ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 ベルリン国立歌劇場公演
ベルリン国立歌劇場公演、トリスタンとイゾルデを観劇。当プロの最終日、平日15時開演にもかかわらず、巨大NHKホールが満席。大入りの看板も出ていた。みんなどんな人なんだろ?
まぁワタクシもその一人、というか、おバカなんですが。
まず、わたくし結論から先に言ってしまうと、世界のどこを見渡しても、こんな素晴らしいトリスタンはない、ということ。生涯最高の音楽体験と確信している
2000年のアバド/ベルリンフィルのトリスタンを例外として、いや、音楽体験としても、それに迫る稀有の名演奏として、胸に刻まれことになる上演だった。
それほどに素晴らしく、こちらも没頭してしまった名舞台、最後の「愛の死」でマイヤーに淡いスポットライトがあたり、彼女の歌に、オーケストラに、私は涙に濡れていた。
恍惚と歌い終え、オケの後奏が続き、オーボエの音を残しつつ、波が引くように音楽が終わる。
いや終わるはずだった。
ここで拍手がパラパラと起きてしまった。でも、さすがにマズイと思ったのか、パラパラでやんだ。しかし、最後の和音がまだ残っているのに、また始まった。これはもう止まらない怒涛の拍手になだれ込んでしまった・・・・・・
こんなぶち壊し拍手に、どう対応したらいいというのか!
舞台は初めてでも、前奏曲と愛の死くらいは聴いてるだろ!
イタリアオペラじゃねぇんだよ!
主催者は、機械のように、何度も写真や携帯の注意を呼び掛けるんじゃなく、拍手のマナーも放送しろい!
マーラーの第9ばりの静寂を要求してるわけじゃねぇ!
ほんの少しでもいいから、余韻を楽しめないのかよう!
そう、プンプンな私だけれど、それ以外は大満足だった。悔しいけど、忘れよう・・・・・。
すでに舞台をご覧の皆さんがいろいろ書かれていらっしゃる通り、クップファー演出としては、さほど強烈なコンセプト演出ではなく、仕掛けも少なく(気付かなかっただけ?)シンプルな内容だったように思う。
それだけに、凝縮されピリリと辛口の舞台だったのでは。
3幕を通じ横たわる、大きな羽を持った天使のようなオブジェがステージ中央に据えられ、この上で物語は進行する。このオブジェは一体何だろうか?
私は愛の女神と思った。誰の愛の女神か?
主人公二人であり、男性登場人物相互、女性登場人物相互、それぞれにである。
さすがに水夫は違うだろうけど、牧童や舵取までも、トリスタンに殉ずるわけだし、みんな死んでしまう姿を背景で見せていた。マルケ王は、嫉妬に怒り狂い、クルブェナールとその一派を打ち負かしてしまう。2幕で、トリスタンがメロートの刃に飛び込み倒れる先は、マルケ王の腕の中。ジークムントとウォータンのようにも見えるし。
そしてイゾルデ以上に、ご主人様と密着度の高いクルヴェナール。
このいびつな関係が錯綜しているから、女神の羽は根元の部分で一部折れてしまっているし、その顔はうつむいて埋もれてしまっている。
舞台奥には、墓石が4つ斜めになって並んでいる。誰の墓だろうか?これはまったく意味不明。
そして、1幕最後、マルケ王のもとに到着すると、これまた舞台奥には、男女が横を向いて微動だにせずに登場。次いで2幕の濡れ場を急襲した際にも登場。
無言の傍観者の意味するところは?彼らの衣装は、劇の時代設定とはまったく関係なく、ワーグナーの時代のもの。
舞台奥のワーグナーの時代の人々や墓石から、羽の上で演じられるトリスタンのモノトーンの世界を挟んで、現代の我々聴衆。アウトローの登場人物たちを傍観する二つの時代(世界)か?
う~む、私には読めない、わからない。
イゾルデの服が、1幕は赤、2幕は渋めのブルー、3幕は濃いグレーと彼女の心象を映し出すかのような効果を感じた。
2幕での、長大な愛の二重唱では、舞台は真っ暗になり、一筋のブルーの光だけがオブジェの上から当てられていたのが、とても美しい。
大枚はたいた、もしかしたら初トリスタンの年配の方々には、かえって最小限の舞台装置で動きも少なく、むしろ音楽に集中できるこの演出はわかりやすかったのではないだろうか。だからゆえ、あの拍手だけは許せない。
トリスタン:クリスティアン・フランツ イゾルデ :ワルトラウト・マイヤー
マルケ王:ルネ・パペ クルヴェナル:ローマン・トレケル
ブランゲーネ:ミシェル・デ・ヤング メロート :ライナー・ゴールドベルク
ダニエル・バレンボイム指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
演出:ハリー・クプファー
現在トリスタンを振らせたら、その実績も含め最高の指揮者は、バレンボイムであろう。前奏曲から、異様なまでに音楽に気が満ちている。3時間30分の演奏時間のすべての音符に、その意志がこもっているし、その表現意欲が空回りすることなく、音楽の強さとなって奔流のようにオーケストラピットから音が湧き出てくるようだ。
それと、オーケストラの技量の素晴らしさもさることながら、弦楽器を中心として、音が本当に美しいと感じた。この美しさは、一昨日のシェーンベルクでは味わえなかったので、やはり音楽のケタの違いとでもいえるのだろうか。
そして、マイヤーのイゾルデ!!! 彼女がとてつもなく、素適だった。圧倒的な音域の広さ、余裕あるメゾの音域に裏打ちされた力強い高音。
なにより魅力は、中域の美しく輝くかのような声。ビジュアル的にも申し分なし。
ポラスキ(アバドの時、これまた大らかでナイスなイゾルデ)、ステンメ(女性的なやさしさ)らと並んで、最強イゾルデが、マイヤー。
それから、パペの深々としたノーブルなマルケ。フンディングばかりだったけれど、いよいよ当たり役が聴けた。
トレケルの友愛の象徴のようなクルヴェナールは、ベタつきはともかくとして、相変わらず真摯な歌唱。声量がもう少しあればいいけれど、その分見た目がよろしいから恵まれている。新国の神経質なグンターも懐かしい。
大柄なデ・ヤングのブランゲーネも印象に残る。彼女の強い歌唱は、さらに磨いて、将来ドラマテックな主役級をこなすようになるかもしれない。
それでもって、フランツのトリスタンであるが、最初から、新国のジークフリートやカニオ(パリアッチ)の見た目のイメージを引きずってしまい、イメージ的に受け入れにくかった。あのメタボ体型もちょいと、トリスタンとしては、がっかりだよ。
3幕の長大なモノローグで、温存していたスタミナを全開にして、スゴイ迫力となった。声がトリスタンにしてはあっけらかんとしすぎで、もう少し陰りが欲しいところだが、他にこれほどまでに歌えるテノールはいないから・・・・。
なつかしいR・ゴールドベルクがメロートとして登場。20年前、同じベルリンの公演でマイスタージンガーのヴァルターとして聴いて以来。トリスタンを刺すべく、じわじわ登場したとき右手がぶるぶる震えていたのが見えたけれど。演出なのかしら?
なんだかんだいって、すこぶる楽しめ、感激したトリスタン。
主役はオケとマイヤーかな、いや、ワーグナーの書いた音楽です!
隅々まで、聴き親しみ、舞台でも4度目の今回だけれど、観るたび、聴くたびにいろんな発見があり、大いなる感動がある。
最後、画龍点睛に欠ける出来事があったが、まずは最高の「トリスタンとイゾルデ」が体験できた。
終演後のちょっと一杯も心から楽しいひと時でした。お疲れさまでした。
ちなみにベルリンでは、この次のトリスタンが上演されていて、この画像は、真っ白けで、今回のモノクロ的舞台とかなり異なる。日本のオペラパレスでは、いつトリスタンが登場するのだろうか?
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