今年、メモリアル作曲家、エーリヒ・ウォルフガンク・コルンゴルド(1897~1957)の代表作、オペラ「死の都」を久々に聴いた。
「死の都」または「死の街」とも訳される。
ベルギーの都、ブリュージュを舞台にするサスペンスチックかつ、幻想的な物語にコルンゴルドが音楽を付けたのは1920年のこと。
作曲者23歳!!
アマデウスにちなんだ名前を持った、早熟のコルンゴルドは、すでにオーストリアで大作曲家の地位を確立していた。
1920年は、マーラー没して9年、シュトラウスでいえば「インテルメッツォ」作曲中、「影のない女」は初演済、ベルクの「ヴォツェック」と同時期。「モーゼとアロン」の10年前。プッチーニは最終作「トゥーランドット」を作曲中。こうして見ると、シュトラウスの保守性が浮かびあがるということも判明するが、コルンゴルドの立ち位置がよくわかるというもの。
全3幕、2時間10分の大作は、主役にヘルデン級のテノール、ヒロインにリリコ・スピントのソプラノを擁する本格ドイツオペラで、ナチス台頭によるコルンゴルドの亡命までは、欧米さかんに上演されたという。
マーラーの復興や、それに伴なう後期ロマン派系音楽の見直しで70年代後半から、このオペラ、しいてはコルンゴルドの名前が生き返った。
いうまでもなく、RCAが録音した、「ルネ・コロ」をタイトルロールとしたラインスドルフ盤がもたらした影響はあまりにも大きい。
たしか、77年頃だったが、国内盤が出たけれど、当時ワーグナーとヴェルディ、プッチーニに夢中で、大好きなコロには惹かれつつ、手が伸びなかったレコードなのだ。
ついでに言うと、ラインスドルフ盤でマリエッタを歌っている「キャロル・ネブレット」はアメリカ歌手で、「アバドとシカゴ」のマーラー第1弾「復活」でデビューした歌手で、その後、メータとのプッチーニ「西部の娘」なども歌い、世紀末系の音楽にやたら適性を示したソプラノだ。さらに彼女は、相当の演技派で、そのためには脱ぐこともいとわない体当たり的なやる気満々の歌手だった。
そんなタイトルロールを、このライブCDでは、トルステン・ケルルとアンゲラ・デノケが歌っていて、コロやネブレットを唯一忘れることが出来る没頭的な名歌唱を成し遂げている。
ライブならではの熱気と、ライブとは思わせない精度の高さに舌をまく。
第1幕
ブリュージュに住む中産階級の男パウルの家。先頃亡くした若い妻マリアのことが忘れられず、自宅に亡妻の肖像や遺髪をあしらった部屋を設け悔悟に浸っている。
友人のフランクや、家政婦から、生き続けてマリアを偲ぶことこそが幸いだと言われるが、パウルはまだ妻の死を受け入れられない。
その証拠に、街でマリアに似た女に会い、今日この家に招待したと言う。
そこへ、マリーとパウルが思い込むマリエッタがやってくる。
彼女は快活で美しい踊り子なのである。
もう夢見心地で錯乱的なパウルに戸惑いながらも、マリエッタはそれでも大切なお客の気を惹こうと踊りや歌を披露する。このとき高名な「マリエッタの歌」が歌われる。
これで恍惚としてしまうパウロ、その彼を残して、マリエッタは立ち去ってしまう。
以降は完全に、パウロの幻想の中・・・・。
マリーの肖像画から亡霊のようにマリーが出てくる。自分を忘れないように・・・・。
一方でマリエッタへの興味もありつつのパウロ。ますます困惑していく・・・・。
第2幕
幻想のまま、2幕に突入。
マリアは、しっかり生きて・・・と言うが、パウルはマリエッタにぞっこんだ。
マリエッタも抵抗せずにパウルを受け止めるが、これも実はまだ、パウルの幻影の中の出来事なのだ。
第3幕
幻影と現実が入り乱れる。パウルの幻影のは続行中、マリエッタと暮らすようになったが、パウルがあまりに変なものだから、マリエッタも愛想をつかしつつある。
亡き妻の遺髪を引っ張り出したものだから、パウルも切れてしまいマリエッタの首を締めてしまう。ここで「亡きマリーにそっくりだ」と驚くパウル。
でも夢から覚めるパウル。実は悪夢の中に漂っていた・・・・。
ここでようやく夢から覚めて我に返る。
実はまだ、1幕から時間がちょっとしか経っていない。
パウロは忘れ物を取りに訪れた友人フランクの勧めを受け入れ、「死の都ブリュージュ」を立ち去ることを決心し、死者は安らかに止まり、自らはこの家を離れ生き続けることを歌い、幕となる。
あまりに私人的な出来事を仰々しく劇にしているものだが、この女々しい男の数時間の「まぼろし」を、コルンゴルドの音楽は見事なまでに描ききっている。
全曲中数回現れる、マリエッタの歌の旋律が、聞かせどころのツボになっているが、それ以外にピアノ・チェレスタ・鉄琴・ハープといった、コルンゴルド・サウンド特有の音色が全曲に渡って効果的に支配している。
この革新の音色をどう表現したらよいのか。あまりに美しさに卒倒しそうになってしまう。
パウル:トルステン・ケルル マリエッタほか:アンゲラ・デノケ
フリッツほか:ボー・スコウウス ブリギッタ:ダニエラ・デンシュラーク
ドナルド・ラニクルズ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(2004.ザルツブルク・ライブ)
全曲が静かに終わると、盛大なブラボーに包まれるこのライブ。
ウィーンにネグレクトされたコルンゴルドが、こうして多国籍とはいえオーストリアの音楽祭で喝采を浴びている。
惜しむらくは、せっかく最美であるはずのウィーン・フィルながら、録音があまりにお粗末。
舞台の歌は完璧にとらえながら、ピットのオケはバランスがあまりに悪く、金管と打楽器ばかりが鳴り響く。ウィーンの弦や木管はどこへいった・・・・・・。
この貧血気味の録音は本当にマイナスなのだ。
続けてラインスドルフ盤を聴いたら、その潤いある響きとの違いに唖然としてしまう。
どっちがウィーンなのよ???
でもラニクルズの的確かつ俊敏な指揮ぶりは見事で、ちょっともっさりしたラインスドルフと水をあけている。
歌唱は先に述べたとおり、ケルルの素晴らしい歌唱に息を飲む。
デノケも同様で、そんなに歌いこんで大丈夫かい?というくらいにのめり込んでいる。
バリトンの暗い響きをもって全霊をもってこれまた、のめりこんだケルル、サロメをも思い起させるすさまじい表現意欲のデノケ。
スコウウスはプライの万能ぶりには及ばないけれど、性格歌手ぶりを充分発揮している。
返す返すも録音が残念。豊富な舞台写真も、特にデノケの演技ぶりがうかがえて楽しい。
このオペラ、新国で、若杉さんか井上ミッチーあたりで是非上演すべし!!!
静岡市の青葉シンボルロード。
色とりどりのイルミネーション。
これはごく一部だったけれど、それはそれは見事なものだった。
エリアを分けて、カラーが違うのだもの。
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