カテゴリー「R・シュトラウス」の記事

2020年10月11日 (日)

R・シュトラウス「アルプス交響曲」 ダウスゴー指揮

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ある日の壮絶な夕焼け。

いつも書いてますが、夕焼け大好き。

こうした赤紫の色のときは、雨が降る前夜ともいわれるそうで。

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夕焼け2態。

こちらは、翌日は晴れたけど、でも雲が低いのと、それも入道雲的なものが遠くに見えるので、雨がパラっと降ったりもしました。

いつになく気象予報士的な巻でした。

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  R・シュトラウス アルプス交響曲

 トマス・ダウスゴー指揮 シアトル交響楽団

       (2017.6.15,17 @ベナロヤ・ホール、シアトル)

シアトル交響楽団の自主製作レーベルからの1枚。
現在、音楽監督のダウスゴーの指揮によるシュトラウスを聴く。

前項のベートーヴェンの4番でも取り上げた指揮者ダウスゴーを、このところよく聴いてます。
繰り返しますが、BBCスコテッシュ交響楽団の首席でもあることから、BBCの放送にのることも多く、そのライブをたくさん聴いてきたし、母国デンマークやスウェーデンのオーケストラとの共演盤も集めつつあります。

その特徴は、基本はテンポは速めをとり、古典・ロマン派ではビブラート少な目な演奏様式をとり、一方、後期ロマン派では、テンポ速めは同じくして、情熱も加味した熱めのサウンドを聴かせ、お得意の現代作品では、緻密かつ分かりやすい音楽を展開してます。
総じてスッキリ系でありつつ、情熱派でもあり、そんなイメージをダウスゴーに持ってます。

コンサートや録音のプラグミングも巧みで、Plomsでは、フィンランドの伝統音楽と5番の交響曲のオリジナル版を組み合わせてたりもしましたし、このCDでも、アルペンの前に、デンマークの作曲家ランゴー(1893~1952)の音楽劇の前奏曲を取り上げてます。
ランゴーの「アンチキリスト」という作品は、反キリスト者数人が語る受難曲的な作品で、何度も改訂を加えた曲のようですが、ここでは、その原典版の前奏曲初録音とのこと。
 そして、ニーチェの「アンチキリスト」からの影響もありとされる「アルプス交響曲」。
ランゴーの音楽も、このところBBCで交響曲とか声楽作品を聴いてるけれど、シュトラウスの音楽にも近似性を感じるもので、わたくし、ダウスゴーによる交響曲全集と「アンチキリスト」を発注済みで入荷待ちであります。
コロナで欧州からの物流は遅れがちなのか、なかなか来ません。。。

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シアトル響の本拠地でのライブ録音、まずは音が目覚ましくよろしい。
こうした作品は、まず録音がよくないと始まらない。
冒頭の下降音階による低弦の唸り、爆発的なフォルテも鮮やかなホールトーンも、いずれも心地よく楽しめる。
そしてオーケストラも抜群にうまい。
シュウォーツが長く指揮者を務め、数々の録音があるけれど、メジャーも顔負けの力量と確信。

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ダウスゴーのすっきり感とスピード感のよさは、演奏時間を見ると45分ぐらいで、時間からすると早いが、聴くとさほど快速に感じない。
同じぐらいの演奏時間では、ショルテイ盤があるけど、あちらはザッハリヒともとれるくらいの印象を受けるけれど、ダウスゴー盤は、ストレートな解釈ながら、各所に情熱的な歌と、各声部への緻密な心配りから、いろんな楽器がよく聴こえる透明感もあるので、存外に味わいが深い。
昨年のBBCスコテッシュ響との来日で聴いたマーラー5番の指揮ぶり。
かなり大きな振り姿で、でも、各奏者へのキュー出しも細かく、細かく振り分けているのが印象的でした。
アダージェットは極めて美しく、聴きつくしたこの作品で、思わず落涙してしまうほどでした。

そんなきめ細かな指揮が思い浮かんでくるようなアルプス交響曲の演奏で、意気揚々と山頂に登りつめるまでは、実にスピード感があって爽快。
しかし盛大に盛り上がるか所よりは、歩みを止めて風景を愛でるような場面や、急ぎ下山したあと、しみじみと山登りを振り返るようなシーンがとても味わい深く、爽やかな達成感を聴く私にも与えてくれるような、そんな共感できる演奏なのでした。

マーラー10番も特質大の素晴らしさで、ダウスゴーとシアトル交響楽団のコンビ、これからも期待大なのですが、コロナといい、なにかとシアトルが怪しい雰囲気なのがちょっと心配。
オーケストラの活動も徐々に再開しているようだが、デンマークに住むダウスゴーは、しばらくは渡米できないかもしれない。

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アメリカのオーケストラシリーズ。
シアトル交響楽団は、1903年より活動を開始したオーケストラで、初代指揮者は、作曲家のヘンリー・ハドリーで、そこそこの作品を残していて気になる存在です。
そのあとは、クリーヴランド管の初代指揮者でもあるニコライ・ソコロフ。
そして、なんとトマス・ビーチャムが短期ながら在位し、マニュエル・ロザンタールとなじみの名前が続きます。
シアトル響の実力を高め、オペラ劇場までも創設したミルトン・ケイティムスが22年に渡り指揮者を務めまして、このコンビのレコードもあるようだ。
そのあとは、読響にも来てビゼーの録音のあるライナー・ミーデル。
そして、このオーケストラになくてはならない指揮者、ジェラード・シュウォーツが26年間君臨し、数々の録音でこのコンビの名声を高めました。
そのあときっとやりにくかったであろう後任は、フランス系のリュドヴィク・モルローで、現代ものやフランスものを特に取り上げ、自主製作レーベルにもかなりの録音があります。
シュウォーツとモルローを名誉指揮者に、2018年から音楽監督に就任したのがダウスゴー。

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本拠地は市内中心部にあるベナロヤ・ホールで、1998年の開設。
大きな寄付寄せた慈善家の名前から付けられた名称で、アメリカっぽい。

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 シアトル市は、アメリカ西海岸、ワシントン州の北西部に位置し、海と湖、そして山にも囲まれた美しい街として「エメラルドシティ」と呼ばれているそうな。
気候も年間通じてよろしく、夏は涼しく、冬はそれほどに寒くならない。
水運都市でもあることから、地政上、太平洋で向き合う東洋との海洋貿易の中心地でもあって、日本とのつながりも深い。

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人口は74万人ぐらいで、実は昔から移民に寛容な都市だったので、もっといるんじゃないかともされてます・・・
もともとが先住のインディアン系の地域で、その酋長の名前に由来するのが、シアトルということらしい。
 そして、シアトルの名前を世界的にしているのは、ビッグネームの企業の発祥都市ということ。
ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、シアトルベストコーヒーなどなど。
ニンテンドーアメリカもあることから、IT産業都市でもあるらしい。
でもなんといっても、マイクロソフトとアマゾンの存在が大きいですな。

音楽ではロック系のものが盛んで、ジミー・ヘンドリクスの出身地でもあり、ハートや、かつてのベンチャーズなんかも由来があるらしい。
スポーツでは、そう、イチローのいたマリナーズもここ。
バスケットボールもフットボールも強いチームがあるそうだ。

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シアトルの南方には、ワシントン富士と呼ばれる4,300メートル級の「レーニア山」があり、市内からは雪を頂いたその姿が遠望できる。

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山と海と湖に囲まれていることから、美味しいもの、ナチュラルなものもたくさん。
ワインは全米第2位の生産量とのことで、ビールではなく、フレッシュな白ワインでシーフードなどを頂いてみたいものです。

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水辺の歴史ある有名なレストラン、雰囲気いいですね。

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こんな食事なら日本人向けだし、ワタクシもOK!

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さて、いいことづくめのシアトルなんですが、ミネアポリスでの黒人致死事件を契機に、各地でデモや抗議活動、またANTIFAによる暴力的な事件も頻発。
シアトルでは、6月にBLM抗議デモから派生した動きが、自治区を作るまでになり、シアトル市内のキャピトル・ヒルというお洒落な店の集まる地域の一部を事実上占拠しました。
警察との衝突もありましたが、話し合いによる円満な解決を望むジェニー・ダーカン市長は強い介入を命じません。
その市長は元連邦検事で民主党でリベラル派。
自治区なので、公園を改造して農園としたりしてましたが、徐々に風紀も乱れ、治安も悪化し、銃撃事件も起きましたが、救急隊は警察を伴わないと危険なので動けないし、バリケードで封鎖されていて入れない。
そんな発砲事件も2つ続き、破壊活動や強盗も相次ぐようになり、自治区メンバー(BLM運動家)はさらに市長の家に押しかけ、警察の解体を直訴しようとしました。
これに恐れをなした市長は、ついに警察の介入を認め、自治区の解体を命令。
7月、約3週間で、自治区はきれいさっぱりと解放され、占拠してた連中は霧散しました。
解放の指揮をとったのは、この地区の警察署長で黒人女性というのも皮肉なもので、「彼女は平和的なデモは支持するが無法で野蛮なものは容認できない。黒人の命は大事だ。しかしもうたくさんだ、警察には地域社会を保護する責任がある」と強く語りました。
 まったくそのとおりで、BLM運動に名を借りた行き過ぎた暴力行為や、白人になにをしてもいい的な風潮は看過できません。
来月に迫った大統領選挙も絡んで、アメリカでは対立をあえて煽る動きはまだまだ続くことでしょう。
そして、10月に入ってシアトルでは、スターバックスが襲撃され放火される事件も起きて、また暴動が再燃しそうだとか・・・・

分断や民族の自主を促すことで、国が分裂し、喜ぶのはK産主義者ばかり。
この動きはヨーロッパにも、かたちを変えて日本にも及んでます・・・・・

さて長々と書いてしまいましたが、ひとまず落ち着いたシアトルですが、リベラル市長がいて、超大企業があって市民が意識高い系だったりするので、アメリカのいまの縮図みたいな都市だと思うのです。

でも大自然はウソつかない(インディアン風に)
レーニア山を調べたら、まるでアルプスの光景じゃないですか。

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ネットでレーニア山の風景を見ながら、もう一度ダウスゴーの「アルプス交響曲」を聴こうじゃないか。

ついでながら、録音したアメリカのオーケストラによる「アルプス交響曲」
 ・ハイティンク&シカゴ
 ・ホーネック&ピッツバーグ
 ・ハーデイング&サンフランシスコ
 ・ラングレー&シンシナティ
 ・ルイージ&ダラス

アメリカ人は「アルプス交響曲」がお好き。

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2020年1月16日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ラトル指揮

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まいど恐縮、クリスマスと年末年始は特に絵になるもんですから、銀座。

日の丸を仰げば、あの国の方々のあふれかえる言葉は少しは気になりません・・・??

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    R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

   マルシャリン:カミラ・ニールント
   オクタヴィアン:マグダレーナ・コジュナー
   オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
   ゾフィー:ゴルダ・シュルツ
   ファーニナル:マルクス・アイフェ
   マリアンネ:アレクサンドル・ロビアンコ
   ヴァルツァッキ:トーマシ・エヴェンスタイン
   アンニーナ:キャスリーン・ゲルトナー
   テノール歌手:マチュー・トレンザーニ ほか

  サー・サイモン・ラトル指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

        演出:ロバート・カーセン

        (2020.1.4  @メトロポリタン歌劇場)

今年正月の最新のライブ音源をネット視聴。

ベルリンでもやったでしょうかね?ラトルの「ばらきし」。
ほかのオペラもそうですが、奥様のコジュナーあっての指揮ともいえるかもしれません。
ほかの配役も、ベテラン、新鋭を取り混ぜたメットならではの豪華なものです。
2017年のプリミエで、その時は指揮はお馴染みのセバスティアン・ヴァイグレ。
フレミングとガランチャ、グロイスベックが歌ってます。

ラトルのオペラは何を振るかわからないところがあって、ワーグナーなら後期のものしかやらないし、ヴェルディはなし、プッチーニはそこそこで、シュトラウスならサロメかエレクトラあたりが向いてるだろうと思ってた。
割と重心が低く、硬い音を出すラトルだから、軽やかにやってほしい「ばらの騎士」はどうだろうか、との思いで聴き始めました。
 そうした風に感じるところもありがなら、この作品以降のシュトラウスならではの軽やかさと明朗さが、ラトルの持ち味である重厚さが描き分けるシュトラウスの分厚い響きとの対比でもって十分に活きてくる感じだ。
メットのオケのうまさと、オペラのオーケストラならではの雰囲気のよさでもって、シュトラウスの手の込んだ技法の数々が機能的なばかりならずに済んでいる感じ。
いまの手兵のロンドン響とやったら、さらにうまいけど、オペラの味わいとはまた違うものになったかもしれない。
 ちなみに、ラトルのメトロポリタンへの登場はこれが3度目。
ペレアスとメリザンド(2010年)、トリスタンとイゾルデ(2016年)に次ぐもの。

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            (メットのピットのラットル)

ラトルは、若いころアバドに感化されたということもあって、バーミンガム時代のCDは、ほぼ集めました。
選択するレパートリーが、いずれも面白くて新鮮で、その音楽づくりも先鋭で面白かった。
ベルリン時代は聴かなくなってしまったのは、面白みがなくなってしまったから。
でも、ベルリン時代の後半は肩の力が抜けた感じで、自在な音楽づくりが、カラヤンやアバドとも違うフレキシブルなコンビとなったことを確認できまして、そのまま、ロンドン響に帰り、ニュートラルさと強い音作りがオケの個性ともどもに最強のコンビになったと確信してます。

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奥様のコジュナーのオクタヴィアンが素敵なものだ。
オペラのレパートリーも随分と拡充してきたのも、夫のラトルの指揮があってのもの。
無理せず、細やかな歌唱をベースに女性的な優しい、そして知的なオクタヴィアンを歌っている印象で、やんちゃさはいまひとつ。

いま、マルシャリンとして一番なのがニールントだと思う。
新国で、彼女のマルシャリンを聴いてからもう12年がたつ。
あの時のスリムなお姿とはかわって、風格も出てきたが、声にもより気品とともに、諦念をはかなげに歌いあげる味わいも増しているのだろうと思う。
終幕の、ファーニナルの、「若い方はいいですね」的な問いかけに応えるマルシャリンの、「Ja Ja」はとても感情深い、考え抜かれた一言にことさら感じた。
フレミングの濃厚すぎる歌唱が、どうもだめなので、このニールントのクリアでかつ、言葉に感情を静かにしのばせた表現には、ことのほか感動しました。
 新国の舞台は、昨年亡くなってしまったジョナサン・ミラーの演出がとても洒落ていて、美しいものだった・・・・
1幕の終わりで、悲しみとあきらめに沈むマルシャリン、窓には振り出した雨の雫が流れ、彼女は煙草をゆっくりと取り出して美しい所作でくわえて窓の外を眺めるのでありました・・・・

南アフリカ出身のシュルツのゾフィー嬢の高音が清らかな美声で驚きだった。
彼女はこれから活躍しそうな感じで、パミーナ、ポーギーとベスなんかにも出てます。

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男声陣の充実も並々ならないものがあり、絶好調のクロイスベックのオックスには感心しまくり。
豊かな声量に柔らかさも備え、技量のほども完璧。
何よりも若々しく、いやらしい田舎のおっさんというイメージを払拭してしまうニュー・オックスだった。
最近ひっぱりだこのアイフェのファーニナルもよろしい。

私の好きなカーセンの演出。
写真で見る限り、メットだし、極端なことはしておらず、センスの良さを感じます。
オックスご一行は軍服をまとっている様子。
屋敷の壁画も神話時代の兵士や、小道具として大砲みたいなものも伺えます。
プリミエのときのスクリーンでは見なかったので、映像等で出たら確認したいところです。

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いやぁ、ネットでこんな素晴らしい上演の音源が高音質で楽しめちゃっていいのかな。
ますます、CDを買わなくなってしまう。
同じメットでは、いま上演中のセガンの「ヴォツェック」がもう聴けちゃったし、暮れのスカラ座のシャイー&ネトレプコの「トスカ」も視聴済み。
オーケストラコンサートもリアルタイムで聴いてます。
かつては想像もつかない音楽を聴く方法の多様化は、音楽産業のビジネスとしての衰退を招いているとは思いますが、そこにあるチャンスもまた多様化していると思います。

 でもね、なんといっても、劇場で観劇するオペラや、コンサートホールで聴くオーケストラやソロには何をどうやっても敵わないということ!
これだけは絶対。
時間や経済的な事情で、いまはよっぽど厳選したものしか行けない自分ですが、そこはつくづく思います!

若い方に言いたい。
あとで後悔しないように、これはと思ったら無理してでも行くべきです。
のちのちの自分の肥やしになることは必然です!

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 しかし、「ばらの騎士」はまったくもって素晴らしい作品。

年齢を重ねるごとに、元帥婦人の想いや行動が深く深く共感できるようになってきた。
男も女もない。
時の刻みが怖いし、いまはいいと思っても、明日は違うのではという不安の積み重ね。
それを克服して、「Ja Ja」で終了させるマルシャリンの強さを理解できるまで、まだ自分は未熟なのかもしれず、若いということなのか、バカなのか・・・・はてさて。

ホフマンスタールとシュトラウス、すごい!

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

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  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

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   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

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  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

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  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

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  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

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バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

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  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2019年10月 4日 (金)

R・シュトラウス ツァラトゥストラはかく語り ロンバール指揮

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ある日の竹芝桟橋の夕暮れ。

大島あたりを往復する高速船が基地へ帰還するところ。

遠くはお台場に、羽田に降り立つ飛行機も見える。

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     R・シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語り」

   アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー

                (1973 @ストラスブール)

自分にとって、また懐かしい1枚を。
新しい演奏もいいけれど、こうして我が青春時代を飾った演奏を、歳を経て聴いてみるのも、音楽を聴く喜びのひとつ。
とかいいながら、いつもそんな聴き方をしているわけですが。

アラン・ロンバールは、今年79歳になるフランスの指揮者。
かなり若い頃から指揮者デビューして、20代にはEMIよりオペラ録音デビュー。
そして、私たちにとって、いちばん親しみがあるのは、ストラスブール・フィルの指揮者となり、エラートとの共同で、多くの録音が日本でも発売されるようになったこと。

70~80年代にかけてのストラスブール、そのあとはボルドー、そしてスイス・イタリア語管へ。
だんだん、尻すぼみになってしまったそのキャリア。
いまはどうしているのでしょう。
結局、ストラスブール時代が、ロンバールがいちばん輝いていた。
画像検索をすると、かなりふくよかになってしまったが、ビジュアル的にも、スマートでかっこよかったストラスブール時代だ。

Lombard

フランスのオーケストラということで、瀟洒でおしゃれな響きを期待するけれど、どっこい違います。
ご承知の通り、ライン川を挟んでドイツとの国境を有する都市として、交通の要衝の地。
ドイツ語では、シュトラスブルクということになります。
かつてより、独領となったり、仏領となったりと、歴史上も重要な街なのでありました。

大指揮者ミュンシュもこの地に生まれ、当時はドイツだったので、ドイツ人。
しかし、のちにフランスに帰化してフランス人となります。
ドイツ音楽にも精通したミュンシュこそ、ストラスブールの街の性格そのものだと思ったりもします。
ボストン響に君臨したミュンシュですから、ストラスブールとボストンは、姉妹都市にもなってます。

ロンバールとストラスブールフィルのR・シュトラウス。
浮ついたところのない、正攻法の堂々とした演奏です。
もちろん、現在のより高度なオーケストラや録音による切れ味のいい、精度の高い演奏からすると、緩い部分は多々あります。
しかし、押さえるところはきっちり表現し尽くしているし、一点の曇りのない、明晰な演奏であるというのも、わたくしにはシュトラウスの明朗なる音楽を聴く、必須の要件を満たしていると思われます。
 ブラスとティンパニをはじめとした打楽器のバリっ冴えわたる響きも魅力的。
ただ弦は、やや落ちるといった感じかな。

当時はもうアルコーア版による「カルメン」録音が主流となりつつあった70年代初め、ロンバールは、ストラスブールでクレスパンそタイトルロールにしたその演奏では、従来のギロー版を採用していたように記憶します。
フランスの地方都市であった当時のストラスブールにあって、レーベルも含めて、ちょっと保守的であったのかもしれません。
ヴェルディのレクイエムや、オッフェンバックのラ・ペリコール、グノーのファウストなど、70年代ならではのストラスブールでの録音。
いまこそ、聴いてみたいと思います。

そんな想いを抱かせるような、久方ぶりのロンバール&ストラスブールのツァラトゥストラなのでした。

過去記事

「ロンバールの幻想交響曲」


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竹芝桟橋からレインボーブリッジを望む。

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2019年1月12日 (土)

テオ・アダムを偲んで

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バスバリトン歌手のテオ・アダムが亡くなりました。
1926年生まれ、享年92歳、生まれ故郷のドレスデンにて。

またひとり、わたくしのオペラ好き、いや、ワーグナー愛好の気持ちをはぐくんでくれた大歌手が逝ってしまった。

1952年に、マイスタージンガーの親方のひとり、オルテルでバイロイトデビュー以来、1980年のグルネマンツまで、長きにわたりワーグナーの聖地で活躍しました。

初めて買った「リング」のレコードが初出時の、ベーム盤。
1973年の盛夏に発売された、そのLP16枚組は、瞬く間に、少年のわたくしを魅了しました。
そのウォータンが、テオ・アダムで、当時まだ断片的にしか聴いてなかったショルティのホッターよりも早く、ウォータンの全貌をアダムの歌で聴き込み、それが刷り込みとなったのでした。

以来、意識することなく、ドイツ系のオペラや宗教音楽のレコードやCDを買うと、テオ・アダムの名前がそこに必ずと言って入っているのでした。

聴きようによっては、アクの強い声。でもそこには、常に気品と暖かさがあり、その強い声は、まさに神々しいウォータンや、大きな存在としてのザックスや、バッハの一連のカンタータや受難曲などで、まさになくてはならぬ存在でした。

いくつか接したその舞台で、記憶に残るものは、やはり、スウィトナーとベルリン国立歌劇場とのザックスに、ホルライザーとウィーン国立歌劇場とのマルケ王です。

Theo_adam_2

 今夜は、テオ・アダムの音源から、ウォータンとザックス、マルケ王にグルネマンツ。
それから、シュトラウスから、オックス、ラ・ローシュ、モロズス卿を、さらに、ドレスデン製十字架合唱団にルーツを持つことから、クリスマス・オラトリオやマタイ、カンタータなどのバッハ作品をあれこれ聴いてみることといたします。

Adam

テオ・アダムさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2018年12月20日 (木)

東京都交響楽団演奏会 R・シュトラウス ビゼー R=コルサコフ

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師走のクリスマス前の文化会館。

クリスマス感は、ちょっと少なめだけど、モニュメントがエントランスにいくつかありましたので、ちょっと手を加えてみました。

クリスマス期に、スペインにまつわる音楽特集。
それも、スペイン人以外の作曲者で。
なかなかナイスなプログラミングです。
そして、自分的には、R・シュトラウスの作品を数日の間に連続して聴けることが大きな喜びでした。
しかも、シュトラウス自身が、対の作品と称した「英雄の生涯」を聴いて、少し遡った作曲年代の「ドン・キホーテ」であります。

  東京都交響楽団第870回 定期演奏会

 R・シュトラウス     交響詩「ドン・キホーテ」

        Vc:ターニャ・テツラフ

        Vla:鈴木 学

 ビゼー          歌劇「カルメン」組曲より
                  A・ギルバート・セレクション

 R=コルサコフ     スペイン奇想曲

       アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団

         コンサートマスター:四方 恭子

               (2018.12.19 @東京文化会館)

演奏会の曲のメインということでは、シュトラウスが最後なのだろうけど、盛り上がりという点で、この演奏曲順は納得せざるをえない。
 そして、後半の名曲集の演奏があまりに鮮やかだったので、シュトラウスの滋味あふれる作品の印象が、コンサート終了後にちょっと弱まってしまった感はあります。

赤のドレスで登場のターニャ・テツラフさん、スリムで小柄な方で、遠めには、前駐日大使のキャロライン・ケネディを思い起こさせるような風貌です。
でも、写真でお顔を見ると、確かにお兄さんのヴァイオリニスト、クリスティアン・テツラフに似ている。
 その彼女のチェロの音色は美しい。名器ガァダニーニとのことですが、技巧に走らずバリバリ引くタイプでない、しっとりした雰囲気です。
兄たちとのアンサンブルや、カンマーフィルでの首席などの活動で、身についた、ほかの奏者をよく聴き、その溶け合いや対比にすぐさまに対応してゆくしなやかさを感じます。
実際、指揮者を挟んで向こう側で弾いていたヴィオラの鈴木さんの方をよく見て、聴いていました。
 狂気に走る、そんな唯我独尊的な主人公を雄弁に語る演奏は多々あれど、この日のターニャさんのチェロは、柔和な語り口の優しい雰囲気の主人公のように感じました。
だから、最終章の死の床にあった回想が、しみじみとして、そして万乗の物語を締めくくるに相応しいシーンとなりました。

対する従者のヴィオラの鈴木さんは、かなり克明な刻みで、ふくよかだけれども、音圧も豊かで、ご主人さまよりも、主張が明確、かつ強めの音。
でも、ヴィオラの肉声的な語りかけるような中声部的な魅力がたっぷり。

コンマス四方さんは、この日、ソロも多く、まさにベテランの味わい深さに、楽員の、指揮者のリスペクトを一身に受けてました。

そして、アラン・ギルバートさん。
登場人物たちの活躍の背景、シュトラウスの巧みな筆致によるオーケストラを、どちらかといえば控えがちに導いてました。
文化会館の木質だけれども、響きの少な目のパレットを意識したのでしょうか、ソロを引き立てるために、オーケストラを押さえがち。
曲の内容の違いもあるが、ノット&東響のノリに乗った、そして歌心にあふれたシュトラウスの前には分が悪かったし、オペラの経験もどんどん積んでほしいと思わせる、アランの指揮でした。
でも、ソロが出てこない場面のくだりは、都響の巧さもあって、聴きごたえ充分でした。

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後半は、オーケストラ名曲大会。

アラン・ギルバートの面目躍如たるシーンが展開されました。

明るいアメリカ人、オケを乗せまくり、キューの出し入れも正確無比に決まりまくり、奏者もずばずば決めまくり、聴き手もいつしかのりのりに!

通俗名曲たるカルメンは、巧みな選曲で、前奏曲に始まり、途中、有名アリアや間奏曲をはさみながら、ジプシーの踊りで猛烈なアッチェランドをかけて熱狂的に終了。
盛り上がりました。
私的には、アリアの数々を、オケのソロ楽器によって代用されるのは、原曲のイメージが強すぎるものだから、聴いててちょっとつらい部分もありますが、それにしても都響のソロの皆様の巧さは、芸達者の域に達してました。
闘牛士の歌なんか、思い切り歌いたくなりましたよ!

最後の、スペイン奇想曲。
アランさんは、聴衆を制しつつ、指揮台に昇るやいなや、あの開放的な打楽器満載のメロディーを一挙に鳴らしました。いい!
大好きなこの曲、16分ぐらいの長さが、実はとても長く感じる大きな音楽として聴くことができたのです。
R=コルサコフならではの、オーケストレーションの鮮やかさを、卓越した棒さばきでもって、エキゾチックなムードも満載に描きつくした演奏です。
都響のソロたちの安定感を、ここでも微に入り細を尽くしたバトンのキューでもって完璧に引き出すさまは、後ろから見ていて痛快。
 めちゃくちゃ盛り上がった後半に、アラン・ギルバートの面白さと実力を感じました。

都響の首席客演指揮者としてスタートしたばかりの、アラン・ギルバート。
NYPO時代の演奏の数々は、同団のHPから、わたくしもかなり聴きましたが、マーラーやショスタコーヴィチなどは二重丸。
でも、古典系やロマン派は、まだまだの感あり、そのあたりを今後いかに自分のものとしていくか、都響でも今後、ハイドンやモーツァルトを取り上げていくようなので、見守っていきたいと思ったりもした次第です。

終演後、オーケストラの中に入って聴衆の拍手にこたえる様子、わたしたち聴き手に手を振る様子など、フランクで、気のおけない雰囲気をもったアランさん、都響にも、日本の音楽シーンにも、とてもいい存在になりそうです。

楽しいコンサートでした♪

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今年も、チケットありながらいけなかったコンサートがいくつか。

何があるかわからない旅のような日々は、きっと来年も続くでしょう。

コンサートは、今年打ち止め。

あといくつか年内記事をUPします。

文化会館近くのお蕎麦屋さんで軽く一杯。
お皿が、めでた可愛かったのでパシャリ。

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2018年12月16日 (日)

東京交響楽団演奏会 ヴァレーズ R・シュトラウス

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サントリーホール内のすてきなツリー。

コンサート前のわくわく感が高まります。

そして、この日のコンサートは、激熱、高燃焼の密度の高い最高のものとなりました。

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 東京交響楽団第666回定期演奏会

ヴァレーズ    「密度21.5」(フルート・ソロ)

             「アメリカ」

  R・シュトラウス  交響詩「英雄の生涯」

            
Fl:甲藤 さち

            Vn:水谷 晃

 ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

          (2018.12.15 @サントリーホール)

これまたユニークで、好奇心をそそられる感度高いプログラム。
前半と後半で、ストーリーをつなげるのは、その意図を読み取るのは、私のような凡人には至難の業ですが、最初のヴァレーズ2作品を、休みなく続けて演奏した、ノットの考えにはまったくもって屈服せざるをえません。
 わたくしにとってのヴァレーズは、70年代、ズビン・メータがロス・フィルとレコーディングした「アルカナ」の1枚。
鳴り渡るサイレンや打楽器の殴打、聴いてたら、母親が何て聴いてんの?と驚かれました。
時は経て、そのときのハチャムチャ音楽のイメージのまま、ヴァレーズをろくに聴かずにまいりましたが、当時とうって変わって、多彩で多様な音楽を聴くことができるようになった現在、そのヴァレーズの音楽は、喧噪ばかりでない、緻密でかつ感覚的なものであることを、この度の、ノット&東響の凄演を聴いて思った次第。

友人の初演者フルーティストが作らせたプラチナ製のフルートの比重密度が、「21.5」ということでのソロ作品。
オーケストラも指揮者も全員揃ってから、ステージは暗くなり、首席フルートの甲藤さんにスポットがあたり静かに演奏された4分間。
コンサートの冒頭から、ホール中の聴き手の集中力が一気に高まります。
プログラムにも書いてあったので事前の承知事項でしたが、ドビュッシーの「シランクス」へのオマージュとしての作品。しっかりその音程も聴き取れましたし、なによりも甲藤さんの明晰なフルートの音色が素晴らしく、こんな大きなホールをフルート一本で音で満たすことができることへの憧れと驚きがありました。
そして、ヴァレーズのイメージを覆す、精緻な音楽であったことも、自分には新鮮な驚きでした。

次いでステージが明るくなるさま、今度はアルトフルートが、作品のモットーともいえる旋律を静かに奏でます。
こうして静かなソロ作品と、超巨大豊満な大オーケストラ作品とがつながりました!
このばかばかしいほどに喧噪ともとれる25分間、わたくしも、そしてほとんどの聴衆も、呪縛にあったかのように、パワーあふれる圧倒的なサウンドの連続に前作からの集中力を絶やすことなく聴き入りました!
 サイレンが常に鳴り渡るがゆえに、アメリカの都会をイメージもしますが、これも解説によれば、中南米も含めた広域南北アメリカを描いているとの由で、わたくしは、メキシコのレブルタスとか、アイヴズ、当然にストラヴィンスキーなどとともに、ベルクさえも聴いていて思い起こしてました。
ともかく、強烈な音圧で、何度も何度も襲ってくる。
ときおり顔をだす、モットーが息抜きみたいに感じる。
そしてエンディングの超烈しさと、超カッコよさは、しびれるほどの快感。
ノットの冴えわたる指揮ぶりも、P席からの観劇なだけにまるわかり。
あと15種におよぶ打楽器の数々とその演奏ぶりを上から覗く楽しみも、これまた極まれりでした。

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ここで休憩で、ほんとにほっとしました。

ホール、カラヤン広場もクリスマス。

さて、後半は、ヘルデンレーベン♪

深々と奏でられた英雄のテーマに、わたくしも含めて多くの方が、大きな安心感を抱いたことでしょう。
それほどに、前半の曲に逝ってしまったものですから。
おおらかに、大きな表情付けをもって英雄の登場が歌いこまれたあと、突然として敵出現で不穏な雰囲気になるが、ここでもって、ノット&東響の演奏にアクセルが入った感があった。
そのあとは、多少の傷もなんのその、さながらに、シュトラウスのオペラを聴くがごとく、舞台が次々に思い浮かぶような展開となりました。
しなやかなヴァイオリンソロをつとめたコンマスの水谷さん、なかなかの美音で、ノットも思い切り歌わせてましたし、同様に甘いオーボエ、艶やかなホルン、滔々と流れるシュトラウスならではの愛の場面に聞き惚れました。
 そして、戦場のかっこいいけれど壮絶な展開と、そのあとの高らかな勝利宣言、まったくもって背筋が痺れるような快感と高揚感に包まれた!
こんな感動していいんだろうか。
 そして続いた功績回顧。
これまで何気に聴いていたシュトラウスの過去作品からの旋律の数々、それぞれみんな丁寧に、埋没することなく浮き出て聴こえたのも、劇場たたき上げの指揮者ノットならではうまさ。
今回、「グンドラム」の旋律を明確に発見できたのも自分的には喜びです。
夕映え濃くなる、しみじみエンディングも素晴らしく、最後のエネルギーを一気に貯めて放出したかようなノットの渾身の一振りの最終和音も、やがて静かにきれいに消えていったわけだが、その後のホールの静寂も素晴らしいの一言。

 あ~、ほんとによかった。
最近、シュトラウスの交響詩を真剣に聴いてなかったけれど、その作品がほんとによく書けてるし、いい曲だと、心より思った次第です。
そして、なによりもシュトラウスはオペラの人なんだと、この演奏を聴いてつくづく実感。

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アークヒルズの美しいツリー。

このあと遠来の音楽仲間と新橋で一杯。

Shimbashi

馬刺し、そしてほどよい油をさらりと流してくれる芋焼酎で。

あと2週間で今年も終わりじゃん。

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2018年1月13日 (土)

「町人貴族」「人魚姫」 大野和士指揮 東京都交響楽団

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サントリーホールのエントランスには、Happy New Yearが。

その写真を撮って、都響のパンフを貼り合わせてみました。

    東京都交響楽団 第846回 定期演奏会

  R・シュトラウス   組曲「町人貴族」

  ツェムリンスキー  交響詩「人魚姫」

     大野 和士指揮 東京都交響楽団

              (2018.1.10 サントリーホール)


両曲とも、コンサートで聴くのはお初の新年演奏会初め。

大好きな二人の作曲家、ことに、ツェムリンスキーを聴き逃す手はない。

ピアノを中心に、打楽器各種を交えた室内編成のオーケストラ。
それぞれのソロがふんだんにあるものだから、都響の名手たちを聴く楽しみもある。

モリエールの町人貴族につけたリュリの音楽の編曲も、シュトラウスの手にかかると、煌びやかで、ちょっと甘味なテイストに。
シュトラウスのオリジナル作曲部分は、もっと手がこんでいて、古典風な姿をまといつつも、ナクソスのアリアドネを思わせる、地中海風な明快さと透明感のあるサウンドが実に心地よいのだ。
実演で聴くと、集中して聴くものだから、そんな想いを容易に抱くことができました。
 週のなか日、連休疲れもあります、そんな聴衆の中には、この心地よい音楽と滑らかな演奏に、すやすやとお休みになられる方もそこそこ見受けられました。

ドン・キホーテやばらの騎士よりの引用がチラホラ出てくる、終曲が音楽としてもこれまた面白くて、あと、ラインの黄金が出てくるところも、今回はちゃんと確認できたのもうれしかった!
洒脱なエンディングもナイスでした。

という感じで、前半は、肩慣らし的に。

後半は、お目当ての「人魚姫」。
「抒情交響曲」は、レコード時代、マゼール盤で開眼し、「人魚姫」は、かれこれ25年ほど前に、シャイーのライブ演奏を録音し、それを飽くことなく聴きまくり、その後に出たスタジオ録音のCDで、この曲が愛おしい存在となりました。

悲しい、そして同情をそそる、アンデルセンの童話につけられたツェムリンスキーの音楽は、ともかく美しい。
ライトモティーフも用いて、全3楽章が有機的につながり、アンデルセンの物語に沿って、その筋を思いながら聴くもよし、大オーケストラの音の洪水や、煌めくような音のシャワーや甘味なるサウンドに思い切り浸るもよしだ。

ピアニシモから強大なフォルテまで、演奏会で聴くことができたので、普段、まわりに気兼ねしてしまうCD聴きとは大違いに、音楽そのものにのめり込むことができた。

大野さんは、シュトラウスでは譜面を見ながら、ツェムリンスキーでは、譜面台も置かず、暗譜で指揮をした。
大野さんの指揮は、新国のトリスタンでも感じたことだが、指揮棒や指先から、音符が音になって振り撒かれるように、音楽そのもに一体化してしまうもので、このツェムリンスキーでも、その指揮姿を拝見しているだけで曲のイメージが沸き上がってくる。
オーケストラもこうした的確で安定的な指揮だと、きっと演奏しやすいであろう。

都響ならではの分厚い響きと、繊細な音色を堪能できたが、今回の演奏は浮ついたところがなく、キリリと引き締まったもので、大人の世紀末サウンドと感じました。
コンサートマスターの矢部さんの奏でる、麗しの愛の動機と、そこに合いの手を入れる木管の煌めき・・・、なんて美しいのだろう、と恍惚としてしまうことしきりでした。

人魚姫が死をえらび、海の泡となって立ち上ってゆく最終場面は、さながらレクイエムのようで、哀しさに身もつまされるような想いになりました。
心を込めた演奏ゆえ、ほんとうに沁みわたりました。

ホールを出ると、冷たい冬が待ってましたが、わたくしは、あのヴァイオリンの旋律を何度も思い浮かべながら暖かな心持ちで街を歩きました。

 当ブログの「ツェムリンスキー」記事


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ツェムリンスキー 「人魚姫」 と同じ香りのする音楽

 シェーンベルク 「ペレアスとメリザンド」
            「清められた夜」

 コルンゴルト  「シンフォニエッタ」

 アルヴェーン  交響曲第4番「海辺の岩礁から」

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2017年8月 6日 (日)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 二期会公演2017

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観たいなぁ~、と思っていたら、大の音楽仲間から、行きませんか?とのお誘いをいただき、お譲りいただいた「バラキシ」。

ワーグナーとシュトラウスが国内で上演されるときは、何があっても観劇してた自分ですが、仕事の不芳や、チケットを不意にしてしまうことの恐怖から、ここしばらく、舞台から遠ざかっていました。

行っちゃう。そう、これを第一に行動すればいいんだ。
巧みに、仕事も先回りして、手を打って・・・・、あっ、かつてはそうしてたんだな。。。

いやはや、ともかく、久しぶりのオペラ観劇、ほんとにありがとうございました。
感謝感激でありました。
Rosenkavalier

R・シュトラウス  楽劇「ばらの騎士」

   元帥夫人:林 正子       オックス男爵:妻屋 秀和
   オクタヴィアン:小林 由佳   ゾフィー:幸田 浩子
   ファニナル:加賀 清孝     マリアンネ:栄 千賀 
   ヴァルツァッキ:大野 光彦 
  アンニーナ:石井 藍
   警部:斉木 健詞         執事:吉田 連
   公証人:畠山 茂         料理屋の主人:竹内 公一
   テノール歌手:菅野 敦     孤児:大網 かおり
   孤児:松本 真代         孤児:和田 朝妃
   帽子屋:藤井 玲南        動物売り:芹沢 佳通
   ほか
   モハメッド:ランディ・ジャクソン レオポルド:光山 恭平

 セヴァスティアン・ヴァイグレ指揮 読売日本交響楽団
                        二期会合唱団

   演出:リチャード・ジョーンズ

                     (2017.7.26 @東京文化会館)


オペラ観劇歴、通算7度目となる、この日の「ばらの騎士」。

何度も観てしまうのは、なによりも、その音楽がとてつもなく素晴らしいことで、劇作家ホフマンスタールとともに成しえたこのオペラは、ワーグナーの意匠を継いだ、シュトラウス独自の音楽と劇との高度な融合たる「楽劇」という名にふさわしいものと思う。
 ちなみに、シュトラウスは、この作品を最後に、楽劇の呼称を取りやめてしまう。

さてさて、今宵の舞台は。

ロンドン出身のR・ジョーンズの演出は、グラインドボーンですでに上演されたものをそのまま導入したもので、ご自身や、スタッフも来日して、本家の舞台そのままに再現したもの。

 ジョーンズの舞台は、かつて新国立劇場で、ショスタコーヴィチの「ムツェンスクのマクベス夫人」を体験済で、舞台の中に、さらに額縁的な空間を築き、その中で行われる劇に、より客観性と既視感を持たせるという、観る者にとって、とても心理的な作用をあたえるもののように思われたものだ。

 今回の「ばらの騎士」も同様に、文化会館の舞台のなかに、もうひとつ額縁が据えられ、われわれ観客をそれを、どこかの物語のように、客観的に観るとともに、まばゆさとポップな色彩につつまれた舞台空間に幻惑されるという、さらなる第三者的な立場を体感することとなった。
これぞ、われわれの「夢の世界」の構築ではないだろうか。

 本来の舞台設定は、マリア・テレジア傘下のモーツァルト時代で、ここでは、ワルツなんてなかったから、このオペラでは、ホフマンスタールとシュトラウスの巧みな創作。
しかし、ジョーンズが置いた舞台は、シュトラウスたちが、まさに作曲したその時代。
1910年ごろ、ときは、世紀末で、シュトラウスは大半の交響詩を作曲し、オペラは、サロメとエレクトラで、当時の前衛的な存在だったけれど、「ばらの騎士」で、見事な古典帰りをみせた。。。、そんな時代背景は、マーラーがその最後の時を刻んでいたし、シェーンベルクは十二音音楽をすでに完成させていた。
 そんなモダンと、追憶の乱れる世紀末に、ジョーンズは着目したのではないかと思った。

観劇してて、賛否はともかく、普通と違う、おやっとした場面を列挙(備忘録です)。
長々とすいません。

高揚感とむせ返るような前奏は、幕を閉じたまま演奏され、オクタヴィアンの第一声の直前に幕が開く。
そこには、肉襦袢らしきものをまとったマルシャリンが、シャワーを浴び、入浴中。
オクタヴィアンは、まだまだ元気で、あがった婦人に抱き着きまとわりつき、ふたりはイチャイチャ。
 オックス男爵の突然の来訪には、モハメット君が、ちょろちょろしながら、婦人の使用したスポンジをクンクンしてるし、付け毛なんかも、懐にいれようとしながらも、執事に静止されちゃう。憧れ強すぎのモハメット。
 オックス男爵は、お付きのレオポルドを息子のようにしていた。
その男爵、客席から見てたら、寺門ジモンそっくり。
あと、アンニーナは、メイクのせいもあるけど、渡辺直美だった。
 元帥夫人が、鏡に映る自分の姿に哀しみを感じ、皆を遠ざける場面では、ひとり、フロイトが立会い、彼女のモノローグを聞く。
オクタヴィアンが再び現れるとともに、フロイト氏はいなくなるが、アンニュイに浸る元帥婦人は、ソファのうえで、哀しみと現実とを歌いながら丸くなる・・・可愛いのだ。

幕が開くと、そこはファーニナル家なんだけど、一面に壁がしつらえてあり、ドアがひとつの閉鎖的な部屋空間の場面。オクタヴィアン到着のワクワク感は弱めで、眼鏡っ子のゾフィーが、スタイリスト風の連中にお仕着せ人形のように、ハレの日のドレスに着替えさせられている。
マリアンネは、ドアを開け閉めしながら、期待あふれる外の様子を伝える。
さて、いよいよ騎士登場の段になって、壁が上がり、黄金色の壁に、FANINALと光文字で書かれた奥壁と玄関風の階段と大広間が目の前に広がり、閉塞感は吹き飛び、ここで颯爽と登場するオクタヴィアンに、会場のみんなが釘付けとなり、シュトラウスの美音に酔いしれるわけだ。
 ばらの献呈の場面では、見つめあう二人が、前後に揺れ、彼らの心の揺れも表現される素敵なシーンだったが、聴衆からは、ユーモアと見たのか、笑いが起こったのは、どんなもんだろうか・・・・
 さて続いて、婿殿の登場では、従者レオポルドがかなりのわがもの顔風に目立つ。
婿は、ゾフィーを商品のように扱い、テーブルの上に載せて、司法書士やら法律家連中も、そこに加わる。
イライラを募らせるオクタヴィアン。
ふたりの束の間の逢瀬は、また前壁で仕切られ、私の大好きな美しい二重唱が行われる。先の広い空間よりは、今度はとても好ましい密室が出来上がった。
ふたりのイタリア人に見つかり、通報され、また大騒ぎとなり、オックスの棒寂無人ぶりはピークとなり、オクタヴィアンが、剣も持たずに、決闘を申し入れたあげく、使用したものは・・・、なんと、銀の薔薇で、オックスのお尻をプスリと!
そのあとは、あまりイジリようのないオーソドックスな展開。
おしりの痛いオックスは、極上の酒とオクタヴィアンに寝返ったアンニーナがもたらした偽の手紙に、すっかりご機嫌になり、例のワルツを。
田舎から引き連れてきた部下たちは、1幕で、物売りから巻き上げた、ちょっとエッチな写真集をビロビロと広げ、オックスはさらにご満悦。

前奏曲では、幕を開けずに、しばらくオケピットの演奏に集中。
オックスをおちょくる居酒屋は、ド派手な色使いに、幾何学模様の壁紙の三角空間的な部屋。いたずらのリハーサルでは、壁にあるスイッチを押すと、ソファーがでっかいベットにするすると変身する仕掛けに失笑(笑)。
 オックスとレオポルドの登場、それからオーストリアの民族衣装風のオクタヴィアン。
レオポルド君は、仕掛人側が放った女性の色仕掛けにひっかかり退場し、以降、オックスにとっては役に立たない。
ステテコに鬘も取って禿げ頭となったオックスと、酒をグビグビ飲んじゃうオクタヴィアンの楽しい掛け合い。泣き上戸となったオクタヴィアンは、果物ナイフで、はたまた、天井から降りてきたロープで自殺を図ろうとして、オックスのオロオロぶりも半端ない。
 その後、ぞろぞろ出てくる、お化けや、オックスの妻と称するアンニーナや子供たち、オクタヴィアンもそろって、男爵を責めるところでは、全員がキョンシー風の動きになっておもろい。
 そんなこんなで、警察がやってきて、裁判風になり、そして、取り調べはまるで刑事ドラマのよう。
 最後に、ドタバタ劇の締めくくりに登場するマルシャリンは、ゴールド系のモードファッション。彼女に諭し、諭されたオックスが大騒ぎでもって退出したあとは、このオペラのもっとも美しいシーン。
 揺れ動くマルシャリン、オクタヴィアン、ゾフィーの3人に、ドアの隙間から憧れをもってもって覗うモハメットに注目。
クライマックスの3重唱、真ん中に金色のマルシャリン、右手に水色のオクタヴィアン、左手にパープルのゾフィー、背景はブルーの部屋。
マルシャリンが引き立つ、鮮やかすぎる色彩で、聴く3人の美唱に酔いしれる。
 幕引きのシュトラウスとホフマンスタールの機智あふれる場面では、モハメット君が、ちょろちょろと侵入し、探し出したのは、ソファーに忘れられたマルシャリンのショール。
思い切りそこに顔をうずめて、嬉しそうに退出して、楽しくエンディング。

                   
舞台に、映像に、ばらの騎士はいくつも観たけれど、どの演出もそれぞれに楽しかった。
オットー・シェンクの時代背景にも、ト書きにも忠実な伝統的な演出を、おそらく基軸にして、出来上がってきた様々な演出。

そんななかで、今回のR・ジョーンズ演出は、原色的な色彩と、額縁的な空間とで、かなりユニークな存在に思えた。
そんな中で行われる、微細なまでに凝った演技。
私には、それがやや過剰に思われた。次々に目移りしてしまい、音楽に身をゆだねることが出来ない。
まぁ、これが昨今のオペラ演出の風潮なのだから、あれこれ言わず、全体を楽しめばいいんだけど。

オクタヴィアンに傾きがちな視点を、マルシャリンに引き戻し、しかもモハメット君が懸想する大人の女性を描きつくした。
レオポルドが目立ったのも新しい。
そして、ゾフィーは操り人形のようだったけれど、徐々に自分の意志で動く機微がよく見えるように。あげればキリがない・・・

 さて、そんな舞台で、演技も、そして歌唱も完璧だった日本人歌手たち。
安定感と余裕すら感じる妻屋さんのオックス。
3人の女声の美しすぎる調和も、大いなる聴きもの。
アリアドネの作曲家以来、ファンになった、凛とした小林さんのオクタヴィアン。
幸田さんの美声は相変わらずだけど、声に力が少し増して、より多くホールに響かせることが出来るようになった感あり。
 あと、なんといっても素敵だった、大人の女性としての元帥婦人を歌った林さん。
1幕のモノローグで、手鏡を見てから変化する彼女の想い。
フロイト博士の臨席のもと歌われるその場面における林さんの歌と演技には、ほんとホロリときました・・・・。
誰しも、男も女も、そんな想いや歌に、自分を重ね合わせることができる、この作品の一番素晴らしい場面であることも実感できた。

 二期会のおなじみの歌手のみなさんも、出色、とくに二人のイタリア人たちはよかった。

 オペラの手練れ、ヴァイグレの指揮は、もう少しシュトラウスの音楽の色香が欲しいところではあったが、力強い読響から、まとまりのよい、柔らかな響きを引き出すことに成功していたのでは。
初日だったから、後になるほどよくなっていったことでしょう。

久しぶりのオペラ。
盛大なカーテンコールまで、楽しく観劇することができました。

舞台の模様はこちら、Classic news

SPISにてご覧ください。

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2017年1月10日 (火)

R・シュトラウス 「影のない女」 ショルティ&コヴェントガーデン

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小田原の石垣山にあるYoroizuka Farmに、お正月、行ってきました。

パティシェの鎧塚俊彦さんのお店。

そう、亡き、川島なお美さんの旦那さんです。

相模湾を見下ろす絶景にあるこちらのお店では、カフェがあって、その絶品スゥイーツを楽しめるし、店舗ではたくさんのプチガトーや、地場野菜や果実が売られてます。

ともかく、その景色が素晴らしい。

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西から見た相模湾は、江の島や、遠く、三浦半島・房総半島も見渡せる。

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川島なお美さんの直筆の碑。

大学の先輩だったし、近くでお目見えしたこともあったし、そして、小田原は、高校時代過ごした街だし・・・、で、なんだか哀しくなってしまった。

でも、この場所を愛した妻への旦那さんの、優しい思いも感じとれ、この場所が、わたくしの愛する吾妻山のように、すてきな場所となって、自分のなかに記憶されることとなりました。

そんな、暖かな夫婦愛を最後には謳歌することとなる、R・シュトラウスのオペラ「影のない女」を連休から聴いておりました。

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 R・シュトラウス 「影のない女」

  皇帝 :ジェイムズ・キング       皇后 :ヘザー・ハーパー
     バラク:ヴァルター・ベリー       バラクの妻:ヘルガ・デルネッシュ  
  乳母 :ルート・ヘッセ          霊界の使者:フォービス・ロビンソン
  宮殿の門衛:ジュディス・ハワース   若い男 :ロバート・ティアー
  鷹の声:エイドゥイン・ハーリィー   
  バラクの兄弟:ウィリアム・エルヴィン、ポール・クルック
            ライモンド・ヘリンクス


   サー・ゲオルク・ショルティ指揮
           ロイヤル・コヴェントガーデン管弦楽団/合唱団
                    (76.4.5 @コヴェントガーデン)

ネット見つけたこの音源。

どーです、シュトラウス好き、影なし好きをも唸らせる、素晴らしいキャスト。

鉄板の、J・キングの凛々しい皇帝にはしびれるような感動と、官能を覚えます。

そして、高貴な英国歌手のハーパーの、全霊をかけたかのような皇后の熱さは、まったくもって以外ともいえる素敵さ。

お馴染み、ヴァルター・ベリーのバラクは、ここでも、いい人、全開で、FDの知的なバラクもいいけど、やっぱり純朴かつ熱烈なバラクもいい。

あと、あとですよ!!、今回、この音源を見つけて狂喜乱舞したのは、ヘルガ・デルネッシュ様のバラクの妻。

ショルテイさま、よくぞ、彼女を起用してくれた。

カラヤンとのブリュンヒルデ、トリスタン、レオノーレを歌い終えたデルネッシュ、その声域をメゾに移行しつつあった、その時期の上演。

皇后は、ワーグナーに例えると、ジークリンデ級。
バラクの妻は、ブリュンヒルデ級で、メゾの音域も要求される難役。

デルネッシュはメゾに移行後、ハンブルク・オペラの来日公演で、ドホナーニの指揮による「影のない女」の上演で、乳母役を演じ、わたくしも、憧れの彼女の歌の、最初で最後の実体験となりました。

そんなデルネッシュのバラクの妻。

2幕における、妻としての節度と、皇后の乳母が影を狙ってしかける若い男の妄想や、真面目すぎる夫や、不具合のある夫の兄弟たちの面倒をみる不合理さへの葛藤を歌いこむ、切実たるシーンには、ほんと、心から感動します。
G・ジョーンズや、ルートヴィヒ、ニルソンとならぶ名唱だ!

主役級以外は、コヴェントガーデンの常連・常設歌手だけれども、当然にバランスがよろしい。

 かつて、音楽監督をつとめたコヴェントガーデン、ロイヤル・オペラに76年に客演したショルティ。
後年のウィーンやザルツブルクでの指揮よりも、とんがってる。
切れ味もいいし、オペラとして、劇的な流れも間断なくすばらしく、テンポも快適。
全曲が3時間と数分。
おとぎ話としてのファンタジー感は不足するものの、登場人物たちの、切実な歌や背景は見事に捉えているように感じる。
 惜しむらくは、音源がモノラルなところ。
聴きやすい明瞭な音だけれど、オーケストラ・ピットが劇的にすぎて聴こえてしまう、そんなONすぎる録音。

こんな、おそらく放送音源も、世の中にはたくさんあるんだ。

最近のつまらん録音より、こうした音源の掘り起こしや、各種権利の調性に邁進してほしいものだよ、まったく。

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麗しきかな夫婦愛・・・・・・・

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