カテゴリー「ブルックナー」の記事

2017年10月25日 (水)

ブルックナー 交響曲第9番 バレンボイム指揮

Shibaura_1jpg

竹芝桟橋からの月島方面の眺望。

日の出の時間帯です。

東京の都心はビルだらけで、空が狭い。

けれども、海方面に行けば、こんなに素晴らしい空も眺めることができる。

東京は、日本各地の美しさにも劣らず、このように美しい街です。

Burckner_sym9_barenboim

  ブルックナー  交響曲第9番 ニ短調

    ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

         (1975.5 オーケストラ・ホール シカゴ)


かつては想像もつかないくらいに、ブルックナーとマーラー、それに続いてショスタコーヴィチの交響曲全集が録音されるようになった。
いったいいくつあるんだろう、的なレベルだ。

レコード時代だと何十枚もの組み物になって、何万円もしたものが、いまや数枚、数千円のCD時代の恩恵もあるが、なんといっても、これらのシンフォニーたちが、ベートーヴェンやブラームス並の人気曲になった証であろう。

そんなわけで、自分もそこそこ全集そろえてしまいます。

3回もブルックナーの全集を録音している指揮者は、これまで、バレンボイムをおいて、ほかにいない。
入手して数ヶ月、ようやく聴こうと思ってるベルリン・シュターツカペレとの全集のまえに、最初のシカゴ響とのものをあらためて全部そろえてみて聴いてみた。
ゼロ番から順番に。

何度も聴いてきたもの、今回、初聴きのものも含めて、このシカゴとの全集は、室内オーケストラから、フル・オーケストラを指揮するようになって、まだ間もなかった30代のバレンボイムが、アメリカの超ド級のオーケストラを前にして、少しも臆することなく、堂々と渡り合う姿が、ときに頼もしく、ときに青臭くも感じる、そんな演奏となっている。

ショルティのもと、黄金時代を築いていたシカゴ響は、DGとは、メディナテンプルを録音会場としたデッカより先に、本拠地のオーケストラ・ホールでの録音をバレンボイムとのブルックナーシリーズで開始した。
DG初レコーディングは、72年の「4番」ではなかったのではないかと記憶します。
その次が、75年の「9番」。
このあと、シカゴ響は、アバドやジュリーニとも、76年からマーラーを中心に、怒涛の名録音を残していくことになります。
ちなみに、ジュリーニのこれまた名盤、シカゴとのブルックナー9番は、76年12月の録音であります。

 さて、通して聴いた、バレンボイム&シカゴのブルックナー。
特に、気に入った演奏は、レコード時代から聴きなじんだ4番、それと剛毅な5番、美しい6番、最近食傷気味だったのに、とても新鮮だった7番、若気の至り的に思ったけど、大胆な8番、そして堂々たる9番でありました。

そんななかから「9番」を記事にしてみました。

演奏時間61分、前のめりになることなく、いや、むしろ老成感すら漂わせる風格。
ときおり、若い頃のバレンボイムの力こぶの入った指揮ぶりを思い起こさせるところもある。(初めてバレンボイムの指揮をテレビで見たのが73年の、N響への客演で、実際に拳を握りしめて突き出すような指揮ぶりだった)
 しかし、そんな力の入れ具合が、完璧なアンサンブルと、絶叫感のないシカゴ響が見事に吸収して、堂々たる風格へと全体の雰囲気を作り上げているように思える。
テンポのとり方、間合いも泰然としたものに感じる。

孤高な感じと、スタイリッシュなカッコよさすら感じる1楽章には痺れました。
スケルツォ楽章では、シカゴのパワー全開な一方、デモーニッシュな吃驚感も導き出し、恐ろしい30代と思わせる。
諦念と、抒情、崇高さの相まみえる難しいアダージョ楽章も、若さの片鱗すら感じさせない熟した響きだ。
しかし、全編、ともかくシカゴはうまい。
特にブラスの輝きとパワー。

このレコードが出たとき、レコ芸の批評で、大木正興さんが、「端倪すべからざる演奏」としていたことが、今もって記憶される。
この言葉自体が、その後もバレンボイムの推し量ることのできない才能をあらわすものとして、自分の中には刻まれることとなったが、演奏のムラも一方で多い、この複雑な才人に対する言葉としても、言い得ているようにも思う。

このブル9あたり以降、バレンボイムはトリスタンを手始めに、ワーグナーに傾倒していくことになりますが、そんな気配もこの演奏には感じ取れることができます。
いいときのバレンボイムは、ほんとうに凄い。
2007年のベルリンとの来演のトリスタンがそうです。

さて、シュターツカペレ・ベルリンとの全集の前に、ベルリンフィルとの全集を手当てしようかな・・・悩み中

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2017年9月18日 (月)

ブルックナー 交響曲第8番 ショルティ指揮ウィーンフィル

Shiba

何日か前の東京の壮絶な感じの夕焼け。

このあと、西の方から台風がやってくるのでした。

そして、60年代、ウィーンを中心に嵐を呼んだ指揮者を。

Bru8_solti


    ブルックナー  交響曲第8番 ハ短調

    ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1966.11・12 ゾフィエンザール)


ほんとは大好きだけれど、めったなことでは聴くことが少なくなってきていた曲、それが、「ブル8」であります。

「ブル7」は、あまりにも演奏されすぎて、食傷気味。
曲が偉大すぎて、大きすぎるから、8番を敬遠。
9番も、やたらに好きだけれど、こちらは彼岸の曲にすぎるから、逃げてる風があるかもしれない。
だから、ブルックナーは、1、2、4、5、6番を普段聴きしてる。

そんな自分が、ふと気になったのが、ショルティの指揮する「ブル8」。

一般的には、シカゴとの全集録音の一環が、「ショルティのブルックナー」ということになるだろう。
しかし、ショルティが60年代、ヨーロッパを中心に、オペラ指揮者として活躍していた頃のブルックナーやベートーヴェン、マーラーの録音があることに、はたと思い出し、それらを聴いてみようということになったのだ。
 それらは、古いレコ芸の広告や、ロンドン・レコードの冊子などで見て、記憶の片隅にあったもので、これまで聴いてなかったけれども、ノスタルジーをかきたてる、そんな存在でもあったのだ。

で、手始めに聴いてみた「ショルティ&ウィーンフィルのブル8」。

いや、これが、実に爽快であった!

快刀乱麻、鬼のような形相で切りまくるブルックナーでもありながら、すべての音符が明快で、もやもやした、神棚に祀り上げられてしまったような、どこか遠い、崇高すぎるブルックナーではない。
手の届くところにある、ウィーンフィルのブルックナーでもあった。
そう、なんたって、プロデューサーは、ジョン・カルショーであり、音楽エンジニアは、ゴードン・パリーなのだ!!
 66年の録音といえば、58年から始まった、ショルティ&ウィーンフィルのトリスタンを挟んでの「リング」録音が、65年に終結したその翌年。
ホールもスタッフも、みんなおんなじ。

当時は、まだ難解な大曲だった「ブルックナーの8番」を、あの「リング」と同じく、優秀な録音で、明快に、わかりやすく聴いてもらおうという意欲が、演奏者・録音スタッフたちの共通認識だったかもしれない。

録音後、はや50年が経過し、そんな風に思える演奏なのだ。
この1年前、デッカは、同じコンビで7番、メータで9番をリング界隈で残しているのも、そうした意図があるのかもしれません。

全曲は、約75分。

速いところは一気呵成、それと、ドラマティックに燃え上がるところでは、壮年期のあの激しい、切るような怒涛の指揮ぶりが伺われるような、そんなすさまじさもあるけれど、さらに、音圧も強くて、はっきりしすぎの感もあるけれど、でも、相対的に、ブルックナーとしての伸びやかな佇まいと、まばゆさに欠けていないと思いながら聴いた。
ことに、圧巻の終楽章フィナーレは、有無をいわせず、かっこいい!

 で、なんといっても、ウィーンフィルの美しさ。
いまのオールマイティなウィーンフィルにない、ローカルな言語で語られるブルックナーは格別であった。
オーボエを中心に、鄙びた雰囲気の木管に、柔和なホルンに、丸みをおびた金管、そして懐かしいほどの親しみあふれる弦。
 これらを、しっかり捉えたデッカの録音。
あの「リング」の録音の延長線上にあるといっていいかもしれない。

この国内盤の解説には、リングの合間をぬって録音とあるが、それは間違い。

 「アラベラ」     1957年
  「ラインの黄金」  1958年
 ベートーヴェン 交響曲第3番、5番、7番 1958、59年
 「トリスタンとイゾルデ」  1960年
 「サロメ」       1961年
 「ワルキューレ」 1962年
 「ジークフリート」 1964年
 ブルックナー 交響曲第7番 1965年
 「神々の黄昏」          1965年
 ブルックナー 交響曲第8番 1966年
 「エレクトラ」           1966,67年
 「ばらの騎士」          1968年

ウィーンでのショルテイの録音は、あと、ワーグナーの管弦楽作品があるけど、こんな年譜かな。
こうしてみると、ひとつのレーベルが、ウィーンでのオペラ録音をとても計画的進めていったことがよくわかる。
あと、ショルティは、ローマやロンドンで、ヴェルディの録音を同じように行っていた。

ともかく、どちらかというと避けていた、この作品に、この演奏、大いに気にいりましたぞ。

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2015年9月23日 (水)

神奈川フィルハーモニー第312回定期演奏会  児玉 宏指揮

Minatomirai201509

コンサート終了後に、ランドマーク、みなとみらいホールを背に、海の方へ散策。

いい音楽、いい演奏を聴いたあとの充足感に満たされ、頬をうつ海から吹く風も心地よいことこのうえなし。

この日は、モーツァルトとブルックナーの、ともに変ホ長調の作品を聴いたのです。

Kanaphill201409

   モーツァルト  交響曲第39番 変ホ長調 K543

   ブルックナー  交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」
                        (第2稿1878/80 ノヴァーク版)

    児玉 宏 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.9.20 @みなとみらいホール)


本日の指揮は、大阪交響楽団の音楽監督、児玉さんの客演。
オペラでの共演はあるそうですが、コンサートでは初登場。
もちろん、わたくしは、初児玉さんですが、そういえば、新国立劇場によく通っているころ、シュトラウスやヴェルディで登場していたのを覚えてるし、なんといっても、大阪響のユニークなおもろい秘曲プログラムも気にはなっていたのでした。
 そして、なんといっても、この方の経歴。
ドイツ各地で、オペラを中心に活躍してきた叩き上げ、カペルマイスター的な存在なのです。

さて、その児玉さんの指揮は、まずはモーツァルトの39番。

ステージに置かれたバロックティンパニを見て、ツィーツィー・コツンコツンを予想したものの、序奏の第1音を聴いて即、その不安(?)は見事に払拭されました。
なんて、柔らかく、落ち着きある響きでしょう。
管はモーツァルトの指定どおり、弦も、刈り込んで、室内オケスタイルでの演奏。
指揮台と置かず、平土間にて、指揮棒をもたない児玉さん。

1楽章主部が始まって、割合ゆったりめの進行は、繰り返しも行いながらで長い楽章となりましたが、弛緩したところは全然なくて、音が生き生きしてました。
 そして、大好きな第2楽章。
ともかく美しい。神奈川フィルの弦の魅力は、少人数でも引き立ちます。
長調と短調の間を行き来するこの楽章の魅力を味わえました。
 クラリネットの競演が微笑み誘う第3楽章に、一転、早めの展開で、駆け抜けるように、そして爽快に終結した4楽章。

モーツァルトの交響曲では、一番好きな39番。
ドレスデンやベルリン、N響などで親しんできた、児玉さんの師、スウィトナーの演奏を思い起こしてしまった。
穏健で柔和。歌心を持った優しいモーツァルトでした。

休憩後はブルックナー。
前半30分、後半70分のロングコンサートですが、それぞれ、その長さをまったく感じさせない。
そんな、ともかく、流れのいい、曖昧さのない、清冽なブルックナー演奏でした。

後ろから拝見する児玉さんの指揮ぶり。
少し、ずんぐりむっくりの、熊さんみたいな風貌で、決して大振りはせず、誠実な棒さばき。
もちろん、ブルックナーでは、指揮台に立ち、指揮棒も手に。
 多くの指揮者は、主旋律や、引き出したい楽器・奏者に体を時に向けて左右に動くのですが、その動きがまったくなく、ほぼ正面に立ったまま。
ですから、その横顔や表情が、後ろの正面客席からは伺えません。
 そんな指揮ぶりに、オペラ指揮者としての片鱗を感じました。
舞台とピットをつなぐ、結点としての指揮者のブレのないあり方。
ですから、音は、どの楽器も声部も、突出することなく、スコアのとおりにすべてがきれいに聴こえるように思えました。
 オーケストラもきっと演奏しやすく、安心の指揮だったのではないでしょうか。

そんな音の絶妙なブレンドの具合が、ブルックナーにはぴったりで、強音でも、音がダンゴにならず、オーケストラは思い切りフォルテの域に達してるのに、全然うるさくなく、どの楽器もちゃんと聴こえるのでした。
 それと、つい細かく分けて振ってしまいがちなブルックナーですが、多くある2拍子をそのままゆとりを持ちながら振ってまして、聴き手から見ても、落ちいて拝見できるものでしたし、出てくる音に、幅とゆとりを生みだすものではなかったでしょうか。

 かなり繊細な出だしの、原始霧。
そこから立ち現われるホルンは、お馴染みの実加ちゃん。
お父さん的な心境で、がんばれがんばれと念じながら聴きましたが、杞憂に終わり、全曲にわたって、艶のある明るい音色が安定して聴くことができました。
彼女をトップに、この日は、若いホルンセクション4人。
とてもよかったと思います。
 そして、ブリリアントな低音金管はベテランのみなさん。
ホルン・金管が突出することなく、マイルドに溶け合う様は、とても見事でした。
 3楽章では、甲冑が煌めく中世の騎士さえ脳裡に浮かぶような、そんな輝かしさも!

その3楽章のトリオでの、牧歌的な木管のほのぼのしたやり取りも楽しく、ベテランと若手の融合がここでも素敵に結実してます。

この演奏で、わたくしが一番感銘を受けたのは、第2楽章です。
ドイツの森を、後ろ手を組んで、ゆっくりと逍遥するイメージを常に抱くこの楽章。
まさに、その思いを満たしてくれる味わい深い演奏。
深みと艶のあるチェロに、存在感の増した渋いヴィオラセクション。
繊細なヴァイオリン群に、軽やかな木管。
ずっと聴いていたかった。

そして、錯綜する、ややもすると複雑に聴こえる終楽章。
オーケストラは全力投入、指揮者も全神経を集中し、極めて密度の高い充実の集大成となりました。
楽章の半ば、弦で回帰してきた、大きな嘆息のように第2主題を、かなり思い切り奏していたのがことさらに印象的です。
難しい、最後の終結部の盛り上げ方も見事で、神々しさすら感じました。

濃厚さや重厚さ、というよりは、叙事詩的な豊かさと、ナチュラルな情感にあふれた、わたしたち日本人の情感に即した名演奏だったと思います。

最後の音が見事に決まったあと、間髪入れず、拍手が起きてしまったことは残念ですが、会場は大きな拍手とブラボーに包まれ、オーケストラの皆さんも、児玉さんを暖かく称えるなか、この満足満点の演奏会は終了しました。

終演後のアフターコンサートは、今回も、体調調整中につきお休みしましたが、応援仲間のみなさんは、美味しいビールで乾杯したそうな。
さぞかし・・・・・。
いつか、そちらも復帰しますよ

神奈川フィル、次回は、川瀬さんの指揮で、ショスタコーヴィチとシベリウス。
大すきなシベ5ですよ
 

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2015年9月20日 (日)

ブルックナー 交響曲第4番 聴きまくる

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雨ばかりの関東に、先週、めずらしく訪れた刹那的な夕焼け。

この時期どおりの天候のなかでは、安定した晴れは、約束されたような美しい夕焼けを運んでくるけれど、最近は、悪天続きで、お日様に出会えない日々が続きました。

この夕焼けも、この日、数時間後には、大雨に変わったりしてます・・・・。

 かつての日々(~子供時代?)が懐かしい。

そう、ここ数年で、これまでの数十年単位の昔の風物や、価値観、そして気象が、極めて劇的に変化してしまった・・・・。
当然に、人々の思いや、思考回路も変化してしまった。

 音楽の受け止め方や、演奏のありようも、当然に変わりつつあり、ゆっくりですが、クラシック音楽界も、演奏する側と、聴く側とで、その時間差はありつつも、変化が生じているように思う昨今。

そんななか、今度の神奈川フィルの定期演奏会で聴くことになる、ブルックナーの交響曲第4番を。
自分が、どちらかとうと、昨今の演奏を聴いてないなか、これまで聴いてきた数種の演奏をつまみ聴きながら、その予習とさせてただきたく。

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 ブルックナー 交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」

ほぼ交響曲しかないブルックナーの作品の中にあって、おそらく一番人気の作品が4番。

真偽は不明ながら、硬ブツの作者も、ロマンテッシュと呼んだか否か、そんなタイトルも、ほどよい長さも、人気を後押ししてますね。

でも、ブルックナー初心の多くの聴き手は、冒頭の原始霧からあらわれるホルンの響きと、そこから始まる豊かなクレッシェンド、その数分でしか、この曲をイメージできないのではないかと思います。

かく言うワタクシも、そうでありまして、初レコードでも、その場面ばかりを何度も繰り返しきたものでした。
でもね、この場面って、ピアニシモから始まって、雄大なクレッシェンドがやがて創出される・・・・、この曲のもっとも麗しい場面です。

でもしかし、全4楽章を、真摯に聴くようになって、この場面は、ほんの表面的な一部分であって、本来のこの作品の魅力は、第2楽章と、複雑極まりなく聴こえる4楽章にあると、「いえよう」。

本日は、これまで聴いてきた、ブルックナーの4番を、あれこれツマミ聴きしてみましたよ。

画像にあげたものは、レコードやCDで所有しているもの。

これらのなかで、自分の思い出も含めて、思い入れのある演奏は、カラヤンとバレンボイム、そしてアバドです。

初に、この4番を体験したのが、カラヤンのEMI盤です。
わたくしが、クラシック音楽へのめり込んだきっかけを作ってくれた、伯父と従兄のお家で、聴かせてもらい、カセットテープに残したものでした。
 当時、ワーグナーにはぞっこんでしたが、初のブルックナーの壮麗な音楽に、びっくりしたものでした。

その何年後か、ベームがウィーンで録音し、これまたFM録音しました。
そして、バレンボイムのシカゴでの録音を購入し、その録音の素晴らしさと、シカゴのべらぼーなウマさに感服。

・・・・以来、いくつものブル4を聴いてきました。
ブログ開設前ですが、自分でブル4特集を企て、毎日、その音源を聴きまくった日々もあります。

ライブ演奏では、なんといっても、アバドとルツェルンの蒸留水のような澄み切った演奏が、神がかったものとして永遠に記憶されますし、あと、ベルンハルト・クレーと都響の演奏も、孤高の演奏でありました。

そんなこんなで、今夜は、時間の許す限り、手持ち音源を抜粋しながら確認。

やはり、刷り込みとなっている、カラヤンとバレンボイムに、安心感を抱きます。
そして、かつて、本ブログにも取り上げましたが、メータ&ロスフィルのデッカならではの鮮やかな録音と、ゴージャスでありつつ、渋さも兼ね備えた演奏が、大いに気に入りました。
 そして、落ち着きと微笑みを感じさせるのが、ウィーンフィルの演奏。
ベーム、ハイティンク、アバドの音盤は、癒しの域でもあります。
 しかし、「ロマンティック」という名前をかなぐり捨てさせた、シンプルかつ、交響楽的な、純音楽的な解釈を、アバドとルツェルンのライブ演奏で味わい、この作品にまつわる固定観念の払拭へと、この歳にして思わせる結果となりました。

やはり、アバドはすごかった・・・・・。

明日に備え、本日は終了しますが、ブル4の過去演奏への想い、神奈川フィルの演奏は、いかに応えてくれますでしょうか♪

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2015年1月26日 (月)

神奈川フィルハーモニー第305回定期演奏会  サッシャ・ゲッツェル指揮

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曇天のみなとみらい。

久しぶりのみなとみらいホールに帰ってきた神奈川フィルの定期なのに、ちょっと残念な曇り空。

でも、そんなの関係ないくらいに、熱く、かつ、スマートで、超シビレる最高のコンサートでした。

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  コルンゴルト    組曲「シュトラウシーナ」

  R・シュトラウス   4つの最後の歌

       ソプラノ:チーデム・ソヤルスラン

   ブルックナー         交響曲第9番 二短調 (ノヴァーク版)

      サッシャ・ゲッツェル指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                      (2015.1.24 @みなとみらいホール)

主席客演指揮者ゲッツェルさんの今回の3つのプログラムの最後。

出身地ウィーンの音楽であり、かつ、3人の作曲家のほぼ最後の作品を集めた魅惑のプログラムです。

可愛くて、ステキなきらめきの音楽、コルンゴルトの「シュトラウシーナ」。
曲の概要は、こちら→FB記事で

「ポルカ」「マズルカ」「ワルツ」の3部の鮮やかな対比は、原曲のJ・シュトラウスの曲の良さを、さらにゴージャスにグレートアップしたコルンゴルトの巧みな手腕を感じます。
 ビジュアルで見ると、ハープにピアノに打楽器が加わるきらきらサウンドの仕組みが、よくわかります。
華やかなワルツには、ウィーンへのオマージュと、どこか後ろ髪惹かれる寂しさも感じる曲ですが、ゲッツェルさんに導かれた神奈川フィルから、爛熟のウィーンの響きを聴き取ることもでき、冒頭から陶酔してしまいましたよ。

あらためて、コルンゴルトと神奈川フィルとの音色の相性の良さを確認しました。

それは、次のもうひとりのシュトラウスの響きでも同じく感じたところ。

「4つの最後の歌」は、2007年に、シュナイトさんの指揮で聴きましたが、それはもう絶品とも呼べる美的かつ、ドイツの深い森から響いてくるような深い音楽でした。
 かつてのシュナイト時代の響きが戻ってきたかの思いのある、今回のゲッツェル・シリーズ。
深さはないけれど、音の美しさと、それを選び取るセンス溢れる美感。
同じ独墺系でも、世代の違いで、スマートさがそこに加わった。
いくぶんのサラサラ感が、次のブルックナーにも感じられるところが今風か。

透明感と少しのあっさり感は、音楽が濃厚になりすぎずに、かえって気持ちがよく、まして、土曜の午後にはぴったりのシュトラウスでした。
ホルンソロも、石田コンマスの華奢だけど、滴るような美音のソロも、素晴らしいものですが、シュナイトの時には、濃密に感じたその音色も、ここでは、すっきりとした透明感のみが支配する感じでした。

そして、ソプラノ・ソロは、トルコ出身のソヤルスランさん。
リリック系で、スーブレット系の役柄、例えば、フィガロや後宮、ミミやジルダなどを持ち役にする逸材のようです。
ボーイッシュなヘアだけど、とても女性的な身のこなしでもって、最初の登場からして、その麗しい歌声を予見させました。
 
 彼女にとっての外国語であると思われるドイツ語。
その言葉を、極めて丁寧に、一語一語に想いをこめて歌う姿は、真摯で、ホールの上の方を見つ目ながらの眼差しもエキゾティックで、われわれ日本人には親しみもあり、とても印象的なのでした。
 そのお声は、確かにモーツァルトを歌うに相応しい軽さもを認めましたが、一方で、わたくしには、少し太く、彩りもちょっと濃く感じる歌声に感じました。
語尾を少し巻いて、蠱惑感を醸し出すあたりは、どうなのかなとも思いましたし、 この曲のもつ「最後の歌」という、透徹な澄みきった心情という側面からすると、ちょっと違うかなと。
 でも、こんな声での「4つの最後の歌」は、妙に新鮮で、どこか、別次元から聴こえてくるような、そんな歌でした。
ある意味、まさに、新しいアジア感覚といいますか、どこにも属さない歌の世界を感じました。
ドイツを中心に活躍する彼女ですが、できれば、その独自性をもってユニークな歌唱を築き上げて欲しいものです。

 
 休憩後は、ブルックナー。

神奈川フィルのブル9は、やはり、シュナイトさんが、かつて取り上げておりますが、それは聴くことができませんでした。
そして、ブルックナーの後期の交響曲の凄演といえば、ギュンター・ヴァントが到達した孤高の世界が、ある一定の模範として、わたくしのなかにはあるのです。
8番しか実演では聴けませんでしたが、CDでの数種ある第9は、もう、それを聴いたら緊張のあまり、なにもすることができない、究極の演奏すぎるところが、ある意味難点で、おいそれと聴くことができません。
 きっと、いまなら、ティーレマンあたりが、そこに重厚などっしり感もまじえて、緊迫のブル9を演奏するのだろうと思います。
ティーレマンというより、スマートなウェルザー・メストみたいな感じ。
若いころの、ちょっと熱いスウィトナーみたいな感じ。
やはり、オーストリアは、イタリアに近い。

この日のゲッツェルさんのブルックナー。

この曲が、最後の作品であることや、未完の、そして彼岸の音楽であること、それらを、まったく意識させることのない、一気通観の、流れのいい演奏でした。
随所に、立ち止まって、ブルックナーの音楽にある、自然の息吹や森のひとこま、鳥のさえずりといったような瞬きは、あんまり感じさせてはくれなかった。
ましてや、オルガン的な重層的な分厚い響きとも遠かった。
 ゲッツェルさんは、流動感と、立ち止まることのない、音楽の勢いを大切にして、オーケストラも聴き手も、引きつけながら、最後の静寂の終結に向かって一気に突き進んでいった感じ。
 時計を見たら、ほぼ60分。
もっと短く実感した。

そこここに、キズはありました。
でも、そんなの全然関係ない。

オーケストラをよく響かせ、鳴りもよく、整然としながら、がんがん煽る。
神奈フィルは、目いっぱい、その指揮に応えて、必死になって演奏してる。
いつもお馴染みのみなさんが、音楽に打ち込み、夢中になって弾いている姿は、それだけでも、自分には感動的でしたが、そこから出てる音楽が、先のとおり、理路整然として、耳に届いてくるところが、ゲッツェル・マジックとも呼ぶべきでしょうか。
2楽章の爆発力と、自在さ、それはもう、この指揮者のもっとも雄弁さが発揮された場面です。

 
 1楽章と3楽章にあるカタストロフ。
その破滅感と、そこからの立ち直りが、この曲の、ある意味かっこいい魅力なのですが、そのあたりの風情は、実は少しあっさり気味。
3楽章では、それを繰り返して、終末観あふれるエンディングを迎えるのですが、そこでも、同じようなイメージ。
ゲッツェルさんが、今後、きっと突き詰めてゆく、これからの世界なのでしょうか。
でも、それは、そうあらなくてはならないという、ブルックナーに込めた自分のイメージに過ぎないのでしょうか。

 
 いろいろ思いつつ、でも、いまここで鳴っているブルックナーの音楽が、響きの豊かな、みなとみらいホールの天井から、まるで教会からのように降り注いでくる思い。
それは、まさにライブではないと、味わえないもの。
それが、美音のブルックナーだったこと。
リズム豊かで、歌にも配慮したゲッツェルさんの指揮だったこと。
そして、なにより、かつての音色に近づいた神奈川フィルの音色だったこと。

それらが、ほんとうに、すばらしくて、このコンビを讃えて、思いきり手が痛くなるほどに、拍手をいたしました。

11月には、ブラームスとコルンゴルトで、また帰ってきてくれるゲッツェルさん。
トルコ、日本、北欧、ウィーン、ドイツを股にかけて活躍中。
彼が、これからどうなって行くか、もちろん、日本では、神奈川フィルオンリーで、絶対注目の指揮者です!

Umaya1

この日も飲みましたねぇ~

出来立ての横浜地ビールを次から次に、美味しい神奈川産のお料理で。

毎度、お疲れのところ、楽員さんや、楽団の方にもご参加いただき、We Love 神奈川フィルは、また、新しい仲間も増えて、楽しい会合を過ごすことができました。

お隣にも、ほかにも楽団員さんが、偶然、お見えになり、神奈フィル大会になってしまったお店なのでした。

楽しくて、はしゃぎすぎちゃいました、お騒がせしまして、すんません~

Pub

思えば、今回のメインプロは、英雄とブル9。

亡きクラウディオ・アバドの、最後のルツェルンでの二つのコンサートがその2曲。
そして、それを引き下げて、昨年秋に来日予定でした。

そんなことも、心にありながら、聴いたこのシリーズ。

忘れ難い演奏会の数々となりました。

 さらに、次のお店で、軽く一杯やって、終電、湾岸列車に飛び乗りました。

ゲッツェル号は、いまごろ、欧州へ。

また帰ってきてね!

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2014年12月30日 (火)

ブルックナー 交響曲第9番 アバド指揮

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東京タワーには、数日前から2014年の表記が。

そう、あと1日で、終わってしまうんです、2014。

Tokyo_tower_6

2014は、ショックなことが起きた。

最愛のクラウディオ・アバドの死がそうです。

なんで、神様は許してくれなかったんだろう。

音楽に全霊を尽し、謙虚に、静かに生きたクラウディオを、神様はまるで急いだかのようにして、天国に召してしまった。

そんな矛盾と齟齬に、怒り、悲しんだ2014。

 その後も、何人かの聴き親しんできた演奏家たちの訃報が相次いだ2014。

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  ブルックナー  交響曲第9番 ニ短調

   クラウディオ・アバド指揮 ルツェルン祝祭管弦楽団

                (2013.8.21~26 @ルツェルン)


いまの時点で、アバド最後の演奏の録音です。

今年のブラームス・チクルスは、主を失ったオーケストラを、ネルソンスが救いましたが、2013年のルツェルンでは、アバドは二つのプログラムを指揮しました。

 ①ブラームス   「悲劇的序曲」

   シェーンベルク 「グレの歌」から

  ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

 ②シューベルト  交響曲第8番「未完成」

   ブルックナー  交響曲第9番

このふたつのプログラムを、2013年の秋には、①の内容を替えて②を携えて、日本にやってくる予定でした。

それから数か月で訪れたアバドの死に、なすすべもなく、泣き崩れたワタクシでした。

①は、NHKで、昨夏、すぐさま放送されましたが、ブラームスとエロイカは、覇気が少し弱く、アバドの指揮にも疲れを感じたのでした。
 でも、シェーンベルクになると、息を吹き返したかのような、感興あふれる没頭感ある指揮ぶりだったところが、いかにもアバドらしくて、気に入りました。

 でも、それにしても、疲労の色濃い、「英雄」の指揮ぶりには、その元気の具合が確かめられるゆえに、不安と不満を覚えたものです。
 ずっと、ずっとアバドを見守り聴いてきた自分には、あの映像にあるアバドの指揮ぶりが、これまでとは明らかに違うものを感じ、録音したその音源にも、一瞬、気が抜けたような箇所を、感じ取っていたのでした。

 この様相と同じものを、かつて、99~00年、最初の癌のときの、少しばかり緊張感の抜けた緩い場面を、そのときどきのライブ放送に、そして、いくつかの録音に感じていたのでした。

そして、今宵の、アバドのブル9。

素晴らしき高みに達した、あきれかえるくらいの音楽再現という名のすさまじい行為。

執念すら感じる、アバドの音楽への打ち込みぶりを感じ、そのアバドの全霊を受けとめ、そっくりそのまま、鏡のように跳ね返すオーケストラ。

演奏という音楽の表現行為の、行き着いた最果ての結果を、ここに感じます。

「無為自然」

あるがまま、なにもせず、すべてが充足し、あるようで、なにもない。

そんな感覚を呼び覚ますのが、アバドが到達した最後のブルックナー。

 気の抜けたような生気の不足は、もしかしたら、現世からの離脱、肩の力が抜けきった、ほんとうの別次元を数々体感した、アバドならではの優しい世界=領域ではなかったか・・・。
そのように、この音盤を聴いて思います。

①で、あれ、っと思ったブラームスとエロイカも、もう一度ちゃんとした映像で確認したくて、正規盤を入手すべく、クリックいたしました。

ひとりの偉大な人間の、最後の瞬き。

こうあって欲しい。

いや、こうあらねばならない。

いろんな想いを抱きつつ聴く1時間は、ほんとに、あっさりと、最後の崇高なアダージョの最終局面を迎えることになるのでした。

ブルックナーの第9とはいえ、格別な存在じゃなくて、普通に存在する名曲として、さらりと演奏してしまった、高度な演奏だと思います。

アバドは、明日も生きようと思っていたし、オケも、このマエストロともに、次のブラームスを楽しみにいていた、そんな前向きな演奏に感じます。

でも、くどいようですが、少しの気の抜け方と、ゆるやかさがどうにも気になる1枚でした。。。。

 アバドのブル9過去記事

 「ウィーン・フィル」

 「ベルリン・フィル」

ベルリンフィルとのライブが、異様なまでのテンションで、切れば血しぶき、ほとばしるような、すさまじい最高潮の名演なんです。

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2014年7月17日 (木)

ブルックナー 交響曲第5番 マゼール指揮

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マゼールと結びつきの強かった音楽都市のひとつは、ウィーン。

ウィーンフィルハーモニーとは、デッカの初期録音から、ずっとわたくしたちに馴染みのあるものでしたね。

思い出すだけでも、指がいくつあっても足りないくらいに、ウィーンとは数多くの録音を残してます。

ウィーンフィルとは、何度も来日してますが、最初が80年で、そのときはテレビ観劇。
田園と第5という、やたらと定番のプロを、NHKホールからの生放送で聴きました。
後日、ウィーンでの未完成とともに、このときの第5は、正規に発売されております。

その次の83年の来日公演を聴くことができました。
シューベルトとマーラーの5番のプログラム。
マーラーは、その当時のマーラー熱もあって、忘れることのできない凄演奏でしたが、シューベルトも、弾むような心意気のよい、清々しい演奏だったのです。
休憩中に、あの楽しい雰囲気の終楽章を口ずさんでいた人がいたのを、いまでも覚えてますよ。

そのあと、86年にもこのコンビはやってきて、チャイコの5番をメインとしたツアーでした。
これは聴くことができませんでしたが、ウィーンフィルが日本で自国もの以外の、ましてチャイコをやった初の機会だったかもしれません。

アバドのベルリン就任で、へそを曲げてしまったマゼールに、大人げなさと、アバドを揶揄する発言に怒りを覚えたわたくしは、それまで、マゼールを積極的に聴いてきたのに、裏切られたようで、以来、オペラを除いてあまり聴かなくなってしまったんです。

そのあたりまでの来演演目でお気づきのとおり、なぜか、「5番」ばかりなんです。

ベートーヴェン、シューベルト、チャイコフスキー、マーラー。

そして、ウィーンフィルとのコンビで、忘れてはならない名品が、ブルックナーの5番なのであります。

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   ブルックナー  交響曲第5番 変ロ長調

  ロリン・マゼール指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                    (1974.3 @ウィーン、ゾフィエンザール)


ジョージ・セルのあと、クリーヴランド管を救い、最高のコンビネーションを生んだアメリカでのポストを持ちつつ、ウィーンでも継続的な活動が進行していたマゼール。

当時、専属だったデッカ=ロンドンチームの優秀録音のイメージも加わり、華やかな活動が目立った70年代のマゼールです。

この時代のマゼール、すなわち、クリーヴランドを中心に、ウィーンとロンドン、パリの録音が、実は、わたくしは一番好きなのです。

40歳代の血気あふれるマゼールの、完璧な棒さばきと、オーケストラを強引なまでに我がものとしてしまう、強靱な意思とその力。

どのオーケストラも、マゼールの指揮に、魔法がかかったかのようになってしまい、マゼールの世界に奉仕してしまってます。

あのウィーンフィルが、アバドのもとでは、自由自在に、のびのびとふるまっていたのに。
ベームのもとでは、ガチガチになりつつも、優美なモーツァルトを演奏してたのに。

かの有名なマゼールとの「ハルサイ」のキテレツてきなおもろさは、ハルサイ史上、いまもってナンバーワンだと思います。

その彼らの同時期のブルックナーは、これまた、新鮮きわまりない果実の甘みも、苦みも、ともどもに味わえる雰囲気豊かな名演なのでした。

ブルックナーの交響曲のなかでも、硬派な形式を持ち、禁欲的な宗教観も背景に感じさせる荘厳な作品。
ですが、そればかりでは、堅苦しくガチガチの演奏になりがちなのですが、マゼール&ウィーンフィルは、先にも書きましたような甘味さも含めせながら、明るく伸びやかなユニークな5番を造り上げました。

全体の構成と、かっちりした様式をしっかりと踏まえ、ブルックナーならではの、横へ横へ伸びてゆく旋律線を、ブツ切れにならないように、しっかり聴かせる。
リズミカルな場面も、生き生きとした味わいにあふれてる。
ドラマティックな展開も、急くことなく、堂々としている。
でも、細かなまでに、表情づけが豊か。
デフォルトする場面は少なめで、あくまで全体に流れはナチュラル。

そんな、ブル5に仕上がってます。

バイエルンとのブルックナー全集は、ひとつも聴いてませんが、こちらのウィーンでの5番は、きっとマゼールのブルックナーの一番の演奏ではないかと、確信してます。

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2014年2月23日 (日)

神奈川フィルハーモニー第296回定期演奏会 飯守泰次郎指揮

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観覧車の時計は、終演後の時間を指してますが、土曜の午後のコンサートが終了。

冷たい空気、気持ちがいい青空。

清々しい気分で、ホールを後にしました。

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  ワーグナー  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

  ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調 (ノヴァーク版)

      飯守 泰次郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

            (2014.2.22@みなとみらいホール)

これはある意味、絶対的・定番のプログラム。

独墺系オーケストラや指揮者の来日公演でもよく見るプログラムで、ときに、ブルックナーが、マーラーの5番だったりします。

いずれにしても、わたくしの大好物演目が、飯守先生の指揮と神奈川フィルで聴けた幸せを、本日もまだじんわりと噛みしめております。

飯守さんの「トリスタン」は、ずっと昔から、ことあるごとに聴き続けております。
名古屋フィルの指揮者時代に、おりから名古屋単身赴任中だったので聴いたほぼ全曲のコンサート形式上演。
シティフィルとの全曲上演。
都響とのライブCDの「前奏曲と愛の死」。

そのいずれも、今回の神奈川フィルとの演奏とで、まったくブレがなく、その印象は同じ。

一番古い記憶は、70年代半ば、飯守さんが、バイロイトで活動しているころ、N響に登場したときも、「トリスタン」だった。
8分の6拍子の前奏曲を、丹念に6つで振り分けていたのをおぼえてます。

克明・着実が、飯守さんのワーグナー。
スコアを信じて、音楽だけの力で持って、盛りあがってゆく前奏曲の自然なうねり。
1本の半音階トリスタン動機が、じわじわと変化しつつ、各楽器に橋渡しされてゆく。
ライブでオーケストラを俯瞰しつつ聴く「トリスタン」の喜び。
官能のうねりが、フォルティシモで最高潮に達し、カタストロフのように引き潮で音が引いてゆく83小節目。
飯守さんの「トリスタン」は、ここが真骨頂。
勢いで雪崩打つような演奏が多いなか、ここは、神戸さんのティンパニの一撃のあと、一音一音を際立たせるようにしっかり下降。
CDでも、ほかのライブでも、飯守さんはいつもこうだ。

「愛の死」もじっくりと丁寧に仕上げることで、大いなる感銘の渦を引き起こしてました。
わたしは、胸がつまってきて、思わず涙が出ちゃいました。

神奈川フィルの美音と、飯守さんの克明サウンドが、素晴らしいワーグナーとなりました。

続くブルックナーも安定的な佇まいと、自然の息吹と、音楽そのものの魅力を感じる名演です。

息の長い旋律と、執拗なまでのリズムの刻み。
ブルックナーに必須の要素はすべて盛り込まれ、個々にも美しい景色はたくさんありましたが、全体の見通しをガシッと掴んで、この大曲を一気に聴かせてしまった感があります。

でもとりわけ素晴らしかったのは、第2楽章。
悲しみの第1主題、ほんとうに心がこもってて、荘重かつ神々しい。
ワーグナーの姿もそこには見る思いだ。
そして、優しく滋味あふれる第2主題は、さすがの神奈川フィルの弦。
あまりに美しく、そのあとを受ける木管群も抜群に美しい。
ブルックナーの緩除楽章の魅力は、ヨーロッパ・アルプスの野辺を思わせる自然美を感じさせることにあると思います。
この飯守&神奈川フィルの演奏は、まさにそんな光景が眼前に浮かぶような素晴らしいものでした。
 クライマックスで高らかに鳴り渡るシンバルやトライアングルも、突出せず、音楽の流れにしっかり組み込まれた渋いとも感じさせる響きでした。

2楽章ばかりを書いてしまいましたが、どの場面でも、飯守さんは、オーケストラに一音一音をしっかり鳴らさせ、それによって、ホールはドイツ的な克明な響きに満たされたような感がありました。
先月のゲッツェルさんの、輝かしい音色から一転、同じドイツでも、かっちり明確なサウンドを引き出した飯守さん。
 神奈川フィルのフレキシビリティもたいそうなものと感心いたしますが、指揮者でこんなに変わるものか、またその個性と実力のほどを感じました次第です。

ベームやシュタインの跡をたどっているような飯守さん。
新国立劇場での「パルシファル」と「オランダ人」。
さらにシュトラウスやモーツァルトの上演なども期待したいですし、なによりも、神奈川フィルには定期的にやってきて欲しいものです。

演奏終了後、聴衆も、オーケストラからも、飯守さんを讃える拍手が長く続きました。

満足の気分のまま、増えつつある、いつもの仲間に楽団からもお迎えして、コンサートの感度をそのままに、楽しいビール会に席を移して、遅くまで楽しみました。

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いつもおいしい、出来立ての横浜地ビール。

泡までおいしい。

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全部、神奈川産の食材。

神奈川のサウンドに、ビールに肴。

土曜公演は、しばらくないから、こちらのお店もしばらくご無沙汰となります。

来月は、聖響じるしのマーラー6番。

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2014年2月21日 (金)

神奈川フィル定期演奏会 前夜祭 アバドの指揮で

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まだ残雪の残る2月19日の、湯島天神。

「湯島の白梅」といえば、江戸の情緒あふれる街と、こちらの天神さまを思いますが、周辺は、ビルや住宅が立ち並び、こうして背景も、ちょいと無粋なこと極まりないです。

相次ぐ雪で、こちらの梅の開花は足踏み状態。

次回の神奈川フィルハーモニーの定期演奏会は、わたくしの大好物ばかり。

 ワーグナー  「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死

 ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調

  飯守 泰次郎 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

         (2014年2月22日 14:00 みなとみらいホール)


神奈川フィルに飯守先生の登場。

しかも、ワーグナーとブルックナーで。

ワーグナー好きとして、飯守さんのワーグナーは、故若杉さんとともに、ずっと聴いてきました。
そして、ついに次期、新国立劇場の音楽監督として就任し、いきなり「パルシファル」や「オランダ人」を指揮。
バイロイトでの穴倉経験も豊富で、ワーグナー家からも一目置かれてきた飯守先生の「トリスタン」と、ワーグナーの死を予見し、期しくも師への告別の楽章となってしまった2楽章を持つ、ブルックナー7番。

今日は、アバドの指揮で予行演習しておきます。

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 ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調

  クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1992.3 @ウィーン・ムジークフェライン)

                  ルツェルン音楽祭管弦楽団

                     (2005.8 @ルツェルン)


正規録音(映像)は、このふたつ。
                     
                    

ウィーン時代末期、ベルリンに主体を移したあとの録音は、演奏時間64分で、それでも速めでこだわりの少ない、すっきりと歌う、清々しいブルックナー。
ウィーンフィルの美感を、充分に活かした、ウィーンのブルックナーでもありました。
すみずみまで、よく歌っていて、どこも過不足がないので、演奏時間の割りに、ゆったりと感じます。

そしてルツェルンでは、演奏時間が60分を切る、こだわりの少ない快速版。
ベルリンを卒業してからのアバドは、音楽が凝縮され、テンポも早くなり、音色は常に明るく、そしてなによりも若々しい音楽造りとなった。

すべてのしがらみや、苦しんだ病からも解放されて、音楽する喜びを全身にあらわして指揮するアバドに、彼を慕う演奏家たちは、夢中になって、恐ろしいほどの集中力と、アバドへの献身的な思いでもって答えました。

アバド追悼のシリーズで、ルツェルン時代は、またゆっくりと取りあげることとします。

私家盤の放送録音では、84年のウィーンフィル(ザルツブルク)と、88年のウィーンフィルのふたつがありますが、84年が62分、88年が64分と、ライブならではのタイムの違いが出ておりますことは、面白いことです。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 前奏曲と愛の死

  クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                   (2000.11 @ベルリン)


もう何度もブログでは取り上げました、アバドのトリスタン。

ここでもアバドの音楽は明るいです。

シェイプアップされた、ベルリン・フィルのスリムな響きも、カラヤンのずしりと響く豊かな低音のワーグナーとは別次元のものです。

カラヤンのワーグナー自体が、練り上げられた響き重視のスマートなものでしたが、それでもピラミッド的な重層的なオーケストラサウンドがそのベースにありました。
 アバドのワーグナーは、豊かな歌の中に、ワーグナーの響きを明晰さとともに、解放してしまった感があります。
 ここは、こう粘って・・・とか思ってると、一気呵成に駆け抜けたりして、サラリとしたものです。
しかし、前奏曲の持つ熱いうねりと、愛の死の高揚感は、アバドならではの集中力と緊張感にあふれたものです。

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 飯守泰次郎指揮 東京都交響楽団

             (2004.1 @東京文化会館)


ブルックナーは持ってませんが、飯守さんのワーグナーは愛聴盤のひとつです。

全編、オペラティックな雰囲気にあふれ、ことに「トリスタン」は、どっしりと腰を据え、まったくブレのない、正真正銘のドイツのワーグナーを感じます。
カラオケで使えそうなくらいに、愛の死では、オペラの一節のように思います。
CD音源だけで、ワーグナーの音楽への、のめり込み方がハンパなく感じることのできる、すぐれた演奏だと思います。

わたくしは、飯守さんの「トリスタン」は、名古屋と東京で、2度ステージ上演(名古屋は抜粋)を体験してます。

きっと、うなり声も激しく、神奈川フィルから、真正ワーグナーの響きを引き出していただけるものと思います。

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2013年10月26日 (土)

ブルックナー 交響曲第7番 シュナイト指揮

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昨年の今頃、法要があって群馬方面に走ったおり、榛名山に行きました。

その途中の展望スペースにて。

木の様子が、ヨーロッパっぽい。

この先を行くと、真っすぐの一本道。

ついついスピードが出てしまうところ、最近はやりの、音楽が鳴る道路になってるんです。

「静かな湖畔の森の宿から・・・・」ってね。

ナイスです。

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  ブルックナー  交響曲第7番

    ハンス・マルティン・シュナイト指揮 

  ジャパン・アカデミー・フィルハーモニック

              (2008.10.28 @杉並公会堂ライブ)

台風去って、冷気を呼んだ今宵は、澄んだ夜の空気のなかで、秋のブルックナーを。

しかも、シュナイト翁の日本での忘れ形見的な1枚で。

上記の日付のライブ録音。

この日、わたくしは、この会場におりましたし、ご一緒した方々もよく覚えてます。

その日の演奏会の感想はこちら→シュナイトのブル7

シュナイト師のもとに生まれたユースオケですが、この演奏を境に、シュナイトさんは退任し、同時にわたくしの愛する神奈川フィルや、バッハオーケストラからも身を引いて、南ドイツに帰られました。

この若いオケは、その後、ゲルハルト・ボッセを指導者にむかえましたが、そのボッセさんも、いまや亡く、巨匠のもとでの若いオケから、徐々にプロ化を目指す動きもあるといいます。

当日は、演奏の細かな精度など気にならないほどに、音楽全体をつらぬく、一本の緊張と暖かみを伴ったエモーションが強くて、それに飲みこまれるようにして、長い演奏時間の73分をいとおしむようにして味わったものです。

CDになったこの音源をあらためて聴いてみると、アンサンブルや個々のセクションに物足りない場面はあります。
しかし、演奏会での印象と同じく、指揮者の強い意志とそこに、全面的に従う奏者の意思とを、ともに感じることができます。
 当日、シュナイトさんが自らマイクをとり、聴衆に語ったのは、ブルックナーがワーグナーの死に際し捧げた2楽章のこと。
そして、ブルックナーのカトリック信仰とアルプスへの自然信仰のこと。

これらの言葉をCDでは、かみしめるようにして、聴くことができるのが喜びです。

ことに25分をかけた第2楽章は、一音一音、大事に慈しむようにして演奏されていて、多少の傷はまったく気にならなくなってしまうほどに、真摯で熱っぽい、そして暖かさにあふれた素晴らしい表現です。
遅いテンポにだれることなく、フレーズが次々に繋がる、シュナイトさんならではの、緩やかな表現。
まるで、オペラの一場面のような、心に刻まれる名場面とも呼ぶべき楽章です。

もちろん、全曲のどっしりした構成のなかに、しっかりこの楽章はおさまっているのでありまして、伸びやかな歌が、深呼吸したくなるほどに気持ち良い1楽章。
若々しいリズムの刻みと、中間部ののどかな田園情緒がさすがに素敵な3楽章。

そして、当日も驚きだった、終楽章の堂々たる佇まい。
あせらず、あわてず、ゆるやかに、でもどこまでも歌い、音楽を忘れぬ献身ぶり。
本当に素晴らしいエンディングです。
曲が終って、しばしの沈黙ののちに発せられるブラボは、シュナイトさんのものでしょうか。

神奈川フィルや、シュナイトバッハの演奏を通じて、いつも聴いてきたもの。
それは、南ドイツてきな大らかさと、音色の暖かさ、そして祈り。
ここでも、それはおなじ。
ヴァントのような厳しいブルックナーでなく、南ドイツのアルプスの麓にある、ゆるやかなブルックナーで、その山の麓には村の人びとが集う教会があって、親密なオルガンの音色がいつも響いてる。
それは決してうまくはないけど、人の心を引きつけてやまない優しさがあるのです。

昔のレコ芸を見ていたら、ドイツのレポートのなかに、シュナイトさんと、ミュンヘンバッハとの出会いの記事がありました。

1984年、カール・リヒター亡きあと、シュナイトさんを後継者に据えることを決定ずけるマタイ受難曲の演奏です。

Schneidt


ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場では、さまざまなオペラを指揮することになりますし、前職のヴッパタールでは、ワーグナーのニーベルングの指環を指揮してるんですよ。
びっくりです。

オケには厳しかったシュナイトさん、でもその音楽は優しかった。
いつまでも元気でおられますこと、お祈りしてます。

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