カテゴリー「R・シュトラウス」の記事

2021年12月19日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」

Mouri-01

六本木の毛利庭園には、ハート型にうまくねじれたモニュメントが通年あります。

冬の夜景が一番しっくりきます。

遠くに東京タワーは、赤のライトアップ仕様。

Hills-01_20211209092401

どんな色が施されても、東京タワーはスクッと美しい。

同期生、ワタシも頑張らねば。

そして、頑張って「サロメ」を乱れ聴いた。

R・シュトラウスのblog2度目のオペラ全作シリーズ。

Image_20211210090001

悩めるヘルデンテノール役を主人公にしたワーグナーの完全な影響下にあった1作目「グンドラム」(1894年)
ジングシュピール的メルヘン劇の「火の欠乏」(1901年)

これら、いまや上演機会の少ない2作に続いて書かれた「サロメ」は、シュトラウスとしても当時、興行収入が大いにあがったオペラで、ガルミッシュに瀟洒なヴィラを建てることもできた。
そして、いまや世界中でこぞって上演される劇場になくてはならぬ演目となりました。

原作のオスカー・ワイルドの戯曲は1891年にパリでフランス語により作成。
ドイツでは、独語訳により1901年に上演されているが、同時期にシュトラウスにオペラ化の提案がありその気になった。
しかし、その台本は採用されず、ラッハマンの原作の独語訳を採用することで1903年より作曲を開始、1905年に完成。
同年、ドレスデン初演され成功を博し、各地で上演されたものの、好ましくない内容として上演禁止にされることもあったという。
前2作以上に、ワーグナー以降のドイツオペラにあって革新的であったのは、優れた文学作品をその題材に選んだことで、しかもその内容が時代の先端をゆくデカダンス=退廃ものであったこと。
そうしたものを、実は人間は見たいのである。
 初演時のサロメ役は、見た目はまったく少女でもなく、しかし、こともあろうに、演出のせいもあったが、自分は品性ある女性、倒錯と不埒さばかり。。と駄々をこね、周りを困らせたらしい。
シュトラウスは、16歳の少女の姿とイゾルデの声のその両方を要求する方が間違っていると、自分のことながら皮肉をこめて語っている。
保守的なウィーンでの初演はずっと遅れて1918年。
マーラーのウィーン時代に、当局より検閲を受け、マーラーはシュトラウスあてに、上演できない旨の手紙をしたためているが、この手紙は投函されず仕舞い。いつかは上演できるとの思いもあったのではとされます。
オーストリア皇室の反対が強く、マーラーと劇場の関係が悪化したのも、そうしたことも理由にあるらしい。

日本初演は、ドレスデンでの世界初演から遅れること57年、1962年です。
調べたら、大阪で、グルリット指揮の東フィル、歌手はゴルツや、ウール、メッテルニヒという本場でも超強力のメンバーで、当時の日本の聴衆はさぞかし驚いたことだろう。
いまでは、日本人歌手のみによる上演も普通になされるようになり、半世紀における演奏技術の進化には目をみはるものがあります。
それは、世界的にみてもおなじことで、サロメを歌う歌手たちは、ビジュアル的にもスリムになり、磨きもかかり、声と演技とに、さまざまなスタイルの女性を歌いあげることも、ますます普通のことになった。

さて、シュトラウスの激しく、劇的で、しかも官能と甘味あふれる音楽。
「私はすでに長い間、東方およびユダヤ的側面を持つ音楽について、実際の東洋的な色彩、灼熱した太陽に不足していることを感じていた。
とくにめずらしいカデンツァで艶のある絹のように多様な色彩を出すような、本当に異国風な和声の必要さを感じた。
モーツァルトがリズムの差による人物描写を天才的な手法で行ったように、ヘロデとナザレ人たちの性格を対比するには、単純なリズムで特徴づけるだけでは不十分だと思った。
鋭い個性的な特徴を与えたいという思いから、多調性を採用した」
シュトラウスのこれらの言葉にあるように、サロメの音楽は色彩的であるとともに、描写的にも、これまで多くの交響詩で鍛え上げられた筆致の冴えが鮮やかなまでに生かされている。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「サロメ」を視聴するにあたり、自分の着目ポイント

①冒頭を飾るナラボートの歌

②井戸から引き出されたヨカナーンとサロメの会話~エスカレートする欲求
 「体が美しい」→「黙れソドムの子」
 「体は醜い、髪が美しい」→「黙れソドムよ」
 「髪の毛は汚らわしい、お前のその口を所望する、接吻させろ」
 (ナラボート、ショックで抗議自殺)

③神々しいヨカナーン
 「お前を助けることができるのは唯一ひとり」
  ガリレア湖にいるイエスを歌う場面
  急に空気感が変わる清涼な雰囲気の音楽
  最後は「お前は呪われよ!」と強烈な最後通告を下す!
  そのときの凄まじい音楽

④ヘロデのすっとこどっこいぶり
 「さあ、サロメよ酒を飲め、そして同じその盃でワシも飲むんだから」
 「あまえの小さい歯で果物に付けた歯形を見るのが好き。
  少しだけ噛みきっておくれ、そしたら残りを食べるんだから、うっしっし」
  嫁にたしなめられつつも、お下劣ぶりはとまらない

⑤ユダヤ人たちの頑迷さと、救世主を待望するナザレ人
  それぞれの性格や、混乱ぶりを音楽で見事に表出

⑥7つのヴェールの踊りへなだれ込む瞬間が好き
  単体で聴いたんじゃ面白くない、流れが肝要
  この「7」という数字には意味合いがあるのだろうか?
  キリスト教社会にある、「7つの大罪」とリンクされているのだろうか

⑦ダンスのあとの、おねだりタイム
 H「見事、見事、褒美を取らすぞ、なにが欲しい?」
 S「銀の鉢へ」
 H「ほうほう、可愛いことを言いようるの、なんじゃ、なにが欲しい?」
 S「ヨカナーンの首」
 H「ぶーーっ、だめだ、だめぇーー」
 妻「ははは、さすがは、わたしの娘」

  ここでのヘロデのリアクションが面白いし、音楽も素っとん狂だ

  これまで観たヘロデびっくりリアクションの金賞は、メット。
  キム・ベグリーの思わず酒を吹く芸人魂あふれる演技

Salome-2
   (サロメはマッティラ、かなりきめ細かな噴射でございます)

  ヘロデは、ルビー、宝石のありとあらゆるもの、白い孔雀などなど
  代替の品を提案する。
  シュトラウスの音楽の宝石すら音にしてしまう至芸を味わえる。
  提案のたびに、サロメは、「ヨカナーンの首を」と否定。
  
  この「ヨカナーンの首」を所望するサロメの言葉。
  この場面で、全部で「7回」あります。
  ここでも「」が!

  この7つの「ヨカナーンの首」をそれぞれ表現を変えて歌うサロメもいる
  
  「Gib' mir den Kopf den Jochanan!」
  ヨカナーンの首をくれ、という最後の7つめは壮絶
  ここだけでも、聴き比べが楽しい。
  演劇的な要素も多分に求められるようになったオペラ歌手たち。
  かつては考えられない、多様な歌唱を求められるようになったと思う。

⑧サロメのモノローグ

  あらゆるドラマテックソプラノのロールの最高峰級の場面
  聴き手はもう痺れるしかないが、歌手はほんと大変だ。
  愛おしむように、優しく歌い、
  でも官能と歓喜の爆発も歌いこまなくてはならない
  
⑨おまけ ヘロデのひと声

  おい、あの女を殺せー
  「Man töte dieses Weib!」

  ドラマの急転直下の結末を与える、このエキセントリックなひと声も大事
  いろんなヘロデで楽しみたい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなわけで、いろんなサロメや、オーケストラを聴きたくて、新旧いくつもの音源をそろえること8種類。
映像も4種、エアチェック音源は10種も揃えることとなりました。

Salome-cd

①「ショルティ盤」1961年
1961年、そう、日本初演の前年に、「リング」録音のはざまに、カルショウのプロデュースで録音されたもの。
あのリングの延長上にあるような録音で、生々しいリアルサウンドが、キレのいいショルティの剛直な演奏をまともに捉えたもので、ニルソンの強靭な歌声もいまだ色あせない。
しかしながら、ニルソンはすごいけれど、現代のもっとしなやかで、細やかな歌唱からすると強靭にすぎるか。
全般に現在の感覚からすると、やりすぎで重厚長大な感も否めない。
これ単体とすれば、立派すぎて非の打ちようもないのだけれども。

②「ベーム盤」1970年
CD時代になってから聴いたベーム&ハンブルグ歌劇場の70年ライブ。
ライブのベームならでは。
熱いけど、重くなくて、軽やかなところさえある。
長年サロメを指揮してきた勘どころを押さえた自在な指揮ぶりは、感興たくましく、さまざまなサロメの姿を見せてくれる。
それにしても、最期のサロメのモノローグのすさまじいばかりの盛りあがりはいつ聴いてもたまらない。
グィネス・ジョーンズの体当たり的な熱唱も、ベームに負けじおとらずで、私はがんらい、ジョーンズの声が好きなものだから、彼女の声や歌いぶりを批判する批評は相容れません。
70年代はじめ、オルトルート、レオノーレ、オクタヴィアンなど、メゾの領域もふくめた幾多のロールに起用され、指揮者からもひっぱりだこだったジョーンズ。
あわせてヴェルディやプッチーニも積極的に歌ってました。
私は、そんなジョーンズが好きで、ブリュンヒルデ、イゾルデ、バラクの妻、トゥーランドッドなど、みんな好き。
そう、ニルソンにかぶります。

③「スウィトナー盤」1963年
スウィトナーとドレスデンのサロメ。
味わいの深さと、ベームのような軽やかな局面もあり、モーツァルト指揮者だったスウィトナーが偲ばれる。
63年の録音で、前年に日本初演の舞台に立ったゴルツのサロメが、いま聴いても古臭くなく、なかなかに鮮烈なもの。
チョイ役に、アダム、ヨアヒム・ロッチュ、ギュンター・ライプなど、のちに東ドイツを代表する歌手たちの名前があるのが懐かしいが、準主役級はやや古めかしい歌唱も混在。

④「ラインスドルフ盤」1968年
以前にもブログに書いたラインスドルフ盤は、なんといってもカバリエのサロメ。
繊細な歌唱が、少女から妖女までを巧みに歌いこんでいて、まったく違和感はない。
マッチョなミルンズのヨカナーンとか、レズニックのヘロディアスなんかもいいし、キングのナラボートがヒロイックだ。
オペラ万能指揮者のラインスドルフとロンドン響も悪くない、ユニークだけど、普通にサロメが楽しめる。

⑤「ドホナーニ盤」1994年
まず、録音がいい。ショルティ盤がやや古めかしく感じるほどにいいし、ウィーンフィルのよさもばっちりわかる。
ドホナーニの指揮もかつてはドライに感じたが、いまやそうでもなく、ほどよい湿り気があっていい。
あとマルフィターノが、素晴らしい。
表現の幅が、無限大な感じで、少女から妖女までを声で見事に演じ切ってる。
映像もいくつか見たけど、顔もおっかないし、大胆なダンスも。。。
ターフェル立派すぎ、リーゲルのヘロデはナイスです。

⑥「メータ盤」1990年
なんたって、ベルリンフィル唯一のサロメ。
もうね、誰が指揮者でもいいや。
ともかく、いつものベルリンフィルの音がするし、べらぼーにウマいし、ゴージャス。
シンフォニックにすぎるメータの捉え方もあり。
マルトンは声の威力は十分で、少女らしさもあったりして意外、でも大味。
ヴァイクルは柔和すぎだが、ツェドニクのミーメのようなヘロデも素敵なもんだ。
ファスベンダーがヘロディアスという豪華さ

⑦「ベーム盤」1965年
メトロポリタンでのモノラルライブで、ニルソンの圧倒的なサロメ。
ここでも燃えまくるベームの指揮がすごい。
カール・リーブルという懐かしい名前がヘロデ役に。
クナのパルジファルのクンドリー、ダリスがヘロディアス。
ヨカナーンは知らない人

Salome-sinopoli

⑧「シノーポリ盤」1990年
全体にリリカルなシノーポリのサロメ。
デビュー時の煽情的な演奏スタイルはなりを潜め、予想外のしなやかで、美しく、微細な感情移入にあふれたサロメの斬新な姿。
ステューダーの起用も、そんな意図に裏付けられていて、歌手ありきでもあるし、歌手もそんな演奏スタイルに全霊を注いでいる。
少女がそのまま無垢なまま妖しい女性になった感じ。
不安定さもその持ち味のまま、揺れ動くサロメ像を歌ったステューダー。
リザネック、ターフェル、ヒーステルマンも万全。
最近、一番好きなサロメの音盤かもです。

おわかりいただけただろうか、「カラヤン」がないのを。
なぜかこうなりました。
そのうちが、いつかになり、で、年月が経過した結果にすぎません。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エアチェック編

①「ケンペ&バイエルン国立歌劇場」1973年
 当時のカセットテープから発掘、しかし、冒頭と最後の場面の40分ぐらい。
   むちゃくちゃ熱いケンペの指揮。
 リザネックが伝説級。

②「ホルライザー&ウィーン国立歌劇場、来日公演」1980年
 いまでもウィーンの舞台はこのバルロク演出。
 テレビ観劇もしました。
 リザネックは映像では厳しかったが、さすがの貫禄

③「シュタイン&スイス・ロマンド」1983年
 ジュネーヴ大劇場のライブ。
 シュタインのベームばりの熱気を感じさせる指揮が熱い。
 ミゲネスの芸達者なサロメに、エステスの力感豊かなヨカナーン。
 ロバート・ティアのヘロデに、ナラボートには若きウィンベルイ。

Salome-nelsons_20211218235601
④「ネルソンス&ボストン」2014年

 演奏会形式、鮮度抜群、切れ味よし、最高水準のオーケストラサウンド。
 バーグミン、ニキティン、シーゲル、ヘンシェル、みんないい。
 これはそのままCD化できる。
 音質も最高。

⑤「ラニクルズ&ベルリン・ドイツ・オペラ」2014年
 プロムスへの客演のライブ。
 ラニクルズの熱さと、BDOの手練れのおりなす充実のライブ。
 シュティンメのサロメがじっくり聴ける。

⑥「ペトレンコ&バイエルン国立歌劇場」2019年
 同時配信の映像も見た。
 複雑な心境になる演出で、最後は全員服毒自殺を・・・
 死んでないヨカナーン・・・
 ペトレンコの最高に鮮烈で、生き生きした、しかも切れ味抜群の早めのテンポで駆け抜けるようなオーケストラ。
 ペーターゼンのスリムでリリカルなサロメは、映像を伴わないと物足りないかも。
 でも、その歌は単体として説得力があり、魔性を感じさせる。
 コッホのやや醜いヨカナーンはいたぶり甲斐もあった。
 Unbenannt5
 そんだけ、ビジュアルを伴ったペーターゼンはすごい!
 演出はワリコフスキー。そのうち映像化されるかも。
 盛大なブーを浴びてます。

⑦「レオ・フセイン&ウィーン放送響」2020年

 テアター・アン・デア・ウィーンのコロナ前の1月のけ込み上演。
 ここでもペーターゼンの絶唱が。
 18636_web_1300px_photowerk_salome_bo4_hi
 奇抜な演出の模様は画像でも確認できる。
 バイエルンがいまだに映像化できないのは、こちらがあるからか?
 ウィーンも100年経って変わったものだ。

⑧「ボーダー&ウィーン国立歌劇場」2020年
 アンデア・ウィーンが斬新な演出で上演した同じ月、1月には、本家の国立歌劇場でもサロメ。
 72年からずっと続いているバルロク演出、ユルゲン・フリムの衣装・舞台。
  クリムト風の世紀末と旧約聖書の物語の融合はいまでも色あせない。
 Salome_126761_lindstrom
 美人さん、リンドストロムのサロメが好き。
 北欧出身ならではの硬質さに、繊細な歌いまわし、首おくれ!も迫力あり。
 マイアーの鬼ママもいいし、フォレ、ペコラーロもさすが。
 ただ、前にも書いたが、最後にオケがこけてる・・・・
 同時期に、リンドストロムは、セガンの指揮で影のない女を歌ってまして、そちらもステキ

⑨「ルイージ&ダラス響」2020年
 ダラス響の演奏会形式上演。
 ルイージの明快な指揮に、明るいオケ。
 3fygjfjlhvadpnuaranjpxlkdm
 リトアニア出身のステューンディテはサロメ、エレクトラで引っ張りだこ
 ザルツブルクでのエレクトラもいい。
 しなやか声の持ち主で、今後、ワーグナーを中心に据え活躍期待。

⑩「シャイー&スカラ座」2021年
 Salome-scala
 きっとDVD になるだろうと思うスカラ座上演。
 こういうのは、シャイーはうまい。
 キャストもスカラ座ならではの豪華さ。
 ロシアのスキティナは美人でいま、こちらも引っ張りだこ。
 シーゲル、リンダ・ワトソン、コッホ、リオバ・ブラウンなどなど
 ミキエレットの風変りな演出も見てみたいぞ。
 
映像&舞台編

①「シノーポリ&ベルリン・ドイツ・オペラ」1990年
 昔のVHSテープにて。
 演出は穏健、マルフィターノの、のめり込んだ迫真の演技と歌。
 ダンスではすっぽんぽんに。
 ぼかし必須だ。
 エステスのヨカナーンが凄まじい

②「サマース&メトロポリタン」2008年
 メトにしては、現代風な演出。いまや普通。
 マッティラのビジュアルちょっと無理あるサロメだけど。
 歌は素晴らしい。
 上述のとおりのヘロデのベグリーのすっとこぶりが最高
 ヨカナーンはうしたろう。

③「ガッティ&コンセルトヘボウ」2017年
 演出がわけわからん中途半端っぷり。
 もっとはじけてもいいと思ったけど、そのくせ血みどろなところが苦手
 Salome-netherland
 スリムな美人ビストレムは、強靭さなしの、しなやか系サロメ。
 いいと思う。
 タトゥーンまみれのニキティンもいい
 なにより、ガッティとコンセルトハボウが硬軟合わせた万能ぶり

④「メスト&ウィーンフィル」2018年 ザルツブルク
 以前より活躍していたアスミク・グレゴリアンを驚きをもって聴いた!
 ショートカットのまさに真白きドレスをまとった少女。
 最初はおどおど、やがて顔色ひとつ変えない冷徹な美少女に変身
 そんな演技と役作りを、歌でも完璧に聴かせる。
 ソットボーチェから、強靭なフォルテまで、広大なレンジと声質七変化!
 まいりました!
  ほかの役柄、意味の分からない演出は彼女の前では無力。
 メストとウィーンフィルは無色透明で、これでよい。

舞台は、まだ2回のみ。
新国のエヴァーディング演出、二期会のコンヴィチュニー演出
過去記事リンクになってます。。

ながながと書きました。
いま、サロメのお気に入りは、ペーターゼンとグリゴリアンでござる。

Salome-petersen_20211219002201
  (ペーターゼンのバイエルン、この番号はなに?
   実験動物の遺伝子ID・・・か)
Salome-grigolian
 (グリゴリアンのサロメ、おっかないサロメのイメージはいにしえに)

Hills-20

サロメは、シュトラウスのオペラのなかでは苦手な存在だったけれど、こんだけ集中して聴くと、妙に愛着がわいた。
頭の中が、リングとサロメだらけで参った。
しかし、サロメには、ばらの騎士の音楽の要素もあるんだ。
やはりこうして、シュトラウスならではの音楽を、各処に確認することができたし、オペラ初期2作から、ここに至った筋道も確認、同時に、エレクトラもギリシア劇としての視野が次に用意されたことも、ここに認めることができる。

| | コメント (10)

2021年7月11日 (日)

R・シュトラウス 「火の欠乏」 シルマー&フェッロ

Tokyo-tower-08

雨の日の前日の空。

夕焼け好きのワタクシです。

Tokyo-tower-05

少し時間を経過して。

このあと、東京タワーのライトアップが引き立つ時間、好き。

本blog、二度目のシュトラウスのオペラ全作シリーズ。

第1作「グントラム」に続き、2作目の1幕オペラ「火の欠乏」。
私は、この作品がフリッケ盤で出たときから、Feuersnot、火がないことことから、「火の欠乏」と呼んできました。
ほかにも、「火の飢餓」「火の危機」とかも呼ばれますが、日本シュトラウス協会では、「火の消えた町」と称しているそうで、このオペラの内容からしたら、そちらがまさにピタリとくるものです。
ですが、ここでは、自分が長く親しんできた名前で行きます。

1901年、シュトラウス37歳の作品で、全作の「グントラム」からは9年の歳月が流れてます。
この間、多くの歌曲や、高名な交響詩、ティル、ツァラトゥストラ、ドン・キホーテ、英雄の生涯などを書き上げていて、そうオーケストレーションの達人にもなり、かつ歌に対しても名手の域に達していて、さらに指揮者としても大活躍だったシュトラウスなのです。

ワーグナーの虜が書き上げたような、素材ともに、もろにワーグナーの影響下にあった「グントラム」。
ここ「火の欠乏」では、ワーグナーを腐した町、ミュンヘンを揶揄する内容において、ワーグナーの素材などがパロディーとして使用されているが、ワーグナーの神話的な世界や、分厚いオーケストラ、半音階的な和音などは、ほぼありません。
響きは明るく明晰で、これはずっと後年まで続くシュトラウス独自に明朗な音楽に共通です。
美しく、思わず身体が動いてしまうようなステキなワルツもあるし、一度聴いたら忘れられないフレーズなどたくさん。
さらには、主役のバリトンの長大なモノローグは、後続のオペラで、ソプラノやバスが担うことになる、味わい深く、教訓や人生観をも感じさせるものがあります。

しかし、完成されたスコアの最後には、「全能者に敬意を表し、その誕生日に完成。1901年5月22日、ベルリンにて」とあります。
そう、5月22日は、ワーグナーの誕生日です。
あくまでワーグナーへのリスペクトは変わらなかったシュトラウスです。

「火の欠乏」から4年後には、「サロメ」が生まれますが、明るいメルヘンのあと、バラの騎士でなく、サロメやエレクトラに行ったのは、これもまたシュトラウスの音楽の変遷を思う中で面白いことです。
ひとつには、ホフマンスタールとの出会いも大きいことかと。
あとは、批判を恐れない、大胆な芸術家としてのシュトラウスの在り方。

「火の欠乏」は、ベルリンで作曲されたとき、当局から検閲を受けてます。
「サロメ」はもちろん検閲騒ぎになったわけですが、穏健な音楽の「火の欠乏」だったのですが、ヴォルツーゲンが書いた台本には、バイエルン地方の方言がそのままに用いられていて、なかには当時、猥雑な内容ともされたものだったからです。
シュトラウスは、ミュンヘンへの揶揄をこうした部分でも表しているのです。
 検閲後、ベルリンで初演されたが、7回ほど上演されたのち、ドイツ国の皇后が、つまらないと指摘したこともあり、上演は幕引きとなってしまった。

サロメ以降ばかりが、上演されるのに、「火の欠乏」は、音楽だけをとれば見逃せないシュトラウスらしい作品だと思います。
 クンラートの大演説にリングのライトモティーフが出てきたりして、とても神妙となります。
そのあと、火が町に戻ってくる場面の音楽のすばらしさといったらありません。
目頭が熱くなりました・・・・

Tokyo-tower-04_20210711145501

舞台はミュンヘン。今日はお祭り、「火祭の日」である。
子供達が楽しそうに歌いながら、町を練り歩く(呪文のような謎のセリフ)。
市長の娘ディムートは「結婚しない女」で、遊び仲間の女3人と子供達にお菓子をくばったりしている。
街の変わり者クンラートは、ボサボサの髪、むさ苦しいなりで自宅で本に没頭していて、今日が祭りの日ということを知ってかしらないか。
「燃え盛る火を二人して飛び越えると愛が成就するよ」と子供たちから、祭の伝説を聞かされ、すっかりその気になって夢中になってしまう。
調子に乗って「ディムート」に愛を告白して、ついでにキスまでしてしまう。
これには、町中大受けで、たくさんの人からディムートは囃され、笑いのネタにされてしまい、恥ずかしさのあまり、家に飛び込んでしまう。

ディムートは口惜しくてくやしくて、お返しをしようと思っていると、バルコニーの下にクンラートが現れる。
作戦ながら彼をすっかりその気にさせて、思わず熱烈な2重唱が歌われる。
クンラートは、感極まって上にあがりたがり、まんまと籠にのる。

Feuersnot-01

バルコニーに向けてするすると持ち上がって行くが、ディームートによって途中で止められてしまう。
ディムートは、街中の人を呼び集め、籠の中の宙吊りのクンラートは、さらしものにされ、物笑いの種となってしまった。

騙されたと知った彼は、頭にきて街の火や明かりを消してしまう呪文を唱える。

Feuersnot-02

ミュンヘンは、真っ暗闇になってしまった。

人々は、クンラートに助けを請い、またディームートのバカげた行為を非難し、彼女に謝るように、そして彼のもとに行くようにと嘆願する。
 ここでクンラートは、ついに世紀の大演説をぶつ。
「火祭のほんとうの意味を理解していないから、こうして暗闇が訪れるのだ。
かつてミュンヘンは偉大なマイスター(ワーグナー)を冷遇した、そしてシュトラウスもだ。」
このあたりで、ヴァルハラの動機まで出てくるし、シュトラウスの作品の旋律もチラチラする。
こんな意味のことを比喩をまじえながら、ちくちくと町を揶揄して人々を諭すように歌う。
 明かり(火)も愛も、唯一女性からもたらされるのだ、と歌い最後は二人仲良く抱き合う。

              幕

Rstrauss-feuersnot-ulf-schirmer-bayerisc

  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:シモーネ・シュナイダー
   クンラート :マルクス・アイヒェ
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):ロウヴェン・フトハー
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ラース・ヴォルト
   エルスベート:モニカ・マスクス
   ウィゲリス :サンドラ・ヤンケ
   マルグレート:オレナ・トカール
   ヨェルク・ペーシェル:ヴィルヘルム・シュヴィンクハマー
   ヘーメルライン:ミヒャエル・クプハー
   コーフェル :アンドレアス・ブルクハルト
   クンツ・ギルゲンストック:ルートヴィヒ・ミッテルハマー
   オルトリープ・トゥルベック:ソン・スン・ミン

  ウルフ・シルマー指揮 ミュンヘン放送管弦楽団
             バイエルン放送合唱団
             ゲルトナープラッツ州立劇場少年少女合唱団

     (2014.1.24,26 @プリンツレゲンテン劇場、ミュンヘン)

ハインツ・フリッケ盤以来29年ぶりの「火の欠乏」の録音。
同じ、ミュンヘンでの録音で、オーケストラも同じなところがおもしろい。
そう、まさにミュンヘンゆかりの作品ゆえで、ワーグナーとシュトラウス自身に厳しかったミュンヘンでの録音しかないのもおもしろい。
しかも、このシルマー盤の録音は、ルートヴィヒ2世が、当初ワーグナーのために建設した劇場で行われてます!
このときの演奏会形式の模様がyoutubeで全曲視聴が可能です。
(https://www.youtube.com/watch?v=bplGSjUWQL0)

音質と画質は目をつぶるとして、この作品を手中にしたかのようなシルマーの練達の指揮ぶりと、大編制のミュンヘンの放送オケの実力のほどを感じさせます。
バイエルン放送響の影にかくれ、二軍みたいた存在に思われることが多いが、作品への順応性と、明るい音色と機能性の豊かさ。
管がものすごくうまいです。
CPO盤のこちらのCDは、音質も含め、下記のとおり歌手もよく理想的なもの。

歌手では、バイロイトの常連、名ウォルフラムのアイヒェの独り舞台。
素直なクセのない美声はのびのびとして、耳に心地いいし、言葉も明瞭で、かつてのプライの声を軽くしたような感じか。
聴かせどころ、「Feuersnot」と呼びかけるところ、ずばり、決まってますし、長大なモノローグも弛緩なく実に豊かです!
フリッケ盤のヴァイクルの声の印象が強すぎだが、このアイヒェの美声になれちゃうと、ヴァイクルの声は強すぎで、ザックスみたいに感じてしまうから困ったものだ。
 シュナイダーさんの、ディームートは、ちょっと高慢で空気読めない女性をよく歌いこんでいて、強い声も絶叫にならず、余裕があるのがいいです。
ほかたくさんの登場人物たち、本場での上演だけに、合唱・少年少女も含めて、みんなドイツ語がはっきりくっきりでよいです。

というにも下のDVDは、イタリア人たちの発声が明るすぎだったからなんです。

Rstrauss-feuersnot-gabriele-ferro

  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:ニコラ・ベラー・カルボネ
   クンラート :ディートリヒ・ヘンシェル
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):アレックス・ヴァヴィロフ
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ルーベン・アモレッティ
   エルスベート:クリスティーネ・クノッレン
   ウィゲリス :アキーラ・フラカッソ
   マルグレート:アンナ・マリア・サッラ
   ヨェルク・ペーシェル:ミハイル・リソフ
   ヘーメルライン:ニコロ・チェリアーニ
   コーフェル :パオロ・バッタギルタ
   クンツ・ギルゲンストック:パオロ・オレチーナ
   オルトリープ・トゥルベック:クリスティアーノ・オリヴィエーリ

  ガブリエーレ・フェッロ指揮 マッシモ劇場管弦楽団
                マッシモ劇場合唱団

                マッシモ劇場児童合唱団

        演出:エンマ・ダンテ           

     (2014 @マッシモ劇場、パレルモ)

まさかの劇場上演のDVDが出ました。
しかも、シルマー盤と同じ2014年の上演記録です。
この年は、シュトラウスの生誕150年。
よくぞ、映像作品として出してくれました。
劇の内容からして、イタリア人の好みそうなものだし。

日本語対訳が付いてないものの、おおまかな筋立てを理解していれば、ほぼ楽しめます。
時代設定は現代にしてるものだから、やたらとたくさん出てくる登場人物たちが、誰が誰やらわからない。

主役の男女と、女性の父(城主・市長)、女性の女友達3人、父の秘書的(城の廷士)なテノール、このあたりだけ押さえておけば大丈夫かと。
しかしながら、この女性の演出家、最初から最後までダンサーを多用して、舞台はどこもかしこもダンサーだらけで、脱いだり着たり、男もブラジャーしてるし、なにがなんだかわからんし、目障りなことおびただしい。
ただでさえ、ちょい役の歌手がいっぱいいるのに・・・

Feuersnot-03

 でも、ラスト、クンラートが魔法を解除し、火が町に戻ってきたとき、ダンサーたちがオレンジの布をたくさんヒラヒラさせて、舞台がオレンジに染まったとき、素晴らしい音楽とともに、ほんと美しいと思いましたね。
ディームートが皆にせがまれて、クンラートの元に行き、最後に2人の邂逅の証に「すばらしい真夏の夜よ、永遠にアイしてるーー」って歯が浮くように歌うんですが、この演出では、窓から出てきたとき、ひとりはブラジャー姿、もうひとりは上半身裸の胸毛姿。。。。
なんだかなぁ、そこまで見せる必要あるかい??
最終場面のファタジー感、がぶっとんだ・・・

D・ヘンシェルのFDばりの知的な歌は、その気難しい風貌とともに、この役になりきってサマになってました。
でも、アイヒェのすばらしさには敵わない。
カルボネさんのディームートは、もう少し色っぽいと舞台映えしたと思うけど悪くない。
ほかの人は、多すぎでなんだかさっぱりわからないけど、3人娘は楽しかった。
 指揮のフェッロは、ずいぶんとお歳を召したものだと思った。
ロッシーニ指揮者として80年代に活躍、あと以外にも、ツェムリンスキーも指揮したりもしてたから、シュトラウスもお得意なんだろう。
パレルモの明るいけれど、ドイツの響きとは全然違うオケピットの音色が、思いのほか新鮮です。
この劇場で、インキネンはリングを振ってますね。

お部屋で、こうしてオペラが視聴できちゃう幸せ。
昔なら考えられないことです。
劇場に行きたいけれど、なかなか難しいし。

ワーグナーとシュトラウス、プロコフィエフも交互に全作を取り上げ中、ついでにヘンデルとロッシーニも。
歳と残された年月を考えたら、こんな企画はもう最後かもね。

| | コメント (0)

2020年12月23日 (水)

R・シュトラウス 「グントラム」 クゥェラー指揮

Fukiwari-02

11月に30年ぶりぐらいに訪れた群馬県の「吹き割の滝」

間近かで見ることができて、迫力があるし、ちょっと怖い。

Fukiwari-03

900万年前の噴火でできた、とか気の遠くなるような話の岩石からなってまして、千畳敷といわれる川床で、このように近くまで行って覗き込むことができます。
外国勢ばかりだったようですが、ほぼ100%日本人で、静かな雰囲気でなによりでした。

Straussrichardguntramquelercbscouv

  R・シュトラウス 歌劇「グントラム」

    グントラム:ライナー・ゴールドベルク
    フライヒルト:イロナ・トコディ
    老公爵:シャンドール・ショーヨム・ナジ
    ロベルト公爵:イュトヴァン・ガーティ
    公爵付きの道化師:ヤーノシュ・バーンディ
    老人:アッティラ・フュロプ
    老婆:タマラ・タカーシュ
    フリートホルト:ヨージェフ・グレゴル
    使者:パール・コヴァーチュ
    第一の若者:タマーシュ・バートル
    第二の若者:ヤーノシュ・トート

  イヴ・クゥェラー指揮 ハンガリー国立交響楽団
           ハンガリー陸軍合唱団

       (1984 @ブタペスト)

15作あるR・シュトラウス(1864~1949)のオペラ。
当ブログでは、全作を一度、一部作品はくどいほど取り上げてますが、いま一度、全作のサイクルをやろうと思います。
ずっと聴いてきた音源、あらたな音源に映像作品。
自分でも楽しみです。
いくつものサイクルを同時進行してますので、2年ぐらいかけて、そう自分への励みとしてもやっていこうと思います。

シュトラウス最初のオペラが「グントラム」。
1887年に着想。
「ドン・ファン」の1年前から構想が練られ、自身の台本は、まず1891年に完成。
この時点で、いまもよく聴かれる高名な歌曲も作られていて、シュトラウスはもう、その作曲スタイルは確定してます。
グントラムの作曲の方は、同時に着手して、1892~93年に完成させます。
交響詩では、「マクベス」と「死と変容」がこの間で作曲されてます。
1894年ワイマールにて、30歳のシュトラウス自身の指揮で初演されたものの、成功したとは言えず、その後も散発的な上演はあったものの、次作の「火の欠乏」と同じく、劇場のレパートリーからは外れて久しく、シュトラウスのオペラの成功作は、10年後の「サロメ」を待つこととなります。
この初演の年、シュトラウスは、バイロイトに指揮者として登場し、「タンホイザー」を指揮してます。
 かくもあるとおり、ワーグナーの影響下の真っただ中にあったシュトラウス。
このオペラ処女作は、ドラマとしては、中世13世紀のミンネゼンガーの物語で、まさに「タンホイザー」の世界で、はたまた騎士として、苦境の女性を救い、去って行くヒロイックさもあるので、「ローエングリン」でもあり、さらに信仰と贖罪に身を投じることから「パルジファル」、そんな様々な影響をもろに感じるオペラであります。
 ついでに申せば、ヒロイン役は、さながらエルザで、敵役はテルラムントやクリングゾルだ。

10年後の「サロメ」が、官能と刺激にあふれた豊穣なサウンドが個性的なまでになっているのに対し、こちらの「グントラム」は、甘く美しい旋律に、このころすでに獲得していた巧みなオーケストレーションの能力を背景に、鮮やかでありながら、音楽が明朗なことは、すでに「エレクトラ」後のモーツァルト帰りの将来すら予見させます。
私は、聴いていて、「ダフネ」の地中海風的な明るい、清涼感も感じ取ることもでき、27歳のシュトラウスの音楽観が、すでに晩年の作風をも見通すくらいに達観していたのでは、と思うようになりました。
「ドン・ファン」のメロディーも流れてくるし、「英雄の生涯」に援用された旋律もありまして、第5部の英雄の業績では、「死と変容」や「ドン・キホーテ」の旋律と絡み合うようにして、この作品の前奏曲に出てくるメインテーマが登場してます。
しかしながら、その豊かなサウンドたちが、次々と垂れ流されるものの、そこに厳しさや、ドラマに付随した劇性が足りないような気がするのも事実で、そこは10年後の「サロメ」への進化ぶりであらためて確認することとなります。
あとシュトラウスならではの洒脱な軽やかさは、ここではまだまだで、次作にてそのあたりが確認できるかと思います。

 それから、主役がテノールであることは、シュトラウスの15のオペラのなかで、これが随一。
女声を愛したシュトラウスが、一番ワーグナーに振れていた時節の作品であることもそのひとつ。
ちなみに、シュトラウスのオペラで、男声が主役級である作品は、「火の欠乏」「インテルメッツォ」「無口な女」「平和の日」などで、それらはいずれも、バリトンかバスで低音男声。

当初3時間を越える大作であったが、あまりの不評に大幅な短縮を試みて、2時間あまりのサイズになったのが現行版で、ことの進み具合が唐突なのもそのあたりにあります。

簡単にあらすじを。時は中世・吟遊詩人の世界~そう「タンホイザー」と同じですよ。
主人公も、ひたむきに己の道を行き、正当防衛とはいえ、あらぬことか人を殺め、最後には愛を捨てて修行の道にでる生真面目ぶり。

第1幕
最高の善としてのキリスト教的友愛の世界を目指して修行する「グントラム」。
悪い男に操られ圧政を行う国を改革しようと、グントラムはやって来た。
貧しい人々に施しを与えつつ、その国の様子を人々にうかがうと、圧制者ロベルト公爵の妻で清き女性がいて、食べ物などをよく施してくれていたが、いまは夫に禁じられてしまった。
そこにその女性がまさに嘆いて入水自殺をしようとするが、それを助けたグンドラム。
その女性フライヒルトと相思相愛となってしまう。
彼女はかつて国を治めた老大公の娘だった。

第2幕
娘を助けたことで、公国に慇懃に迎えられる。
そこでグントラムは、圧政を止めるようにと大演説をぶつ。
(こりゃまさにタンホイザーの歌合戦そのもの、ハープの伴奏まであります)
人々を不安にさせ、そしてその気にさせてしまったグンドラム。
その男を成敗しろと言うロベルト公爵だが、誰も手を下せず、やむなく公爵と争いになり、グントラムは思わず殺してしまう。
これを批難する老公爵の長いモノローグも印象的で、バリトンの聞かせどころ。
印象的な行進曲調の勇ましいフレーズも登場。
グントラムはおとなしくお縄につき連行、フライヘルトは切実な悲しみを歌い、あわせてグントラムへの愛を誓う。
このあたりの高揚感は、シュトラウスの交響詩を聴いてるようだし、ワーグナーでいうとワルキューレみたいな雰囲気だ。

第3幕
一応自分の婿だから、老公爵は厳しく対処し、グントラムは幽閉の身となっている。
壮絶な前奏のあと、亡き公爵を弔う修道士たちの聖歌がアカペラで歌われ、そのあとすぐに後悔するグントラムの歌。
そこにフライヒルトが駆けつけて、激しく求愛し、愛の二重唱となる。
ここはまたトリスタン的な感じでありまして、独奏ヴァイオリンなんても絡んでなかなか濃厚な感じになる。
フライヒルトは、さあ立ち上がって、一緒に逃げましょうとグントラムを促し情熱的だが、グントラムは躊躇しつつ彼女の名前を呼ぶことしかできない。
 そこに、グントラムと教義を同じくする同志フリートホルトが登場し、グントラムにわれわれ高潔の士は、人を殺めては決してならないとして非難し仲間として罪を償うように進言する。
グントラムは、あれは正当防衛であり、自分には罪はなく、あくまで自身の罪は、そうひとりの女性、それも公爵の妻を愛してしまったことだと語る。
フリートホルトは、ばかげた考えだと諭すものの、グントラムはこれが自分の信条だとして、帰還も進める彼の言葉にも譲らす、やがて仲間は去る。
残されたフライヒルトは、愛は勝ち取られた、あなたは自由よ、と喜ぶ。
しかし、グントラムは、勝利は簡単かもしれないが、自分は神の思慮から外れてしまった、あなたのもとを去り、ひとりで孤独のうちに過ごさなくてはならないと語る。
フライヒルトは泣き伏せるが、グントラムは彼女に、あなたは国を歩き廻り、人々を笑顔にした、その国がいまあなたの元にある。
これからも頑張るんだよ、愛するフライヒルトと歌い、永遠の別れ、わたしの神があなたと共にあるとしてゆっくりと去って行く。

                     幕

こんな内容だが、ここでは主役を歌うテノール歌手の負担がものすごく重たい。
最初から出ずっぱりで、3つの幕にそれぞれ長いモノローグがあるほか、ことさら最後は、実に感動的で素晴らしくも熱いモノローグを歌わなくてはならない。
ちなみに、ラストはローエングリンのようでもあります。
私のような「テノール好き」には堪らない瞬間が数々ある。
老公爵のバリトンにも、ヒロインのソプラノにも没頭的な聞かせどころもある。
このように、サービス満点なところが、逆にドラマへの集中力を削いでる点があることも否めない。

    -----------------------

この作品の初のレコーディングが今回のクゥェラー盤。
クゥェラーさんは、アメリカ生まれの女性には珍しかったオペラ指揮者で、1981年生まれ、まだお元気の様子。
ニューヨーク・オペラ管弦楽団を自ら設立し、演奏会形式で珍しい作品を次々に取り上げ、カバリエやドミンゴ、バンブリー、フレミングなどの大物との共演も多く、さらに欧州の劇場へも多く客演してました。
ベルカント系も得意にしていて、ドニゼッティの研究でも知られている。
 その彼女が1983年にアメリカ初演を手掛けた「グントラム」。
翌年、ブタペストでも演奏会形式にて取り上げ、その時のキャストを使って録音されたものです。
録音当時、ハンガリーは社会主義国で、その国の強力なレーベルだったのが、フンガトロンで、ハンガリーのオーケストラや演奏家、歌手たちを知る窓口みたいな存在でありました。
そのフンガトロンとCBSソニーレーベルがアライアンスを組んで生まれた音源は数々ありまして、「グントラム」が選ばれたのは今思えばありがたいことでした。

クゥェラーさんの指揮ぶりは、本格的なもので、女流らしく、横へ横へと流れるような旋律線を美しく紡いで行くことで、シュトラウスの流麗な音楽が引き立っているように感じます。
一方で、鋭さに欠ける点も感じますが、そこはシュトラウスの初期作品ゆえ、この美しい演奏はこれはこれでいいんじゃないかと思います。
イタリアのオーケストラを指揮した、クーン盤とともに、きっとこれから先、録音されることはないだろう「グントラム」の希少なCDであろうと存じます。

題名役を歌う、ゴールドベルクは、東ドイツから忽然と現れ、80年代に活躍したヘルデンテノールで、レヴァインやハイティンクのリングで、ジークフリートやジークムントを歌っているけど、あまり評価されず気の毒な歌手だった。
私はいずれも悪くないといつも感じてますが、ちょっと喉に引っかかるような発声が好悪を呼ぶんだろうと思います。
ここでは、その作品ゆえか、ゴールドベルクの独り舞台で、実に雄弁で、テノールを聴く楽しみに浸れます。
 そう前にも書いてますが、わたくしはスウィトナーが指揮した「マイスタージンガー」でゴールドベルクを聴いてまして、とても関心した記憶があります。
本番に弱くて、ショルティのバイロイト・リングも直前に降りちゃったし、マゼールのウィーン国立歌劇場就任時の「タンホイザー」でも声が出なくなったりと、いろんな履歴があるのもゴールドベルクならではです。
 ゴールドベルク以外は、みんなハンガリーの人で、みんな名前がいかにもハンガリーって感じ。

イタリアオペラの印象の強いトコディさん、張り切ってまして、なかなかの熱演。
バイロイトの常連だったショーヨム・ナジもものすごく立派なバリトンを聴かせます。
あっという間に死んでしまう、適役のガーティさんや、ほかの初役もよし。

Fukiwari-04

いかにもな日本の原風景的な野山。
群馬の北の方なので、いまごろは雪に包まれているかも。。。

Numata-10

このあたりはリンゴの産地でもありまして、このような美しい赤いリンゴが沿線にたくさん生っておりました。

このリンゴで焼いたアップルパイがまた美味なのでありました。

次のシュトラウスのオペラは、「火の欠乏」であります。

| | コメント (0)

2020年10月11日 (日)

R・シュトラウス「アルプス交響曲」 ダウスゴー指揮

Ninomiya-sunset-01

ある日の壮絶な夕焼け。

いつも書いてますが、夕焼け大好き。

こうした赤紫の色のときは、雨が降る前夜ともいわれるそうで。

Ninomiya-sunset-02

夕焼け2態。

こちらは、翌日は晴れたけど、でも雲が低いのと、それも入道雲的なものが遠くに見えるので、雨がパラっと降ったりもしました。

いつになく気象予報士的な巻でした。

Strauss-alpen-dausgaard

  R・シュトラウス アルプス交響曲

 トマス・ダウスゴー指揮 シアトル交響楽団

       (2017.6.15,17 @ベナロヤ・ホール、シアトル)

シアトル交響楽団の自主製作レーベルからの1枚。
現在、音楽監督のダウスゴーの指揮によるシュトラウスを聴く。

前項のベートーヴェンの4番でも取り上げた指揮者ダウスゴーを、このところよく聴いてます。
繰り返しますが、BBCスコテッシュ交響楽団の首席でもあることから、BBCの放送にのることも多く、そのライブをたくさん聴いてきたし、母国デンマークやスウェーデンのオーケストラとの共演盤も集めつつあります。

その特徴は、基本はテンポは速めをとり、古典・ロマン派ではビブラート少な目な演奏様式をとり、一方、後期ロマン派では、テンポ速めは同じくして、情熱も加味した熱めのサウンドを聴かせ、お得意の現代作品では、緻密かつ分かりやすい音楽を展開してます。
総じてスッキリ系でありつつ、情熱派でもあり、そんなイメージをダウスゴーに持ってます。

コンサートや録音のプラグミングも巧みで、Plomsでは、フィンランドの伝統音楽と5番の交響曲のオリジナル版を組み合わせてたりもしましたし、このCDでも、アルペンの前に、デンマークの作曲家ランゴー(1893~1952)の音楽劇の前奏曲を取り上げてます。
ランゴーの「アンチキリスト」という作品は、反キリスト者数人が語る受難曲的な作品で、何度も改訂を加えた曲のようですが、ここでは、その原典版の前奏曲初録音とのこと。
 そして、ニーチェの「アンチキリスト」からの影響もありとされる「アルプス交響曲」。
ランゴーの音楽も、このところBBCで交響曲とか声楽作品を聴いてるけれど、シュトラウスの音楽にも近似性を感じるもので、わたくし、ダウスゴーによる交響曲全集と「アンチキリスト」を発注済みで入荷待ちであります。
コロナで欧州からの物流は遅れがちなのか、なかなか来ません。。。

  --------------------

シアトル響の本拠地でのライブ録音、まずは音が目覚ましくよろしい。
こうした作品は、まず録音がよくないと始まらない。
冒頭の下降音階による低弦の唸り、爆発的なフォルテも鮮やかなホールトーンも、いずれも心地よく楽しめる。
そしてオーケストラも抜群にうまい。
シュウォーツが長く指揮者を務め、数々の録音があるけれど、メジャーも顔負けの力量と確信。

Dausgaad

ダウスゴーのすっきり感とスピード感のよさは、演奏時間を見ると45分ぐらいで、時間からすると早いが、聴くとさほど快速に感じない。
同じぐらいの演奏時間では、ショルテイ盤があるけど、あちらはザッハリヒともとれるくらいの印象を受けるけれど、ダウスゴー盤は、ストレートな解釈ながら、各所に情熱的な歌と、各声部への緻密な心配りから、いろんな楽器がよく聴こえる透明感もあるので、存外に味わいが深い。
昨年のBBCスコテッシュ響との来日で聴いたマーラー5番の指揮ぶり。
かなり大きな振り姿で、でも、各奏者へのキュー出しも細かく、細かく振り分けているのが印象的でした。
アダージェットは極めて美しく、聴きつくしたこの作品で、思わず落涙してしまうほどでした。

そんなきめ細かな指揮が思い浮かんでくるようなアルプス交響曲の演奏で、意気揚々と山頂に登りつめるまでは、実にスピード感があって爽快。
しかし盛大に盛り上がるか所よりは、歩みを止めて風景を愛でるような場面や、急ぎ下山したあと、しみじみと山登りを振り返るようなシーンがとても味わい深く、爽やかな達成感を聴く私にも与えてくれるような、そんな共感できる演奏なのでした。

マーラー10番も特質大の素晴らしさで、ダウスゴーとシアトル交響楽団のコンビ、これからも期待大なのですが、コロナといい、なにかとシアトルが怪しい雰囲気なのがちょっと心配。
オーケストラの活動も徐々に再開しているようだが、デンマークに住むダウスゴーは、しばらくは渡米できないかもしれない。

 ---------------------------

Seatlte-07

アメリカのオーケストラシリーズ。
シアトル交響楽団は、1903年より活動を開始したオーケストラで、初代指揮者は、作曲家のヘンリー・ハドリーで、そこそこの作品を残していて気になる存在です。
そのあとは、クリーヴランド管の初代指揮者でもあるニコライ・ソコロフ。
そして、なんとトマス・ビーチャムが短期ながら在位し、マニュエル・ロザンタールとなじみの名前が続きます。
シアトル響の実力を高め、オペラ劇場までも創設したミルトン・ケイティムスが22年に渡り指揮者を務めまして、このコンビのレコードもあるようだ。
そのあとは、読響にも来てビゼーの録音のあるライナー・ミーデル。
そして、このオーケストラになくてはならない指揮者、ジェラード・シュウォーツが26年間君臨し、数々の録音でこのコンビの名声を高めました。
そのあときっとやりにくかったであろう後任は、フランス系のリュドヴィク・モルローで、現代ものやフランスものを特に取り上げ、自主製作レーベルにもかなりの録音があります。
シュウォーツとモルローを名誉指揮者に、2018年から音楽監督に就任したのがダウスゴー。

Seatlte-08

本拠地は市内中心部にあるベナロヤ・ホールで、1998年の開設。
大きな寄付寄せた慈善家の名前から付けられた名称で、アメリカっぽい。

   ----------------------------

Seatlte-01

 シアトル市は、アメリカ西海岸、ワシントン州の北西部に位置し、海と湖、そして山にも囲まれた美しい街として「エメラルドシティ」と呼ばれているそうな。
気候も年間通じてよろしく、夏は涼しく、冬はそれほどに寒くならない。
水運都市でもあることから、地政上、太平洋で向き合う東洋との海洋貿易の中心地でもあって、日本とのつながりも深い。

Seatlte-02

人口は74万人ぐらいで、実は昔から移民に寛容な都市だったので、もっといるんじゃないかともされてます・・・
もともとが先住のインディアン系の地域で、その酋長の名前に由来するのが、シアトルということらしい。
 そして、シアトルの名前を世界的にしているのは、ビッグネームの企業の発祥都市ということ。
ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、シアトルベストコーヒーなどなど。
ニンテンドーアメリカもあることから、IT産業都市でもあるらしい。
でもなんといっても、マイクロソフトとアマゾンの存在が大きいですな。

音楽ではロック系のものが盛んで、ジミー・ヘンドリクスの出身地でもあり、ハートや、かつてのベンチャーズなんかも由来があるらしい。
スポーツでは、そう、イチローのいたマリナーズもここ。
バスケットボールもフットボールも強いチームがあるそうだ。

Seatlte-03

シアトルの南方には、ワシントン富士と呼ばれる4,300メートル級の「レーニア山」があり、市内からは雪を頂いたその姿が遠望できる。

Seatlte-04

山と海と湖に囲まれていることから、美味しいもの、ナチュラルなものもたくさん。
ワインは全米第2位の生産量とのことで、ビールではなく、フレッシュな白ワインでシーフードなどを頂いてみたいものです。

Seatlte-05

水辺の歴史ある有名なレストラン、雰囲気いいですね。

Seatlte-06

こんな食事なら日本人向けだし、ワタクシもOK!

    ------------------------

さて、いいことづくめのシアトルなんですが、ミネアポリスでの黒人致死事件を契機に、各地でデモや抗議活動、またANTIFAによる暴力的な事件も頻発。
シアトルでは、6月にBLM抗議デモから派生した動きが、自治区を作るまでになり、シアトル市内のキャピトル・ヒルというお洒落な店の集まる地域の一部を事実上占拠しました。
警察との衝突もありましたが、話し合いによる円満な解決を望むジェニー・ダーカン市長は強い介入を命じません。
その市長は元連邦検事で民主党でリベラル派。
自治区なので、公園を改造して農園としたりしてましたが、徐々に風紀も乱れ、治安も悪化し、銃撃事件も起きましたが、救急隊は警察を伴わないと危険なので動けないし、バリケードで封鎖されていて入れない。
そんな発砲事件も2つ続き、破壊活動や強盗も相次ぐようになり、自治区メンバー(BLM運動家)はさらに市長の家に押しかけ、警察の解体を直訴しようとしました。
これに恐れをなした市長は、ついに警察の介入を認め、自治区の解体を命令。
7月、約3週間で、自治区はきれいさっぱりと解放され、占拠してた連中は霧散しました。
解放の指揮をとったのは、この地区の警察署長で黒人女性というのも皮肉なもので、「彼女は平和的なデモは支持するが無法で野蛮なものは容認できない。黒人の命は大事だ。しかしもうたくさんだ、警察には地域社会を保護する責任がある」と強く語りました。
 まったくそのとおりで、BLM運動に名を借りた行き過ぎた暴力行為や、白人になにをしてもいい的な風潮は看過できません。
来月に迫った大統領選挙も絡んで、アメリカでは対立をあえて煽る動きはまだまだ続くことでしょう。
そして、10月に入ってシアトルでは、スターバックスが襲撃され放火される事件も起きて、また暴動が再燃しそうだとか・・・・

分断や民族の自主を促すことで、国が分裂し、喜ぶのはK産主義者ばかり。
この動きはヨーロッパにも、かたちを変えて日本にも及んでます・・・・・

さて長々と書いてしまいましたが、ひとまず落ち着いたシアトルですが、リベラル市長がいて、超大企業があって市民が意識高い系だったりするので、アメリカのいまの縮図みたいな都市だと思うのです。

でも大自然はウソつかない(インディアン風に)
レーニア山を調べたら、まるでアルプスの光景じゃないですか。

Seatlte-09

ネットでレーニア山の風景を見ながら、もう一度ダウスゴーの「アルプス交響曲」を聴こうじゃないか。

ついでながら、録音したアメリカのオーケストラによる「アルプス交響曲」
 ・ハイティンク&シカゴ
 ・ホーネック&ピッツバーグ
 ・ハーデイング&サンフランシスコ
 ・ラングレー&シンシナティ
 ・ルイージ&ダラス

アメリカ人は「アルプス交響曲」がお好き。

| | コメント (0)

2020年1月16日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ラトル指揮

Ginza-05

まいど恐縮、クリスマスと年末年始は特に絵になるもんですから、銀座。

日の丸を仰げば、あの国の方々のあふれかえる言葉は少しは気になりません・・・??

156617rosact11117cresized

    R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

   マルシャリン:カミラ・ニールント
   オクタヴィアン:マグダレーナ・コジュナー
   オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
   ゾフィー:ゴルダ・シュルツ
   ファーニナル:マルクス・アイフェ
   マリアンネ:アレクサンドル・ロビアンコ
   ヴァルツァッキ:トーマシ・エヴェンスタイン
   アンニーナ:キャスリーン・ゲルトナー
   テノール歌手:マチュー・トレンザーニ ほか

  サー・サイモン・ラトル指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

        演出:ロバート・カーセン

        (2020.1.4  @メトロポリタン歌劇場)

今年正月の最新のライブ音源をネット視聴。

ベルリンでもやったでしょうかね?ラトルの「ばらきし」。
ほかのオペラもそうですが、奥様のコジュナーあっての指揮ともいえるかもしれません。
ほかの配役も、ベテラン、新鋭を取り混ぜたメットならではの豪華なものです。
2017年のプリミエで、その時は指揮はお馴染みのセバスティアン・ヴァイグレ。
フレミングとガランチャ、グロイスベックが歌ってます。

ラトルのオペラは何を振るかわからないところがあって、ワーグナーなら後期のものしかやらないし、ヴェルディはなし、プッチーニはそこそこで、シュトラウスならサロメかエレクトラあたりが向いてるだろうと思ってた。
割と重心が低く、硬い音を出すラトルだから、軽やかにやってほしい「ばらの騎士」はどうだろうか、との思いで聴き始めました。
 そうした風に感じるところもありがなら、この作品以降のシュトラウスならではの軽やかさと明朗さが、ラトルの持ち味である重厚さが描き分けるシュトラウスの分厚い響きとの対比でもって十分に活きてくる感じだ。
メットのオケのうまさと、オペラのオーケストラならではの雰囲気のよさでもって、シュトラウスの手の込んだ技法の数々が機能的なばかりならずに済んでいる感じ。
いまの手兵のロンドン響とやったら、さらにうまいけど、オペラの味わいとはまた違うものになったかもしれない。
 ちなみに、ラトルのメトロポリタンへの登場はこれが3度目。
ペレアスとメリザンド(2010年)、トリスタンとイゾルデ(2016年)に次ぐもの。

Rattle
            (メットのピットのラットル)

ラトルは、若いころアバドに感化されたということもあって、バーミンガム時代のCDは、ほぼ集めました。
選択するレパートリーが、いずれも面白くて新鮮で、その音楽づくりも先鋭で面白かった。
ベルリン時代は聴かなくなってしまったのは、面白みがなくなってしまったから。
でも、ベルリン時代の後半は肩の力が抜けた感じで、自在な音楽づくりが、カラヤンやアバドとも違うフレキシブルなコンビとなったことを確認できまして、そのまま、ロンドン響に帰り、ニュートラルさと強い音作りがオケの個性ともどもに最強のコンビになったと確信してます。

Derrosenkavalier0145785x590

奥様のコジュナーのオクタヴィアンが素敵なものだ。
オペラのレパートリーも随分と拡充してきたのも、夫のラトルの指揮があってのもの。
無理せず、細やかな歌唱をベースに女性的な優しい、そして知的なオクタヴィアンを歌っている印象で、やんちゃさはいまひとつ。

いま、マルシャリンとして一番なのがニールントだと思う。
新国で、彼女のマルシャリンを聴いてからもう12年がたつ。
あの時のスリムなお姿とはかわって、風格も出てきたが、声にもより気品とともに、諦念をはかなげに歌いあげる味わいも増しているのだろうと思う。
終幕の、ファーニナルの、「若い方はいいですね」的な問いかけに応えるマルシャリンの、「Ja Ja」はとても感情深い、考え抜かれた一言にことさら感じた。
フレミングの濃厚すぎる歌唱が、どうもだめなので、このニールントのクリアでかつ、言葉に感情を静かにしのばせた表現には、ことのほか感動しました。
 新国の舞台は、昨年亡くなってしまったジョナサン・ミラーの演出がとても洒落ていて、美しいものだった・・・・
1幕の終わりで、悲しみとあきらめに沈むマルシャリン、窓には振り出した雨の雫が流れ、彼女は煙草をゆっくりと取り出して美しい所作でくわえて窓の外を眺めるのでありました・・・・

南アフリカ出身のシュルツのゾフィー嬢の高音が清らかな美声で驚きだった。
彼女はこれから活躍しそうな感じで、パミーナ、ポーギーとベスなんかにも出てます。

Rosenkavalier720720x405

男声陣の充実も並々ならないものがあり、絶好調のクロイスベックのオックスには感心しまくり。
豊かな声量に柔らかさも備え、技量のほども完璧。
何よりも若々しく、いやらしい田舎のおっさんというイメージを払拭してしまうニュー・オックスだった。
最近ひっぱりだこのアイフェのファーニナルもよろしい。

私の好きなカーセンの演出。
写真で見る限り、メットだし、極端なことはしておらず、センスの良さを感じます。
オックスご一行は軍服をまとっている様子。
屋敷の壁画も神話時代の兵士や、小道具として大砲みたいなものも伺えます。
プリミエのときのスクリーンでは見なかったので、映像等で出たら確認したいところです。

Ros_final_6153_c_20200116220701

いやぁ、ネットでこんな素晴らしい上演の音源が高音質で楽しめちゃっていいのかな。
ますます、CDを買わなくなってしまう。
同じメットでは、いま上演中のセガンの「ヴォツェック」がもう聴けちゃったし、暮れのスカラ座のシャイー&ネトレプコの「トスカ」も視聴済み。
オーケストラコンサートもリアルタイムで聴いてます。
かつては想像もつかない音楽を聴く方法の多様化は、音楽産業のビジネスとしての衰退を招いているとは思いますが、そこにあるチャンスもまた多様化していると思います。

 でもね、なんといっても、劇場で観劇するオペラや、コンサートホールで聴くオーケストラやソロには何をどうやっても敵わないということ!
これだけは絶対。
時間や経済的な事情で、いまはよっぽど厳選したものしか行けない自分ですが、そこはつくづく思います!

若い方に言いたい。
あとで後悔しないように、これはと思ったら無理してでも行くべきです。
のちのちの自分の肥やしになることは必然です!

Ginza-06

 しかし、「ばらの騎士」はまったくもって素晴らしい作品。

年齢を重ねるごとに、元帥婦人の想いや行動が深く深く共感できるようになってきた。
男も女もない。
時の刻みが怖いし、いまはいいと思っても、明日は違うのではという不安の積み重ね。
それを克服して、「Ja Ja」で終了させるマルシャリンの強さを理解できるまで、まだ自分は未熟なのかもしれず、若いということなのか、バカなのか・・・・はてさて。

ホフマンスタールとシュトラウス、すごい!

| | コメント (2)

2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

Brso-1

ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

Sibelius-1-jansons-1

  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

Strauss-rosenkavalier-jansons

  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

Jansons_20191216162501

   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

Britten-warrequiem-jansons

  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

Brso-2

バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

Mahler-sym9-jansons

  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

| | コメント (2)

2019年10月 4日 (金)

R・シュトラウス ツァラトゥストラはかく語り ロンバール指揮

Takeshiba-1

ある日の竹芝桟橋の夕暮れ。

大島あたりを往復する高速船が基地へ帰還するところ。

遠くはお台場に、羽田に降り立つ飛行機も見える。

Zara-lombard

     R・シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語り」

   アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー

                (1973 @ストラスブール)

自分にとって、また懐かしい1枚を。
新しい演奏もいいけれど、こうして我が青春時代を飾った演奏を、歳を経て聴いてみるのも、音楽を聴く喜びのひとつ。
とかいいながら、いつもそんな聴き方をしているわけですが。

アラン・ロンバールは、今年79歳になるフランスの指揮者。
かなり若い頃から指揮者デビューして、20代にはEMIよりオペラ録音デビュー。
そして、私たちにとって、いちばん親しみがあるのは、ストラスブール・フィルの指揮者となり、エラートとの共同で、多くの録音が日本でも発売されるようになったこと。

70~80年代にかけてのストラスブール、そのあとはボルドー、そしてスイス・イタリア語管へ。
だんだん、尻すぼみになってしまったそのキャリア。
いまはどうしているのでしょう。
結局、ストラスブール時代が、ロンバールがいちばん輝いていた。
画像検索をすると、かなりふくよかになってしまったが、ビジュアル的にも、スマートでかっこよかったストラスブール時代だ。

Lombard

フランスのオーケストラということで、瀟洒でおしゃれな響きを期待するけれど、どっこい違います。
ご承知の通り、ライン川を挟んでドイツとの国境を有する都市として、交通の要衝の地。
ドイツ語では、シュトラスブルクということになります。
かつてより、独領となったり、仏領となったりと、歴史上も重要な街なのでありました。

大指揮者ミュンシュもこの地に生まれ、当時はドイツだったので、ドイツ人。
しかし、のちにフランスに帰化してフランス人となります。
ドイツ音楽にも精通したミュンシュこそ、ストラスブールの街の性格そのものだと思ったりもします。
ボストン響に君臨したミュンシュですから、ストラスブールとボストンは、姉妹都市にもなってます。

ロンバールとストラスブールフィルのR・シュトラウス。
浮ついたところのない、正攻法の堂々とした演奏です。
もちろん、現在のより高度なオーケストラや録音による切れ味のいい、精度の高い演奏からすると、緩い部分は多々あります。
しかし、押さえるところはきっちり表現し尽くしているし、一点の曇りのない、明晰な演奏であるというのも、わたくしにはシュトラウスの明朗なる音楽を聴く、必須の要件を満たしていると思われます。
 ブラスとティンパニをはじめとした打楽器のバリっ冴えわたる響きも魅力的。
ただ弦は、やや落ちるといった感じかな。

当時はもうアルコーア版による「カルメン」録音が主流となりつつあった70年代初め、ロンバールは、ストラスブールでクレスパンそタイトルロールにしたその演奏では、従来のギロー版を採用していたように記憶します。
フランスの地方都市であった当時のストラスブールにあって、レーベルも含めて、ちょっと保守的であったのかもしれません。
ヴェルディのレクイエムや、オッフェンバックのラ・ペリコール、グノーのファウストなど、70年代ならではのストラスブールでの録音。
いまこそ、聴いてみたいと思います。

そんな想いを抱かせるような、久方ぶりのロンバール&ストラスブールのツァラトゥストラなのでした。

過去記事

「ロンバールの幻想交響曲」


Takeshiba-2

竹芝桟橋からレインボーブリッジを望む。

| | コメント (5)

2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

Theo_adam_1

バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

Theo_adam_2

 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

Adam

テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年12月20日 (木)

東京都交響楽団演奏会 R・シュトラウス ビゼー R=コルサコフ

Tmso20181219

師走のクリスマス前の文化会館。

クリスマス感は、ちょっと少なめだけど、モニュメントがエントランスにいくつかありましたので、ちょっと手を加えてみました。

クリスマス期に、スペインにまつわる音楽特集。
それも、スペイン人以外の作曲者で。
なかなかナイスなプログラミングです。
そして、自分的には、R・シュトラウスの作品を数日の間に連続して聴けることが大きな喜びでした。
しかも、シュトラウス自身が、対の作品と称した「英雄の生涯」を聴いて、少し遡った作曲年代の「ドン・キホーテ」であります。

  東京都交響楽団第870回 定期演奏会

 R・シュトラウス     交響詩「ドン・キホーテ」

        Vc:ターニャ・テツラフ

        Vla:鈴木 学

 ビゼー          歌劇「カルメン」組曲より
                  A・ギルバート・セレクション

 R=コルサコフ     スペイン奇想曲

       アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団

         コンサートマスター:四方 恭子

               (2018.12.19 @東京文化会館)

演奏会の曲のメインということでは、シュトラウスが最後なのだろうけど、盛り上がりという点で、この演奏曲順は納得せざるをえない。
 そして、後半の名曲集の演奏があまりに鮮やかだったので、シュトラウスの滋味あふれる作品の印象が、コンサート終了後にちょっと弱まってしまった感はあります。

赤のドレスで登場のターニャ・テツラフさん、スリムで小柄な方で、遠めには、前駐日大使のキャロライン・ケネディを思い起こさせるような風貌です。
でも、写真でお顔を見ると、確かにお兄さんのヴァイオリニスト、クリスティアン・テツラフに似ている。
 その彼女のチェロの音色は美しい。名器ガァダニーニとのことですが、技巧に走らずバリバリ引くタイプでない、しっとりした雰囲気です。
兄たちとのアンサンブルや、カンマーフィルでの首席などの活動で、身についた、ほかの奏者をよく聴き、その溶け合いや対比にすぐさまに対応してゆくしなやかさを感じます。
実際、指揮者を挟んで向こう側で弾いていたヴィオラの鈴木さんの方をよく見て、聴いていました。
 狂気に走る、そんな唯我独尊的な主人公を雄弁に語る演奏は多々あれど、この日のターニャさんのチェロは、柔和な語り口の優しい雰囲気の主人公のように感じました。
だから、最終章の死の床にあった回想が、しみじみとして、そして万乗の物語を締めくくるに相応しいシーンとなりました。

対する従者のヴィオラの鈴木さんは、かなり克明な刻みで、ふくよかだけれども、音圧も豊かで、ご主人さまよりも、主張が明確、かつ強めの音。
でも、ヴィオラの肉声的な語りかけるような中声部的な魅力がたっぷり。

コンマス四方さんは、この日、ソロも多く、まさにベテランの味わい深さに、楽員の、指揮者のリスペクトを一身に受けてました。

そして、アラン・ギルバートさん。
登場人物たちの活躍の背景、シュトラウスの巧みな筆致によるオーケストラを、どちらかといえば控えがちに導いてました。
文化会館の木質だけれども、響きの少な目のパレットを意識したのでしょうか、ソロを引き立てるために、オーケストラを押さえがち。
曲の内容の違いもあるが、ノット&東響のノリに乗った、そして歌心にあふれたシュトラウスの前には分が悪かったし、オペラの経験もどんどん積んでほしいと思わせる、アランの指揮でした。
でも、ソロが出てこない場面のくだりは、都響の巧さもあって、聴きごたえ充分でした。

   -----------

後半は、オーケストラ名曲大会。

アラン・ギルバートの面目躍如たるシーンが展開されました。

明るいアメリカ人、オケを乗せまくり、キューの出し入れも正確無比に決まりまくり、奏者もずばずば決めまくり、聴き手もいつしかのりのりに!

通俗名曲たるカルメンは、巧みな選曲で、前奏曲に始まり、途中、有名アリアや間奏曲をはさみながら、ジプシーの踊りで猛烈なアッチェランドをかけて熱狂的に終了。
盛り上がりました。
私的には、アリアの数々を、オケのソロ楽器によって代用されるのは、原曲のイメージが強すぎるものだから、聴いててちょっとつらい部分もありますが、それにしても都響のソロの皆様の巧さは、芸達者の域に達してました。
闘牛士の歌なんか、思い切り歌いたくなりましたよ!

最後の、スペイン奇想曲。
アランさんは、聴衆を制しつつ、指揮台に昇るやいなや、あの開放的な打楽器満載のメロディーを一挙に鳴らしました。いい!
大好きなこの曲、16分ぐらいの長さが、実はとても長く感じる大きな音楽として聴くことができたのです。
R=コルサコフならではの、オーケストレーションの鮮やかさを、卓越した棒さばきでもって、エキゾチックなムードも満載に描きつくした演奏です。
都響のソロたちの安定感を、ここでも微に入り細を尽くしたバトンのキューでもって完璧に引き出すさまは、後ろから見ていて痛快。
 めちゃくちゃ盛り上がった後半に、アラン・ギルバートの面白さと実力を感じました。

都響の首席客演指揮者としてスタートしたばかりの、アラン・ギルバート。
NYPO時代の演奏の数々は、同団のHPから、わたくしもかなり聴きましたが、マーラーやショスタコーヴィチなどは二重丸。
でも、古典系やロマン派は、まだまだの感あり、そのあたりを今後いかに自分のものとしていくか、都響でも今後、ハイドンやモーツァルトを取り上げていくようなので、見守っていきたいと思ったりもした次第です。

終演後、オーケストラの中に入って聴衆の拍手にこたえる様子、わたしたち聴き手に手を振る様子など、フランクで、気のおけない雰囲気をもったアランさん、都響にも、日本の音楽シーンにも、とてもいい存在になりそうです。

楽しいコンサートでした♪

Ueno_soba

今年も、チケットありながらいけなかったコンサートがいくつか。

何があるかわからない旅のような日々は、きっと来年も続くでしょう。

コンサートは、今年打ち止め。

あといくつか年内記事をUPします。

文化会館近くのお蕎麦屋さんで軽く一杯。
お皿が、めでた可愛かったのでパシャリ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年12月16日 (日)

東京交響楽団演奏会 ヴァレーズ R・シュトラウス

Suntry_3

サントリーホール内のすてきなツリー。

コンサート前のわくわく感が高まります。

そして、この日のコンサートは、激熱、高燃焼の密度の高い最高のものとなりました。

Tso_20181215

 東京交響楽団第666回定期演奏会

ヴァレーズ    「密度21.5」(フルート・ソロ)

             「アメリカ」

  R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

            
Fl:甲藤 さち

            Vn:水谷 晃

 ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

          (2018.12.15 @サントリーホール)

これまたユニークで、好奇心をそそられる感度高いプログラム。
前半と後半で、ストーリーをつなげるのは、その意図を読み取るのは、私のような凡人には至難の業ですが、最初のヴァレーズ2作品を、休みなく続けて演奏した、ノットの考えにはまったくもって屈服せざるをえません。
 わたくしにとってのヴァレーズは、70年代、ズビン・メータがロス・フィルとレコーディングした「アルカナ」の1枚。
鳴り渡るサイレンや打楽器の殴打、聴いてたら、母親が何て聴いてんの?と驚かれました。
時は経て、そのときのハチャムチャ音楽のイメージのまま、ヴァレーズをろくに聴かずにまいりましたが、当時とうって変わって、多彩で多様な音楽を聴くことができるようになった現在、そのヴァレーズの音楽は、喧噪ばかりでない、緻密でかつ感覚的なものであることを、この度の、ノット&東響の凄演を聴いて思った次第。

友人の初演者フルーティストが作らせたプラチナ製のフルートの比重密度が、「21.5」ということでのソロ作品。
オーケストラも指揮者も全員揃ってから、ステージは暗くなり、首席フルートの甲藤さんにスポットがあたり静かに演奏された4分間。
コンサートの冒頭から、ホール中の聴き手の集中力が一気に高まります。
プログラムにも書いてあったので事前の承知事項でしたが、ドビュッシーの「シランクス」へのオマージュとしての作品。しっかりその音程も聴き取れましたし、なによりも甲藤さんの明晰なフルートの音色が素晴らしく、こんな大きなホールをフルート一本で音で満たすことができることへの憧れと驚きがありました。
そして、ヴァレーズのイメージを覆す、精緻な音楽であったことも、自分には新鮮な驚きでした。

次いでステージが明るくなるさま、今度はアルトフルートが、作品のモットーともいえる旋律を静かに奏でます。
こうして静かなソロ作品と、超巨大豊満な大オーケストラ作品とがつながりました!
このばかばかしいほどに喧噪ともとれる25分間、わたくしも、そしてほとんどの聴衆も、呪縛にあったかのように、パワーあふれる圧倒的なサウンドの連続に前作からの集中力を絶やすことなく聴き入りました!
 サイレンが常に鳴り渡るがゆえに、アメリカの都会をイメージもしますが、これも解説によれば、中南米も含めた広域南北アメリカを描いているとの由で、わたくしは、メキシコのレブルタスとか、アイヴズ、当然にストラヴィンスキーなどとともに、ベルクさえも聴いていて思い起こしてました。
ともかく、強烈な音圧で、何度も何度も襲ってくる。
ときおり顔をだす、モットーが息抜きみたいに感じる。
そしてエンディングの超烈しさと、超カッコよさは、しびれるほどの快感。
ノットの冴えわたる指揮ぶりも、P席からの観劇なだけにまるわかり。
あと15種におよぶ打楽器の数々とその演奏ぶりを上から覗く楽しみも、これまた極まれりでした。

  ーーーーーーーーーーーーーーーーー

Suntry_1

ここで休憩で、ほんとにほっとしました。

ホール、カラヤン広場もクリスマス。

さて、後半は、ヘルデンレーベン♪

深々と奏でられた英雄のテーマに、わたくしも含めて多くの方が、大きな安心感を抱いたことでしょう。
それほどに、前半の曲に逝ってしまったものですから。
おおらかに、大きな表情付けをもって英雄の登場が歌いこまれたあと、突然として敵出現で不穏な雰囲気になるが、ここでもって、ノット&東響の演奏にアクセルが入った感があった。
そのあとは、多少の傷もなんのその、さながらに、シュトラウスのオペラを聴くがごとく、舞台が次々に思い浮かぶような展開となりました。
しなやかなヴァイオリンソロをつとめたコンマスの水谷さん、なかなかの美音で、ノットも思い切り歌わせてましたし、同様に甘いオーボエ、艶やかなホルン、滔々と流れるシュトラウスならではの愛の場面に聞き惚れました。
 そして、戦場のかっこいいけれど壮絶な展開と、そのあとの高らかな勝利宣言、まったくもって背筋が痺れるような快感と高揚感に包まれた!
こんな感動していいんだろうか。
 そして続いた功績回顧。
これまで何気に聴いていたシュトラウスの過去作品からの旋律の数々、それぞれみんな丁寧に、埋没することなく浮き出て聴こえたのも、劇場たたき上げの指揮者ノットならではうまさ。
今回、「グンドラム」の旋律を明確に発見できたのも自分的には喜びです。
夕映え濃くなる、しみじみエンディングも素晴らしく、最後のエネルギーを一気に貯めて放出したかようなノットの渾身の一振りの最終和音も、やがて静かにきれいに消えていったわけだが、その後のホールの静寂も素晴らしいの一言。

 あ~、ほんとによかった。
最近、シュトラウスの交響詩を真剣に聴いてなかったけれど、その作品がほんとによく書けてるし、いい曲だと、心より思った次第です。
そして、なによりもシュトラウスはオペラの人なんだと、この演奏を聴いてつくづく実感。

Suntry_2

アークヒルズの美しいツリー。

このあと遠来の音楽仲間と新橋で一杯。

Shimbashi

馬刺し、そしてほどよい油をさらりと流してくれる芋焼酎で。

あと2週間で今年も終わりじゃん。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

いぬ ねこ アイアランド アバド アメリカオケ アメリカ音楽 イギリス音楽 イタリアオペラ イタリア音楽 ウェーベルン エッシェンバッハ エルガー オペラ カラヤン クラシック音楽以外 クリスマス クレー コルンゴルト コンサート シェーンベルク シベリウス シマノフスキ シュナイト シュレーカー シューベルト シューマン ショスタコーヴィチ ショパン スクリャービン スーク チャイコフスキー チャイ5 ツェムリンスキー テノール ディーリアス ディーヴァ トリスタンとイゾルデ ドビュッシー ドヴォルザーク ハイティンク ハウェルズ バス・バリトン バックス バッハ バルビローリ バレンボイム バーンスタイン ヒコックス ビートルズ ピアノ フィンジ フォーレ フランス音楽 ブラームス ブリテン ブルックナー プッチーニ プティボン プレヴィン プロコフィエフ ヘンデル ベイスターズ ベネデッティ ベルク ベルリオーズ ベートーヴェン ベーム ホルスト ポップ マリナー マーラー ミンコフスキ ムソルグスキー メータ モーツァルト ヤナーチェク ヤンソンス ラフマニノフ ランキング ラヴェル ルイージ レクイエム レスピーギ ロシア系音楽 ロッシーニ ローエングリン ワーグナー ヴェルディ ヴォーン・ウィリアムズ 北欧系音楽 古楽全般 器楽曲 小澤征爾 尾高忠明 幻想交響曲 料理 新ウィーン楽派とその周辺 旅行・地域 日本の音楽 日記・コラム・つぶやき 映画 書籍・雑誌 東欧系音楽 歌入り交響曲 現田茂夫 神奈川フィル 第5番 若杉 弘 趣味 音楽 飯守泰次郎 R・シュトラウス