2007年4月 7日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第5番 アバド指揮

Asakusa_sakura_1 桜のある風景。
今日は、昨日撮った「浅草」のアサヒビールの○○○ビルを背景の1枚をどうぞ。

浅草には幸運なことに、隔週くらいで訪問しています。
しかも、訪問先はこの画像の近く。
隅田川沿いのビルの上階で、いつも厳しい打ち合わせを行いながらも、窓の外はこの○○○が鎮座していて、心和ませてくれるのであります。
ここからは、お花見も、隅田川の花火大会もベランダから臨むことができて、夢のような立地なのであります。そして、近くには、「カミヤバー」を始め、有名な店がたくさん。
そして、浅草は、日本人の各地のなまりばかりか、世界中の言語に満ち溢れる国際観光地なのであります。
だから○○○は、このオブジェ本来の意味であるところの「炎」。そう前進を意味する「躍進」をかたどっていると、ここに宣言しておかなくてはなりませんね。

Abbado_tyaiko5 今日の1枚は、そんな「炎」ような「躍進」が音楽の隅々に感じられる演奏を。
超メジャーとなった名曲、チャイコフスキーの第5交響曲を、「アバド指揮ロンドン交響楽団」で。

1970年、アバド38歳の録音。
そう、日本は万博の年で、大阪フェスティバルホールに、キラ星のごとく世界中から名オーケストラやオペラ団が訪れた。

当時はアバドは、デッカに数枚録音していたが、日本では「若い俊英」と評されるだけであった。

カラヤンやベームのドイツ系ばかりが本格扱いされ、イタリアの若い指揮者などは、「イタリア人らしくよく歌う」とか「明るい」とかいうレッテルしか貼られず、あまり聴かれなかったように思う。

そんなアバドを強力にサポートしたのが、DGである。
ロンドン、ベルリン、ウィーン、ボストンで、名門オケを相手にロッシーニは別として、カラヤンのレパートリーを次々に録音していった。
スカラ座とのヴェルディ、シカゴとのマーラーは、もう少しあとのはなし。
今日のチャイコフスキーもまさに、カラヤンの得意分野。
これ以前にニュー・フィルハーモニアと2番、このあと、ウィーンフィルと6番4番を録音したが、DGでは全集に至らなかった。
後に、全集の一環として、シカゴ響と。さらにベルリンフィルとも録音しているが、このロンドン響とのものは、アバドとの出会いの頃の、私にとって一番大切な1枚である。

響きが豊かで、かつ全体がしっかりとまとまっていて、交響曲としての枠組みが完璧なカタチで示されている。
でも、節度を保った豊かな歌に満ちていて、オケがニュートラルなものだから、しなやかな雰囲気は聴いていてホンワカとしてしまう。特に第2楽章。
終楽章も前途豊かな希望に満ちていて、前へ進む力に満ちているが、強引さは少しもなく、オペラの一場面のように劇的であると同時に、自然な感情の高まりが音に現れていると思う。

円熟の極にある、アバドという指揮者をこうした過去の演奏で聴いていただくのも、アバドが昔から変わらなかったことが認識できるものと思う。

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2007年3月27日 (火)

マーラー 交響曲第5番 プレヴィン指揮

Byoudouin_boke_1 宇治平等院の木瓜(ぼけ)の花。
枝ぶりが見事で、濃オレンジの花にピンクも混じる美しさ。
いつも家では、特定の方に、ぼけ、ぼけ、って言われてま~す。

でも「木瓜」の花言葉は「先駆者」なんだって!! ほっほ~っう! ざまみろ!

Previn_mahler5_1 「やがて私の時代がやって来る」といった先駆者、「グスタフ・マーラー」。
こちらはぜんぜんボケではなかった。

いまマーラーなくしては、オーケストラ・コンサートはなり行かない。
どこでもマーラー、誰でもマーラー、いつでもマーラー。
マーラーその人の大勝利。人はみな、一度はマーラーの虜になる。
私も80年代初めから、マーラーに取り付かれ、明けても暮れてもマーラーだった。
アバド、バーンスタイン、マゼール、インバル、テンシュテット、ベルティーニ。錚々たるマーラー指揮者達で、そのすべてを聴き尽くした。
そして、その熱は突然醒めてしまった。

が、どっこい心は求めてやまなかった。
アバドがベルリンで再録音をはじめ、昨年のルツェルンの奇跡の6番を聴くに及んで、マーラーがまた違うカタチで私の心に染み込み始めた。
ワーグナーがアバドやクライバーよって、ドロドロの情念から開放されたように、マーラーも同じように純音楽的なスコアの再現による、より高度な演奏の出現で、わたしに音楽の喜びをもたらすようになった。

今日の番外5番は、そんな思いを込めて、最近入手した「プレヴィンとロイヤル・フィル」による自主制作盤を聴いてみた。
プレヴィンのマーラーは、数えるほどしかない。というか正規録音は、4番のみではないか。2000年頃のケルン放送響との第9は未聴ながらCDRとして出ているが、この5番を指揮したこと自体が初耳の1枚。

RPO時代の1980年代半ばのライブに思われるが、録音がまったくすばらしい!
ホルンを始めとするRPO自慢のブリリアントな金管セクションに、プレヴィンがよりをかけたシルキーな弦楽器群が見事なまでの美しい響きを聴かせる。
いかにもプレヴィンらしい、やわらかで簡潔な音造り。アダージェットなんてもう涙もの。
そしてそして、最後は、猛烈なアッチェランドによる熱狂のエンディングが待ち受けていた。

プレヴィンは今年秋、待望のN響再登場を計画中。
聞くところでは、定番のモーツァルト・プロにラフマニノフの2番が予定されているというじゃありませんか!!
チケット争奪戦に今より参戦すべし。皆さんお手柔らかに・・・・。

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2007年3月15日 (木)

アルウィン 交響曲第5番 ヒコックス指揮

Denen 音楽喫茶めぐり??という訳ではないが、たまたま遭遇したのがこちら。

国分寺駅から3分。クラシック音楽喫茶「でんえん」。
見た目、もう崩れそうな佇まいで、きゃしゃなドアに手をかけるのも躊躇してしまう雰囲気だけれども、ひとたび足を踏み入れれば、そこはこの手の音楽好きだけが感じ取る安らぎの世界。上品なご夫人(おばあさま)がひとり、注文を取り、一杯一杯コーヒーを入れてくれる。CDの操作も彼女。
芸術関連の本や、雑誌などもふんだん置かれ、素晴らしい世界。
グリュミョーとクレンツで、メンデルスゾーンのホ短調とニ短調の協奏曲を聴き、耳が洗われるような気分でありました。
        
      国分寺市本町2-8-7 駅北口から約3分

Alwin_sym5 さてと、「第5番シリーズ」、3月の3本目は、英国作曲家のウィリアム・アルウィン(1905~1985)の交響曲。
このあたりになると、あまりに未知の世界で、皆さん引いてしまいます。
でも英国コンポーザーとなると、私はすべてを聴かずにいられない。
このアルウィンはついこの間まで存命したわりには、保守的な作風。
でも、ウォルトンやティペットと同系列に考えるならば、かなりモダーンな雰囲気の音楽が多い。さらにでもでも、その音楽は抒情派のハウエルズ等に例えられるような美しさと優しさに満ちている。
 超越的なまでに美しい「ハープ協奏曲のリラ・アンジェリカ(天使の羽)」はすでに弊ブログでもとりあげた。思うだけでもうっとりしてしまう曲。ナクソス盤もあるはず。

ロンドン響でエルガーやRVWのもとでフルートを吹いていたこともあるアルウィン。
ロンドンでの活躍を経て、後半生はサフォーク州のカントリーサイドで作曲に絵画(このジャケット)に、思い切り好きに暮らした。
最後の交響曲の第5番「ハイドリオタフィア」は、1973年のそんな時分に書かれた。
17世紀英国の心理学者・哲学者・植物学者等々のトマス・ブラウンの作品に感化されて作曲されたが、英文の解説を読んでもイマイチその辺のところがわからない?

曲は16分ほどだが、ちゃんと4つの楽章に分類できる。全曲を一つのモットーがつらぬいて使われていて、シベリウスの7番のような、簡潔ながら、作曲者が行き着いた彼岸の世界のような満ち足りた世界の音楽になっていて、しかも英国音楽好きを泣かせる「カッコよさ」と「抒情」の両立が成り立っている。最後の祈りに満ちた部分に達すると大きな感銘を受けること請け合い。
ヒコックスの素晴らしい全集から。

アルウィンは5曲の交響曲、あらゆる楽器のための協奏曲、室内楽曲、オペラふたつ、歌曲、映画音楽多数とかなりの多作家。オペラを是非聴いてみたいもの。

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2007年3月14日 (水)

オネゲル 交響曲第5番「3つのレ」 プラッソン指揮

Dog_2 寒いですなぁ。ちゃんと冬が帳尻を合わせにきているのか?
ファミレスの駐車場で見つけたワン公。
主人の帰りを待ちわびる二匹であった。
ちなみに、某「バー○○ン」、ご主人は焼飯に、餃子に回鍋肉なんぞを食べちゃってるんだろな。 ワン公「あ~ぁヒマだ!」

Honegger_sym5_1 今日の「5番」は、オネゲル(1892~1955)。
ドイツ語圏のスイス人を両親に、フランスはルアーブルに生まれた作曲家。調べるとスイス人作曲家ということになっているが、生涯のほとんどをフランスで過ごしたから、フランス人ともいえるのかも。
だから、フランス近代音楽の6人組に入っている。
ドビュッシーの印象主義の発展系に反発する若手音楽家の集団が、6人組、とものの本には書いてある。その6人組が誰と誰かは、ここでは書きませんが、普通わかりません・・・・。ミヨーとプーランク、オネゲルくらいまでは・・・・。

オネゲルの生地、「ルアーブル」は何故か数少ない海外渡航で一度訪れたことがある。
パリから車で3時間くらいだったか。対岸が英国。フェリーの行き交う港町で、大きなオペラハウスもあった。港に近いパブで昼食を食べた。サーモンのステーキで、セットにワインが付いていて、赤か白を選べと女将に言われたが、本場フランス語はさっぱりわからない。
テーブル・クロスが赤だったので、そのクロスを指さし「rouge」、かたや私が白いシャツを着てたもんで、私のシャツの襟を引っ張って「blanc」とすごまれてしまった。
料理もワインもめちゃくちゃおいしかったから、帰りに「とてもおいしかった」と辞書で調べたフランス語で言ったら、顔中笑顔にして嬉しそうにしていた。まわりにいた、港湾関係のオジサンたちも酔って笑って楽しそうに手を振ってくれた。

こ~んな思い出の「ルアーブル」。
でもオネゲルの第5は極めて難解。わからん。「3つのレ」とは、3つある楽章のすべての終わりがティンパニとピチカートの「レ」の音で終わることから付けられたタイトルらしい。
作曲家たるもの、偉大なBの5番を意識するであろうが、オネゲルも相当だったようだ。
でも正直厳しい音楽すぎる。馴染みやすい旋律がないし、全編悲観的なムードに満ちていて、救いが見出せない。
でも何度も聴くとその厳しさが特徴となり、錯綜する見事なオーケストレーションが面白みを帯びてくる。それがオネゲルの個性と思えば何のことはない。
でも最終楽章も例のとおり、「レ」の音で終わるがそのあまりの完結感のなさに不甲斐なく感じるのはわたしだけ?

名コンビ「プラッソンとトゥールーズ」の南欧コンビも、オネゲルの晦渋さに南欧の陽光は照らせない。EMIのバランスの悪い録音が残念で、一時DGにミヨーを録音したが、その時のような自然な明るさ欲しかった。
永年の名コンビも解消されてしまったはずだが、その後どうなったのかな?

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2007年3月12日 (月)

ドヴォルザーク 交響曲第5番 ヤンソンス指揮

Simizu_minato2   またまた、静岡にてのワンショット。
こちらは、ご存知「清水湊」の埠頭から見渡す「富士」の絵。
清水市は、政令指定都市「静岡市」の清水区となってしまったけど、物流の拠点としても活気溢れる町である。
でも、昼下がりの港は静かで、地元民が釣り糸を垂れるゆったりとした時間が流れる波止場でもあった。

まだやっている、今月の「5・5・5」シリーズ。
だんだんとネタが不足するかと思いきや、徐々に人をも寄せぬ渋いところへ進んでいく。まだ有名どころは、残してあるし、交響曲以外もあるけど・・・。

Dvorak_sym5 ドヴォルザークは7番以降の3曲ばかりが有名で、強いて言えば、5・6番が後期3曲に次ぎ、1~4番などはなかなか演奏会にも乗らない。
この5番は、1875年の作曲で、ドヴォルザークは34歳。
しかし、出版されたのが1888年のことで、出版社が押しもおされぬ大家になっていたドヴォルザークに気を利かせて、作品番号を出版年の頃の作品76としまったため、いまだに7番(作品70)のあとの番号がついている。
さらに混乱することに、交響曲第3番とも呼ばれていた。ちなみに4番が今の8番(イギリス)、5番が今の9番(新世界)。さらに言うと1番が今の6番、2番が今の7番。
ここまで来ると訳がわからん。1~4番はどこへ行ってしまったんだ。
私の持つ音友社の昭和44年版名曲解説辞典では、堂々と新世界が5番となっている。
古いねぇ、あたしも。

前置きが長くなったが、この5番は一言でいうと、「牧歌的」。田園風というより、田舎風。
これまでは遠慮がちで、中途半端だったドヴォルザークの「ボヘミア」要素も思い切り全面に出されていて、みんながイメージする、メロディアスで親しみやすいドヴォルザークの顔が見える交響曲だ。「春」に聞けば、ボヘミアの野の息吹きが感じられる。
そう、とても気持ちが和む、ほんわか交響曲なのだ。

ヤンソンスはドヴォルザークを得意にしていて、それでも後期だけかと思っていたら、この5番をオスロ時代の89年に録音していた。数年前に廉価盤となり、1度聴いたきりだったが、今回聴いてみて、全編に溢れるその人懐こい表情と歌が若きヤンソンスにぴったりに思い、非常に気持ちがよかった。
あと1枚、スウィトナーによるものも朴訥とした田舎ドヴォルザークでお薦め。

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2007年2月13日 (火)

バックス 交響曲第5番 B・トムソン指揮

Greenwood 秋田県大館市にあるバー「Green Wood」は、ウィスキー好き、シャンパン好き、日本酒好き、ブリテッシュ・ロック好きのマスターの素適な店。
秋田にいることを忘れてしまう。
こちらで飲んだ「タリスカー」。アイラ諸島の北スカイ島産のシングルモルト。一口含んだだけで、潮の香りを感じた。目を瞑れば、まだ見ぬスコットランドやアイルランドの荒涼とした海を見渡すことができる。

大好きな「バックス」の幻想的で、厳しくシャープな印象の音楽にピッタリだ。

Bax_5アーノルド・バックス」(1883~1953)は癖になる作曲家。
いろいろな分野に作品を残したが、作風がどれもこれも似ていて数々聴いてくると、バックス以外の人を思い起こすことができなくなる。

ロンドン生まれながら、アイルランドやスコットランドのケルト文明に大いに触発され、生涯かの地を愛し続け、幻想的な作品ばかりを残した人。

ついでにバックスは女性に相当もてた人で、以前のエントリーで書いたピアノ付きの交響曲のような「ウィンター・レジェンド」を書いた相手が、「ハリエット・コーエン」というピアニスト。バックスは妻子がありながら彼女と公然の仲になっていった。
後年、その作品は見向きもされなくなり、ロンドンでも傷心の日々を送ったらしいが、コーエンは終始バックスを支え、バックスが愛したアイルランドの荒涼とした景色を一緒に眺めていたらしい。本妻とどうなったかは不明ながら、晩年のディーリアスを思わせるような生き様にひどく共感してしまう。

1932年に完成された第5交響曲は1934年にビーチャムの指揮によって初演された。
7曲ある交響曲がそうであるように、3楽章形式で40数分の長さは共通している。
第1楽章は、シベリウスを思わせるような幽玄なもやもやとした出だしから、徐々に盛り上がって行き、ダイナミックかつバーバリステックな雰囲気に到達する様が素晴らしい。
次ぐ第2楽章は、幻想の中にさまようファンタジー溢れる音楽だ。森の中をケルトの妖精たちが飛び交う。
第3楽章は、動きの激しい活発なムードで始まり賑やかに進行するが、やがて1楽章の主題を穏やかに回想し始め、徐々にその回想も壮麗に鳴り響くようになり、眩い夕日のごとく曲を終える。

一度や二度では、音楽がつかめない。それがバックスの交響曲。
何度も何度も聴いて、その独特の人を寄せ付けないな厳しい音楽が、心に響くようになってくる。私にとってとても魅力的な音楽。

余白に3曲からなる「ロシア組曲」が収められている。
1919年に「ディアギレフバレエ団」がロンドンにやってきた時に、委嘱を受けて書いた作品で、同バレエ団はバックス含む4人の若いブリティッシュ・コンポーザーに作曲を依頼している。ほかの3人は「ハウエルス」「バーナーズ」「グーセンス」だ。地味なものだ。
「ゴパック」「ウクライナの夜」「ウォッカ売場にて」の3曲。イギリスが見たロシアは、なかなかに親しみやすく、楽しい音楽でお薦め。

いつものように、ブライデン・トムソンとロンドンフィルの渋いコンビは、豊かな響きを醸し出していて、バックスの魅力が味わえる充実したもの。

Bax もてる男バックスのお姿。
ちょっとリーブしてるが、シャイな雰囲気がいいのかも・・・・・。

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2007年2月12日 (月)

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ヤンソンス指揮

某駅での待ち合わせをするために、その駅名で検索していたら「東京トイレマップ」なる面白いというか、恐ろしいというか、ここまでやるか、というサイトを発見した。
神経質なあなた、食事中のあなた、決して見てはいけません!!でも笑えます。
トイレで私が好きなのはホテルのトイレ。よっぽどの緊急事態でない限りは、ホテルを探して事をなします。そんな中でも「帝国ホテル」の別館地下のトイレの清潔さと、ゴージャスさには舌を巻く。(何も舌を巻く必要はないが)そこに潜んでいると時間の経過を忘れてしまう居住性の良さなのである。でも住んではいけません。

Jansons_shostako5_1 トイレ話とは無縁の作曲家「ショスタコーヴィチ」の第5交響曲を、ヤンソンスとウィーン・フィルでさわやかに聴きましょう。
もうミミタコの第5。昨年のメモリアルイヤーには何度演奏されたろうか。
複雑きわまりないショスタコの内面のほんの一面しか垣間見ることができないかもしれない曲(書いていて何がなんだかわからないが)
ヴォルコフの「証言」の分厚い本は、頭をクラクラさせながら読んだが、そのすべてがまんざらウソでもないらしく、ますます謎に満ちたショスタコなのだ。
息子マキシムは何も知らないのだろうか?是非息子の全集を聴いてみたいもんだ。

ややこしいことは抜きに聴けば、音楽的に聴きやすく充実した5番は、コンサートでも聴き栄えするし、ダイナミックレンジも広いから、オーディオ的な満足感も得られる。
こんなお気楽が一番いい。
 それでも3楽章の悲しみの抒情に溢れた音楽には心うたれる。
1975年、ショスタコーヴィチの訃報に接したバーンスタインが、ザルツブルク音楽祭でロンドン交響楽団との演奏会に急遽この楽章のみを取上げた。それは祈りに満ちた壮絶なる名演であった。

ヤンソンスは、この曲に関してはもっとも安心できる指揮者のひとり。
オスロ・フィルとの録音もあるが、ウィーンフィルと97年にムジークフェラインでライブで再録音した。一昨年のバイエルン放送響との来日でも取上げ、圧倒的な感銘を受けた。
10年経った今また再度録音するかもしれない。

このウィーンでの演奏は、一昨年の解釈とほぼ同じ。テンポをゆったりと取り、タメも充分にとってオーケストラをしっかりコントロールしながら、鳴らし切っている。
でもそこは、ウィーンフィル。ところどころウィーンらしい弦の甘さや音の切り方が聴かれて面白い。
3楽章の美しい歌もいいが、終楽章のテンポの持っていき方が盛上げ上手のヤンソンスらしところで、わかっていながら乗せられて夢中になって聴いてしまった。
「いいぞ、マリス!」

このCDには、バルシャイが編曲し、後に作曲者自身が作品番号を与えた室内交響曲(弦楽四重奏曲第8番)が収録されていて、こちらの曲の方にこそ、ショスタコの魅力を感じてしまった。

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2007年2月11日 (日)

メンデルスゾーン 交響曲第5番「宗教改革」 ハイティンク指揮

Yoroiya1 メンデルスゾーンには関係ないけれど、毎度行く浅草での仕事帰りの昼食は「浅草ラーメン」。「しょうゆらーめん」 発祥の地は浅草といわれているらしい。
その伝統を受け継ぐ店のひとつ「与ろゐ屋(よろいや)」で醤油ラーメンを。
かつおだしのあっさり味に柚子が効いていて、とてもサッパリといただけましたぁ。

Heitink_mendel5_2 さて、メンデルスゾーンである。そして「5・5・5シリーズ」はまだ続いていた。どこまでいけるか<ゴーゴーゴー

裕福なボンボン作曲家メンデルスゾーンも薄命の人(1809~1847)。
音楽の歴史にたら?れば?が許されるなら、「モーツァルト」「シューベルト」と並んで、ものすごい名作がさらに残されていたろうな。

「宗教改革」と呼ばれる5番の交響曲は、メンデルスゾーン20歳の作品。
作品出版別に番号が付けられたため、最後の交響曲のようにも思われるが、1→5→4→2→3、という順番が作曲順。その前にも13曲の弦楽のためのシンフォニアがある。

1830年、かの「マルティン・ルターの宗教改革」300周年の記念行事に向けて作曲されたが、実際はカトリック教会の反対や、ベルリン市の財政難などで行事は中止になってしまい、初演が流れ数年後まで演奏は持ち越さることとなった。

第1楽章にドレスデンの教会で歌われていた「ドレスデン・アーメン」が神妙な雰囲気で用いられているほか、第4楽章ではルター作のコラール「我らが神は堅き砦」が登場する。
こんな具合に記念行事を意識した作品である以上に、ユダヤ系でありながら、銀行家の父の改宗で熱心なプロテスタント信者になったメンデルスゾーンの篤い宗教心から生まれた作品なのであろう。「マタイ受難曲」の復活や「エリア」をはじめとするオラトリオの作者ならではの思いである。

1楽章のドレスデン・アーメンは、そう、先週楽しんだ「そのまんまパルシファル」の旋律。
中間のふたつの楽章も美しい旋律美とリズムにあふれているし、終楽章の最後にコラールが高らかに歌われるところは感動的。
このコラールは賛美歌「神はわがやぐら」(269番)そのもの。

ハイティンクとロンドン・フィルの演奏はこの曲の理想的なものと思う。
2番以外をLPOと録音したが、いずれも伸びやかで、少しくすんだオケの響きがやさしく、メンデルスゾーンにピタリとはまった名演揃い。
コンセルトヘボウと一体化した指揮者だが、LPOとのコンビも充実した演奏ばかり。
このコンビのベートーヴェン全集の復活を強く望みたい。

久々に聴くメンデルゾーンは、実に気持ちがよかった。旋律の宝庫で、その爽やかさに抜けるように天気の良い寒空にむかって思い切り伸びがしたくなった。

「5・5・5」シリーズは「チャイコフスキー・シューベルト・マーラー」、「ベートーヴェン・シベリウス・V=ウィリアムズ」がバックナンバー。今回あと2曲は・・・・・。

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2007年1月10日 (水)

V・ウィリアムズ 交響曲第5番 B・トムソン指揮

昨晩、 野球ボヤキを書いてしまったが、自主トレ中の工藤の記事を見て、「頑張れよ、応援したる」とすっかり受け入れ態勢が自分の中にできてしまった。
限界も近い自分を高く買ってくれ、野球を続けられることへの感謝を表明していたから。
これぞ、プロよ。と思い直した。仁志とともに、古巣を見返してやれ!
 ばかだねぇ。ファンはこんなもんだろな。
むしろ、大枚はたいて一流選手を買い集め、用が済むとはいサヨナラの某G軍に対し、けしからん思いで一杯だ。これまで、何人同じ目にあったろう・・・・。

Vwilliams5_thomson_2 さて、またぼやいたあとの、今日の5番は、英国作曲家のラルフ・ヴォーン・ウィリアムズ(以下RVWといいます)を。
これ実は、11月にも取上げました。その時は、「ノリントンとN響の定期」での印象と、今回のCDを聴き比べたもの。
私の5番シリーズに、RVWは外せないので、早期登場願った次第。
前回も書いたが、極めて多彩な9曲の交響曲は、オラトリオ風あり、映画音楽風あり、表題音楽風あり、当時の前衛風あり、田園音楽風あり、といった具合。
この5番は、田園交響曲と呼ばれる3番と並んで、牧歌的かつ自然への感謝に満ちた静やかな桂曲である。

全体はキッチリした4楽章形式だが、全体になだらかで起伏もあまりなく、時おり小さな丘を見出すようなちょっとした盛上りがある程度。
一聴しただけでは、曖昧模糊と過ぎてしまうかもしれない。
私は、かつてプレヴィンの実演を前に何度も何度も聴いて、そうしてゆくうちに音楽が英国の自然を伴なって、私の中にしみわたるように入ってくるようになった。
1943年という時代を考えれば極めて不穏な空気の中に、このような安らぎに満ちた音楽を書いたRVWの気持ちはいかばかりだったろう。
いろいろな望みを託し、イングランドの自然を思いながら作曲したのだろうか。

3楽章の祈りに満ちた音楽は、あまりにも素晴らしい。言葉が出ない。涙が出てしまう。
終楽章の終結部は、音たちがどんどん上昇していって神々しさのうちに静かに消えて終わりになる。胸にジーンと来る。
多くの方に、この素晴らしい音楽を聴いていただきたい。

ブライデン・トムソンはスコットランド生まれの英国音楽の使者のひとり。
1991年に63歳で亡くなってしまった。生前より、ハンドレイと並びシャンドス・レーベルに貴重な録音を次々に録音していって、1枚1枚揃えていく楽しみを味わうこともできた。
じっくりとしたテンポで、骨太のたくましい演奏をするタイプだと思うが、こうした男らしい指揮者が優しい抒情を奏でるとなると、苦味の効いたホロリとさせる演奏になる。
そんな典型が、この1枚だと思う。オケもロンドン響なだけに素晴らしい。

静かに交響曲が終わると、カップリングの「揚げひばり」が始まる。
なんとファンタステックな組み合わせであろうか!

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2007年1月 9日 (火)

シベリウス 交響曲第5番 バーンスタイン指揮

本日は、いきなりオフシーズンの野球の話。わが横浜ベイスターズが、まんまと 門倉のFA保障で、工藤を獲得させられる?ことに相成った。これには、あいた口が・・・・・。
田村の放出から始まって、やることなすことファンの思いから外れていく。
世渡り上手の工藤を将来コーチなどに留めおくことができるわけがなく、43歳という年齢を考えれば、もうあとがないのは、子供でもわかるわい。悲しいよ。
まあ、野球少年たちの前で、「君たち、横浜だけはやめとけよ」なんて、ファンや子供の心を傷つけるようなことを放言してしまう、門倉君の対価だからしょうがないか??

Gファン、工藤ファン、門倉ファンの方々、すんません。弱小貧乏球団ファンのボヤキです。

Sibe5_7_bernstein_1 今日の「5番」は、シベリウス。(今日の5番って?)
シベリウスの交響曲は全部大好きだが、この5番が一番かも、いや4番もいいし、7番も、6番も・・・、やっぱり全部いい。
この5番は、7曲の中で一番明るく、牧歌的。前曲の暗く・内向的な作風とはうって変わって、自然を賛歌する大らかさに満ちている曲だ。
ベートーヴェンの5・6番、ブラームスの1・2番にも例えられる対比。

1914年の作曲だから、マーラーもすでに亡く、R・シュトラウスが活躍していた頃。
シベリウスを得意にしたバーンスタインは、晩年濃厚な芸風に到達したころ、ウィーン・フィルとシベリウスの再録音にチャレンジしたが、数曲を残し世を去ってしまった。
バーンスタインのシベ5番は、1975年ザルツブルクでロンドン響を指揮したライブをFM録音したものが強烈に印象に残っていて、まさにライブ感にあふれた大熱演だった。
第1楽章の終わりなど、猛烈なアッチェランドをかけて興奮させられた。

1987年にライブ録音されたこのウィーン盤は、全体にテンポが遅くなり、雄大なスケール感が増している。1楽章の終結部もそんなに煽ることなく、着実に進められいくため、録音の鮮明さもあって、こんな風に書かれていたんだ、とシベリウスのスコアの素晴らしさを認識できる。この楽章で、曖昧な雰囲気から、霧が徐々に晴れるように北欧の風景が輪郭を表わしていくさまも、実に生き生きとしていて、盛上げも堂々たるもの。
 単純な楽想による2楽章は、ウィーン・フィルの管の美しさが味わえ、演奏の難しい終楽章は、冒頭のもやもやとした雰囲気を良く出しているし、それを吹き飛ばすような爽快で朗々としたコーダを迎える。このあたりのこのコンビの爽やかさは実に気持ち良い。
1番と2番では、粘液質すぎて、バーンスタインの個性が曲に勝った感があったが、この5番は曲の本質に迫った名演だ。
 ウィーン・フィルのホルン群が実に素晴らしい。

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2007年1月 8日 (月)

ベートーヴェン 交響曲第5番 トスカニーニ指揮 

Hadano_oyama 秦野市の丹沢山系を望む。
秦野は、勾配の多い土地柄だが、その勾配を少し登れば、湧水が溢れる名水の地である。蕎麦にラーメン、地酒も豊富、落花生に地野菜もおいしい。厚木方面にまわれば温泉もある。いいところである。

Beethoven_5_toscanini_1 前置きには関係なく、明日から仕事に学校に、本格稼動。
年末・年始の緩んだ頭に褐を入れよう。
そんな時には、見るからに恐ろしく、情けも容赦もない「アルトゥーロ・トスカニーニ」を一発。このジャケットの髭おじさん、今にも「こらぁー、何しとんねん!!」と怒鳴りそうな様子。 おお怖ぁ~ぁ。

トスカニーニは、1867年パルマ生まれ、1957年ニューヨークにて亡くなったので、2007年は、生誕140年かつ没後50年にあたるため、いろいろと名盤が再発されることだろう。
ワーグナーなどもいずれ取上げたいが、やはりこの人はオペラの人と感じる。
有名な逸話だが、オペラの座付きオケのチェリストだったが、急遽指揮台に上がり「アイーダ」でデビュー、「ボエーム」や「西部の娘」「トゥーランドット」などを初演しているだけに、伝説的ともいえるオペラ指揮者である。
体に染み付いたともいえる強靭なカンタービレ。「この俺の歌心がわからねぇのかぁ」
ということで、いつもオーケストラを怒鳴り散らしていたんだろうな??

トスカニーニのベートーヴェンはいい。全部好き。とりわけ奇数曲がいい。
早いテンポで思い入れなくズンズンと核心を突いていく感じがする。
これだけドライに割り切っていながら、冷徹に感じないのは、常に歌と劇的な構成があるから。2楽章の美しさ、3楽章から終楽章へのなだれ込み具合は極めて劇的。その後は、拍車をかけるような盛上りを、NBC響の完璧なアンサンブルをも楽しませながら聴かせてくれる。
モノラルの音源でも、様々な音の強弱やニュアンスを味わえるのもすごい。
このような演奏を生で聴いたらどんなにか素晴らしいだろうか。

休日の晩に手垢にまみれた名曲を、いにしえの演奏で新鮮に聴けた。

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2006年12月29日 (金)

マーラー 交響曲第5番 アバド/ルツェルン

これぞ冬。寒い一日は、身が引き締まる。クリスマスが終わると夜の街は、暗く寂しくなってしまう。日本ってどうしてこうなんだろう?25日を境に、昨日までのクリスマスのことなんか、まるでなかったことのように、きれいさっぱり忘れ去ってしまう。
キリスト教国でない国の、単なるお祭騒ぎの一環なのだ。何だかなぁ。。。?

H6_w06_gross リングのあとのバイロイト放送は「さまよえるオランダ人」。
短いから、終わったあとに長いものも聴ける。それが嬉しい。
アルローの夢想に満ちた独創的な演出は、4年目で、どこか昨年の二期会の舞台にも似てる気がする。
昨年は、オランダ人のラシライネンがふらふらで、さっぱりだったが、今年は再びトムリンソンが復帰して、音楽に安定感が戻った。独特の存在感ある声は立派ではある。
タガーのゼンタがいいが、エーベルツのエリックが力みすぎ。
M・アルブレヒトは可もなし、不可もなし。普通すぎるかも。

Abbado_mahler5 短いといっても2時間30分の幕間なしの通し上演のオランダ人のあとに、マーラーなんぞ聴くと、それなりにヘビーでこたえるが、今晩はDVDで視聴。

今年の、いや私の音楽体験のなかでも、トップに位置したともいえる「アバドとルツェルン」の来日公演。マーラーブルックナーも人間が成し得る極めて高度な音楽表現だった。あの時以来、マーラーの6番は聴けなくなってしまった。

この思い出に少しでも近付きたくて、2004年のルツェルンで演奏された第5交響曲を取り出した。いるいる、あの時のメンバー達が。ついでに会場には降り番のポリーニまでいる。
 さらにVPOやBPO、ABSQ、ハーゲンSQ、グッドマン・・・錚々たる顔ぶれがずらりと居並び、アバドの指揮棒に見入って体を揺らしながら、夢中になって演奏している。

このもの凄い集中力を何といったらいいだろう。ソロ奏者でも一流の面々が、互いの音を聴きながら、アバドの指揮だけを信じて音楽に没頭する姿。
アバドの指揮もしなやかで自在なもの。時おり、笑顔で楽しそうに振っている。
こんな姿は東京でも見られた。マーラーの5番や6番を笑顔で指揮するのは、この人くらい。マーラーの音楽と一体化して、好きでしょうがないといった感じ。
過去2度の録音より、テンポも速くなり、無駄なものが一切ない透徹し切った演奏は、見て・聴いていて、時間の経過というものを忘れさせてしまう。
気が付いたら最終楽章のコーダの興奮の中に自分を見出す。
聴衆の興奮と楽員の晴れやかな顔も充分に楽しめる。

この選曲はかなり意識したもの。一昨日から、チャイコフスキー、シューベルトと5番の交響曲が3つ並んだ。「5・5・5」、「ゴー・ゴー・ゴー」、語呂がよろしく、来年に向けての勢いもある。「5・5・5」はシリーズ化しよう。

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シューベルト 交響曲第5番 アバド指揮

Beer_2 今夜のターミナル駅は、「お疲れさまでしたぁ、よいお年を・・」な~んて会話が、あちらこちらで聞かれた。
そんな仕事納めの方々に送る「お疲れさまビール」、先だって行った激ウマ・ハンバーガーショップのビール画像です。

「こちとら、まだ明日もあさってもあらぁな」というより、数日後すぐに会うのに何でこんな仰々しい挨拶するのさ?と毎年思いつつ、「お世話になりましたぁ」なんて言ってる自分。帰宅すると、今宵はカレー。う~む・・・、カレーには、サッポロ・ドラフトワンだ!!
占いづいているのか、「カレー占い」なるものを発見。私は陽気な「トド・カレー」だってさ?ようわからん・・・・。

G1_w06_gross NHKのバイロイト放送のリングは、いよいよ大団円「神々の黄昏」。
舞台写真を見ると、シェローの歴史的な76年演出の装置に似ている。
ドロストの演出は、やや主張が弱く賛否両論のようだ。
音楽に関しては、指揮者のすごさと、今後のチームワークも加味されてくれば、ベームやブーレーズ以来のリングになるのでは、と期待させる。
黄昏では、ワトソンのブリュンヒルデがハリのある声で実に良いと思った。本来リリカルなフォンタナのグートルーネは絶不調。どうしたのだろう。
最後の自己犠牲のワトソンの歌唱とティーレマンの指揮の素晴らしさは稀に見るもので、ホントにホントにいい。涙が出てきた。

ワーグナー好きに朗報、29日深夜、NHKBSで「ビルギット・ニルソン」のドキュメンタリーが放送されますよ。

連日のワーグナー呪縛。その後のブログ更新。年末のこの時期、胃も耳も疲弊してきている。あともうひと踏ん張り。こんな今の私に、ピッタリなのがシューベルト。
何ていったって、作曲家占いじゃ、わたしゃぁ「シューベルト」だもの(自慢してる)。

Abbado_schubert ロココ的なムードと優しさに満ち溢れた5番の交響曲は、シューベルトの交響曲の中では、一番愛らしく、楽しい気分が横溢している。
こんな素敵な交響曲をシューベルトは19歳で作曲している。ベートーヴェンが第9を作曲している頃。私は19歳のとき、一体何を・・・・。

アバドとヨーロッパ室内菅は、軽やかにに口笛でも口ずさむように演奏している。リズムは弾み、響きは柔らかく、どこまでも爽快なシューベルト。
当時の気鋭の若い奏者達で組織されたオーケストラも初々しく、新鮮。このオーケストラから、今はきっとウィーンやベルリン、各地のオーケストラに羽ばたいていって活躍しているであろう。
今は冬だけど、こんな春を感じさせる曲に演奏に、ほっと一息つきたくなる。
我ながら、いい選択だった。(自慢してる)。

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2006年12月27日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第5番 ケンペ指揮

Dsc01242 今日は、昨日の大雨とうってかわって朝から晴天。空気が澄んで気持ちいい、はずが、風が強く気温も20度近くまであがり、春一番の陽気!!
何じゃこれ? 季節感がないにもほどがあるし、連日猫の目のように天候がかわる。
仕事の途中で、寄り道した「竹芝桟橋」から見た「お台場」。変だけどいい天気。

S4_w06_gross_1

バイロイトのテーレマン・リングも「ジークフリート」。いよいよ、ヒーロー登場。今年は昨年まで、同じティーレマンの元で「タンホイザー」を歌っていた「ステファン・グールド」がチャレンジ。これが実によろしい。
少し破滅型のヘルデンだけど、このところなかったタイプで、何度も言うが軸足が少し過去に向いたティーレマンの音楽にピタリとあっている。
先日の新国の「フィデリオ」を観たのもこの人が出演するから。
同じ新国のリングで健闘した「リンダ・ワトソン」のブリュンヒルデも驚くほど立派だし、チョイ役の藤村さんもファンとしては嬉しい歌唱。

Kempe_tschaiko5 ジークフリート後、チャイコの5番を聴くという離れ業。
更新もズルして時間を遡ります。バイロイト放送のおかげで忙しいのだ。
もうほとんど、国民行事のオリンピック状態。
放送が終わったら寝りゃいいいいものを、そうは行かぬ、つらいが楽しい。

ケンペがバイエルン放送響を指揮したライブは、亡くなる前年1975年。
NHKでも放送されたはず。放送局音源だけに、ヘラクレスザールの素晴らしい響きをとらえた録音は、最近のものと遜色ない。ともかく音楽的。

ケンペの作り出すチャイコフスキーは、4楽章がきっちりバランスよく、姿形がとてもきれいだ。ドイツ人にドイツのオケだ、なんだかんだいう前に、虚心に耳を傾けたい。
チャイコフスキーってほんとに、しっかりした音楽を書いたんだなぁ、と実感できる。
同時期のカラヤンとベルリン・フィルのチャイコフスキーが、音の練磨と劇性に磨きを掛けていったのに比べ、ケンペは書かれた音符ひとつひとつをしっかり鳴らしながら、チャイコフスキーの音楽が自ら語りだすのに任せてしまっているような趣きがある。

2楽章なんてお涙ものでなく、普通に緩徐楽章しているし、終楽章も仰々しさがなく潔い。

バイエルンの明るく、積極的な音もいい。
当時、「放送響はクーベリック」、「フィルハーモニーはケンペ」、「シュターツオーパーはサヴァリッシュ」、「放送菅はアイヒホルン」といった具合にミュンヘンは名指揮者の坩堝だった。今とくらべて、スゴイ時代だなぁ。

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