2008年5月 4日 (日)

プッチーニ 歌劇「ラ・ヴィルリ」 マゼール指揮

1 名古屋東海グルメ、今日は「あんかけパスタ」。

私の名古屋時代、あるにはあったが、当地でもこんなにメジャーではなかったはず。
最初、「あんかけ」というから、ほんとに「あんこ」がかかっているのかと思っていた。
(でも、実際に、そういうパスタもあるところが名古屋しとるね。)

トマトソースがベースの、胡椒の効いたトロトロあんかけソース。
パスタは極太。2.2mmあるらしい。
このソースに太麺を絡めて食べる。アツアツでスパイスが効いているから、汗も出ちまう。
食べ応え充分、インパクトも充分、そしてかなりうまいで。「きのこ」をチョイス。
愛知発のカレーで全国制覇をした、「CoCo壱番屋」がチェーン展開するあんかけスパ専門店「パスタ・デ・ココ」で食す。なんと、新橋にも出店してるらしい。
是非食べてみなぁあかんで!

Le_villi_maazel

プッチーニ(1858~1924)生誕150年、全作品を聴くシリーズ。
オペラは12作、アリアにミサ曲に、オーケストラ曲に室内楽曲、そんなに多作ではないけれど、いずれも美しい旋律と世紀末的な甘味な歌に満ちているし、ワーグナーを経てマーラー、シュトラウス、新ウィーン楽派をたしなむものにとっては、堪らないご馳走に思える。

音楽家の家に生まれ、肝心の父に先立たれ、母や姉妹に囲まれて育ったプッチーニ。
全作品に登場するヒロインは、献身的で薄幸で健気な女性ばかり。
この処女作である「ラ・ヴィルリ」でもそんな女性が主役なのだ。

このオペラ第一作は、師のポンキエッリやボイートの尽力で初演は大成功し、プッチーニはヴェルディを継ぐ寵児となったが、この作品も初演とその再演数十回のみで、今ではまったく上演機会のないオペラとなってしまった。
自作の「エドガー」も同じで、真の成功は「ボエーム」まで待たねばならない。

何故見捨てられたかのようになったかというと、2幕形式をとりながら、ドラマの進行を間に置いたナレーションに任せたことで、あまりにドラマが散漫・適当になってしまった。
音楽は、どう聴いてもプッチーニで、素晴らしいのだが、ドラマ仕立てが稚拙すぎること。

ドラマの背景・・・・・北欧に伝わる、乱舞する妖精(ニンフ)伝説。純情乙女を裏切ると、その男は妖精によって踊り狂わされ、やがて死んでしまう。

第1幕
 グリエルモとその娘アンナは、許婚ロベルトが相続のため亡くなった伯母の遺産を受け取りに行くために、別れの宴を村人とともに催している。
アンナは、忘れな草をロベルトの鞄にそっと入れて、花は一緒に行けて羨ましい・・と別れを惜しみ、ロベルトは、ほんのちょっとだし、心から愛していることを歌う。

ナレーション部分
 ロベルトは、妖婦に夢中になり、故郷を忘れてしまったが、やがてその女からも捨てられてしまった。悲嘆に暮れたアンナは悲しみ亡くなってしまった。
伝説によれば、乙女が恋のため死ぬことがあれば、夜毎魔女(妖精)が出て、その男を待ちうける。故郷を目指すロベルトは、妖精たちに怯えながら帰ってきた。

第2幕
 父グリエルモが、娘を亡くした憎しみをぶつけている。
ロベルトが帰ってきて、グリエルモの家の前に立つが不思議な力に押され一歩踏み出せない。妖精たちが、あいつが帰ってきたと歌いはやす。
幻影のアンナが現れ、かつてロベルトが歌った愛の歌を歌い、おいでおいでをする。
生きていたんだ、と駆け寄るロベルトを妖精たちが取り囲み、激しく乱舞する。
「哀れみを」と叫ぶロベルト、「あんたは私のもの」と歌うアンナ。ロベルトはくず折れる。

   アンナ:レナータ・スコット     ロベルト :プラシド・ドミンゴ
   グリエルモ:レオ・ヌッチ      ナレーター:ティト・ゴッピ

    ロリン・マゼール指揮 ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
                  アンブロジアンシンガーズ
                          (1979年6月録音)

CD1枚のコンパクトオペラ。
主役3人にちゃんと素晴らしいアリアがもうけられているし、村人兼妖精の合唱も活躍。
シャイーの名盤をお聴きの方なら、聴き馴染んだ音楽で、すんなりと入れます。

3人の主役では、スコットの真にせまるかのような歌唱が素晴らしく、心を打つ。
そして、ゴッピの語りがアリアを歌うかのような味わいに満ちたもので聴きもの。
ピンカートンのような、軽瓢な男を「だってしょうがないんだもん」とばかりに、立派に歌ってしまうドミンゴ
若々しくも敬虔な父のヌッチ
こんな具合に、バブルの色香ただよう豪勢なキャストに、当時プッチーニ全集を目論んでいたマゼールの指揮は、普通にドラマティックでよろしい。
立派すぎるのが、たまに傷だけど。
そして、ロンドンの腕っこきを集めた録音専門のオケ「ナショナル・フィル」が懐かしい。

いまの世の中では、とうてい採算のあわないオペラだけれど、三部作と合わせて二夜で上演するとかして、なんとか舞台に載せてほしいな。

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2008年3月 7日 (金)

プッチーニ 「トスカ」 マゼール指揮

Tosca_maazel プッチーニ(1858~1924)の生誕150年の今年。
ちょっとずるいけれど、昨年分も入れて全作品制覇を目指してます。

オペラ作品は、全部で10作品。(三部作を分けると12作品)
これまで、「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「西部の娘」「ラ・ロンディーヌ」を取上げた。
ヴェルディの延長としてではなく、マーラーやシェーンベルク、そしてR・シュトラウスと同時代人としてとらえて聴くと、プッチーニのあらたな面が見えてくる。
ともかく、オーケストレーションの巧みさの中に、斬新な響きや、甘味な歌がたっぷり盛り込まれている。それが完璧な構成の中に、見事なドラマを築きあげているんだ。
天才としかいいようがない。
モーツァルトのレクィエムが、弟子の補筆とのギャップがあまりに大きいのと同じに、「トゥーランドット」のリューの死以降の出来栄えの格差はいかんとも仕方がない。

Photoトスカ」は、その舞台がローマの名所・旧跡で色どられていて、さながらローマ観光をする思いである。
だから、演出もその装置に金がかかるだろう。
でも人気作品だから、何度でも上演できるから、減価償却もバッチリ終えることもできるだろうな。
読替えや、過激な舞台に仕立てにくいし。

こちらは、第1幕の舞台「サンタ・アンドレア・デェラ・ヴァッレ教会」に似ていると思われる教会の内部。(画像がなかったのであります)
こんな聖なる場所で、トスカとカヴァラドッシは愛を囁きあい、嫉妬に燃えてしまう。
悪漢スカルピアは、いやらしい妄想をテ・デウムとともに歌っちゃうし。
このテ・デウムは、最高に素晴らしい。ワタシ歌っちゃいますぜ。

Photo_2 第2幕は、ファルネーゼ宮殿。
ミケランジェロもたずさわった豪華な宮殿は、今はフランス大使館らしい。
ここの一室で、バッド・ガイ、スカルピアは「ムフフ・・」といわんばかりに、いやらしい思いでいる。
窓の外からは、階下で歌うトスカの声が聞こえる。
CDによっては、その窓をガシャンと閉める音がリアルに入っていて、妙にうれしい。
この敵の陣地で、カヴァラドッシは破れかぶれに「ヴィットーリーア~」と高らかに叫んでしまうんだ。
絶望に捕らわれるトスカが、涙ながらに歌う「歌に生き、愛に生き・・・」は、息詰まる劇的な展開の中に涙誘う素晴らしいアリア。
そして、トスカはナイフで、「ふっふっふ・・・」とばかりに迫って来た悪代官をグサリと。

3 第3幕は、サンタンジェロ城。ローマ皇帝の霊廟として作られた。トスカの時代には、牢獄だった。
幕開きはローマの清々しい朝で、絵のような音楽だ。
ここで、カヴァラドッシは死を覚悟し、嘆くがトスカの登場とともに甘い二重唱を歌って、希望を取り戻す。
 ところが、悪代官の方が1枚上手だった。
目の前で、カヴァラドッシが銃殺され、「いい演技ねぇ」なんて言ってたトスカ。
ようやく気が付き、「スカルピア!神の御前で~」と叫んで、城壁から身をひるがえす・・・・・。3人全部死んじまう。
大きなカバリエが、どッカーンと落ちる映像が忘れられない。
このシーンが、美しかったのは、カヴァイヴァンスカですな。

   トスカ :ビルギット・ニルソン   カヴァラドッシ:フランコ・コレルリ
   スカルピア:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
   アンジェロッティ:シルヴィオ・マイオニカ スポレッタ:ピエロ・デ・パルマ

 ロリン・マゼール指揮  ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団/合唱団
                               (1966年ローマ)

このマゼール盤、数あるトスカの演奏のなかでも、もっともユニークな演奏だと思う。
主役3人と指揮者のなかで、イタリア人はコレルリだけ。
あとは、ワーグナーでも上演できそうな3人。
ニルソンが、ワーグナーばかりでなく、イタリアオペラのドラマティックな役を得意にしたのは周知のとおりだが、歌姫トスカは、可憐さや嫉妬に狂ういじらしさ、恋人の拷問に耐えられなくなってしまうか弱さも必要な役柄だ。
ニルソンは、そんなイメージとはちょっと違って聴こえる。
スカルピアと対等に張り合い、カヴァラドッシに負けちゃいけないと言わんばかりの強さを感じる。どうもこれは、私が彼女のブリュンヒルデやイゾルデを聴きすぎで、その声のイメージを引きずりすぎているからなのだろう。それとイタリア語がちょっと・・・。
そんなイメージを払拭すれば、声は冷凛として透明かつ輝かしく、聴き応え十分。

F=ディースカウは、予想以上にサマになっている。
まさに頭脳的・確信犯的な悪漢になりきっていて、言葉ひとつひとつに込めたドラマはもの凄く説得力がある。ニルソンと違って、あまりにも明晰に発声するイタリア語は憎々しい。
ゴッピと違った意味で、「悪いやっちゃ!」と思わせるFDのスカルピア。
トスカとスカルピアの死闘はものスゴイ迫力。

この強烈な二人に挟まれて、意外やいつも粘っこく感じるコレルリが、実に爽やかでよい。
むしろ普通すぎて面白くないところが悲しい。
素晴らしいカヴァラドッシなのに。(カラスとゴッピと共演するカヴァラドッシが可愛そうなのとおんなじだ)

60年代のマゼールは、その個性も全開。
思い切り引っ張り、思い切りあっけなく。そんなマゼール独特の緩急が随所に聞かれる。
歌を邪魔せず、ドラマにそれが生きているのがこの時期のオペラ指揮者としてのマゼールのすごいところ。
そして、ローマのオケの水も滴るような鮮度の高い響き。
この時期のイタリアのオペラのオーケストラを聴く楽しみがいやでも味わえる。

それにしても、よく出来たオペラである。ワーグナー聴く間に、トスカ2回聴けちゃうし。

                 

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2008年1月13日 (日)

プッチーニ 「マノン・レスコー」 シノーポリ指揮

Pucini_manon_sinopoli 今年は、ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)の生誕150年の年。
あんまり騒がれないし、そうしてほしくもないけれど、私のブログで順次取上げるとしよう。

ヴェルディ後のイタリアオペラ界を担ったプッチーニは、3部作をひとつと考えると、全部で10のオペラを作曲した。
ヴェリスモの流れをくみながらも、ヴェリスモを越え独自の音楽を作り出してしまった。
旋律は、天性のメロディーメーカーさながら、あふれるように満ちているし、美しくもある。
和音は、マーラーやR・シュトラウスとも合い通じる、分厚くもあり、繊細でもあり、甘味でもあり、と私のお気に入りゾーンにはまっている。

「妖精ヴィッリ」「エドガー」の2作が、あまり成功せず友人のマスカーニやレオンカヴァルロらが成功作を出していたのに、焦りを感じていたプッチーニ。
一方、プッチーニをイタリアの新しい星として売り込んでいこうと考えていた、出版業者のリコルディ。新作が出てこないプッチーニとの契約を解除するまでの意見が出た社内を、当主のリコルディが「プッチーニをおいて、ヴェルディの後継者はいない」と演説をおこなって役員連中を説き伏せたという。

この信頼に応えて、プッチーニはアヴェ・プレヴォの有名な恋愛小説「マノン」を題材としたオペラ「マノン・レスコー」を書くことを決意。
先達マスネに敬意を表したのか、題名に「レスコー」を付し、マスネが扱った場面とは異なる内容になるようにした。
原作は、奔放で千の顔を持つ女性として描かれているが、プッチーニは彼好みの、そう、ミミのような一途な女性に近付けた。
台本が出来あがるまで、2転3転したが、最後には、今後名コンビとなるイルリカとジャコーザによって完成した。

1893年トリノで初演され、大成功を収める。
そしてわずか数日後、ミラノではヴェルディの最後のオペラ「ファルスタッフ」が初演された。ワーグナー没後10年、イタリアでは、まさに、新旧の交代の年であった・・・・。

簡単なあらすじ
第1幕 パリの北方アミアン
Manon_wien1 広場で、デ・グリューを始めとする学生たちが集っている。
そこへ、馬車に乗った尼僧院に向かうマノンとその兄レスコー、老財務官のジェロントがやってくる。ジェロントは、マノンを狙っているわけである。
そしてマノンの美しさに釘付けになったデ・グリュー。言葉を交わすうちに気持ちが通じたふたり。
仲間たちの助けを借り、二人はジェロントを出し抜いてパリへ向かって出奔する。兄は、ジェロントに、行き先はわかっているから安心して、と抱き込む。

第2幕 パリ
 逃亡先を突き止められ、ジェロントの愛妾となっているマノン。
兄がやってきて、マノンはデ・グリューの消息を尋ねる。ジェロントなんてより、貧しくとも愛のあったデ・グリューとの日々を懐かしむマノン。
ひとりになったマノンのもとへ、デ・グリューが突然現れる。二人は激情の愛を交わす。
そこへ、ジェロントが帰ってきてしまい、マノンは爺さんはもうやだ!と言い切ってしまう。
怒った爺さんは出てゆき、かわりにレスコーが青ざめて入ってくる。
ジェロントがマノンを追放するという。慌てる二人、デ・グリューはいずれマノンを助けることになるから逃げろとの兄の指示で、逃げる。

第3幕 ル・アーヴル
Manon_wien3 フランス追放の命を受けたマノン。アメリカ行きの船の待つ港。
レスコーの手はずで、救いだすこととなっていたが、それもあたわず、他の娼婦などと共に点呼を受けるマノン。
そのいわれは、群集も皆知って同情している。
そこへ、飛び出すデ・グリュー。
船長の下に平伏して、涙ながらに、自分を船員のはしくれとしてでもいいから、乗船させて欲しいと訴える。
船長は、懇願を受け入れ乗船を許可する。

第4幕 アメリカ ニューオルリンズの荒野
Manon_wien4 問題を起して逃げ出したマノンとデ・グリューは、追っ手を逃れて荒野をさまよう。
歩き疲れたマノンをおいて、デ・グリューは水を探しにゆく。
ひとりマノンは、寂しくここ砂漠で死んでゆくわが身を嘆く。
何も見つけられなかったデ・グリューが戻ってきて、絶望の二重唱を歌う。すでに死の影濃いマノンは、「私の罪は忘却の中に埋もれるでしょう。でも私の愛は、決して死なない・・・」と言い残して息絶える。デ・グリューはマノンを抱きしめて慟哭する。

ドラマの飛躍が激しいが、筋は、どことなく「ボエーム」に似てなくもない。

1幕のデ・グリューのアリア、2幕の二重唱、3幕への間奏曲、4幕のマノンのアリア。
これらは、甘味な旋律に溢れた素晴らしい音楽だ。
ことに間奏曲は、私の大好きな音楽のひとつ!

 マノン・レスコー:ミレッラ・フレーニ   デ・グリュー:プラシド・ドミンゴ
 レスコー    :レナート・ブルソン   ジェロント :クルト・リドゥル
 エドモンド   :ロバート・ギャンビル  歌手:ブリギッテ・ファスベンダー
 
   ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
                    コヴェントガーデン歌劇場合唱団
                         (1983年録音)

こうした顔ぶれの録音に何の不満もあろうか。
表現豊かで、劇的な歌唱も素晴らしいフレーニ、若々しくも力強いドミンゴは、プッチーニこそお似合い。ブルソンの味のあるレスコー。まだリリカルだったギャンビルと立派な声のリドゥルは、先ごろドレスデンとともにやってきたばかり。

マーラーやシュトラウスを指揮するように、プッチーニを演奏したシノーポリ
時おり大きくルバートをかけつつ、オペラティックな雰囲気に事欠かない。
彼の早世は、惜しみても余りある。
プッチーニにシュトラウス、ワーグナーをすべて演奏し、録音してくれたはずだろう。
1986年、ウィーン国立歌劇場と来日し、この「マノン・レスコー」を指揮した。
私はそのNHKホールでの公演に居合わせたが、そのエキセントリックとも思える激しい指揮ぶりに釘付けだった。でも出てくる音楽は、ウィーンの音色も手伝ってか、当CDよりかなりまろやかだった気がする。
その時も、フレーニがマノンだった。相手は、お馴染みのコンビ、ドヴォルスキー。
3幕のデ・グリューの懇願のものすごい熱演と、最後のマノンの死に涙が出るほど感激したものだ。

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2007年12月27日 (木)

プッチーニ 「ラ・ボエーム」 クライバー指揮

4プッチーニのボエーム、そう何度も聴けるオペラじゃない。
何故って、涙ちょちょぎれ、衆人のもとでは恥ずかしくて容易に聴けないもの。

こんな素適なオペラを書いたプッチーニ、彼も、主役の女性をとことん愛し、そしてさまざまなタイプの女性を描いた。
そうした意味では、R・シュトラウスと双璧かもしれない。

トスカやバタフライ、トゥーランドット、マノンはみんなおっかないけど、やはりミミは身近だな。
かわいい一途さがあるし、儚い命を燃え尽きてしまうところも男心をくすぐる。
ロドルフォやボエーム達の甲斐性のなさも、我がことのように身近に感じちゃう。(へへっ)

この愛すべきオペラ、なんとまだ舞台で観たことがない。
昨今、人前で密かに涙することが巧くなったから平気だと思い新国の公演に行こうと思ったら、すべてソールドアウト!

6 しょうがないから、とっておきの音源を聴いてしまおう。
カルロス・クライバーミラノ・スカラ座の1981年日本公演のライブだ。
FM生放送のエアチェックテープを自家CDR化したもの。
もう26年も経つ。
総監督アバドとともに来日したクライバーは、このボエームとオテロを指揮した。
アバドはシモンとセヴィリアとヴェルディのレクイエム。
いずれもNHKが生放送したし、テレビ放送もした。
当時新入社員だった私が、こんな豪華公演に行けるわけもなかったが、唯一大奮発して大ファンの初アバドのシモンをS席で観劇するのがやっとだった。
というより、クライバーのチケットなんてまったく取れなかったんだ。
しかし、アバドのシモンは生涯忘れえぬほどの感銘をもたらしてくれた。

1 無念のボエームやオテロはFMやテレビで観劇して、そのすさまじいまでの表現意欲にまったく驚いた。
ボエームのテレビ放送では、やはり涙が止めようがなかったが、クラシック音楽にはまったく興味にない亡父がこっそり見ていたのを覚えている。
88年の再演でも、金欠の私は立ち会うことができなかった。
ついぞカルロスの実演に接することができなかったことは私の音楽生活の中では痛恨のことなのだ!

  ミミ :ミレッラ・フレーニ          ロドルフォ:ペテル・ドヴォルスキ
  マルチェロ:ロレンツォ・サッコマーニ  ムゼッタ:マルゲリータ・グリエルミ
  ショナール:アントニオ・サヴァスターノ  コリオーネ:パオロ・ワシントン

今、意外に鮮明に録音できた音源を聴いてみて、ドラマといっしょくたになって自在に呼吸するクライバーの指揮の素晴らしさに感嘆せざるを得ない。
冒頭拍手も止むのももどかしいくらいに性急に始まる音楽。一気に引き込まれてしまう。
有名なふたつのアリアのオーケストラがこんなにニュアンス豊かに鳴るのはすごい。
終始早めのテンポで進められ、音楽は弾むように軽やかだ。ところが2幕のカフェ・モニュスの華やかさを境に3幕から、急速に悲劇の色を濃くし、オケは悲しみの色を増していく。
終幕の前半の取り繕った明るさが、瀕死のミミを見つけたムゼッタの登場で、急激に悲しみに陰ってしまう。ミミの死における慟哭は、ロドルフォの叫び以上にオケが雄弁なのだ。
この録音では、うなりながら指揮をするカルロスの声も聴こえる。

2 いつまでも若く万年ミミのフレーニが悪かろうがない。彼女のニュアンス豊かで暖かみのある声はクライバーにぴったり。
亡きドヴォルスキも全盛の頃で、豊かな声量による美声は快感でもあるが、ちょっと優等生すぎるか。サッコマーニのいい人を絵に描いたようなマルチェッロもいいし、グリエルのムゼッタの清涼飲料のような爽やかさもいい。

われながら、いい音源をいい状態で保存していたものだ。
NHK様は、映像も保管してないのだろうか。
3

やはり終幕では、胸に来るものを押さえきれなかった。

こんなオペラを作曲しちまったプッチーニ先生は罪なお人だ。

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2007年11月 5日 (月)

知られざるプッチーニ  P・ドミンゴ

Takanosu 先週は、秋田・青森に出張。
今回は気ままなレンタカーでの、一人出張だったから、時間の許す範囲内で寄り道したり、食べたりしたが、こんな場合は往々にして、電話攻勢を受けてしまい、どこでもかしこでも携帯が鳴ってしまう。

人を不自由にしてしまう文明の利器なり

こちらは、秋田県鷹巣市のとある神社。国道から、よさげな小さな森が見えたから、思い切りハンドルを切り潜入。簡潔でとても美しい神社だった。苔に落ちた銀杏の葉がとてもきれいだ。

Domingo_puccini

こちらは、作曲家プッチーニ
いや、ウソ。
プッチーニらしくポーズを決め、変装したドミンゴ
セピアの画像が、まったくもってそれらしい。

このCDは、プッチーニの未発表の作品を含む、主に若書きの作品集。
全部で16曲が歌われているが、ピアノないしは、オルガンの伴奏によるもの。
その伴奏が、ウィーン生まれの指揮者で、シルズとの名コンビで数々の録音を残した、ジュリアス・ルーデル
まず先に、ルーデルから誉めちゃうと、これがまた達者でかつ情感たっぷりで素晴らしい。
外盤につき、詳細は不明なれど、このCDの録音にあたっては、ルーデルの研究成果もかなりあるのではないかな?

肝心のドミンゴが悪かろうはずがない。
最近でこそ、何でもかんでもドミンゴで、その立派過ぎて分別くさい声が、やや鼻についてしまうが、プッチーニやヴェリスモ系に関しては、私はドミンゴの精緻で整った歌唱が好きだ。プッチーニ特有の甘い旋律や、豊麗な響きなどは、ドミンゴの声でこそ映える。

ほとんどの曲が初めて聴くものだが、プッチーニのオペラを聴いたことがある人なら全然OK。ボエームやバタフライの有名旋律がチョロチョロと顔を出すし、まんまそのものの曲もある。こうして聴くと、プッチーニはメロディー・メーカーとして天才的なものがあったと感心してしまう次第。
宗教的な歌曲も含むが、それらも実にメロディーしてるし、歌として聴き応えがある。
バスとの二重唱は、F・ディアスが登場していて、これまた美声だ。

オペラも含めて、プッチーニの作品の全貌がまだ必ずしも親しまれていない実情。
ロンディーヌ(つばめ)やエドガー、ヴィリ・・・。
なかでも、つばめは愛すべきオペラなんだけどな。

Kuroishi_koyo 北東北の紅葉は場所によってはもう終わっていた。
こちらは、青森県黒石市郊外の紅葉谷。
この道を登りつめると、「八甲田山」がそびえる。

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2007年4月22日 (日)

プッチーニ 「西部の娘」 新国立劇場

La_fanciulla_del_west 21日(土曜)に、新国立劇場にて、プッチーニの「西部の娘」を観劇した。

新国の公演記録を見るとさすがに人気作曲家、主要作品はほとんど取上げられていて、レパートリー化している。
そんな中で、上演されてなかったのが、この「西部の娘」と「三部作の一部」と「エドガー」「ロンディーヌ」など。
こうした地味な作品にもプッチーニらしい美しさとオーケストレーションの素晴らしさが満載なので、今回の新国の上演には、大いに敬意を称したい。

この作品、かつて「メータ」のCDを取り上げたが、舞台設定がアメリカ開拓時代で効果を狙いすぎなのと、劇の仕立てが少し陳腐なところから、音楽は素晴らしいが全貌がどうもよくわからない。
粗筋や音楽の内容は、以前の記事を参照くだされ。
こんな印象を持ちながら、劇場に向かった。

  ミニー :ステファニー・フリーデ        ジャック・ランス:ルチオ・ガッロ
  ディック・ジョンソン:アティッラ・B.キッシュ  ニック:大野光彦
  アシュビー:長谷川顕              ソノーラ:泉 良平
       ウルフ・シルマー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                  演出:アンドレアス・ホモキ

こんなメンバーに、演出のホモキ・・・、うん?私は初めてだが、この人はユニークな演出をする人と聞いている。
パンフを見ると、時代設定を現在に置換えているという。ふ~む。

West3_1  幕が開くと、なるほど舞台には、今風のなりをした若者がスーパーの、それもウォルマートのような大型スーパーで使うような、大きなカートに、いろんなものを積んで、客席を見ている。その人物たちは世界中の国籍の人々。アメリカ人、日の丸の鉢巻や刺青の日本人、ターバンを巻いたインド人、中国人、ユダヤ人、南米風に黒人に・・・・・。
ホモキによれば、東京での上演を意識し、祖国を失ったもの、移住者の心の悲しみを描こうとしたという。
これはこれで、すんなりと受け入れられる自然さがあった。
 舞台は、極めて多量の「段ボール箱」に埋め尽くされていて、メーカーの「レンゴー」の政策協力という。この特殊に強化された段ボールは、登場人物が階段のようにして乗り降りもするし、蓋を開けて中に隠れたりもする。驚いたのは、段ボールの壁が部分的にバタンと倒れ、通路が出来てしまったこと。なかなかのアイデア。
縦横と数えて掛け算したら、1100個いやもっとたくさんあったのかしらん?

人々は金鉱に働く労働者ではなく、大工場に出稼ぎにきた労働者なのである。
West2  悪役ランスは、アメリカンの悪漢ポリスだし、盗賊の首領ジョンソンはジーンズにネルのチェックシャツのトラック運転手のよう。ミニーは、上下のつなぎだし、おめかししたときは、赤い靴の完全なアメリカン・ガール。

わかりやすく、楽しい演出だった。
でも原作通り、西部の舞台が見たかったな。

歌手は、ミニー役の「キャロル・ヴァネス」が早くから降板したが、主役3人は、実に良かった。特に、ランスの「ガッロ」!アバド盤のフィガロのいい人とは、大違いの憎憎しさ。
声もよく響きわたり、悪いポリスぶりに徹していて、この人が一番拍手を受けていたように思う。
West1 ミニーの「フリーデ」は、出だしがイマイチだったが、1幕後半から調子を上げ、やわらかなやさしい女と鉄火場女の二面を歌い出さねばならない難しい役をよく歌っていた。
経歴によれば、ジークリンデやブリュンヒルデ、サロメも歌うそうだから、これは期待。
 ジョンソンの「キッシュ」はもう少し力強さも欲しいがまずまず。
男性合唱の正確さ、うまさも新国のもはや定番。

そして東フィルがまたうまかった。オペラ指揮者としての「シルマー」は、ワーグナーや後期ロマン派が得意だが、このプッチーニもよかった。
音楽を完璧に把握し、オケと歌手への指示もかなり細やかに出していて、安心の要のようだった。

今回の舞台で、「西部の娘」がより身近になった。

   

  

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2007年4月19日 (木)

プッチーニ オペラ・アリア集 ライナ・カバイヴァンスカ

Kabaivanska_1 今日も冷たい雨の降る首都圏。
コートはもうクリーニングに出しちゃったし、困ったもんだ。
寒いぜ。

今晩は、プッチーニのヒロインのアリアでも聴こう。

「ライナ・カバイヴァンスカ」をご存知であろうか。
ブルガリア出身の愛らしいソプラノ、1934年の生まれだからもう第一線は退いてしまっている。

日本に初登場したのは、1973年。NHKホールのこけら落としに企画された「イタリア・オペラ団」の公演で、彼女はお目見えした。
もう伝説となってしまった、NHKの「イタリアオペラ」。デルモナコやテヴァルディらがやってきて本場のもの凄い歌を聞かせてくれた。
私の記憶にあるものは、71年の「イタリア・オペラ」ぐらいから。
その頃から、物語としての「オペラ」に傾倒していった。田舎ではませた中学生だった。

それはそうと、73年の「カバイヴァンスカ」は、彼女の当たり役「トスカ」。
カヴァラドッシが「フラヴィアーノ・ラボー」、スカルピアは若手の「マストロメイ」、指揮は「ファブリティース」であった。
私には無名の人たちだったが、通のあいだでは、ついに噂の「カバイヴァンスカ」登場という評判だったと記憶している。
何が噂かというと、その歌はともかく、「美しい舞台姿」と「抜群の演技力」とによってである。実際、テレビで見た彼女は、スラリと背が高く、華奢で美人。まるで映画女優のような「トスカ」なのであった。トスカの赤い衣装が、実によく似合う。
これに比して、「ラボー」は小柄なオジサンだったが、やたらに声が良かったし、情熱的だった。名前は軽いが、「ラボー」は名テノールだったのに、録音が少なすぎ。

当時のカバイヴァンスカ画像が手元になく、ご紹介できないのが残念。
来る連休に、実家の古い書籍を探して、またご案内しましょう。

ともかく、その細やかな演技には、中学生の私も感銘を受けた。
スカルピアを刺したあとのオドオドぶりなど、見事なもの。それでいて、独特の気品とエレガントな物腰。オペラ歌手のひとつの局面を突き詰めたのも彼女だろうな。
肝心の歌は、もう少し声の魅力が欲しいところだが、舞台姿が勝るから善しだ。

今日のCDは、「ガヴァッツェーニ指揮トリノ・イタリア放送響」をバックに、彼女がもっも得意にした「プッチーニ」を歌ったもの。
録音も冴えないチェトラ盤で、何年頃の録音かデータがない。
70年代後半と推測するが、「カバイヴァンスカ」の声は少し荒れていて、ちょっと苦しい。
それでも、トスカの名アリアでは、思わずジーンとさせる歌いぶりで、とても感動した。
昔を思い起こして、DVDでも購入してみよう。

テレビで見た美しい「トスカ」。

その数年後、「カラス」が復活して、横浜で「ステファーノ」と「トスカ」の舞台に立つことになった。
が、やはり歌えず、「カラス」が代役に指名したのは「カバリエ」。
これまたテレビ視聴だったが、巨「カバリエ」と爺「ステファーノ」のトスカは、ドタバタとなかなかに面白い見ものだった。
最後にサンタンジェロ城から身を投げる巨体に、目をつぶる思いだったのを覚えてる。
でも、カバリエのピアニシモで消え入るような声には、日本中が息を止めたはずだ。

カバリエとカバイヴァンスカを足して2で割ったら、最高の・・・・・・・。

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2007年2月17日 (土)

プッチーニ 「西部の娘」 メータ指揮

「オペラ・マンスリー」参加企画。というか、年中オペラですねん。

Puccin_lafanciulla_del_west 全部で10作(3部作をひとつとして)あるプッチーニ(1858~1924)のオペラのうち、7作目。「喋々夫人」のあと、1910年頃の作品だから、充実しきっていた時期の作曲。
 解説本によれば、初演はメトで、トスカニーニの指揮、カルーソーの歌で行なわれたという。なんとも凄い話ではないか。

しかし、このオペラは今では、さほど上演されず、人気もあまり高くない。
日本では、NHKのイタリア・オペラ団の上演とマゼール・スカラ座の上演があったはず。
私もかつて、1,2度聴いた程度で、どうもつかみどころのないオペラとのレッテルを早々と貼ってしまっていた。
まず、「聴かせどころのアリアが少ない。アリアが少ないかわりに短い歌がツギハギのようにじゃんじゃん登場するし、セリフも極めて多い。これでは、歌手が大変だ。」
そして、「開拓時代の西部劇ドラマが陳腐であること。複雑で一度さらっただけでは訳がわからん・・・・。」
 とまあ、こんなイメージを持ったワケ。

こんな苦手オペラが、4月の「新国」で上演される。
指揮も歌手も面白そうだから、安い席を手配した。
練習もかねて、メータ盤を購入し、じっくりと聴きこんだ。

時は1850年頃のカリフォルニアの鉱山のとある町。
酒場の人気ものヒロイン「ミニー」は孤児だが勝気で鉄火肌の女。
彼女を愛する保安官「ジャック・ランス」はお定まりの敵役。「ランス」の求婚をはね付ける「ミニー」は、「いずれいい男が現れるだろう。」
 そこへ、「ディック・ジョンソン」が現れ、「ミニー」は以前会ったこともあって惚れ込んでしまう。同時に盗賊団が近くにやって来ているとの報に、街の衆は賊狩りに出かける。

「ミニー」と「ジョンソン」は引かれ合い、美しい二重唱を歌うが、「ジョンソン」こそ、盗賊の首領とわかり、皆の衆が押しかけ、一旦はかくまうが、「ジョンソン」は家を出ていく。
しかし、すぐに見つかり、銃で撃たれてしまう。逃げ帰る「ジョンソン」を守る「ミニー」は、「ランス」にカードで勝ったら結婚し、引き渡すと勝負を挑む。
「ミニー」は巧みに、イカサマゲームで勝利し、「ジョンソン」の自由を掴む。

しかし、人々に捕らえられてしまう「ジョンソン」は、処刑に処せられことになる。
覚悟を決めた「ジョンソン」は、「ミニーには自由の身になった・・と伝えてくれ」とこのオペラの唯一有名なアリアを激唱する。
恋敵を憎む「ランス」は処刑を急ぐが、「ミニー」が血相変えて飛び込んできて、切々と助命を乞う。街の人気ものに嘆願され、人々は「ランス」の反対もよそに「ジョンソン」を許し、二人は「さよなら、カリフォルニア」と歌い、街を去っていく・・・・・・・。

以上が慨略筋だが、何だかなぁ??という内容。
悪党のくせにいいのかよ。(一応、盗みはしたが、人は殺めてない、なんて言ってるけど)
保安官のランス君、いいんですか、ほんとに??
あきらかに、弱い台本・・・、に思うが、実演はどうなることやら。

音楽は、特にオーケストラ部分がよく出来ていると思う。思い切り不協和音を響かせたりするかと思うと、甘味な旋律が切々と鳴ったり、アメリカ風のリズムやフレーズがチョロチョロ顔を出したりして面白い。同時代のマーラーにも通じる、「何でもアリ」の音楽は、私にはとても魅力的だった。
歌の部分は確かに弱いが、演技が伴なえばこれも面白いのかも。
時おりウィスキーだとか、サンフランシスコだとかいうセリフが聞かれるのも何とも。

   ミニー :キャロル・ネブレット   ジョンソン:プラシド・ドミンゴ
   ランス :シェリル・ミルンズ    ニック  :フランシス・エガートン
   アシュビー:ロバート・ロイド    ソノーラ :ジョナサン・サマーズ

    ズビン・メータ 指揮  コヴェントガーデン王立歌劇場

Mehta_piccini 1977年にロンドンの上演と並行して録音されたこの盤。
メータが珍しくDGに登場し、この時代の音楽のスペシャリストとして、複雑で錯綜するオーケストレーションを見事に振り分けている。オーケストラの味のある音色もうれしい。
ドミンゴとミルンズの黄金コンビも、面目躍如たる素晴らしい声による名演技が味わえる。 
この二人はプッチーニが一番いいのでは、と思っているワタクシ。
ネブレットは、この頃活躍したアメリカ産の歌手だが、「アバド・シカゴのマーラー復活」でデビューした元気なソプラノは、このオペラを得意にしていた。実際、リリックな部分から、思い切りドスを効かせて啖呵を切る場面まで、なかなかに芸達者な歌いぶりで好感を持った。 
 この録音、「銃の音」や「カードを切る音」、「テーブルを叩く音」なんてのがリアルに収録されていてちょっとドキッとするが、面白い。

数回聴いたが、まだよくわからない。いい音楽なんだけれどもね。
4月の舞台がどうなるか。 

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2006年10月28日 (土)

プッチーニ 「ラ・ロンディーヌ」(つばめ) アンナ・モッフォ

La_rondine 今日はプッチーニ行きます。
プッチーニといっても、ただ「ボエーム」や「トスカ」じゃ芸がないから、「ラ・ロンディーヌ」つばめ、というオペラを取上げてみた。

1917年、プッチーニ59歳の円熟期の作品で、この後は「三部作」と「トゥーランドット」が残されている。こんな充実期にありながら、このオペラは全然上演されず、CDもごく僅かしかない。
何ゆえに、人気がないのか? 有名なのはピアノのオブリガートを伴った、主人公「マグダ」の歌うアリア「ドデッタの美しい夢」ぐらいで、名アリアがないこと。
人が死んだり、殺されたりする生々しさがなく、ドラマ性に乏しいことなどが想像される。

でも始めはさりげなく聴いたつもりでも、優しくなじみやすいメロディーが次々と現れるし、オーケストレーションも相変わらず巧みだ。長さも2時間足らずだし、ほんとうは愛すべき魅力的なオペラだったのだ。

大まかな内容は、「ラ・トラヴィアータ」を思い起こせばいい。
舞台はパリ。銀行家「ランバルト」の愛人である主人公「マグダ」は美人だが、ちょっと嫌われ者。よくあるように、サロンに芸術家を呼んで楽しんだりしている。
 詩人「プルニエ」は、彼女が「つばめ」のようにロマンスと冒険を求めて飛び立つが、やがて巣に帰っていくように元の生活に戻るだろうと歌う。この「プルニエ」は狂言回し的にも重要な役柄かもしれない。

あるとき、銀行家の友人の息子「ルッジェーロ」が都会パリに憧れ出てくる。この青年に引かれた「マグダ」は、お針子に変装して、夜のパリで「ルッジェーロ」と会い、二人は恋に落ちる。

二人はリゾートの別荘で数ヵ月愛の巣を営むことになる。「ルッジェーロ」は故郷の母に結婚の許しを請うていて、晴れてOKが出て、喜んで「マグダ」に告げる。
折から、詩人「プルミエ」と以前の彼女の小間使いが遊びにきていて、銀行家のオヤジが「いつでもパリに戻っておいで」と言っていることを告げる。

結婚の申出を受けた「マグダ」は、自分の穢れた身の上を語り、偽って結婚するこはできないと涙ながらに別れを告げる。

こんな起伏の少ない内容に付けられた音楽は、放っておくにはあまりに勿体無い。
有名なアリアはもちろん素晴らしいし、2幕のパリの夜の賑やかな社交の場では、ウィーン風のワルツも聞かれる。その幕の最後に、恋人となった二人が楽しそうに立ち去りながら、マグダが歌いルッジェーロが小粋に口笛を吹いてそれに応えながら遠ざかっていく場面のセンスのよさといったらない。
 そして、終幕の別れの場面。初めて知った真実の愛にもかかわらず、自ら身を引いてゆく女性の優しさと悲しさを表わしきった音楽にはホロリとさせられる。

Mofo_1_2 今年、世を去ってしまった「アンナ・モッフォ」の1966年の録音は、この愛らしいオペラの魅力を味わえるCDだ。
心持ちほの暗い声は、陰りをもったこの役にぴったりだ。
モッフォの美しいお姿を雑誌などで、若い頃から拝見してきた身にとっては、マグダ=モッフォと完全にダブってしまい、終幕の部分などその切ない別れにきゅん、となってしまう。
 アンナ・モッフォは、その美貌ゆえ映画にも出演したり、そこでは大胆なヌード!!にもなったりと、大活躍したが、その後スランプに陥り、もの凄い努力を伴なって復調した。70年代のカルメンなど、イメージを一新する活躍を見せた。
私はあまり多くを聴いてはいないが、「ルチア」や「ミミ」などを改めて聴いてみようと思う。

Mofo2 相手役のテノール(バルトーニという人)がなんともオヤジ臭い。そして頼りない。でも要役のピエロ・デ・パルマが実に味のある歌を聴かせて救いをもたらしてくれる。
モリナーリ・プラデルリと生粋のイタリアオケは申し分なし。

そう、舞台にかかりにくいのは、主役に相応しいソプラノがなかなかいないからなのかもしらん。

それから、「トラヴィアータ」とともに、潔く引き際を美しくかざる主人公のオペラとして、「ばらの騎士」、そして素敵なレハールの「微笑みの国」がある。

 

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2006年5月27日 (土)

プッチーニ オーケストラ作品集 シャイー

Chailly_puccini またまた雨の一日。こんな涼しい日でもJRは盛んに冷房を入れてくれて、本日の電車は極めて寒かった。本当に、天気もJRも融通がきかない。

今日は、ネットでミネソタ管弦楽団の定期のライブを聴けた。何と演奏会形式のプッチーニ「トスカ」全曲だった。指揮は音楽監督のオスモ・ヴァンスカ、トスカはデボラ・ヴォイト、カヴァラドッシはカール・タナーといった面々で、これがまたシンフォニックですこぶる面白かった。こんな精度の高いコンサートが始終行われているかと思うと羨ましい。解説者が、スカルピアのことを「bad guy」と言っていたのが愉快だ。

そこで今晩は、大好きなアルバムを取り出した。シャイーが82年に当時の手兵ベルリン放送響(現ベルリン・ドイツ響)を指揮したプッチーニ・アルバムである。
曲目は「交響的前奏曲」、「交響的奇想曲」、歌劇「ラ・ヴィリ」前奏曲、歌劇「エドガー」前奏曲、メヌエット3曲、歌劇「マノン・レスコー」間奏曲、「菊」以上である。

いずれもプッチーニらしい美しく、儚い旋律に満ちた桂曲で、オペラの一場面をも思わせる起伏にも富んでいる。こうして聴いてみると、プッチーニってオーケストレーションの名手だな、と思わせる。ヴェリスモの時代に生きたこともあって、俗な部分が嫌悪されるが、私は好きだ。時にいじらしく、時に情熱的に思い切り美しい旋律を惜しげもなく紡ぎだしている。

若いシャイーは、そんなプッチーニに溺れずに、カッチリとした音楽を聴かせている。
ここぞと歌いまくったり、大音響を思い切り鳴らしたりすることもない、自然な運びである。
同郷の先輩、ジュリーニやアバドがプッチーニを見向きもせず、ムーティもヴェルディ派とあって、貴重な指揮者である。将来はスカラ座に・・・・。
オーケストラがドイツのものとは思えないくらい、軽やかで精妙に響くのもシャイーゆえであろう。

あらゆるオペラの管弦楽作品の中で、ワーグナーと並んで好きな曲が「マノン・レスコー」の間奏曲である。5分足らずの曲に、感傷と情熱、諦念が詰まっている。シャィーのこの演奏は、これまで何度聴いたかわからない。
酒を飲んで酔って感傷に浸りたい時に、決まって聴く曲のうちのひとつなのだ。

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2006年4月 6日 (木)

シャーンドル・コーンヤ プッチーニ・アリア集

Konya 今夜は、名付けてテノール・シリーズ第2弾として、それこそ「コンヤ」。おそらく、「シャーンドル・コンーヤ」と呼ぶのだろうか。50年代後半から70年代前半にかけて活躍した、ハンガリー出身のテノールで、テノール歌手の分類からすると、「リリコ・スピント」から「ドラマティコ」、ドイツ・オペラでは「ヘルデン」まで行かない「ドラマティツク・テナー」に属する人だ。あまり記録がないため、生年は不明、今、健在かも不明。
 この人は、むしろワーグナー・テノールとしての名前の方がピッタリくるであろう。手持ちのCDでの、「ローエングリン(ラインスドルフ)」、「マイスタージンガー(クーベリック)」のほか、「パルシファル」などを得意とし、バイロイトで活躍した。
イタリア部門でも、「ドン・カルロ」「ラダメス」「リッカルド(仮面)」などのヴェルディとプッチーニ全般を持役としていたが、記録は少ない。NHKのイタリア・オペラでの来日もあった。

本日のCDは、そんな「コーンヤ」の「プッチーニ・アリア集」である。テノールによるプッチーニ集は極めて珍しい。しかも、バックが「アントニーノ・ヴォットとフィレンツィオのオケ」なのである。

オーケストラの雰囲気豊かな伴奏以上の伴奏を聴くだけで、このCDは価値があると思う。ほんの数分のアリアにプッチーニが与えたオーケストレーションの妙は、同時代のマーラーにも通じる後期ロマン派の世界を思わせる。カラヤンやメータは濃厚に描くが、ここに聴くヴォットの演奏は、完全にオペラの一場面であることを感じさせつつ、プッチーニのそうした個性をつつましくも表出してやまない。

オーケストラばかり誉めてが先行したが、コーンヤのテノールはワーグナーで親しんだ雰囲気よりは、ずっと柔らかく、リリックである。やや硬質で、不安定感もあるが真摯な歌いぶりは、熱中感の少ないクールなプッチーニとして、今でも充分通じるものかと思う。ちなみに62年録音。とりわけ良かったのが、「ピンカートン」「デ・グリュー」の役か。
得意とするワーグナーの諸役が、真面目役が多い。それだけ清潔感に溢れた歌いぶりなのだが、プッチーニの諸役では不真面目な役柄での歌がかえって面白く聴かせる。
ピンカートンを不真面目と称しては語弊があろうが、それだけプッチーニにおいても真面目な歌いぶりなのである。こんな男が何故・・・・という気持ちを抱かせる、そんな真面目人間コーンヤなのだ。

このCDには、楽しいオマケがある。シュタイン指揮の「ナブッコ」とクワドリ指揮の「アイーダ」のそれぞれドイツ語の場面である。それこそワーグナー・チックな一場面。
かつて日本でも、日本語翻訳でのオペラ上演が普通であった。世界的に音楽家の演奏能力は高まっているわけである。



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