カテゴリー「エッシェンバッハ」の記事

2013年1月24日 (木)

ブラームス シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲 エッシェンバッハ

Sony_bill

もう終わってしまいましたが、ソニービル前のモニュメント。

「愛の泉」と名うたれ、募金すると、この色が数々のバージョンに変化をします。

人が多く、奇跡的にブルーのこの色を無人で撮影できました。

明日、金曜日の晩は神奈川フィルの定期演奏会。

渋いけれど、絶対的に音楽好きを刺激する攻撃的なプログラム。

  ニコライ  「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

  ハイドン   トランペット協奏曲

           Tr:三澤 徹

  ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

    下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

             2013年1月25日 (金) 19:00 みなとみらいホール

Brahms_scheonberg_eschenbach

   ブラームス=シェーンベルク編 ピアノ四重奏曲第1番

      クリストフ・エッシェンバッハ指揮 ヒューストン交響楽団

                       (1995.9 @ヒューストン)


本記事は、過去記事や別稿に書いたものを引用いたします。あしからず。

ブラームスピアノ四重奏曲第1番は、1861年の作品で、晦渋な雰囲気を持ち、難曲ともされ、とっつきはあまりよろしくない。

その76年後の1937年、シェーンベルクが大オーケストラ曲に編曲した。
そして曲は、ブラームスの交響曲第5番とも呼ばれるような風格溢れるユニークな作品に変貌した。

シェーンベルク(1874~1951)はブラームスやJ・シュトラウスが好きだったらしく、ブラームスを通じてモーツァルトのリリシズムや起伏あるフレーズ、切り詰められた構造、組織だった作曲技法などを学んだと言っている。
もともとブラームスが大好きで、大いに影響をうけたシェーンベルクですが、ごく初期の番号なしのまさに0番の弦楽四重奏曲は、まんまブラームスであります。

ブラームスから大いに後押しされていたツェムリンスキーと知己を得て、師と仰ぎ、やがては自分の妹がツェムリンスキーと結婚して義兄弟となるふたり。
ツェムリンスキーからは、ワーグナーとマーラーという巨星の影響も受けるが、ウェーベルンとベルクという弟子と仲間を得て、その音楽は無調からやがて12音技法へと進化していった。

ブラームスの主題の展開と導き方に関し、思わぬ斬新さに大いに着目していて、そうした若い頃からのブラームス好きがあいまって出来上がった作品。

ナチス台頭によるアメリカ亡命後、寒い東海岸で病をえてしまい、西海岸ロサンゼルスに移動。
1937年、当時ロサンゼルスフィルの指揮者だったクレンペラーの勧めもあってこの曲の編曲に踏み切ったわけで、当然にクレンペラーが初演者であります。

この曲の解説には必ず出てくるシェーンベルクの言葉がこちら。

①「この作品が好きだった」

②「この曲があまり演奏されない」

③「たまに演奏されたとしても、あまりよくない演奏ばかり。よいピアニストほど、大きく鳴らしてしまうので、あなた方には弦が聞こえなくなってしまう。   一度そのすべてをわたしは聞いてみたい。ゆえに、挑戦したのだ。」

②と③については、いまやそんな思いはないのではないでしょうか・・・・。

冒頭の上下するト短調の第一主題のほの暗さと斬新な音の運びにシェーンベルクは着目していて、この冒頭を、木管のミステリアスな出だしで開始し、それが弦に広がり、徐々に分厚いサウンドに展開してゆくさまを、ブラームスの語法でもって完璧に再現している。

この動機の反転ともいうべき音の配列の例は、シェーンベルクを始めとする新ウィーン楽派たちも好んで採用しており、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲、ベルクのヴァイオリン協奏曲、ルルなどにも伺うことができる。

シェーンベルクは、ブラームスのスタイルにしっかりと固執しつつ、ブラームスがいまその時代にあったならばしたであろうやり口でもって再現したと自信を持ちつつ確信しています。

その後に生まれるブラームスの交響曲第1番の前に、そのブラームスは、もう交響曲の萌芽をここに生み出していて、ベートーヴェンの10番とも言われた第1交響曲の作曲者のこのピアノ四重奏曲は、シェーンベルクによって、ブラームスの第5交響曲として現出されたのであります。

4つの楽章のしっかりとした構成感。
一方で、悲劇的な要素へ傾き、それを打破せんとする決然とした勇猛感。
神秘的なまでの抒情と最後の民族的な異国感あふれる大爆発。

ブラームスのオリジナルのこれらの要素は、シェーンベルクによってしっかりとオーケストラの中に取り込まれ、倍増もされていて耳に斬新かつ圧巻。 

ブラームスの作品にはあきらかにない響きは、輝かしい金官、とくにトランペット。
グロッケンシュピール、スネアドラム、バスドラム、シンバルなどなどの打楽器の数々。
あまりにブラームス的なおおらかな3楽章の間に挟まれた行進曲と、終楽章のハンガリーのリズムが交錯し、クラリネットや弦のソロたちが最後に哀愁あふれるハンガリーを表出したかと思ったら、激しく舞い踊るようにしてダイナミックな終結を迎えるのです。

新ウィーン楽派の音楽を思いのほか好んで演奏、録音しているエッシェンバッハ。
ピアニストとしてもブラームスの元の曲を弾いて極めた結果として、このシェーンベルク版に取り組んでいるわけで、悠揚せまらぬ堂々たるブラームスを聴かせると同時に、打楽器のギラギラとした響きがいびつに感じるくらいに、異様なるシェーンベルクサウンドも同時に鳴らしつくしているところが、いかにもこの指揮者らしいところ。
3楽章の入念な歌いぶりも聴き応えあり、終楽章のチャールダッシュでは激しい興奮を味わえます。

神奈川フィルの美音で聴くことのできる明日の演奏会。
楽しみでなりませぬ。

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2012年9月20日 (木)

プロコフィエフ 交響曲第5番 エッシェンバッハ指揮

Skytree_nippoli_1

日暮里駅近くから望んだスカイツリー。

まだ接近を試みたことがないスカイツリーは、都内・千葉のいろんなところからチラ見しているけれど、どうも東京タワーのような親近感がない。

まぁ、それも時間の問題でして、もう少し涼しくなったら近づいてやろうと思うさまよえるオジサンなのでした。

Eschenbach

サントリーホールで、スタンディングオヴェイションに答えるスキンヘッド。

がくがくブルブルでこっそり撮ってしまいました。

かれこれ8年前のフィラ管との来日時。逮捕されちゃいますかね、あたし・・・・・。

絶対にやらないことだけど、この人は撮りたかった。

手ブレでボケちゃっても、わかりますよね。

わたくし、賛否両論ありますこの指揮者兼ピアニストが好きなんです。

第一、なにをしでかすかわからないんですもん。

そしてハマるとドデカイことをやらかすし。

   プロコフィエフ  交響曲第5番

     クリストフ・エッシェンバッハ指揮 北ドイツ放送交響楽団

               (2002.9 @ハンブルク)


しかも今回は、さらにイケナいことに、非正規盤ライブでございますわ。

あくまで、個人のお楽しみを、日記にしてしましたの図で受け取りください。

ワーグナーやブラームス、後期ロマン派、ロシアものなどの、重厚長大系に驚きの名演をくりひろげるエッシェンバッハ。

大戦末期のソ連にて書かれた第5交響曲は、プロコフィエフの交響曲の中でも一番、旋律的で、抒情的かつ独特のリズム感にも貫かれた名作。
中学生のときに、コンサートホールレーベルのサージェント&LSO盤を手にして目覚めたこの曲。
後年、やたらと凝っていろんな演奏を聴きまくり、原点のサージェントと新旧プレヴィン盤、そして意外に、FMでのチェリビダッケが好きだったりします。

数年前に手にしたこちらのエッシェンバッハもいまはお気に入りの1枚。
ゆったりとねっとりと始まり、テンポはつねにゆったりめ。
1楽章の最終音の壮絶さといったらありません。
一気呵成の2楽章も面白いし、まったく素晴らしいのが3楽章のアダージョの深遠なる世界。まるでマーラーを聴くかのようなジワジワとした感銘の深まりが味わえます。
それでもって、終楽章のとんでもない怒涛の煽りっぷり。

こんな風な、ちょっとお下劣チックないつものエッシェンバッハですが、そんななんでもアリ的な演奏が、マゼールのような計算ずくなところが見え隠れしないところがいいと思うんです。

詩的で、痛いほどに思い詰めたような繊細さと鋭さもあったピアニストのエッシェンバッハは、指揮者となってどこへ向かうのか、実はよくわからなかったりします。
そんな一筋縄ではいかないところが、ほかの元ピアニストの指揮者たちと異なるところデス。

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特別付録 フサフサの若き日、いつもこんな風でスノッブな方から顰蹙をかっていた小澤さん。そして亡き石井眞木さん。

ワタクシが、エッシェンバッハを妙に好むのは、この他人事とは思えない激変ぶりぶりにあるのかもしれない。
オレ様だって、若い頃は・・・・って歌うのは腹の出たファルスタッフでございましたなぁ〜

おぉ、ついでに申さば、プロコの5番、現田さんと神奈川フィルでやってほしいな。

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2012年4月12日 (木)

マーラー 交響曲第6番 エッシェンバッハ指揮

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芝浦の運河沿いの桜。

夕日が背景で、怪しくも美しいのでした。

まだまだ頑張る今年の桜。

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  マーラー 交響曲第6番 イ短調

   クリストフ・エッシェンバッハ指揮 フィラデルフィア管弦楽団
                      (2005.11@フィラデルフィア・ライブ)


「悲劇的」というタイトルは付いたり付かなかったり。

でもそんなことはもうどうでもよくなってる。

この音楽には、深い体験と、それに基づく思い入ればかり。

どうしてそうなってしまうだろう・・・、といえるくらいに、この特異な交響曲には、わたしの音楽受容人生に重きをなすことがらばかりが結びついてしまう。

嫌いじゃなけど、本当に好きかといわれれば、9番や3番の方が好きだけど、電車に乗ってたり、仕事をしてたりするときに、ふいに出てくる旋律が1楽章や4楽章のものだったりするかなら不思議なのだ。

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1903年と翌年の夏に、今度はオーストリア南部、現在のスロヴェニア国境側のヴェルター湖畔マイアーニヒにて作曲。
曲調に反して、指揮者として、作曲家としても成功をしつつあった幸福なる時期。
だから、妻アルマがなんと言おうと、この曲は個人的・家庭的な悲劇一色じゃない。
わたしは、この曲は、純粋なる交響曲としてのフォルムをもった一服の長大なるシンプルな交響作品と認識して聴いた方がいいと思っている。

そして、聴き手のシテュエーションに応じて、受け止め方を変えればいいのではないかと。

3つの生涯忘れ得ないこの曲の実演に接し、そう思うようになりました。

①アバドとルツェルン・・・無垢なる指導者のもと、全霊を込めた崇高なる演奏行為。

②ハイティンクとシカゴ・・成熟した指導者と高性能のオケが成し得る最高演奏。

③聖響と神奈フィル・・・・異様なる環境のもと、演奏者と聴衆が作り出した奇跡。


こうした体験を経てしまっては、悲劇がどうの、アルマがどうのといったことは、どうでもよくなってきてしまった。
そこにあるのは、完成度の高い精緻なマーラーの音楽のみなのだ。
何故かこの曲は、そんな風にしか聴くことができません。

エッシェンバッハのマーラーは、彼の体質や、なりたちからいって、どの演奏も素晴らしく思っていて、ことにライブ体験した第9は凄まじい体験だった。
でも同じフィラデルフィアとのこの6番については、演奏としては完璧ながら、わたしはエモーション的に、上記3つの体験に、はるかに及ばないのです。
単独で考えれば、オケの素晴らしさもあいまって、揺れるテンポに、情熱と峻厳、そして耽溺。マーラーに必須のものはすべて完備してます。
あの3つを不幸にして知ってしまったワタクシの悲しいサガなのでしょうか。
これほどまでの演奏に、さらに上を求めてしまうのでありました。

来る聖響&神奈川フィルの「第10&大地の歌」への期待と、これまで連続してマーラー熱を再び萌え萌えにしてくれたことへの感謝をこめて、過去6番記事を以下、再褐しときます。

以下本ブログ、2011.3.12より引用

いまも続く大震災の余震。
そして、被災の甚大さが次々に明らかになっていて、むごいくらいの映像が報道されています。
その被害はまだ継続中だし、連鎖する地震も不安をあおって、今後、何がおこるかわからない・・・。
私の住む千葉や、職場の東京では、スーパーやコンビニに食品がまったくなくなっている。
物流が寸断され、日常ではなくなってしまった。
赤水だし、都市ガスは停止、電気も計画的に停電の予告・・・・。
交通機関もまだ不完全。
帰れなかった自宅に戻った土曜、食器は割れ、お気に入りの置物も落ち、部屋は混乱。
身近に起こっている事象です。

それでも、こうしてネットはつながっている。
この強いインフラは、災害時の教訓となろうか。

でも、こんな思いは生ぬるい。
むごたらしい映像を見るにつけ、東北・茨城の皆さまにみまわれた惨状に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
親戚もいますし、仕事柄、仲間も多いし、始終伺うことが多かった地。
青森から福島までの太平洋沿岸。いずれも訪問したことがある思い出深い地です。
どうか皆さん、ご無事でいらっしゃってください。

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    マーラー 交響曲第6番

       金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                  (2011.3.12@みなとみらいホール)

今日、12日土曜日は、神奈川フィルハーモニーの定期演奏会の日。
開催が危ぶまれましたが、yurikamomeさんから、決行のご連絡。
帰宅しなかったもので、都内から横浜まで、スムースに移動。
ひと気の少ないみなとみらい地区(ほとんどのお店がクローズしてます)、そしてみなとみらいホールは、3割~4割の入り。

こんな時に、音楽を聴くという、どこか後ろめたい感情・・・・。

今朝から、そんな思いにとらわれ、中止も半ば期待していた。

しかし、主催者側と演奏者側の熱い思いが、そんな思いを払拭してしまう、たぐいまれなるコンサートとなったのであった。

正直いって、わたしには、いま、言葉がありません。
特殊なシテュエーションが作用し、演奏する側と聴き手が一体となって、高みに達してしまう。
不謹慎ではありますが、マーラーの6番ほど、そんな思いを高めてしまう曲はありません。

この曲は、何度も実演に接して、「もう封印」などと思ってきた演奏ばかりなのです。
アバドとルツェルンの来日公演は、わたしのコンサート経験No1で、病後、復調のアバドが喜々として笑みを浮かべながら指揮するもと、その無垢な指揮者のもと、その人に全霊を尽くす奏者たちが無心で夢中になって演奏する神がかった演奏。
ハイティンクとシカゴの完璧極まりないなかに、スコアのみがそこにあるといった明確な演奏。
どちらも忘れえぬ体験。

そして、聖響&神奈川フィルのマーラー6番は、そのどちらでもない、悲しいくらいに美しく、痛切で、感情のこもった真っ直ぐな演奏だった。
それでいて、流れの良さを大切にしたスマートさも。
正直、こんなに心のこもった、全身全霊の演奏が聴けるとは思わなかった。
わたしは、指揮者と演奏者が一体化しているのが、うれしくって、まぶしくって。
そして、音楽が素晴らしくって。
そしてなんといっても、この震災が悲しくって、恐ろしくって、テレビで何度も見た映像が、辛くって、何度も何度も鳥肌が立って涙ぐんでしまうのであった。
しかし、音楽への前向きな取り組みは、マーラーの思いとは逆に、明日もある未来を予期させる若さと逞しさを感じさせました。

ハンマーで心かきむしられた終楽章。
あの、あまりに特異なエンディング。
指揮者も奏者もすべて動きを止め、その静寂が永遠に思われました・・・・・。

演奏会の冒頭。
聖響さんは、いまのこのとき、演奏家にとってなにができるか・・・、それはいい音楽をすること。義援金の募集のこと、などを話され、わたしたちも一緒に、長い黙祷を捧げたのでした。

この演奏会。
開催を決意した主催者側、果敢に一心不乱の演奏を繰り広げた聖響&神奈フィル、ホールに集まった音楽を愛する聴衆・・・・、心が一体になりました。
こんな時に、コンサートなんて・・・、という思いを一蹴してしまうような、心のこもった、愛に満ちた演奏に救われました。
どうか、奏者と聴き手が達したこの思いが、被災地の皆さまに少しでも届きますように。
そう、明日も、明後日も、まだあるんですから!

アフターコンサートは、意を決して集まったいつもの皆さんに、主席チェロの山本さんをお迎えして、短いながら充実の時間を過ごせました。

こうしている間にも、余震や余波の揺れが起きてます。
家人ともども不安で寝不足です。
みなさま、ご養生ください。

そして、被災地のみなさまには、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

以上、引用終わり


1


手抜きの長い引用、申し訳ありません。

あれから1年、世界各地の地震、地球環境の変動、身近な悲劇の連鎖・・・。

この音楽は、ますます、わたしの心を刺激してきます。

マーラー 交響曲第6番 過去記事

「バルビローリ&ニュー・フィルハーモニア管」

「アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団 演奏会リハーサル」

「アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団 演奏会」

「アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団 思い出」

「ハイティンク&シカゴ交響楽団 演奏会」

「金聖響&神奈川フィルハーモニー 演奏会」

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2011年10月27日 (木)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 エッシェンバッハ指揮

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とある洋食屋さんで食べた「カツカレー」でございます。

ヒレ肉をトンカツのように揚げるのでなく、パン粉をまぶして焼いた感じの大ぶりのカツ。
原形をとどめないまでに煮込まれた濃厚かつ洋風なカレーソース。
生クリームのマイルドな一筋が決め手でございました。

おいしかったですねぇ~

カツカレーといえば、ボリュームがあってガッツのある食べ物で、カレー屋さんや定食屋、蕎麦屋の定番としては、日本食みたいなもの。
 でもこちらは、洋食アレンジでした。

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  マーラー 交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

        「リッケルトの詩による歌曲集」

         クリスティーネ・シェーファー

 クリストフ・エッシェンバッハ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
                                     (2008.11@ベルリン)


エッシェンバッハマーラーであります。

賛否両論ありますエッシェンバッハの音楽。

わたしは、無条件で好きであります。

なぜって? 若い頃はふさふさ、いまや○○のアタマだけじゃありませんよ。

ピアニストの時からそうだった、複雑極まりない内面感情の濃密な吐露。
何がエッシェンバッハをそうさせるのか?
聴いていて、いつも捉われる思い。
何もそこまで、というくらいの感情移入と味わいの濃厚さ。
器楽奏者が、指揮者となりオーケストラを得て、その表現能力の増大ぶりをフルに生かそうとして無理がたたることが多いのにくらべ、エッシェンバッハはピアニストであった時と、指揮者の時とでの落差があまりないように思う。
同じタイプとしてあえていえば、ロストロポーヴィチだが、ロストロさんはもっと単純明快で、ロシアというくくりで押さえることができそうだが、エッシェンバッハはもっとさらに複雑。

ドイツ領ポーランド生まれの孤児という境遇から、マーラーへの親近感は特別なもののはず。
エッシェンバッハのマーラーは、フィラデルフィアとの来日で壮絶な第9を聴いた。
メトとのワルキューレも観劇した。
チューリヒトーンハレと来日したときの、チャイコフスキーの5番も素晴らしい演奏だった。
それ以前から、宮城まりこさんの「ねむの木学園」との音楽を通した交流もあって、テレビで見て涙が出るほど感動した。

そんなヒューマンなエッシェンバッハのマーラー。
全曲56分の大演奏で、遅いところはじっくり遅く、速いところは俊敏に速く。
こんなメリハリと、濃厚なメロディーラインの創出とタメや巧みなルバート。
人によっては嫌味すれすれのアゴーギグライン。
わたしは好きですよ。
レニーとも親交あったエッシェンバッハですが、レニーのどっぷり同化マーラーと比べると、もっとずっと音楽が離れたところで鳴っていてで冷徹な眼差しも感じる。
思わぬ展開も相変わらずで、その予想もできないドラマ運びに聴き手は思わず飲み込まれてしまい、興奮と快感の坩堝と化すのでございます。

1楽章の若々しさ、2楽章の美しいレントラー、奇矯さの目立つ3楽章は恐ろしささえ感じる。
そして、終楽章は中間部の弦の陶酔的な歌と最強・興奮のクライマックス。

ベルリン・ドイツ響との共演も珍しいが、このオケがまたべらぼうに上手く、高性能である。
それと、録音がまた優秀ときた。

わたしの、この盤の楽しみの半分は、シェーファーの歌う、リッケルト・リーダー
彼女はアバドとのモーツァルト&シュトラウス以来、好きになりまして、音源もかなり揃えました。
最愛のパトリシア・プティボンが、ドイツ系の音楽ではシェーファーのあとをなぞるようにしているところも、そしてなんとなく雰囲気も似ているところもお気にいりのところ。
リリカルでありながら、歌や役柄への掘り下げの深さは抜群で、耳に心に厳しく迫ってくることも多々あるシェーファーの歌。
こちらの、リッケルトも素晴らしいのでした。
「わたしは、この世に見捨てられ」は、オケの儚さともども、シェーファーの透明な歌唱と言葉ひとつひとつへの思いの込め方があんまり最高に素敵なものですから、わたくしは思わず涙がにじんでしまいました。

心に響く、マーラーの1枚でございました。
            

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2011年1月21日 (金)

シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」 エッシェンバッハ指揮

Nagoya1

名古屋駅のイルミネーション。
去年、日帰りしたときのもの。
名古屋駅周辺は、JRタワー、そして、トヨタの新社屋ができたりしてかつてと様相が一変して、もう数年が経ちます。

わたしが、単身赴任しておった頃は、ビジネスは駅前もそうだったけれど、丸の内あたりが繊維街もあったりして名古屋本来の中心だったで。
そして、商業は栄、夜の飲食は錦三と決まっておった。

名駅は、さらに秋葉原化するともありましたで。
太閤口のユニーがやってた生活倉庫は、いまやビックカメラで、そこには昔HMVがあったもんだわ。
それから、桜通口には新駅ビルが出来て、そこにはヨドバシカメラが入るし、さらに名鉄ヤング館にもヤマダ電機が入るっていうでな。
なんやら、風情がありませんなぁ。
日本中、同じ街になっちまう。

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アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)の交響詩「ペレアスとメリザンド」。
大好きな曲でして、もう3度目の登場になります。

トリスタン、R・シュトラウス、マーラーと、思い切り私の好きな音楽の流れをしっかりと受け継いだ、濃厚かつ甘味なる後期ロマン派臭ギンギンの響き。
作品番号は5で、1902~3年の作で、「浄夜」が1899年、「グレの歌」は完成は100年前の1911年ながら、1901年からしたためていた。
ゆえに、このペレアスの立ち位置もおわかりでしょう。
今週聴いてきた作曲家たちの諸作は、いずれも1900年を境とするその前後の作品。
ツェムリンスキーの作品のみが、1800年代のロマン派に軸足があったが、その他はいずれも1900年後で、シェーンべルクも無調や十二音に走る前のもの。

ほぼソナタ形式による単一楽章、4管の巨大編成による作品ながら、その間に緩徐楽章的なものやスケルツォも交えていて、シンフォニックな構成にもなっている。
トリスタン風の半音階の調べで開始するこの曲は、とどまることなく旋律が展開し、対位法も複雑の極みで、ときに斬新な和音も響き渡る。
オーケストラの分厚い響きと、めくるめく濃厚ロマンティシズムに加え、クールで青白い抒情の輝き。
具体性は薄めながら、ゴローの暴力的な性格や、二人の悲劇的な逢瀬と別れ。
そして最後の死そのものの音楽。
それからなんといっても、素晴らしく夢見心地になってしまうのが二人の愛の情景。
生クリームを横にホイップした、あま~いザッハトルテをひとくち食べたような感じ。
口中が濃厚で芳醇な味わいで満たされ、その芳香がずっと残っているような思いに満たされる。
この味わいを洗い流すには、ビターで濃い口のブラックコーヒーがいいみたいだ。

エッシェンバッハの指揮は、まさにそんなイメージで、ねっとりと48分間にわたるペレアスを描きつくしているのだ。
シェーンベルクのペレアス史上、最長の演奏時間かもしれない。
辟易とする寸前でとどまった濃密な演奏。
エッシェンバッハを嫌いな人は、こんなところがついてゆけないところなんでしょう。
私は、結構好きで、ワーグナーにブルックナーにマーラー、それぞれ実演も含めて堪能してます。
オーケストラはテキサス洲の大都市ヒューストンの交響楽団。
ストコフスキーやバルビローリ、プレヴィンなどがその先達指揮者で、エッシェンバッハは、88年から99年までその任期にあって、ドイツものを中心に活躍していた。
このオーケストラは、実にうまくて、アメリカのメジャーにひけをとらない。
いまは、ハンス・グラーフがその指揮者で、ナクソスにツェムリンスキーなんかを録音しているから、世紀末系にゆかりもあるグラマーなオケなんだ。
94年11月の録音。
あとこのコンビには、新ウィーン楽派の3人のオケと室内楽作品を1枚に収めた素晴らしいCDがありますので、そちらはまたいずれに。

シェーンベルクのペレアス。
バルビローリ、ベーム、カラヤン、ブーレーズ、シノーポリ、エッシェンバッハ、アバドなどを愛聴してます。
あと狙いは、ティーレマンDG、バレンボイム&パリ管、メータ&イスラエルのいずれもソニー盤であります。

Nagoya6

CooL Nagoya

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2010年8月19日 (木)

ルーセル 「バッカスとアリアーヌ」 エッシェンバッハ指揮

Higashimatsuyama_yakitori1
埼玉県東松山名物、やきとり
焼き鳥の街は、全国にいくつかあります。
北から、室蘭、福島、東松山、今治、久留米など。
 前日の記事で書いた、群馬化石発掘ドライブの帰りが超大渋滞で、高速は使わずに下道を駆使して東松山までたどり着き、名物の「やきとり」のテイクアウトが出来る店を探しまくり、めでたくゲット。

Higashimatsuyama_yakitori2
東松山の「やきとり」は、鳥もあるけど、その代表は豚なんです。
こちらは、そのカシラ肉。
薄めの塩焼きしたものに、手前にある辛味噌をつけて食べるんですup
これが、まぁ、旨いのなんのって。
ビールがんがん行けちゃいます。
車の中をやきとり臭ぷんぷんにさせて帰ってきて、むさぼるように飲んで食べましたよ。
かつて、東松山の現地でこの「やきとり屋」で飲んで食ったことがあるけど、勢いもあってか、20本くらい食べちゃいましたよ。
 肉好きには、たまらない東松山の「やきとり」なのでしたぁ~

Roussel_bacchus_et_ariane
酒の神様といえば、バッカス
ギリシャ神話でのお話。
子供の頃、ロッテのチョコレートで、バッカスというのが発売されチョコの間にブランデーが入っている優れものだった。それを平気で食べてた自分が懐かしいが、その名もバッカスというところがよく出来た命名だったんだ。

アルベルト・ルーセル(1869~1937)のバレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」は、そのバッカスと、アリアーヌ=アリアドネの物語を題材としたもの。
そうです、R・シュトラウス好きにとっては、アリアドネとくれば、「ナクソスのアリアドネ」という図式になりますな。
フランス風にすると優雅な「アリアーヌ」ということになっちゃう。

このバッカスという神様は独善的で、これはと狙った女はものにしてしまう色好きの方。
クレタの王ミノスの娘アリアーヌを怪物ミノタウルスを倒して救いだした英雄テセウス。
ナクソス島で、勝利の宴を催し、テセウスといい感じになったアリアーヌ。
ところが、その彼女をみそめて狙いをつけたのがバッカス様。
アリアーヌを眠らせ、テセウス一行を蹴散らし去らせてしまう。
眠りから覚めて、テセウスがいないことに消沈のアリアーヌが岩陰から身を投げようとするところにバッカスが現れ、その腕に抱きしめ不死の接吻を施し、星の冠を贈るというもの。

ギリシアの神々は、まったく好きものだし、ズルイ方々が多いのだ。

1930年の作であるルーセルのバレエ音楽。
ふたつの組曲として編まれたもののうち、第2組曲が有名で、フランスの演奏家を中心に録音も多い。
優美なフランス音楽としてのバレエを期待すると裏切られるくらいに、この曲は全編にあふれるリズム感と原色の官能美と絢爛豪華な響きに包まれている。
だから、大オーケストラサウンドを楽しむことにも事欠かない。

クリュイタンスやマルティノンらのラテン組のノーブルかつ躍動的な演奏が定番。
変わり種では、FM録音したグシュルバウアーとN響の演奏も素敵なものだった。

本日は、エッシェンバッハパリ管弦楽団と録音したルーセルの交響曲にカップリングされたものを聴く。
パリ管とはフランスものとドイツものをバランスよく取り上げていたエッシェンバッハ。
ベルリオーズ、ラヴェルやルーセル、ブルックナーにツェムリンスキーなど。リング全曲までやってた。
フィラデルフィアでは、マーラー、チャイコフスキーなどでアメリカの聴衆受けするものを。
ふたつの名門オケを、頭脳的に使い分けていたエッシェンバッハだけど、両方の任期が終わってしまったのが残念なことだ。
次のポストは、ワシントン・ナショナル響だというから不可思議なものだ。

このルーセルは、精緻で克明な指揮ぶりのエッシェンバッハに、管を中心にカラフルなパリ管のコンビネーションが鮮やかで、しかも最後の爆発的な全員の踊りの大団円に向けて全体がカーブを描きつつクレッシェンドしてゆくさまが素晴らしい。

酒を飲まずにいられない今日の1枚でありました。


ところで、大詰めを迎えつつある甲子園。
準決勝は、関東同士の組み合わせ。
期しくも、神奈川対千葉。
私の郷里と今の住処。
東海大相模は、体育会系の親類が大学まで出た学校だし、成田はいわばご近所。
どーしたらいいでしょうね・・・・。

どーしよーもないのが、またベイですわweep
他球団の皆さん、もう勘弁してくださいよ。
弱い者いじめはもういいでしょうよcrying

酒飲まなきゃいらんねぇbottle 

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2010年5月28日 (金)

シューマン 交響曲第2番 エッシェンバッハ指揮

Dote1
名古屋の「どて」をどんぶりご飯にかけたのであります!

いわゆる「どてめし」という品。
もつ煮込みを甘辛い八丁味噌でしたような「どて」。
これをご飯にかけて「どてめし」
Dotemeshi
オリエンタル食品から出てるこのレトルト食品。
こうしてメシにしても、ツマミにしてもウマいすぐれものだがね。

そして、今日は、皆さんが意外と敬遠されるエッシェンバッハの指揮を聴く。
こちらも濃いけど、私にはウマいんです。
結構好きなんです、エッシェンバッハ。

Escenbach_schuman
エッシェンバッハシューマンであります。
4番と並んで、エッシェンバッハの全集では好きな演奏が、交響曲第2番
バンベルク響と録音した全集は未聴ながら、北ドイツ放送響との2度目の録音は98~99年にかけての録音。
ちょうど、ヴァントのあとをうけて、当オーケストラの指揮者であった頃。
そのあと、パリ管(2000~08)、フィラデルフィア(2003~08)という欧米メジャーを制覇することになるエッシェンバッハの上り坂の時期のもの。
 両メジャーをどのような理由で退任したか詳細不明なれど、今シーズンからワシントンのナショナル響の指揮者に転出するという。
 この流れをみて、私は、スラトキンとロストロポーヴィチ、アシュケナージを思った次第。

厳しいトレーナー的存在として、音楽業界での政治力のかけひきの中心として、マイノリティとして・・・・・・。
スラトキンは有力な音楽一家の出自、ほかは、器楽奏者として大成した存在。
いろんな要素が絡み合って、今回のような人事になったのだろうか。
パリ管の方が長かったのも、他民族・自由国家アメリカという国の案外な難しさの裏付け。
最後めぐってくるのは、アメリカの大統領のお膝元オケ。

う~む。
本人は、ヨーロッパを向いているはずなんだけれど。
そう、エッシェンバッハ=マーラー
同じものを感じて、私にはずっと捨てがたい存在なんだ。
あのエキセントリックな風貌も、私には親しみを感じるし。
だって、好きでなったワケじゃないのよ、わたしたち(笑)

そんなエッシェンバッハのシューマンの2番は、晩年のバーンスタインのように自分の側に引きつけすぎてしまい巨大な音楽にしてしまったのとは違う意味で、かなりエッシェンバッハ流の腰の据わったねばっこい解釈になっている。
 速いところは速く、遅いところは遅く、これもバーンスタイン風だけれど、内声部が思いのほか軽く、主部もいざとなるときれいに歌いまくるので、耳にもたれることがないのがエッシェンバッハ。
北ドイツ放送響の緻密で精緻なアンサンブルと、適度な重厚感がエッシェンバッハの指揮にぴったり寄り添っている。
 終楽章のくどさやティンパニの連打も、思いのほかのインテンポでもって、爽快かつ力感にあふれながら演奏され、見事なエンディングをみせるシューマン2番なのであります。

エッシェンバッハは、実演や映像・音源でかなり聴いてきた人だけど、曲によって本当に複雑な様相を見せる指揮者だと思う。
シューマンやマーラーは、彼の素顔が出る音楽ではないだろうか。
フィラデルフィアと来日したおりの、マーラーの第9を聴いたのだけれど、くまなく曲の隅々に光をあて、じっくりとマーラーに向き合った緊迫のマーラーだった。
スゴすぎて、楽章の合間に、ホール全体が聴衆の息を抜くため息に満たされたぐらい。
 それと、メトでやってきてワーグナー指揮者の片鱗をみせてくれたワルキューレの舞台も忘れられない。
 ギャラは高そうだけど、N響あたりと親密になって欲しいと思うエッシェンバッハであります。
Echenbach_2
アリの頃。
右から左、1:9に、ぐぃーんと、もってってます。
涙が滲みます。

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2009年1月14日 (水)

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」 エッシェンバッハ指揮

Owariya_tensoba 浅草は「尾張屋」の天ぷらそば。

以前にも紹介済みの、あまりにも有名なこちらの天ぷらそば。
明治3年の創業というからすごいですな。
丼からはみ出す、ピンとはった海老天が2本。
カラリとゴマ油で揚がったその海老を頬張れば、もう口は至福に緩む一方だ。

こんなウマい食べ方を誰が考えたんだろnotes

Sym4_eschenbach ブルックナー(1824~1896)の交響曲シリーズ。
交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」でございます。
3番に引き続き1874年に作曲され、リンツにて初演されたが、またまた改訂癖が出て、第3楽章は全く違う曲となり78年に完成。
さらにまた手を加え80年までかかった。
これが第二稿と呼ばれるもので、今標準的に演奏されている版。
ハース版やノヴァーク版は、こちらの第二稿となっているが、ほかの諸稿については、さっぱりわからないし、あまりにもややこしいから、もういいでしょう
原始霧の弦のトレモロの中から、ホルンが柔らかく響いてくると、そこは中世ドイツの森のよう。この前段で主要主題が出揃い、輝かしいクライマックスとなる第1楽章。
ホルンがオケの上に響き渡る最終場面は、ブルックナーらしくもなくかっこいい。
そして、深い森を逍遥するような第2楽章は、大いに渋く、孤独を味わうこともできる。
ピチカートに乗ってヴィオラが歌う場面はとても美しく好きな場所。
ホルンや金管の活躍するリズミカルな3楽章は、森へ向けて駆け抜ける狩人たち。
トリオは相変わらずのどかなものだ。
そして、長大な終楽章は、なかなかに難解で、その分味わいが深い。
これまでの楽章の集大成的な存在で、寄せては返す波のようにクライマックスが次々に訪れ、何度も息を詰めるような思いになる。
この楽章の最後にもホルンが活躍する。

唯一タイトルを冠したこの交響曲は、ブルックナーの中でも一番ポピュラーで、演奏頻度も高い。
私もご多分にもれず、この曲から入門した。
カラヤンが第9以外に初めて録音したブルックナーで、4番と7番の3枚組のEMI盤。
その4番のみをカセットに録音し聴いたのが初。
いま思えば、壮麗にすぎる演奏だが、中学生の私には、小難しい曲が輝かしく響き、快感だった。
その後は、7→9→8→3→5→6→2→1・・・・、こんな塩梅で聴き進めていったのではないかと思う。
どうしても、4番で入門しても、そのあと後期の名作から中期、そして初期へとなってしまうのが、マーラーと違う大器晩成オヤジのブルックナーの聴き方である。

今回の演奏は、クリストフ・エッシェンバッハパリ管弦楽団によるCD。
これは、実にユニークなブルックナーであった。
まず遅い。全曲で73分30秒。
最速のアバドで60分あまり。それは早く感じないほどの透徹した演奏だったが、このエッシェンバッハは、どう聴いても遅い。
一概にエッシェンバッハは入念な演奏をするから、常に演奏時間は長い。
全部が遅いわけではなく、要は時に立ち止まって入念な解釈を施す場面が多々あるからなのである。
各楽器がそれぞれに歌う場面も、他の楽器を抑えてしまって、その楽器をクローズアップしたようにじっくりと歌わせる。2楽章では、それが実に美しい効果を生んでいるし、終楽章の難しいエンディングも相当のタメを含みつつ堂々としたものになっている。
デフォルメに過ぎると感じるむきもあるだろうが、私はこんな指揮者の個性が好きである。
そう何回も聴ける演奏ではないかもしれないが、こうしたブルックナーがあってもいい。
そして、エッシェンバッハの個性に加えて、パリ管の軽めの音が全体がネットリしてしまう印象から救っている。
ライブ録音ゆえのホールの特性もあろうが、管楽器の軽さと金管の輝かしさ、弦の薄味さなどが、私には妙に快感である。
このコンビの解消は残念。「リング」全曲上演など、ワーグナーもかなり演奏していたから、「フレンチ・リング」の録音を期待していたが・・・・・・。

Esheinbscha 若き日のピアニスト、エッシェンバッハ。
すごく敏感そうで、詩的な感じ。

このあと、すごく長髪になり、小沢との皇帝では、ロックミュージシャンのような二人が、とてもかっこよかったんですけれど。

ちゃんと、ありますが、こういう風な感じがあぶない。

まぁ、人のことは言えませんがね。

Img10381252527
そして、ご参考までに。
抱腹絶倒のパロディ映画「オースティン・パワーズ」
マイク・マイヤーズ。
詰め襟風の衣装までが・・・・。

以前からずっと思っていた。

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2008年12月 4日 (木)

ラヴェル 「クープランの墓」 エッシェンバッハ指揮

26 本日(12月3日)の東京タワー。
今年50周年、クリスマスに合わせて、50の数字と、TOKYOの文字が瞬く。

20時以降は、ダイヤモンド・ヴェールと名付けられた新ライトアップがなされる。
7時過ぎに、事務所を出て、ゆっくりと東京タワーに向かい、取材(?)に取り込んだ。
カメラを構える人々多数!
この中の多くが、ブロガーであろう。みんな好きだねぇ。

Ravel_eschenbach ラヴェルの「クープランの墓」は、他の諸作にあるように、もとはピアノ曲。
志願してまで従軍し、看護兵として従軍したラヴェルは、そのかたわら、クープラン時代の様式にのっとり洒落た6曲からなる組曲を作り上げた。
戦時の音楽と思うと奇異な感じだが、慰安の心もあって作曲に勤しんだのであろう。
各曲は、戦死した友人たちの名を記して、捧げられている・・・・。

オーケストレーションを施した4曲は、戦争のことなどまったく感じさせない、それこそ小洒落た音楽で、われわれがラヴェルの音楽に感じるエスプリをそれは香しく漂わせている。
高校時代に聴いたアンセルメのレコードが今も脳裏にあふれている。
今では、その思い出に、デュトワ、ハイティンク、アバドなどの素敵な演奏が加わった。
今晩は、以前とりあげたエッシェンバッハの少しばかりリアルな演奏を聴いてみた。
音を一音一音選びぬいて、いつものかなり克明な指揮ぶりであるが、どっこいパリ管の豪奢な響きが鮮やかにこちらの耳に届いてくる。
濃厚でありながらも、小粋な、味のあるラヴェルである。
 3曲目のメヌエットの終結部は、いつ聴いても震え上がるほどに素敵な場面だ!
パリとフィラデルフィアを辞して、どこへ行くエッシェンバッハ・・・・・。

16

8時過ぎには、こんなお姿になる。
今しか見れないレアなお姿。
東京のど真ん中に50年間立ち尽くす、東京タワーの美しい姿に、しばし世の中の厳しさを忘れることができる。

どんな時も、東京タワーはそこに立つ。
そういえば、ワタクシ、東京タワーと同期生でございます。
完全に歳がバレましたな、ふっふっふ。
まだまだ、ワタクシ頑張るぜ、皆の衆sign03

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2008年9月11日 (木)

ツェムリンスキー 「抒情交響曲」 エッシェンバッハ指揮

Softbank 告白した女性に「タダトモでいましょう」と言われ悲嘆にくれる兄。
「人生には、いろいろある」と父。
「オヤジ がんも!!

最高に笑える名作CMではないか
白い犬「カイくん」の人気もすごいね。
北大寺欣也の声がまたよろしい。

わたしも、息子を叱る時は、「おまえには、まだ早い」とか言っちゃったりしてますぜ。

Zemlinsky_lyrische_sym_eschenbach_2 年端もいかないお子様が聴いてはいけない音楽のひとつが、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」だ。
子供たちには、「おまえにはまだ早い」「くるみ割り人形」でも聴いて寝ちまえ!と息巻いて、自分は後期ロマン派臭がプンプンのツェムリンスキーを一人楽しむ悪い大人なのだ。

今日の歌入り交響曲は、ツェムリンスキー(1871~1942)の「抒情交響曲」
1823年完成、翌年自身により初演。
マーラーやR・シュトラウスの後継者であり、シェーンベルクの義兄であり、その「新ウィーン楽派」作曲家たちやコルンゴルドらの師であったツェムリンスキー。
初期の頃はブラームス流でもあったが、無調→十二音に行き着くことなく、マーラーの先を推し進めた、新しくて、かつ後ろ向きの作曲家。
マーラーが完璧に受容された80年代後半頃からその再評価が始まった。
オペラの数々に、人魚姫に、3つの番号交響曲、室内楽曲、歌曲、詩篇など。
でもその代表は「抒情交響曲」であろうな。
バリトンとソプラノの独唱を配した7曲の連作歌曲のような交響曲。
そう、まさに「大地の歌」。作者自身も、その延長上にある作品と公言しているし、原詩をインドのノーベル賞作家「ラビンドラナート・タゴール」のベンガル語の叙情詩に求めていることから、世紀末的な東洋主義への傾倒ぶりにおいても、マーラーと同じ世界である。
 その英語訳が「The Gardener」という名前の詩集で、「園丁(庭師)」という軽々しさを持っているが、さらにそのドイツ語訳のテキストなので、なかなかにインドの雰囲気は見出すことが出来ない。
男女の出会いと、その愛の憧れの成就と別離による終末が歌われていて、その音楽は繰返しになるが、ギンギンの後期ロマン派風であり、甘味で濃厚、汲めども尽きぬロマンティシズムの泉である。

Ⅰ「私は不安だ、彼方のものに焦がれているのだ・・」
Ⅱ「お母さま、若い王子さまは、この戸口の前を・・・」
Ⅲ「おまえは、私の夢の空に広がる夕べの雲」
Ⅳ「お話下さい、いとしいお方!」
Ⅴ「おまえの甘ききびきから解き放しておくれ、恋人よ」
Ⅵ「最後の歌を歌って、別れましょう」
Ⅶ「安らかに、わが心よ。別れの時を甘味なるものにさせよう・・・」

わたしは、「人魚姫」と並んで、ともかくこの曲が好きで、レコード時代のマゼールBPO&F・ディースカウ夫妻の名演に始まり、ギーレン、シノーポリ、シャイー、クレーなどを愛聴している。
     
   Br:マティアス・ゲルネ   S:クリスティーネ・シェーファー

    クリストフ・エッシェンバッハ指揮 パリ管弦楽団
                           (2005.6)

このエッシェンバッハ盤はやたら滅法に素晴らしい。
もたれるくらいに念入りな指揮ぶりだが、だれることなく、気力がみなぎっていて、一音足りとも気の抜けた音がない。甘味さやロマンティシズムよりは、入念さがもたらす緊張感が全曲に貫かれているのがいい。終曲のエンディングの濃密な雰囲気などため息もの。
そして、ドイツのオケでなく、パリ管であるところがまたこの演奏のウリ。
パリ管は歴代非フランス系の指揮者だっただけに、インターナショナルな音を響かせることにかけては、国際級だが、それでも管の音色はさすがに、おフランス系のきらびやかさがある。管ばかりでなく、咆哮するブラスに泣きの弦や唸りを上げる低弦。それらに身を浸らせる喜びは堪らない喜びをもたらしてくれる。
 そして二人の歌手も、他の音盤が霞んでしまうくらいに理想的。
FDの弟子にして、FDを忘れさせてしまう知的かつ情熱的な歌声のゲルネはとんでもなく素晴らしい。
それと、シェーファー。こうした音楽を歌うために生まれてきたかのような同質ぶり。
ピエロリュネールやルルとともに、絵に描いたようにはまっている
第6曲など背筋が寒くなるようなスゴサなんだ。

いやはや、この1枚は私にとってかけがえのない1枚となりそうだ。

「人生には、いろいろある」、大人たちよ、ツェムリンスキーのこの曲を聴け!!

過去記事

 「シャイーの抒情交響曲」
 「シャイーの人魚姫」

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