カテゴリー「マーラー」の記事

2017年5月 6日 (土)

マーラー 交響曲第9番 サロネン指揮

I

関東に咲く最後の桜、八重桜も、GW前には散り、いまは葉桜となりました。

増上寺のお隣り、芝東照宮の八重桜は、ぽったりとしていて、それはとても見事なものでした。

H

この桜は、色が濃いから、官能的なまでに艶めかしい。

桜漬けにしても風味がよろしく、見栄えもいい。

マーラーの告別3大交響曲のなかで、世紀末を一番感じさせるのが第9。

Mahler_sym9_salonen

  マーラー  交響曲第9番 ニ長調

    エサ・ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団

            (2009.3.22@ロイヤルアルバートホール)


「大地の歌」の終楽章「告別」、Ewig・・・永遠に、と同じ音型で始まる第9交響曲。

告別の情念は、ここでも引き継がれている。

ウィーンと決別し、新大陸に活路を見出しつつ、20歳も下の妻アルマとの隙間風はとどめようもできなかった。

そんな時期の1909年。

死を意識したのは、マーラーは、それこそ若き日々から変わらないこと。

でも、作曲の腕の深まりとともに、死への想いも受容的なものへと変化していったのだろうか。
49歳にして、このような彼岸の域へと達してしまうのは、ある意味不幸なことかも。
時代は違えども、誰しも、自分に置き換えれば、50を前に、「死に絶えるように・・・」なんて、言葉を書いたり、表現として用いたくない。

 マーラーの第9は、バーンスタインのように、没頭的に音楽と同化してしまう演奏や、ジュリーニのように、諦念をにじませたような大河的アプローチ、それから、アバドのように、楽譜をひたすらに信じ、音を突き詰めた演奏、こんな演奏たちを、自分は好んで聴いている。
 でも、このサロネンの演奏は、それらとはちょっと変わっている。

クールだけど、打ち立ての鋼のように、熱い。
そんないつもサロネンの音楽に加えて、どこか冷めたようなところがあって、「マーラーの第9」ということで、ついつい構えて聴いてしまう聴き手に、肩透かしを食らわせるようなところがある。

ニュートラルな英国のオーケストラというところもあるのか、音は透けて見えるくらいに、見通しはよくて、すっきりしてる。
そのスッキリ感を抜けて、音楽が熱いものを語りだすのが、サロ様のよいところなのだが、ちょっと消化不良なところもある。
真ん中のふたつの楽章は、リズム感も抜群の指揮者に導かれて、絶品なのだが、終楽章が、終結部の精妙な美しさを除いて、ちょっと不満かな。
1楽章の後半、もう無調の領域すら間近と感じさせる場面も、これまた素晴らしい。
珍しく、スコアを見ながら聴いたら、指揮者の耳のよさが、抜群にわかるし、普段、聴こえないような音も微妙に聴こえたりして、これまた新鮮な驚きでありました。

ほんとうは、ベルリンフィルの指揮者になって欲しかったサロネン。
作曲家でもあり、指揮者としても、ブーレーズみたいな存在だけど、サロネンのレパートリーは、もっと柔軟で、古典系の音楽もうまい。
マーラーは、ほかの番号も含めて、もっと何度も演奏・録音してほしいものです。
 わたくしと、同い年のサロネン。
マーラーとともに、あとは、「トリスタン」を残してほしい。

告別を、あまり切実に感じさせない、そんなある意味秀逸なサロネンの「マーラーの第9」でした。

G_3

こんなにたっぷりと花をつけていた桜も、いまや、悲しいほどに散ってしまいました。

いまの心境は、終楽章の「死に絶えるように」よりは、第1楽章の、空中にふわりと浮かんで消えてしまうような、そんな音楽が、とても素敵に思えるのでした。

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2017年5月 3日 (水)

マーラー 交響曲「大地の歌」 クーベリック指揮

1

春は盛り、そして、もうすぐに新緑、初夏へ。

4月が過ぎて、出会いと別れの春はひと段落。

でも、ひと月の経過を経て、いろんな引継ぎも経て、いよいよ去る人もいるし、いよいよ、一本立ちをする方も。

この連休は、別れの最終ターニングポイントだ。

この期(ご)に、マーラーの告別三大交響曲を聴いておこう。

作曲順に。

 まずは、「大地の歌」だ。

これらの3つの作品には、死の影が忍び込んでもいるし、リアルに告別=別れの概念も内包されるとともに、去りゆく人(女)への切ない愛情や諦念も、痛切に描かれている。

6つの楽章を、テノールとアルト(メゾ)ないしは、バリトンで歌い継ぐシンフォニックな連作歌曲。
マーラーが紡ぎだした歌の原作が、唐期の李白、銭起、孟浩然、王維らの唐詩を訳したベートゲの「中国の笛」で、それをベースにしている。

唐期(618~907年)は、日本に多くの影響を与えたことは歴史の教科書で学んだ通りだが、その「唐」が、いまの中国であるというのは大間違いで、それもまた、みなさまご存じのとおりかもしれない。
いまで、中国(中国共産党)がいう、中国は、きわめて広義なものでありすぎ、狭義に定義すれば、それこそ、70数年の歴史しかない・・・・

あ、もう、やめときましょ。

 マーラーの当時、中国は清国であったわけだが、ヨーロッパから見たら、同じエキゾシズムの対象として、シナ、そして日本や東南アジアの風物は、きわめて神秘的で、遠くて魅力的な存在であったに違いない。
 そんな遠くにあった東洋を、マーラーは、もしかしたら東洋的な観念として美しく、とらえすぎていたのかもしれない。

ヨーロッパの列強は、当時は、アジア・アフリカ・中近東・中南米を、植民地としてしか見ていなかったゆえに、そこにあった文化には、異次元の発見の喜びを見出していたのだろう。
表層的であるかもしれないが、逆に、ヨーロッパ文化から還元された、それらの異次元文化こそ、われわれアジア人には魅力的に映るのかもしれない。
「大地の歌」に描かれる、まるで絵に描いたような唐式の風物や心象風景のあれこれが。

 第1楽章 「現世の寂寥を詠える酒宴の歌」
 
 第2楽章 「秋の消え逝く者」

 第3楽章 「青春について」

 第4楽章 「美について」

 第5楽章 「春の日を酔いて暮らす」

 第6楽章 「告別」


各章のタイトルをこうして並べて読んでみるだけで、マーラーのその音楽を感じとることができる。

もう十年以上も前、サントリーのCMで、動画要素を加えた唐画にあわせて、「青春について」のテノール歌唱が流れた。
これはとてもよかった。たしか、歌手はアライサで、ジュリーニ盤じゃなかったろうか。
中国式の庭園と東屋、白い陶磁器、池に映る半月の真っ赤な太鼓橋・・・・

こんなビジュアルを、その詩にぴたりと符合したマーラーの音楽で想う。

そして、青春や春を謳歌しつつ、痛切な想いも抱き、酒を浴びて忘却しようとする。

「人生がただ一場の夢ならば 

  努力や苦労は私にとっていかばかりであろうや?

  それゆえ私は酒を飲む 酔いつぶれて飲めなくなるまで

  終日酒に溺れようぞ。」

そんな自己耽溺の日々にも、別れのときがやってきて、凍えるような寒さと、猛烈なる寂寥感につまされるようになる・・・・・

「友、馬より降り立ちて、別れ盃を差し出す。

 友は尋ね聞く・・・『どこへ行くのか』と、そしてまた『何故に行く』と

 友は答えたが、その声愁いにさえぎられ、そしてつつまれし
 
 『君よ、わが友よ、この世の幸せはわたしには与えられなかった

  ひとりいずこに行きしに 

  さまよい入るは山中のみ』・・・

  わたしはさがず やすらぎを、私の孤独な心のため」


こんな切なく悲しい別離。

でも辛い告別のあとには春の僥倖が待っている。。。。

「愛する大地にふたたび春がくれなば、

 いたるところ花は咲き、緑はふたたび栄えるであろう。

 いたるところ永遠に、遠きはてまで輝くであろう、永遠に・・・・・・


  Ewig Ewig・・・・」

彼岸の淵にありながらも、来るべく春・幸せを思う。

音楽は、涙にくれつつも、告別3大交響曲ならではの、透明感と青白い抒情を感じさせ、静かに消えゆくように終わる。

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文字通りの春。

まぶしい。

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  マーラー 交響曲「大地の歌」

       Ms:デイム・ジャネット・ベイカー

       T :ヴァルデマール・クメント

   ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

           (1970.2.27 @ミュンヘン ヘラクレスザール)


DGへの正規全曲録音には含まれなかったクーベリックの「大地の歌」。

このライブ録音が、数年前にバイエルン放送局からの音源として登場したときには驚いたものだ。
先月取り上げた、「パルジファル」や「マイスタージンガー」も同様だったが、バイエルン放送は、ほんとに質の高い、そしてその音源の解放ぶりも、実に良心的。
管内にあるバイロイトの貴重な音源も、まだ数々所蔵しているはずだ。
 そして、ここでの録音のクオリティも実に高く、へたなデジタル録音より、ずっと音楽的で、耳に柔らかく、心地が良い。

その質の高さは、クーベリックとオーケストラにも、歌手たちにもいえていて、わたくしは、ひさしぶりに、何回も何回も聴きつくしてしまった。

テンポといい、強弱のダイナミクスといい、それから、震えるように素敵な旋律たちの歌いまわしといい、そのすべてが最高で、すべてがマーラーの「大地の歌」にぴたりと符合して感じる。

J・ベイカーの奥ゆかしい謡いぶりがまたいい。
琥珀色のメゾ。
ハイティンク盤での歌唱より、こちらのほうが落ち着きがあってよろしい。
 あと、懐かしいクメントのテノール。
カラヤンの第九とベームのマイスタージンガーに加えて、この名テノールの歌声がまたライブラリーに増えた。

「大地の歌」のあとは、9番を印さざるをえなかった純交響曲にて、告別を実感しようではないか。


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2016年7月10日 (日)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 ハーディング&新日フィル

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もう1週間も前ですが、ほんとに久方ぶりのサントリーホール。

夏、カラヤン広場は、ビアガーデン風になってましたよ。

ありがたいことに、いつもお世話になってます音楽仲間の方から、チケットをお譲りいただきました。

演目は、「千人の交響曲」

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  マーラー 交響曲第8番 変ホ長調 「千人の交響曲」

     S:エミリー・マギー、ユリアーネ・バンゼ、市原 愛

     A:加納 悦子、中島 郁子

     T:サイモン・オニール

     Br:ミヒャエル・ナジ   Bs:シェンヤン

  ダニエル・ハーディング指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団
                    栗友会合唱団
                    東京少年少女合唱団
                    合唱指揮:栗山文昭、長谷川久恵

                      (2016.7.4@サントリーホール)


Music Partner of NJPの称号を持つ、ダニエル・ハーディングのポスト最後の演奏会。
本サントリーホールの前に、本拠地トリフォニーで2回の演奏を重ね、練られ、磨き上げられた3度目の終演。
実に素晴らしい演奏でした。

満席のサントリーホールを、揺るがすような大音量ではなく、そして、この曲がおちいりがちな壮大さだけのこけおどし演奏でもなかった。
満場の聴衆の、それこそ、吐く息や、鳴りそうなお腹さえも聴こえてしまいそうで、それを意識して控えたくなるような、そんな絶妙なピアニシモ。
その静寂の美しさと、静寂での歌心。

そう、わたくしは、ハーディングの背中と指揮姿を見ながら、クラウディオ・アバドのことを思っていた。

オルガン一声、第一部は、わたくしは苦手なのですが、そんな気分を察してくれたのか、さっさと音楽は進行し、バンダ吹き荒れるその終結部も、かなりあっさりと早めのテンポで終了した。
まぁ、ひとつには、久しぶりのコンサートでもあり、心がちょっと虚ろだったこともありますが・・・・。

そして、第2部。
緻密かつ憂いに満ちた冒頭部、そして、オケの右側に登場した二人の神父が情熱的に歌う。
ナジの美声、ただでさえ、この歌が大好きなものだから、わたくしの眼は決壊してしまった。第1次決壊である。
次ぐ冥想する教父は美声ではあるものの、声が届きにくい声質だったかも。

しかし、ここから始まる、千人交響曲のオペラ的な展開は、何度聴いても、没頭できるし、ファウストの物語の源流にある女性賛美、女性的なるものへの憧れ、それを音にしたマーラーの凄さに震える。
 マリアを讃えるテノール、オニールが素晴らしかった。
プロムスやバイロイトの放送で、ワーグナー歌手として認識していたオニールだけど、ちょっと荒っぽい印象を持っていたが、ここでは全然違った。
もっとリリカルで、これもまた美しい声だった。
一方でパワフルな声量も。
 

次ぐ第3部の静かなオーケストラの展開。
ここで、決壊第2波。
何度も聴いてきたエミリー・マギーの豊穣なる声にうっとり。

もうひとりのソプラノ、バンセも連日の猛暑からでしょうか、声にやや疲れを感じたけれど、彼女ならではのリリカルで優しい歌声は魅力的。
 涼しげなオーケストラのパレットも常に素晴らしくって、ハーディングはよく歌わせ、そしてよく抑えていた。

2階席左手から歌った市原さんの聖母の歌声に、はや昇天の気分。
そこに追い打ちをかけるように、マリア崇拝のテノール。
このあたりにくると、もう、ワーグナーのオペラのラストシーンのように、ヘルデンテノールが音楽を締めるような感じで、胸が高鳴ってきて、ここで第3次決壊にいたった。

ハープ、チェレスタが天上の趣きを醸し出し、ピッコロが気持ちをいやがうえでも高めるなか、静寂のなか神秘の合唱。
第4次決壊では、思わず、嗚咽しそうになってしまった・・・・。
高まりゆく感動が、自分でも抑えがたく、あらゆる辛いことや、哀しいことも、すべて飲みこんでしまうように思えてきた・・・・・。

感動の大団円。
お約束のフライングブラボー。
ものすごい拍手の嵐。

そんなことは、もうどうでもよかった。
涙にあふれ、わたくしは、しばらく拍手もできなかった。

 いっさいの無常なるものは、ただ影像たるにすぎず。
 かつて及ばざりしところのもの、ここにはすでに遂げられたり。
 永遠に女性的なるもの われらを引きてゆかしむ

                       
こんな美しい千人交響曲を聴かせてくれたハーディング。
もう10年も前だろうか、マーラー・チェンバーと初来日して、モーツァルトの後期交響曲の鬼気迫る演奏で驚かせてくれた。
 今回の節目のコンサート。
彼は、秋に、パリ管でシューマンの「ファウストからの情景」を取り上げる。

大きな拍手の応えて、マイクをとったハーディングは、これまでのこと、そして3.11のマーラーのことなどを語り、最後は、ちょっと許してねと、ポッケからスマホを取り出し、オケや聴衆をバックに自撮り。
 さらに舞台がひけても、鳴りやまない拍手に応えて、シャツ姿で登場して、われわれとの別れを惜しんでました。

こんな素晴らしいコンサート、Sさん、ほんとうにありがとうございました。

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2016年2月 3日 (水)

ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやってくる

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少し前ですが、応募した試写会があたり、少人数の濃密な空間で、この素晴らしい映画を観てまいりました。

そう、われわれ日本人が、もっとも好きなオーケストラのひとつ。
わたくしなどは、昔の名前、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団という名前で、さんざんに親しんできたものですから、RCO、すなわち、ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラと呼ばれるようになった昨今、ちょっと違和感を感じてるんです。

それはともかく、この映画。
2013年、楽団創立125周年のワールドツアーの模様を主軸に展開します。

ネタバレしちゃうとこもありますので、要注意。

このワールドツアーでは、わが日本にも、ヤンソンスとともにやってきて、英雄の生涯や火の鳥、チャイコフスキー5番などのプログラムでした。
 映画では、アルゼンチン(ブエノスアイレス)、南アフリカ(ソウェト)、ロシア(サンクトペテルブルク)の3ヵ国を訪れた様子が、現地の音楽を愛する人々と、コンセルトヘボウの楽員たちのエピソードや、自身の楽器の紹介などを交えながら描かれております。

ブエノスアイレスでは、クラシック好きのタクシーの運転手が、仲間の間では、お高くとまってしまい浮いてしまうので、クラシックのことは絶対に口にしない。
でも、一人、運転しているときは、クラシックを大音量でかけているのさ・・・・。
 夜のブエノスアイレスの様子や、美味しそうな肉(!)を食べながら音楽談義をする楽員なども興味深いものでした。
 チャイ5のリハーサルでは、ヤンソンスの耳の良さとマジックが!

そして、飛んで飛んで、南アフリカ。
街は、その土壌ゆえに赤っぽい。
そしてあふれるエネルギーと強烈なリズム感の持ち主の子供たち。
音楽を心から愛し、将来の目標なども目を輝かせて語る一方、常に犯罪と隣り合わせの危険な街に怯える姿も。。。。
でも、彼ら、彼女ら、ピーターと狼の演奏会には、からだじゅう、目いっぱい、よろこびを爆発させてますよ。
 人種差別と戦いつつ、ヴァイオリンを学んだ老人は、いまは、高名な音楽教師となって、南アフリカの子供たちに楽器を教えてます。
ここでも、子供たちの真摯な眼差しが心に残ります。

Rco_b

最後の地は、ロシア。
悲惨な過去を背負う生き証人のような老人が語ります。
サンクトペテルブルクにマーラーがやってきて、千人の交響曲を指揮したとき、それを祖母が聴いていたと。
その後、父は、スターリンの粛清に会い、さらにナチスが進攻してきたときに、ユダヤ人ゆえに囚われとなり、ポーランドの強制収容所に送られた。
幸いに戦争終結で、命は助かったと。

愛する妻もなくなり、いまでは一人ぼっちと、寂しそうに語るその姿は、今度は、コンセルトヘボウの演奏会場にありました。
演目は、マーラーの「復活」で、映画では、終楽章、静かに「復活せよ・・・」と、感動的に合唱が歌い始めるところから、最後の輝かしいエンディングまで、しっかり観ることができます。
大きな拍手のなか、先の老人の眼から涙が流れます。。。。。

この場面には、ワタクシもうるんでしまったし、近くにいた紳士も泣いてましたな・・・・

オーケストラのことはあまり触れませんでしたが、映画では、大規模な移動の模様と、そのハードさ。
驚きの移動ツールや旅慣れした楽員さんたちの行動などなど、音楽好きなら、目を離すことができない場面がたくさん。
 もちろん演奏風景や、楽器紹介のおもしろさ、ヤンソンスの指揮ぶりなどもたっぷり。

演奏する方々の音楽への想い、そして、それを受けとめる聴き手の音楽への想い。
その愛し方にはまったく違いがなくて、生きる糧でもあり、心の支えでもあるのだな、と痛感した次第です。

都内から順次公開。
春のかけて、全国各地でも上演予定ですよ。

http://rco-movie.com/

最近は映画をたくさん観てます。

「さまよえるシネマ人」化してる。
そっち系のブログでも起こそうかしら。

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2016年1月25日 (月)

マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」 アバド指揮

Azumafuji_1

今年のお正月の吾妻山。

本日、日本列島は寒波が襲来し、雪と低温にみまわれておりますが、お正月はともかく暖かかった。
菜の花もほぼ満開。

そして、1月も残すところ、あと一週間。

碌なことがなく、八方ふさがりに陥って久しいが、ブログも頂戴したコメントも放置プレー状態。
いけないいけないと、一念発起して、曲を聴き、更新することとしました。

 そして、はたと気が付いた。

こともあろうに、アバドの命日を失念してしまうとは・・・・・・・。

ふがいない自分に、情けなくて、心が張り裂けそうだ・・・。

Azumafuji_5

マーラーが聴きたかった。

ひとつには、先だって、ロイヤル・コンセルトヘボウが主役の映画を試写会で観た。

そのことは、次のブログにしたためようと思うが、そこでは、上質のマーラー演奏の模様が映像化されていて、8番の神秘の合唱が、感動的に流れていたのだった。

そして、マーラーの音楽をとことん愛したクラウディオ・アバド。

Abbado_8

  マーラー 交響曲第8番 「千人の交響曲」

   S:チェリル・ステューダー、シルヴィア・マクネアー、アンドレア・ロスト

   A:アンネ・ゾフィー・オッター、ロセマリー・ラング

   T:ペーター・ザイフェルト

   Br:ブリン・ターフェル     Bs:ヤン・ヘンドリク・ロータリング

    クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
                    ベルリン放送合唱団
                    プラハ・フィルハーモニー合唱団
                    テルツ少年合唱団

                       (1994.2 @ベルリン)


シカゴとウィーン、ベルリン、そして、ルツェルンで、3つのマーラー録音を残したアバド。
しかし、8番は、ベルリンでのライブ録音を1種残したのみ。

ルツェルンでのシリーズの大トリに取り上げると予告されながら、結局は演奏されなかった。
それほどに、この大作を取り上げるには、体力と気力、そしてなによりも、オペラも歌える優秀な8人の歌手と、フル編成のオーケストラと大人数の合唱と、それを収納するホールといった具合にクリアすべき難題がたくさんある。

ロンドン響の時代から、シーズンには大きな命題を掲げて、練り上げられた知的なプログラミングを行ったアバド。
1994年のベルリンフィルのプログラムは、「ファウスト」にまつわる曲目が取り上げられました。
シューマンの「ファウストの情景」もここで取り上げられましたし、なんといっても、アバド初の「千人の交響曲」に注目が集まったものです。

95年に発売されたこのCD。
いまでは、わたくしの、アバドのCDのなかでも、宝物のような1枚です。

アバドらしく、明るくしなやかで、そして緻密な響き。
透明感あふれるサウンドは、どんなに音が大音量で重なっても美しく溶け合っていて、ベルリンフィルのスーパーぶりもそれに拍車をかける。
さながらオペラを指揮する時のアバドのように、全体に見通しがすっきりしている。
歌手も、合唱も、きっと歌いやすいのでしょう。
8人のソロの真摯な歌い口もとても素晴らしい。

ルツェルンでも、千人の交響曲をやって欲しかったけれど、数年後には病に冒されてしまうアバドが、ベルリンとウィーンで大活躍していた時期の覇気にあふれるこの名演が残されて、ほんとうに感謝しなくてはなりません。
 病後のアバドは、その音楽に別の魂が宿るようになり、鬼気迫るものがあり、ある種の高みに達したわけで、ベルリンフィルと、そしてその後のルツェルンのメンバーとも、その関係は完全同質化してしまったと思うのですが、その前のベルリン時代のひとつの絶頂期が94年ではなかったかと、これまた思ってます。

曲は、いま、「神秘の合唱」に差し掛かり、ほろほろと落涙。

数日遅れの、アバドの命日に。

Azuma_3

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2015年10月14日 (水)

マーラー 交響曲第7番「夜の歌」 レヴァイン指揮

Hills_1

六本木ヒルズ、バラのモニュメントとともに、下から見あげるの図。

平日にもかかわらず、多くの観光客。

その言葉に耳を傾けてみれば、聴こえてくるのは、かのお隣の巨大な国のことばばかりじゃない。
もちろん英語もあるけど、ロシア語に、東南アジア風の言葉とか、さまざま。

完全な観光ルートなのね。

最近は、どこへいっても、いや、なんでこんなところに、っていうくらいに外国人が見受けられるようになりました。

Mahler_7_levine

   マーラー  交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」

      ジェイムズ・レヴァイン指揮 シカゴ交響楽団

                      (1980.7 @シカゴ)


久しぶりにマーラー聴く。

しかも、7番なんてだいぶ聴いてなかった3年ぶりかしら。

そして、さらに、レヴァインの演奏で聴くのも、ほんと久しぶりで、レコード以来だから、もう30年ぶり!

初めて買った7番のレコードがこれです。

前にも書いたけど、7番のちゃんとした初聴きは、ショルティ&シカゴのレコードが発売されたときのFM放送。
70年代初頭、さっぱりわからなかった。

次が、ギーレンがN響に来演してやったときのFM放送のエアチェック。
ギーレンは、相前後して6番も指揮したから、いま思えばスゴイことだった。
このカセットで、この作品の旋律をいくつか覚えた程度で、やっぱり難解だった。

そして、本格的にマーラー熱に取りつかれだした70年代後半から80年初頭。
これまたFM放送を録音した、ベルティーニとベルリンフィルの演奏。
これが決定的にこの曲に馴染んだきっかけの演奏で、べらぼうにオーケストラは上手いし、当時まだあまり知られていなかったベルティーニという指揮者の素晴らしさを体感したものだった。

次いで、ほどなく入手したレコードがレヴァイン盤。
2枚組の4600円は、貧乏サラリーマンにはキツかったけれど、それこそ、すり減るくらいに聴きまくった。
ここでは、シカゴの名人芸に目をひんむくことになり、レヴァインという指揮者を次々に聴いてゆくきっかけとなったのでした。

わたくしの7番史をさらに続けると、CD社会になって、ついに登場したのが、アバドとこれまたシカゴ響で、ここでも、切れ味の良さと歌心に感服。
ともかく、シカゴだらけの7番。

さらに全部揃えたバーンスタインの旧盤。
それからテンシュテットにインバル、バーンスタインの新盤、ハイティンク盤。
だいたいこのあたりまでで、マーラーの音盤はもうあまり買わなくなってしまい、ちょっと食傷ぎみに。

でも、聴けば聴いたで、マーラーはやはりいいもんだ。

なんでもござれ、自身の感情吐露の世界は、1905年当時のウィーンの爛熟した世紀末藝術と合わせて脳裏に浮かべることで、また新たな気持ちで聴くことができる。
アルマのことや、クリムト、ココシュカなんかも思いながら。

それぞれ脈連なく並ぶ5つの楽章は、真ん中にスケルツォ、それを挟む2つの「夜曲」。
そして最初と最後の両端楽章は、ソナタ形式のめくるめくほどに劇的な第1楽章と、ロンド形式の明るすぎの大団円に向かう終楽章からなっていて、奇妙といえば奇妙な音楽。

いまのわたくしは、ギターやマンドリンも鳴る4楽章の安らかな世界が、もっとも好き。
あと、第1楽章の第2主題もロマンティックで好きだな。

そんな好きな箇所が、このレヴァイン盤はとても、爽やかかつ良演の最大公約数的・優等生的な演奏となっているんです。
全体を見れば、このレヴァインのマーラーは、とても健康的で明朗快活、一点の曇りなし、なのです。
この複雑な作品を、ここまであっけらかんと明快に紐解くようにしてわかりやすく演奏してしまう当時のレヴァインは、アメリカが生んだひとつの才能でした。
ゆえに、オペラでも、この才人は、歌手たちからも愛されるほどにわかりやすく、歌いやすい指揮者として活躍しているし、ヨーロッパでも、バーンスタインとは対局にあるアメリカの存在として受け入れられたのでしょう。

マーラーの毒気みたいなものは、この人のワーグナー演奏と同様に、そげ落ちてしまって聴こえますが、こんなわかりやすく、そして美しいマーラー演奏も、いまでも充分アリだと思います。

そうそう、このレコードジャケットがまた秀逸でした。
この曲のイメージにぴったり。
裏は、いかにも当時のアメリカ人的なレヴァインの若きお姿。

楽しい晩が過ごせました、いい夢みれそう。

過去記事

「アバド&シカゴ交響楽団」

「テンシュテット&ロンドンフィルハーモニー」

「金聖響&神奈川フィルハーモニー 演奏会」

「バルビローリ&ハルレ管」

 

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2015年8月28日 (金)

マーラー 交響曲第4番 アバド指揮

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東日本は、秋が急激にやってきて、連日の曇り空と、しとしと雨。

まだ学生さんたちは、夏休みなのに、なんだか気の毒、としかいいようのないその雰囲気のなさ。

お盆の頃から、季節感はなくなってしまいました。

そのお盆には、いつもの、地元のお山に早朝登って、この時期の季節早どりの、コスモスと相模湾を写真におさめてきましたが、この日も、薄曇りで、しかも、コスモスは二分咲きぐらいで、ちょいと寂しい感じ。

Mahler_abbado

  マーラー  交響曲第4番 ニ長調 

          S:ルネ・フレミング

   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (2005.5 @ベルリン)


やっぱり、マーラーはいいな。

久しぶりに聴くマーラーです。

その作品いかんを問わず、ほんとうに、久方ぶりのマーラーは、ほぼ10ヶ月ぶりくらい。

 初めてマーラーの音楽を、意識して聴いたのは何番で、誰の演奏だったろう・・・。

いまや、正確に覚えておりませんが、もしかしたら、FM放送のレコード音源放送での、バーンスタイン&NYPOの6番だったかもしれません。

または、テレビで観た、バーンスタインのトーク教育番組における、4番だったかもしれません。

70年代初頭の出来事でした。

 しかし、急速に訪れた、わたくしの70年代マーラーブームは、FMエアチェックでは、ドホナーニBPOの1番、アバドVPOの4番、ジュリーニVSOの9番、小澤BPOとフランス管の8番などでした。。。
 ともかく、やたらと未知数のマーラーの音楽は、FMを録音して、聴きまくるしかなかった。

そんななかでの、アバドの4番は、独唱がゼーダーシュトレムのもので、ともかくクールで優しい感じの演奏で、その印象は、いまも変わりません。
 その2年後ぐらいに、DGに録音した同じウィーンフィルとの演奏では、歌手は、もっとコケットリーな、フォン・シュターデとのものでしたね。

以来、正規には、アバドは、合計4つの4番の演奏を残してます。

一番古い、ウィーンフィル&シュターデとの演奏から30年を経て取り上げられた、以降の3つの演奏。

 ①ウィーンフィル      シュターデ  1977
 ②ベルリン・フィル     フレミング  2005
 ③マーラー・ユーゲント  バンゼ    2006
 ④ルツェルン祝祭管    コジェナー   2009


歌手の選択も、面白いです。

③の軽やかな、バンゼを除けば、いずれもメゾないしは、その領域の声域をカヴァーできる声の持ち主ばかり。
FMのゼーダーシュトレムも、メゾ領域まで歌う人だったから、なおさらです。

アバドが抱いた、天国的ばかりでない、この4番という曲の、ゆるやかで優しい、でも、ちょっと人を諭すような感のあるイメージ。
それを醸し出すのが、ふくよかなメゾ音域の歌手に託した4楽章でした。

しかし、今回、恥ずかしながら初開封した②のCD。
7年間も、未開封。
 なぜ、聴いてこなかったというと、ルネ・フレミング様の濃厚なお声が、シュトラウスにはいいけれど、マーラーの、まして、こちらの天国的な曲にはそぐわないのではないかと危惧し、触手が伸びなかったのでありました。

その印象は、やはり的中し、アバドとベルリンフィルの築きあげる、緻密でありながら明るい色調のパレットには、フレミングの濃い色の原色カラーは、正直、幻滅でした。

カップリングのベルクは、その濃厚ボイスが極めて魅力的で、アバドとBPOも、カラフルな色調でもって、素敵な演奏を仕立てあげているように思いました。
ベルクは、それでいいのです。

マーラーの4番は、自分的には、無垢でピュアなイメージを、あくまで求めたいので、アバドとBPOの演奏にもかかわらず、その歌声は、ちょっとやり過ぎ感を感じた次第です。

でも、いいんですよ、素敵ですよ、彼女の歌は・・・・

しかし、アバドとBPOが紡ぎ出す、3楽章の優しく、爽やかな草原の世界。
素晴らしすぎ。

アバドが愛したマーラー。
2番、4番、6番、9番あたりが、きっと一番好きで、晩年になるほどに、9番に傾倒していったのでしょうか。。。。

 アバドとムローヴァの間に育まれた息子、ミーシャ君のジャズ・ベーシストとしての、CDデビューが本日でした。

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ふたりにそっくりの、生真面目な風貌のミーシャ。

期しくも、この日、母・ムローヴァの、プロコフィエフのコンチェルトのCDの発売日と重なりました。

その母も、この符合に、喜びを隠せずに表明してますが、天国のクラウディオも、いつものあの笑顔でもって、最上級の微笑みを浮かべていることでしょう。

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2014年10月 6日 (月)

マーラー 交響曲第8番 現田茂夫指揮 県民ホールリニューアル&開館40周年記念

Mahler8

満員御礼でました。

台風が近づき、あいにくの雨模様でしたが、ホールは、開始前から熱気に包まれ、感動のエンディングでは、ブラボーの嵐!

神奈川県民ホールの耐震補強を中心とする大規模リニューアル工事の完成お披露目と、開館40周年を記念するコンサート。

1975年の開館オープニングコンサートは、たしかFMで放送されたような記憶がありますが、N響で何が演奏されたかは覚えてません。
第9だったかしら?
でも、その年の、BBC交響楽団をブーレーズが指揮したものは覚えております。
それと、同じ年のムラヴィンスキーとレニングラードフィル。
飛行機嫌いのムラヴィンスキーは、船でやってくるので、横浜は真っ先に演奏会場に選ばれました。

船といえば、外来オペラも大掛かりな装置を伴うものは、横浜から入りました。
ワーグナーの「リング」日本初演の地も、横浜のこのホール。
さらに、オープン年の目玉は、マリア・カラスが舞台に復活、という世界的な話題をさらった「トスカ」上演。
でも、カラスは降りてしまい、カバリエが代役をつとめたことも鮮烈な思い出です。

数々の歴史を刻む県民ホールの新たな出発に、マーラーの8番が選ばれるのも、時代の流れ、かつては考えられないことで、しかも、地元神奈川フィルですから、これも開館時には思いもしなかったことです。

Mahler_sym8_kenmin

  マーラー 交響曲第8番 「千人の交響曲」

    S:罪深き女:横山 恵子       S:贖罪の女:並河 寿美
    S:栄光の聖母:管 英三子    A:サマリアの女:竹本 節子
    A:エジプトのマリア:小野 和歌子   T: マリア崇拝の博士:水口 聡
    Br:法悦の神父:宮本 益光     B:瞑想の神父:ジョン・ハオ

   現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

              県民ホール特別合唱団
              湘南市民コール
              洋光台男性合唱団
              神奈川県立湘南高等学校合唱部
              神奈川県立大和西高等学校合唱部
              神奈川県立蛯名高等学校合唱部
              小田原少年少女合唱隊

         合唱指導:岩本 達明、松平 敬
         言語指導:三ヶ尻 正
         児童合唱指導:桑原 妙子


                     (2014.10.5 @神奈川県民ホール)

演奏中、グロスで区切って、おおざっぱに数えました。
オーケストラは、108。
合唱は、700を切る。
都合、約800人とみた演奏者が、せり出した舞台に、たっぷり、ところ狭しと並ぶ光景は、壮観と呼ぶに相応しい光景でした。

3度目の実演の千人。
これまでは、文化会館と藤沢市民会館(現田さん指揮)でしたから、破格に大きいホールでの千人は、これが初のギッシリぶり。

そして、今回の席は、3階席にしてみました。
このホールの1階、2階は、上階のかぶりが大きいのと、デットさが際立つように、いつも感じていましたから。
最上階は、意外と、音がすべて届いて、バランスもよくて、残響も適度にやってくるから。
昨年の「ワルキューレ」で痛感しました。

 指揮棒を持たない現田さん。
いつものように若々しい登場で、さっと降り上げて、オルガンの第一声を伴って、「Veni , creator spiritus!」と歓喜を伴う爆発的な開始。
いきなり、ガツンときました。

さて、ここで、今回は、ふたつの面から、この夜の「千人交響曲」について書いてみたいと思います。

 まず、ちょっと辛口的観点から。

メモリアル的・祝祭的な意味合いの強いこの手の演奏会は、企画の段階から、壮大な構想、今回でいえば、合唱団を公募し、さらに県内のアマチュアを交えた600~700人の大合唱団を仕立て上げるという快挙も伴いました。
 それに伴うリスクは、精度の低下と、巨大な音の塊の咆哮になりかねないということ。
オーケストラは、拮抗できるけれど、独唱者はオケと合唱に挟まれて埋没してしまった。

マーラーの8番は、巨大な作品だけれども、その本質は、緻密で繊細な、愛がもたらす救済のドラマです。
第1部は、ガンガン行けばいいけれど、第2部は、細部に渡るまでよく聴こえなくてはいけない細やかな音楽です。
もう少し合唱団の数は、刈り込んで、明瞭な響きを築いて欲しかった。


あと、声の問題は微妙で、席によって届いた歌手と、そうでない歌手がいると思います。
横山さん、並河さんは、どんなときにもビンビンにきました。
でも、宮本さんと、ハオさんは、オケに埋没。
水口さんも、スタミナ配分、きっとたいへんだったでしょうが、厳しかった。
前に聴いた、「グレの歌」でもそうでした。
でも、この同じホールで聴いた「トゥーランドット」は完璧だった。
難しいものです。

それと、第1部と第2部との間の休憩20分。

当初は、通し演奏と告知されていながらの休憩。
事情は、推察するしかありませんが、仮にも交響曲と銘打つ作品で、4つの楽章の区分けもできる音楽です。
1楽章が終わって休憩はいけませんよ。
もしかしたら、多くの聴衆が初めて聴くかもしれないマーラーのこの曲。
連続して演奏した方が、ホール内の集中力も、音楽の流れも持続したはず。
メモリアルのコンサートだから、きっとそうだし、わたくしの周りにも、そんな感じの方々がちらほら。
なんたって、さんざん館内放送で禁止してるのに、写真撮りまくりの、しかもスマホですから、その電源はどうしたんだって話でしょ。
まったく制止しなかった、ホールの関係者もおかしい。
2階で響いた別働隊バンダと、栄光の聖母の声に、ほぼ立ち上がりかけてきょろきょろする方も・・・。
 少しはお勉強してからのぞんで欲しい、そんなめったにやらない大曲なんですよ!

すいません、文句を先に書きました。

続いて、激賛コーナーupnotenote  

多くの合唱団のみなさま、きっと、生涯忘れえぬ思いでと経験をされたと思います。
客席から観て、聴いていて、ともかく、うらやましくて、眩しかった。
渾身の「Veni・・・」と、「Komm」そして、「神秘の合唱」いただきました。
 独語指導の三ヶ尻さんの、賜物もあって、子音もクッキリ。
ウムラウトを身に付けたカーテンコールの三ヶ尻さんの思いが、しっかり成果に出ていたと思います。
(問題は、数とホールのキャパなんです)

そして、なんたって、現田&神奈川フィルの紡ぎ出す、音色は、なんでこんなにブリリアントで、美しいの?
なんの小細工も施さない現田さんの指揮は、天然・自然のままに感じられます。
だけど、ほかのオーケストラでもそうですが、出てくる音色が、華美とはいわないまでも、楽しい美しさを持ってるんですよ。
生き生きとした音とリズム、思いきりの歌は、それぞれ、こちら側聴き手の心をくすぐります。
アマオケを振っても、そんな音が出てくるんだから、お互い知りつくした神奈川フィルとの間では、お互いがどう思おうと、自然に、美音が満載の垂れ流しとなってしまう。
 その音の瞬きに、いつしか身も心も任せきってしまう自分を、現田さんの演奏に、いつも見つけるのです。
ラフマニノフの2番、ワーグナーのリングに、チャイ5に・・・・・・
 きっとオケも歌手も、合唱も、知らない間に乗せられちゃってるんだと思います。
オペラ指揮者の本領を見る思いです。
とりわけ、第2部の第3部。
第1ヴァイオリンが、えもいわれぬ美しい旋律を静かに奏で始める時、現田さんは、第1ヴァイオリンの方へと完全に体を向けて、ここぞとばかりに、歌うこと要求。
そして、それに応えた神奈フィル・ヴァイオリン群の美しさといったらない。
ここで、ワタクシは涙腺決壊。
 続く、独唱女声ソロたちの贖罪合戦でも、天上の響きとも言える涼やかな音色に、わが耳もとろけてしまいそう。

で、その神奈川フィルは、今宵も完璧。
とりわけソロの多かった、石田コンマスは、初外しを聴いたものの、そんなの関係ない。
石田サマ以外のなにものでもない音色は、つねに、神奈フィルのサウンドを先頭きって牽引してました。
 麗しの木管、ことに大見さんのピッコロは最高!
明るいサウンドの金管、神戸さんがいないのは寂しかったですが、平尾さんの多彩な演奏ぶりが楽しめた、いぇーーい。

神奈フィルファンとして、どうしてもオケばかりに目がいってしまいます。

でも、大掛かりな合唱の、マスとしての威力は、ことに第1楽章では炸裂してました。
耳を圧するという言葉が相応しく、逆にまた、そこにこそ、この曲の実演での演奏の難しさがあるといえるのでしょうね。

いつかまた、川瀬さんが、もっと年を成して、みなとみらいホールで、きりっと、小股の切れあがるような千人を聴かせてくれること、夢見ておきましょう。

甘辛交えた、今回の感想。

最後は、県民ホールのお祝いプラス、神奈川フィルのマーラー交響曲完全演奏記念の祝宴です。
聖響さんの金字塔、残した8番を現田さんが完璧に指揮。
神奈川フィルに、マーラー演奏の足跡と自信をしっかり根付かせた聖響さんに感謝し、オペラの大家、現田さんが補完したマーラー・チクルスは、日本のオーケストラ界でも誇っていい実績です。
全部はやっても、10番全曲版をやってないオーケストラがありますからね。

Chukagai2

強い雨もものともせず、興奮に火照った頬を雨に濡らしつつ、中華街へGo!

Dsc07824

小澤征爾さんが、ウィーン時代、帰国すると必ず寄った店「福楼」さんへ。

有名人も多数の、台湾料理系です。

Ebichiri

ともかく、うまい。メンバー全員、言葉もなかった絶品海老マヨ。

Kuushinsai Mabo

空芯菜に、マーボー。

ともかくうまい。

Letasu

そして、自分的に、これも最高にうまかった、中華レタス巻き。

彩りも鮮やか。

あとまだまだ天心もふくめて、たくさんいただきました。

神奈川フィルを応援する醍醐味は、こんな風にたくさんありまぁす。

次の終末は、「アラベラ」だよnote

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2014年9月 1日 (月)

マーラー 交響曲第3番 アバド指揮

Azumayama_201408_a

8月も終わってしまいました。

本来なら、朝晩に秋の気配を感じつつも、まだまだ夏の日差しを受けて、眩しく、暑い日が続くはず。
今日も、ここ首都圏は、暑い雲に覆われて、雨がしっかり降って、肌寒さすら感じる陽気です。

夏の終わりは、寂しいもの。

夏よ行かないで、まだまだ聴き足りない夏の音楽。

しばらく夏の音楽、いきますよ。

バイロイトやPromsのレビューもしてないし。

Mahler3_abbado

   マーラー 交響曲第3番 二短調 

       Ms:アンナ・ラーション

    クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団
                    アルノルト・シェーンベルク合唱団
                    テルツ少年合唱団

                       (2007.9.19 @ルツェルン)


やばい、泣きまくり。

3番は、最後に向かうほど、うるうるしてきて、最終楽章では、涙腺ほぼ決壊。

なんたって、「愛が私に語るもの」なんだもの・・・・・。

そして、全体を覆う夏の躍動するムードから、かつては「夏の交響曲」とも呼ばれていた3番です。

 この曲を初めて聴いたのは、たぶん、ホーレンシュタインのレコードのFM放送だったかと記憶します。

交響曲なのに、6つもの楽章があるし、1時間40分だなんて、へんてこだ、そんな思いでした。

中学生だった自分。
その後に、メータのレコードの、これまたさわりをFMで。
なんか、かっこいい、そんな思いが出てまいりました。
全貌を知るのは、ベルティーニとウィーン響のFMライブをエアチェックしてから。
滔々と流れる雄大かつ、壮麗なる美の世界にうちのめされました。
ほぼ同じころに、ノイマンの演奏もやはりFM録音しましたが、こちらは快速で、1時間30分。
終楽章が早すぎて、泣かせてくれなかった。

Abbado_mahler_3_d

そして出たのが、アバド&ウィーンフィルの名盤。
すぐさま飛び付き、飽くことなくレコード4面を何度も聴きました。

テンポ感が実にほどよく、全編に流れるウィーン情緒と、オーケストラのマイルドなまろやかさ。そして、アバドならではの鋭い切り口に、敏感なリズム感。
 いまもって、3番の理想の演奏のひとつであります。
前にも書きましたが、自分の結婚式で、最後に会場の下手で、両家が挨拶をする場面で、この曲の終楽章を静かに流しました。
亡き父が、訥々と感謝の言葉述べるなか、流れた「愛が私に語るもの」。
わたくしは、感極まって、思わず、はらはらと涙を流してしまいました・・・・・

いまとなっては、若気の至り、そんなこともあったな的な物語ですが、父の声と、このマーラーの音楽だけは忘れえることない思い出です。

 さて、その後、99年にベルリンと、そして、2007年にルツェルンで、それぞれライブ演奏を残したアバド。
それぞれがまったく素晴らしいのは言うまでもありません。

しかし、すべての点で、申し分なく完璧なのは、ルツェルン盤で、これはもう人知を超えた、超無垢な人間が成し得る蒸留水のような澄み切った演奏なのです。
ウィーン盤は、わたくし自身の若い日々の思いでもたくさん詰まっていて、別格なのですが、このルツェルン盤は、また違う次元で、わたくしの最良の3番となっております。

Abbado_mahler_3_c

この演奏の前年に、日本を訪れて6番の超越的な名演をやってのけたアバドですが、そのときの面持ちそのままに、気力と活力にあふれた指揮ぶりを、こうして最高の画質で味わえる喜びは、なにものにも替えられません。
 豪華なオーケストラのメンバーたちが、喜々として見つめ、尊敬の念でもって、指揮者を見あげつつ夢中になって演奏する姿も、10年に及んだアバド&ルツェルンのコンビの毎度の様子で、それこうして何度も味わえるのも、さらに喜びです。

ときに笑顔を浮かべつつも、異常なまでの集中力と緊張感が全編にわたって満ちあふれている。
アバドのすごさです。

Abbado_mahler_3_a

この曲の独唱のスペシャリスト、ラーションのクリアでありながら、深々とした歌唱は、オーケストラメンバーと同じく、アバドの指揮のもとに、一体化しております。
彼女は、舞台袖や奥でなく、指揮者の前で歌います。
しかも、1楽章からずっと、そこにあって、マーラーの3番に耳を傾け、演奏に参加しております。
ラーションは、最後の楽章も、ずっと聴いていて、演奏終了後、感極まって涙ぐんでます。

長い静寂ののちに、ブラボーは静かなうねりのように広がり、会場は大きな拍手へと飲まれてまいります。

 そして、この演奏を視聴していた自分も、泣いておりました。

今年、アバドとの別れが突然にやってきました。

この3番も、自分として追悼の念をもって何度か聴きましたが、ウィーン盤のみ。

いま、こうして、ルツェルンのライブ演奏を死後初めて聴き直しました。

しかも、季節は夏から秋へと向かうさなかに。

この映像を見て、同じアングルで、涙にくれた演奏を思いだしました。

4月に、同じ会場で行われた、「アバドを讃えて」という追悼演奏会。

この終楽章が演奏され、オーケストラのメンバーは、涙にくれ、会場の聴衆も、泣き、そして祈るような面持ちとなりました。

Abbado_mahler_3_e


愛する人を思い、そして愛情とともに、思い起こすことのできる、そんな音楽が、この交響曲の終楽章です。

わたくしが逝ったあとに、「愛が私に語るもの」を流してもらいたい。

 過去記事

「アバド&ウィーンフィル」

「アバド追悼演奏会~アバドを讃えて」

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2014年8月 5日 (火)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 ドゥダメル指揮

Tokyotower20140805

真夏の夜の東京タワー。

何度もいいますが、墨田のスカイツリーより、こっちの方が、何十倍も好きだし、美しい。

撮影スポットもだいぶ極めてきました。

ここは、電線がキモですが、春には桜と一緒に撮れる場所なんです。

そして、ここには、オープンスペースのバーが出来てました。

ほぼ、この景色を見ながらお酒が飲めちゃうみたい。

閉店準備中だったので、入れなかったけど。

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   マーラー 交響曲第1番「巨人」

 グスターボ・ドゥダメル指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団

               (2009.10.8@ウォルト・ディズニー・ホール、LA)


若いから、なんでもOK,ごんごん、行きなされ。

そんなイキのいいマーラーです。

何度も聴くと、鼻についてくるけれど、ライブだったら、初聴き音源だったら、きっとそう思って、聴き古したこの曲に、夢中になってしまう、そんな演奏。

1981年生まれ、33歳のベネズエラ生まれの指揮者、ドゥダメル。

ご存知のとおり、音楽新興国、中南米ベネズエラの音楽メソッドが生み出した希望の星。
その彼が、いまや若くして、クラシック音楽界、世界の希望の星へと短期間に昇りつめました。

その彼が持つポストは、母国のシモン・ボリバル・ユース・オケ、エーテボリ響にロスフィルです。
中南米に、北欧に、米西海岸ですよ。
ひっぱりだこのドゥダメル君、ロンドン、ミラノ、ウィーンフィル、ベルリンフィル・・・、もう世界制覇しちゃった感が強いです。
日本でも、すっかり認知され、手兵との熱狂的な来日のほか、スカラ座とも昨年。
ことしは、ウィーンフィルとともにやってくる。

若き日々の苦労生活が嘘のような、こんな順風満帆の音楽人生。

まさに、シンデレラストーリーですよ。

アバド、ラトル、バレンボイム、サロネンら、錚々たる先輩指揮者たちからも熱烈バックアップを受けてのことも、大いにプラスです。

思えば、われらが小澤さんも、西洋音楽の世界に切り込んだ、非欧米人としてのパイオニアでありました。
欧米中心の音楽界に切り込んだ小澤さんこそ、ドゥダメル君の大先輩でありましょう。

大巨匠がほぼ絶滅しつつあり、オーケストラ運営も厳しさが漂う。
一方で、世界的にみて、新興勢力のオーケストラが、その魅力と実力を開花させている。閉塞感漂う、従来の音楽界には、どうしてもスターが必要だし、ストーリーも必要。

Lapo2

ドゥダメル君に続いて、きっと、ほかの国々、ことに、隣国の大国からも、国の威信を背負った指揮者やオケが生まれてくるものと思われます。
 そして、それにしてもどうだろう。
そうした演奏家やオケは、みんなそろって情熱的で爆発系。
中身は、あと付けか・・・・
かつて、日本の誇るN響が、海外に出ていったころ、精密な腕時計のような演奏ぶりと評価された。
 そういうことなのだろう。
小澤さんや、若杉さんは、知的なバトンテクニックに裏づけられた説得力を持っていたのだから。
日本は先んじたけれど、ちょっと独特な地位を先に勝ち得た感じ。

 ドゥダメル君は、爆演男子とずっと思っていて、正直、引きぎみだった。
 でも、よくよく彼の指揮を、観て、聴いてみれば、至極まっとうで、どこにも機をてらったり、あざとい演出を施したりというところがなくて、本格派なのですね。

ビジュアルでいけば、イケイケ系のお姿なんだけど、その指揮ぶりは、師である、アバドやラトルのように、楽員を引きつける生真面目な表情と、的確なる拍子の取り方がまずは目につきます。
大ぶりは、その年ごろを考えたらしてません。
注目は、指揮台に生えたかのような両足が、微動だにしないこと。
地に足がついてます。
それでいて、左右、オケの全体を見渡す目力の強力さ。

確かに、指揮者であることのすべてを、持ってる、そんなドゥダメル君なんです。

昨年のスカラ座とのNHKの放送では、まったく慎重すぎて、面白みを感じなかったのですが、遡って、ロスフィル指揮者就任コンサートの4年前のマーラーでは、生き生きと鮮やかなドゥダメル君の姿がここにありました。

ロスフィルという軽やかかつ、明るく明晰なサウンドを持つオケは、ドゥダメルにはぴったりだと思います。
ここ1~2年で、世界のトップオケやオペラハウスに登場するようになったのですが、ここは、じっくり、ロスフィルとエーテボリで持って、英気を養って欲しいのです。
 DGはなんで、ベルリンフィルとツァラトストラを録音させたり、ウィーンフィルとのライブも進めたりするんでしょう。
 ロスフィルがあるじゃありませんか。

聴き手は、ロスフィルとのツァラを聴きたいんですよ。

メータとの比較をしたいんですよ。

音楽業界は、急かないで、このドゥダメル&ロスフィルの成長を見守り、記録していただきたい。
かつてのメータがそうであったように、ロスからステップアップして、ニューヨークかシカゴへ飛んで、そこから、ミラノやベルリンでいいじゃないか。
 それだけ、人材不足なのかしらね。

Lapo1

ロスフィル音楽監督就任コンサートのライブのこちらは、緩急が鮮やかで、音は艶やか。
そして、ドラマテックな盛り上げは、ハンパなくすごい。
聴衆の熱狂ぶりも激しい。
でもさ、語りすぎの音楽も疲れるわ。
面白さ優先に、期せずしてなってるし・・・・。
 

それからすると、最近のドゥダメル君は、おとなしくなっちゃったかな??

アバドの後継者と思ってるから、じっくりと成長して欲しいな、ドゥダメル君よ。

ロスフィルの指揮者の選択は、ほんと、いいね。
2009年以降のドゥダメルは、非欧米のメータ時代の黄金時代を築いて欲しい。
そして、いまのアメリカのオケすべてにいえることは、日本人もいるけど、楽員の多くがアジア系なこと。
いずれも、ジュリアード系の腕っこきばかり。

こんなとこにも、クラシック音楽業界のいまの縮図を見る想い。

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