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2019年7月21日 (日)

バーンスタイン ミサ曲 オールソップ指揮

Sodegaura-1

ずっと曇り空と雨続きなので、晴れの5月の空と海ですっきり。

この海辺の近くの中学校に通っている頃に、ダイジェストだけど聴いたのが、バーンスタインのミサ。

当時は、あまりに異端すぎて、ロックにすぎて、クラシカルなクラヲタ少年にはその内容には理解も及ばない音楽だった。

Bernstein-mass

  バーンスタイン  ミサ曲

   司祭:ジュビラント・サイクス

   ボーイソプラノ:アッシャー・エドワード・ウルフマン

  マリン・オールソップ指揮 ボルティモア交響楽団
               モーガン州立大学合唱団
               ピーボディ児童合唱団

         (2008.10.21 ボルティモア)

バーンスタインのミサを取り上げるのは、2011年9月についでこれで2回目。
そのときは、作曲者自身の演奏で。
この記事が、われながらよく書けたし、現在も同じ思いで、付け足すこともないので、一部修正しながら引用します。

「このミサ曲の時代背景。
アメリカは、ニクソン大統領治下、ベトナム戦争中。

少し前は、R・ケネディの暗殺、沖縄返還合意・・・・。

ソ連との両極関係にありながら、悩める大国は、戦争に疲れ病んでいった。

その時代のアメリカを念頭に置きながら聴く、バーンスタインのミサ曲。

もう死語にも匹敵するカテゴリーのミサ曲を、それも指揮者でもある近代の作曲家が真剣に取り組むなんて、しかも、カトリックの音楽をユダヤ人が手掛けるなんて。

交響曲第3番「カディッシュ」は、作曲中に起きてしまったJ・F・ケネディの暗殺を受けて、故ケネディに捧げた。
1968年のことである。

 そして、それと同時に構想を練りつつあったミサ曲は、ケネデイ未亡人ジャックリーヌ・オナシスの依頼により建てられたケネディ・センターのこけら落しとして作曲が進められることとなった。

そして、1971年に出来あがったその曲は、ミサ曲の概念を打ち破る劇場音楽としての上演形式であり、クラシック音楽のカテゴリーに収まりきらない、ロックやブルース、ダンスを取り入れた総合音楽的様相を呈した大作となったわけである。

バーンスタインは、この作品を「歌い手、演奏家(楽器)、ダンサーのための劇場用作品」と称している。

1971年9月8日の初演。


ミサ典礼文をこんな感じで歌い踊り演じちゃうことに、聴衆は冒瀆よりは、新鮮な感動と共感を覚えた。

教会内の厳めしい形式的な秘義を劇場に解放してしまった・・・とでもいえようか。
こんな発想をすることができたバーンスタインの天才性と大胆な進歩性。

曲は、ラテン語によるミサ典礼文を基本に置きながら、そこに英語によるバーンスタイン自身とS・シュワルツによって書かれた台本がからんでくる。

キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュスデイ、これら通常典礼文がしっかりあって、それらは時にロックのようにシャウトして歌われたり、ブルース風だったり、ゴスペルだったり、現代音楽風だったりのバラエティ豊富な展開。

その間に絡んでくるのが、追加された歌唱部分で民衆たる合唱やソロによるものと、ミサ全体を司るCerebrant(司祭)のバリトンによる歌唱。


前半部分は、典礼も挿入部分も主を賛美し、神の栄光を称える

司祭は冒頭、「Sing God a simle song・・・・・」~「神に、シンプルに歌を捧げよ!生のあらんかぎり、主を讃える歌を歌おう・・・・」と実に美しい讃歌を歌う。

この曲、わたしは気にいってまして、カラオケで歌いたいくらい。

中学生の頃に発売されたこのミサ曲の、特別サンプル17cmLPをCBSに応募してもらったが、その冒頭がこれ。
何度も何度も聴きました。変な中学生でした。


しかし、典礼の合間合間に、人々の神への不信や不満が芽生えてきて、「何いってんだ!」とか「早く出てこ~い」なんて好き勝手歌い始める。

不穏な空気が後半はみなぎってくる。

クレド=信仰告白に対しては、「告白すりゃぁ、それでいいってか!」「感じてることは表に出せない、見かけなんて嘘ばかり。ほんとうのもの、主よそれがわからねぇ・・・」と不満をぶつける。


しかし、司祭はそれに対し、「祈りましょう」・・・としか答えることができない

「選べるのだったら、一本の木だってよかったんだ。人間になんてなるんじゃなかった・・」と病んだ発言。

あんたは、またやってくると言ってた。いったいいつ来るのよ!いつまでわたしたちを苦しませているのよ、世の中はひどいことになっているよ・・・」


途中、ベートーヴェンへのオマージュのような章もあって、第九の旋律が流れる。
 

それでも司祭は、「祈りましょう」と、聖体拝領を行ってミサの儀を進める


 次ぐアニュスデイは、通常のミサやレクイエムでは神妙かつ優しい曲調なので、そう思って聴くと、まったく裏切られることになる。

民衆と個人ソロが入り乱れて、不平不満大会となって沈黙する神への怒りへと変貌してゆき、暴徒化してゆく。
音楽も、大音響となって収拾がつかなくなる・・・・・。

そこへ、司祭が「PA・・CEM、Pacem」と叫び、赤葡萄酒に満たされた聖杯を床に叩きつけ、聖杯は大きな音を立てて砕け散る。

「平和、平和を」と叫んだ司祭

これからが、司祭の最大の歌いどころ。15分以上をソロで歌い抜けなくてはならない。

法衣服を脱ぎ、「粉々に砕けてしまった、物事はなんて簡単に壊れてしまうんだ。」と悲しそうに、そして空しく歌う。

「まだ待っているのかい?・・・、 だが君たちは、君たちなんだ、何が君たち歌い手たちに出来たかを、それを歌い、それを祈るんだ・・・・」

司祭は、舞台の下に消えてゆく。

前半に出てきたオーボエの神秘的なソロの音楽を、こんどはフルートソロが静かに奏で、やがて最初はボーイ・ソプラノの少年合唱で、次いで民衆やソロ、そして再び一般人のなりで現れた司祭役も加わって感動的なSecret Songsが始まる。

Lauda」、すなわち、誉め讃えの言葉が繰り返される感動的なエンディングは、マーラーの千人交響曲の神秘の合唱にも似ている。

だが、それと違うところは、「汝に平安あれ」と囁かれ、「全能の父よ、耳を傾けてください、われわれを祝福し、ここに集まったすべての人を祝福してください、アーメン」と静かに歌を閉じ、ナレーターが最後にミサの終了をアナウンスする壮麗さとは無縁の渋い印象的な終わり方だ。

The Mass is ended; go in Peace


不穏な時代にも、いつも人の心にある祈りと平和への思い。

沈黙の神への問いかけは、自分の心への問いかけに等しい。

ある意味、宗教の概念を超えた素晴らしいミサ曲だと思います。」

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初演時のバーンスタイン自身の録音から、48年。

作曲者以外の演奏なんて、考えられないという年月は去り、いま、バーンスタインの作品は幅広く演奏され、録音されるようになった。
このミサ曲にも、いまや、K・ナガノ、K・ヤルヴィ、オールソップ、セガンと、多くの音盤が出ました。
今回聴くオールソップ盤は、手兵のボルティモア交響楽団との演奏会のあと、同じホールで録音されたもので、演奏会の熱気そのままの、意欲と共感に満ちた感動的な演奏になってます。
サイクスの司祭の、繊細でありながら没頭的な歌唱は、かつての初演時のアラン・タイトゥスに迫るもの。
オーケストラも巧いし、雰囲気が豊か。
ほかのメンバーも文句なし。

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オールソップは、数あるバーンスタインの弟子の一人でもあり、タングルウッドでクーセヴィツキー賞を受賞したことがその所以であります。
ここでは、バーンスタインとともに、小澤征爾の薫陶も受けてます。
女性指揮者としては、シモーネ・ヤングとともに、トップを走るオールソップ。
ニューヨーク生まれの彼女、コロラド響に始まって、これまで、ロングアイランドフィル、ボーンマス響、2007年よりのボルティモア響、サンパウロ響、そして、今年から、ウィーン放送交響楽団の指揮者となり、アメリカとヨーロッパで大活躍なのです。

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ウエストサイドストーリーを指揮するオールソップさん。
ナクソスに録音したバーンスタイン音楽もたくさんあって、バーンスタイン愛にあふれてます。

さて、アメリカのオーケストラシリーズの一環でもある今回の記事。

ボルティモア響の歴史は、1916年の市立オケとしてのスタートにさかのぼり、100年ほど。
歴代の指揮者のなかで、有名な方は、アドラー、コミッショーナ、ジンマン、テミルカーノフ、そして、オールソップという流れです。
コミッショーナとジンマンとの演奏には、多くの音源が残されてます。
テミルカーノフの時代は、7年ほどのようですが、録音も見当たらず、どんなコンビだったのでしょう、気になります。
現在は、名誉指揮者となっております。

アメリカのオーケストラのランク付けが、かつてはよくされていて、5大オーケストラとして、シカゴ、クリーヴランド、ボストン、フィラデルフィア、ニューヨークであることは、今でも変わらないかと思います。
それ以外に、エリート・イレブンなんて言われかたの時期もあり、その5つに、ピッツバーグ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デトロイト、ヒューストン、ミネソタの6つ。
しかし、スラトキンが就任して、セントルイスが大ブレイクし、5大オケに迫る実力を見せた時期もありました。

いまは、どうでしょう。
歴史や、レコード時代からの録音の多さ、大物指揮者との関係などから、5大オーケストラは変わりはないかもしれないが、その他の都市のオーケストラも、5大オケにひけをとらない、人気と実力をつけて、それぞれに街に愛される特徴あるオーケストラとなっていて、ランキングなんて、ばかばかしく思えてきたりもします。
ワシントン、シンシナティ、ダラス、アトランタ、シアトル、バッファロー、そして、ボルティモア響。

手元にあった1986年のレコード芸術に、アメリカのオーケストラ徹底研究とかいう特集があるけれど、ここでは、5大オケだけの特集になっているんです。
いまとは隔世の時代、いまの時代、世界のあらゆるオーケストラが楽しめるのは、ネットの普及と、ナクソスとテラーク、シャンドスレーベルのおかげかもしれません。

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 メリーランド州にあるボルティモアは、人口65万人の都市。
歴史的には、南北戦争の舞台にもなり、国家や星条旗もこの街が発祥という。
そう、アメリカ人にとって、なくてはならぬ街なんです。
海岸線にも近い、パタプスコ川に面した、工業と貿易港で栄えた街でもあります。
だから、この街は、シーフードの街でもあり、とりわけ、カニ料理がおいしいらしい!

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メジャーリーグは、強豪のオリオールズで、いまはちょっと低迷中みたで、日本人選手もいない様子。
ちなみに、姉妹都市は川崎市。
有名な出身者では、音楽家としてフィリップ・グラスとヒラリ・ハーン。
エドガー・アラン・ポーはボストン生まれながら、ボルティモアが気に入り永住。
さらに、政治家としてボルトンさんも、ボルティモア出身。

Alsop-2

アメリカのオーケストラの指揮者は、メジャーリーグとも交流が必須。
ナイスな、オールソップさん。

行くとこは、この先ないだろうけど、カニを食べて、オリオールズ観て、現地のホールでボルティモア響を聴いてみたい。
バーチャルアメリカ、オーケストラ紀行、次はどこへ。

Sodegaura-2

梅雨明けも、あともう少しだ。

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2018年12月31日 (月)

マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン NYPO

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竹芝桟橋から、レインボーブリッジ方面を俯瞰した夕暮れの東京湾。

事務所からさほど遠くないので、気晴らしにここに海を見に来ることが多い。

太陽は、海に沈んでほしいものだが、関東ではなかなか難しい。

けれど、こうした夕暮れ時の夕映えは、空も、海も赤く染めてくれて美しい。

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今年の締めくくりに、マーラーの方の第9を。

マーラーのなかでも、深淵ともとれる作品が、近年は、大の人気曲となり、国内オーケストラではアマオケも含め始終、外来オケも盛ん持ってきます。
なんたって、南米出身の指揮者が西海岸のオーケストラとアジアの日本にやってきて、マーラーの第9を演ってしまう世の中となりました。

でもそんな風潮のなか、選んだのは今年、生誕100年だったバーンスタインのニューヨークフィル盤。

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     マーラー   交響曲第9番 ニ長調

   レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

        (1965 @ニューヨーク、フィルハーモニックホール)


世界に先駆けて、マーラーの交響曲全集を60年代に完成させたバーンスタイン。
バーンスタインのひと世代前の指揮者たちは、同世代の音楽家であり、作曲家であったマーラーが師でもあったりして、その作品を世に広める活動期でもあった。

しかし、バーンスタインは、マーラーへの完全な共感とともに、自分の内にあるものとの共鳴ともいえるくらいに、自分の言葉で語る、「バーンスタインのマーラー」を作り上げたのだ。

その後続出するマーラー指揮者たちは、今度は、より客観的になったり、よりスコアを分析して緻密な解釈を施したり、また楽譜にひたすら忠実に演奏したりと、ともかく多士済々なマーラー演奏が生まれることになった。

しかし、マーラーを自分のなかに引き付けて、そこに思いの丈をたっぷり注ぎ込む、バーンスタイン・スタイルの演奏は、いまだもってバーンスタインのものしかありませぬ。

80年代のDGへの2度目の全集は、より完成度が高く、録音もよく、よりバーンスタインの踏み込みも深くなっている。
その分、始終聴くには、感情が入り込みすぎて、ちょっと辛くなってしまうこともある。
 そんなときには、60年代のCBS盤に方が、若々しく、粘度もさほどに強くないため、さらりと聴くことができる。

第9は、正規録音としては、ニューヨークフィル(65年)、ベルリンフィル(79年)、コンセルトヘボウ(85年)、そしてイスラエルフィル(85年)の4つに、ウィーンフィルとの映像(71年)があります。
しかし、日本での演奏会に立ち会い、打ちのめされたときの少し前のテルアビブのライブは、実は未取得。
聴きたいのはやまやまだけど、なんだか聴きたくない。
あのときのNHKホールでの儀式に立ち会ったかのような体験の記憶を壊したくないからかもしれません。
でもね、死ぬまでには聴こうと思ってます。

さて、いろんなところで比較されてますが、年を経るごとに隈取の濃い濃厚な演奏をするようになったバーンスタインの第9ですが、テンポも徐々に伸びてます。

65年NYPO(79分)→79年BPO(82分)→85年ACO(89分)
IPO盤もACO盤と同じぐらいとのこと。
 楽章で見ると、1~3楽章は、あまり変わらない。
異なるのが終楽章で、65年NYPO(23分)→79年BPO(26分)→85年ACO(30分)。
NYPO盤が速いのは、録音サイドからの要請ともありますが、果たしていかに・・・

ということで、バーンスタインのマーラーの第9への思い入れの熟成度は、テンポだけをとらえると、終楽章に端的に現れているのがわかる。

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Mahler_9_bernstein  Bernstein_mahler

 

 



拾いましたが、オリジナルジャケットと、後年出た、6番との3枚組のレコード。

ニューヨークフィル盤は、録音が平板にすぎるという悩みはあるものの、演奏は、60年代のバーンスタインらしく、情熱的で、誰にでも納得できる必然性を全体にたたえたものになっていると思う。
NYPOの楽員の腕っこきの優秀さを感じるのは、とりわけ第1楽章で、かなり美しい終盤です。
ユーモア感じる第2楽章と、憂愁と疾走感のないまぜになった3楽章はカッコイイ。
 そして、CBSソニーの音のカタログで、完全に耳タコの刷り込み状態になっていた終楽章の出だし。その開始部は、わたしは、このニューヨークフィル盤が一番好き。
その後の、うねり具合も上々だが、後年のようなタメや、濃密な歌い回しは弱めだから、曲はテキパキと先へ進みます。
録音のせいかもしれないが、金管の響きが時代がかって聴こえるのも、なんだか懐かしくもあります。
でも、やはり聴かせます、オケはレニーの指揮棒に集中しつくしていて、マーラーも指揮をした摩天楼のオーケストラは、終結部の死にゆくアダージョを絶美に描きつくしていて、感動的であります。

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去り行く船。

でも、旅立ちの船の後ろ姿。

夕暮れの中、希望があります。

それでは、ありがとう平成30年、自然の猛威はもう勘弁してね。

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2018年11月23日 (金)

ショスタコーヴィチ、バーンスタイン  ワシントン

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お台場のアメリカ。

もちろんレプリカですが、ちょっとウィキったところ、アメリカの自由の女神は、独立100年の記念に、フランスが贈ったもの。
さらに、その返礼として、パリ在留のアメリカ人、まさに「パリのアメリカ人」が、パリに建てたものもあります。
 東京のものは、1988のフランス年に展示され、この時は、大の親日家シラク大統領のもとでした。これが好評で、2000年より正式に、お台場に設置されたとのこと。
ほかにも、いろんなところにあるそうな。

いずれにしても、自由と民主主義の象徴なのであります。

アメリカのオーケストラシリーズ。

メジャーの5大オケは、あとまわしにして、それに次ぐエリート・イレブンとか一時いわれたオーケストラを聴いていこうという作戦です。
 これまで、ミネソタ管、デトロイト響、ピッツバーグ響と聴いてきました。

今回はアメリカの中心都市、大統領のおひざ元、ワシントンのオーケストラ、ナショナル交響楽団を。

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 ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 ハ短調 op.65

  ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮 ナショナル交響楽団

             (1991年 ワシントン、ケネディーセンター)


正式名称は、ナショナル交響楽団(The National Symphony Orchestra)で、日本では、ワシントン・ナショナル交響楽団という呼称になってます。
国家とか、お国のオーケストラという意味合いなので、ワシントンをわざわざつけなくてもよろしいかと。
もちろん、民間のオーケストラですが。
ちなみに、ワシントンにあるメジャーリーグのチーム名も、ナショナルズという名称です。

 もともと、国事や、公的な祝祭日用のオーケストラとして1931年に創設。
大統領のオーケストラと呼ばれる由縁です。
キンドラー、ミッチェルと地味な指揮者を経て、このオーケストラがレコードなどで世界的に名前が出てくるようになったのは、アンタル・ドラティが1970年に音楽監督に就任してから。
ここでもオーケストラビルダーとしてのドラティの名がアメリカ楽壇に残されることとなります。
デッカの鮮やかな録音で、チャイコフスキーやワーグナー、アメリカ作品、さらにダラピッコラなんてのもありました。懐かしい。

そして、1977年に、ロストロポーヴィチが音楽監督を引き継ぎます。
当時、大統領は、カーターさんで、共和党から民主党に政権が変わった年。
そんな年、74年にソ連から亡命したロストロポーヴィチが、こともあろうに、大統領のオーケストラと呼ばれるナショナル響の指揮者になる。
 反体制で、言論人を多く擁護してきたロストロポーヴィチを起用するという、アメリカという自由な国の典型的な実例がここにあるわけであります!
その後、78年には、ソ連邦は、ロストロポーヴィチの国籍をはく奪するという対抗処置に出ます・・・

チェリストであり、ピアニストであり、指揮者でもあったロストロポーヴィチ。
自国の作曲家の作品を積極的に指揮して、広めることにも責務を感じていたと思います。

ソ連邦崩壊後、ナショナル響とロンドン響を振り分けて録音したショスタコーヴィチの交響曲全集。
その全部を聴いてませんが、ロストロポーヴィチならではの、濃厚な解釈と、そこここに聴かれるユニークな節回しなど、普段、わたくしが好んで聴く、欧州勢による純音楽的なスコアの解釈による、シンフォニックなショスタコーヴィチと異なるものを感じます。
 この8番も、ナショナル響が、ロストロポーヴィチの解釈にピタリと合わせていて、長大な第1楽章や4楽章のラルゴなど、実に深刻で暗澹たる音色を聴かせます。
一方で、スケルツォや行進曲調の楽章では、オーケストラの個々の奏者の妙技を引き出してますし、はちゃむちゃ感もお見事。

独ソ戦下に書かれた8番。
1943年の作品。
世界は戦争という災禍に覆われてました。

Kenedy

ナショナル響の本拠地、ジョン・F・ケネディ・センター。
1971年、このホールのこけら落としのために作曲されたのが、バーンスタインのミサ曲。

バーンスタインとこのホールとの関係でいうと、もう1曲。
1976年のアメリカ建国200年を記念して作曲された「ソングフェスト」があります。
間に合わずに1年遅れとなりましたが、1977年の10月に、作者がナショナル響を指揮して初演、12月にレコーディングされました。
そう、まさにロストロポーヴィチの音楽監督就任の年でもあります。

Bermstein_song_fest

  バーンスタイン ソングフェスト

 ~6人の歌手とオーケストラのためのアメリカの詩による連作~

  S:クランマ・デイル       Ms:ロザリンド・エリアス
  Ms:ナンシー・ウィリアムズ T:ネイル・ロッセンシャイン
  Br:ジョン・リアードン     Bs:ドナルド・グラム

   レナード・バーンスタイン指揮 ナショナル交響楽団

           (1977.12 ワシントン、ケネディーセンター)

  Ⅰ.賛歌

①冒頭の賛歌 「 一篇の詩を」 フランク・オハラ
 
  Ⅱ.3つのソロ

②「高架線の向こうの駄菓子屋で」ローレンス・フェルリンゲッティ

③「もう一人の自分に」 ユリア・デ・ブルゴス

④「君の言葉に言おう」 ウォルト・ホイットマン

  Ⅲ.3つのアンサンブル

⑤「僕も、アメリカに歌う」 ラングストン・ヒューズ

 「ニグロでいいの」 ジューン・ジョルダン

⑥「大事な愛しい夫へ」 アンネ・ブラッドストリート

⑦「小さな物語」 ガートルード・スタイン

  Ⅳ.6重唱

⑧「もし君に食べるものがなかったら」 e.e. カミングス

  Ⅴ.3つのソロ

⑨「君と一緒に聴いた音楽」 コンラッド・アイケン

⑩「道化師の嘆き」 グレゴリー・コルソ

⑪ソネット「わたしがキッスしたのは?」エドナ・セント・ビンセント・マリー

 Ⅵ.賛歌

⑫締めの賛歌「イズラフェル」 エドガー・アラン・ポー

バーンスタインによって選ばれた、アメリカ建国前の17世紀半ばから、20世紀当時までの300年にわたる自国の詩につけた歌曲集で、それらをソロやアンサンブルでつないで行く巧みな構成。

光と闇もありますが、愛のこと、結婚のこと、日常の生活、個人・みんなの豊かな豊富、創造的な思いなどを歌い継ぎ、作曲時の建国100年という節目に、良きアメリカを包括的に振り返るという内容になってます。
 一方で、ピューリタンとしてやってきた彼らの社会に内包される、黒人、女性、同性愛者、移民などを含むマイノリティの問題も、ここで取り上げているところが、アメリカの良識であり、バーンスタインらしいところです。

曲はとても聴きやすくて、エレキギターや電子オルガンなども含み、多彩な響きがオーケストラから鳴り渡りますが、明るく屈託がない場面や、シリアスなシーンも多々。
バーンスタイン節がそこここにあふれてます。

 最後のポーによる「イズラフェル(天使のひとり)」賛歌の一節

  住みたいものだ イズラフェルのところに
  彼がいる天上に そう、彼もわたしの住む地上では
  あんなにうまく歌うのは無理だ
  地上のメロディを天上と同じようには
  それにひきかえ、私ならもっと大胆な調べがあふれ出てくるのだ
  天にのぼって、私が竪琴を奏でれば


         (かちかち山のたぬき囃子さまの記事より)

理想を高く掲げ、求め続けるアメリカです。

いや、でした、か。

ポリティカルコレクトネスのもと、すべてがフラットに、という観念に縛られすぎ。
過去にも遡って断罪される。

異なる信教の方のために「メリー・クリスマス」も言えない。

そんな堅苦しくなったアメリカに、Make America Great Again! と掲げる大統領が出てきた。

バーンスタインが100歳で存命だったら、いま、どんなアメリカを作曲するんだろう。

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ワシントンD.C.

District of Columbia、特別自治区としての称号、コロンビアは、コロンブスのこと。
大統領のお膝元、ワシントンは、ワシントン州の州都。
人口は、60万人ほどだが、周辺首都圏ゾーンとしては、600万人ぐらいの規模となります。

Washington_2

桜並木で有名なポトマック川を背に立つ、ケネディ・センター
その東に目を転じると、ホワイトハウスがあります。
ホワイトハウスを中心に、放射状の街づくり。
地図でも見ても合理的でかつ、美しい。

そして、アメリカの歴史に名を残した人物たちが、街のあちこちに、その名を刻まれている。
自己の建国以来の歴史に、誇りを持ち、それを高らかにしているアメリカという国。
世界の民主主義をリードする覇権国家。
日本の街には、こんなあけすけな名前の付け方の場所はない。

敗戦で尊い永き歴史を一時的に否定されそうになったが、いまや民主主義国家として、アメリカと同盟を組み、ともに自由な理念を世界にリードしていく国となった。

飛躍しすぎましたが、ワシントンの街と地図をつらつら眺めていて思ったことです。

Washington_3

ザ・アメリカのひとこま
観光HPより拝借してます。

クリスマスには、「ハッピー・ホリディ」じゃなくって、「メリー・クリスマス」と言いたいよ。
八百万(やおろず)の神のわがニッポンですからなおさら。

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ナショナル響の指揮者の変遷。

ロストロポーヴィチ(1977~1994)、スラトキン(1996~2008)、I・フィッシャー(2008~2009)、エッシェンバッハ(2010~2016)、J・ノセダ(2017~)

実務的な実力者ばかり。
しかし、みんな録音が少ない・・・・
ノセダは、好評で、2025年まで、その任期を延長してます。

 

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2018年8月25日 (土)

バーンスタイン 100年

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清々しい夏の空と、緑。

ほんと、美しい。

この郷里の景色は、ここへ行くと、ずっといつまでもいることができる。

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レナード・バーンスタイン、生誕100年。

1918年8月25日、マサチューセッツ州生まれ。

1970年、大阪万博の年、海外のオーケストラやオペラが、こぞって来日。

そんななかで、ベートーヴェンの生誕200年も重なり、カラヤンはベルリンフィルでベートーヴェン・チクルス。
他のオーケストラも、ベートーヴェンが、そのプログラムに必ず載りました。

バーンスタインとニューヨークフィルの来日公演には、4番と5番の交響曲。
そのほかに、メインを「幻想交響曲」とするプログラムと、マーラーの第9のみとするプログラムが組まれました。

まだ小学生だったワタクシ。
すでに、伯父や従兄に感化され、クラシックマニアの端くれでした。

カラヤンが真っ先に好きになり、目をつぶって指揮真似をしたりの日々の中に、バーンスタインは、飛んだり跳ねたりの印象をまるで操作されるがようにして受けていて、ヨーロッパ本流からしたら違う、というイメージを受けてました。
 同時に、初めて聴いたバーンスタインのレコード。

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ベートーヴェンの第9であります。

従兄の家にあり、聴きました。

豪華なジャケットで、その重量と、そもそもの第9という音楽に関心しまくり。

でも、従兄の寸評は、歌が訛ってて気持ち悪い、バーンスタイン盤が欲しかったわけじゃなく、親戚のオバサンがもってきたもんだからしょうがないんだよ・・・的なコメントで、ワタクシは、即座に日本グラモフォンのカラヤン盤をお年玉で買った次第。

というわけで、わたくしの初バーンスタイン聴きは、ニューヨークフィルとのベートーヴェンの第9。
その後は、ニューヨークフィルとの旧ベートーヴェンは聴いてません。
いまいちど、子供の耳に届いた演奏を、おっさんの耳で聴いてみたいと思っておる。

その第9という意味では、1970年の来日公演を聴いた吉田秀和先生が、マーラーの第9が、あまり親しまれていなかった当時、曲の内容や、ブルックナーの第9との関連性などをふまえながら、バーンスタイン&ニューヨークフィルのことを論評していた。

ここから、マーラーという作曲家、マーラーの9番という曲への関心と、思い入れが始まったと言っていい。

で、高校生になって初めて手にしたバーンスタインのレコードが、マーラーの1番なんです。

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マーラー入門編の、交響曲第1番は、当時、バーンスタインをおいて、ほかになかった。

ワルターじゃなくて、自分はバーンスタイン。

ほかに、メジャーのレコードでは、クーベリック、ハイティンク、ショルティ、バルビローリ、ホーレンシュタインぐらいしかなかった。

初めて手にした、バーンスタインのレコードに、マーラーのレコード。
日々、興奮し、何度も訪れる爆発に、青春のエクスタシーを感じたもんだ。
そこには、指揮台でジャンプして、汗だくになるバーンスタインの姿も、脳裏に浮かびつつ。

この高校生の頃から、もともとアバドを信奉していた自分が、カラヤンから脱し、バーンスタインを全面的に応援し、好むようになった次第だ。
乾いた録音も、なんだか生々しくって、この曲のスタンダートともいえる演奏だ。

1974年のニューヨークフィルの来日公演では、試験があって、でも勉強なんか無視して、日程上行けた、ブーレーズ指揮の演奏会で、同時に来日していたバーンスタインの姿を、客席で至近に拝顔することができました。

そのあと、1979年のニューヨークフィルとの来演は、聴くことができなかったが、大学の友人が聴いて、ともかく大絶賛していたのがマーラー1番。

さてさて、そのあと長じて、1985年のイスラエルフィルとのマーラーの第9を聴いたことが、わたくしのバーンスタイン体験の、最初で、最強の思い出です。

映像のトリスタンも、あらためて観なくちゃ。

生誕100年。

バーンスタインは、指揮者としての功績もさることながら、作曲家としての偉大さも、あらためて評価され、大いに演奏会のプログラムに載るようになりました。

バーンスタインが50代で、中学生の自分は、知ることとなり、いまや生誕100年。
わたくしも、歳を経ました。
みんな、だんだん、いなくなっちゃう・・・・
バーンスタインは、青春と若き日、それから壮年時代の、よき伴侶でもありました。

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2015年8月21日 (金)

ストラヴィンスキー 「ペトルーシュカ」 ニューヨーク・フィル

Chiba_mono

千葉都市モノレール、千葉駅へ到着するところ。

懸垂式なので、一瞬、びっくりしますが、乗り心地は、いたってよろしいですよ。

ただ、街中に、大きな柱がいたるころに立っていて、景観的にはちょっとのところがありますが。

最近は、いろんなラッピングが行われたり、アニメとのコラボレーションや、車内ライブなんかもあったりしますから、面白いです。

千葉駅は、JR駅がただいま長期建て替え中で、ずっと工事しているイメージなのですが、7階建ての駅ビルが2018年には完成して、このモノレール駅とも通路でつながるそうな。

Petroucka

  ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」

    レナード・バーンスタイン指揮  (1969.5 @フィルハーモニックホール)

    ピエール・ブーレーズ指揮    (1971.5 @フィルハーモニックホール)

    ズビン・メータ指揮     (1979.5 @エイヴァリー・フィッシャーホール)

            ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団


お盆も終わり、甲子園も終了し(東海大相模、万歳!)、夏の威力は、徐々に弱まっている今日この頃。

晩夏には、「ペトルーシュカ」がお似合い。

華麗でありながら、かなり寂しく、ペーソスにもあふれた、人形と人間の世界の綾なすバレエ音楽。
1910~1年の作。
ディアギレフが、その完成を心待ちにしたハルサイと、同時進行しながらも、そのディアギレフが、作曲途上のペトーシュカに惚れこみ、その想いの後押しもあって、一気に完成させたのが、ペトルーシュカ。

「恋をしたわら人形(ピノキオ)は豊かな感情をもって、自らの悲哀を最後は亡霊となって人々の前に現れる。

いじめられっ子が、最後は霊や憎しみの返礼として復元し復讐する。
いまや、チープなオカルト映画みたいだけれど、わたしのような世代には、そんな恐ろしい映画やドラマが流行ったものだ。

ペトルーシュカは、サーカスという、これまた哀感あふれるシテュエーションの中に生きた悲しみの存在。
そのシテュエーションは、外部からは華やかな世界だけれど、内部は悲喜こもごも、嫉妬や差別の横行する辛い世界。
ペトルーシュカは、人間社会への警鐘でもありましょう。

最後、ペトルーシュカは、霊となって怒りもあらわに登場。」

 以上、「」は、過去記事から引用。

ニューヨークフィルの歴代指揮者が「ペトルーシュカ」だけは、揃って、同団で録音してます。
思えば、ブーレーズには、NYPOでも、ハルサイを録音して欲しかったな。

バーンスタインは、実に活きがよくって、ハツラツとした表情が、いかにも、おなじみのレニーっぽい。
後年のイスラエルフィルとの再録は、悠揚迫らぬ雰囲気もありつつ、でも元気ある演奏だったけれど、NYPO盤は、表情が明るく新鮮な思いを聴き手に与えます。
コンサートスタイルで、かつ劇的。
これで、踊るのはたいへんかも。

ブーレーズは、ほかの2盤が1947年版なのに対し、初演版の4管編成の1911年版。
録音のせいもあるけど、響きが豊かで、壮麗極まりなし。
テンポ設定は、早めで、キビキビと進行しつつ、切れ味も抜群。
冷徹でありつつ、音は熱い。
バーンスタイン盤より、録音がキンキンして聴こえるのは、古いCDのせいか。
CBS録音の、クリーヴランドとのハルサイとともに、最新の復刻盤はどうなんだろうか。
版のこともありけど、小太鼓が繊細で、音色を感じさせるのがブーレーズならではのこだわり。

 1975年、バーンスタインとブーレーズのふたりに率いられて、ニューヨークフィルが来日しましたが、当時、高校生だったワタクシ。
翌日が、試験だったのに、文化会館で、ブーレーズの演奏会を聴きました。
試験は、見事に、赤点だったのですが、斜め横に、バーンスタインも隣席し、指揮棒を持たないブーレーズの颯爽とした指揮と、オーケストラの精度の高さに驚きました。

 このときのプログラムがまた面白くて、マイスタージンガー、イタリア、キルクナーの曲、ペトルーシュカの4曲。

Nypo_2

このときは、ふたりで、ストラヴィンスキーの三大バレエを演奏してるんです。

ブーレーズのイタリアやベト2、バーンスタインのマーラー5番にエロイカですよ!!

高校生だったわたくし、もう、興奮しまくりでしたよ。
いま思えば、さらなる赤点覚悟で、この4演目、すべて聴いておくべきでした。

メータのCBSデジタル録音は、そのジャケットもふくめ、ハルサイに次いで、評判を呼んだものでした。
いま聴き返すと、先代の2人の個性と雄弁さに比べると、ちょっと常識的。
普通に素晴らしい演奏なんだけど、この曲に必須のリズム感とか躍動感が弱めかな。
デジタル初期の硬さも、録音面からも影響してるみたいで、CBSじゃなくて、デッカの絢爛ゴージャスな録音だったら、もっとグラマラスなペトルーシュカになっていたんじゃないかしら。
メータにしては、スリムにすぎるかも。
60年代のロスフィルとの旧盤の方が活力がみなぎってます。

※ペトルーシュカの大いなる聴きどころは、第4部、すべてが集約されて、血沸き肉躍るような冒頭の再現部が、フルオケで出現するところ。
そこと、最後の、哀しい結末との対比の落差。

 今回、NYPO3種で聴いてみて、そのあたりの一気呵成の盛りあげのうまさと、クールなまでの緻密さで、ブーレーズに軍配を差し上げましょう。
バーンスタインもメータも最高に素敵ですが、わたくしには、実演の遠い思い出が、決め手となってます。

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2015年8月13日 (木)

ヴェルディ レクイエム バーンスタイン指揮

Uminohoshi_2

前回の記事(ジル・レクイエム)のときに書いた、わたしの育った町にある幼稚園のカトリック教会。

とてもシンプルで、整然とした美しさ。

宗派は異なっても、教会とは、このように静かに、自分に向き合うところでもあるから、ありすぎない方がいい。

レクイエムは、カトリック典礼のミサで、その作曲者の奉じる宗派によっては、「レクイエム」とは無縁の人もいました。
だから、おのずとカトリックの多い、南の方の国にレクイエムは多いように思います。
 それでも、レクイエムの持つ、追悼と癒しの観念から、ブラームスやディーリアス、ブリテンのように、典礼文から離れた作品を残したり、声楽なしで、楽器だけのレクイエムを残した方もたくさんいます。

今日は、ブリテンとともに、毎年、この時期に聴く、ヴェルディのレクイエムを。

この作品こそ、ラテン系の正統レクイエムの最高傑作です。

Verdi_bernstein

    ヴェルディ  レクイエム

         S:マルティナ・アーロヨ   Ms:ジョセフィーヌ・ヴィージー

   
         T:プラシド・ドミンゴ      Bs:ルッジェーロ・ライモンディ

    レナード・バーンスタイン指揮 ロンドン交響楽団
                        ロンドン交響合唱団
                        ジョン・オールディス合唱指揮

               (1970.2.25 @セント・ポール教会、ロンドン)


毎夏聴く、ヴェルディのレクイエムですが、バーンスタインのヴェルレクは、記事として、今回が2度目。
最初は音源、今回は映像記録です。

1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を退任し、その活動の軸足を、ヨーロッパに向けだしたのが、1970年。
 もちろん、バーンスタインに一目惚れし、相思相愛となった街、ウィーンは、60年代半ばより定期的に客演する関係でしたが、ベートーヴェン生誕200年の記念の年、1970年あたりからは、さらに蜜月の度合いを深めていきました。

 同じく、バーンスタインを愛したオーケストラであり、愛した街がロンドン。
ロンドン交響楽団とは、桂冠指揮者の関係を得て、多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティに、バーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。

1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、ヴェルディのレクイエムに取り組みました。
 解説書の記録によれば、2月19~21日に、ロイヤル・アルバート・ホール(RAH)でリハーサル、22日にコンサート本番、23、24日に、レコーディング。
25日には、場所をセント・ポール教会に移して映像収録。
26日に、RAHに戻って録音の手直し。
という具合に、1週間に渡って密なる取り組みがなされたようです。

Verreq_4

すでに取り上げた、音盤を聴いての印象と演奏の内容は、基本は、同じに思います。

演奏時間90分は、他盤にくらべて長め。
 後年、ぐっとテンポが粘りぎみになる時代のものにくらべると、遅さと速さが同居していていながら、じっくりとやる場所は、思い入れも深く、早いヶ所は、より速く、その対比が実に鮮やか。
 そして、全編にあふれる覇気は、なみなみならず、こんなに、気合いと、強い思いを感じさせる演奏はありません。
 それらが映像で、バーンスタインの熱い指揮ぶりを見ながら聴くとなおさら。

 全曲、暗譜で指揮をするバーンスタイン。このとき、52歳。
まだお腹も出てないし、髪の毛も白さはほどほどで、銀髪の映画俳優のようなカッコよさ。
怒涛のように、のたうち、そして軽やかに踊るように舞い、祈るように、心を込めたその鮮やかな指揮ぶり。
この時代のレニーの本質の姿を本当に久しぶりにつぶさに見て、感激してしまいました。

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 前にも書きましたが、この映像は、NHKが、71年か2年の、8月のこの時期に放送しまして、当時、中学生だった自分は、「ヤング・ピープルズ・コンサート」で、バーンスタインの指揮は、つぶさに観て知っていたのですが、ここで、彼の指揮する「ディエス・イレ=怒りの日」の音楽の凄まじさに、目も耳も、すっかり奪われたのを覚えてます。

 以来、この作品を愛し、永く聴いてきましたが、劇的な激しさとともに、そこにある歌心と優しい抒情、その方にこそ、感銘を見出すようになって久しいです。

 そんな目線や聴き方で、一見、派手なバーンスタインのヴェルレクを聴くと、真摯な独唱者や合唱たちの姿も相まって、熱くて切ないほどの祈りの気持ちが響いてきます。

 ことに、「ラクリモーサ」は、バーンスタイン独特の世界が展開され、痛切なる思いに浸ることとなりました。
 二人の女声の歌声にしびれる「レコルダーレ」、若々しいドミンゴの歌う「インジェミスコ」、滑らかな美しいライモンディの「コンフタティス」・・・、いずれも、イタリアオペラ的でない、バーンスタインの流儀のカンタービレは、歌と感情に即した、音楽の万国人たる、ユニークな感じ方ではないかと・・・。

 そして、太鼓が教会の残響を豊かに伴って鳴り渡る「ディエス・イレ」は、CDのコンサート会場のものとは違って、勇軍かつ、劇的な雰囲気を作りだしてます。

Verreq_2

 若かった歌手たちのなかでは、わたくしは、J・ヴィージーのまっすぐの歌声が、その気品あふれるお姿を拝見しながら聴くことによって、一番よかったです。
カラヤンの選んだフリッカである彼女、まだ85歳で健在のようです。

 アーロヨさんも、まだ78歳でお元気の様子で、声のピークは、この頃ではなかったでしょうか。ヴェルディ歌手としての本領を感じますが、もう少し突き抜けるような軽さが欲しいかしらね。

 で、まだまだ元気のドミンゴとライモンディの同年コンビは、73,4歳。
おふたりともに、その美声は、後年よりもより引き立ってますし、そのお姿も若い。

 話は、少しそれますが、かつての昔は、オーケストラの中には、女性奏者を入団させず、男性だけのオーケストラが多くありました。
 今では、とうてい考えられないことですが、歴史的にもいろんなワケがあって、そうした妙な伝統として、近年まで守りぬかれていたことですが・・・・
 その代表格は、ウィーン・フィルとベルリン・フィル。
ベルリンでは、ザビーネ・マイヤーを入団させようとしたカラヤンとオーケストラの間で、大きな軋轢が生まれたことは、高名な話です。
 さらに、ニューヨークフィル、ロンドン響、レニングラードフィル、読響なども思い浮かびます。
 今回、映像により、ロンドン響の演奏姿を拝見したわけですが、たしかに、男性奏者だけ。
83年に、アバドとの来日公演を全部聴きましたが、記憶は不確かですが、そのときは、女性奏者はちらほら。
しかし、その公演にもいたお馴染みの、有名奏者たちが、この70年の演奏にも、見受けることができて、とても懐かしかったです。

Verreq_3

バーンスタインが健在なら、いまや96歳。
今年は、没後15年を迎えます。

年月の経るの早いものです。

この映像の冒頭に、バーンスタイン自身のナレーションが入ります。

1940年の4万人の死者を出したロンドン大空襲において、被災しなかった、セント・ポール教会で、多くの爆撃を受けた人々に哀悼をささげる。
 (あらゆる)戦禍と迫害は、忌まわしい非人道的行為であり、過去の犠牲者のみならず、現代と未来の我々のためにも、この演奏を捧げる。
過去の死者のためのみらなず、いま、生きる者の苦悩のためにも・・・

2度の世界大戦、朝鮮、ベトナム、ナイジェリアなどの戦争の名をあげ、さらに、指導者の暗殺などにも言及しています。

ヒューマニスト、バーンスタインならではの思いの発露でありましょう。

 あくまで、私見ですが、この当時は、敗戦国日本への大空襲や原爆にふれることは、きっとタブーだったはずだし、その実態も隠されていたものと思われます。
東京大空襲だけで、11万7千人、二度の原爆で20万人超、全国に空襲は広がり、50~100万とも・・・・。
 情報公開がしっかりしているアメリカから、最近になって、驚きの報がいくつも出てきます。

バーンスタインは、のちに、広島に訪れ、心からの追悼の念を持って、みずからの「カデッシュ交響曲」を指揮しました。

 レニーが、いま健在だったら、テロや憎しみ、隣国同士の恨み、それらを見て、どのような行動を起こすでしょうか・・・・。

過去記事 ヴェルディ「レクイエム」

「アバド&ミラノ・スカラ座」

「バーンスタイン&ロンドン響」

「ジュリーニ&フィルハーモニア」

「リヒター&ミュンヘン・フィル」

「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」

「アバド&ウィーン・フィル」

「バルビローリ&ニューフィルハーモニア」

「カラヤン&ベルリン・フィル」

「アバド&ベルリン・フィル」

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2015年4月24日 (金)

レスピーギ 交響詩「ローマの祭」 バーンスタイン・マゼール指揮

Festa_1

都会の祭りであります。

数年前の写真の再褐ですが、都心の三田で毎夏行われる、三田フェスの様子。

みんな、弾んでますねぇ~

関東人のわたくしですが、東北のお祭りも、関西のお祭りも、ろくに知りませんで、憧れをもって、毎夏眺めるばかりです。

日本の祭りは、キンチョーの夏ぢゃなくて、そこそこ、プリミティブで、夏の解放感も手伝って、野卑なところがあって、どこか、甘酸っぱいものがあります。

え? 自分だけかしら。

Festa_3

湘南カラーに埋め尽くされた、こちらは、平塚の七夕祭り。

毎度の昔話で恐縮ですが、子供のころから、平塚の七夕はお馴染みで、湘南電車でふた駅いって、煌びやかさと、出店の数々、そして、ときには、恐怖のどん底も味わう、まさに、祭りの醍醐味を味わいつくしていたのでした。

その恐怖は、お化け屋敷もありましたが、戦地から帰還の傷痍軍人さんたちが、道端で施しを求める姿が、そこかしこにありまして、それが、子供心に怖かった。
 どんな組織がそこにあったのか、よくわかりませんが、軍服を着て、アコーディオンを弾いたりして、みずからを悲しみに染めて、同情をひかんとする、その姿に違和感を持ったのは、もう少しあとのことでした。
でも、いまでは、戦地に赴いた皆さまのこと、われわれ子供や、日本の地のために戦い、傷付いた方々に、敬意とその負傷に同情を覚える次第です・

平塚の七夕ばかりか、川崎大師にも見受けられましたし・・・・・

あっ、また、よけいなこと書いてるし。。。
レスピーギのローマ三部作のなかでも、もっとも意欲的かつ、オーケストレーション的に円熟の極みをみた、最高傑作。
 わたくしは、三作のなかで、「祭」が一番好き!!

Respighi

  レスピーギ  交響詩 「ローマの祭」

    レナード・バーンスタイン指揮 ニュー・ヨークフィルハーモニック

                     (1968.3 @NY)

    ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

                     (1975.5 @クリーヴランド)


「祭」は、ともかく、かっこよく、人を酔わせるほどに、興奮と酔狂の極みにまで持っていってしまう。

レコード時代は、LP1枚で、「噴水」と「松」で完結してしまい、編成も大掛かりで、お金のかかる「祭」は、あまり録音されることはなかった。

そんななかで、オーマンディとバーンスタインは、この曲を得意にして、レコーディングも、しっかり当時からしてました。

いまでは、CD1枚に、三部作をおさめて、連続した演奏で、その真価を問う指揮者が増えました。

そんな、特異な「ローマの祭」を、今日は、思い入れのあるふたつの演奏で。

過去記事ぺたり・・・

>「ローマの松」もそうだがともかく、オーケストラがよく鳴る。

3部作のうち、一番最後(1928年)に書かれただけあって「祭」の方が多彩な表現に満ちており、R・シュトラウスばりの熟練のオーケストレーション技法がバリバリに楽しめる。

プッチーニの20年後輩だが、オペラに向かわずにオーケストラ作品や素敵な歌曲に桂曲を残したレスピーギ。
それでもオペラ作品もあるようなので、聴いてみたいと日頃思っている。(脚注・ただいま準備中)

いきなり金管の大咆哮で始まる「チルリェンセス」はローマ時代の暴君の元にあった異次元ワールドの表出。

キリスト教社会が確立し、巡礼で人々はローマを目指し、ローマの街並を見出した巡礼者たちが喜びに沸く「五十年祭」。

ルネサンス期、人々は自由を謳歌し、リュートをかき鳴らし、歌に芸術に酔いしれる「十月祭」。

手回しオルガン、酒に酔った人々、けたたましい騒音とともに人々は熱狂する。キリストの降誕を祝う「主顕祭」はさながらレスピーギが現実として耳にした1928年頃の祭の様子。

①の不協和音が乱れ飛ぶかのようなカオスの世界、ジワジワと祈りが浸透しつつ美しい広がりを見せる②、まさに自由だ!的な③は、イタリアの歌心満載。
そして、だまっていてもすさまじい④で逝っちゃってクダサイ。

てな、わけで、オーケストラの精度は度外視して、勢いと即興的な流れで、一気に「ローマの祭」を描ききったバーンスタイン。
一気呵成のすさまじいまでの、一直線の流れは、ある意味快感の域に達しつつも、どこか危ないくらいのやばさがある。
そう、これがバーンスタイン。
サーカスカーニバルの音頭なんか、まったく堂にいったもので、思わず、体が動いちゃう。
そして、怒涛のエンディングはとんでもないですぜ!!

 それと、この曲の演奏で大好きなのが、マゼールのクリーヴランド時代の演奏。
デッカのアナログ録音の超優秀さを、まざまざと体感できる。
ずばずば、しゃきっと、各々、決めどころが、完璧なまでに決まりまくる、鮮やかにすぎるマゼールのキレのよい指揮ぶり。
そして、あきれかえるほどに、うまい、クリーヴランドのオーケストラ。
上出来すぎて、それが不満。
そこに何があるって・・・・、バーンスタインの怒涛の味わいや、オーマンディの煌びやかだけど、語り口の放漫さ、慎ましいけど、透き通るようなオーケストレーションマジックの味わえるマリナー、そして、若き血潮みなぎりつつも、うますぎるヤンソンス。

それらの、わたくしのファイバリットと同等に、適度なデフォルメと、極めて高い音楽性に満ちたマゼール旧盤は、とっても素晴らしい名演なのでした。

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2014年9月21日 (日)

神奈川フィルハーモニー第302回定期演奏会 キンボー・イシイ指揮

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曇り空の涼しい土曜日、9月の神奈川フィル定期は、14時からの開始。

思えば、短時間のプログラムで、その分、たっぷり飲めました(笑)

でも、コンサート終了後は、心がとても暖かくなり、大きな何かに包みこまれたような気持ちにあふれました。

バーンスタインの音楽の包容力と、メッセージ性の強さを痛感したのです。

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  ガーシュイン    「キューバ序曲」

              「パリのアメリカ人」

  バーンスタイン   交響曲第2番「不安の時代」

          Pf:三舩 優子

    キンボー・イシイ 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

               (2014.9.20@みなとみらいホール)

8月は、グラズノフとチャイコフスキーの、真夏のロシアスペシャル。

9月は、ガーシュインとバーンスタインの、初秋のアメリカンプログラム。

いい感じの流れです。

来月は、コルンゴルトとエルガーの、わたくしの最大級のフェイヴァリット作曲家たちのプログラム。そちらは、自作の引用による作品たちと、20世紀中葉の頃の作品というくくり。

こうして、次々に、われわれ聴衆の感覚を刺激してくれるプログラムと、演奏の素晴らしさでもって、感動を与え続けてくれる神奈川フィルです。

3度目の定期登場のキンボー・イシイさん。
アメリカ、ヨーロッパ、日本で活躍中のイシイさんの作りだす音楽は、手堅くも明快、すっきり系で、神奈川フィルとの相性もばっちりでした。

そして、お得意のアメリカものです。

めったに演奏されない「キューバ」序曲は、10分たらずの曲のなかに、キューバン・ミュージックのダンスのリズムが満載の、はじけるような音楽です。
神奈フィル誇る打楽器陣が勢ぞろいして、ボンゴ、マラカス、ギロなどのラテンに相応しい楽器たちが楽しく打ち鳴らされるのは、観て聴いて、ウキウキしてしまうものでした。
惜しむらくは、昼の2時、われわれ聴衆が少し乗りきれなかったことでしょうか。

次の「パリのアメリカ人」とともに、ちょっとアルコールでも入った夜に聴いたりするのがよろしいかと・・・

でも、そんなこといいながら、さすがに神奈川フィル、美しい「パリアメ」でした。
パリアメに美しい・・という表現は、なんですが。
この曲には、明るく楽しい半面、郷愁やちょっとの寂しさも感じるので、こんなきれいで美しい演奏も充分にありなんです。
華奢な弦と、厚すぎない低弦、楽しいソロが満載の木管と金管。
そして、ここでも打楽器の活躍は楽しかった。
 ジーン・ケリーのミュージカル映画「巴里のアメリカ人」を、このガーシュインの曲ゆえ、何度も見たことがありますが、そこに漂うのも、笑いとともに、一抹のさみしさ。
 最後に、ジーン・ケリーが拾う、真っ赤な1輪のバラ・・・、その印象があまりに強いものですから。

そんな残像も、脳裏に浮かぶような、イシイ&神奈フィルのステキな「パリアメ」でした。

 さて、後半は、濃密バーンスタインの音楽。

この曲は、事前によく勉強して、曲のなりたちや背景、構成を頭にいれておかなくては、ただの暗→明の、よくあるピアノつきの交響曲としか受け止めることができません。

かなり以前に、秋山和慶さんがN響を指揮した演奏テレビで見たのが初験。
その後、バーンスタインがベルリン音楽週間で、イスラエルフィルを指揮したもののFM放送を録音し、長くこれを聴いてました。
CDでは、バーンスタインのふたつの自演と、スラトキンの演奏を聴いてます。

ですが、この曲のほんとうの姿、それは、曲の内容の詳細も含めて、これまでロクに知らずにまいりました。
神奈フィルの応援ページで、楽曲案内のお勉強記事を書くこともあって、今回は、相当に聴きこみ、原作のオーデンの詩のこと、CDの英文解説書などじっくり読みこんで、この音楽のなんたるかを手にしてからのコンサート。


 第1部 ①「プロローグ」
      ②「7つの時代」
      ③「7つの段階」

 第2部 ④「追悼歌」
      ⑤「仮面劇」
      ⑥「エピローグ」


こうした2部構成、6つの場面からなる全体が、さらに、第1部を第1楽章、以下、④=第2楽章、⑤=スケルツォ楽章、⑥=終楽章とみなされ、交響曲としての容に収まっている。

こうして緻密に構成された全貌を、しっかりと踏まえて理解させてくれたイシイさんの見通しのよい指揮ぶり。
そして、そこに一糸乱れずついて着いてゆく神奈川フィル。
楽員さんみなさんが、この音楽を感じ取り、バーンスタインの音楽の中に没頭している感が見受けられました。
日々、いろんな曲を演奏し、数日単位で、まったく異なる曲へと切り替えなくてはならない、オーケストラの皆さん。ほんと、尊敬します。
聴き側は、あれこれ言うだけで、ほんと勝手なものです。

そして、さらに素晴らしかった三舩さんの、この曲への打ち込みぶり。
それこそ、瞬間瞬間で変わる楽想や、弾き方のスタイル。
めまぐるしいまでのその進行を、完璧極まりなく手の内にされ、しっかりわれわれにバーンスタインの音楽の面白さを届けてくれました。

第2部の3つの場面の描き分け方も、指揮者・ピアノともに、見事でした。
深刻でヘビーな④、オケの咆哮もシビアで、キリキリしてしまいました。

一点、ジャジーな⑤は、ノリノリでかっこいい
わたしは、体がウキウキ動いちゃいましたよ。
三舩さんの、こういうピアノ最高ですね。
米長さんのコンバスのピチカートもかっこええ。
打楽器群もナイス極まりなし!

そして、来ました終楽章の感動の大団円。
前のブログにも書きましたが、どうしてもユダヤ的な思想が垣間見られるバーンスタインの手口ですが、宗教云々を言う前にそこにある、人間愛。
その讃歌として、この輝かしくも感動的なラストはあるのでしょう。
それを実感できた、素晴らしい演奏ではなかったでしょうか。

終了後、ホールは完全な沈黙の波にのまれました。
静かに、ブラボー一声、献上させていただきました。
聴こえたかな?

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恒例懇親会は、横浜地ビール「驛の食卓」の食卓にて。

午後公演だったので、今回は、お疲れのところ、多くの楽員さんをはじめ、楽団の方にもお越しいただき、さらに、いろんな輪の広がりから、たくさんの皆さまのご参加を頂戴し、新鮮なまさに産直ビールに、神奈川県産の食材の数々の料理を肴に、たいへん楽しいひと時を過ごすことができました。

こんな風に、聴き手と、音楽家のみなさまや、その関係者の方々と親しく触れあうことができること、これもまさに神奈川フィルの魅力ですね

みなさま、お疲れ様でした、お世話になりました。

さぁ、10月は、すごいことになるぞ。

千人、アラベラ、コルンゴルト、エルガー、わたしの大好物ばっかり。
どーしましょう

あっ、新国のパルシファルもあるし・・・・・。
ちゃんと仕事しなくちゃ・・・。

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2014年9月19日 (金)

ガーシュイン&バーンスタイン 神奈川フィル定期前夜祭

Kanapfill201409

  ガーシュイン    「キューバ序曲」

              「パリのアメリカ人」

  バーンスタイン   交響曲第2番「不安の時代」

          Pf:三舩 優子

    キンボー・イシイ 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

      2014年9月20日 土曜日 14:00 みなとみらいホール


先月のグラズノフ&チャイコフスキーのロシアン・プログラムに続いて、今月は、うってかわって、アメリカン・プログラム。
いい演目でしょ。

イシイさんは、これで定期3度目の登場。
いよいよ本領発揮の曲目たち。
日本、ウィーン、アメリカで学び、米楽壇を中心に活躍する一方、日本各地のオケに客演、そして、ドイツの名門マグデブルグ劇場の指揮者もつとめるオペラ指揮者でもあります。
これまで、のびのびと、大らかな音楽を作りつつも、知的なサウンドも聴かせてくれました。
 そして、イシイさんと同じく、ジュリアードで学んだ三舩さんのピアノ。
複雑な表情を見せるバーンスタインのピアノ協奏曲のような第2交響曲。
ピアニストにとっても難曲だと思います。
三舩さんの、幅広い表現が聴けることでしょうね、楽しみ。

ということで、これらの曲を、手持ち音源で。

Gershwin_maazel

  ガーシュイン 「キューバ序曲」&「パリのアメリカ人」

   ロリン・マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団


これらの曲の初レコードがこれでした。
「ラプソディ・イン・ブルー」も含めた1枚は、高校~大学時代、すり減るほどに聴いたものです。

録音から誉めるのもなんですが、ともかく、デッカの優秀録音で、音が極めてよかった。
どんな安い装置でも、肉厚に、輝かしく、ゴージャスに鳴りました。
そう、演奏もまさにそうで、セルのクリーヴランドが、マゼールのノリのいい指揮によって、アメリカのバリバリのオーケストラであることを強く認識させてくれました。
 でも、決して崩すことなく、正統クラシックとしての格調をすら感じさせる生真面目ぶりもあるんです。

亡きマゼール、面白い指揮者でした。
「ポーギーとベス」は、まだ未聴ながら、これらガーシュインの演奏は、マゼールの最大の遺産のひとつではないかと思ってます。

これらの曲、もちろん、バーンスタイン、プレヴィンも素晴らしいですな!

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  バーンスタイン 交響曲第2番「不安の時代」

       Pf:ジェームズ・トッコ

    レナート・スラトキン指揮 BBC交響楽団


シリアス・バーンスタインの顔がしっかりうかがわれる3つの交響曲。

「エレミア」に「カディッシュ」いずれもほかのふたつは、ユダヤ色が濃厚で、その内容も同様に濃くて、重い。

これまた中学生のころ、テレビで、バーンスタインのニューヨーク時代の連続テレビ番組を、毎土曜日だったか、見ておりました。
DVDにもなってますが、モノクロの映像で、MCとしてのバーンスタインの才能が炸裂してて、作曲家・指揮者・ピアニストにプラスMC、いや、教育者と呼ぶべきか、そんな風に思える番組でした。

そこでの縦横無尽の明るい指揮ぶりは、お馴染みのジャンプもまじえて、こちらには、楽天的なアメリカーーンとしての、レニーの印象を刻みつけるものばかりでした。

しかし、彼の残した音楽はどうでしょう。

表面的には、「キャンディード」は明るく華美で、「ウェストサイド」はメロディ満載でロマンティック。
でも、「キャンディード」のドラマは荒唐無稽だけど壮大で、感動的な人間ドラマです。
そして、「ウェストサイド」は、現代のロメジュリで、悲劇とそれがもたらす和解と平和。

そんな風に、バーンスタインの音楽には、大きな人間愛に満ち溢れているのです。
それを表出するために、宗教観や、シリアスな世界観を経ることになるのだと思います。

晩年に、その指揮する音楽は、とかく粘着的になり、テンポも遅くなっていったバーンスタインですが、自身が思うところの「愛」を必死に模索していたのではないかと。

曲の内容につきましては、神奈川フィルの応援フェイスブックに書きましたので、そちらのリンクを貼って、この場はしのぎたいと思います。
記事の一番下に貼っておきます。

バーンスタインの自作は、かつては、それこそ自演のものしか聴くことができなかった。
それが、いまや、そのシリアスな作品たちが、大いに評価されるようになり、「バーンスタイン指揮」というカテゴリーを離れて、客観的な解釈による他の指揮者によるものが、聴かれるようになりました。
このようにして、レニーの作品は、広く認知されていくのでしょうね。
 同時代人、ベンジャミン・ブリテンの音楽にも、まったく同じことが言えます。
そういえば、ブリテンも、作曲家・指揮者・ピアニストでした。
おまけに、○モという共通項も。
もちろん、レニーは、両刀使いでしたが・・・・・・。

最後に、格調が低くなりました。

スラトキンとBBCの演奏は、ほどよく熱くて、ほどよく冷静なところが実にいいです。
ふたつある自演盤も、もちろん聴いてますが、ちょっと疲れちゃうかも。

https://www.facebook.com/notes/we-love-%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%B7%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB-%E7%AC%AC302%E5%9B%9E%E5%AE%9A%E6%9C%9F%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%81%8A%E5%8B%89%E5%BC%B7-%EF%BC%93%E6%99%82%E9%99%90%E7%9B%AE-%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%9B%B2%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%92%E7%95%AA%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3/746982172004946



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2014年8月13日 (水)

バーンスタイン 「キャンディード」~Glitter and Be Gay

Sweets_foarst

おぉ、麗しのスィーツ天国。

自由が丘のスィーツ・フォレストは、甘いもののショッピングセンター。

一時の勢いはありませんが、まだ健在でしたよ。

あま~ぃ

Candide14

  バーンスタイン 「キャンディード」~「Glitter and Be Gay」

オペラ、「キャンディード」は、序曲ばかりが有名となりました。

たしかに、短い中に、ユーモアとドラマ、そして急転直下の音楽のスリル感。
それぞれが、演奏効果がたっぷりあがる名曲でありますね。

そのオペラ全曲を、数年前に観劇しましたが、カーセンの秀逸な演出でもって、アメリカンドリームと、ほのぼの感、そして最後は、地球規模ワールドワイドな壮大な環境保護や反戦へのテーゼを導きだす名舞台でありました。

その中におかれた、ヒロインのクネゴンデ(名前悪いね・・・)のアリア、「Glitter and Be Gay」は、わたくしの大好きな歌で、そう、序曲のエッセンスを、そのまま歌にしたかのような、バーンスタインの天才性とセンスあふれる曲なんです。

一番好きなのが、ドーン・アッショーの歌うCD。
ジャズもポップスも歌う彼女のセンス満点の歌唱がyoutubeにUPされてましたよ。

可愛さも感じるアップショーのアメリカンな歌。
若者も魅惑するだろな。

完璧かつ、心くすぐられませんか?

それに対し、女の人って、こわーーい、お父さんや、おじいさんは、きっとイチコロ。

そんな、恐ろしい、ナタリー・デセイのうますぎる歌。



わかっていても、はまってします、男のサガすら感じる、デセイさまの、有無を言わせぬすごさ。

もうおやめになって・・・

男たちは、みんな、そうしたもの。

みんな貢いでしまうので(byキャンディード)

でも、キャンデードの偉いところは、自分は、着実に農園を広げ、そんな彼に合う真面目な嫁をもらい、一方で、クネゴンデに騙されながらも、その虚構を見抜き、最後には達観してしまうところにありました。

 この、楽しいアリアは、キャンディードを騙してしまう、クネゴンデですが、本当は、そんな自分に苦しんでいるところを歌いださねくてはならない。

そうした葛藤でも、デセイさまは完璧ですよ。

そして、ドイツ語圏でも、深みさえもある、ディアナ・ダムラウが見事に歌ってますぜ。

こちらもいいですね。

こちらは、夜の女王にも通じる、ドイツ的な魔的な森の世界を歌い出してくれました。

こちらも、怖いわ・・・笑



そして、全米で大人気のクリスティン・チェノウィスさま。

1968年生まれのブロードウェイ歌手。

オペラの素養もあり、その歌への感情移入の見事さには脱帽。

オペラの側面としての「キャンディード」からすると、ミュージカルにぶれすぎだけど、オペラ=ミュージカルとしての方が作品の自由さからして、相応しく、むしろ、こんな歌唱こそ、バーンスタインが望んでいたのではないかと思ったりもします。

そして、最後は、再褐ながら、この歌唱をもっと進化させて欲しい、いや、きっとしている、彼女向けの曲でもある、パトリシア・プティボン。
天然系です。

クネゴンデみたいな可愛いど、おっかねぇ女には、おら、ぜってぇ、逢いたくねぇ~

過去記事

佐渡裕プロデュース「キャンディード」記事 ①

佐渡裕プロデュース「キャンディード」記事 ②

序曲とアリア

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