カテゴリー「メータ」の記事

2015年8月21日 (金)

ストラヴィンスキー 「ペトルーシュカ」 ニューヨーク・フィル

Chiba_mono

千葉都市モノレール、千葉駅へ到着するところ。

懸垂式なので、一瞬、びっくりしますが、乗り心地は、いたってよろしいですよ。

ただ、街中に、大きな柱がいたるころに立っていて、景観的にはちょっとのところがありますが。

最近は、いろんなラッピングが行われたり、アニメとのコラボレーションや、車内ライブなんかもあったりしますから、面白いです。

千葉駅は、JR駅がただいま長期建て替え中で、ずっと工事しているイメージなのですが、7階建ての駅ビルが2018年には完成して、このモノレール駅とも通路でつながるそうな。

Petroucka

  ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」

    レナード・バーンスタイン指揮  (1969.5 @フィルハーモニックホール)

    ピエール・ブーレーズ指揮    (1971.5 @フィルハーモニックホール)

    ズビン・メータ指揮     (1979.5 @エイヴァリー・フィッシャーホール)

            ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団


お盆も終わり、甲子園も終了し(東海大相模、万歳!)、夏の威力は、徐々に弱まっている今日この頃。

晩夏には、「ペトルーシュカ」がお似合い。

華麗でありながら、かなり寂しく、ペーソスにもあふれた、人形と人間の世界の綾なすバレエ音楽。
1910~1年の作。
ディアギレフが、その完成を心待ちにしたハルサイと、同時進行しながらも、そのディアギレフが、作曲途上のペトーシュカに惚れこみ、その想いの後押しもあって、一気に完成させたのが、ペトルーシュカ。

「恋をしたわら人形(ピノキオ)は豊かな感情をもって、自らの悲哀を最後は亡霊となって人々の前に現れる。

いじめられっ子が、最後は霊や憎しみの返礼として復元し復讐する。
いまや、チープなオカルト映画みたいだけれど、わたしのような世代には、そんな恐ろしい映画やドラマが流行ったものだ。

ペトルーシュカは、サーカスという、これまた哀感あふれるシテュエーションの中に生きた悲しみの存在。
そのシテュエーションは、外部からは華やかな世界だけれど、内部は悲喜こもごも、嫉妬や差別の横行する辛い世界。
ペトルーシュカは、人間社会への警鐘でもありましょう。

最後、ペトルーシュカは、霊となって怒りもあらわに登場。」

 以上、「」は、過去記事から引用。

ニューヨークフィルの歴代指揮者が「ペトルーシュカ」だけは、揃って、同団で録音してます。
思えば、ブーレーズには、NYPOでも、ハルサイを録音して欲しかったな。

バーンスタインは、実に活きがよくって、ハツラツとした表情が、いかにも、おなじみのレニーっぽい。
後年のイスラエルフィルとの再録は、悠揚迫らぬ雰囲気もありつつ、でも元気ある演奏だったけれど、NYPO盤は、表情が明るく新鮮な思いを聴き手に与えます。
コンサートスタイルで、かつ劇的。
これで、踊るのはたいへんかも。

ブーレーズは、ほかの2盤が1947年版なのに対し、初演版の4管編成の1911年版。
録音のせいもあるけど、響きが豊かで、壮麗極まりなし。
テンポ設定は、早めで、キビキビと進行しつつ、切れ味も抜群。
冷徹でありつつ、音は熱い。
バーンスタイン盤より、録音がキンキンして聴こえるのは、古いCDのせいか。
CBS録音の、クリーヴランドとのハルサイとともに、最新の復刻盤はどうなんだろうか。
版のこともありけど、小太鼓が繊細で、音色を感じさせるのがブーレーズならではのこだわり。

 1975年、バーンスタインとブーレーズのふたりに率いられて、ニューヨークフィルが来日しましたが、当時、高校生だったワタクシ。
翌日が、試験だったのに、文化会館で、ブーレーズの演奏会を聴きました。
試験は、見事に、赤点だったのですが、斜め横に、バーンスタインも隣席し、指揮棒を持たないブーレーズの颯爽とした指揮と、オーケストラの精度の高さに驚きました。

 このときのプログラムがまた面白くて、マイスタージンガー、イタリア、キルクナーの曲、ペトルーシュカの4曲。

Nypo_2

このときは、ふたりで、ストラヴィンスキーの三大バレエを演奏してるんです。

ブーレーズのイタリアやベト2、バーンスタインのマーラー5番にエロイカですよ!!

高校生だったわたくし、もう、興奮しまくりでしたよ。
いま思えば、さらなる赤点覚悟で、この4演目、すべて聴いておくべきでした。

メータのCBSデジタル録音は、そのジャケットもふくめ、ハルサイに次いで、評判を呼んだものでした。
いま聴き返すと、先代の2人の個性と雄弁さに比べると、ちょっと常識的。
普通に素晴らしい演奏なんだけど、この曲に必須のリズム感とか躍動感が弱めかな。
デジタル初期の硬さも、録音面からも影響してるみたいで、CBSじゃなくて、デッカの絢爛ゴージャスな録音だったら、もっとグラマラスなペトルーシュカになっていたんじゃないかしら。
メータにしては、スリムにすぎるかも。
60年代のロスフィルとの旧盤の方が活力がみなぎってます。

※ペトルーシュカの大いなる聴きどころは、第4部、すべてが集約されて、血沸き肉躍るような冒頭の再現部が、フルオケで出現するところ。
そこと、最後の、哀しい結末との対比の落差。

 今回、NYPO3種で聴いてみて、そのあたりの一気呵成の盛りあげのうまさと、クールなまでの緻密さで、ブーレーズに軍配を差し上げましょう。
バーンスタインもメータも最高に素敵ですが、わたくしには、実演の遠い思い出が、決め手となってます。

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2015年7月22日 (水)

ストラヴィンスキー 「春の祭典」 メータ指揮

Yasukuni_1

またしても靖国神社の御霊祭ネタで恐縮です。

青森ねぶたを始めとする、提灯系の艶やかかつ、原初的な各地の祭りの飾りがいくつか展示されてました。

青森や弘前のねぶた(ねぷた)は、本格シーズンでは観たことありませんが、祭り前の展示物は、何度か拝見しました。
 ともかく大きく、細工も精巧で、ねぶた、いや、そもそも年に一度の祭りにかける人々の情熱を強く感じました。
そして、ねぶたの印象的なところは、これまた原初的な、そして、日本人の心に潜むリズム感を刺激する、そのお囃子。

心と体にビンビンきますね!

Mehta_lapo_stravinsky_2

そして、どうしようもなく暑い、暑いから、「春の祭典」だsign03

  ストラヴィンスキー  バレエ音楽「春の祭典」

     ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団

                    (1969.8 @ロイスホール、LA)


わたくしの、初ハルサイが、このメータ&ロスフィルの名盤。

1971年に発売され、その年のレコードアカデミー賞管弦楽部門に、選ばれました。

中学生のわたくしは、即座に、このレコードを買い求め、その演奏もさることながら、この「春の祭典」という、当時、超モダンで、激しくダイナミックな、ゲンダイオンガクに、心の底から魅せられ、学校から帰ると連日、聴きまくったものでした。

スピーカーの配置を、いろいろ試しつつ、このデッカ特有の目にも耳にも鮮やかな分離のよい、芯のある録音の良さを楽しみましたが、以前にも書きましたが、あるとき、ためしに、勉強机と一体化した本箱の上に、そのスピーカーを置いて聴いてみたときのこと。
 あまりの重低音と、鳴りのよさに、安くて軽量なスピーカーが暴れだし、本箱の上から、机の上に見事に落下。
あやうく、頭部への一撃は免れましたが、机には、大きな傷を残すこととなりました。

どっかの評論家先生じゃありませんが、メータのハルサイは、命がけなのであります(笑)

この思いで満載の、メータ・ロスフィルのハルサイをCDで買い直したのは、そんなに昔のことではありません。
 この演奏以降に、とくに、70年代は、個性的かつビューティな「ハルサイ」が、たくさん出現したものだから、それらのCD化盤をともかく先に買い直したり、初聴きしたりで、何故かメータの原初盤は、後回しになっていたのです。
 メータのハルサイは、ほかにもいくつもあるもので、そちらの音盤を持っていたから、後回しになっていたということもあります。

 わたくしの、「ハルサイ」ナンバーワンは、申すまでもなく、アバド盤です。

あの軽やかで、スマートなハルサイは、まるでロッシーニのように軽快かつ、スピーディなものです。
 そして、メータ・ロスフィルのハルサイは、同じくして、スピーディで、各所にみなぎるスピード感は、もしかしたら、ハルサイ史上の中でもトップクラスかも。
でも、そこに重量感と、濃厚な味わい、完璧なまでの統率力と切れ味の豊かさ、これらが恐ろしいほどにビンビンと来て、「ハルサイ」に感じる野卑なイメージも見事に表出しているものだから、年月を経ても色あせない凄演になっているのです。

あのときのメータと、ロスフィル、そして、デッカの録音陣、三位一体にして出来上がった名演奏・名録音だと思います。

当時のアメリカは、70年代初めにかけて、大統領はニクソン、そして長引くベトナム戦争は泥沼化しつつあり、映画では、「明日に向かって撃て」や「イージー・ライダー」「真夜中のカウボーイ」の時代。
 東海岸のバーンスタインは、ニューヨークをそろそろ抜けだして、ヨーロッパへと活動の場を求める時期。
 そんな時代背景にあった、メータ&ロスフィルの黄金時代。

69年「ツァラトゥストラ」、71年「春の祭典」、72年「惑星」、74年「ヴァレーズ・アルカナ」。
毎年、このコンビは、日本のレコード・アカデミー賞を獲得しました。
グラマラスな音楽造りと、鮮やかな録音がなす、まさに、レコード芸術でした。

いずれも、豪華で、ガソリンを大量消費するパワーあふれるアメ車を乗りこなすようなゴージャスな演奏。
 いま聴けば、こんなに豊かな演奏は、ほかにありません。
ちまちました小手先だけの演奏や、解釈にこだわりすぎた干からびた演奏が多くなってしまいました。
 演奏も、録音も、豊かに、輝いていた時代のひとコマだと思います、メータ・ロスフィル。

Mehta_nypo_stravinsky

  ズビン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック(1977.8)

               ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1985.8)


メータは、ロサンゼルスを卒業後、ニューヨークへ。
CBSへ移籍後の第1段が、得意の「ハルサイ」。
テンポは、快速から、中庸に変わりましたが、その重量級かつ、ド迫力の推進力には変わりはありません。
慎重さから、一気呵成の元気さは不足しますが、NYPOという名器を手にした喜びと、でも、かつての手兵と違う、どこか遠慮がちなメータも、初めて経験したものでした。
いま、CDで聴き直すと、初めて聴いたときとは違って、力感のみが強調されて聴こえるのも、面白いものです。

ともかく、ハルサイ好きのメータ。

イスラエルフィルとも、始終演奏していて、エアチェック音源も複数ありますが、同団とのものは、結構、のびのびと、自由自在な感じです。

そして、お馴染みのウィーンフィルとも、何度も演奏してまして、ザルツブルクライブも音源化されてます。
あのウィーンフィルとは思えないくらいに、軽い感じでドライブしていて、重厚でありつつも、色気を持たせつつ、さらりと演奏してしまいました。
マゼールが、オケの首を絞める勢いで、ぎくしゃくとした妙にナイスなハルサイを残したのにくらべ、メータは、あくまで自然な感じです。

さらに、テルデックにも録音するようになったメータ&NYPOは、80年代後半(?)に、再度録音。
こちらは、残念ながら未聴です。
そして、2013年、77歳にして、オーストラリア出身の世界オーケストラメンバーと、ハルサイを録音しました。

どんだけーーー==

ブーレーズと、きっと双璧の、ハルサイ指揮者ですよ。

でも、メータさん、不思議なことに、「ペトルーシュカ」は指揮しても、「火の鳥」を絶対にやらない。インド人もびっくりの、ハルサイ・おじさんなのでした。

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2014年8月 8日 (金)

R・シュトラウス アルプス交響曲 メータ指揮

Jyouren

静岡県の伊豆。

涼しげなこの滝。

「浄蓮の滝」とよばれ、シダが生い茂る自然の宝庫でもあります。

かの、天城越えの舞台のひとつともなっていたみたい。

Amagi

何年か前に行きました。

中学のときの、熟の遠足で。
そのあと、大学生のときに友達と。
そして、家族と。

わたしの好きな場所のうちのひとつですよ。

Alpine_sym_mehta_lapo

  R・シュトラウス  アルプス交響曲

   ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団

                    (1975.5 @ロイスホール、UCLA)


夏、音楽の涼味感を味わえる曲の代表格が、こちらでしょう。

わたくしも、毎年、夏にこうして記事にしてきてますが、同じことをまた書いちゃうと、この曲がCDも演奏会でも、いまや、こんなに、ひっぱりだこになるとは思わなかった。

ベーム&ドレスデンのDGモノ録音ぐらいしかなかった60年代に、あらわれたのは、ケンペ&ロイヤルフィルのRCA盤。
その後、始まった「アルプス」競争は、いまに至るまで、とどまることがないです。

オーケストラの演奏技量の急速な向上と、録音技術の進化と、デジタル化、CD登場など、すべてが後押ししたアルペンブーム。

その一翼を明らかに担ったのが、メータ&ロスフィルのレコードでした。

ツァラ、英雄の生涯、家庭交響曲、ドンキホーテ。
ロスフィルとのメータのシュトラウスシリーズは、ついにアルペンで、聴かなくても、鮮やかで重厚なデッカ録音の目覚ましさが、ここでも炸裂。

録音のイメージが、その演奏や、演奏者を形作ってしまうことが多々ありますが、メータ&ロスフィルのコンビは、まさにデッカの録音チームが生み出した、最良の組み合わせでした。
いま聴いても、ほんとうに音がいい。
安い装置でも、高い装置でも、等しく平等に、よく鳴ってくれる音盤。
デッカ=ロンドン=メータ=ロスフィル
だいたいにおいて出来上がった鮮やかなイメージですよ。

この演奏、ほんとうにわかりやすいし、痒いところに手の届く面白さ満載。
こういう、いい意味での平易な面白さ、楽しさを労せずして展開することができたのが、メータのあの頃の手腕なのですね。
 描写的なシュトラウスの手の込んだ表現も、まるで鼻うた混じりに、次々と展開をしてみせるし、爆発的ないくつもの場面におけるフォルテも、いろんな度合いが秘められていて、巧みに登頂でのピークが築かれ、シビレルほどの感動、いや、興奮を与えてくれちゃう。

これはこれ、いいんです。

ケンペや、プレヴィン、そして同類の演奏の先端、カラヤンらの、味わい深い、アルプス登山と人生回顧には及びませんが、何度もいいますが、ともかく面白いし、かっこいいんデス。

Alpine_sym_mehta_bpo

 そのメータは、15年後の90年に、カラヤン臭がまだ残るベルリン・フィルを指揮して、この曲の再録音をやってのけました。
基本路線は変わりませんが、すみからすみまで、音がびっしり充実のベルリンフィルを前にしては、ロスフィルはさすがに分が悪くて、比較すると、音の隙間を感じることもあります。
でもですよ、やっぱり、メータはロスフィル。
輝かしく、心から、気持ちいいサウンドに酔いしれることができるのは、旧盤のLAPOですよ。
 切れ味がなんたっていいし、聴いてて、あのメータの縦横に、まさに切るような指揮ぶりが、思い浮かびます。
そのあたり、少しの粗さも含めてロスフィル盤は、若さの代償としての半面の、音楽の勢いを感じさせ、それが若さにも、大胆さにもつながっていたんです。

78歳となったメータ。

若手三羽烏とよばれた70年代、メータが筆頭を走り、次いで、オザワ、アバドだった。

メータだけが、いまもまったく変わらずの活躍ぶりで、レパートリーも普遍で、まったくブレがありません。
長老大巨匠の域と達した現在も、メータは、鮮やかさと、音選びのたくみさ、キレのよさでもって、若手となんら変わらない鮮度を保っていると思います。

登山のときの涼しげな滝と、下山とときの、切羽詰まったせわしなさの中の滝。

メータの演奏では、そんな面白さが、見事に引き立ってます。

さぁ、滝を思い浮かべ、シュトラウスの筆致のスゴサも思いつつ、「アルプス交響曲」を聴いて、クールダウンいたしましょうnote

最後に、ロサンゼルスフィルは、なんだかんだで、メータが最高っsign03

この素晴らしいオーケストラを、いまはドゥダメル君が無欲に導いていって欲しい。

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2013年6月24日 (月)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 マイスキー&メータ

Narita_ajisai

とりどりの色彩。

だんだんと変わってゆく紫陽花の色合いをおさめてみましたよ。

もっと赤いのは、濃いピンクから濃紫の色で、とても珍しかったのですがね、写真にとるとうまく色が捉えられない。

やっぱり、人間の目が一番。

今週末は、神奈川フィルの定期演奏会なので、今日はそのなかの1曲を聴いときます。

 リゲティ        「アトモスフィール」

 ドヴォルザーク   チェロ協奏曲

       チェロ:ミハル・カニュカ

 バルトーク      管弦楽のための協奏曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     2013年6月29日 土曜日 横浜みなとみらいホール

「リゲティ、ドヴォコン、オケコン」


なんだか語呂ももよろしく、ナイスな選曲は、チェコとハンガリーの東欧作曲家というキーワードで結ばれております。味がありますね。
カニュカ氏は、プラハ生まれの中堅で、数々のコンクール上位入選歴を持ち、録音もたくさんある名手ですから、本場云々はともかくとして、そんな方のチェロを間近に聴けることが大いに楽しみです。

Maiskymehta

  ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調

       チェロ:ミッシャ・マイスキー

    ズビン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                         (2002.12 @ベルリン)


濃厚な顔のお二人のジャケット。

マイスキーのチェロは、「濃い」というイメージがかつてよりあって、聴く前からもう引いてしまうところがあります。
また協奏曲をやるときは、何故かいつも濃厚系の方との共演。
1回聴いただけでもうお腹いっぱいでそれきりになったバーンスタインとのドヴォルザーク旧盤、エルガーとは遠いところにあったシノーポリとの共演。
前回聴いた、MTTとのショスタコーヴィチは曲が曲だからまったく気にならない名演。

2004年にドヴォルザーク没後100年に発売された、こちらメータとの共演盤は、即時購入して聴いてみたものの、その時聴いたかぎりで、印象はどうも薄目。
今回再び聴いても、どうもしっくりとこなくて、マイスキーであり、メータである印象が正直ないと思われた。

何故だろう?

むしろ、CD長時間収録の賜物である、カップリングのR・シュトラウス「ドン・キホーテ」の方がリアルで克明、オケも乗っていて面白い。

唯一2楽章のほのぼの感と、のびやかな歌いぶりが、チェロもオケも美しくドヴォルザーク本来の魅力を余裕を持って奏でているように感じられました。
ことにベルリンフィルの木管の艶やかさと、べらぼうなうまさが実感できるのもこの楽章でして、彼らとマイスキーの絡み合いは、さりげなく速めのテンポで進められるだけに、今風のこだわりのなさがあって、わたくしは気にいりました。

この演奏が、しっくりこない云われは、自分的には、だれもが持ってるかもしれません、ロストロポーヴィチとカラヤンの共演盤が、刷り込みにすぎて、一音一音、録音の様子や、豪華見開きジャケットの匂いや、カップリングのチャイコのロココも含めて、トータルに五感に沁み込みすぎているためなのかもしれません。
ロストロポーヴィチがしつこく、何度も、これが最後ですというくらいに演奏・録音しつくしたものだから、よけいにこのカラヤン共演盤に対する愛着と執念があるのでしょう。

Dovorak_rostro_karajan

いろいろと異論もございましょうが、やっぱこれだなsign01

ある意味味が濃すぎるバターたっぷりの肉料理なのですが、憎らしいほどに美味く(上手く)隙がなく完璧。
これで少年時代に聴き過ぎちゃったのが不幸なのか。
フルニエ&セルとか、ジャンドロン&ハイティンクあたりで知りあっておけば、いまの苦手意識はなかったかも・・・・。
罪な1枚、憎らしい1枚です。

これまで、ドヴォコンで、あの1枚を忘れさせてくれたのは、シフとプレヴィンのウィーンフィル盤です。醤油系でほどよくバタ臭い・・・・。

オーケストラもチェロと対等に活躍し、メロディアスでかつ、シンフォニックな側面も併せ持つドヴォコンですから、神奈川フィルで聴く喜びもあります。

このように、正直言って苦手なドヴォコンと、ついでに苦手なオケコンではありますが、神奈川フィルで聴けますことが楽しみなのであります。

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2012年4月 7日 (土)

マーラー 交響曲第3番 メータ指揮

Tokodai

東京工業大学の桜。

古木の桜は手入れもよくって、枝ぶりがとてもよろしい。

桜の通路の先は、本館建物で、花満開で見えませんがこちらもいい建物です。

Tokodai2

一般の方々もフリーに入れるし、入学式にサークルの新人歓誘もあって、校内はカーニバル状態で賑やかなものでしたよ。

そしてマーラー。

Mahler_sym3_mehta

 
  マーラー 交響曲第3番 ニ短調

     Ms:モーリーン・フォレスター

  ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック
               ロサンゼルス・マスターコラール
               カリフォルニア少年合唱団
                   (1978.3 @UCLAロイスホール


マーラー最長の交響曲。

交響曲界で一番長いとされていたが、いまやそれは140分を要するブライアンの交響曲第1番「ゴシック」にとって替わられた。

それでも、マーラーの3番は、全6楽章100分あまりで長いといえば長い。
でも聴き始めると、その長さが気にならなくなる。
冒頭のホルンの咆哮から始まり、最後の感動的な楽章があると思うと、そこまでの道のりは全然、苦にはならない。

2番が終了して、すぐさま取り掛かった第3交響曲も、夏の休暇を利用して、上部オーストリア、アッターゼーのシュタインバッハにて、ふた夏で書かれた。

Attersee

アッター湖は、こんな風に、夢見るように美しい。

朝は作曲、午後はお散歩、夜は読書と、指揮者としての多忙な日々から離れて過ごしたマーラーの作り出した音楽が、こんな光景とともにあることも意識しなくてはなりません。

自然讃歌のような大らかかつ、愛情に満ち溢れた第3交響曲。

朝の眩しい目ざめとともに、夏の一日が始まり、音楽が躍動してゆく。

Pfarrkirche_attersee


きっと誰もが愛してやまない、終楽章「愛がわたしに語ること」を聴きながら、こうした風景を思い浮かべてみたい。

この「愛」は、世俗的な愛ではなくって、自然への愛・人間への愛、しいては「神の愛」といったものに捉えるべき。
この交響曲を聴くと、最期には大きな何かに包まれるような感情になる。
過酷な試練や運命から逃れられない、われわれ人間。
マーラーもきっとそんな一人。
そして、ここには、マーラーの優しさがあふれ出ております。

幸福感あふれる第3交響曲。

ロスフィル時代最後の頃のメータの演奏こそ、その明るい幸せなムードの交響曲にぴったり。
カリフォルニアの陽光がたっぷり降り注いでいても、ヨーロッパ的な響きと相いれないわけではなく、音楽をあるがままに、わかりやすく明快に聴かせるメータの手腕が際立っていて、マーラーの音楽と不思議とぴったりと合っている。
メータのマーラーは、おもに1番から5番までで、6と7番はたまに、8と9、大地の歌はまったく指揮せずと、はっきりしているが、マーラーの人生観が色濃くなってくる場面を避けているかのようにも思えるがいかに。
ロスフィルのブラスセクションの素晴らしさと、弦楽のしなやかさがとりわけ素晴らしい。

弾むリズムにスピーディな展開の1楽章から、愛らしい2楽章、カッコいい3楽章、ベテラン、フォレスターのくっきりとした深みある声が味わえる4楽章。
アメリカンな風情のビムバムに続いて、終楽章では愛おしむように一音一音丁寧に語りかけてくれるメータ。そのクライマックスでは止めようもない感動が待ち受けております。

この演奏にあとないものは、ほんの少しの陰りの部分。
それは、そう、人間の存在の弱さといったようなものか・・・・。

例によって、いまのわたしのこの曲の聴きどころ。
それは100分全部と言いたいところだけど、究極にチョイスすると・・・。
1楽章は、その34分間すべてが聴きどころで、ホルンの決然とした冒頭から、最後のチョーカッチョイイ終結部まで、間然とすることなく没頭できる。
指揮もしてみたい楽章。
第2楽章は、この曲で一番地味かもしれないけれど、2番の2楽章のように、いまこの歳になって、しみじみ味わい深くなってきた。テンポの揺れ動きや明滅する各ソロ、そして微妙なポルタメントに注目。エンディングも美しく爽やか。
奇矯なモザイク細工のような3楽章は、ポストホルンのソロの牧歌的な場面とその裏返しのような軍隊ラッパ。2度目のポストホルンでは、音楽は急に神妙になり次ぎのツァラトストラを先取りする。
4楽章では、コントラルトとヴァイオリンソロの掛け合い。
5楽章から休みなく終楽章に入ってゆく間(ま)。その間を静かに埋めて行くあまりに美しい旋律。
終楽章も、そのすべてが聴きどころ。言葉は多くをいりません。
何度、この楽章で泣いたことでありましょうか・・・・・・。

 交響曲第3番 過去記事

「アバド&ウィーンフィル」

「ハイティンク&シカゴ響」

「金聖響&神奈川フィル 演奏会」

「ハイティンク&コンセルトヘボウ」

「ヤンソンス&コンセルトヘボウ 演奏会」

わたしの一番好きな演奏は、アバドとウィーンフィル。
掛け値なしに一番です!
それにハイティンク・シカゴ、ベルティーニ・ケルン、そして、このメータ盤です。

演奏会では、聖響&神奈川フィルが若々しい快演でした。
古くは、ベルティーニ&N響に、小澤&ボストンも忘れがたし・・・・。

いろんな思い出一杯の、ノスタルジーの宝庫ともいえる3番なのでした。

(アッター湖の写真は、海外の観光サイトから拝借してます~行ってみたい)

発売時のレコ芸の広告
Mahler_3_mehta

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2012年3月 5日 (月)

ベルリオーズ 幻想交響曲 メータ指揮

Hamamatsucho201203

左は東海道線、上にはモノレール、右手は山手線。

Hamamatsucho201203_a

そして新幹線。

今月は昼の浜松町なので、右も左も電車が賑やかです。

Hamamatsucho201203_b

3月のコスチュームは、春の火災予防運動に関連して消防士さんの凛々しい制服姿。

わたくし、もと油屋さんですから、この姿を見ちゃうと、ついへこへこしちまいます。

制服の威力は強いのでした。

Berlioz_symphonie_fantastique_mehta

月イチ幻想、3月のベルリオーズ 幻想交響曲は、ズビン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニック。

もうじき1年。

この前クリスマスで、お正月だったのに、もうあの3月になってしまった。

1年前の小便小僧は、まだ幻想交響曲とリンクしてなくって、記事を調べたらディーリアスの「アパラチア」でして、小便小僧君はやはり消防の消化服をカッコ良く着てました。
ちょうど1年前の3月5日→こちら。

次いで、「モッフォの蝶々夫人」「エルガーの戴冠式歌」ときて、あの11日となってしまったのでした。

2010年7月からやってます、月イチ幻想シリーズ。

まだまだやりますぜ。

デッカ時代のメータがなかなかやらなかったベルリオーズの幻想。

意外とベルリオーズには奥手だったメータは、「イタリアのハロルド」から先に録音して、ロスフィルとのゴージャス・デッカ路線では取り上げることがなく、ロス・フィル退任が決まり、ニューヨークご栄転の一発目にようやく録音することとなりました。
ニューヨークフィルは、CBSの契約下にあったので、メータ・NYPOコンビは「ハルサイ」でCBSから正式デビュー。
デッカには、置き土産のように残された唯一のニューヨーク録音となり、なんだか今では貴重な1枚みたいに思えるのです。
1979年のデジタル初期のこの録音は、デッカチームがニューヨークに乗り込んでまるでメータとの別れを惜しむかのように、いかにもデッカらしい、明々白日たる克明鮮やかサウンドを聴かせてくれちゃうのです。
一方の、メータの新天地CBSは、数多くの録音を残したに限らず、どうも響きの中に、メータの歯切れ良い個性が埋没してしまい、不惑のメータを印象付けるものばかりとなった気がする。
音源として残るだけに、レーベルの違いによる個性の変化は、受取るわれわれ聴き手にとってもすごく大きく感じます。
メータはデッカ、ショルティもデュトワもデッカです。
ハイティンクやデイヴィス、ブレンデルはフィリップス。
でもカラヤンやベーム、バーンスタインやアバド、マリナー、プレヴィンは、いろんなレーベルの顔が思い浮かぶ。
面白い印象です。

そりゃそうと、メータ&NYPOの幻想は、とっても鮮やかですよ。

ジャケットはまるきしインド人メータで、どこぞのインド・カレーのお店みたいな印象ですが、CDをトレイにセットすると、素晴らしく音楽的でキレのいい幻想が聴かれるんですよ。

1楽章からフレーズは弾力性に富み、強弱の出し入れもカッコよく、聴いていて気分よろしい。
円舞曲もハープがきらびやかで、心地よくノリのいい美的な雰囲気。
野の情景も美しいものだが、少しハリウッド的なところがご愛敬。
そして、タテヨコ、ずびずび・びしびし切りまくるメータの指揮の面目躍如たる断頭台。
スピード感もよろしく、爽快そのもの。
やたらと早くて疾走しまくる終楽章のヴァルプルギスは、後半に行くほどテンポアップして、最後は目にもとまらぬ速さとなってカッキーンとばかり終了。

新天地にかける意気込みとオケのやる気を感じる幻想。

でもちょっと違うと思うのは、指揮者もオケも録音も、他流試合みたいな探り合いが見受けられるところ。
メータはメータらしくふるまってるけれど、ロスフィルのようにはしっくりいかない。
オケも名技性を発揮してるけれど、奥歯にものが挟まった語り口。
録音も鮮やかだけど、芯を捉えていないような。

でも、捨てがたく時代のひとコマ的な「メータ&NYPOの幻想」は好きです。

メータは後年、ロンドン・フィルと再録音してますが、それはまたいずれ。
そして、わたくしは、フィレンツェ5月祭オケとの来日公演を聴いてますが、それが落ち着いた充実の幻想でした。

では、また桜咲く4月の小便小僧で。

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2012年1月 9日 (月)

マーラー 交響曲第5番 メータ指揮

Skytree_1

スカイツリーです。

錦糸町の某ビルから拝見。

これから暮れてゆく空とスカイツリーを眺めようという寸法です。

Skytree_4

錦糸町から押上って、こんな近いとは思わなかった。

Skytree_3

クリスマスや大晦日のライトアップは見れませんでしたが、こうして無地に立つ姿は近未来的で、無機質でもあり、どこか冷たくもありました。

Skytree_5

そして空は濃い紫に覆われてゆくのでした。

私的には、自分と同期の東京タワーの気品ある立ち姿に愛着を感じますが、こちらも徐々に定着してゆくのでしょうねぇ。

Mahaler_sym5_mehta

愛着といえば、こちらのマーラー演奏にも。いまや通常名曲の仲間入りした曲。

交響曲第5番嬰ハ短調

ズビン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック

1976年ロサンゼルスUCLA、ロイスホールにて録音。

初めて買ったマーラーの5番のレコードがこれ。

ツァラトストラ、ハルサイ、惑星、ヴァレーズ、シェエラザードなどに続いたメータ&ロスフィルのヒットのひとつ。
ウィーンやイスラエルとの共演が先行したメータのマーラーだが、ついにロスフィルとのコンビで実現。
10番とのカップリングでズシリと重い2枚組を、わたしは憑かれたように何度も何度も聴きました。
この曲のカッコよさをストレートに味わわせてくれ、晴れやかな終結部に向かって一直線の突入感たくましい若々しい演奏。
この演奏で、5番の面白さに開眼した。

が、しかし、その後に、レヴァイン、アバド、マゼールのレコードを次々に購入し、それらの新たなマーラーに心動いていった。
ことに、アバド&シカゴの繊細で緻密、鋼鉄のような5番は、いまもってわたしのナンバーワンとなっている。
ほかにもたくさんの、数えきれないくらいの5番を聴いてきて、CD化されたメータを改めて聴き直してみて、その若々しい、懐かしい表情にすっかりこの曲にのめり込んだ昔を思い出してしまったものだ。

2012年1月に聴く、メータ・ロスフィル・マーラー・5番は、苦渋も平坦で、それは過去のもので、優しい抒情と微笑みがあり、輝かしい今後が待ち受けているかのような思いにさせてくれたのでした。
この屈託のなさと、オケのクリアな明るさを最大限に引き出したメータの指揮は、風格ある今のメータには味わえない率直なもの。

早めのテンポで、ずばずば進めてゆくメータの指揮は、その鋭い指揮棒さばきが見えるよう。
各楽章の対比と、その構成感も全体のなかで巧みに考えられており、連綿たるアダ-ジェットから終楽章のロンドへの移り変わりと、その最後のクライマックスの鮮やかさには手放しで興奮してしまいました。
ゴージャスなティンパニの捉え方も当時のデッカの優秀録音ならでは。

いやいや、若いマーラーはこうでなくっちゃ。
あれこれ考えなくても、こうして音楽の力に乗っかっちゃうことができるんだから。

わたくしも、しょぼくれてないで、テキパキまいりましょうsign01

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2011年12月21日 (水)

チャイコフスキー 「くるみ割り人形」 メータ指揮

Shimbashi_2

サラリーマンの聖地「新橋」。

そして、そのサラリーマンの待ち合わせ場所兼テレビインタビュー場所兼街頭演説場所のSL広場。

このところ毎年こんな風にイルミしてまして、オヤジどもの心をくすぐっておるのでございます。

数日前は、ここで総理が演説しようと思ったら、金正日が死んじゃったの報でお流れ。
罵声が飛んだりして、蓮舫さんも顔面ひきつっちゃってる映像を見たりしましたね。

映像といえば、かの国の国民とか中枢系の方々の嘆き・悲しみぶりは尋常じゃない。
あそこまでいくと、悲しみを通り越してしまい、見ている方は呆れてしまうから、喜怒哀楽というのは度を超すとウソっぽくなるというものです。
もともとあちらの半島の方々は、南北ともに激しいですから、わたしなど、ラテン系と思ったりしてますがね、それでも胸かきむしり、拳で地面を叩いたり、ワオンワオンしたりするところはすごい。
わたしども、日本人には到底できません。
「喜び組」なんてのがあったけど、「泣き組」だったりして。

いずれにしても、今年相次いだ独裁者の死とその体制の崩壊。
あちらはどうなりますか、目が離せませぬ。
そして、おいしいものは食べ過ぎ注意だ。

Shimbashi_1

横からSLを。

いいよなぁ~

Mehta_tchaikovsky 

クリスマスだから「くるみ割り人形」いきます。

全曲盤はともかく、組曲版だと、通俗名曲の類となって、クラヲタ界ではあまりお呼びでなくなってしまう。
わたくしもその一人かもしれませんが、でも、なんだかんだいって「好きnote」。

「白鳥の湖」だと恥ずかしくなってしまうし、「眠りの森の美女」は退屈。
でも「くるみ割り人形」は楽しくって、メルヘンだしホンワカとしてしまいます。
白戸家の面々も思い起こしてしまいますし。

小学校の音楽の授業で初めて聴いたときも、うっとりするようなメロディの連続に、クラスの女子たちは、少女漫画の世界のお目々になっちゃった。
男子はそうでもないけど、すでにクラヲタの一歩を踏み出していたワタクシも、人知れず、両手を合わせてあごの下斜めに持っていっちゃった(わかります?このポーズ~笑)。

可愛い序曲があり、子供の好みそうな行進曲があり、各国のイメージがわく舞曲があり、最後が華やかでメルヘンチックなワルツ。
乙女たちを、とりこにしてしまう絶妙の選曲。
 そして、ハープ、チェレスタ、トライアングル、カスタネット、タンバリンなどの楽器の多用。フルートやオーボエの可愛い扱い方。
ほんと、チャイコフスキーって心憎い人。
あっちの傾向だった人とは、思いもしたくないですが・・・・・・・。

簡便には組曲でいいけれど、やはり全曲版も魅力的。
女声の入った雪のワルツや、組曲を拡大したような第2幕、そしてその最後もとても素敵で、全曲聴き終わった感動と、クララの夢が覚めたかのような儚い思いで胸がキュンとなります。(言っておきますが、わたしはオジサンです)

全曲盤は、新旧プレヴィンとヤンソンス。
組曲は、アバドとメータ、カラヤン(VPO)、マリナー、スコトフスキー。

メータイスラエルフィルの、思いのほかゆとりと落ち着きあるサウンドは、ロスフィルのときのようなゴージャス感がすこし少なめ。
でも、さすがに歌い回しがウマいもので、舞曲のイキの良さや、そのエンディングの鮮やかなキレのよさは爽快。

さすがだぜ、ズビンsign03

ヒンズー教徒と、ユダヤ教徒の演奏する「くるみ割り人形」は、カレーと種なしパンみたいな取り合わせだけど、なんだかとっても味わいがあるのでした。

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でかいぜ、くるみ割り人形sign02

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2011年6月 8日 (水)

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」 メータ指揮

Azuma_park_1

山の頂きと、見下ろす海。

毎度ご案内の吾妻山公園山頂です。

わたしが、麓にある小学校の生徒だったころは、こんな風にきれいに整備されてなくて、ただ単なる山の上で、あんまり行ってはいけない場所だった。
ただ、そこにあった神社は、由緒豊かで、お祭りもさかんで、出店も楽しかった・・・・。

いまや、JRで広域の方が乗り付けていらっしゃる名スポットとなりました!

Burckner_4_mehta_2 

「幻想」の次は、「ロマンティック」。

表題もいろいろです。

幻想を思い求めて、ロマンを追い求めて、なにが悪い?
厳しい現実にこそ、こんな音楽の数々に身を投じて気分を紛らわすのであります。

ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」。

カラヤンとベルリン・フィルのEMIのレコードの録音から入門したこの曲。
中学生のわたくし、そして、それが初ブルックナーでした。
マーラーより、ちょっと早い出会いでしたね。

ブルックナーといえば、壮麗で輝かしいイメージを先に植えつけられてしまったのも、そのカラヤン演奏のおかげ。
もっと深遠で、崇高なイメージをさらに重ね合わせるようになったのは、ベーム、ヴァント(ケルン盤)や、ハイティンクを聴くようになってから。

そして、わたしの思いでの「ロマンティック」の1枚は、メータロスアンゼルス・フィルハーモニーのデッカ録音。

デッカ=ロンドンの売れっ子指揮者として、録音効果のあがるダイナミックな音楽ばかりで勝負して、ことごとくベストセラーを築いてきたコンビの1970年の録音。
R・シュトラウスや、ハルサイ、惑星、1812年などと同じ頃の録音で、UCLAのロイスホールでの目も覚めるような素晴らしい音がしっかり捉えられてます。

ずしりとした低音。はじけるようなティンパニ。輝かしい金管に、しっとりとした木管。
そして抜けるように鮮やかな弦楽器。
メータ&ロスフィルのイメージそのもので聴くブルックナー。

こんな耳のご馳走は贅沢な限りでして、いつまでも、どこまでもこのまま浸っていたいんです。
同じ系統のロマンティックに、これまた私の好きなバレンボイム&シカゴ響のものがありますが、あちらはもっと複雑で、妙にしんねりむっつりしてますが、メータ&ロスフィルはその屈託のなさといったらありません。
そして、ここのある音楽の音色の美感たるや、とてつもない魅力なんです。
 妙に考えすぎの、せせこましい音楽よりは、何十倍も美しい音楽に感じますよ。
そんな明るさと美しさのなかに聴く第2楽章は、意外や意外、ヨーロッパの教会のある街を思わせたりするんですね、これがまた。
メータの憎いほど、うまいところだし、ウィーンフィルとフィラデルフィアの良いところを目指したといわれるロスフィルの音ゆえ、そしてデッカの録音ゆえでございますねぇ。

Burckner4

72年発売時のレコード芸術の裏表紙。
この美しいジャケットも魅力的で、レコード店で何度も手に取ってため息をついていたものです。

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男をあげた、大巨匠ズビン・メータの若き日々の演奏の数々を、いまこそ聴きましょう。
そして、廃盤の数々の復活を望む。
同じコンビのブル8なんぞ、聴いてみたいぞよ。

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2010年4月20日 (火)

チャイコフスキー 交響曲第5番 メータ指揮

Atago_1
トンネルの先は桜。
都心部でも数少ない山、そしてトンネルは、愛宕山でございます。
港区に山があり、トンネルがあるんだもの。
残された東京の不思議。
Atago_2
山の上にある愛宕神社。
急な男坂と緩やかな女坂があって、こちらは男坂。
出世坂と言われておりますよ。
おばあちゃん、大丈夫かい?
わたしも、これはきつかった。
そして出世なんぞも遥かに遠くなってしもうたわい。

Mehta_tyhaikovsky
今日は何故だか、チャイコフスキー交響曲第5番が聴きたくなって、このエントリー。
ケンタッキー・フライドチキン、吉野家の牛丼、マクドナルドのチーズバーガー、日清カップヌードルなど、何故だか無性に食べたくなる味ってあるでしょう。
みんな、メタボにゃ毒だけど、おいしい。

 それとおんなじ感覚が、チャイコの5番。
名曲だけど、運命や田園、悲愴や新世界ともちょっと違った無印系の名曲。
誰もが大好き。嫌いな人はいないと思う。
でも、B級グルメ的な存在なんだよなぁ。
だって、おいしすぎるんだもん。
 心くすぐる調味料の数々。今思えば、味の素なんて最高の隠し味だったし。
さらに、でもですよ、昨今は隠し味なしに、作品のシャープな魅力を浮き彫りにした秀演が多いのです。
 手垢にまみれてしまった有名曲に新しい解釈を施すって、決して奏法などの手法の問題だけじゃないですね。
手先じゃなく、音楽をどれだけ感じて、その感じた通りを再現できるかです。
奏法はその手段のひとつにすぎません。
作曲された譜面を作者以外は、その思いをどう再現し、いかに思い通りに近づけるしかないのですが、その作者の思いは100%他人が復元できませぬ。
だから難しいこと考えずに、感じたままを音にしている演奏のほうが、人を感動させ、説得力が強かったりするんですな。

メータの演奏を70年代から聴いてきて、この人の当時の演奏が今でも決して色あせないのは、そのゴージャスな色使いと、いまや渋さを感じるまでの楽器の使い方がずっと新鮮であること。

チャイコ5番においても、その爽快・前向きな推進力が聴く者に「かっこよさ」を印象づけるとともに、これまで聴いたことのないような意外なまでのスピーディさが清新なイメージを強く聴き手に与えてくれるんだ。
だから、音楽って、小難しいことを考えなくてもいいんだと思う。
愛する神奈川フィルも、袋小路に入り込んでしまった。
 めんどくさいことはおいといて、普通に、そう、感じたまんまを聴かせて欲しいもんだ。

メータのチャイ5には、この1977年のロサンゼルフィルとの全集録音のまえに、イスラエル・フィルを振った60年代末の録音があって、そちらの復活を私は熱望してるんだ。
この曲は、テレビで視聴した岩城・N響の70年頃の演奏がすりこみで、すぐあとにカラヤンのレコードを購入。
同時に、雑誌でみたメータのレコードがやたらと気になっていたんだ。
それから40年以上。
未聴のこの演奏、無性に聴いてみたい。

Mehta_tchaiko5

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