カテゴリー「マリナー」の記事

2023年6月17日 (土)

モーツァルト ハフナー・セレナード マリナー指揮

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紫陽花は、日本固有の品種だけれども、それはガクアジサイやヤマアジサイのようで、多くある品種は、改良されて再び日本にやってきた改良品種らしい。

ともかく、日本の梅雨を彩る美しい姿です。

小田原城にはたくさんの紫陽花が咲いてましたよ。

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 モーツァルト セレナード第7番 ニ長調 「ハフナー」 K.250

       Vn:アイオナ・ブラウン

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

          (1984.11 @セント・ジョーンズ教会、ロンドン)

13曲あるモーツァルトのセレナードのうちで、もっとも大規模な作品がハフナーセレナード。
旅にあけくれたモーツァルトがザルツブルクに長く滞在した時期、金持ち貴族のハフナー家の令嬢の結婚祝いの宴席での演奏用に書かれたもの。
当時のお金持ちの富豪や貴族たちの贅沢な嗜みだったわけで、よくいわれる、機会音楽というもの。
ホホほ、とか扇で口元を覆いながら談笑する金持ちたちが、こうした音楽に耳を傾けながら、お酒飲んだり、いいもの食ったりしてたわけで、モーツァルトの音楽がこんな風に聴かれていたと思うと、極めて贅沢なものだ。
連続して演奏されたわけでもなく、楽章は合間を置きつつ演奏されたのだともいう。
いまの現代人は、演奏会で、真剣にこうした曲を聴くわけで、機会音楽でもなんでもなく、じっと構えて受けとめるわけです。

でも、わたくしは、今回、うまいツマミを食しつつ、ビール飲んだり、ハイボールやったり、とっかえひっかえしながら、このセレナードを楽しみましよ。
セレナードといいながら、堂々たるソナタ形式やロンド形式、ギャラントなメヌエット、短調の憂いをもった場面、ヴァイオリン協奏曲的なもの、たくさんの聴きどころが詰まったバラエティ作品なのだ。
だから、こんな風にくだけた雰囲気で聴くのも楽しく、かつ真剣に聴くのもよしで、やっぱりモーツァルトの音楽はシンプルながらも懐が深いなと思った次第だ。

マリナーとアカデミーのさわやか演奏ぶりが、こうした作品では屈託なさも加わって、自然と愉悦感が漂っている。
規律正しさと高貴な微笑み、ブリテッシュ・モーツァルトの典型かと。
フィリップスの録音も演奏にそった理想的なもの。
夜に嗜み、朝に聴いたハフナーセレナード。
今朝は快晴で気持ちがイイ!

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2023年3月18日 (土)

ヴィヴァルディ 四季 マリナー指揮

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12月に開花し、まだ健在の吾妻山の菜の花。

2月終わりごろですが、そろそろ終了。

そして今年は本格的な春が、すごく早くやってきました。

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家の近くの公園では河津桜が3月初めに満開となり、いまはもう葉桜に。

色の濃い桜が早く咲き、白や淡い色調の桜はそのあと。
でも、もうちらほら咲きだしていて、ソメイヨシノ、山桜の満開ももうすぐ。

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  ヴィヴァルデイ  「四季」

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 

 アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

        (1969 @ロンドン)

わたしのような世代の聴き手には懐かしいこのジャケット。

1971年に当時のロンドンレコードから発売された「マリナーの四季」。
大ベストセラーとなりました。
申すまでもなく、当時の四季は、イムジチの独占状態で、その後にイタリア合奏団、ミュンヒンガー、オーリアコンブ、パイヤールと続き、併せて室内管弦楽団のブームが起きました。
覚えてますよ、1970年の万博でも、その室内管弦楽団がいくつも来演しました。

そのあと、直後に登場したのが、マリナー&アカデミー。
これまでの演奏と一線を画した、時代考証と楽譜の綿密な見直しを経た学術的な探求を経て、当時生まれて初めて音にされたような斬新な音楽造りでありました。
サーストン・ダートやホグウッドもその学術チームの一角にあって、マリナーが創設したアカデミー室内管の清新な演奏でもって、当時の聴き手にとっては斬新きわまりない「四季」が生まれた。
当時の自分に遡ってコメントしてる自分ですが、それがいまや、ピリオドによる古楽奏法がバロック以前の作曲家では一般化して定着してしまったいま、マリナー&アカデミーの四季は、一時代前の存在に押し戻してしまった感があります。

当時のレコ芸の付録での宇野先生の評価「奇想天外と思えるほど自由自在にスコアを取り扱い、かつて耳にしたこともないような豊かな表情を生み出した。装飾音、エコー、ロマン的な強弱法、音色の変化、オルガンの使用などがそれだが、根底に近代的な爽やかなセンスを持つので、濃厚な演出が誇張やあくどさを伴わず、かくも個性的な名演となったのである。」1975年

以前の記事での自分のコメント、「多弁なチェンバロに、驚きのオルガン使用、鮮やかな歌いまわしと極端なダイナミズム。
いや、これはこれで、いま聴いても、極めて音楽的だし、マリナーらしい清々しい爽やかさと気品がってとても気持ちがよろしい。
まだまだ鮮度を保ってる、マリナー&アカデミーの四季であります。」

温厚で緩やかな従来演奏と、その後の大指揮者たちのゴージャスな演奏と中堅・若手による俊敏で音楽的な演奏、それらの狭間にあって多彩な表現で清冽な「四季」を聴かせてくれたのがマリナー&アカデミーだと思う。

くり返しますが、いまや現代の楽器でも四季をやるときは、ピリオド奏法を意識せざるを得ない時代になり、古楽器オケでベルリオーズまで演奏できる時代となりました。
前の記事でも書きましたが、いま活躍する指揮者たちは、四季を録音しなくなりました。
やりそうなラトルでさえ振らないし、ネルソンスがやるとは思えない。

2007年にマリナーはN響に来て四季を演奏してくれました。
モーツァルトの41番の2曲のコンサート、聴きに行きましたが、レコードの演奏と同じ。
オルガンを使いつつ、まろやかでかつ爽快な演奏でした。
思えば、晩年のマリナーを何回か聴けて、いまではよき思い出です。

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国内盤の初出ジャケットで使用された絵画は、マックス・エルンスト(1891~1976)の作品。
日本だけのものだったのかもしれない。
インパクトあふれる絵で、爽やかアカデミーとはちょっと違うイメージだけど、シュールレアリスムのこの作風は、不気味だけれども、いろんな季節を織り込んでいるようにも感じる。
当時のマリナー&アカデミーの四季が与えたインパクトは、こんなジャケットにしてしまいたくなるほどに大きかったのかもしれない。
いまではジャケットは穏健なイギリス絵画になってます。

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桜の開花の早い今年、雨模様も予報され、桜好き、お花見好きのわれわれ日本人は焦燥にも似た不安と焦りを覚えている。

アバドが晩年にモーツァルト管あたりで、四季を取り上げてくれていればよかったな・・・と思います。

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2022年11月13日 (日)

ホルスト 「惑星」 マリナー指揮

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ある日の西の空の三日月。

実家に移動して来て、窓の外は毎日空が見渡せます。

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徒歩7分の海に出れば相模湾で、シーズンオフには人っ子ひとりいない静かな海を独占できる。

移転して1年も経たないうちに、都会の空は遠い存在となってしまった。

コンサートなんておっくうで、帰りのことを考えると嫌になっちゃう。

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     ホルスト 「惑星」

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

      (1977. 6.22~24  @コンセルトヘボウ)

懐かしい1枚を。

みんな物故してしまった私の好きな指揮者4人衆のひとり、マリナー卿。
92歳、現役真っ最中で亡くなって、もう6年。
ただでさえ膨大な数のマリナーのレコーディング、まだまだ聴いていない録音もたくさんありますし、愛聴盤でも当ブログで取り上げていない録音もいくつもあります。
聴いていない代表は、ハイドンのネイムズシンフォニーとモーツァルトの交響曲、セレナーデ集など。
あと、愛聴盤の代表が、この「惑星」でした。

大学時代に発売されて聴きたくてしょうがなかったけれど、学生時代ギリギリに、なんとエルガーのエニグマと2枚組で限定発売された。
それこそ、飛びつくように大学の生協で購入し、評判だったその録音の良さに、若き自分は狂喜乱舞した。

ハイティンクですっかり馴染んでいたコンセルトヘボウのオーケストラの音色と、コンセルトヘボウのホールの響きが、フィリップスの超優秀な録音でもって、しかも大好きな「惑星」が月夜が窓から見渡せる部屋の自分の安い装置から、素晴らしい音で鳴り響いたのでありました。

いつも書いていることですが、アナログ時代最盛期の70年代後半のフィリップス録音はすべてが素晴らしいと思う。
コンセルトヘボウ、ボストン、ロンドン、ロッテルダム、スイス、いずれの録音会場でもクオリティの高い録音がなされていた時期。

レコード発売時のレコ芸の若林駿介さんの録音評をいまでも覚えてます。
打楽器の音が強すぎるが残響が豊かで音に艶がある・・・的な内容だったと記憶します。
CD化されたこのアナログ録音ですが、まさにそうで、加えて刺激的な強音を感じさせないで、オケの音のダイナミックな強さを体感させてくれる、いまでも素晴らしい録音だと思います。

マリナーの指揮、相変わらず丁寧で不器用なまでに指揮棒を振り分けているのがわかる丁寧な指揮。
作品が実によく書けているから、フルオーケストラ演目を指揮し始めたころのマリナーの素っ気なさもかえって新鮮に感じるし、むしろ演出過多の演奏よりずっと客観的な惑星っぽい。
イギリスのオケでも聴いてみたかったけど、ここでのコンセルトヘボとの驚きの組み合わせは成功としかいいようがないです。
分厚い響きに暖かな音色は、当時、金管に木管に名手ぞろいの奏者たちの巧みな演奏も加わり、誠に心地よく素晴らしいものです。

マリナーの「惑星」は1976年に東京フィルに来演したおりに、NHKFMで放送され体験済みでした。
日本のオケに初登場の50代になったばかりのマリナーさん。
この当時は、マリナーといえばアカデミーという具合に自身が創設した室内オーケストラでの活動をメインにしつつ、ロンドンのフルオーケストラなどへの客演を初めていた時期で、東フィルもいいところに目を付けたなと思ったものです。
 その後のマリナーのフルオーケストラへの進出と躍進ぶりは、もうここに記すまでもないでしょうあ。
いま思えば、ベルリンフィルとウィーンフィルからは呼ばれなかった(はず)。
これもまたマリナーたるゆえん。

マリアーの清涼感あふれる上品で美しい「惑星」。
秋の日に、懐かしい思いとともに聴きました。

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失敗した皆既月食の写真。

Planets

おまけ

「惑星」ジャケット選手権

わたくしの偏見でもって選んだ惑星のナイスなジャケット。
左上から時計回りに、①プレヴィンLSO、②メータLAPO、③ショルティLPO、④バーンスタインNYPO、⑤マリナーACO、⑥ハイティンクLPO、⑦小沢BSO、⑧ノリントンSRSO、⑨プレヴィンRPO、⑩ラトルPO

レコードだと大判なので、音楽を聴くとき、スピーカーのうえに立てて聴くと、雰囲気もとてもあがりました。

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2020年9月20日 (日)

プロコフィエフ 交響曲第1番、第2番

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浜松町のJRと並行する橋からパシャリ。

左手の茶色いビルは歴史ある貿易センタービルで、モノレール駅も直結していて国内の空の窓口的な存在でもありました。
これが、来年あたりから解体が始まります。

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右手の工事中のビルが、貿易センタービルの後ろにあたる場所に建設中の貿易センタービル南館。

早くもこうして駅通路とつながってました。

コロナでも、都心部は着々といろんな建設が止まることなく進行してまして、たまに行くとびっくりすることがあります。
新橋駅の駅ナカとか、有楽町のガード下の進化とか、たくさん。
でも、東京ばかり。
コロナで、一極集中は徐々に収まっていくのではないかと思ってますが・・・・

さて、コロナで自分のなかで目覚めた「プロコフィエフ」。
なんで今さら感もありますが、親しいようで、どこか遠かったプロコフィエフの音楽。
作風のいろんな変遷があり、ロシア革命とソ連の体制の影響を受けざるをえなかった点で、ショスタコーヴィチと同じ。
でもシンフォニストとしては、明らかにショスタコーヴィチの方がポスト・マーラー的な存在として大きな存在。
しかし、交響曲以外のプロコフィエフのもうひとつの、いやそれ以上の存在としての劇場音楽作家としての顔。
それを知りえたのがコロナ禍のオペラストリーミング大会。
8作あるオペラだけでも、その半分を観劇できまし、バレエも同様。
ドラマの仕立ても面白さもさることながら、感覚的に訴えてくるその音楽が抒情と力強さにあふれていることも再認識。

交響曲シリーズとオペラシリーズをスタートします。

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 プロコフィエフ(1891~1953)の61年の、いまでは短いともいえる生涯は、亡命と遍歴の歴史でもあります。

①ロシア時代(1891~1918)
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 日本(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし日本の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922)
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933)
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「火の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953)
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

プロコフィエフの場合、こうした時代の変遷で、その音楽をとらえてみるのも面白いし、実にわかりやすい。
モダニストとしてならしたロシア時代、欧米やアジアの素材も取り入れつつ、さらに原色的なロシアテイストもにじませ、やはり故国への想いもにじませた亡命時代。
憧れた故国に帰ると、そこは本音と建て前の世界で生き残らなくてはならなかった。
体制に寄った音楽と皮相な音楽の壮大なマッチングはクールでさえある。

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  プロコフィエフ 古典交響曲(交響曲第1番)ニ長調 op25

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

    (1973.5 @キングスウェイホール)画像は借り物です

シンプルで、まさに古典の顔をした「古典交響曲」。
こんなお手頃で聴きやすい交響曲を聴いて、「ピーターと狼」のプロコフィエフっていいなぁ、なんて思って、次の2番の交響曲を聴くとぶったまげることとなる。
そう、第1交響曲が異質なのだ。
子供時代から作曲していたが、サンクトペテルブルク音楽院を経て、すでにモダニスト然とした作風を得ており、21歳のピアノ協奏曲第1番(1912)、22歳の協奏曲第2番(1913)は、なかなかのぶっ飛びぶりであり、そのあと荒々しい「スキタイ組曲」もある。

そして、1917年、26歳で亡命前に「古典交響曲」を作曲する。
ということで、あえて「古典」という18世紀スタイルに身を固めた交響曲を作曲したプロコフィエフは、逆にスゴイくせ者だということになります。
事実、この曲でプロコフィエフを語られるのを、作曲者は嫌ったらしい(笑)

ということで、お馴染みのこの清々しい交響曲をマリナーとアカデミーの小俣のきれあがったような気持ちいい演奏で。
このレコードがロンドンレーベルから出た時は、ビゼーの交響曲とのカップリングで、「マリナーのハ調の交響曲」という宣伝文句で発売され、ジャケットも可愛い女の子の洋画だった。なつかしー
 3楽章が、のちの「ロメオとジュリエット」の1幕、客人たちの入場で使われていて、それを聴くのも楽しいもので、なんだかんだでプロコフィエフは、この作品が好きだったんじゃないかと思う。
古典の姿をまとったモダニスト的な作風は、斬新なリズムとスピード感などに現れてます。

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  プロコフィエフ 交響曲第2番 ニ短調 op40

 小澤 征爾 指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

      (1990.1 @イエスキリスト教会、ベルリン)

第2番は1925年、34歳の作品。
亡命後、アメリカと欧州を行き来しつつ活動していたプロコフィエフは、結婚も決め、南ドイツの街に移住。
その後、パリに移住したその前後に書かれたであろう第2交響曲は、先に書いた通り、ぶっ飛びの攻撃性と実験性を持つ曲。
初めて聞いたときは、それこそビックリしたと同時に、さっぱり訳がわからなくて、つかみどころもなく、単なる実験作じゃんか・・・との印象で終わりにしていた。

このところの、プロコフィエフ熱でもって聴き直すと、これはこれでプロコフィエフの音楽の面白さが凝縮されたユニークな存在として、オペラにも通じる作品であると思うようになってきた。
そのオペラとは、「賭博者」と「火の天使」。
不協和音と、クセになる快感を呼び起こすオスティナート効果、甘い旋律の切なさとクールさ。
37分ぐらいの長さだけど、楽章はふたつ。
全編フォルテの激しい1楽章、ピアノが導入され熱狂したように弾きまくり、金管は咆哮し、弦はキュウキューと弓をこすり付けるようにしてかき鳴らす。
目まぐるしいけれど、この狂おしさが面白くて好き。
「春の祭典」の12年後。
プロコフィエフはロシア時代に、ディアギレフとも出会い、「アラとロリー」(スキタイ組曲)を1916年に作曲している。

忽然と終わる1楽章に続く、長い第2楽章は、抒情的でしなやかなメロディで開始され、どこかホッとすることとなる。
しかし、油断は禁物、スケルツォ的な野卑な部分が突然顔を出して、安住の気持ちをかき乱す。
と思ってるとまた抒情的な雰囲気が、ミステリアスな雰囲気でもって回帰し、さらにややこしい。
そう、よくよく聴くと変奏曲形式になっている。
6つの変奏を聴き分けるまでには至っていないし、よっぽど聴きこまなくてはそこまでにはなれません。
トランペットがピロピロと鳴ったり、弦と木管がキンキンしたりで、面白い場面も続出しつつ、素朴な変奏主題も鳴っている。
終わりの方は暴力的になり、ちぎっては投げの音の爆弾になりますが、突如、冒頭の抒情主題が回帰し、やれやれという風になりますが、そのままあっけなく終わってしまう。
 おいおい、もっと先ないのか~い?って気分にさせられること甚だしい(笑)

ソナタ形式のフォルテだらけの1楽章。
変奏曲形式のとりとめない2楽章。
プロコフィエフ自身が「鉄と鋼でできた作品」としたが、この交響曲っぽくない交響曲が、いずれにせよ実験的な作品であることには違いない、、、です。
 このある意味ナイスな作品が、後年、体制下の影響か、改訂の筆を入れようとしましたが、途中で終了。
それでよかったと思われます。

小澤さんの音楽の整理能力と、巧みなオーケストラコントロールは、超優秀なベルリンフィルを得て、水を得た魚のようにピッチピチの鮮烈な演奏に反映されてます。
野卑さはないけれど、このやっかいな作品をすごく聴きやすくしてくれたと思います。

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浜松町から汐留には線路沿いの遊歩道ですぐに行けます。

文化放送のビルの隙間から東京タワー。

暑さもひと段落、歩き回るのにいい季節となりました。

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2018年9月24日 (月)

ドヴォルザーク 後期3大交響曲 マリナー指揮

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あんなに暑くて、文句ばっかりいってたのに、さすがに、暑さ寒さも彼岸まであります。

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   ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 op70

          交響曲第8番 ト長調 op88

                           
  交響曲第9番「新世界より」 ホ短調 op95

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 ミネソタ管弦楽団

              (1981.2、1984.3 ミネソタ)


ネヴィル・マリナーがアメリカのミネソタ管弦楽団の首席指揮者を務めたのは、1979~創立86年で、このフィリップスのドヴォルザーク録音は、その間の蜜月時代に行われたもの。

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ミネソタ州ミネアポリスに拠点を置くミネソタ管は、1903年の創立で、ミネアポリス交響楽団としてスタートし、その歴代指揮者も大物ばかり。

オーマンディ、ミトロプーロス、ドラティ、スクロヴァチェスキー、そして、マリナー、あとは、デ・ワールト、大植英次ときて、いまは、オスモ・ヴァンスカが長期にわたってその任にあります。
オーケストラ・ビルダーとして各オーケストラを鍛え上げたドラティと、ミスターSの略称で20年間親しまれた、スクロヴァチェスキー。このふたりが、ミネソタ管の根本を作り上げた指揮者ではないかと思います。
 それ以降は、数は多くはなけれど、メジャーな指揮者とともに、いい録音がいくつも残ってますし、大植英次の名前を知らしめるようになったのもミネソタ管あってのことかもです。

現在のヴァンスカ首席の元では、経営側と楽団側とのゴタゴタを乗り越え、名コンビとして、素晴らしいシベリウスを聴かせてます。(2番しか聴いたことなけれど)
大都会だけど、大きな州のなかには、湖水も点々とするミネソタ州。
アメリカの各オーケストラにも、それぞれ味があります。

ミネアポリスは、隣りのセントポールと合わせた広域都市圏としてみると、人口335万人の大都市圏となります。
メジャーリーグでは、ミネソタ・ツインズがあって、かつて西岡(ロッテ→ツインズ→阪神)が在籍したところ。
あと、プリンスの出身地でもあります。
こんな大都市が、国内にごろごろあるところが、アメリカという大国の巨大さであります。

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ミネソタ管の本拠地、オーケストラ・ホール(左側・グーグルマップより)

ちなみに、ミネソタ管は、2017年より、日本人指揮者の藤本亜希子さんが、副指揮者として活躍していることも、嬉しいことです。

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マリナーは、のちにアカデミーとも再録音をしているが、私は、そちらは未聴です。
ラトルが初来日したフィルハーモニア管に帯同し、8番を演奏したが、その得意とする8番をまず単独で録音し、3年後に、7番と9番を録音して、一挙に後期3大交響曲を完成させたわけです。
 国内盤でも、8番が単独で出て、そのあとは、3曲がセットで出たので、意外と入手しにくかったような印象を持ってます。

CD時代になって聴いた7、9番。
なかなか素敵なジャケットで、そのデザインは、Sylvan Steenbrink というライターで、いかにもアメリカン、といった作品ばかりで、そのサイトはかなり楽しいものでした。

早めのテンポで、こだわりなく、すいすい進む7番
でも、ときに、ティンパニの強打を見せたり、終楽章でたたみ込むような迫力を見せたりと、思わぬメリハリを展開してみせる。
でも、この7番の一番好きな楽章、2楽章のブラームスがボヘミアにやってきたかのような、内声部のほのぼのとした豊かな歌が、マリナー特有のすっきり感でもって、とても爽やかに聴くことができます。

手の内に入った感のある8番は、明るく軽快に、でも、ここはもっと歌って・・・というところも、す~っと流してしまうところもあって、まさにマリナー風。
昨今、あらゆる指揮者が好んで取り上げる8番だけど、力こぶが入り過ぎてダイナミックになりすぎたり、張り切り過ぎたフォルテでうるさく鳴らしたりという演奏もあるが、マリナーには、そんな効果を狙うような様子はさらさらなく、淡々とバランス良く4つの楽章を聴かせる。
あのメロディアスな3楽章も、楚々たる雰囲気で、これはこれでいい、と思わせます。

9番「新世界」は、繰り返しも行いつつ、これまたスッキリと見通しのいい演奏。
名旋律が次々に繰り広げられるなか、以外や新鮮な内声部が聴こえてくるところがマリナーらしい。
アメリカのオーケストラならば、身に沁みつくほどに演奏し慣れたこの曲だから、穏健なマリナーの指揮に、もっとガンガンやりたいと思う楽員もいたであろう。
そんなオーケストラをうまく抑制しつつ、最後の大団円では、オーケストラを解放させるように、かなりダイナミックな終焉を築きます。
そんななかに、8番のように、楚々たるラルゴが、無垢な感じで、高い秋空に映えたりします。

マリナー卿のドヴォルザーク、秋の始まりに相応しい演奏でした。

2年前の10月2日に、マリナー卿は亡くなりました。

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2016年12月24日 (土)

フィンジ 「ディエス・ナタリス」(カンタータ「クリスマス」) マリナー

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今年のクリスマス、街の雰囲気や、わたくしも含めた人々の浮かれたような便乗さわぎは、少なめに感じます。

イルミネーションもそこそこに出現していて、例年通りですが、受け取る側が慣れてしまったのか、それとも、心情的に、そうとばかり言ってられないからなのか・・・・・。

イルミ好き、観察者としては、毎年、だいたい同じ場所を巡回しますが、今年は各処とも、こう言っちゃなんですが、年齢層高め。
あっ、自分もそうかもですが、若い人よりは、そうした方々の方が多く見受けられる気もします。
 イルミに限りませんが、どこへいっても、シニア層は、みなさん元気です。
そして若者は、静かだし、いても目立たない。

こんな風に見たり、思ったりしていること自体が、自らの視線がシニア層に近づきつつあるということなのでしょうね。
みなさん、元気で、屈託なく、感性も若い。

うまいこと、いろんな意味で、ベテランズと若い人たちの、いろんな循環が生まれるといい。

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シンプルで、森の一角を思わせるツリー。

こちらは、丸の内仲通りのあるビルのエントランスです。

けばけばしいイルミよりは、基本ツリーが好きであります。

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 フィンジ 「ディエス・ナタリス」~カンタータ「クリスマス」

     テノール:イアン・ボストリッジ

  サー・ネヴィル・マリナー指揮 

       アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ゼ・フィールズ

                     (1996.6 ロンドン)

ジェラルド・フィンジ(1901~1956)の「ディエス・ナタリス」。

生誕の日」または、「クリスマス」という邦題。

以下、以前の自己記事からの引用です。

しばらくブログを休止して、思いだしたように書いたりしてる不完全な状態を続けていると、筆は鈍るし、音楽すら久しぶりに聴いたりするものだから、言葉に結びつけるのは、ほんとに難儀なことになりました・・・
 自分の過去記事に、妙に感心してしまったり、ほうほう、そうだな、そうだったなぁ、とか、時間があれば、自らのブログを振り返ったりもしてます。

ですから、そんななかの一品、フィンジのこの曲のコピペ、お許しください。

「ディエス・ナタリス」は、1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。
そんな長きの空間を、とこしえとも思える静けさに変えてしまう不思議さ。
この音楽に感じるのは、そんな静けさです。

弦楽オーケストラとテノールのためのカンタータ。
またはソプラノによる歌唱も可とするこの曲。
もともとはバリトンによるものですから、あらゆる声域で歌える美しい曲。

器楽によるイントラーダ(序奏)に導かれた4つの歌からなる20分あまりの至福の音楽は、いつもフィンジを聴くときと同様に、思わす涙ぐんでしまう。
イエスの誕生を寿ぐのに、何故か悲しい。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


この曲で最大に素晴らしいのは、1曲目の弦楽によるイントラーダ。
最初からいきなり泣かせてくれます。
いかにもフィンジらしい美しすぎて、ほの悲しい音楽。
何度聴いても、この部分で泣けてしまう・・・・・。
1曲目のモティーフが形を変えて、全曲を覆っている。
この曲のエッセンス楽章です。

トラハーンの詩は、かなり啓示的でかつ神秘的。
その意をひも解くことは、なかなかではない。
生まれたイエスと、イエスの前に初心な自分が、その詩に歌い込まれているようで、和訳を参照しながらの視聴でも、その詩の本質には、わたしごときでは迫りえません。

全編にわたって、大きな音はありません。
静かに、静かに、語りかけてくるような音楽であり歌であります。

楚々と歌われ、静かに終わる、とりわけ美しい最終の「挨拶」。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと


生まれきたイエスと、自分をうたった心情でありましょうか。
訥々と歌う英語の歌唱が、とても身に、心に沁みます。

いつものフィンジらしい、そしてフィンジならではの内なる情熱の吐露と、悲しみを抑えたかのような抒情にあふれた名品に思います。

わたしには、詩と音楽の意味合いをもっと探究すべき自身にとっての課題の音楽ではありますが、クラリネット協奏曲やエクローグと同列にある、素晴らしいフィンジの作品。

と、5年前の自分が書いておりますが、その詩と音楽との意味合い、まったく探究じまいであります。
が、フィンジのナイーブな音楽は、ここでもともかく魅力的で、少しの憂愁と哀感が、優しさでそっと包まれているのを感じます。

マリナーの飾らない、楚々たる指揮ぶりが、フィンジの音楽を語らずして語る。
ポストリッジの神経質なまでの繊細な歌は、フィンジのナイーブな音楽を、その詩の神聖ぶりを、そしてちょっとの多感ぶりを表出している。
すてきな演奏!

国内外に、ロクなことがありませんが、静かで穏やかなクリスマスになることを祈ります。

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2016年10月22日 (土)

サー・ネヴィル・マリナーを偲んで

Marriner_asmf

 サー・ネヴィル・マリナーが、去る10月2日に亡くなったことは、もうすでにご存じのとおり。

日本でも、かなり報道されましたね。

92歳という高齢ながら、いつまでも現役を貫き、指揮台でも、椅子に座らずかくしゃくたるその指揮ぶりは、まだまだ、ずっと・・・・という思いを聴衆やオーケストラにも思わせるものでした。

事実、10月の6日には、アカデミーと、10月半ばには、カダケス管とのコンサートが予定されていたうようです。
ですから、本人にも突然、訪れた死ということになります。

しかし、その安らかなる死は、ある意味で、いかにもサー・ネヴィルらしい、ともいえますね。

マリナーを始めて聴いたのが、1973年頃、以来、フルオケを指揮するようになっても、絶対変わらない、マリナー節を愛し続けて40年以上。

アバドのときのような大きなショックはなくって、今回は、自分的には、あぁ、マリナーも・・・・、って感じの受け止めでした。

Marriner_vivaldi_1

 マリナーとの出会いは、これ。
ヴィヴァルディの四季は、イ・ムジチで親しんできた多くの人に驚きを与えました。
サーストン・ダートや、ホグウッドらの徹底した考証を経て、不純物を取り除いたかのような清涼感と切れ味を伴った、新鮮な四季となりました。

ピリオドがあたりまえとなった今でも、マリナーの四季は鮮度高く、そして、わたくしには懐かしい。

Marriner_bach Marriner_handel_1

ほどなく出たのが同じバロックの分野から、バッハの管弦楽組曲とヘンデルの水上の音楽。
どちらも、四季と同じく、より切れ味と爽快なまでの、早めのテンポでもって、感覚にも訴えてくるような鮮やかな演奏でした。
ロンドン・レコードのダブルジャケットも豪華なものでしたな。

Academy

それより録音は前かもしれなかったけど、レコード時代はFM放送から楽しんだチャイコフスキーの弦楽セレナード。
CD時代になって購入したビューティフルな演奏。

のちに再録音したチャイコフスキーは、「くるみ割り人形」とのカップリングで、爽快さに加え、節回しも味わいを増したマリナーでした。

Tchaikovsky_nutcracker_marriner

こちらは、フィリップスの録音が素晴らしく、雰囲気豊かで、ジャケットもとてもステキなものです。
マリナー&アカデミーは、チャイコフスキーの交響曲全曲も録音してしまうように、室内オケを変幻自在にフルオケにスケールアップするような広大なレパートリーに取り組むようになりました。

Rvw

「ヴォーン・ウィリアムズの爽やかな世界」という、キャッチ・コピーでもって、大いに流行ったのが1975年発売のこちら。
その名のとおり、曲も演奏も、ともかく爽やかだった。
初夏の音楽って感じだったけれど、わたくしは、「揚げひばり」がともかく好きになりましたね。

19_23

ブレンデルと組んだモーツァルト。
全曲はCD時代になって聴いたけれど、真摯であたたかなブレンデルのピアノに、寄り添うようなウォームなマリナーとアカデミー。
ともかく、あぁ、モーツァルトってなんていいんだろって、つくづく思わせる演奏。

協奏曲の指揮者として、奏者たちから愛されたマリナーでもあります。

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録音の主力をフィリップスに移したマリナーは、70年代後半から、さらにその録音の数を増やしていきます。
カラヤンか、マリナーかと言われたくらいの録音量!

そして、アカデミー以外のオーケストラとの録音も続々と。

モントゥーのもとで第2ヴァイオリンを弾いていたロンドン交響楽団とのビゼー。
これが実に素晴らしい。
たっぷりとした奥行き豊かな録音も実によくて、爽やかかつ明るいビゼーだ。
アバドとともに、大好きなアルルの女ですよ。

Marriner_enigma1 Marriner_enigma2

そしてお国もの、英国音楽もさかんに取上げてくれました。

コンセルトヘボウとのコンビで、ホルストとともに録音されたエルガーの「エニグマ」
フィリップスならではの企画でしたね。
ここでもまた録音の素晴らしさを絶賛しておきましょう。
さらにこの曲は、アカデミーとも後に再録音。
こちらの方がさっぱり感が増しているのが面白いところ。

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アカデミー以外では、ロサンゼルス室内管、ミネソタ管、そして、シュトゥットガルト放送響の指揮者をつとめたマリナー。

ブリテンの痛切な鎮魂レクイエムは、オケの機能性も活かした、充実の演奏。
初めてマリナーのライブに接したのも、じつはこの曲。
都響に客演して、ヘンデルのアリア(シュトッツマン)と、このブリテン、そして、エニグマ演奏曲というプログラムだった。
1997年だったかな・・・。
もう20年前、自分も若かった・・・・

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海外盤とまったく違うジャケットだった、英国の四季と題するこちらは、マリナーの数ある音盤のなかで、ジャケット大賞をあげたくなる一品。

ディーリアス、ブリッジ、バックスなどをおさめた、英国の四季薫る、上品かつ美麗な音楽と演奏だ。

まだまだ、マリナーの思い出を語れる音盤はとめどなくあります。

モツレク、ハイドンのネイムズ・シンフォニー、ベートーヴェンの交響曲、シューベルトに、メンデルスゾーン、そしてロッシーニ・・・・

でも最後にはこれ。。。。。

Marriner_finzi_2

フィンジ作品集。

こちらのジャケットも美しい。

息子アンドリューと共演のクラリネット協奏曲。

曲も演奏も、泣けます・・・・

サー・ネヴィル・マリナーさん、長く、その音楽を楽しませていただき、ありがとうございました。
その魂が安らかでありますように。

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2015年9月18日 (金)

バターワース 二つのイギリス田園曲 マリナー指揮

Yurigahara_a

もう、しばらく行ってない北海道。

札幌の郊外にちょっと行けば、こんな公園や風景があります。

こんな景色をながめると、かならず、わたしの脳裏には、イギリス音楽や、北欧の音楽が、滔々と流れるのです。

厳しい冬、雪に覆われると、そう、チャイコフスキーとかですね。

Yurigahara

 バターワース  「二つのイギリス田園曲」 (Two Englishidylls)

    サー・ネヴイル・マリナー指揮

           アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ


過去、2度ほど、記事にしてまして、情報の少ない作曲家につき、重複する部分もありますが。

 
ジョージ・バターワース(1885~1916)。
 ロンドンっ子ながら、幼少期に、イングランド北部ヨークシャーに移住し、学生時代は、オックスフォード大学で、法律の勉学に励みつつも、音楽の道、捨てがたく、卒業後は、作曲家・評論家として活動を始めながらも、第1次大戦に出兵し、31歳にして戦死してしまった方です。
 父親のアレクサンダーは、北西鉄道を経営する実業家で、ジョージは、恵まれた環境にあって、法学を学びつつも、知りあったヴォーン・ウィリアムズとも意気投合し、英国民謡の調査に没頭し、音楽にものめり込んでいったのでした。

作品の多くは、自己批判精神の強いバターワース自身によって破棄されてしまってます。

数えるほどしか残されなかったその作品は、いずれも、自然の息吹きと、英国独特の詩情と、民謡調の懐かしさにあふれた、シンプルな桂曲ばかりです。

歌曲集「シュロップシャーの若者」が、とりわけ有名ですが、そこそこ録音もあるのが、3つある管弦楽作品。
1910~3年にかけてのその3作。
早期に「舟歌」という作品も書きましたが、それは消失してしまっているほか、最晩年に、「オーケストラ幻想曲」を手掛けましたが、戦死により未完となってます。

ですから、いずれも10分以内の、残された3つの、優しさあふれる作品を、われわれは、いとおしむようにして聴くわけです。

「ふたつのイギリス田園曲」は、1911年の作。
英国の伝統的な民話風バラード、いわゆる古謡とでもいうのでしょうか・・・に基づいていて、ほかの作品に共通する、いとも懐かしい、ほのぼのとした音楽です。
第1曲は、どこか聴いたことのあるような旋律が、清々しく、臆面もなく、オーケストラで奏されるのが、とても可愛く、ステキです。
強弱を伴いながら、各楽器において、何度も繰り返される、その旋律と、その変形。
 第2曲は、切れ目なく、でも曲調を変えて、オーボエによって、これもまた民謡調の旋律で始まります。
ここでは、1曲目の明るさに比べ、切なさといいますか、どこか寂しい秋の田園風景を思い起こさせます。
クラリネットや、ソロヴァイオリンも、かなり切ないです。
その後ろ髪引かれるムードのまま、静かに曲を閉じてしまいます。

なんか寂しい、でも、優しさにあふれたバターワースの音楽。
サー・ネヴィルは、3つの作品を、ともに、アカデミーの透明感あふれるサウンドでもって聴かせてくれます。

以前にも書きましたが、カルロス・クライバーが、何故か、この曲を気に入っていて、演奏会でよく取り上げていました。
わたくしは、まだ未聴ですが、シカゴに来演したおりのライブもあるそうですよ。
きっと、生き生きと、若々しい演奏なのでしょうね。

台風による大雨被害、地震、噴火、はるか南の大地震・・・・、防災月間の9月をいやというほど実感させてくれてますが、これ以上、なにごともなきこと、祈ります。
そして、日本の政治も揺れてます。

日々、落ち着きません。

静かに、音楽に浸りたいものですが・・・・・。

過去記事

 
 「シュロップシャーの若者 マリナー」

 「青柳の堤 デル・マー」

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2015年9月10日 (木)

ヴォーン・ウィリアムズ グリーンスリーヴスによる幻想曲 マリナー指揮

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青空が見たい。

お天道さまを仰ぎたい。

もうやだ、雨。

Minegishiyama_2

  ヴォーン・ウィリアムズ  グリーンスリーヴスによる幻想曲

    サー・ネヴィル・マリナー指揮

         アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

               (1972 @ロンドン、キングスウェイホール
                1986.4 @ロンドン)


なにかと気ぜわしく、音楽をゆとりを持って聴く時間もない今日この頃。

しばらくぶりの更新は、超短めで。

いくらなんでも降りすぎだろ、この雨は。

早く、すっきりした空が、拝めますように、そんな思いも込めて、今宵はRVW。

VWのオペラ、「恋するサー・ジョン」に採用した、「グリーンスリーヴズ」の哀愁の旋律。
原作が、いわゆるシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」で、作者は、この旋律についてもそこで触れているといいます。

この素敵なオペラ、ヒコックスの指揮で、聴いてますので、いつか記事にしたいと思ってます。

誰しもがイメージする、この曲のエヴァーグリーン的な要素。

それを、すっきり、さわやかに演奏したのが、サー・マリナーです。

中学生のときに、ロンドンレコードから出た新譜のサブタイトルが、「ヴォーン・ウィリアムズのさわやかな世界」・・・・、だったと記憶します。
後年、レコードとして購入し、まさにその文字通りの曲目と演奏に、ほんのひと時的な聴き方で、愛着したものでした。

後年、フィリップスに、ノスタルジックサウンドとして再録音しましたが、30秒ほど演奏時間も伸びて、少し恰幅がよくなりましたが、あの少しそっけないくらいの、爽快マリナーは健在でした。

でも、自分的には、フィリップスの録音もいいのですが、デッカのこの曲にステキなまでにマッチングした録音がプラスに働いた旧盤を愛するところです。

 早く、晴れますように・・・・・

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2014年10月30日 (木)

メンデルスゾーン 「美しいメルジーネの物語」 マリナー指揮

Asakusa_kaminari

ある日の浅草、雷門。

こっちは、土曜で、さんざん飲んで、いい気分。

花嫁さんが、この下で記念撮影してましたよ。

いい感じですね。

お幸せに~

Mendelssohn_marriner

  メンデルゾーン 序曲「美しいメルジーネの物語」

   サー・ネヴィル・マリナー指揮

         アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

                       (1994.10.17~19@ロンドン)


爽やかマリナー&アカデミーの、爽やかメンデルスゾーン。

これは、もう、鉄板ですな。

交響曲のスコッチとイタリア、真夏の夜の夢、エリア、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲などの録音とともに、今宵の序曲集も、このコンビの名に恥じない、すっきり爽快、さわやかさんなのです。

序曲という、交響詩の生まれるまえの、劇的かつタイトル音楽に、たくさん作品を残したのは、ベートーヴェンとメンデルスゾーンでありましょう。
 ことに、メンデルスゾーンは、そもそも最初は序曲だけだった「真夏の夜の夢」もその代表作に、有名な「フィンガルの洞窟」など、そこそこの作品を残してます。

オラトリオもオペラも手掛けたメンデルスゾーンは、短命にも関わらず、ほんとうにその作品数も多いし、作品のほとんどが、明るく幸福な歌にあふれてますね。
 深刻な作品も、この序曲たちにはなくはないですが、今宵の「メルジーネ」は、ファンタジーとラブロマンスに満ちた、幸せな音楽です。

オーストリアの劇作家、フランツ・グリルパルツァー(1791~1872、長命!)の台本に基づいた作品で、ベートーヴェンによるオペラ化を期待して書かれたものの、断られ、異なる作曲家の手でオペラ化された。

これを聴いたメンデルスゾーンが、もっと強い思いと共感を寄せて書いたのが、この序曲です。

人魚メルジーネは、人間界にあらわれ、騎士とすぐさま恋におちいり、その妻となります。
二人は、妻のその素状を問わないということを前提に、10人の子供たちを誕生させ、育てます。
しかし、騎士は、その禁をやぶってしまい、幸せな生活は終わりを告げざるをえなくなり、メルジーネは、もといた世界に戻ってゆく・・・・。

鶴の恩返しか、ローエングリンか・・・、そんなロマンティックな物語につけたメンデルスゾーンの美しくも、ちょっと儚い音楽が、短い中にも、デリケートな感情でもって、聴くわたしたちに迫ってきます。

マリナーの楚々たる演奏が、至極、相応しく聴こえます。

同様に、アバドもかつてロンドンのオケで、流麗爽快な演奏を残しております。

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