カテゴリー「ディーリアス」の記事

2017年1月29日 (日)

ディーリアス 北国のスケッチ グローヴス指揮

Shizukuishi

既出写真ですが、岩手県の雫石あたりの風景。

いかにも、北国の雰囲気がたっぷり。

春近い頃でしたが、いまの冬真っ盛りのこの地は、こんな場所に足を踏み入れることさえできないでしょうね。

季節に応じて、いろんな音楽がありますし、ことに四季のめりはりが鮮やかな日本には、美しい言葉の芸術もたくさん。

同じ島国の英国も、夏はやや短いながらも、その四季はくっきりしてる。

そんな機微を英国の作曲家たちは、詩的なタッチでもってたくさんの作品を残してきました。

そんななかのひとり、大好きなディーリアスを。

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 ディーリアス  「北国のスケッチ」

   サー・チャールズ・グローヴス指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1974.12.22@ロンドン)


この素敵な曲を、弊ブログにて取り上げるのは2回目。
前回は、ハンドレー指揮のアルスター管によるシャンドス録音。
「フロリダ」組曲とのカップリングで、北国と南国の鮮やかな対比による、ナイスな1枚でした。

そして、今回は、レコード時代から親しんできた、グローヴスの演奏で。

社会人となって、ひとり暮らしを始めたころに、シリーズ化された、音の詩人ディーリアス1800。
そのすべてを、石丸電気で購入して、ディーリアス漬けの日々。

寂しい侘び住まいが、なおさらに切なく、それから故郷の山や海が懐かしく、人々が愛おしくなる想いで満たされた。

そんな望郷とノスタルジーが、わたくしのディーリアス愛。

4つの部分からなる、北国の四季を模した組曲。

  Ⅰ 「秋」・・・秋風が木立に鳴る

  Ⅱ 「冬景色」

  Ⅲ 「舞曲」

  Ⅳ 春の訪れ「森と牧場と静かな荒野」

どうでしょうか、このいかにもイギリスの北の方の景色を思わせる素敵なタイトル。
日本なら、さながら、北海道か、信州あたり。

三浦淳史さんの解説によるE・フェンビーの言葉によれば、若き日は放蕩の限りを尽くしたディーリアスも、歳を経ると、寡黙となり、「人間は空しい、自然だけがめぐってくる!」という思考を持って過ごしていたという。

まさに、この言葉を思わせる、めぐりゆく四季、自然を、そのまま感覚的にあらわしたような音楽なのです。
ここでは、おおむね、静かなタッチの音楽が続き、唯一、舞曲では、フォルテが響く。
春がやってくる前の喜びの爆発。
しかし、それまでの、秋と冬の心に沈みこむような静けさと、幻想的な沈鬱ぶりは、いかにもディーリアスらしいし、夜のしじまに映える、あまりにも美しい音楽だ。

で、それを打ち消す明るい舞曲。
そして最後は、めぐり来た春。
ソフト・フォーカスで、若干の曖昧さも保ちながら、ふんわりとした音楽となっている。
これもまた、ファンタジーである。

ビーチャムの育てたディーリアス・オケ、ロイヤルフィルを指揮したグローヴスの演奏は、わたしにとっては、懐かしくも、完全なるものです。
デジタル時代の、ハンドリーと、少し鄙びたアルスター管もいいが、こちらは、アナログのぬくもりを感じさせてくれる。

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こちらは、初出時のオリジナル・ジャケット。

ターナーの絵画をあしらったシリーズもいいけど、この写真もいい。

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2016年2月27日 (土)

ディーリアス 「シナーラ」 グローヴズ指揮

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夜の紅白しだれ梅。

お月さんも、アングルにはおさめられなかったのですが、朧に輝いておりましたよ。

梅の甘い香りが、少しづつ緩みつつある夜の気配に色気を華ってましたね。

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 ディーリアス  「シナーラ」 ダウソンの詩による

         バリトン:ジョン・シャーリー=クヮーク

  サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー

                        (1969 @リヴァプール)


ディーリアス(1862~1934)が、薄幸の同世代の世紀末英国詩人、アーネスト・ダウソン(1876~1900)の同名の作品に作曲した「シナーラ」。

1907年に筆をとるも、長く捨て置き、ビーチャムの新作の依頼により、そして、その晩年に献身的に尽したフェンビーの強力を得て、1929年に完成させた。

バリトン独唱が、主人公となって、忘れえぬ女性「シナーラ」を歌う。

ポーランド系の娘、シナーラは、レストランの娘。
ダウソンは惚れこんで、2年間通い、口説いたが、結局、彼女は店のウェイターと一緒になってしまった。
自暴自棄となった彼は、夜の街に沈み、酒と女の日々。
そして、そんな歓楽のなかにも、ふっと思い浮かぶのはシナーラの姿・・・・。

曲は、やるせないまでに切なく、そして官能的でもありつつ、感覚的。
ときに響きはぼやけて虚ろだし、そして、反面明晰。
いろんな要素が10分たらずの曲に込められてる。
それは、忘れられないシナーラを、つねにどこかで求めている主人公の感覚かも。

 「さらに狂える楽を 強き酒を呼ばった
   だが宴が終わりを告げ 燈火消え去れば
  その時こそさしおりるは おまえの影よ

   シナーラ! 夜はおまえのもの
  そしてこの身は想いに沈み 昔の情熱に苛められる
  そうよ 恋しきおまえの唇を求めもとめて
  おまえを思いとおしてきたのだ シナーラよ
  我なりに  」

                南條竹則 訳

三浦淳史さんの解説を参考にいたしました。

ディーリアスの音楽に帰ってくると、ほんとうに、心の底から安寧感に満たされる・・・・・。

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2015年8月31日 (月)

ディーリアス 去りゆくつばめ デル・マー指揮

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8月も終わり。

お盆を境に、夏の力は急速に弱まって、熱帯夜もなくなりました。

あんなに、暑い暑いと連呼していたのに、ずっと曇り空や、そこから落ちてくる、弱い雨の日々ばかりで、この月は終了。

残暑のない夏なんて・・・・。

セミたちや、夏の虫たちも可哀そう。

今日は、秋を先取りした小さな音楽を。

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  ディーリアス  去りゆくつばめ

              ~Late Swallows~


     ノーマン・デル・マー指揮 ボーンマス・シンフォニエッタ

                      (1975 ボーンマス)


ディーリアス(1862~1934)ほど、季節の移り変わりの機微を、その自然の描写にのせて、静かに優しく我々に語りかけてくれる作曲家はいません。

そして、四季が明確にある日本の風景や事象、そして、われわれの心情にぴたりとくるんです。

「去りゆくつばめ」とは、また、なんて素敵で、そして、儚いタイトルなんでしょう。
邦訳がともかく美しい。

フランスのパリ近郊の小村、グレ=シュール=ロワンを永久の住みかとしていたディーリアスとイェルカ夫人。
しかし、第一次大戦の影響で、イギリスに一時的に帰らざるをえなくなった頃に書かれていた、弦楽四重奏曲の緩徐楽章が、この「去りゆくつばめ」です。

その四重奏曲は、1916~7年の作品ですが、1962年に、ディーリアスの晩年、献身的にその補佐をつとめたエリック・フェンビーによって、弦楽オーケストラ用に編曲され、単独の小品として残ることになりました。

弦楽四重奏の原曲の楽章に、ディーリアスは、Late Sawllowsと、確かに命名してます。

10分たらずの静かな音楽。
旋律的な要素は少なく、各セクションが上下するモティーフを儚げに繰り返すのみ。
夏に行って欲しくない、もう少し季節がとどまって、あの煌めきを味わっていたい・・・・、
そんな心情が見事に反映されたかのような、後ろ髪引かれる、ちょっと寂しい音楽。
 夏は去り、秋が静かに訪れる風情を感じます。

ディーリアスは、グレの邸宅を去るときに、つばめたちと別れるのが辛いと、夫人にもらしたそうであります。。

隠れたる名指揮者、ノーマン・デル・マーのディーリアス小品集は、瀟洒で、全体が静かなつぶやきや囁きに満ちた桂曲・桂演揃いです。

過去記事

 「去りゆくつばめ  バルビローリ指揮」

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2015年8月25日 (火)

ディーリアス 「むかしむかし」 グローヴズ指揮

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このお盆休み、いつものように、神奈川の実家に帰り、親戚巡りをして、その途中、懐かしい場所に寄りました。

いつもは気ぜわしくて寄れなかった場所。

江戸時代からある弁天様。

子供のころ、近くに住む従兄と、休みになると行きました。

ちょっと田舎なここ、かつてはかなり保守的な場所で、よそ者を警戒する風情があって、この美しい場所に行くと、地場の子供たち、出て行けと言わんばかりに、よく追いかけられたものでした。
子供心に、従兄に迷惑がかかっちゃならぬと思い、自粛したものでした。
 でも、ここの美しさは犯しがたく、神聖な雰囲気も漂い、ずっと心のどこかに引っかかり続けた憧れと懐かしさの相まった場所となったのです。。。。

お互いに歳を経た従兄に聴くと、町がきれいに整備しているけれど、最近は、清らかだった水の流れも、淀んできて、アオコが発生したりもしてるとか・・・・
なんとかしたいものです。

Delius

  ディーリアス  「エヴェンテュール~むかしむかし・・・」

    サー・チャールズ・グローヴズ指揮

            ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

                (1974.12 @リヴァプール)


この懐かしい場所に訪れたのは、小学生低学年以来だから、もうほぼ50年・・・。

夏の日の、こんな懐かしの場所こそ、ディーリアスの音楽が相応しい。

そして、ちょっと怪しい系の怖い思い出も加味したらば、これ、「エヴェンテュール」であります。

曲の途中で、作曲者指定による20名の男声による、「ヘイ!」とか「ワッ!」(?)というシャウトが2度あって、初めて聴いたときには、マジでびっくりしたぞ。

地下に棲む怪物、それは、夜になると出てくるけれど、なかには、気のいい小物もいるんだ・・・、ディーリアスが語ってます。

そう、この15分あまりの作品は、ディーリアスが愛した北欧ノールウェー、そのアースビョルンセンの採集した民話に基づくオーケストラ作品なのです。
 1917年、55歳のときのもの。

伝説を思わせる神秘的な様相を思わせつつも、いつものディーリアスらしい、抒情と懐かしのムードもそこここに、感じさせます。
しかし、この曲は、そればかりに終始せずに、思いのほかに、ワイルドな進行もあって、そんな中で、あの「雄たけび」もシャウトされます。
 木琴の激しい音がつんざくクライマックスが、ディーリアスの音楽の持つ異教徒的な雰囲気に拍車をかけます・・・・。
 でも、最後は、静かに、優しく、郷愁を誘いつつ消えるようにして曲を閉じるんです。

子供の頃の思い出をなぞりつつ、懐かしい場所を再訪できた喜びとともに、ディーリアスのミステリアスな「むかしむかし・・・」を聴きました。

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2014年12月27日 (土)

ディーリアス 「高い丘の歌」 ロジェストヴェンスキー指揮

Ebisu_1

中目黒の青い洞窟。

このクリスマス、大変な話題になりました。

もともと、目黒川沿いの散策路のような道で、住宅やお店も密集、さらに車の往来も。

そんなところに、一挙に見物客が集まったものだから、大混雑。

週末や休日は、お休みとなる仕儀に。

Ebisu_5

平日でも、相当な混雑。
わたくしも、その混雑に寄与した一員ですが、運動のため、散歩もかねて、ここから目黒まで歩きましたよ。

それに、しても、クールなブルーは、川面にも映えて美しい。

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   ディーリアス  「高い丘の歌」

    ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮 BBC交響楽団

                    (1980.12.10@RAH ロンドン)


気がつけば、あと数日で12月も、2014年もおしまい。

さぁ、大好きな曲たちで締めましょう。

まず、ディーリアス。

もう、3度目の記事となります「高い丘の歌」。

過去記事コピペします。

>「高い丘の歌」は、1911~12年にグレで書かれた30分あまりの音詩。
ライプチヒでグリーグに知り合い、大いに感化されたディーリアスは、ノルウェーの自然や風物を愛し、その海や厳しい大自然を思わせる音楽をいくつも書いたが、この曲もその一環。
大オーケストラと無歌詞による合唱による。

「わたしは高い丘陵地帯にいるときの喜びと陶酔感を現そうとし、高地と広漠たる空間を前にしたときの孤独感とメランコリーを描こうとしたのだ。ヴォーカルパートは自然における人間を象徴したのである」(ディーリアス:三浦敦史先生訳)

この作者の言葉がこの曲の魅力を一番物語っている。<

三浦先生の名で訳でもって、これ以上の解説はわれながら、ないと思います。

この神秘的かつ、自然美にあふれ、世紀末的な甘味な瞬間も。
峻厳な場面もあり、そして、聴きながら誘われる、ノスタルジーの世界へと。

25~7分の切れ目なく続く、たゆたうような時間のなかに、わたくしは、海や山、そして夕暮れの光景へと思いを馳せめぐらし、郷里のことも思いつつ、安らぎを覚えるのです。

歌詞のない、アカペラによる合唱とテノールソロも、とても夢幻的であり、儚く、哀しくさえなってしまいます。

何度聴いても、いつ聴いても、わたくしには、一番好きなディーリアスの作品に思います。

おそらく、この曲の音源は4種。
新しい、サー・アンドリューのものは、まだ未聴ですが、レコードで聴きなじんできたグローヴス盤が一番好き。
そして、作者自伝のフェンビーと、今宵のロジェストヴェンスキー盤。

BBC時代のロジェストヴェンスキーは、英国音楽を相当演奏してまして、そんななかのひとつが、こちらのライブ。
録音のせいもあり、強音がキツく感じるところもありますが、とても丁寧に、いつくしむように演奏しております。
でも、グローヴスに比べると、音の輪郭がはっきりしすぎで、もう少し、もやっと、曖昧なところがあった方がいい。
それと、演奏後の拍手はカットして欲しかった。

しかし、ほんとうに、素敵な音楽です。
そして、静かに、そっとしておいて欲しい音楽のたぐいです。

Ebisu_4

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2014年11月28日 (金)

ディーリアス チェロソナタ L・ウェッバー

Kenchoujia

2週間少し前の、鎌倉の建長寺。

そう、ここで、ヴァイオリンとチェロのリサイタルを聴いたのでした。

Kenchoujib

まだ、緑の占める割合が多かった。

今頃は、きっと、もっと色づき、さらに枯淡の中庭の景色となっているのでしょう。


Delius_cello_sonata

    ディーリアス チェロとピアノのための1楽章のソナタ

       Vc:ジュリアン・ロイド・ウェッバー

       Pf: ベンクト・フォシュベリ

              (1999.9 @アビーロード・スタジオ)


フレデリック・ディーリアス(1862~1934)は、わたくしのもっとも大好きな英国作曲家。

とはいっても、ディーリアスには、英国の血は流れてません。

英国に帰化したドイツ人の両親のもとに、ブラッドフォードで生まれた英国人です。

音楽への傾倒を避けるために、実業家の父によって、フロリダのプランテーションに修行に使わされ、そこでも、黒人霊歌などにインスピレーションを得て、音楽の道忘れがたく、父が折れたのちは、ライプチヒで今度は、音楽修業。
それからパリでさらに、あらゆる芸術に接し、さらに放蕩の限りもつくし、結婚し、パリ近郊のグレ・シュール・ロワンに居を構える。
戦火(第一次)のため、英国に戻ったことはあったものの、その生涯は、愛する妻とグレにて終えている・・・・。

と、こんな風に概略その生涯を見てみると、独・英・米・仏にまたがる、まさに、コスモポリタンだったディーリアス。
でも、その音楽は、やはり、英国の自然や風物、空気を感じさせるものに、まさにほかなりません。

アメリカ時代の作品に、フロリダの自然を感じるのは当然ですが、もうひとつ大切なファクターは、北欧です。

ライプチヒ時代に知己をえたのが、大先輩のグリーグ(1843~1907)で、1880年頃から、グリーグが亡くなるまでの四半世紀に渡って、お互いに敬愛しあう仲となりました。
北欧の厳しい大自然のなかに立ちすくむような光景を感じさせる音楽を、たくさん書いたのも、こうしたつながりがあったからこそでありましょう。

 今日のCDは、ディーリアスと、そのグリーグのチェロ・ソナタをともに収録しているところがミソであります。

約13分ほどの単一楽章によるこのユニークなソナタ。
1916年に、イギリスのチェリスト、ベアトリス・ハリソンのために書かれ、2年後に初演。
単一楽章ながら、3つの部分に別れております。

普通の作曲家なら、3つの部分を、急緩急といくところですが、そこはディーリアス。
全体に渡って、ゆるやかで、そう、ある意味捉えどころがなく、曖昧なままに、たゆたうような音楽が続きます。

いきなりメインの主題が、ラプソディックに歌われます。
その主題を中心に、優しく、流れるような展開が行われ、もう、そこには身を任せるしかありません。
いまは思い出せませんが、ディーリスのほかの作品と似た旋律が出て、そのまま、テンポを落としていって、第2部に入ります。
こちらはもう、静かな静かな、ささやきのような音楽となります。
追憶のディーリアスに相応しい、極めて儚くも、夢見ごこちの雰囲気。
 そして、やがて、徐々に、冒頭の旋律が回顧されて、やがて、しっかりと繰り返されます。
第3部の始まりです。
1部と同じような展開となりますが、徐々にスピードと活気を増して、明るく、きっぱりとした表情も持つようになり、どこか希望を抱けるような展開のまま曲を閉じます。

これは、なかなかの桂曲であります。
なによりも短いのがいい。
その短いなかに、ディーリアスらしさが、しっかり詰まっていて、おまけに、チェロの優しい音色が、とてもよく活かされているし、それを包み込みつつ、幻想味もたっぷりなピアノもいい。

ウェッバーの上品かつ、真摯な演奏でした。

一方、グリーグのソナタは、こちらはもう、まさにグリーグしてます。
あのピアノ協奏曲みたい。

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2014年11月 5日 (水)

東京都交響楽団演奏会 ブラビンズ指揮

Geigeki

開演15分前、人々が駅から出て、次々に、こちらに吸い込まれて行く。

そう、東京都交響楽団のA定期演奏会を聴いてまいりました。

わたくしは、この大きなホールが、街の雰囲気も併せて、どうも苦手で、できるだけ避けたいホールのひとつです。

でも、先のB定期(→RVW、ブリテン、ウォルトン)とともに、名古屋フィルのシェフで、英国音楽の演奏の希望の星、マーティン・ブラビンズの客演で、ウォルトンの交響曲のふたつめ、そして、なんといっても、ディーリアスとRVW。

ふたつの定期が、こうして関連だっていて、しかも英国音楽に特化している。

英国音楽を、こよなく愛するわたくしとしては、ホールがどうのこうの言っていられません。

Metorso

  ヴォーン・ウィリアムズ  ノフォーク・ラプソディ第2番 日本初演
                    (ホッガー補筆完成版)

  ディーリアス        ヴァイオリン協奏曲

              Vn:クロエ・ハンスリップ

  ウォルトン         交響曲第1番 変ロ短調

    マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団

  ※P・プラキディス ふたつのきりぎりすの踊り(ヴァイオリンソロ、アンコール)

                       (2014.11.4 @東京芸術劇場)


これまた、わたくし向きのプログラム。
どの作曲家にも、強い思い入れがある。

でも、とりわけ、フレデリック・ディーリアスへの思いは人一倍強い。

本ブログでは、その心情を時おり、吐露しておりますが、亡き人や、故郷への望郷の思いと密接に結びついていて、その作品たちとの付き合いも、もう40年近くになります。

日本のコンサートに、その作品が取り上げられるのは、著名な管弦楽小作品か、「楽園への道」ぐらいで、あとはモニュメント的に、声楽作品が演奏されるぐらい。

ディーリアスのヴァイオリン協奏曲が、こうして演奏されるのって、ほんとにレアなことだと思います。
これを逃したら、生涯後悔するかも・・・、それこそ、そんな気持ちでした。

しかし、不安は、大きなホール。

でも、その思いは実は、1曲目のRVWで、ある程度払拭されてました。

そう、静かで抒情的な場面の連続する、RVWとディーリアスの曲ですが、音のディティールは、細かなところまで、しっかり届きましたし、なによりも、ホール全体に漂う、静かな集中力のようなものを強く感じ、音楽の一音一音をしっかり聴きこむことができました。

27分間にわたって、楽章間の明確な切れ目はなく、多くの時間が、ピアノの静かでゆったりムードで続くディーリアスの音楽の世界は、もしかしたら初めて聴かれる方には、とりとめもなく、ムーディなだけの音楽に聴こえたかもしれません。

ですが、ディーリアスは、そこがいいんです。

茫洋たる景色、海や山が、霞んで見える。
自然と人間の思いが、感覚として結びついている。
リアルな構成とか、形式なんか、ここではまったく関係がない。

その、ただようような時間の流れに、その音楽をすべり込ませて、静かに身を任せるだけでいい。
形式の解説など不要だ。

わたくしは、大好きなディーリアスのヴァイオリン協奏曲の実演に、遠いニ階席で、曲に夢中になりながら弾きこむクロエ嬢と、慈しむように優しいタッチで指揮をするブラビンズさん、そして神妙な都響の面々、そのそれぞれを見ながら、やがて、その実像が、ぼやけてきて、いつものように、望郷の念にとらわれ、涙で目の前が霞んで行くのに、すべてを任せました。

言葉にはできません。
ほんとうに素晴らしかった。
実演で接すると、いろんな発見も、処々ありましたが、それら細かな部分は、全体のなかに静かに埋没してしまい、いまは、もう、そのようなことは構わなく思えます。

タスミン・リトルのあとは、ハンスリップ嬢と、スコットランドのニコラ・ベネデッティがいます。
頼もしい、英国系女性ヴァイオリン奏者たち。
ちょっと踏み外すところや、元気にすぎるところは、ご愛嬌。
かつてのタスミンもそうだった。
 ただ、アンコールは、民族臭が強すぎて、ディーリアスの多国籍かつ無国籍ぶりにはそぐわなかったような気がします。
東欧の響きのように思いましたが、ラトヴィアの作曲家だそうで。

 さて、思いの強さで前後しましたが、RVW作品は、日本初演。

それもそのはず、民謡の採取に情熱を注いだV・ウィリアムズが、それらの素材を活かしたノフォーク・ラプソディを、3曲書きましたが、2番目は未完、3番目は破棄ということで、完全に残ったのは、先に聴いた美しい1番のみ。

未完の2番を、RVW協会の許しを得て、R・ヒコックスがスティーブン・ホッガーという作曲家に補筆完成を委嘱したのが、今回の作品。
2002年に完成し、一度限りの条件で初演されたのが2003年。

ヒコックスのRVW交響曲録音の、3番(田園交響曲)の余白に収められておりますが、その初演以外、しかも、海外で初となる演奏許可を、都響が取りつけたとのことです。

それは、英国音楽の達人ブラビンズあってのことだと思いますし、東京都とロンドンという関係もあってのことかもしれません。

ともかく、VWらしい、郷愁あふれる情緒豊かな音楽で、10分ぐらいの演奏時間のなかに、静かな場面で始まり、スケルツォ的な元気な中間部を経て、また静かに終わって行く、第1番と同じ構成。
親しみやすさも増して、ステキな聴きものでした。

 休憩後のウォルトンの1番。

せんだっても、尾高&藝大で聴いたばかり。
ダイナミックレンジの幅広い、繊細かつ豪快な音楽は、前半の静けさとの対比でもって、とても面白い。
しかし、この大きなホールの2階席は、音像が遠く感じ、迫力のサウンドは思ったほどに届いてこないもどかしさがありました。
前半や、この交響曲の第3楽章が、むしろ、じっくり聴けた感じがあるのは、面白いことでした。

 それでも、CDで聴き馴染んだこの作品は、やはり実演が面白い。
第二次大戦を間近に控えた頃の、不安の時代。
その緊迫感と重々しさを随所に感じつつ、最後は、輝かしいラストを迎えるわけで、交響曲の伝統のスタイルをしっかり踏襲している。
 ほんと、快哉を叫びたかった、リズムもかっこいい第1楽章では、ブラビンズの指揮ぶりを見ていると、とても明快で、オケも演奏しやすいのではとも、思いました。
 変転するような拍子が、妙に不安を駆り立てる難しい2楽章ですが、都響の完璧なアンサンブルは見事なもの。
 そして、一番素晴らしかったのは、沈鬱さと孤独感の中に、クールな抒情をにじませた静かな3楽章。
木管のソロの皆さんの柔らかい音色も印象的で、オケの音色は、透明感を失わずに、くっきり響いてます。
 一転、明るさが差し込む終楽章。
重層的に音楽が次々に盛り上がってゆくさまを、意外な冷静さで聴いておりましたが、最後の方の、トランペットの回想的なソロ(素晴らしかった)のあと、ついに出番が巡ってくる、2基目のティンパニと、多彩な打楽器の乱れ打ち。
この最後の盛りあげがあって、この1番の交響曲が、映えて聴こえるのですが、それにしても、完璧な演奏ぶりでした。

驚くほどのブラボーが飛び交いました。

指揮者を讃えるオーケストラに押されて、ひとり指揮台に立って喝采を浴びたブラビンズさん。
いい指揮者です。
ウォルトンの分厚いスコアを、大事そうに小脇に抱えて、ステージを去るその姿に、好感を覚えた方も多くいらっしゃるのでは。

名フィルの指揮者であり、ロンドンのプロムスの常連。
CDも、コアな珍しいレパートリーでもってたくさん出てます。
ブライアンの巨大ゴシックシンフォニーもあります。
名古屋での、ユニークな演目も聴いてみたいものです。

  過去記事

 ディーリアス ヴァイオリン協奏曲

  「ラルフ・ホームズ&ハンドレー」

  「アルバート・サモンズ&サージェント」

 ウォルトン  交響曲第1番

  「ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィル」

  「尾高忠明指揮 藝大フィルハーモニア」

 

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2014年6月14日 (土)

藝大フィルハーモニア定期演奏会 尾高忠明指揮

Oodori

眩しい青空と、濃い緑。

こちらは、本日(6月13日)の、横浜です。

午後から横浜、そのあと、上野にとって返し、こちらも緑豊かな公園と森を抜け、東京芸術大学奏楽堂へ。

局所的に、雷雨があった日中ですが、幸いにも、怪しい雲は確認しながらも、雨に会うことはありませんでした。

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  R・V・ウィリアムズ  タリスの主題による幻想曲

  ディーリアス     「村のロメオとジュリエット」~楽園への道

  ウォルトン       交響曲第1番 変ロ長調

      尾高 忠明 指揮 藝大フィルハーモニア

                     (2014.06.13@東京藝術大学奏楽堂)


こんなわたくしの大好きな英国プログラムに、飛び付かないはずがない。

初藝大フィル、初奏楽堂でした。

1100席のほどよい規模で、木質の肌触りのホールは、とても心地よい響きで、音の溶け合いも自然で、素晴らしいものでした。

そして、歴史ある藝大フィルも、とても上手くて、フレキシビリティの高い上質なオーケストラでした。

尾高さんが、演奏終了後、指揮棒をマイクに替えてお話されましたが、その中で、英国音楽の素晴らしさ、英国と日本のつながり、そして、3様の異なる性格を持つ今回のプログラムを完璧に演奏しきったオーケストラのことを誉めていらっしゃいました。

古雅な英国王朝時代に想いを馳せることのできるようなRVWの渋い響き、ディーリアスの中でも一番メロディアスでロマンティックなロメジュリ、不安と緊張のなかに、輝かしさも導きださなくてはならないウォルトン。

この3つの様相を持つ3曲でした。

尾高さんの、共感あふれる指揮あってこそ描き出されたものです。

前半の静、後半の動。

タリス幻想曲は、コンサートで聴くのは初めてで、弦楽の奥、フルオケの金管席に、9人の第2奏隊が陣取り、ふたつの弦楽との掛け合いが、教会礼拝の交唱のように溶け合い、その響きがCDで聴くより数倍も耳に美しく、優しく届いたのでした。
ヴィオラのソロも、弦楽の中で分割して奏される四重奏も、いずれも素晴らしかった。
いつもは漫然と聴いてしまうこの曲ですが、こんなにいい曲だとは思わなかった。

そして、ディーリアンを自認するわたくしの、なかでも大好きな「村のロミ・ジュリ」。

寒村で、対立しあう家々の若い男女の愛が、破れ、ふたり、ゆるやかに流れる川に小舟を出し、船底の栓を抜き、やがてその舟は静かに沈んでゆく・・・・

(→「村のロミオとジュリエット」の過去記事)

こんな哀しい物語の後半に演奏される間奏曲は、そのドラマを集約したような、触れれば壊れてしまいそうな、儚くもデリケートな音楽。
そして、胸の熱くなるような盛り上がりも内包。

何度聴いても、美しい音楽で、思わず涙ぐんでしまうわたくしです。

尾高さんの指揮では、これが3度目、あとプロムスでのライブも録音してますが、今回が一番よかった。
この曲の精緻な魅力が、このホールと、オーケストラによっても活かされているように感じましたし。

うってかわって、ダイナミックなウォルトンの音楽へ。

フルオケで、金管・打楽器もばりばり。
ほぼセンターの席でしたが、こうした曲は、後方席の方がよかったかも。
前半では、最高の席でしたが。

しかし、ウォルトンの音楽、ことにこの交響曲は、リズムが全編にわたって、かっこいい。
映画音楽にも通じる活劇的な要素も感じとれる。
第二次大戦へとひた走る時代に作曲されたこの曲には、そうした不安や、割り切れないもどかしさ、憂愁が満載ですが、終楽章に至って、グローリアスな響きにようやく満たされるという、暗→明という、交響曲の常套ともいうべきあり方を備えてます。

1楽章では、音がやや混在して、耳に響いてこないように感じましたが、それは聴いた席かもしれませんし、このホールのシートの背当てにどうも馴染めず、落ち着かないせいもあったかもです。
 しばらくすると、このシリアスな音楽に、いつも通り、こちらの耳もついてゆくことができ、のめり込むようにして聴きました。
クセになるほどの刻みのリズムがずっと耳に残る1楽章。
やたらと難しそうな、ややこしいスケルツォ。
変拍子が、指揮者もオケも大変そうだけど、このコンビ完璧。
 いたたまれないほどの憂鬱さと、晦渋さを持つ3楽章は、これもまたライブで聴いてこそ、全容がわかるというもの。クライマックスでは痺れるほどの感銘を受けました。
 そして明るい終楽章。盛り上がるフーガ形式の重層感。
回想風のトランペットも完璧に決まる。
ラストは、ティンパニ2基、銅鑼、シンバルなど打楽器の乱れ打ちで、いやでも超盛り上がりに興奮のわたくし。
 思わずまた、カッチョエエ、と心のなかで快哉を叫ぶのでした。

いやはや、無理して行ってよかった、素晴らしいコンサート。

上野公園を横切り、時おり、雲の合間から顔をのぞかせる満月を見上げながら、帰宅の途につきました。

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2014年4月25日 (金)

ディーリアス 「春初めてのかっこうを聞いて」 ハンドレー指揮

Yasukini

なんだか、もこもこっとした桜が、いまどきが咲きごろ。

八重桜の品種で、関山とかいうらしいです。

定期的にお仕事で近くにいくので、歩いて横切る靖国神社。

もう、かれこれ30年前、前にも書きましたが、社会人になったときの会社が九段下にあって、そのあと、竹橋、神保町、お茶の水と移動しましたので、ここ周辺は路地の隅々まで、よく知っているのです。

いまみたいに、靖国神社が、こんな風に、おまわりさんが警戒するような場所になろうとは、かつては思いもしなかった、都心の静寂のオアシスみたいな場所だったんです。
まったく、なんてことでしょうね。

皇居のお堀のすぐとなり、贅沢な空間ですが、その庭園で一休みすると、街の喧騒がウソみたいに感じますよ。

Delius_handley

   ディーリアス  「春初めてのかっこうを聞いて」

      ヴァーノン・ハンドレー指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                    (1988.7 @アビーロードスタジオ、ロンドン)


フレデリック・ディーリアス(1862~1934)は、わたくしのもっとも好きな作曲家のひとりです。

もう、これまで、何度もそう言って、何度も記事を残してきました。

入手できないオペラ作品の一部を除いて、ほぼその作品はコンプリートしました。

今日は、久しぶりに、初心に帰って、もっとも有名な作品を楚々と聴くことにしました。

 わたくしと、ディーリアスの出会いを、ここにまた改めて書いておきます。
もうこれも何度か書いてますがね。
 クラシック音楽に目覚め、ともかくいろんなものを聴きたくて渇望しているときに、父が、職場から、レコードを大量に引っ提げて帰ってきました。
父は、ホテルマンだったので、無印の海外のテスト盤とか、不要のものをもらってきてくれたのです。
 それらは、赤や青の半透明の盤もありましたし、黒で、レーベル無地のものもたくさん。
ジャズや、映画音楽、ビアホール音楽にまじって、クラシックも数枚。

その中にあった、白紙のジャケットに白紙のレーベルの1枚。
マジックで、「Beecham Delius」と手書き。
なんだこれ?で聴き始めたレコードだけど、なんだかさっぱりわからない。
でも、高額な、数少ない手持ちのレコードのひとつだから、ともかく、繰り返し何度も聴きました。
そして、ある時、レコ芸のレコード目録で、そのレコードがなんなのか、ディーリアスなる人と、ここに収録された曲目をたどることができました。
 なんだか、はっきりしない音楽だけど、静かで、どこか哀しくて、美しいと思いました。
すっかり耳に馴染んだ6つの収録曲の由来も調べ、すっかりディーリアスなる人と作品が好きになったわたくし。
中学生のことでした。

神奈川の実家の自室からは、富士山の頭と、そこに沈む壮絶な夕陽が見えました。
それを見ながらよく聴いたのが、ディーリアスや、ワーグナーなのでした。

まさに、そんな思い出と結びついている、まさに、わたくしにとってのノスタルジー・サウンドがディーリアスの音楽たちなのです。

そのディーリアスのレコードを運んできてくれた父とお別れをして、早や17年。

ディーリアスの感覚的な、移ろいゆく時間を映し出したような音楽は、いつまでも、わたくしを、過去の思いへといざなってくれるのです。

  「春初めてのかっこうを聞いて」

     <On hearing the first Cuckoo in Spring>


なんて、素敵なタイトルであり、邦訳でしょうか。

当初は、「春を告げるカッコウ」なんて風に呼ばれてましたが、ディーリアスの十字軍ともよぶべき、三浦淳史先生が、原題をそのまま彷彿とさせる名題を残されました。

この小品と対になる作品、「河の上の夏の夜」も、同様に詩的な邦訳をまとっています。

春の訪れのような、ふんわりとした曲調のなかに、どこか哀しげな「かっこう」の鳴き声がこだまします。
ディーリアスが愛した北欧の雰囲気も思わせるかのように、ノルウェー民謡もここでは響いてます。

緩やかな春がきて、徐々に夏になって欲しい、そんなかつての日本の四季が、いまは感じることができなくなり、この曲には、そんな、失われつつある日本の美しい四季へのノスタルジーとも、聴くことができるんです。

亡き名匠、ハンドレーのすっきりと抒情的な演奏は、ビーチャムの系譜を思わせる、美しいものでした。
いまは変わってしまった、ロンドンフィルのくすんだ響きも懐かしい。

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2013年9月 4日 (水)

ディーリアス 「夏の歌」 A・デイヴィス指揮

Azumayama_2

この夏の早朝の眩しい日差しの吾妻山。

海と空の境界線が眩しすぎて曖昧です。

夏の高い気温はこんな風に、景色をぼかしてしまいますが、そのかわり、緑の鮮烈さといったらありません。

去る夏に、その夏を惜しんで、その曲を聴きます。

Proms2007_a
  
    

     ディーリアス   「夏の歌」

  サー・アンドリュー・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

                  (2007.7、@RAH ロンドン)


連日繰り広げられている、ロンドンの夏の音楽祭、プロムスも今週でお終い。

思えば、1ヶ月半にわたり、超充実の演奏会を、昼夜に行い、それらをすべてネット配信し、国内には映像配信も。
かの地のBBCは、某国のN放送局などは足元にも及ばぬほど、クラシック音楽を普遍的に扱っております。
それがクラシック愛好家のスノッブなお堅い世界ではなく、ナレーターもノリノリだし、なによりも、聴衆がイケイケなんです。
楽章が終わるごとに拍手しちゃう。
ブルックナーの7番が、全楽章、拍手付きなんて、生まれて初めてだ。

これですよ、東洋と西洋の違い。
クラシック音楽と、それ以外の音楽との隔てはあるにせよ、なんでもあり、等しく聴こうじゃないか精神があるのじゃないか。

今宵は行く夏を惜しんで、ディーリアスの、わたくしのもっとも好きな作品にひとつを。

またまた、「あまちゃん」と連動しますが、彼女が、そして彼女たちが愛らしく歌う「地元へ帰ろう」は、多くの人の心の琴線にふれる内容ではないでしょうか。

人それぞれに持っている地元。
それはいずれ帰りゆく場所でもあります。

今朝の関東・甲信越で観測された地震は、震源が遠いのに、それが深かったため、ホットスポットのように予想外の揺れを遠く離れたところで記録しました。
列島を縦断するホッサマグナの存在を恐ろしく意識させるものでした。
そして、わたしの帰るべき地元も、そこだけ高い震度。
これは隣接する断層の影響もあるのではと、素人考えで思った次第です。
その南北に走る断層は、東海道線や新幹線で通過するときにわかるくらいの、こんもりした地形をしてます。

今日聴くディーリアスの作品は、もう何回か取り上げてますが、若い頃から、自宅から見える夕陽や、赤く染まりゆく山々を臨みながら聴いた、詩的で、感覚的な雰囲気豊かな、切なくも美しすぎる音楽です。
何度聴いても、ほんとうに素晴らしい。
 北欧の絶壁で、壮絶な海に沈む夕景を思い描いたと思われるディーリアスの絶筆ともいえる曲は、夏の終わりにこうして聴くほどに、自分の心を、やがて帰りたい、いや帰るべき郷里へと運んでくれる。
なにが起きようと、悔いのないように、その気持ちを大事にしておきたいと思います。

グローブスとバルビローリ、ハンドリー、そしてA・デイヴィスも素敵な演奏を残してくれました。
サー・アンドリューは、英国指揮者の系譜を引き継ぐべき正統として、急速に復活した名匠となりました!

Azumayama_3

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