カテゴリー「モーツァルト」の記事

2017年6月14日 (水)

ビエロフラーヴェクとJ・テイトを偲んで

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梅雨入りはしたけれど、なんだか、シトシトとはいかない風情のなくなってしまった、近年の日本の6月。

そんな梅雨入りまえ、現役で活躍していたいぶし銀的な指揮者が、相次いで亡くなった。

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チェコの指揮者、イルジー・ビェロフラーヴェク、享年71歳。

5月31日に亡くなりました。

例年、ロンドンのプロムスに出ていたのに、昨年と今年はなしということで、どうしたのかな、と思っていた。
でも、今年秋には、チェコフィルと来日が予定されていたので、さほど気にはしていなかったところへの、訃報。

すぐさま、海外のニュースや、チェコフィルのサイトを見てびっくりした。
別人と思うような、スキンヘッドの姿がそこにあって、闘病後の復活の指揮姿だったのだ。
それにしても若い。

チェコフィルの首席に若くしてなったあと、やむなく短期で、アルブレヒトに交代。
そのあと、20年ぶりにチェコフィルに復帰、ついに、両者一体化した、稀なるコンビが完成したのに・・・。

ビエロフラーヴェクが躍進したのは、1度目のチェコフィルのあと、BBC響との関係を築いてからだと思う。
広大なレパートリーと、豊富なオペラ経験が、マルチなロンドンでの活動に活かされた。
チェコ音楽の専門家と思われる向きもあるかもしれないが、プロムスではお祭り騒ぎのラストナイトを何度も指揮していたし、当然に、英国音楽も多く指揮したし、マーラーやショスタコーヴィチ、さらに、グラインドボーンでは、素晴らしいトリスタンの映像も残してくれた。

日フィルとN響とも関係が深く、何度も来日してます。
日フィルとの「わが祖国」のチケットを手にしながら、仕事で行けなくなってしまったことも、いまや痛恨の出来事です。

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ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界より」

   イルジー・ビェロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

                         (1989.9 @プラハ)


1度目の新世界。
最近出た新しいものはまだ未聴なので、なんとしても全曲が欲しいところ。
若々しい、そして、注目したいのが、この録音の年月。

同年秋に起こる、ビロード革命直前。
東ヨーロッパの共産主義崩壊の前夜ともいうべき頃合い。
いったい、どのような気持ちで「新世界」交響曲を演奏していたのでありましょうか。
 が、しかし、この演奏は、清新でさわやかでさえある。
純粋に音楽に打ち込む、指揮者の姿が目に浮かぶようだ。
若き日のビエロフラーヴェクを思いつつ、ラルゴを聴いてたら、ジーンとしてきた。

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 ブリテン 「ピーター・グライムズ」 4つの海の前奏曲

  イルジー・ビエロフラーヴェク指揮 BBC交響楽団

                        (2007.7 ロンドン)


BBC響とのプロムス・ライブより。
クールで、シャープだけれども、優しい目線を感じるブリテンの音楽を、違和感なく柔軟に仕上げています。
錯綜する音が、キレイに聴こえるのも、ビエロフラーヴェクの耳の良さで、BBCのオケの巧さも抜群。
このコンビの相性は、ほんとよかったと思う。

それにしても、チェコ楽壇にとっては、とてつもなく大きなビエロフラーヴェクの逝去。
チェコフィルは、どうなる・・・・

 

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イギリスの指揮者、サー・ジェフリー・テイト、享年74歳。

こちらは、6月2日に亡くなってしまいました。

医学専攻から、音楽家へ転身、オペラハウスから叩き上げの、オペラ指揮者であり、モーツァルト指揮者でもあった。
テイトの名前を知ったのは、シェロー&ブーレーズのバイロイト・リングで、副指揮者を務めていたことから。
メイキングビデオにも映っていた。
 そのテイトが、イギリス室内管の指揮者となり、交響曲を手始めに、内田光子との協奏曲など、モーツァルト指揮者として80年代以降活躍し始めたときは、ワーグナーやオペラ指揮者との認識があっただけに驚いたものだ。

その後、ロッテルダムフィルの指揮者もつとめ、亡くなるまでは、ハンブルク響。
あと、オペラの指揮者としては、コヴェントガーデンに、ナポリ・サンカルロにポストを持ち、メトやドレスデンなど、大活躍をしたテイト。
生まれながらの二分脊椎症というハンデを追いながら、そんなことはもろともせず、常に集中力と、音の透明さを引き出すことに心がけ、クリーンな音楽を作り出す名指揮者だったと思う。

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   モーツァルト  交響曲第40番 ト短調

    サー・ジェフリー・テイト指揮 イギリス室内管弦楽団

                        (1984 @ロンドン)


最初に手にしたテイトのモーツァルト。
もう何度も聴きました。
モダン楽器の室内オケで聴くブリテッシュ・モーツァルト。
清潔で、明るく、さらりとしていながら、歌心はたっぷり。
ともかく美しく、無垢で、その嫌味のない音楽は、当時も今も変わらず、飽きのこない、私の理想のモーツァルト演奏のひとつ。


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  ワーグナー 「パルジファル」 前奏曲

    サー・ジェフリー・テイト指揮 バイエルン放送交響楽団

                        (1987 @ミュンヘン)


ハンブルク響との「黄昏」抜粋は、未聴。
いまのところ唯一の、テイトのワーグナー。
バイエルン放送響という名器を得て、おおらかかつ、悠然としたワーグナーとなった。
しかし、そこはテイト。
これも、オーケストラの明るさを生かしつつ、明晰で、濁りのない、美しいワーグナーなのだ。
おまけに、「コロンブス」と「ファウスト」という、珍しい序曲が、一級の演奏で聴けるという喜び。
この1枚を聴くと、なにゆえに、レコード会社は、テイトによるワーグナー全曲録音を残してくれなかったのか、と怒りたくなる。

その変わり、テイトには、シュトラウスやベルク、フンパーディンクのオペラ録音があります・・・・・。
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       エルガー  「ソスピリ」

    サー・ジェフリー・テイト指揮 ロンドン交響楽団

                   (1990 @ロンドン)


最後は、この曲で。

エルガーの哀しみのいっぱいつまった音楽で。

ふたりの名指揮者の追悼にかえさせていただきます。

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2017年4月13日 (木)

松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル2017

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毎年、桜と同じ時期に満開のきれいな椿。

奥には、ぼんやりと、これまた満開の桜。

寒くて、春は一進一退の今年、先の週末は、雨ばかりの菜種梅雨。

ゆっくりと開いて、長く楽しめたのかもしれない今年の桜です。

そして、雨模様のその日曜日、久方ぶりのコンサートへ。

 実は、その前日は、神奈川フィルの、今シーズンオープニング定期公演で、その演目も、サロネンの「フォーリン・ボディーズ」という曲と、マーラーの1番という、ともに大規模編成のまばゆいコンサートで、大盛況だったそうな。

土曜が主体となった神奈川フィルだけど、わが方は、仕事が不芳だったり、その土曜も開けられなかったりすることが多くなり、ここ1年以上、聴けなくなってしまった。

この葛藤たるやいかばかりか。

そんな喝を癒してくれるかのようなコンサート。
しかも日曜だったので、行けました。

神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります、松尾茉莉さん(旧姓・平井さん)のリサイタルに行ってきました。

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 松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル 2017

   シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番 ニ長調 D384

   モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K378

       サラサーテ ツィゴイネルワイゼン

   フランク   ヴァイオリン・ソナタ イ長調

            アンコール曲

   岩田匡史  「Mari」

   モンティ   「チャールダッシュ」~お楽しみアレンジ付き

         ヴァイオリン:松尾 茉莉

         ピアノ    :加納 裕生野

                            (2017.4.9 @鶴見区文化センター サルビアホール)


前半が、ウィーンの古典派の流れ、後半は、近代ロマン派のそれも民族派的な作品。
よきコントラストと、有名曲も配置した素敵なプログラムです。

フランクは、「ヴァイオリン・ソナタ」だけど、前半2曲は、「ヴァイオリンとピアノ」とのタイトルに。
それも、順序が違う。

そう、モーツァルトの時代は、ピアノが主役的な立場で、ヴァイオリンは随伴者的であったのが、「ヴァイオリン・ソナタ」のありかた。
ベートーヴェンも、そんなスタイルを踏襲したが、中期の「クロイツェル・ソナタ」あたりから、ヴァイオリンに明らかに主軸が移り、より劇的になり、完全に「ヴァイオリン・ソナタ」になった。

でも、ベートーヴェンのあとのシューベルトは、初期のソナチネでは、モーツァルトを思わせる、ピアノ中心スタイルに逆戻り。
でも、後年のシューベルトは、ちゃんとした(というのも変な言い方だけど)、ヴァイオリン・ソナタに行きついている。
しかし、そんなシューベルトのソナチネやソナタには、シューベルトならではの、「歌」の世界があふれていて、ピアノも、ヴァイオリンも、簡潔だけれど、麗しい歌が振り当てられている。

そんなシューベルトを、快活に、そして伸びやかに演奏したお二人。
冒頭から、息のぴったりとあった演奏を危なげなくスタートさせましたね。
聴いてて、とても気持ちのいいシューベルトでした。

そして、シューベルトからモーツァルトへ。
同じ「歌」でも、この時期のモーツァルトには、ギャラントな華やぎがある。
そして、可愛い。
あと、ふっと見せる短調の哀愁が、さりげなく散りばめられてる。
 柔らかなピアノがステキな加納さんに、天真爛漫の茉莉ちゃんのヴァイオリン。
いいモーツァルト、聴かせてもらった。

 後半は、いきなり「ツィゴイネルワイゼン」。
どこもかしこも有名。
でも、面と向かって聴くのは、ほんとに久しぶり。
哀愁とジプシー風な濃厚サウンドと超絶技巧。
バリバリと、でも心をこめて弾きまくってくれました。

最後は、大好きなフランクのソナタ。
この曲との出会いは、中学生の頃、クリスティアン・フェラスのEMIのテスト盤で、解説もなにもなく、曲のこともまったくわからず、聴きまくってた。
終楽章と激しい2楽章ばかりを中心に。
でも、歳を経ると、冒頭の楽章と、幻想的な3楽章が大いに気に入り、その交響曲と併せて、フランクの渋さと晦渋さを楽しめるようになりました。

さて、この日のお二人は。
MCで、とても好きな曲、とお話されてた茉莉ちゃん。
これまでの3曲と違う、落ち着きと、内省的な表現に心をさいて演奏している様子が、その音からも、充分にうかがうことができました。
色合いのそれぞれ異なる4つの楽章が、これほど身近に、眼前で、響きのいいホールでもって聴けることの幸せ。
 お二人とも、母になり、生活も内面も、一歩踏み出し、そして守り、愛し愛されるものを持った充足感。
ちょっと飛躍した想いかもしれませんが、人はこうして変化し成長してくんだなぁ、なんて風に思いながら聴いてました。
 自分を表現できる手段をお持ちの音楽家の皆さんが、羨ましくも思ったりした一日です。

アンコールは、オリジナル曲をほんわかと、それから、この日の4曲を、バラエティ豊かに取込み、鳥さんの小笛までも愛嬌こめて披露してくれた「チャールダッシュ」
エンディングは、フランクに回帰して、喝采のもとに、ステキなコンサートは終了しました。

鶴見は、いい居酒屋がいっぱい。

一杯ひっかけて帰りましたよ。

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ポテチの突き刺さった魅惑のポテサラと、紫蘇ジュース割りに、鳥わさheart02
   

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2017年1月 8日 (日)

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 アバド指揮

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唯一の曇り空の朝だった、1月2日。

雲の合間から富士が少しだけ。

菜の花は七分咲き。

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見おろす相模湾は、穏やかで静か。

右手奥、箱根の山は、駅伝の往路の到着を待ちうけ中。

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何度も書きますが、この街に育ったわたくしは、この場所がたまらなく好き。

帰るたびに登ります。

麓の小学校は、わたくしが通った頃は、正しき木造校舎で、二宮金次郎さんも、薪を背負い本を読んで、これまた正しく佇んでおりました。

今日は、折り目正しいアバドのモーツァルトを聴きます。

モーツァルトの20番K466のピアノ協奏曲、アバドには4種の正規録音があります。

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   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K466

        フリードリヒ・グルダ

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (1974.9 @ウィーン ムジークフェライン)

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             ルドルフ・ゼルキン

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

                    (1981.11@ロンドンキングスウェイホール)

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           マリア・ジョアオ・ピリス

   クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2011.9 @ボローニャ)


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          マルタ・アルゲリッチ

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

                    (2013.3 @ルツェルン)


こうして4種、連続して聴くと、それぞれがまったく違って聴こえるのは、もちろん、素晴らしいピアニストたちによるもの。

軽やかで、愉悦感あふれ、美音を聴かせるグルダ。

かっちりと、一音一音を揺るがせもせず、誠心誠意尽くすようなピアノを聴かせるゼルキン。

無作為の美しさ、緊張感をも通り過ぎて晴朗な心境に誘われるピリスのピアノ。

最初に聴いたときは、さらりとして聴こえたけれど、いまこうしてまとめ聴きをしてみて感じる、アルゲリッチの即興性と自在さ。たくみに聴き手の心を掴んでしまう豊かな感性を感じる。

こうしたピアニストたちに、アバドの指揮は、ぴたりと寄り添うようにしていて、4つの演奏ともにまったく違うところが見事。
もちろん、オーケストラの違い、そしてなによりも年代の違いも大きい。

70年代、80年代、そして2010年代。
前者ふたつは、フルオーケストラによる響きの豊かな従来型の音色で、安心感も漂うが、後者2つは、室内オーケストラによる切り詰めた響きで、かつ古楽の奏法も取り入れ、キビキビ感も。

口さがないグルダが、小僧呼ばわりして、そんなグルダが彼のピアノとは別に、嫌いになったけれど、70年代、ウィーンフィルとアバドの組合わせは、幸せなコンビだった。
まろやかで、丸っこい響きは、ムジークフェラインのホールの響きに溶けあい、グルダのピアノと一体になって聴こえる。
なんの文句があったんだろ、グルダさん。
20番の短調のふたつの楽章に挟まれた真ん中のロマンツェ。
そのたおやかな美しさは、この演奏を聴くと、愛おしくなるほどの歌いぶりで引き立つ。

ロンドン響とのゼルキンの背景を飾るアバドの指揮は、思いのほかシンフォニックで、これまた響きも豊かで、しなやかさも抜群。
こちらの少し前に録音された、交響曲40番と41番にも通じる構えの大きさもある。
そしてゼルキンのゆったりとしたピアノを支えるような敏感さも。
ここでも、2楽章は美しい。
キングスウェイホールの響きも、ロンドン響のニュートラルさと芯の強さを捉えた録音でもって楽しめる。

若手を集めた、文字通り、アバドの元に集まった手兵とも呼ぶべき、オーケストラ・モーツァルトの二つの演奏。
ややデットな録音ゆえに、オーケストラの目の摘んだ音色が、ひとりひとりの奏者の集まりのようにマスとなって聴こえる。
そんなリアリティあふれるモーツァルトだけど、ピリスとともに、澄み切った境地を目指しているような演奏に感じるのがボローニャでの録音。
ロマンツェは、速めのテンポで、さらりと、まるで、上善如水のように、味わいはすっきりと、さらさら。
ピリスとともに、この演奏に漂う透明感には、モーツァルトの微笑みを感じます。

さて、最後のアルゲリッチ盤。
よりピリオド的な奏法が強まり、ルツェルンのホールの響きは豊かながら、オーケストラの音は切り詰められて感じる。
しかし、どうだろう、この若々しさは。
ピリス盤よりも、溌剌として、表情も豊かで、自在なアルゲリッチのピアノに、すぐさま反応してしまう、鮮やかなまでのオーケストラなのだ。
2楽章も、アルゲリッチの多彩なピアノに負けておらず、そして、羽毛のように軽やかでしなやかなオーケストラは、ほんとに素晴らしいもので、弱音の繊細さも堪能できる。

こうして4つのK466を聴いたが、ソロイストに合わせ、そして万全のパレットを仕上げるアバドの指揮の巧みさは、協奏曲の指揮者として、ひっぱりだこだったアバドの魅力をあらためて感じさせるものでした。

しかし、あたまの中が、モーツァルトのニ短調だらけになってしまった。

最後に、去年のよく見えてた富士山2016。

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2016年12月 5日 (月)

モーツァルト セレナード第9番「ポストホルン」 ベーム指揮

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丸の内、仲通り、恒例のイルミネーション始まってます。

年々LEDも進化し、明るさを増し、一方で消費電力もますます低減されているとのことが、丸の内のイルミネーションのHPに書かれてます。

社会人になった頃は、このあたりはビルだけの殺伐としたオフィス街だったし、70年代に過激派が起こした大企業を狙ったテロ事件も記憶にあって、あのときはビルのガラス窓も散乱し、死傷者がかなり出た。

ブランド店や飲食店が立ち並ぶ整然としたこの一角を見ると、過去のことが嘘のようだ。

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暖かなウォーム・トーンの装飾。

いまは、これでいい。

これがいい。

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  モーツァルト セレナード第9番「ポストホルン」

   カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

             (1970.5 @ベルリン、イエスキリスト教会)


12月5日は、モーツァルトの命日です。

いまから225年前の今日です。

そんな命日に、喜遊曲なんていうのもなんですが、ともかく最近、音楽に飢えてきたもので、かつての耳タコ的にお馴染みの、このベームの演奏を聴いてみたくて、取上げました。

このベーム盤は、もう10年も前に、このブログでも取上げてました。

大好きなこの曲、マリナーや、レヴァイン、アバドなども聴いてきましたが、あと、有名どころではセルとか、いまや廃盤のデ・ワールトとか、聴いてみたいものもたくさん。
 でも、やっぱり、このベーム盤が、自分には一番で、刷り込み盤なのです。

日本発売は、たしか、1971年の11月か12月。
あの頃は、レコード業界も、クリスマス系の音盤や、第9のアルバムばっかりを繰り出してきて、レコ芸の広告欄も、ヨーロピアンな雰囲気が満載となりました。

そんななかで、群を抜いていたのが、日本グラモフォンとロンドンレコード(キング)。
前者は、DGであり、いまのユニヴァーサルレーベルですよ。

ベームのポストホルンのジャケットは、前褐のとおり、ブルーとグリーンな夜の庭園のもので、ともかく、中学生の子供だった自分の想像力と夢想を大いに刺激するものでした。

そして、そのレコードを手にしたのは、ほどない時期で、茅ヶ崎のダイクマのレコード売り場でした。
カップリングの「セレナータ・ノットゥルナ」と併せて、何度も何度も聴きました。

この曲のイメージが、このベームとベルリンフィルの響きで出来上がってしまいました。

このシンフォニックともいえるセレナードは、喜遊的な側面とともに、どこかほの暗い部分も持ち合わせているけれど、モーツァルトを愛し抜いたベームの厳しくも優しい眼差しは、そのどちらのシーンも、はなはだ音楽的に誇張なく、自然体で表出しつくしてます。

そのある意味厳しさと優しさに、色を添えているのが、ベルリン・フィル。

豊かな広がりを感じさせる能動的なサウンドは、ともかく明るい。
ことに、この曲は、木管たちが大切。

当時のベルリンフィルの名手たちの、ギャラントとも呼べる華やかさと、同時に、お互いに聴きあいつつ繰りひろげる自在な音声空間がもたらす解放感。
聴き手のワタクシは、もう呆けてしまうしかない。
ゴールウェイ、ブラウ、コッホ、トゥーネマンたちでしょうか!

加えて、イエス・キリスト教会の豊かな残響をともなった美しい録音もステキにすぎる。

ウィーンフィルとではどうだったでしょうか・・・。

わたくしには考えにくいほどに、このベルリンフィルの音盤が、愛すべき存在なのです。

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2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

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桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

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  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

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  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

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そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2016年3月20日 (日)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 大好きなオペラ

2

春は急にやってきて、でも、また戻ったりの一進一退で本格化する。

春は、その機微も色合いも、きれい。

3月も終わりに近づき、大好きな音楽を、つまみ聴きながら慌ただしく夜を過ごし、そして床につく。

もちろん、長大なオペラばっかりなので、聴くことなく、これまでの印象で書いたりもします。

Mozart_figaro

  モーツァルト 「フィガロの結婚」

汲めどもつきない、音楽の魅力という名の宝庫、そんなフィガロ。

聴くたびに、さまざまな発見や驚き、そして既聴の安定路線ながらも、喜びに満たされる。

これからいくつか続くファイバリット作品に共通するものだけど、とりわかフィガロは、赤裸々な人間ドラマが、天衣無縫の域の音楽でもって引き立ってる。

 往年の歌手たちが指揮者の厳しくも、モーツァルトを知り尽くした棒の元で自在に繰り広げるマジカルな演奏。 
自分世代的にも、ベーム盤が最高です。
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団でむしろよかった。
ベームの60年代のストイックかつ、音楽優先の個性がとても反映されてる。
のちのウィーンとの関係では、麗しいけれど、緩すぎるから。

 そして、ザルツブルク音楽祭のFM放送で何度も聴いて、そして録音もされたカラヤン盤。
シュターデと、ホセ・ファン・ダム、トム・クラウセがとてもよい。

 ブリテッシュなモーツァルト。
グラインドボーンの紳士的なモーツァルトには、上質でふくよかな嗜みを感じ、そして、隠された秘めごとも盗み聴きできそうな感じ。
ともかく真面目。
味わい深いハイティンク盤。

 同じ傾向ながら、もっと軽やかで、羽毛のような肌触りが心地よく、そして、さわやかな聴後感を味わえるマリナー盤。
歌手陣充実。

 そして、最愛のアバド盤。
ウィーンの楽壇が成し遂げることができた最良のモーツァルトだけど、ここにはウィーンのよき伝統はなく、あるのは清新かつヴィヴィットな音楽。
歌心と、ピュアな切り口がとても新鮮なアバドの指揮。
マクネア、スコウフス、ガッロ、バルトッリ、ステューダー・・・歌手たちも、いまも通じる現代的な歌唱。
悪かろうはずがないアバド盤

 ほかにも、たくさん、好きな「フィガロ」が。
オヤジクライバー、ジュリーニ、クレンペラー、バレンボイム(旧)、デイヴィス(旧)などなど。
ともかく古いですね。

フィガロは、ほどよく古いほどいい。
こんなこと言ったら退場ですかね。

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2015年9月23日 (水)

神奈川フィルハーモニー第312回定期演奏会  児玉 宏指揮

Minatomirai201509

コンサート終了後に、ランドマーク、みなとみらいホールを背に、海の方へ散策。

いい音楽、いい演奏を聴いたあとの充足感に満たされ、頬をうつ海から吹く風も心地よいことこのうえなし。

この日は、モーツァルトとブルックナーの、ともに変ホ長調の作品を聴いたのです。

Kanaphill201409

   モーツァルト  交響曲第39番 変ホ長調 K543

   ブルックナー  交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」
                        (第2稿1878/80 ノヴァーク版)

    児玉 宏 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.9.20 @みなとみらいホール)


本日の指揮は、大阪交響楽団の音楽監督、児玉さんの客演。
オペラでの共演はあるそうですが、コンサートでは初登場。
もちろん、わたくしは、初児玉さんですが、そういえば、新国立劇場によく通っているころ、シュトラウスやヴェルディで登場していたのを覚えてるし、なんといっても、大阪響のユニークなおもろい秘曲プログラムも気にはなっていたのでした。
 そして、なんといっても、この方の経歴。
ドイツ各地で、オペラを中心に活躍してきた叩き上げ、カペルマイスター的な存在なのです。

さて、その児玉さんの指揮は、まずはモーツァルトの39番。

ステージに置かれたバロックティンパニを見て、ツィーツィー・コツンコツンを予想したものの、序奏の第1音を聴いて即、その不安(?)は見事に払拭されました。
なんて、柔らかく、落ち着きある響きでしょう。
管はモーツァルトの指定どおり、弦も、刈り込んで、室内オケスタイルでの演奏。
指揮台と置かず、平土間にて、指揮棒をもたない児玉さん。

1楽章主部が始まって、割合ゆったりめの進行は、繰り返しも行いながらで長い楽章となりましたが、弛緩したところは全然なくて、音が生き生きしてました。
 そして、大好きな第2楽章。
ともかく美しい。神奈川フィルの弦の魅力は、少人数でも引き立ちます。
長調と短調の間を行き来するこの楽章の魅力を味わえました。
 クラリネットの競演が微笑み誘う第3楽章に、一転、早めの展開で、駆け抜けるように、そして爽快に終結した4楽章。

モーツァルトの交響曲では、一番好きな39番。
ドレスデンやベルリン、N響などで親しんできた、児玉さんの師、スウィトナーの演奏を思い起こしてしまった。
穏健で柔和。歌心を持った優しいモーツァルトでした。

休憩後はブルックナー。
前半30分、後半70分のロングコンサートですが、それぞれ、その長さをまったく感じさせない。
そんな、ともかく、流れのいい、曖昧さのない、清冽なブルックナー演奏でした。

後ろから拝見する児玉さんの指揮ぶり。
少し、ずんぐりむっくりの、熊さんみたいな風貌で、決して大振りはせず、誠実な棒さばき。
もちろん、ブルックナーでは、指揮台に立ち、指揮棒も手に。
 多くの指揮者は、主旋律や、引き出したい楽器・奏者に体を時に向けて左右に動くのですが、その動きがまったくなく、ほぼ正面に立ったまま。
ですから、その横顔や表情が、後ろの正面客席からは伺えません。
 そんな指揮ぶりに、オペラ指揮者としての片鱗を感じました。
舞台とピットをつなぐ、結点としての指揮者のブレのないあり方。
ですから、音は、どの楽器も声部も、突出することなく、スコアのとおりにすべてがきれいに聴こえるように思えました。
 オーケストラもきっと演奏しやすく、安心の指揮だったのではないでしょうか。

そんな音の絶妙なブレンドの具合が、ブルックナーにはぴったりで、強音でも、音がダンゴにならず、オーケストラは思い切りフォルテの域に達してるのに、全然うるさくなく、どの楽器もちゃんと聴こえるのでした。
 それと、つい細かく分けて振ってしまいがちなブルックナーですが、多くある2拍子をそのままゆとりを持ちながら振ってまして、聴き手から見ても、落ちいて拝見できるものでしたし、出てくる音に、幅とゆとりを生みだすものではなかったでしょうか。

 かなり繊細な出だしの、原始霧。
そこから立ち現われるホルンは、お馴染みの実加ちゃん。
お父さん的な心境で、がんばれがんばれと念じながら聴きましたが、杞憂に終わり、全曲にわたって、艶のある明るい音色が安定して聴くことができました。
彼女をトップに、この日は、若いホルンセクション4人。
とてもよかったと思います。
 そして、ブリリアントな低音金管はベテランのみなさん。
ホルン・金管が突出することなく、マイルドに溶け合う様は、とても見事でした。
 3楽章では、甲冑が煌めく中世の騎士さえ脳裡に浮かぶような、そんな輝かしさも!

その3楽章のトリオでの、牧歌的な木管のほのぼのしたやり取りも楽しく、ベテランと若手の融合がここでも素敵に結実してます。

この演奏で、わたくしが一番感銘を受けたのは、第2楽章です。
ドイツの森を、後ろ手を組んで、ゆっくりと逍遥するイメージを常に抱くこの楽章。
まさに、その思いを満たしてくれる味わい深い演奏。
深みと艶のあるチェロに、存在感の増した渋いヴィオラセクション。
繊細なヴァイオリン群に、軽やかな木管。
ずっと聴いていたかった。

そして、錯綜する、ややもすると複雑に聴こえる終楽章。
オーケストラは全力投入、指揮者も全神経を集中し、極めて密度の高い充実の集大成となりました。
楽章の半ば、弦で回帰してきた、大きな嘆息のように第2主題を、かなり思い切り奏していたのがことさらに印象的です。
難しい、最後の終結部の盛り上げ方も見事で、神々しさすら感じました。

濃厚さや重厚さ、というよりは、叙事詩的な豊かさと、ナチュラルな情感にあふれた、わたしたち日本人の情感に即した名演奏だったと思います。

最後の音が見事に決まったあと、間髪入れず、拍手が起きてしまったことは残念ですが、会場は大きな拍手とブラボーに包まれ、オーケストラの皆さんも、児玉さんを暖かく称えるなか、この満足満点の演奏会は終了しました。

終演後のアフターコンサートは、今回も、体調調整中につきお休みしましたが、応援仲間のみなさんは、美味しいビールで乾杯したそうな。
さぞかし・・・・・。
いつか、そちらも復帰しますよnote

神奈川フィル、次回は、川瀬さんの指揮で、ショスタコーヴィチとシベリウス。
大すきなシベ5ですよsign01
 

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2015年8月23日 (日)

モーツァルト 「後宮からの逃走」 ティチアッティ指揮

Proms2015

なんだか気ぜわしくて、しかもクソ暑かったので、チェックが8月に入ってとなってしまいましたが、ロンドンでは、今年も、Promsやってます。

今年のアニヴァーサリーにちなんで、シベリウスの全交響曲やその作品、ショスタコーヴィチ、ニールセン、スクリャービン、バルトーク、ブーレーズ、バーンスタインなどなど、多くの作品がたっぷり並べられてます。

そして、その演奏会は、毎度のとおり、BBCsoと、各地のBBCオケ、ロンドンの主要オケに加えて、今年は、ネルソンスとボストン響、MT・トーマスとSFSO、テミルカーノフとペテルブルク、ビシュコフ&ラトルとウィーンフィルなどなど、多彩な顔触れです。

外来では、ネルソンスがマーラー6番とショスタコ10、ラトルがウィーンフィルとなんと、エルガーの「ゲロンティアス」。
そして、ビシュコフは、フランツ・シュミットの交響曲やります。
あと、大物では、ハイティンクが今年も登場して、ECOとザ・グレート。
 ラスト・ナイトは、オールソップの指揮で、カウフマンもプッチーニで共演。
9月12日までです、ロンドンの夏は長いんです♪

だいたい10日ぐらいは、オンデマンドで、BBCの特設サイトで、高音質で聴くことができます。

尾高さんのウォルトンや、ニッキーのコルンゴルト、ガーディナーの第5&幻想なんかをすでに楽しみましたが、今日は、モーツァルトの「後宮からの逃走」のコンサート形式上演を聴きましたよ。

    モーツァルト    「後宮からの逃走」

 デルモンテ:エドガラス・モントヴィダス コンスタンツェ:サリー・マシューズ
 ブロンデ:マリー・エリクスモーエン   ペドリオ:ブレンデン・パトリック・グネル
 オスミン:トビアス・ケラー         太守セリム・パシャ:フランク・ソーエル

  ロビン・ティチアッティ指揮 オーケストラ・オブ・エイジ・オブ・エンライトメント
                    グラインドボーン祝祭オペラ

                (2015.8.14 @ロイヤル・フェシバル・ホール)


まだ32歳。
いま注目のイタリアの血を引く、ロンドンっ子、ロビン・ティチアッティの指揮する「後宮」。
CDでの幻想しか聴いてなかったけれど、古楽から近現代まで、それぞれの演奏スタイルに合わせて、フレキシブルに対応しつつ、溌剌とした清新な音楽を爽やかにやってのけるティチアッティ君。

Proms_1

そして、歌心と、オペラの呼吸をまるで生まれながらに体得しているかのようなオペラ指揮者としての素質を、ここに感じました。
若くして、グラインドボーンの音楽監督にも就任し、そのディスクも、フィガロ、ヘンゼル、オネーギン、ばらキシ、Pグライムズと、ユニークな選択ぶり。
イタリアものや、ワーグナーを意図的に避けているフシもあり、したたかさもうかがわれます。

今回の「後宮」は、グラインドボーンのプロダクションをそのままプロムスに持ち込み、簡易なステージオペラ上演としたものです。
本上演の方の演出は、マクヴィカー。
衣装や、小道具はそのままのようです。

Proms_2

 ジングシュピールとして、独語の台詞が随所に織り込まれた作品ですが、全体は2時間20分と、ちょっと長め。
その台詞部分は、聴いているだけだと、正直長く感じられます。
 でも、会場は、大いに盛り上がっているようでして、ときおり、笑いや爆笑が起きて、大盛り上がりです。
このあたりは、ライブや映像ではないと、面白みが伝わってきませんね。
 オスミンが間抜けに描かれ、おちょくられるような内容ですからね、きっと、イギリス人のユーモアのセンスが散りばめらた内容となっているのでしょう。

そんな耳だけで聴いた、このオペラ。
やはり、指揮者と古楽のオーケストラの、血沸き肉躍るような躍動的なサウンドが、極めて魅力的でした。
モーツァルト当時の、トルコ・異国情緒を醸し出す、数々の打楽器が入る賑やかな音楽にも係わらず、それらは元気いっぱいの反面、しっとりとした情緒や、感情の機微も生き生きとした表情とともに、しっとりと描き分けているように思いました。

去年、手兵のスコットランド室内管と来日してましすが、無理しても聴けばよかったです。

歌手では、モントヴィダスが、明るくて伸びのあるテノールでしたし、マシューズのコンスタンツェは、立派すぎる声で、伯爵夫人クラスかなとも思いましたが、すてきなものでした。

グラインドボーンの映像が、きっと映像になるでしょうから、また、その時も楽しみにしましょう。

こんな高品質の演奏が連日行われるプロムスが羨ましく、そして、ハーディングに次ぐ、有能な英国指揮者に、今後ともに注目であります。
 それにしても、台詞が長かったけれど、その合間に、波の音や、鳥のさえずりなんかも流されて、なかなかの雰囲気であったことも申し添えておきます。
(画像は、BBCのサイトから拝借しております)

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2015年6月18日 (木)

モーツァルト セレナード第10番「グラン・パルティータ」 デ・ワールト指揮

Ninomiya1

五月晴れの日の、吾妻山。

まだ、ツツジ咲く頃、白い雪いただく富士と、青い空のコントラストがきれいなものでした。

梅雨の季節になると、陽光まぶしかった5月が、愛おしくも思えますね。

今日は、そんな5月を思いながら、モーツァルトのセレナードを聴きましょう。

Ninomiya2

モーツァルト セレナード第10番 変ロ長調 K361 「グラン・パルティータ」

     エド・デ・ワールト指揮 オランダ管楽合奏団

                     (1968 @アムステルダム)


モーツァルトは、13曲のセレナードを作曲しましたが、そのスタイルや規模は多様で、まさに天才の名に相応しい曲たちを、このジャンルに残しました。

声楽でいうところのセレナードは、静かな夕べに、恋人の窓辺で、ギターやマンドリン片手に歌う愛の歌のことでして、オペラにも、たくさん、そんなシーンがありますな。
まさに、モーツァルトや、ロッシーニ、そして、ワーグナーのマイスタージンガーにもあります。

それが、ハイドンやモーツァルトの時代には、器楽作品のジャンルにも拡大されて、しかも、お祝い用や、催しものように、貴族やお金持ちから依頼されて書くことも多く、おのずと、喜遊的な明るく屈託ない内容となりました。
しかし、われらがモーツァルトは、それを、さらに発展させて、多楽章となり、短調の楽章もあったりで、本格的な演奏会用の音楽にも転じるような規模の大きなセレナードを書くようになりました。

4番や、5番、ハフナーや、ポストホルンなどに加えて、管楽器のための今宵の10番も、そうした中のひとつですね。

1番から9番までは、だいたい1769年から1779年までの10年間、13~23歳で書かれ、10番から12番の3曲は、いずれも管楽器のために、1781~82年、25、6歳で書かれてます。
残り1曲、すなわち、超有名な「アイネ・クライネ」は、1787年31歳の後期作品となっているところが面白いです。

「グラン・パルティータ」は、13楽器のための、と注釈がついてますが、その楽器は、オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、ホルン4、コントラ・ファゴット1、という、一見風変わりな編成となってます。
コントラ・ファゴットは、コントラバスでの代用も可能。
全体に、落ち着いたムードになっているのは、中域から下の楽器たちによるものだからでしょう。
ここに、フルートが入らなかったところは、さすがはモーツァルトで、お気に入りのバセットホルンがあることで、まろやかさと、暖かさ、そして、少しのほの暗さも、その全体の響きの印象に聴きとることができます。
 管楽合奏団の演奏会でも、オーケストラのコンサートでも、どちらでも、よく取り上げられる名曲ですが、13人の音色の均一性と、アンサンブルとしてのまとまりのよさ、そして、そこそこの名人芸とを要するところです。
 レコーディングでも、名オーケストラの管楽器部門を指揮した、名指揮者のものが多いですね。

今宵は、オーケストラではなく、管楽器のアンサンブル集団、オランダ管楽アンサンブルをかつて、その首席指揮者だった、デ・ワールトが指揮したもので。
 この楽団は、1959年設立で、オランダ国内のオーケストラの首席たちによる名人集団で、コンセルトヘボウ、ロッテルダム、ハーグ、放送フィルなどが、その母体であります。
 デ・ワールトは、ロッテルダム・フィルとともに、このアンサンブルで、緻密な指揮ぶりを手に入れ、以降、メジャーではないオーケストラを渡り歩き、各オケの力量アップを成し遂げてきました。
バイロイトも、1年で降りちゃったし、どうもメジャーに対する反骨があるのか、はたまた、彼に付いてるマネージメントが厳しいのか、どうもわかりませんが、本来なら、生粋のオランダ人として、ハイティンク以来のコンセルトヘボウの座に着いて欲しいものと、前から願っておりますが、難しそうです。

そんなワールトの、モーツァルトがこの作品を書いた頃のような若さ、27歳のときの録音。
大物指揮者の録音しか、当時はなかったこの曲に、しかも、オランダのやたらと上手くて、キレのあるアンサンブルでもって、まさに、切り込みをかけるようにして登場した当盤は、やたらと評判になりました。
いまでも、新鮮で、鮮烈な響きと、そして、豊かな響きを伴った録音もプラスに作用して、暖かくも気品のある演奏として、とても気持ちよく聴くことができます。
ともかく、その表情が若々しく、生気があふれています。
おそらくコンセルトヘボウでの録音でしょうか、まさに、あのフィリップスサウンドがしてます。
 ワールトには、ドレスデンを指揮した、4,5,9のセレナード録音があるはずなので、是非、復刻して欲しいです。
あと、全然違うけど、放送フィルとのマーラー全集もね!
 

この曲は、全7楽章。

快活な1楽章、最初のメヌエット楽章である2楽章、深淵な雰囲気の3楽章、第2のメヌエットである4楽章は明るいなかにも陰りもあったりして、管楽のモーツァルトの代表的な雰囲気。ロマンツェの5楽章は、夜曲という名が相応しいナイト・ミュージック。
クラリネットの旋律からはじまり、それが変奏されてゆく長大な6楽章は、これだけ取り出しても、各楽器の名技性も味わいつつギャラントなムードにも浸れます。
最終7楽章の快活さは、モーツァルトのオペラの終曲そのもの。
(以前の記事からコピペしました)

過去記事

 「ベーム&ベルリンフィル」

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2015年5月13日 (水)

モーツァルト 交響曲第40番 ジュリーニ指揮

Shirazasa_1

秦野の白笹稲荷。

稲作・農作物の豊穣を祈り、祀ったのが稲荷神社。

鳥居の左右には、お稲荷さんが、それぞれ座しておりましたよ。

こちらは歴史も古く、関東三大稲荷のひとつでもあります。

秦野は、丹沢山系の麓にあり、名水の里でもありまして、市内の各所に湧水があふれておりまして、その水道水もボトリングされて、「秦野の水」として販売されてます。

こちらの神社にも、清々しい湧水が流れておりまして、手水として利用してます。

Shirazasa_2

水のいい秦野は、美味しいお酒と、お蕎麦も有名。

そして、落花生と、たばこですな。

桜漬の生産も日本一。

いい街ですよ。

わたくしの、実家から車ですぐ。

親戚も近くにあり、親しい街ですよ。

五月晴れ、新緑の季節に、モーツァルトのト短調。

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   モーツァルト  交響曲第40番 ト短調 K550

    カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

                        (1965.10@キングスウェイホール)


それこそ、聴き古された名曲ですが、この曲の場合、古楽器や、古楽奏法によるものよりも、従来奏法で、たっぷりと、なみなみと演奏された方がいい。

そんなモダン楽器演奏のなかで、この40番は、どれだけ聴いてきただろう。

それらのどれ一つとして、駄演はない。

ありきたりだけど、ワルター(各種)、ベーム(2種)、アバド(LSO)、スゥイトナー、ケルテス、シューリヒト、バーンスタイン、セル・・・などが次々に脳裏をよぎります。

そして、忘れちゃいけない、ジュリーニ盤。

ジュリーニには、晩年のベルリン盤もありますが、そちらは、聴いたことありません。
CBS時代のジュリーニは、あんまり聴かなくなってしまったワタクシ。
60~80年代初めが、わたくしにとってのジュリーニの最良の時期なんです。
70年代に、実演に接し、その泰然としつつも、巨大な演奏と、麗しい歌い回しに、すぐさま好きになったジュリーニ。
アバドの兄貴的な存在だったから、余計にそうなりましたね。

そして、レコード時代に、よく聴いたのが、この1枚。
41番との、カップリングで、ジャケットもザルツブルクの街並みを写したヨーロピアンなものでした。

流麗でありながら、かっちりとした構成のなかに、泣きぬれたような歌う旋律回しが映える演奏。
CD化されたもので聴くと、ときおり、ジュリーニの唸り声も入ります。
そう、ここぞというときは、気合も感じるモーツァルトで、弦もフルに弾ききって、なみなみとした情感があふれ出ている。
 若々しい表情も、後年の演奏には、ありえないもの。

久しぶりに、この演奏聴いて、とっても気持ちがよろしいのだ。
第2楽章には、とことん癒されました。

「ジュピター」も、キリッとした桂演ですよ。

1964年に、解散を余議なくされ、同年自主運営組織でもって、「ニュー」を冠して再スタートした今のフィルハーモニア管。
その1年後の、ニュー・フィルハーモニアとしての録音です。
カラヤンや、クレンペラーとともに、レッグのオケ、旧フィルハーモニアの指揮と録音を盛んにしたジュリーニですが、「ニュー」になってから、その録音は、ほかのオケとのものも含め、かなり少なくなりました。
 そんな中での唯一のデッカ録音。
デッカのロンドン録音らしく、分離と広がりも豊かで、芯もあって、とてもいい音です。

このあと、EMIに、録音を少しづつ残して、DGに移るのが70年代半ば。
以降が、ジュリーニの最充実期だと思います。

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