2008年6月10日 (火)

コルンゴルド 弦楽六重奏曲 フレッシュSQ

4 京都の御池通りにある人工的な風景。
下は地下鉄と地下街が広がる。

数々の歴史を刻んできた街なのに、新しいものにどんどん上書きされてしまう。
昼夜問わず、外国の方々が京を求めてやってくる。へたをしたら、その方々の方が日本の情緒を愛し、その歴史も含めて、よく理解しているかもしれない。
河原町あたりの日本のどこにでもある繁華街を歩いていると、日本のどこにでもいる、若い「にいちゃんやねぇちゃん」が屈託なく過ごしている。
かたわらで、日本の歴史が満載のガイドブックに見入る外国人がいる。
観光地ならではだけど・・・・。

Korngold_sextet

エーリヒ・ウィルフガンク・コルンゴルド(1897~1957)は、私の好きな作曲家の一人。
ウィーン生まれのユダヤ系で、ツェムリンスキーに学び、そのウォルフガンクの名前通り、神童としてもてはやされた。
ヨーロッパ時代は、ワルターやワインガルトナーも好んで演奏したくらいの人気作曲家。
だが、ナチスに退廃音楽として目を付けられ、アメリカに渡り、ハリウッドで活躍したものの、戦後もヨーロッパの本流に復帰できずに不遇のまま世を去った。
後期ロマン派の時代の真っ只中を生き、アメリカではその甘く、爛熟かつゴージャスな響きがハリウッド受けした。ヨーロッパでは、無調や12音技法が、トリスタン・マーラー後の主流となり、アメリカのコルンゴルドは、逆に過去の遺物的なウィーンの世紀末の濃密なサウンドにこだわり続け、取り残されてしまった。

しかし、音楽の受容センスが多様化した現在、マーラーやツェムリンスキー、新ウィーン楽派、シュトラウスのオペラなどを心から共感して楽しめるのと同じに、コルンゴルドの残した様々なジャンルの音楽も心に響いてやまない。

室内・器楽の分野にもそこそこの作品がある。
今日は、若書きの弦楽六重奏曲を。
どう若いかって、1914年、17歳の作品だから。
17歳で作曲は、もしかしたらありえるかもしれないが、曲の内容がとうてい年齢を思わせないからなのだ。
ブラームスの同曲をモデルにしていて、4つの楽章からなり、各2挺ずつの楽器が対等に活躍する、35分あまりの堂々たる作品。
そして驚くべきは、2楽章の甘くて切ないロマンテシズム。「死の街」をも彷彿とさせる旋律が静かに、とうとうと流れる。若くしてこの円熟。末恐ろしいませた青年。
 まさにブラームスのような、内声部の充実した1楽章、間奏曲風の洒落た3拍子の3楽章はウィーンを思わせる。
終楽章は、リズムが楽しく、どこかで聴いたようなフレーズがポンポン出てくる。
後のかっこいい大交響曲の旋律の先触れも聴かれるし(解説書によれば)、最後は1楽章の旋律が回帰してきて、なかなかのエンディングとなる。

英国のフレッシュ四重奏団にヴィオラ、チェロの二人のメンバー加わっての演奏は、とても美しく覇気があっていい。
音楽とともに、楽しめた1枚。
30年後に作曲された、弦楽四重奏曲第3番は、コルンゴルドの筆致もやや複雑な様相を呈しているが、それでも聴きやすく、甘い音楽に満ちていた。

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2008年2月 7日 (木)

コルンゴルド チェロ協奏曲 スラトキン指揮

Daikoku この不可思議かつ幻想的なイルミネーションは、横浜の大黒パーキング
色とりどりの星が、そこここに植えこまれていて、とてもきれいだった。

Daikoku_ramen3 食い気でいうと、ここ大黒パーキングのラーメンはかなりおいしい。
あっさり醤油味で、シンプルな具が多めに入っております。

そうそう、ラーメンといえば、ドレスデン・シュターツカペレの日本人女性ヴァイオリン奏者の島原さんのダイヤリーHP、これがまた面白い。
オケの内側から見た秘談などもたっぷりあって、いつも更新を楽しみにしているのだけれど、今回は、「Suppenbar (ズッペンバー)=スープ・バー」のお話。
かなり面白いからまず読んで下さい。
サントリーホールの道路向い側にある、あの店かしら・・・・・・。

札幌出張の時にいつも行く寿司屋さんが、「ドイツ人が何人も、何日間か毎日来るから聴いたら、ベルリンフィルのメンバーだった」と言っていた。
チェコフィルにコンビニが占拠された話は以前書いたけれど、その気になれば、オケの皆さんと何気に遭遇できるわけであります。

Slatkin_hollywood 話はまるきり変わって、ハリウッド関連のクラシック音楽家の作品を収めたBBCの1枚を。
いずれも、レナート・スラトキン指揮のBBC響の演奏。
スラトキンがBBC響の主席指揮者をつとめていたときに生まれた素適なディスクだ。

BBCは、前任がアンドリューの方のデイヴィス、後任がチェコのビエロフラーヴェクで、ロンドンのオケの中でも、歴代渋くていいシェフを戴いている。
ちなみに、現在のビエロフラーヴェクは、日本でもお馴染みの指揮者だけれど、ここのところ急速に名を上げつつあって、昨年のグライドボーンの「トリスタン」は素晴らしかったし、プロミスでのブリテンもよかった。
DGからは、ヤナーチェクのオペラが出たし、名匠の仲間入りを果たしつつあるように思う。

 1.バーンスタイン 「波止場にて」交響組曲
 2.コルンゴルド  チェロ協奏曲
 3.ガーシュイン  「Walking the Dog」
 4.ローザ      「白い恐怖Spellbound」協奏曲
 5.ワックスマン  「トリスタンとイゾルデ」ファンタジー

どうですか、この魅惑の選曲。
ミクロス・ローザなんざ、「ベン・ハー」の人ですよ。
そしてドイツから渡ったワックスマンは映画界の大作曲家ですわ。
ハイフェッツの弾くコルンゴルドのヴァイオリン協奏曲に、ローザの協奏曲とワックスマンの曲がカップリングされている。

それぞれに書き出したらきりがない、素敵な曲ばかり。
であるが、本ブログとしては、コルンゴルドに焦点を当てざるをえない。

このチェロ協奏曲は、映画「愛憎の曲~In Irving Rappers Deception」のために作られた音楽。
映画は、美貌のベティ・ディヴィス扮するクリスチンとマルチ音楽家でセレブの男の愛人と、彼女が惚れてしまったチェリストとの三角関係を描いたもので、最後はクリスチンは、セレブ男を殺めてまで、チェリスト君と愛し合おうとする物語。
このなかで、セレブが作曲しチェリスト君が弾いた音楽が原曲となっている。
これをコルンゴルドがバージョンアップさせたのが、この協奏曲。

映画で、チェロの音を出していたのが、エレノア・アラー(Eleanor Aller)という当時ハリウッド四重奏団のメンバーで、かつ、ここで指揮しているレナート・スラトキンの母なんだそうな!!
彼女はもちろん、バージョンアップした協奏曲の初演もおこなっている。
レナートの父、フェリックスは、もう有名なハリウッドボウル管弦楽団の名指揮者だった。
血は争えない。まさに、こうした音楽では心の底から共感した演奏を聴かせるレナート。

哀愁と甘味かつ、ほろ苦さに満ちたコルンゴルドの音楽は12分足らずだけれど、私を魅了してやまない。
チェロは、なんとまあ、レナートの兄フレデリック・ズロットキン(Zlotkin?)で、ピィアティゴルスキーやローズに師事した本格派ながら、シナトラやA・フランクリンなどとも共演してきたユニークなチェリストで、ものすごく説得力あるソロを聞かせる。

スラトキンは、デュトワがN響に選ばれた時の対抗馬だった。
二人ともオーケストラ・ビルダーだったけれど、スラトキンはクールなデュトワより熱っぽかったし、意外性もあった。さらに英国ものも得意だから、おもしろい選択だったはずだ。
まだ遅くはないと思うけれどねぇ~。

 

 

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2008年2月 6日 (水)

仙台 クライバー コルンゴルド

Kleiber 盛岡→仙台に出張してきた。
食いしん坊の感性を満たしつつ、仕事をするのはなかなかに大変だが、そこに音楽関連も充足させようとすると、至難のワザなのだ!

そんな中でも、いいコンサートがあったりすると、巧みにに一人になるべく見事な作戦を編み出してしまう自分がうれしかったりする・・・・。

今回は、会食を1次会でうまいことすり抜け、以前から行きたかった店へ急行したワケなのであります。

その店は、仙台にある喫茶「クライバー」。
以前取上げたこちらの店は、夜10時まで営業していて、コーヒーだけでなく、夜はお酒を少しだけ飲める。
小雪の舞うなか、喜び勇んで訪問。

まず驚くのは、店内の塵ひとつない清潔さ。
テーブルも椅子も完璧なまでに真っ直ぐにそろっている。
オーナーのこだわりと、生真面目な性格がすぐにわかる、この雰囲気。

流れていた音楽は、J・シュトラウスの「こうもり」序曲。
お~、さすがは「クライバー」だ。と思って、飾られたCDを見たら、なんとチェリビダッケとミュンヘン・フィルの演奏!!
おやまぁ。克明かつ流麗な演奏に聴き惚れてしまった。

客は、9時という時間もあって、劇団私ひとり。
迷うことなくビール(レーベンブロイ)を飲みつつ、店内を観察すると、CD在庫からリクエストOKとあるじゃないか。
演奏家別のジャンルの膨大な棚のCDを眺めつつ、よくみると作曲家ジャンルもある。
確かにクライバーは完璧な品揃えだ。だが、よく見ていくと、おっ、コルンゴルド・コーナー発見!! 10枚はあるぞ。
すかさず、ヴァイオリン協奏曲。それもワタクシ未聴のハイフェッツ盤をリクエストだぁーっ。
でも小声で申し訳なさそうに、ですよ。

702 本格装置で気兼ねなく聴く音楽は、自宅で周囲を気にしながら聴くのとは大違いで、心置きなく堪能できた。
それも大好きなコルンゴルドのヴァイオリン協奏曲なのだから。
ビールを飲みつつ、艶っぽいハイフェッツの至芸と、年代柄、雰囲気出まくりの録音に酔いしれてしまった。
もう心も体もとトロトロにとろけそう・・・・・。

そのとろけた体で、寒空のもと、通り(上禅寺通り)の向かい側の「国分町」のネオン街へ一人さまよい行く私であった。

仙台の音楽好き、仙台出張やご旅行の音楽好き、皆さん、クラシックファンの聖地のような「クライバー」に訪れてみてはいかがですか。
お店のブログは、こちら

 「クライバー」  仙台市国分町3-4-5 クライスビルB1
           TEL:022-214-1036  木休

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2008年1月19日 (土)

コルンゴルド&シュタイナー 「Golden Age Songs and Instrumentals」

4 今日は、久方ぶりの好天。
明日の雲行きは怪しいけれど、貴重な土曜日の晴天。
新宿の近くで、午前中打ち合わせがあり、遅い昼食をどうしようかと思案しつつ、怪しいガード下を毎度のことのようにくぐり抜け、東口から西口へ・・・・。

だれしも知る魔界のような路地。
「焼鳥横丁」と、「思い出横丁
戦後のドサクサがそのまま残ったような飲食アーケード。
「しょうべん横丁」もあるし、若者が集まる都内の繁華街の中にも、われわれオヤジの聖地はまだ健在だ。

ここを、さまようこと数分。
難なく目的の「中華 若月」にたどり着く。
もちろん、カウンターだけの店は、防寒用のビニールで出3 入口がカヴァーされている。女性一人ではまず入れないだろな。
メニューはどれも安い。
すかさず、ビール(530)と餃子(350)を頼み、アツアツを頬張り、手打ち麺のラーメン(400円)をいただく。

このラーメンが実においしい。
子供の頃、都内の親戚の家でチャルメラの音とともに食べた、屋台の出前中華そのもの。
一言でいえば、懐かしい味。
アッサリとした鶏がら出汁のスープにひらひらモッチリ手打ち麺が実によく合う。いけないと思いつつ、スープを飲み干してしまうワタシであったよ。

ラーメン後、帰宅せずに仕事に向かったのがまずかった。
休日の事務仕事は、はかどるもんだ。 気が付くと9時近く。
慌てて帰宅し、食事を済ませ、あまりの寒さに熱燗を飲んでしまう。
音楽なしの土曜も寂しいから、手にしたCDがこれ。

メモリヤル・イヤーが何もなく大過なく終了した、コルンゴルドシュタイナー(スタイナー)の映画音楽作品を集めた1枚。
コルンゴルドは高名だからともかくとして、マックス・シュタイナーは1888年、ウィーンに生まれ、オペレッタを中心に活動したが、成功せず、ユダヤ人ということもあって、アメリカに渡り、ハリウッドで映画音楽家として大成した大物。
「風とともに去りぬ」や「カサブランカ」という名前だけ挙げれば、もういいだろう。
すごい人なのだ。

Korngold_golden ここに選ばれた二人の作曲家が付けた映画の詳細は、さっぱりわかりまへん。
ただここに聴かれる、甘酸っぱくて甘味なる音楽の数々には、とろけるような魅力を感じてしまう。
ワーグナー→マーラー→新ウィーン楽派・R・シュトラウス・プッチーニ・ディーリアス・ドビュッシー→コルンゴルド系・・・・といった図式の流れで行き着いてきた世界。

ピアノ伴奏での歌にチェロ独奏といったバリエーションで次々に現れる心地よいサウンド。
演奏の仕方もあろうが、ジャズの領域にまで入り込んで、ビル・エヴァンスまでも思い起してしまうようなナイスな音楽に、酒が止まらない。
今日は酒のツマミのようにして聴いてしまったが、詳細を調べてみなくちゃならないし、当該映画もチェック要だな!

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2007年12月 9日 (日)

コルンゴルド 「死の都」 ラニクルズ指揮

Korngold_die_tote_stadt 今年、メモリアル作曲家、エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルド1897~1957)の代表作、オペラ「の都」を久々に聴いた。
「死の都」または「死の街」とも訳される。
ベルギーの都、ブリュージュを舞台にするサスペンスチックかつ、幻想的な物語にコルンゴルドが音楽を付けたのは1920年のこと。
作曲者23歳!!
アマデウスにちなんだ名前を持った、早熟のコルンゴルドは、すでにオーストリアで大作曲家の地位を確立していた。

1920年は、マーラー没して9年、シュトラウスでいえば「インテルメッツォ」作曲中、「影のない女」は初演済、ベルクの「ヴォツェック」と同時期。「モーゼとアロン」の10年前。プッチーニは最終作「トゥーランドット」を作曲中。こうして見ると、シュトラウスの保守性が浮かびあがるということも判明するが、コルンゴルドの立ち位置がよくわかるというもの。

全3幕、2時間10分の大作は、主役にヘルデン級のテノール、ヒロインにリリコ・スピントのソプラノを擁する本格ドイツオペラで、ナチス台頭によるコルンゴルドの亡命までは、欧米さかんに上演されたという。
マーラーの復興や、それに伴なう後期ロマン派系音楽の見直しで70年代後半から、このオペラ、しいてはコルンゴルドの名前が生き返った。
いうまでもなく、RCAが録音した、「ルネ・コロ」をタイトルロールとしたラインスドルフ盤がもたらした影響はあまりにも大きい。
たしか、77年頃だったが、国内盤が出たけれど、当時ワーグナーとヴェルディ、プッチーニに夢中で、大好きなコロには惹かれつつ、手が伸びなかったレコードなのだ。
 ついでに言うと、ラインスドルフ盤でマリエッタを歌っている「キャロル・ネブレット」はアメリカ歌手で、「アバドとシカゴ」のマーラー第1弾「復活」でデビューした歌手で、その後、メータとのプッチーニ「西部の娘」なども歌い、世紀末系の音楽にやたら適性を示したソプラノだ。さらに彼女は、相当の演技派で、そのためには脱ぐこともいとわない体当たり的なやる気満々の歌手だった。

そんなタイトルロールを、このライブCDでは、トルステン・ケルルアンゲラ・デノケが歌っていて、コロやネブレットを唯一忘れることが出来る没頭的な名歌唱を成し遂げている。
ライブならではの熱気と、ライブとは思わせない精度の高さに舌をまく。

第1幕
ブリュージュに住む中産階級の男パウルの家。先頃亡くした若い妻マリアのことが忘れられず、自宅に亡妻の肖像や遺髪をあしらった部屋を設け悔悟に浸っている。
友人のフランクや、家政婦から、生き続けてマリアを偲ぶことこそが幸いだと言われるが、パウルはまだ妻の死を受け入れられない。
その証拠に、街でマリアに似た女に会い、今日この家に招待したと言う。
 そこへ、マリーとパウルが思い込むマリエッタがやってくる。
彼女は快活で美しい踊り子なのである。
もう夢見心地で錯乱的なパウルに戸惑いながらも、マリエッタはそれでも大切なお客の気を惹こうと踊りや歌を披露する。このとき高名な「マリエッタの歌」が歌われる。
これで恍惚としてしまうパウロ、その彼を残して、マリエッタは立ち去ってしまう。
 以降は完全に、パウロの幻想の中・・・・。
マリーの肖像画から亡霊のようにマリーが出てくる。自分を忘れないように・・・・。
一方でマリエッタへの興味もありつつのパウロ。ますます困惑していく・・・・。

第2幕
幻想のまま、2幕に突入。
マリアは、しっかり生きて・・・と言うが、パウルはマリエッタにぞっこんだ。
マリエッタも抵抗せずにパウルを受け止めるが、これも実はまだ、パウルの幻影の中の出来事なのだ。

第3幕
幻影と現実が入り乱れる。パウルの幻影のは続行中、マリエッタと暮らすようになったが、パウルがあまりに変なものだから、マリエッタも愛想をつかしつつある。
亡き妻の遺髪を引っ張り出したものだから、パウルも切れてしまいマリエッタの首を締めてしまう。ここで「亡きマリーにそっくりだ」と驚くパウル。
 でも夢から覚めるパウル。実は悪夢の中に漂っていた・・・・。
ここでようやく夢から覚めて我に返る。
実はまだ、1幕から時間がちょっとしか経っていない。
パウロは忘れ物を取りに訪れた友人フランクの勧めを受け入れ、「死の都ブリュージュ」を立ち去ることを決心し、死者は安らかに止まり、自らはこの家を離れ生き続けることを歌い、幕となる。

あまりに私人的な出来事を仰々しく劇にしているものだが、この女々しい男の数時間の「まぼろし」を、コルンゴルドの音楽は見事なまでに描ききっている。
全曲中数回現れる、マリエッタの歌の旋律が、聞かせどころのツボになっているが、それ以外にピアノ・チェレスタ・鉄琴・ハープといった、コルンゴルド・サウンド特有の音色が全曲に渡って効果的に支配している。
この革新の音色をどう表現したらよいのか。あまりに美しさに卒倒しそうになってしまう。

  パウル:トルステン・ケルル     マリエッタほか:アンゲラ・デノケ
  フリッツほか:ボー・スコウウス   ブリギッタ:ダニエラ・デンシュラーク

   ドナルド・ラニクルズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                            (2004.ザルツブルク・ライブ)

全曲が静かに終わると、盛大なブラボーに包まれるこのライブ。
ウィーンにネグレクトされたコルンゴルドが、こうして多国籍とはいえオーストリアの音楽祭で喝采を浴びている。
惜しむらくは、せっかく最美であるはずのウィーン・フィルながら、録音があまりにお粗末。
舞台の歌は完璧にとらえながら、ピットのオケはバランスがあまりに悪く、金管と打楽器ばかりが鳴り響く。ウィーンの弦や木管はどこへいった・・・・・・。
この貧血気味の録音は本当にマイナスなのだ。
続けてラインスドルフ盤を聴いたら、その潤いある響きとの違いに唖然としてしまう。
どっちがウィーンなのよ???

でもラニクルズの的確かつ俊敏な指揮ぶりは見事で、ちょっともっさりしたラインスドルフと水をあけている。
歌唱は先に述べたとおり、ケルルの素晴らしい歌唱に息を飲む。
デノケも同様で、そんなに歌いこんで大丈夫かいというくらいにのめり込んでいる。
バリトンの暗い響きをもって全霊をもってこれまた、のめりこんだケルル、サロメをも思い起させるすさまじい表現意欲のデノケ。
スコウウスはプライの万能ぶりには及ばないけれど、性格歌手ぶりを充分発揮している。

返す返すも録音が残念。豊富な舞台写真も、特にデノケの演技ぶりがうかがえて楽しい。
このオペラ、新国で、若杉さんか井上ミッチーあたりで是非上演すべし!!!

Sizuoka_3 静岡市の青葉シンボルロード。
色とりどりのイルミネーション。
これはごく一部だったけれど、それはそれは見事なものだった。
エリアを分けて、カラーが違うのだもの。

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2007年3月20日 (火)

コルンゴルド ヴァイオリン協奏曲 パールマン&プレヴィン

Beef_sushi_nama ふっふっふ。食べてしまった、牛トロの生寿司
口の中でとろけゆくお肉。え、どこへいったの?おいしいものはあまりに儚い。消え去った肉を名残惜しむように、程よい燗の酒を口に含む。
そうすると幸せの極地に、目も潤む・・・・・。

週の始めから、激しい出張を組んだものだ。朝一に「名古屋」へ。レンタカーを走らせ、近郊の「愛西市」へ。そこで一仕事して、「関が原」を抜けて「彦根」へ。
打ち合わせを終え、「近江八幡」「東近江」「水口」をまわり、甲賀から伊賀。そして高速を走り三重県は「松阪」へ到着。

そう、この素適な牛肉は何と「松阪牛」だったのであります。
こんな贅沢いいのだろうか?と思いつつ食べるしかないもの。
松阪は伊勢湾の魚貝も豊富な街だから、寿司もおいしい。
その模様は、近々別館にてご案内。

Korngold_perlman コルンゴルド(1897~1957)のヴァイオリン協奏曲を再び。
前回は、同じプレヴィンの指揮で、離婚してしまったムターのヴァイオリンで聴いた。ムター盤はプレヴィンとの蜜月がうらやましい健康的ロマンティシズムの溢れた演奏に思った。

今日は、健康的なことではさらにその上を行く「パールマン」で聴く。
またしてもプレヴィン。今度はピッバーグ響を振っているが、「シャハム」盤もあるから、3回も録音しているプレヴィン。

パールマンのあっけあらかんとしたテクニックで、スラスラと弾かれるコルンゴルドもいい。
テクニックはいいとして、ともかく、なみなみとあふれ出る美音である。
その美音の洪水に辟易としてしまう場合もあるが、コルンゴルドではまったく問題なし。
コルンゴルドの音楽は「健康的エロかっこよさ」と私は勝手に称しているけれど、まさにそれにぴったしの演奏。
プレヴィンの唸り声も聞かれるビューティフルな伴奏も素適。

何て美しい音楽なのだろう。メモリアル・イヤーなので、今日発売のレコ芸に特集が組まれていた。私は、昨晩、松阪で「牛トロ寿司」を食べ、燗酒を口に含んだときにこの曲を思い出した。今日もずっとこの曲の第1楽章の冒頭の旋律が頭の中で鳴っていた。
帰宅後すぐに聴き、今は3回目。
とろけるように甘味ながら、ほろ苦さや洒脱さも。
冒頭の旋律もいいが、第2楽章の美しくもノスタルジックな音楽には泣かされた。
酒がなくては聴けぬ音楽。曲に酔ってしまって何だかまとまりなくなってしまった。

朗報ひとつ。プレヴィンがまたN響にやってくる。うれしいじゃないの。
その時は、英国ものにラフマニノフ、コルンゴルドをやって欲しいわ。

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2007年2月 6日 (火)

コルンゴルド 歌曲と室内楽の作品集 フォン・オッター&フォシュベリ

Korngold_rendevous_otter 本日もぬくい一日だった。この冬は鍋物が食卓に上らない最小記録の年になるんじゃないか??

でも今年は、コルンゴルド記念の年。1897~1957、ということは、ほぼ10年おきに区切りの年が訪れる目出度い作曲家なんだ。
なのに、世間からはまだまだ評価されていない人。「やがて私の時代がやってくる」といみじくも言ったマーラーのように、交響曲をもっとたくさん書けばよかったのに。

ファンは微妙なもので、あんまり持てはやされるのも困るし、無視されるのも困る。
適度に聴かれて欲しい、そんなコルンゴルドなんだな。

本日は、一度聴いたきり棚に眠っていた2枚組のCDを取り出して、じっくりと聴いている。
作曲時期が近く、お互いの引用も見られる歌曲や室内楽曲を、メゾの「アンネ・ゾフィー・オッター」と「ベンクト・フォシュベリ」率いる室内アンサンブルが演奏した実に洒落たCDだ。

 「4つの別れの歌」「ピアノ五重奏曲」「道化の歌(シェイクスピア詩による原語)」「2曲の簡単な歌」「4つのシェイクスピアの歌」「3つの歌」「2つのヴァイオリン、チェロ、左手のピアノのための組曲」「マリエッタの歌(死の街から)」

作曲時期として「死の街」の後あたりの22~3歳!から、40歳くらいまでの作品。
通しで聴いていて、歌曲があって、その旋律が引用された室内楽がきて、英語の原作歌曲が出て、ドイツ語の歌曲が続き、ちょっと変わった編成の傑作室内楽。トリは有名なアリアの室内ヴァージョンで、まとまりがよく統一された素晴らしいアルバム。

管弦楽作品や、オペラ作品と同じ土俵にある後期ロマン派風の熟成した濃厚かつ洒脱な音楽。
ことさらに良かったのが、マーラーを強く意識させる「別れの歌」。その旋律を用いた連綿たる抒情に満ちたアダージョ楽章をもつ「ピアノ五重奏」。
それぞれ独立した歌ながら清冽な感情とドイツ語の見事な響きが心地よい「3つの歌」。
そしてシンフォニックでかつ、ウィーンの退廃したムードを醸し出す「組曲」。
この組曲は以前とりあげた、「左手の協奏曲」と同じピアニスト・ヴィットゲンシュタインのために書かれ、かの「ロゼー四重奏団」によって初演されている。

シェイクスピアはともかくとして、コルンゴルドが選んだ詞も付随する音楽も月の雫のように怪しいまでに美しく、ロマンテック。

 世は静かな眠りに入った 月明かりのなかで沈んでいる
 天空の港で金色の澄んだ瞳が開く

 すると神のヴァイオリンが静かに歌いだす・・
 愛しい人、私は君を想う。
 君の舟にのったような旅を続け、星のなかで君を探している

 幸せな愛の光が この心のなかを照らす
 私たちの魂の間に対話が生まれ
 夢の中で抱擁を交わす。
     (3つの歌~「世は静かな眠りに入った」 K・コバルト詩)

コルンゴルドの音楽は、熱い炎のような激しい情熱と、青白く輝く抒情のきらめきが交差する。マーラーの延長として捉え、じっくり聴いて欲しい。
ツェムリンスキーや新ウィーン楽派の一派として聴いてもいい。
後年ハリウッドが音楽の簡明さや、カッコよさを植え付け、これがまた独特の魅力となっている。
やたら首が長く見えるオッター(オとムの違いで大違いの女流二人)。彼女のニュートラルな歌声が、こうしたコルンゴルドにピッタリと寄り添っている。

今年ブレイクしなくても、また10年後がある。ナチスの侵攻によって失われた作品もあると聞くし、ともかく体系的なコルンゴルド全集の完成を切に望む次第。

 

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2007年1月31日 (水)

コルンゴルド 左手のためのピアノ協奏曲 シェリー&バーメルト

Hachi_2 秋田県北部の街「大館市」に出張してきた。
昨年秋から継続する仕事ができ、真冬のこの時期も意を決して赴いた。
ところがですよ、雪がな~い。しかも暖かい。へたすりゃコートいらない。
雪深い地域なのに、先だっての札幌に続きなんだこりゃのサプライズ。
北海道は、今になって「つじつま合わせ」のように雪が降っているけど、秋田はそうではなかった。
忠犬ハチ公の生まれた里。駅前に鎮座する本場のハチ公。こちらの方が渋谷よりふくよかな顔だち。

Korngold_piano_con_3 今年は、ウィーン生まれの早熟の作曲家「エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルド」の没後50年と生誕110年(1897~1957年)。
まったくといっていいほど話題にならない。
モーツァルトを意識して「ウォルフガンク」と名付けられ、実際、神童と呼ばれ、10代でオペラまで書いてしまった。
以前のブログでも書いたが、ナチスの登場で不遇をかこち、アメリカでひっそり亡くなっている。

その作品は相当数あって、私なんぞまだその一部をかじったにすぎないが、その音楽は一言でいうと「ロマ(ンテック)・カッコいい」??
 マーラーの流れを汲む新ウィーン楽派風でもあり、アメリカで身につけた映画音楽風でもあり、といったところ。
誤解していただきたくないのは、それらが決して安っぽい音楽ではなくて、むしろウィーンの爛熟文化末裔として、その後継者として生きざるをいなかった宿命としてのロマンに満ちていることだ。

 「軍隊行進曲」
 「チェロ協奏曲」  Vc:ピーター・ディクソン
 「弦楽オーケストラのための交響セレナード」
 「左手のためのピアノ協奏曲」  Pf:ハワード・シェリー
    マティアス・バーメルト指揮BBCフィルハーモニック

こんなラインナップのCD。行進曲は3分そこそこの付けたしのような音楽。
「チェロ協奏曲」は単一楽章の13分ほどの曲だが、のっけから印象的な甘い旋律が奏でられ、うっとりとさせてくれちゃう。この曲はマジ泣かせてくれます。

「セレナード」はウィーンに帰郷して書かれ、1950年になんと「フルトヴェングラーとウィーンフィル」によって初演された30分あまりの大作。
これまた実にカッコいい曲だが、第3楽章のレントはマーラーを思わせるような連綿とした美しい楽章である。ウィーンに帰省し楽壇に返り咲くかに見えたが、意外にもウィーンの反応は冷たかった・・・・・。

「左手協奏曲」も単一楽章ながら、これも30分を要する作品で交響曲のよう。
レフトハンド協は数あれど、この曲ほど、片手で弾いてるなんて思わせない曲はないかもしれない。かなり大胆な和声で始まるが、すぐに美しい「コルンゴルド節」が始まる。
例えていえば、ラフマニノフのパガニーニ変奏曲に似ているかもしれない。
 1924年に初演されたあとは、作者没後の1961年に一度演奏されたきり。
その後今回のBBCフィルがG・グラフマンのピアノで1985年に復活させている。

このCDはスイス人指揮者「バーメルト」によるもので、彼はコルンゴルドの使者といってもいいくらい録音が多い。N響にも客演したことがあるが、その時はありきたりのプログラムでさっぱりだった。実に雰囲気豊かで、愛情こもった演奏に思う。

今年は皆さん、コルンゴルドを聴きましょう。
手始めは、ヴァイオリン協奏曲あたりからどうぞ。

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2006年9月18日 (月)

コルンゴルド 交響曲嬰ヘ長調 プレヴィン

Previn_korngold_sympony コルンゴルドで検索していたら、「マーラー成分解析」なる妖しいサイトを発見。成分解析の膨大なリストの一部であった。
さっそくどれどれと、試してみた。解析欄に自分の名前を入力してみる。

          私の66%は愛が私に語るもので出来ています
          私の16%は3つのピントで出来ています
          7%はベルクで出来ています
            7%はウェーベルンで出来ています
            4%はシェーンベルクで出来ています

なんじゃこら?ふむふむ、当たっているようないないような。
「3つのピント」なんちゅうマーラー編曲のウェーバーのオペラが登場するところが、自分らしいというか。でもこんな愛に満ちた自分って?飢えているのかしらん?

さて気を取り直して、「コルンゴルド」のかっこいい交響曲を聴く。
コルンゴルドはウィーン生まれ、英才を目論んだ親に「ウォルフガンク」の名前をもらった。
はたしてその名の通り、神童としてウィーンに幼くしてデビューし、10歳台でオペラを書き、マーラーやシュトラウスを驚かせた。ワインガルトナーやワルターらに初演された作品も多い。後年、映画音楽も手掛け作曲家としても絶頂期にあったが、急台頭していた「ナチス・ドイツ」に退廃音楽のレッテルを貼られ、アメリカに亡命。
アメリカでは、ハリウッドで活躍し、今のスペキュトラーな映画音楽の土台を築いたといってよい。戦後純音楽も再開したが、終生以前のように認められることなく、ウィーンに見捨てられたまま、不遇の死をアメリカで終えている。

コルンゴルドの不遇は、戦争に伴うものであろうが、世紀末ウィーンの爛熟した文化を一身に引きずり続け、生涯ロマンティシズムを探究したことが、戦後は時代錯誤とされてしまったからでもあろうか。

現在、マーラーに耳が馴れたわれわれにとって、コルンゴルドの音楽はまったく自然に響く。ダイナミックな鳴りのいいオーケストレーションは、技術の上がったオーケストラにとっては腕の見せ所にもなろう。
この交響曲に、J・ウィリアムズの響きを聴き取ることもできるし、当然にマーラーやシュトラウスの雰囲気も感じる。なによりも、4楽章形式の本格的な交響曲なのである。
動機も各章で関連付けられ、構成もしっかりしている。
3楽章の悲しみに満ちたアダージョはまったく素晴らしい。

プレヴィンとロンドン響は、隙ももらさずにこの本格シンフォニーに取り組んでいて、聴いたあとの満足感と爽快感はたまらない。
離婚してしまった、ムターとのヴァイオリン協奏曲をまた取り出してみよう。


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2006年3月29日 (水)

トルステン・ケルル テノールアリア集

Hotel 第2東京タワーの計画が発表された。墨田区押上のあたりに世界一・610mのタワー計画で、言うまでもなく地上波TVのデジタル対応のためだが、またもや東京でのビッグ・プロジェクトだ。墨田・台東のあたりは都内でもやや開発の遅れているエリアだが、東京ばかりが何故?今回は東武鉄道が500億円を投じる。併せて同社は周辺に高層のツインタワーを建て、ショッピングモールも誘致し、浅草までのプロムナード的な遊歩道を計画しているらしい。鉄道も含めた大計画はおそらく2000億規模の事業であろう。何とも言いがたい大計画に商機を見出し喜ぶ向きも多いだろう。まだまだ続く、この一極集中は東京の良さを壊し、地方も崩壊させて行くように思えてならない。

Torsten_kerl 気分一新、ドイツの新鋭ヘルデン・テノールの「トルステン・ケルル」を聴く。数年前からその活躍は知られていて、バイロイトでも端役で出演していた。その彼が、昨年の新国の「マイスタージンガー」のヴァルターに出演するというので期待していたが、夫人の急病で来日が流れガッカリした。
このCDは、そのマイスタージンガーをはじめとする、ワーグナーの諸役を中心とするドイツオペラからのアリア集である。

その声は、ジャケットから想像されるような、明るく軽いイメージではなく、低域から中域にかけて充実した力強い声の持主で、やや暗め。しかし、この音域は美しく響かせていて、それをベースに高音をエイッとばかり張り上げる。やや一本調子に聴こえないでもないが、なかなかに新鮮なのだ。フロレスタン・ローングリン・ヴァルターは良い。声からしてジークムントがよさそうなので、今後に期待したい。しかし、このCDでもっとも素晴らしいのが「コルンゴルドの死の街」の1曲だ。この作品のスペシャリストとしてひっぱりだこなのだから、当たり前かもしれないが、音楽のもつ滴るような世紀末の響きが、見事に歌い出せれている。
 このCDの弱点は、アンゲーロフとスロヴァキア放送響の締まりのない伴奏だ。このレーベルは、若い歌手をいち早く起用し貴重なアリア集を廉価に発売してくれるのだが、伴奏がいつもこのコンビ!どうにかならないか?日本で飯森氏や若杉氏とやったほうが、はるかに良いのに。

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2006年3月 4日 (土)

コルンゴルド ヴァイオリン協奏曲

mutter_tchaiko_korngold 今晩は「コルンゴルドのヴァイオリン協奏曲」。このところ聴いてきた路線を継承しているが、1945年頃の作品に係わらず、調性は豊かでロマンテックな曲だ。昨晩のツェムリンスキーの弟子ではあるが、先鋭的なところが全くなく、マイルドで懐かしい作風の人である。

ウィーン生まれのユダヤ人で、ナチスに退廃音楽とのレッテルを貼られ、アメリカ亡命を余儀なくされ、ハリウッドで活躍した。映画音楽も数多く作曲していて、そうした軽いイメージを待つと大間違い。大交響曲もあるし、オペラもいくつかあって、それぞれが立派な作品である。中でも最近良く演奏されるのが、このヴァイオリン協奏曲とオペラ「死の都」である。戦後になっても故郷ウィーンで評価されず、郷里への復帰もかなわず、アメリカで寂しく世を去ったらしい。1957年のことだから、そんな昔でない。

ゆったりと昔を回想するかのようにヴァイオリン・ソロで始まる1楽章。オーケストラでも繰り返され、ソロが上昇するようなパッセージで印象深く付けて行く。この部分を聴くだけでワクワクしてしまう。2楽章のロマンツェと表された緩徐楽章は低弦から高弦まで実に豊かに歌いまくるヴァイオリン・ソロがあまりに美しい。おぼろげな眼差しではるか大西洋のかなたの故国を見つめるような作曲者の気持ちが込められたかのようなノスタルディックな曲だ。
一転、終楽章はプレストでユーモラスだ。ヴァイオリンのソロにからみつくような管楽器、繰返し鳴り響く主要主題だが、最後は楽しい映画のエピローグのように華々しく終わる。

この素敵な曲を「アンネ・ゾフィー・ムターとプレヴィン/ロンドン響」というおしどりコンビで聴く。この曲に関してはプレヴィンを置いて右に出るひとはいない。パールマン、シャハムに続き3度目の録音。いずれもロンドン響である。即座にハリウッドと結びつけてはいけないがクラシック指揮者の大家として認められたプレヴィンも、若い頃ハリウッドで活躍したがゆえに軽くみられがちだった。コルンゴルドとともに、その同質性を感じる。
 こうした確かなバックを得て、ムターは思い切り弓を使いきり旋律を歌わせ、気持ちよく弾いている。少し真面目すぎる感もあるが、2楽章では若干の色気を感じさせるところがこれまでの彼女にないところか。1楽章の冒頭もふるいつきたくなるような感動に満ちている。

それにしても、このジャケットもいたく美人である。ほんと、いい女。14歳頃にカラヤンに見出されデビューしたころは、「イモねえちゃん」っぽかったが、それがどうだ。このところの一連のCDジャケットは、モード風のドレスが似合う「オトナの女」として実に見映えが良い。
おじさまキラーの本領であろう。プレヴィンももうお爺さんなのに元気なものだ。何度目の結婚なのだろう。そんな元気があるのなら、もう一度N響に来て欲しいのだ。

こうした大人の二人が奏でるコルンゴルドはちょっと過去も顧みつつ、あくまで前を見つめた健康的なロマンティシズムに満ちた演奏なのであった。うらやましーーー。

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