カテゴリー「R・シュトラウス」の記事

2017年8月 6日 (日)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 二期会公演2017

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観たいなぁ~、と思っていたら、大の音楽仲間から、行きませんか?とのお誘いをいただき、お譲りいただいた「バラキシ」。

ワーグナーとシュトラウスが国内で上演されるときは、何があっても観劇してた自分ですが、仕事の不芳や、チケットを不意にしてしまうことの恐怖から、ここしばらく、舞台から遠ざかっていました。

行っちゃう。そう、これを第一に行動すればいいんだ。
巧みに、仕事も先回りして、手を打って・・・・、あっ、かつてはそうしてたんだな。。。

いやはや、ともかく、久しぶりのオペラ観劇、ほんとにありがとうございました。
感謝感激でありました。
Rosenkavalier

R・シュトラウス  楽劇「ばらの騎士」

   元帥夫人:林 正子       オックス男爵:妻屋 秀和
   オクタヴィアン:小林 由佳   ゾフィー:幸田 浩子
   ファニナル:加賀 清孝     マリアンネ:栄 千賀 
   ヴァルツァッキ:大野 光彦 
  アンニーナ:石井 藍
   警部:斉木 健詞         執事:吉田 連
   公証人:畠山 茂         料理屋の主人:竹内 公一
   テノール歌手:菅野 敦     孤児:大網 かおり
   孤児:松本 真代         孤児:和田 朝妃
   帽子屋:藤井 玲南        動物売り:芹沢 佳通
   ほか
   モハメッド:ランディ・ジャクソン レオポルド:光山 恭平

 セヴァスティアン・ヴァイグレ指揮 読売日本交響楽団
                        二期会合唱団

   演出:リチャード・ジョーンズ

                     (2017.7.26 @東京文化会館)


オペラ観劇歴、通算7度目となる、この日の「ばらの騎士」。

何度も観てしまうのは、なによりも、その音楽がとてつもなく素晴らしいことで、劇作家ホフマンスタールとともに成しえたこのオペラは、ワーグナーの意匠を継いだ、シュトラウス独自の音楽と劇との高度な融合たる「楽劇」という名にふさわしいものと思う。
 ちなみに、シュトラウスは、この作品を最後に、楽劇の呼称を取りやめてしまう。

さてさて、今宵の舞台は。

ロンドン出身のR・ジョーンズの演出は、グラインドボーンですでに上演されたものをそのまま導入したもので、ご自身や、スタッフも来日して、本家の舞台そのままに再現したもの。

 ジョーンズの舞台は、かつて新国立劇場で、ショスタコーヴィチの「ムツェンスクのマクベス夫人」を体験済で、舞台の中に、さらに額縁的な空間を築き、その中で行われる劇に、より客観性と既視感を持たせるという、観る者にとって、とても心理的な作用をあたえるもののように思われたものだ。

 今回の「ばらの騎士」も同様に、文化会館の舞台のなかに、もうひとつ額縁が据えられ、われわれ観客をそれを、どこかの物語のように、客観的に観るとともに、まばゆさとポップな色彩につつまれた舞台空間に幻惑されるという、さらなる第三者的な立場を体感することとなった。
これぞ、われわれの「夢の世界」の構築ではないだろうか。

 本来の舞台設定は、マリア・テレジア傘下のモーツァルト時代で、ここでは、ワルツなんてなかったから、このオペラでは、ホフマンスタールとシュトラウスの巧みな創作。
しかし、ジョーンズが置いた舞台は、シュトラウスたちが、まさに作曲したその時代。
1910年ごろ、ときは、世紀末で、シュトラウスは大半の交響詩を作曲し、オペラは、サロメとエレクトラで、当時の前衛的な存在だったけれど、「ばらの騎士」で、見事な古典帰りをみせた。。。、そんな時代背景は、マーラーがその最後の時を刻んでいたし、シェーンベルクは十二音音楽をすでに完成させていた。
 そんなモダンと、追憶の乱れる世紀末に、ジョーンズは着目したのではないかと思った。

観劇してて、賛否はともかく、普通と違う、おやっとした場面を列挙(備忘録です)。
長々とすいません。

高揚感とむせ返るような前奏は、幕を閉じたまま演奏され、オクタヴィアンの第一声の直前に幕が開く。
そこには、肉襦袢らしきものをまとったマルシャリンが、シャワーを浴び、入浴中。
オクタヴィアンは、まだまだ元気で、あがった婦人に抱き着きまとわりつき、ふたりはイチャイチャ。
 オックス男爵の突然の来訪には、モハメット君が、ちょろちょろしながら、婦人の使用したスポンジをクンクンしてるし、付け毛なんかも、懐にいれようとしながらも、執事に静止されちゃう。憧れ強すぎのモハメット。
 オックス男爵は、お付きのレオポルドを息子のようにしていた。
その男爵、客席から見てたら、寺門ジモンそっくり。
あと、アンニーナは、メイクのせいもあるけど、渡辺直美だった。
 元帥夫人が、鏡に映る自分の姿に哀しみを感じ、皆を遠ざける場面では、ひとり、フロイトが立会い、彼女のモノローグを聞く。
オクタヴィアンが再び現れるとともに、フロイト氏はいなくなるが、アンニュイに浸る元帥婦人は、ソファのうえで、哀しみと現実とを歌いながら丸くなる・・・可愛いのだ。

幕が開くと、そこはファーニナル家なんだけど、一面に壁がしつらえてあり、ドアがひとつの閉鎖的な部屋空間の場面。オクタヴィアン到着のワクワク感は弱めで、眼鏡っ子のゾフィーが、スタイリスト風の連中にお仕着せ人形のように、ハレの日のドレスに着替えさせられている。
マリアンネは、ドアを開け閉めしながら、期待あふれる外の様子を伝える。
さて、いよいよ騎士登場の段になって、壁が上がり、黄金色の壁に、FANINALと光文字で書かれた奥壁と玄関風の階段と大広間が目の前に広がり、閉塞感は吹き飛び、ここで颯爽と登場するオクタヴィアンに、会場のみんなが釘付けとなり、シュトラウスの美音に酔いしれるわけだ。
 ばらの献呈の場面では、見つめあう二人が、前後に揺れ、彼らの心の揺れも表現される素敵なシーンだったが、聴衆からは、ユーモアと見たのか、笑いが起こったのは、どんなもんだろうか・・・・
 さて続いて、婿殿の登場では、従者レオポルドがかなりのわがもの顔風に目立つ。
婿は、ゾフィーを商品のように扱い、テーブルの上に載せて、司法書士やら法律家連中も、そこに加わる。
イライラを募らせるオクタヴィアン。
ふたりの束の間の逢瀬は、また前壁で仕切られ、私の大好きな美しい二重唱が行われる。先の広い空間よりは、今度はとても好ましい密室が出来上がった。
ふたりのイタリア人に見つかり、通報され、また大騒ぎとなり、オックスの棒寂無人ぶりはピークとなり、オクタヴィアンが、剣も持たずに、決闘を申し入れたあげく、使用したものは・・・、なんと、銀の薔薇で、オックスのお尻をプスリと!
そのあとは、あまりイジリようのないオーソドックスな展開。
おしりの痛いオックスは、極上の酒とオクタヴィアンに寝返ったアンニーナがもたらした偽の手紙に、すっかりご機嫌になり、例のワルツを。
田舎から引き連れてきた部下たちは、1幕で、物売りから巻き上げた、ちょっとエッチな写真集をビロビロと広げ、オックスはさらにご満悦。

前奏曲では、幕を開けずに、しばらくオケピットの演奏に集中。
オックスをおちょくる居酒屋は、ド派手な色使いに、幾何学模様の壁紙の三角空間的な部屋。いたずらのリハーサルでは、壁にあるスイッチを押すと、ソファーがでっかいベットにするすると変身する仕掛けに失笑(笑)。
 オックスとレオポルドの登場、それからオーストリアの民族衣装風のオクタヴィアン。
レオポルド君は、仕掛人側が放った女性の色仕掛けにひっかかり退場し、以降、オックスにとっては役に立たない。
ステテコに鬘も取って禿げ頭となったオックスと、酒をグビグビ飲んじゃうオクタヴィアンの楽しい掛け合い。泣き上戸となったオクタヴィアンは、果物ナイフで、はたまた、天井から降りてきたロープで自殺を図ろうとして、オックスのオロオロぶりも半端ない。
 その後、ぞろぞろ出てくる、お化けや、オックスの妻と称するアンニーナや子供たち、オクタヴィアンもそろって、男爵を責めるところでは、全員がキョンシー風の動きになっておもろい。
 そんなこんなで、警察がやってきて、裁判風になり、そして、取り調べはまるで刑事ドラマのよう。
 最後に、ドタバタ劇の締めくくりに登場するマルシャリンは、ゴールド系のモードファッション。彼女に諭し、諭されたオックスが大騒ぎでもって退出したあとは、このオペラのもっとも美しいシーン。
 揺れ動くマルシャリン、オクタヴィアン、ゾフィーの3人に、ドアの隙間から憧れをもってもって覗うモハメットに注目。
クライマックスの3重唱、真ん中に金色のマルシャリン、右手に水色のオクタヴィアン、左手にパープルのゾフィー、背景はブルーの部屋。
マルシャリンが引き立つ、鮮やかすぎる色彩で、聴く3人の美唱に酔いしれる。
 幕引きのシュトラウスとホフマンスタールの機智あふれる場面では、モハメット君が、ちょろちょろと侵入し、探し出したのは、ソファーに忘れられたマルシャリンのショール。
思い切りそこに顔をうずめて、嬉しそうに退出して、楽しくエンディング。

                   
舞台に、映像に、ばらの騎士はいくつも観たけれど、どの演出もそれぞれに楽しかった。
オットー・シェンクの時代背景にも、ト書きにも忠実な伝統的な演出を、おそらく基軸にして、出来上がってきた様々な演出。

そんななかで、今回のR・ジョーンズ演出は、原色的な色彩と、額縁的な空間とで、かなりユニークな存在に思えた。
そんな中で行われる、微細なまでに凝った演技。
私には、それがやや過剰に思われた。次々に目移りしてしまい、音楽に身をゆだねることが出来ない。
まぁ、これが昨今のオペラ演出の風潮なのだから、あれこれ言わず、全体を楽しめばいいんだけど。

オクタヴィアンに傾きがちな視点を、マルシャリンに引き戻し、しかもモハメット君が懸想する大人の女性を描きつくした。
レオポルドが目立ったのも新しい。
そして、ゾフィーは操り人形のようだったけれど、徐々に自分の意志で動く機微がよく見えるように。あげればキリがない・・・

 さて、そんな舞台で、演技も、そして歌唱も完璧だった日本人歌手たち。
安定感と余裕すら感じる妻屋さんのオックス。
3人の女声の美しすぎる調和も、大いなる聴きもの。
アリアドネの作曲家以来、ファンになった、凛とした小林さんのオクタヴィアン。
幸田さんの美声は相変わらずだけど、声に力が少し増して、より多くホールに響かせることが出来るようになった感あり。
 あと、なんといっても素敵だった、大人の女性としての元帥婦人を歌った林さん。
1幕のモノローグで、手鏡を見てから変化する彼女の想い。
フロイト博士の臨席のもと歌われるその場面における林さんの歌と演技には、ほんとホロリときました・・・・。
誰しも、男も女も、そんな想いや歌に、自分を重ね合わせることができる、この作品の一番素晴らしい場面であることも実感できた。

 二期会のおなじみの歌手のみなさんも、出色、とくに二人のイタリア人たちはよかった。

 オペラの手練れ、ヴァイグレの指揮は、もう少しシュトラウスの音楽の色香が欲しいところではあったが、力強い読響から、まとまりのよい、柔らかな響きを引き出すことに成功していたのでは。
初日だったから、後になるほどよくなっていったことでしょう。

久しぶりのオペラ。
盛大なカーテンコールまで、楽しく観劇することができました。

舞台の模様はこちら、Classic news

SPISにてご覧ください。

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2017年1月10日 (火)

R・シュトラウス 「影のない女」 ショルティ&コヴェントガーデン

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小田原の石垣山にあるYoroizuka Farmに、お正月、行ってきました。

パティシェの鎧塚俊彦さんのお店。

そう、亡き、川島なお美さんの旦那さんです。

相模湾を見下ろす絶景にあるこちらのお店では、カフェがあって、その絶品スゥイーツを楽しめるし、店舗ではたくさんのプチガトーや、地場野菜や果実が売られてます。

ともかく、その景色が素晴らしい。

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西から見た相模湾は、江の島や、遠く、三浦半島・房総半島も見渡せる。

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川島なお美さんの直筆の碑。

大学の先輩だったし、近くでお目見えしたこともあったし、そして、小田原は、高校時代過ごした街だし・・・、で、なんだか哀しくなってしまった。

でも、この場所を愛した妻への旦那さんの、優しい思いも感じとれ、この場所が、わたくしの愛する吾妻山のように、すてきな場所となって、自分のなかに記憶されることとなりました。

そんな、暖かな夫婦愛を最後には謳歌することとなる、R・シュトラウスのオペラ「影のない女」を連休から聴いておりました。

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 R・シュトラウス 「影のない女」

  皇帝 :ジェイムズ・キング       皇后 :ヘザー・ハーパー
     バラク:ヴァルター・ベリー       バラクの妻:ヘルガ・デルネッシュ  
  乳母 :ルート・ヘッセ          霊界の使者:フォービス・ロビンソン
  宮殿の門衛:ジュディス・ハワース   若い男 :ロバート・ティアー
  鷹の声:エイドゥイン・ハーリィー   
  バラクの兄弟:ウィリアム・エルヴィン、ポール・クルック
            ライモンド・ヘリンクス


   サー・ゲオルク・ショルティ指揮
           ロイヤル・コヴェントガーデン管弦楽団/合唱団
                    (76.4.5 @コヴェントガーデン)

ネット見つけたこの音源。

どーです、シュトラウス好き、影なし好きをも唸らせる、素晴らしいキャスト。

鉄板の、J・キングの凛々しい皇帝にはしびれるような感動と、官能を覚えます。

そして、高貴な英国歌手のハーパーの、全霊をかけたかのような皇后の熱さは、まったくもって以外ともいえる素敵さ。

お馴染み、ヴァルター・ベリーのバラクは、ここでも、いい人、全開で、FDの知的なバラクもいいけど、やっぱり純朴かつ熱烈なバラクもいい。

あと、あとですよ!!、今回、この音源を見つけて狂喜乱舞したのは、ヘルガ・デルネッシュ様のバラクの妻。

ショルテイさま、よくぞ、彼女を起用してくれた。

カラヤンとのブリュンヒルデ、トリスタン、レオノーレを歌い終えたデルネッシュ、その声域をメゾに移行しつつあった、その時期の上演。

皇后は、ワーグナーに例えると、ジークリンデ級。
バラクの妻は、ブリュンヒルデ級で、メゾの音域も要求される難役。

デルネッシュはメゾに移行後、ハンブルク・オペラの来日公演で、ドホナーニの指揮による「影のない女」の上演で、乳母役を演じ、わたくしも、憧れの彼女の歌の、最初で最後の実体験となりました。

そんなデルネッシュのバラクの妻。

2幕における、妻としての節度と、皇后の乳母が影を狙ってしかける若い男の妄想や、真面目すぎる夫や、不具合のある夫の兄弟たちの面倒をみる不合理さへの葛藤を歌いこむ、切実たるシーンには、ほんと、心から感動します。
G・ジョーンズや、ルートヴィヒ、ニルソンとならぶ名唱だ!

主役級以外は、コヴェントガーデンの常連・常設歌手だけれども、当然にバランスがよろしい。

 かつて、音楽監督をつとめたコヴェントガーデン、ロイヤル・オペラに76年に客演したショルティ。
後年のウィーンやザルツブルクでの指揮よりも、とんがってる。
切れ味もいいし、オペラとして、劇的な流れも間断なくすばらしく、テンポも快適。
全曲が3時間と数分。
おとぎ話としてのファンタジー感は不足するものの、登場人物たちの、切実な歌や背景は見事に捉えているように感じる。
 惜しむらくは、音源がモノラルなところ。
聴きやすい明瞭な音だけれど、オーケストラ・ピットが劇的にすぎて聴こえてしまう、そんなONすぎる録音。

こんな、おそらく放送音源も、世の中にはたくさんあるんだ。

最近のつまらん録音より、こうした音源の掘り起こしや、各種権利の調性に邁進してほしいものだよ、まったく。

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麗しきかな夫婦愛・・・・・・・

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

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桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

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  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2015年12月31日 (木)

R・シュトラウス 4つの最後の歌 メルベート

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六本木ヒルズのこの冬の夜景。

そして、今年もあっというまに過ぎ去ろうとしてます。

毎年の大晦日、恒例のシュトラウスの作品を聴くことになりました。

Hills_4

今年後半は、ブログ更新も滞りぎみで、自分でも、音楽を聴く余裕のない日々に、気分が塞ぎ、ままならぬことに、焦りを覚えるほどでした。

おまけに、最近は、かつての映画熱が蘇ってしまい、劇場での映画鑑賞に、不満不安を解消するすべを見いだしたりもしましたよ。

実は、わたくし、学生時代は、かなり映画を観てまして、ちょうど、ロッキーとか、スターウォーズの封切りの頃ですよ。
 そして、今年、そのロッキーの新世代版「クリード」が封切され、さらに、「スターウォーズ」もあらたな物語がスタート。
 なにかの因縁でしょうか、今年から、音楽に加え、映画生活も再スタートです。

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ろくなことのなかった、わたくしにとっての今年。

踏ん切りをつけて、2016年は、新たな気持ちで頑張りたいものです。

そんな思いを込めて、シュトラウスのこの曲をしみじみと聴きます。

Hills_strauss

   R・シュトラウス  4つの最後の歌

        S:リカルダ・メルベート

   ミヒャエル・ハラース指揮 ヴァイマール・シュターツカペレ

                      (2006 @ヴァイマール)




   1.「春」(ヘッセ)

   2.「9月」(ヘッセ)

   3.「眠りにつくとき」(ヘッセ)

   4.「夕映えに」(アイヒェンドルフ)


もう、何度も書き尽しましたので、この曲に関してはここで触れることはいたしません。

ともかく、澄み切った境地と、しかしながら清朗で、若々しささえ感じるシュトラウスの筆致は、老いてなお、前を見据えたものに感じます。

詩の内容は、晩節の想いにありますが、シュトラウスは、まだまだ生き続ける意欲を持ち続けていたのでした。


    「休息にあこがれる

       そして、おもむろに つかれた目を閉じる」  

                         (9月)


    「はるかな、静かな、平安よ

       かくも深く夕映えのなかに

       私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう

       これがあるいは死なのだろうか」

                        (夕映えに)


メルベートは、わたしの好きなワーグナーとシュトラウス歌いです。

バイロイトでは、ゼンタ、エリーザベト、グートルーネ、フライアなどを歌ってまして、新国では、彼女のエリーザベトに接することができました。
 個性的ではないけれど、その清潔で、端正な歌い口がとても好ましく、独語の美しさも味わうことのできる歌唱です。

加えて、オーケストラがとても雰囲気がよろしくて、ヴァイオリンソロをはじめとして、各奏者の腕もなかなかです。
余白には、アリアドネからオーケストラ作品も収録されていて、オペラのオーケストラとしての力量の確かさも確認できます。

さて、年が変わって、新しいカレンダーの表紙をめくるまで、あと数時間。

このへんで、今年は筆を置きましょう。

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2015年1月26日 (月)

神奈川フィルハーモニー第305回定期演奏会  サッシャ・ゲッツェル指揮

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曇天のみなとみらい。

久しぶりのみなとみらいホールに帰ってきた神奈川フィルの定期なのに、ちょっと残念な曇り空。

でも、そんなの関係ないくらいに、熱く、かつ、スマートで、超シビレる最高のコンサートでした。

201501kanaphill

  コルンゴルト    組曲「シュトラウシーナ」

  R・シュトラウス   4つの最後の歌

       ソプラノ:チーデム・ソヤルスラン

   ブルックナー         交響曲第9番 二短調 (ノヴァーク版)

      サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                      (2015.1.24 @みなとみらいホール)

主席客演指揮者ゲッツェルさんの今回の3つのプログラムの最後。

出身地ウィーンの音楽であり、かつ、3人の作曲家のほぼ最後の作品を集めた魅惑のプログラムです。

可愛くて、ステキなきらめきの音楽、コルンゴルトの「シュトラウシーナ」。
曲の概要は、こちら→FB記事で

「ポルカ」「マズルカ」「ワルツ」の3部の鮮やかな対比は、原曲のJ・シュトラウスの曲の良さを、さらにゴージャスにグレートアップしたコルンゴルトの巧みな手腕を感じます。
 ビジュアルで見ると、ハープにピアノに打楽器が加わるきらきらサウンドの仕組みが、よくわかります。
華やかなワルツには、ウィーンへのオマージュと、どこか後ろ髪惹かれる寂しさも感じる曲ですが、ゲッツェルさんに導かれた神奈川フィルから、爛熟のウィーンの響きを聴き取ることもでき、冒頭から陶酔してしまいましたよ。

あらためて、コルンゴルトと神奈川フィルとの音色の相性の良さを確認しました。

それは、次のもうひとりのシュトラウスの響きでも同じく感じたところ。

「4つの最後の歌」は、2007年に、シュナイトさんの指揮で聴きましたが、それはもう絶品とも呼べる美的かつ、ドイツの深い森から響いてくるような深い音楽でした。
 かつてのシュナイト時代の響きが戻ってきたかの思いのある、今回のゲッツェル・シリーズ。
深さはないけれど、音の美しさと、それを選び取るセンス溢れる美感。
同じ独墺系でも、世代の違いで、スマートさがそこに加わった。
いくぶんのサラサラ感が、次のブルックナーにも感じられるところが今風か。

透明感と少しのあっさり感は、音楽が濃厚になりすぎずに、かえって気持ちがよく、まして、土曜の午後にはぴったりのシュトラウスでした。
ホルンソロも、石田コンマスの華奢だけど、滴るような美音のソロも、素晴らしいものですが、シュナイトの時には、濃密に感じたその音色も、ここでは、すっきりとした透明感のみが支配する感じでした。

そして、ソプラノ・ソロは、トルコ出身のソヤルスランさん。
リリック系で、スーブレット系の役柄、例えば、フィガロや後宮、ミミやジルダなどを持ち役にする逸材のようです。
ボーイッシュなヘアだけど、とても女性的な身のこなしでもって、最初の登場からして、その麗しい歌声を予見させました。
 
 彼女にとっての外国語であると思われるドイツ語。
その言葉を、極めて丁寧に、一語一語に想いをこめて歌う姿は、真摯で、ホールの上の方を見つ目ながらの眼差しもエキゾティックで、われわれ日本人には親しみもあり、とても印象的なのでした。
 そのお声は、確かにモーツァルトを歌うに相応しい軽さもを認めましたが、一方で、わたくしには、少し太く、彩りもちょっと濃く感じる歌声に感じました。
語尾を少し巻いて、蠱惑感を醸し出すあたりは、どうなのかなとも思いましたし、 この曲のもつ「最後の歌」という、透徹な澄みきった心情という側面からすると、ちょっと違うかなと。
 でも、こんな声での「4つの最後の歌」は、妙に新鮮で、どこか、別次元から聴こえてくるような、そんな歌でした。
ある意味、まさに、新しいアジア感覚といいますか、どこにも属さない歌の世界を感じました。
ドイツを中心に活躍する彼女ですが、できれば、その独自性をもってユニークな歌唱を築き上げて欲しいものです。

 
 休憩後は、ブルックナー。

神奈川フィルのブル9は、やはり、シュナイトさんが、かつて取り上げておりますが、それは聴くことができませんでした。
そして、ブルックナーの後期の交響曲の凄演といえば、ギュンター・ヴァントが到達した孤高の世界が、ある一定の模範として、わたくしのなかにはあるのです。
8番しか実演では聴けませんでしたが、CDでの数種ある第9は、もう、それを聴いたら緊張のあまり、なにもすることができない、究極の演奏すぎるところが、ある意味難点で、おいそれと聴くことができません。
 きっと、いまなら、ティーレマンあたりが、そこに重厚などっしり感もまじえて、緊迫のブル9を演奏するのだろうと思います。
ティーレマンというより、スマートなウェルザー・メストみたいな感じ。
若いころの、ちょっと熱いスウィトナーみたいな感じ。
やはり、オーストリアは、イタリアに近い。

この日のゲッツェルさんのブルックナー。

この曲が、最後の作品であることや、未完の、そして彼岸の音楽であること、それらを、まったく意識させることのない、一気通観の、流れのいい演奏でした。
随所に、立ち止まって、ブルックナーの音楽にある、自然の息吹や森のひとこま、鳥のさえずりといったような瞬きは、あんまり感じさせてはくれなかった。
ましてや、オルガン的な重層的な分厚い響きとも遠かった。
 ゲッツェルさんは、流動感と、立ち止まることのない、音楽の勢いを大切にして、オーケストラも聴き手も、引きつけながら、最後の静寂の終結に向かって一気に突き進んでいった感じ。
 時計を見たら、ほぼ60分。
もっと短く実感した。

そこここに、キズはありました。
でも、そんなの全然関係ない。

オーケストラをよく響かせ、鳴りもよく、整然としながら、がんがん煽る。
神奈フィルは、目いっぱい、その指揮に応えて、必死になって演奏してる。
いつもお馴染みのみなさんが、音楽に打ち込み、夢中になって弾いている姿は、それだけでも、自分には感動的でしたが、そこから出てる音楽が、先のとおり、理路整然として、耳に届いてくるところが、ゲッツェル・マジックとも呼ぶべきでしょうか。
2楽章の爆発力と、自在さ、それはもう、この指揮者のもっとも雄弁さが発揮された場面です。

 
 1楽章と3楽章にあるカタストロフ。
その破滅感と、そこからの立ち直りが、この曲の、ある意味かっこいい魅力なのですが、そのあたりの風情は、実は少しあっさり気味。
3楽章では、それを繰り返して、終末観あふれるエンディングを迎えるのですが、そこでも、同じようなイメージ。
ゲッツェルさんが、今後、きっと突き詰めてゆく、これからの世界なのでしょうか。
でも、それは、そうあらなくてはならないという、ブルックナーに込めた自分のイメージに過ぎないのでしょうか。

 
 いろいろ思いつつ、でも、いまここで鳴っているブルックナーの音楽が、響きの豊かな、みなとみらいホールの天井から、まるで教会からのように降り注いでくる思い。
それは、まさにライブではないと、味わえないもの。
それが、美音のブルックナーだったこと。
リズム豊かで、歌にも配慮したゲッツェルさんの指揮だったこと。
そして、なにより、かつての音色に近づいた神奈川フィルの音色だったこと。

それらが、ほんとうに、すばらしくて、このコンビを讃えて、思いきり手が痛くなるほどに、拍手をいたしました。

11月には、ブラームスとコルンゴルトで、また帰ってきてくれるゲッツェルさん。
トルコ、日本、北欧、ウィーン、ドイツを股にかけて活躍中。
彼が、これからどうなって行くか、もちろん、日本では、神奈川フィルオンリーで、絶対注目の指揮者です!

Umaya1

この日も飲みましたねぇ~

出来立ての横浜地ビールを次から次に、美味しい神奈川産のお料理で。

毎度、お疲れのところ、楽員さんや、楽団の方にもご参加いただき、We Love 神奈川フィルは、また、新しい仲間も増えて、楽しい会合を過ごすことができました。

お隣にも、ほかにも楽団員さんが、偶然、お見えになり、神奈フィル大会になってしまったお店なのでした。

楽しくて、はしゃぎすぎちゃいました、お騒がせしまして、すんません~

Pub

思えば、今回のメインプロは、英雄とブル9。

亡きクラウディオ・アバドの、最後のルツェルンでの二つのコンサートがその2曲。
そして、それを引き下げて、昨年秋に来日予定でした。

そんなことも、心にありながら、聴いたこのシリーズ。

忘れ難い演奏会の数々となりました。

 さらに、次のお店で、軽く一杯やって、終電、湾岸列車に飛び乗りました。

ゲッツェル号は、いまごろ、欧州へ。

また帰ってきてね!

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2014年12月31日 (水)

R・シュトラウス 4つの最後の歌 アバド指揮

 

Tokyo_st_4

東京駅開業100年を記念した丸の内駅舎のライトアップイルミネーション。

100年というと、ちょっと以外な感じです。

何故って、わたしのいま住む千葉市のお隣の駅は、今年120周年でした。
ここは、いまは自衛隊の、かつてのむかしは、陸軍の駐屯地があったからかもしれません。

そして、一番の古参は。
そう、「機笛一声、新橋を~♪」ということで、新橋駅と、そこをつないだ横浜の桜木町なんですね。
142年前です。

Tokyo_st_2

皇居に近いとはいえ、昔は原野だったという丸の内側。

どんどん進化を遂げる東京駅は、人の多く集まる観光スポットにもなりました。

そして、美しい。

Tokyo_st_1

 今年も、最後は、この曲で。

そして、この人との別れが来ようとは思いもしなかった、まさに青天の霹靂の報であった、その死。

最愛の指揮者「クラウディオ・アバド」とのお別れは、ほんとうにつらいものでした。

ニュースを見ても、ネットを見ても、ウソであって欲しいと、そればかり。

 ですから、シュトラウス・イヤーをそっと締めくくるのに、アバドの演奏は欠かせません。

アバドの「4つの最後の歌」の正規録音はひとつだけ。

その他、ルツェルン音楽祭でのライブ映像(NHK放送)と、シカゴでのFMライブ自家製CDRを聴くことできます。

Mattila_abbado

   R・シュトラウス 「4つの最後の歌」

        S:カリタ・マッティラ

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                        (1998.12 @ベルリン)

        S:ルネ・フレミング

    クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                        (2004.8.13@ルツェルン)

        S:マーガレット・プライス

    クラウディオ・アバド指揮  シカゴ交響楽団

                        (1981.10.1@シカゴ)


シカゴ響主席客演時代の若き日のアバド。
ベルリン時代、病に倒れる前の正規録音。
そして、アバドがおおいなる高みに達したルツェルン時代。

3人の歌手たちに、わたくしの好みの評点をつけることは、割と簡単です。
クリアな美声のマッティラが一番好きで、クセの少ない、静かな佇まいのM・プライスも清潔で好き。
フレミングは、うまいっていえば上手いし、シュトラウス向きのゴージャス声ではありますが、わたくしには味わいが濃すぎ。

3人の個性溢れる歌手に、アバドは、いずれも、精緻で透明感あふれるオーケストラの響きでもって応えております。

シカゴのオケとの相性のよさには定評がありましたが、ここに聴く響きは、本拠地オーケストラ・ホールだけあって、一連のマーラーのCDに近い感じがします。
しなやかで強靭な指揮者とオケです。そして、よく歌う。
このコンビ、もっと聴きたかった。

そして、そのあとに聴くとベルリン・フィルは、明るく、輝かしく、そしてヨーロピアンな響き。
各所で活躍する、木管やホルンの鮮やかな美音は、そのままベルリンフィルという希有な集団の音色が集約されているかのよう。
 カラヤンとヤノヴィッツの、ときに人工的な美感を感じさせるシュトラウスも、世紀末的な美しさを誇ったものですが、アバドの指揮するベルリン・フィルは、もっとピュアで、厚みは薄れたものの、音の透明感においてははるかに素晴らしく、歌謡性も高い。

さらに、アバドのもとに集まった名手たちの集団、ルツェルンでは、無垢なまでの音楽表現行為は、楽譜そのもの、シュトラウスが書いた音符そのものたちが、自然に語るに任せたような感じです。
フレミングの濃厚な歌唱とは、どうみても合わないのですが、作為の一切感じさせないオーケストラは、ほんとに素晴らしくて、こちらは映像付きなものですから、アバドを信じて夢中で演奏する奏者たちと、静かなアバドの指揮ぶりに、感動は増すばかりなのです。

 文字通り、シュトラウス最後の完成作品となった「4つの最後の歌」。
もともと、名前を命名したのも、そして曲の配列を考えたのも、シュトラウスではなく、友人で出版会社を営むロートという人物だった。
もう1曲加えて、5曲になるはずのものが、シュトラウスの死によって4曲の歌曲集となりました。
 初演は、シュトラウスの死後1年を経て、フラグスタートとフルトヴェングラーによって行われました。

   1.「春」(ヘッセ)

   2.「9月」(ヘッセ)

   3.「眠りにつくとき」(ヘッセ)

   4.「夕映えに」(アイヒェンドルフ)




 「休息にあこがれる

   そして、おもむろに つかれた目を閉じる」  

                     (9月)


 「はるかな、静かな、平安よ

    かくも深く夕映えのなかに

    私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう

  これがあるいは死なのだろうか」

               (夕映えに)


アバド追悼の、今年の特集でも、ルツェルンの演奏は取り上げ、そして、この詩を載せました。

この曲集のエッセンスのような部分です。

85歳のシュトラウスが、その死を予見しつつ、これらの詩に音楽をつけたわけです。

ですが、シュトラウスは、老いても、その死生観を描いた音楽は、明朗かつ清朗。
甘味さもたたえた、伸びやかな音楽は、死を肯定的に迎え入れんとする気分を感じます。

わたくしの、旅立ちのときも、この曲をアバドの演奏で流して欲しい。

そんな風に思ってる曲が、それこそたくさんあるもんで、三日三晩かかってしまうかもしれません。

 それでは、2014年のブログ記事は、ここまで。

みなさま、お世話になりました。

あと数時間で、また違う挨拶をさせていただきますが、節目とはいえ、日本中がなんか、まとめと総括、そして来る年には云々となっていて、毎年、どうにも、わたくしにはなじめないことにございます。

わたくは、もっと長くクリスマスを祝いたい気分です。
まだ一週間もたってないのに、影もかたちもない、クリスマスなのですから・・・・

ではでは。

Uchibori

皇居へ向かう、外堀。

休日で、ビルの明かりも少なめです。

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2014年12月10日 (水)

R・シュトラウス ニ重小協奏曲 プレヴィン指揮

Ebisu_o

まるで、ヨーロッパの王宮かなにかを思わせる雰囲気ざましょう?

恵比寿ガーデンプレイスの奥にあるレストラン。

ジョエル・ロブションにございます。

いくつかのレストランの形態が入ってますが、そのうちガストロノミーは、ミュシュランガイドの三つ星を取っておりますそうな。

まったく無縁の世界ですが、こうして、うっとりさせてくれる写真でも眺めながら、緑茶ハイをすするのもオツなもんです。

ちなみに、カジュアルな方のレストランのメニューはこんな感じ。

Robuchon

モダン・フレンチだそうです。

食べたくもあり、いや、歳取ってくると、和食で、最後はお茶漬けかなにかでさらっとしたいねぇ・・・・

Strauss_previn

 R・シュトラウス  クラリネットとファゴットのためのニ重小協奏曲

     Cl:ペーター・シュミードル Fg:ミヒャエル・ウェルバ

   アンドレ・プレヴィン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                       (1996.11 @ウィーン)


R・シュトラウス(1864~1949)の生誕150年は、思ったほどに盛り上がらずに、静かに終わりそうです。

かといって、演奏されなかった訳じゃなくて、むしろ、コンサートやオペラのプログラムとして、シュトラウスの音楽は、世界的に完全に定着してしまっていて、日常に聴ける作曲家のひとりとなっているわけですね。

オーケストラの技能の向上や、録音技術の目覚ましい進化なども、マーラーなどとともに、人気作曲家へと押し上げる要因のひとつです。

そんなシュトラウスでも、まだオペラはその一部しか親しまれておりませんし、室内作品も、まだまだ素敵な作品がたくさん。
そして、今日は、最晩年のユニークな協奏作品を。

20分程度の、可愛いくもステキな作品で、これは、まさにオペラの世界です。

弦楽とハープは、文字通り伴奏する存在にとどまり、クラリネットとファゴットという、きらびやかさとは無縁の中音の楽器ふたつが、まるで、言葉の多い多弁なシュトラウスのオペラの登場人物のようにして、語りまくり、歌いまくるのです。

3つの楽章を成してはいますが、連続して演奏され、最初の楽章では、クラリネットが主役で、朗々と清々しいソロをたくさん聴かせます。
2楽章は逆に、ファゴットが楚々と緩やかなソロでなごませてくれます。
 そして、3楽章にいたって、ふたつの楽器の明るくも、語り口の滑らかかつ多弁な競演となります♪

1947年、イタリアのルガーノの、スイス・イタリア語放送局からの委嘱を受けて、12月クリスマス明けに完成させました。

 こうした曲は、オーケストラの首席たちをソロにしてこそ、ファミリーな感じで、その妙意が味わえるものです。
そうした意味で、ウィーンフィルであります。
ウィーンの管楽器の、まろやかな丸みを帯びた響きが、シュトラウスの清朗な世界にぴったりときます。
先日、60~70年代のウィーンフィルの木管の代名詞のような存在だった、アルフレート・プリンツ氏が亡くなってしまいましたが、そのあとがシュミードル。
ウェルバのファゴットとともに、代々、永々と続く、ウィーンフィルの伝統をその血脈とともに語り継ぐ名手たちです。
 その伝統も、時代の変遷とともに、楽器の変化も伴いながら変わりゆくのも、それは宿命で致し方がないことですね。
わたくしが名前を思いだせるのも、その音色が脳裏に浮かぶのも、彼らの世代までかもです。

ホルン、オーボエ、そして、このニ重協奏曲を録音しているのは、あとは、ドレスデン。
ベルリンには、この曲がありませんでしたね。

シュトラウス晩年の澄み切った心境を感じさせる桂曲にございます。

Ebisu_r

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2014年11月22日 (土)

東京都交響楽団演奏会 マクリーシュ指揮

Geigeki

東京藝術劇場、ロビーの天井ですよ。

お友達にお声がけいただき、東京都交響楽団の定期演奏会に入ってまいりました。

翌日の、尾高&読響のエルガーは、都合により行けなくなって、がっかりしていたところ、ありがたきことでした。

渋いプログラムでしたが、その豊かなバラエティと、ひとひねりした選定に、とても満足できたコンサートでした。
あらためまして、ありがとうございました。

Tmso_201411

  コープランド    「アパラチアの春」

      
              ~13楽器のためのバレエ(原典版)~

  R・シュトラウス  13管楽器のためのセレナード op7

  メンデルスゾーン 交響曲第5番 「宗教改革」

               (ホグウッド改訂版第2稿)

    ポール・マクリーシュ指揮 東京都交響楽団

       
                     (2014.11.21@東京藝術劇場)


急逝してしまった、クリストファー・ホグウッドに替わって、同じプログラムを引き継いで、日本初来日を果たしのは、同じ英国の古楽系の指揮者、ポール・マクリーシュ。

ホグウッドは、古楽演奏のはしりの頃、その学究と鍵盤も含めた演奏力の高さで、管弦作品を多くとりあげ、革新を築いておりました。

そのふた世代ほど後輩になりますマクリーシュ氏は、すでに定着した古楽演奏のなかでも、声楽を中心とした作品に、あらたな旋風を吹きいれた名手であります。

モンテヴェルディから、ヘンデル、さらに最近は、ベルリオーズやブリテンまでもレパートリーにおさめ、躍進中。
ホグウッドもそうでしたが、最近の古楽系の演奏家たちは、音楽ジャンルの垣根はなく、近現代ものまでも、幅広く演奏するようになりました。

 そんなわけで、ホグウッドが得意にし、またCDにもなっているコープランドは、室内編成のものが原典版で、今回は、大きなホールでの演奏に不安を覚えましたが、都響のトップ奏者たちの精緻なアンサンブルを得て、マクリーシュさんは実に丁寧に、そして透明感豊かな桂演を披露してくれました。

 フルート、クラリネット、ファゴット、ピアノ、第1ヴァイオリン2、第2ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1の13人編成。

いつも聴く、オケの組曲版は、この原典版のだいたい3分の2ぐらいがチョイスされているといいます。
聴きなれない場面も多くありましたが、総じて、コープランドらしい、平明で、優しく、そして懐かしいムードにあふれてまして、オケ版でもそうですが、わたくしは、この曲を聴くと、西部時代のアメリカの光景を思いうかべてしまいます。
 そんな思いを頭に浮かべながら、この演奏を楽しみました。
長い曲(37分)になりましたが、やはりシェーカー教徒たちの聖歌、「シンプルギフト」の登場を心待ちにしてしまう。
そして、それは、とても豊かに演奏され、こちらの気持ちを、大いにほぐれ、心は、曲とともに静かに解放されていくのでした。

 ここで休憩が入り、今度は、管楽アンサンブルでのR・シュトラウス。
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット1、ホルン4。

ホルンを愛したシュトラウスならではの曲でもありますね。
10分ほどの可愛いサイズですが、17歳の若書きにかかわらず、落ち着きと、ほのぼのとした暖かな雰囲気の曲であります。
危なげのない都響のウィンドセクションですな。
合唱の指揮にも長けたマクリーシュさんですから、よくブレンドされた素敵な響きが、この大きなホールを満たしていきます。
清朗かつ清々しい曲に演奏でした。

出を控えた舞台袖から、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が聴こえてきて、思わず笑顔になってしまいました。
お隣と、これは、雰囲気作りねと会話(笑)

そして、「宗教改革」ですよ。
ようやくオーケストラが勢ぞろいで、ティンパニはバロック仕様。
対向配置をとりました。
 そして、目立つのが、トロンボーンとコントラバスの間に陣取った、「セルパン」という楽器。

Serpent

こちらは、都響さんのサイトからお借りしました。
セルパン演奏の第1人者、橋本晋哉さん。
 セルパンは、古楽器のひとつで、グレゴリオ聖歌等、教会での宗教音楽の演奏に、音量補強用に奏されていたといいますが、わたくしは、初めてその存在を知りました。
フランス語で、ヘビっていうらしいですよ~~~(serpent)

メンデルスゾーンは、コラールが高鳴る終楽章に、この楽器を指定して作曲をしておりますが、通常は、チューバだそうな。

こんな、本格的なこだわりに、さらに、メンデルスゾーンが初演前に削除した音符を復元した、ホグウッド校訂版を選択するという珍しさ。

この曲は、どうしても「パルシファル」を思ってしまいます。
「ドレスデン・アーメン」があるから。
その場面が、少なめのヴィブラートで、しなやかに演奏されるのは、とても新鮮な聴きものでした。
マクリーシュ氏は、厳格なピリオド奏法を要求しておらず、響き合う音の競演を自ら楽しむかのような指揮ぶりに思いました。
英国指揮者らしい、中庸さも兼ね備え、スマートかつしなやか。
素敵な2楽章に、ちょっとアンニュイの3楽章もよかったですが、なんといっても、終楽章のコラールには、晴れ渡るような気持ちのいい思いを味わいました。
セルパン氏は、見ていると吹いていますが、全奏のときばかりなので、その存在が音としてははっきり確認できず残念。
 帰宅後、ネットで、橋本さんの解説と音を少し確認できて、なるほどの思い。

見聞を広めることもできた楽しいコンサートでした。

アフターコンサートは、こちらを紹介いただきました。

Opus

「Bar Opus」 音楽好きのマスターが、収集しているレコードをかけてくれます。

選んだのは、サヴァリッシュの「スコッチ」。

こんなレア音源ありまぁす!

もちろん、おつまみも、厳選されたお酒の数々も最高ですよ。

ご案内ありがとうございました。

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2014年10月16日 (木)

R・シュトラウス オペラ お願いランキング

Osanbashi_3

横浜港、大桟橋からのMM21地区の眺め。

先日の県民ホールでの「アラベラ」観劇の帰りです。

お馴染み、みなとみらいホールは、あちらの方向。

さて、久しぶりにランキングやってみよっと。

前から、やろうやろうと思ってた、R・シュトラウスの15のオペラです。

そして、生誕150年の今年もあと、3ヶ月を切ってますから。

Onegai_seito_1

え?

テレビを、しばらく見ないうちに、萌えのお願い戦士たちは、こんなになっちゃった・・・。

なんでも、お願い生徒さんなのだそうな。

工事やっちゃうみたいですよ。

なんかピンとこないけど、まぁいいか。

Rosenkavalier_bernstein

   1.「ばらの騎士」

   2.「影のない女」

   3.「アラベラ」

   4.「カプリッチョ」

   5.「ナクソスのアリアドネ」

   6.「ダフネ」

   7.「ダナエの愛」

   8.「インテルメッツォ」

   9.「エジプトのヘレナ」

  10.「エレクトラ」

  11.「無口な女」

  12.「サロメ」

  13.「平和の日」

  14.「グンドラム」

  15.「火の欠乏」


バーンスタインの「ばらの騎士」のジャケットを飾ったのは、その演奏が1位という訳でもなくて、そのジャケットが大好きだからです。
数々の上演にも接し、それぞれステキなものだったし、映像・音源もたくさん持ってるけど、そのどれもが大好きな、そんな1位に輝く「ばらきし」です。

1~5位までは、比較的、すらすらと思い当たりましたが、あとがいけません。

お馴染み、サロメとエレクトラが、こんな後ろでいいのか、とのこともあります。

でも、あの時期の、当時にしては前衛だっバリバリのシュトラウスより、「ばらきし」以降、古典帰りを見せたシュトラウスの方が大好きです。

ロマンティックな、「影なし」と「アラベラ」が安定の上位は当然ですが、数年前に、二期会の舞台に接し、心から好きになったのが「カプリッチョ」です。
練達のシュトラウスが、クレメンス・クラウスとともに、達成した円熟の境地は、枯淡の域に達しつつも、明朗で、曇りなく、そして希望に満ちてます。

そう、どんなときにも、明朗快々、シュトラウスの音楽の本質は、その澄み切った明るさにあると思うのです。

15作、全部愛おしいのですが、そして、その全部が、ユニークな特徴を合わせ持っているのですが、体系的に見て、分類することも楽しいものです。

数年前に作った、15作の早見表。

Strauss_opera_2

バラエティあふれるその諸作ですが、その多くは、女性=女声を主人公とするもので、彼女たちも、いろんな性格で描かれてます。

これも、以前の記事からの引用ですが、振り返ってみましょう。

恐ろしくおっかない女性・・・・・・サロメ、エレクトラ

優美でかつ大人の訳知りの女性・・・マルシャリン(ばらキシ)、マドレーヌ(カプリッチョ)

強い意志をもったまっすぐ系・・・・アリアドネ、皇后、バラクの妻、ダフネ、ダナエ、アラベラ

ワル・・・・・・・ヘロディアス、クリテムネストラ

カワイイ系・・・・ゾフィー、ズデンカ

ゴージャス美人・・・ヘレナ、アラベラ、ダフネ、ダナエ

小悪魔ちゃん・・・・ツェルビネッタ、フィアカーミリ(アラベラ)

もしかして世の奥さま・・・・アミンタ(無口な女)、クリスティーネ(インテルメッツオ)


 こう見ると、おっかない女性の作品は、後ろの方に、おとなの女性・真っすぐ系が上位にランキングされてますね。
男性としては、至極あたりまえになりましたが、みなさまはどうでしょう?

オペラは、時間もお金もかかります。
今後、残された時間に、どれだけ楽しめるかわかりませんが、シュトラウスのオペラは、常に、近くにあって、聴いて行きたいものだと思ってます。

ちなみに、わたくしにとって大切なオペラ作曲家は、モーツァルト、ワーグナー、シュトラウス、プッチーニ、ヴェルディ、ブリテンの6人。
ここに、コルンゴルトとシュレーカーが加わります。
ベルカント系は苦手なもので、あいすいません。

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2014年10月13日 (月)

R・シュトラウス 「アラベラ」 首都オペラ公演

Kenminn

ふたつの幕間に、白と赤、いただきました。

ことに、白ワインは、この日の出し物、R・ストラウスの甘味な音楽にぴったりのお味でした。
県民ホールにある、フレンチレストラン「英一番館」のラベルが貼ってありましたよ。

横浜を中心に活動する首都オペラの公演、「アラベラ」を観劇してきました。

ピットには、毎年、神奈川フィルが入ります。

Kenminn1

こんな感じ。

舞台には、旅行鞄が並んでまして、ホテル住まいの伯爵一家を表現してます。

生誕150年のR・シュトラウスですが、日本でのオペラ上演は、新国のアリアドネとアラベラ再演、あらかわのアリアドネぐらいしか見当たらず寂しいものでしたが、そんななかで、横浜での「アラベラ」は、画期的な上演でありました。

Arabella

   アラベラ:津山 惠         マンドリーカ:月野 進
   ズデンカ:山口 佳子        マッテオ:内山 省吾
   ヴァルトナー伯爵:佐藤 泰弘  アデライーデ:佐伯 葉子
   エレメール:浅野 和馬       ドミニク:御野  鋼
   ラモラル:宇田川 慎介       フィアカーミッリ:石井 実香
   カルタ占い:前坂 美希       ホテルのボーイ:柳亭 雅幸
   ヴェルコ:北芝  潤          デューラ:北上 龍郎
   ヤンケル:吉田 宣俊

  中橋 健太郎左衛門 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                   首都オペラ合唱団

                演出:佐藤 美晴

                    (2014.10.11@神奈川県民ホール)


舞台観劇は、これで2度目。
映像・音源もそこそこ持ってますが、忘れ得ないのは、テレビで見た、バイエルン国立歌劇場の来日公演。
サヴァリッシュの指揮で、ルチア・ポップとヴァイクルのコンビの舞台は、演奏の素晴らしさとともに、具象的な装置に心理描写も豊かな演出でもって、理想的なイメージで脳裡に残り続けてます。
 具象的なリアル演出も健在ながら、筋の読み替えや、抽象化、人物たちの動きの多弁化など、あらゆるスタイルが混在するオペラ界であります。

そんな中での、日本のオペラ界は、極めて穏健で、どんな方が観ても安心の舞台が約束されております。

今回の「アラベラ」上演も、まさにそう。
もう少し、ひねりが欲しいとも思ったけれど、よけいなことを一切していなかった点と、あとは観劇者の想像力で補えばいいという、シンプルぶりがよかったと思います。

Arabella

  (公演パンフレットより拝借の舞台模型画像)

舞台は、3幕を通じて、上褐の階段が据えられ、1幕では、仕切り壁があって、ホテルの部屋を作りだしていたほかは、このままの簡潔ぶり。
階段には、よく見ると、オーケストラピットに折り返し描かれた、クリムト風の金の模様がアクセントになってます。

あとは、カラフルな照明の効果が印象的で、光りは、ときに青く、赤く、ピンクになったりして、舞台の進行と、人物たちの心情を裏付けております。
 ことに、美しかったのは、2幕のアラベラとマンドリーカの二重唱の場面。
無数の星がまたたくような背景に、シュトラウスの甘く切ない音楽がばっちりとかみ合った美しいシーンでした。

ただ、このオペラを初めて観る方、オペラ自体がもしかしたら初の方には、ちょっと説明不足にすぎる舞台であったかもしれません。
その点では、可も不可もない舞台でもあり、演出でありました。
 加えて、各幕ともに、幕の下ろし方が、音楽の急転直下の洒脱さの素晴らしさに、まったく相容れなくて、もたもたした感じで、後述のオケが、さばさばなものだから、いらいら・もやもや感が残りましたこと、声をあげておきます。

 海外組が主体の新国立劇場にも、オール日本人のダブルキャストの時代もありました。
そして、プロでもアマでも、難しいオペラに果敢にチャレンジすると、同胞として、大いに応援したくなります。
 まして、ドイツ語垂れ流し、言葉の洪水みたいなシュトラウスのオペラとなると、さぞかしたいへんと思います。

ですから、基本、日本人歌手のことは、いつも褒めちゃいます。

そんなひいき目を度外視して、アラベラとズデンカの、津山さんと山口さんは、実に素敵な姉妹となりました。
夢見るお嬢様アラベラを気品よく凛とした明快な歌唱で歌った津山さんは、そのお姿も美しかったです。、
そして、現実的な一方、姉にも、友人で愛する人にも献身的な愛を尽くすズデンカ。
少年であり、妹であり、最後には、ひとりの愛する自立する女性という多面的な役柄です。
山口さんは、ほんとに、可愛く、素直で優しい歌唱でもって、演じ歌いました。
最後のふたり姉妹の許し合いのシーンには、涙が出ましたよ。

若々しい月野さんのマンドリーカは新鮮な発見。
何度も接してる内山さん。そのマッテオも伸びのあるテノールでよかった。
コミカルさも、味わいあった佐藤さんの親父伯爵に、母アデライーデ佐伯さんは、声の艶よく貫録すら漂わせてます。

フィアッカーミリ、3人の伯爵は、ちょっと弱かったけれど、それぞれ熱演でした。

 指揮の中橋さん、初めて聴きました。
そのお名前のインパクトに気おされてしまいますが、地道にオペラを極めてられるお方とのこと。
指揮ぶりを拝見していて、その的確なる指揮ぶりはよくわかりました。
ですが、快速ぎみで、てきぱきと進むばかりで、音楽の情緒や情感が置き去りにされた感が強く、せっかくの神奈川フィルの美音が、さっぱりと活かされていないように感じました。
あまりの職人ぶりが過ぎるとでもいいましょうか・・・。
シュトラウスの音楽は、もっとたっぷりと、なみなみと演奏して欲しいもの。

でも、ピットのなかは、わたくしにはお馴染みの神奈川フィルで、その音色はいつものかなフィルに間違いなく、安心感すら覚えるのでした。
そうした意味では、きらめくシュトラウスサウンドは、神奈川フィルのもので、このオーケストラに助けられたといっても過言じゃありません。

首都オペラさまには、毎度、意欲的な上演をありがとうございます。
来年は、トゥーランドットとのこと。
さらに、きっと神奈川フィル向きの作品であります。
1年先ですが、わたくしもきっと観劇します、神奈川フィル2度目のトゥーランドットです。

最後に、シュトラウスのオペラ好きのみなさま、朗報です。
来年のやはり同じころ、二期会が、「ダナエの愛」を上演いたしますよ!

さらに最後に、マンドリーカには、お水を飲みほしてあと、空のグラスを投げすてて、かち割って欲しかった。
今回は、それらは、エアでしたので・・・・

 過去記事

 「ショルティ&ウィーンフィル」

 「ハイティンク&ロンドンフィル」

 「新国立劇場公演 シルマー指揮」

 「サヴァリッシュ&バイエルン国立歌劇場」

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