モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 ケフェレック
梅雨が大幅に遅れているけれど、草花はちゃんと咲き、実を結びます。
故郷の神奈川県で、四季の移り変わりを各処で堪能してます。
こちらは開成町の紫陽花。
丹沢山系から箱根に至る山脈から出流る清流が町内を流れ、その恩恵で広がる豊かな田園地帯。
つくづく美しいと思い、ありがたく感じ、だれにも侵されたくないと思います。
モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K595
アンヌ・ケフェレック
リオ・クオクマン指揮 パリ室内管弦楽団
(2023.2.21,24 @パリ、フィルハーモニー)
われわれ日本人がみんな大好き、そしてご本人も、日本が大好きで毎年の5月に来日してくださる。
経歴も長く、とうぜんに、わたくしもそのデビュー当時から好きになり、エラートでの録音をずっと聴いてきました。
ゴールデンウイークに開催されるラ・フォル・ジュルネ、連休は都内に出ることが難しいので、これまで一度も聴くことができなかったし、それ以外のリサイタルもチケットを買いながら所用ができていけなくなったりと、なぜだか実演で一度もお目にかかることのないのがケフェレックさんです。
昨年の新しい録音で、カップリングはK466のニ短調。
どちらもケフェレックらしい、清潔で、清廉、すがすがしい感性をいまだに感じさせる素敵な演奏。
音楽の流れ、さらにはモーツァルトのこの時期の作品に則したアゴーギグが極めて自然で、思わずハッとして聴き入ってしまった。
そうナチュラルな透明感が、巨匠風にすぎることなく、あくめでも自然の発露のように聴こえるのが、いまのケフェレックの達した領域なのだろう。
K.595の2楽章などは、その自然な美しさの典型で、過度の思い入れもなく、一聴、淡々としながらも音符のひとつひとつがクリアに磨きぬかれていて、静かな水面を見守るようなそんな印象であります。
k.466の緩徐楽章も同じく。
モーツァルトの音楽と会話するかのような3楽章も、楽しくもあり、寂しくもありで、ピアノの独白がすばらしすぎる。
このケフェレックのスタイルと、今風にピリオドを少々意識したオケが、ほんとうは合わないような気もした。
もっと歌わせて、朗々としたオケでもよかったのかと。
マカオ出身の若いクオクマンは、日本にもちょくちょく来演してうるようで、現在は香港フィルの指揮者とのこと。
ケフェレックぐらいの存在になると、出てくる音源がすべて希少なものに思います。
1枚1枚、丹念に演奏し録音された至芸品でありますね。
75年に初めて日本にやってきて、その清楚なお姿で大旋風を巻き起こした。
高校生だったわたくしも、ハートを射貫かれ、その後レコードを何枚も買った。
バッハ、スカルラッティ、リスト、ラヴェルなどがお気に入り。
もう一度、CDで集め直そうと思う。
1948年生れ、美しく、そのまま歳を経たケフェレックさん、いつまでもステキなピアノを弾いて欲しいです。
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