カテゴリー「バレンボイム」の記事

2024年1月 9日 (火)

ブルックナー ミサ曲第3番 バレンボイム指揮

Motosu

新年を寿ぐ言葉も申しあげることなく、年が明けて1週間が経過しました。

それでも個人的には海外の配信を中心に音楽はたくさん聴いております。

第9はあえて聴かないと決めたへそ曲がりは、ラフマニノフとプロコフィエフ、フンパーディング三昧で年を越し、年初はショックと暴飲暴食三昧で日々茫然としつつも、ティーレマンのニューイヤーをネット配信で聴き、悪くないと感心。
ジルヴェスターでは、ペトレンコのワルキューレ1幕で、ベルリンフィルというオーケストラの超高性能ぶりに唖然としつつ、こんな緊張感の高い演奏ばかりしていて大丈夫かな、血管とか切れないかな、とかあらぬ心配をしたりもした。

あとスカラ座のオープニングのドン・カルロではネトレプコとガランチャに酔い、ピッツバーグのアーカイブ放送からマゼールのブルックナー8番も堪能。
あとネットオペラ放送では、プロヴァンスでのマリオッテイ指揮のオテロ、ベルリンでのユロフスキ指揮のR・コルサコフのクリスマス・イヴも聴いた。
コルサコフのオペラは、いずれも幻想味があってとても美しい~

そんななかでも、仕事もちょいちょいしているし、親と孫のお世話もしてるので、ともかく忙しい。

こんな年末年始を過ごしましたよ。

あ、ちなみに写真は12月に巡った富士五湖のなかから、本栖湖。
この日は終日、雲ひとつない晴天で5つの湖すべてで富士山を望めました。

2024年のアニバーサリー作曲家の目玉のひとつは、ブルックナー(1824~1896)でしょう。

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  ブルックナー ミサ曲第3番 へ短調 (ノヴァーク版) 

   S:ヘザー・ハーパー Ms:アンナ・レイノルズ
   T:ロバート・ティア Bs:マリウス・リンツラー

  ダニエル・バレンボイム指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
                ニュー・フィルハーモニア合唱団
       合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ

                                    (1971 @ロンドン)

交響曲作家としてのブルックナーには、本来は宗教音楽作曲家としての側面もあり、そちらが音楽のスタートラインだったと思う。
父親と同じく、オルガニストとして活動したブルックナー。
交響曲第1番を完成させたのは42歳になってからで、その前に習作的な交響曲はあるものの、自信をもって番号を付したのは1番から。
0番は1番のあと。

40歳以前の作品は、その自信のなさから破棄されてしまったというので、ほんともったいない。
そしてミサ曲は、番号付きの3つの作品以外に初期に4作あり、全部で7つのミサ曲とレクイエムがひとつある。
あとは秀逸なモテットやテ・デウム。

ミサ曲の1番は40歳、2番は交響曲第1番とともに42歳(1866)。
そしてミサ曲第3番は、第1交響曲の初演にこぎつけた1868年、44歳のときの作曲。
こんな時系列を頭にいれてブルックナーの初期、といっても立派なオジサン年齢ですが。。。初期と呼ぶ作品群を聞くと興味深いですね。

キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス・デイの通常のミサの形式からなり1時間の大作。

宗教作品らしく音階の大胆な展開は少なく、全般に穏やかかつ平穏な雰囲気。
そしてなによりも美しい。
ブルックナーの緩徐楽章を愛する人ならば、このミサ曲のそこかしこに、ブルックナーの交響曲の2楽章にある自然を愛で賛美するような清らかな音楽が好きになるに違いない。
またソロヴァイオリンを伴って、テノールが熱く歌うシーンなどは、テ・デウムと同じくだし、やはり篤い宗教心や祈りの気持ちが陶酔感を伴うように熱を帯びているのも篤信あふれるブルックナーの音楽ならでは。

しかし、何度も何度も聴いても美しいという印象は受けるものの、聴き終わって、全体のディティールや旋律などが明確に自分のなかに出来上がらないし、残らない。
そんなところが、このミサ曲の魅力なのか・・・

2008年、いまから16年も前に、神奈川フィルの音楽監督だったマルティン・シュナイトの指揮で、このミサ曲だけの演奏会を聴いた。
バレンボイムの58分の演奏時間に対し、そのときのタイムは70分あまりもかかった。
しかし、初めて本格的に聴いたそのシュナイトのブルックナーのミサは、神奈川フィルの美音も手伝い、祈りと感謝に満ちた、まるで教会で音楽に立ち会うかのような荘厳な演奏だった。

そのときのブログから

>アルプスの山々を見渡す野辺に咲く花々を思い起すかのような音楽に、私は陶然としてしまった。
2番への引用もなされたこの章の、神奈川フィルの弦と、フルートの素晴らしさといったらなかった。

そして誠実極まりない合唱も掛け値なしに見事。
 それに続く、アニュスデイも天上の音楽のように響きわたり、ホールが教会であるかのような安らぎに満ちた空間になってしまった。
合唱が歌い終え、最後に弦とオーボエが残り静かに曲を閉じた時、シュナイトさんは両手を胸の前に併せて、祈るようなポーズをとって静止した<

南ドイツでバッハを極めたシュナイトさんと、駆け出し指揮者だったバレンボイムとを比べるのも酷だが、ここでのバレンボイムの指揮は神妙で、優しい手触りでもって丁寧に仕上げた。
克明で言葉も明瞭な合唱は、かのピットの指揮。
ぎりぎり存命だったクレンペラーの君臨したニュー・フィルハーモニアのしなやかな弦も美しいし、管もブリリアント。
この時期のフィルハーモニア管はよかった。
60~70年代の声楽作品のイギリス録音では、ハーパー、レイノルズ、ティアーは常に定番で、あとはシャーリー・クヮークでしょうか。
ここでのリンツラーの独語の明快さと美声、もちろんほかの定番3人も素晴らしい。

このミサ曲3番、このバレンボイム盤以外は持ってません。
エアチェックとしては、ヤノフスキ、ヤンソンスなどのライブも聴きましたが、バレンボイム盤が一番美しい。
ヨッフムも聴かなくちゃいけませんね。
今年はほかに新録音なども出るのでしょうか。

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湖畔道路に降りて、ちょっとアングルを変えて。

こんな風にひとりカヌーを楽しむ方も。

気持ちいいだろ~な

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さらに近づいて、水辺の様子を。

コバルトブルーの美しさ。

幾多の災害を経ても復活する日本の自然のピュアな美しさ、ぜったいに守らなくてはいけません。

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2021年7月18日 (日)

バレンボイムの欧・露音楽

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靖国神社の「みたままつり」2021、お詣りしてきました。

昨年は中止、今年は出店や音楽舞台、神輿などの奉納行事は一切なく、美しい幻想的な提灯と懸雪洞のみ。

立錐の余地のなくなるこれまでと違い、静かな境内は落ち行きあるものでした。

梅雨明け前夜、ほのかな月も美しかったです。

特に、この期間のみ、宮の中庭も拝観・参拝できまして、普段は入ることのできない場所だけに貴重な体験もできました。

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仙台から奉納された七夕飾り。

今年は短くなり、しかし、よく見ると千羽鶴なんです。

中庭参観で授かった呼鈴守りには、「この国難に、一日も早い感染症の終息を祈念致します」とありました。。。

ほんとそう、みたままつりは、新入社員時代の会社が至近にあったのでそのときから行ってました。

あのときの賑やかさが戻ることを・・・・・

 さて、音楽の方は賑やかに、若きバレンボイムに誘われて、旅気分でいきましょう♬

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  R=コルサコフ スペイン狂詩曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1977.3 @オーケストラホール、シカゴ)

シカゴの音楽監督になるまえに、70年代後半に、DGへヨーロッパとロシアの音楽を特集したレコードを数枚録音しました。
私はロシア盤だけレコードで購入し、他はCD時代になって聴きました。
 ということで、まず、第1弾のロシアへまいりましょう。

「はげ山」「ダッタン人の踊り」「ロシアの復活祭」「スペイン狂詩曲」の4曲。
これがまあ、明るくて楽しくて、レコードの鳴りもよくて大学生だった自分は毎日聴いたものです。

ロシアの憂愁やおどろおどろしさ、暗さなどは皆無。  
あっけらかんと、どっかーーんと、大音量で楽しむに限る。
シカゴの名人芸を、35歳の若きバレンボイムが、自ら楽しむがこどく堪能してる感じであります。
バレンボイムは、以外やロシアものが得意。
ことに、オペラを存外に好んで指揮していて、コルサコフだと「皇帝の結婚」、「エウゲニ・オネーギン」、プロコフィエフの「賭博者」に「修道院での婚約」なども取り上げてます。
いずれも、ロシアというか、ドイツ目線の演奏に感じますが、才気あふれる指揮であることには変わりなく、多彩な人だと実感。

シカゴの録音はDGのものが一番好き。
当時のデッカはメディナテンプルで、DGはオーケストラホール。
音の分離の良さや重厚さではデッカ、響きの良さとやや乾いたホールトーンも楽しめる雰囲気があるのはDG。
そんなイメージをずっと持ってます。
この時期の、アバドやジュリーニの録音もそうですね。
 バレンボイムとシカゴは、後にエラートに録音するようになりましたが、演奏も録音も、DG時代の方がはるかに好きです。

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  ブラームス ハンガリー舞曲第1、3、10番

  ドヴォルザーク スラヴ舞曲 op.46-1、8

  ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1977.11 @オーケストラホール、シカゴ)

これまたシカゴのゴージャスサウンドが楽しめるけれど、こうして聴くとやはり、ブラームスはバレンボイムの性に合ってる感じ。
東欧音楽の1枚は、あと、「モルダウ」と「レ・プレリュード」が併録されてます。
リストもバレンボイム向きなだけに、なかなかシリアスな名演になってます。
アンコールピースみたいないずれの曲だけれども、真剣勝負のシカゴはここでもすごい。
ハンガリー舞曲では、独特のうねりのような情念も感じられ、オケももしかしたら古き良き過去の大指揮者を思いつつ懐かしんでる風情があり。
一方のスラヴ舞曲は、構えが大きく、チャーミングさ不足か。しゃれっ気が欲しいくらい。
そういえば、バレンボイムはドヴォルザークを振りませんね、新世界すらない。

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  メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

      (1979.3 @オーケストラホール、シカゴ)

ドイツ名曲集は、この「真夏の夜の夢」に加えて、「フィガロ」「オベロン」「舞踏への勧誘」「ウィンザーの陽気な女房たち」そして、シューマン全集から「マンフレッド」序曲が加えられてます。
さすがにドイツものとなると、バレンボイムとシカゴの面目躍如で、どっしりと構えつつ、堂々たる音楽の運びで充実してます。
フィガロやウィンザーには、より軽やかさを求めたくもありますが、オベロンと真夏の夜は、ロマンティックでドイツの森を感じさせ、単体で聴くオーケストラピースとしては完結感にもあふれていて実に気分がよろしくなります。

ちなみに、この録音の5年後に、シカゴ響はレヴァインとこの作品を録音してますが、そちらは軽やかで威勢のよさを感じます。
バレンボイムは、より堂々としていて、重たいです。
ワーグナーもこの時期、のちのエラートの時代でなく、シカゴで録音して欲しかったものです。

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  サン=サーンス 交響詩「死の舞踏」

 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

      (1980.10 @パリ)

1975年にパリ管の首席に就任していたバレンボイム。
当然のように、フランス管弦楽作品は、パリ管。
しかし、寄せ集め感があって、既存録音のサムソンとデリラやベルリオーズなどからチョイスされてます。
「ローマの謝肉祭」「ベンヴェヌート・チェッリーニ」「ノアの洪水」「サムソンとデリラ」「魔法使いの弟子」などが収録。
シカゴから順番に聴いてくると、ここで明らかにオーケストラの毛色がまったく変わったのがわかります。
もちろん、録音の違いも大きいですが。
サラッとしてて、しなやかなサウンド。
バレンボイムの指揮ですから、重心はやや下にありますが、ヨルダノフのヴァイオリンソロも含め、木管のさりげないひと吹きも色艶があって、魅惑的です。
ドビュッシー、ラヴェルやフランク、ベルリオーズなど、パリ管時代に残してくれた数々の録音は、いまや達観の域にあるバレンボイムの若き貴重な遺産だと思いますね。

 しかし、パリ管は、フランス人指揮者が首席にならないし、毎回、よく変わります。

ミュンシュ→カラヤン→ショルティ→バレンボイム→ビシュコフ→ドホナーニ→エッシェンバッハ→P・ヤルヴィ→ハーディング→マケラ

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 ディーリアス 「春はじめてのかっこうを聞いて」
        「川の上の夏の夜」
         2つの水彩画
        「フェニモアとゲルダ」間奏曲

 ダニエル・バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団

      (1974.5 @ハンブルク)

音楽旅は、大好きな英国へ。
パリから、ロンドンに着くと、音楽も演奏も、1枚ヴェールがかかったように、くすんでいる。
本格的な指揮活動は、イギリス室内管と。
いうまでもなく、モーツァルトの弾き振りからだったのですが、EMIで徐々にレパートリーを拡張。
「浄夜」と「ジークフリート牧歌」にヒンデミットを組み合わせた1枚なんて、最高だった。
ベルリンでも録音したエルガーを除くと、英国音楽の録音は、この1枚と、RVWの協奏曲のみかもしれない、ましてディーリアスはありえない。
「グリースリーヴス」「揚げひばり」、ウォルトン「ヘンリー5世」が併録。
のちに、RVWのオーボエとチューバの協奏曲も録音。

室内オケでありながら、恰幅のよさはバレンボイムならではですが、ひたすらに肩の力を抜いて慎ましい演奏に徹しているのがよかった。
時節柄、「川の上の夏の夜」に「水彩画」、「フェニモア」がことさらによろしく響き、窓から入り込む夏の風もどこか爽やかに感じるがごとくでありました。

指揮者としての日本デビューは確か、1971年で、こちらのイギリス室内管と。
モーツァルトを中心とするプログラムで、髪の毛はもじゃもじゃだった。
その時に、N響にも来演し、ズッカーマンとメンデルスゾーン、チャイコフスキーの4番を指揮してます。
テレビで見ましたが、あの時の指揮はよく覚えてます。
 http://wanderer.way-nifty.com/poet/2006/09/post_4a42.html

あのときのごりごりした指揮ぶりとは別人の神妙さ。
懐かしい郷愁の響きもここでは感じます。
バレンボイムも若かった、イギリスのオケも味わいがあった・・・・

先ごろも、ピアノストとして来日し、ベートーヴェンを聴かせてくれたバレンボイム。
78歳、まだまだ活躍しそうな感満載のずっと精力的なこの芸術家は、音楽史上まれにみる存在であります。
ベルリン・シュターツカペレとは、もう40年近くになります。
また、このオーケストラを率いて来演して、オペラも含めて指揮をして欲しいと熱望します。

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心落ち着く日がともかく恋しい。

若きバレンボイムによる音楽旅、楽しかった。

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2017年10月25日 (水)

ブルックナー 交響曲第9番 バレンボイム指揮

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竹芝桟橋からの月島方面の眺望。

日の出の時間帯です。

東京の都心はビルだらけで、空が狭い。

けれども、海方面に行けば、こんなに素晴らしい空も眺めることができる。

東京は、日本各地の美しさにも劣らず、このように美しい街です。

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  ブルックナー  交響曲第9番 ニ短調

    ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

         (1975.5 オーケストラ・ホール シカゴ)


かつては想像もつかないくらいに、ブルックナーとマーラー、それに続いてショスタコーヴィチの交響曲全集が録音されるようになった。
いったいいくつあるんだろう、的なレベルだ。

レコード時代だと何十枚もの組み物になって、何万円もしたものが、いまや数枚、数千円のCD時代の恩恵もあるが、なんといっても、これらのシンフォニーたちが、ベートーヴェンやブラームス並の人気曲になった証であろう。

そんなわけで、自分もそこそこ全集そろえてしまいます。

3回もブルックナーの全集を録音している指揮者は、これまで、バレンボイムをおいて、ほかにいない。
入手して数ヶ月、ようやく聴こうと思ってるベルリン・シュターツカペレとの全集のまえに、最初のシカゴ響とのものをあらためて全部そろえてみて聴いてみた。
ゼロ番から順番に。

何度も聴いてきたもの、今回、初聴きのものも含めて、このシカゴとの全集は、室内オーケストラから、フル・オーケストラを指揮するようになって、まだ間もなかった30代のバレンボイムが、アメリカの超ド級のオーケストラを前にして、少しも臆することなく、堂々と渡り合う姿が、ときに頼もしく、ときに青臭くも感じる、そんな演奏となっている。

ショルティのもと、黄金時代を築いていたシカゴ響は、DGとは、メディナテンプルを録音会場としたデッカより先に、本拠地のオーケストラ・ホールでの録音をバレンボイムとのブルックナーシリーズで開始した。
DG初レコーディングは、72年の「4番」ではなかったのではないかと記憶します。
その次が、75年の「9番」。
このあと、シカゴ響は、アバドやジュリーニとも、76年からマーラーを中心に、怒涛の名録音を残していくことになります。
ちなみに、ジュリーニのこれまた名盤、シカゴとのブルックナー9番は、76年12月の録音であります。

 さて、通して聴いた、バレンボイム&シカゴのブルックナー。
特に、気に入った演奏は、レコード時代から聴きなじんだ4番、それと剛毅な5番、美しい6番、最近食傷気味だったのに、とても新鮮だった7番、若気の至り的に思ったけど、大胆な8番、そして堂々たる9番でありました。

そんななかから「9番」を記事にしてみました。

演奏時間61分、前のめりになることなく、いや、むしろ老成感すら漂わせる風格。
ときおり、若い頃のバレンボイムの力こぶの入った指揮ぶりを思い起こさせるところもある。(初めてバレンボイムの指揮をテレビで見たのが73年の、N響への客演で、実際に拳を握りしめて突き出すような指揮ぶりだった)
 しかし、そんな力の入れ具合が、完璧なアンサンブルと、絶叫感のないシカゴ響が見事に吸収して、堂々たる風格へと全体の雰囲気を作り上げているように思える。
テンポのとり方、間合いも泰然としたものに感じる。

孤高な感じと、スタイリッシュなカッコよさすら感じる1楽章には痺れました。
スケルツォ楽章では、シカゴのパワー全開な一方、デモーニッシュな吃驚感も導き出し、恐ろしい30代と思わせる。
諦念と、抒情、崇高さの相まみえる難しいアダージョ楽章も、若さの片鱗すら感じさせない熟した響きだ。
しかし、全編、ともかくシカゴはうまい。
特にブラスの輝きとパワー。

このレコードが出たとき、レコ芸の批評で、大木正興さんが、「端倪すべからざる演奏」としていたことが、今もって記憶される。
この言葉自体が、その後もバレンボイムの推し量ることのできない才能をあらわすものとして、自分の中には刻まれることとなったが、演奏のムラも一方で多い、この複雑な才人に対する言葉としても、言い得ているようにも思う。

このブル9あたり以降、バレンボイムはトリスタンを手始めに、ワーグナーに傾倒していくことになりますが、そんな気配もこの演奏には感じ取れることができます。
いいときのバレンボイムは、ほんとうに凄い。
2007年のベルリンとの来演のトリスタンがそうです。

さて、シュターツカペレ・ベルリンとの全集の前に、ベルリンフィルとの全集を手当てしようかな・・・悩み中

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2015年5月28日 (木)

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第1番 ルービンシュタイン

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眩しくも鮮やかな新緑。

緑は、いまが一番、空にも、街にも、映えますね。

もうじき梅雨を迎える、濃くなる前の、そんな前の緑が美しい。

若々しい、緑のような音楽を。

Green_azumayama_2

   ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 op15

        Pf:アルトゥーロ・ルービンシュタイン

   ダニエル・バレンボイム指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                      (1975.4.9 ロンドン)


ベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲のうち、何番がお好きですか?

そんな質問があったら、クラシック聴き始めの自分だったら、1番か5番。
そのあと、そこそこ、クラシックに馴染んだ自分だったら、4番。
そして、いま、普通もいいけど、それじゃすまない、多方面外交にうつつをぬかす自分だったら、1番か3番。

聴き始めのころの好印象の1番が、いまのヲタク聴き的な自分からしても、かなりのお気に入り位置にいることに、妙にうれしかったりします。

調和のとれたハ調、モーツァルトの協奏曲の延長上にありつつも、ベートーヴェンならではの、キリッとした表情と、青年の主張的な爽やかさと、たどたどしさ。
 1番には、そんな清潔な美感と、旋律の美感があふれているんです。

1794年、ベートーヴェン24歳のときの作品は、出版の関係から、2番の方があとになったが、実は、この1番の方が後年の作品。
1番・2番ともに、古典的でありますが、作曲家の思いを強くしみ込ませ、後の、ロマン主義の萌芽を、より見出すことのできるのは、1番の方。

うららかな歌と、抒情にあふれた3つの楽章を、晩春に聴くと、寂しさよりは、これから始まる自然の爆発を、より強く感じることができます。
 とりわけ、たおやかな第2楽章がステキです!

ルービンシュタインは、この録音時、すでに88歳。
生涯に3度のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を残したルービンシュタイン。

56年に、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エア~56歳
63年に、ラインスドルフ&ボストン響~76歳
75年に、バレンボイム&ロンドン・フィル~88歳

どうです、この履歴。
人間の生きざまの、可能性として、こんなに嬉しい年代の記録ってないです。

88歳の老人(失礼)が、かくしゃくと、寸分たがわず、明晰に弾くベートーヴェン。
そして、そここに、味わいのある、タメやフレーズの歌い回しが。

これはもう、なにをかいわんやの世界です。

ほかの番号も、同様に素晴らしいのですが、88歳の老齢の巨匠が、24歳の作曲家の曲を、いかにも、昨日今日出会ったかのような、新鮮なタッチでもって演奏する、そんな1番が、とっても美しく、鮮やかなんです。

指揮に、バレンボイムというのも斬新な70年代半ば。
バレンボイムは、アシュケナージとならんで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の、ピアノ弾き語りと、ピアノ独奏、オケ指揮という、文字通り多方面の顔を、CDに刻んだ、最初の超人であったと思います。

流れと、勢いにまかせて、今宵は、このコンビの演奏で、3番なんぞも、聴いてみようと思ってます!

しかし、歳を経て、年代と共に、アダージョなどの緩徐楽章にこそ、心奪われるようになってきました。
ちょっとの、ギャラントさも残す、1番の2楽章が、この演奏では、このうえなく、達人の演奏の域に思えるのでございました。。。。

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2014年6月18日 (水)

ビゼー 「アルルの女」 バレンボイム指揮

Ouji_ajisai

いま、もっとも盛りの紫陽花です。

アジサイには、いろんな品種があって、しかもパステル調の色合いが、梅雨の時期にぴったり。

Ouji_ajisai_2

じめじめのところにも、道端のほこりだらけのところにも、日の当たる乾燥したところにも、紫陽花は、どこでも強いのであります。

いまの季節、雨の中でも、梅雨の中休みの晴れ間でも、楽しませてくれる紫陽花たちなのでした。

Bizet_barenboim

  ビゼー  「アルルの女」組曲 第1番

    前奏曲、メヌエット、アダージェット、カリオン

  ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

               (1972.10 パリ)


何故か、ビゼーが、そして「アルルの女」が聴きたい気分。

そして、第1組曲しか録音してくれなかったので、ちょっと残尿感も残る(?)音盤で。

ビゼーがドーテの「アルルの女」に劇付随音楽をつけたのが、全部で27曲。

初演はイマイチの評判だったし、全作が録音されることは、いまでも極めて稀ですが、ビゼーが自信を持って、それらのなかからセレクトした4曲が、この第1組曲。

メヌエットやファランドールが入ってる第2組曲は、友人で、「カルメン」をレシタティーボ付きの華やかなスタイルに補筆したギローが、作者の死後に選んだものです。
 しかも、フルートの美しいメヌエットは「美しいパースの娘」からの転用であります。

ですから、ビゼーのオリジナルの意思を反映しているのは、第1組曲のみ、ということになり、ここで、若きバレンボイムが、そうした選択をしているのは、ひとつの見識でもあります。

まだフルオーケストラを指揮しはじめて間もない頃のバレンボイム。
ありあまる才気を、そこに爆発させているかといえば、必ずしもそうではなく、思いのほか慎重で、爽やかですらある半面、低音もずしりと響かせ、旋律線も、場面によってはねばりを見せたり、曲に切り込もうとする意欲がヒシヒシと出ております。
 そんな、多面性が妙に面白かった、若いころのバレンボイム。

せっかくのパリ管を使っておきながら、お洒落でも、おフランスでもなんでもない。

でも、このオケの管の独特の華やかさと、美しさは、充分に感じられますよ。
EMIの録音も、ここでは悪くはないです。

前奏曲のサキソフォーンの歌いぶり、アダージェットの美しい表情。
そして、わたくしの大好きな2曲、メヌエットとカリオン。
夢のような中間部が素敵なメヌエットに、輝かしいカリオン。
そして、全曲にわたって、どこか暗い影も漂わせるのがバレンボイムの指揮。

そもそも「アルルの女」の物語は、極めて血なまぐさくて、南フランスの血の濃さ。
たぎる情熱が、まるで、南イタリアのようで、イタリアオペラにいう、ヴェリスモみたいな現実の痴話物語でもあるんです。
チレーアの同名のオペラで、その筋を紹介してますので、あらすじだけでも読んでみてください。バカらしくなります。 →チレーア「アルルの女」

ですから、きれいきれいに仕上げるばかりでなく、そんな暗さをも引き出すのも、指揮者の解釈のひとつかもです。

「アルルの女」にも、いろんな楽しみ方があるもんです。
定番のクリュイタンス、明るい歌の満載のオペラティックアバド、ピュアな爽やかマリナー。
これらも大好きです。

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ネットで、オリジナルジャケット見つけました。

懐かしいな。

そして、あたりまえだけど、若いな、バレちゃん。

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2013年11月17日 (日)

シェーンベルク 「清められた夜」 バレンボイム指揮

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低気圧の去ったあとの、急激かつドラマティックな夕暮れ時を捉えることができました。

夕焼け大好き男が、そのフェイヴァヴァリット嗜好をはぐくんだのは、この場所。

実家の家の、2階にあった自分のお部屋から見た夕焼け。

かつてはなかった建物もありますし、木々が変化して、富士山の頭も見えなくなってしまったけれど、小さな街が海から北側に開ける様子を、こうして横から眺めることができます。

右手は丹沢・大山山系、左手は吾妻山です。

夕暮れ時は、窓から見えるこんな景色を眺めながら、ワルキューレのウォータンの告別や、パルシファルのラストシーン、トリスタン、マーラーの第3や第9、ボエームやトスカ、ディーリアスの儚い音楽の数々、・・・・、あげればキリがないくらいの音楽たちとともに過ごしました。
若くて、多感な日々ですが、歳を経てしまった今では、それらはノスタルジーにしか過ぎず、この場所に戻ってこれるのは年に数回のみ。
自ら選んだ道とはいえ、都会の現実の厳しい日々にさらされる毎日です。

多くの方々にも共感いただける現実ではないでしょうか。

身をおいた境遇から脱することは易くありませんが、音楽はかつての自分に近付けてくれる、なんら変わらない存在なのです。

そう思うと、音楽を聴かないという自分は想像もできないし、音楽の数々のその存在に感謝したくなるんです。

今夜は、そんなノスタルジーかきたてる、そしてあの夕焼けが、だんだん藍色の空に染まって、やがてこの西の空に金星が輝き、暗い空にまたたいてゆくのを眺めて聴いた、シェーンベルクの「浄夜」を。

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   シェーンベルク  「清められた夜」

     ダニエル・バレンボイム指揮 イギリス室内管弦楽団

                   (1967.6@アビーロード・スタジオ、ロンドン)


後期ロマン派、濃厚な情念あふれるスウィートかつ、どこか苦みも聴いたサウンド。

全編がそんな感じの「浄夜」。

1899年の作曲、シェーンベルク25歳の若き日の作品。

わかりますよ、25歳。

だれしもあった(ある)、20代の燃え盛るような思い。

それは人生に対してであったり、仕事に対してであったり、そして恋愛に対して!

そして、年々、そんな思いはいずれも遠くになりゆき、すべてが客観的になったり・・・・。

ドイツ世紀末の詩人、リヒャルト・デーメルの詩「女と世界」のなかの同名の詩に触発されて書かれた弦楽六重奏曲が原曲で、シェーンベルク自身による弦楽合奏版の編曲の方が演奏機会が多いですね。

いまは「浄夜」という呼び名の方が一般的になったけど、わたしには、いまだにかつて呼び親しんだ「清められた夜」というタイトルが相応しく思える。

どこか古風な感じと、「静」とひた隠しにした思いと、陰なる行為の果て・・・・

  男と女が寒々とした林の中を歩んでいる。
  月がその歩みにつきそい、二人を見下ろしている。
  月は高い樫の木の梢のうえにかかっている・・・・・


原詩ですが、その彼女は、違う男の子どもをはらんでいる。
告白する女。
男はすべてを受け入れ、静かにふたり、月の光のなか歩んでゆく・・・・。

すべては月の光で清められるのでありました、なーんて。うまくいくかね?

今夜は、わたくしにとって懐かしく、カラヤンとともに、忘れ得ぬ、バレンボイムの25歳。
そう、シェーンベルクがこの曲を書いた同じ歳での録音で。

ほぼ、バレンボイムの指揮録音デビュー時の頃のものです。

ピアニストに限らず、器楽奏者が、オーケストラという大きな自分のキャンバスを得たときに、表現意欲過多となる傾向がある。
オイストラフ、ロストロポーヴィチ、アシュケナージ、エッシェンバッハなどに思い当たること。
でも、バレンボイムは、どこか違う。
そんな様相もあるけれど、最初からピアニストと別の顔として、指揮者の並々ならぬ手腕と、生まれながらの指揮者的な不敵な要素も持ち合わせていた。
イギリス室内管を指揮してスタートしたキャリア当初から、堂々たる演奏と、濃厚な表現ぶりが際立っていたように思う。

カラヤンのような綺麗な濃密さとは違い、同じ濃厚さを持ちつつも、爽やかさも持ち合わせた青年が背伸びしたような味わいを持っている。
そんな感じが、「清められた夜」には妙に相応しい。

その後のバレンボイムの歩みは、みなさまご存知のとおり。
若いころの、大人びた演奏の方が好きだな。

このレコード、「ジークフリート牧歌」とヒンデミットがカップリング。
ワーグナーが実に素敵な演奏でした。

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2013年7月19日 (金)

イベール 「寄港地」 バレンボイム指揮

Shibaura_2

芝浦の運河の一部。

この先は行き止まりで、右は大企業さまが入るシーバンス。
左手は、ヤナセの本社。

明治初頭、このあたりは風光明美な海岸で、日本初の行政の手続きを経た海水浴場なそうな。
まったくもって、オフィス街とマンション、首都高、湾岸道路がごちゃごちゃと混在する今からしたら、信じられないことにございます。

そんな観光地的な場所だった芝浦には、かつて江戸の昔より旅館や料理屋、置屋などの色街もあったわけで、その名残はいまでも残ってますよ。
前にも書きましたが、ちょっとしたお散歩エリアなので、これからもいろいろ散策したいと思います。

Barenboim_cbs

 イベール  組曲「寄港地」

    ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

                  (1974 @パリ)


若き日のバレンボイム。

オリジナルジャケットをネット上から拝借してます。

このジャケットでは発売されず、バレンボイムの横顔によるCBSソニーの日本盤でした。

「ダフニスとクロエ」「シャブリエのスペイン」「牧神の午後」「寄港地」といったフランスプログラムで、発売時、バレンボイム好きだったU先生も準推薦をいただいでました。

ほかの曲は再録してますが、イベールはバレンボイム唯一の録音ではないでしょうか。

ピアニストからスタートして、もともとフルトヴェングラーに私淑していたこともあり、さらにメータ、アバド、ズッカーマンなどとともに学びあった間柄で、指揮者志向は若い時からあったバレンボイム。

モーツァルトの弾き振りでイギリス室内管(ECO)を指揮し始め、同オケとの共演でレパートリーを広げていったが、フル・オーケストラを指揮し始めたごく初期に、日本にもECOとともにやってきて、同時にN響にも客演したのが、たしか1972年頃だったか・・・・。
力みかえり、ふんぞり返るような指揮ぶりでのチャイコフスキーの4番は、いまでもよく覚えてます。

そのバレンボイムが、シカゴの常連指揮者を努めつつ、ショルティの後任としてパリ管弦楽団の音楽監督になったのには当時、驚きで、CBSを皮切りに、EMI、DGと3つの楽団に、ピアニストの余芸だと思っていた駆け出し指揮者にとっての、驚きのレパートリーを次々に録音していったものです。

いまの超大家となった、髪の毛も退化したバレンボイムのことは、最近ではもうあまり聴かなくなってしまった(まして、スカラ座とは、なんてこった)。
わたしにとってのバレンボイムは、デビュー時からシカゴの初期まで。
あとは、ベルリンでの一連のワーグナーものだけ。

そんな古めかしい聴き手にとって、EMIとCBSはけしからんぐらいに難敵で、大量の廃盤攻勢。タワレコも、DGやPh、デッカのものばかり復刻してないで、あちらのお宝音源に手を付けて欲しいものだ。
ことにEMIは、まったくケシカラン。

それはともかく、イベールの「寄港地」。

こちらは、まさに地中海リゾート・ミュージック。

ジャック・イベール(1890~1962)は生粋のパリジャンで、当初は俳優志望でパリ音楽院に学んだが、中途から音楽へと転向し、そこから本格的な勉強を始めたという変わり種。というか、いかにもおフランスっぽい。

しかし、第1次大戦の勃発で、自身も陸軍士官として配属され、その時の地中海をめぐる戦旅などが、忘れがたい経験と思い出になって、帰国後、作曲家としてローマ大賞を得てのローマ留学時に、この組曲を作曲することとなった。

 1.ローマ~パレルモ

 2.チュニス~ネフタ

 3.バレンシア


3つの地中海を巡る街と風物を、港を巡るように(寄港地)して標題音楽にしたもの。

Palermo

ローマを出発して、シチリア島のパレルモへ。
ヴェルディが、「シチリアの晩鐘」の中で、「おおパレルモ!」とその街を賛美するアリアを挿入した。
眩しい陽光が、旅の始まりに相応しく、ローマの朝の旅立ちからすでにエキゾティックムードを先取りし、やがて音楽はシチリア舞曲であるタラントゥラも奏で、金管のリズミカルなサウンドが心地よい。
物憂い夜は更けて行きます。

Tcynis

船は、イタリアのシチリアの対岸、北アフリカはチュニジアのチュニスに到着。
青い海、青い空は同じなれど、一挙にイスラムムードに包まれ、アラビア~ン。
打楽器とオーボエの悩ましいメロディに、けだるく濃厚なベリーダンスを感じるのはいけませんか?

Nefta

そして旅は、上陸後内陸部を目指し、砂漠を抜ける。

そのあと、急にスペインの地へワープ。

Valencia

旅は、スペインへ渡り、ヴァレンシアへ。

一挙に能天気な明るさと、憂いを含んだスパニッシュムードに。

高鳴るカスタネットと高まりゆ各楽器が、いやがうえでもスペインの街のお祭りムードを盛り上げてゆく。

行ってみたいぞ、地中海の旅。

ギリシアがないのが玉にキズ。

ラヴェルの筆致に近い、巧みなオーケストレーション。

しかし、いまひとつラヴェルのような華と精緻さに欠けるところが、ラヴェルになりきれなかったところ。

そして、もし、これがレスピーギだったら・・・・・、あらぬ妄想は止めようもありません。

バレンボイム君・30歳の髪の毛もじゃもじゃ時代の演奏は、早くも彼ならではの重心低め、重厚濃厚な解釈で、それをパリ管のなみいる名手たちがソロの場面で軽やかかつ味わい深く対応して、全体像を明るくしている感があります。

バレンボイムー&パリ管の面白さは、こんなところにあって、複雑な化学作用を音楽に及ぼして、単なるおフランス臭だけの浅い音楽と違うものを作り上げていたように思います。
ほかのラヴェルやドビュッシーも面白いです。

※旅の画像は、ネット上から拝借しております。

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2013年1月13日 (日)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 バレンボイム指揮

Nihonmaru

横浜みなとみらい地区にある「帆船日本丸」。

1930年・昭和5年建造で、50年以上現役だった帆船。

Nihonmaru2

帆を張って風に乗って走る様子はさぞかし美しかったでしょうね。

高層ビルや観覧車とのコントラストもしっくりと溶け合ってます。

Wagner_hollader_barnboim

   ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」

     ゼンタ:ジェーン・イーグレン   オランダ人:ファルク・シュトルックマン
     エリック:ペーター・ザイフェルト ダーラント:ローベルト・ホル
     マリー:フェリシティ・パーマー  舵手:ロラント・ヴイラソン
  

    ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
                       ベルリン国立歌劇場合唱団
                          
                          (2001.5 ベルリン)


生誕200年のワーグナー。
まず第1回目の全曲サイクルは、初期3作(妖精、恋愛禁制、リエンツィ)を除く、主要7作を順に取り上げます。
初期作は、いずれも性格の異なる聴けばそれはまた面白い作品たちで、いずれもサヴァリッシュの音盤と「妖精」は舞台体験をそれぞれ記事にしてますので、ワーグナーの項目でご覧になってください。
ほかに有力な音源が少ないので、今年後半に手当てできれば、10作品のサイクルをやりたいと思ってます。

このようにして、全部まるごと味わわなくてはいられないワーグナーの魅力。
ひとは魔力とも言うかもしれませんが、初のワーグナーのレコード、「ベームのリング」に接してから、そう今年でちょうど40年ですから、わたしには慣れ親しんだお友達みたいな世界です。

指揮者でも、ワーグナーにどっぷりの人が何人もいます。
そのひとり、バレンボイム。
ピアニストとしてモーツァルトの弾き振りをしていたバレンボイムが、まさかこんなワーグナー指揮者になるなんて想像もできないことだった。
バレンボイムの初ワーグナーは、71年頃のイギリス室内管との「ジークフリート牧歌」。
そのあとほぼ30年で、初期作を除くすべての作品の全曲上演と録音をしてしまう。
日本でも、リング、ワルキューレ、パルシファル、トリスタンを上演・演奏してくれてる。
恐ろしいタフネスぶり。

ちなみに、ワーグナーを初期作を含む全作品をひとりの指揮者で聴けるのは、非正規も交えるとして、唯一サヴァリッシュのみ。
初期を除いては、ショルティ、カラヤン、バレンボイム、レヴァインでしょうか。
ヤノフスキが完成に近づいているのと、ティーレマンもいずれは。
あと自慢ですがね、自家製放送音源を含めて、シュタインも全作コンプリートしてますよ。

初期作品があるので、オランダ人は中期とも呼べる作品群とみてとれる。
それは、タンホイザー、ローエングリンとの3作で、ワーグナー自身も呼んだ「ロマンティックオペラ」という範疇で、神話や伝説に題材をもとめ、登場人物たちの個々の存在感も増して音楽の劇性もより強まっている。
なによりも、ライトモティーフの活用が堂にいってきているので、ドラマと音楽がより一体化してくる。
 オランダ人では、因習的な形式などから脱却はまだできておらず、構成的にも少し散漫な印象を与えますが、ワーグナー作品の中では一番短いし、幕間をとらず、3幕一挙に連続することで、緊張感を保持しつつ一気呵成のオペラに転じることとなりました。

海を呪ったがゆえに、幽霊船に乗り永遠に大海をさまよう運命を背負った暗い宿命のオランダ人。そのオランダ人に心から同情する不思議女性ゼンタ、最後は自身が海に身を投げることで、オランダ人の呪縛を解き、二人昇天する。

ここに描いたゼンタというひとりの女性の行いが、「自己犠牲による愛の救済」で、ワーグナーはこのテーマを自作「タンホイザー」から突き詰めていくことなるわけです。

というのは、1841年完成のこの「オランダ人」の初稿は、音楽のうえでの救済によるふたりの変容がなく、1860年に序曲の演奏用にその終結部を改編し、おのずとオペラの終結部も書き加えることになったから。
トリスタンのあとあたりの時期です。

序曲はほぼ100%そのバージョンですが、オペラの方は、救済なしの初稿を取り上げる上演や録音も増えております。
私的には、慣れ親しんだ救済ありバージョンで、運命の二人が手を取り合って昇天してゆく場面はどうしても欲しいところです。

今回、発売以来久しぶりに聴いたバレンボイム盤は、しかし、救済エンディングなしのバージョン。
ローエングリンでも長めの初稿を採用していたので、この少しばかり原石のようなごつごつ感のある初稿による録音は、バレンボイムのこだわりとして、それが強い説得力でもって迫ってくる演奏となっている。
それにしても最初から最後まで、集中力が高く音はひとつひとつ迫真に満ちている。
分厚いオーケストラの充実ぶりも聴きもの。
かつてのスウィトナーの柔らかさと、ドイツのオケ特有の腰の座った響きがそれぞれに魅力的なのでした。

歌手は、ちょっと小粒に感じる。
イーグレンは声の威力は充分ながら、ちょっと大味。
シュトルックマンの少しクセのある声は、独特の雰囲気を醸し出していて、声量もたっぷりで聴きごたえありですが、わたしはかつてのT・ステュワートやアダム、ヴィナイ、クラス、FDといった往年の歌手の方を懐かしく思い出してしまうのです。
ホルも、驚きのヴィラソンの舵手も、いいけれどどこか遠く感じます。
しかし、ザイフェルトは素晴らしい。つややかな声と透明感にあふれた現代的な歌唱です。

オランダ人というオペラは、暗めのバリトンと、キツめのドラマティックソプラノを要する実は難しい作品なのです。
オケばかりよくてもダメなのは、かつてのカラヤンとショルティが、それぞれのスーパーオケばかりが目立ってしまい、やたらとシンフォニックになってしまうということにもなりますから。

この作品のわたしのベストは、ベーム盤であります。

「さまよえるクラオタ人」の「さまよるオランダ人」の過去記事

「デ・ワールト指揮 二期会公演」

「バイロイト2005年度」

「ショルティ指揮シカゴ交響楽団」

「新国立歌劇場2007年公演」

「コンヴィチュニー指揮ベルリン国立歌劇場」

「ベーム指揮バイロイト音楽祭1971年」

「サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場DVD」


「ライナー指揮メトロポリタン」

「サヴァリッシュ指揮バイロイト1961」

「ヤノフスキ指揮ベルリン放送管」

「ティーレマン指揮バイロイト2012」

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2012年7月14日 (土)

ドビュッシー 交響詩「海」 バレンボイム指揮

Chibaport5

海に沈む夕日が、子供のときから大好き。

育った場所では、日の出は相模湾から、日の入りは海を隔てて、遠く箱根の山の方向。

どちらも海が、赤や朱色に染まりました。

そして、いま住む千葉の海では海を隔てて、都会の街の方向に太陽は沈んでゆくんです。

こちらは、千葉港から見た東京湾の夕暮れ。

スカイツリー見えます。

そして、ちょうどスカイツリーのあたりに沈んで行きました。

先週のことですから、もう位置はずれてるんでしょう。

Chibaport6

東京都心とスカイツリー。

Debussy_la_mer_barenboim

  ドビュッシー    交響詩「海」

      ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団

                    (1978.1 パリ)


わたくしのフェイヴァリット曲のひとつ、「海」。
何種類持ってるか数えたことないけれど、どうしても、おフランスのオーケストラに惹かれちゃうのは、日本人ゆえか。
 いや、中国も韓国も、いまや欧州嗜好は強いから、アジアとしての憧れなのでしょうか。

中でも、パリ管は、そのお名前からして、フランス臭プンプンな香りがして、常に羨望の存在。
なにせ、オルケストル・ドゥ・パリなんだからさぁ。
 同じパリのフランス国立管は、オルケストル・ナシオナル・ドゥ・フロンセ。
ともに、鼻に抜けるように発音したりすると、いかにもおフランスざぁますわよ。
さぁ、みなさんご一緒に。

でも、そんな傍から見てる雰囲気とは裏腹に、これらふたつのオーケストラは、クリュイタンス、ミュンシュ、マルティノン亡きあと、指揮者は、非フランス系ばかりで、デュトワという例外があるものの、どうもドイツ色が強くて、外国系の指揮者に振られたフランスのオーケストラといったイメージから脱しきれない恨みがある。

しかし、いまのパーヴォ・ヤルヴィ(パリ)とダニエーレ・ガッティ(国立管)は、いままでと一味違いそう。
よりインターナショナルな彼らだし、どんな国の作曲家の作品を指揮しても、ぬかりなく鮮度高い表現をしてくれるし、曇りなく明快。
味わいや深みはまだまだですが、音楽を聴く喜びを与えてくれることでは近時、随一かも。

今日の、バレンボイムの演奏は、カラヤンやショルティの時代の延長上にある、少しばかり腰の重い克明なドビュッシー。
くっきりとした音楽づくりは、曖昧さを廃してユニークなドビュッシーだけれど、パリ管を聴くわたくしには、先の発音じゃないけれど、フゥー~ンというような色気ある音色も欲しいのですよ。
時に、テンポを落として、濃厚な味わいを聴かせたり、急にサラサラと流してみたりで、ある意味聴いていて、スリルを感じるドビュッシー。

 同時期に、バレンボイムは、パリ管とワーグナーやフランクを録音しているけれど、そちらの方にフランス臭を感じてしまうワタクシ。
でも、この時期のバレンボイムは、いまより好きだったな。
いまの大家然として落ち着いてしまった演奏よりは、イギリス室内管やシカゴ(DG時代)、ロンドンフィルとのもの、そしてパリ管とのもの、これらの方に、バレンボイムの重たいけれど、大変な集中力と粘りを感じさせ複雑な内面ものぞかせる彼の個性を感じます。

思えば、バレンボイムの音楽の特徴ってなんだろう?
ワーグナーのオペラでも、いろんな顔がありすぎなもんで。
どなたか教えてくだされ。

Chibaport4

パリのオーケストラならオペラ座。あとトゥールーズやリール、リヨン、ナンシー、ロワーヌ、ボルドー、少しドイツっぽいけどストラスブールなどなど、そちらのお国ものを見つければ購入するようにしてました。
少し田舎くさくて、洗練されすぎてもいない方がいいんです。

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2012年5月22日 (火)

神奈川フィルハーモニー5月定期演奏会 CDコンサート①

Yokohama_56

連休に実家から横浜へ買い物と食事に。

アフターコンサートでご紹介いただいた横浜地麦酒の店へ。

そうしたら、応援メンバーの方、いらっしゃいましたよ。

家族を紹介して、いつもお世話になってます的なムードに。

音楽を通じ、神奈川フィルを通して輪が広がってます。


神奈川フィルハーモニー第281回定期演奏会

   リスト 交響詩「レ・プレリュード」

        ピアノ協奏曲第1番

         Pf:後藤 正孝(2011 リスト・コンクール1位)

    ワーグナー 「ニーベルングの指環」抜粋

         指揮:現田 茂夫

  2012年5月25日(金) 19:00 みなとみらいホール


Barenboim_liszt

 
  

ダイナミックでかつ夢みるようなリストのオーケストラ作品の中でもピカイチの名曲、交響詩「レ・プレリュード」。
交響詩なのに前奏曲とはいったい何故?
と、オジサンは少年時代に思いました。
でも、大人になって理解できたこと、有名なるラ・マルティーヌの詩による「人生は死への前奏曲」という思想に基づく人生観によるものと。
ふ~ん、そうなのかといまだに思う。
死ぬための人生なんて、どうかしてるぜ。

でも、そんなことは抜きにして、このカッチョいい音楽を、スーパーオーケストラで聴く快感は、それこそ人生のあるべき喜びなんだな、これが。
まだ少し青臭いバレンボイムの力こぶの入った指揮は、気合たっぷりで、シカゴの剛腕がそれをしっかり受け止めてマッチョな音楽となってます。
もちろん抒情的な場面との対比もばっちりですよ。

Liszt_berman_giulini

華やかでかつ幻想的なピアノ協奏曲第1番
そのピアノ部分は、いかにもリストらしく技巧的でありつつ、思索的な雰囲気もばっちり。
4つの楽章はさながら交響詩にも似たり。
にぎにぎしい両端楽章もさることながら、2楽章のノクターンのような抒情的な調べと、フルートの調べが美しい。
そして3楽章はトライアングル協奏曲ですよ。
このあたりを注目して聴きたいです。

ソ連から冬眠から覚めた熊のように、彗星のように現れたラザール・ベルマンは、70年代後半の超絶派のリスト弾きでありました。
DGがすぐさま契約し、カラヤン、ジュリーニと共演、リスト作品もたくさん録音。
古風なロマンティストと思いきや、スタイリッシュな技巧派といったイメージのピアニストでした。
ジュリーニウィーン響のかっちりと、でも歌心あふれるオーケストラと微妙にマッチしてます。
このレコードが出たのは大学時代。なんだかとっても懐かしい思いに浸れましたよ。

Karajan_ring

こんなん作っちゃいました。

カラヤン「ニーベルングの指環」のジャケットを4つつなぎ合わせ。
ベームのリングのレコードが、わたしの初リングだけれど、同時にカラヤンも1年ごとに発売された4部作を、一挙にワンセットにして売り出された。
当時は、ショルテイ、カラヤン、ベーム、少し遅れてフルトヴェングラーしかリング全曲はなかったのでした。(あと実は、マイナーにスワロフスキーもあったり)

初めてリングを聴こうという方には、こちらのカラヤン盤はあまりお勧めしません。
ショルティか、いまならレヴァインあたりで入門いただき、その後に、ベームやカラヤン、ハイティンクをお聴きいただきたいところ。
 
 
でもいまや映像から入るのもありだから、その際には、具象的でト書きに忠実なレヴァインか、メッセージ性の強いバレンボイムとブーレーズというところでしょうか。

さて、カラヤン。
よく言われるように、歌手も意のままになるメンバーで、しかもリリックな声質をあつめ、緻密で室内楽的なリングを目指したカラヤン。
たしかに、CDでヘッドホンなどを通して聴くと、まさにその通りで、耳にも優しく鮮やかな抒情サウンドが満載。
でもカラヤンとベルリンフィルの底力は、そこここに噴出しております。
鉄壁のアンサンブルに、腹を揺るがせる豊かな低音、嵩にかかったような鮮やかなブラスなどに、いまさらながら驚くこととなります。
最近、かつては一流とは思えないオーケストラやオペラオケでのリングも増えておりますが、やはりベルリンフィルはすごかった。

Wagner_ring_karajan

全4部作からの聴きどころを集めた1枚も出てます。
国内盤もあるはずですので、是非、ほかの演奏と聴き比べてみてください。

葬送行進曲は輝かしくも、神々しいまでの超絶品にございます。

みなとみらいホールに、この音楽がいかに響くか・・・、思っただけで、もうたまりません。

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