カテゴリー「ヴォーン・ウィリアムズ」の記事

2016年3月30日 (水)

大好きなオペラ総集編

Tokyo_tower

桜は足踏みしたけれど、また暖かさが戻って、一気に咲きそう。

まだ寒い時に、芝公園にて撮った1枚。

すてきでしょ。

大好きなオペラ。

3月も終わりなので、一気にまとめにはいります。

Tristan

  ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナーの魔力をたっぷりと含んだ、そう魅惑の媚薬のような音楽。
この作品に、古来多くの作曲家や芸術家たちが魅かれてきたし、いまもそれは同じ。
我が日本でも、トリスタンは多くの人に愛され、近時は、歌手の進化と、オーケストラの技量のアップもあって、全曲が舞台や、コンサート形式にと、多く取り上げられるようになった。

わたくしも、これまで、9度の舞台(演奏会形式も含む)体験があります。

そして、何度も書いたかもしれませんが、初めて買ったオペラのレコードがこのトリスタンなのであります。
レコード店の奥に鎮座していた、ずしりと重いベームの5枚組を手に取って、レジに向かった中学生を、驚きの眼差しでもって迎えた店員さんの顔はいまでも覚えてますよ。

ですから、指揮も歌手も、バイロイトの響きを捉えた、そう右から第1ヴァイオリンが響いてくる素晴らしい録音も、このベーム盤がいまでも、わたくしのナンバーワンなんです。

次に聴いた、カラヤンのうねりと美感が巧みに両立したトリスタンにも魅惑された。
あとは、スッキリしすぎか、カルロスならバイロイトかスカラ座のライブの方が熱いと思わせたクライバー盤。ここでは、コロの素晴らしいトリスタンが残されたことが大きい。
 それと、いまでは、ちょっと胃にもたれるバーンスタイン盤だけど、集中力がすごいのと、ホフマンがいい。
フルトヴェングラーは、世評通りの名盤とは思うが、いまではちょっと辛いところ。

あと、病後来日し、空前絶後の壮絶な演奏を聴かせてくれたアバド。
あの舞台は、生涯忘れることなない。
1幕は前奏曲のみ、ほかの2幕はバラバラながら聴くことができる。
透明感あふれ、明晰な響きに心が解放されるような「アバドのトリスタン」。
いつかは、完全盤が登場して欲しい。

Ring_full_2

  ワーグナー 「ニーベルングの指環」

わたくしの大好きなオペラ、ナンバーワンかもしれない・・・

興にまかせて、こんな画像を作っちゃいました。

オペラ界の大河ドラマとも呼ぶべきこの4部作は、その壮大さもさることながら、時代に応じて、いろんな視点でみることで、さまざまな演出解釈を施すことができるから、常に新しく、革新的でもある。
 そして、長大な音楽は、極めて緻密に書かれているため、演奏解釈の方も、まだまださまざまな可能性を秘めていて、かつては欧米でしか上演・録音されなかったリングが、アジアや南半球からも登場するようになり、世界の潮流ともなった。

まだまだ進化し続けるであろう、そんなリングの演奏史。

でも、わたくしは、古めです。
バイロイトの放送は、シュタインの指揮から入った。

Bohm_ring1

そして、初めて買ってもらったリングは、73年に忽然と出現したベームのバイロイトライブ。
明けても覚めても、日々、このレコードばかり聴いたし、分厚い解説書と対訳に首っ引きだった。
ライブで燃えるベームの熱い指揮と、当時最高の歌手たち。
ニルソンとヴィントガッセンを筆頭に、その歌声たちは、わたくしの脳裏にしっかりと刻み付けられている。
なんといっても、ベームのリングが一番。

そして、ベーム盤と同時に、4部作がセットで発売されたカラヤン盤も大いに気になった。
でも、こちらと、定盤ショルティは、ちょっと遅れて、CD時代になって即買い求めた。
歌手にでこぼこがあるカラヤンより、総合点ではショルティの方が優れているが、それにしても、カラヤンとベルリンフィルの作り上げた精緻で美しい、でも雄弁な演奏は魅力的。

あと、忘れがたいのが、ブーレーズ盤。
シェローの演出があって成り立ったクリアーで、すみずみに光があたり、曖昧さのないラテン的な演奏だった。歌手も、いまや懐かしいな。
 歌手といえば、ルネ・コロのジークフリートが素晴らしい、そしてドレスデンの木質の渋い響きが味わえたヤノフスキ。

舞台で初めて味わったのが日本初演だったベルリン・ドイツ・オペラ公演。
G・フリードリヒのトンネルリングは、実に面白かったし、なんといっても、コロとリゲンツァが聴けたことが、これまた忘れえぬ思い出だ。

舞台ではあと、若杉さんのチクルスと、新国の2度のK・ウォーナー演出。
あと、朝比奈さんのコンサート全部。
みんな、懐かしいな。。。

以下、各国別にまとめてドン。

ドイツ

 モーツァルト   「フィガロ」「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」

 
 ワーグナー   「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」 「ローエングリン」
           「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」
            「ニーベルングの指環」「パルシファル」

 ダルベール   「低地」

 R・シュトラウス 「ばらの騎士」「ナクソスのアリアドネ」「影のない女」「アラベラ」
            「ダフネ」「ダナエの愛」「カプリッチョ」

 ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 (昔々あるとき、夢見るゾルゲ2作は練習中)

 ベルク      「ヴォツェック」「ルル」

 シュレーカー   「はるかな響き」 「烙印された人々」「宝探し」

 コルンゴルト  「死の都」「ヘリアーネの奇蹟」「カトリーン」

 ブラウンフェルス 「鳥たち」

 レハール    「メリー・ウィドウ」「微笑みの国」

イタリア

 ロッシーニ   「セビリアの理髪師」「チェネレントラ」

 ヴェルディ   「マクベス」「リゴレット」「シモン・ボッカネグラ」「仮面舞踏会」
           「ドン・カルロ」「オテロ」「ファルスタッフ」

 カタラーニ   「ワリー」

 マスカーニ   「イリス」

 レオンカヴァッロ  「パリアッチ」「ラ・ボエーム」

 プッチーニ   「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「三部作」
           「ラ・ロンディーヌ」「トゥーランドット」

 チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

 ジョルダーノ  「アンドレア・シェニエ」「フェドーラ」

 モンテメッツィ 「三王の愛」

 ザンドナーイ  「フランチェスカ・ダ・リミニ」

 アルファーノ  「シラノ・ド・ベルジュラック」「復活」

 レスピーギ   「セミラーナ」「ベルファゴール」「炎」

フランス

 オッフェンバック 「ホフマン物語」

 ビゼー      「カルメン」

 グノー      「ファウスト」

 マスネ      「ウェルテル」

 ドビュッシー   「ペレアスとメリザンド」

イギリス
 

 パーセル   「ダイドーとエネアス」

 スマイス    「難破船掠奪者」

 ディーリアス  「コアンガ」「村のロメオとジュリエット」「フェニモアとゲルダ」

 R・V・ウィリアムズ  「毒の口づけ」「恋するサージョン」「天路歴程」

 バントック   「オマール・ハイヤーム」

 ブリテン    「ピーター・グライムズ」「アルバート・ヘリング」「ビリー・バッド」
          「グロリアーナ」「ねじの回転」「真夏の夜の夢」「カーリュー・リバー」
          「ヴェニスに死す」

ロシア・東欧

 ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」

 チャイコフスキー 「エフゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イオランタ」

 ラフマニノフ    「アレコ」

 ショスタコーヴィチ 「ムチェンスクのマクベス夫人」「鼻」

 ドヴォルザーク   「ルサルカ」

 ヤナーチェク    「カーチャ・カヴァノヴァ」「イエヌーファ」「死者の家より」
             「利口な女狐の物語」「マクロプロス家のこと」

 バルトーク     「青髭公の城」

以上、ハッキリ言って、偏ってます。

イタリア・ベルカント系はありませんし、バロックも、フランス・ロシアも手薄。

新しい、未知のオペラ、しいては、未知の作曲家にチャレンジし、じっくりと開拓してきた部分もある、わたくしのオペラ道。
そんななかで、お気に入りの作品を見つけたときの喜びといったらありません。

それをブログに残すことによって、より自分の理解も深まるという相乗効果もありました。

そして、CD棚には、まだまだ完全に把握できていない未知オペラがたくさん。

これまで、さんざん聴いてきた、ことに、長大なワーグナー作品たちを、今後もどれだけ聴き続けることができるかと思うと同時に、まだ未開の分野もあるということへの、不安と焦り。
もう若くないから、残された時間も悠久ではない。
さらに、忙しくも不安な日々の連続で、ゆったりのんびりとオペラを楽しむ余裕もなくなっている。
それがまた、焦燥感を呼ぶわけだ。

でも、こうして、総決算のようなことをして、少しはスッキリしましたよ。

リングをいろんな演奏でツマミ聴きしながら。。。。
 

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2015年9月10日 (木)

ヴォーン・ウィリアムズ グリーンスリーヴスによる幻想曲 マリナー指揮

Minegishiyama_1

青空が見たい。

お天道さまを仰ぎたい。

もうやだ、雨。

Minegishiyama_2

  ヴォーン・ウィリアムズ  グリーンスリーヴスによる幻想曲

    サー・ネヴィル・マリナー指揮

         アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

               (1972 @ロンドン、キングスウェイホール
                1986.4 @ロンドン)


なにかと気ぜわしく、音楽をゆとりを持って聴く時間もない今日この頃。

しばらくぶりの更新は、超短めで。

いくらなんでも降りすぎだろ、この雨は。

早く、すっきりした空が、拝めますように、そんな思いも込めて、今宵はRVW。

VWのオペラ、「恋するサー・ジョン」に採用した、「グリーンスリーヴズ」の哀愁の旋律。
原作が、いわゆるシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」で、作者は、この旋律についてもそこで触れているといいます。

この素敵なオペラ、ヒコックスの指揮で、聴いてますので、いつか記事にしたいと思ってます。

誰しもがイメージする、この曲のエヴァーグリーン的な要素。

それを、すっきり、さわやかに演奏したのが、サー・マリナーです。

中学生のときに、ロンドンレコードから出た新譜のサブタイトルが、「ヴォーン・ウィリアムズのさわやかな世界」・・・・、だったと記憶します。
後年、レコードとして購入し、まさにその文字通りの曲目と演奏に、ほんのひと時的な聴き方で、愛着したものでした。

後年、フィリップスに、ノスタルジックサウンドとして再録音しましたが、30秒ほど演奏時間も伸びて、少し恰幅がよくなりましたが、あの少しそっけないくらいの、爽快マリナーは健在でした。

でも、自分的には、フィリップスの録音もいいのですが、デッカのこの曲にステキなまでにマッチングした録音がプラスに働いた旧盤を愛するところです。

 早く、晴れますように・・・・・

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2015年7月 3日 (金)

ヴォーン・ウィリアムズ 「ドナ・ノビス・パーチェム」 ヒコックス指揮

Komayama_1

大磯町の高麗山と夕陽。

隣接地、湘南平は、子供の頃の遠足の地でしたが、このあたり一帯は、高句麗からの来訪者が住んでいたり、高麗寺が、家康に保護されたりと、歴史的にもゆかしい場所であります。

なにより、そして、容がいいです。

Komayama_2

  ヴォーン・ウィリアムズ カンタータ「ドナ・ノビス・パーチェム」

                    ~我らに平和を与えたまえ~


     S:イヴォンヌ・ケニー    Br:ブリン・ターフェル

   リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団/合唱団

                      (1992.3 @アビーロード・スタジオ)


レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872~1958)は、クラシック音楽のあらゆるジャンルに、万遍なく、その作品を残した作曲家です。
運命の数字の9曲の交響曲に、お馴染みのグリーンスリーブスや、タリスなどの管弦楽作品、協奏作品、室内楽、器楽に、オペラ複数曲、そして歌曲や声楽曲も多数。

ふたつの世界大戦を体験し、その影が、その作品たちにはうかがえることもしばしば。
一方で、そんな陰りなどは、まったく感じさせない、英国の田園風景や自然、そして民謡採取から生まれた懐かしさ感じる音楽も。

RVWの音楽は、もっともっと聴かれていいと思います。

そんな曲のひとつが、今日の声楽作品である、カンタータです。

「ドナ・ノビス・パーチェム」は、バターフィールド合唱協会の委嘱により作曲され、1936年10月に初演。
英国は、大国として、世界に植民地政策を敷いていた時期でもありながら、徐々に、その国力も衰退の色が出てきて、一方で、20年前の敗戦国、ドイツでは、ヒトラーがすでに政権を握り、この年の8月には、「ヒトラーのオリンピック」と言われた、ベルリン・オリンピックが行われております。
 ちなみに、日本では、2・26事件が起きた年でもあります。

そんな不穏な空気が、少しづつ流れつつあった世界。

ヴォーン・ウィリアムズは、このカンタータに、戦争の悲惨さや哀しみ、そして平和を祈る気持ちを、しっかりと込めました。

最初に、言います、自分の気持ち。

「この作品は、ほんとうに、美しく、感動的です。
泣きます、思わず、手を合わせてしまいます・・・。」

6つの部分からなるこのカンタータは、続けて演奏されます。
全体で39分。

ラテン語による典礼文、聖書、そして現代詩が交互に、または混合されて出来上がっている。
それは、まさに、後年のブリテンの「戦争レクイエム」を思わせる構成となっていて、そちらがそうであったように、祈りと悼み、そして戦争の辛さを、われわれに訴えかける力が極めて強く出来上がっていると思う。
 そして、詩の方は、RVWの作品に多くあるように、アメリカの詩人ウォルト・ホイットマン(1819~1892)の作品から取られております。

①「アニュス・デイ」・・・静かに、でも痛切な思いを込めて、ソプラノがアニュス・デイと歌い始め、ドナ・ノビス・パーチェムと、この曲の各章の締めに歌われるタイトルを表出する。
やがて、合唱も同じように静かに入ってきて、さらに悲しみを強く持ちながら強い音の場面となってゆく、ラテン語による第1章。

②「叩け、叩け、太鼓を」・・・・ホイットマン詩、米南北戦争時で、実弟が戦地にあり、それを思って書かれた詩。
RVWは、英国にあって、第一次大戦での思いを、この詩に重ね合わせた。
 この章は、レクイエムにおける、「怒りの日」に相当するような雰囲気で、不吉なラッパから始まり、急に激しい咆哮となり、オルガンも加わってダイナミック。
教会の中での集まり、結婚式、それらの平和な日常生活に、ドアをぶち破って、戦争へ導く太鼓や行進の響きが轟く・・・そんな詩の内容。

③「Reconcliation~和解」・・・・こちらも、ホイットマンの詩。
繊細なヴァイオリンソロにより始まるこの章は、静かで、心に沁みわたる曲調で、RVWの抒情の世界が味わえる、ほんとうに美しい音楽。
バリトンのソロと、エコーのような合唱。
 「青空は美しい、美しいから戦争も、虐殺も、時間が経過すれば、きれいに忘れられる。死と夜の姉妹の手は、たえず優しく、何度も繰り返し、この汚れた世界を洗ってくれる・・・・」

なんて、哀しいんだろ。

人間の編み出す悲惨な戦争や殺し合い、でも、どんなときにも、変わらぬ自然の美しさ。。。。

この美しい章の最後には、また、「Dona nobis percem」が歌われます。

④「二人の老兵のための哀歌」・・・・ホイットマンの詩集「草の葉」から。
この詩に寄せた曲は、1914年に書かれていて、それが転用されている。
そして同年、朋友のホルストも、この詩に、素晴らしい作品を書いてます。
 行進曲調の太鼓、低弦のピチカートに乗って歌われる合唱だけの章。
前章の戦時の太鼓の響きを引き継ぎ、息子に語りかける老兵、月の静かな光のもと、銀色に輝く横顔、それが天国では、明るく輝くだろうと・・・・。
淡々としたなかに、悲しみと、諦念が滲んだ桂章。

⑤「死の天使が、地上に舞い降りた」・・・・・英・仏・露・土で行われたクリミア戦争(1853~6)に反対した、政治家、ジョン・ブライトの反戦の名演説を、バリトン独唱で、無感情に。

 合唱とソプラノで、強い「Dona nobis percem」を挟んで、旧約のエレミア書から。
「われわれは、平和を望んだが、よいことはなかった・・・、民の娘は、いやされることがないのか。」

ここでも、繰り返し、争いの無情さを訴える章。
でも、音楽は、少しずつ、明るい兆しが。。。

⑥「おおいに愛される人々よ、恐れるには及ばない」・・・・安心しなさい、心を強くし、勇気を出しなさい。 旧約ダニエル書から。
後光が差すかのような厳かなバリトンソロで開始。
「わたしは、この場所に栄光を与える・・・」と同じくバリトンソロによる主の宣言、これは、旧約のハガイ書。

次いで、合唱で、ミカ書、レビ記、詩篇、イザヤ書、ルカ伝と、合唱が歌い継いでゆく。
平和・平安を思わせる空気が充満し、じわじわと盛り上がり、高まる感動に乗せて、ついには、栄光をと歌う!
 そして、曲は、最後に、急速に静まり、「Dona nobis percem」が、ソプラノ独唱で繰り返されるなか、合唱が絡み合い、オケは鳴りをひそめ、アカペラで進行する終結部。
 思わず、ここで手を合わせたくなる心の祈り。
Percemを繰り返すソプラノが、静かに消え入り、この天国的に美しい章は消えてゆくように終わり、優しい気持ちにつつまれて、ひとときの心の平安を味わうこととなります・・・・・・・。

でも、すぐに現実に引き戻され、喧騒と情報の渦に引き込まれる、そんな現代人なのです。

 ヒコックスの献身的なまでの感動的な指揮ぶりが、よくわかる名演。
手塩にかけたロンドン響コーラスの見事さ。
英国ソプラノの典型とも呼ぶべき、無垢でピュアなケニーの美しいソプラノ。
後の威圧的な声が想像できない、ピュアなターフェルのバリトン。
素晴らしい曲に、素晴らしい名演だと思います。

ブライデン・トムソン、ボールトの演奏も、いつか聴いてみたいと思ってます。

そして、この作品と似たような構成を持ち、ヨハネに題材を求めた「聖なる市民」が、この音盤にはカップリングされてまして、そちらもいずれ取り上げましょう。

もうひとつ、RVWのオペラも、一作を除き、ほぼコンプリートしましたので、時間はかかりますが、ゆっくりと書いて行きたいと思ってます。
すでに取り上げたお気に入り作品は、「毒のキッス」でして、これまた怖いタイトルにもかかわらず、愛らしいオペラなんですよ。(過去記事→

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2014年11月 5日 (水)

東京都交響楽団演奏会 ブラビンズ指揮

Geigeki

開演15分前、人々が駅から出て、次々に、こちらに吸い込まれて行く。

そう、東京都交響楽団のA定期演奏会を聴いてまいりました。

わたくしは、この大きなホールが、街の雰囲気も併せて、どうも苦手で、できるだけ避けたいホールのひとつです。

でも、先のB定期(→RVW、ブリテン、ウォルトン)とともに、名古屋フィルのシェフで、英国音楽の演奏の希望の星、マーティン・ブラビンズの客演で、ウォルトンの交響曲のふたつめ、そして、なんといっても、ディーリアスとRVW。

ふたつの定期が、こうして関連だっていて、しかも英国音楽に特化している。

英国音楽を、こよなく愛するわたくしとしては、ホールがどうのこうの言っていられません。

Metorso

  ヴォーン・ウィリアムズ  ノフォーク・ラプソディ第2番 日本初演
                    (ホッガー補筆完成版)

  ディーリアス        ヴァイオリン協奏曲

              Vn:クロエ・ハンスリップ

  ウォルトン         交響曲第1番 変ロ短調

    マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団

  ※P・プラキディス ふたつのきりぎりすの踊り(ヴァイオリンソロ、アンコール)

                       (2014.11.4 @東京芸術劇場)


これまた、わたくし向きのプログラム。
どの作曲家にも、強い思い入れがある。

でも、とりわけ、フレデリック・ディーリアスへの思いは人一倍強い。

本ブログでは、その心情を時おり、吐露しておりますが、亡き人や、故郷への望郷の思いと密接に結びついていて、その作品たちとの付き合いも、もう40年近くになります。

日本のコンサートに、その作品が取り上げられるのは、著名な管弦楽小作品か、「楽園への道」ぐらいで、あとはモニュメント的に、声楽作品が演奏されるぐらい。

ディーリアスのヴァイオリン協奏曲が、こうして演奏されるのって、ほんとにレアなことだと思います。
これを逃したら、生涯後悔するかも・・・、それこそ、そんな気持ちでした。

しかし、不安は、大きなホール。

でも、その思いは実は、1曲目のRVWで、ある程度払拭されてました。

そう、静かで抒情的な場面の連続する、RVWとディーリアスの曲ですが、音のディティールは、細かなところまで、しっかり届きましたし、なによりも、ホール全体に漂う、静かな集中力のようなものを強く感じ、音楽の一音一音をしっかり聴きこむことができました。

27分間にわたって、楽章間の明確な切れ目はなく、多くの時間が、ピアノの静かでゆったりムードで続くディーリアスの音楽の世界は、もしかしたら初めて聴かれる方には、とりとめもなく、ムーディなだけの音楽に聴こえたかもしれません。

ですが、ディーリアスは、そこがいいんです。

茫洋たる景色、海や山が、霞んで見える。
自然と人間の思いが、感覚として結びついている。
リアルな構成とか、形式なんか、ここではまったく関係がない。

その、ただようような時間の流れに、その音楽をすべり込ませて、静かに身を任せるだけでいい。
形式の解説など不要だ。

わたくしは、大好きなディーリアスのヴァイオリン協奏曲の実演に、遠いニ階席で、曲に夢中になりながら弾きこむクロエ嬢と、慈しむように優しいタッチで指揮をするブラビンズさん、そして神妙な都響の面々、そのそれぞれを見ながら、やがて、その実像が、ぼやけてきて、いつものように、望郷の念にとらわれ、涙で目の前が霞んで行くのに、すべてを任せました。

言葉にはできません。
ほんとうに素晴らしかった。
実演で接すると、いろんな発見も、処々ありましたが、それら細かな部分は、全体のなかに静かに埋没してしまい、いまは、もう、そのようなことは構わなく思えます。

タスミン・リトルのあとは、ハンスリップ嬢と、スコットランドのニコラ・ベネデッティがいます。
頼もしい、英国系女性ヴァイオリン奏者たち。
ちょっと踏み外すところや、元気にすぎるところは、ご愛嬌。
かつてのタスミンもそうだった。
 ただ、アンコールは、民族臭が強すぎて、ディーリアスの多国籍かつ無国籍ぶりにはそぐわなかったような気がします。
東欧の響きのように思いましたが、ラトヴィアの作曲家だそうで。

 さて、思いの強さで前後しましたが、RVW作品は、日本初演。

それもそのはず、民謡の採取に情熱を注いだV・ウィリアムズが、それらの素材を活かしたノフォーク・ラプソディを、3曲書きましたが、2番目は未完、3番目は破棄ということで、完全に残ったのは、先に聴いた美しい1番のみ。

未完の2番を、RVW協会の許しを得て、R・ヒコックスがスティーブン・ホッガーという作曲家に補筆完成を委嘱したのが、今回の作品。
2002年に完成し、一度限りの条件で初演されたのが2003年。

ヒコックスのRVW交響曲録音の、3番(田園交響曲)の余白に収められておりますが、その初演以外、しかも、海外で初となる演奏許可を、都響が取りつけたとのことです。

それは、英国音楽の達人ブラビンズあってのことだと思いますし、東京都とロンドンという関係もあってのことかもしれません。

ともかく、VWらしい、郷愁あふれる情緒豊かな音楽で、10分ぐらいの演奏時間のなかに、静かな場面で始まり、スケルツォ的な元気な中間部を経て、また静かに終わって行く、第1番と同じ構成。
親しみやすさも増して、ステキな聴きものでした。

 休憩後のウォルトンの1番。

せんだっても、尾高&藝大で聴いたばかり。
ダイナミックレンジの幅広い、繊細かつ豪快な音楽は、前半の静けさとの対比でもって、とても面白い。
しかし、この大きなホールの2階席は、音像が遠く感じ、迫力のサウンドは思ったほどに届いてこないもどかしさがありました。
前半や、この交響曲の第3楽章が、むしろ、じっくり聴けた感じがあるのは、面白いことでした。

 それでも、CDで聴き馴染んだこの作品は、やはり実演が面白い。
第二次大戦を間近に控えた頃の、不安の時代。
その緊迫感と重々しさを随所に感じつつ、最後は、輝かしいラストを迎えるわけで、交響曲の伝統のスタイルをしっかり踏襲している。
 ほんと、快哉を叫びたかった、リズムもかっこいい第1楽章では、ブラビンズの指揮ぶりを見ていると、とても明快で、オケも演奏しやすいのではとも、思いました。
 変転するような拍子が、妙に不安を駆り立てる難しい2楽章ですが、都響の完璧なアンサンブルは見事なもの。
 そして、一番素晴らしかったのは、沈鬱さと孤独感の中に、クールな抒情をにじませた静かな3楽章。
木管のソロの皆さんの柔らかい音色も印象的で、オケの音色は、透明感を失わずに、くっきり響いてます。
 一転、明るさが差し込む終楽章。
重層的に音楽が次々に盛り上がってゆくさまを、意外な冷静さで聴いておりましたが、最後の方の、トランペットの回想的なソロ(素晴らしかった)のあと、ついに出番が巡ってくる、2基目のティンパニと、多彩な打楽器の乱れ打ち。
この最後の盛りあげがあって、この1番の交響曲が、映えて聴こえるのですが、それにしても、完璧な演奏ぶりでした。

驚くほどのブラボーが飛び交いました。

指揮者を讃えるオーケストラに押されて、ひとり指揮台に立って喝采を浴びたブラビンズさん。
いい指揮者です。
ウォルトンの分厚いスコアを、大事そうに小脇に抱えて、ステージを去るその姿に、好感を覚えた方も多くいらっしゃるのでは。

名フィルの指揮者であり、ロンドンのプロムスの常連。
CDも、コアな珍しいレパートリーでもってたくさん出てます。
ブライアンの巨大ゴシックシンフォニーもあります。
名古屋での、ユニークな演目も聴いてみたいものです。

  過去記事

 ディーリアス ヴァイオリン協奏曲

  「ラルフ・ホームズ&ハンドレー」

  「アルバート・サモンズ&サージェント」

 ウォルトン  交響曲第1番

  「ブライデン・トムソン指揮 ロンドン・フィル」

  「尾高忠明指揮 藝大フィルハーモニア」

 

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2014年10月26日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズ コンチェルト・アカデミコ シリトー

Sakura

すすきの穂もだいぶ垂れてまいりました。

日に日に、秋は濃くなりつつありますな。

佐倉あたりの風景です。

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  ヴォーン・ウィリアムズ ヴァイオリンと弦楽オーケストラのための協奏曲

               ~コンチェルト・アカデミコ~

         Vln:ケネス・シリトー
 

     ブライデン・トムソン指揮 ロンドン交響楽団

                       (1987.11 @ロンドン)


ラルフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RVW 1872~1958)の唯一のヴァイオリン協奏曲。

多くの作曲家にとって、ヴァイオリン協奏曲は、必須のジャンルで、シンフォニストだった、ブルックナーとマーラー、オペラ作曲家だったワーグナーとヴェルディ、プッチーニには、貴協奏曲作品は一切ありません。

英国の多くの作曲家は、特定のジャンルに特化した人は少なく、概ね、多くのジャンルにその作品を残していると思います。
そんな中でも、RVWは、規模の大小はあるものの、多数の協奏作品を書きました。

ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、オーボエ、チューバ、ハーモニカなどの作品たちがそれです。気がつけば、あんまり聴いていませんでしたので、今後徐々に聴いて行こうと思ってます。

さて、ヴァイオリン協奏曲は、16分ほどのコンパクト作品で、編成も小編成の弦楽オケのみ。
1924年、交響曲でいえば、3番〈田園)と4番の間ぐらい。
そのスタイルは、バッハを意識させる古典的な佇まいをもったもの。
それゆえに、「コンチェルト・アカデミコ」と呼ばれることもあるわけです。

リズミカルななかにも、ときおり、立ち止まって懐かしい思いを吐露する、そんな風情がいい第1楽章。

第2楽章は、いかにもRVWらしい、抒情と連綿たるノスタリジーの極まりを堪能できる、素晴らしい音楽。
これは、ほんとうに美しいです。
秋の日に、ぴったり。
「揚げひばり」が好きな方は、きっとお気に召すはずです。

3楽章は、プレスト。
ジーグのリズムでもって、民俗的なムードでもって、一気に聴かせてくれ、最後は、こっそり静かに終わる洒落た音楽です。

 ブライデン・トムソンのRVW全集は、交響曲の余白に、こうした協奏作品や、合唱作品がカップリングされていて、とても重宝してます。
演奏も、それぞれ万全で、録音もよく、オケも上手くて、文句なし。

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2014年10月23日 (木)

東京都交響楽団演奏会 ブラビンス指揮

Suntry

アーク・カラヤン広場を見渡してみました。

いまさらながらの光景ですが、調和のとれた景色ですな。

サントリーホールには、こちら側から。アプローチすることが多いですが、コンサートへのワクワク感が、ほんの少しの距離ですが、増す、そんな広場の空間であります。

Metorso_2

  ヴォーン・ウィリアムズ ノフォーク・ラプソディ第1番

  ブリテン          ピアノ協奏曲 op13

            ピアノ:ステーヴン・オズボーン(※)

  ウォルトン         交響曲第2番

    マーティン・ブラビンズ指揮 東京都交響楽団

                    (2014.10.20@サントリーホール)

  ※アンコール  ドビュッシー 前奏曲集第2巻 第10番「カノープ」


都響の会員ではございません。

神奈川フィル一途の昨今。

ただし、演目によって各オケに登場するわたくし。

そして、ご覧ください、このプログラム。

しかも、指揮には、英国のブラビンズ氏。
トムソン、ハンドレー、ヒコックス亡きあと、英国音楽の指揮者の伝統を受け継いでゆくべき人と、思っております。
その氏が、名古屋フィルの指揮者になったと聞いたときは、びっくりしました。
CDも、そこそこ所有してまして、それらは、いずれも珍しい曲目ばかりなところも、実に気に入ってました。
なかでも、コルンゴルトのオペラ「カトリーン」は、わたくしの大フェイバリットのひと組です。

 そんなこんなで、あるブログ仲間の方からは、○○さんのためにあるような・・・的なコメントも頂戴しまして、ウキウキほいほいで、サントリーホールにまいりました。

まずは、RVWのステキな一品、ヴィオラソロもいかにもVWな音楽。
かつて、現田さんの指揮で、聴いたことがあります。
懐かしくも、牧歌的な音楽は、民謡採取に情熱を注いだVWらしく、古風な佇まいさえも感じさせ、聴くわたくしたちを遠く目線にさせてしまう。
中間部の元気な場面との対比も明確で、ブラビンズの明快な音楽造りが際立ちました。

1曲目から、いい気分にさせていただきました。

そして、ブリテンの若書きの大作、ピアノ協奏曲。
ブリテン大好きのわたくしですが、この曲は、もっとも苦手で、唯一所有するCDを聴いて、何度か記事にしようと思ったけれど、どうにも書けなかった。
 そう、ブリテンらしさが感じなくて、さっぱり捉えどころがないのでした。
ラヴェルっぽくて、ショスタコみたいだし、プロコフィエフでもあり・・・。

今回、実演に接し、この曲が、近くに感じ、見えてきた感じで、帰宅後、CDを聴き返したとき、あそこはこんな風に弾いてたとか、オケはこんなだった、とか思い返すこともできて、曲への親しみを持つことにつながりました。

ですが、後年の厳しさと、クールさ、優しさが、それぞれ相混じったブリテンの音楽スタイルからすると、やはり弱いと思ったりもしてます。

ラヴェル風の元気のいい1楽章では、この日のソロ、オズボーンさんの、目にも鮮やかな超絶技巧に魅惑されました。
楽章の終わりの方の木管の動きに、ブリテンらしさを感じます。
 2楽章は、お洒落なワルツ。ここでもヴィオラソロが決め手で、さすがに店村さん、素晴らしい。
オケの全奏を伴いつつ奏でる中間部のワルツは、実に心地よく、体が動きそうになりました。
 一転、晦渋な雰囲気の3楽章は、沈鬱な気分にしてくれましたが、終わりの方に、ブリテンらしいヒンヤリムードが醸し出されて、いい感じになれました。
さらにまた転じて陽気な旋律が忘れられなくなる終楽章では、ブラスも打楽器も大活躍、ピアノもバリバリ。

 しかし見事なお手前だったスコットランド出身のオズボーンさんのピアノ。
完全に、この難解至極な曲を手のうちに入れてる。
表現の幅が極めて大きく、かつ繊細さも。
そんな彼の個性がさらに発揮されたのは、アンコールのドビュッシー。
このガラスのように繊細な曲を、さらに透き通るような音色で、絶妙なタッチで演奏して、満場のホールを、シーンとさせてしまった。
調べたら、ブリテンも、フランスものも、お得意なようですね。
気にいりました、オズボーンさん。

 さて、後半は、タイム的には30分と、ちょっとものたりないけれど、ゴージャスで、オケががんがん鳴るウォルトンの2番。
1番は有名ですが、2番は、めったに演奏されない。
セルの演奏がかつては有名でしたが、わたくしは、入手しやすいプレヴィン盤のみ。

今宵のブラビンズさんは、1番とカップリングした録音を残しているので、今度手にいれましょう。

さて、コンパクトな外観に関わらず、この1960年の作品は、保守的でありながら、その豪放でかつ、ゴージャスサウンドは、かつてはともかく、いまでこそ受ける類の音楽だと思います。
事実、ほとんどの方が初聴きだったかもしれない、この日。
演奏終了後、ブラボーの大歓声で、ブラビンズ氏は、何度もステージに呼び返され、最後には、ウォルトンのスコアを高く掲げ、自分の胸に抱きしめるという、ナイスなパフォーマンスまで見せてくれるというありさまになりました。

そう、ほんとに、すごいかっこいい曲であり、完全無比の演奏でした。
さすが都響の緻密さと、そのパワーは素晴らしい。
それを縦横に引き出したブラビンズさんの、的確かつ熱い指揮ぶりにも感嘆。

緊張感と切迫感あふれる第1楽章は、ウォルトンならではの疾走感がたまらない魅力。
 そして、一番ステキなのが2楽章。
この日のコンサートで、一番楽しみにしていた楽章です。
抒情と情熱が、入り混じった、クール・ビューティなブルー系のサウンドは、ウォルトンが得意とした銀幕の音楽にも通じるものがあります。
陶然とした気分で、この楽章に酔いしれてしまったワタクシです。
 転じて、これまた豪快かつ緻密・繊細で、多彩な音色や響きが楽しめる終楽章。
12音によるパッサカリア形式といいますが、そんなことは、あまり気にせず、音楽が変転しまくるさまを楽しみました。
エンディングも、チョーかっこエエsign01

名古屋フィルが羨ましく思えたブラビンズさんの、都響客演です。

あと、ウォルトン1番をメインに据えた、もう一夜のブリティッシュプログラムもまいりますnote
  

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2014年6月14日 (土)

藝大フィルハーモニア定期演奏会 尾高忠明指揮

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眩しい青空と、濃い緑。

こちらは、本日(6月13日)の、横浜です。

午後から横浜、そのあと、上野にとって返し、こちらも緑豊かな公園と森を抜け、東京芸術大学奏楽堂へ。

局所的に、雷雨があった日中ですが、幸いにも、怪しい雲は確認しながらも、雨に会うことはありませんでした。

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  R・V・ウィリアムズ  タリスの主題による幻想曲

  ディーリアス     「村のロメオとジュリエット」~楽園への道

  ウォルトン       交響曲第1番 変ロ長調

      尾高 忠明 指揮 藝大フィルハーモニア

                     (2014.06.13@東京藝術大学奏楽堂)


こんなわたくしの大好きな英国プログラムに、飛び付かないはずがない。

初藝大フィル、初奏楽堂でした。

1100席のほどよい規模で、木質の肌触りのホールは、とても心地よい響きで、音の溶け合いも自然で、素晴らしいものでした。

そして、歴史ある藝大フィルも、とても上手くて、フレキシビリティの高い上質なオーケストラでした。

尾高さんが、演奏終了後、指揮棒をマイクに替えてお話されましたが、その中で、英国音楽の素晴らしさ、英国と日本のつながり、そして、3様の異なる性格を持つ今回のプログラムを完璧に演奏しきったオーケストラのことを誉めていらっしゃいました。

古雅な英国王朝時代に想いを馳せることのできるようなRVWの渋い響き、ディーリアスの中でも一番メロディアスでロマンティックなロメジュリ、不安と緊張のなかに、輝かしさも導きださなくてはならないウォルトン。

この3つの様相を持つ3曲でした。

尾高さんの、共感あふれる指揮あってこそ描き出されたものです。

前半の静、後半の動。

タリス幻想曲は、コンサートで聴くのは初めてで、弦楽の奥、フルオケの金管席に、9人の第2奏隊が陣取り、ふたつの弦楽との掛け合いが、教会礼拝の交唱のように溶け合い、その響きがCDで聴くより数倍も耳に美しく、優しく届いたのでした。
ヴィオラのソロも、弦楽の中で分割して奏される四重奏も、いずれも素晴らしかった。
いつもは漫然と聴いてしまうこの曲ですが、こんなにいい曲だとは思わなかった。

そして、ディーリアンを自認するわたくしの、なかでも大好きな「村のロミ・ジュリ」。

寒村で、対立しあう家々の若い男女の愛が、破れ、ふたり、ゆるやかに流れる川に小舟を出し、船底の栓を抜き、やがてその舟は静かに沈んでゆく・・・・

(→「村のロミオとジュリエット」の過去記事)

こんな哀しい物語の後半に演奏される間奏曲は、そのドラマを集約したような、触れれば壊れてしまいそうな、儚くもデリケートな音楽。
そして、胸の熱くなるような盛り上がりも内包。

何度聴いても、美しい音楽で、思わず涙ぐんでしまうわたくしです。

尾高さんの指揮では、これが3度目、あとプロムスでのライブも録音してますが、今回が一番よかった。
この曲の精緻な魅力が、このホールと、オーケストラによっても活かされているように感じましたし。

うってかわって、ダイナミックなウォルトンの音楽へ。

フルオケで、金管・打楽器もばりばり。
ほぼセンターの席でしたが、こうした曲は、後方席の方がよかったかも。
前半では、最高の席でしたが。

しかし、ウォルトンの音楽、ことにこの交響曲は、リズムが全編にわたって、かっこいい。
映画音楽にも通じる活劇的な要素も感じとれる。
第二次大戦へとひた走る時代に作曲されたこの曲には、そうした不安や、割り切れないもどかしさ、憂愁が満載ですが、終楽章に至って、グローリアスな響きにようやく満たされるという、暗→明という、交響曲の常套ともいうべきあり方を備えてます。

1楽章では、音がやや混在して、耳に響いてこないように感じましたが、それは聴いた席かもしれませんし、このホールのシートの背当てにどうも馴染めず、落ち着かないせいもあったかもです。
 しばらくすると、このシリアスな音楽に、いつも通り、こちらの耳もついてゆくことができ、のめり込むようにして聴きました。
クセになるほどの刻みのリズムがずっと耳に残る1楽章。
やたらと難しそうな、ややこしいスケルツォ。
変拍子が、指揮者もオケも大変そうだけど、このコンビ完璧。
 いたたまれないほどの憂鬱さと、晦渋さを持つ3楽章は、これもまたライブで聴いてこそ、全容がわかるというもの。クライマックスでは痺れるほどの感銘を受けました。
 そして明るい終楽章。盛り上がるフーガ形式の重層感。
回想風のトランペットも完璧に決まる。
ラストは、ティンパニ2基、銅鑼、シンバルなど打楽器の乱れ打ちで、いやでも超盛り上がりに興奮のわたくし。
 思わずまた、カッチョエエ、と心のなかで快哉を叫ぶのでした。

いやはや、無理して行ってよかった、素晴らしいコンサート。

上野公園を横切り、時おり、雲の合間から顔をのぞかせる満月を見上げながら、帰宅の途につきました。

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2013年5月 5日 (日)

ヴォーン・ウィリアムズ トマス・タリスの主題による変奏曲 ワーズワース指揮

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お天気に恵まれ、いつもの郷里の山の上も、晴々とほんとうに気持のいい1日でした。

早朝登れば、人も少なく、海と山の絶景をひとり占め。

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世界遺産、富士山は残念ながら雲に隠れてまして、頭の部分だけ。

子供も頃は、自宅の自室からも頭の部分が見えて、夕日に染まるその光景を見ながら、ディーリアスをはじめとする英国音楽や、ワーグナー、ことに「ウォータンの告別」などを聴いていたものです。
 いまは、自宅前の山、すなわち、いつも登るこの山の木々も伸びたのか、部屋からはまったく見えなくなってしまいました。

新緑の眩しさをたっぷり浴びて、リフレッシュできた1日。

今夜は、そんな深呼吸したくなるような爽やかな英国音楽を。


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  ヴォーン・ウィリアムズ  タリスの主題による変奏曲

                  ノーフォーク・ラプソディ

                  揚げひばり

                  グリースリーヴスの主題による変奏曲

                  「富める人とラザロ」の5つの異版
                  
                  
 
 

                  交響的印象「沼拓地方にて」

    バリー・ワーズワース指揮 ニュー・クィーズ・ホール管弦楽団

                    (1992.10 @ロンドン、ウォルサムストウ)


ヴォーン・ウィリアムズの管弦楽作品の音盤は数々持ってますが、なかでもそのほとんどが聴けるお気に入りの1枚。

もう少し活躍してもいいと思うワーズワースは、次々に亡くなってしまった英国指揮者のなかで、正統派の期待の存在。

ニュー・クィーンズ・ホール管弦楽団は、1895年にヘンリー・ウッドによって設立されたオーケストラをその由来とし、1992年に再編されたもの。
設立時代のロンドンで使用されていた楽器や奏法を用いるというコンセプトのもとに再スタートし、このCDがその第一弾であった。

その後の録音は、ワーグナーがあったような記憶もある程度だが、まだ年数回のコンサートは継続している様子。
バロックや古典~ロマン派あたりまでの古楽器系、さらには現代楽器によるピリオド奏法。
それらの流儀を20世紀初頭の音楽に合わせて、楽器・奏法ともに解決しようというやり方であったわけです。
 ちょっと中途半端だし、現代楽器と100年前の楽器の違いはそれほどに大きいのか?という疑問もあって、やはりそのあたりが、このオーケストラの意義が地味に消滅ぎみなところなのでしょう。

でも、わたくしは、この1枚がとても好きです。

緩やかで、穏やかな表情が綾なす英国の田園風景を偲ばせるようなヴォーン・ウィリアムズの音楽。
少しピッチが低めで、落ち着いて、むしろくすんで聴こえるようなこのオーケストラの響きは極めて魅力的な反面、「揚げひばり」のような、どこまでも高く羽ばたくような軽やかさ、飛翔感は少なめ。

テューダー王朝時代の作曲家、トマス・タリスの詩編の一節からなる幻想曲は、教会の礼拝を模した二重合奏となっていて、その古風でどこか寂しい哀感をたたえた曲調は、まさにこうした渋めなオケの音色でこそぴったりきます。
古酒をしみじみと味わう感があります。

有名なるグリーンス・リーヴスもくすんだ秋景色のようで、とても美しく、儚いのです。

英国の湿地帯を思い描くことのできる「沼拓地方にて」も、民謡採取に向かうことのなる、ヴォーン・ウィリアムズの心情のはかられる、渋いけれど、郷愁誘う名曲・名演でした。

ボールト、バルビローリ、トムソン、ハンドリーと、RVWの管弦楽作品の音盤は名盤に事欠きません。

さぁ、今宵はゆったりと眠れそうです。

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2012年8月11日 (土)

ヴォーン・ウィリアムズ 「Riders to the Sea」

1

海に漕ぎ出す人々。

「Riders to the Sea」

この題名のオペラを作ったのは、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872〜1958)。

V・ウィリアムズ(RVW)は、一般には、「グリーンスリーヴス幻想曲」や「揚げひばり」で知られていると思いますが、それらのイメージでいくと、いかにも、英国の田園情緒あふれたカントリーサイドの緩やかな音楽の作曲家となろうかと存じます。

しかし、RVWは、実に多面的で多彩な音楽造りをした人です。
9つある交響曲を順番に全部聴けば、その多彩な顔つきを、ほぼ理解できるものと思います。
かの抒情的な作風は、ほんの一面で、思いつくままに列挙すれば、スペクタルな映画音楽風、不協和音鳴り響くシャープな厳しさ、教会旋法も意識した宗教風、エキゾティックな東洋風、英国各地の民謡をベースにした懐かし風、ユーモアあふれる洒脱風、ミステリアスな神秘主義風・・・、まだあったかな。。。

ゆえにとらえどころのない作曲家に見られるのもやむなしだが、そのパターンにハマると、どこにもかしこにも、RVWの音を確認できるようになるから、その作品を複数のジャンルで次々に確認したくなる。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 「海へ漕ぎ出す人々」

   マウーリャ:サラ・ウォーカー  キャスリーン:イヴォンヌ・ブレナン
   ノーラ:カスリーン・タイマン   バートリー:ヒュー・マッケイ
   女:  マリー・シェリダン・デ・ブラウン

   ブライデン・トムソン指揮 Telefis Éireann コンサートオーケストラ

                        (1988 アイルランド)


RVWには、オペラないしは、それに準じる作品が7つあります。
そのなかで40分ほどの1幕オペラがこれです。

ところがコンパクトだけど、その内容は救いのない人の死が横溢する暗い内容なのです。

ミリントン・シング(1871〜1909)というアイルランドの劇作家が、イエーツのアドバイスで訪れたアラン島のイニュシュマン(ニットで有名です)というところで、その自然や人にインスパイアされて書かれた同名の詩劇をほぼそのまま台本として作曲されたもの。

1925年より構想を練り、1937年に、マルコム・サージェントの指揮によって初演されていて、今でも英国やアイルランドでは上演されております。

シングの書いた劇中の言葉は、アイルランドの方言で、わたしにはわかりませんが、独特の言い回しとかあるみたいです。
アイルランド北西部の厳しい海が、主役のような凄惨な内容のオペラ、簡単にその筋を。

10

アイルランド最北西部の島の貧しい家。
母マウーリャと、その娘キャスリーンとノーラ、息子のバートリー。
外は、波の音も聞こえ、風音も強い。
忙しく家事をするキャスリーンは、寝室で落ち込んでいる母を気遣っている。
そこへ、ノーラが駆け込んで来るが、彼女が手にしていたのは、兄弟のマイケルのものかもしれない衣服の一部。
神父が、北の海で溺れた男の衣服を届けてくれたという。
母親が起き出す気配に、その衣服を隠す2人。
母が居間にやってくると、そこに息子のバートリーが帰ってきて、意気揚々としている。
船を駆って、コネマラの街(ポニーで有名)に行って、馬を売ってこようと、縄などの準備に入る。
母は海は荒れているから留まるように懇願するが、バートリーは受け入れず出ていってしまう。
娘たちは、母に、息子の安全と祝福を祈らずに出ていかせてしまったのだから、パンを持って早く追いかけるように言い、母も慌てて出てゆく。

6

 その間に、さきほどの衣類を調べる姉妹は、それがマイケルのものだとわかってショックを受ける・・・・。
ほどなく哀しみのうちに帰ってきた母。
息子には会えなかったが、その彼が跨る馬に、マイケルが見えたと語る・・・。
キャスリーンは、実はマイケルは・・・と溺死したことを母に話し、ショックを受けた母マウーリヤは、淡々とこれまでの悲劇を語る。
夫を海で亡くし、その父も、さらに息子たち5人も海で亡くしてしまったと・・・・・。
 そこへ、村人たちが、若い男、すなわちバートリーの遺体を運んでくる。
悲しみに暮れる一同。

9

母マウーリヤは、アイルランドの古謡を息子を聖水で清めながら歌う。
「わたちたちに、これ以上ができようか。人はみな、永遠に長くは生きることができない。それでよしとしなくてはならない・・・・」
  外は、風と波の音。

          幕

どうですか?この暗澹たる内容。
RVWの音楽も、暗く陰湿で、ずっと短調のまま。大きなフォルテもなく寂しいだけ。
この劇の内容に、よくもこれだけぴったりの音楽をつけたものです。
RVWの語法としては、交響曲で言うと、第4番、6番、7番あたりと波長が合います。
とりわけ、海の荒涼とした雰囲気とミステリアスな女声合唱のアカペラは、7番南極交響曲の雰囲気そのものです。

なぜ、ここまで救いのないオペラを書いたのでしょうか?
ブリテンの「ピーター・グライムズ」も厳しい海を描いたオペラですが、あちらは、ピーター個人と群衆があって、背景に海がある。
でも、RVWのこちらは、主役は声を発しない海のように思えるのでした。

原作者シングと同様に、アイルランドの厳しい海に生き、その海なくしては存在できない人々とその人々を支配するかのような「海」を描きたかったからに違いありません。
あの大震災もあったものだから、昨年、このオペラを取り上げることは控えてきました。
自然の前には無力な人間ということでは同じ。
そして、それを受け入れ、淡々とそして力強く生きてゆく人間がいる。
1900年ごろの物語ですが、いまや船舶が安全となり、彼の地も海への備えもきっと増しているでしょう。
第一次大戦を経験し、次の戦争も始まった頃。それでも、海へ漕ぎ出す人々を描きたかったRVWの心情がわかるような気がします。

こちらのDVDは、アイラの寂しい海辺の村の雰囲気を実によく出してます。
母のウォーカーの疲れきった、でも、すべてを受け入れる意思を持った女性をよく演じ、歌ってます。
オケが少し解像度悪い録音ながら、ブライデン・トムソンの男性的でシャープな音造りは、この曲に合っております。

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  ヴォーン・ウィリアムズ 「海へ漕ぎ出す人々」

   マウーリャ:リンダ・フィニー     キャスリーン:リン・ドーソン
   ノーラ:イングリット・アットロット   バートリー:カール・ダイアモンド
   女:  パメラ・ヘレン・ステファン

   リチャード・ヒコックス指揮  ノーザン・シンフォニエッタ
                    
                     ザ・シンフォニア・コーラス
                        (1995.3 ゴスフォース)


もうひとつ、こちらはCD。
演奏だけなら、こちらの方が精度が高くよろしい。
ヒコックスの誠実な指揮によるオケもいい。
なによりも録音が素晴らしい。
あと、カップリングの2曲が、このオペラと旋律的にも関係があるものを選んでいて、全体として聴き応えがあります。

多くの方にお勧めはできませんが、RVWの魅力を味わえるオペラであり、RVWのいろんなお顔を確かめたい方は是非どうぞ。

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2012年8月 2日 (木)

プロムス2012 尾高忠明指揮

Tokyotower_20120802

今日の東京タワーのイルミネーションは、金メダル獲得の日なので、ダイアモンドヴェール。

オリンピック開催中は、平日でも、金メダル出ればこうなります。

すさまじい一日だった今日、夜には東京タワーの美しい姿を見てほっと一息入れてます。

Tadaaki_otaka2
(メルボルン響のHPより)

ロンドンのプロムス2012真っ最中。

7月31日には。われらが、オダチューさんこと、尾高忠明が、古巣BBCウェールズ響を指揮して、オール・イギリスものを披露しました。

翌日の、内村選手の金メダルにも増して、うれしいことですよ、これは。

  ヴォーン・ウィリアムズ 「タリスの主題による変奏曲」

  アイアランド  「These Things Shall Be」

  ディーリアス  「村のロミオとジュリエット」〜「楽園への道」

  ウォルトン   「ペルシャザールの饗宴」

       Br:ジョナサン・レマル(アイアランド、ウォルトン)


     尾高 忠明 指揮 BBCウェールズ交響楽団
                ロンドン・ブラス
                BBC合唱団
                BBCウェールズ合唱団

               (2012.7.31 @ロイヤル・アルバート・ホール)


イェーーイ、とんでもなく、すんばらしい盛り上がりのエンディングに、ロンドンっ子たちは奇声を発し、興奮の坩堝ですよsign03

大合唱と独唱をともなったウォルトンの大歴史絵巻の、壮大で輝かしい幕切れでのこと。

バビロニアによるユダヤ民族捕囚の頃、ネブガドネザルの息子ペルシャザールは、ユダヤ国から奪ってきた財宝に囲まれ、その酒器でもって酒池肉林の大宴会。
ところが虚空に指があらわれ謎の文字が・・・・。
ダニエルというユダヤ人が、それを解読し、王の治世の終わりと国の分割と、読み説き、ペルシャザールは死んでしまう・・・・という、旧約の物語。

驕れるものは久しからず・・・・、旧約時代より伝わる提言でございます。

このあらましを、ウォルトンはダイナミックな音楽でもって劇的なカンタータ風にしたてました。
40分あまり、対訳があればなお楽しく聴けますが、最後の歓喜の爆発は、CDで聴いても大興奮だし、コンサートだったらむちゃくちゃ盛り上がります。

尾高さんの緻密な指揮による、着実な積み上げとその爆発は、RAHの聴衆を釘付けにしてしまったようです!
このところ、尾高さんは、この曲に集中していて、秋にも日本で指揮します。

あと、私が注目してたアイアランドの20分を超える独唱と合唱の作品。
この曲大好きなんです。
ヒコックスのCDで何度も聴いて、そのたびに深い感動を味わってました。
それを尾高さんが指揮してくれちゃうなんて。
おそらく初のレパートリーじゃないでしょうか。
第一次大戦もからんだ時期の祖国への愛も歌いこまれた高揚感と、抒情性にあふれた名品。かっこいい前半と、バリトンソロのヒロイックな歌、その後静かな部分を経て、合唱を加えて再び盛り上がる後半での大感動。
静かに消え入るような末尾も素敵なものです。
無二のヒコックス盤より、少しテンポを上げて淡々とすすめるこの尾高演奏、いいじゃないですか!
ただ、ニュージーランド出身のレマルの歌は、わたしには受け入れがたい声の揺れ方でありましたこと申し添えます。

RVWの静謐なタリスに、バルビローリ以上に、ゆっくりと情を込めて優しく進められたディーリアスの村のロミオとジュリエット。
尾高さんは、きっと、日本のことを思って、万感を込めて慈しむように指揮したのではないでしょうか。
あまりにもデリケートで美しいディーリアスです。

英国音楽の伝統を受け継ぐ指揮者がこんな近くにいたことを痛感し、感謝したくなるプロムスでした。
尾高さん、今回で1988年以来、30回目のプロムス登場でした。

Tokyotower_20120802_b

タワーを写し込んだ今宵の建物。

「アイアランド」 ヒコックス盤

「ウォルトン ペルシャザール」 プレヴィン盤
                

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