ラフマニノフ 150周年
美しい朝焼けのなか、沈む行く満月の早朝。
慌ただしい年末の朝、すてきな景色を望むことができました。
夜の月は、わたくしの解像度の低いカメラではうまく撮れませんが、周囲が少し明るくなった朝は、きれいに撮れました。
ことしは、生誕150周年を迎えたラフマニノフ(1873~1943)の曲が演奏会で数多く取り上げられました。
といっても日本では、いまだにピアノ協奏曲第2番ばかりで、あとは案外と4番も。
コンクールで活躍して人気者になった同じようなメンバーばかりで2番ばかりの演奏会が、外来オケの演目に必ず組み込まれるのを、醒めた目でみておりましたが・・・
交響曲では2番ということになりますが、完全にオーケストラのレパートリーにのった2番の交響曲は、始終演奏されているので、アニバーサリーでもこちらの感覚が特別感がなくなってしまった感があります。
年末に、これまでさんざん聴いてきた、ラフマニノフの交響曲と協奏曲のマイベストを取り上げてみました。
ラフマニノフ 交響曲第1番 ニ短調
ウラディミール・アシュケナージ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮者としての音楽活動から引退してしまったアシュケナージ。
その名前を聞くことが急速になくなってしまった。
ピアニストとしては大成したけれど、指揮者としてはどうも向き不向きがあり、いまひとつ評価が定まらないなかでの引退。
その指揮者としてのアシュケナージが一番輝いていたのは、80年代前半。
コンセルトヘボウとのラフマニノフは82年の録音。
CD初期に最初に買った1番がよかった。
国内盤の帯には、「祖国を離れたもの同士の熱い共感が波打つ熱演」と書かれていた。
いつもは客観的に終始するアシュケナージの指揮が、ここではまさに熱く、情熱的だった。
オケがコンセルトヘボウであることも、音に温もりと奥行きを与えている。
録音も極上。
ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調
アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
もう、この1枚を外すわけにはいきません。
2番の交響曲を世に知らしめ、人気曲にした功労者は、なんといってもプレヴィン。
3種ある正規録音のなかで、2度目のEMI録音が一番いい。
録音にいまいちさえが欲しいが、そんなことを差し引いても素晴らしい、ラブリーな演奏。
73年、まだプレヴィンの指揮者としての力量をいぶかしむ声のあった時期、その実力とラフマニノフの音楽の持つ魅力を全開にして、多くの聴き手を魅了してしまった1枚。
抒情と憂愁、そしてリズムと熱狂、これらを、迷うことなく思いきり聴かせてくれる。
日本にやってきて、この曲を演奏し、テレビでも観ました。
受験を控えた高校生だった自分、プレヴィンLSOのチケットを予約して、招へい元の事務所に買いにいったものの、慣れない都内で、場所がわからず、半日さまよって、結局断念してしまったことを覚えている。
そのときのプログラムは、プロコフィエフのロメジュリを中心にしたものだった。
プレヴィンに出会うのは、ずっとあと、ウィーンフィルの面々とピアニストでの姿。
さらには、N響への来演のほとんどを聴くことができたが、そのときのラフマニノフ2番では、さすがと思わせる演奏ではあったが、もう少しはやくN響は呼ぶべきだった・・・・という思いでした。
ラフマニノフ 交響曲第3番 イ短調
ロリン・マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
3番の刷り込みが、このマゼール盤。
NHKFMで、ベルリンフィルライブを放送していたころ、マゼールのこの3番も流され、エアチェックした。
同じころ、ヤン・クレンツ指揮のケルン放送での2番が、これがまた超名演で、プレヴィンの演奏をおびやかすくらいに思っていた。
都内で社会人生活を始めたばかりの侘びしい寒い部屋のなかで聴いたふたつのラフマニノフ、ともかく沁みましたねぇ。
レコードが発売され、即時に買いもとめて、擦り切れるほどに聴いたマゼール盤。
超高性能のベルリンフィルの音は、クールでかつ怜悧、ブルー系の音色に感じ、それがまたちょっと醒めたマゼールの指揮とともにラフマニノフにぴったりだった。
「自分の心に常にあるロシア音楽を、単純率直に作曲した」とラフマニノフ自身が述べているが、マゼールとベルリンフィルの演奏は、そんな様相は希薄で、むしろ都会的ですらあり、音楽はかっこいい。
ロシアの指揮者とオーケストラによるラフマニノフも、欧米系の演奏に慣れた耳にとってはかえって刺激的に感じられおもしろく、また遠い昔のように感じられる。
あの戦争で聴けなくなったロシアのオケや演奏家、つくづく疎ましい戦争だと思う、アメリカさんよ・・・
このレコードのカップリングは「死の島」で、ジャケットのベックリンの絵画がそのもの。
寄せては返す、ひたひたと迫って来るような曲であり、ベルリンフィルのの高機能ぶりが目覚ましい演奏だった。
ラフマニノフ 交響的舞曲
レナート・スラットキン指揮 デトロイト交響楽団
3つの交響曲、「鐘」とならんで、ラフマニノフの5つの交響曲と呼べるなかのひとつで、最後の作品。
近年、演奏頻度がやたらとあがった曲であります。
例外なく、わたくしも大すきで、今年、特集記事を書きました。
リズムと憂愁の祭典のようなこの曲、やはり指揮者とオケの俊敏さが光る演奏がおもしろい。
スラットキンの2度目の方の録音が好きです。
アメリカのオケらしい輝かしいブラスに、打楽器群の抜群のうまさ、ドライブ感あふれる弦など、聴いていて楽しい。
うわさに聞く、素晴らしいとされるコンドラシン盤を今度は聴いてみようと思う。
先にふれたとおり、ロシア系のラフマニノフをちゃんと聴かなくては・・・
ラフマニノフ ピアノ協奏曲全曲
ピアノ協奏曲は、わたしにはアシュケナージの独壇場。
旧盤では、みずみずしい感性と圧倒的な技巧でもって聴き手を驚かせるという新鮮味があった。
まさに70年代ならでは。
プレヴィンの合わせもののうまさが光るし、ここでもオケはビューティフルだ。
このコンビは、こののちのプロコフィエフでも超絶名演を残してくれた。
デジタル時代になって、アシュケナージが歳録音のお伴に選んだのは、これまた奏者たちから共演者として好まれたハイティンク。
デッカへのショスタコーヴィチ録音と同じ時期の演奏で、コンセルトヘボウがデッカ録音で鮮やかさが増して、一方でラフマニノフらしい憂愁サウンドがしっとりと味わうこともできて至福感おぼえる。
ハイティンクの最盛期の最良の録音のひとつでもある。
そしてアシュケナージは、旧盤の若さから、大人のサウンドへと伸長し、恰幅のよさ味わいの深さが増している。
新旧どちらも私には捨てがたい一組。
アバド好きとしては、いきなりの初ラフマニノフが当時、幻のピアニスト扱いされたベルマンとの共演の3番だった。
遅れてやってきたかのようなベルマンの情熱のピアノにあわせ、アバドも結構歌いまくっている3番。
ルービンシュタインやホロヴィッツのピアノ協奏曲もいまや懐かしい。
昨今の若い奏者のラフマニノフも、オジサン、聴かなくちゃいけませんね。
3つのオペラ、ピアノソナタ、チェロソナタ、前奏曲、歌曲、鐘などなど、今年限りとせず、世界はラフマニノフをずっと聴いて欲しい。
そして、ロシアの音楽家が普通に世界で日本で活躍できるようになりますように。
2024年は、ブルックナー、スメタナ、フォーレ、シェーンベルク、Fシュミット、アイヴズなどの作曲家がアニヴァーサリー・イヤーを迎えるる。
わたしは、我が道をゆくように、好きな音楽を聴くに限りますな。
とかいいつつ、ブルックナー集めは止まらない。
2024年こそ良き年を
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