カテゴリー「マーラー」の記事

2019年12月 8日 (日)

ヤンソンスを偲んで ②オスロ

Oslo

ヤンソンスを偲ぶシリーズ②

レニングラードを拠点としつつ、1979年にノルウェーのオスロ・フィルの音楽監督に就任。
メジャーでない、ある意味ではローカルなオーケストラの指揮者になって、やりたいことをやる、そしてオケとともに育っていく。

自国や北欧系の指揮者が歴代指揮者で、調べたらブロムシュテットやカムのそのなかにあった。
そんななかでのバルト国系からのヤンソンス。

客演して、すぐさまに人気を博し、マーラーやチャイコフスキーなどに挑戦し、オーケストラとの絆を急速に深めていったようです。

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シャンドスレーベルにオーケストラとともに売り込みをかけ、それが、シャンドスでのチャイコフスー全集につながりました。
個別に全曲をそろえましたが、後期のものより、前半の3つのほうがいい。
なかでも、1番は、さわやかかつ、瑞々しい歌心と、ほどよい爆発力もあって、若さあふれる爽快な快演です。
ティルソン・トーマスと並んで、大好きな「冬の日の幻想」です。

  チャイコフスキー 交響曲第6番 「悲愴」

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

           (1984.1.26,27 オスロ)

でも、今回は、追悼の意味合いで「悲愴」を聴きました。
「悲愴」は、後年もずっと指揮をし続けた得意の曲目で、わたくしも、コンセルトヘボウとの来日で2004年に聴いておりますし、バイエルンとの再録音もCDで聞いてます。
40歳のオスロのヤンソンスと、60歳を過ぎたコンセルトヘボウやバイエルンでのヤンソンスの「悲愴」。
後者はずっと彫りが深くなり、痛切さも増した、スタンダードともなりうる「悲愴」ですが、オスロ盤はもっとさらりとした印象で、「悲愴」というタイトルを意識させることのないシンフォニックなスマートな演奏に思います。
43分の快速でもあり、入念に演奏されると辟易してしまう「悲愴」のような名曲のなかでは、私には、少しばかり青臭さの残った「哀しみ」の表出が妙に好ましく感じる好演です。
オケにも北欧オケならではの、澄んだ響きと、少々の野暮ったさがまだあるのもいい感じです。

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   レスピーギ  ローマ三部作

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

          (1989,1 1995,1 @オスロ)

ヤンソンス&オスロフィルの新たなコンビは、次はEMIというメジャーレーベルとの専属契約にも成功し、次々と新録音を繰り出すようになりました。
ヤンソンスにとっても、オスロフィルのポストは、コンサート指揮者としてレパートリーの拡充に大いに役立つものだったし、メジャーオケでは挑戦できないこともできたわけですが、そこにレコーディングで世界に発信できるステージをえたことは、ほんとうに大きいことだったと思う。

録音映えするオーケストラ作品の数々を次々に残したこのコンビのCDのなかで、一番好きな1枚が、ローマ三部作です。
オスロフィルが一流オケにも引けをとらない名技性を発揮し、レスピーギの音楽の面白さを素直に引き出したヤンソンスのストレートな指揮も的確であります。
 このコンビのEMI録音、結構そろえて聴きました。
ハルサイ、ドヴォルザーク、シベリウス、展覧会、サン・サーンス、オネゲル、ワーグナーなど、たくさん。
なかでは、ヤンソンスの得意技ともいえるアンコール・ピース集は、ノリノリのこのコンビを象徴する1枚かもです。

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  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

         (2000.12.13 @オスロ)

レニングラードではやれなかったこと、マーラーをヤンソンスはオスロでは存分に指揮することができた。
全作のサイクル演奏をしたし、録音もいくつか残しました。
シャンドスに2番、シマックスに1、7、9番、そして3番も登場するようです。
何故、EMIがこのコンビのマーラーを録音しなかったのか。
晩年のテンシュテットと被ったのも、その要因のひとつかもしれませんし、いまほどの多用化したマーラー演奏の需要にマーケティングが追い付かなかったのかもしれません。

それほどに思うほど、ヤンソンス&オスロのマーラーは、のちのコンセルトヘボウやバイエルンとのマーラーと違う、直球の勝負ぶりがあって面白いのです。
指揮者とオペラ歌手の2世として生まれたマリス・ヤンソンス。
非ロシアでありながら、ガチガチの共産体制のなかで育まれた少年期の音楽体験。
でも、モスクワからは遠いレニングラードは、西側の風も吹きやすく、いろんな風も受けたであろうし、父の指揮者としての姿も、そして引き上げてくれたムラヴィンスキーの指揮も成長とともに、多面的に見ていたことでしょう。

そんな恵まれた環境と裏腹の多面的な環境が、マリスのマーラーへの想いを育んでいったものと思います。

歴代指揮者陣を見るに、そんなにマーラーをやってなかったと想像しますが、もしかしたらマーラーに慣れていなかったオスロフィルは、自分のマーラー像を新鮮に反映させるオーケストラとして最良の存在だったかもしれません。
 こうして出来上がった「9番」は、彼岸の第9ではなく、9番目のマーラーの作品として聴いてみて受け止められます。
オケの精度にはまったく問題なし。
シャンドスのいい意味のひなびたチャイコフスキーの頃とは大違いに、主体性をもってヤンソンスの指揮に応える力強さと強靭なアンサンブルがあります。
2楽章と3楽章が、ヤンソンスがテンポを揺らしながら、効果的な雰囲気をだしつつ、いままで聴いたことないような場面も聴こえて面白いです。
この作品の神髄たる両端楽章の緻密さや深みは、後年のものにはかないません。
でも、ヤンソンスとオスロの共同関係が感じたままのマーラーの第9は、とても新鮮で、淡々と切り込む音楽への埋没ぶりがとても気持ちがよくって、こんなマーラーの第9も日常に聴けるリファレンスとして大いに賛同できるものでした。

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オスロフィルでは、ファンの声を募集中です。

ヤンソンスの思い出が書き込めるそうです。

そう、ヤンソンスとともにあった自負では、オスロは負けてはいません。

マーラーの音源の続々の復刻を望みます。

オスロフィルは、ヤンソンスのあと、プレヴィン、サラステときて、いまはヴァシリー・ペトレンコ。
好調ペトレンコのあとは、フィンランド系のクラウス・マケラで、彼は来春4月に都響客演予定で、シベリスとショスタコーヴィチ。
パヌラ門下の、逸材で23歳。
勢いの増す、指揮者の世代交代のなかにあっても、もっとも若い部類を指名したオスロフィル。
ヤンソンスとのコンビのような、麗しい関係を長く築けることを祈ります。

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2019年11月19日 (火)

東京交響楽団定期演奏会 ノット指揮

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東京交響楽団の定期演奏会を、本拠地のミューザ川崎で聴く。

ベルクとマーラー、わたしにとっても、指揮者ジョナサン・ノットにとっても欠かすことのできないレパートリー。

聴くという受容側の自分が、レパートリーなどと、偉そうなことを言いますが、ずっとその界隈の音楽を聴き続けてきた。
いまや、それらが世界の音楽シーンで受け入れられ、人気の音楽たちとなった。

9月頃から、このブログも、最近では珍しいコンサート通いも含めて、つとめて意識して、この分野・この時代の音楽を取り上げてきたことにお気づきでしょうか・・・・

R・シュトラウス、コルンゴルト、シェーンベルク、ツェムリンスキー、ウェーベルン、ベルク、マーラー、クリムト(シューベルト)、これらが、自分のブログによく並んだものだと、われながら思います。
こうした曲目を演奏会でも選択できる東京という音楽都市もすごいものだと思います。

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  ベルク   管弦楽のための3つの小品

  マーラー  交響曲第7番 ホ短調

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

       (2019.11.17 @ミューザ川崎シンフォニーホール)

①ベルクの唯一といっていいオーケストラ作品。
マーラーの交響曲に感化され、同じような規模の大作品を書こうと目論んだが、師のシェーンベルクから、それはベルクの本分ではないと諭され、大規模さを受け継ぎながらも「性格的小品」を作曲することとなった。
それがこの作品で、実演で聴くのは、これが初めてでありました。
音源では、これまで、アバドとロンドン響のレコードをずっと聴いてきて、CDでもアバドとウィーンフィル、ブーレーズ、デイヴィスなどをずっと聴いてきたけれど、やはりライブで、大オーケストラを眼前にして聴くと、各奏者がどんなことをしているか、指揮者はどんなふうに振り分けているのか、などなど、きょろきょろしながらも、この複雑な作品を少しでも紐解く術となったような気がします。
「前奏曲」「輪舞Reigen」「行進曲」の3つの小品のなかに、それぞれA-B-Aという対称構造があって、それがなんとなくわかったような、これもまた、気がします。
でも「行進曲」は、つかみどころがなく、音の咆哮がどこに向かうのかわからなくなって、焦燥感を抱いたりもした。
この対称構造は、ベルクのいつも追い求めたもので、「ヴォツェック」などは、完全にそれに一致する緻密な作品だ。
その「ヴォツェック」の響きも、「ルル」もヴァイオリン協奏曲も、この作品のどこかしこに、潜んでいるような気もしながら聴いた。
 ノットのよく整理された指揮ぶりは、熱いながらも、とても緻密で、東響も、このベルクの音楽によく食らいつき、青白くも、宿命的なベルクサウンドをよく響かせていたと思う。
ミューザ川崎は、こんな作品の響きがとてもよく似合うと思う。

②前半からヘヴィーな20分。
後半も、超大編成の80分。
この合計100分を、われわれ聴衆は、まんじりともせず、集中力を途切らすことなく聴きとおしたのだ。
それだけ、音楽に没頭させる、夢中にさせてしまう、そんな感度と鮮度の極めて高い、とりわけ後半のマーラーだったのだ。
 わたくしのお隣にいらっしゃった、かなり年配のご夫妻は、きっと7番なんて初めてかもしれない、でも、ずっと真剣に聴いていたし、終わったあとも、スゴイ、いいよ、すごいよ、をご夫婦で連発されてました。
きっとホールにいらした方の、ほとんどの印象かもしれません。

ともかく、このマーラーの万華鏡のような、めくるめく変転する「7番」という交響曲を、まさに百花繚乱のごとく演奏したのが、この日の「ノット&東響」なのだ。
明るくよく響き渡るテナーホルンを吹かれた方、その艶のある音色は、この日の演奏の成功を半分約束されたようにも感じてしまいました。
そして、曲はだんだん加速するのだが、そこでノットは、テンポを落として、徐々に加速するスタイルをとったのにはちょっと驚き。
それ以外は、インテンポで、要所・各処をビシバシと決めていく、キレ味のいいマーラーとなりました。
ノットの気合に満ちた指揮ぶりを、斜め正面から見る席だったので、その「圧」の強さに、演奏してない自分までもが引き込まれて、長い1楽章からもう気圧されたようになってしまい、その楽章の終了時には、思い切り息と肩をついて、ふぅ~っとなりました。

最初の夜曲、第2楽章では、ホルンの見事さ、そして東響の各奏者の冴え、それと弦楽のユニゾンの楽しさなどを満喫。
ノットさんも、楽しそうに振ってましたね。
鐘はどこに? 録音かと思ったけど、最上階だったらしい・・・

「影」のように、す、すッーと滑りこむような第3楽章。
CDなどで聴いてると、その中間部も含めて、とらえどころがなく、もやもやしてますが、ここもやはりライブの楽しさ。
各楽器が、あんなことやってる、こんなことやってる、と観察しながら聴くのもいい。
5つの楽章の真ん中の折り返し。
前後に夜曲にはさまれ、これも思えば、シンメトリーな構造。
ベルクの作品を並べた、その対比の意図も、ここにあるのかもしれません、なんて思いながら聴いていた。

大好きな4楽章の夜曲、奇怪な夜の森の楽章のあと、最後の歓喜の前の、ひとときの「なごみの夜の音楽」。
わたくしは、若い頃、日曜の夜のアンニュイな気分を沈めるために、寝る前に、ウィスキーをくゆらしながら、この楽章だけをよく聴いたものです。
そのときの演奏は、バーンスタイン旧盤か、アバド・シカゴ盤でありました。
 そんな懐かしき若き思い出に浸りながら聴いた、ノット&東響のこの楽章には、ノスタルジーとともに、ちょっと不安の淵なども垣間見せるような、深みのある演奏となりました。
自分的には、この楽章が一番いい出来栄えかとも思いましたね。

そして、なんでこんなに歓喜の爆発になっちゃうんだろ的な、パロディも交えた、とどまることをしらない終楽章の明るさ。
6番のあとに、そして8番の前に、こんなむちゃくちゃな7番を書いたマーラーという作曲家の不思議さと、泣いたカラスがもう笑った的な、なんでもありのマーラーの心象に、切り込むような、バラエティあふれる演奏なんじゃないかと、この終楽章を聴きながら思った。
でも、そんなことはどうでもいい、というくらいに、最後のコーダでは、これでもかというくらいの盛り上がりに、もうドキドキが止まらない!
ノットの、掛け声ともとれる声も聴こえ、曲は大エンディングとなりました。

そのときの、われわれ聴衆の、大爆発たるや、こんなの久しぶりでした。
わたくしも、ブラボー一発かませましたぜ!
ノットさんのお顔も上気して、にこやかに会心の出来ばえとみて取れましたし、東響の皆さんの疲れと満足感の入り混じったお顔もそれぞれ印象的でした。
最後は、ひとり、ノットさんがコールに応えて出てきて、ここでもブラボーの嵐でした。

いやぁ~、ひとこと、「楽しかった~」

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川崎駅チカのツリー。

めくるめくマーラーサウンドを堪能したあとのツリー。

ドイツの黒い森、暗い夜、自然のあらゆる営みとささやき、人間の醜さと愛、なにもかもが詰まったようなマーラーの7番を、そのあるがままに、展開して見せてくれたのが、この日の「ノットの夜の歌」だったかもしれない。
そこに、何を聴くか、何を求めるかは、わたしたち聴き手次第。

前夜もサントリーホールで演奏しているが、そのときとも、また違う演奏だったと言っている方もおりました。
そして、東響の会員である知人の話では、2公演あると、そのいずれも違う、というノットのいつもやり方のようです。
楽員も命がけだし、ノットも常に、考え、探求し続けている。
日本のオーケストラシーンのなかでも、もっとも先端をゆく名コンビになりつつあるようだ。

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2019年11月 9日 (土)

フィラデルフィア管弦楽団演奏会 セガン指揮

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11月4日、晴天の振り替え休日、午後のサントリーホールのカラヤン広場には、日の丸と星条旗が並んでおりました。

あいにく、というか風もない好天で、旗はなびかず、静かなままでしたが、コンサートはパワフルなアメリカ魂に熱気の渦に包まれました!

Philadelphia

  チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  マチャヴァリアニ ジョージアの民謡より Doliri

     Vn:リサ・バティアシュヴィリ

  マーラー     交響曲第5番 嬰ハ短調

    ヤニック・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

           (2019.11.04 @サントリーホール)

憧れのフィラデルフィア管弦楽団。
70年代、80年代初め、オーマンディとの来日を横目で見ながら、ついぞその実演に接することが出来なかった「フィラデルフィア・サウンド」。
その後のムーティは、当時、あんまし好きじゃなかったし、サヴァリッシュのシュトラウスも聴きそびれ、結局、エッシェンバッハとの2005年の来日でフィラデルフィア管を初めて聴くこととなりました。
その時の演目が、マーラーの第9です。
ほかのプログラムでも、マーラーの第5を演奏していたはずで、憧れのゴージャス・フィラデルフィアは、自分では、マーラー・オーケストラへと転じていたのでした。
 その後の破綻を経て、セガンのもとに復調したフィラデルフィアのマーラー、ほんとうに楽しみでした。
ちなみに、今回のオーケストラ配置は、ストコフスキーの通常配置で、まさにアメリカのオーケストラ、フィラデルフィアの伝統配置。
右から左へと低音楽器から並びます。
そして、私の記録から、2005年のエッシェンバッハとの来日では、対抗配置となっておりました。
このあたりもとても興味深いですね。

あとの楽しみは、初バティアシヴィリ。
予定されていたプロコフィエフの2番から、奏者の希望でチャイコフスキーに変更されましたが、これがまた度肝を抜かれる凄演でした!
最初のひと弾きで、明らかに違う、音色の輝きと音の強さ。
フィラデルフィアを向こうに回して、オケがどんなにフォルテを出しても、その上をゆく、いや、そのオケと溶け込みつつも、しっかりと自分のヴァイオリンの音をホールに響かせる。
それに煽られるようにして、セガンとフィラデルフィアも輝かしいチャイコフスキーを聴かせる。
1楽章の全奏なんて、こんなに聴き古し、聴きなれた旋律に心躍るなんて、自分には考えようもなかったことです。
(ムターとプレヴィンの、チャイコとコルンゴルト、いまだにそのチャイコだけ聴いたことがありません(笑))
そしてフルートソロのべらぼうな美しさといったらなかった。
 しかし、フィラデルフィアの弦は分厚く、そしてうまいもんだ!
繰り返しますが、それにも負けないバティアシヴィリのヴァイオリンって!
ビターな辛口の演奏だった2楽章も素敵だったし、ますますオケとの掛け合いが面白くて、興奮させられた3楽章。
完璧な技巧に、冷静・的確ななかにも、だんだんと熱を帯びてゆくバティアシヴィリ。
ショートカットの御髪を左右に乱しつつの一気呵成のフィナーレは、聴き手を夢中にさせてしまうまったく見事なものでした。
 曲が終わると同時に、サントリーホールは、ブラボーとともに、おーーっ的などよめきに包まれました。
セガンも彼女に、王女様に接するかのように、ひざまずいて最上級の賛辞を送り、会場も笑いとさらなる興奮を呼び起こし、指揮者が団員のなかに腰を据えるなか、エキゾティックなグルジアの民謡を演奏してくれました。
 バティアシヴィリ、大好きになりました♡

マーラーの第5番。
前半もそうですが、後半もオーケストラは多くの団員がステージに乗って、腕鳴らしをしています。
それむ、むちゃくちゃ真剣で、マジで練習してる。
先日のBBC Scottishのオーケストラもそうでした。
とくにアメリカのオーケストラは、各奏者の腕前が高く、ソロがオケのなかで目立つこともしばしばで、まさに個人主義の観念が行き届いていると思いますが、その代わり、プロ意識は極めて高く、いざというときの団結力が強靭なまでの合奏力となってあらわれるんだろうとも思います。
日本のオケや、ドイツのオケなどは、指揮者によって演奏のムラが出たりすることが多いと感じますが、アメリカのオケは、どんな指揮者にも全霊でもって答え、高水準の演奏を達成しますし、まして、有能な指揮者にかかると、とんでもない能力を発揮します。
そのようにして、アメリカのオーケストラは、一定の指揮者と長く続く関係を築くのであろうと思います。

さて、指揮なしで開始した輝かしいトランペットに、雄弁な女性のホルンが大ブラボーを浴びたマーラー。
セガンは、その頂点を3楽章に持ってきて、大きく3部にわかれるこの作品の姿を明快にしたと思います。
1楽章と2楽章は、アタッカで繋ぎ、一気呵成に悲劇的な要素を強調しつつ描きました。
2楽章の大破局のような悲観的なムードの表出では、うなりを上げるフィラ管の弦に圧倒されたし、セガンの隆々たる指揮も極めて大きな動きでもって、オケを煽るようにしてました。
マッチョな体のセガン氏、筋肉もりもりすぎて、燕尾服では背中が破れちゃんじゃないかしら。
良く伸びる素材の衣装をいつも着てるし、あのモリモリの指揮ぶりに、オケのフォルテも無尽蔵なのだ。

一転、平和とのどかさが訪れるスケルツォ楽章。
先のホルンも朗々として素晴らしかったが、ここでは、フィラ管の弦と木管の各ソロたちの妙技に耳を奪われました。
この長大な楽章が、いささかもだれることなく、いわば万華鏡を覗くかのような楽しみとともに聴けたのも、セガンの自在さとオケの自主性とがあってのもの。

ハープを弦セクションの真ん中に置き、フィラ管の弦セクションの美音を堪能したアダージェット。
自分的には、先日のダウスゴーのスリムな抒情の方が好きだったけれど、終盤の第2ヴァイオリンから再現されるメインテーマが、ほかの弦の伴奏を伴いつつ、じわじわと全弦楽による感動的なピークに達するところが、目にも耳にも、素晴らしいご馳走でした。
 終楽章は、ともかく明るい。
アダージェットの副主題が容をかえて、なんども登場する際には、セガンとオケはノリノリで、こちらも気分がはなはだよろしい。
そして最終クライマックスでは、またもや隆々セガンが両腕を大きく広げて大ピークを創出。
で、驚きのアッチェランドで大曲は、瞬く間に終了!

ブラボーの渦で、サントリーホールを聴き手は、アメリカのビッグ5オーケストラの実力をまざまざと見せつけられ、感嘆したのでした。
これでいいのかな?との思いもよぎったし、先日のダウスゴー&BBCSSOの方が美しかったとの思いも捨てきれないが、でもこれはこれでよろしい。
「セガンとフィラデルフィアのマーラー」を聴いたのだから。

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熱気冷めやらぬホールを出ると、外はもう夜空で、そこには相変わらず星条旗が無風で静かに掲げられておりました。

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2019年11月 1日 (金)

BBC Proms Japan BBCスコテッシュ交響楽団演奏会 ダウスゴー指揮

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ロンドンのロイヤルアルバートホール(RAH)を中心に、イギリス各地で行われる、BBC放送局がバックについた夏の大音楽プロジェクト。

その催しが、この秋、日本にやってきました。

英国音楽好き、Proms好きには逃せない引っ越し公演です。

ネットの普及で、ここ10年ぐらい、毎年7月の終わりから、9月半ばまで、連日のRAHのコンサートをリアルタイムとオンデマンドで聴くことが出来る喜びを満喫しておりました。
年々、音質も向上し、楽章ごとに起きてしまう拍手にも、最近は苦笑とともに、新鮮な聴き手のストレートな感想として素直に受け止めるようになりました。

毎年、大きなテーマを定めて曲目が決められるものだから、ある作曲家の交響曲が全曲とか、主要オペラのほとんどとかが、まとめて聴けるという利点もあり、そして、私のような英国音楽好きには、毎年、例外なく取り上げられる英国作曲家の作品の数々の魅力にあります。
有名どころから、私ですら知らない作品、さらにはBBCの委嘱作といった新作も、惜しげもなく演奏され、放送されます。

その引っ越し公演ですが、印象としては、まずは無難なところに着地を目指したという感じです。
本場でのレジデントオーケストラは、BBC交響楽団ですが、今回は、スコットランドのグラスゴーからBBC局傘下の、BBCスコテッシュ交響楽団が、現在の首席指揮者、トマス・ダウスゴーに率いられて来日。
ラグビー・ワールドカップに萌えるさなかの、ナイスなタイミングでもあります。

ちなみに、連邦制のイギリスには、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという4つの自治国があって、オーケストラでいうと、それぞれにBBC局のからんだ団体があります。
イングランドには本拠本元のロンドンのBBC響とマンチェスターのBBCフィル。
ウェールズには、尾高さんでおなじみとなった、カーディフのBBCウェールズ響。
スコットランドには、グラスゴーのこのたびのBBCスコテッシュ響。
北アイルランドには、BBCの直接のオーケストラはない(はず)で、アルスター管。

こうしたBBC系と自治国オーケストラのほかにも、イギリスには、ロンドンのBBCを含む5大オケに、BBCコンサート響、ボーンマス響、ハレ管、バーミンガム市響、ロイヤル・リヴァプールフィル、ロイヤル・スコテッシュ響、そのほかもオペラの座付きオケもありますので、イギリスのオーケストラはほんとにたくさん!

前置きが長すぎますが、そんななから、今回のProms Japanの座付きで来日した、BBCスコテッシュ響を聴き逃すわけにはいかなかったのです。

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  メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」

  チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調

      P:ユリアンナ・アブデーエワ

  マーラー     交響曲第5番 嬰ハ短調

  エルガー     行進曲「威風堂々」第1番

   トーマス・ダウスゴー指揮 BBCスコテッシュ交響楽団

          (2019.10.30 @文化村オーチャードホール)

来演第1弾のプログラムは、ご覧のとおりの豪華盛沢山。
ご当地もの、旬の奏者による超有名曲、指揮者も得意とする人気曲、そしてお約束の定番。
午後7時にスタートし、終演は9時30分。

本ブログは2部に分けて書きます。

①まず、良かったこと、褒めたいこと。

・デンマークの指揮者、ダウスゴーはこれまで毎年promsや一部のCDで聴いてきたけれど、余剰な感情に走らない、ストレートな解釈が、かえって音楽の本質に迫ることで、マーラーやシベリウス、ブラームス、ツェムリンスキーなど、とても気に入ってました。
昨年のpromsでもこのコンビで演奏した5番が、この日の演奏会でも、わたしには、とても新鮮かつ気持ちのいい演奏となりました。
人によってはそっけなく聞けるかもしれない快速基調のマーラーだが、指揮姿を見ていると、かなり細かく、丹念に振り分けているし、奏者への目配りやキューも的確。
バーンスタインやマゼール、パーヴォなどと対局にあると思われるスッキリ系だけど、マーラーのスコアや、音楽自体が透けて見えるようなクリアーかつ客観的な演奏なのだ。
おまけに、速いか所ではたたみ込むようにしてメリハリをつけながらも、3楽章は、ホルン氏の艶やかな見事なソロが光り輝き、ワルツの楽しさと、ピアノ部分の静けさの描き方がとても素晴らしく、オーケストラの精度の高さも、ここで発揮されたように思う。
さらに、その良き流れでアダージェットは、連綿たる抒情ではなく、透明感の勝る抒情で聴かせる今宵イチの名演であったと思う。
5番のコンサートは、これまで何度聴いたかわからないが、アダージェットで目頭が熱くなり思わず落涙したのは初めてではないかと記憶します。
ほかの楽章も、いずれも自分には鮮度高い、素敵な聴きものであったことをここに記しておきます。
対抗配置もことさらに効果的だった。
そして、ホルン首席氏、大きなブラボーをひときわ浴びてました!

・マーラーのあとに、アンコールなんて、あんまりありえないことだけど。
ダウスゴー氏が進み出て、本場では、これ!、みなさんご一緒に、ってようなことをお話しして、「威風堂々」。
思わず、手拍子も起き、そして、あのメロディーでは、観客席を向いて指揮。
一部、歌っている方もいらっしゃったけど、大半はハミング、わたしは、GodとGloryとHopeぐらいしか記憶にないから、むにゃむにゃ言いながら歌いましたよ。
オーケストラも、ホールの聴き手も、ここではノリノリで、深刻なマーラーのあと、こんなに開放的になるなんていいのかな?なんて思いは言いっこなしでした。
コンマス(ミストレス)の態度は??でしたが、スコットランドの方がどれほどいらっしゃるかわからないが、メンバーの開放的な明るさも、とても印象的でした。

・アブデーエワ、髪をまとめあげて、黒のパンツスーツに赤いパンプス。
遠目にも美人、そしてその演奏も美人な演奏。
技巧の鮮やかさをひけらかすような、みてくれだけの演奏でなく、指揮者の早めのテンポにのりながらも、チャイコフスキーの抒情を弾きだす美しいピアノでした。
ここでも2楽章が、オーケストラとのやりとりも含めて、とても素敵なものでした。
彼女のアンコールを期待したけれど、あっさりコンミスが、真っ先に席を立ち、後味いまひとつ。

・冒頭の、メンデルスゾーンは、オケも聴き手も、まだ腕も耳も温まってないから、手さぐり的な状態。
それよりも、間接照明のステージライトアップがのっけから気になった・・・。

②良くなかったこと、指摘しておきたいこと。

・ステージライトアップは、本場のアルバートホールでも、よくやっていることだけど、曲によってはナシもあるはず。
メンデルスゾーンは海を思わせるマリンブルー、チャイコフスキーは赤、マーラーは薄いブルー、エルガーは忘れた。
こんな感じで、ステージの両サイドと、正面に掲げられたPromsのロゴマークがライトアップされたわけだが、わたしは好きじゃない。
ことに、マーラーはやめてほしかった。
音楽祭だけど、普通のコンサートステージでよかったんじゃないかな。
それよりも、オーチャードホールという選択肢が・・・・、大阪がうらやましい

・曲目からして、長い演奏会になることから、最後の時間が運用側やオーケストラのサイドからも厳しく決められていたのであろう。
オーケストラは休憩時間内に席についていたし、先にも書いたが、コンサートミストレスが、拍手を打ち切るようにして、挨拶もそこそこにステージを去ってしまうから、強制終了となるイメージ。
エルガーの終演後、余韻にひたりたかった団員は、われわれに深々と挨拶したり、お互いに成功を祝ってハグしたりしてたのに・・・・
たくさん聴けたのはうれしいことだけど、もっと余裕のあるプログラムの設定や、会場サイドの特別例外処置なども検討すべきでは?

・会場運営側といえば、極度の写真撮影の禁止。
ロビーにある、ホール内を映すモニターすら、撮影禁止の札。
終演後、団員も引き上げたステージを映そうとした方に気が付いた係員が、飛んでいって、止めてくださいと制止している光景もみた。
ロビーにあった大きな看板はOK。
promsのロゴやデザインの使用に関する運用上の約定があるのかしらんが、ここまで厳密にやる必要はあるのか?
それともオーチャードホールっていつもそうなのか?
ほかのコンサートでも、毎度思うけど、演奏者を映すことはダメだけど、ホールや奏者のいないステージの様子などは、聴いた方の思い出や、それをSNS等で紹介したり、また宣伝効果にもつながるので、過度でなければ多少のことはいいのではないかと思いますが。
なにごとにも厳密すぎる日本人ではあります・・・
自分はパンフで隠して映しちゃったけどさ・・・

・プログラムを買うのに行列しなくてはならない苦痛と、その内容のイマイチっぷり、グッズも高いしイマイチ。
ちなみに、威風堂々は最終日にプログラムに載っているが、イギリスで歌われる歌詞は、そのプログラムに記載あり。
しかし、アンコールでこれをやるのなら、歌詞をあらかじめ配るか、字幕を出すなどすればいい。
 そして、そのプログラム誌、メイン演奏者は、今回の音楽祭を通じ、オーケストラと指揮者であるはずなのに、その彼らの紹介が数行で、わずかちょっとしか出ない日本人演奏家たちと同じような扱いと配列になっている。
さらに、オーケストラのメンバーの一覧すらなく、CDや音源の宣伝もなし。
大きなページを占めているのは、特別協賛の会社の宣伝、しかもGOALSときた、すきじゃない。

・主催者の実行委員会のメンバーを明かしておこうじゃないか。
ぴあ、テレビ朝日、博報堂DIY、読売新聞、BS朝日がメンバーで、協賛がKDDI、特別協賛が大和証券・・・・
クラシック系の音楽事務所の名前はなし。

妙な商業主義を表に出すのでなく、アーティストと聴き手第一のプロモーションを心がけて欲しいものだ。
日本の聴き手は、もっとレヴェルが高いよ。

文句ばっかりになったけれど、ともあれ、「Proms」の名を冠したコンサートの企画自体はありがたく、これが今後も発展形で継続してくれるといいと思うのでありました。

Shibuya

ハロウィン前夜、渋谷の街に降りて行ったら駅前はこんな感じ。
正面のセンター街へ繰り出す人、そこからこちらへ向かってくる人。
音楽祭を楽しんだけど、こんな祭りはいやだな・・・でも楽しそうじゃないか、若者は。
学生時代を過ごした街、渋谷はいずこへ・・・

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2019年6月15日 (土)

ネットで聴く マーラー 交響曲全曲 

Azumayama-03_1

ちょっと前ですが、つつじが咲いていた頃の吾妻山より。

春がちゃんとあったんだか、なんだかわからくなってしまった日本の四季ですが、一番、華やかでまぶしい季節が春から夏にかけて。

Azumayama-01

こちらは、目先を転じて、相模湾。

真鶴岬と伊豆半島も。

Mahler

この本は、1987年、いまから32年前に、新刊で買って読んだもの。

「やがて私の時代がくるだろう」と生前に語ったマーラー。

レコード時代より、マーラーは聴いてきたが、その全貌を親しく聴くようになったのは、やはりCD時代になってから。
この本を読んだ頃、CDに音楽会に、聴くものは、ワーグナーとイギリス音楽と、マーラーとブルックナーばかり。
この本のタイトルにあるように、マーラーの「時代が来た」のでありました。

巻末に、出版当時で出ているマーラー全集が列挙してありますが、それは、バーンスタイン、クーベリック、ショルティ、ハイティンク、アブラヴァネル、ノイマン、インバル、テンシュテットの各全集。
 そして、現在は、いったいいくつのマーラー全集がることでしょうか!

「生と死」を見つめ、「愛」の人だったマーラーが、オーケストラの演奏能力向上とCDとで、あらゆる世の人間の共感を生み、なくてはならない作曲家ということになったのでした。

そして、いま、さらにネットの普及により、世界中で演奏されているマーラーを、リアルタイムに自宅にいながらにして聴くことができるようにもなったのです。

そこで、今回は、ここ数ヶ月の間に、ネット上で聴いたマーラーのことを書いてみました。

Azumayama-02

交響曲第1番「巨人」

  マーク・ウィッグルスワース指揮 BBCナショナル・ウェールズ管弦楽団

                (2019.6.4 @ カーディフ)

 イギリスの指揮者で、尾高さんのあと、BBCウェールズを率いた指揮者で、オペラにもたけ、CDでもショスタコーヴィチの名演をたくさん残している、地味だけど実力のある指揮者。
カーディフのホールの響きがイマイチな点はあるけれど、よく歌い、爆発力も十分な集中力あふれる演奏。
今年、ウィッグルスワースは東響に客演して、この同じ1番を指揮する。
BBC放送は、イギリス国内の演奏会を中心に、約1か月ぐらいの期間、無料配信している。
別番組にオペラチャンネルもあって、コヴェントガーデンやメットの舞台も音で聴くことが出来る。

交響曲第2番「復活」

 S:アンネ・シュヴァンネウィルムス Ms:アリス・クート

  マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団 ハレ合唱団

                (2019.5.23 @マンチェスター)

 ハレ管と、20年近く蜜月にあるマーク・エルダーの実力と円熟を感じることが出来る。
エルダーは大曲を聴かせどころのツボを押さえて、巧みに演奏することのできるオペラ指揮者でもある。
全曲が弛緩することなく、気合も十分で、熱いマーラーだった。最後の盛り上がりも素晴らしい。
ちなみに、このコンビの、ワーグナーの演奏も自主レーベルに数が増えてきて、ついに「リング」も完成した。
エルダーはバイロイトでも、マイスタージンガーを指揮した経歴のある指揮者なんだ。
こちらもBBC Radio3より。
さらに、ネットでは、スラトキンとポーランド国立放送響、ノットとバイエルンユースオケとの「復活」も聴くことが出来ました。

交響曲第3番

     Ms:ケリー・オコナー

 アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮 シカゴ交響楽団

                (2018.10.12 @シカゴ)

 シカゴ響は、自身のサイトで、定期演奏会のほとんどを公開している。
マーラーもたくさんありますが、そんな中から清冽な演奏の3番を選択。
活躍の場を、どんどん拡げているエストラーダの指揮で。
エストラーダは、コロンビア出身で、ヴァイオリンからスタートし、20歳でウィーンに渡って、スワロフスキー門下のラヨヴィッチに学んだ。
ウィーン・トーンキュンストラを経て、現在は、ヒューストン響とフランクフルト放送響の指揮者を務めるほか、ウィーン響の首席にも内定、今年は、ウィーンフィルと日本にやってきます。
そんな俊英ですが、中南米出身ということで、情熱バリバリの熱い指揮者かと思っていたら、いろいろ聴いたがぜんぜん違う。
至極、まっとうで、どこもかしこも自然体で、素直な演奏なのだ。
音楽をわかりやすく、明解に聴かせる才能があるとみた。
そして、シカゴはめちゃくちゃうまい。録音もよし。

交響曲第4番

     S:ゲニア・キューマイアー

 ワレリー・ゲルギエフ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

                (2019.1.22 @ハンブルク)

 こちらは、北ドイツ放送局のサイトから。
エルフフィルハーモニーホールは、同時に映像公開も積極的で、youtubeでも見れます。
この4番と、後半が「大地の歌」という、いかにもゲルギエフらしい精力的なプログラム。
でも、天上と別離というふたつのテーマを一夜に聴かせる、なかなかのプログラムでもあります。
ゲルギエフがミュンヘン・フィルの指揮者になったときは驚いたが、自主レーベルで、次々に出てくるCDも聴いたことはないが、ドイツ物ばかり。
今年はバイロイトデビューもあるし、ゲルギエフもドイツ化か?
しかし、ここで聴く4番は、やはりゲルギエフらしい、妙にサラッとした引っかかりの少ない何事もおこらない演奏に感じた。
でも、4番のようんいピュアな作品は、あまりいじくりまわさずに、ストレートに解釈したほうがいい。
そんなときには、この演奏はいいと思う。
ミュンヘンフィルは、やはりドイツの音。エルプのホールも実によい響きだ。

交響曲第5番

  ラファエル・パヤレ指揮 アルスター管弦楽団

              (2019.5.24 @ベルファスト)

 こちらもBBCのネット放送から。
アルスター管弦楽団といえば、北アイルランドのオーケストラで、シャンドスレーベルに、数々の滋味ある英国音楽の録音を、CD初期から録音してきたオーケストラだ。
ブライデン・トムソンヤ、ヴァーノン・ハンドリーとの録音の数々、現在は、R・パヤレという若者が首席指揮者を務める。
パヤレ君は、そう、あのドゥダメルと同じく、ベネズエラが生み出した俊英で、ほぼ同期。
エルシステマを経て、シモン・ボリバルのオケも率いつつ、西欧に飛び出していった指揮者。
現在は、アメリカのサンディエゴ響の首席と、こちらの英国のアルスター管の指揮者を務めていて、アメリカのメジャーなどにも客演機会を増している、注目の指揮者。
 ドゥダメルが、その音楽の面白さにおいて、自分的には急速に魅力を失いつつある昨今。
同じ環境のパヤレが、地味ながら、ローカルなポジションから確実な歩みを始めたことに着目。
こちらの5番は、なかなかに快速。
ビヴラートを極力排し、すっきりと、スマートなマーラーを作り上げた感があります。
濃厚な悩めるマーラー像からは、ほど遠い楽譜の素直な、今風な再現かと。
 オーケストラがやや浮き足だってますが、日本からは遠い場所でのマーラーの新しい演奏に感激。
パヤレ君、デトロイト響での同曲が、youtubeで観れますので、ぐぐってみてください。

交響曲第6番

  アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

              (2015.5  ボストン)

6番は、昨今、特に演奏される曲目となりました。
最近では、セナゴーとBBCスコテッシュのものが配信され、そちらも録音して楽しみましたが、まだまだスケール不足。
 で、アーカイブから少し遡って、ボストン交響楽団のネット配信から、ネルソンスの指揮で。
BSOのアーカイブは、視聴可能期間を定めて、かなり自由に聴くことができていましたが、この2年くらいは厳しくなり、ボストンFM局の番組配信でしか聴くことができなくなりました。
アメリカとの時差を計算して、その時間帯で待機することは、まず難しいですが、ヨーロッパ諸国よりは、時差が大きいので、半日遅れれで、朝勝負となります。
 それはともかく、ネルソンスとBSOの6番は、実に、イケてます。
流れよし、タメもよし、爆発力も、刹那的な甘味な味わいもよし、です。
あとは、年齢を経た味わいだけですが、これはまだまだ楽しみな領域の、「若手」といっていい存在の指揮者です。
映像などで見るとわかりますが、ネルソンスの指揮には、オーケストラを縦横に操る素質が兼ね備えられていると感じます。
 6番のネット聴きでは、あとハーディングのウィーンフィルとのもの、同じくバイエルンとのものも充実の限りです。
ここでのボストン響のうまさと響きのよさは格別です。

交響曲第7番

  サカリ・オラモ指揮 BBC交響楽団

             (2019.5.24 ロンドン バービカン)

BBC放送のメインオケ、BBC交響楽団。
ロンドン響に次ぐ実力派だとずっと思ってるけど、ソロがこけたりと、少しやらかしてますが、その機能性の優秀さは、ネット放送でもよくわかります。
オラモが就任してから、もう長いですが、このコンビも安定的で、北欧ものから、英国もの、そしてBBCならではの現代もの、広大なレパートリーのなかで、昨今はマーラーを多く取り上げてます。
さまざまな顔を持つ奇矯な雰囲気の7番を、全体の見通しをよくつけて、最後の明るいフィナーレにむけて、たくましい音楽づくりだ。
オラモの指揮者としての急速な成長をここに感じました。
この指揮者と、BBCのこのオケ、BBC放送でいろいろ聴いてますが、いずれもいい。
もっと注目されていい指揮者とオケであります。
 あと7番では、2011年と古いですが、若きセガンとバイエルン放送響との鮮度高い演奏も聴けました。

交響曲第8番「千人の交響曲」

  ロリン・マゼール指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

             (2009.6.23 ニューヨーク)

ちょっと古いですが、8番となると、なかなかネット放送は少ない。
マーラー・オケともいえるニューヨーク・フィルの楽団HPから、過去のアーカイブも含め、最近の演奏会まで、かなりの音源が聴けます。
なかでも、マーラーの全交響曲がありまして、その指揮者陣も豪華そのもの。
 マゼールは、ウィーンフィル、ニューヨークフィル、フィルハーモニアとで3度のマーラー全集を完成してますが、ニューヨークのものはCDではなく、ネットでの配信販売。
で、この8番は、90分をかけた、マゼール節満載のユニークな千人です。
オケもよく、この指揮についていくもんだと思わせます。
でも、歌手は辛そうで、ちょっとデコボコ。
そんな、まさにライブならではの楽しみが味わえる演奏で、最後の方の崇高ともいえる感動の高まりを、聴衆と一緒に味わえるんだ。
ともあれ、ニューヨークフィルのライブがふんだんに楽しめる、アメリカという自由な国に感謝。

交響曲「大地の歌」

  Ms:マグダレーナ・コジュナー T:ステュワート・スケルトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 バイエルン放送交響楽団

             (2018.1.25 ミュンヘン)

  Br:クリスティアン・ゲルハーヘル T:ステュワート・スケルトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団

             (2017.12.14 ロンドン)

  Br:クリスティアン・ゲルハーヘル T:クリスティアン・エルスナー

 ベルナルト・ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

             (2016.10.6 ベルリン)

「大地の歌」は、大人気で、今年に入ってからもいくつか放送されてますが、ここ数年でのハイライトは上記3つでしょうか。
期をはさまずに、ラトルのふたつの「大地の歌」は、メゾ版とバリトン版で、というところがいかにもラトルらしい。
対するスケルトンのテノールは、馬力と破壊力はあるけど、ちょっと不安定。
ゲルハーヘルの微に入り細に入り的な歌唱は、繊細で見事なもの。
そして、奥様、コジュナーも劇性を排し、しなやかかつ、こちらも繊細な歌でありました。
オケの音色自体は、暖かいバイエルンに軍配があがるが、機能性豊かでラトルの棒に反応豊かななのはLSO.
優秀はふたつのオーケストラを率いるラトルの柔軟かつ、強靭な音楽づくりに感銘を受けます。

しかし、音楽の味わいという意味では、ふくよかなハイティンクの滋味にはかないません。
ロンドン、バイエルン、ベルリンという3つのオーケストラで聴く「大地の歌」、ネットは豪華かつ選択肢も豊富です。
バイエルン放送局(BR Klassik)は、もっとも安定的に音楽と映像を配信してくれる局です。
ベルリンフィルも、アプリをダウンロードすると、定期的な配信を聞くことができるし、ドイツの各局の放送を念入りにチェックすると、いろいろ聴けます。

そして、さきごろ、この秋で、勇退を表明をしたハイティンクに敬意と感謝を捧げたいです!!

交響曲第9番

  マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

             (2019.1.20 ピッツバーグ)

ピッツバーグ就任10年以上、こちらも絶好調のコンビ。
ピッツバーグ交響楽団のHPから、ここでも、過去のアーカイブから最新のものまで、すべての演奏会の様子を聴くことが出来る。
過去の音楽監督、プレヴィン、マゼール、ヤンソンスの指揮によるものも、ちょこっとあります。
ホーネック&ピッツバーグの演奏もふんだんにあり、ニューイヤーコンサートでは、お得意のウィーンものを、ユーモアたっぷりのMC役もしながら、楽しく聴かせてくれます。
いずれの演奏も、ピッツバーグの実力を背景に、雄弁かつ聴きごたえのあるものばかりで、聴衆も熱狂的にこれを称え、一体化してます。
ピッツバーグという大都市に、このコンビが愛されているのがネットを通じてもよくわかるんです。
 そして、最新の彼らのマーラーが第9。
そのうちCDとしても出てくると思いますが、これが完成度の高い、そして熱気と気合に満ちた演奏なんです。
終楽章なんか、30分近くかけての想いの丈を注ぎ込んだ名演でした。
このPSOサウンドのサイトのなかで聴ける彼らのマーラーは、1、2、5番があります。

第9は、ネット放送でも多数。
手持ちにした音源でも、サロネン&シカゴ、ハイティンク&ニューヨーク、ベルリン、コンセルトヘボウ、ブロムシュテット&バンベルクなどなど、たくさん!
個人の楽しみとして、こんなにありがたいことないです。

交響曲第10番 

  トマス・ダウスゴー指揮 BBCスコテッシュ交響楽団

          (2017.8.12 proms2017 ロンドン)

10番は、クックによる全曲。
一昨年のプロムスのライブで、2ヶ月におよぶ、この英国全体の夏の音楽イベントは、BBCと冠されるだけあって、全演奏会がネット視聴ができます。
10遍の全曲版は、レパートリーにしている指揮者がまだ多くはないこともあり、演奏会での機会は少ない。
そんななかで、この1~2年でのネット放送では、このダウスゴーのものと、セガンとオランダ放送フィル、同じセガンとバイエルン、コロンとデンマーク国立管、このあたりを聴く事ができました。
なかでは、セガンのふたつの演奏が、作品への共感の度合いも強く、美しい演奏なのですが、ここでは、ダウスゴーを取り上げました。
 この演奏は、テンポが速く、スッキリとしており、すべてにふっ切れたような、ある意味達観したような感じなんです。
マーラーの音楽に、これだけ、思い入れや感情移入を避けたような演奏って、逆にとても新鮮なのだ。
こういうすっきりとしたマーラーもありです。
このコンビによるマーラーは、あと1番と5番を録音してますが、いずれもよいです。
ただ、プロムスの聴衆のカジュアルな聴き手は、あんまり知らない曲だと、楽章間で拍手をいれてしまいます。
この10番でも拍手だらけで、困ってしまうものの、軽い感じで、そんな聴き方もいいかもです。

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さて、こんな長文書いてしまいましたが、こんなにたくさん、いつ聴いているんだ?との声もあるでしょうね。
日本時間で夜中のライブ放送の場合は、パソコンをつけっぱなしにして、録音をして、あとで編集します。
パソコンから音だけ録音するソフトがありますし、編集も実に簡単なんです。
さらに、聴くのは、仕事の合間合間で聴きます。
零細なひとり事務所なので、そのあたりは、仕事のペースで自由自在というわけです。

ネット配信の音質も格段によくなり、CDを聴くようにして、高音質PC視聴ができるようになりました。
世界で繰り広がられてる演奏会やオペラがリアルタイムで聴ける、こんな喜びはかつてでは考えられなかったことです。
欧米の放送局や、オーケストラなどが、こうして音楽のネット配信や放送に、格別のしばりもなく、積極的なのにくらべ、わが国はどうでしょう。。。
放送法に守られ、さらに一方で、自由なネット空間でも課金を試みようとする局のオーケストラが、遠い存在としてしか感じられません。
貧乏ヒマなしのワタクシには、N○○響よりは、BBC響の方が、昨今は、親しいオーケストラと感じるようになりました。

Azumayama-05_1

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2018年12月31日 (月)

マーラー 交響曲第9番 バーンスタイン NYPO

Takeshiba_05

 

竹芝桟橋から、レインボーブリッジ方面を俯瞰した夕暮れの東京湾。

事務所からさほど遠くないので、気晴らしにここに海を見に来ることが多い。

太陽は、海に沈んでほしいものだが、関東ではなかなか難しい。

けれど、こうした夕暮れ時の夕映えは、空も、海も赤く染めてくれて美しい。

   --------------

今年の締めくくりに、マーラーの方の第9を。

マーラーのなかでも、深淵ともとれる作品が、近年は、大の人気曲となり、国内オーケストラではアマオケも含め始終、外来オケも盛ん持ってきます。
なんたって、南米出身の指揮者が西海岸のオーケストラとアジアの日本にやってきて、マーラーの第9を演ってしまう世の中となりました。

でもそんな風潮のなか、選んだのは今年、生誕100年だったバーンスタインのニューヨークフィル盤。

Bernstein_mahler9

 

 



     マーラー   交響曲第9番 ニ長調

   レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

        (1965 @ニューヨーク、フィルハーモニックホール)


世界に先駆けて、マーラーの交響曲全集を60年代に完成させたバーンスタイン。
バーンスタインのひと世代前の指揮者たちは、同世代の音楽家であり、作曲家であったマーラーが師でもあったりして、その作品を世に広める活動期でもあった。

しかし、バーンスタインは、マーラーへの完全な共感とともに、自分の内にあるものとの共鳴ともいえるくらいに、自分の言葉で語る、「バーンスタインのマーラー」を作り上げたのだ。

その後続出するマーラー指揮者たちは、今度は、より客観的になったり、よりスコアを分析して緻密な解釈を施したり、また楽譜にひたすら忠実に演奏したりと、ともかく多士済々なマーラー演奏が生まれることになった。

しかし、マーラーを自分のなかに引き付けて、そこに思いの丈をたっぷり注ぎ込む、バーンスタイン・スタイルの演奏は、いまだもってバーンスタインのものしかありませぬ。

80年代のDGへの2度目の全集は、より完成度が高く、録音もよく、よりバーンスタインの踏み込みも深くなっている。
その分、始終聴くには、感情が入り込みすぎて、ちょっと辛くなってしまうこともある。
 そんなときには、60年代のCBS盤に方が、若々しく、粘度もさほどに強くないため、さらりと聴くことができる。

第9は、正規録音としては、ニューヨークフィル(65年)、ベルリンフィル(79年)、コンセルトヘボウ(85年)、そしてイスラエルフィル(85年)の4つに、ウィーンフィルとの映像(71年)があります。
しかし、日本での演奏会に立ち会い、打ちのめされたときの少し前のテルアビブのライブは、実は未取得。
聴きたいのはやまやまだけど、なんだか聴きたくない。
あのときのNHKホールでの儀式に立ち会ったかのような体験の記憶を壊したくないからかもしれません。
でもね、死ぬまでには聴こうと思ってます。

さて、いろんなところで比較されてますが、年を経るごとに隈取の濃い濃厚な演奏をするようになったバーンスタインの第9ですが、テンポも徐々に伸びてます。

65年NYPO(79分)→79年BPO(82分)→85年ACO(89分)
IPO盤もACO盤と同じぐらいとのこと。
 楽章で見ると、1~3楽章は、あまり変わらない。
異なるのが終楽章で、65年NYPO(23分)→79年BPO(26分)→85年ACO(30分)。
NYPO盤が速いのは、録音サイドからの要請ともありますが、果たしていかに・・・

ということで、バーンスタインのマーラーの第9への思い入れの熟成度は、テンポだけをとらえると、終楽章に端的に現れているのがわかる。

   ーーーーーーーーーーーーーーー

Mahler_9_bernstein  Bernstein_mahler

 

 



拾いましたが、オリジナルジャケットと、後年出た、6番との3枚組のレコード。

ニューヨークフィル盤は、録音が平板にすぎるという悩みはあるものの、演奏は、60年代のバーンスタインらしく、情熱的で、誰にでも納得できる必然性を全体にたたえたものになっていると思う。
NYPOの楽員の腕っこきの優秀さを感じるのは、とりわけ第1楽章で、かなり美しい終盤です。
ユーモア感じる第2楽章と、憂愁と疾走感のないまぜになった3楽章はカッコイイ。
 そして、CBSソニーの音のカタログで、完全に耳タコの刷り込み状態になっていた終楽章の出だし。その開始部は、わたしは、このニューヨークフィル盤が一番好き。
その後の、うねり具合も上々だが、後年のようなタメや、濃密な歌い回しは弱めだから、曲はテキパキと先へ進みます。
録音のせいかもしれないが、金管の響きが時代がかって聴こえるのも、なんだか懐かしくもあります。
でも、やはり聴かせます、オケはレニーの指揮棒に集中しつくしていて、マーラーも指揮をした摩天楼のオーケストラは、終結部の死にゆくアダージョを絶美に描きつくしていて、感動的であります。

Takeshiba_02

 

 



去り行く船。

でも、旅立ちの船の後ろ姿。

夕暮れの中、希望があります。

それでは、ありがとう平成30年、自然の猛威はもう勘弁してね。

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2018年10月 6日 (土)

「タンホイザー」と「巨人」 ピッツバーグ響

Umezawa_2

夜明けの相模湾。

左手は三浦半島。

このところ、雲に覆われる日々ばかりで、せっかく海のある街に帰っても、日の出を拝むことができなかった。

しかし、これはこれで絶景。

自然は怖い牙をむくけれど、静かなときは美しいものだ。

Wagner_tannhauser_maazel_1

  ワーグナー  交響組曲「タンホイザー」
            (パリ版に基づくマゼール編)

    ロリン・マゼール指揮 ピッツバーグ交響楽団

               (1990.12 ハインツホール)

マゼールが、84歳で亡くなってから、もう4年が経つ。
神出鬼没的な存在で、個性的で、ときに鼻につくこともあったけれど、なんだかんだで好きな指揮者でもあった。

その歴任ポストも世界をまたにかけたユニークな渡り方で、ベルリン放送響→ベルリン・ドイツ・オペラ→クリーヴランド管→フィルハーモニア菅(准指揮者)→フランス国立管→ウィーン国立歌劇場→ピッツバーグ響→バイエルン放送響→トスカニーニ・フィル→ミラノ・スカラ座(准指揮者)→ニューヨーク・フィル→ミュンヘン・フィルと、まあすごいことなんです。
日本にも、東響や読響、N響を振りに何度も来てました。

マゼールが一番面白かったのは、ベルリンからクリーヴランドぐらいまでと思ったりもしてます。
あとは、ウィーンで失敗して、ベルリンフィルの座も取れなくて、なんか迷走したりもした時期もあったりで。

そんななかから、ピッバーグ時代の1枚を。
マゼールのピッバーグ時代は、1984年~1996年と、割と長期に渡ってまして、なぜなら、マゼールは名門ピッバーグ大学で学んだほか、ピッバーグ響でもヴァイオリン奏者を務めた経験があるので、街にもオーケストラにも愛着があったわけだ。

ワーグナーのオペラ全曲録音を残すことがなかったのは、とても残念なことですが、抜粋や管弦楽作品は、いくつも残してくれました。
そんななかで、マゼールが手をいれた風変りな作品が「タンホイザー」組曲だ。

序曲から大規模なバッカナールになだれ込むパリ版に忠実な1幕前半。
なかなか堂々たる演奏で、バッカナールもマゼールならではの悩ましさ。
そして曲は、ヴェーヌスとタンホイザーの絡みがネットリと続き、そのままヴェヌスブルクは崩壊し、清廉な野辺へと転じ、騎士たちとの再会で高らかに終わる第1幕。
 2幕は、歌の殿堂の場面は、かなり華やか聴かせ、タンホイザーとエリーザベトの二重唱もしっかりあるが行進曲はおとなしめな印象。
エリーザベトの嘆願をへて、ヴェーヌスへ、としずしずと進むとこで終わり。
 3幕からは巡礼行から始まり、エリーザベトの祈り、しんみり夕星ときて、そのあと怪しいムードでヴェーヌスがやってきて、さらに駆け足で、ローマ語りをすっとばしながらやってからの巡礼たちの合唱、ここは合唱はなんとハミング、そして思わぬ軽やかさで曲を終結。
以外に尻すぼみな感じの構成で、マゼールとしては、みずから編んだのに、前半はマゼールらしいが、後半は、もっとガンガンやって欲しかった的な感じです。
 
 ドイツ的な響きを持つピッバーグ響は、腰の低い低音から、マゼールの紡ぎだす妖艶なサウンドまで、とても能動的に機能してます。うまいです。
 マゼールは、ウィーン国立歌劇場での音楽監督のデビュー演目に、この「タンホイザー」でもって、歌手の不調もあって、大ブーイングを浴びてしまい、さらに、カーテンコールで親指を下にするパフォーマンスをしてしまい、大炎上した、と読んだことがあります。
因縁のある「タンホイザー」を故郷のひとつ、ピッツバーグで、自らの編曲でリベンジしてみた1枚でした。
 ワタクシには、どうも歌がないと、気の抜けたビールのように思えてしまうのであります。
リングのオケ版もそうです。
 それより、マゼールのバイロイトでの「リング」を正規発売してほしいと思います。

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Pittsburgh_1

ピッツバーグは、ペンシルバニア州の大都市で、オハイオ川の起点にあることから水辺の街でもあります。

Pittsburgh
                           (Southern Airways HPより拝借)

鉄鋼の街として栄えたが、その後の鉄鋼産業の衰退で、次はハイテクや金融、まさにいまのアメリカの主要産業を基軸にした都市となっている。
大学も多く、むかしからの大企業も存続していて、そのひとつがケチャップの「ハインツ」。
ドイツやイギリスの資本の企業も多数。欧州との結びつきが大きい。

都市圏としての人口は240万人で、冬はとても寒そうだ。
野球は、そう、「パイレーツ」ですよ。桑田真澄がいっとき在籍してましたな。

Pittsburgh_heinzhall_1

そして、オーケストラはピッツバーグ交響楽団。
ケチャップのハインツがスポンサーだし、本拠地もずばり、ハインツホール。

1895年の創立。一時、財政難で解散し、再スタートしたときは、クレンペラーも尽力し、そして、このオーケストラの基本を作り上げたのは、フリッツ・ライナー。
ライナーのあとは、スタインバーグが長く腰を据え、ドイツ的な響きを身につけた。
さらに、プレヴィン(76~84年)、マゼール(84~96年)、ヤンソンス(95~04年)、A・デイヴィス、ヤノフスキ、トゥルトリエの3人体制(05~07)、ホーネック(08~)という陣容。
 財政的に豊かなこともあり、そしてこのオーケストラや街や環境もいいのか、名指揮者たちが長く歴任してます。

Pittsburgh_heinzhall_2
                  (ピッバーグ響のHPより拝借)

スタインバーグからマゼールまでは、レコーディングがたくさんあったのに、ヤンソンスとはとてもいい関係だったのに係わらず、ショスタコーヴィチぐらいしか録音がない。
自主製作盤に魅力的なものはあるが、残念なこと。
90年代終わり頃から、アメリカのメジャーオケの録音は、お金がかかりすぎて採算が合わないようになってしまったからか・・・

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Honeck

   マーラー 交響曲第1番 「巨人」

    マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

               (2017.9.4 @Proms)


現在の指揮者ホーネックは好評で、先ごろ2022年まで、その任期を延長しました。
このコンビのCDは、そこそこ出てますが、高いし(笑)、腐るほど他盤持っている曲目ばかりなので、手が伸びません。
しかし、昨年ロンドンのプロムスの放送で聴いたマーラーは、実に活力みなぎる演奏で、いま聴き返しても、たくさん新鮮なヵ所が続出し、飽きさせることのない名演でした。

これほどの名曲になってしまうと、曲がちゃんとしているので、楽譜通りに演奏すれば、それなりの成果をあげることができるのですが、ホーネックは一音一音を大切に、そしてフレーズにもごくわずかに聴きなれない味付けを施します。
緩急も、かなりつけるのですが、それが自然体なのは、オーケストラ出身の指揮者だからでしょうか、嫌味がありません。

このホーネックの自在な指揮に、ピッバークのオケはピタリとついていきます。
そして金管の巧いこと!弦がしなやかで美しいこと。

いいオーケストラだと思います。
アメリカの香りのするヨーロッパのオケって感じ。
ボストン響にも通じるかな。

マーラーの最後のクライマックスの築きあげ方、じわじわ来ます、そしてタメもうまく決めつつ、底知れぬ大爆発。

ロンドンっ子も大歓声と大絶叫!

アンコールのJ・シュトラウスのポルカもすごいことになっちゃってます。

アメリカ、オーケストラの旅、楽しい~

Umezawa_1

薄日に、漕ぎ立つ船あり。

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2018年7月 1日 (日)

新日本フィルハーモニー定期演奏会 ベルク&マーラー リットン指揮

Sky_1

梅雨明けの暑い夕暮れ、こんな景色が望めるホールに行ってきました。

久々のトリフォニーホールは、ベルクとマーラーの世紀末系、わたくしの大好物が並ぶ、新日フィルの定期でした。

Njpo20180629

   ベルク    歌劇「ルル」組曲

           アルテンベルクの詩による歌曲集

   マーラー    交響曲第4番 ト長調

            S:林 正子

    アンドリュー・リットン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

                (2018.6.29 @すみだトリフォニーホール)


林正子さんを、3曲ともにソリストに迎えた、わたくしにとって魅惑のプログラム。
昨年のマルシャリンが素晴らしかった林さんのソロ、感想を先に言ってしまうと、マーラーよりベルクの方がよかった。
それは彼女の声質や、ホールでの聞こえかたからくる印象かもしれませんが、透明感と、一方で力強さのある声がストレートにわたしの耳に届いたのがベルクの方でした。
マーラーは、よく歌っていたけれど、オーケストラとのバランスや、間がちょっとかみ合わないような気もして、それはリットン氏の指揮にも要因があったようにも感じます。
 短い場面だけれど、ファムファタールたるルルを可愛く、そして小悪魔的に、宿命的歌わなければならない「ルルの歌」。幅広い音域を巧みに、でも柔らかさも失わずに聞かせてきれたように思います。
 一方のもうひとりの役柄、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の哀しみも、虚無感とともに、とても出てました。

 アルテンベルクは短い歌曲集だけれど、いまだに、何度聴いても、全貌がつかめません。
生で聴くのが初めてで、今回、たっぷり大編成のオーケストラが時に咆哮しても、知的に抑制され、歌手もその中で、楽器のように生かされているのを感じました。
そして、イメージやフレーズが、ヴォツェックに親和性があることも、よくわかったし、オペラの形態で追い求めたシンメトリーな構成をも聞き取ることができたのも実演のありがたみ。
林さんの、これまた抑制された歌声は、クールで切れ味も鋭いが、暖かさもただよわす大人の歌唱で、完璧でした。
 ベルクは、この歌曲集を、1912年に作曲しているが、作曲の動機は、マーラーの大地の歌を聴いたことによるもの。

時代は遡るが、後半はベルクからマーラーへ。

マーラーを得意にしているリットンさん。
手の内に入った作品ならではの、自在な音楽造りで、もうすっかり聴きなじんだ4番が、とても新鮮に、かつ、面白く聴くことができました。
強弱のつけ方、テンポの揺らしなど、細かなところに、いろんな発見もありました。
新日フィルも、それにピタリとつけて、とても反応がよろしい。
 1楽章の集結部、ものすごくテンポを落とし、弱めに徐々に音とスピードを速めていって、にぎやかに終わらせるという、聴きようによってはあざとい場面を聴かせてくれたが、実演ではこんなのもOKだ、面白かった。
 2度上げで調弦されたヴァイオリンと2挺弾きのコンマスの西江さん、繊細かつ洒脱でとてもよろしいかった2楽章。こちらも、細かなところにいろんな仕掛けがあって楽しい聴きもの。
 で、一番よかったのが、天国的なまでに美しかった3楽章。
美しいという形容以外の言葉しか浮かばない。
よく良く歌わせ、思い入れも、タメもばっちり、わたしの好きな、この3楽章の演奏のひとつとなりました。
 終楽章は、先にも書いた通り、歌が入ることで、ちょっとバランスがどうかな、となりましたが、これまた、心がホッとするような平安誘う、静かなエンディングと、大きな拍手までのしばしの間を楽しむことが出来ました。

ルル組曲の最初の方が、エンジンかかりきらない感じはありましたが、愛好するベルクの「ルル」を久々にライブで聴けた喜びとともに、マーラー⇒ベルクという世紀またぎの音楽探訪を、夏の一夜に堪能できました♪

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ホールを出ると、こんなクールなスカイツリー。

幸せな気分を後押し。

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2018年1月28日 (日)

マーラー 交響曲第2番「復活」 アバド指揮1965年

Azumayama_sunsghine_1

2018年1月2日の日の出。

相模湾を赤く染める朝焼けは、今年も、健勝に、そして明るく過ごしたいと、切に手を合わせたくなる神々しい美しさでした。

そんな1月も、もうじき終わってしまいます。
ほんと、毎日があっという間に過ぎてしまう。

今日は、時間をずっとさかのぼって、クラウディオ・アバドが世界のひのき舞台に躍り出るきっかけとなった演奏を聴きました。

Abbado2

   マーラー 交響曲第2番 「復活」

      S:ステファニア・ヴェイツォヴィッツ
      A:ルクレツィア・ウェスト

    クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                     ウィーン国立歌劇場合唱団

                   (1965.8.14 ザルツブルク)


伝説的な32歳のアバドのウィーンフィルとザルツブルク音楽祭デビューの熱演。

1959年指揮者デビュー、イタリアを中心にヨーロッパで活動、1963年、ニューヨークでミトロプーロス国際指揮者コンクールで1位となり、バーンスタインの助手となる。
 バーンスタインのヤングピープルズコンサートでラヴェルを振る映像が残されていて、youtubeでも見ることができます。
その後、ベルリン放送響へ客演し、カラヤンの目にとまることとなり、1965年のザルツブルクデビューとなります。
バーンスタインにもきっとマーラーの薫陶は得たであろうアバドは、同年7月に、スカラ座でまず、「復活」を指揮して、ウィーンフィルに臨んだ。
ちなみに、67年には、ウィーン響と6番を指揮。

2番と6番は、アバドにとって勝負曲のような作品であり、マーラー指揮者としての存在を確立させた2曲だと思う。

今回視聴のCDは、放送音源からのもので、当然にモノラル。
しかし、音に芯があって、聴きやすいもので、後半に行くにしたがって音楽が熱を帯びてゆく様や、緩徐楽章の美しさや、この頃、思い切り音楽を歌わせていたアバドならではのしなやかさも十分に楽しめるものです。

アバドは、このあと3種類の録音と、1つの映像(音源と同一)を残しています。

         Ⅰ   Ⅱ   Ⅲ   Ⅳ   Ⅴ   TTL

1965 ウィーン  20:55   10:18   10:40   4:42   32:28    79'05"

1976 シカゴ       20:47   10:03   10:33   5:28   34:51    81'11"

1992 ウィーン    21:20   10:34   11:48  5:28  36:16    86'32"

2003 ルツェルン 20:45    9:23    11:22  5:04   33:51     80'02"


4つの演奏の演奏時間。
なにも、演奏タイムが、その演奏の優劣に結びつくものではありませんが、その特徴をあらわしていることも確か。

トータルタイムが一番速いのが、ザルツブルクライブで、その次がルツェルン。
ルツェルンの一連のマーラー演奏が、明るく、透明感に満ちており、アバドの行き着いた境地を表しているところが、このタイムの変遷だけみてもわかります。
1~3楽章に、あまり変化は見られず、歌の入る楽章で、タイムの違いが出ている。
ことに、92年のウィーンライブの5楽章は、タイムをみると、ずいぶん念入りに感じますが、聴いていると決してそんな風には聴こえません。
ムジークフェラインの響きが影響した可能性はあります。

そして32歳のアバドと70歳のアバド、このふたつの演奏時間がとても近いところが、本当に興味深いし、アバドらしい。
 カラヤンに後押しされ、マーラーはまだ聴衆がついてこれないから危険だ、との周囲の声を跳ね返して、2番を選択した若きアバド。
この演奏の大成功で、ウィーンフィルとのレコーディングも始まり、世界のオーケストラから引っ張りだこになった、その記念すべき第一歩。
 ベルリンでのポストを終えて、ルツェルンで得た自分のオーケストラと、いろんな重圧から解かれて踏み出した開放的なさらなる第一歩。

もちろん、シカゴとの演奏には、このレコードが、メータやレヴァインらとともに、マーラー演奏に新しい風を呼び込んだという意味合いがあり、ウィーンライブには、アバドとウィーンとの決裂の時期的な意味合いも、それぞれ私にはあります。

さて、ザルツブルクの演奏に関し、アバドは後年語っています。
「自分を殺してやりたくなりました。本当です。終わって、後からテープを聴いて、初めて悪くなかったことに気づきました。もちろん変更すべき箇所は数多くありましたが、より自然発生的であることから、いくつかの部分は1976年の(シカゴ)の録音より優れています。不思議ではありますが、私のキャリアを通じて、その時点では不当に悪いというものの、いわゆる『スペシャル』な夜があるものです」

その自然発生的なるものが、終楽章にむかってじわじわと音から立ち上がってくる熱気に感じられます。ティンパニの強打や、猛烈なアッチェランドなど、スタジオでの冷静なアバドには出てこないような表現であります。
一方で、静かな場面での緻密な音の響かせ方などは、後年のものとそん色なく素晴らしい。

この演奏のラジオ放送を聴いていたアルフレート・ブレンデルは、見知らぬ指揮者ながら、「巨大な情熱と確信と支配力があって、それがオーケストラと聴衆に伝播させていた」と語ってます。

モノラル録音ながら、これを聴きながら、ダイナミックな大振りで、マーラーの音楽に没頭的になっているアバドの指揮姿や表情が思い浮かんできました。

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こうしてみると、ベルリンでの2番が残されなかったのが惜しい。

96年のベルリンフィルとの来日公演で、この曲を取り上げたとき、わたくしは、90年代のほぼ10年間、多忙な仕事や、子供らが生まれたことなどから、コンサートから遠ざかっていた時期にあたり、アバドの来日公演をことごとく聴き逃していました。
NHKの放送をビデオ収録してありますが、いまやそれも見れません。
いつかはDVDに復刻してやろうとは思ってますが・・・

Azumayama_sunsghine_2

ここまで日が昇ると、少し温もりも出てきます。

マーラーの2番の終楽章の圧倒的なフィナーレにふさわしい輝かしさ。

アバドを偲んで何度も聴きました。

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2017年11月27日 (月)

フィリップ・ジョルダン指揮 ウィーン交響楽団演奏会 2017.11.26

Minatomirai

日曜の夜のみなとみらいは、風が強かったがゆえに、空気も澄んで見通しがよかったです。

そして、みなとみらいホールで、見通しもよく、すっきり・くっきりの快演を堪能したました。

Wiener_symphoniker

   ベートーヴェン  交響曲第5番

   マーラー      交響曲第1番

   J・シュトラウス  「トリッチ・トラッチ・ポルカ」

              ポルカ「雷鳴と電光」

     フィリップ・ジョルダン 指揮 ウィーン交響楽団

                (1976.11.26 @みなとみらいホール)


75年のジュリーニ、2006年のルイージに次ぐ、3度目のウィーン交響楽団の演奏会。

ウィーンのセカンドオーケストラみたいに思われてるけど、ウィーンフィルは、ウィーン国立歌劇場のコンサート用のオーケストラで、いまでこそメンバーはほぼ一定のようだが、かつては、連日続くオペラの影響も受けてメンバーも変わったりということもあり、ウィーンの正統シンフォニーオケはウィーン響で、オペラ主体で、伝統ある定期演奏会もやるのがウィーンフィルという感じだったのが70年代頃まででしょうか。

ワルターやカラヤン、ベームも始終指揮をしていたけれど、ウィーン響は、長く続く首席指揮者が意外といなかった。
長かったのは、カラヤンとサヴァリッシュで、その後はジュリーニ、ラインスドルフ、シュタインも一時、ロジェストヴェンスキー、プレートル、エッシェンバッハ、デ・ブルゴス、フェドセーエフ、ルイージと、目まぐるしく指揮者が変わっているし、独墺系の人が少ないのも特徴。

でも、そんなウィーン響が好きで、レコード時代のサヴァリッシュの印象がずっとあるから。

前置き長いですね。

だから、今後の指揮界をしょって立つひとりの、P・ジョルダンには、長くその任について欲しいと思うし、おそらく初来日のジョルダンをともかく聴きたかった。
 スイスのドイツ語圏、チューリヒの出身であり、根っからのオペラ指揮者だった、アルミン・ジョルダンを父に持つフィリップが、オペラの道から叩き上げて、いまやパリ・オペラ座に、やがてウィーン国立歌劇場の指揮者にもなり、さらにバイロイトでもおそらく中心的な指揮者になりつつあることは、サラブレットの血筋とともに、スイス人的なオールマイティぶりにもあるものと思われる。

パリ・オペラ管とのベートーヴェン全集は、映像ですでに残されていて、いくつか視聴したが、今回のウィーン響との演奏は、現在チクルスで取り組み中であり、オーケストラの違いもあって、よりジョルダンらしさが徹底されていた。
 日本来日、初音出しが、第5なのも劇的。
対抗配置で、ベーレンライター版。
心地よいほどの快速なテンポでぐいぐい進むが、せかされたり、味気なかったりという想いはまったくない。
繰り返しは省略され、1楽章と2楽章、2楽章と3楽章は、指揮棒を止めず、ほぼ連続して演奏された。
全体が一気に演奏されたわけだが、緻密なスコアがあのモティーフで全体がつながり、そして暗から明という流れも明確になり、曲の密度もぐっと増した感がある。
 大振りの若々しい指揮ながら、オーケストラを完全に掌握していて、巧みに抑制をかけたりして考え抜かれた演奏でもあった。
全曲、おそらく30分ぐらい。
息つく間もなく歓喜のエンディングで、いきなり、ブラボーも飛び交いました。

ジョルダン&ウィーン響は、ベートーヴェン全集を収録中で、ウィーン響のサイトから拝借してここに張り付けておきます。第5も少し聴けます。
 
休憩後は、マーラーの1番。
2006年のルイージとの来日でも、この曲聴きました。

当時の配置の記憶はもうないが、今回のジョルダンのマーラーは、ベートーヴェンに引き続き対抗配置。
そして、改訂版では、3楽章のコントラバスはパートのユニゾンとされ、ルイージもそのとおりに演奏し、初改訂版だったので驚いたが、今回のジョルダン指揮では、慣れ親しんだソロパートによる演奏。
このソロがまた、艶やかで美しかった!
 そして、ルイージが避けた、終楽章のホルンパートのスタンドアップ。
ジョルダンは伝統に準じ、晴れやかにホルン全員立ち上がりました。

こんなことでわかる演奏の特徴。
アバドも一部そうだけど、装飾を排し、音楽の本質にピュアに迫るルイージの姿勢。
マーラー演奏において流れてきた伝統や、オーケストラのこれまでの伝統のなかで、過度なアーティキュレーションを抑えつつ、マーラーの持つ音楽の豊かさ、歌心において、新鮮な解釈を聴かせてくれたのがジョルダンだと思う。
伝統と、父親の姿をも意識するジョルダンと、新しい音楽の風潮が、フィリップのなかで、見事に昇華されて、彼の音楽観が生まれているんだろう。
 そんななかで、普段見過ごしがちな第2楽章が極めて面白かった。
ジョルダンの刻む、弾むリズムに、オーケストラが生き生きと反応し、新鮮なレントラーだった。そこにはウィーンの響きも。
 そして当然に、一気に、でも冷静さももって突き進んだフィナーレ。
自然な盛り上げでもって、高らかなファンファーレでもって爆発的なエンディング。
 そう、ものすごいブラボーでした。。。
ひっこんだと思うと、あっというまに出てくる精力的なジョルダン。
オケ全員を、一斉に振り向かせてホール後ろの客席にもご挨拶。

そして、アンコールは、爆発的な2曲。
みなとみらいホールは、最高に熱くなりました!

2020年、ウィーン国立歌劇場の指揮者になると、当然にウィーンフィルとの関係も深くなるので、ニュー・イヤーコンサートにも登場することでしょう。
明るい雰囲気と、優れた音楽性とその背景にある音楽への愛情と確信。

P・ジョルダンとウィーン交響楽団に注目!

コンサートのあとは、野毛で一杯。

神奈川フィルもお休み続きで心苦しい。
なんときゃ行かなくちゃ。
そして、ベイファンのお店でした。

Wiener_symphoniker_2

ジョルダン過去記事


 「ニーベルングの指環 オーケストラハイライト パリ」

 「バイロイト音楽祭 ニュルンベルクのマイスタージンガー」

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