カテゴリー「メータ」の記事

2024年7月16日 (火)

ラヴェル ラ・ヴァルス アバド、小澤、メータ

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平塚の七夕まつり、今年は7月5日から7日までの開催で、極めて多くの人出となりました。

オオタニさんも登場。

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なんだかんでで、市内の園児たちの作品を集めた公園スペースが例年通りステキだった。

スポンサーのない、オーソドックスな純な飾りがいいんです。

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こちらはゴージャスな飾りで、まさにゴールドしてます。

ドルの価値失墜のあとは、やっぱり「金」でしょうかねぇ。

去年のこの時期にラヴェル、今年もラヴェルで、よりゴージャスに。

いまやご存命はひとりとなってしまいましたが、私がクラシック聴き始めのころの指揮者界は、若手3羽烏という言い方で注目されていた3人がいました。
メータが先頭を走り、小澤征爾が欧米を股にかけ、アバドがオペラを押さえ着実に地歩を固める・・・そんな状況の70年代初めでした。

3人の「ラ・ヴァルス」を聴いてしまおうという七夕企画。

2023年の七夕&高雅で感傷的なワルツ

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 ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団

        (1970年 @UCLA ロイスホール LA)

メータが重量系のカラフルレパートリーでヒットを連発していた頃。
ここでも、デッカのあの当時のゴージャスサウンドが楽しめ、ワタクシのような世代には懐かしくも、郷愁にも似た感情を引き起こします。
現在では、ホールでそのトーンを活かしたライブ感あふれる自然な録音が常となりましたが、この時期のデッカ、ことにアメリカでの録音は、まさにレコードサウンドです。
メータの明快な音楽造りも分離のよい録音にはぴったりで、重いけれど明るい、切れはいいけれど、緻密な計算された優美さはある。
ということで、この時期ならではのメータの巧いラヴェル。
なんだかんでで、ロスフィル時代のメータがいちばん好きだな。

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   小澤 征爾 指揮 ボストン交響楽団

     (1973.3 @ボストン・シンフォニーホール)

日本人の希望の星だった70年代からの小澤征爾。
こちらもボストンの指揮者になって早々、ベルリオーズ・シリーズでDGで大活躍。
次にきたのは、ラヴェルの作品で、この1枚を契機にラヴェルの生誕100年でオーケストラ曲全集を録音。
1枚目のボレロ、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルスは高校時代に発売された。
ともかく、小澤さんならではの、スマートでありつつしなやか、適度なスピード感と熱気。
カッコいいのひと言に尽きる演奏だといまでも思ってる。
しかし、発売時のレコ芸評は、某U氏から、うるさい、外面的などの酷評を受ける。
そんなことないよ、と若いワタクシは思ったものだし、新日フィルでのラヴェル100年で、高雅で感傷的なワルツと連続をて演奏されたコンサートを聴いたとき、まったく何言ってんだい、これこそ舞踏・ワルツの最高の姿じゃんかよ!と思ったものでした。
同じころの、ロンドン響とのザルツブルクライブもエアチェック音源で持ってますが、こちらは熱狂というプラス要素があり、最高です。

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        クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

        (1981.@ロンドン)

なんだかんだ、全曲録音をしてしまったアバドのラヴェル。
その第1弾は、展覧会の絵とのカップリングの「ラ・ヴァルス」
メータのニューヨークフィルとの「ラ・ヴァルス」の再録音も同じく「展覧会の絵」とのカップリング。
ラヴェルの方向できらびやかに演奏してみせたメータの展覧会、それとは逆に、ムソルグスキー臭のするほの暗い展覧会をみせたのがアバド。
アバドのラ・ヴァルスは、緻密さと地中海の明晰さ、一方でほの暗い混沌さもたくみに表現している。
1983年のアバドLSOの来日公演で、この曲を聴いている。
しかし、当時の日記を読み返すと、自分の関心と感動の多くは後半に演奏されたマーラーの5番に割かれていて、ラヴェルに関しては、こて調べとか、10数分楽しく聴いた、オケがめちゃウマいとか、そんな風にしか書かれておらず、なにやってんだ当時のオマエ、といまになって思った次第。
スピードと細かなところまで歌うアバドの指揮に、ロンドン響はピタリとついていて、最後はレコーディングなのにかなりの熱量と、エッチェランドで、エキサイティングなエンディングをかもし出す演奏であります。

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2年前の七夕の頃に暗殺された安倍さん、そしてあってはならないことに、アメリカでトランプ前大統領が銃撃を受けた。

世界は狂ってしまった。
しかし、その多くの要因はアメリカにあると思う。
自由と民主主義をはきかえ、失ったアメリカにはもう夢はないのか。
そうではないアメリカの復活が今年の後半に見れるだろうか。
日本もそれと同じ命運をたどっている、救いはあるのか・・・・

Tanabata

平和を!
平安と平和ファーストであって欲しい。

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2020年11月15日 (日)

コープランド 市民のためのファンファーレ メータ指揮

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 コープランド 「市民のためのファンファーレ」

   ズビン・メータ指揮 ロスアンゼルス・フィルハーモニック

                           (1977.8 @LA)

ジャケットはマゼールのガーシュインのものなので、ここでは載せません。

昨日、レインボーブリッジを徒歩で走破して、対岸のお台場の海岸を散策してきました。

幸せそうなカップルばかり、あときっと貴重なお休みを楽しむ東南アジア系の若いグループなど。

いずれもみんな笑顔。

 心を鼓舞するような決然としたファンファーレ。

公正と正義!

お台場の自由の女神が持つ銘板には、アメリカの独立とフランス革命の年がそれぞれ刻まれてます。

勝ち取った自由を堅持する誇り高い意志。

負けるなアメリカ。

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自由の女神を後ろから見ると、その先に大きなテレビ局のビルがあります。
アメリカも日本も、マスメディアはその存在意義の大きな過渡期を向かえていると思う。

しかし、メータの明快な指揮、デッカの鮮やかな録音が光る3分間だった♫

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MAGA

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2018年2月 4日 (日)

プッチーニ 「トスカ」 メータ指揮

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きれいな夕暮れが撮れました。

三田の丘のうえにある綱町三井倶楽部。

庶民には関係ない、一流の会社に所属している方が利用できるシステムとのこと。

わたくしは、外からみるだけ。

でも、100年の歴史のある洋館は、自分には、オペラのいろんなシーンを思い起こさせてくれる。

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     プッチーニ  歌劇「トスカ」

トスカ:レオンタイン・プライス  カヴァラドッシ:プラシド・ドミンゴ
スカルピア:シェリル・ミルンズ アンジェロッティ:クリフォード・グラント
堂守:ポール・プリシュカ     スポレッタ:フランシス・エガートン
シャルローネ:ジョン・ギブス   看守:ミカエル・リッポン
羊飼い:デイヴィット・パール

  ズビン・メータ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
               ジョン・オールディス合唱団

         (1972.8 ワルサムストウ・アセンブリー・ホール)


久しぶりに「トスカ」。

こんな名曲になると、逆に、めったやたらと聴かないもの。
すべての音と歌が完全に脳裏に刻み込まれてます。
大好きなプッチーニだけど、その作品のなかでも、一番聴きこんでるオペラかも。

話は変わりますが、かつて、ある地方都市で、飲んだあと、飲み屋街をふらふら歩いていたら、目に飛び込んできた「トスカ」の看板。
スナックですよ。
ほうほう、飲みながら音楽談義とか、オペラが流れてるとか、どんな歌姫に会えるんだろうか、と期待をふくらませながら入店。
いらっしゃいませ~、あ、チーン・・・でした。
しょうがないから、腰をおろしてウィスキーを飲んだけど、音楽はクラシックじゃないし、店名の由来聞いたら、オペラのことなんか知らないし・・で、さらにちーんでした。
 まあ、よくある話ではありますが。。。

さて、本日の「トスカ」は、メータの最初の録音のもの。
1973年のNHKホールこけら落としの一環のイタリアオペラ公演のテレビ放送が、わたくしの初トスカ。
もう、すぐに夢中になりましたよ。
で、レコードを購入しようという段になって、その候補のひとつにあがったのが、こちらのメータ盤。
日本盤ジャケットは、NHKホール公演のラストシーン。
撃たれたカヴァラドッシが動かないのに気付いて駆け寄るトスカの、サンタンジェロ城のシーン。鮮やかなブルーの朝の空が印象的だった。

でも、結局、レコード店で手にしたのは、カラスのプレートル盤でした。
レコ芸に、メータ盤の視聴記が出ていて、詳細は覚えていないけれど、ライターは、クレージーキャッツの桜井センリさん。
ローマで迎えた朝露が落ちる美しい光景を書かれていて、とても素敵な文章でした。
そのイメージをずっと抱えつつ、メータ盤を聴いたのはCD時代になってから。

シュトラウスやハルサイなどで、大ヒットを飛ばしていた当時のメータ。
ここでもプッチーニの見事なオーケストレーションの妙を、オーケストラから鮮やかに引き出し、ダイナミックかつ壮麗なサウンドを聴かせてくれる。
オペラティックというよりも、シンフォニックですらあるが、ずっと後年の手際のよさだけが目立つようになったメータの演奏よりも、ずっとずっとイキがよく、鮮度が高いと思う。
 オーケストラがロスフィルで、録音もデッカだったら、と思わなくもないが、まだクレンペラーのいたニュー・フィルハーモニアのクリーンな音色はとても美しく感じる。
桜井センリさんの書かれた、3幕の冒頭の夜明けのシーンと、実際にボーイソプラノを起用した場面はとても爽やかで、その後の劇的な場面との対比がとてもよろしい。

歌手では、分別くさい後年のものより、ずっとずっと熱い男、ドミンゴのカヴァラドッシが素晴らしいし、なによりも、役柄に完璧に同化してしまっているミルンズのスカルピアが素敵すぎる。
バッドガイの概念そのもののスカルピアを、美声でいやらしく歌う。
テ・デウムの壮麗さ、2幕にあるふたつのアリア、ともにわたくしを魅惑してやまないミルンズの歌声です。死に際のうめきもいけてます!

でも、この盤の少々残念なところは、ピーク時を過ぎてしまったプライスの声。
トウがたって、かえってドスが聴き過ぎた歌声は、おっかないトスカとはなっているけれど。

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70年代前半は、巨匠の時代を継ぐ次世代指揮者として、メータ、アバド、小澤が、若手三羽ガラスと呼ばれ、大いに注目を浴びたものです。
当時は、メータが頭ひとつ抜きんでていたと評価されていたように記憶します。
その後の3人の活躍ぶりは、もういうまでもないことですが、いま現在にいたるまで、エネルギッシュに活躍しているのもメータひとり。
 メータとアバドは、ウィーン修行時代のスワロフスキー教授のもとの同門で、仲良しでした。
ふたりは、ワルターやベーム、カラヤンなどの大指揮者の非公開リハーサルに、例えば合唱団として参加して忍び込んで、よくよく観察していたといいいます。
小澤さんもそうですが、若い頃の大胆な行動は、音楽をすることへの熱い思いが衝動となって現れているようで、いまの恵まれた環境にある若手指揮者の時代背景とは大違いで、いずれも伝説級のお話しになってしまいました。

若きメータの「トスカ」でした。

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2015年8月21日 (金)

ストラヴィンスキー 「ペトルーシュカ」 ニューヨーク・フィル

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千葉都市モノレール、千葉駅へ到着するところ。

懸垂式なので、一瞬、びっくりしますが、乗り心地は、いたってよろしいですよ。

ただ、街中に、大きな柱がいたるころに立っていて、景観的にはちょっとのところがありますが。

最近は、いろんなラッピングが行われたり、アニメとのコラボレーションや、車内ライブなんかもあったりしますから、面白いです。

千葉駅は、JR駅がただいま長期建て替え中で、ずっと工事しているイメージなのですが、7階建ての駅ビルが2018年には完成して、このモノレール駅とも通路でつながるそうな。

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  ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」

    レナード・バーンスタイン指揮  (1969.5 @フィルハーモニックホール)

    ピエール・ブーレーズ指揮    (1971.5 @フィルハーモニックホール)

    ズビン・メータ指揮     (1979.5 @エイヴァリー・フィッシャーホール)

            ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団


お盆も終わり、甲子園も終了し(東海大相模、万歳!)、夏の威力は、徐々に弱まっている今日この頃。

晩夏には、「ペトルーシュカ」がお似合い。

華麗でありながら、かなり寂しく、ペーソスにもあふれた、人形と人間の世界の綾なすバレエ音楽。
1910~1年の作。
ディアギレフが、その完成を心待ちにしたハルサイと、同時進行しながらも、そのディアギレフが、作曲途上のペトーシュカに惚れこみ、その想いの後押しもあって、一気に完成させたのが、ペトルーシュカ。

「恋をしたわら人形(ピノキオ)は豊かな感情をもって、自らの悲哀を最後は亡霊となって人々の前に現れる。

いじめられっ子が、最後は霊や憎しみの返礼として復元し復讐する。
いまや、チープなオカルト映画みたいだけれど、わたしのような世代には、そんな恐ろしい映画やドラマが流行ったものだ。

ペトルーシュカは、サーカスという、これまた哀感あふれるシテュエーションの中に生きた悲しみの存在。
そのシテュエーションは、外部からは華やかな世界だけれど、内部は悲喜こもごも、嫉妬や差別の横行する辛い世界。
ペトルーシュカは、人間社会への警鐘でもありましょう。

最後、ペトルーシュカは、霊となって怒りもあらわに登場。」

 以上、「」は、過去記事から引用。

ニューヨークフィルの歴代指揮者が「ペトルーシュカ」だけは、揃って、同団で録音してます。
思えば、ブーレーズには、NYPOでも、ハルサイを録音して欲しかったな。

バーンスタインは、実に活きがよくって、ハツラツとした表情が、いかにも、おなじみのレニーっぽい。
後年のイスラエルフィルとの再録は、悠揚迫らぬ雰囲気もありつつ、でも元気ある演奏だったけれど、NYPO盤は、表情が明るく新鮮な思いを聴き手に与えます。
コンサートスタイルで、かつ劇的。
これで、踊るのはたいへんかも。

ブーレーズは、ほかの2盤が1947年版なのに対し、初演版の4管編成の1911年版。
録音のせいもあるけど、響きが豊かで、壮麗極まりなし。
テンポ設定は、早めで、キビキビと進行しつつ、切れ味も抜群。
冷徹でありつつ、音は熱い。
バーンスタイン盤より、録音がキンキンして聴こえるのは、古いCDのせいか。
CBS録音の、クリーヴランドとのハルサイとともに、最新の復刻盤はどうなんだろうか。
版のこともありけど、小太鼓が繊細で、音色を感じさせるのがブーレーズならではのこだわり。

 1975年、バーンスタインとブーレーズのふたりに率いられて、ニューヨークフィルが来日しましたが、当時、高校生だったワタクシ。
翌日が、試験だったのに、文化会館で、ブーレーズの演奏会を聴きました。
試験は、見事に、赤点だったのですが、斜め横に、バーンスタインも隣席し、指揮棒を持たないブーレーズの颯爽とした指揮と、オーケストラの精度の高さに驚きました。

 このときのプログラムがまた面白くて、マイスタージンガー、イタリア、キルクナーの曲、ペトルーシュカの4曲。

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このときは、ふたりで、ストラヴィンスキーの三大バレエを演奏してるんです。

ブーレーズのイタリアやベト2、バーンスタインのマーラー5番にエロイカですよ!!

高校生だったわたくし、もう、興奮しまくりでしたよ。
いま思えば、さらなる赤点覚悟で、この4演目、すべて聴いておくべきでした。

メータのCBSデジタル録音は、そのジャケットもふくめ、ハルサイに次いで、評判を呼んだものでした。
いま聴き返すと、先代の2人の個性と雄弁さに比べると、ちょっと常識的。
普通に素晴らしい演奏なんだけど、この曲に必須のリズム感とか躍動感が弱めかな。
デジタル初期の硬さも、録音面からも影響してるみたいで、CBSじゃなくて、デッカの絢爛ゴージャスな録音だったら、もっとグラマラスなペトルーシュカになっていたんじゃないかしら。
メータにしては、スリムにすぎるかも。
60年代のロスフィルとの旧盤の方が活力がみなぎってます。

※ペトルーシュカの大いなる聴きどころは、第4部、すべてが集約されて、血沸き肉躍るような冒頭の再現部が、フルオケで出現するところ。
そこと、最後の、哀しい結末との対比の落差。

 今回、NYPO3種で聴いてみて、そのあたりの一気呵成の盛りあげのうまさと、クールなまでの緻密さで、ブーレーズに軍配を差し上げましょう。
バーンスタインもメータも最高に素敵ですが、わたくしには、実演の遠い思い出が、決め手となってます。

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2015年7月22日 (水)

ストラヴィンスキー 「春の祭典」 メータ指揮

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またしても靖国神社の御霊祭ネタで恐縮です。

青森ねぶたを始めとする、提灯系の艶やかかつ、原初的な各地の祭りの飾りがいくつか展示されてました。

青森や弘前のねぶた(ねぷた)は、本格シーズンでは観たことありませんが、祭り前の展示物は、何度か拝見しました。
 ともかく大きく、細工も精巧で、ねぶた、いや、そもそも年に一度の祭りにかける人々の情熱を強く感じました。
そして、ねぶたの印象的なところは、これまた原初的な、そして、日本人の心に潜むリズム感を刺激する、そのお囃子。

心と体にビンビンきますね!

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そして、どうしようもなく暑い、暑いから、「春の祭典」だ

  ストラヴィンスキー  バレエ音楽「春の祭典」

     ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団

                    (1969.8 @ロイスホール、LA)


わたくしの、初ハルサイが、このメータ&ロスフィルの名盤。

1971年に発売され、その年のレコードアカデミー賞管弦楽部門に、選ばれました。

中学生のわたくしは、即座に、このレコードを買い求め、その演奏もさることながら、この「春の祭典」という、当時、超モダンで、激しくダイナミックな、ゲンダイオンガクに、心の底から魅せられ、学校から帰ると連日、聴きまくったものでした。

スピーカーの配置を、いろいろ試しつつ、このデッカ特有の目にも耳にも鮮やかな分離のよい、芯のある録音の良さを楽しみましたが、以前にも書きましたが、あるとき、ためしに、勉強机と一体化した本箱の上に、そのスピーカーを置いて聴いてみたときのこと。
 あまりの重低音と、鳴りのよさに、安くて軽量なスピーカーが暴れだし、本箱の上から、机の上に見事に落下。
あやうく、頭部への一撃は免れましたが、机には、大きな傷を残すこととなりました。

どっかの評論家先生じゃありませんが、メータのハルサイは、命がけなのであります(笑)

この思いで満載の、メータ・ロスフィルのハルサイをCDで買い直したのは、そんなに昔のことではありません。
 この演奏以降に、とくに、70年代は、個性的かつビューティな「ハルサイ」が、たくさん出現したものだから、それらのCD化盤をともかく先に買い直したり、初聴きしたりで、何故かメータの原初盤は、後回しになっていたのです。
 メータのハルサイは、ほかにもいくつもあるもので、そちらの音盤を持っていたから、後回しになっていたということもあります。

 わたくしの、「ハルサイ」ナンバーワンは、申すまでもなく、アバド盤です。

あの軽やかで、スマートなハルサイは、まるでロッシーニのように軽快かつ、スピーディなものです。
 そして、メータ・ロスフィルのハルサイは、同じくして、スピーディで、各所にみなぎるスピード感は、もしかしたら、ハルサイ史上の中でもトップクラスかも。
でも、そこに重量感と、濃厚な味わい、完璧なまでの統率力と切れ味の豊かさ、これらが恐ろしいほどにビンビンと来て、「ハルサイ」に感じる野卑なイメージも見事に表出しているものだから、年月を経ても色あせない凄演になっているのです。

あのときのメータと、ロスフィル、そして、デッカの録音陣、三位一体にして出来上がった名演奏・名録音だと思います。

当時のアメリカは、70年代初めにかけて、大統領はニクソン、そして長引くベトナム戦争は泥沼化しつつあり、映画では、「明日に向かって撃て」や「イージー・ライダー」「真夜中のカウボーイ」の時代。
 東海岸のバーンスタインは、ニューヨークをそろそろ抜けだして、ヨーロッパへと活動の場を求める時期。
 そんな時代背景にあった、メータ&ロスフィルの黄金時代。

69年「ツァラトゥストラ」、71年「春の祭典」、72年「惑星」、74年「ヴァレーズ・アルカナ」。
毎年、このコンビは、日本のレコード・アカデミー賞を獲得しました。
グラマラスな音楽造りと、鮮やかな録音がなす、まさに、レコード芸術でした。

いずれも、豪華で、ガソリンを大量消費するパワーあふれるアメ車を乗りこなすようなゴージャスな演奏。
 いま聴けば、こんなに豊かな演奏は、ほかにありません。
ちまちました小手先だけの演奏や、解釈にこだわりすぎた干からびた演奏が多くなってしまいました。
 演奏も、録音も、豊かに、輝いていた時代のひとコマだと思います、メータ・ロスフィル。

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  ズビン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック(1977.8)

               ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1985.8)


メータは、ロサンゼルスを卒業後、ニューヨークへ。
CBSへ移籍後の第1段が、得意の「ハルサイ」。
テンポは、快速から、中庸に変わりましたが、その重量級かつ、ド迫力の推進力には変わりはありません。
慎重さから、一気呵成の元気さは不足しますが、NYPOという名器を手にした喜びと、でも、かつての手兵と違う、どこか遠慮がちなメータも、初めて経験したものでした。
いま、CDで聴き直すと、初めて聴いたときとは違って、力感のみが強調されて聴こえるのも、面白いものです。

ともかく、ハルサイ好きのメータ。

イスラエルフィルとも、始終演奏していて、エアチェック音源も複数ありますが、同団とのものは、結構、のびのびと、自由自在な感じです。

そして、お馴染みのウィーンフィルとも、何度も演奏してまして、ザルツブルクライブも音源化されてます。
あのウィーンフィルとは思えないくらいに、軽い感じでドライブしていて、重厚でありつつも、色気を持たせつつ、さらりと演奏してしまいました。
マゼールが、オケの首を絞める勢いで、ぎくしゃくとした妙にナイスなハルサイを残したのにくらべ、メータは、あくまで自然な感じです。

さらに、テルデックにも録音するようになったメータ&NYPOは、80年代後半(?)に、再度録音。
こちらは、残念ながら未聴です。
そして、2013年、77歳にして、オーストラリア出身の世界オーケストラメンバーと、ハルサイを録音しました。

どんだけーーー==

ブーレーズと、きっと双璧の、ハルサイ指揮者ですよ。

でも、メータさん、不思議なことに、「ペトルーシュカ」は指揮しても、「火の鳥」を絶対にやらない。インド人もびっくりの、ハルサイ・おじさんなのでした。

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2014年8月 8日 (金)

R・シュトラウス アルプス交響曲 メータ指揮

Jyouren

静岡県の伊豆。

涼しげなこの滝。

「浄蓮の滝」とよばれ、シダが生い茂る自然の宝庫でもあります。

かの、天城越えの舞台のひとつともなっていたみたい。

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何年か前に行きました。

中学のときの、熟の遠足で。
そのあと、大学生のときに友達と。
そして、家族と。

わたしの好きな場所のうちのひとつですよ。

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  R・シュトラウス  アルプス交響曲

   ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック管弦楽団

                    (1975.5 @ロイスホール、UCLA)


夏、音楽の涼味感を味わえる曲の代表格が、こちらでしょう。

わたくしも、毎年、夏にこうして記事にしてきてますが、同じことをまた書いちゃうと、この曲がCDも演奏会でも、いまや、こんなに、ひっぱりだこになるとは思わなかった。

ベーム&ドレスデンのDGモノ録音ぐらいしかなかった60年代に、あらわれたのは、ケンペ&ロイヤルフィルのRCA盤。
その後、始まった「アルプス」競争は、いまに至るまで、とどまることがないです。

オーケストラの演奏技量の急速な向上と、録音技術の進化と、デジタル化、CD登場など、すべてが後押ししたアルペンブーム。

その一翼を明らかに担ったのが、メータ&ロスフィルのレコードでした。

ツァラ、英雄の生涯、家庭交響曲、ドンキホーテ。
ロスフィルとのメータのシュトラウスシリーズは、ついにアルペンで、聴かなくても、鮮やかで重厚なデッカ録音の目覚ましさが、ここでも炸裂。

録音のイメージが、その演奏や、演奏者を形作ってしまうことが多々ありますが、メータ&ロスフィルのコンビは、まさにデッカの録音チームが生み出した、最良の組み合わせでした。
いま聴いても、ほんとうに音がいい。
安い装置でも、高い装置でも、等しく平等に、よく鳴ってくれる音盤。
デッカ=ロンドン=メータ=ロスフィル
だいたいにおいて出来上がった鮮やかなイメージですよ。

この演奏、ほんとうにわかりやすいし、痒いところに手の届く面白さ満載。
こういう、いい意味での平易な面白さ、楽しさを労せずして展開することができたのが、メータのあの頃の手腕なのですね。
 描写的なシュトラウスの手の込んだ表現も、まるで鼻うた混じりに、次々と展開をしてみせるし、爆発的ないくつもの場面におけるフォルテも、いろんな度合いが秘められていて、巧みに登頂でのピークが築かれ、シビレルほどの感動、いや、興奮を与えてくれちゃう。

これはこれ、いいんです。

ケンペや、プレヴィン、そして同類の演奏の先端、カラヤンらの、味わい深い、アルプス登山と人生回顧には及びませんが、何度もいいますが、ともかく面白いし、かっこいいんデス。

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 そのメータは、15年後の90年に、カラヤン臭がまだ残るベルリン・フィルを指揮して、この曲の再録音をやってのけました。
基本路線は変わりませんが、すみからすみまで、音がびっしり充実のベルリンフィルを前にしては、ロスフィルはさすがに分が悪くて、比較すると、音の隙間を感じることもあります。
でもですよ、やっぱり、メータはロスフィル。
輝かしく、心から、気持ちいいサウンドに酔いしれることができるのは、旧盤のLAPOですよ。
 切れ味がなんたっていいし、聴いてて、あのメータの縦横に、まさに切るような指揮ぶりが、思い浮かびます。
そのあたり、少しの粗さも含めてロスフィル盤は、若さの代償としての半面の、音楽の勢いを感じさせ、それが若さにも、大胆さにもつながっていたんです。

78歳となったメータ。

若手三羽烏とよばれた70年代、メータが筆頭を走り、次いで、オザワ、アバドだった。

メータだけが、いまもまったく変わらずの活躍ぶりで、レパートリーも普遍で、まったくブレがありません。
長老大巨匠の域と達した現在も、メータは、鮮やかさと、音選びのたくみさ、キレのよさでもって、若手となんら変わらない鮮度を保っていると思います。

登山のときの涼しげな滝と、下山とときの、切羽詰まったせわしなさの中の滝。

メータの演奏では、そんな面白さが、見事に引き立ってます。

さぁ、滝を思い浮かべ、シュトラウスの筆致のスゴサも思いつつ、「アルプス交響曲」を聴いて、クールダウンいたしましょう

最後に、ロサンゼルスフィルは、なんだかんだで、メータが最高っ

この素晴らしいオーケストラを、いまはドゥダメル君が無欲に導いていって欲しい。

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2013年6月24日 (月)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 マイスキー&メータ

Narita_ajisai

とりどりの色彩。

だんだんと変わってゆく紫陽花の色合いをおさめてみましたよ。

もっと赤いのは、濃いピンクから濃紫の色で、とても珍しかったのですがね、写真にとるとうまく色が捉えられない。

やっぱり、人間の目が一番。

今週末は、神奈川フィルの定期演奏会なので、今日はそのなかの1曲を聴いときます。

 リゲティ        「アトモスフィール」

 ドヴォルザーク   チェロ協奏曲

       チェロ:ミハル・カニュカ

 バルトーク      管弦楽のための協奏曲

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

     2013年6月29日 土曜日 横浜みなとみらいホール

「リゲティ、ドヴォコン、オケコン」


なんだか語呂ももよろしく、ナイスな選曲は、チェコとハンガリーの東欧作曲家というキーワードで結ばれております。味がありますね。
カニュカ氏は、プラハ生まれの中堅で、数々のコンクール上位入選歴を持ち、録音もたくさんある名手ですから、本場云々はともかくとして、そんな方のチェロを間近に聴けることが大いに楽しみです。

Maiskymehta

  ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調

       チェロ:ミッシャ・マイスキー

    ズビン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                         (2002.12 @ベルリン)


濃厚な顔のお二人のジャケット。

マイスキーのチェロは、「濃い」というイメージがかつてよりあって、聴く前からもう引いてしまうところがあります。
また協奏曲をやるときは、何故かいつも濃厚系の方との共演。
1回聴いただけでもうお腹いっぱいでそれきりになったバーンスタインとのドヴォルザーク旧盤、エルガーとは遠いところにあったシノーポリとの共演。
前回聴いた、MTTとのショスタコーヴィチは曲が曲だからまったく気にならない名演。

2004年にドヴォルザーク没後100年に発売された、こちらメータとの共演盤は、即時購入して聴いてみたものの、その時聴いたかぎりで、印象はどうも薄目。
今回再び聴いても、どうもしっくりとこなくて、マイスキーであり、メータである印象が正直ないと思われた。

何故だろう?

むしろ、CD長時間収録の賜物である、カップリングのR・シュトラウス「ドン・キホーテ」の方がリアルで克明、オケも乗っていて面白い。

唯一2楽章のほのぼの感と、のびやかな歌いぶりが、チェロもオケも美しくドヴォルザーク本来の魅力を余裕を持って奏でているように感じられました。
ことにベルリンフィルの木管の艶やかさと、べらぼうなうまさが実感できるのもこの楽章でして、彼らとマイスキーの絡み合いは、さりげなく速めのテンポで進められるだけに、今風のこだわりのなさがあって、わたくしは気にいりました。

この演奏が、しっくりこない云われは、自分的には、だれもが持ってるかもしれません、ロストロポーヴィチとカラヤンの共演盤が、刷り込みにすぎて、一音一音、録音の様子や、豪華見開きジャケットの匂いや、カップリングのチャイコのロココも含めて、トータルに五感に沁み込みすぎているためなのかもしれません。
ロストロポーヴィチがしつこく、何度も、これが最後ですというくらいに演奏・録音しつくしたものだから、よけいにこのカラヤン共演盤に対する愛着と執念があるのでしょう。

Dovorak_rostro_karajan

いろいろと異論もございましょうが、やっぱこれだな

ある意味味が濃すぎるバターたっぷりの肉料理なのですが、憎らしいほどに美味く(上手く)隙がなく完璧。
これで少年時代に聴き過ぎちゃったのが不幸なのか。
フルニエ&セルとか、ジャンドロン&ハイティンクあたりで知りあっておけば、いまの苦手意識はなかったかも・・・・。
罪な1枚、憎らしい1枚です。

これまで、ドヴォコンで、あの1枚を忘れさせてくれたのは、シフとプレヴィンのウィーンフィル盤です。醤油系でほどよくバタ臭い・・・・。

オーケストラもチェロと対等に活躍し、メロディアスでかつ、シンフォニックな側面も併せ持つドヴォコンですから、神奈川フィルで聴く喜びもあります。

このように、正直言って苦手なドヴォコンと、ついでに苦手なオケコンではありますが、神奈川フィルで聴けますことが楽しみなのであります。

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2012年4月 7日 (土)

マーラー 交響曲第3番 メータ指揮

Tokodai

東京工業大学の桜。

古木の桜は手入れもよくって、枝ぶりがとてもよろしい。

桜の通路の先は、本館建物で、花満開で見えませんがこちらもいい建物です。

Tokodai2

一般の方々もフリーに入れるし、入学式にサークルの新人歓誘もあって、校内はカーニバル状態で賑やかなものでしたよ。

そしてマーラー。

Mahler_sym3_mehta

 
  マーラー 交響曲第3番 ニ短調

     Ms:モーリーン・フォレスター

  ズビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック
               ロサンゼルス・マスターコラール
               カリフォルニア少年合唱団
                   (1978.3 @UCLAロイスホール


マーラー最長の交響曲。

交響曲界で一番長いとされていたが、いまやそれは140分を要するブライアンの交響曲第1番「ゴシック」にとって替わられた。

それでも、マーラーの3番は、全6楽章100分あまりで長いといえば長い。
でも聴き始めると、その長さが気にならなくなる。
冒頭のホルンの咆哮から始まり、最後の感動的な楽章があると思うと、そこまでの道のりは全然、苦にはならない。

2番が終了して、すぐさま取り掛かった第3交響曲も、夏の休暇を利用して、上部オーストリア、アッターゼーのシュタインバッハにて、ふた夏で書かれた。

Attersee

アッター湖は、こんな風に、夢見るように美しい。

朝は作曲、午後はお散歩、夜は読書と、指揮者としての多忙な日々から離れて過ごしたマーラーの作り出した音楽が、こんな光景とともにあることも意識しなくてはなりません。

自然讃歌のような大らかかつ、愛情に満ち溢れた第3交響曲。

朝の眩しい目ざめとともに、夏の一日が始まり、音楽が躍動してゆく。

Pfarrkirche_attersee


きっと誰もが愛してやまない、終楽章「愛がわたしに語ること」を聴きながら、こうした風景を思い浮かべてみたい。

この「愛」は、世俗的な愛ではなくって、自然への愛・人間への愛、しいては「神の愛」といったものに捉えるべき。
この交響曲を聴くと、最期には大きな何かに包まれるような感情になる。
過酷な試練や運命から逃れられない、われわれ人間。
マーラーもきっとそんな一人。
そして、ここには、マーラーの優しさがあふれ出ております。

幸福感あふれる第3交響曲。

ロスフィル時代最後の頃のメータの演奏こそ、その明るい幸せなムードの交響曲にぴったり。
カリフォルニアの陽光がたっぷり降り注いでいても、ヨーロッパ的な響きと相いれないわけではなく、音楽をあるがままに、わかりやすく明快に聴かせるメータの手腕が際立っていて、マーラーの音楽と不思議とぴったりと合っている。
メータのマーラーは、おもに1番から5番までで、6と7番はたまに、8と9、大地の歌はまったく指揮せずと、はっきりしているが、マーラーの人生観が色濃くなってくる場面を避けているかのようにも思えるがいかに。
ロスフィルのブラスセクションの素晴らしさと、弦楽のしなやかさがとりわけ素晴らしい。

弾むリズムにスピーディな展開の1楽章から、愛らしい2楽章、カッコいい3楽章、ベテラン、フォレスターのくっきりとした深みある声が味わえる4楽章。
アメリカンな風情のビムバムに続いて、終楽章では愛おしむように一音一音丁寧に語りかけてくれるメータ。そのクライマックスでは止めようもない感動が待ち受けております。

この演奏にあとないものは、ほんの少しの陰りの部分。
それは、そう、人間の存在の弱さといったようなものか・・・・。

例によって、いまのわたしのこの曲の聴きどころ。
それは100分全部と言いたいところだけど、究極にチョイスすると・・・。
1楽章は、その34分間すべてが聴きどころで、ホルンの決然とした冒頭から、最後のチョーカッチョイイ終結部まで、間然とすることなく没頭できる。
指揮もしてみたい楽章。
第2楽章は、この曲で一番地味かもしれないけれど、2番の2楽章のように、いまこの歳になって、しみじみ味わい深くなってきた。テンポの揺れ動きや明滅する各ソロ、そして微妙なポルタメントに注目。エンディングも美しく爽やか。
奇矯なモザイク細工のような3楽章は、ポストホルンのソロの牧歌的な場面とその裏返しのような軍隊ラッパ。2度目のポストホルンでは、音楽は急に神妙になり次ぎのツァラトストラを先取りする。
4楽章では、コントラルトとヴァイオリンソロの掛け合い。
5楽章から休みなく終楽章に入ってゆく間(ま)。その間を静かに埋めて行くあまりに美しい旋律。
終楽章も、そのすべてが聴きどころ。言葉は多くをいりません。
何度、この楽章で泣いたことでありましょうか・・・・・・。

 交響曲第3番 過去記事

「アバド&ウィーンフィル」

「ハイティンク&シカゴ響」

「金聖響&神奈川フィル 演奏会」

「ハイティンク&コンセルトヘボウ」

「ヤンソンス&コンセルトヘボウ 演奏会」

わたしの一番好きな演奏は、アバドとウィーンフィル。
掛け値なしに一番です!
それにハイティンク・シカゴ、ベルティーニ・ケルン、そして、このメータ盤です。

演奏会では、聖響&神奈川フィルが若々しい快演でした。
古くは、ベルティーニ&N響に、小澤&ボストンも忘れがたし・・・・。

いろんな思い出一杯の、ノスタルジーの宝庫ともいえる3番なのでした。

(アッター湖の写真は、海外の観光サイトから拝借してます~行ってみたい)

発売時のレコ芸の広告
Mahler_3_mehta

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2012年3月 5日 (月)

ベルリオーズ 幻想交響曲 メータ指揮

Hamamatsucho201203

左は東海道線、上にはモノレール、右手は山手線。

Hamamatsucho201203_a

そして新幹線。

今月は昼の浜松町なので、右も左も電車が賑やかです。

Hamamatsucho201203_b

3月のコスチュームは、春の火災予防運動に関連して消防士さんの凛々しい制服姿。

わたくし、もと油屋さんですから、この姿を見ちゃうと、ついへこへこしちまいます。

制服の威力は強いのでした。

Berlioz_symphonie_fantastique_mehta

月イチ幻想、3月のベルリオーズ 幻想交響曲は、ズビン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニック。

もうじき1年。

この前クリスマスで、お正月だったのに、もうあの3月になってしまった。

1年前の小便小僧は、まだ幻想交響曲とリンクしてなくって、記事を調べたらディーリアスの「アパラチア」でして、小便小僧君はやはり消防の消化服をカッコ良く着てました。
ちょうど1年前の3月5日→こちら。

次いで、「モッフォの蝶々夫人」「エルガーの戴冠式歌」ときて、あの11日となってしまったのでした。

2010年7月からやってます、月イチ幻想シリーズ。

まだまだやりますぜ。

デッカ時代のメータがなかなかやらなかったベルリオーズの幻想。

意外とベルリオーズには奥手だったメータは、「イタリアのハロルド」から先に録音して、ロスフィルとのゴージャス・デッカ路線では取り上げることがなく、ロス・フィル退任が決まり、ニューヨークご栄転の一発目にようやく録音することとなりました。
ニューヨークフィルは、CBSの契約下にあったので、メータ・NYPOコンビは「ハルサイ」でCBSから正式デビュー。
デッカには、置き土産のように残された唯一のニューヨーク録音となり、なんだか今では貴重な1枚みたいに思えるのです。
1979年のデジタル初期のこの録音は、デッカチームがニューヨークに乗り込んでまるでメータとの別れを惜しむかのように、いかにもデッカらしい、明々白日たる克明鮮やかサウンドを聴かせてくれちゃうのです。
一方の、メータの新天地CBSは、数多くの録音を残したに限らず、どうも響きの中に、メータの歯切れ良い個性が埋没してしまい、不惑のメータを印象付けるものばかりとなった気がする。
音源として残るだけに、レーベルの違いによる個性の変化は、受取るわれわれ聴き手にとってもすごく大きく感じます。
メータはデッカ、ショルティもデュトワもデッカです。
ハイティンクやデイヴィス、ブレンデルはフィリップス。
でもカラヤンやベーム、バーンスタインやアバド、マリナー、プレヴィンは、いろんなレーベルの顔が思い浮かぶ。
面白い印象です。

そりゃそうと、メータ&NYPOの幻想は、とっても鮮やかですよ。

ジャケットはまるきしインド人メータで、どこぞのインド・カレーのお店みたいな印象ですが、CDをトレイにセットすると、素晴らしく音楽的でキレのいい幻想が聴かれるんですよ。

1楽章からフレーズは弾力性に富み、強弱の出し入れもカッコよく、聴いていて気分よろしい。
円舞曲もハープがきらびやかで、心地よくノリのいい美的な雰囲気。
野の情景も美しいものだが、少しハリウッド的なところがご愛敬。
そして、タテヨコ、ずびずび・びしびし切りまくるメータの指揮の面目躍如たる断頭台。
スピード感もよろしく、爽快そのもの。
やたらと早くて疾走しまくる終楽章のヴァルプルギスは、後半に行くほどテンポアップして、最後は目にもとまらぬ速さとなってカッキーンとばかり終了。

新天地にかける意気込みとオケのやる気を感じる幻想。

でもちょっと違うと思うのは、指揮者もオケも録音も、他流試合みたいな探り合いが見受けられるところ。
メータはメータらしくふるまってるけれど、ロスフィルのようにはしっくりいかない。
オケも名技性を発揮してるけれど、奥歯にものが挟まった語り口。
録音も鮮やかだけど、芯を捉えていないような。

でも、捨てがたく時代のひとコマ的な「メータ&NYPOの幻想」は好きです。

メータは後年、ロンドン・フィルと再録音してますが、それはまたいずれ。
そして、わたくしは、フィレンツェ5月祭オケとの来日公演を聴いてますが、それが落ち着いた充実の幻想でした。

では、また桜咲く4月の小便小僧で。

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2012年1月 9日 (月)

マーラー 交響曲第5番 メータ指揮

Skytree_1

スカイツリーです。

錦糸町の某ビルから拝見。

これから暮れてゆく空とスカイツリーを眺めようという寸法です。

Skytree_4

錦糸町から押上って、こんな近いとは思わなかった。

Skytree_3

クリスマスや大晦日のライトアップは見れませんでしたが、こうして無地に立つ姿は近未来的で、無機質でもあり、どこか冷たくもありました。

Skytree_5

そして空は濃い紫に覆われてゆくのでした。

私的には、自分と同期の東京タワーの気品ある立ち姿に愛着を感じますが、こちらも徐々に定着してゆくのでしょうねぇ。

Mahaler_sym5_mehta

愛着といえば、こちらのマーラー演奏にも。いまや通常名曲の仲間入りした曲。

交響曲第5番嬰ハ短調

ズビン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック

1976年ロサンゼルスUCLA、ロイスホールにて録音。

初めて買ったマーラーの5番のレコードがこれ。

ツァラトストラ、ハルサイ、惑星、ヴァレーズ、シェエラザードなどに続いたメータ&ロスフィルのヒットのひとつ。
ウィーンやイスラエルとの共演が先行したメータのマーラーだが、ついにロスフィルとのコンビで実現。
10番とのカップリングでズシリと重い2枚組を、わたしは憑かれたように何度も何度も聴きました。
この曲のカッコよさをストレートに味わわせてくれ、晴れやかな終結部に向かって一直線の突入感たくましい若々しい演奏。
この演奏で、5番の面白さに開眼した。

が、しかし、その後に、レヴァイン、アバド、マゼールのレコードを次々に購入し、それらの新たなマーラーに心動いていった。
ことに、アバド&シカゴの繊細で緻密、鋼鉄のような5番は、いまもってわたしのナンバーワンとなっている。
ほかにもたくさんの、数えきれないくらいの5番を聴いてきて、CD化されたメータを改めて聴き直してみて、その若々しい、懐かしい表情にすっかりこの曲にのめり込んだ昔を思い出してしまったものだ。

2012年1月に聴く、メータ・ロスフィル・マーラー・5番は、苦渋も平坦で、それは過去のもので、優しい抒情と微笑みがあり、輝かしい今後が待ち受けているかのような思いにさせてくれたのでした。
この屈託のなさと、オケのクリアな明るさを最大限に引き出したメータの指揮は、風格ある今のメータには味わえない率直なもの。

早めのテンポで、ずばずば進めてゆくメータの指揮は、その鋭い指揮棒さばきが見えるよう。
各楽章の対比と、その構成感も全体のなかで巧みに考えられており、連綿たるアダ-ジェットから終楽章のロンドへの移り変わりと、その最後のクライマックスの鮮やかさには手放しで興奮してしまいました。
ゴージャスなティンパニの捉え方も当時のデッカの優秀録音ならでは。

いやいや、若いマーラーはこうでなくっちゃ。
あれこれ考えなくても、こうして音楽の力に乗っかっちゃうことができるんだから。

わたくしも、しょぼくれてないで、テキパキまいりましょう

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