstein

マーラーの「大地の歌」
この作品も、ルートヴィッヒの声と、わたくしには一心同体と化しています。
初めての「大地の歌」がバーンスタイン盤。
こえを何度も、擦り切れるぐらいに聴き、対訳も諳んじるぐらいに読み込んだ。
以来、別れの寂しさと、次ぎ来る春の明るさの予見をルートヴィッヒの声にこそ感じるまでに聴きこんだ。

カラヤン盤はCD時代になってから聴いたが、FMでのライブは73年に録音して親しんだ。
曲が静かに終えると、絶妙のタイミングで見事なブラボーが一言、すてきなシーンだった。
遡るようにしてクレンペラー盤を聴いたのは、ほんの10年前のこと。

バーンスタインの強引な指揮に、ストップを繰り返しつつ、やがて合わせていくシーンが動画として残されています。
振幅の大きい、個性の強いバーンスタインのやりたい音楽にもルートヴィッヒは的確だった。
カラヤン盤では、ビューティフルなマーラーをカラヤンの好みに合わせて紡ぎだしている。
いまの世の中では、このカラヤン盤が一番高評価を受けるかも。
クレンペラー盤では、孤高の指揮者と一体化して、感情表現は抑え目に、楽譜のみを読み取った冷静でありながら深い情感と枯淡の境地をも感じさせる歌。

このように、クレンペラー、ベーム、カラヤン、バーンスタインに愛され、彼らの望む音楽に完璧に沿いながらも、その持ち味である暖かみと親しみやすさを失わなかったルートヴィッヒの知的な歌の数々。

Ewig・・・・Ewig 永遠に・・・

ずっとこだまします。

クリスタ・ルートヴィヒさんの、御霊が永遠でありますよう、安らかにお休みください。

Img_2014

| | コメント (8)

2020年2月11日 (火)

ミレッラ・フレーニを偲んで ②

Freni-modena

ミレッラ・フレーニ(1935~2020)の逝去を悼み、2本目の記事は、彼女の音源をいろいろ聴いて偲びます。

始めて買ったフレーニのレコードが、これも初めての「ラ・ボエーム」です。
中学生のとき、発売早々に買いました。 
たしか、舞台設定と同じ頃の季節は冬でした。
来る日も来る日も、ミミとロドルフォのアリアと、ふたりの二重唱を聴いてました。
でも、4幕はミミの死が辛すぎてたどり着かなかったです。。。

La-boheme-karajan

  プッチーニ 「ラ・ボエーム」

ベルリンフィル初のイタリアオペラ録音。
そしてDGではなく、デッカ録音というところが当時は話題になりました。
そう、確かにオーケストラの威力は強力で、録音もソニックステージで、分離が鮮やか、かつ擬音もたっぷり入って雰囲気豊かなものでした。

当時好きな子もいたりして、その子をミミにあてはめたりしていた中坊でした。
だから、このフレーニの愛らしいミミが、今に至るまで、私の「ザ・ミミ」なのです。
フレーニのミミは、かけがえのない唯一無二の存在です。
ミミの死は、ほんとうに泣いちゃいます。

Image_20200211101501Butterfly_sinopoli

 プッチーニ 「マノン・レスコー」
       「蝶々夫人」

フレーニには、いずれも他に録音がありますが、シノーポリとのこちらが好きです。
いろんな女性の姿を描き続けたプッチーニの各タイトルロールへの想いが、フレーニによって、そのまま歌い込まれてます。
いずれも最後には、命を落としてしまう、気の毒な役柄ばかりだけれども、それゆえに、フレーニの優しくも暖かい歌声が胸にしみます。

あとは、「トゥーランドット」のリュウと、「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタがフレーニらしい可愛さを味わえますね。

Figaro-davisMozart_le_nozze_di_figaro_abbado_sc

 モーツァルト 「フィガロの結婚」

フィガロのスザンナと、「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナもフレーニの得意のレパートリーでした。

コリン・デイヴィス指揮するBBC響とのフィリップス録音は、活気あふれる快速テンポにのって、快活で元気なスザンナを生き生きと歌ってます。
ベームのフィガロの映像盤では、プライのフィガロとともに、抜群のコンビを組んでますが、そちらは以前にビデオ収録したもののいまや見れませんし、正規盤をいつか欲しいと思ってます。
 そして、アバドがスカラ座時代に上演したフィガロでは、このふたりが入れ替わって、プライが伯爵、フレーニが伯爵夫人ロジーナを歌ってます。
以前にも、こちらのブログでも取り上げましたが、フレーニの伯爵夫人は、あたりを打ち払うような穏やかさと気品にあふれた歌唱で、とても落ち着きがあります。
でも、わたくしたちには、フレーニはスザンナですね。

Bizet_carmen_burgos

 ビゼー 「カルメン」

フレーニといえば、ミカエラも忘れちゃいけませんね。
ファムファタールのカルメンに対して、切なさ一杯の待つ女性、ミカエラをこれまた愛らしく歌ってます。
自分なら、おっかないカルメンなんかから逃げて、こんなかわいいミカエラちゃんを、ちゃんと選びますね。

Fritz

 マスカニーニ 「友人フリッツ」

血なまぐさいカヴァレリアのあとに書いたマスカニーニの牧歌的オペラといわれる、ハートウォーミングな愛すべきオペラ。
まだブログで取り上げてませんが、マスカーニのオペラは、レオンカヴァッロ、ジョルダーノとともに、着々とそろえています。
 同郷のパヴァロッティとの共演では、ボエームのそれとともに、抜群の声のコンビネーションです。
他愛もないドラマですが、ここにたくさん散りばめられたアリアの数々は、とても素敵なものばかりで、なおかつ優しいフレーニの声向きのものですから、若きフレーニの瑞々しい、フルーティーな歌声が大いに楽しめます。
こういう歌を聴くと、いまやこんな歌声の歌手はいないな、とつくづく彼女の存在がありがたく感じられるものです。
それは同じく若いパヴァロッティにも言えることです。

Image-1Tchaikovsky_pique_dame_ozawa

  チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」
           「スペードの女王」

チャイコフスキーのこのふたつのオペラもフレーニは得意にしておりました。
スーブレットから、徐々に声に力感も増して、リリコ・スピントの役柄までを幅広く歌うようになったフレーニ。
そんな一環としてのチャイコフスキーのオペラ。
夫君のギャウロウの指導などもあったかもしれません。

タチャーナも、リーザもどちらも、私には理想的な歌唱でして、ロシア風のほの暗さやたくましい歌いまわしとは、まったく隔絶した、透明感あふれるクリーンでクリアな歌です。
西欧側のチャイコフスキーとして、最高の歌であり、指揮者もオーケストラも同様の響きを感じます。
大好きな「手紙の場」を何度もここだけ聴きましたし、いまも聴いてます。
不安と焦燥、そしてそれが情熱へと変わっていくタチャーナの心情をフレーニは見事に歌い込んでます。

Simon_abbado1Verdi_don_carlo_abbdo_scala
Verdi_ernaniVerdi_ottelo_kleiber

 ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」
       「ドン・カルロ」
       「エルナーニ」
       「オテロ」

やっぱりヴェルディ。
フレーニの歌うヴェルディは、正統派ソプラノの理想のヴェルディという言葉しかない。
数々の録音あれど、非正規のものもここにあげてしまうほど、そのライブが素晴らしい。
マリア、エリザベッタ、ドンナ・エルヴィーラ、デスデモーナ。

アバドのシモンは、わたくしの生涯の思い出の日本での上演と、完成度の極めて高いイタリアオペラのレコードの最高峰のふたつでフレーニが歌ってます。
父と恋人を愛する純なマリアです。

スカラ座のライブのドン・カルロは貴重な音源で、録音もステレオでよいです。
いつも上演していたメンバーをカラヤンにかっさわれて録音もそちらで行われてしまったので、フレーニ、カレーラス、カプッチルリ、ギャウロウ、オブラスツォワとそろった超豪華キャストは捨てがたいものがありますし、しかも5幕版です。
 ここでのエリザベッタは、気品と悲劇性とが見事に溶け合った名唱であります。
アバドとのドン・カルロでは、あとウィーン国立歌劇場でのFMライブも持ってまして、フレーニがここでも最高、聴衆の喝采が止みません。

 初期オペラに特有の荒唐無稽ぶりが満載の「エルナーニ」でも、夫君のギャウロウと共演。
3人の男性に愛されてしまうという悩み多き女性ですが、初期ゆえにふんだんなアリアと歌の数々がここにあふれてます。
しかも、まだスカラ座就任前のムーティの強靭なカンタービレに乗ってうたうフレーニの歌声は素晴らしいです。

デスデモーナは、カラヤンの正規録音もいいですが、やはりカルロス・クライバーの情熱ほとばしる指揮と、カプッチルリのイヤーゴが聴けるライブ盤でのフレーニがよい。
運命と夫の妄想にもてあそばれる、この悲劇的な役柄も、やはりフレーニ向きで、実に素晴らしい。
終幕の「柳の歌~アヴェマリア」を聴きましょう。
その清らかなフレーニの歌声に、在りし日の、わたしたちの名歌手フレーニを偲びます。

19
           スカラ座来日公演 クライバー指揮

フレーニを偲ぶ特集。

最後はミミ。

「わたしの名はミミ」そして、最後の場面を聴いて涙をひとしずく・・・・・

ミレッラ・フレーニさん、たくさんの歌をとどけていただいて、ほんとうにありがとうございました。
これからも、ずっとずっと、あなたの歌声を聴いてまいります。

その魂が安らかならんこと、心よりお祈り申し上げます♰

| | コメント (6)

ミレッラ・フレーニを偲んで ①

1-freni-modena

ミレッラ・フレーニが、2月8日、故郷のモデナの自宅で亡くなりました。
享年84歳。
2月27日の誕生日まで、あと少しでしたが、このところ療養中だったとのことです。
モデナの地元紙の逝去の報です。

こうして、またひとり、わたしにとって思い出深い、いえ、世界のオペラファンにとってもっとも愛すべき歌手が去ってしまいました。

歌手が亡くなるたびに思い、そして書くことですが、その歌声が聴き手の脳裏に完全に刻まれるものですから、引退して久しくとも、現役で活躍していた指揮者や奏者の死去と同等といえるくらいに悲しみは大きいものです。

活躍の名前を見なくなってしまった歌手たちが、いままだ健在かな?どうしてるかな?などと、ときおり検索したりしてます。
そんななかのひとりが、フレーニでした。
わたしを導いてくれた、まだちょっと気になる歌手たちが何人も思い浮かびます。

フレーニは、多くの舞台、指揮者たちにひっぱりだこだったので、その音源もたくさんあります。
そのオペラの代表的な演奏にもなっているので、私もたくさん持ってます。
そして、何度かその舞台にも接することができ、小柄で、チャーミングな所作も、その歌声とともに、しっかりと記憶にとどめてます。

4-freni-medena-opera

こちらは、モデナのオペラハウス、パヴァロッティ・モデナのフェイスブック。
同郷の幼馴染みのパヴァロッティの名前を冠したハウスです。
Ciaoは、こんにちはの挨拶ばかりでなく、バイバイとか、さよなら、とか親しみを込めたお別れの挨拶にも使われます。

往年のカラスやテヴァルディが大歌手と呼ばれ、スターダムにあり、ゴシップも噂されたりしたのに比べ、フレーニは、常に親しみやすい存在として、わたしたちのお姉さんてきな存在で、大歌手と呼ぶよりは、親しみを込めて「名歌手」と呼ぶに相応しい存在でした。

Scala_20200211105001

こちらは、スカラ座のFacebook。

お宝画像のような1枚。
これは、ヴェルディのレクイエムの演奏後のものでしょうか。
ご主人のギャウロウ、パヴァロッティ、オブラスツォワ、そしてアバドも、みんないまごろ天上で楽しくしていらっしゃるのでしょうか・・・・

アバド、フレーニ、ギャウロウ、カプッチルリ、パヴァロッティは、みんな仲良しでファミリーのようでした。

Freni-wien

世界中のオペラハウスが、フレーニの逝去を偲んで続々と報じております。
こちらは、ウィーン国立歌劇場。
エリザベッタを歌うお姿でしょうか。

ヴェルディとプッチーニを軸に、モーツァルト、ベルリーニ、ドニゼッテイ、グノー、そしてチャイコフスキー。
ドン・カルロのエリザベッタにおける気品と悲劇性は、いまもって、フレーニを超える歌唱はありません。
もちろん、ミミも!

16

1981年のスカラ座の来日における「シモン・ボッカネグラ」のマリア。

アバドの指揮にドキドキしながら釘付けでしたが、この作品を、その5年前のNHKイタリアオペラでも接し、熟知していた若きワタクシです。
カプッチルリ、ギャウロウの強力男声陣に、ひと際咲いたフレーニのひたむきな歌唱にしびれました。
ストレーレルの名舞台、船の前で歌うこのフレーニのアリア、忘れられない1シーンであり、彼女の歌声です。

6-freni-manon

ウィーン国立歌劇場の1986年の来日公演。
鮮烈だったシノーポリの指揮。
巨大なNHKホール、小柄なのに、その魅力的な声ですみずみにまで満たしてしまう、その声量と真っ直ぐなストレートヴォイスに驚きだった。
奔放さと、明るい無邪気さ、そして薄幸のマノンを見事に歌い込んだフレーニでした。

Verdi_requiem_karajanAbbado_requiem_20200211101501

擦り切れるほど聴いた、フレーニの参加したヴェルディのレクイエム。
カラヤンとアバド、ふたりの指揮者に愛され、多くの共演があります。
カラヤンの1度目の録音は、派手さはなく、意外と渋いですが、さすがはベルリンフィルという威力があります。
アバドのこれも1度目は、なんといってもスカラ座のオケと合唱のすばらしさと、アバドの求心力の強さ。
そして、いずれも真摯なフレーニの歌には、癒しさえ感じます。
彼女の最後の言葉、Libera me がしみます。。。

追悼第1の記事は、このあたりで筆をおきます♰

Chaio Mirrela Freni !

| | コメント (0)

2018年10月20日 (土)

ベルリーニ 「ノルマ」 カバリエを偲んで

大歌手のひとり、モンセラ・カバリエさんが、10月6日になくなりました。
享年85歳。生まれ故郷のバルセロナにて。

引退して久しいが、その全盛期の数々の名唱を聴いてきたわたくしのような世代には、寂しさもひとしおです。

歌手が亡くなるたびに思い、ここで記することですが、指揮者や器楽奏者の場合、現役を全うしつつ亡くなるというケースが多く、突然の悲しみにみまわれる訳ですが、歌手たちの場合は、一線を退いたのち、かなりの年月を経ての訃報を受け取ることが多いので、その喪失感は、耳に馴染んだその歌声とともに、じわじわとくることとなります。

人間の声は、聞く人の脳裏に記憶としてしっかりと刻まれるので、歌手たちの声もそれぞれに、人々の耳に残り続けることとなります。
そんな風に親しんだ声のひとつが、カバリエの声。

Bellini_norma_caballe_1
 ベルリーニ 歌劇「ノルマ」

ノルマ: モンセラ・カバリエ  アダルジーザ:フィオレンツァ・コソット
ポルリオーネ:プラシド・ドミンゴ オロヴェーソ:ルッジェロ・ライモンディ
クロティルデ:エリザベス・ベインブリッジ フラヴィオ:ケネス・コリンズ

 カルロ・フェリーチェ・チラーリオ指揮 ロンドン・フィルハーモニック
                アンブロジアン・オペラ・シンガーズ

             (1972.9 ロンドン、ウォルサムストウ)


ベルカント系のオペラをふだん、まったくといっていいほどに聴かないわたくし。
オペラ聞き始めのころは、なんでも貪欲に聴いたものだから、ベルリーニもドニゼッティもまんべんなく聴いたものですが。

 そして、カバリエの訃報を受けて、まず取りだしたのが「ノルマ」。
美しい旋律と歌にあふれたベルリーニのノルマ。
70年代前半のカバリエの絶頂期をむかえた頃の歌声は、ともかく優しく、美しく、そして、このオペラのアリアのように清らか。
もともと、ドラマテックな声も充分に持っていたカバリエだけど、愛する男を信じる優しい女性から、不実な男と知り、怒りに燃えてゆき変貌してゆく主人公を見ごとに歌っている。
カラスの強烈なまでののめり込み具合はここにはないけれど、カバリエのノルマの方が、普段聴きできる親しみやすさがある。
 そして、この演奏でのさらなる魅力は、コソットとの黄金コンビが聴けること。
コソットのアダルジーザは、同役での最高の歌唱に思います。
水もしたたるような素晴らしい歌声、声のディクションも純正そのもので、まさに本物!
その二人の歌う素敵な二重唱は、すてきなこと、このうえなし。
 ドミンゴの声は若く、輝かしい。
苦手意識はぬぐえないが、カバリエの歌で久々に聴くベルリーニのオペラ、美しいものでした。

そして、思い出のカバリエとコソットの名コンビといえば、これ。
  

Adoriana_2

チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」

NHKが招聘した、1976年のイタリア・オペラ団。
このあと、この企画は終了してしまったけれど、その最後に相応しい名舞台だった。
何度も、このブログで自慢してますが、高校生だったワタクシ、この舞台にくぎ付けとなりました。
カバリエとコソットの、ひとりの男(若かったカレーラス)をめぐる、恋のさや当て。
お互いに、その素性を隠しながら、はじめは静かなやりとりが、だんだんと激昂してゆくさまが、ほんと、手に汗ものでした。
こんな、おっかない女性たちの板挟みになる小柄なカレーラスが、ほんと気の毒に思えたのでした。

Adoriana_1

思い出のすみれの花を送り返され、哀しみに暮れるアドリアーナ。
この儚く美しいアリアを、カバリエは、あの絶妙のピアニシモでもって歌い、巨大なNHKホールの隅々に、耳を澄ます人々の耳に、響かせたのでした。
このあと、駆けつけたカレーラスのマウリツィオと、ドラーツィのミショネ、この3人によるセンチメンタルな幕切れに、わたくしは落涙したのです。
いまでも、忘れられない。

Tosca_davis

  プッチーニ 「トスカ} 

そして、「トスカ」のカバリエも思い出深い。
アドリアーナを聴いたその年、同じくカレーラスとの共演に、イタリアオペラに初登場のコリン・デイヴィスの指揮によるレコード。

これがまた、フィリップス録音の奥行き豊かな素晴らしい録音とともに、シンフォニックな、かっちりした「トスカ」だった。
ドラマティコとしての、存在感を、その前の「アイーダ」での歌唱で、普遍的にしたカバリエのスケール豊かで、かつ、絶妙の音域の上下を、オペラの歌唱に導入した見事な歌。

カラス&プレートルと並ぶ、「トスカ」の本流とも呼べるCDのひとつと、自分では思ってます。

 わたくしが、カバリエのアドリアーナを体験する前年。

カラスが、ステファーノとコンビを組んで、日本で限定復活という「トスカ」上演計画がありました。

残念ながら、ほんとの直前で、カラスはキャンセルし、その代役の白羽は、カバリエにあたりました。
横浜の県民ホールでの上演で、NHKは、FMで生放送。
わたくしは、必死にカセットでエアチェック。
ピアノ伴奏もする、ヴェントーラというピアニスト兼指揮者と、新日フィルのバック。
このオケは、あまり冴えないものでしたが、そこそこの年齢に達してたステファーノのいまだに最高水準のカヴァラドッシは驚きだった。
それ以上に、例の弱音から、強い声まで、振幅の幅の大きい素晴らしい歌唱。
「恋に生き、歌に生き」のアリアでは、またも県民ホールを、ソットヴォーチェで満たしたのでした。

Aida_muti

 ヴェルディ 「アイーダ」

これが、実はカバリエの初レコード。
若獅子と呼ばれたムーティのデビュー間もないころの1974年の録音で、アバドがスカラ座で取り上げたそのキャストを、アイーダ役以外そのまま使って録音したことで、EMIに怒りを覚えたけれど、そんな思いは、この鮮烈なレコードを聴いて吹っ飛んだ。
 「わが故郷」では、また絶妙のピアニシモが。
んでもって、アイーダとアムネリスの対決は、ここでもコソットとの最高コンビでした。
ドミンゴもピカピカしてますし、カプッチルリにギャウロウ、ローニと超豪華な布陣です。

Verdi_i_masnadieri_gardelli4

 ヴェルディ 「群盗」

ドラマは、むちゃくちゃだけど、ヴェルディ初期~中期の歌の宝庫のようなオペラ。
ガルデッリによるヴェルディの初期シリーズにも、カバリエは登場して、その鮮度の高い声を聴かせてました。


Mehta_nypo_ring

ワーグナーもあり。
正規音源では、メータとニューヨークフィルと、あとロンバールともアリア集を録音しています。
この音源は、一部未入手なのですが、メータのリング抜粋に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」が挿入されてまして、ドイツ系の歌手にない、サラっとしたクセの一切ない歌唱は、新鮮ではありましたが、耳当たりばかりが良すぎて、あまり残るものもなかったのも事実でした。
イゾルデを歌った若い頃の音源を目にしたことがあります。
予想される内容ですが、全曲なら一度聴いてみたいです。

Salome_caballe

 R・シュトラウス 「サロメ」

1968年の録音。
若い頃は、ドイツ物をかなり歌っていて、なかでもシュトラウスは、マルシャリンやアラベラなど、各タイトルロールを演じていました。
そんなシュトラウスへの適性を感じさせるこの「サロメ」。
少女であるサロメが、ヨカナーンを知ることで、怪しい女に変貌していく、そんなシュトラウスの狙いを、このカバリエの歌唱は見事に歌いだしていると思う。
ともかくキレイで、後に怪しい。
マッチョのミルンズのヨカナーンに、バリッとしたキングのナラボートも面白い。

Caballe_bernstein

シュトラウスを録音したバーンスタインとのワンショット。

フランス国立管との、サロメと歌曲。
このDGの1枚もカバリエらしい美しい1枚。
そして生き生きとしたバーンスタインの指揮に、フランスのオケの明るさも。

Strauss_caballe

     R・シュトラウス  4つの最後の歌

   アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー

1977年頃の録音。
ロンバールとは、このほか、タンホイザーとトリスタンの一部を録音している。
多分にムーディに聴こえるカバリエのシュトラウスだけれど、言葉への思いは、そこそこに、シュトラウスの音符をこれほどまでに美しく歌い上げた歌唱は少ない。

カバリエの美声を聴くのに相応しい音楽、そしてその逝去を偲ぶにこの美しい音楽は相応しい。

わが若き日々に、オペラの奥行き深い楽しみを教えてくれたカバリエさんの数々の歌声。

カバリエさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年2月25日 (日)

モーツァルト 「ラウラに寄せる夕べの想い」 マティス

Kokyo

ある晩の皇居周辺の夕べの様子。

ビルの間から東京タワーが見えました。

Mozart_mathis

     モーツァルト 歌曲「ラウラに寄せる夕べの想い」 K.523

       ソプラノ:エデット・マティス

       ピアノ :ベルンハルト・クレー

                                    (1972)


スイス、ルツェルン生まれのソプラノ歌手、エデット・マティス。

この2月に80歳の誕生日を迎えたそうです。

わたくしにとってスザンヌを代表とする永遠のモーツァルト歌いのひとり。

リリカルなその声質は、とても清潔で、無垢。
可愛いらしいその風貌とともに、そのチャーミングな歌声は、いつも聴いていたい歌手。
まだまだ健在で、ルツェルン音楽祭で、歌ではなく、「詩人の恋」のバリトンリサイタルで、詩の朗読を歌の合間に合わせるというコンサートに出演するみたいです。

バッハからマーラーまで、オペラからリートまで、たくさんあるマティスの音源をこれからも大切に聴いていきたいものです。

 さて、モーツァルトの数ある歌曲から、一番好きな作品を。
自身がそう記したことから、「夕べの想い」とも略されるけれど、一番スケールが大きく、深みのある一品。
1787年の作。
原詩の作者は不詳ですが、夕暮れと人生の黄昏時を重ね合わせた彼岸の淵にあるような内容に、モーツァルトは優しく、穏やかななかに、深い悲しみも織り込んだ素晴らしい音楽をつけた。

5分ぐらいの作品だけど、夜、床に就く前のささやかな心のなぐさめに最適の歌曲です。

マティスの優しく、少し生真面目だけど暖かい歌声と、ご主人のクレーのクリーンなピアノは素敵です。
いろんな歌手で聴いているモーツァルトの歌曲だけれど、レコード時代、初めて聴いたこのマティス盤が一番好きです。

   夕暮れだ、太陽は沈み
   月が銀の輝きを放っている
   こうして人生の素晴らしいときが消えてゆく
   輪舞の列のように通り過ぎてゆくのだ!


  ~第1節目 : 石井不二雄訳~

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年2月12日 (月)

「Oh,Boy!」 マリアンヌ・クレバッサ

Shiba

梅もほころび、立春も過ぎて、春への歩みも一歩一歩と。

と、思いきや、先だっては日本海側で大雪、わたしのいる関東も雪もちらつき寒波も。

この写真は、まだ雪が残っていたときに撮ったものですので、いまはもっと開いて、梅の香りもただよわせていることでしょう。

休日に、美しいメゾの歌声を。

Crebassa

     
   「Oh,Boy! マリアンヌ・クレバッサ

 1.グルック(ベルリオーズ編) 「オルフェとユリディス」から
 2.モーツァルト 「ルーチョ・シッラ」~いとしい瞳よ
 3.マイアーベア 「ユグノー教徒」~高貴な殿方
 4.オッフェンバック 「ホフマン物語」~見たまえ、わななく弓の下で
 5.モーツァルト 「ルーチョ・シッラ」~あふれる愛の報いの
 6.モーツァルト 「フィガロの結婚」~恋とはどんなものかしら
 7.トマ      「プシケ」~眠りのロマンス
 8.グノー     「ロメオとジュリエット」~昨日からご主人はどこへ
 9.マスネ     「サンドリヨン」~行け、僕をひとりにさせる・・・
10.オッフェンバック 「ファンタジオ」~ごらん、黄昏時の
11.グノー     「ファウスト」~君の哀しみを僕の魂にそそいで
12.モーツァルト 「偽の女庭師」
                          ~あなたが私を見捨てても私の心は変わらない
13.シュブリエ   「エトワール」~運命を司どる小さな星よ
14.モーツァルト 「フィガロの結婚」~自分で自分がわからない
15.アーン    「モーツァルト」~それでは、行く
16.モーツァルト 「皇帝ティトゥスの仁慈」
            ~私は行く、でもいとしいあなたよ

        Ms:マリアンヌ・クレバッサ

  マルク・ミンコフスキ指揮 ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団

                (2016.1.4~8 @ザルツブルク)


いまブレイク中のメゾ、クレバッサ。
昨年のプロムスのネット放送で聴いたのが初。
サロネンとフィルハーモニア菅のコンサートで、ラヴェルのシェヘラザード。
フランス語の美しさは、当たり前ながらにして、そのクリアーボイスは、精緻なラヴェルの音楽にぴったりだった。
そしてなによりも、BBCのサイトに載っていたポートレート写真のキュートさ。

Crebassa_1

86年、南フランス、モンペリエの西、ベジェの生まれ。
モンペリエ音楽院で学んで、同地のオペラ団でデビュー、パリ・オペラ座をへて、2012年にザルツブルク音楽祭へ、ヘンデルのオペラ「タメルラーノ」でデビュー。
以降、ザルツブルクの常連となり、欧米各地のハウスへの出演続出中。
昨年のザルツブルクでは、クルレンツィウスの指揮で「ティトゥスの仁慈」に登場し、大成功。

そのレパートリーは、バロックオペラから、モーツァルトを中心とする古典オペラ、そしてフランスもの全般というところに懸命にも絞り込んでいるようで、イタリアベルカント系やドイツ物にはいまのところ慎重にうかがえる。

そして、その歌声は、ヴィブラートの少ないまっすぐのクリアボイスで、高域もきれいに聴かせてくれるほか、一方の低域も嫌味のないほどにきれいに伸びる美しさ。
一発でお気に入りのメゾになりました。
デビューしたての頃の、フォン・シュターデを思い起こしました。

その彼女の1枚目のソロアルバムが、「Oh,Boy!」。
そう、オペラのなかから、ズボン役だけを抜き出したユニークな1枚。

フィガロのケルビーノを中心に、モーツァルトの初役、オッフェンバック、グノーらのフランスものなど。
オーケストラは、モーツァルトを歌うのに申し分のないバック、モーツァルテウム管に、古楽とフランスものの手練れ、ミンコフスキ。
最初にオーケストラを誉めちゃうと、ヴィブラートを排した清潔で生き生きとしたモーツァルトから、透明感あふれるフランスものまで、実に素敵でかつ、オペラティックな感興あふれたものだ。

そこに乗って歌うクレバッサも気持ちよさそう。
ベルリオーズ編曲で、フレンチテイストが加味されたグルックに始まり、意外や、私的にめったに聴くことのないマイヤーベアのアリアがとても気に入った。

2曲あるケルビーノは、早めのテンポで、淡々と、むしろ感情を殺したように歌うところが無垢な青年を歌いだしていてよかった。歌い過ぎないところがいい。
あと全体の流れのなかで、モーツァルトに挟まれたようにあるフランスオペラのいくつか。
ことに、トマ、マスネ、シャブリエ、アーンが、それぞれ煌めくようで、言葉の美感も含めて、実に美しい。
なかでも、初めて聴いた、アーンの音楽劇「モーツァルト」は、極めて美しく切ない音楽で、ここだけ、もう何度聴いたかわからない。
パリ滞在時代のモーツァルトが、浮名を流し、そしてパリを去るときに後ろ髪をひかれつつ歌うラストシーンの一節のアリア。
モーツァルトの役柄がメゾである。
フランス語の美しさもこのクレバッサの歌唱では堪能できる。

クレバッサのクリスタルボイスは、こうした近世フランスものに活きるように思う。
繰り返しだが、プロムスでのラヴェルは絶品だった(録音して何度も聴いてます)。

そして、最後におさめられたのは、アーンのモーツァルトに対比したかのような、ティトスの中から最も有名なアリア。
クラリネットのソロとともに、凛としたクレバッサのセストは素敵です。

クレバッサの2枚目のソロCDは、ファジル・サイと組んだ、フランス歌曲集。
そう、ラヴェルも入ってます。
聴かなくちゃ。

Shiodome

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ ねこ アイアランド アバド アメリカオケ アメリカ音楽 イギリス音楽 イタリアオペラ イタリア音楽 ウェーベルン エッシェンバッハ エルガー オペラ カラヤン クラシック音楽以外 クリスマス クレー コルンゴルト コンサート シェーンベルク シベリウス シマノフスキ シュナイト シュレーカー シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン スクリャービン スーク チャイコフスキー チャイ5 ツェムリンスキー テノール ディーリアス ディーヴァ トリスタンとイゾルデ ドビュッシー ドヴォルザーク ハイティンク ハウェルズ バス・バリトン バックス バッハ バルビローリ バレンボイム バーンスタイン ヒコックス ビートルズ ピアノ フィンジ フォーレ フランス音楽 ブラームス ブリテン ブルックナー プッチーニ プティボン プレヴィン プロコフィエフ ヘンデル ベイスターズ ベネデッティ ベルク ベルリオーズ ベートーヴェン ベーム ホルスト ポップ マリナー マーラー ミンコフスキ ムソルグスキー メータ モーツァルト ヤナーチェク ヤンソンス ラフマニノフ ランキング ラヴェル ルイージ レクイエム レスピーギ ロシア系音楽 ロッシーニ ローエングリン ワーグナー ヴェルディ ヴォーン・ウィリアムズ 北欧系音楽 古楽全般 器楽曲 小澤征爾 尾高忠明 幻想交響曲 料理 新ウィーン楽派とその周辺 旅行・地域 日本の音楽 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 東欧系音楽 歌入り交響曲 現田茂夫 神奈川フィル 第5番 若杉 弘 趣味 音楽 飯守泰次郎 R・シュトラウス