カテゴリー「R・シュトラウス」の記事

2023年9月25日 (月)

ヴィオッティ&東京交響楽団演奏会

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休日の土曜、14時でもなく、19時でもなく、18時の開演で間違えそうになったサントリーホール。

「英雄」とタイトルされたふたつの作品の重厚プログラムで、ホールはほぼ満席。

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ひときわ目立つ華麗な花飾りには、ブルガリからの指揮者ヴィオッティへのメッセージ。

そう、イケメンのヴィオッティはブルガリの公式モデルをしているのです。

この日、それ風の外国人美女がチラホラいましたので、そうした関係なのかもしれません。

でも、ヴィオッティはそうした外面的な存在だけではありません、将来を嘱望される本格派指揮者なのです。

2世指揮者で、父親は早逝してしまったオペラの名手、マルチェロ・ヴィオッティ(1954~2005)で、ローザンヌ生まれのスイス人です。
母親もヴァイオリニスト、姉もメゾソプラノ歌手(マリーナ・ヴィオッテイ、美人さん)という音楽一家で、音楽家になるべくして育ったロレンツォ君は、自身も打楽器奏者からスタートしている。
現在はネザーランド・フィル、オランダオペラの首席指揮者として活動中で、ヨーロッパの名だたるオーケストラにも客演を続けている。
海外のネット放送でも、ヴィオッテイを聴く機会が多く、私が聴いたのは、ツェムリンスキーのオペラ「こびと」、「人魚姫」、コルンゴルト「シンフォニエッタ」、ヴェルディ「聖歌四篇」、チャイコフスキー「悲愴」、ドビュッシー「夜想曲」、ウィーンでのマーラーなどなど。
このレパートリー的に、私の好むエリアを得意としそうな気がして、ずっと着目していたところだ。

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  ベートーヴェン   交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」

  R・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

    ロレンツォ・ヴィオッテイ指揮 東京交響楽団

     ソロ・コンサートマスター:グレブ・ニキティン

          (2023.9.23 @サントリーホール)

イタリア語由来の「英雄」はエロイカ。
ドイツ語で「英雄の生涯」は、ヘルデン・レーベン。
英雄的テノールということで、ヘルデンテノールがある。
これが英語では、「ヒーロー」になる。

こんな風に「英雄」由来の2作品を並べた果敢なプログラムを組んだ東響とヴィオッテイにまずは賛辞を捧げたい。

冒頭に置いたエロイカ、若いヴィオッテイならガツンと勢いよく、意気込んでくるだろうと思ったら、まったく違って、肩すかしをくった。
軽いタッチで、スピーディーに、サクっと始まったし、そのあとも滑らかに、流れのいいスムースな演奏に終始。
角の取れたソフィスティケートなエロイカは、わたしにはまったく予想もしなかった新鮮なものに感じられた。
くり返しもしっかり行いつつ、力強さとはほど遠い流麗さで終始した1楽章。
音が薄すぎるという点もあったが、わたしは美しい演奏だと思った。
その思いは、デリケートな2楽章に至って、さらに募った。
弱音を意識しつつ、間が静寂ともとれる葬送行進曲は、2階席で急病の方が出たらしいが、見事な集中力でもって聴かせてくれた。
ホルンが実に見事だった3楽章では、若々しいヴィオッテイのリズムの良さが際立ち、ホルンも完璧!
ギャラントな雰囲気をかもし出した終楽章。
メイン主題が木管で出る前、弦4部のソロが四重奏を軽やかに奏でたが、これが実に効果的で、指揮者は棒を振らずに4人のカルテットを楽しむの図で、そのあとに主旋律がサラッと入ってくるもんだから感動したのなんの。
エンディングも勇ましさとは無縁にさらりと終わってしまう。
アンチヒーローとも呼ぶべき美しくも、しなやかなエロイカだった。

後期ロマン派系の音楽を得意にするヴィオッテイのベートーヴェンはこうなるのか、と思いました。

さて、シュトラウスの方のヘルデンは。

これはもう掛け地なしで誰もが認める抜群のシュトラウスサウンド満載の好演。
すべての楽器が鳴りきり、思いの丈をぶつけてくるくらいに、ヴィオッテイはオーケストラを解放してしまった。
エロイカでの爆発不足を補うかのような爽快かつヒロイックな冒頭。
あとなんたってベテランのニキティンの自在なソロにみちびかれ、陶酔境に誘われた甘味なる伴侶とのシーンは、ヴィオッテイの歌心が満載で、これもまた美しすぎた。
闘いにそなえ、準備万端盛り上がっていくオーケストラを抑制しつつ着実にクライマックスに持っていく手腕も大したものだ。
ステージから裏に回るトランペット奏者たち、また帰ってきて大咆哮に参加し、打楽器がいろんなことをし、木管も金管もめまぐるしく活躍し、弦楽器も力を込めてフルに弾く、そんな姿を眺めつつ聴くのがこの作品のライブの楽しみだ。
その頂点に輝かしい勝利の雄たけびがある。
感動のあまり打ち震えてしまう自分が、この日もありました。
 その後の回顧シーン、さまざまな過去作の旋律をいかにうまく浮かびあがらせたり、明滅させたりとするかは、シュトラウス指揮者の肝であろう。
以前聴いた、ノットの演奏がこの点すばらしくて、移り行くオペラのひとコマを見ているかのようだった。
シュトラウスサウンドを持っている同じ東響の見事な木管もあり、ヴィオッテイのこのシーンも実に細部に目の行き届いた鮮やかなもので、過去作メロディ探しも自分的に楽しかった。
このあとの隠遁生活をむかえるしみじみ感は、さすがに老練さはないものの、テンポを思いのほか落として、でもだれることなくストレートな解釈で、まだまだこの先も続くシュトラウスに人生を見越したかのような明るい、ポジティブなさわやかな結末を導きだしたのでした。
すべての音がなり終わっても拍手は起こらず、静寂につつまれたサントリーホール。
ヴィオッテイが静かに腕をおろして、そのあと間をおいてブラボーとともに、大きな拍手で満たされたのでした。

俊英ヴィオッテイの力量と魅力を認めることのできたコンサート。
東響との相性もよく、もちろんシュトラウスは東響と思わせる一夜でした。



OKでたので撮影、喝采に応えて、最後はシュトラウスのスコアをかかげるヴィオッテイ。

おまけ、ブルガリのヴィオッティ。



イケメンもほどほどにして欲しいが、引く手あまたの人気者。
東響の「ポスト・ノット」をウルバンスキとともに目されるヴィオッテイ。
オランダの忙しいポスト次第かと。
そのオランダでは、初ワーグナー、ローエングリンを振るそうだ。

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ふつうのイケてないオジサンは、新橋で焼き鳥をテイクアウトして、東海道線の車内を炭火臭でぷんぷんにさせながら帰ってきて、ビールをプシュッ🍺

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2023年6月25日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」  神奈川フィル演奏会

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音楽監督、沼尻竜典と神奈川フィルハーモニーとのドラマテック・シリーズ第1弾「サロメ」。

みなとみいらいでの神奈川フィルは、実に7年ぶり。

桜木町からの道のりは、変わったようでいて、変わってない。
ロープウェイが出来たことぐらいかもですが、やはり観光客主体に人はとても多い。

昨年11月に世界1のサロメ、グリゴリアンが歌うノット&東響演奏会を聴き、今年4月は、「平和の日」日本初演を観劇し、さらに5月には、世界最高峰のエレクトラ、ガーキーの歌うエレクトラをこれまたノット&東響で聴いた。
そして、これらのシュトラウスサウンドが、まだ耳に残るなか、神奈川フィルのサロメ。
シュトラウス好きとして、こんな贅沢ないですね。

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  R・シュトラウス 楽劇「サロメ」

   サロメ:田崎 尚美      
   ヘロデ:高橋 淳
   ヘロディアス:谷口 睦美   
   ヨカナーン:大沼 徹
   ナラボート:清水 徹太郎 ヘロディアスの小姓:山下 裕賀
     ユダヤ人:小堀 勇介      ユダヤ人:新海 康仁
   ユダヤ人:山本 康寛  ユダヤ人:澤武 紀行
   ユダヤ人:加藤 宏隆   カッパドキア人:大山 大輔
   ナザレ人:大山 大輔    ナザレ人:大川 信之      
   兵士  :大塚 博章    兵士  :斉木 建司
   奴隷  :松下 奈美子

  沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

    首席ソロ・コンサートマスター:石田 泰尚
         コンサートマスター:大江 馨

     (2023.6.23 @みなとみらいホール)

    ※救世観音菩薩 九千房 政光

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ご覧のように、オーケストラを舞台の奥にぎっしりと引き詰め、その前のスペースで歌手たちが歌い演じるセミステージ上演。
P席と舞台袖の左右の座席も空席に。
ヨカナーンは、P席の左手を井戸の中に想定して、そこで歌うから音像が遠くから響くことで効果は出ていた。
字幕もP席に据えられているので全席から見通しがよい。
ステージ照明は間奏や7つのベールの踊りのシーン以外は、暗めに落とされ、左右からのブルーや赤、黄色のカラーで場面の状況に合わせて変化させていたほか、パイプオルガンのあたりには、丸いスポットライトもときに当てられたりして、雰囲気がとてもよろしく、舞台上演でなくてもかなりの効果を上げられたのではないかと思います。

今後予定されているドラマテック・シリーズはこうした設定が基本になるのだろう。
すべての客席から、前面の歌手エリアがよく見えるようになることを併せて願います。

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①この日、もっとも素晴らしかったのはオーケストラだと思う。
神奈フィルをずっと聴いてきて、途中、移動や仕事の不芳などもあり遠ざかった時期があり、本拠地での演奏体験は久方ぶりだった。
お馴染みの楽員さんたちも多数、そして若い楽員さんたちも多数。
ほんとうに巧いオーケストラになったものだと、今日ほど実感したことはありません。
華奢すぎる感のあったかつての神奈フィルは、それが個性で、横浜の街を体現したかのような洒落たオーケストラだった。
現田さんとシュナイト師によって培われた、美音極まりない音色はずっとそのままに、オペラの人、沼尻さんの就任によって、本来もってた神奈フィルの自発的な開放的な歌心あるサウンドが導き出されたと思う。

細部まで緻密に書かれたシュトラウスのスコアは、物語の進行とともに、微細に反応しつつ、リアルに描きつくしてやまない。
ヘロデがサロメの気を引こうと、宝石やクジャクなどの希少な動物をあげると提案すると、音楽はまるで宝石さながら、美しい動物の様子さながらのサウンドに一変する。
私の好きな、サロメとヨカナーンのシーンで、サロメが欲求を募らせていくシーンでも、音楽は禍々しさとヨカナーンの高貴さが交錯。
ガリラヤにいるイエスを予見させるヨカナーンの言葉は、清涼かつ神聖な音楽に一変してしまう。
それでも、サロメはさらなる欲望を口走り、ヨカナーンは強烈な最後通告を行う。
このあたりの音楽の変転と強烈さ、演奏する側は、その急転直下の描き分けを心情的な理解とともに描き分けなくてはならないと思う。
 沼尻さん率いる神奈川フィルは、このあたりがまったく見事で、目もくらむばかりの進行に感銘を覚えたものだ。

このようなシーンに代表されるように、シュトラウスの万華鏡のようなスコアを手中に収め、指揮をした沼尻さんと、それを完璧に再現した神奈川フィルは、ふたたび言うが素晴らしかった。

②日本人でサロメを上演するなら最強のメンバー
田崎さんのサロメは、剛毅さよりさ、繊細な歌いまわしで、シュトラウス自身が「16歳の少女の姿とイゾルデの声のその両方を要求する方が間違っている」と、自分に皮肉を述べたくらいに矛盾に満ちたサロメ役を、無理せず女性らしさを前面に打ち立てた、われわれ日本人にとって等身大的な「サロメ」を歌ってみせた感じに思った。
そんななかでも、数回にわたる首のおねだりの歌いまわしの変化は見事で、ラストの強烈な要求は完璧に決まった感じだ!
長大なモノローグも美しい歌唱で、このシーンでは恋するサロメの純なる心情吐露なので、沼尻指揮する極美で抑制されたオーケストラを背景に、煌めくような歌声だった。

田崎さんとともに、先月のエレクトラで待女役のひとりだった谷口さん。
わたしの好きな歌手のおひとりで、ソロアルバムもかつて本blogで取り上げてます。
アリアドネ、カプリッチョなど、おもにシュトラス諸役で彼女のオペラ出演を聴いてきましたが、こんかいのヘロディアスも硬質でキリリとした彼女の声がばっちりはまりました!ステキでした!
谷口さんのCDに、神奈フィルのクラリネット奏者の斎藤さんが出ておりますのも嬉しい発見でした。→過去記事

福井 敬さんの代役で急遽出演した高橋さんは、ヘロデを持ち役にしているし、キャラクターテノールとしての役柄で聴いた経験も多い歌手。
役柄になりきったような明快な歌唱と、その所作はベテランならではで、舞台が引き締まりましたね!

P席から歌った大沼さんのヨカナーンは、高貴な雰囲気がその声とともに相応しかったが、井戸から出されて、舞台前面でサロメと対峙するとなると、声がこちらの耳には届きにくかった。
また井戸に召喚されると、またよく通る。輝かしいバリトンのお声なのに、ホールによっては難しいものだ。

気の毒なナラボート役の清水さん、恋する小姓役の山下さん、よいです!
ほかのお馴染みの名前やお顔のそろった二期会の層の厚さにも感謝です。

③この1か月の間に、ミューザとみなとみらいで、ふたつのシュトラウスオペラを聴いた。
どちらも響きのいいホール。
その響きが混ぜ物なくストレートに耳に届く「ミューザ」。
その響きそのものが音楽と溶け合ってしまうかのような「みなといらい」。
どちらも長らく聴いてきて好きなホールだけれども、いまは「ミューザ」の方が好きかも。
でも「みなといらい」にはいろんな思い出もあり、脳内であの響きが再生可能なところも愛おしい。

ノットの次のシュトラスは「ばらの騎士」のはず。
神奈川フィルは、次は・・・。
勝手に予想、フィガロ、オランダ人、トスカ、夕鶴・・・、な~んてね。

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終演後は西の空が美しく染まってました。

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久しぶりだったので、パシャリと1枚。

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野毛に出向いてひとり居酒屋をやるつもりだったけど、いい時間だったし、もうそんな若さもないので、サロメで乾いた喉は、お家に帰ってから潤しました。

【サロメ過去記事】

「サロメ 聴きまくり・観まくり」

「グリゴリアン&ノット、東響」

「二期会 コンヴィチュニー演出 2011」

「ドホナーニ指揮 CD」

「ラインスドルフ指揮 CD」

「新国立劇場 エヴァーディンク演出 2008」

「ショルティ指揮 CD」

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2023年5月23日 (火)

R・シュトラウス 「エレクトラ」

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今年の花の巡りはとても早くて、ここ南関東ではツツジは連休前には咲き乱れて終わってしまいました。

加えて、真夏のような暑さも連休明けからあったりして、はやくもぐったり。

爽やかなな晩春~初夏の趣きはなくなってしまった。

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でも、今年のツツジの色は濃く、鮮やかだった。

3月から、先だってのノット&東響の実演まで、「エレクトラ」を数々聴きまくりました。

Elektra-01_20230520151101

本blog2度目のシュトラウスのオペラ全曲シリーズ。
4作目の「エレクトラ」。
シュトラウス44歳、1908年の完成。
「サロメ」と連続して書かれ、オーケストラ作品では、「家庭交響曲」と「アルプス交響曲」の間にある。

ギリシア三大悲劇詩人ソフォクレスの「エレクトラ」を演劇化したホフマンスタールの台本によるもので、ここからホフマンスタールとの完璧なるコラボが生まれ、名作を次々と編み出すことになる。
サロメは旧約聖書、エレクトラはギリシア悲劇、ともに不貞の肉親が絡み、殺害もある。

モーツァルトの「イドメネオ」に出てくる、いつも怒っているのが「エレクトラ」は同じ人物。
ミケーネ王である父アガメムノンを、その妻クリテムネストラと不倫を結んだエギストらに殺された、長女エレクトラが父の敵を討つという復讐劇と。
気が弱く女性的な妹クリソテミスと、復讐の実行犯になる姿を隠してを帰還する弟オレスト、エキセントリックで夢見心地のエレクトラ3姉弟の対比も鮮やか。
サロメより舞台に出ずっぱりで、しかもよりドラマテックな強い声を要すエレクトラ役はオペラの難役のひとつでしょう。

サロメより不協和音や激しい響きに満ちていて、甘い旋律や、陶酔感に満ちた響きも次々に現れるから、ワーグナーの延長、さらにはマーラーやシェーンベルクなどを聴き慣れた現代の聴き手からすると聴きにくい音楽ではない。

116名の巨大な編成を要するオーケストラは、サロメに続いて当時、いろんな比喩やカリカチュアを生んでいる。

Elektra-greek

サロメに続いて似たような題材をあえて選択したシュトラウスは、明朗・晴朗なギリシャの世界ではないものをここに描きたかった。
緻密な作風はさらに進化し、ライトモティーフも複雑極まりなく、ときに音楽はエキセントリックで禍々しく、強烈極まりない。
一方で、情熱的な高揚感はサロメの比でなく、その意味ではシュトラウスの音楽のなかで最高に熱いものだと思う。
ここしばらく、エレクトラを聴きまくり、その思いはとどめになったノット&東響の演奏会で決定的となりました。

 シュトラウスは、ワーグナーを信望しつつ、その作風はワーグナーと違う次元に、このエレクトラで立ったと語っている。
不協和音の多用と無調に至るすれすれの音楽。
さらには歌唱も、まるでオーケストラの一員のようにレシタティーボ的に存在しなくてはならないし、一方オーケストラと対比しつつ、装飾的な存在とオーケストラの伴奏を受ける際立つ存在となるように書かれている。
 だから、シュトラウスは、サロメとエレクトラは、メンデルスゾーンの妖精の音楽のように軽やかに演奏しなくてはならないと、若い指揮者に向けて極めて実現の難しい金言を残している。
この言葉を実際の演奏で実現したのは、ミトロプーロスとベーム、サヴァリッシュ、アバド、そしてウェルザー・メストだと思います。

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ソフォクレスの原作悲劇にある、このオペラの前段のなかには、オペラで触れられてないこともあります。

クリテムネストラには前夫がいて、その美貌にほれ込んだアガメンノンにより前夫は戦死に追い込まれる。
さらに長男も復讐を恐れたアガメンノンに殺害される。
母クリテムネストラとその夫アガメンノンの従弟エギストは、かねてより不倫関係だった。
クリテムネストラにはほかに娘もいたが、アガメンノンの戦争必勝祈願の生贄にされてしまう。
こうしたくだりが、クリテムネストラがアガメンノンを憎悪して、ことに及んだ動機でもある・・・・

こうしたエピソード活かした舞台が、2020年のザルツブルク、ワリコフスキ演出だと思う。
オペラが始まるまえ、クリテムネストラ滔々と怒りを込めて語るシーンがある。

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「エレクトラ」は1幕ものですが、7つの場面からなりたってます。
さらにこの7つは、大きな単一楽章とみることで、シンメトリー的なシンフォニックな存在として、起承転結の4つの楽章としても捉えることができます。
このあたりは以前読んだ、金子健志さんのプログラムノートの受け売りです。

Ⅰ ①待女たちによる前段の説明、プロローグ
  ②エレクトラの父への思い、回想、仇討ちの決意
  ③エレクトラとクリソテミスと対話

Ⅱ ④生贄の行進、クリテムネストラとエレクトラの対話、
   母の悩み、
エレクトラの夢判断と母娘の決裂

Ⅲ ⑤オレストの訃報とエレクトラの決意
   クリソテミスへのダメだし

  ⑥エレクトラとオレストの邂逅

Ⅳ ⑦クリテムネストラ、エギストの殺害、姉妹の勝利
   エレクトラの歓喜の踊り

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【聴きどころ】

待女たちはクリテムネストラの配下だから、エレクトラをくさすわけだが、なかにひとり、エレクトラを讃える待女がいる。
その同情あふれる歌とオーケストラの音色の変化を確認。

有名な「Allein」で始まる長大なモノローグ。
だれも、いない、ひとりっきりだ・・・
この楽劇の全貌をこのシーンが要約している。
アガメンノーーン、父の殺害の回顧と妹弟と3人でこの恨みを晴らして、最後は勝利の踊りをしましょうぞ!

姉と妹の性格の違いの際立つシーン。
なんといっても、クリソテミスが子供を産んで普通の女性として暮らしたい、という歌唱シーンがすばらしすぎで大好き。

禍々しい生贄行進の音楽。ベームの映像を観ると、リアルすぎてキモイが・・・
クリテムネストラは呪いや魔除けの宝飾をたくさんつけていて、音楽もそんな雰囲気を醸し出し、さすがシュトラウス。
苦悩のクリテムネストラの独白~エレクトラが相談に応じ、徐々に核心に迫る~エレクトラはついに殺害されるだろうと予告
この3つシーンの流れにおける音楽の推移もまったく見事で、心理描写にぴったりと付随していて、音楽は新ウィーン楽派の領域にも通じたものを感じる。
エレクトラの爆発はここでも強烈だ。(それに反比例する弟の死を聞いた母の不気味な高笑い)

意図的にまかれたオレストの訃報に、いよいよ自分たちでやらねばと妹に迫るエレクトラは、決心できない妹に呪われよ!と絶叫。
どのシーンでも最後には怒って、すごんでしまうが、ほんと歌手はたいへんだ。

オレストとの再会は、その名を3度呼ぶが、いずれもその表現が変わる。
強かったエレクトラが女性らしさも見せるステキなシーンだ。
ロマンティックな音楽は、のちのシュトラウスのオペラの前触れで、ばらの騎士やアリアドネ、アラベラにも通じるものと思う。

クリテムネストラは今度は笑いでなく、断末魔の叫びを2発!
サロメのヘロデ王のような、すっとこどっこいじゃないけれど、なにもしらないエギストはやはり間抜けな存在として、妙に軽いタッチの音楽になっていて、殺られちゃうのに気の毒なくらい。
性格テノールからヘルデンまでがエギストを歌うが、もう少し聞かせどころが欲しかったと思うのは私だけ?
しかし、この場面の音楽は「ばらの騎士」のオクタヴィアンとオックスのやり取りを想起させたりもする。

 同時に起きた政権転覆の騒ぎに、姉妹は興奮。
その歓喜の爆発を維持しつつ、オーケストラはエレクトラの踊りで熱狂的となり、これまた聴き手は、シュトラウス・サウンドを聴く喜びの頂点を味わうことになる!
最後は楽劇冒頭のアガメンノンの動機が投げつけられるようにして愕然と終了!
サロメと同じく、急転直下のエンディングのかっこよさ!

【CD編】

①ショルテイ&ウィーンフィル(1966~7)

Elektra-solti

 カルショウのプロデュース、リングのあとにエレクトラ。
 さらにこの翌年からばらの騎士を録音。
 サロメよりも、いっそう切れ味と爆発力の増したショルテイ。
 ウィーンフィルの音色は刺激臭なく見事に緩和。
 サロメと同じく、ニルソンの声で刷りこまれたエレクトラ。
 怜悧たる声とレンジの広さ、安定感など、ニルソンの代表的な録音だろう。
 ジャケットも怖いが、これが刷りこみイメージに。
 ニルソン、コリアー、レズニック、シュトルツェ、クラウセ

②ベーム&ドレスデン(1960)
 エレクトラを生涯、指揮し続けたベーム。
 録音はさすがに古くなったが、刺激的な表現はなく音楽的で純度高い。
 ドレスデンの古風な音色も悪くない。
 さらに素晴らしいのがボルクの声。
 少しも古めかしくなく、いまでも全然新鮮だし。
 alleinの登場時から漂う大女優のような品もある雰囲気は好き。
 マデイラの妹は可愛い、画像調べたら美人すぎてびっくりした。
 ボルク、マデイラ、シエヒ、ウール、Fディースカウ

③ベーム&ウィーン国立歌劇場(1967)
 モントリオール万博へのウィーンの引っ越し公演のライブ。
 大阪万博の3年前、やはり外来の音楽イベントはたくさんあった様子。
 モノラルだし、舞台の声の音像は遠い。
 そんな状態でもニルソンの強靭な声はよく通って聴こえる。
 ライブならではで、燃えるベームも最終場面では興奮状態に陥る。
 ニルソン、リザネック、レズニック、ウール、ニーンシュテット

④ベーム&メトロポリタン(1971)
 メトにたびたび来演していたベーム。
   アーカイブ見てたら1957年にドン・ジョヴァンニでMETデビュー。
 78年まで、毎年のように客演して様々なオペラを指揮してます。
 マイスタージンガーやローエングリンも、ヴォツェックも普通にやってる。
 驚きはオテロまで振ってる。
 こちらはモノながら録音もよく、歌手もオケも実によく聞き取れる。
 金管はアメリカンで、明るく野放図だがベームも思い切り鳴らしている。
 ここでもニルソンの声は際立ち、オケを圧してしまうその声がよくわかる。
 リザネックの優しいクリテムネストラもよくて理想的。
 マデイラがクリソテミスなのも豪華。
 まさにMETならでは。
 ニルソン、リザネック、マデイラ、ナギー、ステュワート

⑤小澤征爾&ボストン響(1998)
 われらが小澤さんのボストン時代の代表作のひとつ。
 エレクトラを得意にした小澤さん、新日フィルで1986年に聴きました。
 その後も、オペラの森、ウィーン時代もシュターツオパーで上演してる。
 オケがさすがに巧いのとライブだが、録音の良さにも安心感あり。
 重さや刺激臭少なめ、ついでに毒気なしの洗練されたシュトラウスサウンド。
 さすがに小澤さん。
 ベーレンスの烈女というより、意志を持ったひとりの女性といった表現。
 新鮮でユニークで聴き疲れない。
 ルートヴィヒの存在感も貴重な録音。
 ベーレンス、セクンデ、ルートヴィヒ、ウルフング、ヒュンニネン

⑥バレンボイム&ベルリン・シュターツオパー(1995)
 バレンボイムの演奏には、強烈さはなし。
 オーケストラの響きは見事にコントロールされ、耳に心地よく明るい。
 かつても克明なベルリン・シュターツカペレの姿はもうない。
 95年には、新鋭だった歌手ばかりだが、その後大成していったメンバー。
 ポラスキのタイトルロール、マークのクリソテミス。
 シュトルクマンのオレストと、さらにボータのエギストらがそれにあたる。
 バイロイトで活躍した故ヴォトリヒまでちょい役で登場。
 みんな素晴らしい。そして要が、マイアーのクリテムネストラのすごさ。
 (過去記事より)

⑦シノーポリ&ウィーンフィル(1995)
 
Elektra-sinopoli
 
 ウィーンフィルの絶叫しない音色を自在に操る。
 そして見事なまでのクライマックスと熱狂を導き出す。
 エギストが現れてからの後半の盛上げ方なんぞ素晴らしいの一言につきる。
 義父・母が逝ってしまってからの熱狂と、最後の強烈なエンディング!! 
 ウィーンフィル最高。
 スターを揃えたキャストに文句なし。
 圧倒的なパワーとキレのよさを聴かせるマークのエレクトラ。
 同様にドラマテックだが、優しい声の持主ヴォイト
 このアメリカン巨大コンビは、ちょいと聴きもの。
 さらに、マッチョな
レミーのエギストも、シリアスすぎて怖いくらい。
 シュヴァルツイェルサレムの唯一ドイツ・コンビ。
 生真面目に歌っていて、不可思議ないやらしさが出ているように思う。


【録音篇】

①スウィトナー&ベルリン国立歌劇場(1967)
 youtubeから発掘、音悪くない。
 旧東側のベルリンサウンド、スウィトナーの顔が浮かぶ
 スティーガー、ドヴォルジャコヴァ、メードル、スウォルク、グルーバー

②シュタイン&ウィーン国立歌劇場(1977)
 ウィーンでの日常の上演のひとコマ。
 ベームのようなシュタインの熱い指揮。
 80年に日本に持ってきたW・ワーグナーのプロダクションか。
 シュレーダーファイネン、ジョーンズ、ルートヴィヒ、バイラー、アダム
 配役が素敵だ。

③ウェルザー・メスト&クリーヴランド(2004)
 快速メストの20年前のエレクトラ。
 優秀なオーケストラを得て、解像度も抜群でスコアも浮き彫りに
 クリーヴランドのシェフも長く、コンサートオペラも毎年。
 ブリューワー、ガスティーーン、パーマー、ローヴェ、ヘルト

④マゼール&ニューヨークフィル(2008)
 youtubeからの贈り物。
 NYPOが音源を無償で解放していた時期のものか?
 テンション高し、粘り多し、おもろい。
 さすがはマゼールで、オケも抜群に巧く、CD化希望。
 ポラスキ、シュヴァンネヴィルムス、ヘンシェル
 マージソン、トーヴェイ

⑤ネルソンス&ロイヤルオペラ(2013)
 ダイナミズムを活かし、局面の各所では大見えを切るネルソンス!
 構えの大きさ、腰の低いところでの重厚さはシュトラウスの明澄さ不足。
 なれど、音楽の迫真さと引き込む力は強し。
 ガーキーの同役を聴いた一号。
 強烈さはあるも、発声が好きになれなかった。
 ガーキー、ピエチョンカ、シュスター、ディディク、ペテルソン

⑥ビシュコフ&BBCso(2014)
 
Goerke

 プロムスでのコンサート形式。
 テンション高し、ビシュコフとBBCの相性よし、観衆の反応よし。
 ガーキーもめちゃ拍手を浴びていて、アルバートホールをうならせた。
 パワーに依存し、やはり喉を揺らすような声が時おりでる。
 効果のための表現と、自分には感じたアメリカン的なわかりやすい歌唱。
 ガーキー、バークミン。パーマー、クーンツェル、ロイター

⑦サロネン&メトロポリタン(2016)
 映像分に同じく、そちらでコメント

⑧ビシュコフ&ウィーン国立歌劇場(2020)
 
 Elektra-wien

 2015年に始まったラウフェンベルクの演出。
 コロナ禍のストリーミングで視聴したが、演出は好きになれない。
  エレベーターで上下する地下に押しこめられたエレクトラ。
 上階の連中との対比。
 エギストの殺害はエレベーター内で丸見え。
 殺害されたクリソテミスが血みどろでエレベーターを上下する。
 こんな気分悪い演出は、2020年に取下げられた。
 いまはアバドのときのクプファー演出がウィーンのエレクトラ。
 ここでもウィーンフィルの魅力。
 ビシュコフのまっしぐらな指揮もよし。
 ガーキーもウィーンで成功、パワー頼みだけど、細やかな歌唱も目立つ。
 過剰な表現は収まりつつあることを確認できた。
 ガーキー、シモーネ・シュナイダー、マイヤー、フォレ、エルンスト

⑨ウェルザー・メスト指揮ウィーンフィル(2020)
 映像分に同じく、そちらでコメント

【映像篇】 

①ベーム&ウィーンフィル(1981)

Elektra-bohm

 ベームの白鳥の歌はエレクトラだった。
 シネマとしてのG・フリードリヒ演出は、最大公約数を描いたもの。
 亡くなる直前のベームの指揮は、優秀な音質にして出して欲しい。
 最後の演奏が、なぜにウィーンとエレクトラだったかを音で確認したい。
 リザネック、リゲンツァ、ヴァルナイ、FD、バイラー
 リザネックの迫真の歌唱と演技。
 みんな大好き、音源少ないリゲンツァの動く姿。 
 超レジェンドのヴァルナイの禍々しさと、バイラーの老いたヘルデン。
 ぎらぎら・びんびんのFD。
 なにもかも貴重な記録なエレクトラ。

②アバド&ウィーン国立歌劇場(1989)
 
Elektra_abbado

 アバドの唯一のシュトラウスオペラとなった。
 オケを抑えて音量も色彩もあえて控えめにしたアバド。
 それに対するウィーンの観客の評価は、クプファー演出とともに厳しかった。
 アバドらしい演奏だし、音源だけでの復刻もして欲しい。
 95年のベルリンフィルとの演奏も出て来ないものかな。
 アガメンノンの顔らしきものを舞台にしたクプファー演出は暗い。
 歌手は豪華だが、ベルリンのときのポラスキで聴きたい。
 マルトン、ステューダー、ファスベンダー、グルントヘーパー、キング
 ステューダーが断然すばらしい。

③ガッティ&ウィーンフィル(2010)
 ここでもウィーンフィル、ウィーンフィルだらけなのだ。
 ガッティの適度に荒れて、力強さとスマートさもある指揮がいい。
 顔のドアップばかりで、全体像のつかみにくい映像にフラストレーション。
 みんな顔がすごいんだよ。
 とくにテオリンさま。
 そのテオリン、言葉が不明瞭だが、やはり威力は満点。
 ここでもマイヤーが味がある。
 レーンホフの演出は、いつものようにダークな感じで、得意の白塗りも。
 ラストのクリテムネストラの宙づり遺体には興ざめだな。
 テオリン、ウェストブロック、マイヤー、ガンビル、パペ
 
④サロネン&メトロポリタン(2016)
 
Elektra-met-2

 サロネンのクールかつ激熱なオーケストラが素晴らしい。
 故シェローの演出は、ビジュアル的には渋く静的な感じ。
 極めて演劇的で、個々の歌手たちに求められる演技力。
 指一本に至るまで厳しい指導があったものと思われる。
 悪の権化みたいな母と、娘エレクトラの母娘の情も。

 これを表出した秀逸な解釈。
 他の多くの出演者も、みんな演者として細かに機能してる感じ。
 バイロイトのリングで革命的な演出をなしたシェローの行き着いた先。
 それはもしかしたら、歌舞伎や能の世界かもしらん、しらんけど。
 マイヤーさんと、シュティンメさんが素敵すぎました。
 ピエチョンカ、ウルリヒ、オーウェンス

⑤ウェルザー・メスト&ウィーンフィル(2020)

Elektra-most

 ワリコフスキの驚きの演出、しかし納得感あり。
 生贄感を漂わせる実験病棟のような空間が舞台。
 そこで足を清め、殺菌したりするような足湯が中央に。
 エレクトラは花柄ワンピース、妹はピンク皮のミニスカスーツ
 ちょっと病んでる感じの姉に、不満で一杯、積極的な妹
 姉と妹が、その行動も、ともに入れ替わっている。
 義理父は本気で殺され、実母は足を清め、丁寧に弔う。
 実行犯を見た弟は、頭を叩かれおかしくなってしまう・・・
 いやはや、驚きの演出だった。
  でもね、ホフマンスタールとシュトラウスはそこは採用しなかった。
 そこを持ちこんだことは賛否あるし、ここまで手を突っ込んでいいのか
 そんな風にも思うが・・・でも新鮮ではあった。

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 メストとウィーンフィルの俊敏で繊細なオケ。
 ストゥーンディテの没頭感あるエレクトラ。
 歌も演技も本物、オケを突き抜けるグリゴリアン。
 エグいけど、母親らしいバウムガルトナー。
 ローレンツ、ウェルトンの男声もよい

⑥ノット&スイス・ロマンド(2022)
 ジュネーヴ大劇場のピットに入るスイス・ロマンド。
 おのずとその首席もピットに立つ。
 ノットはジュネーヴで実際の上演をしてから東京に来る
 今年12月には「ばらの騎士」が予定されている。
 ここでのノットの指揮は、かなり抑制的だったが、テンポは速い。
 だが、緊張感や迫力は東響の方が上だ。

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 ウルリヒ・ラッシュという人のヘンテコな演出というか装置。
 土星のような巨大な輪っかが常に回っていて、歌手はそこで歌う。
 命綱もついていて、正直歌手はたいへんだと思う。
 黒づくめのダーティな舞台でわけわからなかった。
 ちゃんとした舞台でやって欲しかったいい歌手たち。
 スウェーデンのブリンベリはよきドラマティックソプラノ。
 ミンコフスキのオランダ人でゼンタを歌ってる。
 ヤクビアク、バウムガルトナーの女声もよい。
 ロウレンツ、シェミレディの男声は渋い。

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2022年2月の上演。

今年2023年の春には「パルジファル」をやったみたいです。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

たくさんのエレクトラを視聴し、歩いていてもエレクトラの色んな旋律が頭をめぐるようになりました。
この作品から2年後には「ばらの騎士」が生まれるなんて、信じられないと以前は思っていたけれど、こんだけエレクトラを聴くと、各処にばら騎士の萌芽を確認することもできました。

再びシュトラウスのオペラの私の作成した一覧を。
われながら、時おり見返しては視聴の参考にしてる。
わかること、それはホフマンスタールは偉大だったし、最高のコンビだったということ。

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次のシュトラウスは、もう何度も登場、「ばらの騎士」です。

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2023年5月14日 (日)

R・シュトラウス 「エレクトラ」ノット&東響

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ジョナサン・ノットと東京交響楽団のシュトラウス・オペラシリーズ第2弾、「エレクトラ」。

サロメの時と同じく、2公演の一夜目、ミューザ川崎にて観劇。

翌々日のサントリーホールは完売とのこと。

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 R・シュトラウス 楽劇「エレクトラ」

    エレクトラ:クリスティーン・ガーキー
    クリソテミス:シネイド・キャンベル=ウォレス
    クリテムネストラ:ハンナ・シュヴァルツ
    エギスト:フランク・ファン・アーケン
    オレスト:ジェームス・アトキンソン
        オレストの養育者:山下 浩司
    若い召使 :伊達 達人
    老いた召使:鹿野 由之
    監視の女  :増田 のり子
    第1の待女:金子 美香
    第2の待女:谷口 睦美
    第3の待女:池田 香織
    第4の待女:高橋 絵里
    第5の待女:田崎 尚美

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
              二期会合唱団

    演出監修:サー・トーマス・アレン

       (2023.5.12 @ミューザ川崎シンフォニーホール

前作サロメに比べると、日本では格段に上演頻度が下がるエレクトラ。
サロメ以上に、オーケストラメンバーを要してさらに大編成となり、歌手陣も女声ばかり、多くなった。
加えて、劇中の肉親への殺害シーンがあるので、似た筋建てのサロメよりはより残虐になってしまった。

エレクトラの日本初演は、1980年のウィーン国立歌劇場の来演。
そのあと、1986年の小澤征爾指揮で新日フィルのコンサート形式上演、1995年のシノーポリとドレスデンのコンサート形式。
若杉弘&都響(1997)、デュトワ&N響(2003)とコンサート形式演奏が続き、2004年の新国立劇場、2005年の小澤のオペラの森上演。
16年ぶり演奏が、このたびのノット&東響です。
こうしてみると、8回の演奏機会のうち、舞台上演は日本では3度だけなのですね。
今回、最高の演奏を聴くことができて、舞台にぜひとも接したいと思う次第です。
ちなみに、わたくし、小澤さんの新日での演奏を聴いてまして、簡単な舞台を据えての日本語訳上演だったと記憶しますが、小澤さんの抑えに抑えた抑制された指揮ぶりが思い起こせます。

このたびのエレクトラ、なんといってもいまエレクトラ歌手としては、世界一とも言われるクリスティーン・ガーキー。
その圧倒的な声と歌唱に驚かされ、会場の聴衆のまさに息をのむような瞬間が続出しました。
連続する7つの場面の、最初の待女たちによる物語の前段以外、ずっと舞台に立ち続け、歌い続けなくてはならないエレクトラ。
咆哮するオーケストラに対峙するように、その上をいくように声をホールに響かせなくてはならない難役、しかもオーケストラはピットでなく、舞台の上。
昨年のグリゴリアンのサロメもオケに負けない声を飛ばす能力にあふれていたが、ガーキーのエレクトラはまさに、パワーそのもの。
エレクトラが決意を歌い上げたり、母を攻めたり、妹に復讐を迫ったり、弟と歓喜を分かち合ったり、最後には念願成就で爆発したりと、都合5回もエレクトラには絶唱部分があり、それらがみんな鳥肌ものの歌唱だったのがガーキーさんだ。
ガーキーのエレクトラは、海外の放送をいくつも聴いており、2013、2014、2020年のものがある。
これらと比べ、さらにはメットでのブリュンヒルデも含め、私は彼女の発声、とくに喉の奥を揺らすような独特のビブラートがあまり好きではなかった。
その特徴は、ルネ・フレミングにも通じていた雰囲気だ。
しかし、実演を聴いて、ガーキーの声からそうした揺らしは霧消したように感じ、声はよりストレートになったやに感じましたがいかに。
アメリカンな体形の彼女だけれど、その眼力を伴った演技もなかなかで、トーマス・アレン卿のシンプルで的確な演出に味わいを添えてました。
ちなみに、ガーキーさん、滞在中に千葉の震度5の地震を体験してしまい恐怖を味わってしまった様子。
彼女のSNSでは「WHOOP WHOOP WHOOP EARTHQUAKE」と驚愕されてました!

ダークグリーンのドレスのエレクトラ、それに対比して鮮やかなレッドのドレスの妹。
クリソテミスのキャンベル=ウォレスの素晴らしい声にも驚いた。
まっすぐな声で、こちらも耳にビンビン届くし、情熱的な表現も申し分なく、この役の女性らしさもいじらしく、平凡な生活を送りたいと願う場面では感動のあまり涙ぐんでしまった。
このあたりのシュトラウスの音楽は実に見事なものだ。
彼女のジークリンデあたりを聴いてみたい。

レジェンド級のメゾ、ハンナ・シュヴァルツのクリテムネストラは、79歳という年齢を感じさせない彼女の健在ぶりに舌を巻き、逆に苦悩に沈む姿を淡々と歌い、その味わい深さは忘れがたいものとなった。
憎々しい役柄だけど、母の姿も見せなくてはならないが、老いた母の娘の言葉にすがる様子は素晴らしく、ガーキーとの静かな対話が感動的。
シュヴァルツさんは、数々のフリッカ役、ブランゲーネ、アバドとのマーラーなど、いずれも私も若き日々から聴いてきた歌手。
これだけでも忘れがたい一夜になったと思ってる。

ヘロデ王にも通じる素っ頓狂なロール、エギストだけれど、もっと歌ってもらいたいと思ったのがファン・アーケンの声。
トリスタンもレパートリーに持つアーケンさん、バイロイトでタンホイザーを歌っていたようで、調べたら私も録音して持ってました。
エギストの断末魔は、コンサート舞台だと、袖から出たり入ったりでやや滑稽だったがしょうがないですね、すぐに死んでしまう風に書かれてないので。

若いアトキンソンのオレスト、美声だけれど、オケにやや埋もれがちだった。
この声で、英国歌曲などを静かに味わいたいものです。

5人の待女に、日本のオペラ界の実績あるスターが勢ぞろいした贅沢ぶり。
禍々しいオペラのプロローグが引き締まりましたし、エレクトラに唯一同情的な第5の待女の存在も、これでよくわかりました。
いろんなオペラで必ず接しているのは、男声陣も同じくで、安心感ありました。

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ノットと巨大編成の東京交響楽団。
サロメ以上の大音響を一点の曇りもなく、クリアーの聴かせることでは抜群。
場をつなぐ、いくつかのシーンでは、リミッター解除ともいう感じで、ガンガン鳴らしてまして、これまさにシュトラウスサウンドを聴く喜びを恍惚ととにに味わいました。
一方、緻密で精妙だったのがエレクトラとクリテムネストラとの会話で、シュヴァルツの老練な歌いぶりに合わせたもので、耳がそば立ちましたね。
あと、感情的な爆発のシーンも思い切りオーケストラを歌わせ、そのピークのひとつ、姉と弟の邂逅のシーンでの陶酔感は鳥肌ものでした。
コンマスのひとり、ニキティンさんを第2ヴァイオリントップに据えたことも、ソロや分奏が多くあるシュトラウスのスコアを反映してのもので、オケがいろんなことをしているのを見つつ、歌手と字幕を目まぐるしく見渡すことに忙しさと快感を覚えました。
ヴィオラが2度ほどヴァイオリンを持ち換えで弾くシーンがあると事前に読んでいたが、実はそれはわかりませんでした。
ちょっと気になる。

ということで、このコンサートに備え、昨年のサロメいらい、手持ちのエレクトラ音源と映像20種以上をずっと確認してました。
そのあたりの仕上げを次回はしようと考えてます。
しばらく、頭の中がエレクトラだらけとなります。

次のシュトラウスシリーズは、何になるのかな?
無難に順番的に「ばらの騎士」か?
いきなり、「影のない女」を期待したいがいかに。



大喝采のミューザの模様。
youtubeに動画をあげました。

満員の東海道線に乗り帰宅。
乾いた喉をビールで潤し、狂暴なまでに空いたお腹をラーメンで満たし、エレクトラをまた聴きました。

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若い頃なら終演後は、街へ繰り出し一杯やったものですが、もう若くない自分はもうこれで十分。
耳もお腹もご馳走さまでした。

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2023年4月14日 (金)

R・シュトラウス 「平和の日」 二期会公演

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日曜の午後の渋谷。

信号が変わるたびに、この群集が渡る光景、駅へ向かう人以外はいったいどこへ?

わたしのいまいる小さな町の人口ぐらいの人数がここにあるくらいだ。

学生時代を過ごしたワタクシの昭和の渋谷は、もう見る影もない。

隅々まで知っていたのに、迷子になってしまう。

人をかき分けて、この日はオーチャードホールへ。
最愛の作曲家シュトラウスのオペラを観劇に、苦難をもろともせずに向かう。

この多くの人々は、平和と自由を享受し、危機と、もしかしたら来るかもしれない苦難という言葉は知らないようだ。

Friedenstag2023

       R・シュトラウス 「平和の日」

  司令官:小森 輝彦  マリア :渡邊 仁美
  衛兵 :大塚 博章  狙撃兵 :岸浪 愛学
      砲兵 :野村 光洋  マスケット銃兵:高崎 翔平
  ラッパ手:清水 宏樹 仕官  :杉浦 隆大
  前線の仕官:岩田 建志 ピエモンテ人:山本 耕平
  ホルシュタイン人 包囲軍司令官:狩野 賢一
  市長 :持齋 寛匡  司教  :寺西 一真
  女性の市民:中野 亜維里

 準・メルクル 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
           二期会合唱団
       合唱指揮:大島 義彰
       舞台構成:太田 麻衣子
       (カヴァー マリア:冨平 安希子)

         (2023.4.9 @Bunkamura オーチャードホール)

日本初演、アジア圏初演、2日目に観劇してきました。

舞台にあがったオーケストラの前に、簡易な装置を据えたセミステージ上演。

わたしにとって、シュトラウスはヨハンでなくてリヒャルト、そしてリヒャルトはオペラ作曲家です。

15作あるオペラの12作目。
主要な管弦楽作品はとっくに書き終えていて、オペラ以外では、かの明朗なるオーボエ協奏曲や二重協奏曲、メタモルフォーゼンなどが残されているのみ。
オペラでは、タイトルとは裏腹な、言葉の洪水のような「無口な女」の半年あと、1936年6月の作曲が「平和の日」。
本作以降が「ダフネ」(1937)、「ダナエの愛」(1940)、「カプリッチョ」(1941)となります。

このシュトラウス作品の流れで「平和の日」を捉えてみると感じるのは、シュトラウスらしからぬ表層感といきなりの平和賛歌の唐突感。

もう15年も前の弊ブログ記事で、作品の成り立ちやドラマはご確認いただけましたら幸いです。

「平和の日 シノーポリ盤」

CD1枚サイズのオペラを本格舞台で上演するにはコスト的にも大変。
シュトラウスが想定した「ダフネ」とのダブルビルトも集客的にも難しい。
ということで、今回の二期会セミステージ上演はその点でまず大成功。

そして独語上演では歴史と伝統のある二期会の公演、スタッフも協力者もすべてにおいてシュトラウス演奏に適材適所の安心の布陣。
舞台奥に紗幕的なスクリーンを配置し、そこにドラマの進行にあわせてイメージ動画が流れる。
30年戦争当時の神聖ローマ帝国らしき地図や、戦端の模様、教会の鐘など、音楽とドラマに巧みにリンクしていてわかりやすかった。
ただ最後の地球は、正直、新味に乏しく、各国の平和の文字であふれるところもうーーむ、という感じだった。
思えば、地球で平和裏に終わる演出は、これまでいくつ見てきただろうか。
パルジファル、キャンディードなどが記憶にあり。

その紗幕の向こうに合唱が配置。
びっしり並んだオーケストラを指揮する準・メルクル氏に、歌手たちはその指揮者に背を向けて歌うわけで、オペラ上演と真反対。
舞台袖上部に指揮者を映すモニターが据えられていたし、メルクルさんは、巧みに歌手たちに見やすいように、そして的確に指揮しておりまして関心しました。

手持ちのCDはいずれも海外盤なので、今回字幕付きでじっくり堪能できたのは、ほんとにありがたかった。
これまでちょっと曖昧だった部分がすっきり解決、みたいな感じ。
市長などが司令官を訪れ、市民の疲弊の説明と講和を進めるが、頑なな司令官は午後に決定を知らせると話す。
その午後に教会の鐘が打ち鳴らされるわけだけど、宗教をひとつの理由とした戦渦で、久しく鐘は鳴ることがなく、それを司令官の意志と思った市長や市民たち、そんな平和の誤解がよく理解できた。
 頑迷な司令官はそんなの知らない、敵司令官の訪問にも頑なな態度を崩さなかった。
このあたりのいきさつが、今回とてもよく理解できた。
 あと司令官夫妻の二重唱では、熱烈な愛の二重唱だと思い込んでいたけれど、お互いの思いのすれ違う言葉の応酬だった。
それでもマリアのモノローグから、夫妻の二重唱、そのあとのオーケストラの間奏など、まさにシュトラウスの音楽の醍醐味を痺れるような感銘とともに味わうことができました。

フィデリオや第9みたいだと思いつつ、合唱幻想曲をも想起してしまう、そんな歓喜の爆発エンディングは、衣装をコンサートスタイルに変えた登場人物たちが舞台前面に並び立ち、割と前列だったワタクシは、思い切り皆さんの力のこもった力唱のシャワーを浴びることになり、興奮にも包まれたのでした。

1975年の若杉弘さんの指揮する「オテロ」が、わたくしの初オペラで、初二期会でした。
以来、二期会のオペラは多く観劇してきましたが、日本初演の上演も多数経験できました。
なかでも、「ジークフリート」「神々の黄昏(日本人初演)」は自分的に誇るべき体験でしたし、シュトラウスも多くの日本初演を二期会で体験できました。
そして今回の「平和の日」も忘れえぬモニュメントとなりそうです。

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ウォータンやシェーン博士など、いくつもの上演で聴いてきた小森さん。
やはり素晴らしい。
ドイツ語がまず美しいのと、歌としての自然さがまったく違和感なくなめらか。
独白的な場面も、めちゃくちゃ説得力があって、渋い演技とともに堅物の司令官の姿を見事に描ききってました。

あと驚きは渡邊さんのマリアで、あの長大なモノローグを情熱的に見事に歌ってのけて、女声好きのシュトラウスの残した聴かせどころを大いなる共感とともに表現してました。
この場面では、後期のシュトラウスの透明感と諦念のような作風も感じるので、思わず涙ぐんでしまった。
今後の二期会のシュトラウス上演に渡邊さんと、今回カヴァーに入っていた富安さんは欠かせない存在となりそうです。
あのモノローグをいま聴きながら書いてますが、いろんな要素が詰まってますね。

大塚さんの衛兵、深いバスは、かなり前にグルネマンツを聴いたことを思い出しました。
ほかの諸役も、二期会のオペラでお馴染みの方ばかりですが、よくよくおひとりひとり見て聴いていると、なんと難しい歌唱なのかと痛感。
シュトラウスの楽譜は、きっと歌手も楽器もおんなじ扱いで、高難度で、よくぞこんなの暗譜して歌えるなと感心してしまうことしきり。
これら諸役で、案外の決め手役は、イタリア歌手としてのピエモンテ人で、ドイツ人のなかにあるイタリア人的な輝きと明るさが特異な役柄。
しかも今回は、演出で司令官の意図を察して行動する役柄だけど、つねにその行動に不安と疑問を持っている。
ルルでのアルヴァ役が記憶にある山本さん、いい声響かせてました。

先に触れたオペラ指揮者としてのメルクルさんの手練れぶり。
「ダナエの愛」を聴き逃したのは痛恨ですが、新国のリング以来のメルクルさんでした。
なによりも大編成のオーケストラを過不足なく響かせつつ、歌手の声もホールに明瞭に届けなくてはならない。
その意味で、オーケストラをコントロールしながらも、斬新なシュトラウスサウンドを堪能させてくれた。
もっと大胆に、豪放にやることもできたかもしれないが、東フィルから繊細かつスマートな音響を引き出してました。
久々の東フィルも実にうまい!

二期会の積極的なネットでの広報や、専門家や出演者による解説など、事前のお勉強にとても役立ちました。
加えて最後にお願い、というか提案。
このような珍しいオペラはリブレットの理解が必須で、国内盤もないなか、海外盤に頼らざるをえない。
広瀬大介さんの素晴らしい翻訳は、当日販売するとか、有料配信するとかできないものか。
有名オペラ以外は、こうした手段も取って欲しいと思います。

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1月末に営業終了した東急百貨店。
連結するBunkamuraも、このオペラ上演翌日より、一体再開発のため長期休館となりました。
オーチャードホールは、日曜のみ開館するようですが、1989年のオープニングを思い出します。
シノーポリ率いるバイロイト音楽祭の引っ越し公演でこけら落とし。
結婚したばかりで余裕のなかった当時のワタクシ、泣く泣くこの上演は見送りましたことも懐かしい思い出です。

変貌に次ぐ変貌をとげる渋谷の街。
「私の昭和の渋谷」は遠い過去のものになってしまった。
地下に潜ると迷子になってしまうし、地上も景色が変わってしまわからない。
途切れることのない人の流れに戸惑うワタクシ、まさに「さまよえるオジサン」でした。

昼食を取ろうにもラーメン屋や行列店ばかり。
外人さんだらけ。
大人の残された空間のようなお寿司屋さんをみつけ、すべりこんで一息つきました。

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人ごみに流されたあとの一杯は極上でございました。

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お手頃ランチ握りも極上。

静かな店内をひとたび外へ出るとまたあの雑踏。

東京一極集中は、日本にとってほんとによろしくないな。

でもオペラは楽しい。

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2022年11月19日 (土)

R・シュトラウス 「サロメ」 グリゴリアン、ノット&東響

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ジョナサン・ノットと東京交響楽団によるコンサート・オペラ、R・シュトラウス・シリーズ第1弾。
「サロメ」を聴いてきました。
コロナ前に、モーツァルトのダ・ポンテ三部作も同じく手掛けたコンビ。
衣装は通常のドレスで、椅子を据えただけで、簡潔な演技でオーケストラの前や後で歌う形式。
演出監修は、サー・トーマス・アレンです。

なんたって、いま、サロメを歌い演じたら世界一とも思われるアスミク・グリゴリアンの日本デビューでもありました。
ミューザとサントリー、どちらに行こうかと悩んだが自身のスケジュールからミューザに。
ほんとは両方とも聴きたかった。

 R・シュトラウス 楽劇「サロメ」

   サロメ:アスミク・グリゴリアン      
   ヘロデ:ミカエル・ヴェイニウス
   ヘロディアス:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー    
   ヨカナーン:トマス・トマッソン
   ナラボート:岸浪 愛学 ヘロディアスの小姓:杉山 由紀
     ユダヤ人:升島 唯博      ユダヤ人:吉田 連
   ユダヤ人:高柳 圭   ユダヤ人:新津 耕平
   ユダヤ人:松井 永太郎  カッパドキア人:高田 智士
   ナザレ人:大川 博    ナザレ人:岸波 愛学      
   兵士  :大川 博    兵士  :狩野 賢一

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

    演出監修:サー・トーマス・アレン

     (2022.11.18 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

100分間、金縛りあったように、まんじりとせずに聴き入り、そしてステージでのグリコリアンに釘付けとなりました。
黒いタイトなドレスをまとったグレゴリアンのサロメ。
椅子に腰かけながら歌う場面がなくても舞台の進行のなかでも放つ存在感。
それは気品をまといつつ、または不安を覚えるようでもあり、足を組みつつ尊大であったりと歌わなくてもサロメを演じてました。
そしてひとたび声を発すれば、ホールを圧し、ホールの隅々までに届く強靭さを示す。
登場してナラボートにすがりつつ欲求を満たさんとする少女のサロメも、ヨカナーンを見て欲望の虜になっていくサロメも、ここでは恋をしたような恋情も感じさせた、こんなサロメの揺れ動きを歌でもって見事に表出。
ビビりまくりの義父へダンスの報酬を要求する「ヨカナーンの首を」という数度の返答も、たくみに歌いわけ、最後通告ではしびれるほどに強く、有無を言わせぬ強烈さがあった。
そしてもちろん、最後の長大なモノローグでは繊細なまでにヨカナーンへの恋情を切々と歌い、しかも熱狂の虜となってしまったように、狂える達成感を歌い上げてみてホール全体を熱く、熱くしてしまった!
強大なほどの声のレンジを感じさせ、どんなにノットがオーケストラを煽っても、それをも超えて響いてくるグリコリアンの声。
強さと繊細さ、声による巧みな表現能力。
ここまでやられちゃうと、受け取る側も疲弊してしまう。
そんなにまですごかったグリコリアン様でした。

2018年のザルツブルグ音楽祭でのサロメを視聴して彼女の特異な才能と美貌に魅入られた次第。
その後、さかのぼって「エウゲニ・オネーギン」のタチァーナ、「エレクトラ」のクリソテミス、「イエヌーファ」「オランダ人」のゼンタ、「賭博者」のポリーナ、「三部作」の3人のヒロインなどを聴いてきた。
やはり、一途な思いの役柄が得意なようで、感情移入が巧みな彼女ならではの歌と演技が、いずれも素晴らしいと思った。
リトアニア出身でご亭主はロシア出身の演出家ヴァシリー・バルハトフ 。
初来日の彼女、日本を好きになっていただいたようで、彼女のサイトを見てみたら「I Love Japan」と書かれていて、抹茶アイスの写真などが添えられてました。
カーテンコールでも、人をたてつつ、でしゃばらず、ステージマナーの所作もステキな彼女でした。

グリゴリアンとジュネーヴで共演歴のあるノット監督率いる東京交響楽団。
日本のオケがこんなに輝かしく、分厚い音と繊細な音色でもって、シュトラウスの万華鏡のような変幻自在の音楽を巧みに表出できるなんて!
ノットの指揮する東響もほんとに素晴らしかった。
歌手たちと事前に細密に打ち合わせてのことだろうが、しかしこの日のノットは思い切りオケを鳴らしていた。
それに負けない歌手たちだろうと踏んでのことだろうし、上に響くバランスのいいミューザのホールの特性も頭にいれてのことだろう。
サントリーでの公演はまた違ったアプローチをするかもしれない。
ピットの中では見ることのできない巨大編成のオーケストラが、分奏したり、打楽器がそんなところで、とか、ともかくコンサート形式のオペラでのビジュアルの喜びも堪能。
スコアで確認したい、ヨカナーンの首を落とすところは、オケ団員が床を踏んで鳴らしていた。

驚きの太っちょヘルデン、ヴェイニウス。
大きなお腹にもかかわらず、思いのほかスマートですっきりとした明快なヘルデン。
すっとこどっこいぶりは薄めだけれど、この必死なヘロデの声は思いのほか力強く耳に届いた。
ワーグナー諸役を持ち役にしているようで、新国あたりでうまく起用したらいいかと思った。

トマッソンのヨカナーンは、P席の横で、オケの上、斜め右で歌った。
ここからの声がホールを圧するすごさで、ブリリアント。
そう輝かしいヨカナーンだった。
オケのステージに降りると、グレゴリアンの声は通るのに、トマッソン氏の声がオケに混濁してしまうこともあった。
聴く位置にもよるかもしれないが、それだけグリコリアンの声がすごかった。
トマッソンは、バレンボイム・ベルリン・チェルニアコフ「パルジファル」でユニークな心優しいバーコード頭のクリングゾルを歌ってます。

バウムガルトナー、たぶん初聴きですが、この人の声もよく耳に届き、凛とした真っ直ぐな声のメゾでした。
ワーグナー諸役ではフリッカとオルトルートを得意役としているようで、こうした歌手はほんとに貴重だし、好きですね!

がんばった日本の歌手たち。
直前にナザレ人からナラボートにまわった岸浪さん、リリカルなお声だったけど、ナラボートの必死さをよく歌ってましたし、ほかの諸役、いずれも安心して聴けるレヴェルです。
こうしたみなさんが、日本のオペラをしっかり支えてくださり、日本各地でクラシック音楽を広めてくださる。
裾野は広く、レヴェルはともかく高いと認識です。

トーマス・アレン卿の演技指導は、ともかく的確で余剰な動きなしで、音楽を阻害しないもの。
ヨカナーンをともかく遠くに置き、手の届かない存在に見せつつ、サロメが興味深々になると手が触れるくらいまでに近づける。
こうした空間の活用はうまいし、各人が椅子に座りながらも何気に表情や演技で歌以外でも参画しているのも、コンサートオペラが無味乾燥にならずに息づいて受け止められることで演出が関与する意味合いがあるというもの。
アレン卿、カーテンコールでグリコリアンに促されて出てきて、ダンスをするなど、相変わらずお茶目でした。

サロメをヘロデが断罪したあと、急転直下のエンディングとなりますが、その瞬間ホールの照明は落とされ、一瞬の暗闇となりました。
最後にも驚愕の感銘が。

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アレン卿に、グリコリアン、きっとのノット監督の人脈でしょう。
ほんとにありがたいことです。
2023年5月は「エレクトラ」が予定されてます。

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ミューザは音がいい。

この日、東海道線で事故があり、ミューザの最寄り駅の川崎駅では各線の混乱が生じた。

あと一本あとだったらたどり着かなかった。

このコンサートも10分遅れでスタート。

ともかく久しぶりの演奏会だし、無事に聴けたし、とんでもなく素晴らしい「サロメ」を堪能しました。

過去記事

 「サロメ」 視聴しまくり、聴きどころ、見どころ

 「サロメ」 二期会公演

 「サロメ」 新国立劇場

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2021年12月19日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」

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六本木の毛利庭園には、ハート型にうまくねじれたモニュメントが通年あります。

冬の夜景が一番しっくりきます。

遠くに東京タワーは、赤のライトアップ仕様。

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どんな色が施されても、東京タワーはスクッと美しい。

同期生、ワタシも頑張らねば。

そして、頑張って「サロメ」を乱れ聴いた。

R・シュトラウスのblog2度目のオペラ全作シリーズ。

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悩めるヘルデンテノール役を主人公にしたワーグナーの完全な影響下にあった1作目「グンドラム」(1894年)
ジングシュピール的メルヘン劇の「火の欠乏」(1901年)

これら、いまや上演機会の少ない2作に続いて書かれた「サロメ」は、シュトラウスとしても当時、興行収入が大いにあがったオペラで、ガルミッシュに瀟洒なヴィラを建てることもできた。
そして、いまや世界中でこぞって上演される劇場になくてはならぬ演目となりました。

原作のオスカー・ワイルドの戯曲は1891年にパリでフランス語により作成。
ドイツでは、独語訳により1901年に上演されているが、同時期にシュトラウスにオペラ化の提案がありその気になった。
しかし、その台本は採用されず、ラッハマンの原作の独語訳を採用することで1903年より作曲を開始、1905年に完成。
同年、ドレスデン初演され成功を博し、各地で上演されたものの、好ましくない内容として上演禁止にされることもあったという。
前2作以上に、ワーグナー以降のドイツオペラにあって革新的であったのは、優れた文学作品をその題材に選んだことで、しかもその内容が時代の先端をゆくデカダンス=退廃ものであったこと。
そうしたものを、実は人間は見たいのである。
 初演時のサロメ役は、見た目はまったく少女でもなく、しかし、こともあろうに、演出のせいもあったが、自分は品性ある女性、倒錯と不埒さばかり。。と駄々をこね、周りを困らせたらしい。
シュトラウスは、16歳の少女の姿とイゾルデの声のその両方を要求する方が間違っていると、自分のことながら皮肉をこめて語っている。
保守的なウィーンでの初演はずっと遅れて1918年。
マーラーのウィーン時代に、当局より検閲を受け、マーラーはシュトラウスあてに、上演できない旨の手紙をしたためているが、この手紙は投函されず仕舞い。いつかは上演できるとの思いもあったのではとされます。
オーストリア皇室の反対が強く、マーラーと劇場の関係が悪化したのも、そうしたことも理由にあるらしい。

日本初演は、ドレスデンでの世界初演から遅れること57年、1962年です。
調べたら、大阪で、グルリット指揮の東フィル、歌手はゴルツや、ウール、メッテルニヒという本場でも超強力のメンバーで、当時の日本の聴衆はさぞかし驚いたことだろう。
いまでは、日本人歌手のみによる上演も普通になされるようになり、半世紀における演奏技術の進化には目をみはるものがあります。
それは、世界的にみてもおなじことで、サロメを歌う歌手たちは、ビジュアル的にもスリムになり、磨きもかかり、声と演技とに、さまざまなスタイルの女性を歌いあげることも、ますます普通のことになった。

さて、シュトラウスの激しく、劇的で、しかも官能と甘味あふれる音楽。
「私はすでに長い間、東方およびユダヤ的側面を持つ音楽について、実際の東洋的な色彩、灼熱した太陽に不足していることを感じていた。
とくにめずらしいカデンツァで艶のある絹のように多様な色彩を出すような、本当に異国風な和声の必要さを感じた。
モーツァルトがリズムの差による人物描写を天才的な手法で行ったように、ヘロデとナザレ人たちの性格を対比するには、単純なリズムで特徴づけるだけでは不十分だと思った。
鋭い個性的な特徴を与えたいという思いから、多調性を採用した」
シュトラウスのこれらの言葉にあるように、サロメの音楽は色彩的であるとともに、描写的にも、これまで多くの交響詩で鍛え上げられた筆致の冴えが鮮やかなまでに生かされている。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「サロメ」を視聴するにあたり、自分の着目ポイント

①冒頭を飾るナラボートの歌

②井戸から引き出されたヨカナーンとサロメの会話~エスカレートする欲求
 「体が美しい」→「黙れソドムの子」
 「体は醜い、髪が美しい」→「黙れソドムよ」
 「髪の毛は汚らわしい、お前のその口を所望する、接吻させろ」
 (ナラボート、ショックで抗議自殺)

③神々しいヨカナーン
 「お前を助けることができるのは唯一ひとり」
  ガリレア湖にいるイエスを歌う場面
  急に空気感が変わる清涼な雰囲気の音楽
  最後は「お前は呪われよ!」と強烈な最後通告を下す!
  そのときの凄まじい音楽

④ヘロデのすっとこどっこいぶり
 「さあ、サロメよ酒を飲め、そして同じその盃でワシも飲むんだから」
 「あまえの小さい歯で果物に付けた歯形を見るのが好き。
  少しだけ噛みきっておくれ、そしたら残りを食べるんだから、うっしっし」
  嫁にたしなめられつつも、お下劣ぶりはとまらない

⑤ユダヤ人たちの頑迷さと、救世主を待望するナザレ人
  それぞれの性格や、混乱ぶりを音楽で見事に表出

⑥7つのヴェールの踊りへなだれ込む瞬間が好き
  単体で聴いたんじゃ面白くない、流れが肝要
  この「7」という数字には意味合いがあるのだろうか?
  キリスト教社会にある、「7つの大罪」とリンクされているのだろうか

⑦ダンスのあとの、おねだりタイム
 H「見事、見事、褒美を取らすぞ、なにが欲しい?」
 S「銀の鉢へ」
 H「ほうほう、可愛いことを言いようるの、なんじゃ、なにが欲しい?」
 S「ヨカナーンの首」
 H「ぶーーっ、だめだ、だめぇーー」
 妻「ははは、さすがは、わたしの娘」

  ここでのヘロデのリアクションが面白いし、音楽も素っとん狂だ

  これまで観たヘロデびっくりリアクションの金賞は、メット。
  キム・ベグリーの思わず酒を吹く芸人魂あふれる演技

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   (サロメはマッティラ、かなりきめ細かな噴射でございます)

  ヘロデは、ルビー、宝石のありとあらゆるもの、白い孔雀などなど
  代替の品を提案する。
  シュトラウスの音楽の宝石すら音にしてしまう至芸を味わえる。
  提案のたびに、サロメは、「ヨカナーンの首を」と否定。
  
  この「ヨカナーンの首」を所望するサロメの言葉。
  この場面で、全部で「7回」あります。
  ここでも「」が!

  この7つの「ヨカナーンの首」をそれぞれ表現を変えて歌うサロメもいる
  
  「Gib' mir den Kopf den Jochanan!」
  ヨカナーンの首をくれ、という最後の7つめは壮絶
  ここだけでも、聴き比べが楽しい。
  演劇的な要素も多分に求められるようになったオペラ歌手たち。
  かつては考えられない、多様な歌唱を求められるようになったと思う。

⑧サロメのモノローグ

  あらゆるドラマテックソプラノのロールの最高峰級の場面
  聴き手はもう痺れるしかないが、歌手はほんと大変だ。
  愛おしむように、優しく歌い、
  でも官能と歓喜の爆発も歌いこまなくてはならない
  
⑨おまけ ヘロデのひと声

  おい、あの女を殺せー
  「Man töte dieses Weib!」

  ドラマの急転直下の結末を与える、このエキセントリックなひと声も大事
  いろんなヘロデで楽しみたい。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなわけで、いろんなサロメや、オーケストラを聴きたくて、新旧いくつもの音源をそろえること8種類。
映像も4種、エアチェック音源は10種も揃えることとなりました。

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①「ショルティ盤」1961年
1961年、そう、日本初演の前年に、「リング」録音のはざまに、カルショウのプロデュースで録音されたもの。
あのリングの延長上にあるような録音で、生々しいリアルサウンドが、キレのいいショルティの剛直な演奏をまともに捉えたもので、ニルソンの強靭な歌声もいまだ色あせない。
しかしながら、ニルソンはすごいけれど、現代のもっとしなやかで、細やかな歌唱からすると強靭にすぎるか。
全般に現在の感覚からすると、やりすぎで重厚長大な感も否めない。
これ単体とすれば、立派すぎて非の打ちようもないのだけれども。

②「ベーム盤」1970年
CD時代になってから聴いたベーム&ハンブルグ歌劇場の70年ライブ。
ライブのベームならでは。
熱いけど、重くなくて、軽やかなところさえある。
長年サロメを指揮してきた勘どころを押さえた自在な指揮ぶりは、感興たくましく、さまざまなサロメの姿を見せてくれる。
それにしても、最期のサロメのモノローグのすさまじいばかりの盛りあがりはいつ聴いてもたまらない。
グィネス・ジョーンズの体当たり的な熱唱も、ベームに負けじおとらずで、私はがんらい、ジョーンズの声が好きなものだから、彼女の声や歌いぶりを批判する批評は相容れません。
70年代はじめ、オルトルート、レオノーレ、オクタヴィアンなど、メゾの領域もふくめた幾多のロールに起用され、指揮者からもひっぱりだこだったジョーンズ。
あわせてヴェルディやプッチーニも積極的に歌ってました。
私は、そんなジョーンズが好きで、ブリュンヒルデ、イゾルデ、バラクの妻、トゥーランドッドなど、みんな好き。
そう、ニルソンにかぶります。

③「スウィトナー盤」1963年
スウィトナーとドレスデンのサロメ。
味わいの深さと、ベームのような軽やかな局面もあり、モーツァルト指揮者だったスウィトナーが偲ばれる。
63年の録音で、前年に日本初演の舞台に立ったゴルツのサロメが、いま聴いても古臭くなく、なかなかに鮮烈なもの。
チョイ役に、アダム、ヨアヒム・ロッチュ、ギュンター・ライプなど、のちに東ドイツを代表する歌手たちの名前があるのが懐かしいが、準主役級はやや古めかしい歌唱も混在。

④「ラインスドルフ盤」1968年
以前にもブログに書いたラインスドルフ盤は、なんといってもカバリエのサロメ。
繊細な歌唱が、少女から妖女までを巧みに歌いこんでいて、まったく違和感はない。
マッチョなミルンズのヨカナーンとか、レズニックのヘロディアスなんかもいいし、キングのナラボートがヒロイックだ。
オペラ万能指揮者のラインスドルフとロンドン響も悪くない、ユニークだけど、普通にサロメが楽しめる。

⑤「ドホナーニ盤」1994年
まず、録音がいい。ショルティ盤がやや古めかしく感じるほどにいいし、ウィーンフィルのよさもばっちりわかる。
ドホナーニの指揮もかつてはドライに感じたが、いまやそうでもなく、ほどよい湿り気があっていい。
あとマルフィターノが、素晴らしい。
表現の幅が、無限大な感じで、少女から妖女までを声で見事に演じ切ってる。
映像もいくつか見たけど、顔もおっかないし、大胆なダンスも。。。
ターフェル立派すぎ、リーゲルのヘロデはナイスです。

⑥「メータ盤」1990年
なんたって、ベルリンフィル唯一のサロメ。
もうね、誰が指揮者でもいいや。
ともかく、いつものベルリンフィルの音がするし、べらぼーにウマいし、ゴージャス。
シンフォニックにすぎるメータの捉え方もあり。
マルトンは声の威力は十分で、少女らしさもあったりして意外、でも大味。
ヴァイクルは柔和すぎだが、ツェドニクのミーメのようなヘロデも素敵なもんだ。
ファスベンダーがヘロディアスという豪華さ

⑦「ベーム盤」1965年
メトロポリタンでのモノラルライブで、ニルソンの圧倒的なサロメ。
ここでも燃えまくるベームの指揮がすごい。
カール・リーブルという懐かしい名前がヘロデ役に。
クナのパルジファルのクンドリー、ダリスがヘロディアス。
ヨカナーンは知らない人

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⑧「シノーポリ盤」1990年
全体にリリカルなシノーポリのサロメ。
デビュー時の煽情的な演奏スタイルはなりを潜め、予想外のしなやかで、美しく、微細な感情移入にあふれたサロメの斬新な姿。
ステューダーの起用も、そんな意図に裏付けられていて、歌手ありきでもあるし、歌手もそんな演奏スタイルに全霊を注いでいる。
少女がそのまま無垢なまま妖しい女性になった感じ。
不安定さもその持ち味のまま、揺れ動くサロメ像を歌ったステューダー。
リザネック、ターフェル、ヒーステルマンも万全。
最近、一番好きなサロメの音盤かもです。

おわかりいただけただろうか、「カラヤン」がないのを。
なぜかこうなりました。
そのうちが、いつかになり、で、年月が経過した結果にすぎません。

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エアチェック編

①「ケンペ&バイエルン国立歌劇場」1973年
 当時のカセットテープから発掘、しかし、冒頭と最後の場面の40分ぐらい。
   むちゃくちゃ熱いケンペの指揮。
 リザネックが伝説級。

②「ホルライザー&ウィーン国立歌劇場、来日公演」1980年
 いまでもウィーンの舞台はこのバルロク演出。
 テレビ観劇もしました。
 リザネックは映像では厳しかったが、さすがの貫禄

③「シュタイン&スイス・ロマンド」1983年
 ジュネーヴ大劇場のライブ。
 シュタインのベームばりの熱気を感じさせる指揮が熱い。
 ミゲネスの芸達者なサロメに、エステスの力感豊かなヨカナーン。
 ロバート・ティアのヘロデに、ナラボートには若きウィンベルイ。

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④「ネルソンス&ボストン」2014年

 演奏会形式、鮮度抜群、切れ味よし、最高水準のオーケストラサウンド。
 バーグミン、ニキティン、シーゲル、ヘンシェル、みんないい。
 これはそのままCD化できる。
 音質も最高。

⑤「ラニクルズ&ベルリン・ドイツ・オペラ」2014年
 プロムスへの客演のライブ。
 ラニクルズの熱さと、BDOの手練れのおりなす充実のライブ。
 シュティンメのサロメがじっくり聴ける。

⑥「ペトレンコ&バイエルン国立歌劇場」2019年
 同時配信の映像も見た。
 複雑な心境になる演出で、最後は全員服毒自殺を・・・
 死んでないヨカナーン・・・
 ペトレンコの最高に鮮烈で、生き生きした、しかも切れ味抜群の早めのテンポで駆け抜けるようなオーケストラ。
 ペーターゼンのスリムでリリカルなサロメは、映像を伴わないと物足りないかも。
 でも、その歌は単体として説得力があり、魔性を感じさせる。
 コッホのやや醜いヨカナーンはいたぶり甲斐もあった。
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 そんだけ、ビジュアルを伴ったペーターゼンはすごい!
 演出はワリコフスキー。そのうち映像化されるかも。
 盛大なブーを浴びてます。

⑦「レオ・フセイン&ウィーン放送響」2020年

 テアター・アン・デア・ウィーンのコロナ前の1月のけ込み上演。
 ここでもペーターゼンの絶唱が。
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 奇抜な演出の模様は画像でも確認できる。
 バイエルンがいまだに映像化できないのは、こちらがあるからか?
 ウィーンも100年経って変わったものだ。

⑧「ボーダー&ウィーン国立歌劇場」2020年
 アンデア・ウィーンが斬新な演出で上演した同じ月、1月には、本家の国立歌劇場でもサロメ。
 72年からずっと続いているバルロク演出、ユルゲン・フリムの衣装・舞台。
  クリムト風の世紀末と旧約聖書の物語の融合はいまでも色あせない。
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 美人さん、リンドストロムのサロメが好き。
 北欧出身ならではの硬質さに、繊細な歌いまわし、首おくれ!も迫力あり。
 マイアーの鬼ママもいいし、フォレ、ペコラーロもさすが。
 ただ、前にも書いたが、最後にオケがこけてる・・・・
 同時期に、リンドストロムは、セガンの指揮で影のない女を歌ってまして、そちらもステキ

⑨「ルイージ&ダラス響」2020年
 ダラス響の演奏会形式上演。
 ルイージの明快な指揮に、明るいオケ。
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 リトアニア出身のステューンディテはサロメ、エレクトラで引っ張りだこ
 ザルツブルクでのエレクトラもいい。
 しなやか声の持ち主で、今後、ワーグナーを中心に据え活躍期待。

⑩「シャイー&スカラ座」2021年
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 きっとDVD になるだろうと思うスカラ座上演。
 こういうのは、シャイーはうまい。
 キャストもスカラ座ならではの豪華さ。
 ロシアのスキティナは美人でいま、こちらも引っ張りだこ。
 シーゲル、リンダ・ワトソン、コッホ、リオバ・ブラウンなどなど
 ミキエレットの風変りな演出も見てみたいぞ。
 
映像&舞台編

①「シノーポリ&ベルリン・ドイツ・オペラ」1990年
 昔のVHSテープにて。
 演出は穏健、マルフィターノの、のめり込んだ迫真の演技と歌。
 ダンスではすっぽんぽんに。
 ぼかし必須だ。
 エステスのヨカナーンが凄まじい

②「サマース&メトロポリタン」2008年
 メトにしては、現代風な演出。いまや普通。
 マッティラのビジュアルちょっと無理あるサロメだけど。
 歌は素晴らしい。
 上述のとおりのヘロデのベグリーのすっとこぶりが最高
 ヨカナーンはうしたろう。

③「ガッティ&コンセルトヘボウ」2017年
 演出がわけわからん中途半端っぷり。
 もっとはじけてもいいと思ったけど、そのくせ血みどろなところが苦手
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 スリムな美人ビストレムは、強靭さなしの、しなやか系サロメ。
 いいと思う。
 タトゥーンまみれのニキティンもいい
 なにより、ガッティとコンセルトハボウが硬軟合わせた万能ぶり

④「メスト&ウィーンフィル」2018年 ザルツブルク
 以前より活躍していたアスミク・グレゴリアンを驚きをもって聴いた!
 ショートカットのまさに真白きドレスをまとった少女。
 最初はおどおど、やがて顔色ひとつ変えない冷徹な美少女に変身
 そんな演技と役作りを、歌でも完璧に聴かせる。
 ソットボーチェから、強靭なフォルテまで、広大なレンジと声質七変化!
 まいりました!
  ほかの役柄、意味の分からない演出は彼女の前では無力。
 メストとウィーンフィルは無色透明で、これでよい。

舞台は、まだ2回のみ。
新国のエヴァーディング演出、二期会のコンヴィチュニー演出
過去記事リンクになってます。。

ながながと書きました。
いま、サロメのお気に入りは、ペーターゼンとグリゴリアンでござる。

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  (ペーターゼンのバイエルン、この番号はなに?
   実験動物の遺伝子ID・・・か)
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 (グリゴリアンのサロメ、おっかないサロメのイメージはいにしえに)

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サロメは、シュトラウスのオペラのなかでは苦手な存在だったけれど、こんだけ集中して聴くと、妙に愛着がわいた。
頭の中が、リングとサロメだらけで参った。
しかし、サロメには、ばらの騎士の音楽の要素もあるんだ。
やはりこうして、シュトラウスならではの音楽を、各処に確認することができたし、オペラ初期2作から、ここに至った筋道も確認、同時に、エレクトラもギリシア劇としての視野が次に用意されたことも、ここに認めることができる。

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2021年7月11日 (日)

R・シュトラウス 「火の欠乏」 シルマー&フェッロ

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雨の日の前日の空。

夕焼け好きのワタクシです。

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少し時間を経過して。

このあと、東京タワーのライトアップが引き立つ時間、好き。

本blog、二度目のシュトラウスのオペラ全作シリーズ。

第1作「グントラム」に続き、2作目の1幕オペラ「火の欠乏」。
私は、この作品がフリッケ盤で出たときから、Feuersnot、火がないことことから、「火の欠乏」と呼んできました。
ほかにも、「火の飢餓」「火の危機」とかも呼ばれますが、日本シュトラウス協会では、「火の消えた町」と称しているそうで、このオペラの内容からしたら、そちらがまさにピタリとくるものです。
ですが、ここでは、自分が長く親しんできた名前で行きます。

1901年、シュトラウス37歳の作品で、全作の「グントラム」からは9年の歳月が流れてます。
この間、多くの歌曲や、高名な交響詩、ティル、ツァラトゥストラ、ドン・キホーテ、英雄の生涯などを書き上げていて、そうオーケストレーションの達人にもなり、かつ歌に対しても名手の域に達していて、さらに指揮者としても大活躍だったシュトラウスなのです。

ワーグナーの虜が書き上げたような、素材ともに、もろにワーグナーの影響下にあった「グントラム」。
ここ「火の欠乏」では、ワーグナーを腐した町、ミュンヘンを揶揄する内容において、ワーグナーの素材などがパロディーとして使用されているが、ワーグナーの神話的な世界や、分厚いオーケストラ、半音階的な和音などは、ほぼありません。
響きは明るく明晰で、これはずっと後年まで続くシュトラウス独自に明朗な音楽に共通です。
美しく、思わず身体が動いてしまうようなステキなワルツもあるし、一度聴いたら忘れられないフレーズなどたくさん。
さらには、主役のバリトンの長大なモノローグは、後続のオペラで、ソプラノやバスが担うことになる、味わい深く、教訓や人生観をも感じさせるものがあります。

しかし、完成されたスコアの最後には、「全能者に敬意を表し、その誕生日に完成。1901年5月22日、ベルリンにて」とあります。
そう、5月22日は、ワーグナーの誕生日です。
あくまでワーグナーへのリスペクトは変わらなかったシュトラウスです。

「火の欠乏」から4年後には、「サロメ」が生まれますが、明るいメルヘンのあと、バラの騎士でなく、サロメやエレクトラに行ったのは、これもまたシュトラウスの音楽の変遷を思う中で面白いことです。
ひとつには、ホフマンスタールとの出会いも大きいことかと。
あとは、批判を恐れない、大胆な芸術家としてのシュトラウスの在り方。

「火の欠乏」は、ベルリンで作曲されたとき、当局から検閲を受けてます。
「サロメ」はもちろん検閲騒ぎになったわけですが、穏健な音楽の「火の欠乏」だったのですが、ヴォルツーゲンが書いた台本には、バイエルン地方の方言がそのままに用いられていて、なかには当時、猥雑な内容ともされたものだったからです。
シュトラウスは、ミュンヘンへの揶揄をこうした部分でも表しているのです。
 検閲後、ベルリンで初演されたが、7回ほど上演されたのち、ドイツ国の皇后が、つまらないと指摘したこともあり、上演は幕引きとなってしまった。

サロメ以降ばかりが、上演されるのに、「火の欠乏」は、音楽だけをとれば見逃せないシュトラウスらしい作品だと思います。
 クンラートの大演説にリングのライトモティーフが出てきたりして、とても神妙となります。
そのあと、火が町に戻ってくる場面の音楽のすばらしさといったらありません。
目頭が熱くなりました・・・・

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舞台はミュンヘン。今日はお祭り、「火祭の日」である。
子供達が楽しそうに歌いながら、町を練り歩く(呪文のような謎のセリフ)。
市長の娘ディムートは「結婚しない女」で、遊び仲間の女3人と子供達にお菓子をくばったりしている。
街の変わり者クンラートは、ボサボサの髪、むさ苦しいなりで自宅で本に没頭していて、今日が祭りの日ということを知ってかしらないか。
「燃え盛る火を二人して飛び越えると愛が成就するよ」と子供たちから、祭の伝説を聞かされ、すっかりその気になって夢中になってしまう。
調子に乗って「ディムート」に愛を告白して、ついでにキスまでしてしまう。
これには、町中大受けで、たくさんの人からディムートは囃され、笑いのネタにされてしまい、恥ずかしさのあまり、家に飛び込んでしまう。

ディムートは口惜しくてくやしくて、お返しをしようと思っていると、バルコニーの下にクンラートが現れる。
作戦ながら彼をすっかりその気にさせて、思わず熱烈な2重唱が歌われる。
クンラートは、感極まって上にあがりたがり、まんまと籠にのる。

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バルコニーに向けてするすると持ち上がって行くが、ディームートによって途中で止められてしまう。
ディムートは、街中の人を呼び集め、籠の中の宙吊りのクンラートは、さらしものにされ、物笑いの種となってしまった。

騙されたと知った彼は、頭にきて街の火や明かりを消してしまう呪文を唱える。

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ミュンヘンは、真っ暗闇になってしまった。

人々は、クンラートに助けを請い、またディームートのバカげた行為を非難し、彼女に謝るように、そして彼のもとに行くようにと嘆願する。
 ここでクンラートは、ついに世紀の大演説をぶつ。
「火祭のほんとうの意味を理解していないから、こうして暗闇が訪れるのだ。
かつてミュンヘンは偉大なマイスター(ワーグナー)を冷遇した、そしてシュトラウスもだ。」
このあたりで、ヴァルハラの動機まで出てくるし、シュトラウスの作品の旋律もチラチラする。
こんな意味のことを比喩をまじえながら、ちくちくと町を揶揄して人々を諭すように歌う。
 明かり(火)も愛も、唯一女性からもたらされるのだ、と歌い最後は二人仲良く抱き合う。

              幕

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  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:シモーネ・シュナイダー
   クンラート :マルクス・アイヒェ
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):ロウヴェン・フトハー
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ラース・ヴォルト
   エルスベート:モニカ・マスクス
   ウィゲリス :サンドラ・ヤンケ
   マルグレート:オレナ・トカール
   ヨェルク・ペーシェル:ヴィルヘルム・シュヴィンクハマー
   ヘーメルライン:ミヒャエル・クプハー
   コーフェル :アンドレアス・ブルクハルト
   クンツ・ギルゲンストック:ルートヴィヒ・ミッテルハマー
   オルトリープ・トゥルベック:ソン・スン・ミン

  ウルフ・シルマー指揮 ミュンヘン放送管弦楽団
             バイエルン放送合唱団
             ゲルトナープラッツ州立劇場少年少女合唱団

     (2014.1.24,26 @プリンツレゲンテン劇場、ミュンヘン)

ハインツ・フリッケ盤以来29年ぶりの「火の欠乏」の録音。
同じ、ミュンヘンでの録音で、オーケストラも同じなところがおもしろい。
そう、まさにミュンヘンゆかりの作品ゆえで、ワーグナーとシュトラウス自身に厳しかったミュンヘンでの録音しかないのもおもしろい。
しかも、このシルマー盤の録音は、ルートヴィヒ2世が、当初ワーグナーのために建設した劇場で行われてます!
このときの演奏会形式の模様がyoutubeで全曲視聴が可能です。
(https://www.youtube.com/watch?v=bplGSjUWQL0)

音質と画質は目をつぶるとして、この作品を手中にしたかのようなシルマーの練達の指揮ぶりと、大編制のミュンヘンの放送オケの実力のほどを感じさせます。
バイエルン放送響の影にかくれ、二軍みたいた存在に思われることが多いが、作品への順応性と、明るい音色と機能性の豊かさ。
管がものすごくうまいです。
CPO盤のこちらのCDは、音質も含め、下記のとおり歌手もよく理想的なもの。

歌手では、バイロイトの常連、名ウォルフラムのアイヒェの独り舞台。
素直なクセのない美声はのびのびとして、耳に心地いいし、言葉も明瞭で、かつてのプライの声を軽くしたような感じか。
聴かせどころ、「Feuersnot」と呼びかけるところ、ずばり、決まってますし、長大なモノローグも弛緩なく実に豊かです!
フリッケ盤のヴァイクルの声の印象が強すぎだが、このアイヒェの美声になれちゃうと、ヴァイクルの声は強すぎで、ザックスみたいに感じてしまうから困ったものだ。
 シュナイダーさんの、ディームートは、ちょっと高慢で空気読めない女性をよく歌いこんでいて、強い声も絶叫にならず、余裕があるのがいいです。
ほかたくさんの登場人物たち、本場での上演だけに、合唱・少年少女も含めて、みんなドイツ語がはっきりくっきりでよいです。

というにも下のDVDは、イタリア人たちの発声が明るすぎだったからなんです。

Rstrauss-feuersnot-gabriele-ferro

  R・シュトラウス 歌劇「火の欠乏」 op.50

   ディームート:ニコラ・ベラー・カルボネ
   クンラート :ディートリヒ・ヘンシェル
   シュヴァイカー・フォン・グンデルフィンケン
   (城の廷士):アレックス・ヴァヴィロフ
   オルトロフ・ゼントリンガー
   (城主)  :ルーベン・アモレッティ
   エルスベート:クリスティーネ・クノッレン
   ウィゲリス :アキーラ・フラカッソ
   マルグレート:アンナ・マリア・サッラ
   ヨェルク・ペーシェル:ミハイル・リソフ
   ヘーメルライン:ニコロ・チェリアーニ
   コーフェル :パオロ・バッタギルタ
   クンツ・ギルゲンストック:パオロ・オレチーナ
   オルトリープ・トゥルベック:クリスティアーノ・オリヴィエーリ

  ガブリエーレ・フェッロ指揮 マッシモ劇場管弦楽団
                マッシモ劇場合唱団

                マッシモ劇場児童合唱団

        演出:エンマ・ダンテ           

     (2014 @マッシモ劇場、パレルモ)

まさかの劇場上演のDVDが出ました。
しかも、シルマー盤と同じ2014年の上演記録です。
この年は、シュトラウスの生誕150年。
よくぞ、映像作品として出してくれました。
劇の内容からして、イタリア人の好みそうなものだし。

日本語対訳が付いてないものの、おおまかな筋立てを理解していれば、ほぼ楽しめます。
時代設定は現代にしてるものだから、やたらとたくさん出てくる登場人物たちが、誰が誰やらわからない。

主役の男女と、女性の父(城主・市長)、女性の女友達3人、父の秘書的(城の廷士)なテノール、このあたりだけ押さえておけば大丈夫かと。
しかしながら、この女性の演出家、最初から最後までダンサーを多用して、舞台はどこもかしこもダンサーだらけで、脱いだり着たり、男もブラジャーしてるし、なにがなんだかわからんし、目障りなことおびただしい。
ただでさえ、ちょい役の歌手がいっぱいいるのに・・・

Feuersnot-03

 でも、ラスト、クンラートが魔法を解除し、火が町に戻ってきたとき、ダンサーたちがオレンジの布をたくさんヒラヒラさせて、舞台がオレンジに染まったとき、素晴らしい音楽とともに、ほんと美しいと思いましたね。
ディームートが皆にせがまれて、クンラートの元に行き、最後に2人の邂逅の証に「すばらしい真夏の夜よ、永遠にアイしてるーー」って歯が浮くように歌うんですが、この演出では、窓から出てきたとき、ひとりはブラジャー姿、もうひとりは上半身裸の胸毛姿。。。。
なんだかなぁ、そこまで見せる必要あるかい??
最終場面のファタジー感、がぶっとんだ・・・

D・ヘンシェルのFDばりの知的な歌は、その気難しい風貌とともに、この役になりきってサマになってました。
でも、アイヒェのすばらしさには敵わない。
カルボネさんのディームートは、もう少し色っぽいと舞台映えしたと思うけど悪くない。
ほかの人は、多すぎでなんだかさっぱりわからないけど、3人娘は楽しかった。
 指揮のフェッロは、ずいぶんとお歳を召したものだと思った。
ロッシーニ指揮者として80年代に活躍、あと以外にも、ツェムリンスキーも指揮したりもしてたから、シュトラウスもお得意なんだろう。
パレルモの明るいけれど、ドイツの響きとは全然違うオケピットの音色が、思いのほか新鮮です。
この劇場で、インキネンはリングを振ってますね。

お部屋で、こうしてオペラが視聴できちゃう幸せ。
昔なら考えられないことです。
劇場に行きたいけれど、なかなか難しいし。

ワーグナーとシュトラウス、プロコフィエフも交互に全作を取り上げ中、ついでにヘンデルとロッシーニも。
歳と残された年月を考えたら、こんな企画はもう最後かもね。

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2020年12月23日 (水)

R・シュトラウス 「グントラム」 クゥェラー指揮

Fukiwari-02

11月に30年ぶりぐらいに訪れた群馬県の「吹き割の滝」

間近かで見ることができて、迫力があるし、ちょっと怖い。

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900万年前の噴火でできた、とか気の遠くなるような話の岩石からなってまして、千畳敷といわれる川床で、このように近くまで行って覗き込むことができます。
外国勢ばかりだったようですが、ほぼ100%日本人で、静かな雰囲気でなによりでした。

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  R・シュトラウス 歌劇「グントラム」

    グントラム:ライナー・ゴールドベルク
    フライヒルト:イロナ・トコディ
    老公爵:シャンドール・ショーヨム・ナジ
    ロベルト公爵:イュトヴァン・ガーティ
    公爵付きの道化師:ヤーノシュ・バーンディ
    老人:アッティラ・フュロプ
    老婆:タマラ・タカーシュ
    フリートホルト:ヨージェフ・グレゴル
    使者:パール・コヴァーチュ
    第一の若者:タマーシュ・バートル
    第二の若者:ヤーノシュ・トート

  イヴ・クゥェラー指揮 ハンガリー国立交響楽団
           ハンガリー陸軍合唱団

       (1984 @ブタペスト)

15作あるR・シュトラウス(1864~1949)のオペラ。
当ブログでは、全作を一度、一部作品はくどいほど取り上げてますが、いま一度、全作のサイクルをやろうと思います。
ずっと聴いてきた音源、あらたな音源に映像作品。
自分でも楽しみです。
いくつものサイクルを同時進行してますので、2年ぐらいかけて、そう自分への励みとしてもやっていこうと思います。

シュトラウス最初のオペラが「グントラム」。
1887年に着想。
「ドン・ファン」の1年前から構想が練られ、自身の台本は、まず1891年に完成。
この時点で、いまもよく聴かれる高名な歌曲も作られていて、シュトラウスはもう、その作曲スタイルは確定してます。
グントラムの作曲の方は、同時に着手して、1892~93年に完成させます。
交響詩では、「マクベス」と「死と変容」がこの間で作曲されてます。
1894年ワイマールにて、30歳のシュトラウス自身の指揮で初演されたものの、成功したとは言えず、その後も散発的な上演はあったものの、次作の「火の欠乏」と同じく、劇場のレパートリーからは外れて久しく、シュトラウスのオペラの成功作は、10年後の「サロメ」を待つこととなります。
この初演の年、シュトラウスは、バイロイトに指揮者として登場し、「タンホイザー」を指揮してます。
 かくもあるとおり、ワーグナーの影響下の真っただ中にあったシュトラウス。
このオペラ処女作は、ドラマとしては、中世13世紀のミンネゼンガーの物語で、まさに「タンホイザー」の世界で、はたまた騎士として、苦境の女性を救い、去って行くヒロイックさもあるので、「ローエングリン」でもあり、さらに信仰と贖罪に身を投じることから「パルジファル」、そんな様々な影響をもろに感じるオペラであります。
 ついでに申せば、ヒロイン役は、さながらエルザで、敵役はテルラムントやクリングゾルだ。

10年後の「サロメ」が、官能と刺激にあふれた豊穣なサウンドが個性的なまでになっているのに対し、こちらの「グントラム」は、甘く美しい旋律に、このころすでに獲得していた巧みなオーケストレーションの能力を背景に、鮮やかでありながら、音楽が明朗なことは、すでに「エレクトラ」後のモーツァルト帰りの将来すら予見させます。
私は、聴いていて、「ダフネ」の地中海風的な明るい、清涼感も感じ取ることもでき、27歳のシュトラウスの音楽観が、すでに晩年の作風をも見通すくらいに達観していたのでは、と思うようになりました。
「ドン・ファン」のメロディーも流れてくるし、「英雄の生涯」に援用された旋律もありまして、第5部の英雄の業績では、「死と変容」や「ドン・キホーテ」の旋律と絡み合うようにして、この作品の前奏曲に出てくるメインテーマが登場してます。
しかしながら、その豊かなサウンドたちが、次々と垂れ流されるものの、そこに厳しさや、ドラマに付随した劇性が足りないような気がするのも事実で、そこは10年後の「サロメ」への進化ぶりであらためて確認することとなります。
あとシュトラウスならではの洒脱な軽やかさは、ここではまだまだで、次作にてそのあたりが確認できるかと思います。

 それから、主役がテノールであることは、シュトラウスの15のオペラのなかで、これが随一。
女声を愛したシュトラウスが、一番ワーグナーに振れていた時節の作品であることもそのひとつ。
ちなみに、シュトラウスのオペラで、男声が主役級である作品は、「火の欠乏」「インテルメッツォ」「無口な女」「平和の日」などで、それらはいずれも、バリトンかバスで低音男声。

当初3時間を越える大作であったが、あまりの不評に大幅な短縮を試みて、2時間あまりのサイズになったのが現行版で、ことの進み具合が唐突なのもそのあたりにあります。

簡単にあらすじを。時は中世・吟遊詩人の世界~そう「タンホイザー」と同じですよ。
主人公も、ひたむきに己の道を行き、正当防衛とはいえ、あらぬことか人を殺め、最後には愛を捨てて修行の道にでる生真面目ぶり。

第1幕
最高の善としてのキリスト教的友愛の世界を目指して修行する「グントラム」。
悪い男に操られ圧政を行う国を改革しようと、グントラムはやって来た。
貧しい人々に施しを与えつつ、その国の様子を人々にうかがうと、圧制者ロベルト公爵の妻で清き女性がいて、食べ物などをよく施してくれていたが、いまは夫に禁じられてしまった。
そこにその女性がまさに嘆いて入水自殺をしようとするが、それを助けたグンドラム。
その女性フライヒルトと相思相愛となってしまう。
彼女はかつて国を治めた老大公の娘だった。

第2幕
娘を助けたことで、公国に慇懃に迎えられる。
そこでグントラムは、圧政を止めるようにと大演説をぶつ。
(こりゃまさにタンホイザーの歌合戦そのもの、ハープの伴奏まであります)
人々を不安にさせ、そしてその気にさせてしまったグンドラム。
その男を成敗しろと言うロベルト公爵だが、誰も手を下せず、やむなく公爵と争いになり、グントラムは思わず殺してしまう。
これを批難する老公爵の長いモノローグも印象的で、バリトンの聞かせどころ。
印象的な行進曲調の勇ましいフレーズも登場。
グントラムはおとなしくお縄につき連行、フライヘルトは切実な悲しみを歌い、あわせてグントラムへの愛を誓う。
このあたりの高揚感は、シュトラウスの交響詩を聴いてるようだし、ワーグナーでいうとワルキューレみたいな雰囲気だ。

第3幕
一応自分の婿だから、老公爵は厳しく対処し、グントラムは幽閉の身となっている。
壮絶な前奏のあと、亡き公爵を弔う修道士たちの聖歌がアカペラで歌われ、そのあとすぐに後悔するグントラムの歌。
そこにフライヒルトが駆けつけて、激しく求愛し、愛の二重唱となる。
ここはまたトリスタン的な感じでありまして、独奏ヴァイオリンなんても絡んでなかなか濃厚な感じになる。
フライヒルトは、さあ立ち上がって、一緒に逃げましょうとグントラムを促し情熱的だが、グントラムは躊躇しつつ彼女の名前を呼ぶことしかできない。
 そこに、グントラムと教義を同じくする同志フリートホルトが登場し、グントラムにわれわれ高潔の士は、人を殺めては決してならないとして非難し仲間として罪を償うように進言する。
グントラムは、あれは正当防衛であり、自分には罪はなく、あくまで自身の罪は、そうひとりの女性、それも公爵の妻を愛してしまったことだと語る。
フリートホルトは、ばかげた考えだと諭すものの、グントラムはこれが自分の信条だとして、帰還も進める彼の言葉にも譲らす、やがて仲間は去る。
残されたフライヒルトは、愛は勝ち取られた、あなたは自由よ、と喜ぶ。
しかし、グントラムは、勝利は簡単かもしれないが、自分は神の思慮から外れてしまった、あなたのもとを去り、ひとりで孤独のうちに過ごさなくてはならないと語る。
フライヒルトは泣き伏せるが、グントラムは彼女に、あなたは国を歩き廻り、人々を笑顔にした、その国がいまあなたの元にある。
これからも頑張るんだよ、愛するフライヒルトと歌い、永遠の別れ、わたしの神があなたと共にあるとしてゆっくりと去って行く。

                     幕

こんな内容だが、ここでは主役を歌うテノール歌手の負担がものすごく重たい。
最初から出ずっぱりで、3つの幕にそれぞれ長いモノローグがあるほか、ことさら最後は、実に感動的で素晴らしくも熱いモノローグを歌わなくてはならない。
ちなみに、ラストはローエングリンのようでもあります。
私のような「テノール好き」には堪らない瞬間が数々ある。
老公爵のバリトンにも、ヒロインのソプラノにも没頭的な聞かせどころもある。
このように、サービス満点なところが、逆にドラマへの集中力を削いでる点があることも否めない。

    -----------------------

この作品の初のレコーディングが今回のクゥェラー盤。
クゥェラーさんは、アメリカ生まれの女性には珍しかったオペラ指揮者で、1981年生まれ、まだお元気の様子。
ニューヨーク・オペラ管弦楽団を自ら設立し、演奏会形式で珍しい作品を次々に取り上げ、カバリエやドミンゴ、バンブリー、フレミングなどの大物との共演も多く、さらに欧州の劇場へも多く客演してました。
ベルカント系も得意にしていて、ドニゼッティの研究でも知られている。
 その彼女が1983年にアメリカ初演を手掛けた「グントラム」。
翌年、ブタペストでも演奏会形式にて取り上げ、その時のキャストを使って録音されたものです。
録音当時、ハンガリーは社会主義国で、その国の強力なレーベルだったのが、フンガトロンで、ハンガリーのオーケストラや演奏家、歌手たちを知る窓口みたいな存在でありました。
そのフンガトロンとCBSソニーレーベルがアライアンスを組んで生まれた音源は数々ありまして、「グントラム」が選ばれたのは今思えばありがたいことでした。

クゥェラーさんの指揮ぶりは、本格的なもので、女流らしく、横へ横へと流れるような旋律線を美しく紡いで行くことで、シュトラウスの流麗な音楽が引き立っているように感じます。
一方で、鋭さに欠ける点も感じますが、そこはシュトラウスの初期作品ゆえ、この美しい演奏はこれはこれでいいんじゃないかと思います。
イタリアのオーケストラを指揮した、クーン盤とともに、きっとこれから先、録音されることはないだろう「グントラム」の希少なCDであろうと存じます。

題名役を歌う、ゴールドベルクは、東ドイツから忽然と現れ、80年代に活躍したヘルデンテノールで、レヴァインやハイティンクのリングで、ジークフリートやジークムントを歌っているけど、あまり評価されず気の毒な歌手だった。
私はいずれも悪くないといつも感じてますが、ちょっと喉に引っかかるような発声が好悪を呼ぶんだろうと思います。
ここでは、その作品ゆえか、ゴールドベルクの独り舞台で、実に雄弁で、テノールを聴く楽しみに浸れます。
 そう前にも書いてますが、わたくしはスウィトナーが指揮した「マイスタージンガー」でゴールドベルクを聴いてまして、とても関心した記憶があります。
本番に弱くて、ショルティのバイロイト・リングも直前に降りちゃったし、マゼールのウィーン国立歌劇場就任時の「タンホイザー」でも声が出なくなったりと、いろんな履歴があるのもゴールドベルクならではです。
 ゴールドベルク以外は、みんなハンガリーの人で、みんな名前がいかにもハンガリーって感じ。

イタリアオペラの印象の強いトコディさん、張り切ってまして、なかなかの熱演。
バイロイトの常連だったショーヨム・ナジもものすごく立派なバリトンを聴かせます。
あっという間に死んでしまう、適役のガーティさんや、ほかの初役もよし。

Fukiwari-04

いかにもな日本の原風景的な野山。
群馬の北の方なので、いまごろは雪に包まれているかも。。。

Numata-10

このあたりはリンゴの産地でもありまして、このような美しい赤いリンゴが沿線にたくさん生っておりました。

このリンゴで焼いたアップルパイがまた美味なのでありました。

次のシュトラウスのオペラは、「火の欠乏」であります。

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2020年10月11日 (日)

R・シュトラウス「アルプス交響曲」 ダウスゴー指揮

Ninomiya-sunset-01

ある日の壮絶な夕焼け。

いつも書いてますが、夕焼け大好き。

こうした赤紫の色のときは、雨が降る前夜ともいわれるそうで。

Ninomiya-sunset-02

夕焼け2態。

こちらは、翌日は晴れたけど、でも雲が低いのと、それも入道雲的なものが遠くに見えるので、雨がパラっと降ったりもしました。

いつになく気象予報士的な巻でした。

Strauss-alpen-dausgaard

  R・シュトラウス アルプス交響曲

 トマス・ダウスゴー指揮 シアトル交響楽団

       (2017.6.15,17 @ベナロヤ・ホール、シアトル)

シアトル交響楽団の自主製作レーベルからの1枚。
現在、音楽監督のダウスゴーの指揮によるシュトラウスを聴く。

前項のベートーヴェンの4番でも取り上げた指揮者ダウスゴーを、このところよく聴いてます。
繰り返しますが、BBCスコテッシュ交響楽団の首席でもあることから、BBCの放送にのることも多く、そのライブをたくさん聴いてきたし、母国デンマークやスウェーデンのオーケストラとの共演盤も集めつつあります。

その特徴は、基本はテンポは速めをとり、古典・ロマン派ではビブラート少な目な演奏様式をとり、一方、後期ロマン派では、テンポ速めは同じくして、情熱も加味した熱めのサウンドを聴かせ、お得意の現代作品では、緻密かつ分かりやすい音楽を展開してます。
総じてスッキリ系でありつつ、情熱派でもあり、そんなイメージをダウスゴーに持ってます。

コンサートや録音のプラグミングも巧みで、Plomsでは、フィンランドの伝統音楽と5番の交響曲のオリジナル版を組み合わせてたりもしましたし、このCDでも、アルペンの前に、デンマークの作曲家ランゴー(1893~1952)の音楽劇の前奏曲を取り上げてます。
ランゴーの「アンチキリスト」という作品は、反キリスト者数人が語る受難曲的な作品で、何度も改訂を加えた曲のようですが、ここでは、その原典版の前奏曲初録音とのこと。
 そして、ニーチェの「アンチキリスト」からの影響もありとされる「アルプス交響曲」。
ランゴーの音楽も、このところBBCで交響曲とか声楽作品を聴いてるけれど、シュトラウスの音楽にも近似性を感じるもので、わたくし、ダウスゴーによる交響曲全集と「アンチキリスト」を発注済みで入荷待ちであります。
コロナで欧州からの物流は遅れがちなのか、なかなか来ません。。。

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シアトル響の本拠地でのライブ録音、まずは音が目覚ましくよろしい。
こうした作品は、まず録音がよくないと始まらない。
冒頭の下降音階による低弦の唸り、爆発的なフォルテも鮮やかなホールトーンも、いずれも心地よく楽しめる。
そしてオーケストラも抜群にうまい。
シュウォーツが長く指揮者を務め、数々の録音があるけれど、メジャーも顔負けの力量と確信。

Dausgaad

ダウスゴーのすっきり感とスピード感のよさは、演奏時間を見ると45分ぐらいで、時間からすると早いが、聴くとさほど快速に感じない。
同じぐらいの演奏時間では、ショルテイ盤があるけど、あちらはザッハリヒともとれるくらいの印象を受けるけれど、ダウスゴー盤は、ストレートな解釈ながら、各所に情熱的な歌と、各声部への緻密な心配りから、いろんな楽器がよく聴こえる透明感もあるので、存外に味わいが深い。
昨年のBBCスコテッシュ響との来日で聴いたマーラー5番の指揮ぶり。
かなり大きな振り姿で、でも、各奏者へのキュー出しも細かく、細かく振り分けているのが印象的でした。
アダージェットは極めて美しく、聴きつくしたこの作品で、思わず落涙してしまうほどでした。

そんなきめ細かな指揮が思い浮かんでくるようなアルプス交響曲の演奏で、意気揚々と山頂に登りつめるまでは、実にスピード感があって爽快。
しかし盛大に盛り上がるか所よりは、歩みを止めて風景を愛でるような場面や、急ぎ下山したあと、しみじみと山登りを振り返るようなシーンがとても味わい深く、爽やかな達成感を聴く私にも与えてくれるような、そんな共感できる演奏なのでした。

マーラー10番も特質大の素晴らしさで、ダウスゴーとシアトル交響楽団のコンビ、これからも期待大なのですが、コロナといい、なにかとシアトルが怪しい雰囲気なのがちょっと心配。
オーケストラの活動も徐々に再開しているようだが、デンマークに住むダウスゴーは、しばらくは渡米できないかもしれない。

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アメリカのオーケストラシリーズ。
シアトル交響楽団は、1903年より活動を開始したオーケストラで、初代指揮者は、作曲家のヘンリー・ハドリーで、そこそこの作品を残していて気になる存在です。
そのあとは、クリーヴランド管の初代指揮者でもあるニコライ・ソコロフ。
そして、なんとトマス・ビーチャムが短期ながら在位し、マニュエル・ロザンタールとなじみの名前が続きます。
シアトル響の実力を高め、オペラ劇場までも創設したミルトン・ケイティムスが22年に渡り指揮者を務めまして、このコンビのレコードもあるようだ。
そのあとは、読響にも来てビゼーの録音のあるライナー・ミーデル。
そして、このオーケストラになくてはならない指揮者、ジェラード・シュウォーツが26年間君臨し、数々の録音でこのコンビの名声を高めました。
そのあときっとやりにくかったであろう後任は、フランス系のリュドヴィク・モルローで、現代ものやフランスものを特に取り上げ、自主製作レーベルにもかなりの録音があります。
シュウォーツとモルローを名誉指揮者に、2018年から音楽監督に就任したのがダウスゴー。

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本拠地は市内中心部にあるベナロヤ・ホールで、1998年の開設。
大きな寄付寄せた慈善家の名前から付けられた名称で、アメリカっぽい。

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 シアトル市は、アメリカ西海岸、ワシントン州の北西部に位置し、海と湖、そして山にも囲まれた美しい街として「エメラルドシティ」と呼ばれているそうな。
気候も年間通じてよろしく、夏は涼しく、冬はそれほどに寒くならない。
水運都市でもあることから、地政上、太平洋で向き合う東洋との海洋貿易の中心地でもあって、日本とのつながりも深い。

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人口は74万人ぐらいで、実は昔から移民に寛容な都市だったので、もっといるんじゃないかともされてます・・・
もともとが先住のインディアン系の地域で、その酋長の名前に由来するのが、シアトルということらしい。
 そして、シアトルの名前を世界的にしているのは、ビッグネームの企業の発祥都市ということ。
ボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、シアトルベストコーヒーなどなど。
ニンテンドーアメリカもあることから、IT産業都市でもあるらしい。
でもなんといっても、マイクロソフトとアマゾンの存在が大きいですな。

音楽ではロック系のものが盛んで、ジミー・ヘンドリクスの出身地でもあり、ハートや、かつてのベンチャーズなんかも由来があるらしい。
スポーツでは、そう、イチローのいたマリナーズもここ。
バスケットボールもフットボールも強いチームがあるそうだ。

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シアトルの南方には、ワシントン富士と呼ばれる4,300メートル級の「レーニア山」があり、市内からは雪を頂いたその姿が遠望できる。

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山と海と湖に囲まれていることから、美味しいもの、ナチュラルなものもたくさん。
ワインは全米第2位の生産量とのことで、ビールではなく、フレッシュな白ワインでシーフードなどを頂いてみたいものです。

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水辺の歴史ある有名なレストラン、雰囲気いいですね。

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こんな食事なら日本人向けだし、ワタクシもOK!

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さて、いいことづくめのシアトルなんですが、ミネアポリスでの黒人致死事件を契機に、各地でデモや抗議活動、またANTIFAによる暴力的な事件も頻発。
シアトルでは、6月にBLM抗議デモから派生した動きが、自治区を作るまでになり、シアトル市内のキャピトル・ヒルというお洒落な店の集まる地域の一部を事実上占拠しました。
警察との衝突もありましたが、話し合いによる円満な解決を望むジェニー・ダーカン市長は強い介入を命じません。
その市長は元連邦検事で民主党でリベラル派。
自治区なので、公園を改造して農園としたりしてましたが、徐々に風紀も乱れ、治安も悪化し、銃撃事件も起きましたが、救急隊は警察を伴わないと危険なので動けないし、バリケードで封鎖されていて入れない。
そんな発砲事件も2つ続き、破壊活動や強盗も相次ぐようになり、自治区メンバー(BLM運動家)はさらに市長の家に押しかけ、警察の解体を直訴しようとしました。
これに恐れをなした市長は、ついに警察の介入を認め、自治区の解体を命令。
7月、約3週間で、自治区はきれいさっぱりと解放され、占拠してた連中は霧散しました。
解放の指揮をとったのは、この地区の警察署長で黒人女性というのも皮肉なもので、「彼女は平和的なデモは支持するが無法で野蛮なものは容認できない。黒人の命は大事だ。しかしもうたくさんだ、警察には地域社会を保護する責任がある」と強く語りました。
 まったくそのとおりで、BLM運動に名を借りた行き過ぎた暴力行為や、白人になにをしてもいい的な風潮は看過できません。
来月に迫った大統領選挙も絡んで、アメリカでは対立をあえて煽る動きはまだまだ続くことでしょう。
そして、10月に入ってシアトルでは、スターバックスが襲撃され放火される事件も起きて、また暴動が再燃しそうだとか・・・・

分断や民族の自主を促すことで、国が分裂し、喜ぶのはK産主義者ばかり。
この動きはヨーロッパにも、かたちを変えて日本にも及んでます・・・・・

さて長々と書いてしまいましたが、ひとまず落ち着いたシアトルですが、リベラル市長がいて、超大企業があって市民が意識高い系だったりするので、アメリカのいまの縮図みたいな都市だと思うのです。

でも大自然はウソつかない(インディアン風に)
レーニア山を調べたら、まるでアルプスの光景じゃないですか。

Seatlte-09

ネットでレーニア山の風景を見ながら、もう一度ダウスゴーの「アルプス交響曲」を聴こうじゃないか。

ついでながら、録音したアメリカのオーケストラによる「アルプス交響曲」
 ・ハイティンク&シカゴ
 ・ホーネック&ピッツバーグ
 ・ハーデイング&サンフランシスコ
 ・ラングレー&シンシナティ
 ・ルイージ&ダラス

アメリカ人は「アルプス交響曲」がお好き。

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